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開発法学2014 カンボジアにおける土地法の現状と 今後の法整備支援

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開発法学2014 カンボジアにおける土地法の現状と 今後の法整備支援
343
開発法学2014
カンボジアにおける土地法の現状と
今後の法整備支援
川田 侑彦
北尾 晴菜
堂本 恒志
(松尾研究会 3 年)
Ⅰ はじめに
Ⅱ カンボジアの歴史と今
₁ カンボジアの現状
₂ 土地紛争の事例
₃ 土地紛争の原因
₄ 小 括
Ⅲ 新土地法と民法
₁ 2001年土地法成立過程
₂ 土地法における登記制度
₃ 登記制度を巡る日本との対立
₄ 民法典における登記制度
₅ 双方の主張、登記に関する見解
₆ 土地法と民法典の調整
₇ 小 括
Ⅳ 土地法がもたらした混乱の解決方法
₁ 判例法の普及の促進
₂ 解釈学の普及の促進
₃ 成功した支援の参考例
Ⅴ 今後の支援に向けて
₁ 保護すべき人権とは
₂ 確かな制度を作るために
₃ 支援国と被支援国の立場
Ⅵ おわりに
344 法律学研究53号(2015)
Ⅰ はじめに
本稿では、カンボジアの土地法を取り上げ、経済発展の裏側で発生している土
地所有に関する紛争について見ていく中で、法律の果たす役割について考察して
いきたい。
現在、カンボジアでは、経済発展に伴う土地の活用等により、長年その土地を
占有していた農民や住民が立ち退きを余儀なくされているという。カンボジアに
は、民法も土地法も存在し、土地紛争に対し、明文化された規定は存在している。
しかし、実際にはこれらの法律は十分に機能しておらず、紛争解決の歯止めとは
なっていない。そこで、土地紛争の現状を述べ、なぜ紛争が起こっているのか、
なぜ法律で対処できていないのか、について言及し、土地法の問題点を暴き出そ
うと思う。そこでは、日本がその成立に関わった民法との関係についても述べな
ければならないだろう。
また、歴史的要因として挙げられるのは、ポル・ポト政権下での土地所有制度
の混乱がある。これにより、農民の間まで法律が定着しないという結果を生み、
ポル・ポト政権の代償をどのように支払うのか、現在も深刻な問題の一つとなっ
ている。
そして、最後に、今後のカンボジアを予想し、紛争解決のために日本がとれる
解決策を模索し、法律の持つ役割について考察したい。また、同時に、開発法学
という学問分野と結びつけ、土地を巡る法的問題を解決するために日本ができる
法整備支援は何かを考察し、法整備支援の在り方について触れたいと思う。
Ⅱ カンボジアの歴史と今
₁ カンボジアの現状
カンボジアは、1991年のパリ和平協定により内戦が終結し、1993年の国連カン
ボジア暫定統治機構(UNTAC)による総選挙、1998年のポル・ポト派の完全投降
により内戦に終止符を打ち、
「カンボジア王国」として再出発した。総選挙を経て、
フン・セン首相が首班となったカンボジア政府は、「四辺形戦略」を掲げ、国家
開発に取り組んでいる。具体的には、中央部に「グッド・ガバナンス」(汚職と
の闘い、司法改革、行政改革、国軍改革と兵員削減)を掲げ、グッド・ガバナンスの
345
表 1 カンボジア略年表
1975年 クメール・ルージュが内戦に勝利し、民主カンプチア(ポル・ポト)政権を
樹立。
1976年 民主カンプチア憲法公布。従前の法及び社会制度の機能停止、伝統的価値の
否定、旧来の土地所有関係の破壊、強制労働・飢餓・粛清の結果、推定100万
人死亡。
1979年 ベトナム軍進攻でクメール・ルージュ敗走、ポル・ポト政権崩壊。親ベトナ
ムのプノンペン(ヘン・サムリン)政権成立。
1991年 パリ和平協定。
1992年 国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)活動開始(1992~93年、日本初の国
連 PKO 参加)。
1993年 UNTAC 監視下で制憲議会選挙、王党派フンシンペック党勝利。新憲法で王制
復活。ラナリット第一首相(フンシンペック党)、フン・セン第二首相(人民
党:旧プノンペン政権)の ₂ 人首相制連立政権。現憲法に基づく法整備が始
まる。
1997年 首都プノンペンで両首相陣営武力衝突。ラナリット第一首相失脚。
1998年 第 ₂ 回国民議会選挙。第一次フン・セン首班連立政権。
1999年 日本が民法と民事訴訟法の起草支援を開始。
2001年 土地法施行。
2006年 民事訴訟法成立。
2007年 民法成立。
確立を最優先課題として取り組む一方、四辺には、( ₁ )農業セクターの強化、
( ₂ )更なるインフラの復興と建設、( ₃ )民間セクター開発と雇用創出、
(₄)
キャパシティービルディングと人材開発を掲げ、経済開発にも重きを置いた政策
となっている。
その結果として、順調な経済成長を続けるカンボジアであるが、近年の GDP
成長率1)は、2011年に7.1%、2012年に7.3%、2013年に7.4%と安定した成長を続
けている。また、開発政策の中でも中心的課題とされてきた貧困削減においても
一 定 の 成 果 を 上 げ て い る。 貧 困 割 合2) は2004年 か ら2009年 ま で の ₆ 年 間 で、
37.7%から18.6%に減少しており、カンボジアは表面的には社会経済開発の道に
おいて、「成功」していると言えるであろう。
346 法律学研究53号(2015)
しかし一方で、国内の不平等に目を向けると、貧富の格差は逆に拡大している
と言えるのではないだろうか。世界銀行(以下、「世銀」という)による分析結果
を見ると、1994年から2004年までの10年で、一日当たりの消費額が富裕層で45%
増加しているのに対し、貧困層はわずか ₈ %しか成長していない。経済成長は国
内の富裕層が更に裕福になったことによってもたらされたものであり、貧困層は
依然として貧困であると言える。
ここで、このような貧富の差を生み出す一つの大きな要因として考えられるの
が、土地所有における不平等である。また、カンボジアは人口の約 ₈ 割が農村に
居住しており、土地所有の状況は直接、農家の生活を左右する。しかし、土地な
し農民3)は1997年に13%であったが、2004年には20%に拡大しており、現在では
30%近くに及んでいるのではないかと見られている。したがって、このような意
味においても、カンボジアにおける土地問題は重要な意味を持っているのである。
次に、詳細は後の章に譲るが、実際にカンボジアで発生している、土地紛争の
事例を紹介し、その原因について探っていきたいと思う。
₂ 土地紛争の事例
1999年にタイ・カンボジア国境に近いバンテアイミエンチェイ州のある村で、
村民が誰一人知らない 1 人の男がやってきて、村と村周辺の5124平方メートルの
土地の所有権を主張した。男の主張に全く法的根拠がないにもかかわらず、州の
裁判所は土地所有権を認め、村民の居住は違法であるとの判決を下した。その後
も村民の控訴により闘争は長く続いたが、2005年 ₃ 月、裁判所は強行判決を行い、
立ち退きに抵抗した村民 3 人が武装した警備隊によって射殺されるという結果と
なった4)。
また、2006年首都プノンペンでは、トレンバッサック川沿いスラムの強制立ち
退きが強行された。1980年代からそのスラムに住む人々には居住の法的根拠があ
るにもかかわらず、国はその土地を国有地であるとし、強制撤去に踏み切った結
果、およそ1800世帯が住居を失った。政府は再定住地の提供を約束したものの、
現時点でプノンペン郊外に土地を得たのは約500世帯のみである。また、移住地
の衛生、治安、教育、就労機会の状況は劣悪であり、未だ残された問題は多い5)。
これらの事例は、数ある中の一つに過ぎないが、なぜこのような土地紛争が多
く発生しているのだろうか。本稿では、事例に絞ってその原因を探るのではなく、
全体的に見たカンボジアの土地紛争の原因を三つの要因に分けて探っていきたい。
347
すなわち、( ₁ )ポル・ポト政権による法制度の混乱、
( ₂ )経済発展による土地
の集約化、( ₃ )法制度の不備、である。この中でも特に、
( ₃ )法制度の不備、
に焦点を当てたいと思う。というのは、日本は、1999年より JICA プロジェクト
により、法制度整備としてカンボジア民法の起草支援に参加しており、同法は
2007年に成立した。しかし、これと同時に、土地法がアジア開発銀行(ADB)に
より起草され、私法に関する法律が錯綜したのである。土地を巡る法律関係も本
来なら民法典の一部となるべきはずであったのだが、支援国との調整が難航し、
民法と土地法がうまく連動するような機能を持たせることができなかったのであ
る。このことが土地紛争に歯止めをかけさせることができていない一つの大きな
要因として挙げられ、さらには、法整備支援の役割を考える上でも、重要な問題
と言えるのである。
₃ 土地紛争の原因
( 1 ) ポル・ポト政権による法制度の混乱
カンボジアは、1975年から1979年までのポル・ポト政権下で、既存の法制度が
廃止ないし機能停止させられ、強制移住によって既存の土地の利用関係及び所有
関係が徹底的に破壊された。つまり、私的所有権を廃止した内戦時代の影響で、
土地所有権の混乱が見られるのである。さらに、過酷な労働、粛清、衛生状態の
悪さによる病気などによって知識人の多くが死亡し、ポル・ポト政権崩壊時に生
き残った法律家は ₆ 名ないし10名と言われている。この混乱過程が、所有権制度
が再構築され始めた1989年以降の土地分配・土地所有において法制度が農民の間
になかなか定着しない条件の一つとなったと考えられる。
( 2 ) 経済発展による土地の集約化
カンボジア北西部シェムリアップ州の街では、内戦終結後、急速な観光地化が
進んでいる。観光サービス業に国内外から投資が集中し、ホテルやレストランの
建設ラッシュが続き、地価が急激に跳ね上がった。地価の高騰は街の中心部のみ
ならず、近郊農村にまで波及しており、これまでほぼ無価値であった農村部の水
田までその価格を上げている。上昇を続ける地価を前に、都市の一部の富裕層が、
我先にと土地を購入・転売し、その差額で利益を得ているのである。
このような土地の売買は、シェムリアップ州のみならず、首都プノンペン、各
州の中心部とその近郊及び国道などの幹線道路沿いの地域においても同様の状況
348 法律学研究53号(2015)
が見受けられる。人口増加が続く中、農民が土地を手放してしまうことは、土地
なし農民を増加させ、そこに土地紛争が発生するだけでなく、更なる貧富の格差
の拡大に繫がり、また国全体の農業生産量の低下を招くことになるだろう。
また、土地所有の問題として深刻な問題となっているのが、政府から供与され
る「経済的土地利用権」(Economic Land Concessions=ELC)である。この10年余り
のうちに、カンボジアの広大な土地が ELC の名の下に政府から企業に譲渡され
ているのである。
ELC とは、政府が民間企業に対し森林を含む土地を林業、農業、採鉱、漁業
や観光開発等の商業利用のために利用権を与えるもので、19世紀のフランス植民
地時代にその起源を持ち、1990年代初頭の復活を経て現在に至っている。政府の
表向きの目的は、企業の投資を促進させ、国家歳入を増やし、環境を保護し、農
村部の貧困を削減することとされている。しかし、地元住民が既に農業、あるい
は狩猟採取のために利用している土地が契約対象となり、住民から土地が奪われ
ているケースがある。多くの ELC が ₁ 万ヘクタール以上の土地であるが、2001
年の土地法及び2005年の ELC に関する小法令の規定では、 ₁ 万ヘクタールを超
えた土地は政府に返還しなければならないが、現在まで該当事例は存在しないと
いう。ELC による大規模な土地の所有は依然として広大な面積を占めており、
土地法の不透明性やカンボジアの法制度が効果的に実施されていないことを示し
ている。
このような問題により、被害を被っているのは農民などの一般市民であり、強
大な権力により、土地の集約化を図る企業に対抗できる法律が整っておらず、こ
こにおいても土地紛争が生じるのである。
( 3 ) 法制度の不備
本稿で最も強調したいのが、この法制度の不備である。研究会で、法整備支援
を学んでいく中で、いかに、その国の法制度を整備したり改革することが重要で
あるかを学んできた。と同時に、その難しさも学んできたつもりである。カンボ
ジアには、上記( ₁ )、( ₂ )に対抗し得るだけの法制度が整っていないのが現状
である。これは、各国各機関がカンボジアに対して行ってきた法整備支援が効果
的に機能していない、と言うこともできる。単に法律を作成すれば良いのではな
く、その国の社会や文化、既存の制度に配慮して支援を行う必要があるのだが、
そこに被支援国の事情や思惑が絡み、純粋な支援が行き届いていないというのが
349
表 2 カンボジア法整備支援略年表
1991年
10月
パリ和平協定。市場主義経済へ移行。
1993年
₉月
カンボジア王国憲法制定。
1999年
₃月
JICA による法制度整備プロジェクトが開始(民法、民訴法起草支援)
。
2003年
₃月
民法・民訴法案完成。
11月
王立裁判官・検察官養成校(RSJP)開校。
₆月
民訴法案、上院で可決。
₇月
民訴法がカンボジア全土で施行される。
₇月
民訴法、カンボジア全土で適用開始。
11月
民法案、上院で可決。
12月
民法がカンボジア全土で施行される。
2006年
2007年
2008年~
法制度整備プロジェクト(フェーズ ₃ )開始。司法省が、民法・民
訴法が適切に運用されるために必要な施策をとれるように支援を行
う。
2012年~
民法・民訴法普及プロジェクト開始。司法省職員及び法曹の、民事
法に関する体系的理解が深まり、その適切な解釈・自立的な運用が
できる能力が強化されるように支援を行う。
実際かもしれない。
この歪みが、土地紛争という形でカンボジアに現れたのである。したがって、
日本が行ってきた民法の起草支援と、他国によって行われた土地法の成立過程を
見ていき、両者の齟齬を暴き、土地紛争を解決できていない原因を探っていきた
い。ただし、土地法については、後述するとし、本項では、日本が携わった民法
起草について主に述べることとする。
カンボジアは、1991年にパリ協定を結び、1993年に現憲法を制定して、国家の
再建に入ったが、ポル・ポト時代に法律家の大半を失ってしまったため、法整備
を独力で成し遂げることができず、他国に技術援助を求めた。刑法及び刑事訴訟
法については旧宗主国であるフランスが担当することとなり、民法及び民事訴訟
法を日本が担当することとなった。日本に起草支援が要請されたのは、まず、日
本が欧米の法を継受しつつ、社会・経済・文化の独自性を維持し、経済発展を遂
げていること、そして、日本もドイツ・フランスから法を移植しており、フラン
350 法律学研究53号(2015)
スの影響の大きいカンボジアと共通性があること、さらに日本は、他国と異なり、
一方的に条文案を作成して提示するだけでなく、カンボジアとの共同作業を重視
して、カンボジアの立法担当者にもその内容を理解できるように努めたこと、な
どが理由であるとされている。
そして、1999年 ₃ 月に JICA のプロジェクトとして「法制度整備」が開始された。
日本の支援の方針6)としては、①要請主義を旨としてカンボジアの主権及び意思
の尊重、②カンボジアの社会や伝統の尊重、③カンボジアにおける法の支配・良
い統治の実現を狙いとすること、④草案起草過程における技術移転・人材育成を
中心とすることなどが確認され、スタートした。 ₄ 年間にわたるカンボジア及び
日本両国メンバーの共同作業の結果、2003年に民法典及び民事訴訟法典の両草案
が完成し、2007年に施行された。
一方、土地法は、1999年に日本が民法典草案の起草支援を開始した時点では、
旧土地法があったが、現土地法は民法典起草途中に施行されたものである。土地
を巡る法律関係も民法典の一部となるべきものであるから、民法典の成立を待つ
べきであると司法省及び日本から申し入れたが、土地を巡る法律関係の安定が急
務であるという理由で、民法典の起草に先行して立法された。ADB のファンド
により土地管理都市計画建設省の管轄で起草されたのである。
まさに、ここに民法と土地法の間に齟齬が生じ、具体的な土地紛争を解決でき
ていない現状が生まれたのである。カンボジアでは関係各省が縦割りで独自にド
ナーと交渉し、法整備全体の調整がなされないまま、単発に立法がなされたので
ある。その結果、民法という法体系の柱がないまま、土地法という特別法が先行
して施行されてしまったのである。
₄ 小 括
現在、土地法と民法との調整が進められてはいるものの、関係法令の整備には
時間がかかり、その間にも土地を巡る対立は深刻化しているのである。一方、
JICA は、2003年 よ り、 王 立 裁 判 官・ 検 察 官 養 成 校(Royal School for Judges and
Prosecutors = RSJP) を開校し、これから裁判官・検察官になろうとする者に対
する教育と、現職の裁判官・検察官に対する教育を行っている。さらに、現在は
7)
「民法・民事訴訟法普及プロジェクト」
を行っており、司法関係者の育成や知識
の普及に取り組んでいる。これは、現地の人が現地の法を理解し、運用できるよ
うにするためのサポートで、ワーキンググループなどを設置して、その普及に努
351
めている。したがって、カンボジアにおいては、単に、各法令の関係性を明確に
するだけでなく、施行段階にまで配慮した法整備が期待されるのである。カンボ
ジアで生じている土地紛争は、法制度の不備による点が大きく、三つの要因すべ
てが法制度と密接に関係している。この意味においても、法制度の充実は重要で
あり、今後のカンボジアの発展にも寄与していると言えるであろう。
以上、三つの要因を見てきたが、次章からは主に法制度、すなわち土地法に的
を絞って、その成立過程や規定の具体的内容、民法典との対立の原因と結果等に
つき考察していきたい。
Ⅲ 新土地法と民法
₁ 2001年土地法成立過程
クメール・ルージュによる支配、またその後のベトナム主導の社会主義時代を
経て、カンボジアでは市場指向の民主主義体制を樹立するための政策の一貫とし
て、1980年代後半より法的枠組みの再構築が試みられた。そうした流れの中で
1992年土地法が制定されたが、翌年に選挙を控えていたことなどから、政府はこ
の土地法を緊急に成立させる必要があったため、この土地法はほぼ議論を経るこ
となく公布された。条文数は非常に少なく、また規定の多くは1920年民法からの
写しであった。
その後、カンボジアにおいてより実質的な土地法を起草する試みがなされ、
2001年土地法(以下、「新土地法」という) が成立するに至った。立法の目的は、
カンボジアを世界経済と融和させると同時に、カンボジアにおける私的所有権強
化を図るというものであった。また、その目的達成のために、所有権確定には簡
潔さと透明性が最も重要であると位置づけられた8)。新土地法起草を支援したの
は ADB・ 世 銀・ ド イ ツ 技 術 協 力 公 社(GTZ) ら で あ っ た。 こ の う ち ADB は
‟Land of Their Own”として国有地を貧困者に再配分する小農創出政策を掲げた
が、現実にはこの新土地法により、農民が長年保有耕作してきた土地利用権が否
定され、国有地として没収されるケースが多発してしまったわけである9)。
また、新土地法は形式上カンボジアの国土管理・都市開発建設省(MLMUPC)
の権限によって起草されたことになっているが、実際には世銀、ADB 等欧米ド
ナー側の主導で起草がなされた。カンボジア側も自らの手で法案を作ろうと試み
たが、作成された法案は常に世銀ら国際機関によって持ち込まれたものであった
352 法律学研究53号(2015)
という。すなわち、新土地法は外国法モデルの、土地法により多大な影響を受け
るであろう、農業国としてのカンボジアの実態をほとんどあるいは全く知らない
欧米専門家によって作られた法であったのである。Trzcinski と Upham の論文
(2012) においても、土地法起草段階における欧米ドナーの影響の大きさが強調
10)
されている。
₂ 土地法における登記制度
新土地法の有する最も重要な特徴はその所有権登記制度であろう。新土地法に
おける登記は、英米法における登記制度であるトーレンズ方式である。登記上の
権利者を真正権利者として国が保障しており、新土地法上は、土地登記は所有権
を最終的に確定する効力要件を意味していた。そこで、新土地法において登記制
度がどのような意味を有していたかについて考えるべく、以下では、登記制度に
関する規定の内容が窺える具体的な条文を取り上げることとする。
第一に、土地法11)239条では、「公図と土地台帳は、法律上の価値と正確な効
果を有する。土地台帳図と土地台帳は、明確に真正なものと認証されたものを除
き、削除、追加もしくはその他の修正を含むことはできない」として、登記が法
的に強い効果を有するものとされていることが分かる。しかしこの規定のように
登記を絶対的な効力要件と解すると、錯誤や詐欺の結果の登記さえも有効なもの
として認める余地があることが指摘されている。また、65条において以下のよう
に規定されていることも重要であろう。すなわち、「所有権の移転は、不動産売
買に関する契約が認証された形式で、関連当局及び土地台帳管理局によって締結
された場合にのみ、第三者に対して履行強制することができる。売買契約それ自
体は、目的物の所有権を移転するための十分な法律上の要件ではない」というも
のであり、この条文において、新土地法における登記が所有権を最終的に確定す
る効力要件であるということが強調されていると言える。このように登記に強い
効力を持たせることにより、所有権の所在が明確になり、土地売買や権利移転を
簡易迅速にすることができるわけである。しかしながら、トーレンズ方式による
登記には問題も多く、こうした登記の在り方を巡り、日本の支援との間で対立が
起こった。
₃ 登記制度を巡る日本との対立
新土地法との齟齬が問題となった日本の民法典起草支援は1999年より、カンボ
353
ジア法務省と日本の JICA との共同で開始された。新土地法において、登記が強
い効力を有するとされた一方で、日本の民法典草案においては、登記は第三者へ
の対抗要件に過ぎず、所有権の変動は当事者意思で成立するとしていた。このよ
うな齟齬が目立っていたことから、日本側は早い段階から規範の調整を申し入れ
ていたが、グローバルモデルへの収斂を意図する世銀、ADB らの欧米ドナー側
はその調整に応じず、2001年に抜け駆け的に新土地法を成立させてしまい、逆に
日本側に対し民法典草案を修正するように迫っていた。しかし日本側は外圧由来
の土地法に対する義憤を募らせて譲らず、対立は深まった12)。以上のような経緯
で両者は衝突していったわけであるが、なぜ登記制度に関する両者の主張がこの
ように食い違っていったのであろうか。新土地法における登記については上述し
たとおりであるので、次節では2007年民法典における登記の位置づけについて詳
しく見ていくことで、登記制度に関する両者の理解の相違を探っていく。
₄ 民法典における登記制度
まず、登記の効果について民法13)134条( ₁ )では「不動産に関する物権の設定、
移転及び変更は、占有権、留置権、使用権、居住権の場合を除き、登記に関する
法令の規定に従い登記をしなければ第三者に対抗することができない」とし、ま
た同条( ₂ )では「動産に関する物権の譲渡は、その動産の占有の移転がなけれ
ば第三者に対抗することができない」として、不動産登記は原則として物権変動
の対抗要件とされるとしている。次に、同法137条( ₁ )では、
「不動産登記簿に
権利を登記したときは、その権利は登記された者に属するものと推定する」とさ
れており、新土地法の規定に比べ、登記に所有権の「推定」程度の弱い効力しか
認めていないことが分かる。すなわち、所有権移転について争いのあるときは、
登記によっては所有権の推定がなされるのみであるから、占有や使用、その他現
地の慣習等により登記による所有権を破ることもあり得ることになる。その点、
同法162条は占有による時効取得も認めている。また、他方で135条では、合意に
よる不動産所有権の移転については、登記をしなければ効力を生じないものとさ
れ、登記が効力要件と解されているが、これは ADB 等のドナーから、民法起草
当時、登記を効力要件とするべきとの意見が出たため、協議によって折衷的に入
れられた規定であるとされる14)。
このように、日本側が民法中の規定の大部分で登記を第三者への対抗要件とし、
登記制度を単なる所有権の推定程度の効果と位置づけたのは、カンボジアでの慣
354 法律学研究53号(2015)
行調査を踏まえた結果であり、加えて日本明治期、登記制度の全土貫徹に10年近
くも要したという自らの経験知に基づくものと言うこともできよう。また、日本
側は、地方官僚による登記制度の悪用や、国家予算の少なさ、政治責任の欠如に
より、国家による所有権の保障が望めないことを懸念しており、以上の条文には
そうした日本側の危惧が表れているようにも思われる。このように、登記の効力
についての理解は欧米ドナーと日本との間で大きく異なっている。ここに、簡潔
さや透明性、普遍性を重視し、所有権移転を簡易化するべきであるとする欧米ド
ナー側と、法的権利の確定にあたっては、現地の慣習やカンボジアの土地利用の
実態を反映させるべきだとする日本側との明確な対立図式が見えてくる。では、
各々の登記制度に対する主張はどのようなものであり、またこの対立は、どのよ
うな経過を辿ったのであろうか。
₅ 双方の主張、登記に関する見解
( 1 ) 欧米ドナー側の主張
世銀等欧米ドナー側の、民法典の登記制度に対する批判は以下のようなもので
あった。すなわち、民法典にあるような弱い効力しか持たない登記制度は、土地
所有の権利関係を不確かなものにし、権利確定の最終的な判断を司法に委ねる結
果を招く。裁判を起こすためには多額の費用が必要であり、そうなると貧しい農
民たちが自ら進んで裁判を起こすなどということは考えられないから、結果的に
一部の富裕層のみが多くの土地所有権を手に入れ、貧しい農民たちは自分たちに
不利益な結果を受け入れるほかない、と15)。また、絶対的に所有権を確定する制
度がなければ、自由な土地売買が行われず、カンボジアの自由主義改革が衰える
可能性をも指摘した。彼らのこうした主張の背景には、世銀ら欧米ドナー側の、
私的所有権の確立が経済成長の基盤となるという論理があった。彼ら自由主義圏
のドナーは1980年代後半の社会主義動揺期に、農業生産性が上がるとの主張と共
に私的所有権の確立を各国に対する支援方針の中核に据えた。土地所有権確定と
農業生産性向上との関係については、新制度派経済学の所有権理論に基づくもの
と考えられる。彼らによれば、一つの土地を数名で共有している場合と、共有地
を細分化し、各々に所有権を割り当てた場合とでは、農業の生産性に差異が生じ
るという。なぜなら、共有地の場合、人々は自己利益追求のために土地資源を浪
費し、土地を過剰に利用するために、最終的に土地は瘦せ、使い物にならなく
なってしまうが、所有権がそれぞれに割り当てられれば、人々は将来を見据えて
355
自らの土地や与えられた資源を大切に使おうとするためである。このように、新
制度派経済学の立場をとれば、財を効率的に使うためには所有権を確定させるこ
とが最も重要である、ということになる。また、1990年代に入ると、欧米ドナー
らはもはや農業生産性云々のレトリックを用いるまでもなく、私的所有権を経済
成長の制度基盤として純化させ、土地流動化・利用高度化を支援の目標として
いった16)。欧米ドナー側はカンボジアにおいてもこの立場を維持し、その方針に
沿った支援を推進していたものと考えられる。
しかしながら、本事例においても、法整備支援における障害として必ず現れる
慣習と法制度との衝突の問題を避けて通ることは不可能であろう。慣習や道徳等
は各社会において自生的に成立したものであるから、その構成員により自発的に
守られ、また同様の理由から、違反に対するサンクションの執行等が適切になさ
れることが期待できる。そして、各地域の慣習が社会の構成員に対し強い影響力
を持つとすれば、当該慣習を無視した制度を創造しても、国民ら社会の構成員が
その制度を遵守することは期待できない。ゆえに、導入されようとしている法制
度と当該社会の慣習との間に齟齬がある場合は、その調整を行う必要がある。当
時の欧米ドナー側の支援がそうした慣習を度外視したものであったとすれば、日
本側の支援はそうしたカンボジアの慣習等に配慮した法制度の制定に意を砕いた
ものであったと言うことができよう。
( 2 ) 日本側の主張
では、日本側が自らの支援を正当化する根拠はどのようなものであったか。
JICA の専門家が官僚による登記制度の悪用や、国家の政治責任欠如等により所
有権の保障が望めないことを懸念していたことについては既に述べた。それらに
加えて彼らは、連続する土地取引、所有権移転の過程で一般の国民が登記を備え
損ねた場合に登記が無効になってしまうことの危険性についても指摘していた。
登記不備が社会に混乱をもたらしたケースとして、ここではケニアの登記土地法
を例にとって説明することとする17)。ケニアでは1957年に設置された制度改革の
作業部会により1959年、原住民土地登記令が制定され、後に土地権利確定法、土
地統合法、登記土地法へと制定法が区分されたが、登記土地法では登記に所有権
確定の非常に強い効力を認めていた。しかし、登記による公的な所有権移転には
長い時間と費用がかかったことから、登記がなされなくなり、実際には当該土地
を占有、利用していない者に土地所有権が帰属しているという事態が数多く発生
356 法律学研究53号(2015)
した。その結果、登記土地法により定められた土地所有権を無視し、地域によっ
ては元来の土地所有制度に戻すというような措置が講じられる結果となった。日
本の専門家たちはそうした制度執行の不徹底とそれに伴う重大な社会問題の発生
を危惧した結果、日本同様に、登記に弱い効力のみを認めたのだと考えられる。
事実、カンボジア農民にとって登記制度が馴染みのないものであることは明らか
であり、所有権移転が登記により速やかに実行されることは期待し難い。全国23
州にわたる797件の土地紛争調査によれば、カンボジア農民の ₈ 割が定住型農業
に従事しており、彼らの土地保有は平均16年と長期であるが、その多く、調査対
象の71%は何らの証書も有していないことが報告されている。また、支援の在り
方については「最大の問題は法律制度において相手の文化社会というものを考慮
しないで、市場経済をそのままその国の法律の中へ入れることではないか」18)と
して、現地の実情を考慮しない世銀らのやり方そのものに疑問を呈する声もある。
以上欧米ドナー側と日本側の見解の相違について述べたが、双方の見解の違い
のみから、カンボジアへの支援方針の是非を論じることは不可能であろう。ゆえ
に次節では、支援方針が衝突した結果として、最終的にどのようにして調整が図
られたのかを概観していき、あるべき支援のヒントを探っていく。
₆ 土地法と民法典の調整
今まで述べてきたように、欧米ドナーと日本との支援の間の最大の争点は登記
制度の効果についてであり、その点に関する土地法と民法典との調整をすること
が当面の目標とされた。2001年の土地法制定から約 ₇ 年間、多くの会議を経たの
ち、2007年、日本が起草支援を行った民法典が制定されるに至った。しかしなが
ら、民法典制定の段階においても過渡期の問題や実施規定等については調整がな
されないままであり、最終的な折り合いがつき、その内容が成文化されたのは、
2011年の民法適用法においてであった。民法適用法の条文においても、土地法の
登記制度は残されていたが、登記の所有権確定性については相当に弱められてい
た。すなわち不動産登記は原則として物権変動の対抗要件とされ、所有権を確定
するにあたっては、様々な形での占有、利用が重要であるとされたのである。世
銀、ADB らと共に土地法起草にあたった MLMUPC は証書を発行することで土
地登記プロセスを維持し続けようと試みたが、所有権の確実性と登記の効果に関
しては裁判所に最終的な決定権があるとされた。登記制度が残存し続けることは、
土地法に対するかなりの譲歩ではあるが、総合的に判断すると、この結果は2007
357
年民法典側の全面的な勝利を表しているように思われる。
₇ 小 括
以上のように、登記制度の法律効果について、欧米ドナー側と日本側の対立の
結果、合意が成立した。しかし実際のところ、合意が形成され、新たに規定が作
成されたところで、当該制度が適切に実行されなければそうした制度は何らの意
味も持たないことになる。当然のことではあるが、法整備支援は単に立法されれ
ば成功というわけではなく、本件カンボジアのケースにしても、立法された制度
が現実にカンボジア市民に受け入れられ、彼らの手で現実に適用、実施されるこ
とにより法典が紛争解決規範として機能してはじめて、支援は成功だと言えるの
である。しかしながら、WTO 加盟や外資導入を意識するあまりカンボジア政府
は主体性を発揮することなく、世銀や ADB、日本等の多くのドナーを拒絶する
ことなく受け入れた。このように、本件カンボジアのケースは、かねてから問題
になっていた送り手側の利益重視の法移植の問題のみならず、資金援助等の目先
の利益を重視するあまり、いかなるドナーも受け入れてしまうという、受け手側
の主体性のない受容の問題も浮き彫りにしているのである。では、こうした法整
備支援の実情を前提として本件について考えるならば、我々は今後カンボジアに
対しどのようなアプローチをすることができるのであろうか。日本の支援におい
て強調されてきた、カンボジアと同様、欧米法の移植という大きな課題に立ち向
かってきた日本ならではの支援、すなわち日本法の移植ではなく、日本の経験知
の輸出という観点がここでは重要になってくるように思われる。
Ⅳ 土地法がもたらした混乱の解決方法
₁ 判例法の普及の促進
日本の経験値の輸出という観点から法整備支援を考えるならば、我々は自らの
経験のどこにそのヒントを見出すことができるであろうか。今後土地所有の権利
侵害が起きている現状に対して実務的な制度修正を行うにあたっては、日本の明
治時代の政策やその制度変化を参考に一つの解を求めることができるかもしれな
い。そして日本の経験や知識を最大限に生かすためには、明治期の近代立法、第
二次世界大戦後の法改革、その間の内外の法整備支援を改めて客観的に分析する
ことが必要であるが、ここでは概略のみを述べる。かつて明治政府が欧州を参考
358 法律学研究53号(2015)
にして半ば強引に所有権制度を導入した際、永小作権等の私的権利主体が訴訟を
起こす事例が多々発生した。これに対して裁判所は、まずは判例法により不都合
を解消するに努めた。こうした司法のシステムによって、フランス、ドイツと
いった西欧のドナー指向の成文法が徐々に改変されていった。その後、明治政府
の富国政策に合わせた明治民法典が成立すると、裁判所の判例法形成の自由が狭
まったため、判例法による従来の不都合への修正方法から切り替え、法典解釈に
よって事態の解決が図られるようになった。特別調停制度も紛争処理にたびたび
用いられた。そうした紛争処理の過程でなされた法解釈が、のちの借地・借家法
といった立法政策に繫がって成文化され、戦後の政策である農地改革をももたら
したと言えよう。こうした流れから、明治期の日本、そして現在の発展途上国の
ように既得権益を支配する階層が決まっている社会においても、慣習法を取り入
れたりするなど民衆に受け入れられる内容が普及する余地は十分にあると言える。
そして政治紛争を司法紛争に切り替えることで、平和維持や法治主義の定着が導
かれるのである19)。
このことから考えられる、カンボジアの土地法を巡る紛争の解決方法の一つは、
司法・ADR の紛争解決制度の更なる普及である。ADR とは代替的紛争解決手続
のことである。ちなみに、カンボジアで裁判によらない紛争解決のために最も活
発に機能しているのは、2003年に設立されたカンボジア仲裁評議会による労働仲
裁であるが、当事者が仲裁裁定を遵守しなかった場合の裁定の拘束力の実質化を
いかに図るかが問題になっている20)。既に、諸々の人権派 NGO が裁判所、土地
行政委員会における ADR を試みているが、これらの紛争解決のフォーラムは政
府から独立していないため、その役割を十分に果たせてはいない21)。
紛争解決の方法として、日本の支援によって民事訴訟法が2006年に成立してい
る。現在は成立した法律を適切に運用できる法曹教育支援にも力を入れている。
そうした努力を続けつつも改善を期待されている事柄としては、当事者主義、立
証要件、責任の明確化、判決理由の明確化、判決公開・評釈などが挙げられ、未
だ課題は山積している。行政裁判所の設立を希望する声も上がっている。独立性
の高い行政への監視が可能になれば、土地法実施の際に生じる不合理を解決する
ことにも繫がるであろう。行政監視の独立性を進めるためには、これらを進める
と同時に、行政型 ADR においても準司法的な立証要件・立証責任の明確化を進
める必要がある22)。こうした法制度の確立とその運用の強化を進めることで、民
衆の生活に沿った慣習的な規範の明文化と、実際の適用が確立していくであろう。
359
₂ 解釈学の普及の促進
法律の改正を進めるだけでなく、解釈による紛争の解決を促すこともできる。
2001年土地法にも法解釈の余地はあるだろう。しかしカンボジアの法曹教育は自
由な法解釈を嫌う傾向にある。これは旧宗主国であるフランスの注釈学的な法律
が導入されていたことの影響であると考えられる。こうした背景がある中、日本
が支援する司法訓練所では要件事実教育の普及が近年では徐々になされている。
今後、例えば立証責任配分が自明ではない法条の適用に際して、立証転換による
弱者保護を図るといった解決が期待される23)。
₃ 成功した支援の参考例
かつての支援で機能した事柄を振り返り、その後の参考にすることも重要であ
る。カンボジアに対する外国政府の法整備支援での成功例として、アメリカ合衆
国開発庁(USAID) が行った支援が挙げられる。カンボジアで USAID は PILAP
(Public Interest Legal Advocacy Project) に対する資金援助を行った。PILAP とは、
市民の権利を保護するために、法的手続を利用すること、政府や私的組織が透明
性や説明責任を果たすことを促すために設立された組織である。実際に起きた事
例に、プノンペン地方政府が道路拡張工事に際して、一切の補償なしに道路脇の
住人に立ち退きを命じたことが挙げられる。これに対して88の家庭が、USAID
に資金援助をされている PILAP を通じて、プノンペン地方政府に公正で法に基
づいた補償を求めて訴訟を提起した。結果として、プノンペン地方政府は拡張工
事を取りやめ、その当時の道路を整備することにとどまる決断をした。また、将
来的に道路を拡張する場合は公正で法に基づいた補償を行うことを約束した。プ
ノンペン地方政府と市民が、市民の一定の要求が受け入れられる形で、訴訟前に
和解できたのである24)。このケースは、市民が法整備支援を行う組織を通じて、
国に対しても法的手段を活用することによって、実際に自らの権利保障に役立て
た好例であり、今後の所有権侵害やその他の権利侵害から市民自身が身を守る手
段を学んだ例と言える。政府も、市民の権利を度外視した、安易なインフラの規
模拡大などの政策ができなくなっていくことを認識したであろう。
360 法律学研究53号(2015)
Ⅴ 今後の支援に向けて
法整備支援は、被支援国家の固有の既存の条件、法制度そのものや社会、文化、
経済状態などその国自身の発展に関わるあらゆる条件を考慮してなされるべきで
あろう。しかし現実として、支援国側は自らが精通する制度、多くは自国の制度
を紹介し、被支援国家は自らの既存の制度を無視して最新の制度を導入してしま
う傾向にある。被支援国に住む市民生活に役立つ制度作りのための支援は、どの
ように行われていくべきであろうか。
₁ 保護すべき人権とは
欧米ドナーが中心に据えてきた、経済的・営利的人間観に基づく個人主義は普
遍的とは言えない。アジアでの法整備支援にあたっては、「欧的人権」に対置す
る「アジア的人権」の考慮も必要だろう。アジア的人権は特に中国で如実に現れ
るのだが、開発・発展のためならある程度の人権の制約はやむを得ないという考
え方をとっている。民主主義論に対しても卓越した指導者による統治が重視され、
対外的には人権問題はその国の内部の問題であるという立場である25)。開発途上
国の経済発展を進める上では、先導者の存在があり、市民が先導者の政策・方針
に対して一定の共感を持って、懸命に努力することが必要になることもあろう。
アジアの国々の伝統的な形式に沿うことが発展に結びつくことも多々あるため、
欧米の手法をそのまま導入することが必ずしも正しいとは言えない。
₂ 確かな制度を作るために
カンボジアの法整備支援の大きな特徴として、クメール・ルージュによって壊
滅的になった法制度の再構築や法曹人材育成が必要不可欠であることが、必然的
に挙げられる。支援開始当初は日本側が要綱試案や法案作成を行ったが、法曹人
材を育成するために条文ごとにカンボジアの法律家と議論をしながら進めていく
ようになった。支援が進むにつれて徐々に起草作業の主軸をカンボジア側に移す
ようになっている。現地の法曹の意見を取り入れていくことは、被支援国家の支
援国家への依存体質を持たせないためにも、そして支援後に同国で法律を実施し
ていくにあたっても、極めて重要である。実際に日本側の起草作業に関わった者
からは、司法大臣、司法省次官、最高裁判所裁判官、控訴裁判所所長など、その
361
後要職に就く者を多数輩出している。だが、起草作業を続けていく中で、民事法
に関する知識を積んだ人材は他の業務を抱えて次第に多忙となったため、民法・
民事訴訟法をあまり理解していない若い職員が中心となりかわった26)。制度、人
材の乏しい国への支援は緊急性が高いと言えるが、既に知識を持つ人材に頼りが
ちな傾向を改めて若者にも目を向けなければ、法制度の定着を図れないのが現状
である。これらの支援は長期的に行っていくべきである。なぜなら、基本法の起
草支援は起草のみでは十分ではなく、支援した法律が適切に運用されるように立
法化、関連法令の整備、人材育成が不可欠であるために多くの時間を要するから
である。
また、使用言語であるクメール語の翻訳に正確さが求められることは言うまで
もない。法律学は特定の概念の定義とその解釈によって成り立つものであること、
類似の言葉であっても異なる意味を持つこともあることから、一つの言葉を理解
するために制度の背景の理解をも必要となる。実際のカンボジアに対する支援に
おいては、支援初期段階から長年にわたり起草作業に関わってきた優秀な通訳人
材が数名いたからこそ、一定の支援の成果を上げることができたのである。今後
の支援の際はより通訳人材を増やすことが理想であろう。クメール語翻訳の徹底
を実行した上で、最終的には、ドナー間の対立を生み出さないためにも、支援の
成果を英訳して共有することが望まれる。土地法を例に既に見てきたが、支援側
の目的や関心が異なると、異なる方法や素材に基づいた数々の支援が行われてし
まい、個々の法制度の関連性や体系性を欠いた法律が施行されて市民生活に混乱
をもたらす。翻訳に翻訳を重ねることで概念が変わることが懸念され、英訳して
共有を図ることに抵抗を示す意見もあるが、概念が複雑だからこそドナーにも正
確な理解を求める努力が重要なのである27)。互いの情報交換、調整・競争体制の
徹底のために、英訳は大きな役割を果たすのだ。
このことと関連付けて、法整備支援を実現するにあたってはその手順にある程
度の規則を定めておくことが有効である。いわば「ルール作りのためのルール作
り」であり、これを行うことで、法整備支援を行う当事者が多数存在する場合に
生じる混乱を防いだり、緩和したりする役割を果たすからである。従来の法整備
支援ではこうしたルール作りは不十分であったが、法整備支援の手順を明確に決
めることにより、より支援国家の混乱のない「法の支配」の確立に寄与するので
ある28)。ここでいう法の支配とは、抽象的、理論的、一般的に捉えるのではなく、
経験的、具体的に理解し、特に裁判所への市民アクセスを高めるといった司法
362 法律学研究53号(2015)
サービスの拡充を高めることとするのがよかろう。
₃ 支援国と被支援国の立場
対象国がカンボジア以外の場合であっても、法整備支援は多かれ少なかれ、被
支援国の国家制度や政治問題に密接に関わる。そのため支援国はむしろ消極的な
立場を貫いて、既に行われている日本のカンボジアへの支援の姿勢のように、被
支援国のオーナーシップに委ねるべきではなかろうか。その上で積極的提案を行
う必要があるのであれば、被支援国に関わる際に、当該法整備支援の意義につい
ての説明や説得とその合意を得る努力をするべきである29)。支援国側は自己の関
心がある事項だけを支援する傾向にあり、支援企業などの資金援助も利益に直結
しそうなところに行きがちであるが、真の開発・発展のためには視野を広げた包
括的な支援が必要である。被支援国が自国に必要な法制度を認識した上で支援を
受けることも求められるが、支援国が客観的に被支援国に必要不可欠な制度を見
極めて、それに応じた法制度の提案をすることもあわせて求められるだろう。
さらに支援国は、法整備支援を実践するにあたって得た知識や経験を自国の問
題にもフィードバックするべきではないだろうか。自国の法的あるいはそれに付
随する問題をも解決していく姿勢をとることで、より理想的な制度を作り上げる
ことができるだろう。日本の場合でも、現在の法制度、司法制度と今後行われよ
うとしている司法制度改革の方向性、そしてそれを機能させる法律家の質やレベ
ルが、実際に発展途上国に対する法整備支援をするにあたって法律家がなし得る
ことに直結するのである。したがって法整備支援の問題点は、支援プロジェクト
の従事者だけでなく、法律専門家すべてによって、そして法の支配する社会に生
きるすべての市民によって、法制度を構成する一つの要素として議論されると良
いのではないか。フィードバックを行うことにより、支援国側の法学教育にも教
訓を与え、支援国自体の、より理想的な法制度を構築するための足掛かりになる
はずである30)。支援国側の法制度が市民生活に沿ったより良いものになることで、
被支援国の発展的な法制度に還元されていくのである。
Ⅵ おわりに
本論文では、カンボジアにおける土地紛争の概略と法整備支援との関連及び今
後の支援へのアプローチを見てきたが、カンボジアの混乱と経験から我々が特に
363
学ぶべき点は何であろうか。
前述のとおり、カンボジアへの法整備支援の特徴は、多数のドナーが短期間に、
別々の法律の制定に関わったことである。その際ドナー同士の連携が不足したこ
とにより、慣習的な土地所有に打撃を与え、市民生活に混乱を招いた。
ドナー側はドナー側の経済的利益を追求する目的で法整備支援をしている側面
が大きい。各々が各々の利益を追求するあまり、支援対象国既存の制度を熟知せ
ずに自らがよく知る制度の移植を行う傾向にあり、結果としてドナー国の目先の
利益へと直接繫がる法律を制定させることが新たな紛争を招くことは、既に見て
きたとおりである。
また、支援の受け手側である被支援国家の姿勢にも問題がある。受け手側は、
法制度の構築を急ぐあまり、一度に多くのドナーを受け入れてしまいがちであっ
た。自国の慣習を顧みることなく、それぞれ異なる法体系をとる諸外国を受け入
れる判断をしたことによって自ら混乱を生じさせたのである。
こうしたことから、支援国、被支援国ともに、支援に対する姿勢が非常に重要
であることが分かる。支援国には自らが支援する国を知る努力、真にその国が必
要としている制度構築への努力が求められ、一方、被支援国には自国の既存の制
度、慣習を冷静に分析し、提案された法案などをそのまま受け入れず自らも精査
する対応が求められるのである。
しかしながら、法整備支援の現状を考えると、そのような支援は実現可能性の
点で非常に大きな問題を抱えている。
それは、法整備支援がドナー側の利益を度外視しては成立し得ず、また支援国
が自らの利益を考えながら支援を続ける限り、被支援国は主体性を発揮すること
が不可能だからである。まず前提として、被支援国は大抵の場合、法の整備や運
用のために十分な資金を保持しておらず、外国からの支援、投資なくしては法整
備など到底できないような状況にある。それゆえに、被支援国は、法エリートた
る先進国や国際機関の持つ専門知識や潤沢な資金に頼らざるを得なくなるわけで
ある。しかしながら、支援国としても何の見返りもなくそのような莫大な投資を
することは考えられず、支援国の多くは、被支援国に対して率先して支援を行う
ことで、自国の企業が当該国に進出しやすくなる、あるいは国の中で影響力を持
つようになるなどの何らかの利益を目指して支援を行っていると考えられる。例
えば、1960年代にアメリカが展開した法整備は、アメリカの当時の国益、つまり
共産諸国に対抗する政治体制をアフリカの諸国に打ち立てようとした施策であっ
364 法律学研究53号(2015)
たとされる31)。また、そのように支援国が自らの利益を意識しつつなされる立法
は、必ずしも被支援国の国民にとって都合の良いものとはならず、立法された制
度が現実に被支援国の国民に受け入れられ、彼らの手で現実に適用、実施される
望みは薄くなってしまう。そうした事情はⅢ章で述べたケニアに対する法整備の
例を考えれば明らかであろう。たとえ先進国では確立された制度であったとして
も、支援国側の利益のみを念頭に置き、被支援国の実情を把握せずになされた立
法は実際に被支援国の中で機能しない。ゆえに、本来支援国は自らの利益を度外
視し、被支援国の実情を重視した法整備支援を行うべきであることは当然である
と言える。
しかし、前述したとおり、支援国にも何らかのメリットを付与しない限り、支
援国が率先して支援を行うことは期待し難い。本事例において登場した世銀や
ADB 等も多数の国を代表する国際機関とはいえ、被支援国の利益のみのために
支援を行っているわけではない。それらの機関は基本的には投資銀行であり、そ
れらの機関に資金を提供している構成員たる国々の利益のためにも、彼らがすす
んで見返りのない融資をすることはあり得ないのである。いかなる組織によって
行われたとしても支援国側の利益を度外視した支援というものは考えられないわ
けである。問題はこの、被支援国側の利益を重視すると支援国側の利益が損なわ
れ、結果的に法整備が進まなくなってしまうというジレンマといかに向き合うか、
つまりは支援国側の利益の追求をどの程度認め、被支援国に真に必要な支援との
均衡をいかにして保つかということにあろう。
とはいえ、以上の諸問題の解決法を導くことは容易ではなく、ドナー間協力の
問題や支援する側とされる側の利益衡量の課題については更なる検討を要するで
あろう。ドナー間協力の点に関して言えば、土地法と民法で別々の理解の下、全
く異なる制度が並立してしまった本事例についても、欧米ドナー側、日本側双方
とも、カンボジアの発展や国際社会への参入を目的とし、学説や実地調査、他国
における前例等から導いた正当な根拠に基づいて各々の主張を展開していったの
であり、それ自体何ら批判に値するものではない。ドナー間の開発目標や開発戦
略が異なる以上、何らかの形で対立は起き得るのであり、ゆえに、互いに正当な
根拠に基づいて議論を繰り広げ、その過程で正しい支援の在り方を探っていくこ
とは、むしろ正しいドナー間調整の方法であると言えるであろう。
しかしながら、もし本件のようにドナー間で激しく対立することが正しかった
としても、相手方からの規範調整の申し出に応じず、抜け駆け的に自らの作成し
365
た法を制定した欧米ドナー側のやり方に関しても、是とすることができるであろ
うか。そのようなドナー側の姿勢には、規範調整を欠いた法律を制定したことに
よりカンボジア国民にどのような影響を与えるかを予見する視点が明らかに欠如
しており、彼らのとった支援方法が、カンボジアにとってふさわしい支援の在り
方を模索した結果の現れとは到底思えない。また、カンボジアで土地紛争が深刻
化したことは、こうした被支援国の利益を度外視した彼らの法整備の手段に起因
しているようにさえ思われる。
以上述べた事柄より、本件が抱える問題について一つの結論を導くことができ
るとすれば、それは以下のようになろう。すなわち、法整備支援の在り方として、
ドナー側が自らの利益を重視することや、各ドナーが自らの戦略や支援の方針を
巡って対立すること自体は是認し得る。だが、ドナー側の利益追求は無制限に認
められるわけではなく、各ドナーが議論を交わすことなく完全に独立して法整備
を進めたり、被支援国の利益を明らかに度外視した法整備の手段は決して採用す
るべきではないということである。
₁ ) The World Bank “Global Economic Prospects-Forecasts” <http://data.worldbank.
org/country/cambodia>
₂ ) Millennium Development Goals Indicators <http://mdgs.un.org/unsd/mdg/Data.
aspx>
₃ ) Focus on the Global South “Land and natural resource alienation in Cambodia”
<http://focusweb.org/node/1133>
₄ ) ₃ )に同じ
₅ ) 佐藤 2007、p. 36
₆ ) 安田 2005、p. 849
₇ ) JICA ナレッジサイト“プロジェクト基本情報”<http://gwweb.jica.go.jp/km/
ProjectView.nsf/VIEWParentSearch/03A7BFA9796AC31D4925797B0079E1CF?Op
enDocument&pv=VW02040104>
₈ ) Trzcinski and Upham 2012、pp. 129-133
₉ ) 金子 2010、p. 28
10) Trzcinski and Upham 2012、pp. 132-133
11) 土 地 法 条 文 の 文 言 は、JETRO に よ っ て 日 本 語 に 仮 訳 さ れ た も の を 使 用。
<https://www.jetro.go.jp/world/asia/kh/law/pdf/land_jp.pdf>
12) 金子 2010、p. 24
13) 民法条文の文言は、JICA によって日本語に仮訳されたものを使用。<http://
www.moj.go.jp/housouken/houso_houkoku_cambo.html>
366 法律学研究53号(2015)
14) 磯井 2014、pp. 6-₇
15) Trzcinski and Upham 2012、p. 136
16) 金子 2010、pp. 26-27
17) ケニアにおける土地制度改革につき、平田真太郎「ケニアにおける土地制度改
革の法社会学的分析(二)―登記土地法の成立過程を中心に―」横浜国際社会科
学研究12巻 ₁ 号(2007)を参照。
18) 森嶌 2004、p. 22
19) 金子 2009、p. 94
20) 鮎京 2009、p. 201
21) 金子 2009、p. 94
22) 金子 2009、pp. 94-95
23) 金子 2009、p. 95
24) 松尾 2005、p. 116
25) 鮎京 2011、pp. 60-61
26) 独立行政法人国際協力機構産業開発・公共政策部 2012、pp. 55-56
27) 独立行政法人国際協力機構産業開発・公共政策部 2012、p. 58
28) 松尾 2012、p. 287
29) 松尾 2007、p. 57
30) 松尾 2007、p. 57
31) 森嶌 2004、p. 22
参考文献
(本・論文)
鮎京正訓『アジア法ガイドブック』(名古屋大学出版会、2009)
鮎京正訓『法整備支援とは何か』(名古屋大学出版会、2011)
独立行政法人国際協力機構産業開発・公共政策部「法整備支援に関するプロジェクト
研究 カンボジアにおける法整備支援の軌跡―民法・民事訴訟法起草支援の経緯
と方法論―」(2012)
初鹿野直美「伝統的課題と繰り返される失敗」アジ研ワールド・トレンド179号(2010)
12頁
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松尾弘「法整備支援を通じた制度改革による国家のガバナンス向上に関する開発法学
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松尾弘『良い統治と法の支配』(日本評論社、2009)
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佐藤奈穂「カンボジアの土地集約化 ― 格差拡大の要因とその現状 ―」アジ研ワール
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上田広美、岡田知子『エリア・スタディーズ 56 カンボジアを知るための62章【第
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