...

全20頁 - 日蓮宗 圓頓寺

by user

on
Category: Documents
26

views

Report

Comments

Transcript

全20頁 - 日蓮宗 圓頓寺
第 64号
第 二十 四世
順境 院 日撮
除 夜 の鐘 の祈 祷 をす る 住 職
合掌。 早 いも ので、本年
もお盆 の時節 になりました。
檀信 徒 の皆様方 におかれま
し ては、益 々御清祥 の段、
お慶 び申 し上げ ます。 わた
く し住職も、寺院 興隆を第
一の旨 とし、 日 々法務 に精
励 し ております。今年 の下
園頓寺 た よ り
1日
25年 7月
平成
半期も、菩提寺 運営 に対し
て、変 わらぬご協 力 の程、
よろしく お願 い申 し上げ ま
す。
さ て、本たよりが、 お盆
号と いう こと です ので、 お
盆 に ついて のお話を述 べた
いと思 います。
お盆と いうも のは、古来
より綿 々と続く仏教行事 で
あ ります。 日本 への仏教伝
来より、七月 ︵
明治 以降 は
所 により人月︶ は、先祖供
養 の神聖な期間とさ れ、 お
墓参 りはもち ろん のこと、
各家 に廻る棚経 回向 の僧侶
への供養、菩提寺 で の施餓
鬼法要 への参詣等を通して、
善根を積み、その功徳を以 っ
て、先祖 及び 一切衆 生 の聖
霊をも、偲び祀 る事が古く
から の日本 人と し て の習 い
とな つています。
この、 お盆 の行事 の由縁
は、 お釈迦様 の十代弟 子 の
一人 であ る目連尊者 の故事
が 元にな っております。
日連尊者 は、神 通第 一と
さ れ、種 々の不思議な力を
お持ち でした。 あ る時、自
分 の優 しか った亡き母が、
死後 の世界 に てど のような
境 遇 におられ る のかを、自
慢 の神力を用 いて確 かめら
れま した。あ ろう こと か、
母は餓鬼 界 に堕 ち て いま し
た。悲 しんだ 日連尊者 は、
神通力を使 い救 おうと しま
した。飢 えた母 の口に食 ベ
物を与え ると、寸 で のと こ
ろ で燃え上が り食す事が で
きず、乾 いた 口に飲 み物を
捧げ ると、 これも熱湯とな
り 涼 味 を 届 け る こと も 叶 わ
な い。泣 く 泣 く 目連 尊 者 は、
お 釈 迦 様 に助 け を 求 め ら れ
ま した。
お 釈 迦 様 曰く 、 怪 貪 ︵
む
さ ば り ︶ の科 に て、 餓 鬼 界
に堕 ち た 者 を 救 う 為 に は、
雨 季 の安 居 ︵
修 行 ︶ 明け の
大 勢 の僧 侶 を 供 養 し な け れ
ば な ら な い。 そ こ で、 日連
尊 者 は教 え に 従 い実 践 す る
こと に よ り 、 愛 す る 母 親 を
救 う 事 が 出 来 た の です 。
こ の故 事 が 元 と な り、 日
本 でも 、 仏 様 を 敬 い、 僧 侶
を 供 養 す る こと に よ つて生
じ る功 徳 を 以 って、 亡 き ご
先 祖 に安 楽 を 与 え る 仏 事 と
し て、 お 盆 が あ る わ け であ
り ます 。
ま た 、 こ の故 事 の大 切 な
教 え と は、 日 々 の樫 貪 ︵
む
さ ば り︶ の心 を 戒 め て、 多
く の生 き と し生 け る も のに
施 し の気持ちを持ち、施 し
を実践す る事が大 切 であ る
と いうと ころ です。
つま り、施 し の精神を大
切 にし て、ご先祖並 びに 一
切衆生 の命 の分ま で、 正し
く生活を営 む事 が肝要な の
です。是非、 お盆 の期間 に
は、 この心を思 い起 こし自
覚 す る事が、ご先祖 への真
の孝養とな るわけ であ りま
す。
﹁願 わ く は こ の功 彼 を 以
て普 く 一切 に 及 ぼ し 我 等
と 衆 生 と 皆 共 に仏 道 を 成
ぜん﹂
法華経 の 一節 です。自 他
共 の命 を 大 切 に し 、 怪 貪
︵
むさば り︶ の心 を捨 て、
施 し の心を涵養 し て いくと
いう、 お盆 の仏事 の精神 を
成 し て いく事 が、自他 の成
仏 の近道な のです。
未究寛等なり﹂
如 足 報 、 如 足 本
如 足 早、
如 足 因 、
如 足 縁 、
足 作 、
如 足 体 、
如 足 力 、
性 、
如
る、 諸 法 の如 足 相、 如 足
、わ ゆ
﹁諸 法 の 実 相 は 、 し
は
新年祝祷会 の住職
﹃妙 法 連 軍 経 方 使 品 第 二 ﹄
方便品 の 一節 です。大変
重要な教え を示さ れた箇 所
です。普 段、 お経を拝読さ
れる方 々であれば、よく知 っ
ておられ ると ころにな りま
す。大事 な部分 であります
ので、読 誦す る時 には、 三
遍繰 り返 します。
何故 に大事 であ る のか。
十如 是 ﹂ と いう
それ は、 ﹁
真 理 によ り、 ﹁
諸 法実 相 ﹂
と いう大 切な法門を説 かれ
て いるからな のです。
﹁
十如是﹂と は何 か。全
て の物事 の真実 の有様 は、
﹁
相 ・性 ・体 ・力 ・作 ・因 ・
縁 ・果 ・報 。本未究党等﹂
と いう十 の条件 を必ず具え
存在す る。何 であれ、 およ
そ世 の中 の、あ りとあら ゆ
る物事 は、 この十 の条件 を
TEL 43-7500
肥後銀行前
割烹よ こ て
TEL (0968)43-2206
山鹿市九 日町 (八 千代座前)
祝儀・仏事・会席・鉢盛・折詰
大小宴会・会食
第 64号
園頓寺たよ り
平成 25年 7月 1日
横 手 会 館 横手仕 出 し
必ず具え ていなければ存在
しな いと いう教え であ りま
す。
﹁
諸法実相﹂と は何 か。
あらゆ る物事 の真実 の有様
の事 です。
このあらゆる物事 の真実
の有様を信解 し生 活す る事
が、法華経 を修行す る者 に
と って基本な のです。
まず 、 ﹁
十如 是﹂ を 説 明
します。世 の中 のあらゆる
事象 には、次 の十 の条件 が
備わ っています。 ﹁
相 ・性 ・
体 ・力 ・作 ・因 ・縁 ・果 ・
報 ・本未究寛等﹂ の十です。
﹁
相﹂とは、 現れたすが
た。 ﹁
性﹂と は、 そ の性質。
﹁
体 ﹂ と は、 そ の性質 を 具
え 実体 。 ﹁
力﹂ と は、 相 性
体 を具えたも のの内 に持 っ
て いる力。 ﹁
作﹂ と は、 そ
の作用と働き で力が外 に働
因﹂ と は、 直 接
く こと。 ﹁
的 原因。 ﹁
縁 ﹂ と は、 間接
的 原因。 ﹁
果﹂とは、結 果。
﹁
報﹂ と は、 結 果 がも たら
す 働 き。 ﹁
本未究寛 等﹂ と
は、相 と報 は等 し い。最初
と最後 は同じ であ る こと。
難解な ので、図解 してみま
す。
考 え て み ま す 。 私 た ち の今
の存 在 そ のも のが ﹁
相﹂ で
介
洋
事
醤 昼 阿蘇 品
無料電話 0120-23-2526
山鹿市大宮町 641-2
彦
社会福祉去人 大道福社会
そ しな米穀店
寒修行の住職 ・ 檀信徒
あ ります。今 ま で の ﹁
報﹂
の積 み重 ね が 、 自 分 自 身 の
現在 の ﹁
相 ﹂ な の です 。 し
た が って、 今 の自 分 に満 足
(全 商 品配 達 致 しま す )
日山鹿 南 販 売 セ ンタ ー
l■ l熊
米 ・肥 料 ・農 薬 ・た ば こ
環しヽロロ弄刷囁
毎度 あ りが と うございます
曰闇 幽
体
本 末 究 党牛 (和 =報 )
私 た ち の事 象 に 沿 つて、
a0963)43-2526
/
若葉保育園
彦
和
代表取締役 阿 蘇 品
作 /′
``
山鹿市大宮町 439
阿蘇 品
雅
l■lあ
ヵ
\
因
\
縁
出 来 て いれ ば 、 善 き ﹁
報﹂
人 間 を 含 む あ ら ゆ る事 象 のお か げ な の です 。 逆 に 不
と 物 事 に は、 こ の十 如 是 と 満 足 な の で あ れ ば 、 ﹁
報﹂
いう 十 の条 件 が 関 わ り 合 っ に 至 る も のが 不 足 し た か ら
て存 在 しあ って いる のです。 に 他 あ り ま せ ん 。 自 己 の
﹁
相 ﹂ を 望 む べ く も のに 変
/呆
、
性
=オ ロ
7辛 腱
64号
第
園頓 寺 た よ り
1日
25年 7月
平成
じ て いく に は、 ﹁
相﹂ を自
党 し、 ﹁
性﹂ ﹁
体﹂ ﹁
作﹂
力﹂ ﹁
を 自 省 し、 ﹁
因﹂ ﹁
縁 ﹂ を大
切 に し て いけ ば 、 必 然 と
に応 じ た 、 あ り のま ま の素
節 です 。 大 意 は 以 下 のと お
日蓮 大 聖 人 の御 文 章 の 一
り です 。
直 な 素 晴 ら し い本 当 の自 分
の姿 が 体 得 さ れ る の です 。
この ﹁
十如是﹂ と ﹁
諸法
お題 日 の大曼茶 羅御本尊
は、世界第 一の御本尊 であ
ります。 この私たち 人間世
界 に示さ れた、第 一の御本
尊 を信 じなさ い。 よく気を
付け、 し っかりした心構え
で、信心を強 く して、教主
釈尊 と、法華経が真実 の法
であると証明した多宝如来、
法華経を讃歎 した十方分身、
〒861-0501 熊本 県山鹿 市 下町 1768
電話 山鹿 (0968)43-210114t
フ ァ ック ス (0968)43-5153
実 相 ﹂ の真 理 の法 門 は、 大
変 難 し いも の で はあ り ま す
が 、 お 題 目修 行 に よ つて、
自 然 と体 感 出 来 るも のでも
あ り ま す 。 日 々、 共 に精 進
し てま いり ま し ょう 。
﹃諸 法 実 相 砂 ﹄
一閻 浮 提 第 一 の 御 本 尊 を
信 じ さ せ 給 へ。 あ ひ か ま
へて、 あ ひ か ま へて、 信
4 つよ く 候 て 三仏 の守 護
。
は信 4より を こるべ く候。
力 あ ら ば 一 文 一句 な り と
七かたらせ給 ふべし
日本 一 の装飾 古墳 と八 千代座
歴史 と文化 の街
初講 で祈 る住職
﹁
を か う な ら せ 給 ふべ し
果 ﹁
報 を 戴 し、 体
頂
得
﹂
﹂
行 学 の 二道 を はげ み 候 ベ
出 来 る の であ り ま す 。
し 、 行 学 た へな ば 仏 法 は
因 縁 果 報 の言 葉 の如 く 、
。
我
t いた
特 に、 ﹁
因﹂と ﹁
縁 ﹂と ﹁
果﹂ あ る べ か ら ず
。
と ﹁
報 ﹂ を 十 三分 に 、 生 活 し 人 を t 教 化 候 へ 行 学
の中 で意 識 し て いく 事 が 出
来 れば 、 ﹁
諸法実相 ﹂ と い
う 、 そ れ ぞ れ の尊 い命 の分
鬼子母神祭の住職 と院首上人
第 64号
園頓寺 た よ り
1日
25年 7月
平成
:温 泉
鹿 門 亭
の諸 仏 と の、 三 仏 の守 護 を
受 け な さ い。 法 華 経 の修 行
と 勉 学 と の、 二 つの道 に 励
みな さ い。 そ の 二 つの道 が
た だ く こと が でき る の であ
り ま す 。 安 心 し て信 用 しな
け れ ば な ら な いと いう こと
です 。
婦会 ム
製ム
長 阿蘇 品 ケ イ 子
行 わ れ な く な った な ら ば 、
もう ひと つ大事な ことは、
仏 法 は存 在 しな く な る の で 行と学 と の両立が大切 であ
あ り ま す 。 だ か ら こそ 、 自 る こと です。 仏教、殊 に法
分自 身 も、 こ の二道 に励 み、 華経 を信 心す ると いう こと
は、 そ の尊 い教えを学 ぶ こ
他 人 に 対 し ても 教 化 し な さ
い。 行 と 学 と の 二道 は 、 信
心 か ら 起 こる の であ る。 自
分 の器 量 のお よ ぶ L こ ろ、
た と え 一句 であ っても 語 り
な さ い。
こ の御 文 章 の大 切 な こと
は、 法 華 経 そ し てお 題 日と
いう 、 お釈 迦 様 が お 示 し に
な った 最 高 の教 え を 絶 対 の
拠 所 と し て、 日蓮 大 聖 人 が
書 き 顕 さ れ た 御 本尊 を 、 強
い信 仰 を も つて、 信 じ て い
か な け れ ば な ら な いと いう
こと です 。 そ う す れ ば 、 実
に大 き な 加 護 を 仏 様 か ら い
(中 )
献膳 の儀 ・阿蘇品さん
と は も ち ろ ん です が 、 そ れ
を 実 践 し て、 日 々 の暮 ら し
の中 に生 か し て いく こと も
重 要 な の です 。 行 と 学 を 偏
り な く 修 行 す る こと が 信 心
の基本 であ るとも お っしや っ
ておら れ ま す。 行 と学 と の
両 立 を 目指 し て 頑 張 つてま
いり ま し ょう 。
マルカメ醤油・味唱
方も ち`″ レざ〃
0
一
T 醐
0
T
ロ aロ
]
,
ロ
梓 4
驀
͡
・
B
日蓮宗熊本県青年会 の主
催 で、第 四十 一回信行 の会
が四月十五 ・十六 日、 阿蘇
地方 で開催さ れ、 回頓寺 か
ら六名参加 いたしま した。
昨年七月 の阿蘇地方 を襲
い、 二十数名 の死者 ・行方
不明者をだ した大水害復興
祈念 と して企 画さ れ、春 の
山 鹿 市 中 1000-2
● 44-3131
山鹿 市 山鹿 郵便 局 とな り
第 64号
園頓 寺 た よ り
1日
25年 7月
平成
阿蘇 地方 の日蓮宗寺院 を巡
る信行 の旅 です。熊本市 を
九時 に出発 し、最初 に妙 園
寺 で供養 の読経を いた しま
した。有名な 一心行 の大桜
はもう花は無く、葉桜にな っ
ていま した。白川水源、妙
宣寺 と訪ねま した。
今 日 の宿泊 は阿蘇市 のホ
テ ル角高 です。休憩 ・入浴
後 の懇親会でカラオケ、じや
んけん大会などが行われ、
いろ いろと用意された賞 品
が いただ けま した。 私 は最
後 にありがた い品を いただ
きま した。宴 の終わりには
お上人様方と私たち参加者
の全員 で輪 を作り、肩を組
ん で合 唱 して楽 しく終わ り
ま した。
翌十六 日は、多数 の犠牲
者が出た阿蘇市坂梨、 手野
地区に行きま した。 お上 人
様方 は横 一列 に二十名 の方
が並 び、 私たち は後ろ に並
びま した。 お上 人様方が自
菊を供えられ、私たちも菊
を 一本ず ついただき、 お供
え してお経を唱え、南無妙
法蓮華経、南無妙法蓮華経
とお題目を、心を こめ て唱
え供養 いた しました。 回り
は外輪 山と呼ば れ る大 きな
山 です。亡くなられた方 々
の ﹃ありがとう﹄ の声が聞
こえたような気がしました。
周囲には、大きな倒 木、岩
石がゴ ロゴ ロと横たわ つて
います。
そ の後、浄信寺 にお参 り
し、 阿蘇 神社 を散策 しま し
た。二日間天候 に恵まれた、
大水害復興祈念 と供養 の信
行 の会 が 終 わ り ま し た 。 日
蓮 宗 熊 本 県 青 年 会 の皆 様 本
当 に あ り が と う ご ざ いま し
た 。 お 世 話 に な り ま し た。
信 行 会 の会 長 様 か ら 、
﹁
参 加 し て いた だ い てあ り
が と ヶ ご ざ い ま す 。﹂ と 御
礼 の手紙 を いた だ き ま した。
南 無 妙 法蓮華 経
菊池市 ・妙蓮寺 ﹁
堀尾大悟﹂
副住職より いただきました。
日蓮大聖人 の祖 訓 ﹃妙法尼
新春 の 一月十 二日、当山
始 め ての法要 であ る初講法
要が、大勢 の檀信徒が参詣
さ れ、本堂 に て行わ れまし
た。境内や本堂な ど アチ コ
チ で新年 の挨拶 が交わされ
る、毎年 の風景 から初講 は
始まりま した。
初講法要に先立ち法話を、
わ 講 ・名4 の 力億を いた だく
鹿児島市 芝 田 宏 之
初講で祈 る芝田さん夫妻
ヽ 6月
:ち
H25,4月
ム FI「 蘇
信 行 ′,●
'42口
口薙 ■ 熊 本 ni年 ■
64号
第
園頓寺 たよ り
平成 25年 7月 1日
第 64号
を待 つ事な し。 風 の前 の露 提心 ︵
悟 りを求 める心︶が
.
尚 お讐 え にあらず。賢きも 一生まれ、信仰す る ことが喜
愚きも、老 いたるも若きも、一びに変 わ ってい った ことを
定 め無き習也。 さらば先ず 一語 つていただきま した。
総獅吋Ъ はデ 組卸時姉 御鍛 一﹂最rけ い麻れ帥蹄ビⅧれ
園頓寺 た よ り
1日
25年 7月
平成
英 人上 人を導師 に六名 のお
上 人様 のご出仕 で行われ、
私もお勤 めをさ せて いただ
きま した。法要中、恒例 の
総代さ んら によ る 一字 一石
写経、婦人会代表三名 によ
るお祖師様、清 正公さ ん、
鬼 子母神様 への献膳 の儀も
行われました。 また、 三十
二世 ﹁
故 日淳 ﹂上 人 の七回
忌法 要も営 まれ、全参詣者
で焼香を いた しま した。
法 要が終わり英 人上 人か
ら、 ﹁
信 心 す る心が大 切 で
あ る。﹂ と のお話 があ り、
私 も、 ﹃今 年 も信 心 に励 む
ぞ !﹄ と心 に誓 いました。
檀信徒会館 では、 お いし
いおとき本膳をご馳走 にな
り、特別 回向 の祈祷札を い
ただき、 と ても いい気分 で
園頓寺様 を後 にしま した。
日蓮大聖人様 への感謝と、
園頓寺様 の隆盛を心よりお
祈 り しました。
南 無妙法蓮華経
会な ど の方 々と団扇太鼓 を
たたき、 ﹁
南 無妙法蓮華経、
南無妙法蓮華経 ⋮⋮⋮﹂と
お題 目を唱えながら夜 の街
を修行 し て回りました。本
日の コー スは通称 ﹁
熊入 コ
感動/寒修行
高 被 生 が ど 苦 労 様 です
暖冬と 予想された長期 天
気 予報が修 正され、
一月 二
十 日大寒 に入り寒さ が厳 し
い二十三 日、都合 が つきま
した ので寒修行 に参加 し、
住職、総代、信行会、婦 人
住職 を先頭に寒修行
︱ ス﹂ です。
午 後七時前 お寺 に着 いた
ら既に十数名 の方 が、防寒
ば つちりに準備 し ておられ
ました。 あわ てて本堂 に上
がり団扇太鼓とバチをとり、
行衣を持ちま せん ので ハツ
ピを はおり、寒修行団 の 一
員と成 りま した。午後七時
ち ょうどに住職が本堂前 で、
お祖師様 に出立 の祈 りを捧
げ、参加者 も続 いて唱和 し
6(0968)43-2282
44-6435
山鹿市花見坂330∼ 13●
やまが 中町商店街
第 64号
園頓寺たよ り
平成 25年 7月 1日
くつ ・はきもの専門店
銀 鳥
α′ヽ 」A鹿 本側鹿本広域福祉 センター総合葬祭会館
明 町 。東 通 町 を 通 り 、 吉 田
処
け
丁
EL.0968-44-0983
ミ
ャ
ク
〒8610535熊 本県 山鹿市南島1246(山 鹿 大橋そば)ォ
川 の緑 町 橋 を 越 え れ ば 熊 入
町 です 。 熊 入 町 に 入 ってす
ぐ 右 折 、 こ こか ら は歩 道 が
お布施 を中原総代さ んに渡
し、中原総代さ んは寒修行
のお札を授与さ れま した。
東 通町 のお檀家さ んは、団
一
局太鼓 の音 が聞 こえた ので
出 てきたが既 に行 きすぎ て
いた。団扇太鼓 の音 を頼り
に人幡小学校 ま で追 いかけ
たが分 からず、自宅 に帰 っ
ていたと ころ で寒修行団と
会う ことが出来た。 せ話 し
お布施を託さ れま した。
この日 の寒修行 で感動 し
た のは、熊 入町を修行中、
自転車 に乗 った男 子鹿本高
校生が、﹁ ﹂
苦 労さま です﹄
と言葉を かけ て通りすぎ た
こと です。
熊入町を巡回し て、東 通
町 。明治 町 ・桜 町 ・上広 町
を歩き、 山門をくぐり、院
首上人や留守 番 の方 々の出
迎えを受け、本堂前 で帰着
の感謝 の祈 りを捧げ、寒修
や す らぎ の 里
無 く 狭 い道 を 歩 き ま す 。 後
ろ か ら 車 の明 か り が 近 づ い
てきます。タク シーが スピー
ド を 落 と し 用 心 しな が ら 横
を 通 り 過 ぎ ま し た。 家 の玄
関 が 開 き 、 小 学 四 ・五 年 生
位 の男 の 子 が 顔 を 出 し、 し
ば ら く 見 て いま し た が 珍 し
い のか、 百 メ ー ト ルほ ど 付
いてき ま した。
団 扇 太 鼓 が 聞 こえ た の で
し ょう か寒 空 の中 、 家 の前
でご 夫 婦 で待 ってお ら れ 、
浄財 を いただ く
ます。 サー出発 です。
まず、提灯を持 った中 原
総代さ んが先導 し、住職、
参加者 が続き、恵 人君も お
母さ んが持 つ団扇太鼓 を小
さな バチ でたた いたり、行
衣 の裾を し つかり つかん で
歩 き、
一人前 ?の修行者 で
す。
山門を出 て右折、花 見坂
を上 り十字路を左折、 山鹿
郵便 局向 か い側 の歩道 を直
進、熊本 フ アミリー銀行前
十字路 で信号待ち、歩行者
用信 号が青 にな り出発。 堀
幼 き寒修行者
64号
第
園頓 寺 た よ り
1日
25年 7月
平成
行 の服装を解 きま した。
檀信徒会館 で、留守番 の
婦 人会会員 の方 が準備され
た お茶、参加者 の差 し入れ
や坊守様 。子供さ ん手造 り
のお菓 子など の接待を受け、
しば らく談笑 し て、住職 よ
り明 日 の寒修行 コー スの発
表があ り、 お題目三唱 で本
日の寒修行が終わ
合掌 ︵
編
′
″ 一
/﹂
ン ﹂
ν ﹂
お通
山鹿市昭和町 鹿 子 木 リ ツ 子
寒 修 行 の鹿 子木 さ ん ︵
左︶
園 頓 寺 の枝 垂 れ 桜 の花 も
満 開 に咲 き 誇 る 二 月 二十 人
日、 鬼 子 母 神 大 祭 。彼 岸 会
法 要 が 行 わ れ、 子供 た ち の
発育 成 就 、 運命 長 久 、 家 内
安 全 を 祈 願 し て いた だ け る
あ り が た い 日 です 。
あち ら こち ら には、はし や
ぎ 回 って いる 子 供 た ち の姿
を見 て、何と微笑ま し い光
景 でし ょう。 私も幼 いころ
の長男と長女 を鬼 子母神様
にお守 し ていただ いており
ま した。 そ の頃 の子供たち
の事 をふと思 い出 し、懐 か
しさが蘇 って参 りま した。
長男が五 ・六歳 のころだ つ
たと思 います。英知上 人様
が唱えられ て いら つしやる
﹃南 無 妙法 蓮 華 経 ﹄ を真 似
して、近所 の子供たちと自
転車 でよく遊 ん で いたも の
でした。
本 日の法話 を いただきま
す お上人様 は、熊本市 ・本
妙寺塔中仙乗院 ﹃三坂恵豊﹄
住職様 です。三坂上人様 は、
今 回壱 百 日大荒行第参行を
成満なされ、大荒行 の過程
を詳しくお話 いただきま し
た。零下五度 と いう厳 し い
寒さ の中水行 一日七回、荒
むしろに正座 し ての読経 一
10
Te1096-214-4771
http://www assも t kumamotojp
〒862-0963熊 本市南区出仲間 9丁 目5104F
Fax 096-214-4773 携帯 090-2715-2274
u店
l■
∽
日杜 命 却 鈴
ニ ッセィ同確 保 は
ト
ス
シ
ア
社
会
式
株
第 64号
園頓寺たよ り
平成 25年 7月 1日
日四回と いう行を成満なさ
れ た お 上 人 様 方 々に 、 私
はす こぶ る思 いが いたしま
した。中 でも記事 を書 いて
いる今 でも心に残 って いる
ことは、東 日本大震災 で亡
くなられた方 々の供養 を目
的 に入行さ れた宮城県 の加
藤 上 人様。 五十 二歳 と いう
年齢 で二十 五年ぶ り の第参
行 を成 満 な さ れ、 ﹃南 無 妙
法蓮華経﹄と書 かれた散華
に読経 し、海 にま かれ亡く
なられた多 く の魂 を慰 めら
れたお話等、本当 に法華経
の素晴 ら しさ に感銘さ せら
れま した。
三坂上人の法話
休憩後、英 人上 人を導師
に彼岸会先祖供養法要が行
われ、恒例 の水行が英 人上
人様、 三坂上 人様、福 山上
人様、秋吉上 人様 により行
われ、迫力あ る水行肝文 で
気 合 の入 った 水 行 式 に 、 私
は 只 々あ り が た い 一心 で お
題 目 を 唱 え さ せ て いた だ き
ま した。
そ の後 、 鬼 子 母 神 様 の前
で英 人 上 人 ら 三 名 のお 上 人
水廻 りの 事な らす べ てOK!
丁
ORnYn① /HttKni
5堀鮒 悧
含資会社と ら や 商 会
山 鹿 市 下 町 1807
丁EL 0968… 43-2604
11
FAX(0968)44-5990
TEヒ (0968)43-2212
FAX 0968-43-6075
64号
第
園頓 寺 た よ り
1日
25年 7月
平成
鬼子母神大祭 に参加 の子 供たち
鬼子母神大祭 に参加 の子 供たち
〒8610532熊 本 県 山鹿市鹿校通― 丁 目3番 29号
︲
︲
︲
︲
︲
︲
︲
黒.
に 庶・
牌.
計 ′一
大.
謝′一
感
.
様 により、 子供 たち の発育 一お題 目を信 じ、お題目を糧 一感謝 です。
第 64号
園頓 寺 た よ り
1日
25年 7月
平成
79
つ乙
になりま した。途方 に暮 れ
る中、住職様 のお支 えを受
けながらどう にか無事、 見
送 る ことが出来 ま した。
無我夢中 の数年を過ぎ 、
再び ﹁
お寺さ ん﹂と親 しく
呼び合 い、度 々お参 りさ せ
ていただくよう にな つた の
は、友 人今 は亡き福 山さ ん
のお蔭 です。娘 から の電話
で、 ﹁
園頓寺 ホー ムページ﹂
に二人 で団扇太鼓 をたたき
ながらお題 目を唱え る写真
が、何枚 も紹介 さ れ て いる
事 を知 りま した。福 山さ ん
が いな か ったら、謙虚 な気
持ち で無心に手を合わせる、
今 の私は いな か った かも し
れま せん。
亡き母が ﹁
とうとう 一度
・・・
も行 かれんだ つた。
行きた か った∼﹂と生前 残
念 そう に話 し ていた、総本
山 ・身 延山 に 二人して三度
植舗 ワール ド観光
0968-72-5656
玉 名市 中尾
13
426-3
丁EL
番が当た つた のはおまけ の のお と き を 大 変 美 味 し く い
幸 せ の奇跡なんだ ろう。
た だ き ま した。 ご 馳 走 さ ま
最 後 にな りましたが、役 で し た 。 関 係 者 の皆 様 に 心
員 の方 々、婦人会 の方 々、 か ら 御 礼 申 し 上 げ ま す 。 あ
当番地 区 の方 々、本当 にお り が と う ご ざ いま し た 。
世話 にな りました。 手作 り
合掌
に付 いて行き、 お参 りもそ
こそ こに 子供 だ け は、 ﹁
清
滝 温泉﹂ に いり、 お寺さ ん
のお接待 で ﹁
子供御膳﹂を
食 べた楽 し い思 い出 です。
我が家 は、 兄姉を次 々と
亡くし て いる ので、 母が泣
きながら御祈祷を受け て い
た事 も微 かに記憶 にあ りま
すが、本能的 に悲 し い記憶
は遠ざ け て いるよう に思え
今年、八十五歳 にな る私 ます。
にと つて園頓寺 の 一番古 い
四十六歳 で主 人を亡く し
記憶 はまだ幼稚園 にも行 か た時も、園頓寺様 にお世話
婦人会長賞・ 守江 さん
第 64号
園頓 寺 た よ り
1日
25年 7月
平成
航 空券・ JR・ 個人旅行 `団 体旅行
お 寺 さ ん の事 を 考 え る機 会
を 与 え てく れ た のか も 知 れ
ま せ ん 。 そ の 日頂 いた 鉢 植
えの ﹁
あ じさ い、 ナ ンキ ユ
いのちに合掌
ラ ス﹂ は今 も 玄 関 で私 を 出
迎 え 、 元気 付 け てく れ ま す 。
立正安 国・お題 目結 縁運動
亡 き親 族 、 亡 き友 人 が あ ち
ら で今 の私 を 見 てく れ て い
る と 思 いま す 。 合 掌
新 茶 の香 る こ の季 節 、 立
も行き、今ま で知らな か つ
た勉 強 も 出来 、 ﹁
日蓮 宗 ﹂
の教えが身 近なも のに感 じ
られ るよう になりま した。
今 回、大黒尊 天祭 で婦人
会長賞 に当 選し、園頓寺た
よりに 一文を載 せる こと に
な り、 ﹁
困 ったな ∼ 文章
書 け るかしら﹂と思 いま し
たが、福 山さんがもう 一度
山鹿 市鹿本 町 村 上 ¨旨つ
教 開 宗 会 ・大 黒 尊 天祭 に は
福を招き いれ て いただ いた
おかげ で、 見事 にジ ヤンケ
ン大会 で勝 つ事 が出来 て、
﹁
勝 ったあ、勝 つたあ﹂と、
大変喜 ん でおりま した。
二月 の鬼 子母神大祭 と、
五月 の立教開宗会 ・大黒尊
天祭 には、 必ず お参 り して
いますが、昨年 の十 一月 に
14
行衣 を受 ける阿蘇品 さん、鹿子木 さん
災 いを 取 り除 いて いた だ き、 験をさせていただきました。
か な あ ?﹂ と 楽 し み に し て は、 子供たち の七五三があ
いま し た 。
り、園頓寺本堂 に て祈 願 し
除 災 招 福 の神様 に祈 願 し、 ていただき、本当 に良 い経
お 参 り し て いた 子 供 は 、
﹁
ジ ヤ ン ケ ン大 会 は 、 ま だ
鼓 を 一生 懸 命 た た き な が ら
て いま す 。 午 前 中 、 団 扇 太
毎 年 お 参 り さ せ て いた だ い
︵
五歳 、 母 親 代 筆 ︶
子供福引特別賞・ 村上 くん
64号
第
園頓寺たよ り
平成 25年 7月 1日
今年 の年 の瀬 には、
一年間
の厄を払 い、新 たな 一年 の
福 を願 いながら、除夜 の鐘
を つき、新年祝祷会 の祈祷
を受けた いと、 子供と 一緒
に参詣 した いと思 つており
ます。
*子供 がまだ作文を書 けま
せん ので、代わりに書 か
せ て いただきま した。 本
当 にあ りがとうござ いま
した。 ︵
母︶
●日
●日
一日
口日
一日
● コ
●1
●日
一日
口日
鮨
一 ■
ロ ー
¨福引特 別賞 提 供者 ﹁
F
︵
順 不同、敬称略 です︶
園頓寺住職、同 ︵
子供特別
、福岡 ・妙教寺、甘木 ・
賞︶
大安寺、唐津 ・龍 王寺、妙
教寺執事 ・高 野上 人、 園頓
寺本総代会、園頓寺婦人会、
園頓寺信行会、染 と織 おに
き、井上組、熊 日新 聞南 販
売店、栗原辰也、中原電機、
原文雄、とらや商会、妙教
寺 ・松尾上 人、妙教寺 ・臼
井総代、和 田純夫、 ワー ル
ド観光、 阿蘇 品組、松 下仏
壇店、盛 文社印刷、 日産プ
郷 土 に生 まれて 味 ひ とす じ
・祝 会席 ・鉢盛 。寿 司
644-4743 843-1739
844-5804
リ ンス山鹿店、履物 の銀鳥、
朝 H新聞山鹿店、熊本第 一
信用金庫 山鹿支店、田 国富
興商、井沢保険事務 所、 天
寿苑、宮 川葬祭、上 田常 人
当 時 、 寝 台 列 車 で夕 方 熊 本
で し た 。 じ やあ 桜 の時 期 に
お 詣 り 行 こう と いう 事 で、
と に身 延 に行 く機 会 もあ り、
七 ∼ 人 回 お詣 り しま した が、
桜 は 一度 も 見 て いな い状 態
く 様 にな り 、 何 か と お 手 伝
いも 出 来 る、 何 か 事 あ るご
人 は退 職 し て か ら お寺 に 行
た時 ︵
団 参 は 九 月 か 十 月 ︶、
大 き な 枝 垂 れ 桜 が 一杯 あ る
な アと 思 つて いま し た 。 主
ま だ ま だ信 仰 心 も 浅 い頃 、
お寺 の団 参 で 二 ∼ 三 回 行 っ
詣 り いた し ま す 。
繁木 あ o身 延 占久 之 孝
信行△
ム
△
〓
長 ・木 下美 枝 子
私 は日蓮宗 の総本 山 ・山
梨 の身 延山久遠寺 に、年 に
一度 、樹齢 四〇〇年を超え
る身 延 の枝垂れ桜 の花 が綺
一麗なときを見計 ら つて、 お
15
第 64号
園頓 寺 た よ り
1日
25年 7月
平成
駅 を 出 発 、 途 中 乗 り換 え は 中 国ゲ ンカしながら行 った
あ った も の の明 朝 十 時 頃 に 身 延も、桜 の花が 四∼ 五分
は身 延 に着 く と いう 行 程 で 咲き で、と ても綺 麗で、 二
出 か け ま した。
人して感歎 の声をあげ ま し
た。
総受付 の報恩閣 で、明朝
お つとめを していただく、
祈 願、 回向申 込みを してお
もちろん早朝 のお
きます ︵
。
つとめ の時 は同席 します︶
まず は大本堂 に行きお詣 り
します。 次 に、隣 の祖師堂
で日蓮大聖人 のお顔を拝し、
手を合わせると涙があふれ、
ひれ伏 し て頭を上げられま
せん。何 でし ょう。身 延 の
お祖師様だけ です。 心 の中
ま で見通さ れます。
日蓮大聖人が毎 日登られ、
故郷千葉 県小湊 のご 両親 を
偲ば れた山、奥 の院思親 閣
ま で、 ロープ ウ エイ で登詣
いた します。何故か身 延 は
空気全体 が違う。流 れる風
が違う気がします。山には、
日蓮大聖人お手植え の、
一
人 では手を回し足らな い大
きな杉 の木が何本もありま
す。昨年 は二月二十 日に行
きま したが、雪を片脇 に寄
せ てありま した。当然桜 は
一輪もありませんでしたが、
熊本 の桜 は満開だ った のに
と、何を基準 に判断 したら
よ いのか分 かりません。
思親閣を下り西 の方 へ行
墓 地︶があ り
くと御廟 所 ︵
ます。 ﹃いず く に て死 に候
とも、墓をば身 延 の沢にせ
さ せ候 べく候﹄と、御遺書
に従 って建 てられたお墓 で
す。また左右 に歴代 のお墓、
この身 延 の地を 日蓮大聖 人
に献上 くださ れた南 部実 長
公 のお墓、 また同時代 お聖
人を慕 い奉仕した信者 の面 々
のお墓 もござ います。
御廟所を少し下り左手に、
玉 猜 市 中平 畑 1832玉 名高●入日
む 09687-4-4840
16
¬信
彗
玉∃
熊 本 市 中央 区上 水 前 寺 1-12
-12 (東 バ イ パ ス 熊 工 前 )
公 096-384-5666
`
店
名
玉
店
本
熊
tt2f665
恵討 齋
山鹿
店
壇
下 仏
株 式 会社 松
身延山久遠寺 の枝垂れ桜
私共夫婦は全く性格が違 つ
ていて、主 人は五時 の汽車
に乗 るため に三時 に家 を出
ると いう。私 はブ ツブ ツ言
いながら同行。駅 に四時前
に着 いて 一時 間余 の時 を持
て余す等 々、
一事 が 万事気
持 ち の行き違 いで、 四六時
80944-56-3675
●仏具のご注文が ございま した ら、
多少 にか ゝわ らず配達 いた します
大 牟 口市 上 町2丁 目2■ ●通り
第 64号
園頓寺たよ り
1日
25年 7月
平成
日蓮大聖人が身 延に入られ
九ケ年、御隠棲された跡地
が玉垣 で囲 つてあ ります。
杉 の大木等 でう つそうと し
た川端 で、今 でもうす暗く
ジ メ ッと した処 に、粗末 で
あ った であ ろう小屋 で起 居
さ れ、法華経 の読 誦、弟 子
の教育 で食 べ物も満 足にな
く、寒 の厳 し い中 を過ごさ
れた かと思うと、胸が つま
ります。命 がけ で残 し伝え
て下さ つた法華経、分 か っ
ている つもり でも、感謝 の
心を忘 れがち です。
主 人が生前、最後 の年 に
身 延に私を連 れ て行 き、真
剣 に信仰 に対す る日を開 か
せてくれたと思 つています。
導かれて信仰するようにな つ
た私 です が、近年 は身 延 の
日蓮大 聖人にお逢 いし見 つ
められ ると メ ロメ ロ。
一年
の苦労 を全部引き受 け て下
すすめ いた します。何 かが
違 う のです。 また再度 お詣
りしたくな る処 です。法華
経 を信仰す る者なら命 がけ
で伝え て下さ つた 日蓮大聖
人に感謝 のお墓 ま いりをす
る のは、当 たり前 ではな い
でし ょう か7¨
合掌
〒861-0501熊 本 県 山鹿 市 山鹿 1616-7
TEL 0968-44-4125
さり、新 し い生きる力を与
え て下さ います。ありがた
いお題 目を 口に、また来年
身 延 の日蓮大聖人に逢 いに
行 く ことを楽 しみに 一年を
過ご します。
総本 山 ・身 延山久遠寺。
一度 は是非是非 お詣 りをお
していいか分 からな いと思
いますが、まず葬儀社 に連
絡 してくださ い。病院 に来
てくれる でしよう。
Qさ ん
知 り合 いの葬 儀社 に電話
し てみます。
住 職
葬儀社 の人が、ご家族と
共 にご遺体 を家 に連れ て帰
り、北を枕 に安 置す るなど
してくれると思 います。 も
巨 閤 箱 ︵そ の七 ︶
入 院 し て いた お 父さ ん が
亡 く な った お 檀 家 Qさ ん 。
ど う した ら い いか分 から ず 、
住 職 に相 談 し て いま す 。
Qさ ん
入 院 し て いた 父 が 亡 く な
り ま した が 、 ど う し た ら い
い で し よ”
りか。
住 職
よ く 看 病 さ れ て いま し た
が 亡 く な ら れ ま した か。 お
悔 や み申 し 上 げ ま す ど う
17
山鹿支 店
熊本第 一 信用金庫
第 64号
園頓寺たよ り
平成 25年 7月 1日
この 街 と生 きて い く
face to face
住 職
夜 ・葬 儀 ・告 別 式 に大 別 で
き ま す 。 ま ず 納 棺 に先 だ っ
て、 末 期 の水 でご 遺 体 の唇
末 期 の水 は、 お釈 迦 様 が
…
ち ろ ん ご 家 族 が す る こと も
お つと め いた し ま す 。 今 か
を潤 しま す 。
末 期 の水 て、 何 です か。
せ ん 。 あ り が と う ご ざ いま
うし
れい
tl
よ
フリーダイヤ レ-45-0948
0120‐
夜 で も 伺 い、 心 を こめ て
ご ざ いま す 。 家 に 帰 ら れ た
ら ご 連 絡 下さ い。 す ぐ 枕 経
ら参 り ま す 。
Qさ ん
Qさ ん
に伺 いま す 。
Qさ ん
枕 経 と は 何 で し ょう か
す。 お上 人様 が 言 わ れ た と
亡 く な ら れ る 寸 前 に水 を 欲
し た と いう 故 事 か ら 、 亡 く
住 職
枕 経 は臨 終 経 と も い い、
ご 遺 体 の枕 元 で僧 侶 が 読 経
お り 、 葬 儀 社 の人 が 病 院 ま
お 上 人様 、 夜 遅 くす みま
す る こと です 。 枕 経 の目 的
で来 て いた だ き ま し た 。
住 職
は生 前 の罪 障 を 消 滅 し 、 霊
そ れ が 最 近 で は臨 終 間 際 ま
で加 療 し て い る こと が 多 い
末 期 の水 は 、 新 し い筆 か
18
な る直 前 、 臨 終 間 際 に水 を
つけ る よ う に な り ま し た 。
こ れ か ら 葬 儀 社 の人 が 、
し き た り に従 って し てく れ
は いご ざ いま す 。 葬 儀 の
割 りば し の先 に脱脂綿 かガ ー
TEL(0968)44-0444
天 龍 会 館
住 職
る で し ょう 。
です か ら 、 今 で は息 を 引 き
取 った 後 に行 う よ う にな り
末 期 の水 て、 ど う す る の
です か。
手 順 は、 ご 遺 体 を 棺 に納 め
ゼ を 巻 き 、 白 糸 で結 いた も
住 職
る準 備 と 納 棺 、 納 棺 後 の通
住 職
です か。
亡 く な った ら斎 場 で、 通
夜 ・葬 儀 だ け と 思 つて いま
した が 、 し き た り が あ る の
Qさ ん
`
Qさ ん
ま した。
͡
な
山 浄 土 で の成 仏 を 祈 る こと
にあ り ま す 。
Qさ ん
枕 経 と いう 言 葉 は 知 って
いま し た が 、 そ う いう 意 味
が あ る の です ね 。 何 も 分 か
り ま せ ん のでよ ろ しく お 願
い し ま す 。 家 に 帰 り 着 いた
ら す ぐ 連 絡 いた し ま す 。
Qさ ん
今 家 に 帰 り 着 き ま し た。
夜 です が い い で し ょう か。
鹿
山
⑩960 43 2211
TEL
宮川葬祭
第 64号
園頓 寺 た よ り
1日
25年 7月
平成
清 め る ん です ね 。
住 職
父が生前 よく着 ていた服
を探 し てきます。
住 職
そして経帷 子とし ての行
衣を今生 の修 行 の証と して
着 せ てあげ て下さ い。
︵つ゛
つ′こ
範
俊
本
のに 水 を 含 ま せ 、 軽 く ご 遺
体 の唇 を 潤 しま す 。 こ の儀
ぬ るま 湯 は、 縁 起 を か つ
ぐ 意 味 か ら 、 水 に熱 湯 を 加
え て つく る ﹁
逆 さ 水 ﹂、 湯
に 用 い る ひ し やく を 左 手 に
式 は 血 の つな が り の濃 い順
に 行 いま す 。
末 期 の水 の いわ れ と 、 し
持つ ﹁
左 び し ゃく﹂ な ど の
風 習 は、 こ の 日 限 り であ る
Qさ ん
か た は分 か りま した。 次 は
ど う す る の で し ょう か
こと を 願 う 気 持 ち か ら 行 わ
れま す 。
Qさ ん
住 職
末 期 の水 の次 は 、 ご 遺 体
を清 め ま す。
逆 さ 水 、 左 び し ゃく と い
う 言葉 は始 め て聞 きま した。
住 職
こ の儀 式 を ﹁
湯 か ん﹂ と
言 いま す 。 湯 か ん が 終 わ つ
た ら、 故 人 が 生前 愛 用 し て
※質問箱 は平成 十年 から六
回連載 しま したが、当時
特集が いく つか続き、ペー
ジ の都合等 で休載 いた し
ました。今 回 の編集会議
の際、 ﹃枕 経 を知 らな い
人が いる﹄ と いう意 見が
出 て話 し合 い、質 問箱 を
復活さ せ て、編集委員 ・
檀信徒 の方 が分 からな い
ことを募集 し、住職 ︵
編
集委員︶ に回答 してもら
う こと にしま した。
お 題 目 か ら、
はじま る。
19
Qさ ん
ど のよ う に し て清 め る の
で し よヽ
りか。
住 職
ご 遺 体 を ぬ るま 湯 や ア ル
コー ル で清 め ま す 。 こ れ は
死 後 の世 界 へ清 ら か な 状 態
て こな いよ う に、 耳 、 鼻 、
いた 服 な ど を 着 せ ま す 。 次
に 、 体 内 の水 分 や 汚 物 が 出
で旅 立 た せ た いと いう 気 持
ち と 、 故 人 に直 接 接 し てあ
そ し て男 性 な ら ひげ を 剃 り、
Qさ ん
女 性 に は薄 化 粧 を し ま す 。
口な ど に脱 脂 綿 を詰 め ます 。
げ る最 後 の奉 仕 と し て行 な
いま す 。
Qさ ん
ぬ る ま 湯 か ア ル コー ル で
熊本 県 山鹿 市 下吉 田691番 地
藤
TEL 43-2204
43-2664
●
344の 7
山鹿 市上広 町
介
上 勝
井
山鹿専売所
柵会
社井 上 組
朝 日新 聞
住 宅金 融 公 庫 其 の他 手続 代 行
第 64号
園頓寺たよ り
平成 25年 7月 1日
ビル新築工事か ら増改築まで何でも致 します
十 月十 三 日 ︵
日︶
午前十時
御会式法 要
宗 祖 日蓮 大 聖 人 が お
日︶
十 二月 八 日 ︵
午前十時
荒神大祭
お焚 き あ げ会
〇 一年 間 御 護 り いた だ
いた 〓一
宝 荒 神 ︵
地 ・
水 ・火 ︶ への感 謝 の
発行所
山 鹿 城 趾
場 の町 てら
常闇 園
頓
オ
熊本県 山鹿市 山鹿 温泉 瓦五
a 里 ニー 一
T 函①
6 四 四︱ 五 一〇 〇
電 子 メ ー ル“8 5 0 R ●器 3 ●〓 し
,
﹂
○ 当 山 で は例 年 の通 り 、 七 二十 二 日 〓亡くなりにな った 日で、
一
法 会 。 御 先 祖 へ 一年 〓 ホー^.ヘージヨヨ´8け
し
8一
月
︵
間 の報 恩 感 謝 の供 養
非 一
穴 品
月 ︶ に、 ほう ろ く 灸 祈 祷 会 、 お盆 お 大 聖 人 の偉 大 な ご 生 涯
施 餓 鬼 先 祖 供 養 法 要 を 催 しま す 。
二を た た え 、 し のぶ 大 事 〓 を さ さ げ る 日。 〓 編 集 ・園頓 今 た より 編 集 委 員 会
○ 特 別 の追 善 供養 を さ さ げ るとと も に、 な 日 です。
世 界 の恒 久 平 和実 現 を祈 る法 要 です の 三 日蓮 宗 徒 に と つて 一〓 ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ∃ 一
印 刷 所
で、 お家 族 そ ろ つて御 参 詣 くだ さ い。 番大 切な 法 要 です。
ュー 一百月 一
一
山鹿 市 ド 町 一人 〇 七
︰
メデ 社印刷
焉細諸戴難 二
有
デ江型跳簿計貯﹄〓合同大掃除 一
〇 五 十 回忌 供養 ・お盆 ・先 祖供 養 ・初 盆
御 会 式 に は御 会 式 桜
供養 の塔 婆 供 養 御 希 望 の方 は、 早め に を奉 納 しま す が 、 これ
は、 大 聖 人 が 亡 く な ら
、 ○○ ○ 円 れ た と き 、 時 な ら ぬ桜
一、施 餓鬼 三 尺塔婆 供養 一一
.
の花 が 咲 いた と いう 故
事 にち な ん でお り、 全
国 のお寺 で行 わ れ て い
ます。
20
第 64号
園頓寺 た よ り
1日
25年 7月
平成
Fly UP