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ダウンロード
日本の新幹線が世界を変える
地球改造論 日本の新幹線が世界を変える
地球改造論
横山三四郎
平和のために中東アフリカを走れ!
e-Bookland
e-Bookland
日本は1970年代末、イランに
0系(写真)の新幹線を輸出する予定だった。
イランの国際社会復帰でまたチャンスが巡ってきた。
未来に夢と希望があれば人々が過激派に走ることはない。
横山三四郎
著
地球改造論
新幹線よ、平和のために中東アフリカを走れ!
目次
幻のイラン新幹線建設計画
ものづくりの国日本の好機
第一章
イラン封じ込め政策の大転換
イランへの新幹線計画よ、もう一度
第二章
アフリカゾウの悲鳴が聞こえる
6
43
バグダッドがイランの首都になった日!
第三章
サンゴの次は象牙 中国のアフリカ爆買いの果て
21
第四章
イスラム難民が殺到するヨーロッパ
日本は禍の根源を叩く戦略で貢献
第五章 中東アフリカ改造30年計画
文明の危機を救う日本の使命
おわりに
アフリカゾウが教えてくれた緊急事態
104
69
59
はじめに
ものづくりの国日本に好機
日本がものづくりで世界に貢献する時代が再び到来したようにみえる。
インターネットがグローバルに行き渡ったいま、再び商品のクオリティに人々の目
が向いている。そして世界を見渡せば、先端をゆく有用なすばらしい商品は太平洋の
東岸の国、日本に集中している。
見 か け だけ で はな い堅 実 な し っか り した リア ル な 製 品が 不 思議 なほ ど 日 本 とい う
国にあふれている。世界中に売れる国際商品である自動車を製造する会社が、世界最
大級のトヨタのほかに六社も七社もある。車一台は数万もの部品で組み立てられるが、
それらの信頼できる部品を製造する工場が津々浦々にひしめいている。こんな国は世
界のどこにもありはしない。
―1―
だが、この本のタイトルに掲げた地球改造は自動車ではできない。筆者がここにき
て注目し、期待しているのは新幹線のことである。
新幹線の車両とか技術のことだけをいっているのではない。日本の新幹線というも
のが持つその可能性、ポテンシャルである。東京オリンピックの一九六四年に開業し
てから半世紀、五十五億人を運んで無事故という奇跡の記録を打ち立てた。空前にし
て絶後の快挙である。
このような産業はそれ自体が、大きな政治的パワーをはらむ。このパワーの凄さに
日本人はまだ十分には気が付いていないようにみえる。
新幹線には開業して間もなく海外から引き合いがあった。イランからである。当時
のパーレビ王政が、首都テヘランとマシャッドの間一〇〇〇キロに新幹線を敷設して
ほしいとをもちかけてきた。日本が営業を始めた東京―新大阪間五一五キロのほぼ倍
の距離を結ぼうとする大工事だ。当時のパーレビ政権にはあり余るオイルマネーがあ
り、ぽんと十億円の着手金を払い、一九七八年にはマスタープランまでが完成して着
工するばかりだった。
―2―
まさにその年、イランではシーア派イスラムによる反政府デモが激化する。翌七九
年一月にパーレビ国王が出国。二月にはアヤトラ・ホメイニ師が亡命先から凱旋して
パーレビ王政はあっけなく崩壊してしまった。
そして日本にとって初の新幹線輸出計画は、ペルシャ湾岸に建設中だった石油コン
ビナート(IJPC)もろとも夢と消えた。
あれから三十余年、またも大きな転機が訪れている。革命イランをあれほど敵視し
ていたアメリカとヨーロッパ諸国がイランとの核協議で最終合意して、イランの国際
社会への復帰の道が開けた。革命イランよりもっと過激なIS(イスラム国)を封じ
込めるためにイランの力が必要になったという戦略的な判断があるとみられる。
危険な賭けだが、賽(サイ)は投げられた。
これに伴いイランへの経済制裁は徐々に解除されようとしている。二〇一五年八月
には早速、日本の技術でイランの油田を開発しようというビジネスの話が始まった。
しかしアメリカの経済制裁に協調して、日本がイランから遠ざかっていた年月はあ
―3―
まりにも長かったのかもしれない。例の新幹線建設計画については再浮上したという
話を聞かない。
か つ て 日 本 が新 幹 線 を輸 出 し よ う とし て い たテ ヘ ラ ン ー マシ ャ ッ ド間 の ル ー トに
はドイツ企業がリニアモーターカー建設の調査に入っているだけでなく、中国も食指
を伸ばしている。
中国は主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)のプロジェクトの第一号とし
て、北京からバグダッドまでの鉄道建設を打ち出している。当然のことながらイラン
国内のルートは昔の日本の新幹線計画と重なるものとみられる。イランはAIIB参
加五十数か国の創設メンバーである。
ものづくりでは世界一なのだが、日本は窮地に追い込まれている。うかうかしてい
る と 世 界 中の 大 きな イン フ ラ プ ロジ ェ クト はA I I B の中 国 に総 なめ に さ れ てし ま
いかねない情勢だ。中国だけでなくヨーロッパ勢も容赦なく、国際競争は熾烈でほと
んど絶体絶命に近い。
クオリティで勝る日本の製造業界にはわずかにチャンスは残されている。しかしな
―4―
がら背水の陣を敷いて臨まなければ挽回は難しいだろう。
このお寒い現実を直視して遅れを取り戻せるのかどうか。獅子の前髪をつかむくら
いの強い意志とスピード、実現のために必要な内外のサポート体制の整備を急ぐ必要
がある。
日 本 は 新 幹 線と 社 会 イン フ ラ 関 連 を中 東 や アフ リ カ に 輸 出し て 経 済発 展 に 寄 与す
る道を選択するときではないか。そのほうが歓迎され、喜ばれ、実績にもなってチャ
ンスが広がる。
中東アフリカの混乱は、戦乱を逃れて難民の群れがEUに押し寄せるようになり、
危機はヨーロッパにまで波及し始めた。
横山三四郎
い ま こ そ 日 本は 平 和 の回 復 の た め に持 て る パワ ー を 全 開 して 貢 献 した い も の であ
る。
平和の国日本には戦場より市場が似合う。
二〇一五年夏
―5―
第一章
幻のイラン新幹線建設計画
中東やアフリカに新幹線を輸出するなど、無理な話だという人がいるかもしれない。
日本の新幹線は、世界のどこの国の鉄道とも異なる規格で計画、設計、敷設されてい
る。いわば頭からしっぽまですべてが日本オリジナルだから、建設はもちろんのこと、
運転も運営も容易ではない。まして鉄道建設のインフラが整っていない国では難しい
のではないかという意見である。
しかし観方を変えれば、だからどこにでも建設ができるともいえる鉄道なのだ。日
本では例外の広軌(1・435メートル、普通の鉄道軌道は1・067メートル)だ
が、これが世界標準の軌道幅でもある。
そもそも新幹線は、山また山の日本にはまったく不向きな輸送機関である。そこで
無理やりトンネルを掘り、地下にもぐり、高架を設けて通してしまった。軌道も既存
―6―
のほかの国内の鉄道とは異なる広軌を採用している。運転士や保守要員も新たに養成
した。こうして不可能を可能にするような努力を重ね、知恵を出し合ってようやく完
成した鉄道なのだ。
最も困難な日本の地形と気候でさえできたのだから、世界中、どこでも新幹線は建
設することができる。新幹線を海外に輸出できるかどうかは、それぞれの国と地域が、
このようなコンセプトの鉄道がほしいと考えるかどうか、そしてそれに見合う建設費
と維持費を調達できるかにかかっている。
分かりやすく言えば「どこの国の既存の鉄道とも異なる日本オリジナルな輸送シス
テムですが、それさえご理解いただけるならば新幹線はいつでも世界中に出前いたし
ます」とご案内できる。「完成している新幹線をセットで建設して差し上げます」と
いえるのである。
もちろん玩具の鉄道キットではないのだから、そう簡単ではない。新幹線の輸出の
ような大事業は、JR各社から数千の関連会社、工場がからんで、どんなに小さな案
件でも数年から十数年がかりのプロジェクトになる。
―7―
幸い、かつてイランに新幹線を建設する計画が練られたことがあり、調査も終わっ
てマスタープランまでが出来上がって着工する寸前までいった案件がある。これなど
は今後のモデルになると思われるので、全容をここに紹介しておこう。
* * * * *
注文してきたのはイランのパーレビ国王である。イランは良質の石油を産出するこ
とで知られ、日本はその産出量の三分の一も輸入していた時期がある。
そのイランは、第四次中東戦争(一九七三年十月)で原油価格が五倍にも値上がり
したことから莫大な収入を上げるようになっていた。そのお金を国内で下手に使うと
激しいインフレを引き起こすことから使い道に困るほどだった。
そこで米国などから戦車や戦闘機の武器を調達しており、日本からは開業して間も
ない新幹線に白羽の矢を立てた。一九七五年には日本の海外鉄道技術協力協会(JA
RTS)との間で契約が交わされ、第一段階の調査費用だけでポンと十億円の契約金
を支払った。
―8―
契約金もさることながら、イランが望んだ新幹線計画がまた壮大なものだった。首
都 テ ヘ ラ ンか ら イラ ン東 部 の 聖 地マ シ ャッ ドま で お よ そ1 0 00 キロ も の 距 離を 結
ぼうというのである。そのころの日本での営業は、まだ東京=新大阪間の515キロ
だからその倍近い長さだ。
一九七六年には運輸・施設・電気・軌道・車両・車務などの各分野の専門家がイラ
ンに飛んで現地での調査に入った。日本としては初めての新幹線の海外輸出である。
これが成功すれば新幹線は世界中に路線を広げるかもしれない。
鉄道マンたちは大きな期待に胸を高鳴らせながら、日夜、路線の調査と測量など建
設計画に取り組んだ。
―9―
イランの幻の新幹線ルート。北部のテヘラン~マーシャッド間
JARTS の「新幹線と世界の高速鉄道 2014」から
テヘランーマシャッドの路線
は、地図でいうとカスピ海の南側
にそびえるエルブルズ山脈の麓
を東西に走ることになる。
気候的にはそう高温でもなく、
日本の技術陣にとって未知の問
題はなかった。
途中にはカナートと呼ばれる
中央アジア特有の灌漑施設が無
数にあるが、その保全に問題はな
いと思われた。一部、マシャッド
に近いところで山岳地帯を走る
が、そのあたりは得意の日本のト
ンネル掘削技術でクリアできる
―10―
ことだろう。
一九七八年初めには第一フェーズのマスタープラン(総合計画)がまとまった。そ
し て テ ヘ ラン か ら東 側1 0 0 キ ロの 部 分で 嗣最 に 着 工 する た め詳 細な 設 計 を 含む 実
施計画の第二フェーズの設計に入った。
そのときイランに不穏な空気が流れる。
筆者はまさにその年、一九七八年の九月八日の直後にイランに入った。
テヘランで反王政デモが軍隊と衝突して、映画館などが焼き討ちされたブラックマ
ンデーである。外電がテヘランの異常事態を至急電で流し始めたことからリポーター
としてテヘランに向かったのである。
首都テヘランの辻々には戦車がみられ、自動小銃を水平に構えた兵士たちが警戒に
あたっていた。
目 抜 き 通 り を歩 い て いる と 兵 士 を 満載 し た 迷彩 色 の 軍 用 トラ ッ ク の車 列 が 通 りか
かった。絶好の被写体とカメラを向けたとたん、車列が急停車してカーキー色の軍服
―11―
の兵士たちがばらばら飛び降り、筆者に向かって走ってきた。恐ろしい顔でまくし立
てている。
筆者が連行されようとしたとき、上官とおぼしき兵士が近づいてきた。英語で誰何
され、名乗った。そしてカメラからフィルムを抜き取って手渡した。
すると上官はなにやら兵士たちに命じ、みなトラックに戻って車列は再び動き出し
て去って行った。生きた心地のしない一瞬だった。軍隊はこれほどまでに神経をとが
らせていた。
イランのパーレビ国王が「わが国の原油がミネラルウォーターのエビアン水よりも
安いのは許せない」と語り、サウジアラビアなどほかの産油国と歩調をそろえて石油
輸出国機構(OPEC)を創設、国際石油資本メジャーとの対決姿勢を強めているう
ちはよかった。国民の信頼も高かった。
第四次中東戦争(一九七三年十月)のときには、OPECはイスラエルとそれを支
援 す る ア メリ カ 側に つく 国 に は 石油 を 売ら ない と 宣 言 する と とも に販 売 価 格 を四 倍
に引き上げた。それまでに倍になっていたから計五倍ものアップである。
―12―
こ う し てペ ル シャ 湾岸 の 産 油 国に は じゃ ぶじ ゃ ぶ と オイ ル マネ ーが 流 れ 込 むよ う
になった。OPECの主要国イランを率いるパーレビ国王はそれこそ飛ぶ鳥を落とす
勢いだった。イランは一九七三年には590万バレルを輸出して四十四億ドルを稼い
だが、翌七四年には600万バレルの輸出で二百十四億ドルもの収入になった。
だが、幸運は長続きしなかった。
国が豊かになるとともに、イランでは物価が高騰し始め、国民の間に富を支配する
パーレビ国王とその一族にたいする怨嗟の声が上がるようになった。大金持ちの国に
なるとともに、イランは不幸の種も引き寄せていたのである。
その空気をつかんで、抑圧されてきたシーア派イスラムの僧たちが立ち上がった。
その中心になったのが、アヤトラのなかでも名声の高い大アヤトラ(アヤトラ・オズ
マ)のホメイニ師である。そのころすでにテヘラン南方の宗教都市コムから追われ、
イラクのナジャフに亡命していたアヤトラ・ホメイニは、歯に衣を着せずにパーレビ
国王とその王政を批判するようになった。カセットに録音したホメイニ師の演説は大
―13―
量にコピーされてイラン国内に出回っていた。カセットこそはインターネットのない
当時の先端をゆく広報宣伝のツールだった。
反王政の機運は、イスラム僧から次第に一般大衆の間に広がって、タブリーズなど
の地方都市で暴動が起こるようになり、一九七八年になるとそれがイラン全国に拡大
した。そして夏ごろにはシーア派イスラムと社会党や共産党の左派から国民戦線、自
由 党 な ど の民 族 主義 勢力 も 加 わ って 広 範な 勢力 が 反 王 政で 結 集し て統 一 戦 線 を組 む
ことになった。
こ こ に は パ レス チ ナ 解放 機 構 の P LO も 加 わっ て い た こ とを 当 の PL O 幹 部 から
直接、聞いたことがある。
そして七八年十二月十一日、ホメイニ師と国民戦線が呼びかけた反王政集会がテヘ
ランの国際空港に近いシャヒアッド広場で開かれた。これがパーレビ国王をノックア
ウトした。百万人と一説にいわれるが、筆者が実際に行ってみた規模はそれほど大き
なものではなかった。しかしこれを見たアメリカ大使館はパーレビ国王は国民の信頼
を失ったとワシントンに打電したのである。
―14―
テヘランではまだしばらくは軍隊が治安を維持していたが、これ以降、夜など下町
のほうから銃撃戦のような音が聞こえるようになった。何事がおきているのか。
ホテルを山の手から下町に移したところ、銃撃は市街戦そのもののようで、外出な
ど到底、できないほどホテルの真近かで聞こえ、それが日々、激しさを増していった。
反王政派が政府の夜間外出禁止令を無視して挑発行動に出て、警備の軍隊とつばぜり
合いを始めたのだ。
この事態に当時のカーター米政権はパーレビ国王に国外への退去を勧告。七九年一
月十六日、パーレビ国王はファラ王妃とともにエジプトに亡命して、二度と戻ること
はなかった。(国王は世界各地を流浪の末、エジプトで客死する)
入れ代わるようにアヤトラ・ホメイニが同年二月一日、フランスのパリに移してい
た亡命先からテヘランに凱旋した。一九二五年に始まったイランのパーレビ王朝の終
焉だった。
そ し て 日 本 の鉄 道 マ ンた ち が 心 血 を注 い だ イラ ン へ の 新 幹線 輸 出 計画 も 幻 に 終わ
ったのである。
―15―
* * * * *
イランに対する経済制裁が終わるのであれば、この新幹線計画を再び提案してはど
うか―と誰しもが考えたくなるだろう。だが現実はそう単純ではないどころか、お先
真っ暗かもしれないお寒い状況がある。
日本がアメリカに追随して経済制裁をしている間に、ドイツ企業がイランに食い込
んで、二〇〇七年六月、なんと同じルートのテヘランーマシャッド間にドイツのリニ
アモーターカー「トランスラピッド」を建設する予備調査を行うことで、イラン政府
と合意している。
筆者はその後、ドイツの計画がどうなったかについての新しい情報を持ち合わせて
いないが、日本にとってはさらに悲観的な状況がある。それは中国が二〇一五年六月
のAIIB(アジアインフラ投資銀行)の発足にあたり、北京からバグダッドまでの
鉄道建設を第一号の融資に考えていると発表したことだ。
それがどのような鉄道なのか、そしてどのルートでの建設が予定されているかはま
だ分からない。しかし間に高峻な山岳の国アフガニスタンがあるからには、同国を迂
―16―
回して北部からのルートをとると考えるのが常識だろう。とすればイラン北西部の町
マシャッド付近がイランへの入り口になると予想される。そしてマシャッドからはテ
ヘラン経由、イラクのバグダッドを目指すだろう。
イランの国際復帰の可能性が開けたというニュースを聞いてから、日本の新幹線に
ついて調べてみた。結果はがっかりだった。新幹線の元祖でありながら、日本の新幹
線は世界では大変に苦戦しているのである。ほとんど失速していると言っていい。
お隣の国、韓国ではなんとフランスに競売で負けている。ソウルー釜山間412キ
ロの高速鉄道の建設はドイツとフランス、そして日本の三者の競争だったのだが、フ
ランスのTGVが採用されたのだ。まったく情けない。
台湾でも台北―高尾間345キロの高速鉄道の入札で、日本は一度、フランス・ド
イツ連合に敗れた。その後、大きな地震があり、地震に強い実績のある日本の新幹線
でなければということになって、ようやく息を吹き返したのだった。
インドネシアでもジャカルタからバンドン経由、スラバヤまでの高速鉄道計画が
―17―
ある。ジャワ島を東西に貫く730キロのルートだ。日本としては沿線の調査も行い、
受注しようと意気込んでいたのだが、二〇一四年にジョコ・ウィドド新大統領が誕生
してからは形勢がよくない。同大統領はお金のかかるプロジェクトが嫌いで安上がり
な中国に傾いているらしいと聞いていたが、二〇一五年九月に入って「日本のプラン
も中国のプランも採用しない」と発表した。両国の面子をつぶすわけにもいかないと
いうことのようだが、バッティングした末にご破算になったということである。
一番の競争相手はいまや中国である。日本を抜いて世界第二の経済大国になった中
国は、その勢いで世界各地で大きなプロジェクトを受注している。その国に資金がな
ければ、中国輸出入銀行が融資して、実質、無償で建設することも珍しくない。
中国は世界中に華僑がおり、中国製品がいくらでも売れるという小売店のネットワ
ークがある。だから鉄道をほとんどタダで建設してあげても、長い目でみればペイす
ると計算しているようだ。これでは日本の新幹線はまともに競争しても勝ち目はない。
日本の鉄道関係者のなかには、それでもいいのではないかと考える向きもある。中
国の新幹線そのものが日本からの援助で技術移転したものだ。このために鉄道の重要
―18―
な部品は日本製でないと間に合わないところがあって特許料
本の新幹線関連企業に還元されているのだという。しかしそ
れではさびしい限りである。
イランでも中国は革命イランが欧米に包囲されて困窮して
いる間、陰に陽にシーア派イスラムの革命政権を支援してき
た。筆者も一九八〇年台前半、テヘランの中華料理店で中国
の軍服を着た軍人が奥まった個室で食事をしているのを何度
もみかけた。北京とテヘラン政府のパイプはわたくしたちが
考える以上に太く、緊密なものになっている可能性がある。
中国の AI IB につぃ ては、 結成 が発 表にな っただ けで具
体的な話はこれからだし、中国経済の停滞からどこまで実績
をあげられるのか。株価暴落にともない資本の流出を阻止す
るために為替管理を強化するなど、中国の資金力そのものに
―19―
が入る。車両についても日本の部品がどうしても必要で、日
インドネシアのジャワ島で計画されていた新幹線の日本案は中国案と
共に却下された。JARTS の「新幹線と世界の高速鉄道 2014」から
疑惑の目が向けられている。それでもこのようなわけでイランが国際社会に戻ってく
るとはいっても、日本は昔のようにツーカーとは行かないことは念頭に置いておいた
ほうがいいだろう。
だが日本はここであきらめてはならない。
世界最高の技術に誇りをもってイランに導入を働きかけてみよう。後で詳しく書く
日本の中東アフリカ改造計画では、まずイランを足掛かりに平和攻勢をかけたいと考
えている。
日本の鉄道マンたちは革命イランになってからも、テヘランーイスファハン間で鉄
道高速化のための調査や信号訓練センターの支援などの経済協力を行ってきている。
マ シ ャ ッ ドか ら イラ ン中 部 の 町 バク フ まで の鉄 道 建 設 計画 に つい ても 調 査 と 測量 を
行って協力した。
パイプはまだ生きている。イランにも地震があり、日本の新幹線のノウハウは欠か
せない。
―20―
第二章
イラン封じ込め政策の大転換
キュロス大王の墓前で考えた
革命イランの誕生は隣国イラクを警戒させて、サダム・フセイン大統領は一九八〇
年九月二十二日、先制攻撃に出た。それから八年におよぶイラン・イラク戦争の勃発
である。
こう着状態が続く八〇年代初めの夏の日、筆者はテヘランからイラン中西部のイス
ファハンまで車で旅し、途中、古都ペルセポリスとパサルガダエに立ち寄った。いず
れもペルシャの初めての王朝であるアケメネス朝の首都だったところで、パサルガダ
エには始祖キュロス大王(BC550 5-29)の墓がある。
沿道の車窓には昼間だというのに人影が薄かった。男という男はイラクとの戦争に
徴兵されて戦争の前線に送られているらしかった。
ペ ル セ ポ リ スか ら 1 00 キ ロ と 離 れて い な いパ サ ル ガ ダ エの キ ュ ロス 大 王 の 墓所
は、入り口に門番とおぼしき年老いた老人がいるだけで、ほかには誰一人いなかった。
世界史の本に「諸王の王」と書かれ、バグダットを攻略したときには捕えられていた
―21―
訪れたときにキュロス大王の墓所には人っ子一人いなかった。
Wikipedia から
ユダヤ人らの奴隷を解放したとさ
れる高名なキュロス大王の墓が、広
大な敷地に警備兵の一人もなくポ
ツンとあった。
ホメイニ革命では、イスラム以前
の歴史の価値を認めないとして、テ
ヘランの博物館では展示物の並べ
方までが変わった。ムハンマド(マ
ホメット)がイスラムを創出する前
は歴史などなかったかのごとき扱
いである。革命政府に反逆する若者
たちは「地上の腐敗」なる罪名で
次々と処刑されていた。宗教の名の
もとに慄然とする命の軽さだった。
あれほどの歴史を築いて諸王の
王と敬われたキュロス大王が無人
―22―
の原っぱに放置されていた。
抜けるような青空の下、大王の墓石に座りながら、しばし宗教革命というもののす
さまじさを考えたことだった。
ホメイニ師はテヘランに凱旋するや権力闘争を始めた。パーレビ王政を倒すために
寄り集まった勢力は幅広かった。国民戦線はもちろん、自由と民主主義の信奉者や共
産党もいたのだが、それらを次々とはじき出したのである。矛先はシーア派イスラム
の僧侶たちにも向けられて、西欧文明を容認する開明的なアヤトラたちをも幽閉した
り、処刑するなどして権力から追放していった。
コ ー ラ ン に 従え と い うホ メ イ ニ 師 の教 え に 忠実 な 学 生 た ちは ア メ リカ 大 使 館 を占
拠して当時のカーター大統領のワシントンと対決した。
パ ー レ ビ 国 王に 国 外 退去 を 勧 告 し たカ ー タ ー政 権 は こ ん なは ず で はな か っ た と悔
やんだが、すべては後の祭りだった。イランは革命とともに諸外国には手の届かない
神の国になった。
―23―
大事件、内戦、戦争の玉突き
その後の中東は、革命イランの勢いと熱気に振り回されてきたといってよい。地球
改造論の基礎知識としてここ三十余年の歴史を駆け足でみておこう。
* * * * *
1979・12・26 ソ連のアフガニスタン侵攻。イラン革命がアフガニスタン
に波及して、イスラム教徒の多い南部が不安定になることを未然に防ぐねらいがあっ
た。これにアメリカと中東諸国が反発してアフガン内戦が始まる。
1980・9・22 イラン・イラク戦争勃発。イラクのサダム・フセイン大統領
が革命イランを警戒して先制攻撃。88・8・20 終結。
1984年 サウジアラビアの富豪で、ホメイニ師に心酔するオサマ・ビンラディ
ンが「アルカイダ」を結成して兵士を募り、アメリカ提供の武器で武装してソ連軍を
追い詰める。ソ連軍は1988年に撤退。
1990・8・2 イラクがクウェート侵攻。91・1・17 多国籍軍がイラク
を攻撃して湾岸戦争に発展。
2001・9・11 アルカイダが飛行機を乗っ取ってアメリカを攻撃する同時多
―24―
発テロ。ニューヨークの世界貿易センタービルが炎上して崩壊、ワシントンの国防総
省も標的。
2001・10・2 アメリカは報復にアフガニスタンのタリバーン政権とタリバ
ーンがかくまうオサマ・ビンラディンのアルカイダへの報復開始。北大西洋条約機構
軍も参加して約2ヵ月で完了。
2003・3・19 アメリカ軍はイラクがアルカイダを支援しているのみか、大
量破壊兵器を隠し持っているとしてイラク戦争に踏み切る。同5・1 戦争終結。フ
セイン大統領は12・13に拘束され、2006・12・30処刑。
イラクの崩壊は、隣国シリアを不安定にしただけでなく、北アフリカ諸国にまで動
揺をもたらした。
2011年~2013年にはチュニジア、リビア、エジプトで反政府運動が高まっ
て相次いで政権が崩壊した。「アラブの春」と呼ぶ向きもあるが、春というには血生
臭い事件の連続だった。
そ こ に は ア フガ ニ ス タン を 追 わ れ て行 き 場 を失 っ た ア ル カイ ダ の ムジ ャ ヒ デ ィン
(戦士)が介入。反米機運を利用して組織化とテロ活動を指導。政治的混乱が広がり
―25―
悪化するなかで、絶望した北アフリカ諸国の人々の国外脱出が激増。
2014・6・29 イラクが内部対立で安定しないことを利用して、アルカイダ
系 の イ ス ラム 過 激派 がシ リ ア と イラ ク にま たが る 軍 事 的空 白 地帯 を占 領 し て 組織 的
な活動にはいる。IS(イスラム国)としてカリフを頂点とするイスラム国家の樹立
を宣言。
* * * * *
I S は か つ てイ ス ラ ムが 支 配 し た とこ ろ は すべ て カ リ フ のイ ス ラ ム国 と す る とし
て、シリアのみか、アメリカ政府が支えるイラク政府の打倒を目指して戦端を開いた。
イ ラ ク か ら 撤退 後 も 顧問 団 を 残 し てイ ラ ク の治 安 維 持 に 腐心 し て いた オ バ マ 米政
権はあわてて、近隣のアラブ諸国やNATOの国々と有志国連合を結成して、ISを
軍事的に粉砕しようとしている。米国防総省は成果を発表しているが、必ずしも弱体
化には成功していないと伝えられる。
なにしろ世界中から命知らずの戦士志願が集まってきて、いくら退治しても息を吹
―26―
き返してくるのである。
イランとの核協議合意の裏事情
このような局面を迎えていた二〇一五年七月十四日、安保理常任理事国にドイツを
加えた六か国とイランが、イランの核開発をめぐる「包括的共同行動計画」、略して
核協議で最終合意に達した。
革 命 イ ラ ン が核 保 有 を目 指 し て ウ ラン の 濃 縮を 始 め た こ とが 発 覚 した 二 〇 〇 二年
以降、欧米諸国が経済制裁をどんどん強化してその放棄をせまっていた。これには日
本も同調してイランとの経済関係を大きく縮小してきたが、潮の流れは大きく変わっ
た。
合意案によれば、イランの核開発能力を大幅に削減して、核兵器に必要なウランな
どの蓄積には一年以上かかるようにする。IAEA(国際原子力機関)が厳しく査察
して、イランに核兵器を保有させないようにする。そしてイランはこれから十五年間、
―27―
核兵器のための高濃縮ウランやプルトニウムを製造したり、取得したりしないことで
合意したと発表された。
この見返りに国連と欧米諸国は、イランが合意を実施するのを確認しながら、段階
的に経済制裁を解除するのだという。
明日にも制裁解除というわけではない。読みようによっては、ならばイランは十五
年後には核保有国になるのかとさえ受け取れるあいまいさのある内容で、妥協の産物
であることがうかがえる。
それでも最終合意は重大な意味を持っている。イランのホメイニ革命から三十六年、
中東情勢は大きな転機を迎えた。革命イランを恐れてその弱体化のために経済制裁な
どを課してきた欧米諸国が、その封じ込め政策を転換したのでる。
これに伴いイラン革命、さらには二〇〇二年のイランによる核開発計画の発覚以来、
強化されてきた経済制裁が徐々にせよ、解除される。かつてはイランから国内消費量
の三〇%もの石油を輸入してきた日本は、いまでは五%程度しか輸入していない。同
盟国アメリカの意向もあってイランとの関係を縮小してきた日本の企業は、再び中東
―28―
ビジネスが拡大するとみて色めき立っている。
経産省も間髪をいれず、山際大志郎副大臣を団長とする使節団をテヘランに送った。
その中には三菱商事、三井物産、伊藤忠商事などの大手商社、日揮などのプラントメ
ーカー、大手銀行、損保など二十一社が同行した。もちろん石油やガスなどの会社、
国際石油開発帝石の幹部も含まれていた。実務型の訪問団といえる。
イラン側も心得たもので、ザンギャネ石油相、中央銀行総裁らが対応した。石油相
は対日石油輸出はかつてのレベルまでも増やせると語り、中央銀行のセイフ総裁は液
化天然ガスの開発など石油関連のほか、原子力関連にまで言及して話がはずんだ。久
方ぶりの明るい話題にテヘランの政府関係者もご機嫌だったようだ。
日本経済新聞(八月十九日付朝刊)によれば、政府は制裁解除に備えてイランと投
資協定の締結に向けて内部協議を始めた。同時並行してイラン側と事務レベルでの協
議を進めてすり合わせをしている。締結を予定している投資協定では、日本の投資に
たいする優遇措置とともに、有事の際の保全の措置にも触れられているようだ。
―29―
イランへの制裁解除を見通して投資協定の締結の動きを伝えた日本
経済新聞。
―30―
ISとイランのヘゲモニー争い
双方には核協議で合意を急がなければならない切羽詰まった事情があったと思わ
れる。それはそして双方ともに同じ理由―もはやこれ以上、ISを強大にしてはなら
ないし、早く壊滅させなければならないという点である。
ISはイスラム国というだけに、イスラム革命のイランと親戚のような関係にある。
実際、考え方のルーツは同じであって、両方とも、イラン革命を指導したホメイニ師
の教えである①コーランに戻れ②西欧文明を排せ③イスラエルを中東から叩き出せ
――と主張する。
ただし、シーア派イスラムの国イランとしては、ISの主張のなかで絶対に許せな
いものがある。それはISが、カリフ一人がすべてを支配する政治体制を主張し、支
配地域で実践していることだ。カリフ制のオスマントルコがそうであったように、I
Sの版図の中では国家というものはなく、国境も消滅する。
極言すればもしISの支配地域がイランに及ぶことになれば、イランという国もな
くなるということだ。
―31―
誇り高いイラン人はかつてイスラム勢力に制圧されたときも、そのまま受け入れる
ことはなかった。アリーという救世主がいずれは復活して人々を救済してくれるとい
う考え方をする宗派を信じてきた。
イランでは宗教的な祭りの日に、隣組がそろって街を練り歩く。そのときに人々は
「アリー、ハッサン、フサイン」と抑揚をつけて唱和するのを何度か聞いた。その声
はいまも耳に残っている。
シーアとはシーアット・アリー(アリーの一派)という意味で、預言者ムハンマド
と血縁関係にあるアリーこそが後継者だと考える。これに対して正統派のスンニ派は
後継者のカリフは血筋とは関係なく、ふさわしい人物が選ばれて就任するものだとし
ている。
シーア派によれば、アリーにはハッサンとフサインの二人の息子がいた。しかし、
フ サ イ ン は正 統 派を 称す る ス ン ニ派 の 裏切 りに よ っ て イラ ク のカ ルバ ラ で 非 業の 死
を遂げたと考えられている。バグダッドからそう遠くないカルバラにはいまもフサイ
ンを祭るイスラム寺院がある。
このようなわけで、同じイスラムなのだから仲よくしようとはならないどころか、
鋭く対立する宿命にある。イスラム圏の覇権争い、ヘゲモニー争いがもう始まってい
るとみても誤りではないだろう。
―32―
バグダッドはイランの首都
イラクという国は、委任統治していたイギリスが、バグダッドなど中央部のスンニ
派イスラム、南部のシーア派イスラム、それと北部のクルド族という異なった三つの
部族を一緒にして樹立した王国が基盤になっている。それぞれが相容れない部族だか
ら、まとまりが悪くて安定しない。しかし不安定な政治が続けば、イギリスの石油権
益 に と っ ては か えっ て好 都 合 だ とい う 長年 の植 民 地 経 営か ら 編み 出し た 知 恵 が潜 ん
でいる。
この三つの政治勢力による均衡が、イラク戦争でスンニ派のサダム・フセイン大統
領が処刑されたことから崩れてしまった。マリキ首相はシーア派イスラム寄りで、バ
グダッドの政権にもシーア派の政治家が多数、入っている。これがスンニ派の反発を
招いて、中央政府への参加をボイコット、どうしてもまとまらない。アメリカの思惑
とは裏腹に不安定な状況が続いてきた。
シリア内戦に乗じて活動を開始したアルカイダ系のムジャヒディン(戦士)がこれ
に目をつけた。シリアの無法地帯から国境を越えて中央政府に不満を持つスンニ派の
―33―
部族を味方に、一気にバグダッドに迫るようになる。クルド人の支配する内陸の油田
地帯モスルも制圧した。ISとしてカリフの国を宣言してバグダッド60キロの近郊
に迫り、イラクの中央政権は風前の灯となった。
しかし間一髪、バグダッドは陥落をまぬがれた。マリキ首相のイラク政府がイラ
ンに支援を求め、出動したシーア派民兵が反撃にでてISの部隊を敗走させたのであ
る。シーア派民兵はイランの革命防衛隊の指揮のもとに動いている。
このあたりの事情は日本のメディアではほとんど報じられていない。アメリカの国
防総省、国務省が一切、口をつぐんでいるからだ。革命イランを敵視して経済制裁を
課 し て い るイ ラ ンの 勢力 が イ ラ クで 軍 事活 動を し て い るこ と を認 める こ と は メン ツ
にかかわる。到底、発表などできないのだ。
し か し 様 々 な情 報 は いま や バ グ ダ ッド は イ ラン の シ ー ア 派民 兵 に よっ て 守 ら れて
おり、その軍事作戦はイラク駐留のアメリカの軍事顧問団の暗黙の了解のもとに行わ
れている。
「バグダッドはイランの首都になった」とテヘランの大統領顧問の発言が伝えられ
た の は 二 〇一 五 年三 月九 日 の こ とで あ る。 イラ ン の ロ ーハ ニ 大統 領の 上 級 顧 問、 ア
―34―
リ・ユーネシ氏(Ali・Younesi)は「今日からイランは、歴史を通してそ
うであったように、中東地域の文明、文化、アイデンティティの中心であるイラクの
バグダッドを首都とする」と宣言した。
イラン政府は否定したが、中東のメディアは上級顧問の写真入りで大きく報じた。
これに近い内容の発言があったことは間違いないだろう。それはまたバグダッド一帯
の戦況がイランに有利に動いていることを示唆している。あるいは水面下でイラク政
府 と 行 っ てい る 交渉 でな に か イ ラン に 極め て有 利 な 取 り決 め があ った の か も しれ な
い。
筆者は、バグダッドを占拠してアケメネス朝を創設したキュロス大王の墓にお参り
した日を想い出した。歴史を軽んじるかにみえたイランにも博学な知恵者はいるよう
だ。今後の革命イランは歴史に習ってこれまでとはいささか違う行動をみせるように
なるかもしれない。
キュロス大王は占領したバグダッドの奴隷たちを解放し、王の道を版図に張り巡ら
して繁栄を築いた。こうした過去を知る知恵者を傍らにしたイランはこれまでとは一
味、違った動きを見せそうだ。
革命からすでに三十年も過ぎている。国民にも革命を知らない若者たちが多くなっ
―35―
た。ストレートばかりではなく、もっとひねった、さらに巧妙な政治外交をするよう
になるのではないか。イランは要注意である。
欧米による中東支配の大転機
中東地域は日本にとっては遠いところだった。どうしても影響力を発揮することは
できない。とくにペルシャ湾は第二次大戦前まではイギリスが、戦後はアメリカのプ
レゼンスが強くて日本は指一本触れさせてもらえなかった。そのご機嫌をうかがって
石油をいただく時代が続いてきた。
その米英がいま、お手上げである。
仔細に近年の歴史を振り返ってみればみるほど、アメリカのその場しのぎの中東外
交がことごとく墓穴を掘るような失敗に終わり、収拾のつかない事態を招いてきたこ
とが分かる。ここでアメリカの責任問題を持ち出したところでなんの解決にもならな
い。お付き合いはほどほどにしなければならないという教訓として覚えておこう。
それよりもここは日本も全体の状況を鳥瞰して、できることをよく考えるときだと
思う。
―36―
中東は大きな山場を迎えている。この山を越えた後にまた別の山があるかどうかは
分からない。ただ中東と世界が登り詰めようとしている山は、もしかすると大航海時
代以来の高い山なのかもしれない。
ポルトガル、スペインの艦隊がアフリカの喜望峰を回ってインド洋とペルシャ湾に
進出するようになったのは十五世紀末のことである。これに代わってオランダ、イギ
リスが続き、フランスとともにインド洋からアジアへの進出を競った。フランスのナ
ポレオンはエジプト遠征からメソポタミアも考えていたが、イギリスのネルソン艦隊
に敗れ、結局、イギリスの時代が続いた。
第一次大戦も、そして第二次大戦も中東の石油をめぐる戦いだったといえる。二つ
の大戦ともドイツは石油を求めてペルシャ湾方向に兵を進めたが、たどりつくことが
できずに敗北した。フランスの首相クレマンソーが「石油の一滴は血の一滴に値する」
と打電して石油を求めたように、二度の世界大戦はいずれも石油をめぐる戦いだった
といっても過言ではない。
第二次大戦で疲弊したイギリスが、インドも失って国力を失い、スエズ運河の東側
から全兵力を引き揚げると、代わってアメリカがペルシャ湾に陣取って憲兵としてこ
の一帯に影響力を発揮するようになった。アメリカの国際石油資本メジャーがサウジ
アラビアなどに大油田を相次いで発見したこともあり、その権益を守る目的もあった。
―37―
このように欧米の旧植民地帝国主義の国々が守り抜いてきたペルシャ湾で、手も足
も出なくなって往生している。大航海以来、ほとんど六世紀ぶりの大異変が起きつつ
あるのではないかと筆者はみている。
イランの大統領顧問が「イランの首都はバグダッド」と浮かれるのはまだ早いかも
しれない。経済制裁の解除はイランが合意を着実に実行したことを確認してからの話
だ。
しかし歴史的転換期は本当に訪れつつあるのかもしれない。
すでにバグダッド周辺には民兵と称するイランの革命防衛隊などが布陣して、本格
的なISとの対決に備えているものとみられる。イランはイラク南部だけではなく、
レバノンやガザ地区、さらにはアラビア半島のイエメンにも息のかかった勢力を配置
している。
そ れ で も 欧 米諸 国 が 絶対 反 対 と い って き た イス ラ エ ル を 抑え て 核 協議 を 妥 結 させ
たことは、もはや革命イランを敵にするよりは味方にして中東の安定をとりもどすし
か方法はないと考えたからに他ならない。
―38―
ワシントンの共和党議員のなかにはまだ、再び地上軍を送ろうと勇ましいことをい
う向きもあるが、オバマ大統領にはその気がない。予算もない。現在、ペルシャ湾に
展開している以上の兵力を動かすとすれば、それはイランが合意を反故にするなどし
てサウジアラビアなどを守れないとみたときだろう。
サウジアラビアのサルマン国王も九月四日、ワシントンを訪れ、「イランには核武
装させることはない」という点でオバマ大統領に念を押したうえでようやく核協議の
最終合意に賛意を表明した。
宗教対立には踏み込むまい
このような歴史的な転機において、日本はふさわしい行動に出なければならないと
思う。中東にプレゼンスを築いてきた欧米の力が弱ったときこそ日本のチャンスであ
る。
一皮むけば、中東にはユダヤ、キリスト、イスラムの宗教的対立が潜んでいる。こ
うした宗教上の対立は、仏教と多神教の国日本からは想像もできない根深さだ。まし
て平和憲法のもとに泰平の暮らしの長い日本人は、張りつめた戦時の空気さえ知らな
い。多神教と仏教の国があまり深入りするのはお勧めできない
―39―
また日本は中東アラブ諸国で手を汚していない。四次にわたる中東戦争に加担して
いないからで、各国民はそれを知っているから好意的だ。その特権を捨てて軍事的な
作戦に参加するのは国益にならないと思う。
そ れ よ り は イラ ン が 欲し が っ て い る経 済 発 展の た め の 手 を差 し の べる べ き だ と思
う。かつて提案した新幹線について、もう一度、本気で提案するのは一案である。も
し中国が先手を打っているときは、そこを走らせる車両を提供するのもいいだろう。
平和回復への道はまだ険しい。シリアはもちろん、イラクがどのような形で最終的
に落ち着くか。それを見定めないうちは軽々に予測はできない
イランがもし、約束を守らず、息のかかったレバノンなどの勢力にイスラエルを攻
撃させたり、シーア派の多いバーレーンの領有の野心をみせるようなことがあれば、
事態は急変してまた次の山が姿をみせることになる。
しかし、いくらなんでも悲劇の連鎖はこれくらいでもう止めにしてもらいたいもの
だ。こういう声は当のイスラム世界から次々と上がっている。
この本を書いている二〇一五年の八月末の最新情報によれば、トルコがISを叩く
有志連合に加わって空爆をおこなった。このことの意味は大きい。有志連合にはアメ
―40―
リカ、フランスなどのNATO諸国の有志のほかにヨルダン、サウジアラビアなどの
湾岸のアラブ王国、エジプトが参加している。
すでにみてきたようにこれにシーア派イスラムのイランも事実上加わって、バグダ
ッドのイラク政府を支援してISと戦っている。IS包囲網がようやく完成しようと
している。
I S に よ る 報復 や 戦 いが 国 内 に 波 及す る こ とを 恐 れ て い たト ル コ が参 戦 に 踏 み切
ったことについて、エジプトの外務大臣は「テロリズムに対抗する偉大な決断だ」と
称賛した。
エジプトはISに対して早い時期から厳しい目を向けていた。カイロのスンニ派イ
スラムの最高学府アズハル大学のアフマド・タイイブ総長は「ISはイスラム教を悪
用しているにすぎない」と糾弾している。タイイブ総長によれば「イスラムは無実の
人の魂を殺すことを禁じている。神とムハンマドに歯向かう堕落した迫害者は殺害か
はりつけの刑に値する」とまで書いた声明を発表した。
トルコ政府などは大使館を通じて「イスラムを汚すイスラム国という呼び方はイス
ラムという宗教のイメージを損なうので、使わないでほしい」と外国メディアに求め
ている。これもエジプトのタイイブ学長が最初に言い出したことだ。この本でもでき
―41―
るだけ使わないように心掛けて、「IS」を使っている。
中東の近年の歴史を振り返れば、まことに因果は巡るといわねばならない。イラン
革命は玉突きのように次々と大事件を起こして、今日に至っている。
どのようにしてこの因果応報を断ち切り、新しい世界を創りだすことができるのか。
それができるのは誰でもない。人類である。それもどこかのだれかではない。筆者は
書きながら、それは日本人ではないかと考え始めている。
―42―
第三章
アフリカゾウの悲鳴が聞こえる
アフリカではいま、中国のアフリカ資源の爆買い、象牙価格の高騰、イスラム過激
派の象牙による資金獲得の三つがからみあって異変が起きている。そのなかでアフリ
カゾウが組織的に密猟されて激減しつつある。
象牙で資金を得たイスラム過激派の暗躍のために、北アフリカから中部アフリカの
国々の治安が悪化して、これを逃れようと人々が地中海に漕ぎ出しているのだ。地獄
のようなスパイラル、悪しき連鎖が続いている。
タンザニアで六万頭のゾウが殺された
二〇一五年の初夏、小さな記事をみつけて目を疑った。アフリカゾウが密猟されて、
じつに六〇%も減ったという。
タンザニア政府の発表である。五年前には10万9051頭いたゾウが、二〇一四
―43―
年には4万3330頭にまで激減したというのだ。これは信じがたい数字だ。このよ
うなことが起きることが不思議だし、あってはならないことだ。
筆者は一九八九年の夏、ゾウの密猟の実態を探ろうとケニアまで出かけて取材した
ことがある。当時、ロンドンに駐在していたのだが、街を歩いていたら「日本人がゾ
ウを殺している」と大書した宣伝カーが走ってきた。なんだこれは!とタクシーをつ
かまえて追いかけ、宣伝カーが止まって街頭演説をするのを聞けば、アフリカではゾ
ウの密猟が横行している。その象牙は印鑑や装飾品に利用する日本や中国に輸出され
ているから、犯人はお前たちだというのだ。
これは大変だ。日本人はゾウ殺しで世界の悪者にされてしまう。ほっては置けない。
まずは密猟の話が本当なのかどうか、事実関係を調べてみなければとケニアに飛んだ。
キリマンジャロの白い頂をあおぐ国立公園でゾウたちが自然に生きる姿も観た。
捜査に近い取材だからそう簡単なものではない。実態はなかなかみえにくいものだ
った。それでも見聞きしたことを「密猟大陸」というタイトルで連載することができ
た。象牙の密猟問題がさらに大きくなって、絶滅のおそれのある動植物を監視するワ
―44―
シントン条約が象牙の輸入禁止を決めたのはそれから数か月後だった。日本人が不意
打ちを食ってショックを受けるのを少しは軽くするお役には立てたかもしれない。
このときのケニア行で筆者は「野生のエルザ」の舞台になったジャングルのロッジ
まで足を伸ばした。欧米人の野生保護のスタイルを知りたいと思ったのである。
そ こ は ケニ ア の首 都か ら 単 発 のプ ロ ペラ の軽 飛 行 機 に乗 っ て一 時間 近 く 北 に飛 ん
だソマリア国境に近いジャングルにあった。ジャングルといってもトゲのあるアカシ
アの木が見渡す限り広がっているところだ。
季節は八月の下旬で、乾季のせいか木々はみな落葉して、灰色がかった灌木だらけ
の平原のようにみえた。しかし雨季ともなれば一斉に芽吹き、花々も開いて絢爛の緑
をまとうのだろう。
コテージにはエルザではないという別の雌のライオンがいた。その時、知ったのだ
が、女優の松島トモ子さんが番組の撮影にきてライオンにかまれたのはまさにそのロ
ッジでのハプニングだった。筆者が訪問した年の三年前、一九八六年のことで頭と首
をかまれて命が助かったのが不思議なくらいのケガだった。
―45―
そこで筆者が「ライオンはなぜ松島トモ子さんにかみついたのだろうか」とオーナ
ーに聞いたら、「目が大きいのでレイヨウかと思ったのですよ」と答えた。
レイヨウというのはカモシカ類の総称で、ケニアではもっぱらインパラのような小
型の、日本のシカのような動物のことをいう。松島さんは珍しくもおいしいシカと間
違われたらしかった。その十日後、病院から戻って撮影を再開したときに、またもか
みついてきたヒョウも同じことを考えたに違いない。
帰国してしばらくして、目黒区での講演の席で松島さんに会って話をする機会があ
った。いまも昔の少女雑誌のグラビア表紙のまんまの大きなお目目で、なるほどと思
ったことだった。
アフリカゾウの悲鳴が聞こえる
少し脱線したが、道草はいつだって役に立つものだ。「野生のエルザ」の舞台はケ
ニアとソマリアの国境からそう遠く離れていないが、国境といってもアカシアの灌木
林に検問所などがあるわけもない。密猟したければ銃を担いでやってきて、ぶっ放す
―46―
だけのことのようだ。
こうした土地勘がアフリカというところを考えるうえで大事である。
いま、アフリカではすさまじいゾウの大量密猟が続いている。その運び屋として中
国人が逮捕されてやり玉にあげられている。しかしゾウ殺しの直接の下手人が中国人
だというわけではない。実際に殺しているのは地元の人々であり、さらにはアルカイ
ダ系の過激派組織である。象牙の闇市場での価格が金並みに高くなったことから、過
激組織が活動資金稼ぎにズドンズドンと殺っているのである。
象牙の価格はいまや1キロ3000ドル以上にハネ上がって、象牙一本がアフリカ
人の平均年収の二十倍以上にもなっている。これでは誘いに抗いきれない。
二〇一四年六月中旬のことだが、ケニアのツアボ国立公園で人気者のゾウのサタオ
(推定45歳)が殺された。サタオの象牙は立つと地面にぶつかるくらいまで見事に
伸びた大きなものだった。それが毒矢で殺されて牙を抜き取られてしまった。
お金がいくらあっても足りないゲリラ組織には願ってもない資金源だ。筆者が直観
―47―
したように、これらの組織は国境などないかのように地続きのアフリカを自動小銃を
担いで徘徊している。
電子出版社eブックランドで最近、
「アフリカゾウに会いに行こう」
(写真と文さと
うゆみ)が電子出版になっている。これがまさにケニアのツアボ国立公園でのエコ
ツアーの記録である。そのなかで案内してくれたオリンド博士が「わたくしたちは
本当の闘いをしているのです」と語っているが、その言葉の裏にこのような肝がつ
ぶれるような出来事があったのである。
象牙を資金源にしているのは、ソマリアのアルカイダ系のアル・シャハブ、スーダ
ン西部の武装騎馬隊ジャンジャウィード、コンゴの神の抵抗軍など、イスラムの名の
もとに無法を繰り返しているグループだ。保護団体が名指しで非難し始めている。
政府の取締りはどうなっているのだといえば、もはやどこの国でも象牙の密漁とそ
の輸出は、お偉方の裏金作りに組み込まれているらしい。下手に追跡すると命にかか
わるような雰囲気が漂っている。表向きは厳しく取り締まっていることになっている
が、軍、警察、国立公園のレインジャー隊までが闇のネットワークに組み込まれてい
―48―
密漁されて殺されたサタオの在りし日の雄姿。ケニアのツァボ国立公園
る。
役人たちの暗黙の
承認のなかで無法者
たちがゾウを密猟し、
それをブローカーの
業者に運ぶ。それをバ
イヤーの中国人が買
い付ける。税関などを
うまく潜り抜ければ、
中国の闇市場で販売
される。
中国で「ホワイトゴ
ールド」と呼ばれる象
牙の密漁のネットワ
ようもないまでに精
―49―
緻に張り巡らされてしまったようだ。
これではゾウたちはたまったものではない。
サイの角も昔から貴重品で、ケニアではサイが8000頭もいたのがほとんどいな
くなってしまった。解毒、解熱、鎮静効果のある漢方薬として珍重されて密猟が絶え
ず、ついにほぼ絶滅である。
中国の漢方薬だけでなく、アラブ人が男の正装のときに腰に差す短剣(ジャンビー
ヤ)の鞘としても需要があり、金に糸目をつけない大金持ちのアラブ人が増えたこと
がサイ絶滅の一番の原因ではないかと考える向きもある。
サンゴの次は象牙
アフリカゾウの密猟についてもう少し、詳しくみてみよう。調べ始めるとすぐに中
国の存在が浮かんでくる。
読者の皆さんも、試みに「中国人、象牙」で検索してみましょう。ここ数年の中国
―50―
人による象牙の密輸事件オンパレードだ。
この夏、二〇一五年八月四日にはスイスのチューリッヒ空港の税関が262キロの
象牙を密輸しようとしていたとして三人の中国人を逮捕した。三人はタンザニアのダ
ル エ ス サ ラー ム 空港 から 来 た と いう が 空港 の荷 物 検 査 をど う やっ て通 る こ と がで き
たのか。十六個の手荷物やスーツケースに五十頭分のゾウの牙がぎっしり入っていた
という。なかには幼いゾウのものもあった。
これらの中国人が公人かどうかは明らかでない。しかしCNNによれば習近平団長
の中国の訪問団が二〇一三年にタンザニアを訪問した際、中国人が象牙を買いあさっ
て価格が1キロ当たり、通常の倍の7000ドルにはねあがったと環境保護団体「環
境調査エージェンシー」(EIA)が報告している。もうそのころにはキロ3000
ドルをつけていたのである。そしてこれらの象牙は外交封印袋に入れられて中国政府
専用機で運ばれていったという。
か つ て 世 界 一の 象 牙 の輸 入 国 だ っ た日 本 の 人間 だ か ら あ まり 強 く いえ た も の では
ない。ただ、中国人が高く買うためにアフリカゾウが急ピッチで殺されていることに
―51―
は疑いの余地がない。
中国政府は象牙の密輸の犯人には死刑の極刑を課すと罰則を強化している。しかし
そのような政府スポークスマンのセリフをどこまで信じていいものか。中国のサンゴ
船が日本近海に群れをなして日本近海に殺到した時のことを思い出す。今回の象牙の
乱獲のスケールはサンゴの密漁以上のものがある。
最 近 は 日 本 での 象 牙 の摘 発 は 少 な くな っ た けれ ど も ま っ たく な く なっ た わ け では
ない。アフリカを旅行する日本人観光客が、中身を知らずに象牙の運び屋頼まれて利
用されるようなことのないように祈りたい気持ちだ。
イスラム過激派のふところを潤す
アフリカになぜ、こんなに中国人が沢山いるのかといえば、中国がいま、盛んにア
フリカに進出していて、各地で鉄道などの大規模な工事をしているからである。中国
人による象牙の密輸は、こうした中国のアフリカへの経済進出に伴う副次的な現象だ
とみることができる。
―52―
○中国によるアフリカでの資源外交で、鉄道建設など多くのプロジェクトが進行して
おり、そのために労働者としての中国人がアフリカに来ている。
⇓
○これらの中国人が象牙を買い求めるようになり、象牙の価格が高騰した。
⇓
○ 象 牙 を 売っ て 活動 資金 を 稼 ぐ ため に イス ラム 過 激 派 が組 織 的に アフ リ カ ゾ ウを 殺
戮するようになった。
⇓
○象牙を中国人に売って資金を得たイスラム過激派は、アフリカ活発に活動して、各
地で治安を悪化させながら活動メンバーを獲得している。
⇓
○治安の悪化で追い立てられ、将来に希望を失ったアフリカの人々は安住の地を求め、
北のヨーロッパに向けて地中海に船を漕ぎ出している。
―53―
これがいま、地中海とアフリカ地域で起きていることである。
アフリカの国々で政治の混乱から生活ができなくなったり、苦しくなった若者たち
が シ リ ア とイ ラ クに また が る 一 帯で イ スラ ム国 家 を 樹 立し た IS の戦 士 に な るた め
に姿を消すというルポルタージュが伝えられている。治安の混乱をつくりだすこと、
それこそが過激派の狙いである。それが過激派の温床になって新たなメンバーが誕生
している。
中国による資源爆買いの果て
アフリカゾウの大量密猟事件は現代の最大の国際政治問題に直結していることが
明らかになってきた。
それは①中国のアフリカ進出②象牙の価格高騰③イスラム過激派の資金源化④ア
フリカ諸国の政治的安定の破壊⑤地中海の難民激増―と連鎖していることが判明し
た。
―54―
この事態を招いた中国のアフリカ進出をみてみよう。
中国はベルリンの壁が崩れてヨーロッパでの冷戦が終わった一九九〇年代から、ア
フリカは将来の中国にとって極めて重要な大陸だとして、アフリカでの資源獲得に乗
り出し、二十一世紀に入ってからさらに加速させている。
石油ネルギー、鉱物資源確保など長期的な観点からの国家戦略だ。中国はその経済
発展とともにますます多くの石油エネルギー源が必要になると予測して、それをアフ
リカに求めようとしている。油田会社はもちろん、エネルギーを扱う国営企業や銀行
の株式まで取得してぐいぐい食い込んでいる。
鉄道の敷設にも積極的に取り組んでいる。タンザニアのダルエスサラームとザンビ
アのルサカ間の鉄道は中国が建設した。ジブチ共和国からエチオピアの首都アディス
アベバまでのオール電化の鉄道も建設中で、西アフリカ諸国の大西洋岸で国境を越え
て各国を貫く鉄道も計画している。
習近平主席がタンザニアを訪れたのは、こうした援助がうまくいっているかどうか
を視察するためであり、さらなるくさびを打ち込むためだった。アフリカはもう習主
―55―
席のいう「一帯一路」の中国経済圏構想に組み込まれている。
中国は軍部にもアフリカ部局を設けて、各国に武器を輸出するとともに、有事の際
の中国軍の支援も提案しているといわれる。旧宗主国は気が気ではないが、アフリカ
の各国はそれぞれが新しい政治体制に代わっている。
しかも中国はアフリカ援助は発展途上国同士の「南南援助」だとして、欧米では到
底、不可能な低金利融資を行って、プロジェクトを落札している。ときには全額無償
でプレゼントということも珍しくない。エチオピアのアディスアベバに建つアフリカ
連合(AU)本部は無償で中国が建設したもので、中国のアフリカにかける意気込み
のほどがわかろうというものだ。
こうした中国のアフリカ進出は一般の日本人が想像しているよりはるかに大きい。
一九九二年に中国はアフリカの最大の貿易相手国になったが、その規模は爆発的に増
えてきている。投資額もすでにアメリカとフランスを抜いて最大だ。貿易総額は二〇
〇六年の555億ドルが二〇一〇年には1000億ドルに達した。そしてアフリカ在
住の中国人もどんどん増えている。
―56―
ゾウが住めないアフリカは人も住めないアフリカだ
アフリカはかつて植民地化された経緯から欧米の企業の独壇場だった。冷戦の終
焉とともに米ソのアフリカへの関心が薄れてプレゼンスが後退したのを幸い、中国は
各国に入り込むことができたといえる。
見ようによっては大変に賢い投資である。日本としても見習いたいところがある。
日 本 も 外 貨が あ り余 って い た バ ブル 期 にも っと 戦 略 的 な資 源 投資 をし て い た らど う
なっていただろうかなどと考え込んでしまう。
しかしここにきて顕在化した象牙の密漁問題の責任はどうするのか。この事態を引
き起こしているのは明らかに中国人の象牙の爆買いである。中国政府には関係がない
では済まされない。
中国は途上国同士の南南援助だ、互恵平等だと調子のいいことをいいながら、現実
に は 札 束 をち ら つか せて ア フ リ カの 人 々の ここ ろ を す さま せ てし まっ た の で はな い
―57―
か。しかも象牙の爆買いは結果的に過激なイスラム原理主義勢力を潤して活動を活発
化させて政治的な混乱を拡大し、人々は大挙して逃げ出している。
環境保護を進めている人々に教えてもらったことは「ゾウが住めない地球は人も住
めない地球だ」ということだ。
いまアフリカで現実に起きつつあることは、まさにこのことである。アフリカゾウ
が住めないアフリカは、人間も住めないアフリカだ。アフリカの人々はいま、このこ
とを命がけで訴えている。
中国はこれ以上の資源外交を進めたいならば、アフリカ中で起きているゾウ殺しを
やめさせ、象牙密猟を根絶し、過激派への資金供給を絶ってからにしてもらいたいも
のだ。
かくて日本の使命はアフリカまで広がる。
―58―
第四章
イスラム難民が殺到するヨーロッパ
象牙の密漁問題が中国のアフリカ進出と密接な関係にあり、しかも高騰した象牙が
イスラム過激派の資金源になっていて、中東情勢とからみあっている。筆者にとって
も新しい発見で驚きだった。
これらの現象は一つ一つを切り離して考えても始まらない。それぞれが相互に関係
している。そして全体として世界を不安定にして、私たちを脅かすまで深刻になって
きた。
こんどは中東アフリカで発生している難民が、大挙、ヨーロッパへと向かい始めた。
地中海に漕ぎ出すボートピープル
アフリカからの密入国者は昔から、植民地帝国主義時代からあった。第二次大戦後
に北アフリカ諸国が独立した後も、政治的な混乱を避けて地中海を渡ろうとする人々
は絶えなかった。
バルカン半島が内戦状態に陥ったときには、アドリア海を越えてイタリア上陸を目
―59―
指す難民が殺到したし、アルジェリアの政変のときはフランスへの密航船が殺到した
ものだ。
カ ダ フ ィ 政 権が 倒 れ てか ら は リ ビ アが い く つも の 政 治 勢 力が 入 り 乱れ て 争 う よう
になり、命からがら逃れてくるケースが多くなった。そこにアフリカ中央部でイスラ
ム過激派による策動で村を追われ、住む場所もなくなった人々が北を目指して、EU
の国ならどこでもいいからと地中海に漕ぎ出している。
そ こ に は お 金を 出 せ ば密 航 を 手 伝 って や る とい う ブ ロ ー カー の 暗 躍も 生 ま れ てお
り、なかには途中で難民を一杯に乗せたまま沈没させる悪者までがあらわれていると
現地からのレポートは伝えている。
EU各国はこれらの難民を強制帰国させる例がなかったわけではないけれども、就
労の意思があり、能力がありそうであれば職業訓練を施して居住許可証を与えて労働
力として滞在を認めてきた。安い給料で働かせることができるので人手不足の経営者
には好都合なところもある。
―60―
労働力として貴重な移民
フランスのマルセイユ近郊の工業地帯を歩いたことがある。働いている労働者の多
くはアフリカからの移民である。フランスにはかつて植民地にしていたアルジェリな
どがあり、それらの国からの移住制限が緩やかなので合法的に入国することができた。
経営者は人材不足をこうした移民で補ってきた。
労働力不足のときはいいけれども、景気は変動するもので、平穏な時ばかりではな
い。フランス中央の第二の都市リヨン郊外には住人のほとんどが移民たちになってい
るところがあるが、ときどき政府の政策に抗議してのデモが起きる。これが移民の流
入に反対する極右政党、国民戦線の党勢拡大の一つの背景になっている。
ドイツなども似たような政策をとってきた。ドイツの場合、トルコ人の移民を奨励
して、いまでは8100万人の総人口のなかに、トルコ人は250万人もいる。もち
ろんトルコ人はおおむねイスラム教徒である。この国には伝統的な純血主義があって
外国人に対する排斥の空気が常にくすぶっている。外国人にたいする排斥の行動は法
律で禁止されているが、人種対立の緊張が漂っている。
ベルギーでEU本部での取材のついでに首都ブルッセルの街を歩いたら、中心街か
―61―
ら数キロと離れない市街が、中東やアフリカとみられる顔立ちの移民たちの街になっ
ていた。夫人たちはヘジャブと呼ばれるスカーフを身につけ、飲食店や商店にもオリ
エント系の商品が並び、羊の肉が売られていた。
イギリスは世界中に植民地をもっていた関係で、もっと移民は多いし、地方には住
民のほとんどが移民という町もある。ロンドンではシティなど中心部はアングロサク
ソン人、スコットランド人が働いているけれども、実際に住む自宅は外国人との接触
が な く て 人種 的 なス トレ ス の 少 ない 閑 静な 緑が 一 杯 の 郊外 に 住む とい う の が 一般 的
なスタイルだ。これはパリについてもいえることで、朝夕のラッシュ時、地下鉄の乗
客の半分以上は移民や外国人ではないかと思われるほど純粋な国民の顔は少ない。
2015年夏までに35万人
難民は労働力にもなるといっても、程度の問題である。このところヨーロッパを目
指す難民の数は増え続けて、とくに二〇一五年にはいってからは倍増以上の勢いだ。
地中海に隣接するEU諸国は、イスラム過激派がかき回す中東アフリカ諸国から押
―62―
し寄せる難民の群れに、人道支援の限界を超えてしまったと相次いでSOSを発して
いる。
国連難民高等弁務官(UNHCR)が二〇一五年七月一日の檀家で発表したところ
では、上半期の六か月の間に地中海を横断してEUの国々にたどり着いた難民、ボー
トピープルは13万7000人に達した。これは前年比の八四%増だった。
これが八月末になると、30万人を突破したという集計になった。二〇一四年の2
1万9000人をはるかに超えている。国際移住機関(IOM)が九月一日に集計し
た数字はもっと大きくて、八月末までに35万1000人がヨーロッパにたどり着い
た。
もちろん過去最大で、通年で21万9000人だった二〇一四年をとうに超えてい
る。途中で何百人、何千人の難民が船が転覆したりして死んだものやら分からない。
こんな難民の発生をみるのは第二次大戦以来のことだというから、大変なことが起
きているのである。
―63―
ハンガリーは4メートルのフェンスで難民阻止計画
スペインや、マルタ、フランスなどに向かう北アフリカ諸国からの難民が多いこと
に変わりはないが、二〇一五年はシリアの混乱のためにトルコなどを経由して、ギリ
シャやハンガリー、イタリアを目指す難民が激増しているのが特徴だ。国際移住機関
の調査でもギリシャに入った難民が23万5000人、イタリアが11万4000人
となっている。
ギリシャでは2000か所で難民を受け入れているけれども、一日に1000人も
がボスポラス海峡を越えてやってくるときもある。もう無理だとEU本部に泣き付い
ている。長年、夜陰に乗じて上陸する難民対策に追われてきたスペイン、フランス、
イタリアにしても同じだ。どこの国でも沿岸と国境の警備隊は寝る時間もない。
ハ ン ガ リ ー では つ い にセ ル ビ ア と の国 境 1 75 キ ロ に 高 さ4 メ ー トル の フ ェ ンス
を築くことになった。七月七日にベオグラードの国会が決めた。賛成152票、反対
41票だった。
ハ ン ガ リ ー はE U の 加盟 国 で 人 の 自由 往 来 を認 め る シ ェ ンゲ ン 協 定に 参 加 し てい
―64―
る。このために同国で居住許可が出ると、EUの全域をパスポートなしで自由に行き
来 す る こ とが で きる よう に な る こと か ら、 ドイ ツ や オ ース ト リア 、さ ら に は 北欧 の
国々で働きたいと願う難民たちのルートになっている。
ハンガリー政府はそれも困ると難民たちの流入を阻止するため、ブダペスト駅に発
着する国際特急電車を運休にする措置にでた。
難民たちが怒ったのはもちろんだが、これにはフランスなどが非難してEU内でも
めた。シェンゲン協定はヨーロッパを広域市場にするというEUのコンセプトの肝で
ある。このようなことを各国がやり出したらEUの理念そのものが揺らいでしまう。
自 分 の 国 さえ よ けれ ばい い と い う姿 勢 はE Uの 精 神 を 損な う もの だと フ ラ ン スは 非
難したのである。
シ ェ ン ゲ ン 協定 は か つて ハ ン ガ リ ー自 身 が 出稼 ぎ に 行 き たい 国 民 をフ ラ ン ス やイ
ギリスに送り出すために頼み込んで加入させてもらった経緯がある。いわば恩義ある
協定なのだが、ハンガリーはそれさえ守れないほど追い込まれているのだ。加盟国の
非難に折れて、ハンガリーはさしあたり難民を希望国に送り出すことに同意して、難
民をドイツなどにバスで送ったがこの先は分からない。
―65―
表向きはハンガリーを非難しながら、EU諸国は明日は我が身、どうしたらいいも
のかと頭を抱えている。動き出した中東からの難民の流れは序曲にすぎないことを知
っているからである。
戦 争 状 態 に 陥っ て い るシ リ ア と イ ラク か ら 難民 と な っ て 隣国 の ト ルコ に 逃 げ 込ん
でいる人々の数は200万人にも達する。ほかにもヨルダンやイランで一時的に暮ら
している難民も数10万人の単位だ。
戦況が変わらなければ、これらの難民もよりよい生活と仕事を求めて動き出すだろ
う。いまでさえ手いっぱいなヨーロッパの国々は冬に向けて事態はさらに悪化すると
おびえているといっても過言ではない。
イスラム難民は時限爆弾か
これらの移民の多くはヨーロッパの場合、イスラム教徒である。だから過激なテロ
勢力が攻撃を指令すると、ネットワークを通じてヨーロッパ各地で同時多発テロが発
生する。いまは各国政府の厳しい監視下にあって、ほとんどは未然に防がれているが
警戒水準は高いままに維持されている。
―66―
これらのなかにはISのメンバーも紛れ込んでいないとも限らず、EU各国はこれ
まで以上に警戒を強めている。シリアとイラクでのIS掃討作戦が本格化すれば、I
Sの戦士も難民になるだろうから、この懸念はいずれ現実のものになる。
ヨ ー ロ ッ パ では イ ン ター ネ ッ ト の ネッ ト ワ ーク を 使 っ た 同時 多 発 型の テ ロ が 繰り
返されている。二〇一五年一月に風刺漫画を掲載したパリの週刊漫画誌の出版社がI
Sに襲撃されたときはEU各国でも襲撃事件があった。六月のIS一周年にはフラン
スのグルノーブルのガス会社と同時に、チュニジアのホテルなど海外でも同時多発の
テロが発生している。
ヨ ー ロ ッ パ は治 安 の みな ら ず 、 安 全保 障 に まで 揺 ら ぎ は じめ て 、 政治 的 な 緊 張は
刻々と高まっている。これがイランとの核協議で決着を急いだ背景の一つだった。
EUはまだ人道主義を大切に掲げて、ドイツのメルケル首相らは難民は加盟国が分
担してなんとかしましょうと語っている。そしてEUは春に1万人とした難民の受け
入れワクを16万人まで引き上げて各国で引き取る方向で協議を始めた。景気の悪く
ないドイツでは予算8000億円を用意して15万人を受け入れる方向だ。
―67―
しかし国内の失業率の高い国々が渋ることは目に見えている。事態はあまりにも深
刻で、EUは急速に余裕を失いつつある。ウクライナの問題EU加盟までそれゆけど
んどんだった自信たっぷりな姿勢などもうどこにも見られない。このような逆風は長
いヨーロッパ統合運動のなかでも初めてのことだ。
中東、アフリカ、そしてヨーロッパで起きている地殻変動のマグニチュードは極め
て大きく、遠くても強烈な津波のように日本まで揺さぶられることが予想される。
事態はグローバルな文明の危機の様相をみせてきた。
―68―
第五章
中東アフリカ改造30年計画
前章までは事実に基づいたノンフィクションである。
第一章ではイラン革命前の日本の新幹線輸出計画を振り返り、第二章でイランが核
協議の合意で国際社会に復帰する可能性が生まれた中東情勢を明らかにした。
第三章では中国のアフリカ進出で象牙が高騰し、イスラム過激派の資金源になって
アフリカゾウが大量に殺されている現実をみた。
第 四 章 で は 戦乱 の 中 東と ア フ リ カ を逃 れ た 人々 が ヨ ー ロ ッパ 諸 国 に難 民 と し て殺
到して、第二次世界大戦以来という大混乱が起きている異常事態をクローズアップし
た。
まさかこれが現実とは信じたくないような出来事が次々と起きている。しかもこれ
らが相互に関連して、アフリカゾウまで巻き込んで進行している。
この事態に日本はなにができるだろうか。この章ではこのことを考えてみたい。中
東アフリカ情勢は日々刻々と動いている。こうした状況での未来への展望は
―69―
試論、あるいは私論にならざるを得ない。
それでも過去を踏まえ、現地にフィールドワークをしての考察であり、それほど荒
唐無稽な話にはならないと思う。わたくしたちの地球の行方にかかわることであり、
なんらかの参考にしていただければ幸いである。
日本は夢と希望の未来を贈ろう
戦争にコミットしないでなにか貢献できることはないものだろうか。この本を構想
したときからずうっと考えてきた。
ここまでこじれ、荒れ果てた中東とアフリカである。下手に戦闘に加担したらどん
なしっぺ返しをされないとも限らない。そういうことは戦うことを苦にしない、対応
策にも手慣れた国々におまかせしよう。
そして日本は争いの原因となった理由そのもの、貧困や社会的不平等をなくすとこ
ろに目を向けてみてはどうだろうか。中東から、アフリカから、人々は未来に絶望し
て逃げ出している。だから人々にもう一度、夢と希望が持てるようになるような支援
に的をしぼって考えてみたらいいのではないか。
―70―
中東とアフリカ地域には欧米諸国が数世紀もまえから根を張っている。ここ十数年
で中国も一般に知られている以上にがっちり食い込んだ。
し か し な が らい ま 起 きて い る こ と は欧 米 の 支配 と 搾 取 を むき 出 し にし た 関 与 が見
事な失敗であったことを物語っている。南アフリカのヨハネスブルクでダイヤモンド
の会社を訪問したことがある。施錠した玄関は銃を持った警備員に守られ、その奥に
やはり施錠した頑丈な扉が4つも5つもあった。そこまで厳重に警戒しないではいら
れないほど治安が悪いのである。
中国も象牙を買いあさってアフリカゾウを殺しまくり、人々から白い目で見られて
いる。ゾウ殺しの直接の下手人だというわけではないが、象牙の爆騰をもたらして人
気者のアフリカゾウの「サタオ」(推定45歳)までも殺した中国をアフリカの人々
は決して許さないだろう。
し か も 象 牙 を売 っ た 金は 無 法 を 働 くイ ス ラ ム過 激 派 が 武 器弾 薬 を 買っ て さ ら なる
無法をする資金になっている。ISが膨れ上がり、逃げ出す難民が増える要因である。
日本にとってはこうした欧米と中国の失敗こそが他山の石であるに違いない。
並みのアイデアではだれからも相手にされないだろう。打ちひしがれた人々がアッ
―71―
と驚くような、そして逃げ支度の手をやめるような夢あるビジョンを描いてみせる必
要がある。
銃口が火を吹き、爆弾がさく裂しているときに、また再燃の火種が無数にころがっ
ているときに、夢ある未来を描いてあげようなどというのは、どうみてもおかしいと
思う読者がいるかもしれない。
だがこのような状況がすぐにも落ち着くということはない。もしかするともっと事
態は悪化するかもしれない。過激派はむしろそれを狙っている。その策謀に乗っては
ならないと思う。
混 迷 の と き にこ そ 冷 静に 事 態 の 鎮 静化 を 図 るた め に 知 恵 をし ぼ ら なけ れ ば な らな
い。さもなければ本当に手遅れになってアフリカゾウは絶滅し、そして人もまた住め
ないアフリカになってしまうだろう。そして世界中を道連れにイスラムの創世紀の七
世紀の昔に戻ってしまう。それでいいわけがない。
―72―
いまならばかすかだけれどもチャンスはある。
革命イランは念願の国際社会復帰を実現することで、これまでより穏健に、協調性
のある大人の国になる可能性がある。かつてバグダッドの攻略に成功したアケメネス
朝の始祖キュロス大王は、奴隷の解放など寛容な施策を次々と打ち出して、その後の
ペルシャの繁栄の基盤を築いた。
人々が期待する魅力あるプロジェクトを日本が構想して提案するならば、一緒にや
りたいと乗ってさえくるのではないだろうか。気を取り直して平和の回復を決意する
かもしれない。国レベルでなかなか動かないときは、一般の国民が賛同して、かたく
なな政府に軌道修正を迫るということも考えられる。
欧米・中国とは真逆の改造計画
ようやく日本の行くべき方向がみえてきたように思われる。
それはこれまで欧米と中国がしてきたことの真逆を提案することであり、それを実
現することだ。
―73―
荒廃した中東アフリカ地域を再び平和で豊かな、文化的な生活ができるところに変
えることである。
中東の人々、アフリカの人々も繁栄し、豊かになる権利があると思う。アラブ首長
国連邦のアブダビやドバイにみるように、やりようによっては高層ビルが林立する大
都会さえも建設することができるのである。
かつて「日本列島改造論」(日刊工業新聞社、一九七二年刊)という本が書かれた
ことがあった。筆者は故田中角栄氏である。田中はこの本を選挙公約に掲げて自民党
総裁選を戦って勝利して実践した。毀誉褒貶はあるにせよ、これによって日本列島に
は改造ブームが起こって沸き返った。
この本の題名はなにも列島改造論を意識してつけたわけではない。日本にいま、求
められていることは小さなちまちましたことではなく、地球規模のスケールのでっか
い貢献だと思う。この本で伝えたいことを考えるうちに自然とこのようなタイトルに
なった。
―74―
ものづくりの国として世界第二の経済大国だった日本に、一九七〇年代、八〇年代
のころの勢いはない。世界第二の経済大国の座は中国に奪われてしまった。外貨準備
高(2014年末)でみれば中国が3兆8992億ドル、日本は1兆2453億ドル。
いまや中国のほうが三倍以上も大きい。
かつて日本は日本株式会社と呼ばれてライバルから恐れられたものだったが、共産
党を指導部とする中国株式会社はもっと巨大なのである。多少の景気変動など北京に
とっては屁でもないはずだ。(これについて日本経済新聞は二〇一五年八月の株価暴
落で中国政府が外貨の流出阻止に動いたことに触れ、
「中国の外貨準備は張子の虎か」
の見出しの記事を掲げて疑いの目を向けた。)
手をこまねいていれば世界各地の大規模なインフラ事業は中国主導のAIIB(ア
ジアインフラ投資銀行)に根こそぎ持っていかれかねない形勢だ。
目玉は新幹線に限る
そんな日本に願ってもない挽回のチャンスが訪れている。革命イランを国際社会に
―75―
復帰させようと欧米が舵を切った。イランの核開発をめぐる欧米との協議が合意に達
した(二〇一五年七月十六日)ことに伴う新しい動きである。一九七九年のホメイニ
革命以来のことだから、じつに三十六年ぶりの中東情勢の大転換だ。潮目は変わった
のである。
国際社会は三十年前後で戦争が起きるなどして大きく変化するようにみえる。この
機をとらえて日本は荒廃した中東アフリカ地域の平和を回復し、繁栄を築くことを目
的に、三十年くらいの長期計画を立ち上げてみてはどうだろうか。いわば中東アフリ
カ改造30年計画である。
その最初の一歩はイランである。同時並行してこの地域で最も重要なエジプトにも
ふさわしいプロジェクトを提案したい。
日本はイランととても良好な関係にあった。このイランが欧米による経済制裁を解
かれるならば、再び石油関連などの大規模なプロジェクトが可能になる。第一章で紹
介した通り、経済産業省が八月初旬に山際大志郎副大臣を団長とする使節団をテヘラ
―76―
ンに送るとともに、政府はイランとの投資協定締結の交渉に乗り出した。
(日経八月
十九日付朝刊)。
筆の赴くままに書けば、やはり新幹線の建設を提案するのが一番だと思う。ドイツ
も中国もすでにアプローチしていることは承知のうえで、なんとしても日本製新幹線
に中東アフリカ再生計画のフロントランナーになってほしいのである。このプロジェ
ク ト は な にが な んで も人 々 が ア ッと 驚 くほ ど魅 力 的 な もの で なけ れば な ら な いか ら
だ。
もし、テヘランーマシャッド間のルートが先約済みならば、テヘランからコムー経
由、南部の石油の町アバダンまでのルート、それと商港バンダルアバスまでの縦断鉄
道について提案して受注したいものだ。
軌道幅は日本も中国も同じ世界標準なのだから、マシャッドを車両基地にして日本
製の車両と中国製車両が相互に乗り入れするようにしても面白いと思う。
―77―
コンテナー車牽引の新幹線も必要だ
日本の技術陣が、イラン中部まで鉄道建設のための測量調査をしたことについては
一章で書いた。その調査資料を読みながら、マシャッドからイラン中部の町バクフま
での間にはいくつもの鉄などの鉱山があることを知った。イラン側も現在、トラック
で運んでいる鉱石を何とか鉄道で運べないものかと相談にきたという。
このような用途には新幹線の客車のような高級品では合わないかもしれない。日本
は コ ン テ ナー 輸 送も でき る 新 タ イプ の 貨客 両用 の 新 幹 線の 建 設を 提示 し て は どう だ
ろうか。
それでも国際競争で劣性を挽回できないならば、高速鉄道はペルシャ湾岸のバンダ
ルアバスまで延伸する。そしてバンダルアバスまで鉄鉱石を運び、その終着駅付近に
は イ ラ ン 人が 経 営す る溶 鉱 炉 付 きの 鉄 工所 を建 設 す る とい う 付加 価値 を 付 け てイ ラ
ンが鉄製品がつくれるようにしてあげよう。
イラン人は目と鼻の先のドバイの繁栄を、指をくわえてみていた。とにかく経済的
―78―
な繁栄を一日千秋の思いで待っている。これぐらいパンチのある提案ならば手を打っ
てくれるのではないだろうか。アメリカ政府がいかにも反対しそうなプロジェクトだ
が、そんなことを言っている場合ではない。
バンダルアバスは、ホルムズ海峡の目と鼻の先である。海峡で機雷除去のことは国
会で議論された。イランがホルムズ海峡を機雷で封鎖することはない。自分で自分の
首を絞めるようなものだから、そういうことはあり得ないのである。それより心配な
のはスーパータンカーが操船を誤って座礁することだ。
ホ ル ム ズ海 峡 より ペル シ ャ 湾 の内 側 には いっ た と こ ろに あ る港 町バ ン ダ ル アバ ス
に日本が支援して溶鉱炉を建設したら、海峡が封鎖になると困るのはイランである。
だから、ますますそのようなことはしないでペルシャ湾を平穏に保とうとするだろう。
これが日本がやるべき平和への貢献である。
アレキサンドリアーカイロ間の新幹線
―79―
エ ジ プ ト で は ぜひ とも 地 中 海
の 真 珠と 呼ば れ る港町 、 アレ キ
サ ン ドリ アか ら 首都カ イ ロま で
を 新 幹線 で結 ん でもら い たい 。
い ず れは ルク ソ ールか ら アス ワ
ン ま で延 伸す る ための 布 石で あ
―80―
る 。 外国 から の ピラミ ッ ドと ス
フ ィ ンク ス、 そ してル ク ソー ル
神 殿 がお 目当 て の外国 か らの 観
光客が殺到することだろう。
も ち ろ ん そ れ だ けでは な い 。
エジプ トで新 幹線 が 走り出 せば、
エ ジ プト 国民 や アフリ カ の人 々
隣国のリビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコの北アフリカ・マグレブ諸国
はきっとケープタウンまでのアフリカ縦断新幹線の壮大な夢をみるに違いない。
エジプトで計画されている新幹線ルート。
JARTS の「新幹線と世界の高速鉄道 2014」から
は、地中海に沿って東西に突っ走るマグレブ特急の夢を見始めるかもしれない。平和
が 中 東ア フリ カ改 造3 0 年計 画 の
ねらい目である。
こ の よ う に エ ジプ トで 新 幹 線 が
走 る よう にな れば 、サ ウ ジア ラ ビ
ア な どの アラ ブの 殿様 た ちが 黙 っ
て い ない 。こ れま では メ ンテ ナ ン
ス が 大変 なの でと やん わ り断 っ て
い た が、 メッ カへ の巡 礼 の人 々 を
運 ぶ 新幹 線を なん とし て も作 っ て
ほ し いと 注文 して くる か もし れ な
い。
湾岸の島国バーレーンも欲しが
―81―
が回復されなければそれは実現することはない。人々がそのことに気付くこと、それ
バーレーンとカタールで計画中のルート。
JARTS の「新幹線と世界の高速鉄道 2014」から
っている。隣国カタールの首都ドーハまで、海峡をまたいでの大工事を構想している。
この場合は必ずしも長大な鉄橋を建設する必要はない。東京湾では品川から海ホタル
まで海底トンネルで結んでいる。同じように海底トンネルの中を走らせることで間に
合うのではないかと技術者たちは考えているという。
廉価で優秀な新幹線キット
なによりも大事なのは、いいものを安く提供することだ。超長期のローンでほとん
どタダ同然で鉄道建設などを提供している中国に対抗するには、尋常な手段では間に
合わない。「日本の新幹線は高いけれども、世界一の品質です。あそこのは日本のも
のを模倣しているだけなのです。」といくら口でいったところで、お金のない国に聞
く耳はない。
そこで日本の技術陣には、一度、新幹線を分解してシンプルだけれども強靭な、そ
して最も安価に製造できるキットを試しに作ってもらいたいのである。
―82―
日本の新幹線を希望する国には、まずは短い距離でいいからそのキットで軌道を敷
設し、走らせてみる。もっと長い距離が欲しいというときは、そのキットを次々と伸
ばしていけばいいような組み立て式の新幹線である。
こういうタイプの新幹線はエジプトに向いていると思う。なんとしても受注してほ
しい。中東とアフリカのかなめの位置にこの国にたいする敬意を表したいのだ。
値段が折り合わないようなことがあってはいけないから、JRの技術陣にはいまの
うちから研究をしておいていただきたい。もちろん中東アフリカのみならず世界をに
らんでのことである。
それと砂漠の高温対策である。細かな砂ぼこりに対してはブレーキや電気系統を密
封することで対応できるのかどうか。高温による線路のレールの膨張を防ぐためには
なにかいい方策はないのか。レール用の鉄というのはほかの成分も加えた合金だとい
うが、熱での変形の少ないものを開発してほしいものである。
砂漠のようなところではトンネルほどではないが、車両が隠れるくらいの深さに線
路を敷いて、高温対策をする案が検討されている。砂漠でも数メートルも下ならばそ
―83―
れほど大きな温度の変化はなく涼しいものだ。高温対策には十分なるのではないかと
みられている。
新しいライフスタイルを提供してみよう
高速鉄道だけでは競争相手と変わり映えがしないかもしれない。価格面で折り合わ
ないことも考えられる。だから日本の新幹線の敷設は、沿線の町の住民に住みやすい
街づくりを提供するセットで売り込んではどうだろうか。
日本の電気、ガズ、水道といった社会のインフラ技術こそは外国の追随を許さない
すぐれものだ。日本の頭脳が発明したLED照明もある。太陽光発電パネルで電気を
起こし、冷暖房もできる文化的なスマートハウスはどこでだって人々のあこがれだ。
中国が無料攻勢で来るなら、日本はMade in Japanのおまけで受注する
のだ。
ア フ リ カ だ から と い って 文 明 の 利 器は 使 い 方も 分 か ら な いだ ろ う など と 考 え ては
―84―
ならない。インターネットの時代、アフリカの果てでだってスカイプで地球上のどこ
とも交信ができるし、衛星経由のインターネットテレビの映像も見ることができる。
知らないのは四島に自ら鎖国してガラパゴス化し、見ざる、聞かざる、知らざるを決
め込んでいる日本人くらいなものである。
日本の技術、洗練された日本の文化の粋も投入しよう。イランやアフリカの人々に
それが分かるかなどと日本人にはいえたものではない。おしんの時代からほとんど1
00年とたっていないのである。
本当のことをいえば、内心は筆者もカルチャーショックは少し心配している。ケニ
アのマサイ族の家もみている。ケープタウンではひしめく市民の住宅地を訪れた。サ
ウ ジ ア ラ ビア の 砂漠 では だ れ に も束 縛 され ない 遊 牧 民 が自 由 な暮 らし を エ ン ジョ イ
していた。話し込んでみたら町の暮らしより砂漠のほうがいいといった。
日 本 の 中 東 アフ リ カ 改造 計 画 は 最 初は 住 宅 展示 場 の よ う なシ ョ ー ルー ム か ら 始ま
るのかもしれない。そして新幹線が走り出し、スマートシティの街が立ち上がる。人々
は徐々に心地よい生活に慣れてゆくことだろう。
―85―
なにもすぐにとはいっていない。だから三十年計画くらいがストレスがなくて妥当
だろうとみているのである。
目的は中東アフリカの人々が明日にも人殺しとゾウ殺しを止めて、平和な暮らしに
戻りたいと願うようになることだ。
アフリカゾウが新幹線を見上げる日
アフリカの動物たちの聖域は大切に守りたい。そもそも筆者の地球改造論の発想は
アフリカゾウに導かれてたどりついたようなところがある。
このままではアフリカゾウまでが絶滅する。そのようなことのないように、なにが
なんでも頑張らなければならないとここまで書いてきた。動物たちが住めないところ
は人も住めないところだ。地中海に漕ぎ出す人々の群れはこの言葉を裏付けている。
これまでアフリカは欧米のハンターたちの遊び場だった。サファリをして楽しむ一
部の特権階級のためにわざわざ用意されていたといってもよい。いまだってそうした
―86―
猟のための公園が経営されている。
この地域を植民地経営したヨーロッパの国々は、そこに住む人間のことなど眼中に
なかったし、いまもないだろう。アフリカは仕事をして疲れた文明国の人々が動物た
ちとたわむれて癒されるためにあると考えている。クジラと同じように、絶滅寸前ま
で殺し尽くしてからエラそうに野生保護を叫んでいるところがある。アフリカの人々
が先進国並みの生活をしたり、豊かになるなどとは考えたこともないように思われる。
それが間違いなのだと思う。中東アフリカ改造30年計画は、アフリカの人々にも
豊かになり、繁栄する権利があると考えるところから始まる。
人々が豊かになり、生活圏が広がればこれまで動物たちの天国だったところまで侵
食されて動物たちが住みにくくなる。しかしそれはお互いに譲り合って生活圏を分け
て共生していくほかはない。無秩序に人間が動物たちの領域に広がる住宅のスプロー
ル化が一番よろしくない。
将来、アフリカを走る日本の新幹線はところによっては野生の動物たちの天国を突
―87―
っ切らなければならないかもしれない。そのときは沢山生息しているところは高架に
したり、トンネルを掘ったりして動物たちの往来が妨げられないような工夫をしたい
ものだ。コスト削減を優先して土手を築いて動物たちが自由に動けなくなるような無
神経なことはしてはならない。
ゾウやヌーの群れが毎年、定期的に行き来するけもの道は人間様よりもずっと前か
ら彼らのものだったのである。
動物たちの聖域はしっかりと守ろう。いつかアフリカゾウが新幹線を見上げる日が
きたら、お互い、生き延びるためだったんだよと手を振ろう。
日本の技術で灌漑、緑の農地に
わたくしたちの祖先は山また山の狭い国で、畠や水田を広げるのに苦労してきた。
そのおかげで今日の繁栄があり、技術がある。いまや砂漠だろうとどこだろうと日本
の企業ならば水に困るということはない。電気を作り、水を浄化できる装置を携帯し
ている。
―88―
動物たちの遊び場として放置され、荒れ果てて砂漠化が進む一方の中東アフリカ一
帯を、現代の日本の技術者の目で見直してはどうだろうか。思いがけない可能性が眠
ったままになっているような気がする。
イランのような中央アジアの気候の国では、湖があっても塩湖で塩分濃度がとても
高い。長い間に煮詰まったのである。木々の緑は北部のエルブルズ山脈や東部のザグ
ロス山脈の谷間を流れる小川のほとりにしかみられない。人々はそうしたところに集
落を作って住みなしている。生水はとても貴重なのである。
それならばエルブルズの山々に降る雪の雪解け水を、ダムを設けたりして有効に利
用してはどうだろうか。ダムはいまでも少しはあるが、それを沢山作り、その水をパ
イプラインで引いて灌漑すれば農地が生まれる。
地下水がみつかる可能性もある。数千年前までイラン高原は緑が一杯で、ライオン
のような猛獣までが生息していたという。いまは枯れたようにみえる川の地下深くに
豊かな水が眠っていないとも限らない。
―89―
砂漠だらけのサウジアラビアだが、季節によっては降雨がある。極く短い期間だが、
そうすると砂漠に一斉に花々が咲き、おいしいキノコまでが育つ。最大のごちそうの
羊の丸焼きは匂いが鼻について往生したが、砂漠のキノコはマッシュルームのような
形をしていて、それはそれは絶品だった。
この雨水はどこへ消えてしまうのか。かすかな記憶だが、バーレーン側のサウジア
ラビアの海岸に海底から真水が湧き出している海があると聞いたことがある。可能性
はある。砂漠に浸透した雨水が長い年月をかけて地下を通って流れ出しているのだろ
う。
フランスのマルセイユにある海洋土木の会社は、こうした海中に湧き出す真水を落
下傘のような大きなテントで集めて、飲み水や灌漑に使うことを研究していた。真水
は海水より比重が軽いので海面に上昇してくるのだという。
湾 岸 や 地 中 海沿 岸 で こう し た ア イ デア を 活 かせ ば ア ッ と 驚く ビ ジ ネス が 誕 生 する
かもしれない。その水を陸に戻して灌漑すれば、砂漠に緑の楽園が生まれる。
海中に湧き出す真水と利用する場所が少し離れていたら、中古のスーパータンカー
を真水の運搬船に転用するという方法もある。コスト計算にもよるが、タンカーに日
―90―
本が得意とする海水から真水をつくる浄化システムを搭載して、水不足の季節に備え
ることもあっていいのではないか。
中東にせよ、アフリカにせよ、とにかく広大な手つかずの土地が広がっている。そ
こに日本の技術で大きなオアシスを作り出すことができれば、そこはそのまま世界中
から人々が訪れるリゾートにさえなるだろう。
こ れ ま で 後 見人 の よ うな 顔 を し て いた 欧 米 諸国 は 自 信 を 喪失 し て 当事 者 能 力 を失
いつつあるようにみえる。これはチャンスだ。日本と日本人は知恵の限りを尽くして
アフリカをパラダイスに変えてみよう。
多国籍のアルソックで新幹線警備
テロリストがうろちょろするところでは新幹線は走れない。乗客の安全も守れない
ならば中東アフリカ改造計画は絵に描いたモチになる。鉄道の警備はとても大きな課
題だ。
―91―
二 〇 一 五年 八 月末 にオ ラ ン ダ から パ リに 向か っ て い た特 急 でモ ロッ コ 出 身 のテ ロ
リストが車中で発砲する事件があり、EUではキップに乗客の名前を印刷するように
してはどうか、乗客のデータベースを作ろうなどと大騒ぎである。このようなことが
しょっちゅう起きてはならないし、起こしてはならない。
そこで将来の話だが、日本の新幹線が走るときには、スペシャルな多国籍のアルソ
ック(警備保障会社)を設立してはどうだろうか。走行中の車内警備だけでなく、沿
線の治安状況にまで目を配ることのできる強力なセキュリティ組織である。当然、ス
タッフは多国籍のつわものたちでなければならない。アメリカの海兵隊級とはいわな
いまでも、それに近い強力な陣容が求められる。元海兵隊員や日本の退職した自衛隊
員にも指導員を兼ねて加わっていただきたいものだ。
訓練を受けるスタッフは、新幹線が国境をまたいで走るならばそれぞれの国の承認
のもとに編成される。沿線の警備にも責任を持つから、その国の治安にも通じていな
ければならない。簡単にいってしまえば、新幹線を走らせたい国ならば、テロを未然
に阻止できるくらいのしっかりした国でなければならないということだ。それならば
―92―
各国は治安維持に必死になる。
かくて日本の新幹線が走れば、多国籍アルソックのおかげで治安も回復して、平和
を取り戻すことができるかもしれないという一石二鳥である。筆者は秘かに新幹線警
備 の ア ル ソッ ク で乱 れに 乱 れ た 北ア フ リカ 諸国 の 治 安 を回 復 でき ない も の か と考 え
ている。
地 中 海 に漕 ぎ 出し て殺 到 す る アフ リ カや 中東 の 難 民 の群 れ には EU 諸 国 は ほと ほ
と弱りはてている。これにストップをかけるにはこの本が提案する平和回復のための
処方箋を実行するほかはない。アルソックの多国籍版はもしかすると国連安保理諸国
からバックアップさえしてもらえるのではないか。
これを空想、夢想と思う向きもあるかもしれないが、それは中東で行われている戦
争、あふれ出る難民、絶滅の危機に瀕しているアフリカゾウをみて何も感じない人で
はないかと思う。
―93―
30年ローンの超長期ファイナンス
最後になったけれども、一番重要なフィナンスのあり方を考えてみる。
日本が海外で事業をするときは、国際入札を潜り抜けなければならない。中東アフ
リ カ 改 造 計画 は もう けよ り も 民 生向 上 のた めだ か ら 例 外を 認 めて くだ さ い と お願 い
したところでIMFなどの厳しい審査、監視の目が光る。
しかしそれでは中国の恐るべき低利で長期のファイナンスと渡り合えるかどうか。
外務省の外郭団体であるJICA(国際協力機構)はアフリカにおける中国の進出
ぶりについて詳細な報告書「アフリカにおける中国」をまとめている。それによれば
中国はあり余る外貨準備高をふんだんに投入し、アフリカを中国のエネルギーと資源
の供給源にしようと戦略的に取り組んでいる。そこではいくつもの銀行が動いている。
そのなかでも一番大きいのは中国開発銀行(CDB)だ。3500億ドルの資産が
あり、これは世界銀行やアジア銀行よりも大きいから世界最大の銀行である。ほかに
アフリカでの投資に直接融資することの多い中国輸出入銀行、中国商工銀行、中国融
―94―
資有限責任公司(CIC)などの融資機関が関与している。
C I C は 北 京か ら 融 資さ れ た 2 0 00 億 ド ルを ア フ リ カ の資 源 関 連に 投 資 し てい
る。投資額でみると、中国はもうアジア地域より、アフリカへの投資のほうが多くな
っている。
これらの銀行群はアフリカで活動する九百社を超える中国企業を手足に使って、大
小の案件をまとめているが、ファイナンスの元締めの銀行からアプローチする巧みな
動きも見せている。
中 国 開 発 銀 行は ア フ リカ で の 融 資 活動 が 長 いイ ギ リ ス の 大手 バ ー クレ ー ズ 銀 行の
株式を取得した。バークレーズはナイジェリア、南ア、ザンビアなどの資源国で強い
影響力がある。中国商工銀行は南アフリカのスタンダード銀行の株式の二〇%を54
億ドルで購入したが、スタンダードはアフリカ十八か国で営業しているアフリカでは
最大級の銀行である。中国は黙っていてもアフリカにおける投資案件が手に取るよう
に分かる地歩を築いた。
こ う し て 今 世紀 に 入 って か ら だ け でも 中 国 企業 は ア フ リ カで 三 百 件以 上 の 大 型プ
―95―
ロジェクトを落札した。その手法は中国輸銀から潤沢な資金を得て、ほかの国の企業
競など太刀打ちできないファイナンスを提供するというものだ。
これもJICAのリポートによれば、中国の融資は据え置き期間2~10年、返済
期間5~25年で、最長なら35年もの長期ローンが可能になる。利率も様々だが、
アンゴラの場合、最も低いもので0・25%~6%だった。
こういうことが可能なのは、中国共産党がアフリカは中国の持続的発展のために不
可欠な大陸であると位置付けて、党を挙げて取り組んでいるからだといえる。
こ の 決 意 を 示し た の がエ チ オ ピ ア のア デ ィ スア ベ バ で 中 国が 無 償 で行 っ た ア フリ
カ連合(AU、54か国)の本部ビルの建設だろう。2500人収容の会議場を備え
た地上20階のビルは総工費2億ドル(240億円)。すべては「中国人民からの贈
り物」とされた。
少し、詳しく中国のファイナンスにつぃて紹介したのは、国際入札ではこうした中
国の手法と競り合って勝たなければならないからである。
―96―
中国が新たに打ち出してAIIB(アジアインフラ投資銀行)はこうしたアフリカ
での成果に自信を得て構想したものであることには疑いの余地がない。こうした金融
活 動 の 源 泉に な って いる 中 国 の 世界 最 大の 外貨 準 備 高 につ い て日 本の 嫌 中 国 メデ ィ
アはその実態はどうなのかとかしましい。真相はいずれ透けてみえてくるだろうが、
そ れ は そ れと し て中 国の 巧 み な ファ イ ナン スと 戦 略 的 なグ ロ ーバ ル展 開 は 侮 りが た
いと筆者はみている。
日本は戦後の世界の金融システムをアメリカと二人三脚で運営してきた。そのルー
ルを自ら破ることはできないかもしれない。しかしこのままではむざむざ中国に案件
を取られてしまうばかりである。
日本にも大きな外貨がある。それだけでなく安倍政権下、日銀は赤字国債を大量に
発行して、それをすべて日銀が買い取っている。これらを利用して中国に対抗できる
30年ローンくらいが組めるファイナンス制度は考案できないものだろうか。それが
禁じ手ならば中国にもそれをやめさせるべきだ。
新幹線のような大きな事業は、三十年先までの財務評価をして建設に着手する。だ
―97―
か ら 万 が 一の 場 合の 輸出 補 償 の 原資 と して 充て る と い うこ と はあ って も い い ので は
ないか。ハプニングはあるとしてもそれは先々のことだ。検討の余地はあると思う。
これくらいの智慧がだせないようでは、各国でほとんどタダ同然の長期ローンで鉄
道を敷設している中国の輸出入銀行の手管には太刀打ちできない。
テロのリスクに対抗する輸出保証
日本企業はリスクが嫌いなだけでなく、もうからないビジネスには決して手を出さ
ない。だから多少のリスクはあっても取り組める投資のためのスキームが必要だ。
日本の企業は危険地帯でのプロジェクトにも及び腰だ。当り前だ。二〇一三年一月、
ア ル ジ ェ リア で 起き たイ ス ラ ム 過激 派 によ る天 然 ガ ス 精製 プ ラン トの 襲 撃 事 件で 日
本人が十人も犠牲になったことはまだ記憶に新しい。プラント工事は英BP社などヨ
ーロッパ各国との多国籍合弁事業で日本のプラントメーカー日揮も参加していた。
こ の よ う な 危険 を 冒 して の ビ ジ ネ スに は 相 応の ア ド バ ン テー ジ を 与え て 頑 張 って
いただくことになる。そのためにはファンドが必要になる。産油国には、新幹線の建
―98―
設費用は石油で支払っていただきたいと提案したらどうだろうか。すでに中国は行っ
ている。
もしそれが可能になれば、一石五鳥くらいのメリットが生まれる。
1、日本は石油の安定供給に役立つ
2、日本は外貨を減らさないで済む
3、産油国は増産するだけで間に合う
4、新幹線の敷設でJR各社と車両工場が潤う
5、戦争やテロが起きると工事がストップするので各国は平和を願う
ざっと考えるだけでもこれだけの利点がある。
これらの中で一番重要なのは、5番目の平和が促進されるという項目だと考える。
ハネ上がりが工事現場を攻撃したりして作業が中断したら、国民が一日も早い完成を
待ち望んでいる新幹線の工事が遅れてしまう。そしたらテロリストは国民の敵になる
から、容易には手が出せなくなる。
―99―
つまり新幹線の輸出は、中東地域の平和に貢献するプロジェクトだということであ
る。
日本政府はこのような大義の観点から、資源確保のための特別な輸出補償ワクを設
けてはどうだろう。
これもそうは問屋が卸さないことは承知している。OPEC(石油輸出国機構)の
ほかのメンバー国は協定違反をなじるだろうし、アメリカもメジャーの立場を代弁し
て「石油はドルで決済と決まっているのだ」と激怒するに違いない。
それでも平和に貢献する事業として押してみる価値はある。そろそろ日本もアメリ
カの使い走りではないのだから独自の資源外交を貫いてもいいころだと思う。この非
常時にいつまでも欧米の場当たり外交に付き合ってはいられない。日本も危ういので
ある。
JETROとJICAを内閣直轄の商社に再編
―100―
それとここまで読んできた読者には分かってもらえると思うのだが、日本の新幹線
は決して順風満帆ではない。国内では北陸新幹線の快走などが報じられてそれゆけや
れゆけの印象だが、国際競争では追い詰められている。ドイツとフランス、それと中
国に追われてなかなか受注ができない。日本が調査をするなどあれほど有利な条件が
そろっていたインドネシアでさえ、中国案とバッティングして当面、不採用になった。
なにか手を打たなければならない。そこで奇想天外なアイデアをひねるとすれば、
経産省の外郭団体JETRO(国際貿易振興機構)と前述のJICA(国際協力機構)
を中東アフリカ改造計画のために再編して、機動力のある商社のような機能を持たせ
てはどうだろうか。両方とも対外貿易関連の業務を担っていて親和性は高い。そこか
ら中東アフリカに通じた職員を引き抜いて商社のような部門を新設し、予算とともに
相手国と交渉してプロジェクトを受注できるレベルの裁量権を与える。
J E T RO と JI CA に は 資 料な ど をい ただ い て 昔 から お 世話 にな っ て い るの で
知っているのだが、スタッフには学究肌の人も少なくなく大学の先生に転身するケー
スもある。ただインターネットの普及もあり、海外のデータの収集にそれほど人材は
必要がなくなっているのではないか。それで新しいミッションの部局が設けられると
―101―
勝手に考えている。
もちろんほかに方法があって世界中を駆け回って、新幹線の注文が取れるような機
能を持つところが設けられればいいのである。有能な職員にはもっと大きな仕事をし
てほしいのである。
とにかく前例のない悲惨な国際情勢には前例のないスケールと手法、そしてスピー
ドが必要だ。
しかも中東アフリカ、地中海一帯で起きていることは経済だけの問題ではなく大き
な国際政治外交の問題でもある。経済産業省や外務省の外郭団体では十分な働きがで
きないから、内閣にも直接パイプが通る機構にしたほうがいいのではないかとJET
ROとJICAの改組を提案したのである。
もちろんその前提として、政府がほとんど絶体絶命といっても過言でない日本の新
幹線のおかれた状況を知り、かつ中東アフリカの国際政治状況を理解しなければなら
ない。そうすれば自ずから日本の平和への貢献が資源外交と不可分であることが分か
ってくる。そして果断の政治がそこから始まると考えている。
―102―
いよいよ筆を置くときがきた。事態は日々刻々と変わっている。急いで書いたこと
もあって誤りも多々あると思うが、すべては筆者の責任である。
読 者 の み なさ ま には それ ぞ れ の 立場 と お仕 事か ら 興 味 のあ る とこ ろを 拾 い 読 みし て
楽しんでいただければと思う。そしていまのいま、中東とアフリカ、ヨーロッパで起
きていることに思いをはせ、グローバル時代の日本の使命を考えて、それを何らかの
行動に移す人が一人でも増えるならば幸いです。
―103―
おわりに
アフリカゾウが教えてくれた緊急事態
筆者に最初に異変に気付かせてくれたのはアフリカゾウだった。ケニアの隣国タン
ザ ニ ア で 過去 五 年間 に六 万 頭 も のゾ ウ が密 猟で 減 っ て しま っ たと いう 短 い ニ ュー ス
が二〇一五年の初夏に流れた。さらに専門家が「これから十年から三十年で絶滅する
かもしれない」と真顔でいうので本格的に調べ始めた。
そして本業をそっちのけに三か月足らずで書き上げたものだが、中東、アフリカ、
ヨ ー ロ ッ パは も とも と筆 者 の ジ ャー ナ リス トと し て の フィ ー ルド でま っ た く 目を 配
っていなかったわけではない。アフガニスタン、イランに足を踏み入れたのは一九七
八年だから、かれこれ四十年近い経験がある。それをベースに短期間でまとめること
ができた。
出版を念頭に書き始めたら、イランと欧米諸国の核協議が最終合意になったことが
発表(七月十四日)になり、夏場には中東、アフリカからのイスラム難民が大挙して
―104―
EU諸国に流れ込みはじめた。
こうした出来事はすべてからみあっている。そして急速に悪化している。
緊急事態なので二〇一五年九月初旬で校了して電子出版することにした。これから
以降の変化については読者の皆さんにご自身でフォローしていただきたい。
この本で申し上げたいことは、大きく分けて三つある。
1、イランの国際社会への復帰で、日本に新幹線の輸出など大きなビジネスチャンス
が生まれる。
2、日本の中東アフリカ地域への関与は、軍事ではなく経済と文化の面から行うのが
望ましい。
3、日本は中東アフリカの平和回復のために、この地域の人々が豊かに繁栄できるよ
うな中長期的な構想のもとに貢献したい。
中東アフリカ地域については長い間、ヨーロッパの主要国とアメリカが関与して日
本はなかなか入り込めなかった。三章で詳しく書いたようにアフリカには近年、中国
が食い込んでいるが象牙問題でミソをつけている。
―105―
いよいよここは日本の出番である。
実際、日本にしかできないのではないか。そんな気持ちが高まって、この本を書き
だした。
日本が新幹線を先兵に中東とアフリカの再興に乗り出すならば、荒れ果てたこの地
域の人々が再び未来に夢と希望を見て、平和を取り戻してくれるのではないだろうか。
そうあってほしい。
中東アフリカへの新幹線の輸出は、単に新幹線を輸出してそれで済むというプロジ
ェクトではない。大量輸送のシステムと同時に人々がそれによって繁栄し、豊かにな
るという展望が開けるようなものでなければならない。日本の鉄道マンたちの使命は
中東、さらにはアフリカ諸国に日本のものづくり心を伝えて、人々に豊かになっても
らうことにある。
そ の た め に は新 幹 線 に付 随 す る 鉄 道の マ ネ ジメ ン ト の 技 術や ス キ ルの 地 元 へ の移
転はもちろん、ターミナルの都市の建設など社会インフラの整備も同時進行で進めら
れる、大規模な灌漑による緑の農地、耕作地の創造もいい考えだろう。それを実際に
みて初めて、人々は過激派に惑わされることなく将来が展望できるようになり、落ち
着いて安定した暮らしを営み始めるに違いない。これが最大の眼目である。
―106―
中東やアフリカは遠すぎる、国際政治の話はどうもよく分からないという方、ある
いはイスラム教とかイラン革命についてもっと詳しく知りたいという方は、拙書「ペ
ルシャ湾」(新潮選書、初版1989年刊)とセットで読んでいただければと思う。
筆者が目撃したイラン革命の内幕を書いたもので、十刷りまでいった。いまではアマ
ゾンで安く中古本が売られている。
日本の最初の新幹線輸出をぶち壊しにしたイラン革命の取材では、このような宗教
革命が広がる将来を考えて背筋の寒くなる思いにかられたものだった。不幸にも的中
して、あのときに予測したおぞましい光景がいままさに繰り広げられている。
宗 教 を 信 じ るな ら ば なん で も し て いい と 考 える よ う な 人 々と 同 じ 土俵 に 立 つ こと
はない。人は自由である。信教も自由だ。しかしそれは社会のルールの範囲内のこと
だ。これは国際社会でも同じことである。
この本で試みに掲げた中東アフリカ改造三十年計画が果たして成功するかどうか。
狭くて険しい道である。しかし可能性がまったくないわけではないのである。たとえ
不可能に近くても高く掲げて前に進んで、その衝撃波で恐るべき悲劇の連鎖を断ち切
らなければならないと思う。
いま、中東とアフリカで起きていることは世界で最大の悪しき出来事である。
―107―
イラン革命以降の流れをなんとしても変えて、かけがいのない文明を守りたいもので
ある。
一人でも多くの読者にこの意図が伝わって、平和建設という崇高な使命について考
える人が増え、計画が軌道に乗ればうれしいことだ。その結果、日本に地球改造ブー
ムが起きて賑わうならば、それ以上の喜びはない。
―108―
◉著者プロフィール
横山 三四郎
よこやま さんしろう
ジャーナリスト。山形県生まれ。
『ペルシャ湾』(新潮選書)
『ブック革命』(日経BP社)
『二十のEC物語』(文藝春秋)
『ユーロの野望』(文春新書)
など著書多数。
地球改造論
新幹線よ、日本の平和のために中東アフリカを走れ!
横山 三四郎
発 行 2015年9月11日
出版社 eブックランド社
東京都杉並区久我山4-3-2 〒168-0082
http://www.e-bookland.net/
ⒸSanshirou Yokoyama 2015
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