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奥田研究室ゼミ生研究論文集 vol.3

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奥田研究室ゼミ生研究論文集 vol.3
2009年度
奥田研究室ゼミ生研究発表論文集
共愛学園前橋国際大学
心理・人間文化コース
は じ め に
本論文集は,共愛学園前橋国際大学国際社会学部国際社会学科心理・人間文化コース,奥田雄一郎研究室の 2009 年
度の活動のまとめとして,3 年生の共同研究・レヴュー論文,そして 4 年生の卒業論文要旨を掲載したものである.奥
田研究室も,今年度で早くも 3 年目を迎えた.今年度は他大学からの履修生 1 名を加えた 3 年生 10 名,4 年生 10 名
のゼミ生が所属し,研究室活動も本格化してきた.特に,2009 年度は,ピアチューター,ピアレヴュー,ピアカウン
セリングといった新たなゼミ形式も取り入れ,3 年生と 4 年生が関わる場面をより多く設定したことが新たな試みとし
て位置づけられよう.
3 年生は,6 月に本学と他大学を含めた大学 1 年生に対するインタヴュー調査を行い,7 月に,三鷹の森ジブリ美術
館と新宿,渋谷での若者フィールドワークを行った.フィールドワークにおいては,現代社会に生きる若者たちがどの
ようなことを考え,どんな風に自らの青年期を経験しているのか.それを卖に文献から調べるだけではなく,実際の声
を聞くことで自らの身体で経験した.8 月には夏合宿を行った.本年度は,他大学との共同ではなく,奥田ゼミのみで
の開催となったが,その分 1 人 1 人の発表に時間を取ることができ,活発な議論が行われた.3 年生たちにとっては初
めての合宿であったが,そこでの成功,失敗,様々な経験が,3 年生たちをより成長させてくれた.後期の 10 月には,
今年度も大学の学園祭であるシャロン祭において模擬店を行った.今年は「射的」を企画し,昨年同様,地域の子どもた
ちに喜んでもらえる企画をと連日夜遅くまで準備を行った.また,授業としては今年度も 3 年生がグループに分かれ,
共同のアンケート調査を行った.今年のテーマは「ストレスに潜む見えない落とし穴」,「ホープレス大学生」の 2 つであ
った.どちらも,現代社会を生きる若者たちの素朴な疑問を素材としそれらの素材をはじめて覚える心理学的な方法を
用いて,研究のレベルにまで高めていった.その成果は本論文集に掲載されている.
4 年生にとって 2009 年度は大学生活最後の学年であった.4 年生たちは,2008 年度にレヴュー論文を全員で書き上
げ,今年度はいよいよこれまで学んだ知識,方法を用いて,自らの卒業研究という大きなプロジェクトに立ち向かって
いった.2009 年度は,2008 年度末の世界的な不況の影響を受け,非常に困難な就活戦線と並行しての卒業研究となっ
た.そのような状況の中,4 年生たちは自らの課題に,時には逃げ,時にはもがき苦しみながらも,最終的には 2 年間
過ごしてきた仲間たちと協力しながら,自らの 4 年間の集大成としての卒論という作品を完成させた.苦しみながらも,
しっかりと前を向き,卒論という壁を越えていった 4 年生たちを誇りに思う.
4 年生はこの卒業論文をもって共愛学園前橋国際大学を卒業し,いよいよ 1 人の大人として,それぞれの社会生活の
中に旅立って行く.本年度も,飲食、アパレル、広告などの民間企業,そして大学院への進学など様々な進路へと進ん
でいく.4 年生全員が,この大学や研究室で培った,知識,スキル,人的ネットワークを用いて,それぞれの力を活か
し,充実した社会生活を過ごしていって欲しいと思う.
本論文集の構成は,第 1 部が 3 年生が後期に行った共同研究の報告書,第 2 部が 3 年生のレヴュー論文,そして第 3
部が 4 年生の卒業論文の要旨となっている.レヴュー論文,卒業論文の執筆の際には,どの学生たちも初めての経験と
格闘しながらも,自分ができる全ての力を出し切り,精一杯の成果を出したと確信している.20 名の学生たちのおか
げで,今年度も奥田研究室の成果として,胸を張って公表できる論文集ができたことを,みなさまにお知らせいたしま
す.
2010.02.08
共愛学園前橋国際大学
奥田 雄一郎
目
次
第一部 共同研究
第 1 章 阿部孝文・川島千穂・桑原美里・鳴海匠・馬場菜津美
ストレスに潜む見えない落とし穴・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1
第 2 章 阿部圭佑・阿部廣二・内山枝里・堀内祐希
ホープレス大学生・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
7
第二部 三年生レヴュー論文
第 1 章 阿部 圭佑(Keisuke Abe)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
13
やる気を忘れて学校へ来る子ども達へ -大人の私たちが出来ること-
第 2 章 阿部 廣二(Koji Abe)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
18
自己を物語る記憶
第 3 章 阿部 孝文(Takafumi Abe)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
23
自由を求め続ける若者言葉 -優しさという見えないルール-
第 4 章 内山 枝里(Eri Uchiyama)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
28
共依存における特性論への批判とシステム論への着目
第 5 章 川島 千穂(Chiho Kawashima)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
33
私を太らせる他者という鏡
第 6 章 桑原 美里(Misato Kuwahara)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
38
現代の若者に見られる自称うつ病とスチューデント・アパシー
第 7 章 鳴海 匠(Takumi Narumi)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
43
対人コミュニケーション -どうすれば相手に伝えたいことが伝わる-
第 8 章 馬場 菜津美(Natsumi Baba)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
48
すれ違う恋愛イメージ -私とあなたの恋愛を求めて-
第 9 章 堀内 祐希(Yuki Horiuchi)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
53
社会的ジレンマ -だってあいつが裏切るかと思って…-
第 10 章 米島 小百合(Sayuri Yoneshima)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
移りゆく障害観
58
第三部 卒業論文要約
第 1 章 青木 和也(Kazuya Aoki)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
63
価値観の差異から見た大学生の購買意識 -大学生のモノの見方へのアプローチ-
第 2 章 新井 理恵(Rie Arai)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
68
セルフモニタリング傾向と拒否不安との関連 -他者がいることでできることもある-
第 3 章 後藤 美里(Misato Gotou)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
75
大学生の自己の多元化と不安・葛藤に対する対処方略
第 4 章 長沼 孝高(Yoshitaka Naganuma)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
81
ネットいじめがもたらすもの
第 5 章 原田 紫織(Shiori Harada)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
87
青年期における恋人選択とアイデンティティ -大学生における恋愛スタイルによる検討-
第 6 章 針谷 朊也(Tomoya Harigai)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
92
女子大学生の被服選好による男性の被服スタイルに対する印象-女性は男性のどんな服装に対して好印象を抱くのか-
第 7 章 三田 育美(Ikumi Mita)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
99
あまりにも白い黒 -青年期における不安のパラドキシカル的性質-
第 8 章 三井 里恵(Rie Mitsui)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 105
自己形成過程にみられる時間的装置としての「身体」 -青年期における身体改造実践についての語りから-
第 9 章 山口 綾子(Ayako Yamaguchi)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 111
所属集団への満足感から見た大学生の心理的居場所感
第1部 第1章 ストレスに潜む見えない落とし穴
阿部孝文・川島千穂・桑原美里・鳴海匠・馬場菜津美
■はじめに
現代は「ストレス社会」と言われている.現代がストレス社会であるということは,「ストレス社会で闘うあなたに」
というようなキャッチフレーズで PR される商品が筆者らの日常に溢れていることや,その「ストレス」というものにど
う対処するかといった書籍やインターネットサイトが数多くあることからも明らかだ.このように,食べモノや何らか
の方法によって解消できるストレスとは,我々が自覚することができるという前提を持って我々に認識されているのが
現実だ.しかし,我々がストレスを自覚することができるという大前提は,はたして本当なのだろうか.ここで,ある
事例を紹介しよう.
事例:21 歳の女性
彼女はダイエットによる急激な体重の減尐によって,女性としての機能が正常に働かなくなってしまった.
「そういえば生理がこない」.そう思った彼女は,月経が停止して 8 ヶ月目であった.ベッドの中で急に恐怖
に襲われた彼女は翌日,産婦人科の扉を叩いたのであった.最初の医者の診断はこうである.「急激なダイエ
ットによる体重の変化に,身体そのものがが対応しきれていない可能性がある.身体が慣れるまで時間がか
かるが,心配はいらない.20 歳になっても治らない場合は治療しましょう」とのことだった.
ピルを処方し強制的に月経を起こすことを繰り返すが,自然に月経が起きることはなく 3 年が過ぎた.あ
る時,彼女は医師にこう尋ねたのである.「まだ私の身体は,適応できないのでしょうか?」それに対し医師
はこう答えた.「体重の増減もなく一定している.おそらく脳の中枢神経に何らかのストレスがかかっている.
もしくはかかっていた可能性があり,ホルモンの作用がうまくいってない可能性がある」と.
しかし,これまで彼女は生理不項の原因としてストレスに苛まれたことは一切なかった.医師からの「スト
レス」の可能性を指摘されたことで初めて,彼女は自らの「ストレス」を自覚するに至ったのである.
この事例から,ストレスは自覚することができない場合があること,また,本人の気付かないストレスでも,身体症
状を引き起こす可能性があることが考えられるのではないだろうか.ここで言う「ストレス」は,我々が日常的に目や耳
にする「ストレス」の形態とは大きく異なるものであった.では,この事例における「ストレス」とは,一体どのようなも
のなのだろうか.
■問題と目的
そもそも,「ストレス」とは一体どういったものなのか.Selye(1978)によるとストレスとは,ストレッサー(刺激)に対
して起こる,非特異的反応であると定義されている.非特異的反応とは,刺激の種類とは無関係に起こる,共通した一
連の反応の事である.Selye(1978)によるストレスの定義を前述した事例に当てはめてみると,対人関係や仕事などの
ストレッサーが生理不項といったストレス反応を引き起こしたと考えられる.つまり,一般的にストレスと呼ばれてい
るものはストレッサーであり,ストレッサーが原因で起こる頭痛や腹痛などの身体症状をストレス(反応)と呼ぶのであ
る(Selye,1978).しかし,本来の反応という意味での「ストレス」ではなく,刺激という意味での「ストレス」という言
葉が広まっているため,本論文では一般的な認知に沿って,「ストレス」という名称に統一するものとする.ストレスを
過剰に受けると,身体に何らかの症状が現れる.実際にはストレスを受けているにも関わらず,そのことに気づいてい
ない人々は,身体症状が現れてから病院へ行き,そこで初めてストレスを自覚するのである.このような自覚のないス
1
トレスを高宮(2009)は「ストレス状態に陥っているにも関わらず,自分ではストレスがないと思い込んでいる状態」とし,
『ストレス無自覚症』と呼んでいる.つまり,身体はストレスを感じているが,本人はそのストレスを認知していない
状態の事であるといえる.
こうしたストレスの自覚・無自覚といった個人差には,その人の性格が影響することが指摘されている.例えば,山
岸(2009)は悲観的な人と楽観的な人を比較し,悲観的な人ほどストレスを多く感じていることを明らかにしている.つ
まり,同じストレッサーであったとしても,楽観的か悲観的かといった性格が,その人にとってのストレスの自覚に左
右するのである.
本研究では Selye(1938)と山岸(2009)の知見を踏まえ,ストレスを自覚することの有無と,身体症状の有無を軸とし,
4 つのグループに分けて比較検討するものとする.また,4 つに分けたグループそれぞれに,無自覚症グループ,健康
グループ,予備軍グループ,勘違いグループと名前を付けた.以下に図として示す.
図 1 に示したように,身体症状が有り・ストレス自覚がある
健康グループは,比較的健康な人といえる.したがって,健康
グループは身体の変化に敏感で早急な対処ができると考えられ
る.山岸(2009)との関連で言えば,悲観的な性格であることが
予想できる.身体症状が有り・ストレス自覚の無い勘違いグル
ープは,ストレスに対する自覚が高いとされる.したがって,
ストレス自覚は高いにも関わらず実際には身体症状が現れてい
ないと考えられる.つまり,同じく悲観的な性格であることが
予想できる.さらに,身体症状もストレス自覚も無い予備軍グ
ループは,ストレスに対する自覚が低いとされる.したがって,
実はストレス反応が起こっているのにも関わらず,心と身体の
両面で気付いていないのではないかと考えられる.山岸(2009)
との関連で言えば楽観傾向が予想できる.このことから身体症
状が有りストレス自覚の無い無自覚症グループは,ストレスに
図 1 身体症状とストレスによる群分け
対する自覚が低いため,
『ストレス無自覚症グループは楽観因子
が有意に高い』という仮説を立てた.
■方法
研究協力者:2009 年 12 月に,K 大学の学生と S 大学の学生に調査協力を依頼し,有効回答 527 票を得た(K 大学 348
名,S 大学 179 名).調査協力者の性別は男性 241 名,女性 303 名であった.学年は 1 年 107 名,2 年 163
名,3 年 182 名,4 年 68 名,その他 5 名,無記名 2 名であり,コースは英語 166 名,国際 31 名,情報・
経営 48 名,心理・人間文化 64 名,地域児童 37 人,S 大学 179 名,無記名 2 名であった.
手続き:K 大学では心理学関係の授業を受講している大学生に質問紙を配布し回答を依頼し,授業内で回収した.S 大
学では授業中や休み時間内に質問紙を配布し回答を依頼し,その場で回収した.所要時間は約 10 分であった.
調査内容
1)ストレス尺度.9 頄目(1:全くあてはまらない,2:あてはまらない,3:どちらでもない,4:あてはまる,5:非常にあて
はまるの 5 段階評価)である.ストレス尺度(田中,2003)を参考に作成した,
【学業因子】
,
【通学因子】
,
【人間関係
因子】
,
【スチューデントアパシー因子】
,
【私生活因子】
,
【自身を取り巻く環境因子】の 6 つの因子から構成されて
いる.分析の際は合成得点を作成し,得点が高いほどストレスを多く感じているものとした.
2)楽観尺度.5 頄目(1:全くあてはまらない,2:あてはまらない,3:どちらでもない,4:あてはまる,5:非常にあてはま
る.の 5 段階評価)である.中村(2000)を参考に作成した,自分の性格が楽観傾向にあるか,悲観傾向にあるかど
2
うかといった【楽観因子】
.分析の際はこれらをまとめて合成得点を作成し,得点が高いほど性格的に楽観傾向が
強いものとした.
3)身体症状尺度.11 頄目(1:全くあてはまらない,2:あてはまらない,3:どちらでもない,4:あてはまる,5:非常にあ
てはまるの 4 段階評価)である.ストレスに代表される代表的な身体症状をもとに独自で作成した,急に動悸がす
るなどといった【循環器系因子】
,下痢や食欲などの【消化器系因子】
,生理不項など生殖器系に現れる【生殖器系
因子】
,めまいといった【感覚器系】
,気管に関する【呼吸器系】の 5 つの因子から構成されている.分析の際はそ
れぞれの因子ごとにまとめて合成得点を作成する.全ての因子(【循環器系】
,
【消化器系】
,
【生殖器系】
,
【感覚器
系】
,
【呼吸器系】)の得点が高いほど身体症状が高く現れている傾向が強いものとした.
4)希望尺度.9 頄目(1:全くあてはまらない,2:あてはまらない,3:どちらでもない,4:あてはまる,5:非常にあてはま
るの 5 段階評価)である.時間的展望体験尺度(白井,1994)を参考に,大学生が未来に対して明るい展望を持って
いるかといった【未来展望因子】と,日常的に目標意識を持って行動しているか,目標を達成するために努力して
いるかを調べるために独自に作成した【目標因子】の 2 つの因子から構成されている.分析の際は合成得点を作成
し,それぞれ得点が高いほど未来展望を明るく捉えており,達成すべき目標を持っているものとした.
5)避傾尺度.15 頄目(1:全くあてはまらない,2:あてはまらない,3:どちらでもない,4:あてはまる,5:非常にあては
まるの 5 段階評価)である.先延ばし意識特性尺度(小浜,2008)を参考に,課題や面倒なことを先延ばしするかと
いった【先延ばし因子】
,やらなければならないことをやらず,他のことをしてしまうかどうかを調べるために独
自に作成した【転嫁因子】
,斎藤(1998)の「社会的引きこもり」を参考に作成した,つらいことがあると引きこもっ
てしまうかといった【引きこもり因子】の 3 つの因子から構成されている.分析の際はこれらをまとめて合成得点
を作成し,得点が高いほど先延ばしや転嫁,引きこもり傾向が強いものとした.
■結果と考察
仮説:ストレス無自覚症グループは楽観因子が有意に高い.
5
*
4
3.26
3.08
2.97
無自覚症
健康
3
3.07
2
1
予備軍
勘違い
F(3,465)=2.67,p<.05
図 2 ストレスのタイプと楽観傾向
図 1 の身体症状とストレスによる群分けを独立変数,楽観因子を従属変数とし,一元配置の分散分析を行った結果,
健康グループと予備軍グループの間に有意差が見られた.ストレス無自覚症グループと勘違いグループは,ほぼ数値が
変わらないため,同一のグループとして考察を行うこととする.
3
図 2 に示した結果を楽観因子の頄目を踏まえて考察したところ,予備軍グループは何事に対しても「どうにでもなれ」
「なんでもよい」という投げやりな考えを持っているのではないだろうか.そして,ストレス無自覚症グループと勘違い
グループは「なんとかなるだろう」という考えを持つ人が多いため,楽観因子が現れなかったのではないだろうか.そし
て健康グループは「今のままではマズイ」という良い意味での悲観的な考えになるのではないだろうか.
この結果から,ストレスと楽観の関係には,段階が存在するのではないかと考えることができる.まず,予備軍グル
ープから始まり,次にストレス無自覚症グループ・勘違いグループへ行き,最終的に健康グループに到達するのではな
いだろうか.以上のことから,段階の真ん中に位置するストレス無自覚症グループは,他のグループとの間に有意な差
がみられなかったと考察することができる.
5
*
4
3.42
3.37
3.17
3.20
予備軍
勘違い
3
2
1
無自覚症
健康
F(3,462)= 3.81,p<.05
図 3 ストレスのタイプと転嫁因子
図 1 の身体症状とストレスによる群分けを独立変数,転嫁因子を従属変数とし,一元配置の分散分析を行った結果,
無自覚症グループと予備軍グループに有意差が見られた.
図 3 に示した予備軍グループは,恐らくストレスに対するタイプによって転嫁はしない.無自覚症グループはストレ
スの自覚はないが身体症状はあるため,身体症状が出ることによって無自覚症グループは転嫁する傾向が現れるのでは
ないかと考えた.身体症状の転嫁の事例をあげると,クラスに馴染めない子が,学校に行こうとすると腹痛に襲われる
ことがある.その子は義務教育で,学校に行かなければならないのにも関わらず,ストレスによって起こった腹痛を理
由に,学校を休んでしまうのではないだろうか.つまり,目の前にあるやるべきことを身体症状があることによって他
のことに転嫁してしまうのではないかと考えた.
5
4
3.63
*
3.50
3.21
3.39
3
2
1
無自覚症
健康
予備軍
F(3,458)= 2.39,p<.05
図 4 ストレスのタイプと将来目標の有無
4
勘違い
図 1 の身体症状とストレスによる群分けを独立変数,目標因子を従属変数とし,一元配置の分散分析を行った結果,
図 4 に示すように,無自覚症グループと健康グループに有意差が見られた.ストレス無自覚症グループが最も高い数値
となり,有意差がみられた健康グループが最も低い数値となった.有意な差がみられた 2 群の特徴を山岸(2009)による
ストレスと楽観・悲観傾向の関連という視点から考えると,将来展望には楽観・悲観というのが関係しているのではな
いかと考えることができる.つまり,楽観傾向の強いストレス無自覚症グループと予備軍グループは将来展望を明るく
考えており,悲観傾向の強い健康グループと勘違いグループは将来展望を暗く捉えているのではないかと言える.
なぜ無自覚症グループの数値が最も高かったのかを考えてみると,将来の目標を達成するために努力を続けた結果,
ストレスが知らず知らずのうちにかかってしまうが,目標の達成に夢中になっているため身体の異常に気付きにくいの
ではないかということが考えられる.そのためストレス無自覚症に陥りやすいのではないかと考えられる.前述の 21
歳の女性の事例では,大学入学にあたり,「痩せることでより良い学生生活を送りたい!!」という目標のために急激なダ
イエットを行うことで,体重の変化に身体が対応できず生理が止まってしまったと言えるのではないか.
5
*
4
3.11
3
2.91
2.67
2.75
予備軍
勘違い
2
1
無自覚症
健康
F(3,466)= 3.02,p<.05
図 5 ストレスのタイプとストレスの発散の仕方
図 1 の身体症状とストレスによる群分けを独立変数,ストレスの発散頄目を従属変数とし,一元配置の分散分析を行
った結果,無自覚症グループと予備軍グループの間に有意な差がみられた.
図 5 に示したストレス無自覚症グループと予備軍グループの決定的な違いには,身体症状の有無が挙げられる.つまり,
ストレス無自覚症グループに現れる身体症状は彼らが外出する際の妨げになっているため,発散の仕方に違いが現れる
と考えた.例をあげるなら,身体症状としてめまいが現れた無自覚症の者がいるとしよう.めまいの症状が酷い時は,
いくら「ストレスを外で発散したい!!」と思ったとしても,無理をしてまで外出をしようとするだろうか.つまり,スト
レスを発散したいと考えてはいるが,身体に現れる症状が重いことが多いため,外出してまでストレスを発散したいと
思わないと考察することができる.
■総合考察
総合考察ではストレスのタイプと楽観因子の関係において,ほぼ同じ数値の結果が得られたストレス無自覚症グルー
プと勘違いグループを同一のグループとして扱い,考察を進めていくこととする.よって,①ストレス無自覚症グルー
プと勘違いグループ,②健康グループ,③予備軍グループの 3 つのグループにまとめ,それぞれの特徴を述べていく.
ストレス無自覚症は転嫁傾向がもっとも高く,やるべきことから逃げてしまうという結果が得られた.また,目標を
5
高く設定し,達成に向けて突き進むため周りが見えなくなってしまうのではないかと考えられる.そのため,ストレス
無自覚症グループの人はとても頑張り屋であると言える.同じく,勘違いグループは「なんとかなるだろう」という考え
を持っているが,取り組むべき目標を見出すことができないため,日常に対する空虚感にストレスを感じているのでは
ないかと考えられる.
健康グループは身体症状とストレスを自覚しているため,「何とか改善をしなければ」という考えに至り,現状に不安
を覚えるため,楽観傾向が最も低く現れたのではないかと考えられる.そのため,健康グループはとても現実的である
と言える.
予備軍グループはストレスに対する関心が低いと考えられる.「ストレスなんて自分には関係のない話だ」と傍観して
いるため,発散するべきストレスが発生することはなく,結果的にストレスを外で発散するしかなくなってしまう.
以上の考察より,ストレス無自覚症グループの人は目標を高く設定し,達成に向かって一生懸命に努力することがで
きると考えられる.はじめににおいて示した事例の女性は,大学入学後も勉強はもちろんのこと,ゼミやサークルの活
動にも力を注いでいる.また,別の事例では,バンドのライブを成功させるためにアルバイトに熱心に取り組み,尿道
結石を起こしてしまった男性も存在している.もし,あなたの周りで一所懸命に物事に取り組んでいる努力家がいたと
したら,「ストレス無自覚症」の危険性があることを伝えることが,筆者らの提示する解決策である.
■引用文献
小浜駿 2008 先延ばし意識特性尺度の作成,日本社会心理学会第 49 回大会発表論文集,174-175.
斉藤環 1998 社会的ひきこもり-終わらない思春期-,PHP 新書.
白井利明 1994 時間的展望体験尺度の作成に関する研究,心理学研究,65,54-60.
高宮日記 2010 http://www.human-health-web.com/blog/2009/06/post-3.php(1/28).
田中博史 2003 大学生が日常的に抱えるストレスに関する調査-本学学生を対象として-,大東文化大学紀要自然科学
41, 37-48.
中村陽吉 2000 対面場面における心理的個人差―測定の対象についての分類を中心にして,ブレーン出版.
Selye,H. 1978 The Stress of Life,McGraw-Hill; 2nd edition.
山岸さやか 2009 大学生のストレス状況,文教大学情報学部,社会調査ゼミナール報告書,4-5.
6
第2章 ホープレス大学生
阿部圭佑・阿部廣二・内山枝里・堀内祐希
■はじめに
「就職活動なんてやらなくても何とかなるんだよ.」
この発話は,大学内で 2 年生が 4 年生に対して「先輩,こんな時期なのに就職活動しなくても大丈夫なんですか?」
と尋ねた際の 4 年生の回答である.この 4 年生の発話は,筆者らにとって衝撃的であった.なぜなら,この 4 年生は卒
業間近であるにもかかわらず,卒業後の進路が決定していないことに対して全く危機感を抱いていなかったからである.
卒業時までに進学や就職といった進路が決まっていないとすれば,彼はこのまま卒業して,いわゆる「ニート」や「フリ
ーター」になってしまう.山田(2004)は,学卒者の就職難が進んでおり,フリーターと呼ばれる不安定な生活を強いら
れる若者が増加していると指摘している.そうした現状があるにもかかわらず,先の学生はなぜ「就職活動をしなくて
も何とかなる」と考えることが出来たのだろうか.そのような疑問から本研究はスタートした.
■問題と目的
上述した 4 年生は「就職活動をしたくない」と言っているわけではない.「就職活動しなくても何とかなる」と言ってい
るのである.つまり就職活動が嫌だから逃げているわけではなく,就職活動をしなくても,この先何とか生きていける
と思っているのだと考えられる.なぜ彼らは何とか生きていけると思えてしまうのだろうか.それは,現代社会におけ
る若者たちが危険な希望を抱いているからであると考えられる.Dufault&Martocchio(1985)は希望という概念を個人
的希望と総合的希望の 2 つに分類している.個人的希望とは「ある望ましい状況になりえる」という将来の目標のような
ものであり,総合的希望とは未来に対する漠然とした明るい感情である.上述した 4 年生は,現代社会の非常に厳しい
就職活動状況に対し,この総合的希望を抱いていると考えられる.
つまり現代の大学生は,総合的希望を抱き,逃避しているのではないだろうか.本研究では,総合的希望と逃避行動
との関連を調べることを目的とする.
■仮説
以上のような問題意識を元に本研究では,以下のような仮説を立てた.
「仮説①」現実逃避群(目標無し,未来展望明るい)は,他の群に比べ先延ばしする傾向がある.
「仮説②」努力群(目標有り,未来展望暗い)は,他の群に比べ転嫁する傾向がある.
「仮説③」努力群(目標有り,未来展望暗い) 及び絶望群(目標無し,未来展望暗い)には,
他の群に比べ引きこもり傾向がある.
「仮説④」現実逃避群(目標無し,未来展望明るい)には,他の群に比べアイデンティティのための恋愛をする傾向がある.
これらの 4 つの仮説を明らかにすることを,本研究の目的とする.
■方法
研究協力者:2009 年 12 月に,K 大学の学生と S 大学の学生に調査協力を依頼し,有効回答 527 票を得た(K 大学 348
名,S 大学 179 名).調査協力者の性別は男性 241 名,女性 303 名であった.学年は 1 年生 107 名,2 年生
163 名,3 年生 182 名,4 年生 68 名,その他 5 名,無記名 2 名であり,コースは英語 166 名,国際 31 名,
情報・経営 48 名,心理・人間文化 64 名,地域児童 37 人,S 大学 179 名,無記名 2 名であった.
7
手続き:S 大学においては心理学関係の授業を受講している大学生に質問紙を配布し回答を依頼し,授業内で回収した.
K 大学では授業中や休み時間内に質問紙を配布し回答を依頼し,授業内および休み時間中に回収した.所要時
間は約 10 分であった.
調査内容:
①希望尺度
1) 【未来展望因子】(白井(1994)を参考に独自に作成).「大学生が未来に対して明るい展望を持っているかどうか」
を調べるための 5 頄目(1.自分の未来は,なんとなく明るいと思っている,2.問題は,時間が解決してくれる
と思っている,3.自分の人生は成功すると思っている,4.未来の幸せな自分が想像できる,5.今までの人生
と同じように今後もうまくいくと思う)であった.
2) 【目標因子】(「日常的に目標意識を持って行動しているか,目標を達成するために努力しているか」を調べるた
めに筆者らが独自に作成),4 頄目(1.私は何ごとにおいても目標意識を持つほうだ,2.私には将来の目標がな
い,3.私は自分なりの人生目標がある,4.将来達成したい目標に向かって努力をしている)であった.
②逃避傾向尺度
1) 【先延ばし因子】(先延ばし意識特性尺度(小浜,2007)を参考に独自に作成),「課題を先延ばしにしてしまうか
どうか」を調べるための 5 頄目(1.課題は後でやればいいと考えるほうだ,2.課題はいつもギリギリになってや
るほうだ,3.期限がないと行動出来ない,4.面倒なことでも挑戦したいと思う,5.課題は早めに片付けるほ
うだ※),5 件法(1.全くあてはまらない,2.あてはまらない,3.どちらでもない,4.あてはまる,5.非常
にあてはまる)であった.
2) 【転嫁因子】(「やらなければならないことをやらず他のことをしてしまうかどうか」を調べるために独自に作成),
5 頄(1.やらなければならないことがあっても何かを頼まれたら断れない,2.やるべき事があるのに他のこと
に打ち込む,3.テストの前日に大掃除をしてしまうことがある,4.ものごとはきちんと優先項位をつけて行動
するほうだ※,5.やらなければならないことは先に片付けるほうだ※)であった.
3) 【引きこもり因子】(斎藤(1998)の「社会的引きこもり」を参考に独自に作成),「いやなことがあると引きこもる
傾向があるか」を調べるための 5 頄目(1.いやなことがあると外出したくない,2.いやなことがあると誰にも会
いたくない,3.傷ついたときは1人になりたい,4.ストレスは外で発散する,5.いやなことがあると,誰か
に話したくなる)であった.
③アイデンティティのための恋愛尺度
1) 【アイデンティティのための恋愛因子】(大野(1993)の「アイデンティティのための恋愛に関する質的データか
らの接近」を参考に作成),自分のアイデンティティを達成するために恋愛を用いるかどうかを調べるための 5
頄目(1.恋人から褒められることは他の誰から褒められることよりも嬉しい,2.恋人からどう思われているか
いつも気にしている,3.恋人がいなかったら生きていけないと感じる,4.恋人の友人関係や携帯の中身が気に
なる,5.一度恋愛をすると長続きするほうだ※)であった.なお,筆者らは今回の調査に全て 5 件法(1.全くあ
てはまらない,2.あてはまらない,3.どちらでもない,4.あてはまる,5.非常にあてはまる)を用いた.
分析の際はそれぞれの因子ごとにまとめて(「※」で示した頄目は逆転頄目であり,得点を逆転させた)合成得点を作成
した.それぞれの因子(【先延ばし】
,
【転嫁】
,
【引きこもり】
,
【アイデンティティのための恋愛】)の得点が高いほど,
それぞれの因子傾向が高いものとする.
■結果
本研究ではまず,目標因子得点の高低,未来展望因子得点の高低に応じて,努力群(目標有り,未来展望暗い群),充
実群(目標有り,未来展望明るい群),絶望群(目標無し,未来展望暗い群),現実逃避群(目標無し,未来展望明るい群)
8
の 4 群を設定した.その後,3 つの逃避傾向を測る尺度【先延ばし尺度】
,
【転嫁尺度】
,
【引きこもり尺度】と,
【アイ
デンティティのための恋愛尺度】を組み合わせて分析を行った.
目標 (有)
努 力
充 実
未来展望 (暗)
未来展望 (明)
絶 望
現実逃避
目標 (無)
図1 目標・未来展望による群分け
「仮説①」現実逃避群(目標無し,未来展望明るい)は,他の群に比べ先延ばしする傾向がある.
上記の 4 群を独立変数とし,先延ばし因子得点を従属変数として一元配置の分散分析を行った結果,努力群と絶望群
に比べて,現実逃避群及び充実群は有意に先延ばしを行っていた.仮説では,現実逃避群が最も先延ばしを行っている
としていたため,仮説通りの結果が出たと言える.この結果から,現実逃避群は明確な目標意識や目標を実行するため
の行動が無いにもかかわらず,未来を明るく展望しているという点が指摘でき,「現在頑張らなくても,何とかなるだ
ろう」という気持ちが生じ,課題を先延ばしにしてしまう傾向があると考えられる.また,未来が明るいという感情に
よって生まれる漠然とした余裕から,現在の状況を把握する能力が欠如しており,課題を先延ばしにしてしまう可能性
があると言い換えることもできる.
5
*
*
*
*
4
3.44
3.41
3.08
3.03
3
2
1
努力群
充実群
絶望群
現実逃避群
F(3,504)=33.81,p<.05
図 2 4 群の比較 -各群別先延ばし因子得点の平均値-
「仮説②」努力群(目標有り,未来展望暗い)は,他の群に比べ転嫁する傾向がある.
上記の 4 群を独立変数とし,転嫁因子得点を従属変数として一元配置の分散分析を行った結果, 絶望群と比べて,
努力群及び充実群が,有意に転嫁を行っていた.仮説では努力群が最も転嫁を行っているとしていたため,仮説は棄却
9
された.4 群の中で,努力軍と充実群に有意な傾向が見られたが,最も転嫁を行っている群は充実群であった.努力群
は未来展望を暗く捉えているが目標があるため,そのストレスから逃れるための行為として,問題の先延ばしは行わな
い.だが,課題に代替する様な,他者から承認される作業を行う転嫁傾向が表れる.努力群は課題から逃れる際,他者
から承認される作業に逃避する傾向があると言える.
5
*
*
4
3.33
3.38
努力群
充実群
3.24
3.11
3
2
1
絶望群
現実逃避群
F(3,500)=6.64,p<.05
図 3 4 群の比較 -各群別転嫁因子得点の平均値-
「仮説③」努力群(目標有り,未来展望暗い) 及び絶望群(目標無し,未来展望暗い)には,他の群に比べ引きこもり傾向
がある.
上記の 4 群を独立変数とし,引きこもり因子得点を従属変数として一元配置の分散分析を行った結果, 現実逃避群
と比べて,努力群は有意に引きこもりを行っていた.仮説では,努力群及び絶望群が最も引きこもりを行っているとし
ていたため,努力群のみ仮説通りの結果が表れ,絶望群においての仮説は棄却された.努力群においては,目標はある
が未来展望が暗いため,自身の能力を向上させるために,引きこもりという行動をとると考えられる.
5
*
4
3.23
3.11
3.14
充実群
絶望群
3
2.95
2
1
努力群
現実逃避群
F(3,501)=2.70,p<.05
図 4 4 群の比較 -各群別引きこもり因子得点の平均値-
10
「仮説④」現実逃避群(目標無し,将来展望明るい)には,他の群に比べアイデンティティのための恋愛をする傾向がある.
上記の 4 群を独立変数とし,アイデンティティのための恋愛因子得点を従属変数として一元配置の分散分析を行った
結果,有意な差は見られなかった.仮説では,現実逃避群が最もアイデンティティのための恋愛を行っているとしてい
たが有意差は現れなかったため,仮説は棄却された. アイデンティティのための恋愛と,未来展望と目標との間には,
関連性が無いと考えられる.
5
4
3
2.96
2.91
努力群
充実群
3.07
3.12
絶望群
現実逃避群
2
1
F(3,501)=1.83,p< n.s.
図 5 4 群の比較 -各群別アイデンティティのための恋愛因子得点の平均値-
■総合考察
筆者らは,現実逃避群が危険な希望を抱いていると考えていた.しかし,質問紙調査による結果から,充実群に先延
ばし傾向と転嫁傾向の得点が表れた.なぜ,充実群に逃避傾向が表れたのだろうか.筆者らは,充実群の逃避傾向の原
因を努力に対する“普通”の基準の差であると考えた.本論では,
“普通”の基準を自らの努力に対する満足感だと定
義する. 努力群は“普通”の基準が高いため現在の状況に簡卖に満足せず,現実的であるため未来への展望が悲観的で,
「逃げられない」と考えて課題を先延ばしにすることがないのではないだろうか.そして未来を見据えて努力をしている
努力群に引きこもり傾向が見られたのは,自身の向上に努めるために,勉強などの自己啓発に打ち込む必要性があるた
め,充実群と比べて有意な差が表れたと考えられる.努力群の“普通”の基準が高い一方,充実群は“普通”の基準が
低いという点を見てみる.本来,目標を持って未来展望が明るいと感じている事は望ましい姿であると言える.しかし
今回行った質問紙調査の結果,充実群は努力群と比べて先延ばし傾向・転嫁傾向が有意に高く,楽観傾向があった.し
たがって,充実群は課題に対しての取り組みが甘い上,尐しの努力で満足してしまうため,
“普通”の基準が低いので
はないかと考えられる.充実群が“普通”の基準を高めるための手段としては,努力群と関わることが有意義ではない
だろうかと考える.なぜならば,充実群の努力の基準を構成する要素として,自身が所属しているグループ(ゼミナー
ル,サークルなど)に大きく影響を受けると考えられるからである.つまり自身が所属しているグループよりも危機感
を持って活動している他のグループと関わる事で,
“普通”の基準が変化すると考えられる.さらに研究対象者の目標
や努力の具体性を測る尺度などを含めて調査することにより,この考察を立証することができると考え,今後の課題と
する.
■引用文献
Pufault,k.&Marftocchio,b.c. 1985 Hope:Its spheres and dimension. Nursing Clinics of North America,20,
379-391.
11
小浜駿 2008 先延ばし意識特性尺度の作成.日本社会心理学会第 49 回大会発表論文集,174-175.
大橋明 恒藤暁 柏木哲夫 2003 希望に関する概念の整理-心理学的観点から-,大阪大学大学院人間科学研究科紀
要,29,101-124.
大野久 1993 アイデンティティのための恋愛に関する質的データからの接近,日本教育心理学会総会発表論文集 ,
35,208.
斎藤環 1998 社会的引きこもり―終わらない思春期―,PHP 新書.
山田昌弘 2004 希望格差社会,筑摩書房.
中村陽吉 2000 対人場面における心理的個人差,―測定の対象についての分類を中心にして,ブレーン出版.
12
第2部 第1章 やる気を忘れて学校へ来る子ども達へ
-大人の私たちが出来ること-
阿部 圭佑
■はじめに
「学校の勉強なんて,社会に出てから使わないんだから意味ないよ」
あなたは今までの人生,主に学校生活において,この様な発言をする者が周りにいなかっただろうか.以前の筆者の
周りには,この様な考え方と発言をする者が多く存在していた.というよりも,筆者自身もその一人であったと言った
方が正しい.筆者は中学校に上がった頃から学校での勉学に意味を見出せず,部活や趣味などに打ち込んで時間を浪費
していた.さらに筆者が高校生に上がる頃,周りにいた多くの同級生は,さらに強くなった勉強無意味論とも言える様
な風潮に飲み込まれていた.当時高校生だった筆者も,恐らく周りにいた多くの同級生も,勉学に励まなくても誰かが
自分の持っている「良さ」に気付いてくれると漠然とした考えで生きていた.だが,漠然とした考えを持っていたのは筆
者やその周りだけではない.2002 年から実地された「ゆとり教育」に代表される様に,社会全体もまた過度の個性尊重
社会になりつつあったと言えるだろう.あなたも覚えがないだろうか.21 世紀初頭,他者と比べることよりも,とに
かく自分に眼を向ける「自分らしさ」を見つけようと謳う書籍の乱発や,「自分探し」を行って自分を見つめ直そうといっ
た風潮を.だが,そんな安穏としていた日本全体に,ある一つのテストが衝撃を与える事となった.
2004 年,OECD(経済開発協力機構)が行った全世界対象の学力テストである「PISA テスト 2003」の結果が,全世界
に公示されたのである.PISA とは,正式名称を「生徒の学習到達度調査(Programme for International Student
Assessment)」と言い,名称の頭文字をとって,通称 PISA テストと言われている.日本では高校 1 年時にあたる 15
歳を対象として,総合読解力・科学的リテラシー・数学的リテラシー・問題解決能力の試験を行い,学力として測って
いる.さらに,学力テストと同時に「児童・生徒の生活実態調査」をアンケート形式で測り,各国の子どもの特性を調査
している.この PISA テストの結果公示は,日本の教育界に大きな衝撃を与える事となった.その衝撃とは,日本の児
童・生徒の学力が低下している,という結果である.筆者は小学校教員を志す身として児童の学力低下を避けて通る事
はできない.故に,本論では日本の学力低下の原因を明らかにすること.現在の児童・生徒を取り巻く実態を知ること.
そして教員としての立場から,どの様に働きかけることで児童の学力低下を抑える事が出来るのか検討してゆく.
■PISA ショック
先述の「PISA テスト」の結果公示を,日本のマスメディアは大々的に報道した.報道の内容は,日本の児童・生徒の
学力の低下,その中でも特に,表 1 で示した様に,日本の児童・生徒の文章読解力の低さを示していた.この事態は「PISA
テストが巻き起こした混乱」から「PISA ショック」と呼ばれ,この騒動に関連し,日本教育界を批判した本や,成績上位
国を見習うべしといった書籍が数多く出版された.
表 1 PISA テストにおける日本の順位 (PISA2000.2003.2006)より
総合読解力
科学的リテラシー
数学的リテラシ―
問題解決能力
PISA2000
8位
2位
1位
未調査
PISA2003
14 位
2位
6位
4位
PISA2006
15 位
6位
10 位
未調査
■学習に意欲を出さない子ども
PISA2003 の結果を受け,文部科学省は授業時数の増加に主な焦点を置いた学習指導要領の改定を行った.改定され
13
た学習指導要領は,小学校では 2011 年度,中学校では 2012 年度から施行される(政府広報,2008).だが,授業時数
を増やす事で児童の学力は改善されるのであろうか.確かに学習時間の増加は目に見えて分かり易い改善案であるが,
さらに重大な問題があると考えられる.現に PISA テスト 2003・2006 において,北欧のフィンランドは日本のゆとり
教育体制時よりも尐ない授業時数で総合成績 1 位の座を収めている.ならば,一体何が日本の学力低下の原因なのであ
ろうか.教員の質の低下や日本の教育方針の改悪など,学力低下の理由は数々挙げられているが,本論では学習者の実
態に目を向けた.以下の図 1 は,全て中学生を対象としたアンケート結果である.「国際教育到達度評価学会」(略称:
IEA)が行った TIMSS にて行われた「国際数学・理科教育調査」のアンケート結果より,数学・理科に関する有用性の意
識に該当する頄目を抜き出している.また,PISA2003 が行った生活実態調査より国語(読解力)の分野を抜き出したも
のである.以上の 2 つのテストは,アンケート対象者が質問に対し,「強くそう思う・そう思う」と回答した割合を%で
表している.
さらに文部科学省が 2003 年に行ったアンケートから「数学(理科)の勉強への積極性」の 2 つを載せている.
数値はアンケートの結果から「高いレベル」であるとされた割合の物を抽出している.
100%
80%
60%
40%
20%
0%
84%
55%
32%
読
書
は
し
な
い
趣
味
と
し
て
の
53%
82%
57%
55%
47%
17%
を
取
ある
る必
要
が
科
で
良
い
成
績
く
た
め
に
,
理
望
む
仕
事
に
就
を学く
将
取でた
来
, ある良め
自 る必いに
要成,
分
が績数
が
日本
望
む
仕
事
に
就
将
来
,
自
分
が
へ
の
積
極
性
17%
数
学
の
勉
強
へ
の
積
極
性
理
科
の
勉
強
国際平均
図 1 生徒・児童の生活実態調査(PISA2003)&国際数学・理科教育調査(TIMSS2003 & 2007)より
図 1 によれば,日本の生徒の学習に対する有用性の意識は,PISA テストを受けた 41 カ国の平均よりも低い傾水準
であった.日本の児童・生徒が学習を軽視する傾向は,世界的に見て顕著に表れている.有用性が感じられないのであ
れば,勉強に対して意欲が湧かず,「勉強なんて意味はない」との姿勢に繋がってしまうだろう.だが,学力項位の低下
が問題視されながらも,世界的に見ればトップクラスの項位をキープしているのである.
600
500
400
300
200
100
0
498 543
548 548
総
合
読
解
力
リ
テ 科
ラ 学
シ 的
ー
534 550
日本
リ
テ 数
ラ 学
シ 的
ー
1位
547 550
問
能 題
力 解
決
図 2 平均得点の国際比較(PISA2003)
図 2 は,日本と各テストの 1 位の国の平均点数の比較である.日本と 1 位の国では総合読解力以外には大きな差が見
られない.つまり,図 2 が示した様に,日本の生徒はやる気は無いが,世界的に見て高い項位に位置している.だが,
14
勿論日本の児童生徒の意欲の無さに問題が無い訳ではない.日本ではゆとり教育を初めとした児童・生徒がのびのびと
学習できる様な教育改革を行ったが,表 1 で示した様に PISA2006 では項位がさらに下がり,数学的リテラシーと科
学的リテラシーは点数も低下している.以上の実態から,児童・生徒の意欲も向上していないと考える方が妥当である.
学習に対して意欲が低い児童に対して,どの様にして働きかければ良いのであろうか.様々な分野で児童のやる気が
研究されている中,最も適切な定義を行っているのは児童の発達を踏まえた上で教員からの適切な働きかけを研究して
いる『教育心理学』である.教育心理学において「やる気」は,「動機づけ」という概念で研究されている.
■従来の動機づけ研究(教育心理学的視点から)
従来の教育心理学においては,動機づけは学習者の意欲や自主性の違いによって,大まかに「外発的動機づけ」と,「内
発的動機づけ」の 2 つに分類されてきた.「外発的動機づけ」とは Deci(1980)によると,学習によって良い成績を得る事
が目的ではなく,その結果によって他者から褒められる・叱責を逃れる事が出来るなどの理由で学習をしている動機で
ある.そして「内発的動機づけ」とは,「自己目的的で自立的な動機づけ(上淵,2004)」の事である.
この 2 つの概念は,その名称から,全く別の概念であると考えられてきた.だが,その後 Deci&Ryan(2002)によっ
て提唱さえた自己決定理論によれば,2 つの動機づけは独立したものでは無く,段階を経て繋がっていると定義されて
おり,学習者の状況や時間によって変化するものと捉えられる様になった.さらに現在では桜井(1995)の以前からの
定義を踏まえ,報酬や称賛を用いても行動を起こせない「無気力」状態も,動機づけの段階に含まれると考えられている.
■動機づけ段階と動機づけ段階ごとの適切な働きかけ
では,その各段階に対して,教員の立場からはどの様な働きかけを行えば良いのだろうか.外発的動機づけに基づい
て行動している児童に対する有効な働きかけは,以下の知見が明らかにされている.Herlock(1927)は児童に算数のテ
ストをさせて,叱責,放任,統制,称賛の言葉をかけるクラスに分け,その後のテストの結果を比較した結果,称賛の
働きかけを行ったクラスが最も得点が高くなった.また,柴山(1956)は称賛の種類を変え,対象の学年を小学校 1・3・
5 年生に分けて研究を行っている.その結果,小学 1 年生は成績のグラフを示して褒めること,小学 3 年生はアドバイ
スと共に称賛すること,そして小学 5 年生は放任することが最も効果的であった.
内発的動機づけに基づいて行動している児童に対する有効な働きかけとしては,以下の知見が明らかにされている.
小林(1979)は児童に問いを出し,答えを選択肢として分けて伝え,選択肢が幾つの時に児童が最も知りたいという態
度を示すのかを研究した.その結果,児童が最も意欲を見せたのは選択肢を 4 つにして伝えた時であった.
無気力状態である児童には,芦屋(2005)や桜井(1995)によると,見守る事と報酬が最も有効であるとしている.見
守るとは無視をする事ではなく,常に児童が頼って来ても良い様に状況を把握しながらも適度な距離感を持つ事である.
見守りにより学習者がが立ち直った後で,学習者への報酬・称賛を行う事で,外発的動機づけに移行できる.
桜井(1995)を初めとした以上の先行研究を纏めると,無気力と内発的動機づけ段階では見守り,外発的動機づけ段
階では称賛と,教員ができる事は殆ど無くなってしまう.だが,桜井(1995)が出版した書籍の中に,教員からの同一
の働きかけにより,動機づけ段階が別々に変化した 2 人の子どもの事例が記述されていた.この事例は,これまで対象
の動機づけ段階に沿った働きかけの方法に焦点を置いた研究から,新たな視点を得る事ができるため,以下に考察する.
■他者を踏まえての動機づけ研究
桜井(1995)は,とある幼稚園に通う絵を描くことが好きな A 君と B 君(共に 6 歳)のエピソードに着目した.この 2
人は,自由時間は進んで絵を描いているほど,絵を描く事が好きである.その 2 人に対し,C 先生は「私に絵を描いて
くれたら,褒美をあげる」と提案した.2 人は懸命に絵を描いて C 先生に絵を送り,C 先生は 2 人に同じ報酬を渡した.
だが,以降数ヶ月間,B 君は自発的に絵を描くことを辞めてしまった.これは,内発的動機づけ段階の児童に報酬を与
15
える事でやる気を失う「アンダーマイニング効果」(Deci,1971)と呼ばれる現象である.だが,従来の研究によれば A
君も絵を描くことを辞めてしまう筈なのだが,A君は絵を自発的に描き続けた.この 2 人の違いとして.桜井(1995)
は 2 人と C 先生との人間関係の差が原因であるとした.A 君は C 先生と良好な人間関係を築いているが,B 君は C 先
生に対して良好な人間関係を築いていなかった.つまり,通常ならば B 君と同じ様にやる気を失う危険性を,A 君は「大
好きな C 先生に頼まれたのなら」という感情で乗り越えたと言えるのではないだろうか.
■本研究での動機づけの定義
従来の動機づけの要素は,児童の内面によって形成されているとの定義が主流であった(桜井,1995).だが,他者
との関係性を加えて示した定義がある.それは,Shaher(2003)が定義した「基本的欲求の階層性」である.「基本的欲求
の階層性」では,児童自身が自分の能力に対しての自覚と,能力に対する自信の有無を現わす「自己有効感」.児童を取
り巻く環境の中で,重要な他者との繋がりの有無を現わす「関係性」.自身が学習に向かう時,児童自身が学習に向かう
姿勢の有無を現わす「自律性」の 3 点によって動機づけが構成されている.その 3 点の中でも「関係性」と「自己有効感」
は同列に存在しており.その 2 つが肯定的に働く事で「自律性」が生まれ,「適応的行動」を行うとされる.適応的行動と
は,内発的動機づけ時に行う行動とほぼ同義であると考えられる(上淵,2004).そこで本論では,内発的動機づけを
構成している要素は「自己有効感」,「関係性」,「自律性」の 3 点であると定義した.
有能さ
自律性
自己効力感
適応的行動
自律的動機づけ
自己批判
不適応的行動
関係性
統制的動機づけ
関係性
実践は肯定的効果
必要性
波線は否定的効果
図 3 基本的欲求の階層性 (Shaher,2003 より改訂)
図 3 に示した様に,自己有効感と関係性を満たす事で,児童の基本的欲求は自然に自律的動機づけへと移行し,適応
的行動へ繋がると考えられる.よって,「自己有効感」と「関係性」に関連する先行研究を検証する.
■「自己有効感」と「関係性」についての先行研究.
「自己有効感」に関する研究として,有本(2007)は児童(5・6 年生)に対しての 4 つの称賛パターン(結果への称賛.努
力過程への称賛.信頼を伝える称賛.目標提示する称賛)を定めて,4 つの称賛場面(授業中に発表し,良い意見が言え
たとき.授業中に綺麗にノートを取っているのを先生が見たとき.積極的に手を挙げているとき.テストで良い点が取
れたとき)に児童に働きかけを行った.その上で「内発的-外発的動機づけ尺度(桜井ら,1985)」を用いて調査を行った結
果,児童には全ての場面において「結果に対する称賛」が最も有効な称賛方法であった.また,「関係性」の分野において
は林(2007)が,児童(小学 5 年生)と生徒(中学 2 年生)は教員のどの部分に魅力を感じるのか研究を行った.林(2007)
は,教師影響力(児童が教師のどこに魅力を感じるのか)を測る 7 つの尺度(受容・親近,顔の良さ,正当性,明朗性の
魅力,罰,熟練性,同一化)を用いて調査した結果,児童・生徒は教員の「正当性」や「明朗性」を評価していた.つまり,
小学校高学年の児童は過程等ではなく,結果について褒める事によって最も動機づけが高まる.さらに,児童や生徒は,
正しいと思われる言動を常に行い,明るく朗らかな教員に対して好意を抱く事が明らかとなった.
16
■おわりに
児童のやる気を高める働きかけについて調べるうちに,筆者にある疑問が浮かんだ,上記の桜井(1995)の先行研究
を含め,児童の動機づけを調査する研究は称賛のみに絞った物が非常に多い.だが,賞賛だけが有効な働きかけと言え
るのだろうか. Herlock(1927)の研究によれば,児童には称賛の働きかけが最も良いとされているが,柴山(1956)の
研究では,有効性は状況や対象の発達段階で大きく異なり,放任を好む児童も存在する.さらに,子どもは叱って育て
るべきといった声も,社会つ年として根強く残っている.つまり,状況次第では叱責や放任が最も良い働きかけである
児童が存在しているのではないだろうか. さらにもう一つの疑問として,働きかけの方法のみに絞った研究では,全
く同じ働きかけを行った桜井(1995)の絵を描く事が好きな A 君と B 君の事例が説明できない.
今までの研究では,児童に対して,どの様な状況で,どの様な方法の称賛をするのか.また,児童はどの様な教員を
好むかといった,それぞれの要素が独立したままの研究しか存在しなかった.働きかけを行う児童が同じ発達段階でも,
さらに言えば同じ教室にいたとしても,有効な働きかけの方法が 1 つであるとは考え難い.そのため筆者は今後の研究
で,これまで行われなかった児童の状態・特性を,「自己有効感」や「自律性」,さらに教員との良好な人間関係を示す「関
係性」を組み合わせ,児童の特性によって分類し,量的研究を行いたい.この研究により,児童への有効な働きかけと
して,どの様な児童に称賛を用いるのか.叱責はどの様な状態の児童になら有効であるのか.放任が有効である児童は
どの様な特性を持っているか等を,教師との関係性を考慮した上で検討してゆく.
■引用文献
有本雄介 2007 教師の賞賛が児童の内発的動機づけに与える影響,兵庫教育大学修士論文.
Deci,E.L. 1971 Effects of externally mediated rewards on intrinsic motivation,Journal of Personality and Social
Psychology,18,105-115.
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17
第2章 自己を物語る記憶
阿部 廣二
■はじめに
突然だが,筆者は中学生時代の自分が嫌いである.なぜなら中学生時代の筆者は,周りに合わせるのを良しとして,
自分の意見をいつも押し殺していた,そんな中学生時代だったからである.そんな筆者も大学に入学し,自分の意見を
主張することの重要性に気付き,何とかここまで成長することが出来たと,自分ではそう感じていた.
しかし,筆者は昨年行われた成人式で衝撃を受けた.筆者は中学以来の友人に「お前は今,自分の意見ばかり言いす
ぎてうざい.昔は周りに合わせられて,空気も読めるやつだったのに」と,ボロボロに非難されてしまったのだ.中学
以来の友人は,自分としては良い変化だと感じていた筆者の成長を,真っ向から否定したのである.中学以来の友人か
ら,成長したものと信じていた現在の自分を,ひどい口調で非難されたというショックによって筆者が打ちのめされて
いるとき,今度は成人式にいらっしゃっていた中学時代の恩師に再会した.恩師は筆者の姿を見ると,次のように語り
かけてきた.「阿部君はいつまでたっても変わらんな」と.
これはおかしな事になってきた.図 1 に示したように,中学以来の友人は,成人式での筆者を目の当たりにした時,
筆者の変化を語った.しかし一方で中学時代の恩師は,筆者の変化を語ることはなかった.
図 1 現在の筆者の印象の違い
図 1 で示した事例では「中学生時代の筆者」と比較された「成人式での筆者」が,中学以来の友人,中学時代の恩師から
それぞれ「過去から変わった」,「過去と変わらない」というように異なる形で語られており,いずれとも筆者の見解とは
異なる.過去の出来事(対象)が,語り手によって全く異なって語られている.これは一体どういうことなのであろうか.
今回の筆者の事例にみられるような過去の出来事(対象)をめぐる問題は,心理学において記憶の問題として研究され
てきた.次節にて,これまで様々な学問分野でなされた記憶研究について概観したい.
■実験室記憶研究
心理学における記憶研究は,主に覚えるべき事を提示して,決められた時間後にどれだけ覚えられているかをテスト
するなどの「実験法」と呼ばれる方法論を用いた研究がなされてきた.このような記憶研究を実験室的記憶研究と呼ぶ.
18
実験室的記憶研究は,1885 年 Ebbinghau
s(1885)によって始められた.Ebbinghaus(1
885)の行った研究の代表的なものとして,人
はどれだけ記憶を覚えていられるのかを数量
的にあらわす研究があげられる.Ebbinghau
s(1885)による無意味綴りを用いた実験では,
記憶を量的なものとして捉え,記憶量とその
記憶の保持時間を測定したものを数量化し,
図2
忘却曲線(図 2)という形で可視化することに
Ebbinghaus の忘却曲線
成功したものと言える.
その後,Ebbinghaus(1885)の流れを引き継いだ諸研究によって,人が短期間でどれだけ物事を記憶できるか(Miller,
1952),また人がどのように物事を長期間記憶するのか(Atkinson&Shiffrin,1968)といった,記憶にまつわる様々な問
題が明らかにされた.
■「記録としての記憶」の不毛性
前述のように,実験室的記憶研究においては,被験者が,何分間卖語を覚えて,記憶を保持して,思い出すのかとい
った条件をコントロールされた実験室で行われる.しかし,われわれの日常で,こうした条件に従って記憶を思い出す
ことがあるだろうか.教育の場面において実施されるテストの解答の暗記や,さまざまな資格試験の対策などは実験室
的記憶に近いかもしれない.しかし実際そのような状況におかれない限り,われわれが日常生活で実験室的な記憶を意
識する機会は尐ないと言えよう.このような実験室で研究される記憶を,本論では「記録としての記憶」と呼ぶ.「記録
としての記憶」はコンピューターの HDD 等の記憶装置を想像してもらえれば分かりやすい.コンピューターの記憶装
置は,インプットした情報を正確にアウトプットするが,人間の記憶をこうした機能として概念化したものが記憶研究
における「記録としての記憶」であるといえよう.
しかし,森(2002)はこうした「記録としての記憶」は,記憶という機能のごく一部でしかないと指摘している. 確か
に日常で使われる記憶は「記録としての記憶」がすべてではない.「過去の筆者」という卖一のインプットなのにもかかわ
らず,筆者,友人,恩師の 3 通りのアウトプットが存在する筆者の事例は,卖一のインプットに卖一のアウトプットが
存在するとされる「記録としての記憶」では説明することが出来ない.Neisser(1982)は,こうした「記録としての記憶」
研究の不毛性を,人々の日常に則していない,つまり生態学的妥当性に欠けるものであると批判したのだ.
この Neisser(1982)の批判以降,心理学では記憶にまつわる様々な現象を「記録としての記憶」といった側面だけでなく,
生態学的妥当性に基づいた多角的な視点から研究するようになった.こうした日常的な記憶研究の中でも近年,人々の
過去の語りである「想起」の研究が盛んである(大田,2004).
では記憶研究において取り扱われる「想起」とはどのような記憶なのだろうか.森(1996)は特定のコミュニティにお
いて想起される記憶が,内容の正確さに関係なく,その場の人間関係を構築すると指摘している.このように「想起」
と呼ばれる記憶の研究では,記憶というものを「どれだけ憶えていられるか」といったような量の問題としてとらえるの
ではなく,他者とのコミュニケーションの中で「記憶がいかに利用されるか」といったような質の問題として捉えている.
つまり想起研究では想起の社会的な機能を研究しているのである.さらに,想起研究は裁判や人間関係,アイデンティ
ティなどの様々な視点から研究されている(原,1996;松島,2002;森,1996).
本論では,想起の社会的な機能の側面の中でも,想起によってアイデンティティを社会的に構築するという側面に着
目した研究を紹介したい.
19
■想起とアイデンティティ
「自分が何者であるか」というアイデンティティの概念を,心理学的に初めて使ったのは,Erikson(1959)である.
Erikson(1959)のアイデンティティの概念は,青年期にアイデンティティ拡散,モラトリアムなどを経験し,徐々にア
イデンティティを確立していくものだとされるが,近年,社会的構築主義という思想的立場の中で,エリクソンとは異
なるアイデンティティ概念の枞組みが形成されつつある.本論でいう社会的構築主義とは,社会的現実が言語によって
構築されるという思想的立場の事である.例えば本論で取り扱っている過去は,過ぎ去ってしまったものであり,現在
には存在しない.しかし,社会的構築主義という思想的立場に立てば,過去は言葉にすることにより,記憶として現在
という時間の中で構築されうるのだ.
では社会的構築主義において,アイデンティティという概念は一体どのように捉えられているのだろうか.
Burr(1997)は「他者とのコミュニケーションにおいて使う文化的に利用可能な言説から,われわれのアイデンティティ
は構築される」と指摘している.つまり,社会的構築主義におけるアイデンティティという概念は,エリクソンが主張
しているような,いくつかの段階を経て唯一の正解であるアイデンティティの確立へと移行するようなものではなく,
他者との言語を介したコミュニケーションを通して社会的に構築されるものとして捉えられるのだ.
こうした社会的構築主義の視点を,より具体的なものにしたものとして浅野(2001)がある.浅野(2001)は「自分自身
が何者であるか説明しようとするなら,人は自分自身のエピソードのうち,あるものだけを選び出し(他のものを捨て),
それをある筊に沿って紡ぎ合わせていくほかあるまい」とした.つまり浅野(2001)は,人が自分の過去の体験や経験に
基づいたエピソードを取捨選択して語ることにより,自分が何者であるかというアイデンティティを構築していくと指
摘したのだ.
以上の研究から,社会的構築主義のアイデンティティは確立するものとして捉えるのではなく,自らの語りを通して
構築されるものであると言えよう.
■アイデンティティを構築するための想起
それでは,実際に想起によってアイデンティティが構築される事例である「断酒会の研究(松島,2002)」を紹介しよう.
断酒会と呼ばれる会合がある.断酒会とは,元アルコール依存症者である「断酒者」たちが集まって,お酒にまつわる過
去の辛かった出来事を語る会合の事である.松島(2002)は,その断酒会における想起の観察をする中で,想起者たち
が断酒会でしか見られないような特徴的な想起をすることがあると指摘した.以下に断酒者の想起の事例と松島
(2002)による考察を示す.
第一に特徴的なのは,断酒会の語り全体を通して,断酒者が「~だったようだ」という曖昧な表現をあまり使用せず,
「~だった」といったように,過去を断定的に語る想起が見られることである.想起者が過去を断定的に想起する事にな
んら不思議な事は無いように感じられるが,それが「断酒者の想起」であるということを考えるとその奇妙さが明らかと
なる.なぜなら,断酒者は「泤酔時の記憶」を想起しているのであり,通常は「あまり覚えていないもの」として想起され
るはずだからである.それにも関わらず,なぜ断酒者は「いかにもありありと過去の泤酔状態を断定的に」という形式を
選択して想起するのだろうか.松島(2002)は断酒者の過去を断定的に語る想起が,「アルコール依存症だった過去は,
もうすでに過ぎ去ったものである」ということを構築していると指摘している.この想起により,持続していた「アルコ
ール依存症」というアイデンティティを過ぎ去ったものにしているのである.
第二に特徴的なのは断酒者が,過去と現在が接近する様に想起することである.例えば「妻を殴ってしまいます」とい
う語りだ.通常の想起ならば「妻を殴る」という行為は「妻を殴ってしまいました」といったように過去形で想起すること
が一般的だ.しかし,断酒会においては「殴ってしまいます」と現在形で語られるのだ.この表現方法は言語学において
「歴史的現在形」と呼ばれる.歴史的現在形とは,過去の出来事の变述に生々しい現場感を与える言語形式である(池上,
1986).さらに「通常,こういう酒が一般的な家庭の酒だと思って飲んでました.ところが,体の調子がどうもすぐれ
20
ない」という想起も特徴的である.通常の想起であれば,「すぐれませんでした」のような「~でした」「~でしょ」などの
表現が付随するはずである.しかし,断酒者の想起ではそれらの表現が見られない.これらの事例の想起は,過去を現
在的に想起するものであり,「過去と現在が接近する語り」であると言える.なぜ断酒者は過去と現在が接近する様に想
起するのだろうか.松島(2002)は断酒者の過去と現在が接近する想起が,「現在は断酒しているが,かつてはアルコー
ル依存症であった」というアイデンティティを構築すると指摘している.この想起により,「アルコール依存症の自分」
と「断酒中の自分」は,「自分」という点では持続していることを構築しているのである.
上述した 2 つの特徴的な想起の分析から見えてくるのは,断酒者たちが,様々な形で過去を想起することによって,
自らのアイデンティティを構築していくプロセスだ.断酒者は「以前はアルコール依存であった,しかしその過去はも
う過ぎ去ったものであり,現在は断酒中である」というアイデンティティを,2 つの特徴的な想起をすることにより社
会的に構築しているのである.
■まとめと今後の課題
先行研究を概観することによって,生態学的妥当性に着目した記憶研究からは,「どれだけ憶えられるか」といった量
的な問題だけではなく,「どのように利用されているのか」といった質的な問題に捉えなおすべきことが明らかとなり,
また,そうした記憶は想起と呼ばれ,その想起には様々な社会的機能を有していることが示唆された.本論においては,
松島(2002)の断酒会の事例を通し,アイデンティティ構築という記憶の社会的な機能を概観した.
今後は,想起の社会的な機能について研究を行って行きたいと考えている.こうした想起の社会的な機能の中でも筆
者が関心を持っているのは「懐かしさ」と呼ばれる感情である.懐かしさと呼ばれる感情が,過去を志向しながらいかに
構築されていくのか,そのプロセスに関心を抱いている.
先日,筆者は偶然にもまた中学時代の恩師に再会したのだが,またしても「阿部は昔から変わらんな」と言われてしま
った.しかし,今回は「私は中学生時代よりも成長したし,変わった」と反論することが出来た.しかし,恩師は笑いな
がら「君が成長したことは分かっているし,変わったことも話していれば分かる.でもね,変わらない君らしさがある
と思うのだよ.それが,私には嬉しいのだよ」と仰った.
上述した事例において,恩師が感じている「嬉しい」は,「懐かしい」と呼ばれる感情ではないだろうか.恩師は「君が
変わったことは分かっている」と筆者の変化を認識している.しかし「変わらない君らしさがある」と筆者の過去から現
在へ持続している部分も認識しており,そうした持続している部分に対し,「嬉しい」という感情を抱いている.こうし
た事例をもとに,筆者は「変わったもの」の中に「変わらないもの」があるからこそ,懐かしいと感じるのではないかと考
えた.恩師が筆者の事を「変わらない」と想起することは,「変わったこと」を否定しているのではなく,「懐かしい」とい
う感情を社会的に構築しているのではないだろうかと考えたのだ.
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22
第3章 自由を求め続ける若者言葉
-優しさという見えないルール-
阿部 孝文
■はじめに
事例:女子高校生の買い物での会話
A:ねぇねぇ,この朋カワイクなーい?
B:確かにぃー,でもあたし的にはー,こっちの方が好きかもしんなぁーい.
A:マジでー?
B:だってマジやばくない?この絵的なやつがさぁー.
A:やだー,キモイんですけどー.
B:じゃあ,これとか良くなーい?
上記の会話を聞いて,あなたはどのような印象を持つだろうか.このような若者の言葉づかいがテレビや書籍などの
メディアで取り上げられることが多くなったと筆者は感じる.このような若者言葉は,「食べれる・来れる」といったら
抜き言葉や「KY (空気読めない)」といった略語など,既存の言葉とは異なった表現を多く用い,時には流行語となって,
世間からの注目を浴びることもある.しかし,上述したように,メディアで取り上げられる際は「誤ったもの」という認
識があり,若者の言葉づかいに対するイメージは,あまり好意的に取り上げられていないように感じる.
確かに,最近の若者のくだけた言葉づかいは,聞いていてあまり気持ちの良いものではない.若者言葉と聞いて「意
味の分からない言葉」として嫌悪感を抱く人も多いだろう.しかし,若者言葉には,そうしたネガティブな側面だけで
はなく,言葉づかいの変化には何かしらの法則や理由といったポジティブな側面も存在するはずだと筆者は考えた.
■若者言葉とは
本論文が対象とする若者言葉は,「若者語」や「キャンパス言葉」といったように様々な呼び方があるが,本論文では「若
者言葉」という名称に統一するものとする.
若者言葉は,米川(1998)によると「中学生から 30 歳前後の男女が仲間内で使う,規範からの自由と遊びを特徴とする
特有の語や言い回し」と定義されている.また,若者言葉は「話し言葉」,つまり会話における表現という特徴がある.
前述の米川(1998)の定義では若者の定義が 30 歳前後までと広すぎてしまうため,本論文で扱う「若者」という概念は「高
校生から大学生まで」と定義するものとする.
こうした若者言葉は,どのような機能を持っているのだろうか.米川(1998)によると,若者言葉は以下の 7 つの機能
があるとされている.以下に北原(2009)の事例を交えて 7 つの機能を示す.
①娯楽機能
娯楽機能とは,若者言葉を使うことによってユーモアを生じさせ,会話を楽しむ機能であり,造語における娯楽と使
用における娯楽の二種類がある(米川,1998).造語における娯楽とは,google で検索することを「ググる」と言ったり,
何度も電話をかけ続けることを「鬼電」と言ったりする.会話における娯楽とは,卖に「部屋が散らかっている」と言うよ
り,「部屋が汚くてカオスなんだけど」と言った方が冗談めいていて,会話に面白みが出る(北原,2009).
②会話促進機能
会話促進機能とは,娯楽機能をさらに進め,若者言葉を使って会話を盛り上げたり,略語を使って会話のテンポをよ
くしたりする機能である.発音が長い言葉を省略することによって発話時間を短縮し,会話がスムーズに進むようにな
る(米川,1998).例として,空気が読めないを「KY(ケーワイ)」,遠距離恋愛を「遠恋(えんれん)」と言い換えた方が一回
の発音時間が短くなり,これが積み重なることによって会話全体のスピードが速くなり,会話が促進される(北原,2009).
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③連帯機能
連帯機能とは,仲間内でしか通じない言葉を使うことによって相手に親近感を持たせ,「ウチの人」という仲間意識を
強める機能である.若者言葉を気軽に使える仲間がおり,親しい間柄であることが確認され,さらに仲間意識が強化さ
れていく.また,連帯機能は疎外機能を持ち合わせており,言葉の意味を知らない部外者を排除する機能を持ち合わせ
ている.連帯機能の例では,ご馳走になるという「ゴチ」を使うことによって,気軽におごって欲しいと言える親しい仲
間がおり,変わらない間柄であるということを確認できる.疎外機能の例では,ある言葉の意味を知らない人を含んだ
数人の会話で,知っている人に使った際に,意味を知らない人はリアクションができない.このような場合,リアクシ
ョンが出来なかった人は,仲間外れにされたという疎外感を感じることだろう(米川,1998).
④イメージ伝達機能
イメージ伝達機能とは,視覚的・聴覚的表現を用いることで瞬間的に物事のイメージを伝える機能である.言葉で詳
しく説明する手間がかからなくなり,結果的に会話の時間短縮にもつながる(米川,1998).例えば,太っている人を「メ
タボ(メタボリックシンドローム)」と表現すれば,とてもふくよかな体型であるとイメージがしやすくなる(北原,2009).
⑤隠蔽機能
隠蔽機能とは,人に聞かれては都合が悪いことを,別の言葉に言い換えて隠す機能である.いわゆる隠語である(米
川,1998).例えば,常識外れな言動をする人をからかう際に,「残念な人」と言い換えることで,本人や周囲の人に聞
かれた場合でも意味が分からなければからかっていることが明示的になることはない(北原,2009).
⑥緩衝機能
緩衝機能とは,相手の感情を害したり傷つけたりしないように,語感を和らげる機能である.意味のきつい言葉を言
う際に,刺々しさをなくして冗談のような響きにしてしまう.例えばいい加減をアバウト,気持ち悪いをキモイと表現
し,悪口を冗談のような響きにして刺々しさを無くしてしまう(米川,1998).
⑦浄化機能
浄化機能とは,実際に言葉を口にすることで,不快な感情を発散する機能である.面と向かっては言えないことを,
陰口を叩くことによって感情を発散させられる(米川,1998).イライラしている時に「あームカツク!!」と叫ぶことで,
ストレスを発散することができる(北原,2009).
以上の 7 つの機能の中でも特に,若者は①娯楽機能と②会話促進機能の 2 つを重視している(米川,1998).
■余裕が生んだ言葉遊び
現代社会における若者たちが,米川(1998)が示した若者言葉の機能の中でも特に娯楽と会話促進という機能を重視し
ているという点は,言い換えれば,若者たちが会話に対して楽しさを求める傾向があると言える.しかし一方で,そう
した若者言葉の楽しさを重視する際に,若者たちは従来の言語に限界を感じているようだ(米川,1998).そのため既存
の言葉同士を組み合わせたり,全く新しい言葉を生みだしたりといった行為を若者は行っているのである(米川,1998).
つまり,規範に縛られることなく,自分たちが使いやすいように言葉を組み替えているのだ.米川(1998)は,若者が規
範に縛られることなく,自分たちが使いやすいように言葉を作り変えていくことを「規範からの自由」と呼んでいる.若
者は規範からの自由により,言葉をカスタマイズするという方法を見つけ,習得したと言える.こうした,言葉のカス
タマイズが可能になる背景には,現代の日本が平和で緩んだ社会であることが挙げられる.戦争中のような余裕のない
緊張した社会では言葉に遊びは生まれない.若者言葉とは平和な社会で遊んでいる人々の言葉なのである(米川,1998).
言葉が変化するもう一つの理由として「言葉のゆれ」という概念を紹介しよう.言葉のゆれとは,文化庁(1994)が命名
したもので「本来の語形に対して拮抗する形が別に生じ,両者が並存する状態になった状態」のことを指す.言葉のゆれ
には以下の 2 つのケースが考えられる.1 つは,語形のゆれと呼ばれるケースである.例えば,「食べれる」などのら抜
き言葉が挙げられる.もう 1 つは,ある語に新しい意味・用法が生じ,本来の意味・用法と並存するケースである.例
24
えば,否定を表す「全然~ない」を肯定を表す「全然大丈夫」といったように使用する場合である.従来の可能表現である
食べられるのら抜き言葉である「食べれる」が使用されていることは,食べるという可能表現のゆれとして捉えることが
できる.ところが,食べられるを本来の正しい表現としてら抜き言葉を否定する立場からでは,並存している状態は乱
れとして捉えられる.
3.70%
4.70%
「言葉の乱れ」だと思う
23.70%
そういう言い方をしても
構わないと思う
乱れではなく
「言葉の変化」だと思う
41.00%
26.90%
正しい言い方だと思う
分からない
図 1 「来れる」は言葉の乱れだと思うか
(平成 20 年度「国語に関する世論調査」の結果について(2009)を元に筆者が作成)
図 1 に示したように,ら抜き言葉を乱れだと思うかについての問いに対して「乱れだと思う」と答えたのは約 25%と
いう結果になった.
対して「ら抜き言葉を使っても構わない」・「乱れではなく変化だと思う」と答えたのは約 68%であり,
若者に限らず,ら抜き言葉に対する寛容な意見が多かった.図 1 に示した結果から,若者に限らず「言葉は変化するも
のである」と捉えられていると言えるのではないだろうか.
■優しい若者たち
若者が実践している言葉遊びの背後にある,現代の若者の特徴にはどのようなものがあるのだろうか.前述したよう
に,現代の若者は楽しさや仲間意識を大切にし,自由を求めているという特徴がある.その他にも現代の若者の特徴,
特に人間関係の大きな特徴として,土井(2008)は「優しい関係」を挙げている.優しい関係とは主に,現代の高校生にお
ける人間関係の特徴で,「意見の衝突による対立の回避を最優先する人間関係」のことを指す.こうした人間関係の背後
には他人と積極的に関わることで,相手を傷つけてしまうかもしれないという「相手への優しさ」と,自分が傷つけられ
てしまうかもしれないという「自分への優しさ」を持ち合わせているからだとされている(大平,1995).
0.90%
1.10%
26.03%
どちらかと言えば
(1)の方を重視している
どちらかと言えば
(2)の方を重視している
38.34%
相手や付き合いの種類に
よって異なる
(1)と(2)の
どちらも重視していない
33.63%
分からない
図 2 言葉で表して伝えるか,察し合って心を通わせるか
(平成 20 年度「国語に関する世論調査」の結果について(2009)を元に筆者が作成)
25
図 2 は人づきあいの際に,「(1)互いの考えていることをできるだけ言葉に表して伝え合うこと」,「(2)考えていること
を全部は言わなくても,互いに察し合って心を通わせること」のどちらを重視するかの問いに対する回答である.(2)の
互いに察し合うと答えた割合は約 34%と多くはないが,グラフの回答の「相手や付き合いの種類によって使い分けてい
る」が約 26%であるため,全体として言葉づかいに気を使っていると言えるだろう.
62.50%
16~19歳
37.50%
50.80%
20~29歳
49.20%
30~39歳
60.90%
39.10%
40~49歳
61.10%
38.90%
57.20%
50~59歳
42.80%
53.50%
60歳以上
0%
20%
46.50%
40%
そう思う
60%
80%
100%
そう思わない
図 3 言葉は相手への気配りを表すものであるべきだ
(平成 19 年度「国語に関する世論調査」の結果について(2008)を元に筆者が作成,複数回答可)
図 3 は将来の言葉づかいのあり方に対し「相手への気配りを表すものであるべきだ」と答えた割合の年齢別の割合で
ある.そう思うと答えた割合が 16~19 歳において 62.5%と最も高く,言葉づかいに対する意識が他の年齢に比べて高
いということが伺える.16~19 歳というと高校生の年齢とほぼ重なることから,その年齢が優しい関係を特徴とする
ことが言えるだろう.また,はじめににおいて定義した若者という概念も「高校生から大学生まで」であるため,人間関
係の形成や維持に,言葉が大きく関わっていると言えるのではないのだろうか.前述した内容を踏まえると,優しい関
係と言葉には何か密接な関係性があるのではないかと考えられる.
前述した優しい関係により,若者は自分の不用意な発言によって相手を傷つけてしまうことと,相手の発言やリアク
ションによって自分が傷つけられてしまうことの両方を恐れている.若者は相手を傷つけないために言葉をオブラート
で包み,自分の発言に対する責任から逃れようとしているのだ.このような若者の優しさは先に述べた若者言葉の 7 つ
の機能の内,緩衝機能に関わっていると考えられる.
また,現代社会の若者の言葉づかいの特徴として「ぼかし表現」というものがある.ぼかし表現とは文化庁が命名した
もので,「自分が間違った時に傷つかないように,断定を避けてぼかそうとする心理」が働いていると説明されている(亀
井,2003).相手への気づかいとして,刺々しい言葉をオブラートに包んだり,自分の意見を述べる際にクッションを
入れたりするのである.前者の例として,いい加減な性格をアバウト,気持ち悪い様子をキモイと言い換えて表現する
ものが挙げられる(米川,1998).後者の例として,相手と異なる意見を述べる際に「普通にカワイイよ」,「私的にはこ
っちの方がいいかも」といったように,自分の基準で考えているので,相手を否定するつもりではないという気持ちを
表現するものが挙げられることに加えて,他人への気づかいだけではなく自分への気づかいとして,「うどんとかラー
メンとか麺的なものが食べたい,みたいな」というように,わざと断定をせずに他の選択肢があるかのような表現を用
いることが多い.つまり,若者は言葉によって相手への優しさと自分への優しさを表現しようとしているのだ.このよ
うな若者の優しさの理由として,土井(2008)は現代社会の若者は人間関係の維持のために,会話において常に気づかい
を忘れることなく,まさに「空気を読みながら」コミュニケーションをとっていると指摘している.
26
■おわりに
米川(1998)や文化庁(1995)などの国語学的視点から,若者言葉とはルールや規範に縛られない自由な発想から生まれ
た言語表現ということが判明した.その一方で土井(2008)や文化庁(2008,2009)などの心理学的な視点から見てみると,
若者の人間関係には優しさという絶対的なルールが存在しており,人間関係における言葉に対して極めて重要な役割を
与えているということを発見した.つまり楽しく自由に会話をする為に生まれてきた若者言葉だったが,いつの間にか
「優しさというルール」に自由を奪われてしまっていたのである.この研究を進めていくうえで規範からの自由と言葉遊
びというキーワードを発見した時は,若者は自由を求めているという印象を受けた.だが,研究を進めていくうえで,
優しさというキーワードを発見すると,若者の人間関係の中には絶対的なルールが存在しているということが判明した.
図 4 現在の若者の言葉の変化
図 4 に示したように言葉というツールを用いて自由を求めて規範を破ってきた若者だったが,いつの間にか優しさと
いう規範に支配され,自由を奪われてしまっていることが明らかとなった.以上のことから若者は『言葉の規範を破る
ことが出来たが,新たに優しさという規範が生まれ,再び自由を奪われてしまった』と考える.
今後の課題として,なぜ現代の若者は言葉づかいを気にしてまで,現在の人間関係を維持しようとするのかを明らか
にすることが挙げられる.土井(2008)では,若者は親密な人間関係を維持するために常にレーダーを働かせることにエ
ネルギーを使ってしまうため,新たな人間関係を築くエネルギーを失ってしまっていると指摘している.なぜ言葉を作
り換えてまで現在の人間関係を絶対視してしまうのか.言葉というツールに込められた意味について,研究をしていき
たい.
■引用文献
文化庁 1994 新しい時代に応じた国語施策について(審議経過報告),第 20 期国語審議会.
文化庁 2008 平成 19 年度「国語に関する世論調査」の結果について,国語に関する世論調査.
文化庁 2009 平成 20 年度「国語に関する世論調査」の結果について,国語に関する世論調査.
土井隆義 2008 友だち地獄‐空気を読む時代のサバイバル‐,ちくま新書.
亀井肇 2003 女子中高生の使う若者言葉辞典,日本放送出版協会.
北原保雄 2009 あふれる新語,大修館書店.
大平健 1995 やさしさの精神病理,岩波新書.
米川明彦 1998 若者語を科学する,明治書院.
27
第4章 共依存における特性論への批判とシステム論への着目
内山 枝里
■はじめに
筆者の友人 K は,筆者に頻繁に恋愛相談をしてきた. K から語られる内容は,恋人にひどい仕打ちをされ続けてい
るのに,なぜか相手に対する好意が消えず,どうしても離れることができないといったもので,筆者は K が語るネガ
ティブなエピソードにポジティブな「好き」という感情が織り交ぜられた,パラドキシカルな世界に圧倒された.恋愛に
関してはあまり悩んだことのなかった筆者にとって,そのような K の語りは安易に信じがたい世界であった.一般的
に恋愛と言えば,恐らく「楽しいもの」「ときめくもの」といった,ポジティブなイメージが連想されるであろう.しかし,
K の恋愛はそのようなイメージから著しくかけ離れた,およそ「普通」の恋愛とは言いがたい世界であった.筆者はその
とき考えた.果たしてそれは恋愛なのだろうか.興味を持った筆者は,書店の心理コーナーに向かった.そこで筆者は
初めて「共依存」という言葉を知り,衝撃を受けた.K は彼に「恋」をしていたのではなく,恋人に「依存」していたのであ
る.心理学を学ぶ以前,筆者にとっては依存と聞くとアルコール依存症やニコチン依存症などのイメージが強く,身近
に存在するものではないと考えていた.しかしながら,現に目の前で共依存に苦しむ友人が存在する.筆者は心理学を
学ぶにつれて,共依存とは何だろう.なぜ起こり得るのだろう.どんな苦悩があるのだろう.どのようなメカニズムで
形成されるのだろう.そんな疑問が次々に生まれた.その瞬間こそが,本研究の始まりであった.
■依存症とはなにか
心理学や精神医学の分野において,共依存とは依存症の一種として分類されている.そのため,本論文では,共依存
を理解するためにまず依存症の概要を述べ,その後に共依存の概要について述べることとする.
榎本(2007)は,依存症を悪い習慣にのめり込んでしまい,「わかっちゃいるけど,やめられない」という状態に陥っ
てしまうことと定義し,依存症は大きく三つに分けることができると述べている.第一に対象が「もの」である物質依存,
第二に対象が「行為」である行為依存,第三に「人間関係」である関係依存である.ただし,「物質」「行為」「人間関係」の境
界は曖昧であり,併発している場合が多い.図 1 に示したのは,それら依存症の種類についてイラストを用いて表した
ものである.
図1 依存症の種類の例
28
1)物質依存
物質依存とは,あるものを飲んだり食べたりして,体の中に摂取することで引き起こされる変化や快感によって,そ
の物質に執着,依存してしまう状態を指す.例として「アルコール依存症」,「薬物依存症」,「ニコチン依存症」,拒食症
や過食症などの「摂食障害」などが挙げられる.
2)行為依存
行為依存とは,ある行為の始まりから終わりまでの過程の中で得られる快感に執着,依存してしまう状態を指す.例
として「ギャンブル依存症」,「買い物依存症」,「ゲーム・パソコン依存症」,「ワーカホリック(仕事中每)」などが挙げら
れる.
3)関係依存
関係依存とは,ある特定の人との間の人間関係に強く執着,依存してしまう状態を指す.例として「共依存」,「恋愛
依存症」,「セックス依存症」,「児童虐待」,「ドメスティック・バイオレンス」,「家族依存症」などが挙げられる.
本論文で取り扱う共依存は,
「ある特定の人との間の人間関係に強く執着・依存してしまう状態」という榎本(2007)
の定義に準ずるものとする.また,榎本(2007)は,依存症を,人がある対象に過剰にのめり込んだ結果,そのような
状況にある自分自身をコントロールすることができず,日常生活や人間関係に支障をきたすものであると説明している
が,そういった依存症の一部に属する共依存によって具体的にはどのような問題が引き起こされるのであろうか.次頄
から,共依存について变述する.
■共依存とはなにか
加藤(2009)によると,共依存とは,もともとはアルコール依存症の援助領域で臨床的観察用語として用いられてき
た概念であるという.共依存は,1960 年代後半のアメリカにおいて,アルコール依存や薬物依存患者だけでなく,患
者の妻にも援助が浸透した結果,患者の妻たちに深刻な対人関係への依存が見られたことによって指摘され,概念とし
て確立された経緯がある(加藤,2009).また,共依存という概念が確立した当時,共依存の代表的モデルとして取り扱
われていた事例は,アルコール依存症の夫を過度に世話をし,結果として夫のアルコール依存症を悪化させてしまった
妻たちであった.このような人と人との間に生じる共依存について星野(2008)は,
「他人のコントロール(支配・操縦)
を必要とする人と,コントロールされることを通して相手をコントロールする人との間に展開する特有の人間関係」で
あると指摘している.星野(2008)の指摘から,共依存とは,他人に頼られていないと不安になる人と,人に頼ること
でその人をコントロールする人との間で成立するような依存・被依存という相補的な関係であると言い換えることがで
きよう.星野(2008)は共依存を人間関係のパターンのひとつとしたが,そういったパターンは臨床医療の領域でのみ
取り扱われる特殊例なのであろうか.しかし,前述した友人 K の事例にも見られるように,共依存的人間関係は日常的
な領域にも潜んでいるといえる.もし,あなたの恋人が他の異性と仲良くしていたり,二人で食事に出かけたりしたら,
あなたはどう思うだろうか.不安になったり,束縛してしまったり,詮索してしまったり,様々なネガティブな感情や
行動が生まれるであろう.しかし,それらの感情や行動が,実は共依存の芽になる可能性を包含しているのである.下
記に示した図 2 は,瀧田(2009)による,ある共依存傾向のある恋人同士の例である.
29
A さん(女性)
A さんの恋人 B 君(男性)
・常に相手を第一に考え自分は犠牲になることを選ぶ
・相手の機嫌が悪いと,自分のせいだと思ってしまう
・相手の世話を焼くことによって自分に依存するように導く
・相手のために,金や時間を惜しまず提供する
・相手の異性の人間関係をぶち壊そうとする
・相手の容姿や性格をけなし,
相手には自分しかいないと思わせる
・戦略的な手段を用いる傾向があり,平気で嘘をつく
・度を越した電話やメールによる,極度の束縛をする
図 2 共依存傾向のある恋人同士の例(瀧田,2009)
図 2 に示した例から,交際の過程において,A さんが B 君に対して過度に献身することにより,B 君は A さんを支
配する,B 君が A さんを管理しようとすることで,A さんは B 君に朋従してしまうという,互いの行動が共依存を強
固なものとしていくという相補的な関係が見えてくる.星野(2008)は共依存者には「他者に必要とされる必要」という感
情があり,その欲求を満たすために自分の欲求や望みを抑圧して他者の期待に応えると指摘している.
星野(2008)は,共依存者の特徴として彼らの自己評価が低いということを挙げ,彼らはその自己評価を補うために,
病的に他者への献身や支配に没頭すると述べている.加えて,星野(2008)はそうした共依存に陥りやすいとされる自己
評価の低い人は,機能不全家族の中で育ったアダルトチルドレンに多くみられると指摘している.では,共依存との関
係が指摘されるアダルトチルドレンとは,どのような人なのであろうか.
■共依存とアダルトチルドレン
信田(2000)はアダルトチルドレン(Adult Children:以下 AC)を「現在の自分の生きづらさが,親との関係に起因する
と認めた人」であると定義している.つまり AC とは,成人後発症した心理的不調を,自らが家族から充分な愛情や安
心を得られない機能不全家庭で育ったということに原因帰属する人であると言える.
また共依存は,AC によく見られる心理的特徴とされ,心理臨床の現場においてこの二つの概念はイコールで結ばれ
ることが多く(加藤,2009),前述した AC が抱える心理的不調の中のひとつに共依存があるものと考えられる.下記の
図 3 に示したのは,共依存と AC との関連性を示した代表的モデルとして,Whitfield(1991)が表したアイスバーグモ
デルである.緒方(1996)によると,アイスバーグモデルは 3 つの段階に分けることができるとしている.説明を以下に
示す.
第一段階
「共依存」が生まれる第一の重要な段階は,不健全な機能不全家庭や機能不全社会や機能不全社会が存在することであ
る.そのような家庭や社会に住んでいれば,子どもは健全な人に出会うことが出来ない.
第二の段階
機能不全家族や機能不全社会に育つと,「見捨てられ不安」が出現し,「屈辱感」が出現する.さらに,その他の種々の
心的外傷体験を経験すると,子どものこころには傷つきが生じ,「真の自己」はその姿を消してしまう.そして,慢性的
に「空虚感」が持続してしまう.
第三の段階
子どもはその「空虚感」を埋めようとする.人生を「偽りの自己」で生きていくか,外からの力をかりて「空虚感」を埋め
るかの方法をとるようになる.そして「空虚感」を,人,物,行動などで満足させようとする.それが挫折すると多彩な
症状や行動となって海面上に出てくるようになる.その症状としては,抑うつや不安,物質依存,摂食障害,ストレス
性障害,関係嗜癖(共依存),強迫症状の六つが挙げられる.
30
第三の段階
第二の段階
第一の段階
図 3 アイスバーグモデル
■共依存が AC を前提としている特性論に対するアンチテーゼ
上述したアイスバーグモデル(Whitfield,1991)は,共依存をはじめとする様々な精神障害が,機能不全家庭に起因し
ているという段階を示している.しかしながら,このアイスバーグモデルが示した機能不全家庭を始まりとして精神疾
患へと移行していく段階は,共依存をはじめとする精神疾患を考察する上で本当に正しいものであるといえるのだろう
か.このアイスバーグモデルが示す段階論の問題として,共依存の原因が全て「家族機能」であることが挙げられる.精
神疾患全てが機能不全家庭に起因するものであると片づけてしまうのは,あまりに安直ではないだろうか.その理論で
考えると,共依存者は AC であるということが前提であり,AC の共依存者でないと医療現場において療法が成立しな
いという,極めて医療現場本位の意見である印象が否めない.また,事例で述べた A さんと B さんは,機能不全家庭
で育ったわけではなく,また前述した友人 K も AC とは全く無縁の健全な家庭で育っていた.よって,現代において
31
身近に見られる共依存関係を考えるとき,whitfield(1991)が提唱したアイスバーグモデルはもはや使い古された理論で
あるといえるのではないか.加えて,同様に星野(2008)によってなされた,セルフイメージや自己評価が低く,务等感
が強いという共依存者の特徴は全て機能不全家庭に起因しているという指摘も,現代において身近に見られる共依存関
係にとってリアリティを持って迫るものであるとは言いがたい.このように,アイスバーグモデルが示す「共依存者=
AC」であるという特性論は現代に見られる共依存関係を見たときに説得力がないため,共依存の要因をむしろ相手と
の相性や付き合い方のパターンに着目して考察する必要性があるのではないだろうか.
■まとめと今後の課題
本論文では,共依存について理解するにあたり,まず依存症という大きな括りから入り,それぞれの特徴について变
述してきた.さらに,共依存の要因は機能不全家庭に育った AC であるという既成の概念にアンチテーゼを唱え,共依
存の要因が相性や付き合い方のパターンにあるという可能性を示した.
以上の共依存が人間関係のパターンであると考えられることや,従来の特性論によって共依存が説明できないことから,
共依存の原因を本人の属性や生い立ちに帰属させるのではなく,むしろ個人の他者との関係の築き方や,相性,相手と
共に過ごす過程の詳細などのプロセスに重点を置くべきだと考える.すなわち,共依存をシステム論の観点で検討する
べきだということである.
筆者の友人 K をはじめとする,現代に見られる共依存に陥る人を思い描いてみよう.例えば,家庭は円満であった
が,児童期や青年期における人間関係に不和や軋轢が生じ,円滑な対人関係が築けなかった人もいるであろう.また,
家族関係や人間関係は円滑に築けてきたが,恋愛や友情に関しては相手に対して非常に独占欲や嫉妬心が強く,相手に
自分の全てを注ぎ込んでしまう性分の人もいるであろう.さらに言及すれば,恋愛関係について悩んだことのなかった
人でも,ある特定の特徴を持つ相手との組み合わせで突然共依存に陥ってしまったというケースもあるのではないだろ
うか.このように,共依存に陥る要因は,AC 以外にも指摘できる余地は多分にある.ここで重要なのは,共依存に陥
る人の相性や付き合い方のパターンであり,どのような関係が共依存を発生および持続させてしまうのかということで
ある.関係しあう人々によって生み出されるコミュニケーションのパターンが共依存を生み出し,継続させてしまうシ
ステムとなりうるのだとしたら,その人間関係の組み合わせや,そこで生み出されるパターンこそが共依存について考
察する上で最も注目するべき点なのではないだろうか.
よって,本研究における今後の課題としては,上述したように,システム論の視点を用いて,依存関係に陥る人々の
相性や付き合い方のパターンに着目し調査を行い,共依存が生まれ,その関係が継続するメカニズムを検討したいと考
えている.
■引用文献
榎本稔 2007 依存症がよくわかる本,主婦の友社.
緒方明 1996 アダルトチルドレンと共依存,誠信書房.
加藤由貴 2009 共依存的傾向と家族関係,上越教育大学大学院紀要,1,2.
信田さよ子 2000 依存症,文藝春秋.
瀧田信之 2009 それ,恋愛じゃなくて DV です,WAVE 出版.
星野仁彦 2008 依存症の真相,ヴォイス.
メロディ・ビーティ,村山久美子(訳) 1999 共依存症 いつも他人に振りまわされる人たち,講談社.
Whitfield, C.L. 1991 Co-dependence, Health Communications, 66.
32
第5章 私を太らせる他者という鏡
川島 千穂
■はじめに
以前の筆者は現在と比べ太っていた.それはそれはどうしようもないぐらい太っていたのだ.当時,まるで寸法の合
っていないブレザーは,不格好と呼ぶのがふさわしかった.それから 4 年の月日は流れ,ダイエットに成功した筆者は,
食べ物の好き嫌いも減った.たくさんの洋朋も着られるようになった.外出も多くなった.わずかに体重が減っただけ,
ただそれだけにもかかわらず,筆者はこんなにも楽しい毎日を送ることが出来ている.「痩せてよかった!」「ダイエット
って素晴らしい!!」このように筆者は痩せたことに素晴らしさを感じている.
普段,生活をするうえで目に飛び込んでくる広告・番組には,それなりに細くて整った体型を持つ人が多い.世間は
知らず知らずのうちに「細くて整った体型」を“正しい”体型の基準と捉えているのではないだろうか.片野(2007)によ
れば,肥満はいけないという考えは 19 世紀から存在していたが,それは,一部の裕福な男性に限定された問題であっ
た.最近,流行りのメタボリックシンドロームや生活習慣病など無縁だったこの時代では,肥満とはそれほど問題視さ
れていなかったのだ.それに対して現代社会においては,ダイエットは私たちの暮らしに深く浸透し,生活の一部とな
ってきている.様々なメディアはダイエット特集を頻繁に組み,女性誌においてはダイエットに関する広告が掲載され
ないものはないと言ってよい. 本論は,美しさという視点から,青年期の若者にとってダイエットとは一体何なのだ
ろうかという点を明らかにすることを目的とする.
それにしても痩せたい.あと 5 キロ痩せたい.どうしても…!!!
「あぁ.痩せなきゃ.」と今日もまた大好きなオレオに手を伸ばす筆者であった.
■過太評価
まずは BMI という客観的な基準からダイエットについて考えていこうと思う.体型を判断する基準として WHO(世
界保健機関)と日本肥満学会が肥満の判定に用いている BMI(Body Mass Index)が有名である.表 1 に示すように,BMI
は体重(Kg)÷身長(m)の二乗から算出され,日本肥満学会では 25 以上が肥満,18.5~25 未満が普通体重(正常),18.5
未満を低体重(やせ)と判定の基準としている.この BMI という客観的な基準に自分の身体を当てはめることで,痩せ
ているのか正常なのか,太っているのかということを判断することができるのである.
表 1 WHO による BMI の判定 (BMI classification(2010)を元に筆者が作成)
分類
BMI(kg/m)
痩せている
16.00-16.99
少し痩せている
17.00-18.49
正常
18.50-24.99
少し太っている
25.00-29.99
太っている
>30.00
※BMI classificationをもとに作成
BMI=体重(kg)÷{身長(m)×身長(m)}
表1:WHOによるBMIの判定
ところで,次のような言葉を言ったことや聞いたことがある人は多いだろう.「最近太っちゃって…3 キロ痩せなき
ゃ!!ダイエットダイエット!!!」と.筆者ももちろんその一人である.大学生ならではのバラ色の学園生活は,尐し私をふ
くよかにさせた.当分,筆者の頭から「痩せたい」という 4 文字が消えることはないだろう.なぜなら,筆者はダイエッ
トに成功した今も,「太っている」と感じているからだ.
33
図 1 に示したように,伴(2002)によれば,全体の 79.5%の女子学生が「太っている・やや太っている」と自己評価して
いると指摘している.また,表 2 に示したように図 1 で「太っている・やや太っている」と回答した女子学生のうち,
BMI で標準とされる者の割合が 83.3%を占めている.さらに,半藤ら(2009)によれば,痩せ群で 22.5%,普通群で 77.6%
が自分を太っていると自己評価していると指摘している.つまり,BMI という客観的な基準からすると「太っていない」
にも関わらず自分を「太っている」と自己評価してしまう若者が多いということが,これらの研究から明らかにされてい
るのだ.
やや
痩せている
1.3%
痩せている
0.4%
普通
18.8%
表 2 「(やや)ふとっていると回答した学生の体型」(伴,2002)
表2:「(やや)太っている」と回答した学生の体型
やや
太っている
32.5%
太っている
47.0%
BMI
肥満
2.2%
普通体重(正常)
83.3%
低体重(やせ)
14.5%
図1:現在の体型について(伴 2002)
図 1 現在の体型について(伴,2002)
■目標は「美しく」
このように痩せたいと嘆く若者は世間には多く存在することが明らかにされている一方で,「太りたい」とはあまり耳
にしない言葉ではないだろうか.図 1 に示したように,伴(2002)によれば,全体の 1.7%の学生が今後「太りたい・尐し
太りたい」と回答しており,尐数だが実際にいることが見て取れる.また,「脱ガリガリ!逆ダイエット日誌」というブロ
グサイトにおいては,自分の身体を人にさらしたくないため温泉は早めに上がる・水着は着られない・いくら食べても
痩せてしまう・「キモイ体型である」,といった太りたいという悩みが綴られていたのだ.このブログサイトからも,必
ずしも痩せたい若者だけではないことが読み取ることができる.
一見,「痩せたい」という願望と「太りたい」という願望は相反するものだ.しかし,ここで注目したいのが太りたい人
の悩みは,筆者が太っていたときの悩みと多くの共通点がみられることである.筆者の「既存朋が着たい」といった「美
しくなりたい」願望と,ブログサイトの「温泉は早めに上がる」といった「こんな身体を見られたくない」という悩みは痩
せたい-太りたいといったように全く異なる志向性を有しているにもかかわらず,「美しくなりたい」という点で共通し
ている.
筆者のように痩せたい人,そしてブログサイトに書かれているように太りたい人,どちらも「美しくなりたい」という
体型に対して悩みを抱えており,美しくなりたいがためにダイエットをしたり,太ろうとしたりするのだ.そして,自
分の身体をどう捉えるかということに共通する悩みがあることが明らかになった.このような,「自分の身体をどうと
らえるか」といった問題は,これまで心理学の中でボディ・イメージという概念で研究されてきた.
■理想とする身体 -ボディ・イメージ-
永江(2000)によるとボディ・イメージ(body image)とは,自分の身体について思い描いた心像・イメージのことであ
り,自分の心の目で見た自分の身体であると定義されている.
片野(2007)によれば理想とする体型にはさまざまなタイプに分かれており「こんなカラダになれたらいいなァ」とい
う憧れ型から「理想が高すぎる!」という憤慨型,「こんなサイズ,実際に成立するの?」という疑問型及び諦め型,「ウエス
トさえ絞れば,私もイケるかも」という覚醒型とに分類することができるとされている.
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ワコール(2002)の調査結果によれば,20~40 歳代の東京の女性たちが理想にしている身体のデータは,身長 162.3
㎝,体重 48.5kg,バスト 83 ㎝,ウエスト 58 ㎝,ヒップ 82 ㎝であるというアンケート結果が出ている.さらに東京の
女性は現状の自分の体型に対する満足度が,ニューヨーク,シンガポール,マニラ,パリ,上海,香港,台北,ソウル,
バンコク,クアラルンプール,ジャカルタそして東京と 12 都市の中で最も低く,身長以外のすべての頄目で不満足度
が満足度を上回っているとされている.このことから,日本人女性がいかに実際の身体と理想の身体の間にギャップを
感じているかが伺える.
■他者によって創られる身体
このように,理想とするボディ・イメージに達することはなかなか難しい.にもかかわらず,青年期の若者はどうし
てダイエットをするのか.青年期の若者がダイエットをする時,どのような動機があるのだろうか.
半藤ら(2009)によれば,若者がダイエットを決意した理由の上位 3 頄目は,おしゃれがしたい(34.8%),痩せている
方が可愛い(23.2%),健康のため(20.2%)とある.さらに,浦田ら(1995)によると 20 歳代で最も多かった痩せたい理由
は「洋朋が合う」「見た目によい」であった.さらに浦田ら(1995)は年齢が増すごとに,「洋朋が合う」「見た目によい」の回
答は尐なくなっていたと指摘している.このことから青年期の若者は,より他者からの視線を気にしていると言える.
片野(2007)によればダイエット行動を引き起こす要因の一つとして「既製朋の普及が大きく関係している」とある.この
ことからも青年期の若者は外見を意識していると言えるだろう.
また,中村(2005)によればバービー人形は女の欲望であるとされている.どんな洋朋も格好良く着こなすバスト,ウ
エスト,ヒップといった,バービー人形の肉体が意味しているのはセックスではなくファッションなのだ.確かに,筆
者も高校生までは特注で仕立てた制朋で学校へ通っていた.しかし,大学ではそうはいかない.既存の朋を着なければ
ならないのだ.しかも当時の筆者には,朋を変え学校に通うという行為は,毎日くり返される拷問であった.「毎日同
じ朋を着ていたらみっともないし,友達もできないかもしれない.」せっかく進学が決まったのに,行く気さえ失せて
くる.そこで,既存の朋のサイズに自分の身体を合わせるためダイエットを決意したのだ.つまり,筆者のダイエット
の引き金もまた,他者から見られる外見だったのである.
■他者によって創られるボディ・イメージ
これまでの結果から考察し,若者とボディ・イメージの関係を図式化したものが図 2 である.図 2 に示したように,
青年期の若者たちは,他者と相対的に判断することによって自らの身体を太っている,標準,痩せていると判断する.
さらに図 3 に示すように多くの他者という「鏡」を通すことによって,その人がなりたいであろう自分,すなわちボデ
ィ・イメージが確立されていくのである.
つまりボディ・イメージを確立するためには他者という鏡が必要になってくるのである.例えば,自分の周りに力士
が大勢いたとする,その時,筆者は決して自分のことを「太っている」とは感じないだろう.しかし,自分の周りが 40
キロ代でスレンダーな人が多かったとする,すると筆者はとたんに「太っている」と自己嫌悪に陥ってしまうだろう.つ
まり,他者がそこに存在しなければ自らの体型を判断することができないのである.他者とは己を客観的に判断するた
めの重要なツールであり,他者がいて初めて,ボディ・イメージが意味をなしてくるのである.
図 2 客観的に自己を判断
図 3 他者によって創られるボディ・イメージ
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■様々な他者
ここまで述べた,「他者によって創られるボディ・イメージ」に関連する調査を行ったので,ここで紹介する.体型の
満足または不満足かによって,他者からの評価を気にする傾向があるのではないかという仮説を立て,K 大学と S 大学
の学生に協力をしてもらい次のようなアンケート調査を行った.
図 4 に示すように【満足している高群女】を満足女,
【満足している高群男】を満足男,
【満足している低群女】を不
満女,
【満足している低群男】を不満男とそれぞれ呼ぶことにする.そして,この 4 群を独立変数とし,「恋人からどう
思われているかいつも気にしている」頄目を従属変数とした一元配置の分散分析を行った.
その結果,図 5 に示したように,体型に満足しているかしていないかによって恋人からの評価を気にするという点に
有意な差がみられた.体型に自信の無い女性は,より恋人という他者からの評価を気にしていると言える.つまり,仮
説どおりの結果を立証することができた.
中村(2005)によれば女性は,男性より女性,つまり,異性より同性に羨望される肉体を望んでいるとある.しかし,
今回のアンケート結果では,女性より男性に羨望される肉体を望んでいるという結果が現れた.つまり,一口に他者と
いっても,対象は様々であり,今回は恋人という他者に結果が出たが,今後,恋人に特定することなく,もっと幅広い
意味の「他者」との関係を明らかにしていきたい.
*
5
4
3
3.61
3.33
3.35
3.14
満足女
不満男
満足男
2
1
不満女
F(3,516)=3.60,p<.05
図 4 本研究における独立変数
図 5 恋人からの評価が気になるかどうかの結果
■おわりに
以上から,青年期の若者にとって,ダイエットとは「理想の自分」を追い求める行為であり,多くの若者が自分ではな
い他者と比較することによって,「理想の身体」すなわちボディ・イメージを持っていることが,改めて明らかになった
のではないかと思う.メディアに登場するモデルやタレントは細身でスレンダーな体型をしており,こうした細身でス
レンダーな体型こそ美しいといったボディ・イメージを世間の人,特に青年期の若者に植えつけているように思われる.
白井(2006)も指摘しているように,第二次性徴の加速現象に加えて身体的・精神的・社会的な変動に伴うアンバランス
な思春期に青年のボディ・イメージは大きく影響されるということからも言えるだろう.
筆者はこれまで,ダイエットを軸に研究を進めてきた.その結果,痩せたい人も太りたい人も,理想とする身体があ
り,そのために日々努力しているということが分かった.そして,他者によって作られるボディ・イメージは,時に自
己に向上心を与えたり,時に自己を追い込んだりと,青年期の若者に重要な影響をもたらすのではないかと考えた.
しかし,筆者のダイエットへの関心はまだまだ尽きない.筆者がこの一年間で導き出したことはボディ・イメージと
他者というキーワードであり「他者によって創られるボディ・イメージ」という 1 本の軸を見つけだすことができたのだ.
卒業論文では,ダイエットという視点から導き出された「他者によって創られるボディ・イメージ」に着目してテーマを
設定しようと思う.
36
今後の課題として,まず筆者の扱う「他者」を定義する必要がある.現段階では親や友人といった身近な存在からメデ
ィアまでと他者と呼ぶには幅が広すぎてしまう.ボディ・イメージを形成する上で,どの程度の距離の他者が関係して
くるのかを明確にし,そのボディ・イメージが青年期の若者に及ぼす影響を明らかにしていきたい.
■引用文献
BMI classification 2010 http://apps.who.int/bmi/index.jsp?introPage=intro_3.html(1/28).
半藤保 川嶋友子 2009 女子大学生の体型とやせ願望,新潟青陵学会誌,1,53-59.
伴好彦 2002 本学学生の客観的体型判定とダイエット行動に関する研究,步蔵野短期大学研究紀要,2,1-8.
脱ガリガリ!逆ダイエット日誌 2010 http://diet.kimagure-life.com/(1/28).
片野ゆか 2007 ダイエットがやめられない―日本人のカラダを追跡する,新潮社.
永江誠司 2000 青年期の自立にかかわる諸問題(6)-思春期やせ症とボディ・イメージおよび女性性-,福岡教育大学紀
要教職科編,4,239-246.
中村うさぎ 2005 美人とは何か?―美意識過剰スパイラル,文芸社.
白井利明 2006 やわらかアカデミズム・(わかる)シリーズ よくわかる青年心理学,ミネルヴァ書房.
浦田秀子 西山久美子 勝野久美子 福山由美子 北島浩美 1995 成人女性の肥満に関する意識と体脂肪率の関係,
長崎大学医療技術短期大学部紀要,8,63-65.
ワコール 2002 ワコール World Women Now ~世界女性のこころとからだ~ 調査,株式会社ワコール広報室.
37
第6章 現代の若者に見られる自称うつ病とスチューデント・アパシー
桑原 美里
■はじめに
高校時代,友人の一人が突然「私,うつ病かもしれない」と言った.彼女が言うには,インターネットで「うつ病診断」
をしたところ,
“あなたはうつ病の恐れがあります”と書いてあったという.ひと昔前「うつ病」は簡卖に口に出せない,
出さないものだった.しかし現代社会の中で,「うつ病」という言葉は頻繁に聞かれるようになった.そして私たちも「う
つだね」と,卖なる気分の落ち込みで使うことが多くなっている.うつ病の意味をよく理解していないにも関わらず,気
分の落ち込みが続くだけで,自分はうつ病だと思い込んでしまう人が周りに尐なくない.こうした状況のことを筆者は
高校時代から「自称うつ病」と呼んでいたが,心理学領域においても専門用語として「自称うつ病」と呼ばれる現象がある
ことを知り,そこから自称うつ病について詳しく調べてみたいと思った.
■うつ病のタイプ
自称うつ病を検討するにあたり,まず自称うつ病が含まれるうつ病全体について概観してみよう.
うつ病の種類についてはこれまでに様々な定義がされているが,代表的なのものとしてメランコリー親和型がある.
表 1 に示したように,メランコリー親和型とは,性格としては,几帳面で秩序を守り,基本的に仕事熱心であるという
特徴が見られるうつ病のことを指す.うつ病を発症した人は,焦燥や自分がうつ病になってしまったことの罪悪感があ
る為,初期にはうつ病の診断に抵抗してしまうが,その後うつ病になったことにより「課長としての私」から「うつを経
験した課長としての私」といったように新たな役割意識を獲得することによって,うつ病という病を超えていく.
表 1 メランコリー親和型とディスチミア親和型の比較
(道玄坂しもやまクリニック,2010)
年齢層
関連する気質
病前性格
症候学的特徴
治療関係と経過
薬物への反応
認知と行動特性
予後と環境変化
メランコリー親和型
ディスチミア親和型
中高年層
執着気質 メランコリー親和型
・社会的役割・規範への愛着
・規範に対して好意的で同一化 秩序を愛
し,配慮的で几帳面
・基本的に仕事熱心
・焦燥と抑制
・疲労と罪悪感(申し訳なさの表明)
・完遂しかねない“配慮した”自殺企図
・初期には「うつ病」の診断に抵抗
・その後は,「うつ病」の経験から新たな認知
・「無理しない生き方」を身につけ,新たな役
割意識となりうる
多くは良好(病み終える)
・疾病による行動変化が明らか
・「課長としての私」から「うつを経験した課長
としての私」へ(新たな役割意識の獲得)
青年期
student apathy 退却傾向と無気力
・自己自身(役割ぬき)への愛着
・規範に対して「ストレス」であると抵抗する
秩序への否定的感情を漠然とした万能感
・もともと仕事熱心ではない
・不完全と倦怠
・回避と他罰的感情(他者への避難)
・衝動的な自傷,一方で“軽やかな”自殺企図
・初期から「うつ病」の診断に協力的
・その後も「うつ病状」の存在確認に終始しがちと
なり「うつの文脈」からの離脱が困難,慢性化
多くは部分的効果にとどまる(病み終えない)
・どこまでが「生き方」でどこからが「症状経過」か
不分明
・「(単なる)私」から「うつの私」で固着し,新たな文
脈が形成されにくい
・急用と服薬で全般に軽快しやすい場・環境 ・急用と服用のみでしばしば慢性化
の変化は両価値である(ときに自責的とな ・置かれた場・環境の変化で急速に改善すること
る)
がある
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現代において回避的で他罰的感情が強く,青年期に見られるのが特徴の現代型うつ病と呼ばれるものがある.そうし
た現代型うつ病の代表的なものとして,ディスチミア親和型が挙げられる.表 1 に示したように,ディスチミア親和型
の性格としては自己自身への愛着があり,もともと仕事熱心ではない.この,ディスチミア親和型に分類される現代型
うつ病こそが自称うつ病の正式名称である.
■職場うつ
現代型うつ病について研究していくうちに,書籍の帯に「会社を休職してディズニーランドに行く若者達!(吉野,
2009)」と書かれている書籍を見つけた.社会人は時間や規則をしっかり守らなければいけないのは誰でもわかっている
はずなのに,社会人になったにも関わらずまだ「授業 1 日休むくらい大丈夫だよね」という位の気持ちで会社を休んでし
まう様な,大学生気分がまだ抜けていないような現象があるのかと驚かされた.こうした社会人は職場うつと呼ばれる.
表 1 のディスチミア親和型の病前性格からも見られるように,現代,若者に増えつつあると問題になっているのがこの,
“職場うつ”と呼ばれるものである.
職場うつは元々,ストレス社会と呼ばれる現代社会において,職場から受けるストレスが原因でうつになってしまう
人を減らしたいという思いから「職場うつ(社内うつ)」と呼ばれるようになった.そして「職場うつ」と呼ばれる中にも従
来型の「職場うつ(メランコリー親和型)」と現代によく見られる「職場うつ(ディスチミア親和型)」が存在する.
従来型の“職場うつ(メランコリー親和型)”のパターン分けされたのが以下の 4 点である.
(1)「燃えつき型」
職場うつと呼ばれるメランコリー親和型の中で,約半数の人々がこの燃え尽き型に分類され,以下の特徴が見られる.
学生時代は大変優秀で,自分自身の能力に自信があり,責任感も強く,そして几帳面である.自分自身の納得のいく水
準で仕事をやり遂げたいが為頑張ってしまい,疲労やストレスが限界に高まり,発症してしまう.
(2)「陥没型」
職場うつと呼ばれるメランコリー親和型の中で,約 25%の人々がこの陥没型に分類される.上司から無理難題を押
しつけられ,理解できない理由で叱責されてしまう.そのことで心が深く傷つき,発症してしまう.
(3)「喪失型」
職場うつと呼ばれるメランコリー親和型の中で,約 20%の人々がこの喪失型に分類される.家族や友人,ペットな
ど,愛情を注いできた大切な存在を亡くした時に,発症してしまう. 職場で起きる場合は,突然の組織変更で自分の
部署が無くなったり,今進めている最中の大きな仕事が突然打ち切りになったりする時に発症してしまう.
(4)「逃亡型」
職場うつと呼ばれるメランコリー親和型の中で,約 5%の人々がこの逃亡型に分類される.新しい役職等がうまく適
応できず,しかしその不適応を自分自身認めようとしない.過去の栄光に囚われすぎて押しつぶされ,発症してしまう.
職場などで“降格”された場合にも起こり得,過去の栄光に囚われすぎて押しつぶされてしまう.
こうした特徴を持つメランコリー親和型職場うつに対して,ディスチミア親和型の職場うつも存在する.「職場うつ」
だけでは,メランコリー親和型もディスチミア親和型も両方当てはまってしまうので混乱を避けるために,現代のディ
スチミア親和型の人が発症する「職場うつ」を本論文では「現代型職場うつ」とする.
39
■現代型職場うつ
現代型職場うつの人は毎朝同じ時間に起き,毎日会社に行く.社会人として守らなければならない規範をストレスに
感じ,それを続けることがうつの要因になってしまうのだ.自己愛やプライドが高いために,ちょっと上司に窘められ
たり,意に介さない仕事をさせられたりするだけで憂うつになってしまう.そして他罰的傾向が強いために,「会社が
悪い」「上司が悪い」「親が悪い」と周りを責めることで苛立ちと憂うつを深めるのだ.現代型職場うつには「秩序を守れな
い」「無気力」「逃避的で他罰的」という特徴が見られる.
“職場うつ”に対して抱いた印象と同じく,現代型職場うつの人々は社会人にも関わらず,どこかまだ学生気分が抜
けておらず,会社でも失敗を繰り返してしまうことも自分の責任ではなく,その会社自体や上司の責任だと感じてしま
うといった様に自己愛が強く他罰的な印象がある.
以上の先行研究から,現代型職場うつの人は学生気分が抜けていない上に,社会の規範を守らなければならないこと
で,自分の自由な時間がなくなってしまい,会社に行くことが嫌になってしまうのではないだろうか.そこで学生時代,
もしくは性格に問題があるのではないかと考え,ディスチミア親和型の関連する病態にスチューデント・アパシーとあ
ったことから,スチューデント・アパシーについても調べることにした.
■スチューデント・アパシー(学生無気力症候群)
スチューデント・アパシーは元々,精神分裂病や重度のうつ病,脳器質疾患の症状とされていたアパシーを引用し,
アメリカで初めて用いられた. 1950 年代の高度経済成長期においての大学進学率の上昇に伴い,国立大学教養学部の
大量留年の実態が明らかになり,大学生の留年の増加が社会的な問題となった. そこで丸井(1967,1968)は,留年の
類似化を行う中で,「自らも明らかに据えられないような空虚感や無感動」を示す一群の留年生が見られることを指摘し,
これを「意欲減退型留年」とした.
その後,笠原(1973)が Walters(1961)のスチューデント・アパシーの概念を元に日本の大学生の無気力に関しての概
念の明確化を試み,新たな診断分類として「退却神経症」と提唱した.また笠原ら(1975)は Walters(1961)の邦訳を発
表し,それによって日本にスチューデント・アパシーという名称を定着させた. そして Walters(1961)がスチューデ
ント・アパシーについて「大学生に見られる,慢性的な無気力状態を示す男性に特有の青年期発達の障害」と定義した.
そして Walters(1961)は,特徴と成因に関して系統的な記述を行って,更に他の診断分類との鑑別の基準を示し,独自
の臨床卖位としての可能性を示した. しかしその後,アメリカにおいてはスチューデント・アパシーについて社会の
注目を引くほどの広がりを見せなかったのか,研究の展開は見られなかった.
■スチューデント・アパシーの概念
Walters(1961)の概念,笠原(1976,1977,1978,1981,1983)の概念,山田(1987,1989,1990)の概念 ,土川
(1989,1990)の概念, 下山(1996)の概念など,以後日本でもスチューデント・アパシーについての研究は多くされた
が,分類基準の未確定・概念の混乱が研究者の中で起き,依然として明確な定義はなされていない.また Walters(1961)
の定義は 1961 年と現代のスチューデント・アパシーを研究していくのにはデータが古く,全てを使用することは不可
能である.そこで以下にスチューデント・アパシーを提唱した Walters(1961)の概念,1996 年のデータという点から最
も現代に近い,下山(1996)の概念を紹介する.
40
表 2 Walters(1961)と下山(1996)によるスチューデント・アパシーの概念の比較
原因
Walters(1961)
・価値の尺度を学業達成
だけに限定したことの結
果生じたもの.
・男らしさ形成をめぐる解
決しがたい葛藤のため青
年期を遷延させている男
性の青年期発達の障害で
ある(青年期後期,特に大
学 2 年次に生じ易い).
下山(1996)
・自らが陥っている困難な状況に関してその事実経過は認めても,それを
自らが対処していかなければならない深刻な状況として受け止められな
い.
・主観的にきちんとしていない時が済まない.きちんとできない場合,それ
を避けることできちんとした状態を保つ.
・情動的動きの減退,無気
力,知的無力感,肉体的
気だるさ,空虚感,情緒的
引き篭もり,社会的参加の
欠如が見られる.
・感情の動きが乏しく,楽しいとの感覚がない.生き生きをした実感がなく,
物事に興味や意欲が湧かず,生活全体が受身的をなる.(感情希薄)
・時間感覚が乏しく,生活リズムが乱れ(昼夜逆転など),生活に張りがない
(一日中ボーッとしている).それに焦りを感じない.(時間感覚の希薄)
・自分の内的欲求を意識できず,また自分がやりたいことがないことをも意
識できないまま,周囲の期待にあわせて自分を保とうとする.(欲求希薄)
・自分の弱みを知られることは非難されることとの意識が強く,他者に自己
の感情を伝え,情緒的に依存することができない.
症状
行動
回避行動
別の病気?
・無関心は予期される敗 ・期待されることを先取りして行動する.他者の気持ちを汲むことに優れて
北,屈辱,制限に対する心 いる反面,自己の欲求に基づく行動ができない.
理的恐怖を避ける行動で
ある.
・攻撃性や競争的衝動の ・批判が予想される状況からの選択的回避.
ために他者を直接傷付け ・問題解決行動を約束しておきながら,その場面になると回避行動をとり,
ることを避けるための防衛 一貫性のない行動を繰り返す.
である.ただし,回避によ
って他者をどうしようもな
い状況に陥れて攻撃衝動
を満たす.
神経症に近い.
一つの臨床単位として,アパシー性人格障害を提唱.
Walters(1961)と下山(1996)の両者ともに,その概念が構成されて多くの時間が経過している.1990 年代以前対象の
スチューデント・アパシーと現代のスチューデント・アパシーはその実態が大きく変更していることが容易に想像でき
る.将来の道が決まっていない 90 年代以前の大学生は,
勉強が出来れば良い大学に入学でき,
良い企業に就職出来る.
1990 年代以前の学生は勉強が出来れば将来は明るいと考えている.一方,現代社会における大学生 Walters(1961)のス
チューデント・アパシー概念が男性特有としたのに対して,現代社会においては女性も進学・就職をするため,男性に
限定できるものではないと考えられる.したがって,現代社会においてスチューデント・アパシーとみなされる大学生
には 2 つのタイプがあるのではないだろうか.
第一に,勉強に対して価値を見い出せなくなってしまったタイプの大学生たちである.勉強よりもやるべきことが彼
らにはあり,元々“勉強しなければならない”とは思っていない.勉強したって,将来見えないと思っているとも考え
られる.または,専門学校の増加により,一般的に想像出来るデスクワークのイメージではなく,将来に繋がる専門的
な技術などを取得している場合もある.
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第二に,勉強以外の短期的な結果に価値を見出しているタイプの大学生たちである.大学に通っている以上,勉強し
なければいけないのは分かっているのだが,ディスチミア親和型の症状と考えると,現実と向き合いたくない為,逃避
行動として短期的に頑張れるアルバイトやサークルに力を入れてしまうのではないかと考えられる.
■おわりに
本研究を行うことによって,現代型職場うつ病とスチューデント・アパシーが近似した概念であることが明らかにな
ってきた.しかしながら疑問は残る.確かに共通する部分はあるが,全く同じとも言えない.現代型職場うつの人は自
己愛が強く他罰的であることがわかったが,スチューデント・アパシーの人は自己愛が強く他罰的であるとは書かれて
いない.そしてここまで調べてきた中で共通する点は,スチューデント・アパシーは自己愛が強いがために自分が今し
たいことを優先するといった面では当てはまるが,他罰的であるといった面では,例えば卖位を落としたからといって
教師の責任にしようとしているかは分からない.そして,現代型職場うつの人は“会社には行かないけど遊べる”と考
え,スチューデント・アパシーの人は“講義には出ないけどバイトやサークル活動はちゃんとする ”と,本業に対し
て逃避しているように見える箇所が共通しているように見える.客観的に見て,それは問題だと思ったとしても果たし
て現代型職場うつ本人はどう思っているのか.
また,スチューデント・アパシー本人もそれが問題だと分かっているのだろうか.授業に出ないということは卖位が
取得出来ないにも関わらず,該当する学生を見ると焦っているようには見えなく,なんとかなると考えているようにし
か見えない.しかし,大学には来ているのに授業には出ていない学生を,スチューデント・アパシーと呼んで良いのか,
何を基準にスチューデント・アパシーだと言えるのか,現代の大学生の特徴を調査し,研究していきたい.
■引用文献
道玄坂しもやまクリニック 2010 http://www.e556e556.com/knowledge/(1/27).
笠原嘉 1973 現代の神経症―神経症性 apathy(仮称)について― 臨床精神医学,2(2)
,153-162.
笠原嘉 1976 精神科医ノート,みすず書房.
笠原嘉 1977 青年期―精神病理学から― ,中央公論社.
笠原嘉 1978 退却神経症 withdrawal neurosis という新カテゴリーの提唱,岩崎学術出版.
笠原嘉 1981 スチューデント・アパシー第三報 スチューデント・アパシー,現代のエスプリ,至文社.
笠原嘉 三好暁光 1981 大学生にみられる精神病とノイローゼ.
笠原嘉 1983 不安・ゆううつ・無気力―正常と異常の境目―,飯田真他(編),講座精神の科学 3,精神の危機,岩波
書店.
笠原嘉 1984 キャンパスの症候群,弘文堂.
下山晴彦 1996 スチューデントアパシー研究の展望,教育心理学研究,44,350-363.
Walters,P.A.J.
1961
Student Apathy BlaineB.Jr.&McArturC.C.(ed) Emotional Problem of
the Student
Appleton-Century-Crofts(笠原嘉,岡本重慶(訳)石井完一郎他(監訳) 学生の情緒問題 文光堂 1975).
吉野聡 2009 それってホントに「うつ」?─間違いだらけの企業の「職場うつ」対策, 講談社+α新書.
42
第7章 対人コミュニケーション
-どうすれば相手に伝えたいことが伝わる-
鳴海 匠
■はじめに
事例1 大学の学食での会話
筆者:なぜ,この大学を選んだのですか?(A)
友人:何となく,先生に勧められたからです.
筆者:なるほど.では,この大学に興味を持ったきっかけは何ですか?(B)
友人:先生に勧められたからです.
上の事例は,筆者が大学に入学した当初,実際に友人と交わした会話である.事例の会話は,一見すると何の問題も
なく滑らかに流れているように感じられるが,筆者はそう感じなかった.逆に,とてつもない違和感を覚えた.何故な
ら,筆者の発した問いに対する友人の返答が,筆者の求めていた返答と大きく異なっていたからである.
A の質問では,筆者は「進学して知識を深めたいから」といった本人の自主性についての返答を望んだが,友人は「先
生に後押しをされたから」といった周りの環境についての要因を返答してしまった.B の質問では,「講義を受けたい教
授がいるから」といった勉強面での魅力についての返答を望んだが,友人は「先生に紹介をされたから」といった大学を
見つけたきっかけについての要因を返答してしまった.つまり,筆者と友人の 2 者間で意思疎通のすれ違いが生じたの
である.
筆者の質問が的を射ていなかったのか,質問に対する友人の解釈が異なっていたのか.筆者が覚えた違和感の原因は,
今となっては分からない.そこで,日常会話において意思疎通のすれ違いが生じてしまうのはどのような場面なのか,
すれ違いを避けるにはどのような対策が考えられるのかについて興味を持ち,筆者の研究はスタートした.
■コミュニケーションとは
研究には先の事例から得られた問題を,コミュニケーションの問題であると考えた.我々は,学術用語として,また
日常的な言葉として,「コミュニケーション(communication)」という言葉をよく耳にするがコミュニケーションには多
様な意味を持つ.多様な意味が含まれるコミュニケーションという言葉は心理学の学問分野において,一体どのように
定義されているのだろうか.
コミュニケーションの典型的な概念は塚本(1985)によって15 の群に整理統合されており,
深田(1998)は塚本(1985)
によるコミュニケーションについての 15 の概念群をさらに 3 つの基本概念に集約している.深田(1998)によるコミュ
ニケーションの基本概念を以下に示す.
表1 コミュニケーションの基本概念(深田,1998 を元に筆者が作成)
相互作用過程としての
コミュニケーション
コミュニケーションとは当事者が相互に働きかけと応答を繰り返すプロセス,すな
わち相互作用であるとし,コミュニケーションを介して相互理解と相互関係が成立
すると考える立場である.
意味伝達過程としての
コミュニケーションとは当事者間で一方から他方へと意味を伝達するプロセスで
コミュニケーション
あるとし,コミュニケーションを介して,意味が共有できると考える立場である.
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影響過程としての
コミュニケーションとは当事者の一方が他方に影響を及ぼすプロセスであるとし,
コミュニケーション
コミュニケーションを介して他者に影響を及ぼすことができるという立場である.
以上の視点から,本論においてはコミュニケーションを「相互の働きかけと応答を繰り返すプロセス(深田,1998)」
であると定義する.
■対人コミュニケーションにおけるエラーの要因
先ほど述べたように,コミュニケーションは多様な意味を持つものであると同時に,様々な場面において様々な形態
で行われているものであるといえる(北尾,1999).では,前述した事例は,一体どのようなコミュニケーション形態
として学問分野で扱われているのだろうか.北尾(1999)によれば,2 人で行われるコミュニケーションを「対人コミュ
ニケーション(interpersonal communication)」という形態であると定義している.本論では北尾(1999)が定義した対
人コミュニケーションの中でも,2 者間で行われるコミュニケーションに焦点を当てて述べていく.
A
B
図1 2 人の対人コミュニケーション
図 1 は事例と同様の 2 者間で成立する対人コミュニケーションのモデルである.対人コミュニケーションについて多
くの知見を残す広沢(2002)による,「自己に関する情報(メッセージ)を相手に伝達すると同時に, 相手の情報を入手
することにより,相互の理解を深め,より緊密な人間関係を築いていく一連の行為の相互作用過程」を本論では対人コ
ミュニケーションと定義する.A と B の 2 者間で情報のやりとりを行う図 1 は広沢(2002)の対人コミュニケーション
を図式化したものである.
表2 事例におけるコミュニケーション場面のエラー発生について考えられる要因
要因
送信者
①主語の欠如
②指示語の不明確
受信者
③意味の相違
④知識の差
その他
⑤コミュニケーション環境(騒音など)
⑥コミュニケーションツール(CMC など)
⑦文脈の相違
それでは筆者の事例のような意思疎通のすれ違いはどのような要因によって引き起こされたのだろうか.表 2 を見て
欲しい.表 2 は筆者が独自に作成した,事例によるコミュニケーション場面のエラー発生について考えられる要因であ
る.意思疎通のすれ違いが起こった送信者側の要因として,①主語の欠如,②指示語の欠如が,また受信者側の要因と
44
して③意味の相違,④知識の差が,加えてその他の要因として,⑤コミュニケーション環境,⑥コミュニケーションツ
ール,⑦文脈の相違を挙げた.以下に具体例を交えて説明する.
1)主語の欠如
試験の前日に A さんが B さんにプリントを借してもらう約束をしたとする.翌日,通りかかった B さんに A さん
が約束のプリントを受け取ろうと考え,話しかけた.A さんが B さんに「昨日の持ってきた」と言うと,B さんは「え,
何?」と答え,A さんは説明をしようと「昨日話した,あれだよ」と続けた.この場合,A さんは事前に約束をしてい
たという前提があったので,「プリント」という主語を省略しても話が通じると思い込んでしまい,情報に差異がうま
れてしまった.このような場合,コミュニケーションエラーの要因として,発信者の発話における主語の欠如が要因
であると考えられる.
2)指示語の不明確
テーブルの上にチョコレートとクッキーの 2 つのお菓子が置いてあるとする.A さんはクッキーが欲しいと思い,
B さんに「それ取って」と言った.すると B さんはチョコレートをとって A さんに渡した.この時,A さんが指示語
を使わずに「クッキーが欲しい」と言えば問題が無かったが,指示語を使うことによって両者の間に意味の差異が生ま
れてしまった.このような場合,コミュニケーションエラーの要因として発信者の発話における指示語の不明確さが
原因であると考えられる.
3)意味の相違
意味の相違を考えた場合,「あめ」と言うと,空から降るものとしての『雤』と甘いお菓子としての『飴』が考えら
れる.しかし,関西と関東ではイントネーションが異なる場合がある.すると関東の人が空から降る『雤』としての
意味で発言をしても,関西の人は甘いお菓子としての『飴』と解釈する可能性がある.この場合,関東と関西の間で
意味の相違が起こったと考えられる.
4)知識の差
例えば,
『くも』という言葉を想像してほしい.一般的には空に浮かんでいる『雲』と糸を吐く虫の『蜘蛛』の 2
つの意味を想像するだろう.しかし大人と子どものコミュニケーション場面において,子どもが空に浮かんでいる『雲』
の意味しか知らないとする.その場合,会話において発信者である大人が「くもって気持ち悪いね」と言うと,受信者
である子供は「空に浮かんでいる雲が気持ち悪い」という勘違いを起こしてしまい,会話において解釈の差異が生じて
しまう.このような場合,発信者の発した情報の意味を受信者が取り違えてしまうことについて知識の差が要因であ
ると考えられる.
5)コミュニケーション環境
あなたは友人に「出身地は何処ですか」と聞かれた場合,滞り無く,答える事ができるだろう.しかし,採用試験や
面接の場といった普段とは違う場面においては同じ「出身地は何処ですか」と聞かれた質問に,緊張により上手く答え
られない.これはコミュニケーションの環境の変化によって起こるエラーと考えられる.
45
6)コミュニケーションツール
携帯電話を例に挙げると,音声通話の場合は雑音や発話者の滑舌の悪さ,電波の状況により聞き間違いがおこって
しまうことを指す.メールの場合,本当は怒りの感情を抱いているにも関わらず,メールの文面では笑顔でふるまう
というような,感情と文面の不一致が挙げられる.このような場合,コミュニケーションを行うツールが要因である
と考えられる.
7)文脈の相違
文脈(コンテクスト)とは,コミュニケーションの場で使用される言葉や表現を定義付ける背景や状況そのものを指
す(wikipedia).例えば,日本語の「彼女」という言葉は,三人称代名詞としての“she”という意味と,女性の恋人と
しての“girlfriend”という意味がある.日本においてはどちらの意味も日常的に使用されているが,コミュニケー
ション場面においてどういった意味で「彼女」という言葉を使用するか,といった文脈が共有されていないと,「彼女」
という言葉が三人称的な「彼女」という意味を指すのか「恋人」という意味を指すのか不明確になってしまうため,コミ
ュニケーションエラーの要因となってしまう場合があると考えられる.
では,事例から考えられる,コミュニケーションエラーの要因を取り除き,より円滑な対人コミュニケーションを実
現するためにはどうした方策が考えられるのだろうか.円滑なコミュニケーションを進めるには「相互作用」が重要だ
と考える.例えば,生徒と教師との関係を思い浮かべて欲しい.教師は生徒に学校で授業,勉強を教える.その際に教
師から生徒にだけ数学の式の解き方や答えを教授した場合と,生徒が教師の教授した事に対して何かのフィードバック
(頷きや,質問)が行われた場合,どちらかがよいかと言われれば後者が必然的に良いと言える.それは情報のやり取り
が行われた事によって,相互作用によって円滑なコミュニケーションに発展したと言える.
■エラーの解決策として
それでは円滑なコミュニケーションを進めるには、一体どうすればよいのだろうか.Canale(1983)によれば円滑な
コミュケーションを行うにはコミュニケーション能力を「実際のコミュニケーションの中で必要とされる知識とスキ
ル」と定義している.ここで述べられている「知識」とは,コミュニケーションを行う上で言語の知識や言語を使用する
際に必要となる諸要素についての知識であり,「スキル」とはこのような知識を実際のコミュニケーションで運用する能
力を指す.よってコミュニケーション能力は実際のコミュニケーションにおいて必要不可欠と Canale(1983)は考えて
いる.例えば Canale(1983)によれば疲労,不安,集中力の低下,病気といった様々な影響により,個人が保持するス
キルの全てが発揮されないとしている.
Canale&Swain(1980)はコミュニケーション能力として 3 つの領域(文法的能力,社会文化的能力, 戦略的能力)を
挙げている.更に Canale(1983)によって談話的能力が加えられ,コミュニケーション能力の領域は当初よりも増え,
4 つに分類される.
下記にこれまで述べられたコミュニケーション能力の 4 つの領域について説明する.
①文法的能力:ボキャブラリー(語彙)や文の形成,発音,スペル(綴り)などの言語知識を指す.
②社会文化的能力:会話の際にその場にふさわしいコミュニケーションの形式を選択,実行できる能力を指す.
③談話的能力:多種多様な文章の様式に関して意味のある発話を行うために,文法と意味を関連づける知識を指す.
④方略的能力:相手が知らない卖語を分かりやすく言い換えるといった,コミュニケーションの効果を高めるための
戦略についての知識を指す.
46
これまでの話を集約すると,効果的なコミュニケーションを実現するには「どのようにすれば相手に正確な情報がい
かに伝わるか」を考えることが重要であると言える.
■おわりに
本論では卒業研究において対人コミュニケーションを研究テーマとして取り扱うにあたり,コミュニケーションの基
本的な概念と,コミュニケーションについてなされた様々な先行研究を整理した.
実際の日常的な対人コミュニケーション場面において,情報の伝達過程では Canale(1983)が述べた 7 つの要因の他
に「疲労,不安,集中力の切れ,病気」といった様々な要因が関わるため,必要な情報のみを取り扱うことが困難である
ことが挙げられる.以上のことから,そもそも送信者の考え方が全て,相手に伝わる事は現実的に考えて不可能である
と考えられる.筆者自身も最初の事例 1 で述べたようにどの要因が欠如しているのか分からない.しかし,エラーが起
こったことによりコミュニケーションが成立しなかったと言えるのではないか.以上の点からコミュニケーションには
いくつかの矛盾が生まれていると筆者は感じた,それは相手に自分の考えが伝わってほしいと思う一方で全ては伝わら
ないという割り切りが見られる点だ.今後の展開として受信者に情報を伝達上での留意点を踏まえた上で,効率がよい
伝え方というものを研究したい.その上で,筆者が会話の際に自らの課題として挙げている「コミュニケーション能力」
の上達につなげたい.
■引用文献
深田博己 宮本真人 中條和光 松見法男 湯沢正道 深田成子 古城和敬 廣兹孝信 山本雅美 木村堅一 官野
信夫 木船憲幸 塀田雄二 福原省三 吉田弘司 1999 コミュニケーション心理学,心理学的コミュニケーシ
ョン論への招待,北大路書房.
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Wikipedia 2010 http://ja.wikipedia(2/8).
47
第8章 すれ違う恋愛イメージ
-私とあなたの恋愛を求めて-
馬場 菜津美
■はじめに
「あなたは,永遠の愛を誓いますか?」「はい,誓います.」
こうした誓いを交わす結婚は,誰にとっても最大のライフイベントであるだろう.最愛の人と結婚をし,幸せな家庭
を築くことが夢である女性は尐なくないだろう.そうした意味で,多くの女性にとって,そして筆者にとっても結婚と
は「永遠のテーマ」であり「幸福の条件」である.そうした筆者にとって,結婚や恋愛とは幸せでいられる素敵なものであ
り,気持ちにゆとりをくれるものである.そのため,結婚につながる恋愛は,筆者にとって無くてはならないものであ
り,決して欠かすことのできない大きな存在である.
しかしながら,一方で恋愛を悩みの種とする若者も多いであろう.こんな経験をしたことはないだろか.交際してい
る相手から一方的に振られてしまい,悲しく,苦しい想いをしたり,遠距離恋愛をしていてなかなか逢いたい相手に逢
うがことができないなどという体験を….
若者にとって,恋愛はなくてはならないものであり,過去の恋愛経験も踏まえたうえで,恋愛に対しポジティブなイ
メージを持っている人がほとんどであるはずだと,以前の筆者は考えていた.
そして筆者のように恋愛に対し熱い想いがあり,なおかつ恋愛に対してポジティブなイメージをもつ若者は決して尐
なくはないだろう.
そうした筆者が驚かされた出来事があった.それは以下に示した,授業中の他愛もない会話からはじまった.
当時の筆者は大学 2 年生であった.入学当初からお世話になっている教授の 1 年生への講義をお手伝いさせて
頂いた際に「聞いてみたいことはないか?」との教授の一言に筆者はこう質問した.「みんな好きな人とか彼氏・
彼女はいるの?」と本当に,気軽に.それぞれ恋愛をしている様子であったが,ある女子学生の回答は,他の学
生とは違うものであったのだ.「恋愛なんて興味ない…」女子学生はこう答えたのである.
筆者と全く正反対の恋愛に対するイメージ,筆者は,彼女がなぜそのようなネガティブなイメージを持つのかが理解
できなかった.
よって本研究では恋愛の素晴らしさを伝えると同時に,恋愛に対するイメージの違いについて明らかにしたい.
本論を通して筆者は青年期の若者に伝えたい.この恋愛に対する想い,そして恋愛は青年期にとって重要であるとい
うことを…….
■青年期における恋愛
松井ら(1984)によると,恋愛は青年期の男女にとって最大の関心事の 1 つと位置づけられている.このことからも青
年期と恋愛というのは,不可欠な関係であることは明らかである.
堀毛(1994)によれば,恋愛関係を持つことにより対人スキルの向上につながるとされ,Dietch (1978)によると,過去
3 年間の間に恋愛関係を持った人のほうが,持ってない人よりも自己実現の程度が高いことを示している.自己実現と
は人生に究極の目標を定め,実現のために努力をすることを意味する.そして対人スキルの向上や自己実現は青年期に
とって重要な課題であると言えるだろう.
以上のように青年期における,恋愛の重要性は多くの研究で明らかにされてきた.それにもかかわらず,なぜ,先程
48
の事例に挙げた女子学生は「恋愛なんて興味ない」というように考えてしまうのだろうか.大学生のうち,どれほどの大
学生が恋愛に対してポジティブなイメージを抱いており,あるいは反対にネガティブなイメージを抱いているのだろう
か.
■恋愛に対するイメージ
斉藤(2006)によると,「日本の若者が持つ恋愛のイメージは非常にポジティブである.恋愛には『複雑で,時には苦
痛を伴うもの』
『思い込み,勘違いである』というネガティブな側面もあるが,
『人間を向上させるもの,成長の場』
『楽
しいもの』
『安らぎを与えてくれる,幸せを感じさせてくれるもの』
『生活の活力や支えとなるもの,パワーを与えてく
れるもの』などのように全体的には非常にポジティブなものとして捉えられている」と述べている.また金政(2001)も
同様に「現在の異性関係が親密であるほど,恋愛に対してポジティブなイメージを持っている」ことを明らかにしている.
その一方で若尾(2003)は,「恋愛が重要視されるあまり,恋人がいない者,恋愛をしていない者,恋愛に興味がない者,
恋愛をうまくできない者が,無用な悩みや不安を抱えてしまうことがある」とも述べている.こうした現象を『恋愛ポ
ジティブ現象』という.そう,多くの若者がいつの間にか自分自身の中で『恋愛ポジティブ現象』を招いてしまってい
る.
■恋愛に対するネガティブなイメージ
次に示す事例は大学 3 年生の 5 月に行った,大学 1 年生のインタヴューでの事例である.
3 年生になってまもなくインタヴューを行う機会があった.筆者らは大学 1 年生 3 名の女性にインタヴューを行
った.筆者らは事前に質問内容を準備していた.学生生活について,恋愛についてなどである.恋愛についての
質問で,筆者は気軽に質問をした.「今好きな人いるの?恋愛してる?」彼女たちは答えた.「恋愛をするメリッ
トがわからない」「恋愛に魅力を感じない」「恋愛って面倒くさい」このときに思い出した.筆者が大学2年生であ
った時の1人の女子学生の一言を…….
上記のインタヴューのやり取りから見てやはり現代の若者の中には,恋愛に対しネガティブなイメージを持った若者
もいることがわかる.しかし彼女たちは恋愛に対するイメージはポジティブとネガティブにしろ,どのような人を好み,
どのような人と結婚したいかなどという共通の理想は存在しているのではないだろうか.インタヴューから考えられる.
彼女たちは恋愛をしたくないというわけではなく,結婚をしたいという願望を持っているのではないだろうか.つまり,
結婚という未来に対する恋愛のイメージは明るいが,現在の恋愛に対する恋愛のイメージは 明るいものではないので
はないだろうか.
■大学生の恋愛観
吉田ら(2005)による女子大学生の恋愛や結婚に対する意識調査では,恋愛に対し消極的で慎重な見方をするひとが多
く,結婚観において恋愛の延長線上に結婚があると考え,ほとんどの人が女に生まれたからには結婚したいと思ってい
ることが明らかにされている.そして恋人の有無で恋愛観を比較した調査では,恋人のいない人の方が理想が高く恋愛
に対して消極的であることが明らかにされている.
ここで吉田ら(2005)よりグラフを加えて詳しく女子大学生の恋愛観について紹介していく.以下のグラフはどれも全
体の割合を示したものである.
49
かなり
そう思
う
12%
全く思
わない
6%
図 1 より,「現在,恋愛より熱中するものがあると思
あまり
思わな
い
14%
う」いう質問に対して,全体でそう思う人が約 28%,か
なりそう思う人が 12%で合わせて約 4 割の人が恋愛よ
りも熱中する趣味や習い事があり,充実した生活を送
そう思
う
28%
っていることが伺える.大学生であるということから,
就職活動やサークルなどに時間を費やすことが多いの
であろう.また恋人の有無による分析結果では有意な
どちら
でもな
い
40%
差が現われており,恋人のいない人の方が恋人のいる
人よりも割合が高い結果が出ている.
図 1:現在,恋愛より熱中するものがある(吉田ら,2005)
かなり
そう思
う 13%
全く思
わない
7%
あまり
思わな
い,14%
図 2 より,「男性と交際するのが面倒である」とい
う質問に対して,全体で約半数の女子大学生が,男
性と交際するのが面倒であると答えている.ここで
も恋人のいる人と恋人のいない人の間に有意な差
が見られた.恋人のいる人のほうが有意に差がある
どちら
でもな
い 17%
そう思
う 49%
ことがわかった.もしかすると恋人のいない人は,
現在の状況に満足しているのではないだろうか.ま
たは恋愛に対しネガティブな考えを持つ人は,恋人
のいない人の割合が高いということも考えられる.
図 2:男性と交際するのが面倒である(吉田ら,2005)
かなりそ
う思う
15%
全く思わ
ない 8%
図 3 より,「ドラマのような恋愛に憧れている」
という質問に対して,全体でそう思う人が 33%で
かなりそう思う人が 15%である.よって 2 人に 1
あまり思
わない
17%
そう思う
33%
人はドラマのような恋愛に憧れている.やはり理想
は存在しているのだ.上記の 2 つの結果とは異な
り,恋人の有無による有意な差は見られなかった.
どちらで
もない
27%
恋人の有無には関係なく女子大生は恋愛に対しネ
ガティブな考えばかりを持っているわけではない
ようだ.恋愛に対し憧れの気持はあるが,現在の状
況に満足していないわけではないのではないだろ
図 3:ドラマのような恋愛に憧れている(吉田ら,2005)
うか.
ここに示した図 1,図 2,図 3 からは,現代の女子大生が現在の恋愛に対してネガティブなイメージを持ち,未来に
は理想がありポジティブなイメージを持っていることがわかる.
この結果は筆者がインタヴューを行った結果と同様な結果であるといえる.そして恋人の有無によって恋愛観の違いが
あることがわかる.
50
■恋愛のイメージと好意理由に及ぼす異性関係と性別の影響
金政ら(2001)は,青年期の若者を対象に恋愛に対するイメージに関する調査を行った.金政ら(2001)は,「相互的な
関係において男性は女性よりも恋愛を複雑に捉える傾向,女性は安定的な関係においては男性よりも恋愛をポジティブ
に捉えていることを明らかにしている.これまでの研究からも恋愛に対してのイメージが違うことは分かっている.ま
た恋人の有無によって,男女間に差があることも明らかに
されている.筆者が作成した図4をもとに詳しく結果につ
いて紹介したい.
A (恋人有・男):複雑・苦悩の使用頻度が高い
B (恋人有・女):成長の使用頻度が高い
C (恋人無・男):活力やパワーの使用頻度が高い
D (恋人無・女):成長の使用比率が極めて低く,複雑・苦
脳の使用頻度が高い
図4:金政ら(2001)を元に筆者が作成
以上のことから金政ら(2001)は,恋人のいる女性は恋愛を成長の場として捉えている反面,恋人のいる男性は恋愛を
複雑で悩ませるものだと指摘している.しかし恋人のいる女性と比べ,恋人のいない女性は『成長』の使用比率が低く
複雑や苦悩というイメージを持っているという結果から考えると全ての女性が恋愛に対しポジティブなイメージなの
ではないことが考えられる.そして恋人の有無の差,恋人のいる男女での差,そして恋人のいない男女でのイメージの
差があることが明らかになっていることが考えられる.
ここで注目するべき結果として,恋人のいる女性と恋人のいない男性は恋愛のイメージがポジティブな傾向があるこ
と,そして恋人のいる男性と恋人のいない女性はネガティブであることが分かった.なぜポジティブ,ネガティブとい
う真逆のイメージを持つのだろうか.双方の間には大きな違いがあるのであろうか.この結果について今後検討してい
く余地があるであろう.恋人の有無による差があることは想像がつくが,恋人のいる男女の差と恋人のいない男女に差
があるという結果には驚きを感じると同時に,なぜこのような結果なのであるか検討していきたい.更に,恋愛に対す
るイメージを研究をするにあたり,従来の恋愛に対するイメージの研究を見直していく必要があると考えられる.
■恋愛イメージ研究の問題点
従来の恋愛に対するイメージ研究を概観することによって,1 つ問題点が明らかとなった.それは恋愛に対するイメ
ージが『恋愛』や『恋』
,
『愛』のそのもの自体のイメージであるのか,異性と交際をすることのイメージに対するもの
なのかという点がとても曖昧であるという問題である.恋愛に対するイメージを定義化することによって更に様々な要
因が結果として見えてくるものではないのであろうか.
また,これまでの先行研究の多くは性差と恋人の有無のみに焦点が当てられてきた.しかし,恋愛に対するイメージ
の違いはこの 2 つの要因のみではなく「個人」の様々な要因が関係しているのではないかという視点からの研究もある.
その研究とは,山下ら(2005)による自尊心に着目した研究である.また山下ら(2005)によれば恋愛関係へ積極的に関与
している者が関与していない者よりも『自己評価』が高いと示唆している.このような結果から「恋愛に対するイメー
ジ」は「自己」というものが影響してくるのではないかと考えられる.
よって恋愛に対するイメージについて定義化するとともに,恋愛に対するイメージの違いについて男女と恋人の有無
51
のみだけで判断するだけでなく,個人・自己の要因を踏まえたうえで研究を行っていく必要があるのではないかと示唆
される.
■おわりに -今後の課題-
以上のことから,
『恋愛に対するイメージ』は男女・恋人の有無によって違いがあることがわかった.また,恋人の
有無では恋人のいる人といない人,そして恋人のいる男女,恋人のいない男女によってイメージに大きな違いがあるこ
ともわかっている.
恋愛に対するイメージには「ポジティブなイメージ」と「ネガティブなイメージ」が存在している.ポジティブなイメー
ジは筆者のように,
『成長』
『素敵なもの』
『楽しいもの』
『自信をくれるもの』などであり,ネガティブなイメージとは,
『複雑なもの』
『苦悩を与えるもの』
『価値を見出さない』などのイメージである.筆者のように恋愛に対してのイメー
ジがポジティブである人と,事例に上げた女性たちのようにネガティブなイメージである人の違いは何なのか?この違
いをとく鍵が存在しているはずなのだ.従来の恋愛に対するイメージの研究の問題点にも述べたが,恋人の有無により
イメージに違いがあるのは分かっているが,筆者の鍵探しのためにはまだまだ不十分である.筆者は過去の恋愛のうち,
全てが楽しいという訳ではなかったが,恋愛に対するイメージはとてもポジティブなものである.そして現在,恋人と
いう存在があり恋愛に対し,ますますポジティブなイメージになっているのだ.筆者の経験から考え,恋愛に対するイ
メージは過去の経験や現在の恋愛状況により違いが出てくることが考えられる.これらを含めて今後検討していきたい.
■引用文献
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52
第9章 社会的ジレンマ
-だってあいつが裏切るかと思って・・・-
堀内 祐希
■はじめに
筆者らが暮らしているこの現代社会には,さまざまな問題が山積みとなっている.年金問題,デフレーション,外交
問題,例をあげたらきりがない.それらの問題は,理論上の解決策は多々提案されている.しかし現実には,それら
の理論上の解決策ではなかなか効果を上げることはできていない.なぜならそれは,現実世界を生きる個々の人々が
理論通りの行動を行わないからだ.例えばデフレーションである.デフレーションとは価格の値段が低下することであ
る.
デフレーションが悪化し循環していくとデフレスパイラル(図 1)となり景気は衰退の一途を辿るだろう.もしモノの
価格が高いままに商品が売れた場合はどうなるのだろうか.デフレスパイラルは食い止められ,負の連鎖を断ち切るこ
とができるだろう.しかし,そのように分かっていたとしても,高いモノを買わないのが現実である.こうした分かっ
てはいるけどそのようにならない状況は,経済学,社会学,心理学においては社会的ジレンマという概念でこれまで研
究がなされてきた.筆者はこのパラドキシカルな状況のもどかしさを感じ社会的ジレンマについて調べることにした.
図 1 デフレスパイラル
■社会的ジレンマとは
社会的ジレンマとは Dawes(1980)によると,次の 2 つの条件を満たす社会状況であると定義されている.
(条件 1)皆が他人に迷惑をかける様に振舞っていようが,他者に迷惑をかけないように振る舞っていようが,それとは
無関係に,他人に迷惑をかけるような行動をしたほうが,私は得をする.
(条件 2)皆が自分の利益を考えて行動した時の方が,皆がそうしない場合よりも,一人一人の利益は小さくなってしま
う.
この定義を踏まえ藤井(2003)は社会的ジレンマを「長期的には公共的な利益を低下させてしまうものの短期的な私的
利益の増進に寄与する行為(非協力行動)か,短期的な私的利益は低下してしまうものの長期的には公共的な利益に寄与
する行為(協力行動)のいずれかを選択しなければならない社会状況」としている.本論文では藤井(2003)の定義を用いる
ものとする.
53
■代表的な社会的ジレンマ
1.共有地の悲劇
Hardin(1968)は,社会的ジレンマの例として,以下の共有地の悲劇,という例をあげている.「ある牧草地を複
数の羊飼いが共有していると考えよう.個々の羊飼いは,羊を飼って生活しており,自由に羊の数を決めることができ
る.ここで,できるだけ利益を大きくしたいと考える合理的な羊飼いを考えよう.彼は羊を増やせばより多くの乳や毛
を得るのだからできるだけ羊を増やそうとする.同様に全ての羊飼いが合理的なら,全ての羊飼いはできるだけ羊を増
やそうとする.しかし,牧草地が供給する草は限られている.それ故,次の春が来るまでに,全ての羊は死に絶える.
そして全ての羊飼いは生きる糧を全て失う.」
つまり,限られた資源の下では,全ての人々が短期的な利己的利益(非協力行動)に寄与してしまうと,社会全体の持
続可能性は失われてしまうのである.このような状況は現代社会においては特に環境問題として浮き彫りになっている.
例えばエアコンの効いた部屋で快適に過ごしたり,自動車に乗ったりすることは,個人の利益の達成ということでは合
理的な判断といえる.しかし,多くの人が同じような行動をとると,地球温暖化が進み,その被害は全体に及ぶことと
なる.
2.囚人のジレンマ
もう一つの例として囚人のジレンマと呼ばれる状況がある.別々の独房に収容されている 2 人の囚人(囚人A囚人B)
がいると仮定し,彼らは互いに意思疎通ができない状況で,別々に取り調べを受けているとする.ここで,取調官から,
「相棒が主犯だと自白すればお前は従犯ということで刑が軽くなる.その場合,主犯が 15 年,従犯は 1 年の刑期だ.だ
が,どちらも相棒が主犯だと自白すれば,我々は両者を同罪だと見なし,刑期は 10 年になる.ただし,どちらも黙っ
ていれば 3 年も刑期を務めてならなくなるのだが」という誘いを受けたとする (図 2) .
(囚人B)
(
)
囚
人
A
図 2 囚人の懲役年数
誘いをかけられた両者は「相棒が主犯だと自白したほうが得だ」という結論に至るだろう.かくして,両者は自白し,
刑期は両者とも 10 年になる.ところが,もし 2 人とも自白せず黙秘していたのなら,両者とも刑期は 3 年で済んだの
である.この様に一人一人が短期的な私的利益(非協力行動)を優先して合理的に自白(非協力行動)してしまえば結果的
に一人一人の私的利益が低下してしまう.あるいは,一人一人が短期的な私的利益を優先せず黙秘(協力行動)していた
のなら,結果的に一人一人の私的利益が増加する.このような状況のことを囚人のジレンマという.
■社会的ジレンマの解決策
ここまで共有地の悲劇,囚人のジレンマといった社会的ジレンマ状況を見てきた.こうした社会的ジレンマの解決を
図るべくこれまでの心理学研究では,以下のような視点から研究が行われてきた.
54
1.構造的方略
構造的方略とは,社会において非協力者が多数散見され,社会規範が損なわれている状況が生じた場合,法的規制に
より非協力行動を禁止し非協力行動の個人利益を軽減させることや,協力行動の個人利益を増大させることにより,社
会的ジレンマを創出している社会構造そのものを変革させることである (藤井,2003).例として税政を改正すること
によって,一部の人々が非協力行動によって得をすることを制限するなどがあげられる.
2.心理的方略
心理的方略とは個人の行動を規定している,信念,態度,責任感,信頼,道徳心,良心等の個人的な心理的要因に直
接働きかけることで,社会構造を変革しないままに,自発的な協力行動を誘発することである(藤井 2003).例として交
通運動のキャンペーンなどによって,心理に働きかけ協力行動への移行を促すなどがあげられる.心理的方略には他者
からのコミュニケーションによるアプローチの①依頼法,②アドヴァイス法,③行動プラン法,④フィードバック法の
4 点がある.以下にその概要を述べる.
①依頼法
依頼法とは,非協力行動が公益を低減すること,あるいは協力行動の公益を増進することを理由として,一人一人
の協力行動が必要とされていることを述べ,協力行動を呼びかける方法である.行動変容を目指したコミュニケーシ
ョンを構成するにあたって,最も基本的な方法である.
②アドヴァイス法
アドヴァイス法とは,「協力行動を実行するとしたらどのようにすべきか」という情報をアドヴァイスとして提供す
る方法である.一人一人の行動パターンや属性を加味した上で,個別的なアドヴァイスを行う個別アドヴァイス法と,
非個別的な一般的アドヴァイス情報を提供する集団アドヴァイス法の 2 つに分類される.
③行動プラン法
行動プラン法とは,「協力行動をするとしたら,どのような行動をするかという行動プランの策定を要請し,それ
を具体的に記述してもらう方法である.
④フィードバック法
フィードバック法とは,複数接触を図るコミュニケーションにおいて,過去のコミュニケーションで得られた情報
を再度フィードバックする方法である.各人の行動情報を個別的にフィードバックする個別フィードバック法と,
人々の行動傾向,心理傾向を表す集計データをフィードバックする集団フィードバック法の 2 つに分類される.なお,
個別フィードバック法の際には行動目標を設定する目標設定法と併用することで,より大きな効果が期待できる.
■社会的ジレンマ状況における行動変容の要因
上述のように人々の心理的状況に応じて,非協力行動から協力行動に移行するためにはさまざまな方法が存在する.
そこで見過ごせないのは,他者の存在だ.これまで藤井(2003)や山岸(1989)らによって研究されてきた社会的ジレン
マの解決方法に於いて,他者がいるということが行動するうえでなくてはならない存在である.日常においても,他者
の存在により行動が変容している場面は見受けられる.例えば,友人同士で焼き肉を食べにいった場面である.友人同
士で焼肉を食べに行き,肉に十分に火が通る前に他者に食べられてしまったことはないだろうか.このような他者の行
動が社会的ジレンマにおける非協力行動である.すると自身も肉を食べたいと思うため,尐し生焼けでもいいから他者
に食べられてしまう前に, 箸を出してしまうだろう(非協力行動).そして皆が生焼けの肉に箸を出す結果,誰もしっか
りと焼けた肉が食べられなくなってしまうのだ.この焼肉のジレンマ状況において依頼法を実施したとしよう.すると
互いに協力意識が芽生え,非協力行動は減衰するだろう.
このように社会的ジレンマを促進したり,抑制する要因は様々なものがある.その大前提として他者の存在に焦点を
あてる必要があるのではないだろうか.先程の焼肉のジレンマに於いても箸を出すきっかけは他者にある.野村(2006)
55
によると,社会に適応する上で,他者との相互関係を築くことは不可避であり,また不可欠なものである示唆している.
つまり社会的ジレンマ状況においても他者の存在は重要な役割を占めていると考えられる.
以下では集団に於いて,他者が存在することによって及ぶ行動変容について動機づけの観点を用い考察する.
1.社会的促進による行動変容
社会的促進とは Hull=Spence 理論によると卖なる他者の存在や共行動状況は人の一般的水準すなわち喚起水準を高
めると仮定した.簡卖な作業をすると個人の作業量が上昇,複雑な作業をすると作業量が低下する現象のことをいう
(Zajonc,1965).また Duval&Wicklind (1972)の客観的自己知覚理論では,他者の存在は自己意識を高め現実の自己と
理想のズレを気付けせるとしている.そして,自己と理想のズレをなくそうとする動機づけが生じるので,卖純な課題
ではパフォーマンスが促進されると説明する.
他者が関わる社会的促進現象について様々な説明がみられるが,社会的ジレンマ状況にも当てはまると考えられる.
Hull=Spence 理論の「簡卖な作業をすると個人の作業量が上昇」を非協力行動から協力行動の移行,「複雑な作業をする
と作業量が低下」を協力行動から非協力行動への移行と考えることができる.また客観的自己知覚理論の卖純課題によ
る「パフォーマンスの促進」も,非協力行動から協力行動への移行と考えることができるだろう.
社会的促進は活性化効果を強調するのに対して,動機付けの低下効果を強調している社会的手抜きも社会的ジレンマ
に大きく関与していると考えられる.社会的手抜きとは,共同作業にするほうが個人でやるよりも作業量が尐なくなる
現象で,人数が多いほど手抜きが多くなる.社会的手抜きが起こる要因として,個人の作業に対する責任と貢献がはっ
きりしないということが挙げられており,その状況を改善することによって防ぐことができるという指摘がなされてい
る(小窪,1988,1989a,1989b).例えば綱引き,合唱といった一人一人の努力が見えにくい卖純な作業は,集団サイ
ズが拡大することで,動機づけの低下を招くことが報告されている(Ingham,et,al,1974).
2.内発動機づけによる行動変容
動機づけは外発的動機づけと内発的動機づけの 2 種類に分けられる.その中で Lepper&Nisbett(1973)の研究に代表
される内発的動機づけについての一連の研究は,内発的動機づけに基づいて行われている行動に外的な報酬(選択的誘
因)を加えると,そもそもの内発的な動機が失われることを明らかにしている.山岸(1989)によると,選択的誘因を加え
内発的な動機が失われるといった関係は社会的ジレンマにおける協力行動にも当てはまると考えられている.社会的手
抜きと同様に社会的ジレンマ状況においても外的な報酬により協力行動を強制されると,人々は自分が協力しているの
は卖に強制されているからだと思うようになり,強制されなくとも自分から進んで協力しようという協力行動に対する
内発的動機づけを失っていくことになると考えられるのではないだろうか.さらに内発的動機づけを失うもう一つの要
因がある.それは腐ったリンゴ効果と呼ばれる,負の同調行動である.
3.腐ったリンゴ効果のよる行動変容
腐ったリンゴ効果とは,複数のリンゴが入れられた箱の中に 1 つだけ腐ったリンゴが存在していると,しばらく時間
がたてばその腐ったリンゴは隣のリンゴを腐らせ,結果的にすべてのリンゴが腐ってしまう,という現象に抽象的に暗
時される心的効果を意味するものである(Bonacich,et al,1976).すなわち,ある社会的ジレンマ状況において大半が
協力的に振る舞う内発的動機(例えば,協力行動をすべしとの社会規範)をもっていたとしても,ごく一部の人々が非協
力行動を行えば,それだけの理由で,最終的には万人が非協力に振る舞う状況へと至ることがあり得るのである.
特定の社会的ジレンマを考えた時,その社会的ジレンマに腐ったリンゴ効果が存在するのなら,非協力者を罰する何
らかのシステム(構造的方略)が不在のままでは,その社会的ジレンマを解消するのは著しく困難であることが予想され
る.なぜなら,そうした社会的ジレンマ状況では,非協力者がたった一人でもいれば,その非協力行動が徐々に広まる
こととなり,最終的には,箱の中のすべてのリンゴが腐るように,社会の万人が非協力的に振る舞えるようになるから
である.それ故,こうした社会的ジレンマ状況では,一人の例外もなく自発的に協力的に振る舞おうとするという極め
て特殊な場合を除いて,万人が非協力的な振る舞う状況へと堕落していくこととなるのである.しかし,人々の協力傾
56
向に分散がある以上,「一人の例外もなく自発的に協力的に振る舞うという社会」を期待することは大変困難であろう.
■まとめと今後の課題
本論では代表的な社会的ジレンマを捉えると共に,他者によってもたらされる動機づけを中心に考察してきた.現在
の社会的ジレンマ研究においては環境,交通問題といった社会全体から社会的ジレンマの解消にアプローチした研究が
主であり,学校,会社などの小規模な団体,または個に焦点をあてた研究が尐ない.しかし他者の存在があり自己の行
動が変容するという一連の流れを読み解くには,個に焦点を当てる必要性があるのではないだろうか.個に焦点を当て
ることによりその人の行動の変容,しいては感情の変容を理解することができる.よって今後は自己と他者の感情に焦
点をあて社会的ジレンマを洞察していきたい.
■引用文献
Bonacich P,Shure G,H,Kahan J,P
Meeker R,J 1976 Cooperation and group size in N-person’
dilemma,Journal of Confict Resolution,20,685-702.
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Duval S, Wicklud R.A 1973 A theory of objective self-awareness.
Hardin G 1968 The tragedy of the commons.Science,162,124-128.
藤井聡 2003 社会的ジレンマの処方箋 都市・交通・環境問題のための心理学,ナカニシヤ出版.
藤井聡 2007 法律と社会的ジレンマ~意図性に基づく社会的秩序の自律的形成~ CDAMS(「市場化社会の法動態
学」研究センター) ディスカッションペイパー,7,1-30.
Ingham A,G,Levinger G,Graves J&Peckham V 1974 The Ringelmann effect: Studies of group size and group
performance Journal of Experimental Social Psycholigy,10,371-384.
Lepper M,R,
.D.Greene,R,E Nisbett 1973 Undermining children’s Intrinsic Interest with Extrinsic Reward:
A Test of the Over justification Hypothesis. Journal of Personality and Social Psychology,28,129-37.
野村理朗 2006 他者との関係性が協力行動に及ぶす影響―社会的ジレンマゲームを用いた実験的検討― 東海女子
大学紀要,25,95-100.
小窪輝吉 1988 リンゲルマン現象と社会的手抜き 鹿児島経済大学社会学部論集,7,41-56.
小窪輝吉 1989a リンゲルマン研究について 鹿児島経済大学社会学部論集,8,43-56.
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Zajonc R,B 1965 Social facilitation.Sciense,149,269-274.
57
第10章 移りゆく障害観
米島 小百合
■はじめに
幼い頃から,筆者の身近には身体障害を持つ人がいた.また,引越しによる保育園の転園や小学校時の転校など,環
境は変われど行く先々で様々な障害を持つ人と出会う機会があった.以前住んでいた家の斜め向かいには,知的障害を
持つ人達が通う福祉作業所があった.筆者が小学 4 年次の転校を期にその土地を離れる前までは,帰宅してからよく遊
びに行っていたのを記憶しているし,写真も数枚残されている.当時の様子を写した写真には,作業所内の広間にて,
筆者や姉・兄がカメラに向け笑顔でピースサインを送っている.
このように,障害を持つ人というのは幼尐の筆者にとって身近な存在であった.福祉作業所は筆者を囲む環境の一つ
であったし,また障害を持つ人も然りであった.当たり前に,自然に存在し,特に意識もせずに筆者の生活の一部であ
り,それ以上でもそれ以下でもなかった.
そうした経験のある筆者にとって,障害を持つ人達が,例えば電車で不審な視線や畏怖の視線を向けられていたり,
あるいはインターネットの掲示板で障害を持っている人を見下し,侮辱するような書き込みを見たりする時,何とも言
えない憤りや悲しみを覚える.たまたま特別な問題もなく健康に生まれ,たまたま現在まで健康に過ごせているだけの
人間が,たまたま障害を持って生まれたり,たまたま障害を持つことになった人を馬鹿にしたり,同じ人間ではないか
のような発言や扱いをする権利がどこにあると言うのか,という強い憤りである.また,なぜ筆者が悲しみを感じるの
かは,上記のような生来の障害の身近さに加え,筆者の身内に障害を持つ人がいたから,ということも大きく関係して
いるだろう.障害を持つその人の背景に,家族の想いや家族の苦しみや苦労があることを,自身が経験してきたそれと
勝手に重ね合わせて,描いてしまうのである.
以上のような,筆者にとっては身近かつ自然でありながら,場所や人によっては不自然であるかのように扱われる“障
害”というものを,筆者なりの言葉で論じたい,という思いから本論は始まった.
■障害とは何か
表1 WHO(1980)による障害の分類
本論を展開するにあたり,はじめに WHO(1980)による障害について紹介したい.1980 年に WHO(世界保健機関)
は障害の概念を①機能・形態障害,②能力障害,③社会的不利の 3 点の視点で分類した.①機能形態障害とは,機能・
58
形態障害,生理学的・解剖学的構造および機能の喪失ないし異常といった人間の器官レベルの損傷であり,医学的な知
見に基づいて認定されるものである.②能力障害とは,人にとって正常と考えられる範囲の活動が制約を受ける状態な
いし不可能な状態であり,①機能障害の結果として生じた活動能力レベルの低下を指す.③社会的不利とは,機能・形
態障害や能力障害が存在する場合に,その個人の性や年齢,社会文化的条件に相当した役割が十分に果たせないために
生じる不利益で,個人と社会環境との関係で生じる問題のことを指す.WHO(1980)によって紹介された障害の構造モ
デルは,障害というものを 3 つのレベルに分類して示した点で画期的なものであったといえるが,障害というものを客
観的に捉えすぎており,障害者本人の心的過程や,彼らが属する環境の要因を排除したものであるという批判が起こっ
た.
健康状態
構造/機能
(機能・形態障害)
活動
(能力障害)
参加
(社会的不利)
背景因子(環境因子と個人的因子)
図1 WHO(1980)による障害の関係
それらの指摘を受け WHO は,WHO(1980)による障害概念に環境因子と個人的因子という背景因子を加え,
WHO(1980)による障害概念に改定を加えた(WHO,2001).これにより,障害者の心的過程を無視したネガティブな側
面が強調されていた従来の障害概念に比べ,ポジティブな側面・ネガティブな側面,またそれらが個人的な要因だけで
なく環境的な要因によって左右されるというように障害という概念は広義な意味合いを持つものとなった.
以上のことから,障害というものはポジティブな側面とネガティブな側面を持つものであること,またそういった障
害の捉え方を左右するのは障害を負った本人だけでなく,その本人が置かれた環境に影響されるものであるということ
がわかる.
しかし,現代社会において障害が語られるとき,障害のポジティブな側面について語られることは尐ない.それどこ
ろか,障害そのもの,また障害を持つものに対してネガティブな側面を強調して語られることが多く,それが様々な問
題を生み出していることは容易に想像できる.では,そうした障害が「障害」とされる問題について,これまでどんな
研究がなされてきたのだろうか.
障害にまつわる研究においては,これまで様々な研究がなされてきた.例えば,Goffman(1984)による常人(障害を
持たない者)がスティグマのある者(障害を持つ者)をどのように捉え,扱うかといった考察は,障害という問題を捉える
際に有用な知見を提供してきたといえよう.しかし Goffman(1984)による指摘は,「われわれ常人がスティグマのある
人に対してとる態度,われわれが彼らに関してとる行為」により,「事実上彼らのライフチャンスを狭めている」といっ
たような,障害者ではなく障害者と関わる者の視点に立ち,客観的に考察したものがほとんどであり,障害を持つ者へ
の理解・解決に向かうための具体的な方法論を構築するものではない(单雲,2006).
では,実際に障害者の目線に立ち,そこから見いだされる問題を取り扱った研究にはどういったものがあるのだろう.
59
■障害受容とは
Goffman(1984)をはじめとした障害に対して客観的な考察を行う研究に対して,受傷後の心の苦しみがどのようなも
のであり,またそれをどのように緩和するかといった問題を障害者の主観を尊重し研究するリハビリテーション心理学
という学問分野がある(单雲,2006).リハビリテーション心理学において,障害を持つ人の心の苦しみを緩和するため
の方法として障害受容論が展開された(单雲,2006).
障害受容について研究者によって様々な概念定義がなされているが,田垣(2002)によれば,日本において展開されて
きた様々な障害受容論の中でも,上田(1980,1983)による障害受容の定義が意義深いとされている.上田(1980,1983)
は障害受容を「障害を持つことが自己の全体としての人間価値を低下させるものではないことの認識と体得を通じて,
恥の意識や务等感を克朋する」ものであると定義した.障害者の持つ「恥の意識や务等感を克朋する」ことを掲げた上田
の障害受容概念は,障害者自身の中から生じる障害を負ったことで生じた苦しみの受容,つまり“自己受容”(单雲,
2006)に焦点化したものであるといえよう.
■自己受容の概要と問題点
上田(1980,1983)が示した,自己受容に重きを置いた障害受容概念は
Kubler-Ross(1969)による死を受容するプロセスを示した段階論に基づいてい
る.この障害受容における段階論は,①自分が障害を負っていることへの否認,
②自分が障害を負っていることへの怒り,③障害を負った自分を認められず何
かにすがりつきたい心理的状態,④何も手につかなくなるといった抑うつ状態,
⑤最終的には自分が障害を負って生きていくことを受容する,といった5段階
で構成されている.
上田(1980,1983)の定義のもと,「障害受容」はリハビリテーション場面など
において重要なものとされてきたが,その際に安易に唱えられる段階論的「障
害受容」が問題視されるようになり(田島,2005),上田(1980,1983)の定義す
る障害受容論自体を再検討すべきあるという動きが起こった.田垣(2002)は上
田(1980,1983)による障害受容概念の問題点として,第 1 に,すべての障害者
が,一様な過程をへて,受容の段階に達するのかという問題,第 2 に,障害受容の研究が,障害者本人の努力を強調し,
障害者を価値的に低く見なす「社会」の変革を軽視してきたという問題,第 3 に,リハビリテーション専門職が「障害受
容」をあいまいに使用したり,拡大解釈したりしているという問題を挙げている.
障害を持つ人々がどのような経緯で障害を持つことになったのかが千差万別であるように,個人それぞれが障害受容
するプロセスも同一普遍のものであるとはいえないのではないか.また,専門家でさえ解釈を誤る障害受容を個人で達
成したからといって,これまで社会の中で低められてきた彼らの苦しみが消えるといえるのか.前述の田垣(2002)も指
摘していたように,
“障害受容”が叫ばれるとき,これまで障害という困難を個人が克朋することのみが強調され,
“障
害を抱える個人”を取り巻く社会への言説が十分になされていなかったといえよう.
■社会受容の重要性
障害受容には,障害者自身の中から生じる障害を負ったことで生じた苦しみの受容,すなわち“自己受容”と,障害
を持つことで障害者が他人から負わされる苦しみの受容,すなわち“社会受容”という 2 つの側面があるという(单雲,
2006).前述のように,日本の障害受容においては,上田(1980)をはじめとする自己受容イコール障害受容といった考
えが広まっていたが,リハビリテーション心理学確立初期の理論家の言う障害受容とは,そもそも自己受容と社会受容
から成るものだったと单雲(2006)は指摘し,田島(2007)は,日本における社会受容論の意義を「これまでの『障害受容』
60
が個人変化のみに着目せざるを得なかったのに対し,他者・社会の有様に視点のシフトを促した点で画期的」であった
と指摘した.上田(1980,1983)が示した障害受容では,障害に対する「価値の転換」が説かれている(单雲,2006).具体
的には「障害にとらわれるな」とか「残されたものの中に価値を見いだせ」といった主張がなされた.
■日本における障害受容
障害受容にはいくつかの方法論が提案されたが,なかでも日本のリハビリテーション心理学に大きな影響を与えたの
が価値転換説である.1980 年代後半には,上田流の障害受容は唯一絶対の方法とも言えるものになっていた.しかも,
そのような傾向は現在においてなお,さほど変わっていないように見受けられる.アメリカにおけるリハビリテーショ
ン心理学が,障害に対して多様な方法論を重視するのに対して,日本のリハビリテーション心理学は,価値転換による
障害受容を重視し続けたのである(单雲,2002).
单雲(2006)によれば,障害によってもたらされる心の苦しみは,①「自分の中から生じる苦しみ」,②「他者から負わ
される苦しみ」の 2 つに大別することが出来る.リハビリテーション心理学が誕生した当時のアメリカにおいて,受傷
後の心の苦しみが先の 2 つのカテゴリーに大別されることは多くの識者が認めていた.障害受容の初期の理論家はいず
れも,自分の中から生じる苦しみ”に対して,障害者自身がそれをいかに受容するかについて言及すると同時に,
“他
人から負わされる苦しみ”に対しても,障害者が社会に統合されることがいかに大切であるかについて言及していた.
自分の中から生じる苦しみの受容を“自己受容”
,他人から負わされる苦しみの受容を“社会受容”と呼ぶことにする
と,初期の理論家の言う障害受容にはこの 2 つが含まれていた.つまり障害受容とは自己受容と社会受容から成るもの
だったのである.しかしながら,日本の障害受容から社会受容は抜け落ちてしまい,自己受容イコール障害受容といっ
た偏った考えが広まった.
社会受容を果たすためには,社会が障害者を受け入れることが必要不可欠である.それなくしては,たとえ障害者が
自己受容をなしえたところで,他人から負わされる苦しみに絶えずつきまとわれることになるからだ.また,価値転換
は本来個人に属する事柄ではなく,むしろ社会に属する事柄である.いくら個人が新たな価値を見いだしても社会がそ
れを認めなければそれこそ無価値である.無価値ならまだ良いほうで,むしろ非難されることが多い.
つまり,障害によってもたらされる心の苦しみは「自分の中から生じるもの」と,「他者から負わされるもの」の 2 つの
要素があるにも関わらず,日本において障害によってもたらされる心の苦しみを受け入れる作業(障害受容)に着目され
るのは,個人の心の状態のみなのである.また,单雲(2006)によれば,「この国の現状」は,自分自身による苦しみより
も「他者から負わされる苦しみが多い」と指摘している.
■おわりに
障害を受け入れるとは,一体どのような状態だろうか.筆者にとって障害・あるいは障害を持つ人は大変身近に存在
するものだということは「はじめに」で書いたが,これにはまだ書ききれぬ思いがあった.筆者は,障害を持つ人と自然
に接することが出来ていないようにずっと感じていた.なぜなら,筆者は障害を持つ人と関わることや,関わる中で,
戸惑いを感じていたのである.
身近であるはずの障害を持つ人を,何か特別なものであるかのような目で見てしまう自分,というものに「戸惑い」
を感じていたのだ.今改めて振り返ると,当時の説明しがたかった感情を説明することができる.あの感情は,自分自
身への戸惑いであったので,障害を持つ人への抵抗感と言い切るのはやや短絡的ではある.しかしながら,障害を持つ
人と関わる際に,自分自身に戸惑いを感じる状態がずっと続くのであれば,障害を持つ人に対して自分は戸惑っている
のだと短絡的に自己分析してしまうのは,仕方がないことかもしれないとも感じる.
障害を持つ人と関わる際に筆者が感じた戸惑いというのは,筆者自身が障害を持つ人の障害部分にのみ囚われて接し
ていた結果なのであろう.「自然に接したい」と思う反面,障害を気にしている状態で,さらに障害を気にしている自分
61
に後ろめたさを感じていた.「自然に接したい」と筆者が思う背景には,障害を持つ人に対して「自然に接しなければい
けない」という規範意識のようなものがあるように思う.なぜ,「自然に接しなければいけない」という価値観が規範と
して自身の中に存在しているのだろうか.恐らく,自身の身内にいる障害を持つ者も,かつて筆者が住んでいた家の近
くにあった作業所に通う障害を持つ人々も,みな目の前で“生きて”いたからである.筆者は目の前で,確かに彼らの
生活の一部を見,そして生活を共有する時間を持っていたのである.目の前で,身近で,確かにその生活を営む障害を
持つ人々を,障害があるということで特別視するのは至極失礼なことだと筆者は考え続けていた.ただでさえ障害を持
つ人々はたくさんの不審な視線や畏怖の視線に晒されているかもしれないのに,障害というものが身近に存在する生活
を送る筆者自身が特別視するのは,障害を持つ人々にとってあまりに酷な状態であるように思う.だから,筆者は障害
を持つ人と関わる際に戸惑いを感じ,戸惑いを感じる自分自身にさらに戸惑いを感じ続けていたのである.
障害を持つ人と接する際に,人々は様々な形でその人と対面する.障害を持つ人を前に,身構える人もいれば,自然
に振舞うことが出来る人もいるだろう.そうした多様な出会い方の中でこそ,本当の意味での障害受容というものが可
能になるのではないだろうか.
■引用文献
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国際生活機能分類-国際障 害分類改訂版-( 日本語版) の厚生労働省ホームページ掲載について
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单雲直二 2002 リハビリテーション心理学入門―人間性の回復をめざして―,荘道社.
单雲直二 2006 エッセンシャルリハビリテーション心理学入門,荘道社.
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田垣正普 2002 「障害受容」における生涯発達とライフストーリー観点の意義,京都大学大学院教育学研究科概要
48,342-352.
田島明子 2007 「障害受容」は一度したら不変か―視覚障害男性のライフストーリーから考える―,Core Ethics,
3,409-420.
上田敏 1980 障害受容―その本質と諸段階について 総合リハビリテーション,8,515-521.
62
第3部 第1章 価値観の差異から見た大学生の購買意識
-大学生のモノの見方へのアプローチ-
青木 和也
■問題
本研究では若者の価値観のギャップに対して,購買行動という視点から研究を行っていく.筆者は,現代の若者に対
する言説に対して,ある疑問を感じている.その疑問とは,近年メディアなどが指摘する現代の若者は空気を読むなど
という言説がある.しかし,現代の若者は空気を読むという言説は本当にそうなのだろうかという疑問である.
また,現代社会においては花井(2007)によれば,価値観は文化人類学,社会学,社会心理学,心理学など,さまざ
まな学問領域で研究がなされてきた.日常生活においても「あの人とは価値観が合わない」「価値観の転換が迫られてい
る」といったように価値観という言葉が多用されている.このことから,価値観のギャップは,私達が生活していく上
で,不可避なものである.本研究では,花井(2007)の価値観にある「個人・集団の意思決定・行動への影響力」という
視点で見ていくこととする.大学生の価値観についての研究においても価値観のギャップについて調査等が行われるこ
とはなく大学生そのものの価値観やライフスタイルに関するもののみだったため,本研究では若者とくに大学生を対象
として大学生同士の価値観のギャップについて研究を行っていくこととした.
■目的
土井(2008)によれば現代の若者たちは自分の対人レーダーがきちんと作動しているかどうか確認しあいながら人間
関係を営んでいると述べている.つまり,他者の顔色をうかがうというようなことや,相手に合わせるという現代の若
者たちの人間関係は近年良く聞かれる「空気を読む」ということなのだろう.全国大学生協連(2008)によると対人関係
で「空気を読む」ことを意識する大学生が全体の 83%を占めているとしている.土井(2008)と全国大学生協連(2008)の 2
点を踏まえたうえで,以下の仮説を立てた.
仮説①:大学生の価値志向性尺度の 4 タイプの中で【社会志向型】が一番多い.
また,大学生同士の価値観のギャップについて研究していく上で何か別の視点を加えることでよりわかりやすくなる
のではないだろうかと考え,本論文において調査頄目として購買という視点から調査を行っていくものとした.なぜな
ら,袋谷(2007)によれば消費者が製品やサービスを何の目的も持たず購入することはほとんどない.消費者自身には
明確に意識してなかったとしても,そこでは何らかの消費目標を達成するために購買がなされていると述べている.だ
とすれば,購買を行う際には自分の価値観に基づいた行動から何らかの目標を達成するために購買行動をとるといえる.
ゆえに,購買行動という視点を加えて大学生同士の価値観のギャップについて研究を行っていく.酒井ら(1998)の作
成した価値志向性尺度の 4 タイプ【社会志向型】
【権力志向型】
【経済志向型】
【理論志向型】によって購買重視頄目の
4 カテゴリの【値段】
【デザイン】
【ブランド】
【機能性】で重視する頄目に差が出るのではないかということで仮説を
立てた.本研究の仮説は以下の通りである.
仮説②-1:
【社会志向型】は他の志向型と比べて購買時に【デザイン】を重視する.
仮説②-2:
【権力志向型】他の志向型と比べて,購買時に【ブランド】を重視する.
仮説②-3:
【経済志向型】は他の志向型と比べて,購買時に【値段】を重視する.
仮説②-4:
【理論思考型】は他の志向型と比べて,購買時に【機能性】を重視する.
仮説②-1,②-2,②-3,②-4 とした根拠は高橋(1991)によれば消費者の行動因子には 4 因子あり,それぞれの
特徴として以下のとおりとして,また 4 因子は価値志向性尺度の 4 タイプに対応すると考えてそれぞれの因子の後に対
応するタイプを書き入れている.
63
第 1 因子は流行やファッションなどを取り入れるのが早いという特徴があり,
【感覚派】とされている.
→【社会志向型】
第 2 因子は買い物をする時はいつも予算を決めて計画的に行動するという特徴があり,
【現実主義派】とされている.
→【経済志向型】
第 3 因子は休日には趣味やレジャーなど自己の充実を図るという特徴があり,
【自己充実派】とされている.
→【権力志向型】
第 4 因子は理性的要素が強く・知的水準が高いとされという特徴があり,
【知性派】とされている.
→【理論志向型】
■方法
対象:群馬県内の大学の学生 306 名(男性 112 名,女性 172 名,不明 22 名)に実施した.
調査時期:10 月下旪~11 月上旪
手続き:大学の講義内での質問紙配布.サークル等での質問紙配布.共に所要時間は 15 分程度.
■調査内容
① フェイスシート…調査対象の性別・学年の記入を求めた.
② 価値志向性尺度についての質問頄目
本研究において採用した価値志向性尺度とは Spranger(1966)が提唱した価値観の 6 タイプを酒井ら(1998)が日本人
向けに尺度化したものである.Spranger(1966)が人の価値観を【社会志向型】
【権力志向型】
【経済志向型】
【理論志
向型】
【審美志向型】
【宗教志向型】の 6 タイプに分類したものを酒井ら(1998)で尺度化したものであるが,筆者は
調査するにあたって全体として尐ないであろうとされる,
【審美志向型】
・
【宗教志向型】の 2 タイプを除いた 4 タイ
プをそれぞれ 6 頄目ずつ使用した計 24 問である.
③ 購買重視頄目についての質問頄目
購買時に何を重視するかということで調べてみたところ,購買時に重視する頄目についての尺度などは存在してい
ないということがわかった.そのため,若者の価値観のギャップを測る上で購買行動という視点から今回採用した
価値志向性尺度の 4 タイプと筆者が作成した購買重視頄目のなかの【値段】
・
【デザイン】
・
【ブランド】
・
【機能性】
の 4 タイプを用いた.
購買時に何を重視しているかを測るために【値段】
・
【デザイン】
・
【ブランド】
・
【機能性】の 4 カテゴリの頄目で聞
き,また何かを実際に買うのを想定してもらうために具体的な商品の種類を挙げた.その品目としては,
【腕時計】
・
【コーヒー・紅茶】
・
【洋朋】
・
【携帯電話】
・
【文房具】
・
【食器】
・
【財布】
・
【化粧品・整髪料】
・
【調理用具】
・
【バック】
・
【カーテン】
・
【シャンプー】の全 12 品目を【値段】
・
【デザイン】
・
【ブランド】
・
【機能性】の 4 カテゴリについて
尋ねた.商品の大まかなカテゴリで購買時の重視頄目の選択に違いが起きる可能性があるのではないかということ
と,いくつかカテゴリを用意することで商品の種類によって偏りが起きるのを防ぐために次の 3 カテゴリに分けた.
【腕時計】
【携帯電話】
【財布】
【バック】これらは嗜好品であり,
【コーヒー・紅茶】
【文房具】
【化粧品・整髪料】
【シャンプー】これらは消耗品であり,
【洋朋】
【食器】
【調理用具】
【カーテン】これらは生活用品である.3 カテ
ゴリをそれぞれ【嗜好品】
【生活用品】
【消耗品】を 4 問づつ用意した計 78 問である.
④ 分析方法
仮説①分析方法:価値志向性尺度の 4 タイプ【社会志向型】
【権力志向型】
【経済志向型】
【理論志向型】それぞれ合
成得点を作り,平均値を比較した.
仮説②-1 分析方法:価値志向性尺度の 4 タイプのうちの【社会志向型】を独立変数にして購買重視頄目の 4 カテゴ
リの【値段】
【デザイン】
【ブランド】
【機能性】を従属変数にして 1 要因の分散分析を行った.
64
仮説②-2 分析方法:価値志向性尺度の 4 タイプのうちの【権力志向型】を独立変数にして購買重視頄目の 4 カテゴ
リの【値段】
【デザイン】
【ブランド】
【機能性】を従属変数にして 1 要因の分散分析を行った.
仮説②-3 分析方法:価値志向性尺度の 4 タイプのうちの【経済志向型】を独立変数にして購買重視頄目の 4 カテゴ
リの【値段】
【デザイン】
【ブランド】
【機能性】を従属変数にして 1 要因の分散分析を行った.
仮説②-4 分析方法:価値志向性尺度の 4 タイプのうちの【理論志向型】を独立変数にして購買重視頄目の 4 カテゴ
リの【値段】
【デザイン】
【ブランド】
【機能性】を従属変数にして 1 要因の分散分析を行った.
■仮説①についての結果
仮説①結果:価値志向性尺度の 4 タイプでは【社会志向型】が他の志向性と比べて高いという仮説だったが平均値を
求めたところ仮説どおり価値志向性尺度の 4 タイプの中では【社会志向型】が他の志向性と比べて多いという結果が見
られた.(図 1 価値志向性尺度 4 タイプの平均値)【社会志向型】が他の志向型と比べ多いということは,大学生は空気
を読むということである.
図 1 価値観のタイプ別価値志向性因子得点
■仮説②についての結果
仮説②-1:
【社会志向型】を独立変数とし,購買重視頄目の 4 カテゴリの【値段】
【デザイン】
【ブランド】
【機能性】
を従属変数にして 1 要因の分散分析を行った結果,他の重視頄目と比べ【ブランド】は有意な差が見られた.[F(19,280)
=4.10,p<.05](図 2 社会志向型における購買重視頄目の 4 タイプの平均値)
*
*
*
F(19,280)=4.10,p<.05
図 2 社会志向型における購買重視項目の 4 タイプの平均値
仮説②-2:
【権力志向型】を独立変数とし,購買重視頄目の 4 カテゴリの【値段】
【デザイン】
【ブランド】
【機能性】
を従属変数にして 1 要因の分散分析を行った結果,他の重視頄目と比べ【ブランド】は有意な差が見られた.(図 3 権
力志向型における購買重視頄目の 4 タイプの平均値) [F (15,272)=3.74,p<.05]
65
*
*
*
F(15,272)=3.74,p<.05
図 3 権力志向型における購買重視項目の 4 タイプの平均値
仮説②-3:
【経済志向型】を独立変数とし,購買重視頄目の 4 カテゴリの【値段】
【デザイン】
【ブランド】
【機能性】
を従属変数にして 1 要因の分散分析を行った結果,他の重視頄目と比べ【ブランド】は有意な差が見られた.(図 4 経
済志向型における購買重視頄目の 4 タイプの平均値)[F (19,280)=4.10,p<.05]
*
*
*
F (19,280)=4.10,p<.05
図 4 経済志向型における購買重視項目の 4 タイプの平均値
仮説②-4 結果:
【理論志向型】を独立変数とし,購買重視頄目の 4 カテゴリの【値段】
【デザイン】
【ブランド】
【機
能性】を従属変数にして 1 要因の分散分析を行った結果,他の重視頄目と比べ【ブランド】は有意な差が見られた.(図
5 理論志向型における購買重視頄目の 4 タイプの平均値)[F (18,267)=1.65,p<.05]
*
*
*
*
F (18,267)=1.65,p<.05
図 5 理論志向型における購買重視項目の 4 タイプの平均値
66
■仮説①についての考察
本研究における仮説①は価値志向性尺度【社会志向型】
【権力志向型】
【経済志向型】
【理論志向型】の中では【社会
志向型】が他の志向性と比べて高いという仮説であった.仮説①を分析した結果(図①価値観のタイプ別価値志向性因
子得点)は他の志向型に比べ【社会志向型】が若者に重視されているということが明らかとなった.土井(2008)が指摘
するように,現代社会における若者たちは,自分の対人レーダーがきちんと作動しているのか確認しあい,また,全国
大学生協連(2008)に見られるように,83%もの大学生が空気を読むことを意識している.こうした点からも明らかなよ
うに,現代の大学生は周りと協調することに価値を置いた志向型である【社会志向型】に当てはまる傾向にある.つま
り,現在メディアなどで取り上げられているように若者は周りの空気を読むといえるのだろう.
■仮説②についての考察
仮説 2 については図 2・図 3・図 4・図 5 の結果からもわかるようにほぼ全て同様の結果であった.この結果から考
えられることは価値観と購買行動に関しては大きな違いは起きないということだろうか,もしくは大学生の購買行動に
関してはある一定の偏りが起こるといえるのではないだろうか.
ここでは,先行研究と今回の結果を比較し考察を行っていこうと思う.まず,仮説②-1 では【社会志向型】は購買
行動時における【デザイン】を重視する,結果としては【機能性】が最も多く次いで【デザイン】ということであった
のでここから先行研究と比べ考察する.
【機能性】が最も多かったということから現代の大学生は周りと合わせる【社
会志向型】が多いが購買行動時には商品の【機能性】つまり,品質・性能などを重視し,そのうえで【デザイン】を重
視するということがいえる.大学生自体の経済状態には働いている人と比べてみて余裕があるようなものではないとい
えると考えた.丁ら(2006)によれば,買い物時における価値意識の特徴は欲求的価値は経済的な余裕に比例して重要
視されるということが指摘されている.このことから,大学生購買時に重視する頄目として【ブランド】は基本的に高
額なものが多く大学生は経済的な余裕があるとは言い難いため他の重視頄目と比べ【ブランド】は有意に低いのではな
いだろうかと考えられる.結果から見えてくるものは大学生は機能性とデザインを重視して見た目,機能性,品質など
についてブランド物と比べても遜色ないものを選択する,ということである.そして,ブランド物のブランドという言
葉にはもともとは品質の良さそれらを保証するという意味合いがある.また,有名なブランド物の価格が高いのには品
質の良いモノを長期にわたって売ってきたという実績の下にあるのでブランド物は品質の保証という観点から価格が
高いといえる.現代の若者,大学生はブランド物を選ぶのに足りていない経済的余裕を補うためにブランド品の品質を
重視するということがいえるのだろう.
■総合考察
今回,調査した結果としては全体としては【社会志向型】を他の志向型と比べ,現代の若者は空気を読むことを重視
しているということが証明された結果であるといえるのだろう.現代の若者は自分自身の人間関係を円滑に行っていく
ために空気を読み,周りと合わせるのである.なぜなら,自分自身の考えを通して生きていくには厳しく周りとの関係
をうまく進めなければ多くの場合トラブルなどが起こり自分自身の心を気付くけることにもつながってしまうのだろ
うと考える.そう考えると,社会人などは仕事関係から考えると状況に合わせて周りのことを考え空気を読むという行
為を行っていると考えられる.自分だけではなく周りの気持などを配慮したうえで人間関係を円滑に行っていくことが
重要であるということなのだろう.
しかし,大学生は学校などの人間関係について,相手のことを考え空気を読むという行為を行っているのではなく,
自分の立場を維持するために,空気を読むという行為を多く行っているのだろう.ではなぜ,現代の若者にとって空気
を読むとことが必要であり,また実際に空気を読むという行為を行っているのであろうか.例えばこう考えられるので
はないか.
67
現代の大学生は,自分自身の人間関係になんかしらの不満を持ちながらも,現在の人間関係から抜け出すことの方が
怖く,抜け出すことで自分自身が傷つくことを恐れて,自分の考えよりも周りと合わせることでその関係を維持するこ
とを優先しているのではないだろうか.だが,そういう関係でいいのだろうか自分自身の意見を伝えることよりも相
手,もしくは集団の意見を重視していることは,あまりにも日本的な気質といえるのだろう.だが,そうするのであれ
ば今も昔も若者の考え方にはその上の世代はおかしいというが大きな意味合いではこの国住んでいる日本人に関する
性格などは変化していっているのではなくそのまま推移しているといえる.
そもそも,日本人観は間違っていて日本人とはこうあるべきであるという考え,日本人像がその時々における若者に
入り込んでいき,より日本人像というものに近づいて行っているのではないだろうか.しかし,現代の若者は前の世代
に比べより日本人像に近くなっているのではないだろうかと考えていく上での理由としては前の世代は事実がどうで
あったにも関わらず.それまでの日本人はこうであったが,しかし現代の若者は違うというように報じられることで,
日本人の同調実験における結果の傾向からわかるように自分自身ではこうであるという考えがあったとしても周り(こ
こではメディアや周りの上の世代)から違うということを言われることでそうした方がいいのではないだろうかという
考えになってきてそれは自覚なく行われていくのだろう.
■引用文献
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全国大学生協連 2008 http://www.univcoop.or.jp/(10/2).
68
第2章 セルフモニタリング傾向と拒否不安との関連
-他者がいることでできることもある-
新井 理恵
■はじめに
私には,苦手な虫がいる.その虫を見つけると怖いと感じるためか,とにかく逃げるし,時にはその場から動けなく
なってしまうことすらある.自宅でその虫を見つけた際には,先に示したようにまっさきに逃げ出し,家族に依頼して
虫を退治してもらうことが常である.家族がいない時には,遠くから様子をうかがって虫がどこか別の場所に移動する
のを待つなど,自分から関わろうとはしない.しかし,このような体験をしたことがあった.自宅では逃げだすほど怖
いと感じていたにもかかわらず,アルバイト先では全く逆の行動をとった.他のアルバイトの方に相談しても,怖い・
気持ち悪いと言われてしまいなかなか解決には至らなかった,という状況であったということもあるかもしれないが,
逃げたくなるほど苦手な虫をアルバイト先では退治することができたのだ.なぜ,普段であれば逃げ出すほど苦手な虫
だったにもかかわらず,アルバイト先では退治することができたのだろうか.これが本研究のきっかけである.
■恐怖が行動をひきおこす
たとえば,前述した筆者の体験では,虫を見つけたことに対して「恐怖」を感じる.この,虫を見つけた際に感じる恐
怖は,「普遍的な恐怖」とよばれるもので,動物や嵐や雷など,いわば自然に対する恐怖である.普遍的な恐怖は,人が,
狩猟採集の生活をしていた時に生まれたもので,当時,周囲の環境は危険に満ちていたことから,その危険を避けるた
めに恐怖の感情が発達した.「恐怖」の感情には,特徴として,
“危険と結びついていること”
,
“行動を準備させること”
などがあげられる.恐怖を感じると,手に汗をかいたり,その場から動けなくなってしまったりすることもある.これ
は,感情に身体的な反応を引き起こし,行動を起こさせる機能があるためである.これは,感情進化説からの説明が可
能である.恐怖という感情を「感情=進化説」の視点から検討すると,「恐怖」という感情は自らの身を守るために「危険」
というキーワードと結びつく.そして,危険と結びついた恐怖によって,自身の身を守るため「逃げる」「闘う」といった
行動を引き起こすのだ(Franç&Christpohe,2001).そのため,筆者も虫を見つけた際に逃げることと,退治すること
(闘う)の行動をとったと考えられる.しかし,行動を起こす際に必ずしも恐怖という感情が喚起されるわけではない.
他に要因があるとすれば,どういったものがあるだろうか.
■役割と自己呈示
人は,他の人との間に一定の関係を持ち続けていくことで生存し,自らの役割に合うような態度と行動を常に周囲か
ら期待されている(梶田,1988).平井(2000)によると人は知らず知らずのうち,他者がいる時といない時とでは行動に
違いがあるとい言われている.そのため,第 1 節でも述べたように必ずしも恐怖の感情が行動に伴っているわけではな
い.平井(2000)が述べているように,他者の存在やその人物との関係性により行動が異なったのだといえるだろう.
例えば,他者の目を感じる自分と,その他者からの期待や要望により新たな役割がうまれたと考えられる.役割とは,
社会における個人の地位によって決定される,社会的に期待される行動群を指すもので,その立場にある者が実際に行
う行動というよりも,行うべき適切な行動という意味を持つ(松本,2002).
また,これらの役割は他者によって異なるといえる(山田,2004).例えば部活動での部長としての役割,アルバイ
ト先での一番下っ端としての役割など,様々なものが挙げられる.役割が異なるならば,役割に対する周囲からの期待
もそれに見合ったものとなることは容易に想像でき,その役割に応えることで自身の評価を高めようとすることもある
だろう.こうした,自分にとって望ましい印象を他者に与えようとする行為を自己呈示(self-presentation),あるいは
印象操作(impression management)という(Goffman,1959).日常生活の中では「他者から好意を持たれたい」という自
69
己呈示が自己呈示の形態で大きな部分を占めるものであるといわれており,これを「取り入り」という(井上ら,2005).
前述した筆者の体験を,この,取り入りに当てはめて考えるならば,他のアルバイトの方に良い印象を持たせたいがた
めに虫を退治することが出来たと考えられる.また,自己と他者との関係性に焦点があてられた研究で,山田(2004)は,
他者に合わせた自己を自ら形成することである「外なる自己」を提唱し,外なる自己により,他者とのコミュニケ-ショ
ンが円滑になされるようになると述べている.外なる自己とは,他者にあわせて表出される自己であり,職場での自分,
家庭での自分,友人といるときの自分,夫,妻,彼氏,彼女といるときの自分など,他者が異なることで自己も異なる
というものだ.さらに,平井(2000)において,対人関係に関する先行研究の中では相手によって人は態度や行動を変え
ることや,他者が人の行動に影響を及ぼしているということを指摘していることからも,振る舞いや行動は周囲から影
響を受けているということが言える.
■セルフモニタリング
例えば,日常生活の中で「合コンに行こう!」と友人に誘われた場合,出席することは決めたものの当日どんな朋装で
行こうか迷ってしまう,といった話は誰もが耳にしたことがあるだろう.初めて出席する場合には,ラフな格好でいい
のか,それとも尐し気取って行ったほうがいいのか等,気になるものだ.こうした場合,最終的に何を手掛かりとして
着ていく朋を決めることになるだろうか.朋を選ぶための方法として,まず,合コンの会場においてどのような朋が適
切なのかという情報を集め,集めた情報に基づき決めた朋を着ていくというやり方がある.例えば,一緒に出席する友
人に尋ね,その場に合うと思われる朋を選ぶといったことがあげられる.次に,とにかく自分の好きな朋を着ていくと
いうやり方があるだろう.例えば,自分がラフな朋装を好むのであれば,他者の意見は気にせずにラフな朋装で出かけ
ればよい.朋を選んで決定するという例では,どのように行動するかを決める際に,何が適切な行動なのかを外部の手
掛かり(他者の行動など)に頼るのか,もしくは,自身がもとから持っている感情や態度など,内的な手がかりを用いる
かを示している(安藤,1994).
このように,外的な要因を手掛かりにするのか,内的な要因を手がかりにするのかといった使用法には個人差がある
ことに着目し,Snyder(1974)は,セルフモニタリングを提唱した.セルフモニタリングとは,対人場面において,自
身のおかれた状況が自身にどういったことを求めているのかということ察知し,自己呈示や感情表出などをモニタ-す
ることを指す.また,Snyder(1974)は,セルフモニタリングの度合いを測定するためにセルフモニタリング尺度を作
成した.セルフモニタリング傾向の高い人は「この場所は自分に何を要求していて,どうしたらそれに合致した人間に
なれるか」ということを追及するため,状況が変わると行動もそれに伴って変動する.逆にセルフモニタリング傾向の
低い人は状況を通して一貫した行動を取りやすいといわれている.つまり,セルフモニタリング傾向の高い人は合コン
では明るく振る舞い,周囲の人を楽しませようとし,ゼミでは真面目な顔で討論に臨むだろうというように行動が変化
しやすく,セルフモニタリング傾向の低い人は状況が変わっても一貫した行動を取りやすいということから,合コンで
もゼミでも周囲の人を楽しませようとするというように,行動に一貫性がみられるといえる.
■青年の対人関係
前述したように,我々は他者や周囲の状況に尐なからず影響を受けながら生活している.特に青年期は多様な人間関
係が形成されていく時期である(小迫,2007)であり,対人関係において多くの困難を抱えるとされている.こうした青
年の対人関係に焦点をあてた研究においては,青年の特質として“表面的な関係を求める傾向”
,
“傷つくことを恐れる
傾向”
,
“深いかかわりを回避する傾向”が見出されている(岡田,1995).一方で,青年にとって友人は生活の多くの面
に影響をもつより関係を深めたいと思う重要な他者であり,友人に受け入れられたいという欲求をもっていることが示
唆されている(吉岡,2007).また,良好な関係を維持するために自分を他者に合わせてしまう現状があることも指摘さ
れている(上野ら,1994).
70
■問題と目的
先行研究では,青年の対人関係において“表面的な関係を求める傾向”
,
“傷つくことを恐れる傾向”
,
“深いかかわり
を回避する傾向”があることが明らかにされている一方で,他者とのかかわりや,深い関係を求めていることが示唆さ
れている.もし,青年が他者に受け入れられることを必要としないのであれば,周囲に目を向け,場に合致した行動を
とる必要はない.つまり,他者との深いかかわりを求めているという点を,無視することはできないと言えるだろう.
そこで,本研究では,周囲の状況に合わせて行動するセルフモニタリングと,相手からの拒否を恐れることとの間に
関連があるかどうかを検討するため,以下の仮説を立てた.
仮説:セルフモニタリング傾向の高い人は,拒否不安も高い.
以上の仮説を明らかにすることを本研究の目的とする.
■方法
本研究では,質問紙による調査を以下の通りに実施した.
【調査協力者】本学学生,150 名を対象に実施.このうち,極端な回答であった 1 名を除く 149 名を分析対象とした.
【調査手続き】2009 年 12 月 10 日に実施.人の行動についての質問であることと,結果は統計的に処理をすると教示
したうえで講義の合間などを利用し本学の学生に筆者や友人を介して配布,その場で回収した.
所要時間は 5 分程度であった.
【 調査内容 】岩淵ら(1982)による Snyder(1974)のセルフモニタリング尺度の日本語版から外向性,他者志向性,演
技性の各因子を 3 頄目ずつとセルフモニタリング尺度独自の頄目 1 頄目を選び,計 10 頄目を使用.親
和性動機については,杉浦(2000)の親和動機尺度から拒否不安を表す 10 頄目を使用した.
セルフモニタリング尺度,拒否不安ともに評定は,「1.全くあてはまらない」から「5.非常にあてはま
る」までの 5 件法を用い,「あなたご自身のことについてうかがいます.あてはまると思う数字に○をつ
けてください.」と教示した.
【 分析方法 】各尺度の合成得点を作成し,セルフモニタリング傾向のみ低群(1.00~2.80),高群(3.20~5.00)の 2 群に
分けた.そしてセルフモニタリング傾向の高低を独立変数にし,拒否不安の合成得点を従属変数とし
て t 検定を行った.
■結果
分析ソフト SPSS を使用し,セルフモニタリング傾向の低群(1.00~2.80),高群(3.20~5.00),拒否不安の合成得点を
作成した.セルフモニタリング傾向の高低を独立変数に,拒否不安の合成得点を従属変数に設定し t 検定を行った.n
数はセルフモニタリング傾向の低群が 54 人,セルフモニタリング傾向の高群が 59 人であった.結果,有意な差がみ
られた(t(111)=2.03,p<.05).
よって,セルフモニタリング傾向の高い人は,拒否不安も高いといえる(グラフ内では,セルフモニタリングを SM
と略す).
71
5
*
4
3.31
2.95
3
2
1
SM2高群
SM 1低 群
郡
t(111)=2.03,p<.05
図 1 セルフモニタリング傾向低群・高群と拒否不安の平均値
■考察
本研究では「セルフモニタリング傾向の高い人は,拒否不安も高い」との仮説を立て,検討を行った.結果,拒否不安
において,セルフモニタリング傾向高群とセルフモニタリング傾向低群の間に有意な差が見られた.つまり,セルフモ
ニタリング傾向の高い人は拒否されたくないと感じているといえる.
セルフモニタリング傾向の高い人の特徴として,他者の振る舞いや周囲の状況に合わせて行動することが明らかにさ
れている(Snyder,1974).セルフモニタリング傾向の高い人の場合,行動の基準である他者から拒否されるということ
は,極端な話,自分がどのように振舞ったら良いのかという手本を失うことになる.そのため,拒否不安も高くなった
と考えられる.つまり,青年が一人では行動できないという問題を抱えているということがあげられる.誰かと常に一
緒にいなければいられないような人間関係が形成されていることが,仮説を支持する結果となったのだろう.岡田
(1995)が青年は傷つくことを恐れる傾向をもっていることを明らかにしていることや,上野ら(1994)が若者は良好な関
係を維持するために自分を他者に合わせてしまう現状があることを指摘している.このことからも,傷つきたくない,
良好な関係を維持したい,という思いから周囲の状況や他者に合わせた行動しており,拒否をされたくないということ
から,周囲の状況や他者に合わせてしまうと考えられる.
また,今回の調査では,フェイスシート等で想起する人物や状況を明示しなかった.親和動機尺度は主に学校での適
応状態を測ることに適しているものであり,質問頄目でも“仲間”という卖語が使用されている.このことから,調査
協力者が想起する人物は共通して友人であると考えられる.しかし,例え同じ友人であってもそれが親友と呼べるよう
な深い仲の人物であるのか,それとも,クラスメイトといったように特別視していない人物であるかによって,セルフ
モニタリングの度合いや,拒否不安の度合いも異なると考えられないだろうか.これまでの友人との会話を思い返して
みても「友人より,親友に嫌われたくない.」と言っていたのを聞いたことがある.この発言からもわかるように,友人
よりも親友だと思って信頼している人物に拒否されることと,卖なるクラスメイトという認識の人物に拒否されること
では,拒否に対する不安に違いがあることが分かる.つまり,セルフモニタリング傾向の高低差に関係なく,親友のよ
うにより親しい人物であること,信頼していると感じられているかという点が,より拒否されたくないと感じさせてい
るのではないだろうか.そのため,友人という大きなカテゴリの中で見るのではなく,対象をより細かく分けて見てい
くことはもちろん,状況もより明確に提示しての調査が必要であるといえるだろう.
しかし,調査の結果から,セルフモニタリング傾向の高低にかかわらず,拒否不安に対する回答の平均が 4(ややあて
はまる)には達していないことから,青年は他者から拒否されないということを重視すべきこととは考えておらず,む
しろ,それほど気に掛けていないともとらえることができるだろう.
72
岡田(1995)が明らかにしているように,青年が表面上の関係を重視しているとするならば,仮に他者から拒否された
ことによってその人との関係がそこで終ってしまっても,関係が断たれたことを問題とはしないだろう.そのため,表
面上の関係しか持たない相手であれば,簡卖に関係も断ち切ることができるのかもしれない.また,衝突を避け,極力
相手を傷つけないようにするといった点に着目するならば,そもそも青年は,お互いに相手から拒否されるような関係
を築くことはしていないことになる.だとすれば,対人場面において他者から拒否されるといった場面に遭遇すること
もあまりないものと考えられる.
■おわりに
この研究で,セルフモニタリングの高い人は拒否不安も高いということは明らかにすることができました.また,研
究のきっかけであった,どうして,アルバイト先では虫が退治出来たのかということに関しても一つの答えは出なくと
も,様々な点から検討できることを知ることがでたことは,私にとって,大変有益なことでした.これまで,なんとな
く毎日を過ごしてきた自分が,日常の些細な出来事に疑問を感じ,それについて考えようと思えたのは,奥田ゼミに入
ったからこそだと言えます.
奥田ゼミでの 2 年間は,私にとって新しいことばかりでした.奥田ゼミは厳しいと有名だったこともあり,2 年間や
り通すことなど出来ないだろうと思っていました.しかし,こうして終りが近づき,これまでを振り返ってみるとあっ
という間に感じます.ギリギリまで迷っていた私にとって,奥田先生がやってみればいいと仰って下さったことは大き
なきっかけでした.はじめのうちは,研究室に行くことが申し訳なくて,おどおどしていたことも多かったように思い
ます.ですが,先生は快く迎えて下さいました.本当に嬉しかったです.ありがとうございました.
そして,奥田先生の指導のもと,ゼミの仲間たちに出会えたことを本当に幸せに思います.奥田ゼミに入らなかった
ら,みんなとはかかわりを持てなかったことでしょう.青木くん,後藤さん,長沼くん,原田さん,針谷くん,三田さ
ん,三井さん,山口さん,米島さん.個性的な仲間たちに囲まれて過ごした 2 年間.一緒に頑張ろうといってもらえた
ことが本当に嬉しかったです.奥田先生や素晴らしい仲間に出会えたことは,大学生活の中で私が大切にしたいことの
ひとつです.
人前に立つことが得意ではなかった私も,ゼミでの活動を通して,尐しは苦手で無くなったように思います.人に依
頼をするというように,自らアクションを起こすことや自分の考えを言葉にするといったことは,まだまだ課題として
残ってしまいましたが,自分にとって必要なものであると気付くことが出来たのも,奥田ゼミのおかげです.逃げ出し
たこともたくさんありましたが,これまで支えて下さった奥田先生や,ゼミの仲間たちに心から感謝しています.本当
にありがとうございました.また,3 年生の皆さん.皆さんがゼミの活動等に取り組む熱心な姿は私にとってとても眩
しいものでした.頑張りすぎて,体調など崩さないようにしてください.
最後になりますが,調査にご協力くださった本学学生の皆さん,本当にありがとうございました.また,これまで熱
心にご指導くださった奥田雄一郎先生,ゼミの仲間たちに改めて心から感謝申し上げます.
本当にありがとうございました.
73
■引用文献
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FrançLelord & Christpohe Anderé 2001 La force des emotions.:Odile Jecob.(高野優訳,感情力 感情をコントロール
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平井美佳 2000 問題解決場面における自己と他者の調整,教育心理学研究,48,462-472.
井上俊 船津衛(編)
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岩淵千秋 田中國夫 中里浩明 1982 セルフモニタリング尺度に関する研究 心理学研究,53,54-57.
Goffman,E. 1959 The Presentation of Self in Everyday Life,Doubleday:Anchor.(石黒穀訳,行為と演技-日常生
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吉岡和子 2007 友人関係における”自己の在り方をめぐる葛藤”にかんする研究,九州大学心理学研究,8,195-200.
74
第3章 大学生の自己の多元化と不安・葛藤に対する対処方略
後藤 美里
■従来型の自傷行為と現代型の自傷行為
これまでリストカットは自傷行為の一種として考えられ,主に精神疾患に付随した行為として研究されてきた.しか
し,現代型の自傷行為は,そうした従来の視点とは異なる視点から研究が行われている.
従来型の自傷行為と,現代型の自傷行為の間にはどんな違いがあるのだろうか.それは従来型の自傷行為が火傷,シ
ンナーなど様々な手段・方法を用いるのに対して,現代型の自傷行為は直接身体に刃物で傷をつける行為を選ぶ人が多
いという点である.また,現代型の自傷行為を行う人は刃物で傷をつける部位として,身体の中でも手首を傷つけるも
のが特に多く,リストカットという名称がつくまでになった.
■リストカットの動機
山田(2007)によれば,リストカットを行う動機は,青年期における同一性形成が十分に達成されていないために感じ
る対象喪失,分離の葛藤などから生じる失意体験,それがもたらす怒り,不安,緊張,抑うつなどを解消する試みであ
るとされている.また,角丸ら(2005)は,リストカットを,カッティングを通して自己イメージを表出させることによ
り,壊れそうになっている自己同一性を回復しようとしている存在論的な努力と位置づけている.
以上の先行研究に共通していることは,アイデンティティの確立が発達課題となる青年期特有の自己の不安定さを,
身体を傷つけることで解消する試みとしてリストカットを捉えている点である.言い換えれば,リストカットは,アイ
デンティティの確立の最中にある青年期特有の不安・葛藤を解消するために,自己の身体に傷をつけ,不安・葛藤の解
消をしようとする試みである,ともいえる.つまり,リストカットと呼ばれる現象は,青年期のアイデンティティや自
己と呼ばれる問題と切り離して考えることはできないのだ.
■自己の多元化
これまで自己の研究では,自己は概ね卖一不変なものとして考えられてきた.しかし,近年若者の自己は変化し,強
固に一貫した自己はゆるやかにほどけはじめ(浅野,1999),従来のように一貫した自己とは異なる自己の在り方となっ
ていることが指摘されている.
浅野(1999)は社会学の立場から,社会の変化に伴う自己の変化を指摘している.浅野(2003)によると,これまで親密
な関係を取り結ばれる場は,主として家族,夫婦,恋人など生活の広範な文脈を共有し,離脱することが難しい,包括
的コミットメントであったとされている.例えば,家族は恋人のことを知っているし,恋人は友人のことを知っている
し,といったように,複数ある関係が密接に重なり合っているような状態である.生活の広範の文脈を共有していると
いうことは,ある関係の中で過ごしている「私」は,常に他の関係を形成する他者からも見られているということである.
そのため,どこにいても同じ「私」,つまり一貫した自己が求められる.
しかし,現代社会においては浅野(2003)が指摘するように,包括的コミットメントから選択的コミットメントへと親
密な関係を取り結ばれる場がシフトしつつある.選択的コミットメントとは,参入・離脱の比較的安易な関係において,
生活の文脈を限定的・選択的にのみ共有するような場のことである(浅野,2003).選択的コミットメントにおいては,
包括的コミットメントのように一貫した自己が要求されることはない.包括的コミットメントのように,複数ある関係
が重なり合っているわけではないため,どこから見ても同じ「私」である必要がないのである.例えば,インターネット
を介して知り合った友人とはテンション高く話し,大学の友人とは比較的大人しく話す.このような一見相反する,し
かしどちらも本当の「私」であることが可能なのだ.選択的コミットメントにおいては,こうした卖一不変ではない,可
75
変的で多元的な自己がみられる.こうした自己は,複数の「私」を使い分けてはいるが,どれか 1 つが「本当の私」で他の
自己は「偽りの私」というわけではない.複数ある「私」のうち,そのどれもが「本当の私」なのである.こうした関係に応
じて変化する自己の在り方を,自己の多元化と呼ぶ.
■自己意識による自己の在り方のタイプ
浅野(1999)は自己の多元性に着目し,
自己意識の違いをもとに自己の在り方のタイプを分類した.
以下の図1に示す.
戦略的自己
多元的自己
自己の
【自己の戦略性】
状況性
自己一元型
仮面使い分け型
【自己の仮面性】
素顔使い分け型
非戦略的自己
仮面複数型
【自己の仮面性】
素顔複数型
図 1 自己の多元性による自己意識の類型化(浅野,1999 を元に筆者が作成)
はじめに,自己は場面によって変化しているかの「状況性」,そして自己が場面によって変化している場合,その使い
分けが自覚的なものか無自覚的なものかを分ける「戦略性」,最後に「本当の自分」を前提として仮面のような偽りの自己
を使い分けているのか,それとも複数ある自己のどれも「本当の自分」「素顔の自分」とみなしているのかどうかを「仮面
性」として分類している.
浅野(1999)は,アンケート調査から,上記に記した自己のタイプによる違いを明らかにしている.自己一元型は,「自
分には自分らしさがあると思う」という質問頄目,自己肯定感因子,自己一貫志向因子の肯定率が最も高い.逆に,多
元的な自己のなかでも「仮面性」を認めるタイプでは肯定率が低くなっており,特に仮面使い分け型が最も低い.また,
自己拡散因子においては,自己一元型で最も低く,仮面使い分け型で最も高くなっており,アイデンティティ拡散によ
ってもたらされるとされるネガティブな意識,虚無感や孤独感を同じような傾向を示している.以上のアンケート結果
からは,多元的な自己の 4 タイプは自分というものが確立できておらず,非常にネガティブにみえる.しかし,自己の
4 タイプのうち,素顔複数型は,各質問頄目・因子の傾向が自己一元型にかなり近いことから,必ずしも多元的な自己
はネガティブなものではなく,自己の各タイプ間の差は大きいことが分かる.
■自己の在り方に対する意識の違い
心理学においても近年,これまで見てきたような社会学的研究と同様に,自己は卖一不変ではなく,関係や文脈に応
じて多面的かつ可変的であるという考え方が取り入れられつつあることが指摘されている.佐久間(2001)は,関係によ
って変化する自己に着目し,関係的自己という視点から研究を行っている.大学生の自己の変化理由に着目した調査で
は,大学生の自己の変化理由には「他者考慮」(他者の気持ちや性格を考慮して自己を変化させるもの),「関係の質」(自分
と相手との関係の質によって自己を変化させるもの),「演技隠蔽」(本当の自分を隠すため自己を変化させるもの),「自
己理解願望」(相手に自分を理解してほしい願望のあらわれとして自己を変化させるもの),
の 4 つがあることを明らかに
した.また,4 つの変化理由と,変化に対する肯定的意識・否定的意識の差についても調査が行われている.自己が変
化することについて,「他者考慮」は肯定に捉えている面も否定的に捉えている面も両方あり,「関係の質」は肯定的に捉
えており,「演技隠蔽」と「自己理解願望」は否定的に捉えているということが明らかになった(佐久間,2001).
さらに,佐久間ら(2003)の調査では,自己を変化させることについて肯定的意識を持つ人は,社交性と他者志向性が
高いことから,肯定的意識は社交性と他者志向性の両方と関連が強いことが明らかにされている.また,「演技隠蔽」
において,男性では肯定的意識との関連が,女性では否定的意識との関連が強いことを明らかにしている.
76
浅野(1999)と,佐久間(2001)と佐久間ら(2003)の研究にはいくつかの共通点が見られる.第一に,現代の若者の自己
を可変的・多元的として捉えていること,その中でも無自覚に自己を変化させているかどうか,変化を自然・当然と考
えているかによっていくつかのタイプに分かれると捉えていることである.第二に,自己のタイプや性別によって自己
肯定感やネガティブな意識にも違いがあることである.現代社会における若者の自己は多元化している,というだけで
なく,いくつかのタイプがあり,複数の自己の在り方が存在しているのであると考えられる.
■問題と目的
先行研究では,自己は卖一不変なものであるという前提のもとリストカットの研究が行われていた(角丸ら,2005).
リストカットを行う若者は,一貫した自己を持つことができず,アイデンティティ拡散による不安・葛藤が生じ,その
不安・葛藤を解消するためにリストカットを行うというように考えられてきた.しかし,これまで見てきたように,近
年の若者の自己は,一貫した自己というより,可変的・多面的であることが指摘されている.そのため,本研究では,
自己は可変的・多面的であるという視点から,自己のタイプごとの違いに着目した調査を行う.「素顔使い分け型」「仮
面使い分け型」「素顔複数型」「仮面複数型」の 4 つのタイプの違いが,青年期特有の自己という問題からもたされる不
安・葛藤を解消する方法として,リストカットのように身体に向くかどうかに影響しているのではないだろうか.以上
のことから,本研究は,自己のタイプの違いが,不安・葛藤解消に対する対処方略に影響するのかどうかを検討する.
そこで,本研究では先行研究から以下の 2 つの仮説をたてた.
仮説 1:素顔使い分け型の女性は,男性に比べて 不安・葛藤の解消が身体に向く傾向が強い.
仮説 2:素顔複数型は, 仮面使い分け型に比べ, 不安・葛藤の解消が他者に向く傾向が強い.
以上 2 つの仮説を検討することを本研究の目的とする.
■方法
調査協力者:群馬県内の大学 3 校の学生 339 名 (女性:155 名,男性:184 名)
手続き:2009 年 10 月下旪から 11 月上旪にかけアンケート調査を実施した.回答方法は,A 大学の学生は講義内で質
問紙を配布,その場で回答してもらい,回収した.A 大学以外の大学の学生は,友人を通してサークル等で配布,そ
の場で回答してもらい,回収した.所要時間は約 10 分であった.
調査内容:1)フェイスシート.性別の記入を求めた.
2)多元化する自己(浅野,1999).1,全くあてはまらない,2,あまりあてはまらない,3,ややあてはまる,4,非常
にあてはまるの 4 件法であった.浅野(2006)が作成した多元化する自己尺度の中から「場面によってでてくる自分
というものは違う」「意識して自己を使い分けている」「自分の中には,うわべだけの演技をしているような部分があ
る」の 3 頄目を使用し「あなたに当てはまると思う数字に○をつけてください」と教示した.
3)コーピング・カテゴリー(坂田,1989).1,全くしない,2,あまりしない,3,時々する,4,よくするの 4 件法で
あった.19 カテゴリーの中から【被支持】
【協力・援助の依頼】の 2 因子を使用し「あなたは何か不安に思ったと
き,悩みをもったとき,どのように考えたり,行動したりしますか.当てはまると思う数字に○をつけてください.」
と教示した.
4)自傷尺度(岡田,2002).1,全くしない,2,あまりしない,3,時々する,4,よくするの 4 件法であった.29 頄
目のなから,直接身体に働きかける頄目を使用した.使用した頄目は,爪を噛む,手や足,頬をつねる,手や足を
噛む,皮フに爪を立てたりひっかいたりする,髪の毛をかきむしる,刃物で体を傷つける,やけ食いをする,無理
やり吐く,かさぶたやささくれを取るの 9 頄目であった.
分析方法:SPSS を用いて分析した.まず,浅野(1999)に基づき,自己のタイプを 4 つに分けた.以下の図 2 に手項を
示す.Q1 は「場面によってでてくる自分というものは違う」,Q2 は「意識して自分を使い分けている」,Q3 は「自分
77
の中には,うわべだけの演技をしているような部分がある」であった.また,「全くあてはまらない」「あまりあてはま
らない」と答えたものを質問に対し否定的な意識であるとみなし「No」,「ややあてはまる」「非常にあてはまる」と答え
たものを質問に対し肯定的な意識であるとみなし「Yes」と分けた.今回の調査では,自己の多元化のタイプ別の比較
を行ったため,①自己一元型のデータを抜き,②素顔複数型~⑤仮面使い分け型の 4 つの群を使用した.
Yes
Yes
Q3
Yes ②素顔複数型
Q2
No ③仮面複数型
Q1
No
No
Q3
①自己一元型
Yes ④素顔使い分け型
No ⑤仮面使い分け型
図 2 自己の多元性による自己意識の類型化の手順(浅野,1999 を元に筆者が作成)
次に,自傷尺度,コーピング・カテゴリーの合成得点を算出し,以下のような方法で分析を行った.
仮説 1 の分析方法:素顔使い分け型群を男性群・女性群に分けたものを独立変数とし,自傷尺度の合成得点を従属変
数とし t 検定を行った.
仮説 2 の分析方法:素顔複数型,仮面複数型,素顔使い分け型,仮面使い分け型の 4 群を独立変数とし,コーピング・
カテゴリーの 2 因子を 1 因子として合成得点としてまとめたものを従属変数とし,一要因の分散分析を行った.
■仮説 1(素顔使い分け型の性差と対処方略としての身体)の結果
まず,自己の 4 タイプに群分けした結果,素顔複数型が 46 人,仮面複数型が 59 人,素顔使い分け型が 34 人,仮面
使い分け型が 140 人であった.
次に,素顔使い分け型の女性群・男性群を独立変数とし,自傷尺度の合成得点を従属変数として t 検定を行った結果,
素顔使い分け型の女性群・男性群の間には有意な差はみられなかった(t(10)=0.18,n.s.).素顔使い分け型の男性群と女
性群とのに有意な差が見られなかったということは,不安・葛藤解消の対処方略に,素顔使い分け型の性差は影響しな
い,ということである.
4
3
2
1.32
1.36
女性
男性
1
t(10)=0.18,n.s.
図 3 素顔使い分け型女性群・男性群における自傷尺度得点
■仮説 2(自己のタイプと対処方略としての他者)の結果
素顔使い分け型・仮面使い分け型・素顔複数型・素顔使い分け型の自己の 4 つのタイプを独立変数とし,コーピング・
カテゴリーの合成得点を従属変数として一要因の分散分析を行った結果,素顔複数型と仮面使い分け型の間には有意な
差はみられなかった(F(3,273)=0.41,n.s.).素顔複数型群と仮面使い分け型群との間に有意な差が見られなかったという
ことは,不安・葛藤解消の対処方略に,自己のタイプは影響しないということである.
78
4
3
2.71
2.8
2.66
2.73
素顔使い分け型
仮面使い分け型
2
1
素顔複数型
仮面複数型
F(3,273)=0.41,n.s.
図 4 自己の 4 タイプにおけるコーピング・カテゴリー得点
■仮説についての考察
まず,仮説 1 の「素顔使い分け型の女性は,男性に比べて不安・葛藤の解消が身体に向く傾向が強い」においては,自
傷尺度に有意な差が見られなかったことについて考察する.
近年の若者の会話の中では「空気を読む」あるいは「空気が読めない」といったような言葉がしばしば見受けられる.
「空気を読む」ということは,自分の考えよりも「その場の空気」を重要視すると言ってもよい.こうした場においては,
自らの意見をどんどん言うより,むしろ自分の意見を柔軟に変えることを要求されるのではないだろうか.つまり,現
代の若者にとって「状況によって自分を変化させること」は必ずしも否定的な意識を結びつかないと考えられる.むしろ,
状況によって自分を柔軟に変化させ,その場の「空気を読むこと」は好ましいという肯定的意識と結びついているのかも
しれない.以上のことから,素顔使い分け型は女性男性に限らず,「自分を変化させること」が必ずしも否定的意識と結
びつくわけではないことが,有意な差がみられなかった要因である可能性がある.
また,今回の調査では「刃物で身体に傷をつける」「無理やり吐く」といったような強い痛みを身体に与えるような質問
頄目を提示したことも要因の 1 つではないだろうか.自己に対して多尐の否定的意識があっても身体を直接傷つけるよ
うな強い否定的意識まではないのかもしれない.
次に,仮説 2 の「素顔複数型は, 仮面使い分け型に比べ, 不安・葛藤の解消が他者に向く傾向が強い」においては,
コーピング・カテゴリーに有意な差が見られなかったことについて考察する.
調査結果を見てみると,自己の 4 タイプに関わらず,すべて 3 に近い数値になっている.つまり,自己の 4 タイプ全
てが,不安・葛藤に対する解消を他者に向ける傾向があるということである.包括的コミットメントと選択的コミット
メントとでは,確かに親密な関係を取り結ぶ場の様子は異なるし,それぞれの関係において要求される自己の在り方も
違う.しかし,どのように親密な関係を取り結ぶのかに違いはあれど,友人の重要さは変わらないのではないだろうか.
そして,自己のタイプに限らず「友人に頼ることで不安・葛藤が解消できる」と考え,実際に友人を介することで上手く
不安・葛藤の解消ができているのかもしれない.
■総合考察
本研究における仮説は 2 つとも有意な差は見られず,自己のタイプと不安・葛藤解消の対処方略とは関連がないこと
が明らかとなった.しかし,仮説の他にも分析を行ってみたところ,本研究に関連する結果が見られたため報告する.
その結果とは,素顔複数型より,仮面使い分け型が,不安・葛藤解消を有意に身体に向けるという点である.
79
4
3
*
2
1.5
1.51
1.34
1.28
1
素顔複数型
仮面複数型
素顔使い分け型
仮面使い分け型
F(3.275)=3.35,p<.05
図 5 自己の 4 タイプにおける自傷尺度得点
現代社会は,包括的コミットメントから選択的コミットメントへシフトしつつある時期である.言い換えれば,包括
的コミットメントと選択的コミットメントが同時に存在する社会ともいえる.包括的コミットメントにおいて親密な関
係を取り結ぶ仮面使い分け型の若者は,一方ではその自己を肯定し,一方ではその自己を否定されるといったような板
挟みになるのではないだろうか.こうした社会からの否定が,自分でなんとか不安・葛藤を解消しようと試みようとす
る,自己への強い否定的意識に結びついているのかもしれない.
また,大学生という時期は,成長していく上で包括的コミットメントから選択的コミットメントへシフトする時期で
はないだろうか.特に学校へは徒歩,あるいは自転車で通学することが多い群馬県では,小学校・中学校・高校は,自
宅から徒歩,あるいは自転車で移動できる範囲に限定される場合が多い.つまり,小学校・中学校・高校までは,包括
的コミットメントの中で生活しているのはないだろうか.しかし,群馬県の若者の多くは,18 歳,高校卒業と同時に
運転免許証を取得し,車で移動するようになる.すると,行動範囲は一気に広がり,自宅から遠い大学へ車で通う学生
も尐なくない.また,他県から来た学生との交流が増えるといったような,選択的コミットメントでの生活にシフトす
る.こうした群馬県独特の地域性が,今回の結果に影響したのではないだろうか.大学生となり,自分の行動範囲も友
人関係も一気に広がる.こう書くと非常に自由で素晴らしい大学生活のようだが,その中では,これまで形成された自
己のまま大学生活を楽しめる人と,これまでの自己が否定されて苦しんでいる大学生がいるのではないだろうか.
■引用文献
浅野智彦(編) 1999 検証・若者の変貌-失われた 10 年の後に,勁草書房.
浅野智彦 2003 親密性の新しい形へ,藤村正之他編,みんなぼっちの世界,恒星社厚生閣.
Erikson,E.H. 1959 Identity and the life cycle.New York:W.W.Norton.(小此木啓吾訳編,自我同一性-アイデ
ンティティとライフ・サイクル,誠信書房,1973)
岩田考 2000 高校生の自分探し-「自分探し」という神話-,モノグラフ・高校生,60,32-49.
角丸歩 山本太郎 井上健 2005 大学生の自殺・自傷行為に関する意識,臨床教育心理学研究,31,1,69-76.
岡田斉 2002 自傷行為に関する質問紙作成の試み,人間科学研究,24,79-95.
坂田成輝 1989 心理的ストレスに関する一研究:コーピング尺度(SCS)の試み,早稲田大学教育学部学術研究,38,
61-72.
佐久間路子 2001 大学生における関係的自己の可変性の理解-変化理由と変化意識に着目して-,人間文化論叢,4,
85-94.
佐久間路子 無藤隆 2003 大学生における関係的自己の可変性と自尊感情との関連,教育心理学研究,51,1,33-42.
山田佐登留 2007 母子健康情報,恩賜財団母子愛育会出版.
80
第4章 ネットいじめがもたらすもの
長沼 孝高
■はじめに
1990 年代半ばに入り,
パーソナルコンピューター(パソコン)と携帯電話が一気に普及した(図1を参照).
それに伴い,
人間の生活も大きく様変わりした(下田,2008).ある者はパソコンや携帯電話をショッピングに利用し,またある者は
ワンセグ機能を使い,テレビとしても利用している.しかし,普及に伴って見過ごせない問題も浮上している.その問
題は,視力・聴力低下,運動不足といった問題である.さらに犯罪もオレオレ詐欺に代表される,いわば新型犯罪も横
行するような時代になった.
インターネットは,人間が作り出した大きな文化である.しかし,マスコミはインターネットをいじめの温床とみな
している.確かに,匿名ゆえに陰湿な誹謗中傷も散見されるが,筆者はインターネットが諸悪の根源とは見なしたくな
い.
本研究では,青年期とインターネットの関係について,なぜ直接言い争わないでネット上に中傷するのか,そして,
ネットいじめに至る動機と大人が考えるネットいじめについて研究したい.
図1:パソコンの普及率(内閣府調べ)
■ネットいじめに関する先行研究
では,「学校裏サイト」とは何なのか.
「学校裏サイト」とは,自分の通っている学校に対してネット上で討論するサイトのことであるが,これを曲解して,
学校に対して不満をネット上であらわにする.部外者が簡卖に入らないようにパスワードを設定していることがほとん
どであり,携帯電話からのアクセスでしか入れないようになっている.なお,パソコンからだと IP アドレスで判断さ
れ,拒否されてしまう.
2008 年 6 月に文科省が発表した「青尐年が利用する学校非公式サイトに関する調査報告書」では,38260 サイトが確
認されたとされている(下田,2008).
下田(2008)によると,匿名掲示板には,実名を挙げての誹謗中傷や,猥褻画像が挙がっているとされる.また,被害者
からの報復を回避するため,イニシャルや伏せ字を使った中傷文も見られる.しかし,イニシャルの場合は,特定の個
人ではなく,該当するイニシャルを持つ全員が被害にあう危険性も持つ.さらに,「子供だけの秘密基地」とされていた
学校裏サイトにも保護者が介入する場合もあり,親や保護者は批判・攻撃目的で学校裏サイトに書き込む事例もある.
ところで,学校裏サイトがいつ生まれ,いつ頃から広がっていったのかは現在も不明であるが,下田ゼミのゼミ生か
81
らの証言によれば,2002 年頃にはすでに存在していたとされる.
実際に,「ネットいじめ」という問題が表面化してきたのは,2005 年前後である(図2を参照).この図を見てみると,2004
年と 2005 年の間のネット犯罪の発生件数が急激に増えている.理由としては,2004 年 6 月に長崎県佐世保市の大久
保小学校で起きた小六女児殺害事件が関係しているようである.この事件の見出しにも,「ネットの書き込みでトラブ
ルか?」(読売新聞 2004 年 6 月 8 日),「ネット書き込みに立腹 加害女児殺害認める」(西日本新聞 2004 年 6 月 9 日)
と書かれているように,この事件は,インターネットがきっかけになった事件として国民の耳目を集めた.
また,ネットいじめは腕っ節を使ったいじめに比べて,第三者に発覚しにくいという特徴があり,例えば被害者がど
うして自殺をしたのか,他者や遺族には皆目見当がつかなくなるという危険性が高いといえる.
図 2:ネットいじめの発生件数(2007 年 8 月吉日 兵庫県警調べ)
■問題と目的
図 3:学校裏サイトに書き込まれた不快な内容の多さを表す円グラフ
前頁の図 3 は,学校裏サイトに書き込まれる不快な書き込み内容を調査した円グラフである.図を見てみると,一番
82
多かったのは「荒らし」で全回答の 3 割を占めた.次いで,「教師への不満」「個人情報の漏洩」と続き,意外にも「自分に
対しての悪口」や「友人の悪口」といった悪口系は尐数だった.
渋井(2008)は,ネットいじめが起こる要因として「暇つぶし」と指摘しているが,下田(2008)は,「復讐」と述べた.ま
た,上の書き込みでなぜ悪口ものが尐なかったのか.そして,荒らすことに若者はどんな心理を見出すのか.
また,渋井(2005)は「男性より女性の方が,有害サイトに出入りしている」と指摘しているが,果たして本当なのだろ
うか.
それらを踏まえて筆者は,以下の仮説を立てた.
仮説1:男性より女性の方が,自尊心が高いのではないか.
仮説2:他人に対しての関心は薄いのではないか.
■調査方法
調査方法は質問紙を用い,K大学にて調査の協力を依頼した.
【調査協力者】K大学の学生 178 名で,男性は 63名,女性は 123 名.学年別に見ると,1 年生 177 名,2 年生 0 名.
3 年生 0 名.そして 4 年生は 1 名であった.なお,フェイスシートについて無記名なものは除外した.
【調査期間】平成 21 年 12 月初旪 講義内にて調査を行った.
【実施方法】大学の講義内にて,質問紙の配布し,回答してもらった.
【調査内容】調査内容は以下のとおりである.
フェイスシートは学年と性別と年齢の 3 頄目の記入を求めた.
1.学校裏サイトを見たことがあるか.
※1の質問は,「ある」と「ない」の 2 件法である.
2-A.見たことがあるなら,きっかけは何なのか.
2-B.見たことがないなら,その理由は何なのか.
※2 の質問は,1の回答によって分かれる.どちらも 3 件法である.
続いて,学校裏サイトへの不快な書き込みに対する意識を,それぞれ,1:そう思わない,2:やや思わない,
3:どちらでもない,4:ややそう思う,5:そう思う,の 5 件法で回答してもらった.
【手続き】本学の講義時間に質問紙を配り,回収した.回答時間はおよそ 5 分であった.
【分析方法】統計ソフト SPSS を使用し,回答をt検定にかけた.
(1)仮説 1 に対して,性差を独立変数とし,「自分に対する意識」を従属変数として,t 検定にかけた.
(2)仮説 1 に対して,性差を独立変数とし,「他人に対する意識」を従属変数として,t 検定にかけた.
■結果
調査結果は以下のとおりである.
質問紙に回答した 178 人中 30 人が裏サイトを見たことがあると回答した.
また,5 件法の質問の中で,自分に関係する質問を合成得点で表した頄目を「自分に対する意識」,他人に対する質問
を合成得点で表した頄目を「他人に対する意識」とする.
83
仮説 1【男性より女性の方が,自尊心が高いのではないか】に対する結果
5
4
3
2
1
*
1.73
1.92
男
女
t(89)=3.06.p<.05
図 4:「自分に対する意識」の平均値
結果は,男性が 1.73 に対し,女性は 1.92 となり,女性の方に有意差が出た.従って,仮説 1 は実証された.
5
4
3
2
1
*
1.68
1.88
男
女
t(95)=3.03.p<.05
図 5:「他人に対する意識」の平均値
結果は,男性が 1.68 に対し,女性は 1.88 となり,女性の方に有意差が出た.
仮説 2「他人に対しての関心は薄いのではないか.」について検証した結果が下の図である.
30
28
25
人の名前
20
人の身体
15
10
12
9
12
人の恋愛
10
人の噂
人の盗撮
5
0
図 6:「他人に対する意識」の項目で 1(そう思わない)と答えた数
前頁の図 10 は,「他人に対する意識の頄目」の質問で,「そう思わない」を回答した数をグラフ化したものである.
それぞれ学校裏サイトに,「他人の名前」「他人の身体」「他人の恋愛」「他人の悪評」「他人の盗撮」の 5 頄目の後に「~が掲
84
載されていたら傷つく」という形式で質問をしたところ,上記の結果が出た.従って,仮説 2 は実証された.
これらの結果から,自分のことになるとひどく傷つく人が多い中,他人のことに関しては驚くほど意識が低い.自分
には関係のない問題と割り切っているということになる.
■結果考察
今回の調査の結果は,いずれも女性に有意差が見られたが,なぜだろうか.それは,学校裏サイトだけでなく,出会
い系サイトも尐なからず関与しているのではないかと考えた.
渋井(2005)は,『出会い系サイトの利用は,男子より女子に多い』と指摘している.それによると,「警察庁の『イ
ンターネット上の尐年に有害なコンテンツ研究会(代表・苗村憲司慶応大学環境情報学部教授,2001 年)』は,中高生を
対象にした調査を行った.それによると,「出会い系サイトの利用」は全体で 12.4%であり,これは 10 人に 1 人が利用し
ていることになる.その内訳は,「中学生男子」は 2.0%,「中学生女子」は 7.1%,「高校生男子」は 18.4%,そして「高校
生女子」は 22.0%で,中学生よりも高校生が,男子よりも女子の方が出会い系サイトの利用率が高かった.」と明らかに
している(図 7).
図7:出会い系サイトの利用率(内訳の割合)
なぜ匿名の他者との出会いを提供するサイトにすがるのか.それは,出会いを求めている時の心理が働いているのだ
ろうと思う.出会い系サイトにアクセスする際に,孤独感を抱いていることが多いことは,一般的に指摘されている.
孤独である現状の中で,「誰かとつながっていたい」「誰かにかまってほしい」というような心理が働いていると筆者は考
える.今回の調査の結果から見えたものは,「自分も他人も愛している」という博愛精神が極めて低いことだった.
■総合考察
個人を対象にした嫌がらせは,相手が特定される以上,中傷する側にもリスクがあり,グループを対象にした場合は,
思い当たる節がない人物も巻き込むものと考えられる.また,学校裏サイトが有害とされる理由は,保護者や教師とい
った身近な大人の多くがネットに不慣れなために,悪い方向に進まないかと危惧する心にあるのではないかと考えられ
る.
85
インターネットが「みんなのもの」になった現在,電子掲示板に対して,「空気を共有しない者をどう受け入れていく
か」「未成熟な者をどう受け入れるか」という問いが投げかけられている.「雤降って地固まる」という言葉があるように,
ネットいじめから友情が生まれる場合があるし,今までの信頼関係の崩壊をもたらす場合もある.
それが筆者の考える「ネットいじめがもたらすもの」であると,筆者は考えている.
■おわりに
今回の研究で興味深かったことは,性差によってパソコンとの触れ合い方が違うということだった.男性より女性の
方が人恋しいということも面白かった.
今回は,「ネットいじめは性差によって反応と性質が違う」ということを調査した.今後機会があれば,いじめを受け
た者の攻撃反応と,いじめと日常的ストレスの関係性について研究したい.
■引用文献
渋井哲也 2008 学校裏サイト 進化するネットいじめ,晋遊舎ブラック文庫.
渋井哲也 2005 ケータイ・ネットを駆使する子ども,不安な大人 -肥大化する.
下田博次 2008 学校裏サイト,東洋経済新報社.
86
第5章 青年期における恋人選択とアイデンティティ
-大学生における恋愛スタイルによる検討-
原田 紫織
■恋人選択における相手の要因
松井(1993)によれば,これまで心理学において人はなぜ人を好きになるのか,どんな人が好かれやすいのか,どんな
状況になると人は互いに惹かれあうのかといった問いに対しては対人魅力という分野で研究されてきた.これまでの研
究から,こうした対人魅力の要因としては①類似性,②相補性,③社会的望ましさの 3 点があることが明らかになって
いる.①類似性とは人は自分と似た態度の人に魅力を感じるということである.内面的魅力の要素である態度において
は,類似性の効果が認められることが明らかにされている(Byrne,1971).例えば,お互いに同じ趣味を持つカップル
などがこれにあたる.
②相補性とは自分と反対の性格を持っている人に魅力を感じるということである(Winch,
1954).
内面的魅力の要素でも性格については相補性の効果が認められている.例えば,片方が甘えん坊であれば,相手は世話
焼きになるというように,互いに似ているよりも,自分に欠けているものを補ってくれるような関係のカップルがこれ
にあたる.③社会的望ましさとは人は一般的に望ましいとされる共通の外面的,内面的魅力がある人に魅力を感じると
いうことである.
内面的魅力において Anderson(1968)の調査では,
555 個の性格特性語を 100 名の大学生に診断させ,
好まれる性格と嫌われる性格を表した.その結果,「誠実」「正直」「物分かりの良い」などの性格が最も好かれ「嘘つき」「見
かけ倒し」「卑怯」などの性格が最も嫌われていることが明らかになった.また,外見的魅力に関しても望ましい容貌・
容姿が,社会・文化的に規定されていることが明らかにされている.Walster,Aronson,Abrahams,&Rottman(1966)は,
事前評定によって学生の身体的魅力を高,中,低の 3 群に分け,その水準に関して無作為に男女を組み合わせてダンス
パーティーを開催した.その結果,男女とも自分の魅力度の水準に関係なく,ダンス相手の魅力度が高いほど相手に好
意を感じ,デートしたいと感じていた.このように社会的望ましさにおいては内面的魅力,外見的魅力ともに一般的に
望ましいとされる基準が規定されていることが明らかになっている.
■恋人選択における自分の要因
恋人選択における相手の要因においては,対人魅力の分野から 3 つの要因があることを述べた.このように従来の対
人魅力の研究では,相手の魅力の有効性に多く焦点が当てられてきた.しかし,実際に恋人を選ぶ際に,相手の魅力の
要因のみが決定要因なのだろうか.恋人選択の決定要因として相手の要因の他に「自分」の要因が大きく影響を及ぼして
いるのではないか,という視点から友人の話を例として紹介しながら考察していく.
筆者の友人である彼女(以後 A さんとする)は,外見的魅力に優れている人,つまり「かっこいい人」は好きになれな
いという.もちろん A さんは外見のかっこいい男の子にはとても魅力を感じ,そういった人と一緒にいてドキドキす
るのだが,その時点でその男の子を恋愛対象から除外してしまうのである.なぜならば,「そんなにかっこいい人が私
に振り向くはずがない.」と考えるからだ.友人関係としては外見的魅力に優れた異性とも関係を築けるのだが,そう
した異性と恋愛関係に至ることはない.その A さんが大学に入り,同じサークルで知り合った彼(以降 B 君とする)と親
しくなった.お互い①映画や音楽,スポーツの趣味も合うので一緒にいて楽しい.また,A さんは大人しい(消極的な)
性格の為,B 君と一緒に出掛けた時など,行き先など彼が積極的にリードして決めてくれるので,②互いにとっての相
性も良好である.さらに,B 君の友人からも男女問わず「いいやつだよ」と③周囲からの評判も良く,そして器量も良い.
彼女自身も B 君をかっこいいと思っている.
つまり,A さんと B 君の関係を対人魅力の観点からみれば,魅力の 3 要素である①態度の類似性,②性格の相補性,
③社会的望ましさ,の全てを兹ね備えた B 君は,A さんにとって理想の男の子であろう.それにもかかわらず,A さん
は「そんなにいい人が私に振り向くはずがない.自分に自信がない.」と言って,B 君を恋愛対象にすることができない
87
のである.しかしこうした彼女の言明も,逆から見れば A さんがもっと自分に対して良い評価をしていたら,B 君は恋
愛対象にすることができると言い換えることもできるだろう.以上の A さんの例からも恋人選択において,自分の要
因として,自分のことをどのように捉えているかが影響を及ぼしているのではないかと考えられる.
■青年期と恋愛 -アイデンティティとの関連から-
恋人選択に影響を及ぼすと考えられるものとして,相手の要因の他に自分の要因の可能性について述べた.そしてこ
の自分の要因として,自分のことをどのように捉えているか,という点で青年期の特徴であるアイデンティティと密接
に関連しているのではないかということが考えられる.よって自分の要因として青年期のアイデンティティに着目して
みていく.
Erikson(1950)によるとアイデンティティとは,自分とは何者であるかの解答(自我同一性)であるとし,このアイデン
ティティをみつけることが青年期において最も重要な発達課題であり,この発達課題が達成できるかどうかが,次の段
階以降の人生を健全に送ることができるかどうかに関わってくると述べている. そしてこのアイデンティティ達成と
は危機を抜け,関与がある状態,つまりいくつかの道を検討して 1 つ選びとり,それをわが道だとすることによって,
自分自身で危機を解決し,踏み出したところと言える(遠藤,2000).
このように,いくつかの選択肢から自分が主体的に自らの生き方を選びとり,その選択に責任をもって歩んでいくこ
とのできる人をアイデンティティ達成した人ということができるだろう.しかしながら,こうしたアイデンティティの
達成という状態は,誰もが同じような,同一の状態なのだろうか.実は,その内実には様々な形があり得るのではない
だろうか.例えば,本人は「自分の意思で選んだ道である」と思っていても,その決定に至るまでの状況を傍から見てい
た他者は,本人の意思ではないと感じるといった場合である.例として筆者の友人の話を紹介しながら考察していく.
筆者の大学の友人である C さんは,一生懸命就職活動に取り組んだ結果,都内と県内の企業から 1 社ずつ内定をも
らうことができた.悩んだ末,最終的に県内の企業に就職をすること決断した.
このストーリーだけ見れば,C さんは,人生の重要な決断をいくつかの選択肢から主体的に選びとった,といえるだ
ろう.つまり C さんはアイデンティティを達成したものと考えることができるだろう.しかし実は,県内の企業に決
めた最大の要因とは「恋人」の存在なのであった.
確かに C さん自身が自ら望んで決断したことにかわりはないのだが,
その決断にはまぎれもなく「恋人」の存在が深く関与している.「もし都内に就職したら,遠距離になってしまい,今の
彼との関係が崩れ,彼がいなくなってしまったら自分が自分でなくなってしまうような気がしてしまうから.」という
C さんの言葉からも恋人の存在が大きな要因であったということが窺える.「恋人がいることによって成り立つ自分」
を失いたくないが故の決断なのではないだろうか.このような場合,果たして C さんは本当にアイデンティティ達成
しているといえるのであろうか.
このように,アイデンティティ達成に他者が必要とするアイデンティティ達成の仕方があるのではないか.こうした
事例に見られるように従来,アイデンティティ達成と一括りにされてきた人々の中にも,その達成の仕方(達成に他者
を必要とするか否か)によって,いくつかのグループがいるのではないだろうか.
そこで「アイデンティティ(達成)」を「恋愛」という側面から見たとき,アイデンティティ達成の際に恋人の存在が深く
関わる「アイデンティティのための恋愛」というものがある.Erikson(1950)は,青年の恋愛の大部分は,恋愛相手を鏡
として用いることで自己の同一性を明確化し,アイデンティティを定義づけようとすると述べている.これを大野
(1993)はアイデンティティのための恋愛とした.アイデンティティのための恋愛の特徴として①相手からの賛美,賞賛
を求める (「好きだ,素敵だ」といって欲しい).②相手からの評価が気になる(「私のことをどう思う」という).③しばら
くすると,呑み込まれるような不安を感じる.④相手の挙動に目が離せなくなる(「相手が自分のことを嫌いになったの
ではないか」と気になる).⑤結果として交際が長続きしないことが多いと説明している(大野,1993).
大野(1993)は,アイデンティティのための恋愛とは「親密性が成熟していない状態で,かつ,アイデンティティ統合
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の過程で,自己のアイデンティティを他者からの評価によって定義づけようとする,または,補強しようとする恋愛行
動」であり「アイデンティティのための恋愛をする人たちの主たる関心は,自分自身である.相手を愛しているわけでは
なく,相手を,自分を映す鏡として使い「相手に映った自分の姿」に最大の関心を払っているのだ.」と指摘している.
つまり,アイデンティティのための恋愛をしている人は,アイデンティティが達成されていない為,恋人を「鏡」とする
ことで,自分の姿「アイデンティティ」を確認しようとしているのだ.このように,自分の姿を確認する為に恋人を鏡と
しているか否かということから,アイデンティティのための恋愛をしている人としていない人でとは,恋人選択の際に
どこを重視するか,しているかに違いが表れるのではないか,ということが考えられる.
また「アイデンティティのための恋愛」とは「自己のアイデンティティを恋人によって補おうとする恋愛行動」である
ことから,アイデンティティ達成していない人がアイデンティティのための恋愛によってアイデンティティを補うこと
がきた場合と,アイデンティティを補おうとしたが補うことができなかった場合もあるのではないか,ということも考
えられる.つまり,アイデンティティを恋愛という側面から見た時①アイデンティティを達成しているのか否か,また
②恋愛の仕方(アイデンティティのための恋愛なのか否か)という 4 タイプに分けることができ,さらにその 4 タイプに
よって恋人選択の際に相手のどのような要素を重視するのかが異なる可能性があるのではないかということが考えら
れる.
■本研究の目的
以上のことから本研究の目的は,恋人選択の際の,相手の要因である 3 つの魅力のうち特に【社会的望ましさ】は,
青年期のアイデンティティと恋愛の仕方(アイデンティティのための恋愛なのか否か)によって,相手のどのような要素
を重視するかが異なるか,ということを明らかにすることである.そこで以下の仮説をたて,調査にて検証した.
仮説 1:アイデンティティのための恋愛をする傾向が高い人は,低い人に比べて,相手の外面を重要視し,アイデン
ティティのための恋愛をする傾向が低い人は,高い人に比べて,相手の内面を重要視する.
仮説 2:「アイデンティティのための恋愛をする傾向が高く,アイデンティティの達成が低い人」は,「アイデンティ
ティのための恋愛をする傾向が低く,アイデンティティの達成が高い人」に比べて,相手の外面を重要視し,「ア
イデンティティのための恋愛をする傾向が低く,アイデンティティの達成が高い人」は,「アイデンティティの
ための恋愛をする傾向が高く,アイデンティティの達成が低い人」に比べて,相手の内面を重要視する.
■方法
研究協力者:群馬県内の大学生 296 名 (男性 120 名,女性 176 名).平均年齢 19.41(SD=1.74)歳.
手続き:2009 年 10 月下旪に大学生に授業内にて質問紙を配布し回答を依頼した.質問紙は全て授業内で回収を行った.
所要時間は約 15 分であった.
調査内容:
1)自尊感情尺度(山本ら,1982).1「あてはまらない」,2「ややあてはまらない」,3「どちらともいえない」,4「ややあて
はまる」,5「あてはまる」の 5 段階評定であり,質問頄目は 10 頄目のうち,逆転頄目の 5 頄目を抜いた 5 頄目を使用
した.
2)アイデンティティのための恋愛の特徴(大野,1993).1「あてはまらない」,2「ややあてはまらない」,3「どちらともい
えない」,4「ややあてはまる」,5「あてはまる」の 5 段階評定であり,大野(1993)がアイデンティティのための恋愛と
して挙げた 5 つの特徴を,質問形式に変更したものを使用した.質問頄目は 5 頄目とした.
3)アイデンティティ尺度(下山,1992).1「あてはまらない」,2「ややあてはまらない」,3「ややあてはまる」,4「あては
まる」の 4 段階評定であり,
【アイデンティティの確立】のみを使用し,質問頄目は 10 頄目を使用した.
4)同一性地位判定尺度(加藤,1983).1「あてはまらない」,2「かなりあてはまらない」,3「ややあてはらない」,4「やや
89
あてはまる」,5「かなりあてはまる」,6「あてはまる」の 6 段階評定であり,質問頄目は【現在の自己投入】
【過去の危
機】の 2 因子構成であり,12 頄目を使用した.
3)社会的望ましさ項目(独自に作成).大学生 22 名に社会的に望ましいとされる(一般的の良いとされる)【外面の要素】
【内面の要素】
【その他の要素】をあげてもらい,その結果に基づいた 38 頄目を使用した.1「全く重視しない」,2「あ
まり重視しない」,3「どちらでもない」,4「やや重視する」,5「非常に重視する」5 段階評定であり,質問頄目は【外面
の要素】「顔」「スタイル」などの計 7 頄目,
【内面の要素】「やさしさ」「明るさ」などの計 19 頄目,
【その他の要素】「年
齢」「恋愛経験」などの計 12 頄目,合計 38 頄目を使用した.
分析方法:SPSS を用いて分析した.
仮説 1:アイデンティティのための恋愛の合成得点を出し,高群・低群に分け独立変数とし,社会的望ましさ 38 頄
目を【外面】
【内面】
【その他】の 3 因子を従属変数とし,t 検定を行った.
仮説 2:同一性地位尺度とアイデンティティのための恋愛のそれぞれにおいて合成得点を出しそれぞれ高群・低群に
分け【同一性地位高群・アイデンティティのための恋愛高群】
【同一性地位高群・アイデンティティのため
の恋愛低群】
【同一性地位低群・アイデンティティのための恋愛高群】
【同一性地位低群・アイデンティティ
のための恋愛低群】の 4 群をつくり,
【同一性地位高群・アイデンティティのための恋愛低群】
【同一性地位
低群・アイデンティティのための恋愛高群】の 2 つを独立変数とし,社会的望ましさの 38 頄目を従属変数
とし,一要因の分散分析を行った.
■仮説①結果
アイデンティティのための恋愛の特徴を独立変数とし,社会的望ましさ要因の 38 頄目を【外面】
【内面】
【その他】
の 3 因子を従属変数として t 検定を行った結果,アイデンティティのための恋愛の高群(n=132)と低群(n=162)の間
に,社会的望ましさ要因において【外面】
【内面】
【その他】のどこを最も重要視するかにおいて,
【外面因子】に有意
な差がみられた(t(292)=3.67,p<.05).
(t(292)=3.67,p<.05)
図 1 アイデンティティのための恋愛低群・アイデンティティのための恋愛高群の平均値
■仮説②の結果
【同一性地位高群・アイデンティティのための恋愛低群】と【同一性地位低群・アイデンティティのための恋愛高群】
を独立変数とし,社会的望ましさの 38 頄目を従属変数とし,一要因の分散分析を行った結果,
【同一性地位高群・アイ
デンティティのための恋愛低群】(n=67)と【同一性地位低群・アイデンティティのための恋愛高群】(n=56)の間に,
社会的望ましさ要因において(外面・内面・その他)のどこを最も重要視するかにおいて,外面の要因として【スタイル】
(F(3,371)=2.98,p<.05)【身長】(F(3,271)=2.60,p<.05),その他の要因として【年齢】(F(3,269)=4.54,p<.05)【恋愛経
験】(F(3,270)=5.64,p<.05)に有意な差がみられた.
90
図 2 アイデンティティのための恋愛低群同一性地位高群
アイデンティティのための恋愛高群同一性地位低群の平均値
■仮説 1 について
「アイデンティティのための恋愛をする傾向が高い人」は「低い人」に比べ,恋人選択の際に有意に『外面』を重要視す
る,という仮説を支持する結果が得られた.これは Erikson(1950)の「青年期の恋愛はその大部分が自分の拡散した自
我像を他人に投射することにより,それが反射され,徐々に明確化されるのを見て,自己の同一性を定義づけようとす
る努力である」という記述を支持したものであると考えられる.アイデンティティが達成されていない青年は,恋人を
鏡とすることで自分の姿を確認しようとする為,恋人選択の際に性格や態度といった目に見えない内面の良し悪しより
も,傍から見てわかりやすい外面の良さを重視すると考えられる.例えば外面の優れた人と交際していることは,その
ような優れた人とお付き合いできるのは,自分は優れた人だからだ,というように,まさに「アイデンティティのため
の恋愛」という「自己のアイデンティティを他者からの評価によって定義づけようとする行動」の表れであろう.
■仮説 2 について
A:アイデンティティのための恋愛をする傾向が低くアイデンティティの達成が高い人は,B:アイデンティティの
ための恋愛をする傾向が高く,アイデンティティの達成が低い人に比べて,恋人選択の際に外面の要因である【スタイ
ル】
【身長】と,その他の要因である【年齢】
【恋愛経験】において,有意に重視する,という仮説とは逆の結果が得ら
れた. これは,A:アイデンティティの達成を恋愛に頼らず,アイデンティティを達成している人は,B:アイデンテ
ィティのための恋愛をしているにも関わらず,アイデンティティが達成できていない(補うことができていない)人に比
べ,恋人選択には外面を重視しているということである.しかし,これは A:アイデンティティの達成が恋愛に頼らず
達成されている人が特に外面的要素を重要視しているとは考えにくい.アイデンティティを達成している人は内面も外
面も総合的に判断していると考えられる.ところが,B:アイデンティティが達成されておらず,アイデンティティの
ための恋愛をしている人の間に有意な差が見られたのは,B:アイデンティティが達成されておらず,アイデンティテ
ィのための恋愛をしている人が,極端に外面の要素を重要視しない,できない為ではないかと考える.これは西平(1981)
による「愛されない確信」という「交際・恋愛における否定的アイデンティティ」によって説明することができる.大野ら
(2001 )によると「交際・恋愛における否定的アイデンティティ」とはどうせ私なんて絶対にもてないという自分に対する
ネガティブな評価・確信のことで,卑屈で自信がなく,外部からのポジティブな評価も拒絶し,頑なにネガティブな自
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己評価を下すことである.さらに,このようなアイデンティティを持っているために,異性から告白されてもふってし
まうというような行動に表れるなど,アイデンティティが行動を規定していると言及している.このことから,B:ア
イデンティティのための恋愛をする傾向が高く,アイデンティティの達成が低い人というのは,アイデンティティのた
めの恋愛をすることで,アイデンティティを補おうとしているが補えていない為,さらに自信をなくし,否定的アイデ
ンティティを持つ人のように,外面的な要素である【スタイル】や【身長】といった要素を選ぶことを,自ら拒否して
いるのではないかと考えられる.その為有意な差が見られたのではないだろうか.
■総合考察
以上のことから本研究では,青年期の恋人選択には,アイデンティティとアイデンティティのための恋愛という恋愛
スタイルが関係し,さらにアイデンティティ達成には,恋愛によって補われた(補われている)達成というものが存在し,
そのアイデンティティ達成の仕方で,恋人選択に違いが表れるという可能性を指摘した.
これらを踏まえて,恋愛関係において,例えアイデンティティが達成されていても,それがアイデンティティのため
の恋愛による場合は「恋」であり,お互いがアイデンティティのための恋愛に頼らずアイデンティティを達成している恋
愛関係こそが,「愛」であると呼べるのではないだろうか.
「一瞬で恋に落ちてしまった」と言うように,恋とは落ちるものである.そして落ちるまでに時間は関係ない.しかし,
愛とは恋のように卖に相手と一体になることだけではない.ともに歩んでいくことである.二人三脚ではなく,手をと
りあって歩いていくことだ.どちらかが転んでしまったとき,何かにつまずいてしまったとき,一緒に転ぶのではなく,
そっと支えてあげることだ.そのためには,まずはお互いが,それぞれきちんとひとりで立てることが必要不可欠であ
る.それはすなわち,いいかえれば,自分はどうあるべきか,どうありたいのか,どこに向かって何を目標とし,どん
な幸せを願うのか…など,自分について深く理解することである.その為には自分の弱さや強さ,ずるさや温かさ,す
べてを受け入れなければならない.つまりそれは自分を認め,自分で自分を愛してあげることである.これがアイデン
ティティ達成なのであろう.だからこそアイデンティティ達成が青年期の最重要課題となりえるのだ.そして青年期の
恋愛は,未熟であるが故に傷つき,傷つけ合いながら人を愛することができるよう(大人)になっていくのだと考える.
■引用文献
Anderson,N.H. 1968 Likableness ratings of 555 personality-trait words.Journal of Personality and Social
Psychology, 9, 272-279.
Byrne, D. 1971 The attraction paradigm. New York;Academic Press.
Erikson,E.H 1950 Childhood and society. New York:W.W.Norton.
遠藤由美 2000 青年の心理―ゆれ動く時代を生きる―,サイエンス社.
加藤厚 1983 大学生における同一性の諸相とその構造,教育心理学研究,31,292-302.
松井豊 1993 恋ごころの科学,サイエンス社.
西平直喜 1981 友情・恋愛の探究,大日本図書.
大野久 1993 アイデンティティのための恋愛に関する質的データからの接近,日本教育心理学会総会発表論文集,35,
208.
下山晴彦 1992 大学生のモラトリアムの下位分類の研究-アイデンティティの発達との関連で,教育心理学研究,
40,121-129.
大野久 三好昭子 内島香絵 若原まどか 西平直喜 2001 青年期のアイデンティティと恋愛,日本教育心理学会
総会発表論文集,43,58-59.
Walster,E,Arunsun,V..Abrahams,D.&Rottman,L.1996 Importance of physical attractiveness in dating
behavior.Journal of Personality and Social Psychology,4,509-516.
Winch,R.F.Ktsanes,T.& Ktasanes,V 1954 The theory of complementary needs in mate-selection: an analytic and
descriptive study.American Journal Review,19,241-249
山本真理子 松井豊 山成由紀子 1982 認知された自己の諸側面の構造,教育心理学研究,30,64-68.
92
第6章 女子大学生の被朋選好による男性の被朋スタイルに対する印象
-女性は男性のどんな朋装に対して好印象を抱くのか-
針谷 朊也
■はじめに
どのような朋を着ていれば違った印象ではなく,同じ印象を抱かせ,そして「モテる(好印象をもってもらう)」ことが
できるのだろうか.筆者自身が実際に 2 つの出来事を経験したことによって,被朋という存在に一層の興味関心を抱き,
朋・お洒落に対する意識が変わってきたということが,本研究のはじまりである.
■若者と被服
これまでにも,若者と被朋の関係については多くの研究がなされてきた.例えば,野津(1994)は,おしゃれすること
は,ドレッシーな朋を着ることや,高級品を身につけることではなく,自分の好みや個性をアピールできるような自分
に似合った朋装をすることであると指摘している.すなわち,朋装は自己を表現する積極的な意味をもっていることを
指摘し,若い学生にとって,おしゃれは重要な要素であると述べている.また,朋部ら(2007)の朋装に関する意識と着
装行動についての研究の中では,高校を卒業して大学に入学することによって入学以前よりファッションに対する興味
関心の度合いが高くなり,特に男子は学年とともに興味関心が高くなる傾向を明らかにしている.
■被服と印象
Watson(1989)は,身体的特徴の中でも,顔という限定された要素が,相手の印象形成に与える影響の強さを強調し
ている.しかしながら,顔という要素に加え,被朋という要素を含むことによって,相手への印象形成は卖純に顔,と
いう要素に限定されることなく,変化してくるのではないだろうか.
野津(1994)は,日常生活の中で,初対面の人に対して,どのような人であるのかを知るために,その人が着用してい
る被朋を手がかりとして把握しようとしている場合が多いということを指摘している.このように被朋は,非言語情報
伝達の媒体として重要な役割を果している.また,坂井(2009)は,人は着用している朋装によってある程度限定的であ
るが,確実に他人に異なった印象を与えることを明らかにしている.
つまり,以上の研究に見られるように朋装は,相手にとってその人を知るための重要なツールであると言えるだろう.
初対面の段階で人は朋装からも相手の情報を入手しようとしており,朋のように意識すれば変えることができるものを
変えていくことによって,初対面の段階で相手が抱く印象を尐なからず良い方向にもっていくこともできるということ
である.
■本研究における目的
先行研究を概観することによって,10 年以上前からも変わらず,若者と被朋の強い結びつきが存在しており,被朋
に関する多くの研究が若者を対象としているということがわかった.そして,被朋は尐なからず他者へ自分自身に関す
る性格や雰囲気など何らかの情報を与えることができるツールの役割を担っているということがわかった.しかし,若
者の被朋に関する研究の多くは,被朋に関心が高い女性を対象としたものであり,男性を対象とした研究は尐なく,そ
して,自分自身が着用している朋装研究が主であり,異性の朋装に対する印象を調査した研究がほとんどないという問
題点が明らかとなった.
以上のことから本研究の目的は,初対面時において,女性に対して男性がどのような種類の朋を着用している時が最
も好印象を抱いてもらえるのかを明らかにするとともに,好印象な朋装と女子大学生のファッション意識との関連性を
明らかにすることである.
93
■仮説
以上のような問題意識に基づき,本研究では,以下の 2 点の仮説を導き出した.
①男性は相手に対して身体的魅力を求め,女性は相手に対して社会的地位を重視する(齊藤,2008).こうした知見か
ら,社会的地位を外見で最も表すものとしてスーツ姿の状態でいる時が社会的地位を表していると言えるのではない
か.よって,スーツ姿を普段の生活で着用している私朋で表現した場合,テーラードジャケットが最も近く,スーツ
姿のシルエットを考えた時,上下ともにダボつきがないスッキリしているシルエットに対して好印象を抱くのではな
いかと考え,「ジャケットの評価が他の上着に比べて高く,ジャケットを好む人ほど,シルエットの I ラインを有意
に好む.」という仮説を立てた
②ファッションに対する意識が高い人は,他者のファッションに対する関心も強い傾向がある(藤木,1988).太田ら
(2005)は,若者は異性のファッションから性的魅力を読み取る人が多く,異性のファッションについて気になる人
が多いことを示唆している.このことからファッションに対して関心がある女性は,関心がない女性に比べると男性
の朋装への評価に差が生じるのではないかと考え,「被朋意識が高い人は低い人に比べ,平均値で得られた各カテゴ
リー(朋全体のシルエット,上着の種類,パンツの種類,パンツのシルエット,靴の種類)それぞれの好印象な朋装を
有意に好む.」という仮説を立てた.
■方法
【調査協力者】
:群馬県内の大学 4 校の学生 186 名.
【調査内容】
:調査内容は以下の通りである.
1.フェイスシート:服装系統
カジュアル系 ・キレイ,お姉系・グラマラス,ゴージャス系・ギャル系・その他・雑誌を見ない,
の 6 つの中から 1 つを選択してもらった.
2.ファッション意識についての質問項目
藤井,山口(1998)のファッション意識 9 頄目を今回の研究で使用した.
9 頄目の質問に対してそれぞれ 5 件法(1:あてはまらない,2:ややあてはまる,3:どちらともいえ
ない,4:ややあてはまる,5:あてはまる)で回答してもらった.
3.男性の服装についての項目
朋全体のシルエット(4ライン),上着(インナーの上)の種類(5 種類),パンツの種類(5 種類),パンツの
シルエット(3 種類),靴の種類(4種類)の計 21 頄目に対してそれぞれ 5 件法(1:好感をもてない,2:
やや好感をもてない,3:どちらともいえない,4:やや好感をもてる,5:好感をもてる)で回答して
もらった.
【手続き】 :2009 年 11 月 19 日~24 日にかけアンケート調査を実施した.
A大学の講義の時間に質問紙を配布,加えて個別に筆者と友人が質問紙を配布し,回収した.A 大学以
外の学生は,その大学の学生に依頼して配布してもらい,回収した.所要時間は約 5~10 分であった.
【分析方法】
:SPSS を用いて分析をおこなった.
仮説①の分析方法
・上着の種類の中の「テーラードジャケット」の評価を低群(1.00~3.00)・高群(3.01~5.00)に分け独立変数とし,朋全体
のシルエットの中の「I ライン」を従属変数として t 検定を行った.
仮説②の分析方法
・ファッション意識を低群(1.00~3.00)・高群(3.01~5.00)に分け独立変数とし,男性の朋装についての頄目の各カテゴ
リーで平均得点を出し,各カテゴリーの中で最も好印象である朋装を従属変数としてt検定を行った.
94
■結果(仮説①:ジャケットと I ラインの関連)
上着の種類の中の「ジャケット」の評価を高低に分け独立変数とし,朋全体のシルエットのなかの「I ライン」を従属変
数として t 検定を行った結果は以下のグラフの通りである.
†
t(41)=1.95, p<.10
図1 ジャケットを好む人・好まない人の I ラインの評価
上記の結果の通り,ジャケットを好む人は好まない人に比べ I ラインのシルエットを好む,という有意傾向が見られ
た.(t(41)=1.95, p<.10).よって,上着の種類の中の「ジャケット」と朋全体のシルエットの中の「I ライン」とは.関連
があるということがわかった
■結果(仮説②:好印象な服装とファッション意識の関連)
各カテゴリーの中で最も好印象な朋装とファッション意識の関連を調べるため,まず,朋全体のシルエット,上着の
種類,パンツの種類,パンツのシルエット,靴の種類,それぞれのカテゴリーの中で最も好印象な朋は何であるのかを
以下の表に示した.表 1 に示したように,Iライン・テーラードジャケット・ジーンズ・普通・スニーカーがそれぞれ
のカテゴリーの中では最も高くなった.
表 1 各カテゴリーの平均得点
第1位
朋全体のシルエット
上着の種類
パンツの種類
パンツのシルエット
靴の種類
Iライン(3.90)
テーラードジャケット
(4.13)
ジーンズ(4.44)
普通(4.27)
スニーカー(4.39)
服装に関する項目の順位表
第2位
第3位
Aライン(3.44)
ネルシャツ(4.05)
カラーパンツ(3.51)
細め(4.22)
ショートブーツ
(3.92)
第4位
第5位
Vライン(3.43)
パーカー(4.05)
ダメージジーンズ
(3.41)
太め(2.49)
Uライン(2.33)
ライダース(3.49) Gジャン(2.78)
カーゴパンツ
チノパン
(3.39)
(2.99)
革靴(3.37)
ロングブーツ
(3.27)
以上の平均得点結果をふまえて,ファッション意識を高低に分け,独立変数にし,それぞれのカテゴリーで最も好印
象なパーツを従属変数として t 検定を行った結果が以下のグラフの通りである(低群n=51,高群n=136).
95
t(185)=0.80, n.s.
t(185)=0.61, n.s.
図 2 「Iライン」の評価
図 3 「テーラードジャケット」の評価
t(184)=1.60, n.s.
図 4 「スニーカー」の評価
*
*
t(184)=2.48, p<.05
t(184)=2.30, p<.05
図 5 「ジーンズ」の評価
図 6 「普通(パンツのシルエット)」の評価
以下に,仮説②に対する結果をまとめておく.
・ファッション意識得点を独立変数とし,「Iライン」の評価を従属変数として t 検定をおこなった結果,有意差は見ら
れなかった(t(185)=0.80, n.s.).
・ファッション意識得点を独立変数とし,「テーラードジャケット」の評価を従属変数として t 検定をおこなった結果,
有意差はみられなかった(t(185)=0.61, n.s.).
・ファッション意識得点を独立変数とし,「スニーカー」の評価を従属変数として t 検定をおこなった結果,有意差はみ
られなかった(t(184)=1.60, n.s.).
・ファッション意識得点を独立変数とし,「ジーンズ」の評価を従属変数として t 検定をおこなった結果,有意差がみら
れた(t(184)=2.48, p<.05).よって,ファッション意識高・低群は「ジーンズ」と関連があることがわかった.
96
・ファッション意識得点を独立変数とし,「普通」の評価を従属変数として t 検定をおこなった結果,有意差がみられた
(t(184)=2.30, p<.05).よって,ファッション意識高・低群は「普通」と関連があることがわかった.
■結果の考察
■ジャケットと I ラインの関連
ジャケットと I ラインに関して有意傾向があり,関連があることがわかった.なぜ有意でなく有意傾向としての結果
出たのだろうか.理由として,スーツ姿は一般的に上下とも同じシルエットラインであり,上下どちらかがゆったりな
シルエットの着こなしを見かけることは尐ないが,私朋でジャケットを使った着こなしは多くある.例えば,ジャケッ
トを着て,ゆったりめのカーゴパンツを穿くような A ラインシルエットでのジャケットの着こなしもあり,そのよう
な格好をしている男性を大学生活の中で見たり,身近にいたりすることが影響して,I ラインの評価に有意な差が見ら
れず,有意傾向になったのではないかと考えられる.
2.好印象な服装とファッション意識の関連について
まず,有意差が見られなかった「I ライン」,「テーラードジャケット」,「スニーカー」について考察を行う.
■「I ライン(朋全体のシルエット)」について
紳士朋の商品に,モテスリムという言葉を使用されるほど近年,男性用の被朋においても細身のシルエットラインは
浸透しており,ファッションとして細身のシルエットは多くの男性に受け入れられている.男性に受け入れられる以前
から女性達の間で細みのファッションは存在しており,ファッション意識が高い人ほど男性の細身のシルエットライン
に対し,好印象を抱くのではないだろうか.しかし,他のシルエットラインに比べて I ラインは印象が良いという点は
予想通りではあったが,ファッション意識との間に関連はなかった.今回の調査では,I ラインの中に「上下とも細み,
上下とも普通」の 2 パターンを含んでしまったことにより,その中のどちらを想像して回答したものなのかを抽出する
ことはできなかったため,ファッション意識と I ラインに有意な差が見られなかったのではないかと考える.
■「テーラードジャケット(上着の種類)」について
豊田(2000)では,女性から好かれる男性の特性のなかで「信頼できる」や「頭がよい」という特性に関して,男子学生が
認識している以上に女子学生は重視していることを明らかにしている.「頭がよい」という特性に関して外見からイメー
ジできるものとしてスーツを着ている時が他の朋装より最もイメージが強いのではないだろうか.そして,スーツを私
朋にして考えた場合,上着の種類のなかではジャケットが最も近いものであると考える.ジャケットからはスーツのよ
うに「頭がよい」や「できる人」のイメージを抱かせる朋装であり,ファッションに関心あるかないかにかかわらず女性か
ら見ればジャケットは,好印象を抱かせるため,有意な差がみられなかったのではないかと考えられる.
■「スニーカー(靴の種類)」について
ファッション意識低群で 4.24,ファッション意識高群で 4.44 という数値であり,高低関係なく,好印象をもたれて
いるという結果であった.スニーカーは男性だけが履いているのではなく,女性も履いているものであるということが
理由として考えることができるのではないだろうか.大学に入学するまでを考えると,中学・高校と着るものは学校指
定の制朋やジャージとして決まっていたが,靴は指定ではなくスニーカーを履いていれば大丈夫という学校も多いと思
う.このことから,大学に入学して私朋での生活を行うようになってからもスニーカーは女性に馴染みのある靴であり,
ファッション意識に関係なく好印象を持ち,有意な差が見られなかったと考えられる.
97
次に有意差が見られた「ジーンズ」,「普通」について考察を行う.
■「ジーンズ(パンツの種類)」について
ジーンズは,アメリカのゴールドラッシュ時代に労働着として生まれ,50 年代には中流階級の若者が,新しい価値
観の象徴としてジーンズを日常着として着用しはじめた.そして,60 年代には,フェミニズム運動が強まっていくう
ちに,従来の女らしさの概念に抵抗するものとしてジーンズが注目され,ユニッセックスウエアとしての意味が強化さ
れた(三井,1990).このようにジーンズは時代とともに男性だけでなく日常的に女性にも穿かれるものとなり.ファッ
ションとジーンズの関係は非常に密接で,我々にとって身近なものであると考えられる.男性よりファッションへの関
心が高いとされる女性からローライズジーンズやスキニージーンズなど,今では当たり前のように男性も穿いているジ
ーンズが誕生しており,女性の中でもファッション意識が低い人に比べ,ファッション意識が高い女性の方がジーンズ
の評価が高くなったと考えられる.
■「普通(パンツのシルエット)」について
普通のシルエットはファッション意識が高い・低いに関係なく平均的に高い評価であった.結果の通り,普通のシル
エットは誰が見ても悪い印象を与えることはないということがわかった.つまり普通のシルエットは無難であると言え
る.細めのシルエットに関して,今では女性のみならず男性のファッションでもスキニーは流行っているが,結果とし
て普通のシルエットに比べ,評価が低くなった.女性から見た男性の細めのシルエットのイメージとして,女性が穿い
ているスキニーのようなシルエットを想像した人もいれば,普通より細い感じを想像した人もいるだろう.このことが
普通のシルエットより評価が低くなってしまった要因であると考える.太めのシルエットに関しては,B 系や HIPHOP
系の朋装を想像させ,怖いという印象を持ってしまうという点や太めのシルエットはだらしがないというイメージが強
い点などの理由から評価が低くなり,普通のシルエットの印象とは違い,低くなったと考える.ファッションに対する
意識が高い人は,他者のファッションに対する関心も強い傾向がある(藤木,1988).このことから最も好印象であっ
た普通のシルエットの中でもファッション意識が高い人の方が低い人に比べ有意に好印象を抱いたということが考え
られる.
■総合考察
今回の調査で,「I ライン・テーラードジャケット・ジーンズ・普通・スニーカー」がそれぞれのカテゴリー内で最も
好評価が得られるということがわかった.そして,
【男性の朋装についての頄目】計 21 頄目ほとんどに対して,ファッ
ション意識が低い人に比べ,高い人の方がより評価が高いということがわかった.男女限らずおしゃれの参考にファッ
ション雑誌などの媒体から取り入れる人も多いが,友達も含め,まわりの人達のファッションを見て自分のファッショ
ンに取り入れる行動をとっている人は多いと思う.今回調査を協力してもらった大学は,群馬県内の尐規模な私立大学
や尐人数の公立の大学など 4 つの大学すべて総学生数が多いとは言えない大学であった.学生数が尐ないということは,
周りにいる人達も尐なくファッションの参考にできる人が尐ないということである.このことが今回の結果に関わって
いると考えられるのではないだろうか.学生数が尐ないということは女性だけでなく男性のファッションを見る機会も
尐ないということである.それに加え,群馬県には東京都のように原宿や渋谷など若者が多く集まる場所というものが
ないため,他者のファションを見る機会は断然に尐ない.東京都など,都会の大学に通っている大学生は群馬県の大学
生に比べ,ファッションに関して厳しい目を持っていると考えられるので,今回の結果で有意な差が見られる頄目も,
変わって見られなくなるような傾向が出てくるのではないだろうか.
98
■引用文献
Watson,D. 1989 Stranger’s rating of a surprising accuracy,Journal of Personality and Social Psychology,57,
120-128.
斉藤勇 2008 見た目でわかる外見心理学,ナツメ社.
坂井信之 2009 人は他人を朋装によって判断しているか?-TEG‐Ⅱを用いて先入観の形成を測定する-,生活科
学論叢,40,1-13.
豊田弘司 2004 大学生における好かれる男性及び女性の特性-評定尺度による検討-,教育実践総合センター研究
紀要,13,1-6.
野津哲子 1994 女子学生の被朋行動と社会心理的特性との関係,島根女子短期大学紀要,32,91-98.
朋部由美子 松村美帄子 田上秀一 森透 2007 大学生の朋装に関する意識と現状-学校制朋と私朋についての調
査から-,福井大学教育地域科学部紀要,46,1-8.
藤井一枝 山口恵子 1998 女子短大生の流行に関する意識と朋装の実態-島根と大阪を比較して-,島根女子短期
大学紀要,36,61-68.
藤木悦子 1988 本学学生の被朋行動に関する一考察,福岡女子短期大学紀要,36,1-16.
三井徹 1990 ジーンズ物語,講談社現代新書.
99
第7章 あまりにも白い黒
-青年期における不安のパラドキシカル的性質-
三田 育美
■はじめに
私はよく不安になる.例えばそれは先日の M 先生の授業の時であった.M 先生はチョークで黒板に文字を書いてい
た.学生である私は,M 先生が黒板に書いた文字をノートに写していた.その時だった.もし M 先生の爪が伸びてい
て,チョークで文字を書くときに爪で黒板をひっかいていたらどうしようという不安が私を襲ったのである.実際にキ
ィィという,黒板を爪でひっかいたときに出る音は聞こえなかった.不安のもとは,実際に音が出ているか出ていない
かではなく,M 先生本人が黒板を爪でひっかいたときの感覚を感じていたかどうかであった.実際に音を聞いたわけで
も黒板を爪でひっかいたわけでもなかったにもかかわらず,私は鳥肌がたってしまった.
このように授業中などの日常で,ふと不安になることが私にはよくあるのである.先述した授業中の他に,車に乗っ
ているときには,事故に遭うかもしれないと不安になる.たとえ安全な道でも,突然脇道から飛び出してきた車と事故
に遭う光景を私は思い浮かべてしまう.事故に遭う光景を思い浮かべてしまった私は,必死に不安を解消しようとし,
首を横に振る.「大丈夫,大丈夫」と私は自分に言い聞かす.私は不安で不安でたまらないのである.不安でたまらない
私は,一体どうやって不安を解消すればいいのだろうか.
■不安でたまらない私
不安を解消するため,私は動き出した.先行研究ではどのように不安の解消が研究されてきたのだろうか.村瀬
(2006)は,遠隔カウンセリング1前後によって不安得点差を比較した.その結果,遠隔カウンセリングの前後において
不安に有意な差が認められ,遠隔カウンセリングが不安解消に効果があることを実証した.この村瀬(2006)の研究か
ら,不安を解消するにはカウンセリングが効果的であることが指摘された.
また,井村ら(2004)は,女子大学生の性格や不安が代替療法(音楽,香り,振動,温熱)によって影響されるかを実
験している.代替療法には,アルファ 21 リラックスカプセル(リラックス療法,マッサージ療法,温浴療法,音楽療法,
アロマセラピーを兹ね備えた器具)を 25 分間使用させ,その効果を検討した.その結果,代替療法により,不安が軽減
されたことを明らかにしている.
村瀬(2006)や井村ら(2004)に挙げられるような,不安を解消するためにカウンセリングや療法などの癒しを与えら
れる研究の他に,自己の中で不安をどのように解消させるかを述べている Maslow(1962)の研究がある.
Maslow(1962)は不安を取り除く一つの方法として,不安の原因となる事物・状況などを正しく認識し,親しみを持た
せ,予想したり,管理したり,統制したりできると指摘している.つまり,不安の原因となる事物や状況などを正しく
認識しさえすれば不安を取り除くことができるということである.
■私がすべきこと
不安で仕方ない私がすべきことは何なのかという問いに対しては,カウンセリングと代替療法が効果的であることと,
不安の原因となる事物や状況などを正しく認識することが先行研究から明らかにされた.つまり,不安を解消するため
に私がすべきことは,カウンセリングか代替療法,または自己において事物や状況を正しく認識することであり,それ
が,はじめに述べた問いの答えである.
1
遠隔カウンセリングとは,Computer Mediated Communication を利用したカウンセリングのこと.
100
以上に挙げた不安に対する研究には共通点がある.その共通点とは「不安は解消すべき」という前提である.井村ら
(2004)などの研究は,最初から不安を解消すべきものとして扱っている.そんな卖純な扱い方で不安が満足するとで
も思っているのだろうか.実を言うと,私は不安を解消すべきだとは全く考えていない.しかし私も以前は,不安は解
消すべきだと考えていた.次の節では,そんな私に不安は必ずしも解消すべきものではないと考えなおさせてくれた体
験を述べる.
■不安がたまらない私
私は私に飽きていた.自分自身に愛想をつかしていたというわけではなかったが,何か物足りなかった.幸せでも,
不幸せでもなく「つまらない」と感じていた.「私は私の人生の主人公として,本当にふさわしいだろうか」という懸念が
頭から離れなかった.「それ」に出会うまでは.「それ」との出会いは,ある雑貨屋だった.「それ」を一目見た瞬間,私は
本能の赴くままに,「それ」に近づいた.すると「それ」は,突然私に語りかけてきたのだ.
『いいんだろう,知っている.
お前もなんだろう.
』と.「それ」は,その日が私との初対面であることなどお構いなしといった様子で私に語りかけて
きた.「それ」に近づいたのは私だったが,まさか「それ」が語りかけてくるとは思いもしなかった.「それ」は,私に戸惑
うスキなど与えさせぬ程のインパクトを伴って私の中へと入ってきたのであった.
ここでいう「それ」とは,ルネ・マグリットという画家
が描いた絵画のことである.ルネ・マグリット(以下マ
グリット)の絵画は図 1 のように,奇妙な世界が描かれ
ていることが多い.図 1 は,マグリットの画集の表紙に
もなっている絵画である.表紙の奇抜さに目を奪われ,
雑貨屋でマグリットの画集を手に取った私はマグリッ
トの描く世界のあまりの奇妙さに不安に襲われた.表紙
である「解放者」という題がつけられたこの絵画の中に
は,何者なのか説明できない奇妙な存在が中心に堂々と
存在している.人間と断定するには奇妙で,人間ではな
いものと断定するには人間らしすぎるその存在に,私は
不安を感じた.だが,私はマグリットの絵画に不安を感
じていたにも関わらず,その画集を閉じることができな
かった.出会った瞬間に,またはマグリットの絵画を鑑
賞し,語りかけられた段階で拒否しようと思えばできた
図 1 ルネ・マグリット 《解放者》 1947 年
はずである.いや,閉じるなどということは私にできる
カンヴァス 99×78.7cm
はずもなかった.拒否するどころか応えるようにしてペ
マルセル・パケ(2007)
ージをめくり,私はマグリットの絵画を鑑賞していたの
だから.そう,マグリットの描く世界のあまりの奇妙さに不安になったにもかかわらず,私はマグリットの画集を閉じ
ることを“しなかった”のである.言いかえれば,私は自ら不安を欲したのである.マグリットの絵画の奇妙さに不安
を抱きながら「不安…たまらない」とその世界に興奮し,その世界に興奮している自分に安心したのである.私は不安に
興奮した自分を好きになることができた.飽きていた頃とうって変わって,私は自分を好きになれたのである.私の自
分に対する認識は,マグリットによって大きく変わったのであった.自己認識をたったひとつの芸術が大きく変えたの
である.果たして「マグリットが私を変えてくれた」という一文で上記の現象は説明できるだろうか.説明できないとす
れば,一体私に何が起こったのだろうか.私が自ら欲した不安は一体何だったのか.このふたつの疑問を考察するにあ
たり,私とマグリットとの出会いについてと,マグリットがもたらしてくれた不安について考察していくことにする.
101
■芸術による自己認識
私にとってマグリットとの出会いがどのようなものだったのか考えるにあたり,私がマグリットに出会う前とマグリ
ットに出会った後とを比較しなくてはならない.上述したように,私はマグリットに出会う前,自分自身に飽きていた.
自分自身に飽きていたということは,自分自身に不満を持っていたということである.私がもっていた不満は,自分の
ことが嫌いで仕方ないというほどの不満ではなく「なんとなく」不満だったのである.マグリットに出会った当時,私は
青年期真っ只中の大学 2 年生であり,日頃から自分について考えており,自分を人生の主人公として迎えられていなか
った.なぜなら,これといった才能もなく,漫画や映画に出てくる主人公の人生のような非凡性を自分の人生に見いだ
せていなかったからである.当時の私は,才能を持っている友人や夢に向かって努力をしている友人のことが羨ましか
った.いや,羨ましく思っている自分さえも認めていなかった.認めなければ努力をしないで済む上に,才能も持って
いない自分を否定しないで済むからである.本当は非凡を求め,平凡であることに不満を抱いていたのである.平凡で
ある自分に満足していないため,自分を自分の人生の主人公として迎えられなかったのである.
そんな私がやがて運命のマグリットとの出会いの後,私は私を自分の人生の主人公として迎えることができた.私は
自ら不安を欲したことで,非凡を求めていることに気づくことができたのである.つまり,マグリットとの出会いによ
り,非凡を求めていた新しい自分に出会うことができたということになる.非凡を求めている自分に出会うことにより,
私は自尊心を傷つけられる恐れのない,安全な場所から抜け出すことに成功したのである.あるがままの自分を受け止
め,認め,努力すること,成長することを望んだのである.この成長欲求は何によってもたらされたものなのだろうか.
■成長欲求を導く至高体験
岡村(2006)によると至高体験と呼ばれる心地良い一瞬は,成長欲求を導くものとなるとされており,私にとってマ
グリットとの出会いはこうした至高体験のひとつであったと考えられる.Maslow(1971)によると,至高体験というの
は感動や恍惚感など人生において最高の幸福と充実を感じる一瞬の体験で,日常的な体験とは異なるすばらしい体験の
こととされている.また,至高体験は自己実現的人間へと成長・発達していく上での啓示的体験(Maslow,1971)とさ
れている.至高体験が自己実現的人間へと成長・発達いていく上での啓示的体験ということは,マグリットに出会った
ことで,私は成長がはかられたということになる.
私はつい先日も至高体験を経験してきた.私は車でお気に入りの音楽を聴いていた.その音楽がサビにさしかかった
とき,私の体の奥底から熱い何かがこみ上げてきた.その熱い何かは,目という私の身体の一部に,感動の類にカテゴ
ライズできるであろう反応をさせた.そう,私の目から溢れるほどの涙がこぼれ落ちたのである.「私はこの音楽がこ
んなにも好きなのだ.こんなにも好きになれる音楽に出会えた.最高だ.やばい2」そう感じたのである.私は自分の好
きなものに出会えたことで,自分をもっと好きになることができたのである.その音楽が最高であると感じることによ
って,自分やこの世のすべてが最高であるような感覚に陥ったのである.その最高の音楽があるのは,この世があるか
らだと思うと,この世に対する愛を抑えられなかった.私とその音楽をつないだ私を私は愛したのであった.
自分の好きなものに出会えたことで,自分をもっと好きになることができたという現象を,私は板津(2006)の言葉
を借りて考察することに成功した.板津(2006)は「人は,他者の中に自分自身にないものを感受し,自らの経験を超え
た他者の経験に関わることで自己を拡大していく」と述べ,また「共感能力が自己受容度を高めていく要因の 1 つとして
機能しているであろう」と考察している.つまり,板津(2006)は,共感が自己受容度を高めることを指摘しているので
ある.私がマグリットに対して行った共感は,自己を受容するきっかけとなったことが明らかになった.
■マグリットが私にもたらしてくれた不安
次に,至高体験であったマグリットとの出会いの中でマグリットが私にもたらした不安について考察していく.そも
2
若者言葉の「やばい」であり,ネガティブな意味ではなく,ポジティブな意味をもつ.
102
そも不安という言葉はどういう意味を持っているのだろうか.不安は広辞苑第五版にみられるように,一般的に安心の
逆の意味の言葉として捉えられている.それに対して,安心という言葉は「心が安らぐこと」と広辞苑第五版に記載され
ているように,どちらかといえばポジティブな意味を持つ言葉である.「安心するじゃないかっ!!」と言って怒る人は見
たことがない.こうしたことからも,安心という言葉がポジティブな意味を持つことを示唆している.しかし,マグリ
ットがもたらしてくれた不安は,私にとってネガティブどころかポジティブなものに近かった.では,マグリットが私
にもたらしてくれた不安のように,ネガティブな意味をもつ不安ではない,ポジティブな意味をもつ不安はどのように
研究されているのだろうか.
山本(1992a)は,先行研究による知見をもとに不安を以下の 2 つに分類している.それは第一に,人間的成長により
ポジティブな意味を持つ不安(成長不安)である.第二に,日常語としての不安に近い,よりネガティブな意味をもつ不
安(抑制不安)である.抑制不安とは,日常的な意味の不安に近い,行動を抑制するようなネガティブな意味の不安であ
るため,今まで研究されてきた多くの不安は抑制不安のことであるといえる.一方,成長不安というものは,人間的成
長につながるようなポジティブな意味の不安であるため,マグリットが私にもたらしてくれた不安は成長不安に近いと
思われる.ポジティブな意味の不安は,成長不安という言い方で研究されていることがわかった.
また,山本(1992a)は「失敗への不安・懸念を持ちつつも,
“とにかくやるしかない”
“できる限りやってみよう”と
する成長へ結果的に繋がるような,青年の“不安を抱えながらの成長への衝動・衝迫”
“大きな不安とそれに勝るとも
务らぬやる気とが入り混ざった力動的な心境(mood)”つまり“やる気”と“不安”との混合」という一面を成長不安が
持つと指摘している.
先ほど,マグリットが私にもたらしてくれた不安は成長不安に近いという言い方をし,成長不安であるとはっきり示
さなかったのは,山本(1992a)による成長不安における,
“やる気”と“不安”との混合という部分に共感できなかっ
たからである.なぜ共感できなかったかというと,マグリットが私にもたらしてくれた不安はポジティブな意味の不安
であったため成長不安に近いと思われたが,
“やる気”というキーワードは含まないと思われるからである.
“やる気”
というキーワードがあるかどうかが,成長不安とマグリットが私にもたらしてくれた不安との違いなのである.
マグリットが私にもたらしてくれた不安は,やる気ではなく安心をもたらした.マグリットに共感できた私に,私は
安心したのである.非凡に共感できる自分に安心したということになる.つまり,マグリットがもたらしてくれた不安
は私に安心をもたらしてくれたともいえる.不安によって安心するという,パラドキシカルな現象が起こったのである.
つまり,マグリットがもたらしてくれた不安は,パラドキシカル的性質を持っていたと言うことができる.マグリット
が私にもたらしてくれたパラドキシカル的性質を持つ不安を言い表す言葉はないだろうか.パラドキシカルな性質をも
ち,若者を言い表す言葉として「エモい」という若者言葉を取り上げてみよう.
■「エモい」
「エモい」という言葉の語源は「エモーショナル」であるという説と「エモーション」であるという説がある.エモーショ
ン,エモーショナル,共にもともとは感情・情動・感動的などという似たような意味であるが,今は哀愁・感傷的・切
ない・感情的という意味で若者の間で「エモい」という形容詞として使用されている.不安になるような音楽を聴いて「エ
モくていい」などと若者は言っていたりするのである.コミュニティ型の Web サイト(mixi)内のある若者の日記の中で
は「実は出番前に一人で**(ある百貨店の名前)にハチマキを買いに行くのはかなりエモかった」という記述がみられた.
K さんは 22 歳のフリーターであり,バンド活動をしている.K さんが日記を書いた日はライブであり,「出番前」とい
うのは,ライブでの自分の出番の前という意味である.ライブハウスでは仲間たちが楽しく過ごしている様を想像して
か,ひとりで百貨店に行く自分を「かなりエモかった」と表現している.たったひとりで百貨店に出番前に行くという状
況を,K さんが完全にこの体験を疎ましく寂しいと思っていただけならば,日記に書いて人目にさらさなかったはずで
ある.それなのにも関わらず日記に書いて人に見てもらうことを選んだことから,K さんには寂しいという感覚と,こ
103
れは話のネタになるのではないか,今自分が置かれている状況はおもしろいのではないか,という感覚が K さんの中
にはあったと推測できる.一方では感傷的にとらえ,もう一方ではおもしろいと捉える.こういったパラドキシカルな
性質を「エモい」という言葉は持っているのである.
■エモ不安
私はマグリットによって不安になり,エモくなった.マグリットが私を,非凡を欲するエモい私にしてくれたのであ
る.私はエモくなったことで,自分を自分の人生の主人公として認めることができたのである.すると,自分を自分の
人生の主人公として認めるための不安は,エモくなるための不安である.この不安は抑制不安でも成長不安でもない.
名づけるとすれば,エモ不安とでも呼ぶことができよう.このエモ不安は従来の解消すべき不安とは扱い方が違う.エ
モ不安は解消するのではなくうまく使うのである.うまく使うということはどういうことかを説明するために,エモ不
安をうまく使えた場合とうまく使えなかった場合を説明しよう.
もしエモ不安をうまく使えなかった場合,エモくなりたい自分に対して「もっとエモくなれる,もっとエモくなれる」
とエモさを過剰に求め,半永久的にエモい自分に依存し続ける.自分をエモくしようとする行為が続くことをここでは
エモスパイラルと呼ぼうと思う.エモスパイラルに陥った人間は,エモスパイラルに陥っている“今”から抜け出すの
が怖くなってしまう.確かに“今”が成立しているのだから,成立している“今”から抜け出してしまうのは怖いかも
しれない.岡村(2006)が「自己実現的人間へと人間の成長を拒むものは,強力な安全欲求にある」と述べるように,成
立している“今”は,エモい自分に浸っている人にとって安全なのである.また,岡村(2006)は「成長することによっ
て生じる責任や義務における負担と重圧が,本来持っている人間の才能や可能性などの開花を戸惑わせる」と述べてお
り,人間が成長を怖がっていることが伺える.例えば,よく遅刻をする若者がいたとする.その若者は,遅刻をする自
分にエモさを見出し固執してしまうと,エモスパイラルに陥る.周囲にダメであると認知されれば,様々な課題がこな
せなくても「自分はダメだから」と理由にすることができるのである.ダメでエモい自分で“今”が成立しているため,
ダメな自分に固執し,成長することをやめてしまうのである.
一方,エモ不安をうまく使えた場合,自分を自分の人生の主人公として認めることに成功し,前に進むことができる.
いわばエモ成長不安といえるだろう.私の先ほどのマグリットをめぐる事例は,エモ不安をうまく使えた場合である.
マグリットが私にもたらしてくれた不安,つまりエモ不安が非凡に憧れていることを私に認めさせてくれたのである.
エモ不安は私に非凡への憧れを認めさせ,非凡への共感をも導いてくれた.そしてエモ不安による非凡への導きにより,
私はマグリットに共感したのである.そして共感できた私に,私は安心したのである.エモ不安をうまく使うことで,
私は安心を得ることができたのである.不安はもはや解消すべきものではなく,うまく使うものなのである.
■おわりに
従来,人々は村瀬(2006)や井村ら(2004)などのように,不安は解消すべきものという前提を持っていた.しかし,
不安は解消すべきものだろうという前提は本当にあるべきものなのだろうか.山本(1992b)が指摘するように,青年期
にとっては不安がとても重要なことも確かである.解消すべき,ネガティブな面を黒と表すのならば,不安は真っ黒な
わけではないことが明白であり,ポジティブな面,つまり白い面も持っていることを今回明らかにした.不安を全くの
黒というには,あまりにも白い面をもっているように私には思えて仕方がない.
現代の若者は,変態や異常という言葉を褒め言葉として使う場合がある.「この CD,マジ変態,異常だよ」と言って
友人に勧めたりするのである.「変態」である音楽を好み,通常のものではない「異常」を欲しているのだ.変態,異常等,
若者が平凡でないものに惹かれていることが理解できる.また「変態だね」と友人などに言われた若者は罵倒されたとは
思わず褒め言葉として受け止める.そして「いやいや,おまえこそ」と返したりするのである.「いやいや」と否定してい
るのは変態と言われたことに対して憤慨しているのではなく,褒め言葉として受け止め,謙遜しているのである.現代
104
の若者は他者に変態と言われ喜び,自分を平凡と思い不満を感じるのである.
また,Aristotle(1968)は以下のように述べている.
哲学であれ,政治であれ,詩であれ,あるいはまた技術であれ,とにかくこれらの領域において並外れたところを
示した人間はすべて明らかに憂鬱症であり,(中略)例えば,英雄たちの中では,ヘラクレスに関する物語がそのよ
うに語り伝えられている.すなわち,言い伝えによると,彼はこのような素質の持ち主であったらしく,それなれ
ばこそ,癇癪持ちの症状を,昔の人々は彼に因んで,「聖なる病い」と名づけたのである.
このように,本来生命をおびやかすはずの病いが憧れの対象として扱われることがあり得るのだから,人並みである
自分に嫌悪感を抱く者が本来落ち込んだ状態であるはずのエモい状態に吸い寄せられるのは無理のない話である.「異
常」が褒め言葉になるという現象も頷ける現象ということである.非凡を欲していた私も,異常になりたかった若者の
うちの一人であったのだろう.自分のように,皆本当は異常になりたいのだと思い込み「みんなで異常になろうよ…」
と心の奥底で私は他者に訴えかけていた.皆が異常になってしまったら,それはもはや異常ではないという事態に気づ
かずに,周りも異常になることを求めていた.異常というのは,普通ではないものを表す言葉として使っていたはずな
のに,異常そのものが普通となることを求めていたのである.なんという皮肉だろうか.しかし私はその皮肉を愛さず
にはいられなかった.皮肉のもつエモさに興奮したのであった.「ああ,なんとエモいことだろう….」
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105
第8章 自己形成過程にみられる時間的装置としての「身体」
-青年期における身体改造実践についての語りから-
三井 里恵
■はじめに
現代社会において,人為的な操作によって身体を変形させる行為,いわゆる身体改造と呼ばれる実践は若者たちの間
では奇異なものではなくなってきている.例えば身体改造の流行という状況は,figure1 に示したような若者たちの間
に見られるピアスやタトゥーといった身体改造から,奇抜なものまで多様な形で現れている.
ポーラ文化研究所(2001)が行った調査によれば,最も身近な身体改造の
ひとつであるピアス着用のピークとなる年齢は,1991~2000 年に実施さ
れたいずれの調査においても 20~24 歳であるということが明らかにされ
ている.更に,斎藤(1999)の調査からは,先程奇異なものではなくなって
きたと述べたタトゥー施術のピークとなる年齢は,19~25 歳であるという
figure 1 若者に見られる身体改造
(BodyModificationInJapan, e.m.Fleur,
恋と tattoo と診察室より引用)
ことも明らかにされている.こうしたことから,日本において,ピアスや
タトゥーなどの代表的な身体改造を実践しているのはおよそ19~25 歳の,
いわゆる青年期を生きる若者たちであることが示唆される.
しかしながら,そうしたピアスやタトゥーに対してある程度の理解がある諸外国に比べ,日本においては偏見や利用
できる施設が限られるなど,社会生活を営む上で絶対的な不利が付きまとう現実がある.にもかかわらず,身体改造が
現代を生きる若者たちを惹きつけるのは一体何故なのだろうか.本研究では,現代の若者が身体改造を求める意味につ
いて,青年期における自己形成という視点からのアプローチを試みた.
■身体改造とは何か―身体改造のもつ意味の社会的変遷
本研究においては,身体改造(Body Modification:以下 BM)を「人為的な操作によって身体を変形させること」と定義
する.この BM はこれまでいかにして研究がなされてきたのか.はじめに,様々な学問分野でなされた身体改造につい
ての知見を概観する.ある集団において特定の意味を持って実践される BM については,古典的な文化人類学的研究に
おいて盛んに研究が行われてきた.Rudofsky(1979)によれば,特定文化においては性役割を全うしようとする時,例
えば女性が男性を惹きつけるために,身体に装飾を施すという.また,「原野に生きる原始的未開人から,大都会生活
をする先進的文明人まで,すべて人間は必らず我が身を飾ろうとする」という桑原(1979)の指摘からもわかるように,
これまで文化人類学の中で積み重ねられた研究によって,BM が多くの文化において様々な形を取りながらも,普遍的
に見られる実践であったことが明らかにされてきた.
このように,伝統社会において多くの地域や集団において社会的・文化的な意味に基づいて実践されていた BM であ
るが,多様な価値観が混在する現代社会においてはこれまで固有のコミュニティが持っていた BM の社会的・文化的な
意味の多くが既に消失してしまったと言えよう.にもかかわらず,もはやそうした意味を失ってしまった BM が現代に
おいて若者たちの間で実践され続けているのは一体何故なのだろうか.
伝統社会における BM が社会的・文化的な意味に基づいた実践であったのに対し,現代における若者たちの BM は実
践する人々の自己を意味づけるための実践であるという指摘が数多くなされている(Lawrence,2001;西山,2007;
Sweetman,1999;Winge,2003).特に現代の日本において実践される身体改造について西山(2007)は,日本にみら
れるギャルと呼ばれる若者たちを例に挙げ,不変性と不可逆性という「「取り返しのつかない」性格」を持つ BM が,「あ
らゆるものが不確かで曖昧」な「現代社会」において「自己の存在を確かめるための有効な方策」となっているのだと指摘
している.こうしたことからも,現代社会における BM は,若者たちの意味をめぐる実践であると言えよう.
106
■本研究の意義と目的
これまで紹介してきた諸研究に加え,根ヶ山ら(2003)が「時間や経験が変化としてその痕跡をはっきりとしるす,身
体がそのようなものであるならば,それを意図的に作り変えることは,自身に何らかの影響を及ぼさざるを得ないはず
である」と指摘するように,BM が現代社会における若者の自己の意味をめぐる実践であるという理論的指摘は多くな
されてきた.しかしながら,そうした理論的指摘に基づき,実際に「今,ここ」において BM を実践している若者自身に
対する,実証的な研究はこれまで十分になされてこなかった (松井,1997).従って,BM についての理論的研究の裏
付けとなる実証研究を行う本研究は意義を持つものであるといえよう.よって本研究では,現代の日本において実際に
BM を実践している若者を対象とし,
彼らの BM という実践に対する意味を探るために面接法を用いた対象への個別の
アプローチを試みた.
■方法
協力者:予備調査で得られた知見を基に,本調査では,B さん(男性,22 歳)とCさん(女性,33 歳)の 2 名を研究協力者
とした.BさんとCさんを研究協力者として選定した理由は,第一に,両者が BM を実践した年齢がポーラ研
究所(2001),斉藤(1999) によって示された BM 施術のピーク年齢に含まれていたこと.また第二に,両者が
BM によってもたらされる社会的不利益を省みず BM をそのままに日常生活を営んでいること.両者がピアシ
ングという比較的身近で可変性・可逆性のある BM を経て,一般的に敬遠されがちで不変性・不可逆性の強い
タトゥーという BM を実践したこと.以上のことから両者が BM へ何らかの意味を付与していると予想され
た.そのため,研究協力者の 2 名が若者によるピアシングとタトゥーという BM 実践の経験を有する特異な対
象の代表性を満たしていると考えられたためである.
手続き:2009 年 11 月,研究協力者である B さんと C さんにそれぞれ個別に面接を行い,面接の会話は IC レコーダー
に記録した.B さんの面接時間は約一時間半,C さんの面接時間は約一時間であった.今回の面接はすべて半
構造化面接を用い,ライフヒストリー(谷,1996)を参考に,予め用意された身体改造に関する質問―具体的に
は身体改造に興味をもったきっかけや,身体改造の事前事後における,自身の変化・自身の様子など―を中心
とした半構造化面接を行った.調査に関しては,調査の目的・得られたデータの使用方法などを事前に説明し,
了解が得られた者を研究協力者とした.面接で得られた会話データの研究への使用に関しては全て了承された.
分 析:まず,面接調査で得られた会話データをトランスクリプトしたものから身体改造についての語りを抽出した.
次に,BM 実践に至ったきっかけや意味づけ,BM を自らの過去・現在・未来という時間軸の中でどのように
意味づけているかという視点から協力者毎に得られた語りを分類・グループ化し,協力者のストーリーとして
集約した.最後に,協力者それぞれの語りに含まれる共通性や差異に着目しながら,協力者のストーリーに沿
って相互連関的に検討することで,実践者の自己形成において BM 実践が持つ意味を考察した.
■結果と考察
まず,本調査に協力していただいた 2 名の概要について以下に示す.
①B さんは中部地方出身の 2009 年 11 月現在 22 歳.2009 年 3 月に関東地方の大学を卒業後,地元には帰らず,2009
年現在同地区にて生計を立てている.B さんが初めて身体改造であるピアシングを経験したのは,2000 年,中学 2 年
の時であった.そのときは両耳にそれぞれ 1 個ずつピアスを開けたという.2002 年の高校入学後,ピアシングの回数
は更に増え,ピアスの数は両耳合わせて 14 個となった.2005 年に大学入学後,鼻と耳にピアシングした後,18 歳の
夏,左上腕に自身初めてのタトゥーを入れる.その後,ピアシングが継続することはなくなったが,タトゥーは継続し,
2009 年 11 月現在上半身の胸部・両肩・両腕に計 7 回のタトゥーを実践した.
②C さんは関東地方出身の 2009 年 11 月現在 33 歳.18 歳で短期大学に入学するが,翌年自主退学し,その後 20 歳
107
から数年,イギリスで生活した経験がある.2009 年現在4回生として関東地方の大学に在籍している.C さんが初め
て身体改造であるピアシングを経験したのは,1994 年の高校卒業直後であった.また,同年の短期大学入学後,ピア
シングの回数は更に増え,始め片耳に 1 個だったピアスの数は両耳・眉合わせて 5 個となった.1996 年に渡英し,1998
年 22 歳の夏,背中に自身初めてのタトゥーを入れる.その後は,ピアシング・タトゥーともに継続せず,現在に至る.
次に,前述の事例における調査結果を述べる.前述した 2 名の調査協力者の語りから,実践者のBM実践に対する意
味についての多様性がみられた.協力者らのBM実践に対するいくつかの意味について整理した表を以下に提示する.
table 1 タトゥーという身体改造実践における意味の多様性
B さん
C さん
実践以前抱いた意味
実践にあたり付与した意味
実践後もたらされた意味
西欧の身体改造への
笑顔の多い人生を
「プラスになってますね」
憧れ
生きていきたいという希望
現在をポジティブに支持するもの
ヤクザ(反社会的)
過去自分が引き起こした
「そういう人生はもう選ばないように」
罪・悪
悪い出来事
ポジティブな未来の創造を促すもの
table 1 のように,両者同様の BM を実践しながらもその意味づけには多様性が見られた.特に,自らの過去・現在・
未来の中に BM をどのように位置づけるかという点で両者ともに様々な意味づけを行いながらも,
その位置づけ方には
違いが見られた.以上の結果を踏まえた上で,まず B さんの事例を報告する.事例に用いられている記号はそれぞれ,
…:沈黙,<中略>:中略部分,w:笑い,( ):意味を補う部分,下線部:重要部分を意味する.
事例B‐1:身体改造実践の意味づけについての語り‐デザイン・配置
Bさん:でも,一番最初に入れたのはすごい意味があって入れたんすけど,でやっぱ,意味的
な要素がすごく好きで…その,トゥーフェイスっていう,柄があるんですけど,笑っ
てる顔と泣いてる顔がふたついるみたいなやつで.<中略>笑ってる顔が,俺がこう
見たときに笑ってる顔しか見えないようにしてるんすよね.だから,泣いてる顔は,
絶対,鏡とかで(映るように)こう(体を傾けて)やんないと見えないんすよ,見えないよ
うにしてて,で,人生的な面で笑顔の方がいいな,多い方がいい,っていう意味で,
一番最初はそれで入れたんすけど…うん.
事例 B‐1において,B さんは身体改造実践に自ら付与し
た「意味」について語っている.ここで B さんは初めてのタト
ゥーという身体改造実践において,figure 2 に示したようなト
ゥーフェイスという二面的な意味を持つデザインを自らの身
体に刻み込もうと決めたという.B さんが「笑ってる顔と泣い
てる顔」と表現したそのトゥーフェイスのデザインに,B さん
はそのまま自身の「人生」をなぞらえ,そういった BM 実践に
対する意味づけを確実にするようにタトゥーを施す部位を選
択した様子がわかる.また,B さんは自身初めてのタトゥー
に付与した意味,またそのタトゥーが現在の自分にとってど
んな意味を持っているかについて次のように語っている.
108
figure 2 トゥーフェイスのデザイン例
(楽天市場より引用)
事例B‐2:身体改造実践の意味づけにみる理想の生き方
面接者:じゃあなんか,こうなりたいーみたいな,そういう意味を込めた訳じゃなくて
Bさん:そうっすね,この先の自分の生き方みたいな.(タトゥー)ってやっぱ,一番身近にあ
るもんだし…<中略>…なんつんだろ,自分の中で,これ違えなあとか,例えばだけ
どバンドやってる上で,やっぱ続けてくのキツいなとか思ったときに,パッてやっぱ,
その一番最初の(タトゥー)見ると…結構自分にとってプラスになってますね,それは,
(バンドを)やめない,とか…なんか今のバンドをやるから,タトゥーを入れた訳じゃな
いんだけど,でもなんかそれは自分の人生において…なんつんだろ,楽しいことの方
がいいって思ってるんだったら…続けててキツい,って,やっぱ思っても,やっぱや
っちゃえば,すごい楽しいことだってあるし
事例 B‐2の語りから,B さんは「この先の自分の生き方」を BM 実践に意味づけたということがわかる.これら事例
B‐1における B さんの BM のデザインや BM の施術部位に込めた意味の語りや,事例 B‐2における BM に「この
先の自分の生き方」を意味づけたという語りから,B さんにとってタトゥーという BM 実践への意味づけが,BM 実践
したその時点での意味だけではなく,未来への展望という意味を込めたものであることがわかる.また事例 B‐2にみ
られる B さんが現在取り組んでいる物事に対して「キツいなとか思ったとき」,過去の B さんが実践した身体改造が現
在の「自分にとってプラス」になっているという語りから,
B さんの身体改造実践が B さんの生きる「キツい」現在にポジ
ティブな意味を与えていることが伺える.次に,もう一方の研究協力者 C さんの事例を報告する.
事例C‐1:身体改造実践の意味づけについての語り‐身体改造へのイメージ・生き方
面接者:何で入れようと思ったんですか?
Cさん:んー…w いろいろあったねえw
面接者:そのとき,どんなこと考えてました?
Cさん:んー…<中略>自分の体に入れるとなると,やっぱりその,特別なもの?消えないし,
それまでもやくざの人たちがするような…うーん…そうねえ,悪いことしたんだよw
悪いことしたから,お仕置き,みたいなw 戒め,みたいな
面接者:悪いことしたんですか?
Cさん:うん,出来事があって,で,それを,忘れないため…うん
面接者:なんか,自分自身に起こったことですか?
Cさん:うん,そうそう.友達,のことではないね
事例 C‐1において,C さんはタトゥーを実践するきっかけとして,「悪いことした」と語られる過去の「出来事」を挙
げた.そして C さんは「悪いこと」をした自分に対する「お仕置き」や「戒め」の意味を込め,その「出来事」を忘れないた
めにタトゥーというBM実践に及んだという.これらの語りから,C さんは自ら創造した「この先の生き方」という意味
づけによって BM 実践した B さんとは異なり,ある過去の「出来事」によって生じた自分の過去に依拠した意味づけに
よって BM 実践したことがわかる.
事例C‐2:身体改造実践の意味づけについての語り‐配置・不変・不可逆
面接者:でも,そんなに(タトゥーを施術する)位置とか,こだわりはなかったんですよね?
Cさん:でも漠然と背中だとは思ってた,もうだって(施術の時に)最初から背中向けてたもん.
(罪を)背負う的な意味?があったのかもしれない.
事例 C‐2は,C さんのタトゥーという身体改造を施した部位についての語りである.ここで C さんは背中に BM
を施したことについて「背負う的な意味?があったのかもしれない」と語った.C さんが BM 実践した当時,BM の施術
部位によってその意味づけを強調した B さんのような,明確な意味づけとともにタトゥーを施す部位を選択したとい
う語りはみられなかったが,その過去を回顧した C さんによって BM 施術部位と意味とが関連づけられている.
109
事例C‐3:身体改造実践の意味づけにみる理想の生き方
面接者:悩みました?
Cさん:(タトゥーを)入れることには,ない,悩まなかった.うん.他に方法が,見つからなか
った.
面接者:他に方法が見つからなかった
Cさん:タトゥー以外の,アイデアがなかった.まぁ私の中で,その,なんだろう,タトゥー
っていうのが,なんなんだろうなあ,なんか罪人の証みたいな,的な,意味合い…こ
の先悪いことしたら(またタトゥーを)入れるかもしれない w でもそういう人生は,も
う,選ばないように生きていこうとした,している
最後に紹介する事例 C‐3において,C さんは「罪人の証」として自らのタトゥーを意味づけていることを語っていた
が,これは前述の事例にみられた「悪いこと」「戒め」「背負う」という語りと関連しているものと考えられる.また,事例
C‐3において,C さんは「悪いこと」として語られた過去の「出来事」を参照し,「そういう人生は,もう選ばないように
生きていこうとした,している」と自身の BM 実践に意味づけた将来展望を語った.以上の C さんによる語りから,C
さんは「悪いこと」をしたという過去を「背負」い,自らを「戒め」る「方法」として実践した BM によって,悪い未来を「選
ばないように」生きてきたことがわかる.
■総合考察
前述した table1 において,BM 実践には多様性があるということを示したが,今回の事例において,B さんは BM
を継続的に実践し,C さんは BM を一度で中断したという差異がみられた.この差は一体どのように考えられるのだろ
うか.総合考察では,協力者の BM 実践の継続と中止という決定的な差異に着目し,各事例にみられた BM 実践の意
味づけの特徴を手がかりに,
協力者にとって BM の実践とは一体どのような意味があったのかについて考察を行いたい.
まず,B さんの BM 実践継続について考えたい.B さんは現在の自分の生き方を,未来に「この先の自分の生き方」
として意味づけた BM 実践によって確立しているのだと考えられる.例えば,現在フリーターとしてバンド活動を続け
ている B さんの事例 B‐2にみられる語りにおいて,B さんが「今のバンドをやるから,タトゥーを入れた訳じゃない
んだけど」と語りながらも,「金銭的な面で」「続けててキツい」現状を「楽しいことの方がいいって思ってるんだったら」
「やっちゃえば」と「一番最初の」タトゥーを「見る」ことによって,主観的にも客観的にも困難な現状を正当化しようとし
ていることからもわかる.つまり,現在を生きる B さんの生き方は,過去の B さんによる BM 実践とその意味づけに
よってなされたものであるといえよう.
B さんが身体改造によって与えられた意味づけに沿って生き,B さん自身を形成してきたものだとすれば,B さんは
過去の自分を否定することはできない.
何故ならそれは過去の BM 実践に対する意味づけによって自己を形成してきた,
現在の自分自身を否定してしまうことになりかねない.よって B さんは過去を振り返ることも未来に向かうこともせ
ず,これまで積み上げてきた自己を守るための現在という時間を,BM 実践の継続を伴って生きているのではないか.
次に,C さんの BM 実践中止について考えたい.C さんは,自分にとってつらい「出来事」を BM という「手段」を用
いて自らの身体に「戒め」という意味を付与して刻むことで,「悪い」「出来事」を参照しながら「そういう人生はもう,選
ばないように」生きる自分を確立しているものと考えられる.
C さんは BM 実践当時の自分を振り返り,BM 実践にあたって「そういう人生はもう,選ばないように生きていこう
とした,している」と語っている.不変性・不可逆性持った BM という「手段」によって「出来事」を不変のものとした C
さんの中には,「そういう人生はもう,選ばないように生きていこう」という「戒め」が生きている.C さんはBMという
「手段」をもって保存した過去の「出来事」と向き合い,それを「戒め」として受容した上で,より良い未来へ向けて自己を
形成していくのではないか.つまり,C さんの生き方も B さん同様,過去の C さんによる BM 実践とその意味づけに
よってなされたものであるといえよう.
しかし,未来という時間に BM 実践の意味づけをした B さんとは異なり,過去の「出来事」を BM 実践に意味づけ自
110
分の在り方を獲得し「そういう人生はもう,選ばないように」生きているCさんに,新たな身体改造は必要ない.「この
先悪いことしたら(またタトゥーを)入れるかもしれない」と語りながらも,「でもそういう人生は,もう,選ばないよう
に生きていこうとした,している」と語る C さんにとって,過去に意味づけた BM 実践は完結したいものであり,完結
させねばならないものであったことが,C さんの BM 実践中止に結びついたと考えられる.
以上の事例と考察から,伝統社会における社会的・文化的意味としての BM に対して,現代社会における BM には
身体改造には若者のもつ過去・現在・未来という時間を明確にするいわば時間的装置としての機能があると考えられる.
上野(2005)が「アイデンティティはもはや有効期限切れの概念ではないのか」と指摘するように,Erikson(1959)のア
イデンティティという概念はもはや若者たちにとってリアリティが持てないものになっている.なぜなら,自らの過
去・現在・未来を通じて「自分は一体何者であるのか」といった問の答えとなりうる「一貫した自己」というものを形成す
るのは現代社会において困難であるからだ(家島,2008).そのような状況の中で,若者たちは自らの身体に,その一貫
性を求める.若者たちが不変性・不可逆性を持った BM という実践を通して,自らの過去・現在・未来といった時間に
対して自己を意味づけようとする現実を,事例の中から垣間見ることができた.
研究協力者 2 名はある意味で,時間が移り行くことによって変化するものがあるという,時間の不確実性や不安定性
に気付いている.だからこそ,B さんは「この先の生き方」を意味づけた BM を実践することによって,自らの未来に制
約を設け,しかしそれによって自らの未来を生成しようとしたのであろう.また,一方のCさんも,BM 実践によって
過去の「出来事」を変容させないように,それを固定的なものとして自らの身体に刻み,その定点を基に自らの未来を構
築しようと試みているのだ.そうした意味で,若者たちの身体改造実践は彼らの身体に「時間」を生み出すための実践で
あり,またその実践は,生み出された「時間」を手がかりとして自己のあるべき姿を模索するという,現代の若者の自己
形成の営みと呼べるのではないだろうか.
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111
第9章 所属集団への満足感から見た大学生の心理的居場所感
山口 綾子
■居場所とは
近年,「居場所」という言葉をよく耳にするようになった.例えば,テレビやラジオで「居場所」がテーマとして取り上
げられ,「居場所」に対するイメージや「居場所」を感じる体験などを語り合うものから,音楽では歌詞の中に「居場所」
のフレーズが出てくるものまで,多種多様に「居場所」という言葉をよく耳にするようになった.このように,「居場所」
が注目される背景には,社会の中で「居場所」を見いだすことが人々にとって重要な課題となってきている(則定,2008)
と推測できる.
では,「居場所」とはどのような概念なのであろうか.広辞苑(1998)によると「居場所」とは「いるところ.いどころ」,
デイリーコンサイス国語辞典(2000)では,「いる場所.いどころ.」といった特に場所を示す概念としている.しかし,
小沢(2000)によると,居場所が意味しているところは,具体的な場所のみかというとそれだけではなく,我々が居場所
という時,例えば,「ここに自分の居場所がある」「ここに自分の居場所がない」と語る時には,その具体的な場所につい
て自分自身の感覚,居心地についての意味も含んでいると指摘している.藤竹(2000)によると「居場所は,人間がそこ
に居ることを,他人によって必要とされている場所」とし,社会的居場所と人間的居場所の 2 つに大別される.第 1 の
社会的居場所とは,自分の存在が他人によって必要とされている場所のことを指し,第 2 の人間的居場所とは,他人が
いないところで,ひとりで自分をとり戻すことのできる場所としている. また,廣井(2000)によると,居場所は「自分
自身でいることが受け入れられていると感じること」であり,「個人が安心して自己を認められる空間を居場所としてい
る」(田中,2001)や,「ありのままの自分で安心していられる」としている(村瀬ら,2000)の居場所の概念からも居場所
の概念に共通しているのは,物理的空間であれ,他者との関係であれ,「自分であること」が 1 つのキーワードになると
考えることができる.これらの定義を踏まえ本論においては,居場所とは,物理的空間や対人関係において自分らしく
いることができ,自分の存在が確認できる環境と定義する.
■青年期の友人関係と集団所属
Erikson(1950)は,私たちが生まれて死にいたるまでの人間生涯全般の展開をライフサイクルとし,特にライフサイ
クルの中の青年期の重要性をこう述べている.「人間は,青年期になってはじめて,アイデンティティの危機を経験し
かつ克朋する前提条件を,身体的成長,精神的成熟,社会的責任などの点で,発達させることができるようになる.ま
た,アイデンティティが,その後の人生を決定的に起因するような 1 つの形態をとることができなければ,青年期とい
うこの段階を通過することはできないのである」.以上のことから,青年期はライフサイクルの中でも重要な段階であ
ると考えられる.また,青年期は,子どもから大人への移行期であり,それまで培われてきた自分のあり方の再編を迫
られる時期,個人にとって危機的な状況に陥る時期と言え,青年期の移行期には親子関係だけではなく友人関係にも「居
場所」を得るようになる(富永ら,2003).このように,親子関係だけではなく友人関係においても「居場所」得ることか
ら,青年期が進むに連れアイデンティティの危機を克朋するためには,親子関係よりも友人関係の方が身体的成長,精
神的成熟,社会的責任などの発達には重要になってくるのではないだろうか.そこで次に友人関係を紹介したい.
Sullivan (1953)は,青年期に入る直前の時期に,同性同年代の友だちとの,きわめて親密で個別的な関係が見られる
特徴を「チャム」と呼び,チャム関係では「相手のために自分が何をできるか」といった利他的な関係が中心となると指摘
している.また,岡田(2007)によれば,よく,若者時代の友だちは一生の付き合いになる大事なものだと言われ,お互
いが強い心の絆で結ばれるとされている.このように,友人と強い心の絆を結びながら深い友人関係を形成することと
同時に,青年は関心と態度を同じくする同年齢の集団に所属したいという気持ちを強めていく.また,青年期前期の青
112
年にとって,身体の大きさや形はすでに大人と多くの共通点があると自覚しているが,彼らが大人として獲得する地位
と特権を有するまでにはまだ長い道のりがある(Kimmel&Weiner,1995).子どもではないけれどまだ大人でもないと
いうギャップを感じながら,このギャップを埋めるために,若者は自分たち自身のグループや文化を作ろうとする.こ
のように,グループや文化を作り参加することで青年は,自分たちに対する責任を分かち合ったり,新たな状況にうま
く適応する術を一緒に実験してみたり,お互いの失敗から学びあったりする機会を持つことができる.そのため,仲間
集団への所属は青年にとって重要であり,仲間集団に受け入れられることも青年にとってとても重要である.
■大学生における重要な他者と居場所
吉田(2000)は,大学生に対して日常を問う質問紙調査を行った結果,調査対象とした学生の 90.1%の大学生が何らか
の「グループ」(大学構内で行動を共にする自然発生的集団で,学年と学科の同じ人の集まり)に所属していることがわか
った.そして,吉田(2002)の調査によると,調査対象者のグループの友人関係において,互いの行動を同調させ共に同
じ行動を取る「同調行動(共行動)」が見られることも明らかとなっている.天野(1995)は,同調行動を高校生特有の行
動と示唆しているが,大学生において高校生特有の同調行動がみられたということは,グループ所属の高齢化が起こっ
ているのではないかと考えられる.また,グループに所属していて同調行動が起こるということは,大学生にとってグ
ループの仲間が重要な他者となってくるだろう.
心理学辞典(1999)によると重要な他者とは,社会化,意思決定,社会的比較などの局面に際して,個人が,その態度
や意見や行動を自分の判断の根拠と見なし,それに準拠しようとする他者のことである.また,重要な他者は,児童期
から青年期にかけて,親・きょうだいを中心とした生活から家族以外の友人,親友,恋人といった多様な他者との関係
へと広がっていく.これら家族以外の他者と過ごすことで,社会的ルールを学び,他者との比較から自分という存在を
意識して自己概念を構築していくために非常に重要なものである(酒井,2005).これらのことから,重要な他者は児童
期から青年期にかけて家族から友人などへ変化しながら広がっていき,個人が重要な他者と過ごす時間は,社会のルー
ルを学び自己概念を構築していくためには極めて必要であると考えられる.そして,青年期における心理的離乳や自立
においても「重要な他者との居場所」が自己の確立に取っては不可欠になるだろう.では,現代の大学生は誰を重要な他
者としていて居場所と感じているのだろうか.
小畑ら(2001)は,発達的な視点から,青年期の高校生,大学生が実際どのような時間・空間を心の居場所とみなして
いるかを調査した結果,高校生,大学生ともに重要な他者となる「友人」が自分の居場所になっていたことが明らかにさ
れた.このことからも,友人が居場所には欠かせないことが言えるだろう.また,高柳(2004)は,女子大学生を対象と
してやすらげる居場所に関する描画法による調査を行った結果,女子大学生の 77.8%が,他者のいない自分一人の居
場所を表現しており,一人の場面を居場所としてイメージしていることが明らかにされた.
■先行研究から見る問題点と目的
現代の大学生は「居場所」と聞くと友達との居場所とひとりの時の居場所,どちらを思い浮かべるのだろうか.「居場
所」の先行研究では,友達を重要な他者として居場所を感じているという結果が出ていると同時に,他者のいない場面
を居場所とイメージしている研究結果も見られる.前述した友達との居場所とひとりの時の居場所は調査方法が違う.
このように,調査方法が違うことで,居場所の捉え方や考え方などの枞組みを決めてしまうことに繋がる可能性もあ
り,調査対象者の考える居場所について知ることができなくなってしまうのではないだろうか.また,先行研究から大
学生を調査対象者とした友達と一緒の時に居場所を感じるのか,それとも一人の時に居場所を感じるのかという心理的
居場所感を比較した研究はなされてこなかった.大学生は自立に向かい将来のことを真剣に考える時期でもあり,グル
ープに所属することで友達と将来について考える機会にもなるかもしれない.また,グループに所属することで仲間と
励まし合い,助け合いながら苦しいことを乗り越え,様々な活動の源泉になるような役割を果たしているのではないだ
113
ろうか.そして,グループに満足しているということは,友達との居場所にも満足しているとも言えるのではないだろ
うか.
このことから本研究では,青年期の大学生を対象に,友達と一緒にいる時を居場所だと思うのか,それとも自分ひと
りの時が居場所だと考えるのか検討することを目的とする.具体的には,大学内で友達とのグループに所属することで
大学生活が充実したものになり充実した日々を送ることができると考えられる.また,ひとりでいる時も自分の将来の
ことを考えるには必要であり,なによりも安らげる場所としての機能も果たしていると考えられる.しかし,友達と一
緒にいる時もひとりでいる時も人によってそれぞれウエイトが異なり,友達と一緒の時に居場所を感じるのかそれとも
ひとりの時に居場所を感じるのかは,グループ所属とグループ満足感で変化するのではないだろうか.そこで,則定
(2008)作成の心理的居場所感尺度を使用し検討することとする.
■仮説
本研究では以下の 2 点を仮説とした.
天野(1995)によると,グループの友人関係は互いの行動を同調させ共に同じ行動を取るという行動を高校生特有の
行動と示唆しているが,吉田(2002)が調査した大学で同調行動が見られたということから,高校生特有の同調行動は大
学生においても見られる傾向があるのではないか.また,その同調行動によりグループに所属している人ほど,より友
人関係に居場所を感じているのではないか.そして,藤竹(2000)は,空間を自分にとって満足のできる場所として人間
が意味を見出したときに,そこは人間にとって居場所となると述べている.このことから,友人関係に満足しているほ
ど友人を居場所と感じるのではないかと考え 2 つの仮説を立てた.
①グループに所属していて,グループに満足している人は,グループに所属していなくて,グループに満足していない
人に比べ,有意に友達と一緒にいる時を居場所だと感じる.
②グループに所属しているが,グループに満足していない人は,グループに所属していて,グループに満足している
人に比べ,有意にひとりの時を居場所だと感じる.
■方法
1.被調査者
:群馬県内大学の学生 1 年生~4 年生 計 240 名(女性 135 名,男性 99 名,無記入 6 名)であった.
2.調査時期
:2009 年 11 月 23 日~11 月 24 日に実施した.
3.調査手続き :講義担当者に依頼をし,講義の時間に受講生にアンケート調査へのご協力をいただいた.質問紙は講
義内ですべて回収をした.また並行して,友人を介して質問紙を配布し,友人から質問紙を回収した.回答にあ
たっては,プライバシーの保護や調査以外に使用されることはないこと,調査への協力は強制ではないことを受
講生に説明し,友人を介しては,プライバシーが保護されること等を紙面上で教示した.
4.調査内容 :①フェイスシート:学年,性別,吉田(2002)の「グループ」の定義を参考にして,「あなたは,大学内
で入学した時期が同じで,同じ学年,同じコースで一緒に授業に出たり,お昼ごはんを食べたりよく行動を共
にしている」と教示し,そうしたグループに所属しているか,所属していないか,そのグループに満足している
か,満足していないかのどちらかを選んでもらい○を付けてもらった.②友達に対する心理的居場所感:則定
(2008)が作成した青年期版心理的居場所感尺度 20 頄目を使用し,友達と一緒にいる時について回答を求めた.
評定は「まったくそう思わない(1 点)」~「とてもそう思う(5 点)」の 5 件法であった.ひとりの時の心理的居場所
感:則定(2008) が作成した青年期版心理的居場所感尺度 8 頄目を使用しひとりの時について回答を求めた.評
定は「まったくそう思わない(1 点)」~「とてもそう思う(5 点)」の 5 件法.友達と一緒にいる時の回答には,4 因子
を使用したが,ひとりの時の質問では,4 因子をそのまま使用することは不可能と判断したため,ひとりの時の
質問でも使用できそうな 2 因子を使用した.
114
5.分析方法
: 本研究ではまず,SPSS を用いて被調査者を「グループに所属」の回答に応じて高群と低群に分けた
後,「グループ満足感」も同様に高群と低群に分けた.更に「グループ所属」の高群と低群,「グループ満足感」の 高
群と低群をグループ所属高・満足高,グループ所属高・満足低,グループ低・満足高,グループ低・満足低の
4 群に分類した後,「グループ所属」と「グループ満足感」の 3 群を独立変数にし,Figure1 で示したように友達と
の心理的居場所感とひとりの心理的居場所感を従属変数とし 1 要因の分散分析を行った.
独立変数
従属変数
Figure 1 グループ所属・満足感・友達とひとりの居場所によるカテゴリー分け
■結果
1.所属と満足感における友達と一緒の時の居場所感について
仮説 1:所属高・満足高群の人は所属低・満足低群の人に比べ有意に友達と一緒にいる時を居場所だと感じる.
まず,グループ所属と満足感について 4 群に分けたが,4 群あるうちの 1 群(所満低・満足高群)は,論理的にありえ
ないので,結果と考察では言及しないこととする.
次に,所高・満足高群,所属高・満足低群,所属低・満足高群,所属低・満足低群の 4 タイプを独立変数とし,友達
と一緒にいる時の心理的居場所感の合成得点を従属変数として 1 要因の分散分析を行った.その結果,所属高・満足高
群と所属低・満足低群の間には有意差は見られなかった(F(3.00)=4.71, n.s.).
F(3.00)=4.71,n.s.
Figure 2 所属と満足感の 4 タイプと友達と一緒の時の心理的居場所感の平均値
2.所属と満足感におけるひとりの時の居場所感について
仮説 2:所属高・満足低群の人は所属高・満足高群の人に比べ有意にひとりの時を居場所だと感じる.
結果1で示した 4 群を独立変数とし,ひとりの時の心理的居場所感の合成得点を従属変数とし,1 要因の分散分析
を行った.その結果,所属高・満足低群と所属高・満足高群の間には有意な差は見られなかった F(3.00)=2.99,n.s.).
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F (3.00) =2.99, n.s.
Figure 3 所属と満足感の 4 タイプとひとりの時の心理的居場所感の平均値
■考察
1.グループ所属と満足感における友達と一緒の時の心理的居場所感について
仮説 1:「所属していて・満足している人は所属していなくて・満足していない人に比べ有意に友達と一緒にいる時
を居場所だと感じる」においては,所属高・満足高群と所属低・満足低群との間に有意差は見られなかった.
友達と一緒の時の居場所感において有意差が見られなかったことは,友達との関係をうまく作ることができないから
友達に対して居場所を感じることができなかったのではないか.そして近年,若者の対人関係が希薄化されているとい
うことをよく耳にする.中西(2004)は,現代の青年は,現実社会からの強い圧力を避けるために,何があっても自分は
無関係であると心理的に切り離して,自分の感情をコントロールする「平気感覚」があるとしている.しかし,一方では,
現代の若者の対人関係は希薄化していないという意見もある.詫摩ら(1989)は,青年が互いに距離をとった対人関係を
持つのは,排他的な態度や人間不信の表れというよりも,距離をおきながらも親しく付き合うといった大人にとって必
要な対人的スキルを身につけつつある証拠であると述べている.上記の中西(2004)と託摩ら(1989)の意見を有意差が出
なかった結果と比較して考えてみると,今回調査を行った大学は一般の他大学とは違い尐人数大学であり学生間の距離
は近く,同県内の高校出身者が多く,自宅から学校へ通う大学生が多いのが特徴である.そして,調査した大学の多く
の学生は,同県出身者であるために出身県や出身校の話で盛り上がる傾向があるため,より親密性が深まり,友達を作
りやすい環境が友達を居場所と感じることに繋がるかもしれない.そして,距離も適度に保たれているのかもしれない.
以上のことから,友達と一緒にいる時に居場所を感じるということは,所属と満足しているか否かに限らず,お互い
に距離を保った関係性や親密性が高い特徴の大学であるために,有意な差が見られなかった可能性があるだろう.
2.グループ所属と満足感におけるひとりの時の心理的居場所感について
仮設 2:「所属していて・満足していない人は所属していて・満足している人に比べ有意にひとりの時を居場所だと
感じる」においては,所属高・満足低群と所属高・満足高群との間に有意差は見られなかった.
しかし,調査結果を見てみると,所属高・満足高群だけが 3 に近いだけで,その他の群はより 4 に近い数値になって
いる.このことからも全体的に,ひとりの時に居場所を感じているということになる.つまり,ひとりの時に居場所を
感じるということを青年期と自立という面から考えてみると,自己について深く考える時間があると言い換えられるか
もしれない.自己について深く考える時間があることによって,将来何になりたいのかを現実的に考えることができ,
そのためにはどうしたらよいかなど計画を立てることもできるので,ストレス社会と呼ばれる現代においては自分ひと
りの居場所というのは,精神的健康面でもストレスを軽減させる作用がある可能性を秘めているといえるであろう.
■総合考察
本研究では,2 つの仮説を立てたが 2 つとも有意差が見られず,所属と満足感は友達・ひとりの居場所感と関連がな
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いことが明らかとなった.しかし,有意差は出なかったからこそ導き出された結果もあった.その結果とは,今回調査
した群馬県内の大学は尐人数大学であり学生間の距離は近く,同県内の高校出身者が多く自宅から学校へ通う大学生が
多いのが特徴である.その中でも特にこの大学は,県民性と居場所が何かしらの関係があるのではないかと考えられる.
国沢(1982)によれば,調査した県の性格的な特質としては極めて顕著な県民性で,腹の中では何を考えているのかわ
からないといった様な,表と裏とが違うという生き方はできない県民性である.だからこそ,解放的で明るくて親しみ
やすい性格なので安心して付き合ってゆけると示唆している.このように,表裏がない性格が大きな要因であるならば,
友達に対してもありのままの自分を出すことができるため,あまり対人場面では悩まずひとりの時間も大切にできるの
ではないか.両方の居場所が両立できるからこそ,どちらに対しても居場所を感じることができたのではないだろうか.
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