...

大会名:GIRO Donne(ジロデイタリア フェミニン) 日時:7月6日~14日

by user

on
Category: Documents
9

views

Report

Comments

Transcript

大会名:GIRO Donne(ジロデイタリア フェミニン) 日時:7月6日~14日
大会名:GIRO
Donne(ジロデイタリア
フェミニン)
日時:7月6日~14日
場所:イタリア北部
私達のチームはイタリアのプロチームなので、この大会を最重要視してトレーニングしてきた。
しかし、エー
スのモニアが2週間前辺りから体調を崩し、さらにチームの総監督も家族の体調不良のために大会の前半は引率で
きず、最悪の状態でレースを迎える事になってしまった。
大会当日、朝7時半に合宿所を出発し、14時頃ホテルに到着。
落ち着く暇もなく会場に移動。
7月6日、プロローグ、3km。Crocetta-Crocetta
道幅も広くフラット。
走りやすいコース。
昨年まで住んでいた合宿所から7km 程離れた場所だったので懐かしく思えた。
優勝は Pucinskaite。 私は4分20秒でトップから33秒遅れの106位。 厳しいスタートとなってしまった。
7月7日、第1ステージ、150.6km(175km)。
Riese-Pontacchio Poiosino
今日はほぼフラットのコースだが道幅も狭く、小刻みなコーナーがあり、ペースも速いためかなり足を使ってし
まった。
今回のレースは全てのレースが13時前後のスタートとなり、連日40度を超えるイタリアでは暑さと
の戦いでもある。
途中の水分補給の仕方、レース後のリカバリーの仕方、全てが翌日のレースに関係してくる。
レースの中盤から沖選手と私達のチームのアレキサンドラの逃げが決まり、後ろの集団も決して遅いわけではな
いがなかなかその逃げが捕まらない。
私は途中メカトラブルで集団から遅れをとってしまい、カーペーサーで追
いつきたかったが私達のチームは総合監督不在のためカーペーサーができず、一時はこのままリタイアかと思って
焦ったが集団が見える位置まで必死で追いつき、そこからは他のチームがカーペーサーをしてくれて集団に復帰す
る事ができた。
プログラムには、今日のステージは150km と書かれていたし誰もが150km だと思い疑わなかったが、15
0km を過ぎてもゴールは見えない。
155km 付近で残り20km の看板が見え誰もが唖然とした。
その地点
で沖さんとアレキサンドラはまだ逃げ続けていたが、残り10km の地点で集団に吸収。
もし150km のレースだったら、90パーセント沖さんが勝っていた。 日本人としてジロのステージ優勝がで
きるチャンスを逃してしまっただけに、自分の事ではないが本当に残念に思う。
レースは最後集団スプリントとなり、優勝は、Safi PastaZARA Bronzini。 私達のチームはモニアが8位でゴー
ルした。
7月8日、第2ステージ、119.7km。
Correggio。
13.3km の平坦の周回を9周回。 スタート、ゴール付近の約1km がパヴェになっていて危険な箇所に思え
た。
スタートしてすぐに自転車同士が絡まりストップしている選手も見られたが、大半の選手は落ち着いてパヴ
ェをこなしていた。
ゴール前1キロ辺りからコーナーも多く道幅が狭くなる場所もあるので、私はできるだけ集団の前に位置どる事
を心がけ、それなりに落車やトラブルに巻き込まれないように心がけた。
今日のレースは、明日行われるヒルク
ライムの個人タイムトライアルに備える選手が多いために比較的ゆっくりとしたペース。
明日のヒルクライム、そして明後日から山岳ステージが始まる。
ジロはまだ始まったばかり。
しかし、私達のチームの若手は暑さとタフなレースで疲れが見え始めている。 ジロは他のレースとは異なって、
本当に強い選手でないと勝負できないし、それに向けて集中できてない選手は完走すら難しい。
優勝は Marianne Vos。
私は61位、集団ゴール。
Safi の Ziliute が今日のステージで2位に食い込んだ事に
よりリーダージャージが Pucinskaite から Ziliute に入れ替わった。
7月9日、第3ステージ、10.2km。
標高差約750m を10.2km で登る。
個人タイムトライアル。
Buti-Prato a Calci。
トスカーナ州の Monte Serra という山でレースは行われたのだが、
この山は多くの自転車レースの舞台になっているようで、イタリアの自転車選手なら誰もが知っている山らしい。
今日のステージでリーダージャージも変わってくるし、今後のレース展開も大きく左右される大切な日だ。
監督から、今日のステージは私にとっては大事なステージだとハッパをかけられていたので入念にアップをして
臨んだが、スタートしてからずっと足が重く感じられ、踏む事ができず回転でごまかすしかなかった。 2km 近辺
からギアがずっとインナーの25に入りっぱなしだった。
結果は勿論良い訳がなく、トップから分遅れの5分15秒遅れの47位。 エースのモニアも走れていなかった。
夜は監督がホテルに来て私やモニアに対して怒っていたが、明日のステージに向けてマッサージをしてくれた。
優勝は Pucinxkaite。
その結果、彼女がもう一度リーダージャージを手に入れた。
7月10日、第4ステージ、129km。
今日から山岳ステージが始まる。
Novara-Novara。
そして、昨日のレースでドイツのヌーランバーグ、プリンスカイテに優位
に働く展開になったが、これからの始まる山岳ステージでイタリアのマネキーニやスイスのビグラが攻撃する事は
確かだ。
私達のチームは、昨晩から総監督が来てくれているので車からの補給も楽にできるし、パンク等のトラブルか
らの復帰も簡単にできる。
それに無線もある。
気持ちを落ち着かせてスタートできた。
今日と明日のステー
ジは山岳の大事なステージでもあるので、付き添ってもらえるようだ。
今日のコースは35km 近辺からカテゴリー3級の登りがあり、それを下ってすぐにカテゴリー2級の登り、それ
が終わるとすぐに3級の登りが始まる。 55km 近辺までアップダウンが繰り替えされるが、それが終わったら湖
に下り、その後はほぼ平坦。
一つ目の登りは距離も短く難易度も低いので集団のまま坦々と登り続けたが、その後のGPMでない登りが以外
ときつく集団は一気にばらけ始めた。 私は調子が良く、全ての登りをトップ 10 辺りでクリアする事ができ、やっ
と良い感覚がつかめ始めてきた。
3つ目のGPMを超え、長い下りを過ぎたら集団はほぼ一つになり、その後はペースが速いままゴール勝負へ突
入。 しかし、ラスト3km 地点で大きな落車が発生し、その中にリーダージャージや沖選手も含まれていた。 私
はあと一歩のところで落車から逃れる事ができた。 時速50km 近くのスピードでの落車だったので改めてジロの
厳しさを実感した。
優勝は、T-mobile、Ina Teutenberg。
7月11日、第5ステージ、103.4km。
Cittiglio-Cittiglio。
2008年のロード世界選手権が Cittiglio で行われるため街全体が盛り上がっていて、3月に行われた女子の
レースも盛大だったし、今回のコースも起伏に富んだ良いコースだった。
コースはカテゴリー2級の山を含む約34km の大周回を2周し、その後すぐに標高差約350m のカテゴリー1
級の山を一気に上り、湖に下って、約93km 近辺に約1km10%の登りがあり、ゴール。
今回のジロのコースで一番の難所と思われた。
のプリンスカイテはスタートしていた。
沖選手は昨日の落車で頭を打ちリタイア。
リーダージャージ
同じ日本人として沖選手のリタイアは本当に残念だった。
最初の大周回はペースが速い訳でもなく遅い訳でもなく坦々と進んだ。
私は中千切れが恐かったのでできるだ
け集団の前方にいるように心がけたが、逆に無駄足を使う結果になってしまったかもしれない。
毎日たくさんの水分を補給するので内臓機能が低下している事も気になった。
別れ、その後の下りや平坦でアタックが繰り返された。
また暑さのため
各周回ごとの登りで集団が大きく
私達のチームは登りの頂上でエースのモニアと私しか前
方の集団に残る事ができないので、私はその後のアタックにできる限り反応するようにした。
周回コースを2周した頃、いくつかのアタックは吸収され大集団になり、そのまま勝負所の山に突入。
タック合戦を終えた頃から疲れを感じ始め、登り始めてすぐに第1集団から取り残されてしまった。
私はア
その後はで
きるだけイーブンで登りを克服するように努め、下りでできるだけ前の集団との差を詰め、その後の平坦で何とか
トップ集団に追いつく事ができた。 しかし登りと平坦でかなり足を使ってしまって、その後の1km の急勾配の登
りに耐える事ができず千切れてしまい、最後の10km は一人になってしまいそのままゴール。
自分なりにベストの走りをするためのレースの仕方を考えさせられる一日だった。
優勝は、Bigla Nicole Brandli、逃げ切り勝利。
その結果総合1位の Pucinskaite と2位 Brandli との差が18
秒に縮まった。
7月12日、第6ステージ、128.7km。
Cornaredo-Cornardo。
14.3km のフラットの周回コースを9周回するコース。 コースは曲がりくねっていたり道幅が狭いセクショ
ンがいくつもあるが、ジロが始まって以来そのようなコースが多いのでだんだんと慣れてきている。
それよりも
レースも後半になり暑さも重なり、多くの選手が集中力を失っているため落車や中ちぎれのリスクが恐い。
レースはスタートしてすぐにマニキーニのアタックから始まり、その後もずっと速いペースで展開された。 私
にとってはペースが速い分、足のない選手が集団の前方に来れないので楽な展開。
に反応するほどの集中力はなかった。
しかし、いくつかのアタック
優勝は、T-mobile、Judith Arndt。チームからは、モニアが10位につけた。
7月13日、第7ステージ、120.8km。
私は57位で集団ゴール。
Lazzate-Cogliate。
約17km のほぼフラットのコースをほぼ7周するコース。 昨日に引き続きフラットメインのスピードコースだ
が、途中パヴェのセクションがいくつかあり、コースの難易度も高いので、地足のある選手に有利に働くと思われ
た。
レースは昨日と同じように、足の無い選手は中千切れを起こしたり落車を起こしたりして危険な場面も何度かあ
ったがレース中盤あたりから走りやすくなった。
私達のチームからも何度かアタックに反応し逃げにのったが結局ゴール勝負となり、Ina
テージを制した。
Teutenberg がこのス
モニアは10位に食い込み、私は52位で集団ゴール。
Pucinskaite がマリアローザを着続けているが、Blandli も18秒差につけており、勝負は最終ステージに持ち越
された。
7月14日、第8ステージ、106.4km。
Seregno-Seregno。
今日が最終ステージ。 コースは前半50km はほぼフラットだが、その後アップダウンが始まり、68km 地点
からカテゴリー2 級の山岳、下ってすぐに77km 地点付近からカテゴリー1級の山岳が始まり、すでに8日間戦っ
てきた選手には酷なコース設定。
10km 地点から始まる1km くらいの丘ですでに集団から千切れる選手が現れ、その後も丘の度に集団が小さく
なっていった。 68km 地点から始まるカテゴリー2級の山が以外ときつく、またしても私は第2集団に取り残さ
れてしまいその後はゆっくりとゴール。
優勝はポイントジャージ着用の Svetlana Bubnenkova。
それにより、総合の座は動かず、Pucinskaite。
私にとってジロデイタリアは初めての体験だったがその他のヨーロッパのレースとは異なり、本当に強い選手に
しか戦う権利を与えられないレースだと思った。
来年、もしまたジロを走るチャンスが与えられるのなら今回の
経験を生かし、上位に食い込めるようなレースができるようにこれから精進していきたいと思った。
今回、ジロを走るにあたり、皆さんから多大なご協力、支援、励ましを頂きました。
ました。
本当にありがとうござい
Fly UP