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小麦Q&A - 小平市教育委員会

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小麦Q&A - 小平市教育委員会
小麦から食へQ&A
1
目
次
1:小麦の発見
2:日本人と小麦の出会い
3:小麦の名前の由来
4:栽培の歴史
5:製粉の歴史
6:うどんの歴史・うどんはいつごろから食べていたのか?
7:昔はどんなうどんを食べていたのか?
8:現在のようなうどんはいつごろから作られたのか?
9:うどんはどんな人が食べていたのか?
10:小平で小麦が作られたのはいつごろから?
11:小平の昔の作物は?また、いつごろからうどんを作っていたのか?
12:小平で作っていたうどんは?(武蔵野手打ちうどん)。
13:日本の小麦はなぜ黒いのか?
14:日本の小麦と外国の小麦粉で作ったうどんは味が違うのか?
15:日本各地の小麦粉の違いは?
16:なぜべとべとするのか?
小麦粉はあんな粉なのに水を入れると、どうして丸くなるのか?
なぜ小麦粉からうどんができるのか?
17:なぜ小麦粉は粉にするのか?
18:薄力粉や強力粉でもうどんができるのか?
19:ラーメンやそうめんも小麦粉で作るのか?
20:うどんを作るにはどんな小麦粉が作りやすいのか?
21:小麦の種類によって薄力粉、中力粉、強力粉が取れるのだろうか?
22:小麦粉 10 キログラムでうどんがどれぐらいできるのか?
23:昔の小平のうどんはどうやって作っていたのか?
昔のうどんと今のうどんの違いは? 昔はどんな具を入れていた?
昔の食べ方で食べてみたい。 昔はどんな食べ方をしていた?
24:どうしてうどんという名前になったのか?
25:小麦の種類は? 季節によって取れる小麦は?
26:小麦は作られているところで味は違うのか?
27:日本で一番使われている小麦は?
28:国内消費は?
29:小麦は何で輸入が多いのか? 輸入量は?
30:小麦粉の栄養は?
31:うどんに良い小麦粉は?
32:センバコキ『千歯扱き』
33:唐
箕
34:石
臼
35:小平市の都市化の進展
1
小麦から食へQ&A
2
1:Q小麦の発見
A今から1万年前の西アジアは、まだ氷河期が終ったばかりで、当時の人々は、狩を
するのにも獲物になる動物が少なく、たいそうおなかをすかしていました。
お腹をすかせた人々が目をつけたのは、広い草原に広がるたくさんの雑草で、その
雑草の小さな種を食材に選んだのです。しかし小さな種をいくら食べてもお腹はい
っぱいになりません。そこで他のものよりも種が大きく、そしてたくさんの実のつ
いている雑草を探し出し、それを好んで食べるようになりました。
それが人間と小麦との出会い。小麦は元々単なる雑草の一種でしたが、気候の変化
とその実の豊富さから、私たちの大事な食料になっていったのです。
2:Q日本人と小麦の出会い
A私たちの住む日本では、今からおよそ2000年前の弥生時代に、小麦を食料とし
て育てるようになりました。育てられた小麦は、7世紀ごろ中国から伝えられた、
うどん、そうめん、きしめんなどの麺類を作る材料として重宝され、室町時代には
お坊さんの点心(今で言うおやつ)として主に食べられていました。鎌倉時代には、
今の饅頭にあたる食べ物も誕生して、現代の日本では私たちの好みに合う工夫をさ
れた食べ物として、食卓をにぎわせています。他にもポルトガルの宣教師と一緒に
やってきたカステラ・ボーロ・ビスケットといったお菓子やパンは、当時幕府の禁
止命令にもかかわらず、こっそりと人々の間で作られ続けました。また他には今川
焼きや、タイやきなどがあります。
3:Q小麦の名前の由来
A①小麦は大麦に対する「小さい麦」という意味ではありません。古くからある麦と
いう意味(古麦)という説、粉として使う麦(粉麦)という意味だという説など
がありますが、本当のところはよく分かりません。
②古事記(712 年に成立)には「スサノオのミコトがオオゲツヒメノ神を殺した所、
その身体から稲、蚕、小豆、栗、大豆、麦が生えてきた」という話がありますが、
これが大麦なのか小麦なのか分かりません。しかしその直後から大麦と小麦は区
別されて記述されるようになりました。
③この時代(奈良時代)から小麦が粉にして利用されるようになり、粒のまま食べ
られる大麦との違いが明確になったからでしょう。
江戸時代以降は単に「麦」といえば大麦を指すようになっています。
(麦茶、麦飯
など)
4:Q栽培の歴史
A①小麦は 3 世紀頃に朝鮮半島から伝えられ、稲を刈り取った後の裏作用に栽培され
ました。
②8 世紀(奈良時代 1300 年前)には「夏場に雨が降らないので、蕎麦や大麦・小麦を
植えるように」という詔(みことのり)が下された記録が残っています。しかし
小麦栽培は本格的には広まっていきませんでした。 奈良時代は 700 年~800 年
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小麦から食へQ&A
3
③奈良時代(1300 年前)には大麦よりも小麦の方が圧倒的に多く栽培されていたよ
うですが、その後は長らく大麦の方が圧倒的に多く栽培されます。その理由は、
大麦のほうが土地や気候に対する適応性が高く安定した収穫が見込めること、また製粉
技術がなかなか普及しなかったので、
粒で利用できる大麦のほうが利用価値が高か
ったからです。
④17 世紀(江戸時代)になって、やっと稲の裏作としての小麦栽培が全国的に広ま
っていきます。
5:Q製粉の歴史
A①日本では奈良時代(1300 年前)から小麦を粉にして食材にするようになりました
が、この時代に「石臼に入れた小麦を棒で突いて粉にする」という大変手間のか
かる方法がとられました。
②平安時代(9 世紀)1200 年前に回転式の石臼が伝来しますが、これが一般的に普
及したのは江戸時代になってからです。
③江戸時代には小麦栽培も普及し、都市部においては水車による製粉業が成立。農
村部にもひき臼が行き渡って、ようやく小麦粉が食材として手軽に利用できるよ
うになるのです。
6:Qうどんの歴史・うどんはいつごろから食べていたのか?
A①うどんの歴史は、7 世紀初頭(1400 年前)に始まった遣隋使(けんずいし)遣唐
使(けんとうし)が大きな役割を果たしたものと考えられます。
②起源としては、奈良時代中国から伝えられた唐菓子(からくだもの)が有力です。
「8 世紀(700 年~800 年)今から 1300 年前」
③総括して「うどん」となったのは江戸時代に入ってからです。(約 350 年前)原型
はアン入りの団子であって、コロコロしてはさみにくく「混飩」と呼ばれたのが食
へん、して「コン沌」となり熱くして食べるので「温飩」更に「饂飩」となったの
だといわれる。今のもののように線状に切ったのを切麦といい、熱くしたのは熱麦、
冷やしたのを冷麦といっていましたが、総括して「うどん」となったのは江戸時代
に入ってからです。(約 350 年前)
7:Q昔はどんなうどんを食べていたのか?
A①うどんで作った代表的なものは、煮込みうどんです。
②うどん屋の料理には、すまし汁仕立てのかけが多いが、家庭では味噌仕立ての煮
込みのほうが食べられていました。香川の打ち込み・大分のほうちょう・山梨のほ
うとう・群馬の切り込み・栃木の法度汁などが代表で、共通点はうどんを下ゆでせ
ずに、生のまま味噌汁で煮込むことです。この味噌煮込みが家庭料理として最も
古くからの食べ方のようです。
③江戸時代初期の「料理物語」(寛永 20 年=1643 年今から 367 年前)にうどんの打
ち方と調理法が載っています。それによると味噌を水で煮て、麻の袋に入れ、た
らし汁(たれ味噌)で煮るのがよいとされている。文政 3 年(1820 年)の「素人
包丁」にも、具を油でいためて味付けは味噌を使うとあり、醤油味のうどん料理
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小麦から食へQ&A
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が作られるようになったのは 1800 年の中ごろであったと思われます。(約 200 年
前) 江戸時代は(1603~1868 年)
8:Q現在のようなうどんはいつごろから作られたのか?
A①平安時代(9 世紀 800~900 年)よりずっと後の室町時代からです。なぜかというと
切り麺であるうどんを作るのには、麺棒と麺板が必要だからです。断面が円形の
麺棒は古代からあったロクロで作る事ができますが、麺板のほうが問題でした。
麺板は最低でも 1 メートル四方で凹凸のないものが必要なので、平板を切り出せ
るノコギリとカンナが必要になります。それらが発明されるのが室町時代なので
す。平安時代は 794~1192 年
②15 世紀になると(500~600 年前)日記類の書物に「饂飩」うんどんという言葉が
出現し、江戸時代には「饂飩」が絵入りで紹介され、これらは現在のうどんと同
じものと断定できます。
室町時代は 1336~1573 年
9:Qうどんはどんな人が食べていたのか?
A①うどんは村々の人寄せのためだけでなく。寺院の僧侶たちのお斎、お茶ごとにも
用いられ、また酒の肴としても用いられていました。寺院の食べ方は、田舎風の
煮込みと異なり、そうめん同様にゆで湯や水にうどんを浮かせ、つけ汁をつけて
食べるものでした。
10:Q小平で小麦が作られたのはいつごろから?
A①小平は今から 340 年ほど前、初めて小川九郎兵衛によって開拓されました。
②武蔵野台地はきわめて水に乏しく、中でも小平の地はとりわけ自然の川に恵まれ
なかったため、水田には適しませんでした。このためコメは畑で陸稲を作り、穀
類はヒエ、アワ、小麦などが耕作されていました。江戸時代後期に換金作物が作
られるようになると、愛染めに使う藍の生産も行われましたが、最も盛んに行わ
れたのは養蚕、製茶でした。
③小平を含む武蔵野台地の主作物といえば、江戸時代から小麦でした。国内最大の
小麦の生産地は北海道ですが、戦前までは、武蔵野台地の北に続く埼玉県が最高
を誇っていました。
11:Q小平の昔の作物は?また、いつごろからうどんを作っていたのか?
A①江戸時代からです。一般の人はなかなか食べられなかったようです。
②小平では水田がないことから、陸稲を栽培する以前にはほとんどコメを食べる事
はなく、一般に食物水準から見て、昔から非常に粗食な所でした。主食といえば
あわ・ひえ・大麦・小麦に限られていたようです。明治の初年ごろの主食はあわ飯
でした。アワ 3 割大麦を荒くひいたひきわりを 7 割、これを混ぜたものを普通の
農家では常食としていました。
③昔は、換金作物は小麦であったため、小麦は非常に貴重がられ、うどんを打って
食べるのが大きなおごりでした。また粉にするにも小麦を水車か、てうすで面倒
良くひいて、絹ぶるいでふるわなければならず、この労力も容易ではなく、こん
なことからも小麦で作ったものが珍重がられました。もの日などは 3 食のうち 1
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小麦から食へQ&A
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食か 2 食はこれを食べていました。また、祝儀、不祝儀などにはご馳走の一つと
して必ずうどんを作らせました。
④一般に普段の食物と違ったものを「変りもの」といい、その代表的なものがうど
んでした。その他・赤飯・饅頭などもみな変りものの中に入りこのような変りもの
をこしらえたときは両隣と近い所の親類に持って行きました。
⑤美味しいうどんが打てない女性は、嫁のもらい手がいないと言われていたのも、
そういった食習慣があったからでしょう。
12:Q小平で作っていたうどんは?(武蔵野手打ちうどん)。
A①糧うどん 糧とは、うどんに添える季節の野菜で、旬のナス、大根、ほうれん草
などをゆでたものをいいます。
薬味とは、うどんのつゆの中に入れるもので、七味、ネギ、ゆず、
シソの葉のきざんだもの、すりゴマなどのことです。
②ずりだしうどん(釜揚げうどん)ゆでた釜の中からそのまま食べる分だけ器に取り
出して、しょうゆうをかけて食べます。
「物日」
(五節供などの祝祭日の特別の日こと)物日の昼また夜にはご馳走して必ず手打
ちうどんを食べる。戦前ぐらいまでは節目節目にうどんは欠かせなかった。
「お日待ち」
(食べ物を作り祝うさま)新年会、出初め式、代参など村のみんなでよりあって
手打ちうどんを食べお酒を飲んで過ごした。
小平では蚕の上作や豊作を祈り、反面レクリェーション的なものであったと思
われる。
手製のご馳走に舌鼓を打ち旅の話などを聞いて忙しい農耕、養蚕の休業日とし
た。
「代参」
他人に代わって神仏に参詣(さんけい)する事。
「五節供」 1月 7 日の七草、3 月 3 日の雛(ひな)祭、5 月 5 日の端午(たんご)、7 月 7
日の七夕(たなばた)、9 月 9 日の重陽(ちょうよう)の五つの節供をいう。
これらの節日(せちにち)はいずれも中国伝来の要素がみられる。
-日本大百科全書(小学館)
13:Q日本の小麦はなぜ黒いのか?
A①日本の小麦は外国に比べれば実は細いのと皮も厚いので粉にするとき皮の一部を
含んで外国産より白くなりきれないのです。これがうどんに向いているのです。
だからうどんがここまで発達してきました。
14:Q日本の小麦と外国の小麦粉で作ったうどんは味が違うのか?
A日本の小麦と外国の小麦粉を調べる。
外国の多くは強力粉や準強力粉、薄力粉なので芯が残ったりコシがなく、ぼろぼろ
した感じで美味しくないので外国産は適しません。
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小麦から食へQ&A
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15:Q日本各地の小麦粉の違いは?
A①北海道産の薄力粉をのぞいた、ほとんどが中力粉であります。ですから日本全体
がうどんに適しています。
②粉の産地が違えば味も違います。どうしてという事になりますが
少し難しいのですが、中力粉の中のタンパク質の含有量で変わってきます。
関東地方 10・6% 中部地方 10・1% 近畿地方 9・7% 中国地方 9・8% 九州地方 9・7%
③また、日本の小麦粉をうどん粉とも言います。外国の小麦粉はメリケン粉といっ
たり、ひね物といったりします。
関東地方・・・東京都 神奈川 埼玉 群馬 栃木 茨城 千葉
中部地方・・・福井 長野 山梨 静岡 岐阜 愛知 石川 富山 新潟
近畿地方・・・京都 大阪 滋賀 兵庫 奈良 和歌山 三重
中国地方・・・岡山 広島 山口 島根 鳥取
九州地方・・・福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島
16:Qなぜべとべとするのか?
Q小麦粉はあんな粉なのに水を入れると、どうして丸くなるのか?
Qなぜ小麦粉からうどんができるのか?
A①君たちが砂に水をまぜてお団子を作るのとは違い、塩と水を混ぜてこねると小麦
粉の成分に科学反応を起こさせて粘着力(べとべと)やコシは小麦粉自ら持って
いる力であり、グルテンを形成しそれを引き出すというものです。
グルテンとは
小麦のタンパク質はグリアジンとグルテニンという 2 種類があります。
水を吸うと、グリアジンは、ねばねばし、グルテニンは、弾力を持ちます。
そして、力を加えると、これらのタンパク質は、次々とくっつきあって、
ゴムのような弾力を持ち、グルテンというタンパク質に変わります。
良く練れば練るほど、コシのあるうどんとなるわけです。
キクモミ
少しづつ回転させながらもんで、仕上がりが「菊の花」のようになることを
陶芸の世界では、菊モミと呼んでいます。
うどん作りでも、粉から小粒の状態へ、さらに玉になってゆく過程で、
菊モミをすると、均質になるそうです。
17:Qなぜ小麦粉は粉にするのか?
A①おコメ・とうもろこし・サツマイモ・大豆・といろいろ粉にできます。しかし小
麦はそのまま食べるのはあまり美味しくないのです。ですから粉にしてうどんが
適しています。
②他にパン・ケーキ・スパゲッティ・肉まん・饅頭・餃子の皮・ピザ・お好み焼き・た
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小麦から食へQ&A
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こ焼き・ラーメン・等などです。
18:Q薄力粉や強力粉でもうどんができるのか?
A小麦粉には、以下の種類があります。
強力粉・・・ パン
タンパク質含有量 11・8%~14・5%
準強力粉・・・中華麺、ラーメン
〃
11・5%~13・5%
中力粉・・・ うどん、すいとん
〃
8・8%~10%
薄力粉・・・ ケーキ、天ぷら、菓子類
〃
6・5%~9・5%
①強力粉はいくらゆでても、心が残ったり弾力のみが強調されてうどんには不向
きです。そうめんや中華麺などの細いものに向いています。
②薄力粉はコシのないものしか出来ません。湯で上がりを食べても、何時間も置
いたようなうどんになってしまいます。
この違いは含まれているタンパク質の量による事がわかります。たとえば卵を
ゆでるとその中のタンパク質が固まりプリンプリンとなる状態です。
中力粉がうどんに一番よいということです。
19:Qラーメンやそうめんも小麦粉で作るのか?
A①小麦粉で作れます。先ほども述べましたように、準強力粉で作れます。
ラーメンは準強力粉と卵、塩、かんすい(天然のソーダー水)、水をいれて混ぜて
作ります。
②ソーメンは小麦粉に食塩を加え、こね、線状に切、日光にさらして(晒)乾かした
ものです。
20:Qうどんを作るにはどんな小麦粉が作りやすいのか?
A①これは日本の小麦粉です。最近では外国のものを使ったうどんもあります。讃岐
うどん等、小麦粉の種類ですと中力粉がよいのです。
21:Q小麦の種類によって薄力粉、中力粉、強力粉が取れるのだろうか?
A①これは地方によって決まってくるようです。先ほども述べましたが日本は中力粉
がほとんどです。
22:Q小麦粉 10 キログラムでどれぐらいできるのか?
A食べ方によってですが 70 人~80 人です。
23:Q昔の小平のうどんはどうやって作っていたのか?
Q昔のうどんと今のうどんの違いは?Q昔はどんな具を入れていた?
Q昔の食べ方で食べてみたい。Q昔はどんな食べ方をしていた?
A①うどんを作るには前にも述べましたが、小麦がなければ始まらないわけで、日本
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小麦から食へQ&A
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ではいつ頃から小麦が生活の中に登場してきたのかというと、古くは弥生時代から
米食とともに日本人の食文化を担っていたようです。
②中国大陸では日本より更に古くから小麦の食文化が発展していました。
③中国に奈良時代(1290 年前)遺唐史が渡った時に、その人たちが日本に持ち帰った
唐菓子があります。これが当時のゆで饅頭のたぐいで、今のうどんとはひどく違っ
ていました。それが、時代とともに変わってきて、今のうどんに近いものが出来上
がったのは、室町時期(1338 年➞700 年前)に入ってからのようです。
④うどんの基本は変わらなくても、その時代や土地柄によって工夫して、それぞれ
の地方のうどんができたものだと思います。
⑤本格的なうどんは江戸時代に完成されたといわれています。
江戸時代より以前は貴族社会(家柄や身分の高い人)武家社会(侍)寺社など一
般社会と異なったところで、いわばご馳走としてうどんは食べられていました。
江戸時代に入ると一般社会に広まり、庶民の間で日常喜んで食べられました。そし
て、その土地の風土に適応した製麺技法とその形態、食べ方など地域の特色とし
て発展して、今の各地のうどんがあります。
A当時は今のワンタンのように、丸くて食べにくい形で入ってきたので、日本人の知
恵によって細く切って食べるようになったのです。
24:Qどうしてうどんという名前になったのか?
A唐菓子の中に混沌というものがありました、これは小麦粉をこねって、平たく伸ば
した中に刻んだ肉をアンのようにつつんだもの(今の肉饅頭や餃子やワンタンとも
いえます)この混沌が➞温かい食べ物なので温沌(うんどん)となり➞うどんになっ
たようです。
中国から奈良時代に入ってきた唐菓子の一種混沌が今のうどんになったといわれて
いるようです。
25:Q小麦の種類は?Q季節によって取れる小麦は?
A小麦は栽培する季節によって「春小麦」「秋小麦」 春に播いて秋に収穫するタイプ
秋に播種して夏に収穫するタイプがあります。
品種によって秋播性と春播性がありますが、育種での高配によって中間的な性質の
小麦も多くなっています。
春小麦は生育期間が短く、冬小麦の 3 分の 2 くらいです。
粒によって「白小麦」「赤小麦」、粒の硬さによって「軟質小麦」「中間質小麦」「硬質小
麦」があります。
「軟質小麦」 タンパク質の含有量が少ない小麦。粒はやわらかく、主に薄力粉に加工
されクッキー・ケーキ・ビスケットなどの菓子類やてんぷら用の小麦粉
になります。日本では栽培されていません。輸入は主にアメリカ産です。
「中間質小麦」 タンパク質の含有量は中くらいの小麦です。粒の硬さも中程度で、主に
中力粉に加工され、粉にして水でこねたときに伸びるため、うどんや乾
麺用の小麦粉になります。日本で栽培されている品種はホクシン、農林
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小麦から食へQ&A
61 号
9
シロガネコムギ、輸入は主にオーストラリア産です
「硬質小麦」
タンパク質を多く含んだ小麦です。粒が硬く、主に強力粉に加工され、パ
ンや中華麺用の小麦粉となります。日本で栽培されている品種はハルユ
タカ、輸入は主にアメリカ産とカナダ産です。
「デュラム小麦」硬質小麦の一種で、マカロニ、スパゲテイ専用の小麦です。
日本では栽培されていません。輸入は主にアメリカ産カナダ産です。
小麦の品種別収穫量平成 17 年度
小麦を作っている都道府県ベストテン
都道府県
収 穫 量 全国に占める
(t)
割合(%)
1
北海道
540,100
61・7
15・3
2
福岡県
67,400
7,7
77,600
8・9
3
佐賀県
49,100
5,6
55,000
6・3
4
群馬県
32,000
3,7
1 8,800
2・1
5
埼玉県
25,100
2,9
10・1
6
茨城県
21,900
2,5
7
愛知県
20,300
2,3
8
熊本県
18,200
2,1
9
滋賀県
17,200
2,0
10
三重県
13,700
1,6
品種名
収 穫 量 全国に占め
(t)
る割合(%)
ホクシン
500,400
57・2
農林61号
134,200
シロガネコムギ
チクゴイズミ
春よ恋
その他
順位
26:Q小麦は作られているところで味は違
うのか?
Aタンパク質の量などにより違い
ます。
A品種によって違います。
27:Q日本で一番使われている小麦は?
A北海道のホクシンです。
Aうどんに使われているのは中間質小麦(中力粉)です。
28:Q国内消費は?
A平成 16 年の小麦の国内消費仕向量 626 万 6000tです。
A国内収穫量 86 万t国内消費仕向量全体の 13・7%を占めています。
29:Q小麦は何故輸入が多いのか? 輸入量は?
A①平成 17 年度の輸入量はアメリカ 310 万トン、カナダ 124 万トン、オーストラリア
111 万トンの 3 カ国からの輸入量が大部分です。(飼料用を含む)
②日本で消費する小麦で国産の小麦は自給率の10%ほどしかなく、残りの
90%はアメリカやーストラリアなどから輸入されています。
③輸入小麦はメリケン粉ともいいます。
作られていない小麦などがある 硬質小麦
上げられます。
9
デュラム小麦輸入のほうが安い点が
小麦から食へQ&A
10
30:Q小麦粉の栄養は?
A①灰分・・・・■骨、歯などの主成分■筋肉、皮膚、血液、臓器、■神経等の有機
化合物の成分■浸透圧調整体内物質の輸送などです。
②炭水化物・・糖質と植物繊維に大別される。植物繊維は不消化成分の一つ、腸に
こびりついたカスを掃除したりしてくれます。
③スタミナパワーを持っています。スポーツをする時、筋肉を最大限に動かせるた
めには、筋肉に蓄えられるグリコーゲンが大切で、このグリコーゲンの素となる
でんぷん質が、たくさん含まれています。スポーツをする 2 時間前に小麦料理を
食べるといいと言われています。
31:Qうどんに良い小麦粉は?
A地粉です
①地粉とは、それぞれの地元で取れた小麦から製粉された小麦粉のことを言う。
②日本で消費する小麦で国産の小麦は自給率の10%ほどしかなく、残りの
90%はアメリカやーストラリアなどから輸入されています。
輸入小麦はメリケン粉ともいいます。
国産の小麦のほとんどは、うどんなどの麺類に使われています。それは日本の風
土が、うどんの原料となる中力粉の小麦にあったからです。
32:センバコキ『千歯扱き』
脱穀に使用する江戸時代(1600 年)の初め頃にセンバコキが発明されるまでは、
竹の箸で一本ずつ脱穀していたため手間がかかりました。それらは主に後家の作
業とされていましたが、センバコキが発明された事により能率が飛躍的に向上し、
後家が職を失ったため、別名ゴケタオシなどとも呼ばれました。はじめは竹の歯
でしたが、江戸時代の元禄(17 世紀末~18 世紀初頭)頃鉄の歯のもの(カナコ
キ)が作られました。
(1688 年~1703 年・約 300 年前)扱く=細長いものを片手
でゆるく握り、他方の手で引き動かす。
しごく。また、しごいて、ついているものをかき落とす。
33:唐
箕
唐箕は中国から伝わったといわれています。中国ではヨウ扇や風扇車などと呼
ばれていました。
日本の文献に唐箕が始めて登場するのは「会津農書」
(貞享元年1684年刊・
323年前)からです。また「和漢三才図会」
(正徳2年1712年刊・295
年前)にも唐箕の記述があり、江戸時代を中心に日本へ導入されていったこと
がうかがえます。
全国的な規模で一般農家へ普及するようになったのは明治、大正時代になって
からでした。
小平の農具では、唐箕は元禄頃(200年前)中国から伝わったと記述され
ています。各地に本格的に普及したのは天明・寛政年間(18世紀末~19世
紀初頭)の頃と言われています。この唐箕による選別が主として行われてい
10
小麦から食へQ&A
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たのは、ボーチ脱粒していた昭和20年代のことですが、動力脱穀機が普及
した後にも併用されていました。
34:石
臼
石臼による製粉は、紀元前 2000 年、今から約 4000 年前から行われていました。
現在では大規模で効率の高い製粉が可能になり、現在ではこのロール挽きが主流に
なっています。
刻み目のパターンは、石臼を時計の文字盤に見立てたとき、6 時付近はカタカナの
「ト」、あるいは 12 時付近ではアルファベットの「y」になっています。
上下の石臼の刻み目は同じパターンになっています。
面白い事に石臼の回転方向は、洋の東西を問わずほとんどが左回転です。
この理由は人間は右利きが多いこと、疲れにくい方向が左回転なのかもしれません。
35:小平市の都市化の進展
1653 年玉川上水敷設工事許可される(1 月)工事始まる(4 月)四谷大木戸まで完成(11
月)
1654 年玉川上水、江戸市内に流れる(6 月)
1656 年小川九郎兵衛、小川の開拓を願い出る。1657 年開拓を始める
昭和 19 年(1944)2 月町制を施行
町制を施行した当時は、人口 15600 人です。
昭和 37 年(1962)10 月市政を施行
小平市が市政を施行した当時の人口は約 70000 人です。
18 年間に 5 万 4400 人も増加しました。
昭和 30 年代(1955~64)から工場の進出が目立つようになっていった。
昭和 30 年代になると、人口の増加や工場の進出に伴って小売店や飲食店が増加し、
農業については次第に耕地が縮小されていった。農家戸数が減少する中で兼業農家が
増え、しかも農業を主とする第 1 種兼業農家が減り、農業を従とする第 2 種兼業農家
が増えました。
小平市はほかの東京近郊の多くの地域がそうであったように、急激な都市化の波に
さらされていくことになりました。
耕地にしても、漸次減少傾向にあったものの昭和 35 年頃から著しく減少することに
なりました。
昭和 30 年代はさまざまな意味において、新田開発以来多少の変化はあっても営々と
続いてきた農村小平の姿が大きく変る転換期だったのであります。
小麦もこうした影響を受け次第に作られなくなりました。
また、換金性の高い物へと変わっていったのであります。
昭和 40 年(1965)4 月下旬には 10 万人を突破昭和 50 年(1975)6 月には
15 万人都市となりました。
昭和 40 年(1965)には工場数約100、従業員数約 1 万 1000 人を数えるに至り
ました。
平成 21 年 3 月 22 日
石塚信治
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