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日本沿岸域における漁業資源の動向と 漁業管理体制

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日本沿岸域における漁業資源の動向と 漁業管理体制
日本沿岸域における漁業資源の動向と
漁業管理体制の実態調査
−平成23年度事業報告−
平成 24 年 9 月
一般財団法人
東京水産振興会
まえがき
近年の日本漁業を巡る課題として、経営の悪化や就業者数の減少などとともに、漁業
資源の減少傾向についても言及されることが増えてきました。
しかしながら、日本においては諸外国と比較して、漁業対象魚種やそれらを漁獲する
漁業種類が数多くあり、それぞれの資源動向も地域により多様な様相が伺えるようです。
とりわけ沿岸域における沿岸漁業や浅海漁業の対象資源については、漁獲による影響の
みならず、生息海域などの環境変化による影響が大きいとの指摘もあります。
そこで本会では、平成 22 年度に調査研究委員会「日本沿岸域における漁業資源の動向
と漁業管理体制の実態調査」を設置いたしました。本事業は 3 ヶ年事業とし、沿岸漁業
を主体とした全国各地の漁業の現状や漁業管理の取り組みと、それらが対象とする漁業
資源の動向などについて、現地調査などに基づいて明らかにし、資源の変動要因や今後
の対応策などについて考察することを目的としております。
本報告書は平成 23 年度の調査研究結果をとりまとめたもので、関係各位にご活用して
いただければ幸いです。
なお、本事業の実施に際しましては、座長の茨城大学地域総合研究所・客員研究員の
二平 章 氏をはじめ、委員・調査員としてご尽力いただいた各位、並びに種々ご協力いた
だいた皆様方に厚くお礼申しあげます。
一般財団法人 東京水産振興会
会 長 井 上 恒 夫
日本沿岸域における漁業資源の動向と漁業管理体制の実態調査
-平成 23 年度事業報告-
目 次
まえがき
第Ⅰ部 調査研究事業の実施概要とまとめ
Ⅰ-1.調査研究の実施概要……………………………………………………………………… 1
1.本事業の目的………………………………………………………………………………… 1
2.調査研究の実施体制………………………………………………………………………… 1
Ⅰ-2.平成23年度調査研究のまとめ… ………………………………………………………… 3
第Ⅱ部 事例調査報告
Ⅱ-1.海洋環境レジームシフトの影響魚種とその漁業
1.日本海ブリ資源の動向と漁業管理のあり方……………………………………………… 11
2.千葉県におけるイセエビの資源動向と漁業実態………………………………………… 35
3.鹿児島県西薩・北薩地区におけるシラス・カタクチイワシ漁獲対象漁業の実態…… 43
Ⅱ-2.高度経済成長期以降の沿岸開発と資源への影響
1.瀬戸内海漁獲量減少要因としての貧酸素と栄養塩不足について……………………… 65
2.イカナゴの漁獲動向と瀬戸内海の海砂採取……………………………………………… 79
3.伊勢・三河湾における漁場環境悪化の要因と再生の方向性…………………………… 95
-栽培漁業と流入負荷管理施策の限界-
4.伊勢・三河湾におけるかれい類の資源動向…………………………………………… 103
5.霞ヶ浦における水資源開発と漁業管理………………………………………………… 109
6.ウナギ資源の減少と河口堰建設………………………………………………………… 123
Ⅱ-3.その他の沿岸魚種の資源動向と漁業管理問題
1.トラフグの資源動向・資源管理………………………………………………………… 133
-県境を越えた東海3県による管理の成果と課題-
2.宮崎県におけるカサゴの資源管理……………………………………………………… 143
3.九州西部海域におけるまき網漁業の漁業管理と漁業経営Ⅱ………………………… 147
第Ⅰ部
調査研究事業の実施概要とまとめ
Ⅰ.調査研究事業の実施概要とまとめ
Ⅰ-1. 調査研究の実施概要
1.本事業の目的
沖合資源を中心に日本周辺の漁業資源は減少が著しく、一部の資源については乱獲の傾向があると言
われてきた。そのため漁船隻数の削減や休漁対策などが政策的なバックアップも背景として実施され、
さらに一部の識者からは資源管理手法としてIQ制度の導入等が必要だとの意見も出されている。
一方、沿岸・浅海漁業においては、日本の漁民層の大半が属しているにもかかわらず、その漁業をめ
ぐる資源と操業実態については、各県における断片的な調査はあるものの全体的には必ずしも十分に把
握されているとは言い難い。特に一部の漁業種や漁村では漁村労働力の高齢化、漁業者数の減少傾向が
著しいことから、単純な「漁獲圧力増加」という要因は該当しないと思われる。また、沿岸・浅海域の
資源変動には河川流域や内湾・海岸開発の影響も受けることから、沖合漁業資源で議論されるような単
純な海洋環境変動や漁獲圧力による資源変動だけで説明できるものでもない。
加えて沿岸・浅海漁業においては、旧来の慣習的管理とともに 1980 年代以降推進されてきた資源管
理型漁業政策のもとで、漁協を中心とした自主的な漁業管理がなされている地域も多い。
本調査では、以上述べてきた沿岸・浅海域の漁業(知事許可漁業・漁業権漁業)と資源の特性をふま
え、これまで十分に把握されていない沿岸・浅海漁業の資源動向と漁業の現状、漁業管理・漁場利用の
実態を全国各地の現地調査に基づき明らかにし、持続的発展のための課題と展望について検討する。
なお、本調査研究は平成 22 年度より3か年の継続事業として実施する予定である。
2.調査研究の実施体制
平成 23 年度の調査研究委員会のメンバー構成は以下のとおりである。
氏 名
所 属
座 長
二
平 章
委 員
市
村
紀 (社)全国豊かな海づくり推進協会
専務理事
〃
岡
本 勝 (社)いわし食用化協会
専務理事
〃
片
山
史
教授
〃
佐々木 克 之 (社)北海道自然保護協会
副会長
〃
馬
場 治
東京海洋大学海洋科学部
教授
調査員
小
坂
安
廣
長崎県旋網漁業協同組合
顧問
〃
鈴
木
輝
明
名城大学大学院総合学術研究科
特任教授
〃
反
田 實
兵庫県立農林水産技術総合センター
所長
隆
知
茨城大学地域総合研究所
役 職
客員研究員
東北大学大学院農学研究科
水産技術センター
〃
中
丸 徹
千葉県水産総合研究センター
研究員
〃
浜
田
篤
信
霞ヶ浦漁業研究会
代表
濱
田
英
嗣
下関市立大学経済学部
教授
平成 24 年 3 月 31 日現在(敬称略、順不同)
1
委員および調査員は事例調査の実施および報告原稿の取りまとめ等を担当して頂いた。
また、委員会は以下のとおり 3 回開催し、調査報告を受けて討議を行った。
第 1 回委員会 平成 23 年 6 月 29 日 平成 23 年度調査研究計画の検討
第 2 回委員会 平成 23 年 12 月 16 日 平成 23 年度調査研究の中間報告
第 3 回委員会 平成 24 年 3 月 23 日 平成 23 年度調査研究の総括
2
Ⅰ-2.平成 23 年度調査研究のまとめ
水産資源の動向とその変動要因
茨城大学地域総合研究所 二平 章
1.変動期に入った沖合回遊性資源
沖合資源を中心に日本周辺の漁業資源は減少が著しく、乱獲傾向が強いとされ、漁船の削減や休漁対
策、IQ 制度の導入などが、叫ばれてきた。しかし、ここ 2 ~ 3 年、沖合回遊性魚類では「単純な漁獲
圧力調節論」では説明できない動向が見えだしている。資源が低迷を続けていたマイワシは 2010 年級
以降、2011 年級、2012 年級と高水準の加入が続き、今年になり千葉県銚子港はマイワシの大漁で久し
ぶりににぎわい、また、道東にまで分布したマイワシはサンマ不漁に泣く小型刺し網漁船により多量に
混獲された。また、2009 年に卓越年級群となったマサバも釧路沖に出現し、数十年ぶりに本格的にま
き網漁場が復活している。このようにマイワシ、マサバは明らかに増加傾向にある。一方、沖合に膨大
な資源がいるとされ、わずか数年前にはミール資源にして沖合漁業開発による利用推進が提唱されたサ
ンマ資源は、常に MSY 基準を下回る資源利用にもかかわらず、ここ 3 年、初漁期の日本近海への来遊
量減少と大型魚の減少が顕著となり、道東経済に悪影響を及ぼし今後のサンマ資源の動向に注目が集
まっている。
2.沿岸・浅海域の資源変動と漁獲圧力以外の影響要因
一方、知事許可漁業・漁業権漁業を中心とする沿岸・浅海漁業においては、日本の漁民層の大半が属
しているにもかかわらず、その漁業をめぐる資源の動向や漁業実態については、各県における短期的な
調査報告はあるものの全体的・長期的な動向については必ずしも十分に把握されているとは言い難い。
特に、沿岸や浅海における資源や漁業は、漁村労働力の高齢化、漁業者の減少傾向が著しいことから、
単純な「漁獲圧力増加」が起こっている地域や漁業ばかりではない。また、沿岸・浅海域の資源変動に
は河川流域や内湾・海岸開発の影響も受けることから、沖合域で議論されるような単純な海洋環境変動
や漁獲圧力による資源変動だけで説明されるものでもない。とくに、ダムや河川改修、河口堰建設など
の陸域開発が内湾や汽水域、沿岸海域の漁業資源や生物生態系に与えた影響調査は、水産資源の維持管
理を担うべき農林水産省や地方自治体の水産研究においては、かならずしも充分にその役割を果たして
きたとはいいがたい。
3.本事業の目的と資源の主要な変動要因
このような状況のもとで、本事業は、全国各地の様々な沿岸漁業・浅海漁業における対象漁業資源の
動向と漁業管理に関する実態と課題についてできるだけ現地調査をふまえて、沿岸・浅海漁業資源の動
向を抽出し、その変動要因およびそれに対応した漁業管理や漁業経営のあり方に関し、参考となり得る
課題や論点を導き出すことを目的として平成 22 年度より開始され、今年度が第 2 年目である。
先にも述べたように、近年、漁業経営低迷の主要因は漁業資源の悪化が問題であり、資源減少は漁業
者による「乱獲」や「過剰漁獲」がもたらしているとする「漁業者悪者論」などの論調が目立つ。そし
3
て、対処策として沿岸においても漁獲可能量管理(TAC、IQ 等)の強化を目指すべきとの議論もなさ
れる。しかし、日本周辺における魚介類資源の漁獲量、資源量は単純に減少している魚種ばかりとはい
えず、近年増加傾向の魚種も多い。そもそも魚介類資源の変動には種々な要因が関与しており、乱獲だ
けが要因と規定するのはあまりにも単純である。しかしながら、沿岸漁業対象魚介類の近年の資源動向、
および資源変動が沿岸漁業へ与えている影響実態などについての検討事例は必ずしも多くはない。
そこで、今年度も日本周辺の沿岸重要漁業資源を取り上げ、資源変動要因を以下のように分類しなが
ら検討した。
(1)海洋環境レジームシフトの影響
(2)高度経済成長期以降の沿岸開発
(浅海域・汽水域開発の影響)(水質汚濁・富栄養化の影響)
(河川開発の影響)
(3)過剰漁獲による影響
また、現地調査にもとづき沿岸漁業の特性に応じた沿岸・浅海漁業資源の持続的利用のための課題と
展望についても検討を加えた。
4.平成 23 年度の調査
以上の問題意識から、平成 23 年度は全国各地の沿岸、浅海、閉鎖性水域における各種漁業について
12 課題に関する調査を行った。それらを論点別に分類すると、以下のとおりである。
(1)海洋環境レジームシフトの影響魚種とその漁業
・日本海のブリ資源(馬場)
・千葉県のイセエビ資源(中丸)
・鹿児島のシラス資源(岡本ほか)
(2)高度経済成長期以降の沿岸開発と資源への影響
・瀬戸内海の貧酸素および栄養塩不足と漁獲量(佐々木)
・瀬戸内海の海砂利採取とイカナゴ資源(反田)
・伊勢・三河湾の漁場環境(鈴木)
・伊勢・三河湾のカレイ類資源(片山)
・霞ヶ浦の水資源開発と漁業(浜田)
・河口堰建設とウナギ資源(二平)
(3)その他の沿岸魚種の資源動向と漁業管理問題
・東海地域のトラフグ漁業(濱田)
・宮崎県のカサゴ漁業(片山)
・九州の中小型まき網漁業(小坂ほか)
以上の調査結果の概要を次のように整理した。
東京海洋大学の馬場氏には、日本海のブリを取り上げていただいた。ブリは近年全体的には漁獲量増
4
加が著しく、なかでもまき網漁獲量が急増している状況にある。まき網も定置網もブリ資源の増大傾向
の中で若齢魚である 0 から 1 歳魚を多獲している。ブリの資源変動には明らかな海洋環境変動が効いて
おり冬季水温の温暖期に増加する。今後、日本海が寒冷期に入るとの予測があり加入量減少も懸念され
る。若齢魚の加入水準が高い時期にいかに「成長乱獲」を回避して、大型ブリ資源を涵養しながら漁業
収益増を図るかが課題である。増大を続けるまき網漁獲量の沿岸定置網への影響分析もブリ資源をどの
ように沿岸漁業振興に結びつけるかの観点から深められるべきである。また定置網でも「フクラギ」な
どの、より小型の魚を漁獲している実態にあることから、小型魚保護の具体的方策を検討し、若齢魚保
護の対応を沿岸漁業サイドから積極的に提示していくことも課題であろう。
千葉県水産総合研究センターの中丸氏には、磯根資源のひとつであり太平洋沿岸の重要資源であるイ
セエビを取り上げていただいた。イセエビ漁獲量は、千葉、三重、静岡、和歌山、鹿児島、長崎の順に
多い。イセエビは全体的には、1970 年代に減少したが、1990 年代の終わりから 2000 年代に増加傾向
に入り、明らかに 1980 年代末に起きた「寒冷レジーム」から「温暖レジーム」への海洋環境変動の影
響が認められる。興味深いのは東側の県ほど 2000 年代の増加傾向が顕著なことである。おそらく、沖
合から沿岸へ来遊するプエルルス幼生の分布加入が「温暖化」にともなって東方に拡大していると考え
られる。気にかかるのは近年幼生の着底量が再び減少していることで、今後の漁獲量減少に結びつく可
能性がある。漁獲管理上は 8 月の集中漁獲をできるだけ回避し、漁獲開始年令を引き上げながら漁獲金
額増加を図る方策が課題であろう。
シラスは、西日本から瀬戸内海、太平洋中区から常磐・鹿島灘までの重要な沿岸資源である。いわし
食用化協会の岡本氏らには、実態が紹介されることが少ない、鹿児島県西部・西薩海域のシラスを取り
上げていただいた。この海域のカタクチイワシ資源は「対馬暖流系群」に属するが、この系群内でのシ
ラス漁業は鹿児島県西部域が中心となっており、他はカタクチイワシを対象にしたまき網漁業である。
この海域のシラスの補給機構についても不明の部分が多いが、鹿児島、熊本両県のシラス漁獲量および
対馬暖流系群の産卵量の経年推移からは明らかに 1970 年代後半からの資源減少と 1990 年代からの資
源増加が読み取れる。基本的にはカタクチイワシ本州太平洋系群と同様であり温暖から寒冷、寒冷から
温暖への海洋環境シフトに連動した変動といえる。鹿児島県西部に位置する加世田、江口、川内市漁協
などではシラスの漁業生産と加工が一体となった経営体による水揚の割合が高く、シラスの豊凶が地域
漁業の盛衰を左右する。ここ数年における春シラスの来遊豊度の低下減少が課題とされる。
北海道自然保護協会の佐々木氏には瀬戸内海の漁獲量減少の要因として議論されている貧酸素化と栄
養塩不足化の問題について検討いただいた。カレイ類はアサリの水管を餌にすることから、アサリの減
少がカレイの減少要因であるとの説について、播磨灘のどの海域でも二種の比例関係は成立しないこと、
1999 年以降のアサリの急減は洪水による干潟の流出、ダム建設による砂供給の減少にあるとの反田氏
の説を紹介。また、1990 年以降のウチムラサキの減少・消失は護岸造成に原因がある可能性を指摘し
た。室津漁協の生産金額推移から 24 種中 16 種が 1999 年から 2010 年の間に 2 分の 1 以下に低下したが、
その要因は底質の悪化であろうと推察した。瀬戸内海西部海域のアサリは 1973 年、サルボウは 1976
年で消滅したがその要因は干拓事業にともなう底質環境悪化でアサリ、サルボウ、カレイ類の順に漁獲
5
量は減少した。山口県周防灘では 1972 年に 4,000 トンを超えていた底生魚類は減少の一途で 2003 年
には 1,700 トンにまで低下、1980 年代半ばに共に 10,000 トンを超えていたクルマエビやその他のエビ
は 2003 年には 2,000 トンにまで低下している。この要因も周防灘の貧酸素水の影響であるとした。
瀬戸内海の底生魚類の漁獲量が貧栄養化によって起きたとする「瀬戸内海貧栄養化説」について検討
した。兵庫県のカレイ類漁獲量は 1990 年頃から減少の一途であるが、この要因としてポートアイラン
ド二期工事、神戸空港建設工事による潮流の弱勢化が貧酸素化を引き起こした可能性を指摘した。大阪
湾のシャコは 1987 年の 487 トンから 2004 年の 128 トンへ減少。大阪湾のシャコは岸和田より南海域
であり、減少の要因として 1991 年に完成した関西空港工事の影響を考慮する必要性を指摘した。埋め
立てで干潟・浅海域が消失すると植物プランクトンが過剰となり、沈降して底質環境を悪化させベント
ス食性魚を減少させることとした。埋め立てで貝類が減少すると栄養塩から植物プランクトンのルー
トは大きくなり、動物プランクトンや浮魚には有利となる。大阪湾のプランクトン食性魚の漁獲量は
1980 年代後半からは変化が小さいことを示した。これらのことから大阪湾では栄養塩流入量が減少し
たため資源量が減少したと結論づけるのは難しいとした。
名城大学の鈴木氏には伊勢・三河湾における漁場環境悪化の要因について検討いただいた。氏はその
要因として①埋め立てにより干潟・浅場・藻場などの極浅海域の喪失による産卵場、幼稚仔保育場の減
少。②極浅海域の持つ水質浄化機能の低下による貧酸素化、水質環境の悪化にともなう夏場の生残率の
低下。③資源減少からくる漁民側の漁獲努力量の増大化をあげた。そして、資源回復の柱としておこな
われる種苗放流が沿岸域管理問題と分離して実施されていることを批判した。また、湾内での赤潮・貧
酸素化の原因は豊富な栄養塩によって生産される植物プランクトンが「何らかの理由」から動物群集に
利用・消費されなくなり、結果として赤潮の発生につながり、また海底沈降・腐敗によって貧酸素化を
引き起こすとした。そして、干潟の埋め立てによる二枚貝の減少が、湾の海水交換に匹敵する生物的ろ
過機能を喪失させ、それによって元来内湾の特質である高い植物プランクトン生産が生物的に制御でき
なくなったことが三河湾の環境を激変させたとした。極浅海域の生態系機能を開発にともなう環境影響
評価のなかで過小評価してきたことが伊勢・三河湾の環境悪化を助長したとし、内湾域の管理は流入負
荷削減に重点を置く水質管理から干潟・浅場・藻場の保全・修復など海の物質循環の構築に重点を置い
た「場の管理」に方向転換が必要であるとした。
兵庫県水産技術センターの反田氏には、瀬戸内海の重要資源の一つであるイカナゴの漁獲量動向と海
砂採取の影響について検討いただいた。イカナゴは夏眠という生態的な特徴をもつことから生息場は好
適な海砂の存在に強く依存する。また、多くの地域性魚類の重要な餌生物となっていることから海域の
生物群集全体に対する KEY SPECIES の一つでもある。瀬戸内海の海砂採取の開始は 1960 年頃から
で 1970 年代にかけて急増した。採取量が大きかったのは瀬戸内海中央部である。1999 年までに瀬戸内
海全体で採取された海砂は合計で 6.1 億㎥、瀬戸内海の全体面積に引き伸ばすと平均で 2.6 センチとな
る。海砂採取は 2005 年度まで続くが、膨大な量の採取は瀬戸内海の生物生産に多くの影響を与えたと
考えられる。瀬戸内海の海砂には河川から運ばれる砂と潮流の作用によって海峡や瀬戸周辺に積み重な
り海中の丘を形成する砂があるが、海砂採取の対象にされたのは後者である。いうまでもなく、採取は
堆積地で集中的におこなわれた。例えば広島県沖の採取場であった「布刈ノ州、能地堆」の水深 3m か
6
ら 20m の砂堆では、約 30m 厚の砂が採取されて全く消滅、水深 40m の窪地形状になった。船は砂のみ
採取し小石は投棄したため海底は砂から礫場へと変化し、イカナゴの夏眠場・産卵場は消失している。
採取実績のない和歌山県、大阪府、1960 年代前半の海砂開発初期に採取禁止措置をとった兵庫県 3 県
と 1998 年から 2006 年まで禁止措置が遅れた岡山、香川、広島、愛媛の 4 県の経年漁獲量動向を比較
してみると、歴然とその影響度がわかる。前者の 3 県がいずれも開発期初期の 1970 年代の漁獲量に比
較して 1980 年代から 2000 年代にかけて漁獲量変動が少ないか増加の様相を示していたのに対し、後
者の 4 県では漁獲量はいずれも 1980 年代に急減し、その後回復することなく極めて低水準のまま現在
まで推移している。反田氏は海砂採取跡の窪地の回復は容易でなく、その影響は相当長い期間継続する
だろうと述べている。
霞ヶ浦漁業研究会の浜田氏には、全国第2位の湖面積をもち、かつては汽水性魚介類も豊富であった
霞ヶ浦の開発影響問題を検討していただいた。霞ヶ浦開発事業は、汽水湖である霞ヶ浦を多目的ダム化
し、湖水を農業、工業、水道水用に利用する水資源開発である。当初の目的は鹿島臨海工業地帯への工
業用水供給であったが、重化学工業の海外移転や企業内における水の循環利用の進展により工業用水の
必要性が薄らぎ、上水開発へ力点が移されている。霞ヶ浦のダム化は淡水化をめざす常陸川水門の河口
堰建設と水位変動対応のコンクリート護岸造成であった。霞ヶ浦の総漁獲量は 1975-78 年の 18,000 ト
ンに比較して現在は 2,000 から 3,000 トンにまで低下している。行政機構は開発によって縮小した生産
力の大きさを評価することを避け、漁獲量減少の要因をもっぱら漁獲圧増加によるものとして、対策を
資源管理と増殖対策に矮小化した。開発最優先の行政運営の中では、開発によって変化した霞ヶ浦の生
産構造や生産力縮小原因の解明に向けた課題設定はタブーとされた。常陸川水門の閉鎖前の 1955-1975
年では、塩素イオン濃度が上昇すると漁獲量が増加している。つまり、下流からの河川水の逆流量が増
加すると塩分が上昇し、基礎生産速度を増加させて魚類生産を高めると推察される。その後は、水門閉
鎖によって湖水が停滞、湖内の物質循環を好気的循環から嫌気的循環に質的変化させ魚類群集の構成を
変えた。人口減少要因もあり過大な水需要は見直しを迫られている。霞ヶ浦の水質浄化をめざす上から
も、河口堰運用を見直させ、魚類生産を高める方策展開が求めれている。
二平は、昨今の新聞紙上のウナギ資源論議をふまえ、指摘されることの少ない陸域開発とウナギ資源
の関係について、利根川・霞ヶ浦流域を事例として検討した。利根川・霞ヶ浦流域は日本でも有数の天
然ウナギの生産地で 1960 年代には 1,000 トンを超え全国生産量の 3 分の 1 を占めていた。しかし、霞ヶ
浦北浦では 1959 年に遡上河川である常陸川に逆水門を建設する工事が着工、1963 年に完成、1974 年
に完全閉鎖され、また、利根川河口堰は 1964 年に建設が開始され、1970 年に完成、1976 年から操
作が開始された。それにともないウナギ漁獲量は激減、一時 400 トンを超えた霞ヶ浦北浦の漁獲量は
1984 年以降わずか 10 トンレベルに、また、利根川では 700 トンあった漁獲量は 2001 年以降は 50 ト
ひ ぬま
ン以下のレベルまで減少している。一方、河口堰建設のなかった那珂川水系の涸沼や久慈川ではウナギ
漁獲量は比較的安定か増加している。また、利根川河口でおこなわれているシラスウナギの漁獲量も年
変動は大きいが一方的な減少傾向はない。ウナギは陸域で 4 から 5 年成育したのち海へ産卵回帰する。
以上のことからみて日本有数の天然ウナギの生産量を減少させた要因は河口堰建設にあると思われる。
人口減少や工業再編で水需要が減少するなか河口堰運用のあり方、汽水域の環境と生物生産の重要性に
7
ついて新たな検討が必要な時代である。
東北大学の片山氏には伊勢・三河湾におけるカレイ類の資源動向と宮崎県におけるカサゴの資源管理
について検討いただいた。三重県の小型底びき網によるカレイ類漁獲量は 1980 年代前半までは比較的
高位であるがその後は減少傾向が継続している。鈴鹿市漁協の調査からも 2000 年代のカレイ類資源は
低位水準にある。漁業者も①浮魚は順調だが底魚の漁獲量低迷は著しく、休漁しても増加しない。②貧
酸素水塊は昭和の時代は秋だけだったが平成年代からは初夏から長期間継続している。③長良川河口堰
建設以後は海水流動が停滞し瀬に泥が堆積し底魚が減少したと述べている。内湾資源の低迷、漁獲管理
が資源増加に結びつかない現象は、大阪湾や東京湾でも同様な時期から生じている。沿岸資源の管理方
策の上では漁獲管理のみでは効果の限界がある。
宮崎県のカサゴ漁獲量については 1990 年をピークに 2004 年までに 4 分の1に減少、その後 2009 年
までやや増加するが 2010 年以降再び減少傾向にある。2005 年より「資源回復計画」が取り組まれ①は
え縄漁業の承認制、禁漁期の設定などの努力量の削減措置、②小型魚の再放流と禁漁区の設定、③種苗
放流、④ 2010 年から県内 4 地区の地域 TAC の設定が実施されている。漁業者からは、① 1980 年代に
比較して明らかに資源は減少、魚体も小型化、②近年の小型魚の保護効果はある、③泥やヘドロが多く
なり、水も汚くなっている、④カサゴは獲りすぎた感をもつなどの意見が出された。小型魚水揚げは減
少しており漁獲サイズ規制導入は一定浸透しているが、産卵親魚の大幅な増加がないと 2000 年以前の
レベルへの回復はまだ見込めない。沿岸環境の悪化が地先の生物生産を低下させている可能性もある。
下関市立大学の濱田氏には東海3県のトラフグの資源動向と管理問題について検討いただいた。伊勢
湾付近でまとまったトラフグ資源の存在が発見され、延縄漁業が活発化したのは 1970 年代である。そ
の後、通常 30 から 50 トンであった漁獲は 1989 年には大漁で 390 トンを示す。これを期に新規参入の
漁業者が増加、浮延縄の禁止、漁期の短縮、小型魚の保護が実施されるが 1992 年の漁獲は 50 トンに
なるなど資源は減少する。3 県は 1995 年~ 2005 年まで資源の管理・増大対策を実施した。調査研究か
ら東海 3 県のトラフグは独立した系群であり、3 県共同の資源管理の根拠が明示されるなど、調査研究
にもとづく科学的知見を漁業者に提示、漁業者・行政・研究機関が一体となった資源管理が取り組まれ
るが、資源増加は認められない。資源は不定期に発生する卓越年級に支えられているが、漁獲圧力も依
然として高い状況にあるなかでこれ以上の努力量削減は困難な状況にある。デフレ、養殖物や輸入魚の
流通などで価格が低迷するなかで、地元の旅館・民宿などの利用推進を組織的に進め、トラフグを地域
あ のり
資源化し全国相場に影響されない独自の市場・流通圏の形成に成功した安 乗 地区の事例も紹介された。
高級・希少な地域資源の場合には、地域資源化戦略のなかで管理手法を構築していく方向もあるとの提
起がなされた。
長崎県旋網漁協の小坂氏・いわし食用化協会の岡本氏には、主に長崎県における中小型まき網漁業と
煮干加工原料として重要なカタクチイワシを中心に検討いただいた。対馬暖流系カタクチイワシは十年
スケール規模で漁獲量変動をながめると 1970 から 1980 年代の資源低水準期から日本海北区では 1990
年、日本海西区では 1991 年、東シナ海区では 1995 年からそれぞれ資源増大期に入っている。長崎県
が入る東シナ海区では資源低迷期 4 万トン以下の年が多かった漁獲量は増大期には安定して 4 万トン以
8
上を示す年が多くなった。長崎県における中小型まき網のカタクチイワシ漁獲量は 2 から 3 万トンの漁
獲を維持しており、煮干加工原料として比較的安定した資源となっている。長崎の煮干はカタクチイワ
シが主体であり、90%以上が中小型まき網の漁獲物であり、中小型まき網と煮干加工は相互依存関係が
強い。全国ではシラスの煮干が主であるのに対して、長崎はイワシ煮干が主体で全国シェアで 1 から 2
位にある。長崎県の煮干加工は「委託加工」形式で発展した。まき網業者が原料を加工業者に提供、加
工業者が加工・出荷して売り上げをあらかじめ決定されている歩合により精算する方式である。この方
式は市場でのセリなどの販売過程を省くことから鮮度保持・迅速処理が可能で質の高い製品製造や経費
節減につながっている。しかし、近年煮干需要の減少、単価低迷、加工燃油高騰により加工業者の廃業
が続き、加工業に依存してきた中小型まき網にも廃業者がでている。その中でまき網では加工原料供給
から活魚・鮮魚出荷への転換、加工業者や漁協では消費者に好まれる新たな煮干製品開発の方向の模索
がはじまっている。中小型まき網はカタクチイワシなどの小型浮魚の十年スケールの資源変動に左右さ
れながらも、加工・流通と一体となった生産・経営のもと、規模拡大ではなく経費削減による収支バラ
ンス確保のビジネスモデルをめざすべきであるとの提起がなされた。
以上の整理からブリ、イセエビ、カタクチイワシ、シラスなど主に外海に面した沿岸域を漁場とす
る魚種では、数十年の中長期的なスケールで見れば、1970 年代から 1980 年代の資源水準の低迷期、
1990 年代以降の資源水準の上昇期と特徴付けることができる。また、ここ数年、短期的には千葉のイ
セエビと、九州西部のカタクチイワシなどに共通して資源水準が低下する現象も見られる。おそらくこ
れらの変動は、漁獲圧力の影響ではなく気候・海洋の中長期規模の変動影響を受けているものと考えら
れる。また、管理面では資源水準の上昇期にあったブリ、イセエビを対象とする漁業では若令個体の加
入が高いことから若令魚の多獲や短期的集中漁獲現象などが認められる。このことは、より漁獲金額を
あげながら資源の持続的利用をはかる上では必ずしも好ましい状態ではない。できるだけ成長させてか
ら漁獲するほうが望ましく、成長管理方策の具体化が共に課題となるであろう。
一方、瀬戸内海、伊勢・三河湾、霞ヶ浦・利根川流域においては、いずれも高度経済成長期以降の沿
岸開発による生物生産へのマイナス影響が指摘された。瀬戸内海のイカナゴでは、海砂利開発を容認し
た県と規制が遅れた県ではイカナゴの漁業生産に明らかな相違が認められる。近年、瀬戸内海、伊勢・
三河湾とも漁獲量減少影響として「栄養塩減少説」が出されているが佐々木氏は「貧酸素水説」の立場
から種々の事例を検討された。今後ともより一層の検討を期待したい。内湾環境研究の立場から、鈴木
氏は①開発による干潟などの極浅海域の喪失による産卵場、幼稚仔保育場の減少。②極浅海域の持つ水
質浄化機能の低下による貧酸素化とその影響による生物の生残率低下。③資源減少からくる漁民側の漁
獲努力量の増大化というプロセスを指摘した。内湾域の管理は流入負荷削減に重点を置く水質管理から
干潟の保全・修復など海の物質循環の構築に重点を置いた「場の管理」への方向転換が必要であるとし
た氏の指摘は単純な漁民側の漁獲努力量の増大化という漁業の内部要因だけに目を向けるのでなく、そ
こへ追いやった漁業外部にあった開発政策や経済政策にまで注視することの重要性を教えている。
9
10
第Ⅱ部
事例調査報告
Ⅱ-1 海洋環境レジームシフトの影響魚種とその漁業
日本海ブリ資源の動向と漁業管理のあり方
東京海洋大学 馬場 治
1.ブリ資源の評価
(1)ABC 算定のための規則
ブリ資源状況を概観する前に、まず近年の資源評価のあり方を見ておく。ここでは、水産庁の資料(1)、
および日本海区水産研究所での聞き取りに基づき、ABC 算定のための基本的な規則について概説する。
ABC 算定の規則は、以下のように類型化できる。
・規則 1( 1 系ルール):再生産関係が分かっているもの
・規則 2( 2 系ルール):再生産関係が分からないもの
2 系- 1:CPUE が分かるもの
ABClimit=Ct ×γ
ABCtarget=ABClimit ×α
2 系- 2:CPUE が分からないもの
(1)資源水準 「高位・増加」 または 「高位・横ばい」 のとき
ABClimit=Cave ×δ1 (δ1= 1)
ABCtarget=ABClimit ×α (2)資源水準 「高位・減少」、「中位・増加」、「中位・横ばい」 のとき
ABClimit=Cave ×δ2 (δ2は 1 以下)
ABCtarget=ABClimit ×α
(3)資源水準 「中位・減少」、「低位」、資源状態不明のとき
ABClimit=Cave ×δ3 (δ3は 1 未満)
ABCtarget=ABClimit ×α
各記号の説明は以下のとおりである。
ABClimit:ABC の上限値
ABCtarget:ABC の目標値
Ct:t 年の漁獲量(近年の平均漁獲量 Cave としてもよい)
Cave:平均漁獲量
α:予防的措置のための安全率で、標準値は 0.8
γ:資源量の指標値の変動を基に算定する
δ:平均漁獲量から ABC を算定するための係数
(2)ブリ資源の評価
近年のブリ資源評価は年により下記の通り、若干変化が見られる。
<平成 21 年度>
漁獲努力量が安定している定置網の漁獲量推移、漁獲物の年齢組成、銘柄別漁獲尾数の推移から、
11
資源水準は中位水準・増加傾向として、ABC 算定規則 2 系- 2(2)を適用し、
ABClimit =(過去 3 年間の平均漁獲量)×δ2(=1.0)= 73,000 トン
ABCtarget = ABClimit ×α(=0.8)= 58,000 トン
<平成 22 年度>
漁獲努力量が比較的安定している定置網での 2009 年漁獲量は 29 千トン(高位水準の目安である
1950 年代の水準 31 千トンに達していない)、未成魚漁獲が多く、成魚の漁獲尾数が過去の水準よ
り低い、定置網を含めた最近 5 年間の全国漁獲量は増加傾向から、資源水準は中位水準・増加傾向
として、ABC 算定規則 2 系- 2(2)を適用し、
ABClimit =(過去 3 年間の平均漁獲量)×δ2(=1.0)= 76,000 トン
ABCtarget = ABClimit ×α(=0.8)= 61,000 トン
<平成 23 年度>
定置網の漁獲量が 2010 年に 34 千トンとなり、高位水準の目安である 1950 年代の水準(31 千トン)
に達し、コホート解析による資源量も増加傾向にあることから、資源水準は高位水準・増加傾向と
判断し、ABC 算定規則 2 系- 1 を適用し、
ABClimit =(2010 年を除く過去 3 年間の平均漁獲量)×γ(=1.07)= 81,000 トン
ABCtarget = ABClimit ×α(=0.8)= 65,000 トン
γ:資源量の回帰式から求めた変化率
2010 年を除外したのは、同年に若齢魚を中心とした大量漁獲があったため。
以上の通り、ブリ資源水準に関しては 1950 年代の漁獲水準を高位とする判断基準の下に、近年は中
位水準とされてきたが、平成 23 年度には高位水準と判断される状況になっている。また、資源量の変
化傾向に関しては近年は増加傾向との判断が続いており、ブリ資源全般として資源動向は良好との判断
が定着している。
ただし、ブリ資源評価をめぐる問題点として、漁獲努力量が比較的安定している定置網の漁獲量を基
準として判断しているが、近年はまき網による漁獲量が増加しており、現状の定置網の漁獲動向を基準
とする各種係数算出に疑問が残るという点が指摘されている。
2.ブリ資源と漁獲状況
(1)漁獲の概況
1)海域別漁獲状況
水産庁の資料(2)によれば、ブリ資源の概況は以下のとおりである。
図 1、図 2 はブリの漁法別漁獲量および漁法別漁獲量比率の推移を示したものである。1950 年代以
前は、ブリは定置網による漁獲が中心であり、次いで釣・延縄が続いていた。それ以降、定置網の漁獲
比率が徐々に低下する一方、釣・延縄及びまき網の比率が上昇するが、釣・延縄の比率は 1970 年代をピー
クに減少に転じる。1990 年以降、ブリ総漁獲量が増加する中で、定置網漁獲量比率は 40% 前後で推移
するが、まき網の漁獲量と漁獲量比率は増加を続け、2000 年頃に両者の比率が拮抗し、2002 年以降で
は 2005 年を除き、まき網の漁獲量比率がもっとも高いという状況が続いている。近年では、まき網に
よる漁獲量はさらに増加を続け、定置網との差が開いてきた。
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1990 年代以降、ブリ漁獲量は日本周辺の各海域で増加しているが、漁獲量自体が多く、かつ増加傾
向が顕著なのは、日本海北中部(北海道、青森~兵庫)、山陰(鳥取、島根、山口)である(図 3)。
図1 漁法別のブリ漁獲量推移
図2 漁法別ブリ漁獲比率の推移
ブリを漁獲する主要漁法には、定置網、まき網、釣・延縄、刺網などがあるが、近年では定置網とま
き網が主流である。海域により、ブリ漁獲の方法は異なり、東シナ海(福岡県~沖縄県)、山陰(鳥取
県~山口県)、房総・常磐(福島県~千葉県)ではまき網による漁獲が中心である。一方、日本海中北
部(秋田県~兵庫県)・北海道・青森県、三陸(岩手県~宮城県)、太平洋中南部(東京都~鹿児島県)
では定置網による漁獲が中心である。まき網による漁獲が中心である東シナ海、山陰、房総・常磐では、
13
図3 海域別漁獲量の推移
資料:「平成 23 年度ブリの資源評価」(2)より
まき網による漁獲比率は増加を続けており、他方定置網中心の海域における定置網漁獲比率には顕著な
変化は見られない(図 4)。
2)年齢別漁獲状況
図 5 は海域別の漁法別・年齢別漁獲量と漁獲尾数の推移を示したものである。海域別にその特徴を整
理すると以下のとおりである。
東シナ海・九州:定置網においては、従来は漁獲量、尾数ともに 1 歳魚以上が中心であったが、近年 0
歳魚が増加傾向にあり、漁獲量では半分以下であるものの、尾数では約 8 割が 0 歳魚という状況である。
まき網においては、漁獲量では 3+ 歳魚が中心であり、尾数では 1 歳魚以上が多く、0 歳魚は漁獲量、
尾数ともに少ない。
山陰:定置網においては、従来は漁獲量では 1 歳魚以上が中心であったが、近年は漁獲量、尾数ともに
増加傾向にあり、とくに尾数ではほとんどが 0 歳魚である。まき網においては、従来漁獲量では 0 歳
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図4 海域別漁法別ブリ漁獲量比率の推移
資料:「平成 23 年度ブリの資源評価」(2)より
魚が中心であったが、近年は 1 歳魚以上の漁獲量も増加傾向にあり、尾数ではほとんどが 0 歳魚である。
日本海中北部・青森・北海道:定置網においては、漁獲量では 0 歳魚と 1 歳魚以上がほぼ拮抗しているが、
尾数では 0 歳魚が中心である。まき網においても、定置網とほぼ同様で、漁獲量では 0 歳魚と 1 歳魚
以上が拮抗し、尾数では 0 歳魚が中心である。
太平洋中南部:定置網においては、漁獲量では 2、3+ 歳魚が中心であり、尾数では 0 歳魚が中心である。
釣りにおいては、0 歳魚はほとんど漁獲されず、ほとんどが 1 歳魚以上で、尾数では従来は 1 歳魚が
多かったが、近年では 2 歳魚以上が中心である。まき網においては、漁獲量、尾数ともに 0 歳魚、1
歳魚がほとんどであり、とくに尾数ではほとんどが 0 歳魚である。
房総・常磐:まき網においては、漁獲量、尾数ともに 0 歳魚、1 歳魚が中心である。定置網においては、
漁獲量では 1 歳魚以上が中心であるが、尾数においては 0 歳魚が中心である。
三陸:定置網においては、漁獲量、重量ともに 0 歳魚がほとんどである。
以上のように、全海域を総合すると、漁獲量では 1 歳魚以上が多いものの、尾数では 0 歳魚の割合が
大きく、0 歳魚は魚価も低いことから、漁業経営上、課題を残す操業となっている。漁法別では、定置
網による小型魚漁獲は少ないという印象を与えがちであるが、尾数では大部分が 0 歳魚であり、年齢に
よる漁獲選択が困難な待ちの漁法である定置網の課題を示す格好となっている。なお、東シナ海・九州
と山陰において、定置網による 0 歳魚漁獲が増加傾向にある点が注目される。
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図5(1) 海域別の漁法別・年齢別漁獲状況
資料:「平成 22 年度ブリの資源評価」(3)より
16
図5(2) 海域別の漁法別・年齢別漁獲状況
資料:「平成 22 年度ブリの資源評価」(3)より
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図5(3) 海域別の漁法別・年齢別漁獲状況
資料:「平成 22 年度ブリの資源評価」(3)より
2009 年の海区別・漁法別漁獲年齢組成を図 6 に示した。漁獲量で 0 歳魚が 50% を超えているのは山
陰のまき網と三陸の定置網であり、漁獲量では概ね 1 歳魚以上が中心である。これに対して、漁獲尾数
で 0 歳魚が 50% 以下であるのは、東シナ海のまき網、太平洋中南部の釣、まき網、房総・常磐の定置網、
まき網であり、多くの海域で漁法にかかわらず 0 歳魚が中心となっている。
(2)資源の概況
1)分布
資源評価(2)によれば、「流れ藻につく稚魚(モジャコ)は、3 ~ 4 月に薩南海域に出現し、4 ~ 5 月
には九州西岸から長崎県五島列島近海および日向灘から熊野灘に、6 月には島根県隠岐周辺海域に多く
分布する。幼魚から親魚は、九州沿岸から北日本沿岸まで広く分布する。成魚は産卵のため、冬から春
に南下回遊する。」とされている。
成魚の回遊パターンは、資源評価(2)(3)にれば日本海側と太平洋側にそれぞれ以下のような複数のパ
ターンが確認されている(4)(5)。
(日本海)
① 北部往復型:北海道沿岸と東シナ海の間を往復回遊
② 中・西部往復型:能登半島以西の日本海と東シナ海の間を往復回遊
③ 長期滞留型
(太平洋)
① 遠州灘-四国南西岸回遊群
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図6 2009 年の海区別・漁法別漁獲年齢組成
資料:「平成 22 年度ブリの資源評価」(3)のデータより作成。
② 紀伊水道-薩南回遊群
③ 豊後水道-薩南回遊群
しかし、これらの回遊群は確定したものではなく、三陸の岩手県沖に現れる群は日本海群が津軽海峡
を越えて太平洋側に来遊したものと考えられているなど、回遊群は必ずしも明確に分けられているわけ
ではないという(6)。
2)成長、成熟、産卵
資源評価(2)に基づき、成長、成熟、産卵の概況について整理する。
① 成長
海区別の成長は以下のとおりである。
(日本海・東シナ海:4 月時)
0 歳(40.5cm、1.08kg)、1 歳(59.4cm、3.51kg)、2 歳(74.9cm、6.94kg)、3 歳以上(83.9cm、8.99kg)
(太平洋側:1 月時)
0 歳(43cm、1.09kg)、1 歳(63cm、3.83kg)、2 歳(76cm、6.99kg)、3 歳以上(82cm、8.92kg)
とされ、寿命は 7 歳前後とされている。
19
② 成熟、産卵
産卵期は 1 ~ 7 月で、中心は 3 ~ 5 月とされている。「産卵場は東シナ海の陸棚縁辺部を中心として
九州沿岸から日本海側では能登半島周辺以西、太平洋側では伊豆諸島以西」とされている。
産卵初期(2 ~ 3 月)に東シナ海陸棚縁辺域で発生した仔稚魚は太平洋側へ輸送され、4 ~ 5 月以降
に発生した仔稚魚は日本海へ輸送されるとされている。
産卵に参加するのは 2 歳魚の一部と 3 歳以上のすべてといわれるが、近年の調査では「日本海から東
シナ海へ大規模な回遊・産卵活動を行うのが 3 歳の一部と 4 歳以上のブリ」といわれる。
3.日本海におけるブリ漁獲の動向
日本周辺海域におけるブリ漁獲と資源の全体概況については上述したとおりであるが、以下では今回
の調査を通じて得られた日本海側におけるブリ漁獲の動向について述べる。なお、今回の調査では主に
北陸地方を中心とするブリ漁業を対象とした。
(1)定置網によるブリ漁獲の動向
1)銘柄別のブリ漁獲動向
氷見漁協における平成元年~ 21 年度の銘柄別ブリ水揚量の推移を図 7 に示す。氷見漁協ではブリ(6
~7kg を中心に、これ以上のサイズ)、小ブリ(5~6kg 中心)、ガンド(2kg 中心に4kg まで)、フ
クラギ(1~2kg)、青子またはコズクラ(100 ~ 200 g 中心)などの銘柄で区分している。ここでは、
ブリ、ガンド、フクラギ、青子について示した。なお、年度はブリ年度として 4 月~翌年 3 月までを使
用する。すなわち、平成 21 年度とは平成 21 年 4 月~ 22 年 3 月までを意味する。
平成 12 年度以前は年による水揚量の変動が大きかったが、12 年度以降は安定しており、年間 2,000
から 2,500 トンの水準で推移している。中心的な銘柄はガンドであり、これに次ぐのがブリである。平
成 18 年度にはブリの水揚げが伸びて、全体の水揚量を押し上げているが、これは 19 年 3 月に例年に
なくブリの大量水揚げがあったためである。
次に、銘柄別の月別水揚量を図 8 に示した。月別水揚量は平成元年度から 21 年度までの各月の平均
値である。青子は 8、9 月に集中的に水揚げがある。ガンドは 5 月と 9 月を中心とする 2 度のピークが
ある。フクラギは 9 月に水揚げが始まり、
その後 1 月まで徐々に減少しながら水揚
げが続く。ブリは 12 月、1 月に集中し
て水揚げされる。
以上は約 20 年間の平均値であるが、
これを年度別に月別の水揚比率で示した
のが参考図 1(後掲)である。
ブリを見ると、平成年度に入った当初
は 4 月~ 5 月に比較的高いピークがあっ
たが、その後はこのピークはあまり見ら
れなくなり、12 月~ 2 月が中心となっ
てきた。また、近年ではかつてのような
20
図7 氷見漁協における銘柄別ブリ水揚量
高いピークは見られなくなり、全般的になだらかな山が形成されるようになっている。
ガンドは年によりピークの形成時期が異なり、5 月頃を中心にピークが形成される年と 9 月頃を中心
に形成される年の 2 パターンが見られる。また、そのピークの高さも年によって異なり、一様ではない。
フクラギは 9 月から 10 月頃を中心とするピークを形成する年が多いが、その中心時期は年により若
干異なる。近年は、あまり高いピークは見られなくなっている。
図8 銘柄別の月別平均水揚量(平成元年~21年度)
2)定置網別のブリ水揚げ動向
氷見漁協の日別・定置網別・銘柄別販売量の資料から、富山湾周辺でのブリの水揚動向を分析した(表
1)。用いた資料は、氷見漁協に日常的にブリを搬入して販売する定置網の実績(平成 21、22 年度)であり、
氷見漁協管内だけでなく、石川県の能登半島内湾及び外海の定置網も含まれている。銘柄はブリ(6kg
以上)、小ブリ(5~6kg 中心)である。ブリ、小ブリの水揚げの多い 10 月~ 3 月について集計してある。
定置網の所在地を富山県内(前大~有磯組)、石川(1)(佐々波~鹿渡島・野崎)、石川(2)(能登島小
網~能都町方面)、その他(西海定置~蛸島田川)の 4 地域に区分した。( )内の名称は定置網の呼称
である。
21 年度と 22 年度を比較すると、小ブリの水揚量はほぼ同程度であるが、ブリは 22 年度が圧倒的に
多く、その水揚げは 1 月(23 年 1 月)に集中しているのに対し、21 年度は水揚げの中心が 2 ~ 3 月(22
年 2 ~ 3 月)と、少し遅れている。小ブリの水揚時期もブリと同様に、22 年度は 1 ~ 2 月が中心であ
るのに対し、21 年度は 2 ~ 3 月とやや遅れている。
定置網の地域別傾向を見ると、ブリの水揚げは富山県内よりも、能登内湾側の富山県境に近い石川県
側に位置する定置網(石川(1))からの水揚げが多い。22 年度の月別の水揚げは、県内、石川(1)と
もに 1 月を中心として、ほぼ同時期に集中しているが、21 年度は総水揚量が少なかったこともあり、
11 月~ 3 月にかけてなだらかな山を形成するにとどまっている。
21
以上のように、氷見漁協におけるブリ販売状況における特徴の一つは、県内よりも富山県境に近い石
川県側の定置網(佐々波、岸端など)からの搬入(陸送)が多いという点である。冬期のブリの来遊経
路(能登半島先端から富山湾奥部にかけて回遊)との関係もあり、能登内湾側の石川県側の定置網でブ
リ漁獲が始まり、その後富山県側定置網に入網すると言われており、表 1 もその傾向を示す結果となっ
ている。
なお、ブリは年末にかけて価格が高騰することから、定置網による漁獲が集中したときには一定期間
の蓄養を行った上で調整しながら出荷することがあり、漁獲時期と水揚(販売)時期は必ずしも一致し
ているわけではないので、水揚時期から来遊時期を推定する場合には注意が必要である。
表1 氷見漁協ブリ販売状況
(2)石川県内におけるブリ漁業と漁獲動向
1)ブリ漁獲動向
石川県水産総合センターのブリ水揚資料に基づき、石川県内のブリ漁獲動向を検討した。漁法は定置
網、まき網、その他、銘柄はブリ(5kg 以上)、ガンド(1.5 ~5kg)、フクラギ(1.5kg 未満)として
県内主要漁港別の水揚量が把握されている。
図 9 は、漁法別水揚量の推移を示したものである。総水揚量は 2000 ~ 2005 年は、おおよそ 4,000
~ 5,000 トンの水準であったが、その後は増加し、6,000 ~ 8,000 トン水準となっている。総水揚量が
22
このように増加する中で、定置網による水揚量にはほとんど変化が見られず、増加はもっぱらまき網に
よる水揚げである。2010 年のまき網による水揚比率は約 70% という高さである。
漁法別に銘柄組成を示したのが図 10 である。水揚げの中心を占める定置網とまき網を比較すると、
ブリの比率はまき網よりも定置網の方が高く、ガンドの比率はまき網の方が高い。一方、フクラギの比
率は定置網が高いという傾向がある。
定置網、まき網のそれぞれについて、月別の銘柄別水揚量の推移を示したのが参考図 2(後掲)である。
いずれの年も定置網によるブリの水揚げは 12 月~ 2 月が中心であり、フクラギは 9 月頃を中心とする
期間である。他方、まき網では、ガンド及びフクラギの水揚げが 9 月~ 10 月を中心とした時期に集中
している。まき網によるブリの水揚げは定置網とは異なり、12 月~ 2 月とは限らず、年により広い範
囲の時期に分散しており、沿岸への来遊群を対象として特定時期に漁獲する定置網と、魚群を追いかけ
て漁獲するまき網の違いを反映したものと考えられる。ただ、まき網自体の全銘柄合計のブリ類水揚量
はおおむね 8 月以降に集中しており、他の対象魚種の漁獲時期との関係が伺われる。
図9 漁法別水揚量
2)ブリ漁業の操業状況
① 石川県漁協西海支所
同支所には大型定置網が 2 経営体あり、うち 1 経営体は任意組合組織(2ケ統経営)、他の 1 経営体
は有限会社(1ケ統経営)である。任意組合経営の網は従業員 14 名で、2 隻で 2 ケ統を揚げ、有限会
社経営の網は従業員 5 ~ 6 名で1ケ統を揚げる。同地区の大型定置網は、免許上は周年免許であるが、
冬場は時化で事実上操業困難な日が多いために、実際には 3 ~ 11 月末までの操業である。能登半島の
外海側はどこも同様な操業形態である。
小型定置網は同支所内に 3 経営体(各 1 ケ統)あり、操業は 4 ~ 10 月である。
以上のように、同支所の定置網は寒ブリが来遊する冬場は時化のために網を揚げており、寒ブリを主
たる狙いとする定置網とはやや異なる性格の網である。
同支所では定置網よりもまき網によるブリ類漁獲が大きい。地区内のまき網船団は、19 トンの網船
(本船)を中心に構成される知事許可の中型まき網で、3 経営体(各 1 ケ統)が操業している。3 経営体
ともに有限会社組織であり、船団構成は、網船(19 トン)1 隻、灯船(6~ 10 トン)2 ~ 3 隻、運搬船(19
トン)2 隻であり、従業員はいずれも 24 ~ 26 名である。富来港を基地として、夕方出港して翌朝帰港
23
図10 漁法別銘柄組成の推移
するという日帰り操業である。同地区のまき網操業の特徴は平成に入ってから活発化した活魚化対応で
ある。当初は、出荷調整を目的として、ブリ操業が盛んになる 8 ~ 11 月にかけての時期に、港内の生
け簀に活かすという対応から始まった。8 ~ 11 月に漁獲されるブリは、0.3 ~ 3 kg(コズクラ、ガンド)
が中心である。現在は、出荷調整用(最長で 3 ヶ月活かすこともある)と養殖種苗用の活かしを行って
いる。養殖種苗用出荷には、取引養殖業者から体重指定、餌料指定、ワクチン接種などの各種の要望が
あり、漁業者側でこれに対応する必要がある。漁獲物の出荷先は氷見漁協市場、金沢の石川県漁協(旧
漁連)市場、金沢中央市場などがある。同地区のまき網経営は、いわゆる船の持ち込み経営という特異
な経営形態である。まき網経営組織である有限会社は、底びき網や籠漁業を営む 5 ~ 8 名の経営者が
集まって組織したものであり、有限会社としての持ち船は網船、運搬船、活魚運搬船であり、そのほか
の灯船は経営者がそれぞれの底びき網船や籠漁船を持ち込んでいる。外海でのまき網操業が困難となる
24
12 月の中旬頃にまき網操業を解散し、各経営者は個人形態での操業である底びき網や籠操業に戻って
いく。
② 輪島丸船団
船団構成
輪島港を母港とする大中型まき網船団を経営するのは輪島漁業生産組合という生産組合法人である。
船団構成は、網船(110 トン)、探索船(85、99 トン)、運搬船(199、260 トン)で、48 名が乗り組ん
でいる。生産組織は、昭和 27 年に任意団体として設立され、その後昭和 47 年に生産組合法人となった。
乗組員のうち 2/3 は輪島出身者、1/3 は能登の内浦地区、県外は 2 名のみである。
操業パターン
標準的な操業パターンは以下のとおりである。
1 ~ 4 月:新潟~能登沖でサバ、アジ操業
5 月:ドック入り
6 ~ 8 月初旬:マグロ漁
9 ~ 11 月:ブリ類が中心
活魚化への取組
同船団では平成 10 年頃より活魚化に取り組んでいる。平成 15 年に 199 トンの運搬船を新造、つい
で平成 18 年に 260 トンの運搬船を新造し、運搬船の 5 魚槽中 3 魚槽が活魚対応であり、活魚生産能力
が飛躍的に向上した。活魚槽で活かすのは主にブリ類で、水揚港まで活魚槽で活かし、港で水揚時に乗
組員全員で活締め、箱詰めする。活魚で水揚げするのは、活魚販売効果の大きい金沢港と七尾港に水揚
げするときのみである。活魚にする目安は、市場での需給バランスを見ながらで、とくに年末などの需
要の多いときは活魚化の効果が大きいという。価格は、野締めではキロ 200 円であるのに対し、活締め
ではキロ 450 円と 2 倍以上(金沢、七尾での平均的な価格帯)である。野締めは全国相場であるのに対し、
活締めは別相場と言われ、活魚にすることで大きな効果を産んでいる。活魚化することで少ない漁獲量
を単価の上昇でカバーし、かつ氷の使用量を削減できるために、コスト軽減にもつながり、結果的に利
益の向上を実現しているという。言い替えれば、量より質を目指した操業で経営維持を図っているとい
える。この結果、平成 18 年以降は常に採算分岐点を上回る好業績を残しているという。
4.日本海ブリ資源の展望と管理方策
ここでは、日本海区水産研究所における研究者等からの聞き取りに基づく日本海ブリ資源の展望につ
いてまとめておく。
日本海におけるブリ漁獲動向は冬期海水温と関係があると指摘されている。図 11 において CWWS
は冬冷夏暖期、CWCS は冬冷夏冷期、WWCS は冬暖夏冷期、WWWS は冬暖夏暖期を示している。こ
れによれば、冬季水温は 1980 年代は寒冷期で、1987 年を変わり目として 90 年代は温暖期に入っている。
1970 ~ 80 年代は日本海は寒冷期のためブリ類等の加入量は少なく、したがって漁獲量も少なかった。
これに対して 90 年代以降は温暖期に入り、資源の発生が良好で、加入状況も良いことから 0 ~ 1 歳魚
が多く漁獲されている。その結果、成長濫獲を引き起こし、大型魚の漁獲が少ないという状況を招いて
いる。このように、現状のブリ漁獲は、環境条件(温暖期)が良好なために加入状況が良好であり、小
25
型魚を中心とする漁獲が伸びていると理解できる。しかし、今後日本海が寒冷期に入るとの予測があり、
寒冷期に入れば加入量が減少し、ここにまき網の高い漁獲圧が影響を与えると、資源全体に大きな影響
を及ぼす可能性も考えられると言われる。70 ~ 80 年代にも寒冷期をむかえているが、当時はまき網に
よるブリ漁獲が少なく、まき網がブリ資源に与える影響が比較的少なかったことが考えられるという。
また、近年いわゆる寒ブリの漁獲時期に変化が起きているとの指摘があるが、それに対しては以下の
ような説明が考えられている。冬季の水温が高いために、産卵のために南下するきっかけを逸し、南下
が遅れているのではないかという説が考えられるという。また、回遊パターンが変化して沖合を通過す
るようになり、従来に比べて富山湾内の定置網への入網が減少してきているのではないかという説も指
摘されている。
以上のような資源の現状理解と展望に基づいて提案されうる管理方策としては、以下のような方策が
考えられるという。
近年の加入量から考えると加入濫獲ではないが、0 ~ 1 歳魚を中心とする未成魚の大量漁獲が年齢構
成に影響を与え、大型魚漁獲の減少を招いている可能性が考えられる。したがって、若齢魚に対する漁
獲圧を引き下げ、漁獲開始年齢を引き上げる方策が必要である。漁獲開始年齢を引き上げる方策として
は、漁獲サイズ制限を導入する方法が考えられるが、現実的には困難であろう。これに替わる方策とし
て、量的管理を導入する方策も考えられる。現状の小型魚中心の漁獲を前提とすれば、量的管理を導入
することが結果的に小型魚漁獲を抑制することになり、漁獲年齢組成を適正化することにつながるので
はないかとの見解である。しかし、これ自体も容易に導入できる方策とは言えない。
図 11 日本海西部海域 50 m深水温偏差の変化(上:冬季、下:夏季)
資料:田永軍(2010)(7)より
26
5.管理の取り組み事例
ブリ漁業における漁獲管理の事例は余り見られないが、一事例として富山湾における取組事例を紹介
しておく。
① まき網によるブリ漁獲規制強化の要請
富山県定置漁業協会の名で、平成 22 年 9 月 22 日に政党に対し標記のような要請を行っている。要
請の概要は以下のとおりである。
1)操業違反が多発しており、まき網の漁労監視強化が必要である。
2)まき網操業の禁止ラインを、現状の距岸 7 マイルから 12 マイルに統一する。
3)VMS(vessel monitoring system)装置の搭載義務化
4)水中灯の使用禁止
5)まき網の大臣許可証の実質的転売禁止と名義貸し禁止
6)まき網漁獲物の産地偽装の監視強化
これに先立つ平成 22 年 9 月 10 日、富山湾ぶり資源協議会は以下のような決議文を採択した。同協
議会は氷見市と七尾市の定置網漁業者約 70 業者により平成 22 年 9 月に結成された組織である。
「富山湾は定置網漁業のメッカであり、我々定置網漁業者は四百年も前から自然(漁業資源)との調
和を図りながら漁業を営み、地域の産業・文化の核と言える役割を担ってきた。しかし近年、ぶりに代
表される定置網の主要な漁獲対象種(アジ、サバ、マグロ、スルメイカ等)の漁獲量が減少し、経営状
況は悪化する一方である。
こんにちの漁業資源問題は、魚を追いかける「狩猟型漁法による乱獲」と小型魚や幼魚の漁獲増が生
み出した危機である。
漁獲量の減少や資源状況悪化の要因は複雑であるが、このままでは、漁業資源をめぐる負の連鎖が拡
大し、資源枯渇を待つのみである。
この厳しい状況を踏まえ、我々は本協議会において、漁業資源の保護及び環境保全に配慮した「新し
い漁業形態」への変革を目指し、率先して取り組む意思を確認するとともに、その具体的内容について
協議した。
本協議会の名において同様の課題を抱える漁業者と共に資源保護策等の実行を決議する。」
② 富山湾ぶり資源協議会によるブリ小型魚の放流
同協議会は資源保護の一環として、定置網に入網したブリの幼魚(フクラギ)を海に再放流する取り
組みを採択し、平成 22 年 10 月 14 日に氷見市宇波の沖合 3km で灘浦定置漁業組合の定置網(前網大敷)
に入網した約 10 トンの魚のうち、約 4.5 トンを再放流した。再放流したフクラギは、体長 30cm 前後、
体重 800g 程度のブリの当歳魚(1 歳魚)で、約 6,000 尾が再放流されたという。
まとめ
ブリ漁獲をめぐっては、古くからのブリ漁獲の中心であった定置網漁業者から、養殖用のモジャコ採
捕、まき網によるブリ漁獲の増加の問題点が指摘されてきた。一般的には、まき網によるブリ幼魚漁獲
の増大が問題視される傾向にあるが、実際には価格が低いブリ幼魚を意図的に狙って漁獲するという選
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択は余り行われず、むしろまき網が漁獲しているのはブリよりはやや小さい銘柄のガンド(他の地方で
はイナダ、ワラサなどのサイズ)が中心である。これに対して、定置網は対象魚種を選択することがで
きず、結果的にまき網よりもさらに小さいフクラギを多く漁獲している実態が明らかとなった。しかし、
定置網における大きな問題は、沿岸への大型のブリの来遊の減少である。来遊が海洋環境との関係であ
れば、その解決は困難であるが、漁業種類間の調整に問題があるのであれば、早急な対応が求められる。
大きな回遊を行うブリ資源であり、地域によって漁法も異なることから、広域での漁業調整は困難を伴
うことが予想されるが、資源の発生、加入が良好な時期であればこそ、何らかの対策を検討する必要が
あろう。そのために、まずは漁業種類間で協議を行うテーブルの設定が求められる。
(注)
(1)「ABC 算定のための基本規則」(平成 21、22、23 各年度版)より。
http://abchan.job.affrc.go.jp/digests23/rule/rule23.pdf を参照。
(2)「平成 23 年度ブリの資源評価」(http://abchan.job.affrc.go.jp/digests23/details/2341.pdf)より。
(3)「平成 22 年度ブリの資源評価」(http://abchan.job.affrc.go.jp/digests22/details/2241.pdf)より。
(4)井野慎吾・新田朗・河野展久・辻俊宏・奥野充一・山本敏博(2008)記録型標識によって推定さ
れた対馬暖流域におけるブリ成魚の回遊.水産海洋研究,72(2),92-100.
(5)坂地英男・久野正博・梶達也・青野怜史・福田博文(2010)2.太平洋における成長段階別の回
遊様式の把握.(1)年齢別回遊群について.水研センター研報,(30),35-104.
(6)2010 年 11 月 12 日に実施した日本海区水産研究所での聞き取り調査による。
(7)田永軍(2010)日本海における漁業資源の長期変動と環境要因―特に 1970 年代の変化について―.
月刊海洋,42 巻 8 号,438.
28
参考図1の1 ブリの月別水揚量
29
参考図 1 の2 ガンドの月別水揚量
30
参考図1の3 フクラギの月別水揚量
31
32
参考図2 月別・銘柄別水揚量推移
33
34
千葉県におけるイセエビの資源動向と漁業実態
千葉県水産総合研究センター 中丸 徹
1.千葉県におけるイセエビの漁獲動向
1960 年から 2009 年までの全国イセエビ漁獲量は 969 トン(1988 年)から 1,690 トン(1968 年)で
推移している(図)。最近 10 年間の平均は 1,335 トンで、その内訳を都道府県別にみると千葉県が 286
トンで全体の 21.4% を占め最も多く、これに三重県 206 トン(15.4%)、静岡県 150 トン(11.2%)、和
歌山県 141 トン(10.6%)、鹿児島県 84.8 トン(6.4%)、長崎県 82.6 トン(6.2%)と続く。
これらの県について 1960 年からの漁獲量の推移を比較すると、千葉県及び静岡県は期間を通じてお
おむね増加傾向で、2000 年代がピークである。三重県は 1960 年代に1つのピークがあり、1980 年代
に減少したものの、2000 年代には 1960 年代を上回るピークを迎えた。一方、和歌山県は 1960 年代がピー
クで、先の 3 県のような 2000 年代の増加傾向は見られない。また鹿児島県と長崎県は 1960 年代をピー
クに、その後は減少、横ばいとなっている。このようにみると、東に行くほど、2000 年代の増加傾向
が顕著である。
図 イセエビ主要生産県における漁獲量の推移
(漁業・養殖業生産統計年報)
松田・山川 1)はイセエビの漁獲重心位置(県)を数値化し、1960 年代以前には愛媛県から徳島県にあっ
たが、以後は徐々に東方に移動し、近年は三重県周辺にあるとした。さらに、このような漁獲量の変動
に大きく関与するのは資源加入量であり、資源加入量に影響を及ぼす要因の1つとして、沖合から沿岸
へ到達するプエルルスの来遊量を挙げた。
千葉県ではこの来遊量を 30 年間にわたりモニタリングしてきた。
35
2.千葉県におけるプエルルス着底量調査
(1)イセエビの生活史
本県におけるイセエビの産卵期は 5 月下旬から 9 月上旬 2, 3)で、雌は腹部に抱卵する。孵化したフィ
ロゾーマ幼生は 2 ~ 3 か月間は沿岸に分布し、その後は黒潮外側域で浮遊生活を送り、孵化翌年の夏に
プエルルスに変態して、再び沿岸に来遊・着底すると推測されている 1)。それから約 1 週間で第Ⅰ期稚
エビに変態して親とほぼ同じ形になり 4)、約 2 年後に漁獲サイズ(体長 13cm)に達する 4, 5)。着底後の
成長については夷隅東部漁業協同組合大原地区青年部がプエルルス及び稚エビをコレクターにより採集
して飼育し、最も早い個体では採集後1年4カ月で、生残した全ての個体が採集後 2 年 2 ヵ月でこのサ
イズに達することを明らかにした 6)。
また最近の解析で、千葉県における漁獲物の主体は着底 2 年後の群であることが確認された(小宮,
未発表)。
(2)調査の経緯
このような生活史から、プエルルス幼生着底量を調査することで 2 年後の漁獲動向を予測できると考
えられる。
千葉県では 1982 年にプエルルス加入のモニタリングを開始し、30 年後の現在では、着底量をもとに
その 2 年後の漁獲動向を予測している。当初は調査手法が確立しておらず、この 30 年の間に適地選定、
採集器の標準化が行われた。
国内でコレクター(プエルルスの着底基質を人工海藻で模した簡易採集器)を利用したプエルルスの
採集例をみると、静岡県では 1982 年から 1991 年にかけて継続的な採集を行い、採集プエルルス個体
数と、翌年の「小エビ」(静岡県漁業調整規則による制限サイズである体長 13cm 以下の個体)の採捕・
放流量および、翌々年のイセエビの漁獲量に相関があるとした 7)。また 1989 年から 2004 年にかけて
も同じく静岡県内で調査が行われ、プエルルス採集量と黒潮流路との関係が論じられた 8)。
この間の 1995 年から 1999 年にかけては、広域的かつ統一的な手法による調査が静岡県、三重県、
徳島県、高知県によって行われた 9)。従来は実施機関によりコレクターのタイプや設置方法の異なる場
合が多かったため、実績豊富な静岡県水産試験場の C 型コレクターが共通型として採用された。その
結果、単一年ごとでは加入変動に県間での差があるものの、より長期的に見ると差はないことが示唆さ
れた。
一方、千葉県では、1982 年から独自の千葉県型コレクターによる調査を開始した。当初は設置場所
や調査頻度等を検討し、10 年目の 1991 年には設置場所を千葉県千倉町川口地先の 1 地点に絞り込ん
だ。この場所は外海域に隣接するが波浪の影響を直接受けづらい上、千葉県水産総合研究センターに近
く、定期的な採集や台風時の陸揚げといった維持管理が容易で、長期的かつ継続的なモニタリングを行
うのに適している。しかし、その直後の 1992 年から 1994 年の 3 年間は「資源水準の予測に役立たない」
との判断で中断した。1995 年には、それまで使用していた千葉県型コレクターと、前述の複数県によ
り採用された共通型を併用し再開した。1982 年から 1997 年までの調査結果から、川口地先における
プエルルス採集数と着底から 1 年後及び 2 年後の平均漁獲量に弱い正の相関があることが分かった 10)。
1999 年までは 2 種類のコレクターを併用し、千葉県型から共通型へ移行する上で過去の採集数を補正
するために必要なデータを得て、2000 年からは共通型のみとした。
36
(3)プエルルス着底量と 2 年後漁獲量の関係
このような経緯を経て現在は、6 ~ 12 月に南房総市千倉町川口地先に共通型コレクターを 3 基設置
して毎週 1 回引き揚げ、付着したプエルルス幼生及び稚エビを採集・計数し、着底量の指標としている。
調査頻度が週に 1 回であるため、その間にコレクター上でプエルルスがⅠ期稚エビに変態する可能性が
あることから、プエルルスとⅠ期稚エビを合わせた採集状況と漁獲量の関係を検討したところ、共通型
コレクターを導入した 1995 年以降では、プエルルス幼生とⅠ期稚エビの年間累積採集数と、2 年後の
隣接地区における漁獲量(白浜~岩和田、全県のおよそ 6 割を占める)との組み合わせが、最も相関が
高いことがわかった。この関係を利用して、着底量のモニタリング結果から 2 年後の漁獲動向を予測し
ている 11)。またこの相関関係は、着底量がイセエビ資源加入量に大きく影響していることを示唆する。
それではこのような特徴を持つイセエビ資源が、千葉県ではどのように管理されているのか。また、
2 年後の漁獲量予測は資源管理にどのような役割を果たしているのか。
3.千葉県におけるイセエビ資源管理
(1)資源変動パターンと資源管理方策
片山 12)は、沿岸魚類(多獲性浮魚を除く)の資源変動パターンを卓越年級群型、親子関係型、安定
型、短期的変動型、中長期的変動型にまとめ、イセエビについてはこれらのうちの「安定型」とし、広
域底魚(黒潮系)のマアナゴ、エゾイソアイナメ、アオメエソと同一のグループに類型化した。「安定型」
の管理方策は特に示されていないが、いずれのカテゴリーにもあてはまり漁獲量増加に有効な方策とし
て、加入あたりの漁獲量を最大にする小型魚保護や漁期の制限を挙げた。
(2)イセエビ主要生産県の漁業調整規則
千葉、静岡、三重、和歌山、長崎、鹿児島の各県漁業調整規則をみると、小型魚保護や漁期の制限
はいずれの県においても規則化されている(表)。制限体長は和歌山県と長崎県の 15cm が最も大きく、
表 イセエビ*主要生産県の漁業調整規則で定められた体長等の制限及び禁止期間
37
千葉県、静岡県の 13cm がこれに次ぐ。禁止期間は千葉を除くと 5 ~ 9 月の間の 3 ~ 5 ヶ月間である。
これに対し千葉県は最も短く、6 月 1 日から 7 月 31 日までの 2 ヶ月間である。
(3)千葉県における資源管理実施状況
千葉県では、1988 年以降、資源培養管理対策推進事業により、地先資源の資源管理を推進し、1991
年以降は、資源管理型漁業推進総合対策事業により、広域資源の資源管理を推進し、小型魚の保護、休
漁日の設定、選択性漁具の導入等の取り組みを行っている。千葉県におけるイセエビの漁業種類は固定
式刺し網に限られ、1993 年に夷隅地区(いすみ市、御宿町、勝浦市)及び安房東地区(鴨川市、南房
総市の外房沿岸地域)において関係漁業協同組合が資源管理計画を作成し、若令エビの混獲率が高いと
されるエム・エフ網(撚りのない糸、通称ベタ網またはキンキラ)の使用を禁止した。この当時、他の
磯根漁業対象資源が減少傾向を辿る中で増加傾向を示すイセエビについては、漁業者の資源維持培養に
対する認識が高かった。
近年では、資源管理・漁業所得補償対策の実施を受け、平成 23 年 3 月に千葉県資源管理指針が定め
られ、イセエビについては高い水準で推移している資源を現状レベルで維持するため、漁業調整規則、
漁業権行使規則を遵守するほか、自主的措置として、刺網漁業では休漁日の設定に重点的に取り組む必
要があるとされた。またこの他にも、これまで実施してきた漁具(反数)の制限、操業時間の制限、小
型魚の再放流等の措置についても引き続き取り組み、資源の維持を図る必要があるとされた。この指針
に基づき資源管理計画を作成した各漁業協同組合は、おおむね月 2 回程度の休漁日の設定を計画に盛り
込み、その履行状況は毎月 1 回、千葉県資源管理協議会(事務局:県漁業資源課)において確認されて
いる。
(4)自主的措置の事例
県内最大のイセエビ産地である夷隅東部漁業協同組合(夷隅地区)は、自主的措置として以下の取り
組みを行っている。
1)漁具の制限
目合いについては、近隣地区と統一で 3 寸 1 分未満の使用を禁止している。その有効性については、
異なる網地や目合いを用いて試験操業を行ったところ、目合いによるサイズ選択性が示された 13)。
また反数については、上限が 1 隻あたりの操業人数で決められ、1 人乗り 8 本(1 本= 6 反、1 反=
25m)、2 人乗り 11 本、3 人乗り 15 本、4 人乗り 19 本となっている 14)。
2)小型魚の保護
制限体長を千葉県漁業調整規則の 13cm より厳しい 14cm とし、これより小さいものは漁協が買い上
げて再放流している。漁協が水揚金額の 0.5% を徴収し、これを原資に小型イセエビを 1 尾 100 円で買
い上げ、近年の再放流尾数は 5 ~ 6 万尾ほどである 14)。
(5)意義
現在行われているイセエビ資源管理は、ABC や取り残し量といった「出口管理」ではなく、小型魚
の保護、漁期の制限といった「入口管理」である。
片山 12)は、ABC を算出するために労力を投じて資源解析を行わなくても、漁獲量や資源量指数が減少、
加入量(指数)が減少、分布密度が減少、年齢組成が弱体化、体長組成が小型化といった成長乱獲、加
入乱獲の兆候が現れた段階で、それに応じた漁獲制限を行えばよいとした。
千葉県では着底量や漁獲物体長組成をモニタリングしており、着底量の減少や漁獲物の小型化が長期
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的に続くような兆候はない。しかし将来的にこれらの「危険信号」が見られた時、現状の資源管理措置
は固定的であり、資源状態の変化に対する順応的な措置は用意されていない点に注意が必要である。
夷隅東部漁業協同組合では禁漁期間から解禁後まで抱卵状況を調査し、解禁時(8 月)に抱卵個体の
割合が高い年があった 6)。しかし、県内でもより厳しい資源管理措置を自主的に行っている当該漁協に
おいても、禁漁期間は延長されていない。その背景として、千葉県ではこの時期に年間の水揚げが集
中することが挙げられる。最近 10 年間の白浜~岩和田における月別漁獲量をみると、平均年間漁獲量
168 トンのうち、1 ~ 5 月の上半期に 14%、6、7 月の禁漁期間をはさんで 8 ~ 12 月の下半期に 86% が
漁獲され、特に 8 月は年間の 47% を占めている 11)。
禁漁期間の延長とは異なるが、三重県では漁獲制限サイズを大きくした場合のシミュレーションを行
い、漁獲開始年齢を 1 歳引き上げるとその年は漁獲量が 40% 程度まで減少するが、その 2 年後には変
更前より漁獲量が多くなり、最終的に漁獲量は 1.2 倍に増加するとした 1)。さらに規制強化時の一時的
な漁獲量減少の影響を緩和するため、数年かけて少しずつ規制を強化した場合の漁獲量に対する影響の
検討も行い、漁獲量に影響を及ぼさないで漁獲規制を強化することが可能であることを示した。この計
算結果を受けて 1 隻あたりの使用刺し網枚数を 13 丈から 10 丈へと徐々に減少させ、さらに漁期の初
期には隻数制限を行ったところ、当該地区の漁獲量は漁獲努力量の削減前より多く推移しているという。
イセエビ資源加入量は着底量に大きく影響されると思われ、この先も千葉県で現在の資源水準が維持
されるとは限らない。三重県のような事例も参考にしつつ、より適切な管理方策を現実の漁業に適用し
ていくことが求められる。
引用文献
1)松田浩一・山川 卓(2011)イセエビの漁獲動向と資源管理.黒潮の資源海洋研究,12,61-66.
2)千葉県水産試験場(1984)昭和 57・58 年度大規模増殖場開発事業調査結果報告書〔外房北部地区:
イセエビ〕.80pp.
3)千葉県水産試験場(1986)昭和 59・60 年度大規模増殖場開発事業調査結果報告書〔外房南部地区:
イセエビ〕.58pp.
4)田中種雄・金子信一・石田 修(1985)飼育によるイセエビの成長.千葉県水産試験場研究報告,
43,51-57.
5)石田 修・田中種雄(1985)大原地先海域におけるイセエビの移動・成長及び放流効果.千葉県水
産試験場研究報告,43,41-50.
6)夷隅東部漁業協同組合大原地区青年部(2001)イセエビの資源管理と消費拡大の取り組みについて.
千葉県水産業青壮年女性活動実績発表大会資料.
7)川合範明・長谷川雅俊・幡谷雅之・勝又康樹・野中 忠(1994)静岡県におけるイセエビプエルル
スの連続採集と漁況予測.静岡県水産試験場研究報告,29,7-17.
8)成生正彦・山田博一・長谷川雅俊(2006)南伊豆海域におけるイセエビのプエルルス採集量の変化
と黒潮流路との関係.栽培漁業技術開発研究,34(1),13-32.
9)静岡県、三重県、徳島県、高知県(2000)放流技術開発事業総括報告書(基礎技術開発グループ)
平成 7 ~ 11 年度イセエビ放流基礎技術の開発に関する研究.73pp.
39
10)田中種雄・金子信一・石田 修・赤羽徹(2001)千葉県外房海域におけるイセエビプエルルスの
出現状況と親子関係の検討.千葉県水産試験場研究報告,57,191-204.
11)千葉県水産総合研究センター、千葉県情報通信センター、千葉県農林水産技術会議(2011)平成
23 年イセエビ漁の見通し.漁海況旬報ちば No.23-21. ※
12)片山知史(2011)沿岸資源管理の諸問題.黒潮の資源海洋研究,12,103 ‐ 105.
13)尾崎真澄(2002)イセエビ刺網の漁獲効率と資源管理.千葉県水産研究センター報告,1,9-15.
14)鳥居享司・中村松洋(2012)千葉県夷隅東部漁協におけるイセエビ資源管理の実態.平成 23 年度
東部ブロック資源管理計画等普及講習会資料,15 - 51.
※編集者註:本稿の著者の依頼により、上記 11)の文献を次ページ以降に掲載する。
40
41
42
鹿児島県西薩・北薩地区におけるシラス・カタクチイワシ漁獲対象漁業の実態
(社)いわし食用化協会 岡本 勝
茨城大学地域総合研究所 二平 章
(財)東京水産振興会 松田 倫子
はじめに
我が国でシラス漁獲が操業されている海域は、九州南部、瀬戸内海、東海地方、常磐など特定の海域
に限定されている。一方、カタクチイワシ成魚を漁獲するまき網漁業は、規模の大小はあるもののほぼ
全国の海域において操業されている。
その中で、カタクチイワシ資源を、浜ごとに、混在することなく、幼稚仔か成魚をそれぞれ漁獲対象
としている漁協がそれぞれ独自に存在している鹿児島県西薩・北薩地区に注目し、それら漁業の実態を
報告する。あわせて、カタクチイワシの資源動向や資源利用の違いによる価格、加工・利用についても
報告する。
1.我が国のカタクチイワシの資源、漁獲対象漁業の概要
(1)カタクチイワシ対馬暖流系群の資源動向
1)概要
日本周辺域に分布するカタクチイワシは太平洋系群、瀬戸内海系群、対馬暖流系群の3つの系群から
構成される。このうち対馬暖流系群は東シナ海から日本海の西部、日本海北部海区に広く分布する(図
1―1)。対馬暖流域での産卵は、主に春から夏にかけて対馬暖流の影響下でおこなわれ、さらに能登
半島以南の水域では秋の産卵も確認される(内田・道津 1958)。
図1―1 カタクチイワシ対馬暖流系群の分布域(西海区水研 2011)
対馬暖流系群資源は、日本海北区(石川県から新潟県)では主に定置網、敷網、日本海西区(山口県
から福井県)では主に大中型まき網、中型まき網、定置網、敷網、東シナ海区(福岡県から鹿児島県)
43
では主に中型まき網により漁獲される。シラスは熊本県から鹿児島県の一部海域で漁獲される(西海区
水研,2011)。
2)海区別漁獲量変動
カタクチイワシ対馬暖流系群の海区別漁獲量の経年推移を図1―2に示した。東シナ海区については
1966 年から 1973 年まで 5.7 万トンから 10 万トンあったカタクチイワシ漁獲量は 1974 年から減少を
はじめ 1979 年には 2.3 万トンにまで落ち込む。その後、1994 年までは 2 万トンから 4 万トン台で推移
する。1995 年に 4.4 万トンを示した漁獲量はその後 4 万トンを下回ることはなく、4 万トンから 6.9 万
トンと比較的安定した漁獲量を示している。
日本海西区では 1966 年から 1973 年まで 2.2 万トンから 5.2 万トンを示した漁獲量は 1974 年に 6,000
トンに急減し、その後は 5,000 トンから 2 万トンと低迷をつづけた。1991 年に 19 年ぶりに 3 万トンに
回復した漁獲量は 2000 年までは、1997 年の 2.7 万トンを除き、3.2 万トンから 7 万トンと 1960 年代
以上の漁獲量を示す。その後、2001 年に再び 1.9 万トンに減少した後は、1.4 万トンから 2.8 万トンの
水準の漁獲を続けている。
日本海北区では 1967 年から 1972 年まで 6,800 トンから 1.7 万トンを示した漁獲量は 1973 年に 2,000
トン台に急減しその後は 800 トンから 5,000 トン台と低迷する。長く低水準であった漁獲量は 1995 年
に 9,000 トンと 1971 年以来の好漁を迎える。その後は数年を除き、5,000 トンから 7,000 トン台と比
較的安定した漁獲を示している。
3)シラス漁獲量の変化
東シナ海区の熊本県および鹿児島県で漁獲されるシラスの漁獲量動向を図1―3に示す。1970 年代後
期 5,000 トンから 6,500 トンあった漁獲量は 1980 年代前半にかけて減少し、1984 年には漁獲量は 2,100
トンにまで低下する。その後、1987 年に 5,700 トンに回復した漁獲量は 6,000 トン前後で推移し、一
時 1999 年と 2000 年には近年最高の 11,000 トンを超えた。その後も 5,000 トンから 9,000 トン台で比
較的安定した漁獲を示している。
4)カタクチイワシ対馬暖流系群の産卵量の動向
1979 年から 2009 年における日本海および東シナ海における産卵量の推移を図1―4に示す。日本海
では 1980 年代 30 兆から 253 兆粒であった産卵量は 1990 年代に入り増加傾向に入り、1998 年には 1,957
兆粒に達する。その後、2000 年代も変動はありながらも比較的高位な水準を保っている。東シナ海で
も 1980 年代に 8 兆粒まで減少し低迷していた産卵量は 1990 年代に入ると 1,000 兆粒を超える年の出
現が顕著となり明らかな増加傾向を示す。その後、2004 年から 2006 年には 2,000 兆粒を超えるまでに
増加したが、2008 年、2009 年とやや低下している。
5)マイワシの資源変動とカタクチイワシ
日本周辺のマイワシ資源が長期的なスケールで大変動を繰り返してきたことは、江戸時代に書かれた
古文書などからもうかがい知ることが出来る(坪井,1987a, b,1988)。1900 年以降でもマイワシには
二度の大きな資源変動が認められ、一度目は戦前の 1930 年代に、二度目は 1980 年代に豊漁期を迎え
44
図1―2 カタクチイワシ対馬暖流系群の海区別漁獲量の経年変化
(上段:日本海北区、中段:日本海西区、下段:東シナ海区)
図1―3 東シナ海区(鹿児島・熊本県)におけるシラス漁獲量の経年変化
(1976 年以前はデータなし)
45
図1―4 カタクチイワシ対馬暖流系群の産卵量の経年推移
(1978 年以前はデータなし)
ている。二度目の豊漁期であった 1980 年代には、マイワシ漁獲量は日本周辺で 450 万トンに達したが、
1990 年代以降は急激に減少して近年では 5 万トンレベルにまで落ち込み、2000 年代は明らかに資源低
迷期に入ったといって良い。
1970 年 代 か ら 1990 年 代 の マ イ ワ シ 資 源 の 大 変 動 が 1976/77 年 の 温 暖 か ら 寒 冷 へ の、 お よ び
1988/89 年の寒冷から温暖への大気・海洋系のレジームシフトに応答して生起したことは広く知られて
いる。
カタクチイワシはマイワシと逆位相で変動するとされていることから、ここではカタクチイワシ対馬
暖流系群の資源動向を大気・海洋系のレジームシフトに関連させて検討する。
6)気候変動指数からみたレジームシフト
北太平洋の大気・海洋変動には 20 年および 50 ~ 70 年の周期をもつ変動があると指摘されている
(Royer, 1989, Mann and Park,1996, White et al. 1997, Minobe, 1997, Klyashtorin, 2001)。レジーム
シフトとは気候や海洋生態系の基本構造が、段階的あるいは不連続的に転換することを意味するが、太
平洋の気候データを解析した Minobe(1997)は 1900 年以降 1924/25、1947/48、1976/77、1989/90
年に気候レジームシフトが発生したとし、また、Yasunaka and Hanawa(2002)も北半球海面水温(SST)
と大気データの解析から 1925/26、1945/46、1956/57、1970/71、1976/77、1988/89 年にレジーム
シフトが認められるとした。特に、1920 年代、1940 年代、1970 年代に起こった気候レジームシフト
は 20 年変動と 50-70 年変動の重なり合いによる major regime shift とされ、他の 20 年変動によるシフ
トは minor regime shift として区分されている(Minobe, 2000)。
こ こ で は、 北 太 平 洋 上 に お け る 低 気 圧 の 発 達 規 模 を 示 す ア リ ュ ー シ ャ ン 低 気 圧 指 数(ALPI;
Aleutian Low Pressure Index, 北太平洋の 12 月から翌 3 月における 1,005hPa 以下の海面気圧面積で
指標)と北太平洋指数(NPI;North Pacific Index, 160E から 140W、30N から 65N の平均海面気圧
で指標)の累積和時系列(二平,2006, 2008)を示す。50 年規模シフト(major regime shift)は明ら
かに偏差が連続的にマイナスからプラス(あるいはプラスからマイナス)に変化する年とし、50 年規
模シフトに挟まれる二回の 20 年規模シフト(minor regime shift)の間は平均的な偏差値に近づくと考
え、ALPI および NPI に基づく気候シフトを図1―5のように区分した。ここで W は ALP の強勢レジー
ム期(寒冷レジーム期)、C は ALP の弱勢レジーム期(温暖レジーム期)を示し、大文字が 50 年変動、
46
小文字が 20 年変動を表している。したがって、50 年変動である ALP 強勢レジーム期は 20 年変動を示
す Ww1、Wc、Ww2 期に、ALP 弱勢レジーム期も同様に Cc1、Cw、Cc2 期に区分されるとして整理した。
図1―5 アリューシャン低気圧指数(ALPI)と北太平洋指数(NPI)の
累積和時系列と全国マイワシ漁獲量の経年変化(二平 2008)
1923/24 年以前の 50 年規模の ALP 強勢期が何年間あったかは 1900 年以前の気圧データがないため
明らかではないが、木の年輪幅から過去の NPI を復元した D'Arrigo et al.(2005)によれば 1890/91
年がシフト年とされている。仮にその年を基準にすると 1923/24 年以前の ALP の強勢期は 33 年間
47
続いていたことになる。また、近年の ALPI および NPI の指数変化から、ここでは 2005/2006 年を
ALP の強勢レジーム(寒冷レジーム)から弱勢レジーム(温暖レジーム)への 50 年規模シフトとした。
以上のような気候変動のシフト区分を踏まえたうえで、カタクチイワシ対馬暖流系群の資源動向を検
討する。
7)カタクチイワシ対馬暖流系群の資源動向と気候シフト
日本海北区、日本海西区、東シナ海区漁獲量の偏差累積和時系列を図1―6に示した。図の点が上方
に向う時期は資源増加期、下方に向う時期は資源減少期にあたる。
カタクチイワシが、資源増加期から資源減少期に転じたのは日本海北区では 1973 年、西区では 1974
年、東シナ海区では 1973 年である。減少期以降、日本海北区では 1989 年から安定期に、西区では
1990 年から 2000 年まで増加期となり、その後、安定傾向を示す。東シナ海区では 1974 年以降、減少
期となるが、1995 年以降安定期となっている。
1973・74 年における増加期から減少期への移行は ALPI および NPI の指数変化よりも数年早いシフ
トであるが、東北海域の温暖レジームから寒冷レジームへの海洋環境シフト(二平 2007)ときわめて
一致している。
日本海北区での 1989 年、西区での 1990 年の減少から安定・増加へのシフトは日本周辺海域にお
ける 1987/88 年の寒冷から温暖への環境シフトに連動しているとみてよいであろう。東シナ海区では
1995 年に減少から安定期へとシフトしており、日本海西区や北区の北部海域とは若干時期がずれる。
増加から減少への移行時にも本格的な減少期に入るまでに数年の遅れが確認される。また、対馬暖流系
群の最も南の海域での漁獲量変動は北の二つの海区よりも相対的に安定している。このことは、寒冷レ
ジームの海洋環境シフトは系群内でも北側に分布するカタクチイワシのサブポピュレーションにより大
きな負的影響を及ぼし、黒潮本流に近い南側の温暖域に生息するサブポピュレーションには一定のタイ
ムラグをもって影響することを示しているものと思われる。
漁獲量レベルだけでなく、1980 年代の資源低迷期に比較して、東シナ海区および日本海区とも産卵
量は数年レベルでの変動はあるが、1990 年代以降増加の傾向にある(図1-4)。また、熊本・鹿児島
県におけるシラスの漁獲量も 1980 年代に比較して 90 年代以降は高いレベルにある(図1-3)。
いずれにしてもカタクチイワシ対馬暖流系群の資源変動にも気候レジームシフトが強く影響してお
り、明らかに 1990 年代から資源は増加したといえる。なお、今後の資源動向を見るうえで、同じ系群
を漁獲していると想定される韓国、中国の近年の漁獲量の増大については注視していかねばならない。
(2)我が国のシラス・カタクチイワシ漁獲対象漁業
1)シラス漁獲対象漁業
幼魚期であるシラスを漁獲するのは微細な網目を使用する機船船曳網漁業であり、対馬暖流系群カタ
クチイワシは鹿児島県沖から熊本県沖の海域で、太平洋系群カタクチイワシは常磐以南の海域でシラス
を対象とした機船船曳網漁業が操業されている。
図1―7に見られるように、我が国のシラスの漁獲量は、カタクチイワシ(成魚)の漁獲量に比べ極
めて少なく、成魚漁獲量が 1998 年以前 20 万トンから 40 万トンの変動があったが、シラス漁獲量は3
~7万トンで変動しており、成魚漁獲の低調な 1980 年~ 1993 年にあってもシラス漁獲はむしろ増加
48
図1―6 日本海北区、日本海西区、東シナ海区におけるカタクチイワシ漁獲量の累積和時系列
(上段:日本海北区、中段:日本海西区、下段:東シナ海区)
しており、シラス漁獲の変動とカタクチイワシ成魚の漁獲の変動とは連動していない。2005 年以降現
在まで、カタクチイワシ成魚漁獲が 40 万トン前後に対してシラス漁獲は成魚漁獲の 1/7 ~ 1/8 にあた
る5~6万トンで推移している。このことは、シラス機船船曳網の漁獲物の大半は本種の仔魚であるが、
カタクチイワシの分布域に対してシラス漁場が極めて狭いため、この漁業が資源に与える影響は大きく
ないといわれている(水産庁増殖推進部 2011)。
府県別のシラスの漁獲量は、シラス漁場が極めて狭いため、年によって漁場形成が異なり、府県別に
みると変動が激しい。
49
図1―7 カタクチイワシ、シラス漁獲量
資料:農林水産省 漁獲統計
2003 年は瀬戸内海での漁獲が多く、兵庫 13.3 千トン、愛媛 6.1 千トン、大阪 3.4 千トン、次いで、
東海地方の愛知 7.3 千トン、静岡 6.9 千トンであった。
その後、兵庫は 3.9 ~ 9.1 千トンに低下し、愛知は 2008 年に最高の 11.5 千トンになったもののその
年以外は 4.7 千トン~ 6.9 千トンであった(表1―1)。
表1―1 シラスの年次別府県別漁獲量
全国の漁法別シラス漁獲量は、毎年、ほとんどが機船船曳網での漁獲であり、全体の 98 ~ 99%に相
当する。他はわずかに、中・小型まき網等で漁獲されているに過ぎない(表1―2)。
表1―2 シラスの年次別漁法別漁獲量
50
2)カタクチイワシ漁獲対象漁業 成魚期は太平洋沿岸では常磐沖から房総沖を中心に大中型まき網及び中・小型まき網で漁獲しており、
また、日本海では石川県から新潟県沖の海域で定置網を中心に漁獲されている。
県別では千葉県 95 千トンで、ほかには三重県、茨城県、愛知県、長崎県はほぼ同水準で 20 千トンであっ
た。
また漁法別では中・小型まき網 113 千トンで、ほかには 船曳網、大中型2そうまき網、大中型1そ
うまき網、大型定置はほぼ同水準で 46 千トンであった。
対馬暖流系群カタクチイワシの海区別漁獲量については前述したので(1(1)2)参照)、ここでは、
我が国全体のカタクチイワシの漁獲量把握には欠かすことのできない太平洋系群カタクチイワシの海区
別漁獲量についても述べる。2006 年当時、茨城から青森に至る海域での漁獲量が高水準であったため
太平洋系群全体としては 30 万トン近くまで漁獲され、カタクチイワシの資源水準は極めて高位にあっ
た。その後、千葉県沖など主に太平洋中区の漁獲量は安定していたものの、茨城から青森に至る太平洋
北区での漁獲が低下したため、2010 年は 25 万トン弱の水準まで低下した(図1―8)。
図1―8 カタクチイワシ太平洋系群海区別漁獲量
カタクチイワシの漁法別漁獲量は図1―9のように、全体で 50 万トンの漁獲があった 2003 年前後は
大中型まき網の主力勢力である1そうまき網がアジ・サバ類の漁獲不振から魚価の比較的安価なカタク
チイワシをも漁獲対象としなければならない状況であった。したがって、その年は大中型1そうまき網
の漁獲も高水準であったものの、その後は大中型1そうまき網の漁獲が減少したため中・小型まき網の
漁獲が中心となっている。
2.鹿児島県におけるシラス・カタクチイワシ漁業
(1)九州西部海域におけるカタクチイワシ漁業
九州西部海域に分布するカタクチイワシは、対馬暖流系群に属するとされ、寿命は3年で成熟開始は
1歳、冬を除く周年にわたり産卵している。対馬暖流系群は鹿児島県南部から本州日本海にかけ広く分
布するが、その中はいくつかのローカル群から構成されていると推察され、鹿児島県西部海域に出現す
るカタクチイワシは、その最も南に位置する群であろう。鹿児島県西部海域や熊本県沿岸に来遊するカ
51
図1―9 カタクチイワシ漁法別漁獲量
タクチイワシの回遊生態については必ずしも明らかにされていない。
対馬暖流系群全体のカタクチイワシでは 1996 年から 2000 年にかけては一時 10 万トンを超える漁獲
が見られたが、その後は減少して、6万トン前後の漁獲量を示す。近年の資源水準は中位で、動向は減
少傾向にあるとされる。
鹿児島県西部海域では、カタクチイワシは、夜間、集魚灯で集めた魚群を網で巻くまき網漁業で漁獲
される。灯付漁法であることから満月前後は休漁となる。使用する網船の大きさで、5トン未満の小型
まき網、5から 40 トンの中型まき網、40 トン以上の大中まき網に分けられ、主要対象魚種はカタクチ
イワシのほかマイワシ、アジ類、サバ類である。鹿児島県における主な操業地区は北薩、南薩、鹿児島
湾、大隈地区となっている。
(2)九州西部海域におけるシラス漁業
対馬暖流系群の分布域でのシラス漁業は、主に鹿児島県と熊本県沿岸で行われている。
鹿児島県では機船船曳網漁業によってシラスが漁獲される。この漁業は2隻の網船と魚探船、運搬船
の計4隻で1船団を構成し、魚探船でシラスの反応を見つけ、シラス網をひき回してカタクチイワシ仔
魚を漁獲する。主な操業地区は北薩、西薩、志布志湾地区となっている。
鹿児島県の西部、全長 47km の吹上浜から川内川河口周辺域にかけての西薩海域における6地区が主
なシラス生産地である。シラスは周年漁獲されるが、2006 年から 2010 年までの5ヵ年平均では主に4・
5月を中心とする春シラス漁と 10 ・ 11 月を中心とする秋シラス漁に分かれる(図2―1)。
西薩地区の主要4港におけるシラス漁獲統計によれば、1999 ・ 2000 年に 4,000 トンから 5,000 トン
あった年間漁獲量は、2008 年から 2010 年には 2,000 トン程度に減少している。3月から7月を春シラ
ス漁、8月から 12 月を秋シラス漁とすると、春シラス漁が 1,000 トンから 2,000 トン、秋シラス漁が
500 トン前後で、2006 年以降春シラスは秋シラスの平均 4.5 倍を占めている。近年、春・秋シラスとも
やや減少の傾向にある(図2―2)。
西薩海域の春シラス漁に影響を及ぼすと考えられる東シナ海の3・4月のカタクチイワシ産卵量は、
1990 年代に 1,000 兆から 2,000 兆粒と増加傾向にあったが、2008 年以降 1,000 兆粒を下回っている。
52
また、西薩海域のシラス漁獲量には、薩南海域からの黒潮北上暖水の接岸状況が影響を及ぼすことが考
えられるが、黒潮系北上暖水による西薩海域へのシラスの補給機構の解明は今後の課題となっている。
図2―1 西薩海域におけるシラス月別漁獲量(5ヵ年平均)
図2―2 西薩海域におけるシラス漁獲量の経年変化
(上段:春シラス(3~7月)、下段:秋シラス(8~ 12月))
53
3.西薩・北薩主要シラス漁業地区の漁業・加工業の実態
(1)シラス漁業地区
鹿児島県におけるシラス漁業経営体は、機船船曳網で漁獲を行う
と同時に、自分達が水揚げしたシラスの加工も行っている。
県内の機船船曳網漁業の実態を把握するため、加世田漁協、江口
漁協、川内市漁協の 3 漁協を調査した。
1)加世田漁協
加世田漁協の組合員数は正組合員が 84 名、准組合員が 116 名、
合計 200 名である(表3―1)。
取扱高(2010 年)は、生鮮魚貝藻類が 2,376 万円、塩干魚貝類
が 4 億 4,750 万円で、総額 4 億 7,126 万円である(表3―2)。漁
業種類別水揚額は、機船船曳網漁業が 4 億 4,750 万円(95.0%))
でほとんどの割合を占め、次いでごち網が 1,086 万円(2.3%)となっ
ている(表3―3)。
表3―1 加世田漁協 組合員数(2010 年)
表3-2 加世田漁協 取扱高(2010 年)
表3―3 加世田漁協 漁業種別水揚量・額(2010 年)
漁業種類別水揚額の推移から(表3―4)、2003 年までを除くと、シラスを漁獲する機船船曳網漁業
が占める割合は 90%を超えており、当該漁協において重要な地位にあることが分かる。ごち網はタイ
やアジなど鮮魚類の水揚げが中心である。
54
取扱高の 95%がシラスであり、当該漁協が機船船曳網漁業の取扱手数料(3%)やケース、燃油といっ
た物資販売収入などに大きく依存している事が分かる。
表3―4 加世田漁協・漁業種類別水揚額
シラスを漁獲する経営体は、1985 年頃までは 6 ヶ統所属していたが、現在 4 ヶ統で、10 年前に会社
化している。9.8t の網船を中心に、魚探船、運搬船など 4 隻で、家族労働と従業員によって操業する。
海上作業を行う人員は 10 ~ 12 名で、網をおろす時には網船 2 隻にそれぞれ 5 人が乗船する。ただし、2 ヶ
統はフィッシュポンプを導入・合理化し、8 名で操業できるようになっている。
シラス漁は春と秋に行われ、夏場の漁はない。以前は春漁と秋漁で 1:1 の水揚げであったが、近年
は秋漁の時期が狭まりつつある。海水温が下がらないとシラスが沿岸まで寄らず、海水温がようやく下
がる頃には時化が続いて出漁できないことが多くなっているためである。春漁は漁獲が多いが質でやや
劣り、秋漁は量が少なく質がよいとされる。
春漁は暖水の張り出しで漁獲の多寡が決まるが、2011 年は沖の方に流れてしまったため、2010 年の
1/4 程度で終了した。また、これまで 4 月から最盛期を迎えていた漁が 3 月に早まり、同時に漁期も短
くなっているとされる。
禁漁期を除くと、まず最初に魚探船で魚群の有無を確認し、4 ヶ統で協議してその日の出漁を決めて
いる。また、出漁する順番も交替で決められている。
禁漁期は魚探船と運搬船を一本釣船に転用して操業している。経営帯によっては他にも小型船(3t 未
満)を所有し、禁漁期における従業員の仕事を確保するため従業員向けにリースを行っている。従業員
の多くは半農半漁で、落花生などを栽培している。
カタクチイワシ以外にもキビナゴ、ウルメイワシ、マイワシが漁獲されるが、量がまとまらず大きな
水揚げにはならない。また、カタクチイワシは資源管理の観点や、成魚の煮干加工に手間が掛かり痛み
やすいことなどから、サイズの大きなものは漁獲していない。
水揚げされたシラスは漁港近くの加工場に運搬され、それぞれ半生に加工される。工場はほぼ自動化
され、天日干し加工はしていない。加工技術、加工までの鮮度保持、漁獲技術、設備投資によって、販
売価格に差が生じる。
加工されたシラスは漁協が調達したトラックで築地まで出荷している。経営体により卸先が決まって
おり、築地からの送金は全て漁協を経由して行っている。築地におけるシラス価格は漁獲の多寡に係わ
らずほぼ変動がなく、安定的に推移している。
55
関東向けに出荷を開始したのは 10 年前からで、それまでは上乾品を大阪向けに出荷しており、鹿児島
県漁連による共販か、県内業者による入札で行われていた。天日干しで上乾加工を行う労働力が不足し
たことや、漁獲・加工時期に雨が多いこと、機械化で半生加工が安易であることなどから、築地向けの
出荷に転換した。
販売先である築地のシラス価格は安定していることから、売上は水揚量に左右される。築地への出荷
額は 1 経営体当たり約 1 億円で、従業員には歩合制で給料が支払われている。
2)江口漁協
江口漁協の組合員数は正組合員が 99 名、准組合員が 154 名、合計 253 名である(表3―5)。
表3―5 江口漁協 組合員数(2010 年)
表3―6 江口漁協 取扱高(2010 年)
取扱高(2010 年)は、生鮮魚貝藻類が 1 億 2,381 万円、その他加工品が 2 億 8,929 万円で、総額 4 億 1,311
万円である(表3―6)。漁業種類別水揚額は、機船船曳網漁業が 2 億 8,929 万円(70%)で、次いで
ごち網が 4,185 万円(10.1%)である(表3―7)。
シラスを除く魚種別水揚額をみると(表3―8)、マダイが 3,102 万円(7.5%)、血小鯛が 1,577 万円
(3.8%)、サゴシが 1,219 万円(3.0%)で、その他にもアジ類、バショウカジキなど様々な魚種が水揚
げされているが、量・金額ともに多くない。
表3―7 江口漁協 漁業種別水揚量・額(2010 年) 表3―8 江口漁協 魚種別水揚量・額(2010 年)
シラスを漁獲する経営体は、1977 年頃までは 7 ヶ統所属していたが、1980 年頃には 6 ヶ統(6 経営体)
となり、現在 6 ヶ統、5 生産組合となっている(うち 1 組合が 2 ヶ統所有)。網船 2 隻、魚探船・運搬
船それぞれ 1 隻の計 4 隻で、家族労働とアルバイト従業員で操業する。海上作業を行う人員は 10 名で、
魚探船に 1 ~ 2 名、運搬船に 2 ~ 3 名を配置している。
シラス漁は春から秋にかけて行われる。以前は 5 ~ 6 月までの漁が大きく、夏に落ち込むが 9 ~ 10
56
月になるとやや回復する傾向にあった。しかし、近年は夏場の水揚げがまったくなく、秋漁も不振が続
いている。沖には親魚がいるとされるが、産卵していないのか、産卵しても流されてしまうのか、漁獲
量は低迷している。海水温に変化は見られないが、沖合でグルクンやテーブルサンゴが見られるように
なっている。
出漁に関しては、以前は魚群がなくても全員出ていたが、5 ~ 6 年前から 6 ヶ統の協調で決定してい
る。まず魚探船が出て、魚群があれば全員で出漁し、競争が生じないよう調整している。
シラスは上乾品を中心に加工される。特に出荷されるものは 100%上乾品で、鹿児島県漁連の共販を
通じて出荷される。シラス加工品のうち 1/3 は釜揚げで、当該漁協が運営する蓬莱館での販売用である。
上乾品が中心であるのは、半生加工で薬品を使用すること、日持ちが悪いと消費地市場で売れないため
である。製品は冷蔵庫の状況をみて出荷される。
1 経営体当たり 7 ~ 8 千万円の売り上げがあればやっていけるが、2011 年は特に厳しい状況となっ
ている。共販価格は安くても 1,200 円 /kg であるが、卸業者に 2010 年の在庫が大量にあり、2011 年の
価格が 600 円 /kg まで落ち込んだためである。加工場の賃金は固定で、売り上げの低迷が続くと廃業せ
ざるを得ず、資金力がないと維持することができない。
定年は 65 歳で、後継者がいれば引退していく。中には I ターンや U ターンで就業した 20 ~ 30 歳代
の後継者がいるところもある。後継者として息子が就業している経営体もあるが、全員漁業には従事し
ていない。
3)川内市漁協
川内市漁協の組合員数は正組合員が 234 名、准組合員が 195 名、合計 429 名である(表3―9)。
表3―9 川内市漁協 組合員数(2010 年)
表3―10 川内市漁協 取扱高(2010 年)
取扱高(2010 年)は、鮮魚類が 1 億 2,985 万円、煮干魚類が 1 億 58 万円、煮干加工品が 2 億 5,697 万円で、
総額 4 億 8,778 万円である(表3―10)。
シラスを除く主要魚種別水揚額は、マダイが 5,831 万円(54.3%)、イセエビが 1,132 万円(10.5%)、
キビナゴが 261 万円(5.4%)となっている(表3―11)。
品目別水揚額の推移をみると(表3―12)、煮干加工は 50 ~ 70%、煮干生は 15 ~ 20%、合わせて
70 ~ 90%前後である。
シラス漁業は 1963 年頃に宮崎県から伝えられたとされる。
シラスを漁獲する経営体として 5 ヶ統が所属し、そのうち 3 ヶ統は共同出資(4、4、3 事業者による、
漁船のみの共同)による経営体で、事業体ごとに加工場を所有している。15t の網船を中心に魚探船、
運搬船の計 4 隻で、10 名程度で操業を行う。
57
表3―11 川内市漁協 主要魚種別水揚量・額
表3―12 川内市漁協品目別水揚額
漁獲されたシラスは半生製品を中心に加工され、事業者によって販売先は異なる。半生製品は上乾に
比べ加工が容易であるものの、販売価格が 1,000 円 /kg と低く、東京までの輸送賃がかかるデメリット
がある。上乾品は手間がかかるが、kg 当たり単価が 2,500 円と高く、大阪の消費地市場までの配送な
ので運賃も低い。
運搬船に若い世代が乗船しているが、組合員の平均年齢は 63 歳と高齢化している。
(2)カタクチイワシ漁業地区
西薩・北薩地区のカタクチイワシを漁獲対象としているのは、東町漁協と阿久根を核とした北さつま
漁協に所属している大中型と中・小型のまき網漁業と棒受け網漁業である。
北さつま漁協には、合併前の漁協がそれぞれ存在していた阿久根地区、出水地区、黒之浜地区および
長島地区がある。
阿久根地区は北薩地区隋一の漁業地区であり、棒受網漁業 29 隻、中型まき網漁業1ケ統、小型まき
網漁業2ケ統の操業により、ウルメイワシやカタクチイワシを漁獲している。
出水地区は吾智網、一本釣りを中心に、黒之浜地区
は吾智網、磯建網を中心に、長島地区はモジャコ採り
を中心に操業しているが水揚規模は小規模である(表
3―13)。
北さつま漁協の主な水揚げは、魚種別ではウルメイ
ワシ 3,063 トン、さば類 2,576 トン、カタクチイワシ
1,880 トンなどまき網漁業や棒受網漁業による漁獲が
中心であり、続いてたい類、エソ、いか類が続いている。
最近の水揚水準は、2008 年の 11.5 千トン(25.7 億
円)の水揚から、2010 年には 12.5 千トン(23.2 億円)
にやや増加した(表3―14)。
58
表3―13 北さつま漁協漁業種類別
水揚量・金額(2010 年)
表3―14 北さつま漁協魚種別水揚量・金額、単価
東町漁協は、今日では、はまち養殖で著名になったが、古くはカツオ一本釣りの釣り餌の活魚カタク
チイワシ供給のためのまき網漁業が約 20 ケ統もあり、北薩では最大のまき網勢力であったが、現在操
業しているのは2ケ統である。しかし、その水揚は、一部自家用養殖餌料用を除いて、すべて阿久根漁
港に水揚げしている。
4.シラス・カタクチイワシの価格、加工・利用
(1)シラス・カタクチイワシの価格
カタクチイワシの水揚量および産地価格は、132.8 千トン水揚げの 2008 年は 51 円 /kg と最も高い
が、これは前年の秋季以降の漁獲が低調であったため年前半の価格が高騰したためであり、その翌年の
2009 年には年間の水揚げはほぼ同水準の 134.6 千トンであったにもかかわらず 32 円 /kg であった(表
4―1)。
一方、シラスの産地価格はカタクチイワシの産地価格より一桁高く、2011 年で 545 円 /kg であり、
水揚量の多かった 2009 年でも年平均 454 円 /kg であった。
(2)シラス・カタクチイワシの加工・利用
1)シラスの加工・利用
西薩・北薩地区におけるシラスの加工・流通状況を見れば、市来町漁協、江口漁協は上乾(水分数%
程度まで天日乾燥した製品、常温流通)で出荷しており、加世田漁協、川内市漁協は生シラスで凍結し、
生干しとして冷凍流通している。
上乾の出荷先は関西が中心であり、中国および九州への出荷もある。上乾シラスの消費・利用はたと
えば京都佃煮の「ちりめん山椒」のような高級佃煮原料となったり、スーパーでの惣菜コーナーで市販
されているシラス干しとして利用されている。
生干しの出荷先は関東・関西・九州が中心であり、消費・利用は釜揚げ等の加工原料として出荷され
たり、惣菜市販されたりしている。
59
表4―1 カタクチイワシの年次別月別 生産量・価格
シラスは乾燥の程度により上乾と生干しとに別れ、加工過程が長く、含有水分が極めて低いため常温
保存が可能な上乾は、その保存性が高いことから弱小加工経営体に好適であるといわれている。
生干しは凍結庫・冷蔵庫などの設備投資が必要など、ある程度以上の規模の加工経営体がこの加工形
態を行っている。
図4―1 シラス干し、煮干し年間購入数量・価格
60
つぎに、全国的なシラスの加工品であるシラス干しとカタクチイワシ成魚の主な加工品である煮干し
の消費動向をみてみる。その事例として家計調査年報による、家庭内消費における煮干し及びシラス干
しの一人当たり年間購入量を図4―1に掲載した。
煮干しの一人当たり年間購入量は化学調味料の消費に代替されて需要が減退し、1980 年の 203 gか
ら 2000 年には 108 gまで減少し、2009 年は 70 gをきった。
これに比べ、シラス干しは 1980 年の 84 gから 2000 年には 196 gにまで増加し、最近は 161 g前後
で安定している。そのため、100 gあたり購入価格は、シラス干しが 283 円に対して、煮干し 185 円と
約 100 円の価格差がある。
2)カタクチイワシの利用・流通
カタクチイワシの利用は、量的には明らかに養殖餌料が中心であり、ついで、大羽はメザシ、小羽は
煮干などの加工原料が多く、わずかに一部が鮮魚市販されている程度である。
平成 20 年の農林統計によれば、用途別出荷量 79.6 千トンの場合、生鮮食用向けはわずか 4.6 千トン
であり、それに食用加工向け 12.6 千トンで、合わせても食用向けは全体の 22%とでしかない。
表4―2 カタクチイワシの年次別用途別出荷量
これに反して、非食用向けには養殖餌料向け 53.2 千トン、ミール向け 9.1 千トンと全体の 78%が非
食用に仕向けされている。
総漁獲量の多寡により利用形態は大幅に変化しており、概して、漁獲量が極めて大きいときには食用
仕向けの量が限定的であるため、漁獲のほとんどが非食用仕向けとなっている。
漁獲量の大きかった 2003 年の場合(用途別出荷量 184.1 千トン)を見てみれば、生鮮食用仕向け 1.6
千トン、食用加工仕向け 15.5 千トンで合わせても食用向けは全体の9%とでしかない。非食用仕向けは、
養殖餌料 140.2 千トン、ミール 26.9 千トンで、90%以上が非食用仕向けであった(表4―2)。
5.カタクチイワシの成長段階別利用と漁労・加工の地区別組み合わせ
カタクチイワシの資源量は、主に海況や餌料生物の変化によって大幅に変化する。
このことは、人的要因である漁獲が資源に影響を及ぼすとき、その漁獲圧力が産卵直後の稚仔段階で
ないほうがよいか、あるいは産卵親魚を捕獲せずに守った方がよいかの議論があるが、カタクチイワシ
のように、どの成長段階での漁獲であるかは問題ではなく、資源量が決定されるのは海況や餌料生物の
多寡のように漁獲以外の与件に左右されるもので、また、そのうち特にシラスに関しては、カタクチイ
ワシ卵稚仔出現海域に対して、シラス漁場が極めて狭いことから、このシラス漁業が資源に与える影響
61
は小さいといわれているようなものであれば、水産資源に与える漁獲の影響よりは、同一資源から得ら
れる漁獲金額の最大化が有効利用の観点で最も重要な要件になる。
西薩・北薩地区での事例は、薩摩川内市から南の漁協では、カタクチイワシを幼稚仔段階のシラスで
漁獲し、さらに水揚後はシラスの加工形態も、「上乾」であるか、「生干し」であるか等それぞれの漁業
地区で異なるということである。
一方、北部の北さつま漁協や東町漁協にはシラスを対象とした機船船曳網漁業は存在せず、カタクチ
イワシ成魚を対象とした棒受網漁業やまき網漁業に替わっていることである。
陸上の加工・流通の経営主体も漁業地区ごとに異なっており、シラス段階で漁獲する地区はすべての
地区で漁労経営体が自家加工し、カタクチイワシ成魚段階で漁獲する地区の加工の多くは加工専門業者
が行う等、漁労と加工の経営主体の組み合わせが基本的に異なっている。
このように、同一漁業資源であっても、後背地の加工・流通の形態の違いや漁業・加工などの定着し
た歴史・経緯の違いによって、幼稚仔段階漁獲か成魚段階漁獲か、また、漁業者による自家加工か加工
業者による専業加工か、異なっており、その組み合わせの存在が地域の安定を支えているともいえる。
このことは、水産資源の合理的利用や経営体の経済合理性の議論のみで判断されるものではなく、当
該地区の地域社会・歴史をも考慮した資源の利用が重要であるということである。 おわりに
水産物の漁獲は、その対象資源の増減と漁獲後の加工・流通により、利用形態は異なってくる。その
ことに関して興味ある事例をこの鹿児島県西薩・北薩地区に見た。
一般的に、ある水産資源の利用は、稚魚段階での漁獲は不合理であり、TAC 制の導入や ITQ 制の導
入によって、最も合理的に漁獲すべきである、との抽象的な議論がなされているが、水産業とは、漁獲
活動のみによってなされているのではなく、燃油補給、漁労資材・鮮度保持材等の購入から漁獲後の加
工・流通や漁船の建造・修理など総合的な産業である。
そのため、背景となる漁業地区の実態と、さらには歴史的なものをも考慮すれば、水産資源の利用す
なわち漁労活動は資源利用の合理性のみによるのでなく、総合的・安定的なものとなる場合が多い。
この狭い西薩・北薩地区のなかに、明らかにシラスを漁獲対象とした地域とカタクチイワシ成魚を漁
獲対象とした地域とが判然と明確にかつ歴史的に区分されていることから、上記のことが現存している
ことが理解されることと思う。
文 献
1.D'Arrigo, R, Wilson, R., Deser, C, Wiles, G., Cook, E., Villalba, R., Tudhope, A., Cole, J. and
Linsley, B. (2005) Tropical-North Pacific Climate Linkages Over the Past Four Centuries.
Journal of Climate. 18(24)5253-5265.
2.Klyashtorin, L.B. (2001) Climate change and long-term fluctuations of commercial catches: the
possibility of forecasting.FAO Fisheries Technical Paper. No. 410. Rome, FAO. 86p.
3.Mann, M.E.and Park, J. (1996) Joint spatiotemporal models of surface temperature and sea level
pressure variability in the Northern Hemisphere during the last century. J. Climate, 9, 2137-2162.
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4.Minobe, S. (1997) A 50-70 year climatic oscillation over the North Pacific and North America.
Geophys. Res. Lett., 24, 683-686.
5.Minobe, S (2000)Spatio-Temporal Structure of the Pentadecadal Variability over the North
Pacific. Prog.in Oceanogr., 47, 99-102.
6.二平 章(2006): 東北海域における底魚類資源の変動と気候レジームシフト.月刊海洋,38(3),
192-199.
7.二平 章(2007)レジームシフトと底魚資源.川崎・花輪・谷口・二平編,気候変動と生物資源管理,
157-173,東京,成山堂書店 ,209pp.
8.二平 章(2008)気候レジームシフトと日本マイワシの資源変動.月刊海洋 40(3),149-158.
9.Royer, T.C. (1989) Upper ocean temperature variability in the northeast Pacific: Is it an
indicator of global warming? J. Geophys. Res., 94, 18, 175 -18, 183.
10.西海区水研(2011)平成 22 年度カタクチイワシ対馬暖流系群の資源評価
11.坪井守夫(1987a)本州・四国・九州を一周したマイワシ主産卵場(1),さかな,38, 2-18.
12.坪井守夫(1987b)本州・四国・九州を一周したマイワシ主産卵場(2),さかな,39, 7-24.
13.坪井守夫(1988)本州・四国・九州を一周したマイワシ主産卵場(3),さかな,40, 37-49.
14.内田恵太郎・道津善衛(1958)第 1 篇対馬暖流系群の表層に現れる魚卵・稚魚概説.対馬暖流開
発調査報告書第 2 輯,水産庁,pp3-65.
15.White, W.B., Lean, J., Cayan, D.R. and Dettinger, M.D. (1997)Response of global upper ocean
temperature to changing solar irradiance. J. Geophy. Res. 102 (C2), 3255-3266.
16.Yasunaka, S. and K.Hanawa(2002)Regime shifts found in the Northern Hemisphere SST field. J.
Meteorol. Soc. Jpn, 80, 119-135.
17.水産庁増殖推進部(2011)平成 22 年度我が国周辺水域の漁業資源評価
63
64
Ⅱ-2 高度経済成長期以降の沿岸開発と資源への影響
瀬戸内海漁獲量減少要因としての貧酸素と栄養塩不足について
北海道自然保護協会 佐々木克之
昨年の報告書では、カレイ類が瀬戸内海底質の酸化還元電位マイナス域で減少傾向にあることから、
カレイ類漁獲量に貧酸素水が影響している可能性を指摘した。播磨灘ではアサリ漁獲量の減少後にカレ
イ類漁獲量が減少する傾向が顕著であること、播磨灘漁獲量減少要因として栄養塩減少説があることを
紹介した。今回は、アサリ漁獲量とカレイ類漁獲量減少との関係および瀬戸内海魚類漁獲量減少の要因
として出されている栄養塩減少説について検討した。
2011 年 8 月に、兵庫県農林水産技術総合センター水産技術センターの反田實所長、播磨灘を考える
会の青木敬介会長・室津漁協、環瀬戸内海会議松本宣崇事務局長、山口県防府水産事務所馬場俊典主査
および山口県水産研究センター和西昭仁専門研究員と懇談した。
以下に、懇談で得られた資料を中心に報告を行い、主要な点の考察を次年度に行うこととする。
1.アサリ漁獲量とカレイ漁獲量との関係
反田所長は、カレイ類がアサリの水管を餌としていることが知られているので、アサリが漁獲されな
くなると、カレイ類は餌が不足して漁獲量が減少する可能性がある、と述べた。その根拠として、2011
年 7 月 27 日に開催された瀬戸内海環境保全知事・市長会議で、重田利拓(水産総合研究センター・瀬
戸内海区水産研究所生産環境部)が報告した「干潟の餌環境としてのアサリ資源の変動が瀬戸内海の魚
類生産に及ぼす研究」を紹介した。具体的には、周防灘におけるイシガレイ、広島湾におけるアイナメ、
海域不明だがキュウセンの豊度とアサリ漁獲量の間によい相関がみられること、山口県沿岸のアオギス
が見られなくなった時期とアサリ漁獲量がなくなった時期の一致があげられている。ここに挙げた魚類
はいずれもアサリを餌とすることが知られているので、重田は、アサリ資源の減少がこれらの魚類資源
の減少を引き起こしたと考察している。
反田所長の調査では、マコガレイはアサリの水管も餌とするが、主たる餌はゴカイなどの多毛類なの
で、アサリが減少したためにマコガレイが減少するとは考えにくい。昨年の報告書で述べたように、播
磨灘全体や、地域別では、アサリ漁獲量とカレイ類漁獲量の間によい相関がみられたが、播磨灘の一番
西側の赤穂では異なる関係が見られた(図 1)。赤穂では、1979 〜 1998 年の約 20 年間は、アサリ漁獲
量が増えるとカレイ類漁獲量が減少する関係が見られた。さらに、1999 〜 2005 年の間は、グラフの異
なるところにプロットされた。1999 年以降のアサリの急激な減少は、反田所長によれば、洪水があり、
干潟の砂が流出し、かつその後干潟が形成されていないためである。以前にも同様なことがあったが、
そのときは数年で干潟が元にもどったが、今回はもどらないのが特徴とのことである。全体としては両
者には反比例の関係が見られ、近年の 1999 〜 2005 年ではそれとはまったく異なったところにプロッ
トされた。このことは、播磨灘のどの海域でもアサリとカレイ類の間に比例関係が見られるとは限らな
いことを示している。
鈴木(2010)は、三河湾の環境について、埋め立て→アサリなど二枚貝の減少→植物プランクトン減
少の阻止→植物プランクトンの沈降→貧酸素水→漁場悪化の過程について述べている。播磨灘において
同様な過程が生じている可能性についてはさらに検討する必要がある。
65
図1 播磨灘赤穂におけるアサリ漁獲量とカレイ類漁獲量の関係
(○は1979〜1998、●は1999〜2005)
<反田所長メモ>
(1)ダム(砂防、治山も含む)によって底質がしまる結果アサリが生息しにくくなるのではないか。砂
供給が減少すると、古い砂が残り、角がとれて丸い砂となり、よくしまるようになる。実際に詳しく
調査したわけではないが、最近の浜の砂は丸くなっているように見える。上記赤穂のアサリが回復し
ない原因としてこのことが考えられる。
(2)干潟に地下水が湧昇して、アサリ生息に好条件となる可能性もある。地下水の湧昇については大阪
湾の調査事例がある。
(3)播磨灘のウチムラサキの減少要因
播磨灘のウチムラサキは、1966 〜 1973 年の間に急激に減少し、それ以降 1983 年までは 200 ト
ンほどで安定していた。その後 1990 年にかけて減少して、それ以降ほとんどゼロとなった(図 2)。
1973 年までの減少は埋め立てによるものである。1983 年以降の減少は、乱獲も考えられるが、護岸
整備による可能性がある。ウチムラサキは礫など大きな粒径のものがあることが好ましい。ウチムラ
サキがいたところはある程度崩れやすく、礫などが供給されていたが、国土交通省によってしっかり
した護岸が造られたため、礫などが海に供給されなくなって、ウチムラサキに好適な環境が失われた
可能性がある。ウチムラサキが減少したのでアサリが増加したということを書いた論文もあるが、ウ
チムラサキとアサリが生育する場所は異なるので、この考えは間違いではないか。
(4)最近の瀬戸内海では栄養塩が少なくなり、その結果植物プランクトンも減少して、アサリの餌が減
少したため、アサリも減少した可能性も考えられる。
2.室津漁協の状況
播磨灘を考える会の青木会長は、1990 年代から急に底が腐ってきたと述べた。そのことの資料が得
られるかもしれないと考えて、青木会長とともに室津漁協を訪問したが、折悪しく会議が始まる時間で
あったので、H11、H12、H6、H17、H21 および H22 年の魚介類生産金額についての簡単な資料をもらっ
て、退出した。金額を明示しないために、提供された年の最初の H11 年を指数 1.0 として整理したもの
66
図2 兵庫県明石市二見地区および播磨町地区のウチムラサキ漁獲量
を表 1 に示した。生産金額のため漁獲量ではないが、傾向を見ることができる。H11(1999)年を基準
とすると、24 種の魚種のうち 16 種(2/3)の H22 年生産額は H11 年の額の半分以下であった。代表的
な底生種の生産額の推移を図 3 に示した。アナゴ漁獲量は 60%にしか減少していないが、カレイ類(メ
イタ、マコ、シタ)は 20 〜 30%に落ち込み、クルマエビは 10%台に、シャコとシラサエビは 40%に
落ち込んだ。底質の酸化還元電位が低く、還元的環境となっていることが原因と推定される。なお、カ
キは 7.3 倍の値であるが、水中に垂下しておくときわめて成績がよく、右肩上がりで生産量が増えている、
またアサリは表にデータがないが、水中の籠に砂を入れて垂下すると、こちらも成績がよいとのことで
あった。
表1 室津漁協における魚介類生産金額の1999/2010比
水産統計で室津漁協の生産量を調べた。生産量が多いイワシ類とイカナゴを除いた魚類漁獲量の推移
を図 4 に示す。ピークが 1983、1992 および 1995 年に見られた。それぞれ、アジ・サバ、その他の魚
類およびアジ・サバとカレイ類によるものであった。室津漁協のイワシ類とイカナゴを除く漁獲量は
1998 年頃から減少傾向となり、2006 年には 200 トン以下となった。室津漁協で生産額の減少したクル
マエビ、メイタカレイおよびその他のカレイ類の漁獲量の推移(図 5)を見ると、メイタカレイとその
67
他のカレイ類は 2002 年〜 2003 年に一時的ピークがあるものの、1990 年代半ばから減少傾向が著しい。
底生魚介類の漁獲量は全般的に減少傾向にあるが、垂下式のカキとアサリが増加傾向にあるので、底
質の悪化が課題と考えられる。
図3 室津漁協の魚種別生産額の推移
図4 室津漁協のイワシ類とイカナゴを除いた魚類漁獲量の推移
68
図5 室津漁協のクルマエビ、メイタカレイおよびその他のカレイ類漁獲量の推移
3.岡山県西部地域における貝類とカレイ類などの漁獲量
環瀬戸内海会議松本宣崇事務局長は岡山市在住のため、岡山県の埋め立てについて調べてもらった。
岡山県西部(玉野市、倉敷市、寄島町、笠岡市)では、アサリなどの漁獲量が多かったが、アサリは
1973 年までにほとんど漁獲がなくなり、モガイ(サルボウ)は 1976 年頃までのほとんど獲れなくなり
(図 6)、カレイ類とシャコは 1978 年頃から減少傾向となった(図 7)。岡山県における埋め立ての推移
を図 8 に示した。貝類計(アサリ + モガイ)は累積埋め立て面積が 3,000ha を超える頃から減少し始め
て、5,000ha になる頃には漁獲量はほとんどなくなった。カレイ類は、累積埋め立て面積が 4,700ha 頃
から減少し始めて、5,300ha になるとかなり漁獲量は少なくなった。松本さんの調査では、1959 年に寄
69
図6 岡山県のアサリとモガイの漁獲量(主として西部域)の推移
図7 岡山県西部域におけるカレイ類とシャコの漁獲量の推移
図8 岡山県における埋め立て累積面積の推移
70
図9 岡山県の累積埋め立て面積と西部域のカレイ類および貝類計(アサリ+モガイ)の関係
島地区干拓事業が採択され、1961 年に干拓事業が着手された。岡山県農村振興課によれば、1975 年に
は締切堤防は完成していたのではないかとの事である。漁協組合長によれば、アサリは年間水深 2 mが
生息地、モガイは同 4 mという。このため、干拓事業によってアサリが失われ、干拓事業の結果、周辺
環境とりわけ底質が悪化してモガイも漁獲されなくなったことが推測される。モガイがほとんど漁獲さ
れなくなってしばらくして、底質環境がさらに悪化したためにカレイ類の漁獲量も減少した可能性が考
えられる。
岡山県西部域においては、アサリやモガイが減少した時期とカレイ類やシャコ漁獲量が減少した時期
にずれがあるので、貝類減少→植物プランクトンが減少しなくなり、貧酸素化が進むという考えについ
ては、さらに検討する必要がある。
4.山口県周防灘の漁業問題
山口県(周防灘)では 1980 年代半ばから漁獲量が減少してきた(図 10)。山口県水産研究センター
の方は、漁獲量減少の明瞭な因果関係は不明であるが要因として、栄養塩の減少、水温上昇(とくに冬季)
などを考えている。アサリの減少については、ナルトビエイ以外にも栄養塩不足→植物プランクトン不
足→餌不足を考えている。最近は、栄養塩減少が要因の可能性があるとして、瀬戸内海区水研には「適
正栄養塩のワーキンググループ」もできた。たしかに、底生のクルマエビ、その他のエビ、カレイ類な
ど底引きの漁獲量が減少しているので、貧酸素も考えなくてはならない。周防灘の漁民が高齢化してい
ることもあげられる。水産高校の生徒が漁業に参画してもらうような活動を進めている。
(1)周防灘の貧酸素水
底生の魚介類を漁獲する、小型底引き網による漁獲量は、1980 年代半ばには約 2 万トンであった
が、2002 年には約 5,000 トンへ減少している(図 11)。水産統計から、底生魚類の漁獲量の推移(図
12)を見ると、大部分はカレイ類の漁獲量であり、1972 年に 4,000 トンを超えていたが、2003 年には
1,700 トンへ減少している。エビ類を見ると、クルマエビもその他のエビ類も 1980 年代半ばにピーク
の 10,000 トン強の漁獲があったが、2003 年の漁獲量は約 2,000 トンであった(図 13)。これらの底生
魚介類の減少を見ると、周防灘の貧酸素水が漁獲量減少の一因と考えられる。
71
図10 山口県瀬戸内海区漁獲量の推移
図11 山口県瀬戸内海小型底引き網漁業漁獲量と漁獲金額の推移
(周防灘小型機船底引き網漁業対象種(カレイ類、ヒラメ、クルマエビ、シャコ、ガザミ)資源
回復計画(平成 16 年 11 月 19 日公表)からの引用)
図12 山口県瀬戸内海区におけるカレイ類と底生魚類(ヒラメ、カレイ類、ニベ・グチ、
エソ類、ハモ)の漁獲量の推移
72
図13 山口県瀬戸内海区におけるクルマエビとその他のエビ類漁獲量の推移
5.貧栄養問題
山口県水産研究センターの和西専門研究員は、貧酸素水問題より貧栄養による漁獲量減少の可能性に
関心をもっていた。反田・原田(2011)は、播磨灘の小型底ひき網漁獲量が、播磨灘の DIN 濃度変化
に 2 年遅れて変化することを見いだして(図 14)、栄養塩の減少が漁獲量の減少を引き起こした可能性
を述べている。樽谷・中嶋(1991)は大阪湾のリン負荷量の推移といくつかの魚種の漁獲量の推移を
比較して(図 15)、大阪湾で貧栄養化が起きている可能性を述べている。シャコとカレイ類は、リン負
荷量増大期(〜 1975)には、まず増大してピークを迎え、その後減少したが、負荷量減少期(1976 〜)
にはその逆の結果となっていて、2005 年には負荷量が 1955 年時と同じまで減少したことによって、カ
レイ類やシャコが減少した可能性を指摘している。ただ、エビ・カニ類は負荷量が減少すれば漁獲量が
図14 播磨灘におけるDINと小型底ひき網漁獲量の推移(反田・原田(2011))
73
増大するはずなのに、減少しているのは、負荷量と漁獲量の間に関連があるとする考え方と合致しない。
佐々木(2008、2009)は、大阪湾の漁獲量を検討したので、カレイ類とシャコについて述べる。大
阪湾のカレイ類の漁獲量は、大阪府の漁獲量と兵庫県のうち明石海峡より東部の漁獲量の和である(図
16)。このうち、大阪府の漁獲量はそれほど減少していないが兵庫県の漁獲量は 1990 年頃から急激に
減少しているため、大阪湾全体としても減少している結果となっている。兵庫県のカレイ類漁獲量の減
少は、1990 年頃から減少の一途をたどっている。これに関係する問題として、1)ポートアイランド二
図15 大阪湾におけるシャコ、シタ・カレイ類、タコ類およびエビ・カニ類の漁獲量と
リンの発生負荷量の関係(樽谷・中嶋(2011)から引用)
図16 大阪湾の大阪府と兵庫県(明石海峡東部)および湾全体のカレイ類漁獲量の推移
74
期工事(南島)が 1987 年〜 2005 年、2)神戸空港の建設が 1999 年着工、2006 年竣工があげられる。
これらの工事によって、明石海峡からの潮流が人工島にぶつかって潮流が弱まり、貧酸素化などが生じ
る可能性が高い。これらのことを考慮すると、樽谷・中嶋(2011)が予測した、栄養塩レベルの減少によっ
てカレイ類が減少したのではなく、環境変化によって減少した可能性が高いことが考えられる。
大阪湾のシャコ漁獲量の推移を図 17 に示した。1996 年と 1997 年に高い値があるが、それを除くと
1987 年の 487 トンから 2004 年の 128 トンへと減少し続けている。樽谷・中嶋(2001)が示した図では、
リン負荷量が約 5 トン / 日の 1956 年のシャコ漁獲量が約 400 トンに対して、同じ負荷量の 2005 年の
漁獲量は 100 トン以下となっていて、負荷量と漁獲量の間に関係があるとしても、2005 年には減少が
大き過ぎる。大阪湾のシャコのほとんどは、岸和田より南海域で漁獲され、もっとも多く漁獲するのが
岸和田と泉佐野であり、この両者で漁獲量の約 70%を占める。1987 から泉佐野市の沖合に関西空港建
設が始まり、人工島は 1991 年に完成した。大阪湾のシャコが減少し続けている原因として関西国際空
港建設の影響も検討しなければならない。
図17 大阪湾における全域、泉佐野および岸和田におけるシャコ漁獲量の推移
栄養塩負荷量が減少して、その結果植物プランクトンが減少して、海域の生物生産力が落ちたため、
瀬戸内海の漁獲量が減少した、という瀬戸内海貧栄養化説については、樽谷・中嶋(2011)が述べてい
るように、栄養塩以外の寄与(水温上昇や埋め立てなど)を検討する必要がある。埋め立て問題につい
て考えてみる。通常は、栄養塩→植物プランクトン→動物プランクトン→小魚→魚、これとは別に植物
プランクトン→懸濁物→底生生物→ベントス食魚類、というルートが考えられる。また干潟では、植物
プランクトン→貝類→漁獲のルートもある。これらの過程で、動物プランクトンやベントスなどから栄
養塩が回帰する。埋め立てで干潟・浅海域が失われると、植物プランクトンが過剰となり、沈降して底
質環境を悪化させ、ベントス食魚類に悪影響を及ぼす。また、埋め立てによって貝類漁獲量は減少する
が、栄養塩→植物プランクトンのルートは大きくなるので、動物プランクトンや浮魚には有利になる。
大阪湾で漁獲される魚種を、プランクトン食性、魚食性およびベントス食性に分けて、漁獲量の推移
を見た(図 18)。図の上は、マイワシも含むプランクトン食性魚の漁獲量、下はマイワシを除いたもの
である。マイワシを含む場合には、変動が大きく、最高漁獲量が 10 万トンを超え、1980 年代前半から
中ごろまでは 6 万トンを超えているが、それ以外の時期には 2 〜 4 万トンである。一方、マイワシを除
いた場合には、変動が大きくなく、1.5 万トンから 3 万トンの間を前後している。マイワシの増大は、
75
大阪湾内が富栄養化していた環境条件のもとで、太平洋でレジームシフトにより増大したマイワシが大
阪湾にも侵入したことによると考えられる。また、マイワシは、他の魚種と異なり、植物プランクトン
を餌とすることができるので、そのバイオマスを大きく増大することが可能だった。そこで、大阪湾の
魚種生態系の変遷をみるために、マイワシを除いて考えた。
図18 大阪湾のプランクトン食性魚類(イワシ類、アジ、サバ、マダイ、クロダイ、
イカナゴ、コノシロ)の漁獲量の推移、下図はマイワシ漁獲量を除いたもの
魚食性魚類の漁獲量(図 19)は、1980 年代までは増減が見られるが、それ以降は 1200 〜 1400 トン
の間を前後していて変化が小さい。ベントス食性魚類漁獲量(図 20)は、1970 年代後半から 1980 年
代前半は増加したが、それ以外は 600 〜 800 トンの間で安定している。増大したのは、マイワシが増
大した時期と重なるので、何らかの影響を受けた可能性がある。
これらの検討結果からは、大阪湾で栄養塩流入量が減少したため資源量が減少して、その結果漁獲量
が減少したと結論づけることは難しい。今回は大阪湾について検討したが、瀬戸内海全域や灘ごとの検
討も行って、「貧栄養化による漁獲量減少仮説」を検証していく。
76
図19 大阪湾における魚食性魚類(ブリ、エソ、イボダイ、ハモ、タチウオ、
サワラ、スズキ、アナゴ)の漁獲量の推移
図20 大阪湾におけるベントス食性魚類(シログチ、ボラ、カレイ類)の漁獲量の推移
図21 魚食性魚/プランクトン食性とベントス食性魚/プランクトン食性魚の比率の推移
77
6.来年度計画
引き続き瀬戸内海の漁獲量減少について環境要因から整理する。貧酸素については、来年度 1 年であ
るが、ヤマトシジミの減少要因を明らかにしていきたい。
引用文献
反田實・原田和弘(2011):富栄養化への対策事例と将来への課題、水環境学会誌、34、54-58.
樽谷賢治・中嶋昌紀(2011):閉鎖性内湾域における貧栄養化と水産資源、水環境学会誌、34、47-50.
佐々木克之(2008):大阪府と大阪湾漁業、海洋と生物(No.175)、30、195-205.
佐々木克之(2009):瀬戸内海漁業・カレイ類とアナゴ、海洋と生物(No.181)、31、180-187.
78
イカナゴの漁獲動向と瀬戸内海の海砂採取
兵庫県立農林水産技術総合センター
水産技術センター 反田 實
はじめに
平成 21 年の全国海面漁業生産統計によると全国のイカナゴ漁獲量は 32,753 トンで、統計 57 分類(そ
の他計は除く)のうち上位 23 番目にあり、アサリ類などと同レベルである。このように重要な漁業資
源であるが、漁獲量は 1974 年の 30 万トンから近年は 6 分の 1 程度に減少しておりその資源動向が懸
念される。
全長 3 ~ 5 ㎝のイカナゴ 0 歳魚は主に釜揚げやカナギチリメンと呼ばれる煮干し製品の加工原料とし
て利用される。また、瀬戸内海東部では 0 歳魚が生鮮で販売され、一般家庭で「くぎ煮」(佃煮)を炊
く食文化が定着している。1 歳魚以上は一部加工品となるが、多くは冷凍され養殖用餌料として利用さ
れる(日本水産資源保護協会 2006)。
このようにイカナゴは沿岸漁業資源として日本の食料供給や地域文化を支える食材として重要であ
り、加えて沿岸域の魚食性魚類、海獣類、海鳥の餌料生物として海洋生態系を支える重要な生物資源で
もある。
イカナゴは日本全国に広く分布するが、夏眠という生態的特徴があるためその生息域は好適な海砂の
存在に強く依存している。また、その生活史から地域資源的性格が強く、全国の主要漁場も概ね定まっ
た範囲に形成される。多獲性魚であり瀬戸内海東部の播磨灘、大阪湾においては毎年冬季の終わりから
春季までの数ヶ月間は漁獲対象種の中で最大のバイオマスを形成する。
イカナゴは適切な資源管理がなされ漁場環境が維持されれば、毎年確実に漁場形成が期待できる。全
国のイカナゴ資源をみると、親魚の獲りすぎ、不適正な漁獲開始サイズ、乱獲による漁場紛争など資源
枯渇の危機に見舞われた例も多いが、それを契機に新しい資源管理の取り組みが生まれ、伊勢湾を始め
瀬戸内海、仙台湾周辺、北海道宗谷地方では地域の漁業実態や実情にあわせた様々な取り組みが行われ
てきた。イカナゴは漁獲の影響が強く及ぶ資源であり持続的な資源管理が必須である。また、その生態
的位置から、単一種の管理・保護とどまらず、海域の生物群集全体に影響が及ぶという視点も必要である。
今回の報告ではまず全国におけるイカナゴの漁獲実態について述べ、続いて瀬戸内海の漁業と漁獲の
実態を紹介する。また、瀬戸内海では、かつて海砂採取が大きい問題となったが、その経緯とイカナゴ
資源に与えた影響について論議する。
1.全国のイカナゴ漁獲実態
図 1 は全国のイカナゴ漁獲量である。イカナゴの漁獲量は 1960 年代末頃から急増し 1974 年には最
大漁獲量の 30 万トンに達した。しかし、その後 4 年間で急減し 1980 年代以後は多少の増減を示しな
がら漸減傾向が続いている。2000 年代以は 6 万トン前後の年が多いが、2009 年は 32,753 トンと 1953
年以後最低の漁獲量であった。全国漁獲量の変動は北海道区の漁獲量変動が大きく影響する。特に
1970 年代中頃の漁獲量のピークは北海道区における漁獲量の増加によるところが大きい。
図 2 は海区別漁獲量の推移である。以下に海区ごとの漁獲動向並びに資源管理の状況を述べる。
79
図1 全国のイカナゴ漁獲量
図2 全国海区別漁獲量
北海道区 当海区のイカナゴ漁獲量の概ね 90% 以上は宗谷地方で漁獲される。また、その漁獲量の
95% 以上が沖合底びき網によるものである。北海道区の漁獲量は 1960 年代後半から急増し 1974 年に
は 167,000 トンに達した。これは 1967 年に宗谷海峡周辺海域の沖合底びき網漁場が開発されたことに
よる。しかし、ピーク後、数年間で漁獲量は急減し以後も漸減傾向にある。これには 1977 年の 200 海
里専管水域の設定、1998 年のロシア水域での着底トロールの禁止などによる漁場の縮小や漁獲努力量
80
の減少も影響しているようである(三宅 2003)。2004 年には宗谷海峡海域イカナゴ資源回復計画がス
タートし、2002 年を基準年度として、2012 年に資源量を 10% 増大させることを目標に、沖合底びき
網漁業を対象とする減船、操業期間の 1 ヶ月短縮および休漁日設定の取り組みが行われている(北海道
2011)。なお、宗谷海峡周辺にはイカナゴのほかキタイカナゴおよびそのハイブリッドが分布しており、
沖合底びき網にはキタイカナゴが 1 ~ 20.9% 混じることが報告されている(前田 2008)。
太平洋北区 当海区のイカナゴ漁獲量の概ね 95% 以上は宮城県、福島県、茨城県によるものであるが、
茨城県の漁獲量は年による変動が大きい。この区の漁獲量は 1980 年代中頃に急増し 1984 年には最高
漁獲量の 87,960 トンに達した。しかし、1991 年には 8,107 トンまで急減した。その後 1996 年にかけ
て一時回復したが、以後は漸減傾向が続いている。宮城県沿岸とその周辺海域では、イカナゴの幼稚魚
(コウナゴ)は火光利用の敷網で、成魚(メロウド)は抄網によって漁獲されていたが、1977 年から船
びき網、1984 年からは底びき網(主に沖合底びき網)もイカナゴを漁獲するようになった。その結果、
資源状態が悪化し、既存漁業の漁獲量が激減し、漁業紛争にまで発展したため、1990 年から火光利用
敷網漁業の操業期間短縮、漁獲量制限、底びき網漁業の自粛を骨子とする資源(漁業)管理が行われて
いる(橋本 1989、日本水産資源保護協会 2006)。
太平洋中区 当海区のイカナゴは伊勢・三河湾において愛知県と三重県の船びきにより漁獲されてい
る。伊勢湾では 1967 年頃から漁獲量は急増し、1974 年には 28,559 トンに達した。しかし、その後急
激に減少し、特に 1978 ~ 1982 年は大不漁に見舞われた。このような不漁を契機に操業規制の導入な
どの資源管理が実践されている(船越 1992)。大不漁の後、年々の変動は大きいものの漁獲量は増加に
転じており、2001 ~ 2007 年の増加傾向は明らかである。同じ時期の太平洋北区や瀬戸内海区では減
少傾向であることから、資源管理の成果が現れたと推察される。しかし、2008 年から漁獲量は急激に
低下し、2009 年は 1,870 トンとかつての大不漁に近いレベルとなった。この問題については幾つかの
課題が示されている(鵜嵜 2010)。一方、2009 年は瀬戸内海区でも歴史的な大不漁に陥った年であり、
地理的に離れた両漁場で同様な減少が起こったことから、気象などの共通要因の存在が示唆される。今
後の資源管理のためには 2009 年に焦点を絞った両海域の比較研究が必要である。
福岡県(東シナ海)・山口県(日本海) この海域の漁獲量は 1978 年頃までは千トンを超えていたが
1979 年以後は急減した(図 3)。主漁場である福岡湾湾口部では、資源管理として 1984 ~ 1988 年に韓
図3 福岡県(東シナ海)、山口県(日本海)合計のイカナゴ漁獲量
81
国産や熊本、香川県産のイカナゴ親魚の移植放流が(吉田ほか 1996)、また、1987 ~ 1994 年には自主
的な禁漁が行われた(秋元ほか 2002)。操業再開後は一時漁獲が回復したが再び低迷し、2008 年から
3 年間の休漁が再び実施された。福岡県ではイカナゴはカナギと呼ばれ、加工用のほか釣り餌として利
用され、多い年には 5 千トンの漁獲がある重要な地域資源であった。禁漁などの措置にもかかわらず現
在ではほとんど漁獲されなくなっており、資源の消滅と言って良い状態である。イカナゴ資源がこのよ
うな状態に陥った例は他に見られないことから、その原因究明は他海域の資源管理・資源保護を考える
上で非常に重要である。
2.瀬戸内海のイカナゴ漁獲実態
瀬戸内海のイカナゴ漁獲量(図 2)は 1950 ~ 1960 年代に増加した。1970 年代は変動が大きいもの
の 4 ~ 5 万トンで推移し、1980 年には最大漁獲量の 7 万 4 千トンを記録した。以後は他の海区で見ら
れるような極端な減少期は見られないものの、近年まで漸減傾向が続いている。その中で 1981 ~ 1985
年にやや大幅な減少が見られるが、これは後述する備讃瀬戸海域での海砂採取の影響が大きかったと推
測される。2009 年の漁獲量は 4,380 トンと過去最低であり、過去の最大漁獲量(1980 年)の 10% 以下
であった。この極端な不漁は前述したように伊勢湾でも起こっており、その原因究明は重要である。
瀬戸内海のイカナゴの主漁場は備讃瀬戸以東の播磨灘~大阪湾である。瀬戸内海区の漁獲量に占める
瀬戸内海東部府県合計(岡山県、香川県、兵庫県、大阪府、徳島県、和歌山県)の割合は 95% 以上で
ある。中でも大阪湾、播磨灘、紀伊水道を漁場とする兵庫県の漁獲量は多く、瀬戸内海区に占める割合は、
1970 年代が 55%、1980 年代が 64%、1990 年代が 73%、2000 年代は 76% である。このように 1980 年
代以後、瀬戸内海区の漁獲量が減少する中で兵庫県の漁獲割合が徐々に高くなっている。
続いて、各府県別の漁業実態を述べる(図 4-1 ~図 4-3)。
和歌山県 船びき網で漁獲されている。年変動が大きいが 1990 年頃から漁獲量が増加し、最大漁獲
量は 2006 年の 897 トンである。
徳島県 船びき網で漁獲されている。最大漁獲量は 1980 年の 7,234 トンである。年変動が大きい。
1995 年頃から漁獲量は低水準にある。
大阪府 船びき網で漁獲されている。1970 年代中頃から漁獲されるようになり、1980 ~ 1982 年は
6,000 トン以上の漁獲量があったが、それ以降は概ね 1,000 ~ 2,000 トンレベルで推移している。最大
漁獲量は 1980 年の 7,706 トンである。兵庫県と協同して資源管理に取り組んでいる(後述)。
兵庫県 1960 年代までは袋待ち網やパッチ網(小型底びき網)で漁獲されていたが、1970 年代から
船びき網で漁獲されるようになった(浜田 1985)。漁獲量は概ね 10,000 ~ 25,000 トンで推移している
が、近年減少傾向がみられる。最大漁獲量は 1970 年の 38,948 トンである。
岡山県 漁法は県西部が袋待ち網、県東部は船びき網である。漁獲量は、1983 年頃までは 1,000 ~
2,000 トンであったが以後は低いレベルで推移している。特に 1996 年には 85 トンまで減少したが、こ
れには後述する海砂採取の影響が推測される。
香川県 漁法は、地元でバッシャと呼ばれる袋待ち網漁業である。漁獲量は、岡山県と同様に 1983
年頃までは 5,000 ~ 15,000 トンであったが、以後は概ね 5,000 トン以下で推移し、2002 年には 938 トン、
2009 年には 470 トンと大きく減少した。香川県も後述するように海砂採取の影響が大きかったと推測
される。
82
図4-1 瀬戸内海の府県別イカナゴ漁獲量
83
図4-2 瀬戸内海の府県別イカナゴ漁獲量
84
図4-3 瀬戸内海の府県別イカナゴ漁獲量
85
3.大阪湾・播磨灘の資源管理
生活史 瀬戸内海東部のイカナゴの生活史の概略は図 5 の通りである。近年、0 歳魚の漁獲期間は概
ね 3 ~ 4 月であるが、年によっては 5 月まで続く場合がある。主な夏眠場所は備讃瀬戸や明石海峡周辺
の砂地の海底である(反田 1998)。
図5 瀬戸内海東部海域のイカナゴの生活史の概要
漁況予報 兵庫県のイカナゴ予報のプロセスは次のとおりである。11 月下旬~ 1 月上旬に文鎮こぎ
と呼ばれる空釣り漁法によって産卵親魚の分布密度と全長組成を調査し、既知の全長と産卵数の関係を
用いて 1 尾当たりの平均産卵数を計算し、これと分布密度から産卵量指数(1987 年漁期前調査で得ら
れた値を1とした指数)を求める。稚仔分布調査は 1 月上旬と下旬に行い、稚仔の分布量と分布状態を
把握する。これらの結果と気象・海象条件および過去の結果との比較など、総合的な評価を行い、2 月
上旬にイカナゴ漁況予報を発表する。予報文は新聞発表とほぼ同時にインターネットのホームページ
(http://www.hyogo-suigi.jp/index.htm)で公開している。大阪府も同時期に大阪湾を対象に漁況予報を
発表している。
解禁日 兵庫県におけるイカナゴの資源管理は 1986 年の不漁をきっかけに始まった。1986 年は稚魚
の成長が遅く魚体が小さかったため、解禁日に袋網から抜けて死亡する稚魚が多く見られた。また漁獲
量は 14,736 トンで当時としては不漁であった。この経験から漁業者の間で適切な網おろしの必要性が
強く認識された。そして、1986 年 12 月 1 日に船びき網の操業期間が周年許可となるとともに、解禁日
の決定にあたっては水産技術センター(当時は水産試験場)が指導することとなった。具体的には、解
禁に先立って各地区の漁業者が試験操業を実施し、水産技術センターが標本の測定結果をもとに成長を
予測して適正な解禁日を提案している。漁業者はこの提案に基づいて協議を行い、各地区間の調整を経
て解禁日が決定される。これら一連の手順は大阪府と兵庫県が歩調を合わせて行い、原則として大阪湾
と播磨灘の解禁日は統一されている。解禁日の統一については、1990 年頃から解禁日前に前年に加工・
冷凍された釜揚げが販売されるようになったものの食味が悪く、以後の消費に悪影響を与えると考えら
れたため、統一的な解禁日を消費者にアピールし冷凍物との差別化を図ることが目的の一つであった。
終漁日 漁期の終了は、指標とする漁業協同組合の船びき網の1日1船当たりの漁獲量(漁獲尾数)
すなわち CPUE を追跡し、この CPUE が目安のラインを下回るタイミングで水産技術センターが漁業
者に終漁協議に入るよう提案する。これを受けて漁業者は協議会を開催し終漁日を決定している。終漁
86
の目安となる CPUE は、過去の終漁時の CPUE とその獲り残しである親魚量(産卵量指数)との間に
一定の関係が見られること、また、産卵量指数が 4 ~ 6 のときに好漁になる確率が高いことを根拠に決
められている(玉木ほか 1998、日下部ほか 2008)。
4.海砂採取の経過と現状
瀬戸内海の海砂採取は 2005 年度でほぼ終了したが、それまでに膨大な海砂が採取され多くの海産生
物に影響を与えたと推察される。漁業資源について言えば、海砂との関連が強いイカナゴへの影響は特
に大きかったと考えられる。ここでは、イカナゴと砂との関係、海砂採取の歴史と現状およびイカナゴ
資源への影響について述べる。 夏眠場と海砂 イカナゴの夏眠場の条件を簡単に言い表すと”潮通しの良いきれいな砂地の海底”で
ある。イカナゴは潜る砂粒子の大きさに対して選択性があり、魚体の大きさによって異なるが、好適な
砂粒子の大きさは 0.25 ~ 4 ㎜で、特に 0.5 ~ 2 ㎜の砂に選択性がある。また、底質の有機物量の指標
である強熱減量で見ると、おおむね 3% 未満である(中村ほか 1997;反田 1998)。粒子条件で見た場合、
瀬戸内海でこのような砂(Md φ -2 ~ 2)が分布している海域は明石海峡周辺、備讃瀬戸、芸予諸島周辺、
安芸灘・伊予灘の一部および速吸瀬戸から国東半島にかけての海域で、多くが海峡および瀬戸の海域で
ある(図 6)。それらの海域のうち、特に明石海峡周辺と備讃瀬戸にはイカナゴの大きな夏眠場があるが、
海砂採取は、備讃瀬戸から芸予諸島に至る海域を中心に行われた。
図6 瀬戸内海の表層堆積物分布(中央粒径値)
Md φ <0 は岩盤分布域も含む(井内,1982)
瀬戸内海の海砂 瀬戸内海は今から約 1 万年前に誕生したと考えられており、その頃の海水面は現在
よりも約 40m 低かったが、その後徐々に高くなり、約 6000 年前に現在の形となった。瀬戸内海には 2
種類の砂があるとされている。一つは主に河川によって運ばれてくる砂で、この砂は海に運ばれた後に
沈降や波の作用により干潟や砂浜海岸を形成する。近年、河川改修による堤防や河床のコンクリート化、
ダムや堰の建設により、海への砂の供給が減少していると推察される。もう一つは、潮流の作用によっ
てできた砂である。これは、瀬戸内海が誕生して以降、速い潮流によって海底が削られ、削られた砂が
87
長い年月をかけて積み重なり、海中で砂の丘を形成したものである。この種の砂は海峡や瀬戸周辺に分
布しており、海砂採取で対象となったのはこの砂である。形成の起源からわかるように、この砂は採取
すると簡単に再生することはなく、化石資源の性格を有している。(井内 1982、1990、1998)。
海砂の利用 海砂採取の目的は建設用資材であった。主にコンクリート用の細骨材としてセメントに
混ぜて使われる。細骨材に適するのは粒子径が 0.5 ~ 2.0 ㎜を中心とした砂であり(JIS A 5308)、こ
の粒子径はイカナゴが好む砂の粒子径と一致する。したがって、海砂の採取に適した海域と、イカナゴ
の夏眠場、産卵場とは重なり合っていた可能性が高い。日本の砂利の供給は、東日本は陸砂利の割合が
高く、西日本では海砂利の割合が高い。これは、東日本が陸砂利や山砂利の資源量が多いのに対し、西
日本ではそれらが少ないことによる。
瀬戸内海の海砂採取 瀬戸内海の海底での海砂採取が始まったのは 1960 年頃からであるが、採取量
は 1960 年代の後半から 1970 年代にかけて急激に増加した。最も採取量が多かった 1979 年頃のピーク
時には約 3,000 万立方メートル / 年に達した。その後は 1987 年頃の関西国際空港の建設に伴う海砂需
要によると見られる一時的な増加を経て、1995 年頃までは 2,500 万立方メートル前後で推移した。海
砂の採取量が多かったのは備讃瀬戸から芸予諸島に至る瀬戸内海中央部である。しかし、海洋生態系に
及ぼす影響への危惧から海砂採取に対する国民の不安と批判が高まり、広島県は 1998 年 2 月に海砂採
取の全面禁止に踏み切った。海砂採取に対して批判がある中、広島県では海砂の違法採取や利権に絡む
贈収賄事件が発覚し、全面禁止の流れが一気に加速した。このような中で 2000 年 12 月に改正された
瀬戸内海環境保全基本計画では「海砂利採取にあたっての環境保全に対する配慮」が明記された。これ
に基づき 2002 年 7 ~ 9 月に変更された府県計画において海砂利採取に対する各府県の方針が示された。
そして、岡山県は 2003 年度から、香川県は 2005 年度から海砂採取を禁止し、愛媛県も 2006 年度から
海砂採取を全面的に禁止した。これによって瀬戸内海での大規模な海砂採取は終了した。その後山口県
で一部行われていた採取も平成 19 年度で終了し、平成 21 年度は大分県に於いて航路浚渫に伴う海砂採
取がわずかに残るのみとなった。なお、徳島県では 1979 年以後、大阪府と和歌山県は少なくとも 1968
年以後の採取実績はない。また兵庫県は後述するように漁業調整規則によって実質的に海砂採取は禁止
されている(表 1、図 7、図 8)。
表1 瀬戸内海の海砂採取の状況
88
図7 瀬戸内海の海砂採取量(11 府県合計)
図8 瀬戸内海の府県別海砂採取量(瀬戸内海の環境保全資料集より)
山口県、福岡県および大分県の採取量には瀬戸内海海域以外を含む
5.兵庫県における海砂採取禁止の経緯
兵庫県では 1961 年から 1964 年にかけて漁業調整規則によって明石海峡部および淡路島周辺に海砂
利採取の禁止海域が設定された(兵庫県瀬戸内海区漁業調整委員会 1994)。兵庫県では、昭和 34 年頃
から阪神間の土木工事が急増するに従い、良質な砂が存在する淡路島周辺や鹿ノ瀬(明石海峡西側にあ
る砂堆)で大量の海砂が採取されるようになった。そのような中、港に陸揚げされた砂の中に大量のイ
カナゴが混入しているのを漁業者が発見し海砂採取が問題化することとなった(神戸新聞明石総局編
1989)。漁業者は海砂採取の禁止措置と採取船の取り締まりを求めて県および海上保安庁に繰り返し陳
情を行った。また、採取船と漁業者の紛争も相次いで生じた。このような陳情活動が契機となって漁業
調整規則に「岩礁破砕及び土砂等採取の禁止」の規定が新たに設けられた。これに基づいて県告示によ
り 1961 年から 1964 年にかけて淡路島沿岸や鹿ノ瀬海域を含む広い範囲に土砂等の採取禁止海域が指
定された(図 9)。このような経過を経て 1966 年には海域指定制が廃止され、それまでの指定海域は全
て条文に収められた。これによって兵庫県海域は実質的に海砂採取が禁止されることとなった。
89
図9 兵庫県の海砂採取禁止海域
(兵庫県瀬戸内海区漁業調整委委員会より 1994)
6.海砂採取の影響
1999 年までに瀬戸内海で採取された海
砂の量は 6.1 億㎥に達するが、この量を単
純に豊後水道から紀伊水道に至る瀬戸内海
全体の面積で割ると、約 2.6㎝の厚さとな
る。しかし、実際の採取は備讃瀬戸や芸予
諸島周辺など、良質の海砂資源が豊富に存
在する海域に対し集中的に行われた。
海 底 地 形 の 変 化 図 10 に 示 す よ う に
1963 年刊行の海図では広島県の三原瀬戸
の海砂採取海域には、かつて布刈ノ洲、能
地堆と呼ばれていた水深 3 ~ 20m の砂堆
が分布していたが、現在それらは全く消滅
し、水深は 40m に達するまで深くなってい
る。すなわちこの海域では 30m 近い厚さの
砂が採取された。同じような海底形状の変
化は備讃瀬戸の海砂採取海域でも確認され
ている(環境省、2002)。また、採取地の
底質には砂から礫への変化がみられる。こ
れはポンプ採取船による採取の際に小石な
ど不適なサイズのものが捨てられたためで
ある。このような海底性状の変化によって
90
図10 大久野島東海域の海底断面の経年変化
(環境省,2002)
イカナゴの夏眠場・産卵場の多くが消失したと考えられるが、面積など具体的なことは判らない。
海砂採取による海底変化の回復は容易ではない。例えば、玄界灘の福岡県沿岸および壱岐東方の海砂
採取跡地の調査結果によると、採取終了直後に 5 m 程度であった窪みの深さは約 20 年後に 1 ~ 4 m と
浅くなっていたものの完全には回復していない。また、泥の堆積や漁業操業への影響も報告されている
(内田 2005、2006)。このような調査結果から推測すると、瀬戸内海の海砂採取跡地の自然条件下での
完全回復には相当な時間を要すると考えられる。
イカナゴへの影響 図 11 に岡山県と香川県のイカナゴ漁獲量と海砂採取量の推移を示す。
岡山県では 1970 年代に海砂採取量が急増しこれと反比例するようにイカナゴ漁獲量が急減した。香
川県では同じく 1970 年代に海砂採取量が急増したが、イカナゴ漁獲量は 1980 年代に急減した。この
ように海砂採取量との関連で見た場合にイカナゴ急減時期に両県でずれが認められる。その原因として
漁場面積に対する海砂採取規模の違いなどが考えられるが明確ではない。一方、隣接海域であるが海砂
採取が行われていない兵庫県ではこの時期に漁獲量の急減は認められない(図 4-2)。また、同じ瀬戸
図 11 岡山県と香川県のイカナゴ漁獲量と海砂採取量
91
内海で海砂採取が行われた県と行われなかった府県のイカナゴ漁獲量の推移に明確な違いがあることか
ら(反田 2006)、海砂採取がイカナゴ資源に大きい影響を与えたのは間違いないと思われる。しかし、
注目されるのは岡山県のイカナゴ漁獲量が 2000 年頃からまだ低い水準ではあるが徐々に増加している
点である。岡山県の海砂採取は 2003 年 4 月から全面禁止となったが、その数年前から採取量は徐々に
抑えられてきた。隣接する兵庫県では岡山県のような漁獲量の増加傾向が認められないことから、岡山
県の変化は海砂採取の禁止による可能性が高いと推察される。しかし 2005 年 4 月から採取禁止となっ
た香川県では漁獲量にそのような変化は今のところ確認されない。海砂採取の影響からの回復について
はもう少し漁獲量の推移を追う必要がある。
おわりに
イカナゴの漁獲動向と瀬戸内海の海砂採取の歴史と現状について文献調査を中心に整理検討した。そ
の結果、海砂採取がイカナゴ資源に大きい影響を与えたと考えられること、一方で海砂採取禁止以後、
一部の海域で資源回復の兆しのあることがわかった。また、海砂採取跡の窪地の回復は容易でなく、そ
の影響は相当長期間続くであろうと推察された。
兵庫県のイカナゴ漁獲量は漸減傾向にあるが特に 1990 年代後半からの減少傾向が著しい。近年瀬戸
内海では栄養塩、特に DIN(溶存無機態窒素)濃度が低下し、養殖ノリの色落ちが頻発するとともに、
海の生産力の低下が懸念されている(反田 2011)。図 12 に播磨灘を漁場とする標本組合における当歳
イカナゴの漁獲重量と冬季の DIN 濃度との関係を示したものである。漁獲量の年変動は大きいが 3 カ
年移動平均でみると、その変化傾向は DIN 濃度のそれと良く一致する。内湾域の生態系構造と物質循
環は複雑であり単純にこの結果から両者を結びつける事は出来ないが、人為的影響の大きい内湾域にお
いてはこのような視点からも資源変動を見ていく必要がある。
図12 播磨灘の標本漁協における0歳イカナゴの漁獲量と冬季の DIN 濃度
92
また、夏季の高水温が夏眠期のイカナゴの生存に影響することが実験的に示されていることから(赤
井・内海 2012)、近年の高水温傾向と資源変動の関連についても検討が必要である。
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94
伊勢・三河湾における漁場環境悪化の要因と再生の方向性
-栽培漁業と流入負荷管理施策の限界-
名城大学大学院総合学術研究科 鈴木輝明
1.はじめに
伊勢・三河湾の水産資源の低下には様々な要因が関与しており、埋め立てにより干潟や浅場、藻場と
いった極浅海域が喪失し、水産資源の産卵場、幼稚仔保育場がかなりの割合で減少したこと、さらに極
浅海域の持つ水質浄化機能の低下により貧酸素等水質環境悪化が顕在化し特に夏場の生残率が悪化した
こと、さらにこのような漁場環境悪化による資源減少を漁獲努力量の増大によって補わざるをえない漁
家経営の脆弱さによって乱獲状態が慢性化したこと等が挙げられる。これら要因が輻輳して資源の長期
的低落傾向に一向に歯止めが効かない状態に陥っているというのが現状と考えられる。これに対し様々
な対策が講じられているものの、資源回復の柱は依然として資源減少種の種苗生産、種苗放流である。
しかしながらこの種苗放流が一部魚種を除き総体として顕著な効果をもたらしているとは言い難い状況
にあるのは誰の目にも明らかである。今後の漁業再生を進めるにはまずこの点にあえて触れる必要があ
ろう。何故種苗放流が顕著な効果をもたらさないのか?これにはそもそも海洋生態系内のある種は、当
該種を巡る食う食われるの食物連環構造を中心とした生態系の動的バランスの中に存在しているので、
単一種の繁栄を生態系の中で支えることには限界があり、多様性の中に埋没してしまうという事実があ
る。このそもそも論を仮に棚上げしたとしても、より重要な視点は種苗放流が沿岸域管理の問題と分離
して実施されているという点だと思われる。水産資源回復のための種苗放流の効果が沿岸域管理とどの
ように関係しているのかを端的に示す興味深い適地放流に関する調査結果がある。一般に内湾では湾奥
部に流入する河川とそれにより発達した浅い地形、そして狭い湾口が特徴である。このような地形的特
徴は高温・高塩分の外洋水塊の進入を抑制し、河川水起源の低塩分の湾内水塊の卓越をもたらす。浅い
という地形的特徴は水温の季節変化を大きくするので、外海との間に水温差が生じることになり、この
水温差が生物の産卵、索餌、越冬などの回遊行動を規定する。冬季、水温がもっとも低下する頃には内
湾種の多くはすでに湾外の深場に越冬のため移動しており、湾内には北方冷水性魚類の仲間や移動性の
少ない魚介類がわずかに卓越するのみであるが、水温上昇がはじまる春には多くの魚類が産卵、索餌の
ため来遊し、豊富な動植物プランクト
ンや底生動物などの餌生物を食べ成長
する。例えば漁獲日本一を誇る愛知産
トラフグ(写真1)は湾口伊良湖岬沖
の遠州灘(渥美外海)の水深 30m 程
度の砂礫底で産卵するが、4月から5
月にかけてふ化した稚魚は内湾に来遊
し、干潟・浅場周辺を回遊しながら北
上して、6月頃には湾最奥の名古屋港
内でも数センチの稚魚が多数見られる
写真1 トラフグ水揚げ風景
95
ようになる。このような回遊行動の目的は豊富な餌を求めるためと、大型捕食魚からの逃避と考えられ
ているが、10 月には 20㎝程度に成長し、その後水温の低下に伴って渥美外海に主たる生息域を移し、
延縄で漁獲される。このトラフグ資源の水準を増加・安定するために資源を利用する東海3県と(独)
水産研究センターが協力して適地放流調査を実施した。人工的に種苗生産したトラフグ稚魚に特殊な
標識を付け、遠州灘、熊野灘、伊勢湾内等の様々な海域9カ所から放流して漁獲への加入効果を 2001
年から 2004 年にわたって追跡した貴重な調査である。調査結果は、伊勢湾内知多半島常滑地先(中部
国際空港近傍)の干潟域に放流した稚魚の漁業による回収率は産卵場や漁場に近い遠州灘沿岸(1%~
6%)や熊野灘沿岸(0.4%~ 1.3%)の外海よりも非常に高く(12%~ 26%)、トラフグ稚魚の放流適
地は伊勢湾内の浅場であるという結果であった。このような適地放流という考え方は単に大量の稚魚を
放流すれば効果が現れるというものではなく、放流後の稚魚の生残に好適な場所、すなわち餌が豊富に
あり、大型捕食魚から逃避できる環境を有した場所が必須であるという当然の結果を示したものである
といえる。このような豊かな餌場であり、かつ大型捕食魚の少ない海域というのはとりもなおさず内湾
であり、かつその中でも干潟・浅場・藻場等の極浅海域である。これはトラフグに限らず産卵場がどこ
であれ幼稚魚時代を湾内で過ごす水産生物種が非常に多いのもこのような場の存在に他ならない。近年、
沿岸域管理の中で干潟・藻場を含む極浅海域の重要性について水質浄化機能の視点から重要視されるよ
うになったことは望ましいことである。しかし、沿岸域管理やその延長線上にある流域圏管理の中心的
課題とされている流入負荷管理がこのような豊かな餌生物をはぐくむことを念頭に議論されているのか
と言えばそうとは言い切れない。入り口が狭いという特徴を持つ内湾域では負荷削減方針(総量規制)
が規定の路線として踏襲され、水産資源維持にとってのその是非についての議論はあまりなされていな
い。赤潮や貧酸素水塊の抑制に流入負荷削減は当然のこととされ、COD,TN,TP の環境基準をクリアー
すれば漁場環境は回復し、水産資源回復も実現されると考えられているが本当にこのままで良いのだろ
うか?この点が今後の伊勢・三河湾海域の漁業資源の回復に最も重要な視点である。
2.内湾の豊かさの秘密
なぜ内湾は幼稚仔魚の成育に必要な餌が豊富なのか?これには以下の5つの要因が考えられる。伊
勢・三河湾(図1)を例にとると
①河川から供給される豊富な栄養塩類(窒素やリン)を利用して植物プランクトンの生産が高いこと、
②河川からの大量の淡水流入によって生じるエスチュアリー循環(海水の密度に空間的な差が生じるこ
とによって起きる流れ)により湾口底層からも外海深部由来の豊富な栄養塩類が湾内に供給されること、
③河川からの良質な土砂により干潟・浅場が発達し、光が海底まで透過するので、付着性微小藻類の生
産が高まること、④底生生物群集の優占種である二枚貝類が餌を採るため大量の海水をろ過するので、
透明度が増し、周辺に広大な藻場が形成され、そこに大量の付着性植物や動物が生息すること、(例え
ば底生生物の代表種であるアサリ1個は1時間に約1リットルの海水をろ過し、懸濁態有機物を除去す
るため透視度を高める。⑤湾口が狭いことにより、これら栄養塩類や植物プランクトンが外海に逸散せ
ず湾内に貯留されること、などがその理由である。
この中で③、④の干潟(写真2)や藻場(写真3)などの浅場の生産力は湾中央の平場の約 20 倍と
も言われ、産卵場や生まれた幼稚仔の大型捕食者からの逃避の場としても機能することから、上述のト
ラフグも一例であるが重要な水産資源生物の再生産の場となっている。例えば内湾藻場の代表であるア
96
図1 伊勢・三河湾の位置と形状
写真2 三河湾奥部の干潟
写真3 三河湾奥のアマモ場
97
マモ場について、最近の三河湾奥のアマモ場の魚類調査によると、アマモ場内はアマモ場外と比べ種類
数では2倍、重量では 6.6 倍の魚類の幼稚仔が確認されている。
着目されなければならない問題は⑤である。⑤の湾口が狭いという内湾の地形的特徴は、植物プラン
クトンやそれを捕食する動物性プランクトンの無効分散を防止し、湾の中にとどめるという機能を果た
しており、これは生物生産の面では長所以外の何者でもない。全国のアサリが激減しているにもかかわ
らず、逆に伊勢・三河湾、特に三河湾のアサリは近年増加傾向にある理由の一つがこの形状的特徴によっ
ている。アサリは生まれてから2週間くらいは浮遊しながら流れに受動的に漂流するが、その間に湾の
外に出てしまえば死滅し資源には添加されない。この一例が示すように伊勢・三河湾の生物生産にとっ
て湾口が狭いことは非常に都合の良い偶然であるにもかかわらず、環境管理上は閉鎖性海域と表現され、
湾の形状的欠点と誤解されている。この誤解は赤潮やそれと連動する貧酸素水塊が陸域からの過大な流
入負荷によって引き起こされているという湖沼における富栄養化の概念が内湾にそのまま適用されてい
ることから起こっていると思われる。
3.環境悪化要因についての誤解?
赤潮や貧酸素化が深刻化するようになって以降、常に、湾口が狭いことが海としての欠点として指摘
する向きがあり、「閉鎖性内湾」という名称表現が使われてきた。これは内湾の豊かさの仕組みを無視
した不適切な表現であると言わざるを得ない。何故このような表現が使われるのかというと、赤潮や貧
酸素水塊の原因は植物プランクトンの過剰増殖であり、このことはものが溜まりやすい閉鎖的な地形に
よるところが大きい。従って「閉鎖性内湾」では植物プランクトンの発生を抑えるために植物の生長に
とって必要な陸からの流入栄養塩類(流入負荷)を削減しなければならないという考え方によっている。
これがいわゆる富栄養化対策と言われるものであり、現在第6次の窒素・リンの総量規制が行われてい
るし、今後もさらなる総量規制が予定されている。しかしながら現在まで流域下水道整備も含め様々な
形で流入負荷が削減されてきたにもかかわらず一向に赤潮、貧酸素化はおさまらず、かつ水産資源の減
少傾向が続いているのは何故なのか?
夏季の植物プランクトン量がどのような要因に支配されているのかを明らかにするために行った地元
水産試験場の調査(Suzuki et. al 1987) では、三河湾では陸域や、エスチュアリー循環による湾口底層
からの豊富な栄養塩供給により潜在的には常に赤潮になりうるような高い植物プランクトンの生産があ
るが、それらを摂食する動物プランクトン、イワシ等の魚類、二枚貝等の底生生物等によって、生産さ
れるやいなや摂食され、結果として植物プランクトン量は無駄に赤潮にはならずより高次の生物に転化
し、その結果水中では常時低い水準に抑えられているという非常に転換効率の高い海洋生態系の仕組み
があることが明らかにされている。つまり赤潮になるかならないかは栄養塩量の多寡よりも植物プラン
クトンにかかる様々な動物群の摂食圧の強弱によっているという事実である。したがって赤潮・貧酸素
化の原因については、豊富な栄養塩によって生産される植物プランクトンが”何らかの理由”で動物群
集に利用・消費されなくなって、結果として赤潮になり、それが海底に沈降・腐敗する過程で海底付近
の酸素が消費され貧酸素化するのではないかと推測している。三河湾への窒素やリンの流入負荷が大き
く増加したのは、1950 年代から 60 年代だが、顕著な赤潮の発生や底層の貧酸素化が進行したのは、70
年代に入ってからで時期がずれている。1970 年代は三河港域内の臨海用地整備のための大規模な埋め
立てが短期間に進行し、70 年代の 10 年間だけで約 1,200ha の干潟・浅場が失われた。図2に示すよう
98
に赤潮が多発するようになったのは、この埋め立てと同期しており、夏季の貧酸素化も同時に進行した
(Suzuki, 2001)。統計資料によれば 70 年代に行われた埋め立て海域だけでアサリ漁獲量が約 10,000 t
減少している。この減少量は機械化により漁獲効率が格段に上がった愛知県全体のアサリ漁獲量に匹敵
する量であることから、消失海面は非常に二枚貝類が豊かな海だったことが推測できる。食生態学的に
はアサリ等の二枚貝類は海水を濾過することで餌をとるろ過食性マクロベントスと位置づけられるが、
このような二枚貝の食生活は、貧酸素化の原因となる高い植物プランクトン生産を効率的に海水中から
取り除くという人間にとっては非常に都合の良い役割を果たすことから、水質浄化機能と評価されてい
る。ちなみに消失海面 1,200ha は三河湾全体の 2%にしか相当しないが、そこに生息していた二枚貝類
による生物的海水ろ過速度は、三河湾内一色干潟で実測された単位面積当たりのろ過速度で計算すると、
夏季の三河湾湾口における物理的海水交換速度の 19 ~ 43%、過去の漁獲量から推測したろ過速度では
65 ~ 145%に相当すると推定されている。このような湾の海水交換の大きさに匹敵する生物的なろ過
機能の喪失によって、元来高い植物プランクトン生産が生物的に制御できなくなり三河湾の環境を激変
させた可能性が高いと考えられる(鈴木ら,2003)。これは伊勢湾にも当てはまることと思われるが、
残念ながら十分な研究がなされていない。
図2 三河湾における赤潮発生延べ日数と東部三河湾における累積埋立面積の推移
従って現在の悪化した原因を伊勢・三河湾の本来的特徴であり、豊かさの根源である「閉鎖的」地形
や豊富な栄養塩の所為にしているのは本末転倒と言わざるを得ない。近年の水質変化を解析してみると
陸からの流入負荷の削減によって、水中の窒素やリンの総量は減少傾向にあるが、赤潮や貧酸素化の原
因となっている植物プランクトン量(図3中ではクロロフィル a で表示)は減っておらず逆に増加傾向
にある。さらに、図3に示したように動物の摂食によってクロロフィル色素はフェオフィチンという光
合成活性を持たない色素に変化するが、このフェオフィチンが近年減少傾向にあることも摂食圧が弱
まっていることを示唆している。
4.流入負荷削減施策から極浅海域の保全・修復へ
海の物質循環系の一部に過ぎない陸からの流入負荷にだけ目を奪われて、干潟・藻場、浅場といった
99
図3 三河湾におけるクロロフィル a とフェオフィチンの経年変化
極浅海域の生態系機能を開発に伴う環境影響評価の中で常に過小評価してきたことが現在の伊勢・三河
湾の環境悪化を助長したと言えるかもしれない。沿岸域管理、特に内湾域の管理は流入負荷削減に重点
を置いた水質管理から本来の海の健全な物質循環の構築(干潟・浅場・藻場の保全・修復)に重点を置
いた“場の管理”に方向転換する必要があるし、その際水産資源生物の生活史全般にわたってその生息
や再生産を保証できる“場の確保”を命題とした適正な維持管理が前提になるべきと考える。
さらにもう一歩踏み込めば水産資源管理における種苗放流の意味も再検討する時期にきていると考え
る。サケなど種苗生産・放流という方策が資源の維持・増大に有効である種もあるが、すべての水産有
用種に人工種苗生産や種苗放流を適用することには大きな問題がある。安易な人工種苗放流は未確認の
潜在的疾病の拡大、遺伝的多様性の喪失という問題を引き起こし、天然資源に影響を与える可能性も危
惧される。資源回復を図る時に、まず行わなければならないことは適切な沿岸域管理のあり方について
しっかりと水産の立場を説明し、理解を得ることが必須であろう。従来の種苗放流が十分な効果をもた
らさなかったのは放流後の成育場の保全・造成の必要性を過小に評価していたためであり、干潟等埋め
立ての代償としての種苗放流は論外と言わざるを得ない。今後もし適切な沿岸域管理が実現しなければ
種苗放流はいくら実施してもその効果は期待することはできない。適地放流も適地が存在して初めて意
味がある。資源水準が絶滅危惧種レベルにまで極端に低下し、再生産が危惧される可能性が生じたとき
に初めて人工種苗生産や種苗放流が場の造成と並行してなされるべきで、その意味では基礎的な種苗生
産技術の確立は水産研究の一分野として着実に実行する必要はある。さらに漁場環境の維持や生物生息
の場として必須な極浅海域を対象とした大規模埋め立て等開発事業に対しては、より科学的な漁業影響
評価がなされるべきである。現在の環境アセスメントは水産以外の他省庁の権限であり、水産生物の生
存には直接関係のない環境基準値(COD, TN, TP 等)を満たすかどうかが主たる内容になっており、
漁業資源の動向に最も影響する底層溶存酸素濃度の確保は現在まだ考慮されていない。肝心の漁業影響
評価には開発事業者に法的な履行義務がないため、調査されたとしても調査内容、調査期間が不十分で
あり、かつその評価も調査経費を負担する事業主体側に配慮した結果となっており、回避も含めた影響
緩和の有効な対策が立てられないことが最も重要な問題であり、沿岸域管理の中でこの漁業影響評価を
どう実施していくのかが今後の最も重要な課題といえよう。事業推進の補償行為として種苗生産・種苗
放流が最も説明しやすく、合意が取り付けられやすい唯一の対応策であるため、これら対症療法的施策
100
が開発の免罪符として利用されてきた点にも大いなる反省が必要である。
今後の伊勢・三河湾を考える時、底層溶存酸素濃度の新たな環境基準化が現在環境省において内部的
に検討されていること、全国漁業協同組合連合会等によって作成された漁業影響調査指針に基づき、温
排水の漁業影響調査が初めて実施されはじめたこと、平成 10 年から 6 カ年航路浚渫砂を用いて実施さ
れた大規模干潟・浅場造成事業が漁業者の稚貝の移植放流と相まって漁獲量の増加を実現していること
等明るい展望も開けつつあることは喜ばしい限りである。伊勢湾漁業の歴史に詳しい鳥羽市「海の博物
館」の石原館長の著書(海の博物館編 三重県漁業協同組合連合会)を引用して小論を終わりたい。
「伊勢湾は豊かな漁場だった 伊勢湾漁師聞き書き集」 風媒社)で次のように述べられている。「伊
勢湾のどこの海にも、沖にはあふれるほどの魚介類がいて、岸辺では沸くように魚介類の稚仔が育って
いた。その豊かな海をだめにしたのは何者か?多くの漁師は己の漁法が魚介類を取り尽くした反省を
語っている。しかし、そこへ追いやった者がいる。追いやった制度がある。さらに、人間が作った環境
破壊がある。それらは漁師の抵抗の域を超えて押し寄せてきた。」……私自身の認識も全く同様である。
参考文献
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(社)日本水産資源保護協会・全国漁場環境保全対策協議会・全国漁業協同組合連合会(2005) 漁業
影響調査指針
101
102
伊勢・三河湾におけるかれい類の資源動向
東北大学大学院農学研究科 片山知史
1.目的
かれい類は、沿岸漁業の主要対象種として、刺網や底びき網によって漁獲されている。本邦の内湾か
ら砂浜浅海域では、マガレイ、マコガレイ、クロガシラガレイ、マツカワ、ホシガレイ、ヌマガレイ、
ヤナギムシガレイ、ムシガレイ、ミギガレイ、イシガレイ、アサバガレイ、スナガレイ、ヒレグロ、ナ
メタガレイ等に加え、アカシタビラメ、コウライアカシタビラメ、イヌノシタ、クロウシノシタといっ
たウシノシタ類が漁獲される。また大陸棚および大陸斜面では、アカガレイ、ソウハチ、ババガレイ、
サメガレイ、オヒョウ、アブラガレイ等が漁獲される。しかし、これらかれい類は、農林統計において
は、一括して「かれい類」として扱われるために、各魚種の漁獲量およびその経年変化に関する情報は
限定的であり、資源水準や資源動向を分析することを困難にしている。
筆者は、昨年度の本事業報告書において、伊勢・三河湾の主要漁業である小型底びき網対象種のシャ
コやマアナゴ等の資源水準が低迷していることを報告し、栄養塩不足や日本各地の内湾域で同様の現象
が生じていることを指摘した(片山,2011a)。特にマコガレイについては、4 年にわたる徹底した漁獲
制限(禁漁措置)を行なっても資源が回復しない東京湾の例も報告されている(一色ら,2011)。しか
し伊勢・三河湾では、主に小型底びき網によって、マコガレイ、メイタガレイが漁獲されているが、マ
コガレイの資源動向については、ほとんど整理されていない。
本報告では、伊勢湾で操業する小型底びき網の水揚げ伝票をもとに、かれい類各種の水揚げパターン
をまとめて、かれい類の資源動向を把握することを目的とした。
2.方法
三重県鈴鹿市漁協に属する小型底びき(まめ板)網漁船(概ね 7 ケ統)の 2008 年~ 2011 年の水揚
げ伝票(モカレ:マコガレイ、コカレ:メイタガレイ、イシカレ:イシガレイ)をもとに、各漁船各魚
種の日別漁獲量を記録し、月別の漁獲量および一隻あたり漁獲量(CPUE)を求めた。また、かれい類
の漁獲量の中期的変化には、当漁協における小型底びき網の水揚げ統計を用いた。さらにかれい類の漁
獲量の長期的変化には、三重県農林統計の小型底びき網の漁獲量データを用いた。
なお鈴鹿市漁協の小型底びき網によって漁獲されていた魚種はマコガレイ、メイタガレイ、イシガレ
イであった。これら魚種の産卵期および産卵場は、イシガレイは 12 ~ 1 月に伊勢湾内水深 20 m 以深で、
マコガレイは 12 ~ 1 月に湾内水深 10 ~ 20 m の海域で、メイタガレイは 11 ~ 12 月に外海域であると
報告されている(三重県,1971)。
3.結果
三重県では、小型底びき網によるかれい類の漁獲量は、1970 年代後半から 1980 年代前半にかけて、
400 トンを超える年もあるほどに高水準であった(図1)。その後約 10 年間隔で増減を繰り返しながら、
減少傾向が継続している。近年では 100 トンを下回る年がほとんどである。
103
図1 三重県における小型底びき網によるかれい類の漁獲量経年変化
鈴鹿市漁協では、小型底びき網によって秋期から冬期にかけてかれい類の漁獲が増加する(図2)。
年毎の漁獲量は、三重県の漁獲量と同様に若干増加した 2006 ~ 2007 年を除くと、2000 年代に入って
200kg 前後で低位で推移していることがわかる。
図2 三重県鈴鹿市漁協における小型底びき(まめ板)網による、かれい類の月別(左:棒
グラフ)、年別(右:プロット)漁獲量
鈴鹿市漁協の水揚げ伝票をもとに、かれい類各魚種の漁獲量を調べたところ、漁獲量と CPUE は同
様に推移していた(図3)。多い順にマコガレイ、メイタガレイ、イシガレイであった。イシガレイは
12 ~ 1 月の産卵期に集中して漁獲されるが、それ以外の月にはほとんど漁獲されていなかった。なお
イシガレイは、2010 年以降の漁獲量が著しく低くなっている。マコガレイ、メイタガレイについては、
漁獲量の変化の特徴を把握することはできなかったが、三重県および鈴鹿市漁協のかれい類の漁獲量の
中長期的変化をみると、これら魚種の近年の資源水準は低レベルが継続しているものと考えられる。
4.聞き取り調査
小型底びき網漁業者(三重県鈴鹿市漁業協同組合若松地区、2011 年 6 月 30 日)
・周年操業している漁船は 1 ケ統だけになった(当人)。
・浮魚は順調だが、底魚の漁獲量低迷は著しい。
・休漁しても増えない。底びき網の隻数も操業回数も大幅に減っている。
104
図3 三重県鈴鹿市漁協における小型底びき(まめ板)網漁業によるかれい類の月別漁獲量
図4 三重県鈴鹿市漁協における小型底びき(まめ板)網漁業によるかれい類の CPUE
・今年は特にイシガレイがいない。
・増えたのはアカエイだけ(ちなみに当日トリガイが大量に水揚げされていた。ポンプによるまき上げ
で漁獲しているらしい)。
・今トリガイが採れているが、それで喜んでいてはいけない。ある種が大量に漁獲されている状態は異
常発生によるもの。すなわち生態系のバランスが崩れている証拠である。黄色信号であると思わない
といけない。
・貧酸素水塊は、昭和の時代は秋だけだった。平成に入ると、初夏から長期間続くようになった。
・生物は、昭和 49 年を境にいろいろな種が減った。平成には、成長も悪くなった。
・長良川河口堰が建設されたことによって、満潮時に海水が遡上しなくなったため、干満が小さくなっ
た。以前は隣県まで海水が上った。水が停滞していることを強く感じる。地先の若松の瀬に泥が溜ま
り、底魚がいなくなった。
5.伊勢湾におけるかれい類の資源動向に関する所見
今回、三重県で漁獲され農林統計にかれい類として記録されている魚種は主にマコガレイ、メイタガ
レイ、イシガレイであることがわかった。過去のかれい類がこの 3 種であり、現在と同様の割合で漁獲
されていたかどうかは不明であるが、これら魚種に代表されるかれい類が 1980 年代後半から大きく減
少し、近年では低位水準が継続していることがわかった。図 5、6 には、同じ鈴鹿市漁協の小型底びき
網によるこち類ときす類の漁獲量を示した。かれい類とほぼ同様に、2003 年くらいから漁獲量が減少
している。かれい類の CPUE と漁獲量の関係をみると、(もちろん漁獲努力の減少はあるものの)、こ
ち類ときす類も資源水準が低迷しているものと推察される。
105
図5 三重県鈴鹿市漁協における小型底びき(まめ板)網による、こち類の月別(左:
棒グラフ)、年別(右:プロット)漁獲量
図6 三重県鈴鹿市漁協における小型底びき(まめ板)網による、きす類の月別(左:
棒グラフ)、年別(右:プロット)漁獲量
漁獲圧が減少しても底魚が増えない状況が、かれい類のみならず全般的に起こっているものと考えら
れる。聞き取り調査を行った漁業者の実感がそれを裏付けている。目的でも触れたが、このような資源
の低迷、そして漁業管理をしても増えない状況は、シャコを含めて東京湾、大阪湾等でも同じような
時期から生じている。これが、日本の太平洋岸全体における気象海洋的な変動によるものなのか(片
山,2009,2011b)、水質基準の強化による栄養塩不足によるものなのか(反田・原田,2011,二瓶,
2011)、漁業者が述べたような河口域や海岸線の開発による水塊の流動性の低下によるものなのかは不
明である。しかし上記の現象は、漁獲をコントロールしただけでは内湾資源は回復しないことを意味し
ており、沿岸資源の資源管理方策を検討する上で、漁獲管理による効果の限界を認識しなければならな
いと考える。
引用文献
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107
108
霞ヶ浦における水資源開発と漁業管理
霞ヶ浦漁業研究会 浜田篤信
1.はじめに
そと な さかうら
霞ヶ浦北浦は全国第二位の湖面積を有する湖沼である。霞ヶ浦北浦の湖水は外浪 逆 浦、常陸利根川、
利根川をへて太平洋へと注ぐ。したがって、かつては潮汐の影響で海水を含む利根川の河川水が湖内に
逆流し、ワカサギ・シラウオ、コイ・フナ、エビ類等の淡水魚介類に加えウナギやヤマトシジミ等汽水
種の資源も豊富であり、沿岸住民の生活を支え地域の繁栄を支えていた。霞ヶ浦北浦(以下霞ヶ浦という)
は、戦前には漁業および舟運に利用されていたが、昭和 30 年以降になると霞ヶ浦の利用をめぐって数々
の提案が行われるようになった。国際空港や大規模干拓による農業振興策、水資源開発等であるが、最
終的には霞ヶ浦総合開発が実施されることとなる。水資源開発管理は、自然の水域の地形や流況を人工
的に管理、ダム化し、上水、工水、農業用水等に利用するのであるが、そのことによって生物生産が影
響を受けることになる。従来は、水域の利用が漁業と舟運に限定されていたから、漁業管理は、漁業者
間の協議で済んだ。しかし、漁場である水面が水資源開発の対象となると、そのことによって漁業生産
が影響を受ける漁業生産が小さくなることが多い。漁業管理をそのまま継承した場合には、漁業生産の
分配をめぐって漁業者間で利害関係が激化することになる。こうした状況下で、漁業管理法を策定実施
するためには、まず水資源開発の漁業への影響や被害を明らかにし、分配の源である総生産を再評価決
定しなおすことが必要となる。
通常、開発事業が開始される場合には、環境影響評価等の事前調査によって被害が予測され金銭補償
を中心に漁業補償が行われ開発が実行されることになる。漁業権が完全に消滅した場合を除き、この段
階で縮小した総生産に見合った分配と漁業管理が決定され実施されることになるが、こうした手続きが
十分に行われない場合には、漁業調整や管理は厳しいものとなる。霞ヶ浦の漁業は、こうした状況下に
ある。
そもそも開発に係る事前調査が、正しく行われ補償や漁業対策が実施されたのかという問題もある。
開発が計画されて長い時間が経過している場合には、開発行為そのものが必要であったのかという疑問
も生じ、開発そのものの評価や見直しも必要となる。霞ヶ浦の漁業は、こうした新しい局面を迎えている。
2.霞ヶ浦総合開発と漁業管理
(1)霞ヶ浦開発事業
霞ヶ浦の水ガメ化は首都圏の水源として検討がすすめられ始めていた 1936 年にまで遡ることができ
る。東京都水道局が、北利根川の流量観測を行い平均流量 31m3/s の中の 11.3m3/s を 50km のパイプラ
インを用いて東京都足立区の上水場まで送水し水道水源とすることを検討していたが、第 2 次世界大戦
の勃発によって中断していた。同時に検討されていた奥利根の開発については戦後 1962 年に八木沢ダ
ム、下久保ダムとして(久保田 1977)、また霞ヶ浦についても 1968 年から事業が開始され東京への供
給水量は小さくなるが霞ヶ浦開発事業として達成された。
霞ヶ浦開発事業(事業費 2,740 億円)は、汽水湖である霞ヶ浦を多目的ダム化し、湖水を農業用水
(19.56m3/s)、工業(17.80m3/s)、水道用水(5.56m3/s)に利用しようとする水資源開発で、開発水量
109
42.92 の中、東京都 1.50m3/s と千葉県 4.19m3/s が、茨城県外への供給である。
この開発の当初の目的は、霞ヶ浦の東側鹿島灘沿いに誘致された鹿島臨海工業地帯への工業用水供給
であったが、重化学工業の海外移転や企業内における用水の循環利用等にともない工業用水から上水へ
と開発の重要性にも変化が生じている。
(2)開発事業の漁業影響予測
霞ヶ浦開発事業に先立ち茨城県は、開発の漁業影響調査を日本水産資源保護協会に委託、利水影響対
策委員会(委員長:中村中六広島大学教授)を設置し漁業影響評価を行っている(日本水産資源保護協
会 1971)。
霞ヶ浦のダム化は、下流、利根川との合流地点への常陸川水門設置(1963)とコンクリート護岸造成
で達せされる。常陸川水門の設置は淡水化を、コンクリート護岸造成は、平水位(YP1.0m)から -1.00
~ +0.30m の水位変動に対応した水利用を目的としているので、漁業補償は、常陸川水門締切、淡水化
および水利用による水位低下の3要因の影響について以下のように予測し、その結果に基づき漁業補償
が行われている。
常陸川水門による遡上阻害
遡河性魚類のウナギ、マハゼ、スズキ、マルタ、ボラ、サヨリ、レンギョ、ソウギョの遡上阻害。
淡水化の影響
生息や発生に塩分を必要とするヤマトシジミ、シラウオ、イサザアミの純淡水化による生息不能、資
源消滅。
水位低下による影響
平水位から利水下限水位までの湖水容量減少率 24.7%に比例して漁業生産が減少。
この委員会における影響評価の過程では、水位変動が漁業生産にどのような影響を与えるかについて
検討が進められたが、環境あるいは生態学的根拠に基づく予測は困難と判断し、水位低下による生産減
少率は、湖水容積の減少に比例するとし 24.7%の被害率を導き出している。
また、常陸川水門の閉鎖による水質変動についても議論が行われているが、議論を進めるための基と
なる情報が少なく、十分な議論は行われないまま軽微と結論づけている。
霞ヶ浦開発事業と並んで、霞ヶ浦開発事業による被害を緩和するための「影響緩和および水質保全対
策事業」のための霞ヶ浦水源地域整備事業(事業費 4,169 億円)が実施され、その中で水産対策事業と
して「漁港整備事業、水産資源保護培養事業、水産物流通施設建設事業」が実施された(茨城県霞ヶ浦
対策課 2001)。
以上被害予測と漁業補償の概要であるが、次に予測と実際に生じた被害を比較してみよう。
(3)漁獲量の推移と漁業被害
霞ヶ浦北浦における総漁獲量の推移を農林統計値(関東農政局茨城統計事務所 1955-2007)を用いて
図 1 に示した。
総漁獲量は図示したように 1958 年頃から上昇し始め 1975 ~ 78 年にピークに達するが、以後は減
110
衰をつづけ 1998 年以降は、3,000 トン以下、2003 年には 1,400 トンにまで減少した。最盛期の 18,000
トンに比較すると 10 ~ 30%まで低下し、最盛期を基準にすると被害率は約 80%となっている。この
値は、予測値 24.7%を大幅に上回っている。この「開発にともなう漁獲減への対応」が、新しい漁業管
理上の重要課題である。
図1 霞ヶ浦北浦における総漁獲量の推移
(4)漁業管理の問題点
漁業者の選択
漁獲量が 20%にまで低下した場合に、従来の漁業許可数を維持すれば、当然のこととして、1 人当た
りの収入は 20%にまで低下することになるが、漁業者間の競争が激化する中で操業時間の順守が困難
となる。この場合の解決策として操業規則を維持し規制を強化するのか、それとも規則改正を行い、規
則を操業実態に合わせるのかという選択である。ワカサギ、シラウオ、エビ・ハゼ類を漁獲対象とする
小型機船底びき漁業(ワカサギ・シラウオひき網漁業)では、後者を選択している。この選択には、勿
論、試験的試みではあるが、行政の指導のもと漁業者間の話し合いで漁業協同組合毎に決定されている
自主性が評価される。
霞ヶ浦の入会に係る規則は、慶安 3(1650)年の霞ヶ浦四十八津掟書にまで遡ることができる。
霞ヶ浦四十八津は、霞ヶ浦沿岸に分布する津の自主的組織であり、津間の協議によって霞ヶ浦の利用
を話合いで決定、運営したとされるが、掟書が明文化されたのは、江戸幕府の漁業管理への介入が始まっ
たからではないかとされている(網野 1985)。江戸幕府の介入は、その後、さらに強化され幕府の治水
対策等への従事を強制されるようになり、漁業者の自主管理で運営されていた入会の自治が崩壊してい
く。以後、現在に至るまで明治の漁業法制定や戦後の改正にもかかわらず行政指導の管理が継続され、
霞ヶ浦四十八津の自主管理は遠い存在であった。こうした歴史の中で、行政の指導による漁業者間の協
議を経て規制が自主的に決定されるようになっている点は、自主管理体制の第一歩であり新しい時代の
幕開けとみることができる。
行政の選択
行政は、漁獲量減少を漁獲圧の増加によるものとし、対策を資源管理と増殖対策に求めてきた。この
111
選択の過程で欠落しているのは、開発によって縮小した生産力の大きさを評価し得ていないことである。
霞ヶ浦では、利根川からの逆流を許さない常陸川水門の完全管理が開始される 1975 年以前には利根川
河川水の霞ヶ浦への逆流があり、漁業生産と環境の両面で大きな影響を及ぼしていたことが明らかにさ
れている(野口他 2002、浜田 2012)。それによって、生産構造がどのように変わり、生産がどれだけ
小さくなったかを明らかにすることが、漁業管理の第一歩である。ところが開発最優先の行政運営の中
では、この第一歩への挑戦が行政組織の中でタブーとされ解決されることがなかった。生産縮小の規模
と原因が、明らかにされて初めて漁業管理の第二段階である漁業対策の策定に入ることができるが、こ
の第一段階が、欠落することで、妥当な管理や対策が提案されることはない。こうした事情が根底にあっ
て、霞ヶ浦開発にともなう漁業対策は、霞ヶ浦水源地域整備事業の中で漁港整備、水産資源保護培養、
水産物流通整備(茨城県霞ヶ浦対策課 2001)や水生植物帯造成にとどまっており、なお、厳しい状態
にある。
3.水資源開発条件下の漁業管理
(1)漁業生産機構
以上の経緯を踏まえ、霞ヶ浦における漁業管理を検討するにあたって、まず霞ヶ浦開発事業以前と開
発下における漁業生産の上限を見極めておかなければならない。
図 1 に示したように霞ヶ浦の総漁獲量は、1958 年頃から 1975 年の常陸川水門管理開始までの約 20
年間にわたって上昇し続けるのである。常陸川水門閉鎖後には、減衰を続け 1990 年に当初(1955)の
水準にまで低下した後も、なお減少を続け概ね 2,000 トンの水準で推移している。この漁獲量変動の原
因であるが、勿論、漁獲圧のみに帰するわけにはいかず、それ以外にも生活および農業起源の水質悪化
に帰する説がある。漁獲量の上昇は、図1に矢印で示したように 1955 年の下流部の北利根川改修によ
る塩分増加にともない増加していく。この点を明らかにするために塩素イオン濃度(木原沖)と漁獲量
の関係を図示したものが図2である。1955 ~ 2004 年の 50 年間を 1955 ~ 1975、1976 ~ 1995、1996
~ 2004 年に区分して相関関係を求めた。1976 年は常陸川水門完全管理開始の年、1996 年は水資源管
理開始の年である。
図2 塩素イオン濃度と総漁獲量の関係(塩素イオン:霞ヶ浦木原沖年平均値)
112
常陸川水門閉鎖前の 1955 ~ 1975 年についてみると、塩素イオン濃度の上昇とともに漁獲量は増加し、
漁獲量 Y と塩素イオン濃度の間には正の相関関係が認められる(Y=460X0.66, r 2 = 0.54)。特に塩素イ
オン濃度が 80㎎ /L を境に大きく変化するようにみえる。
常陸川水門閉鎖後から水資源管理開始までの 1976 ~ 1995 年についても、勾配は大きくなるが同様
に相関関係(Y=1468 In(X)- 46209, r 2 = 0.41)がみられる。
水資源管理時代に入ると塩素イオン濃度の変動範囲が小さくなることもあるが、塩分と漁獲量との間
の相関関係は見られなくなる。
1955 ~ 1975 年の常陸川水門閉鎖前の時代についてみると下流からの逆流が増加して塩分が上昇して
行くと漁獲量は、漸増して行くが最終的には約 20,000 トンに収れんし、塩素イオンが 30mg/L になる
と漁獲量は 5,000 トンに低下する。1996 年以降になると漁獲量はさらに低下していくが、この低下は
塩分低下以外の要因によるものとみられる。
塩分低下によって漁獲量が減少する原因は、塩分が直接、生産に影響を与える場合と、間接的影響の
二通りが考えられる。
直接、塩分が生産に影響が及ぶ場合で、例えば適度な塩分上昇によってヤマトシジミ等が発生、漁業
の対象となる場合である。しかし、こうした場合であっても発生したヤマトシジミの生産は、その場の
基礎生産に規定される訳であり、基本的には利根川から逆流量の増加に比例して生産が増大したことが
原因であろう。このことを検証する目的で霞ヶ浦の酸素飽和度(霞ヶ浦木原沖地点の年平均値 . データ:
茨城県内水面水産試験場観測結果)の推移を見ることとする。
図3に示した霞ヶ浦湖水の酸素飽和度を見ると 1955 年から上昇し始め漁獲量が最大値に達する 1978
年頃に、酸素飽和度もピークを示し、以後減衰に向い 2004 年には 1955 年の水準に戻っている。この
ことから漁獲量変動主要因が、下流利根川からの河川水逆流による基礎生産速度の上昇であることがわ
かる。
図3 霞ヶ浦における酸素飽和度の推移
地点:木原沖 , データ:茨城県内水面水産試験場
以上の検討から重要ないくつかの結論が得られる。
113
(2)漁場再生と漁業管理
水位変動による被害率は 24.7%と予測されたが、開発後の漁獲量は、図2において塩素イオン濃度を
30mg/L とすると 5000 トンとなる。したがって実際の被害率は約 65%となる(予測が行われた 1972
年を基準とする)が、この被害は水位変動による被害ではなく予測段階では取り上げられなかった常陸
川水門締切の影響である。水質変動の影響についても事業評価は行われてはいない。1996 年後に顕在
化する 5,000 トン以下の減少の原因の中に水位低下やその他の影響が関係しているものとみられるが、
その解明も課題である。
その中でも魚類の産卵場、仔稚魚の成育場である推移帯(エコトーン)の再生が課題であり、そのこ
とが達成された後に霞ヶ浦開発事業下の漁獲量目標上限値 5,000 トンが実現する。
(3)水位管理と漁業管理
漁獲目標値 5,000 トンを達成しようとする場合のもう一つの重要な問題は、漁業あるいは漁獲対象種
の選択である。霞ヶ浦における主たる漁業対象種は動物プランクトン食性魚であるワカサギ・シラウオ
と雑食性魚類のエビ類・ハゼ類である。前者は植食連鎖系が卓越した場合に、後者は腐食連鎖系が卓越
した場合に優占する。
植食連鎖系が卓越した年代は 1967 年以前と 2008 年以降であり、腐食連鎖系の出現は 1968 年か
ら 1990 年頃までである。一般に植食連鎖系は、珪藻を経て動物プランクトンへ、また、腐食連鎖系
は、アオコ Microcystis spp. を中心とする藻類から detritus をへて雑食性魚類へ至る系とされる。な
お不明な点も残るが、1962 年以前にはアオコの大発生はみられず夏季にアオコは発生するが、周年、
珪藻が優占する時代であった。これに対し 1963 年以降はアオコを中心に Anabaena, Gomphospaeria,
Aphanothece 等の藍藻類の出現頻度が高まった時代、1988 年以降は、さらに Planktothrix, Limnothrix, 糸
状藍藻類が優占種となる。こうした植物プランクトンの遷移の原因についても霞ヶ浦開発事業に関連す
る水門のしめ切りや水位管理が関係していることが指摘されている。常陸川水門の閉鎖によって湖水が
停滞するようになると湖底直上で嫌気的状態が定着するようになり、このことが湖内の物質循環を好気
的循環から嫌気的循環に質的に変化させ、その結果、アオコから糸状藍藻類への遷移をもたらし、さら
に魚類群集の構成を変えたのではないかという指摘である(浜田 2000、岩崎他 1998)。
常陸川水門管理と連動する水位管理の影響も指摘されている。
植物プランクトンの増殖は、光合成活動によるが、水位変動は生産の場である有光層の厚さには影響
を及ぼさないが、分解の場である無光層には影響を及ぼす。霞ヶ浦開発では灌漑期には平水よりも 0.3m
水位を高く管理することを規定している。これによって生産層は変わらないが、分解層が 0.3m だけ増
えることになる。純生産は、総生産速度と分解速度の差であるから、水位を高く管理することが純生産
を小さくすることになる。
図4は、霞ヶ浦の水位と COD(年平均値)関係を図示したものであるが、水位が YP1.05m を境に湖
水の COD が二極化する傾向が見られる。水位が、YP1.05m 以下に低下するとアオコが優占し COD が
上昇する。これに該当するのが 1968 年から 1990 年の期間のエビ・ハゼ類が主たる漁業対象となった
時代である。
これに対し YP1.05m 以上になると糸状藍藻類が優占し COD も高まる。これに該当するのが 1988 年
以降であり、総漁獲量、エビ・ハゼ類が減少する時代である。
114
図4 霞ヶ浦の水位と湖水の COD の関係
以上のように霞ヶ浦開発事業の下では、推移帯を整備するなどして漁場を再生し、総漁獲量を 5,000
トンに戻すことが第一歩である。さらに水位管理によって植食連鎖系を卓越させワカサギ・シラウオを
主たる漁業対象とするのか、それとも腐食連鎖系でエビ・ハゼ類を選択するかという漁業対策も考えら
れる。灌漑期の +0.3m の水位管理に対しては、そのことが推移帯減衰の原因であるとして、市民団体(NPO
法人アサザ基金代表飯島博)が平水位管理を要望してきたが、霞ヶ浦河川事務所はこのことは容認でき
ないとする姿勢を崩していない。
開発を是認した場合には、漁業管理は、上記の 5,000 トンを確保した上で、総生産を主たる漁業対象
種に配分するかということになる。漁業対象種毎に産卵親魚確保のための許可数や操業規則の見直しを
行うことになる。
4.霞ヶ浦導水事業にみる新しい問題
(1)利根川東遷と霞ヶ浦
徳川家康が関東に封ぜられるのは 1570 年である。それ以前の関東平野は農地が少なく、交通網も未
整備の状態にあり、家康は伊達藩等の南下に備え早急に富国強兵策を進めなければならなかった。対策
として家康は、前任地の紀州から土木技術者、漁業者を移住させ新田開発と舟運航路の整備に着手し、
江戸幕府は比較的短期間に目的を達成している。その詳細は別報に譲るが、この一連の生産基盤整備の
過程で、1654 年、それまで現在の江戸川流路を流れ東京湾に注いでいた利根川を霞ヶ浦を経て銚子へ
流下させる(小出 1975、藤田他 1973、大熊 1988)。その結果、霞ヶ浦沿岸は、洪水の常襲地帯と化し、
沿岸住民を苦しめることになる(土浦市博物館 2009)のである。1654 年時点では銚子側に流下する流
量は、そう多くはなく段階的に銚子への流量が増加したものと見られる(大熊 1988)が、その代償と
して生産性の極めて高い汽水状態の漁業生産を獲得することとなった。
近代に入ると政府によって利根川低水工事、利根川高水工事、利根川増補工事が行われ、それによっ
て利根川から霞ヶ浦に流入する河川水量が変化することになるが、それによって漁業生産の量と質が
変化してきた。霞ヶ浦への流入量が増え漁獲量が最大に達したのは 1916 年頃であり、霞ヶ浦開発中の
1985 年頃にもそれに匹敵する状態が出現するのであるが、常陸川水門の締切によって低下する。この
ことから漁場という「空間」だけではなく、そこに出入りする「流れ」が、より重要な共有財産(コモ
115
ンズ)であることが顕在化してくる。
(2)利根川東遷と霞ヶ浦導水事業
以上の利根川東遷やそれに続く河川工事の歴史を踏まえると、霞ヶ浦開発は 1654 年から約 300 年に
およんだ利根川と霞ヶ浦の水の交換の歴史に終止符を打つ歴史的事件であることがわかる。漁業管理と
いう観点からは、1654 年の利根川東遷の場合とは逆に、治水・利水の代償として漁業縮小という代価
を支払うこととなった。
ここで問題としなければならないのは、300 年におよぶ河川開発事業の事後評価が全く行われてこな
かったという事実である。霞ヶ浦では、霞ヶ浦開発事業とは別に現在霞ヶ浦導水事業(事業費 1900 億円)
というもう一つの水資源開発事業が進行中である。この事業は、霞ヶ浦から霞ヶ浦湖水(最大 10m3/s)
を那珂川に、那珂川河川水(最大 15m3/s)を霞ヶ浦へ互換し新規都市用水開発、水質浄化、既得水補完(利
根川・那珂川と霞ヶ浦の水資源の互換)という公益事業を行おうとするものであり、これによって霞ヶ
浦の水資源開発が完結することになる。
(3)外圧への対応
前述したように或る水域の漁業生産は、水面積と同時に、そこに流入する流量によって決まる。すな
わち霞ヶ浦導水事業は、利水および水質浄化という公益事業によって霞ヶ浦、利根川および那珂川の生
態系や漁業生産に変化を与えることになるので、本来、事業実施に先だって漁業および環境影響調査を
行い、湖水と河川水の互換の漁業への影響を事前に評価して両水系の漁業団体間の調整を図るべきであ
ひ ぬま
る。特に那珂川からの 15m3/s の霞ヶ浦への送水は那珂川や下流涸沼川および涸 沼 の漁業へ影響を与え
ることになる。したがって、事業主である国土交通省は関係漁業協同組合の同意を得なければならない
が、那珂川関係の7漁協については同意を得ることなく事業に着手している。また那珂川の支流である
涸沼川および涸沼におけるシジミ漁業の行使者である大涸沼漁業協同組合に対しては、霞ヶ浦導水事業
が、シジミ漁業に影響を与えることはないとして同意を得ることなく事業に着手している。このことに
対して 2008 年に那珂川水系の茨城・栃木の那珂川水系全8漁業協同組合が国土交通省に対し工事差止
訴訟を起こし係争中である。
前述したように利根川東遷は、利根川を異水系である下流の河川や霞ヶ浦へ合流させた開発であり、
そのことによって生態系や沿岸の生活に大きな影響を与えた。また、現代にあっても霞ヶ浦開発事業に
よる水ガメ化が、霞ヶ浦の環境や漁業に多大な影響を与えているのであるが、その事後調査が行われて
いないのである。また、この開発の歴史の教訓が次の開発、ここでは霞ヶ浦導水事業に生かされていな
い。漁業の側からみれば霞ヶ浦開発事業で引き起こされた漁業者の悲劇が、那珂川水系へ拡散しようと
している。
また、漁業管理という点からみれば二つの異なる水系間の河川水の互換をとおして漁業生産のやり取
りが起こることになる。さらに最近の生物多様性の重視という傾向を勘案すれば許されない行為である
といえる。
以上のように霞ヶ浦導水事業の場合にも、霞ヶ浦開発事業同様、これを是認し縮小した規模の中で漁
業管理を再構築するのか、それとも開発と対峙するのかという選択を迫られることになる。那珂川水系
では漁業者は後者を選択した。
116
以上述べてきたように、水資源開発への対応は、現在、漁業管理を進める上では避けてとおることの
できない問題となっており、これをどのように解決していくのかというのが新しい課題である。
水資源開発事業は、民主党政権下で見直しが行われており、行政機関で構成される幹事会で事業推進
にむけて作業が進められている。今後、有識者会議において事業の是非が議論されることになるが、公
益性が強調され、漁業あるいは生物多様性の評価がなお低く、十分に議論されないまま、事業が採択さ
れる可能性もある。従来、こうした事態を適切に解決することは稀であったが、最近、漁業協同組合が
共有財産を次世代に継承するという観点から、公共事業を拒否する事例も増えている。霞ヶ浦導水事業
もそうした事例の一つである。
(4)問題解決のための戦略
漁業影響評価委員会の設置
建設省(当時)は 1984 年に霞ヶ浦導水事業で建設に着工するが、2007 年国土交通省は、第四次計画
変更を行い、工期を 2015 年に延長している。同時に漁業協同組合の同意を得ることなく那珂川取水口
建設に着手した。これに対し那珂川関係漁業協同組合協議会(那珂川水系の茨城・栃木全7漁業協同組合)
は、2008 年、取水口建設差止仮処分申立を行った。翌 2009 年には、大涸沼漁業協同組合が参加し、合
計 8 漁業協同組合が原告となって本訴に入っている。訴訟に至る過程で漁業者側は、市民団体の協力を
得て「霞ヶ浦導水事業那珂川漁業・生態系影響評価委員会」(委員長:川崎健東北大学名誉教授)を設置、
漁業・生態系への影響、水需給、霞ヶ浦水質浄化について検討を行い、当該事業には公益性が認められ
ず、かつ漁業・生態系への影響が大きいので当該事業を中止すべきと結論づけている。
那珂川関係漁業協同組合協議会と弁護団の結成
水戸地方裁判所における論争には、事業差止に賛同する弁護士によって構成された弁護団が当ってい
るが、準備書面等は、弁護団会議や8漁業協同組合で結成された協議会の中で漁業者、弁護士、研究者
が議論し、その内容を中心に作成されている。
法廷外においても講演会や集会等の開催、県や市町村への陳情、国土交通大臣への陳情等を繰り返し
行っている。
以上の漁業者の選択が妥当なものであるかどうかは、今後の経緯を見守りながら評価しなければなら
ないが、公共事業を是認し縮小した枠内の漁業管理ではなく、公益性の低い公共事業を拒否し漁業や生
物多様性を次世代に継承するという姿勢は正しい選択である。
(5)メリット・デメリット
漁業や生物多様性という新しい価値観をも勘案し、開発によるメリットと開発で失われるデメリット
を秤にかけ直し、開発の是非が法廷で再検討されている段階にある。また、霞ヶ浦開発事業が採択され
た時代は、高度成長期であり鹿島臨海工業地帯への工業用水の供給や四全総による情報金融産業への経
済構造の推移にともなう首都圏の都市用水需要の高まりから開発を容認せざるを得ない状態にあった。
しかし、霞ヶ浦導水事業については、1976 年の計画着手からすでに 40 年近くの時間が流れ、発案時と
は水資源開発をめぐる状況にも変化が現われている。
霞ヶ浦導水事業の目的は、前述した三つの目的であるが、新規都市用水開発と霞ヶ浦清浄化が主たる
目的である。
117
1)新規都市用水開発
茨城県は「新いばらき水のマスタープラン」の中で、従来見込んでいなかった環境用水と危機管理を
新たに計上している。この部分を余剰水とみることができる。図5に茨城県の人口予測と国立社会保障・
人口問題研究所の最新の予測値を図示した。
本県の 2010 年度の人口は、296 万人であるが、1999 年に 300 万人に達した後は、減少に転じている。
最新の国立社会保障・人口問題研究所の予測では、2015 年以降には、減少が進み、2020 年には 279 万
人、2035 年には 245 万にまで低減すると予測されている。
茨城県の 2020 年の人口予測は 297 万人であり、旧プランから大幅に修正されたとはいえ、今回の国
立社会保障・人口問題研究所の予測値からみると過大である。
これらのことから新規都市用水の必要性は認められない。
図5 茨城県における人口予測
2)水質浄化
国土交通省霞ヶ浦導水工事事務所は那珂川から 15m3/s の河川水を霞ヶ浦に導水した場合の水質浄化
効果をシミュレーションによって湖水の COD を 0.9mg/L だけ低減させることができると結論づけ(霞ヶ
浦導水工事事務所 1995)、霞ヶ浦導水事業を必要とする根拠の一つとしてきた。一方、中曽根英雄茨城
大学名誉教授は、3 次元モデルを用いたシミュレーションにより霞ヶ浦導水事業が有効ではないとして
いる(中曽根 2009)。
ここでの基本的問題は、霞ヶ浦導水事業による水質浄化を担保するための手続きとは、どのようなも
のであるべきかという点である。
霞ヶ浦に限った問題ではないが、公共事業を実施する場合の手続きとして図6のようなフローが妥当
と考えられる。
ステップ1 シミュレーションによる予測
まず、霞ヶ浦の富栄養化機構について流入・流出、生産・分解、沈降・回帰等の諸要素について検討
が行われシミュレーションモデルが構築される。
次にシミュレーション各項に関する情報が収集され、モデルを用いて予測が行われる。
118
図6 水質浄化対策案の採択・実行に至るフロー図
ここで得られた結果は、一つの仮説である。したがって、この仮説を検証しなければならない。
ステップ2 検証1―実験による検証
実験には比較的大規模の水面が必要であるが、国土交通省霞ヶ浦導水工事事務所は、その場として千
波湖あるいは手賀沼を選んでいる。モデル実験では、滞留時間や湖内の物質循環等の諸要素の妥当な実
験条件設定が重要である。上記の実験では滞留時間が極めて小さく霞ヶ浦の条件を再現しておらず、実
験事業によって仮説が検証されているとは云えない。したがって、まずは霞ヶ浦の滞留時間と同じ条件
で、実験をやりなおすことが必要である。
この段階がクリア―された場合には、現場における検証に入る。
ステップ3 現場における検証
実験によって浄化の仮説が支持されたとしても、その実験が霞ヶ浦の諸条件を再現して行われたわけ
ではないから、現場の条件を備えた次の検証が必要である。霞ヶ浦の場合には、利根川との距離も近く、
すでに利根導水路が完成しているので現場における検証は、容易に行うことができる。しかしながらこ
の検証は行われていない。
もう一つの現場検証は、霞ヶ浦に係る過去の情報を用いた検証である。前述したように霞ヶ浦には利
根川下流からの逆流があり、そのことが霞ヶ浦の水質に影響を与えていたから、逆流量の観測値を用い
て浄化効果が検討できる。しかし、これについても検討結果が公表されていない。
比較的容易に行える検証方法として霞ヶ浦流域からの流入量変動を用いた検証方法がある。降雨量が
多く、霞ヶ浦への流入量が大きい場合には、流量年平均値との差を導水量と読み替え検討することがで
きる。このことについては後述する。
ステップ4 費用対効果の検討
現場において浄化効果が支持されれば技術的問題は解決されたことになる。次の段階は費用対効果の
検討である。
119
浄化効果は COD で 0.9mg/L とされるので、この価値を金額に直した値がメリットである。これに対
し、霞ヶ浦導水事業建設に要した経費と完成後の浄化施設運営に要するコストが費用である。
さらにマイナス側の要因として、漁業や生物多様性の損傷という問題がある。霞ヶ浦については水質
が改善されるとする一方、漁業が被害を受けるとしてすでに漁業補償が実施されているのでその費用も
勘案しなければならない。
ステップ5 合意形成
以上の予測から費用対効果までの検討結果を踏まえて、最後に合意形成の問題をクリアーしなければ
ならない。両水系における合意形成は、本来、各段階において確保すべきであるが、最終段階において
は特に重要である。
以上の手続きを、実際のものと比較すると、霞ヶ浦導水事業では、シミュレーションによる予測が行
われただけで、事業の有効性が確認されることなく事業実施に踏みだしていることになる。ステップ3
の現場における検証についても容易に実行できると思われるが、この段階を経ずに事業に着手したのは、
事業の内容そのものよりも事業を行うことが目的となっているからであろう。
現場における検証
そこで次にステップ3の現場における歴史的検証を取り上げてみる。
図7に霞ヶ浦への流入水量と霞ヶ浦湖水の COD の関係を図示した。
図7 霞ヶ浦への流入水量と COD の関係
流入水量:霞ヶ浦流域からの流入水量(降水量から推定)
なお流入水量は、降水量に流域面積 2,156km2 および流出率 0.47 を乗じて算出した値である。
流量と COD の関係を第 1 期 1955 ~ 1974 年、第 2 期 1975 ~ 1995 年、第 3 期 1996 ~ 2009 年の 3 期
に分けて検討した。第 1 期は常陸川水門締切前、第 2 期は常陸川水門締切から水資源管理開始までの期
間、第 3 期は水資源管理以後現在に至る期間である。詳細は別報(浜田 2012)に譲るが、水ガメ化以
前には、流域から霞ヶ浦の流入水量と COD との間に比較的高い相関関係(r 2 = 0.46)が認められるが、
それ以降については相関関係は認められない。第 2 期については決定係数 0.27 を無視すると流入水量
120
が多い場合にやや COD が低くなるようであるが確実に COD が低減することを保障するものではない。
さらに 1996 年から現在にいたる第 3 期については、流入量と COD の間には相関関係は認められない。
すなわち霞ヶ浦導水事業によって霞ヶ浦湖水の COD は低下しないという結論に到達する。図5のフロー
図でステップ3の段階で「No」、すなわち事業案の棄却の方向へ進まざるを得ない。
ここで第 1 期に流入量と COD の間に相関関係が認められる点について説明をしておく必要がある。
図7の横軸は霞ヶ浦江流域から霞ヶ浦への流入量であり、常陸川水門を逆流して霞ヶ浦へ流入する利根
川河川水が含まれていない。図中に示した COD と流入量の直線の式から利根川からの逆流水量を推定
できるが、その量は霞ヶ浦流域からの流入量を上回っているので、浄化効果をもたらすためには 40m3/
s 以上の導水が必要となる。
3)漁業管理上の問題
霞ヶ浦導水事業による那珂川河川水の霞ヶ浦への導水は、アユ、サケ、スズキ等の仔稚魚の成育の場
や河川への遡上開始の場となる河口や浅海域の環境に影響を及ぼすことになる。漁業管理についていえ
ば、河川水のやりとりは、漁獲量のやりとりということになる。15m3/s の流量の削減で那珂川の漁獲
量は減少し被害が生じる。霞ヶ浦から那珂川へ 10m3/s が送水される場合には、霞ヶ浦湖水中の栄養塩
類や有機物濃度が那珂川の生産にどのような影響を与えるかについての検討が必要である。
一方、那珂川から 15m3/s の河川水を受け入れる霞ヶ浦では、漁業生産という側面だけを考えれば、
その流量に見合った生産増が見込まれることになる。とすれば、霞ヶ浦の漁業にとってはメリットの方
が大きいことになる。こうした問題をどのように調整するのかを考える必要も生じてくる。
また、那珂川に下流で合流する那珂川支流の涸沼川およびその上流の涸沼ではヤマトシジミが漁業対
象となる全国有数のシジミの産地であるが、那珂川からの取水がシジミ漁場への逆流量減少によりシジ
ミの生産量が半減するとの指摘がある(浜田 2011)。
以上の検討は、霞ヶ浦導水事業が漁業に与える影響の一部であるが、その他の漁業や生物多様性に与
える影響を評価する必要があるが、これらの検討は皆無である。
5.おわりに
霞ヶ浦で起こっている漁業の衰退は、全国各地の内水面のいたるところでみられる現象である。内水
面の漁獲量は、1980 年頃から減少し始め 1997 年頃から加速する。内水面に限らず、内湾や沿岸につい
ても同じような傾向がみられるようであり、それらの水域においても同様の問題が起こっている可能性
が高い。
漁獲量減少の原因が漁獲圧の増強に帰されることが多く、漁業再生策として漁業管理や人工種苗の放
流、増殖場の整備が対策として採用されてきた。しかし、本報告でとりあげた霞ヶ浦の例のように開発
による影響が圧倒的に大きい例も少なくない。その場合に矮小化された枠内での漁業管理や増殖対策が
実施されたとしても漁業を再生することはできない。霞ヶ浦は、こうした典型的な例である。
八郎潟、児島湾、中海、諫早湾の汽水湖や内湾は、農業用水源として淡水化の対象とされ、前二者に
ついては淡水化が実現している。こうした事例に先行して淡水化された霞ヶ浦は、全国初めての汽水湖
の多目的水源化である。2011 年 3 月 11 日の東日本大震災で発生した津波は 4 ~ 6 m の波高で鹿島から
銚子付近に押し寄せ、一部は鹿島臨海工業地帯を越えて北浦へ浸入、数カ月にわたって一部の上水利用
を困難した。利根川を遡上した津波は常陸川水門の天端に達したが、越波や水門倒壊は免れた。津波が
121
湖内に浸入していれば、霞ヶ浦を上水水源としている流域の上水は、長期にわたって使用不能となり、
大混乱を引き起こしたと考えられる。関東地方では、今後数十年内に、高い確率で M 8 規模の大地震が
起こるものと予測されており、上記の事態の発生が懸念される。こうした事情を勘案すると霞ヶ浦開発
事業を見直し、次代の環境に見合った水資源開発管理の検討が必要となる。その中では、水資源開発管
理と両立する新しい漁業管理が求められることになる。
引用文献
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122
ウナギ資源の減少と河口堰建設
茨城大学地域総合研究所 二平 章
はじめに
2012 年の「土用の丑(うし)の日」を前に、ウナギの養殖業者にはショッキングなニュースが米国
から飛び込んだ。米国政府がアメリカウナギやニホンウナギを「絶滅危惧種」にして、国際取引の規制
を検討するというのである。2013 年 3 月にタイで開催されるワシントン条約締約国会議に規制案が提
出される可能性もある。日本では今冬、ウナギの稚魚「シラスウナギ」が記録的な不漁で、価格はキロ
当たり 200 万円に高騰した。ニホンウナギは遠く 3,000 キロも離れた南の海で生まれ黒潮に乗って日本
までたどり着く。資源が減少した要因には乱獲影響もあるが、天然の川や湖沼の生育場の崩壊も資源を
減少させた要因である。ウナギ稚魚は陸域に近づくと川をさかのぼり 4 年から 5 年間、川や湖沼で育っ
た後、海に下る。昭和 30 年代頃までは誰でも簡単に小川や沼でウナギを捕まえることができ、子供ら
の小遣い稼ぎにもなった。高度成長期以降、内湾、汽水域、河口域では埋め立て開発が進み、河川はコ
ンクリート護岸に変貌した。生育に適した自然環境が無くなればウナギが減るのも当然である。かつて
江戸に運び込まれた「旅うなぎ」の一大供給基地でもあった利根川・霞ヶ浦水系は、河口堰建設とともに、
今ではウナギが生育場へ遡上できない川となっている。これでは天然ウナギに出会えないのも当然であ
る。生育場の崩壊とともに盛んになったのがウナギ養殖だ。今では日本人の食べるウナギの 99%が養
殖物だ。しかも、ヨーロッパウナギの稚魚を中国が輸入し、中国内で養殖、蒲焼に加工して日本に輸出
するパターンがすっかり定着した。外国製品の蒲焼が一年中スーパーに並び、ウナギの季節感はすっか
り薄らいだ。ヨーロッパでは輸出用シラスウナギの乱獲で、「日本人はニホンウナギを食べつくし、次
にはヨーロッパウナギも食べつくすのか」と悪口を言われている。
ウナギは日本人が好んで食べてきた魚食材の一つであり、日本各地の河川・湖沼漁業の重要な対象魚
種とされてきた。しかし、日本はもとよりウナギの分布する中国においてもシラスウナギの漁獲量が年々
減少しており、ウナギは絶滅に向かっているのではないかと危惧される状況に陥っている。さらに、汽
水域や陸水域において成長し親魚となる天然ウナギの漁獲量も同様に著しく減少している。陸水域にお
けるウナギの減少は、ウナギの生活環境の変化や河川相の破壊によるとの指摘もあり、親魚ウナギの絶
滅回避のためにはウナギの管理方策や生活環境の保全に向けての取り組みが必要とされている。ここで
は、天然ウナギの生産において、日本の重要な位置を占めてきた利根川・霞ヶ浦水系におけるウナギ漁
獲量の変化について検討した。
1.日本で有数のウナギ生息地であった利根川・霞ヶ浦水系
1956 年以降の日本および利根川水系における天然ウナギ漁獲量の経年推移を図1に示す。漁獲量値
は 1960 年代まではおよそ 3,000 トン前後で推移しており、1961 年には 3,387 トンと最高の漁獲高を示
す。その後、漁獲量は 1960 年代の終わりから 1970 年代の初めにかけて急激な減少を示すが、1970 年
代初めから 1980 年代初めまでは 2,000 トン前後を維持した後、1980 年代半ば以降は一方的な減少傾向
に陥り、2000 年代初めにはわずか 610 トンにまで低下している。日本のウナギ漁獲量は 1970 年代以
降この 30 数年の間におよそ 20%程度にまで減少しており、天然ウナギの現存量は急速に減少したもの
123
と推測される。とくに霞ヶ浦北浦を含む利根川水系のウナギの生産量は 1960 年代終わりには 1,000 ト
ンを超える漁獲量を示し、全国漁獲量の 3 分の 1 を占めていたが、2000 年代には 60 トン前後にまで低
下して、全国に占める割合も 10 分の 1 となっている。
また、養殖用種苗としてのシラスウナギの全国漁獲量は 1960 年代後半には平均で 130 トンあったが、
ウナギ漁獲量同様、やはり 1970 年代から減少をはじめ、1970 年代には 79 トン、80 年代には 29 トン、
90 年代には 17 トン、2000 年代には 16 トンと低下している(図2)。全国のシラスウナギ漁獲量のな
かでも、利根川・霞ヶ浦における漁獲の占める割合は 1960 年代では 67%、1970 年代では 49%、1980
年代では 23%、1990 年代では 28%、2000 年代では 36%である。特に 1970 年代以前では全国の 2 分
の 1 以上を占めている。このように、1970 年代以前には利根川・霞ヶ浦水系は日本でも有数のウナギ
の生息水域であった。
図1 ウナギの全国および利根川水系における漁獲量の経年推移
図2 全国および利根川・霞ヶ浦におけるシラスウナギ漁獲量の経年推移
124
2.激減した霞ヶ浦・北浦のウナギ
1914 年以降における霞ヶ浦・北浦の全魚類生産量、ウナギ漁獲量の経年推移をながめると全魚類生
産量は湖内でトロール網が解禁となる 1960 年代半ばまでは 6,000 トンから 8,000 トン台と比較的安定
していたが、それ以降は増加して 1978 年には最高の 17,487 トンを記録している。その後は 1974 年の
常陸川逆水門の全面閉鎖による淡水化の進行と水質の悪化にともない全魚類生産量は減少の一途をたど
り、2003 年にはわずか 1,422 トンとピーク時の 8%にまで落ち込んでいる。1978 年と 2003 年の漁獲
量の比較ではエビ類、ハゼ類、イサザアミ、ワカサギなどの減少が著しい。漁業生産金額では 1977 年
の 36 億 8,700 万円を最高に、2003 年にはわずか 4 億 9,500 万円、ピーク時の 13%にまで減少している。
一方、ウナギ漁獲量は 1914 年から 1918 年までは 99 トンから 132 トンであるが、1919 年から増加
して 1936 年まで概ね 250 トン以上の年が続く。その後 1937 年から 1955 年までは数年だけ 200 トン
を超える年もあるが、概ね 150 トン前後を示す。1956 年からは再び漁獲量が増加して 1960 年代終わ
りまでは 200 トンを超える年が多くなり、1958、1959、1961、1962 年には 400 トンを超す漁獲量を
示す。しかし 1970 年代以降になると漁獲量は減少傾向に入るようになり、常陸川逆水門を完全閉鎖し
た翌々年の 1976 年以降からは減少は特に著しく、1987 年にはわずか 4 トンにまで落ち込んだ。その後
は 2000 年代まで 5 トンから 18 トン程度しか漁獲されない状況が続いている(図3)。1920 年代から
1960 年代には 5%以上あった全魚類中に占めるウナギの漁獲量割合も、1970 年代以降はわずか 0.3%
から 1.9%にまで低下している。
図3 霞ヶ浦・北浦におけるウナギ漁獲量の経年推移
1954 年以降の霞ヶ浦北浦におけるウナギの漁法別漁獲量の経年推移によれば、1950 年代には延縄に
よる漁獲が 52%、次いで張網が 29%を占めるが、1960 年代以降では張網による漁獲が 44%から 58%
と最も多く、次いで延縄による漁獲が 22%から 36%と、まだウナギの漁獲量水準が高かったこれらの
年代では、二つの漁法で全体の 74%から 84%を占める。また、1970 年代以前にはウナギは曳網、笹浸、筌、
長袋といった延縄・張網以外の多様な漁法による漁獲も行われたが、ウナギ資源が激減した 1980 年代
以降になってからは、これらの漁法による漁獲量はほとんどなくなっている。
125
3.常陸川・新利根川に遡上したシラスウナギ
霞ヶ浦・利根川におけるウナギは 12 月から翌年 4 月にかけてシラスウナギとして海より遡上したのち、
流域河川や湖沼内で体長 50cm(5 才から 10 才)にまで成長したあと、産卵のために海に下る。シラス
ウナギの漁獲は遡上期の 12 月から翌年 4 月にかけておもに河口域を中心として行われる。
図 4 には 1963 年から 2005 年までの利根川河口域、および、逆水門の上流にあたる常陸川、新利根
川におけるシラスウナギ漁獲量の経年変化を示した。ここで利根川河口域漁獲量とは波崎共栄漁協によ
る掛け袋網漁獲量である。1963 年当時は常陸川では待網、新利根川ではカーバイトランプを点灯して
すくい網ですくう方法で漁が行われていた(レイモン・アザディ,1995)。なお、利根川河口域データ
のうち 1965 年、1968 年、1971 年の数値は欠落している。利根川河口の漁獲量は変動が大きく最低は
図4 利根川河口、常陸川、新利根川におけるシラスウナギ漁獲量の経年推移
126
1997 年の 416 トン、最高は 1975 年の 8,396 トンと 20 倍の変動幅がある。年々の変動が大きく、日本
水産資源保護協会(2004)が指摘する全国のシラスウナギのような減少傾向は、少なくとも利根川河口
の漁獲量統計にはあらわれてはいない。
常陸川、新利根川の漁獲量では、1965・1968・1971 年、1973 年から 1978 年および 1980・1981 年
のデータが欠落しているが、1960 年代には常陸川では 1.8 トン、新利根川では 0.8 トンを上回る漁獲量
を示す。しかし、少なくとも常陸川逆水門の完全閉め切りが行われた 1975 年以降は漁獲量は常陸川で
は 100kg 以下、新利根川では漁獲統計から数字が消えるまでに漁獲量は激減している。
4.霞ヶ浦・北浦のウナギの生産金額
霞ヶ浦・北浦におけるウナギの生産金額は 1970 年までは 7,200 万円から 1 億 7,100 万円を示すが、
その後、1971 年から 1977 年までは 1973 年だけを除き 2 億円以上となり、1975 年には最高の 3 億 9,000
万円を示す。しかし、漁獲量の減少にともなって 1970 年代の終わりから漁獲金額は急減して、1980
年代以降は 2,000 万円から 3,000 万円の水準となっている。全魚種の生産金額に占めるウナギの割合
は 1960 年代には 6.5% から 27.7%、1970 年代には 3.1%から 13.3%、1980 年代には 0.3%から 2.7%、
1990 年代には 1.0%から 2.5%と低下してきたが、2000 年代に入ると他魚種の漁獲量の減少にともな
い逆にウナギの生産金額に占める割合は 4.6%から 8.3%と増加している。ウナギの単価は 1960 年代は
384 円から 718 円、1970 年代には 1,167 円から 1,909 円、1980 年代には 1,667 円から 1,875 円、1990
年代には 1,625 円から 2,583 円と上昇して、2000 年代には 2,250 円から 2,800 円と霞ヶ浦・北浦産の
魚種としては最も高い単価の魚種となっている。
5.那珂川・涸沼・久慈川での天然ウナギ生産
ひ ぬま
図5に 1954 年以降の利根川水系、霞ヶ浦・北浦、那珂川・涸 沼 および久慈川におけるウナギ漁獲量
の経年推移を示した。
図5 利根川、霞ヶ浦北浦、那珂川・涸沼、久慈川におけるウナギ漁獲量の経年推移
127
霞ヶ浦・北浦、牛久沼、印旛沼、手賀沼も加えた利根川水系全体の漁獲量は、1950 年代は 632 トン
から 766 トン(平均 719 トン)、1960 年代は 605 トンから 1,083 トン(平均 791 トン)、1970 年代は
399 トンから 755 トン(平均 579 トン)を示すが、1970 年代後半に入ると減少をはじめ、1980 年代は
158 トンから 325 トン(平均 254 トン)、1990 年代は 89 トンから 154 トン(平均 118 トン)、2000 年
代にはわずか 54 トンから 82 トン(平均 66 トン)にまで低下している。最高漁獲量は 1967 年の 1,083
トンである。1950 年代および 1960 年代との比率では 2000 年代は平均で 1950 年代の 9.2%、1960 年
代の 8.3%になっている。
利根川水系の中でも、特に干拓や水門建設、湖岸工事、水質汚染がすすんだ湖沼の漁獲量減少は著し
く、霞ヶ浦・北浦では 1961 年に最高の 464 トンあった漁獲量は 1950 年代および 1960 年代との比率で
2000 年代は平均で 1950 年代の 3.6%、1960 年代の 3.5%にまで低下している。
一方、干拓や湖岸工事、河岸工事が行われたとはいえ、河口堰建設のなかった那珂川・涸沼水系や久
慈川水系でのウナギ漁獲量の経年推移には利根川水系や霞ヶ浦・北浦水系とは異なった様相がうかがえ
る。那珂川・涸沼水系や久慈川水系では 1950 年代および 1960 年代に比較して 1970 年代以降、利根
川水系や霞ヶ浦・北浦水系ほどウナギ漁獲量の減少傾向は著しくなく、那珂川・涸沼水系では漁獲量は
1950 年代対比で 1990 年代が 55%、2000 年代が 35%にとどまっている。また、久慈川水系では 1950
年代対比で一時 1980 年代に 32%にまで減少したが、1990 年代には 70%、2000 年代には 98%と逆に
近年増加傾向が認められる。
6.河口堰建設と霞ヶ浦・北浦のウナギ漁獲量
全国の天然ウナギ漁獲量は 1957 年以降 1970 年までは概ね 2,700 トンから 3,200 トンを横ばいに推
移していたが、1971 年以降になると一方的な減少傾向に入っている。この要因として立川ら(1999)
は 30 年間で大小 30 ものダムが建設された利根川とダム竣工が全くなかった四万十川のウナギ漁獲量の
変動傾向を比較して、ウナギ漁獲量の減少にはダム建設に伴う河川環境の改変が影響を及ぼしたと推察
している。また、シラスウナギ資源の減少要因として加藤(1999)は①河川改修による物理的環境変化、
②下水や化学物質による生息環境の汚染、③シラスウナギの乱獲、④地球温暖化などの海洋環境変化に
よる産卵や回遊への影響をあげている。
利根川水系は幹河川流路延長が 322km で、流域面積が 16,840㎡の大河川であり、1980 年以前には
常に全国の 20%以上のウナギ漁獲量を生産していた。しかし、利根川・霞ヶ浦水系は 1960 年代からの
日本の高度経済成長政策の始まりの中で治水・利水を目的にした河口堰工事が進展することになる(冨
山 ,1994; 茨城県生活環境部霞ヶ浦対策課,2001)。 1959 年に霞ヶ浦北浦への遡上河川である常陸川に
逆水門を建設する工事が着工、1963 年に完成する。その後、10 年間は年間 100 日以内の水門操作が行
われるが、漁業補償の妥結によって 1974 年に常陸川逆水門は完全閉鎖されている。一方、利根川河口
堰は 1964 年に建設が開始され、1970 年に完成し 1976 年から操作が開始されている。
図 6 に利根川、霞ヶ浦北浦の漁獲量比、図 7 に水門工事開始以降のウナギ漁獲の変化量を示した。常
陸川逆水門の完成する 1963 年以前は利根川水系全体で霞ヶ浦・北浦の占めるウナギ漁獲量の割合は
60%以上あり、むしろ利根川より霞ヶ浦・北浦の方が天然ウナギ生産の主役の役割を担っていたといえ
る。しかし、常陸川逆水門の完成以後は逆に利根川の方の割合が高くなって 60%以上を示すようになり、
1978 年以降は一層顕著となって 80%以上となったことがわかる。
128
図6 利根川および霞ヶ浦北浦におけるウナギの漁獲量比
図7 霞ヶ浦北浦および利根川において水門工事開始年を基準としたウナギ漁獲量の変化
129
霞ヶ浦北浦では 1959 年に逆水門工事を開始した 4 年後の 1963 年に漁獲量は 100 トン以上減少し、
その後は 1959 年比で 200 から 300 トンのマイナスレベルで推移したのち、完全閉鎖の 1974 年の 4 年
後からマイナス 300 トンレベルを切って 400 トンレベルへ低下している。
シラスウナギとして河川、湖沼に遡上したウナギは、長いものでは 14・15 年間も陸水域で生活する。
雄では 5 才以上の個体がきわめてすくないことから大半は 4・5 歳までに成熟を開始し下りウナギとし
て降河する。雌では全長 50cm から成熟が可能であるが、ほとんどの個体が成熟を開始するのは全長
75cm、体重 600g、年齢 6 才と推定される。河川での漁獲物の年齢構成では 3 ~ 4 才魚での漁獲が多く、
重量組成では 4 才魚の方が多い(日本水産資源保護協会,1999)。
以上の生態を考慮すると、霞ヶ浦北浦で逆水門工事後および完全閉鎖後の 4 年後からウナギ漁獲量が
著しく低下したのは、工事後・閉鎖後に湖内へのシラスウナギの遡上量が減少し、4 年後に漁獲の中心
となる 4 才魚の漁獲量が減少したこと、4 才魚以上の雄の大半が降河したことによるものと考えられる。
一方、利根川では河口堰の工事開始の 1964 年以後、1967 年から 3 年間は一旦漁獲量は上昇し、1970
年の工事完成後は一方的な減少傾向を示した。1967 年から 3 年間の漁獲量上昇の傾向は 1965/1967 年
比で利根川で 2.0 倍、霞ヶ浦で 1.3 倍、北浦で 2.2 倍、涸沼で 2.2 倍と共通して認められることから、4
~ 6 年前のシラスウナギ来遊量の増加など共通する資源量増加要因があったものと推察される。
河口堰のない那珂川・涸沼および久慈川の漁獲量変動は、利根川、霞ヶ浦北浦に比較して異なった様
相を呈しており、那珂川・涸沼では 1970 年代以前と比較して減少はしているもののその減少幅は小さ
く、久慈川は 1980 年代に減少したものの 1990 年代以降増加傾向にある。常磐海域の海洋環境には親
潮水の南下、北退による 10 年スケールの変動が確認されており、1973/74 年を境に海洋環境は温暖か
ら寒冷レジームにまた 1987/88 年を境に寒冷から温暖レジームに変化したことが知られている(二平,
2006)。1990 年代以降の久慈川での増加傾向は、海域での多くの魚類の変動とも同期していることから、
シラスウナギの来遊接岸に常磐海域の海洋環境が影響を及ぼした結果である可能性も考えられる。
7.霞ヶ浦・北浦に天然ウナギを遡上させた場合の経済効果
霞ヶ浦産天然ウナギの単価は 1990 年代が 2,126 円、2000 年代が 2,499 円と生産魚種の中でもっとも
高単価である。全魚類生産量がピーク時の 8%、漁業生産金額がピーク時の 13%にまで減少している霞ヶ
浦・北浦漁業の再生を考える場合、ウナギの漁獲量増加は魅力的な課題である。ウナギは単に単価が高
いという面ばかりではなく、その生態的な特性からいって増産対象種として考えやすい。つまり、霞ヶ
浦開発以降の湖岸帯や水質変化にともない、霞ヶ浦や北浦湖内に産卵場を有する魚種で増産を図ること
は環境再生が進むまでは困難が伴うと考えられ。実際に近年霞ヶ浦北浦で増加している魚種は、湖外の
流入河川を産卵場とする魚種が多い(浜田,2000)。ウナギは遠く北赤道海流域で産卵され初期生活期
を海で過ごした後に、幼稚魚期になって河川・湖沼に入り5年から十数年間陸水域で成育後、再び海に
下る。仮に霞ヶ浦・北浦にウナギを遡上させることができれば、涸沼におけるウナギ漁の実態から見て
も、湖内や流入河川域でのウナギの漁獲量増加は十分可能である。
そこで、ここではウナギ資源全体の変動傾向は反映しながら、1950・1960 年代との対比から自然な
来遊遡上が保証されている涸沼と同様な来遊遡上が保証された場合の霞ヶ浦・北浦の年代別ウナギ増加
漁獲量を推定した。1950 年代と 1960 年代における霞ヶ浦・北浦のウナギ漁獲量は涸沼の 6.15 倍であ
り、その値はそれぞれの流域面積比に近い値となる。仮に近年の涸沼の漁獲量レベルに比例するウナギ
130
の遡上が霞ヶ浦・北浦に保証されるとした場合の霞ヶ浦・北浦におけるウナギの生産金額を計算した。
2000 年代における増加金額は 2 億 4,000 万円となった。それは 2003 年の霞ヶ浦・北浦の全漁業生産額
の 48.5%にも上る。経済効果は漁業生産者ばかりでなく、陸域の流通・消費業界にも大きな影響をおよ
ぶはずである。
8.霞ヶ浦・北浦流域を天然ウナギ産地にする重要性
シラスウナギを霞ヶ浦・北浦へ遡上させ、湖沼域はもちろん流域の小河川域でウナギを成育させるこ
との生態的および地域経済への貢献としては、少なくとも以下のことがあげられる。
① 降海するウナギを増やし、天然資源の再生産に寄与する。
② 天然ウナギの漁獲金額を増加させ、霞ヶ浦漁業の再生に寄与する。
③ 天然ウナギの生産地としての地位を復活させ、たとえば「天然ウナギが食べられるまちづくり」な
どをとおして地域振興に役立てる。
④ 近年その低減化に苦慮している霞ヶ浦・北浦の栄養塩物質の回収(二平,2006)にも貢献する。
ウナギは、歴史的にも霞ヶ浦・北浦の重要な地域資源でもあり文化資産でもあった。高度経済成長期
に見失ったウナギの価値を見直し、地域の再生・自然の再生のためにも霞ヶ浦・北浦をもう一度ウナギ
の遡上する湖にもどし、天然ウナギの一大産地にすることは重要な課題である。ウナギにやさしい湖は、
きっと人間にもやさしい湖になるはずである。
引用文献
茨城県生活環境部霞ヶ浦対策課(2001)霞ヶ浦学入門.pp268.
浜田篤信(2000)外来魚種による生態影響.生物科学,(52)1, 7-16.
廣瀬慶二(2001)うなぎを増やす.成山堂書店,東京,138pp.
加藤雅也(1999)日本のウナギ資源の減少・原因・対策.月刊海洋号外,No.18, 174-177.
二平 章(2006)東北海域における底魚類資源の変動と気候レジームシフト.月刊海洋,38(3).
二平 章(2006)霞ヶ浦の環境再生と漁業の物質循環機能 . 北日本漁業,34, 56-69.
日本水産資源保護協会(2004)平成 15 年度ウナギ資源増大対策委託事業報告書.241pp.
レイモン・アザディ (1995)霞ヶ浦の系譜.筑波書林,土浦,177pp.
立川賢一・松宮義晴(1999)ウナギ資源の管理と保全.月刊海洋号外,No.18, 148-155.
冨山 暢(1994)よみがえる霞ヶ浦,生成・過去・現在・未来 . 霞ヶ浦水質浄化対策研究会,pp198.
131
132
Ⅱ-3 その他の沿岸魚種の資源動向と漁業管理問題
トラフグの資源動向・資源管理
-県境を越えた東海3県による管理の成果と課題-
下関市立大学 濱田英嗣
1.はじめに
資源の希少性や日本人固有の魚食文化によって、トラフグは大衆市場化が進展しているとはいえ、な
お産地市場価格は漁期平均でキロ単価 5,000 円以上の高級魚である。水揚げ量が減少する 1 月、2 月期
はキロ単価 15,000 円に跳ね上がることもある。当然、「共有地の悲劇」の可能性が高くなり、資源を持
続的に維持するための操業ルールの設定は不可欠となる。ただし、トラフグ漁期である 10 月から翌年
の 2 月に至る冬季は、一般的に漁獲対象魚種が少なく、漁業者にとって高価格なトラフグ漁は貴重な収
入源であり、資源の維持・管理は机上でいうほど易しいものではない。
この漁獲インセンティブが強いトラフグ資源の維持・管理に愛知・三重・静岡の東海 3 県が共同で取
り組み、一定の成果をあげている。何故、県境を越えた広域的な資源管理が機能しているのか、その実
態を紹介しつつ、東海 3 県によるトラフグ資源管理について今後の課題を示すことが拙稿の狙いである。
あ のり
なお、調査は静岡県浜名漁協や愛知県日間賀島漁協、片名漁協、豊浜漁協、三重外湾漁協安乗事業所(旧
安乗漁協、以下では安乗事業所より馴染みのある安乗漁協と表現)においてトラフグ延縄漁を中心に実
施した。東海 3 県におけるトラフグ資源管理の課題として、もう一つ、小型底引き網漁業によるトラフ
グ漁獲の規制強化という資源管理問題(とくに 0 歳魚漁獲問題)が存在するが、この点の言及はより慎
重な分析が必要なため、本報告では必要最小限の記述に留めている。
2.トラフグ資源動向と管理体制の整備
(1)トラフグ資源の発見、開発と操業秩序化の動き
すくも
トラフグ延縄漁(以下、とくに注がない限り底延縄)の発祥の地は山口県粭島である。時代は明治期
である。第二次大戦後、粭島近海を含む瀬戸内海のトラフグ資源が減少し、彼らは 8 トン前後の船型で
東シナ海や太平洋岸では三重、愛知、静岡、千葉(銚子)まで遠征するようになる。その過程でトラフ
グ延縄技術が遠征先の漁業者に伝授されたので、漁業史的にいえば、全国各地のトラフグ延縄漁はそれ
ほど古い漁法ではない。トラフグ漁に従事する漁業者数もそれほど多くはなかった。
状況が一変するのが 1970 年代である。伊勢湾付近でまとまったトラフグ資源が発見、開発され、伊
勢湾・三河湾・遠州灘でトラフグ漁が活発化する。延縄漁は自由漁業なので、操業トラブルが発生する
ようになり、1978 年には浜名漁協、日間賀島漁協、安乗漁協の 3 漁協間で静岡海域操業に際し、漁期
と釣針数制限について「トラフグ延縄自主管理協定」が結ばれている。しかし、1989 年に東海 3 県の
漁場である伊勢湾、遠州灘において、トラフグが大量に漁獲される。通常、当該漁場で 30 ~ 50 トンであっ
たトラフグ水揚げが 390 トンを記録した。この好漁で東海 3 県のトラフグ延縄漁業者は数倍に激増した
といわれている。当然、トラフグ漁に新規参入する漁業者が続出し、トラフグ関係者は資源管理に向け
て新たな対応を迫られた。
トラフグ資源管理の必要性から、まず 1991 年には浮延縄漁が禁止された(ただし、三重県熊野灘海
133
域や静岡県遠州灘 D 海域等漁場、時期を限定して許可されているケースがあり、全ての浮延縄が禁止
されているわけではない)。また漁法の大勢を占める底延縄の操業期間を 10 月から翌年 2 月までに限定
し、600 g 未満のトラフグは漁獲禁止、漁獲の際は放流することも決定された。しかしながら、こうし
た措置にもかかわらず、1992 年の漁獲量は 50 トン程度に留まり、小型底引き漁業による漁獲量を含め
た全トラフグ漁獲量も右肩下がりで低下し、資源減少に歯止めがかからないことから、国及び県が組織
的にトラフグ資源管理を支援する体制を整備するに至る。具体的には、管理型漁業推進総合対策(1995
~ 98 年)、複合的資源管理対策(1999 ~ 00 年)、資源増大技術開発事業(2000 ~ 05 年)など施策が
継続して東海 3 県トラフグ資源の維持に向けて投入され、現在の「太平洋中海域トラフグ研究会」に至っ
ている。
(2)広域資源管理体制とその実施状況
1)広域資源管理体制と基本的内容
東海 3 県によるトラフグ広域資源管理は、3 県いずれもまず県域を数ブロックにわけ、ブロック別に
フグ延縄連絡協議会を設置し、ここにトラフグ延縄漁業者を所属させる体制を敷いている。つまり、こ
の協議会が実質的に操業現場で 3 県による取り決めルールの遵守徹底を果たす管理機能を担っている。
そして、その上部組織として 3 県とも県レベルの「ふぐ漁組合連合会」をおき、この連合会が県内で生
じた操業トラブルや県域を越えた操業ルールの交渉窓口として機能する体制となっている。
後述のとおり、東海 3 県によるトラフグ広域資源管理は積極的にトラフグ種苗放流を実施しているの
で、当該組合所属のトラフグ漁業者は組合運営費と種苗放流に係る経費負担の関係上、各漁業者とも年
間数万円の賦課金が徴収されている。例えば、三重県では愛知県沖にある指定海域にも入漁するトラフ
グ延縄漁業者は年間 6 ~ 7 万円の賦課金(放流事業負担金が多い)、伊勢湾のみで操業するトラフグ漁
業者は年間 3 万円と支払額は多少違うけれども、各県ともトラフグ連合組合に数万円の支払いを義務化
している。
東海 3 県共通のトラフグ延縄漁の操業ルールは協定書によって定められている。主要な事項を指摘す
ると以下のとおりである。
① 操業期間は 10 月 1 日から 2 月末日とする。
② フグ縄漁は日の出操業とし、灯火は絶対に使用しない。静岡県海域に入漁する場合は、午後 1 時ま
でに縄あげを終了し、愛知県及び三重県海域に入漁する場合は、10 月及び 11 月は午後 2 時、12 月
以降は午後 1 時に縄入れを終了するものとする。
③ 10 月は 10 日以上、休漁日を設けるものとする。ただし、休漁日は各県で各々設定し、各県で設定
した休漁日には、同県海域に入漁しないものとする。
④ フグ縄漁船は、全国波(27964KH・Z63ch)を利用し、相互に連絡を取りつつ、円滑な操業を図る
ものとする。
⑤ 体重 700 g 未満のトラフグは放流するものとする。
⑥ 協定書に定めた各項に違反したフグ縄漁船は、違反した日から漁期の間は操業禁止とする。
⑦ 協定書に定めていない事項で、特に重大な事情が生じた場合は、3 県の漁業者間で協議するものと
する。
⑧ 協定書は毎年 1 回 3 県の漁業者間で協議の上、更新するものとする。ただし、協定内容に変更のな
134
い場合は、自動的に更新されるものとする。
2)広域資源管理体制実現の要因とその特徴
同一漁協に所属し、日常的に接触がある漁業者間、漁業種類間の資源管理、漁業調整ですら、現実は
調整困難な場合が多い。さらに、漁協間の調整では問題解決に向けて各海区に設置された漁業調整委員
会による委員会指示が出されるが、それでもすんなりと問題が終息しない、これが現実である。農業者
と違い、漁業者は今日漁があっても、明日の漁は全く保証されないという産業的特質があり、彼ら漁業
者の経営に直接影響を及ぼす資源管理は困難を極める。ましてや、東海 3 県による広域資源管理が上記
の管理体制のもとで取り組まれ、3 県のトラフグ延縄漁業者が定められたルールにそった操業を行い、
協力しているのにはそれなりの理由がある。
つまり、上記のとおり、1970 年代から漁業調整に取り組み、長い「助走期間」を経て 2000 年以降に
トラフグの広域資源管理の取り組みが本格化するが、それには 2002 年度から開始されたトラフグ資源
回復計画が大きく寄与している(伊勢湾・三河湾小型底引き資源回復計画事業)。さらに、2006 年から
2010 年は栽培漁業資源回復対策事業(太平洋中海域トラフグ)が実施されている。この継続的・体系
的な事業によって、小型底引き網漁業による伊勢湾・三河湾でのトラフグ小型魚の水揚げ制限(25cm
以下のトラフグの船上放流、伊勢湾での 2 月の休漁措置および海底清掃)に対しても漁獲制限措置がと
られることとなった。
さらに漁業規制と並行して、東海 3 県におけるトラフグの産卵場の特定調査、標識放流による移動、
回遊経路の調査研究、加えて種苗放流技術の開発研究が本格化する。その結果、東海 3 県のトラフグが
伊勢湾口の産卵場でふ化したトラフグ仔魚が伊勢湾、三河湾奥部に着底し、その後水温低下に伴い湾口、
湾外に移動する独立系群であることが判明した。つまり、東海 3 県で漁獲されるトラフグはいずれも日
本近海に生息、来遊するトラフグとは異なり、独立した固有の「伊勢・三河系群」であり、3 県トラフ
グ漁業者が共同で資源管理に励むことが 3 県のトラフグ漁業経営に資するという認識が 3 県のトラフグ
延縄漁業関係者に共有されたことが大きい。
関連して、この 3 県による広域資源管理は資源管理と同時に、トラフグ放流事業による資源培養を目
指している点に特徴がある。上記のとおり、3 県同一のトラフグ資源であるので、放流コスト負担者と
直接的な受益者が 3 県トラフグ漁業者に関して一致する。この点で東海 3 県によるトラフグ広域管理は、
トラフグ栽培漁業をトラフグの資源管理に組み込ませ、両面からトラフグ資源を安定化させ、その目標
に向かって漁業者、行政、試験研究機関が一体となって取り組むという点に特徴がある。トラフグ放流
事業の技術的支援は国の水産総合研究センター増養殖研究所(南伊勢町)と愛知、三重、静岡県の水産
研究所(水産試験場)が担当している。これら機関でトラフグ種苗の生産とより効果的な放流事業を目
指し、3 県連携による「伊勢・三河系群」のトラフグ生活史(産卵生態・0 歳魚の生態・1 歳魚以降の
生態等)の研究交流、情報交流が進められている。
「伊勢・三河系群」のトラフグ生活史が次第に解明されるにつれて、放流効果が確実に高められた。
このトラフグ放流事業の成果について、トラフグ漁業関係者は以下のように受け止めている。すなわち、
愛知県日間賀島漁協所属の坂口巧氏によれば、「フグ延縄漁は、資源の変動が大きいことと、海が時化
で出漁できなかったり、販売先の産地市場の事情で、漁期 5 ケ月間に 15 ~ 20 日しか出漁できない年
もある。バクチ漁だ。このバクチ漁で、とくに資源が少ない不漁の際に、放流フグの漁獲比率が高くな
135
り、経営的には助かっている」。日間賀島のフグ延縄漁は、高騰した油代その他諸経費を考慮に入れると、
1回操業で最低 3 ~ 4 万円の水揚げがないと赤字といわれている。5 ケ月という漁期内の操業可能日数
を考えると、1 回操業で 20 万円の水揚げを目標としているが、このハイリスクなトラフグ延縄経営を
放流トラフグが下支えしている。日間賀島漁協におけるトラフグ種苗放流実績は 2010 年約 14,000 尾(平
均全長 62.1㎜)であった。
同様に、『静岡県水産試験研究百年のあゆみ』(静岡県水産試験場,2003 年)によれば、浜名漁協で
は 1987 年から,漁業者による自主的な種苗放流が開始され,1992 年に約 87,000 尾が放流された。そ
の後も種苗放流は続けられており,近年では 4 ~ 7 万尾程度が毎年放流されている。静岡県浜名湖分場
資料によれば、2011 年には 6 回種苗放流(6/24、6/29、7/8、7/11、7/12、7/14)が行われている。
放流場所は順次、浜名湖(弁天島 41,000 尾、47.3㎜サイズ)、太田川河口(22,000 尾、51.3㎜)、三重
ありたき
県有 滝(30,000 尾、60.6㎜)、浜名湖(新居、23,000 尾、61.2㎜)、太田川河口(22,000 尾、61.2㎜)、
相良港(5,000 尾、61.2㎜)であった。東海 3 県合計の放流尾数は近年 70 ~ 80 万尾で安定的に推移し
ている。
東海 3 県による放流事業は漁業者が分担的に各県内で種苗放流する他に、県外でも放流するという特
徴がある。例えば、静岡県海域で漁獲されているトラフグも伊勢湾口を産卵場として熊野灘から駿河湾
を生活の場とする 1 つの系群であることから、静岡県の漁業者が県を越えて三重県内で種苗放流してい
る。三重県内でのトラフグ種苗放流拠点の一つである有滝地区(有滝漁協)はノリ養殖と小型底引き網
漁業が基幹漁業種類であり、底引き網に若齢トラフグが漁獲され、トラフグ延縄漁業者と必ずしも関係
が良好とはいえないが、当該地域で種苗が放流されることで小型底引きにおけるトラフグ資源管理意識
の向上にも効果があったとされる(有滝漁協聞き取り)。
以上、放流事業は産卵場所やふ化後の伊勢湾、三河湾への仔魚の移動、稚魚の生育場、成魚の分布域
の詳細な知見とともに、どの段階でどの漁業に対して漁獲規制することがトラフグ資源の維持・増大に
効果的かが課題として浮上している。この科学的知見に基づき、小型底引きや延縄など漁業種類に応じ
て設置されている業種別組織を一定程度機能させ、ボトムアップ方式でより踏み込んだ漁業規制を検討
する段階に至っている。とくに、親魚そのものにどの程度の漁獲規制をかけるかが課題となっている。
また、遺伝子の多様性に十分配慮しつつ、受精卵供給拠点化も検討事項として浮上している。ただし、
トラフグ親魚に対する漁獲規制は、規制によってトラフグ資源そのものにどのような影響が及ぶかとい
う科学的根拠が必要で、短期間で結論が出るものではない。
東海 3 県によるトラフグ広域資源管理の体制、これまでの経緯は以上のとおりである。資源を科学的
知見に基づき、関係漁業者にその情報を提供しつつ、漁業者、行政、試験研究機関が一体となってトラ
フグ資源の維持、管理に取り組むという基盤が構築されているのは明らかである。ただし、一生懸命ト
ラフグ資源管理に取り組んでいる漁業者、行政担当者、試験研究員達は、異口同音「東海 3 県のトラフ
グ資源はなお増えていない」という。
試験研究機関関係者の認識も同様である。
『平成 23 年度中央ブロック水産業4関係研究開発促進会議・
太平洋中海域トラフグ研究会』資料において、「伊勢・三河湾系群の漁獲量は、不定期に発生する卓越
年級群の影響により大きく変動する。近年では 2002 年の 550 トンが最大である。2003 年および 2004
年級群の加入は低い水準であったため、2005 年の漁獲量は 100 トンを下回った。その後 2006 年級群
が大きい規模で加入したため資源状態は好転し、2006 ~ 2009 年は 200 トン前後で推移した。2010 年
136
は 139 トンと、前年までの水準から若干減少した」としている。
総括すれば、東海 3 県のトラフグ資源状態はなお不安定で、したがって、これまでの放流事業を含め
たトラフグ資源管理は、あくまで東海 3 県のトラフグ資源を下支えしている状況にある。これまでの取
り組みにもかかわらず、なお当該海域において健全なトラフグ資源の回復に至っているわけではない、
という点で関係者の認識は一致している。トラフグ資源に対する漁獲圧力が高いことが最も大きな要因
と考えられるが、これ以上の漁獲制限を設定するためには、漁獲規制(漁業者に強いる我慢)が近い将
来、確実に高い経営成果(水揚げ増大)に繋がるという新たな知見が不可欠であり、現状では更なる規
制は難しい。恐らく、これまでの資源管理を巡るパラダイム転換がない限り、東海 3 県のトラフグ資源
が趨勢として増加に転ずることは難しい。
トラフグ延縄漁業のリーダー(安乗漁協 A 氏)は、数年周期でおきる豊漁時に(卓越年級群の発生)、
漁獲制限を一定水準でかけることは現実に沿った方策の一つという(一定の漁獲量を突破した時点で操
業打ち切り)。漁期前のトラフグ資源調査による漁期見通しの精度が向上しているので、事前に 3 県に
よる協議時間が確保でき、私見では唯一、実際に現場に受け入れられる可能性がある案として記述して
おきたい。漁獲圧力が軽減しない理由は以下のとおりである。
3.経済・経営面からみたトラフグ資源管理の障壁
(1)天然トラフグ価格の下落と期待収益
図 1 は、三重県の安乗漁協におけるトラフグ価格の水揚げ数量と平均単価の推移をみたものである。
同図から天然トラフグ価格が趨勢として右肩下がりで下落していることは明らかであるが、より詳しく
見ると平成 9 年(1997 年)を境にそれ以前と、それ以降で価格水準そのものが違っていることがわか
る。つまり、1997 年以前の価格水準がキロ単価 10,000 円に対し、1997 年以降のそれは 6,000 円となり、
平成 12 年(2000 年)以降はさらに 5,000 円水準に下落している。天然トラフグを巡る市場・流通条件
(需要要因を含む)が 1997 年なり 2000 年を境に変質したのである。
図1 トラフグ価格の推移
資料:三重県水産研究所
2000 年前後を振り返れば、日本経済はバブル処理がなお山積し、それ以降今日に至るまで実質経済
成長率や GDP 指標はほとんど低迷状態にあるので、不景気(デフレ)が価格低迷の基本的要因である
ことはいうまでもない。加えて、当時トラフグを巡って、養殖トラフグに対する薬浴ホルマリン使用問
137
題、中国産低価格養殖フグの大量流入、さらに官官接待が社会問題化し、トラフグ需要が急速に縮減し
たのがこの時期にあたる。こうした経緯で、養殖トラフグだけでなく、天然トラフグを含め、トラフグ
の価格は大きく落ち込んだのだと思う。
加えて、トラフグ価格の水準が大幅に下落した 2000 年以降に範囲を限定して養殖トラフグによる天
然トラフグ価格への影響度をチェックしてみた。浜名漁協における天然トラフグ価格の変化をサイズ別
に検討すると(2003 ~ 2006 年と 2007 ~ 2010 年グループに分け、サイズ別に分析した)、価格下落の
程度は 1 キロ未満サイズで 40% の下落、1 ~ 1.5 キロサイズでは 50% の下落、1.5 キロサイズ以上では
30% の価格下落であった。つまり、価格下落は 1 ~ 1.5 キロサイズで最も大きい。このサイズは料理筋
の需要が最も高く、養殖トラフグが出荷の念頭においているサイズと一致する。養殖トラフグで、1.5
キロ以上のサイズで出荷しているのは淡路島の 3 年トラフグ以外はないと思われるので、浜名漁協にお
いて 1 キロサイズの天然トラフグの価格下落が最も大きい要因は、中国産養殖ものを含む養殖トラフグ
の影響をサイズ的に強く受けている可能性が高い。こうした経緯から、天然トラフグといえども市場水
準は大幅に下落した。
天然トラフグ単価の大幅下落がトラフグ延縄漁業者の操業行動にどう影響しているかは、正直わから
ない。恐らく、冬季という代替漁業種類が少ない状況で、かつそれでもキロ 5,000 円となる対象魚種の
魅力に変化はないと思われ、その意味では漁業者はこれまでどおりの行動原理に沿って操業するだろう。
ただし、確実にいえることは、トラフグ資源に対する漁獲圧力を軽減するために、これ以上休漁日を増
やす等、トラフグ延縄漁業者の収益低下に直結する提案を行政や試験研究機関、フグ延縄組合連合会な
どが新たに行うことは難しくなった。
東海 3 県いずれも漁期 10 ~ 2 月の 5 ケ月間で出漁日数は多くて 30 日程度である。愛知県日間賀島
では 2010 年は 15 ~ 20 日程度の出漁であった。この水準だとトラフグ価格を気にする以前に、出漁で
きる日は出漁するというインセンティブが漁業者に働くのは当然である。前記したとおり、採算水揚げ
3 ~ 4 万円(10 トン未満漁船で 2 人操業)で、漁期の水揚げ目標 300 ~ 400 万円を設定しているので、
20 万円 /1 回操業がクリアラインとなっている。こういう状況下で、天然トラフグ価格が下落し収入減
少を招いている。トラフグ資源状態を改善するために、高単価が期待できない 10 月から思い切って 11
月に操業開始日を延期することが望ましいが、漁業経営から判断してさらなる操業日数削減による資源
管理は現実として難しい。
(2)複雑な利害関係者と調整困難性
10 月からのトラフグ漁を 11 月に延期することが難しい第二の要因は、トラフグ延縄漁業者が同質的
な経営でなく、多様な経営が存在し、県単位はおろか漁協単位でも調整が難しいからである。例えば、
浜名漁協ではシラス漁経営でも 10 月期のみトラフグ操業を行っている経営が 48 統のうち 18 統存在す
る。また、2 艘船曳やノリ網業者などもトラフグ漁を兼業している。10 月から 11 月への操業開始延期
は彼らにとってトラフグ漁の断念を意味し、調整は非常に難航することが予想される。つまり、トラフ
グ延縄漁期にトラフグ漁専門の漁業者だけでなく、10 月だけトラフグ漁を経営に組み込んでいるシラ
スやノリ養殖経営などが存在し、彼らを排除することは困難であろう。
10 月から 11 月への操業開始延期は、トラフグ取扱流通業者に対する説得も難しい。聞き取りによれ
ば、トラフグを取り扱う流通業者もトラフグ資源を保護するために漁獲圧力をさらに低減させることに
138
総論は賛成であった。しかし、彼らが必ず口にするのは所属している単協や 1 県のみの漁期延期は反対
で、実施条件として「3 県が足並みを揃えること」を主張する。流通業者は県外出荷主体のタイプから
地元消費タイプなど形態が多様であり、トラフグ漁期延期による利害関係が必ずしも一致しない。とく
に出荷主体の流通業者は東海 3 県の天然トラフグだけでなく、競合産地である下関を含めた競争戦略を
考えているはずなので、下関を含めた天然トラフグの出荷日統一を主張するだろう。
仮に、東海 3 県だけ天然トラフグ出荷を 11 月に延期すれば、下関その他地域の天然トラフグ産地の
流通業者は東海地域トラフグ出荷がない分、出荷利益に結びつく可能性があり、東海 3 県のトラフグ流
通業者として自分たちだけの出荷日延期案は呑めないはずである。また、天然トラフグの全国統一出荷
日が決定されたとしても、今度は天然トラフグだけでなく、養殖トラフグの出荷調整も絡んでくるはず
で、調整は不能と思われる。つまり、トラフグ取り扱い流通業者にとっても、11 月への操業延期は現
実的には受け入れがたい。
(3)漁具装備高度化
東海 3 県のトラフグ漁協定によって漁業規制(操業場所、縄の長さと針数等々)は遵守され、その
意味でのトラフグ資源に対する圧力軽減方策は限界付きながら実施されていることは上記のとおりであ
る。しかし、トラフグ漁の漁業者自身が認めているとおり、延縄漁具はそれ以上に高度化し、トラフグ
の捕獲率は各段に改良されている。「1984 年当時の道具は、100 本釣るとそのうち 40 本くらいはトラ
フグの歯で噛み切られ、逃げられていたが、今は切られることはない。昔は丈夫な細い綱に糸で針金を
縛っていたが、現在はピアノ線や鋼を使って工夫しているので、ほぼ 100 本を漁獲している(安乗漁師)」。
漁協購買課フグ資材注文書一覧にはフグ針(ステン・鉄)、S カン(ステン・黒塗り鉄)、P線(0.4、0.5)
などの品目が並んでいる。こうした個別漁業者による創意工夫は、強烈な漁獲インセンティブであると
た
同時に、競争原理の作用によるものであり、ここに規制の網をかけることは「角を矯めて牛を殺す」行
為に等しい。
約 5 キロメートルの長さの延縄に釣針 600 本という操業ルール設定に対して、漁業者は遵守する一方
で、釣獲率を上げるために各自が創意工夫しており、トラフグ資源に対する漁獲圧力軽減は容易ではな
い。
4.水産資源の資源管理と「地域資源」のと資源管理
東海 3 県のトラフグ広域資源管理体制は漁業者、試験研究機関、行政がスクラムを組んで一手の成果
をあげている貴重な先進事例である。机上の空論ではなく、地道にトラフグ生活史を解明し、漁業者と
密接なコミュニケーションをとりつつ、効果的な放流事業を組み込み、新たな資源管理を目指している。
前記のように、この延長線上で、今後さらにトラフグ親魚の積極的な保護方策や卓越年級群発生時の一
定漁獲量後の操業打ち切りなど、さらなる資源管理を目指して検討が続けられるだろう。
しかし、この管理思想はこれまで営々と築いてきた産業資本主義をベースとした生産性追求路線に
沿ったものなので、常にトラフグの資源水準は生産性追求と漁獲規制の狭間、軋轢で揺れ動くはずであ
る。漁業経営の維持・存続と資源の維持・管理の実現というが、前者の論理が相対的に強くなるのは避
けられない。こうした資源管理思想に対して、十全ではないけれども新たな切り口を示し始めたのが、
「地
域資源」の資源管理と思われる。最後に、この点について検討しよう。
139
(1)安乗トラフグ延縄漁業の動向
安乗のトラフグ延縄漁船は 42 隻である。愛知や静岡と違い、漁船数はこの 15 年間ほどほとんど変化
していない。安乗漁協の年間水揚金額は約 10 億円で巻き網が全体の 30 ~ 40% を占め、トラフグ延縄
がそれに続き 10 ~ 20% を占める。トラフグ延縄漁業者の大半は船型 5 ~ 15 トン、2 ~ 3 人乗り操業
である。トラフグ漁以外に、刺し網(クルマエビ)、1 本釣り(サバ、アジ)、カツオ曳縄などを季節に
応じて組み合わせている。トラフグ延縄漁船 42 隻のうち、愛知、静岡漁場に入漁しているのが 22 隻、
伊勢湾口操業船は 20 隻で、水揚げ金額は遠征漁船の方が平均 20 ~ 30% 多いという。
彼らに共通しているのは、トラフグ延縄技術の高さと漁獲後の高度な処理技術である。とくに、釣り
上げたトラフグは空気を吸って腹を膨張させるので、トラフグにストレスがかからず、身を傷つけない
よう、瞬時にその空気抜きを行う処理技術に優れている。安乗トラフグ漁業者のこの技術の高さは、後
発の静岡や愛知のトラフグ延縄漁業者なり流通業者も認めている。
釣り上げたトラフグを効率的に船艙に活かして収容するために、船水槽の上段、中断、下段に応じて
トラフグ腹の空気抜きを加減し、漁獲したトラフグを立体的に収容している。この結果、産地流通業者
に引き取られたトラフグが最低 2 週間は活魚槽で遊泳し、安定的な流通在庫に寄与している。むろん、
安乗トラフグ延縄漁業者全員が漁獲処理技術に習熟しているということでなく、そうでない漁業者も存
在する。安乗漁協市場において、彼らが漁獲したトラフグは平均市場価格より低位で(キロ 1 ~ 2,000
円も低い)、トラフグ取扱流通業者から厳しく峻別されている。いずれにしろ、こうした技術に裏打ち
され、総体として安乗漁協市場の天然トラフグは品質面で評価がかねてより高い地域として知られてい
る。
(2)「あのりふぐ地域資源化」の経緯とその効果
「あのりふぐ地域資源化」の取り組みは上記のトラフグ市場・価格条件が大きく変化した 2001 年に開
始される。それまで、安乗漁協市場に水揚げされた天然トラフグのほとんどは下関に出荷されていた。
しかし、全国のトラフグ相場が悪化し、下関に出荷しても出荷業者が採算割れとなり、これまでの流通・
出荷対応は変更を余儀なくされる。ならば、地元の旅館、民宿で天然トラフグを提供しようということ
になり、それまで全くトラフグを扱ったことのなかった旅館亭主達がトラフグ調理の研修や勉強会を開
始した。市や商工会議所の支援により大阪から専門の調理講師を招請し、トラフグ地元利用の取り組み
が一から始まったのであった。
2003 年には漁協、観光協会、ホテル旅館組合がこのトラフグのブランド化を目指し、「あのりふぐ協
議会」が設置される。地元漁業者が漁獲した 700 g 以上の天然トラフグを「あのりふぐ」として商標登録し、
協議会加盟の店(店数は地元の安乗 20 店、志摩市 19 店)のみに提供するという仕組みである。この取
り組みにマスコミ取材が殺到し、「あのりふぐ」の社会的知名度が広がっていった。
こうした取り組みが功を奏し、地域資源としてのブランド効果が出始める。ブランド効果は当該地域
への入り込み人数の増加という地域経済効果も誘発しているが、ここでは資源管理の関連に的を絞り、
トラフグの価格上昇効果について紹介したい。表 1 は三重県志摩市内の漁協別トラフグ価格を示してい
る。安乗の価格が平均キロ単価が 800 ~ 1,000 円ほど高い。とくに小型のトラフグ(1 ~ 1.5 キロサイ
ズ)で 12 月後半以降に価格水準が高くなっている。理由は表 2 に示されている。つまり、12 月後半以
降、安乗市場でも水揚げ数量が減少するが、天然トラフグ目当てに安乗地域を来訪する顧客がいるので、
140
多少高価格でも地元の旅館が水揚げされたトラフグを仕入れざるを得ないのである。
表1 安乗フグの高価格性
表2 安乗フグにおける地元消費による価格効果
トラフグ品薄時は買受人としてセリ参加している料飲筋が高値で購入し、結果として安乗のトラフグ
価格は高位である。トラフグの全国相場とは一線を画し、安乗地域独自のトラフグ価格形成メカニズム
が作用している。トラフグ資源管理に焦点を引き戻せば、全国のトラフグに係る産地間競争に巻き込ま
れるのではなく、部分的にせよ(地元消費向けは漁獲量の 50%)全国トラフグ市場とは隔絶した市場圏
が形成された。
つまり、漁獲したトラフグを下関含め全国に出荷するのは、水産資源として利用しているということ
であり、他方、そのトラフグを 6 次産業化して地域内に取りこむことはトラフグの地域資源化に他なら
ない。トラフグを地域資源化することで、全国のトラフグ市場相場に影響されない独自の市場・流通圏
の形成に成功した。
141
(3)水産資源の資源管理と地域資源の資源管理
トラフグが地域経済に組み込まれることで、漁業者には販売価格の高位性が約束された。しかし一方
で、トラフグ漁業者は、トラフグを地元に安定的に供給することが半ば義務づけられた。つまり、資源
管理の目的が「漁業者による、漁業者のための、漁業者に対する管理」に止まらず、同時に「地域経
済のためのトラフグ資源の管理」が期待されている。10 月に小型のトラフグを大量に漁獲するよりも、
少し我慢して大型サイズになったものを安定して供給することを地域経済は期待している。
安乗地域の旅館での聞き取りによれば、トラフグはほとんど捨てる部位のないコース料理であり、料
金は食事のみで約 16,000 円、宿泊込み 21,000 円であった。他のメニュー(伊勢エビ)では、単体では
コース料理が成立せず、サザエその他材料が必要で、結果旅館の利益率はトラフグほど高くないという。
裏返せば、トラフグは漁協販売価格が多少高値でも料理店も採算割れすることはなく、安乗漁協に限ら
ず浜名漁協などでもトラフグ価格はさらに高値でも販売可能な条件を有している。また天然トラフグは、
我々の予想を越えて、遠方からでも顧客集客可能な素材である。この点で、天然トラフグのような国民
的にも高級感のある希少水産資源は、地域資源化戦略が有効である。地域資源化がこれまでの資源管理
思想にどの程度のパラダイム転換を促すのか、現時点ではなお不透明であるが、少なくとも「あのりふ
ぐ」が水産資源の管理とは異なった、地域資源としての管理手法の検討を提起しているのは確かである。
142
宮崎県におけるカサゴの資源管理
東北大学大学院農学研究科 片山知史
1.カサゴの生態
カサゴ属のカサゴについての生態・生活史については、比較的知見が多くある。メバル類と同じフサ
カサゴ科に属し、メバル同様に体内受精後、胚は体内で孵化し、仔魚が体腔内で育つ胎生魚である。カ
サゴの卵は、受精時で直径 0.75 ~ 0.95㎜の球形だが、受精後は楕円形(長径 1.8㎜、短径 1.2㎜)とな
り、受精後 20 ~ 25 日で孵化する(水江、1959)。産出された仔魚は、まだわずかに卵黄が残った状態で、
体長が 3.2 ~ 4.1㎜(小島、1988)である。17㎜程度に達した稚魚は浮遊生活から底生生活に移行し始め、
4 ~ 8 月に潮溜まりや礫底に生息するようになる(三谷)。
カサゴの年齢成長は、耳石薄片法によって明らかにされており、最高年齢は 15 歳と報告されている(林
ら、1995)。成熟年齢・体長は、雌雄とも満 2 歳・全長 11 ~ 12㎝。交尾期は 10 ~ 11 月、産仔期は 12
~ 2 月で日本各地の南北差は小さいと考えられている(三谷)。主な生息場所は、潮間帯から水深 80 m
付近までの潮流の早い岩礁、転石域であり、定着性が強いが季節的に浅深移動する個体もあるといわれ
ている。ベントスを中心に魚類等も多様な生物を摂食する(平山、1983)。
2.漁獲量の動向
日本では北海道南部から九州にかけて広く分布するカサゴは、魚価も高く重要な沿岸漁業資源である。
主に釣りや刺網によって漁獲される。また遊漁の対象としても人気が高い。種苗生産技術も確立してお
り、各地で種苗放流が行われている。その放流尾数は継続して増加し、近年では 350 万尾以上の放流実
績がある。また定着性の強い特性から、カサゴの増殖のための魚礁造成も行われている。
宮崎県では、カサゴの漁獲量が、1990 年の 44 トンをピークに減少傾向をたどり、2004 年には近年
最低となる 11.3 トンまで減少した。このため、2005 年度から禁漁期の設定や小型魚の再放流、種苗放
流等の管理措置を含む資源回復計画に取り組んでいる。この期間のカサゴの漁獲量は、計画開始時の
図1 宮崎県におけるカサゴ漁獲量の経年変化(中村 未発表)
143
12.6 トン(2005 年)から 18.8 トン(2009 年)に増加している。このような資源回復計画の取り組み
を通して、漁獲量を増加させた宮崎県における資源管理の現状について、聞き取り調査を行った。
3.宮崎県における資源管理の取り組み
<第 1 期計画(2005 ~ 2009 年度)>
・漁獲努力量の削減措置:カサゴはえ縄漁業の承認制と禁漁期の設定(10 月から 4 月まで)
・小型魚の再放流(TL180㎜以下)および禁漁区(稚魚放流区を 2 年間)の設定
・資源の積極的培養措置・年間 30 万尾の種苗放流
<第 2 期計画(2010 ~ 2014 年度)>
・地域 TAC の設定:県内を 4 地区に分け、地区ごとに漁獲量の上限(地域 TAC)を設定
表1 宮崎県におけるカサゴに対する漁獲枠(地域 TAC 2010 年)
かどがわ
4.聞き取り調査 延縄漁業者(宮崎県門川漁業協同組合)
<操業実態>
・門川漁協は、12 ~ 13 ケ統のカサゴ専門(延縄)の漁業者が所属している。
・昼夜に関わらず操業。
・100 針の鉢を 4 ケで一組。2 組を交互に投網する。
・浸漬時間は約 10 分。投網が終わったら、揚網を始める。
・活魚ではなく、市場で水揚げ時に締めて氷に。
・800 ~ 1,800 円 /kg。大型の個体より中型の魚が高い。
・漁獲量は 2 ~ 5kg/ 日 / 隻。市場で 100kg/ 日を超えるのは稀。
・餌は現在ソウダガツオ。マルソウダ・ヒラソウダ(メジカ)、マイワシ(ヒラゴ)、サンマも用いる。
・混獲魚は、ウツボ、オニカサゴ、ベラなど。ただし混獲は多くなく、70% 以上はカサゴである。ウツ
ボについては、大型の個体が揃わないと出荷されない(ほとんどがその場で投棄される)。
<資源状態について>
・近年漁獲量自体が持ち直しているが、実感はまだない。南部が浅場を漁場にしているのに対し、北部(門
み
み
つ
川漁協が含まれる)では 30 ~ 50m の漁場を広く(大分県境~美々津地区)利用しているからかもし
れない。
・以前(1980 年代)に比べると明らかに減っており、魚体も小型化している。
・禁漁区を 13 ~ 15m の種苗放流場所(投石魚礁)に設定。まだその場で漁獲を開始していない。
・放流魚は、親カサゴ、カニ類、タコによって捕食されてしまうので、種苗は海底で放流しなければな
144
らない。
・都農町で放流した個体(胸鰭抜去)は、1 ~ 2 尾くらいしか見たことがない。
<資源管理について>
・体長制限については、できるだけ再放流しているが、約 80% の個体が針を飲み込んでいるので、漁
獲せざるを得ない。
・針を 13 号から 16 号(むつ)にして、飲み込ませないようにしている。漁獲個体数が減った様子はなく、
小型魚保護の効果もあるようだ。
・遊漁(釣り船はマアジやマダイを対象にした 1 隻のみで、岸釣りがほとんど)についても、釣具店中
心に、小型魚再放流の周知は徹底されている。実行度は不明。
・県内地区別 TAC については、北部は漁獲枠に届いていない。南部の児湯地区では、2010 年に漁獲枠
に達した。県が月毎の漁獲量を集計し、漁獲枠に近くなると毎日チェックを行い、漁獲枠に達する直
前に関係漁協に通知するシステムである。
・カサゴについては、隻数の制限を行っている。門川漁協では、新規参入者は年 1 ~ 2 名程度。小型底
びき網が多い。カサゴ漁の希望者は今のところいないようだ、
<沿岸環境と漁獲魚種の変化>
・泥やヘドロが多くなった。水も汚くなったようだ。
・確かにカサゴは捕り過ぎた感じを持っている。
・近年増えた魚種:ハタ類(アラ、キジハタ、アカハタ等)、ダイナンウミヘビ(センガン)
・近年減った魚種:ジャノメガザミ(ホシガニ)
5.宮崎県におけるカサゴ資源管理に関する所見
地先資源の様相が濃いカサゴは、釣り魚としても人気がある。漁業対象としても比較的軽装備で漁獲
できる貴重な資源である。聞き取り調査を行った門川漁協でも、はえ縄漁業は重要な位置を占めている。
宮崎県では、2005 年からサイズ規制等の資源管理・漁業管理が行われ、特に地区別 TAC は先進的な取
り組みである。TAC を上回るような漁獲があった事例は 1 例のみであるが、制度導入に至る合意形成
は漁業管理の貴重な素地を作ったといえる。肝心の資源状態であるが、サイズ規制導入に伴って、小型
魚(体長 18㎝以下)の水揚げは、明らかに減少している。釣り人にも、ある程度は浸透しているようだ。
漁獲量も、それまでの減少傾向に歯止めがかかり、回復傾向と見受けられる。しかし、その漁獲量も増
加し続けている訳ではない。資源解析によると、親子関係の影響が大きく、産卵親魚量の大幅な増加が
ないと 2000 年以前のレベルまでの資源の回復は見込めない。種苗放流も漁獲量の支えにはなっている
ようだが、次世代の加入を改善させるような効果には至っていないと思われる。
また現状のような継続的な資源減少傾向については、沿岸環境の悪化が関係していることも懸念され
る。漁業者のコメントにもあるように、底質の変化を伴うような環境の変化が地先の生物生産を低下さ
せている可能性もある。他の漁業も含めた地先の漁場環境の変化を把握する必要があると思われる。
145
宮崎県門川漁業協同組合での聞き取り調査の様子(2011.10.29)
引用文献
小島純一(1988)カサゴ,日本産稚魚図鑑,東海大学出版会,東京,792-793.
林 周・道津光生・太田雅隆(1995)耳石によるカサゴの年齢査定における横断法と表面法の信頼性の
比較.日本水産学会誌,61,1-5.
平山 明(1983)カサゴの生態(予報).南紀生物,25,79-86.
水江一弘(1958)カサゴの研究―Ⅱ.長崎大水研報,6,27-38.
三谷 勇:ヒキガエルが化けた魚 メバル類,全国豊かな海づくり協会・WEB 叢書,2,1-47.
146
九州西部海域におけるまき網漁業の漁業管理と漁業経営Ⅱ
長崎県旋網漁業協同組合 小坂安廣
(社)いわし食用化協会 岡本 勝
1.はじめに
昨年度は、九州西部海域における中・小型まき網漁業を中心に操業実態および経営状態について報告
したところであるが、長崎県下で県北海域を除き他海域の中・小型まき網経営体数の減少が著しく、県
北海域は横ばいないし拡大していることから、当該海域に水産加工が多数存在していることに着目し、
まき網漁業経営と加工業の存在との関連にも着目し、報告することとする。
2.九州西部海域カタクチイワシの資源状況
昨年度は、当該海域のまき網漁業の漁獲対象として重要なアジ・サバ類の資源状態をみたが、本年は、
それらに次ぐ重要な魚種であり、加工業との関連では最も重要なカタクチイワシに触れる。
カタクチイワシは稚魚期にシラスとして船曳網で、成魚はまき網、定置網等で漁獲される。当該海域
においては、中・小型まき網によって成魚を中心に漁獲される。その資源状態はマイワシが資源低迷の
中にあって、ここ数年資源は増加傾向であるが、(独)水産総合研究センター(以下、水研センター)
の平成 23 年度資源評価票1)によれば、資源水準は「中位」であり、動向としては「減少傾向」である、
と記載されている。
(1)カタクチイワシの漁獲動向
対馬暖流系全体の漁獲は 1996 ~ 2000 年は 10 万トンを超える漁獲であったが、2000 年に入ると 6
万トン台へと減少している。
その後、増加したが、2009 年に入ると減少に転じ 5.1 万トンとなった。最近年(2010 年)は 6.5 万
トンに増加している。なお、稚魚期であるシラスについては別の動きをしており、対馬暖流域の沿岸
域におけるシラスの漁獲量は、2001・2002 年に減少したものの、その後やや増加し、2007 年を境に、
2008 年および 2009 年には減少した。
(2)カタクチイワシの資源量
資源量についてみると、1995 ~ 2000 年には 20 ~ 30 万トンであったものが、2001 年には 13 万ト
ンにまで急減し、以後、2007 年の 25 万トンおよび 2008 年の 21 万トンを除けば、2010 年までは 15
万トン前後の水準であった。
3.長崎県中・小型まき網漁業の漁獲推移とその漁獲物の利用実態
昨年の当事業報告書(平成 22 年度調査)でも記載したように、長崎県の中・小型まき網漁業は、漁
獲対象魚種がアジ、サバ、イワシに限定されており、一部の混獲魚種を除いてその約 90%がアジ、サバ、
イワシである。
従って、その漁獲物の利用・加工がまき網漁業の盛衰に大きく関係してきている。
147
図1 対馬暖流系カタクチイワシの漁獲量
資料:「平成 23 年度 資源評価票」
図2 対馬暖流系カタクチイワシの親魚量と加入量の関係
資料:「平成 23 年度 資源評価票」
そこで、まき網漁業の漁獲推移と漁獲物の利用実態を見てみたい。
(1)中・小型まき網の魚種別漁獲量(アジ、サバ、イワシ)の推移
長崎県中・小型まき網漁業の主たる漁獲物であるアジ、サバ、イワシのこの 20 年間の漁獲推移を見
てみると、表 1 に示すように、
アジ類については、2 ~ 3 万トン台で推移してきたが、近年 2 万トンを割り込み、減少傾向にある。
しかしながら、全漁獲量に対する漁獲割合は 26.7%(2009 年)と約 4 分の 1 を占め、その中でもマア
ジが 90%を占め、鮮魚、活魚、加工原料として重要な魚種となっている。
サバ類については、比較的安定した漁獲が続いており、近年では 1 万トン以上の漁獲が続いている。
漁獲割合もアジと同様全漁獲量の 26.1%(2009 年)と約 4 分の 1 を占め、鮮魚、加工原料、養殖用餌
料などに利用されている。
148
イワシ類については、マイワシの漁獲が 1994 年まで 10 万トン以上続き、蒲鉾すり身原料、塩干品
等加工原料、養殖用餌料など多岐にわたる利用がされていたが、1995 年以降急激に減少し、現在では
数百トンの漁獲にとどまっている。
一方、カタクチイワシについては、多少の年変動はあるが、2 ~ 3 万トン台の漁獲を維持しており、
全漁獲量の 27.3%(2009 年)を占め、長崎県の煮干し加工原料として重要な魚種となっている。
表1 長崎県中・小型まき網漁業の魚種別漁獲量
(2)長崎県におけるアジ、サバ、イワシの漁業種類別漁獲量比較
長崎県におけるアジ、サバ、イワシの漁業種類別漁獲量(2009 年)は、表 2 に示す通り、中・小型
まき網漁業で 58,896 トン、大中型まき網漁業で 105,842 トンとまき網漁業で全体の 97%を漁獲してい
る。その他の漁業では、定置網、すくい網などで 3%程度である。
(3)長崎県まき網漁業の主漁獲物であるアジ、サバ、イワシの加工利用
長崎県まき網漁獲物アジ、サバ、イワシの加工向け出荷については、特にアジの漁獲量日本一として、
塩干、開き加工原料として静岡県等への出荷が知られているが、ここでは、長崎県内加工品目に占める
アジ、サバ、イワシの加工現状を見てみたい。
表 3 は、「長崎県の加工品目別生産量の推移」であるが、練り製品、煮干し、塩干品の 3 品目で食用
加工品の 70%を占めている。
これら 3 品目の主原料はアジ、サバ、イワシであり、品目別に見てみると、表 4「長崎県の主要加工
品の原料魚種割合」に示す通り、
煮干しについては、長崎県産の煮干しは、その 90%以上がイワシ煮干し(原料はカタクチイワシが
主体)であり、全国品目別煮干し生産量のイワシ煮干しの比率が 40%程度であるのに比べ、その比重
が大きい。
塩干品についても、アジ、サバ、イワシの塩干品が 60 ~ 70%を占め、全国の 40%程度に比べ、高
い比率で利用されている。
練り製品については、全県的な資料はないが、県南部地区の蒲鉾業者へすり身を製造・供給している
長崎蒲鉾水産加工業協同組合の魚種別すり身生産量を見れば、その 60 ~ 70%がアジ、イワシのすり身
149
が占めており(図 3 参照)、地元で水揚げされるまき網漁獲物への依存度が大きいことがわかる。
表2 アジ・サバ・イワシの漁業種類別漁獲量比較(2009 年)
表3 長崎県水産加工品目別生産量の推移と主要加工品の割合(2003 ~ 2009)
150
表4 長崎県の主要加工品の原料魚種割合
図3 長崎蒲鉾水産加工業協同組合の魚種別すり身生産量推移
(組合の業務報告書より作成)
4.長崎県の中・小型まき網漁業を支えてきた煮干し加工
(1)長崎県の煮干し加工原料の主体は、中・小型まき網で漁獲されるカタクチイワシ
前述したように、長崎県の煮干しはカタクチイワシが主体であり、その原料は、表 2 に示すように、中・
小型まき網 1.8 万トン、船曳網 600 トン、すくい網 900 トン、合計約 2 万トンの中から供給されており、
90%以上が中・小型まき網の漁獲物である。
また、中・小型まき網漁業も表 1 に示すように、その漁獲量の 27%がカタクチイワシであり、長崎
県の中・小型まき網漁業と煮干し加工の相互依存関係が非常に大きいことがわかる。
151
(2) 中・小型まき網漁業で漁獲される煮干し原料となるイワシ類(カタクチイワシ等)の地区別
漁獲量の推移
まき網漁業で漁獲されるイワシ類は、表 5 に見られるように、マイワシが 1993 年頃までは(実際に
は 1994 年まで)10 万トン以上の水揚げがあり、煮干しとしても一部利用されていたが、長崎県は、従
来から 2 万トン以上水揚げされるカタクチイワシの煮干し加工が中心であった。
きたまつ
せい ひ
表 5 で地区別のカタクチイワシ漁獲量の多い、北松地区(佐世保市、平戸市、松浦市など)、西彼地区(長
崎市周辺)、橘湾(諫早市、雲仙市)は、煮干し加工の盛んな地区となっており、図 4 の「平成 22 年度
長崎県漁連煮干し共販出荷地区図」と一致していることがわかる。
(3)長崎県の煮干し生産量と全国における地位
表 6 は、長崎県と全国の煮干し生産量の比較表である。長崎県はイワシ煮干し、特にカタクチイワシ
煮干し主体であるのに比べ、全国的にはシラス煮干しの生産量が多い特徴がある。(長崎県の煮干し加
工は、同じカタクチイワシでもシラス煮干しの加工は非常に少ない。)
長崎県のイワシ煮干しの全国シェアは 20%以上、煮干し全体では 10%台と、全国 1 ~ 2 位を維持し
てきている。
表5 長崎県中・小型まき網漁業によるイワシ類の地区別漁獲量の推移
152
図4 平成 22 年度長崎県漁連煮干し共販出荷地区図
表6 長崎県の煮干し生産量と全国に占める地位
(4)長崎県の煮干し加工を支える 「委託加工」 と 「漁連共販」
・「委託加工」
長崎県の煮干し加工は 「委託加工」 により発展してきた。このシステムは、まき網漁業者が原料を加
工業者に提供し、加工業者がそれを加工・出荷販売してその売り上げをあらかじめ決めている歩合※に
より精算をする方法である。
※歩合制の例:あらかじめ決めている「煮干し製品販売キロ単価」より高ければ、「まき網 6:加工 4」
低ければ「4:6」普通であれば「5:5」の歩合で配分する。(理由:煮干し販売単価が低ければ、加
工経費の占める割合が高くなるため、加工業者に配分比率が多くなるようにしている)
このシステムは、次の様なメリットがあり、これまで、長崎県の中・小型まき網漁業と煮干し加工業
が相互に連携しながら、全国屈指の煮干し生産県を維持・発展してきた。
① まき網と加工業の分業により、操業経費、設備経費等の分担を行い、従来から小規模まき網経営体
が各浦、浜で地先の原料を短時間輸送により鮮度保持に努め、高品質の煮干し製品の生産を可能とし
153
てきた。
② 原料の市場での販売、購入の為の手間(まき網業者の原料の市場出荷や加工業者の市場での原料購
入、セリ・入札等)が省け、鮮度保持や経費節減となっている。
③ 販売単価の高い、質の良い製品を生産するため、漁業者、加工業者双方が努力する。(漁業者は質
の良い原料を鮮度保持に注意して運搬し、加工業者は単価向上のため、迅速処理と加工設備の近代化
に努力する)
・「漁連共販」
長崎県内で生産される煮干しの約 83%が長崎県漁連の共販となっている。
また、表 7 に示すように漁連共販の推移をみると、1990 年代は 1 万トンを上回っていたが、2000 年
代には減少傾向となり、最近では 5 千トン台に減少してきている。
しかしながら、共販率は従来から 80 ~ 90%台で推移してきており、このような高い共販率を維持し
てきているのは、次の様な理由によるものと考えられる。
① 県漁連長崎販売所で指定業者(18 社)の参加のもと、年間 200 日にのぼる入札会が開催され、価格、
量とも安定した販売取引が行われている。
② 入札方式も電子入札により、公正、公明、迅速に行われ、入札数時間後には各漁協、生産者へオン
ラインにより情報が伝達される。
③ 代金決済も 10 日前後で行われ、浜売り等に比べて代金回収トラブルの発生がない。
④ 指定業者にとっても、長崎県漁連の取扱量の多さ、銘柄、サイズ等が多様で品揃えが豊富であり、
周年にわたり安定的な購入が出来るとの理由で評価され、価格の安定につながっている。
表7 長崎県漁連煮干し共販実績表(各年は 4 月~ 3 月の年度取扱)
(5)煮干し加工原料供給から活・鮮魚依存への変化
前述のように、長崎県の中・小型まき網漁業は、煮干し加工原料供給を中心として発展してきたが、
近年の食生活の変化により消費者の煮干し離れが続き、煮干しの需要の減少、単価の低迷、それに加え
燃油高騰による加工経費の増大が重なり、加工業者の廃業が続いている。
154
加工業に依存してきた中・小型まき網の一部にも廃業を余儀なくされる者が出てきている。
また、加工原料供給から活魚、鮮魚出荷へと転換し、生き残りを目指しているまき網業者も増加して
きており、現在では、長崎県旋網組合の中・小型まき網組合員の 3 分の 1 が活魚・鮮魚漁獲中心の操業
となってきている。
5.長崎県中・小型まき網漁業の取り組み事例
(1)長崎県煮干し加工中心地区の取り組み
佐世保市九十九島漁協は、長崎県漁連煮干し共販取扱量の約 50%以上を出荷する県下一、また全国
一の煮干し生産漁協である。
しかしながら、前述したように、煮干し需要の減少により、その取扱量、販売単価が低迷してきてお
り、この対策について漁協としての取り組みも開始されている。
① 佐世保市九十九島漁協の煮干し生産体制
九十九島漁協に所属するまき網は 43 経営体であり、8 トン未満(小型)21 経営体、14 トン~ 20
トン未満(中型)22 経営体である。
また、煮干し加工業者は管内に 49 経営体があり、まき網からの委託加工を行っている。但し、ま
き網経営体の中でも、8 トン未満 21 経営体のすべてと、14 トン~ 20 トン未満 22 経営体のうち 5 経
営体の合計 26 経営体が自らも煮干し加工を行う兼業形態をとっている。
② 九十九島漁協の煮干し取扱の推移
漁協管内で加工生産された煮干しは、そのほとんどが漁協を通じ長崎県漁連共販に出荷される。
その取扱の推移は表 8 のとおりであるが、その取扱量、金額は年々減少してきており、2010 年には、
ピーク時 1995 年の量で 45%、金額で 31%まで減少した。また、単価についても 20 年前よりも低下
している。
表8 佐世保市九十九島漁協煮干し取扱実績の推移
155
③ 漁協の取り組み
このような煮干し取扱量の減少は、基本的には国民の食生活の変化による需要の減少を招き、それ
が煮干し単価の低迷となって生産者の経営を圧迫し、生産廃業や生産意欲を減退させているとの考え
のもと、煮干しについての PR や消費者から好まれる新しい煮干し製品の開発の取り組みを始めてい
る。
(取り組み1)煮干し(九十九島いりこ)の PR
・インターネットでの PR・販売
・各種イベント・販売促進活動
(取り組み2)新製品の開発(図5「九十九島漁協の煮干し新製品」参照)
・農協、商工会と連携し(農水商工連携組織の立ち上げ)、新製品の開発、販売を開始
・新製品:「いりこ米」「いりこドレッシング」「いりこ素麺」
「いりこだし」「いりこパイなどのお菓子類」
図5 九十九島漁協の煮干しを使った新製品
(九十九島漁協パンフレットより引用)
(2)まき網漁業との兼業形態事例
平成 22 年度報告書で 80 トン型まき網経営体が活魚運搬船の導入により、活魚ブランド魚出荷やマグ
ロ等養殖種苗出荷による収益改善の取り組み事例を紹介したが、今回は 80 トン型と 19 トン型まき網の
経営と、その漁獲物等の蓄養・養殖事業、加工事業を行っている E 社の事例を紹介する。
① まき網漁業
沖合海域操業の 80 トン型 1 ヶ統と、沿岸海域操業の 19 トン型 2 ヶ統を所有し、各船団とも日曜出港、
土曜帰港の 1 週間サイクルの操業を行っている。
最近 5 ヶ年の漁獲実績は、表 9 のとおりであり、80 トン型 1 ヶ統と 19 トン型 2 ヶ統の水揚げがほ
ぼ同程度である。これは 19 トン型がアジ、サバ、イワシに限定されているのに比べ、80 トン型が単
156
価の高い魚種を漁獲できるためと考えられる。
また、沖合、沿岸海域双方での操業により、海域での漁獲年変動に対応し全体として安定的な漁獲
を維持している。
表9 E 社のまき網漁業漁獲数量、金額(2006 ~ 2010 年)
② まき網漁獲物の出荷と兼業形態
3 ヶ統の漁獲物は、表 10 の様に、魚市への出荷 69.2%、活魚蓄養・養殖 27.3%、自社加工 1.8%、
その他餌料等 1.6%となっている。
自社の養殖事業部門を有しているため、漁獲物の蓄養、養殖により付加価値を高めた出荷が可能と
なっている。
加工部門についは、表 11 のとおり、品目別の数量、金額は小規模経営であるが、これは、まき網
乗組員家族の就労の場の提供という特徴を持っており、20 人~ 30 人の雇用を創出し、漁村地域漁家
の所得の向上を図るという経営者の考え方がうかがえる。
表 10 まき網漁獲物の出荷先別数量
表11 自社加工の品目別数量、金額
(2010 年)
(2010 年)
(3)長崎県第 2 の煮干し生産地である橘湾地区の取り組み
橘湾内操業のまき網は 5 ヶ統であるが、すべて煮干し加工原料のカタクチイワシを主体とする操業を
行っている。
湾内操業であるため、網船トン数は 15 トン未満に制限されており、年間操業日数も少なく、乗組員
157
も農・漁業兼業者が多く、高齢者が多い。また、年間水揚げ金額も湾外まき網と比べ、3 分の 1 以下と
なっている。
煮干し価格低迷の中、煮干しの販路拡大、新製品の開発に取り組む T 経営体の事例を紹介する。
① 煮干し加工原料漁獲中心のまき網漁業
T 経営体のまき網は 14 トン型 1 ヶ統で、最近 5 ヶ年の漁獲量、金額は、表 12 のとおりである。
漁獲物の 90%以上が煮干し加工業者へ委託加工にまわされ、製品は長崎県漁連共販にかけられる。
売上金はあらかじめ決められた歩合により精算される。(前述したように、製品単価により歩合比率
は異なってくるが、年間平均は、まき網 5.5:加工業者 4.5 程度である)
煮干しのキロ当たり単価は、橘湾地区が、小型の煮干し製品(小羽・かえり)を中心に時期を限定
して漁獲、生産するため、九十九島漁協地区等他地区に比べ高い。
しかしながら、表 12 でもわかるように、高品質の橘湾産煮干しの単価もここ数年急激に下落して
きている。
表12 T 経営体の最近 5 カ年の漁獲量、金額
② 煮干しの販路開拓、新製品の開発等
前述したように、煮干し需要の低迷と、単価下落の状況から、橘湾地区でも独自の取り組みが行わ
れており、T 経営体では、次の様な取り組みを行っている。
1)エタリの塩辛の販売
カタクチイワシのことを島原半島地方の方言で「エタリ」 と言い、江戸時代から塩辛にして食
されてきた。「エタリの塩辛同好会」が組織され、瓶詰めにして商品化し販売を始めている。(図 6
参照)
※エタリの塩辛は、2005 年にスローフード協会国際本部(イタリア)の 「味の箱舟」 に登録された。
2)自転車飯の素の開発、販売
地元農協婦人部加工の無農薬乾燥野菜に橘湾産煮干しを加え、「炊き込み飯の素」 を開発し、ネー
ミングを島原半島自転車競走大会優勝者が食していたことから、早い、栄養があるとのことで「自
転車飯の素として販売をしている。(図 7 参照)
また、地元小浜温泉 I 旅館では、旅館板前さんが「エタリの塩辛」を調味料として加工開発し、和風
料理だけでなく、パスタやピザなど、洋風料理にも使える製品「雲仙アンチョビ」として販売している。
(図 8 参照)
158
図6 エタリの塩辛ビン詰め
図7 自転車飯の素
(T経営体ホームページ及びパンフレットより引用)
図8 エタリの塩辛から開発した調味料 「雲仙アンチョビ」
(I旅館ホームページ及びパンフレットより引用)
159
(4)長崎県旋網漁業協同組合の資源管理の取り組み
・「資源回復計画」 から 「資源管理・漁業所得補償対策」 への移行
水産庁は、平成 23 年度から 「資源管理・漁業所得補償対策」 を実施し、計画的に資源管理に取り組
む漁業者を対象に、漁業共済の仕組みを活用した漁業所得補償制度を創設した。
これにより、山陰から九州西部にかけてのまき網 4 組合で平成 21 年度から実施してきた「日本海西部・
九州西マアジ(マサバ・マイワシ)資源回復計画」(平成 22 年度報告で詳細記述)は、3 ヶ年で終了し、
「資源管理・漁業所得補償対策」へと移行していくこととなった。
しかしながら、同資源回復計画の取り組みを進めてきた関係 4 組合は、今後とも資源回復計画の趣旨
を踏まえた取り組みの継続を図る観点から、関係行政・研究機関とともに、今後の対馬暖流系群アジ、
サバ、イワシの広域資源管理の在り方について引き続き協議を行っている。
長崎県旋網漁業協同組合では、同資源回復計画の終了に伴い、従来から漁業共済に加入していた者に
ついては、平成 23 年度より移行を行い、引き続き資源回復(資源管理)の実行を行うこととし、漁業
共済未加入者(中・小型まき網組合員の 90%が未加入)については、本年度(平成 23 年度)の資源回
復計画終了後、来年度に同制度への移行に向けて、資源管理の取り組み内容についての検討が行われて
いる。(資源管理措置検討案:「月 4 日間の休漁」「小型魚出現の多い時期の一定日数の休漁」「小型魚漁
獲が多い場合の漁場移動」 など)
しかしながら、まき網漁業資源(アジ、サバ、イワシ)の持続的な利用を可能とすることを目的とし
て 3 年前から開始されたこの 「資源回復計画の取り組み」 が、今回の制度変更により、漁業共済加入を
前提とした 「漁業所得補償対策」 のみに特化されれば、まき網漁業の漁業共済加入率の低い現状から、
資源管理計画への参加漁業者が減少することが想定され、本来の資源の回復・管理が後退することも懸
念されている。
これからは、漁業者の自主的、自発的な立場での資源回復・資源管理の取り組みがより一層求められ
ることとなる。
6.長崎地区大中型まき網漁業の経営
(1)135 トン型の大中型まき網漁業の経営
九州西岸で操業する大中型まき網は、一般的には、135 トンの網船 1 隻、85 トンの灯船 2 隻、300 ト
ン程度の運搬船 2 隻の 1 船団 5 隻での操業が一般的である。その漁業経営は船団によりまちまちである
が、九州西部海域で操業する代表的な事例と思われる一つの事例を紹介する。
135 トン型の漁業収入は、サバ、アジを中心に 1 船団平均 7,000 トン~ 9,000 トン前後であり、平均
魚価が 150 円 /kg で多くの船団で 10 億円~ 14 億円の水揚げが一般的である。
この水揚げ金額に対して、船団構成の差による人件費の違いや漁場の選択の差や省エネ対応している
か否かなどにより燃油費に違いが生じ、操業経費に差が生まれ、その結果、船団毎に経営の優劣が生じ
るのが一般的である。
上記のように、操業経費は、人件費と燃油代が中心であり、人件費は、総乗組員数は 50 ~ 55 名で 1
人単純平均 700 万円前後で 3.5 億円~ 4 億円である。
燃油代は操業形態によって異なるが、九州西岸操業で年間 4,000 kl 消費、3.1 億円の支出であり。九
州西岸+北部太平洋かつお漁獲併用操業で年間 5,500 kl 消費、4 億円の支出である。
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表13 まき網漁業の船団形態別経営状況
その他の経費で主だったものは、修繕費 1.3 ~ 1.8 億円、販売経費 1.3 ~ 1.5 億円などである。
その結果、償却前の総経費は 10 ~ 13 億円で償却前では平均で 7,000 万円前後の利益を出している。
しかし、新船建造は網船 1 隻 11 億円、運搬船 1 隻 8 億円程度の資金を要するにもかかわらず、その
建造資金がないため、船齢 20 年以上の耐用限界に近づきつつある老朽化漁船の更新がなされないとい
う、経営継続の基本的対応がなされていないという問題が内在している。
(2)135 トン型まき網漁業の経営改善策
上記のような、老朽化漁船の更新がなされないという経営継続の基本的な問題を抱えている大中型ま
き網漁業の大多数が所属している日本遠洋旋網漁業協同組合は、今後の経営改善策として、以下のこと
を構想している。
① グループ操業による運搬船削減、経費削減
現状の 2 船団 10 隻体制から運搬船 1 隻の共同利用により 2 船団 9 隻体制へ移行することにより人
件費、燃油費削減による経費削減を可能なところから逐次導入する。
② 「もうかる漁業」などの資金を活用した新船建造
平均船齢 20 年超の漁船がほとんどであるものの、各社建造資金が不足しているため建造可能な企
業は限定的であるが、「もうかる漁業」などの公的資金を活用した新船建造を試みる。
③ 新規建造が不可能な企業は「リニューアル」で対応。
一般的な修理ではなく体系的なマニュアルに沿った「リニューアル」により継続使用 10 年程度可
能と見込まれているが、この種の事業に対応可能な公的制度資金がないことが問題である。
④ 指導団体としての日本遠洋旋網漁業協同組合は上記のような経営改善策を想定しているが、トン数
規制の緩和などの制度改正を組合員は期待しているため、現時点での新船建造や改造を躊躇している
のが現状である。
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(3)長崎県海域操業の 80 トン型まき網漁業との経営比較
大中型まき網のうち長崎県海域操業の 80 トン型の経営と 135 トンとを比較すれば、単価の高い魚種
の漁獲が多いことから水揚げ量は 135 トン型まき網の 8,000 トン台に対して 80 トン型まき網は 4,500
トン台とほぼ半分であるが、漁獲金額はいずれも 11 億円前後である。
この収入に対して、総経費は、乗組員数の多い 135 トン型まき網(55 名前後)が 80 トン型まき網(30
名前後)より 1 億円程度の経費増であり、さらに、操業海域が広範である 135 トン型まき網の燃油代が
80 トン型まき網より 5 千万円程度の経費増である。
このことは、網船・運搬船などの船体を小型化すれば 80 トン型まき網並の経営ができるであろうと、
想像させるが、漁獲魚の魚種構成が変わらないことには、この漁獲量に対しての漁獲金額を得ることは
できず、総経費の減額はなされても、収支の改善はなされることはない。
このことは、漁獲魚種の決め手である操業海域の違いや漁獲対象を規制している現行漁業制度による
ところが極めて大きい。
すなわち、ただ単に、網船のトン数規制に関する漁業制度の問題だけではなく、操業海域や漁獲対象
魚種などの漁業制度を如何にするかということに係わってくる。
現在、TAC や ITQ などの出口規制と、トン数規制や許可隻数規制などの従来の漁業制度との資源管理・
漁業管理上での有効性が議論されているが、漁業経営との観点からも再検討の必要がある。
さらに、現在、新船建造の大中型まき網漁船は、概して、漁船規模の大型化に新たな設備投資する傾
向にあるが、上記の漁船規模と漁業経営との関係についても一考を要する必要がある。過去においては、
漁獲量・漁獲金額の増大を狙った漁船の大型化に経営改善の方途があったが、今後は、東海黄海におい
ても、後述するように中国漁船(虎網、刺し網、あんこう網漁船など)の急増など新たな資源問題を考
慮すると、漁獲量・漁獲金額の増大を期待することは困難である。
前述のトン数規制や操業区域などの漁業管理制度の改正如何によって、また、その際、沿岸漁業との
調整が適切に行われることを前提に、網船の小型化など漁船規模の縮小による人件費・燃油代の削減な
ど経費削減を経営改善の中核ととらえることも必要である。
(4)新たなる資源問題:
東海・黄海は従来から日中韓の漁船が交錯して操業していたが、急激な操業隻数の大幅な増加はみら
れなかった。
今までの東海黄海の操業は、中国・韓国・日本 3 カ国がそれぞれ 20 船団の計 60 船団の操業であったが、
近年、虎網漁業の増加が問題視されている。男女群島周辺で数百隻、中国沿岸を含めると 200 隻以上が
視認される。中国まき網漁船からの転換ではなく、虎網専用の新船建造と底引船からの 100 ~ 150 ト
ン程度の改造船とみられるものが視認されている。
胡夫祥東京海洋大准教授によれば2)、虎網はまき網、およびひき網の機能を併せもった吾智網に似た
漁網で、灯火を利用し、灯火に集まった魚群を巻きとる操業で、アジ・サバ、タチウオを中心に 1 投網
100 ~ 200 トンの漁獲を上げる。近年、東海黄海で急速に導入が進んだ操業形態である。漁船は船尾揚
網型で船尾に小型補助艇を搭載した 700 トン、全長 40 メートルの大型鋼船あるという。漁期は中国の
休漁期である夏場を除いて周年操業であり、中国船 250 隻、台湾船 110 隻と同准教授は推計している。
このような虎網の急増と黄海の韓国沿岸寄りでの中国船(大型刺網とアンコウ網など)の急増で、こ
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の国際漁場への漁獲圧力の大幅な増加に対する適切な資源管理が必要となってきている。
7.おわりに
我が国周辺の漁業資源の管理は、一般的には、資源状態の把握や漁業者による資源管理意識の高揚に
より、より適切になされている。しかし、まき網漁業の対象となる小型浮魚類の資源量の増減は、海況
の変化や餌料生物の増減など自然条件の変化によるところが大きいことから、それらを対象とした漁業
経営は、本報告に見られるような、①漁獲後の加工・流通と一体となった資源管理及び漁業経営を考慮
しなければならないことと、②操業形態を、過去に見られた規模拡大によるビジネスモデルから、基本
的に、経費削減による収支バランスの確保を目指したビジネスモデルに変換しなければならない、具体
的には、漁船規模の大型化を忌避し、縮小均衡を意識し、具体化しなければならないことが重要である。
参考文献
1)「平成 23 年度 我が国周辺水域の漁業資源評価」水産庁増殖推進部 2012 年
2)みなと新聞 2012 年 2 月 8 日掲載記事
3)「遠旋組合地域プロジェクト改革計画書」 NPO 法人水産業・漁村活性化推進機構ホームページ
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〜 水 産 に 関 す る 調 査 研 究 事 業 〜
本会は水産業の振興に寄与するため、昭和 43 年 6 月「水
産物の流通事情」を発表して以来、内外漁業問題、水産物の
生産・流通・消費及び漁業・漁家の経営問題等に関する様々
な研究テーマを設定し、それぞれ専門の委員会を設けて、
現在までに 30 回以上の研究発表(調査研究報告書の刊行
など)を行っている。
一般財団法人
会 長
東京水産振興会
井 上
平成24年 9 月30日印刷・発行
恒 夫
《無断転載を禁ず》
日本沿岸域における漁業資源の動向と
漁業管理体制の実態調査
−平成23年度事業報告−
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