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貿易の中心地

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貿易の中心地
安 土桃 山時 代 の末、 日本人 男性3 人が 奴隷と
今 回確 認さ れた のは 、ポ ルトガ
自 由 の 身 に な って い る 。
ソ ウ ザ さ ん は ﹁朝 鮮 出 兵 後 、 マ
中 国 人 、1 5 7 0 年 頃 か ら 日 本 人 、
2
9年 の朝鮮 出兵 開 始後は朝鮮 人が
日本 人が太 平洋を 渡航 した 記録
6 世 紀 末 に 相 次 い で 見 つか る の
が︲
は 、 マ 子 フと メ キ シ ョ を 結 ぶ 太 平
カ オ での奴隷 取引 はピ ー ク に達
し て 太 平 洋 を 渡 った 記 録 が 確 認 さ れ た 。 そ の 背
プ ル コ に 上 陸 し た ﹁ガ ス パ ー ル ・
洋 航 路 が 1 5 6 5 年 に開 拓 さ れ 、
し、ポ ルト ガ ル当局か ら禁 止令が
0 か 所 の 日本 人 町 に7 0 0 0 人
約2
た 日 本 人 も 多 か った 。 1 6 0 4 年
か ら 約 0 年 続 い た 朱 印 船 貿 易 で海
3
0万人以上
外 に 出 た 日 本 人 は 延 べ1
と 推 測 さ れ てお り 、 東 南 ア ジ ア の
一方 、 こ の 頃 、 自 発 的 に 出 国 し
か った の だ ろ う 。
供給されたと いう。
フ ェル ナ ン デ ス ﹂ ﹁ミ ゲ ル ﹂ ﹁べ
定 期 航 路 と な った か ら だ 。 そ れ 以
出 た 。 そ の 後 は 、 マ モ フに 拠 点 が
ル商 人 に買われ 、1 59 7年 にそ
ント ゥー ラ ﹂ の 3 人 。
前 か ら 、 東 アジ ア に多 く の奴 隷 が
の ﹁財 産 ﹂ と し て メ キ シ ョ ・ア カ
だ が 、 これ 以 外 にも 、 渡 航 経 緯
戦 国 の 世 だ った 日 本 で は 、 雑 兵
移さ れ 、欧州 など に奴隷 を送 り続
に よ って 頻 繁 に 戦 場 近 く の 村 民 が
存 在 し た こと も 、 深 く 関 係 し てい
ゼ ン チ ン ︶ で 見 つか って い る 。 日
拉致されたり、餅鐵で売られたり
は わか らな いが、 日本 人奴隷 の売
本 人 移 民 1 1 0 年 を 記 念 し て1 9
けた ﹂と 語 る。
一部 は 太 平 洋 に 向
9 8 年 に現 地 で編 纂 さ れ た 移 民 史
し て 、大 量 の 女 性 や 子 供 が ﹁人 市 ﹂
る 。 ´
﹃日 本 移 民 発 祥 の 地 コ ル ド バ ﹄ に
買 契 約 書 が 南 米 コ ル ド バ ︵現 ア ル
景 を 探 って い く と 、 鎖 国 前 の 日 本 人 に と って 海
外 が 意 外 に ﹁近 い ﹂ 存 在 だ った 状 況 が 浮 か び 上
が って き た 。 ︵文 化 部 辻 本 芳 孝 ︶
こ れ ま で 太 平 洋 を 渡 った こ と が
確 認され る 最初 の 日本 人は、 16
1 0 年 に メ キ シ コ に 渡 った 京 都 の
3人とされて
商 人 o田 中 勝 介 ら 2
安土 桃山時代
16世 紀 後 半 ∼ 17世 紀 初 頭 ご ろ 、 日 本 に 着 い た 南 蛮 人 を 描 い た と さ れ る
「 南 蛮 人 来 朝 之 図 屏 風 (び ょ う ぶ )J(長 崎 歴 史 文 化 博 物 館 提 供 )
きた。伊達政宗が郊色協島らを欧
州 に派 遣 し た 慶 長 遣 欧 使 節が 同 国
を 通 過 し た のは 、 そ の4 年 後 だ 。
ポ ルトガ ルが世界規模 に
れ た キ リ シタ ンや 、 戦 国 時 代 が 終
以 上が 居住 したと され る 。迫 害さ
に並ん だと され る 。
一部 は 海 外 に
わ り 職 を 失 った 兵 な ど が 海 外 に 活
︵近 世 史 ︶ は ﹁こ の 頃 、 中 国 人 が
﹁ク リ ス ト フ ァ ー ﹂ ﹁コ ス マ ス ﹂
英 国 人 の旅 行 記 には 、 日本 人 の
路を 見 いだ した と みられる 。
中 心 と な って い た 倭 寇 が 、 密 貿 易
が 1 5 8 7 年 に英 国 船 の船 員 にな
東海大 非 常勤講 師 の下 重清さ ん
も売られたようだ 。
れ た 。 ハポ ン は 翌 年 、 ﹁自 分 は 奴
商 人 と し て東 アジ ア各 地 で活 発 に
った こ と が 記 さ れ て い る 。 輸 出 品
よ る と 、 日本 人 の フラ ンシ ス コ ・
︲ 歳 ︶が 1 5 9 6 年 、
ハポ ン ︵当 時 2
現 地 の 奴 隷 商 人 に 8 0 0 が で売 ら
隷 では な い ﹂ と 当 局 に 訴 え 、 後 に
活 動 し て お り 、 扱 う 商 品 に ﹃人 ﹄
ル 船 に 乗 って い た 日 本 人 研 ぎ 師
だ った 日 本 刀 を 磨 く た め ポ ル ト ガ
︰
.
″
,
こう し た 東 アジ ア の人 身 売 買 を
も あ った ﹂ と 指 摘 す る 。
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・=… ■ __● /⑬ 当時の太平洋航路と
・
日本人奴隷に関係した地
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一
一
コ
冬
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一
一
式
メ
︲
“
ヽ
.
6 年 の宣 教 師 の書 簡 に残 る 。
も、5
東大 史料 編纂 所 の岡美 穂 子助教
世 界 の ネ ット ワ ー ク に 乗 せ た の
︵日 欧 交 渉 史 ︶ は ﹁奴 隷 と い って
当 時 の 日本 人 は 新 天 地 でし ぶ と く
年、 数百 人 の 日本人 奴隷 が、手 足
も 、生 涯 の自由 を 失う 人ば かり で
が 、 ポ ル ト ガ ル 人 だ った 。 豊 臣 秀
を鉄 の鎖 で縛 られ 、南 蛮船 の船 底
は な い 。 年 季 奉 公 のよ う な 感 覚 で
生 き抜 いた のだ 。
に押 し 込 め ら れ て輸 送 さ れ た 事 実
吉が 長崎や 平 戸を 訪 れた 158 7
を 、 秀吉 の側近が 記 し ている 。
海 外 渡 航 の契 約 を し、 後 に海 外 で
自由を 得た 人も いた 。鎖 国以 前 の
ポ ル ト ガ ル 人 で 同 国 立 エヴ ォ ラ
大 特 別 研 究 員 ル シ オ ・デ 。ソ ウ ザ
し ている 。
で は な か った の で し ょ う ﹂ と 指 摘
日 本 人 に と って 、 海 外 は 遠 い 場 所
さ ん ︵大 航 海 時 代 史 ︶ に よ る と 、
、
6
︲ 世 紀 半 ば マカ オ が 東 ア ジ ア の
奴隷貿易の中心地となり、当初は
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「日
本人奴隷」売買網 に乗 る
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