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Page 1 地方NGOの生成とその意味 ーNVC新潟国際ボランティア
論 説
地方NGOの生成とその意味
はじめ に
五 おわりに
四 NVC成長の意味
多賀秀敏
NVC新潟国際ボランティアセンターの活動を中心に
NGOの現在
NVCの設立とその活動
地方NGOの生成とその意味︵多賀︶ 一二一
聞、雑誌、あるいは書店に並んだ新刊書のタイトルなどに氾濫している。日本社会の変化を短い言葉に凝集して表
NGO、NPO、ボランティア、地方の国際化、グローカリゼイションなど一連のつながりのあることばが、新
一 はじめに
三 二 一
早法七四巻三号︵一九九九︶ 一二二
現しようとする努力、いわゆる﹁キイワード﹂は大きく変化している。いわく、団塊の世代から少子高齢へ、成長
から成熟へ、高度経済成長から低成長あるいは安定成長へ、中央集権から地方分権へ、会社人間・仕事人間から家
族人問・地域人間へ。こうした社会条件や社会そのものの骨格が大きく変化しつつあることと冒頭で述べた言葉の
氾濫とは無関係ではあるまい。
氾濫したのは言葉だけではない。これらの言葉が指し示す行動もかつてとは比較にならないほど増加した。阪神
大震災、ナホトカ号重油流出などの突発的事件、﹁寝たきり・独居老人﹂の増加、外国人労働者の流入など、これ
︵1︶
までの制度で対応しきれない現象の生起、長野オリンピックなどの﹁ビッグイベント﹂運営に対する発想の転換
等々、NGO、NPO、ボランティアなどが注目される場面が増え、市民が行動に一歩踏み出すことに影響を与え
た。
こうしたNPO・NGO活動も国内では、いわゆるコ極集中﹂の影響を受けている。東京など大都市を発信基
地とするNGO活動は、マスメディアによって増幅されるが、地方都市を拠点とする活動は全国的にメディアにの
ることは少ない。それが同時に行動の質や規模に影響を与えているとみられる。NGO活動推進センター︵以下J
ANICと略︶の﹃NGOダイレクトリー﹄を見ても、圧倒的多数が東京首都圏と関西大都市圏で、たとえば、新
︵2︶
潟県で掲載されているのは本稿で取り上げるNVC新潟国際ボランティアセンター︵以下、NVCと略記︶ひとつ
である。
本稿では、紹介されることの少ないそうした地方での活動のひとつに焦点を当て、メディアが多くふれるような
大都市だけではなく、いかなる地方都市であっても、こうした活動が立ち上がる余地のあることを示す。以下、第
一に、日本のNGO・NPO・ボランティアの現状にふれ、第二に、具体的なケースとしてNVCの創設とその活
動を取り上げ、第三に、その意味について考察する。本稿で考察の対象にするのは、おもに国際協力活動を行って
いるNGOである。
はじめに註
ア活動﹄︵一九九六年九月一〇日︶が総合的である。ナホトカ号事件は、阪神大震災に比べると規模、注目度、ボランティアの活
︵1︶ 阪神大震災については、早稲田大学社会科学研究所︵都市研究部会︶﹃研究シリーズ36阪神・淡路大震災におけるボランティ
動などから見て﹁日本海側の地域限定的事件﹂とみなされがちであるが、﹁ポストーボランティア元年﹂の出来事として重要であ
︵2︶ 一県ひとつの掲載は、新潟以外に、宮城、山形、福島、岐阜、徳島、香川、高知、佐賀である.逆に、東京都は、一六〇以上
る。立木茂雄﹃ボランティアと市民社会ー公共性は市民が紡ぎ出すー﹄︵晃洋書房、一九九七年六月︶が参考となる。
掲載され、神奈川、千葉、埼玉、大阪、京都、兵庫、愛知、福岡などが多い。JANIC﹃NGOダイレクトリi98﹄一一八九∼二
九二頁。逆に、ごく最近の文献では、江口昌樹﹁﹃地域の国際化﹄への一視座﹂、新潟県地域総合研究所﹃ニューズレター﹄︵通巻
九九号、一九九八年一〇月︶二∼九頁、が﹁山形JVC﹂の紹介を行っている。地方が地方の紹介を行うという点で刺激的ですら
ある。
二 NGOの現在
日本におけるNGOの現況について簡単にふれる。ボランティアが、NGO、NPOと同一のもののごとく論じ
︵3︶
一壬二
られることが多い。両者は、重なることはあっても同 一ではない。NGO、NPOは組織の形態であって、ボラン
ティアは参加の形態である。
地方NGOの生成とその意味︵多賀︶
早法七四巻三号︵一九九九︶ 二一四
NGO︵Z8ぬ○<RB窪琶9窓巳鐙ぼ8︶とは非政府組織、NPO︵Z8−虞○律○おき一ω象一8︶とは非営利団体で
NGOを使い、非営利性を強調する場合にはNPOを使うともいわれる。また、NGOはいくぶんか国際的活動
ある。両者は、ほぼその指し示す実態にかわりはないという説明が往々なされる。非政府性を強調する場合には、
︵4︶
に、NPOは国内でのコミュニティ活動にその重心がかかっているともいわれる。
NGO・NPOは、今後の社会運営に欠かすことのできない組織形態であろう。その理由は、第一に、福祉国家
の危機である。国家が必要とされる福祉に対応できない状況が各地で生まれつつある。第二に、生涯教育や社会教
育への需要が高まっており、かつ、要望が多様化していく中で行政はこれに応えられない。これを支える方にとっ
︵5︶
ても生きがいの問題などでメリットがある。第三に、社会単位の基本が地方へ移ろうとしている。
︵6︶
アメリカでは二〇万ものNPOが非課税団体として登録している。日本では、JANICが一九八八年以来作
成している﹃NGOダイレクトリー﹄に、九八年版で三六八団体が掲載された。前者は広範なNPO活動全般であ
り、後者は国際協力NGOであるので直接比較はできない。それにしても彼我の差は大きい。JANICのダイレ
クトリ:では、開発協力、教育・提言、ネットワークのいずれかを主たる事業とする組織のうち、組織運営および
︵7︶
事業実績について設定した条件をみたす組織が掲載された。ダイレクトリーでは、第一部に二一七団体を掲載して
︵8︶
いる。その一九九六年度の年問総収入額は約一九六億円であった。日本のODAが年問一兆円をこえて久しい現状
からすれば著しく低い額である。また、アメリカのNPOは寄付金のみで年間一二六〇億ドル︵一九九三年、対G
︵9︶
NP比、二・O%︶の収入であるのと比べると、桁がいくつも違う。
一九九八年三月一九日に衆議院本会議で全会一致で可決成立した﹁特定非営利活動推進法﹂︵﹁NPO法﹂︶では、
︵10︶
GO、環境NGO、軍縮︵平和︶NGOという便宜的呼称を紹介した.NPO法の﹁災害救援、人権擁護・平和推
一二の活動分野が規定された.ダイレクトリ!では、事業対象分野を一二二に分類し、同時に、開発NGO、人権N
︵11︶
進、国際協力、男女共同参画社会の形成促進﹂などを開いた形である。筆者の考えでは以下のような分類が手っ取
り早い。交流のみの﹁お茶のみ団体﹂は、国際NGOとはいえないという手厳しい意見もある。地方都市に住む筆
者の観察では、交流から協力へ一歩踏み出す際に、交流団体の存在と活動の下地は無視できない。したがって分類
の入り口は交流活動である。つぎに、人びとが手を染めやすいのは、困っている人を助けること、しかも避けがた
い運命によってなんらかの災害に巻き込まれた人びとを助けることである。一般的にアピールの度合いが高いの
は、子どもの被害、つづいて女性である。もしその災害が戦争など人為的に惹き起こされたとすると、その決定か
ら遠いと信じられている人びとの集合にほかならない。したがって、協力の第一歩は緊急支援である。緊急支援に
よって経験を積んだ市民は、なぜこのようなことが起こるのか、なぜこのような規模に広がるのか、そもそも防げ
ることできなかったのか、あるいは足下にも日常的に緊急支援の対象に相当するような事態が蔓延していることに
気づく。このステップは開発である。さらに、開発に携わると、これまでの日本の経験と、現在、現地の政府がや
ろうとしている政策と、地球的問題群のひとつとしての観点とから、環境の問題に取り組まざるをえなくなる。こ
こで環境のステップに入る。環境問題を通じて軋礫が生じたり、そもそも意識変革や体制変革、﹁民主主義﹂の徹
底や、人権の擁護の必要性が認識されてくる。同様に開発を通じて女性の地位向上や教育普及の大切さを学びと
る。これが最後の ス テ ッ プ と な る 。
すべての国際NGO活動がこの段階を踏むわけではないし、すべてのNGO活動に携わる個人がこの経路を経る
地方NGOの生成とその意味︵多賀︶ 一二五
NGOの分類
表1
日常交流 1緊急支援 1開発支援 :「体制」「意識」変革
早法七四巻三号︵一九九九︶
1(体力回復) 1(体格趾) i(体質改善)
啓蒙活動 i自然災害(洪水・旱魅・i貧困地域の開発環境問題
国際交流 薩民・被災民 開発 セドヴォカシー
留学生を囲んでのパ1地震・火山噴火)被災者1都市スラムの改善1人権問題
一ティ◎・・国の生1に球援物資を送る i学校の建設 雄の権利
姉妹都市相互訪剛 l i民主蟻
活について学ぼう :戦争難民の球済活動 : :子どもの人権
代表団との宴会 : : 1
何かあったら国際協力をしてみよう :農村の貧困 1環境と開発
: :
:都市の貧困(スラム):環境と人間開発
1ストリートチルドレン:教育や人権意識の必要性
二一六
わけではないことは、当然である。一般的な説明として、このようなステ
ップは、考えておいてよいだろう。図示すると表1のように整理しうる。
︵3︶ ボランティアの定義の共通項は、﹁自発的に﹂という部分しか見いだせない−ほ
ど、人によって定義が違う。ごく一般的な定義は以下のものが代表的である。﹁1
が恒常的ではなく本来は臨時のものである。4 その行動が社会的に正義として
自らの意志で参加する。2 基本的には個人としての参加である。3 その活動
受け入れられる。5 その活動の結果として報酬が支払われるかどうかは問わな
善ライブラリi一一三八︶、一八頁。また、ややユニータなものは、﹁ボランティア
い。︵句点は筆者︶﹂五月女光弘﹃日本の国際ボランティア﹄︵一九九七年七月、丸
でもない。ボランティアとは、同時にいくつも仕事を引き受ける人間である。多
とは、決して無報酬で奉仕する人でもなければ、自主的、自発的に働くだけの人
元・多重の活動をする人間がボランティアであり、現代社会では少なくとも次の
の当面の課題でもある。︵1︶家族のような共同生活者の仕事 配偶者、親子、兄
四種の仕事をする。この多重生活者の活動条件について研究することが、民際学
弟姉妹などの同居者が支え合う活動。︵2︶地域的な広がりをもつ仕事 地域的な
相互扶助への参加、他地域とのネットワーク活動。︵3︶協同的な経済活動を担う
流の仕事 ジェンダー、地域、国境、民族、時代などをこえる広範な活動。︵後ろ
仕事 会社に代わる経済組織による、生産と流通を担う活動。︵4︶文化活動と交
童目︶、 一一〇一∼一一〇一一百ハQ
四カ所句点は筆者︶﹂中村尚司﹃人びとのアジア﹄︵一九九四年一一月、岩波新
︵4︶NPO、NGOがほぼ同じものであると述べている文献は、たとえば、山岡義
典編著﹃NPO基礎講座−市民社会の創造のために﹄︵一九九七年九月、ぎょうせ
い︶、六∼九頁、五月女光弘、前掲書︵註3︶、二六頁。電通総研編﹃NPOとは何か﹄︵一九九六年二月、日本経済新聞社︶一六
。良ω簿圃8︶という言葉を好む人もいる。その理由のひとつは、まぎれもなく国際社会の主体でありながら、3pという否定型
O彊9
四頁には﹁NPO一般とは一線を画し、独自の領域を形成しているNGO﹂という表現が見られる。PVO︵汐一く緯Φくo一琶富R
で語られることに不満をいだくからにほかならない。また、CBO︵○○ヨヨ§一昌ω器89窓巨鐙江8︶が最近平行して使われて
いることも付記 し て お く 。
る支援活動は、政府が実施する政府開発援助︵ODA︶とはちがった形での国際協力活動が可能です.つまり、NGO活動は、①
︵5︶電通総研、前掲書一五∼一九頁には五点あげられている.参照されたい。また、NGOに対する外務省の見解は﹁NGOによ
の体制にとらわれず、人道的立場からの協力が素早く行える、③草の根レベルを反映して、比較的少ないコストで、かゆいところ
一般市民が直接参加して、小規模な開発プロジェタトに対してもきめ細かな支援ができる、②日本と国交がない場合など、その国
に手の届くような効果的、効率的協力ができる、④その援助活動を通じて、両国間市民相互の友好交流が広まり、またお互いの理
解、認識が深まる、⑤NGOの中には、その援助活動を通じて、特定の分野や地域事情について貴重な経験・ノウハウを蓄積して
道官、外務省経済協力局監修﹃﹁経済協力Q&A﹂政府開発援助︵ODA︶﹄︵一九九二年三月、世界の動き社︶、三一一頁.
いるものがあるなど、多くの特性をもっています﹂。ODAではここに述べたことはできないという表明でもある。外務省外務報
1・NPOに開かれた制度を﹂﹃朝日新聞﹄一九六六年八月一三日朝刊.また﹁アメリ
︵6︶ ﹁新世紀へ私たちは 地球プロジェタト2
上、﹃無給﹄で働いている﹂という記述もある。P・F・ドラッカー﹃ポスト資本主義社会﹄︵一九九三年七月、ダイヤモンド社︶
カでは、成人の二人に一人、すなわち九〇〇〇万の人たちが、非営利組織のために働いている。彼らのほとんどが、週に三時間以
二一〇頁。
︵7︶ JANIC、前掲書︵註2︶、.覇∼⋮㎜頁。設定された条件は:①一般市民の発意や主導により設立され、市民活動としての理
念や立場を基礎にした運営.②理事会や運営委員会などの民主的な意志決定機構があり、代表者や事務局責任者など責任の所在が
明確。③組織の意志決定や事業の運営への、一般市民の主体的な参加と自発的な支援。④財源の二五%以上が、自己資金︵一般会
や情報の提供が可能.⑥⑦は、ダイレクトリー作成上の分類である。なお、活動対象地域はOECD加盟のDAC諸国を除く地域
員からの会費や寄付金・事業収入・基金運用益等︶。⑤事業内容や財政状況が広く公開されており、外部からの求めに応じて資料
二一七
である。また、元来NGOは国連によって公に認知されたといってよい。しかし、国連が定義するNGOと一般的にいわれている
地方NGOの生成とその意味︵多賀︶
早法七四巻三号︵一九九九︶ 一二八
間団体との協議経済社会理事会は、その権限内にある事項に関係のある民間団体と協議するために、適当な取極をおこなうことが
NGOとは別に考えた方がよい。国連がいうNGOは、国連NGOとして完結しているからである。ちなみに、国連憲章では﹁民
できる。この取極は、国際団体との間に、また、適当な場合には、関係のある国際連合加盟国と協議した後に国内団体との間に行う
ことができる﹂︵第七一条︶となっており、これに基づいて、経済社会理事会に三つの分類にしたがって、NGOが登録している。
上、教育・提言型一〇〇万円以上、ネットワ!タ型五〇万円以上、年間財源の二五%以上が自己資金の条件を満たすNGO。数字
︵8︶ 第一部に掲載されているのは、註4に挙げた⑥⑦の分類に基づいて、一九九五年十月以前に発足し、開発協力型三〇〇万円以
は、同ダイレタトリー、顧頁。
︵9︶ 電通総研、前掲書︵註2︶、四五頁。NPO法施行日の朝日新聞の社説では﹁米国では、個人が年に総額一〇兆円以上の寄付
る。﹃朝日新聞﹄一九九八年ご一月一日朝刊。
をして、一〇〇万を超す市民団体の活動を支えている。これに対して日本では、個人の寄付金は四、五百億円にすぎない﹂とあ
災害救援、地域安全、人権擁護・平和推進、国際協力、男女共同参画社会の形成促進、子どもの健全育成、これらの活動を行う団
︵10︶ 一二の分野とは、保険・医療・福祉の増進、社会教育の推進、まちづくりの推進、文化・芸術・スポーツの振興、環境保全、
体の運営・活動に関する連絡、助言・援助である。NPO法は、同年三月二五日平成一〇年法律第一〇号として公布され、二一月
う者﹄︶と一二月号︵一二八号﹃NPOの時代﹄︶で二回の特集を組んだ。NPOの性格を物語る。
一日から施行された。法律専門誌以外も注目し、たとえば、月刊﹃軍縮問題資料﹄は、一九九八年二月号︵二〇八号﹃新世紀を担
︵11︶ 二三の分類は、農村開発/農業、都市︵スラム︶開発・住居、健康・衛生・水、植林、エコロジー・生物多様性、環境・公
民族、人権、平和・紛争、難民・避難民・被災民、教育・訓練、食料・飢餓、エネルギー・交通基盤、小規模企業・露天業、債
害、ジェンダー・女性、子ども・青少年・家族、人口・家族計画、民主主義・良き統治・制度の発展・参加型開発、障害者、少数
務・金融・貿易、小規模融資、適正技術、ボランティア/専門家・技術者派遣。同書、x頁。また、開発NGOは、農村や都市ス
ラムにおいて地域開発、農業指導、保健医療、居住環境の改善、教育の普及、小規模産業の育成、収入向上プログラムの運営な
ど、環境NGOは、植林、熱帯森林の保護、砂漢化防止など、人権NGOは、難民、女性、子ども、障害者、被災者、先住・少数
れぞれ取り組んでいると具体例を紹介している。同書、.M頁。
民族、被拘禁者、日本における在日外国人労働者などの人権擁護、平和NGOは、紛争解決、反戦・反核・軍縮などの活動に、そ
の設立とその活動
地方NGOの生成とその意味︵多賀︶ 二一九
や、マスコミ対策、企業・団体まわりにもてる時間をさいた。その結果、一九八九年一一月のバザー売り上げは、
会なども積極的に協力した。新潟大学法学部の国際関係論ゼミを中心に学生は商品集めに、社会人は会場さがし
際交流機構などいくつかの国際交流団体に所属する市民が加わり、朝鮮初中級学校父母会、JC、中小企業家同友
にも広く新潟大学の学生に開いていたために、そこに参加した学生や、OB・OGも加わった。また新潟県青年国
学生が集まった。それまでにゼミのスタディツアーと称して毎年必ず東南アジアを訪問していた。これはゼミ以外
VCラオス・プロジェクトに資金援助しようという発案者になる。筆者のゼミを中心にこうした活動に関心のある
この講義は社会人に開かれていて、新潟市議会議員もひとり受講していた。行動力のある氏は、バザーをやってJ
講義が終わったあと、学生たちが口ぐちに﹁ああいう話を聞いて何もしないのですか﹂と筆者に﹁詰め寄った﹂。
るものはだれでも参加できると締めくくった.
うこと、その発端、コンセプト、意義等々に話は及んだ。最後にこのプロジェクトには資金が足りないが、賛同す
低くするために、農村生活改善普及員の養成を行い、衛生・栄養・農作物・妊娠などに関する知識の普及をおこな
関係論の講義でJVCラオス・プロジェクトについて話した。ラオスの乳幼児死亡率が高いこと、それを少しでも
ス担当の谷山博史氏︵現JVC事務局長︶は、一九八九年五月に、新潟大学法学部で当時筆者が担当していた国際
NVCは、一九八九年にその種がまかれ、一九九〇年に芽吹いた。JVC日本国際ボランティアセンター・ラオ
三 NVC
早法七四巻三号︵一九九九︶ ニニ〇
二〇〇万円を越える。新潟という五〇万都市では桁がひとつ違うバザーの成果だった。それまで新聞等で見聞きす
る限りでは三〇万が限度のように思われた。
一九九〇年三月にバザー参加者を中心に約八O名が集まりNVCが誕生する。新潟市坂井輪公民館であった。農
村生活の改善に一回限りのバザーでは意味がない。最低でも五年はつきあう。五年後また考え直すということで組
織として発足した。ラオスには毎年一万ドルか一〇〇万円か高い方を送金することが決まった。NVCが他の支援
︵12︶
団体と違ったのは、支援金をもっとも集めにくいタイプの支出すなわちボランティアの給料や消耗品費に使ってく
れと主張した点である。組織化にあたっては、商品集めの際に、バザーの当日に、あるいはお礼にうかがった時
に、さまざまな人から戴いたアドバイスによるところが大きい。その意味ではこの団体は、市民のアドバイスによ
って誕生したともいいうる。
これがれっきとしたNGOの誕生である。まったくの素人によるNGOの誕生はこともない。たったこれだけの
ことであるともいいうる。一九九八年で最初のバザーからあしかけほぼ一〇年たつが﹁たったこれだけのことで﹂
誕生したNGOがどれほどのことを実施したか。ルーティンワークとして、毎年一回のぺースで一〇回のバザー
︵総額二一、五三一、一九四円︶を開催している。実行委員会形式で、二、三カ月前から準備が始められ、週一回の
委員会で必要なことが決定される。つねに無一文から出発して、ほぼ毎回二〇〇万円をこえる売上を達成してき
た。ここ数年は、バザi当日は二日間でのべ三〇〇人をこえる非会員の市民、学生が、ボランティアとして売り子
にたっている。バザi以外に広報と収益をかねて、カレンダーの販売、ラオス絵はがきの製作と販売も行ってい
る。
二三回にのぼるスタディツアー︵のべ参加者二〇〇人以上。以下﹁ST﹂と略︶が実施された。すでに、東南アジ
ア八か国、韓国、旧ユーゴスラビアに足跡がおよんでいる。このツアーは非会員にも開かれており、その意味でお
もに新潟県民を対象とする啓発事業的な意義を有している.事実、ツアーには、県議会議員、市議会議員、公務
員、教貝、会社員、主婦、学生などさまざまな職種、年齢の県民が個人の資格で参加してきた。訪問地には観光地
はほとんど含まれず、スラム、難民キャンプ、農村、大学、コミュニティセンター等々で、実際に現地のNGOや
社会活動を行っている人びととの交流が主である。最大の目的は、ラオスなど自分たちの提供した資金が実際に使
われている現場の訪間と、新たにプロジェクトを起こす現地の調査であった。このツアーに参加する人の資格は、
帰国後見聞してきたことを他の人に話す場をもっていることである.
二〇回をこえる﹁地球を知るNVC講座﹂︵一九九四年からカウント︶を開催している。ゲストをよんで講演形式
の場合もあれば、たとえば、ツアi参加者などが自主的に準備・運営する場合もある。広報出版に関しては、これ
までに七巻のNVCライブラリーが発行︵すべて単行本の体裁︶され、市民向けの活動情報紙﹃かけ橋﹄一∼一二
︵13︶
号、会員向けの情報紙﹃もうひとつのかけ橋﹄一∼四四号︵一九九一年一〇月五日創刊︶の発行を行った。以上が主
なルーティンワークである。
国際・国内協力事業としては、以下が挙げられる。ラオスに対しては、二、一八七、ニエ九円︵九回︶の送金
がなされ、すでにJVCの努力によって乳幼児の死亡率は低下している。この間、現状の一端を伝えるために、ラ
オス織物展示会︵五〇〇名以上が入場︶を新潟市で開催している。さらに、約束の五年目には、もう五年、あわせ
て︸O年ラオスに資金援助をすることが決定され、一九九八年一二月で一〇回目の送金が終了する。このラオス・
地方NGOの生成とその意味︵多賀︶ 二一二
早法七四巻三号︵一九九九︶ 二一三
プロジェクトの五年目の見直しを契機に、一九九四年度から、年間の協力活動に三本の柱が立てられた。NVC
が、純然たる地方発のNGOとして、ワンステップ上った瞬間である。第一は、NVC発足の端緒となったJVC
ラオスヘの協力活動。第二は、外国ばかりではなく、足もとを見直す意味で、新潟での活動の展開。新潟市在住の
留学生に対する国民健康保険支援が決定された。内なる国際化の一端を担う覚悟である。これは新潟市国際交流協
︵14︶
会との共同事業として実を結んでいる。この延長上で、新潟朝鮮初中級学校体育館改築工事に寄付金を贈呈した。
前者は継続的事業であるが、後者は一回限りである。第三に、毎年一件の緊急支援の実施。すでに小さな緊急支援
は経験している。ベトナムに中古ミシンを送るJVCのプロジェクトに参加したり、奥尻島地震に見舞金を送った
り、また話は前後するが、阪神大震災にも被災外国人支援に送金した。そうした小さな﹁突発的な﹂支援とは別に
緊急支援をやってみようという趣旨である。
緊急支援第一年目の一九九四年度は、旧ユーゴスラビア支援と決定される。会員のひとりが、旧ユーゴスラビア
を訪れ、その惨状に触れた。現地クロアチアで活動するMSF︵国境なき医師団︶の説明で国内難民の手術用の薬
品の不足が報告され、この支援なら、NVCにも実行可能であると判断された。早速実行委員会が組織され、旧ユ
ーゴの国民的歌手ヤドランカと新潟交響楽団のジョイント・チャリティ・コンサートの開催が決まる。コンサート
の準備とともに、日本では屈指のユーゴスラビア研究者の小山洋司新潟大学教授を招いて数回にわたる﹁ユーゴス
ラビア学習会﹂を開催した。収益金は現地のMSF︵国境なき医師団︶とUNHCR︵難民高等弁務官︶に手渡され
た。﹁このコンサートは、旧ユーゴスラビアの特定の勢力を応援するためとか、莫大な寄付金を集めるために開催
されたものではありません。このコンサートの一番大事な目的は、旧ユーゴで暮らす人びとが世界から見捨てられ
ているのではなく、真剣に惨状を憂い一日も早い解決を望む人びとがこの地球上には多数いるというメッセージを
送ることです。新潟に生きる人びとは、世界の出来事に無関心ではない、直接かかわりがなくとも地球でともに生
きる他人の人生の悲惨に手をこまねいて知らん顔しているわけではないということを示せたことに感動していま
す。最後に、企画された日から今日まで、自発的に集まり、まったく無報酬で、時には本来の仕事を忘れてまでこ
のコンサ⋮トの成功のために努力を惜しまなかった実行委員が数十名もいて、みなさんの隣人として新潟で暮らし
ていることをお知らせします﹂︵実行委員会代表挨拶から抜粋︶。コンサート終了後、NVC会員と非会員あわせて一
〇名が、﹁われわれは無関心ではない﹂というメッセージとヤドランカ公演のVTRを携えてクロアチアに赴き、
現地のNGOや市民と交流した︵第一一回ST︶。これには国際交流基金の援助を受けている。帰国後この参加者た
ちは﹃戦火の果てに生きて﹄と題する報告書を発行した。現在も、現地のNGOとは交流がある。
一九九五年度の緊急支援について数回にわたる拡大運営委員会が開かれた。挙げられた候補は、ミャンマーの歴
史博物館、カンボジアの人権擁護NGOの地方展開支援、ベトナムの小学校建設であった。すべて会員となんらか
の関わりがあり、かつSTなどで訪れた地と関係している.最終的にはベトナムに絞られた。その間何度か拡大運
営委員会が開催され疑問点はベトナムのカウンターパートにファッタスが送られてつぎの会議には回答が提出され
るという徹底ぶりである。このプロジェクトは、会員が訪越した折りに現地のNGOから申し出のあったものであ
った。WOCA︵ゑ。B9、ω9践q>霧・9蝕9︶と呼ばれるNGOで、ホーチミン市で幅広い活動を行っている。
ストリートチルドレン、女性、高齢者について最下層の人びとを対象に支援活動や社会復帰を手助けしてきた。こ
のWOCAがホーチミン市郊外の農村部で経済的に貧困で、村だけの力では如何ともしがたく、それでもなお必要
地方NGOの生成とその意味︵多賀︶ ご二三
早法七四巻三号︵一九九九︶ =二四
とされているところで小学校建設を支援したいという。JVCがベトナムで行っている同様の事業の現地調査も行
われた。一九九五年二一月九日、新潟市中央公民館での拡大運営委員会で結論が出された。最後に出された質問に
は、ハコものを作ってこなかったNVCが変身するのかというものもあった。ハコものへの協力ではなく、あくま
でも教育への協力が主眼であることなどが確認された。現在この﹁ベトナム未来プロジェクト﹂は、緊急から半恒
久化し、一一のプロジェタトが手がけられている。さらに、九九年度からは、カンボジア、バングラデシュ支援が
︵15︶
予定されている。
︵16︶
年間の予算はほぼ毎年一〇〇〇万円前後で終始してきた。驚くべきことに、これだけの仕事をしながら、これま
で専従の職員をおいたことがない。すべて、会員のあいている時間を利用しておこなわれてきた。しかも、最初の
バザー開始から六年間は代表すらおかずに運営してきている。これまであった組織論は、まったく通用しない世界
が誕生しているといわざるをえない。これまでの常識は、組織の認知や組織への協力は、﹁これこれの形式﹂が整
っていなければならないという発想から出発する。このことは、たとえば、公的な基金への中清書の項目が、国体
の理念や実績重視ではなく、形態重視である点によく表われている。ここでは、﹁これこれの形式﹂がまったく整
わないのに膨大な仕事がなしうることが立証されている。
︵12︶ ﹁日本でよく聞く話であるが、NGOが寄付集めに企業訪間をすると、必ずといっていいほど、﹃この寄付金は必ず事業に使っ
︵13︶ 七巻のNVCライブラリーとは、﹃国境を越えて遠く﹄︵ 九九〇年一〇月︶、﹃遠いアジアを見つめて﹄︵一九九一年 二月︶、
て欲しい。間違ってもスタッフの給料として使わないように﹄と釘をさされるそうである﹂。五月女光弘、前掲書、三〇頁。
﹃ネットワーク・ラオス﹄︵一九九一年一二月︶、﹃三万マイルのスタディ!ツアー﹄︵一九九五年四月︶、﹃われ思う故アジアに在り﹄
︵一九九六年四月︶、﹃戦火の果てに生きて﹄︵一九九六年九月︶、﹃べトナム未来プロジェタト﹄︵一九九七年四月︶。発行部数はほぼ
(1995・6年度)
VFP I 小学校建設(Hamlet7,Bibh Hung Hoa V・,Binh Chanh D〉 $12,000
VFP IH 小学校建設(Phouc Loc V.,Nha Be D.) $14,000
(1997年度)
VFP IV 小学校建設(Hamlet1,Dong Thanh V。,Hoc Mon D) $15,000
VFP V 小学校建設(Hamlet2,Tan Nhat V.,Binh Chanh D.) $15,000
(1998年度)
VFP VIストリートチルドレン施設建設(Mai Am Ba Chieu Open House) $20,000
VFP V皿小学校建設(Hamlet6b,Binh My Village,Cu Chl D.) $20,000
VFP皿 ストリートチルドレンの衣食住支援(Quan Com Xa Hoi) $4,000
VFP IX 障害者困窮大学生奨学金(T.P.HCM) $1,500
VFP X 絵手紙交換(Mai Am Ba Cieu and Nagaoka) ***
地方NGO の 生 成 と そ の 意 味 ︵ 多 賀 ︶
VFP II小学校建設(Hamlet2,Phuoc Kien V,,Nha Be D.) $14,000
VFP】q 盲学校支援(Ky Quan Temp玉e) $8,500
一〇〇〇部である。
署名を集めた。新潟県に体育館改善費用の補助を求めたが、新潟県はこれを拒
︵14︶ 新潟朝鮮初中級学校は、その処遇改善などを求めて七万人にものぼる県民
否した。新潟県民からは一〇〇〇万円以上の寄付が寄せられた。
容︵場所︶、予算︵概算︶の順で示す。
︵15︶ 一一のベトナムプロジェクトとは、上の表に示したものである.名称、内
この間のプロジェタト実施については、さまざまなことを指摘しなけらばな
らない。VFPIを例に取ると、まずプロジェタトの決定、開始、実施にあた
度赴いている︶、議論の過程での先方との質疑応答、開始後の事業協力︵専門家
って徹底的に調査・参加がなされた。決定にいたる間の予備調査︵現地にも二
ある。
チームによる第一四回ST︶、完成式典への会員の参加︵第一五回ST︶などで
市民の間の協力の広がりや資金源の拡大をつぎにあげうる。新潟県立北高等
学校では、在学中の積立金残額を卒業式にお菓子にして生徒に渡す慣行があっ
TV朝日系列の新潟テレビ2!NT21の﹁小野沢裕子のいきいきワイド﹂という
た。一九九五年度の卒業生は社会の役に立てたいとお菓子を断った。結果的に、
番組を通じて、NVCに寄付された。卒業生三六八人で一人一〇〇〇円、先生
方と在校生の有志が足して四〇万円であった。ベトナムでの教室ひとつ分の建
築費に相当する。これ以来毎年北高校では文化祭のバザーなどを通じて資金協
である。新潟日報の論説委員などを務め国際交流に熱心であった方のご遺族が
力をしている。郵政省の国際ボランティア貯金も新潟県では数少ない受領団体
にあたる.また早稲田大学の教授からもご母堂の香典返しを頂戴している。こ
ベトナムの小学校建設に香典返しの二〇〇万円をNVCに寄付された。一校分
一三五
N V C発展の段階
表2
批判
プロジェクトヘ
バングラデシュ
VFP皿∼Xl
JVCラオス・
VFPII∼)q
全体的義務
VFP I∼V旺
カンボジア
プロジェタトヘ
か
約束した資金を
どのように遅滞
工事は順調だろ
支援は順調に行
義務として課され
どう集めるか
なく計画通りに
うか
き渡っているだ
るだろうか
完成させるか
プロジェクトの
ろうか
選択は間違いな
いだろうか
有意義であろう
資金送付までの
プロジェクト完
スタッフヘの責
未来への長期的
期待に対する責任
責任
成までの責任
任
責任
やらないことへの
早法七四巻三号︵一九九九︶
ジェクト
人を派遣・海外
代表の設置
継続的支援プロ
クト
自前のプロジェ
他のNGO支援
の資金援助
の責任
集めたお金でプロジェタ /プロジェタトのためにお /資金に余裕を持って対処
トを選定する 金を集める する
二圭ハ
れは盲学校プロジェタトのシーズになった。NT21は、
半年間にわたってストリートチルドレンの施設建設キ
ャンペーンを展開した。その結果三四〇万円以上が集
ればできない。ともすれば、視聴率至上主義となり、
まった。テレビのこうした活動はよほどの覚悟がなけ
なければニュースも流さないという地方局が多い中で
共同体の崩壊も家族の問題も何のその、視聴率がとれ
生半可な覚悟ではなかったと思う。新しいネットワー
はない。
クを地方社会に築いた意義は強調してもしすぎること
人事面でも指摘すべきことがある。小学校建設中に
早稲田大学大学院でベトナム研究をしている福田忠弘
NVCから人を送ることが実施された。会員の︸人で
氏である。また、ホーチミン市には、WOCAから﹁ヘ
ッドハンティング﹂をしてNVCベトナム代表が設置さ
︵16︶ この項数字はすべて一九九八年一〇月末現在。
れた。額はともかくとして、NVC職員第一号である。
四 NVC成長の意味
NGOが、企業や行政など他の組織と異なる点は
多い。それぞれ目的が違うのは当然のこととして、第一の特徴は、苦労の質が違う点に求められよう。NGOは一
般的に、金がない、人がいない、制度が未発達で規則がない。きまワに従ってその仕事で給料をもらうのではない
人が集まって活動している。たとえば、行政が何かイベントをやるときには、国民から集めた潤沢な資金のもと
に、イベントに張り付きで人をさく。かれらは命令・規則に従って運営・実施して行く。それで﹁飯を食ってい
る﹂。それが仕事である。時には仕事を作り出さなければならない。暇では存在理由がなくなるからである。プロ
として試験を通ってきた人びとであり、行政はサービスの塊である。地方自治体にいたっては総合官庁であって、
自力でできない物事はない﹁サービス産業﹂である。NGOは誰かにいわれて仕事をするのではなく、自分で言い
出して考え抜いて仕事をする。会社や役所や町内会など﹁犠牲﹂と﹁強制﹂を﹁給与﹂や﹁待遇﹂で取引すること
を基本的組織原理とする組織体にありがちな負担の不公平とか仕事が苦痛という話はでてこない。
NVCはなぜこれほど長く続くのか。精一杯やりながらも無理はしないからである。くじけそうになると、誰も
が最初の感動に立ち戻るのを忘れていない。金儲けでもなく、名誉でもなく、義務でもなく、感動から出発してい
る。好きだからやっている。楽しいからやっている。ボランティアは自己満足にすぎないという批判がある。賛成
である。ボランティアの初級はいかにして自己満足するかで十分ではなかろうか。中級・上級は、 一人一人学習す
る内容が異なり、一人一人がだれも開いたことのない頁を繰る。しかも、NVCは、レゴブロックのように、自分
︵17︶
の力がどのように生かされたかいつでもわかる。それは組織が小さいからそうなのではなく、そういう組織だから
そうなのである。
NVCの組織原理についてまとめてみたい.創設にあたって、同様の活動を考えているが他の目的で集まってい
地方NGOの生成とその意味︵多賀︶ 二こ七
早法七四巻三号︵一九九九︶ コニ八
るためにその種の活動をしない集団が存在したことは大きい。そうした集団はきっかけがあれば動きだす。東南ア
ジア旅行をしているゼミ、何か協力したいという市民団体、協力の糸口をさがしていた市民、あげればきりがな
い。交流団体が大事だという理由はここにある。もう一点、新潟の県民気質は人情にある。NHKの県民気質調査
でも実証されている。﹁頼まれれば江戸まで餅つきに﹂が県民性である。会員拡大にあたって、徹底的に現場をみ
︵18︶
せることを有効に使っている。会員外に開かれたSTがその代表例である。海外で活躍する人々を連れてきて公開
で行う講座や年間﹁最大のイベント﹂であるバザーにだれでも売り子として参加できる公開性を賦与している。
会員に対する組織原理の最大のポイントは、強制を伴わない点であろう。やれるときにやれることをやる。無理
をしない。あからさまな批判や命令は存在しない。参加者はお互いに背中を見ながら自分をあらためていく。後進
の育成もひとつの特徴である。地方都市では、誰か強力なリーダーシップで何か社会的活動を始めても一〇年たっ
てもその始めた人がリーダーの座に座っていることが多い。NVCはまったく異なる。若い人間にもどんどん責任
を預ける。STの団長など同じ人間が二度やらないことを原則にしている。
意志決定原理も十年の間に定着してきた特徴が観察される。一九九五年度旧ユーゴ国内難民支援の決定に至る過
程で、それまでの慣行が明示的に確立された。その原則とは﹁会員のだれかが実際にその目で見てきたことに取り
組む。実行委員会方式で行う。支援・協力をしたあとには実地に検証する。報告書を出す。余力があり意義が認め
られれば交流を継続する﹂の五点である。重要な決定にあたっては、運営委員会がありながら、拡大運営委員会を
開催して広く会員に決定参加を呼びかけている。この仕組みには裏表がある。意志決定に参加できるし、不参加も
許される。したがって、意志決定に参加することは義務ではない。黙々と決まったことに体を動かしたければそれ
も寛される仕組みである。
事業実施にもいくつかの特徴を指摘できよう。地方特有の人と人とのつながりを十分生かしている点が最大であ
る。旧ユーゴチャリティコンサートの実行委員長と新潟交響楽団の副団長は職場の同僚であり友人であった。ひと
たび会員として活動する場合には、上下関係はない。しかし、活動を会の外に及ぼすときには社会的背景が十分活
用されている。
こうした活動の結果、第一表に示したのとほぼ同様の軌跡をたどってNVCは着実に発展してきた︵第二表参照︶。
︵17︶ 高齢者介護の分野で実体験に根ざした発言を現場からすることで知られる三好春樹氏が社会運動について述べている。要約す
動の成功の三原則は﹁専門性よりは常識﹂﹁組織じゃなく活動態﹂﹁生活優先、イヤになったらいつでもやめる民間﹂だと述べてい
ると、抑圧に対するうらみつらみでやる運動が、別の抑圧をつくり出すだけであることは、歴史の教えるところだという。市民運
る。さらに﹁初めて参加した人がいつでも主役﹂の精神も大事だと主張する。三好春樹﹁老人には堕落する権利がある:木村松夫
さんへの公開書簡﹂誘鼠8σ鷺﹄︵八巻九号通巻五一号、一九六六年一一月︶三〇∼三一頁.おそらくこの対極にある考え方は
﹁その中枢にいるメンバーは参加したいときだけ参加するというパートタイマー的発想は受け入れられない︵略︶﹂であろう。五月
女光弘﹃日本の国際ボランティア﹄︵一九九七年七月、丸善ライブラリi壬二八︶二四頁。おおむね前者の発想は、自分自身盛ん
に活動に参加した経験のある人からでてくるように思われる。
︵18︶ NHK放送文化研究所編﹃現代の県民気質﹄︵NHK出版、一九九七年一一月︶。
NHK放送文化研究所が︸八年ぶりに実施した県民気質調査の結果が︸九九七年︸
一三九
︼月に出版された。これによ
五 おわ り に
地方NGOの生成とその意味︵多賀︶
早法七四巻三号︵一九九九︶ 一四〇
ると、日本における人間関係が、音をたてて変わりつつある。ひとことでいえば、あらゆる面で信頼にもとづく人
間関係が切れ始めている。目に見えないだけに変化は激しい。自給自足と相互扶助という伝統的な原理から成り立
っている地域社会が崩壊しつつある。社会の流動性が高くなり、モノや情報が外から入ってくるということは、か
つての地域単位で一括購入制度でもとらない限り、個々人対モノ・情報の関係が、共同体の靱帯を凌駕する。地方
に行くほどその変化は激しい。
こうした状況下でなお人間の織りなす共同体を維持しなければ社会自体が砂漢化してしまうという認識を持つな
らば、生活共同体的発想から争点志向型共同体への糸を手繰り寄せなければなるまい。たまたま同じ狭い空間に形
成された地縁的共同体ではなく、目に見えない空間的広がりの中で、共通の課題を解決しようする人びとの意志の
共同体である。課題の共有を誰かが不断に投げかけねばならないといってもよい。これを今誰もが口にはするが実
態のなかったネットワーク型社会の誕生と呼んでもよい。今おそらく地方社会ほどこのようなネットワークの構築
を必要としているだろう。
問題は、これだけ社会が大きな変化を経つつあることを、政治家や行政がどれだけきっちりと認識しているかで
ある。いつまでも官主導型の発想で、市民が官と関わりなくやることを﹁うさんくさい﹂目で見ていたり、市民の
やることは官の補完と見ているようでは、変化についていけなくなるのは、国民ではなく政治や行政である。
官と民。公と私。似て非なる分類である。わが国では長いこと官と公が同じもののようにとらえられてきた。乱
︵19︶
暴な話だが、筆者は、二、三年前から、官・民・公・私の四つを、同じ平面に並べてものを考えようとしている。
高齢者介護問題を考えるとこの区別はわかりやすい。北欧のように、国家が国民の合意の元に強制力を使ってお金
図:官・民・公・私
大
⇒
利潤追求
釦
私的利益
大 曾
弱含一
自発性
組織力
強制力
制度性
地方NGOの生成とその意味︵多賀︶
少
小
旦・強
畢
公:自発的に活動 私:義務的に子育てなど
官:強制的に納税者(義務) 民:食べるために半強制的に働く
を集め︵徴税︶、施設を作って世話をする。官
である。そうした施設が企業化されてビジネス
となれば、民である。町内会であれ、学校区で
あれ、青年団であれ、生活共同体が、面倒をみ
るとしたら公である。自宅で家族が、お世話す
るとしたら、私である。
二一世紀はおそらく世界規模で地方が中心の
時代になる。地方は単に国内的主役ではなく、
国際的主役ともなる.この国際的には新しい社
会単位にとって、公の部分の活動の遅れは致命
傷になるだろう。ましてや、いかに中央から補
助金を引き出すか、すなわち官主導型をひそか
に誇っているようでは、この変化は乗り切れな
い。本稿で報告したNVCの活動は、新しい公
を育てる試みにほかならない。官でも民でもな
い。コミュニティの活動である。私的利益を求
めてはいない︵非私︶。ましてや利潤を生んで
一四一
早法七四巻三号︵一九九九︶ 一四二
山分けする活動ではない︵非民︶。しかも強制的ではない︵非官︶。会貝が無償で働いたことがそのまま社会の財産
になる。それが国境を突き抜けているところに時代の先読みがある。
こうした﹁公﹂の展開をいかに定着させるか。﹁官﹂との関係を考えると悩みは深い。行革である。六〇年代、
七〇年代、八○年代と、公害・環境、人権・女性の権利、国際化・内なる国際化など、市民が行政の尻をたたいて
官の部分に予算まで付けて取り込ませたことが、公ががんばることを幸いに、官が放り出そうとしている動きに弾
みをつけかねない。とりわけ、﹁官﹂と﹁公﹂とに二股かけたような格好になっている地方自治体の場合は、間題
が複雑である。中央の官は、地方自治体を限りなく公に近いものと見ている節がある。官がやってもできないこと
を公がやるとか、その逆に、公ができないことを官がやるという単純な発想を超えるところまで来ている。公がや
︵20︶
っても官がやってもうまくできなければならないのである。NGO・NPOの活動とは、つまるところ﹁公﹂の活
動である。
︵!9︶ ﹃新潟日報﹄に九七年九月から九八年一月にかけて毎週土曜日に一五回連載した﹁新潟からアジアをみるアジアから新潟をみ
︵20︶ 本稿の執筆にあたっては、いちいち註で示していないが、NVCの発行する﹃かけ橋﹄﹃もうひとつのかけ橋﹄さらに、本稿
る﹂を参照。なお、このシリーズからは本稿にも部分的に加筆して取り入れてある。
なった。記して謝す。
註13で示したNVCライブラリーなどを参照した。また、主要なメンバーから折りにふれてきかせてもらった話もおおいに参考に
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