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坂本龍馬と下関 関連年表

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坂本龍馬と下関 関連年表
坂本龍馬と下関 関連年表
西 暦(元号)
月
事 件
西 暦(元号)
1835(天保6)年 11月 郷士坂本八平の二男として高知城下に生まれる。
1862(文久2)年 3月 土佐藩を出奔。
(脱藩1回目)
(推定)
4月 下関に立ち寄る。
10月 この頃、勝海舟が提唱する海軍設立に共鳴し、以後海
軍塾・海軍操練所の創設に協力。
1863(文久3)年 6月 外国艦隊の長州攻撃を黙視する幕府に対して憤り、
「日本を今一度せんたく」
せんと決意する。
1864(元治元)年 11月 神戸海軍操練所の閉鎖。
勝の斡旋で、薩摩藩の庇護下に入る。
(脱藩2回目)
1865(慶応元)年 5月 薩長同盟締結に向けて活動開始。
太宰府で長府藩士の時田少輔らと会談。
閏5月 薩長同盟締結の地均しのため下関を訪ね、桂小五郎
(木戸)
と会談。
桂より薩摩藩名義による武器購入を依頼される。
9月 西郷から預かった密書を長州へ届けるとともに、長州
藩から薩摩藩への米提供を依頼。
10月 下関に入り、長府藩士印藤聿や下関の大年寄伊藤九
三と面談。
12月 下関に入る。薩長同盟締結に向けて木戸に上京を説得。
1866(慶応2)年 1月 長府藩士三吉慎蔵と上京。薩長同盟締結。
寺田屋事件発生。三吉慎蔵とともに窮地を脱する。
6月 小倉戦争に参戦。高杉晋作とともに幕府軍と戦う。
12月 長崎より下関に入る。
至川棚
1867(慶応3)年
事 件
1月
2月
公式に下関を居所にすることが決まる。
愛妻お龍を下関に呼び、伊藤九三よりその邸宅の一
室「自然堂」
を借り受けて生活を始める。
この頃、
夫婦で伊藤家の歌会に参加。
長崎に向かう。
3月下旬 下関を離れ、
4月 海援隊長となる。下関に一時帰還。
龍馬の乗船する
「いろは丸」が、紀州藩船「明光丸」
と
衝突、沈没。
5月 下関に帰還。
「いろは丸事件」談判のため、交渉地と
なった長崎へ向かう。三吉慎蔵・印藤聿・伊藤九三
にお龍を託す。
6月・8月 下関に一時帰還。
9月 長崎から土佐に向かう途中、下関に立ち寄る。
お龍・下関との永訣。
11月 「新政府綱領八策」
を起草。
京都にて、凶刃に倒れる。
下関で龍馬の帰りを待つお龍は、全身傷だらけで
しょんぼりと枕元に立つ龍馬の夢を見たという。
主要な参考文献:
「龍馬の翔けた時代」京都国立博物館
「坂本龍馬と下関」
下関市立長府博物館
至新山口 至菊川
かじくり
ごうだいち
月
至長府
至小月I.C
JR新下関駅
覚苑寺
忌宮神社
あやらぎ
中山神社
長府毛利邸
功山寺
下 関 市
下関市立長府博物館
満珠・干珠
豊功神社
中国自動車道
長府庭園
下関市立美術館
串崎城跡
周
野久留米
街道
はたぶ
城下町長府
古江小路
長府観光会館
城下町長府
壇具川
笑山寺
住吉神社
響
C
至広島
防
下関I.C
関門
トンネル
火の山
ロープウェイ
関
火の山公園
歴史体感紙芝居①「晋作と龍馬」
平成22年3月1日∼11月30日の毎日
※詳細はウラ表紙参照
関門橋
唐戸桟橋
関門トンネル
人道入口
門
前田砲台跡
みもすそ川公園
赤間神宮
(晋作像)
亀山八幡宮
日和山公園
下関市役所
白石正一郎宅址
大歳神社
厳島神社
高杉晋作終焉の地
入江和作邸跡
日清講和記念館
史蹟春帆楼
末広稲荷神社
桜山神社
A 下関駅周辺
火の山 火の山公園
パークウェイ
B 唐戸周辺
灘
伊藤助太夫(九三)邸跡
(本陣伊藤邸址)
関門トンネル人道入口
関門自動車道
めかり公園
門司港I.C
みもすそ川公園
関門トンネル
竹崎渡船場
JR下関駅
青春交響の塔
門司港
レトロ地区
関門海峡ミュージアム
海 (海峡ドラマシップ)
九州自動車道
マリンゲートもじ
(晋作・龍馬像)
門司港駅
もじこう
彦島
前田砲台跡
北 九 州 市
⑨巌流島(船島)
門司I.C
峡
至小倉
至小倉
至小倉東I.C
灘
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