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イギリス高等教育におけるチュートリアルの伝播と変容
竹腰, 千絵
京都大学大学院教育学研究科紀要 (2008), 54: 371-384
2008-03-31
http://hdl.handle.net/2433/57015
Right
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Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
京都大学大学院教育学研究科紀要 第 5
4
号 2
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8
イギ リス高等教育 におけるチ 三一 トリアルの伝播 と変容
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■
巨 は じめに
日本 の高等教育 が今 日抱 えている問題 の一つ に、教員文化 と学生文化 との帝離 が挙 げ られ る。
研究 中心 の教員文化 に対 して、学生文化 において は学習意欲 の欠如 がみ られ、大学 で何 を勉強 し
たいのかがわか らない学生が急増 しているo この現状 には、従来 の一斉授業では対応 で きな くな っ
て きてお り、教員集団 の教育力 であ るFBを高 め る 己とと同時 に、 それ相応 の教 育環境 が求 め ら
れて いる. この教育環境 と して大 いに参考 になると考 え られ るのが、 イギ リス高等教育 に見 られ
るチ ュ- トリアル (
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) とい う少人数教育 である.
伝統 的な教授形態 と して、今 日においで も重k じられてい る様 々なチュー トリアルが、時代 を
通 して どのよ うに形成 されて きたかを明 らか に し、 日本 の高等教育 が今 日抱 えて い る問題 に対 し
て示唆 を得 ることが、本論文 の 目的であ る。
チ ュ- トリアル とは、 チ ュ- タ- (
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) と学生 (
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)が 1対 1- 4の割合 で行われ る個
人指導の ことで、学生 が書 いて きたエ ッセイに対 し、チ ュー ターが批評 を行 い、その後 チューター
と学生 の間で議論 が行 われ る。
チ ュ- トリアルは1
3
世紀 のれ ソクスフォ- ド昏ケ ンブ リッジ両大学 1 (
以下、 オ ックス ・ブ リッ
ジ) で発生 した歴史 あ るもので あ る。 その内容 は、優等学位 の導入 な どのオ ックス ・ブ リッジ内
部 における制度改革 によって変容 し、 さ らに、オ ックス ・ブ リッジか ら他大学への伝播 によ って、
時代 ごとに大 きな変化 を遂 げて きた。学生 の興味 ・関心 を深 め、 その知 的 ・精神的成長 を促す、
イギ リス高等教育 を特徴づ ける教授形態であ る現在 のチ ュー トリアルは、 このよ うな歴史的な変
遷 を経 た結果生 まれた ものなのである。
チ ュー トリアルに関す る先行研究 につ いて はまず、安原が 「イギ リスの大学 にお ける学士学位
の構造 と内容 」
2において、 オ ックス フォ- ド大学 にお けるチ ュー トリアル とチ ュー ターの役割
や、 優 等学位 試 験 につ いて言 及 して い る. S
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Y3にお いて、優等学位 の導入 によ り実質 的 な教育が大学外 のプ ライベ ー ト ・チ ュー ター
によ って行 われ るよ うにな った ことな どを指摘 してい る。 オ ックス・ブ リッジ以外 の大学 が設立
され た際、 オ ックス ・ブ リッジのチ ュ- トリアルに対す る他大学 の考 え方 につ いて考察 した研究
として は、以下 の ものがあ る. Pe
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m 4において、
ロ ビンズ報告 やへイル報告 を参考 に しなが ら、 ロ ン ドン大学、市民大学、新大学 につ いて、 その
設 立 や理 念 につ いて考察 して い る。 ロ ン ドン大 学 につ いて は、 Al
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n5にお いて、 大学設 立 の背景 や、学外学位試験制度 な どにつ いて考察 して い るo また、
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において、 ロ ン ドン大学設立 当初 の事情 や、
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京都大学大学院教育学研究科紀要
第5
4号
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8
教 育 機 関 と して 再 編 成 さ れ て い く様 子 を 措 い て い る 。 市 民 大 学 に つ い て は 、 Jo
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s了にお いて、 その設 立 の 目的 や、 ス コ ッ トラ ン ドの大学 にお け る
講義 を模 倣 した ことな どにつ いて言 及 して い る。 Ar
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大学 が大学 憲章 を授与 され た ことで ロ ン ドン大 学 の カ リキ ュ ラムか ら解放 され た ことや、市 民大
学 の学 生 が チ ュ- トリアルの増加 を求 め た ことな どが述 べ られて い る。 また、 イ ギ リスの大 学 に
お け る教授 形態 につ いて は、政府 の諮 問機 関 な どによ り詳 細 な調査 が行 われ、 そ の報告 書 が 出 さ
れて お り、 チ ュ- トリアル とセ ミナ-の違 いな どにつ いて も述 べ られて い る. そ の中で、 チ 是トリアル とは、 学 生 主 体 〔
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一
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°) の教授 形 態 で あ り、 1- 4人 の学 生 に対 して行 わ
れ る ことが述 べ られ て い る.
このよ うに、先行研究 において はチ よ- トリアルが発生 した背景 や、れ ノクス 卓ブ リッジのチ ュー
トリアル9が他大 学 の設立 の際 に参 考 あ るい は比 較対 象 と され て いた こ とな どにつ いて の考 察 は
されて い るo Lか し特 にチ ュー トリアルの歴 史 的変遷 に焦 点 を当 て、 オ ックス 争ブ リッジにお け
るチ ュ- トリアル の変遷 だ けで な く、 オ ックス 卓ブ リッジか らそれ以外 の大学 へ チ ュ- トリアル
が どの よ うに伝播 したのか、 そ して その後 どの よ うに変容 して い ったのか につ いて の系統 立 て た
分 析 が不 十分 で あ った。 また、 チ ュ- トリアルを形成 す る要 素 につ いて も、 「学 生 主 体 」や 「少
人数教 育 」とい う形 態 的 な特徴 につ いて は先行研 究 にお いて指摘 され て い る もの の、機 能 的 な特
徴 にまで言及 され る ことは少 なか った。 それ はチ ュー トリアルが プ ライベ ー トな空 間 で行 われ る
教授形 態 で あ るため、 その 内部 を垣 間見 る ことは困難 で あ ったためで あ る。 しか しイ ンタ ビュー
調 査 や 自身 の経 験 な どか ら、機能 的 な特徴 こそが チ ュ- トリアル を形成 す る重要 な要素 で あ る と
考 え たため、本研究 で はそれ らの要素 につ いて も考察 す る。
そ こで本論 文 で は、 チ ュ- トリアルの伝 播 に注 目 し、 そ の変遷 過 程 につ いて歴 史 的 アプ ロ-チ
によ り明 らか にす るO まず、 オ ックス 噂ブ リッジにお け るチ ュ- トリアル の歴 史 的変遷 をみ る こ
とで、 チ 五一 日 ノアルを形成 ず る要 素 を導 き出すO そ して それ らの要素 の うち、 1
9
世紀以 降 に設
立 され たイギ リスの大学 に継 承 され た もの と、継承 され なか った もの、 さ らに は伝 播 の過 程 で変
0の大 学 を 「オ ックス ・ブ
容 した ものを明 らか に し、 その背景 を探 る。 なお本 論文 で はイギ リス1
リッジ」「ロ ン ドン大学 」「市民大学 」「
新大 学」 の 4つ の カ テ ゴ リ-に分 けて考察 す る11.
本 論文 の構 成 は以 下 の通 りで あ る0 第 2章 で は、 オ ックス
専
ブ リッジにお け るチ ュ- トリアル
の歴 史 的変遷 につ いて考察 す る0 第 3章 と第 4章 で は、 オ ックス ・ブ リッジの チ ュー トリアルが
イギ リスの他 大 学 に どの よ うに伝播 して い ったのか、 その形 態 を明 らか にす る。 特 に、 ス コ ッ ト
ラ ン ドの教授形 態 か ら大 きな影響 を受 けた ロ ン ドン大学 ・市民大学 にお け るチ 豊- トリアル と、
オ ックス 砂ブ リッジの教 授形 態 か ら大 きな影響 を受 けた新 大学 の チ 且- トリアル を比較 す るo そ
うす ることで、 オ ッタス
魯
ブ リッジの 予 見- トリアルか ら両者 が共 通 に受 け継 いだ要素 と、一 方
だ げが受 け継 いだ要素 を導 き出 し、 伝播変 容 の過程 を経 て も変 わ らず受 け継 が れ て きた要 素 につ
いて明 らか にす るe
言争者 ッタ謁 専プ リッ劉 =お 箸
きる欝 呈- 巨uアル助歴史 的変遷
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1
.カレ・
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iジにおけるチュ・
一夕ト
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ぬ授割
オ ックス 骨ブ リッジの主 な特 徴 と して挙 げ られ るの はカ レッジ制 で あ る. オ ックス
一一 3
7 2
日
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ブ リッジ
竹腰 :イギ リス高等教育におけるチュー トリアルの伝播 と変容
は、 中世 に主 にイギ リス国教会
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nd,以下、国教会) の聖職者養成機関 と
して誕生 し12、 1
9
世紀半 ば まで、 国教会牧師 の子弟 や、裕福 な家庭 の子弟 を対象 に教育 を行 って
いたO か ソタス さブ リッジには大学全体 と しての全学
(
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y)とい う組織 が あ ったが、 1
3
世紀 のカ レッジ創設以後、学生 とチ ュ- 夕-はカ レッジにおいて共 同生活 を し、学問研究 と教育
を行 うよ うにな り、 カ レッジ制が両大学 の基本的性格 とな ってい った0
このカ レッジ制 とともに、教員 と学生 の問 に学 問的 ・人格的 に緊密 な関係が築かれ る大 きな要
素 とな ったのが チ ュ- トリアルであ るO か ブタス
e
ブ リッジには伝統的 に、 カ レッジの フェロー
がチ ュ- タ-と しで学生 の学問的 。道徳的指導 を行 う習慣が、非公式 な形で存在 したO
優等学位試験 〔
次節参照) の導入 によ り、 1
9
世紀前半 には、 チ ュー ターの役割 が一度学 問的指
導 に傾 いた0 1
8
1
0
年代、 ス コッ トラ ン ドの大学人達 はオ ックス フォー ド大学批判 を し、 1
8
3
0
年代
-1
8
4
0
年代 に は、 オ ックス フォ- ド大学 の内部 か らオ ックス フォー ド運動 が起 こった. この運
動 で は、 カ レッジのチよ- チ-が学生 に対 す る道徳的 ・精神 的指導への関心 を欠 いている点が指
摘 され、 その結果、学問的指導 に偏 っていたチ ュ- タ-の、道徳 的 ・精神 的指導 とい う役割が見
直 され るよ うにな った13。 昌のよ うに、 チ ュ- 夕-には学生 の学 問的指導以外 に、道徳的指導 を
行 う 「道徳的 チ よ- 夕-」(
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雨o
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)と しての役割 もある. 今 日で も多 くの カ レッジにお
いて、 チ 孟- 夕-には、学 問的指導 と道徳 的指導 の役割が兼 ね備 え られて いる14.
2
2
.優等学位の尊兄によるプラJ
fペ- 巨eチューターの発生
1
8
世紀半 ばか ら1
9
世紀初頭 にか けて、 れ yクス 昏ブ リッジの学位試験 を公正で厳格 な ものに し、
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)が導入 され、優等学位試
学生 の学習意欲 を高 め るために、新 たに優等学位
験が設 け られ た。
優等学位 の導入 によ り、学生側か らは高水準 の教育が要求 され るよ うにな った。 しか し当時の、
チ ュ-夕-による、能力 の多様 な学生 に対 しての少人数教育 で は、高度 な専門性が求 め られ る優
等学位試験 に十分 に対応で きなか った。 そ こで1
8
3
0
年前後か ら現れ始めたのが、オ ックス ・ブ リッ
ジの大学外 で学生 に専門的 な教育 を行 うプ ライペ- ト・チ ューターであ った. このよ うに、優等
学位 の導入 によ り、主要 な教育が正規 の教育 の外 で行 われ るとい う特異 な事態が生 み出 されたの
であ るo このプ ライべ- 卜 昏 チ ュ- 夕-による個人指導 において は じめて、 チ ュー ター と学生 の
1対 iの、学 問を通 した人格的な接触が可能 とな った15.
2
3
eカテ皐ズ良的少人数教育からソタラテ晃的チュー トリ7ルへ
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世紀初頭 には、 チ 孟- 夕-の部屋 で カテキズム的 (
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)少人数教育 が行 われて い
たo そ こで はチ 孟- 夕-が学生 に、 テキス トの内容 を覚 えているか確認 す るための質問を したが
1
6
、学生 はチ ュ- 夕-に対 して質問を した り説明を求 めた りす る ことがで きなか った. カテキズ
ム的少人数教育 はテキス トの正確 な知識 を教 え込 むのに適 してお り、教授 と学習 の 自由を抑制 す
る意図が あ った17。 己のよ うに優等学位導入 当初 チ ュー ターが 目指 した.
ことは、学生 に一定量 の
知識 を習得 させ、で きるだ けよい成績 で優等学位試験 に合格 させ る ことであ り、議論 を通 して学
生 の理解 を深 めることで はなか ったの習あ る呈
8
。
1
8
7
0
年以降 カテキズム的少人数教育 は、 チュ- タ-の質問 に答 え ることによ り、学生 が深 く考
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京都大学大学院教育学研究科紀要
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0
0
8
え させ られ論理性 を鍛 え る ことが試 み られ る、 ソクラテス的 チ ュー トリアルへ と変容 して い く19。
この変容 の背景 に は、 1
8
5
0
年 前後 にお けるか ソクス ・ブ リッジへ の科学科 目の導入 が あ った。 こ
の導 入 は 「大学 が、 研 究 を教 育 と並 ぶ主要 な機能 と して受 け入 れ る」 ことを意 味 し、 「
今 まで真
理 で あ った ことに対 して疑 問 を投 げか け、探 究す る」 とい うことで あ る。 学生 や教員 には 「
新た
な知 識 の創造」 やイ 独 創 的思考」 が求 め られ るよ うにな った20。 そ して そのため には、 ソク ラテ
ス的 チ ュ- トリアルが必要 で あ った と考 え られ る. さ らな る背景 と して、 1
8
5
0
年代 -1
8
6
0
年代、
プ ライベ - 卜 昏 チ 還御 夕-に よ る 1対 lの個人指導 の形態 が、 オ ックス ㊨ブ リッジのチ ュー ター
によ って、正規 の教育 の中へ取 り込 まれ た とい う事実 が あ った210
この よ うに1
9
世紀後半 にはもチ t
3
.- 夕-が学生 に
1対 1で指導 をす るとい う形態が オ ックス 魯
ブ リッジの特徴 とな り、両大学 の教育 の根幹 とな って い った。 チ ェ- 夕- と学生 の間で は自由な
議論 が行 われ るが、 チ ュ- 夕-か ら出 され る質 問 は、 あ らか じめ答 えが決 め られた もの剖 まな い
。
チ ュ- 夕-は学生 を--つの答 え に導 くので はな く、学生 が ま ッセイにお いて出 した結論 の可能性
を議論 し、 よ り深 く考 え させ勺場合 によ って は修正 させ る ことを試 み るとい う22、 ソク ラテ ス的
問答 法 23を使 うよ うにな った。 学生 は自分 の理解 が不十分 な と ころをチ ュ- 夕- と議論 で きるよ
うにな り句 チ ュ- 夕- も学 生 の理解度 を よ り正 確 に把握 で きるよ うにな った24. 学生 の理解促進
には効果 的で なか ったカテキ ズム的問答法 は衰退 し、教授 内容 も決 ま ったテキス トか らテ-マ性
のあ る ものへ と移行 した。
以上、本章 で導 き出 したチ 豊- トリアルの機能 的 な特徴 を、先行研究 で挙 げ られて い る形 態的
な特徴 と合 わせて考 え ると、 チ ュ- トリアルを形成 す る重要 な要素 と して以下 の 4つ を挙 げ る こ
とがで きる。 す なわ ち句①少人数制、②学生 主体、③ ソクラテス的要素 が含 まれて い ること、④
チ ュ一 夕- に学 問 的指導 と道徳 的指導 が兼 ね備 え られて い る こと、 で あ る0 本論文 で は この 4っ
の要素 を もっ もの を、 チ エ- トリアルの原型 と捉 え ることと し、 こ うしたチ ュー トリアルの原型
が、 1
9
世紀以降 どのよ うにイギ リスの他大学 に伝播 し変容 して い ったのか、 その過程 につ いて次
章以 降で明 らか に して い くこととす る。
3.ロン 匪ン東学 車 市民東学へ葛夢 皇- 巨リアルの伝播 と変容
オ ックス 早ブ リッジで形成 され たチ 3
.- トリアルの原型 は、 1
9
世紀以 降他 の大学 へ と伝播 して
い くことにな るが、 その伝播形態 は、 ロ ン ドン大学 ・市民大学 への伝播 と、新大学へ の伝播 の大
き く 2つ に分 け られ るO 本章 で は ロ ン ドン大学
e
市民大学 へ の伝播 につ いて考察 す る.
3
1
.オッタス 占ブ リッジからロ ン ドン大学へ
3
日 . 臼ン ドン大学 の設立 と理念
1
4
世紀 か ら1
9
世紀初 頭 まで、 ス コ ッ トラ ン ドを除 いて、 オ ックス ・ブ リッジ以外 の大学 を設立
7
6
0
年代 か らの産業革命 によ り、 中産階級 が次第 に実
す る ことは王権 によ って禁圧 されて いた0 1
質 的 な支配 階層 とな って い った。彼 らは科学 。技術 を重視 したため、 オ ックス ・ブ リッジ以外 に
学位授与権 を持 っ機 関 を設立 しよ うとす る強 い動 きが出て きた25。
1
8
2
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年 、 ユ ニバ ー シテ ィ 甘カ レッ ジ 争ロ ン ドン (
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n)が世 俗 的 な
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竹腰 :イギ リス高等教育におけるチュー トリアルの伝播 と変容
機関 と して創設 された。 且ニバ ー シテ ィ 卓カ レッジ 申ロ ン ドンの設立当初 の 目的 は、① オ ックス ・
ブ リッジに受 け入 れ られな い学生 に高等教育 を提供 す る こと、② オ ックス ・ブ リッジで軽視 され
て い る科 目を提供 す る ことで あ った26。 ① につ いて は当時、 オ ックス フォー ド大学 において は非
国教 徒 の入学 が認 め られてお らず、 ケ ンブ リッジ大学 において も学位試験 の際、国教会へ の誓 い
が義務 づ け られて いたか らで あ る2
7
。② につ いて は当時、 オ ックス ・ブ リッジで学 べ る科 目の幅
が挟 か ったか らであ る。 ま ニバ ー シテ ィ 毒カ レッジ ・ロ ン ドンは、科 目の幅広 さ、講義 中心 の教
授形態、通学制、宗教審査 の廃止 な ど、 ス コ ッ トラ ン ドの大学 か らその特徴 の多 くを取 り入 れ た
2
8
0
1
8
2
9
年、世俗 的 な教育機 関で あ るユニバ - シテ ィ ・カ レッジ ・ロ ン ドンに対抗 して、国教会 が
Ki
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n)が創設 され た0 両 カ
後 ろ盾 とな りキ ンダス 卓 カ レッジ 卓ロ ン ドン (
レッジは類似 したカ リキ ュラムを もっ ことにな ったため、両者 を統合 す る協議が行 われ、 1
8
3
6
年、
Uni
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o
n)が誕生 した.
教 育 と学位授与 を行 う iつ の大学 と して ロ ン ドン大学 (
しか し全学 は実質的 には独立 した試験機 関で あ った。学位試験 は、両 カ レッジの学生 だ けで な く、
政府 が認可 した ロ ン ドン大学 の提携 カ レッジで学 んだ学生 も受 け る ことがで き29、 それ らの学生
には学外学位
(
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)が授与 され たO
3
ト 2
.教育機 関 と しての新生 【
コン ドン大学 へ
全学 は教育 を行 わなか った し、教育機関で あるカ レッジと緊密 なっ なが りを求 め ることもなか っ
た30。 これ に対 して、 ロ ン ドン大学 が よ り進 ん だ教育 を促進 し、独創 的 な研究 のための機 関 とな
るべ きで あ る とい う声 が カ レッジ内部 か ら高 ま った31。
1
8
9
8
年、 ロ ン ドン大学法 の制定 によ り、大学 は教育機 関 と して大 き く再編成 されて い った。全
学 的 な組織 と しての大学 は、 その組織 の中心 を成 す学部 や委員会 を通 して、 カ レッジの コースの
内容 や学 問 的 な質 を監督 す るよ うにな った32。 つ ま り、 教育組織 で あ るカ レッジと学位授与 の た
めの試験機関 で あ る全学 との問 に実質 的 な結 びっ さがで きたのであ る
0
3
一
半3
.ロ ン ドン大学 への苧 皇- トリアルの伝播
1
8
9
8
年 の大学 の再編成 は、学生数 や教授形態 な どにか な り大 きな影響 を与 え た。学生 には講義
への 出席 が義務 づ け られ るよ うにな った。 同年、文学部 が現代語 を拡充す るにあた り ドイ ツ語科
が創設 され、 その際 セ ミナ-が導入 された34.
この よ うに ロ ン ドン大学 が教育機関 と して再編成 されてい く中で、 チ ュー トリアル も着実 に導
9
2
8
年 に出版 され たユニバ - シテ ィ ・カ レッジ ・ロ ン ドンの カ レンダーには、
入 されて い った. 1
「
1
9
0
8
年 頃 には、 カ レッジの教 育 の大部分 が講義 に よ って行 わ れて いた。 しか し1
9
2
8
年 頃 にな る
と徐 々に、講義 が教育 の一部 を担 う一方 で、 セ ミナーや議論 や チ ュー トリアルな どが、講義 を構
う重要 な もの と して、 そ して さ らには置 き換 わ る もの と して発展 して きた」 とい う記述 が あ る35。
こう したチ ュー トリアル導入 の流 れをキ ングス
・
カ レッジのカ レンダーか ら調 べてみ ると、確 か
9
2
0
年 に入 ってか ら顕著 にチュー トリアルや セ ミナーな どの少人数教育 が導入
にこの期 問、特 に1
されて い る ことがわか る (
裏 目 O また、 チ ェ- トリアル は文学部、 医学部 へ は早 い段 階 か ら導
入 されてお り、 工学部 への導入が一番遅 い ことが分か る。 これ はチ ュー トリアルが、講義 によ っ
-
3
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第5
4号
2
0
0
8
て知識 を詰 め込 み、演 習 によ って実践 を行 うとい う実学 系 の学 問 よ りも、考 え を深 めて い く学 問
や、 人 との接 触 を職業 の中心 的 な もの とす る学 問 に適 した教授形態 だか らで あ る。 また、実学系
の学 問で は、 お金 と時間のかか るチ ュ- トリアル とい う教授形態 に十分 な費用対効果 が望 めなか っ
た 己とも、工 学部 へ のチ ュ- トリアルの伝播 の時期 が遅 か った理 由で あ ると考 え られ る.
衰 1。 キ ングス .カ レッジ さロ ン ドンにお けるチ ュー トリアルの導入状況
(
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7 1
9
2
8
学科/年度
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教育
中世/
近代史
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心理心理
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夜間)
ローマ法
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マ/わ げ法
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学
部
医
有機化学/
生理学/生化学/
組織学
薬学/
実験薬学
治療学
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教会学
宗教哲学
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出所 :キ ング ス 申カ レ ッ ジの カ レ ンダ -1
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8
2
9
を もとに筆者作成o
注)神学部 は全学生 に、 ヨ-ス等 につ いて助言 をす るチュ- タ-がっ く。
この よ うにも ロ ン ドン大学 へ の チ ュ- トリアルの伝播 は、 ロ ン ドン大学 が学 位授与機関 か ら教
育機 関へ と再編成 され る中で起 こった出来事 で あ ったo このためチ ュ- トリアル は一 斉 に導入 さ
一
一一
3 76
・
一一
竹腰 :イギ リス高等教育におけるチュー トリアルの伝播 と変容
れたわ けで はな く、教員 によって はカテキ ズム的少人数教育 を維持 した り、 セ ミナーを用 いた り
と、少人数教育 に対す る教員 の考え方 が反映 されてお り、 ば らつ きがみ られ るとい う特徴 があ る。
3
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jジか ら肯撮大学へ
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.市民東学の設立 と聾急
呈
7
6
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年代 か らイギ リス各地 で産業革命が起 昌り、人 々は都市 に集 中す るよ うにな った. そのた
め特 に人 口が膨 れ上 が った都市部 において、教育 の需要 が高 ま った。 また、 1
8
6
7
年 に開催 され た
パ リ万博 で、 イギ リスの科学技術が ヨ- ロ ッパ大陸の他 国 に遅れを とっていることが決定的な も
の とな った3
6
。 この よ うに、技術 的 な訓練 を受 けた人材養成 の需要 の高 ま りによ り、都市 に市民
大学 37 〔
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)の母体 とな った カ レッジ38 (
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が急速 に現 れ始 め
た9 これ らの カ レッジは設立 当初、学位授与権 を持 たなか ったため、 ロ ン ドン大学 の シラバ スに
従 って授業 を行 い、学生 には提携校 であるロ ン ドン大学 の学外学位取得 を 目指 させ た。 これ らの
カ レッジは ロ ン ドン大学 と同様 に、 ス ヨッ トラン ドの大学 に倣 い、講義 を主要 な教授形態 と し、
学部
◎
学科制、通学制 を採 った390
3
2
2
。市民東学代田チ 且- 巨E
jア飽鼻伝播
1
8
9
8
年 に ロ ン ドン大学 が教育機関 と して再編成 された後、各 カ レッジには相次 いで大学憲章 が
授与 され、市民大学 とな ってい ったo市民大学 は、大学憲章 の授与 によ り初 めて独 白のカ リキ ュ
ラムを組 む ことが可能 とな ったO これ に伴 って教授形態 に も大 きな変化 が見 られ るよ うにな り、
こうした流 れの中で チ豊- トリアル は導入 されて い った. その背景 には、 オ ックス ・ブ リッジか
ら市民大学へ の教員 の移動 によ り、講義 を補 うもの と して チュー トリアルが採 り入 れ られてい っ
た とい うことがあ ったo ここで は代表的な市民大学 の 1つ と して シェフイール ド大学 の例 を取 り
上 げる。同大学 は1
9
0
5
年 に大学憲章を授与 されたが、直後の1
9
0
6
年か ら1
9
1
6
年 までの1
0
年間にチュー
トリアルが盛 ん に導入 されてい った ことが分か る (
衰
2)。 またその導入 は医学部、科学部 で早
く、文学部 に も徐 々に導入 され、 ロ ン ドン大学 と同様 に工学部への導入が一番遅か った。 これ は
ロ ン ドン大学 と同様 に、市民大学 においで もチュ- トリアル とい う教授形態が、講義 と演習が主
な教授形態で あ る工学 とい う学問 になかなか馴染 まなか ったか らで あると考え られ る。 チ ュー ト
リアルの導入 時期 は滝 ロ ン ドン大学 よ りも市民大学 の方 が早 い. これ は、教育機関 と して再編 さ
れた ことで全学 とカ レッジが徐 々に歩 み寄 り、 チ 且- トリアルを緩 やか に導入 した とい うロン ド
ン大学 に対 して、市民大学 では大学憲章が授与 され、学位授与 権 を持っ教育機関 にな った ことで、
独 自性が早 くか ら確立 され、比較的柔軟 な教授形態 を採 ることがで きたか らだ と考 え られ る。
蓑 2早 シェフイ-ル ド大学 におけるチ ュー トリアルの導入状況
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京都大学大学院教育学研究科紀要
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第5
4号
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物理
解剖
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化学
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応
工学
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機械/電気工学
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出所 :シ ェ フ イー ル ド大 学 の カ レ ンダ ー1
9
0
6
07-1
91
5
1
6を もとに筆者作成。
その後 チ 孟- ト リ アル の増加 を求 め る声 が、 大 蔵大 臣 の諮 問機 関 で あ るUGC (
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) や学生 か ら大 きか ったが、結局財政的 な事情 によ り学生 の満足 のい く量 の
チ ュ- トリアルが行 われ ることはなか った。
一方 で、 チ ュ- 夕-の果 た していた役割 につ いてであ るが、市民大学 のチ ューターは学 問的指
導 に終始 してお り、 れ ノタス
9
ブ リッジのよ うにチ ュ一 夕-が 「学問的指導 +道徳 的指導」 を行
うとい う概念 がない。 また遺徳 的指導 を行 うための 「
道徳的 チ ュ- 夕-」 を別 に設 けるとい うこ
とも して いない。
以上 のよ うに、 チ ュ- トリアルの伝播 その もの は、 ロ ン ドン大学 で も市民大学 で も、試験機関
か ら教育機関への再編 もしくは大学憲章 の授与 とい った、外 的要因 によ って教授形態 の見直 しや
カ リキ 且ラムの再編成 の必要性 に迫 られた ことが直接 の契機 とな っていた ことが分 か る. しか し
両大学 は、 ともに元来 ス コ ッ トラン ドの大学 を模倣 し、講義 を中心的な教授形態 と してお り、 ま
た実学系 の学 問 に重点 を置 いていたため、費用 と時間のかか るチ ュ- トリアル とい う教授形態 に
十分 な費用対効果が望 めず、 さ らに比較 的歴史が浅 く十分 な財政基盤 を持 たない両大学 において
はチ ュー トリアルを実施す る財政 的余裕が なか った。 このよ うな現実的 な理 由によ り4
0
、学生 か
らのチュー トリアル増加 の要望 の高 ま りやUGCか らの圧力が あ ったに も関 わ らず、つ いにチ ュー
トリアルは これ らの大学 にお ける中心 的な教授形態 とはな りえなか ったので あ った。
また、 ロ ン ドン大学 や市民大学 において はチ ュ- トリアルが導入 された ものの、 チ ュー ターの
役割 は学問的指導 に限定 され るものであ った。 その理 由 と して は、通学制 を採用 して いる両大学
で は、学生 の大学での滞在時間が短 いため、 チ ュー ターが道徳 的指導 を行 うことは難 しい ことが
挙 げ られ る。 これ らの ことか ら、 オ ックス
昏
ブ リッジで形成 されたチ ュ- トリアルの原型 は、 ロ
ン ドン大学 ・市民大学 への伝播 において、 カ レッジ制 を採 らず通学制 を採 った とい う学校制度上
の違 い、 および財政的理 由によ って、量的 に も機能 的 に も限定 され た形 に変容 した とい うことが
で きる。
そ こで次章 で は、 これ ら両大学 とは異 な り、 オ ックス 。ブ リッジのチ ュ- トリアルをよ り忠実
に受容 し、教授形態 の中心 に位置づ けた新大学 におけるチ ュ- トリアルの伝播過程 に焦点 を当て
考察 す る。
7
8-
- 3
竹腰 .
'イギ リス高等教育におけるチュー トリアルの伝播 と変容
4.新大学へのチ ・
ユ- トリアルの伝播 と変容
4
月.者 ッタス 専 プ uッジか ら新大学へ -新東学の設立 と理念 1
9
6
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年代 -1
9
7
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年代 にか けて、①現代 の科学 ・技術 の進歩 に遅れを とらない新 しいカ リキュラ
ムと教育方法 の実験 を行 い、②予想 され る大学進学者 の増加 に対応す るために設立 された一連の
大学 を新大学41 (
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)とい う。
新大学 の特徴 は、①設立 当初か ら政府 によ り財源が提供 され学位授与権 を有 していた こと、②
柔軟で幅広 いカ リキ 孟ラムを提供 す るスクール制 を採用 した こと、③学 内における共同生活 の教
育的意義 を高 く評価 しカ レッジ制が採 られた 己と、である42. 中で もスクール制 とカ レッジ制 は、
当時 ロン ドン大学や市民大学 において問題 とな っていた学科主義 と教員 ・学生間の接触 の乏 Lさ
に対 して、新大学が行 った新 しい試みであ った。
スク-ル制 を採周 した新大学 は、幅広 いカ リキ 呈ラムを提供 した一方 で カ レッジ制 を受 け入れ
なか ったため、 カ レッジのチュ-夕可 こよる 「
学問的指導 +道徳的指導」を行 うことがで きなか っ
た。 しか し学問的 チュ- 夕-とは別 に道徳的チ 且-タ-を設定 し、 オ ックス ・ブ リッジのチュ一
夕-の機能 を分化 させ ることで対応 している.
一方 でカ レッジ制 を採用 した新大学 は、学科主義的にな ってい ったが、 その弊害 を減少 させ る
ための工夫が されてい る430 1年次 には関連科 目を選択で きる幅広 い コースが用意 され、 2, 3
年次 には主専攻 と副専攻 を様 々な組み合 わせ によって学ぶ ことがで きるのであ る。
このよ うに新大学 は、 ロ ン ドン大学 。市民大学 の実践 に対 して新 しい挑戦 を行 ったが、 スクー
ル制 を採 った新大学 もカ レッジ制 を採 った新大学 も、 ロン ドン大学 ・市民大学 の特徴 を取 り入れ
ざるをえなか った と考 え られ るo Lか しその際 カ レッジ制 を採 った新大学 においては学科主義 に
陥 らないよ うな工夫が されてお りt
l一方で、 スク-ル制 を採 った新大学で は、 カ レッジ制 を採 ら
ない ことによる弊害 を減 らす努力がなされているo
4
2
.新大学へのチ J
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- 巨jアルの伝播
新大学設立 当時 イギ リスで は、学生 の増加 によ り教員が学生 に十分 なサポー トがで きな くな っ
て きたことや、大学 の授業への準備がで きない学生 の増加が注 目され始 めていたo これ らの問題
に対 し、新大学で は設立 当時か らカ レッジ制 を採用 し教員 と学生 の接触機会 を増や した り、 ロ ン
ドン大学 卓市民大学 の、講義 中心 の教授形態 を見直 し、 チュー トリアルな どの少人数教育が重ん
じられた440
オ ックス 。ブ リッジにおいてチ ュ-夕-が学生 に対 して行 って きた 「
学問的指導 +道徳 的指導
」は、新大学 においで も採 り入 れ られた.新大学 では、教員 と学生 の接触機会 を増 やす努力が
4
5
な され、 「
道徳 的 手 芸- 夕-」 の概念 が広 く導入 されてお り、大半 の教員が道徳的 チ ュー ターに
なることが要求 され奨励 されている。 とい うの も、 この教員 と学生 のより親密 な触れ合 いによ り、
教員 は学生 を個人的に知 ることがで き、学生 も学問的 ・精神的に困難 に陥 った場合、そのメ ッセー
ジを教員 に対 して早期 に出ず ことがで きるか らで ある。道徳的チ ュー ターは学生 の学業 の進捗状
況 に対 して も責任 を もっ とい うのが一般的である4
6
。 ただ、道徳的チ ューターが学問的指導 を ど
の くらい併せ持っか、 その程度が大学 によって異 な っている。
-
3 79
-
京都大学大学院教育学研究科紀要
第5
4号
2
00
8
本章 で は新大学 へ のチ ュー トリアルの伝播過程 につ いて明 らか に した.新大学へ の伝播 の特徴
は、大学設立 当初 か ら竜政府 の奨励 によ って チ 孟- トリアルが主要 な教授形態 と して導入 され た
ことで あ る47。 また、新大学 は国立大学 と して設立 され たため、財政面 にお いて比較 的 ゆ と りが
あ った ことも、 チ ュ- トリ アルの維持 ・普及 を促進 した一因であ ると考 え られ る。
さ らに注 目すべ き点 は、新大学 で は、学 問的指導 に加 え、 チ ュ- 夕-の遺徳 的指導 とい う側面
が積極的 に取 り入れ られ た ことであ るo チ 是-夕-の道徳的指導 とい う側面 は、 スクール制 を採 っ
た新 大学 にお いて も、 カ レッジ制 を採 った新大学 において も重視 された。 カ レッジ制 (+学科制)
を採 った新大学 にお いで は、 チ ェ- 夕-の役割 と して、学 問的指導 と道徳 的指導 が兼 ね備 え られ
にお いて ほ、学問的指導 を行 うチ ュて い る。 一方 で スク-ル制 (+寄宿舎制) を採 った新大学・
タ可 こは道徳 的指導 とい う役割 が兼 ね備 え られて いな いo Lか しそれ とは別 に道徳 的 チ ュ- 夕を設 けることで、学生 の道徳的指導 とい う面 を補 って い る。 つ ま り、 ロ ン ドン大学
阜
市民大学 と、
新大学 が異 な って い る点 は、新大学 で はカ レ′
ッジ制 を採 らな ければ抜 け落 ちて しま うチ ェ- 夕の道徳 的指導 とい う側面 を、 チ ュ- 夕-の機能 を分化 させ る ことで維持 して い るのに対 して、 ロ
ン ドン大学 卓市民大学 で は、学生 の規模 が大 きい こと もあ り、学 問的指導 だ けを行 うとい うス タ
9
6
0
年代 の社会的背景 を考慮 して設立 され た新大学 と、
イル に変容 して い ることで ある。 ここに、 1
1
9
世紀 か ら存在 し、体質 の変化 に時間 のかか るロ ン ドン大学 ・市民大学 との違 いがみ られ る 新
。
大学 へ のチ ュ- トリアルの伝播 が オ ッタス 昏ブ リッジのス タイルを比較 的継承 した ものであ った
理 由 は、(
∋新大学 の約半数 で カ レッジ制 が採 られ たため、② カ レッジ制 を採 らなか った新大学 に
おいて も、 チ ュ- 夕-の役割 を分化 して道徳 的指導 を行 ったためで あ ると考 え られ る.
58 おわ 隻
封岩
本論文で は、 チ孟- トリアルの伝播 に注 目 し歴史 的 アプロ-チによる分析 を行 った。オ ックス ・
ブ リッジにお けるチ 且- 卜リアルの歴史 的変遷 を概観 す る 昌とで、 チ ュ- トリアルを形成 す る要
9
世紀 以降 に設立 され たイギ リスの他大学 に継承 された も
素 を導 き出 し、 それ らの要素 の うち、 1
の と、継承 されなか った もの、 さ らには伝播 の過程 で変容 した ものを明 らか に し、その背景 を探 っ
た。
第 2章 で は、 オ ックス 串ブ リッジにおいて、現在 の チ ュ- トリアルの原型 が作 られ た1
9
世紀 ま
での歴史 的変 遷 を概観 した。 その変遷 の過程 か ら、 チ ュ- トリアルを形成 す る要素 と して、③ ソ
ク ラテス要素 が含 まれ ること、④ チ ュ-夕-に学 問的指導 と道徳 的指導が兼 ね備 え られて いる こ
と、 とい う機能 的 な特徴 を導 き出 したo これ らを、先行研究 で述 べ られてい る、①学生主体、②
少人数教育 とい う形態的 な特徴 と合 わせて、 チ ュ- トリアルを形成 す る要素 と定毒づ けた。
9
世紀以降
第 3章 と第 4葦 で は、 オ ックス 卓ブ リッジで形作 られ たチ 且- トリアルの原型 が、 1
どの よ うに して イギ リスの他大学 に伝播 し変容 したのか明 らか に し、第 1章 と第 2葦 で定義 した
チ 還- トリアルを形成 す る要素 が他大学 に継承 されて い るか、 あ るいは変容 して い るか につ いて
明 らか に した。
第 3章 で は、 オ ックス 魯ブ リッジか らロ ン ドン大学
いて考察 した。 ロ ン ドン大学
。
。
市民大学 へ のチ ュー トリアルの伝播 につ
市民大学 は、大学設立 の際 にはチ ュ- トリアルを導入 しなか った
が、 その後、外 的要因 によ り必要 に迫 られ導入 した ことが分 か った。 しか し、 チ ュ- トリアル は
-3
8
0-
竹腰 e
.イギ リス高等教育 にお け るチ ュー トリアルの伝 播 と変容
中心 的 な教授形 態 とな りえ なか った こと も明 らか とな った.
第 4章 で は、 オ ックス
◎
ブ リッジか ら新 大学 へ のチ ュ- トリアル の伝播 につ いて考察 した.節
大学 へ の伝播 の特徴 は、 チ ュー トリアルが設立 当初 か ら主要 な教授形態 と して導入 され た ことで
あ ったo さ らに新大学 で は、 チ ュ- 夕-の機能 を分化 させ るな ど して、道徳 的指導 とい う側面 が
積極 的 に導入 されて い る ことが明 らか とな った0
第
2章 で導 き出 した、 チ ュ- 巨リアルを形成 す る 4つ の要素 の うち、伝播 の際 に、 ロ ン ドン大
学 。市民大学 と新大学 の両者 に受 け継 がれ た もの と、一方 にだ け受 け継 がれ た ものが あ った。①
学生主体 につ いて は、両者 と もにオ ックス ⑳ブ リッジの チュー トリアルを継承 して いると言 え る.
しか し、②少人 数教育 に関 して は、新 大学 の文系 の ス クールで は比較 的受 け継 がれて い るが、 そ
れ以外 で はオ ッタス 専ブ リッジにお け るチ ュ- トリアルよ りも多人数 の学生 に対 して行 われて い
るO また、④ チ ュ- 夕-が学 問的指導 と道徳 的指導 を兼 ね備 えて い るとい う要素 は、 ロ ン ドン大
学 e市民大学 で は継承 されてお らず、 チ よ- タ-は学 問的指導 のみ を行 って い る. 一方 で新大学
で は、 カ レッジ制 を採 った新大学 で は両指導 が兼 ね備 え られて い る ことが多 く、 カ レッジ制 を採
らなか った新 大学 にお いて も、 チ 且- 夕-の機能 を分 化 させ る ことで両指導 を行 って い るo つ ま
り、新大学 の一部 へ はオ ックス 専ブ リ ッジの チ ュ- トリアルが伝播 し、 さ らに変容 して い ると考
え られ るo なお、③ ソク ラテス的要素 につ いて は、新大学 の一部 で は継承 されて い ることが明 ら
か とな ったが、 それ以外 の大学 につ いて は明 らか にす ることがで きなか ったため、教員 と学生 へ
の イ ンタ ピュ-調査 や、 チ ュ- 夕-へ配布 され るマニ ュアルな どに着 冒 し理解 を深 め ることを、
今後 の研究課題 と した い。
これ ら 4つ の うち、伝播過程 を経 て も変 わ らず受 け継 がれて きたチ ュー トリアルの要素 は、①
学生主体 で あ る といえ るo Lか しこれが チ よ- トリアルの本質的 な要素 であ るとい うためには さ
らな る考察 が必要 で あ り鴇 これ につ いて も今後探究 して い きたい.
冒頭 で述 べ た現在 日本 の高等教育 が抱 え る問題 は、 イギ リスにお ける新大学設立 当時の社会 的
文脈 に類 似 して い る。 当時、 イギ リスで は授 業 へ の準備 がで きない学生 が急増 してお り、 その背
景 には、学生数 の急増 と、教員 か ら学生 へ のサ ポー トの不十分 さが あ った. このよ うな状況 は、
今 日の 日本 の高 等教育 に も見 られ、学 生 の求 めて い る ものに、教員 が十分 に対応 で きていないの
が現状 であ る。 イギ リスで は、学生 が個人 的 な問題 を抱 えた り、精神 的 に困難 な状況 に陥 った場
合、学生主体 のチ ュ- トリアル にお いて学 問 的指導 を行 って い く中で、 そ こに内在 す る道徳的指
導 が学生 へ の サ ボ- トにつ なが って い るo この点 か ら、現在 の 日本 の高等教育 が得 られ る示唆 は
大 きい と考 え るO この道徳 的指 導 とい う側面 につ いて も、今後具体 的 な実践例 とと もに明 らか に
して い きたい。
註
1 大学憲章 は、オ ックスフォ- ド大学 に1
2
世紀、 ケ ンブ リッジ大学 に1
3
世紀 に授与 された.
2 安原義仁
「イギ リスの大学 における学士学位 の構造 と内容」 日本高等教育学会編 『高等教育研究』第
8
集、 2
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か し先行研究 においで も、 またオ ックス 。ブ リッジ以外 の大学 で もこの教授形態 をチ ュー トリア
ル と呼ぶ ことが圧倒 的に多 いため、奉論文 で はチ ュ- トリアル と して扱 う。
1
0 本論文で はイ ングラン ドを指す。
11
この分類 の仕方 は、先行研究 において多 く用 い られてい る。
1
2安原義仁 「
近代 オ ックスフォー ド大学 の教育 と文化」橋本伸也他者 『ェ リ- ト教育』 ミネル ヴァ書房、
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5 角川一彦 『
十九世紀 オ ックス フォ- ド』上智大学、 1
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6 「カテキズム」 (
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氏へのメ-ルによ る質問への回答 よ り.
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3 チ ュ一夕-はソクラテス的問答法 を駆使
し、学生 に専門分野 を よ り深 く考 え学 ばせ る指導 を行 って き
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民 へ行 ったイ ンタ ビューよ り)
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ソクラテス的問答法 とは、鋭 い質問 によ って議論 してい る柏手 を 自己矛盾 に陥 らせ、相手 に自分 の無
知 を 自覚 させ ることによ り、真理 の探究 に導 くことで あ る。 つ ま り、対話 によ って相手 の不確実
な知識 か ら真正 な概念が生 まれ るのを助 けることをい う。 (
広辞苑)
ソクラテスは、 問答者 と弟子 が 1対 1で、 2- 3人 の傍観者 が議論 に加 わろ うと待 ち構 えて い る状況
で、 直接議論 を行 うことを前提 と しているo (
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ソクラテスは問題 の基本 に戻 って、弟子 に遠 まわ しに質 問を し答 え させ ることで、彼 らの混乱 や矛盾
を導 き出 したが、現代 において もチ ュ-タ-たちが 目指 しているのはそれである. 彼 らは、 チュー
トリアル とい う教授法 は古代 の伝統的 なギ リシアの教育 に基礎 をおいて お り、 ソクラテス的問答
法 の よ うに、学生 とチュー ター との対話 の中で学 んで い くのが一番であ ると考 えてい るo チ ュー
ターは、学生 に質問 をす ることで、学生 の考 え方 が そ もそ も出発点か ら間違 って いた ことに気づ
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氏へ行 ったイ ンタ ビュ-よ り)
かせ、学生 を行 き詰 らせ るのであるo (
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5 成 田克矢
「イギ リスの大学改革」大学改革研究全編 『
世界 の大学改革』亜紀書房、 1
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竹 腰 :イ ギ リス高等教 育 にお け るチ ュー トリアルの伝播 と変容
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ス トル大学 (
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0第 2期の市民大学 につ いては以下 の通 り. レデ ィング大学 (
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)、 サ ウサ ンプ トン大学 (
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)、 イ-ス ト・ア ング リア大学 (
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)、 エセ ックス大学
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)、 ランカスター大学 (
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)、 ケ ン ト大学 (
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45 学生の学業 とその進歩過程 を見守 る学問的指導 と、個人的な問題 を抱えた場合の道徳的指導 の両方 を
行 うことを指す。
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(
比較教育政策学講座
博士後期課程 1
回生)
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月1
2日)
(
受稿 2
-3
8
3-
Transition and Transformation of Tutorials In British
Higher Education
TAKEKOSHI Chie
Tutorials are one of the core teaching methods in British higher education and are a
student-centered small group learning practice. It greatly differs from passive learning.
Why did the tutorial system spread to other British universities? What are the unique
elements of tutorials? This paper focuses on the transition and transformation of
tutorials in British higher education, and attempts to find the inherited and unchanged
elements of tutorials during the diffusion from Oxbridge to other universities. The first
conclusion is that the unique elements of tutorials are (1) student-centered, (2) small
group, (3) pastoral and academic care, and (4) Socratic method. The second conclusion
is that, through diffusion, all universities which introduced tutorials inherited the first
element. Concerning the second element, the size of groups is slightly bigger at London
University and the Civic Universities. Of the third element, London University and the
Civic lJniversities did not inherit both the pastoral and academic care, just the academic
aspect of tutorials. However, the New Universities, which tried to introduce the
"Oxbridge tutorial" inherited the third element, retaining the pastoral care as well as the
academic care, dividing the two on occasion. As regards the fourth element, further
research including interviews with tutors and students will be required for deeper
consideration.
- 384-
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