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ULVAC 60周年記念誌

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ULVAC 60周年記念誌
60 周年記念誌
ULVAC Chronicles
60
夢事業創出へのシナリオ
1952-2012
th
真空技術とともに歩んだ 60 年
株式会社 アルバック
ULVAC, Inc.
写真左から、
井街仁、石川芳次郎(初代社長)、石川浩三(元副社長)。
*井街の妻・八千代は芳次郎の長女であり、
浩三は芳次郎の三男
アルバック 60 周年記念誌
「昭和 27 年5月、
「ULVAC Chronicles」の発刊に寄せて
株式会社アルバック
勤続 15 年の東芝の表彰を受けた同じ日に、
いわお
2
諏訪 秀則
代表取締役会長 *役職は 2012 年 8 月 23 日現在
私たちは過去の歴史において繰り広げら
会社が年を経て、創業期の先輩方の名前
れた諸々の史実と、その中における必然と
や苦労話を知らない社員が多くなった今、
私は辞表を提出した。
偶然とが織りなす綾と、その中における先
この小冊子によって、全社員がアルバック
人達の失敗、苦労、工夫、成功などの物語
の生い立ちを知識とし、アルバックのすべ
そのとき、新しい真空への期待が
を知って将来の糧とします。会社において
てのステークホルダーの方々がアルバック
も同様で、将来のために会社の歴史を知っ
という会社を原点から考え直すきっかけに
40 歳の私の胸の中に燃えていた……。」
ておく必要があります。そのために社史が
なってもらえれば幸いです。
編纂されますが、当社はちょうど 10 年前に
2012 年 に な っ て 大 規 模 な 構 造 改 革 を ス
井街 仁(アルバック第二代社長 社内報「真空タイムス」(1972 年第 94 号)より)
50 年史を編纂しました。
タートしました。今、アルバックは創業以
この 60 周年記念誌は 50 年史の補遺とい
来経験したことのないような苦境にありま
うようなもので、50 年史で漏れた創業期の
す。アルバックで働く全社員が、創業期の
逸話と 50 周年以降の 10 年間における主な
先人達のベンチャー魂を思い起こし、諸先
出来事を主体に編集されています。気楽に
輩方の情熱を感じ取って、この苦境を乗り
最後まで読んで頂けるようにページ数を 16
切るために「頑張ろう」という気持になっ
ページと極力少なくし、写真を多く配置し
てもらえれば大変嬉しく思います。
井街の“真空への期待”は、「真空技術で日本の産業に貢献し
よう」という熱い情熱として燃え上がり、多くの賛同支援者
を得ることになる。3 カ月後の昭和 27 年(1952)8 月 23 日、
アルバックは日本真空技術株式会社として設立される。研究
開発型企業アルバックの崇高な設立目的を知ることは、アル
バックのアイデンティティそのものではないだろうか。
て編集されています。 真空技術は今やあらゆる産業になくては
ならない存在になっており、中でもアルバッ
CONTENTS
4…1952 年(昭和 27)
アルバック設立物語
真空技術で産業貢献に賭けた夢への出発
6…1952-1967 年(昭和 27-42)
真空総合メーカーへのアプローチ
重厚長大産業に活躍する真空冶金・化学装置
8…1968-1991 年(昭和 43- 平成 3)
拡大成長への大いなる布石
世界から評価される製品開発を次々に
10…1992-2000 年(平成 4-12)
高度化多彩技術と応用分野の拡大
多彩技術を駆使して超材料研究所・事業部緊密連携で高機能製品を市場に
12…2001-2006 年(平成 13-18)
史上最大のヒット製品の多大な波及効果
世界的規模で拡大する薄型テレビに貢献
14…2007-2012 年(平成 19-24)
そして未来へ 夢事業創出へのシナリオ
先人の英知を再認識し、アルバックの未来へつなげよう
クは世界で唯一の総合真空メーカーとして、
産業や研究分野において広範に製品を提供
しており、私たちはそれを誇りとしてこの
会社で働いています。
しかしながら、創業期の諸先輩方の真空
技術の事業化に賭けた情熱と、それを支え
た多くの支援者がいなければ、今のアルバッ
クは存在しなかったでしょう。
アルバック設立登記簿の一部、発起人 7 人によ
る直筆サイン。アルバックの創業期は初代社長
の石川芳次郎、松下幸之助、弘世現、大沢善夫、
山本為三郎、藤山愛一郎という著名な関西財界
人によって支えられた。
2012 年 8 月吉日
3
ULVAC 60th 1952-2012
ULVAC 60th 1952-2012
本城巌マツダ研究所長に叱られながら
1952
The Beginings
of
ULVAC
昭和 27 年
40 歳の胸の中に燃えた真空への期待
アルバック設立物語
アルバックを語る歴史写真
井街に宛てた
NRC 社モース社長からの手紙
4
設立支援者
れいめい
松下幸之助
弘世 現
大沢善夫
山本為三郎
藤山愛一郎
浜本正勝
アルバックの
設立を支えた群像
アルバック設立時の日本
は真空技術の黎明期で
あったが、井街たちの真
空技術に対する熱い想い
は多くの賛同支援者に
よって支えられた。
石川芳次郎
井街 仁
石川浩三
川本俊二
林 主税
柴田英夫
橋本光一
浜本正勝:ハーバード大学を卒業し、終
戦直後は東京裁判の弁護人として活躍し
た。アルバック設立時は大沢商会の外国
部長だったが、アルバックの監査役も兼
務した。NRC 社との提携交渉にあたって
は浜本の交渉力によるところが大きかっ
たという。
嵯峨根、熊谷、菊池はいずれも東京大学
理学部出身で、仁科芳雄がリーダーだっ
た理化学研究所のサイクロトロン開発に
加わったメンバーである。この開発には
真空技術が不可欠だった。西堀は京都大
学理学部出身で、同大学助教授を経て東
芝に入社。井街の恩師であり、東芝の上
司でもあった。第一次南極越冬隊長にな
るなど探検家としても有名で、
「雪山賛歌」
は西堀の作詞である。
技術支援者
(技術顧問)
技術提携
(NRC 社)
R. モース社長
嵯峨根遼吉
熊谷寛夫
西堀栄三郎
菊池正士
した浩三の学友でもある川本俊二(当社元常務)は
真空の可能性に賭けることにした。こうして 3 人は
井街の事業構想を実現するために動きだしたので
あった。
1952 年(昭和 27)4 月、井街仁宛てに1通の手紙
が届いた。
米国 National Research Corporation(NRC社)の
夢を現実のものにした石川芳次郎の信用
リチャード・モース社長からのもので、「真空技術
の事業を興すのだったら当社は全面的に協力する」 ここで強力な援護者が登場する。井街にとって岳
父であり、浩三にとって実父の石川芳次郎である。
という返事であった。NRC 社は、モースが 1940 年
1881 年(明治 14)生まれの芳次郎は、当時、京福
にマサチューセッツ工科大学のキャンパス内に設立
電鉄の社長の要職にあり、小僧(丁稚奉公)から身
し、主に軍用向けに凍結真空乾燥技術を用いた粉末
を起こした電気技師で、働きながらの苦学の末、京
オレンジジュースの製造装置の開発を皮切りに、真
空技術による医薬品・食品製造、レンズの増透処理、 都大学を卒業するなど、苦労人経営者として多方面
で人望の厚い人物だった。その芳次郎は根っからの
溶解炉、熱処理炉など、真空技術の産業利用に革新
技術者ということもあり、井街と浩三の主張に深い
的な成果を上げたベンチャー企業であった。
理解を示した。そればかりではない。新会社が軌道
モースは、1951 年頃、日本とドイツの GHQ に手
に乗るまでの間、自ら社長を買ってでたのである。
紙を送り「両国の戦後の経済復興のためには、真空
技術の振興が不可欠である」とアドバイスした。そ 「芳次郎さんがやられるのなら……」と、松下幸之
助(松下電器産業(現パナソニック)創設者・当時
の手紙は日本では GHQ から真空同好会に所属する
社長)
、弘世現(日本生命当時社長)
、大沢善夫(大
各社に回された。
、山本為三郎(朝日麦酒当時社長)
、
井街は 1937 年
(昭和 12)
に京都大学を卒業し、
同年、 沢商会当時会長)
藤山愛一郎(大日本製糖当時社長)
東京芝浦電気(現東芝)のマツ
の著名な関西財界人が無条件で、
ダ研究所に入り、主に真空管材
それぞれのポケットマネー 100 万
料の研究に従事した。また、井
円の出資を申し出たのである。
街は 1941 年(昭和 16)にはじまっ
一方、技術面では、かねてより
た真空同好会(組長:嵯峨根遼
井街が真空同好会で親しい関係に
吉 東 京 大 学 理 学 部 教 授 ) に は、
あった東京大学嵯峨根研究室の林
同研究所の先輩にあたる西堀栄
主税に協力を要請したところ、
「嵯
三郎(初代南極越冬隊長として
峨根先生も真空の産業利用を提唱
有名)の紹介を得て、戦後も引
されていたし、私もその薫陶を受
き続き定期的に参加していた。
けて機会を伺っていました」とい
井街宛てに届いたモースから
う。林の参加表明で、さらに同研
の手紙の発端となったのは、1951
究室の橋本光一、同大学熊谷研究
年暮れに西堀からもたらされた
室の柴田英夫も加わることを約束
情報だった。井街は真空同好会
した。
を通じて研究者の視点で、真空
5 月下旬、40 歳を迎えた井街は、
技術の産業利用に大いなる可能
1952 年(昭和 27)8 月 23 日、日本
15 年間勤め続けた東芝マツダ研
性を認識していた。モースから
真空技術株式会社は設立された。写
究所を辞して、真空への期待を胸
の返事も重なり、さっそく、義
真は最初の本社となった日本生命田
村町ビル。日本生命社長の好意で最
に秘め、アルバックの発足時の社
弟 の 石 川 浩 三( 当 社 元 副 社 長 )
上階の一室を間借りしてのスタート
名である日本真空技術株式会社の
に事業化への構想を打ち明けた。
であった。
設立に邁進していった。
事業欲に燃えていた浩三と同席
5
ULVAC 60th 1952-2012
ULVAC 60th 1952-2012
前列中央が石川芳次郎初代社長、後列右端は井街仁第二代社長、左端は林主税第三代
社長、その右隣は石川浩三元副社長(1959 年、横浜本社工場にて取締役会を終えて)
真空事業黎明期にあって
真空技術で産業貢献に賭けた夢への出発
1952-1967
昭和 27-42 年
国産化による独自技術基盤づくり
History
of
ULVAC
真空総合メーカーへのアプローチ
重厚長大産業に活躍する真空冶金・化学装置
アルバックを語る歴史写真
国産化へのきっかけともなった
白光舎からの初受注
1952 年(昭和 27)8 月 23 日、アルバックは NRC 社
と技術提携を前提とした総代理店契約を結び、日本真
空技術株式会社という社名で操業を開始した。学者た
ちがつくった会社である。自然に受注が舞い込むほど
甘くはない。その年も押しせまった 12 月、ようやく白
光舎(現市光工業)から自動車部品の真空メッキ用の
真空蒸着装置を 600 万円で受注することができた。大
晦日の 31 日に NRC 社から真空蒸着装置を日本へ出荷
する手続きが確認された。記念すべき初受注である。
しかし、初年度の売上実績はこの一つだけだった。
ULVAC 60th 1952-2012
林:モース社長は寛大な人でした。我々の技術的な
質問に丁寧にすべて答えてくれました。オープ
ンポリシーなのです。アルバックに真空技術に
関するいろいろな便宜を無償で提供してくれま
した。私にとって、アルバックにとって、モー
ス社長は技術の恩人の一人です。
(林主税第三代社長へのインタビューより)
株式会社東洋精機真空研究所との合併
真空メーカーの先輩格ともいえる東洋精機真空研究
所との合併(1956 年)や徳田製作所からの技術者
の移籍(1959 年)は、アルバックが短期間のうち
に業態を拡大・拡充できた有益な出来事であった。
その仲立ちは林たちの大学時代の恩師であった。こ
れにより、真空
ポンプ、真空バ
ル ブ、 ロ ー ル
コーター、真空
化学装置などの
ラインナップが
加わり、真空総
合メーカーとし
て将来の指針を 大型化していった真空化学装置
示すことになっ 「可塑剤用薄膜流下式連続蒸留装置」
た。
1957 年(昭和 32)9 月
真空溶解炉の国産化はじまる
1960 年代は、真空冶金装置や真空化学装置が重厚
長大産業へ貢献した時代であった。真空化学装置は
東洋精機真空研究所との合併によってもたらされた
が、真空冶金装置は林主税が中心となって自社開発
したものだっ
た。真空溶解炉
はウラン、タン
タル、チタンな
どの高機能金属
用 だ っ た。 ま
た、その装置を
利用して材料製
造分野に進出す
100kg 真空溶解炉
るきっかけにも
なった。
1961 年(昭和 36)10 月
1957 年(昭和 32)5 月 NRC 社モース社長(写真中央)は日米合同原子力会議に出席のた
め来日し、同月 12 日に当社大森工場を訪れた。写真右より井街仁専務、熊谷寛夫技術顧問・
東京大学教授、左から川本俊二常務、林主税第一技術部長。(肩書きは当時のもの)
当社の技術陣は大学の研究室におられた学者さん。
言い換えれば、金儲けは恥かしくてできない方たちでした。
日本で真空工業を確立させようという情熱が
真空製品の国産化ということまで
実現できたのではないでしょうか……。
石川 浩三(昭和 37 年当時副社長、創立 10 周年記念座談会より)
*石川浩三元副社長は、1970 年(昭和 45)に退任し、その後は高度経済社会を先取りして、ニッポンレンタカーや
ビジネスホテルチェーンのサンルートの創設者として、元来の起業家の才を発揮した。
共産圏(ソ連・中国)向け真空装置の輸出
グローバル化のはじまりは、ソ連と中国への真空装
置の輸出であった。当時共産圏への輸出は COCOM
(対共産圏輸出統制委員会)により厳しく規制され
ていたが、林主税専務ら技術陣の科学技術交流によ
り、要人との学術ディスカッションが直接ビッグビ
ジネスに結びついた。台所事情の苦しかった当時の
アルバックに
あって、石川浩
三 専 務 は、「 あ
りがとう。干天
に慈雨だね」と
営業担当者をね
ぎらったとい
う。
横浜工場に訪問したソ連技術担当者
7
ULVAC 60th 1952-2012
真空装置は既製品の家電製品と異なり、スイッチを
入れればすぐに利用できるものではない。真空に引け
るかどうか、希望する膜ができるかどうかなどの試運
転、つまりインストール作業が必要となる。その際は
林たち技術陣の出番となるが、これは NRC 社の技術ノ
ウハウを勉強する絶好の機会となった。このとき林た
ち技術陣は、国産化への確信を得た。この初受注がも
たらしたものは売上高の多寡ではなく、アルバックが
国産化へ歩み出すための大きな布石となるものだった。
1955 年(昭和 30)4 月に開設した大森工場はまさに国
産化を目的に開設されたのである。
6
1956 年(昭和 31)11 月
1968-1991
昭和 43- 平成 3 年
超材料研究所開設、IBM 受注が牽引役に
世界から評価される製品開発を次々に
History
of
ULVAC
拡大成長への大いなる布石
アルバックを語る歴史写真
ソリューションの先駆けともなった
超材料研究所開設と IBM 受注
1968 年(昭和 43)5 月、アルバックは横浜工場から
現在の本社所在地である神奈川県茅ヶ崎市に移転した。
日本は重厚長大の素材産業から自動車や家電製品、半
導体など、付加価値の高い加工産業時代へと移行して
いった。この産業構造の変化は、日本企業のグローバ
ル化を示唆するものでもあった。
8
ULVAC 60th 1952-2012
「装置を売るということは技術を売ること。我々の真
空技術とお客様のプロセス技術とが一緒になって、共
同で新たなプロセスを開発することはお互いに新規事
業の創出につながる。また、
“超”のつく研究をするこ
とで、若手研究者が集まるようになる」という。
写真左は 1972 年に開設した超材料研究所(千葉県山武市)。右は 1976 年、IBM から受注した世界初、コンピュー
ター制御による全自動真空蒸着装置「システム 731」の完成を祝う林当時社長(右)と握手を交わす IBM 技術者(左
2 人)。この受注を契機にアルバックの技術は世界的に評価され、その後、数々の大型受注を獲得していった。
中村久三第六代社長は「アルバック発展の原動力となったのは、超材料研究所を
開設したことと、米国のグローバル企業である IBM 社から大型受注を獲得した
ことです。まさに今で言うソリューションの先駆けではないでしょうか」という。
中堅企業だったアルバックを大きくするためには
真空に魅力を感ずる優秀な研究者を育てることでした。
反対を押し切って、超材料研究所を設立したのはそのためです。
世界に通用する技術とは、ただ単に装置を売ることではなく
お客様のプロセスまで立ち入って共同で開発することです……。
林 主税(第三代社長 「50 年史」のヒアリングより)
超材料研究所の開設時に入社した中村久三第六代社
長は「自由闊達な雰囲気で、世界に通用するものを開
発しようという意欲でみなぎっていました。自分の肌
には合っていましたね。超微粉、超電導、超高温、超
高密度というように“超”のつく研究ができるのです
から……」と当時の研究所を語る。
1975 年(昭和 50)10 月、大きなニュースがもたらさ
れた。アルバックは、米国の超巨大企業 IBM 社から半
導体製造用装置の大量受注を獲得したのである。当時、
出始めたばかりのミニコン(今でいうパソコン)を使っ
たコンピュータープログラム制御による全自動装置で
あった。その試みは世界初だった。未踏技術をブレー
クスルーしなければならなかったため、幾多のトライ
アンドエラーを繰り返しながらようやくの完成となっ
た。この成功によりアルバックは世界的な評価を獲得
し、半導体製造装置をはじめ、ハードディスクや光磁
気ディスクなどの製造装置へと波及していった。
自動車、家電産業向け真空ろう付け炉の完成
真空ろう付け炉とは、エアコンディショナー、ラジ
エーター、エバポレーターなどの熱交換器をろう付
けするためのもので、真空を利用することから従来
の湿式よりも環境に優しい技術だった。アルバック
はいち早く米国で開発された新しいろう付け技術に
注目し、自動
車用ラジエー
ターや家電用
エアコンディ
ショナー向け
に貢献して
いった。
アルミ用真空ろう付け炉に部品を
セットする様子
1986 年(昭和 61)11 月
世界初マルチチャンバー型スパッタリング装置
「MCH シリーズ」世界制覇
1980 年代、日本の半導体産業は世界の市場を席巻
した。この発展を支えた一つには、半導体メーカー
の厳しい要求に応えてきた真空装置メーカーの技術
力も無視できるもの
で は な か っ た。 ア ル
バ ッ ク の「MCH シ
リーズ」は、1970 年
後半頃から開発がは
じめられ、1980 年代
半ばには国内半導体
メーカーはもとより、
世界中の半導体メー カセット式スパッタリング装置
カーに受け入れられ 「MCH-9000」
た。
1988 年(昭和 63)10 月
ハードディスク向け製造装置
「SHD シリーズ」が世界制覇
アルバックは、超材料研究所の設立を契機にして、
高密度蒸着磁気テープのプロセス開発をはじめ、
1980 年代以降は、超材料研究所と装置事業部との
緊密な連携により、デジタル記録媒体向けの製造装
置で世界トップのシェアを占めた。一方、フラット
パネルディスプレイ(FPD)向け低抵抗 ITO 透明導
電膜用装置「SDP シリーズ」は、1990 年代以降の
液晶ディスプレイでトップシェアを獲得する先駆け
になる装置であった。
林社長は生前、「IBM の技術責任者は、装置を買うの
ではなく、アルバックの技術者と協力して技術向上を
目指すという、当社の技術者を買ってくれたことが何
よりもうれしかったですね」と当時を述懐する。
磁気ディスク用インライン式スパッタリング装置
「SHD-9」
9
ULVAC 60th 1952-2012
アルバックは中堅企業とはいえ、この産業構造の変
化に対応するためには抜本的な改革が不可欠であった。
1971 年(昭和 46)に就任早々の林主税第三代社長は、
不況であったにもかかわらず、周囲の反対を押し切っ
て千葉県山武市に超材料研究所を開設した。装置メー
カーがなぜ“超材料”の研究所なのか。林社長はその
ことについて語る。
1973 年(昭和 48)4 月
1992-2000
平成 4-12 年
FPD 向け成膜装置がグローバル化を促進
History
of
ULVAC
高度化多彩技術と応用分野の拡大
多彩技術を駆使して
超材料研究所・事業部緊密連携で高機能製品を市場に
アルバックを語る歴史写真
10
グループ一体となったソリューション始まる
日本の半導体・電子産業は、1980 年代は世界を席巻
するほどの隆盛を極めたが、1990 年に入ると一転して、
バブル経済の崩壊に加え、米国の新しいビジネスモデ
ルによる巻き返しと韓国・台湾勢の台頭が重なり、苦
戦を強いられるようになった。アルバックにおいても
同様であり、特に半導体製造装置に関しては他社から
の遅れが顕著であった。1992 年、93 年度の2期連続で
アルバックは赤字決算に甘んじた。
事実、アルバックの 90 年代は、超材料研究所の独創
的製品開発力と、装置事業部の生産技術とのコラボレー
ションにより、ハードディスクや光磁気ディスクなど
のコンピューター周辺デバイス向け製造装置、あるい
は表示デバイスとしての液晶・プラズマディスプレイ
の製造装置が高い評価を受け、世界に市場を広げていっ
た。
アルバックは 1992 年の「SMD シリーズ」を皮切りに、コンピューター用表示デバイスである液晶、プラズマ、
有機 EL など、各種ディスプレイ向けの製造装置を次々に開発し、グローバル化を図ると共に、2000 年以降にさ
らに拡大する大型薄型テレビ市場を見据えて世界市場を制覇していった。写真は、1999 年、「第 4 回 Advanced
Display of the Year(ADY)」で「CVD シリーズ」がグランプリを受賞したときのもの。これらの受賞は超材料研
究所と装置事業部、営業との緊密な連携によりもたらされた。
海外の同業他社がアルバックを“眠れる熊”と評しましたが、
私たちはいつまでも眠っているわけにはいきません。
“眠れる熊”から、“挑戦するアルバック”へ、
市場の要求に敏感に反応する
アルバックへ変わる必要があります……。
中村 久三(第六代社長 1996 年社長就任あいさつより)
ハードディスクや光磁気ディスク用製造装置は、米
国をはじめ、欧米メーカーの生産拠点移転に伴い、シ
ンガポール、マレーシアなどの東南アジアの生産拠点
に波及して行き、フラットパネルディスプレイ(FPD)
用製造装置は日本国内メーカーから韓国や台湾の現地
メーカーへとグローバル化を実現していった。1990 年
代後半からは、これらメーカーの生産体制をサポート
するためのメンテナンス業務や材料供給サービスなど、
トータルなソリューションをアルバックグループが一
体となって展開していった。
これらの技術はいずれも 1970 年代後半から 80 年代
にかけて超材料研究所が地道に継続・蓄積してきた技
術であることも見逃すことができない。すなわち、時
代が要求する多彩な技術を地道に継続して育て上げ、
的確に、確実に対応した結果であろう。
LCD 用枚葉式成膜装置
「SMD シリーズ」「CMD シリーズ」誕生
当時の LCD 用成膜装置はトレイを使用したインラ
イン式が主流だった。ところが 1990 年秋、ある大
手メーカーから枚葉式装置の依頼が諏訪秀則(当時
第 5 事業部技術部長)宛てに舞い込んだ。諏訪は直
感的に TFT-LCD(薄膜トランジスタ液晶ディスプ
レイ)の時代になると装置は枚葉化に進むと判断し、
アルバックはそ
の要求に真っ先
に 手 を 上 げ た。
その後の「SMD
シリーズ」の快
進撃はここから
はじまったので
ある。
LCD 用枚葉式成膜装置「SMD-450」
1994 年(平成 6)9 月
マルチチャンバー成膜装置「CERAUS シリーズ」
本格的市場投入へ
「CERAUS シリーズ」の開発は 1991 年。当時、米
国の半導体装置メーカーは、
“プロセスインテグレー
ション”という 1 台の装置で連続的にいくつかの
成膜処理を実現する新しいコンセプトの装置を開発
した。CERAUS は、米国メーカーに対抗するため
に開発されたが、最初のシリーズは事実上の敗北に
終 わ っ た。 し
か し、1994 年
に改良を施し
た「CERAUS
Z-1000 / ZX1000」 は、 多
くの半導体メー
カーに導入され
独自の成膜技術“LTS 法”
を搭載した
た。
「CERAUS ZX-1000」
1997 年(平成 9)3 月
次世代ディスプレイ
有機 EL 用成膜装置のラインナップ化
液晶、プラズマに代わる次世代ディスプレイとし
て注目を集めている有機 EL は、アルバックでは
1993 年頃から開発を進めている。装置開発は新た
な市場を先取りして、
いち早くその装置を
投入した者のみが勝
利の美酒を味わう権
利をもつ。有機 EL 用
成膜装置についても
同様である。1997 年
に他社に先駆けて研
究開発用から量産用
までのラインナップ
有機 EL 用成膜装置「SATELLA」
を開発した。
11
ULVAC 60th 1952-2012
ULVAC 60th 1952-2012
そのような折、1992 年 4 月、千葉超材料研究所の中
村久三当時所長と太田賀文当時研究部部長が科学技術
庁長官賞を受賞するという明るいニュースがもたらさ
れた。受賞理由は、薄膜磁気記録媒体の製造技術と装
置の開発育成に関するもので、高密度記録可能な薄膜
型の磁気テープ、ハードディスクと光磁気ディスクの
材料、プロセス製造装置の実用化に多大な貢献が評価
されたからである。
1992 年(平成 4)
History
of
ULVAC
2001-2006
平成 13-18 年
中国をはじめとする東アジアに重点進出
史上最大のヒット製品の多大な波及効果
世界的規模で拡大する薄型テレビに貢献
1
アルバックは先端技術では一流でも
モノ作りは一流とはいえません。
もっとモノ作りに執念を持ち、自分で手を汚し、
自分で作らなければ
アルバックを語る歴史写真
安くて、真に良いモノはできません。
生産改革を進めてきましたが、
まだ道半ばだと思っています……。
諏訪 秀則(第七代社長 2006 年社長就任あいさつより)
12
2004 年(平成 16)4 月
波及効果
関係各部署の努力が実り
東京証券取引所第一部に上場
アルバックは、2004 年 4 月 20 日、悲願の上場を
果たした。上場当日は公募価格の 86.3%高の 4,100
円という超人気ぶりを示した。この超人気の最大の
要因は、さらなる市場拡大が期待される薄型テレビ
の製造装置メーカーであったからであろう。上場
までの道のりは単純
ではなかった。上場
のために社内体制の
整備にはじまり、幾
度かのチャンスを伺
いながら、担当各部
署による地道な努力
の結果、長年の夢が 上場を告げる鐘を叩く
中村久三当時社長
叶ったのである。
ULVAC 60th 1952-2012
2
250000
「SMD シリーズ」がもたらした
株式上場やグローバル化など……
21 世紀のはじめの年、2001 年(平成 13)7 月 1 日、
アルバックは日本真空技術から現在の「株式会社アル
バック」に社名を変更した。
ますます超大型化する FPD 製造装置は、大量受注で工
場内が満杯となるほどの壮観な様相を呈する。写真は
2007 年 10 月、茅ヶ崎本社工場の大型クリーニングルー
ムにて、出荷を待つ「SMD シリーズ」。これら超大型装
置が大量の薄型テレビ需要を支えていった。
■産業発展をサポートするアルバックの海外進出状況(中国、韓国、台湾)
沈陽
寧波アルバック
中国
中国現地法人 16 社
韓 国
2006・6
2003・6
2005・6
2002・6
2004・6
127、
472
2001・6
2000・6
1999・6
1998・6
1997・6
1996・6
1995・6
126、
129
109、
078
89、
603
95、
697
89、
69 7
1994・6
75、
623
1993・6
1992・6
1991・6
61 、
546
台湾現地法人 7 社
61 、
731
台 湾
73、
539
アルバック中国/アルバック商貿/
アルバック オートメーション上海
香港
85、
539
深圳
1990 年代に世界トップシェアを獲得したアルバック
の「SMD シリーズ」は、さらなる巨大マーケットの恩
恵を受け、アルバック史上最大のヒット製品となった。
そればかりか、この「SMD シリーズ」は、直接的にも、
間接的にも多大な波及効果をもたらした。
■連結売上高推移(単位:百万円)
108、
424
寧波
0
アルバックの売上高は
1990 年代の連結ベースで
は 800 億円から 1,000 億円の間で推移する中堅企
業であった。2000 年代に入り、不況期を除けばコ
ンスタントに 1,500 億円を計上するまでになった。
2006 年には、拡大を続ける FPD やエネルギー関
連の新しい成長分野が下支えとなって 2,000 億円を
突破した。まさに「SMD シリーズ」は当社事業を
牽引する役割を果たしたのである。
157、
851
上海
3
史上初、
連結売上高 2,000 億円突破
147、
431
蘇州
成都
アルバックのような装置メーカーは、ますます高度
な生産技術が求められ、生産拠点も日本国内はもちろ
んのこと、台湾、韓国、中国など東アジアを中心にグロー
バル化が進むことになった。また、東アジアは世界に
供給する生産拠点としての機能だけでなく、旺盛な消
費経済の拠点としても位置付けられるようになった。
2006 年(平成 18)6 月
50000 波及効果
196、
843
靖江
アルバック蘇州
韓国現地法人 6 社
「SMD シリーズ」は 1990 年代半ば頃から韓国の
FPD メーカーに採用されたことをきっかけにして、
200000
台湾、中国へと大きな広がりを見せた。また、FPD
用装置は質の高いカスタマーサポートが要求される
ことから、現地法人を設立し、客先至近体制を実現
150000
した。中国については、幅広い産業に貢献するため
に、多くの資本を集中して、現地法人グループを形
100000
成した。
212、
454
洛陽
アルバック中北
この頃より、従来のラップトップパソコン用のフラッ
トパネルディスプレイ(FPD)に加え、大型薄型テレ
ビが世界的なビッグマーケットへと広がっていった。一
方で、薄型テレビメーカーは、かつてないほどの厳し
いコスト競争にさらされた。その対応策として、各社
競い合うようにしてガラス基板サイズの大型化が進み、
1 辺が 2 メートル弱だったものが 3 メートルという物理
的限界寸法にまで長大化した。
中国、韓国、台湾等東アジアに
関係子会社次々に設立
ULVAC 60th 1952-2012
2004-2006 年(平成 16-18)
波及効果
13
2003
2007-2012
For The Future
of
ULVAC
平成 19-24 年 そして未来へ
アルバックの歴史を語り継ぐ意義とは
先人の英知を再認識し、
アルバックの未来へつなげよう
14
アルバックの FPD 関連事業は、1995年頃から2005年までの10年間
にも及ぶ長い間、
「 SMD シリーズ」が牽引役となって世界のトップ
メーカーとして成長してきた。しかし、事業に停滞は許されない。
アルバックは 2005 年頃より、次への成長戦略の目標として「ポスト
FPD 」を打ち出し、新規事業を模索していった。
その結果、①光学膜・化合物半導体・MEMS・高密度実装等のハ
イブリッドモジュール(デジタル家電)用装置、
②永久磁石・二次電池・
コンデンサー・パワー IC 等のエコカー関連装置、③すべての分野で
成長を続けている中国市場への参入、④カスタマーサービス事業の
充実と拡大、その他太陽電池関連事業など、環境・エネルギー分野
を意識した新規事業の方向性が示され、次々に実現化していった。
世界の経済構造の急激な変化もあって、前述の「ポスト FPD 」で打
ち出した新たな事業については、現在まで一部を除き大きな成果と
して実っていないのが現状である。しかし、アルバックの“夢事業創
出”へのシナリオづくりは、アルバックが今後もさらなる成長を続け
ていくための重要なテーマの一つである。
「新生アルバック」として再出発するために、その第一歩として
2012年(平成24年)4月より、創業以来初めてとなる900名弱の人員削
減、約160億円に及ぶ固定費の削減などの大規模な構造改革をスター
トした。これにより損益分岐点を2,000億円台から1,600億円へと引き
下げ、確実に黒字体質への転換を図りつつ、今後の中長期的な発展
を目指す。この改革を着実に進め、
「新生アルバック」に生まれ変わ
るためには、研究開発型企業アルバックが持つ本来の DNA を再認識
し、先人たちが築いてきた英知の結集ともいえる歴史的事実に学ぶ
ことも必要なのであろう。アルバックの永続的な未来を築くために
も……。
夢事業創出へのシナリオ
デジタル家電の高機能化に欠かせないのが、MEMS
技術によるセンサーなどの複合機能搭載の電子デバ
イスである。アルバックは
2003 年から、自社の成膜
装置やエッチング装置など
の多彩な微細加工装置を駆
使して MEMS のファウン
ドリーサービス(委託加工
サービス)を開始した。装 MEMS の微細加工技術で
置メーカーならではの独自 ウェーハ上に文字を表現
サービスを提供している。
2007
地球環境、地球人類の将来 を楽観的なものにするためには、
科学技術者は、時には国家 間の経済競争よりも
人類的な使命観を優先して とりあげることが必要であろう。
真空技術は本質的に、その ような傾向を持たなければ前に進まない。
歴史的事実は、
「物質とエネルギーの科学は “真空”とともに拓かれた」
「産業と科学技術は“真空” とともに発達した」のである。
21世紀以降の宇宙と素粒子 の時代、ハイブリッド人間、
単一量子計算機、超多重通 信、超伝導機械、
ナノ・ピコ材料、地球環境 制御、
惑星間巨大構造物の時代に も、
真空技術はまちがいなく続 いていくはずだ……。
林 主税
(『真空考』
(2011 年 1 月発行)より 「真空技術は今後も世界を動かしていく」から抜粋)白日社刊
3
年(平成 19) 月
ポスト
FPD
「薄膜太陽電池一貫製造ライン」
への取り組み
の開発
2007 年 3 月、台湾のメーカーから薄膜太陽電池一
貫製造ラインを受注した。アルバックは、1970 年
代後半に他社に先駆けて薄膜太陽電池の製造装置を
開発していたが、当時は電卓用の太陽電池だったが、
この一貫ライ
ンの基本技術は
FPD で 培 っ た
技術を発展させ
たもので、販売
実績としては満
足のいくもので
は な か っ た が、
ポ ス ト FPD に
ターンキーソリューションの一環
位置付けられる として開発した太陽電池製造ライン
事業であった。
2008
年(平成 20)
ポスト
FPD
世界最高グレードの「Magrise」、
への取り組み
世界初「薄膜リチウム二次電池
一貫量産技術」を開発
2008 年は研究開発型企業アルバックの特色を発
揮 し た 年 で あ っ た。 希 土 類 磁 石 の 大 量 生 産 装 置
「Magrise(マグライズ)」は、世界最高グレードに
達した画期的装置であ
る。また、「薄膜リチウ
ム二次電池の一貫量産
技術」は世界初の試み
であった。いずれも環
境・エネルギー分野に
貢 献 す る も の で あ り、
同時にポスト FPD 戦略
に応えたものであった。 レアメタル分野で注目を集める
「Magrise」
15
ULVAC 60th 1952-2012
ULVAC 60th 1952-2012
2000 年代の日本及び欧米先進国は、総じて緩やかな減速経済で推
移していたが、2008年9月に起こったリーマンショックから現在まで、
先行き不透明な状況が明確となっている。その一方で、中国を中心
とするいわゆる BRICs 諸国の台頭により、世界の産業及び経済構造
は欧米中心からこれらの国々へ転換しようとしている。
11
月
年(平成 15)
ポスト
FPD
多彩な微細加工装置を駆使して
への取り組み
MEMS ファウンドリーサービス開始
アルバック 60 年の出来事(1952-2012)
初代社長
第二代社長
第三代社長
第四代社長
第五代社長
第六代社長
第七代社長
第八代社長
石川 芳次郎
井街 仁
林 主税
高村 甚平
上野 朝生
中村 久三
諏訪 秀則
小日向 久治
(1952 年就任)
(1963 年就任)
(1971 年就任)
1952 年▶日本真空技術株式会社創立
1953 年▶遠藤製作所内に研究所設置
1955 年▶大森工場を新設、国産装置の製造に着手
1956 年▶株式会社東洋精機真空研究所を合併
1957 年▶国産 100kg 誘導加熱式真空溶解炉完成
▶社内報「真空タイムス」創刊(現在の「The
ULVAC」の前身)
1959 年▶横浜工場開設▶徳田製作所から大量移籍
▶科学技術庁補助金による真空溶解鋳造炉
の研究に成功
1960 年▶国産 1t 真空アーク溶解炉完成
1961 年▶ソ連向け真空溶解炉輸出を完了
1962 年▶真空冶金事業部発足
1963 年▶新商標「ULVAC」マークを制定▶北京
で開催の日本工業展に出品
1964 年▶ソ連へ大量輸出が決定
1966 年▶「超伝導マグネット用導線の製造」に関
し、新技術開発事業団から開発を受託
1967 年▶ライプチヒ国際見本市で低速電子回折装
置が金賞を受賞▶ヘリウムリークディテク
ター「DLMS シリーズ」を開発
1968 年▶茅ヶ崎本社工場を竣工
1969 年▶アルミ合金による軽量小型の油回転真空
ポンプ「XD」を開発
1970 年▶国内最大の大型可塑剤蒸留プラントを完
成▶高周波連続式スパッタリング装置を完
成▶大型連続真空焼結炉を完成
1971 年▶イオンプレーティング装置を開発
1972 年▶千葉超材料研究所を開設▶ 2,000kW の
プラズマビーム溶解炉を完成
1974 年▶透明導電膜を完成▶大型真空ろう付け炉
を完成
1975 年▶北米事務所を開設▶グループの商標を
「ULVAC」に統一▶米国 IBM から世界初全
自動真空蒸着装置の大量受注▶米国メーン
州ケネバンクに現地法人を設立
1978 年▶スパッタリング装置「MCH シリーズ」
を完成▶千葉超材料研究所が表面硬化処理
「タイゴールド」を開発
1979 年▶プラズマ CVD 装置を完成▶米国 IBM 社
(1986 年就任)
(1992 年就任)
(1996 年就任)
向け大型インラインスパッタリング装置
「システム 850」を完成
1980 年▶米国メーン州ケネバンクに新工場
1982 年▶大電流型イオン注入装置「IMH-1080」
を完成▶鹿児島県に新工場を開設
1983 年▶「JT-60」の真空排気システムを日本原
子力研究所に納入▶北京事務所を開設
1985 年▶青森県八戸市にグループ用地獲得
1987 年▶上海サービスセンターがオープン
1988 年▶スパッタリング装置「MLX-1000」を開
発▶インド連絡事務所を開設
1989 年▶低抵抗 ITO 透明導電膜用
「SDP シリーズ」
を開発▶ロールコーターによりカナダ中央
銀行が偽札防止新 50 ドル札を発行
1990 年▶富士裾野工場を開設
1991 年▶「CERAUS Z-2000」を開発
1992 年▶ TFT-LCD 用スパッタリング装置「SMD300L」を開発
1993 年▶シンガポール営業所を開設▶マレーシア
にペナンサービスセンターを開設▶ソウル
事務所を開設
1994 年▶量産型プラズマ CVD 装置「CMD-450」
を開発▶韓国・サムスン電子より LCD 用
真空装置を大型受注▶ヘリウムリークディ
テクター「HELIOT300」を開発
1995 年▶多結晶シリコンTFT-LCD「CMD-450Poly」
を開発▶中国広州事務所を開設▶韓国アル
バックを設立▶中国に寧波アルバックを設立
1997 年▶有機 EL 成膜装置「LUMINO」
「
、SOLCIET」
、
「SATELLA」を開発▶ FeRAM でラムトロ
ン社と共同開発で合意
1998 年▶高密度エッチング装置「NLD-8000/800」
を開発▶中国上海に CS センターを設立▶
米国 VLSI RESEARCH「1998 年度の顧客
満足度の優れた 10 社」に選定
1999 年▶カーボンナノチューブで世界初の CVD
技術を開発
2000 年▶中国にアルバック上海を設立
2001 年▶半導体技術研究所開設▶「株式会社アル
バック」に社名を改称
1952 年 11 月、日本生命日
比谷ビルに本社事務所を移す
設立時の本社
1952 年、日本生命田
村 町 ビ ル。 最 上 階 6
階の一室を借り受け
た
(2006 年就任)
(2012 年就任)
2002 年 ▶ ULVAC SINGAPORE を 設 立 ▶ MRAM
用超高真空スパッタ装置を開発▶ Cu 配線
技術を発表
2003 年▶「ECO-SHOCK」が環境対応優秀製品と
して各賞受賞▶アルバック成都を設立▶
MEMS ファウンドリーサービス開始
2004 年▶東京証券取引所第一部上場▶韓国に PS
Tech. 設立▶韓国アルバック精密設立▶中
国にアルバック啓電(現アルバックオート
メーション上海)を設立
2005 年 ▶ 中 国 に ア ル バ ッ ク 天 馬、 ア ル バ ッ ク
沈陽を設立▶イニシアムを子会社化▶
ロ シ ア に OOO ア ル バ ッ ク を 設 立 ▶ タ
イ に ULVAC THAILAND を 設 立 ▶ 台 湾
に ULVAC Taiwan Manufacturing、Ultra
Clean Precision Technologies を設立
2006 年▶中国にアルバック中国を設立▶台湾に
ULVAC AUTOMATION TAIWAN を 設 立
▶シグマテクノスの株式(70%)を取得
▶韓国に ULVAC Reseach Center KOREA
を設立▶台湾に ULVAC Reseach Center
TAIWAN を 設 立 ▶ マ レ ー シ ア に ULVAC
MALAYSIA を設立
2007 年▶台湾から太陽電池製造装置を受注▶千葉
富里工場新築開設▶インド支店を開設
2008 年▶世界最高グレード希土類永久磁石生産装
置「Magrise」を開発▶ 300mm ウェーハ
対応カーボンナノチューブ成膜装置を開発
▶「働きがいのある会社」のベスト 10 に
▶世界最高クラスの Low-k 材料の実用化開
発に成功▶世界初薄膜リチウム二次電池一
貫量産技術を開発
2010 年▶太陽光発電と EV 向け急速充電システム
を製品化▶粉体製造用微噴凍結乾燥装置を
開発▶日本初真空計の JCSS 校正事業者と
して登録
2011 年▶韓国に韓国超材料研究所を開設
2012 年▶「新生アルバック」を目指して構造改革
を実施
1968 年 5 月、茅ヶ崎本社工
場竣工
2009 年、茅ヶ崎本社
1957 年 3 月、東京
都中央区銀座 並木
ビル 3 階に本社を
移す
1955 年 4 月、開設した大森
工場と当時の社員
1959 年 4 月、大森工場から
横浜工場に移転
www.ulvac.co.jp
1997 年、茅ヶ崎本社
発行:株式会社アルバック 〒 253-8543 神奈川県茅ヶ崎市萩園 2500 TEL0467-89-2033 2012 年 8 月 23 日
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