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復刻版 - 東京無線支部

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復刻版 - 東京無線支部
復刻版
bababababababababab
本復刻版は会報﹁むせん﹂第 号︵原
ご了承ください。
異なっている場合もあります。併せて
ましたが、ソフトウェアの関係で一部
また、なるべく原本に忠実を心がけ
はあしからずご了承ください。
漏れがあるかも知れません。その場合
ため校正は慎重に行いましたが、校正
テキスト化の時、誤変換が発生する
ト化して再構成しました。
本︶をスキャナーで読み取り、テキス
45
目次
特別寄稿﹁NTTCOM﹂の事業動向
NTTコミュニケーションズ
取締役ネットワーク事業部長 坂田 好男
3
2
1
. . . . . . . . . . . . . . . . . . .
. . . . . . . . . . . . . . . . . .
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
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. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
8
6
6
6
6
5
5
5
5
5
5
支部会報の発行
会員名簿の配布
電話順送表の配布
サークル活動
役員会・常任幹事会
本部会議への出席
二、平成十一年度収支計算書
平成十二年度事業計画
一、計画概要︵案︶
. . . . . . . .
. . . . . . . . . . . . . . .
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
二、平成十二年度予算書︵案︶
三、関東電友会東京無線支部運営細則の改正
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
四、サークル編成
五、迎寿会員
平成十二年度役員
サークル活動状況
懇親会模様
一、平成十二年賀詞交歓会
浅見右平氏を偲んで
福住和夫氏のご逝去を悼む
氏原清一郎さんを偲んで
相曽新一
栗原喜一
小川 昭
関根栄喜
会員の近況だより
新津久枝さんを偲んで
. . .
. . .
. . .
. . .
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
二、地区懇談会
追憶
. . . . . . . . . . . . . . . . .
15
巻頭言﹁電友会の明日を思う﹂⋮副支部長 中村 恒男
4
地区懇談会
. . . . . . . . . . . . . . . .
9
平成十一年度事業実施報告
一、実施概要
支部総会
5
賀詞交歓会
6
慶弔・お見舞い
. . . . . . . . . . . . . . .
16
随想
45
7
三、平成十一年度会計監査報告
32 31 31
65
8
14 13 13 12 11 11
III
43 41 40 40 40
IV
VII
1
9
II
V
VI
VIII
3
10
5
10
I
回想
昔、そして今
絵を描いてみませんか
森 泰男
武井清六
佐川秀夫
マスコット関係者二五年ぶりの集い
. . .
. . .
. . .
72
2
1
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
編集後記
電信電話記念日の招待状
会員の受賞
新入会員の紹介
3
. . . . . . . . . . . . . . . . .
無線支部の会員数
お知らせ
78 78 78 78 78
69 67 65
IX
79
X
3
﹁特別寄稿﹂
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
﹁NTT COM﹂の事業動向
NTTコミュニケーションズ
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
oMoのIモードの爆発的普及、インターネットの急速な伸
びや電子商取引︵エレクトリックコマース︶市場の発展など
IT︵情報技術︶革命の真っ只中にあります。IPサービスの
拡大は、今や先進国のみならず途上国も巻き込んで世界的な
規模で進展しており、その対象も、ビジネス、個人生活から
ンを得つつあります。IPサービスの拡大は、単なる電話か
行政にまで及ぶなど、まさに社会インフラとしてのポジショ
NTTコミュニケーションズ ︵略称:NTTCom︶ は、
らインターネットへの移行を意味するにとどまらず、個人の
取締役ネットワーク事業部長 坂田 好男
昨年七月一日に電話とインターネットを世界に広げる企業と
生活やビジネスのあり方を大きく変革しつつあります。
ルにISP等のお客様設備をお預かりする﹁ハウジングサー
拡大を目指した取組を行ってきました。具体的には、通信ビ
特にIP系に大きくシフトしつつある市場に応え、市場の
を図ってまいりました。
マルチメディア通信インフラの整備を進め、経営体質の強化
ム︵DWDM︶等の新技術を導入し、高速広帯域伝送路など
る設備コストの低減を図るとともに、光波長多重伝送システ
では、更なる競争に対応できるよう網構成のシンプル化によ
このように変貌するマーケットの中でネットワーク事業部
して誕生しました。インターネット、データ通信、そしてグ
ローバルサービスを事業領域を示すキーワードとし、﹁世界
の情報通信市場における挑戦者﹂として、
﹁グローバルな規模
であらゆるお客様に世界最高水準のサービスを提供する﹂こ
とをミッションとして掲げ、事業を展開してまいりました。
発足後一年を振り返ってみますと、情報通信のマーケット
は、国際国内を隔てていた壁がなくなるとともに、ローカル
アクセスへの長距離系通信事業者の参入、外資系通信事業者
の相次ぐ参入やKDD、DDIの合従連衡等、その競争は一
段と厳しく、複雑化してきました。
サービスの面でも固定電話を携帯電話が追い越し、DoC
1
ビス﹂を本格的に展開するとともに、高速広帯域バックボー
ンを格段に安い価格で提供する﹁Arcstarギガウェイ
サービス﹂を開始しました。また三月からは無線アクセスシ
ステムを利用して、お客様ビルに当社の通信回線を直接引き
込むアクセス系専用サービス﹁Arcstarエアアクセス
サービス﹂を提供しています。
これらの取り組みがIP市場を牽引し、お客様が快適なイ
ンターネットアクセスを安い料金で享受できるようになるも
年には、これらの取り組みをさらに進め、国内だけ
してまいります。さらに、平成
年にはアジア主要国、オー
に、一層のご指導・ご鞭撻をお願い申し上げます。
後になりましたが、皆様の益々のご発展をお祈りするととも
TTComは位置して活躍できる会社を目指しています。最
世界がIP化、グローバル化していく中で、その先端にN
ストラリアに対しても展開していく予定です。
13
2
のと確信しています。
平成
an usケーブルを利用し、対米国に対して国際国内シー
−
でなく国際海底ケーブルChina USケーブルやJap
12
ムレスなエンド・ツー・エンドサービスが提供できるように
−
M
e
m
o
巻頭言
電友会の明日を思う
副支部長 中村 恒男
会員の皆様、その後いかがお過ごしですか。新しい年を迎
え、治安当局の度重なるトラブルで安全神話の崩壊さえ囁か
れている昨今ですが、益々お元気で活躍しておられる事と思
います。
さて、私共はNTTの再編により対応するNTTの窓口を
失ってしまいました。幸にも山根支部長のご尽力によりNT
Tグループ会社による新しい支援体制が発足しましたが、誠
に喜ばしい限りでございます。
思えば、私共は今から約三十年前、全国自動即時化の先兵
として全国にローカルマイクロ回線の工事を展開し、続々と
の中継所︶があるのはおかしいと言われ続けてまいりました。
時の流れとはいえ、 今日におけるNTTの再編を見る時、
感無量のものがあります。ひるがえって電友会の現状を見る
と高齢化が進み、かつ加入率の低下が見受けられ、この傾向
はなお続くものと推測されます。
ところで、電友会が発足して早三十年を経過しており、ま
た新生NTTが力強く未来指向型の大改革に第一歩を踏み出
しているとはいえ、NTTを取り巻く経営環境は国の内外共
に厳しさを増しております。
私共はこの現実を見る時、NTTの再編を契機として自立
心を旗標に電友会の運営について何らかの対応策を考えざる
を得ません。
発想の転換こそ新生電友会の生きるための道標かも知れま
せん。発想の転換とは﹁過去の体験を基盤として、これから
そのため私共は会員の高齢化と多様化に応え、フレキシブ
起こるであろう未来を先取りする事﹂です。
全国ダイヤル化とは﹁情報伝達の手法として距離と時間を
ルな対応を念頭に現体制の仕組みとやり方を検討する必要が
無線中継所が誕生致しました。
ゼロにする﹂ という事で、﹁復興期を迎えた我が国の経済界
あろうかと思われます。
繰り返したいと思いますので、広く討論のうえ前向きに対処
化策として改革案を提言しておりますが、ここに再び提言を
私はかつて会報三六号︵平成八年一月号︶に電友会の活性
に果たした役割に計り知れないものがあり、この偉業はクロ
スバーとマイクロの導入によって初めて達成されたと言われ
ております。
当時、私共は﹁一つのビルに三枚看板︵電話局、搬送、無線
3
してほしいものと思っております。
一、地区別組織の再編について
当支部の組織は発足以来四地区編成 ︵東京、 神奈川、
千葉、埼玉︶で、いまだに変わっておりません。昨今の会
員の高齢化と多様化及び今後の地区活動を考えた場合、
型が軍隊の組織でしょう。
ところで、無線には残念ながらこの種のシステムがござい
ません。したがってイザという時総意を結集する方法もあり
ません。
幸にして現在現役には首都圏無線会、OBには日比谷、通
そこでこの際、組織の均一化と地区活動の活性化を目
よって総意をまとめる必要があると思われます。いかなる組
これらの組織を横断的に結びインフォーマルな組織活動に
研に無線会、その他電友会、所長OB会等があります。
的に連合組織等も勘案し、東京地区の分割と茨城・栃木
織にせよインフォーマルな組織活動を否定する事はできませ
ややシステムに疲労が感じられます。
地区の独立を念頭に再編成の必要があろうかと考えられ
ん。というよりも、組織の強さはインフォーマルな組織活動
会の活動を続けていく事を望んでおります。
い、楽しくさわやかに、しかもたくましく、しなやかに電友
そのために電友会の仕組みとやり方を変え、同じ志の許 相集
と対話を重ね、仲間の絆を強くしたいものと思っております。
私共は過去の栄光を胸に未来に灯を求めながら、触れ合い
電友会は同じ釜の飯を食った仲間の集まりです。
NTTの再編が無線部門の組織の崩壊を招いたとはいえ、
部門の幹部の方々の出番と大いなる討論を期待しております。
今がそのチャンスです。雰囲気づくりの第一歩として無線
の有無によって決まります。
ます。
二、役員選出のシステム化について
当支部の会員は就業率が高くかつ就業年限が比較的長
いので、世代交代がなかなか困難です。しかし、昔から
組織の活性化は人事にあると言われております。
そこである条件の許にグループ別、層別に役員選出の
システムを確立し、同時に定年制と顧問制を導入し、組
織の若返りと強化を図る必要があると思われます。
三、インフォーマルな組織活動について
組織というものは本来序列とルールがあり、神聖にして侵
すべがらざる権威を持つものでなければなりません。その典
4
東 京
地区名
十二・三・十八
十二・三・十一
開催月日
津田沼銀座 アスター
横浜重慶飯店
東京 テレビ中継 センタ
開催場所
四三
六二
六五
五〇
慶弔・お見舞い
した。
福住 和夫 様 ︵七一歳︶
氏原清一郎 様 ︵八六歳︶ 心不全
相場 直一 様 ︵七六歳︶ 肝臓癌
新津 久枝 様 ︵八七歳︶
十二・一・二七
十二・一・二三
十一・十二・六
十一・十・二七
十一・八・十六
られる会員の方々から広告掲載について温かいご協力をいただきま
に発行しました。 なお、 第四四号では、 企業の代表者となってお
第四三号を平成十一年六月に、また、第四四号を平成十二年一月
支部会報の発行
村田 孟 様
いをいたしました。
病気のため長期にわたり療養中の左記の方に支部からお見舞
病気お見舞い
浅見 右平 様 ︵七二歳︶ 肺炎
支部から香華をお供えいたしました。
た。謹んでご冥福をお祈りいたします。なお、告別式にあたり
平成十一年度下半期中に次の方々がお亡くなりになりまし
ご逝去
お祝いを申し上げました。
︵詳細は会報第四四号をご覧下さい︶
方十二名の方々に、総会当日、支部長より記念品を贈呈いたし
平成十一年度に米寿を迎えられた方二名、喜寿を迎えられた
長寿のお祝い
4
(1)
平成十一年度事業実施報告
一、実施概要
支部総会
平成十一年六月十九日 ︵土︶ 駒込の電通生協会館で開催しまし
た。︵詳細は会報第四十四号をご覧下さい︶
賀詞交歓会
をご覧下さい︶
神奈川
十二・三・二五
埼玉県労働会館
5
平成十二年一月十五日 ︵土︶ 駒込の電通生協会館で開催しまし
た。︵詳細は本号
地区懇談会
をご覧下さい︶
千 葉
十二・三・四
た。︵詳細は本号
埼 玉
出席会員
各地区共、 NTTの事業説明会を兼ねて次のように開催しまし
V
V
(2)
(3)
5
I
1
2
3
会員名簿の配布
平成十一年度会員名簿を平成十一年十一月に全会員に配布しま
した。
電話順送表の配布
サーク
本年度版を発行し、 平成十一年八月に対象の全会員に配布しま
した。
サークル活動
主 要 議 題
十九のグループが活発な活動を展開しました。 詳細は
ル活動状況をご覧下さい。
ついて
○ 関東電友会東京無線支部運営細則の改訂に
ュール︵事前準備︶について
○ 平成十一年度︵第三一回︶定期総会スケジ
○ 平成十一年度収支計算書
ついて
○ 平成十一年度第一回本部常任幹事会模様に
IV
○ 会報﹁むせん﹂第四三号の進捗状況につい
て
○ その他
・
・
・
・
・
第三回
・
第二回
11
第四回
○ 平成十一年度︵第三一回︶定期総会の実施
状況について
○ 定期総会提案案件の一部変更について
○ 平成十一年度1/4半期収支決算について
○ 電友会ボランティア活動賞並びに電気通信
産業賞の推薦について
○ 関東電友会会則の変更について本部からの
意見要望の聴取について
○ 東 京 無 線 支 部 の イ ン タ ー ネット ホ ー ム ペ
ージ開設について
○ 電話順送表の作成について
○ その他
○ 平成十一年度本部主催第二回支部常任幹事
会の実施模様について
○ 関東電友会会則変更及び電友会東京無線支
部運営細則の一部変更について
○ 名簿及び会報の送付方法の変更について
○ その他
○ 平成十一年度第3/4半期収支決算につい
て
○ 平成十一年度地区懇談会の進捗状況につい
て
○ 会員増強策について
○ その他
6
12
15
28
役員会・常任幹事会
12
7
11
2
○ 役員会
・
開催年月日
・
5
第一回
11
11
12
6
7
8
9
7
本部会議への出席
10
8
9
三、平成十一年度会計監査報告
会計規程第十四条取扱内規により、平成十一年度金銭出納簿及び
林 憲男
印
関係書類並びに預金通帳を照合した結果、すべて正確であることを
監 事
10
確認しました。
平成十二年四月十日
M
e
m
o
平成十二年度事業計画
一、計画概要︵案︶
定期総会を開催する。
︵6月︶
役員会を開催する。
︵年4回︶
常任幹事会を開催する。
︵年8回︶
地区役員会を開催する。
︵随時︶
地区懇談会を開催する。
︵4地区年1回︶
NTTとの情報交換を図る。
NTT及びNTTグループ会社の事業及び業務に役立つ情報の
提供に関し協力する。
賀詞交歓会を開催する。
︵1月︶
支部会報を発行し全会員に配布する。
︵6月、1月の年2回︶
レクリエーションサークルの種目を拡大し、サークル活動を活
発にする。
サークル種目によっては地区毎に細分して参加を容易にする
等、活動の活性化を図る。
電話順送表を作成し全会員に配布する。
︵8月末︶
新規入会会員に会員証を発行し、会員バッチを交付する。
NTT及びNTTグループ会社の退職者、未入会者の入会勧奨
を推進し、関係機関と密接な連絡をとって会員の増加を図る。
会員等の慶弔に際し、適時適切な措置がとれる様にするため、
日頃から会員の新しい情報の把握に努める。
無線関係機関の名簿、歴史資料等を収集し保管する。
会員名簿を全会員に配布する。
本部の諸会議︵総会、理事会、常任幹事会︶に出席する。
会員名簿の追加訂正情報を恒常的に本部に報告する。
迎寿会員にお祝いを贈呈する。
会員の各種表彰、 叙勲に関する推薦等について積極的に協力
する。
会員あるいは配偶者のご不幸に際し弔問を行う。
病気療養中の会員にお見舞いを差し上げる。
会員からの各種相談及び依頼事項について、前向きに対応する。
本部より依頼された事項に協力する。
会員の就職、業務応援等に関する事項に積極的に対応する。
支部事務処理の機械化、情報連絡強化のためにインターネット
通信、FAX通信を推進する。
無線支部ホームページではNTTの最近の動向、会合、サーク
ル活動等の周知、入会案内を行う。
無線支部のホームページに掲示板を設け、会員の意見等の交流
ができるようにする。
11
21 20 19
27 26 25 24 23 22
28
29
II
3 2 1
6 5 4
7
10 9 8
11
14 13 12
15
18 17 16
12
四、サークル編成
吉田 和衛
堀井清男
鎌田 孝
吉本 正
吉田 哲夫
中村 恒男
斉藤 兼雄
木村 英之
堀井 清男
白井 靜明
佐川 秀夫
中山 宗光
山崎 輝男
小高 正夫
水谷 秀夫
福島 利雄
宅 ○三 **** ****
宅 ○四三 *** ****
宅 ○四六七 ** ****
宅 ○四二三 ** ****
宅 ○四七四 ** ****
宅 ○四二四 ** ****
宅 ○四八 *** ****
宅 ○四四 *** ****
宅 ○四二七 ** ****
宅 ○四六七 ** ****
宅 ○四六八 ** ****
宅 ○四五 *** ****
宅 ○四五 *** ****
宅 ○三 **** ****
宅 ○四二七 ** ****
宅 ○四七一 ** ****
宅 ○四八 *** ****
各サークル幹事
岡崎 利勇
宅 ○四七一 ** ****
幹 事
新良貴 守
−
− − − − − − − − − − − − − − − − − −
サークル名
囲 碁
麻 雀
絵 画
釣 り
旅 行
寄 席
写 真
パソコン
13
− −
− − −
− − − −
−
− −
− −
−
−
−
1
ブロック名
東 京
神奈川
埼 玉
干 葉
東 京
神奈川
五、迎寿会員の紹介
平成十二年度に長寿の記念日を迎えられる次の方々に、今総会当
宮崎武次郎
杉澤 稔
高岡 泰資
岩沢 国男
梶 昭三
成岡 隆男
吉田 哲夫
宅 ○四七四 ** ****
宅 ○四八 *** ****
宅 ○四八 *** ****
宅 ○四八 *** ****
宅 ○四五 *** ****
宅 ○四六五 ** ****
宅 ○三 **** ****
宅 ○四二四 ** ****
福島利雄
岩崎 功
木谷保雄
田辺謙介
喜寿
︵敬称略・生年月日順︶
日、支部長よりお祝い状と記念品を贈呈いたします。
荒井 近信
宅 ○三 **** ****
小林 清
内田 光
世 話 役
木村 正道
宅 ○三 **** ****
針貝光平
佐川秀夫
米寿
小林 定夫
宅 ○四五 *** ****
中澤長節
中山宗光
浦井 武
宮代 勝弘
宅 ○四六六 ** ****
上島新一
下村健三
橋浦国次
芝崎 芳和
宅 ○四六八 ** ****
佐藤光明
安井一吉
干 葉
石田頼夫
白井 靜明
宅 ○四二九 ** ****
関堀興三郎
中島勉治
東 京
山口 孝一
戸村五郎
土浦 清
宅 ○四九二 ** ****
鈴木忠男
草野春義
神奈川
宅 ○四八 *** ****
広谷正人
畔上 竹治
宅 ○四三 *** ****
町田安二
折田光成
大島 紀光
本村鄭次郎
内田 耕治
宅 ○三 **** ****
田中長吉
新野和平
宅 ○四九二 ** ****
埼 玉
宮内 良雄
埼 玉
関 政雄
宅 ○四六三 ** ****
鈴木邑長
神山亮一
ブロック別サークル世話役
サーク
ル名
フ
ル
ゴ
グ
ン
キ
イ
ハ
芸
園
上野富雄
宅 ○四七三 ** ****
− − − − − − − − − − − − − − − − − − − − −
駒形 郁雄
千 葉
−
− −
14
−
−
−
−
− − − −
− − − −
−
− −
−
−
−
2
平成十二年度役員
役職名
平成十二年度︵就任年月︶
︶
︶ 再 千葉地区
幹 事 池 澤 清︵
・
︶再
〃
・
駒形 郁雄︵
・
前任者
〃
富田 文夫︵
平成十二年度︵就任年月︶
6
6
役員の改選
役職名
︶ 再 埼玉地区
︶新
・
・
細川 正典︵
︶新
成尾 政行︵
〃
〃
・
〃
︶新
塩田 文夫
金 田 博︵
山根 信義
・
︶ 再 会計担当
12 11
6
田中 潤一︵
︶新
・
︶ 再 東京地区
神奈川地区担当
山崎 輝男︵
・
︶
8
12
支部長
副支部長 新良貴 守︵
・
︶
〃
〃
〃
関 政 雄︵
・
︶
4
〃
小田切金造︵
・
6
幹 事
吉田 哲夫︵
︶
︶ 再 神奈川地区
・
・
︶再
近藤 昭次︵
斎藤 兼雄︵
・
6
島崎 和男︵
6
︶
6
・
6
岡部 清一︵
6
12
〃
6
12
中村 恒男
︶
木村 正道︵
・
6
8
11
〃
〃
〃
6
・
〃
林 憲 男︵
︶
監 事
・
︶ 再 千葉地区担当
4
︶ 再 東京地区担当
高村 邦夫︵
・
︶ 新 埼玉地区担当
6
・
吉 本 正︵
・
10 63 12
4
常任幹事 小山 和男︵
宮崎武次郎︵
10
9
9
8
6
〃
6
6
6
〃
6
6
4
2
9
9
11
前任者
水谷秀夫
石原 勇
15
6
12
III
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
サークル活動状況
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
平成十一年度下半期における各サークルの活動状況を世話役の
方々から報告して頂きました。
○ 囲碁サークル
︵電友会囲碁大会︶
関東電友会第四回囲碁大会が、 十一月六日 ︵土︶ 晴、 NTT東
日本ビル三階食堂において開催され、無線支部からも六名が参加し
た。Aランク福島五段・梶川四段、Bランク小高・水谷二段、Cラ
ンク石田・太田一級で、引率者は水谷であった。
NTT新宿ビルは初めてで、半円形の南側にある細長い部屋で、
関東管内の各支部からの参加者と対戦した。試合は各ランク何れも
ハンディ戦で、一回戦を終えて勝者と敗者が別々になり、それぞれ
トーナメント戦を行った。ここから敗者は去り、勝ち残った物が上
へ進む方式。無線では小高正夫氏が残り、敗者組チームのBランク
優勝者となった。
他の者は用意された昼食の後、 少し観戦してから会場を後にし
月
日︵土︶
、港区勤労福祉
た。私は太田氏と二人で新宿駅まで歩いて帰った。
︵年末囲碁大会︶
年末には少し早いが、好晴の続く
27
された。十時頃からの自由対戦には約半数が参集、全員が集まった
会館別館二階和室で、十八名の参加者により恒例の囲碁大会が開催
11
十二時三〇
分開始した。
いつものと
おり茶菓を
採りながら
熱戦が繰り
広げられた。
私は対局時
計を用意し
て行ったが、
無くとも良
いとのこと
で、 対 局 数
には拘泥し
ないことと
した。
十六時三
〇分に終局
させたが、
対
戦結果は、
優
勝が四勝の
小高正夫三段 ︵今井、 山本八段に勝つ︶、 準優勝は中村三段 ・ 福
島六段各三勝一敗、敢闘賞は二勝一敗の小杉七段・田中六段・橋本
16
IV
五段・植田初段で、最年長の石田一級︵免状は二段︶は二勝二敗で
あった。表彰式のあと、駅近くのニュートーキョー庄屋で、田中さ
ん以下十四名が乾杯懇談した。
︵春季囲碁大会︶
雨の降らない寒い日が続いた今年は桜前線の北上が遅れた。でも
三〇日には漸く開花し、直後の四月一日︵土︶晴、年末大会と同じ
場所で開催した。参加者は二一名で、部屋の座布団が一枚足りない
盛況となった。珍しく渋江さんが見え、山本さんは中国出張とかで
欠席となった。
十時過ぎに行くと、水谷氏と相場さんのあとを受けて幹事となっ
た小高正夫氏はすでに到着していた。十一時前には十名程集まり、
水谷、小高、吉村氏は買い物に出掛けた。階下の食堂でカレーライ
スを食べながら、集まって来た石田・鹿島・小杉氏や小高正義氏と
軽くビールを飲んだ後二階和室へ行く。
十二時三〇分試合開始、中間層の三∼四段︵松本・小泉・高屋・
川原田︶ が多くて良い対戦が続いた。 結果は、 優秀賞が四勝の中
村・沖田三段、敢闘賞は三勝一敗の小杉七段、秋田・渋江三段、吉
村一級であった。川原田・田中さんはまずますの成績で、少し早く
帰られた。終了後の夜の部は、例の所で岡田さんを中心に、柏木さ
︵幹事 福島利雄︶
ん等十五名が懇談しながら、春の夜を楽しんだ。
○ 麻雀サークル
麻雀サークル有志による連月会の平成十一年度第三回は、平成十
一年十二月三日から四日にかけて﹁連月荘﹂において忘年会を兼ね
て実施しました。
今回は、 総勢十名となり、 二卓構成で実施し、 三日の夕食会は
17
﹁舟盛り﹂の料理と、市川さんの﹁八丈しょめ節﹂の唄で大いに盛
り上がりました。
成果は、幹事の山崎が念願の初優勝を果たし、中山さんの四連覇
をくい止めることができました。二位は鈴木さん、三位は山根さん
でした。十一年度第四回の連月会は、平成十二年、二月二五日から
二六日にかけて﹁連月荘﹂において実施しました。
当日は﹁熱海梅園﹂の梅祭りが行われており、熱海、来宮駅周辺
は、混雑していました。
参加者は八名でした。
成果は、優勝中山さん、二位吉田さん、三位渡辺さんでした。
前回四連覇を達成できなかった中山さんが、今回は頑張りダント
ツの優勝でした。
連月会の平成十二年度は、年四回︵六月、九月、十二月、三月︶
﹁連月荘﹂で開催する予定です。
無線支部主催の平成十二年度夏季麻雀大会を、平成十二年七月八
日︵土︶
、例年どおり、相鉄線横浜駅西口﹁南幸荘﹂
︵大石ビル四階︶
にて開催する予定です。年一回の定例大会ですので、愛好者の皆様
の多数の参加をお待ちしております。
︵幹事 山崎輝男︶
参加希望の方は、案内状を送付しますので、幹事までご連絡くだ
さい。
○ 釣りサークル
数は出なかったが、旨いアジが釣れた
平成十一年十月三一日、金沢八景の弁天屋に総勢十三名の面々が
朝七時に集合した。乗合船の出払った後、私達の仕立て船は八景沖
に向けて出船した。今回のつり物は昨年秋と同じ鰺である。
18
当日の予報は晴れで、東京湾の波は五〇センチメートルとのこと
そうこうしているうちに頃合いとなったのか、ぼつぼつ釣れだし
た。しかし、心配した通りに船酔いで蒼白となった人、ついに寝て
しまった人、船酔いと戦いながらも頑張る人などなど、波のある日
のいつもの光景となった。
昼近くになって雲が切れ、晴れ間が覗き出すと次第にうねりも取
さて、釣り果のほうですが、数匹から十数匹で、残念ながら鰺が
れて、船酔いで寝ていた人も起き出して釣りだしました。
ジが百匹から
ボウズの人もいましたが、大きな﹁いしもち﹂や﹁えぼだい﹂を釣
今回釣った魚は文字通り江戸前、体高のある鰺で、刺身、たたき、
三〇匹は釣れ
とで、各自張
塩焼きの旨かったこと、この鰺はデパートでも買えません。美味し
り、和気あいあいのうちに、次回の再会を約して終了しました。
り切って釣り
実施月日
﹁南熱川東映ホテル﹂
平成十一年十一月八日︵月︶∼九日︵火︶
参加人員
大樹旅行センター ︵株︶奉仕旅行
二七名
発︶宿泊地も少し近い所に設定しました。
今回は、今までより出発時刻を心持ち遅くし、
︵東京駅前九時出
旅行業者
︵静岡県賀茂郡東伊豆町片瀬︶
宿泊旅館
泉泊のコース﹂で実施した。
平成十一年度の一泊旅行は、
﹁伊豆半島東海岸めぐり・南熱川温
︵幹事 木村英之︶
い魚を食べたい人は、次の釣りの会に参加しませんか。
信はさっぱり
で、 船 は 魚
影を求めて走
り回ることが
多く、止まっ
ては魚探を見
て、船頭は魚
はいるからど
んどん釣って
と言うがなか
○ 旅行サークル
始めたが、魚
ているとのこ
調 で、 中 ア
湾奥の鰺が好
宿 の 話 で は、
出船前の船
であったが、沖は曇り空でうねりが高く船酔いが心配された。
なか釣れない。
19
後、 小 田 原 飯 泉 の ﹁う め ぼ し 工 場﹂ へ 向 か う。 同 工 場 を 見 学 並
ここで、幹事はまた来宮の神様に﹁無事旅行が終わる様﹂お祈り
さて、
当
集 合。 一
し、社殿背後の樹齢一〇〇〇年を越すといわれる大クスノキを見た
びに売店でお土産を買った後、かまぼこで有名な箱根入口﹁すずひ
路首都高・
後、バスは快調に南下して本日の宿泊地南熱川温泉へと向かった。
日定刻に
東名高速
予定通り十六時過ぎ、前記ホテルに到着、温泉入浴・宴会と行事は
ろ﹂で昼食、続いて熱海来宮神社へと向かった。
経由第一
進行し第一日は無事終了した。楽しかった一夜の模様は、皆様のご
全員無事
の観光地
あくる日は快晴、熱川温泉の湯で疲れがふっ飛んだのか全員すが
想像にお任せします。
名 な ﹁道
すがしい顔で定刻に玄関に集合 ・ バスに乗り込む。 バスは更に東
天狗で有
了尊最乗
滝﹂に向かった。ここには、伊豆の踊り子の﹁学生と踊り子﹂の像
海岸を南下し河津浜で右折、第一の観光地河津七滝の一つ﹁初景の
向かった。
があり、観光案内には﹁伊豆の踊り子はここを通った﹂と説明され
寺﹂ へ と
ゆるやか
続いて浄蓮の滝・韮山の﹁江川邸及び反射炉﹂
﹁沼津御用邸記念
ていた。
参道を歩
公園﹂と中伊豆の観光地を見学の後、東名高速経由出発地に予定時
な上りの
いて参拝、
今回の見学地は身近な、そしてほとんどの方がよくご承知の所で
刻に無事到着。また次も元気で会える事を祈って散会した。
事旅行が
あると思われるので、それぞれの見学地の説明は省略し、コースの
幹事は
﹁無
終わる様﹂
年に一度の計画ですが、昔なつかしい方々が一泊とはいえ寝食を
記録に止めました。
境内散策・
共にするのは本当に楽しいものです。今年もまた計画されるでしょ
お祈りし、
小休止の
20
うが、皆様の奮っての参加を希望します。
○ 絵画サークル
︵幹事 山名照雄︶
絵画サークルのメインイベントである第十五回﹁酔彩会﹂展を四
月九日より十六日まで一週間、TRCのご協力を得てTRCギャラ
リーにて開催いたしました。
川原田会長をはじめ原田、河合、白井、堀井、多田の皆さん、そ
れに佐川が出品、 傑作、 力作を含めて十二点が出展され、 連日好
評のうちに閉会となりました。また、当日は飾付後会場にて総会を
開き、
十一年度計画、
︵幹事 佐川秀夫︶
遠慮なくご意見・ご希望を下さる様お願いいたします。
○ 写真サークル
平成十一年度下半期の活動状況は次のとおりです。会員数は十七
名です。
一、例会
十三名出席
十一月五日 TRC三階会議室 十名出席
十二月四日 弓町クラブ
一月二八日 TRC三階会議室 十一名出席
十二月四日の例会は、恒例の忘年会を兼ねて弓町クラブで盛大に
行いました。写真は﹁宴の後﹂ですが、出来てから気がつくと浜口
さんが入っていないという失敗がありました。
次いで七月十七日より三一日まで恒例の関東逓信病院ギャラリー
赤の色がパッとしません。この傾向は近年段々強くなっているよう
で紅葉撮影会に行きましたが、紅葉の程度が木によって違い、また
弓町クラブは、小石川後楽園に近いので、当日午前中に有志のみ
展に十点出品しました。さらに、九月十二日から十八日まで共済会
十月二一日∼二二日、裏磐梯紅葉撮影会 七名参加︵土浦夫人特
二、撮影会
で心配です。
さんが出品されました。
秋にはスケッチ会の計画もありましたが、会員の皆さんがなかな
かった海のコースを目指して計画したいと思っております。関心の
でしたが、車五台で思い思いに宿泊場所﹁NTT裏磐梯山荘﹂に集
週末をさけて、木・金曜としたため、参加者は七名と今迄で最少
別参加︶
。
ある方は幹事まで連絡して下さい。今年は新会員の方も数名予定さ
まりました。内でも吉田︵哲︶さん、芹沢さんは前日から来てロケ
か忙しいので実現しませんでしたが、 今年度こそは昨年実現しな
れており、堀井幹事も一層頑張ってくれるとの事。皆様もどうかご
21
⃝
3 ⃝
2 ⃝
1
主催のテルウェル展︵有楽町駅前の交通会館︶に、白井さん、多田
等について熱心に討議されました。
スケッチ会
会員の勧誘、
(3) (2) (1)
ハンをして
下 さ り、 翌
日の撮影地
の選定に役
立ちました。
夜は例によ
って お 酒 が
入って 大 賑
わ い。 そ し
て翌朝は、
こ
羽鳥ダム︵羽鳥湖は人造湖です︶の景観を写して、後は別々に白河
を経て帰路につきました。紅葉には一寸早かったけれど、ドライブ
とハイキングとお酒だけでも満足できる撮影会でした。
ちなみに私の車の行程は六三〇粁、翌日は一寸足が痛みました。
三、展示会等
関東逓信病院の入院棟の二階廊下
二月十二日∼二六日 十五枚展示︵十名︶
共済会東京地区余技作品展 十月十三日∼十九日
NTT東京支店内東京OBサロン︵港区港南︶
22
れも恒例の
四時半起床。
車二台に乗
り合わせ、
檜
原湖を半周
し て、 西 岸
から湖の向
こうに昇る
太陽を入れて一大風物詩を狙いました。
宿に戻って朝食の後は、五色沼等多くの沼を歩き回り、青い水に
もみじの錦 ︵一寸時期が早かった︶ をフィルムに収めました。 こ
こで別に予定のある土浦さんご夫婦と別れた五名は、車四台を連ね
て、猪苗代湖から羽鳥湖へ、途中林道を含む約三〇粁のドライブ。
⃝
1
⃝
2
私達は、前号でもご報告したように、関東地区の余技作品展に出
展して、良い成績を収めていると自負しておりますが、今回、吉田
哲夫さんが東京地区に出品されめでたく入賞されました。吉田さん
︵幹事 吉田和衛︶
は関東地区にも四回出品されて二回入賞されており、実力が証明さ
れたというところです。
○ 東京地区ゴルフサークル
今年は九月、十月の気温が高く、全国的に紅葉が遅れていました
が、 里の木々がようやく色づき始めた十一月十二日 ︵金︶ に第三
回東京地区ゴルフコンペを、いつものノーザンカントリークラブ・
錦ヶ原ゴルフ場で開催しました。
今回は、直前のキャンセルもあり、参加者十三名とこぢんまりし
○ ゴルフサークル便り︵湘南OMG会︶
バタして記念写真を撮るのを忘れてしまいました。この雨もアウト
冷たい雨が降りだし、カッパを着てのスタートとなり、幹事もバタ
当日は、生憎の天気で﹁予報では昼から雨﹂が、スタート時から
の途中で上がり、昼からのインでは時々小雨という程度でした。
たものとなりました。
夏の集中豪雨で冠水したため、コースコンディションも余り良く
なかったのですが、この悪条件の中で頑張ったのは次の四人でした。
優 勝 山形進さん 準優勝 林憲男さん
ペとなりました。
第三位 佐野正さん ベストグロスは都築靖明さんでした。
東京地区では、四月、十月の年二回、定期的に実施する計画 ですので、
参加希望の方は世話役までご連絡下さい。 ︵世話役 吉田哲夫︶
抜けるような青
空、 そ よ と も 吹 か
な い 風、 暑 か ら ず
寒からずの気候、そ
んな絶好のコンデ
ィションに設定され
た、十一年度の湘南
O M G 会 後 期 ︵第
二 〇 回︶ ゴ ル フ コ
ン ペ は、 十 月 二 六
日、 大 厚 木 カ ン ト
リークラブ桜コー
スで、五組十九名の
参 加 者 を もって 開
催されました。
今回は、一年振り
で、堀田正和氏、佐
野正氏が、また、岡
田武夫氏が四年振
りで参加されて、一
段と賑やかなコン
23
早朝七時三〇分第一組がスタート、 早起きには慣れているもの
の、身体は目覚めず適当にボールに遊ばれながらハーフが終わり、
早い昼食で後半も頑張りましょうとビールで乾杯、ほろ酔い加減で
後半をスタートしました。
結果はGROSS九〇、NET七〇・八で、腕と実力と若さに勝
る木目田元氏が三回連続の優勝となりました。準優勝は岩沢国男氏
が、また、三位には山根会長が入賞し、実力のほどを見せてくれま
した。ドライバーのコントロールに勝り、圧倒的に飛距離の出る岡
田武夫氏と阿部新治氏がそれぞれドラコン賞を、卓越したクラブコ
ントロールと正確な距離感を持った木目田元氏と岩沢国男氏がそれ
ぞれニアピン賞を獲得しました。
は各自が今日の反省の弁を、入賞者からは喜びの声を、賑やかに語
早朝からのプレイでしたが、十三時三〇分無事終了、パーティで
り合いましたが、十四時三〇分、次回︵十二年五月予定︶の再開を
︵世話役 梶昭三︶
楽しみに散会しました。
○ 千葉・茨城地区ゴルフサークル
第三回千葉・茨城地区ゴルフ大会は、平成十一年十一月二二日、
ナリタゴルフコースで開催しました。
当ゴルフ場は成田空港のすぐ近くで、山あり谷ありの変化に富ん
だコースです。
当日は薄曇り微風で、六組二四名の参加を得て、コースオーナー
の池田守さんのスモークボールによりスタートしました。
成績はコー
スのWペリア
方式により判
定 し、 優 勝
は片山克己さ
ん、 準優勝は
鈴木貞夫さん
でした。
表彰式は、
本
サークル独自
の方式で優勝
者にカップを、
その他全員に
各自持ち寄り
の賞品が贈呈
され懇談会に
入り、 今日の
プレーの話や
ゴルフ談義に
花が咲きまし
た。
次回は、 平
成十二年五月、
24
常総カントリー倶楽部で六組を予定しています。
︵世話役 荒井近信︶
り、東京港の展望を楽しみました。
南北にルートがある﹁レインボープロムナード﹂の北側を歩きま
く、約十三mとのことで飛ばされそうになりました。約二〇分で台
したが、 この日は天気は曇りがちでまずまずでしたが、 北風が強
秋のハイキングは、十月三日︵日曜日︶に﹁臨海副都心探訪﹂を
場側の展望室にたどりつき、ほっと一息つきました。ここから南側
○ 東京地区ハイキングサークル
実施いたしましたが、前日の天気予報が降水確率五〇%と報じられ
に移り、第六台場、第三台場を下に見ながら、お台場海浜公園の北
側に到着しました。
通り抜け、﹁屋
り、芝浦公園を
ターの前を通
プンした﹁ヴィーナスフォート﹂と﹁サンウォーク﹂およびトヨタ
駐車場がほぼ満車となるほど人を集めているのは、昨年八月にオー
綺麗な大観覧車や絶叫マシンがありますが、九四〇台を収容できる
﹁テレポートタウン﹂は、テレビでもお馴染みの夜間のネオンが
昼食は海岸の松林の中を予定していたのですが、 風が強いので
形船﹂の船宿を
の総てがわかる﹁メガウェブ﹂があるからです。ここは、最近の若
に九時三〇分
右に見て、潮路
者のデートスポットとして有名で、なにしろ百聞は一見に如かずで
﹁テックス東京ビーチ﹂ の五階の休憩所を利用してすませ、﹁テレ
橋 を 渡 り、 白
しょう。
に 集 合 し、 東
瀬中尉の南極
これまでの日本では見られない商店や展示物が集まって、若い女
ポートブリッジ﹂を渡って、本日の目的地である﹁テレポートタウ
探検の記念碑
性で溢れており、特に﹁ヴィーナスフォート﹂のレストラン街は真
口に出て港区
がある﹁埠頭公
夜中を通して朝五時まで開店しているとのことです。ここをひと通
ン﹂に向かいました。
園﹂でひと休み
り見物してその雰囲気を堪能したあと、夢の大橋を渡って﹁水の科
スポーツセン
JR田町駅
たため、参加者はわずか六名でした。
し、約四〇分で
学館﹂を見学しました。ここは、水の知識を色々な実験などで体験
﹁レ イ ン ボ ー ブ
できるほか、時間があれば地下の給水施設を見学するツアーも組ま
リッジ﹂ の入り口に着きました。 エレベータで七階の展望室に登
25
れておりますが、今回は割愛し、東京ファッションタウン屋内の三
〇mのレインボーシャワーを見物したあと、国際展示場駅で三時半
︵世話役 木村正道・小林定夫︶
に解散し﹁ゆりかもめ﹂やバスでそれぞれ帰途につきました。
○ 埼玉地区ハイキングサークル
こ の と こ ろ の 数 年、 秋 の ハ イ ク は 九 月 か 十 月 に 設 定 さ れ て き た
が、今年は秋酣の十一月中旬、紅葉を楽しむ設定となりました。
好天に恵まれた平成十一年十一月十一日、一並びの好日、西武線
武蔵横手駅十時十分集合のスタイルで、心配ではあったが、予定さ
れた十三名全員が揃った。
を約四〇分で踏破し﹁五常の滝﹂に到
る休憩所でもある。
滝からの道は
約三〇度の登り
となりややきつ
く、八〇〇mを
二〇分掛かって
今日の昼食場所
である民宿﹁啓
ちつき民宿﹂と
啓明荘は﹁も
明 荘﹂ に 十 一
して知られ、
我々
の到着に合わせ
時二〇分到着し
てすでに竃では
セイロのもち米
た。
は 炊 き 上 が り、
すぐにでも餅つ
きが始められる状態に用意されていた。
一休みしてすぐ餅つきに入る。 大きな年季の入った臼に炊き上
がったもち米を入れる。キネでの餅つきは何年振りか、これこそ本
当の昔取った﹁きねづか﹂
、手合わせも上手に汗を流してつき揚が
り、準備された小豆餡、黄な粉、大根おろしで、大福餅、あんころ
26
駅を出てすぐルート二九九を横切りハイキング道に入る。道は奥
武蔵自然歩道の一ルートで、武蔵横手から鎌北湖に通ずる、車も通
れる整備されたルートである。数軒ある部落の庭の紅葉が秋の陽に
映えてまさに秋酣の感じ。だが、道は杉や檜の森に入り、道にほぼ
沿って小さな渓流が走る。森の中の道は約十五度程度のゆるい登り
続く。
で、ハイキング道としては老人には丁度手頃なコースである。この
様な楽な登りが約二
ながらゆっくり歩く。二
したとの由来のある滝で、このコースを歩くハイカーは必ず立ち寄
この滝で斉戎沐浴のうえ不動尊を祭って一門の武運を祈念して出陣
尊氏と新田義貞が交戦の砌、劣勢な新田勢に味方すべく意を決し、
着、休憩となった。五常の滝は鎌倉時代﹁高麗多聞房行高﹂が足利
km
メンバーはそれぞれ二∼三人のグループをつくり、周囲を楽しみ
km
餅、黄な粉
の宿泊地﹁奥武蔵あじさい館﹂までの二
をハイクして、十五時
より、手を
共同作業に
えてのカラオケ大会となり、遅くまで楽しく過ごすことが出来た。
時間を持つことが出来た。ラウンジでの二次会は他のグループを交
夜の懇親会はメンバー十五名、婦人三名の十八名で楽しく貴重な
三〇分全員無事到着した。その頃直行組の五名も到着し、我がハイ
汚し大騒ぎ
明けて十二日は紅葉の美しい秩父路のうち、特に著名な秩父三十
餅、からみ
しながら出
四番札所のうち八番の大善寺の大楓︵天然記念物︶を尋ねる予定で
キングクラブの行事としては最高の人数が揃った。
来上がった。
あったが、生憎の雨で低い気温と雨中歩行の困難さを考慮して残念
餅が全員の
わずか一
人二ケ宛の
たうえ、一
かつ満足し
き、満腹し
とともに頂
三名が豚汁
が、総勢十
ではあった
臼三 の餅
大福餅のお
土産も出来て、共同作業の成果を堪能することが出来た。
十三時三〇分、お土産に柚子を頂き、啓明荘をあとにした。帰途
は登ってきた道をそのまま折り返し、登りに一時間かかった二・八
を三〇分で下り武蔵横手駅に帰還した。
○ 神奈川地区秋のハイキング
︵世話役 栗原喜一︶
様ご指導ご協力の程よろしくお願い申し上げます。
内武、堀川欽造の諸氏が面倒を見て下さる事となりました。従来同
今年から副支部長の中村恒男氏を中心に、畔上竹治、土浦清、堀
七〇歳半ばとなり、若手のメンバーと交替することとなりました。
秋二回のハイキングを実施して参りましたが、いずれのメンバーも
辺淳、亀崎光一、高岡泰資、栗原喜一のメンバーで適宜計画し、春
平成五年から七年間に亘り、副支部長の中村恒男氏を中心に、渡
ます。
平成十二年度から埼玉ハイキングサークルの世話人が交替致し
追伸
ですが中止として、あじさい館での解散となりました。
km
今回の﹁秋のハイキング﹂は少し趣向を変えて、かっては世界に
27
kg
更に武蔵横手駅から西吾野まで西武線を利用し、西吾野から今晩
km
の通りは、戦前は旧海軍関係の商店が、戦後は駐留軍相手の土産品
手の歓楽街としてその名が全国的に知られるようになった。昔の面
冠たる日本帝国海軍の重要な根拠地であった横須賀軍港︵現米海軍
十月二八日、JR横須賀駅前に集合された方々は初参加の方を含
影が薄らいだ最近は、街の活性化を目指し﹁ドブ板バザール﹂と称
店、飲食店等が軒を並べ、朝鮮戦争、ベトナム戦争当時は、米兵相
めて十四名。秋とはいえ好天に恵まれて、汗ばむ陽気のなかを往時
して、年に数回一般市民の出店によるショッピング、交流の場を提
基地︶周辺の散策をすることにした。
を偲びながら楽しい一日を過ごすことができた。
海上自衛隊の大小の艦船が眼に入ってくる。そして修理用ドック、
行くと三笠公園入り口の大きなアーチが目に入る。公園までの通り
﹁ドブ板通り﹂ が切れた所が米軍基地正門前で、 ここから少し
供している。
クレーン、補給倉庫等の施設が視界一杯に広がっていて、空母が入
は、並木と水の流れを巧みにアレンジした散策路になっていて、し
まず駅前に続く臨海公園からは、 港内に停泊している米海軍と
港しているときは、巨大な姿の一部を施設の蔭に垣間見る事もでき
ばらく歩くと海に面した三笠公園に出た。
ここは﹃日本の都市公園一〇〇選﹄にも選ばれ、滝・噴水池で構
る。しかし終戦までは二メートル余りのコンクリートの塀に遮蔽さ
れて、軍港の様子は全く覗き見ることも出来ず、艦船建造のリベッ
こらしている。また、広場には記念艦三笠が据えられていて、三笠
成されていて、音楽に合わせて噴水の動きを変化させるなど趣向を
横須賀軍港は、フランスのツーロン港に地形が似ているため、慶
艦を前に写真を撮ったり、汗を拭きながら水分の補給をしたりして
ト音、クレーンや工作機械の音が日夜周辺に響いていた。
応元年に幕府造船所の製鉄所が設置されて以来時代の流れと共に、
暫く休憩とした。
の連絡船で約十分の行程で島の桟橋に着いた。
休憩後は、沖合に見える猿島を探訪することにして、公園横から
海軍工廠、横須賀鎮守府が置かれ、世界でも有数の軍港となった。
この港を臨む公園には軍港誕生に大きな関わりのあった、フランス
人技師ヴェルニーと、徳川幕府の勘定奉行小栗上野介の胸像が港に
一般の立ち入りが禁止されていた。現在も殆ど開発されず、フラン
この島は、幕末から終戦まで国防の要として、砲台が築かれて、
更に横須賀鎮守府に所属して、久しく連合艦隊旗艦となり、当時
スのロマネスク様式による煉瓦積みの地下弾薬庫や司令部、兵舎、
向けて置かれ、百数十年の激動の歴史を見つめている。
世界最大、最強といわれた高速戦艦﹁長門﹂や横須賀で建造された
トンネルなどが当時のまま保存されている。
前の由来は、健長五年︵一二五三︶
、日蓮が房州から鎌倉へ渡る途
出入りする大小様々の船を眺めながら弁当を開いた。
﹁猿島﹂の名
切り通しとトンネルを抜けて海の見渡せる広場に出て、東京湾に
戦艦﹁山城﹂などの記念碑も多く建てられていて、ありし日の雄姿
が碑面にレリーフとして残されている。参加者はそれぞれに戦時中
の思い出などを語り合い、暫し感慨にふけった。
公園を出て国道十六号を横断すると、
﹁ドブ板通り﹂に入る。こ
28
中で嵐に遇い、 一匹の白猿が船をこの島へ案内したとの伝説によ
るとかで、その時日蓮が避難していた洞窟が北側に残されている。
帰路は見通しの利く高台に残っている砲座の跡を見ながら桟橋へ向
かった。
最後は、 日露戦争の日本海海戦で、 連合艦隊の旗艦として大い
なる戦果を挙げた記念艦三笠を見学した。明治三三年英国で建造さ
れ、排水量一万五一四〇屯、全長一三二米、速力十八節、三〇 主
わせて時計
の体力に合
をそれぞれ
山泉水庭園
は回遊式築
六義園で
を癒したのち、旧古河庭園から徒歩で六義園へ移動しました。
れの景色の
いてそれぞ
まわりに歩
現在地に固定された。艦内には日露戦争両国艦艇の記念品、東郷長
変化を楽し
官その他の将士の遺品 ・ 勲章や手記など多くの資料が保存展示さ
砲四門他を搭載した当時の最新鋭戦艦で、退役した後大正十五年に
れ、 往時の有様が理解できるように配慮されている。 上甲板、 艦
今後は散
んで来まし
歩程度の花
を楽しむ活
橋、艦内の居住室のすべてを見て回るには時間もないので、重点的
動とします
た。
の で、 多 数
の方の参加
︵世話役 山口孝一︶
をお願いし
一、はじめに
○ 埼玉地区園芸サークル
ます。
に見学を済ませ切り上げた。ありし日の、つわものの夢の後を偲び
︵世話役 白井靜明︶
ながら、京急の駅近くで懇親会を開いて解散とした。
○ 東京・神奈川地区園芸サークル
平成十一年十一月十一日の午後に、 東京駒込旧古河庭園前集合
で、当日の参加者は十一名︵内田律夫・鎌田孝・河田至郎・小山和
男 ・ 関政雄 ・ 武井清六 ・ 田中常雄 ・ 中野清次 ・ 馬場利昭 ・ 堀井国
郎・山口孝一の諸氏︶で元気な姿を見せてくれました。
旧古河庭園では、バラ園で色とりどりのバラをめでたのち、心字
池を巡る回遊式庭園を散策し、風情を楽しみました。
休憩を兼ねて庭園の茶室でお茶を一服頂き、喉の渇きと体の疲れ
29
cm
今日は春の
お彼岸のお中
日、 畳 一 帖
程の花壇に咲
いた黄色の菜
の花を眺めな
で、皆様もい
ちも真っ盛り
芸植物等の育
には、夏の園
をご覧頂く頃
す。この記事
とめておりま
して原稿をま
行事を思い出
ろいろとお楽
がら、昨年の
しみの事でし
ょう。
二、平成十一年度秋の行事結果
平成十一年十月九日、大宮市第二公園内の県緑化指導センターで
開催された趣味の山野草展を観賞の後、小会議室にて小生が育成し
た中国春蘭を各位に贈呈し、上手な育て方についての意見交換を行
いました。
その後場所を変えて、会食を共にしての懇談会を行い、帰路、氷
川神社境内の日本庭園を散策の後解散しました。参加者は他地区の
会員も含め十六名で盛会でした。
板川 ・ 大塚 ・ 関根 ・ 高岡 ・ 遠山 ・ 中村 ・ 萩平 ・ 福島 ・ 宮内 ・ 吉
野・渡辺・大島︵敬称略︶
武井・小山︵東京︶・山口︵神奈川︶
・佐藤千代五︵干葉︶
三、平成十二年春の行事予定
月日 五月三日︵憲法記念日︶
内容 大宮市民盆栽展の観賞
季節の盆栽および植木市
場所 大宮公園・盆栽村
四、おわりに
昨年十一年の行事は二回で、参加人員は二一名でした。他の地区
からも協力参加して頂き感謝致しております。今や会も五年目に入
り、会員数も二一名となりました。
それぞれの方の好みの違いや、活動地域の関係等もあって、新し
︵世話役 大島紀光︶
い会合の趣向が出にくい状況ですが、 今後の発展の為、 愛好者の
方々のご協力をお願い致します。
30
懇親会模様
一、平成十二年賀詞交歓会
平成十二年の賀詞交歓会は去る一月十五日︵土曜日︶
、恒例によ
−
−
備蓄をも喚起した事態の大きさに再認識を示すと共に、 無線支部
ホームページの利用状況を解説し、更にNTT再編に伴う支部存続
の現況とNTTグループ会社の支援体制︵顧問、参与、賛助会員︶
を説明し、新年を迎え新規加入の勧奨と組織間の交流に一層努めた
ン ズ 取 締 役 坂 田 ネット
T T コ ミュニ ケ ー ショ
出席し、 来賓としてN
野の進路を示唆すると共に、無線としてドコモを念頭に活動の軌道
来に触れ、今後の方向としてアクセス系無線と情報偵察衛星通信分
部長は、無線の固定回線の光通信への移行を前提に無線の現状と将
次いでNTTコミュニケーションズ取締役坂田ネットワーク事業
いと述べ、挨拶とされました。
ワーク事業部長、 関東
修正が避けられないのではと指摘し、挨拶とされました。
引き続き、関東電友会清水会長はNTTの再編に伴うNTTの支
援体制、窓口、事務室、その他各支部の現状を説明し、特に無線支
調すると共に、電電記念日の在り方にも触れ、若干の問題点が残っ
部に対するNTTグループ会社の支援体制が新しく確立した事を強
会員の出足もよく定刻
ている事を付言し挨拶とされました。
︵Y2K︶問題﹂に触れ、
ン ピュー タ 二 ○ ○ ○ 年
先ず山根支部長は﹁コ
にはウイスキーの水割り、ウーロン茶、ジュース等も準備され、ま
山の料理が並べられ、酒、ビールの飲み物も豊富で、特設コーナー
に、スシ、サンドイッチ、温料理、オードブル、フルーツと盛り沢
の幕開けとなりました。広い会場にしつらえられた七つのテーブル
終わって、古市米雄様が声高らかに乾杯の音頭をとり、パーティ
国をあげての問題提起
NTTの再編以来初めての集まりとて来賓も大きく変わり、会員
たたくうちに賑やかな宴会場となりました。
とはいえ、 情報分野の
同士の再開も久方振りの事とて無線の今昔物語、健康談義等に花が
が 何 事 も な く 終 わった
りました。
十二時三〇分開会とな
当日は天候に恵まれ、
え開催されました。
名 の 方々を お 迎 え の う
電友会清水会長外十六
り電通生協会館︵豊島区駒込一 十 四︶において会員一三六名が
言挙げが生活必需品の
31
V
咲き、対話の輪が会場一杯に拡がって行きました。
現役、
O
Bとの対
話もはず
み、 盃 を
手にテー
ブルを囲
む人の動
きもせわ
しなく、
頃
合いを見
て、 茶 ソ
バも配ら
れ、 楽 し
い歓談の
一時とな
りました。
やがて、
別れの時
を迎え、
十
四時三〇
︵中村恒雄︶
分牛島義男様の中締めの音頭で一同再会を約して散会となりまし
た。
二、地区懇談会
○ 東京地区
東京地区懇談会は、平成十二年三月十一日︵土︶に駒込の電通共
運動不足病の
園を散策して
くにある六義
年は、会場の近
開会前に、今
ます。
ところであり
を 持って い る
に大きな関心
通市場の発展
しても情報流
OBにとりま
な り、 私 た ち
質的一年目と
の再編成後実
今年はNTT
開催しました。
済生協会館にて会員五〇名、NTTの来賓九名の出席を頂き盛大に
予防に役立て
32
ばと希望者を募ったところ十八名の参加者があり、早朝より楽しく
グループの方にお願いして参りますので、どうか宜しくお願い致し
Tコミュニケーションズ、NTTドコモ、NTT MEなどNTT
次いで、NTTコミュニケーションズのテレビジョン中継センタ
ます﹂との挨拶がありました。
回遊を終えました。
定刻には会場に集合、小田切幹事の司会で、最初に今年度入会し
た七名の会員の紹介、続いて、NTTの来賓紹介から始まりました。
Com テレビジョン中継センタ所長
東日本 技術総合センタ電波担当課長
清水 勉
三木 勇司
中目 昭男
山口 孝久
ます。
ク運営センタに、設備保守は全国のNTT MEにお願いしており
ます。マイクロ回線等の設備監視は東西会社の十ヵ所のネットワー
︵ORC︶五〇名で全国のテレビジョン回線を運用・監視しており
中継サービスは一センタ二事業所、 東京 ︵TRC︶ 八〇名、 大阪
中目所長が代表して挨拶されました。
﹁昨年七月の再編で、テレビ
Com 東日本ネットワーク設備センタ部門長
松浦 信廣
首都圏無線会
サービスセンタ所長 鈴木 春雄
平島 英男
含めた装置を開発しております。私共は、今まで長年に亘り、TR
り、MASCOTシステムに相当する、オペレーションシステムを
構築することが決まっており、メディア技術開発センタが主体とな
テレビ網のデジタル化については、 ATMの光ファイバー網で
事務局長 矢作 順一
Cの名のもとに諸先輩が築いてきた、お客様の信頼をそこなうこと
る接続料問題等に対応するため、要員、設備投資、各種経費の大幅
近、 移動通信は世界的に急速な発展を続けています。 ドコモでは
つぎに、ドコモ取締役石川部長が代表して挨拶されました。
﹁最
のないよう努力して行きたいと思っております。﹂
な削減等を盛り込んだ中期経営改善策を策定して、平成十二年度か
パケット通信を利用したIモードで、インターネット、電子メール
また、PHSは六五万と順調に純贈していますが、その反面ポケ
等、各種の便利なサービスを提供しています。
ることを、会員の皆さんにも認識しておいて頂きたいと思います。
ている現状です。
ベルは純減を続けています。船舶電話は全て衛星方式に切り替わっ
日頃お世話になっているNTTが、現在この様な厳しい状況にあ
ら実施すべく努力されております。
のお話によれば、NTTでは加入増の低迷や新聞等で報道されてい
山根支部長から﹁関東電友会本部の理事会での、東日本会社の方
事 務 局 DoCoMo 取締役設備建設部東京設備
課長 M E 第2 マーケティング本部第6 ネットワーク課長
NTT来賓
−
また、地区懇談会では従来NTTのネットワークセンタから、事
業説明をして頂いておりましたが、再編成後はNTT東日本、NT
33
−
説明し、積極的に参加されるようお願いしました。
乾杯は、長老の大場清次様の音頭で幕開けとなりました。会場は
方式︵第三世代の
移動通信とも言われる︶は、来春のサービス開始を目指して準備を
立食に程よく、周りには椅子・テーブルが並んでゆったりとした気
移動通信の将来方式としての
進めております。現在ドコモの要員は職員一万人、派遣要員五千人
分で、昔話に花を咲かせ時間のたつのも忘れ、楽しい一時を過ごし
コモの本社機能
で散会となりました。
ました。何時の間にか時間が来ましたので、宴たけなわではありま
″
すが、十四時に野中精一様の 締め の言葉を戴き、関東一本締め
移転いたしまし
パークタワーに
日本、コミュニケーションズ、ME、ドコモ等関係者のご支援の賜
最後に、例年通り地区懇談会が開催出来ましたことは、NTT東
︵幹事 小山和男︶
笹原康夫様を、NTTドコモから神奈川支店サービス推進部長の荒
本年の懇談会には来賓としてNTTから衛星通信センター所長の
知れない。
欠席者が多かったのは開催日が連休の初日となった事によるのかも
数六五名の内十一名の欠席となり会員の出席者数五四名となった。
若干遅らせ約八割の方が見えた時点で開会とした。結局、出席予定
しかし、開会時刻の迫る中で、会員の来場が途絶えたので開会を
天でもあったためか最初は出席者の出足も好調であった。
員の方が見え始めたので会場で歓談して戴くことにした。当日は好
同は午前十時に集合し、開会の準備に取り掛かったが、早々から会
重慶飯店別館において平成十二年三月十八日に開催された。役員一
平成十一年度の神奈川地区懇談会は例年に倣って横浜市中華街の
○ 神奈川地区
物と深く感謝し、御礼申し上げます。
キ ン グ は 木 村、
について、ハイ
のサークル活動
最後に、地区
ります。
﹂
けて努力してお
業績の発展に向
う 体 制 を 整 え、
レンジ出来るよ
し、 業務にチャ
人が能力を発揮
て、職員一人一
″
が永田町の山王
ごく最近、ド
を含め一万五千人で仕事をしています。
ゴ ル フ は 吉 田、
園芸は関の各幹事からそれぞれの活動状況及び今後の計画について
34
I
M
T
2
0
0
0
木達哉様を迎え、無線支部からは山根支部長と中村副支部長の出席
の下で開催された。
開会に先立ち当年度内に逝去された相場直一様、 新津久枝様の
とした。
次に来賓の挨拶に移り、衛星センター所長の笹原様から以下の様
なお話を伺った。
NTT内のTV中継は現在マイクロ波帯のSF B5方式によ
NTTの衛星通信は通信衛星本体をNTTが所有して運用して
れる。
行することになるので、 既存の無線伝送路はドコモに委譲さ
伝送路に拠らず光ファイバー伝送路を使ったデジタル方式に移
備更改が行われることになっている。 しかし、 更改後は無線
したことやTVのデジタル化に対応して、二〇〇三年以降に設
りアナログ伝送路を使用して続けられているが、設備が老朽化
−
ご冥福を祈り、午前中のセレモニーは山根支部長の挨拶から始まっ
た。支部長からはNTTの経営上の最近の問題として、
米国から接続料の引き下げの要求が強く、これを呑めば経営基
盤を揺るがしかねないこと。
これまでは加入者増の右肩上がりが続きNTTの経営を支えて
来たが、近年になって頭打ちになって来た。なお、この間に主
⃝
1
来たが、今後はJCサットと提携して設立される新会社にその
運用が委譲されることになった。 この場合、 通信衛星本体の
所有並びにその運行、監視等の技術業務がNTTの手を離れ、
NTTは通信衛星のユーザとしてサービスの提供者になり、衛
星を使った沿岸船舶通信や携帯電話等のサービスを行うことに
なる。
笹原様のお話の後、ドコモの神奈川支店サービス推進部長荒木様
からドコモの近況について以下のようになお話を伺った。
携帯電話の需要は関西大震災の後急激な伸びを示すようにな
り、今では毎月三十万台程度の増加となり、現在までに借りた
35
要な役割を担って来たデータや移動通信分野が別会社になった
ので、今後はマルチメディアやインターネット部門等に力が注
がれ、経営基盤の新しい支えの役割を果たす事になろう。
等を挙げられました。また、NTT再編後の変化として
無線支部の顧問や参与にNTT東日本やNTTコミュニケー
ションズ、NTT ME及びNTTドコモからも迎えることに
なった。
た。会計報告も出席会員の承諾を得たので、報告どおり処理する事
から神奈川地区に転入された佐藤武志氏を紹介し、会計報告に移っ
して梁瀬晴之、 猪股彰久、 小泉浩、 立川勝の四氏並びに東京地区
旨の挨拶を受けた。その後、式次第に則り来賓の紹介、新入会員と
後はグループ会社にも業務説明をお願いすることしたい。
地区懇談会では従来NTTの業務説明をお願いしていたが、今
−
⃝
2
⃝
1
⃝
1
⃝
2
⃝
3
⃝
4
タワーの横に建設されたメジャーセンターで、屋上には百メー
して対応することになった。その第一号が横浜のランドマーク
民間ビルも満杯となってしまったので、今後は自社ビルを建設
が今猶逞しく生きており又大きく発展しようしていることを知り安
るが、一方で、目を見張る発展を続けているドコモの中で無線技術
術部門が消えるのは時の流れとは言え寂寥の感に堪えないものがあ
で、NTTの中で唯一の無線部門と見られた衛星通信センターの技
以上の来賓お二方の挨拶を受けた後、中村副支部長から無線支部
ターの鉄塔︵地上高:二五〇メーター︶が設置されている。な
レベーターが取りつけられることになっている。また、現在、
の現在置かれている環境について次の二点を指摘され、その対策等
堵の感も一入であった。
建設予定の新局舎は計画中のものも含め全国で百局程度に上
について記した会報誌﹃むせん﹄第四五号に是非目を通して欲しい
お、今後の新局建設でも屋上高五〇メーター以上の鉄塔にはエ
り、関東管内では代々木、蔵前、川崎、大宮等に着工または計
旨の檄があった。
NTT再編成後は関東電友会無線支部に対するNTTの窓口が
画されている。
移動通信網を構成するトラフィック用伝送路を借用すると高額
の借用料を毎月支払うことになり、移動通信のコスト高につな
がるので、自前の伝送路を持つことになり、その一環としてN
TTやKDDのマイクロルートを買収し、これに当てることと
なった。なお、ドコモには無線技術者が大勢いるので、このほ
か、マイクロ波による幹線伝送路網や支線伝送路の建設も計画
されている。
端末機のシェアも全国的に拡大を続けてライバル会社も追い着
けない状態になっており、新技術の端末機も今後続々商品化さ
れる趨勢にあって、ドコモの営業内容が今後携帯電話や自動車
電話に限らず他の通信分野にも広がって行くことから、現在の
NTT移動通信網KKの名称を近々NTTドコモKKに改称す
ることになっている。
無線技術無くしては成り立たない衛星通信と移動通信のお話の中
東日本電電KKになったが、事務局のあるTRCは別会社のコ
ミュニケーションズKKに属しており、窓口と異なる会社から
部屋を借りている形となったので、今後の成り行きに関心を持
たざるを得ないこと。
無線部門がNTTの中から消え、退職後無線支部に新規に加入
する人数も漸減して来ているが、これは無線部門に属していた
人達が分散してしまっていることが主な原因と思われるので対
策を練る段階にあること。
副支部長の檄の後、司会者から若干のお願い事項を伝えて前段の
セレモニーの次第を終了し、引き続いて後段の会食に移った。
午後の部は牛島先輩の乾杯の音頭で全員杯を挙げ会食が始まっ
た。早速、卓上に並べられた中華料理に舌鼓を打ち、ビールや酒の
36
⃝
1
⃝
2
⃝
2
⃝
3
37
杯を重ねなが
ら一年振り、数
年振りの再会
に話の花が咲
き、 時 間 と 共
に益々賑やかな
会 食 と なった。
摂取したアル
コールの度合
いもかなり進
んだ頃、大阪か
ら遥々この会に
参加して戴い
た米岡さんか
ら南亭琴内氏
の﹁ゴルフ春夏
秋冬﹂としてゴ
ルフマンの座
右の銘︵?︶が披露され、話題に花を添え賑わいも一層深まった。
有り難うございました。
話の弾む中、二時間の会食も瞬く間に過ぎ、宴も酣の中、名残惜
しさもあったが約束の定刻となったので、木谷先輩の一本絞めで中
絞めとし、来年も元気で再会することを約しながら散会した。参加
の会員の皆様のご協力有り難うございました。
なお、今年の会には永らく療養中だった佐川前常任幹事のお元気
︵幹事 高村邦夫︶
なお顔にも接し幹事一同安堵しました。呉々も御身お大事に。
○ 埼玉地区
三月四日、平成十一年度埼玉地区懇談会が埼玉労働会館︵在・浦
和市︶で開催されました。来賓として、NTT東日本株式会社埼玉
支店久喜支店長・宮嶋孝彦様のご出席をいただき、最近のNTT埼
玉支店の動向について、わざわざ資料を作成してお持ちいただきお
話がありました。
そのなかで、今後の厳しい中期経営計画として特に大幅な収入減
が見込まれること、 また、 優先接続制度の導入などについてOB
各位の絶大なるご支援とご協力をいただきたい旨のお話がありまし
た。 また、 支部からは、 副支部長 ・ 中村恒男様のご出席をいただ
き、同副支部長の乾杯のご挨拶により懇親会に入りました。
これに先立ち、栗原喜一様からハイキングサークルの世話役交代
のお知らせと、 新世話役の畔上竹治様、 土浦清様、 堀内武様の紹
介があり、 新世話役からご挨拶と近日中の計画のご案内がありま
した。
出席者数四三名の懇談会では、いろいろな話に花が咲き、なかで
も、このような懇談会は年二回、たとえば忘年会なども開催しても
よいのではないか、などの話も出るなど、賑やかなひとときを過ご
しました。
38
中締めの乾杯の音頭を松本芳郎様にお願いし、お互いに元気な再
会を願いながら盛況のうちに時間切れで終了しました。
︵幹事 塩田文夫︶
様よりは、同社
o支店長和田
DoCoM
ました。
においで頂き
新良貴副部長
が所要のため
よりは、支部長
雄様、無線支部
業部長岩本寿
本市川支店営
様、NTT東日
店長和田全浩
o千葉支店支
は、DoCoM
名。また来賓に
の会員は六二
去る三月二五日、津田沼銀座アスターで開催されました。御出席
○ 干葉地区
の華々しい発展
の様子をお話し頂きましたが、他社の追い上げも侮り難く、将来的
には厳しい競争になるのでは、とのお話でした。
岩本営業部長よりは、東日本全体として大変厳しい状態にあり、
リストラし、体質の改善を行い、他社との激しい競争にしのぎを削
る昨今であり、社員一丸となり難局に立ち向かっているとのお話で
我々も身の引き締まる思いでした。
新良貴副支部長よりは、関東電友会の現況、無線支部の現状のお
話があり、会員数の増加が支部の将来に大きな影響を与えるため現
会員の協力を要望されました。
その後、 里見先輩の発声により乾杯し、 それぞれ旧交をあたた
め、また親交を深め、大いに歓談しました。最後は種谷先輩のしめ
により閉会といたしました。年一回の総会でありますが、地域的理
由で総会に出席できない方もおられることから、珍しい方ともお会
いすることができ、意義ある一時を過ごすことができました。
︵幹事 吉本正︶
無線支部の御協力とNTT及びDoCoMoの皆様の深い御理解
に感謝しております。
39
∼∼∼∼∼∼∼∼∼
追憶
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
氏原清一郎さんを偲んで
関根 栄喜︵東京無線部四八年退職︶
頂き、数々の楽しい思い出を作ることが出来ました。
氏原さん本当に有り難う御座いました。心からご冥福をお祈り致
します。
小川 昭︵本社五四年退職︶
福住和夫氏のご逝去を悼む
さんが午後三時三十一分に心不全で亡くなられたとの訃報に接しま
去る一月二十三日、福住和夫氏が逝去された。真に残念である。
平成十一年十二月六日午後五時、息子さんから電話が有り、氏原
した。お通夜は翌日七日午後六時より、告別式は八日午前十二時か
福住氏は、昭和二十六年電気通信省時代に戸塚特別無線中継所に
クエート事務所、横須賀電気通信研究所、東京無線通信部と歴任さ
東京統制無線中継所、本社技術局、本社施設局、海外技術連絡室
以来、福住氏は一貫して無線関係業務に従事されている。
採用された。
らで、葬祭場は近くの栴檀とのこと、早速関東電友会東京無線支部
と近くに住んでいる友人に通知をしました。
氏原さんは平成六年に軽い痴呆症になり、ご家族の皆さんの手厚
い看護を受けておられ、私も時折お見舞いに伺っていました。
氏原さんとは小学校の同窓生で、卒業後はお会いする機会もあり
昭和五十四年︵一九七九年︶九月には、NTTドコモの全身であ
れ、昭和五十五年三月に電電公社を退職された。
軍務に従事、昭和二十一年八月にフィリッピンのルソン島から復員
る日本自動車電話サービス株式会社︵JMPS︶が発足したが、福
ませんでしたが、在学中は仲の良い友達でした。私は大東亜戦争で
しましたが、病気のため黒浜の国立療養所に入所し、昭和二十四年
住氏は退職後直ちに同社に入社された。
私と福住氏との親しい交際は主としてこの時からである。
三月全快した後、岩槻無線受信所に復職しました。そして庶務課に
勤務されている氏原さんと、二十二年ぶりの再会をすることとなり
自動車電話サービスの初期には実に色々な事があったが、地下駐
車場通信システムもその一つであった。
ました。
氏原さんは釣りが大好きで、時々千葉方面に一緒に出掛けたもの
昭和三十七年岩槻無線受信所の廃局の際は、氏原さんと私は揃っ
根首相から注意を受けたホテルオークラの支配人は早速、電電公社
テルオークラの地下宴会場に入る際、通話が切れてしまった。中曾
当時、中曾根首相は自動車電話を愛用されていたが、ある日、ホ
て東京無線通信部に転勤となり、資材課と会計課で働くこととなり
に地下駐車場対策を申し入れたが、
﹃地下では自動車電話の通話は
でした。
ました。そして退職後も同窓会で、旅行でと、親しくお付き合いを
40
VI
出来ません﹄の一点張りであった。
これを聞いて、JMPSでは早速対策に乗り出し、これを自主事
モに合併される事になった。社員は辞めるかドコモに行くかと言う
時に、福住氏は﹃もう辞めたい﹄と言っていたが、﹃新会社を作っ
て一緒にやろう﹄と誘うと賛成してくれた。
こうして発足したのが今のドコモエンジニアリング株式会社で
業にしようと考えた。地下駐車場はトンネルと同じで対策は難しく
ない筈だと福住氏に相談すると、私は通研時代にやっていましたと
ある。発足時は移動通信システムエンジニアリング株式会社といっ
浅見右平さんが亡くなり葬儀も終わったとの電話順送があってか
栗原 喜一︵水戸統無中五六年退職︶
浅見右平氏を偲んで
く見守ってください。
福住さん! 天国でゆっくりお休みください。そして後輩を温か
ている。
彼をゆっくりさせてあげられなかった事を心から申し訳なく思っ
路に旅立ってしまった。
彼は最後まで仕事一筋であり、仕事が終わったと思ったら長い旅
ある。
たが、これからゆっくりして欲しいと思っていたその矢先の訃報で
昨年満七十歳を機にドコモエンジニアリング株式会社を勇退され
担当された。
事業部長を務め、地下駐車場システムを中心に構内通信システムを
福住氏は一貫してシステムエンジニアリング事業部長、構内通信
げ、社員二千名を超えるまでになった。
であった。この会社もドコモのお陰で仕事の幅も広がり急成長を遂
たが、当初業務の内容は福住グループの地下駐車場システムが中心
言ってレポートを送って下さった。それは彼がアメリカの電気通信
学会誌︵IEEE︶に投稿した英文の論文であった。
福住氏がトンネル対策に詳しいとは聞いていたが、アメリカの学
会にまで論文を発表しているとは知らなかった。
JMPSの羽田サービスセンターにいた福住氏に直ちに本社の
技術部に転勤して貰い、 彼を中心に地下駐車場対策を始めたので
あった。
このシステムは現在東京の主要な地下駐車場、超高層ビル地下駐
車場等約百ヶ所に設置されている。
彼は朝が早い、当時会社は九時出勤であったが、彼は毎日七時前
に出社していた。大体六時半から七時の間に出社するのである。
従って彼は毎日朝食を会社で摂っていた。そして、皆が出社する
までの静かな時間に一人一日分の仕事位は終わらせていた。その反
面、彼は夕方の退社は早かった。
五時半の退社時刻を十分以上過ぎると彼の姿はもう社内にはな
かった。家に帰り夕餉の支度や洗濯等、家事をするためである。
彼は独身であった。
酒は殆ど飲まぬし、それ以外の賭け事、趣味も余り聞かない。
仕事一筋の人間であった。
七年程前、ドコモが発足し、NTT中央移動通信株式会社はドコ
41
也の諸氏と私の総勢7人、何れも浅見さんとほぼ同年の昔の岩槻ム
ンバーは渡辺淳、大島紀光、高村邦夫、高岡泰資、斎藤允、星野達
ら二・七日後の二月の某日午前十時、常磐線新松戸駅に集まったメ
困らせたテニスでした。
バウンド後どっちに撥ねるのか全く判らないサーブで、我々仲間を
目っ気たっぷりの性格どおり変則サーブで、ゆるくひねりがかかり
くテニスを楽しんでいました、浅見さんのテニス、特にサーブは茶
い業績を残されました。
谷統制無線中継所の所長として持ち前の人間性を発揮して素晴らし
け込み手際よく労務対応を処理されました。浅見さんは最後には熊
誠実さと柔軟性をもって取り組み、地域意識の強い土地柄に早速溶
をかけるのではと心配しましたが、その心配は全く杞憂で持ち前の
た。当時の水戸は労務的に大変難しい所でした。浅見さんには苦労
たのですが、浅見さんに水戸統無中の次長さんで来ていただきまし
要職を歴任され、昭和五十六年当時、私は水戸にお世話になって居
その後、通信局の係長、横浜・干代田の課長、通信部の課長等の
であったと思っております。
ほぼ2/3を短波関係の仕事に捧げられた文字どおりの短波屋さん
子無線送受信所、無線通信部第一保全課等に勤務され、無線人生の
昭和三十六年、十八年間岩槻を愛された浅見さんは岩槻を後に銚
方が親しみがありしっくりする思いです。
浅見夫人の文子さんで、私たちはふみちゃんと呼ばせていただいた
ンナが居りクラブの独身者のあこがれの的でした。そのマドンナが
残り短波の火を守り続けました。その頃ムセンクラブに美しいマド
の若者達も大挙してマイクロに転出しましたが、浅見さんは岩槻に
昭和二十九年東名阪に4Gのマイクロウェーブが通った時、岩槻
センクラブで同じ釜の飯︵飯の無かった時代︶の仲間達でした。流
山鉄道で鰭ヶ崎駅で降り、お宅へ向かう途中も浅見さんの回顧の話
が続きました。
お宅の祭壇には遺骨が安置され香華を手向け、夫人の文子さんと
浅見さんを偲ぶ話、最後の模様を伺いました。
皆が若かった岩槻時代、几帳面で誠実礼儀正しい故人の面影の話
が続きました。また夫人から主人を失った驚愕と、最後の看病で自
分が体調を崩して前後を見失い、電友会への連絡も事後になってし
まったお詫びの言葉があり、皆様によろしくとの事でした。
私が浅見さんに初めてお会いしたのは昭和十九年三月、私の初赴
任の岩槻無線受信所でした。当時逓信省の無線部門は先輩たちの多
くが軍の南方進攻にあたり無線技術者として従軍した為、浅見さん
は私より僅か1年の先輩でしたが、受信室の中心として活躍されて
おられました、誠実で腰が低く誰にでも同じに付き合いウイットに
富み芸人でした。
戦後受信所が米軍のVHFの中継基地となり米軍が入って来る
と、若いヤンキーと早速仲良しになり、何時覚えたのかヤンキー言
葉を自在に操り、所の幹部と米軍との折衝も一手に引き受け活躍さ
れていました。
クラブ︵独身寮︶の入り口にテニスコートがあり、若者たちはよ
42
でもあった浅見さんの数々の人生の一コマ、一コマを今思い返して
ける深い縁と、その間の几帳面で誠実そしてウイットに富んだ文人
そして水戸での締めくくりもまた浅見さんに取って戴いた人生に於
わりました。私は岩槻での振り出しに浅見さんに面倒を見て戴き、
浅見さんが水戸に来られた一年後、私は水戸で電電公社人生が終
言うと、ええ結構です、働かせていただきます、と言われた時には
たが、思い切って作業の概要を話し、やっていただけますか? と
内容を話した時、果たしてどんな回答が返るかと一瞬ためらいまし
した。採用面談ですから、作業内容を告げるのは当然ですが、作業
がら、対話内容や態度から何と立派な人となりの人だなと感服しま
私は筑波無線中継所へ転出する事になり、尊敬していた新津さんと
い、共通事務を担当して貰いました。昭和二十八年十二月一日付で
員が結婚し退職したのを機会に、新津さんに事務職員に転向して貰
土地も建物も電電で買収してくれたり、たまたま勤めていた女子職
した。 又しても女性の力の大きさを痛感させられました。 その後
新津さんのお蔭で職場の空気も日毎に和やかになり明るくなりま
んには失礼かな︶に出会えたものだと思え、内心喜んだものでした。
た。私はそんな姿を毎日見ていて実によいお姉さん︵これは新津さ
た人だったと思います。字を書くことも上手で記帳などは見事でし
をはっきり区別し、仕事は几帳面に処理することをモットーとされ
ありながら、 内には一本太い筋金の入った人でありました。 善悪
受けました。思うに新津さんは一見物静かで温厚な性格の持ち主で
が、嫌がる素振りも見せずテキパキと処理される姿に一層の感動を
ました。時には女性には無理かなと思われる様な作業もありました
早速翌日から勤務して貰い、以後毎日黙々と働く姿を見せて貰い
はっきり覚えています。
く断られるのではと心配していただけに、その喜びは一入で今でも
!︰︰ああ良かったと安心しました。恐ら
この人がやってくれるか!
合掌
おります。
浅見さん、安らかにお休み下さい。
新津久枝さんを偲んで
相曽 新一︵東京無線部四七年退職︶
新津さんと私の出会いは、やがて半世紀も近い前になるため、当
時の記憶を完全に呼び起こせるか甚だ危なっかしい所ですが、私の
最も尊敬する新津さんですから、 老骨に鞭打って記憶を呼び起こ
し、新津さんの御霊を慰めたいと思います。
私が国府津無線所︵後 国府津無線送受所と改称︶に赴任した当
時は、局舎も土地も電電自前の物ではなく、某実業家の別荘を借用
使用していましたので、職場としては全く不向きで、整理は勿論、
何かと不便が多かったので、上部機関を説得して用務員一名採用の
許可を得て新津さんを採用したのが始まりで、多分昭和二十三年か
二十四年だったと思います。残念ながら正確な年月日は思い出せま
せん。
採用面談で諸々の話を交わす中で幼児二人を抱えた若き未亡人で
あることを知り、未亡人と言う女性の最悪の環境の中の人でありな
43
お別れすることになりましたが、以後も家族ぐるみの交際は続けさ
最後に、新津さん、長い間本当にご苦労さまでした。同時にあな
以上が私の新津さんへの追悼の言葉です。
し上げます。
では、新津さん安らかにお休み下さい。ご冥福を心からお祈り申
申し上げます。
た様の日々の言動から多くの処世術を教えられました事を厚くお礼
せて貰いました。
新津さんは国府津廃局後は横浜統無中、渋谷統無中等々と転勤を
重ね、 定年退職後は藤沢市鵠沼の温暖の地に居を定め、 静かに余
生を送られていました。 私も筑波から箱根双子 ・ 東京 ・ 水戸 ・ 東
京・館山等と二年乃至三年の周期で転々としていましたので、鵠沼
の静養地まではお訪ねする機会もなく失礼を重ね、申し訳ない思い
で一杯でした。年に何回か電話で近況をお尋ねしたりはしていまし
たが、その電話交信の中で、一度お訪ねしてお目にかかりたいと話
した時、新津さんがお気持ちは大変嬉しいですが、今の姿をお見せ
することに抵抗がありますから、と言われたので、新津さんの自尊
心を傷付け精神的苦しみを深めてはと考え、強引な押し掛け訪問を
ご遠慮申したことが、永遠のお別れ前に一目お目にかかることが出
来なかったのだと、今は後悔の念で一杯です。やはり後悔先に立た
ずでした。
まさかこんなに早く永遠のお別れとなるとは当時考えていなかっ
たのが大きな誤りでした。
昨年暮れにご子息様からご逝去の連絡を受け、アレと驚いた次第
で何ともお詫びの仕様もありません。ご子息様のお話では母の強い
言い付けで、皆様にご迷惑をおかけしないように処理するようにと
の事だったので母の意志を尊重し、どなたにも連絡せず、身内だけ
で処理致しましたから、申し訳ありませんでしたが、ご了承頂きた
いとの事で、嗚呼、新津さんらしいなと再度感銘いたしました。
44
も加わったのかも知れません。でも、 世紀に向けてのIT革新も
かつての反逆児も素直になったものだと思いましたが、多少ボケ
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
会員の近況だより
阿部 永輔︵中央NW技術センタ四年退職︶
おかげ様で元気です。ゴルフや地域のサークル活動に参加してい
荒井 近信︵潮来統無中五九年退職︶
大明︵株︶で社内検査をやっています。九九%ドコモ工事です。
気にしています。
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
春の地区懇談会出欠のご回答と共に、近況のお知らせを頂きまし
たので、ご覧下さい。
浅井 弘一︵東京統無中四年退職︶
一昨年末に親の介護の必要も無くなり、漸くのんびりした気分で
過ごしています。
荒井 晋一︵新宿NWC六年退職︶
ます。
成増の日本電業工作に入って丸五年に成ります。この間お世話に
お願いいたします。
ようなものです。
池田 嘉文︵江古田統無中四八年退職︶
も、散歩もせず、何となく過ごしています。新聞を読むのが日課の
病院通いは月に一度となりました。その他は寒くても風が吹いて
飯塚 隆之︵前橋統無中六〇年退職︶
人も独立し、現在は妻と二人暮らしの生活です。今後ともよろしく
ます。現在、五反田の近くで不動産業を営んでおります。子供達二
年月の過つのは早いもので、私が退職してからもう十六年になり
安藤 巌︵本社五九年退職︶
成った先輩諸氏も皆退職され、一人で残っています。
私は平成元年に中央移動通信︵株︶に入社して、今年の三月で十
朝井 源一︵横浜西報話六三年退職︶
21
一年になろうとしております。月日がたつのは早いものです。組織
は数回変わりましたが、現在はドコモ・モバイル︵株︶にて﹁無線
のOBと共に﹂ドコモ通信技術システム部様及びドコモ通信研究所
開発部様関係の仕事に毎日頑張っております。
また家庭的には、子供達も独立し、孫も四人となり、時々来家し
た時に、孫の相手をする事と健康で毎日楽しく仕事が出来る喜びを
感じている今日この頃です。
お蔭様で健康に恵まれ今日まで元気でこられたので、もう少し現
在の仕事を続けさせてもらいたいと思っております。
会員の皆様今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
畔上 竹治︵宇都宮NWC六二年退職︶
昨年孫が増えて、今年の初詣の祈願は﹁更なる体力を給え﹂。
爺ちゃんと 孫にこたえる才になり
45
VII
昨年暮れ、老妻右大腿骨頚部骨折のため人工関節。小生は、まだ
まだ元気にやっています。今回、欠席させて頂きます。皆様によろ
しく。
石井 武雄︵横浜統無中五〇年退職︶
退職してから早二十年が過ぎ、八十歳になり、また、この間第三
の人生を楽しくやってまいりました。駐輪場の整理員やら人材セン
ターの植木職で庭木手入れ等をしてまいりました。最近、脳梗塞を
患って療養に努めております。身体は元気です。自宅でぶらぶら過
ごしています。
飯田 一男︵茨城NWC八年退職︶
バスハイキングに行ってます。ウォーキングもしてます。最近で
は金時山、 十和田湖、 オイラセ渓谷へ行ってきました。 大洗から
フェリーで北海道にも一日三隻出てまして便利になりました。
石井 博︵関通四六年退職︶
お世話になります。体調を悪くし、入院して居りますので、残念
ですが、欠席させて戴きます。
石田 守︵関通三五年退職︶
電友会無線支部行事につきましては、 いつもながらご苦労さま
です。
平成十一年度地区懇談会につきましては、私事ながら食事制限等
の指示もあり、欠席致しますので失礼致します。
出席の皆様に宜しくお伝え下さい。会の益々の発展をお祈りいた
します。
石塚 春夫︵中央学園三五年退職︶
健康に過ごしております。古いパソコンを買い替え、ボケ防止に
役立つかどうか挑戦してみています。
石原 勇︵関東総支社六〇年退職︶
何時もお世話になっております。厚くお礼申し上げます。当日は
早目に来館しますのでよろしくお願い致します。
井代 順之︵本社五三年退職︶
お蔭様で年相応に元気で過ごしております。
磯谷桂太郎︵蔵前NWC元年退職︶
お蔭様にて毎日を元気に過ごさせていただいております。
稲葉 次夫︵東京統無中五五年退職︶
今年度最終土曜日のため町会役員会と重なるので出席できません
が、元気で過ごして居ります。皆様によろしくお伝えください。
稲波 実博︵熊谷報話六二年退職︶
役員の皆様にはいつもお世話になっております。
年を取るとあちこちの部品が劣化して修理もままにならない状況
ですので、無理をしないようにのんびり毎日を送っています。
干葉地区の懇談会の日は都合が悪く出席できませんので、申し訳
ありませんが、宜しくお願い致します。
乾 正彦︵中央NW技術センタ二年退職︶
46
せん。皆々様によろしく。
す。残念ながら病のため足が不自由となり、しばらくは出席できま
幹事の皆様には、 いつも大変お世話になりありがとうございま
三、今春にはNTT ATを退職し、学校と再就職の予定。
二、菜園では汗を流し、結実に一喜一憂、時には畏怖。
一、義父の軽介護を時々体験し、老来の知恵を習得中。
井上 孝剛︵横須賀統無中六〇年退職︶
お蔭様で元気に過ごしております。 地域活動等で多忙な日々を
送っています。
今井 誠一︵関通五八年退職︶
何時も大変お世話になり、有り難うございます。私事ですが、家
族に障害者があり、毎日在宅介護に追われています。要介護の認定
も受け、目下ケアプランの作成中。四月からは少しは暇になるだろ
うと思いますが、今回は欠席をさせていただきます。私はいたって
元気で時にはウォーキングや囲碁等で息を抜いています。皆様によ
ろしく。
今井 正敏︵干葉支店二年退職︶
昨年四月に御世話になっていた会社を退社しました。現在、伊豆
大島で一人暮らしの母親の世話にかこつけて毎月十日間ほど田舎暮
らしをしています。
岩沢 国男︵TRC二年退職︶
今年も大明︵株︶にてお世話になっております。近頃腰痛と花粉
症のため、春からのゴルフシーズンが心配です。
植田 庫治︵本社六年退職︶
お陰さまで還暦を迎えました。憂いも惑いも増減の近況は
等で、何時の日にかまた秘湯付き夏山へ、と思っております。
植田 公康︵横浜統無中五三年退職︶
今年の二月に八十才となりました。年齢相応に不具合なところは
ありますが、幸い大きな病気もなく、庭の手入れ、植木の選定など、
なるべく身体を動かすようにしています。又少しばかりの野菜作り
もします。買い物や医者通いなどの外出はもっぱら自転車です。
上野 富雄︵東京無線部五六年退職︶
老人会のカラオケ、グランドゴルフなぞ、楽しみながら健康に気
をつけ過ごして居ります。
上原 國雄︵茨城NWC五年退職︶
所要により欠席いたします。千葉地区懇談会の盛会を祈念してお
ります。
牛窪 喜六︵東京無線部四五年退職︶
八八才という高齢のため足が不自由となり、歩行困難のため欠席
します。いつもお世話様に相成りありがとうございます。
牛島 義男︵本社四六年退職︶
一、毎朝の冷水摩擦でここ数年間風邪と無縁。ビタミンB・C服用
47
−
も寄与か。
二、十数年前、九死に一生を得て生き伸びた妻 亦だ病弱、その手
助けで料理も上達、 時々ケンカしつつも仲良くと心掛けてい
ます。
三、週二回数時間ずつ地域ゲートボール練習試合参加、四月以降毎
月大規模の大会あり、いつもわがチームは末尾で苦闘。
四、月二回ピアノレッスン、 私の娘ぐらいの先生にしごかれてい
ます。
五、団地の役員の仕事まだ縁が切れず、引っ張りだされています。
一〇〇〇戸の住民の人間模様の織りなす中で。
碓井 孝義︵宇都宮統無中五九年退職︶
神奈川地区懇談会を迎えて想うことは、 重慶飯店との年一回の
逢瀬を楽しむようになってもう何年だろう。年月の速さを心にしま
いながら今年も懐かしい笑顔に逢えることを楽しみにしています。
懇談会の後、 横浜に居ながら滅多に来ることの無い中華街の散策
が出来たことも嬉しいことです。幹事の皆々様に厚く御礼申し上げ
りません。
大島 紀光︵唐ヶ崎統無中五七年退職︶
幹事の皆様大変ご苦労さまです。今年もどうぞよろしくお願い致
します。おかげさまで年齢なりに元気でおります。
大島 正治︵中原報話五一年退職︶
電友会無線支部幹事の皆様、日頃何かと心に掛けて下されありが
とうございます。NTTを退職して今年で二三年になります。この
ように長生きできたことは周囲の皆様のおかげです。近況をお知ら
せします。
昭和六〇年に家内をなくし、以後一人暮らしをしております。現
在の目標は毎日生活の中で趣味をもち、仲間と楽しく健康で若い人
達に迷惑をかけない事を生き甲斐としております。
大塚 燿︵熊谷報話六二年退職︶
幹事さんには大変お世話になります。今回行事が重なり、時間的
に無理のため、欠席させていただきます。
岡田 巌︵専用サービス推進部四年退職︶
三月末でEXEOを退職します。これからは十一年周期の電波伝
搬の好期に入ります。HAMの方で世界を相手に電信をタタキまく
ます。
宇津野重夫︵東京統括無中六〇年退職︶
りたいと思っています。コールサイン7M1IZZ。EMAIL:
電友会の皆様には大変お世話様になっております。小生もお陰様
岡島 貢︵今市報話六二年退職︶
7M1IZZ@jarl.com
月二回通院の他は毎日ぶらぶらしています。あまり体調がすぐれ
ませんので欠席します。皆様によろしく。
大熊 幸一︵TRC八年退職︶
毎日忙しい日々を過ごしております。御無沙汰ばかりで申し訳あ
48
にて健康にて毎日家庭や地域活動に忙しい日々を送っています。皆
通い大変な記録を作りました。現在は、月二回の通院と同じく二回
小川 昭︵本社五四年退職︶
の油彩画に再度挑戦している此の頃です。
岡田 秀夫︵東京無線部五九年退職︶
当日は先約がありますので、失礼します。小生は今年で七○才に
様にも健康を第一にお過ごし下さい。
健康であることに感謝しつつ、自分の趣味︵社交ダンス、囲碁、
なりましたが、 至って健康。 多少の仕事の他、 趣味のパソコンの
占三︵TRC六一年退職︶
押尾 金
小高 正夫︵中央NW技術センタ三年退職︶
建物です。伝搬路障害等というのはもう死語になったようです。
うとう鉄塔よりも高くなってしまいましたが、何とこれが郵政省の
したが、去年ビル工事が始まり、そのビルはどんどん高くなり、と
去年まで私の家から富士見局のアンテナが目の高さに見えていま
一病息災、元気です。
ごしています。ともかく心身の健康が第一です。
ホームページ作り、社交ダンス、海外旅行と毎日楽しく有意義に過
ゴルフ、パソコン︶を通じて、地域の人との交流を深めています。
岡田 實︵品川支店二年退職︶
ドコモ、モバイル本社へ二時間十五分かけて通勤しています。
岡部 清一︵高萩報話六三年退職︶
干支も一巡しました。壬申︵みずのえさる︶年生まれ。束の間に
還暦も過ぎ去りまして、当年六八才。協和エクシオを退社しまして
五年が過ぎました。勤めている時には、庭木の手入れも出来ずにお
りましたが、今では楽しみながらやっています。
現在家庭は家内と二人暮らし。お互いの趣味の一つとして家内の
生け花をデジタルカメラで写して、花生けの形、カメラアングルな
氏や若い女性達に囲まれ楽しくやっております。趣味の囲碁も一生
協和エクシオにて電波法関係の仕事をして早八年。親切な先輩諸
今年は低調運、何事も無理をせず健康に注意の運勢にあり、健康
懸命? 勉強しておりますが、頭の老化が先行し、なかなか上達し
どの勉強、カメラ遊びを増やして楽しんでいます。
面は、暴飲暴食にならないよう努め、朝起きた時と入浴前に、コッ
ません。今後ともよろしくお願いいたします。
し対応が大変です。
営業に変わり、NTT関係各社を訪問しております。NTTも分割
徳力精工︵株︶営業本部に勤めております。二月からNTT担当
笠井 定良︵小笠原報話五六年退職︶
プ一杯の冷水を飲みまして、一日二リットル分の水分を摂取するよ
う心掛けています。食事は豊富なビタミンがある胚芽米を主食とし
て、健康に注意を払っています。
尾形 勝郎︵関通五四年退職︶
何時も御世話になります。昨年は歯の治療のため八ヶ月も歯科に
49
ンターに籍を置き、ボランティア活動の一環として毛筆執行の仕事
﹁人生古来稀なり﹂⋮⋮毎日健康に留意し地域のシルバー人材セ
梶川 正明︵立川NWC六二年退職︶
たく思っております。乱文のまま失礼します。
う時代になるのでしょう。また皆様にお会いして御指導をお願いし
たようです。これからの若い人も大変なことと察しますが、どうい
ば大抵の事は解決したものを︵?︶この頃は一番危険な存在になっ
金安 博︵本社三五年退職︶
敬具
に携わって生き甲斐を感じつつ日々過ごしております。
趣味としては、囲碁、カラオケ等のサークルに参加しています。
は年と共に衰えてはいますが、お陰様にて何とか生活には支障を来
私はNTTを退職して約四〇年を経過しようとしています。体調
謹啓 弥生三月、雛祭りもアーッと言う間に過ぎ、お彼岸が近づ
たしていません。二人の子供達も独立し、老妻との二人暮らしで、
加藤 実︵中央NWC九年退職︶
いて参りました。光陰矢の如し! とは良く言いますが、最近特に
時々旅行を楽しんでいます。
ところで、最近の社会情勢をみると、暗い話が多く、リストラ、
実感するのは私だけでしょうか?
今年の冬は一月までは暖冬が続きましたが、二月に入り冬将軍が
倒産、 理由なき殺人などのニュースが毎日のように伝えられてい
体が誕生している。勿論、これらの変革はメリットもあるが、デメ
﹁そうは甘くないぞ﹂とばかり厳しい寒波が、これでもか、これで
日々の連続でしたが、電友会幹事の方々、また会員の皆様にはお変
リットもあることを忘れてはならないと思う。私はNTT退社後、
る。競争原理の導人のもとで、NTTも分割され、新しい通信企業
わりもなくお元気でお過ごしのことと、お喜び申し上げます。特に
二十数年間、諸外国のマイクロ波通信プラントの建設に従事して、
もか、 とばかり押し寄せて、 北日本は大雪、 太平洋側は乾燥した
幹事の方には日頃何かとお世話になり暑くお礼申し上げます。
合っていたが、それぞれに一長一短があるように思います。当然、
通信省、 通信公社、 通信会社など種々の形態の通信企業体に付き
ますが、お脳のほうが元々薄いのに加え、日々の脳細胞の減少と記
NTTでは、いろいろな角度から検討され、運営されているものと
私も退職しましてから体のほうは一部を除き何とか稼動しており
憶力の減退で﹁この先思いやられるワー﹂などの小言を投げられな
思いますが、老婆心ながら今後の動向を心配しています。
をお祈りすると共に、幹事の皆様のご尽力に感謝いたします。
放しで喜ばれないのが最近の心境です。最後に電友会の益々の隆盛
が、無線部門と名の付く人々が少なくなっていることを思うと、手
電友会も、年々会員数が増えて盛況となっていることは喜ばしい
がら、何とか静かに小さく虫のように生き長らえております。そし
てまた、最近の世情があまりにも複雑極まりないのが、いっそう私
の頭を混乱させているようでございます。
既に、父なく母もなく、兄弟も少なくなり、誰を、何を信用した
ら良いやら判らないことばかり、昔は先生かお巡りさんに相談すれ
50
鎌田 治夫︵関東総支社六二年退職︶
いつもお世話になっています。弓道を通して地域社会の人達と元
気に過ごしています。
上村精一郎︵東京統無中五二年退職︶
早春の候、会員各位におかれましては、益々御健勝のこととお喜
び申し上げます。 ミレニアムの年を迎えた昨今、 左膝に激痛を覚
え、現在歩行に難儀を来たしており、今回は欠席させて頂きます。
末筆ながら地区懇談会の盛会を念じつつ、会員各位の御健勝と御多
幸をお祈り申し上げます。
菊池 正治︵浦和統無中六〇年退職︶
年末年始は、かぜのため病院で過ごしました。徐々に元気になり
つつあります。
北爪 重信︵干葉部五〇年退職︶
昨年夏、ヘルニヤの手術をしましたが、経過は順調。高血圧、前
立腺の持病はありますが、まあまあ、健康な方で、趣味活動に生き
がいを求め、老夫婦二人で残照の日々を楽しんでおります。
木谷 保雄︵東京無線部五三年退職︶
ようやく春めいて来たように思います。楽しみにしていた懇談会
のご案内ありがとうございます。出席いたしたいと思い、送金もい
たしました。齢の関係か関節がいたく通院して居りますが、出席い
たします。幹事の皆様によろしく。
木村 友也︵大楠無線受五七年退職︶
NTT退職十八年、仕事遍歴三回、そろそろ卒業?
子供二人、孫四人、母惚けていて九五才、思い出話に明け暮れて
ます。
思いつくままの旅﹁旧東海道めぐり﹂、静岡で休止。桜前線とと
もに﹁日本縦断﹂及び﹁日本の世界遺産﹂めぐりをと思ってます。
年を取るにしたがい、アレルギーが減って来たが、免疫力もなく
!なんて考えてます。皆様もどうかお元気で今
なってきたのかなぁ!
後ともよろしくお願いいたします。
蔵並 菊雄︵神奈川部五一年退職︶
役員の皆様、いつもお世話になっております。平常の生活には差
し支えないのですが、最近ひとりでの電車の乗り降り、乗り替えな
どが心配のため欠席いたします。
栗原 喜一︵水戸統無中五六年退職︶
何時もお世話になり申し訳ありません。また、最近は電友会活動
から疎遠になり申し訳なく思っております。然しその分地域活動に
傾斜しがんばっております。これも一つの電電OBの行き方かと独
りよがりに考えております。どうかお許しの程を。
小泉 達三︵川越統無中五九年退職︶
ドコモショップ柏中央店で元気に働いています。
今年七一才よくまぁ元気でいたもんだ。皆様によろしく。
小濱隆三郎︵市川報話六〇年退職︶
相変わらず体調おもわしくなく、病院通いを続けております。早
51
く良くなって皆さんのお顔を見られる事を祈って居ります。 よろ
しく。
小林 昭男︵関通五九年退職︶
小林 貢︵中央NW技術センタ四年退職︶
NTTを退職し早いもので七年を過ぎようとしています。還暦を
迎え一年後の転職に備え、 体力、 知力の補強をしたいと考えてい
ます。
小堀 幸子︵銚子無送受四九年退職︶
何時もお世話になって居ります。今回は残念ながら私用と重なり
欠席させていただきます。今の所健康上さしたる問題も無く過ごし
花のたよりもちらほらときかれる頃となりました。役員の皆様に
得ました。現在体調も徐々に以前の状態に戻りつつありますが、開
会員の皆様、お元気でお過ごしの事と存じます。電気通信分野は
近藤 健児︵浦和支店七年退職︶
ろしくお伝え下さい。
まり外に出るのがつらいので欠席させていただきます。皆々様によ
は何時もお世話になり、ありがとうございます。私も年のせいかあ
ております。 次回はぜひ出席したいものと健康には注意していき
ます。
小林一之助︵関東総支社六一年退職︶
胸手術のため肋骨を切断したのが未だ安定しないので、
﹁ボツボツ
固定電話の時代から携帯電話、インターネット、マルチメディアへ
昨秋心臓冠状動脈バイパス手術を行い、お蔭様にて九死に一生を
の復帰﹂というところです。またお目にかかれる日を楽しみにして
大きく変革されつつあります。
りますが、よろしくお願いします。
又、家庭菜園で日時を過ごしております。今後も色々とお世話にな
様にて元気にて老人会の役員、自治会でのグランドゴルフ等にて、
幹事の皆様には何時も御世話になり有り難うございます。 お蔭
近藤 好一︵千代田統無中五八年退職︶
会員の皆様もご健康に留意され、健康な日々をお過ごし下さい。
そんな中で何としても取り残されない様に勤めている毎日です。
までの認識、経験だけではとても対応できない状況にあります。
それに伴い、NTT関連の事業も大きな変革期に来ており、これ
おります。
小林 清︵宇都宮統無中五三年退職︶
相変わらず元気で働いております。
小林 茂︵臼井無送五四年退職︶
電友会幹事の皆様には何かと御世話になり、そのうえ何の会合に
も参加できず、誠に申し訳なく思っております。
私、平成四年関輸を退職後、狭心症等で入退院を繰り返しており
ましたが、昨年五月頃、手足の神経を患い、手術の結果、車椅子の
生活となり、また昨年暮れ妻に先立たれ、息子たちの世話になって
いる現状です。よろしく。
52
斉藤 兼雄︵三宅無中五八年退職︶
使ってくれるところがある限り、年齢にこだわらず足腰の立つ内
の早足散歩も一
=十分のペースが
はと頑張っています。しかし、気持ちとは裏腹に体力は確実に落ち
ているようで、毎日五∼六
佐川 秀夫︵関通五五年退職︶
族同伴で長期赴任しているので、
﹁来い、来い﹂と言うので、子供
孝行のつもりで行く予定です。
幹事さん、何時もご苦労様です。
私の方は三年前から昔の古傷が悪化し、三年間に三回入退院を繰
から健康を回復したところです。然し未だリハビリの段階で、ゴル
り返し、一昨年の暮れに大手術︵肋骨数本切除︶の末、やっと昨年
斎藤 隆房︵東京市外局五八年退職︶
佐藤 好二︵本社四八年退職︶
何時の日に訪れて来るとの手を合わせ
外歩き叶わぬ我が身振り返り
ドコモエンジ︵株︶で電波法を担務させていただいてます。
佐藤 義一︵東京支社二年退職︶
時々腰痛が出ますが、気持ちだけは元気に過ごしています。
佐藤千代五︵渋谷統無中五一年退職︶
最後に皆様のご健康をお祈りいたし近況報告とします。
すが、その節はよろしくお願いします。
今年の五月頃にはグリーンに行けるのを唯一の楽しみにしていま
れています。
ろです。一ヶ月一回の通院で医者には風邪を絶対引かぬよう注意さ
今は毎日一時間の散歩と、絵をボツボツ始めて楽しんでいるとこ
です。
フも駄目、アルコールはビール一杯で酔う始末で、経済生活の状態
ております。
!
しく!
ます。
で、終点まで早く吸い寄せられているような気がします。
マァマァのところです。 一日が時計のように正確に早く過ぎるの
のんびりと好きな事をして、 気ままに暮らしています。 体調は
境野 春衛︵東京無線部五七年退職︶
ハビリに精進しています。 ご参集の皆様のご健康をお祈りいたし
脳梗塞で倒れて一年余、快復未だしという状況です。頑張ってリ
酒井 重作︵横浜統無中五五年退職︶
迎えようとしております。日々元気に頑張っております。今年も宜
ドコモエンジニアリング︵株︶にお世話になり満五年、六年目を
齋藤 隆︵NTTDoCoMo六年退職︶
その後は毎日たのしく趣味の釣り等やり釣り友人とたのしくやっ
体を動かして、体力維持に努力したいと考えています。
かなりきつくなって来た今日この頃です。これからも出来る限り身
km
春、四月初旬にアラビヤ首長国連邦に旅行して来ます。次男が家
53
km
里見 博︵本社五二年退職︶
一、二月は辛うじて乗り越えましたので、二〇〇〇年は人並みに
過ごしたいものです。
更澤 和美︵川越報話六二年退職︶
半世紀以上にわたったサラリーマン生活も昨年九月で別れをつ
げ、現在は気ままな日々を送っています。
塩澤 惇隆︵関通五六年退職︶
画とハイキングのサークルでお世話になって居ります。これからも
宜しくお願いします。
新良貴 守︵関通五七年退職︶
寒さのせいか、年のせいか、最近ゴルフに遠ざかっています。朝
の冷え込みがやわらいだら再開したいと思っています。
鈴木 重男︵船橋支店一年退職︶
年の歩み展には遠路御来場下さいましてあり
電友会幹事の皆様には、いつもお世話になっております。昨年開
催した立体切り絵
がとうございました。関東各地から約九〇〇名の方が来て下さいま
昨年末、軽症の眼筋マヒで、一か月間数メートル以遠の物が二重
にダブって見える症状が続き困りました。最近は正常に戻っており
したので、御報告申し上げます。
今後も私の生涯学習として続けてまいりたいと思いますので、よ
ますが、正確な原因は不明です。脳に近いので注意しております。
相変わらず毎日聖書を勉強し、伝導の奉仕にも励んでおります。皆
ろしくお願い申し上げます。
ミレニアムの初っ端から腸炎が再発し養生中のため、しばらく様
さんの健康を祈ります。
二〇〇〇年を期に、何か飛躍したいと思いながら、何となく惰性
子をみてますので、欠席させて頂きます。皆様によろしく、また幹
鈴木 四郎︵唐ヶ崎NWC二年退職︶
で生活しています。 最近、 座卓式のパソコンラックを作製しまし
事の方々御苦労様です。
芝崎 芳和︵東京無線部五六年退職︶
た。四月から自治会の役員もはずれるので、少し勉強に力を入れた
鈴木 忠男︵関通五四年退職︶
最近、小生狭心症の症状があり、寒いときの外出を控えておりま
いと考えているこの頃です。
白井 靜明︵渋谷統無中五六年退職︶
す。三月二五日頃には気候もよくなるので、出席できると思います
ので、お願いします。
いつの間にか八〇才を超えてしまい、我ながら生きているのが不
鈴木 秀明︵関通五〇年退職︶
地域での福祉事業に協力して十五年が経過しました。急速に高齢
化が進むなかで、多くの福祉施設・団体やこれを支える方々との交
流を通して色々と学ぶことが沢山あり、充実した人生の後半を歩い
ているつもりです。また趣味は老化防止の妙薬とか、無線支部の絵
54
30
思議のような気がします。もうそろそろ引っ込む時期では、と思い
ながら、まだ地域のボランティアに携わっています。
鈴木 宏尚︵中央NW支社六二年退職︶
小生、一昨年十一月中旬に前触れもなく脳梗塞を発症し、後遺症
は左上肢、下肢麻痺によりその運動機能が全廃という診断で入院中
に﹁身体障害者一級﹂と認定されました。昨年五月末には入院の期
間に制約もあり退院し、現在では通院でリハビリを行っています。
体調は左下肢に補装具を着用し杖を突いて少しは歩行が可能です
が、体は全般的に不調です。今後も﹁再起﹂を念じてリハビリに頑
張ることとします。
鈴木 陽一︵TRC四年退職︶
いつも電友会にはお世話になり感謝しております。 三月十八日
︵土︶は用事があり、申し訳ありませんが、欠席させていただきま
す。皆様によろしくお伝え下さい。コムシス︵株︶に来て早七年で
す。相変わらず積算で頑張っています。
巣山昭二郎︵関通五九年退職︶
相変わらず松電通信︵株︶に勤務しておりますが、今年春で退職
する予定にしております。只今、五〇年前の古傷︵足首の骨折︶が
痛み出し、歩行にはさほど支障はありませんが、或る瞬間激痛が走
り、悩まされております。手術もできず、湿布しか方法がないよう
で、これから一生の付き合いになりそうです。
関根 栄喜︵東京無線部四八年退職︶
幹事の皆様にはお世話になっております。座骨神経痛でリハビリ
に通院しています。
芹沢 雅生︵東京中央NWC二年退職︶
何時も幹事の皆様にはお世話になり有り難うございます。
健康維持のためウォーキングやサイクリングを続けています。お
陰様で少々の距離は苦にならなくなりました。
園田 昌之︵浦和支店二年退職︶
ドコモモバイル茨城営業所で嘱託として働いております。残り一
年ラストランに入る予定をしております。
田内 治︵東京無線部四三年退職︶
元気に暮らしています。現在、ワンボードマイコン︵Z80系︶
の応用開発︵ハード・ソフト︶を楽しんでいます。
高岡 泰資︵中野統無中五八年退職︶
幹事さん御苦労様です。地域の方々との交流と共にドライブ・ハ
イキング、史蹟めぐり等楽しく過ごしております。
高尾 忠男︵多摩NWC四年退職︶
お陰様で元気でNTTドコモ様の仕事に追われている毎日です。
三回連続ホノルルマラソン出場に向けてジョギングに励んでおり
ます。
高木 邦寛︵本社五四年退職︶
現在、ドコモ・サポート︵株︶でポケットベル端末センターの業
55
務を担当しておりますが、業務縮小のため四月一日からドコモ・モ
︵株︶協和エクシオも八年目になります。ゴルフと野菜作りで健
高柳 義雄︵川越支店四年退職︶
康維持に努めています。
翻訳の仕事をしてきましたが、昨年九月納期に間に合わせるのがき
前略、平素はお世話になり有り難うございます。小生定年後実務
武尾 邦治︵銚子統無中四九年退職︶
らせてもらい、呑代だけはなんとか確保された環境にいます。
可も無く否も多少有りの生活で、無線関係工事の事務手伝いをや
田口 明︵TRC二年退職︶
バイル︵株︶に業務統合されることになっており、それに先立ち三
月二一日から移転することになりました。
懇談会が移転の時となるため返事するのが遅くなりました。よろ
しくお願いします。
高塚忠夫 代︵本社三九年退職︶
当方、平成五年脳梗塞を発症いたし、退院後は自宅療養で今日に
至っております。右半身が不自由なため外出も思うにまかせず、残
念ながら欠席いたします。ご出席の皆様によろしくお伝えのほど願
句入門講座で俳句の勉強を始めました。全く初めてのことで、季語
つくなったのでこれをやめ、十月から朝日カルチャーセンターの俳
高橋袈裟義︵土浦NWC六三年退職︶
とか句会とかまごつくことばかりですが、毎日の暮らしを見つめて
い上げます。
今は健康に恵まれて充実した生活を過ごしています。四季の花の
いくのには良いことと思っております。
田中 邦夫︵館山統無中五九年退職︶
手入れ、旅と、そんな日々が続いております。
高橋 富男︵関通五五年退職︶
心筋梗塞で冠状動脈のバイパス手術をして四年たち、一日一日を
大切にして生きていますが、最近腰痛の再発で少し歩行がきついの
当日、私用のため欠席させて戴きます。例年に比し、寒気も弱い
ようですが、腰痛には困っています。早く春になればと⋮⋮。
で欠席させて戴きます。皆様に宜しくお伝え下さい。
種谷 實︵関通五九年退職︶
高村 邦夫︵中野統無中五七年退職︶
退職して十八年、 古希の齢も越えました。 体調は良好。 五十肩
健康維持のため、軽スポーツ、グラウンドゴルフをやっています。
たいが、欠席になると予想しております。皆様によろしくお伝え下
最近は具合が悪くて懇談会を欠席してばかりです。今回も出席し
田村捷太郎︵本社四六年退職︶
か︵?︶、左肩に痛みを感じるほか別の自覚症状なし。地元の写真
クラブの仲間と撮影会に出掛けたり、毎月の例会で作品の批評をし
て貰っていますが、なかなかこれはという作品が出来ないのが悩み
の種です。
56
さい。
多田 寛五︵九州総支社六〇年退職︶
いつもお世話になり、ありがとうございます。出席を予定してお
りますので、よろしくお願いいたします。不況の風とNTT改革の
嵐に吹き飛ばされそうです。
多田 一治︵十条統無中五二年退職︶
昨年は農業高校の先生を定年退職した方について野菜づくりにつ
いて毎週指導を受け、野菜づくりについては自信が出来ました。今
年は料理の先生について料理をならっております。また家内愛子が
絵画サークルでお世話になっておりますが、今年は風景画を描くた
めに方々に車で連れていくつもりです。お蔭様で健康もすっかり回
復し、毎日充実した日を送っておりますが、そのうちに電話順送の
お世話になることだけは間違いありません。
千野 孝︵北海道通信局五二年退職︶
例年の神奈川地区懇談会に出席できず、申し訳ございません。御
″
盛会を祈っています。
″
最近 教育 関係にも改革の波が押し寄せていますが、少々巻き
前略
無線支部の皆様には何時もお世話になり厚く御礼申し上げます。
私、昨年春NTT データを退職し、目下家内と二人暮らし、の
んびりと、旅に・音楽会に・美術展にと自由を楽しませて頂いてお
ります。とは申せ、会員の皆様には日頃ご無沙汰ばかりで申し訳あ
りません。
末筆ながら皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。
敬具
椿 功︵群馬NWC二年退職︶
相変わらずドコモ・モバイルで頑張っています。最近はモバイル
マルチメディア︵MM︶関連の業務が徐々に多くなって来て、つい
ていくのが大変です。
遠山 元︵宇都宮統無中五九年退職︶
御陰様で一応元気にやっています。地元高齢者大学同期生の行事
が週二∼三回程ありますので、 結構体も動かして健康にも良いと
思っています。
今後共よろしくお願い申し上げます。
NTTを退職して十七年が過ぎました。三五年間、外で生活し故
殿塚 富夫︵三郷報話五七年退職︶
出席できず残念です。 この間、 久し振りに高熱で三日休みました
郷に戻ってきての生活が半々を過ぎました。お蔭様で健康にも恵ま
込まれはじめており、特にこの時期は、卒業、入学行事も重なり、
が、眠りどおしでした。休息の重要性を痛感しました。皆様も健康
れ、老妻と二人で地域の役員等をして頑張っています。
富田千之助︵古河統無中五三年退職︶
第一に、今後ともよろしくお願いします。
堤 一男︵本社五七年退職︶
57
−
平素幹事の皆様に何時もお世話様になっており、厚くお礼申し上
げます。
今回、埼玉地区懇談会に私事都合により欠席します。皆様によろ
しくお伝えください。
中込 和男︵中央区NWC六年退職︶
今回他のレクと重なりまして欠席させて下さい。役員の皆様には
いつもお世話になり本当にありがとうございます。今後共宜しくお
願い申し上げます。
中澤 長節︵東京無線部五七年退職︶
電磁応用研究所に週三日出ております。その他の時間は晴耕雨読
ですが、寄る年波、のんびりやっております。
中村 孝︵横須賀統無中六〇年退職︶
家事や地域の雑用に追われ、まあどうやら元気にやっております。
中村 恒男︵千代田統無中五四年退職︶
地区懇談会のご盛況をお祈りしております。 幹事さんご苦労様
です。
長瀬日出夫︵小田原支店五年退職︶
幹事の皆様には会の運営はじめ色々とお世話になっており あり
いつのまにか私も今年の八月で六〇才を迎える年になってしまい
がとうございます。
私は参加させて戴いていますが、今年は家事都合により出席するこ
ました。会社では定年の年です。体調はすこぶる元気で、日本コム
高村様、 NTT神奈川旧友会の幹事様ごくろうさまです。 例年
とができませんが、よろしく。来年は必ず出席したいと思います。
シスにお世話になっております。
桃の節句の頃になりますが、皆様にはお世話になります。私共目
名雲 理武︵関通五〇年退職︶
せていただきますが、次回を楽しみにしております。
地区懇談会の当日が長男の結婚式と重なり、残念ですが、欠席さ
又、よろしくお願いします。
私はNTT退職十五年になりますが、その後共同テレビに十年働
きまして退職し、地域のため自治会長、老人会長等をし、今は庭の
草取り、ゲートボールなどをして健康に注意しています。
今後もよろしくお願いします。
下は家内とリハビリ二人三脚中です。ボケ防止で始めたパソコンで
すが、 なかなか言うことをきかぬものですね。 インターネットと
中島 勉治︵関通五五年退職︶
幹事の皆様、お世話になります。
ワープロを使いこなしたいのが目標です。
現会社六月まで雇用期間がありますが、別会社へ勤務を申し出た
名越 利昌︵品川支店四年退職︶
身体に気をつけながら、趣味や老人会の役員等で忙しく暮らして
おります。
中村 郁夫︵蔵前統無中五七年退職︶
58
ところ、三月末で退職する様に言われましたので、三月末の休日に
は出社して整理する必要があり、 土 ・ 日の出勤をせざるを得ませ
ん。今年は欠席させて下さい。
家族︵息子夫婦、孫三人︶と一緒に暮らしています。菜家庭園、
盆栽等少々、毎日を楽しく過ごしています。
萩原 静司︵水戸NWC六三年退職︶
水戸のネットワークセンターを最後に、昭和六三年に退職し、テ
ルウェル東京支部に再就職して、丁度今年で十一年になり、この三
浪川 静男︵銚子統無中五二年退職︶
寝込む程のことはありませんが、 体調少しく不調で遠方へ行け
月で完全にフリーになります。現在は、NTT日比谷ビルのビル管
た。心配です。
までは考えています。
ケベル会社も三月で整理廃業することになりました。現加入者の約
いつもお世話頂きありがとうございます。私が勤務する栃木のポ
早川 正雄︵東京無線部五八年退職︶
り、いつまで勤められるかわかりませんが、ワイドバンドCDMA
ドコモ ・ モバイル技術部でがんばっています。 私も六五才にな
浜口 文男︵千葉NWC元年退職︶
元気ですが、 脈拍数が年々低下して、 現在五〇以下となりまし
橋本 章三︵大楠無送受四七年退職︶
じます。いつまでもお元気で。
三月以降は完全フリーになりますので、皆々様とお会いしたいと存
真っ最中です。欠席ですいません。大変御無沙汰致して居ります。
ソリューション部門の方々が転入して来る為のリニューアル工事が
∼九階は東芝さんが入居していましたが、 昨年転居し、 NTTの
理をして居りますが、最後の追い込みです。今まで日比谷ビルの七
ず、近辺散歩を心掛け過ごしています。御盛会をお祈りいたします。
新野 和平︵関通五六年退職︶
いつもお世話になっております。 月の内十二日程勤めておりま
す。当日は勤めの日ですので、欠席いたします。
西田 泰久︵東京無線部五四年退職︶
身体の調子が良い方に戻った。元気で居ます。
庭野国太郎︵古河統無中六〇年退職︶
寒い季節は痔に邪魔され気勢が上がりません。春になれば⋮⋮。
皆様のご健勝を祈ります。
野口 理彦︵関通五八年退職︶
昨年﹁黄斑円孔﹂という目を煩い苦しみましたが、やっと〇・六
︵右目︶程度に快復し、元気に暮らしております。
相変わらず作陶は続けておりますが、下手な横好きで、性懲りも
なく現在は水墨、書道︵現在初段︶に手を伸ばして、造形美を求め
て苦悦しております。
萩平 寛一︵浦和料金センタ六〇年退職︶
59
半数がドコモに加入変更されます。私もやっと無線の仕事から離れ
宇都宮∼東京︵協和エクシオ︶間の往復の毎日です。
細野 宗一
大変お世話になっています。早速ですが、私の近況をお知らせ致
ることになりました。今後ともよろしくお願い致します。
林田 年夫︵横浜統無中五九年退職︶
します。退職して早十三年、皆様の授けを受けて間もなく古希を迎
通いをやっています。これからも元気を出して健康な毎日を送れる
は近くの城や城跡を巡り、昔をしのんだり、月二回程度のゴルフ場
になっています。生来、無芸、無趣味な私ですが、時々思い出して
とか維持できそうなので、現在はドコモ・モバイル︵株︶でお世話
本当に早いと感じています。おかげ様で今のところは健康だけは何
える年になりました。当たり前のことですが、時の経つのは早い、
最近は少し体調が良くなっておりますが、息切れがひどくなり、
遠出が出来ませんので、欠席させて戴きます。
皆様によろしくお伝えください。
平島 一郎︵本社三九年退職︶
色々お世話になります。元気にやっております。
平野 勉︵川崎東名施設区五一年退職︶
様努力したいと思っています。
皆様のご健康をお祈りいたします。
堀田 正和︵本社四一年退職︶
地区懇談会、病院検診の予定のため欠席致します。お蔭様で赤坂
の特許事務所迄の通勤を続けて居ります。一月中旬に腰を痛め、ま
た最近は寒さが厳しく、ゴルフも休んでおりますが、また練習場に
は行っております。春が待たれる此の頃です。
厳寒の折、皆様の御健勝を祈ります。
堀井 国郎︵双子無中五八年退職︶
NTTの度重なる改革で、我々OBも頼る先の機関がなくなり淋
しい限りですが、無線支部の幹事さん一同の方々が頑張っている姿
に感謝しています。
60
猫の額程の庭に花木が少々あり、メジロがつがいで毎日来て、花
の蜜を求めてやって来て楽しい日々を過ごしています。時々、リン
ゴを木に差していると、色々の鳥が来ています。
深見 昭成︵中央NW六一年退職︶
寒風の中、襟立てて農道を歩き、元荒川の流れを見に行ったり、
、築四〇年、大雨の際、少し浸
福島 利雄︵東京無線部五六退職︶
今冬は近くのホームセンターから梯子を購入し、我流で庭木の剪定
に励んだりしています。
私の家は木造平屋建て、七五
福田 桂一︵水戸支店三年退職︶
になるが、家は今のところ当分大丈夫となりました。
み込んだが、昨年11月新瓦取替工事を三日間で終了し、古材が気
m2
当方、高血圧症も徐々に安定し、今年はゴルフが出来そうです。
今は息子の仕事を手伝ってます︵ワープロ会計ソフト︶。
面のハードルは、 入段 ・ 出場 ・ 五才毎の記念に百キロマラソン完
走、五〇キロウォーキング完歩をめざして、日夜練習している今日
松本 芳郎︵本社六三年退職︶
この頃です。
喜寿を過ぎて二年。老妻と柴犬、カナリヤの四人でのんびり暮ら
コムシスグループの会社でドコモ様のお世話になっております。
本庄 清治︵東京無線部五四年退職︶
しています。年に二回位、海外旅行を楽しみ、あとは毎日の犬の散
移動通信の更なる発展を念願しています。
C
皆様にお会いできませんが、今後ともよろしくお願いします。
松尾 武幸︵小田原支店三年退職︶
おかげさまで退職後第二の職場で元気に働かせて戴いておりま
す。今の時世ありがたいことです。近況としては、ぼけ防止に碁・
将棋・カラオケを、足腰の弱り防止にはジョギング、ウォーキング
をしています。目標がないとさぼりぐせがつい出てしまいます。当
る気分を味わえます。
八日に退院してやっとほっとしております。これから夫婦二人だけ
が十日間入院手術、家内が六三日と六九日の二回の入院、暮れの二
七年も続けてやっています。でも、昨年はひどい年でした。私自身
輩等の就職斡旋、技術協力、環境支援等に十年。地域社会奉仕に十
間部門の営業、設計、積算、施工管理に八年。現役時代の御礼に後
にたずさわって五五年、ようやく終わりました。公社退職後は純民
昨年九月三〇日で、昭和二〇年一〇月一日入省より情報通信事業
三品 光雄︵関東電気通信局五五年退職︶
飛ばしています。これは調整で自分の思い通り飛ぶので操縦してい
縦したいのですが、これは無理なので﹁紙飛行機﹂を自作して毎日
したが、
﹁無線﹂の仕事のおかげて十分楽しませて頂きました。操
と通過した国々は合計二三ヶ国です。子供の頃より飛行機が好きで
六二回、国内線は内外地で二八回、合計九〇回になりました。滞在
海外の仕事を始めてから三十年間、飛行機に乗った回数は国際線
松山 右次︵東京無線部四三年退職︶
歩、小鳥の世話、庭いじり等で過ごしています。糖尿病生活も丸八
年余り、好きなアルコールの制限が一番つらいが、医師には誉めら
れている優等生の患者です。
本多 慶成︵本社二年退職︶
スリランカに住んでおります。主として、土木・線路の仕事に従
◦
61
事しています。毎日が真夏の暑い日々です。
松井 広興︵厚木支店二年退職︶
、
の寒い中を体力作りのつもりで頑張っ
km
冬期、 約半年間ボイラーの運転 ・ 保守のバイトで頑張っていま
から 四
す。お陰様で現在の体調もますますで、その職場まで片道約二
毎朝平 均 零下 三
C
て歩いています。
◦
の生活が続き、私が全面的に行動に出て助け合って頑張っていくよ
けることになってしまいました。以外に多忙な毎日です。末筆なが
後から始めました。当初一年の予定でしたが、足を洗えず今年も続
ら皆様のご健勝を祈ります。
う努力中です。
南 松市︵川越支店二年退職︶
宮崎武次郎︵中央NW支社六二年退職︶
職を離れて間もなく一年、 常用していた降圧剤なしでも血圧の
幹事の皆様には、いつもお世話になっております。これからも元
気で無線の工事のお手伝いを続けたいと願っており、今は新しく発
安定がみられ何よりと思っています。カメラを友の庭園めぐりも茶
いております。
までの通勤で忙しい日々を送っています。
高血圧と難聴で苦労していますが、元気で町内会会長および渋谷
宮代 勝弘︵前橋統無中五八年退職︶
庭、茶室から茶の湯、茶花へと自分でも分からない世界へ興味が向
展する品川インタシティのビル建設を見ながら通勤しています。
三幣 庸一︵TRC二年退職︶
相変わらずの野菜作り、約三〇〇坪で一〇〇種位を栽培していま
す。今年は無耕起栽培にトライしてみたいと思っています。
宮内 良雄︵TRC五九年退職︶
守塚 良臣︵栃木NWC八年退職︶
無職と書くようになって二年を過ぎます。最近は社会福祉協議会
から家電製品の修理ボランティア依頼があります。健康維持と孤独
毎日忙しく仕事をさせて頂いています。諸先輩と会えるのを楽し
みにしています。
OB三年目、頑張ります。
日が流れ去ってしまいました。
早いもので、電電公社を卒業してからあっという間に二〇年の月
谷所 藤雄︵戸塚報話五四年退職︶
相変わらず体調不良のため欠席します。
安田 光男︵東京統無中五六年退職︶
安井 健︵関東支社九年退職︶
にならないためにも、これからも続けていきたいと思っています。
三宅 史雄︵本社五六年退職︶
九七年に軽い脳卒中にかかり、五躰少々不満足ですが、散歩等を
楽しんでおります。
懇談会の案内ありがとうございました。三月十八日に所要が重な
り、不参加とさせていただきます。
宮坂 武男︵衛星通信センター十年退職︶
皆様には大変ごぶさたしております。昨年三月末退職いたしまし
た。退職後四月から八千代市主催の農業ボランティア養成講座を受
講しながら活動を続けております。また、地域の自治会活動を退職
62
通信事業も民営化とともに、三社分割、世界的競争というまこと
に目まぐるしく、 熾烈な時代を迎えていますが、 敗戦という廃墟
″
のなかから完全充足、全国即時網の達成という目標に向かって 進
″
め! 進め! のよき時代に遭遇した往時を今は昔の物語として懐
″
かしく思ったりしています。
″
無聊の小生にもしばしば 閑中忙あり で、電友会行事にも参加
できないことが多く、恐縮に思っています。
お蔭様で目下のところ無事息災、老いへの時に追われながら、些
かなりの若やぎを求めて日々を楽しもうと努めております。
簗島 操︵新宿NWC六三年退職︶
前略、電友会役員の皆様にはいつもお世話になり有り難うござい
ます。
私も一昨年三月末にリタイヤし、 のんびりと過ごしながら、 自
治会の高齢者対策に取り組んでいる矢先、昨年四月中旬に脳梗塞を
わずらい、三ヶ月ほど入院し、軽かったので現在自転車に乗れるよ
うになった。その後は自動車運転とゴルフが出来るように目的とし
て、リハビリに励んでおります。
皆様のご健康をお祈り申し上げます。
山口 健一︵本社四五年退職︶
神奈川地区懇に出席出来なく残念です。狭心症と腰痛と目が不自
由のためです。早く良くなって又行きたいと思っています。
皆様によろしく。
山崎 寛︵渋谷統無中五四年退職︶
折角の御案内で申し訳ありませんが、体調不良のため欠席させて
頂きます。
山崎 實︵茂原報話六三年退職︶
幹事の皆様大変お世話になります。 小生は外見は元気そうです
が、定期的な病院の検査で毎月毎に内蔵機能が少しずつ低下してい
るようです。皆様にお会いするのを楽しみにしています。
山田 広幸︵横浜統無中四四年退職︶
役員の方にはいつもお世話になっています。今回の懇談会は欠席
させていただきます。丁度孫の小学校の入学祝いに青森までまいり
ますので、あしからず。
齢七〇を二つ過ぎました。現在の健康状態は老人慢性疾患で高血
圧と高脂血症で月二回病院通いです。しかし本人は元気です。
趣味としては、家庭園芸を楽しんでいますが、余り手をかけすぎ
て失敗を重ねています。合間をみては文庫本を買い込んで読書にも
励んでいます。時代ものが多く、最近は中国の歴史人物もの及び日
本の古代史ものもあります。
NTTの組織変更後、 関東電友会東京無線支部はどこに入りま
すか。
山名 照雄︵伊豆大島統無中五九年退職︶
幹事の方にはいつもお世話になっております。私も第二の職場を
離れて早三年余、毎日休日の生活を送っております。いつの間にや
63
齢になってしまいました。でも元気で暮らしております。ただ、健
ら七〇才を過ぎ、昔だったら稀にしか生きていなかったであろう年
建設投資半減と言われ、N社関連業界はH・
値下の外圧等の影響でバッタリ仕事が来なくなりました。来年度も
事で忙しかったのですが、秋口からN社西の赤字体質改善、接続料
までは古今未曾有
康の保持とボケ防止対策として、前者に対しては地元サークルによ
る﹁史跡等の見学﹂、近辺の散歩、後者に対しては、県立公文書館
主催の﹁古文書解読講座﹂
、区役所生涯学習主催の﹁歴史講座﹂
︵主
に鎌倉幕府以降対象︶等に積極的に参加して、右 目的達成の一助
として、また近所の方との交流に務めております。
山根 信義︵本社五〇年退職︶
地区懇ではお世話になります。どうかよろしく。
日頃はお蔭様で至って元気で、風邪一つひかず、老人健診でも特
に悪いところはありません。 毎日生活習慣病の予防に注意しなが
ら、歩いたり、節酒に心がけているのが効いているものと信じてい
ます。
横川 忠雄︵銚子報話六二年退職︶
昨年からやっと町内の役を解放され、老人会のみとなり、グラン
ド・ゴルフに最近加入して、なんとかやっています。
横山 辰男︵東京無線部四八年退職︶
年齢相応に元気ですが、物忘れがひどくなり、手紙等一応は仕舞
うのですが、十分もしないうちに何処に仕舞ったのか忘れて、探す
の危機です。大阪は商売上手と言われますが、智恵を出し合って、
この難局を乗り切ろうともがいております。
個人的には例によって川柳・狂歌をヒネッたり、オペラやコーラ
スに出たり、ゴルフに興じたり、マルチ・メディアの講演に出掛け
たり、パソコンをやったりと退屈しているヒマはありません。
渡辺 淳︵浦和統無中五六年退職︶
﹁使ったところは強くなる﹂なるべくからだを使うように努めて
います。
簗瀬 晴之︵ドコモ・モバイル十年退職︶
NTT勤続四一年︵ドコモ約十年︶
、ドコモ・モバイル出向を最
後に昨年三月退職致しました。又、再度ドコモ神奈川支店サービス
推進部でキャリアスタッフとして頑張っております。
退職して初めて感じました事は、今までガムシャラでやってきた
せいか、身体が弱っている部分があることや、前より時間があるせ
いか、自分の趣味がほとんどない事に気がつきました。
これからは健康面に注意して、何か趣味を見出して、充実した人
生を歩んでいきたいと考えております。
又、今回電友会のお誘いを受けまして、この度今迄お世話になり
毎日が続いています。今回は旅行のため欠席致します。
米岡 泰︵本社五年退職︶
ました先輩方にお会いできるかと思いますと、今から楽しみの気持
ちでいっぱいです。今後共、何卒よろしくお願い致します。
大阪へ単身赴任してからもう三年です。日本メックス︵株︶でメ
ンテと模様替工事を主にやっております。昨年春はN社再編関係工
64
14◦
∼∼∼∼∼∼∼∼∼
随想
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
絵を描いてみませんか
佐川 秀夫︵関通五五年退職︶
バブルがハジケて一時程絵がもてはやされなくなったが、皆さん
の絵に対する関心が高まったことは事実です。 何処の都市や町へ
行っても美術館があり、 有名な作品が展示され、 お客さんも結構
入っていることはご承知のとおりです。首都圏の美術館の作品ばか
りでなく、旅行等に行った地方の美術館も立派な作品があり、旅の
楽しみを倍加させてくれることは嬉しい事です。
さて、前置きが長くなりましたが、絵を観賞する際に、自分が絵
を描いていると、その作品の良さや苦心したところや見所等がより
方法とし
ては先生に
ついてやる
のが一番の
近道と考え、
絵画教室に
週 二 回 ︵四
時 間 位︶ の
ペースで通
うことにし
ま し た。 先
生は美大出
の五十才位
の 方 で、 結
構厳しく鍛
えられまし
美術館と作品の楽しみ方については﹁むせん﹂第三七号︵H・八・
たが、酒とゴルフが好きな方でしたので、結構楽しく教えて貰いま
深く理解され楽しくなるものです。
六月号︶ に笠井定良さんが ﹁美術館散歩﹂ を書かれておられるの
した。
ここで細かい方法論を書く余裕もないので、私が教わったサワリ
で、一読されると大変参考になります。
私が絵を始めたのは自動車電話を退職した時からです。毎日が日
というか要点を少々まとめてみたので、参考となれば幸甚です。
デッサンというと直ぐ石骨を連想しますが、金もかかるし、
一、デッサン力を着ける︵約二ヶ月位︶
曜日、何をして過ごそうかと考えたのがキッカケで、目的はプロに
なる訳ではなし、一応人様の前に出した時、アマチュアの絵として
はマァマァのレベルになればよい、と同時に絵を楽しめればと思っ
て始めたものでした。
65
VIII
経済性を考えて家にコロがっている茶碗、ボトル、人形と順に
難しくなるが、これらを活用し、一日二時間位辛抱して︵F2
のスケッチブックと3∼4Bの鉛筆二∼三本、練りゴムを用意
する︶ニラメッコしながら描いているうちに、本物に近い絵が
描ける様になります。段々楽しくなって外へ出て景色等を描く
のも一興です。
出来れば入門書を二冊位読めばベターですが、本を読むだけ
で上達した人はいないのでコツコツと描くことが大切です。
二、着彩する
デッサンばかりでは面白くないので、 デッサン画に薄く色
︵水彩︶を着けると一段と面白くなります。特に風景画は味な
絵が出来ます。こうなればしめたもので、旅行に行った時、カ
メラの記念撮影と同時に十分間時間を割いてスケッチすると、
良い記念になります︵最近の色鉛筆は着彩した上に筆で水塗り
すると水彩画になる︶
。
三、油絵を描こう︵前段の一、二で三ヶ月位︶
水彩画より油絵の方が易しい、という人がいるくらい、とり
付き易いが奥が深いのが油絵です。
山絵を観ているうちに自然に会得できます。
強調と省略 写真のように細かい方式︵ネオレアリズム︶もあ
りますが、普通は一木一草まで描く必要はなく、細部は省略し
て、自分が描きたいと思った所を強調するといううまい逃げ手
を知っておくこと。
風景画の遠、中、近景の使い分け 常識的には遠景は省略的、
中景は大体重点的に描く、近景は絵のバランス上しっかり描く
ことが基本ですが、何枚も描いていれば自然に会得できるもの
です。
以上極めて基本的な事項を簡記したものですが、絵は理屈ではな
く描く事が楽しく、沢山描くのが上手になるコツですから、一つ頑
張ってやってみて下さい。手法はいくら書いても書ききれるもので
はないので、この辺で終わりますが、何か不明な点等質問がありま
したら電話して下さい。
とりとめのない文章になってしまいましたが、終わりに絵を描く
ことの効用についても若干触れておきます。
絵を描くことにより、絵の良否、苦心したポイント等が判って
来て絵を観る楽しみが増える。
額で仕切られた空間の絵の世界は、大げさに言うと一つの小宇
宙であり、その絵が自分の絵であれば、絵を描いた時の考えや
情景が浮かび上がって二重に楽しめる。人の絵であればそれな
りにイマジネイションが浮かび楽しめます。
66
(2)
(3)
(1)
(2)
油絵にかかれば本格的に描かないと出来具合が面白くないので、
ここで二∼三基本的な注意点に触れておきます。
構図 これが基本になります。 技術的にいくら上手に描いて
あっても構図が悪いとどうもスッキリおさまらない。これは沢
(1)
の意図を推理して解説等を読むのも一興です。ピカソ、ダリ等
る八ヶ岳連峰が、その裾野富士見高原の遙か遠くに富士山が展望で
あるが、今はビル影で見ることは出来ない。東には赤岳を主峰とす
に立ち、南方向に諏訪湖、その対岸は上諏訪温泉町で諏訪高島城が
の絵も良く観ると何となく良さが判って来るから不思議です。
き、遠方の風景は昔と変わらず私は大好きである。
抽象画は特に判り難いが、あれこれ考えさせてくれるし、作者
絵を描くには画面構成が大事なことと言いましたが、これを考
えるのが結構難しく頭の体操になる。油絵を描くと筆に結構力
曲が誕生した。平尾昌晃が岡谷塩尻峠の塩嶺病院で療養中これらの
この諏訪湖から﹁瀬戸の花嫁﹂
、高島城から﹁私の城下町﹂の名
られた。当時、軍隊の車輛による氷上演習が行われ、小学校での体
と轟音と共に数米の高さに氷が盛り上がる﹁神渡﹂という現象が見
風景に感動し作曲されたと聞いている。湖は結氷し張りつめてくる
が入るし、絶えず手と指を動かしているとボケ防止にもなる。
以上の効果を考えると沢山のメリットがあることがわかります。
皆さんに是非﹁絵を描くこと﹂をおすすめして終わりと致します。
操時間はスケートであった。今、全面結氷は珍しく、ここでも地球
温暖化で寒さが和らいでいる。
最近、年のせいか昔を懐かしく思うことが多くなった。ふと、五
武井 清六︵千代田統無中五六年退職︶
る高い煙突の面影はなく、 カメラ ・ 時計 ・ オルゴールなど精密機
梅、杏、柿などを無心し賑やかであった。今は製糸工場の象徴であ
人口の半数近くは若い女工さんで、休日には町に繰り出し、庭先の
昔、そして今
十数年ぶりに晩秋の一日を故郷の横河川を登ってみた。諏訪盆地に
械工場となっている。初めて着た背広はシルクであったことを思い
岡谷は野麦峠などで有名となった女工哀史の製糸で栄えた町で、
は湖に注ぐ川は多いが、出口は天龍川のみである。
市で我が故郷である。最大は六斗川︵上諏訪︶
、二番目は砥川︵下
し、止むなく田圃の畦道を歩くと最初に出会ったのが日向ぼっこを
桜並木の土手を登り中仙道を横切り、 しばらくすると葦が密生
出す。
諏訪︶と言い、近時テレビで放映された七年に一度の諏訪大社の御
していた蛇であった。 早春可憐な花カタクリの咲く出早 ︵いずは
横河川は湖に注ぐ川の中では三番目に大きく、川の西側が現岡谷
柱祭で前者が上社の﹁川越え﹂
、後者が下社の﹁木落し﹂が壮観で
や︶公園を通り過ぎ、出早神社に詣で今日の無事を祈願した。桑畑
計算をさせられ間違い恥をかいた事を思い出し一人苦笑した。
が数百米も続く寂しい場所で試胆会が行われ、入組んだ加減乗除の
御存知の方も多いと思う。
横河川の土手には大正初期に植えられた桜が大木となって今も変
わらず毎春桜花爛漫と咲き続け花見の場所となっている。この土手
67
(3)
(4)
の仕草にふと昔の子供心が懐かしく思われた。
注意に悪びれもしない姿を見て、なんと純真無垢な我が道をゆくこ
ているのに一人の男の子が一団と離れポーズをとっている。先生の
撮ろうとしている園児の一団に会い、若い先生の指図で全員整列し
い鞄が円形に整然と置かれてあった。少し離れた場所で記念写真を
の光を浴び見事な色合いであった。広場に幼稚園児のお揃いの黄色
神社の裏手に紅葉の若木に囲まれた会場があり、この紅葉が太陽
板も理解できた。子供の頃の茸取りはナメコ類とか栗茸などで松茸
茸取りに行くというのである。テープの区割りや入山禁ずの立て看
走って来て、助手席に同乗させて頂くことになった。上流の山へ松
た。 ふと後からクラクションの音が聞こえ、 一台のライトバンが
山の傾斜地をビニールテープで区割りしてあるのが見受けられ
り、川沿いの車道を造るため、この滝が必要となったと思われる。
たが、突然前方に大きな滝が現れ驚いた。近くで、河川工事中であ
合いな﹁泣石﹂と呼ばれている大石がある。周囲約二〇米、高さ数
となり別れることとなった。後日礼状でもと御名前を尋ねると遠慮
速いもので車道は数分で終わり目的地に到着。彼はここから徒歩
はなかった。
米程であり、この巨石が諏訪神社の大鳥居とか、高島城の築城とか
され、逆に私の実家をよく御存知で、この点 今も昔と変わらぬ田
﹁入山禁ず﹂の立て看板を無視して登って行くとこの川には不似
に石工がノミで割りを入れたところ、真中から白煙が立ち上がり、
舎町である。
真綿︵絹糸︶のような雪が八伏山から下界の町︵岡谷︶へゆっくり
今日は疲れもなく昼食を済ませ空を仰いでいると、澄んだ青空に
への沢へと続いている。
この地点から川は細い藪の中へ入り道はなく、八伏山、二ッ山等
それが姫となって泣きながら山へ登って行ったという伝説から石の
献上を勘弁してもらったとか。 今は真中に観音様が安置されてい
た。この辺まで来ると昔は道はなく川原を歩いたが、今は車道が出
来、川は低く流れの音のみ聞こえる。
毎年夏には、同級生で大八車を引いてキャンプをしに来たもので
と流れて行く光景を見ながら、暫し幼い頃の思い出に耽った。
足早に下山した谷間は紅葉、黄葉が西からの逆光を受け空を染め
ある。二股の川を堰き止めヤマメなどを御菜にし、カレーライスが
多かった。政治、経済、文学等の話をした記憶はないが、楽しい数
つくし、その美しさは言葉では言いようのない絶景であった。昔か
なかった。途中再度同乗を誘われたが、丁重に断ると彼は手を振り
日で、ここをベースとして鉢伏山︵約二千米︶に登ると夏でも北斜
今、 川辺に ﹁熊注意﹂ の看板が目につくが、 この付近で熊と出
何げなく去って行った。お世話になった親切な方に今後礼を言う機
らの自然美であろうが、若い頃はこのように自然を愛でることは少
会った事を聞いた覚えがなく、自然破壊による動物への影響と推察
会がないと思うと何か悲しさがこみあげてきた。
面に残雪が見られた。
される。又、横河川は高低差が余りない比較的なだらかな川であっ
68
今回、故郷横河川に登り自然の美しさ、温かい人情などに接し、
久しぶりに心に残る出会いを経験することが出来た。
一方、河川、道路の整備や山林開発などにより便利さ、豊かさは
増しているが、これに伴う自然破壊の変化との調和の難しさを痛感
させられた。
回想
森 泰男︵本社四五年退職︶
私は半世紀︵昭和二三年∼平成十一年︶にわたって電気通信関係
にかかわって来た。長かったような短かったような歳月を回想して
みようと思う。
九州無線時代︵昭和二三年七月∼四二年八月︶
最初の任地は黎明期の大阪∼福岡六〇MHz超短波回線の大
根地無中であった。
以来、駐留米軍西戸崎無中∼無線部建設課∼福岡統無中∼無
線部工事課と転任したが、十九年間福岡県から外に出ることは
なかった。
九州のマイクロ工事が始まるころ︵昭和三〇年四月︶
、無線
部建設課に勤務したことが、その後の私の運命をきめることに
なった。
九州から本社へ設計応援や積算応援で上京、長期間葵荘等へ
宿泊して作業を行った。殆んど九州マイクロルートの新増設工
事にかかわり、私の東京での滞在期間は十年間で累計五年に及
んだ。
古き良き時代の建設工事を充分堪能させてもらった。
福岡統無中移装工事︵昭和三七年∼四〇年︶
福岡統無中が旧館から新館へ全面移装することになり、私は
監督補助として専任した。
丁度そのころ組合の合理化反対闘争の最中であったので苦労
も多かったが、無事故で完了することが出来た。
昭和三八年十二月二五日、工事中に突発性気胸炎にかかり、
救急車で逓信病院に運ばれ、闘病生活五四日間でやっと退院す
ることが出来た。
毎日病院の窓からマイクロ鉄塔を眺めながら一日も早く退院
したい気持ちにかられていた。
マイクロ部の方々の見舞いをうけたとき、
﹁森君の肺が、I
U 61アンテナの代わりにエア洩れをおこした﹂と大笑いさ
日︶に第三宮古島台風︵風速七六m/sec︶の来襲を受け、
回線開通まで一年の予定であったが、工事中︵四六年九月二三
派遣されるため、 本社へ転勤を命ぜられた。 工事は着工から
クロ回線を新設することになり、私は宮古島の工事監督として
日本政府が沖縄の復帰にそなえて、沖縄本島∼先島間にマイ
本社マイクロ部︵昭和四二年九月∼四六年二月︶
れた。
−
69
(2)
(3)
(1)
工事は約四ヶ月ほど遅延した。
の工事長を命ぜられて一年間従事した。
二三時三〇分ごろ機械室搬入口の扉が破壊されて風雨がなだれ
無中の経験もあったので比較的スムーズに工事は進捗した。甘
甲府局工事は調整室の整備を含む大工事であったが、福岡統
以下は新米工事長の失敗記録である。
込んで来て機械室は水浸しとなってしまった。嵐は夜明け前ま
利無中︵新設︶は建築のおくれのため連日突貫工事を強いられ
その日私は監督補助と工事長の三人で当直待機していたが、
で吹き荒れた。翌朝、送信機、受信機など設置機器の水洗い強
たが、 工事も終わりに近づき屋内WG ︵分波器︶ を施工しよ
工期は迫っている! 止むを得ず上り・下り架列の入れ替え
ない。
︶
り架列と下り架列が逆になっていたので屋内・屋外が接続出来
うとしたが配管出来ないことが判明した。
︵設計図の誤りで上
行策を断行して幸いにも錆の発生を止めることが出来た。
この事故を通じて、指揮官たるものは非常の場合、的確な判
断と決断力が如何に大事であるかを痛感した。
沖縄から帰国後は第二設計係に配属されTRC局のTV自動
切替︵マスコット︶導入の要員として従事、端末設備の直営工
を断行することにした。
慌てて作業を行ったので完成検査のときボルトの抜けや締め
建におくれをとっていたので、これに追いつけ追いこせをモッ
70
事開始も間近になったころ、協和電設から勧誘があった。
当時は四五才で工事業界に転じる人は非常に少なく、私は九
後日、監督︵巣山さん︶と二人でマイクロ部へ事情説明と釈
つけ不良が発見され、七〇点の不合格点をもらった。
長︵川原田さん︶から、
﹁協和へ転勤するつもりで行きなさい﹂
明に伺ったが、統括調査役︵平島さん︶からひどくお灸をすえ
州に帰りたい気持ちもあってどうしようかと迷っていたら、部
と助言され、それに従った。
︵昭和四六年三月一日︶電電公社
られてしまった。
昨日まで工事業者を監督する立場から一転して監督される立
トーに向上をはかった結果、海外工事では数々の業績を残し、
私が入社したころ無線の技術力や装備︵測定器等︶は、日通
と動くことが出来たのは幸いであった。
会社ではいろいろな仕事を与えていただき、私自身伸び伸び
在職二三年六ヶ月である。
妻は九州へ帰ることを熱望していたので家庭内で一悶着が
あった。
協和電設︵昭和四六年三月∼六三年三月︶
場となり、少々のとまどいがあったが、協和の皆さんとは長い
ロ工事に進出して、技術力を遺憾なく発揮することが出来た。
電電公社の民営化後はいち早く民間︵DDI・KDD︶マイク
入社して間もなく関東外環六GHz新設工事の甲府ほか四局
つき合いであり、違和感もなく自然に溶けこんでいった。
(4)
私はその後営業部に転じてNCC関係の営業を担務したが、
ここでは種々の面でよい勉強をさせてもらった。
協和電設での十七年間は私の最も充実した期間であった。
キステム︵昭和六三年四月∼平成十一年十二月︶
私の最後の仕事は協和エクシオの子会社キステムである。こ
の会社は線路土木工事の警備を目的として設立された。
私が入社したとき社名を協和警備からキステムに変更して二
事業部制︵警備・システム︶をしき、私は初代のシステム事業
部長に就任した。
防犯防災用品を扱う販売部をシステムエンジニアリング、コ
ンサルタントなど親会社に頼らず自前でやれる業容に変えると
いう理想で発足したが、
﹁金なし、要員なし、技術力なし﹂の
三無状態で、細々とホームテレホン工事や衛星通信工事を続け
たが、 ダブル崩壊の影響をうけ受注が激減して累積赤字がふ
え、どうにもならぬ状況となった。四年目の平成三年十二月に
方向転換して、親会社に無線部門の認定をしていただき、これ
を契機として移動通信グループに参加することが出来た。まさ
に﹁寄らば大樹の陰﹂である。
私は当初二∼三年勤めるつもりでいたが、とうとう十年勤め
てしまった。
最後は歴史の証人としてキステム十五年史編纂を仰せつかっ
て完成し、五〇年のサラリーマン生活に終止符を打った。
最後に
私の誕生日はたまたま十月二三日の電電記念日である。ある
人から﹁電電の申し子﹂といわれたこともあるが、お陰様で電
気通信産業功労賞︵昭和四八年十一月︶と日本電信電話工事協
会賞︵平成十年五月︶と二回も受賞の光栄に浴した。
二賞とも選考基準に品行方正、技術力優秀という項目がある
そうであるが、少々面映ゆい感じである。推薦母体の協和エク
シオ︵田口常務さん︶の強力なバックアップのお陰と感謝して
いる。
私は仕事に当たって﹁0からスタートする。そして常に背水
の陣で立ち向かう﹂をモットーにして来た。
五〇年間、多くの人々から支えられ、たすけられたことを感
謝して回想記の終わりとします。
71
(5)
(6)
マスコット関係者二五年ぶりの集い
﹁マスコット関係者二五年ぶりの集い﹂の開催
林 義昭
去る平成十一年六月十二日︵土︶にTRCで盛大に行われた。マ
スコットは既に三代目になっているが、最初のオンライン・サービ
ス開始から、早くも二十五年が経った。このプロジェクトは昭和四
十四年に本社、関東通信局等で開始されたが、TRCへ機器が搬入
され、東京無線と現場にプロジェクトが拡大したのは昭和四十五年
頃であった。
当時の電算機︵NEAC二二〇〇 二五〇、J三〇二五︶になじ
みのない無線屋グループがメーカーのNECの協力を得て、全員が
五年前となる。この節目に関係者︵昭和四十五年∼五十九年M
イン化を達成したのが昭和四十八年十月のことであり、今から二十
一丸となり幾多の難関を乗り越えTRC、札幌、広島の三局オンラ
−
名が集まった。
起人が中心となった。当日は、発送案内状二三四通に対して九十八
長七名と次長六名、それに松本芳郎、碓井孝義の両氏計十五名の発
企画と実行は小川昭氏︵八代︶から平林忠夫氏︵十四代︶までの所
︵十三代所長︶が電友会の協力を戴き一年懸かりでまとめた。会の
二十五年前の関係者を洗い出すのは大変だったが、 川船武則氏
ム十五冊も展示された。すべてTRCのご配意である。
RCの会場に集まった。また、大切に保管されていた当時のアルバ
へ移るまでの現場とプロジェクトの人︶が二十五ぶりにゆかりのT
−
先ず所内
の施設見学
の後懇談会
が開かれた。
来賓の山根
電友会東京
無線支部長
と中目昭男
所 長 ︵十 八
代︶ か ら ご
挨拶を戴き、
その中でテ
レビ中継は
数年後には
地上のマイ
クロ波から
光ファイバー
に変わり、
A
TM方式で中継されるとのこと、またTRCもNTTコミュニケー
ションズ︵株︶の傘下に入る事になるとのお話を伺い、改めてマス
コットの重要性と歴史の流れを痛感した。
遠方からは安倍幸夫氏︵札幌市︶
、姫野清一氏︵大分市︶
、酒井克
行氏︵札幌市︶
、雪吉真一氏︵高松市︶等が駆け付けて戴き、本当
72
(1) IX
II
起人の一人野口理彦氏の提案で、何か記念になるものと言うことか
に二十五年ぶりの再会の方も多く、名残つきない会合であった。発
ぬ。ようし、試作をしてしまおう。幸い﹃施設﹄の小論に怪しから
た。それでも、初代テレビ課長とあれば、ここは一肌脱がねばなら
どこからも反応がない。どこも余所のことなど構う余裕はなかっ
発想は見事でもここからがお粗末。コンピュータは温度管理が必
ら、来資としてご出席して戴けなかった松本高士様をはじめ有志の
を割いて紹介させて頂けることとなった。なお、当日の写真はアル
要という知識がなかった。私にないのはまだしも、メーカーにもな
んという声は上っていない。
バムとしてTRC三階の電友会東京無線支部に保管されていますの
かった。その結果生まれたのが︽ドラ息子︾
。制御室に入る保守者
方々からエピソードを寄稿して戴き、その要約判を本誌の貴重な頁
でそこでご覧下さい。また、各自焼き増しできるようになっている
は夏でもオーバーを必要としたという。
トラブルが発生したとき、私は海外に出張中であった。もし東京
のでご利用下さい。
最後にTRCをはじめ電友会の関係の方々に厚く御礼を申し上げ
にいたらこれは大変。 私が矢面に立たねばならぬが、 私に解決で
きる分野のことではない。それよりも悪いのは決裁が私の独断専行
だったこと。もし拗れると逃げ場はない。全責任を負って︽打首獄
門︾まちがいなし。
こう思うとき初期消火に尽力された林義昭、前田隆正両氏は命の
恩人。ここに一言。厚く御礼を申し述べておきます。
MASCOT 1の集いに寄せて
安倍 幸夫
73
ます。
ほろ苦い思い出、ドラ息子
松本 高士
完全リタイアしたいま振り返るに、 一番ほろ苦い味のするのは
︽ドラ息子︾、いわゆる﹁AF 4﹂だが、私自身、こんな綽名がつ
いているとは知らなかった。
フトした折に、宮村町では最近テレビ課に配属されるのを嫌がる
と耳にした。誤操作すると異常なまでの叱責があるという。赤坂に
去る六月の﹁マスコット 1関係者二十五年ぶりの集い﹂は懐か
で、 技術局を中心として編成された ﹁無線EDPSチーム﹂ の一
当時の昭和四十四年、 私は保全局伝送無線課のTV担当調査員
も忘れる楽しい一時でした。
しい諸先輩に数十年ぶりにお会いでき、積もる話に時間の過ぎるの
−
移るについて、なにか名案はないかとなった。
当時はまさに、コンピュータ利用についての黎明期。先駆したの
は﹁課金﹂だが、技術局の各分野は一斉に明日に向けて狼煙を上げ
た。わが無線は﹁制御機器への応用﹂と題する小論を﹃施設﹄に発
−
−
表したが、でっち上げたのはこの私。
3
2
員として、過酷な現場作業の改善を図る新しいシステムの開発に頑
然とした。
なー。﹄林義昭氏が例の口調でフト喋ったこの言葉を聞いて私は愕
者を楽にしたものとばかり思い込んでいた。然し、それはどうも大
私は二十五年間、今の今までマスコットのオフライン運用は関係
張っておりました。 その隊長は佐川正調査役で、 システムのユー
ザーである保全局の﹁何をシステムに入力し、何を出力とするか﹂
の基本設計条件の設定を命ぜられました。
昭和四十六年七月十八日、私は東京統無中の所長を拝命し東海の
きな思い違いであり認識不足であったらしい。
械そのものはコンピューターであり、事務近代室かデーター本部が
計画部長から赴任した。その晩送別会を終えた足で名古屋から東名
当時、保全局の一部には、テレビ関連のシステムとは言っても機
担当するべきとの意見が有りました。しかし当時のデーター本部は
高速の夜行バスに乗り翌朝夜明け前のTRCに着任した。
たが、言うまでもなく着任の決意を示す為であった。当時、TRC
TV放送開始時の回線受け渡しに立ち会うという触れ込みであっ
群馬銀行等の業務で手一杯で、社内システムであるマスコットは関
係部局で自主開発することとなり、安堵の胸を撫で下ろしたことで
した。
の労使関係は極度に緊張していた。
74
と言うのは当時は縦割り組織全盛で、 自分達の勢力拡大に鎬を
厳しい運用 ・ 保守業務が行われていた。 この様な状況下でのマス
その中で全国TV中継業務の要として日夜、秒を争うTV中継の
がありましたが、谷池伝無課長、山根保全課長のご努力により無線
コットシステムの導入話である。当時コンピューターは未だ揺籃期
削っていた時代、本当に懐かしく思い出されます。他にも労働問題
技術者の手によるシステムの開発の御墨付きを、黒川技師長から頂
であり、それで直接TV回線を切り替えるというのは現場にとって
ンライン運用を行うというものである。こうすれば本体が故障した
行う。これに慣れ旨くいった所で第二段階として本体を導入してオ
即ち、第一段階ではマスコットの端末系だけでオフライン運用を
階導入方式である。
窮余の策として考え付いたのが故障時を想定したシステムの二段
バグ等の故障があるとその影響は全国のTV中継回線に及ぶ。
旨くシステムが動けば問題はないが、ハードの障害或いはソフト
は大変な話であった。
くことが出来ました。
長期にわたり問題の解決に尽力された関係各位に敬意を表す次第
です。
MASCOTのオフライン運用
小川 昭
帰り、 奥さんや子供さんにまで手伝って貰って記入したんだから
﹃あの時は大変だったよなー。﹄﹃マークシートを家まで持って
4
というものである。
場合、本体を切り離しオフライン運用にしてサービスを続けられる
チャー︵六〇×六〇マトリックス︶は順調だったが、これを切り替
上下げようと言うのである。 TRCに導入されたビデオ ・ スイッ
し、その陰で関係者には大変なご苦労をお掛けしていたとはついぞ
め、 NECの椿氏と打ち合わせを行った。 その時、 矢野常俊さん
昭和三十八年に入ってから、 この新しい制御装置を設計するた
える制御の方はやや遅れていた。
気付かなかった。 不明の至りである。 この運用は半年以上続けら
︵技術局︶も居られたと思う。先ずメモリーである。メモリーは椿
私はこの方法を強力に主張し全てが旨くいったと思っていた。然
れ、お陰で皆がマスコットの運用に自信を持てるようになった。
さんが磁気ドラムを推奨したが、当時は最大でも三十トラックしか
ないので苦肉の策を考え、ドラムを二つ割りにして半周ずつトラッ
あれから二十五年、往時茫々、当時の事象はその多くが忘却の彼
方に霞んでしまった。
その他変化する切り替え要求を後発優先にする等、色々のアイデ
クを使いスイッチのポート数六十を確保した。
システムの導入に貢献した件で、
︵財︶電波技術協会から協会賞が
アで試作が行われた。TRCでは納入後、斎藤俊隆さん、安藤巌さ
︶
安藤 巌
TRCの﹁マスコット﹂に椿さん達の手によってつながるのである。
ドラ息子の夢︵
−
75
時下って平成四年秋NTT本社から突然連絡があり、マスコット
授与されるというお話を頂いた。この賞は現場の代表として偶々私
ん達がこれを縦横無尽に使いこなすこととなる。後日談としてこの
AF 4はNHKの大規模の番組切替えシステム﹁トピックス﹂と
が頂いたものと理解している。
︶
この機会に改めて関係の皆様方にこの事をご報告し感謝を申し上
げる次第である。
ドラ息子の夢︵
ハードウェア問題
すことが出来ましたが、今は昔の物語です。
東京オリンピックが終わりほっとする間もなく、前田隆正課長か
当時、 テレビ回線の切り替えは手動で誤操作率は千分の三位で
あった。 これを当時やっと世の中に出て来た電子計算機で一桁以
(1)
憶している。
昭和三十六年だったと思う。当時技術局調査員の松本高士さんが
II
らの指示で操作課の斎藤俊隆係長の下でAF 4の受け入れを担当
前田 隆正
−
﹁計算機は公社の中で無線部門が最初に導入するのだ﹂と言ってお
6
した。計算機をNECの椿さんの手ほどきを受けて何とか使いこな
I
られ、当時の﹁施設﹂に電子計算機講座を連載されていたように記
5
室温二十五度Cでは何等問題のないAF 4も西の窓から陽
の入る午後には乱れて来る。今では常識の外気に対する配意が
な さ れ て お ら ず、 大 型 の 専 用 ク ー ラ ー を 二 十 四 時 間 運 転 し て
解決した。これが夏でもオーバーを着ると言う表現になったと
思う。
MASCOT
の思いで
I
碓井 孝義
が。未だオフライン運用が主流だった時代、オンラインの技術も未
礼! 中略
うべきか、それにはそこに﹁ドラ息子﹂があったからであろう。失
言うのだから、その発想は実に素晴らしいと言うべきか、大胆と言
こずったが、これも苦労してつきとめた結果は予備電源の周波
データー入力問題
AF 4の入力はパンチ・テープによったが、正確に切り替
誤操作率1/
︵その根拠は弱い︶
要員
導入の大義名分が必要である。そこにドラ息子がいるからでは通
らない。そこで、
TV会社とのインターフェイス改善︵具体的内容なし︶
組織と要員が決まり、NECの協力体制も揃ったが、TVの運用
ように記憶している。
切られた。また緒方技術局長の転任の送別の餞としてEPを頂いた
所で中型の二五〇︵メモリ一二八キロ・キャラクター︶にバッサリ
センターメモリーは大型のモデル五〇〇の想定が、黒川技師長の
いる。
之さん、金島正基さん等若手が中心になって案を作ったと記憶して
言う愛称を決めて少しでも皆に希望を持たせたいと考えた。高橋保
を掲げた。色々な困難の中で、故 滝本仁調査役がMASCOTと
の抑制、
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え情報をテープ化するのが難しく、専用のパンチャーを雇うし
かなかった。そこで無線の人が入力出来るようワン・タッチ方
式の自動カード・パンチャーを試作してもらい、それでカード
を作り、それをチェックしてテープを自動窄孔することにして
正確性と作業効率が格段に改善された。こうした試行錯誤の結
果、さすがの﹁ドラ息子﹂も﹁真人間﹂になり、昭和四十八年
秋にはテレビ運用の戦列に加わることができた。その結果TR
Cの誤操作は設計目標をクリヤーして一同大喜びであった。今
考えるとビデオースイッチャーを制御するだけのオモチャのよ
うなAF 4でしたが、先輩方の先見の明により、情報化時代
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で解決した。
熟な時代にこともあろうにTVの切り替えをオンラインでやろうと
に宣伝されていたように思う。私もお御輿を担いだ一人ではあった
ンピューターは正確性、迅速性、経済性等々のメリットのみが誇大
うに思えるが、やはり忘却の彼方である。今から考えると、当時コ
三局でのサービス開始以来二十五年、振り返れば本当に昨日のよ
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数が四十七ヘルツ迄下がったためで、これも周波数安定化装置
又﹁ドラ息子﹂は土曜日午後とか夜間に乱れることが多く手
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の幕開けにふさわしい無線部門の快挙だったと自負している。
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(2)
等ほんとうによく頑張ってくれました。
を考えたが、これが後で苦労の元になった事もあった。NECさん
る。またオペレーターの判断を前提にしてメモリーを倹約した処理
メモリの削減で処理のオーバーレイの回数も増加し処理時間もかか
業務の勉強に相当の時間を費やし設計が大幅に遅れた。センター・
忍ばせ、帰宅後おさらいをするのが日課で、寝るのが三時、四時の
ある。ノートがとれずソニーの超小型テープレコーダーを机の下に
を立て板に水の如く一日でこなしてしまうのだから、大変なことで
ピードの速いこと。ときには重ねると厚さ三十センチにもなる教材
インストラクターは各装置の専門家であったこともあり、講義ス
ならなくて済んだのは、システム運用をして下さった多くの方々の
いたのでこちらも必死であった。押し入れが一杯になる程の教材は
何しろこの訓練終了後は、鈴鹿学園の講師を勤めることになって
日が続いた。
忍耐と努力と英知のお陰と思い厚く御礼申し上げます。又一緒に苦
処分してしまったが、びっしりと書き込まれた五百ページ程のノー
そんな苦労で出来た欠陥商品のようなシステムが﹁ドラ息子﹂に
労した何人かがすでに故人となられた事を想い謹んでご冥福をお祈
時の想い出となっている。
トは未だ本棚に鎮座し、それぞれ個性的なインストラクターとの当
鈴木 祥
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りして擱筆としたい。
始まりし頃
ノーズ*には悩まされた。
に叩き込まれた。ソフトもアッセンブラー、特にブール代数やカル
講義はEDPS概論から、電子回路、論理回路等、基本を徹底的
訓を受けた。
占三、永井勇太郎両氏と三人だけで並び特
教室の最前列に、押尾金
を六ヶ月で終了するので、頑張るよう訓示をうけた。
出した。伊藤センター所長は電電公社からの要求で、三年のところ
もらい、その日からNEC府中訓練センターへ電算機を勉強に行き
昭和四十五年七月一日、関通・施設部技術調査課への転勤辞令を
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お知らせ
神奈川
一五九
含 む
茨城を
千 葉
馬を含む
栃木、群
計
埼 玉
六六三
平成十二年度の新入会員は十九名で、名簿発行後に入られた方は
藤岡 宏衛
酒井 太郎
佐々木勝美
当間 賢一
猪股 彰久
○四五 *** ****
○四二二 ** ****
○三 **** ****
○三 **** ****
〇四三 *** ****
○四五 *** ****
左記の六名です。
簗瀬 晴之
− − − − − −
︵平成十一年十月八日︶
石島照造様に新日本ITU協会より国際協力賞が贈られました。
会員の受賞
− −
電信電話記念日の招待状
状が来なかった方は、無線支部まで、七月末までにご連絡下さい。
勤続二〇年以上の方には招待状が来ることになっています。招待
Tの再編により事務手続き上の手違いによるものと思われます。
いたのに、昨年は届かなかったという方がおられます。これはNT
一昨年までは電信電話記念日を祝うパーティーの招待状が届いて
東 京
関東以外
を 含 む
二〇七
一一〇
無線支部の会員数︵平成十二年三月末現在︶
地区名
会員数
新入会員の紹介
年同月末に比し五名増加しています。
右のうち名誉会員は五五名、女性会員は二〇名です。会員数は前
一八七
3
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−
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X
1
2
3
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編集後記
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漸く春も終わり初夏の時期を迎えました。各地区とも三月には地
区懇談会も終わりましたが、盛大な会合が開かれた由、同慶の至り
です。
さて、NTTも独立四社に分割されやがて一年を経過しますが、
新生NTTはグループ会社を含め着実な歩みを進めています。
本号ではNTTコミュニケーションズの取締役坂田好男ネット
ワーク事業部長様より﹁NTTComの事業動向﹂について特別寄
稿を頂きました。国内のみならず外資系も含めた通信事業者との激
しい競争の中、業界の先頭に立って益々活躍されんことを祈ります。
また、会員の方にはご多忙の中時間を割いて追悼文や随想を寄稿
して頂き有り難うございました。
さらに、本号は会報誌であると同時に六月開催の総会資料も兼ね
て編集しましたので、総会に出席出来なかった会員の方は御参照下
さい。
さらに、本号には昨年六月に開かれた﹁マスコット 二十五周年
の集い﹂ の文集を収録しました。 前号への掲載が間に合わず一年
遅れになり、関係の方々にはご不満もあるかと思いますがご容認下
さい。
︵高村記︶
西暦二〇〇〇年を迎え、至福の年として皆様に大いなる祝福があ
りますように。
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