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展 解説・列品 録 開館 20 年記念 平成 26 年度春季特別展

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展 解説・列品 録 開館 20 年記念 平成 26 年度春季特別展
開館 20 年記念 平成 26 年度春季特別展
展⽰解説・列品⽬録
木造十二神将像(第2号像)の保存修理
会期:平成 26 年4月 19 日(土)~6月1日(日)
1.はじめに
写真は剝落止め作業の様子
号像は、12 軀のなかでも頭体のバランスに優
湖東の山麓に建つ天台宗の古刹・金剛輪寺
れ、神将像としての筋肉質な肉体を十二分に
は、8世紀前半頃に聖武天皇の勅願により行
表している。ところが、経年による劣化は像
基が開創したといわれています。その後、嘉
全体にみられ、特に当初の彩色が剝落する可
祥年間(848―851)に最澄の弟子・慈覚大師
能性が考えられた。このため、保存修理では
円仁(794―864)によって中興され、鎌倉時
全体に剝落止めを施し、像容を損じる原因と
代に隆盛を極めました。
なっている左肩部の木屑 漆 を除去し、新たに
こ く そ うるし
えん ぱつ
金剛輪寺には往時を偲ぶ様々な文化財が保
接着し直した。また、欠失した左頭部の炎髪に
存されています。国宝である室町時代前期の
ついては、右側の炎髪を参考に復元し、周辺
本堂をはじめ、重要文化財の建造物や鎌倉時
との統一感をもたせるために泥絵具で古色塗
代の数多くの仏像、経典などの寺宝は、幾度
りを施した。
にわたる修理や修復という人々の願いと絶え
間ない営為によって現在まで大切に守り伝え
られてきました。
展覧会では金剛輪寺と西光寺(松尾寺)が
所有する文化財の保存修理の成果と併せて、
文化財の虫菌害対策として知られる燻蒸作業
など、普段あまり見ることのできない保存修
理や殺虫処理の舞台裏を紹介します。
2.彫刻の保存修理 -木造十二神将像-
明壽院護摩堂に安置される 12 軀一具の神
将像である。いずれも 42 ㎝前後を測る一木割
矧造りの小像群で、写実性が高く作域が優れ
ており、制作時期はおよそ 13 世紀後半と考え
られる。
像の表面には当初の彩色がよく残り後世の
補彩が少ないため、保存状態は概ね良好とい
写真1 木造十二神将像(第2号像修理後)
愛荘町指定有形文化財 鎌倉時代 金剛輪寺蔵
3.建造物の修理 -三重塔-
えるが、一部像容を損なう補作や顔料・文様
金剛輪寺三重塔は建築当初より三重屋根を
の浮きが顕著にみられることから、平成 25 年
備えていたものの、江戸時代後期から三重部
度より3ヵ年度にわたり保存修理を実施する
分より逐次腐朽が進み、明治時代の中頃には
こととなった。
すでに三重を失っていたものと考えられる。
初年度に保存修理を実施した像のうち第2
その後、明治 25 年(1892)
、大正6年(1917)、
昭和2年(1927)には元の三重の姿に再興す
る計画が持ち上がるが実現をみなかった。
昭和 20 年(1945)、三重塔は二天門ととも
に重要美術品の認定を受け、昭和 47 年(1972)
には重要文化財に指定された。これを契機に
2年後には解体修理工事に伴う調査工事、続
いて昭和 50 年(1975)から 53 年にかけて解
体修理が行われ、現在の三重屋根の姿に復原
された。
平成 24 年(2012)には檜皮葺屋根の腐朽に
伴い屋根葺替修理が行われた。檜皮葺とは読
んで字のごとく、檜の皮を使用して屋根を葺
く伝統的な工法で、7世後半にはすでに文献
にもみられる。材料となる檜皮の採取や加工、
施工には職人熟練の技術とともに様々な道具
類が使用される。
写真4 品軒の木口をチョンナで切り揃える
チョンナを使いこなすには熟練の技が必要。
4.建造物の修理 -護摩堂・茶室-
護摩堂・茶室は金剛輪寺の本坊である明壽
院にあり、国名勝金剛輪寺明壽院庭園内に建
立する。護摩堂は棟札・宝珠瓦銘から正徳元
年(1711)に建立された後、明治 43 年(1910)
に屋根葺替、昭和 10 年(1935)に屋根葺替及
び部分修理、同 28 年(1953)に南東軒の部分
修理が行われている。なお、正徳元年の棟札
は2枚あり、施主と職工がそれぞれ作成して
いる。
写真2
三重を失った金剛輪寺三重塔
(昭和 50 年頃撮影)
写真5 護摩堂と茶室
手前は茶室「水雲閣」。隣接する護摩堂とは渡廊下
でつながる。
茶室「水雲閣」は明壽院庭園池泉に面した
懸け造りで、護摩堂と渡廊下で繋がる。建立
時期は天保 11 年(1840)といわれているが、
天保2年(1831)に比叡山の僧・羅渓慈本(1795
―1869)が金剛輪寺を訪れた際に詠んだ「明
壽院十勝」に水雲閣の名がみえることや文政
2年(1819)に作成された図面の存在などか
写真3 チョンナ
軒先に積んだ檜皮の木口を所定の角度に美しく切
り揃えるために使用する手斧。
ら、現在は文政9年(1826)から天保2年の
間に建立された可能性が指摘されている。
護摩堂と茶室は平成 24 年度から2ヵ年度
り)が最小になるよう留意した。
にわたる名勝金剛輪寺明壽院庭園史跡等・登
巻第 262 については本紙の風合いを残すた
録記念物・歴史の道保存整備事業において檜
め、最低限の湿りを与え、吸水紙と交互に重
皮屋根葺替と併せて一部解体修理が行われた。
ね合わせ、負荷により1週間ほど押しをかけ
た。その後、各本紙と隔紙を継ぎ、新調した
塗木軸・紐・元表紙などを取り付け、巻子装
に仕立てた。
巻第 261 は従来の巻子装を転読の用に供す
目的で折本装に改められたと考えられ、保存
修理では元の巻子に改装した。保存修理では、
本紙の大半が焼損により欠落しているため、
特に強度面を考慮して楮紙による裏打ちを行
写真6
新しく取替えられた護摩堂の化粧裏板。
った。裏打ちについては肌裏・折れ伏せ・総
裏を美濃紙、増裏には胡粉が漉き込まれた美
栖紙を使用した。
写真7 焼印
新しく取替えた裏板には修理年が刻まれた焼印を
押す。
5.経典の保存修理 -大般若波羅蜜多経-
金剛輪寺には平安時代後期(院政期)の貴
族・源敦経が発願し、自ら中心となり書写し
た大般若波羅蜜多経(源敦経発願経)が 129
巻・9帖伝わる。このうち虫損や糊離れ、焼
損が著しいものについて、平成 18 年(2006)
に保存修理を実施した。
保存修理では本紙を解体し、楮紙を用いて
本紙の補修を行うが、補修紙については料紙
写真8
大般若波羅蜜多経(源敦経発願経)
巻第 261 巻末(上)
・巻第 262(下)巻末
永久4年(1116)
源敦経には男子が2名おり、両名とも出家して「山法
師」
(天台僧)となった。そのため、本経が有縁の天
台寺院に寄進された後、金剛輪寺に伝わった可能性が
指摘されている。
の観察に基づき矢車にて染色、木灰で媒染し、
6.絵画の復元模写 -平成大曼荼羅-
打紙を行って加工した。また、補修紙を補填
日本の文化財の多くは木や紙、繊維など脆
(繕い)する際には、本紙との接着面(重な
弱な素材で制作されたものが多い。それにも
関わらず、日本が世界に類をみない仏教古画
7.絵画の保存修理 -仏涅槃図-
の宝庫である大きな理由として、寺社による
念仏山西光寺は金剛輪寺の子院のひとつで
転写や造仏が挙げられる。つまり、寺社が各
あり、慈覚大師円仁(794―864)が嘉祥年中
時代、特に歴史上の動乱や混乱の後の復興期
(848―851)に金剛輪寺へ来山した際、西光
などに主導的な立場で転写や造仏などを行っ
寺門前の前山(引声山)に引声念仏弘通の道
てきたからこそ、仏教絵画は文化財として現
場として創建したと伝えられる。その後一且
在に伝わる。
廃亡したが、正保3年(1646)に現在地に堂
金剛輪寺では平成 15 年(2003)より奉修さ
を建て阿弥陀仏を移し西光寺とした。
れた天台宗立教開宗 1200 年慶讃大法会の記
西光寺には江戸時代の仏涅槃図が伝わる。
念事業として、旧蔵の金剛界八十一尊大曼荼
画面中央には横臥する釈迦を、その周りには
羅図(根津美術館所蔵)の復元模写の制作が
悲しみの表情を浮かべた菩薩や仏弟子、会衆、
計画された。
動物たちを描き、釈迦の入滅を表す。図柄は
制作にあたり、図像の表現や技法について
通例のものであるが、やや縦長の絹地に描か
は関連する彩色曼荼羅図や白描図像、版本に
れた画面構図も的確でその描法・彩色も丁寧
至るまで綿密に調査し、鎌倉時代における写
で優れており、制作年代は箱書に記された天
し崩れと改変とを明確にしたうえで、その原
明3年(1783)より若干遡るものと考えられ
本である平安初期の請来曼荼羅の様式を考慮
る。
して作画した。また、図像や表現、技法など
画面全体に糊浮きや亀裂、折れのほか、絵
の様式ばかりではなく、作画の材料(絹本・
具の剝落が顕著にみられることから、平成 25
絵具など)や表装の仕立てといった諸要素も
年(2013)に保存修理を行った。修理では膠
できる限り復元することにより、過去の転
水溶液で剝落止めを行い、美濃紙や美栖紙、
写・転写が担ってき文化や伝統技術の継承の
宇陀紙で裏打ちを行ったほか、描表装の一部
再現に努めた。
に補彩を施した。
写真9 平成大曼荼羅
金剛輪寺制作
縦 210 ㎝、横 209 ㎝を測る大曼荼羅。毎年5月中
に限り、本堂にて公開されている。
写真 10
仏涅槃図(本紙)
天明3年(1783)
西光寺蔵
ある。ちなみにこの方法では、カビの生育も
抑制することができる。
天幕内窒素置換低酸素濃度処理法における
殺虫については、現在、低酸素耐性が強い文
化財害虫(コクゾウなど)に対して 100%の
殺虫効果を想定した 30℃、50―60%RH、酸素
濃度 0.1%未満で3週間の期間という条件が
写真 11
提唱されているものの、詳細な条件について
西光寺 本堂
愛荘町松尾寺
は未だ明らかにされていない。
燻蒸対象文化財
窒素(N2)湿度調整器
乾燥した窒素ガスを加湿
写真 12 補絹作業
描表装部分の補絹作業。写真は劣化絹を補填した後
に裏打ち紙を剥がしている様子。
8.文化財の虫菌害対策
電熱式圧力調整器
窒素ガスを温め、
安全な状態で供給
窒素ガス(N2)容器
図
天幕内窒素置換低酸素濃度処理法施工図
文化財に生物被害が確認された場合、適切
な殺虫・殺菌処理を選択し、対処する必要が
ある。特に美術館・博物館では美術工芸品な
どの小型の文化財を単体で殺虫・殺菌する場
合、館内に機密性の高い積層シートで天幕を
設営し(包み込み)
、天幕内の空気をガスで置
換する燻蒸方法が多く採用されている。
燻蒸方法のなかで、薬剤を使用しないガス
燻蒸に「二酸化炭素殺虫処理法」
「低酸素濃度
処理法」がある。前者は炭酸ガスによる殺虫
方法で、古くから利用実績も豊富なうえ残留
毒性の懸念が無いことから多くの美術館・博
物館などで採用されている処理方法である。
写真 13 湿度調整器
ボンベ内の窒素ガスを 50-60%RH まで加湿するた
めの器具
開館 20 年記念 平成 26 年度春季特別展
文化財にかける技とねがい
-保存修理の成果- 展示解説・列品目録
一方、後者は密閉空間内の空気を窒素ガス
などの不活性ガスで置換することにより酸素
濃度を下げ、それを一定期間維持(通常 0.1%
未満で維持)することにより殺虫する方法で
編集・発行:愛荘町立歴史文化博物館
電話:0749(37)4500
発 行 日:平成 26 年(2014)4月 19 日
Ⓒ2014 愛荘町立歴史文化博物館
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