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樋口陽一報告をめぐる質疑応答

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樋口陽一報告をめぐる質疑応答
憲法特集
樋口陽一報告をめぐる質疑応答
(2009年 3 月29日)
口先生の話だと本源的な一元的な価値秩序とい
発 言 者 一 覧
うことになるのだろう。ただ樋口先生が他方で
よく強調するように,戦後と戦前とでは,まっ
長 谷 部 恭 男(東京大学)
たく価値秩序が転換した。その転換した価値秩
瀬 川 信 久(北海道大学)
序への参照を求めているのが日本国憲法である,
毛 利 透(京都大学)
という整理になるだろう。
上 村 達 男(早稲田大学)
○樋口 コンテクストも議論の背景もまったく
中 島 徹(早稲田大学)
異なるが,今の長谷部さんの指摘は小嶋和司さ
んの憲法観に重なるのでではないか。
○長谷部恭男(東京大学) 民法の2条,旧1
○長谷部 小嶋先生の考え方だと,むしろ戦後
条の2は,これはたまたま今,条文があるのだ
と戦前,連続しているのではないか。
とも考えられるが,仮に民法2条がない場合に
○樋口 その部分は,私もよく分からない。む
は,価値の循環の過程というものはどのように
しろ戦後について,憲法と憲法典の違いという
考えられるのか。
小嶋さん流の読み込み方をして,Deus ex ma-
○樋口陽一 そうなると理屈で連結させなけれ
chinaとしての憲法が,憲法の個別的な規範を都
ばならない。その際の理屈として,ここでも私
合よくスムースに動かしていくことを批判して
の言うMuttermalを出してくることになるので
いたのではないか。これについては,小嶋さん
はないか。
「そもそも,
初期近代における法のあ
をもう1回,よく読み返してみないと分からな
り方は,
こうだったはずだ」と。
「二元論で分解
いが。
しきったように見えるけれども,そうではない
○瀬川信久(北海道大学) 母斑としての一元
ものを掘り起こせば,このようにつながる」と。
論思考から公私二元論に分かれてくる原動力に
ついては,いくつかあったと思うが,その中で
アイデアとしてはこうなるが,それをどのよう
に説明するのかということは,今後検討したい。
「これが一番決定的だ」というものはあるか。
○中島徹(早稲田大学) むしろ長谷部理論か
○樋口 その問題についても,今のところはっ
らするとどうなるのか。
きりした答えは持ち合わせていない。ただ,そ
○長谷部 憲法というのは,法のような格好を
の問題を考えるときに,恐らくドイツとフラン
して法ではないというところが非常にある。つ
スの対応の違いを詮索していくと,答えに近づ
まり最後の最後に,実定法を適用しただけでは
けるのではないか。
うまくいかないというときに,憲法というのは,
ドイツの場合には,まさに公私二元論がはっ
法の外の価値秩序の参照を求めている法である
きりと定着し,しかも,特に第2次大戦後は,国
という見方もできる,と思っている。そのとき
家と個人に加え,社会というものが第3の存在
に参照すべき価値秩序というのものが,今の樋
として大きく意味付けられるようになってくる。
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それに対してフランスの場合には,母斑が非常
républicaine,共和主義的原則,もともとそうい
に強く残り続けてきていたという違いがあり,
う考え方だったのだということであったのだが,
そこを詮索すると質問に対する道筋が開けてく
いよいよ現場の対応が割れてきて,結局2005年
るのではないか。
に立法をした。
○樋口 先ほど紹介したが,
190年代にフランス
立 法 と い う 形 で, 普 通 選 挙 のlegitimacyを
の実定憲法学をリードした方が2人いる。1人
持った規範が出てくると,本人の意思にかかわ
は憲法裁判所に入ったジャック・ロベールと,
らず,学校に来たらかぶってはだめだ,それで
もう1人は,憲法裁判所には入らなかったがや
もかぶるのは退学だということになる。ここで,
る気は満々だったルイ・ファヴォルーという憲
やはり肝心なところになると国家が出てくる。
法訴訟の専門家がいる。
この2人が共通して,
普
肝心なところというより,むしろあらゆるとこ
通選挙という金ぴかのエビデンスを持っている
ろで出てくる。
国家がやれないことを私人が勝手にやれるはず
○瀬川 私立学校と公立学校では話は違ってき
がない,
という考え方をベースに置いている。
こ
て,もちろん私立学校と言っても,その社会の
のような思考は,ドイツにはないのではないか。
中で,若い人が選択できる私立学校が1つしか
○瀬川 日本の場合,私人間の関係では,取引
ない場合,それは実質的に公的な学校のような
関係つまり契約関係がある場合には,それは合
ものになるので,そこで考える必要がある。だ
意で決まる。合意で,例えば競業避止義務,つ
が,モデル的に考えると,スカーフをかぶりた
まりこの会社を退職したあとに,何年かはこの
ければ,かぶることのできる学校を選択すれば
地域で別のホテルに勤めないとか,支配人をや
よい。それがつまり市場の考え方である。だか
らない等の,職業の自由を放棄する。それは合
ら,それがうまくいかないときにどう考えてい
意のほうが優先するから,国家は職業の自由を
くのかという問題がある。
奪うことはできなが,当事者の間ではそれはで
○樋口 フランスの場合には,私立学校に公費
きる。
援助を出すか出さないかということが,19世紀
他方,そのような関係がない場合がある。例
初めから大問題であった。私立学校は,有り体
えば,これは名誉毀損等の場合だが,赤の他人
に言うと国家が差別してきた。現実の社会では,
が権利を侵害する場合である。
日本だと709条の
私立学校は公費の援助が必要となった。公費の
保護に値する権利かどうかを,最終的には法曹
援助をするその代わりに,教員に対して,公務
家,法律家,その中でも裁判官がいろいろな事
員に準ずるとまでは言わないものの,一定の義
情を考慮して考える。それゆえ,国家との関係
務が課せられるという形になっている。
というのは,一応別に考えている。
現実は,大学ないしgrande écoleの段階で,有
○樋口 少しそれた話になるが,皆さんにもお
名私立や経営スクールなどができてきているが,
なじみの話題で言うと,例のイスラムスカーフ
教育をめぐる政教分離の争いの場だった義務教
の問題を考えてみる。女子中学生本人が本当に
育のレベルでは,私立学校への逃げ道は,実際
自分でかぶりたいと思っているのか,あるいは
にほとんどなかったのではないか。しかも考え
親にいやいやかぶせられているけれども,本人
方として,第三共和制以来,公立の学校におい
の意思ということになっているのか,というこ
て,共和制の担い手であるcitoyenを養成してき
とを別にして,当人の意思でかぶりたいのだと
たというイデオロギーがあるため,やはり公立
いうことで考える。この「かぶりたい」という
中心になることから,実際上はなかなか逃げ場
ことを宗教の自由で主張するのだが,それに対
がないということになるのではないか。
して
「学校に入ってきたらかぶってはいけない」
○毛利透(京都大学) レジュメにある「民法
という政教分離を押し付ける。それはtradition
90,709……」から出る左向きの矢印について。
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従来の29条1項の解釈論における問題関心とい
○瀬川 今は,競争制限のほうも考えなければ
うのは,もちろん何が財産権かは個別具体的に
いけないという風に思っている。しかし,実際
は実体法律によってにしか決まらないが,そう
に考えているかどうか,つまり民法学者が考え
は言っても,法律から独立の憲法上の保障の中
ているかどうかは別であるが。
核といったものを探求するということが,少な
○上村達男(早稲田大学) 財貨秩序の根底に
くとも解釈論上の中心的な問題関心だった。こ
ある人格秩序や,憲法24条,民法2条,あるい
のことは,この左向きの矢印によってどのよう
は母斑,そして長谷部先生が指摘した参照すべ
に考慮されているのか。また,29条2項と1項
き価値秩序というものについては,会社法や資
が,2つ別々の原理的な基礎を持つものとして
本市場法の研究者にとって,切実な問題である。
並べられていることも考えると,両方の原理が
つまり,そういう個人や家族,人格秩序の担い
「民法90,709……」に含まれているという話に
手は,それが例えば独禁法で消費者となれば生
なるのか。29条1項,2項の両方ともの原理が
身の人間だが,取引相手ということであれば法
民法にあって,それが左向きに流れているとい
人も担い手になる。資本市場,投資家というと,
う理解でよいのか。
日本は法人だらけである。つまり,例えば29条
○樋口 その右から左の矢印は,法実務家に向
の1項と2項の問題を,つまり競争制限や競争
けてのロジックである。いいか悪いかは別とし
維持という問題を,金融や資本市場との関係で,
て,現実に裁判官の多くは,憲法は実定法では
もう少し深刻に考えてみたい。
ないと思っている。そのことから,民法自身も,
その際,アメリカやヨーロッパとは異なり,日
裁判官の一番大事な商売道具であるところの民
本のような法人中心社会だと,そのような法人
法自身に裏付けられた憲法というロジックを考
に対する警戒というのも,憲法24条などを基礎
えた。その意味で,この矢印は説得の論理であ
にして,我々は受け止めていいのか。
る。もちろん憲法研究者としては,
29条1項,
2
○樋口 近代初期を特徴付けるのは,反集団主
項のそれとしての意味を詰めて議論しなければ
義である。前近代社会は,集団の横並び,ある
いけない。それは,
かつてならば,
「29条2項は,
いは斜めに積み重なった身分制社会であった。
どこまで社会主義への移行を可能にしている
近代型自由権のカタログといわれる1789年宣言
か」という形で,憲法自身の規範論として議論
には,アソシアシオンの自由というものはない。
されていた。1項のほうについては,
経済的自由
これは,例示的列挙の中でたまたま落ちていた
の中身は何かという営業の自由論争をめぐるイ
ので,法律家が補えばいいのだというような性
シューがそうであった。両方とも十分に深めら
格のものではない。これは,ル・シャプリエ法
れ定着しているかは別として,そのような議論
という同時期に作られた,実定法の裏付けが示
をしてきつつある。社会主義のほうは,誰もそ
す通りである。その点は,アメリカ合衆国の
ういうことを言う人はいなくなったが,その議
10 ヵ条のBill of Rightsにも結社の自由という言
論などは,学説史的に振り返ってみてもおもし
葉は出てこない。アメリカの場合には,修正第
ろいはずだ。
1条の解釈として,結社の自由が引き出されて
○樋口 先の競業回避義務の問題だが,
私は,
民
いるが,フランスではそういう解釈を許さない
法については何しろ50年前の知識なのであるが,
ほど反結社主義が強かった。
その知識からすれば,民法のほうでは,競争制
アメリカの場合にも『ザ・フェデラリスト』
限は考えない。競争制限を考えてきたのはもっ
の中でもFactionの弊害という言葉が使われて
ぱら特別法なのだ,というのが私なりの素朴な
いる。Factionという言葉は,恐らく,あまりい
理解である。今の民法がどうなのかは,よく分
いということではない。法律文章ではない『ザ・
からない。
フェデラリスト』の中の文章なので,そういう
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言葉が明け透けに使われている。
もちろん現実には,結社解体路線を突き進ん
だフランス革命でジャコバン等の,それこそ結
社が猛威を奮って,大変悪いこともした。だが,
社会構成秩序としての結社というものに対する
ネガティブな見方は,ずっといろいろな法制に
も引き継がれている。そして,ようやく19世紀
にいろいろな段階を経て,それぞれの結社が法
的な承認を受けるようになってくる。その背景
には,もちろん資本主義の発達とか,労働運動
の獲得というものがあるのではあるが。最終的
に非営利結社一般について,届出制による法的
な存在を認めることになったのは,
革命から100
年以上経った1901年法である。そのことをフラ
ンス社会は非常に重視している。
1989年には,
人
権宣言200年の学会を含めた大規模なイベント
がフランスで行われた。2001年にも,私は参加
しなかったが,結社の自由100周年で,破毀院や
憲法院,国会等が総動員の形で記念行事をやっ
たことも,その現れであろう。
それこそここでも,また今日のキーワードの
Muttermalということになるのだが,日本は19
世紀に19世紀型近代が作り上げた法制度を輸入
した。そこでは,結社の法的ステータスは当然,
自明のものであった。もちろん,政党あるいは
けしからぬとされた結社に対する取締ルールは,
明治憲法の下では周知のとおりではあったが,
他方結社一般に対する敵視は,日本社会にはな
かった。そうであるだけに,典型的には,八幡
製鉄事件の最高裁判例において,株式会社とい
う結社は,憲法第3章の権利主体として政治的
活動をなす自由を有するという書き方がなされ,
それを受けて憲法学者を含めて,法人の人権と
いうコンセプトで,それが一般化されてきたと
いうことに,1つの問題がそのまま引き継がれ
てきてしまっているのではないか,と考えてい
る。
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