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歴史を語り継ぐ石 595.84KB
どうひょう ちからいし 歴史を語り継ぐ石 ∼道標と力石∼ 道 力 標 石 鎌倉幕府を開いた源頼朝は、家臣たちが急いで鎌倉に駆けつ かつて仕事の休みなどに村の青年たちが集まり、大きな石を けられるよう、新しい道「鎌倉道」をつくりました。そのうち複 持ち上げて力比べをしていました。100キロもの石を、軽々と 数の主要道が、栄区内を通っていました。 肩に担ぎ上げたといいます。娯楽であると同時に、農作業や森 江戸時代には、 観光地の鎌倉、観音信仰の弘明寺、東海道の通る 林伐採の鍛錬でもありました。それは昭和初期まで続き、現在 戸塚などを、徒歩や馬で行き来する人びとのために、みちしるべ は「力石」「力持ち石」として区内では5か所に保存されています。 が作られていきました。例えば、鎌倉に向かうときは「かまくら みち」、同じ道でも反対に弘明寺に向かうときは「ぐめうじみち」「ぐみやうじ みち」等の文字を頼りに旅を続けました。 位置は移っているケースが多いものの、 区内では13の道標が確認されています。 正確には、道案内の目的で立てたものを 「道標」、信仰などのために立てた石塔に 道案内を刻んだものを「道標銘(どうひょ うめい)」といいます。 上郷地区に3つの力石 ∼「寺前の石」の波乱万丈∼ 最も重いのは、光明寺にある130キロの「寺前の石」。この寺のか つての門前で、若者たちに担がれていました。戦後、道路記念碑の台 座となっていた時期があります。前住職の北條祐勝さんや道路関係者 により無事寺に戻され、現在は鐘楼の脇に保存されています。 北條さんは、3つの石の保存会の会員、そして「本郷郷土史研究会」 の会長でもあります。 「新しい区民が増え、地元の歴史が親から子へ 伝へられなくなりました。栄区の歴史はとても面白いので、ぜひ皆さ んに親しんでほしいです」と話します。ちなみに今年のNHK大河ド ラマの「山内一豊」は、栄区の地にゆかりある人物だそうです。 (以下すべて道標) ▲ 小菅ケ谷小学校近くの 廃道に残る道標 正面に「此方 ぐめうし道」、左に「此方 か まくら道」、右に「此方 ひろ道とつか」の文 字。「施主戸塚町住民共」とあります(1712年)。 歩いてみよう ⑧道標1764年 民家の脇の大きな木の根元 石のある道 環状3号線 西谷稲荷社境内 大船駅を基点に道標と力 石をめぐり、本郷台駅を終 点とするコースをご紹介し ます。ゆっくり歩いて約 2.5時間。春には色々な花 が咲き、風景も楽しめます。 石像とともに 保存されている⑥ 渡戸 桂 町 戸 滝ノ分 塚 道路沿いの大木は 遠 樹齢520年の 藤 線 クロガネモチ 凡例 かながわの名木100選 (区内唯一)/ 市の名木古木 歩くコース 力石 ゴルフ 練習場 ⑤ 車 場 笠間口 春日神社 栄第一 水再生 西本郷小前 センター あーすぷらざ 江戸時代の初め、本郷の中之(中野)村に 左近、鎌倉の関谷に右近という、大変な力 持ちがいました。二人は祭りの度に大きな 石を持って争い、観客をわかせていました。 ライバルの二人は、普段は励まし助け合う 親友でした。そのうわさを聞いた将軍は、 江戸城の大門を守る役目を二人に命じました。 役目を立派に果たした二人は、中之と関 谷にそれぞれの領地を与えられ、年老いて からも仲良く暮らしたと伝えられています。 (本郷郷土史研究会「本郷の民話と伝説」より) サクラ 中野町左近公園の力石 上記のお話の石の複製があります。 公園名の由来は、もちろん本郷の「左近」です。 サクラ ③ 歩道橋 ち川 いた お疲れさまでした! となりに 笠間 延命地蔵尊 「よこはま道」と刻まれた道標 中野町長慶寺先の 三叉路 (馬頭観音塔) 線 WC 船 笠間 大 道 中央公園 県 青木神社 入口 停 サクラ 大 船 駅 矢 ⑧ うこん ② 本来はいたち川沿いにあ ったと記されていますが、 道標の多くはこうした分 岐点にありました(1848年)。 不動講 法安寺 庚申塔など 青木神社 ① 砂押川 大船郵便局 ①2基が道標 元禄(1688∼1703年) と年代不明のもの ③道標 1691年 うしろは駐車場 新橋のすぐそば ※長慶寺(中野町)と正翁寺(鍛冶ケ谷二丁目)の境内には供養塔の道標、 御岳山(上郷町)石塔群の中には馬頭観音の道標が保存されています。 道標は過去へのみちしるべ 駐輪場 大東橋 ※住宅の近くや神社・寺院等の散策・ 写真撮影は迷惑にならないよう注意を。 ※途中には公衆トイレがありません。 鍛冶ケ谷二丁目の住宅街 (道祖神塔) こちらも昔は三叉路にあったようです。市の地域文化財(1861年) ▲ さぁ 出発だ!! 部 小菅ケ谷四丁目公園 ※栄区ホームページに、北條祐勝さん執筆の 「さかえの歴史」を掲載しています。 ▲ ⑤道標 1715年 ここから始まる 新橋 ゆるやかな坂は、 古くから「追上の坂」と 呼ばれています。 環状 4号線 さこん 小菅ケ谷 地域ケアプラザ 台駅 本郷 ④ 本郷の左近と関谷の右近 信号手前 を左折 サクラ 馬頭観音 庚申塔など 西本郷 小学校 庚申塔・道祖神塔 長光寺 長光寺 道標 赤坂 西谷戸 ▲「寺前の石」130キロ 「固定はしていません。 持ち上げてみるときは 十分注意を」と北條さん ⑦ ▲「稲荷森の石」105キロ バス停「稲荷森」近くの 道沿いにある。 ▲ 花の咲く道 ▲「川之上の石」90キロ 光明寺から約3分北に歩 いた道路沿いにある。 交通量の多い ところもあるよ。 車に注意しなが ら歩いてね。 編 集●広報相談係 894-8335 894-9127 [email protected] 編集協力●北條 祐勝さん(本郷郷土史研究会)、高野 紀美子さん(六人会) 歴史関連の調査や案内等の活動をする「六人会」では、区内の道 標一基ごとに、文字や経過を調べました。 「一つの道標から、当時の古道や信仰、経済圏、 交流圏、庶民の観光地などを推測することができ ます。道標めぐりには、はるかな過去に思いを馳 せる楽しさがあります」と、代表の高野紀美子さん。 ページ冒頭の、小菅ケ谷小学校近くの道標は、 古い地図や地元の人の話を頼りにようやく探し ▲「皆で道標を大切に」と 当てたもので、特に愛着があるそうです。 高野さん