...

ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト

by user

on
Category: Documents
303

views

Report

Comments

Transcript

ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト
★柱のケイは最低 292H(断ち落とし含)で文字の多いときはナリユキでのばす★
この論文のみ指定通りに組んでいるので、他の論文と異なる部
岡
部
論
文
は
他
の
論
文
と
は
違
い
ま
す
があります。(ゴナセット・欧文2級上げ
【キャブションは 1.5級上げ】
)
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
Frottage Project. Investigation of the Two Modern Times in the North and South
岡部昌生
ヴェネチア・ビエンナーレ日本館の壮大なインスタレーションで世界を瞠目させた現代美術家,岡部昌生。今年は北海道の
雄別炭礦 と台湾にあるハンセン氏病施設 楽生院 を舞台に,新作を制作・発表しています。人間の過去を正面から見つめ,
全身をつかって紙のうえに痕跡を掘り出すエネルギッシュな作品群は,多くの人々との共同制作も生んできました。美術家
のアクチュアルな活動を通して,日本近代の自画像を透視したいと思います 。
2009年 12月 11日の夕刻。多摩美術大学情報デザイン学科情報芸術コースの特別講義 北と南―ふたつの 近代>
を掘るフロッタージュ・プロジェクト の特別講義の案内を告げるポスターに刷り込まれた港千尋
さんのこと
ば。スペースの上部に釧路市立美術館の床に設置された 夕張炭礦の巨大なタービンが鋳ぬかれた
を擦りとっ
た作品の前に立つ自身の像,下段には台湾
生院の病棟や住宅群取り壊しの瓦礫や土埃のなか伐採直前のガジュ
マルの巨樹を擦りとる像の写真が刷り込まれている。北と南のそれぞれの場が刻む時間は,90年と 80年という節
目をもつ始まりに,日本が近代化を駆けた時間が符合する。このふたつのプロジェクトは,その準備に時間をた
め込んできた釧路の炭礦プロジェクトと切迫した情況から派生した台湾のプロジェクトというそれぞれ別の経緯
をもつが,同じ年の異なる場で行なわれたことを,こうしてひとつの主題でその概要を学生に伝えることに感慨
をもつのは,もうひとつ,多摩美術大学が位置する多摩丘陵の
水地帯を八王子から横浜を何度も往還した 1993
年の 絹の道・ヨコハマ のフロッタージュ・プロジェクトがやはり日本の近代を照射することだったことを重ね
て想い起されたからだった。そして,2007年の第 52回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館
をアーティ
ストであるコミッショナーの港千尋さんとともに組み立てた わたしたちの過去に,未来はあるのか?
とい
うコンセプトの共同作業が,ヴェネチア以後も展覧会や対話のかたちで持続し継続しているのは,幸運な出会い
と展開だったと思える。ローマ,パリ,広島,東京,福島,札幌,釧路,茅野といくつかの都市を移動しながら
めぐり,異なるメディアとフィールドでの表現者でありながら物質と記憶を基底に据えた表現が接触,痕跡とい
うことに視線を共有できたことも,今回の講義の主題につながったのだろうと思われた。ここでは,アジアの小
さな場から文明と歴
を掬う作業を紹介した。
アジアの小さな場から
新しい年が明けて 2009年1月3日,ヴェネチア・ビエンナーレ日本館の展示内容を知った詩人で翻訳家の李鳳新
さんからの,一刻を争うという一報だった。 ここは,日本と台湾の近現代
人権の問題を深く刻んでいる場所です。以前,台湾の歴
ハンセン病患者
と台湾の歴
たちが住む
生院という村でした。台北県の新荘市の山に位置するこの場所と
からみても,世界のハンセン病
いの場所であるように,
にとっては忘れてはならない歴
と
的場所のフロッタージュを岡部さんに提案しましたね。
物群は,日本
からみても,忘れてはならないものばかりです。広島・宇品が問
生院は台湾の近代の歴 と現在を問う場所といえましょう。地下鉄工事にともない,
生院は文化遺産として取り壊しと保存をめぐる渦中に置かれています。その最後を,フロッタージュしてくだ
さい
。日本植民地時代の 1929(昭和4)年に
別など多くの苦痛と悲劇を生んできた負の歴
設された台湾ハンセン病療養所楽生院。強制隔離や断種政策,差
を背負う。高齢の回復者の人々にとって人生の大半をここで生き
抜いてきた ふるさと ともいえる棲家の取り壊しは移転を強い,再隔離を意味する。地下鉄操車場
設という都
市の開発が終の棲家を奪い文化遺産をも失わせる。回復者が中心となってつくられた保存会と学生や市民の支援
組織が世界中に呼びかけ
生院取り壊し反対運動がつづけられてきた。そのなさかの強制排除と一方的な工事の
突入と進行を手紙の文面は告げていた。切迫した強いことばに促され,三月末に訪れた。
すでに凄まじい光景だった。
物群の半
が消滅し,さらに期限つきの解体・移転作業が加速し進行していた。
隔離と差別,退去ともうひとつの隔離。ここに刻まれた
実が,それぞれの生を翻弄したことを突きつけていた。
それを逸らさず受けとめる現実の現場の只なかで,人と人が熱い思いでつながり,戦っている。時間と競うよう
に切迫した情況のなかでのフロッタージュの作業だった。解体の土埃が山を覆い,喧騒と騒音が谷を
テンポで進行する異様な光景の現場。椰子や
う。早い
樹(ガジュマル)の巨樹が伐採され,ブルドーザーが叢を
る。剥
き出された黄土の丘陵が痛々しく生々しい。瓦礫に囲まれた集落を,高齢者の人々が学生のボランティアと紙を
抱え電動車椅子で駆け巡る。不自由な手にクレヨンを挟み,ボランティアの学生に手を添えられ擦りだす。かけ
★次頁,10,11頁にもノンブル枠あり★
がえのない終の棲家の記憶が紡がれるモノ。手から伝わるその感触が,その擦過音がなにかをノックしたのだろ
うか。偏見と排除,長く囲われ遠ざけられていた生活。言い知れぬ辛さと懐かしさ,そして悔やみ。封じられた
ものが一気に吹き出したかのように語りだし,笑いあい,涙をながし吐露する記憶のさまざまなすがたと深さ。
ふるさと を失うことは,記憶を失うことだった。間に合った。その破壊と喪失の現場で,人間にとっていちば
ん大事なこととは何かを,学ばせてもらった 岡部昌生拓繪計晝
生 1929-2009 は,これまでのどことも異なる稀
なプロジェクトの体験だった。
近代の自画像
私は,人権問題や保存運動が美術になることの意味,これまで広島ふくむ多くの都市やこの春
生院で実施して
きたことが,台湾の若いボランティアの学生たちに引き継がれ実施されていたことに驚き感動して,フロッター
ジュで触れたのは記憶を想起させるモノだけではなく,ことばに言い表わせない想いが堆積していた自
と向き
合い自身に触れることができたのだと思った。優しく撫でるように手を添え線を集めとりだした ふるさと のか
たち。 たくさんのモノに触れ,採りだし記憶することができた。もう少しながく生きたいという力になった と
洩らしたことばに,ともに作業したことへの共感と手応え,美術の力があったと学生たちに伝えた。講義を終え
た学生たちは,あらためて 美術の力 というものを確かめられた講義だったと受けとめてくれた。近現代
のな
かに刻まれた日本と台湾。破壊と喪失の現場のなかで,人間と美術,社会と時代など 近代 の有りようをどのよ
うな視点でアートによって掬いとれるのかというひとつの試みが,東アジアの小さな場所にひとつ蒔かれたこと
を感受する学生のいることにおおきな感慨をもち,印象深い暮れの最終講義となった。
私はこの講義で学生に語るように,港さんとの都市への接触ということについて対話しながら,港さんが台湾
と釧路のふたつの現場に立ち合ったその記録ともいうべき 北と南を掘る スライドショーの画像に見入り,1979
年のパリのイヴリ・シュルセーヌ
の街区に
いつくばり,滞在日記のように触れたその感触を思い起してい
た。花輪のあがる露地の路上や碑文。サッカーボールの擦過痕の壁。紙を抱えて毎日歩く街路。浮浪者や子ども
たちと擦りとられた紙の路上で過ごした時間。道路清掃のアラブの男と
トや MONIQUE と刻まれた工場の漆
わす朝の陽のなかでのあいさつ。ハー
の壁。穏やかにくりかえされる日常のささやかな人の営みの痕跡が
る街区に深く刻まれたレジスタンスの流血の
れ
実。市民と都市,時代と社会。市民生活と戦争。陰影を深く刻む
都市が巨大な版としてたちあがる。擦り剥ぎとる都市の皮膚。ここから都市のフロッタージュが始まる偶然が,
必然のようにつながった 30年。パリから広島,そして根室へ。パリの,都市に触れた接触の経験が,三歳の子の
目に焼きついた 町が赤く燃える根室空襲
の光景の記憶をひきよせた。原爆投下の三週間前だった。きわめて
個人的なことがらが基底にある。都市とヒトをわかちがたく結び,近い過去を引きよせ問う現在を,美術の態度
の始まりとしたことを呼び覚ましていた。
こ
の
論
文
の
み
柱
ツ
メ
う
ち
➡
1)拓
生計晝(台湾) 以院作家の碑文 の 家
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
2)多摩美術大学情報デザイン学科情報芸術特別講義ポスター
3)雄別炭礦病院小児病棟の落書 家
パリ,広島,根室という異なる距離に位置する都市を異なる時にめぐって経験する時代の相の相似。根室空爆
の被害と背中合わせのようにあった近い距離の近い過去の朝鮮人強制連行・労働の旧海軍牧ノ内飛行場滑走路造
成(1943-45年)の加害。これはずっとあとで知ったこと(1987年3月)だったが,その
実の衝撃は大きかった。
日本が近代化を駆けるなかで,開拓という名の 近代>の受皿として担わされた北海道。 近代>の帰結としての広
島の悲劇の惨状。都市に深く刻まれた傷に触れ,都市を往還しながら美術しつづけることを問うこと,問われる
ことをひとつの態度とした。
ふたつの 近代>を掘る
釧路の雄別炭礦の始まりは 1919(大正8)年,台湾の
生院は 1929(昭和4)年に始まりの年号をもつ。それぞれに
90年と 80年の節目の時の始まりに,日本が近代化を駆けた時間を抱えながら二つの都市の 3000Km を往還して
いた時代の相も符合しているように思える。文明開化,近代という名の受皿としての北海道開拓と産業振興であ
り,殖産興業政策としての植民地化であった。2009年は春に台湾の
生院,夏の釧路の奥地雄別炭礦,そして初
冬の広島の被爆樹と旧農林省蚕糸試験場の日野。日本の 近代>の,近い過去に触れる現在を意識するまれな四都
直列の美術する旅となった。そこに住む人々が,美術家と共同して足元から立ち上がるものを感受する。それを
掬いとるこの一年だった。それぞれの人と地に埋め込まれた小さな記憶の断片と歴
,それをつぎのような断章
のかたちでまとめたい。
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1(2010)
岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト雄別炭礦を掘る
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−2(2011)
岡部昌生拓繪
生計晝
北と南―ふたつの場のふるさと喪失
Ⅰ 岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト
雄別炭礦を掘る
古い写真帳のなかに,つよく記憶する二枚の写真がある。大勢の労働者とともに写る
の記念写真である。徴兵検査丙種合
格,召集を免れた代償として雄別炭礦の採炭・掘進作業に従事した時の坑口での一枚。そして,軍の輸送
発動機の製造に
関わる根室千島町石山鉄工場の鋳物工として勤労報国隊に組織された 1942-43(昭和 17-18)年,いずれも私が生まれたこ
ろのものだ。道東の地にもおよんだ太平洋戦争軍需生産の世相や炭礦労働について,消えかかりそうな時間の断片を語って
くれていた 。
炭礦での制作の始まりは夕張
炭礦での制作の始まりは夕張,1992(平成4)年。この頃,始動したばかりの札幌の現代美術のスペース
TEM PO-
RARY SPACE の企画に関わることから炭労関係者,新聞記者,北炭関係の資料に接し情報を得ていた。北炭真
谷地炭鉱が 1982(昭和 57)年,北炭夕張新鉱が 1987(昭和 62)年,三菱大夕張鉱が 1990(平成2)年閉山という,国
のエネルギー政策の転換もあって,どの地の産炭地も急速に終焉を迎え姿をかえつつあった。夕張にはまだヤマ
(炭鉱)の記憶の生々しさが辛うじて残り,記憶を手繰る,炭鉱が消滅する瞬間をとらえる位置にある時期という
情況だった。
私は,ローマ,横浜,帯広などで 都市に触れて という主題のフロッタージュを展開していたことから, 日本
の近代化の受皿としての北海道の開拓 という点から見た都市の成立に興味ひかれた。
それを色濃く抱えている都
市が炭鉱だった。近代化のエネルギー資源の開発としてまず炭鉱。それから鉄道,港湾,製鉄,造
,製紙,ト
ンネル,橋梁,道内に点在する飛行場の造成,一次産業,軍都,商都など,それぞれを担う都市が形成されてい
た。なかでも夕張は炭都として象徴的な都市であり,むしろおおきな 社会 を成していた。私は 1992年北炭真谷
地炭鉱のフロッタージュ以来,2007年夕張市美術館の最後の展覧会 Finish and Bigin 夕張の明日へ までの 16
年間夕張に関わり,この都市を擦りとった。とりわけ集中した 1992-1998年までの夕張には,場の抱える歴
の
皮 膚 を 擦 り だ す 近 代 の 歪 み の 皮 膜 に 遭 遇 す る よ う な 夕 張 の 時 間 だった。忘 れ が た い 仕 事 に YUBARI
M ATRIX 1992-1994 旧北炭真谷地炭礦選炭場遺構の 48点組, YUBARI M ATRIX 1994-1995 旧北炭真谷地炭
岡部昌生
礦清水沢電力所燃焼炉遺構の 30点組, YUBARI M ATRIX 1998 旧北炭真谷地炭礦清水沢電力所遺構の 114点
組, 夕張の子どもたち 1997+1998 夕張市立清陵小学
の卒業記念自刻像の 84点組など,都市の近代を検証し深
め広げるアートワークとなった。
2010年,目黒区美術館の 文化 資源としての 炭鉱>展 には夕張旧北炭真谷地炭礦選炭場遺構から採取した
YUBARI M ATRIX 1992-1994 の 48点組を出品し,関連する 夜の美術館大学コールマイン・アート学科 の講
座にも参加した。北海道,九州などの炭鉱関連の美術,写真,資料,映画,講座など時代と社会を横断する文化
資源を駆
した視覚芸術の 400点という半端な数ではない収集網羅に感嘆圧倒されるほどの多様多態な表現の力
と衝動を生む炭鉱文化の豊かな層の厚みを伝えてくれていた。さらにテキストやインタビューも含めて重厚で濃
密,充実した構成の大部な図録は,正木基学芸員の渾身の作業,炭鉱芸術の底本となる仕事として残された。炭
鉱をエネルギー資源を受容する都市の側から再
することの視点が随所に息づき,炭礦を通しての近代の批評と
なっている。この展覧会の案内リーフレットには企画の意図がこう綴られている。
目黒区美術館の 文化 資源としての 炭鉱>展 について
1950 年代のエネルギー革命によって,エネルギー資源は,石炭から石油へと急速にとってかわられます。そして,今や,
石炭を目にしたことがない子供たちが多数を占め,取って代わった石油自体も枯渇の危機が懸念されるにいたっています。
石炭産業が国家的事業として,戦後の日本の復興に大きく寄与していた時代はもう遠い過去のことのように思えてきます。
が,そのような時代になればなるほど,炭鉱への関心が様々な形で喚起されているのはなぜでしょう。例えば,今,軍艦
島上陸ツアーが人気を呼んでいます。これは,石炭掘削のための立坑などの巨大設備を 近代化遺産 と呼び,産炭地を見て
回るという,新たなツーリズムの最たるものと言えるでしょう。また, フラガール や 東京タワー のような,かつての炭
鉱従業員のための住宅(炭住)を舞台に,人情味ある人間関係を描いた映画が,多くの人々の共感を得ているのは,つい最近
のことです。そこには,失われしものへのノスタルジー(郷愁)の喚起という側面もある一方,今は失われてしまった,人間
味のある大きな力への渇望や人情味ある人間関係などへの希求があるように思えてなりません。
戦後社会の高度経済成長を支えた炭鉱を,視覚芸術はいかにとらえ,どのように表現し,現在にどのような炭鉱イメージ
をもたらしたのでしょうか。本展は,そのような炭鉱と視覚表現の歴
的な関わりを検証いたします。同時に,かつて 地下
資源で繁栄した産炭地が,エネルギー政策転換などで経済的苦況にある現在,炭鉱などを主題にした美術をはじめとする視
覚芸術の 文化 資源を提起します。文化 資源化による産炭地域の社会再生について,息の長い思
ものです。さらに,石炭とその問題の表現を通じて,私たちを取り巻くエネルギーに対する
することを期待する企画です。(
文化 資源としての 炭鉱>展 目黒区美術館)
4)1998年7月19 日の日付のある雄別炭礦からのはがきのフロッタージュ
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
と取り組みを期待しての
え方,姿勢などについて再
炭礦への視線―雄別へ
2009年は東京の目黒区美術館 文化 資源としての 炭鉱>展 と釧路市立美術館 雄別炭礦を掘る がつながり,夕
張と釧路の炭鉱を主題としながら個人
を経由した近い過去, 近代 を引き寄せるという時間の旅だった。
雄別炭礦を訪ねたのは 1990年ころと記憶する。80年代後半には,TEM PORARY SPACE に引き寄せられる
ように集まる労組の資料,時空体編集委員会 パルス の夕張探訪の記述,夕張郷土資料保存研究会編 夕張 と
田芳明 ふるさとヤマ真谷地 の写真集などで炭礦の存在に興味惹かれていたことと,隔年の北海道教育大学釧路
の特別講義の機会(1981-99)が重なって,夕張よりも少し早い雄別ゆきだった。
冬枯れの自然は見通しよく,その骨格を見せていたから雪のなかった1月か雪降る前の遅い秋だったか,道東
の 高い空 の季節だった。その高い空から降り注ぐ光を受けて,蔓や下草に絡まる炭礦の廃墟が美しく静かに横
たわる,まだしっかりコンクリの構造を地につけた存在は圧倒的だった。最盛期1万2千人ものヤマの暮らしと
文化を生み出した集落には人の声も影もなく,空を映してせせらぐ舌辛川の清流と高い空に突きささる大煙突が
この地の来歴を物語るようだった。ここに
が,地底の闇に思い馳せた。
旧雄別炭礦遺構 19 July1998 と日付のつくカードがある。阿寒の北緯 43°美術館のための構想もあったが,根
室半島に位置する牧ノ内飛行場に立った 1987年から幾度かの道東を旅する機会を生み出しながらその双方の存
在を意識し,同時に ヒロシマ
ユウバリ・マトリックス の作業ともリンクした時期であることをしめしている。
路上から始まるフロッタージュ(1977)が,パリ(1979)→根室(1986)→広島(1986-88)→根室・牧ノ内(1987)→雄別
(1998)→雄別(1990)→夕張(1992-98-2007)→ なぜ,ここに飛行場が 牧ノ内(2003)→ シンクロニシティ 広島・
夕張・釧路・根室(2005)→雄別(2010)と円環を描くようにゆっくりと歩行し 近代>に触れてきていたように思わ
れる。 19 July 1998 のカードは,雄別炭礦遺構のかたちの小さな断片だけではなく時の経過の刻印も, 雄別炭
礦を掘る プロジェクトの予兆も示している。
釧路市立美術館 岡部昌生炭礦を擦りとる 展(仮称)企画案趣旨
2005(平成17)年10月に釧路市,音別町,阿寒町が合併して 3 年が過ぎました。この間,広域となった市への美術館として
の取り組みとして,小学
,幼稚園等を通じての広域的な情報発信や,生涯学習バス まなぼっと号 での鑑賞ツアーや学
鑑賞サポート事業 アートスクール事業 など,すべての市民が美術に触れることの出来る環境づくりを推進してきました。
さらに合併 3 周年を機に,地域美術の啓発をはかるとともに,釧路市立美術館の知名度を高めるため,3 市町を巡回する
展覧会を開催します。
雄別炭礦
業 90 周年を機に,ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本代表として北海道から初めて参加した岡部昌生
(根室出身/北広島市在住/札幌大谷大学教授, 親が雄別炭礦従事)による,フロッタージュ作品を,雄別炭礦において市
民とともに制作,その後,音別,阿寒,釧路地区において同時に展示します。
一般市民には,現在第一線で活躍する美術家との共同作業を通じ,美術への興味関心を深めるとともに,釧路の基幹産業
として栄えた炭鉱の歴
を振り返る機会とします。また遺された施設に直接触れ,作品を制作することで,地域の環境資源
に目を向け,その魅力を再認識するまたとない機会となると
えます。
また,児童生徒の参加も呼びかけ,年齢層の広い市民参加型イベントとして開催します。現在,音別,阿寒地区には図工
を専門とする教師が各地区一人(阿寒湖小学
り,図画工作の量,質ともに十
1,音別小学
1)しか配置されておらず,昨今の授業時数の圧縮の余波もあ
確保するのは難しい情況にあります。さらに,当館への移動には片道 1時間,往復 2 時間
程度かかることから,鑑賞授業が難しい学
も多くあります。そこで,同じ行政区域に美術館ができた特典として,専門的
な美術に接する機会を提供し,美術への理解を深めるとともに,ものづくりの楽しみを再発見する教育機会を提供します。
さらに,各地域の展覧会を行き来するバスツアー等の関連事業も合わせて開催し,街の一体感を醸成するとともに,文化
の相互理解を深める一助とします。
作家趣旨―美術が本来もつ力を教育のなかに持たせるプログラム
平成 21年度釧路市立美術館企画の展覧会と事業 岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト雄別炭礦を掘る は,広域的な文
化活動として展開できることを探ると同時に,美術活動をさまざまに領域を越えて繫がるような展開と発想を構想します。
1919 (大正 8)年 北海道炭礦鉄道株式会社 から歴 を刻む 雄別炭礦 (1970(昭和 45)年閉山)は,今年開鉱 90 年を迎
える。炭礦は日本の近代を支えた石炭産業。戦争をくぐり,炭礦集落に集散する人々の生活と暮らしを形成し,地域に固有
岡部昌生
の文化をかたちづくりました。
エネルギー政策の転換で鉱山は閉じられ人々は離散していくという,かつての賑わいと濃密な人のつながった地は,いま,
もとの自然に還りつつあります。それは,日本のスクラップ・アンド・ビルドの典型ともいえますが,地域と人々に深く刻
まれたヤマの記憶の像は,この地に埋もれ,人々の中に今もつよくあります。
雄別炭礦を掘る とは,文化遺産としての炭礦と
古学,日本と北海道の近代
からみた炭礦,炭礦集落と地域性,文化
と生活など,主題の広がる視点を示しながら,美術が本来もつ力を地域のなかに持たせ,フロッタージュというシンプルで
エレメンタリーな手法によって視線を向け,触り,記憶を掘り起こす。過去を現在に引き寄せ,その記憶を未来へと引き継
ぐ美術としての作業の試みでもあります。
博物館や地域の人とつながりながら,そこに教育プログラムを組み込み,地域の世代の
流や教育機関との連携もはかり,
美術教育の困難な情況に対応し,美術への理解と作る楽しみを再発見する教育機会つくりだしていく,という内容をも内包
するプロジェクト構想です。
地域の切実な問題を反映,それをまなぶ。
企画案趣旨に見られるのは,この地域の文化・教育の切実な問題がこめられ露呈しているように思えたことだ。
のちに提示された企画案美術館趣旨には影をひそめてはいるが,地域の困難な情況に対応することが出来ること
にこそ,今回参加の,とりわけ教育プログラムのあることを位置づけた。
美術表現が領域や境界を横断しながらゆるやかに幅広く人間の思索を促し共有していく方向,そのフィールド
ワークは,歴
や社会学,人類学に連なる可能性をもち,ほぼ 20年の時間をかけて組み立ててきた。ヴェネチア・
ビエンナーレでの実践はその集大成ともいえる。今回の 雄別炭礦を掘る プロジェクトは,文化資源としての炭
礦や
古学,日本と北海道開拓の近代
からみた炭礦,そこに集散した人々の炭礦集落と地域性,生活と文化な
ど多岐にわたる視点を示しながら,美術が本来もつ力を地域と異なる世代との共同作業として展開する構想であ
る。
緑のなかの廃墟
初夏の6月,雄別地区。木々の瑞々しい緑が目にしみる。北は,野性のすべてを一気におしだすように芽ばえ萌
え百花繚乱咲きほこる自然に変容させる。緑の空間が奥へ奥へと層をなし深い森をつくっている。啼きかわす鳥
の声,わたる風,せせらぐ清流の音。遠くに瀑布のように轟く水音。空に突き刺す大煙突が目にはいらなれれば,
炭鉱がかつてここにあったなどとは思えないほど豊かに自然が息づいている。下草が筋のように刈られそれに導
かれるように歩く。コンクリの土台のような遺構,雄別炭山駅ホーム跡と同行の斎藤孝広さんは教えてくれる。
斎藤さんは無人の雄別地区に足繁く通い,産業遺産の活用とここで生き抜いた人々に思いはせ,その声を聴き未
来へと届けたい,その地道な活動をつづける 雄別炭礦の産業遺産を守る会 の一員だ。下草刈り,記録収集・撮
影,雄別の歴
者や
サイトやマップづくりと,かつてここが濃密な人のつながりと賑わいを誇ったようにヤマの技術
設,掘進,採炭に従事した多くの人々の物語とともに観光の核としてふたたび賑わう誇りのあるマチづく
りをめざす。購買,雄別郵
局,雄別神社,鉱業所,坑口浴場,通洞坑口,雄別炭礦病院。廃墟や遺構が揺れる
木漏れ陽に表情ゆたかに存在を示している。ここは釧路市中心部から約 40㌔北にある。1890(明治 23)年,大祥内
に鉱区認可を受けるが採掘はしていない。石炭運搬の困難さが開坑を遅らせた。1919(大正8)年,北海道炭礦鉄
道株式会社として操業,1970(昭和 45)の閉山まで 50年の歴
を刻んだ。釧路は道内で最初に採炭が行なわれ,今,
国内唯一坑内堀り炭礦会社のある炭鉱のマチ。炭鉱の暮らしが特有の文化をつくり,そこに集散していった人々
にとっては, ふるさと のようなマチだ。記録と記憶をとどめて次代へと引き継いでいくアーカイブの作業も行
なわれている。石炭と鉄道館,太平洋炭鉱管理職釧路倶楽部の炭鉱資料室,釧路市
務部地域資料室,雄別炭礦
の産業遺産を守る会,ウルトラウォーク実行委員会,釧路市立博物館などが活動し市民に炭鉱の埋もれた意識の
掘り起こしをはかっている。釧路市立博物館の 炭鉱(ヤマ)くらし・マチの記憶 石炭基礎講座 掘るだけでは終わ
らない
など現場で学ぶことの出来る環境がここにあるからだ。
共同制作としてのワークショップ
シンプルにして深い
まさに深遠な仕事
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
。アニタ・アゥロンズとメルトン・シャンバース館長夫妻にそう評
された 1988年オーストラリア,クィーンズランド州ヌーサ美術館の NOOSA-A NEW DIM ENSION 。制作ス
タッフ(サポーター)15人が多くの市民を巻き込みながら古い街区のメインストリート 150㍍を擦り,道に平行す
る海岸に展示した7日間。初の海外発表が個展,初の市民との共同作業が ハィスティング街 150㍍のフロッター
ジュ というとてつもなく大きなワークショップ。歴
の深部にいきなり入り込んだようなものだった。その路上
の作業が体験した衝撃は忘れられない。南半球初の万博,
国の 200年は侵略の 200年だっ
国 200年の祝祭に沸く一方で,アボリジニの側から
という声のあるなかでのコラボレーション。参加者のアィデンティティー
が問われるという鮮烈な印象を刻んだ。生活の営みの軌跡の痕跡,流れた時の堆積,擦過して触れた記憶の像。
一枚の紙にとりだされるのは他者のかたちだけではなく,わたしたちもまた擦りとられそこに刻まれ埋め込まれ
ることを,ここで知った。そのはじまりだった。
地域にすむ人たちから学び協働する。そこから固有の主題が掬い上げられる。
川に還る (1989), ミュージアム・シティ天神 (1990), オビヒロ・マトリックス (1991), チキサニ・プロジェ
クト (1992), 海へ,海から内へ―記憶の記録 (1995), ヒロシマ・メモワール (1996), N OUBLIEZ PAS
(1996-), 森のなかで,野付牛にふれる (1999), 時ニ学ンデコレヲ習フ (2000), 風のサブロウサマに会える
か (2000), なぜ,ここに滑走路が (2003), ヒロシマを擦りとる1万人のワークショップ (2004), SYNCRO+
CITY (2006), オーイ,円山 (2006), @つちざわマトリックス (2006), KAWAGUCHI M ATRIX (2006),
ヴェネチアのヒロシマ―被爆石を擦る (2007), 被爆樹に触れて (2007-), 拓繪計晝
生 (2009), 旧蚕糸試
験場 (2010), 諏訪をめぐり,縄文にふれる (2010)。
シンプルでエレメンタリーな手法ゆえに,多くの市民と都市のフロッタージュを展開した。作家のコンセプト
と技法,
造の現場を共有し,手を動かしながら地域の歴
や生活の場に視線を向けるきっかけをつくることが
できるからだ。それは,アートで学ぶことの楽しさも共有する 美術が人と街をむすぶ ワークショップともいえ
た。時代と社会 接触と痕跡
この地の歴
個人と社会の
体
他者との
感。
と繫がり,かつてここに在った人たちとも繫がり,多くの人と連携して美術する視野を持った。
共同作業によって歴
記憶から歴
身ぶりの記録
の一部が掘り起こされ,手に触れる過去を現在に移し/写しながら,擦りだされた断片の
というものを読みなおす視点も,同時にもつのではないだろうか。
フロッタージュ記憶キット
フロッタージュ・ワークショップの形態が場所の特性やコンセプト,参加者の年令や人数などによってさまざま
に変化と展開していくにつれて,
用具やその携行に応じて工夫し対応するキットが
ルや紙の袋に移動と制作に
案された。
ファイルやビニー
利な一式がパッケージされる。主催者やサポーターのアイデアが満載されたすぐれ
もの。 ヒロシマを擦りとる,ヒロシマを記憶する
ヒロシマキオクキット
から
案された。ファイルはその
まま展示作品としても機能する。街に,自然のなかに色とりどりのファイルを抱えて動く人々のいる光景,場の
日常が変容し,ものが生まれる空間となる。
岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト雄別炭礦を掘る キオクキット
雄別炭鉱を掘る ワークショップチラシ
フロッタージュ用紙ザラ紙タイトル刷り込みA4版 10枚
マーキングチョーク2色2本
赤布テープ(長さ 30㌢ほど3本,衣服に貼付してわたす)
感想文用紙
資料
岡部昌生 ヒロシマを擦りとる (NHK 視点・論点
2007.8.6)
ユウバリに触れて ( NORTHERN OWLS vol.17 北海道美術館学芸員研究協議会)
夢のあとのあとをみる (maitri 札幌大谷短期大学)
紙に擦りだす歴
の痕跡 (北海道新聞 2004.11.17)
光で描かれた せんこんの情景
市民の歴
(北海道新聞 2005.1.19)
写真でつづる (北海道新聞 2005.3.16)
戦後60年日本を横断するアート (北海道新聞 2005.5.25)
岡部昌生
被爆から60年 根室,釧路の記憶 (北海道新聞 2005.7.6)
年譜
市民との主なワークショップ
岡本芳枝 市民がつくった展覧会
岡部昌生と広島市民サポーター会議( LR Reterns 09)
ガイダンスのための映像資料
視点論点 ヒロシマを擦りとる
NHK ET
1000
M ASAO OKABE ARCHIVE 1979 -2006 DVD-VIDEO 1241
第 52回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館エントランス映像 港千尋
ATTINGENDO M EMORIE 記憶を汲みあげる DVD 港千尋
ebionim M asao Okabe Frottage works エビオニウム 宮岡秀行
5)廃墟の旧雄別炭礦遺構 写真提供:釧路市立美術館
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
1609
3300
5 21
岡部昌生
6)岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト ワークショップ案内
7)岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト 展覧会ガイダンス
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
8)岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト ワークショップガイダンスシート
岡部昌生
9 )岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト ワークショップガイダンスシート
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
10)岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト ワークショップチラシ
11)雄別ウォーキングマップ
12)釧路新聞 平成21(2009 )年8月8日(土)
岡部昌生
13)北海道新聞 平成21(2009 )年8月8日(土)
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
14)北海道高等学 文化連盟釧路根室支部美術部研究大会レクチャーメモ
岡部昌生
★本文と版面が違います(版面左右中心)★
★ Q 上げしているところが行頭あるいは行末に来る場合はダミ合してあるので注
文字修正は文字をは時間がかかるのでがして修正してください(ZBOTU 01に版面設定したデータあります)
岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト 雄別炭礦を掘る 感想文
➡
欧こ
文の
のパ
ダタ
ミー
とン
合は
成欧
は文
段 1.5
の級
最上
初げ
と
最
後
し
か
し
て
な
い
の
で
行
ズ
レ
時
注
意
釧路江南高
やる前まではフロッタージュはただこするだけでつまんな
いと思ってましたが実際やってみたら,見ただけではわか
らないその 物や自然の歴 を感じられてとてもたのし
かったです。(藤田瞳)
初めての体験でしたが,なぜか少し懐かしい感覚がしまし
た。
たぶん昔,10円玉とかを紙の下に置いて 筆でガリガリ
してたのを思い出したからかもしれません。モチーフとし
てはひび割れが入ったタイル,割れた窓が好きです。木材
にも挑戦しとけばよかったと少し悔やんでます。単純なこ
とのようで,実は難しい。クレヨンの動かし方一つで絵の
印象が変わって面白かったです。今回このような貴重な
体験をさせてくれてありがとうございました! 廃墟にも
入れてテンション上がりっぱなしでした。(竜川愛)
雄別炭礦の病院では, 物の崩れ方が 1つ 1つ良いかん
じで,色んな所にフロッタージュをすることによって,その
1つ 1つの質感が浮き出てきて,独特なそこの 1つだけの
絵が浮かび上がってきて,とても楽しかったです。そして,
帰り道の色々な跡地でも,そこだけの絵が浮かび上がっ
てきて,人が生活した跡を観察しながら絵に残すことがで
きて良かったです。今回,フロッタージュを通して,自然
や古い 物にある独特な表情やフロッタージュならでは
の絵の感じを学ぶことができてよかったです。美術には
色々な表現力があることを改めて感じることができてと
てもいい経験になりました。そして,古い 物や自然をこ
れ以上壊すことのないようにしたいと本当に思いました。
(継枝未有木)
今回の実技研修を受けるまで フロッタージュ というモ
ノを知りませんでした。 今日の研修は フロッタージュ
をします。と言われても 何それ ? と思うぐらいで特に
何も感じませんでした。しかし,実際に岡部昌生氏にお話
を聞いてみると,その 場所 や 時間 をそのまま写しと
るフロッタージュという技法や,その活動の意義に感慨
深いものを感じました。いざ雄別に行ってみると,そこは
人をはばむような湿地や山道でかこまれていて,そこに人
が住んでいたような形跡は見えないほどでした。このよう
な様子をうつしとるのはフロッタージュにしか出来ないこ
となんだろうなと思いました。今回の実技研修で自 の
世界の狭さに気づかされ,広げられて非常にすばらしい
体験でした。(上野あゆみ)
前の日にもらっていた資料にのっていた写真では,人の
行き来が感じられる立派な街だったのに,病院跡や大き
なえんとつからかろうじて想像できるぐらいに朽ち果てて
しまっていて,とても驚いた。また,廃墟になってからそう
とう時間が経っているとはいえ,廃墟になったとたんに,
自 が荒らしたり,ラクガキをしても良いと思ってしまっ
ている人がこれまでにたくさんいたんだなあと実感し,信
じられない事だと思った。雄別にはもう人がいないから,
フロッタージュでとても良いふれ合い方 ?が出来たと思
う。普通におとずれたときには からない,色々きざみつ
けられた地面やかべに触れられた事は,これからも忘れ
ないと思う。(及川奈緒子)
初めての体験でとても楽しかったです。行ったことのない
場所ではじめはとまどいました。思っていたより難しく,は
じめは失敗してしまいましたが,とても勉強になりました。
機会があったら,またやってみたいです。(小川春香)
自然のものを刷るのは初めてだったので,
とても楽しかっ
たです。フロッタージュを通して, 物や地面など様々な
所で,
じっくりと歴 を見ることができたと思います。歩い
ていく中で,大変な所もありましたが,自然の中を歩き,
満喫することができました。雄別炭礦は今は人がいなく
なってしまいましたが,フロッタージュすることで,人のい
た歴 がわかりました。また何か機会があればやってみた
いです。(小野光彩)
雄別炭礦では,避けられない水たまりや虫など色々な恐
怖がありました。しかし,フロッタージュをした時に出てく
る,様々な凹凸は,とても心をひかれるものが多かったで
す。見た目と,出てくる模様や凹凸は予想とちがうものが
多く,何枚やっても楽しかったです。廃墟をめぐったのも
個人的に楽しい経験となりました。このような機会をもう
けて下さり,ありがとうございました。(奥田奈々)
最初にフロッタージュと聞いた時,思い浮かんだのは小学
生の頃やった木の表面をクレヨンでなぞるというもので
した。それは楽しい作業だったと記憶しています。木目が
紙の表面に浮かび上がってくるのです。しかし,それを高
生の自 達が行う意味,雄別という場所の意味,それ
らを理解することはできませんでした。しかし,それらの
疑問は配布された資料を読むことで解けていきました。
フ
ロッタージュとは,紙の表面にその地を焼き付けるかのよ
うに写し取ることができるということ。そして雄別は数十
年前に人々に手放された集落ということ。忘れられた,も
しくはいわれのない 話のみが広まるこの町を新たな世
代を担う者達の手で写し取るということ。それは単に表
層の凹凸をなぞるという説明では伝えきれない意味があ
るのではないか,そう感じました。実際に雄別に出向いて
みると,そこは落書きが壁一面をしめる朽ちた 物ばか
りでした。しかし人が通る道は手入れされた跡があり,草
も刈りとられていました。未だこの地を守る人がいるの
だ,
そう確信しました。私達がフロッタージュしたものが他
の方々の目にどう映るかはわかりません。しかし,私達が
見て,触れてきたものは忘れるべきではないと思います。
(佐々木恵理)
私の中のイメージでは,フロッタージュといえば木のフ
ロッタージュで,地面などでもできるのかなあ…と思って
いましたが,スライドを見たり,実際に体験したりして,フ
ロッタージュは自然や物の命を紙にそのまま写しだせる
素晴しいものだと感じることができました。炭礦跡にふれ
ることによって,昔の人々の暮らしや呼吸を感じとれたこ
とが良かったと思います。また機会があれば参加したいで
す。(柴田さほり)
今回の研究で,私は壁には顔というものがあり,それは歴
でもあり,そこに存在していた人のことを知ることがで
きるのだなと感じました。最初は映像を見せて頂いても,
今いち何が伝わるのか からず,そのまま雄別へ足を運
んでしまいました。それでもいざ行動を起こしてみれば,
最初はどう探せばよいのか,どうすればいいのか えて
いましたが,現地に入り壁や床などに触れていくにつれ
て,いいのか悪いのかではなく自 の好きな壁,床などを
進んで擦っていったかと思います。落書きがたくさんある
そんな壁でも,それは年月をかけて作られた絵のようで,
そんなことは気にしなくなったような気がします。多少山
道はキツかったですが,ここに何があったのだろう,人々
はここでどんな生活をしていたのだろう えると,とても
気持ちが落ち着いてきました。最後になりましたが,大変
なようですごく貴重な体験をさせて頂き楽しかったです。
(角田幸子)
最初はフロッタージュの何が楽しいんだろうと思った。だ
けどタイルの所や壁の落書き(文字の部 が特に)をフ
ロッタージュするのは楽しくてやりがいがあった。文化会
館に戻ってからは柱のガタガタしてる部 を見ると,ここ
をフロッタージュしたら楽しそうだなと思った。雄別炭礦
に来る機会なんてなかなか無いと思うから,
とても貴重な
体験が出来たなと思った。(高橋美香子)
フロッタージュをやってみて,ただ紙とマーキングチョー
クだけであんなにも素敵なものが出来るものなのかと感
動した。なにも難しい手順がないからこそ誰にでも出来る
し,それぞれの感性によって一つ一つ違う素晴しいもの
が出来ていく。私達がやっている美術の根底がフロッター
ジュにあるような気がした。会館のでこぼこした壁を見る
とこすりたくなる私はフロッタージュにはまってしまったの
かも知れない。あと病院跡地の荒れ果てぶりが悲しかっ
た。私はあそこを荒らした人たちのようにはなりたくない
と思った。(山本菜那衣)
私は初めてこんな本格的にフロッタージュをやりました。
移動途中,皆で水溜りに足が沈んだり,色々アクシデント
はありましたが,とても楽しかったです。フロッタージュは
思っていたよりも難しく,フロッタージュする場所を決め
る時凄く悩みました。チョークでこするのも中々上手くで
きず,少し残念でした。それでも一番最初にやった時は関
心と喜びを感じました。その感情は深く心に残るかと思い
ます。自 的には,上手くできたかどうかよりも,楽しん
でやれた事が重要に思いました。確かに上手くできなかっ
た時は残念に思いますが,何よりも私は楽しく出来たこと
が良かったと思います。今回のフロッタージュは,とても
貴重な体験となりました。美術が好きで良かったと思いま
す。また機会があればフロッタージュをやってみたいと思
います。(早瀬怜子)
今回 フロッタージュ・プロジェクト雄別炭礦を掘る に参
加して,フロッタージュの技法や,雄別炭礦の自然にふれ
ることができ,
当時の人々の生活していた場所を知ること
ができた。地面や壁の模様を擦るのに私はロマンのよう
なものを感じました。今度また機会があったらフロッター
ジュをやってみたいと思います。(鶉橋美紗)
初めてフロッタージュをやったので,最初は簡単だと思っ
たけど,実際にやってみると意外に難しかったです。今ま
で雄別に行ったことがなかったので,今回行けたのは良
かったです。木をフロッタージュするのは大変でした。機
会があればまたやってみたいです。(金子成美)
今回初めて大会に参加して,そしてこのような貴重な体
験ができたことをとても嬉しく思います。小さい頃にも物
の上に紙を置いてこする,というのはやった覚えがありま
すが,自然の中をまわってフロッタージュをするというの
は初めての経験でした。フロッタージュをすることで今は
無人と化している雄別炭礦にもかつて人がいたんだとい
う痕跡や時代の流れを肌身で感じとることができたと思
います。今回フロッタージュをして感じとったことを忘れ
ずに,今後の作品作りへ生かしていければと思います。
(森田佳菜子)
やってみると思っていたよりも難しかったです。時間が過
ぎるのがとても早く感じて,
もっとやってたいなぁと思いま
した。機会があればまた雄別に行ってフロッタージュをし
たいです。こすると地面や壁などのひびなどがきれいに
浮かびあがり,その不思議な感じがとても面白かったで
す。(林玲奈)
炭礦に着く前はフロッタージュ=紙の上をこするだけと
思って,あまり乗り気ではなかったのですが,実際にやっ
てみて えが変わりました。決して難しい作業ではない
紙にこすり出す という作業でここまで違う作品が何点
もできるとはと驚きました。自 達だけの作品をつくると
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
いう作業は,
フロッタージュも油彩や水彩で描いた作品も
同じ感動があるのだと今日の体験で感じることができま
した。(犬養美早紀)
初めてのフロッタージュだったので,いろいろと楽しく取
り組むことができました。森を歩いたことも, われなく
なった病院も普段なかなか見れない,できないことばかり
で,良い経験をしたと思いました。木などの質感がうまく
表現できず,ただの模様になってしまったのが残念でし
た。(佐々木彩子)
釧路工業高
フロッタージュを初めてやってみて楽しかったです。雄別
炭礦に行って昔に 物があった場所やトイレや神社の前
など歴 が感じる所に行き,先生の言った通り歴 を写
す事ができ,昔を感じる事ができました。今度はちがう場
所に行き歴 を感じたいと思います。(五十嵐友太)
色でやってしまったのですが,みんなとても工夫してて良
かったと思います。ちょっと,絵より写真の方をとり過ぎ
てしまった感はありますが,とても楽しかったので,次回が
あったらまた参加したいです。作品展にも行ってみたいと
思います。(下川未来)
最初は,少し怖いなという気持ちが強かったのですが,い
ざ着いてみるとそんなに怖い所じゃなくて,花も木もとて
もきれいな所でビックリしました。壁の落書き等をフロッ
タージュしてみると,当時の子供達の描いた絵が浮き出
てきてだんだん楽しくなりました。家のあった跡や生活の
跡を見つけると,この場所にたくさんの人が生きて,どん
な気持ちで去って行ったのか えさせられました。実は,
おじいちゃんが雄別に住んでいた人で,後から話を聞く
と,あの跡が映画館だったんだなあとか,
あの神社の階段
からおみこしを下ろしてきてお祭りをしたんだ。という話
をしてもらうと,雄別を守っていきたいという人の気持ち
が痛いほど かりました。実はもう一度行ってみたいで
す。(山崎優嘉)
フロッタージュ という名前を聞いて,最初は難しそうだ
と思いましたが,物に紙をあて,こするだけと聞き,びっ
くりしました。本当にそれだけで作品が出きるのかと半信
半疑でしたが,やってみると思った以上にすてきな作品が
でき,すごく感動しました。チョークをこする強さや色,方
向を変えるだけで全く印象が変わる様子は,まさに芸術
でした。また機会があったらやってみたいです。(後藤由莉
亜)
釧路東高
今回のフロッタージュで,とても貴重な体験をさせて頂き
ました。普段あまりやったことがないことだったので,初め
は少し緊張していましたが,やってみると意外と簡単で楽
しく,手軽に行うことができました。またいつかフロッター
ジュをやってみたいです。(川上茜)
フロッタージュをやってみて,強くこすったり弱くこすった
りと,力の加減で見え方が違ってすごいなと思いました。
岡部先生が言っていたとおり,こすった部 しか色がつか
ず,本当に描いているんだなと思いました。そして,他の
人のを見て,いろんな色を ったり,いろんな模様ができ
ていて,人それぞれの感性はちがうんだなぁと実感しまし
た。また,機会があればやりたいと思います。(酒井文香)
今回の実技研修のフロッタージュをするのに雄別炭礦に
行きましたが,落書きの多さとゴミもあり,残念な気持ち
になりつつも,色々と見て,これが炭礦の跡地なんだなと
思いました。でも森が多くて,どれがなんなのかがよく
かりませんでしたが。普段はフロッタージュなるものを
って描いたりしてないので,新鮮でなかなか楽しかった
です。(瀧上千尋)
今回の体験で学んだことは,紙をこするとその場所の凹
凸が浮き出てきて,紙に写されるということを学びまし
た。跡地は残っているものから,いつ,どんなものが,ど
のようにしていたかを示しているものだと思うことが多く
ありました。こうした物をフロッタージュをして,他の人達
に伝えるのはすばらしいことだと思いました。(飯塚 司)
人が住むことのなくなった町で色々な人々の住んでいた
という模様がたくさんあって面白かったです。人がいなく
なった町は自然に戻るだけですが,その過程を見れたよ
うで楽しかったです。(岩間未紗)
雄別の廃墟を ったフロッタージュはとても楽しかったで
す。フロッタージュの活動自体初めてでしたし,とても貴
重でした。自然と人工物の中は魅力的で,家屋から植物,
全てにおいて素敵でした。また,自 から進んでフロッ
タージュをやってみたいと思いました。もっと大きいもの,
紙ではなく布を ったり,色々なものを ってフロッター
ジュをやってみたいと思いました。今回,このような貴重
な体験は,次回へ作品に生かせると思いました。(一坊寺
美里)
廃墟でフロッタージュはすごい楽しかった。昔の病院とか
古すぎて からないものとかも,見ててすごいと思いまし
た。あんな小さい場所なのに 物が集まって,阿寒にもこ
んなところがあったのかと思いました。風呂やトイレが普
通に外にあって,やっぱり人が住んでたんだなと改めて思
いました。(伊藤佳純)
きのうの雄別でのフロッタージュは壁の模様などを写し
取れてとてもおもしろかったです。
壁の歴 とか人の生き
た跡が紙にくっきりと現れたりしてとても興味深かったで
す。(古川一輝)
フロッタージュをやってみて,意外と簡単だと思ったけど,
テープで固定する時にうまく貼らさらなくて大変でした。
こすったら紙が破れるんじゃないかと思いましたが,全然
そんなことありませんでした。壁や床をこすってみて,濃い
部 と薄い部 に かれる所がすごく楽しかったです。雄
別炭礦も色々な場所があって面白かったです。あと,病院
に真っ暗な部屋があってこわかったです。また機会があっ
たら,ゆっくり探検してみたいです。(片桐楓)
着いた時,
とてもテンションが高くなってとても楽しかった
です。勾配はあちこち崩れていて,とてもわくわくしまし
た。こすったときガリガリと音が鳴っておもしろかったで
す。病院では壁にいっぱい書いていてとてもおもしろかっ
たです。(西海谷雅)
他の学 の人達が色んなところを掘っていたから 2 枚し
か掘れなかった。神社のところに行ってみたかった。(荒木
実優)
今日,雄別炭礦へ行ってみて。
2 日目に予定されていたフロッタージュ・プロジェクトは,
私が最も楽しみにしていたイベントでした。昔,10円玉な
どでフロッタージュ(もどき)をして遊んだことがあり,今
回のプロジェクトもきっと楽しめると思ってました。たし
かに昔のものだし,病院だしで,少しばかり怖いものもあ
りましたが,もともと
〝人工物が自然におかされて崩れて
いく様"がとても好きだったので,ほとんどまったく(少人
数で病院の2階に行った時以外)気にせず行けました。ま
た,プロの方のお話などもとても興味深く,また昔の 物
を絵に残すということはとてもすばらしいことだなと思い
ました。
炭礦や病院などの周りにある自然などはとても美
しく, 物の見た目もとてもすごくよかったです。フロッ
タージュをする時に,とったらおもしろそうなところをさ
がしたり,完成したものを見るのもとてもよかったです。
他の人の作品もすてきな物が多く,私は色をまぜずに一
中学の授業でフロッタージュはやったことがあるけれど,
ここまで楽しいとは思わなかった。同じような質感のもの
でも,こすってみると全然違って,毎回新しかった。通洞
を見た時はなぜか少し悲しく(切なく)なった。人なんて全
く居ないのに,あまりそう感じなかった。10枚どころでは
なく,もっと変化が見られないようなところでも出来るよ
うに,いっぱいやりたいと思った。雄別から帰ってきたと
きに思ったのは,先生の最初の説明のときの 人が生き
ていた ということ。フロッタージュのために回ったところ
を思い返して自 の頭の中で 当時はこんな感じだった
かなぁ と想像をふくらませ,当時を再現してみたとき,あ
れだけ廃れたところにいたのに,全く違和感を感じなかっ
た。病院では看護師が歩きまわり,購買では人々が買い
物をしている。そんな姿が容易に想像できて,そのときに
先生の言葉の意味が理解できた。フロッタージュ自体は
購買が一番楽しかった。
ヒビの入り方や 物の壊れ方,
全
てにおいてワクワクした。勿論,他の病院などでもワクワ
クしたが,購買が一番ワクワクした。道はぬかるんでいた
り,水たまりが多かったけど,整備されてないところだか
ら当たり前だと思うし,まったく気にならなかった。どこか
の学 (白糠?)に苛々した。団体行動乱されて危なく迷
子になるところだった。でも楽しかった。(菅野睦月)
最初,雄別に行くのは怖くてすっごくいやだったけど,行っ
てみたら全然怖くなくて,
フロッタージュに夢中になれまし
た。あんなにスプレーで落書きしてると思わなかったから
びっくりした。フロッタージュを通して雄別がどんな町だっ
たのか伝わった気がしました。(小西ななみ)
けっこう楽しかった。屋上に上ったりした。けっこう草や木
が生えてた。自然だ…。けっこうでこぼこな所が多かった
ので色々な所でフロッタージュをして楽しめた。力を入れ
た所と入れてない所で,少しだけ変わっていておもしろ
かった。(志氣彩音)
フロッタージュにおける 擦りとる という言葉。まさに今
回雄別で 擦りとる という体験をして,フロッタージュの
魅力に引き込まれました。病院の一室,当時の子供のら
くがき。崩れた壁,風化したコンクリート。書物や写真か
らだけではくみ取りきれない当時の遺物を実際に触れて
擦りとる。私は果たして雄別の記憶を擦りとることができ
たのか…。(嶽山はるか)
最初は雄別に行くと言われた時,いいうわさは聞かない
というよりは,悪いうわさしか聞いたことなかったので,
い
くのがすごくイヤでした。でも実際に行ってみると特にこ
わくもなく,フロッタージュも楽しかったので行ってよかっ
たです。 囲気はどことなくトトロでした。探検してるみた
いでわくわくしました。(佐藤絵美)
大移動の中,ちょっとバスに酔いながら目的地へ向かっ
た時は怖さで一杯でしたが,着いてみると凄く自然。すが
すがしい…。病院でフロッタージュしたところとスーパー
とでは(当たり前だけど)違う重みというか,時を感じまし
た。一枚一枚に念がこもっているような…。(百瀬つぼみ)
バスが辛かったです。おしりが痛くて…。フロッタージュは
楽しかったです。でもスーパーに入ってフロッタージュを
やったとき,男の人の問いかけてくるような声が聞こえ
て,恐怖感を感じました。雄別にはもう行きたくないです。
やるとしたら,廃墟以外の場所がいいです。(岩渕有沙)
最初,こういう事をやると聞かされたときは正直 なんで
こんな事やるんだろう? と疑問に思いました。
紙にただ写
しとったものが,どうして芸術作品になるのか不思議だっ
たのです。でも実際に今日雄別炭礦へ行ってやってみて,
最初とはガラリとフロッタージュの印象が変わりました。
廃墟の中に入って,ただ徘徊しているより,紙に写しとる
ほうが雄別炭礦に足を踏み入れているんだというリアル
な感覚がありました。地面や壁に紙を貼り付けてチョーク
で擦り取った時に,紙に激しい凹凸ができたり,白く抜い
たような跡が残ったり,そしてたまに紙が破れたりもしま
した。それを見たときに初めて,このワークショップの意
味を知り,また同時に絵を描いているときと同じような感
覚になり,紙の上が色で埋まるにつれだんだんと楽しく
なっていきました。ただこするという単純な作業なのに,
闇雲に絵を描いているときよりもずっと意味があり,充実
感に似たようなものを感じました。また,ワークショップを
やるときは是非参加したいです。(小笠原理紗)
釧路明輝高
私は今回フロッタージュを初めて体験しました。そこで初
めて体験したフロッタージュのおもしろさを知りました。
また,雄別の歴 を知り,前までここに人間がいたなんて
えられなかったほどに当時の風景を想像することがで
きませんでした。フロッタージュをして感じた事は,紙と
チョークだけでこんなにも雄別の姿を写すことができまし
た。そして他の機会があるのならば,雄別だけではない,
北海道の身近な自然やちがう歴 をフロッタージュで表
現できたらいいなと思いました。貴重な体験をすることが
できました。ありがとうございました。(石田千菜美)
フロッタージュという技法は初めて聞いたけど,よく小さ
い頃は床やコインを紙の下において同じようなことをして
た。だから,今回フロッタージュをして童心にかえる思い
をした。そのフロッタージュを専門に極めているアーティ
ストがいるのにビックリした。そして,こすった場所の記憶
や歴 をこすり出すっていう発想が素晴しいと思った。あ
と港千尋さんって人は現代文の教科にでてたから,おぉ
∼!と思った。山の中を歩いて,途中の水たまりにハマり
ながら,病院の廃墟でフロッタージュをしまくった。色々危
険だったけど楽しかった。なんとなくだけど,岡部さんの
言う,記憶を擦りとるっていうのが かった気がした。な
かなかこういう体験できないから,こういうのに参加でき
て良かったと思った。(上原未知)
フロッタージュをやってみて,まず行くまでの道が大変で
した。今は われていない炭礦だけあって良いフロッター
ジュが出来たと思います。模様も古い 物だからこそ出
る味があって,不思議な模様や崩れかけてる壁や床の模
様を紙に浮き出して,普段はやらない絵を作ることが出
来ました。昔,あの場所に実際人が暮していたんだなあと
思うと不思議な感じです。何十年も雨にあたったり,風に
あたったりしてできたフロッタージュだと えると,とても
すごいことなんだと思ったし,貴重な作品なんだと感じま
した。おもしろかったです。(中河千里)
フロッタージュの名前すら知りませんでしたが,やってい
るうちにだんだんと楽しくなりました。最初はボコボコとし
た床に向かってガリガリと音を立てながらやりました。色
を重ねたり,力の入れ方やチョークの角度を変えるとま
た 囲気が違ってきて,面白かったです。機会があればま
たフロッタージュを体験したいと思います。今度は材質が
木の 物でやってみたいです。木目がどうなるか楽しみ
です。今年で最後の高文連となりましたが,貴重な体験を
させていただき,有難うございました。(伊東彩那)
フロッタージュといえば,100円玉をこすって,形を浮き
ださせて遊んでいたことがありました。ひび割れした壁や
タイルの柱,
100円玉とは違う 歴 が紙とチョークでよ
みがえりました。絵はどれもロックなのに繊細で,強弱な
どを工夫しながら描くことで,さらに細やかさが増してい
きました。勝手なイメージで,単純な作業だと思っていま
したが,何度も何度も色を重ねる作業は失敗が許されず
大変でした。私は 1枚につき 1色で描いていましたが,多
く色を い,鮮やかにするのもいいと思いました。(柴田麻
衣)
今回の実習で初めてフロッタージュを経験したのでとて
も新鮮に感じました。チョークの色が2本だったので,少
し残念でした。沢山の色を ってフロッタージュをしてみ
たいなあと思いました。フロッタージュをするための場所
を探し出すのが難しかったです。もっと注意深く探してみ
ればよかったなあと思います。炭礦内を散策するのも楽
しかったです。もっと他の場所にも行ってみたいと思いま
した。絵を描くのではなく
〝こする"ということで表現する
のは面白いなあと今回の実習で学びました。これから絵
を描くにあたって今回学んだこのフロッタージュをどこか
で活かせられたらいいなあと思いました。(堂閑静)
壁や床に紙を当て,こするだけで色々な模様が見えてくる
ことは,当たり前のことなのに不思議な感覚がしました。
こするだけで色々な世界が見えてくる。とても素晴しいで
す。実は,最初はあまり楽しみではありませんでした。廃
墟ということで怖い話なども多く,びくびくしていました
が,行ってみると別に怖い感じもせず,楽しくフロッター
ジュをやらせてもらいました。壁の平な場所でも,そう見
えるだけで凹凸はあるため,平らな壁をこすると色々な
顔が見えてきます。細い線が出ていたり,床は砂だらけで
紙がやぶけたりしてしまいましたが,それもその場所の顔
なのだと思います。(森沙耶佳)
初めての経験だったのですごく新鮮でした。色々なところ
をこすってみましたが,タイルとコンセントがこすっていて
楽しかったです。こすっている時の振動が何とも言えませ
んでした。普段あまりやることが少ないと思うので,フロッ
タージュをやれてよかったです。有難う御座いました。(山
口莉奈)
外に出て行ってフロッタージュをする,というのは初めて
の体験なので,とても楽しかったです。実際に自 で見
て,場所を選んで作業をするという単純だけれども深い
作業にすごくはまりました。自 の力の加減や塗る方向で
全然違う表情が出てきたりするのを実感することができ
ました。作業をやり進めていくと,もっといろんなところで
やりたいと思い,時間がすごく短く感じられました。何色か
でやるのもきれいで,深みがでていいと思いましたが,個
人的には 1色でどこまで表現できるかやっていく方が好き
でした。今回 ったチョーク(クレヨン?)だけでなく,他の
画材でも色々試してみたいです。雄別に行ってのフロッ
タージュの研修はとても良い経験になりました。これから
の作品にこのすばらしい経験を生かしていきたいです。あ
りがとうございました。(佐藤愛)
私は今回フロッタージュをして思ったことは,その場所に
あった生活の痕跡を見つけるのはむずかしいということ
です。ただのコンクリートの凹凸にチョークをこするだけ
で様々な跡が浮き出て来て,
さらにチョークの向きや強さ
で表情が少しずつ変わっていくのは,やってみて夢中にな
る楽しさがありました。かつてそこに生活していた方々の
息吹を感じることができたり,紙とペンだけで年月やたく
さんの人々に触れられるのはすごいことだと思いました。
今回は雄別炭礦を掘るということでしたが, 物の硝子
が割られて破片があちこちに落ちていたり,落書きがたく
さんあったりと,事前に説明があったものの,実際に見て
みるとあらためてショックを受けました。(阿部晴海)
1年生の自 にとっては,高文連でさえ初めてだったの
で,正直不安もあったと思う。フロッタージュは一見簡単
そうだけど,力の入れ具合や色 いにも悩まされた。
けれ
どその反面ものすごく楽しくて,この完成したものを見る
人にはどのように見えるのだろうとか,
〝掘る"ってこんな
にも楽しいものかと思ったりしていたら,知らないうちに,
1枚2枚と掘りつづけて作品が増えていた。それとこのプ
ロジェクトのおかげで雄別への えや思いも変わった気
がした。(望月陽子)
釧路商業高
私は以前から廃墟や人工物などに興味を持っていました
が,ほとんどが車の中から窓を通して見る,写真で見るな
ど間接的なものばかりでした。なので今回, 岡部昌生フ
ロッタージュ・プロジェクト,雄別炭礦を掘る を通して,
雄別炭礦に触れられたことに感動し感謝しています。炭
礦に足を踏み入れ見てまわり,手で触れてフロッタージュ
で作品を制作する,一つ一つの行動を通してやっと岡部
昌生さんの言葉を理解,実感しました。なによりフロッ
タージュによって炭礦に触れることが,今まで体験したこ
とのない驚きでした。そして,参加した人々が,フロッター
ジュをして炭礦を擦りとっている時に見えた姿勢や表情
の真剣さが印象的でした。美術に対して強い気持ちを
持って向き合っている人々の中,共同制作ということで,
その輪の中に入り,作品を制作できたことをとても嬉しく
思っています。雄別炭礦はとても興味深く,きれいな風
景,残っている 物や跡地は遺跡のようにみえました。実
際に雄別炭礦には様々な方面からの価値があると思いま
した。現在,活動している人々のせめて邪魔にならないよ
うに応援したい。もっと良い新たな方面に進んでほしいで
す。(森谷望美)
最初は雄別で実技研修!?とビックリしました。
上野先生が
おっしゃられている通り,心霊スポットとしてしか思ってな
かったからです。でも〝それはとても残念なこと"と言わ
れて〝なぜ?" とも思いました。しかし実際雄別に行って
イメージが180°
変わりました。フロッタージュという技法
を通して,雄別をちゃんと感じとれたと思います。タイル
などは楽しく出来ました。デコボコも味がありますが,一定
に置かれてるタイルもとても楽しかったです。デコボコよ
り色んな色を一面一面に塗れたり。ただ,他の学 との
流が少なかったことが少し残念に思います。ただ,
チョーク 換などは話すキッカケとなって良かったです。
幼稚園の頃,落ち葉でフロッタージュをした事を思い出し
ました。幼い頃は技法など えないでやっていましたが,
今日の研修はより濃い内容のフロッタージュを体験でき
て良かったです。普段は出来ない体験を出来たこと,とて
も思い出になりました。岡部さんの作品もスクリーンを通
して見れたり…。最後の高文連として最高の高文連に
なったと思います。また機会があれば,雄別を始め,色々
な所で沢山の技法を い,作ってみたいです。ありがとう
ございました。(三上由起子)
フロッタージュ というのは今回の高文連で初めて耳に
しました。やり方を聞いた時に,中学の美術の時間に似た
ようなことを思い出してみました。(紙を切ってその上か
らこする方法)床や壁など,色々なものをこすってみた時
に浮かび上ってくるにつれワクワクしました。目の前で見
たモノ,こすって出来上がったモノ。同じモノのはずなの
に,私には別々のモノに見えました。見方ややり方により
周りの景色が別のモノに変わって現れるのだと実感しま
した。雄別炭礦へ行ったのもまた初めてでした。目の前で
その 物を見た時,その存在感の重みがありました。何
十年も経過しているはずなのに少し前まで人がいたかの
ように聳え立つ 物。それが当時,活気があったことを連
想しました。今日その景色を目にし,手で触れ,初めての
ことでとても新鮮な体験でした。(安田祥子)
思っていたよりも楽しかった。登ったりして大変だったけ
れど,いい経験ができたと思う。フロッタージュをする所
を探したりするのがとても楽しかった。普段見られない所
が見れて良かった。崩れているのがなんとなくさびしかっ
たけど,自然の中でもまだきれいに残っているのを見て
感動した。お風呂もこわれていたけど,人間のすごさを
知ったと思った。(菊池若菜)
最初は雄別に行くのに抵抗がありました。でも,実際に
行ってフロッタージュ体験をしてみて, えが変わること
ができました。山登りは水とかあって大変だったけど,す
ごく楽しかったです。もし機会があったらまた体験してみ
たいと思いました。フロッタージュはタイルとか地面をや
るだけでなく,木やタイヤなどもやると楽しかったです。高
生活最後の年に貴重な体験ができてよかったです。あ
りがとうございました。(青野真衣)
最初は,どこにあるのかわからないとこなので,着くまで
緊張しながらも楽しみでした。先生が行く前に,心霊ス
ポットで若者が行くところだと言ってたので,そこまで怖
いのかなあと思っていたんですが,その場所に行ったら予
想以上に山の中で,少し水たまりがあって通りにくいとこ
ろにありました。 物も外見からして若者がスプレーでい
たずらをしていたので,遊びで来てほしくないと見たとき
思いました。 物をフロッタージュしているとき,自 の
色の い方次第で他の人には真似できない,自 の作品
ができたので,初めてやったわりにはうまくできてうれし
かったです。( 下理奈)
中学生の頃に,美術の授業でフロッタージュをやった事
があったのですが,屋外での作業は初めてだったので,と
ても楽しかったです。屋内での授業の時は,10円玉やコン
セントの など小さいものを ったのですが,今回は
物の壁やタイルの範囲の大きい物でフロッタージュしま
した。小さい物に比べ,壁やタイルに向かって手を大きく
動かし,色をつけていくのは勝手が違い,紙をやぶいたり
してしまったのですが,コツをつかんでからは地面の模様
がきれいにうつり,うれしかったです。今回はとても貴重
な体験をすることができました。また,雄別炭礦もとても
きれいな場所でした。(小田嶋慧実)
釧路湖陵高
フロッタージュをしてみて,写真や普段絵に描いている絵
とは全然違う感じのものができ,その紙に写した物の隠
れていて普段は見えない床や柱のひびや形が見えてくる
のがおもしろかったです。私がフロッタージュした 5 枚の
中では,床のタイルを青と緑のクレヨンで写したものが
一番上手く写すことができました。(武井成美)
フロッタージュは初めてやったし,初めて知ったのですが,
誰にでも簡単にできてとても楽しめるものだったので,い
い芸術だなと思いました。炭礦へは初めて行ったのです
が,ちょっと臭くて,ちょっと困りました。でも,探検して
るみたいで,とても楽しかったです。またフロッタージュ
やってみたいと思いました。(野村真央)
人生で初めてフロッタージュというものをやりました。(雄
別に行ったのも初めてでした。
)チョークで床や壁を擦り
とるのが,本当に面白かったです。目で見てても,擦りと
るとまた違う表情がでてきたり,私の中で美術に対する
新たな見方が生まれました。また,フロッタージュをした
場所が雄別でよかったと思います。昔はたくさんの人が暮
らし,今にもなくなってしまいそうなあの 物などを擦り
取って残しておくことで,雄別にいた人々も喜ぶのではな
いかと思いました。最後にとても貴重な体験ができて本
当に嬉しかったです。ありがとうございました。(本間愛
理)
フロッタージュをするのは初めてで,最初は何をすればい
いのかわからなくて,ただ色を塗っただけになってしまっ
たが,やっていくうちに色んな場所で色んな模様が浮き出
てくることがわかって楽しかった。また,フロッタージュを
する機会があったら,もっと色を重ねたり工夫できるよう
にしたい。(今井涼香)
フロッタージュは昔,小さい頃に葉や木の幹でやった事は
ありましたが,地面をフロッタージュするのは初めてで,
良い経験になりました。風化した地面独特の模様を探す
のはとても楽しかったです。(灰塚彩音)
始めの頃は雄別炭礦を
〝掘る"って言っていたので,
スコッ
プを って本当に掘るのかと思っていたんですけど,プリ
ントが配られてフロッタージュを知りました。 あぁ掘るっ
て本当に掘るわけじゃないのか。と思ってました。それで
実際に雄別炭礦に行ってフロッタージュをやってみて,
けっこう楽しかったです。また,来年もこんな感じでフロッ
タージュをやってみたいと思いました。(守屋佑里子)
岩や壁そのものの質感がでたのが味わいがあっていいと
思った。きれいにフロッタージュするのはなかなかむずか
しかった。廃墟には,こわれかけている壁の美しさ,つま
り散り際の儚さがでてなかなかしみじみとするものがあ
ると思った。今回フロッタージュという新しいジャンルに
触れられていい経験になったと思います。(中川悠菜)
今回初めて雄別に行き,本格的にフロッタージュするとい
うことをしました。初めてだらけの経験ばかりで学ぶこと
がたくさんありました。自 で見て,感じて,それを形・色
にして表すことで雄別とより近くなった気がしました。古い
物や病院の中に入り,少しでも 囲気を感じて,それを
作品として残すということに関心を持ちました。またフ
ロッタージュする機会があれば,ぜひまたやってみたいと
思います。直接,
岡部さんのフロッタージュする姿を見て,
やっぱり何回もやっているだけあって,とてもキレイに浮
かびあがってきて,私の作品とは比べられない程の上手
さでした。最後にまた来年も実技研修などで学べること
をすべて学びつくしたいと思います。(成 咲希)
フロッタージュは多 ,小学生以来だったのですが,無心
でやりました。チョークの色が壁やタイル,地面の凹凸と
マッチしていて,今回のワークショップを通して自 も身
近なものの皮膚を残していきたくなりました。浴場で岡部
先生の活動を生で偶然見る事が出来て嬉しかったです。
紙をテープで止めて,フロッタージュをする,一連の動作
一つひとつが素敵で,見とれました。私も先生の様に一
心で自 の仕事を出来る様なアーティストを目指したい
と思いました。(宇佐美まりん)
フロッタージュは中学以来で,ぬっていくうちにどんどん
どんどん楽しくなっていきました。小さい頃に戻ったよう
で,なんだか懐かしい気持ちにもなりました。雄別炭礦に
は初めていったのですが,想像していた荒れ具合で,落書
きもたくさんあって,すごく衝撃を受けました。30年前の
そのずっと前から炭礦の職員の人が汗水たらして働いて
いた場所なのに,幽霊スポットにされたりで,ひどいなと
も思い,悲しくなりました。でも,その現場をフロッター
ジュによって一部を写しとることで,少しでもその炭礦の
いい面が表現できたらなと思います。(黒金あやな)
今回,雄別に行って,実際にフロッタージュをして思った
ことは, 自 が今掘っているこの場所は,昔,どのよう
な想いが向けられていたのだろうか? ということです。
実
際にどのように思われていたかはわからないけれど,自
が今触れているものは,間違いなくその場所の 記憶
であるということが,何とも言えない感動があり,とても
良い体験ができたと思います。岡部さんの言う 都市の
記憶を読みとる 都市は巨大な版である という えは,
まさにそうだと思いました。(工藤梓乃)
今回の実技研修は,いつもとは違い,遠くまで出掛けての
制作だったので,とても新鮮でした。制作場所も炭礦とい
う,普段はなかなか踏み込むことのない場所で,
制作の意
欲が湧いてきました。今となってはもう われていない炭
礦ですが,フロッタージュという制作活動を通して,人々
が確かにここで暮らしを営んでいたという軌跡のような
何かを感じ取ることができました。機会があれば,またこ
のような制作に取り組んでみたいです。(三上雪奈)
すごく単純な作業だけど,やってみると意外と奥が深く
て,人それぞれやり方によって全然ちがうものができるん
だなあと思った。今回,雄別というめずらしい場所に行け
たのもいい体験になったし,想像していたよりも楽しくて
夢中になってしまう実習だった。いろんな場所でフロッ
タージュしてみたくなった。時間があんまりなくてちょっと
しかできなかったのが残念だった。(小野寺花奈子)
雄別炭礦というところは,正直知らなくて,友達から聞い
た話は 心霊スポット でした。少し不気味で 何でこんな
所まで来て… と思ったのが正直な気持ちでした。です
が,元々廃墟好きということもあって,炭礦自体はとても
魅力的でした。
そんなただの好奇心から始めたフロッター
ジュですが,目的地の病院に着く頃には,
〝確かに人が住
んでいた跡"がひしひしと伝わったきて。 昔は栄えていた
街が,炭礦の衰退によって人がいなくなってしまった。と
いう物語みたいなことが,こんなバスで1時間の所にある
んだなあ。と,驚きと感動というか,良い意味での恐怖を
感じました。今回のフロッタージュを通して,普段とは違
う視点でものを見る事ができ,視野が広がったかな。と思
いました。
〝知らなかった所"が,
〝当時の生活にふれた感
覚になった街"になりました。自 の家の周りの道路,通
学路, 園など,身近なところのフロッタージュもとって
みたいなあ。と思いました。すばらしい経験をありがとう
ございました。(大川結麻)
釧路北陽高
雄別炭礦をフロッタージュすることは,思いの外楽しく感
じました。景色がとてもきれいで,天気もよかったので,
時間が足りないくらい夢中になれました。岡部先生の作
業中の姿を見て,とても刺激を受けました。壁や床,地面
を見ることで歴 や過去が感じられると会場の方で言わ
れていたのが,実際に作業して私も感じる事ができたと
思います。(深瀬ゆか)
フロッタージュという言葉を今回のプロジェクトで初めて
耳にしました。誰でもできるという感じが飛びつきやすい
企画だなと思いました。作業自体は,簡単かつ明瞭でした
が,深い意味を持っていると強く感じました。岡部先生は
日本国内だけではなく世界の至る所をフロッタージュさ
れているということでしたが,キャンバスに筆で描くとい
うのではなく,その物自体をごっそりと持ち去っていくと
岡部昌生
いうスタイルに惹かれました。今回は青,赤,黄,緑とい
う非常にカラフルな色彩でのフロッタージュでしたが,黒
の 筆でもやってみたいなと思いました。とても楽しかっ
たです。(上出小麦)
僕は岡部先生の話を聞くまで,フロッタージュとは何の事
だか かりませんでしたが,先生の話を聞いてとてもすば
らしい事だと思いました。実際に自 も体験してみて,難
しそうと思っていましたが意外と簡単で,こんなに簡単に
歴 がつたわってくるのはすごいと思います。ありがとう
ございました。(星野翼)
フロッタージュという初めての体験でどのようにやるの
かもわからなくて,見よう見まねでやっていましたが,やり
始めると楽しくて帰ってからも自 のまわりのものをフ
ロッタージュしたくなりました。
貴重な体験が出来てよかっ
たです。(岩瀬)
・このプロジェクトに参加して・
最初,雄別に行ってフロッタージュすると聞いて,僕自身
戸惑いがありました。なぜなら,
フロッタージュという技法
についてもよく知りませんでしたし,それ以上に病院跡が
心霊スポットというイメージしか持っていなかったからで
す。でも,先日のうちに配られた資料を読んで,初めて
雄別炭礦の歴 について知って,ただの廃墟の街という
イメージから先人の生活が記憶として残っている遺産と
いうイメージに変わるにつれて,自 自身の目で見てみ
たいと思いました。そして当日,実際に行ってみると街
だったと思えない程に草が茂り,黄色い花が咲く林の中に
コンクリート製の 物がぽつんぽつんと残るのどかな場
所でした。しかし 物の中に入ると,割れたガラス片や落
書きだらけの,人の手によって荒らされたあとが見え,ど
こか切ない気持ちになりました。それでフロッタージュで
すが,ルートの途中で 2 回も道を間違えて,遭難しそう
になって,時間がなくなって 2枚しか出来ませんでした。
最後に,このプロジェクトに参加できたことで僕の中に
あった雄別のイメージが変わって新しい発見があったの
で,とてもいい経験になりました。本当に岡部先生ありが
とうございました。(青柳潤)
私は今回初めて フロッタージュ というのをやりました。
壁とか柱とか様々な場所を擦りとってみました。紙をあて
てチョークで擦るだけという簡単なものなのですが,形が
本当にそのまま浮き出てきたりしてとても面白かったで
す。タイルとかは擦っている時の音や触感が楽しくきれい
に擦ることができました。結構,腕の力がいるので疲れま
した。でも力強く濃く,何度もやった方がきれいになると
思いました。 フロッタージュ は単純な作業だけれど,実
はとても奥が深いものなんだなと感じました。これからも
色々なものを擦りとってみたいです。網の目とか,10円
玉とかをやってみると面白いと思います。今回は雄別炭
礦ということで幽霊が出るんじゃないかとかいろいろ不
安がありました。でもそんなことはなく,自然を楽しむこと
もできました。ただ,もう少したくさんの時間が欲しかった
です。もっとじっくり色々な場所をフロッタージュしたかっ
たです。とても良い体験になりました。岡部昌生先生,あ
りがとうございました。(情野友紀)
今回初めてフロッタージュを経験し,新しい発見がたくさ
んありました。廃墟の病院はこわかったけど,いい思い出
になったと思います。( 田瑞希)
今回,実技研修で行った 雄別炭礦を掘る というテーマ
のフロッタージュ・プロジェクトに参加して,釧根地区の
生徒全員でバスで雄別に行きました。雄別は跡地という
ことで,今までとても荒れているようなイメージを持って
いましたが,実際行ってみると,とても自然がきれいでし
た。そんな大自然に残る 造物や木,土などにふれ,人々
の生きていた証を紙にこすりとってきました。ただチョー
クでこすっただけで,地面の凹凸や質,ヒビ割れた跡が
はっきりと出てきた時は少し嬉しかったです。今回このフ
ロッタージュの作成に参加して,今まで抱いていた雄別の
イメージが変わりました。人々が住んでいた証や大自然に
触れて,とても楽しかったです。(森越晏珠)
この度の 雄別炭礦を掘る というプロジェクトに参加で
きたことは,とても思い出に残る出来事になりました。こ
のプロジェクトについては,事前にくばられていた資料で
知っていましたが,雄別に向かう前の映像を った岡部
さんご本人による活動の説明などで,より一層の興味を
持ちました。実際に参加してみると,足場が悪いのも気に
ならない程,楽しく夢中でフロッタージュをしました。普段
では触れることのない床や地面に触れ,そこを歩いてき
た人の営みを今,実感できていることに嬉しくなりました。
このプロジェクトに参加できたことをうれしく思います。
(太田彩夏)
初めてちゃんとしたフロッタージュをやった。中学の授業
で 1度やったが,その時はノートの表紙の凹凸をフロッ
タージュしただけで,過去と未来をつなげようなどとは思
わなかった。雄別炭礦は本当に廃墟であった。あそこまで
荒れ果てた 造物を見たのはある意味初めてかもしれな
い。確かにあそこに人がいた,けれど今はいない。その事
実をフロッタージュで表現しようとしているのだと理解し
た。(梨澤愛美)
今回はフロッタージュという事で,普段 わない技法な
ので最初は戸惑いました。しかし,やり続けていくうちに
段々感覚がつかめてきて,いろんな所をフロッタージュす
るのが楽しくなりました。雄別炭礦には初めて行ったので
すが,何だか私が想像していたよりすごく緑に れていた
ので,非常に驚かされました。一応地図にのっていた全て
のスポットは見て回れたのですが,時間が短かった故,肝
心の作品があまり制作出来なかったのが少し心残りで
す。また,映像で拝見させて頂いた岡部先生の作品は,
どれも素晴らしかったです。私は今まで美術作品という
のは筆のみで描いてきたのですが,あの映像を観た事と
今回の体験をした事によって,こんな風に元々あるものを
自 の手で写してみるのも面白いなと思いました。今回
は貴重な体験をさせて頂いて,本当にありがとうございま
した。これからも是非,素敵な作品を生み出していって下
さい。(片山育美)
最初はなぜフロッタージュをするのか不思議でした。こす
り出すことで一体何が感じられるのか からなかったか
らです。でもフロッタージュを体験して,その意味を少し
だけ理解することが出来たような気がします。こすり出し
た場所から切り取った時間。こすることで手に残った感
覚。どれも感じたことがなかったので,とても新鮮でした。
でも,雄別は怖かったです。貴重な体験をさせていただき
ありがとうございました。それから紙がくしゃくしゃですみ
ませんでした。(打川大恵)
今回のプロジェクトを通して,雄別炭礦の自然や歴 を
学ぶことが出来ました。廃墟の 物の中にはコンクリート
がはがれた柱やタイルのはがれた床などがあって,
それら
の古びた様子がフロッタージュにうまく現れていて良かっ
たと思いました。昔,学 や家などで紙をあててこすり,
模様を写しだしたりしたことはあるけど,今回のように外
に出て直接自然にふれながら自然のものを映し出すこと
で,新しい体験ができて良かったです。また雄別に行った
のも初めてで,釧路にはない歴 ある風景を見ることが
できて良かったです。ただ今度からはジャージなどもっと
動きやすくて汚れても良い服を着ていこうと思いました。
(伊畑智波)
初めてフロッタージュをやったけど,意外に難しかった。で
も,たくさんの自然にふれあいながら友達と一緒に 物
や石,タイル,岩などを紙に写しとる作業は楽しかった。
また今度,機会があったらやってみたいと思う。貴重な経
験を出来たと思いました。(布施将博)
フロッタージュをするのは初めてで,こういう芸術もある
のだなと感動しました。自 は下手でなんか全部同じよう
な感じになってしまったんですが,大自然に触れられて良
かったです。祖母がそこで働いたことのある人だったの
で,当時の話を少し聞いたりもしました。迷いかけたりも
しましたが,良い経験でした。(金成綾乃)
あつかった。虫が多かった。そうなんした。足がよごれた。
(諫山果乃子)
私は今回初めて フロッタージュ のことを知りました。で
も最初は場所が雄別だと聞いてびっくりしました。実際に
行ってみると林みたいな所に何軒か家がありました。林に
は光が差し込み,とてもきれいでした。フロッタージュは
壁や床でやりました。私が一番いいなあと思った所は,タ
イルの壁です。タイルの形がきれいに出て,とても楽しめ
ました。また,機会があればやってみたいと思いました。
(工藤理湖)
思っていた以上にフロッタージュをする所がたくさんあっ
たし,すごく楽しかったです。最初はただ凹凸に紙をひい
てこする事の何が楽しいんだろうと思っていたけど,実際
は時間が過ぎるのを忘れるくらい楽しくてずっとやってい
たいと思いました。また,岡部さんからの話を聞くことが
できてすごく良かったです。
フロッタージュについての詳し
い話や岡部さんが今までに作ってきた作品の説明,世界
中をまわってきた時の話などとても貴重な体験ができた
ことにとてもうれしく思いました。(稲葉茜)
私は最初,フロッタージュとはただこするだけの作業でい
いんだと,簡単なものだと思っていました。だけど雄別に
ついて作品を作るため,いろいろな場所をフロッタージュ
しているうちに, えが変わりました。フロッタージュはこ
する強さによって作品がさまざまに変化し全然ちがうも
ののようになりました。とても楽しかったです。いい経験
となりました。(長谷川希)
ました。また,1人 1人が同じ地面でこすっても,異なった
個性が現れるのが本当におもしろいと思いました。機会
があれば,もう少しゆっくり,色々な場所でやってみたい
です。このような場を与えて下さった岡部先生に感謝で
いっぱいです。(花田麻里)
今回,フロッタージュをするにあたって,話を聞いた時,
理解しようとしなかったわけではありませんが,時間の堆
積,歴 が伝わってくるなどと言われた時,正直よくわか
りませんでした。ですが実際にフロッタージュをやってみ
たら,なんとなく言ってる意味がわかったような気がしま
す。ガリガリと音を立てながら地面がそのまま,何の狂い
もなく写しだされていく快感。今まで体験したことのない
ことでした。このようなことを経験できて非常にうれしく
思います。(森近秀人)
フロッタージュは何なのかすらさっぱりだったが,このプ
ロジェクトを通して(おそらく)おもしろみのあるものだと
知った。…と,いうものの,もともと外に出て自然をどう
こうなんていう者ではないので,自 的にイマイチ楽しく
ない。道に迷いかけるし,下手すれば行方不明になるかも
しれなかったし。あーほんと,さんざんな目に会ったな。
ということで。廃屋も歴 の魅力より不気味としか思え
ず,帰りたいと思った。けれどちゃんとやりとげたもの,
いいよな。多 。次もしあったとしても,やりたくない。け
れども世界的に素晴しいモノみたいだから,やり続けて欲
しいと思う。(隈元優妃)
釧路武修館高
フロッタージュは,小さな頃に下に葉っぱなどをひいてよ
くやりました。でも,遊びでやっていたことが,芸術になる
なんて思わなかったので,芸術って何でもありなんだなぁ
と視野が広がった気がしました。初めて外でやってみて,
本当にその土地を写しとっているような気 になりまし
た。雄別は心霊スポットだと聞いていたので,内心怖かっ
たのですが,フロッタージュの作業をしているときは,そ
んなの全く思わず,おばけよりも〝昔ここに住んでいた
人々"のことを想ってました。今はもうさびれているけれ
ど,昭和32年にできたもの(何なのかはよく かりません
でしたが,看板のようなものがありました。
),病院,石炭
を掘りに行く通路を見て,昔にタイムスリップしたような
気になりました。貴重な体験ができてよかったです。(三輪
真由)
今回,雄別炭礦でフロッタージュを経験して,フロッター
ジュのような技法を初めてしり,立体を平面にする方法
で,こんなものがあるのかと驚きました。岡部先生のよう
な世界的アーティストと共同作業できたのは私にとって
とても貴重な体験になると思います。(磯部慎太郎)
雄別炭礦でフロッタージュをしてみて,紙の平面をチョー
クでこすると立体的になって現れるというのが,すごくお
もしろかったです。壁や階段や地面や木等に紙をあてこ
すっていくと,そのものから情報を伝えられているよう
な,会話をしているような,不思議な感覚も味わえまし
た。そして,フロッタージュを通して,雄別という場所を
歩いてみて,すごく印象が変わったのも今回の体験での
一番の出来事だと思います。やる前は,雄別を 怖い所
で何も無い廃墟だと思っていましたが,実は力強い川が
流れていたり,豊かな木々が多くあったけど,確かに廃墟
の様だし,心の無い人達の落書きでひどい所も多かった
のですが,いろんな可能性がある場なのではと思いまし
た。(富田侑葵子)
フロッタージュは今回が初めてというワケではありません
でした。幼い頃,葉や地面をよくしていました。その時は
フロッタージュというものがよくわからずにしていました
が,今回フロッタージュについて知り,理解した上でやっ
てみたところ,とても楽しかったです。人のいた跡やその
歴 を えながらフロッタージュをするのはとても深み
があり,ワクワクしました。知ってやるのと知らないでやる
ことにこんなにも違いがあったことに私は驚きました。
そし
てもう1つわかったことがあります。雄別が幽霊スポットな
んかじゃないことです。
私も最初はこわくてしかたありませ
んでした。しかし,フロッタージュを通じて幽霊スポットだ
なんて,そんなことない!とわかりました。確かに人がもう
住んでいない跡地はそんな 囲気があったかもしれませ
んが,人の住んでいた歴 の方が私は興味をひかれまし
た。どうか,フロッタージュを通じて土地を大事にして欲
しいと思いました。( 井侑希)
フロッタージュは,中学 の時の美術の時間に経験した
ことがありました。その時はこのように本格的な作業では
なく,もっと簡単なものでした。しかし,今回,有名な岡
部先生と共同制作ができるというすばらしい機会にめぐ
まれました。私たち初心者が,うまくフロッタージュという
技法を うことができるのかとても不安でしたが,そんな
不安も消しさるほど楽しく,有意義な時間が過ごせたの
ではないかと思います。しかし,今回の雄別炭礦で道に
迷ってしまった人もいたようなので,もう少しわかりやす
く目印等を立ててほしかったと思います。私たちにとって,
とてもこれからの美術の学習につながるよい機会だった
のではないかと思います。次もあったらぜひ参加したいで
す。(戸田未緒)
最初は雄別と聞いて怖いと思いましたが,うまくフロッ
タージュができてよかったです。床のタイルなどは規則的
な模様になっているので2色とも いました。でも,もう
少し工夫した方がよかったかなと思っています。その他に
も,ザラザラの壁やヒビが入った壁を利用して1色で描い
たりもしました。2色とも って描いたりもしました。私が
描いたのは全部で5枚でした。もっと描きたかったです。
フロッタージュを描いたのは,これが初めてでした。今日,
雄別で実際にやってみて楽しかったし,できた作品を友達
と見せ合って話すのも楽しかったです。また,このような
機会があったらフロッタージュをしてみたいです。(久村
朋子)
私は,今回初めてフロッタージュという言葉を聞いた時
に,全然どんなことをするのか想像できなくて,とても楽
しみにしていました。そして,実際にやってみると,地面
の凹凸によって紙がこすれたり,やぶけたりと今までに
行ったことのない美術に参加できたと,身をもって実感し
私は,今回初めてフロッタージュをしました。デッサンな
どはしないで,ただ擦るというシンプルな作業なのに,何
故か奥深くていつも以上に集中していました。私は今まで
写真に撮った風景やスケッチしか描いたことがなかったの
で,フロッタージュはとても新鮮でした。機会があればま
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
たやってみたいと思います。
私は今回のこの体験を生かし
て,より良い作品を作りたいと思います。(栗林麻衣)
最初,フロッタージュと聞いても全然わからなかった。の
ちのち聞いてみると,物の上に紙をひいてエンピツなど
でこすると知った。今回やる所は雄別炭礦でした。そこに
はいろんな廃墟が見れたのですごくうれしかったです。
(土見容子)
最初はフロッタージュと聞いて何のことかさっぱり から
なかったのですが,内容を資料で見ていくと,案外簡単な
ことに驚きました。でも,よく えてみると,同じ物は1つ
として無いんですよね。そう えるとすごく不思議で神秘
的なことだと思います。フロッタージュは簡単な動作でで
きますが,ちょっと強さやスピードを変えるだけで,線や
模様が変わってくのでおもしろかったです。私は正直,最
初は雄別へ行きたくなかったです。今までで聞いたうわさ
は決して良いものではなく,怖かったからです。でも,い
ざ行ってみると,木のすき間から差し込む光がきれいで,
そのきれいな自然に圧倒されました。だから行って良かっ
たと思っています。(長野美憂)
標茶高
フロッタージュを終わらせて,とても良い勉強になりまし
た。あんなところまで行けて,フロッタージュを行えて。そ
れはそうと私は幼いときにもフロッタージュもどきのよう
なものをしたことがあります。フローリング,木の模様を
色えんぴつ,えんぴつで。今日は本当のフロッタージュを
できてとてもうれしかったです。(山口琴子)
今回の体験で自然とふれ合い,フロッタージュを楽しむ
事が出来ました。初めての体験だったので不安もありまし
たが,いい思い出になりました。岡部さんのお話もとても
素敵なもので,勉強になりました。なかなか出来ない体験
なので参加して良かったと思います。結構おもしろかった
ので,また機会があれば体験してみたいと思います。(早
川まどか)
フロッタージュを小学生以来久しぶりにやりました。雄別
炭礦の廃墟で壁などを写しとって,なんだか不思議な感
じがしました。その 物独特の 囲気,空気のせいもあっ
たかもしれません。それでもそのフロッタージュをしてい
る時に,そんな気持ちにならざるを得ませんでした。30年
も経つとこんなにも荒廃してしまうのか,というほど荒れ
果てていて,まだ閉鎖される前を知らない私でも,何かを
感じずにはいられませんでした。しかし,だからこそのフ
ロッタージュだと思います。今回,釧根地区の美術部で制
作したもので,見た人に何かを感じてもらえばいいなと思
います。(千葉遥菜)
今回のフロッタージュ体験では自然を感じる事ができま
した。廃病院は怖くて足が震えました。 物の記憶に触れ
ることはすごい事なんだなと実感しました。雄別でのフ
ロッタージュ体験で,またひとつ美術の関心が高まりまし
た。(飯田千尋)
今回,フロッタージュを通して,自然や他にも感じたこと
が多くて,とても楽しかったです。あと,美術や芸術とは
何か,今回のプロジェクトで少しわかったような気がしま
す。そして今回フロッタージュをやることによって,その場
所の記憶やどれくらいの年月がたって,その年月を手や
耳や鼻で感じる事ができて,とても有意義だったです。描
くだけが美術・芸術ではなく,感じたり,想像したりするの
も美術・芸術の一部だというのに気付かされました。(加
藤杏菜)
今回,雄別炭礦へ行くのも初めてだったし,このように本
格的にフロッタージュをするのも初めてだったので,話を
聞いた時からとてもワクワクしていました。実際に行って
みると,何十年か前から廃墟になっているとは思えない
所,意外と 物がしっかりしていて,そこをフロッタージュ
することで,昔住んでいた人々の生活を私自身が紙に刻
んでいるような何か不思議な感じがしました。又,作品は
同じ所をやっても色や角度,塗る強さを変化させると全く
違った作品ができるのでとても興味深かったです。すごく
貴重な体験ができました。ありがとうございました。(白石
美来)
今回やったフロッタージュは,小学生の時に一度やったこ
とがあったけれど,今回の場合は,その 築物の記憶に
触れるということだったので,とてもいい体験ができたと
思います。初めは 物を見た時 なんだか怖そうだなあ,
やだなあ…。と思ったりしていたけれど,友達や他の人た
ちと一緒だったので,そんな思いもなくなって,みんなと
一緒に楽しむことができました。すごく疲れたけれど,こう
いった美術や人との関わり,過去と触れ合うことができ
るということを知りました。(高橋明菜)
今回は自然と沢山ふれあう事ができました。病院や炭礦
所では,フロッタージュを体験する事ができ,とても良
かったです。目で見るのとフロッタージュで見るのでは全
然違いました。特に壁でフロッタージュをやったら,地図
みたいでとてもすごい印象的でした。もう少しやりたかっ
たです。岡部さんのお話もとても勉強になりました。(加
藤希生)
私は子供の頃,このフロッタージュをしたことがありまし
た。そのときは,モミジなどの葉を紙の下にひき,そこに
色えんぴつで写すなどをやったことがありました。なの
で,今回の雄別炭礦でも簡単にできるだろうと思ってい
ましたが,なかなかうまくできませんでした。しかし,一人
でフロッタージュをするよりもみんなでやった方がおもし
ろいということに気付きました。今回のこのフロッター
ジュ・プロジェクトはとても楽しめました。ありがとうござ
います。(長島一香)
とても楽しかったです。何が楽しかったかと言うと,一度
も行ったことのないような場所に行き,その場所の歴
と触れあうという普通なら思いつかないようなことをし
た事です。今回の体験は,私にとってすごく新鮮で思わず
テンションがあがってしまいました。フロッタージュという
身の周りにある何かを作品にする ということが色々な
人達に伝わるといいなぁと思いました。(原下美里)
白糠高
今日は正直言いますと,とっても疲れました。だけど,と
ても楽しかったです。芸術の世界は,先ず自 の近くにあ
る歴 に触れて,初めて感じることができることを,改め
て理解することができました。今日は本当にありがとうご
ざいました。病院の廃墟では,柱や壁に触れることで,何
十年間の想いや歴 を感じる事ができました。炭礦跡地
では,あんな大きな がふさがれていて,正直びっくりし
ました。橋もなくなっていたので,それも驚きました。その
他の跡地も,一つひとつ歴 や想いがしみ込むように原
形を留めて っていたので,すばらしいなと思いました。
(竹内葵)
まさか山まで登るとは。たまにはこういう作業も楽しいな
と思いました。
フロッタージュは体験してこそおもしろさが
かる作業だと思いました。私は満足しました。貴重な体
験ありがとうございました。(山田志穂美)
社会人になったら絶対にできないと思いました。子供でい
てよかったと思いました。楽しかったです。(佐藤巧美)
最初は病院のところでフロッタージュをしました。
ちょっと
怖かったから入れなかったけど思い切って入ってフロッ
タージュをしてみたら結構おもしろかったです。自然が
いっぱいで気 も良かったです。(岩谷秀美)
別海高
今日は,雄別の炭礦跡地へ行きフロッタージュというも
のをしました。
初めてフロッタージュというものをしました
が,簡単なやり方なのでみんな楽しそうに色々なところを
ってやっていたので,最後飾ったときにとても面白い 1
つの作品になっていました。私は先週に雄別の炭礦跡地
を心霊スポットとして遊びに行ってしまっていたばかりで
した。でも今日,日中にみんなでフロッタージュをしなが
ら歩いてみて,すごく自然のきれいなところだというのに
気づき,
遊びで来ていた自 は馬鹿だったなぁと思いまし
た。それに前回来たときは〝ここにたくさんの死体があっ
たんだ" という気持ちでしたが今回は〝ここでたくさんの
人が働き生活していたんだ"というふうに え方,感じ方
を変えることができたので今日は来れてよかったです。
(千葉絵里香)
初めのうちはどんなものでやろうかと色々と迷ったりし
ましたが,慣れてくると自 のインスピレーションで選ん
ですぐにやってみるようになりました。迷っている時に岡
部先生が助言して下さったこともありスムーズに行うこと
ができました。フロッタージュはやっているとだんだん自
なりのコツみたいなものをつかんできて,こすればこす
る程,紙の下の情景が見えてくるようですごく楽しかった
です。
もっとたくさん時間があったらやってみたい所がたく
さんありました。紙を通して,物の質感も出てくるのが不
思議でした。その他にも坑道の中を歩いたり,病院の跡
地の中を見たりと貴重な体験ができました。しかし所々に
ゴミが捨ててあったり,壁に落書きがあったりと荒らされ
てる感もあり,残念な気持ちにもなりました。この炭礦を
守ろうとしている人達がいる中で,そういうことをするの
は良くないと思います。釧路の産業の発展につながった
場所だと思うので大事にしてほしいと思いました。(佐藤
瑞奈)
フロッタージュといえば,小さい頃に 10円玉や 100円玉
の上に紙をおいて 筆でこするくらいのことしかしたこと
がありませんでした。なので,岡部さんの過去の作品の映
像や写真を見て,衝撃を受けました。一見ただこすって描
いただけのようですが,一枚一枚それぞれ表情があって,
とても面白いと思いました。実際に雄別に行ってフロッ
タージュをやってみて,想像していたよりも難しいなと感
じました。岡部さんの映像では,ただ紙をこすっているよ
うにしか見えなかったのに,私がやってみると思うように
模様が浮かび上がりませんでした。場所選びとこすり方
に,きっとコツがあるんだろうなと思いました。雄別につ
いてですが,雄別という場所は今回初めて知りました。街
の歴 については詳しくは知りませんが,廃墟というもの
は趣があっていいなと思いました。(尾形里穂)
今回初めてフロッタージュというものを知り,そして初め
て体験しました。いろいろな物を擦り取るということで,
自 なりにあらゆる場所を擦り取ったつもりだったので
すが,どれも同じ様なものになってしまいました。難しかっ
たです。雄別は怖い所だと思っていたのですが,全くそん
なことはなく,人々の生活していた痕跡や炭礦跡を見て,
そこにあった歴 を見ることが出来たような気がします。
フロッタージュを通してこのようなことに気づけて良かっ
たと思います。山道はハードで疲れましたがそれ以上に
得るものがあったと思います。楽しかったです。(徳木ひか
る)
今回の活動で雄別まで行くことになりましたが,今まで私
はその場所を怪しいスポットとしか えていませんでし
た。ですが,今回のこのフロッタージュを通して色々なも
のを学びました。例えば,この炭礦にいた人々がどのよう
にして働いてきたのかをこすり取ったことによって,その
人々の命がけで汗水を流してきたことを想像させてくれ
ました。命をかけて頑張ってきたのに,そこに広がってい
たのは落書きの巣窟だったということにとてもショックを
受けましたが,やはり大自然の中という良さもしっかり
残っていました。岡部さんのこの活動を間近で見て,この
人はすごいと実感しました。私は,この活動を通してもっ
と遺産や自然を大切にしたいと心から思いました。(林美
希)
初めての体験でした。自然と同一になった気がします。廃
墟の所々は少し怖かったけど,楽しかったです。軽く冒険
した気 です。色んな石の壁や木肌,タイルでやってみま
した。たくさんジャンルあって楽しかったです。途中で岡部
先生がフロッタージュをしていて,私のと比べると,やっ
ぱり全然格がちがうなぁと思いました。初めて会ったけれ
ど,先生は優しくて,
とても話しやすい 囲気を作ってくれ
ていました。先生のやり方を見て,自 のレパートリーも
増えました。今回の体験を生かして,これから色々な絵の
表現法を ってみたいです。(住田彩由里)
今回雄別炭礦に行くと聞いて,初めはもっと岩などがたく
さんある所だと思っていたのですが,とても木が多く空気
が澄んでいて,街の空気にあまり慣れていない私にとって
は,まるで自 が住んでいる所に戻ってこられた感じがし
てとても心地良く,どこか懐かしさを感じることができた
場所でした。しかし残っている 物はどれも落書きばかり
で,こんなに良い場所が心霊スポットとして扱われ,平気
にゴミを捨てていく人がいると思うと残念でなりません。
雄別炭礦に残っている 物はみな朽ち果てていて,それ
だけの歳月が経っていると思うと何か感慨深いものがあ
りました。今回フロッタージュをしてみて,昔確かにここに
人がいたということや,雄別炭礦に居た人達が雄別を出
なければいけなかった時の苦悩が伝わってきました。今
回の体験をしっかり心にきざみつけて今後に生かしてい
きたいと思いました。(岩城香里)
先ず,釧路にあのような場所があると初めて知りました。
そして入ってみて一番初めに感じたことは,昔,本当にこ
の場所に人が存在していたのか?と感じました。 物があ
るということは,その証だと思うのですが,正直信じられ
ませんでした。中へ入っていくと,この場所で沢山の人々
が生活し,死んでいったということを感じました。古びて
朽ち果てた玩具だったようなものを見たとき,子供もい
たんだと思いました。
それと同時に,
まだ新しいカップラー
メンの空き容器やどこからどう見ても不法投棄のバスの
座席,それらがあり,なんだか空しい気持ちになったこと
を覚えています。フロッタージュは,紙をチョークでこする
と克明にその場所が浮き出て,とても楽しかったです。こ
する度,手に伝わる振動。心地好くもあり,切なくもあり,
なんだか不思議な感じでした。
とても貴重な体験でした。
この体験を心に刻みつけ,これから先,生活していきたい
です。また,このことを活かし制作していきたいです。(中
田紗映美)
今大会での研修,フロッタージュでは色々なものに紙を
当て,擦り取ることはもちろん,雄別炭礦を散策して自然
を楽しむこともでき,とても有意義なものとなりました。
今回この〝岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト雄別炭
礦を掘る" というプロジェクトがとても楽しく出来たこと
を嬉しく思います。さらに最初に岡部先生が説明をして下
さり,このこともまた貴重な体験が出来て良かったと思い
ました。実際に雄別炭礦に足を踏み入れた瞬間,不思議
な 囲気に包まれた様な気がしました。フロッタージュを
する場所を探すことも楽しかったです。周りの景色などを
ゆっくりと眺めていたせいか少しペースが遅くなってしま
いましたが,何とか時間に間に合い10枚全てにフロッター
ジュをすることができました。またこのような機会があり
ましたらフロッタージュにもう1回挑戦したいと思いまし
た。(関口世菜)
今回フロッタージュに参加し,私はとても興味深いものだ
なと思いました。研修資料をあらかじめ読んでおくという
事で熟読したのですが,
〝都市の記憶を擦り取る"という
言葉に酷く惹かれました。過去 に生きていた証や想いを
感じる事が出来るのはやっぱり 現在 で,それができる
のは 現在 確かに生きている私達だけなのではないかと
思います。そして 過去 と 現在 とを繫ぐ 証 これは例
えば犬や猫の足跡だったり刻まれた文字だったり何でも
いいのかなと思うのですが,普段は見逃してしまうような
(たぶん普通に生活している時は気付きにくい)ものが今
回のフロッタージュによって擦りとられていく。これはとっ
ても貴重な体験だと思います。フロッタージュはそのよう
な生活の断片というか,歴 の一部を知ることが大きな
目的であるのだなと感じました。研修は楽しかったです
が,もっと時間があればもっと丁寧に色んな所でやりた
かったです。今回は時間を気にして急ぐあまり,少し雑に
なってしまったので,何も気にせずゆっくりやりたいと思い
ました。またこのような機会があれば,ぜひやらせて頂き
たいです。フロッタージュに参加できて良かったです。(佐
藤有加理)
〝フロッタージュ" というものを私は今回の研修で初めて
知りました。
最初はどんなものか予想も出来なかったので
すが,渡された資料や映像を見てとても面白そうだなと
思いました。一番初めにフロッタージュを行ったのは,最
初に訪れたところの床です。試しに擦り出してみると,驚
くほどはっきり床のタイルが浮かび上がり,とても感動し
ました。また,そこには何故か猫だと思われる足跡がコン
クリートに残っていました。最後の方に入った病院では,
至る所に書かれた落書きが一番頭に残っています。本当
に見ていて気 が悪くなってしまったし,どうしてこんなこ
とが平気で出来るのかと憤りました。そこでは柱を擦り出
しました。フロッタージュの制作自体はとても単純なもの
ですが,そこに擦り出されたものにはとても奥が深いもの
があるということが,体験してみて少し かった気がしま
す。岡部さんがお話しして下さったことのひとつひとつが
心に染みました。また,たくさんの人達で,何かひとつの
ものを協力して作ることは,とても素敵なことで,普段で
こんな機会はあまりないと思うと,とても大事なことだと
感じました。(佐藤真奈美)
今回行ったフロッタージュは,とても楽しむことができま
した。壁に紙を貼り付けて擦ると,壁の表面が浮かび上が
り形が作られて,それがおもしろくて何度もやってしまい
ました。また行く先々であった通洞坑口などの 物を見る
と,昔はどんな風にあったのだろうかという えが浮かび
上がります。炭礦病院のいたずら書きを見てどうしてこう
いう事をしてしまうのかと思いました。もっと昔の宝物で
あり思い出にもなるこの場所を,大切にして欲しいと何度
も思い歩きました。心霊スポットにする意味がわかりませ
んでした。昔,ここに住んでいた人々に,とても失礼な事
をしているのがなぜ からないのだと思います。最後にフ
ロッタージュ・プロジェクトはとても良い研修でした。自
にとって大切なことを学んだと思います。(西塚真美)
今回は白い紙に描くのではなく,元からあるものを
〝掘る"
という事で,初めての体験でした。雄別炭礦はすごく広く
て,歩くだけでも大変でした。昔になくなってしまったとい
う場所は落書きやガラスの破片などが散っていて,他の
心無い人達が進入して壊していっていることが目に見え
ました。
フロッタージュの1枚に平面の壁をこすっただけの
ものもあるのですが,平面なハズなのによく見ると細かい
凹凸が出ていて,
目に見えないアートもあるのだと思いま
した。今回の体験を元に自 の絵を良い方向に向けられ
れば良いなと思います。移動は大変でしたが,すごく良い
経験になりました。(藤本恵)
大会前に聞いていた話では,今回の研修は石に紙をあて
て,
えんぴつか何かでこするんだと先生から聞いていたの
で,私の想像とは全く違う場所で行われたので,正直す
ごく驚きました。昔, っていた 物の一部をチョークで
こすって色をつけることは楽しかったです。
いろんな岩肌,
ヒビ割れが色をつけていくうちに浮かび上がってくるのが
楽しかったです。 物は少し怖いとは思いましたが…。昔,
こんな 物が っていたと思うと,かなり不思議に思いま
した。今回の研修でよい体験ができたと思います。(津田
真奈)
フロッタージュは中学 のころやったことがありましたが,
それとは違いとても楽しかったです。ひび割れた床,はが
れた壁,色々な物をこすりましたが,どこにも昔人がいた
んだと感じる何かがありました。廃墟の写真を数枚撮りま
したが,薄暗い場所でも不気味とか怖いとかはなく,きれ
いだなと思いました。とてもいい経験ができました。(佐藤
秋乃)
中標津高
今回初めてフロッタージュに挑戦しましたが,大変興味深
い時間を過ごすことができました。 物の壁や床,石段を
自 の手で擦りとっていく作業を通して,この雄別の地に
生きていた方々の記憶を確かに感じとることができまし
た。正直なところ,最初はこの場所を訪れることに少々抵
抗がありましたが,フロッタージュをしていく中でそういっ
た思いはなくなりました。それと同時にメディアの無責任
な情報にとらわれていた自 を恥ずかしく思いました。多
くの方々が自 と同じようにこの地で働き,生きていたの
だという事実を自 の手と心で感じ,この地がこのまま
人々の記憶から消え去っていくことに寂しさを感じまし
た。本日は,貴重な体験をさせていただき,ありがとうご
ざいました。(駒形智)
フロッタージュ自体はあまりうまく行かず,正直言ってあ
まり面白くはありませんでした。石でも鉄板でも同じよう
なブツブツが出てくるだけで,歴 を擦りとっている感じ
はしませんでした。しかし他人の完成作を見ていると,と
ても美しく出来上がっているものも多かったので,次に挑
戦する機会があればそれらを参 に頑張りたいです。(ど
うやら私は力を込めてこすりすぎたようです…。
)雄別炭
礦の散策は良かったです。かつて人が働き,暮らしていた
場所が植物に覆われ,森に返っていく姿は単純に面白い
とか悲しいと思うことはできませんでしたが,古代の遺跡
を訪れたような良い刺激になりました。本当はほんの数
十年前まで人がいたのですが…。しかし落書きの多さに
は怒りを超えて悲しくなりました。特に 中標津 という落
書きには,同郷の者として申し訳なく感じました。(三枝大
悟)
フロッタージュを通して感じたことは, とても不思議だな
あ ということでした。数十年前までは,普通に人がいて,
生活して,仕事して,と今の私たちがしてることと変わら
ないことをしてたのに,なぜ今私たちはここの昔を探して
いるんだろうと。逆に えたら,今私たちが生活している
所も,数十年後にはこのようにフロッタージュをされてい
るかも,など色々 えさせられました。病院なども,本当
にきちんとした造りでボロボロな場所が少なくとてもおど
ろきました。自 の家の前,学 の近く,興味がある場所
など,フロッタージュはいつでもどこでもできると思うの
でこれからも機会があればクレヨンなどを持ってやって
みたいなと思いました。(蝋山美咲)
先ず,現地について一番最初に思ったことは,自然がキレ
イだなあと思いました。自然に囲まれた廃墟化してしまっ
た 物すら美しく見えました。残された道や壁,昔ここに
町があったということを知らされます。過去に雄別は人々
が住んでいて,今の私たちのように暮らしており,そして
時の流れによって廃れ風化し,自然の力で土に還る。な
かなか見ることのできない町に,直にそう感じることがで
きました。さらにフロッタージュを通して壁やタイルのヒ
ビを紙に写し出したことで,今の雄別を手で感じることが
できました。一度感じたことが零距離になった気 です。
だから今回の研修は特別だと思いました。ただ絵の技法
や技術を学ぶだけではなくて,自然の営みに触れること
が出来たことが新たな体験になりました。山や森はすぐそ
ばですが,消えた町にこうして関わることはあまりないと
思いました。開催してくれた方々に感謝いたします。(伊東
真衣)
最初は雄別がどんな場所なのかが からず,とても不安
でしたが,自然がたくさんあり,すごくきれいな所で感動し
ました。落書きがとても多くてびっくりしました。雄別は世
界遺産として後世に残しておくべきだと私は思います。フ
ロッタージュは手軽に当時の人々の活動がわかり,素晴
しいと思いました。フロッタージュ・プロジェクトを通して,
私はこの研究大会でしかできない貴重体験をさせて頂い
たと思います。(板垣祐里子)
雄別の炭礦をフロッタージュするにあたって,昔,人が盛
んに働いていた廃墟と聞いて,行くのが少し怖いなと思っ
ていました。ですが実際来てみると,とても自然にあふれ
た場所で,綺麗だと感じました。特に病院跡の 物は,生
活感のある 囲気というか,トイレなど形がはっきり残っ
ているものも多く,昔たくさんの人がここで寝て,食べて,
話して,働いていたんだと想像すると,すごい事だと思い
ました。そう えるとフロッタージュの作業に力が入りま
した。そんな歴 のある遺跡と言ってもいいくらいの,本
当は誇るべき場所に落書きがたくさんあったのはショック
でした。コンクリートの床に,壁に,鮮やかな色で嫌らし
い言葉,嫌らしい絵。許せないなと思いました。これから
の未来は私たちが守って作って行くものです。地面を擦り
ながらそう思いました。(吉國未由)
フロッタージュ と聞いて思い出すのは,小学生のころ学
にある,くるみや白樺の木をみんなでひたすらシャカ
シャカしていたことでした。そして今日,実際にフロッター
ジュをして,やっぱり思い出して,つい笑ってしまいそうで
した。約190名の各 美術部や顧問の先生方がひたすら
紙を見つめ,手を動かして生き生きとしながらフロッター
ジュをしていて,なんだかそれがとても楽しかったです。私
はといえば本命のフロッタージュを忘れて,ついつい探
検に夢中になってしまいました。それでもタイルや壁など
に紙を当てフロッタージュをしている間,一体どんな風に
仕上がるのだろうと想像しては少しワクワクしました。で
も実際に出来上がった私の作品はちっともおもしろ味が
なかったです。油彩やアクリル点描や立体など,様々な表
現方法があって,もちろんフロッタージュもその 1つな訳
で,それを えると,何かを つくる っていうのって限り
が無くて,美術ってまだまだおもしろいことが沢山発見で
きそうだと思って。そしてそう思えたことによってわずか
でも自 の視野が広がったことをすごく嬉しく思いまし
た。このフロッタージュ・プロジェクトを体験することが出
来て良かったです。(矢部彩乃)
行く前は雄別という地に行くのがすごく嫌でした。
すごく怖
い話をいっぱい聞いたし,雄別の歴 を聞いていたから
です。でも行ってみると自然がいっぱいで普段では見れ
ない廃墟を見て,昔はここにも人間が生活していたのだと
感じました。そしてフロッタージュを通じて雄別炭礦を掘
れて良かったと思います。ただ,雄別にたくさんあった落
書きやゴミが残念で仕方ありません。それと行く前の私
のように,偽りの情報により勘違いしてしまっている人が
たくさん居ると思います。今後,このような体験が増えて
いき,人々の理解が深まり,自然に戻りつつある雄別炭
礦を守っていければ良いと思います。私にも出来ることが
あれば,ぜひぜひお手伝いさせて頂きたいです。今回の
研修で得たものを普段でも生かせていけたらと思いま
す。フロッタージュ・プロジェクトに参加出来て本当に良
かったです。ありがとうございました。(鎌田栄菜)
根室高
私は歯舞中学 出身なんですが,友達が以前フロッター
ジュの体験していて,足跡を見つけた話を聞いて楽しそう
だなと思っていて,今回フロッタージュをやらせてもらっ
て,とても貴重な体験でした。雄別と聞いて,最初は怖そ
うと思ってしまったけど,実際行ってみたらとても静まっ
ていて,怖いとか通り越した世界でした。みんなで作品を
作るということはとてもすてきな事なので,このフロッ
タージュをやってみんなで作品を作れた事がうれしいで
す。みんなそれぞれの個性もでていい感じでした。色を混
ぜたりして楽しかったです。とにかく雄別炭礦に行ってフ
岡部昌生
ロッタージュをやったことは忘れないです。(幸坂里菜)
フロッタージュはこれで2回目の体験でしたが,雄別炭礦
で最初に 1枚フロッタージュをやって見た時にクレヨンか
ら色々な感触が手に伝わってきて,雄別の歴 を感じま
した。そのあとは山に登って病院の跡地の壁もフロッター
ジュしました。全体的に見て思ったことは壁の落書きが多
かったことです。雄別は心霊スポットというウワサがたっ
てしまっているので観光客が落書きしたんだと思います
が,それにはすごく悲しくなりました。フロッタージュは今
回やってすごくいい体験になったのでよかったです。(清野
衿花)
今回の企画で,こんな近くに雄別炭礦のようなところがあ
ることを知ってびっくりしました。自然の中に残った人々
の暮らしを写し取ることはとても楽しい作業でした。でも
フロッタージュはなかなか難しく,思った通りにいったもの
はあまりなかったです。あと,病院の 物などの落書きが
とても悲しかったです。また,このような企画があったら,
是非参加させてもらいたいです。貴重な体験をありがと
うございました。(杉永愛稀)
フロッタージュをやったのは小学 以来だったので,懐か
しみながらまわりました。 コウバイ から始まったそれは,
初めは廃墟の 囲気にのまれてしまい,つい見る方にば
かり関心がいってしまって,結局その辺にあった石を力
いっぱい擦るという結果になってしまいました。次には気
をつけようと思いながらの道中,覆い茂る木々などを眺
めながら,いつしか 何を擦れば見る相手に伝わるか と
いう えに変わっていました。道端で足を止めては,亀裂
の入った壁を擦ったり,もっと安直にと階段のスリップ止
めの部 を擦ってみたり。他にも皆がやったタイルを,
持っていた2色で擦ったりと,わかるもの,身近に感じる
ものをあの廃墟の中から見つけ出す度,ここに住んでい
たであろう人たちのことが,
ぐっと身近に感じられました。
擦る度に自 の えが変わっていき,最後には きれいに
擦り取りたい と思うようになりました。力いっぱい擦るの
もいいけど,せめてもう少し丁寧にと。
最後の病院の廃墟
では,一番 人の生活 に触れた気がします。入口前にあっ
たタイヤに始まり,所々にあるドアノブの跡やそうしたも
のを止めている小さなネジまで。お風呂場ではタイルの
一つを擦って,その模様を写し取ったり。さらに…と続こ
うとした時,すでに紙がなくなっていたことに気付きまし
た。その後はぼんやりと廃墟を眺め,青空を見上げなが
ら今日が天気で良かった。と思いました。(進藤美里)
今回,このフロッタージュ・プロジェクトに参加させていた
だき大変嬉しく思います。
世界的にも活躍している岡部昌
生さんに教わり,
このようなことを経験するのは本当に貴
重ですばらしいことです。実際,雄別炭礦に行って廃墟と
なった 物等へ行ってみると,何十年も昔のものなのに
しっかりと形が残っていました。 ここは昔○○に ってい
るんだろうな とか 何をする所なんだろう と えてみる
と止まらなく,予想しながらゆっくりと中や外を見て回り,
とても楽しく,そして感動しました。大自然の中の廃墟に
目立っているのはスプレーでされた落書きの数々。壁一
面には沢山の幼稚とも言える程の落書き。何十年もの
様々なこと,歴 を感じてきたであろう廃墟によくもそん
なことができるなと呆れる一方,怒りが込み上げてきま
す。もっと世の人々はそのようなものを大切にし,一年で
も長く存在させるように努めるべきだと感じます。今存在
している雄別炭礦廃墟も,もしかしたらいつか無くなって
しまうかもしれません。雄別炭礦でなくとも歴 深いとこ
ろもです。そんな場所が少しでも多く,それが存在してい
たという証が残るようにフロッタージュで残していけたら
いいです。私達の住む根室という市もいつかは無くなって
しまうかもしれません。
そんな時のために機会があればフ
ロッタージュしてみたいです。世の人々にこんな町があっ
たんだと思ってもらえるために少しでも多くの〝都市の皮
膚" というものを残したいから。(澤井那姫紗)
今回はこんな貴重な体験をさせていただき,本当に楽し
かったです。映像で見ると,簡単そうに見えて楽しそうだ
なあと思ったんですが,やってみるとすごく難しかったで
す。バスが岡部さんと一緒で,行きの初めも一緒だったん
ですが,やっぱりすごいなあと思いました。木をかさかさ
(擦り)してたんですが,まさに幹って感じでした。さすがプ
ロだなぁと思いました。雄別∼跡地も,昔の人が生きてい
た証なんだなぁと思いました。とてもすばらしかったです。
(福田亜梨紗)
森でフロッタージュができてとても楽しかったです。木な
ど自然なものや,人工的なコンクリートを同じ時間ででき
て,おもしろいことを発見できたりしました。少し残念だっ
たことは道に迷ってしまったことです。ゴールを大幅に通
り過ぎてしまいました。もうちょっとガイドの人又は矢印
など置いてくれたら…と思いました。しかし貴重な経験を
した1日でした。(殿村洋美)
私は最初,フロッタージュなんて面白くなさそうだなと
思っていました。でも,実際雄別炭礦の跡地をまわり,フ
ロッタージュして,すごく面白かったです。フロッタージュ
が出来そうな場所を探すと,そこの歴 が見えました。最
初に行った倉庫みたいな所は,コンセントが付いていまし
た。その後行った跡地には台所が付いていたり,お風呂ら
しきものが何個も並んでいる所があって本当にここで,生
活していたのだなと感じました。最後に行った病院は,薄
暗く不気味な感じで,窓も 々になっていて,結構怖かっ
たです。でも,風呂場に行った時にシャンプーやリンスの
ポンプがあり,やっぱりここも人が住んでいて,暮らしてい
たんだなと思いました。今回,雄別の跡地を巡って,すご
く良い経験になりました。また機会があれば参加してみた
いと思いました。(石堂愛夏)
最初は雄別の炭礦や廃病院に行く事への不安の方が強
く,正直フロッタージュについてはあまり関心がありませ
んでした。現地に到着した際,自 が予想していたよりも
囲気は悪くて こんなところで作業できるのか と思い
ましたが,いざ作業をしてみると不思議な模様になったり
して,二度と同じ物は作れない自 だけの絵なんだと思
うと,とても楽しめました。砂利や木の幹,柱や地面など
色々試してみましたが,自 は木の幹を ったフロッター
ジュが一番のお気に入りとなりました。こうやって自然の
中で一枚の絵を描く事はなかなか出来ない事なので,今
回の共同制作は良い体験になったと思います。(阿部志
織)
今回のこのフロッタージュ・プロジェクト,まず最初に思っ
た事は フロッタージュってなんだろう? 普通に絵を描
いた方が楽しいのでは? というような感じの事でした。で
も今日フロッタージュを実際にやってみて,その気持ちは
一変し, こういった技法もあるんだな,もっといろいろな
所でやってみたい という気持ちに変わっていきました。
フロッタージュする場所によって異なったものができる,
違った表情が見える。普段普通に絵を描くのとはまた違っ
た楽しさがあり,新鮮な気持ちで取り組む事ができまし
た。今後,この活動を少しでも活かし,自 にプラスでき
たら良いと思いました。雄別炭礦見学,フロッタージュ制
作,とても貴重な体験でした。(越善楓)
雄別の旧炭鉱を見て,フロッタージュをして感じたこと
は,結構,古いけれどちゃんと残っていてすごいなと思い
ました。フロッタージュは授業でしたことが無かったので,
どんなものだろうと思ったのですが,小さいころにカード
とかの凹凸で遊んでいた気がします。
なぜ,
雄別の炭鉱の
ところに行くのか初めは理解できてなかったのですが,
色々な 物を見て,昔は栄えていたんだなあと思いまし
た。病院のところや他の 物にも色々ラクガキが書いて
あったので,なんだかいやな気 になりました。フロッター
ジュは,結構楽しかったです。(新濱里菜)
雄別の炭鉱の歴 ,そういう場所があることを初めて知
りとても勉強になった。フロッタージュでは昔のタイル,
壁,床などの形そのままを写し出すことができ,しかも簡
単にできるので,気軽に歴 を残すことができると思っ
た。雄別に行って思ったことは,私の住んでいる所もいつ
か人がいなくなってしまうのではないかということです。
雄別に住んでいた人は,自 の故郷がなくなることは悲し
いし,誰かにこういう町があったことを覚えてもらいたい
と思います。なので,私は今日の体験を忘れないでいた
いです。(岩佐萌子)
フロッタージュって何だろう,というのが最初に思いまし
た。実際に説明されても何で地面の模様を写し取らな
きゃいけないんだろう,と思いました。しかし,自 でやっ
てみると,これがフロッタージュか!と感動しました。つた
ないながらも地面や木,壁の模様を写しとるごとに実際
目にしているものだけが現実じゃないんだなと気付かさ
れました。地面にしても石が埋まっていてそこを写しとる
と,思いの外とがってるんだなとか,その地面の歴 の一
部を紙に写しとらせてくれてるみたいで,フロッター
ジュって奥が深いなぁと思いました。(菊地香菜)
フロッタージュはひたすらスリスリするだけなので,不器
用な私でも簡単にできたので楽しかったです。木の中に
ある廃墟もお風呂とか病院とか色々あってめずらしくて
おもしろかったです。あと,人の住んでた所があっという
間に森になってたので,自然ってすごいなぁと思いました。
あと,お風呂が大きかったです。(経塚彩夏)
思っちゃいました。歩いている時も,いろんな跡地を見て,
さわって,
その場所に入って,
フロッタージュを通してその
場所であったすごさがちょっとわかった気がする。最初は
面倒だと思ったけど,最終的には楽しく作品を描くことが
できたので良かったです。どうもありがとうございました。
(高野明日菜)
今日はめったに行けない場所に行けて楽しかったです。フ
ロッタージュをした坑口浴場や 雄別炭礦病院跡地 雄
別礦業所跡地 雄別神社の階段 雄別郵 局跡地 自
は病院の跡地がフロッタージュしに行って 物を見て
こわいのもありましたが,凄い荒らされ方でガラスとか壁
の落書きとかビービーダンとかがあって酷いと思いまし
た。でもそういうのを除くと良い場所だったと思います。
(菅原直子)
森の中に入って,自然を形にするのは初めての体験でし
た。最初はあまり興味を持っていなかったんですが,病院
の中や森の中を歩いているうちに,普段あまり気付かな
い小鳥の声や川のせせらぎを聞いて,こういう体験が出
来てよかったなと感じました。フロッタージュ自体も もっ
とこういうふうにしたらよかったな と思ったりもしました
が,チョークで紙を擦って浮かび上がってきた形が予想と
違っていたりもして,とても面白かったです。今度は,家
の近くや学 の中など,身近な所でフロッタージュに挑戦
してみたいと思います。今日は本当にいい経験が出来ま
した。また,何かこういう体験が出来る機会があれば参加
してみたいです。( 崎あすか)
フロッタージュ・プロジェクトをして思ったことが 3 つほど
あります。1つ目はフロッタージュの面白さ,簡単で楽し
く美術という物がやれる,誰もができる事で,よくあり素
晴しい事だと思いました。2 つ目はフロッタージュをやる
事によって歴 や地形,それらなどより深い物になって行
く事を感じました。それによっては人それぞれの感じ方が
あると思います。そう言った事もフロッタージュの素晴し
い事なのだと思っています。フロッタージュは個人でやる
のもいいですが,多人数でやるとそれはもっと深い美術
になると思います。今回のフロッタージュ・プロジェクトに
参加できて,とても良かったと思っています。勉強になり
ました。(徳永馨)
北海道教育大学 附属中学
ぼくは最初に雄別に着いたとき,こんなに自然に囲まれた
所にあったのかと思いました。こんな所でフロッタージュ
ができるなんてめったにないことだし,とてもわくわくしま
した。雄別の歴 や自然にふれながらフロッタージュする
というのは,とても気持ちの良いものでした。 物や壁な
ど色々な所でフロッタージュすると必ずちがった絵ができ
て,同じ場所でちがう人がやっても一枚一枚違った模様
の作品ができました。岡部さんのようにうまくできません
でしたが,自 で満足のいく作品ができたと思います。フ
ロッタージュは紙とえん筆だけでできて,作業も簡単でと
ても楽しいので,家の中や外のコンクリートなどをやって
みたいと思いました。雄別の壁,
ゆか,橋などをフロッター
ジュしていると,その場の歴 が伝わってくる感じがして,
とても貴重でいい経験となりました。ぼくは今回の 雄別
炭礦を掘る というテーマにそってできた気がしました。
(前川和輝)
まずは,9 月 3 日に見た映像の感想を書きたいと思いま
す。広島や札幌で書いた作品が多かったです。その中の
作品の全て自 では簡単そうに見えましたが,実際やっ
てみると映像の作品とは全く違うものができました。そし
て9 月4日に雄別の炭礦に行きフロッタージュを初めて行
いました。みんなとは違う作品をぼくは作りたかったの
で,
みんなとは違う場所を選びフロッタージュをしました。
その結果ぼくの作品は同じようなものができました。岡部
さんにはどういう場所をどんな感じでフロッタージュを
やってみたら良いか聞きたかったです。それと小学 のこ
ろにもフロッタージュみたいなことをしたことがあります。
百円玉などをフロッタージュしていました。ぼくは身近な
所からもフロッタージュができるということを知りました。
このような身近な所からもっともっとフロッタージュを描
いてみたいです。(菱沼太陽)
30年前の廃墟ということだけあってか,コンクリートがも
ろかったり,ガラスの破片が飛び散っていたりと色々危険
なところもありました。でも廃墟ならではの退廃感,かつ
ては栄えていたという切なさもあり,危なくもワクワクし
ました。他の人の作品をチラリと見ましたが,ハートが浮
かんでいたり,2色以外のチョークでカラフルに描いてた
人,
こすりだした後に別のチョークで描き足したりと,
いろ
んな工夫やアイディアがあってびっくりしました。こうして
雄別炭礦の一片を一人一人の感性でアレンジして描か
れるんだなぁと思いました。正直最低提出数の 3 枚(結
局,スペースの関係で 3つ以下でも良しになりましたが)
しか描けなかったので,もっといろんな所で擦りだせばよ
かった…と少し後悔気味です。後,滝も近いことがあって
か,川が見えたり,所々水が流れていて涼しかったです。
ぬかるんだ所も多かったですが…。道に迷ったりもしまし
た。もっと矢印とかガイドさんが必要だよなぁとついて
行った子が言っていました。何はともあれ,とてもいい経
験になりました。(佐々木遥)
僕は フロッタージュ のことを詳しく知ったのは,この授
業です。岡部昌生さんが僕ら一年生のために来て,わざ
わざ何 もお話をしてくれたおかげでフロッタージュのこ
とを少し知りました。僕が実際フロッタージュをして感じ
た事や思ったことは,フロッタージュの DVDを見て,写
真とかのほうが楽だなぁと思っていましたが,本当に自
でチョークを いフロッタージュをすると,写真とはまた
違う感じでした。あとフロッタージュはフロッタージュする
とこを探すという楽しさもあり, どこでフロッタージュす
るといいかなぁ とか色々 えてフロッタージュすると面
白いです。またフロッタージュするチャンスがあればまた
やりたいです。とてもいい経験になって良かったと思いま
した。(高木一真)
根室西高
めったに行けないあんな所で,絵ができるなんてビックリ
だし。病院跡地なんて落書きやビービー玉とかが転がっ
ていて,こんな事をした人は子供だなぁって思った。あと,
サバイバル?とかするとかないと思う。あんな所でするこ
とじゃないと思いました。その後,いろんな跡地とか行っ
たけど,ゴミがいっぱい散乱していて,ここを守ろうとして
いる人は大変だなと思いました。ガラスの破片もいっぱい
あったし,私にはとてもキレイにするのは無理かもって
今回のフロッタージュ・プロジェクトは,やっていると楽し
く,フロッタージュを多く学ぶことができました。フロッ
タージュは,すばやくかくとあまり色がでなくて,ゆっくりや
るとよくかけました。へこんでいるところにはあまり色がつ
きませんでした。岩など,がたがたしているところで大き
くへこんでいるところは,普通に紙にクレヨンで描いてる
感じと同じで不思議でした。二色でかいていると青緑にな
ることが少なく,ほとんどは緑の上に青があるという感じ
でした。フロッタージュは場所は同じでも紙を斜めなどに
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
してかくとまた違う作品になって,
フロッタージュは絵や彫
刻などと違って一度やると止められないような,
そんな技
法だと思いました。(米代尚生)
コイン等でフロッタージュをした事は何度かありました
が,それをするためにどこかへ行くという体験は初めての
事でした。景色を楽しみながらフロッタージュするものを
探す。これをこするとこうなるだろうと予想しながら浮か
び上がって来るのを待つ。しかし,予想した通りに出てこ
ない。そこがとてもおもしろかったです。冒頭の通り,人
間が作り出したものもフロッタージュをしたことはありま
したが,自然のものをフロッタージュ出来たのがとても楽
しかったです。岩やコケ,樹木の皮でフロッタージュする
時の感触はとても気持ちが良く,自 が自然の一部に
なったような気さえしました。初日の岡部さんのお話に
あったように,フロッタージュはとても単純な原理なので
素人の私達でも上手に,そして楽しく行なうことが出来ま
した。その貴重な時間の中で,人工物,自然物,それら
が混ざり合ったもの,それをこすって指先で様々な感触を
感じることが出来ました。情報を頭につめ込むのではな
く,体で,感覚で感じ取る。
〝ガリガリ"という心地良い音
と浮かび上がるひとつひとつの記憶を忘れることは決し
てないと思っています。わずかな時間でしたが,ありがと
うございました。(長谷川隆朗)
僕は 9 月 4日に岡部昌生さんと一緒に雄別炭礦に行っ
て,フロッタージュをしてきました。最初に雄別炭礦病院
に行ってフロッタージュをしました。初めはどこにしようか
悩んだけど,入口にある柱の模様が気になり,そこでフ
ロッタージュをしました。次は坑口浴場でしました。
お風呂
のタイルなど色々ありましたが,複雑な形をした石の壁を
フロッタージュしてみました。より細かくやってるうちに,
炭礦の人達がお風呂でつかれをいやしていた場所なんだ
なぁと思いました。最後に雄別神社の階段のところをフ
ロッタージュしてみました。そこでは2∼3枚しました。僕
は,岡部昌生さんと色々な場所でフロッタージュをして行
く度に様々なことを学びました。また岡部さんと一緒にど
こかでフロッタージュができたらいいなと思いました。(野
村英 )
フロッタージュは色の濃度の調節が難しく,色が濃かった
から次は色を薄くしようと思うと,薄くなりすぎてしまいま
した。そこが難しかったです。色を混ぜるとき,混ぜすぎ
ると変な色になってしまったけど,適度に色を混ぜると,
とてもきれいな色になりおもしろかったです。壁や床をこ
すりとることがとても楽しかったです。(沼田翔吾)
ぼくは,色々な物をフロッタージュしました。中でも地面を
フロッタージュした時はおもしろかったです。岡部昌生先
生にいろいろとコツが聞けて良かったです。仲間と一緒に
フロッタージュをやっていたら時間が過ぎるのがとても早
かったです。仲間の作品を見たりしていたらすぐに美術
外学習が終わってしまいました。岡部昌生さんにまでは全
然下手だけど,
自 なりにはうまくいったんだと思います。
フロッタージュは中学 に入るまで知らなかったけど,フ
ロッタージュを知って美術が一段と好きになりました。ま
たフロッタージュを岡部さんとやってみたいと思いまし
た。いろいろと岡部さんに聞きたかったです。ただもう雄
別炭礦はいやです。(西川享佑)
自 は廃墟になった病院に行き,チョークで紙をこすって
形を作るやつをやりました。まず説明をしてくれてるので
すが,あまり…全くわからないままやっていました。自 は
7枚しかできませんでした。とにかく難しいし,腕がすごく
つかれます。ですが,なかなか楽しかったです。また今度
やるならやりたいです。(本保寿樹)
僕は雄別炭礦でフロッタージュを岡部先生と初めてやっ
て,フロッタージュに興味を持ちました。紙に形やその場
のものをうつしとることで,思い出が持って帰れるような
感じがして楽しかったです。ただ写すだけではなく,色をつ
けることによって楽しくなるし,デザインも えれて楽し
かったです。雄別炭礦には,変わった形やおもしろい形に
変わった風景があって不思議なところもあって,その形を
持って帰って見るとすごいなあと思いました。また,色々
な形や風景があるところに行って,フロッタージュをして
みたいと思いました。(中山智貴)
岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト雄別炭礦を掘るに
参加して僕が思った事,それは,夕張市ととても似ている
と思った。なぜなら雄別も昔は炭礦でとても栄えた場所
だったからだ。しかし,今は廃墟ばかりしかない。そんな
めったに行く事ができない所の物を紙に擦り写すという
貴重な体験ができてとてもうれしく思った。さらに岡部昌
生さんのすばらしい実演を見れた事がすごく印象に残っ
た。また,擦り写す作業も大変楽しく一日中やっていても
飽きないくらいだ。でも,やっぱり岡部さんのようにきれ
いにできない。きっと彼は人一倍の努力をしたからすばら
しい芸術家になれたのだと思った。今後このような機会
があればまた同じような事をしたいと思った。(澤田京佑)
ぼくが雄別炭礦に行きフロッタージュをやってみて思った
事は,床などの平らな部 をやる時はすごく簡単だけど,
木などのぼこぼこしていて平らじゃない所は,すごく難しく
苦労しました。活動時間がすごく短かったけれど,すごくい
い経験ができました。フロッタージュは,クレヨンなどを
っても出来そうなので家でもやってみようと思います。
(小川優輝)
私は,最初にフロッタージュとは何なのか?という疑問が
あり,実際に廃墟になった病院に行って,岡部さんが言っ
ていたように身近なものに感じました。子供の時によく楽
しんでやっていたので,それが美術につながるという事も
わかって,このフロッタージュは色々な事を思って写しま
した。最近は手で写すというよりも写真でという人も多い
のですが,岡部さんのように手で感じたままに写せるの
はすごい事だと思いました。フロッタージュは,本当に身
近でできるのでまたやってみたいと思いました。(吾妻美
咲)
初めてのフロッタージュということもあり,表現の仕方,
色 いなど,いろいろとまどう場がありました。しかし,
近くにいる仲間の助けによって 満足のできる作品を作
れる! そういう自信を持つことが出来ました。しかし,そ
の自信を充 に 見れる形 に出来なかった点が悔しいで
す。来年, ガイダンス>というのに行って色々勉強してみ
たいと思います。そして 3年生になった時には,思い出に
残るような作品を作りたいです。さらに展覧会も行って表
現法について参 にしたり,色々勉強したいと思います。
目指すのは,自 の満足できる作品! 自己満足ではな
く評価される作品! できるかぎり努力したい。
(小笠原遼)
感想は一言で言えば楽しかった。作品は 5 つしか作れな
かったけど,床やシャッターなどをやった。最初は難しそう
に感じたけど,実際にやってみて結構よく出来た。自 は
あまりやらないかもしれないけど,できれば時間を作って
やってみたい。反省は,最初バスでチョークをもらうはず
だったのに,もらえなくて,最初に4,5 くらい無駄にし
たし,班員にも迷惑をかけた。自 が班長として駄目だな
と思うし,今度は 外学習などがあったら班のリーダー
としてちゃんと指揮をとって班員にも迷惑かけないで,楽
しい 外学習にしていきたい。もう一つ,落ち着いて行動
できるようにしたい。(上本 太)
今回,岡部昌生さんのフロッタージュプロジェクトに参加
しました。フロッタージュについてどのようなものなのか
を改めて知ることができ良かったです。幼い頃に,下に物
を置いて浮き出すのと同じでとても楽しく行うことができ
ました。ですが今回は,ただこするだけではなく,様々な
色を うことでたくさんのバリエーションが増え,色々な
表現をすることができました。そして,自然にある木やじゃ
り道,そして今回の題名でもある〝雄別炭礦" の病院な
どをすることにより,自然とふれあい雄別炭礦を知ること
ができました。病院は窓ガラスも割れてしまい,もうぼろ
ぼろの廃墟ですが,壁のひびなどが今まで ってきたと
いう感じがしてよかったです。実際に紙にすってみると,
あ
まりうまくすることができず大変でしたが,何度も色を重
ねたりすることによって味がでました。今回のこのプロ
ジェクトで,僕はフロッタージュの良さを改めて知ること
ができました。岡部先生の
〝見るよりもさわった方が頭に
残る" という言葉がよく かったと思います。これからも
たくさんのものにふれてゆき,そのもののすばらしさに気
付いていきたいです。(入江柊)
本格的に,紙に模様をこすりとることをしたのは初めて
だったので,あまりうまくはできなかったけど,とても楽し
かったです。大変だったのは,細かい砂のあるところです
ると,テープがすぐずれて描きづらかった事などです。ま
た,大きい石のところでは,角ばったところを強くこすり過
ぎると紙が破れたので,とても苦労しました。楽しかった
のは,こすりとっていくと肉眼ではわからないような模様
が浮かび上がってくることです。全体的に短いけど楽しい
活動でした。(板倉正道)
僕は前日に見たフロッタージュの映像を見て,
簡単そうだ
なと思いました。でも,実際にフロッタージュをしてみる
と,とても難しくて驚きました。溝などがあるところに普通
にこすれば形がでてくるのかと思ったのですが,色をつけ
たくないところに描いてしまったりしたので,失敗してしま
いました。でも えていたよりも,とても楽しかったです。
岡部昌生さんの説明も かりやすくて取り組みやすかっ
たので少し自身が持てました。しかし結局 5枚しかフロッ
タージュができなかったのは,時間を気にしていなかった
からだと思います。半 の時間はずっと病院にいて,気が
付けばバスに乗る時間が近づいていました。僕は外の木
や地面などもフロッタージュしてみたかったのですが,そ
んな時間はありませんでした。そしてもう一つの原因は最
初からフロッタージュに取り組めなかったことです。なぜ
ならチョークを班長がもらっていなかったからです。班長
いわく手を挙げたのに学級長がくれなかったらしいので
す。僕も確認しておくべきだったのかなと思いました。僕
は班の人と同じ所をフロッタージュしたはずなのに色や
力の入れ具合いで全然違う作品ができるので,そこにフ
ロッタージュの楽しさがあるのかなと思います。家の中で
もフロッタージュしてみるとおもしろそうな場 所があっ
て,またえんぴつなどでフロッタージュをしてみたいと思
います。岡部昌生さんや先生方など,本当にありがとうご
ざいました。またこのようなプロジェクトがあれば参加し
てみたいと思います。(池田泰我)
物に紙をくっ付けて,そこをこするだけであんなに鮮やか
で美しい作品ができるとは思わなかった。てっきり,基礎
からしっかり学んだプロじゃないとできないというイメー
ジだったので,初心者にとっては最高の芸術だ。さらに,
色や行う場所を変えることで,色や形,印象も無限大だ。
そんなフロッタージュを雄別炭礦でやった訳だが,廃病院
といい不気味な森といい,あまりフロッタージュする気に
はならなかった。それなのにせっせと作業をしている岡部
さんを見て,90年の歴 がある雄別炭礦を未来に残そう
という岡部さんの熱い気持ちが伝わった。ぼくもその手
助けをしっかり行いたいなと思い,次第に手が動くように
なっていった。1時間足らずという短い時間だったが,フ
ロッタージュという芸術,そして雄別炭礦を未来に残すこ
とができ,とても有意義な時間になった。これからも家に
ある紙とマーキングチョークで何かおもしろい物を掘っ
てみたい。(安藤修太)
今回初めてとなる美術 外授業 フロッタージュ は思っ
たよりも難しかった。弱くこすると形が現れてこない。逆
に,強くこすると濃すぎて何をこすったのかわからなくな
る。自 の作品を見直してみると,少し強くこすったなと
反省する作品がいくつかあった。 こする という事がこん
なにも広がっているとは思いもしなかった。ふだん何気な
く見ている物をいざこすってみると,別の見方が出てくる。
美術 外授業は終わってしまったが,家でおもしろいでこ
ぼこを見つけたらやってみたいと思う。岡部先生,このよ
うな企画をして下さってありがとうございます。とても楽
しかったです。ありがとうございました。(大津愛唯)
今日は,岡部昌生さんと一緒に フロッタージュ をやりま
した。やった場所が昔の病院の所でやり,はらはらして,
色々な物があり,最初にやった場所は昔の病院の 3階の
所で,2 回フロッタージュをやり,そのあとに病院の近く
の階段の所でフロッタージュをやりました。そのあとその
ままやってきて,やっとゴールに着いたけど,2∼3こぐら
いあって,一枚は葉っぱのフロッタージュをやり,2枚目
も葉っぱのやつをやっていきました。(秋葉修平)
今回は,雄別での 炭礦を掘る というフロッタージュとい
うのを体験させていただき,とてもうれしく楽しかったで
す。今まで,あまり岡部さんなどの人達と一緒にこういう
ことはなかったので,私にとってはいい経験だったなと思
いました。初めは,そんなにおもしろいのかなと思ったり
したのですが,実際にやっているうちに ああ,なんかおも
しろいな。と思いました。自然にふれ合いながら楽しむと
いうのが,とてもうれしかったです。しかも,私達のため
に高級なクレヨンをわざわざ用意していただき,とてもう
れしく思います。また,このような機会があるのを楽しみ
にしています。(叶田悠花)
今日,ぼくは岡部昌生さんのフロッタージュ・プロジェクト
に行ってきました。一番印象に残ったのは,やはりすって
いる時の岡部さんのためになるお話でした。たとえば,病
院の近くにあったコンクリートみたいな物があった時に
あれは昔お風呂だったんだよ。など,とてもためになる
お話をしてもらいました。今回のフロッタージュ・プロジェ
クトは本当にためになりました。(佐々木航)
私達は今回の美術の 外学習で,雄別炭礦まで行きまし
た。アーティストの岡部昌生先生に,フロッタージュのこ
つややり方などを教えてもらいながら,壁や床,柱などを
フロッタージュしました。私はフロッタージュなんて一度も
やったことがなかったので,とてもいい経験になりました。
1人10枚紙をもらい,フロッタージュのこつをつかんでい
くと,10枚なんてあっという間に終わり,もっともっとや
りたかったです。そして岡部昌生先生に会えたのが,私の
中では一番うれしかったです。機会があればもう一度会
いたいです。私たちが描いた紙は釧路市立美術館に展示
されるそうで,とてもうれしく思っています。(北川奈々)
僕は,雄別で岡部昌生さんと共にフロッタージュができ
て,とてもすばらしい事を学び,そして経験しました。そ
れはフロッタージュがものをこすりとるだけのものではな
いという事や,何事にも一人で物事を進めるより一人で
も多くの人とやった方が楽しかったり,人の良い所を見つ
ける事ができたりするという事に気付きました。
〝フロッ
タージュがものをこすりとるだけのものではない" という
のは,こすりとるだけでなく,そのこすりとったものをみん
なで観賞して意見 換をして互いに成長し,よりすばらし
い作品を作る事ができるという事です。岡部さんがフロッ
タージュの良さを各国の人々に年令を問わず伝えている
という事を知り,関心を持ち,こんな感想を持ちました。
最初は フロッタージュかぁ,へぇー。で終わっていたの
も,岡部さんのおかげでこれからもフロッタージュとたず
さわっていきたいと思えるようになりました。(近藤竣貴)
初めてフロッタージュ作品を見たのは美術の教科書で,
その時私は 紙をあてて 筆でこすっただけなのになんで
線とかくっきりなるのだろう…。
これをやるにはけっこうな
技術が必要なんだろうな。と思ってて,私がやったりした
ら線もなにもない,ただの色がついた紙になるだろうなと
想像していました。ところが実際にやってみると,ただこ
すっただけなのに線がくっきり模様になっていて感動しま
した。病院は少し気味が悪かったけど,まわりの自然はと
てもきれいでした。一回やってみたかった 木の写しとり
をしてみましたが,あまりうまくいかなかったのが残念だっ
たけれど,床(地面)の写しとりはきれいにできました。ま
た機会があれば今度は別の場所でやってみたいです。
(工
藤杏子)
ぼくの好きな事がみつかりました。そして岡部さんにはと
ても感謝しています。最初,病院でやった時のほうが,タ
イルなどが多かったのできれいにできたんですが,だんだ
ん減っていってしまい,納得のいく作品ができなく残念で
した。フロッタージュというのは,とても奥が深い! そう
思えました。もし,きれいにやるとしたら,ぼくは芸術館
などでやりたいです。なぜかというと,とてもあそこはタイ
ルや凸凹が多いので,フロッタージュにはぴったりだと思
います。とても好きになってしまったので,家でやったので
すが,せまくておもしろくありませんでした。フロッター
ジュは何が出てくるかわからないところの方が多 良い
んですね。もうぼくは雄別炭礦に行くかはわからないです
が,
とても良い思い出ができました。
本当にフロッタージュ
を教えてもらってありがとうございました。(窪田正吾)
今回,岡部さんと一年生で雄別炭礦へフロッタージュを
しに行きましたが,非常におもしろい作業でなかなか興味
を持って参加をしましたが,少しフロッタージュというも
のを甘く見ていたと思います。 自 もやれば岡部さんの
ような作品を作れる と最初は思っていましたが,実際フ
ロッタージュをやってみたら本当にあんなことができるの
はすごいと思いました。病院は広くフロッタージュができ
るところが多く,どこを選べばいいか悩みましたが,僕は
シャッターを選びました。シャッターはあまりフロッター
ジュには向いていないと思いましたが,選びました。ガタ
ガタで写しにくかったですが,紙に写すことは成功しまし
たが,まったく全くシャッターには見えませんが大切な作
品の一つとして扱いました。次に坂を登った上にあった雄
別通洞坑口で写した壁は,コンクリートでできたデコボコ
した壁でしたが,
案外写しやすく今回の中では一番良い作
品になりました。このようにたくさんやっていきましたが,
僕はあまり多くはできなく残念でしたが,
このようなことは
自 でやってみたいと思いました。(佐々木尚志)
雄別炭礦と聞くとうわさなどで恐いというイメージが
あったんですけど,それを感じさせないくらい楽しく活動
ができました。バスの中では友達と楽しく話し,活動中は
班のメンバーと協力してフロッタージュできてとてもおも
しろく思い出になりました。ぼくがまだ小さい時に 何か物
の上に紙を置いて, 筆などでこすると下にある物の模
様が出てくる という経験があり,それがすごく役に立って
良かったです。最初は フロッタージュなんてわざわざそ
んな場所に行かなくても,どこでもできるんじゃないか と
思っていたんですけど,実際に行ってみて,その場の空気
がすりとれた感じがして,帰ってきて 行ったかいがあった
な と思いました。(川村拓夢)
今回の美術課外授業の内容は,雄別をこすりとるフロッ
タージュの授業だった。小さいころに,お金,家の中の
色々な場所をフロッタージュをしたことがあるから,けっ
こう楽しく雄別をこすりとれた。病院,橋,木等々,色々
な物をフロッタージュができた。今回の〝岡部昌生フロッ
タージュ・プロジェクト雄別炭礦を掘る"で学べたことは,
フロッタージュの楽しさ,おもしろさ,岡部昌生さんがな
ぜフロッタージュを始めたのかが自 で えられたこと,
フロッタージュのコツ,やり方を今回の授業で学べたと自
はそう思う。だからそのことを頭に入れ,ずっと先でも
フロッタージュを楽しんで,できていたら良いと思った。
(川辺凌太)
ぼくは最初,フロッタージュを見て,簡単そうだと思いま
した。でも意外と難しくて,何度かやっているうちにだんだ
ん楽しくなってきました。でもたった5枚しかできませんで
した。それは,雄別炭礦に来たことがなくて,周りの物が
気になっていたり,時間を気にしていなかったからだと思
います。でも,今回のフロッタージュはとてもおもしろかっ
たです。小さいころやったものは,ただ何も えないで
やっていたのですが,今になっては どこをやろう。などと
えてやる事ができました。岡部さんの説明もすごく か
りやすくて,美術にとても興味が持てました。(金橋隆志)
ぼくはフロッタージュの事にはあまり興味がなく,
しかも最
初に行った場所が廃屋の病院だったので少し恐かったの
ですが,やってみるとだんだんおもしろくなり,とても楽し
かったです。ぼくはこの体験をして,家の中というすごく身
近な所もフロッタージュしてみたりしました。四枚しかフ
ロッタージュできませんでしたが,そこに行ったという記
録と,そのフロッタージュをしたということがその紙一枚
でも伝わってきました。この体験をこれからの授業で生か
していこうと思います。(大坂 一)
フロッタージュ というものを初めてやってみて,不思議
に思うことがいっぱいあった。フロッタージュをする紙は
一体どのようなものなのかとか,あのクレヨンは何だろ
う?など。実際にやってみると予想以上に色々なことが
かっておもしろかった。今まで何とも思っていなかった柱
や,普段普通に歩いていた道路にも,色々な形があること
を知れて良かったと思う。次はいつできるか からないけ
ど,次やるときは柱や道路以外のものもやってみたいと
思った。(越山桃菜)
僕は今回のような美術の大きなプロジェクトに参加する
のは初めてでした。最初に全体を通しての感想を書くと,
とてもおもしろかったです。まず,雄別は無人で,昔の生
活の跡に直に触れるというのが不思議な感覚でした。そ
して,その生活の跡をフロッタージュして紙に残すという
のも,また不思議な感じでした。フロッタージュという技
法は,僕は今回初めて知りました。壁の表面や床の表面
などを芸術的に紙にうつすのに適しているんだなと思い
ました。作業はとても単純で かりやすかったです。機会
があればまたやってみたいです。(扇谷悠天)
今回初めてフロッタージュをやってみましたが,掘り続け
ていって形が出てくると,とてもおもしろかったです。ま
た,掘らなければわからない形が出てきたりするので,発
見がたくさんできました。フロッタージュをやる前日,岡部
先生が言ってくださった 歴 にふれる ということが,聞
いただけでは かりにくかったのですが,実際にやってみ
て,その場所にある歴 にふれることで,その意味を手か
ら感じとることができました。今まで何気に通り過ぎてき
た道,見てきた物をまたフロッタージュしたいと思います。
そして,このフロッタージュをして感じたことをずっと忘れ
ないように,心の中にしまっておきたいです。(佐藤亜希
菜)
コインに紙をあててこすったりするのをフロッタージュだ
とちゃんとわかってから,岡部昌生さんのフロッタージュ
プロジェクトで 雄別炭礦を掘る を体験できて,
とても良
かったと思います。私にとってのフロッタージュは,ものに
紙をあててそっくりに模様が浮き出てくるだけだと思って
ましたが,この体験をして,フロッタージュというものは色
をつけたりすればとってもきれいになったりした。とても
すてきでした。でも,とても気になっていたのは,なぜ病
院にあんな落書きがされていたのかがとても気になりま
した。そして一つ気づいたことは,フロッタージュは意外
に腕がつかれて,少し痛くなったりして大変だな…と思い
ました。それでも長くて大きな紙にフロッタージュする岡
部昌生さんは,とてもすごいなと思いました。(佐藤光)
今回初めてフロッタージュを体験してみて 今,自 はと
ても素敵な事をしているな。と思いました。手ですり取る
事でその場所の歴 を感じられました。壁,岩,地面,
様々なモノをすりとり,紙に写し取って,絵などの形にし
て,その歴 を残すという事はとても素敵な事だと思い
ます。今回,皆ですり取ってきた作品を美術館で展示し
て,他の人達が見た時に,私達が感じた〝歴 "をその
人達にも感じて欲しいと思います。又,自 で擦り取った
時に感じる歴 も,その人達にフロッタージュを体験して
感じてもらいたいと思います。私も岡部昌生さんの様に
とはいかないかもしれないけれど,フロッタージュという
モノを追求してみたいです。(傳田みなみ)
今日,雄別に行って初めてフロッタージュを体験してみ
て,フロッタージュはクレヨンで地面とか壁をこするだけ
で,その形がでてきて,そして自 の力加減やこする速度
で色の濃さや厚みなどを調節したりできるので,手を
ゆっくり動かしたり,速く動かしたり色々やってみました。
紙にクレヨンでこするだけなのに,どんどんその下のもの
が見えてくるのが楽しかったです。中でも病院のタイルや
自然の木をフロッタージュするのがおもしろかったです。
私はあの小さい紙 1枚フロッタージュするだけでも手がつ
かれて大変だったのに,岡部昌生さんは何 mもある紙で
フロッタージュをされていて本当にすごいと思いました。
今回は美術のオリンピックに日本代表としてでている岡
部昌生さんにフロッタージュを教えてもらったり,体験で
きてとてもいい経験ができました。(長屋早知佳)
岡部さんが着いてからフロッタージュをして,岡部さんも
簡単ですよ。と言って始めてみたら,うつす所が選べな
くて,時間が経っていって,友達と一度やってみようとなっ
てやってみたら難しくて,テープで止めても紙がずれて,
とても難しくて,どんな簡単な事でも難しいと思った。次
に木フロッタージュしてみたけど,しっかりとあとが出てこ
なくて困ったけど,最後までやってみると意外とあとがで
てきてびっくりしました。切れこみの入った壁をフロッター
ジュしてみると,切れこみがキレイに出るのかと思った
ら,あまりキレイに出てこなくてちょっとびっくりした。次に
木の階段をフロッタージュするとキレイに出て,一番の出
来だった。フロッタージュを見てみると,最初は簡単だと
思うなぁと思って岡部さんがやっているときに思いまし
た。けど自 が場所を決めて実際にやってみると,場所は
決まらない,フロッタージュをどうすればいいかあまり
からないで,刻々と時間が過ぎていってあまりフロッター
ジュできなかったけど,家でメモ帳などに100円玉などで
やってみたいです。(遠藤匠)
今回雄別にフロッタージュをしに行き,色々なものをフ
ロッタージュできて楽しかったです。 物の壁から地面,
木など。他にも色々フロッタージュしてみたかったなぁと
思います。又,色もたくさんあったので色々まぜたりして
みたかったです。フロッタージュは場所,物そのものをそ
のまま写せるので,あとから作品を見ると,何をフロッ
タージュしたかは からないかもしれないけど,そのもの
の感覚等が作品に残っているような感じで,
とても面白い
と思います。行く前に映像を見ましたが,
もっと見たいなぁ
と思ったほどです。もし又機会があれば,昔の 物だけで
はなく,日用品とかもフロッタージュしてみたいなぁと思
います。(平尾麻紀子)
今日,僕が初めてフロッタージュをして見て感じたことが
二つあります。一つ目はどこでもフロッタージュができる
という事です。僕はこれを機会に家でもやってみようと思
いました。二つ目は,誰でも楽しくフロッタージュができる
ということです。僕も班の人も楽しくフロッタージュがで
きました。またこのような授業があったら,またやりたいで
す。(岩淵優貴)
今回の授業で私は初めてフロッタージュをやりました。最
初の方はテープがはがれてしまったりして,紙がずれて線
もずれて,かなり難しいと思っていたのですが,何枚か
作っているうちに慣れてきて,いいものを作れたのでとて
もうれしかったです。フロッタージュの授業を受けた後,
家にあったいらない紙を って,家の周りや 園などに
行って何枚かフロッタージュをやってみました。もしもま
たこのような機会があったら,ぜひ色々な所をフロッター
岡部昌生
ジュしてみたいです。(前田茜)
の作品を作りたいなと思いました。(吉田ひかる)
今回フロッタージュを通して感じたことは,クレヨンで擦
り出された形が下から浮き上がるって不思議だなぁと思
いました。自 の手でいろいろなものに触れることがで
き,また岡部昌生さんのお話が聞けてとてもよかったで
す。貴重な体験ができてとてもうれしいし,いい思い出に
なりました。(天元愛恵)
私が一番最初にフロッタージュしたのは,雄別炭礦病院
の屋上の少し大きめのタイルの壁でした。やってみてわ
かったことが 思っていたよりつかれる ということでし
た。でも,オイルチョークでこすった所に模様ができて楽
しかったです。次に小さめのタイルをやってみました。丸
い柱だったからか,タイルがちゃんと正方形にならなかっ
たのが不思議でした。次に,ひびの入っている壁を黄色と
赤で半 ずつやりました。赤のチョークでこすったほうが
ひびがはっきり見えておもしろかったです。色の重ね方
も,少し えてやってみました。四つ目にやったのが川の
近くに生えている木です。これは緑と青で自然をイメージ
した色でやりました。木は壁や床よりもあまり色がつかな
かったりして,やりにくかったです。その後も階段や床な
ど,興味を持ったものをやりました。最後にやった駅の床
はテープがはがれてしまい,ずれてしまいました。ものの
上から紙をあててこするという作業は普段あまりしない
ので,楽しかったです。(森島若菜)
炭礦病院の壁や床を紙に写し取ることで,写真などでは
わからないデコボコなどが かり,体で感じとることがで
きた。また,炭礦が開かれた年と同じ年数が経ったものを
写し取っている時に,昔もこのようになっていると思うと
感慨深いものだと思いました。今回は美術の教科でこの
フロッタージュを行いましたが,色々なことを教科を越え
て学ぶことができました。(石垣綱紀)
私はみんなといろいろな所を周りながら,いろいろなもの
をすり取りました。すり取りは,やりやすいと思っていまし
たが,少し力を入れて少し速く動かしてという,少しが大
変でした。力がないとしっかり立体感がでません。そして
スピードが遅いと,くぼみがある所にも色が入ってしまい
ました。この加減が難しかったです。最初は時間がまだあ
ると思ってあせらずにじっくりやっていましたが,時間がも
うなくなってきたと思いあせってやったので,線がいっぱ
いあるのや,
くぼみも色が入ってしまうのがありました。木
曜日と金曜日でいろいろなことをいっぱい学べました。
(眞木紫音)
私はフロッタージュを最近知って,初めて見た時簡単そう
だなと思いました。でも実際やってみると岡部さんのよう
にならず,そりゃそうだなとも思いましたが,同じように
やっているのにどうして違うのかなと思いました。そして
えてみると,岡部さんが最初におっしゃっていた 丁寧
というのが抜けていたのかなという えになりました。こ
れからは何事にも丁寧に取り組もうと思います。雄別炭
礦を擦り取ってみて,そして中を見学してみて,昔は自
たちと同じように人々が住んでいたのかと思うと,とても
不思議な気持ちになりました。そして自 の手で擦り取ら
れていく雄別炭礦の昔を想像すると,楽しくて時間がもっ
と早く感じられました。(吉田花奈子)
今回の授業で初めて岡部さんのやっているアートを知り
ました。マーキングをやったのも初めてだったし,少し感
動しました。雄別の病院でやるというのはおどろいたけ
ど,自然がたくさんあって楽しかったです。そして,岡部さ
んの説明の時に見た色々な作品も,すばらしいなと思い
ました。マーキングのペンで紙をこするだけで,その形が
紙に現われて,色んな色を うことで好きな柄も作れる
し,1年生の作品約 1200点の中にたくさんすごい作品が
あるんじゃないかと思います。と思うと,美術館での展示
がとても楽しみです。岡部さんはヴェネチアの日本代表
にも選ばれたということなので,
これからの活動を頑張っ
てほしいと思います。(舟木七虹)
私はあまり自然に触れたことがないので,今回のフロッ
タージュは自然にも触れられたし,自然を生かしてフロッ
タージュできたので,とても楽しい経験となりました。も
し今度行けたなら,もっとフロッタージュをしたいと思い
ます。(倉部美穂)
今回,岡部昌生さんと雄別炭礦へ行ってフロッタージュ
をやってきて思ったことは,まず第一にすごく楽しかったな
と思いました。フロッタージュの作業は,ものなどを擦り
だすという単純なことだけど,紙の上からなぞっていると
色々な模様がでてきて,それをやっているうちに色を組み
合わせたりしてメリハリを付けたり,色の い方によって
同じ所をこすっても完成した作品が全然別のところを擦
りだしたように見えるところなどが,すごく興味深くておも
しろかったし,すごく単純な作業だけどその中でも色々な
楽しさが見つかって,楽しかったなと思いました。フロッ
タージュは,普段の生活の中でも楽しめて,家にあるもの
で出来るので,自 もたくさんフロッタージュをやってみ
たいと思いました。そして,小さな子やお年寄りの人達に
も教えて,フロッタージュを多くの年代の人達に楽しんで
もらえればいいなと思いました。( 永理菜)
今回,私は色々なことを感じることができました。フロッ
タージュは授業の中などではやったことはなかったけれ
ど,小さいころから自然と楽しんでやっていた身近なもの
でした。岡部さんが言っていたように,その時をカメラで
撮るのではなく,手で写しとる良さや意味が かったよう
な気がしました。感じたものや,さわったものがそのまま
感じられるのは今までとまた一つ違った良さだと思いま
す。そして後から見ればいつもの床や壁がちがったように
見えました。今回やってみて,別の面白さや感じられる楽
しさが一つ増えました。とても良い経験になりました。(日
高美瑛)
今回の 外学習では,岡部昌生さんと雄別炭礦にフロッ
タージュをしに行きました。雄別炭礦は色々なうわさがあ
り,もともと病院だった所に行ったので,壁がはがれてい
たり,こわさばかり感じていました。しかし,班のみんなと
作業していくうちに楽しくなって行きました。壁のキズも,
フロッタージュにとってはいい模様になっていました。フ
ロッタージュは小さいころにもやったことがあるものだっ
たけど,こする場所に意味をもって行うのは初めてだった
ので,新鮮な気持ちで作業することができました。またこ
のような機会があれば,今度はみんなと岡部さんで一つ
岡部昌生フロッタージュプロジェクト雄別炭礦を掘る
アーティスト岡部昌生さんと共同制作を今回初体験し
た。雄別炭礦を掘る前の日,わざわざ附属中学 まで来
てくれフロッタージュのことをお話ししてくれた。 フロッ
タージュ というものを全く知らなかった私にとってフロッ
タージュはとても遠い存在に思えた。その後岡部昌生さ
んの資料を見てみた。その資料にはすごく意味の深いこ
とが書かれていて,特に わたしたちの過去に未来はある
のか という言葉が印象に残った。次の日,雄別炭礦に着
いた瞬間,まず目に入った物は,どこまでも続く自然とラ
クガキだった。なぜこんな自然のありふれた場所にラクガ
キをするのか,本当にこんな場所ですてきな作品ができ
るのか?と思った。そしてフロッタージュ制作が始まった。
フロッタージュを制作している間はそこの場所の過去に
自 が戻っているような感じがした。また,岡部昌生さん
のフロッタージュプロジェクトに参加したいと思った。(永
洞舞美)
最初フロッタージュと聞いたときはあまり想像がつかな
かったのですが,岡部先生の説明を聞いて,小さいころよ
くやって遊んでいました。私は平面でずっとやっていたの
で,今回木でやったりして,あまり上手にできなかったけ
れど,貴重な体験ができたと思います。私はフロッター
ジュをやってみて,第一に感想として楽しかったです。そ
れと,フロッタージュをしている時の音が好きなので,今
回は柱,木,地面,壁でしたが,他にもたくさんの音が聞
きたいと思いました。あと,思ったことがもう一つありま
す。初めの映像で,私はテープを残してあることを不思議
に思いました。正直,テープがあって見た目が悪いのでは
ないか?と思っていました。ですが,岡部先生はその物と
この紙をつないだテープだから残しておいた方がいいと
言っていました。それを聞いて納得しました。確かに少し
見た目は悪いかもしれないけれど,フロッタージュの一つ
の作品としては大切で,ある意味この作品の一部なんだ
と思いました。もし,私ならテープを捨てていたかなと思
います。今回,雄別炭礦の歴 を感じることもできまし
た。正直,病院はこわかったけれど,フロッタージュは,
とても楽しかったのでよかったです。最後に,岡部先生,
今回はフロッタージュについていろいろ教えていただき,
そして,私達に貴重な体験をさせていただきありがとうご
ざいました。美術は得意じゃないし,好きではないのです
が,フロッタージュはしつこいけれど楽しかったです。本当
にありがとうございました。(田澤亜季)
今回のフロッタージュ・プロジェクトで雄別炭礦に行って,
色々な形をうつして,とても楽しかったです。最初フロッ
タージュというものを聞いてどんなものかわかりません
でしたが,紙にうつすものだと知って,小さいころに少し
遊んでいたので,とても身近に感じました。それと,場所
によって同じような場所があったので,紙にうつすと同じ
だと思っていました。だけど少しずつちがったので, 同じ
ものは描けないのかな と思いました。炭礦も自然がいっ
ぱいで石などもフロッタージュしました。岡部さんにも
色々なことを教えていただきとても勉強になったし,とて
も興味を持ちました。フロッタージュはいつでもできるの
で小物ではなく私も木や地面や壁などの自然や大きいも
のもフロッタージュしてみようと思いました。(尾森瑞樹)
フロッタージュを初めてしてみてとても簡単だと思いまし
た。しかし岡部昌生さんの作品を見ていると,同じ所を写
し取ったのに,絵がずいぶん違うように思えました。何か
スプレーのような物を っていたけれど,それでも絵の
感触がやっぱりプロのようでした。写し取り方がなめらか
で自 にはまねできないと思いました。作品を出展するよ
うなので,自 の作品を見て悪かった所を見直したいと
思います。(野村豪)
今回行ったフロッタージュ・プロジェクトでは,
岡部昌生さ
んも同行してくださったので,フロッタージュについてよく
理解することができました。岡部さんがフロッタージュを
行うと,うまく模様が出てきますが,ぼくたち生徒が行う
と,どのような所でも同じような模様が出てきてしまうの
で,思ったよりもむずかしいことがわかりました。しかし,
すごく楽しかったです。今回のフロッタージュ・プロジェク
トでは,1時間以上もバスに乗り,雄別まで行ったので,
少しつかれましたが,いろいろ勉強になったので,行って
よかったと思います。フロッタージュを行っていて,むずか
しかった所が 2つあります。1つ目は色 いです。何色か
色がありましたが,1色だけだったり,何色も ってみたり
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
しました。2つ目は場所です。模様の出そうな場所をさが
すのに苦労しました。(野崎浩輝)
僕は雄別で,フロッタージュをして感じたことがあります。
1つ目は実際に描くこととの違いです。実際に描くと輪郭
がはっきりとしますが,フロッタージュでは他の方法では
感じることのできない美しさを見せつけられます。2つ目
は速度です。実際に描く時には,細かな部 などを下書き
しますが,フロッタージュは下書きは必要なく,紙を擦る
ものの上に置き,テープで紙をずれないように固定する
だけで準備は終わり,後は擦りだせば完成ですから,短時
間で独特の美しさを表現することができます。僕は今回,
岡部昌生さんとフロッタージュをしたことによって,また
美術の世界に引きずり込まれた気がします。今回(9 月 4
日)の経験は色々なことを学びました。このことを今後に
生かしていきたいです。(中谷勇希)
僕は岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト雄別炭礦を掘
るを行って,雄別炭礦病院や,坑口浴場や雄別礦業所と
購買会でいろいろな歴 や,さまざまな様子をフロッター
ジュを通して学びました。雄別炭礦病院では,病室の数の
多さから見て,とても多くの人が病院に来ていたことが
かりました。雄別礦業所や購買会も,多くの人が働いたり
物を買ったりしていたことが かりました。坑口浴場は,
今の浴場とちがって,とてもおどろきました。このような
ことをフロッタージュを通して知れて,すごいと思います。
これからもこのような歴 がフロッタージュで,いろいろ
な歴 を知らない人でも,その感じ取った歴 が伝われ
ばいいなと思いました。(中村勇輝)
僕は今回フロッタージュという技法に初めて挑戦しまし
た。最初,岡部さんの説明を聞いていたときは,どういう
ものなのかなぁとか,どういうものを ってするのかなぁ
と思っていましたが,当日,雄別に行って実際にフロッ
タージュに挑戦してみると,とてもおもしろくて,楽しくて,
本当に夢中になってやっていました。一枚一枚,一生懸命
に擦っていました。そしたら,時間があっという間に過ぎて
しまいました。今回の体験で僕は新たにフロッタージュと
いう技法を覚えることができました。この行事には,とて
も感謝しています。また時間のあるときに,次は自 一人
で,フロッタージュをして思い出をたくさん残したいです。
(徳田 一郎)
僕はフロッタージュを見ているときは,簡単そうだと思い
ました。けれど,見ているのと違って,実際にやってみる
と難しくて,ずれたり,破れたり,うまく塗れなかったりし
て,何度も失敗しました。木は難しかったけれど,上手に
出来て,うれしかったです。石段のようなところをフロッ
タージュした紙は,本物のようにぷつぷつしていて,気に
入りました。床のタイルをフロッタージュしていた時は,途
中までうまくいってたのに破れてしまって残念でした。壁
のタイルはいたずら書きの所をやってずれてしまったの
で,いたずら書きのない所にすればよかったと思いまし
た。帰りのバスで友達の作品を見ると,石に彫ってあった
文字がきれいに出ていたので,自 もそこをやっておけば
良かったと後悔しました。次にいつかまたこのような機会
があれば,
しっかり押さえて,破れないようにゆっくり丁寧
にフロッタージュしたいと思います。(坪野竜治)
私は今回が初めての雄別炭礦でした。おばあちゃんが昔
住んでいて,炭礦のことについて,こわい話なども聞かさ
れていました。自 でも少し,いやだなと思っていたとこ
ろもありました。でも,行ってみるとそうでもなく,フロッ
タージュを楽しめました。病院ではシャッターと柱をすり
ました。急いでいたので,どこをまわったのか把握しなが
らまわれませんでした。行ってない所もあると思うので,
やってみたいと思うくらい,楽しんできました。フロッター
ジュを通して,雄別炭礦はどれくらい栄えていたか,どれ
だけ人が住んでいたか, 物の大きさなどから少しは感
じとれたかなと思います。フロッタージュは,誰とでも楽
しめるものだなと思いました。言葉は通じない人とでも楽
しめたり,すっている所を知れたり,色んなことを教えて
くれるものだと自 でやってみて感じました。フロッター
ジュを見た人は,人に何かで伝えるということは,とても
大切なんだと思い,自 でも何か伝えられることがある
かもしれないと思い,新しいことに挑戦する人も出るので
はないかと思いました。フロッタージュだけではなく,他の
事も全てつながるのではないかと思いました。私は,この
体験はとても自 のためになったと思いました。一つのこ
とに本気でがんばろうと思えるものになりました。自 を
とても えさせてくれた雄別炭礦に,作った人に感謝で
す。今でも雄別炭礦は色んなことを人に伝えようとしてい
るのかなと思います。とても貴重な体験でした。(久末夢
海)
僕はこのフロッタージュ・プロジェクトで2つ学びました。
その1つは形です。1つ1つの物に個性があり,どれも違っ
た形をしていると言う事です。地面だとしてもどれも違う
個性や形があります。2つ目は色です。全く同じ場所で描
いたとしても,色が違えば見た人の印象が変わります。さ
らに色を組み合わせる事でも印象が変わります。このこ
とを活かして,これから美術などに取り入れていきたいで
す。(村田祐基)
今回,初めてフロッタージュをやってみて,正直あまり楽
しいとは思わなかった。というよりは思えなかった。場所
のせいかもしれないけど,やりながら えたことや,思っ
たことが全くなかった。でも,普段できないことができてよ
かったと思った。フロッタージュを企画してくれた人には
感謝しなければいけないと思う。作品については,色を青
と黄色,それに青と黄色を混ぜた緑だけにした。個人的に
赤や青と赤を混ぜたむらさきなどは,きらいなだけだった
ということで,その 3色だけを った。チョークが入って
いる袋の中には緑が入っていたけど,わざと青と黄色を
混ぜた緑でもいいと思った。むしろ,そっちの方がかえっ
てよかったと自 では思う。10 枚フロッタージュした中
で,一番気に入っているのは,
途中歩いた橋で見つけた製
造年などをフロッタージュした作品だ。同じものが2枚あ
ると思われるが,色はちがうし,びみょうに位置がずれて
フロッタージュされている。どちらが気に入ったのかと聞
かれると迷ってしまうが,たぶん青いチョークでフロッ
タージュされた方を選ぶと思う。そのわけは,ただ単に自
は青系(水色など)の色が好きだからというだけだ。フ
ロッタージュをしていて気が付いたことが2つあった。1つ
めは,自 がやってみたい所がなかなか見つからなかった
ことだ。今回,時間の関係で少ししかできなかったのが理
由の一つであると思う。もう1つは意外とくぼんでいる所
にかぎって色がぬらさってしまうことだ。それは自 のぬ
るときの力のかげんであると思う。フロッタージュはやっ
た部 の場所が,紙につくという立体的な写真だと思う。
色は違っても,形がでてくるのですごいと思った。今度ま
たフロッタージュができればもう少し時間をかけて,てい
ねいにやってみたいと思う。(佐々木朋奏)
雄別の森をフロッタージュしてみておもしろかったことが
3つあります。1つ目は そのフロッタージュした模様がそ
のままうつる ということです。これは肉眼では見えない
模様でもフロッタージュすることによっておもしろい模様
が写し出されるからです。2つ目は 何でもフロッタージュ
できる ことです。これはどんな物でもフロッタージュで
き,色々な物を紙に写しだすことができるところです。こ
の 外授業を通して,フロッタージュのおもしろさやすご
さが身にしみました。これからもできれば色々な物をフ
ロッタージュしてみたいです。(八重樫恭介)
このフロッタージュをやって思ったことは,色々な 物の
中に入って床や柱をフロッタージュしていて,僕がこのフ
ロッタージュをやる前よりとてもおもしろかったし,色々な
物は病院だったり,この病院だったらここが病室だとだ
いたいわかった部 もあって, 物の中を見ながらフロッ
タージュをできた。壁などを掘っていたら,もっと色々な
フロッタージュの技術を教わったら,もっといい作品が作
れたと思うし,もっといろんなところに気づくことができ
たと思いました。でも,とてもいい経験になりました。(中
村優)
ぼくはフロッタージュというものを今回の活動で初めて
知りました。とても簡単にできて,また今回のような活動
ができると良いなと思います。活動して感じたことは,岡
部先生が言っていたように,
その場所の歴 を感じること
ができることです。実際にそこで何があったかわかりませ
んが,ここではこんなことがあったのかなぁ。あんなことが
あったのかなぁと想像する楽しさがあり,良い勉強になり
ました。また,本当にこんなところに人が住んでいたのか
なと思ったり,不思議なこともありました。今回のような
体験を計画してくれた先生方に感謝しています。(山形喜
也)
僕は最初フロッタージュをやっている人の映像を見て,何
をやっているのかなって思ったけど,実 際にフロッター
ジュをやってみたら,フロッタージュのことが少し勉強に
なりました。(舛森俊文)
僕は今回のこの岡部昌生さんのフロッタージュプロジェ
クトが行われる日まで,とても楽しみにしていました。そ
して古く歴 のある雄別からどんなものが擦りとれるの
かなと思っていました。実際に擦ってみて思ったことは,
思っていたより簡単で,コツなどもつかめて楽しく擦るこ
とができたことです。
でも,
なにより短い時間の中でフロッ
タージュの楽しさがわかって,充実した時間を過ごせまし
た。今日は岡部さんを始めスタッフの方々,先生方,貴
重な体験をさせていただきありがとうございました。(平
田賢太郎)
雄別炭礦に行く前の授業で岡部昌生さんの話を聞いた
時に,フロッタージュって難しいのかな∼雄別炭礦ってど
んな所なんだろうな∼。と思いました。実際に行ってみる
と,らくがきが多くあって,不気味で,なんかお化けが出
てきそうだなと思いましたが,1回フロッタージュをすると
それに熱中して不気味だなという気持ちより,フロッター
ジュ楽しいなという気持ちのほうが多くなりました。こん
なに一つの物に熱中できたのは久々なのでとても楽し
かったです。フロッタージュはあまり難しくないし,みんな
でできるので,こんな楽しい物を教えてくれた岡部昌生さ
んに感謝です。本当にありがとうございました。(今野彰
久)
フロッタージュとは,ただうつすだけだと思っていました
が,岡部さんの話を聞くとフロッタージュの良さというも
のが かりました。雄別には色々な昔の 物があり,それ
ぞれの場所でフロッタージュをしました。僕はフロッター
ジュをすることによって炭礦を行っていた時代の様子が
大変だったと感じました。また 見てさわって描く ことに
よって思い出になる所もフロッタージュの魅力です。フ
ロッタージュのすばらしさを教えてくれた岡部さんには感
謝しています。僕はとても良い体験をしたと思っていま
す。紙とペンで誰でも手軽にできるので,もっとたくさん
の人にフロッタージュの良さを かってもらって,僕もま
たやりたいと思いました。(山木武蔵)
す。とても楽しかったです。(小田衣里子)
今回のフロッタージュをやって,意外に簡単でおもしろ
かったけど,フロッタージュをする場所が見つからなくて,
フロッタージュが少ししかできなかった。でも,フロッター
ジュの楽しさやおもしろさがわかった。今回のフロッター
ジュをやって良かったと思う。あと, 囲気は暗く,落書
きが多かったです。もう雄別は行きたくありません。そし
て,フロッタージュはまたやってみたいです。そしてなによ
り不気味でした。病院がなぜこわれているかも疑問になり
ました。フロッタージュをやる時は,もっと明るい所がいい
です。フロッタージュをやるって言うことは,僕にとって命
がけでやっているもんでした。(酒井智宙)
始めにフロッタージュをした病院は怖かったんですが,中
に入って誰も居ない所でフロッタージュすると,意外にも
とても面白かったです。その後,歩いて移動して,洞 み
たいな所へ行ったけど,中にたくさん枝みたいのが落ちて
いたりしました。最後にフロッタージュした大きい倉庫み
たいな所は,2階の床が傾いていてびっくりしました。しか
も,崩れたりしたので,そうとう古い 物だという事が
かりました。その倉庫では,床と壁をフロッタージュしまし
たが,床の割れ目とかも表わすことができて良かったで
す。(遠藤みりい)
僕は木を刷り取った時,この 物の歴 と一緒に育って
きたのだと思った。木は凹凸があり,色があるところとな
いところがはっきりするかなと思っていたが,予想以上に
濃淡がでなかった。コンセントは,田舎でこんな昔にも電
気が通っていたんだなぁと思いながら刷り取った。コンセ
ントは濃淡があまりでないかなと思っていたが,とても味
のある作品に仕上がった。学 でフロッタージュの授業を
受けた時,本当にクレヨンやチョーク等で紙をこするだけ
で,教科書に載っているような作品ができるのかなと少し
疑っていたが,実際にやってみると思っていた以上に力の
ある作品に仕上がった。絵を描くといったら, 筆や絵の
具で描くことしか知らなかったが,
新たにフロッタージュの
技法を学んだので,
これからの作品に生かしていきたいと
思う。機会があったらまた挑戦してみたいと思う。(恒川
睦樹)
私はフロッタージュについて説明された時,もっと簡単な
物だと思っていましたが,実際に体験してみると思ったよ
り難しかったです。その場所をこするだけなのに,同じ場
所でやっても人それぞれの色や濃さ,繊細さなどがあっ
て違う 囲気の作品になっていました。後,意外とこする
のに凸凹があって疲れました。たった 10枚なのに,手が
ふるえてしまって,
その後えん筆で字がふるえて文字を書
けなくてびっくりしました。それを思うと,ものすごいたく
さんの作品を作ってきた岡部昌生さんはすごいなぁと思
いました。今度,家や家の周辺でフロッタージュをしてみ
たいです。(播磨谷美玖)
フロッタージュは,でこぼこしたとこに紙をあてますが,い
つも僕はでこぼこのないとこで絵をかきます。なので,で
こぼこな壁で作品をかくというのが,いつもと違う感じで
作品が作れて楽しかったです。四角形のでこぼこした壁を
フロッタージュするとき予想していたよりも四角形の大き
さが大きくてびっくりした。色々な色を重ねることによっ
て,とてもきれいな作品やぬる方向をかえるだけで色々
な発想ができて,それをやってみるときれいだなと思っ
た。壁や床だけでなく木でやることができた。石でできた
壁を写しとると,意外な形でびっくりした。フロッタージュ
をして何色と何色が合うとか合わないとかがわかった。フ
ロッタージュはふつうの絵(つるつるしたとこでかく絵)み
たいに,はっきりとした作品ではないけど,そこを える
という楽しさはフロッタージュにありました。(岩間司)
今回の授業の前日に見た DVD で岡部昌生先生の映像
を見た時に,最初はどうなるのか?と思っていたが,出来
上がった作品は,とても圧倒感があって,こんなものを自
でも作れるのだろうか?と思った。また,色々な人々と
の 流をしているのが,やはりすごい作品を作る人は違
うと思った。雄別に着いた時にすごく歴 を感じ,色々な
材料があって面白かった。病院で,フロッタージュ(岡部先
生)を生で見たときに,やはり自 達とは全然違うと思っ
た。実際にやってみると,テープで留めていても動いてし
まったり,力加減が からず, が開いたりしてしまった。
また,何をうつしとったのかが からない作品を多く残し
てしまった。ただこするだけで比較的簡単だと思っていた
が,意外な難しさがあった。岡部先生がおっしゃられた通
り,目で見たものは忘れてしまうが,ふれたものは忘れな
いという事も実感できて良い体験だった。(後藤颯)
今日,岡部さんとやった雄別炭礦を掘るのフロッタージュ
は,病院をフロッタージュしましたが,色々な所をフロッ
タージュできてすごく良かった。今日,岡部さんとやった
フロッタージュは,これからも中学 1年生の思い出として
心に残るので,色々な人にこのことを教えたいと思った。
病院以外にも地面などをフロッタージュしたが,すごく楽
しくて,しかもその場面の良い所などもフロッタージュで
きた。
この後もフロッタージュをし続けたいなと思った。今
日のフロッタージュはすごく楽しかった。岡部さんにもう
一度会ってお礼をしたいです。フロッタージュを岡部さん
とできてすごくうれしいです。美術の授業でもう一度フ
ロッタージュをできる時がきたら,ぜひやりたいと思いま
す。岡部さんと会って本当に良かったと思います。(藤島
拓生)
雄別炭礦は心霊スポットと呼ばれるような があったの
で,最初はあまり行きたいと思ってはいなかったのです
が,フロッタージュをしているとそんな事は気になりませ
んでした。そしてフロッタージュは思ったよりも簡単だった
ので,気楽に楽しく制作することができました。やっている
内に,同じ場所を擦っても同じようにはうつらず, に色
を変えたり加えたりすることで,全然違うものが出来上が
ることに気付き,不思議に思いました。普段はあまりフ
ロッタージュをすることもなく,今回フロッタージュをしに
行ったことで雄別のマイナスだけのイメージも変わった
ので,とても良い経験をすることができたと思っていま
雄別炭礦の印象は,暗い感じでこわかった。病院の中で
は,人が通りそうな場所はきれいに片付いている所が多
かったが,奥に入っていくと,ガラスが落ちていたり大きく
深い があったり,一番ひどかったのは 落書き 。何でこ
んなことをするのかがわからない。いかにも廃墟らしい所
だった。フロッタージュというのは,どこかでまたやった事
があって,小学 の頃の図工で下にしく凹凸防止のカ
バーを忘れてテーブルや地面がうつったことがある。非
常に楽しい経験だったが,もう雄別に入ることはないと思
う。弥生の遺跡みたいに活気があった炭礦を想像できる。
全体的にタイルが多くて作品を作りやすい環境だった。本
当に,この病院に入ったというのはすごいらしく,両親も
おどろいていた。幽霊が出るというが本当なのか? ここ
に来たのを誇りに思う。(野田陸冬)
僕は今回の授業でフロッタージュは難しいなと思った。な
ぜなら,ただこするだけでは何を描いているのか からな
い作品になったり,力を入れすぎると紙がやぶけたり,凹
凸が無くなって何を描いていたのか自 でも からなく
なったりしていたからです。あと,廃病院で岡部昌生先生
が実際にフロッタージュしてくださった時に,やっぱり長い
間やっているから,僕達とは違って上手いなと思い,真似
してみようとやってみたけど,岡部昌生先生とは違って,
何を描いているのか からない作品や,色がかたよった
作品ができてしまって,
やっぱりフロッタージュは難しいな
と感じました。岡部昌生先生がおっしゃっていた様に目で
見たものは忘れてしまうけど,実際にやってみると忘れに
くいという事も かりました。いい経験ができたと思いま
す。(冨坂祐太郎)
僕が,今回の 岡部昌生フロッタージュプロジェクト 雄
別炭礦を掘る に参加して思ったことがあります。それは
絵を描く素晴しさ です。岡部先生は絵を描くことによっ
て,その形だけでなく人々の生活やそこの歴 ,そこの記
憶を取り出すことができると言ってくれましたが,実際に
描いてみるとまさにその通りで,木の力強さや 物の大
きさなどから,様々なことがわかった様な気がします。僕
は今回の様なイベントに参加でき,とてもうれしく思いま
す。そして,イベントに協力してくれた人々に感謝の気持
ちを伝えたいです。また,この様なイベントが今後もし
あったなら,その時は参加して,今回とは違う楽しみを味
わいたいです。(畠山涼)
私はフロッタージュはすごく簡単な物だと思っていまし
た。ですが今回,実際にやってみて,すごく難しいなと思
いました。廃病院で,岡部昌生さんが実際にフロッター
ジュをしていて,すごくきれいにできていたので,すごい
なぁと思いました。岡部さんのようにしっかり形がでな
かったり,何がなんだか からなかったり,紙がぐしゃぐ
しゃになったりして,すごく描きづらかったです。でも,実
際にフロッタージュができたので,いい経験ができたなと
思いました。(田中小夏)
フロッタージュする時に,いろんな想像や,昔はここはど
んな風な所だったんだろうと思うことができた。マップを
見ながら班で声をかけ合い,楽しみながらできて良かっ
た。始める前は,自 がどういう物を写し取れるか楽しみ
にしていて,うまくできるかちょっと心配だった。だけど実
際写し取ってみると,うまいへた関係なく,そこの物を写
し取ることができてとても良かった。1色だけでなく,2色
のマーキングチョークを うことで,自 なりに写し取れ
たり,自 だけの作品になったりしてうれしかった。班の
友達と同じ所を写し取っているのに,ちょっと違う風に見
えたりしてびっくりした。10 枚全て写し取る事はできな
かったけれど,写し取った枚数だけでも雄別を十 に写し
取れたかなぁと思った。この美術の4時間は短かったけれ
ど,中身の濃い,思い出に残る4時間にできて良かった。
岡部昌生さんに教えてもらえた事は,忘れないで,常に生
活の中でも生かせるようにしたいと思った。雄別でいろん
な物をフロッタージュした事はずっと忘れないでいたいと
思いました。(勝見真衣)
味があっておもしろいと思う。小さい頃から こする とい
うことを何回かしたと思うけど,今回の作業は今までやっ
たこととは印象が全然違った。こすっている時は,昔ここ
でどんなことがあったのだろうかと えながらこすった。
岡部先生の言っていた通り,写真を見て えるよりも,自
で実際に現地に行きこすってみることで,その場所へ
の思いや えがより一層深まったと思う。紙と 筆など
があれば誰でも簡単にできる,単純な技法だけれど,そ
の中で想うことのできる えはとても奥深いものだと思
う。
この えを発見させてくれた岡部先生たちに感謝した
い。(今津太輝)
ロッタージュするほうが印象に残るんだなぁと個人的に
思いました。 物などが紙を通り過し,うき出てくるとい
う事だけでなく,こすりとった時の手の振動や音までが,
そこがどんな所だったかを思い出させてくれます。それ
に,見て描くよりも少ない手間や道具ですぐにできてしま
います。私は今回の活動で フロッタージュ という,あま
りふれたことの無かったものを体験することができまし
た。 もう少しやっていたい! と思うくらい夢中になりまし
た。また今度フロッタージュができる機会があれば,その
時は夢中になってやるだろうし,今回あった事もまた思い
出として出てくるんじゃないかと思います。(佐藤怜奈)
私は今までフロッタージュをやったことがありませんでし
た。なので どんな作品が出来るんだろう? と疑問を持
ちながら,この活動を楽しみにしていました。初めはえん
筆でやるのだと思っていたけど,実際はチョークでやった
ので驚きました。 えてみると,えん筆では全然きれいな
作品にはならないので,色々な色を った方がきれいな
作品が出来ると思いました。柄はさまざまな場所で7枚も
フロッタージュをしたのに,2 つの柄しか出来ませんでし
た。けれど,柄は同じでも色が違えば,また別な作品にも
見えました。1枚の作品に 2色 って,もっとキレイな作
品になる様に工夫したりしました。今回の岡部昌生さんと
の活動で,フロッタージュと言うものは,写真みたいに自
が見た物をそのまま残せるので,すごい技術だと思い,
とても良い経験ができたので良かったです。(渡辺梨子)
フロッタージュは今日初めてやってみて,最初に思ったこ
とは すごい と思いました。なぜ思ったかと言うと,大き
さや形など,同じように描けていたからです。色はその時
に えついた色を って,自 なりにフロッタージュをす
ることができました。岡部昌生さんがガイダンスの時に
フロッタージュというものはそれを見ただけで,その時
の記憶が戻ってくる。と言っていました。私は今日フロッ
タージュをしたので,あと少したったら自 のフロッター
ジュを見て,あの時楽しかったな。と思えることができれ
ばいいな。と思いました。美術は物を見て描くと思ってい
ましたが,フロッタージュは違い,絵を描くのが下手な私
でもすることができました。(石川愛里)
でこぼこしたものに紙をあて,オイルチョークを塗るとフ
ロッタージュが完成される。小さいころ,クレヨンや色
筆で何度かこんな遊びをしたことがある。
この体験が今,
中学生になって,また経験することができた。幼いころに
は,そんな遊びがフロッタージュという手法の芸術になる
とは思ってもいなかったが,
美術の授業を通して古い印刷
術や版画技術として親しまれてきた方法である事を知っ
た。そして,そのフロッタージュの手法で都市を擦り取っ
てきた。岡部昌生さんに出会い,直接フロッタージュの手
法の指導を受けて,実際に雄別を訪れ,岡部さんと一緒
にフロッタージュの体験ができた。幼いころただ遊びで
やっていたことが,今フロッタージュという芸術として,自
も作品ができたことにうれしく思いました。(齋藤麻結)
阿寒の雄別に行って,
岡部さんの えた新しいフロッター
ジュという技法を って,雄別の歴 を僕は紙に擦りとっ
てきました。このフロッタージュという技法を って擦り
とるのは,とても難しかったです。この技法はゆっくりと擦
りとる方がきれいに擦りとれるのですが,擦りとっている
うちにだんだん速くなってしまうので,速さの加減をする
のが難しかったです。いろいろな場所を擦りとっていて,
一番歴 を感じることができたのは, 木 の成長の歴
でした。木を擦りとっていると,何十年もかけて成長して
きた歴 を感じとることができました。今はほとんど無人
化してしまった雄別ですが,人の知らないうちに,
たくさん
の成長をしているのだと僕は思いました。岡部さんのフ
ロッタージュという技法を って,いろいろな作品を,歴
を,擦りとって作ってみたいと思いました。(日向紀之)
雄別炭礦に到着したとき,その何とも言えぬ 囲気に驚
きました。今は人気がなくなってしまった廃病院,その他
の 物にも,何万人もの人々が暮らしていたと聞いた時,
その人達は何を思い,
ここに住んでいたのだろうと思いま
した。岡部さんが,目で見たものは忘れてしまうけれど自
の手で触れて感じたものは忘れないとおっしゃってい
て,また,このときの貴重な体験を思い出し,できるなら
ばまたどこかでやってみたいと思いました。写したいもの
にテープで留め,オイルチョークで写しとるというのは初
めての体験で,とても面白かったです。チョークの柔らか
い感触,出っ張りやくぼみを写すときなど,何もかもが新
鮮でした。フロッタージュはただ擦るだけではなく,丁寧に
細かく手を動かさなければならないことも かりました。
樹木やガレージなどを写すとき,凸凹がたくさんあり大変
でしたが,模様がしっかりと出たとき,とても嬉しかったで
す。(小笠原亜美)
僕はまず,最初に資料の 雄別炭礦の歴 を読み,雄別
について,とても悲しく切ない感じがしました。そして,そ
の思いで雄別に到着し,実際に坑口や購買会でフロッ
タージュをしました。そこで改めてこの炭礦の歴 を感じ
ました。雄別でのフロッタージュでは,昔,にぎやかだっ
たころのものが今もほとんどそのままの形であり,もう昔
には戻ることのできない悲しみを感じました。ですが,フ
ロッタージュという技法を通じて,雄別の昔の姿のよう
に,今でも炭礦の中で人々がせっせと仕事をしているよ
うに感じました。最後に,このプロジェクトを通して,とて
も深く 雄別炭礦を掘れた と思います。(戸倉涼介)
短い時間でしたが,無事に 10枚作りました。タイルをフ
ロッタージュしたとき実際に縦や横に線が入ります。そし
てさらに欠けた部 や出っ張っている部 も写されます。
フロッタージュのいいところは,隅々までその場所を書け
るところです。見てみると,きれいそっくりに写されていま
す。僕は写真を撮ったかのように思いました。今回はオイ
ルチョークで,いくつかの色があり,僕はその場の色とオ
イルチョークの色を別にしました。クレヨンとその場の色
を同じ色にするとどれだけそっくりにできるかをやってみ
たいです。岡部さんにもう1回釧路に来てくれれば嬉しい
です。(坂野圭祐)
岡部昌生さんと共に雄別炭礦に行き,
フロッタージュをい
ろいろな場所でやりました。急斜面の向こうにあるでこぼ
この石の上でフロッタージュをして,けずられたオイル
チョークが石と石の間に入り,とても芸術的な作品がで
きました。その作品を見た時,私は フロッタージュってす
ごいなぁ とてもおもしろいなぁ と感じました。(長山亜
梨沙)
あっと言う間の楽しい時間だった。
こする作業は凹凸面な
どで思うようにできない部 もあったけれど,そこがまた
私が覚えている限りでは,今回が初めてのフロッタージュ
でした。その場所を見ながら描くよりも, 1部 だけをフ
今回のフロッタージュでその場所の壁や柱をすることに
よって,その所の 囲気や,その所が われていた時の
ことがうかんできたような気がします。今回のことで自
は,昔のことやその場所を えることで,少し変わるかな
と思います。(横田直)
私は炭礦に行って,わかったことがありました。一つ目は,
思っていたより難しかったことです。初めは,フロッター
ジュは簡単だと思っていました。
しかしやってみると,岡部
さんのようにスラスラ描けませんでした。私は炭礦に行っ
ていろいろな体験をしたと思いました。やはり岡部さんが
言っていた通り,目で見るより手を触れたほうが良いと私
も思いました。だから私は,
どこかに行ったら自 でフロッ
タージュをしようと思いました。(佐藤 亮)
紙を壁に貼ったりしてするのは,少し大変でした。色を変
えてぬるのはほとんどやりませんでした。中でも,木の表
面をするのは難しく,所々 が出来てしまいました。一番
おもしろかったのは,壁のタイルをすることです。ちょうど
よく壁の凹凸が出ていて,会心の一作です。シラカバの木
などをすると,どうなるのか,気になったり…。今度,美
術の授業などでやるときは,
シラカバの気をすってみたい
です。クラス全員で出来なかったことが残念です。今回の
外学習ではフロッタージュでしたが,ぜひ他の技法など
をやってみたいです。
ぜひ他の人の講演なども聞いたりし
て,
それをフロッタージュと組み合わせてみたいです。(水
上奈々生)
今回,岡部さんとフロッタージュをやってみて,自 は普
段の生活ではやらないことを経験でき,本当によかったな
と思います。その場の記憶がなんとなくわかったような気
がしました。皆と一緒にやるというのがなかなかないと思
い,良かったなと思います。岡部さんとの取り組みで普通
はいけないようなところに行けたし,いい経験だったと今
でも思います。フロッタージュは,その場の記憶を残し,
いつまでも残るものだと思います。その場がもしなくなっ
たとしても,これをすれば思い出せる,いいものだなと思
いました。自 がいつまでも記憶にあってほしいと思うも
の,永遠の自 の思い出を残すことができるので,本当
に今回の活動は自 にとって,とてもいい経験でした。岡
部さんにこれからもがんばってほしいなと思います。(伊
勢隆優)
今まで,フロッタージュをあまりやったことがなかったし,
やろうとも思わなかったけど,今回,美術の 外学習でフ
ロッタージュをやって,けっこうすごいんだなと思いまし
た。けっこう前,10円玉でやった時は,紙にはっきり写り
ました。今回,壁とかタイルでやってみて思ったことは,
ペン(えんぴつとか)を細かく動かすと,紙にちゃんとはっ
きり写るんだなということです。最初,壁をフロッタージュ
した時,けっこう雑にやると全然どこをかいてるのかわか
らない状態だったけど,
ていねいにペンを動かすと形が見
えてきました。特にタイルの部 は,はっきりと紙に写っ
て見えました。今回,普段はあまり自 から体験しないよ
うなことができて,良かったと思いました。(横岡沙也加)
うまく書けたし,きれいにできて良かったと思います。そし
て,今度は自 で挑戦して書きたいと思います。(高野尚
子)
岡部昌生
15)釧路市立美術館 岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト雄別炭礦を掘る 展示プラン
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
岡部昌生
16)釧路新聞 平成21(2009 )年 9 月22日(火)
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
17)北海道新聞 平成21(2009 )年9 月23日(水)
岡部昌生
18)釧路新聞 平成21(2009 )年9 月23日(水)
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
★柱のケイは最低 292H(断ち落とし含)で文字の多いときはナリユキでのばす★
この論文のみ指定通りに組んでいるので、他の論文と異なる部
岡
部
論
文
は
他
の
論
文
と
は
違
い
ま
す
光の抗争,羊皮紙の身振り
があります。(ゴナセット・欧文2級上げ)
港千尋
美術館の床に暗黒の口があいている。ゆっくり近づいてみると,闇と見えたのは黒い紙の上に擦りだされた黒い影。夕張炭
鉱のタービンがあった
の痕跡である。暗黒の淵に立ってじっと見ていると,黒一色と見えたその表面に褐色からオレンジ
の光が見えてくる。ゆるやかにカーブした壁一面にかけられたもうひとつの大作の,醒めるような赤が黒のうえに反射して
いるのである。ふたつの色の強烈な対比にしばし言葉を失い,展示室の奥にしつらえた金属性のデッキに登ると,展示全体
が眺望される。反対側には炭鉱の歴
をふりかえる資料コーナーがあり,写真や映像とともに実際に炭鉱で
われていた道
具類が並べられている。ひとつの歴
,それも北海道と日本の近代を語るならば避けて通ることのできない歴
が,博物館
的資料と現代美術の対話を通して,生々しく現れ出でた。
炭鉱についてはヨーロッパやアメリカにも,多くの博物館がある。そのほとんどは産業遺蹟としての炭鉱を,さまざまな
資料によって歴
のなかに跡づけようとするものであるが,これに比較してアートからのアプローチは驚くほど少ない。そ
れはたとえば風景画の歴
であることからも
のなかで炭鉱を描いた作品が,ほんのわずかしかない,その多くは 20 世紀になってからのもの
かる。この点で岡部昌生によるこれらの作品と,学生たちとともに行なわれたワークショップは,その
意味で炭鉱と,それとともに消滅したひとつの地域そのものを対象にした,美術による産業遺蹟へのアプローチとして重要
である。
これまでの多くのワークショップをふくむプロジェクトを通して,日本の近代を掘り起こし,わたしたちに見えない現実
の手触りを教えてきた岡部のフロッタージュは,ここでは痕跡自体がひとつのマチエールとして,美術館の
築空間を見事
に変貌させている。 外 にあった時間の厚みが, 内 にとりいれられたとき,空間が新たに呼吸をはじめる。静かに息づい
ている。声が聞こえる。とりわけこれらの痕跡が取り出されたのが,いまは豊かな緑の木々に覆われて,かつてそこに大き
な町があったことさえ
からなくなってしまうほど,自然に戻された場所であることが印象的である。瑞々しい緑の谷間か
ら,たくさんの手が擦りだした赤い壁,そしてひとりの人間がこすりだした黒い
。ふたつの痕跡は,緑の自然のなかでは
見えなかった人間の過去の営みを,美術館のなかに,ふたつの光があたかも抗争しているようなドラマを生み出しているの
である。
閉山された炭鉱と消滅した町は,いつしか地図のうえに記された微かな地名としてのみ,その歴
の一端を残すだろう。
だかしかし,たとえ地図に残されなくても,たとえ消えてしまったように思えても,人間の営みは実は風景全体として残る
ものである。それは羊皮紙のようなものかもしれない。幾度も書き,幾度も表面を擦ってけすことによって
用に耐えた羊
皮紙は,その表面に無数の痕跡を残している。角度によって見えたり見えなかったりする痕跡は,わたしたちの知的なかか
わ
だがそのためには,手を動かさなければならない。フランスを代表する
のひとつである 身ぶりと言葉 のなかで数万年にわたる人類の歴
古学者のアンドレ・ルロワ=グーランは,主著
を見渡しながら,現代人の手が退化していることを指摘
した。石器をつくることはどだい無理としても,ここ百年にかぎっても,現代の人間はそれ以前の人が普通にできていた,
日常的な手作業ができなくなっているだろう。それを
古学者は 10 本の指で何もできない と表現した。
だがこの展示をみれば,たくさんの手が集まれば,とてもできないようなこともできることがわかる。それはおそらく,
ひとりでは見えない風景も,共同で眺めれば見えてくることもある,ということと同じである。おそらくそれは 歴
て単なる
とし
料 として整理されることに抵抗する身ぶりであろう。新たな地名,新たな名前,そして新たな道が描かれるこ
とを期待している羊皮紙の,潜在力とも言えるだろう。
黒き淵にたたずんで,残照とも朝焼けとも見える赤々とした反射を見つめながら,美術とはこのようにして光の抗争を起
こしながら,現在を照らし出すことを知る。地球の底に眠る昏き光と,それを燃焼させる文明の光。光の抗争は
筆の繊細
なストロークをとおして,わたしたちに問いかける。火とは何か,生活とは何か,町とは何か。それは 夕張 を,人類の文
明の問題として
えるきっかけを与えているようにも思われる。
(みなと・ちひろ 写真家 多摩美術大学教授)
釧路市立美術館 岡部昌生フロッタージュ・プロジエクト雄別炭鉱を掘る 報告書 2010 より転載
岡部昌生
★次頁にもノンブル枠あり★
岡部昌生とコールマイン・プロジェクト
佐藤友哉
2009 年秋,岡部昌生と炭鉱にまつわるフロッタージュ・プロジェクトが期せずして釧路と東京で立ち上がった。もちろん
一つは今回の 雄別炭鉱を掘る 展と,それに関連したワークショップなどのプロジェクト。もう一つは目黒区美術館で,ほ
(
とんど時期を同じくして開催された 文化 資源としての 炭鉱>展 への出品である。
1) この
文化 資源としての 炭鉱>
展 という展覧会は,筑豊,常磐,石狩という日本の主要炭鉱の盛衰に焦点をあて,そこを舞台に生まれた多彩な美術活動や
その表現を通じて,日本の近代化と戦後の高度成長を支えた炭鉱がどのようにとらえられ,また理解され,そしてどのよう
なイメージをもたらしたのかを検証するものであった。
岡部昌生は,この展覧会に夕張の炭鉱遺構をフロッタージュした ユウバリ・マトリックス 1994-1995>を出品。夕張に
あった旧北炭真谷地炭鉱の清水沢電力所の遺構を擦りだしたもので,巨大な発電用の燃焼炉が除去された跡を
筆でフロッ
タージュした作品である。縦 4.5 メートル,横 3 メートル,黒いキャンソン紙 30 ピースからなる作品で,燃焼炉が撤去さ
れた鍵
のような跡がくっきりと浮かび上がっている。目黒区美術館では大きな傾斜台を製作し,その上に展示されていた
が,その表情は機械の強い存在感を想起させながら,一方ではその不在を強く訴えていた。
ユウバリ・マトリックス>とは,岡部昌生が 1992年から 97年にかけて,夕張をテーマに取り組んだ一連のフロッター
ジュ作品のことである。炭都として栄え,戦後になっても日本の工業化を支え続けてきた夕張。しかし 1970年代になって
国のエネルギー転換政策によって急速に過疎化し,衰退するというまれにみる歴
を負った都市であることはここで言うま
でもない。岡部昌生は,この炭都の痕跡を,さまざまな炭鉱にまつわる遺構に寄り添いながら,フロッタージュを続けてき
たのである。
〝マトリックス"とは,もともと母体とか鋳造,あるいは活字の母型などを意味する言葉だが,岡部昌生は夕張という都市
を一つの大きな母体や母型,つまりは巨大な版とみなす。そしてその母体から,過去の歴
や生活の記憶をフロッタージュ
という手わざによって,あたかも炭鉱夫のように掘り起こしてきたのである。その主要な作品の一点が,この ユウバリ・マ
トリックス 1994-1995>なのだ。
このほか夕張をテーマにした主要作品では,次の三つの作品群があげられるだろうか。つまり,1992年から 94年にかけ
て旧北炭真谷地炭鉱選炭所の遺構を擦った 48点組の ユウバリ・マトリックス 1992-94>,1998年に旧北炭真谷地炭鉱の
清水沢電力所のタービン跡を擦った 114点組の ユウバリ・マトリックス 1998>,そして 1997年と翌 1998年に制作された
84点組の 夕張の子どもたち 1997+1998>である。 夕張の子どもたち>は,廃 となった夕張市立清陵小学 の卒業記念
として,子どもたちが作った自刻像をフロッタージュしたものだ。このほかにも数多くのフロッタージュ・ピースがあり,
(
計すれば 300点を優に超えるだろう。
2)
これらの一群は,その後,北海道立近代美術館や神奈川県民ホールで展示されている。またもっとも関係の深い夕張市立
美術館でもその後何度か出品されている。しかし,じつのところ,これら主要な作品群がそろって展示されることはこれま
で皆無だった。しかも,このうちもっとも巨大な作品,つまり,114点組の ユウバリ・マトリックス 1998>となれば,スペー
スの問題からなかなか困難なことだったのである。
しかし,この秋,釧路市立美術館において東京に出品されたものを除く ユウバリ・マトリックス>や 夕張の子どもたち>
が出品された。とくに ユウバリ・マトリックス 1998>は今回が初めての発表である。まさに釧路と東京での展覧会によっ
て,これらがほとんど同時に展示され,岡部昌生の夕張への取り組みが改めて明らかになったのだ。したがって,今回の釧
路市立美術館での 雄別炭鉱を掘る というプロジェクトは,岡部昌生による夕張の仕事と深くリンクしているだけでなく,
現在においてもこの作家が北海道における炭鉱の遺構に寄り添い,そこから日本の近代を見据える強力な視線を投げかけて
(
いることを明かすものだったといえる。まさにこの点こそ,今回のプロジェクトの大きな意義なのだろうと思う。
3)
雄別炭鉱を掘る 展の展示はきわめてシンプル,かつ力強いものだった。また緩やかにカープした釧路市立美術館の展示
室の特性がよく生かされた展示だったように思う。会場に入ってまず目を引くのは 30 メートルに及ぶ巨大なフロッター
ジュの真赤な作品である。これが緩やかにカーブする展示室の壁面に添って展示され,空間を大きく支配しているのである。
これは 2010年 8月6日と翌 7日にかけて,北海道教育大学釧路
の美術研究室の学生たちとともに共同制作された作品
だ。
雄別炭鉱の閉鎖は 1970年のことだったというが,今でも雄別炭鉱には自然と抗いながらもいくつかの遺構が遺されてい
るという。
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
廃墟を自然が包み込むように,もとの自然にもどりつつあります。美しい自然です。大煙突,雄別炭鉱病院,購買,鉄道
の路肩やプラットホーム跡,雄別鉱業所跡,雄別神社の階段,坑口浴場,雄別通洞口,転車台,水路など結構,残っていま
す。雄別を守る人たちの地道な努力でヒトが
け入る空間になっています。(
4)
現在の雄別炭鉱のようすを岡部昌生はこのように述べているが,このうち共同制作したのは雄別炭鉱病院においてであっ
た。その屋上を 20人ほどの学生たちとともに,テトロン布を用い,そこに赤いオイルチョークで病院とそこに刻まれた雄
別炭鉱の記憶の一端を擦り出したのである。
この時のデジタル画像による記録があるが,それを見ると,周囲の木々の緑と白い布の対比が,
学生たちのフロッタージュ
という行為の推移とともに,鮮烈な赤い帯が自然のなかに,また深い緑のなかに生成していくさまが見てとれる。まさにこ
れは 人の手が集まってその力が風景を異化し,場を変容させた。人と自然が向き合い,共生し,木々の緑に赤色が呼応しな
がら響きあう美術の現場が生まれた
(
5) と岡部昌生が述べるように,一つの大きなコラボレーションの達成であったろ
う。展示され,照明を当てられた巨大な赤い帯は,まだその火照りを残すように輝いていたし,またじっとこの赤を見つめ
て視線をずらすと,周囲に立ち込めていた樹木の記憶のように,緑色の残像が見え隠れしていたのを思い出す。
しかし錯視的な現象ではなく,現実としてこの赤い帯と強い対比を生み出していたのは,床いっぱいに展示されていた ユ
ウバリ・マトリックス 1998>だったといってよい。 筆によって黒く擦りこまれたこの巨大な作品は,スケールだけではな
く,赤と黒という色彩の点でも呼応しながら,それぞれがその存在を強調していたのである。
先述したように,これは旧北炭真谷地炭鉱の清水澤発電所の遺構のうち,巨大なタービンが撤去された跡を擦ったものだ。
縦 14 メートル,横 7 メートル,目黒区美術館に出品された ユウバリ・マトリックス 1994-1995>の 4 倍はあろうかとい
う大作だ。かつてタービンは本体が半
ほど床に埋められていた。それが撤去された跡には,タービンの形をそのまま留め
た 10 メートルにもなるという深い溝が出現する。岡部昌生はこの溝に落ちないよう,命綱をつけてフロッタージュ作業を
したという。ここには今回の釧路のような共同制作にはない,一人の作家と巨大な遺構との対話の跡も垣間見える。この点
も,赤い共同制作のフロッタージュと大きな対比を見せているといってよいだろう。
溝になったタービンの跡はもちろん擦ることができない。したがってこの跡はそのまま虚空の形として残されたままにな
る。これは先の目黒区美術館の ユウバリ・マトリックス 1994-1995>の鍵
とは違って,十字のような形をしている。こ
の巨大なイメージがよく伝わるように,岡部はこの作品のかたわらにピゲを設置した。ピゲとは
設現場でよく見る作業用
の足場である。ここに登って ユウバリ・マトリックス 1998>を眼下に見れば,この作家がいかに炭鉱の遺構と格闘したか,
またフロッタージュがいかに危険な作業であったかを知ることになる。
そしてまた,ここに刻印された,というより不在の形として浮かび上がった十字形は,上から見るとあたかも十字架を思
わせた。うがった見方をすれば,まさにこれは夕張の受難を暗示している,と見てとれなくもないが,ここにはそんな感傷
的な符丁も許さない強靱な作家の営為がある。それはまさに夕張や北海道の炭鉱のみならず,広島の原爆による被害と加害
の問題など,近代化にともなう数々の問題を透視してきた作家ならではの営為なのである。
岡部昌生はこうした視点からエネルギー産業の功罪をこう述べる。 一気に上昇した 100年にも満たない時間のなかに圧
縮されたもの。膨大な人力と資本を投入し, 手の労働 を強いながら石炭で戦争を支え,時代や社会を変貌させた動力源。
そのエネルギーは鉄道や火力発電,製鉄と近代の夢も生んだのですが,閉山の後,炭鉱の痕跡をとどめるものが早い速度で
視界から遠ざかりました。かつての炭鉱の暗い悲惨な歴
の姿を伝えるものは朽ち果て,一抱えの瓦礫となって埋もれてい
ます。日常の情景に影を潜め自然にもどりつつあるヤマの生活と歴
ですが,そこに立つと坑底深く埋め込まれたものが,
地底の声のように,地霊のようにせりあがってくるのが感じられます。ユウバリに触れることは,炭都夕張のことだけでは
なく,日本の近代を支えたエネルギー産業のスクラップ・アンド・ビルドの典型として 巨大な地下鉱脈の暗部 に触れるこ
とにもなります
(
6) と。
むろんこの事情は夕張,雄別のみならず,すべからく日本の炭鉱にも広く通底することだ。したがって,岡部昌生の炭鉱
プロジェクトは夕張や雄別にとどまらず,遺構のある限り広範な視座のもとにくりひろげられる可能性を秘めているといえ
るだろう。今回,岡部昌生は夕張のような自
自身の作品を制作したわけではなかった。また,岡部昌生の
親は,戦時中
の 1942年頃に雄別炭鉱に勤めていたという事実もあったという。とすれば,これから ユウバリ・マトリックス>ならぬ ユ
ウベツ・マトリックス>に取り組むこともありえるといえようか。
雄別炭鉱を掘る 展には,このほか中学生や高
生,また釧路市民などとおこなったフロッタージュによるワークショッ
プの成果も展示された。これらは各自がそれぞれ雄別炭鉱病院の壁や床などを思い思いにフロッタージュしたもので,床に
岡部昌生
展示された ユウバリ・マトリックス 1998>を挟んで,30 メートルの赤いフロッタージュ作品と向かい合わせに展示され
た。1000 点を超す小さなフロッタージュ作品は壁いっぱいに展示され,ところどころに制作風景の写真もあって,生き生
きとした子どもたちの息づかいが伝わってくる。またそれは, 夕張の子どもたち>の作品群とも向かい合って展示されてい
て,ここに,炭鉱の遺構を挟んで,過去の夕張の子どもと現在の釧路の子どもたちが時空を超えて結ばれたともいえるだろ
う。
今回の展示で最後に触れておきたいことは会場に雄別炭鉱についてのさまざまな資料が一緒に展示され,炭鉱の存在を重
く伝えていたことである。炭塊,アンモナイトの化石,実際に雄別炭鉱で
羽で
用されていたライトキャップや作業用の靴,切
った削岩機やドリルなどなど。また,往時を偲ばせる雄別炭鉱の映像も放映され,多角的に炭鉱の遺産に触れること
ができたのだ。これらは釧路市立博物館の資料ということだが,今回のプロジェクトは,学
や地域のみならず,博物館と
も連携したものだったのである。まさに 雄別炭鉱を掘る というプロジェクトの重層性をよく示した展示というべきだろ
う。
近年,このように博物館と美術館が互いに資料をめぐって連携するケースが増えてきたように思う。その背景には,美術
の側から見れば,まず美術の概念が近年ますます拡大しているということがある。とくに場や地域に強くかかわることをコ
ンセプトとする作家にとっては,その場のもつ意味を知るために,また制作プロセスやコンセプトを地域に開き,地域と共
有するために,さまざまな周辺領域や異業種との連携や
流が必要になってくるのだろう。
また美術館や博物館にとっても,こうした多様なジヤンルの
流のなかから,新たな展覧会や事業を組み立てることに
よって,地域を知り,地域の問題解決の方策を見出してもらう必要性になってきているのだ。いずれにせよ,人とものをよ
り直接的に結び,地域や社会をどう見すえるか,という問いに対して,市民や作家,美術館や博物館,さらに大学や学
ど,さまざまな人との
な
流によって,より多くの知を結集することが今,必要になっている。今回のプロジェクト 雄別炭鉱
を掘る も,まさにこうした問いに対する一つの優れた答えになったにちがいない。そして,岡部昌生による北海道の炭鉱プ
ロジェクト,すなわちコールマイン・プロジェクトが,その中心となり,また大きな触媒となって豊かな成果をもたらした
ことは,ここでいうまでもない。
(さとう・ともよし 北海道立近代美術館学芸副館長)
釧路市立美術館 岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト雄別炭鉱を掘る 報告書 2010 より転載
1 主催は財団法人目黒区芸術文化振興財団・目黒区美術館,会期は 2009年11月4日-12月27日,展覧会は3部構成になっており,Part 1
― ヤマ>の美術・写真・グラフィック,Part2―川俣正コールマイン・プロジエクト筑豊,空知,ルールでの展開,Part 3―特集上映
映像の中の炭坑>。Part 1 は目黒区美術館展示室,Part 2 は目黒区美術館区民ギャラリー Part 3 は映画館,ポレポレ東中野で開催。
このうち岡部昌生は Part 1 の第2章 ∼炭鉱と美術∼外部からの関心∼都市の 美術家>たちのまなざし の中の5)詩人・吉増剛造を
巡る夕張への共感 のコーナーに出品。詩人で映像作家でもある吉増剛造を軸として,夕張で活躍した画家,畠山哲雄や写真家・佐藤
時啓とともに紹介されている。
2 夕張をテーマとした主要作品についての岡部昌生のコメントによる。 岡部昌生+吉岡宏高インタビュー 炭鉱の皮膜として擦りださ
れる近代日本
文化 資源としての 炭鉱>展 カタログ p 254
3 前項インタビューにおいても作家自身によって 雄別炭鉱を掘る プロジェクトが紹介されるとともに,
このプロジェクトが現在にお
いても夕張と深く連動していることが述べられている。また,展覧会会期中に目黒区美術館で開催された 夜の美術館大学コールマイ
ン・アート学科 (全15週)の第7夜に岡部昌生がゲストとして出席し, 岡部昌生炭鉱プロジェクト その後の夕張,釧路の今 と題して
レクチャーを行なっている(2009年11月22日㈰ 18
:30-20
:00) この時にも 雄別炭鉱を掘る プロジェクトに触れており, その後の夕
張 とともに雄別炭鉱におけるプロジェクトが一連のものであることが述べられた。
4 岡部昌生の雄別炭鉱についてのコメント。 岡部昌生+吉岡宏高インタビュー 炭鉱の皮膜として擦り出される近代日本
源としての 炭鉱>展 カタログ
風景を異化した手の力
p 257
岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト雄別炭鉱を掘る ポートフォリオ(エディション 23/60)
6 岡部昌生 ユウバリに触れて
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
NOTHERN OWEL 北海道美術館学芸員研究協議会会報 vol.17.2008.5
文化 資
岡部昌生
19 )YUBARI MATRIX 1994-1995 制作と展示プラン
20)YUBARI MATRIX 1994-1995 制作現場 北炭真谷地炭礦電力所燃焼炉撤去跡(夕張 1994) 撮影:中川潤
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
21)YUBARI MATRIX 1998 制作現場 北炭真谷地炭礦電力所タービン撤去跡(夕張 1998) 撮影:風間 介
22) 文化 資源としての 炭鉱>展リーフレット 目黒区美術展 2009 年
岡部昌生
風景を異化し変容させた,手のちから
阿寒の奥,森のなかに埋もれるように廃墟の大病院がひっそりとたつ。内部は落書と破壊が繰り返され,悲しく
なるほど荒れて病んでいる。たたき割られたすべての開口部から差し込む冴々とした雄別の緑の光景。緩やかな
アールを画面にとりこみ拡がっていく絵画のようで,内部の荒廃に対比されるその美しさに息をのむほどだ。
その光景は,パリのオランジュリー美術館の,モネの睡蓮の大画面が連なる楕円型の空間が放つ豊穣な色彩と
光に抱かれた経験を,私に思い起させた。病むヒトと治癒するウツワ。崩壊にむかう廃墟の遺構とのびやかに艶
やかに立ちはだかる夏の草木。雄別の大きな自然は かつてそこにあった そのすべてを抱き寄せるかのように野
生を全開してそこにある。
螺旋回廊を緩やかに昇りつめると緑に囲まれた屋上にでる。森を方形に切り取ったようなその空間の上に,夏
の高い空が突き抜けている。身体が天空と地軸を往還するように知覚する。足元のその下に,夢みるように眠る
メタセコイアの果実。そうだ,ここは炭礦の町だった,と気づかせてくれる。
この廃墟の炭礦をかかえる風景には,18年も前に夕張に初めて立った時の衝撃,足元から身体を貫くような言
い知れぬ重量級の都市の光景と重なる感慨をもつ。場と時の変容にさらされた 記憶の炭礦都市 をこのように記
述してきた。
一気に上昇し下降した 100 年にも満たない時間のなかに圧縮されたもの。ここは,かつて石炭という巨大なエネルギーを
生むため,膨大な人力,電力,資力を地底深くに投入し,すさまじい勢いでエネルギー
換がなされた装置―炭礦。日本の
近代化をとてつもなく大きなエネルギーを発散させながら駆け,その受皿として担わされた北海道開拓と炭礦。ヒトとモノ
が渦巻き,この地を発熱させ,ブレをも引き起こし,一挙に廃墟と化したかのような加速が痛ましく,すさまじい。そこに
は濃密な人のつながり,生活と特有の文化をつくりあげ,ある時戦争を支える力にもなるのだが,起伏の激しかった時間に
ゆすられたヤマの時間に折り重なる。野性の姿とどめる山奥の集落にも及んだ 近代の影>。そのエネルギーは,鉄道や火力
発電,製鉄や港湾,造
という 近代の夢>も生んだのだが,閉山のあと,炭礦(ヤマ)から操業の音が消え,人が蠢くように
暮らした気配も匂いもなく,炭住や施設は廃墟となり朽ち果て,瓦礫となって伸びる草いきれのする夏草に埋もれている。
かつての情景は影をひそめ,炭礦の痕跡をとどめるものが早い速度で視界から遠ざかるのがわかる。自然にもどりつつある
ヤマの生活と歴
だが,そこに立つと坑底深く埋め込まれたものが,地底の声のように,地霊のようにせりあがってくるの
が感じられる。ユウバリに触れることは,炭都夕張のことだけではなく,日本の近代化を支えたエネルギー産業のスクラッ
プ・アンド・ビルドの典型として 巨大な地下鉱脈の暗部>にふれることとなる 。
( 夢のあとのあとをみる 札幌大谷短期大学
maitri No.41 19 9 4 年 10 月 10日)
艶のある縦 1.5㍍×横 30㍍の大きな白布を屋上に敷く。木々が風に揺すられ陽に影が踊っている。直下の大病
院の荒廃した空洞,大地の下にある無数の坑道からすり抜けてきたかのように,賑やかに生きいき影のかたちが
白い布のうえで揺れている。白布の清冽な流れに人がたつ。人は手に赤いチョークを握り,白布の直下の凹凸を
感触しながらゆっくりと擦りだしていく。手を動かした
だけかたちが表れるこの不思議。ある懐かしさが甦る。
それに応えて手の動きを反復する。また繰り返し,また,くりかえす。図像が紙片をすり抜け浮上する廃墟のエ
コグラフィー。摩り,揺すりながら大きな躯体を目覚めさせる手のちからのようでもある。たくさんの手から生
まれた赤い帯が,森の緑に呼応しながら共生し生きもののように生成していく。場に触れ,時に触れ,記憶を汲
みあげ,過去を現在に引き寄せる。多くの人の手によって雄別の天と地の境の皮膜を取りだし,病んだ身体を覆
うようにそこにおいた。
赤色には病魔をさけ邪悪を払い,気
を高揚させ,招福・祝祭の,祈りの力があると伝えられている。野生の
空間に赤い帯がのびていく。手のちからが集まって,風景を異化し変容させる。その新鮮な驚きと強度。人と自
然が向き合い,樹々の緑に赤色が呼応し響きあう美術の現場が生まれた。
秋のはじめには,もっと多くの手が,森がみせる色とりどりのクレヨンを握り森に
け入った。その廃墟の荒
れように少し怯えながらもそっと手を触れ,優しく撫ぜた。たくさんの手から,森のなかの百花繚乱,とりどり
の色彩によってかたちがとりだされた。大きな森のなかで人が廃墟に触れる光景は,そこに寄り添うようにも,
なにか手当てをしているようにもあちらこちらで見られたが,その手がくりだす光景は,かつてここで生活して
いた人々と会話を
わし,ヒトと土地に堆積された小さな物語を紡ぎだしているようにも思えた。大きな森のも
つ包容のちからだったのか,未知の過去への見えない誘いだったのだろうか。それはたしかに森の風景を異化し
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
変容させたのだが,そこから持ち帰り,ゆるやかなアールをもつ天井高 4m 壁面長 21m の壁に張り込まれ積み重
なった二千をはるかに超える多様多彩な紙片は,釧路市立美術館の空間を異化し変容させ圧倒した。手のちから
によって森からとりだされた廃墟のかたちと豊穣な色彩のすがたがつくる空間。美術館が雄別の森になり,雄別
の記憶を物語る炭礦になった。
今回の釧路市立美術館の 岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト雄別炭礦を掘る―そこは
石炭の町,ぼくら
の町だ とは,90年代の夕張炭礦で制作したふたつの ユウバリ・マトリックス や 夕張の子どもたち の大作,ア
ンモナイトの化石や石炭塊,雄別炭礦で
用されたライトキャップや削岩機などの工具,釧路市立博物館所蔵の
関連資料,あるいは往時の雄別炭礦ドキュメント映像など,重層する鉱脈のような展示構成を構想した。それは
わたしの近代を掘るというこれまでの美術のひとつのくくりを炭礦に主題を
り展開する試みでもあり,たくさ
んの人々の手にふれたその 近代>のかたちを色濃く刻んだこの地の炭礦の歴
を掘りおこし,掘りさげ振りかえ
る痕跡の,記憶のアーカイヴでもあった。
かつて雄別炭礦からさほど遠くないところに, 養生邑美術館 があった。こころとからだの解放,芸術に医療
の場を解放しようという つるい養生邑病院 の医師,宮田国男さんの試みの場であった。わたしたちの今回の試
みを,森に横たわる廃墟にふれたヒトの手の,優しいちからに重ねてみる。指の先端からやってくる感触が,自
の感覚と接触し増幅されて身体に深く堆積して残る。すると,廃墟が横たわる雄別の森が近くにあるように感
じられるのではないだろうか。森のなかで,ここに人々が賑わい集散していった炭礦の集落を思いながら,また,
近代の夢のあとの夢をみる。
)
*1)
港千尋(みなと・ちひろ) 1960年写真家
批評家 芸術人類学者
多摩美術大学美術学部情報デザイン学科教授
世界中を移動しながら写真を撮り,幅広く批評を行なう。第52回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館コミッショナー。主な著書,
23)雄別炭礦病院遺構でのフロッタージュ 写真提供:釧路市立美術館
岡部昌生
写真集に 群衆論 (リプロポート 1991 ちくま学芸文庫 2002) 記憶―
造 と 想起 の力 (講談社
サントリー学芸賞 1996) 予兆と
しての写真―映像原論 (岩波書店 2000) 瞬間の山―形態 出と聖性 (インスクリプト 2001) 文字の母たち (インスクリプト 2007) レ
ヴィ=ストロースの
(NTT 出版 2008) 愛の小さな歴
(インスクリプト 2009) 書物の変―グーグルベルグの時代 (せりか書房
2010)など多数。編著に 岡部昌生 わたしたちの過去に,未来はあるのか (東京大学出版会 2007) HIROSHIMA 1958 (インスクリプト
2008)ほか。写真家として日本,アジア,欧米など各地で展覧会を開催。
*2)
ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展
二年に一度開催される現代美術の国際展。1895年から開催し,世界中の美術関係者が注目するアートイベンント。国別参加形式と授賞
制度のあることから美術のオリンピックとも称される。ヴェネチア・ビエンナーレ財団が主催。日本の
国際
式参加は 1952年の第26回展,
流基金が主催。第52回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展は,2007年6月10日-11月20日,ジャルディーニ( 園)とアルセナーレ
(旧造 所)を主会場に 76ヵ国146組のアーティストが参加,市内で34の関連イベントが開催され街中が現代美術一色となった。
*3)
私たちの過去に,未来はあるのか?
時 との関係において,わたしたちの時代はひとつの矛盾に直面している。科学技術の発展によって人間は,その過去をより詳しく知
り,より正確に複製し,復元し保存することが可能になった。その一方,急激なグローバリゼーションや人口急増にともなう社会の高
速化と都市化によって,あるいは
害や地域
争によって,過去はかってない規模で消滅の危機を迎えている。後期資本主義社会にお
ける情報化は,記憶と物質の両面において重大な変化をもたらしており,現代人は自らの過去をどのように未来へと手渡すべきかとい
う問いを突きつけられていると言えよう。
この展覧会は,美術家岡部昌生のライフワークであるフロッタージュ作品を中心に,人間の過去が未来へと受け継がれる可能性と条件
について,美術の側から問おうとする試みである。(港千尋 ヴェネチア・ビエンナーレ・コンセプト案 )
*4)
ハンセン病
らい菌で末梢神経や皮膚,目などが侵される感染症。長く らい病 (台湾では 癩病
痲瘋
天刑 と表記)と呼ばれていたが,1873年に
らい菌を発見したノルウェーの医師アルマウェル・ハンセンの名をとって ハンセン病 といわれている。
台湾のハンセン病療養所
生院
は,日本の植民地時代の負の遺産であるが,強制隔離政策,断種政策はじめ差別や人権侵害などおおくの苦痛と悲劇を生んだ。日本に
は国立多磨全生園など国立療養所が13園ある。
*5)
都市の皮膚
1979年パリ 13区に隣接するイヴリ・シュルセーヌに滞在。街路や壁など 169点のフロッタージュによる作品を制作した。路上のフロッ
タージュは, 都市の皮膚を剥がしながら,私の日常が,行為の軌跡が,生きている時の経過が同時に刻まれていくかのようだった。生
活がしみ込んだ路地や朝市のたつ路上の無数の亀裂やマンホール,住宅や工場の壁に埋め込まれたプレートや落書き,サッカーボール
の擦過痕などが人々の生活や歴
を浮上させ,都市をまるごと擦りとれるような高揚した気持ちにさせた 。その時, 都市は巨大な版
である という大きな感慨をもった。その経験を帰国後の報告として本学紀要第13号(1981年)に 壁の皮膚 としてまとめた。
*6)
根室空襲
1945年7月14日15日,日本列島を北上してきたアメリカの航空母艦の艦載機による空爆で根室は町の八割が焦土となり200人以上の人が
死亡した。この空襲で私の生家も焼失した。道内で被害の大きかった町だ。米海軍の根室空襲の詳細な記録が,根室空襲研究会によっ
て編まれた大部な 根室空襲 に掲載されている。正確な情報 析を通して攻撃隊の区
を行い実施した米軍。そのスケジュールにのっ
とった計画的な加害の空襲であり,被害だった。米海軍は,空からの根室空襲を 戦果 と記述し,根室市民はこれを 空襲災害 と記述
し記録している。これと背中あわせのようにあった 2000人ともいわれる朝鮮人の強制連行労働による海軍根室牧の内飛行場滑走路造成
の加害があった。不潔なタコ部屋からの発疹チフスが大発生し,他の病気もあわせ 200人以上が死亡したと推定されている。この
ふまえた根室市立歯舞中学
生徒との共同制作 なぜ,ここに滑走路が (文化庁 学
実を
への芸術家派遣事業 )を実施した。その記録を本
学紀要35号(2004年)に掲載した。
根室空襲後,一家は標津郡川北で原野開墾に従事するが,住居近くにある海軍飛行場が朝鮮人強制連行労働によって造成されたと聞い
た。夕張炭礦をふくめ多くの炭砿,鉱山,採石,トンネル,橋梁,港湾,飛行場,鉄道敷設などに朝鮮人,中国人労働者によって 開拓
と近代化 が推し進められ,その苛酷な労働と人権問題の実態が掘り起こされてきている。
雄別炭礦には 1939年から幾度かにわたり連行されたとの調査があるが資料はなく不明な実態のみ明らかである。北海道強制連行犠牲者
名簿(朝鮮人強制連行真相調査団)にも 50人を超える記載がある。
*7)
岡部昌生 古い写真帳から 読む>
光で描かれたせんこんの情景> ( ひろびろくしろ
甘辛せんこん
応援団からのメッセージ
北海
道新聞 北海道新聞社 2005年1月19日)
*8)
文化 資源としての 炭鉱>展
ヤマ>の美術・写真・グラフィック・映画
日本の近代化と経済成長を支えた炭礦が,絵画や写真,グラフィック,映画が戦後文化のなかでどのように表現されてきたのか。社会
との接点,文化的資源として新たな価値を探る企画。400点あまりの作品,資料は圧倒させる。
出品作品
YUBARI M ATRIX 1994-1995
北炭真谷地炭鉱電力所燃焼炉遺構
フロッタージュ+紙+
筆 550×450cm 30点組(各 110×75cm) 1994-1995年
岡部昌生×吉岡宏高インタビュー/ 炭鉱の皮膜として擦り出される日本近代
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
インタビュー:岡部昌生
実施日:2009年6月25日
吉岡宏高(NPO 法人炭鉱の記憶推進事業団理事長) 聞き手:正木基(目黒区美術館学芸員)
場所:ホテル・ノースイン(札幌)
テキスト/佐藤友哉:空知の 炭鉱美術家>たち 北海道・炭鉱・美術
図録/発行:目黒区美術館
スペシャル講座
中森敏夫:イ・パル(その入り口)としての夕張
2009年11月4日416ページ
夜の美術館大学コールマイン・アート学科 岡部昌生炭礦プロジェクト その後の夕張,釧路のいま
2009年11月22日18:30-20:00
*9)
平成21(2009)年度釧路市立美術館主催
釧路市内(阿寒音別地区)巡回展
岡部昌生炭礦を擦りとる 展(仮称)企画案趣旨
この展覧会は学芸員瀬戸厚志が担当した。
*10)
平成 21(2009)年度釧路市立美術館主催
釧路市内(阿寒音別地区)巡回展
岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト雄別炭礦を掘る
そこは
石炭の町 ぼくらの町だ 展企画案
阿寒町 炭礦と鉄道館 (阿寒自然休養村)は,かつての雄別炭礦の姿を垣間見せるモノで埋まった小さな博物館。炭礦が鉄道と
たいことから展示に生活と産業がわかりやすくアーカイヴされている。雄別鉄道のあらまし,鉄道で
かちが
われた道具,採炭や保安, 友子
制度 などにまじってかつての雄別炭礦の俯瞰写真に小学生の詩が添えられた大パネルが展示されている。
大切な/国の宝/石炭を掘りだす人は/一体だれだろう/それは/ぼくらの さんたちだ/ さんたちがいなかったら/日本は困るだ
ろう/だから/ さんは国の宝だ/石炭があり/ さんたちの住むところ/そこは/石炭の町/ぼくらの町だ/ぼくたちの町は/国の
宝だ/雄別小学 五年
赤代充
人と人がつながり,子どもが誇る
さん。ヤマがひとつの家族のようにつながる社会。そこは, ふるさと と呼べる場所だった。
*11)
釧路市立博物館石炭基礎講座 掘るだけでは終わらない
釧路市の石炭産業について受講者が 現場 で,そこで働く人たちから直接体験談を聞く内容。2007年6月 選ぶ から 2008年10月 探る ま
で8講座つづいた。その資料は石炭・炭鉱・暮らしを伝える。他の資料に ヤマのくらし・マチの記憶 (釧路市立博物館) 雄別炭山ふるさ
と懐想マップ ( 雄別の歴
) 炭鉱と鉄道館 (阿寒自然休養村) 近代化産業遺産探訪―北海道雄別炭山 (雄別炭礦の産業遺産を守る
会) 雄別炭鉱アーカイブ (布伏内連合町内会ウルトラウォーク実行委員会)がある。
*12)
NOOSA-A NEW DIM ENTION
ヌーサ美術館のワークショップを中心にヌーサ,ブリスベン,メルボルン,シドニーの各都市に40日間(1988/8/25-10/3)滞在。ヌーサ
美術館には広島,札幌,パリ,ヌーサで制作した大きな作品 12点による個展(1988/8/29-9/10)。シドニーの M ilburn+Arte では7点の
作品による個展が開催された。これらの記録は ワークショップ
[NOOSA-A NEW DIM ENTION]
に参加して の報告を本学紀要第21
号(1989)に掲載した。
ヌーサ美術館のアニータ・アゥロンズ(カナダ,トロント,ハーバーフロント美術館長)は,ハィスティング街の共同制作に立ち会い小さ
な紙片の評をヌーサを離れるとき手渡してくれた。初めてのフロッタージュ・ワークショッブのテキストだった。以下,いくつかの近年
のテキストをあげる。
Okabe on Hasting St.
What was simple
He makes profound.
His workes are
Simple+Profound
In other words
Simple profound
1988 Anita Aarons
その他の主なテキスト
高見堅志郎
他者>の手応え
版画館 第 17号
川合書房
1987
針生一郎 民衆の集合的記憶の発掘のために
N OUBLIEZ PAS sakiyama works 2001
佐藤友哉 フロッタージュ・アエログラムの二題 N OUBLIEZ PAS sakiyama works 2001
佐藤友哉 岡部昌生―シンクロと往還
OKABE MASAO SYNCHRO+CITY コンチネンタルギャラリー 2005
岡本芳枝 市民がつくった展覧会―岡部昌生と広島市民サポーター会議 LR Returns09 書肆・博物誌
2006
港千尋 わたしたちの過去に,未来はあるのか
岡部昌生
わたしたちの過去に,未来はあるのか 東京大学出版会
2007
*13)
ヒロシマキオクキット
1996年から 2004年,広島宇品の旧宇品駅プラットホームの縁石をフロッタージュしたおよそ 4000点の作品を広島で展覧会を実現した
いという広島市民の有志が 岡部昌生展広島市民サポーター会議 を組織し作成した。2005年,被爆
の展覧会の実現とそのためのワークショップの趣旨をうたったチラシ,作家が
った同じ芯
物でもある旧日本銀行広島支店で
筆に赤い布テープを巻いて持ち手を付け
たものがセットされ ヒロシマキオクキット として 1000円で販売された。展覧会実現のための月一回のワークショップの呼びかけの促
進として,キットを販売して展覧会の経費を集めること。チラシのコピーは 旧日銀を擦りとる,一万人のワークショップ
被爆60周年,
広島のヒロシマに触れてみよう 。工夫を懲らしたキットだった。広島の展覧会がヴェネチア・ビエンナーレ参加につながった。
*14)*15)
釧路市立美術館 岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト雄別炭礦を掘る 報告書より転載。
岡部昌生
関連する近代
年表
1869 開拓
設置 蝦夷を北海道と改める
1870 現如上人北海道巡幸
1871 開拓
庁が札幌に置かれる
開拓顧問ケプロンら来日
1872 地質・鉱山調査のためライマン,モンローを招く
1874 屯田兵制度 横浜・函館間定期航路(三菱)
1875 旧庄内藩士の団体が入植,桑栽培はじめる
1876 札幌農学
開拓
開
麦酒醸造所開く
1877 屯田兵第一大隊西南戦争に出動
1878 函館・根室間定期航路(三菱)
蝦夷人を旧土人と称させる
1879 幌内炭山開坑
バチェラー牧師のアイヌ伝導と研究はじまる
1880 手宮・札幌間鉄道開通
1881 樺戸集治監開庁
1882 幌内鉄道全通
1886 畿春別炭礦開坑
跡佐登硫黄山開掘囚人を
1887 北海道製麻会社設立
用
幌内炭礦の採炭事業を空知監獄に移す
道庁が釧路港傍近煤田を測量,採炭法,鉱区を画定,良否を検定
1889 オショナイ(大祥内)など舌辛煤田の存在が明らかになる
北見道路を囚人を投入して開削
1890 オショナイ(大祥内)に鉱区認可を受ける
1891 夕張炭山開坑
1892 夕張線鉄道開通
1893 夕張炭山坑夫四百余人の暴動おきる
1894 宇品線開通 広島城に大本営が置かれる
日清戦争
1895 台湾
治はじまる
1896 函館 渠設立
第七師団を札幌に置く
北炭,野幌に
1897 小
瓦製作所設立
築港第一期工事
日本製鋼所設立
1898 全道に徴兵令施行
1899 北海道旧土人保護法
布
1901 第七師団司令部を旭川に置く
1903 釧路舌辛オトンベツ沢で兵頭よし兵が採炭
舌辛炭礦,阿寒炭礦と称した
1904 日露戦争
1905 日本軍樺太占領
朝鮮国内に統監府をおく
夕張炭山坑夫五百人の罷業
1906 釧路炭礦株式会社
立
1907 石狩炭田各地で罷業頻発
幌内炭山坑夫千余人の暴動おきる
癩(らい)予防に関する件 で 放浪する患者を救済する ため療養所に収容,隔離
1908 新夕張炭礦でガス爆発(死 91)
1909 北炭の輪西製鉄所の 50㌧溶鉱炉火入れ
北海道庁庁舎焼失
第一区全生病院(現多磨全生園)など
1910 韓国併合条約
立の5施設が設置された
王子製紙苫小牧工場操業開始
三井鉱山夕張楓,登川炭礦を買収
1912 三菱鉱業大夕張の経営はじめる
夕張炭礦でガス爆発(死 216)
1914 新夕張若鍋炭礦でガス爆発(死 422)
1917 有島武郎 カインの末裔
1918 開道 50年記念行事
1919 小
の艀人夫,日本製鋼所など二千数百人賃上げ要求の罷業
北海道炭礦鉄道株式会社設立
1920 夕張炭礦でガス爆発(死 210)
蜂須賀農場で小作争議おきる
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
太平洋炭礦
1923 関東大震災
雄別−釧路鉄道工事完成
雄別炭礦鉄道本格的に採炭営業
1924 三菱鉱業の経営下に吸収され雄別炭礦鉄道の社名となる
1926 小 ,函館ではじめてのメーデー挙行
国産振興博覧会開催(札幌)
1927 小 の海陸仲仕の大争議(参加二千人)
プロレタリア文化運動
1928 治安維持法改正
1929 小林多喜二 蟹工
台湾
生院
設(30開院)
1931 国産振興博覧会開催(札幌)
北海道アイヌ協会
立
癩予防法成立
1932 軍用機献納資金募集はじめる
道庁に特高課おく
1933 小林多喜二虐殺される
1934 第七師団満州に派遣
1935 防空演習 北海道生活綴方連盟結成
1936 天皇来道 陸軍特別大演習
国号を大日本帝国
1937 日中戦争 日本軍南京を占領
1938 満蒙開拓少年義勇軍出発
夕張第二鉱でガス爆発(死 161)
雄別通洞貫通
国家
動員法
布
1939 朝鮮人坑夫の第一回集団移住
朝鮮人労務者内地移住に関する件 の内務・厚生次官通牒
雄別炭礦への連行はじまる
鉄製品の回収運動はじまる
国民徴用令 布
第二次世界大戦
1940 北部軍管区司令部設置
国策パルプ旭川工場落成
日独伊三国同盟成立
1941 日本銀行札幌支店(小
より移転)開設
大政翼賛会北海道支部
ハワイ真珠湾を攻撃
米英国に宣戦布告
太平洋戦争開戦
1942
半島人労務者活用に関する方策 閣議決定
華人労務者移入
1943 アッツ島の日本軍守備隊全滅
根室海軍牧の内飛行場工事はじまる
1944
一億
武装 閣議決定
全山採炭決死隊結成
三菱美唄炭礦ガス爆発(死 109)
軍需省の命令により雄別,尺別,浦幌の各炭礦は保鉱,九州の三菱鉱業系炭礦へ
1945 函館,室蘭,釧路,根室などの都市が空襲をうける
朝鮮人炭礦労務者スト
東京大空襲
沖縄戦
雄別炭礦復旧
雄別炭礦労働組合結成
広島,長崎に原爆投下
無条件降伏
(市立小
ポツダム宣言受諾
米軍進駐
文学館 昭和歌謡全集北海道編 など参
とした)
岡部昌生
参 文献
田芳明 ふるさとヤマ真谷地
田芳明写真事務所 1988年5月11日
雄別炭山ふるさと懐想マップ Web サイト 雄別の歴
管理人斉藤孝広 2007年
石炭基礎講座―掘るだけでは終わらない 第4回 住まう 釧路市立博物館 2007年10月27日
石炭基礎講座―掘るだけでは終わらない 第8回 探る 釧路市立博物館 2008年10月26日
雄別炭鉱アーカイブ 近代化産業遺産 布伏内連合町内会ウルトラウォーク実行委員会 2008年10月
岡部昌生 ユウバリに触れて NORTHERN OWLS VOL.27 北海道美術館学芸員研究協議会 2008年5月
Art Anthropology 多摩美術大学芸術人類学研究所 2009年9月30日
文化 資源としての 炭鉱>展 目黒区美術館 2009年11月4日
岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト雄別炭礦を掘る 報告書 釧路市立美術館 2010年3月31日
藤楓だより 藤楓協会 2000年
張平宣 悲
張蒼
生 中華希望之翼服務協曾 2004年
解放天刑
追求心理的仁者紀事 台湾人権促進曾 2006年
今藝術 ARTCO No.201 2009 JUNE 典蔵 2009年
藝術家 ARTIST No.409 June 2009藝術家編委曾 2009年
協力
釧路市教育委員会
釧路市立美術館
釧路市立博物館
北海道立釧路芸術館
夕張市美術館
阿寒町
民館
音別町ふれあい図書館
雄別炭礦の産業遺産を守る会
炭鉱と鉄道館
北海道新聞社
釧路新聞社
日本製紙
折原勝
泉信義
瀬戸厚志
角井千代絵
港千尋
佐藤友哉
九冨美香
源藤隆一
柴勤
三沢悟
下泰夫
石川孝織
斉藤孝広
佐々木宰
高橋由紀雄
若林朗子
佐藤久美子
上野秀実
高橋潤
林川弘嗣
竹本万亀
花輪大輔
あとりえ KUSHIRO 阿部啓明
札幌大谷大学
札幌大谷大学短期大学部同窓会釧路支部平川有恵
釧路造形教育研究会
北海道教育大学教育学部釧路
北海道高等学
美術研究室
文化連盟釧路根室支部美術部研究大会
北海道教育大学釧路
付属中学
釧路市民のみなさん
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
雄別炭礦を掘る ワークショップ
雄別炭礦病院 写真提供:釧路市立美術館
岡部昌生
雄別炭礦を掘る ワークショップ
北と南―ふたつの 近代>を掘るフロッタージュ・プロジェクト−1
雄別炭礦病院 写真提供:釧路市写真美術館
北の断章 から 南の断章 へ
美術館の空間が色彩で埋めつくされた。床と壁を支配する雄別と夕張の巨大な赤と黒。雄別の赤は,森のなかの廃墟の大病
院の屋上を20人の学生の手で擦りとった3×30㍍,まばゆい強さを放つ。夕張の,タービン撤去跡の発電所からとりだされ
た画面の中心にはぽっかりと黒い紙のままの十字型の闇の黒。床が鋳ぬかれ落ち込んでいるようにさえ見えた。雄別の強靱
な赤の向かいの幅20㍍,高さ4㍍の緩やかな曲面には1000点もの色とりどりの小さな紙片が
間なく貼り込まれている。傍
らには1500点はあろうかと思うほどの並べきれなかったフロッタージュが手にとって見られるように積み重ね置かれてい
る。阿寒の奥,雄別の廃墟の炭礦を抱く緑の大空間からもたらされたものだ。
連続する四つのワークショップの異なる世代の人々450人によって,森にわけいり炭礦に触れてとりだされたかたち。そ
の見えるかたちの向こうにある見えなくなったかつてここに在った人々の生活の営みの痕跡や時代の相が見えるだろうか。
手に触れ感触した紙の向こうに,雄別の景色やわたる風や人が集って話す声の響きと機械が稼働する騒音を感知することが
できるだろうか。さらにその背後にある 近代>を。ひとりひとりの,4500もの指が感知し,とりだした膨大な場の断片と現
場で紡がれたことばが,この美術館の空間に埋まっている。それをつなぎ集積,再構成し,そこから記憶を想起させ想像力
を駆
して編みこみ,無数の人々の無数の生の営みが織りこまれた 雄別 に,ひとりひとりが対峙したもうひとつの歴
の
集合が見えてくるのだと思う。 雄別炭礦を掘る とは,見えなくなったものを雄別に集まった人たちの手によって掘りだし,
ふるさと を顕在させることだった。
1
2
3
1)岡部昌生拓繪 生計晝 撮影:港千尋
2009 年の春, 生院の作業のひと区切りを機に,李鳳新さんが台北県平溪菁桐煤砿へ誘ってくれた。日本統治時代に設立
された炭礦で,日本と台湾の近現代
とつながる遺構ということもあったのか,あるいは,この夏の雄別での作業を知って
のことであったのか。自然のなかに大きな構造体が迫ってくるようにある炭礦特有の自然の一部がひらけた風景。軌道や枕
木,坑口が夕張や雄別と似て馴染みを覚えた。 瓦に刻まれたTRの刻印は台湾
瓦株式会社の略称。大正時代に,後宮信太
郎が設立した会社のものと教わった。
雄別炭礦を掘る とは, 北と南―ふたつの 近代>を掘る ,ふたつの場の功罪併せもった 近代>をたくさんの手で触れ,
移し/写しとる 北 の作業の断章だ。 南 の 岡部昌生拓繪計晝
の多くの人の手の作業をとおして透視してみたい。美術家と
生 そしてふたつの場の ふるさと の喪失について,台湾
生院の住民とそれを支援する学生たちとの 記録の本づくり
の共同作業がこれからはじまる。この記録を次の 北と南 の断章とする構想である。
このプロジェクトのすごさは,はるかに想像を超えます。力を合わせて, 生の記録の本を一緒に作れたらいい と,李
鳳新さん。港千尋さんと国立台湾大学での 物質と記憶 のトークのとき,
ネットで広く
生院の 記憶と痕跡 を擦りだす作業の現場が
わされたことにふれ,ここに参集したボランティアの学生たちに ここに来てください。作品を見るだけでは
なく,この場所,この空間も見てください。ここで何があったのか,ここに来て,見てください,そう呼びかけてください
と伝えた。港千尋さんは,この作業の始まるまえ, アジアの文明と歴
を小さな場所から,深く,広く掬い上げるようなユ
ニークなものになる予感がします と伝えてくれた。
場の断片,時の断片。過去を現在に引き寄せつぎへとつなぐ。めまぐるしく変貌しつづける 現代 に埋もれるようにある
近代 ,その苛酷な現場のなかで,美術と人がむすばれ, 記憶と痕跡 を引きよせ,つなぎ拡げていく。
それは今も,進行形だ。
4
4)岡部昌生 雄別炭礦を掘る フロッタージュ+紙+拓本墨+テープ 55×19cm 2009 年
5
5)岡部昌生 雄別炭礦を掘る フロッタージュ+紙+拓本墨+テープ 55×19cm 2009 年
6
6)岡部昌生 雄別炭礦を掘る フロッタージュ+紙+ 筆+テープ 55×19cm 2009 年
7
7)岡部昌生 雄別炭礦を掘る フロッタージュ+紙+ 筆+テープ 55×19cm 2009 年
8
8)岡部昌生 雄別炭礦を掘る フロッタージュ+紙+クレヨン+テープ 55×19cm 2009 年
9
9 )岡部昌生 雄別炭礦を掘る フロッタージュ+紙+クレヨン+テープ 55×19cm 2009 年
10) 雄別炭礦を掘る ワークショップチラシ 高文連釧根支部美術部共同制作
11) 雄別炭礦を掘る ワークショップチラシ 北海道教育大学付属中学 との共同制作
12) 雄別炭礦を掘る チラシ市民ワークショップチラシ
13)岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト 雄別炭礦を掘る チラシとポスター
岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト雄別炭礦を掘るワークショップ/旧雄別炭礦遺構
北海道教育大学釧路
北海道高等学
付属中学
(2009 年8月3日−4日)
文化連盟釧路根室支部美術研究会(2009 年9 月10日)
釧路市民のみなさん(2009 年9 月12日)
写真提供:釧路市立美術館 10 − 24
10
11
12
13
14
15
16
19
22
17
18
20
21
23
24
岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト雄別炭礦を掘るワークショップ/旧雄別炭礦遺構
北海道教育大学釧路 教育学部美術研究室(2009 年8月6日−7日)
写真撮影・写真提供/
岡部昌生 28
釧路市立美術館 26 27 29
30 31 32
北海道教育大学釧路 教育学部美術研究室 25 33 34 35 36
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト雄別炭礦を掘る
展覧会/釧路市立美術館
2009 年9 月19 日-11月8日
写真撮影/港千尋 37 38 40 43
岡部昌生 39
41 42
岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト雄別炭礦を掘る
出品リスト
1)雄別炭礦を掘るワークショップ雄別炭礦遺構 38 壁面右 42 壁面右 43 2009 年
釧路市民のみなさん+北海道高等学 文化連盟釧路根室支部美術部+北海道教育大学釧路
フロッタージュ+紙+オイルチョーク 各21×30cm 30×42cm 約2500点
付属中学
一年生+岡部昌生
2)雄別炭礦病院屋上遺構 37 壁面 38 壁面左 39 壁面 41 壁面 2009 年
北海道教育大学釧路 教育学部美術研究室学生+岡部昌生を中心とした共同制作
フロッタージュ+テトロン布+オイルチョーク+布テープ 310×3000cm
2009 年8月6日−7日
3)雄別炭礦からの手紙 1998+2009 年
フロッタージュ+紙+
50点(各15×10cm)
筆+オイルチョーク+テープ+郵
はがき
37
4)雄別炭礦を掘る 42 壁面右奥 2009 年
フロッタージュ+紙+ 筆+カルトン+オイルチョーク+弁柄+テープ+鉄の採集物
52点組(各110×74cm 55×19cm)
5)雄別炭礦を掘る 関連資料
労働組合資料 ツルハシや削岩機などの採炭の道具 作業靴,
保安用具,カンテラ,キャップライトなど 石炭塊,アンモナイト化石
協力/釧路市立博物館 炭鉱と鉄道館
6)YUBARI MATRIX 1992-1994
38 壁面中央 1992-1994年
北海道炭礦汽 真谷地炭礦電力所遺構
フロッタージュ+紙+ 筆+カルトン+弁柄+テープ
48点組(各110×75cm14点 75×55cm34点) 展示440×675cm
雄別炭鉱記録映像
7)夕張の子どもたちⅠ+Ⅱ 38 壁面右奥 1987+1988年
フロッタージュ+紙+ 筆
42点組(各55×39 .6cm) 展示330×276.5cm (Ⅰ)
42点組(各55×35.6cm) 展示330×248.5cm (Ⅱ)
廃 となった夕張市立清陵小学 の卒業記念浮彫自刻像のフロッタージュ
8)YUBARI MATRIX 1998
37 床面 38 床面 39 床面 40 床面 42 床面 1998年
北海道炭礦汽 真谷地炭礦電力所遺構
フロッタージュ+紙+ 筆+カルトン+テープ
114点組(各110×75cm) 展示1425×660cm
巨大なタービンが撤去され鋳抜かれたような深さ20㍍の大 をフロッタージュ
中心の擦りとられなかった部 は紙の黒のままぽっかりと大きな十字型が残され,物質と近代の喪失感を漂わせる
38
9 )OKABE MASAO ARCHIVE 1979 -2006
フロッタージュ・ドキュメント映像 12 48
他にYUBARI MATRIXの 制作ノート
岡部昌生資料 ワークショップドキュメント写真
10)共同制作ポートフォリオ作品 雄別炭礦病院遺構
作品の一部をケナフ紙に圧着
テキスト
カルトン装丁46×36cm
ed.60
39
40
41
42
43
44
Fly UP