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昭和6年) 第12号 1931.12 (PDF:6.6MB

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昭和6年) 第12号 1931.12 (PDF:6.6MB
一肺結按、肋膜炎、何健病.神経痛 一
一関節炎、坐骨紳純端 、胃腸病、感一
一問、気管枝カタル‘樹、梯疹、膿一
一一揚‘凍傷、百日媛、リウマチス、一
一
一腺病質の児童等
一、家庭に於て普通の電燈線から使用出来ます。
二、石英水銀燈の如︿素人に危険な線を合んで居
らません。
三、多量の赤外線をもって居りますからヒーター
の代用にもな bます。
四、非常に爽快なる明るい光を出します。
五、健康増進に欠︿べからぎるものである外左記
の病気に特放があbます。
長
説明書進呈)
(
東京電気株式曾枇
川崎市
特
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金津 市 電気問主事
諜 一長
総務
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涯信省工務局
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第十八巻第十二競ハ昭和六年十二月号目次
ハ イ タ ラ イ ト ・ ランプル司弘前ふ
検見 川 会 信 所 の 短 波 無 線 電 話 送 信 機
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( 一回
東京電気株式合同社
明 課
事業部照
日
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夜の.コルフ
-課長良
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名古屋放詮間企喜一課相談係調査
電燈
高速電燈株式命日祉
取締役
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前東京市電気同日
J OC K管 内 ? ヂ オ 受 信 機 の 慣 格
紋の歌(短歌)
敬 皮 に 満 ち た 電 聖 エ ヂ ソ ン翁の 追悼命日
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応鏑照明座談合
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編輯後記に代へて
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を讃ふ
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金津市電気局主事
総務課長
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百
r。 これ は大 陽から恵 まれてゐるものであるが 、そ
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なる表 題一の下に詳しく遁べられ亡 。 私は日木に於ける一ア l タに就て
の如くである。
十二月
十一月
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考へて見仁い と忠ふ 。
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ける草 外 線の自主の 子節的、時間的愛化は 、 略 金津 の 成績 を 以てん援す
一
恵
ること を得 るであらう。
金深 地方 は日木の 略 中 央 に位 するので 、 日 木 に お い て 大 陽 か ら受
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五・
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三・
五 @Oハ八月十六日調 ﹀
が も多く 、 それからまた 降 り坂に 向ふ の である。
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而し て 一日の内では
一月が 最低 で こ 月 三 月と少しづ、上 り 、五、六、七、八 の四ク月
三 @O
。
七
日本における太陽重体線の愛化
不ルギイは 地球の 表 面 に到達するま でに、大 気 や 塵挨 等
日光の ェ、
、 大気の上屠ハ一 、八 OO米)に達した回一旦の約
により 吸 牧 されるの で
五O%しか水平面に来ない。市して波長 の短い程吸牧され易いもの
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であるから 、室外線が最も多 く犠 牲とならざるを得ない。 かくて 董
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%、短い方では七 % 位し か地
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外 線 の内、波 長の長 い万では漸く一 一
月
後
表面に来ないゃ うで ある。
巳lh川 HU
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といふ風に愛化する。
午
、
﹃ )の僅かな草外線すら 季 節や天候により常に脱皮 化す るの で
が
地
白
我々が 充分 その恵に浴し得る こと は極めて 稀 である。 而し てその愛
化に就ては、 最 近名古 屋 、 新潟、京都、金津音大等で調査され亡と
聞いてゐるが、以下金津皆大 小児 科救室で調、へた庭を中心として遁
ベて見ゃ う。
これはレ オナル ド・ ヒル 氏 のアセ ト ンメチレンプリユ ー によ る方
月 月
月
五
これによ ると 金 津 地 方 に お け る 室 外 線 の 一 年 間 の 朋 節 約 愛 化 は 才
氏 の比色計と封閉山して 室 外 紘 の量を計るも
分解槌色 する皮を 、 ヒル、
ので、この方法では二二三・二 t リミクロン以下の一短波長のみに感
キ
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られ て来 たゃ う
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光する ものである。
之
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の機能等に就ては不破氏か今春の木誌において ﹃大陽エキ スの謹詰﹄
に大 衆 に知
草一外線の 健康 に至大 なる影響や有するこ と は、最 近 一
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法で測っ たもの喝に。 印 ちメチ レン青のアセ ト ン溶 液が室外線により
四
後
報
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室外線の不足せる地方と疾病
、
右 の 成 績 は 晴 天 の 時 に お け る 草 外 紘 の 愛 化で あるが これは雲量
、 雨 天の時は殆ど零とな
二分以上の 曇 天 に な る と非常に少なくな り
然る に問 謂 裏 日 本 '即 ち 日 木 海 沿 岸 地 方 は 通 じ て 降 雨 が 非 常 に 多
、 一年 間 に 太 陽
い。 昭 和 三 年 以 前 五 年 間 の平均 や見 ると左表の如く
の照らし得る時間を百として 、年貝際照らした時間は表日木の五O%
日照時リ前
回二 。八 %'
四二 。
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'徐に 過 ぎ な い。快晴日数は 表 日木の半
一徐に射 して、 裏目木は 四 O %
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三 二二二 二快年。
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。
れる忠者の五%が賞にこの患者で
、殊
、 多少共 仰 健病 性 愛 化 ぞ有するる
のは七、八割に上るといふことだ。
従 て結 核 性 の諸 病 も 多 く 裏 日 本 諸 鯨 は 通 じ て 死 亡 卒 が 高 い が
に石 川 、富 山、福井の 三 燃 が殆E常 に 全 図 の ト ヅ プ や切 て ゐ ゐ ゃ う
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口
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工
、
而し
τ最近太阪市立衛生試験所で 、裏 目木産米には抗脚気成分仁
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イ夕、 LンB の含有田亙が 、 表 日 木 産 米 に 比 べ て 非 常 に 少 な い こ と
、 これも矢慢り
が発見されて 、 異 献 な る セ ン セ イ シ ヨ ン 字 通 し た が
天候の矯 めである。
都合国と室外線
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一
五・
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六 ・五
金石
と で測 った庭によると 、左の
金漆と二旦許り概ねた海岸ハ金石 川)
如くである 。
一
一
一
午後 一 時ーーー
、金濯の 測 定 箇 所 も 憧 めて本語一刻
。
三 分の一 以 下に降るだら うと いふ こと 打
、
、
加 ふる に都合では丈 化 の進む と 共に地 下銭逗が普及し 大ピル
一
プ
イングが護達 して、 日光の届かぬ部屋や地 下室の生活が激増しつ 、
コな庭 で は草外線の量は 、清 浮 な 窓 気 の
ないゃ う であるが川 こ のや 、
・ま.に日木に行はれ
市 し て塵壊の多い繁華な市中における 測 定は 、
知る材料とすることを得まい。
舎との関係争一
射が 多く影 響 してゐる や うに岡山はれる。きればこれや以て都舎と 旧
の 清 浮 な 底 で あ る か ら 、 こ 札 は 態 挨の 開 係 よ り も 、 む し ろ 海 面 の 反
海岸の方が室外線に富んでゐるが
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川暖流から昇騰する水蒸気が 、中 央 山脈に衝突して雨
これは日木 小
とな り 雲 と な る 矯 め で あ る が 、 そ の 矯 め 裏 日 本 は 草 外 線 に 恵 ま れ る
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訪
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こと甚だ少ないので何偉病が非常に多い。金浮世酉科大息一
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今の慮餓り問題
ある。かくて都舎に仰倭病が増加し丈明病﹀都合病等といはれてゐ
るが、日木は幸にして緯度か雨に位してゐるので
となってゐない。けれどもこれは重忠が少ないといふことで、少し
注意して見ると、程症の忠者は非常に多いといふ皐者があろ。
w赤外線の治療的効果か相時間認められて来十一の
であるが)最近に至 h
で、パイタライト・ランプの庚骨においても、水銀石英般に封する、
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赤外線ωー
発生を担調してゐるやう 。
特徴として、 ,
けれども私は可視線が北常に大切なのではないかみ﹂思ってゐる。
太陽の草外線は前述の如く季節、時間、晴雨等により、随意にこ
究は甚だ少ない。将来木療法は大いに脅達するものと思はれると前
めであるが、殴商問干の方面でもまだこの生理的作用に関する基本的研
大阪音大の長橋博士は赤外線と可視線との治療的効果は大なるも
れに浴することを得ないので、保健上、治療よどうしても人工的の
提して、 大要左の如く述、べて居られる。
赤外線と可視線との主なる治療的作用は、これを淑熱作用に蹄す
ることか出来る。併し等しく渦熱作用といっても、.雨許その作用が
異ってゐる。
赤外線は身憾の表面が最も淑度が高 パ
¥これよめ皮膚の内部に入
るに従って混皮か漸次低下して来る。これに反して可視線は皮膚よ
り内部に入るに従ひ、約0 ・五、工リ位の深さまでは淑皮か漸増し、
然るに最近支債なパイタライト・ラ ンプ いか稜賀されたので有難い。
い時には、熱線ではたぶ熱く感?るのみで目的を達することを得な
きれば皮膚から﹀ある深さにある部分を充分温めなければならな
二れ以下は徐々に下降して来る。
これは回収短波長 二六01リ Eク ロ ン以上で、 ス
。
へ-クトルは非常に大
λ
多目一旦の血液がこの部を慌流することになる。かくの如く
して充血が起ると、その部分の殺菌、鎮痛及び新陳代謝作用の昂準
を来たし
而して皮膚を充分温めることは、皮下を走ってゐる毛細管の櫨張
るべく除去し可視線のみをや mて、見ると爽快の感-かするものだ。
貫一際赤外線を皮膚に蛍て、見ると不快の感じかするが、斜線をな
ることが出来る。
いか、可視線はさほど熱いといふ感じゃ一
血 二 ? に 、 深 部 を ・充分溜吟
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従て室外線の多い水銀石英肢が殆ど無批判に推賞されてゐる ・
次第
ば室外線による皮膚の紅班明象を重視して他h-顧みない傾がある。
ン)の部分が最も強いのである一か、間酉青は今の慮、光線療法といへ
室外線の生理的作別は所謂ドルノ紋(二八Ol 三二01リtクロ
可視線の治療的効果
る。それに使用方法が極めて簡易で失敗の恐は殆どない
陽のそれ、
に近く、 草 外線の外ι多
ω可視線と赤外線とを山内してゐ
国
有
一
一
景気ではなか/¥一家に一豪といふ諜に行かないのである。
それに値段が高 い。最近七十五六閲位のものが出来たが、この不
自分の経験によるも時に過度に陥る恐なしとしない。
五ミリークロンに至る)素人には多少の危険が件は、ざるを得ない。
01リークロ ン以下)の草外線をも机首に多く川寸ので(回収一短一八
けれどもこれは太陽から地表に到達し得ないやうな短波長(二九
も多く利用されてゐるのは水銀石英械であらう。
光源が必 要 となろ。而して現在種々の光源か工夫されてゐるが、回収
-バ4 タ ラ イ ト @ ラ シ ブ の 出 現
4
ゆ伊・来たし、惹いては全身の一般紙態を良好にする。
その静按じは動物を一定時間可視線に嘗て亡後、普通ならば死ぬ
家兎とモルモットとを照射し、試獣の般重の消長、生存日数及び屍
惜 の 解 剖 所 見 を 比 較 観 察 し に も の で あ る。 そ の 結 果 に よ る と 、 家 兎
では大陽僚と 査 光 電 球 と が 殆 ど 同 等 の 効 果 を 表 は し た が 、 モ ル モ ッ
効なることを一居確賞にしたると同時仁、室外線に戸口固まさる人エ光
0
程度のある毒素を法射しても死江、いのである
トでは書一
光電球の方が却て成績がよかった。
すもので ある。
、
ー
可視線の治療効果はこれまで考へられてゐたよりも蓬に偉大
線 を 以 て し て も 、 著 し き 効 あ る こ と を 認 め た 。 こ の こ と よ り結核の
それによって一 J貰験的結核家兎及び海穏に封し、人工太陽僚の有
・これ等の事賞は治療上可視線が熱線より迭に有効であることを示
で、光線療法では責に蔓外線と封等の地位に置くべきものであらう
光線療法に釘し、 室外 線 附 近 の 可 視 線 も 亦 大 な る 意 義 を 有 す る に あ
ら宇やと推測せらる ﹄ と結論んた の である(平浮、己呉 屋 雨 氏││ 賞
と結論して居られる。
可視線と結校の治療
τ
)。
大ぶ一同だけの賞験で、而かもその方法に不用意の貼があるや、フ
験的結核家兎及び海演に及一ほす人工光線の影響に就き
な賓験が行はれた。却ち現在の属、 室 外線の内で最も生物事的作用
に岡山はれるので、自信 を 以て紹介する誇では江いか、前掲長橋博士
最近金法皆大の大里内科において、可視線の治癒力に関する貴重
ノ紘の附近とされてゐるが、これは皮膚の紅
の言 や、また書一
光電球よりも造に室外線 の少ないカナリヤ電球一か、
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班作用に封する観察に留まり
家一誌の健康に好影 響 を及除すことを忠ひ合せると、誠に興趣の深い
の強いのは、所謂ド
か、る械と一致するや否やは未だ何等静明されてゐない。市して何
ものがある。而してカナリヤ電球の治療的効果に就き、試験してゐ
果して治療的効果をも仁らす線が、
倭病の治廠に必要な械か、 三OOtリ、ミクロ ン附近にあることは詮
る人もあるとか聞いてゐるか、まだ成績の護表を聞かないち
3
明されてゐるが、これと結核に効果ある紘とが、果して一致するや
かくの如く可視線も保健上、治療上室外線に劣らぬ効力を有する
醤界の蒙を啓け
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核に封して大陽佼光線のかの豊富なる室外線を
依て木賞験は口 結
とせば、董外線、可視線、赤外線何れも豊富に放射して、太陽に甚
否やは未だ説明されてゐない。
果して必 要 とするや、 草 外線のかの生物撃的作用を有するといふ短
だ近いスペクトルを有するパイタライト@ランプが、水銀石英般に
波長部に富ま宇占も青、紫等ω可税総附近にても有効なら宇や
然るに前遮せる如︿、時酉者は今の屍概ね盲目的に水銀石英燈守推
優る力を有する均一昨である。
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光電球は最短三四01リミ ク ロ ン ま で の 波 長 で 、
却もマツダ 書一
賞し、露骨にいはせるといハイタタイト・ランプを以て、殆ど素人だ
いふ前提の下に行はれたものである。
(東京電気の測定では三 二01リ tクロ ン)、生物皐的作用の強いド
ましと見てゐる有様だ。現に最近市のト小島一 校T厳 揚 児 童 の 矯 め に 乏
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線は少もも含まないものであるが、これと夫陽燃とを以て結核
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報
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ω光源として、検温器の如く是非二議に一具備へ付け
人工草一一外線等
させなければならないと忠ふ。事業報凶行。是非安くしてい仁ぶき
しい橡算を工面して、水銀石英燈を設備する問題が起ってゐるの
一人でも多くの
で、安慣なパイタ一フイト・ランプを数多く抗-成備し、
一・
一
0 ・二七)
仁いものであるo C一、五九・
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児童をし て光線の恵に浴させゃうと勤めてゐるが、なか/¥うまく
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行かない。これは矢張 り皆界の支持を得てゐない矯めであふ。
電昭一養議
11 1
時して養誌の電照飼育においては、各種光源に闘し騎射束、照度
等精符なる用意の↑ hに
J 比較研究され てゐ る が ハ 高 岡 氏
一二聞く慮ωものは、轄射等に関する務
の賞験報背と考察)‘醤界に果してかくの如き充分の用意を以てせ
る賞験ありゃを知らない。
↓暗中模索の風があるやう古。
備知識を欠き、 '
1
これによって醤界の蒙を訪問口く必斐があると忠ふ o
きれば東京電気において、かく の如き研究を指導後援して立汲な
業績を拳け
性 ふ に 大 衆 は 治 療 に 奇 践 を 求 め て やま な い も の で あ る 。 さ れ ば 新
らしい治療器具は、宜惇の如何によって一時にパツと普及させ得る
ものでおる(皐理的根援の殆どない一フヂオレイヤ ー にその著例を見
。 けれども大衆はその治療方法を研究し、 久しきに亙ってその
)
る
一寸し仁失敗を見仁りすると、直ちに捨
効果を暴ける忍耐を欠くものだ。きれば少し使って見て、思つ仁程
の効果か見えなかったり、
てこ願みないものである。きればパイタライト・ ヨ ンプの如く持綾
的ω使用により始めて効果を暴けるやうなものは、融商界の支持を得
貝
H なる普及を見るものではなから、フ。東京電気におい
ざる限り、竪 J
て先つ皆界の蒙を啓く必要ありとする所以である。
向ほ一つ、最近普及型か護費され て大愛安くなったが、是非一具
十闘以下で護費じていたぶきにいと思ふ。パイタラ十ト・ 3 ンプは
6
}、 事 校 に 於 け る バ イ タ ラ イ ト・ ラ ン プ 使 用 紙 況
大連市朝日 I
遮信省工務局
技師
TEE-4
'
'
、'
,
孝
-
送には、同機を利用して何れも好成績を牧
として、爾来頻々行はれ土日米間の交換放
技術の進況争-敵米人に知らしめたのを始め
米闘に向け中継放迭をして 、 一躍我が無線
際同時放迭に際して、故市、口首相の演説を
いで昨年十月には蛍時世界出硯
成功し、
次
の的であっ た 、海軍々縮僚 約 成 立 祝 賀 の 図
、
、
日雨一古こ
勺比F千ηE平
'
丹巨前
木
は東京 、 白
z-n 1znlt
ルA
主ペHH ロ
:
イ
,
HVヰル川斗ノ ニ 中京qfし さF-
の好成績を牧めてゐる。 例へば咋年七月に
亡が、其都度務想以上
電話賞験にも利則しょ
此の会信機は叉機命日ある毎に諸外図との
てゐる。
の貴重なデータを取集め、・街引綾き其貰験を進捗 せしめ '
技術上の諸僚件を見出すにあっ丈が、結果は至樋順調で、既に幾多
検見川送信所の短波無線電話送信機
近来無線通信界に於いて大なる偉力を示し つ ﹀ある短波遁信の訴訟
達は、港いに多年の懸案であっ仁遠距離電話通話の難闘争見事に解
決し、今日では陸線又は海底総に依つては
到底連絡することの出来ない様な遠隔の地
短波に依って電話通話を
知とでも、容易に 一
。
交は す ことか出来る様にな った
現在敵米各凶に於いて短波により公衆電
総は十飴個所を算
話業務を取扱 って ゐ る岡山
し、其線延長は宣 に十数高哩に達 す るの感
況であって、街引績き新しい同級品 μ日を這
ふて開拓され つ ﹀ある 。
我が遁信省に於い ても数年前よ句既に
野
。
金信機を据付けて、一居火規模の遠距離電話遁話の賞験を行つ仁。
最近迄木送信機は第三園に示
図産口m
-使用して組立てられてゐる。 一
h
J
i
7
第三増幅機以下にて働作し、 '従 って其搬 送 波 出 力 は
ういか凱き
さる '
水日開制御電力増幅式塗信機であって、全部
木送信機の構成は第二固に略一不する如き
送信機の槻要
こ。
プ
れが研究に着手じ、最初の頃は芝公園の遁
信官吏練習所内に小電力の短波途話装置を
τゐ仁
組立てて、種々の基礎的責験を準め
が 、 咋 年 三 月には東京無線電信局検見川迭
?
4
ミ
るに必要な
目的は一内地茎湾問の電話連絡ぞ確保す、
比の賓験の主要、
信所に、出力数キロワットの短波無線電話
め
て
I~ll
第
報
新
ダ
、
ソ
マ
、
三増幅機及び電力増幅機を経て、空中線同路二専かれる。
個数
ゐる。
じて・
ロン)守採用
口叩ハサイモト
株式曾枇の製
全部東京電気
って、是等は
表の一過りであ
に示せば、突
個数を用途別
管の名稽及び
使用する異杢
木送信機に
真空管
使用
のである。
向愛調すべき一昔接電流は、陸線に依って東京から途られにものを
国民空管の名稿
キロヂット程度に過ぎなかったが‘本年十月下旬に至り 、新
三乃至凶'
規に第四及び第五固に一示すが如き、東京電気株式命日祉の製作に係る
8
第一及び第二一耳目聾増幅器に依って、必要の強さに強大した上、愛調
ア戸、
電力増幅機を増結し仁ので、其送信電力は一躍、一 0 キロワット程度
t
辰
若E
続術品情幅器
刻字
器へ供給し、塞流線輪結合式によって第二増幅器の出力を愛調する
童夜を遁じて何時でも、米図
と無線電話通話を行ふ事か容
易となっ仁。
本機によって途信される周
波数は、目下の鹿七、八八O
K C、 九 、 八 四 O K C、 一
ooke-
三
、 O 八O K C、一五、七六 O
Kじ 、 及 び 一九、八
の五種であって、主義振器に
は原則として、塗信周波数の
入分の一に相官する基木振動
周波数十ぞ持つ水田町板が取付ら
れてゐる。而じて主護振器の
山内力は緩衡増幅器を経て、究
位の第一、第二及び第三周波
数遁倍器に於いて)順究其第
一一高調波を採って周波数研一遁
倍じ、最後に所要の会信用法
王
辛話
己
。
部j
数に到達せしむる。斯くの如くして得られた送信周波数の振動勢力
U X 二O 二A
U X 二O 二A
U X八六O
U X八六O
U X八六O
固
第
護
は、第一一増幅器に依って憤大せられた後、安位の第二増幅器仁至
加 恥 叩 叫 町 即
用
主張接器
綾街噌幅器
第一周波数遁倍器
第二周波数遁倍器
第三周波数遁倍器
二
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に増加され‘従って現在では
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り、此慮に於いて音聾周波電流に依り愛調されに出力は、夏らに第
岡
第
報
新
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マー
マ、
第一帯幅器
第二噌幅器
第三噌幅機
電力権柄機
費調器
目課指幅器
第一一耳
第二一耳
目捧噌幅器
U X八六O
U V八六一
U VニO 七
S N 一六七
U VニO 四A
U X 二O一A
U X 二O 二A
一一 一一一
管以下の小容量異空管に封しては、線べて直流接電機から採
って
線ベて二次電池 を使用 してゐる。。フ V lト電源は U V八六一一続出呉空
て、五O サイクル交流を全波形整流したものか用ひられ、其他には
ス電源としては、電力増幅機刑に H X九六六披巽空管二個を使用し
な
し、整流用異空管は前者に封しては K N 一五九銃八個巻、叉後背に
封しては H V九五一一蹴六個在使用し てゐる。
電源として直流議電機を蓮縛する主要原因は、電話通話上の大
る妨害となる雑音の混入 を出来得る限り軽減せんが銭めであって、
の考
真空管整流機を使用する部分は、特に其平滑装置に就いて充分
慮を掛ってゐる。
送信空中線
電力増幅機の出力は、 並行二線式叉は同心園式銅管領電線に依つ
其等のさ信能率は極めて優秀で、構造も亦至極容易な特長があ
此の外、検見川会信所には敵洲方面に封して、指向途信を震し
するさ信空中線の一例研一示すものである。
る同型のさ信空中線が尚二組架設してあるが、 第一園は木機に使用
得
持つ様に建設してあるが、
及び桑港方面へ向けて最大の稜射能力争一
るo
て送信空中線に途られる o 空 中 線 は 返 信 省 技 術 官 の 改 良 考 案 に 係 る
一一
一 一一一一一
一
フィラメ ント電源は電力増幅機用として、五O サイ クル交流を用
思
i
水平型指向式のものが使用せられ、 各々のさ信周波数別に夫々裏北
曙,
ひ、其他は綿ベて直流発電機 から採ってゐる 。叉グリッド・パイ ア
占罵=
ゐるが、第 三増 幅機及び電力増幅機用としては異空管整流機や採用
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今場二,
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流行と共に、 す っ か り 民 衆 仕 し て お な じ み の
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頃
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すから﹃ 夜の
ものになって仕舞ひました。で 一
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ゴルフ ﹄ な ん と 云 ふ 題 を 御 菅 に な る と 、
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イルミネ│一アツドとして、ゴルフザや照明技
一 プの西に在るので、 クエスト・ウ井ルメツト・
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こ の ゴ ル フ 場 は ウ ヰ ルメツト・ゴルフ・ク今、
異正のゴルフ場であります。
フ・リ ンク ス は 、 富 際 に 永 久 的 設 備 を し 仁 、
月 一日 に ア メ リ カ の シ カ ゴ 市 に 閃 か れ 仁 ゴ ル
てやっ亡例もあるのですが、
練習や、特別な揚合に一時的の照明施設そし
も知れません。勿論従来でも、ドライバーの
のですから可ゴルフの如きは問題ではないか
ては野球まで、夜の昨代いか来ゃうとして居る
はその例です。そして一フクピ!、 テ ニス、果
盛んになって来ましたり拳闘、水泳競技など
照明の準歩から、運動のあるものは夜古け
真 正 の ゴ ル フ を 夜 や ろ 、 フ と 云 ふ 話 な ん で す。
一
小ツタ l等の木のク﹂ フプ 以 外 の も の を 使 ふ 、
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てイアン、クリトク、 ,マツシ l 、 一プリツク、
こ れ は 例 の ベ ピ l ゴ ル フ で は な い ん で す o-
東京電気株式合同社
,
事業部照明諜
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コルフ色云ふ言葉は、最近代ピ l ゴルフの
夜
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かする事と思ひます♂か、
そんな事をと云ふ成u
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彦
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卜・ゴルフ場の夜景
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西ウヰ
報
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ソ
、
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術 首 の 問 に 有 名 なものであります。
し た と 仮 定 し ても 、 そ れ は 明 る さ の 不 足 の 矯
めで は 断 然 な い と 云 ふ 事が 出 来 ます 。
守山事にその原因があるのです。今度の設備
に封しては電燃命日祉 の技師、 G E命日枇照明技
師 、 及 び シカゴの投光器製作舎一祉の技師達 に
フェアワエ!の最良一
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五O ルクス
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器投
この夜間ゴルフ揚成功の秘訣宇一握って居る
一と巡 り す る の
一 十六
一
可)のコ l スで は 同 時 仁
人が競技され、
に、 四 五 分 を 要 す る そ う で あ り
ます。猫ホ l ル 問 の 距 離 、 各 銭
塔の高さ、各銭塔の投光器数等
の
OOOOOOOOOC
り
、
照 明 設 備 の 要 領 を 記し ます と
競}l-却
クリ ー ン及び一プイ 1 に於て平均
西ウヰルメツト・ゴルフ場照明器具配置闘
庚さは一 八 エ ー カーハ約 四 高 坪 )許りで、 ホ
5
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よって、保護されてをります。
照度
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ー ルの数は 九 つあり、 こ れ 身 照 明 す る 矯 め に
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カ ニ
その名義人のア l ル
000ワッ トの電鮫
・ロ lズ ア ン の 雨 氏 は 、 そ れ は 経 潜 的 経
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カ ンサスシティ i及びサ ンフランシ
、たと云 って居ります。 賓に プト
験によるも の
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七O尺 の鍛塔 七基と、 五O尺の 餓 塔 二 基 、 合
、
計九 基 の 銭 塔 に 一二 四
が 使 用 さ れ て 、 非 常 に 明 るい 、 感 じ のよいいコ
ルフ揚であ ります。
これらナインホ l ルスの 内 で 最 も 遠 い の は
一六五ヤード、 最 も 近 い 所 で 七 五 ヤ ー ド あり
ます。そして驚く事には、どんなに雷句のよ
間 よ りづ う と 明 瞭 に 見 ら
いドライプでも、 書一
。 稀 に球 の 落 ち た 所 今 見 失
れると云ふ事 で す
ム事があっても、すぐに発見されますので、
そん山矯めに一つの球でも失ったと云ふ事はあ
同頃抗告
スコに於ける前 同 の 失 敗 は 、 照 明 の 不 十 分 と
高銭与
Qさ 峰 。
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あるか、これが調査を木年六月中に各相談所
なる球数であり、叉どの 程度 の償 格 のも ので
一フヂォ巡同相 談 所に頴はれた受信機が如何
め、三球以上 の来診者は数 の上に於て少な
て木 表に 於て は、二球受信機 が大多 数 を 占
ても市外 に於 て は絶無と云ってよい。而し
内だけ の現象 で、同じ距献 の匡域内に在 っ
山市らない後であ石 。
池式に在 つでも二 球 の小受信機は殆んど見
。 電
電 般紘 が無い所 多 く電池式 の数が 多 い
JOC K 管内ラ ヂオ受信機の
に於て受附た診断受信機に就いて統計 を取 っ
い事は勿論であるが、高級 の受 信 機 は 所 有
K 企 書 一課 相 談 係 調 査
結果を示して居る。勿論
て見ると、弐 の如
、
去、
者が相 談 所に持参 す る人 の少 ないの と、持
JOC
時と所によって非常 な相違かあ り 、簡同早 な調
参 者 が 使用人で慣格 の分 る人が少 なかった
調査 を試 み、 内 債 格 分 明 せる も の 九 四 五
受信機総数一、七四五 蓋の 求診者に就き、
一、第一表は各地相 談 所(八十五ク所 )‘来診
る。
果、債格 の割 に 粗 悪 な も の が 多 い 桜 で あ
機に 在っ ても名古 屋 市内よ りは 高 く なる結
。 二球受信
球受信機が可 なり 増加し て居 る
態であ って 、第二表 の 一は名古 屋 市及 び附
二、第 二表 は放会 局よりの 距離に従ふ分布賦
口
聞
も 大分 見 出 され るが 、兎に角 三重 鯨地方
三重鯨地方 の感 度 良 好 な地域に 多 く、粗悪
て、二球受信機 の数 も非常に多 いが、之は
三球以上 の受 信 機 が鈴 程多 数 を 占 め て 来
3
1
1
1
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2
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三 球
2
1
1. 1
0
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二表のこは 、少しく距献 が増 す結 果
三
、‘
牽 、(地四一
昨棒
、 異空 管
、 電池等 の附 属 品を
近十六 ク所 の来診受信機の表である 。 之を
は ヨヂ ォに恵まれ た土地で ある。
二表 の三及 び四、此 の位 の距献と なれば
見 ると昨年 夏以来飢 資された結 果、拾五 闘
二表 の五、六 は入O粁以上 の 土 地 に 於 て
含まやノ
) の球数別 の債格表 である。
以内 の粗悪 受 信機 の数 非常に 多レ。 '
勿
論
か
い
一
其 の線数 は拾 六閲 乃至 武 拾五 闘位 の受 信機
は、流石に二球受信機は殆んど無く、 書一 夜一
1
5
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1
4
1
5
一
1
7
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で 、御 参 考に供 する 次第である。
査では到底完 全な 結論争}
奥へ る材料と はなら
1
2
。
にもよ る事 と
岡
山 はれ る
格
な いが、 一般 の傾向だけは窺 ぷ事が 出来る の
債
に比し少くはあるが、之は殆んど名古 屋 市
1闘 3
2
6闘 3
6国l
2
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5国│-40闘 以上
0国i-3
-2
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五球以上
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賓際について照明診断をな L、
山市所にて
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牌して、屈舗照明座談合 守催うし、閉命日後は
吐 より 杉山技師を
一
所 主 催 の 下 に 、 東 京 電 気合
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中、常市に於て は若松商工曾議
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楠岡鯨下に行はれに 吋サ
木年十月一日より 一
召、
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等、木週間 を機命日仁、屈舗照明の向上に一歩
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を踏 み出し たの であ る
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出席者
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安部
園山呉服底
柏原呉服応
吉岡家具庖
山田敷物屈
側ハ各屈主)
記
伊豆技術員(営業 所)
務員(管業所)
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菊池事務員(木祉)西山事
川崎若松営業所長
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他行の矯め不参
佐藤理 事問席の筈の庭念用
書
昭 和 六 年 十 月 六 日 午 後 二時半開舎同
若松商工合議所命日議室
九州水力 電気株式命自社若松管業所
若松商工命日議所
九州水力電気株式命日祉
若松営業所長
炎
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商工曾議所
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南
告
左に座談合 の大略を-記録 する こと﹀し亡。
相良薬局
岩崎庖物庖
大庭度量衡応
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持
1
こうして蛍市の代表的屈舗の御主人方
であります。
仁は一照明器具の陳列所を設けて貰った究第
枇
は屈舗照明の診断を願ひ、叉別に 電 僚命日
催す事にじまし亡。夜
て、照明の座談命日研一
国の方に相談をし、電熔命日一祉の方にお脚、し
機告-逸してはならない左岡山ひまして、質業
ービ ス週 間 ﹄
の催がありましたので、此の
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庖 舗 照 明 改 善 に つ いては、折に鰯れ其の
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重 要 さ や 痛 感 し て 居 り ま し た が 、 丁 度 ﹃サ
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松豊喜
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小倉出張所主任
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東京電気株式曾枇
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一、安部書記挨拶
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商
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日
明
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時揚
庖
は市内目抜 の遁 りに 器具陳列所 開設し て、
宇
一
、 照明改 善の 相談 に感守る
斬新 な器具 の紹 介
器具陳列所
c!照明 i
九 7J
報
新
ダ
ツ
マ
の交換を なし、新知識 を得て、底舗改善に
が、新遁の専門家と親しく膝を交へて意見
川 崎 で は先 つ私から皆様 にお 尋ねする事に
まして、幾分でも御参考にして頂き度レと
はありますが 、 私の方の陳列所も見て頂き
首若 松市に於 ける私の視察と竜殿命日一祉
によって其の標準が蓬ひます。
より、叉同じ都市でも一流街と二流街と
とが最も大切で あります。
(一平方尺品口問り)
硝 子 笠 ハ下開 き)
グ ロl プ(全国﹀
一・ w
一
一
五w
一@
二流街
そこで先つ 、其等の賦態研一査定するこ
致します。之れまでに屈舗の照明と云ふ
の調査を綜合して見ますと 、突 の遁 り に
すればい﹀か 、叉改 善の 結果鷲らす経糖
要デあると考へてをりますが 、さてどう
屈の 照明に ついて は、確 かに 研究 の必
U
一歩を 進 めらる 、こ とは 、皆 さんのお屈の
繁昌は素より 、宮 市 の発 展 ・
上
、 重大な 役割
を演する こと﹀ 誠に喜び に堪 へす 、御同席
ことについて、お考へにな った事が御座
なります。
吉岡
思ひます
下さつ仁皆様に泌く感謝致 します。
いませ、フか 。
一、川崎挨拶
私が宮地に参 りま したの は、今の街路燈
一
か
完 成期 に近い頃でし たが 、そ の嘗 時 から
庖舗の 照明改 善にも 、皆 様が 今 一段の御注
三の御需川家に御意見を徴したことも再三
園 山 良 い照明 が欲しいのは誰もでせ、フ-か 、
る基礎 的知 識に乏しいので困 ります。
下になりますと、到底その繁栄は他市に
共必 要 な最低の数字であります 。 之れ以
はありま すけれども、首市に於ては是非
之は業態別によりまして、多少 の相違
有 りま した
。 然し自分 の屈だけでは、中々
輩によくすると云ふことでなしに、経 一情
的 の損得 と云 ふ事について 、務 め知り得
質視させるのか憶劫の様に見えますから 、
徒に費用の嵩む可)とは欲しま せん
。
上顧客の吸引策としての照明には種カの
方法かあ ります 。その方 法如何によって
前述のワ ット数にも、自然愛化を及一怯 す
遁随出来ないと云ふ数字になる諜であり
いも の百と岡山 って居りましに。
が先 程支部 さ んのお 話 の遁 り、商工
ぬ
市
日
命
議所 からお 話が有 りま したので、之は持っ
いと思ひますが、大憾一平方尺蛍りの燭
事になります。基木的に 申し ますと 、照
的 の良照明と云ふ﹃︺ とが、 '
私どもの希望
て来 いの機 舎と、色々と相 談 しまし仁結果
今日 の催し をする ことにな り、皆 様のお集
光はどの位にすれ ばい ︾のですか。
何か の機 舎に全躍的に、其機一連を版成し仁
りを願った誇 であります 。幸 ひ東京電気 か
杉 山 照 明 をよくすると云ふことは 、軍に明
そこで 先づ基 礎的の事からお尋ねした
共は可明るさ ﹄と云ふ言葉を使って居りま
n
u
すが、﹃ 明
るさ ﹄
は其の都市の繁栄朕態に
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此の中で、半間接照明、 或は間接照明は
間接照明
直 接 '照 明
宇間接照明
明方法に三鎌あり ます 。印 ち
右 は 普 通 の 揚 合 で あ り ますが、之れ以
ら照明専門の杉山技師に御足弁をお願ひす
設備費と云ひ、改善後の経常費と云ひ
ることが 同来 ましたから 、御腹裁 なき御意
ます
。
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勾
W
Vl
の重附相であります。
意を排はれることを希望し、 折 に鰯れて二
人人法
るくすると云ふ﹃)とでは決してありませ
ん ο現に遁った明るきゃ表は すの に、私
見の交換を願ひまして、その後で賞際につ
て一々診断をして貰へば 、色々効果 があ
い1
らうと存じ ます。叉念い だ矯 めに不揃ひ で
1
5
報
新
ダ
ツ
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柏原
明に比べてーより多くの電力を要
直接照'
般の位置宇一定めるには室の平而国守と
先 づ電舷 聞の間隔から中しますと、電
は、或る燭数に適合する様に出来一し
フ﹄
n
上 けい反いのは、電 球 と 笠 と の 組
,次に巾'
合せに就いてどあります。線て司 グロ・l
U
しますか、気分が全く異り、お客の感じ
り、之 を碁盤目に 剖 って兄て 、突 の原 則
い誇であります。そこで、山車なる経・惰上
の 観 念 か ら 二O Oヲ ッ 卜 川 の ﹃ク ロー
ゐるので、一 O Oワヅトにもい、、二O
O ワッ卜にもい、と云ふものは殆んどな
u
或は気分をよくすることに於ては、到底
れば寸自らわか
ヤ基礎として遁合せ 'しめ 一
るわけになります。 印ち、 電股 間の間 隔
隔の三分の一乃至二分の一にすればよい
プ L に一 O Oワ ッ ト を 差 換 へ て 踏 ま し
半間接股一子
O
一・八
突に高さについ Vて申し ます-か 、 電僚の
o
るには 、右 標準の二割 乃 至四 割増にし て
間隔と等しい高さ、或はそれ以上にする
。
同様 でありま す
と 言 はねばなりません。
ものだ ,
グ
を言ふの でし 大ら、 不 親 切 こ の 上 も 広 い
てもよろしラ御座いますと云ふ様江こと
ロl プ﹄は何燭光の電球をおつけになっ
若し照明器具研一寅る商庖一じ、この﹃
u-
O Oワットを二O Oワットにする場合も
UF
のであります。
てゐる諜には行かないので.その揚合は
u
﹃ダ
ロ!プ L も矢恨り一 O Oワート刑の
を平等に 、電燃と壁との 間隔は、 電降 間
を少
簡輩に賓験す る のには﹁コ ド
﹂'
し長くして、位置を定め て其庭迄持って
ものに換へねばなりません、叉反封に一
ハ一平方首り)一流街二流街
二・
四
・
間接股
一
一
右は何れも庖内照明の普通の標準を 言つ
。
行って見ると直ぐ判りま す
周囲の色彩が暗い揚合長二割増、喜一光電
ことであります。印ち竜燈の高さと間隔
さ
球を使用した揚合には、 三 割増 にし江け
硝子笠の場合
11ブ
宇間接 !間接燈旦( 一・
-一・一一
ol・
u
ープ L
一にはめて見て、電球の中心か ﹃グ
。
ます
ねばなりません。この組合せをま中くし
U
一寸見 分 け い 、 方 法 は 、 電 球 を ﹃グロ
の領域に属するものですが、之も亦照明
然し天井の高さによっ亡制限されます
電球は大きい程能卒はい、ものですか
たのは 、ま るで子供が大人の帽子を冠っ
d
の健全不健全の別れ目となる重要なる問
の 陳 列 は 時 に 感 じ て 愛へるので、 ﹃シヨ
ら、天井の高い鬼には般教を少くして、
てゐる様なむのです。
﹃セl ド の下市と水平になる様に一選ば
﹄
ウグイス 等 は 、 此 庭 彼 庭 と 始 終 位 置を
ト
﹄
かへますから、影の出来る照一
明はその郁
る方が得策です
燭光の大きなものをつけ-
U
度影が邪魔になるわけです。 ♂
健 全な 照明に は影が 出来 ません。底的
題であります。
ロl プ円﹄の中心に ,
なる様にすれば宜敷コ
四
一・-一
││白 一@
照明器具の種類高
。
りま す
との比は、次の やうにな'
ノ
,
、
、
ノ
。
電燈の高さは 何 の 位 か い ﹀ も の で せ う
ればなりません 。
γ
亡のですが、幾分でも目立たせよう-とす
は、次の遁りになります。
古市に於ける一平方尺蛍りの?ット数
直接照明の比ではありません。
6
1
から 、 天井の低い庭では、 電般の間隔を
クロ
間
御 座 い ま す 。 叉 笠 な一らば電 球の子市が
高 さ と云ひ、間隔と云ひ、電僚の配置
。
短くして叶 燭光数 を 小さく する のであり
山
報
新
ダ
ツ
マ
1
、
閉接照明の昨の周閣の色は何﹁かい、の
でせうか。
壁は濃茶色系統 、 天井は白(灰色系統
のものはよくありません 、 白 で な け れ ば
以上 に し な け れ ば な ら な い こ と で す 。 大
抵 の 方 は 反 射 に お 考 へ に な って 、 夕方は
太陽の光紘一がまだあるから、 夜 よ り も す
u
るさ﹄宇一少く してい、と
っと電般の﹃ 明
電 球 の 艶 消 の も の を 吋 グ ロ l プ﹄に入
庭 から 入 って 来 た 時 と の 、 我 々 か 感 宇る
暗い
です
。 明い鹿から入 って 来仁時と、 一
思って居られる様です-か 、 大 き な 間 違 ひ
れることは、 二重 にカバ ー するやうな 感
奥 の 方 だけ明 るくすると云ふ様に 、 一
ぐわかる事だと思ひます。
室内の明一階の事を考へていたぶりば 、 直
艶泊電球でも燭光数に於一人は 、殆 んど
柏原
じがします♂か・
薄い卵色)がよろしヲ仰座います。
杉山
透明と同じと見て宜敷いものでハ細かく
部 分 の照明 を適宜 にするには何、フ すれば
それは配線の問題でありまして 、 スヰ
い、のでせフか。
ツチ等による 制 限 装 置を、フまく設備すれ
ば非常に経情的であります。工場等は殊
にその貼が重視されます。
庖 先に出し てある電庶(軒鮫 Vの明るさ
は、ど の位にすればい 、ものでぜ-フか。
室 内 と 同 じ で い プ も の で す ι伺しギ-フ
若し軒先にギラ/¥
U
ギヨとした肢さが目に入らない様にしな
ければなりません
同 uショ ー ワヰンドウ﹄
する光があれば 、
の妓果か一著じく減殺し てしまひます。
がよろ じいで せう。
柏 原 天 窓 と 蓄一
果
聞の電僚とは、どち広一か妓'
杉山
柏原
杉
山
位で あり
言へば 、 透 明 電球 に 針 し 九 八 %
'
一 になる理慌にはなり
重
ま す ) す か ら、 二
ません。
書一間の明きと 同じ位に する には、何の
之は難ク敷い問題です。朝 、輩 、 夕刻
。
位に すればド 、のでせう か
によって迷ひますが、書一の室内の明い鹿
で五O フl 卜燭で、 夜 の 幕 が 下 り る 頃、
印ち電僚の明 りを 必要とすろ頃 に は、 ニ
フl 卜燭位に落ちてゐます。
前に巾しまL t 一平方 尺首り、一二ハ
0
ワ ット位江れば 、八フ l ト燭 に羽山首しま
9
吉岡
山
原
こ 、じ注意しなければならないこと
は、夕方の照明は夜の吋明るさ ﹄
の二倍
n
それは矢張り天窓の方が宜敷いでせ
それは折に個別れて始終考へる こ
でありまして、然も日光の明るさとち っ
が違 ひますが 、 之 ならば 何時 も一定 不 愛
ってゐます。日光は朝 、 輩 、タ と明るさ
等 で は 締 の 検 査 を す る 時 に 、 大 抵之で や
方面に用ひられて居りますか、人絹命日枇
卸 ち 異 色 般 が そ れ で す 。 現 在 で は種々な
之には殆んど完全なものかあります。
とです。どんなものかある んで すか。
圏山、柏原
た事は仰座いませんか。
ばい、かと云ふ様なことをお考へ にな っ
見 た 色 が 迭 は ぬ 様 に す る に は 、ど 、コすれ
杉 山 例 へば呉服応等に於て書一 間と 夜分とで
た事は御座いませんか。
ほすかと云ふ事に就いて 、 お考へになっ
一
川 崎 照 明 を 如何 に す れ ば 屈 に よ い 影 響 を 及
るから 、 影 は絹針に出来ません。
れば結構です。之は天井全慌が光源にな
準であります。天井の 上 の空きは一尺あ
それには二尺平方に六O ワッ ト位 の標
ノ
V るのです。
に相九百の電佼を貼 -J
る事が 出来 ます。 印 ち 間 消 硝 子 張 の 内 側
フ。現今では人工照明によって天窓研一作
山
とも遣はない 特 徴 を持って居ります。
7
1
ー斗-
山
白
ヰ
原
杉
柏
杉
山
報
新
ダ
、
ソ
ーヲ
げ此の器具はソーラ硝子治-刑び で あ り ま
ものでせ-フか o、
8
1
l
、
u
一特 に 引 立 た せ ゐ 様 に す る に は ﹃ 明
飾 窓 JT
費別いかか}り、平易にや ム 方 法 は 容 易 で
位にしなければなりません
ムハワット
はありますまい。 一
シヨ l ワヰ ン ド ワ の 鋭 は 、 以 前 は随分
杉 山 種 々 の 万 法がないでもありませんが
園山
ワ '
,
色 掛 け を す る 事 は 、 私 の 屈 な ど で は管
のと言へるでせ‘コ。
ヰンドウは 、 夜 の 事 を 全 然 考 べ て な い も
す 。 大 模 開 聞 も 何 もないやうなシヨ l ワ
問 には 、 内 面 に プ リ キ を 張 れ ば い﹀ の で
ビロ ード の 幕 を 張 り ま す 。 硝 子 張 り の 問
庭では、外側の窓に天井から一パ五寸位
硝子窓になって、光源研一隠す徐裕のない
つけなければなりません。天井からす ぐ
目に入らない様に、硝子窓の一番外側に
注意しなければならない事は、光源が
来ます。
増減によって、如何様にもすることが出
得ると信じます。間口の相建は竜般の
レ
l反射笠を刑ひれば、充分放果を暴け
杉 山 飾 窓 の構造は大鰐同じですか 、 普 通X
の位ですか。
大 庭 反 射 型 セ 1 ドによ る 光 の 届 く 範 聞 は ど
あれます。
ろくしなければ 、 何 等 放 果 のないもので
兎に品川飾窓は底門に比してパ?っと明
ト
し て 、 電 球 伏 普 通 の も の で 三O Oヲヴ ト
位 の も の か 入れ て あ り ま す 。 普通 の電 球
の光は赤味お帯びて居りますが、之は完
全無似の書一光色守山内します。界具も大し
使つ仁ものですが、最近無い方がい、と
二十四、五同位
て高債なものではなく
云 ふ 事 を 承 り ま す が 、 あ れ は照明のため
1
からあります。電 力費にしても必要な時
です、フか。
そうです。鏡を刑ひると照明装置の楽
一たけつければい)のですから 、 極 く僅か
J
。 東 京 の アパ ー ト で 、 之 を
で すむでせ‘ フ
川 崎 今 度 は 飾 窓 に 就 い て で あ り ま すが 、 皆
。
か す っ か り 見 え て し ま ひ ま すか ム
屋い
一
な⋮
い 屈 は 一 軒 し 仰 座 いません。
備へ一
川 崎 商 品 が 電 貯 の 光 の た め に 祖 色したり、
さんの飾窓はどんな風に照明されて居ら
a
飾窓の照明は床と背景との合計間積を
のでせフか。
飾 窓 の明 ふ さ は 何 の 位 に す れ ば い 、 も
。
て居らるあ方が 御 座 い ま せう か
居りませ司フか。叉色彩照明争 謄刑なすっ
れますか、電球の大さは何の位になって
傷 ん だ り するや う な 事 は あ り ま せ んか。
いか悪 い の で は な い で せ う
一
電僚の 距
離
p
困 つ で居ります。
が、陳列した履物の鼻絡が愛色するの で
刑 ひ てゐます
岩 崎 私 の 屈 で は 下 開 き の 笠ゲ一
杉山
か 。 や け る の は 主 と し て 熱 のためですか
70
をはめた方が良いでせ 、
ら 、グロ 1 プ・
山単位とし てあ り 'ます。 郎 ち そ の 面 積 一平
方パ山首わソ
卜に射し)
γ
ハ応内一 ・ご ワ ッ ト じ 釘 し )
yト
ハ庖内一 ・
ワ
ハ
﹂
ハワット
であります。
、川圭ふ 四ワ
二t
一
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Iu-fsJ
J
主
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そしア熱ぞ去り、一迎風研一良くすれば、或
庭
杉
山
一
、
a
-
流
ゐ程﹂反 ま で は 除 く 事 か出 来 る と お む ひま
す。う ん と 明 ゐ く し た た め に 、 幾 分 や け
愛 色 は免れないの
ih
る と 云 ふ こ と は 、 己 むを 得 な い と 忠 ひ ま
す。 書一 聞 大 陽 の 光 で
光研一弧くし、熱砂一少くする方法はない
討を
街 f
t流 』
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V
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杉
山
大
る
二ーさ
園
山
で すから。
自
産
原
報
新
ダ
、
ソ
マ
新
杉山
業上絵りよくない様に考へます。品物の
まかして居るやうな気持、かします。
色か愛りますから、何だかお客の目をご
そ れ は や わ 方 の 巧 拙 に よ る と 思 ひま
す
。 何 も彼もお 構 ひ な し に す る 事 は 全 く
危険です。例へば茶系統の品物には、茶
系統の色を用ひると云ふ風に、同色の光
を か け れ ば 危 険 はな いも の と 思 ひ ます。
の事は悲し得たかと思ひます。今日の命日
合によりまして、幾分でも御参考になる
主 もない幸であ '
貼がありましたら、 此 の,
シヨペワヰンドヴを見る人には、舞牽
っき別に仰質問は仰座いませんか。
を見てゐる気持をも仁せる様にしたいも
ります。
カフエー或は蓄音器屈の照明か惑かつ仁
あ り ま す 。 例 へ ば 特 に 気 分 守 第一一にする
得 ら れ ま し て、 必本放果山 μ上 る こ と 、 仰
ます。商屈側の方は色々と新しい知識を
会
寸
同
則 冬山旧凶問、じこ叩汗疋 ρヒ
安部 永ハ 土
一
町
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一
〆
jJ' 1iIF↓17'1vrriyhμ主
一
一ノ lknド Frl一
シ
品
主
﹄
、中 上 け
ま し て 、 何 れ川
に封しても厚く御時
11
ら、 と ても 永 く は 居 ら れ ぬ こと は、 皆 様
期 待 申 し ま す 。 そ れ で は 之 で 閉 舎 にしま
間 が た っ ぷ り あ り ま せ ん で し たから 、 充
ていたぶく事に致しますから、 皆 様 そ の
も御座いませうか‘ 各屈 の 照 明 診 断 をし
すが、改めて今夜は杉山技師はお疲れで
分 で は な か っ 仁 と 思 ひ ま すが 、 皆 様 の 御
A 二十六
日
理科劇﹁電気﹂(金図 中縦﹀
出演大阪科皐
市川繁繭
忙 の 時 に 催 さ れ る が 、 明 年 よ り は 十H 末 或 は
口
十 一 月 初 旬 に 開 催 され る 諌 定 で あ る
本 年 は 放 送 打 合 の矯 め ] 電 気 川一間が年末多
﹁婦 人と 電気 ﹂
(BK ﹀ 中 村 久 柴
A 二十七 日
﹁交流受信 機に就て﹂(BK)
大阪中央放怠局相談所
﹁誤られた 電気﹂(
AK)
京話劇 協 合
大阪提美尋常小 皐 校 長 毛 利 ︺
徳 太郎
(AK)
﹁主婦の 心 得 ﹂
佐伯志津代
﹁皐 堂 の 託 制 限 に 就 て ﹂(BK﹀
企二十四日
仰 積 り じ お 願 ひ 致します。
ムにより記念放迭を行ふことになった。
企 二 十一日 (全国 中 継 )
﹁冬 の 衛 生 ﹂ 融 商 串 博 士 森 田
企 二十二日 (全国 中 総)
﹁住 み 良 い 家 ﹂ 工 皐 博 士 伊 藤 杢 ニ
企 二 十 三 日 ハ全国 中 総 )
﹁電 気 治 療 の 効 果 ﹂
欝皐博士同 村 春吉
﹁御 老 人 や お 子 供 の 常 に ﹂
(AK﹀ 西 岡 俊 株
公平
及舎では放廷協舎と提携して、左記プログラ
利 用 の準 備中と岡山 ふが 、 主 催 者 側 た る 竜気 普
電 気 週 間 に は 、 各 電股命日祉 と も に 夫 々 之 れ が
十 二月 二 十 一日 から 一週間開催 さ れ る 家 庭
十二片二十一日から一週間
家庭電気週間の催し
熱心 な研 究 的 仰 質 問 により まし て、 大要
では、之で打切ることに致します。時
も直ぐお考の及ぶ﹃)とにと思ひます。
て、 お 客 の 足 か 止 り、 反 射 に 逃 け る の で
のです。府内の照明のよし惑しによっ
杉
山
川
崎
ヰ ンドウの 飾 物 に 巧 に色
殊にシヨ l ウ
ハ A1
を か け る 事 は 頗 る 妓 果 的であり叉、 口
の仰懸念の要もないだらうと思ひます。
唯非常に難かしい事は事賞であります。
ム
十 .3n
職業 別 に 云 ひ ま す と 、 家 具府 、ヒ
n
イ t止中E
鈴す時間がないのですか、商屈照明に
簡 軍 な も の で は 三O 関位からあります。
随分高債なものもあります一か、飾窓川の
スポットライトと云ふのかあります。
ものはありませんか。
飾窓の陳列口叩の一部宇一特に照らす様な
色 電 球で やります。
いでせうか。
小 さ い 陳 列 棚 の 色 か け は どうすれ ば いv
ン紙研一使って居ります。
迎の色 か け に は 、 ゼ ラ チ
と 思 ひ ま す。北日 、
蛍に
屋、 花 屋と 言 った方 面に は、 特 に消一
大庭
川崎
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山
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霜どけの
ふみ所あや
夜の風にしなひ
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たわめる青
息 づけば
日毎毎な
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にし立て
、ゐ
高速電燈命日枇取締役
り駒
様なら宇
めばま仁
かはり
かに 聞こゆ
ば
の電 灯の部室にさし人る
い やま さ り 来つ年のくるるに
越し外灯
、 身 .よ る ひ す る も
か ひゐにけり
竹 の 外灯 の電 灯 に光りみだる
佼々 と照 る電 灯のむ
ならむ日
を 待ちつ促
す 仕事師達に
りゆ く家を、フれし みて 監督 す な り 日 には幾・度も
ろしみ
なく
でる話しな-からに
り にけるかも
こと
紋患 のさみしき麓を夜床じ聞くも
る遁歩みつ
な西
ま じりて消ゆ
一つがや
心 一つ に 聞 く 怠 の 雨 に
てほと
ま
さ
歌
見く
ふく風の重みにきしむ梁の一昔丈よみゐっ
電灯を消していねむとすれば.カラス
よき一音し て 鳴 け ば な く 程 さ み し さ の
hH
電灯をけして
夜ふけての静けき中に鳴く最の
秋雨にまじりて鳴ける患の麓心とむれば
まじりて鳴ける
ろせ
ころ悉く霜枯れの野とな
1
f め襟
常命日枇創立以来二十年程事業 をせしが 狭 隆 の矯め新 建物 ぞ 造 りつ 、あり
書き 終へ
け
る
の
路古あ
ふきぬか
炭寒
みし
のゆくと
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秋
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降る雨に
限 ぞや れば限
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新らしき木の香よ
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島
晃
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荘一廠と敬震に満ちた
電雲
川判
烏
所
長太郎氏の開舎の僻に始ま切 、
歌 除 に よ っ て 迅 悼 歌 ﹃あ
﹄
協 合 、 日 米 協 合 、農 事 電 化 協 合 、 帝
の 附 が 奏 せ ら れ 、 終って山一悼命日々長
ら れ た が 、其 の 大 意 は 次 の 如 き も の
国 資 明 協 合 、 電信竜諸島ナ︿皆 、 電 気 皐
Lり 、 之 れ に
であった。
﹃我 々 十 八 回 膿 及 び 組 合 の 各 員 が 、
本日此虎に集ひ、世界最大の琵明家
逝に劃し、深厚なる哀悼の情を捧げ
卜 ! ? ス・ア ル パ ア ・エ ヂ ソ ン 氏 の 長
関 税 参 加 の 下 に 、子 僻 金 子 堅 太 郎 氏
私は 此 の集りの 人明白 長 を 欣 ん で 御 引
る次第であります。
ムに従ひ、図民的の抗殻なる品悼ム羽田
受したのは、私が牲てエヂソン氏に
し て 、 そ れ は 一 九O 一点年 パ明 治 三 十
而合同した時の深い印象からずありま
一般合衆無慮
特許局長官等を初め、 '
ステ l ヂの正而には出一⋮きリボンで
スト 。オ レ ン ヂ 婦 人舎 が 主 催 し て エ
で、 此 の 日 エ ヂ ソ ン 氏 が 在 住 地 イ ー
一日 が エ ヂ ソ ン 氏 の 誕 生 日 に 常 る の
の命 に よ っ て 米 国 に 滞 在 中 、 二 片 十
七 年 ﹀ の 日 館 職 手 の 最 中、 私 は 政 府
飾り、主悼式は本症悼合幹事長井上
第一部追悼式
三千名に 達 す る 桂 であった。
中文相、小泉 遁相 、棋内向相、中松
が皆まれた。参合者は米国大使、同
を合長に推戴して 、諜先のプログラ
帝国敬育合、全日本映輩業組合の八
組合、大 日 本活動寝員協合、工政命日、
合 、東 京 ラ ヂ オ 向 組 合 、 東 京 電 集 業
日本百貨同協合、東京蓄音機商租
舎の十図憾の愛起にか
子保一金子堅太郎氏の也悼の僻が述べ
L エヂソン
品 悼 の 意 を 表 し 、 次 い で JOAK唱
て敬虚なる
後 、 A日
M 栄一同献踏を捧げ
、 昭和
ン
音楽除の米国々歌の吹奏の
閑少年一
ソ
、
チ.
、照 明 皐
命日、電気普及合 、 電 気 協 合 ,
品悼舎は日本動力協官、日本ラヂオ
日比谷公人刷用金に於て聞かれた。此の
六年十一月品川七 日 午 後 一 時 宇 か ら
電車エヂソン訪の品悼命回収
子園・・園面
縁どられたエヂソン翁の大潟農を
4母、
這悼奮
の
の公 舎 堂 で 開 か れ 、 其 虎 に 私
されました。社(の際、主人は今夕御
れ 、 そ の 市 上 で エ ヂ Y ン夫人に紹 介
ク 氏 夫 妻 の 政 火 だ 晩 餐舎 に 招 待 さ
講 演 を 致 し ま し た 。 其 の 夜 は フラン
は招れてエヂソン氏に閲する一場の
シ 1市
ヂ ソ ン ニ ア ! の 講 演 舎 が = ユ1 ジ ヤ
司
寿
泣頭巾で.今夕はお日にか
Lれ な い
陪席したいのでしたが日下新設明 に
i悼 舎 の 式 場
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それから種々な話があったが 、 エ
踏を山述べた。
居 っ た こ と を 謝 し 、握 手 を し て 厚 ︿
を 制 つ め て 、 先づ 自 分 が 離 を 失 し て
一歩後ろに引 下 がって 、 其 の 人 の 簡
る﹄ と 云 は れ た の で
、 びっくりして
﹃貴 下 が命日ひたいと巾さ
、
り
る る 人は、 今 貴 下 の 前 に 立 っ て ゐ
は 不 在 な の か と 聞 く と 、 其 の人 は 徴
は 答 へ な い 。 そ れ で 再 び エ ヂ ソン氏
取 次 を 願 ひ た いと 云 っ た が 、 其 の人
ヂ ソ ン 氏 に お 離 を 云 ひ た い か ら 、お
臆 接 室 に 立 戻 っ て 来 ま し た の で 、エ
呉 れ ま した 口 二 時 間 程 か L っ て 再 び
場 の 内 を 此 庭彼レ混と限なく案内して
口 に 青 い 職 工 服 の人 が 出 て き て 、 工
た 。 エ ヂ ソ ン 氏 の 研 究 所に つ く と 入
フランク 氏 邸 に 迎 ひ に 来 ら れ ま し
人は立汲な二頭立の馬車で、私の街
それで翌朝午前九時にエヂソン夫
し博へよとのことでありました
場 を お 見 せ い た し た い と の 旨 を 、巾
が 、 若 し 明 日 御 来 訪 下 さ れ れ ば 、工
米
ヂソン氏が研究に泣顕して官るのは
居る人は少なかった。唯一人が今エ
して不 滅 に 倖 へ ら れ る で あ ら う 、 そ
て、 長 へ に 地 球 上 に 活 き た 記 念 碑 と
が世界に残された絶大な功業によっ
んが 、 人 類 生 活 を 高 官 に し 、 我 等 人
れた多くの後明中の一つに過ぎませ
リ
ゾン 翁 の 頭 脳 か 、 り 案 出 さ れ 、 完 成 さ
今 日貴下
│却 ち ト ー キ ー の
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作見せなかった一室がある口それは
物一民ふ活動篤直γ
類の 仕 事 を 二 倍 有 効 に す る た め に 利
ヂ一
ソン 一
氏が云はれるには
中 で あ る た め 、自分と一
今 殻一
明 貨 験戸
の こ と を 想 っ て 自 ら 慰 め た い ﹄。
近年に於きましては、其の後明が
用されて居一ります山
研究であると敬へてくれた。これが
科 皐 的 で あ る 鮎 、其 の 謄 用 が 貨 際 的
かくて此の件人に劃する日本人の
いことになって居るJ その一人の助
人 の研 究 助 手 以 外 に は 誰 れ も 入 れな
今からざっと二十五六年前のこ'
と
である事、更に又全人類の一附祉に貢
ο
ヂソン翁の某前に石段籍李基を贈呈
感謝と敬意を永久に残すために 、 エ
献 し た 貼 に 於 き ま し て 、エヂソンヰm
1
す る 目 録 を 入 れ た 粕 を 、 金子命日設か
し て 府 っ た のである。
シ lら 米 国 大 使 ダ ブ ル 1・
oフオ 1 ブ
るし、,従 順 で 忍 耐 心 強 く 、 信 脱 し て
で 、 そ の 頃 既 に か Lる新しい 研 究 を
u 此の印象は修生
私はエヂソン氏を訪問して二つの
同様の名謀を博した人物は││仰
A﹂
日 本 人 は 秘 密 を 骸 守 すること が出来
深い印象を受けた
ス 氏 に 手 交 す れ ば 、 フオ 1 ブ ス 米 凶
手と云ふのは日本の一青年である
研究を委せることが出来るとのこと
犬使は箱を受けて此の退陣舎に封
第二にエヂソ
ο 従って職工達との接近は
ま せ ん 。 翁 は 凡て の時代 、 凡 て の図
の名撃を博した人物は数多くはあり
ふ 名 に よ っ て 知 ら れ た 人 ほ ど 、不朽
そして翁の偉大なる事績を讃へる
話 を 世 界 人といたしました。
は 、其 の 経 明 は 世 界 に 汎 ︿ 普 及 し 、
て居りましたが、翁の晩年に於て
ソン請は米国に生れ、米図に居住し
ル唯一人あるのみと忠ひます。エヂ
として居ります
llル イ ・ パ ス ト ー
繭回最大の休人として 、 悌図人の誇
は、エヂソン氏の工場生活は職工と
忘れられぬものであらう。其の一つ
1七
であっ 、
た。北(の際此の日本青年研究
同 じ 服 装 で 、 勤 務 時 間 の如、きは、更
ア ムパア・エヂソンと云
杭めて良好であった
家を通じての件人であると思ひま
ために、今日此の日本に於ての命日合
e
ン氏の日本人に劃する感想は、柔附
す ο 翠 書 の 第 一頁 の第三節に、 ﹃利 党
は ‘私 の申 .
上げた以上の事を裏書す
﹃ト 1 マス
で熱 心 、 仕 事 の 秘 密 を 守 る と 云 ふ こ
あれといひたまひければ光ありき ﹄
るものでありまして 、エヂソン未亡
に一居長時間に技って居るとのこと
d
家 の 名 前 を 聞 く の一
を忘れて居った。
て、 次 一
の如、き挨拶を症べられた
t
かく心て再びエヂソン 夫 人 に 馬 車
で停車場まで迭られ、汽車で統育に
とを見抜かれたことは、如何にエヂ
又其の次の節に﹃一
脚光を蓄と糊似たま
大琵明家の死に封し、我々は一聞と
る階放の入金代表して 、米国稀代 の
のは 、 電 気 を 以 っ て 世 界 中の都市、
なために翁の名を不朽ならしめたも
す。翁の最も体大な功続、印ち有益
りの贈物の此の箱を頂︿ことは、私
エヂソンの讃美者たる日本の皆様よ
代 表 者 と い た し ま し て 、 故 ト 1 マス
米国大使として、又エヂソン家の
であウた
ソン氏が日本人を四併して居ったか
へ り ﹄ と 書 い て あ り ま す が ‘此 の翠
、
かへった。主(後紐育で米人の友人に
が硯はれる。
書 の 言 葉 は 、 卜 l マス・アルパア・エ
なり、日峠を揃へて心からなる哀悼の
公道、住宅を問⋮す電燈を愛明された
の最も 光 柴 と す る 所 で あ り ま す ﹄ 私
u
-エヂソ ン 氏 は 今 如 何 な る 新 し い 研 究
エヂソン氏との合見から二十数年
又私共翁と図を同ふする者の誇りで
人と其の遺族の喜であるとともに、
J
を し て 居 る,
のかと聞いたが、知って
もたつて居るが‘あの徴失して居 っ
ふさは し い 言 葉 で は 無 い か と 存 じ ま
ヂソンの某石に刻む銘として、最も
情を捧げるものである。エヂソン氏
こ と で ‘ 此 の 護 明 は 卜 1 マス・エヂ
2
3
は此の世を去られたが、其の名は氏
あります。
ホ1 ル に 我 々 は 集 り 、 日 本 の あ ら ゆ
た鎖が息ひ出される白本日此の炭い
小泉遅 4
・日の追悼辞の朗読
報
新
ダ
ソ
、
マ
報
新
ダ
y
、
マ
は連常ウ説明をつけまして‘此の箱
を翁の遺族に間違な︿倖撞いたしま
す 。 そ し て 最 後 に 皆 様 が 、 此虎にお
集 り に な り 、過 去 将 来 を 泡 じ て 米 国
の 一 大 体 人 た る 故 人 の た め に 、敬 度
なる也悼のお催しをお事げ下さいま
した事を、私は米国人を代表して厚
︿お献を巾上ます。﹄
の﹃エヂソンの後明に就て﹄なる演
して 、 遺 体 、 修 養 、 環 境 の 三 つ を 傘
の要素につ いてとかれた口
げられ 、 エ ヂ ソ ン の 場 合 に 此 の 三 つ
エ ヂ ソ ン の 組 先 は ニO O年 前 、 オ
移住されたもの
ラ ン ダ か ら 米 国 へ・
O
二
で、 宗 敬 的 信 念 の 強 い・訳 柄 で あ り 、
曾祖父は一 O 四 歳 、 祖 父 は 一
歳 、 父は一 O O歳 と 云 ふ 長 毒 の 遺 博
を供へて居られた凶又エヂソンの母
‘ エヂ
題の下に﹃エヂソン氏が最初の愛明
、
縫 い て 出 席 国 務 大 臣 、小 泉 遁 相
ソンが皐校に行かなくなってから
は、 膝 下 で 趣 味 を 感 ず る や う な 書 物
は非常な偉大な女性であって
、殆んど
を讃ませて居ワた凶そしてエヂソン
なかったが 、 これに錯みて其の後の
エヂ
が賀川的でなかったために利用され
服一枇に貢献せられた
全人類の 一
愛明は賞用的のものが多く
機 内 商 相 、 問中 文 相 蛇 に 外 相 代 理 旧
上幹事長より主悼メツセ 1 ヂ を 朗
はパ 1 カ l の貨険書を精一蹴して、そ
u
読 、 一同柏手をもって之れに賛意を
ソンの界貌がナポレオンに似てをる
のゆ只験をやったが 、 母 は い つ も エ ヂ
表 し た ο か ︿ て 一 同 起 立 、 君ケ代の
るが、ナポレオンが不
と 言 は れ て 居一
健康な身般と仕
次で一八八七年から一八九四年の
遂行させて居った
それと母の宗教的の感化が 、
D
八 年 間 エ ヂ ソ ン 氏 の 主 ・町 助 手 で あ っ
努生活が愉快なものであることを敬
事 に 謝 す る 趣 味 と は 、 エヂソンに勤
ソ ン の す る こ と に 助 力 し て 、 それを
に‘ エ ヂ ソ ン に も 研 究 方 市 に 不 可能
可能と云ふことはない云った苧う
て、 日 下 我 が 電 気 皐 曾 の 招 特 に よ り
がなかった伊うに思へる。
u
エ ヂ ソ ン の 体 大 さ を い よ いよ成長せ
へた
来 初 中 の米国ハ 1 〆 l 卜 大 皐 名 警 な
現下の日本に於ては後明奨胸の諜
﹃研 究 室 に 於 け る エ ヂ ソ ン ﹄ と 云 ふ
ての活動の源が 、 先 天 的 に も 後 天 的
しめたのであった。品調の・﹁生を通じ
・イ 1 ・ケネリ 1博士の
研究的態度を皐ぶことは大切なこ主
講 演 は 、博 士 が 闘 西 地 方 講 演 中 で あ
サ1
を敬慕し、吾々十八回慢は愛
例的文化卸
であって 、 特 に 青 年 の 精 一
授ア 1
に図民的品悼舎を聞き全員を
が 盛 に 叫 ば れ て 居 る が 、 エヂソンの
代表して盗かに哀悼の誠意を
ったために 、 草 稿 を 伊 藤 杢 ニ が 牝 議
や エ ヂ ソ ン 氏 の 長 逝 に よ っ て 、設 明
糾カに
青柳柴司氏の﹃エヂソンの精 一
最後に京都帝国大皐敬授工皐博士
講演舎は中維によって 、 全図に放註
以上の第一部追悼式挫に第二部の
され 、 又 品 悼 式 の 模 様 は 松 竹 撮 影 除
だ﹄と力説された口
崎明かになったやうに
の重要性が一 一
就て﹄は 、博士先づエヂソン翁に面
にも恵まれて居ったことは一苦し い桂
ち 愛 明 方 面 に 向 は れ る こ と は 、 日本
表す口
された。
エヂソン泊一悼合
合長金子堅太郎
子官
ο 青年新君は人類の一附祉を
噌迭すると云ふ立場からも‘護明に
も思へる
閥 心をもたれんことを希望する ﹄ と
演
引 績 き 講 演 舎 に 移 っ た が 、早 稲 田
第ニ 部 講
が凶班に分れてフィルムに牧めた。
a
の閤家としても重要 なことである今
遺したる偉大なる琵明の功績
エヂソン翁が全世界人類に
泣 悼 メ ツ セ lヂ
エヂソン未亡人に詮る
悼式を給った。
図 歌 が ・奏せられ、厳粛裡に第一部治一
中参興官の品悼の僻の朗讃の後 、井
述、べられた口
24
、
合同された時の 印 象 を 語 ら れ 更に一
般 論 に 移 っ て .偉 人 の 出 現 の 要 素 と
大串盟工皐部長工事博士 山本忠興氏
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
咽.
米図大伎と金子子舟
第三部一晋奨と映書
第三部に入ると、現在日本にある
各 者菅川市製 作 合 祉 が 、 各 得 意 と す る
γ ドを蛇供して、高峰弦間一耳目器に
レコ
よ っ て 聞 か せ た が 、 製作人羽田一此は 十指
に設とする相であった。
次に活動潟良の映官仰に移 ったが 、
時 間 の 閥 係 か ら エヂ ソンのジ 1 ・イ
1命日祉訪 問 の 貨 認 が ス ク リーン にあ
らわれた。この沼尻 は一九二二年頃
にエヂソ ンが ス ケ ネ ク タ デ イ 工 場 を
訪 問 さ れ た 際 の も の で 、 ク 1 リ ツヂ
ングミユ l ア 博 士 、 今 は な
博士や
一
フ
きスダ インメツ ツ 博 士 と 高 廊 碍 子 の
人工 需に よる 破 接 買 除 な ど を 熱 心 に
見てあるかれた慌時が、髭髭として
あらわれた。
次 に ト ー キ ー の﹃一 九四O 年﹄が 封
れ
海文一席
か
吋
、V
切された 。
此 の 第 三部の一音楽と 映 査 を 終 っ た
午 後 一九 時 を 過 ぎ る 頃 で あ っ た け
り が,
.
ο
上一尽を懇望されて 、 此 の日 式 場 に 参 。
列 され た の で あ っ た
所に勤務することとなり、六 年間体
大なるエヂソン翁の 下に努力する機
である口 特に 気 附 い て 、 脳 裡 に 刻 ま
日本国民を皐げての感儀に一絞ったの
一等 機 関 士の 免 欣 を 得 た が 、 並(の常
治 四 十 一 年 二 十 四 歳 の時 に卒業し,
れ 、 山 口 廓大 島 商 船 皐 校 機 関 科 を 明
でには 、数 奇 な 運 命 ひ そ ん で 居 っ
一
が
た ο 附 部 氏 は 明 治 十七年に一WFに産
も ま だ 琵 明 さ れ な か っ た 常 時 、翁は
、
す で に ト ー キ ー の笈 明 を 思 ひ 立ち
! の研究であった
大 き な 諜 を 出 さ せ ゃ う と す る トi キ
の嗣欣一一自の摩擦及び 損 枠 を 利 川 し て 、
に 命 じ た 第 一 の 命 令 は 、 ゴムと琉 刑
が 興へられたのである。
命日
れたこをは、エヂソン翁の一人の愛
時海運界不況のために日 本加に就職
した 明 治 三十 七年 以 来 探 し て 舟 っ
会 子 堅 太 郎 子 保 が エヂ ソ ン 翁 を 訪 問
が 、 さて 知 人 と で は な し 、 か な り に
底 で 一 二 ヶ 月 の後に退院は 出 来 た
ると
す・
かつて 、ニ ューヨ ークに 上附 す戸、病 悦 に 入 れ ら れ て し ま っ た白 此
る松井須磨子のカチユ 1 シヤを映窮
て 師 朝 し 、 日 本 最 初 の トー キ ー であ
して、 エヂソ ン 研 究 所 から 汲 泣 さ れ
た 日 本 キ ネ マ フ オ 1 ン合祉 の技 師 と
し 、 阿 部 氏 は 大 正 三 年 日 本 に 設立 し
制 機 り 後 明 で キ ネ マ ア オ l ンを完成
その 後 翁 の苦 心 は 酬 ひ ら れ て 、 同
ι 光竜管も民生管
エヂソ ン 翁 が 初 入 所 の 青 年 阿 部 氏
明 で 、此 の 第 三 部 が 全 部 出 来 る こ と
川来ず、 やっと 榊 戸 の一 外 人 の紹 介
で居られた。
如何にして大きな'峰を出すかに悦ん
阿部氏がエヂソン研究所に入るま
で あ っ た 口 蓄 一 川市と云ひ 、 活動第百一
広
田
と 云 ひ トー キ ーと 云ひ 、貨 に 件 大 な
でニュー ヨ ー ク 航 路 の 英 図 汽 船 内 三
かく て 竜 翠 エ ヂ ソ ン 索 の 也 悼 舎 は
、 一入
愛 明 家 で あ ったと 云 ふ こ と が
思 は れ る の で あ った 。
此 の 誌 悼 舎 に因 ん で ] 最 も 意 義 の
た、ェヂソン研究所で働いたたビ 一
背 し まれた。 身 般 が 快 復 したので、
u
上 映 し 売 のであ・った 一
深 か っ た の は 、 エヂソン込 悼 合 々 長
人 の日 本 青 年 と 巡 り 合 ひ 、 此 の 也 悼
間違へてァ特 。
あ う て 訪 ね て 行 く 先 を,
て)そ '
(J
の に 古 っ て 、 あ る 人 か ら の便 りで、
年を 探し 首 て た い と 日 頃 心 に か け て
庭が今岡の治一悼舎を行ふ
居られた。 ‘
に な っ た が 、主(所の 仕 事 も 完 了 し た
スチングハウス電球曾祉に働くこと
間もなくアツペ氏の紹介で、ウエ
て 、 感 謝 する 心 持 に 微 笑 し で 居 ら る
の多くが 此 の隠 れ た る 物 詩 り を 知 づ
在 天 の エヂ ソ ン 翁 の 援 も 、 日 本 人
も 考 へ ら れ る 。 そ して こ れ は エ ヂ ソ
るよい手本であると
に は 研 究 に 劃 す・
此 の阿 部 氏 の存在は 日 本 人 の た め
紐 育 で 臓 を 求めるうち、 やっと 口が
飛び込んだのが縁とな
所に・
許制研理士シ ! ?シ leアツ。へ氏の事務
舎の 席 上 で 、 二 人 が 命日来の 前 に 立 た
劇 的 シ 1 ンであった。
、 貨 に 感 激 に 満 ちた
れ た 時 の 光景 は
E
クに つく一 r週 間 前 か ら 重 い 熟 病 に か 目
ュ ーヨー
等 機 関 士 と な っ た 。 ド鹿が ニ
r
此 の青年は現在神戸市東出町二の一
ので 、同 祉 の 技 師 長 ポ ダ マ 氏 の 口 添
るこ と と 信 ず る 。 ( 完 )
て此 の日 本 青
金 子 子 容 は 何 と かし!
四八で鍛工所を開業する阿部芳郎氏
へで 、 エヂソ ン 研 究 所 の技 削 長 プ リ
舞 で あ る こ と を 喜 ば しく思 ふ ο
ン翁が、日本に遺された大いなる鼓
ハ四 十 七 歳 )が 、 北一の官時の青年であ
ス氏に採用され、故にエヂソン研究
こで暫く出願刑の製回をやった。
ることがわかり、品悼合出席のため
F
5
2
報
新
ダ
、
ソ
マ
金 子子傍と阿部氏
明
白く美しく崇高な感じ治一典へる。
衆議院と貴族院との鵠揚の中間に大きな塔
此
番六一一六披貼刻前硝子附一、
OOOワット
投光器を以って、其の試験が施行された。
木年度の開院式は、新議事堂では、やらな
しい照明か、吾等の明るい、強い攻治を服成
J
塔に夜間投光照明設備が計劃されに。それは
塔の 一面に釣して 一、000ワット投光器 一
する事と信宇る。
がある。地上六六メートル従耳立っ て居る
四萎合計五六墓、五六キロワットの電力を以
川 照 明 面 積 ( 一 面 ) 約 九0 0平方メートル
議事堂塔溢光照明
そして十 一月四日から十日過迄、常局大野部
dUU4
寸二
閉山山岳次和川3J
ト向
三 二度
約六O パーセント
一
O Oルクス
間務定限度
m
w照明面の反射卒
川内投光器光柱の開
前硝子
000ワット
此の揚合有効楕闘の卒均長径
投 光 器 と 照 明 面 と の 距 離 二0 メートル
川正面
び投光器の位置は突の如くである。
上 記 の 僚 項 に 依 り 、 各 聞 の 所 斐投 光 器 数 及
間使用電球一、
光柱光束数 八、七二O ルl メ ン
h
ad
長及川技師其の他多数指導の下に、弊社製型
新議事堂の i
苔 く 寅 景〉
2
6
い事になったが、来年にもなればこ、フした美
帝図新議事堂は、昭和拾年竣工の務定であ
って平均 一
O Oルク スに照明する案である。
外観は殆んど附来上って居る。庚大な、限
して、其の竣工を念ぎつ つある。
料とを集 め、吾等同民の意気と誇りの表徴と
る。日本建築界の枠、最高のい技術と回収良の材
帝園新議事堂の投光照明
日
召
,
.
、
に一杯に拙掛か って居ゐ様な花山岡岩の外壁は.
新議事堂の:[苔く寅景 〉
報
新
ダ
、
y
マ
メ ートル
約二 一
二八メートル
一四個
約 一五メ ートル
此 の 場 合 有 効 楕 闘 の平 均 短 径
所要 投 光 器 数
間雨側面
投光器と照明面との距離
此 の 場 合 有 効 楕 闘 の平 均 長 径
約 二六 メートル
二四メート ル
一四個
約 二三メ ートル
此の場合有効楕闘の平均短径
所要 投 光 器 数
問裏 面
投光器と照明面との距離
此の場合有効楕闘の平均長径
約 二四メートル
一四個
約二一メートル
此の揚合有効楕閣の平均短径
所要投光器数
何故に全部の投光器数は五六個にして、其の
。
所要電 力五六キロワ ットとな る
間 若 し 正 面 及 び 斜 面 の 三 方よ り 照 明 す る 揚 合
には、正面は上記計算と同様であるが、斜
なる。ハ土居)
大連市の電気サイシニつ
最近大連市に取りつけられに二つの、不オ
約一 二 0 0平方メートル
の設計及び施工になるもので、浪謀、洋行ほ大
れて来亡。これ等はい づ れも弊枇大連出張所
サイ ンの 家 具 が 、 弊 壮 大 連 出 張 所 よ りぬ送附さ
V
八 個 と な り、 所 要電 力 四 八 キ ロワットと
間 従 って 此の揚合には、入子部の投光器数は四
新 議 事 堂 完 成 後 の 件 槻 (模 型 に よ る 〕
一七個
面の所要投光器数は突の如くなる。
照明間積
所要投光器数
連市浪速町にある洋品雑貨屈で、 t ス・ダイレ
ンは 大 連 市 連 鎖 街 に あ る カ フ エ ー である。
の丈字吾首(く矢印は赤色で、その電球数は百
は緑色の電球が二百十一個、ミス・ダイレ ン
色のサイン電球が使用ぜられ、字型の部分に
あ る 。 電 球 は 線 色 と 赤 色 で 、 い qれ も 内 而 着
ラッシュの数は二百十と云ふ大規模なもので
の鈷滅機のシリンダーは五吠六吋もあり、プ
tス・ダイレ ンの 電 気 サ イ ン は 知 滅 式 で 、そ
g洋 行 の ネ オ ン
I
浪 芸
ミス・ ダ イ レ ン の サ イ ン
27
報
新
ダ
y
、
マ
五 十 三 個 で あ る otス・グイレ ンの 文 字 は 赤 色
ネオ ン・チ江 l プ で 作 ら れ 、 ボ ー ダー は線色
。
のネオ ン ・チ ユl プ で あ る
なほ此の 他 に不知滅の部分でー ウ ヰ ンドワ
に は 内 面 着 色 の黄 色 電 球 二O ワッ トが 十個用
側に緑色
緑 の 各 色 の 電 球 を 飢 鈷 滅 し 、 其 の内一
才 ン管 を旬はぜ]中では赤色、不オ ン 管 の
不
、
不太 ン管 の 可ク7 一フ歯
と青色 一
フプ 白 粉 ﹄
ク一
n'
u
司
十三
磨﹄
ぺとが交互に鈷滅 す る。看板 以五 パ1
、
八、使用、不オ ン管の 全長 百 十 尺 至 極 調 和 の
好 いナ 十 ンである 。 (石上 )
病院のネオシ・サイシ
、
ネオ ン・サ f ンの普 及 に 伴 ひ 病院 の様 な 方
面に も利用 せ ら れ る 様 に な っ て、既 に本誌に
も尾闘病 ・院 のサイ ンを 報 じ た 事 が あ る が 、 弦
U
﹃ 松岡外 科 病 院 ﹄
に夏仁此 の方 面 の参 考 の 矯 め
n
(石上)
森 永 共 袋 キ ヤ シ デi
ストアのネオシ・サイシ
少 し 古 い もの であ るが 、形 の 愛 つ 仁 而 白 い
、
ネオ ン eサイ ンとして 大 阪 阪 念 前 の 森 永 共 栄
(石上 )
ローマ字は赤色ネオ ン管 、 ボ ー ダ ー は 青 色
。
キャ ンデー・ストアのものを御紹介す あ
ネ オ ン管で ある。
力ルケットのネオン・サイシ
大阪 膝 前 、 左 に阪 念 百貨 底 、 賓 塚 少女 歌 劇
、
其 の他 キリ ンビー ル、キ リ ン レモン等 東 京
に一示す力ルグ ツ ト
中に 、 更 に 際 の 正雨に震直(
電気 の施 工 し た ネ オ ン ・サ イ ンの 燦 然 と 杯 く
赤色、、ボーダー は青 色 ネ オ ン で 、 看 板 の大き
﹄
卜
オ ンサイ ンが 加 へられ仁
不
の、
一の
オ ン管 を使用して居る。﹃.園産筑菓 L
み
色 の、
o 可カルクツ
さ二 尺 │ 八 尺 で あん 。 同 院 は 大 阪 、 東 区 北海
は赤色、 ボー ダー は青色 、 其 の 他 の 文 字 は 線
。
州 科 療 法 を行 って 居 る斯 界 の椛 成 者 で あ る
三 丁目 にあわ 大阪 に於 て古く から X線 に依 る
の ネオン・サインの窯異を掲示した。文字は
8
2
森 永キャンデー の サイン
ひら れ、 三 角型ア ンド ンには 異径 三O ワ ット
の 電 球 が 七 個 用 ひ ら れ て ゐ る 。 (A生)
クラ?歯磨白粉のサイン
大 阪 の 繁 華 街 、 這 頓 堀 と 堺 筋 の 交 叉 駒 大る
日本橋南誌に、 クラプの 面白い サイン が 出 来
。 外 側 に 大 型 ァ l ト @キュ l プ 五 拾 五 個 を
仁
使 用 し 、 内 面 着 色 四O ワ ットの赤、青‘黄及 び
ネオン
完1の
[
2岡タトキlW~j 1
2
4
ン
イ
ク ラ ブ 1
町民主及び 白 粉のサ
報
新
ダ
y
、
マ
o
木装置は木枇研究所 に於て 考 案 設 計 し た 純
図産品で 、光 電管 利肘に よる最新式の自 動警
報装置である。木装置は投光器、受光器、 警
報器の 三部よりなわ、電源はいづれも一 0 0
ヴオル卜 の電僚級より 取 るこ と になっ てゐ る
重なる用途は裕一難或は逃亡者の 警 戒、訪門客
のド アiベル等であるが、副装置を 附加すれ
、 警 戒僚が目前に勤ぜられ、これによって
ば
畿道 要路叉は街路 等の横断警 戒或は人の出入
計算 、 荷 物 運 搬 計 算 、 機 械 類 の 自 動 操 作 、 安
全装置 等 幾 多の 用途がある。
1
赤外線泌光板で
この構造の大 略 宇一一示すと、投光器の光源に
は六燭の瓦 斯入 電球 を 用 ひ
遮断して、受光器に向け赤
完全に可視光線争-
外線のみを放射 する様 にな ってゐる。受 光器
は赤外線に感度の良い瓦斯入セシユ l ム光 電
向木装置の有効到達距離は、 日中三五米以
にその目的を港行し得るやうになってゐる。
にパイロット・ランプの取付があって、完全
部 に高 一故障 を生じた揚合、これを知る仁め
鈴 の組合せで 山内来てゐる 。 本 装 置 はその主要
る。警報 器 の 主 要 部 は 縫 電 器 、 愛 歴 器 及 び 電
るやうになってゐ
継電器を作働させ
ト電 流が増加して
れ仁揚合、プレー
赤外線が遮断せら
し 、投光器よ りの
線の飢入を防止
その 他 の撞散 的光
墜 的装置で 、太陽
板及び其の他の光
光窓は赤外 線 路 光
管 と サイモ トロ ンとの特稜結合 からなり 、 受
ム装置の受光器
タラ
オー
オ{タラム装置 の警報器
オ ー タ ラ ム 装 置投 光 器
ン
イ
ン ・サ
オ
ネ
下の小児は硝 子看 板で、 二O ワット電球 三 八
ロ
ト の
大阪騨前カルケツ
個争-使用し、看板 金憾の大きさは縦八尺、横
三O尺と云ふ大きなものであ ろ。(石 上)
オータラム装置
29
製
報
新
ダ
y
、
マ
上 で 、 夜 間 は 五 0 4 A以 上 で あ る 。 (A生)
明
m
-r
十月十五 日ハ木曜日 )
挨
照明皐校見皐
茶話命日
矧京電気株式先制 閲
森田
重慶氏
豊吉氏
重慶氏
事務家││
照明概 論 版 古 川 電 気 株 式 合 一 川 開
││ 全 合 員 │ │
業 部民 告 謀 者
庄吉氏
司FU
珂同
一向京電気株式命日附 園 房 清 二 郎 氏
ーーー 技 術 家 ││
十月十九日 ハ片隅日 )
工場見間半
韓合
高 燭 糊 誘 と 蹟 告 媒東京電気株ド式合社 電
-1
電球協京電気株式合耐
照明測定及び設計蹴京電気株式合附 黒 還 濠 之 助 氏
│
ーーー 技 術 家 │
十月十六日 ハ金曜日 )
槻京域拠品令制 清水輿士一郎氏
大館突の遁りであった。
り 二 十 三 日 ま で 開 催 し た 。 そ の プ ロ グ一フ ムは
読の木欄に務告した遁り、去る十月十五日よ
、本誌十月
校
照明墜校の第十問照明講習舎は
第十同照明講習曾
百
日
.、
.
1
照 明 皐 校 の業務
拶
事
急
報
新
ダ
、
ソ
マ
││ 事 務 家 │ │
白h
気株式合 耐 小 西
電気株式合蹴 伊 藤
球蹴京電気株式合耐森田
電気サ イ ン 探 京 電
十月二十日 ハ火曜日 )
l 第 二 部 ハ前回 の合員Yll
ー
│ │ 第 一 部 第 二 部 合 併│ │
懇 親 槻 劇合
新らしい照明披京電気株式合脱 河野
照明とコン ポジシ
同等工義感服 疑 田
一回
京
問
一
ヨンと建染
特 別講 演 ﹀
ハ
十 月 二 十 三 日 ハ金曜日 )
塑吉氏
大ニ民
震膏氏
最井氏
周忠氏
元彦氏
十 月 二 十 二 日 (木曜日 )
、
見間半 ハフォー ド自 動 車 工 場 の 照 明 ヴヰクタ 1
、
蓄一
音器工場の 照 明 、 杭 漬 市 震 災 記 念 館 電
気展覧一命日、 桃山御殿、=ユ 1グラン ドホ テ
.
、 ダ ンスホール の照明﹀
ルの照 明
監 督 官 践 に 聴 く の合 ハ於 建 築 合 館 )
倶 楽部)
十 月 二 十 一 日 (水 曜 日)
、
見 皐 ハ東京朝日新聞社、図命日議事堂 帝国ホテ
ルの照 明及 び電化 、 東 京 中 央 放 送 局 、 電 気
大 倉 集 古 館 、 市 内 夜 間 照 明)
松 竹 蒲 田 撮 影 所 、 明 治 製 菓 本 綿 貫 応 の光
見向子 (
築、ベビ 1 ゴルフ照 明 、ゴルフ大練習場、
最 近 の 照 明 傾 向 埼 京 電気株式合同 開 重 麿 民
懇談合
工 場 照 明 暗 京 電 気 株 式 合 一 川 土居
l 第 一部 ハ今回 の合員)││
ー
444
││全合員││
交泊照明蹴京
電
第 二 部 曾 員 ハ前 に 本 講 習 合 々 員 た り し 方 )高 岡電燈
合 祉 和 歌 崎 孝 三 氏 (第七 回合員﹀ 、村上水力 電気合
出猿 所 武 井 武 四 郎 民 、同枇 吉 田 管 業 所 一腕島富 之
、
進
氏、閥藤事務所 鈴 木 健 二 郎 氏
新命日枇 中 野
﹄一
気 仙 水 カ 電気合同一吐坂 井勝郎氏、信機 竜
業 所 柴 同 義 旅 氏 、 同 枇 平 塚 出 張 所小閥正直氏、同
祉 椛 損 管 業 所中根潤治氏、 王子電軌命日枇 山 根 律 氏
東京 市 電 気 局 西 塚 清 氏、同局加藤不 二夫 氏、三越
銀座支肱電気係鎗田英吉氏、日本軍力命日一枇杭潰管
世 河 島 虎 雄 氏 同 枇 中 村 繁 治 氏 、 宮 城 鯨 電気同 牧 野
祉 小樽支山宮谷市郎氏、
光孝 氏、北 海 水力電気合目
、 志一樹内電 力 合 枇 基 陀 管業 所菊地武夫氏、同 社高
氏
雄営業所開日茂平次氏、朝鮮瓦斯電気合同社森克 巳
同
合
氏、京城 電気 株 式 合 祉 佐 藤 安 正 氏 、 南 満 州 銭 道
松 一氏、同 社 梅谷貞幹氏、山口問料 電 気 間 放 迭 問次
社 緒方
氏、同枇山下邦男氏、九州 電集 軌 道 株式合同
戸 州 管 業 所江藤新氏、日本水力 電 気 合 枇 大 鳥 光 義
金津 電 気 軌 道 合 枇 徳 田佳太郎氏、同社 尾 州 義 則 氏
同枇
九 州 水 力 電気合一枇後藤寺管業 所後 藤 基 咋 氏 、
支 刷 内 線 係 高 井 繁夫 氏、帝国人絹 舎一枇成島工場電
気係大杉定降氏、金津市電気時試験係上閃貞氏 パ
、
業 課 新 井 省 三 氏 上 野 松 坂 屋 装 飾 部 恭 山操氏、問
一利電銭 株式命日祉 電気 係蓄
応竜集部菅野三郎氏、 阪
、
積健一氏、同社同係抱一見賢二 氏 、 伊 散 銭 遁 包 集 合
社 大 洲 支 市 営 業 係 西 谷 徳 柴 氏、巾 凶 合 同 電 気 航 路
第 - 部 曾 員 ハ初 め て 本 部 習 舎 に 参 加 せら れ た 合 員 V
海 軍 工 機 皐 校 敬 官 河 谷 深 氏、東 京 電 燈 前 橋 支 府 営
今 回 の 講習 舎 に参 加 ぜ ら れ た 方 々 は
ロ グ ラム の 最 終 日 に 特 別講演ふ守され
向右
.
プ
、
た減旧用中川 氏 は 最 近 の 敵 米 に 於 け ゐ 建 築 門
戸
﹂
。
、
照 明 と を 視 察 し て 来 ら れた新日間朝者で あ る
0
3
第一九間合員 )、盛岡 電股命日枇佐々 木
社間藤精一氏 ハ
明 雄 氏 (第 八 間 合 員 )
久 三 郎 氏 ハ第 三 間 合 員 ) 、 合 同 竜 気 合 枇 津 支 祉 青 木
で頗る有意義 に終 始 するこ とを得亡。これは
﹀
一同の深く感謝するところであっ仁。 (A生
十月中の参観者
J
マ 照明の調光 仁
フ
照明単一し校ホ lpのコ ロ一
1 a
新ら しい真空管サイラ トロ ンが 臨応用され仁 。
サイ一フトロ ンは米図に 於て新らしい劇場の調
光装置として採用され丈所もある由である
u校
花 け で ある。
が、五口図では目下山 川
サイ 卜ロ ンの特色は 従来 の抵 抗 の如く熱
一
フ
揚
電 力 が 経 涜 であ る の み な ら 宇 、
損失かなく 、
照明墜校参観の・にめに十月中に来枇せられ
百 五 十 二 名 、 一 般 参 観 者 は五百八十八名で合
所を大 きくとらない鮎に あって、照明間学校の
た方々は、十名以上の圏鰻数十 二組その数四
計千四十名であっ仁。
調光装置も小さな箱内に納められ、ホールの
て、京蜜地方 の諸所に 設置されたが、 米 ロ 色
マ 照明は照明墜校のか刺激とな っ
フ
向コロ 一
一隅に設置されてある位である。
十名以上の参観圏憾
演松高等工業皐校風ナ生
千葉署科大皐々生
海軍横須賀経割問
産業管理講習生
東京市 電気局電燈課員
一O四O
日明
1
!
ロテマ
横須賀海軍砲術皐校
紳奈川女子 青 年 問
第十岡山⋮明講習合々筒(
'
東 京 電 燈 合 祉椛潰文化的工事課 員
東京某督敬青年命日
一例旧料理防組合員
東 京 電燈命日祉 川越 支 附 久 喜 出 張 所員
lP41
同
=
=
・
'
十月中の参観者合計
長 伊 藤 泰 丸 氏 他 五八六名
東 京 餓 道 局 参 事 購 買 係 長 平 同氏、函館水電線務部
一般 参観者
一
四
以上四拾二名の方々の 参 加 を得て 、湖一飴に
ノ
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t
'
'
m
亙る第十回講習命日は、頗る有意義にし かも 版
東京劇場に於て開い仁のであっ仁。
照明に
マ
サイラトロ シ の 慮 用
ヲ
前二十 一日の夜建築命日館に聞かれた殴督官
鹿に聴くの舎には、涯信省電気局技術課技師
加藤鎌二氏及 び田中敏郎氏 の御 出 席 守得たの
ロ
、る盛大に修 了し、 最終日の夜は懇親観 劇 舎 を
同
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マツダ !照明皐校 のコ
1
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五 一 一 二 八 四 ニ ニ - 3i . 三 一 二
二 四 三 二 0 - 0 0八 O 六 四 四
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同
定予
最
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会』
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己
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昔
言
召
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第
報
新
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ツ、
マ
を自然に愛化させるまでに至って居らなかっ
亡。然るに今同いよ/¥東京の某大カフエー
の都合で省略し仁。ハA生)
等の入選作品も、各良い標語であるが、紙面
同伺入選のため四名となった由で、三等佳作
一等
電気利用の範園は盆々強大して来るので、
社圏法人家庭電気普及舎の事業む、これに伴
出
々多端となつに。そこで同曾の使命を達成す
キ
}O
去 る 十 一 月 十 日 盛 大 な る 落 成 式 が 暴 行・
され
,寸J
尚武 を以 って 東 西 に 誇 る 我 が 武 士 遁 の 根 源
諸設備は、峻肢そのもの、如く、入場者をし
頗 る宏批宇一 極 めたもので 、殊に内部に於りる
同館は餓筋コ ンク リートを以って建造し、
たる大日本武徳命日北両這支部では、多年の懸
て忠は宇武士遁の精紳に打たる﹀感を生ぜし
式命日祉にて施工せられ、電般器具一切は弊祉
囚にこの竜燈設備一切は、北海水力電気株
案であった武徳敗 を、御大此ハ紀念事業として
先般札
める程である。
1
幌市南一 、
僚西十六丁目に愈々完成したので、
拾一両国争-投じて竣工を念いでゐたが
建設することになり、幾多の苦難を重ねE 費
札幌の武徳殿完成
命日と正式に愛更された。ハA生)
圏法人家庭電気普及曾は、社固法人電気普及
四日附 ぞ以 って認可せられたので、従来の祉
猫これに伴ふ定款愛更も、去る十 一月二十
することになった。
u
協議の結果、命日名をロ 一
吐圏法人電気普及命日 ﹄
と
n
が一居有利であるとして、第五同定時総合で
る上に、名・貫一致した曾名の下に活動する方
って多岐多様に亘って、その及ぶところは盆
5
2
部
内
向、二等は三名入選の筈であっ大ところ、
で 斗 照 明 事 校 と 同 じ も の を 新 設 して暮の人気
ハ一名﹀
治夫氏
家庭電気普及曾々名愛更
を呼んで居る。但し目下調光には抵抗器を使
トロンに改 めら
用
し
て
居
る
が
、
い
づ
れ
サ
イ
フ
一
れる由を聞き及んで居る 。ハ
開生)
伊橡銭電合自社の照明標語
る
。
一年
ハ四名)
明るい電灯、埠︿生活
二年
)藤本
照明は繁栄の素(西伎町)吉村選氏
同何議津町
光康 氏
御 代 は 昭 和 、 時 代 は 照 明 (宇和島)上 中 銀 治 郎 氏
明るい電灯、とりま︿笑顔(襖井町)村上謙一氏
(
大湖町)車
及び二等の山首選標語立に氏名は突の通りであ
作十名、計 二十 名 の入 選
一か発表さ れ仁。
の結果 、 一等一名 、二等四名、 三等五名 、佳
は約二千五百伺に達し、その中より慎重審査
照 明 標 語 の 懸 賞 募 集 を 行つ仁。臨応募標語数
伊橡捕時遁電気株式命日祉では、二過般行はれた
電府大 納 誘 に蛇行して 、照明思想 普及のため
報
の
殿
徳
た
武
来
I
C
キ
L 幌
雑
新
報
ダ
ソ
、
マ
製作にか﹀る近代式器具を採用せられたので
ある。(札幌青雲生 )
横漬電気展覧曾
電気協曾閥東支部主催、紳奈川照、横演市
尚間︿ところによれば、近く明治神宮野球
野球場照明の装置をして出品じた。
苑野球場の百分の一模型在作り、これに夜間
では一般製品の陳列の外に、特に明治紳宮外
等があって、橡期以上の賑ひを呈しに。本一肘
地に閃かれたのを 記念して奉行ぜられたもの
日
校 の圏慌親管
'
で、連日頗る盛況を示し.各単一
同展腕見舎は電気 協命日関東支 部の線舎か、同
電気展管舎が開催せられた。
午後五時まで、横溢商工奨働館に於て、横演
十五日より同月廿五日まで毎日午前九時より
及び横演商工曾議所後援のもとに、去る十月
武徳肢の内部
揚の照明装置が賓現するの機運に向いて居る
とのことであるから、明治紳宮外苑野球場
で、夜間野球試合を見ることも近い賂来であ
らう。 (A生)
新潟市ラヂオ展覧曾
新潟市白山公園にある商工奨励館に於て、
ラデォ展腕見曾が去る十一月一日より十四日ま
で二週間関曾ぜられた。これは新潟放念局
(JOOK) の開局を記念して、同地の新潟
一
一'
、 U Y二二四、 U Y
七
イモトロン、 U Y二
二二六の製 作工程を示 1U仁標本、オリオン三
弊吐では義信用のサイモトロン、受信用サ
のもとに催されたのである勺
毎日新聞社の主催で、東京一フヂォ商組合後援
横潰電気展への本祉の出品
33
j 工奨附館
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杭演 1
〉
リ
積損 電気 展覧合間合
報
新
ダ
、
ソ
マ
ι
。。械受信機 、 yパメ一 銑受信機等を陳 列 し
、
たか 、 一方東京中央放途昂一心は 木枇製作の
枇ではこの宣博を肱援する仁め仁
、 -フヂォ販
係員数名が同地へ出張し仁。ハ A 生﹀
揮させ 、粂 ね て 庚 告 的 意 味 そ有 仁せる様にな
った。屍か最 近 それが海上にま で進 出 するに
至った。 却 ち ロイド ・サパウド汽船舎一祉の汽
グランド放には 、 二五O ワットの
船コ ント ・.
、
投光器六個亭-各煙突の基部に置い て 夜 間汽
併 を 通 過 す る 時 、 或 は 夜 間 入港 し て 貨
加が一近 ・
ど知燃することにしてあ
物搭載を行ふ時な '
ゲ o特 に 後 者 の 場 合 バ 土 巾板 は 煙 突 か ら の 反
射光によって 、軟 かい全般 照 明 を 受 け る こ と
になるとのことである。
世界一 の 白 熱 電 球
世界一 の白 熱 電球と云 ふのは 、 今 の ところ
五0 キ ロワッ トのもの である。これは米 国の
他の自然物 を美 化 する方 法として採用 されて
、
居たが 、 近頃は更に其刑途を庚くし 事務所
、 光
一九 =二 年 の 春 の 市 場 に 陳 列 し 仁もの で
此庭に示した寝具は 、 オスラム電気曾 枇が
商
貝
ジ1 ・ィl曾 枇 で も 、 猫 逸 の オ ス ラ ム 電 気 曾
建築や百貨庖等に府応用して 、其建物の美を護
一恥でも製作して居る。
自動車除を組織し 、 同 放 途 局 の 開 局 さ れ 仁 十
、歴 史 的 建 造 物 、 其
3斗
ロ竜球
オ ス ラ ム の 五Oキ .
放詮局開局祝賀サイモトロン自動車除
一月十一日、同市を廻 り大 宣惇を行つ仁 。 木
溢光照明は従来記念碑
溢光照明の海上準出
タ
ト
、
異主管受信用のサイモ ト ロ ン十種類の 内部
の構造々示した標木や陳列され仁勺ハ A )
牛
一
新 潟 のサイモトロシ 宣一博曾
新潟放念局の開局を祝し 、同地サイモトロ
f製 品 の │ 凍 列
新 潟 ラ ヂ オ 肢 の 本 語:
ンのデイ 1 3! と計 り、 サイモ トロ ン宣惇 の
海
報
新
ダ
ツ
マ
英図 に 於 ける電気 看板 の 移 )
/県民 覧
束は百十高ル l メ ンを出 し、四O ワットの電
球の二千七百五十俗である 。
英図の電気看板移動展
電気 的 の炭告 の需 要 宇一
喚起させるために、
英図 の マスター・ サイ ン製作者協曾では 、電
気 普及命日と連絡を取って 、今春九 週 間 を 費 し
て、英図全土 を巡回した。其 の際に於ける案
莫 を此虞に掲け仁のであ るが 、訪問した町村
では可成 り の興味をもって 泡へ られ仁との こ
とである。
電燈合自社の任務として
ことは 、L なければならぬと一就いて居る c
ヂI・
イI 曾 社 の 伸 線 工 場
震電所もある c 私は汽車から此 の 工場 の所 在
市 に夕方おそく 著 い亡。此 の 町には叉重要な
祉の木枇世に工場の所在地仁る瑞西 の 一小都
﹁
私 か 電気機器 の 製造者とL て有名な某命日
氏の談と L t、次の如、ぎ記事が載 って居る o
度には早速長さ 三 十一伺哩に上ゐ織艇を製作す
醇せられ,八月十五日に完成を見仁か 、 明年
此 の建築は床面積一八五 、0 0
0 平方吹と
同地方 回
収大 の電 孤鈴接によ る建築 争
-行 つ仁
。
外 、南 ユー クリッドに起工、 百一南弗そ投 じ て
場 の新築をオハイオ州 のク リlヴ ラン ドの郊
ヂl eイl曾 枇 で は 橡 ね て 計 劃 中 の仲線工
新築落成
を雌 かめよ ‘フと思 つ仁が、折柄のタ聞でそれ
っ瑞 西工業評論し咋年十二月続にレ l モンド
ら し いもの も認 められな か った。
命
日 つ仁 な ら ば 言 は う と 思 つ 仁 こ と
支配人 に
それで私は接電所 の主任 や電機製造舎一枇の
作加 工 に従事すべき五百人 の 工員とが準備さ
ゐ務定にな って居 り、約 十六高順ω重 石 と 製
力 な投光器を使用して 、溢光照明 を行 ふこと
恐れ ら れて居にワシ ント ン紀念塔は 、 今回強
従来夜間航空上の一陣碍とし て、 航行者に
ワシシトシ一紀念塔の溢光照明
れ仁と の ことである。
V
は 、ムー迄諸国を巡腔L て感じ亡事どもを回想
して、頭の中で突の様 に書一
レ仁のである c
あ な 仁 方 は 先 つ 御 自 分 の 建 物 に 四 方から
溢 光 照 明 を 施 す 必要、かありませ、九叉建物の
庁
上や鋭遁沿路には 電気 サ イ ン を 設 け な け れ ば
なりま せ ん。或は 叉 工場の入 口や成揚を明る
く す ‘べきでせう 。 又 竜 燈命自社は光の噴水 を活
つに り 、名 所 、古践に照明施設をし仁らよい
でせフ 。 斯うしたら始 めて来る旅 人に、其ω
町の印象をどんなに泌くするでせう﹄と。
て居る図では 、都市 の街路照明や交通制 御 般
になった。
氏は尚瑞西の如く観光客を重要な財源とし
を完 備L、他凶と同様 番地 札 を照明する位な
紀念塔の照明
-
.
.
)
;
)
報
新
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マ
報
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ソ
、
マ
かほき
/
1
,
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・
うは告
内イ位
、7 /
ころ
じつのう
番妙だ、といふのですから、賓に妙だ。
'TAこ に う に ん し ん よ う
へん
をと こだう -bく
わr
はやまら伝いといふ噂ですが、その迭の事は、しかと判らない。
うは・2
んなにきかせるのですが、誰も信刑しない。賓の庭、やっぱり遁楽
たれしんよう
と
・ か、この女が、
ふとしたきっかけで、 ふっつりと男遁楽を止め
庭
いくにんだんなを£こだうらく
だ いぢゃ うぷ
ゃう
じ分のない妓花などと言ひます。慮が、この女には、悪い病ひがあ
、 こんE
があるん百相です。
ち
九六U
n
‘r
ある男いか、古人から、この誰も信用してくれない話しといふのを
けいはくこと怯シん
としくじる からおか しいと岡焼き濯が言ひます。浮気だなどといふ
聞かされました。あなたなら解ってくれるだらうといふのです。で
あそ
軽薄な言葉では、てんで感じが出ない‘やっぱり病ひだと申す他は
﹄
江うら く や
兎 も角 、或 ゐ時女はこの男に 、話してきかせたのです.か、女の設
方よりもっと信用できない。
しん、?っ
遁山仰木がやまったといふのです。尤も、これもほんとかどうかも女の
ちっと令んな
方なのですか、この男か、やはり、ふとした事から、ふっつりん対
一
や
ま
この男といふのか、また大愛な遁楽もので、まともな遁びではつま
ャんなあたま
ない。なか/¥利口さうだが、あの女、根は大馬鹿だと言はれてを
らない、妙に悪るかぶってみないと つまらない、これも病ひといふ
す
。
何にしろ、男遁山梨をはじめたの は
、 十八の時、にと言ひま すから 、
ところにうにん
えらいものです。廃炉、古人が莫顔になって言ふには、男遁楽くら
おらしろ
いつまらない ものはな い、いえ、はじ めつから 、面白い なんて思つ
hd色しろ
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むし ろ
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入J - )
によると、面白い遁楽なんでものを止めるのはわけない事だ、
L Mさ
た事はない、一溢もない、といふのです から妙です。つまんない、
なが ふ
しみ仁いに、面白くもなんともない遁楽が、 やまったといふの古か
おも
つまんない、と思ひっ﹀、われ乍ら不思議とやまらない)これが一
ペんめう
£,v
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りますが、ど、フして女にはめづらしい、よく切れる頭をしてをりま
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rや 七
今度は、大丈夫だらうと思ってゐると、版で捺した様に、ちゃん
J
たといふのです。それで、このふとしたきっかけといふ話しを 、 み
3
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って、幾人できても旦那をしくじる。悪い病ひといふのは、男遁山梨
宇く
丘
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顔もよし、襲もあり、客あしらひもい、ので、知らない客は、申
〆?
ら、鈴夜これは有難い話しなのだとかう前官きをするのです o 掠て
い
ノんにん
私の前置きも、 対 町 長 ぐ な り ま し 大 が 、 話 し は 至 っ て 簡 単 な の で
ゆくわい
r、つまらねえ﹂男は、つまらないとは思ひませんでしたが
ペなん
少んが
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抹て、どんな話し
何かな めら れ た 様 な 気 か し て 愉 快 で は あ り ませんでし亡。
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、 と女は思ひまし仁 。
、 つまんない 、 つまんない、と
お前へきんみたいな 、 つんと
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まあし丈姐さん に
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愛 へ て 木 訟 の 事 を 喋 る 事 に 決 め ま し亡
ふと気研一
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岡山ひました。 m刀は、何 か気の 利い た話しを し ようとしてゐまし仁が
ま
J且(似しなさんな﹂とつい口に川し、 女は黙ってゐりやよかっ仁と
おらながふしぎ
思ひ乍 ら、 われ乍ら不思議とやまらない 1││﹂
十 八 の昨 から 、 女遁楽をは じ めて
﹁
、
から 、仕 様 一かない、お皿でも廻しな さい
一あたしの話しを 、
己呉市目に聞いてゐないのだ
この人は 、
HM
﹁じゃ 、俺 の成る程と思ふ話しをしてやらうか
じ Cつよ
つ
ま
す。事賞 、こ の世に 生きる事は 、大 切変むづか しく、こみ入 ってをり
b
L-Jr、yんめい
をじたものかと男は考へまし亡。
はん加がばら
屯一
ん
L
ますが、有りの億九ぞ話しにじてみれ ば 、至極簡明なも ので 、こいつ
ゃう お 色
﹁ふうん
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あニつあゆく日いいヤヤ
、そ
どうにも仕 様ない事 花、と私は忠ひます。
どい V向 、 ら い っ し ょ で
山梨の男を買っ仁。で
さんざん食ひ荒した揚旬 、とうとう 大紳
の大 紳仰木の男と 一緒に、熱海に問掛けたのです。大紳楽の方では、
JE
をんなたいく
田山ひ川町けな い遠 山内で、勇 み立って ゐたわけですが、 二日程逗 留し て
む
ゐると、女はもうや り切れない 程、退屈してしまひまし亡。
おききし
、 差 向ひで御飯を食、へてゐる時、削刀一品 μ、今日は、湯河原の方へ
朝
とつ炉、
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をとこめんくら
、
まはら うなど と話してゐ ると 、突然、 女が つまんないからも、フ蹄
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い 、で せ
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ら うと 言ったのです。男は 、面 食って 、 まあ、 も う
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女は 、別に、嘘だと も木訟だとも思はないで聞いてゐま
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でね 、 ち ょ い と あ の 位 隙 の な い 女 は な か っ 亡 ん で ね ﹂
きほ
﹁おや 、お や、君みたいに
﹁まあ、だまって聞きなさい、どうせ君よ り は 馬 鹿 な 人 で ね
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事情があって 、回一飴遁 で嫌 曳 を して
ゐた。こいつも事情かあって、その旭さんの旦那といふ人が、停車
むりや-ヲだんな
E の桁の事で 、そ の皆さ んと、
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﹁その人はね、君みたいに、何んでも心得た顔をす右のが好きな人
じた 。
だけど
ぽれ亡事がある1lL嘘にしても、づい分と気が利かない、 と女は
了毛
ぅ、さよノ、鈴 から棒 に、蹄らうなん て、 とすっ かり てれて、 お膳の
皮2
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思ってゐるだらうと男は思ひまも 仁
「
上のお皿の締切を、 器用な手つ まで、撮み上けると、持ってゐた箸
いや
、
の先に.ひょいと、 のつけて、 ぷううん と、廻して了 った。
とたん
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そ の途端よ、 あた し は、何んとも彼とも 言 へないくらい厭あな気
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持にな ってーー
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﹁へえ、それ以来、ふ っつり と、かねし
L
フえ、、つ まり悟ったのき
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一どう、何が成る程なんだかわかんないけど、ともかく成る定と思
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ゃん とあるんだよ。断は って置くけ ど 、 話 し じ や お ぢ だ が 、 賞 地 じ
ことお、、むつ
が待ち一以げを食ったといふ冗けの話しなんだが括。話しのおちはち
、
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さ、停車揚め白一
ぺいや汁そのふ こたれ仁といみのはぺつまり、何⋮
つまあ、
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まちあひしつい,、りかん
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奄
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揚の待合室で、女の蹄るのそ待ってゐた。だからほんの小一時間し
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めんだう
か曾ってゐられない。一時間で、高事片をつけなければならない、
かへうすく
それが、何んにもない間合と来てゐるだらう、色々と面倒だっ仁の
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とい ふのさ。それを聞いた時に 、 あ た し は 、 何 ん と も か ん と も 厭 や
あな気持になってね﹂
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法
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程なめさ ﹂ だけど、 女は寸
べ つまんないの 、 何 、
﹁なああん だ
かへるふ
あ仁しの知てる人じゃないのかしらと
をんならつ
1
ひょっとし仁らぺその女は
つけやかれ斗
いふ気持 になりまむた。男は、この女、蛙でも、踏ん 一
と思ひまし丈℃
だ からよ 、そ の蛙の人ほど、フして ﹂
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やけ
た、女は、あたしの手を、ぎゅっと撮って、今まで
円︾ん﹄
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¥仁ぶれまし
一刊し長まともじ聞いてゐ るのかい し男は り
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俺の
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﹁ぴんぴんじて石さに
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うし
ろ 出して、何んとか引一
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回ったかと岡山
い様な、焼つぱちに甘ったるい諜を
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﹁何鹿の人し
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ふと、そのま、、手献じで、ううわああつ一人泣きだした、突拍子も
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、 ぁ、一もちろん 、あっけにとられたさ、何んで泣 古 だした
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そ りゃ
﹁
げ あたりまぺ ‘
よ﹂女は、ゃれ、 やれと思ひまじに。
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んだか見詰がつかないものね、ともかく無一階と甘ったるくなうて手
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そ りゃ 、 一般が、悟 りを 開 か う て え 話 し だ も の 、 こ み 入 っ て ゐ
っ
ら
パ おしまひさし
コセいからっ て
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七、
ろ、ーーーで、あたしがぶ つと ふき 出し たと思ひなさい 、す ると幣引い
﹁わからない
町長
を
とき
や、 そ れ こ そ 何 ん と も 彼 と も厭な気持 でね、
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こ
めう
つ
﹁で、その蹄り遁、薄暗い遁を、だまって歩いてゐると、 女の足も
う
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部あとで人から聞いた九だ一か、その女は、蛙を見ると、廠痢を起す
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かほ
蛸よ、
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とで妙な音がし仁、何か踏んづけ仁のさ。何んだいときくと、 女は
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んだ相だぺいやけ笑ひ事じゃないよ。蛙と問いただけでも蒼くなる
愛之ま
こ
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﹁いえ、 それがさ、 あたしぷ、何んて心ふ事なく、こいつ蛙まで心
ねで
へんな顔 守して、如何したわけか、 そっ一ゆを向いて、憎らしい程、
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え、
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、
﹁は、あん、わか っ仁 、まあ、 いや花、それが、あな仁 の奥さんな
の'
﹂
じよ -3だん
﹁冗談いっちゃいけないよし
。,ほみあは依か
る、
にぶらか
う、 こ の 世 に は ゐ
Lh'た
1
しゃ う じ 告
紳様のお富山みで、 二 人の顔つきは 、蛙かお皿
になりま した。で、仕方がないから、正直に、馬鹿々々しい顔をし
て坐ってゐまし仁が
まはや
イギ リ ス な ら ば
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.幾日
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それ
な 忘 れ 果 て た 様 な 、 う つ ろ な 心が、今夏、 あ な
、 安は歌ってゐたい
1あ仁
F
ud
、コy、
、 馬鹿だ、だけど 、思ひ出
ο
オフェリヤ遺文 ﹄ より
﹃日
みんな 、 知 ら な い う ち
改症十一月務所載小林秀雄氏作
と や ら れ て 了 っ て ゐるのです。
に 、 ち ょ ろ り・
だ。立安だって 、 さ う だ
には合はない生き物です。あなただって
ものは、生き物で士 、到底、人間 なんぞの、手
、 さう
安 に は 、 やっ と わ か っ た 気 が し ま す 。 心 と い ふ
い内γ、 何 も 彼 も 、 安 の 惨 め な 心 、 御 刑 妹 を 取
炉
一
、
ってゐるのかと思へば馬鹿々々しい。今こそ
ρ
が ) 楽 しい程、 阿 呆 で も な い のか しら。
てしまった、成る桂
v ないが、この世に、用が無くなっ
せいだか知 り
ぅ。誰のせいだか 知らないが、ほ んと に 、 誰 の
、 姿 に、何が思ひ出せま せ
めな 心を、 透 さ ず に
、
恕 へば ‘ 悲 し い 夢 許 り 見 続 け て 来 た 、 安 に
、
も 、 子 供 の頃の 、 換 し い 夢 が あ っ た とし ても
閥 、今 の 姿 に 、 何 ん で せ う ο こ の 惨
一
それが 、 一
が あ り ま せ う 。 そ ん な カが あ る の な ら
。
そ必な、::不思 議 な 事 だ
、
台 の 彫 り 物 の 冷 い 凸 川を 撫 で て み た り し て ゐ
、 そんな 力
た い 。 だ け ど 、 も う、 如 何 し て 姿 に
‘一
なにも
耳に側ってみて、ヰの形をしらべてみたり、燭
。
を廻してゐる様なあんばいに見 えた利で す
、 なんだか、わ
Lのでせう心あ L
ο
、 加 の 上 で 、姿 の 事 な ぞ 、 少 し 位
にな ら な ︿ て も い L の に 。 安 は 、 あ な た の事な
、
白分の身の上の事ばかり思ってをりました。
んか、ちっとも考へてはをりません、朝から
、
は 考 へ て ゐ ら っ し ゃ る か 。 姿 の 事 なぞ お考へ
なら)今回は
も 、 海を一世って 、い ら ヲし ゃ る の で せ う
になったと聞きました
らヲ し ゃ る か 。 な ん で も イ ギ リ ス の 方 へ お 立 ち
ハムレット様。今頃は 、 何庭で 、 何 を し て ゐ
けのわからない事を言ってゐます。
どうしたらい
、
悲 し い の で す 。 で も 、悲 し い な ん て 事 は な ん
、 一位 . 安 は
で も な い 、 でも 、 悲 し く な け れ ば
二人 は、顔 守見合はせて、何んとも 言へな い馬鹿々々しい 気 持ち
北女は 、こ んな 日 が 来 る の を 、 前 か ら 知 っ て ゐ
ο 何かしら、約束事めいた思ひがす
、
た の ぢ ゃ な い か し ら 、 ひ ょ っと す る と 生 れ な
い前から
、
安 は 、今 迄 に 出 皮 と な く も こ れ と お ん な じ 気
持 に な っ た や う な 気 が す る 。 今 皮 の も 、亦、 限
、 さうでな
D
め て し ま ふ の か 、 そ し て 、 又 、 は じ め か ら やり
、 それだけです
広 さ な け れ ば な ら な い の か し ら ん 。 い や 、い
や、 こ ん な 静 か な 気 持 を 、 空 々 し い や う に 忠 ふ
のが 、 不 思 議 な の だ
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己
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︿とも、さう決めて置きませう。
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誌は 、 まだ、 何 か に 脅 さ れ て ゐ る の で せ う か
ο 明日は 、も
そ ん な 筈 は あ る ま い 。 明 日 は 、 も う 、 こ の世 に
はゐ な い 身 です
それにしても、安は 、 何 故、 こ ん な も の を 書
た を 悲 し いなどと岡山 ふ 詐 も あ る ま い も の を 。 1
こ と が あ り ま せ う 、 祉 の巾 のこ と わ り は 、 み ん
ない ,身を、何 が 脅 す と い ふ の で せ う 、 誰 が 諒 ず
落着いて
り
き 始 め て し ま っ た の だ ら う 、 何 を 堂聞 くと も わ か
。
ら ず に 白 今 夜 限り の こ の 夜 を 、 何 を 夢 みて 過 す
v
、
事 が 出 来ま せ う 。 も う 安 心 で す 、 今 は 、 何 も
、 安 に、背中 を向けて
彼も終った白何も彼もが
速 く の 主 に 、 歩 い て 行 、きます。姿は
ゐます凸御覧なさい。妾の。へンは
、ちっとも出
、
え て な ぞ を り ま せ ん ‘ こ ん な に 、し っ か り と
挫 の 精 子 に 坐 って 、 大 き な 机 に 、 肘 を つ いて﹄
して、頑丈な
宇を書いてゐます白
若 し も 、 背 し ︿ な っ て 来 た ら 、い つもの一辿り、
ο かう
口 で言へない程 、 悲 し い 口 ま る で 、 お 魚 が 、 一
l l姿 は 、 た ピ 何 ん と も 、
回も一棲んでゐない、海みたいな、安の心が、
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月 日 に 閥 守 な し と 古 人 は 言 っ た が 、 スピ ード時
代の一ヶ年の早いこと。雑誌の編輯などをして 照
ると、ほんとに一年のたつのが早い。一加まとめ
て出したかと思ふと、次の月の準備をしなければ
二月焼を編斡じて、もう十二月かな
ならない,D 十うに驚くやうな始末である。
あ と ‘ 今 夏 の や-
。
界 の た め に、士号ばしい至りで・ある日
方而に於ける有益な研究で、輩外糠利用の方面の
貴重なる文献になることと思ふ。
ζとは驚くべき程である。
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無線界の、進歩も め ざ ま し い も ので 、 特 に 員 空 管
。
昭 和 六 年 中 に 特 筆 す べ き 出 来 事 は 数 々 あ ったが、
方 面 の 異 肱 な 護 達 は 、 短 波 長通信に、長距離無線
電話に貢献した
ー
逓信者工務局技師小野孝氏の﹃検見川怠信所の短
ツケナ1博士の卒
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ゆるツエツペリン飛行船による北秘探険と、ウイ
波無線電話法信機﹄の一文は、最近の無線電話通信
京
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蹴球、水泳、拳闘其の他の各種競技も民衆
恰銅賞
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1 等の
開 拓 の手 配 待 っ て 居る。
ピ凡一テ斗グ内
二 僚沼田四丁目
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電話国九八九
福岡市天制‘町
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電話二一一一六 ・二九 七八・凶七九J五
小倉市大限予何
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小倉ピルヂインタ
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回六一六
電話
・ 二ノ三
箆北市京町
電話国七二三
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京 城府黄金
日本生命保険合枇ピ
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電話二丸八六
大辺市祭町四(連鎖商底街本町通角)
電話国五二五五
恰 爾 築 埠 頭 区 域 段 街 一 四 0・
印刷地
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郵便忍苓品開恰爾築制咋 一
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上海四川路五三出掛
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北門貯蓄
札幌市南
本 誌 掲 載 の ﹃夜 の ゴ ル フ ﹄ の 一 文 も 、 此 の 機 運 の 一
、
端の表れと見ることが出来伊う 。
外照明の腕野が、
そして一般のファンは夜間に於ける是等競技の
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糊憶の自由を得んとの希望に燃へて居る。夜間屋
化 せん としつ Lある 。
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限じかった。野球の如きは既に一般民衆が閥心を
ポ 年 の ス ポ ー ツ‘
界は日米野球戦を加へて一目即日
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ルキンス大尉を首班とする瀞水蹴ノウチラス競に
阪
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に 闘 す る 進 歩 を 詰る 有 益 な 文 章 で あ る
かったことは遺憾であった
大平洋の無着臨飛行が邦人の手によって行ひ得な
40
よ る 北 秘 探 険 と は 世 人 の注 目 を 惹 い た 。
電 気 界 で 忘 れ ら れ ね のは 、 世 界 的 の 大 渡 明 家 エ
同⋮明ω介 の方面に 於 け る 本 年 中 、 特 に 期 若 な 後 遣
‘
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現代の文化の少くとも牛分は翁の努力に負ふと
考へる時、エヂソン翁の再来は望んでも不可能な
ヂソジ翁が十日月十八日に逝去されたことである。
として居る 世
多 難 で あ っ た 昭 和 大 年 も 逝か ん‘
影
一般事業界にも ・
界をあげての経掛界の不況は、 '
の で は な か ら う か と も岡山へる 。
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響を及ぼして 、電気に閲する方面でも、可成り の
であったが、其の根源が深いために、人倍的
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痛手であった。不況に劃する割筑も種々行はれた
島 i
畢都
を 見 せ た のは 、 電 燈 の 輩 外 線 を 利 用 す る 方 面 γ
の進
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u本
誌巻頭の金津市寵示村龍氏の﹃パ
幌
イタライト・ランプを讃ふ﹄の一文の如きは、此の
岡
歩であった
倉
連
主
の手段で は 如 何 と も 拾 牧 が 出 来 説 、 視 も し た ο
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電 気 供 給 方 面 で は 、 サ ー ビ ス の 改 善、が 叫 ばれて、
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事務所東京市芝区芝口一ノ四(新橋際)
表呑抗五五七一
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電 話 銀 座 日 目 五 五 七 九 五 五 七O
銀座交底東京市京橋防一銀座五ノ二
電話銀座五
三 二九
新宿資庖東京市四谷広新宿三丁目十二
電話回谷﹂ハ
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需 川 家 方 而 で も 之れを 認 め る に 至 っ た こ と は .業
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昭 和 六 年 十 二 月 十 五 日 印 刷E 耳¥-部三十五銭
昭 和 六 年 十 二H 二 十 円 強 行 官 官 戸 ﹄ ケ 年 四 国
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大阪市西淀川匿大仁東町二ノ六
榊氾話川町し﹁ 国六 O 一
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京都市下京区四燦泡御波町四
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金海市片町四六
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名古屋市中匿新柳町六ノ三
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電話本局国二五九八
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仙雲市大町五
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束'京 電 気 株 式 合 同 社
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印刷所凸版印刷木所分工場
帥奈川賑川崎市駒川町七ニ
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後行所東京電気株式合同社
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中味が肝心
ともすると摘む電球は不経済な
安球です。中味が肝心。
﹁良い電球は良い工場でなけれ
ば出来ない﹂。こんな筒撃な事を
知ると知らぬで大きな損をする
マツダラ シブは束洋一の大工揚
の優秀ロ聞です。
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