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ÛŒâ‚è No.562

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ÛŒâ‚è No.562
Sakaguchi Isao
はじめに
戦争は依然として発生しているものの年間平均戦死者数は第二次世界大戦後大幅な減少
トレンドが続く(1)。戦間期にみられた保護主義の応酬や通貨の切り下げ競争は現在ではまっ
たくみられず、世界の貿易は拡大を続けている。途上国の貧困問題は依然として大きな課
題であるが、識字率、乳幼児死亡率、平均寿命は大きく改善している。基本的人権が守ら
れていない国が少なくないことは事実であるが、全体的にみれば第二次世界大戦後、世界
の人権状況は漸進的ながら大幅に改善されている。いずれも戦後、国際連合およびその専
門機関が中心となり、さまざまな条約・協定を締結し、グローバルな諸課題に取り組んで
きた成果である。つまり、曲がりなりにも中央政府不在のアナーキーな国際社会が「グロー
バル・ガヴァナンス」への取り組みに対し評価に値する一定の成果を上げてきたと言える。
では本稿で取り上げる地球環境問題はどうであろうか。そもそも上述の伝統的なイシュ
ーでは、終戦前および終戦直後から国際社会の積極的な取り組みが始まったのに対して、
地球環境問題がグローバルな課題として認識されるようになるには 1972 年の国連人間環境
会議を待たなければならず、1992 年の国連環境開発会議を経てようやく国際社会の最重要
課題のひとつとして認識されるようになった。環境分野における条約形成はスロースター
トであったものの、その後制度構築が急激に進むことになる。例えば、締結された条約や
協定は 1970 年代までは年平均で一つであったが、1980 年代以降はそれが五つにまで増加し、
現在では総数200 を超える環境条約が締結されている(2)。
しかしながら、数のうえでの急増に反比例するかのごとく、地球環境ガヴァナンスへの
取り組みは惨めなほどの失敗を示し続けている。2005 年に発表された Millennium Ecosystem
Assessment によると、地球のあらゆる「生態系サービス」の約 60% が悪化または非持続的に
利用されている。世界の漁業資源の約 75% は持続的な水準を超えて乱獲されている。また、
ほ乳類、鳥類、両生類の約 30% が絶滅の危機にさらされており、生物多様性の宝庫とされ
る熱帯雨林は、放牧地化・耕作地化および木材の伐採のために急激な減少を続けている。
生物多様性条約、ラムサール条約、ボン条約、ワシントン条約、国際熱帯木材協定、漁業
資源保護のための諸条約が締結されているのにもかかわらずである。さらに、地球の温暖
化の進展に伴い、南極を覆う氷の量はここ 10 年ほどの間に急激な減少を示している。京都
議定書が締結されたにもかかわらず地球全体の二酸化炭素(CO2)の排出量は増加の一途を
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地球環境問題とグローバル・ガヴァナンス
示している(3)。もちろんオゾン層保護レジームのようにすでに適切な規制措置がとられ、問
題解決へと着実に前進しているものもなかには存在する。しかしながら問題解決レベルで
効果的であると断言できるようなレジームは数えるほどしか存在しない。ありとあらゆる
環境分野で多数の条約・協定が締結され、レジームが構築されているのにもかかわらず、
なぜこのような悲惨な結果となっているのであろうか。これは上述の他の分野での取り組
みがそれなりに進んでいるのとはきわめて対照的である。
地球環境ガヴァナンスを阻害する要因には種々のものが存在する。例えば、地球環境問
題に内在する高度な不確実性は政策決定者に行動をとらないことの便利な言い訳を提供す
る。また、規制措置の導入の効果は次世代または数世代先にしか現われないことが多い。
つまり、コストは現役世代に集中するのに対して利益は将来世代に集中する。残念ながら
次の選挙に一喜一憂する政治家の遠い将来の利益に対する「割引率」は著しく高い。さら
に、途上国と先進国間の環境保護に対する考え方の違いも地球環境ガヴァナンスを阻害す
る大きな要因となっている(4)。しかし、地球環境ガヴァナンスはこれらの問題がたとえ解消
されたとしても、協力が容易には成立しないより本質的な障害を抱えている。それは、以
下で述べるとおり、地球環境ガヴァナンスが供給しようとする財の性質に由来する。
1 地球環境ガヴァナンスと共有プール資源
グローバル・ガヴァナンスは、国家、国際機関、非政府組織(NGO)、企業などのさまざ
まなアクターの参加により地球規模の問題群の解決を目指すものであるが、端的には地球
公共財の供給問題として考えることができる。公共財とは「非競合性」と「非排除性」の
二つの要素により特徴づけられる。換言すれば、公共財とは利用しても減らず、また利用
者を排除することが困難な財(例えば港の灯台など)のことである。公共財はその非排除性
からフリーライドが可能であるため、常に過少供給の問題を抱えている。特に、アクター
の数が大きいほどフリーライダーが発生しやすく(いわゆるラージ N の問題)、
「囚人のジレ
ンマ」の非協力解に陥りやすい(5)。このことはより多くの国にまたがるグローバルな問題で
あればあるほど協力が困難であることを示唆する。
上述の二つの要素を満たす地球公共財の例として世界平和が挙げられるが、国際社会で
は公共財の定義を厳密に満たす財は数少ない。むしろ地球公共財には非競合性と非排除性
のどちらか一方しか満たさない財、つまり「準公共財」が圧倒的に多い。例えば、世界貿
易機関(WTO)レジームが供給する自由貿易という財は、非競合性を満たすが非排除性を満
たさない「クラブ財」である(他に北大西洋条約機構〔NATO〕や北米自由貿易協定〔NAFTA〕
。なぜなら、WTO というクラブに加盟していない限り WTO レジーム下での自由貿易
など)
の利益は権利として保障されないからである。
これに対して、非排除性は満たすが非競合性を満たさない財は「共有プール資源」と呼
ばれる。生物資源は共有プール資源の典型例である。地球環境問題のなかでも大気環境は
しばしば公共財として扱われることが多いが、実際には共有プール資源としての特徴を強
・ ・
くもつ。確かに、きれいな空気はその利用(便益の享受)において非排除性と非競合性をも
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地球環境問題とグローバル・ガヴァナンス
・ ・
つが、その供給(創出・管理)において非競合性を満たさないのである。これは、きれいな
空気を生み出す「汚染吸収源」が競合性をもつためである(6)。
効果的な地球環境ガヴァナンスのためには強固なレジームを構築する必要があるが、こ
の点において共有プール資源はクラブ財に対して大きなハンディを負っている。一般的に、
クラブ財は共有プール資源と比較してフリーライダーの問題への対処が容易である。これ
はクラブ財が排除性をもっているためである。つまり、クラブ財では、裏切り者ないし非
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協力者を選択的に財の利用から排除することができるため、ネオリベラリストが論じるよ
うに中央政府が存在しなくても財の供給・管理がなしえるのである(7)。ゲーム論的には囚人
のジレンマの無限繰り返しゲーム下において「しっぺ返し戦略」が協力解を相対的に容易
にもたらしうることを意味する(8)。
これに対して、フリーライダーを利用から排除することが困難な共有プール資源では、
しっぺ返し戦略は有効な戦術ではなくなる。もちろん 2 人ゲーム(二国間条約など)であれ
ば、いずれの財においても非協力に対して、非協力で応酬することによりフリーライダー
に効果的に報復することができる。結果はパレート劣位の非協力解(ナッシュ均衡解)であ
るが、
「カモ」にされるよりはましとなる。しかし、アクターが 3 人以上(多国間条約など)
になると、フリーライダーに対する報復としての非協力は協力を続ける他のアクターに対
する裏切りになってしまうため容易にはとれない。それ以上にアクターが多数である場合
は、少数の国がただ乗りしたとしても他の国々は協力を続けることにより協力体制が消滅
した場合よりも全体としてはより多くの利益を得られることが多くなる。その結果、フリ
ーライドによる損失(財の目減り)が協力を続けるグループが享受する利益を超えるまで、
報復をおそれることなくフリーライドすることが可能となる。そして、損失が利益を上回
った時点で協力を続けていたグループも非協力へと転じる。
しかし、共有プール資源は競合性の性質をもつため、フリーライドであれしっぺ返しで
あれ、非協力の選択は財の目減りをもたらす。つまり、フリーライダーにしっぺ返ししよ
うとすればするほど「コモンズの悲劇」へと加速度的に近づいていくのである(9)。不幸なこ
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とに地球環境の多くは不可逆的な性質をもつため、非協力の最終的な帰結は二度と取り戻
すことのできない地球環境の喪失、ゲームそのものの消滅を意味する。このように非排除
性、競合性、不可逆性により特徴づけられる地球環境問題では、協力はアクター間の相互作
用の反復を通じて自然と発生するとするネオリベラル的な処方箋が機能しないのである(10)。
地球環境ガヴァナンスに向けた取り組みが停滞している大きな理由がここに存在する。
なお、ある国の領土または領海上に存在する生物資源や生態系環境(湿地、森林など)は、
いかに「人類共通の財産」と呼ぼうとも、またたとえ人類全体の利益に貢献するとしても、
法的には一国の排他的管轄権が適用されるため、国境を横断して移動する野生生物を除く
と共有プール資源とは言えない。つまり、国際平面では非排除性も非競合性も満たさない
「私財」として位置づけられる。森林レジームが事実上ノン・レジーム状態にあり、ラムサ
ール条約が加盟国の自発的な努力(湿地の登録・保護)に全面的に依存している最大の理由
は、各国が保有する私財を集合的に管理することが、主権国家システムのもとでは著しく
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地球環境問題とグローバル・ガヴァナンス
困難であるからである。私財として特徴づけられる地球環境の保全のためには、義務性の
高い条約や協定の構築はそもそも困難であるため、学習(例えばラムサール条約におけるワイ
、能力構築(例えば地域共同体の参加に基づく森林管理)を促し、
ズ・ユースのアイデアの普及)
また保護努力に報いるための大規模なサイドペイメントを組み込んだガヴァナンス・シス
テムを構築する必要がある。
2 地球環境ガヴァナンスとレジームの有効性
以上論じてきたように、地球環境ガヴァナンスは構造的な困難に直面している。この困
難を乗り越えるひとつの手段は、強制力をもった中央政府、つまり世界政府の設立である
が、そのような試みが近い将来に実現する見込みはまったく存在しない。地球環境ガヴァ
ナンスへのいまひとつの手段がすでに何度か言及してきたレジームの構築であり、それは
「政府なきガヴァナンス」を追求するものである(11)。
レジームはアクターの期待を収斂させることにより国家間の協力の促進に寄与するが(12)、
その形成、発展プロセスは、知識、利益、パワー、規範などさまざまな要因の影響を受け
て進んでいく。地球環境レジームの形成、発展プロセスに関する研究は 1980 年代末から精
力的に行なわれてきた(13)。しかし、多くのレジームが効果的な取り組みに失敗していたこ
とから、1990 年代に入ると地球環境レジームの「有効性」に関する研究に学術的な関心が
集まるようになった(14)。これらの研究はさまざまな地球環境レジームの有効性を比較分析
することにより、レジームの有効性を左右する要因を明らかにし、究極的にはより効果的
な「レジーム・デザイン」を明らかにすることを目指している。
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一概に有効性と言ってもその捉え方にはさまざまなものがある。例えば、問題解決とし
て有効性を捉える論者がいる一方で、そもそもレジームがどの程度問題解決に対して有効
であったか測定することは困難であるとの見地から、レジームに参加するアクターの行動
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の変化に着目すべきであるとする論者もいる。行動の変化として有効性を評価することは
方法論上賢明な選択かもしれないが、レジームが対象とする問題の解決との連関が不明確
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になるという欠点を抱える。より中庸の立場としてレジームによる相対的な改善を指標と
するものがある。これは反実仮想的にレジームが構築されなかった場合(NR: non-regime
counterfactual)と比較してレジームの存在が環境の改善に寄与した程度を有効性の指標とし
てみるものである。この有効性概念をさらに洗練化したものが「オスロ・ポツダム解法」
(Oslo-Potsdam Solution)である。これは、集合的最適状態(CO: collective optimum)と上述の NR
の差を分母に置き、分子にレジームが実際に達成した状態(AP: actual performance)とNR の差
をおくもので、端的には、有効性=
(AP −NR)/
(CO −NR)
、として表現される(15)。
有効性研究は 1990 年代後半には一種ブームとなっていたが、概念や定義に関する論争に
労力を費やすあまり、有効性の条件や経路について一般的な理解の域を超えるものを提示
できずにいた。また、特定の条件においてどのようなデザインのレジームが高い有効性を
もたらすのかほとんど明らかにできずにいた。この停滞を打破するきっかけとなったのが
マイルズ(Edward L. Miles)らの共同研究である(16)。彼らの研究は、問題を「悪性」と「良性」
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地球環境問題とグローバル・ガヴァナンス
に分けて分析することにより、レジームの有効性における「問題構造」の重要性を照らし
出すことになった(17)。つまり、あるレジームが他のレジームよりも有効性が高いのは、た
だ単に前者が対象とする問題の構造が後者が対象とする問題の構造よりも良性であったか
らにすぎないという可能性が存在する。この場合、レジーム自体の本質的な有効性、特定
のレジーム・デザインが有効性に影響を与える程度は、問題構造をコントロールしない限
り明らかにならない。なお、問題構造を構成する要因にはさまざまなものがあるが、代表
・協調問題(collaboration problems、
的なものとしては、①調整問題(coordination problem、良性)
、②分配の問題(大きいほど悪性)、③アクターの数・非対称性(大きくなるほど悪性)、
悪性)
④川上川下、風上風下の関係にみられるような非対称性(非対称的であるほど悪性)、⑤不確
実性(高いほど悪性)、などが挙げられる(18)。
また、問題構造はレジームの制度デザインに大きな影響を与えると考えられている。こ
の点において、コレメノス(Barbara Koremenos)らは、そもそも国家は共通利益を達成する
ために合目的的に制度を構築するのであるから、その制度デザインは問題構造(彼らはこれ
を独立変数と呼ぶ)を反映して合理的に構築されるはずであると論じる(19)。彼らが提起する
仮説から地球環境イシューに関連性が深いものをいくつか取り上げてみよう。まず、コレ
メノスらはアクター間の非対称性が大きい問題ではイシュー・リンケージを可能にするた
めレジームのスコープは広くデザインされるであろうと論じる。実際、地球環境問題では
環境問題への敏感性が高い先進国と開発志向が非常に強い途上国という非対称的な国々が
アクターとなるため、開発の問題とイシュー・リンケージされる傾向がみられ、途上国に
対する資金供与や技術移転の規定をもつものが多い。
また、コレメノスらは問題解決に貢献するアクターの非対称性が高いほど、投票規定も
非対称的になると論じる。この説は、より多くの資金を提供するなら、あるいは問題の解
決に不可欠な役割をもつなら、そのアクターは多くの影響力を要求するはずであるとの考
えに基づいている。実際、地球環境ファシリティー(GEF)の理事会の決定には一国一票で
4 分の 3 の多数の賛成が必要であるが、これに加え拠出金額に基づき加重配分された票数で4
分の 3 の多数の支持を要件としている(20)。同様に、国際熱帯木材機関(ITTO)では木材の輸
出量または輸入量に応じて投票数が配分されている。さらに、彼らは、不確実性が高いほ
ど新しい科学的・技術的知見に対応するために制度は柔軟にデザインされるであろうと論
じる。例えば、ワシントン条約では最新の情報に応じて規制措置を適宜変更できるように
コンセンサスではなく 3 分の 2 の多数決制度が導入されている。このように形成された地球
環境レジームの制度デザインには問題構造を反映しているものが数多く観察される。
有効性との関係については、コレメノスらは合理的な制度デザインが有効性に寄与する
ことを仮定している(21)。つまり、問題構造を無視した非合理的な制度デザインは有効性にマ
イナスに作用すると。しかしながら、ウェント(Alexander Wendt)が指摘するように、合理
的な制度デザインと有効性の関係は必ずしも明確ではない(22)。これは、彼らが考える合理
性の意味が必ずしも有効性の観点からの合理性と整合していないためである。つまり、彼
らが合理的な制度デザインとして提案するもののなかには、問題解決のために必要なもの
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地球環境問題とグローバル・ガヴァナンス
として提起されているものだけでなく、アクター間の力関係からそうならざるをえないも
のとして提起されているものも含まれているからである。上述の ITTO の投票制度がその典
型例であり、まさしくその投票数の配分方法が持続的な熱帯木材取引の実現を阻害してい
る。むしろ、ワシントン条約のように一国一票の平等な投票制度のほうが持続的な取引に
寄与すると考えられるが、問題はそういった制度を導入できなかった点にある。
同様に、たとえ特定の(合理的な)制度デザインが有効性に大きく貢献することが明らか
になったとしても、アナーキーな国際社会でそれが政治的に実現可能かどうかはまったく
別問題である。換言すれば、地球環境ガヴァナンスを阻害する最大の問題は制度デザイン
の問題ではなく「政治的意志」の欠如の問題になる(23)。このことは、問題構造の特性を理解
したうえで制度のデザインを工夫したり、より強い権限をもった国際機構の構築に取り組
んだりするだけでは多分に不十分であり、政治的意志の問題、言い換えれば「環境規範」
の浸透の問題に正面から取り組む必要性があることを示唆する。
3 オゾン層保護レジームと地球温暖化防止レジームの比較分析
問題構造が良性であればあるほど合理的な制度デザインないし強固な制度を構築するこ
とが容易となり、レジームの有効性は自ずと高くなりやすい。逆に問題構造が悪性であれ
ばあるほど、制度デザイン以前の問題としてまず政治的意志の問題が重要となる。この点
を照らし出すために、同じ問題群にあってまったく異なる展開をみせているオゾン層保護
レジームと地球温暖化防止レジームを比較検討し、次節で解決のための糸口を探る。
オゾン層保護レジームは、1987 年にモントリオール議定書が採択されてから数年ごとに
新しい科学的・技術的知見に対応して規制措置の強化が繰り返され、2000 年までにCFC(通
称フロンガス)、ハロンが全廃されることになった。しかも、先進国のみならず途上国から
も幅広い参加を得ている。その結果、大気中のオゾン層破壊物質(ODS)の濃度は大幅な減
少を示し続けており、最新の予測によると 2069 年には南極上空のオゾンホールも消滅する
と予想されている(24)。つまり、オゾン層保護レジームは集合的最適状態(CO)に近づいて
いると言える(25)。
オゾン層保護レジームが模範的な事例と言われるほどの成功を収めているのに対して、地
球温暖化防止レジームは「硬直化」したレジームと評されるほど混迷状態にある。1997 年
に締結された京都議定書は先進国平均で 5.2% の温暖化効果ガスの排出削減目標を設定した
が、発効までに 7 年も要し、しかも最大の排出国のアメリカは途上国が削減義務を負ってい
ないことを理由に議定書から離脱している。日本や欧州連合(EU)は議定書にとどまって
いるものの、CO2 排出量を大幅に増加させており、削減目標値の達成は悲観的な状況である。
そもそも、京都議定書の規定が仮に完全に実施されたとしても、まったく実施されなか
ったときと比較して、2100 年の気温の上昇をわずか 0.1 度押し下げる効果しかもたない(26)。
つまり、京都議定書は問題解決の観点からはノン・レジーム(NR)と変わらず、温暖化の
防止はすべて京都議定書後の規制措置の強化に委ねられている(27)。にもかかわらず、さらな
る削減措置をめぐる交渉は、先進国と途上国の激しい対立と相互不信により完全に行き詰
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地球環境問題とグローバル・ガヴァナンス
まっており、新たな科学的知見や技術的発展に照らし合わせ建設的に議論することすらで
きない状況にある(28)。このように、温暖化ではスタート地点から前進さえできないでいるの
である。
同じ大気媒介型のグローバルな問題であるにもかかわらず、なぜ両者の間にこれほどま
での差異が生じてしまったのであろうか。確かに、モントリオール議定書は(合理的な)制
度デザインの観点から非常に優れたフレームワークをもっている。例えば、数年おきに規
制措置を滞ることなく強化できたのは、3 分の 2 の多数決(29)で削減措置の前倒しを可能にす
る「調整」という柔軟な制度が設けられていたためである。さらに、先進国だけでなく途
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上国からも幅広い参加が得られたのは、レジームのスコープを拡大することによりクラブ
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財的な要素が多数組み込まれたためである。具体的には、モントリオール議定書では加盟
国間でのみ規制対象物質の国際取引を認め、また途上国に対しては、10 年間の猶予期間に
・ ・ ・ ・ ・ ・
加え、削減義務を履行するうえで追加的に発生する費用をすべてカバーするために 1991 年
にモントリオール議定書多国間基金が設立されている(30)。これらのインセンティブなしには
これほど幅広い参加を得ることはできなかったであろう。
これに対して、京都議定書では非加盟国との貿易制限措置は盛り込まれておらず、また
ほとんどすべての決定にコンセンサスを要求するきわめて柔軟性を欠いた制度設計になっ
ている(31)。さらに、途上国に排出削減義務を求める代わりに先進国がその追加的費用を負担
するような仕組みもなければ、そのような意思表示もみられない。このように京都議定書
の制度デザインは非常に非合理的に設計されており、有効性が低いのも無理はない。
しかし、そもそもモントリオール議定書と同じような制度デザインをなぜ京都議定書で
は導入できなかったのであろうか。これは一見同じ悪性の問題構造にみえても、温暖化防
止レジームではその悪性度が著しく高いためである。つまり、関係する経済的利害の規模
がまったく異なるのである。例えば、CFC などの ODS の削減費用は CFC の最大の製造国で
あったアメリカですら国内総生産(GDP)のわずか0.001%にすぎない。このレベルではたと
え出し抜かれたとしても国家のパワーに影響を与えることはない。それ以上に、アメリカ
では皮膚ガンの増加に伴うコストが ODS の削減コストを 100 倍以上も上回ると見積もられて
いた(32)。つまり、規制により純利益が出る状態であった。そのため、アメリカは、世界最
大の市場に由来するパワーを背景に、ODS および ODS を含む製品の禁輸措置の脅しをちら
つかせながら規制に消極的な国々に強い圧力をかけるなど、強力なリーダーシップを発揮
していた(33)。
一方、温暖化防止のために必要な費用は GDP の数 % にも上ると見積もられている。もち
ろん、温暖化による被害も同水準に上ると見積もられているが、GDP で数 % となると長期
的には国家間のパワー関係に影響を与えるレベルの問題であり、協力をより難しくする
「相対的利得」への関心を惹起する(34)。もし、モントリオール議定書と同じように先進国が
途上国の削減義務の履行費用を肩代わりするなら、先進国の費用は(おそらく GDP の 5 ― 6%
前後に)倍増することになる。同様に、3 分の 2 の多数決制度を導入すると、国民 1 人当たり
の排出量が突出して高いアメリカは、途上国と EU ・日本の連合により過大な削減義務を負
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地球環境問題とグローバル・ガヴァナンス
わされるおそれがある。対策費用の莫大さを考えると、負担を負わされた側は、競争力、
経済力の低下にさらされ、長期的にはパワーの衰退につながる。つまり、京都議定書でモ
ントリオール議定書と同じようなレジーム・デザインを導入できないのは、そのようなデ
ザインが長期的にみて国家の生存、安全を脅かしかねないからである。
温暖化の防止がすべての国にとって望ましいものであっても、国家の生存や安全に影響
を与える問題では、ネオリアリストが論じるように絶対的利得よりも相対的利得への関心
が強くなり、協力はしばしば困難となる(35)。もちろんクラブ財のようにフリーライダーを効
果的に排除可能であり、ゲームが無限に繰り返されるのなら、GDP を左右するほどの問題
(例えば貿易)でも協力は可能である。しかし、執行の問題を抱えるグローバルな共有プー
ル資源では協力の展望は著しく低くなる(36)。長期的に国家の相対的なパワー関係に影響を与
えることを考えると、中国やインドを含む途上国の削減義務について何ら見通しが立って
いない状況で、アメリカが京都議定書に復帰する可能性は低いであろうし、アメリカを欠
いた状態で日本や EU が真剣に履行に取り組むとも考えがたい。同様に、先進国を追い上げ
る立場にある中国やインドなどの途上国が、先進国の義務が履行されず、また追加的負担
に対する資金供与の約束が行なわれない状況で、排出削減に応じるとも考えにくい。その
結果は囚人のジレンマの非協力解であり、そこから抜け出ることは容易ではない。
4 地球環境ガヴァナンスとボトムアップ・アプローチの可能性
ここまで国家は一枚岩の合理的なアクターであると仮定し、いかに地球環境分野での協
力が困難であるかを説明してきた。では、地球環境ガヴァナンスは悲劇を運命づけられて
いるのであろうか。答えは否である。確かに、国家は一元的で合理的なアクターであると
仮定する限りよほどの幸運に恵まれない限り悲観的にならざるをえない。しかしながら、
アクターに影響を与えるのは「結果の論理」だけではない。19 世紀にイギリスが人道的な
観点から GDP の 2% 弱を犠牲にして奴隷貿易を一方的に廃止したように、アクターはときに
「適切さの論理」から大胆な行動をとることがある。このような高い費用のかかる規範的行
動は規範の浸透の結果として生じる(37)。つまり、強力な制度の構築は「規範のライフサイク
ル」の早い段階では困難であり、規範の浸透を待たなければならない(38)。
通常レジームは学習の場を提供することによりアクターの規範の内面化を促すと考えら
れている。しかしながら、硬直化した状態にある地域温暖化防止レジームやノンレジーム
状態にある森林レジームでは、レジームに学習の中心的なフォーラムを期待することは困
難である。デッドロックに陥っている場合、トップダウンではなくボトムアップのアプロ
ーチが必要とされる。つまり、国家間の交渉、協定ではなく市民社会での学習を先に促し、
国内平面での規範の浸透、取り組みを待ったうえで上部構造であるレジームに影響を与え
るのである(39)。特にアメリカでは条約の批准に上院で 3 分の 2 の多数の賛成を必要とするた
め、国内法規に矛盾する内容の国際合意をトップダウンで実施することに困難があり、伝
統的にインサイド・アウト、つまり国内規制の国際化のアプローチをとることが多い(40)。
ローカル・レベルでの学習を促すエイジェントとして重要な役割を担うのが環境NGO で
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地球環境問題とグローバル・ガヴァナンス
ある。過去において環境 NGO のアドボカシー活動が長期的にレジームの活動に大きな影響
を与えてきた。例えば、捕鯨に反対するキャンペーン活動がアメリカ市民の世論を大きく
変えた結果、アメリカは 1971 年に一方的に自国の捕鯨産業の廃止を宣言し(41)、翌年から国
際捕鯨委員会で商業捕鯨のモラトリアムを提案するようになった。そして、10 年越しの
1982 年についに商業捕鯨のモラトリアム提案が可決されるに至る。
CFC などの ODS の規制も、もともとはアメリカのローカルな運動から始まったものであ
る。1970 年代中頃にアメリカでは NGO が CFC を使用したスプレーのボイコット運動を展開
した結果、市民は自発的にそのような製品を購入しなくなった。販売の減少に対応するた
め次第にメーカーは CFC を含まない製品を販売するようになる。さらに、1975 年の春まで
に 11 州で CFC を規制する法案が提出され、同年オレゴン州とニューヨーク州でスプレーの
噴射剤として CFC を使用することを禁止する法案が採択された。1977 年には連邦政府が段
階的禁止措置を発表したが、アメリカの単独行動に追随した国は数ヵ国にとどまった。そ
こで、アメリカは競争上の不利を避けるためにスプレー缶への CFC の使用禁止措置を国際
化しようとしたのである。その結果として、枠組み条約締結交渉が始まり、現在に至って
いる(42)。
地球温暖化問題でもこのようなボトムアップによる変化が期待される(43)。この分野では
世界 85 ヵ国から 365 の NGO が参加する「気候行動ネットワーク」(CAN: Climate Action
Network)が中心となりアドボカシー活動を展開している(44)。すでにアドボカシー活動に参
加する NGO の数のうえでは温暖化問題は捕鯨問題やオゾン層の破壊の問題を大きく凌駕し
ている。しかしながら、地球温暖化問題の重大さと比較して NGO のアドボカシー活動の強
度、継続性は決して高くない。そのため、NGO は京都議定書をめぐる交渉では EU やアメリ
カのポジション形成に一定の貢献を果たしたものの(45)、肝心の議定書の実施をめぐる交渉
やポスト京都をめぐる交渉への影響力は非常に限定的なものにとどまっている(46)。
NGO のアドボカシー活動が期待されるほどの高まりをみせないのには、地球温暖化問題
のイシューの特性、つまり技術的・政治的複雑性が作用している。地球温暖化問題では
「オゾンホール」のように視覚的に脅威を伝えることが難しい。また、国際交渉では、
「共同
実施」
、
「クリーン開発メカニズム」
、
「吸収源」など専門用語が無数に飛び交うため、そもそ
もマスメディアでは取り上げられにくい(47)。さらに、温暖化の原因はわれわれの生活のす
べての側面に存在するため、攻撃対象(特定の産業、企業、国など)を絞ることもできない。
また、化石燃料に代わる明確な代替物質も存在せず、技術的な解決が容易でない。そのた
め温暖化は市民の関心を呼び起こすことが難しいイシューとなっている。その結果、マス
メディアの報道も、1990年代を通じて盛り上がるどころかむしろ減少傾向にあった。
イシューの特性は環境 NGO がキャンペーン活動を実施するうえで大きなハンディとなっ
ている。NGO はその活動資金を市民や企業からの寄付に依存しているため、非営利といえ
ども活動の効率性、収益性を無視することができない。通常新聞やテレビなどを利用した
メディアキャンペーンには多額の資金がかかるが、市民の関心を集めることに成功すれば、
会員の増加、寄付金の増加により利益を生み出すことができ、組織の規模や活動をさらに
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地球環境問題とグローバル・ガヴァナンス
拡大することができる。しかし、市民の関心を集めることに失敗すれば、投下資金を回収
できず、長期的には組織の縮小、最悪の場合、組織の消滅につながるおそれがある。その
ため、グリーンピースは厳格な費用便益計算を行なったうえでキャンペーン活動を実施す
るかどうかを決定しており(48)、温暖化問題については市民の関心を集めることが難しいため
アメリカで京都議定書を宣伝する活動をあきらめていた(49)。
このように、地球温暖化問題はそのイシューの特性によりボトムアップの力を呼び起こ
すうえでも構造的に不利な状況におかれている。しかしながら、2006 年に公開されたゴア
元米国副大統領主演の『不都合な真実(An Inconvenient Truth)』が大ヒットを記録し、アカデ
ミー賞(長編ドキュメンタリー賞)を受賞したように、近年地球温暖化問題に対する関心が
非常に高まっている。2006 年 8 月にアメリカで行なわれた世論調査によると、回答者の 72%
が温室効果ガスの排出規制の導入に賛成と答えている(50)。2003 年にアメリカ、ヨーロッパ
をおそった記録的猛暑、2005 年 8 月にアメリカ南部を直撃したハリケーン・カトリーナの甚
大な災禍も温暖化への関心、危機意識を高める大きな契機となっている(51)。関心の高まりを
反映するかのように、以下示すようにローカル・レベルでの行動も徐々に進んでいる。
まず、企業においては、
「地球規模の気候変動に関するピューセンター」
(The Pew Center on
Global Climate Change)に参加する IBM、トヨタ、シェルなどの 32 企業が自発的に目標値を設
定し、削減に取り組んでいる(52)。企業による取り組みは法的義務もなく、また削減目標の設
定水準も任意であるという問題点を抱えているが、企業の姿勢が変化しつつある点は勇気
づけられる展開である。
アメリカの地方政府および司法においてさらに興味深い進展が観察されている。例えば、
(RGGI)に調印し(その後さらに 2 州
2005 年には 7 州が「地域温室効果ガス・イニシアチブ」
、発電所の CO2 排出量に目標値を設定し、その範囲内で排出権取引を認めるキャッ
が調印)
プ・アンド・トレード・プログラムを始めることに合意した。2007 年 2 月には西部 5 州が
「西部地域気候行動イニシアティブ」
(WRCAI)に調印して、発電所に限らず CO2 全体につい
て同様のプログラムを始めることに合意している。
また、カリフォルニア州は新車の CO2 排出量を 2012 年までに 22%、2016 年までに 30% 削
減することを義務づける法律を 2002 年に採択したが、現在同州の基準を採用している州が
全米 13 州に広がっている。さらに、カリフォルニア州は 2006 年 9 月に「地球温暖化解決法」
を成立させ、2020 年までに 1990 年水準に CO2 の排出量を削減することを同州大気資源委員
会に義務づけるなどローカル・レベルでの取り組みを牽引している。アメリカの 1 州にすぎ
ないといえども、同州の CO2 の排出量はブラジルのそれよりも大きく、また同州はアメリカ
最大の人口(全体の 12%)を抱えているため、その影響は看過できないものがある(53)。
司法においては、2007 年 4 月にアメリカ連邦最高裁がカリフォルニアなど 12 州とニュー
ヨーク市からの訴えに対して、CO2 は大気汚染物質であると認定し、
「大気浄化法」に基づ
きアメリカ環境保護局(EPA)に排出規制を強化することを求める判決を出した(54)。このよ
うにアメリカではローカルな外堀が急速に埋まりつつあり、連邦レベルで排出規制が実現
し、アメリカが京都議定書に復帰する日も遠くないのかもしれない。
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地球環境問題とグローバル・ガヴァナンス
おわりに
国家の消極性のためレジームにおける取り組みが停滞している場合は、レジーム外、つ
まり国内のローカルなレベルから学習や取り組みをまず進め、ボトムアップのプロセスを
経てレジームの停滞、硬直化を打破し、次なるレジームの発展ステージへと進む道が有効
なレジームに向けてのひとつの有力な経路となる。地球温暖化問題でこのようなボトムア
ップの発展が成功するかどうかは今後の展開を待たなければならないが(55)、ボトムアップ
の視点からみると、地球環境ガヴァナンスの将来は必ずしも悲観すべきものではない。
しかし、ここにもいまひとつ問わなければならない残された課題が存在する。それは途
上国についてである。日本が経験したように長期的には環境の破壊は市民に重大な不利益
をもたらすことになるが、貧困という危急の課題に苛まれる途上国は先進国と比較すると
将来の利益に対する割引率が顕著に高く、環境よりも開発が優先される傾向が著しく強い。
さらに、途上国では民主化の遅れ、低い識字率、未発達なマスメディアなどの問題から、
自律的な市民社会の成熟は遅れがちであり、NGO がアドボカシー活動を展開する空間が相
対的に限られている。特に中国のように民主化が進んでおらず、言論の自由も保障されて
いない国では NGO がキャンペーンを展開する余地はあまりにも小さい。つまり、ボトムア
ップの展開があまり期待できないのである。
幸い途上国にも民主化の波が押し寄せているが、仮に途上国で民主化が進んだとしても
NGO はその存在の正当性の側面で大きな課題を抱える。あまり意識されないことであるが、
国境を越えて活動し、国際社会に対して影響力をもつのはほとんど例外なく豊かな北の先
進国に本拠を置く NGO であり、貧しい途上国の市民社会に基盤をもつ NGO がそのような力
をもつことは希である。これは、NGO が各国に支部を設置し、キャンペーン活動を行ない、
また締約国会議などの国際会議に多数のスタッフを派遣するには、相当な資金力を必要と
するためである。しばしば NGO は国際社会の「民主主義の赤字」を穴埋めする役割を担っ
ていると評価されるが、国際的な影響力を行使する北の NGO が果たして誰に対して説明責
任を負っているのか、またいったい誰を代表しているのか、という問題が残る(56)。
国際的な影響力をもつ北の NGO が活動資金のほとんどを豊かな北の市民社会から集めて
いる以上、彼らの活動やメッセージには先進国寄りのバイアスがかかる傾向が存在する(57)。
そのため、北の NGO のメッセージは途上国では疑念の目で見られることも少なくない。原
因のほとんどが先進国側にある地球温暖化問題について、また法的には途上国の私財であ
る熱帯雨林の保全問題について、途上国の協力を得るためには、先進国が途上国に対して
大規模な補償や費用負担を約束することが効果的であるが、そのような政策の必要性を先
進国の市民に強く説く NGO が先進国でほとんどみられないのは偶然ではない。つまるとこ
ろ、北の環境 NGO が途上国の貧困問題と先進国の責任を直視せず、CO2 の排出量の削減や
森林保護を声高に叫んだところでその声は途上国の市民の心にさほど反響しないであろう。
はたして国境を越えて活動する環境 NGO は地球市民社会全体を代表し、先進国だけでなく
途上国の市民に対しても同等の説明責任を自ら課すことができるのか、地球環境ガヴァナ
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地球環境問題とグローバル・ガヴァナンス
ンスの将来はこの点にかかっているのかもしれない。
( 1 ) 戦死者数の統計については、オスロ国際平和研究所(CSCW)の Data on Armed Conflict(http://
new.prio.no/CSCW-Datasets/Data-on-Armed-Conflict/)を参照。
( 2 ) Sebastian Oberthur and Thomas Gehring, “Introduction,” in Sebastian Oberthur and Thomas Gehring, eds.,
Institutional Interaction in Global Environmental Governance: Synergy and Conflict among International and
EU Policies, Cambridge, MA: MIT Press, 2006, pp. 1―18.
( 3 ) UNEP, GEO Yearbook 2006, Nairobi, Kenya: United Nations Environment Programme, 2006.
( 4 ) David Leonard Downie, “Global Environmental Policy: Governance through Regimes,” in Regina S. Axelrod,
et al., eds., The Global Environment: Institutions, Law, and Policy, Washington, D.C.: CQ Press, 2005, pp. 64―
82.
( 5 ) 集合行為の問題については、Mancur Olson, The Logic of Collective Action: Public Goods and the Theory
of Groups, Cambridge: Cambridge University Press, 1965.
( 6 ) J. Samuel Barkin and George E. Shambaugh, “Hypotheses on the International Politics of Common Pool
Resources,” in J. Samuel Barkin and George E. Shambaugh, eds., Anarchy and the Environment: The
International Relations of Common Pool Resources, Albany, NY: State University of New York Press, 1999, pp.
1―25.
( 7 ) この点に関しては、Todd Sandler, Global Challenges: An Approach to Environmental, Political, and
Economic Problems, Cambridge: Cambridge University Press, 1997, pp. 43―45.
( 8 ) Robert Axelrod, The Evolution of Cooperation, New York: Basic Books, 1984.
( 9 ) J. Samuel Barkin, “Time Horizons and Multilateral Enforcement in International Cooperation,” International
Studies Quarterly, Vol. 48, No. 2, 2004, pp. 363―382.
(10) David Leonard Downie, “The Power to Destroy: Understanding Stratospheric Ozone Politics as a CommonPool Resource Problem,” in Barkin and Shambaugh, Anarchy and the Environment, pp. 97―121.
(11) James N. Rosenau and Ernst-Otto Czempiel, eds., Governance without Government: Order and Change in
World Politics, Cambridge: Cambridge University Press, 1992.
(12) Stephen D. Krasner, “Structural Causes and Regime Consequences: Regime as Intervening Variables,”
International Organization, Vol. 3, No. 6, 1982, pp. 185―205.
(13) 詳しくは、阪口功『地球環境ガバナンスとレジームの発展プロセス―ワシントン条約と NGO・
国家』
、国際書院、2006年。
(14) 本稿の有効性に関する議論は主に次の文献を参考にしている。Jørgen Wettestad, “The Effectiveness
of Environmental Policies,” in Michele M. Bestill, et al., eds., Palgrave Advances in International Environmental
Politics, Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006, pp. 299―328.
(15) オスロ・ポツダム解法については、Jon Hovi, Detlef F. Sprinz, and Arild Underdal, “The Oslo-Potsdam
Solution to Measuring Regime Effectiveness: Critique, Response, and the Road Ahead,” Global Environmental
Politics, Vol. 3, No. 3, 2004, pp. 74―96.
(16) Edward L. Miles, et al., eds., Environmental Regime Effectiveness: Confronting Theory with Evidence,
Cambridge, MA: MIT Press, 2001.
(17) Ronald B. Mitchell, “Problem Structure, Institutional Design, and the Relative Effectiveness of International
Environmental Agreements,” Global Environmental Politics, Vol. 6, No. 3, 2006, pp. 72―89.
(18) Barbara Koremenos, et al., eds., The Rational Design of International Institutions, Cambridge: Cambridge
University Press, 2004.
(19) Barbara Koremenos, et al., “The Rational Design of International Institutions,” in Koremenos, et al., Rational
Design, pp. 1―39.
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地球環境問題とグローバル・ガヴァナンス
(20) Elizabeth R. DeSombre, Global Environmental Institutions, London: Routledge, 2006, pp. 156―161.
(21) Barbara Koremenos, et al., “Rational Design: Looking Back to Move Forward,” in Koremenos, et al., Rational
Design, pp. 291―322.
(22) Alexander Wendt, “Driving with the Reviewer Mirror: On the Rational Science of Institutional Design,” in
Koremenos, et al., Rational Design, pp. 259―289.
(23) 政治的意志の問題を指摘したものとして、Adil Najam, “Neither Necessary, Nor Sufficient: Why
Organizational Tinkering Will Not Improve Environmental Governance,” in Frank Biermann and Steffen Bauer,
eds., A World Environmental Organization: Solution or Threat for Effective International Environmental
Governance, Aldershot: Ashgate, 2005, pp. 235―256.
(24)『朝日新聞』2006 年9 月19 日(夕刊)
。
(25) Frank Grundig, “Patterns of International Cooperation and the Explanatory Power of Relative Gains: An
Analysis of Cooperation on Global Climate Change, Ozone Depletion, and International Trade,” International
Studies Quarterly, Vol. 50, No. 4, 2006, pp. 781―801.
(26) Jon Hovi, Tora Skodvin, and Steinar Andresen, “The Persistence of Kyoto Protocol: Why Other Annex I
Countries Move on without the United States,” Global Environmental Politics, Vol. 3, No. 4, 2003, pp. 1―23.
(27) Grundig, “Patterns of International Cooperation.”
(28) Joanna Depledge, “The Opposite of Learning: Ossification in the Climate Change Regime,” Global
Environmental Politics, Vol. 6, No. 1, 2006, pp. 1―22.
(29) 正確には先進国と途上国の各グループでそれぞれ 3 分の 2 以上の賛成が必要であるが、発効に批
准の手続きを必要としない。
(30) DeSombre, Global Environmental Institutions, pp. 106―117.
(31) Depledge, “Opposite of Learning,” pp. 11―12.
(32) Detlef F. Sprinz and Martin Weiß, “Domestic Politics and Global Climate Policy,” in Urs Luterbacher, ed.,
International Relations and Global Climate Change, Cambridge, MA: MIT Press, 2001, pp. 67―94.
(33) Elizabeth R. DeSombre, Domestic Sources of International Environmental Policy: Industry, Environmentalists,
and U.S. Power, Cambridge, MA: MIT Press, 2000.
(34) Grundig, “Patterns of International Cooperation.”
(35) David Baldwin, ed., Neorealism and Neoliberalism: The Contemporary Debate, New York: Columbia
University Press, 1993.
(36) Grundig, “Patterns of International Cooperation.”
(37) Chaim D. Kaufmann and Robert D. Pape, “Explaining Costly International Moral Action: Britain’s Sixty-year
Campaign against the Atlantic Slave Trade,” International Organization, Vol. 53, No. 4, 1999, pp. 631―668.
(38) Mitchell, “Problem Structure.”
(39) Depledge, “Opposite of Learning,” pp. 1―22.
(40) DeSombre, Domestic Sources.
(41) Lawrence A. Friedman, “Legal Aspects of the International Whaling Controversy: Will Jonah Swallow the
Whales?” International Law and Politics, Vol. 8, No. 2, 1975, pp. 211―239.
(42) シャロン・ローン(加藤珪ほか訳)
『オゾン・クライシス』
、地人書館、1991 年。
(43) DeSombre, Global Environmental Institutions, pp. 166―167.
(44) 詳しくは、CAN Internationalのサイト(http://www.climatenetwork.org/)を参照。
(45) Michele M. Bestill, “Transnational Actors in International Environmental Politics,” in Bestill, et al., Palgrave
Advances, pp. 172―202.
(46) Lars H. Gulbrandsen and Steinar Andresen, “NGO Influence in the Implementation of the Kyoto Protocol:
Compliance, Flexibility Mechanisms, and Sinks,” Global Environmental Politics, Vol. 4, No. 4, 2004, pp. 54―75.
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(47) Peter Newell, Climate for Change: Non-state Actors and the Global Politics of the Greenhouse, Cambridge:
Cambridge University Press, 2000, pp. 68―95.
(48) Ron Eyerman and Andrew Iamison, “Environmental Knowledge as an Organizational Weapon: The Case of
Greenpeace,” Social Science Information, Vol. 28, No. 1, 1989, pp. 99―119.
(49) Gulbrandsen and Andresen, “NGO Influence.”
(50) “Zogby International/National Wildlife Federation Survey,” August 17, 2006(http://www.zogby.com/wildlife/
NWFfinalreport8-17-06.htm, April 10, 2007)
.
(51) Joseph B. Verrengia, “Katrina Reignites Global Warming Debate,” USA Today, 1 Sep. 2005(available at
http://www.usatoday.com/, April 9, 2007)
.
(52) 詳しくはピューセンターのサイト(http://www.pewclimate.org)
、および、太田宏「地球環境ガバ
ナンスの現況と展望」
『国際法外交雑誌』104 巻 3 号(2005 年)
、90―97 ページ; Depledge, “Opposite
of Learning,” pp. 17―18.
(53) 太田、
「地球環境ガバナンス」
、93ページ。
(54)『朝日新聞』2007 年4 月3 日;『朝日新聞』2007 年4 月 6日。
(55) Depledge, “Opposite of Learning.”
(56) Bestill, “Transnational Actors,” pp. 172―202.
(57) Mustapha Kamal Pasha and David L. Blaney, “Elusive Paradise: The Promise and Peril of Global Civil
Society,” Alternatives, Vol. 23, No. 4, 1998, pp. 417―50.
さかぐち・いさお 学習院大学教授
[email protected]
国際問題 No. 562(2007 年 6 月)● 50
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