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110 - 夙川スカウトホームページ

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110 - 夙川スカウトホームページ
西宮第 13 団 団報
№110 2000 年夏号
せいちょう
森が成長するには、
どれだけ長い時間がかかるかを考えよう。
おぼえ
いろんな木の名前を覚えよう。
かぶ
ねんりん
木の株を見つけ、年輪を数えてごらん。
ねんれい
木の年齢が分かるだろう。
くさった
キノコは,腐った木などにはえる。
まるた
かぶ
倒れている丸太や株を、さがしてみなさい。
こんちゅう
がい
君は、昆虫が木を害したあとを、
見つけることができるかい?
キツツキがこついたあとは、どうだろう?
こんせき
森の中の動物の生活の、さまざまな痕跡を知ろう。
ゆうどくしょくぶつ
君は、森の中で有毒植物を、見分けられるかい?
きそく
森の中では規則を守ろう。
かんとくか
おとなの監督下でなければ、火をたいてはいけない。
ひとりあるき
森の中の一人歩きはいけない。
ゆきさき
いいのこ
少なくても、行き先を言い残していこう。
しょくぶつ
野生の植物、イチゴ、キノコは、食べても安全かどうか
を確かめてから、食べなさい。
木の皮をはいではいけない。
皮をはいだ所は、
病気になったり、
昆虫にやられるから。
りんじょう
木の皮をぐるっと輪状にはぎとってはいけない。
からす
木を枯らすことになるから。
おぼ
覚えておこう。
木は生き物だってこと。
以上が、木との付き合い方だってこと。
「森はだれがつくったのだろう?」
ウィリアム・ジャスパソン・文
チャック・エッカート・絵
河合雅雄・訳
――より――
小谷の自然∼想いつくままに
永井信三
バスで信州に向かう時、途中で渋滞に引っかからなければ、駒ヶ岳SAで昼食を採る事になります。こ
こで初めて信州の自然に直に触れることが出来ます。バスから出ると、
まず山鳴きのウグイスの声が耳に
飛び込んできます。そしてどこかで鳴くカッコウの声も(ウグイスは春先人里で鳴き出します=里鳴き、
夏が近づいて来ると涼しい山に移ってゆきます=これが山鳴き。カッコウは夏鳥で、初夏に日本に渡っ
て来ます)。もちろん、池原でもウグイスやカッコウの声を聞くことが
出来ます。そしてお昼を食べている雑木林の中では、ギギギギギギと
エゾゼミの声が降って来ます。
(木の梢で鳴いているので、
姿を見つける
のは難しい)信州の自然体感の序曲です。
かっこう
バスはそこを出ると、南から北へ長野県を縦断して進みます。豊科で高速を降り、安曇平を走り信濃
大町から仁科三湖へ。そして白馬連峰の残雪∼「今年はどんな雪型が見られるだろう?」とワクワクする
ポイントです。
∼を仰ぎ見ながら白馬村を抜け小谷村へ。姫川の流れを眼下に見ながら中土駅へ向かいま
す。楽劇《信州・池原ネイチャー》の幕開きです。
リュックを肩に、レックに向けて出発します。河岸段丘を一気に登ります。途中から下を見ると先ほ
ど居た中土駅の向こうに広々と姫川河原が見渡せます。うまく行くと、
トンネルを出てゴトゴト鉄橋を渡
ってくるディーゼルカーが見られるかもしれません。
その姫川河原に、僕の好きな野草の一つ、カワラハハコ草が在ります。漢字で書くと「河原母子草」。白い
産毛で銀緑色に見える葉を着け、白い小さな萼(ガク)の中に黄色い小さな花をつけます。これによく似
た花を知りませんか?そうです。河原母子草はあのエーデルワイスの遠い親戚なのです。この草は姫川
河原だけでなく、砂地の河原にはよく生えていますから、気をつけていると
見つける事が出来るでしょう。
(ちゃんと父子草というのも有りますので、
お
父さん安心してください)
道は池原下の河岸段丘一段目の上に出ます。塩の道古道を横切る辺りから、
もう一段上の段丘上に杉と欅(ケヤキ)の木立に囲まれたレックが見え始めま
す。振り返ると深田久弥(ふかだきゅうや)氏の「日本百名山」にもあげられて
いる雨飾山(あまかざりやま)方面の視界が徐々に開けて来ます。
道が蛇行する辺りから、所々に大きな葉っぱの木が目に付くようになりま
す。ピンポン球大の緑色の実が房状に生っているのが見られるでしょう。
鬼胡
桃(オニグルミ)の木です。風の吹いた後などには道に落ちています。この時
欅
季残念ながら熟すには少し早すぎますが、緑色の果肉を取り除くと見慣れた
胡桃が出てきます。(アクが強いので、気をつけないと手が染まってしまいます。服にでもついたら大変
です。洗濯しても落ちません。それにかぶれる事もあります)
おにぐるみ
そうこうしている内にレックに着きます。一休みしている間にレックの下のお宅の道をはさんで在る
草原の小さな流れを覗いて見ましょう。うまく行くと山椒魚の幼生を見ることが出来るかもしれません。
山椒魚の種類は違いますが、西宮の甲山周辺では 6 月に幼生が見られます。そう云えば、レック周辺で
は 8 月にまだ蛍が見られます。レック近くではハグレ蛍的な感じで飛んでいますが、水田の在る所に行け
ば、ある程度の数を見ることが出来ます。その蛍。初夏の風物詩の蛍が、秋の七草「尾花」=穂の出たスス
キや、花の着いた「萩」にとまっている。そう云う不思議な光景が見られることが有ります。池原は初夏
と秋が混在するワンダーランドなのです。
レックからBSのキャンプサイトへ林道を通って上がってみましょう。しばらく登ると、
姫川の谷を隔て
て東山(小谷山地)方面が見晴らせます。以前その辺りは鬱蒼とした森林でしたが、ある時期切り払われ
てしまいました。紙の原料になったと言う事です。森林の中を歩く趣は失われてしまいましたが、遠くを
見渡すことが出来るという違う形の楽しみを生み出しました。それに森林の中を歩く楽しみが味わえる
場所は、まだまだいっぱい在ります。実が栃餅の原料となる「栃の木」
や朴葉味噌の「朴の木」などの大木がここを狭しと枝を延ばしていま
す。足元には、時期は外れていますし、採ったら怒られますが「こご
み」や「大葉擬宝珠(おおばぎぼうし)」などの山菜が見られます。そ
して山葡萄が木に蔓を伸ばしている所も。見て歩くだけでもお腹が一
杯になりそうです。そしてそこは上手くしたもので、胃薬の原料にな
る「黄ハダ」の木まで有ります。そんな森林の中の小径がまだまだ在
ります。そして森林が切り払われた所も二次林が形成されつつありま
す。後何十年か経てばその場所も森林と化しているかもしれません。
ワイドビューが楽しめるのは今だけです。そのチャンスを楽しみまし
ょう。晴れていれば、青い空にポッカリと白い雲、その雲の陰が、緑の山々を渡って行きます。天気が
悪ければ、山にまとわり着くように流れる幻想的な霧の姿が目を楽しませてくれるでしょう。そして気
象条件が合えば素晴らしい虹の掛け橋を見ることが出来ます。
午後に驟雨でも有れば、すべての条件はピ
ッタシです。
風景を楽しんだら、そろそろ先へ進みましょう。少しで、「水楢(ミズナラ)
」と「落葉松(カラマツ)
」
の林の中のキャンプサイトに到着します。
「白樺」
や「岳樺」の木も何本か在ったのですがだんだんと枯れ
たりして、今も残っていたか定かではありません。林道はその中央を貫いて続いています。ここでも、林
道が通ったことで楽しみが一つ増えました。それは「栗鼠(リス)
」の姿を見つけ易くなったと言う事で
す。栗鼠は警戒心が強くスバシコイ動物ですから、人間が見つける前に木の裏側に隠れてしまったりして
普通では見つけるのは難しいのですが、林道が通ったことで、木の梢を渡ってゆく事が出来なくなりまし
た。飛び降りるタイミングを計っている時、そちらに意識を集中させているためか、人に見られているの
に気付かない事が有ります。見ているとしばらく躊躇した後、木を駆け下り、道をピョンピョンと駆けて
行き道の反対側の木に駆け上ります。その姿はなんとも可愛いものです。栗鼠にとっては迷惑な話では有
りますが。
林道の効用がもう一つあります。歩きやす
くなったと言うことです。大営火の後など、
「白鳥座」や「天の川」など満天の星を見上
げながらレックへ。足元に気を向けなくても
そう危ないことは無い。星空のロマンを楽し
みながら、大営火の余韻に浸りつつレックへ。
このように、
池原は関西では体感できない素晴らしいものをいっぱい味わせてくれます。何の気なしに分
け入った林の中に「水芭蕉」の群落を見つけたり。そうそう「山葵(ワサビ)
」
を見つける事が有るかも知れませんが、
それは栽培されて居る物です。手を伸
ばさないようにしましょう。
次に姫川の「翡翠(ヒスイ)」について。昔、
「姫川」は「奴奈川(ぬながわ)
」
と呼ばれていたそうです。奴奈とは「玉(ぎょく)
」の事で、古事記や出雲風
土記に、大国主の命と「越の国」の奴奈川姫との婚姻の記述があるそうで、
これは、往時の勢力を誇る民族と宝玉を産する地の民族の結びつきを物語っ
ているのでしょう。ちなみに大国主と奴奈川姫の間に生まれた子が、諏訪大
社の御神体「諏訪大明神」になったと言う事で、池原下に諏訪神社があるこ
ともうなずけます。
話を元に戻して、残念ながら池原の近くではヒスイは採れません。ヒスイは、蛇紋岩(暗緑色の細か
い結晶の美しい石)にマグマが貫入し、そこに曹長石が出来ると蛇紋岩の緑色の成分が白い曹長石に移
入して出来上がります。ですから条件的にはかなり限られる事になります。
小倉さんの小母ちゃんのお話では、稗田山の大崩落で浦川を山津波が襲った、その復旧作業の時に浦
川橋のところで、大きなヒスイの原石が見つかった事が有るそうです。ヒスイの産地は中土よりもっと
下流で姫川に合流する支流「小滝川」の限られた場所で、ヒスイの原石を含む層が河床に現れています。
今では国の天然記念物で立ち入り禁止になっていて、採る事はできませんが、大雨などの後等には、そこ
から下流の姫川の河原で見つかる事が有ります。昨年3団カブのハイキング下見の時に、あまり上質の
ものではありませんが、こぶし大の原石を拾いました。それと、糸魚川の海岸でも根気よく探すと見つか
ります。姫川と大所川、両方の産地ものが流れてきています。
最後に、無いはずの池原周辺でヒスイを見つける方法。それは林道の補修作業でばら撒いてあるバラ
スの中を捜すこと。関西ではバラスは砕石を使いますが、池原では河原の砂利を使います。その砂利がヒ
スイ産地の下流のものであったなら、ヒスイが含まれている可能性が有ります。僕も過去二つほど、場所
も年も違えて見つけましたし、4年程前に 3 団カブの当時の石村隊長も見つけた事が有ります。それも
冗談のような形で。
「ヒスイがバラスの中に混ざっているんだよ」なんて話していて、
「本当ですか」と
言いながら石村君が手ですくったバラスの中にかなり上質のものが入っていたんですから大笑いです。
ヒスイの見分け方。薄緑色の石。又は白い石で、一部がぼやけたように薄緑色に染まっている石。水
を着けると、きれいな半透明になる。ほかの石より硬い。などがあげられます。一度、暇な時にでも探して
みれば、
見つかるかもしれません。但しお母様方のペンダントになるようなものはまず見つかりませんか
ら、あまり血眼にならないように。
取り留めなく書いてきましたが、信州池原と言うところは、その気になれば、つねに何か新しいものが
見つけられる楽しいところです。と言うところで筆を置きます。否キーを打つのを終わります。
◎永井信三プロフィール
昭和 35 年の夏に、今の苦楽園小学校が建っているところの剣谷のキャンプ地で営火の明かりに照ら
されながらスカウトの「ちかい」をたてる。故松田利昭氏、故山田奈良雄氏等の良き師の薫陶を得て、
山田明良氏等の素晴らしき先輩・同輩・後輩、そしてスカウト達に恵まれてスカウト活動を続けさせて頂
いています。
現、3 団副団委員長兼カブ隊副長。 西宮地区副委員長
スカウト外では夙川青愛協会長、仕事も教育委員会青少年課で野外教育、野外活動リーダー養成を担
当する職に有り、これもスカウト活動を続けさせていただいていたおかげと感謝。
文部大臣認定資格:日本キャンプ協会、キャンプディレクター2
西宮地区について
西宮地区コミッショナー 森地一夫
13団の皆さん、私は、西宮地区でコミッショナーをしている 森 地 です。
地区の人というと、どこか別のところの人のように感じられるでしょうが、所属は3団、小学校6年生
のときにボーイ隊(当時は少年隊と言っていました)に入ってから(オオカミ班です)、LECでキャンプを
してきた皆さんの仲間です。こう長いことボーイスカウトをやっていますと、いろいろな仕事が回って
きて、現在は地区のコミッショナーを引き受けている次第です。
さて、
私の西宮地区でのシゴトである、
コミッショナーというものについて皆さんはご存知でしょうか。
このシゴトは、西宮地区の隊の指導者の皆さんが、普段の活動をやりやすくするためにいろいろとお手
伝いするものです。指導者の皆さんは、ほとんどプロの教師などではありませんから、日頃いろいろ勉
強され、智恵を絞りながら、スカウトを指導されていますが、ともかく大変苦労されています。
そこで、活動についてヒントをお出したり、相談に乗るのがお手伝いのひとつです。また、この夏には、
県の50周年ということで、神鍋で合同野営があります。その参加に際しての手続きや準備に際しては
運営スタッフに任せても、細かいところで問題が出ます。それで、運営と指導者の間に入って、調整を
するのもシゴトのひとつ。これは、今回の合同野営だけでなく、地区で行う行事、ビーバーまつり・カ
ブ集会・耐寒訓練・キャンポリーなど、地区の関係する全ての行事において、皆さんが参加しやすいよ
うに取り計る役目であるわけです。
また、菊スカウト・富士スカウトは面接を地区でも行いますが、その主たる面接官でもあります。
これは、
地区内の全ての団で大きな格差なくスカウトの進級が進むようにするのも大事なシゴトなので、
当然面接でも立ち会うことになっているのです。その他、研修会の参加承認・事故報告・県外旅行・海
外派遣・表彰・登録などなど、およそ、ありとあらゆる地区のコトについて、とりあえず、コミッショ
ナーのところを通ることになっております。
日連教育規定では、コミッショナーとは、地区の「基準の維持」と「純正な発展を担う」のが責務です。
実務上は、上に書いたようなことを、何人かの副コミッショナー(うち一人は、石橋さん)と分担して行
っていますが、その責務から重要なのは、地区が今、そして、これからどうするのが良いか、分析して、
いろいろな仕掛け(対策)を考えていくことです。
今、日本のボーイスカウトとして一番問題になっているのが、加盟員の減少です。西宮地区は20個団
ありますが、平成元年からの統計では、毎年5%ずつスカウトが減ってきました。それが、どうしてだ
ろうかと調べると、ビーバーはその部門が出来てから順調に増えてきているのです。最近は、ほぼ全て
の団にビーバーが出来ましたので増加は頭打ちになっていますが、ここ10年ほどは、新入隊員の確保
については、皆さんのご努力の賜物で、それなりに成果を上げています。おかげで、スカウトの人数は、
毎年12月時点では100人以上増えます。ところが、4月に登録をすると、
「増えた分以上に」減って
しまう。中途退団が起こるのです。カブから上進しないか、ボーイに上がって1年ぐらいで辞めてしま
うケースが多い。実際には、上進はそこそこなのですが(地区平
均80%ぐらい)、ボーイの途中で辞めてしまう、というのが多
いのです。これは、地区の全ての団でその傾向があります。
どうして、途中で辞めてしまうのか。他にもっと面白いものが
あるからです。あるいは、受験やクラブなど、もっと優先した
いものがあるからです。ボーイスカウトは、選択肢のひとつと
しては、あまり魅力がないようなのですね。
そこで、今、地区としては、この魅力の根源であるはずのボーイ隊の活動 --- とりわけ、班長訓練で習
ったことを、班長が班集会で教え、隊集会で競争する --- について、
「ちゃんとやろうよ」という運動を
進めています。そのため、人数の少ない隊については、合同の活動を奨励しています。
幸い、夙川スカウトにおいては、この基本は、頑なに守っています。私のとき(もう30年前!)もそう
でしたが、毎週の班集会、毎月のハイキング、10泊の夏の野営をコンスタントに。人数も一時は減り
ましたが、3個班を維持しています。大いに自信を持つべきものです。
ところが、残念なことに、地区の各団では、同じようには活動ができていないのです。月1回の隊集会
が関の山。班集会もろくにできていないところがあります。それでは、スカウトは面白くないでしょう。
地区のコミッショナーとしては、ボーイ隊の活動が本来の形で行われるようにすることから、まず取り
組まざるを得ない状況なのです。
閑話休題...
今、文部省が主導で、教育改革が急ピッチで進められています。平成14年から、学校週5日制が完全
実施になります。ゆとりのある教育が目標に掲げられ、
「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主
体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する能力」としての「生きる力」が新しい学力として規定
されています。そのため、小学校3年生以上は、
「総合的な学習」といって、今までの教科の枠にとらわ
れず、国際理解、情報、環境、福祉・健康などの横断的・総合的な課題設定をして、調査や研究をする
授業が行われつつあるのはご存知でしょう。でも、考えると、それって全てボーイスカウトが始まった
ときから子ども達に提供してきたこと、そのものじゃないのか。社会のニーズとしても、本当に役に立
つ大人(この言葉には語弊がありますが、
「より良き社会人」の意味です)を育てるには、どうすれば良い
かということでは、ボーイスカウトがやってきた、
「観察と推理」や「ウッドクラフト」を基盤とするの
が良い、と、やっぱりそうなってきたようなのです。
そこに、班制度や進歩制度を採り入れていけば、学校でももっと有意義な授業ができるでしょう。
たいそうなことを言うようですが、元々ベーデンパウエル卿がスカウティングを考えたのはそのあたり
なのですから、まじめにそう思うのです。
しかし、見本たるべき我がボーイスカウトの現状はどうか。根本の部分、ベーデンパウエル卿が考えた
方法論の部分を忘れて、ただ、休みの日に、アウトドアをやっているだけの団体になっていないか。
あそびを提供するだけで、スカウト達に見させ、聞かせ、考えさすようなことはしていないのではない
か。班長に班員を指導する責任を与え、またそれができるだけの班長教育をし、班をちゃんと運営させ
ているだろうか。菊スカウト・富士スカウトに、全てのスカウトがあこがれ、嬉々として挑戦している
だろうか。
社会のニーズにこれだけ合っている活動なら、もっと皆が寄ってくるはずなのです。まじめさやモラル
といった部分が醸成されにくくなった現代社会で、
「ちかい」と「おきて」という規範を持っているボー
イスカウトは、もっと存在価値があるはずです。
その中で、夙川スカウトは、ボーイスカウトをちゃんとやってきていると、自信を持っています。
実際、ここまでやることはやってきました。でも、その自信が、何に因っているのか、見直す時期にあ
るようです。
やり方を見直すのではなくて、
「なぜそのやり方をし
ているのか」を見直すことが必要です。指導者だけでなく、関わ
りを持っている保護者の皆さんも全てで考えていきませんか。
くちはばったいことを書きましたが、夙川スカウトの一員であり
ながら、地区というやや外から見る立場にいると、こういったこ
とをつくづく感じさせられるのです。
燃えろ夙川スカウト。
その火のまわりで大いに唄って、営火をしましょう。
私も微力ながら、薪をくべる役をしたいと思っております。
自分で考える力
ベンチャー保護者 斎山美津子
2人の息子がボーイスカウトでお世話になって12年になります。スカウト活動への親としての関わ
り方や役割は、子供のスカウト年代によって大きく異なりますが、ビーバー・カブ・ボーイ・ベンチャ
ーと、それぞれの活動が、子供の何を育てようとしているのかを、親として理解しておかなければ戸惑
ってしまう事があります。その為に、リーダーを囲む保護者会は、とても大切な時間と場であると思い
ます。
ボーイスカウトについて、よく知らなかった私ども親も、子供の入隊をきっかけにいろいろなことを
教え、育てていただきました。親子で入隊という感じです。
その、いろいろな活動を通して感じることは、こども自身が、今何をすればよいか・今どうすればよい
か・今何ができるかを考える力を大切にし、実際の活動を通して、短時間・短期間ではなく、年月をか
けてじっくりと育もうとしているということです。
スカウト達が、試行錯誤や失敗を繰り返したり、個人や仲間たちで考える時間や機会に、それを支え、
支援してくださるリーダーの存在と役割、
責任はとても大きく大変ですが、献身的なその活動には感謝と
頭の下がる思いでいっぱいです。
下記のメッセージは以前、次男が中学校の一年生が終わり、二年生を迎えようとしている三月、親か
ら子供へ何かメッセージを送るということで私の思いを書いたものです。
心身ともに不安定な思春期に、
ボーイスカウトで、特に自立への試行や挑戦を見守り成長させてくださっていることを、親として実感
できたことは、大変ありがたいことでした。
潤くんへ
生徒氏名〔斎山潤〕
去年の今ごろは(小学校の)卒業生として六年間の総まとめの時でした。四月から
の中学校生活に少々不安を感じながらも、新しいことが待ち受けていることに、何か冒
険心に胸をときめかせているようにも見えました。
それから一年。心身ともに自分の力を自分自身で常に確認しながら成長してきたよ
うに思います。足元が不安定であっても背伸びしながら何かに挑戦している様子が、い
ろんな場面で伺えました。これからも、失敗しても転んでもその手ごたえを自分で感じ、
次に何をすればよいか、素直に周囲の声を聞き、自分の中で整理しながら、又アタックし
ていく、そんなエネルギッシュな青年に成長してくれることを願っています。
そして、そのエネルギーは常に自分の夢や希望に向かっていくエネルギーであって
ほしいと思います。
母より
こどもの自立や何かへの挑戦力は、その背後に隊のリーダーや団役員の方々、保護者の皆様の大きな
支えがあればこそ、安心して挑めるのだと感謝しています。
編集後記
1年の締めくくりの季節がやってきました。夏の野舎営に向けて各隊が一丸となるときです。
池原の森で今年もどんなドラマが生まれるでしょうか?この号を参考にもっと池原を楽しんでもらえ
れば幸いです。またボーイスカウト活動についてなお一層理解を深めていただければ、と思っており
ます。
広報:大垣・杉浦
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