...

Vol.24(3)

by user

on
Category: Documents
9

views

Report

Comments

Description

Transcript

Vol.24(3)
2008 年 12 月
人 間 発 達 研 究 所 通 信
No.115
1998 年 9 月 3 日学術刊行物認可第 430 号
ISSN
0913-7092
Vol.24(3)
人間発達研究所
大津市朝日が丘 1-4-39
梅田ビル 3F
Phone/Fax 077-524-9387
作:徳原
望
(周南あけぼの学園)
CONTENTS
発達の視座で障害のある人の表現を語る(7)
山田宗寛
…………………………
2
シリーズ発達保障の水源を訪ねて(第 3 回)「三浦了さん」 ………………………
3
発達論的エッセイ⑥「自立」と「自己決定」と「自分探し」
お薦めの1冊
髙谷清 ……………9
渡部昭男 …………………………………………………………………15
事務局より …………………………………………………………………………………16
(1)
2008 年 12 月
人 間 発 達 研 究 所 通 信
No.115
表現力と絵の巧さが注目されていました.
発達の視座で
支援員は「この力を活かせないか」と,
障害のある人の表現を語る(7)
やや作業に向かうことが難しかった彼に
山田宗寛(唐崎やよい作業所)
絵を描くことが仕事にならないかと考え
ました.しかし,いざ四ツ切りサイズの
アウトサイダーアートへの注目のなか
キャンパスを前にすると,白地を埋める
で取り上げられることが増えたのが個人
ま で の イ メ ー ジ は 拡 が ら ず ,「 絵 を 描
の記録です.「アール・ブリュット」展
く」ことは難しいことでした.そこで支
では戸来貴規さんの日記に関心が寄せら
援員はモチーフになる風景や車,人,猫
おびただ
れ,その 夥 しい記録に膨大なエネルギ
などの写真で構図を設計し,彼に提示し
ーを発する「作品」として多くの関心が
ました.「こういう絵ではどうでしょう
寄せられました.それは日記という形容
か」と.それは机上で構成したものであ
が的確と言えず,「個人が毎日綴ってい
り,実在しない風景です.しかし,ノゾ
るもの」と表現する方がふさわしいもの
ミさんが描くと見る者を明るくのどかな
です.生活で捉えるならば,表現と言う
気持ちにさせ,原風景がそこに拡がって
より日常です.施設では「○○さんがや
いるような瑞々しさを発します.やがて
っている毎日の日課」であって,気にと
彼の絵は売れるようになり注文も入るよ
められることがないかもしれませんが,
うになっていきます.そして支援員と構
美術の側からは「作品」の「発見」とな
図を考え,悩みつつ完成させる絵画は,
っています.
彼の仕事となりました.だからと言って
山口県周南市に「周南あけぼの園」が
毎日の食べ物日記を止めてしまったわけ
あります.そこに通うノゾミさんに出会
ではありません.それは今も休憩時間に
った時,抱えていたクリアーファイルに
なると必ず行う日課です.同じ描くこと
は,果物からスイーツ,加工食品まで
でも,本人からすれば仕事と余暇では大
A4 に描かれた絵と,それらのモチーフ
きな違いがあります.絵を描くという仕
となった食料が載った広告が日付順に挟
事の緊張を,余暇で食べ物の絵を描くこ
まれていました.「見せてください」と
とで解放させているかのようです.彼に
言うと,3 枚だけ渡して残りはすぐに大
とって 描 くこ と は ,「吸う 」「 吐く」 と
事にしまわれました.最近は人にも配る
その両方の行為がないと維持されない生
そうですが,毎日綴られた「食べ物日記
命活動のようです.同じように見えて違
は,もう段ボールに 6 箱となっています.
う,そこに私たち発達保障の視点が試さ
絵を描き始めたのは大好きなハンバー
れているのではないでしょうか.そして,
ガーが出発点でした.休憩時間にいつも
人間発達にとっての呼吸とは何か,それ
食べ物の絵を描いている姿があり,「実
を私たちの実践と運動から考えてみたい
際のハンバーグよりおいしそう」とその
と思います.
(2)
(やまだ
むねひろ)
2008 年 12 月
人 間 発 達 研 究 所 通 信
No.115
【シリーズ】発達保障の水源を訪ねて
第3回
三浦了さん(社会福祉法人大木会顧問)
はじめに
って,近江学園を辞めて実家近くの小学
滋賀県湖南市に知的障害者更生施設あ
校の先生になることになったんです.私
ざみ寮・知的障害者授産施設もみじ寮が
はいとこが近江学園で働いているなど知
あります.近江学園の実践から生まれた
らなかったんですが,幸か不幸か,私が
施設です.今回お訪ねしたのは,その両
大学を卒業するという話を聞いて,「卒
施設の元寮長で,近江学園初代園長糸賀
業したらどうするんや」と聞いてきまし
一雄氏からこれらの施設を託され,糸賀
た.
氏の考え方を身近に体現されてきた三浦
大学も 4 年の後半になると休みの日が
了さんです.
多くて,主任教授に「どこそこの図書館
*
*
で資料を写して来い」と言われて,写し
*
近江学園との出会い
て来て,ガリ版を切って謄写版で刷ると
私は彦根の寺の出身で,大谷大学で仏
いうような仕事をしていました.4 月以
教学を専攻し,東本願寺で僧籍をとって,
降 も 続 け た い と い う と ,「 給 料 は な い
いつでもお坊さんになれるようになって
よ」と.でも兄貴がいるから自分の寺の
いたんですが,卒業が近づいて来たら坊
ことを心配することもなかったし,そう
主になるのが嫌で嫌で…….私のいとこ
しているうちに自分の生き方はこうだと
は教員でしたが,彼は池田太郎さんを通
決められるだろうと考えていました.
じて糸賀一雄さんや田村一二さんと知り
それを聞いたいとこは,「そんなこと
合い,「近江学園を作る」という話を聞
はやめろ.近江学園に就職しろ」と.そ
いて,昭和 21 年の開設当初から近江学
う言われても,勉強もしてないし興味も
園の職員になっていました.近江学園は
ない.そう言うと,「世の中にはこうい
戦災孤児や知的障害児のために学校教育
うところで働いている人もあるんやで,
制度をとり入れ,就学免除とかしないで,
社会見学に行こう」ということで,近江
全員入学でスタートしていて,いとこは
学園に見学に行くことになりました.福
学校の先生の資格で近江学園に就職して
祉の現場は生まれて初めてでした.それ
いました.当時,近江学園は四六時中勤
で近江学園に行ってみたら,きたない昔
務という過酷な勤務形態で,いとこも独
の旅館そのままの建物で,1 月 20 日過
身だったから住み込んでいましたが,伊
ぎでしたが,お天気がいい時に行ったか
吹町の寺の出身で,父親の体調が悪くな
ら,廊下の欄干におしっこで濡れた布団
(3)
2008 年 12 月
人 間 発 達 研 究 所 通 信
No.115
が干してあって,それがお日さんによく
ですね.『人間とは国宝なり.国宝とは
あたって何とも言えん臭いがする.しば
一隅を照らすものなり』.重箱の隅っこ
らくして 5,6 人の男の子が寄ってきて,
を一生照らし続けたら国宝やと最澄さん
「おっちゃん,どっからきたん?」と聞
は言うんや.私も力ないけど,みんなに
いてきたときには,背中がゾクっとなり
助けてもろて重箱の隅を一生照らし続け
ました.「あっちからや」どうせ彦根と
ることができんかと頑張ってますんや」
言ってもわからんやろと思って言うと,
と.宗教哲学みたいな話を 2 時間.世の
いとこが「自分の出身をちゃんと言うん
中にこんな立派な先生がいるんやな,小
や」と 言 う .「彦根 のお 寺 や 」.答え た
学校から大学までいろんな先生に出会っ
らまた次の子が同じ質問をする.えらい
たが,人間的にこんなすばらしい先生は
とこへ見学に来たな,と思いました.い
おらん,と.糸賀一雄さんに惚れ込んで,
とこが「子どもの生活の場の見学はこれ
近江学園に来ることに決めたんです.
で終わりや」と言うので,やれやれと思
中学と高校の国語と社会の教員免許は
ったら,「農場もある.牛や山羊の世話
持ってたんですが,滋賀県の先生になろ
をしたりしている子がいるんや」と.頑
うと思ったら,本当は滋賀県の教育委員
張っているなあとそのときは思いました.
会の試験を受けなあかんのです.「4 月
1 時間ほどいとこの案内で見学が終わっ
から近江学園に来て下さい」と言われて
たら,「園長が呼んでいる」と.いとこ
行ったら,辞令ができている.「南郷中
の名前が「圓澄」なので,「あんたやな
学 教 諭 を 命 ず る . 大 津 市 教 育 長 」 と.
いか」と笑ったら,糸賀一雄園長のこと
「ありがとうございます.でも試験受け
でした.
てませんけど……」.今やから言える話
園長室に行くと,入り口以外は天井ま
です.昭和 32 年でした.
で本がびっしりある暗い部屋でした.私
近江学園に入ったら,さくら組という
は糸賀園長の経歴も年齢も何も知らなか
一番重度な障害児のクラス担任になりま
った.ところが,2 時間ほど園長室で話
した.あの頃は担任と保母とで 10 ~ 13
しをするうちに,あれだけ嫌いだった近
人の子どもをみていました.隣のクラス
江学園の子どもたちのことをそっちのけ
の先生の見よう見まねでやって,“野郎
で,この人の元で一生働こう,と思った
部屋”に寝起きして,田中昌人さんの追
んです.気がついたら「私で間に合うこ
悼文に書いたような暮らしをしてました.
とがあったら近江学園で働かせてくれま
そのころ,田中昌人さんが近江学園の
す か 」 と 言 っ て い ま し た . そ し た ら,
研究室次長でした.岡崎英彦さんが室長
「私らの仲間になってくれますか?」と.
でした.研究室には結構いろんな本があ
福祉だとか教育の話は一切しなかったで
りましたが,その中に『ウパニシャッド
すね.僕が寺の出身ということがあって
哲学の研究』という箱入りの本がある.
か,「比叡山を開いた最澄さん,偉い人
実は大学の卒論を書くのに苦労して,主
(4)
2008 年 12 月
人 間 発 達 研 究 所 通 信
No.115
任教授に「古本屋で『ウパニシャッド哲
ゃんを売ってしまった.ハルちゃんはつ
学の研究』という本を探してこい」と言
らくてつらくてかなんので,ある日飛び
われて,京都の三条の古本屋で買って,
出して近江学園に舞い戻ってきて,糸賀
部分的に参考にさせてもらったことがあ
園長はじめ,近江学園の職員を慌てさせ
ったんです.田中昌人さんがいたので,
たんです.あざみ寮を作る計画は翌年で
こうこうで近江学園の研究室にあって驚
したが,今年立ち上げようということで
いたと話したら,実に田中さんらしい答
半年以上前倒しで,昭和 28 年,ハルち
えが返ってきました.「発達という言葉
ゃんの犠牲の上にできました.
が初めて使われるようになったのが,世
あざみ寮出発の時は,糸賀さんの行政
界中でどこの人が使ったのが一番最初や
手腕だと思いますが,建物を糸賀さん個
ろうかと勉強しています.発達という言
人に寄付してくれる人があり,それが新
葉でなくても,発達という意味で使って
聞に載って,自分の娘を是非お願いした
いるのもウパニシャッドの中になかった.
いとか,神戸大学の先生の紹介で誰々を
あの本を読んで勉強になりました」と.
見てやってくれとか,全国から依頼が来
この人は古代インド哲学まで勉強して,
ました.無認可とはいえ,あざみ寮も経
発達という二文字を探している.さすが
営していかなあかんので,近江学園の
田中昌人さんやなと.こうして「発達」
15 歳以上の,ゆくゆく就職を目指すこ
という言葉は近江学園へ来て初めて知り
とができるような人を「職業指導委託
ました.
生」という名前で県の了解をとって,14
名は近江学園の籍のまま,あざみ寮に来
あざみ寮へ
ていました.そうすると 14 名分の事業
近江学園は児童福祉法の関係で 18 歳
費が県からあざみ寮にくる.会計のうち,
で出ていかなあかんところです.それで
事務費は職員の給料で,事業費は本人の
ゆくゆくは成人施設のあざみ寮を作りた
衣服費とか食費です.県から事務費は一
いという願いがあって,近江学園の中に
切来ないし,近江学園から職員も来ない
「あざみ組」という年長女子のクラスがで
し,金も来ないが,14 名の事業費だけ
きました.その中にハルちゃんという子
でも助かる.一人就職すると一人が近江
がいました.ハルちゃんも 18 歳で出て
学園から来るという具合でした.
いかなあかん.そしたら“おじさん”と
ところが,あざみ寮の副寮長がガンで
いうのが現れて,「園長さん,長いこと
入院することになりました.その人は近
お世話になりました.この子は父親も母
江学園で 2 年ほど私の隣のクラスで指導
親もおりません.私は事実,母親関係の
員をしていて,「入院後,できたら三浦
叔父でございます.戸籍も持ってきまし
君に来て欲しい」と言われ,糸賀園長も
た」と.仕方なく引き取ってもらったら,
「それがいい」ということで,昭和 35
大津の花柳界,昔で言う売春宿にハルち
年 9 月 1 日から副寮長の応援に行きまし
(5)
2008 年 12 月
人 間 発 達 研 究 所 通 信
No.115
た.決められたのは前日の 8 月 31 日.
職員と子どもが一緒に寝る.文字通りの
家内を近江学園宿舎に残して,身分は南
四六時中勤務が続いていました.
郷中学の先生のまま.結局その副寮長は
あざみ寮は,ものを作る,働くという
亡くなって,そうこうしているうちにあ
ことと,生活をするということが一緒に
ざみ寮が 10 周年を迎え,記念誌の執筆
なってスタートしました.その形態はあ
で忙しい 1 年半を過ごしました.
る意味では今日も変わらずに続いていま
創立 10 周年を機に糸賀房さん(糸賀
す.機織りとかもそうやけど,職員の姿
一雄夫人)があざみ寮の寮長を退くこと
勢がその昔も今も変わらない.
になって,県知事の辞令が来ました.今
織物の作業は 2 年ほどして石原繁野さ
度は県職はクビ.自分の意志と全く関係
んが引き継ぐことになって,自分の趣味
なしに県職になったり辞めさせられたり.
と寮生の関わりとがひとつになって,石
それで財団法人大木会あざみ寮の寮長に
原さんの生き甲斐にもなりました.職員
なりました.
は貧乏な生活でしたが,みんな生き甲斐
を持っていた.ほとんどの職員が明日に
生活と労働を共に
夢を見ながら眠ることができた.大津の
はじめ,あざみ寮へ行くのはかなんか
あざみ寮はそやった.それが寮生に伝わ
ったんです.相談する相手もないし,う
る.人が育つというが,○○先生の元で
るさい糸賀一雄さんはしょっちゅうあざ
だから育った,でなく,その先生と生徒
み寮に視察に来る.しかし,私はあざみ
が日頃どんな関係をもっていたか.関係
寮に放り出されたことで一生懸命勉強せ
が育っていくのであって,A 君は立派に
ざるをえなかったので,今は良かったと
育った,先生も A 君のおかげで育った,
思っています.
この関係を豊かにしていくということが,
大津にあった頃のあざみ寮は,街の中
教育の根本やないでしょうか.今日では
に建物があって,「地域の人たちとふれ
建物も職員の勤務形態も変わったけれど,
あう」と言わなくても生活そのものが一
寮生に向き合う姿勢というものは変わら
緒やった.周囲の人たちのおかげやった.
ず,私はどこにも誇れると思っています.
かつて「あざみ寮の人たちとしゃべった
らあかん,病気が移る」と言われたこと
共感をひろげる・育ちあう
があるが,大津の人はそんなことはなか
私は芸術のことはわからんが,できる
った.現金を持って商店街に買い物に行
だけ本物と一緒に生きていきたいという
って,その魚でみんなで料理しようと,
のが願いです.寮生劇のように専門家が
そういうこともあった.楽しかったです
来てくれて手伝ってくれることもあるし,
ね.建物は昔の建物そのもので,18 畳,
専門家と呼ばれない専門家もあるし,こ
20 畳の部屋に 10 人~ 15 人の子どもが
ちらから飛び込んで行くこともある.個
入って,職員は 1 人.保母室もないから,
人的にも職員集団としても寮の利用者集
(6)
2008 年 12 月
人 間 発 達 研 究 所 通 信
No.115
団としても,あざみ寮という塀に囲まれ
作らないといけない.片方が信頼する,
てニコニコと生活しているだけなく,外
片方が信頼される,そんな関係はない.
とどういう交流があるか,これなしに社
家族と施設,職員と家族のメンバーと,
会的な広がりはないと思います.発達に
みんなが言いたいことを言い,親御さん
は横への発達もある.横への広がりとい
と同じ目線で考えていこうという,その
うことは共感,共に育ちあうことです.
姿勢は昔と変わりません.家族と施設の
あざみ寮は私がかけ声をかけずとも外
信頼関係の基盤がしっかりしているから,
との交流が持てる.有り難いことやと思
寮生もしっかりと育っていく.その育ち
います.私は油を注ぐことも,そこへ行
はどういう育ちかと言うと,共感の育ち.
くな,あれをするな,というのも言わな
一方的に感じるのでなくて,感じ合う関
いできた.あざみ寮の寮長になった時は
係が信頼関係の土台の上に成り立ってい
35 歳.近江学園へ入って 7 年目.無認
るように思いますね.
可とは言え,社会とのパイプを太く持た
ないと孤立する.僕が孤立するというこ
発達保障は共感の教育
とはあざみ寮が孤立するということです.
田中昌人さんや糸賀一雄さんみたいに
広がりを持つという姿勢は,今も昔も変
理論的に整然と整理することはできませ
わらないと思います.親の会,家族の会,
んが,みんなはひとつの単語として「発
そして職員,関係者が積み上げてきたこ
達保障」と言うけれど,「発達」と「保
と に , 本 職 と い わ れ る 人 が 共 感 し て,
障」をひっつけることは,保障してやる
「これなら協力しようやないか」と盛り
人と保障される人がいるように聞こえて,
上げてくれた.有り難いことやと思うの
実は好きでないんです.
と,寮の人たちと共に歩んできた年月は
6 年前に ESCAP( アジア太平洋経済
確かなものやったと思います.
社会委員会)があった時に,糸賀一雄さ
あざみ寮の職員に誇りにして今後も持
んについて講演しました.短い文章だけ
ち続けてもらいたいと願っているのは,
れども,「発達保障と共感の教育」とい
家族と本人,家族と職員,この関係です.
うことについて書きました.糸賀一雄さ
家族を非常に大切にしてきたのがあざみ
んのことを書いたので,糸賀一雄はこう
寮の特色の一つです.「兄弟姉妹の会」が
いうように理解しています,ということ
全国に先駆けてできた.親御さんが亡く
ですが,彼の言う「共感の教育」とか,
なって,きょうだいが親の会に来るよう
「共感の世界」は「発達保障」というの
になったので,「親の会」という名称をや
と同義語やとぐらいに思っています.そ
めて「家族会」にしましたが,「兄弟姉妹
の共感の教育の思想があざみ寮に流れて
の会」は名前もそのまま残しています.
いるところが,みなさんに「近江学園の
信頼ということは一方的に私を信じな
精神がここに残っている」と感じてもら
さいというのはありません.必ず関係を
えている点なのではないかと思います.
(7)
2008 年 12 月
人 間 発 達 研 究 所 通 信
No.115
*
自分を豊かにしよう
*
*
インタビューを終えて
みんなで関係を豊かにしていくことが
「どうして半世紀以上も頑張ってこら
大事で,豊かな関係が日常にあるかどう
れたと思いますか?」と伺ってみました.
かが大事です.豊かな関係を持つにはど
そうしたら,くしゃくしゃに顔をほころ
うしたらいいのか.それは自分自身が豊
ばせて,「好きなんよ.この人たちが」と
かになっていくことです.
答えて下さいました.「はじめは汚いし
糸賀一雄さんが最期の講義で言われた
くさいし大嫌いだった.それが好きにな
のはこのことでした.糸賀さんはその講
って,公私混同でいけないが,7 月から
義 の 翌 日 , 病 院 で 亡 く な り ま し た が,
大木会の理事も何もかもやめて,経営か
「施設における人間関係」という,2 時
ら一切ノータッチ,名前だけは顧問です
間の講演の中身は非常に濃いものでした.
が,まだウロウロとここへ来てます.こ
読んだことない人は是非読んで欲しいし,
の人たちと生きていくことが自分の生き
以前読んだ人はもう一度じっくり読んで
甲斐やと思って 50 年来たから,来るな
欲しい.彼は最期の講義で「この子らを
と言う人もないし,一緒に楽しもうかと
世の光に」という話はしてません.仏教
思っています」.笑顔に見送られてあざ
の 話 を さ れ る こ と が 多 か っ た で す が,
み寮を後にしました.
「無財の七施」という「7 つの施し」に
2008 年 8 月 6 日あざみ寮にて
ついて全部説明されました.そして白隠
(文責
禅師の『夜船閑話』という,昔の健康管
嶋村伸子)
参考文献
理の話ですが,その中に数息観というの
社会福祉法人大木会
『復刻
報告集
があります.ひとつ,ふたつと,座禅を
1――あざみ寮の開寮から十年間の
くみながら声に出さずに唱える.そのこ
記録』2004
とで熱がある人は熱が冷め,イライラし
社会福祉法人大木会
『報告集 2
共
ている人は収まる.最期の講義の中でそ
に生きる――あざみ寮・もみじ寮の
れをお話しになった.この最期の講義は
50 年・35 年』2004
本当にすばらしい内容だと思いました.
三浦了『糸賀一雄――人と仕事』2002
糸賀一雄記念財団
若い人たちに
継続は力なりと言いますが,結果的に
文中の糸賀一雄さんの最期の講義(滋
積極的に継続していかなければ力にはな
賀 県 児 童 福 祉 施 設 等 新 任 職 員 研 修 会,
っていかない.そして,力になる元は共
1968 年 9 月 17 日)は,『糸賀一雄著作
感の世界でしょうな.この人たちと一緒
集』Ⅲ(糸賀一雄著作集刊行会編,1983,
に仕事をして,本当の生き甲斐を感じた
日本放送出版協会)に掲載されています.
ら力になっていくのでしょう.
(8)
2008 年 12 月
人 間 発 達 研 究 所 通 信
No.115
発達論的エッセイ⑥
「自立」と「自己決定」と「自分探し」
髙谷 清
(びわこ学園医療福祉センター草津)
1.「自立」はどのように取り上げられて
害の重い人も自立できる」(36 回大会).
きたか
少し前のでは,「家族,社会,地域な
どに積極的に関与し人生の主人公になる
全国障害者問題研究会(全障研)全国
こと」(28 回大会,1994 年)とあり,こ
大会での「自立」
の回でもすでに「自分の人生を,生活の
昨年末に出版された「全障研 40 年」
主人公として,自由や権利を拡大してい
に掲載されている鴨井慶雄「共同研究者
く発展過程」が過去の討議からとらえら
としての歩み」 を読んでいると,「自
れていると書かれている.
1)
立」のことが書いてあった.
全障研全国大会の「自立」関係の分科
全障研関係研究者執筆の「自立」
会では,例年「自立論」が絶えず討議に
全障研関係で,自立についていくつか
なったということである.「自立とは,
の論究がある.その内容を見てみる.
自分の世界を広め,自分を変えていくこ
河野勝行
2)
は,まず「権利としての自
と」「自らの人生の主人公になりゆくこ
立」と「義務としての自立」をはっきり
と」「生活の主人公として自由や権利を
させている.障害者は人格の独立性を否
拡大していく発展過程である」などと話
定され,権利を奪われてきた.人間的復
しあわれたということである(第 30 回,
権の要求とねがいを集約することばとし
32 回,33 回大会).
て,権利としての「自立」がある.一方,
気になったので,最近の「全国大会報
政府や財界から個人の責任として「自
告集」を見ると,自立について次のよう
助・自立」が叫ばれ,いわば義務として
な意見がでている.「自分が主人公.社
の「自立」が喧伝されているということ
会的な役割をもつ.自分の道は自分で切
である.
り開く」(41 回大会,2007 年).「交流・
河野は,「現代における自立は孤立し
労働・楽しい日々(自己肯定感があって
た生存競争のうえにではなく,平等な人
こそ)」(40 回大会).「親以外の人から
びとの共同・連帯に基礎づけられるべき
の介助を受け入れられるようになるこ
もの」と言う.そして「自立とは,自由
と」というあるレポート報告のことが紹
で自主的な独立性のことであり」「独立
介されている(37 回大会).「人間はお
した社会的人格として自己の身体・生
互い支えあって生きている.どんなに障
活・人生の主人公になりゆくこと」と定
(9)
2008 年 12 月
人 間 発 達 研 究 所 通 信
No.115
義づけている.さらに「自立」の「快
自立」「社会的自立」「市民的自立」「自
さ」や「達成感」についても述べている.
己決定権」などがあるが,「他者とかか
は,「発達的自立」「社会的
わる力」としている.ただ著者のいう
自立」「人格的自立」「職業的自立」「経
「全人格的自立」の内容はいまひとつ明
済 的 自 立 」「 身 辺 自 立 」, さ ら に 「 自
確でない.③自立は自立へ向かう過程で
助・自 立 」「 自立 生 活 」「身体 的自立 」
ある.なお加藤と大泉の論文では,それ
の言葉と概念を説明し,問題点を指摘し
までの「自立」についての著作がかなり
た上で,「人間的自立」に到達している.
紹介されている.
大泉溥
3)
その「人間的自立」は「存在論的視点」
(障害者を具体的な人格と個性をそなえ
「自立」関係論文は,一定の時期に限
た 人 間 存 在 と し て み る と い う 視 点 ),
られている
「発達論的視点」(人間としての発達を
全障研発行の『障害者問題研究』133
能動的な獲得としてみるという見地),
冊(年 4 回発行.第 1 号~ 133 号,1973
「活動論的視点」(活動をとおして発達
年 7 月~ 2008 年 5 月)で,「自立」が表
という主体的達成としてみる見地)の 3
題にある論文はわずか 3 篇であり,それ
つの視点を堅持することが重要であると
らは 1989 ~ 1999 年の約 10 年間に掲載
する.
されている.
田中昌人
4)
は,「発達的自立」として,
森下芳郎「職業的自立から人格的自立
①連帯と協同の方向,②内面化の方向,
への青年期教育をめざして」(第 59 号
③ジグザグの方向,④充実の方向,⑤高
1989 年 11 月,実践報告).
次化していく方向としている.また発達
塩水流節子「両足でのワープロ操作に
的自立として「発達の原動力に依拠した
よる職業的自立」(第 90 号 1997 年 8 月,
自立であることを強調したい」としてい
事例報告).
る.
加藤直樹
三浦光哉「知的障害養護学校における
5)
は,「自立」に関係しなが
養護・訓練(自立活動)のあり方」(第
ら多方面な問題を叙述しているが,この
98 号 1999 年 8 月)である.
書 籍 の 眼 目 は ,「 新 し い 自 立 概 念 の 検
第 75 号(1993 年 11 月)の書評に,
討」として,自立を次のように位置づけ
河野勝行著「障害児者のいのち・発達・
たことであろう.①依存的自立,②全人
自立」が取り上げられられている.
格的自立,③目標概念としての自立.
最新号の 134 号(2008 年 8 月)に,
この 3 点を簡単に紹介する.①につい
「特集」としてはじめて「自立」の言葉
ては,多くの人たちの著述,経験,加藤
が で て く る .「 障 害 者 の 自 立 と 就 労 支
自身の経験をふまえて「他者の支援を獲
援」という特集であるが,「就労支援」
得する力」としている.②自立には「経
に力点がある.自立を中心にした論文は,
済的自 立 」「 精神 的 自立 」「 日常生活 の
石倉康次「障害者の就労と自立支援」が
(10)
2008 年 12 月
人 間 発 達 研 究 所 通 信
ある.
No.115
1970 年の創刊から 1978 年までの 9 年間
『人間発達研究所紀要』(年 1 回発行.
は「自立」に関する特集はない.79 年
第 1 号~ 18・19 合併号 1987 ~ 2007
11 月号「自立・結婚・子そだて」から
年)には,「自立」関係の論文は 5 編あ
始まって年別に次のような回数である.
る.
79 年 1 回,80 年 1 回,81 年 1 回,85 年
2 回,87 年 1 回,88 年 2 回,89 年 1 回,
折出健二「自立と人間発達」(第 7 号
90 年 1 回,92 年 3 回であり,以後はな
1993 年 2 月)
い.つまり『みんなのねがい』39 年の
河合幸尾「社会福祉と自立」(第 7 号
経過のなかで「自立」特集は,10 年目
1993 年 2 月)
細川義明他「実践記録・養護施設にお
から 23 年目の 14 年間にみられるが,そ
ける思春期の自立をめぐって」(第 8 号
の後の 16 年間はない.但し「自立支援
1994 年 2 月)
法」の特集は,2005 年 11 月号から今日
まで,6 回組まれている.
梅原正弘「高齢者の生き方と自立」
以上「自立」を主題とする単行本発行,
(第 9 号 1995 年 6 月)
雑誌の「自立」論文・実践報告の掲載は,
森澤允清「青年期・成人期の知的障害
者の生活自立と生活実態・生活認識につ
広くとっても 1979 ~ 1999 年である.
いて」(第 10 号 1996 年 10 月)
「自立論」に限るともっと狭くなる.以
ここでは折出健二の論文を取り上げて
後は「全障研」関係の単行本,雑誌で
おきたい.人間的な自立として「自由を
「自立」をテーマにしたものがほとんど
追求し獲得していくという意味」として
ない.だが「全障研全国研究大会」では,
いる.そして子どもたちは「依存関係を
語られ続けているということである.全
くぐり な がら 自 立を して いく 」,「依存
障研関係以外は渉猟していないが,少な
の中でどう受容し共感をしていく大事
くなっている印象がある.なぜなのだろ
さ」を述べている.日常生活では「家族
うか.
の一員として共同生活に参加していく」,
また「自ら人間関係をつくり上げなが
2.「自立」から「自己決定」→「自己責
ら」「他者との関係を自分から作り上げ
任」に
ていく 」,「そ の中 で 自己を 確 立して い
く」ことの大事さを語る.そして「人格
1990 年代後半から,さかんに「自己
的自立」について,「自ら自由を切り開
決 定 」 と い う 言 葉 が 言 わ れ だ す .「 自
いていこうとする,そういう主体になっ
立」に代わるものではないが,あたかも
ていく,このような個人の在り方として
「自立」の中身は「自己決定」であるか
とらえたい」としている.
の如く思わせるような風潮になった.
「自己決定」がもっとも問題になった
全障研の機関誌『みんなのねがい』
(月間)の「特集」ではどうであろうか.
(11)
のは,2004 年 イラクでの人質問題であ
2008 年 12 月
人 間 発 達 研 究 所 通 信
No.115
る.3 人の民間人が拘束され,その解放
代「自分探し」がブームになり,今日ま
をめぐって多額の費用を要した.この民
でも続いている.「自分探し」というの
間人は(自己決定によって)勝手にイラ
は,今のここにいる自分は本当の自分で
クへ行き,国にも迷惑をかけたのだから,
はないという感覚がまずある.それは自
「自己責任」があり,救出費用を負担す
分自身が生きているという実感をもてな
べきであると政府が煽り,マスコミの論
い,学業の意味をつかめない,仕事をす
調となった.意外にもイラクを占拠して
ればするほど自己疎外感がおこるなどと
いる当のアメリカのパウエル国務長官が
いう状態がある.友だちや家族とこころ
「私は,自分で考え行動する国民が日本
を通わせられないこともある.自分が自
にいたことを誇りに思う」「危険を冒す
分であるという感覚にならない.今の自
人がいなければ社会は進歩しない」と発
分は本当の自分でなく,本当の自分はど
言し,バッシングが下火になった.
こかにあるはずだと駆り立てられ,果て
「自己決定」という考え方は,次のよ
しなく存在しない自分を探す迷路にはい
うにも現れている.「援助交際」をする
りこむのである.それは,今の自分に納
女生徒が親や教師に叱られると,「だれ
得ができず,疎外感に苛まされ,その脱
にも迷惑をかけていない,私の身体を私
却を図りたいとする心情であることは分
がどうしようと私の勝手(自己決定)で
かるが,とても「あやうい」ものである.
しょう」と言われると,叱った当人は一
探している自分はここにいるのであるか
瞬ひるむことになる.
ら,他に見つかるはずはなく,やがて
「自立」という言葉や中身が「自己決
「 カ ル ト 」( 狂 信 的 集 団 ) や 「 オ カ ル
定」にとって代わったような風潮になっ
ト」(超自然現象)に絡みとられること
た.これはすぐに「自己責任」に直結さ
にもなる.
せられていることからも分かるように,
さらに,流行しているのが他者とのか
「自立」とはまったく似て非なるもので
かわりを無視した形の「自己実現」であ
あり,「あざとい」言葉である.たちま
る.この言葉は国の「教育審議会」など
ち「自己責任」と結びつけられることに
にも多く取り入れられている.「自己実
よって,なんら広がりや深まりをもたず,
現」については,拙論
自己完結するだけでなく,自己破滅に終
でここでは触れない.
6)
に述べているの
わる危険性の高い言葉であり,実態があ
4.「 自 立 」 は 「 自 己 決 定 」 と 「 自 分 探
る.
し」に埋没したのか
3.
「自立」から「自分探し」へ
以上の流れをみると,「自立」という
もうひとつ,現れてきたのが「自分探
概念や そ の検 討 は ,「自己 決定 」「自分
し」という風潮である.やはり 1990 年
探し」「自己実現」に移行したか埋没し
(12)
2008 年 12 月
人 間 発 達 研 究 所 通 信
たような感もある.しかし「自立」とこ
No.115
う問題がある.
れらの概念やその内容は異なるものであ
また従来からの課題である,知的障害
り,「自己決定」などの問題点を明らか
や身体障害の人たちの日常的な「身辺自
にするとともに,「自立」についても深
立」の問題がある.これは具体的な介助
めなくてならないのではないか.という
体 制 , 保 障 の 課 題 で あ る .「 経 済 的 自
より個人を「孤立」させる意図や動向と
立」「社会的自立」については「自立支
切り結びながら,「自立」の内容を発展
援法」とのかかわりで追求されねばなら
させることが必要であると思うが,現実
ない.
には十分なされていないようである.さ
「自立」に関してはさまざまな問題が
らに「自立」という言葉自体も,「義務
あり,今後もこれらの問題を取り上げる
としての自立」として流用されてきたこ
ことにして,今回はこれで終わりたいと
とから(例えば「心身障害者対策基本
思う.
法」の第六条(自立への努力)で,「心
幕が降りてからであるが,最後に黒澤
身障害者の家庭にあっては,心身障害者
明の『七人の侍』のリーダー勘兵衛が,
の自立の促進に努めなくてはならない」
野盗と戦うときに強い口調で叱咤する
とある),さらにその延長として「自立
「人のためにやってこそ,自分のために
支援法」なる悪法にまったく異なった意
もなる.自分のことしか考えないものは,
味で使われ,「自立」という言葉自身が
自分を滅ぼす」という言葉を追加してお
憤慨しているのでないかと思うのである.
きたい.
私は,現在使われている「自己決定」
「自分さがし」「自己実現」に対して,
文献
「自(己確)立」として深めなければな
1.鴨井慶雄
「共同研究者としての歩
らないと思っている.それは他と協力し
み」,「全障研 2007 年」
てとりくむ力であろうと思うのであり,
部
協力・共同と依存,自由,主体性,人格,
全障研出版
p124 ~ 126,2007
2.河野勝行『いのち,発達,自立』
自己実現などとのかかわりにおいて明ら
文 理 閣 , p113 ~ 168, 1990
かにされるべきであろう.
1984 ~ 1988 年に執筆した 3 論文
また文字通りの意味での「自立」は,
3.大泉博
「障害者の人間的自立」
現実的におおきな課題になっている.そ
田中昌人,清水寛編
れはとても重い心身の障害のある人たち
求』
における「医療的ケア」と呼ばれている
1987 に収録
問題である.ここでは呼吸などの「自
『発達保障の探
全障研出版部
4.田中昌人
p89 ~ 138,
「障害者の発達保障と今
立」が課題となっているとともに,「生
日の課題と展望」
命倫理」といわれる分野での,ある潮流
『 自 立 と 人 格 発達 』
から生命そのものの存在が問われるとい
1990 に収録
(13)
著者が
人間発達研究所編
p135 ~ 222,
2008 年 12 月
5.加藤直樹
障』
6. 髙 谷
人 間 発 達 研 究 所 通 信
『障害者の自立と発達保
全障研出版部
清
No.115
1997
「『 自 己 』 と は ど う い う
人間発達基礎講座
第3回
存在か,その『実現』とはどのような
日時 2009 年 1 月 31 日~ 2 月 1 日
ことか」
『障害者問題研究』第 34
会場 大津プリンスホテル
巻第 4 号
p308 ~ 317,2007
テーマ
講師
4 歳頃の発達の節目を中心に
植田章氏(佛教大学),河崎道夫
お断り:前回の「発達論的エッセイ⑤
氏(三重大学),中川千尋氏(翻訳
『闇』 と 『光 』」 のうち ,「 高等学校 時
家),服部敬子氏(京都府立大学)
,
代――生きる悩み」と「長く続いていた
汐見稔幸氏(白梅学園大学)
心の悩み」の項には,間違いがありまし
主催 人間発達研究所
たので,この 2 つの項は「削除」とさせ
てもらいます.ご迷惑をおかけしてお詫
糸賀一雄没後 40 年記念シンポジウム
びいたします.
「糸賀一雄の実践・思想形成と今日の
(たかや
きよし)
課題」
日時 11 月 29 日(土)13:30 ~ 17:00
場所
滋賀県立長寿社会福祉センター
内容とシンポジスト(入場無料)
Ⅰ.糸賀一雄の実践と思想形成(髙
谷清)
,Ⅱ.その後と今日の課題
原稿を募集しています!
1.
通信への投稿は字数 2500 字~ 5000
生活と発達(黒田学),2.障害者医
字程度で,期日は 2 月 20 日(3 月発行
療(杉本健朗),3.障害児教育およ
分)
,5 月 20 日(6 月発行分)
.投稿の
び障害者権利条約(渡部昭男)
申込み
際は E-mail もご利用下さい.匿名希望
記念事業実行委員会事務局
(大木会内) FAX 0748-77-4437
の場合は,その旨お知らせ下さい.
『人間発達研究所紀要』への投稿は
随時受け付けています.遅くなりご迷
医療的ケア実践セミナー in KYOTO
惑をおかけしましたが,20 号 21 号合
日時 12 月 13 日(土)~ 14 日(日)
併号はまもなくお届けします.
(編)
場所 京都教育大学
記念講演
髙谷清「障害の重い人の感
覚性,運動性,関係性と人格,生命」
人間発達研究所通信はメール配信もし
主催 NPO 法人医療的ケアネット
ています(PDF ファイル)
.ご希望の方
TEL 075-693-6604 FAX 075-693-6605
は,お知らせください.
http://www.mcnet.or.jp
(14)
2008 年 12 月
人 間 発 達 研 究 所 通 信
No.115
を産み出す勤勉な創作家なのだ.著者と
お薦めの 1 冊
評者とが衝突して放つ思索の火花--わ
米原万里『打ちのめ
されるようなすごい本』
文藝春秋,2006 年
たしたち読者はこの本によってその火花
の 美 し さ に 酔 う 楽 し み を 恵 ま れ た.
(p.521)
・・・・・大事なのは,彼女の文章が,い
渡部昭男(鳥取大学地域学部教授
つも前のめりに驀進しながら堅固で濃密
/本研究所・副所長)
なことだ.別に言えば,文章の一行一行
が,箴言的に,格言的に,屹立している.
書評家としての米原万里さん
そこで私たちは気楽にめくって,気に入
本書は,故・米原万里さんの「書評
ったところを読めばいい.そのときの気
集」です.米原さんは子ども期に在プラ
分によって,一行一行が励ましの特効薬
ハ・ソビエト学校に学び,有能なロシア
になり,慰めの妙薬になり,なによりも
語通訳として活躍してきました.また,
思索の糸口になる.(p.523)
『不実な美女か貞淑な醜女か』(徳間書
「至福の一時」を持ちたい人にはもち
房,新潮文庫)で読売文学賞,『魔女の
ろんお勧めですが,本通信の読者が研究
1 ダース』(読売新聞社,新潮文庫)で
論文にしろ,実践報告にしろ作成に立ち
講談社エッセイ賞,『嘘つきアーニャの
向かう時にも,米原さんの書評から学ぶ
真っ赤な真実』(角川書店,角川文庫)
ところは多いと思いますよ.
で大宅壮一ノンフィクション賞,『オリ
ガ・モリソヴナの反語法』(集英社,集
発達研究との交差点
英社文庫)で Bunkamura ドゥ マゴ文学
発達研究という側面から興味を引かれ
賞を受賞している作家・エッセイストで
たのは,米原さんの自己形成に及ぼした
もあります.そして,知る人ぞ知る,大
子ども期の異文化体験です.例えば,
の猫好きでもありました.
・・・・・中学二年の時に帰国し,近くの
多才な米原さんの「書評家」としての
公立中学に編入した私は,歴史のみなら
仕事を,井上ひさし氏(義兄)が「思索
ず,あらゆる教科書の絶望的退屈さ加減
の火花 を 散ら し て 」(「解説 」 として 本
にショックを受けた経験がある.・・・・・
書所収)に次のように紹介しています.
一行とて読み進む気のおこらない羅列的
記述.そこには,ものを知る=知らせる
「思索の火花」
喜びも,物事の本質を極めて行くときの
・・・・・とにかくすぐれた書評家という
あの胸の高鳴りも影を潜めているのだ.
ものは,いま読み進めている書物と自分
/それまで,小学校の三年から五年間滞
の思想や知識をたえず混ぜ合わせ爆発さ
在したプラハで通ったソビエト学校の教
せて,その末にこれまでになかった知恵
科書は,どれも読み出したら最後,止ま
(15)
2008 年 12 月
人 間 発 達 研 究 所 通 信
らなくなる面白さだった.(pp.50-51)
No.115
いですね.さらに,米原さんが解説して
また,衆議院議員を務めた父・米原い
くれるロシアや中央アジアの社会発展史
たる氏(日本共産党)の仕事や父が捨て
は,違った視点で初めて聞かされること
た故郷(鳥取)での富豪の暮らしぶり等
ばかりなのです.
を,どう受けとめ返しているのかも面白
(わたなべ
寄付を頂きました
堀川
史子さん
御手洗
中村
隆一さん
荒木
あきお)
訃報
研究所の会員で,講座での講演や紀
賢成さん
要などへの執筆にもご協力頂いた近藤
穂積さん
郁夫さん(愛知県立大学教授)が 9 月
活動報告
22 日,ご病気のためお亡くなりになり
ました.謹んで哀悼の意を表します.
8 月 2 日 発達診断各論コース
22 日,29 日 運営委員会
住所が不明になった方を探しています.
23 日 発達保障実践論コース
ご存じの方はお知らせください.
23 日~ 24 日 人間発達と集団コー
高橋温美さん
ス
24 日 個人の発達の系概論コース
※寄贈本は紙面の都合により次号に掲載
30 日 発達診断セミナー事務局
いたします.
9 月 5 日,12 日,19 日,26 日
編集後記
運営委員会
冬の講座の受付がはじまりました.基
6 日 発達診断各論コース
13 日 人間発達と集団コース
調報告作成のための討議も活発になって
20 日 発達保障実践論コース
います.今号はいかがでしたか?
お便
りお待ちしています!(N.S)
発達診断セミナー事務局
紀要編集委員会
人間発達研究所
21 日 個人の発達の系概論コース
24 日 財政検討委員会
〒 520-0052 滋賀県大津市朝日が丘
27 日 発達基礎理論研究コース
1-4-39 梅田ビル 3 階
今号で紹介された,知的障害者授産
施設周南あけぼの園の作品は,カレン
ダーとして販売されています.詳しく
は下記まで.
TEL/FAX
077-524-9387
E-mail
[email protected]
URL
http://www.j-ihd.com/
年会費
5,000 円
振込口座
http://www.syuunanakebono.jp/
加入者名
(16)
(郵便)01010-7-32709
人間発達研究所
Fly UP