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12章(PDF形式 1.35MB)
第 12 章 印旛沼とその流域の生物・生態
印旛沼流域は、その豊かな自然環境とともに数万年の昔から人々の暮らしがあり、気候
や地形の変化をともなう長い時の流れのなかにおいても、人の生活・生業は途絶えること
なく今日まで続いてきました。この印旛沼流域での人々の営みの連続性は、その類い希な
自然の豊かさを基に、それを壊すことなく更なる豊かさを育んだ歴史と文化がありました。
まさに人と自然、さらにそこに創出された文化とが一体となって、互いに調和・共存する
持続可能な里山の生態系が創出されました。
1 印旛沼・流域の自然特性と景相区分
日本列島のほぼ中央、太平洋に突き出た房総半島の付け根にあって、印旛沼は、日本中
部の山岳地帯を水源とする利根川の最下流域に位置しています。沼とその周辺は中世まで
は「香取海」とよばれる内湾の一部でした。現在も印旛沼は長門川及び利根川を経由して
太平洋とつながり、また花見川経由で東京湾ともつながっています(第 1 章)。
沼の水面積は、現在 11.55km2 、流域面積は 541km2 で、その標高の最高地点は鹿島川源
流の千葉市昭和の森の約 95m です。その水源は、鹿島川ほか高崎川や神崎川など、下総台
地の各地に端を発する小河川が担っており、流域河川は、台地を樹枝状に刻む浅く細長い
谷、すなわち谷津を流下して印旛沼に注いでいます(第 9 章)。
房総半島は沖で暖流の黒潮と寒流の親潮がぶつかり、その影響で陸海域ともに南北の動
植物が出合う地域となっています。このため、半島北部の印旛沼周辺域は、中国南部に端
を発する常緑広葉樹林(照葉樹林)帯のほぼ北限域であり、同時に東北日本に中心をもつ
落葉広葉樹林(夏緑樹林)もみられ、両方の植生とそれに依存する動植物も多く見られま
す 1)。一方、銚子沖では暖流の黒潮と寒流の親潮がぶつかり南北の海洋生物が出合ってい
ます。印旛沼では、春に利根川を通じて南太平洋からウナギ、また秋から冬にかけては北
の海からのサケの遡上もみられます。さらに沼とその周辺の低湿地は鳥類にとっての格好
の生息地であり、特に越冬地や旅鳥の中継地としても重要な地域です。このように陸海と
もに北から南からまた大陸からと各地の動植物が集う印旛沼およびその周辺域はまさに生
物多様性の宝庫であり、急速な都市化によって変化している流域状況にあっても、その自
然の豊かさは極めて高いものがあります。
印旛沼流域の自然環境は地域の人々の生活・生業と深くかかわってきました。台地から
谷津、沼、さらに海に至る領域をもつこの流域の土地利用は森林や田畑、川沼、集落と多
様ですが、その面積割合(2008 年度)は山林が 25%、畑 21%、水田 16%であり 2)、極め
てバランスの取れた状態になっています。これは多様性の高い自然環境が豊かな生産基盤
をもたらしているものであり、印旛沼流域の人々の生活・生業にとっての安定性と持続性
のポテンシャルを示しています。
このような各地の人と自然、そして文化との一体的かかわりは「景相
3)
」とよばれ、人
間の営みを中心に据える多様な環境(土地利用)のモザイク構造とその空間的、機能的ま
とまりは「景相単位」 4)として認識されます。
81
2 印旛沼・流域の景相
水源域から沼に及ぶ印旛沼とその流域の景相は大きく 3 つ(台地里山の景相、谷津里山
の景相、里沼の景相)に区分されます。
(1) 台地里山の景相
下総台地の地質基盤は、数十万~数万年前の古東京湾の海底に堆積した厚さ 150~250m
に及ぶ厚い砂質堆積物と薄い泥質堆積物とから成る堆積サイクルの下総層群とその上の厚
さ 3~6m に及ぶ火山灰起源の関東ローム層によって構成されています 5)。印旛沼流域では
下総層群と関東ローム層との間に常総粘土層とよばれる不透水層があり、この不透水層と
透水層との水平構造は地下水の保持とともに豊富な湧き水の元でもあります。また関東ロ
ーム層の上の台地地表面は、数万年前からの植生とのかかわりで形成された黒ボク土が覆
っています(第 9 章)。
印旛沼周辺の台地では、旧石器時代から人々の生活の跡が確認され、その後の縄文時代、
弥生時代さらに古代、中世にかけては多くの集落が形成されました。現在、発掘される集落
の遺構のほとんどは印旛沼や谷津低地を見下ろす台地縁辺部に分布(第 3 章)しています 6) 。
台地上の潜在的な自然植生は、社寺林などにみられるスダジイやシラカシ等の常緑広葉
樹林(照葉樹林)が優占すると推察されます 7)。しかし台地の現存植生は、コナラやクヌギ
の落葉広葉樹の雑木林やスギ、ヒノキの人工林、またモウソウチクやマダケの竹林が多く
見られます。雑木林は、人々が薪や炭、堆肥用の落ち葉採取等のために管理されてきた二
次林です。また台地上には、かつて木材や薪・炭の供給のためにアカマツ林も多く仕立て
られていましたが、人為管理の衰退や松枯れによって今ではきわめて少なくなっています。
江戸時代、下総台地には、牧とよばれる馬の放牧地が広がっていました(第 10 章)。そ
こは宙水による泉も多く、広い草地とともに水場も存在していました。この牧の姿はあり
ませんが、現在、部分的にみられるススキ、チガヤ、シバの優占する草地がそれを彷彿さ
せ、そこにはオミナエシ、ワレモコウ、また希少種となったオキナグサやノジトラオ、フ
ジバカマなどの草本植物も生育しています
8)
。草原や明るい林分では多くのバッタ類やチ
ョウ類などの昆虫の他、トカゲやアオダイショウなどの両生爬虫類、そして草地的な環境
にはタヌキ、ノウサギやアズマモグラ、ハタネズミなどの哺乳類もみられます。さらにヒ
バリやムクドリ、キジ、ヒヨドリ、オオタカ等の鳥類も生息しています。かつては、草地
にはキツネまたマツ林にはニホンリスの生息が見られましたが、都市化や農林地の管理放
棄などによって激減しています。その一方で、最近では外来種のハクビシンやアライグマ
の生息が拡大しています 9)。
水の得にくい台地に集落が形成され、畑作が本格化したのは明治時代以降です。平坦な
土地条件を活かし、根菜、蔬菜に豆類の畑作、さらにナシやブドウ等の果樹園も広がり、
現在は日本有数の大きな畑作地帯となっています。ただし昭和 30 年以降は、宅地や工場等
の都市開発が著しく、住宅団地や工業団地の面積が急増しました。このような台地におけ
る都市開発、また農業の近代化は、飲料水・生活用水をはじめ農業用水また工場用水等を
多量に利用する一方、住宅・工業地域からの排水の増加、また農薬や化学肥料を多用する
農地からの流出水は水源を破壊・汚染し、河川の水質悪化をもたらしました。当然この状
況は印旛沼の水環境にとって大きな負荷となっています。
82
(2) 谷津里山の景相
台地に降り注ぐ雨水は、関東ローム層や砂質の堆積層によって地下水を涵養するととも
に常総粘土層等の難透水層の存在により、谷津奥の湧水や斜面の根だれとなって印旛沼の
水源を形成しています(第 9 章)。この豊かな湧水は稲作をはじめ人々の生活用水として重
要でした(写真 12-1)。豊かな水環境と特有な地形や土壌条件とも相まって谷津には、人々
の生活の糧とともにきわめて多様な動植物の生息・生育がもたらされました
写真 12-1
10)
。
印旛沼上流の谷津田。中央には水路と水田を兼ねた「帯田」が残されている
谷津の斜面には現在も多様な森林が残されています。北向き斜面はコナラ、イヌシデ、
クヌギ等の落葉樹が優占し、南向きではスダジイやシラカシ等の常緑樹が多くみられます。
林床の植生も異なり、カタクリやイチリンソウ等の冷温帯要素の春植物は北向き斜面にみ
られます 11)。斜面林の多くもかつての農用林であり、薪や炭の燃料が供給され、落葉は堆
肥として畑作、稲作を支えていました。しかし、その管理利用の衰退により、台地と同じ
ように農用林の遷移が進み、常緑化した林分も多く、それにともなって春植物等の冷温帯
要素の植物は姿を消しつつあります。谷津頭はスギ林、また人家周りの斜面地等では竹林
がつくられ、地形を安定させるとともにその木材やタケノコ等は重要な恵みでした。
谷津の低地部は、元来はヨシやヤナギ類の繁茂する湿原またはハンノキの優占する林地
でしたが、弥生時代以降は水田すなわち谷津田として利用されるようになりました。谷津
田は、泥深さや低水温、また陽当たり不足の問題はあるにしろ、安定した水と肥えた土壌
条件はこの上ない稲作条件を備えています。
谷津田とその周辺域は自然本来の条件を巧みに利用した形状、すなわち田や畦のほか用
水路やため池等があり、さらに土手や谷津斜面、台地へと変化しその微地形と水環境の多
83
様性を高めていました。またその多様な環境のセットは多くの野生生物の生息・生育環境
を担っていました
12)
。
谷津田の浅く安定した水条件は冬期でも温水効果を発揮し、周りの森林からの腐植やさ
まざまな有機物を得て、バクテリアや植物プランクトンなどを多量に発生させます。そし
てそれを捕食するミジンコ等の動物プランクトンの発生は、メダカやドジョウの魚類、水
生昆虫を増やし、これはさらに食物連鎖によってアカガエルやトウキョウダルマガエル、
ヤマガカシ等の両生爬虫類、さらにはイタチやタヌキ、またサギ類やサシバ等の猛禽類の
生息を可能にしています。
房総半島ではコウノトリがしばしば飛来し越冬しますが、1953 年には日本の太平洋岸で
の最後のトキの記録もあり、鴇(トキ)にちなんだ地名や人名も多く見受けられます
13), 14)
。
トキは水田でタニシやドジョウを捕り、雑木林で子育てするいわば里山の鳥であり、かつ
ての谷津田と周辺の森林のセットは、トキにとって豊かな餌場と安全な塒をもたらす生息
環境であったと考えられます。
谷津田は、米の生産の場として人が創出した環境ですが、これは同時に多様な野生動植
物を育み、それは水田の副産物として人々の生活にとっては大きな食料源でもありました。
今でも冬期に水を張ってカモ狩りの場として利用されているところもみられます。このよ
うに谷津田とその周辺は生物多様性の宝庫ですが、戦後の近代的な農業・農法によって大
きく変貌しました。圃場整備等でコンクリート化や乾田化が進み生物多様性が大きく損な
われています 15)。また農業の近代化のかたわらで最近は放棄田も増加し、産廃やゴミの投
棄地になっている所も多く(第 11 章)、生物相の衰退とともに、水環境にとっても有害物
質の地下水汚染が懸念される事態になってきました。
(3) 里沼の景相
かつて印旛沼の沼岸には湿地が広がっていました。このような陸域から水域への移行帯
は、水陸両方の環境が重なり合い、豊かな生物多様性を育んできました。印旛沼の沼岸に
はヨシやマコモ、ヒメガマのほか、サンカクイやカンガレイ、ウキヤガラなども多く、か
つては鹿島川流域の湿地でカキツバタやサギソウも生育していたと伝えられています
16)
。
最近までは、印旛沼流域がその発見の地とされるサクラオグルマの自生もみられました。
また沼周辺の湿地には北方系の湿生植物を代表するミツガシワの生育もみられます。
湿原は多くの水鳥の生息環境でもありました。現在でも北印旛沼のヨシ原には、日本最
大の繁殖地として知られるサンカノゴイをはじめオオセッカやコジュリンなど貴重な水鳥
が生息しています
17)
。
沼岸での人々の居住は、主に江戸時代の新田開発の頃からです 18)。水田化は古代から進
められていましたが、治水対策によって半農半漁の村々が沼岸に成立しました。戦後の食
料事情や水需要の増大を受けて実施された印旛沼の干拓を含む「印旛沼開発事業(第 8 章
2 )」は、治水・防災のための沼岸整備等とともに沼岸本来の姿を大きく変えました。
ナガエツルノゲイトウは南米原産の水生から陸生の帰化植物ですが、印旛沼の岸辺に急
速に広がっています(第 6 章)(写真 12-2 左)。これは現在、東南アジアにも分布を拡大
し各地で強害雑草の様相を呈しているもので、印旛沼周辺でも最近では流域河川にも侵入
しています 19)。沼岸に多いその他の帰化植物としてアレチウリやセイタカアワダチソウが
あげられ人工護岸の法面などに繁茂する状況がみられます。
84
動物においてもウシガエルやカミツキガメ、また貝類のタイワンシシジミ等の外来生物
が急増しています。北米原産の特定外来種カミツキガメ(写真 12-2 右)は印旛沼流域で
の繁殖が確認され、年間約 500 頭前後の個体が捕獲されていますが,なかなか減る状況に
はありません 20)。カメ類だけでも印旛沼流域でそのほかにミシシッピーアカミミガメやキ
バラガメなど 4 種類の外来・移入種の生息が確認され、これらはイシガメのような在来の
カメをはじめ多くの水辺動植物の生息・生育を脅かす状況が懸念されています
21)
。
写真 12-2 左:強害雑草ナガエツルノゲイトウ、右:北アメリカ原産外来種カミツキガメ
印旛沼及び周辺域の豊かな水と肥沃な土壌条件は、湿地・低地を水田に、また干拓によ
って水域までも水田に変えていきました。水面積はかつての半分以下になった印旛沼です
が、流域の都市化や農業の近代化によって汚濁、富栄養化の負荷は増し、水質悪化が急速
に進行しました(第 13 章)。このような沼の縮小や富栄養化は印旛沼の生物相及び生態系
を大きく変化させました。
かつて印旛沼では「モク採り」とよばれる、沼の沈水植物を採集して田畑の肥料にする
作業(第 6 章)がおこなわれていました。これは昭和 20 年代まで実施されていたもので、
コウガイモやホサキノフサモ、マツモなど年間 4~6 万トンの沈水植物が収集利用されてい
ました。このような「モク採り」は上から下に流れて行く栄養塩類を元の陸域へもどす作
用であり、その行為は自立的な物質循環を担いつつ印旛沼の水質保全にも大きく貢献して
いました
22)
。
印旛沼の水生植物は 50 種以上が記録されています。干拓前の 1947 年には 46 種の生育が
みられ、前記のモク採りの種をはじめササバモやガシャモク、タヌキモ等の沈水植物、ヒ
シ、アサザ、ガガブタ、サンショウモなどの浮葉植物、また沼岸を中心にヨシ、マコモ、
ヒメガマのほかコウホネなどの抽水植物も生育していました。しかし、干拓や水質の悪化、
水辺環境の人工化等により、今では沈水植物はほぼ姿を消し、また浮葉植物もオニビシや
野生化したハスなどに限られています(表 12-1)。
85
表 12-1
種 名
湿
地
性
抽
水
性
浮
葉
性
沈
水
性
1 オモダカ
2 アギナシ
3 コナギ
4 サンカクイ
5 カンガレイ
6 ウキヤガラ
7 フトイ
8 ヒメホタルイ
9 ミズアオイ
11 ヒレタゴボウ
12 キクモ
13 ミズワラビ
14 デンジソウ
15 ガマ
16 イシミカワ
17 ミゾソバ
18 カサスゲ
19 ヨシ
20 セイコノヨシ
21 マコモ
22 ヒメガマ
23 コウホネ
24 ミクリ
25 ナガエツルノゲイトウ※
26 アシカキ
27 オオフサモ
種 計 25
28 ウキクサ
29 アオウキクサ
30 サンショウモ
31 アサザ
32 ガガブタ
33 ヒシ
34 オニビシ
35 ヒメビシ
36 トウビシ
37 ホテイアオイ
38 ハス(野生化)
39 トチカガミ
40 ヒシモドキ
41 ヒルムシロ
種 計 12
42 タヌキモ
43 エビモ
44 ササバモ
45 ガシャモク
46 インバモ
47 ホザキノフサモ
48 フサモ
49 タチモ
50 ヒロハノエビモ
51 イトモ
52 リュウノヒゲモ
53 ヤナギモ
54 センニンモ
55 マツモ
56 ミズオオバコ
57 クロモ
58 コカナダモ
59 オオカナダモ
60 ハゴロモモ
61 セキショウモ
62 コウガイモ
63 イバラモ
64 トリゲモ
65 ホツスモ
66 シャジクモ属
67 フラスコモ属
種 計 24
種 合計 61
COD(mg/l)
※
※
※
※
※
※
※
※
※
※
出典:
貴
重
種
外
来
種
印旛沼の湿性・水生植物の変化
西 沼
干拓前
干 拓 後
H2 H3 H4 H6 H8 H10 H11 H13 H17 H18 H19 H21 H23 S39 S50
64 72 75 77 82 84 86 88 89 90 91 92 94 96 98 99 01 05 06 07 09 11 64 75
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干拓前
S22 S29 S39 S47 S50 S52 S57 S59 S61 S63 H元
47
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VU
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29
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8.4
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8 8 4
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3 3 4 4
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EN
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5 5 5 14 10
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・ ○ ○
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3
5
9
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3
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8 4 4 3 7 4 6 2 3 2 2 2 2 2 1 0 1 0 0 19 17
15 11 10 9 14 11 16 10 12 12 15 13 13 11 9 9 9 10 10 42 36
7.3 12 13 10 8.7 - 9.2 - 8.4 11 11 10 12 10 8.1 8.6 10.7 8.6 11 - 4.9
●
・
◎
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15
32
5.0
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5 5
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1.7以下
・ ○ ・
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◎ ● ● ● ◎ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
6
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1以下
1以下
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2~4
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1以下
2~5
2~3
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2~5
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1以下
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8 9 8 6 4 4 2 2 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0
21 16 16 16 11 15 11 9 7 11 8 8 8 8 7 8 11 11
8.6 8.9 7.7 8.3 - 7.7 - 9.6 13 9.5 12 11 9 9.8 9.2 11 9.8 12
種名の着色は植生の変化を示す。
過去出現・現在非出現
過去非出現・現在出現
過去も現在も出現
記号は植被面積の程度を表す。
■特に広い ●非常に広い ◎広い ○少ない ・ごくわずか ?調査不確実
湿地性は主な種だけを示す。
干拓後の調査範囲は沼内の水域のみで、沼外の水路等は含まない。
調査時期 昭和22~平成10年:7~10月 平成11~13年:6~9月
ナガエツルノゲイトウは、陸上でも発芽繁殖する。正しくは、水生植物とはいえず、湿性植物あるいは両生植物に分類されるが、
抽水植物帯沖側で優占することが多いので、ここでは取り上げる事にする。
平成13年のオニビシについては、9月水質調査時の船上目視確認。
VU:絶滅危惧II類 CR:絶滅危惧IA類 EN:絶滅危惧IB類
貴重種の扱いランク
外来種の扱いランク
特:特定外来生物 要:要注意外来生物 いずれも外来生物法(H17年施行)による
植物群落調査の結果を示す。
:笠井貞夫、印旛沼の水草の変遷、千葉県の自然誌 本編5 千葉県の植物2 -植生- をもとに一部加筆して作成
S22~H13
H18
:H17 10月、H18 8月に実施した調査結果を合わせた結果(出典は下記の通り)
・河川環境整備委託(植生調査)報告書、平成18年1月、千葉県印旛地域整備センター・株式会社セルコ(H17 10月調査)
・河川環境整備委託(植生調査)報告書、平成18年9月、千葉県印旛地域整備センター・株式会社セルコ(H18 8月調査)
H17,H19~H21 ・印旛沼白書(財団法人印旛沼環境基金の調査結果に基づき作成)
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○
5 4
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4
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1~2
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1以下
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● ● ● ◎ ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ○ ● ● ●
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21
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CR
要
要
要
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特
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要
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○ ○ ○ ○ ○
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
◎ ○ ○ ○ ○
VU
VU
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ・ ・ ・ ・ ○
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ○
VU
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
・
・ ・
? ? ? ○ ○ ○ ● ● ■ ● ● ● ● ◎ ◎ ◎ ○ ● ○ ● ○
VU
・ ・ ・ ・ ・
・ ○ ・
○
要
・
CR
北 沼
生育
干 拓 後
H2 H3 H4 H6 H8 H10 H11 H13 H17 H18 H19 H21 H23 水深
77 82 84 86 88 89 90 91 92 94 96 98 99 01 05 06 07 09 11 (m)
○
S52 S57 S59 S61 S63 H元
このような状況に対し、水生植物の保護・増殖のための調査研究や復活のための具体的
対策もおこなわれるようになりました。底土の撒きだし実験では、一旦は印旛沼から姿を
消したセンニンモやヒロハノエビモ、インバモ、コウガイモ、シャジクモなど 32 種の水生
植物が再生しました
23)
。
水生植物は、隠れ家や餌、産卵場など動物の生息にとっても重要です。現在、印旛沼で
生息する魚類は 36 種、ただしその三分の一の 12 種はオオクチバスやブルーギルなどの外
来種、またゲンゴロウブナやハスなどの移入種です。また、かつてはムサシトミヨ、ゼニ
タナゴが生息し、さらには海から遡上するスズキもみられました
24)
。魚類のほか、最近発
見された印旛沼が北限のミナミヌマエビやテナガエビ、スジエビなどの甲殻類、また貝類
のドブガイ、最近まではカラスガイも生息していました
25)
。これらの魚類やエビ類は漁
業資源として重要なものも多く含まれます。
明治 32 年印旛沼の漁船は 1,776 隻と言う記録が残されています。漁獲物としてはコイ、ウ
ナギ、ナマズ、ドジョウ、フナ、ボラ、エビ、ハゼなどがあげられており、その漁獲量は明
治 42 年には 57,168 貫(約 214 トン)に及びます 26) 。また、昭和の印旛沼開発事業以前の昭
和 30 年代にはフナ、コイ、ウナギなどの漁獲は年間 1,400 トンに達しており、最近でも年間
700 トンの漁獲がありました22)。これは単位面積当たりに換算すると約 61 トン/年/km2 であ
り(図 12-1)、東京湾その他の里海海域と比較しても極めて大きなものです 27), 28) 。
図 12-1
日本と世界の里海・里沼域での単位面積当たりの漁獲量
印旛沼とその周辺域は、東アジアの野鳥にとっては大きな意味を持っています。冬鳥の
カモ類やシギ、チドリなどの多くの旅鳥の飛来地であり、越冬地として重要です。カワウ
やオオバン等の留鳥、またチュウヒをはじめとする猛禽類も多くみられます。干拓や水辺
87
環境の変化、また水質の悪化等によってその数は減少しましたが、ここ 20 年間に記録され
た鳥類は全体で約 190 種を数えています。このうちカイツブリやカワウなどの留鳥は全体
の約 20%であり、飛来、越冬するカモ類等の冬鳥は全体の約 38%、また春、秋に立ち寄る
シギ・チドリ類やショウドウツバメなどの旅鳥は約 33%です17)。前記のサンカノゴイやオ
オセッカ等の希少種の生息も含め、印旛沼は現在も野鳥の宝庫であるとともに東アジアの
鳥類にとって重要な生息環境であることに変わりはありません。
3 自立・循環の生態系
印旛沼流域の生態系は、台地の水源から谷津田そして沼、またこの水環境は利根川や花
見川を通じて東京湾や太平洋ともつながっています。この流域自然の多様性と連続性は野
生動植物の多様性を育むとともに人々にとっての大きな資源をもたらしました(図 12-2)。
図 12-2
印旛沼及び周辺域での自然環境及び生物相の変化 2 )
かつて多くの人家では家禽や馬などの家畜が飼われていました。そして家の周りには食
糧生産のために高度に人為制御された畑や水田がつくられました。そしてこの畑や水田の
周辺ではそこでの生産活動を支える低度な人為制御の土地として池沼・河川をはじめ草
地・林地が配置されました。さらにその外には、森林や海など人為的には無制御な空間が
広がっていました(図 12-3)。
88
図 12-3
かつての印旛沼流域の人家を取り巻く土地利用と資源の利用 12)
この人家を中心とした多様な土地活用とともに多様な資源が獲得される仕組みがありま
した。田畑での栽培作物から木材・竹や薪、また川沼の魚貝類など人がそのまま食料や燃
料、生活道具の素材等に利用する直接資源、また落ち葉や水草(モク)のように一旦田畑
の肥料として他の場所を経由して利用活用される間接資源、さらに人間や家畜の糞尿・廃
物については、自然にもどされ再利用される資源、いわば還元資源でした(第 10 章)。こ
のようにかつての人々の暮らしは、多種多様な自然の恵みを人家や集落を中心として無駄
なく効率的に利用しつつ生態系にとっても健全かつ持続可能な物質循環のシステムを創出
していました
29)
。
常に人為管理され自然の営みをコントロールされる田畑のような高度制御地では、米や
作物とともに、野草や魚貝等の副産物も採集されていました。特に水田では、稲のない時
期は水田漁労もなされ、また冬期はカモ場として利用されました。
一方、低度制御地は、適度に人為が加えられますが、土地本来の生物相を基本として活
かされる二次的自然の空間です。この陸域環境としては草地や林地、また水域環境として
は池沼・河川等が存在します。草地は茅場や秣場として、また林地からは薪・炭や木材、
山菜、落ち葉等様々な直接及び間接資源が得られました。そして池沼・河川からは、飲料
水や農業用水の水資源確保の他、多様な魚貝類等の食料や医薬、そして肥料材料等も得ら
れました。さらにここは人為による治水・治山や防風、防潮等の防災措置が施され、自然
災害を軽減するための緩衝地帯としても重要な役割を果たしていました。
森林や海、さらにかつての印旛沼のような大きな内水面は人為的に無制御な土地空間で
あり、人々にとっては時に自然災害の発生源である一方で、様々な自然資源の供給源でも
ありました。また人為の及ばないこの空間は人々が畏れ敬う「畏敬」の場であり、またそ
の自然は信仰の対象としても大きな存在でした。里山のなかに祀られている鎮守森や水源
89
の森は、いわば里山の中に存在する奥山あるいは深山であり、たとえ人家や集落に接して
いても大海原の大灘と同じように心理的には隔たりのある空間と言えます
30)
。
集落を中心とする高度制御地から低度制御地、そして無制御地のセットは、かつての日
本の村一つの領域とかさなります。印旛沼周辺の里山空間には、奥山としての原生的な自
然環境も含み、そこは信仰の対象であり、また流域水源を担う土地としても重要でした。
このような里山里海の空間と人々の暮らしのユニット「景相単位」として、そのゾーニン
グおよびモザイク的構造とこれによってもたらされる資源の供給、さらに人の廃棄物も領
域内で循環させエネルギーを自立させる状況をつくり出しました29) 。この景相単位は、村
社会の人々の助け合う仕組みや文化・信仰とも大きくかかわり、その社会的安定性は、人・
自然・文化が一体となって調和・共存するサスティナブルな生態系の前提でありました 31) 。
里山里海(里山・里沼・里川・里海)で伝えられてきた技術や道具、また制度や生活様
式、それらすべてが長い自然とのかかわりのなかで洗練・淘汰され選ばれてきたものにほ
かなりません。したがって、そこにはきわめて高い合理性が備えられており、人々が生き
ていくための健全な生態系の保持においても、守り学んでいかなければならないものです。
4 印旛沼・流域の生態系の課題と対応
印旛沼の干拓と治水のための人工護岸化や水門の設置、また流域の都市化にともなう森
林の減少及び都市排水の増加や雨水地下浸透の減少、さらには農薬や化学肥料の多用は印
旛沼及び流域河川の水質汚染を招きました。最近では、谷津奥の水源域のゴミや産廃の投
棄・埋立も多くみられます。このような水源の破壊・汚染については、直接的に認識でき
ない場合も多く、地下水等を通じて将来の流域環境およびその生態系への悪影響が懸念さ
れます。水源の破壊とそこでの汚染物質の投機に関しては厳重な監視とともに水源となる
土地や谷津田の保全・復元についての至急の対応が必要です。
都市排水の下水処理施設などの人為的水浄化システムの充実も重要な課題ですが、各家
庭や各事業所でからの排水制限や自主的な汚濁防止の取り組みが求められます。また、農
業についても、近代的な農薬や化学肥料を多用する農業、またコンクリート水路や乾田化
をともなう圃場整備等は、経済効率からしても多くの課題が指摘されています。
自然破壊と環境汚染、さらに都市化と温暖化傾向は外来種・移入種を増加させています。
これに対しては即応的対策の他、基盤となる法的措置の強化が必要です。現場措置におい
ては、自然破壊の監視から環境汚染の実態調査、外来生物の駆除をはじめこれに駆逐され
絶滅の危機に瀕する在来種の保護・増殖とともにその生息・生育環境の保全・復元の対策
も重要になっています。
印旛沼の干拓地の水田の冬期湛水試験では、コハクチョウの越冬をはじめとする生物多
様性の増加はもとより、水質浄化や有機米の生産も可能なことが確認されました 32)。この
ような結果をふまえ,今後は有機農業の推奨や冬期湛水田での米作り等、生態系の物質循
環システムのリズムをふまえた付加価値の大きい農業の研究・推進が求められます。
千葉県は 2001 年「印旛沼流域水循環健全化会議」を発足させ、生態的視点を大きく取り
入れた印旛沼とその流域環境の保全と復元の対策を開始しました。この活動は、2003 年の
千葉県の里山条例の制定や 2008 年の生物多様性ちば県戦略の策定とも連動し、現在も流域
自治体や市民・NPO、さらには各種事業者と一体となった先進的取り組みがおこなわれて
90
います。印旛沼を取り巻く、このような多様な主体が連携し、まさに水と生命を軸とした
生物多様性、また多様な人々の連携によって「印旛沼再生:恵みの沼をふたたび」に向け
た強力かつ息の長い取り組みが求められます2) 。
1)
中村俊彦.2008.房総半島の植物相に見られる異変.岩槻邦男・堂本暁子(編)、温暖化と生物多様性.
182-195pp.築地書館.
2)
印旛沼流域水循環健全化会議.2010.印旛沼・流域再生,恵みの沼をふたたび,印旛沼流域水循環健
全化計画.千葉県.
3)
沼田眞(編著).1996.景相生態学.178pp.朝倉書店.
4)
中村俊彦.1999.農村の自然環境と生物多様性.遺伝 53(4):56-60.
5)
大原隆.1995.房総半島の地質層序と地質構造.大原隆・大沢雅彦(編)、生物-地球環境の科学.pp.17-28.
朝倉書店.
6)
千葉県史料研究財団(編).2000.千葉県の歴史資料編考古 1.千葉県.
7)
宮脇昭(編).1986.日本植生誌 7:関東.至文堂.
8)
沼田眞・大窪久美子・遠藤宗男.2001.草原植生.千葉県史料研究財団(編)、千葉県の自然誌本編 5:
千葉県の植物 2 植生.pp.284-322.千葉県.
9)
千葉県史料研究財団(編).2002.千葉県の自然誌本編 6 千葉県の動物 1.千葉県.
10)
Nakamura, Toshihiko and Kevin Short.2001.Land-use planning and distribution of threatened
wild.life in a city of Japan.Landscape and Urban Planning 53:1-15.
11)
鈴木由告.1978.千葉県におけるカタクリの分布と生態(3).千葉生物誌 27:39-47.
12)
中村俊彦.2004a.千葉県の自然と農山漁村的かかわり.千葉県史料研究財団(編)、千葉県の自然誌本
編 8:変わりゆく千葉県の自然.pp.312-318.千葉県.
13)
中村俊彦.2005.コウノトリが教えてくれたトキのふる里.ちば谷津田フォーラム会誌 13:1-5.
14)
谷英男.2005.トキに思い出しましょう、房総にトキが観られた頃を!ちば谷津田フォーラム会誌 13:
10-12.
15)
中村俊彦.1999.農村の自然環境と生物多様性.遺伝 53(4):56-60.
16)
松平喜美代.2002.佐倉の植物今昔.いんば沼 22:4-5.
17)
印旛沼環境基金(編).2012.印旛沼のはなし.91pp.印旛沼環境基金.
18)
本埜村教育委員会.2008.本埜の歴史:印旛沼に育まれたある農村の物語.ぎょうせい.
19)
佐倉印旛沼ネットワーカーの会流域活動推進委員会.2006.印旛沼の環境マップ:ナガエツルノゲト・
オニビシの植生調査.佐倉印旛沼ネットワーカーの会.
20)
尾崎真澄.2012.カミツキガメ防除から見た外来生物問題.千葉県生物多様性センターニュースレタ
ー28:2-3.
21)
小林頼太・長谷川雅美・小菅康弘.2000.佐倉市の両生類・爬虫類 B カメ類.佐倉市自然環境調査団
(編)、佐倉市自然環境調査.pp.213-219.佐倉市.
22)
白鳥孝治.2006.生きている印旛沼.山崙書房出版.
23)
林紀男.2013.印旛沼・手賀沼,沈水植物の多様性回復.千葉県生物多様性センターニュースレター
33:1-2.
24)
梶山誠.2008.いんば沼の魚たち.いんば沼 29:2-3.
25)
新島偉行.2004.印旛沼と周辺水路の生き物.いんば沼 24:4-5.
26)
佐倉市史編さん委員会.1979.佐倉市史巻三.佐倉市.
27)
柳哲雄.2006.里海論.恒星社厚生閣.
28)
水産庁漁場資源課.2004.探してごらん東京湾.日本水産資源保護協会.
29)
中村俊彦.2004b.里やま自然誌.128pp.マルモ出版.
30)
中村俊彦.2009.「里山・里海」「里山海」と「奥山」「大灘」東京湾学会誌 3(1):14.
31)
中村俊彦.2006.里山海の生態系と日本の Sustainability.応用科学学会誌 20(1):11-16.
32)
中村俊彦・小倉久子(編).2012.冬期湛水・有機農法の水田による流域の水質改善と生態系保全に関
する試験研究.132pp.印旛沼流域水循環健全化調査研究報告 1 号.会議印旛沼流域水循環健全化会議・
千葉県.
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