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「難民問題って?」(PDF/1.14MB)

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「難民問題って?」(PDF/1.14MB)
難民ってどんな人?
﹁難民﹂というのは
ざっくり言うと、
﹁そ の 国 に い る と い じ め ら れ る か ら
﹃難﹄を 逃 れ て き た。し か し そ の こ と
によって、住む場所も食べるものも失
い、
新たな﹃難﹄に直面している﹃民﹄
﹂
のこと。いささか強引ですが、だから
﹁難 民﹂と い う ん だ よ と、以 前NHK
の﹁週刊こどもニュース﹂で解説した
ことがあります。
1951年の﹁難民の地位に関する
条約﹂
︵難民条約︶では、
﹁人種、宗教、
国籍もしくは特定の社会的集団の構成
員であることまたは政治的意見を理由
に迫害を受けるおそれがあるという十
分 に 理 由 の あ る 恐 怖 を 有 す る た め に、
国籍国の外にいる者であって、その国
籍国の保護を受けられない者またはそ
のような恐怖を有するためにその国籍
国 の 保 護 を 受 け る こ と を 望 ま な い 者﹂
と 定 義 さ れ て い ま す。こ れ に よ れ ば、
いわゆる〝国を追われた人〟が﹁難民﹂
というわけです。
この﹁難民﹂の定義を広げ、より多
く の 人 々 を 支 援 し よ う と し た の が、
J
ICAの現理事長で、当時は国連難民
高等弁務官だった緒方貞子さんでし
た。ちょうど 年の湾岸戦争の真った
難民問題って?
多数の紛争国・地域などを取材してきた
ジャーナリスト・池上彰さんが
世界の難民問題について解説します。
ある日突然、紛争や暴力に巻き込まれ、平和だった暮らしが一変。
“難”を逃れるため、住み慣れた家、土地、国を追われる“民”―。
世界には、こうした厳しい境遇に置かれる難民たちが数多く存在する。
「遠い国の出来事」と、思われがちだが、
実は日本社会にも、1万人に上る元難民が生活しているのが現状だ。
今年2011年は、
「難民の地位に関する条約」
(難民条約)の採択から60年、
日本がこの条約に加盟して30年―。
JICAは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などと連携しながら難民支援を続けている。
いま一度、私たちにも身近な「難民問題」について考えてみよう。
が、実際に対立が起きるまでは、結構
民族や宗教の違いで対立が起きると
よくいわれますよね。それも事実です
なぜ発生するの?
難民﹂と呼ばれるようになったのです。
しました。この人たちが後に﹁国内避
支援し、安全に帰還できるように注力
民高等弁務官事務所︶は彼らを保護・
う べ き だ﹂と 訴 え、
UNHCR
︵国 連 難
が、
﹁避 難 民 だ っ て〝難 民〟と し て 扱
目に遭っていた。このときに緒方さん
国内の山岳地帯に追いやられて悲惨な
ら な か っ た わ け で す。し か し 実 際 は、
ルド系住民は、難民の定義に当てはま
していたので、国籍が﹁イラク﹂のク
このときまで﹁難民﹂というのは、〝よ
その国から逃げてきた人〟のことを指
ったんですね。
多くは国外に逃げられなくなってしま
国境を封鎖してしまい、結局、彼らの
け入れるなんて大変だ﹂ということで
え て い た ト ル コ は、
﹁イ ラ ク 難 民 を 受
ところが、自国内でクルド人問題を抱
としたんです。あれは冬のことでした。
権に鎮圧され、隣国トルコへ逃れよう
こからの支援も得られず、フセイン政
しかしシーア派の住民やクルド人はど
蜂 起 し、内 戦 状 態 に な っ て い ま し た。
に対してシーア派の住民とクルド人が
知ってほしい、
私たちのこと。
池上彰さんに聞く
特集 日本の難民支援
スーダンの助産師を育成する JICA の支援現場を取材。助産キットの中身について聞く池上さん
© 日経ビジネスオンラインスペシャル
04
February 2011
February 2011
05
91
だ中で、イラク国内ではフセイン政権
Profile
1950年長野県出身。大学卒業後、NHKに記者として入
局。松江放送局、広島放送局、東京の報道局を経て、
2005年フリーのジャーナリストに転身。
「そうだったのか!
池上彰の学べるニュース」
(テレビ朝日)
など、出演する数
多くのテレビ番組が分かりやすいニュース解説で定評。
『世界を救う7人の日本人』
(日経BP社)
など著書多数。
内戦が終結した2004年、
トラックで避難先のリベリアから故郷
に帰還するシエラレオネ難民。腕には、難民登録の証しである
ピンクの腕輪が付けられている ©UNHCR/E Kanelstein
photo by Shinichi Kuno
特集 日本の難民支援
知ってほしい、私たちのこと。
みんな平和裏に暮らしているんです。
旧 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア も そ う で し た。結
局、最後は内戦状態になり、セルビア、
ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア
など7 つの国に分断されてしまったの
で す が、そ の 直 前 ま で は、そ れ こ そ セ
ちの利益を得ようとする人たちがいる
のです。
どうして
助けなくちゃいけないの?
ルとして日本にやってきました。しか
しそのときの日本は、本当に難民問題
に対する意識が低く、日本に来た難民
はアメリカに送り届けましょうという
発想がほとんどだったんですよ。です
から国際社会から非難されたわけで
によって人々が引き裂かれ、難民が発
民族や宗教だったりすると、その違い
内戦が始まり、たまたま対立の構図が
っていたわけです。ところがいったん
ま れ た か ら﹁ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 人﹂と な
れれば、ユーゴスラビアという国で生
こ に 生 ま れ た 子 が﹁な に 人?﹂と い わ
温かい家庭を築いていたんですよ。そ
と 当 然、
UNHCRが キ ャ ン プ を 作 り、
民が逃れていきましたよね。そうする
例 え ば ス ー ダ ン の ダ ル フ ー ル 地 方。
内戦が続いて、隣国チャドに大勢の難
うことです。
によって、
〝新たな紛争〟が起きてしま
ね。も う 一つ は、難 民 が 発 生 す る こ と
なきゃというのは、当然のことですよ
そこに困っている人がいれば何とかし
いう国のあり方が問われたんだ、とい
者を受け入れようとしなかった日本と
するにインドシナ難民の問題で、よそ
れて議論されるようになりました。要
り、その後ミャンマー難民やアフガニ
本でインドシナ難民の受け入れが始ま
ういう批判を浴びたこともあって、日
うというのは無責任じゃないかと。そ
るのに、ほかの国にあっせんしましょ
す。世界の国々は難民を受け入れてい
生 す る。で も 争 い の き っ か け は、決 し
飲み水が足りないから井戸を掘るわけ
うことだと思うのです。
二つ理由があると思います。一つは、
同じ地球上に暮らす人間としての義務。
て民族や宗教が違ったからではありま
で す。結 果 的 に、ダ ル フ ー ル か ら 逃 げ
ル ビ ア 人 と ク ロ ア チ ア 人 が 結 婚 し て、
せ ん。そ こ に は 必 ず 政 治 的 な 対 立 や、
てきた難民たちはきれいな水を飲める
ま し て こ れ が ア ジ ア で 起 き る と、好
むと好まざるとにかかわらず、日本に
りません。
界平和にとって決していいことではあ
新たな紛争が広がっていくことは、世
はチャドでトラブルが発生したのです。
ドの人たちからは反発が起こり、今度
く遠くまで水をくみにいっていたチャ
ようになりますが、もともと井戸がな
が生まれようとしています。つまり長
そこにとてつもない新たなマーケット
ち が モ ノ を 買 え る よ う に な っ て く る。
になることによって、アフリカの人た
すが、アフリカで内戦が終わり、平和
助するの?﹂という声が必ず出てきま
援 助 す る と、
﹁な ぜ あ ん な 遠 い 国 に 援
カを見てください。日本がアフリカに
ーケットになるんですよ。今のアフリ
日本に
何が求められているの?
すね。
のODAがあったからともいえるんで
ことにならずに済んでいるのは、過去
言われていますが、とりあえず深刻な
っているんですよ。すごい不況だとか
そのことによって日本経済が何とかな
の モ ノ を た く さ ん 買 っ て く れ て い る。
今、アジアの国々は豊かになり、日本
︵政 府 開 発 援 助︶を 行 っ て き ま し た。
そ の 結 果 い ろ い ろ な イ ン フ ラ が で き、
難民が逃げてくる可能性もあるわけで
い目で見れば、結局日本のマーケット
スタン難民をどうするのかが本腰を入
あるいは対立をあえて拡大して自分た
年代のインドシナ難民が一番い
す。
いない人は、自爆テロにでも何にでも
った、家を失った⋮。もう何も残って
りません。愛するわが子を失ってしま
も失うものがない人ほど怖いものはあ
要です。遠回りかもしれませんが、何
をたくさんつくってあげること﹂も重
い を す る。ま た、
﹁失 っ た ら 困 る も の
その国が独り立ちできるようなお手伝
ているのであれば、貧しさを何とかし、
平和にする方法はいろいろとあるで
しょう。貧しさが原因で争いが発生し
とがとても大事なのです。
う 意 味 で、
〝国 を 平 和 に し て い く〟こ
な難民は発生しないわけです。そうい
に言うと、その国を平和にすれば新た
役割ではないんですよ。ですから、そ
のは、本来UNHCRのような機関の
状態でも、それを何とかしようという
う。しかし、パキスタン国内が大変な
難民を受け入れているパキスタンもそ
んどが貧しい国です。アフガニスタン
ています。難民を受け入れるのはほと
かしなければ﹂という問題意識を持っ
発生により新たに起きる問題まで何と
を助けるだけじゃダメなんだ。難民の
の 対 立 を 見 て い た 緒 方 さ ん も、
﹁難 民
のまま定住したらどこが助けるのでし
当しています。でも、その人たちがそ
帰還したりするときもUNHCRが担
CEF
︵国連児童基金︶
。また、難民が
にもなっていくのです。
走ってしまうのです。そうではなくて、
ういうときにこそ、開発援助機関であ
い 例 で す。祖 国 を 追 わ れ、船 に 乗 っ た
土地があり、財産があり、愛する家族
るJ ICAの出番ではないかと思うん
﹁難民が発生する﹂ということは、﹁そ
の国が平和じゃない﹂ということ。逆
がいれば、そういうことが起こりにく
で す。つ ま り、
﹁難 民 問 題 の 解 決 を シ
日本は戦後、ずっとアジアにODA
くなります。これが援助の一つの方法
ー ム レ ス に す る﹂こ と に、
J ICAの
ょう。ダルフール難民とチャドの人々
だと思うのです。
役割があるのではないでしょうか。
ば、発生した難民を
すよね。難民でいえ
という言葉がありま
そ し て、
﹁継 ぎ 目 が な い﹂と い う 意
味 の﹁シ ー ム レ ス﹂
大勢のインドシナ難民がボートピープ
南部スーダンからウガンダに逃れた難民は約27万5,000人。指紋は帰還時の証明となる ©UNHCR/E.Denholm
06
Feburary 2011
February 2011
助けるのはUNHC
R やU N R W A︵ 国
連パレスチナ難民救
済 事 業 機 関︶
。あ る
いは、そこに子ども
たちがいたらUNI
シームレスな支援に向けてUNHCR
とJICAの一層の連携強化を図るべ
く、2010年11月に東京で意見交換
を行ったUNHCRのアントニオ・グ
テーレス高 等 弁 務 官と緒 方 貞 子
JICA理事長
©UNHCR/K.Saito
80
2010年6月、
キルギス南部で民族衝突が発生。隣国
ウズベキスタンに逃れた難民は10万人に上ったという
c UNHCR/S.Schulman
○
07
さらに言えば、平和が訪れてその人
たちが豊かになってくると、そこがマ
1970年代以降、300万人以上のインドシナ難民が発生。安住の
地を求め、多くの人々がこうしたボートに乗って命からがら海を渡っ
た ©UNHCR/B.Boyer
特集 日本の難民支援
知ってほしい、私たちのこと。
難民問題の現状、国際社会や日本の取り組みなどを紹介。
■難民をめぐるさまざまな形態
表
UN HC R駐日代
氏
ヨハン・セルス
「日本の貢献が
を
多くの難民に光
」
もたらしています
に大きな
る世 界で2番目
UN HC Rに対す
ち
た
私
、
JI CA 、
は
や
府
さん
皆
そして、政
、
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日本
まで
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、
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資 金 拠 出 国が日
よっ
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間 企 業などの 手
民
、
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事
民
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民 支 援を力 強く
民
難
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が 国 際 社 会で難
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ほど前 、私は香
年
20
。
ル
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うか
ー
しょ
ご 存 知で
日本はボートピ
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て働いていまし
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世
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務
そ
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、
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担
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えて拠 出 金が 群
す。そうし
ま
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く覚
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大きく影 響したの
れまで各 地 の 難
での 難 民 保 護に
こそ、私たちはこ
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ま
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差し伸べてくるこ
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民に支 援の手を
CAとのパートナ
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この 10 年 余 JI
、
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が
民
還
帰
UN HC Rでは
、
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結
います。紛 争 終
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れ
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発援
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道 支 援から長 期
めには、緊 急 人
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築
構
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支 援と平 和
に移 行し、復 興
地 社 会の
現
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れ
助 へとスムーズ
入
け
受
を
か、同 時に難 民
果 的に進めていく
保 障 」の 視 点から
が「 人 間 の 安 全
か
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減
軽
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目
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々
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JI CAとの 連 携は
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てくるでしょう。
人 以 上 の 難 民の
HC Rは5, 00 0万
迎えた
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年
周
60
設 立 以 来 、UN
立
設
きました。昨 年は
て
援し
支
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還
ントも計 画さ
建や 帰
るさまざまなイベ
はそれを記 念す
年
今
、
難 民 問 題を
あり
に
も
々
こと
多くの 人
を機 に、一 人でも
います。
って
願
う
れています。これ
そ
から
、心
心を持ってほしい
関
、
らい
も
って
知
難民
庇護申請者
国内避難民
帰還民
(国内避難民)
無国籍者
その他
まれない
益金で世 界の 難民や恵
チャリティーショーの収
いもの
ゃが
「じ
もに
と、歌手 仲間とと
子どもたちを支援しよう
年以 上に
20
、
以来
。
こと
年の
85
を立ち上げたのは19
会」
を通じ、アフリカ
連U NH CR 協会など
わたり、NP O法 人国
地 域での学 校 、
還民
ア帰
、カンボジ
の難 民へ の教 育 支 援
。
活動などを行ってきました
診療 所の建設 、地雷 除去
ため
ちの
もた
子ど
民の
ン難
ソマリア 難民やスーダ
中でも、
実 施したり
練を
訓
教員
、
たり
供し
提
に机 やいす、教 科 書を
てきました。
支援には特に力を入れ
するなど、教育 分野 への
く、子どもたち
はな
ので
せる
わら
で終
支援を単なる自己 満足
くための力を
づくりに 取り組んでい
が将 来自立し、新たな国
。
です
から
と考えた
つけていくことが大 切だ
がやっとの
子家 庭で育ち食べるの
私自身 、幼いころは母
なること
手に
た歌
あっ
を続け、夢で
生 活の 中 、必 死に 努力
自ら立ち上がれ
って
を持
が夢
彼ら
そ、
ができました。だからこ
です。
そんな願いがあったん
るよう手 助けしたい、
月2 0日)」は私
(6
の日
難民
世界
た「
実は、国連が制 定し
も難 民問 題と
的に
日でもあり、個人
の歌 手デビューの 記念
いる親や 子 、
って
が持
誰も
。
ています
の不 思 議な縁を感じ
還民という
や帰
な温かい 心を、難民
兄弟を思う気 持ち。そん
けてい
も向
しで
に少
ため
ている人々の
厳しい境 遇にさらされ
考えています。
くことが何より大切だと
難民
庇護申請者
武力紛争や継続する暴力、迫害などによって住んで
いる場所から強制的に追われたが、国境を越えていな
い人々
国内避難民として、UNHCRによって保護・支援を受
けていたが、出身地や住んでいた場所に帰還した人々
どの国からも市民権や国籍を認められていない人々
以上の分類にあてはまらないが、人道上の見地から
UNHCRの支援を受けた人々
アフリカ
2,300,062
アジア
ヨーロッパ
February 2011
保護・支援を受ける
帰還民
(国内避難民)
国内避難民
帰還民
(難民)
無国籍者
その他
合計
436,930
149,480
6,468,788
846,046
100,064
174,197
10,475,567
5,620,502
67,928
97,584
5,434,532
1,381,234
5,820,357
144,924
18,567,061
1,628,086
282,214
4,319
420,758
2,260
639,034
92,577
3,069,248
中南米・カリブ地域
367,437
68,785
70
3,303,979
-
118
-
3,740,389
北米
444,895
124,973
-
-
-
-
-
569,868
オセアニア
35,558
2,590
-
-
-
-
-
38,148
その他
合計
-
-
25
-
-
-
10,396,540
983,420
251,478
15,628,057
2,229,540
6,559,573
「難民を助ける」とは
難民支援といっても、その方法はさまざまだが、UNHCRの主な
任務は、難民にも基本的人権が保障され、避難生活中も尊厳
を持って生き抜いていけるよう
「保護」すること。紛争や迫害の
ため自分の国が「自国民の保護 」という義務を果たせない中、
難民受入国や多くのパートナーと協力して彼らを「保護」し、安
全な場所、水、食料、教育、医療サービスの提供などを通じて
避難生活を支えている。さらに、一人一人の難民が普通の暮ら
しに戻れるよう、世界の難民問題の解決にも取り組む。難民条
約加盟国である日本も、こうした難民保護に向けた国際社会の
取り組みをリードする一層の貢献を期待されている。
UNHCR
■世界の難民・国内避難民の全体像
国連難民高等弁務官事務所(United Nations High
Commissioner for Refugees)。世界各地の難民の保
護と支援を行う国連機関であり、支援には帰還や定住
などの難民問題の恒久的解決に向けた活動も含む。
UNRWA
国連パレスチナ難民救済事業機関(United Nations Relief
and Works Agency for Palestine Refugees in the Near
East)。ヨルダン、シリア、レバノン、ヨルダン川西岸と
ガザ地区のパレスチナ難民の救済を行う国連機関。
411,698
25
36,460,306
出典: UNHCR 2009 Global Trends
UNHCRの支援対象者となる難民数
約1,040万人
UNRWAの支援対象者となる難民数
約480万人
難民の合計数
約1,520万人
庇護申請者数
約100万人
紛争などによる国内避難民
約2,710万人
難民、庇護申請者、国内避難民の合計
約4,330万人
注:自然災害による強制移動の人数は含まない。
日本の貢献
国際社会による支援
長期化する難民問題
本が本 格 的に難民問 題に取り組むきっかけとなったの
が、総数300万人以上といわれるインドシナ難民の発生
だ。1970年代に社会主義国へと移行したベトナムやラオスな
どの国々から、迫害を受ける恐れのある人々がボートピープルと
して脱出。日本には7 5 年 5月、アメリカ船に救 助された9 人の
ベトナム人難民がやってきた。以降、政府による受入事業が終
了する2005年末までに、日本は11,000人以上のインドシナ
難民を受け入れ、彼らは神奈川、埼玉、兵庫などの日本各地に
定住した。
そして日本は、81年に難民条約に加盟。UNHCRやUNRWA
をはじめとする国際機関への資金拠出やNGOなどによる草の
根レベルで、積極的に難民支援に取り組んできた。2010年に
は、他 国で避 難 生 活を送る人々をさらに別の国が受け入れる
「 第三国定住プログラム」
をアジアで初めて実現。タイ北部の
ミャンマー難民27人に対し、日本語教育や職業紹介などの支
援プログラムを実施しており、2012年までに約90人を受け入
れる予定だ。
こうした中JICAは、主に紛争後に祖国へ戻った帰還民など
を対象とした貧困削減や職業訓練、難民・国内避難民を受け
入れるコミュニティー開発支援などの支援を行っている。
さらに
99年以降はUNHCRとの連携を強化。07年には覚書を締結
し、① 紛 争 後の復 興 支 援 、平 和 構 築 、和 解プロセスの促 進 、
②人間の安全保障の理念に基づく難民・国内避難民の受け
入れ社会の負担軽減を柱に、世界の紛争地とその近隣諸国
などでさまざまな開発課題の解決に取り組んでいる。
世紀前半の二度の大戦を経て、世界各国で政治・社会
体 制が 変 化 。新たな体 制 になじめずに 他 国 へ 逃れる
人々、すなわち「 難民」の問題が深刻化したのはこれ以降のこ
と。国連は、難民の保護と支援に向けた国際的な取り組みを強
化するため、1949年にUNRWA、50年にはUNHCRを設立。
さ
らに51年、難民の法的地位を規定し難民の取り扱いに関する
人道的基準をうたった「難民の地位に関する条約」
( 難民条約)
が採択された。
これらは、大戦の影響で発生した難民への対応を念頭に置い
たものだが、
その後も紛争は各地で勃発し、難民問題はこれまで
以上に大規模かつ広い地域で繰り返されている。90年代には、
イラク、バルカン地域、ルワンダ、東ティモールなどで発生した難
民・国内避難民が、国際社会でも大きな問題としてクローズアッ
プされた。
このように終わりの見えない難民問題に対し、現在はUNHCR
とUNRWAに加え、国連世
界 食 糧 計 画( W F P )や国
際移住機関(IOM)、国際
赤十字・赤新月社連盟など
の国際機関が難民支援の
主な担い手として活動。一
方で各国のNGOも、紛争
や人権侵害などの脅威から
逃れてきた人々の避 難 生
活を現場で支えている。
1994年、
タンザニアより帰還するルワンダ
を追われ、何 百キロ、何 千キロにも及ぶ長い道のりを逃
がれてきた人々、故郷にいつ戻れるかも分からず、窮屈な
テント生活の中で不安な日々を送る家族―。
2009年、紛争や迫害などによって強制的な移動を余儀なく
された難民・国内避難民の数は、世界でおよそ4,330万人。そ
のうち、難 民の出 身 国 別で最も多いのはアフガニスタン( 約
289万人)
で、次にイラク
(約179万人)
が続く。また、4 7 0 万
人を超えるパレスチナ難民が、半世紀以上もの間、祖国に帰る
あてのない避難生活を強いられている。近年は、国境を越えず
に自国 内 に 避 難 する「 国 内 避 難 民 」が 増えているほか( 約
2,710万人)、
もともと住んでいた地域に自主的に戻れた帰還
民の数が1990年以来最低を記録するなど、治安が不安定な
国・地域での難民問題が長期化している。
危険を逃れてきた難民の一時的な避難場所が、UNHCRな
どがテントを設 置し、食 料や水 、医 療 、生 活 用 品などの緊急 支
援を行う難民キャンプだ。
一 方 、最 近では、こうした
キャンプではなく、都 市 部
などで地元の住民とともに
暮らす難民も増えている。
その 中には、教 育や 医 療
サービスなどを受けられな
かったり仕事に就けないな
ど、過酷な状況にある者も
多い。
ケニアの難民キャンプで食料配給を待つ
日
20
c UNHCR/R.Chalasani
難民 ○
09
出典: UNHCR 2009 Global Trends
(人)
さん
「 新たな国づくりに
立ち上がってほしい」
■世界の難民発生状況(UNHCR の支援対象者数)
他国に逃れて国際保護を求めているものの、いまだ
難民としての立場が認定されていない人々
帰還民(難民) 自主的に出身国に帰還した人々
歌手
森 進一
「難民条約」の定義に該当する人々、UNHCRの定め
るところにより難民として認められた人々、補完的保
護を受けている人々、暫 定 的な保 護を受けている
人々、
さらに難民と同様の状態に置かれた人々を含む
国
ソマリア難民の少女
c UNHCR/E.Hockstein
○
February 2011
08
Fly UP