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基礎と臨床を結ぶトランスレーショナルリサーチ ―褥瘡研究からみた基礎

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基礎と臨床を結ぶトランスレーショナルリサーチ ―褥瘡研究からみた基礎
 教育講演2 基礎と臨床を結ぶトランスレーショナルリサーチ
―褥瘡研究からみた基礎研究の成果と高度看護実践との橋渡し―
真田 弘美1)
Ⅰ.はじめに
Ⅱ.臨床現場
近年,トランスレーショナルリサーチの重要性が唱え
褥瘡の定義は,「身体に加わった外力は骨と皮膚表層
られるようになってきた。これは,従来の基礎研究が臨
の間の軟部組織の血流を低下,あるいは停止させる。
床を省みず,専門特化しすぎたために応用が進まない時
この状況が一定時間持続されると組織は不可逆的な阻
代の反省によるものであり,特に創薬の分野で声高に取
血性障害に陥り褥瘡となる」とされ(日本褥瘡学会,
り上げられている。看護学分野ではどうであろうか。基
2005)
,褥瘡保有患者の多くは,活動性・可動性が低下
礎研究からの反省ではなく,現象を説明する臨床研究が
した高齢者である。つまり,寝たきり高齢者に多い病態
主であったために,その現象のメカニズムを探る基礎研
であり,問題となっていた。
究は少なく,看護学の領域で“ものづくり”まで発展す
わが国では,2002(平成14)年に褥瘡対策未実施減算
るような一連の過程を見ることはまれであった。しか
が実施されたことで褥瘡予防ケアの整備が進み,特に体
し,看護学領域の裾野が広がりつつある現在,ますます
圧分散寝具が拡充した。その結果,療養型病院での褥瘡
基礎研究に根ざした臨床応用研究が活発になることが期
有病率は実施前7.3%から実施後6.4%と有意に減少に転
待される。
じた(日本褥瘡学会調査委員会,2006)。しかし数は減
看護におけるトランスレーショナルリサーチは,生活
少しても治癒困難な褥瘡は存在し,踵部などの足部・下
の支援を基本として,常に実践現場から研究のニーズを
肢によく観察された。臨床で行われている体圧分散ケア
見出し,将来発展が期待できる可能性のあるシーズ(技
として,体圧分散寝具を使用し体位変換を行うこと,ま
術の種)を探求あるいは考案し,実践に還元できる形で
た,踵部の圧迫を除去するために踵部を浮かすことがあ
検証していくプロセスを辿る。このような看護研究の蓄
げられる。
積とエボリューションが,まさに看護の技を極めていく
この振動機器の開発の出発点となった臨床上の問題点
ことになる。
は,前述した踵部褥瘡のケアの困難さにあった。踵部に
演者は,褥瘡研究を主体に,産学連携による新しい技
生じる褥瘡は,硬い痂皮が形成された場合,デブリード
術の開発に取り組んできた。確かに“ものづくり”には
マンを行っても良好な肉芽が上がることは少なく,また
成功し,臨床研究に基づきそのエビデンスを検証してき
通常の褥瘡では推奨されるドレッシング材による湿潤環
た一方で,幾多の研究を積んで開発した製品であるにも
境維持や足浴による血行促進などのケアを行うと感染に
かかわらず,普及が阻まれるという苦い経験もしてき
より一気に悪化する。言い換えれば,従来看護ケアで治
た。そこから学んだことは,高度看護実践ができる人材
せてきた仙骨部等の褥瘡とは異なり,踵の褥瘡は,どん
育成をトランスレーショナルリサーチに含めるというパ
なに看護師が努力しても,いったん発生すると悪化の一
ラダイムシフトであった。つまり,トランスレーショナ
途をたどり,看護師は無力感に苛まれた。
ルリサーチを貫徹するためには,人材育成をも含めたエ
ビデンスの創生が看護には必須であるという結論に至っ
Ⅲ.ニーズの把握
た。
ここでは,当研究室が主体となって行った褥瘡予防を
なぜ,踵部の褥瘡がそれほどまでに難治なのか? そ
目的とした振動機の開発研究を例に,トランスレーショ
れを検証するために,私たちは,下肢に褥瘡を有しない
ナルリサーチのプロセスを図1にそって解説する。
入院中の高齢者259名を対象とし,下肢,特に踵部の褥
なお,これら一連の研究は倫理委員会を通しており,
瘡の発生を追跡する前向きコホート研究を行い,その要
対象者に対して最大限の倫理的配慮を行ったことを付記
因を多変量解析により分析した。その結果,褥瘡発生の
する。
大きな要因といわれてきた外力(圧力,ずれ)ではな
1)東京大学大学院医学系研究科老年看護学/創傷看護学
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聖路加看護学会誌 Vo1.15 No.1 February 2011
④メカニズムの解明
⑤プロダクトの開発
③シーズを見出す
⑥前臨床試験
②ニーズの把握
⑦臨床試験
①臨床現場
⑧人材育成
図1 看護学 Translational Research 実践のプロセス
く,下肢血流の指標である Ankle Brachial Index(ABI)
先行研究では,上述のように超音波による血行,創傷
の低下が下肢褥瘡発生の最も重要な危険因子であること
治癒促進効果についての臨床報告などはすでに出てい
が判明した。つまり下肢血流を改善させることが現場の
た。しかし私たちはここで「心地よさ」を重視し,知覚
ニーズとして把握された(Ookuwa, 2006)
。
することのできない超音波よりも,心地よい知覚をもた
それではどのようにして下肢の血行を促進するか? らす「振動」に着眼したわけである。振動にはリラク
治療手段として,ステント治療や血行再建術などが考え
セーション効果があり,
「振動モード」のある多くのマッ
られるが,寝たきり高齢者にはこれらの侵襲的な治療は
サージチェアがこれといった有害事象もなく広く市販さ
適応しない場合が多い。それならば,看護師が行える非
れていることからみても,安全性については担保されて
侵襲的な血行促進目的のケアは何があるだろうか。従来
いるのではないかと考えた。
ならば足浴,ホットパックなどによる温罨法があるわけ
一方,振動といえば従来の医学の一般常識では白ろう
だが,上記のように血流不全のある踵部褥瘡の患者には
病などのマイナスイメージが強いが,すでに安全性が検
感染の危険を増すばかりではなく,痛みも増強する場合
証されている50Hz 前後の低周波数の横揺れ振動であれ
がある。自分の意思を表現できないことも少なからずあ
ば,皮膚血流の増強効果も期待できるはずである。
る寝たきり高齢者にとって,これは非常に苦痛を伴う。
Ⅴ.メカニズムの解明
Ⅳ.シーズを見いだす
しかし,低周波数の横揺れ振動による血流増加のメカ
心地よく,そして血行を促進できる,いままでにない
ニズムを解明した先行研究は見当たらなかった。これは
ケアとは何か。この疑問は,いつも演者の頭の片隅に
人ではできない実験なので,微小血管を可視化し,振動
あったのだろう。ある日地下鉄の座席に座り,知らない
を加えたことによる血行促進を観察する動物モデルが必
うちに眠ってしまって2駅も乗り過ごした。そういえ
要となった。マウスを用いてモデルを開発した研究グ
ば,お尻から伝わる電車の振動は心地よく,眠気を誘う。
ループに共同研究を申し出て,その機会を得ることがで
この心地よさはマッサージチェアと通ずるものがあり,
きた。
きっと血行も促進されているのだろう。この電車で感じ
ヘアレズマウスの耳に低い周波数(47Hz)の振動を
るような振動をベッドに使えば,気持ちよく,そして血
加えたところ,皮膚血管が拡張し,血流が増加したが,
行促進といった一石二鳥を寝ている間に叶えられるので
強すぎる振動では血流増加効果が減じることが判明した
はないかと考え,「vibration」をキーワードに文献を探
(Nakagami, 2007)
。さらに分子レベルでのメカニズム
を検討するため,このマウスモデルの血管拡張時に NO
した。
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本体
コントローラー
図2 リラウエーブ
合成酵素阻害剤を投与したところ,上記の血管拡張が阻
目的のものである。またコントローラーによって各自の
害されることが観察された。これにより,NO と振動に
好みに合わせて4パターン,4強度を自由に調節できる
よる血管拡張とのメカニズム上の因果関係が初めて明ら
ようにした。
かにされた。この程度の低周波の振動であるなら,血管
への悪影響はほとんどないと判断した。
Ⅶ.前臨床試験
これらを用いて周波数の他に,振動の強度(振幅),
Ⅵ.プロダクトの開発
振動のパターン(連続か間欠的か),上に敷くマットレ
このように,低周波数の振動による血流増加の効果
スの種類による振動効果の影響などについてのプレリミ
を,臨床的にも分子メカニズム的にも立証・担保する一
ナリーな実験を健常ボランティアに対して行った。試行
方で,私たちのグループはマツダマイクロニクス株式会
錯誤のうえ,何度もトライアンドエラーを繰り返し,最
社と共同で,臨床応用のための試作機の作成も進めてい
終的に最も効果があると判断した振振動強度と周波数を
た。当初はベッド全体が振動するタイプの振動器も提案
決定した。そして横揺れ47Hz の周波数の最適条件をも
されていたが,私たちが提案した,どのような褥瘡予
とに,29人の成人健常ボランティアがエアマットの上で
防マットレスを用いていても汎用でき,持ち運びも可能
仰臥位となり,下腿部分に試作機を挿入して15分の間欠
で,複数の患者に使用できるほうが便利であるというコ
的振動を加えた結果,下腿および踵部での血流増加効果
ンセプトを満たすためには,電磁石を用いて振動を板に
を確認することができた(浦崎,2007)
。
伝え,その板を現行のマットレス下への差し込みという
方法を考案した。
Ⅷ.臨床試験パート
当初は予算も限られており,初代の試作機は振動部の
モーターに市販の風呂釜のフタの板を取りつけた,文字
私たちは次に,トランスレーショナルリサーチの醍醐
通り手づくりのものであった。しかし,実際の製品にす
味である臨床試験に phase を移した。振動の効果が最
るには,膨大な資金が必要となる。これに投資すること
も出やすいⅠ度の褥瘡(不可逆的な発赤)をもつ寝たき
は中小企業にとって非常に大きなリスクとなるため,簡
り高齢者を対象に,同様の下肢血流増強効果を確認し
単には会社からゴーサインが出なかった。そこで,さま
た。まず1症例に試したところ,従来ならば1週間後に
ざまな助成金を探し応募した。その後,独立行政法人科
深くなる褥瘡,あるい発赤が持続するところ,15分間6
学技術振興機構(JST;Japan Science and Technology
回(2日間)振動を加えただけで,発赤は跡も残さず消
Agency)の企業への研究委託開発グラントを取得して
退した。
予算を確保し,販売製品とほぼ同型の試作機を製作し
それに意を強くし,実際に褥瘡を保有する高齢者に対
た。この振動機の商品名はリラウエーブといい,マツダ
して,リラウェーブによる治療効果(15分の加振を1日
マイクロニクスが開発し,現在ではパラマウント等から
3回)を確かめる臨床試験を行った。その結果,Stage
販売している。
Ⅰの軽度褥瘡を保有する高齢者16名にリラウェーブを
リラウェーブは図2の左側の太い部分の振動発振器
用い,Stage Ⅰの褥瘡を有する高齢者対照群15名と比較
と,その振動を伝搬させる右側の白いプラットフォーム
したところ,リラウェーブを用いた群が1週間後の褥
からなり,大きさは約60cm ×20cm である。発振器が
瘡治癒率が有意に高いという結果が得られた(Arashi,
47Hz の横揺れ振動を生じ,それが白いプラットフォー
2010)。
ム全体を振動させる。この部分をエアマットレスやウレ
この結果から,Stage Ⅰの褥瘡のみならず,従来,難
タンマットレスの下に挿入し,血行を促進させるという
治性といわれた Stage Ⅲ・Ⅳの深い褥瘡の治癒促進に
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聖路加看護学会誌 Vo1.15 No.1 February 2011
有効ではないかと思案した。そこで,Stage Ⅲ以上の深
に,約8年近い歳月を費やした。多くの研究者や院生,
い褥瘡で壊死組織を有する褥瘡を保有する高齢者13名に
さらに学部生の地道な一つひとつの研究の積み重ねが,
リラウェーブを使用した。同様の褥瘡を有する高齢者対
新しい看護技術を世に出し,褥瘡に苦しむ患者の福音と
照群11名と比較し,総面積に占める壊死組織の割合がリ
なったと確信している。
ラウェーブ使用開始から5週間にわたって有意に減少し
実際にトランスレーショナルリサーチを展開して学ん
た(上田,2010)
。
だことは,こうした基礎研究からの開発,そして臨床評
上記の臨床試験より,リラウェーブは血流増加効果に
価,最終的には人材育成に及ぶ実践には,多職種の連携・
よって,実際に褥瘡の治癒を促進することが明らかと
協働(産学連携も含む)があって初めて成り立つという
なった。これらの臨床試験では有害事象は報告されず,
ことである。チーム医療にも通ずるその思想の中で,看
リラウェーブが安全に治癒を促進しうる新しい褥瘡ケア
護学としてのオリジナリティは,現場に始まり現場に還
製品であることが確認された。
元することをいかに貫徹しうるか,ホリスティックアプ
ローチを基本とする看護師であるから事できる,臨床現
場密着型トランスレーショナルリサーチが新時代の看護
Ⅸ.人材育成
学研究パラダイムとなることを願って止まない。
以上,私たちの考える看護学トランスレーショナルリ
サーチの概念に沿ったリラウェーブ開発の経緯を説明し
た。しかし,この方法にて開発された新しい医療機器が,
文 献
臨床で使用され効果を発しなければ臨床現場は変わらな
Okuwa, M., Sanada, H., Sugama, J., et al.(2006).
い。つまりトランスレーショナルリサーチの最終的な段
A Prospective Cohort Study of Lower-extremity
階は臨床導入のプロトコールであり,そのための人材育
Pressure Ulcer Risk among Bedfast Older Adults.
成の必要性を確信している。
Advances in Skin & Wound Care . 19(7). 391-397.
私たちは皮膚・排泄ケア認定看護師が,高度な創傷看
Nakagami, G., Sanada, H., Matsui, N., et al.(2007).
護ケアプログラムを修得した場合に,褥瘡がより改善傾
Effect of Vibration on Skin Blood Flow in an in
Vivo Microcirculatory Model. Bioscience Trends . 1
向を示すという前向きコホート研究を行ったが,このプ
(3). 161-166.
ログラムのなかで,リラウェーブの使用も含まれてい
る。今回のプログラムでの教育内容は振動療法に限られ
浦崎雅也,真田弘美,田高悦子,他(2007).踵部の褥
たものではないが,今後の人材育成のあり方のモデル
瘡予防─振動による血行促進効果の検討.日本褥瘡学
会誌 .9(2).192-198.
ケースとして,あるいは新しい機器を導入する政策研究
としての大きな意義がある。つまり,これは,現在議論
Arashi, M., Sugama, J., Sanada, H., et al.(2010).
されている特定看護師(仮称)の必要性を示唆するエビ
Vibration Therapy Accelerates Healing of Stage I
デンスの高い論文と言え,法制化のための重要な資料と
Pressure Ulcers in Older Adult Patients. Advances
なることが期待される。
in Skin & Wound Care . 23(7). 321-327.
上田葵子,須釜淳子,大桑麻由美,他(2010)
.壊死組
織を有する褥瘡に対する振動の効果.日本褥瘡学会
Ⅹ.おわりに
誌 .12(2).111-117.
研究の着想から始まり,このステップを終了するの
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