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こちら - 西北津軽陸上競技協会

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こちら - 西北津軽陸上競技協会
西北津軽陸上競技協会
■創
立
2010(平 22)年 4 月 1 日
■会
長
小野
君夫(2010 年 4 月~現在)
■歴代会長 北津軽陸上競技協会
初代
岩田
嘉行
1966(昭 41)年~1969(昭 44)年
6代
沖崎
勲
1997(平 9)年~2000(平 12)年
2代
高松
米治
1970(昭 45)年~1980(昭 55)年
7代
原田
寛
2001(平 13)年~2003(平 15)年
3代
土岐
忠敏
1981(昭 56)年~1984(昭 59)年
8代
沢田
実
2004(平 16)年~2004(平 16)年
4代
木村
荘三
1985(昭 60)年~1990(平 2)年
9代
下山
洋樹
2005(平 17)年~2008(平 20)年
5代
田中
豊蔵
1991(平 7)年~1996(平 8)年
10 代
小野
君夫
2009(平 21)年
西津軽陸上競技協会
代
佐野
代
○○?
邑巳
19
(昭
)年~19
(昭
)年
代
長谷川宇民
19
(昭
)年~19
○○19
(昭
)年~19
(昭
)年
代
高橋
20
(平
)年~2009(平 21)年
保
(昭 )年
注)西陸協の歴代会長は不明
■オリンピック選手
井 沼
清 七(中里町・現中泊町出身)早稲田大学
1928(昭 3)年・アムステルダム・4×100mR第1走者
福 士
加代子(板柳町出身)
2004(平 16)年・アテネ・10000m、
ワコール
2008(平 20)年・北京・10000m
2012(平 24)年・ロンドン・5000m・10000m
■公認審判員数(2013 年 4 月現在)
小
史
50人(S級6人
A級10人
B級34人)
平成の大合併が進んだ 2005(平 17)年、西北地域の陸上界の再建、組織合併にいち早く、高橋保西津軽郡陸協会長
と小野君夫北津軽郡陸協会長を中心に展開され、2010(平 22)年 4 月に西北津軽陸上競技協会が創立された。
西郡陸協と北郡陸協は、1956(昭 31)年に第 1 回西北五中学校陸上競技選手権大
会、1963(昭 38)年に第1回西北五高等学校陸上競技選手権大会、1971(昭 46)年
には底辺の拡大と陸上競技の普及発展を目指して第1回西北五小学校陸上競技教室
をそれぞれ木造高校陸上競技場で開催し、1985(昭 60)年まで長きにわたり続けて
きた。
西北陸上の充実期の土台を作ったのは、1970 年~1980 年代、木造高校陸上部に情
熱を注いだ長谷川宇民(当時西郡陸協理事長)氏の指導のもと、1970(昭 46)年の第 24 回県高校総体において木造高校が県
高校総体史上初のアベック優勝を成し遂げ、県の陸上界でも画期的な大活躍を演じたことから始まる。県高校総体では 6 度の
アベック優勝、男子優勝 12 回、女子優勝 15 回と木造高校の名を県下にとどろかせた。
1985(昭 60)年~1987(昭 62)年にかけて日本選手権砲丸投で3連覇、通算5度の日本選手権王者となった瓜田吉久(鶴田
町出身)は同校陸上部出身(昭和 53 年度卒)である。また、1989(H1)年 4 月、パリマラソンで、2 時間 29 分 23 秒の当時日
本女子最高記録を達成し、マラソン初優勝を果たした小島和恵(稲垣村・現つがる市出身)も同校陸上部出身(昭和 58 年度卒)
である。長谷川氏は 1975(昭 60)年、優秀な指導者に与えられる平沼亮三章として日本陸連表彰をうけている。
1971(昭 46)年、小学生陸上クラブを県内で初めて立ち上げたのは北津軽郡金木町・現五所川原市の「芦野陸上クラブ」で
ある。指導の中心となったのは西堀久弥氏で、外崎眞裕(400m元県記録保持者)、田中一江(100m元県記録保持者)等
が同クラブから育った。1977(昭 52)年には、西堀氏らが第1回芦野陸上競技選手
権大会を金木町芦野陸上競技場(1988(昭 63)年から金木中学校陸上競技場)にて
開催し、2008(平 20)年まで31年間開催された。西堀氏は県陸協普及部長・理事
長・副会長の要職を務め、1973(昭 49)年、優秀な指導者に与えられる平沼亮三章、
1999(平 11)年、加盟団体に功績のあった者に与えられる秩父宮章として日本陸連
表彰をうけている。
西北津軽の陸上は、井沼清七(中里町・現中泊町出身)、福士加代子(板柳町出身)の二人のオリンピック選手を語らずに
は始まらない。
井沼清七は 1907(明治 40)年中里町で父覚五郎、母きよの 4 男として生まれた。中里尋常小学
校高等科から県立弘前中学に進み 1926(昭 1)年早稲田大学第一高等学院に入学後、持ち前の負
けん気の強さとて人一倍の練習により、100m11 秒を切るようになる。1928(昭 3)年第 9 回オリ
ンピックがアムステルダムで開催された時、青森県は初のオリンピック選手として 400mリレー
の第一走者を務めたのをはじめ、第 9 回極東選手権など数多くの国際大会に出場。1931(昭 6)
年、弘前市で行われたス・ノ・ゴ三巴戦の 100mで出した 10 秒 9 の記録は、1975(昭 50)年の青
森選手権で工藤真裕(五所高)が 10 秒 8 をマークするまで長い間、県記録だった。現役引退後は、
日本陸連常務理事などの要職につき後輩の指導に当たっている。1977(昭 52)年に青森県で開催
された「あすなろ国体」の誘致に当たっては積極的な支援を行っている。経済人としても活躍し松坂屋常務取締役などを歴任
しているが、自ら奔走した郷土の国体を見ることなく、1973(昭 48)年 10 月 1 日、心不全により他界した。同年、多年の功
績により勲 4 等瑞宝章の授与にあずかった。
中里町・現中泊町では井沼清七の偉業を讃え、1991(平 3)年 6 月、第 1 回井
沼清七杯争奪リレーカーニバルを開催。主管団体として陸上教室と大会を同時開
催する独自の方式を提案し、陸上教室には高野進、為末大などのオリンピック選
手を講師として招き、若きアスリートを励ましている。1997(平 9)年の第 7 回
大会には、女子マラソン五輪 2 大会連続メダリストの有森裕子をゲストにマラソ
ン大会を開催し、県内のメディアから絶賛の評価をいただいた。井沼杯は着実に
成果をあげ、小・中学生の優秀選手育成の原動力となり、県中学記録保持者の竹
越裕治(深浦中)、鈴木みか(中里中)等が輩出した。大会は現在も続けられており井沼清七の努力と業績を末長く顕彰してい
くことにしている。
福士加代子は、1982(昭和 57)年板柳町で父正幸、母ちぎ子の長女として生まれた。板柳中時代はソフトボール部で捕手。
五所川原工業高校で陸上を始める。高校時代まではこれといった実績も無く、インターハイや国体でも決勝に辛うじて残る位
であった。2000(平 12)年、駅伝の古豪だったワコールに入社してから、トラックレースや駅伝などでメキメキと頭角を現し
始める。オリンピックには 2004(平 16)年アテネ大会・2008(平 20)年北京大会・
2012(平 24)年ロンドン大会と、過去 3 大会連続で日本代表に選出されている。ま
た、2006(平 18)年・ドーハアジア競技大会女子 10000mでは金メダル、さらに 2013
(平 25)年・世界陸上モスクワ大会・女子マラソンでは、銅メダルを獲得し、故郷
板柳町はもちろん西北津軽陸上界に感動と勇気を与えてくれた。現在 3000mと 5000
mの日本記録、ハーフマラソンおよび 10km、15kmのアジア記録を有する。
1984(昭 59)年 8 月、中里町・現中泊町に第3種公認陸上競技場が完成し、西北陸上大
会のメイン会場となる。2000(平 12)年には、西北五地区初の全天候型陸上競技場に生
まれ変わり、西北五地区の陸上の聖地として活用されている。
西北五地区の小学生大会では未就学児か
ら低学年の種目も取り入れ、底辺の拡大と普
及発展を最大目標に掲げ取り組んでおり、
2020 年東京オリンピックではここ西北津軽陸協管内から井沼清七、福士加代子に続
く日本を代表する選手が生まれることを期待している。
(記:西北津軽陸上競技協会理事長
成田勝輝)
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