...

ポルトガル建築紀行

by user

on
Category: Documents
12

views

Report

Comments

Transcript

ポルトガル建築紀行
ポルトガル建築紀行
平成 25 年 3 月
文化財景観保全調査室
福島県文化財保存審議委員
伝統的社寺建築文化推進協議会会員
工博
狩野勝重
ポルトガル建築紀行
文化財景観保全調査室
伝統的社寺建築文化推進協議会会員
福島県文化財保存審議委員
工博
狩野勝重
ポルトガルの歴史概略
BC1000 年頃
フェニキア人青銅器を伝える。
BC133 年
ローマによるイベリア半島支配。
AD6 世紀
ゴート族の侵入。
AD711 年
イスラーム支配下に入る。
AD722 年
レコンキスタ始まる。騎士団による十字軍に参加。
AD868 年
アルフォンソ 3 世によるポルトゥ・カーレ解放。
AD1096 年
コインブラ統合、ポルトガルの基礎が造られる。
AD1143 年
スペイン支配下のポルトガル王国成立。
AD1149 年
レコンキスタ完了。コインブラからリスボンに首都を移す。
AD1290 年
ポルトガル最古のコインブラ大学創設。
AD1385 年
ポルトガル王国独立。
AD1394~1460 年
エンリケ航海王子の大航海時代。
■マヌエル様式の成立。
AD1580 年
ポルトガル、スペイン・ハブスブルグ朝に併合される。
AD1640 年
ポルトガル王政復古戦争により再独立。
AD1800 年代初頭
AD1910 年
ナポレオンの侵攻。ポルトガル王朝はブラジルのリオデジャネイロへ。
王政が倒れポルトガル共和国成立。
リスボンからトマールまでの道路沿い、トマール近くの郊外集合住宅。車窓から。
トマールの水道橋
アルフォンソⅠ世が 1147 年にサンタレン
の戦いで勝利したテンプル騎士団に温床とし
て与えたトマール城を基礎として建設された
キリスト修道院が基本となる。
写真はトマール城近くの水道橋。
トマール城
トマール城はレコンキスタの最
初期のテンプル騎士団に与えられ
た恩賞地で、1160 年に修道院の建
設が開始される。
1314 年にはローマ教皇によっ
てテンプル騎士団の活動が停止さ
れ、キリスト教騎士団による新た
な統治が始まる。そのキリスト教
騎士団の団長として活躍したのが
エンリケ航海王子で、大航海時代の立役者である。
トマール城の円形の部分が、エルサレムの聖墳
墓教会をモデルとした修道院の原型で、テンプル
騎士団の時代に建設される。緑色の部分がエンリ
ケ航海王子時代、青色の部分がマヌエル一世時代
の建設で、この部分に航海時代の帆船のモチーフ
が多く採り入れられ、マヌエル様式と呼ばれるようになったとされる。さらに増設された
ルネサンス様式の回廊は、マヌエルⅠ世の後を継いだジョアンⅢ世の手になるものである。
聖墳墓教会入り口
マスト・錨・艫綱等のモチーフ
マンホールの蓋と滑車
地球を模したものか
聖墳墓教会の西面窓飾り
排水施設
錨・鎖・ロープ等のモチーフ
トマールのキリスト修道院
祭壇
十字回廊
厨房
食堂
配膳
竈
モウシャオン公園の前で大きく流れを変え
るナパオン川。公園前の古いアーチ橋の傍ら
には水車が設置されているが、水をためる羽
の部分にはツボが取り付けられている。
トマールの街路はすべて丘の上のキリスト
修道院に向かう。
ポルト
ポルト近郊の住宅地
ドウロ川の釣り人
ドナ・マリア・ピア橋
1877 年にフランス人技師のアレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェルによって設計。
1856 年、鉄道資材建造業シャルル・ネブザーと出会い、鉄道土木の技術者として成長。根
ブザーの会社がベルギーのポーエル鉄道設備会社に吸収されるとそのまま移籍。1858 年〜
1860 年には総長 500mの大鉄橋建設のすべてを担当し、圧送空気を用いた杭打機を使用。
1866 年、エッフェル社を創設。1875 年、ハンガリーのベルト市場とポルトガルのドウロ川
に可化するドナ・マリア・ピア橋の工事を受注。
フランスがアメリカに寄贈した自由の女神内部の鉄骨もエッフェルによる。
ドン・ルイスⅠ世橋
1881~1886 年の建設で、1887 年のエッフェル塔建設に先立つ事業である。設計者はテ
オフィロ・セイグロ(エッフェルの弟子)。
ポルト歴史地区
ポルト歴史地区は坂の町。建築物の多くはネオ・クラシズム様式であるが、その形態は
さまざまである。近代的建築物も古い様式を温存したままの組み立てになる。
サン・ベント駅
ポルト地区の中心、サン・ベント駅は嘗
ての修道院地区に 1916 年に建築完成された
北部ローカル線の始発駅で、 建築家マルケ
ス・ダ・シルバの作品。ルネサンス様式を主
体にバロック様式を混在させた新古典主義
建築である。
駅舎のエントランス内部は、1930 年にジ
ョルジュ・コラコ製作によるブルーのタイ
ルを用いたアズレージョによるジョアンⅠ
世ポルト入場の壁画で飾られている。この
アズレージョを筆頭とし、ポルトの街並み
には、このよう
なアズレージ
ョで満たされ
ている。
サン・フランシスコ教会
ポルト地区に最初に修道士がブランチェスコ教会を建設したのは 13 世紀初頭のことであ
ったが、本格的にゴシック教会堂の建設に取り掛かったのは 1383 年のこと。その後、1425
年までの 33 年を掛けて完成するが、当初の部分はゴシック様式の教会堂のなかでも最も質
素な逸品である。
しかし、16 世紀にはルネサンス様式で、さらに 17~18 世紀には木の軸部に豪勢な金箔
が貼られたバロック様式が導入され、その祭壇には、東洋からの様式と思わせる塔のよう
な形式が用いられ、ポルト地域ではこの形式が少なくないという。恐らく、東洋との交流
を通じて派手な装飾を取り入れたマニエル様式とローマに端を発したバロック様式の間に
は深い関係があったと考えることができよう。
ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア
ドウロ川の南岸
にはポルトワイン
のワイナリーが並
んでおり、サンデマ
ンはその内でもも
っとも有名。川面に
浮かぶ帆船はワイ
ンを楽しむための
各ワインシャトー
が提供する遊覧船
である。
ファティマ
ファティマは国際的キリスト教の巡礼地。レコンキスタの最中に捕えられたムーア人の
姫がキリスト教徒としての洗礼を受けた後、
伝えが地名の由来であるという。
1158 年にオウレン伯と結婚したという言い
Fly UP