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剣と魔法の壊し方―ドSな兄妹(ふたり)と借金箱

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剣と魔法の壊し方―ドSな兄妹(ふたり)と借金箱
剣と魔法の壊し方―ドSな兄妹(ふたり)と借金箱―
海野めめめ
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ふたり
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
剣と魔法の壊し方︱ドSな兄妹と借金箱︱
︻Nコード︼
N4082BX
︻作者名︼
海野めめめ
︻あらすじ︼
神社の神様でなく、その賽銭箱から神化した新米守銭奴女神に目
を付けられた
Sっ気のある中学2年生、諏訪沙良太。
彼女の要求は﹁異世界でお金を稼いで!!﹂
疑問を挟む暇も無く何をやってもお金が手に入る世界に飛ばされた
沙良太だが、
巨額の借金を背負わされ、さらにチート能力や武器を使うには毎回
1
代金が必要。
しかもやってることは街を焼き城を消し国を滅ぼす、と破壊神その
もの。
気の強い小学生の妹も巻き込み、カレー娘に勝負を挑まれ、魔王少
女と一騎打ち。
そんなつもりじゃないにも関わらず、破壊の渦を巻き起こす兄妹は
賽銭箱女神を従えて、剣と魔法の定番異世界をブッ壊す!!
2
上での決定事項と女神
てんそん
いつとものお
﹁あの子⋮⋮悪気があるわけでは無いんです﹂
イシコリドメ
あまつかみ
天孫の従者、五伴緒の一人として地上に降りた天津神、金属加工
の神である伊斯許理度売は、苦しいと思いながらも弁解する。
彼女の長い黒髪が、下げた頭からさらり、と流れた。
ちゅうめつ
たいしゃくてん
﹁ははは、相変わらず面白いことを⋮⋮悪気があったらとっくの昔
に誅滅してるところですぞ﹂
インドから帰化した仏法の守護神、元武神の帝釈天が苦笑いで答
える。
しんか
つりせんあさ
怒気を孕んでぴりぴりとした、乾いた笑いが一同に広がった。
﹁神化してすぐにやったことが自販機の釣銭漁りとか⋮⋮﹂
﹁参拝客の後ろでお賽銭のアンコール要求とか⋮⋮﹂
﹁漫画家の痛絵馬を取ってきてネットオークションにかけるとか⋮
⋮﹂
﹁そういえばうちの神社では木に結んであったおみくじを集めて、
アイロンかけ直して境内で再販してましたっけ⋮⋮﹂
イシコリドメ
﹁うちじゃ池の主の亀を捕まえて、縁日でスッポン鍋と称して売ろ
うとしたこともありましたよ⋮⋮﹂
あお
きぶつ
しんか
と
集まった神々の口から次々と明らかになる所業に、伊斯許理度売
の顔がどんどん蒼くなっていく。
としへ
﹁申し訳ありません。私の監督不行き届きでした﹂
お
はか
すべ
﹁いえいえ、貴女の責任では⋮⋮歳経た器物がどのような神化を遂
ちんぶ
きびつひこ
げるのか、我々にも完全に推し量る術は無いのですから﹂
山陽道鎮撫の英雄神、吉備津彦がフォローした。
神化したそれの性質は、素体となった器物と使用者に大きく影響
を受ける。
金銭欲という生々しい感情を長年に渡り受け続けた器物。
3
たぐい
みたま
イシコリドメ
最終的にそこに宿った御魂は、ある意味﹃やっぱりね﹄としか言い
さいしん
ようのない類のものだった。
しゅうちゃくしん
たまたまそこの祭神だったというだけの、伊斯許理度売こそいい迷
惑である。
﹁本人は財物神としての道を希望しておりますので、あの執着心を
とよあしはら
見るに適正はありそうなのですが⋮⋮﹂
にご
﹁しかし、このまま豐葦原で神としての修練を続けるには、その、
ヤマトモモソヒメ
いささか支障がと言いますか⋮⋮﹂
中の一人、巫女神である倭迹迹日百襲媛が言葉を濁す。
﹁ならば、別の世界で修練を受けさせれば良い﹂
いつとものお
ヤゴコロオモヒカネ
突然引き戸を開け、入ってきた人物が声を上げた。皆の視線が集
オモヒカネ
まる。
イシコリドメ
﹁思兼様!!どうしてこちらに?﹂
イシコリドメ
あぐら
伊斯許理度売と同じ五伴緒の一人、知恵の神である八意思兼は、
くしいわまど
とよいわまど
そのまま円陣の中にどかどかと割り込み、伊斯許理度売の横に胡坐
をかいて座った。
﹁貴殿と同一存在である境界神、櫛石窓と豊石窓の2柱が、管理神
しんか
の決定していない不完全世界を利用した教育プログラムを組んでい
ると聞いたが?﹂
しんし
﹁確かにそうですが、神化したばかりのあの子には荷が重いかと⋮
⋮﹂
うじこ
﹁お目付け役に神使でも一緒に行かせればよかろう。何なら貴殿の
オモヒカネ
管轄下の、若い氏子でも良いぞ。子供であれば疑問も持つまいし、
信仰を集めるきっかけにもなる﹂
さじ
かかずら
横から差し出された茶を受け取り、ずずいっと飲む思兼。
﹁何にしても、些事に一々拘っているほど我々は暇ではない。震災
かゆ
のあの日からこっち、毎日が盆と正月だ。良くも悪くもな﹂
﹁確かに⋮⋮﹂
﹁世情不安で神頼みが増えるのは痛し痒しですからな⋮⋮﹂
﹁中には氏子や社を流された者もおるでのう⋮⋮﹂
4
とよあしはら
皆が口ぐちにあの日から一変してしまった豐葦原、日本の状況に
ついて話し出す。人の世と神の世界は密接に繋がっているのだから、
社会が大きく変動すれば、神々もその影響を受けざるを得ない。
たんそく
も
﹁分かりました。あの子には別の世界での修練を言い渡します。皆
イシコリドメ
様にご迷惑はおかけしません﹂
伊斯許理度売の決断に、おおっ、と円座の神々から嘆息が漏れる。
﹁良いのか?不完全な世界であっても、未熟な神なら命取りになる
たいしゃくてん
可能性もあるのだぞ?﹂
うぶすながみ
帝釈天が打って変わって心配そうな表情を浮かべながら尋ねた。
﹁大丈夫です。彼女に選んでもらい、氏子の中でも私を産土神とす
うじこ
うぶこ
る縁の強い者を付けようと思います﹂
えにし
血縁で繋がる氏子、土地で繋がる産子。
イシコリドメ
両方の太い縁があれば、万が一の時にはそれを介しての対応が可能
だ。
ほほえ
﹁それに⋮⋮﹂
にっこりと微笑む伊斯許理度売。
﹁かわいい子には旅をさせよ、とも言いますから﹂
5
話を聞かない女神と少年
すわ さらた
諏訪沙良太は困惑していた。
﹁というわけで、異世界に行ってお金を稼いできてください、私の
ために﹂
中学校の帰り道、残り少ないお小遣いで買ったガルガル君︵税込
62円︶を神社の境内で食べた後、
﹁お小遣いが増えますよーに、もしくは大金拾うか宝くじ拾うか宝
石拾うか⋮⋮﹂
等々、想定しうる金持ちダディへの道を30通り位並べた後、端
数の5円玉のおつり3円を賽銭箱に放り込んだら中から同い年くら
いの巫女服を着た女の子が首だけ出してきて勧誘してきたわけで。
﹁お前のためにって、俺は自分が金持ちになりたいんだけど﹂
﹁それも可能です!!これからお連れする世界は行動全てに値段が
付いていて、何をやっても後で変換可能な仮想通貨が自動的に蓄積
されることになっているんですよ﹂
つまり、鼻をかんでも一円、咳をしても一円。
﹁まじか、すぐ大金持ちじゃん﹂
﹁ただし換金には期間が設定されていまして﹂
﹁不便だな﹂
﹁いえいえ。でないとインフレが起きて、お弁当に入ってる緑の草
っぽいビニール一枚買うのにトラック一台分の札束が必要になりま
すから﹂
﹁さらに不便じゃん﹂
どこの一次大戦後ドイツだ。もしくは最近人気のジンバブエ。
﹁でもこのシステムが導入されたおかげで、皆トイレの後は手を洗
うようになりました!!﹂
またしょぼい利点を。
6
﹁と∼に∼か∼く、私が神様として次のステップに進むにはお金が
必要なんですよ!!﹂
﹁⋮⋮具体的にはどれくらいだ?﹂
﹁ざっと3億円﹂
それは何回トイレの後、手を洗ったら稼げる額なのだろう。
﹁あ、もし異世界が嫌なら、この前怖い顔したオジサンたちが神社
の裏手に埋めていった黒い金属製のマジカルステッキがありますか
ら、それを使って銀行にお願いしてきて下さってもOKですよ!!﹂
さらっと怖い提案をする。
﹁この年で前科者になれって?﹂
﹁この年だからじゃないですか。ビバ少年法!!全部社会と心の闇
のせいにしちゃいましょう!!﹂
明らかに女神のせいだ。
﹁そうそう、今なら異世界でチート能力付けちゃいますよ﹂
ちょっと心が動く。
﹁お金が手に入るってのは魅力的だし、チートが貰えるってのもい
いけど⋮⋮﹂
﹁じゃ、今行きましょう、すぐ行きましょう。細かいことは行って
から教えます。れっつご∼﹂
空中から伸びてきた黒い腕が、沙良太の襟首を掴む。
﹁そうそう、割引しますけど、チートはお金取りますから﹂
聞いてないし。
﹁あと、行きの料金は借金明細に積み立てときますので﹂
うぉい、とツッコミを入れる間もなく、沙良太の体は暗い賽銭箱
の中に吸い込まれた。
7
背負ったものと少年
くだん
さらた
﹁は∼い、ここが件の異世界で∼す!!﹂
視界が開けたと思ったら、いきなり沙良太は投げ出される硬い地
面の上に投げ出された。
いてて、と体を起こして周囲を確認する。後ろに旅人や荷馬車の
行きかう街道。馬車使ってる時点で現代日本ではないことが分かっ
た。そこから少し離れたところにある、腰から膝までの高さの草が
生い茂った小さな茂みの前に立っているようだ。
﹁まずこれが沙良太さんの現在の所持金です。とりあえず今は日本
円に換算して表示しています。いざ、おーぷん・ざ・ぷらいすっ!
!﹂
賽銭箱女神の掛け声で視界に重ね合わさった形で横に並んだデジ
タル数字の列が出現し、シャッフルされ、そして一の位から順に確
定されていく。
2,4,3,6,9⋮⋮6桁を超えたところで、ほぁ、と沙良太
の口から感嘆が漏れる。
⋮⋮7,6,1⋮⋮−⋮⋮きゅぴーん!!
数字が確定した。
﹁おい、マイナス記号が付いているけどバグか?﹂
﹁違いますよ。ここまで来るのに必要だった片道料金です。あ、も
しかして行きはサービスだと思ってました?ちゃんとお金取るって
言いましたよね。これが現実です!!﹂
無言で女神の頭を平手で叩く。彼女の頭蓋骨は熟れたスイカみた
いに、ぽこぽこといい音がした。
と、眼前の数字が2,1,0,9と少しずつ小さくなっていく。
どうやら﹃行動がお金に変換される﹄というのは本当らしい。
﹁痛い、痛っ⋮⋮って、止めてくださいデリケートなんですから!
8
!﹂
﹁うっさい。あと最低2000万回は叩く﹂
真顔の沙良太にびくっとなる女神。
﹁あうあう、宇宙人のQBさんはこれで上手くいくって言ってたの
に⋮⋮。説明不足だったのは誤りますから⋮⋮そうだ!!一つタダ
でチート能力をあげます。それで勘弁してくださいよぅ﹂
﹃チート﹄という言葉に反応した沙良太は、一瞬叩くのを止める。
その隙に女神は沙良太の攻撃範囲から逃れる。
﹁あ∼痛かった。あと少しでぱっか∼ん、って割れて女神汁プシャ
ーッ、ってなるところでしたよ、もう﹂
﹁いいから、さっさと﹃チート能力﹄よこせよ。ほら、ほら﹂
平手を見せつける。
﹁ひぃん、威嚇しないでくださいよ⋮⋮私のポケットマネーなのに
⋮⋮﹂
miniみたいなタブレット端末を
﹁人にいきなり借金背負わせた奴が言うセリフか﹂
しぶしぶ懐からi−pa〇
取り出す女神。神様世界にもIT化の波は押し寄せているらしい。
﹁う∼んと、人気があってお手頃価格だと⋮⋮これだっ!!﹂
ぽちっと端末をタッチする。
すると神々しい金色の光が、さあっと空から沙良太に降り注いだ。
9
16,796,322円
背負ったものと少年︵後書き︶
借金残高
10
チートと少年
﹁ささ、今あなたにチート能力を付与しました。これで勘弁してく
さらた
ださい﹂
沙良太は自分の体を確認するが、別に変わったことはない。
﹁いいけど、何の能力なんだ?﹂
は
﹁えとですね、﹃キャバクラ通いのちょっとエッチなおじさまたち
に大人気!!女の子の今履いているパンツの色が一発で分かる能力
!!﹄らしいです﹂
一足飛びで女神に接近し、その頭にコブラツイストをかけながら、
ぺしぺしとしっぺをくらわせる。
﹁その能力がどうしたら、今の俺に必要だと考えた?﹂
﹁あ、痛っ⋮⋮そ、それはですね、例えばちょっとした会話のきっ
は
かけに、﹃お嬢さん、今日は雲一つ無い青空ですね、まるでキミの
履いているブルーの大人っぽいパンツみたいに﹄とか、告白の時に
﹃ぼくはキミの全てを愛すると誓った!!その子供っぽいゾウさん
プリントの綿100%パンツまで!!﹄とか⋮⋮﹂
げんこつ
﹁発想がセクハラオヤジじゃね∼かっ!!﹂
しっぺを拳骨でのグリグリに切り替える。借金残高の減り方が一
回3円に変わった。
﹁いだだだだっ!!やめてやめて、女神汁、女神汁出ちゃうっ!!
かなきりごえ
プシャーッって出ちゃうよぅ!!﹂
あんまりにも女神が金切声をあげて叫ぶので、仕方なく解放する
沙良太。
﹁もう、気を付けてくださいよ。女神汁出ちゃったら、半径3km
の生物は皆骨も残さず蒸発しちゃうんですからね!!ぷんぷんっ!
!﹂
﹁お前は脳みそに何を仕込んでいるんだ!!﹂
11
﹁それは乙女の秘密﹂
限りなく胡散臭い。
﹁あ、でもこのチート能力、どうやら経験によって進化していくみ
たいですよ﹂
﹁ろくな進化系が思いつかないんだが﹂
﹁沙良太さんはレベル1なんですが、これからレベルが上がるとパ
アラバスター
ンツの色だけでなく形、サイズ、メーカー、使用回数、洗濯後の使
用経過日数、しみや黄ばみなどの汚染状態、あと臭気レベルがAu
の単位で表示されるんです!!﹂
想像した通り、しょうもない進化のオンパレード。
﹁しかも別のチートスキルの習得条件にもなっていまして⋮⋮﹂
﹁どうせ次はブラジャーなんだろ﹂
﹁大正解です!!よく分かりましたね、実は才能があるんじゃない
ですか﹂
﹁⋮⋮次は容赦しない﹂
グーを出すと、女神はさっと自分の頭を抱えた。
﹁それで、使い方はどうするんだよ?﹂
﹁あ、やっぱり少しは興味あります?えとですね、このチートはパ
ッシブスキルなので、もう勝手に発動しているはずですよ。視界に
相手の下着の色が、自動的にポップアップされているはずです﹂
試しに女神を見る。確かに小さな吹き出しみたいなポップアップ
アイコンが表示されているが、中に色表記は無く、﹃−﹄と書かれ
ているだけだ。
﹁お前の下着の色、分からないぞ﹂
﹁へっへ∼ん!!こう見えても私、神様ですから!!﹂
ドヤ顔で薄い胸を張る賽銭箱女神。
﹁もしかしてお前⋮⋮ノーパンじゃね?﹂
ゆ
しばらくじ∼っと彼女を眺めていた沙良太が、ぽつりと呟く。
その瞬間、女神の顔は明石産の茹でダコみたいに真っ赤になった。
12
16,796,244円
チートと少年︵後書き︶
借金残高
13
武器と少年
は
﹁ま、まあ私がどんなパンツを履いているのかは横に置いておいて
⋮⋮﹂
﹁はいてないんだろ﹂
さらた
﹁⋮⋮そうですけど、それが何か落ち度でも?﹂
沙良太のツッコミを流しきれずに、涙目で逆切れする賽銭箱女神。
﹁んで、俺はこれからどうすればいいんだ?2000万円近くなん
て払いきれる額じゃないし、お前の目標の3億円なんて雲の上だ﹂
もちろん一般的なサラリーマンである沙良太の親も、そんな金額
は払えない。むしろ生涯給料がそれくらいだ。
﹁安心してください。この世界にはモンスターが居ます。そしてそ
の上には、彼らを統括する魔王が存在するんです。そいつらをやっ
つければ、何億円でもすぐですよ!!﹂
と、草むらががさがさっと動き、どこか見覚えのある形の、水色
をした丸い生き物が飛び出してきた。
﹁ちょうど良かった。このスライムで戦闘訓練をしましょう﹂
﹁それはいいけど武器は?俺手ぶらだぞ?﹂
﹁武器は私に言っていただければ、天界スーパーからちょちょっと
転送してもらいますよ﹂
先ほどのi−Pa〇 miniを振り回す。
﹁どうせお金取るんだろ?これでいいよ﹂
脇に落ちていた漬物石大の普通の石を持ち上げ、スライムの頭に
落とす。
スライムはぶぎゅっという音を立てて潰れた。
﹁エレガントさに欠けますけど、勝利は勝利ですね。おめでとうご
ざいます﹂
視界の中の借金残高が動く。
14
﹁おい、42円しか減ってないぞ﹂
﹁え∼と、今内訳が出ました。スライム一体討伐32円、石運搬労
働8円、危険手当2円、以上です﹂
﹁うわ、俺の戦闘料金安過ぎっ⋮⋮﹂
﹁当然です。これが職業戦士なら戦士手当、数や使用アイテム、拘
束時間などでも追加手当がありますが、普通の中学生が石を落とす
だけではお金にならないのは当たり前です﹂
武器なしでやるのなら、一体どれくらいのスライムを倒せば良い
のか。
一瞬目がくらむ沙良太。
﹁そうそう、最初は戦闘は最低限に抑えて人助けをこなしていくの
が無難ですね。レベルも上がりますし。でも武器買えば、もっと効
率が良くなりますよ∼﹂
そう言って女神が揉み手しながら沙良太に近づいた時、
﹁キャーッ、助けて、誰かー!!﹂
突然街道の方から声が上がる。沙良太が見ると、いかにも貴族の
ものっぽい馬車が4人の強盗らしき剣を構えた男たちに襲われてい
た。
﹁チャンスですよ!あの人を助けたら、救助手当ががっぽり入りま
す。しかも救助対象によって褒賞の額が変わるんですよ。おっさん
なら+1,000円、女子供なら+100,000円、さらに﹃可
ふんぱつ
愛い﹄とか﹃貴族の﹄とかが付けばがっぽりです。﹃王族﹄だった
らなんと、最高1000万円の追加手当が⋮⋮﹂
﹁そんなこと言ってる場合か!!助けに行くから武器を出せ﹂
﹁分かりました。じゃあいい追加収入を期待して、ちょびっと奮発
しちゃいましょうか。﹃げ∼い∼ぼ∼る∼ぐ∼!!子供用﹄ぽちっ
とな﹂
女神がタブレット画面を再び押した瞬間、沙良太の手の中には自
分の身長と同じくらいの長さの、黒光りする槍が握られていた。
15
16,799,981円
武器と少年︵後書き︶
借金残高
16
伝説の現実と少年
﹁ゲイ・ボルグって、ゲームとか漫画で見たことがある伝説の武器
なんだけど⋮⋮高くないのか?﹂
﹁いえいえ、ちゃんと︵子供用︶って書いてるじゃないですか。本
物じゃなくってライセンス生産した廉価量産品ですよ。しかもこの
前のクリスマスセールで売れ残ったせいで、歳末ワゴンコーナーに
さらた
置かれてた奴ですから、実費除いて2,980円です!!﹂
沙良太は自分の手の中の槍をしげしげと眺める。金属製のような
光沢だったが、それにしては明らかに軽い。
﹁もしかして強化プラスチック?﹂
叩くとこんこん、といかにも安物な高い音が出た。
かねづる
﹁さあ沙良太さん、あの馬車を襲っているいかにも怪しい連中を倒
して、勇者としての第一歩を踏み出すのです!!主に私のために!
!﹂
﹁聞き捨てならないセリフが聞こえた気がするけど脇に置いておく。
ところでこれ、どうやって使うんだ?﹂
ええとですね、と言いながらタブレットを操作する賽銭箱女神。
さちうす
﹁どうやら攻撃対象を念じながら投げるだけでいいみたいですよ。
それだけで必殺必中!!でも注意事項で、幸薄い人が使うと当たら
なかったり避けられたりするみたいですね。まあ大丈夫でしょうけ
ど﹂
ちなみに沙良太の今年のおみくじは中吉だった。今年ももう終わ
りだけど。
にら
既に襲撃者は馬車によじ登って、客室をげしげしと蹴り飛ばして
うが
いる。沙良太は彼らを睨みつけ、狙いを定めて槍を構えた。
とうてき
﹁よし⋮⋮我が敵を穿て、ゲイ・ボルグ!!﹂
叫びと共に槍を思いっきり空中へ投擲する。
17
﹁あ、別に掛け声とかいりませんよ。全自動の魔術回路が組まれて
いますから﹂
﹁そういうことは先に言えっ!!﹂
沙良太の手を離れた槍は、なんの力も働いていないのにも関わら
ず、空中で勝手に加速して飛んでいく。そして、襲撃者の胸を次々
に貫いた。抵抗する暇もなく、
ぎゃっ!!
ぐわっ!!
ひぎっ!!
おーまいがっ!!
4つの悲鳴?が上がると同時に、4人の襲撃者は霞のように消え
ていった。同時に沙良太の視界の中で借金残高が勢いよく減ってい
く。
﹁⋮⋮あれで倒したことになるのか?﹂
﹁ええ、彼らは人間ですが、正確には人間ではありません。﹃舞台
小物﹄とでも呼びましょうか。簡単に言えば、ゲームに出てくる敵
モンスターの﹃盗賊﹄みたいなものです﹂
と、敵を倒した後のゲイ・ボルグが沙良太の手元に戻ってこよう
ごうおん
とする。が、飛んでいる途中で勢いを失いふらふらと落下。落ちた
その場でいきなり轟音を響かせて爆発した。黒い破片が沙良太の足
元に届く。
﹁おい、これも仕様か?﹂
﹁おっかしいなぁ⋮⋮﹂
ちゅうごく
タブレットで商品情報を調べなおす女神。しばらくして、何かに
気付く。
﹁すいません沙良太さん。あれ、仙界製でした﹂ 18
16,799,981円?
伝説の現実と少年︵後書き︶
借金残高
集計中
19
修道女と少年
さらた
まだ黒い煙を上げ続けるゲイ・ボルグ︵偽、子供用︶の残骸を避
けながら、襲われていた荷馬車に近づく沙良太と賽銭箱女神。女神
の頭には不良品を掴まされた沙良太の怒りの鉄拳制裁によるたんこ
ぶが、鏡餅のみかんのように乗っかっている。
先ほどの襲撃で馬も御者も逃げてしまったのか、客室だけが放置
されていた。
﹁お∼い、誰かいるか?いないならいないって言ってくれ﹂
﹁いやですよ沙良太さん、いなかったらそんなこと言えないじゃな
いですか﹂
冗談にもわざわざ突っ込んでくる女神。全く懲りていないらしい。
沙良太が客室の扉を開けると、そこには修道服を着た桃色の髪の
毛をした、沙良太と同じくらいの年齢の女の子が倒れていた。どう
やら馬車が止まった衝撃で座席から転がり落ちたらしい。
﹁おい、あんた!!しっかりしろっ!!﹂
ぺちぺち、と頬を叩く。しかし気を失っているらしく、彼女はう
∼んと唸るだけだ。
﹁あ∼こんな時に回復薬があればな∼どんなケガでも簡単に直せる
のにな∼﹂
﹁⋮⋮何が言いたい?﹂
﹁別にぃ。あ∼どうやったら助けられるんだろうな∼﹂
わざとらしく沙良太の後ろで腕を組みながら、口笛を吹いて見せ
る女神。音は出ていないが。
﹁⋮⋮分かったよ。この子に使える回復薬を頼む﹂
﹁もぅ、最初っからそう言ってくれればいいんですよ。沙良太さん、
実はツンデレですね。このこのっ!!﹂
﹁いいから出せ。出ないとさっきの槍を尻に突っ込むぞ﹂
20
﹁お尻の穴が増えちゃうじゃないですか!!ノリが悪いです﹂
ぶつぶつ言いながらもタブレット端末を操作する女神。すぐに沙
デビル
良太の手の中に、栄養ドリンクの瓶が現れた。ラベルには﹃ゴッド
ビタンD﹄という見たことのない商品名が書かれている。それでも
効果は確かだったのか、沙良太が女の子にドリンクを飲ませると、
数秒で彼女はつぶらな瞳を開いた。
﹁あの⋮⋮あなたたちは?﹂
﹁俺は旅の者だ。たまたまキミの馬車が襲われているところに出く
わしたから、助けただけだ﹂
﹁ちょっと沙良太さん、何さらっと私の存在をスルーして一人称単
数形使っちゃってくれてるんですか?﹂
後ろで女神が騒ぐが、沙良太は無視することにした。
﹁キミの名前を教えてくれないか?﹂
﹁私は⋮⋮フィリカって言います。フィリカ・ラーディフ⋮⋮家族
がいないからずっと修道院で暮らしていたんですけど、親戚の方が
見つかったという知らせがあったので、会いに行く途中だったんで
す。そこで襲われて⋮⋮﹂
先ほどの恐怖を思い出したのか、両手で顔を覆うフィリカ。
﹁そっか、でももう大丈夫だ﹂
沙良太が優しく背中を撫でてやると、フィリカは少しずつ落ち着
いてきた。
そして突然、沙良太の眼前に飛び出すポップアップ。
そこには﹃白:ガーターベルト﹄の文字が。
﹁あ、沙良太さん。そういえばさっきの戦闘でスキルレベルが上が
りましたよ﹂
21
修道女と少年︵後書き︶
まだ計算中
22
高貴な血筋と少年
さらた
﹁後ろの女性の方は大丈夫なんですか?﹂
フィリカが沙良太の後ろで頭を押さえてうずくまる、賽銭箱女神
を心配して声をかける。
﹁気にしなくていいよ。女の子に見えるけど、ただのアイテムだか
ら﹂
ひど
﹁はぁ、世の中すごいアイテムがあるもんですねぇ﹂
とんきょう
穴埋め言いなり
﹁酷い!!女の子を物扱いなんて、一生取れない呪いのメガネをプ
レゼントしちゃいますよ、この鬼畜系主人公!!
す
リグレット⋮⋮って、ああっっ!!﹂
文句を言っていた女神が素っ頓狂な声を上げた。
﹁どうしたんだ?﹂
﹁ちょ、ちょっと沙良太さん、こっち来てください!!﹂
200万円﹄という物騒な文字の他
沙良太はフィリカをそのまま馬車に座らせて、女神のところに近
づく。
﹁これ、これ見て下さい﹂
﹁さっきの行動明細書?﹂
そこには﹃暗殺者討伐x4
に、﹃若くて可愛い王族最後の一人になった女の子救助 2000
万円﹄の文字があった。
﹁さっき救助手当は王族が最高1000万って言いましたけど、そ
こに﹃若い﹄﹃可愛い﹄﹃女の子﹄﹃最後の一人﹄ボーナスが付い
たおかげで、その倍額に跳ね上がってるんです!!﹂
﹁おおっ!!ってことは、もしかして俺の借金も⋮⋮﹂
沙良太の視界の数値が、−1600万ぐらいから+900万まで
跳ね上がる。
﹁よし、一発で借金生活脱出!!﹂
23
ガッツポーズをとる沙良太。しかし女神は不思議そうな顔をして
いる。
﹁あれ、沙良太さん忘れてませんか?この世界で3億円必要なんで
あらかじ
すよ。それから帰還にも一人2000万円かかりますから⋮⋮分か
りにくいので予め加算しておきますね﹂
一旦+に変わった数字が急速に減っていき、また−に転じる。
﹁ぐっ⋮⋮マイナス3億1000万⋮⋮﹂
がっくりと膝をつく沙良太。
﹁ささ、頑張ってじゃんじゃん稼ぎましょう!!最後の王族なんて、
超大物をゲットしたんですよ!!﹂
﹁大物は分かったけど、それでどうすればいいんだよ﹂
﹁何でもいいんですよ。彼女のすべての行動に、さっきみたいな追
加手当が加算されるんですから。例えば﹃裸﹄﹃盆踊り﹄に﹃真昼
間﹄﹃公衆の面前﹄﹃ケ〇リン桶を持って﹄を付ければ、そこに﹃
若い﹄﹃可愛い﹄﹃女の子﹄﹃王族﹄﹃最後の一人﹄のボーナスが
自動的に加わって、それだけで600万円ゲットです!!﹂
﹁却下だ。やりたければお前がやれ﹂
え∼っと不満顔な女神。
﹁それよりも彼女、親戚に会いに行くって言ってたけど、彼女が王
族最後の一人ならおかしくないか?﹂
﹁状況から考えても、やっぱり暗殺目的なんじゃないですかねぇ⋮
⋮﹂
ぴん、と閃いたような顔をする女神。
﹁そうです、ここは沙良太さんがボディーガードになって、わざと
相手の策に乗りましょう。それを叩き潰して万が一彼女が王座につ
けば億万長者ですよ!!そうと決まれば早速出発です!!﹂
﹁おいおい、本人の了解を得てからにしろよ。それに馬車も馬がい
ないし﹂
﹁説得は頑張ってください。馬車の方は⋮⋮キミに決めたっ!!﹂
女神がタブレットを操作して決定を押すと、天から馬車にまぶし
24
い光が降り注ぐ。
光が収まった時、そこにあったのは⋮⋮ロケットエンジンを積ん
だ馬車︵改︶だった。
25
高貴な血筋と少年︵後書き︶
借金残高 3,10,415,153円
26
隠し事と少年
街道を馬車が疾走する。ロケットエンジンで。
﹁もうこれ、ロケットだよな﹂
﹁馬車でいいんですよ。大気圏突破できませんから﹂
ちなみに操縦は、ロケットに取り付けた﹃自動航法装置 300
ぎょしゃ
さらた
万円﹄がやっている。
上機嫌で御者席の沙良太の隣に座る賽銭箱女神。フィリカは客席
で休んでいる。
目的地はフィリカが待ち合わせ場所に指定された城塞都市の神殿
だ。
﹁ロケットの値段を聞くのが怖いんだけど﹂
﹁宇宙航行用じゃないですから、それほど値段はしないですよ。軌
道上の廃棄衛星からかっぱらってきたものらしいですから﹂
どこから取り出したのか、女神はソロバンを弾いて遊んでいる。
﹁神様ってデブリ掃除もしてるのか?﹂
﹁いえいえ、そこいらへんは下請けのグレムリンさんたちにお任せ
しています。たまにかじられちゃうのが難点ですけど﹂
後ろを見ると、確かに焔を吹きあげるロケットの外筒には、歯形
のようなものが付いている。沙良太は見なかったことにした。
﹁神様がロケット業界に首突っ込むなんて、世も末だな﹂
﹁そうでもないですよ。飛行機のニギハヤヒさまとか、宇宙旅行だ
くなどめのかみ
と飛不動さまとか⋮⋮人間の世界が広がると、神様の職業範囲も広
がるんです。最近だと久那止神さまが、宇宙船のイオン推進エンジ
ンの中和装置を任されて、すごく困った顔してましたよ。何とかう
まくいったみたいですけど﹂
﹁ふぅん﹂
意外と詳しい説明が帰ってきたが、沙良太は気の無い返事を返す。
27
それ以上に気になることがあったからだ。
﹁さっきから疑問なんだけど、何でお前は俺にお金を使わせようと
するんだ?普通なら節約させて、早くお金が溜まるように仕向ける
もんだろ?﹂
﹁ぎぎくぅっ!!そ、それはですね、いい仕事はいい道具でしか生
まれないというか、効率計算の問題というか⋮⋮﹂
﹁怪しい⋮⋮何か隠してるだろ﹂
沙良太が詰め寄ると、女神は脂汗を流し始める。
﹁きりきり白状せんかい!!でないと⋮⋮﹂
ちらっと視線をロケットエンジンに向ける沙良太。この焔の中で
は、木製の賽銭箱などひとたまりもない。もちろんそんなつもりは
ないのだが、脅しには十分だった。
﹁わかりましたよぅ。実はですね、私のノルマ事態は沙良太さんが
3億円を使ってくれることでも達成できるんです﹂
﹁それで余計なものを買わせていたってことか⋮⋮﹂
うじこ
﹁でも、その方法だと沙良太さんに借金が残ってしまうので、何と
かとんとんにしようと頑張ってるんです。っていうか氏子を借金漬
けになんかしたら、うちの神社の祭神に、それこそ火あぶりにされ
る程度じゃすまないですから﹂
一応納得する沙良太。女神はほっと胸を撫で下ろす。
﹁他には隠してないか?﹂
﹁あとは⋮⋮本当は、お金を持って帰れるっていうのは一つの選択
肢でしかありません。実際は目標を達成した際、何か一つだけ、こ
の世界から現実世界に持って帰れる、という意味です。お金でもア
イテムでも⋮⋮もちろんさっきのチート能力でも結構ですよ﹂
﹁いらんわ﹂
むかついた沙良太が女神のだらしない頬肉を引っ張っている間に、
ロケット馬車は城壁のすぐそばまでやって来た。
28
憧れの魔法と少年
さらた
沙良太たち3人が乗る馬車?は無事城塞都市に到着するもすぐに
は止まれず、警備兵をを弾き飛ばして一直線にフィリカが待ち合わ
せに指定された神殿へ向かう。
それで終わりかと思ったらやっぱり止まる気配がなかったので、
仕方なしに全員で飛び降りたところ、爆発四散してしまった。
タブレット端末を見ながら﹁旧ソ連製も末期はダメですね﹂とつ
ぶやいていた賽銭箱女神に、沙良太がネックブリーカーをかけると
ころまではお約束。
﹁フィリカちゃん⋮⋮よく生きて⋮⋮﹂
﹁おじ様、おば様⋮⋮!!﹂
そして神殿の応接室で感動の再会。品のよさそうな中年夫婦がフ
ィリカに駆け寄り、抱きしめる。そして歓談が始まった。近況から
修道院での生活、他の家族の消息は、など、話題の種は尽きない。
嬉しそうなフィリカの顔を見ると、例え偽りであっても、少しの間
だけでも幸せな夢を見せてあげてもいいのかも、と思ってしまった
沙良太ではあったが、
﹁で、沙良太さん。この偽物いつやっつけちゃいますか?﹂
﹁お前はもう少し空気を読む練習をしろっ!!﹂
﹁あいだだだだっ!!ギブ、ギブですよぅ﹂
えぐ
女神の容赦ない一言が全てをぶち壊した。沙良太の拳骨がぐりぐ
りぐりと女神のこめかみを容赦なく抉る。
﹁貴様っ、何故気が付いたっ!!﹂
﹁こうなっては仕方がない。姫には無理やりにでも我々に従っても
らう!!﹂
男がさっと合図をすると、神殿のあちこちから武装僧兵が集まっ
てきた。既に神殿側は男たちの仲間だったらしい。
29
﹁そんな⋮⋮偽物⋮⋮﹂
﹁姫、できれば穏便な手段を取りたかったのですが、残念です﹂
そんなやり取りが交わされる横で、
﹁ほら、沙良太さん!!お姫様ショック受けてますよ、今なら心の
隙間に割り込むチャンスです!!﹂
﹁お前は必要な時以外黙ってろ。あと、この状況を打開できる何か
を﹂
沙良太が手を出して催促すると、女神はん∼、と言いながらタブ
レットをいじる。
﹁そうですね、怪力と超防御力が手に入る﹃鉄男﹄ドリンクとか、
目から紫色のビームが出るようになる﹃サイコロ﹄サングラスとか、
超磁力を操れるようになる﹃マグニ﹄磁石とか⋮⋮﹂
﹁ジャンルが偏ってるような気がするから却下﹂
﹁だとすると、魔法とかどうです?﹂
魔法。その単語を聞くと、沙良太の心は少し高揚した。
﹁いいんじゃないか?それで属性とか⋮⋮﹂
﹁じゃこれで行きましょう。ぽちっと!!﹂
最後まで聞かずにタブレットの決定を押す女神。そして光が沙良
太に降り注ぐ。
﹁⋮⋮何の魔法にしたんだ?﹂
﹁炎の魔法です。両手を敵にかざして⋮⋮まあ適当に叫んでくださ
い﹂
いいかげんな説明だが、その間にも僧兵たちが3人に迫る。仕方
ファイアストーム
なく沙良太は覚悟を決めて、両手を開いて前に突き出した。
﹁火炎嵐撃ッ!!﹂
その瞬間、沙良太の指先から紅蓮の炎が噴き出した。炎に触れた
瞬間、敵は一瞬で蒸発する。それだけでは止まらず、炎は神殿の壁
や柱、を次々と破壊していく。
﹁フィリカさんは私が守ってますから、じゃんじゃんやっちゃいま
しょう!!﹂
30
﹁お前、後で締めるっっ!!﹂
やっと炎が止まった3分後、神殿があったところには焼け落ちた
廃墟だけが残されていた。
31
やり過ぎた跡と少年
くすぶ
﹁なんてこと⋮⋮神殿が⋮⋮私の居場所が⋮⋮﹂
まだぷすぷすと燻る火種の残った神殿の焼け跡を前に、がくりと
膝をつくフィリカ。
はかま
﹁お∼ま∼え∼は∼っ、なんつ∼ことをっっ!!﹂
﹁ああっ、エビはっ逆エビはやめてっ!!袴が脱げたら見えちゃう
ですぅっ!!﹂
さらた
石床を叩いてギブアップをアピールする賽銭箱女神。だが、今回
ばかりは沙良太も許すつもりが無い。腕でぎしぎしと女神の脚を締
め上げる。
﹁敵をやっつけるだけで良かったんだよ。何で神殿まで焼き払う必
要があったんだ!!﹂
﹁痛い痛いっ。沙良太さんちょっと待ってくださいよ。ほら、これ
を見て下さいっ!!﹂
沙良太は女神もがきながらが差し出すタブレットの画面を凝視す
る。そこには次々と報酬明細が羅列されていく。
﹃邪神神官討伐﹄﹃邪神信徒兵討伐﹄﹃邪神司教討伐﹄﹃邪神神殿
破壊﹄﹃邪神信仰拠点破壊﹄⋮⋮そして総額が表示された。
﹁2億円?!﹂
逆エビをかける腕の力が緩む。
﹁そうです!!先ほどの連中みたいに、この神殿の中枢は邪神とや
らに乗っ取られていたんです。それを破壊することによって、沙良
太さんは幾多の国民を救ったのです。いよっ、大勇者!!﹂
﹁⋮⋮本当だろうな?﹂
﹁もちろん、この明細表示は私よりもっと上位の神様が責任を持っ
て行っているので、信頼してくださって結構です!!﹂
自信ありげに宣言する。
32
﹁ただし他宗教の神様は全部邪神と表示されるので、どんな邪神か
詳細はわかりませんけど﹂
﹁あん?﹂
沙良太に睨まれて黙る女神。
﹁で、今回は仕方がなかったってことで納得しておくけど、どうす
るんだよあの子﹂
いつの間にか声を上げずに泣き始めているフィリカを指さす。
﹁そうですね。神殿がこんなありさまでは、元いた修道院に戻る、
というのも難しいでしょうし﹂
女神はしばらく考えた後、
﹁いっそ女王様になってもらいましょうか?﹂
﹁何でそうなる!?﹂
おういさんだつ
﹁だってほら、王族の彼女がいるのに、王様は別にいるんですよ。
これって、王位簒奪だったってことじゃないですか?﹂
理屈は通っているように見える。
﹁もし誰かに王座を譲ったんだとしたら?﹂
﹁それなら彼女に﹃王族﹄の称号は付きません。これは陰謀の臭い
がしますよ。くんくん﹂
沙良太はまだ泣いているフィリカに近づく。
﹁フィリカ、フィリカは自分が王族の最後の一人だって知っている
のか?﹂
﹁いえ、初めて聞きました。さっきの人も姫、って呼んでましたけ
ど、全然心当たりが無いんです﹂
首を振る。炎の熱で少し毛先がカールした桃色の長い髪が踊った。
﹁でも、もしそうなら、私は知りたいです。私が何者なのか、どう
してこんなことに巻き込まれてしまったのかを。⋮⋮沙良太さん、
こんなお願いとんでもないと思われるかもしれませんけど、私を助
けていただけますか?﹂
決意の瞳で沙良太の目を見る。
﹁分かった。一緒に王様のところに行って、真実を確かめよう﹂
33
沙良太は手を差し出してフィリカを立ち上がらせた。
﹁あ、ちなみにフィリカが巻き込まれた理由は、大体ここにいる賽
銭箱女神のせいだから﹂
﹁沙良太さん!?そうかもしれませんけど、仲間を売るのが早すぎ
ですっ!!﹂
34
やり過ぎた跡と少年︵後書き︶
借金残高 9000万くらい
35
革命と少年
ファイアストーム
﹁火炎嵐撃!!﹂
ファイアレーザー
どーん!!と、城門が警備兵ごと炎の渦に巻かれて吹っ飛ぶ。
﹁炎熱焦波!!﹂
ずびーむ!!と発射された熱線で城壁が真っ二つになり、監視塔
アポカリプスファイア
が根元から切り落とされた。
﹁極死炎獄!!﹂
じゅっ!!っと音を立ててあちこちにある詰所から集まってきた
完全武装の兵士たちが、超高熱化した大気で後も残さず一瞬で蒸発
する。
﹁いけ∼っやれ∼っ薙ぎ払え∼っ!!﹂
興奮する賽銭箱女神。彼女の振り回すタブレット型端末の画面に
さらた
は、﹃城壁破壊﹄﹃警備部隊討伐﹄﹃正門破壊﹄﹃中庭突破﹄﹃騎
士団長討伐﹄などなどの文字が次々と現れては消えて効く。沙良太
の視界に映る借金総額カウンターも、面白いようにどんどん減って
いった。
﹁あの、私は事情を知りたいだけなので、少しやり過ぎのような⋮
⋮﹂
フィリカが恐る恐る声を上げる。
﹁何を言ってるんです、あなたは命を狙われたんですよ!!もっと
危機感を持ってください。やらなきゃやられるんです。弱肉強食な
んです。邪悪が微笑む時代なんです!!﹂
﹁誰が悪だ﹂
女神にデコピンをかます沙良太。しかし女神の興奮は止まらず、ど
こかの梨の妖精みたいにきゃっほう、ボーナスステージよっ!!と
叫んで走り回る。
﹁おのれ、貴様!!王城を渡してなるものかっ!!﹂
36
ドラゴニックファイア
﹁炎龍乱舞!!﹂
蛇のようにうねる極太の炎柱が、馬に乗って現れた騎士の一団を
飲み込んだ。
﹁⋮⋮事情を知らなければ、はた目には魔王の侵略だよな、これ﹂
﹁そんなわけないじゃないですか。女神の私が付いているんですか
ら、大丈夫です。あ、そこの井戸も破壊しておいてください。意外
とライフライン系って破壊手当が大きいんですよね﹂
そんなこんなで城の敷地内に入ってから15分。3人はついに最
ファイアボム
上階にある玉座の間に通じる分厚い扉の前に立っていた。
﹁爆裂炎破!!﹂
沙良太の手から生まれた炎の塊が扉にぶつかり、爆音と共に破裂。
その衝撃で扉はへしゃげて吹き飛んだ。
中に入ると、40歳前後の王冠を被った男性が玉座の上から3人
を見下ろしている。
﹁ついにこの日が来てしまったか、姫⋮⋮﹂
ぞうお
﹁あなたが⋮⋮教えてください!!私のこと、私の父のことをっ!
!﹂
おでい
玉座の下に駆け寄ったフィリカが叫ぶ。
﹁良かろう⋮⋮だが私の中にある汚泥のような憎悪の感情に触れ、
ファイアショット
果たして姫が正気を保っていられますかな⋮⋮﹂
﹁炎撃連弾!!﹂
一分間で30発の炎の弾丸が玉座の足元に撃ち込まれる。
﹁長々と聞くつもりは無いから、3行で頼む﹂
﹁時間を取るならお金も取りますよ!!﹂
沙良太と女神の剣幕に、表情を歪める男性。だが観念して口を開
いた。
﹁⋮⋮私の初恋の女性を王が奪ったのだ。そしてその子供が姫、あ
なただ。たまたま王が遠征の時、私が留守役だったので、クーデタ
ーを起こしたらあっさり成功してしまったため、王と王妃を倒し、
今こうして王をやっている﹂
37
﹁⋮⋮お父さん、お母さん⋮⋮﹂
ずいぶんあっさりした説明になってしまったが、泣き崩れるフィ
リカ。
﹁さて、それじゃあ事情も聞けたことですし、ラスボスを倒して任
務達成と行きましょう!!沙良太さん、やっちゃってください!!﹂
﹁ま、待てっ!!金ならいくらでもやる、助けてくれ!!﹂
その言葉に沙良太と女神が反応した。
﹁ちなみにいくらだ?﹂
﹁そうだな⋮⋮7億ポキでどうだ?﹂
どうやらポキがこの国の通貨単位らしい。
﹁ちょっと待ってくださいね、今日本円に換算します。世間じゃ円
安ですけど、なんだかんだでハードカレンシーですから、結構換金
率が厳しいんですよね⋮⋮﹂
そろばんをはじく女神。
さんだつ
もう
﹁出ました。え∼と、約4000万円ですね。これなら破壊手当と
簒奪者討伐ボーナスなんかを狙った方が儲かりますよ﹂
﹁足りないというのか!!それでは9億ポキで⋮⋮﹂
﹁オークションじゃないんですから。誠意を⋮⋮一心不乱の誠意を
見せてもらいたいですね﹂
そのやり取りを見ながら、フィリカに話しかける沙良太。
﹁フィリカはどう思う?﹂
﹁私は⋮⋮この国にもお城にも、未練はありません。好きにしてく
ださい⋮⋮﹂
﹁沙良太さん、依頼主のお赦しが出ました。どうやらこれ以上叩い
ムスペルヘイム
ても何も出てこないようですから、ちゃちゃっとやっちゃいましょ
う!!﹂
女神が急かす。沙良太はため息をつくと、
﹃|炎界よ、来たりて全地を朱に染めよ⋮⋮極熱炎界!!﹄
呪文を唱えた瞬間、3人の居る場所を残して、360°視界が赤
色に染まった。
38
さよならと少年
たたず
がれき
さら
城のあった場所に佇む3人の影。周囲は焼け焦げた瓦礫の山で埋
まっている。
﹁さてさて、今回の報酬はどうですかな∼﹂
た
楽しそうにタブレット端末を覗き込む賽銭箱女神。その間、沙良
太はまだ泣き止まないフィリカをなだめていた。
﹁出ました!!何と3億円っ!!これで私もノルマクリアー、沙良
太さんも晴れて借金ゼロどころか、億万長者確定です!!﹂
沙良太の視界の借金カウンターがゼロを通り越して+約2億円を
示す。これだけあれば好きなものが買い放題だ。もう少ない小遣い
で悩む日々とは永遠におさらば。ゲームも漫画も、お店ごと買い占
めることができるくらいの金額。
﹁素直に喜んでいいのかどうか⋮⋮フィリカ、大丈夫か?﹂
﹁はい、何とか⋮⋮﹂
沙良太が手を差し出すと、その手を取って立ち上がった。
﹁これからキミはどうするんだ、フィリカ﹂
﹁そうですね⋮⋮どうしましょう?本当に全部無くなっちゃいまし
たから⋮⋮。神殿⋮⋮修道院⋮⋮お父さん、お母さん⋮⋮それに仇
も⋮⋮﹂
力無く笑う。その寂しそうな表情に、沙良太は何も言えなくなっ
てしまった。
﹁はいはい、お話もまとまったみたいですね。それじゃあ沙良太さ
ん、そろそろ帰りましょうか?﹂
﹁何だ、ずいぶん急ぐな﹂
﹁あれ、最初に言ってませんでしたっけ?現在表示されている金額
には換金できる期間が決まってるって。急がないとさっきまでの苦
労が全部水の泡ですよ?﹂
39
そういう説明は受けていたが、困惑する沙良太。そしてフィリカ
の方を見る。
﹁フィリカはこの後どうなるんだ?﹂
﹁どうにかなるんじゃないですか?彼女を狙ってた勢力も、両親の
仇も消滅したことですから、きっと平穏に生きていけるはずです﹂
﹁でも、いきなり住む場所も財産も無くなってしまったんだろ。俺
たちにも全く関係が無いとは言えないし⋮⋮﹂
ちっちっち、と指を振る女神。
﹁沙良太さん、詳しくは説明しませんでしたが、最初に出会った暗
殺者。あの時、私は﹃ゲームのモンスターの盗賊みたいなもの﹄と
言いましたよね﹂
﹁それがどうしたんだ?﹂
﹁それは、この世界の人たち全てについて適用される表現なんです﹂
沙良太は意味が分からない。横で聞いているフィリカもきょとん
とした顔をしている。
﹁この世界は、生まれたばっかりの世界なんです。そんな中、彼女
を含めたこの世界の人たちは、姿と役割だけで表示されるきわめて
不安定な、それこそゲームのデータみたいな存在。沙良太さんと違
って、本当の意味で﹃人間﹄ではありません。だからこそ、さっき
も人間の形をした敵を、罪悪感も抱かずにじゃんじゃん攻撃するこ
とができたんです﹂
﹁フィリカが⋮⋮データだけの存在?﹂
狼狽する沙良太。大して女神はにこやかに答える。
﹁はい、ですから気にすることはありません。それはゲームの登場
人物のエンディング後を想像して心配するようなものですから﹂
きっぱりと言い切る。沙良太はフィリカの方を見る。どう考えて
も普通の女の子だ。
﹁ほらほら、沙良太さん急いで!!帰ったら夢の大金持ち生活が待
ってるんですよ!!あ、少しうちの神社に寄付してくれると嬉しい
ですね。最近賽銭箱の文字が薄れてきましたから、今度は金文字で
40
書いちゃってもいいかもしれない。うふふふふ⋮⋮﹂
勝手な想像をしてにやけている。
﹁もう帰るんですか、沙良太さん⋮⋮あの、本当にありがとうござ
いました。これからどうしたらいいのか分かりませんけど、何とか
頑張って生きていきたいと思います。沙良太さんもお元気で⋮⋮﹂
﹁ありがとう⋮⋮いや、その⋮⋮ごめん。俺たち、かなりめちゃく
ちゃやってたから﹂
﹁そうですね、最後とか沙良太さんも凄いノリノリでしたし⋮⋮あ
痛っ!!もう、そんなに叩いたらお金、換金してあげませんよ﹂
小突かれた頭をさすって恨み言を言う女神。と、沙良太に一つ疑
問が浮かんだ。
﹁賽銭箱女神、ちょっと確認しておきたいことがあるんだけど⋮⋮﹂
41
いつもと少しだけ違う大晦日と少年
さらた
なま
くせ
﹁沙良太、いい加減起きなさい。冬休みだからってそんなにだらだ
らしてたら怠け癖が付くわよ﹂
階下から聞こえる甲高い声で沙良太は目を覚ました。時計はもう
一時を回ろうとしている。
﹁おはよう、母さん﹂
顔を洗って着替えてから台所に行くと、母親は妹と一緒におせち
の準備で大忙しだった。
﹁お兄ちゃん寝過ぎ。そのまま年越しになっちゃうところだったよ﹂
﹁ア∼ホ。んなわけないだろ﹂
黒豆の鍋を抱えて手の離せない妹のおでこを突っつく。妹は﹁ア
ホはお兄ちゃんじゃない。バカ!!﹂と言って、居間の方に歩いて
行った。
﹁遊ぶならインターネットでなんかじゃなくって、外で健康的に遊
んでほしいわ。ほら、ご飯冷めちゃったけど食べちゃいなさい﹂
﹁へ∼い⋮⋮あのさ、俺昨日どうしてたっけ?﹂
冷え切ってぼそぼそした焼きそばを食べながら、かまぼこを切る
母親に尋ねてみる。
﹁昨日?散歩ついでに神社に寄って、帰ってきてからご飯を食べて、
後はいつも通り部屋に籠ってパソコンいじってたじゃない。寝ぼけ
てる?﹂
﹁そうかも⋮⋮ご馳走様。ちょっと出かけてくる﹂
半分ぐらいまで食べたところで箸を置いて立ち上がった。
おおみそか
﹁もういいの?出かけるのはいいけど、早く帰ってきなさいよ。今
日は大晦日なんだから﹂
家からあの神社へ続く道を急ぐ。大晦日も昼を過ぎると、商店な
42
ども戸を閉めてしまい、人通りは極端に少ない。その分冬の鋭い冷
気がダイレクトに沙良太の鼻に突き刺さった。もうすぐそこまで次
の年が近づいている。
長い階段を上り、境内に辿り着く。
小さな神社だからか、お正月の準備はせいぜい提灯が飾ってある
だけだ。
本殿の前の賽銭箱に近づいた。木製の少し古ぼけた賽銭箱は、表
の文字が少しかすれている。昨日と、そしていつもと全く変わらな
い光景。
﹁⋮⋮おい、賽銭箱女神﹂
ぽんぽん、と箱を平手で叩きながら呼びかける。
﹁聞こえてんだろ、おい。さっさと出て来いって﹂
さらに強く叩くが、やはりなにも変わらない。沙良太は諦めて本
殿の階段に腰かけた。
大晦日だからか、境内には参拝者の影はない。吐き出すため息が、
冬の太陽を背景に白く変わる。
﹁夢だったのか⋮⋮﹂
考えてみれば妙な話だった。
意味不明な演出、都合がよすぎる展開の連続。小説にしても質が
悪い、中二病患者の妄想を羅列しただけのような駄作。
それでも意外と楽しめたような気がしないでもない。商品レベル
を要求されない、ネット小説のように。
﹁フィリカ、あれからどうなったんだろう﹂
つい言葉が漏れた。
﹁私がどうかしましたか、沙良太さん﹂
﹁えっ!?﹂
独り言に反応されて驚く。
声のした方を見ると本殿に見覚えのある桃色の髪をした女の子が、
巫女服を着て立っていた。
﹁あ∼お尻痛かった。4つか6つに割れるかと思ったですよ⋮⋮﹂
43
その後ろから自分の尻をさすりながら、こちらも巫女服を着たあ
の賽銭箱女神が現れる。
﹁あ、沙良太っ!!よくもあんな願い事してくれましたね。未熟な
せっかん
世界の人間を、現実世界でちゃんとした人間にするなんて。おかげ
で今日は朝から祭神に折檻されて、もうお尻が限界なんですよ!!
なんですか、大晦日にちなんで108回尻叩きとか!!しかもこれ
から正月の準備もしなきゃ駄目なのに、氏子さん全然集まってない
し⋮⋮﹂
たしな
﹁あとで軟膏を塗って差し上げますから、それぐらいにしといてあ
げて下さい﹂
フィリカが女神を窘める。
﹁本当にいい子ですね、フィリカちゃんは。さすが私の信者第一号。
独立した暁には、筆頭巫女として仕えることを許可してあげます﹂
簡単に懐柔される女神。しかし賽銭箱が独立することなんてあり
えるのだろうか。
﹁ははははっ!!﹂
思わず沙良太の口から笑いが漏れる。それはどんどん大きくなり、
爆笑に変わった。
﹁むぅ、何が可笑しいんですか、失礼ですね⋮⋮そうだ!!氏子さ
んが来るまで、沙良太に手伝ってもらいましょう。うん、私が受け
た苦痛と屈辱の分、しっかり働いてもらいます﹂
いひひひひ、と魔女みたいな笑い声を上げる女神。
﹁誰がやるか、このタコ﹂
﹁沙良太さん、お願いできませんか?﹂
﹁OK、了解だ。夕方までなら手伝うよ﹂
﹁ぬぬっ、何ですかその態度の違いは!!私は神様ですよ、神様っ
!!﹂
3人の笑い声は神社の境内から大晦日の冷たい風に乗って、正月
を待ちわびる町へと広がっていった。
44
いつもと少しだけ違う大晦日と少年︵後書き︶
皆様、良いお年を
45
また災難の予感と少年
﹁あけましておめでとう、フィリカ﹂
さらた
正月も元旦が過ぎ、二日目の夕方。一般参賀者に混じって階段を
登って来た沙良太が境内に姿を見せた。神社の脇に建てられた仮設
社務所で売り子をやっていたフィリカに声をかける。
﹁あら、沙良太さん。え∼と、あけましておめでとうございます、
でしたっけ?﹂
ぬぐ
あいさつ
人出もピークを越え、少しまばらになってきたところだったので、
巫女服のフィリカは白い袖で額の汗を少し拭ってから挨拶を返した。
朝からずっと出ずっぱりだったので、彼女の桃色の長い髪も少し乱
れ気味だ。
﹁そうそう、それで合ってる。実は昨日今日と家族旅行に行ってき
たから、そのお土産を持ってきたんだ﹂
小さな箱の入った紙袋を差し出す。
あんこ
もち
﹁ありがとうございます。ところで、これは何なんでしょうか?﹂
もんぜん
﹁赤福。餡子の中に餅を埋めたお菓子、って表現が一番かな。伊勢
まち
神宮っていうこの国の神社の総元締めの神社があって、そこの門前
町の名物﹂
へ∼、と言いながら受け取った紙袋から箱を取り出し、いろんな
角度から眺めるフィリカ。どうやらさっきの説明では今一理解でき
なかったようだ。異世界の人間に餡子だの餅だのが通じる方が不思
議ではあるが。
﹁ところであの賽銭箱はいないのか?﹂
うかが
﹁女神様でしたら沙良太さんと一緒で、昨日今日とお出かけになら
れていますけど﹂
﹁あいつも旅行してるとか?﹂
﹁いえ、どこかのお手伝いに、と伺っております﹂
46
たんそく
あのトンチキ賽銭箱女神がお手伝いねぇ、と嘆息する沙良太。
と、彼の後ろから赤いジャンパーを着た小学校高学年くらいのシ
ョートカットの女の子が、息せき切って近づいてきた。
﹁お兄ちゃん、家に携帯忘れてたよ!!もう、何で私が届けに行か
なきゃならないのよ、お母さんお節介なんだから⋮⋮﹂
冬の冷気のせいか、走って来たせいか、彼女の頬はリンゴのよう
に赤い。
わち
﹁お兄ちゃんって、この方沙良太さんの妹さんなんですか?﹂
すわ
わち
﹁ああ、こんな感じで生意気だけど、一応。琶知、ほら挨拶しろ﹂
﹁何よ偉そうに⋮⋮初めまして、諏訪 琶知と言います。外国の方
なんですね。よろしくお願いします。あ、それとあけましておめで
とうございます﹂
兄に対しては不満そうだったものの、フィリカに対してはちゃん
とお辞儀をして挨拶する琶知。
﹁はい、よろしくお願いします。私はフィリカ・ラーディフといい
ます。この神社で、女神さまのお世話になっている者です﹂
﹁え?女神さまのお世話って?﹂
たしな
﹁⋮⋮琶知、細かいことは気にするな﹂
うたぐ
沙良太が窘めるが、琶知はフィリカにこの人何言ってんの?やっ
ぱ宗教系で変な電波受信してるの?みたいな疑り深い視線を向けて
いる。
と、そこへ
﹁あ∼疲れましたもう駄目です私鳥になりますどっか飛んでいきま
す後はみなさんよろしくお願いしますと倒れてしまいたいけど許し
は
てもらえないとか何で空は日本晴れなのに私の労働環境はこうもブ
ラックなんでしょうはふぅ⋮⋮﹂
じゅそ
トラブルメーカーの賽銭箱女神が足袋を履いた足で小さな草履を
ひっかけ、何やら女神らしからぬ呪詛を吐きながらぺたんぺたんと
参道の石畳に足音を響かせて現れた。
47
妹と少年
さらた
かぐらでん
﹁あなたが沙良太の妹さんですか、ふむふむ﹂
わち
な
神社本殿の隣にある神楽殿の裏手から現れた賽銭箱女神は、文字
通り値踏みするようにしげしげと琶知を眺めた。
﹁お兄ちゃん誰、この人?何か視線がいやらしいというか、舐める
ようで気持ち悪いんだけど﹂
うわぁえらいもんみつけちゃったぞ、という顔で沙良太に耳打ち
する琶知。
﹁見ての通りの変態さんだ。ついでに自分のことを女神だと触れ回
ってる痛い奴だ﹂
﹁え、マジで?それやばくない?﹂
﹁ななな何を言っているですか、失礼な!!私のアイデンティティ
を何だと思っているんです?!そもそもお金が簡単に手に入るから
ろうばい
って、乗ってきたのは沙良太の方じゃないですか!!﹂
狼狽する女神。
﹁うっさい、俺とフィリカで被害者同盟組んでもいいくらいだ!!
嘘つきまくって変な世界に連れてって、何億円も借金背負わせた癖
に。ってかいつの間にか呼び捨てになってるなおい﹂
﹁い∼んですよ、沙良太は沙良太で。サラダって呼ばないだけでも
ありがたく思ってください!!﹂
﹁あの∼女神様?﹂
フィリカがおずおずと声をかける。
﹁何ですか、信者第一号のフィリカさん?﹂
﹁あまりにお二人が騒がしいので、妹さんが本殿に人を呼びに行っ
たみたいなんですけど⋮⋮﹂
とたんに女神の顔色がさあぁっと真っ青に変わる。
﹁いけません!!年末にも怒られたばっかりなのにまた御祭神の機
48
嫌を損ねたら、今度こそお尻が八つに割れてしまいます!!ここは
休戦と言うことで、助けて下さい沙良太さん!!﹂
﹁変わり身早いな。別に俺には何のデメリットも無いんだが⋮⋮貸
しだぞ、これ﹂
そう言って沙良太は琶知が持って来たガラケーの携帯電話を開き、
琶知に電話をかける。
﹁あ∼琶知?とりあえず戻って来い。事情説明するから。え、黄色
い救急車の番号?それは別の機会で﹂
しばらくして納得いかない、という顔をした琶知が戻ってきた。
﹁お兄ちゃん、事情って何よ﹂
﹁簡単に言うと、このちんちくりんが女神ってのは本当だってこと﹂
﹁⋮⋮こんな威厳の無い、態度の悪い女神さまなんて、いるわけな
いじゃない。お兄ちゃん正気?熱は無い?変なもの食べた?酸素足
りてる?﹂
容赦のない琶知の口撃。
﹁あうぅ、沙良太を攻撃しているはずなのに、関係ない私が傷つい
て行く⋮⋮何で?﹂
﹁攻撃対象がお前だからだよ、このタコ女神。信じてほしかったら、
何か奇跡でもやって見せろ﹂
﹁え、そんなことできるの?﹂
急に琶知の攻撃が止んだ。彼女の目は手品を見る子供の用に輝い
ている。
﹁えへん。それではですね、﹃財布の厚さだけで何円入っているか
を当てる﹄奇跡をお見せしましょう!!﹂
﹁⋮⋮やっぱりただの変質者だったんだ﹂
一瞬で琶知の目が冷めたジト目に切り替わる。
﹁そうみたいだな。ごめん、俺の勘違いだったようだ﹂
﹁何で兄妹でまとめに入っているんですか!?っていうか余計惨め
になるので謝らないでください!!こうなったら⋮⋮﹂
何やら印を組んでもじょもじょと唱え始める。
49
﹁おい、何を⋮⋮﹂
﹁どうせ追加で補習を言いつけられていましたから、今から一緒に
異世界、行っちゃいましょう!!﹂
止める暇も無く賽銭箱の中から出てきた何本もの腕が、沙良太と、
ついでに琶知の襟首を引っ掴んで、そのまま賽銭箱の中に引き摺り
こんだ。
﹁じゃちょっと行ってきますので、フィリカちゃんあとよろしく!
!﹂
自分も二人を追って賽銭箱の中に飛び込む女神。
﹁あの、参拝客の皆さんが見てらっしゃったですけど⋮⋮﹂
境内にはぽかんと口を開けた数人の初詣客と、困り顔のフィリカ
が残された。
50
わんちゃんと少年
﹁ここ、どこなのよ⋮⋮﹂
なが
わち
目の前に広がるうっそうと茂った森を眺めながら、琶知が呟いた。
﹁異世界らしい。この前俺が行った場所とは違うけどな﹂
﹁そうです。フィリカちゃんがいなくなった時間軸からすると、3
どうもう
かっぽ
年と27日くらいが過ぎたところらしいですね。場所はボンジョビ
の森。獰猛な獣人たちが闊歩する、恐ろしいところですよ。がお∼
!!﹂
﹁⋮⋮小演出は要らないから。で、補習がどうこうとか言ってたけ
さらた
ど、この前ので試験は終わったんじゃないのか?﹂
沙良太の質問に、ばつの悪そうな顔をする賽銭箱女神。
﹁実はですね、前回の沙良太さんの行為が問題になってしまいまし
て⋮⋮﹂
﹁もしかして、フィリカを連れて帰ったことか?﹂
女神ははぁ、とため息をつく。
﹁それならよかったんですけど、目的達成方法に物言いがついてし
まったんです﹂
前回の冒険を思い出す。
最後はフィリカの両親の仇ごと城を焼き払ってクリア、というめ
ちゃくちゃな手段だった。むしろクレームがつかない方が異常だ。
﹁どうせやり過ぎって言われたんだろ﹂
﹁そうですよ、破壊ポイントで目的達成するんだったら破壊神でも
目指したらどうだ、なんで言われてしまいました﹂
﹁似合ってんじゃないか?﹂
﹁とんでもない!!日本には破壊神と呼べる神様がいませんから、
自動的にインド留学なんです。私、毎日カレーライスなんて耐えら
れません!!﹂
51
ぶるんぶるんと首を振る。
﹁話が見えないけど。ここが異世界だとして、どうしたら帰れるの
?﹂
困り顔で琶知が尋ねる。
﹁そこで補習として、またささっと1億円ほど稼いでくるようおお
せつかったのです!!もちろん今回は、対価代償として正当な理由
に基づいてお金を稼がなければいけません﹂
﹁私も?!﹂
﹁ええ、せっかくですので沙良太の妹さんにも協力してもらいます。
二人で、半日で1億円なんですけど、簡単でしょ?﹂
﹁どこがだ!!﹂﹁どこがよ!!﹂
ステレオで女神の左右の耳に怒鳴る。
﹁ああんうるさいっ!!とにかくカウントスタート!!あ、補習な
ので交通費は無しです。褒賞は前回と一緒で﹂
二人の視界に\100,000,000の数字が表示される。今
回は数値を共有するらしい。驚いた琶知はカウンターに触ろうと、
空中で手を動かすが触れない様子だ。
﹁これからどうすればいいの、お兄ちゃん﹂
﹁冒険しないと帰れない、ってことだ。必要なアイテムや能力は女
神に頼めば出してくれる。ただしその分カウンターに加算されるけ
どな﹂
﹁うっとおしい﹂
﹁同感だ﹂
兄妹で顔を見合わせる。とりあえず、
﹁獣人がいるんだったら会いに行ってみるか?もしくは呼び出すア
イテムがあったりするなら、使ってみてもいいけど﹂
いぬまん
﹁はいは∼い!!それならおあつらえ向きのがありますよ。安いの
で効果は微妙ですけど⋮⋮はい、犬万です!!﹂
女神がタブレットを操作すると、植物の引っ付き虫みたいなカプ
セルが大量に空から落ちてきた。
52
﹁ニンジャに大人気らしいですよ、これ。かの有名な伊賀の猿飛佐
助さんも、﹃使われてめっちゃ困りんぐ﹄ってコメント出してます
し﹂
﹁どっちかというとクレームだろ。それは宣伝としていいのか?﹂
﹁⋮⋮へえ、どんなアイテムなんだろう?﹂
琶知がカプセルを一つ手に取ってぐにぐにと指で弄ぶ。するとカ
プセルは簡単にぷちっと潰れて、中から液体が飛び出した。
﹁わっ、なんか出た!!﹂
﹁ああっ、気を付けて下さいね。遠距離ではそうでもないですが、
距離が近いほど効果が強力になるので、このあたりに動物がいれば
すぐに寄ってきますよ﹂
女神が注意するが既に手遅れ。
遠くからどしん、どしんという音が聞こえてきた。
﹁何だ?﹂
木立の間から、5mほどの高さに犬の顔にゅっと覗く。それも二
つ。
﹁げ、さっそくでかいのが二匹も来た﹂
﹁本当⋮⋮でも意外と気は優しかったりして?﹂
3人で犬顔の正面に移動する。
﹁わわわっケルベロスさんですよ、これ!!﹂
女神が叫んだ通り、それは二つの犬の頭部を持つモンスターだっ
た。
53
二匹目と少年
﹁どどどどどうしようお兄ちゃん!!﹂
わち
たしな
さらた
﹁まままま待って下さい、まだ慌てるような時間じゃないです!!﹂
﹁お前ら落ち着け﹂
テンパりだす妹の琶知と賽銭箱女神を窘める沙良太。
とうてき
﹁賽銭箱、あいつを撃退できる武器⋮⋮そうだな、何か爆発するよ
うな飛び道具を出してくれるか?﹂
﹁は、はい!!え∼と効果範囲が大型生物以上、火属性、投擲・射
出武器、で全商品を検索!!セール商品を対象に含みますか?Ye
s!!早く結果さん出てきてくださ∼い!!﹂
焦ってタブレット端末を操作する女神。さらに少しでも通信感度
すく
が良くなるように、あっちこっちに端末を向ける。その姿は傍から
見たらドジョウ掬い踊りにしか見えない。しかもこんな時でも安売
り品を見逃さないのはさすがというべきか。
インドラのや
﹁出ました!!末端価格20億円、一発使い捨てですが威力は折り
紙つき!!名付けて超小型局地戦術核弾頭∼!!﹂
﹁やめんか!!﹂
決定ボタンを押す直前で沙良太が女神の腕を掴んで止める。
﹁離してください沙良太!!今やらなきゃ、ここでやらなきゃ、皆
死んじゃうんです!!もうそんなの嫌なんです!!﹂
﹁明らかに俺たちも巻き込まれて死ぬコースだろうが!!﹂
脳天唐竹割のチョップを頭蓋骨に喰らわせる。
﹁うぐぅ、沙良太がぶった∼!!﹂
﹁じゃかましいわ、この破壊神が!!今度神社に行ったらインドで
もやってけるように賽銭箱にカレールー入れてやる!!﹂
﹁ひぃ、入れるならレトルトパックで入れて下さいよぅ。後で転売
できますので﹂
54
﹁お兄ちゃんたち⋮⋮﹂
既に落ち着きを取り戻した琶知は、兄と女神のコントを冷ややか
な目で見つめている。
と、彼女はケルベロスの様子が少しおかしいのに気が付いた。恐
ろしいその外見とは違い、襲ってくるような気配は無い。
﹁ねえ、この子何か言いたそうだよ?﹂
﹁⋮⋮どういうことだ、琶知?﹂
﹁ハーハッハッハ、ナーイスジョークです妹さん。こんな下等生物
に知能があるわけないじゃないですか!!でもそういう思春期特有
のロマンティックなところ私は嫌いじゃないですよ、スイーツ︵笑︶
!!﹂
﹁黙れ木工細工!!﹂
﹁あふぁふぁふぁふぁっ、くひをひっはらないれくらはいぃっ!!﹂
沙良太が女神の口に両方の親指を入れて引き延ばすと、柔らかい
彼女の唇はびよ∼んと伸びてどら焼きみたいな形に広がった。
﹁女神さん、動物とお話しできる道具か能力って、あったら出せる
かな?﹂
﹁あうぅ、痛かったです。⋮⋮なるほど、では今回はこれで行って
みましょう!!見切り商品君、キミに決めたっっ!!﹂
﹁おい、こいつの出すものは内容を確認してからでないと⋮⋮﹂
今度は沙良太が止める暇も無く、女神がタブレットの決定ボタン
をタッチする。
すると空から一条の光が差し込み、琶知の身体に降り注いだ。
﹁きゃあっ、何、何なのっ?!﹂
すぐに光は消えて、森は再び薄暗さを取り戻す。
そこに立っていたのは、
﹁琶知⋮⋮お前⋮⋮﹂
﹁え、お兄ちゃん⋮⋮私どうなっちゃったの?﹂
頭にちょこんと犬耳を生やした琶知だった。
55
状態異常と少年
すりすり⋮⋮
茶色の短い毛で覆われた耳に頬ずりする。
はむはむっ⋮⋮
その耳を甘噛みすると、びくっと体が震えた。
﹁ほふぁ⋮⋮いい、凄くいい⋮⋮﹂
うれ
﹁うぅ、お兄ちゃんキモい。こんなのお兄ちゃんじゃないよぅ⋮⋮﹂
わち
﹁ああ、少し憂いを帯びた表情、そしてへにょっと伏せられた耳⋮
⋮完璧だ、パーフェクトだ、琶知⋮⋮こんなところに理想の女の子
さらた
がいたなんて⋮⋮﹂
沙良太は壊れていた。
妹の琶知の頭に茶色の可愛らしい犬耳が生えた瞬間、思考回路が
め
マヒしてしまったようだ。犬耳+妹の魔力に取り憑かれ、どれだけ
ちちく
琶知に罵られても、彼女と犬耳を愛でることを止めようとはしない。
﹁はいは∼い、兄妹で乳繰り合うのはいいんですけど、家に帰って
からにしていただけませんかね∼﹂
二人の世界に入って行けず、のけ者にされた賽銭箱女神がぶ∼た
れる。
﹁そうだな⋮⋮よし、今日は久しぶりに一緒にお風呂に入ろう!!
体の隅まで耳の奥まで、お兄ちゃんがしっかり洗ってあげるよ琶知
⋮⋮﹂
﹁ギャー、なんか言葉遣いまで変わってきてる!!助けて女神様っ
!!﹂
﹁仕方がない人たちですね∼。にしてもあの沙良太がここまでポン
コツになってしまうとは⋮⋮犬耳妹恐るべし﹂
女神がタブレット画面をぽぽいっと操作すると、再び光が琶知に
降り注ぎ、次の瞬間彼女の右手にはおもちゃのようなピコピコハン
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マーが握られていた。
﹁これは﹃正気ハンマー﹄ですね。頭を叩くと精神状態が安定して
いた時まで、脳がリセットされるんです。ただ使いすぎると⋮⋮﹂
﹁え∼いっ!!﹂
思いっきり沙良太の脳天にハンマーが振り下ろされる。
ぴこんっ!!
というお約束の音が響く。
﹁お兄ちゃん⋮⋮大丈夫?﹂
恐る恐る沙良太の顔を覗きこむ琶知。
﹁ああ⋮⋮俺は一体⋮⋮はっ!!琶知に⋮⋮いぬみみが⋮⋮﹂
一瞬自分を取り戻したが、その瞳に犬耳の琶知が移り込んだ瞬間、
再び顔がにへらっと溶ける。
﹁元に戻って、お兄ちゃん!!﹂
ぴこんっ!!ぴこんっ!!ぴこんっ!!ぴこんっ!!
何度も何度もハンマーが振り下ろされる。
﹁あ、ちょっと、琶知さん?だから使いすぎると⋮⋮﹂
﹁⋮⋮わち⋮⋮いぬみみ⋮⋮かわいい⋮⋮﹂
﹁いやあぁぁぁぁっっっ︱︱︱︱正気になれぇぇぇっっっっ!!﹂
ぴこここここここここっっ!!
ハンマーの雨が沙良太の脳天を襲う。
そして5分後。
かかし
﹁だいじょうぶだ︰︰ おれは しょうきに もどった!﹂
虚ろな瞳で中空を眺めながら案山子のようにぼんやりと立つ沙良
太。
﹁良かった、やっともとに戻ったんだね、お兄ちゃん!!﹂
﹁え、いいんですかこれで?前よりさらに壊れてるような気がする
んですけど⋮⋮﹂
そんな暴言を吐いても、沙良太はいつもと違って反撃しようとも
しない。不気味に思う女神。
﹁と、本来の目的を忘れるところでした。琶知さん、あの犬の話を
57
聞いてみてください。今の琶知さんは獣人になっているので、動物
と会話ができるはずです﹂
﹁うん。犬さん犬さん、どうかしたの?私たちに何かして欲しいの
?﹂
律儀に待ってくれていたケルベロスに話しかけると、ケルベロス
はどしん、と音を立ててその場に伏せの体勢で座り込み、ゆっくり
右の前足を琶知の前に差し出す。
もり
琶知と女神が近寄って見ると、黒い毛に覆われた前足の甲には、
大きな金属製の銛のようなものが足を貫くようにして深々と刺さっ
ていた。
58
未必の故意と少年
さらた
﹁はっ⋮⋮俺は一体何を⋮⋮確か犬耳が⋮⋮﹂
沙良太が我に返ったのは、森の中をのしのしと歩くケルベロスの
背中の上だった。
わち
﹁やっと気が付いたの、お兄ちゃん。大変だったんだから﹂
はぁ、とため息をつく妹の琶知。その頭には不釣り合いなくらい
せいへき
大きな、ぶかぶかの茶色いハンチング帽が乗っかっている。
﹁いや∼沙良太にあんな隠された性癖があったなんて、私も驚きで
したよ。うぷぷ⋮⋮﹂
﹁おい何のことだ、説明しろ賽銭箱﹂
﹁お兄ちゃん、そんな言い方しないで!!﹂
かば
いつも通りに賽銭箱女神を詰問しようとしたところ、意外にも琶
知が女神を庇った。
驚く沙良太。
﹁お兄ちゃんが変になってる間に、女神さんがこの子の怪我を治す
とげ
道具を出してくれたんだから﹂
﹁いえいえ、刺さってた棘を抜いて薬を塗っただけですから。おか
げで﹃野生生物保護手当﹄﹃巨大生物治療手当﹄﹃動物愛護手当﹄
﹃敵性生物交流﹄などなど真っ当な方法で、道具と能力の代金を引
いても1000万円くらいプラスになりましたよ﹂
誰かさんと違って妹さんは優秀ですね∼、と沙良太の方を見る女
神。
確かに視界の隅に表示されているカウンターは、89,423,
532円と減っている。
﹁⋮⋮ごめん、俺が迷惑かけたみたいだな。悪かったよ﹂
﹁分かってくれればいいのよ、もう⋮⋮﹂
帽子の位置を直しながら、兄が素直に謝ったことに意外さを感じ
59
て少し照れる琶知。
﹁まあ仕方ないですよ。安かったのと、面白いかな∼っていう好奇
心だけで、琶知さんに犬耳付けた私にも責任がありますから﹂
途端に沙良太と琶知の表情が固まった。同時に二人の目が怪しく
光る。
﹁琶知、こいつ⋮⋮ウザくない?﹂
﹁そうね、お兄ちゃん⋮⋮処す?こいつ処す?﹂
﹁⋮⋮あ、これはもしかして自爆した系ですか?﹂
賽銭箱女神が青ざめる。
﹁Yes,Yes,Yes﹂
﹁おーまいがっ!!私も神様ですけどっ!!﹂
ぽこぽこぽこぽこぽこっっ!!
﹁ああっ、猫パンチならぬ犬パンチのラッシュっ!!痛いっ!!で
も気持ちいいっ!!﹂
﹁で、今は周囲を見渡せる高台に向かっている、と﹂
﹁うん。この子がお礼に案内してくれるんだって﹂
琶知が毛皮と撫でると、ケルベロスは片方の頭だけを器用に曲げ
て、琶知の顔をぺろっと舐めた。生臭い涎が沙良太に飛んできたが、
琶知は気にしていない。獣人化しているからだろうか。
﹁あうぅ、容赦がないところは流石兄妹⋮⋮ぐふっ﹂
顔面を犬の足跡だらけにした女神は、どこか嬉しそうな表情で琶
知の尻の下に敷かれている。
やがて森が途切れた。
小高い丘の上に立った三人の眼下には、アマゾンのような緑のジ
ャングルが広がっていた。
﹁へ∼こんな場所だったんだ∼。自然がいっぱいで気持ちい∼!!﹂
琶知が感嘆の声を上げた瞬間、手前の大木が轟音と共に倒れた。
60
襲撃と少年
コーンコーンコーン⋮⋮
斧の音が響く度に大木が揺れ、やがて耐えられなくなったものか
きこり
ら何百年もの歴史を刻んだその巨体を、次々に大地に横たえていく。
さらた
ホイホイへー、ホイホイへーと、何やらパチもん臭い樵歌が崖の
上にいる沙良太たちのところまで聞こえてきた。
﹁これって森を開発中、ってことなのかな?﹂
﹁でもここ、獣人が住んでいるんだろ?そんなところまでわざわざ
わち
木を切りに来る奴がいるのか?﹂
首をかしげる沙良太と琶知。
﹁誰がいるのか分かりませんけど、とりあえず下に降りて話を聞い
てみませんか?﹂
相変わらず琶知の座布団になっている賽銭箱女神が、彼女の尻の
下から提案した。
﹁そうね⋮⋮べろちゃん、この崖から降りれる?﹂
﹁ちょちょっ、琶知さん!!ケルベロスの名前がべろちゃんって、
そんな安直なのでいいんですか?﹂
﹁俺は別にいいけど。名前が無いと呼びにくいし、お前に任せたら
ふざけて﹃ベルガ・ケロス﹄とかつけられそうだし﹂
﹁あ、名前と言えばお二人とも私の名前をををををっっっっ!!!﹂
女神の台詞の途中で3人を乗せたままケルベロスが崖から飛び降
りた。ジェットコースターが斜面を滑り降りるような急加速で、一
瞬重力が中和される。
無重力飛行は長くは続かず、どすん、という音と共にケルベロス
は四本足で大地に降り立った。
﹁ぐげぎゃっっ!!﹂
衝突の衝撃で琶知のお尻に潰された女神が、ヒキガエルのような
61
断末魔の声を上げる。
﹁っと、着いたか。皆無事みたいだな﹂
﹁うん。木を切っている人を捜しに行こう!!﹂
﹁え?さっき私悲鳴を上げてましたよね?全然無事じゃなかったで
すよね?﹂
抗議の声を上げる女神を無視する兄妹。言っても無駄だと気付い
た女神は、大きなため息と共に諦めた。
先ほどの着地の音に驚いたのか、今は斧の音は途絶えている。急
に静かになった森を歩くケルベロス。3人はその上から人影を捜す。
しかし何も見つからない。
倒れた木の周りには、他に幹に傷が付いた木や、作業途中で放り
出された錆びかけの鉄の斧が転がっている。
﹁どこいったんだろう?﹂
﹁⋮⋮もしかして、お化けだったとか?﹂
琶知が身震いした。
﹁いやいや、木を切り倒すのが趣味なんて、そんなマッチョ系幽霊
がいたら別な意味で怖いですよ。呪いのビデオで井戸からボディビ
ルダーが出てきたら、私なら全速力で逃げますね∼﹂
﹁でも下には誰もいないしな⋮⋮﹂
﹁お兄ちゃん、下にいないってことは、もしかして⋮⋮﹂
沙良太と琶知は顔を見合わせる。
﹁あれあれあれ、また兄妹でラブラブ始めるつもりですか?もう勘
弁してくださいよぅぎょっ!!﹂
突然立ち上がった琶知が女神を踏んづけた。
﹁上からっ!!﹂
3人が見上げたのと同時に、ケルベロスよりさらに背の高い巨木
の茂みから、人型の影が襲い掛かってきた。
62
共同作業と少年
さらた
わず
ゆうよ
頭上から襲い掛かる人影は3つ。だが一瞬早く気付けたおかげで、
沙良太たちにほんの僅かだが反応する猶予が与えられた。
﹁何か武器︱︱じゃなくて防御だ!!賽銭箱、俺たちに盾をっっ!
さらた
!﹂
沙良太が女神に叫ぶ。
﹁あいあ∼いっ!!こんな時こそ買い物カートに入れっぱなしにし
ふところ
ておいたアイテムたちの出番ですねっ!!私、偉い!!私、輝いて
わち
ます!!とうっ!!﹂
琶知に踏まれた状態で懐からタブレット端末を取り出した女神が、
ページ履歴を呼び出して決定ボタンを押す。
すぐに沙良太と妹の琶知に光が降り注ぎ、次の瞬間二人のそれぞ
みが
れの右手には、丸い形をした黄金の盾が掲げられていた。その表面
は鏡のように磨き抜かれており、反対側の景色が映りこんでいる。
﹁それは﹃イージスの盾﹄です!!ギリシャ神話の軍神アテナが持
っていた無敵の盾!!2個セットの複製品ですが、強度は折り紙つ
きです!!これでどんな攻撃が来てもへっちゃらですよ!!﹂
その言葉を証明するかのように、二人の手の中で鈍く重厚な輝き
を放つ盾。
﹁十分だ。行くぞ、琶知っ!!﹂
﹁うん、お兄ちゃんっ!!﹂
﹁え⋮⋮行くって?﹂
女神の疑問をよそに盾を構える沙良太と琶知。2人に飛びかかる
3つの影。
その瞬間、
﹃だりゃあぁぁぁっっっ!!!﹄
沙良太と琶知が振りぬいたイージスの盾が、同時に襲撃者の顎を
63
打ち抜いた。
めしゃごきっ、という顎骨が砕け、歯がへし折れ、顎関節が脱臼し
た音が響く。
﹁ええええっっっっ!!!﹂
﹁ふむふむ、確かに無敵かも﹂
﹁そうだね、軽くて丈夫だし﹂
﹁いやいやいやいや盾ですよ?防具ですよ?なんでそれで殴っちゃ
ってるんですか?もしかして間違ってるの私の方なんですか?﹂
顎を粉砕された2人の襲撃者は、体勢を崩したまま落ちていく。
﹁次、合わせろっ!!﹂
﹁分かったっ!!﹂
うな
はさ
遅れて3人目の襲撃者がケルベロスの毛皮の上に降り立った。と
同時に、沙良太と琶知のイージスの盾が唸る。
﹃死ねぇぇぇっっっ!!﹄
二つの盾が左右から同時に迫る。
襲撃者の顔は、打ち合わされた巨大なシンバルに挟まれたかのよう
に、ばぁん、という音と共に平たく押しつぶされた。身体から力が
抜け、ケルベロスの背からずるずると滑り落ちる。
﹁ふぅ、危なかったな﹂
﹁早く下に降りて確認しないと。ここ、かなり高いけど落ちても大
丈夫かな﹂
﹁はへ?大丈夫もなにも、さっき思いっきり死ねって言ってました
よね?ね?﹂
琶知がケルベロスに指示すると、ケルベロスは膝を折ってその場
に伏せた。最初に沙良太が飛び降り、琶知、最後に賽銭箱女神が続
く。
襲撃者たちはすぐに見つかった。3人とも顎、もしくは頭を抱え
て低い木々の間を痛みに耐えながら転がりまわっている。
その顔を見て、沙良太たちは息を飲んだ。
﹁これが⋮⋮獣人⋮⋮﹂
64
新宗教と少年
うめ
﹁おい、賽銭箱⋮⋮﹂
さらた
地面に倒れて呻き声を上げる獣人を指差しながら、沙良太が言葉
に詰まる。
﹁⋮⋮言わないで下さい。言いたいことは分かってますから﹂
ぷるぷる震える賽銭箱女神。
が、
わち
﹁ぷふっ、何でこの人たち裸ワイシャツなのよ?﹂
琶知の容赦ない一言で波が堤防を越えた。
﹁ははっ、だはははっ!!毛だらけのおっさんが裸ワイシャツ!!
かんにん
しかもネクタイ付けてるっ!!﹂
﹁ひーひーっ、か、堪忍して下さいっ!!も、もう私もライフがゼ
ロですよぅっ!!﹂
﹁ちょ、二人とも笑い過ぎ⋮⋮ぷっ、きゃはははっ!!﹂
三者三様に大爆笑する。
そう、沙良太たちを襲ってきた獣人⋮⋮全身が毛に覆われ、顔ま
で犬や猫っぽく鼻先が突きだしている⋮⋮彼らは何故か、その裸の
身体にワイシャツの上だけ、胸をはだけるようにして羽織っていた。
しかもネクタイを首に巻き、その先端が胸元でぷらぷら揺れている。
﹁は∼笑った笑った⋮⋮賽銭箱、何か治療道具か治療魔法を出して
くれるか?こいつら治してやらないと、話もできないだろうし﹂
﹁あ、私やる、魔法使ってみたい!!﹂
﹁じゃあ琶知さんが治癒魔法を使えるようにしますね。ぽぽちっと
!!﹂
女神がタブレットを操作すると琶知に光が降り注ぐ。
それを確認すると、琶知は二三回手をぎゅぎゅっと握って、一番
近くで倒れている犬型獣人に近づいた。
65
アルティメットワイドフォースヒーリング
﹁いくよ、えっと⋮⋮﹃究極広域強制治癒魔法﹄!!﹂
琶知を中心に緑の蛍光色で輝く魔方陣が現れて広がっていく。が、
広がる速度が異様に早い。傷ついた獣人たちどころか、そのまま森
全体を包むように魔方陣が広がっていく。
﹁あ、あれ?﹂
魔方陣に触れたところから強制的な治癒が始まる。獣人たちの傷
はもちろん、歯も生え変わり、痛みが瞬時に取り払われる。だけな
らよかったのだが、
﹁気のせいかもしれないが、何だか森が深くなってきたような⋮⋮﹂
沙良太の言う通り、木には枝葉が生い茂り、それどころか地面か
ら草や花、若木、テントウムシや蝶などの昆虫などなど⋮⋮全ての
生き物に生命力が溢れ、その成長は止まることを知らない。その様
を眺めるケルベロスは、無言だが何だか嬉しそうだ。
ごくさいしき
魔方陣の光は数秒で消え去ったが、その間にうっそうと茂ってい
あで
た森はさらに密度を増して薄暗くなった。地面には南国風の極彩色
の花々が咲き乱れている。見たことも無い艶やかな蝶が、沙良太の
目の前をひらひらと横切った。
﹁⋮⋮高いものが状況に適している、とは限りませんね、はい﹂
﹁どーすんだこの惨状。ナウ○カごっこでもやるつもりか?﹂
ぽこっと女神の頭をはたく。が、治癒魔法の効果がまだ残ってい
たのか、あまり気にしていない様子だ。
﹁ねえ、どうしようこの人たち⋮⋮﹂
と、琶知が困惑した声を上げる。
沙良太が彼女の方を見ると、3人の裸ワイシャツ獣人が彼女を取り
囲むようにしてひれ伏し拝んでいた。
﹁おおお⋮⋮女神様だべ⋮⋮﹂
﹁ありがたやありがたや⋮⋮﹂
66
悪の気配と少年
﹁女神ざま、ごごがわすらの村だべ﹂
﹁何もねえところだんが、まんずゆっくりしてってけろ﹂
さらた
﹁んだんだ。今、根っこの茶っこでも持ってくんべさ﹂
3人の裸ワイシャツ獣人に連れられて沙良太たちがやってきたの
は、30件ほどの家が立ち並ぶ小さな村落だった。
﹁⋮⋮獣人の言葉って難しいんだな﹂
わち
﹁私半分も分からなかった。何で獣人化能力で分からないんだろう
?﹂
首をかしげる沙良太。琶知も帽子の中で自分の頭に生えた耳をい
じりながら考えている。
﹁⋮⋮突っ込みませんよ。私は絶対突っ込みませんよ、ええ﹂
ぶつぶつ呟く賽銭箱女神。ちなみにケルベロスは村の入り口でお
座りして待たせている。
﹁そういえばベロの傷って、あの獣人たちが仕掛けた罠が原因だっ
たんだろ﹂
﹁うん、許せないけどあんなに拝まれたらちょっと⋮⋮あとあの人
たち、格好も変だし⋮⋮﹂
﹁いや格好は関係ないでしょう格好は!!そりゃあ獣人が裸ワイシ
ャツにネクタイっていうのは気にはなりますけど⋮⋮それ以前に、
いちべつ
ここに本物の女神様がいるというのに何で全員スルーなんですかぁ
っ!?﹂
おふたり
人目もはばからず叫び声をあげる彼女を一瞥する沙良太と琶知。
﹃⋮⋮人徳?﹄
声がハモった。
﹁ヌギャー、この兄妹ってばイヤーっ!!って、誰ですか私を突っ
ついてるのは?﹂
67
いつの間にか女神の周りには子供の獣人が集まってきていた。さ
すがに子供ともなると何も着ていないが、女の子は頭に花が付いて
はし
か
ひ
いるため性別は分かる。そのうちの一人の子供が、珍しそうに彼女
の赤い袴の端を爪先で引っ掻いていた。
﹁ああ、純粋な子供たちが私の神々しさに惹きつけられて集まって
きてくれたのですね⋮⋮あ、ちょっと隙間から手を入れないで下さ
いっ!!わひゃっ!!中っ、履いてないから中はダメぇっっ!!﹂
すそ
引き離そうと暴れる女神に、子供たちが面白がって群がる。巫女
服の裾がひらひら宙を舞うと、そこに飛びつく幼い獣人たち。猫の
目の前で猫じゃらしを振るようなものか。
﹁わ、可愛い!!﹂
琶知のところにも何人かの子供たちが近寄ってきたが、飛びつい
たりせずに大人しくしている。彼女が高さを合わせてしゃがみ込む
と、ぺろっとおっかなびっくりその顔を舐めた。
﹁間違っています⋮⋮色々と間違っていますよこれ!!処遇の違い
な
に異議を申立てますっ!!沙良太も見てないで止めて下さい!!あ、
ほほ
なが
生足舐めるのやめてっ、太ももに猫舌ってザラザラしてるぅっ!!﹂
微笑ましい光景を笑って眺める沙良太。が、それも長くは続かな
かった。
﹁ん、ん、んん?何やらケダモノどもが集まっておりますぞ?﹂
﹁臭いですな、やはりケダモノはガキの頃から臭いものですな﹂
子供たちに囲まれる3人のところに、獣人ではない、制服を着た
警備兵のような人間の男が2人、下卑た顔をぶら下げて近づいてき
た。
68
複雑怪奇な新事情と少年
さらた
﹁おお、ケダモノだけかと思ったら見慣れぬガキがおりますな﹂
簡単な革鎧と槍で武装した男二人は、沙良太たちの姿に気が付く
と獣人の子供たちをかき分けて近づいてきた。
﹁小僧、ここはシャンドラ王国ボンジョビ村駐屯地。一般人の立ち
入りは禁止されているのですぞ。何故お前たちはここにいるのか、
聞かせてもらおうではないか?ん?﹂
わち
片方の男が上から覗きこむようにして沙良太たちを見下ろす。相
手の身長は180cmはある。小六の琶知はもちろん、中二の沙良
太にしても体格差がありすぎる。
﹁どうしよう、お兄ちゃん⋮⋮﹂
﹁沙良太、面倒なので全部﹃薙ぎ払え∼!!﹄ってやっちゃいませ
んか?あと腐れなく﹂
慌てて沙良太の服の裾を掴む琶知。と、何も考えてずに適当なこ
とをのたまう賽銭箱女神。
﹁いいけど、お前の365日耐久カレー生活が近づくだけだぞ﹂
﹁あわわわ、それは堪忍してつかぁさい!!﹂
誤魔化すためにタブレットで今日の天気を調べ始める女神。異世
界にも気象衛星があるだろうか。
せっこう
﹁んん、怪しいな。いやかなり怪しいぞ、お前たち﹂
﹁もしや魔王軍の斥候が化けているのでは?﹂
兵士の疑惑の目に敵意が混じり始める。危険な兆候だ。
﹁おい賽銭箱、魔王軍ってどういうことだ?魔物や魔王がいるって
のは聞いてたけど⋮⋮﹂
﹁おかしいですね。前回来た時魔王は自分のお城に閉じこもってて、
魔物も特に組織だった動きはしていなかったはずなんですが﹂
ちょっと調べてみます、と天気図のページから魔族分布情報を呼
69
び出す。
どうやら魔物は雨雲扱いらしい。
﹁何にしても取り調べる必要がありそうですな⋮⋮デュフフ﹂
は
﹁全部脱がせて上から下までたっぷり調べてやるのだ⋮⋮ただし靴
下は履いたままで﹂
﹃へ、変態だーっ!!﹄
でえかん
この時ばかりは3人の心の声が一つになった。と、そこへ、
﹁ま、待って下せえお代官様がた⋮⋮﹂
わす
いや
沙良太たちを村へ案内した犬型獣人の一人が現れ、兵士たちを止
めた。
ふすぎ
﹁何だ、ケダモノが何の用だ?﹂
﹁その方々は、不思議な力っこで儂ら傷付けた森を癒すてくだすっ
た女神さまとその御一行さまだべ。手荒い真似さすないでくんろ﹂
ほとんど土下座位に近い形で平伏し頼む。
﹁ほう、こいつらが、ですかな﹂
男たちが値踏みするような目で沙良太たちを見る。
﹁あの人たち、獣人の言葉が分かるんだ﹂
﹁すげぇな、獣人化能力でも太刀打ちできなかったってのに﹂
﹁お二人とも驚くポイントはそこなんですか!?﹂
賽銭箱女神がタブレットを操作しながら突っ込む。
﹁⋮⋮だったらなおさら取り調べが必要ですな。ただのガキにそん
な力があるはずもない﹂
はたん
﹁魔王と同じ、見た目だけ若い魔族かもしれませんしな﹂
﹁そ、そっただこと⋮⋮﹂
力なくうなだれる獣人。
会話内容はよく理解できなかったが、交渉が破綻したことは雰囲
気から感じ取れた。
﹁賽銭箱、念のためにいつでも武器を出せるよう準備しといてくれ﹂
﹁ああん、神使いが荒いですよもう!!﹂
と、その時
70
カーン、カーン、カーン、カーン⋮⋮
村の中に危急を告げる半鐘の音が鳴り響いた。
﹁残念、魔王軍が来てしまいましたか﹂
﹁こちらには勇者様がいるというのに、諦めの悪いものですな﹂
二人の兵士は舌打ちをし、土下座を続ける獣人に沙良太たちを拘
束するよう命令して去っていく。
﹁助かったの?﹂
兄の陰から例の殺人鈍器と化したイージスの盾を握りしめた琶知
が顔を出す。果たして助かったのはどちらの方だろうか。
﹁ええっ∼!!﹂
突然女神が叫び声を上げる。
﹁どうしたんだ?﹂
﹁ちょっとこの勢力図を見て下さい。さっきの森とここの村が、ち
ょうど魔族と人間が衝突する最前線になっているんです!!3年前
は国境から200kmほど離れた安全圏だったのに、一体どうして
こんな⋮⋮簡単に侵略されすぎですよ、人類!!﹂
﹁それってもしかして、この村が戦争の真っ最中、ってことなの?﹂
不安そうに兄を見上げる琶知。
﹁じゃああれが、魔王軍⋮⋮なのか⋮⋮﹂
遠くに立ち上る土煙を眺めながら沙良太は呟いた。
71
勇者と少年
さらた
﹁女神様、お連れの方々もこちらへ⋮⋮﹂
わち
兵士たちが去った後、沙良太たちは犬型獣人に誘導され、獣人の
子供たちと一緒に避難場所へと向かっていた。うち数人は琶知と賽
なま
銭箱女神にくっついて離れないので、仕方なくぶら下げて歩いてい
る。
ちなみに獣人の言葉は訛りがあまりにも厳しかったため、全自動
方言標準語変換呪符﹃おいら東京さいくだ﹄を装備することでやっ
と理解できるようになった。
﹁何で人間が、しかもあんなに偉そうにうろついているんだ?ここ
は獣人の村じゃないんですか?﹂
﹁⋮⋮あいつらは、共和国から派遣された国境警備隊です。この村
が魔族と衝突する最前線になった際中央から送り込まれてきたんで
すが、正直なところ我々も対応に困っています。﹂
犬型獣人の話によると、3年前にここいら一帯を治めていた王国
が内乱で崩壊。その後残った有力貴族を中心にした共和政が敷かれ
ることになったのだが、獣人を初めとした亜人種を3等国民に指定
し、過酷な労働義務と重税を課し始めたのだという。
だが運悪くそのタイミングで魔王軍の進出が始まったことから、
国家総動員ということで圧政が正当化されてしまった。獣人たちも
自分たちの生活を護るため、仕方なく古くからある森の開拓や、魔
王軍相手の戦場での人足として働いている、ということだ。
﹁こんな変な服を着せられて、あからさまに差別されて⋮⋮いっそ
魔王軍に寝返った方が楽かもしれません﹂
犬頭の長い口から大きなため息が漏れる。そうでなくても漏れ漏
れだが。
﹁そういえば、最初に俺たちを襲ったのは何でだ?﹂
72
﹁森の守護獣が復讐に来たんだと思ったからです。あの森の開拓を
始める時、森の主である3つの頭を持った犬の怪物を倒したんです。
その時、まだ幼かった2つ頭の子供がいたのですが、逃がしてしま
っていたので⋮⋮﹂
﹁勝手よ!!自分の都合で生かしたり殺したり、あなた達が嫌いな
共和国の人間と同じじゃない!!﹂
琶知が怒りの声を上げると、犬型獣人はそうですね、と肩を落と
した。
ぼうくうごう
くぼ
しばらくすると村の一番奥、切り立った崖の下に、人工的に掘ら
れた防空壕のような窪みが見えた。
﹁ここが兵士たちが戦っている間、村人が隠れるために作った場所
です。女神様たちには不自由をかけますが、敵が撤退するまでこち
らでお過ごしください﹂
沙良太が中を覗くと、50人近い獣人、主に老人子供や女性が身
を寄せ合ってひしめいていた。
男の獣人たちは戦いに加わっているのか、洞穴の周囲を警備する
者以外姿が見えない。
﹁う∼ん、不思議ですねぇ﹂
賽銭箱女神が首をかしげる。
﹁何がだ?﹂
﹁いえ、魔王軍というのがどの程度の魔物で構成されているのかは
知りませんが、団体行動が取れる魔物というのは知能がある、つま
おもむ
りそこそこ強力なはずなんです。そんな敵の大軍相手に、さっきみ
たいなへらへらした連中が勝てるんでしょうか?﹂
言われてみればその通りだ。先ほどの二人の兵士も、戦場に赴く
にしてはあまりにも緊張感が足りなかった。何やらルーチンワーク
をこなしているだけの様にも感じられる。
﹁疑問に感じられるのもごもっともです。実際あの警備兵たちの仕
事は、魔物を倒すのではなく食い止めてさえいれば良いんですから﹂
﹁でもそれじゃ、魔物だって撤退するわけないだろ?﹂
73
犬型獣人が首を振る。
﹁彼ら以外に魔物を倒す役が他にいるんです。それが⋮⋮﹂
﹁あっ、勇者様だ!!﹂
子供の獣人たちが空を指さす。その方向に3人が顔を向けた瞬間、
金色の光がどんよりと曇った空の上から雷のように蛇行して落ち、
轟音と共に大地に激突した。
あら
立ち上る煙と放たれる金色のオーラ。やがて煙が薄れると、その
中心に立つ人物の姿が露わになった。
﹁あれが⋮⋮勇者!?﹂
﹁⋮⋮ずいぶんマニアックな格好の勇者がいたもんですねぇ。その
筋で高く売れそうですよ﹂
﹁お兄ちゃん、あんまり見てると、変なことしてたってお母さんに
言いつけるからね﹂
そこには沙良太と同じくらいの年齢の少女が、両先端に金具の付
いた棒のようなものを持って立っていた。
彫りの深い異国調の整った顔立ち、やや褐色がかった肌に黒い髪。
黒いフレームの縁なし眼鏡の奥には、意志の宿ったとび色の瞳が見
える。
そんな勇者と呼ばれた彼女が着ていたのは⋮⋮塩素の混じった水
滴を滴らせる学校指定のスクール水着だった。
74
水泳部員と少年
﹁ゆうしゃさま∼!!﹂
﹁がんばって∼!!﹂
金色の光と共に現れたスク水姿の褐色メガネっ娘に、獣人の子供
たちから声援が送られる。
さらた
メガネっ娘はそれに応えるべく避難所の方を振り返って手を挙げ
た⋮⋮ところで沙良太たちと目が合った。
動きが止まる。そして、
﹁あっ、逃げました!!﹂
﹁追うぞ!!﹂
だっと
﹁うんっ!!﹂
わち
脱兎の勢いで駆けだす女の子を3人が一斉に追いかける。一番早
かったのは獣人化の能力を得た琶知だった。一歩二歩と地を蹴って
踏み出すたびに猛烈な加速がかかり、10歩もしないうちにメガネ
っ娘に飛びついた。
﹁ちょっと、何で逃げるのよ!!﹂
﹁何でって、恥ずかしいからに決まってます!!そんなのも分から
ないの?!﹂
﹁水着で光りながら落ちてきた人に言われたくないわよっ!!﹂
スク水の背中に狛犬みたいな恰好で座る琶知と、その下で身をよ
じるメガネっ娘。
﹁おいおい、どこの阿呆か知らんがうちの氏子に手ぇ出してんじゃ
ねぇよ!!﹂
と、彼女の取り落した棒から声がしたかと思うと、次の瞬間そこ
には賽銭箱女神と似たような巫女服を着た、これまた褐色肌の髪の
短いボーイッシュな女の子が立っていた。
﹁うげ⋮⋮あんた確か帝釈天さまのとこの⋮⋮﹂
75
いしこりどめ
彼女の姿を見るなり、やっと追いついた賽銭箱女神がいや∼な顔
をする。
﹁ん、そういうお前は伊斯許理度売んとこのトラブル賽銭箱じゃん﹂
﹁こいつ、知り合いなのか?﹂
沙良太が尋ねる。
こんごうしょ
しんか
﹁ええまあ⋮⋮知り合いと言いますか、同期と言いますか⋮⋮﹂
﹁おう、あては帝釈天さまんとこにあった金剛杵から神化した器物
神、通称コンだ。よろしくな!!﹂
てのひら
右の手を沙良太に差し出す。それを握ると、少し汗ばんだ肌の体
温が沙良太の掌に伝わって来た。
すわさらた
﹁で、お前らもこの賽銭箱の試験に付き合ってるところなのか?﹂
すわわち
﹁都合も聞かず半ば強制的に。諏訪沙良太です﹂
﹁説明も一切無かったし。妹の諏訪琶知です﹂
自己紹介と一緒に、ここぞとばかりに愚痴を言う沙良太と琶知。
﹁ちょっと!!私の上でのんびり話してないで、さっさと退いてく
れません?﹂
﹁あ、忘れてた。ごめんなさい﹂
尻に敷かれたスク水メガネっ娘が抗議の声を上げる。琶知が彼女
の背中から降りると、少女は立ち上がり自分のスク水のお腹に付い
あ
た砂をぱんぱんと払った。が、生地が湿っていたためまだ大分汚れ
ている。
﹁ふう、初対面だというのにひどい目に遭いました﹂
﹁まだまだ甘いですねぇ、この兄妹の容赦無さはここからが本当の
地獄ですよ﹂
﹁そんなの味わいたくないです﹂
こっそりと愚痴の復讐をする賽銭箱女神。
さんこしょ
﹁ところでフォーク女、こちらのスク水痴女さんは何者なんですか
?﹂
こんごうしょ
﹁フォーク言うな、びっくり箱女﹂
どうやらコンは、金剛杵と言っても三鈷杵、棒の両方に三つに分
76
かれた刃の付いた武器の神化したものらしい。
まさら
﹁ふふん、この子はあてが探し出した逸材中の逸材だよ。適当に騙
して巻き込んだだけのあんたとは質が違うぜ。真新、自己紹介して
やりな﹂
なかむらやまさら
真新と呼ばれたスク水褐色メガネっ娘が進み出る。
﹁初めまして。コンのパートナー、中村屋真新です。中学二年生。
見ての通りの水泳部よ﹂
沙良太は水泳部って異世界で勇者をやるのが活動か、と突っ込も
うとしたが止めた。
﹁真新の親父は帝釈天さまの故郷、インド出身なんだ。それはあて
がい
のルーツでもある。あてと真新はこの世界で勇者として魔物を倒し
せん
て武を磨き⋮⋮破壊ポイントを溜めて破壊神の卵としてインドに凱
旋する!!﹂
77
稼ぎ場と少年
ずば∼ん!!とドヤ顔でポーズを決める短髪の金剛杵女神。
﹁そうですか、じゃあ頑張って下さい﹂
さらた
﹁ちょちょ⋮⋮待てよ!!あんたそれでいいのかい?﹂
あっさり流す沙良太に女神が食い下がった。
﹁はい?﹂
﹁あんた、あの諏訪沙良太なんだろ!!突然現れて破壊ポイント第
一位に躍り出た、数十年ぶりの破壊神候補筆頭!!あんたとあてら
とは、破壊ポイントを競い合うライバル同士じゃないのかい?!﹂
何がこじれてそんな話になってしまったのか。賽銭箱女神を睨む
が、当の彼女はどこ吹く風だ。
﹁いやですねぇ、沙良太の破壊ポイントはただの副産物ですよ。こ
の世界では行動の全てが換金されるので、手段の一つとして国崩し
をしたらついてきたんです。言わば買い物でポイントが貯まるよう
なもの。偶然ですよ、ぐ・う・ぜ・ん!!﹂
﹁な⋮⋮あれだけの破壊ポイントを、金儲けのついでで稼いだだと
?!﹂
﹁当たり前じゃないですか。目的のために何かを壊すことはあって
も、壊すこと自体を目的にするなんて。相変わらずダブルフォーク
わ
女は発想が不毛と言いますか野蛮と言いますか、エレガントじゃな
いですね∼、ぷふ﹂
ち
ひね
鼻で笑って勝ち誇る賽銭箱女神。のほっぺたを、沙良太と妹の琶
知が両方から捻り上げる。
﹁何挑発してんだよ、っていうかお前じゃなくて俺が破壊神候補っ
てどういうことだ?﹂
﹁何勝手に人のお兄ちゃんをインド送りにしようとしてんのよ。行
くんなら一人で行ってよね﹂
78
﹁ひぎゃぎゃぎゃっ!!のひる!!いひゃい!!やめへぇっっ!!﹂
まさら
だらしなく口を広げた女神は逃げようともがくが、諏訪兄妹の腕
はがっちりと頬肉を掴んで離さない。沙良太は金剛杵女神と真新と
かいうスク水褐色メガネっ娘に向き直る。
﹁ということで、破壊ポイントとか破壊神留学とか興味ないんで、
そっちはそっちで好きにやってて下さい。あ、このアホ箱女神は俺
らが〆︵しめ︶ときますんで大丈夫です﹂
お、おう、と金剛杵女神は若干引いた生返事を返すと、ひょいっ
と巫女服の裾を翻してスク水少女の横に立つ。
﹁ならいいんだけどよ。ここはあてらが先に来てたんだからな。魔
王軍とかいう連中が定期的に湧いてくるから、適当に蹴散らすだけ
でポイントも神徳も溜まってくれるいい稼ぎ場なんだよ﹂
﹁あのっ!!﹂
立ち去ろうとする金剛杵女神の背に向かって、琶知が呼びかける。
﹁あの、お二人は勇者って呼ばれてますけど、魔王軍を追い払って、
もう二度とこの村にやって来ないようにする、とかできないんです
か?その、魔王を倒すとかして⋮⋮﹂
﹁うんにゃ、それだと魔王軍がいなくなるだろ?攻めてくる奴らを
適度にあしらうだけでポイントが貯まる美味しい状況なんだから、
わざわざそんな面倒くさいことしたくないね﹂
﹁でも村の人たちが困ってて⋮⋮﹂
﹁それはそれ、これはこれ。そこの箱女と一緒で、あてらはあてら
の修練目的で来てるんだ。稼ぐだけ稼がせてもらったら、後のこと
はこの世界の連中に任せるさ﹂
つまりそう遠くない未来、ポイント稼ぎに飽きた勇者は突然現れ
なくなる。そして勇者に頼り切った村の防衛戦は簡単に崩壊し、共
和国軍兵士も、その後ろで震えるしかない村の獣人たちも、一方的
に魔王軍によって殺戮蹂躙されるだろう。
﹁非道い⋮⋮﹂
﹁非道くはない。本来ならこの村は、とっくの昔に魔王の勢力圏に
79
堕ちていた。あてらはそれを押し留め、ここに仮初の平和をもたら
している。そういう戦略上のアドバンテージがあるのに、この村の
連中は逃げようとしない。かといって反撃の橋頭保にしようともし
ない。それは奴らの選択で、ならその責任を負うのも奴らさ﹂
反論しようとしたが、うまく言葉にできずに黙り込む琶知。
女神の言うことは間違っているわけではない。兵士は命令でここ
にいるのだろうが、村人たちは危険と天秤にかけた上であえて村に
残る方を選んだ。その責任は彼らにある。
﹁あぎゃん!!ひからをほめにゃひで!!﹂
まさら
琶智の無言の抗議が握力に変わり、賽銭箱女神の頬を理不尽に責
める。
ヴァジュラ
﹁じゃあな。行くよ真新、今日もばっちし稼ぐぜ!!﹂
﹁ええ、任せて!!﹂
ヴリトラ
金剛杵女神がその元の姿、古代インドの武器である金剛杵に姿を
インドラ
変える。
ぼんのう
帝釈天が魔物を打ち砕くため、聖者の骨から造りだした法具。後
に仏教と共に日本に伝来した際、煩悩を払う仏具となった。彼女は
そうして作られたものの一つが神化したものだ。
黄金色に輝く金属製棍。その両端にそれぞれ鋭い3つの大きな刃
が光る。雷を操るとされる伝承の通り全体は紫電を帯び、空気中に
ヴァジュラ
時折スパークが走った。
慣れた様子で金剛杵を手に取った真新は、ぶんっ、とそれを一振
り。刃が風を切り裂き、その軌跡を雷が追いかける。
沙良太と琶知が賽銭箱女神の頬を抓るのも忘れて見入っていると、
金剛杵を担ぎ直した真新がやおら沙良太に近づいて来た。
﹁何だよ﹂
﹁ふぅん⋮⋮﹂
じろじろと無遠慮に、沙良太を上から下まで品定めをするように
眺める。
﹁私とコンがこつこつ稼いでた破壊ポイントを一瞬で飛び越しちゃ
80
うんだから、どんなゴジ○みなたいな奴かと思っていたけど⋮⋮ふ
ふ、拍子抜けだわ﹂
︱︱︱カチンッ
その言葉で沙良太の中にある変なスイッチが入った。
81
挑発と少年
わち
さらた
﹁⋮⋮琶知、今後もこいつらに獣人の村を護らせるいい方法がある
ぞ﹂
﹁本当、お兄ちゃん!?﹂
ああ、と妹に向かって悪い笑顔を浮かべる沙良太。
﹁賽銭箱、現在トップだっていう俺の破壊ポイントは、この水泳メ
ガネたちとどれくらい開きがあるんだ?﹂
﹁えとですね⋮⋮出ました、ざっと20万ポイントくらいでしょう
か。かなりの差ですがフォーク女たちが一回あたり稼ぐ量も膨大な
ので、手の届かないというほどではありません。あ∼痛かった﹂
兄妹に引っ張られて伸びきった頬をさすりさすりながら、タブレ
ット画面を操作する賽銭箱女神。
﹁じゃあこいつらが一回の戦闘で稼ぐポイントと魔王軍の襲撃頻度
から、この世界の時間で1年に得られるポイントを計算。魔王の平
・・・・
均寿命で掛け算して、俺があとどれだけポイントを稼げば、こいつ
らがギリギリ目標を達成できるか教えてくれ﹂
はいは∼い、とタブレット上で計算を始める女神。
まさら
﹁あなた⋮⋮一体何を考えているの?!﹂
スク水褐色メガネっ娘の真新が詰め寄る。スク水が吸い込んだプ
ールの塩素臭で、沙良太の鼻粘膜がひりひりした。
﹁破壊神を目指してるんなら破壊自体が好きなんだろ?だったら少
しでも長くこの世界で破壊を楽しめるように、ちょっと目標を高く
設定してやろう、っていう親切心さ﹂
ヴァジュラ
﹃お前、破壊ポイントには興味が無いんだろ?だったら邪魔すんな
!!﹄
真新の持つ金剛杵から、金剛杵女神の怒声が響く。
﹁無い。でもそれ以上に俺たちは、あんたたちにこの村を守り続け
82
て欲しいと思ってる。普通に頼んで駄目だってんなら、俺の持つア
ドバンテージを利用させてもらうだけだ﹂
﹁⋮⋮私たちを妨害するつもり?﹂
ぢき、と金剛杵の刃が沙良太に向けられる。メガネの奥にある真
新の瞳には、怒りの炎が灯っていた。
・・・・
﹁聞いてなかったのか?俺たちも目標達成のために、この世界で金
を稼がないといけない。その達成手段としてたまたま破壊行為を選
うそぶ
んでしまった、というだけだ﹂
いやあ凄い偶然だな、と嘯いて見せる。
﹃てめえガキ、ふざけやがって⋮⋮邪魔、妨害、迷惑、責任回避⋮
⋮何だかんだで根っこはそこの箱女と一緒じゃねえか!!﹄
﹁落ち着いて、コン!!こんな奴相手にしてても意味が⋮⋮﹂
ヒートアップする金剛杵女神をなだめる真新。
﹁あの、知らない間に私が酷いこと言われてるんですけど。それと
計算終わったんですが、皆さん聞かなくていいんですか?﹂
﹁ちょっと黙ってて﹂
﹁むぎゅっぷ!!﹂
横で琶知に物理お口チャックされる賽銭箱女神。その琶知は心配
そうに兄を見上げている。
﹁自分の都合で勝手に助けて、用が済んだら勝手に捨てる。あんた
も物から生まれた存在なのに、随分人間臭いことするんだな、女神
さま﹂
︱︱︱ぷちんっ
何かの切れる音がした。
﹃⋮⋮戦争だ⋮⋮﹄
﹁コン、何を!?﹂
﹃上等じゃねえか︱︱︱戦争だコノヤローっ!!!そこまで言われ
て黙ってられるか!!﹄
よし、かかった!!心の中でガッツポーズを決める沙良太。
﹃戦場は村周辺含む国境線一帯。今は昼を過ぎたところだから、日
83
没までが制限時間。より多くの破壊ポイントを稼いだ方が勝ちだ﹄
﹁いいだろう。だが俺たちの女神は賽銭箱だ。武器の女神として、
ハンデが必要だと思わないか?﹂
﹃お前らは兄妹でポイントを合計すればいい。それ以上は譲歩しな
い。箱女はともかく、あてはあんたの実力を過小評価する気はない﹄
そう言いつつも不利な条件を勝手に呑んでくれているところが甘
い。
ヒートアップしている金剛杵女神とは逆に、それを持つ真新の額
にはどんどん汗が噴き出している。
﹃勝った方は負けた方の言うことを一つだけ聞く。そしてあてらが
勝ったら、あんたには正式に破壊神候補を辞退してもらおう﹄
﹁了解した。俺たちの要求は、勝った時に決めさせてもらうことに
するぞ﹂
金剛杵女神は答えない。沈黙を肯定と受け取る。
﹁コン⋮⋮﹂
﹃行くぜ真新、今日で全部終わりにしてやるっ!!﹄
﹁もうっ、乗せられ易いんだから⋮⋮沙良太だったっけ?破壊神候
補筆頭の力、楽しみにさせてもらうわ﹂
スク水姿の真新は再び金剛杵を構え直し、ぐっと両脚に力を込め
る。そして普通の人間にはありえない下半身のバネで数10m跳躍
し、迫りくる魔王軍の大軍、そのど真ん中に飛び込んで行った。
84
金剛杵と少女
まさら
ざぐりっ!!
サイクロップス
ヴァジュラ
てんし
真新の手から伸びた金剛杵の一方の刃が、一戸建ての家ほどもあ
る単眼巨人に突き立てられる。
せみ
分厚い筋肉に覆われた胸板を貫かれた巨人は、展翅から逃れよう
とする生きた蝉のようにバタバタと体を揺すり、手に持った棍棒を
何度も何度も金剛杵に叩きつける。
が、無駄。
﹃へへっ、効かねぇんだよっ!!﹄
﹁そう、金剛は砕かれず⋮⋮﹂
巨人の身体が宙に舞う。真新の手元で一瞬しなった金剛杵が、そ
の巨体を軽々と跳ね上げたのだ。筆先のホコリを払うように。
﹁金剛は、打ち砕くっ!!﹂
いつの間にか大上段に構えたられた金剛杵。数十メートルに伸び
まさら
たそれが振り下ろされ、落下を始めていた単眼巨人の身体を捉えた。
しんち
ごうてん
﹃いっけぇ真新っ!!﹄
﹁震地・轟天っっ!!﹂
どごぅんっ!! 大音響と共に叩きつけられた金剛杵、その先端から大地に伝わっ
サイクロップス
た力波が円状に広がり、触れた魔物を消し飛ばしていく。中心にい
た単眼巨人の姿は当然影も形も無い。
敵が7分に大地が3分。周囲をゴブリン、オーク、ビースト、巨
人などいずれ劣らぬ肉体派の魔物たちに囲まれた絶望的な状態。
そんな中で金剛杵を構えたスク水褐色メガネっ娘、真新は、口元
に笑いさえ浮かべていた。
﹃勝負に乗り気じゃなかった割には、いつもより調子がいいじゃね
えか!!﹄
85
﹁やるとなったら仕方ないでしょ。どうせコンだって止めても聞か
ない癖に﹂
﹃違いねぇ︱︱次が来るぞっ!!﹄
牛ほどもある赤と黄色のマダラの肌をした毒ガエルが舌を伸ばし
さく
てきた。
朔っ!!
少女の身体が舞い刃が閃くと、カエルの頭が半分消し飛んだ。
︱︱︱中村屋真新は、この状況を楽しんでいる。
カレー屋を営むインドから帰化した父と日本人の母の間に生まれ
た彼女は、小さなころから﹃スパイス臭いんだよ﹄﹃ヨガファイヤ
出してみろ﹄などと同級生の男子にからかわれ、その度に何故自分
が皆と違うのか、と悩み悲しむ毎日だった。
そんな彼女の転機となったのが、帝釈天、そして金剛杵から神化
した女神コンとの出会い。
たまたま通りがかっただけだったのに、彼らは氏子である真新の
事をずっと見ていたと言い、それから度々彼女の相談相手になって
くれた。
インドラとも呼ばれる舶来の神、帝釈天とその使徒であるコンは、
真新の良き友であり、だからこそコンのパートナーとして異世界で
修練を行うことを提案してきた時も、友人の役に立てるのならば、
と二つ返事で引き受けた。
真新は力を振るうことに躊躇しない。この力こそが日本で生きる上
で異物だと思っていた父親のルーツと向き合い、それを受け入れる
気持ちにさせてくれたのだから。
﹃しっかし箱女も間抜けな奴を相棒に選んだもんだな。自分で喧嘩
売っておきながら、まだ戦場に姿を現さないなんて﹄
先ほどから30分くらいは経ったか。真新の周りには既に魔物の
死体の山がいくつも出来上がっていた。死体が残らなかったものも
含めると、いったいどれだけ多くの敵を倒したのだろう。
﹁コン、あいつが連れてる女神の職能って何か知ってる?﹂
86
あまつかみ
イシコリドメ
﹃さあな。箱女は元々、金属加工の天津神、伊斯許理度売のところ
の賽銭箱から神化したものだ。本人も金に汚いし、持ってるのも金
がらみの能力なんだろうけど、詳しくはわからねぇ﹄
じゅうたん
それならば、何故あの少年がそれほど強気でいられたのかが気に
なる。何も無ければ良いが。
と、真新の頭上に一瞬影が差した。
それは鳥でも飛行機でもなく、大きく広げられた絨毯。空飛ぶ絨
毯だ。上には人が乗っている。
﹃どうした真新?﹄
﹁さっきの男の子と女神、だと思う。空を飛んでどこかに向かって
るみたい﹂
﹃空?逃げたのか?﹄
いや、先ほどのやり取りからすると、何も言わずに逃げるような
タイプには見えない。
﹁もしかして、魔王軍の前線基地を直接叩きに行ったとか﹂
﹃それだ!!基地を破壊して上位の魔族を倒して、一気にポイント
を稼ぐつもりなんだろう。真新、あいつらを追いかけるぞ!!﹄
﹁うん、でも⋮⋮﹂
ちら、と村の方を振り返る。箱女の連れの妹が言ったことが気に
なったのだ。
敵軍に切り込んでいくうちに大分遠くなったが、村を警備している
共和国軍兵士の制服が目に映った。多少のことで押し切られはしな
いだろう。
﹁わかった。行こう、コン!!﹂
﹃おうよ!!﹄
先ほどのように脚に力を籠め、ジャンプ。そして大型の魔物を踏
み台にして、戦うことなく飛び去った絨毯を追いかける。
﹁コン、絶対あなたを望み通り、破壊神候補筆頭に押し上げてあげ
るわ﹂
﹃ああ、頼むぜ真新っ!!﹄
87
スク水褐色メガネっ娘と金剛杵、という異色のペアは、疾風のよ
うに戦場を駆け抜けていった。
88
彼女の根っこと少年
さらた
﹁いやぁ、あそこまで沙良太が攻めの姿勢に出てくれるなんて、正
直想定していませんでしたよ﹂
天界百貨店で展示品値引きになっていた空飛ぶ絨毯に乗って魔王
軍司令部を目指しながら、賽銭箱女神が満足そうに呟いた。
﹃ヒドララジンと末法の乱舞﹄とかいう妙にパチもん臭いサツバツ
した商標が気になったが、絨毯自体の乗り心地は悪くない。
わち
﹁スク水メガネとフォーク女神がいなくなったら、あの獣人の村も
お終いなんだろ。琶知も気にしてたみたいだし、ほとぼりが冷める
まで勇者ごっこをやってもらうだけだ﹂
万が一、沙良太が魔王軍司令部を倒しきれなくても、周囲を破壊
ヴァジュラ
まさら
の渦に巻き込むだけでポイントを稼げる沙良太にとっては楽な勝負
だ。
先ほど上空から金剛杵を振るう真新の戦いを見ていたが、多少範
囲攻撃はできるものの、基本は一対一の近接武器。いざとなれば前
回の冒険のように広範囲魔法を使用すれば、敵ではない。
﹁そういえば、この未熟な異世界での修練って、他の新米神とかち
合うことってありえるのか?﹂
準備のためにタブレットをいじっている賽銭箱女神に尋ねてみる。
﹁基本的にはありえませんね。世界は同じでも時間と場所は完全に
くしいわまど
とよいわまど
ランダムですし、基本こういったニアミスが発生しないように、異
界ゲート管理神の櫛石窓様と豊石窓様がダイヤ調節をして下さって
いますから﹂
﹁でも現に起きてるぞ﹂
﹁そこはよく分からないんですよね∼。こちら側にゲートに干渉で
きる何かが存在するのかもしれませんけど、まあ例外の無い規則は
無いと言いますし⋮⋮﹂
89
説明になっていないのだが、女神は大して気にしている様子は無
い。
﹁あいつらが定期的に村に現れることができた、っていうのは今回
の異常と関係ないのか?基本飛ぶ先はランダムなんだろ?﹂
﹁ああ、それは別に問題じゃありません。オプションで、この世界
と現実世界とを同期させることができるんです。それであの褐色メ
ガネっ娘が水着のままで現れたんじゃないかと思います。ポイント
稼ぎに専念するため転移先の時間軸と座標を魔王軍の侵攻を受ける
この場所、この時代に設定しているんでしょうけど。あ、オプショ
ン付けると能力や行動範囲に制限が付くので、私はやりませんよ。
商売の基本は一期一会。ケチがつく前にばっと稼いでぱっと逃げる
に限ります﹂
三河商人が聞いたら助走つけて殴られそうなことをほざきながら、
作業が終わったのかほいっ、とタブレットの決定ボタンを押す。
かんていせいくん
いつも通りさあっ、と光が沙良太に降り注ぎ、その手には巨大な
中国風の薙刀が握られていた。
れいえんきょ
こんろん
パオペエ
ごうましょ
﹁今週のびっくりどっきり⋮⋮ではなくって、関帝聖君監修の特大
青竜刀、﹃冷艶鋸﹄です。しかも崑崙山の宝貝﹃降魔杵﹄の能力が
たいざん
付与されていますので、正式名称は﹃降魔冷艶鋸﹄。手に触れては
鳥の羽、敵に触れては泰山の如き重量となり、無双でも一騎打ちで
も向かうところ敵なしのスーパーアイテムです﹂
﹁また勝手に爆発しないだろうな?﹂
えーゆー
﹁ベトナムでライセンス生産したものですから、大丈夫だと思いま
すよ、多分。あとはこの携帯超人化装置﹃ヘラクレスのau﹄があ
れば⋮⋮﹂
わら
これであの暑苦しいダブルフォーク女に一泡吹かせてやれます、
とぐへぐへ小物チックに嗤う女神姿を見ていると、沙良太は前から
知りたかったことを尋ねてみたくなった。
﹁あのさ、お前って異様に金にこだわってて、しかも周囲の迷惑全
然考えて無いみたいだけど大丈夫なのか?﹂
90
﹁はい?大丈夫って、何がでしょうか?﹂
﹁さっきのフォーク女、お前にあまり良い感情を持っていないみた
いだったけど、何やらかしたんだよ﹂
挑発していたとはいえ、この欲の皮が突っ張った賽銭箱女神と同
じとまで言い切られたのだ。不快に思わないまでも、何故そこまで
言われるのか知っておきたい。
﹁ああ、それなら大したことじゃありません。昔、新米神の懇親会
で酔って正体を無くして、というか正体を現していたところを粘土
に押し付けて型を取って、量産型金剛杵としてワンダーなお祭りで
きょうりょう
ふんがい
売りさばいたことを、今でも根に持っているんですよ﹂
まったく狭量な奴です、とその時を思い出したのか憤慨する。
﹁いや、そりゃ怒られて当然だ。お前よく絶交されなかったな﹂
﹁何を言ってるんですか⋮⋮そういえばフォーク女も製作者の気持
ちとか信者の想いとかぐだぐだと文句を垂れていましたけど、売り
上げの一部を著作権料として渡したので相殺されているはずです。
結局向こうにも想定外の収入があったんですから、感謝こそされて
も、恨まれるなんて筋違いにもほどがあります﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
沙良太は何も言えなかった。
前々から変な女神だとは思っていたが、人間的にも、そして仲間
の神からしても、彼女の感覚は根本的に歪んでいる。
まあ村人の運命をポイント稼ぎ程度に考えている金剛杵女神も大
概だが、あれはこの世界が実体の無いデータ的世界だと割り切って
いるからであって、そこまでおかしいわけでは無い。
﹁ああっ、下見て下さい!!どうやらフォーク女たちに気付かれた
みたいです﹂
考え事をしていたが、言われて沙良太も絨毯の端から身体を乗り
出す。何やら高速でジグザグに移動するものがこちらを追いかけて
きているのが分かった。
紫電を纏い大型の魔物を踏み台にして突き進むそれは、まるで地
91
上を走る電。
まさら
間違いない。あの真新とかいう褐色スク水メガネっ娘と金剛杵女
神の二人だ。
﹁沙良太、向こうの山を越えた盆地が魔王軍の前線基地のはずです。
このまま突っ込んで一気にカタをつけましょう!!﹂
﹁分かった﹂
そう言って女神は絨毯のスピードを上げた。沙良太は姿勢を低く
して風圧に耐える。ふと見ると、絨毯の端の方から糸がほどけ始め
ていた。どうやら今までの例に漏れず、これも不良品らしい。
りょうせん
だが目的地まで持てばいい。
とりで
まだ雪を被った稜線を越えると、そこには切り出した石をがっし
りと組み上げた砦のような魔王軍前線基地が姿を現した。
﹁行きます!!﹂
女神の掛け声で降魔冷艶鋸を構える沙良太。ポケットの中の携帯
強化装置のおかげかもしれないが、沙良太の背丈の倍くらいある超
わち
大型青竜刀は、商品説明通り羽のように軽い。
村では妹の琶知が待っている。早く頭を潰して戻ってやらなけれ
ば。
こちらに気付いた砦のゾンビっぽい警備兵が、次々に矢を放って
やじり
くる。ほとんどは届かないが、うち何本かは絨毯に突き刺さり穴を
開け、下から鏃の花を咲かせた。
﹁時間が無い︱︱︱飛び降りるぞ!!﹂
﹁いやん、強引なのわきゃぁっっ!﹂
城壁を越えたところで賽銭箱の手を掴み、沙良太は敵地のど真ん
中に降り立った。
92
バイオハザード無双と少年
じゅうたん
さらた
空飛ぶ絨毯から賽銭箱女神を抱えて飛び降りた沙良太は、着地寸
前に右手に引っ提げた巨大青竜刀を手近なゾンビ警備兵に振り下ろ
す。
スケイルアーマー
盾を構えたゾンビ兵はその刃が軽く触れた瞬間、ぐにょん、とへ
しゃげて押しつぶされる。ボロボロの鱗鎧の隙間から緑色の体液と
肉片をひり出しながら、ゾンビは歪んだ盾と鎧を残して汚い水たま
りに姿を変えた。
ズシンッ!!
刃の先が地面に当たると、そこから衝撃波が生まれ、集まろうと
していた他のゾンビ兵を弾き飛ばす。
青竜刀を含めた大陸の刀剣は、斬る、というより叩き潰す感覚だ。
りょりょく
なのでその威力には日本刀のように鋭さと速さ、技量でなく、使
ごうまれいえんきょ
い手の体格と膂力、武器の重さと大きさが重要になる。
そういう意味では沙良太の振う青竜刀、降魔冷艶鋸は、大きさ、
重さ、敵に対してのみ重量が数百万倍になる特性ともに一級品。
だが敵は無尽蔵。
そこかしこに開いた小屋にも見える地下倉庫の入り口みたいなと
ころから、剣やら槍やらを持ったゾンビ兵がわらわらと湧いて来た。
どうやら野菜の地下冷蔵みたいにゾンビを保存しているらしい。
﹁なら、出入り口を先に潰すっ!!﹂
ゾンビを吐き出す手近な小屋に向かって青竜刀を叩きつけた。が、
カインっ!!
小屋の壁に当たった青竜刀が軽い金属音と共に跳ね返される。
少し驚いた沙良太だが、逆に反発を利用して近寄ってきた斧ゾン
ビに袈裟斬りの一撃。
上半身が消し飛び、その余波で小屋の屋根も吹き飛んだ。
93
﹁もしかして重量変化のオンオフって、敵に触れてるかどうかで
しか切り替えられないのか?﹂
たいざん
﹁みたいですねぇ、思考センサーのようなものは付いていないみた
いですし。あ、今気づいたんですけど、泰山みたいに重くなる、の
横に小さく﹃これは個人の感想です﹄って書いてました﹂
なんという大味設計&誇大広告。とはいえ消費者が品質にうるさ
い日本以外なら、これでも気にならないのかもしれない。
﹁ならそれで戦いようもある!!﹂
施設破壊を諦め、ゾンビの掃討に専念。
なるべく広い範囲で青竜刀を振るい、後ろのゾンビを衝撃波に巻
き込むよう位置取りを調節。
面倒くさいが一旦やり始めてみるとパズルゲームのような面白さ
があり、地を埋め尽くすゾンビ兵は連続コンボの要領で次々と粉砕
されていった。
﹁⋮⋮賽銭箱、マスクか消臭剤みたいな道具って無いか?﹂
数分後、死屍累々、というよりほぼ原形を留めないゾンビ兵の死
メギド
体で埋め尽くされた城壁の内側は、緑色の悪臭を放つ沼の様相を呈
してきた。
﹁でしたらこれですね。携帯用小型浄化炎、﹃汚物は消毒﹄くん、
かも∼ん!!﹂
女神がタブレットの決定を押すと、さあっと沙良太が光に包まれ、
それが収まった時には沙良太の左肩に蝋燭の火のような小さな明か
りがぽっ、と灯っていた。
途端に沙良太の周囲の空気が清浄化され、悪臭を感じなくなる。
それどころか沙良太が近づくだけで、地面にこびり付いたゾンビの
残骸がじゅわっ、と溶けるように消えていった。
﹁敵がアンデッドだって分かってたら、最初からこれ使えば良かっ
たな。二度手間だし﹂
﹁まあまあ。今回は次の事も考えて、敢えて近接戦闘武器を選んだ
わけですから﹂
94
あれだけいたゾンビ兵の群れも、とうとうネタ切れになったのか、
もう一体も見当たらない。
と、城壁内にある一際大きな神殿のようにも見える石造りの建物
の扉が、ぎぎぎぃ⋮⋮と重い音を立てながら開く。
﹃ようこそ人間の勇者よ。死体どもと戯れるのもいいかげん飽きた
だろう⋮⋮さあ、中へと進みたまえ。この魔軍副司令代行ズェビチ
ェが直々にお相手仕る﹄
扉の奥から低く重圧感のある男の声が響いた。
副司令代行、という肩書が微妙だが、この前線基地のボスである
ことに変わりは無い。
沙良太と女神は互いに顔を見合わせて頷く。そして、
﹁いや、思った以上に簡単に大物が出てきてくれたんで連れが来て
みの
から入ります。賽銭箱、隠れてあいつらの到着を待つぞ﹂
こし
﹁はいは∼い!!ではこれを⋮⋮﹃天狗印の隠れ蓑パウダー﹄!!﹂
ょう
光と共に沙良太の左手に、ラーメン屋に置いてあるような太い胡
椒ボトルが現れる。
﹁直接体に振りかけると、一定時間姿を消してくれる粉末です。古
くなった天狗の隠れ蓑を焼いて灰にしたものをリサイクルした、地
球に優しいエコマーク付の一品だとか。まあ汗やなんかで簡単に落
ちてしまうのが難点ですが﹂
﹁よし、じゃあ扉の脇にでも隠れるぞ﹂
ぱっぱっ、とボトルの中身を自分と女神に振りかける沙良太。
﹁ぶぇっ、鼻がむずむずしますよぅ﹂
﹁選んだのはお前だろ、文句言うな﹂
すると粉がかかったところから色が抜けるようにして、二人の姿
は見えなくなってしまった。
﹃人間よ、恐れず入って来るがよい⋮⋮お前たちに真の勇気がある
のならばな⋮⋮﹄
﹁ああすいません、係長代理のズビズバさんでしたっけ?思ったよ
り時間かかりそうなので、ちょっと待ってていただけますか?﹂
95
﹃ふふふ、怖気づいたか。だが無理もない、この私こそ⋮⋮﹄
﹁あと俺たち隠れてるから、話しかけられるとバレるんで黙ってて
くんない?﹂
﹃ちょ⋮⋮﹄
姿を消した沙良太と女神は答えない。
開けっ放しになった石造りの神殿の扉を、風がひゅうっ、と通り
抜けた。
96
待ち受けるものと少女
さらた
﹁遅かった!?﹂
まさら
沙良太と賽銭箱女神が姿を隠してから約20分後、破壊された基
地施設とゾンビ兵士だった汚い血痕や肉片の散らばる中で真新は愕
然としていた。
最短距離で戦場を駆け抜け、聳え立つ城壁の横っ腹を金剛杵でぶ
ち破って侵入した彼女の目の前に広がっていたのは、まるで嵐が通
り過ぎた後のような凄惨な光景。
﹁あの子は!? 女神はどこ!?﹂
﹃落ち着け真新!! 敵の死体が散らばり過ぎて鼻が利かねぇが、
まだ遠くには⋮⋮ん!?﹄
それまで喋っていた金剛杵女神のコンが口を閉ざす。
﹁どうしたの、コン?﹂
﹃こいつぁ⋮⋮やったぜ真新!! 奴ら大物を食い残していきやが
った!! この疑似神力、基地司令クラスがこの先の建物に潜んで
やがるのは間違いねぇ!!﹄
よっしゃ、あてらの勝利だ!! と単純に喜ぶコンとは対照的に、
真新は眉をひそめる。
神々には別の神に相対した時、相手の神格、神力、神威などを本
能的に捉える特殊な感覚が備わっている。無論、相手が積極的に隠
蔽していなければ、という前提が付くが、それでも力の差があれば
粗末な隠蔽工作など意味が無い。
そしてこの未熟な異世界では、魔力や霊力などと呼ばれるものを
疑似的な神力として知覚することによって、今まさにコンがそうし
ているように敵の探知にも使うことができた。
⋮⋮つまりそれは、あの賽銭箱女神にも同じ芸当ができる、とい
うこと。
97
その上で真新は沙良太、と呼ばれていた少年の顔を思い出して首
をかしげた。
妹だと言う少女もそうだったが、どこか年不相応な知性の輝きを
持つ彼らの瞳は、果たして敵基地を粉砕したにも拘らずその大将を
見逃すようなことがあるのだろうか。
スク水を着た少女の小さな胸の奥で、不安の種が密かに芽を出し
た。
﹃真新、急げ!! ぐずぐずしてると勝負期限の日が暮れちまうぞ
!!﹄
﹁う、うん⋮⋮分かったわ、コン﹂
煮え切らない生返事をした真新だが、すぐに首を振って思い直す。
そして思いっきり足を踏み込み跳躍。そのままゾンビ兵士の残骸
を避けるようにして稲妻のように疾駆する。
﹃あれだ、あの真ん中にそびえてるやたらでかい建物の中にいるぞ
!!﹄
高揚したようなコンの声が真新の脳裏に響く。
ぎゅっと金剛杵を握りしめる。
⋮⋮例え罠であっても構わない。
いや、そのような罠や陰謀さえ﹃破壊﹄できなくて何が破壊神の
卵か。
策を弄するのは、策に陥るのは弱いから。
ならばその弱さこそ、自分の打ち砕くべき対象だろう。
そうと決まれば!!
﹁コン、入れ物ごとやるわよ!!﹂
﹃おいおい、マジかよ真新⋮⋮﹄
普段は好戦的なコンは彼女の相棒の提案に一瞬戸惑った。が、
﹃面白ぇ、やったろうじゃん!! どこに隠れてるか知らねぇが、
あの箱女にあてらの力、見せつけてやろうぜ!!﹄
﹁ありがとう、コン。そう言ってくれると思ったわ﹂
真新が微笑む。
98
﹃当ったり前だろ!! なんせあてらは一蓮托生、一心同体だぜ!
!﹄
すぐ目の前に魔王軍前線基地の司令部らしき巨大な石造りの建物
が迫る。
﹃飛べっ、真新っ!!﹄
その声に答え、直前で一際大きな跳躍。
10階建てくらいの高さの司令部の屋根を易々と飛び越え、スク
ナウマクサマンダボダナンインダラヤソワカ
水姿の少女の身体は宙を舞う。
﹁我帝釈天二帰命セリ︱︱破邪の雷刃、我が手に委ねよ!!﹂
真言に反応して真新の持つ金剛杵が一際強い輝きを放つ。
その光は電の色さえ塗り潰し、膨大なエネルギーの奔流となって
少女を包み込み、やがては少女自身を一本の光の矢へと変えた。
ニャーヤ・ヴァジュラ
﹃こいつで決めるぜっ!!﹄
﹁いきますっ!! 殲魔ノ帝雷!!﹂
叫び声と共に天から放たれた矢は触れた端から大気を焼きながら
一直線に建物に叩きつけられ、その壁を布のように容易く貫き、そ
して速度を失うことなくそのままの大地に突き刺さる。
轟音を上げて地面が揺れ、吹き荒れる突風が巻き上げた埃が収ま
った時、そこには何も残っていなかった。
敵も、魔王軍司令部だった建物もきれいさっぱり消えてなくなり、
跡には溶けてガラス化した辺縁を持つ巨大なクレーターが一つ、ぽ
っかりと口を開けて佇んでいた。
99
アンブッシュと少女
まさら
超高温の電熱に焼き尽くされてまだ所々湯気の立つ溶けかけた大
地の上に、真新はすとっ、と音も無く舞い降りる。
窪地の中心に立ち、周囲を見渡して警戒するが、揺らぐ視界の中
に動く者は一つも無い。
﹁終わった、のかしら⋮⋮﹂
﹃さあな。神力の余波で場が乱れてて分からねぇが、少なくともさ
っき感知した大物の気配は無くなってる。破壊ポイントも⋮⋮うお
っ、凄ぇぜ!!﹄
いきなり声を上げたパートナーに、真新の身体がびくんと震えた。
﹁どうしたの、コン?﹂
﹃どうしたもあるかよ!! 今まで稼いだ分と同じだけの破壊ポイ
ントが、この一回で飛び込んできやがった。できるだけ長く稼げる
ようわざと親玉を叩かなかったけれども、やっぱ大物は違うな!!﹄
﹁でもこれで、今までみたいな攻めてきた敵を倒す、っていう稼ぎ
方はできなくなったのよね⋮⋮﹂
転移先をこの時代と場所に固定していたけれども、また別の場所
を探さないとね、と呟く真新の顔は、どこか肩の荷を下ろしたよう
に晴れやかだった。
修練のため、ノルマクリアのためとはいえ、獣人たちの村を餌に
して攻めてきた魔王軍を叩く方法は、真新としても正直あまり気持
ちの良いものではない。勿論一定量のポイントを稼いだ後は魔王軍
の前線基地を叩いて壊滅させて、それで終わりにしようとはコンと
さらた
も相談して決めていた。
だが彼、あの沙良太とかいう少年は﹃その後はどうする﹄と、二
人にとって痛いところを突いてきた。
魔王軍を叩き潰して一時的に村が難を逃れたとしても、国境線に
100
近いこの場所は遠からずまた戦場になる。次にやってくるのは派遣
部隊などではなく、さらに強力な魔王軍本隊かもしれない。
そしてその時、真新たちはこの時代にはいないだろう。
﹁⋮⋮あのねコン相談なんだけど⋮⋮末端のボスでもこんなにポイ
ントが稼げるなら魔王も私たちが倒しちゃえば、簡単に目的を達成
できるんじゃないかな? あと、獣人の村や人間たちの街も守るこ
とができるだろうし﹂
﹃そうかもしれねぇな⋮⋮﹄
同意はしたものの、コンは口ごもる。
﹃⋮⋮だがな真新。前にも言ったけどよ、あてらはこの世界にとっ
ちゃ通りすがりの旅人だ。この世界が例え魔王の恐怖に怯える暗黒
世界って未来を選び取ったとしても、そこに介入する権利は無いん
だよ﹄
﹁でも⋮⋮﹂
﹃厳しいかもしれねぇけど、この世界のありようはこの世界に生き
る連中が決めなきゃなんねぇ。もちろん、真新が言ってるのは正し
いことだ。あてだって、同じことを考えたこともある。でもな、結
果に未来永劫責任を持てないんなら、それは結局善意の押し売り止
まりなんだよ﹄
例えば一時の感情で捨て犬を拾うことは簡単だ。
けれどもその世話は誰がするのか、その費用は誰が払うのか。
命に責任を持つということは、想像以上に重く苦しく、そして﹃長
い﹄。
だから捨て犬に気付いた大人は知らないふりをするか、餌をやって
罪悪感を誤魔化す。それが結局犬の苦痛を長引かせることになるだ
けだと知っていても、そうすることしかできない。
ましてや不完全とはいえ世界の命運。元の世界に戻ればただの女
子中学生でしかない真新には、到底背負いきれるものではないだろ
う。
﹁⋮⋮うん、分かってる。私は神様じゃないから、限界があるって
101
ことくらい﹂
寂しそうな目をする真新。そんな相棒にやれやれ、とコンは苦笑
した。
﹃そういうことだ。でも人間側も、黙ってやられるたぁ限らねぇ。
運が良ければあてらとは違う本物の、この世界の勇者が現れるかも
しれねぇさ﹄
﹁⋮⋮正直、心残りはあるの。でもこれで村の人たちにも、もうし
ばらくは逃げたり隠れたりを考える時間の余裕ができ⋮⋮﹂
﹁ぎゃっちちちちゃぁぁぁっっっ!!!﹂
突然何も無かったはずの空間から悲鳴が上がったかと思うと、裾
に火が付いた巫女服姿の小柄な少女が姿を現した。
﹃あっ、賽銭箱っ?! どこに隠れてやがると思ったらっ!!﹄
﹁あああああぁぁぁ燃えるっ、燃えてるっ、燃え尽きちゃうぅぅぅ
っ!! 駄目なんですよ火はぁっ!! 私、木造だから簡単に燃え
ちゃうんですよぉぉぉっっっ!!﹂
少女︱︱︱賽銭箱女神は呆れて立ち尽くす真新の目の前で叫びな
がら地面を転がりまわり、必死で火を消そうと試みるが、裾の焔は
どんどん大きく燃え上がり、その領域を広げていく。
﹁水っ、誰か水ぅっっ!! 冷却水でも黄金水でも清涼飲料水でも
いいから、早く消してぇぇぇっっっ!!!﹂
﹃真新⋮⋮﹄
﹁はぁ、了解しました﹂
びゅんっ、と金剛杵の刃が振るわれる。
何が起こったのか分からない賽銭箱女神は騒ぐのを止めてあっけに
とられていたが、数秒遅れてが裾が炎と共にぽとり、と落ちると、
途端にいつものふてぶてしい態度を取り戻した。
﹁あっ、あんたら二人とも阿呆ですか、この脳味噌筋肉少女隊!!
ラストダンジョンごとボスを吹っ飛ばすなんて、勇者として礼儀
知らずにもほどがありますよっ!!﹂
切り取られて半分に短くなった巫女服の裾を眺めながら、勝手な
102
ことをがなり立てる賽銭箱女神。
それに構わず真新は、金剛杵の鋭い刃先をちきり、と賽銭箱女神
の喉元に据えた。
﹁ひぃっ、一難去ってまた一難っ!!﹂
﹃ったく、助けられたってのに礼も無しかよ。心底腐ってやがんな、
おい﹄
﹁やかましいです、この放火魔コンビっ!! 大体可哀そうだと思
わなかったんですか?! せっかく中で待っててくれた運転代行の
シャバドゥビさん、姿も分からない内に﹃ぷっきゅいっ!!﹄って
やけに可愛い断末魔の悲鳴上げて消し飛んじゃったんですよ!!﹂
﹃知らねぇよ、そんな都合!! 大体てめぇこそ、こんな所にこそ
こそ隠れて何を︱︱︱そういやあの男の方は︱︱︱﹄
問いかけには答えず、賽銭箱女神はここぞとばかりに、にぃんま
りと悪い笑顔を浮かべる。
その視線の先にあるのが自分たちでなく背後の空であることに、
最初に気付いたのはコンだった。
﹃真新っ、上だっ!!﹄
﹁︱︱︱ッ!!﹂
反射的に真新が金剛杵を振り上げる。
ギィンッッ!!
と同時に巨大な鉄の塊でも叩いたかのような鈍くて重い衝撃が、彼
女の細い腕に伝わって来た。
103
絶体絶命と少女
﹃あの暴力フォークと水着眼鏡を無力化する方法、ですか?﹄
﹃ああ、あいつらは強い。それに力で叩きのめしたって、多分ヘソ
曲げるだけだ﹄
﹃ふむふむ。戦力や心情関係なしに圧倒的に優位に立つことができ
さらた
せいりゅうえんげつとう
る、そんな一手ですか⋮⋮なら少々ルール違反ですが、こんなのは
どうでしょう? ぬふふふ⋮⋮﹄
ヴァジュラ
﹁くぅっ︱︱︱押し切られるっ︱︱︱!?﹂
まさら
金剛杵の柄で沙良太が上段から振り下ろした青龍偃月刀を受け止
めた真新だったが、敵に触れた瞬間超重量化する﹃降魔杵﹄の能力
が彼女を押しつぶそうと襲い掛かる。
抵抗し払い除けようとするもまるで校舎の壁を手で押しているか
のように、圧し掛かる青竜刀の刃はぴくりとも動かない。
﹃真新、身を退きなっ!!﹄
パートナー言われてはっと気づいた真新は即座に判断。鍔迫り合
いを止め華麗にバックステップで下がる。同時に手の中の金剛杵も
超重圧から解放された。
︱︱︱このまま距離を取って体勢を立て直す!!
そう考えた彼女の目の前で、あれほど重かった青竜刀の刃が空を
舞う綿毛のようにくるん、と軽やかにその軌道を変えた。
咄嗟に体の中心で構えた金剛杵の刃に、再び超重量の一撃が叩き
こまれる。
﹃くっそぉっ!!﹄
﹁あぁっ︱︱!!﹂
かろうじて受け止めたが、その瞬間真新の全身の骨格が震えた
104
ダンプカーに正面衝突されたらこんな気持ちなのかな、と衝撃で
揺れる脳内で考えながら、少女の華奢な身体は水平方向に思いっき
り吹き飛ばされ、要塞基地を囲む石壁に激突しやっと止まった。
﹃︱︱無事か、真新?﹄
少女を中心に、石壁には半径4mくらいの巨大なクレーターがで
きている。
﹁ええ、ありがとうコン⋮⋮﹂
相棒の金剛杵を杖にして立ち上がった真新だったが、衝突の余波
で掛けていた眼鏡のガラスが砕け散っているのに気付き、フレーム
ごと投げ捨てる。神力を視力強化に回せば無くても問題ないが、戻
ったら母に言って新しい眼鏡を買ってもらわなければ。
こんなぐちゃぐちゃになった眼鏡を持って帰ったら、またいじめ
られたのかと心配をかけてしまうわね⋮⋮。
今までにない強敵との死闘が待っているというのに、そんなことを
考えてしまった真新はふふっ、と自嘲的に笑い、切れた唇の端から
垂れる血を親指でぐいっと拭った。
﹁ありゃ∼⋮⋮流石にそう簡単にはやられてくれませんねぇ﹂
その真新の耳に、呑気そうな声が届いた。
ダメージを受けて萎縮しかけた闘争心が、再び一気に燃え上がる。
﹃手前ぇ賽銭箱!! 助けてやったのに不意討ちなんて卑怯な真似
しやがって!!﹄
﹁はぁ? 何言ってるんですか、この電撃ビリビリ棒は。 これは
私の忠実なる下僕沙良太と、あなたの水着眼鏡との勝負ですよ。私
を助けたって、そんなのノーカン!!ノーカンです!!﹂
ざま∼みろひゃっほい、と小躍りして挑発する賽銭箱女神。
﹁あなた︱︱︱仮にも女神の癖に、こんな不義理なことをして恥ず
かしくないの?!﹂
﹁えっ、何ですって? すいませんけど鼓膜が片方やっぷぎゅいっ
!!﹂
真新の糾弾を無視してさらに煽ろうとする彼女の脳天を沙良太が
105
青竜刀の腹でごいん、とはたく。賽銭箱女神は奇妙な叫びをあげて
膝まで地面にめり込み、やっと静かになった。
﹁うっさい。話がややこしくなるから、少し黙ってろ﹂
﹁はぴゅぅ⋮⋮﹂
さて、と右手に持った身の丈より長い巨大な青龍偃月刀をドラム
スティックみたいにくるくる回して遊びながら、沙良太はゆっくり
と真新の方に歩いていく。
警戒して金剛杵を構え直す真新だったが、沙良太は戦いなどどう
でもいい、とばかりに足を進め、真新の前に立った。
身長は同じくらい。
眼鏡を失った少女の金色の瞳と、少年の緋がかった茶色い瞳が交
差する。
どちらも動かずにしばしの時が流れる。
⋮⋮最初に口を開いたのは、沙良太の方だった。
ことあまつたえのみたま
﹁渡してもらおうか。あんたたちがこの世界に来るとき帝釈天から
貰った、﹃別天伝御玉﹄って奴を﹂
106
乾坤一擲と少女
ことあまつたえのみたま
﹃別天伝御玉﹄
新米の神が異世界で修練を行う際自分の上司から渡される様々な
形のそれは、異世界を旅する許可証であり、同時に緊急用の通信機
ともなっているアイテムだという。
ただし使用には﹃ギブアップする時にしか使ってはいけない﹄と
いう制限が付いている。
つまり試練中にはどんなに困ったことが起きても基本は自力で解
決しなければならず、玉に助力を願った時点でゲームオーバー。
﹃これを奪われたら、誰でも言うことを聞かざるを得ませんよ。な
んてったってセンター試験当日に受験票を取られるようなものです
さらた
からね。万一破壊でもされたら修練を続けられないどころか、これ
まで頑張った分もぱぁ、です﹄
そう言って賽銭箱女神が懐から取り出し沙良太に見せたのは、小
さな丸い手鏡型のストラップフィギュアみたいなものだった。小さ
イシコリドメ
いながらも磨き抜かれた表面が陽光をキラキラと反射し、覗き込ん
だ沙良太の顔をくっきりと映し出している。
やた
神社の縁起説明版に書いてあった彼女の上司である伊斯許理度売
は、金属加工の神であり三種の神器の一つ﹃八咫の鏡﹄を作ったこ
とでも知られているという。だからこそ﹃鏡﹄の形をしたアイテム
を自分の弟子への証としたのだろう。
それを人質にすれば良い、と賽銭箱女神はのたまった。
﹃西洋の神や悪魔ほど厳密ではありませんが、口約束でも一度誓約
してしまえば、あのフォーク女も簡単には反故にはできません。約
束の内容によっては、それこそ裸で逆立ちしながら靴の裏を舐めさ
せることだって⋮⋮ふふ、ぐふふふふぎゃっちゃぁ!!﹄
陰険に笑う女神の顔がムカついたので、とりあえず沙良太は彼女
107
の頬を両側から引っ張りあげておいた。
せいりゅうえんげつとう
﹁で、どうする。渡すのか、渡さないのか﹂
ァジュラ
ヴ
青龍偃月刀の刃をざん、と大地に突き刺し沙良太は上段から、金
剛杵を構える褐色肌のスク水少女を見下ろす。
﹃⋮⋮それより手前ぇ、その力どこで手に入れやがった!? さっ
き打ち合ったとき、その武器からあてと同じ力を感じたぞ!!﹄
まさら
﹁コン、どういうこと?﹂
警戒を解かずに真新が尋ねる。
ごうまれいえんきょ
パオペエ
ごうましょ
﹃わからねぇ。けど賽銭箱の職能に関係する、何かの仕掛けがある
はずだ﹄
いご
沙良太の降魔冷艶鋸−︱︱その能力の元になった宝貝﹃降魔杵﹄
いだてん
は、崑崙山は道行天尊の弟子韋護が使う仙界製の武器。
だがそのさらに大元を辿ると韋駄天ことヒンズー教の軍神スカン
ダと、彼が持つ﹃金剛杵﹄に辿り着く。同じ根を持つ同じ力に、金
剛杵であるコンが反応してもおかしくない。
﹁それを教える必要は⋮⋮﹂
﹁ならば教えて差し上げましょう!! 私の職能はお金!! それ
も今あるお金と未来に動くお金を仮想情報通貨として操作する能力
!! つまり借金し放題!! それを原資にして天界アイテムを好
きなだけ買い漁り、現実に戦力として投入することができるんです
よ!!﹂
いつでもどこでも必要なものが買えてすぐ届く、というインフラ
システムと、買った道具の使い手がいなければ役に立たない超サポ
ート特化の職能。
しかしその二つを備えた今﹃無限借金﹄とも呼ぶべき彼女の能力
は、そのチート加減を存分に発揮する。
﹁天界百貨店のバーゲンセールで仕入れた同じ金剛杵もどきにボッ
コボコにされるなんて、ホントいいざまですダブルフォーク女んぎ
108
ゃんっ!!﹂
さえず
地面に半分埋まったまま沙良太を遮って囀り始めた賽銭箱女神は、
後頭部に容赦なく振り下ろされた青竜刀の石突の一撃で沈黙した。
﹁⋮⋮ま、そういうことだ。借り物の力で不具合も多いが、それで
ぱおぺえ
ごうまれいえんきょ
もあんたらみたいな新米コンビを手玉に取るには十分ってことさ﹂
えーゆー
手に持った宝貝﹃降魔冷艶鋸﹄と、腰のベルトに付けた一昔前の
真っ赤なガラケーみたいな形をしたアイテム﹃ヘラクレスのau﹄
を見せつける。
この携帯超人化装置はギリシャ神話の英雄ヘラクレスの如き怪力
と超耐久性を使用者に与える道具だが、流石に11回蘇生できると
か、攻撃が全部9連斬になるまでの効果は無い。
﹁今日稼いだ破壊ポイントで競うんだったな。賽銭箱、今俺とこい
つらのポイントはどうなってる?﹂
﹁⋮⋮え∼とですね、沙良太が4,1000ポイント、水着フォー
クが3,9000ポイント。僅差で沙良太が優勢です﹂
まだふらつく頭を抱えながら、タブレットを操作して女神が答え
る。それを聞いて満足そうに頷いた沙良太は、ちゃきり、と青竜刀
を構え直した。
﹁玉を渡せないってんなら仕方ない。今から俺は全力であんたらを
妨害する。正直なところ、女の子相手に手荒な真似はしたくなかっ
たんだけどな﹂
﹁嘘です!! 絶対歓んでやってます!! みなさ∼ん、ここに嘘
つきがいますよ∼!! ほげぇっ!!﹂
そう叫んだところで本日二撃目の石突が賽銭箱女神の後頭部を襲
い、彼女はタブレットを抱えたまま地面に倒れ伏した。
﹁さあ、次はどうする!? なんなら二人で、時間をかけてじっく
り相談してくれてもいいぞ? もうすぐ日暮れだ。このままなら、
俺の勝利で勝負も終わる﹂
沙良太の言う通り、いつのまにか異世界の巨大な太陽は既に体の
下三分の一を山の稜線に隠し、無残に破壊された魔王軍前線基地の
109
跡に赤銅色の残光を投げかけている。
青竜刀を上段に構えて真新を見据える沙良太と、金剛杵を正眼に
構えて沙良太を睨みつける真新。
しばらく無言の時間が流れ、その間にも二人の影は長く伸びてゆ
く。
﹁⋮⋮うふ、ふふふ⋮⋮﹂
突如、真新が鈴の転がるような声で笑い始めた。
﹃はは、あははははっ!!﹄
続いてコンも。
妙に明るい少女たちの声は夕暮れの中、廃墟の空に不気味に響き
渡る。
﹁おい、笑われてんぞ賽銭箱﹂
こうしょう
﹁何がツボだったんでしょうかねぇ? 沙良太、股間のチャックは
開いてませんか?﹂
﹁ねぇよ、このノーパン女!!﹂
﹁失礼な!! 和服は元々下着をですねぇ!!﹂
いつもの掛け合い漫才が始まろうとしたところで、二人の哄笑が
止んだ。
﹁あなた、沙良太くん⋮⋮だったかしら? 確かにその戦闘センス、
いえ﹃戦争する才能﹄とでも呼ぶべきそれは、賞賛に値するわ。闘
争に呑み込まれず勝利条件を見つめて、持てる全力を相手の最も嫌
がるところに叩き込む⋮⋮私には無理ね。真似できる気がしない﹂
﹃ああ、全く脱帽だ。賽銭箱なんかにゃ勿体ない正真正銘の戦神、
破壊神候補にふさわしい逸材だな!!﹄
﹁嬉しくないけどそいつはどうも。で、ようやく諦めてくれる気に
なったかい?﹂
汗の滲んだ青竜刀を持つ手を握り直す。
﹃そりゃできない相談だな。手前ぇにはどうでもいいことかも知れ
ねぇけど、あてらにもあてらの目標がある。こいつはそうそう簡単
に手放せるもんじゃねぇんだ﹄
110
﹁⋮⋮つまり、あんたらは最後まで諦めずに戦う、ということでい
いか?﹂
沙良太の言葉に、真新は黙って頷いた。
ひょう、と戦場を日没に先走った冷たい夜風が吹き抜ける。
﹃認めよう、手前ぇは強い。だがなっ!!﹄
コンの叫びに反応して沙良太の青竜刀が振り下ろしの挙動に入っ
た。
﹃真新っ!!﹄
﹁はいっ!!﹂
瞬間、沙良太に向かってスパークが走る。
何もない場所から予備動作も無く襲い掛かったのは、一条の眩い
雷の矢。
えーゆー
咄嗟に身体を捩って避けたが、そのまま雷撃は沙良太の腰に付け
た﹃ヘラクレスのau﹄を直撃した。
ガラケー型アイテムは哀れにも火花を放ちながら爆裂四散し、沙
良太の全身に満ちていた身体強化のための疑似神力供給がストップ。
プラスチックの焼ける様な嫌な臭いが周囲に漂う。
﹃思った通りだ!! 妙な神力の放出源、さっきの動きもその道具
のおかげだったんだな!!﹄
﹁ならは、その大元を絶ってしまえば良いんです。どんな道具も思
いのまま、といっても、選び買い、届け装備して使用⋮⋮その全て
を一瞬ではこなせない!!﹂
すっと身体を屈めた真新は地を滑るようにして沙良太に接近、得
物を正眼から脇構えに、そして大きく横一文字に振りかぶる。
金剛杵が先ほどのスパークとは比べ物にならない量の紫電を放ち、
幾条もの太い雷光がまるで大蛇のように虚空をのた打ち回る。
さら
﹃本物の神を舐めくさったのが、手前ぇの敗因だっ!!﹄
ナーガ・ヴァジュラ
﹁手の内を晒し過ぎたのが、あなたの敗因ですっ!!﹂
雷蛇天咬撃
防御力を失いがら空きになった沙良太の胴に向かって、真新とコ
111
ン、二人の渾身の一撃が叩きこまれた。
112
室伏万歳と少年
さらた
えぐ
まと
ヴァジュラ
ま
沙良太は青竜刀を握りしめていた手をぱっと離し、代りに今まさ
に脇腹を抉ろうとする紫電を纏った金剛杵をがっしりと掴む。
さら
うねる雷光は弾け飛び消え失せ、後には驚愕の表情を浮かべる真
新と声も出せないコンが残される
﹁なっ︱︱︱!?﹂
﹃なぁっ︱︱!?﹄
さらた
﹁どっせいやぁぁっっ!!﹂
必殺の棍撃を受け止めた沙良太はそのまま一回転。砲丸投げの要
領で加速を付け思いっきり真新と彼女の握る金剛杵を放り出した。
﹁おおっとこれは場外ホームランコースですねぇ解説の山下さん﹂
とうてき
﹁誰だよ山下って。まぁこのまま飛んでってくれても、俺は一向に
構わんけどな﹂
賽銭箱女神と沙良太が一仕事終えた顔で見守る中、投擲された真
新の姿はどんどん小さくなっていき、やがてスク水色の点になって
夕闇迫る空に溶け込んでしまった。
と、天空が一瞬真昼のように輝いた。
そこから雲を切り裂き、一筋の尾を引く白い流星が現れる。
﹁⋮⋮ああ、そういやこの未熟な異世界って普通に星とかもあるの
か?﹂
﹁ありませんよ。星神が生まれていないので、空にある太陽も月も
星も全部書割。ただの光る背景ポスターみたいなものですね﹂
﹁なあ、星が無いなら、じゃあアレは一体何だよ?﹂
﹁さあ、UFO? って、何かこっちに近付いてきますよ!!﹂
そう言った女神の視界の中で流星は不規則なジグザグ機動を行い、
徐々に沙良太たちのいる場所へ迫る。
﹁下がってろ。どうやらまだ終わって無かったみたいだ﹂
113
ごうまれいえんきょ
降魔冷艶鋸を構え直す沙良太。その後ろに女神がこそこそと隠れ
る。
流星が近付くにつれ、風切り音と放電音の他に叫び声のようなも
のが混じっているのが聞こえてきた。
﹁⋮⋮ああ、インドっぽい人ってやっぱり飛べるんだな﹂
﹁空飛ぶ褐色スク水メガネ系美少女戦士仏具付き⋮⋮ぷふ、ニッチ
過ぎて一体どこの層を狙ってるんだか分かりません﹂
﹁まったくだ⋮⋮来るぞ!!﹂
もうすぐそばにある流星の中心には、破滅的な量の電流を身に纏
い光り輝く真新の姿があった。
れっち
さいてん
同じく光に包まれた金剛杵が大きく振りかぶられる。
﹁︱︱︱ぁぁぁぁぁああああっっっ︱︱︱裂地・裁天っ!!﹂
﹃ブッ潰れろぉぉっっ!!!﹄
一気に振り下ろされた神雷の刃が沙良太を強かに打ち据える。
頭上に構えた青竜刀で受けたが、その瞬間あまりの圧力に沙良太
の両脚が地面に20cmほどめり込んだ。同時に刃と身体を伝って、
数千億ボルトの雷撃が一気呵成に駆け抜ける。
それだけでなく溢れ出した電流は散雷となって、無数の光の枝で
たぎ
魔王軍前線基地跡地を覆い尽くし、その触れた全てを焼き尽くす。
電熱により生み出される膨大な熱量で大地が煮え滾り、オゾン臭が
撒き散らされる。
だが沙良太はたじろがない。
﹃くそったれぇぇっっ!! これでも届かねえのかよぉっっ!?﹄
﹁しゃびびびびっびびっ︱︱︱し、しび、しびれれれれりゅりゅり
ゅぅぅっっ!!﹂
高圧電流の嵐に巻き込まれた賽銭箱女神が悲鳴を上げる横で、金剛
杵を受け止めながら沙良太はにやり、と不敵に笑った。
114
せいりゅうえんげつとう
こんなの絶対おかしいよと少女
さらた
﹁そろそろ邪魔だっ!!﹂
ぶぅんと沙良太が巨大な青竜偃月刀の刃を振るうと、場を満たし
まさら
ていた金色に輝く電撃の渦はさっと切り払われ霧消する。
一緒に弾き飛ばされた真新は何もない空中を、まるで足場でもあ
るかのように踏みしめ体勢を立て直し、音も無くまだ湯気を立てて
煮える大地の上に降り立った。
睨みつける真新の緋色の双眸は、激しい怒りと、そして困惑に満
ちている。
﹁︱︱︱どういうことよ!! あなたの力って、女神に借りた道具
が元になっているんじゃなかったの!?﹂
﹃さっきの機械の他に妙な仕掛けがあるんなら、一緒に焼き尽くし
たはずなのによ!!﹄
吐き捨てるようなコンの悪態が金剛杵から響く。
沙良太の振るう力は道具によるもの。
その前提で二手三手先を封じるため、真新は敢えて散雷と電熱と
広範囲の地面を焼き尽くす必殺技﹃裂地・裁天﹄を使った。
にも関わらず、当の沙良太はケロッとした顔をしている。
﹁残念だが、お二人さんが期待しているような種も仕掛けも無いぜ。
これが今の俺の力だ﹂
こい
言い放った沙良太が青竜刀を風車のように振り回すと風が吹き荒
れ、地面を冷やすと同時にオゾン集漂う大気を吹き散らした。
その足元で電撃にやられた賽銭箱女神が、俎板に載せられた鯉の
ようにびくん、びくんと身体を痙攣させている。
いい加減起きろ、と沙良太が石突でつつくと、女神はあぶぉあ∼
と女の子にあるまじき呻き声を上げよろよろと立ち上がった。
﹁こ、今回は流石に死ぬかと思いました。おのれダブルフォーク⋮
115
⋮もうしばらく電気はこりごりでぇす⋮⋮ふぅ﹂
もちりちりになった髪の毛の女神の口からは、喋っている間もぷ
すぷすと黒い煙が吐き出される。
﹁何で⋮⋮どうして﹃攻撃が通らない﹄のよぉぉぉッ!! 何でッ
!! どうしてッ!!﹂
﹃落ち着け真新!! あのクソ箱のことだ、どうせ不正をしてるに
決まってる!! それだけの話だ!!﹄
緊張と不安に耐えきれなかったのか、瞳の端に涙を光らせながら
少しヒステリックに真新が金切り声をあげる。
全力全開の攻撃を叩きこんだはずなのに、いとも簡単に防がれた。
それも二回とも。
今まで金剛杵女神コンと共に積み上げてきた幾多の戦歴と経験、
そして自信が真新の中でガラガラと音を立てて崩れていく。
激しく頭を振ったその拍子に、少女の髪を後ろで縛っていたヘア
ゴムがばちんと切れ、その長い漆黒の髪がばさぁっと広がった。
はんもん
﹁してるぜ、不正﹂
と、沙良太は煩悶する二人に事もなげに告げる。
へ?と目が点になった真新の動きが止まった。
﹁あらら、あっさりばらしちゃうんですか?﹂
﹁⋮⋮俺が言わなくても、どうせお前がばらすだろ。嬉しそうに﹂
﹁ちぃっ、沙良太の癖に勘のいい⋮⋮﹂
ぷくぅと頬を膨らませる賽銭箱女神。
﹃どういうことだオイ!!﹄
﹁まあ種明かしをしてしまうとですね﹂
鼻息荒く自慢げな女神はずびしぃっと涙目の真新と、彼女の持つ
金剛杵を指差した。
﹁スク水メガネ⋮⋮っと今は眼鏡がどこかにいってスク水さんとダ
ブルフォーク女ですね。ハッキリ言って貴方達−︱︱沙良太を攻撃
するには圧倒的に﹃神格﹄が足りないんですよ!!﹂
116
偽神と少女
﹃何⋮⋮だと!?﹄
﹁そんな⋮⋮あなた人間よ!! なのに神格を持つだなんてありえ
ない!! そうでしょう、コン!?﹂
まさら
﹃お、おう⋮⋮いや⋮⋮そんな⋮⋮﹄
動揺する真新をよそに、金剛杵女神は歯切れが悪い。
さらた
その様子を賽銭箱女神は満足そうに眺めている。
﹁にしてもまったく、沙良太は考えることが規格外で困りますよ。
まさか使わないで貯まった破壊ポイントを還元できるか、だなんて﹂
﹁破壊神候補とかランキングとかは、俺には全く関係ない。貯まっ
たところで眼鏡屋のポイント並に使いどころに困るからな。だった
ごうまれいえんきょ
ら今、この戦いで使い切っても問題無いわけだ﹂
手に持った降魔冷艶鋸の柄でとんとん、と自分の肩を叩く。
﹃まさか手前ぇ、自分に破壊ポイントを︱︱︱!?﹄
ハッと気づいたコンが驚きの声を上げる。
﹁どういうこと!?﹂
つくもがみ
﹃真新良く聞け。信じられねぇがこの野郎−︱︱人間の癖に自分の
・・
器に破壊ポイントを注ぎ込んで、付喪神のあてらみたいに疑似的に
神化しやがった!!﹄
絶句する真新。
発想の突飛さはもちろん、勝利のためなら簡単に人間の枠を踏み
外して見せる沙良太の底知れ無さに、少女の脳髄は激しく揺さぶら
れた。
﹁正直俺もできるとは思ってなかったけど、何でも試してみるもん
だな。やってみるとこれが、想像してた以上に﹃馴染む﹄!!﹂
2,3回手を開いたり閉じたりした後、沙良太はぎゅっと拳を握
りしめた。
117
途端に血管の中を灼熱の溶岩が駆け巡るかのような高揚感。力強
い鼓動の響きと共に人の身では味わえるはずの無い充足感がその全
身を満たす。
﹁この感覚、まるで欠けてた自分のパーツが戻ってきたみたいだ!
!﹂
間欠泉から吹き上がる湯のように勢いよく溢れ出した﹃沙良太自
身の神力﹄は周囲の大気を震わせ、沙良太を中心にして鋭い刃のよ
ぎしん
うな旋風が歓喜の声を上げて舞い踊る。
﹁あはは、一時的にでも偽神を生み出してしまうとか、チートどう
こう以上にヤヴァいことをしてる気もしますけど⋮⋮まぁフォーク
女の驚く顔が見れたので、何だか知りませんがとにかく良し!!﹂
﹃禁忌かどうかも気にせずよくやる︱︱︱パートナーもそうだが、
手前ぇも相当なもんだぜ、クレイジー箱女!!﹄
﹁ん∼この圧倒的有利な状況から楽しむ負け犬の遠吠え︱︱︱カ・
しぎゃく
よろこ
イ・カ・ン!!﹂
嗜虐の悦びに身悶える賽銭箱女神。
圧倒的な神力に満ち溢れた沙良太の姿を目の当たりにした真新は
怯えて後ろに下がろうとするが、その少し血の気の失せた唇をきゅ
っと噛み締め必死でその場に留まる。
﹁さて、ネタをバラしたところでもう一回聞こう︱︱︱まだ、やる
かい?﹂
﹃ぐっ︱︱︱わりぃ真新、これ以上はもう︱︱︱﹄
﹁やるわっ!!﹂
パートナーのコンの言葉を遮り、恐怖の嵐に呑み込まれそうにな
りながらも少女は果敢に宣言した。
118
美少女戦士と少年
﹁言ったはずよ!! 私たちの目的は、こんなところで止まってい
いものじゃない!!﹂ 目の前の巨大な敵に向かって、怯える心と震える足を必死で押し
留めながら、勇気を振り絞って少女︱︱︱中村屋真新は叫ぶ。
﹁越えられない壁があったら破壊する︱︱でなければ例え修練を終
まさら
えたって、帝釈天様のいるところには到底及ばない、及べるわけが
ない︱︱︱そうでしょう、コン!!﹂
﹃︱︱︱ああ、そうだな︱︱︱そうだぜ真新!! それでこそあて
が、帝釈天様が見込んだ破壊神の卵だ!!﹄
同時に金剛杵が雷光ではない澄んだ白い光を放つ。
その光はやがて真新の全身に広がり、スク水を着た真新の体は光の
さらた
繭に包まれた。
沙良太と同じ選択−︱︱破壊神候補として今まで貯めた破壊ポイ
ントを自らの器に注ぎ呼び水として、新たな存在へと﹃神化﹄する
儀式。
真新たちの場合、お金が修練達成条件の賽銭箱女神と違い破壊ポ
イントの多寡が目標の成否を左右する。
だが真新とコンは大切なポイントを消費してまでも、ここで沙良
太たちに打ち勝つことを選択した。
それは愚かな、そして最も気高い選択。
ダイヤモンド
﹃金剛は砕かれず、全ての恐れ迷いを打ち砕く﹄
彼女たちの強い決意は、金剛石のように美しく輝く。
﹁今です!! 敵は無防備です!! 沙良太、ヤッチマイナァ!!﹂
一方そんなの知ったこっちゃねぇ、とばかりに下衆な提案をかま
す賽銭箱女神。
流石に沙良太も呆れ顔になり、大きなため息をついた。
119
﹁⋮⋮お前、アニメや特撮でも変身中は攻撃しちゃダメだって知ら
ないのか?﹂
﹁いえ、ニチアサは毎週欠かさず見てますけど。といいますか、む
わち
しろ何で沙良太が知ってるんです?﹂
﹁昔、妹の琶知が好きだったんだよ。最近は卒業したみたいだけど
な﹂
ふうん、と気の無い返事を返した女神は、未だ光を放ち続ける繭
に視線を移す。
﹁それにしても時間かかりますねぇ⋮⋮神化初体験だから仕方ない
んでしょうけど。そういえば沙良太たちの時は、破壊ポイント突っ
込んでもいやにあっさり呑み込んでくれましたっけ。もしかして経
験済みだったりするんですか?﹂
ぼくねんじん
みみどしま
﹁⋮⋮誤解されそうな表現すんな。単なる個人差だろ﹂
﹁おやおや∼? 朴念仁と思いきや、意外に沙良太は耳年増なんで
すねぇ﹂
このこの、と肘で沙良太の脇を突っつく女神の脳天に、沙良太の
肘鉄が無言で振り下ろされた。
﹁あがが⋮⋮し、舌⋮⋮舌かんだややや﹂
﹁いいから黙って見張ってろ﹂
﹁むぅ、正直じれったいです⋮⋮﹂
光はまだ収まらない。
沙良太も少し焦れてきたが、それでも﹃変身バンクってこんなも
んだしな﹄と琶知と仲良く日曜朝の美少女変身アニメを見ていた昔
のことを思い出す。
彼女たちが戦っていた敵も、毎週こんな気持ちを味わっていたの
だろうか。
﹁説明しよう!!﹂
痺れを切らした女神が唐突に声を上げた。
﹁水泳部員、中村屋真新が﹃本場ナンチャパティパワー メイクア
ップ!!﹄と叫ぶと、体内のマジカルインド粒子が金剛ダブルフォ
120
まかふしぎ
ークとタンドリー反応!! 全身が摩訶不思議なガンダーラエナジ
ーに包まれ変身が始まるのだ!!﹂
﹁︱︱︱おい、いくら暇だからって変なナレーション付けるな!!﹂
﹁いいじゃないですか、少しくらい!! 裸もBGMも無い変身シ
ーンなんて、見てても全然楽しくないです!!﹂
そう不満を叫んだ瞬間、光の繭がぱぁん、と弾けた。
あまりの眩しさと溢れ出す存在感、﹃神圧﹄とでも呼ぶべき強大
な力場に、沙良太は思わず目を細める。
輝く余剰神力の粒子が異世界の大気とぱちぱち音を立てながら反
応する様は、まるで新たな神の誕生を世界が祝福する花火。
﹁お待たせしました!! 愛と香辛料のスクール水着美少女戦士、
ブルセラカレー!! 帝釈天にかわって仏罰よ!!﹂
﹃勝手な決め台詞言ってんじゃねぇっっ!!﹄
﹁おへぶっ!!﹂
したた
光子の嵐が舞い踊る、その中心から現れた人影の放った衝撃弾が、
調子に乗っていた賽銭箱女神の脳天を強かに打ち据えた。
121
身も蓋も無い展開と少女
花道を飾る紙吹雪のように舞い散る煌めきの嵐。
さらた
それが去った後、白い繭のあった場所に立っていたのは、一人の
少女。
彼女の姿を見た瞬間、沙良太は知らない内にほぅ、という感嘆を
漏らしていた。
沸騰した大気の中で天火を帯び輝きゆらめく大円の転法輪を背負
い、後ろでポニーテールに纏められた黒髪には、蓮花の意匠のティ
アラのような黄金の宝冠。そこに嵌められた紫色の宝玉が第七のチ
ャクラ﹃サハスラーラ﹄の上で妖しい光を放つ。
眉間にはヒンズー教徒の既婚女性が付ける装飾﹃ビンディ﹄にも
見える印。
サードアイ
だがそれは飾りなどではなく、第六のチャクラ﹃アジーナ﹄の位置
に開いた紛れもない第三の目。
玉虫の羽のように色を変えるサリーを広げ羽衣としてふわり肩に
打ち掛け、服は薄手の紅く丈の短い小袖のような和服姿。ミニスカ
ートほどに詰められた下丈、その裾の隙間から褐色の太腿と下着代
まさら
わりのスクール水着の紺がコントラストを降りなす。
新たな﹃神﹄として生まれ変わった真新は、手に持った金剛杵を
確かめるようにぶん、と軽く振った。
﹁くっ!!﹂
つぶ
途端に荒れ狂う風が沙良太たち目がけて殺到。思わず沙良太は目
を瞑った。
﹁ひゃわわわ∼た∼す∼け∼ぎゅごっ!!﹂
風に煽られ倒れたままころころと転がる賽銭箱女神の身体を、足
を使って止める。
だがどうやら当たりどころが悪かったらしく、女神の口から踏ま
122
れた豚のような悲鳴が飛び出した。
しばらくして嵐が去り、沙良太は瞼を上げる。
そこにあったのは、大地に刻まれた3mほどの深さの三日月形を
した刃の跡。と、地面に仰向けに転がり、白目を剥いて口から泡を
吹く女神。
﹁ははっ。ご丁寧な自己アピール、痛み入るぜ﹂
しんか
服に付いた埃をぱんぱんと叩いて落としながら続ける。
﹁それで、中村屋真新さん。初めて﹃神化﹄してみた感想はどうだ
?﹂
沙良太と真新、二人の視線が交差する。
無言の時間。聞こえるのは足元の女神の口から噴き出すぶくぶく
という泡の音だけ。
﹁︱︱︱最悪よ﹂
はぁ、という脱力した溜息と共に、真新が不満を吐き出した。
﹁本当ならこの修練を終えて、晴れて神化の儀、ってなるはずだっ
たのに、こんな中途半端なところで⋮⋮用意していたクリスマスケ
ーキを、イブの三日前に食べてしまったような気分﹂
﹁そりゃお気の毒に﹂
﹁あなたたちのせいでしょっ!!﹂
怒気を孕んだ真新の声が空気を震わせる。
今や神たる彼女の声は全てが真言、力ある言葉。
何気ない会話であっても、常人ならばその囁きを聞くだけで畏敬
の念を抱き、ごく自然に膝を折り頭を垂れてしまうだろう。
﹁は、大分調子が戻ってきたな。さっきまで泣きそうだったくせに﹂
﹁さっきまではね。でも今は違う。あなたも分かってるはずよ﹂
沙良太は無言で頷く。
常に真新の体から吹き上がる純白のオーラのような神気は、目を
瞑っていても感じ取れるほどの圧倒的な存在感を放っている。借り
物の神力を振るっていた先ほどとは大違いだ。
今いる未熟な世界の存在が相手なら、仮の﹃偽神﹄であっても万
123
能に近い力。
しかし﹃同じ世界﹄からやってきて、さらに偽神化した沙良太に
は世界の﹃準位﹄差によるボーナスは発生しない。
ふと、西の空を見上げた。
既に夕陽の端が魔王軍前線基地を囲む小高い山の稜線に隠れ、鈍
いオレンジ色の光を投げかけている。
﹁⋮⋮もうすぐ日が沈むな。これが俺たちの最後の戦いになるだろ
う﹂
﹃けっ、この期に及んで時間稼ぎのつもりか? それとも真新の姿
を見て怖気づいたのか? 尻尾巻いて逃げるってんなら今のうちだ
ぜ﹄
神化した少女の握る金剛杵から凛とした声が響く。
付喪神は道具の神。使われることでその本領を発揮する。
真新が金剛杵女神に使われていた時は、道具が主人を使うという
歪な関係のため、彼女には本来の力など出しようが無かった。しか
し今、神化した真新に振るわれることで、コンは以前とは比べよう
にならない充実感を味わっていた。
使い手の力量によって発揮できる力が変わるのが道具。
そして人の使う道具から神の使う神具となった今、コンには負け
るつもりは微塵も無かった。
﹁いんや、確認しときたいだけだ。さっき賽銭箱に聞いたところ、
この﹃破壊ポイント注入﹄ってのは﹃神化﹄の呼び水以外の意味も
あるんだってな。違うか?﹂
﹁コン⋮⋮﹂
﹃ああ、別に秘密でもなんでもねぇ。修練期間中にこの世界で稼い
だ様々なポイントは、修練者が神化した後の存在維持、活動のため
のエネルギーとして使用される。大体、神化してすぐに神としての
信仰が手に入るわけじゃないからな﹄
﹁つまり神化を会社で例えるなら、呼び水となるポイントが﹃原資﹄
﹃出資金﹄。で、残りが会社設立後の﹃運営資金﹄みたいなもんで
124
すよ﹂
沙良太の足元で首を持ち上げた賽銭箱女神が、ちゃっかり説明に
加わる。
﹁要するに、このポイントってやつは﹃神化﹄後に使うガソリンみ
たいなもんだ。多いほど長く走れる、多いほど最大出力を気にしな
いで済む⋮⋮もっとも今回のは予定外の﹃偽神化﹄。ポイントが自
動的に全部神としての活動エネルギーに変換されることは無い﹂
﹃だから、それがどうしたってんだよ!?﹄
﹁賽銭箱、こいつらの破壊ポイントはどれくらいだ?﹂
苛立つ金剛杵女神には構わず、沙良太は地べたに腹ばいになった
ままの賽銭箱女神に声をかけた。
﹁え∼とですね⋮⋮暫定破壊ポイントランキング2位、チーム名﹃
スクール水着と愉快なフォークたち﹄⋮⋮あ、冗談です!! 痛い
!! お尻踏まないでお尻!! 穿いて無いから石とか砂利の感触
がダイレクトに!!﹂
タブレット端末を手に持ったまま、女神が悲鳴を上げる。
﹁どれくらい・だ?﹂
﹁チーム﹃天火轟鳴﹄!! 今日までの累計破壊ポイントは394,
235ptです!! 自分、調子乗ってしぃませんでぁしたぁ!!﹂
やっと尻を踏みつけぐりぐりしていた沙良太の足が離れる。
すぐさま二度と踏まれるものかと飛び起きた女神は、身体の前後
に付いた小石や砂埃を急いで払い落とした。
﹁お大事痛い⋮⋮ったく、痕になってたら責任とって下さいよ!!﹂
﹁茶番はもういいわ!! あなたたち、一体何が言いたいのっ!?﹂
鋭い真新の叱咤。
﹁せっかちさんですねぇ、じゃあ厳しい現実を認識させてあげまし
ょう︱︱︱私たちの累計破壊ポイントは530000です﹂
﹃あっ!?﹄
言われて思い出したのか、金剛杵女神の声が詰まる。
真新の表情が一瞬で驚愕の色に染まる。
125
二人の反応を見て満足そうに、沙良太と賽銭箱女神は顔を見合わせ
にやり、と不敵な笑みを浮かべた。
﹁ですがもちろん、フルパワーであなたたちと戦う気はありません
からご心配なく。ぷふっ﹂
﹁あ⋮⋮あ⋮⋮﹂
﹁あらあらら、あ∼ら∼ら、何ですかその渋面は? 冷や汗なんて
垂らしちゃって。さっき神化した時みたいに、自信たっぷりに笑い
ましょう。笑いましょうよ、ホラ。こうするんですよっぴぃぃっ!
!﹂
もの凄いドヤ顔を浮かべたところで尻を捻り上げられた女神は、
臀部を抱えてぴょんぴょんと飛び回るが、構わず沙良太は言葉を続
ける。
﹁そう、俺たちは手持ちのポイントを全て注ぎこんではいない。そ
れは事実だ。ただ、どれだけ注ぎ込んだかは教えてやらない﹂
﹃何だと?!﹄
﹁言ったはずだ。これは競争だと。だが単純に破壊ポイントを全て
注ぎ込んで、俺たちが勝ちってのはフェアじゃない﹂
﹃このッ!! 余裕かましやがって⋮⋮ッ!!﹄
﹁コン、落ち着いて!!﹂
金剛杵からギリギリという歯軋りが聞こえそうだが、それを真新
が必死で窘める。
それを見ながら、沙良太は冷酷に宣言した。
﹁これは言わばな、チキンレースなんだよ。俺たちがあんたらに提
供する、な﹂
126
芸武と少年少女
﹁チキンレース⋮⋮ですって?﹂
真意を計りかねた真新が眉をひそめる。
﹁俺たちの使える破壊ポイントは53万、あんたらは40万弱。そ
さらた
して断言しよう。今回俺の中に注ぎ込まれたポイントが、あんたら
の総ポイント数を上回ることは決してない﹂
﹁ですからお二人の持つポイントを全て注ぎ込めば、沙良太には必
ず勝てるようになっているんですよ⋮⋮その代り今回使った分のポ
ほぞ
か
イントは、不安定な偽神化が解除された瞬間パァになってしまいま
すけどね﹂
まさら
﹃ぐっ︱︱︱!!﹄
真新の手の中で、金剛杵女神が臍を噛む。
﹁どうしましたか、フォーク女? さあさあお気を確かに。がっか
りするには及ばない!! 例え破壊ポイントを10万注ぎ込んでも、
せんえつ
あなたのポイントは残り29万もあります!! まだまだ勝利の可
能性は残されていますよ!!﹂
﹃手前ぇら︱︱手前ぇらぁぁっっ!!﹄
﹁どうぞどうぞ、好きなだけ勝利を追い続けてください。僭越なが
こら
ら私も、その姿を心から応援するもので⋮⋮ひゃ⋮⋮あひゃひゃひ
ゃっ!!﹂
真面目ぶった台詞の途中で、堪えきれなくなった賽銭箱女神は腹
を抱えて笑い始めた。
﹁だ、ダメですもう!! 面白すぎて笑いが止まりませんよ沙良太
!! 見て下さい、このフォーク女たちの顔!! 二人とも今、最
高に輝いています!! 旬です!! 道化です!! ピエロです!
! 今年のベストコメディアン賞を差し上げたい気分でォほっぽぅ
ッ!! ﹂
127
ごうまれいえんきょ
沙良太の持つ降魔冷艶鋸の刃の腹が、巨大しゃもじのように女神
の尻をべしぃんっ!!と打ちつけると、女神は奇声を上げながら尻
を押さえて飛び回る。
もうこはん
﹁⋮⋮時間も無い。これ以上説明は不要だろう﹂
げいむ
﹁いきなり何するんです!? 蒙古斑できてたら銭湯入った時に恥
しゃく
ずかしいじゃないですかっ!!﹂
たか
﹃癪に障るが仕方ねぇ︱︱︱乗ってやろうじゃねえかその芸武!!﹄
﹁そうよ!! 破壊ポイントの多寡が戦力の決定的差でないという
ことを、私とコンがあなたの骨髄に叩き込んであげる!!﹂
さえぎ
﹁ちょっと皆さん、ねぇ聞いてます? 今沙良太が、女の子のお尻
に酷いことしたんで︱︱︱﹂
女神の抗議の台詞は、突如吹き始めた猛烈な神風によって遮られ
た。
沙良太と真新、二人の偽神を中心に生み出された神気が輝くオーラ
こがねいろ
のように膨れ上がり、接触面でばちばちと激しく火花を散らす。
真新の神気は手に持つ金剛杵と同じ黄金色。
こんじきそう
じょうこうそう
全身から燃え上がる様に発せられるその光は、仏神の持つ三十二
相のうち金色相と丈光相を現しているかのよう。
対する沙良太の神気は⋮⋮
﹁同じ黄金色? 不思議な偶然もあるものですねぇ⋮⋮﹂
やまぶき
二人の神気の色を見比べながら呟いた賽銭箱女神の顔が困惑に、
そして驚愕に歪められる。
すめかみ
﹁黄金より赤く鮮やかな黄⋮⋮山吹色⋮⋮太陽!? ってまさか!
! こんなところで、しかも人間が皇神と同じ神気を持ってるワケ
無いじゃないですか﹂
ああ嫌です、ネトゲのしすぎて視力が落ちたんですかね、今度京
都に行ったら伏見の眼力社に寄って相談することにしましょう、う
ん、と女神は無理やり自分を納得させた。
﹁︱︱︱行くぞっ!!﹂
﹁︱︱︱行きますっ!!﹂
128
まと
少年と少女、山吹色と黄金色の光を纏った生まれたばかりの二柱
の偽神は、同時に武器を振り下ろす。大地を裂き割り進む衝撃波、
それが相手に届くよりも早く、二つの影がぶつかり合い一つになっ
た。
129
一進一退と少年少女
ごうまれいえんきょ
たいざん
さらた
降魔冷艶鋸の大青竜刀と金剛杵の三叉刃がぶつかり合い、激しい
金属音が響く。
まさら
敵に触れれば泰山の重さに変わるはずの沙良太の一撃。しかし神
化した真新はものともせず細腕で受け止め、
﹁ぬるいですっ!!﹂
あろうことか沙良太の身体ごと弾き飛ばした。
﹁︱︱︱やってくれるっ!! ﹂
空中で体を回転させた沙良太は逆さま状態で青竜刀の切っ先を真
新に向けると、何も無い空間を足場のように踏みつけ、まるでロケ
ットのように衝撃波を撒き散らしながら地上目がけて突撃する。
﹁コン、追加のポイント変換を!!﹂
﹃よしきたっ!! 10万点分受け取れっ!!﹄
神化の呼び水に使った30000ポイント分の神力は、先ほどの
沙良太の一撃を受け止めた時点でとっくの昔に吹き飛んでいる。
神力の補充を受け、真新の体が一層の輝きを増した。
急降下する沙良太をきっと見据える。
﹁来たれ閃光、轟け雷光!! 破邪顕正の時は今!!﹂
﹁むっ!?﹂
真新の体から生み出された破邪の雷が彼女の手の中で収束。一本
の光の矢を形作ると、真新はそれを金剛杵につがえる。
リグ・ヴァジュラ
弓のように金剛杵がしなり、頭上に狙いを付けた真新は電光の矢
ガーンディーヴァ
を目いっぱい引き絞った。
﹁決して外さぬ神弓の名のもとに、魔を砕け正義示すインドラの矢
!!﹂
まばゆ
ほんりゅう
ひょう、と沙良太に向けて放たれた矢は真新の手を離れた瞬間、
一条の眩い光の奔流となって天を射抜く。
130
パルテノン神殿の柱のように太い雷光がオゾン臭を撒き散らし大
気をプラズマ化させながら空と雲と、そして迫りくる沙良太の影を
貫いた。
﹁だっせいりゃっ!!﹂
真新の眼前で光の柱が横一文字、真っ二つに切り裂かれる異常な
光景が展開される。
﹁伝説級の英雄神﹃関帝聖君﹄の加護に、単なる﹃矢﹄が通じるか
よっ!!﹂
﹃くそっ、術の性質を逆手に取られたか!?﹄
大分スピードは殺せたものの、沙良太はそのまま冷艶鋸を大上段
に振りかぶり真新に振り下ろす。
真新が金剛杵を構えたところに、容赦無い一撃が叩きこまれた。
﹁︱︱︱くぅっ、さっきより重いっ!?﹂
﹁残念まだまだっ!!﹂
沙良太から放たれる山吹色の神気が青竜刀の刃を包み込むと、真
新の手にかかる負担がどんどん大きくなり、自らの意志以外では曲
がるはずの無い金剛杵が軋みを上げて歪み始める。
﹃ぐぎぎぎ︱︱︱﹄
﹁コンっ!?﹂
﹁道具の能力限界を強制解除した。さて、あんたらの心は山何個分
の重さで折れるかな?﹂
だが真新より先に、彼女を支える大地が悲鳴を上げ始めた。
踏ん張った二本の足が地面にめり込み、そこからクレーター上に
ゆっくりと陥没を始める。
アージュン・シューニャ
﹃ま、真新⋮⋮一旦退いて体勢を立てな⋮⋮﹄
﹁分かったわ!! 駆けよ天網紡ぐ神騎!!﹂
一瞬真新の姿がぶれる。
次の瞬間、彼女の体は雷となり沙良太の刃を潜り抜け逃れていた。
﹁ちっ⋮⋮﹂
敵の姿を見失った青竜刀の刃は、スイッチが切れたかのように重
131
量を失い、虚しく空を斬る。
﹁コン、コンっ、大丈夫?!﹂
﹃ああ、何とかな⋮⋮だがあいつ、想像以上に手ごわいぜ﹄
青息吐息で金剛杵女神が答えた。
﹃手前ぇ、諏訪沙良太。こんなに強ぇってのに、何でそこの箱女と
組んでやがんだ? いや、それより何故あてらの邪魔をする!?﹄
へいげい
すり鉢状に陥没した地面に降り立ち青竜刀を肩にかけた沙良太は、
真新と金剛杵女神を黙って睥睨する。
しんきろう
﹃そんなにあの獣人どもが大事か? この未熟な世界の、魂さえあ
るかどうかも分からない蜃気楼みたいな連中の未来が!? 答えろ
諏訪沙良太っ!!﹄
132
げてん
実は質問に質問で返している少年と少女
じんかん
や
ゆめまぼろし ごと
さらた
あつもり
﹁⋮⋮﹃人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり﹄﹂
うた
手に持った青竜刀を灼けた大地に突き刺した沙良太は、﹃敦盛﹄
の一節を謡う。
﹁織田信長? あの破壊者に心酔しているから、とでも言うつもり
まさら
?﹂
真新が険しい表情で言葉を投げつけた。
だが沙良太は同じた様子も無く、ゆっくりと言葉を続ける。
﹁知らなかったけどさ、﹃下天﹄って仏教で言うところの天界の最
下層なんだってな。そんな下天でも、1日が人間界の50年に相当
する⋮⋮﹂
﹃一体何の話だ!?﹄
﹁﹃物差し﹄の話だよ。歴史上の偉人の壮絶な一生でさえ、下天と
比べればほんの1日の出来事。しかも下天の上にはまだ上天なんて
のがあって、その1日は800年。そりゃ虚しくもなるさ﹂
しんきろう
大きなため息を吐き出し、真新と彼女の金剛杵を睨みつける。
﹁そこのフォーク女、お前さっきこの世界に生きる奴らを﹃蜃気楼
みたいな連中﹄って呼んだよな﹂
﹃⋮⋮それがどうした﹄
﹁確かにお前ら神様の﹃物差し﹄からしたら、それは正しいんだろ
うよ。でもそれは、あくまでお前らの﹃物差し﹄で測った時の話だ。
今日会った獣人の村の子供たちが動いて、話して、喜んで⋮⋮生き
ているのを見て、それでも俺にはあれが蜃気楼だとは思えない。あ
いつらと現実に生きる俺たちの何が違う﹂
ごくり、と真新の咽喉が唾を飲み込んだ。
自分が持ったのと同じ疑問を、目の前の少年も抱いている。自然
に金剛杵を握る手の力が弱まった。
133
﹁中村屋真新。あんた、そこのフォーク女と一緒に居すぎて、そい
つらの﹃物差し﹄に引きずられてんじゃないのか? 大体﹃破壊神
マーラ
候補﹄って何だ。一体誰のために、何を破壊するってんだ?﹂
﹁それは⋮⋮例えば人を苦しめる魔とか﹂
﹁﹃破壊﹄が必要なのか、悪を倒すことに。普通に戦えばいいだろ
う!! それとも人類に不都合な苦痛、困難という概念までも破壊
するつもりか!! そんな柔らかくて噛み応えの無い、母乳プリン
のような優しい世界がお前の理想なのかよ!!﹂
﹁あ︱︱﹂
少女︱︱︱真新の中で何かが崩れる音がした。
一人きりだった自分。前へと進む勇気をくれた金剛杵女神コンと、
帝釈天との出会い。
異世界での戦い。
力を振るう快感と勝利。破壊の愉悦。
ランキングで他者を圧倒することで、自分の中に自信が生まれた。
けれども⋮⋮なりゆきで魔族の手から守った獣人たち。コンには笑
われたけれども、破壊ポイントにはならない蜃気楼のような存在の
はずの彼らに﹃ありがとう﹄と言われ、それが素直に嬉しかったこ
と。
今まで闘争一色だった真新の中を、様々な記憶と感情が駆け巡る。
﹁賽銭箱、例の道具を﹂
﹁はいは∼い!! いやぁ普通にバトル漫画みたいな展開だったの
で、忘れられたかと思っていましたよ﹂
立ったまま夕闇迫る空を見上げる真新をよそに、ぽちっとな、と
たまのおや
賽銭箱女神がタブレットの購入ボタンを押す。すると沙良太の顔に
黒縁眼鏡が装着された。
﹁眼鏡の神にして自身も神界きっての眼鏡マニア、玉祖様監修の﹃
さばえ
神性チェッカー﹄!! この眼鏡のレンズを通して見れば、自動的
たんせい
に相手の神性を示す文字が浮き上がって来ます。しかも鯖江の眼鏡
職人が一つ一つ丹精込めて作った逸品!! 量産品とは違うのだよ、
134
量産品とは!!﹂
いしこりどめ
いつとものおのかみ
にしても玉祖様、うちの伊斯許理度売様とは五伴緒神同士で仲が
いいんですけど、私の顔を見る度﹁まぁまぁ眼鏡どうぞ﹂って新作
フレームを勧めてくるのはどうにかならないんでしょうかね⋮⋮と、
どうでもいいことをぼやく女神。
﹃手前ぇ、これ以上真新に何余計なこと吹き込むつもりだ!?﹄
噛みつかんばかりの剣幕で金剛杵女神が吠えるが、沙良太は無視
して眼鏡の向こう側に少女の姿を捉える。すると糸ミミズのような
黒い線が視界に現れくねくねと踊り出し、やがて線は文字の形を取
り付箋みたいに少女の像に貼り付いた。
﹃中村屋 真新︵渡来系・護法神︶﹄
やっぱり、と沙良太は口の中で独りごちる。
いくら破壊ポイントを稼いでも、彼女の本質は破壊神とは程遠い。
いや、もしかするとインドに行けば訓練でどうにかなるのかもしれ
ないが、それは彼女の先天的に持つ素質を文字通り破壊することに
もつながるだろう。
そして金剛杵女神の方。
﹃坤︵地祇系・付喪神︶﹄
こちらは年経た道具が神化した存在である、一般的な付喪神の域
を出ない。
﹁神化した現在の神性は、護法神に付喪神、か。あんたらの上司の
帝釈天レベルなら、道具を使わなくても適性は見えただろうに、ど
うして﹃破壊神を目指す﹄なんて物騒な話が持ち上がったんだ?﹂
﹃五月蠅い、手前ぇには関係ねぇ話だ!! インチキ賽銭箱の出し
た道具なんて、最初からぶっ壊れてるに決まってる!!﹄
ひと
﹁なっ!? 失敬ですね、玉祖様に言い付けますよ!! そしたら
あの神、金剛杵に似合う眼鏡とか持ってきますよ、マジで!!﹂
憤慨する賽銭箱女神。
﹃真新も、こんな奴の言うこと⋮⋮﹄
﹁コン!!﹂
135
真新の鋭い声が話題を逸らそうとする金剛杵女神を拒絶する。
﹁いいの。私も受け入れる覚悟ができたから。だから大丈夫﹂
﹃真新⋮⋮﹄
そう言って真新は、自分の手の中の金剛杵を優しく握りなおした。
136
アレな方向に目覚めてしまった少女と少年
﹁さぁてフォーク&カリーのお二方、うちの番犬との力の差がお分
ことあまつたえのみたま
かりいただけたところで決断していただきましょう。このまま無駄
な抵抗を続けるか、それとも﹃別天伝御玉﹄を渡して全面降伏す⋮
⋮﹂
﹁迅ッ!!﹂
さらた
ごうまれいえんきょ
予備動作無しに繰り出された鋭い金剛杵の一撃が賽銭箱女神に襲
い掛かる。
シャムシール
が、すんでのところで割り込んだ沙良太の降魔冷艶鋸が、火花を
散らしながら半月刀のように湾曲した三本の曲刃を食い止めた。
﹁い、いきなり何するんですか!! 危うく漏水しかける⋮⋮﹂
﹁下がれっ!!﹂
﹁ぎゃわんっ!?﹂
後ろ足で沙良太に蹴られた賽銭箱女神は、盛大にすっとんで地面
に熱いキスをプレゼント。
﹁ちょっと沙良太、最近実力行使に抵抗が無さ過ぎですっ﹂
顔面を泥だらけにして鼻の頭を赤くした女神が抗議しようとした
瞬間、
ヴンッ!!
さっきまで女神の頭のあったところを、太いレーザー光線が空気
を焼きながら通り過ぎる。その先にあった魔王軍前線基地の瓦礫は
正円の穴が開いたかと思うと、みるみるうちに溶けて蒸発してしま
った。
﹁⋮⋮へ? へ⋮⋮!?﹂
まさら
恐る恐る振り返った賽銭箱女神の目に、何やら吹っ切れた表情の
真新の姿が映る。
﹃ちっ、悪運の強い﹄
137
﹁残念ね﹂
左手にまだパリパリと騒ぐ紫電を纏わせた真新は、涼しげに悪態
をついた。
﹁いきなり俺じゃなくて箱女を襲うたぁ、一体どういう風の吹き回
しだ?﹂
﹁思い出しただけよ。相手の女神に手を出したらダメ、なんて決め
て無かったってこと﹂
﹃手前ぇだって、あてを散々ブッ叩いてくれたわけだしな﹄
それはあなたがフォークだからじゃないですか!! と憤慨する
賽銭箱女神を尻目に、沙良太は対面の真新の瞳を覗き込む。彼女の
瞳は、心は、先ほどまでとは比べ物にならないくらい澄み切ってい
た。
﹁一応お礼を言っておくわ、沙良太。あなたのおかげで私は⋮⋮﹂
片手で振るわれているはずの金剛杵。それを受け止めている降魔
冷艶鋸がぎしぎしと悲鳴を上げて歪み始める。
﹁私は!! 私のために戦える!!﹂
﹁ぐっ!?﹂
﹁あなたと出会えなければ、障害も無く勝ち続けていれば、ずっと
自分に嘘をつき続けていたかもしれない!!﹂
少女は歓喜の叫びを上げる。呼応するように生まれた眩い雷光が、
踊りながら周囲の空間を焦がす。
﹁だから感謝を込めてあなたを⋮⋮あなたたちを叩き潰してあげる
!!﹂
138
吹っ切れると怖い女の子と少年
らた
さ
じりじりと金剛杵の刃が迫る。その重圧に耐えきれなくなった沙
ごうまれいえんきょ
良太は、咄嗟に青竜刀の石突を地面に突き刺した。
敵に触れれば泰山の重さとなる﹃降魔冷艶鋸﹄は、大地と一体化し
たようにぴくりとも動かない。
﹁で、こんなこと言ってるけど相棒さんはそれでいいのか? 破壊
神候補として育ててたんだろ?﹂
少しできた余裕の中で金剛杵女神に問いかける。
まさら
﹃適性のことなんざ最初から知ってたさ。まぁ残念っちゃ残念だが、
真新が自分のために戦うってんなら、道具はそれに付き合うまでだ
ぜ!!﹄
﹁︱︱︱そうかい!!﹂
沙良太は苦笑いで返しながら隠そうともしていない真新の細い脇
腹に向かって、思いっきり回し蹴りをお見舞いする。
だが真新は舞うようにたんっと中空に跳び上がり、その一撃を回
避。
﹁言ったでしょう。叩き潰すのは、私!!﹂
すかさず繰り出された金剛杵の刃を、沙良太は青竜刀を地面に立
てたまま器用に動かして跳ね除けた。
続いて二撃、三撃⋮⋮矢継ぎ早に降り注ぐ鋭い槍撃を、青竜刀の
刃が次々に弾き返す。
﹁⋮⋮しぶとい﹂
﹃流石はゴキブリ箱がホイホイ選んだけあるな﹄
焦れてぼやいた金剛杵女神に、誰がゴキブリハウスですかこの文
鎮女!!と賽銭箱女神が言い返すが、誰も聞いてはいない。
﹁いいわ。十撃で倒れないなら百撃を叩きこむまでよ﹂
﹃だな!!﹄
139
触刃より少し広く間合いを取って、ひらりと大地に降り立った真
新が金剛杵を構え直した。
﹁頑張るのはいいが、ほどほどにしておいた方がいいぞ。この青竜
刀、重さは泰山に匹敵するらしいからな﹂
﹃泰山﹄とは、中国山東省にそびえる標高1500mを超す道教
の霊山。
つまりこの青竜刀を盾にしている限り、沙良太は山の陰に隠れてい
るようなものだ。金剛杵一本で立ち向かうには大きすぎる。
真新はちら、と賽銭箱女神の方を見た。
﹁ひいぇっ!!﹂
すると気付いた女神は奇妙な悲鳴を上げ、カサカサと地面を這う
ようにして素早く沙良太の背後に隠れる。
﹃だってよ。どうする真新?﹄
いかにも面倒臭い、といったふうに金剛杵女神が尋ねた。
﹁いいこと教えてくれたじゃない﹂
﹃は?﹄
だが当の真新はけろっとしている。
﹁神界の道具にも能力の限界があるってことでしょ? だったら山
ごと︱︱︱﹂
左半身前で中段に構え直した真新の声がすっ、と低くなる。
﹁︱︱︱消し飛ばすつもりで﹂
﹃まじか﹄
﹁まじかい﹂
﹁まじですかい﹂
意図せず残り三人の声が重なった。
140
雷火の申し子と少年
瞬ッ!!
さらた
音速を超えて突き刺さる金剛杵の刃を、沙良太は何とか面積の広
い青竜刀の腹で防ぐ。
カインッ、と金属のぶつかり合う音。飛び散る火花。舞い踊る雷
の花。だが目を眩ませている暇も与えず次から次へと槍撃が叩きこ
まれ、思わず沙良太は顔を歪ませた。
柄を握る手が震える。一撃一撃が、重い。
それだけでなく、攻撃のスピードが速すぎる。そして指数関数的
に増えていく攻撃回数。
ごうまれいえんきょ
一撃の次は二撃、その次は四撃八撃⋮⋮十六、三十二、六十四、
しゅうう
百二十八⋮⋮
驟雨のように絶え間なく降り注ぐ打撃斬撃の前に、降魔冷艶鋸は
もはやトタン屋根程度の用しか為していない。
﹁こいつ、本気で削りきるつもりかよ⋮⋮﹂
呆れたような声で沙良太が呪詛を吐く。
﹁ちょっと沙良太、大丈夫なんですよね? 負けそうになったって、
私を置いて逃げたら許しませんよ!! ふぁいお∼ふぁいお∼さ・
ら・だ!! じゃなくて沙良太!!﹂
沙良太の陰でどこから取り出したのか、日の丸扇子を両手に応援
する賽銭箱女神。
しかし当の沙良太からすると、ひたすらに邪魔。いつものように
ツッコミを入れようとするも、嵐のような真新の攻撃がそれを許そ
うとしない。
﹁⋮⋮後で〆る﹂
ドスの聞いた声で凄むが、女神は気にした様子も無い。
そうしている間にも、今の沙良太に対応できるキャパシティを越
141
えた光の刃が容赦なく二人に襲い掛かる。既に刃を交える段階は過
ぎ、ただ青竜刀の盾で身を守るので精いっぱい。
何とか反撃の糸口を、とも考えるが、そんな余裕さえ削り取られ
ていくようだ。
不意に青竜刀の柄を持つ沙良太の手に違和感が伝わった。
敵に触れている間は泰山の重さになるという﹃降魔冷艶鋸﹄。大
地に刺せば何者も動かせなくなるはずのそれが、浮いた。
﹁嘘だろ⋮⋮﹂
しかし間違いようが無い。
怒涛のように押し寄せる槍撃を受けながら超重量を誇る青竜刀は、
地面に触れ続けることができなくなり少しずつ、明らかに持ち上げ
られ始めていた。
沙良太の背筋に冷たいものが走る。しかし、気付いたのは沙良太
だけではない。
﹁どうやら道具の限界が近いようね﹂
金剛杵を振るう真新が揺さぶりをかける。
﹁どうかな﹂
﹃けっ、箱女と一緒で可愛くない奴だぜ﹄
務めて冷静を装い、精いっぱいの強がり。
﹁そう、なら遠慮してあげる必要は無いわね﹂
真新が言い終わるのと同時に攻撃の速度が、威力が、数が、重さ
ヴァジュラ・サハッスラ
が︱︱︱沙良太の想像していた限界を軽々と超えていく。
﹁﹃雷火千戮﹄!!﹂ 天の川の星々が頭の上から落ちてきたような無数の輝く光点が、
沙良太の網膜に焼けつけられる。その握りしめた手の中で、降魔冷
艶鋸が静かに砕け散った。
142
遠いあの日と少年
自分に向かって押し寄せる光の奔流、攻撃の流星雨の中で、沙良
太は不思議な感覚に浸っていた。
︵初めてなのに懐かしい⋮⋮昔どこかで⋮⋮︶
既に武器は無く、破壊ポイントを変換した分の神力も尽きた。だ
がその体は、何故か充足感に満ちている。
︵やるだけやったからか? いや、そうじゃない︶
真新との戦いを楽しんでいた自分に改めて気付く。
︵面白かったんだな。思った以上に︶
限定的とはいえ死力を尽くし、文字通り刀折れ矢尽きるまで戦っ
た。
向けられる真っ直ぐな敵意、澄み切った殺意、その中で生れる至高
の闘争。
は
︵正道を振りかざし平気で葦を踏みつける﹃あいつら﹄とやるより
︱︱︱︶
不意に何も持たない手が自然に腰に伸びる。佩いた剣をすらりと
よ
よ
抜き、そのまま光の中心へと抜き打ちで真一文字に斬りかかった。
﹁好い!! よほど好いっ!!﹂
愉悦の中で振るう敗北の刃。あの時と同じ、最後の悪足掻き。
そこで沙良太の意識は途絶えた。
目が覚めた時、沙良太の前にあったのは茶色い壁だった。
143
﹁⋮⋮で、何で俺をうつ伏せにしたままで放っておいたのか、教え
てもらえるか?﹂
﹁ごべんなざいゆるじでぐだざいもういだじまぜんごべんなざい⋮
⋮﹂
袴の裾を捲り上げて瓦礫の転がる大地に素足を晒した状態で正座
した賽銭箱女神は、両の頬を真っ赤に腫らしながら、壊れたレコー
ドのように謝罪の言葉を紡ぎ続ける。
﹁俺は理由を聞いてんだ。別に怒ってるわけじゃない。お前に巻き
込まれたせいで戦う羽目になって、身を挺してお前を護った自分が
何で地べたに、しかもわざわざ息ができなくなる体勢で放置されて
いたのかを聞いているんだ﹂
﹁ごべんなざいゆるじでぐだざい⋮⋮﹂
﹁そろそろ勘弁してあげなさいよ。正直、見てるこっちがキツいわ﹂
まさら
ぺたり、と沙良太の頬に湿った布が触れる。見ると元のスク水メ
ガネ姿に戻った真新が、ハンカチで沙良太の顔を拭いてくれている
ところだった。
﹁っと、ありがとう。ちなみにこいつは、この程度でへこたれるほ
どヤワじゃないから大丈夫だ﹂
﹁⋮⋮あなたたちが一体どういう関係なのか、理解に苦しむわ﹂
既に日はとっぷりと暮れ、辺りは夕闇に支配されている。その中
で真新の持つ金剛杵が照明器のように輝き、魔王軍前線基地の跡地
を照らしていた。
沙良太の顔を拭き終った真新は、次は賽銭箱女神に近付く。沙良
太が無言で頷くと、女神を立たせた真新はその土に汚れた足を拭き
始めた。
﹁ああ⋮⋮ありがとうごぜいやす⋮⋮あんさんは命の恩人や⋮⋮﹂
﹁ねぇ、何でこの人いきなり関西弁になったの?﹂
けげん
﹁理解しようと思ったら負けだ﹂
怪訝そうな顔をした真新だが、答えは得られないと知ると黙って
手を動かす。
144
﹃にしても、最後の一撃は驚いたぜ。まさかあそこから反撃が飛ん
でくるとはな﹄
ま、実際は大外れだったんだけどよ、ぴかぴか光りながら金剛杵
女神ことコンがぼやいた。
﹁良く言いますよ。カレーとライスみたいに二人揃って頭と胴が泣
き別れになりかけて、しばらくビビッて立てなかったじゃないです
か﹂
﹃けっ﹄
賽銭箱女神がそちらを見ろとばかりについつい、と指を動かす。
その先、金剛杵の光が届くギリギリの範囲におぼろげに浮かび上が
るのは、まるで雪山のクレヴァスのように黒い口をぱっくりと開け
た大地。その幅2m程の裂け目を風が通るたび、ひゅうひゅうと不
気味な音が聞こえてくる。
﹁これを俺が⋮⋮﹂
﹁さすがは関帝聖君監修の逸品。砕けた後でもこれほどの破壊力を
発揮するなんて、思ってもみませんでした﹂
後でカスタマーセンターにお礼の手紙を送っておきましょう。上
手くすれば愛用者の声として紹介されて、粗品くらいはもらえるか
もしれませんし、と早速不埒なことを画策し始める賽銭箱女神。
やれやれ、と沙良太はコンと顔を見合わせて苦笑した。相手は棒
だが。
けんそん
﹁といっても、俺自身は気絶してたから全然覚えてないんだけどな﹂
﹃謙遜するなって。無意識でも身体が動いたってのが凄いんだよ、
なぁ真新﹄
戦いが終わったおかげか、コンも真新もさっきまでとは打って変
わって打ち解けたような話し方になっている。
﹁これで終わり、と。そうね⋮⋮あれだけの戦闘センスを持ちなが
ら、力を使い始めてまだ二日目だなんて、自身なくすわ﹂
賽銭箱女神の足を拭き終った真新が顔を上げる。すると待ってい
たかのようにコンが話題を変えた。
145
﹃それはともかく、例の賭けはあてらの勝ちだぞ。さっき確認した
ら、お前らを撃破した分の破壊ポイントが笑えるくらい加算されて
たからな。村に戻ってからでいいけどよ、ちゃんと約束は果たして
もらうぜ﹄
﹁⋮⋮破壊神候補の件は考え直すみたいだったけど、それはどうす
るんだ?﹂
コンはしばらく沈黙した後、
﹃実はさっきお前が倒れてる間に真新と話してたんだよ。で、まず
やれるところまでやってみて、その上で帝釈天様も交えて今後の事
を決めよう、ってことになったのさ﹄
お前のおかげで、破壊ポイントは持ってるだけでも神力転化に使
えるってのが分かったからな、とカラカラ笑う。
﹁そっか。良かったじゃん﹂
安心したようににっこりと笑う。そして賽銭箱女神に目配せした
沙良太は互いに頷くと、
﹁残念ながら、賭けはお前らの負けだけどな﹂
そう言い放った。
146
兵どもが夢の跡と少年
まさら
﹁⋮⋮これは一体⋮⋮﹂
さらた
真新は目の前の光景をにわかに信じることができなかった。
自分たちが沙良太を追いかけた時に、やりすごした敵は百程度。
獣人村の待機戦力でも充分に持ちこたえ、ともすれば追い払うこと
ができる数だったはず。しかし今、彼女の足元には千を優に超える
魔物の死骸が転がっていた。
村を囲む小高い丘は山と積まれた躯から流れ出す血で黒く染まり、
たちこめる死臭で鼻がもげそうだ。
﹃ど、どういうことだよ箱女!? 何で敵がこんなに⋮⋮﹄
﹁そういえば前線基地の親玉が誰だったか、二人とも知らないんで
したっけ。なんせ話を聞く前に基地ごと消し飛ばしちゃったんです
もんねぇ﹂
賽銭箱女神が大げさに溜息をついてみせる。
﹁俺たちが最初に基地に着いた時、あそこにいたのは﹃魔王軍副司
令代行﹄。つまり本隊は別のところにいた、ってことだ﹂
﹁知ってて私たちを引っ掛けたの!?﹂
ふとだま
驚愕する真新に、沙良太はこくんと頷いた。
﹁はぁい!! 占いの神である布刀玉様謹製﹃どこなんレーダー﹄
!! これで魔王軍の位置を確認しながらあなたたちを本隊から引
き離し、留守番役しか残っていない前線基地まで誘導したんです!
!﹂
対象が生物に呑み込まれていると精度が落ちるんですけどね∼、
とオシロスコープのような緑色の液晶画面のついたストップウォッ
チ型の端末をいじる女神。
﹁そういえば前は敵を倒したら死体は消えてたけど、何で今回は消
えてないんだ?﹂
147
﹁それはですね、ほら、魔物の死体は武器屋防具その他の素材アイ
テムになるじゃないですか。こうやって素材を剥いでやれば消える
んです﹂
言いながら手近なところに倒れていた首の無いゴブリンが着てい
た皮鎧の一部をぐいっと引っぺがす。すると女神の手には薄汚れた
皮が一枚残った代わりに、ゴブリンの緑色の身体は霧のように掻き
消えてしまった。
﹃しかし酷ぇ戦い方をしやがる。いや、これは戦いなんて呼べるも
オーク
ギガアント
んじゃねぇな。ガキが玩具で遊び散らかしただけ⋮⋮﹄
サイクロップス
上半身が消し飛んだ鬼人、四肢をもがれた巨大蟻、頭の潰された
一眼鬼⋮⋮魔物が相手では当然なのかもしれないが、その残骸には
戦った者たちへの敬意など微塵も感じられない。
アオーン!!
不意に丘の陰から犬の遠吠えがしたかと思うと、頭が二つある巨
大な犬の姿をした魔獣、ケルベロスのベロが姿を現した。その灰色
の毛皮は埃にまみれ、矢傷や刀傷と一緒に、ところどころどす黒い
血の染みができている。
ベロは沙良太たちのところに駆け寄ると、膝を曲げてお座りのポ
ーズを取った。
﹃まさかこいつが?﹄
そうコンが呟いた時だった。
﹁お兄ちゃんおっそ∼い!!﹂
わち
聞き覚えのある少女の声がしたかと思うと、ケルベロスの背中か
ら犬耳を生やした琶知がぴょん、と元気に飛び出してきた。
全身を魔物の返り血で真っ赤に染めて。
148
兄妹の異変と少女
﹁この子がやったというの⋮⋮この地獄を⋮⋮そんな⋮⋮﹂
空に浮かんだ三つ子の三日月が不気味な蒼い光が戦場を照らす。
まさら
その中に浮かび上がったのは、見渡す限り魔物の惨殺死体で覆われ
た大地。
やわ
や
目の前の光景を信じられない真新が絶句する。
さらた
﹁うん!! でもみんな柔くて殺りがいが無かったから、ちょっと
わち
退屈だったかな﹂
血塗れの琶知は沙良太の首に腕を回し、抱き枕にでもするかのよ
うに短い手足を兄に絡みつかせていた。犬耳から赤い雫が垂れ、沙
良太の頬にクレヨンでひいたような線を残す。
﹁ちょっと沙良太⋮⋮つかぬ事をお聞きしますけど、琶知さんって
こんな濃厚密着系ブラコン妹でしたっけ?﹂
先ほどからの違和感に耐えられなくなった賽銭箱女神が、沙良太
の背後でこそこそと質問してきた。
﹁⋮⋮廊下に脱ぎ捨てられた兄のパンツを見つけたらわざわざ掃除
機持ち出して吸い込んで脇に除ける系冷酷妹だな、どちらかといえ
ば﹂
﹁もしかして兄妹仲、悪かったりします? あと、琶知さんが何か
企んでるとか⋮⋮﹂
﹁分からん。まぁ俺もこいつのパンツが転がってたら蹴っ飛ばすか
ら、何とも言えないけどな﹂
ええいうっとぉしい!!と、しがみつく血みどろ妹をひっぺがそ
うとする沙良太だったが、何度やっても離れようとしない琶知に諦
めたのか、最終的にはくっつかれるままになっている。それと一緒
に沙良太の着ている服も、赤ペンキを被ったようにドロドロに汚れ
てしまっていた。
149
﹁ともかく、賭けは﹃日没まで、お前らの稼いだポイントと俺たち
兄妹のポイント﹄だったからな。俺たちがドンパチやってる間も、
琶知が本隊相手にキッチリやることやっててくれた、ってワケだ﹂
﹁2割くらいはお犬様が食べちゃいましたけど、残りは魔王軍司令
も副司令も、全部まとめて琶知さんがブッ潰してくれましたからね。
マジ有能です。沙良太が破壊した前線基地の分もありますし、あな
たたちがチマチマ稼いでたポイントなんか、へ、みたいなもんです
よ、へ﹂
しゅしゅっとシャドーボクシングをしながら賽銭箱女神が挑発す
るが、真新もコンもいつものように怒ったりする様子は無い。それ
どころか、何か理解できないものを見るような恐れの宿った視線を
沙良太たちに向けている。
﹃⋮⋮いや、確かにそうかもしれねぇけどよ⋮⋮お前ら少しは変だ
と思えよ!!﹄
﹁破壊ポイントで私たちみたいに﹃偽神化﹄させてはいたんでしょ
うけど、こんな年端もいかない女の子を、敵の本隊にたった一人で
あてがうなんて⋮⋮﹂
なぜに犬耳?と今さら首をかしげながらも、特に真新は自分より
幼い琶知に対して同情的だった。
﹁そういえば私も不思議だったんですよね。今回の分散作戦は沙良
太が言い出したんですけど、琶知さんを戦わせることに不安は無か
ったんですか?﹂
流石に疑問を抱いたのか、賽銭箱女神が尋ねた。が、
﹁と言われてもな、﹃俺﹄は大丈夫だって分かってたし。当然負け
るつもりも無い﹂
気にしたふうもない沙良太が、戦いで乱れた琶知の黒髪をくしゃ
くしゃと撫でる。
﹁そうそう、﹃わたし﹄は大丈夫だって知ってたから。心配するわ
けないじゃない﹂
琶知が気持ちよさそうに伸びをすると、上気し熱を持った頬を沙
150
良太のそれに擦り付けた。
151
同じレベルの者同士で発生した争いと少女
アスパルテーム
﹁あ、あの⋮⋮どうしちゃったんですか? さっきから妙にスキン
シップが多いというか、見てるだけで合成甘味料吐きそうになるく
らい甘々のべったべたなんですけど﹂
人目もはばからずにいちゃつく沙良太と琶知の様子に、皆若干引
き気味になっている。
﹃兄妹で仲が良い、ってレベルじゃ説明できねぇな。何なんだこい
つら?﹄
﹁この世界に来た時は別にそうでもなかったんですが、おかしいで
すねぇ⋮⋮﹂
顔を見合わせる、というか金剛杵と向き合って相談する賽銭箱女
神。
﹁二人とも、あれ!!﹂
不意に真新が驚いたような声を上げる。言われてそちらに視線を
向けた女神たちは、眼前で起きている現象に思わず息を呑んだ。
﹁一々うっとうしいな、﹃俺﹄に何をやったって勝手だろうに﹂
﹁﹃わたし﹄をどうしようと、文句を言われる筋合いは無いよ﹂
注ぎ込まれた神力の残滓、その山吹色の光が沙良太と琶知の身体
から溢れ出している。それはいつの間にか一つに混ざり合い、輝く
膜のようになって二人の身体をうっすらと包み込んでいた。まるで
先ほど真新が神化した時の光の繭のように。
﹃神気が溶け合って⋮⋮まさかこいつら、それでお互いに人格の境
界が揺らぎ始めてんのか!?﹄
﹁ありえるんですかそんなこと!? っていうか、お二人ともどう
しちゃったんですか!?﹂
﹃あての方が聞きてぇよ!! だがな、多分こいつら兄妹だからか、
神力の性質が似過ぎてたんだ。それこそ、どっちがどっちか区別が
152
つかなくなるくらいに﹄
乱暴に吐き捨てる金剛杵女神。だが双子でもない兄妹が全く同じ
神性を持つケースなど、経験の少ない彼女自身、これまで見たこと
が無い。
﹁じゃあコン、このままだと⋮⋮﹂
﹃⋮⋮偽神化状態の肉体は在って無いようなもんだ。放っておけば
十中八九、こいつらは融合して全く新しい神格に生まれ変わる﹄
﹁あわあわわわ⋮⋮ま、不味いじゃないですか!! 氏子を二人も
消滅させた上に﹃創神﹄だなんて、﹃偽神化﹄どころじゃ済まない
大大大禁忌ですよ!!﹂
ボットン
お風呂の焚きつけにされるくらいならまだいい方です、最悪分解
すが
されて汲み取り式便所の蓋に作り直されてしまいます、どうしまし
ょう!!と狼狽した賽銭箱女神は、泣き叫びながら金剛杵に縋り付
いて真新ごとぶんぶん振り回す。
﹃都合のいい時だけ頼ってんじゃねぇ!!﹄
﹁そんなぁ⋮⋮私たち、同期の付喪神仲間じゃないですか⋮⋮﹂
﹃その同期に手前ぇが何をしやがったか、忘れたたぁ言わせねぇぞ
!!﹄
﹁過去は振り返らない主義なんですよ!! 大体、今さら思い出し
たところで非生産的です!!﹂
﹃諸悪の根源が言えた義理かよ!! だったら黙って大人しく便所
蓋になりやがれ!!﹄
﹁何ですと!? この冷血先割れスプーン女!!﹂
﹃ほざきやがったな!? この天然汚物入れ女!!﹄
﹁︱︱︱もう止めてっ!!﹂
女神同士の不毛な戦いにとうとう真新が悲鳴を上げた。
153
別に美しいわけじゃないけど残酷な世界と少女
﹁ハッ、そうでした!! 真面目に棒と一緒に語らって、友達に噂
とかされると恥ずかしいじゃないですか!!﹂
﹃手前ぇ言うほど友達いねぇだろ!!﹄
﹁何言ってるんですか!! 諭吉さんとか稲造さんとか、友達にな
まさら
りたい人は沢山いま⋮⋮﹂
ああもう、と真新は手の中で暴れる金剛杵を、少し離れた地面に
突き刺した。
﹁コン、あなた少しは冷静になって!! このままだとあの二人、
存在が消えちゃうって言ったじゃないっ!! そっちの⋮⋮賽銭箱
さんも、それでいいの!?﹂
﹁⋮⋮いえ、そんなつもりは⋮⋮﹂
しゅんとなる賽銭箱女神。
﹃箱女、この状況どうケリをつける?﹄
﹁⋮⋮神界百貨店には精神状態をリセットできる浄化用アイテムが
あります。スク水さんにご協力いただければ、それで多分間に合う
はずなんですが⋮⋮﹂
﹃だったら話は早いな。真新っ!!﹄
﹁ええ、任せて。それで私は何をすればいいの?﹂
考えることもなく助力を申し出る真新に賽銭箱女神は驚く。彼女
は誰にも聞こえないように口の中で小さく﹃ありがとう﹄と呟くと、
巫女服の裾から使い慣れた自分のタブレット端末を取り出した。
﹁緊急事態、アカウント使用権を一時的にスク水女に委譲!! 浄
化アイテムさん、かもんかもん!!﹂
タブレットを高速で操作する賽銭箱女神が、購入ボタンをぽちっ
とタッチ。するといつもの光がさぁっと真新の上に降り注ぐ。そし
て光が収まった時、彼女の両手には、いつの間にか握りこぶしほど
154
の巨大な頭を持つ金槌が二丁握られていた。
﹁え⋮⋮浄化って⋮⋮﹂
てっきり魔法の杖や聖水が出て来ると思っていた真新は、自分の
手の中の凶悪な鈍器と賽銭箱女神を見比べ困惑する。
﹁﹃正気ハンマー・デラックス職人仕様﹄−︱︱普通のサイズでは
効果が足りないかもしれないので、思い切って奮発しました!!﹂
ウォーハンマー
ささ、一思いにやっちゃって下さい!!と、沙良太と琶知を指差
ハンマー
して賽銭箱女神が急かす。
﹁でもこれって、金槌っていうより戦槌⋮⋮えっ、本気でこれで殴
らなきゃ⋮⋮ダメ⋮⋮?﹂
助けを求める様に金剛杵女神の方を見る。賽銭箱女神を良く知る
真新の相棒は、長く深いため息をついた後、
﹃諦めろ真新。世の中そんなもんだ﹄
あっさり投げた。
﹁え⋮⋮あ⋮⋮﹂
﹁大丈夫ですよ、スク水メガネさん!! 前後3時間の記憶ごと痛
みも吹っ飛ぶ仕様なので、日頃の怨みを込めて遠慮なくガツン、と
一撃かましちゃいましょう!!﹂
さぁっ、一発だけなら誤射みたいなものです、と賽銭箱女神が急
かす後ろで、兄妹の放つ光が輝きを増した。
﹃もう時間がねぇ!! 覚悟を決めて⋮⋮やれっ真新!!﹄
あまりに理不尽。あまりに不合理。だが、まだ中学二年生の真新
に逃れる術はない。
﹁う、うわぁぁぁああんっっ!!﹂
涙で顔をくしゃくしゃにした真新は悲鳴とも雄叫びとも区別のつ
かない声を上げながら、手に持った自称浄化アイテムの殺人凶器を
沙良太と琶知の脳天に思いっきり振り下ろした。
155
正月カレーと少年少女
金属製の椀が二つ、石畳の上にかちゃりと置かれた。
﹁はい、わんちゃんもおあがりなさいな。昨日のご飯の残りで悪い
のだけれども⋮⋮﹂
二つの鼻先をふんふんいわせて匂いを嗅いだケルベロスのベロは、
それが安全なものであるのが分かると、ご飯の上に載ったタンドリ
ーチキンの切れ端に、二つの口で同時にかぶりついた。
﹁すいません、うちの犬の分まで﹂
﹁いいのよ、いいの。真新ちゃんが男の子連れて来るなんて初めて
さらた
の事だから、ね﹂
沙良太がお礼を言うと、ピンク色のサリーを来た三十代後半の日
本人女性は優しそうに微笑み返した。
みは
﹁ちょっ、お母さん違うってば!! 沙良太は単なる友達の友達の
友達⋮⋮って聞いてよ!!﹂
り
必死で否定する娘をはいはい、といなした真新の母、中村屋美玻
璃はそそくさとカウンター裏に姿を消した。かと思いきや、腕だけ
出して﹃グッジョブ!!﹄のジェスチャーを沙良太たちに見せつけ
る。
﹁ふ∼む、あなたに似ず面白いお母さんですねぇスク水メガネさん﹂
﹁その呼び方はやめて。私があんな恰好で外に出てるなんて、お父
さんに聞かれたら家族会議ものなんだから﹂
﹁おっほぅ!! それは良いこと聞きました、おと∼さぎゃばっ!
!﹂
﹁黙ってこれでも食ってろ﹂
バックヤードに声を駆けようとしたところで、卓上のチャツネ瓶
の中身を全部口の中にぶち込まれた賽銭箱女神は、途端に静かにな
った。
156
﹁にしても真新の母ちゃん、相変わらず肝据わってんなぁ。頭が二
つある犬見ても驚かないなんてよ﹂
ゆうげ
人型に戻った褐色の肌を持つ短髪少女、金剛杵女神のコンが、巫
女服の上から紙エプロンを着けながら足元で夕餉と格闘するベロに
視線を落としながらしみじみと呟く。
﹁前に帝釈天様を連れてきた時から、いちいち考えるのが馬鹿らし
くなったんだって﹂
﹁そりゃそうか﹂
王国ボース﹄の狭い店
カリー
真新の実家である本格インド料理店﹃咖
内の壁には、いたるところに象頭の商売の神ガネーシャや、首から
髑髏を下げ刀を振り回す殺戮神カーリーなど原色で描かれたヒンズ
ー教の神々の絵が貼られている。その中には巨象の背中で胡坐をか
く金剛杵を持った男性︱︱︱帝釈天こと闘神インドラの姿もあった。
﹁いいから食べようよ。お腹すいてきちゃった﹂
スプーンを手に自分のカレーを睨みながら琶知が急かす。テーブ
ルの上には彼女用にココナッツミルクで味を柔らかくしたバターチ
キンが、表面の脂をてらてらと光らせて﹃早く食えやごらぁ﹄と誘
っているかのうよう。
﹁そうだな。じゃあ皆お疲れ様、ということで﹂
﹃かんぱ∼い!!﹄
﹁んがぐくっ!!﹂
白いラッシーが満たされた4つのコップが高く掲げられた、とこ
ろに口の中のチャツネをやっとのことで呑み込んだ賽銭箱女神が加
わる。5つのコップがチン、と軽やかな音を奏でた。
157
記憶喪失と少年少女
﹁にしても、今回の修練も無事に終わって良かったです。あちらで
サモサ
スク水&フォークに会った時は、どうしようかと思いましたよ﹂
スプーンの先でインド風春巻きをつっつきながら賽銭箱女神がぼ
やく。
﹁それはあてらの台詞だぜ。おかげで予定は狂うわ、いらん戦いに
巻き込まれるわ、真新は破壊神になりたくないとか言い⋮⋮っと、
悪い。これは関係ないな﹂
﹁ううん、私もこれまでちゃんと話すことができなかったわけだし、
私たちが分かり合えるためのいい機会だったのかも、って思えたか
ら﹂
気丈に答えた真新の頭をわしわしと撫で、くぅ∼いい奴だぜお前
って奴は真新!!と鼻をすする金剛杵女神。が、
﹁⋮⋮すまん、さっきから何の話をしてるんだ?﹂
﹁わたしも、全然分からない⋮⋮﹂
カレーを食べる手を止め、きょとんと顔を見合わせる諏訪兄妹。
途端に他の三人はしまった、という顔になり、黙って自分のカレ
ーに専念し始めた。
﹃正気ハンマー・デラックス職人仕様﹄
ブッ叩かれた痛みの記憶さえ吹き飛ばす神界の金槌型浄化アイテ
ムは、説明書通りの効果を現す。真新に脳天を殴り飛ばされた諏訪
兄妹の記憶は三時間前、すなわち賭け試合を始めたあたりから後が
きれいさっぱり抜け落ちていた。
昨夜二人が気付いた時には服もそのままに自宅の居間のソファで
重なり合うようにして眠っており、神社から異世界に行った記憶は
あれども、帰ってきた覚えは全く無かったのだから。
﹁ほらほら沙良太、それよりシシケバブですよシシケバブー。早く
158
食べないと冷めて硬くなります﹂
﹁琶知ちゃんも、ラッシーのお代わりはどう?﹂
﹁あからさまに話題を逸らそうとすんな﹂
そう言いながらも串を手渡された沙良太は羊肉にかぶりついた。
口の中を満たす肉汁の旨味に、余ったらこれ神社で留守番してくれ
ているフィリカに持って帰ってあげよう、と唇の端を下げる。
﹁つまりだな、お前らが兄弟揃って寝ぼけてる間にやっかいごとは
全部解決したってことだぜ﹂
159
先の話と少年少女
﹁全部って⋮⋮あの動物さんたちの村も?﹂
大型のガラスタンブラーから今度はマンゴーラッシーを注いでも
らいながら琶知が尋ねると、金剛杵女神は大きく頷いた。
﹁何だかんだで魔王軍の前線基地は壊滅。基地司令も副官も副官代
理も皆お陀仏になった。おかげで人間は国境線を魔族側に押し戻す
ことに成功した。お前らが守ろうとしてたあの村も、お役御免で獣
ほうしょう
人の手に戻りめでたしめでたし、って寸法さ﹂
﹁そして例の二人が貰うはずだった修練の褒賞は、ケルベロスをこ
ちらの世界に連れて来ることと、彼に自在にサイズを変える能力を
与えることに使わせていただきました。彼も琶知さんから離れよう
としなかったので、これが一番だったのではないかと思いますね﹂
そうだったんだ、と琶知が小型犬サイズになったケルベロスの頭
を撫でる。自分のご飯を食べ終わったケルベロスは、二つの頭でく
ぅん、と可愛く鳴いた。
﹁あれ、修練の報酬って、お金を稼いでってのはもういいの? 確
か真っ当な稼ぎ方でないとダメだって⋮⋮﹂
﹁その話ですが、お二人が前回以上に破壊の限りを尽くして下さっ
カンスト
たおかげで、もう仕方ないなこれ、という雰囲気になりまして⋮⋮
そもそも前回と同じ計算方式では計測器が上限してしまい、さらに
歴史が変わるレベルなんてやりすぎだと怒られてしまいましたけど﹂
やごころのおもいかね
たはは、と頭を掻く賽銭箱女神。
﹁そうそう、獣人の村に関しては八意思兼様設計の﹃未来予報テレ
ビ日記﹄でちゃあんと先々までシュミレーションしてしっかり確認
したんですから、感謝して下さいよ二人とも!!﹂
ほいさっ、と懐から取り出した自由帳みたいなノートが沙良太の
前に差し出される。促されるまま沙良太が付箋の貼られたページを
160
開くと、横からストローを咥えたままの琶知が顔を突っ込んできた。
ボンジョビの森近隣の獣人村 ∼+4
絵日記形式に枠線がひかれたノート、その下の段には下手糞な筆
ペン文字で﹃王歴297年
0年﹄と書かれている。 二人がページを眺めていると、絵日記の絵枠の中に映像が浮かび上
がってきた。それは見覚えのある、あの獣人たちの住む村の中央広
場。
﹁うわぁ⋮⋮﹂
思わず感嘆の声を上げる琶知。
161
おいでやせ動物の村と少年少女
広げられた絵日記の中では、獣人たちが家を建てたり、獲物の豚
や鹿をさばいたり、魚を干したり果物を売ったりと、忙しそうに日
々の営みを続けていた。
彼らは会った時のように妙な人間用のシャツを羽織ったりはせず、
色とりどりの端切れで作った服を好きに着こなしている。打ちひし
がれた表情の者は誰もおらず、裸の子供たちが笑いながらそこらじ
ゅうを駆け廻っていた。
遠景と近景を織り交ぜた映像の中で、コマ送りのように時間が過
ぎていく。
子供たちはやがて大人になり、結婚して新たな子供たちが生まれ
る。村の真ん中を走る太い目抜き通りの両側には木造の家々が軒を
連ね、貧しいながらも獣人の村は少しずつ賑わいを増していった。
﹁これがあの村の未来⋮⋮﹂
﹁ああ。あんたらが守った未来、正確にはその可能性だが⋮⋮どう
だい。見事なもんだろ﹂
と、自慢げに薄い胸を張った金剛杵女神は、ふと何かを思い出し
しんきろう
たのか神妙な顔つきになると、いきなり沙良太に向かってその短く
切り揃えたボブカットの頭を下げた。
はかな
﹁そういや、あんときは悪かった。例えあてらにとって蜃気楼みた
こっち
いな儚い存在だとしても、あの世界の連中が精いっぱい生きてるこ
とには変わりはねぇ。現実と違って力も使い放題だから、いつの間
にか慢心してたんだな﹂
﹁いやだから記憶が無いって⋮⋮まぁいいや。多分俺も売り言葉に
買い言葉で言ってたと思うから、そんなに気にするなよ﹂
一瞬金剛杵女神の方をちら、と見た沙良太は、すぐ照れたような
顔になって視線をノートに戻す。
162
﹁意外と可愛いらしいところあんだな、お前。箱女とはえらい違い
だぜ﹂
嬉しそうな金剛杵女神。
﹁うっせぇ﹂
﹁ねぇねぇお兄ちゃん、この前会った獣人さんたち、すぐお爺さん
になっちゃってるけど大丈夫なのかな?﹂
言われて琶知が指差す村の映像を見る。そこには最初に沙良太た
ちを襲ってきたあの犬と猫の顔を持った三人の獣人たちが、白髪交
じりの毛むくじゃらの顔に笑顔を浮かべ、孫たちに囲まれながら幸
せそうに杖をついて散歩していう姿があった。
ターンオーバー
﹁ああ、そのことですか。実はあの世界、獣人は人間に比べて寿命
がかなり短いみたいなんです。なのでその分世代交代も早いんです
よ。生まれて5年で成人。そこから出産子育てをして、平均寿命は
大体20年。30年も生きれば村の長老扱いですからね﹂
賽銭箱女神の補足にへぇぇ、と素直に感心する琶知。
163
チェックタイムと少年少女
たもと
諏訪兄妹がノートの映像に見入っている間、賽銭箱女神はテーブ
ルの下で袂から取り出した何かをこそこそと真新に手渡していた。
︵あの二人、勘が鋭いですからね。できるだけ自然に架け替えて下
さいよ︶
︵了解。自然に、自然に⋮⋮と︶
とんきょう
﹁ああっ!! 眼鏡に!! 眼鏡に!!﹂
突如、真新が素っ頓狂な声を上げた。
﹁どうした真新っ!?﹂
﹁眼鏡にカレーの汁が付いてたから、ちょっと予備のものに替えて
くるわね﹂
そう言って席を立った真新の背中に沙良太と琶知が怪訝そうな視
線を投げかける。
ぬぐ
﹁なぁ、それって叫ぶほどのことなのか?﹂
﹁当たり前よ!! 下手に布で拭ったり洗剤使ったりしたら、表面
の無機コーティングが剥がれて大変なことになるんだから!!﹂
そっか、ふぅん、と興味無さそうに鼻で答えた兄妹は、再びノー
トの映像に没入する。
うな
それを見て真新が胸を撫で下ろす一方、自然とは一体⋮⋮ぐぐ⋮⋮、
と唸る賽銭箱女神。
やがて少し間をおいて、あまり似合っていない黒縁眼鏡に掛け替え
た真新が戻ってきた。だが座るために椅子の背を引こうとして、一
度空振り。気を取り直して二度目にやっと自分の席に座る。
︵何が見えます?︶
早速賽銭箱女神が話しかける。
︵⋮⋮この眼鏡、度が入ってないからやたら見えにくいんだけど︶
︵言ったじゃないですか!! 眼鏡の形をしてはいますが、これは
164
﹃神性チェッカー﹄なんです!! 見えにくいのは仕様なので我慢
して下さい!!︶
む∼、と目を細め、眉間に皺を寄せて兄妹を観察する真新。
︵どうです? できる範囲で結構ですから、見えたものを教えて下
さい︶
︵う∼ん⋮⋮見えるのは見えるんだけど、ちょっと変なのよね。こ
れ、壊れたりしてないのかな?︶
急かす賽銭箱女神をよそに、真新は難しそうな表情を崩さない。
︵まず、二人ともちゃんと名前は見えているわ。﹃諏訪 沙良太﹄
﹃諏訪 琶知﹄⋮⋮偽名なんかじゃ無さそうね︶
一呼吸置いてから続ける。
︵そして﹃神性﹄は、二人とも同じみたい。書いてある文字が同じ
だから多分⋮⋮︶
︵やっぱりそうですか。で、二人はどんな系統の、どんな神様の性
質を持っているんですか?︶
︵系統は⋮⋮前に黒い丸が付いてて読めないけど、確かに﹃天神系﹄
って書いてある︶
﹃天神﹄ですか⋮⋮、と今度は賽銭箱女神が唸る番だった。
165
秘密?と少年少女
日本神話の神は大きく﹃天神﹄と﹃地祇﹄の二つに分けられる。
あまつかみ
てんしん
それと同じく、人の持つ神としての性質もこの二つの系統に準じる
のが普通とされていた。
くにつかみ
ちぎ
神々の世界である高天原出身の神が﹃天津神﹄=﹃天神﹄、一方
葦原の中つ国こと日本古来の土着の神が﹃国津神﹄=﹃地祇﹄。
しかしその決定的な違いは、天津神は古事記や日本書紀など古典に
書かれた神とその子孫眷属しか存在しないのに対し、国津神では賽
ににぎのみこと
しんせきこうか
銭箱女神や金剛杵女神のように現在進行で新しい神が生まれ続けて
いることだ。とはいえ天孫・邇邇芸命の子孫から臣籍降下で誕生し
た源氏や平氏などの血統も、長い年月のうちに全国に広まっている
ことから、﹃天神﹄としての資質が発現すること自体にそう不思議
は無い。
それが普通の﹃天神﹄であれば。
︵﹃天神﹄の前に黒い丸⋮⋮﹃●天神﹄⋮⋮ところで性質はどうで
す? ﹃戦神﹄ですか? ﹃闘神﹄ですか? それともまさかの﹃
破壊神﹄?︶
ほしがみ
え∼と、と言いながら再び真新は目を細めた。
︵神性は⋮⋮二人とも﹃星神﹄ね︶
︵﹃星神﹄ですとっ!?︶
思わず飛び出しそうになった驚きの声を、賽銭箱女神は必死で押
し殺す。
︵ど、どうしたのいきなり!?︶
いちべつ
︵い、いえ、何でもありません。ありがとうございます︶
真新は変なものでも見るような目で賽銭箱女神を一瞥すると、兄
妹の後ろからノートを覗き込み話始めた。
その間、賽銭箱女神はドキドキ鼓動を刻む胸を押さえ、焦る気持
166
ちを必死で落ち着けようとしていた。
ほとん
⋮⋮日本には星神、いわゆる太陽と月以外の星を象徴とする神は極
端に少なく、その殆どが大陸からやってきた道教の神々だ。
しょくじょせい
けんぎゅうせい
例えば北辰一刀流に名の残る北極星こと北極大帝。北斗七星の北
斗星君。南斗六星の南斗星君。織女星の織姫や牽牛星の彦星。また
せいかん
まつ
太白神、太歳神などの方位大将軍らがそれに当たる。
︵兄妹一緒ということは大方、二十八宿の星官を祀る渡来系の先祖
でもいたとか、そのあたりでしょうか。でなければ恐ろしすぎます
よ、この案件は⋮⋮︶
ぶるんぶるんと頭を振って、賽銭箱女神は自分の想像を追い払う。
日本神話にも﹃星神﹄がいなかったわけではない。ただしそれは
現代を生きる神々にとっては、あえて口に出すことさえはばかられ
る禁忌の存在。たった一人で最高神たる太陽に挑んだ﹃まつろわぬ
神﹄の物語なのだから。
167
そして伝説へと少年少女
﹁あれ、わたしがいる!!﹂
﹁琶知が? どこだよ﹂
﹁ほらここ、広場の一番大きな建物の中!!﹂
少し興奮気味にページの中の映像を指差す琶知。皆の視線が集ま
ってきた。
かたど
絵日記の絵枠の中には木造の巨大な倉庫のような建物があり、入
り口からちらりとのぞく内部には、村を訪れた時の琶知を象った犬
耳少女の石像が遠い空を見上げていた。
﹁ふ∼む、最初見た時は気付きませんでしたが、確かに琶知さんみ
たいですね﹂
﹁でしょ!!﹂
村の獣人たちが自分のことを忘れていないことを知って気を良く
した琶知は、嬉しそうにほら、ほら、とノートを持って見せびらか
す。
﹁賽銭箱、これもうちょっと拡大できないのか?﹂
﹁精度に限界はありますが、可能ですよ。携帯電話の地図アプリみ
たいに映像の所を指でいじってみて下さい﹂
言われて沙良太が枠に触れると動画が止まり、ストリートビュー
のようなガイド矢印が現れた。矢印にタッチするとカメラの視点が
そちらに移動していく。広場の中央に立つ四角い建造物、高床倉庫
のように少し地面から浮くようにして建てられたそれの、大きく開
放された入り口正面に回り込んだ。
そこにあったのは、ディテールは荒く着ているものも布を巻きつ
わきじ
けただけの服に変えられているが、まぎれもない琶知の像。その隣
には脇侍のように控える二つ頭の犬ベロと、三叉の矛を持ったボデ
ィスーツ姿の女性の像もある。
168
﹁⋮⋮これってもしかして、私?﹂
﹁みてぇだな。あてが別の武器になってるけど﹂
真新が微妙な顔をする。
ちじょ
犬耳少女の像が野性味の中にも神聖さと清らかさを持っているの
と対比されて、ボディスーツ女性の像はどうしても痴女っぽく見え
えんぎ
てしまっていた。
﹁ここに縁起みたいなのが書かれた看板がありますね、どれどれ⋮
⋮﹂
賽銭箱女神が沙良太の手を取り、その指を建物の壁に打ちつけら
れた板切れのところに導く。何やらミミズがのたくった跡みたいな
さつりく
たいゆ
じょうき
黒い字の列に触れると、範囲が選択され自動的に翻訳が始まった。
さきぶ
﹁なになに⋮⋮﹃殺戮と大癒の女神ヴァティ﹄﹃乗騎の魔犬﹄﹃そ
の先触れたる雷の勇者﹄﹂
沙良太が映像枠の下に現れた翻訳文を読みあげる。
﹁え、癒しは分かるけど殺戮って何、お兄ちゃん⋮⋮﹂
169
終わりゆく三が日と少年少女
﹁さあ?ただ紹介文からすれば、琶知がベロに乗って暴れたってこ
とじゃないか﹂
﹁嘘、全然記憶無いのに﹂
知らない間に殺戮を繰り広げていたことになっていて、首をかし
げる琶知。
またが
本人に記憶は欠片も残っていないのだが、あの時沙良太たちと別
れてすぐ、偽神化した彼女はベロに跨り、たった一人で数千の魔王
軍本隊に突っ込んで行った。そして群がる魔族たちを斬り飛ばし、
薙ぎ払い、押し潰し、焼き尽くして殺戮の狂宴に酔いしれた後、現
れた筋骨隆々の方面軍指揮官魔族を散々いたぶったあげく爆散させ
おうおう
る、といった、シリアルキラーもドン引きの残虐ファイトを繰り広
げていたのだ。
力に呑み込まれかけていたとはいえ、知らない方がいいことは往々
にしてあるのだろう。その経緯をあえて琶知に伝えようとは、さす
がに賽銭箱女神も思わなかった。
﹁でもな、琶知。獣人たちがこうして村の真ん中に像まで建ててく
れてるってことは、だ。あいつらが琶知に感謝してて、それをずっ
と伝えていこうと思ってくれているってことだろ﹂
かたど
﹁うん、そっか⋮⋮そうだよね。わたしの方こそ、ありがとう獣人
さんたち﹂
ぴょこん、と琶知は自分を象った神像に参拝する獣人たちの映像
に、小さな頭を下げた。
おだ
﹁まぁまぁ細かいことは置いときまして沙良太!! ここはひとつ
たた
勇者だのなんだのと煽てられ調子に乗っていたスク水メガネが、実
は琶知さんの手下その一として認識されていたことを喜び讃えまし
ょう!! ぶっ⋮⋮ぶひゃひゃひゃひゃあだっ、あだだだっ!! 170
し
今日は、今日は頬っぺただけは勘弁して下さいよフォーク女!! 痛くてカレーが浸みっ⋮⋮あぎぎゃっ?!﹂
スーパー
ハイパー
ブーナマトン
グレイビーボート
王国ボー
無言で賽銭箱女神の両頬を金剛杵女神が捻り上げる。そこに涙目
ファッキンヘル
になった真新が無理矢理、大激辛も超激辛も越えた﹃咖
ス﹄名物地獄辛・炭火焼き羊肉唐辛子カレーをカレー入れから直接
女神の口腔に無理矢理流し込んだ。
しばらく抵抗していた賽銭箱女神だが、急に白目を剥いたかと思
うと机の上に突っ伏してぴくりとも動かなくなる。
﹁え、苦しければ吐き出してもよかったのに⋮⋮﹂
止めを刺した真新の方がおろおろし始める。
﹁気にするこたぁねぇさ。こいつすっげぇケチだから、どんなに苦
しくても自分の口に入ったものを出す気にゃなれなかったんだろう
よ﹂
何でも出てくる魔法の石臼を手に入れたら、抱き着いて一緒に海
まで沈むタイプなのさ、と言い放つ金剛杵女神。
﹁⋮⋮俺たちも、こういう生物にならないよう気を付けないとな﹂
今度はカニのように黄色い泡をぶくぶくと吐き始めた賽銭箱女神
を眺めながら、自戒を込めて沙良太が妹に話しかけると、琶知は首
を横に振った。
﹁お兄ちゃん、なろうと思っても無理だと思う﹂
﹁だな。俺もそう思う﹂
店の外から犬の遠吠えが響いてきた。それに興奮したのかベロが、
琶知の足元をぐるぐると駆け回る。
さっきはうちの犬って言ったけど、家に帰ったら両親にベロを飼
ってもいいかどうか相談しないとな、と考えながら、諏訪兄妹の三
が日はカレー殺神事件と共にゆっくりと暮れて行った。
171
夜の訪問者と少年
﹁えーこくすーりーしゃー技術家庭科っと。ん、これ⋮⋮﹂
あぐら
三学期の始業式を明日に控えた日曜の夜。妹とカーテン一枚で隔
さらた
てて共有する自分の部屋の床に胡坐をかいて、宿題を学生鞄に突っ
込んでいた沙良太の手が、水色の背表紙でわら半紙を閉じた冊子で
止まった。隙間に挟まったそれを引き出すと、ノートの山が崩れた。
﹁冬休みの友?﹂
散らばったノートを見て若干うんざりした表情になりながら、沙
良太は冊子の表紙に太字で書かれた字を読み上げる。その横には冊
子の作者によりサインペンで描かれたらしい下手糞な雪だるまが、
炎を背負いながら﹃冬こそもっと熱くなれよぉぉぉっっ!!﹄と、
トゲトゲ吹き出しの中で叫んでいた。
﹁なんか面倒くさそうな担任だな﹂
冊子の裏を確認すると、そこには案の定﹃6年1組24番 諏訪
琶知﹄の名前が書かれていた。沙良太も琶知も気が大きいため自
分の名前はでかでかとスペース一杯に書いてしまう方だが、それで
もなるべくおしとやかに見えるよう細く薄い芯のシャーペンを使っ
ているところに、年ごろの女の子としての琶知の涙ぐましい努力が
見て取れるようだった。
﹁そういや、あれから中身ってどんだけ変わってんだろう﹂
﹃冬休みの友﹄は﹃夏休みの友﹄と同じく、小学校の長期休暇に
合わせて配られる担任教師特製の副教材、要するにおまけの宿題の
ようなものだ。その内容はオリジナル問題集だったり運動記録帳だ
ったり日記だったりと様々。
ほんの二年前までは自分も休み終了間際は、この﹃友﹄を自称す
る悪魔と戦っていたことを懐かしく思い出しながら、沙良太は冊子
の表紙を何気なくぺらりとめくる。
172
﹁お風呂上がったよ∼。明日早いんだから、お兄ちゃんも⋮⋮﹂
ちょうどその時薄桃色の寝間着に着替えた琶知が、濡れた長い黒
髪の水分をバスタオルに吸わせながらがらがらと部屋の引き戸を開
け姿を現した。と、彼女の視線が兄の手の中にある青い冊子を捉え
る。
﹁それ見たっ!?﹂
わら
ネゴシエーション
言ったと同時にしまった、という顔になる琶知。
沙良太がニカっと嗤う。
そして人質を取られた彼女の絶望的な交渉が始まった。
﹁⋮⋮ぷっ、プリン一個っ!! 昨日お父さんが買ってきた新作の
!!﹂
琶知はただでさえ湯上りで紅の差した頬を真っ赤にさせて、右手
の人差し指をぷるぷると立てる。その足元に寄って来た、飼って三
日で立派な座敷犬にクラスチェンジしたベロが、慌てるご主人様を
見ながら不思議そうに二つの首をかしげた。
﹁却下。どうせお前の食べかけだろ﹂
﹁あっ、アイスも付けるよっ!! わたしが落とし玉で買った、コ
ンビニのたっかいやつ!!﹂
沙良太は静かに首を振った。
﹁論外。﹃長く楽しむんだ∼﹄とか言いながらお前が蓋の裏舐めて
元に戻したの、見てたぞ﹂
﹁ぐむむむむ⋮⋮﹂
しばらく睨みあう兄妹。だが、
﹁っていうか、よく考えたらわたしの宿題のなんだから、早く返し
てよ!!﹂
﹁ようやく気付いたか。だが俺のところに紛れ込んだものは俺のも
の、ということで断る!!﹂
﹁何その理屈!! 断るのは断る!!﹂
﹁俺が理屈だ!! 断るのは断るのを断る!!﹂
そう言いながら冊子のページを再び開こうとする沙良太。
173
﹁わぁっ、ちょっと止めてよもうっ!!﹂
﹁むぷっ!?﹂
きゃしゃ
痺れを切らした琶知は、強硬手段とばかりに首に掛けていた湿っ
たバスタオルを思いっきり投げつけた。華奢な身体に似合わぬ剛速
球となったタオルは、吸い込まれるようにして兄の顔面を直撃。思
わず沙良太はよろめくが、その手は﹃冬休みの友﹄をしっかり握っ
て離さない。
﹁今っ!!﹂
視界を奪われた沙良太が怯んだ隙に、冊子に向かって飛びつく琶知。
めく
だがそれは同時に、兄の顔面に勢い余ってフライングボディプレス
で追撃をかますことを意味していた。
﹁ぬわっ!?﹂
へそ
やっとのことでバスタオルを払い除けた沙良太の鼻先に、捲れた
寝間着の裾から覗く琶知の小さな臍がむぎゅっと押し付けられる。
そのままもつれ合った二人は、もんどりうって床の上に転がり倒れ
た。
﹁か・え・し・て!!﹂
﹁い・や・だ!!﹂
マウントポジションを取った妹と、それを跳ね除けようとする兄
の攻防が繰り広げられる。
﹃わお∼ん!!﹄
遊んでいるのと勘違いしたのか、嬉しそうにステレオで吠えたべ
ろが琶知の背中に飛びかかった。そうして泥仕合がさらに泥沼化し
そうになった時、
コンコン
不意に窓が叩かれる音がした。動きを止めた二人は顔を見合わせ
る。
﹁⋮⋮お兄ちゃんも聞いた?﹂
﹁ああ、でもここ二階だぞ﹂
カーテンを閉めているので外の様子は分からない。
174
コンコンコンッ
今度は少し激しくガラスを叩く音。妹が自分の上から退くと、沙良
太は体を起こし窓の方に向かった。その拍子に手から落ちた﹃夏休
みの友﹄を琶知がちゃっかり回収し、今度は取られまいと寝間着の
中に突っ込んで隠す。
さっとカーテンを開くと、冬の夜空を背景に謎の訪問者の姿が部屋
の灯りの中浮かび上がった。
﹁フィリカさん?﹂
思わず琶知が声を上げる。
ガラス窓に貼り付いていたのは、異世界からやってきた元修道女
えもとゆい
のお姫様で現・賽銭箱女神のところの神社の居候。自然ではありえ
ないピンク色の長い髪を、絵元結にしたリボン型の和紙で束ねた巫
女服姿の高校生くらいの少女が、助けを求めるような焦燥した表情
で沙良太たちを見つめていた。彼女の吐く荒い息で、ガラスは脈動
するように曇ったり晴れたりを繰り返す。
訝しがりながらも沙良太が窓の鍵を開けると、少女は部屋の中に
転がり込んで来た。
﹁どうしたんだフィリカ⋮⋮っていうかどうやってここに?﹂
﹁夜分に突然申し訳ありません沙良太さん、でも大変なんです!!
女神様が⋮⋮女神様がっ!!﹂
﹁何だ、賽銭箱女神のことか﹂
少し拍子抜けした沙良太は窓を閉めると、琶知にとりあえずお茶
でも出すか、と促す。
﹁いえ、それには及びません琶知さん。そんなことより女神様です
!!﹂
﹁あいつ、今度はFXで有り金全部溶かしたのか?﹂
﹁あっ、それならちょっとだけ顔、見てみたいかも﹂
ぷっ、と吹き出しながら笑いをこらえる琶知。だがフィリカは大
きく首を振り、普段より低い声でゆっくりと答えた。
﹁女神様が⋮⋮誘拐されました﹂
175
パジャマカレーと少年
﹁︱︱︱というわけで手を貸してほしい﹂
﹁何が﹃というわけ﹄なのか、ちゃんと説明して欲しいところね⋮
あぐら
さらた
⋮始業式の12時間前に押しかけてきた理由も含めて﹂
それが対面に胡坐をかく沙良太と、正座で縮こまっているフィリ
カを見た少女が発した第一声だった。
既に営業時間が終わり、洗われる金属製のお皿やスプーンがぶつ
王国ボース﹄。その店舗二階
カリー
かり、がちゃがちゃ音を立てる﹃咖
まさら
の居住スペースでは、こちらも風呂上りだったらしい日印ハーフの
看板娘・中村屋真新が、ドライヤーの熱風をウェーブがかった長い
さらた
ね
黒髪にあてながら眼鏡を外して見えにくくなった目を細め、やや不
機嫌そうに招かれざる客である沙良太たちを睨め上げる。
花柄の白い寝間着に着替えている彼女は、どう見てもこれから寝
る気満々だ。
﹁それについてだが、詳しくはこっちのフィリカに聞いてくれ﹂
じゅろくい
サイ
真新の鋭い視線を流しながら、沙良太はくい、と顎先で、自分の
わたくし みまさかのくにいちのみやあずかりざいぶつしん
横に座る巫女服のピンク髪少女を指す。
﹁はじめまして。私、美作国一之宮預財物神候補、従六位﹃賽﹄様
の第一巫女を務めさせていただいております、フィリカ・ラーディ
フと申します﹂
幾久しくよろしくお願いいたします、と深々と頭を下げるフィリ
サイ
ひね
カ。つられて真新もドライヤーの手を止め、どうも、と頭をぺこり
と下げた。
﹁⋮⋮あの賽銭箱、賽って名前だったのか。意外と捻りの無い﹂
とぼけた声で沙良太が茶々を入れる。
﹁今さら!? あなた、あの極悪女神とコンビを組んで散々暴れ回
ったくせに、名前も知らなかったの? 呆れたわ﹂
176
うるさ
﹁なんせ記憶が飛んでるからな、言われてたとしても忘れてるぞ⋮
⋮しかしそうか、﹃賽﹄か。さて最低最悪のサイか、ウザい五月蠅
い黙らっさいのサイ、今度からどれで呼んでやるべきか﹂
﹁下手にこじらせても面倒だから、やめといてあげなさい﹂
冗談だ、と言わんばかりに舌先をぺろっと出す沙良太に、真新が
深いため息を漏らす。
﹁おぅ沙良太、と賽銭箱の自慢してた巫女さんか。巫女さんの方は
あいつと違って、一応の礼儀は知ってるみたいだな﹂
突然部屋の奥、押し入れの中から声がしたかと思うと、がらりと
ふすまが開かれ髪をショートカットにした見覚えのある褐色肌の少
女が姿を現した。
真新の相棒で賽銭箱女神の同期、金剛杵から神化した女神コンは、
読みかけの少女漫画をぺいっ、と放り投げると、押し入れの上の段
から飛び出してくる。
王国ボース 祝10周年記
カリー
そのコンに再度自己紹介しようとしたフィリカを、いいからいい
なだ
から、と宥めた彼女の寝間着は、﹃咖
念﹄と黄色い太字で書かれた裾の長いTシャツ一枚きり。そんなル
ーズな恰好で円陣に加わり胡坐をかくものだから、シャツの下から
なま
伸びた健康そうに引き締まった褐色の太腿が、淡い室内蛍光灯の光
を反射し強調され、艶めかしく浮かび上がる。
﹁それでどうした沙良太? いきなり手を貸せって言われても、あ
てらにもできることとできないことがあるぞ﹂
177
いてもいなくても面倒くさい女神と少年少女
カレー屋二階での会議から30分後、陽はとっぷりと暮れ真冬の
寒風吹きすさぶ神社の境内に3つの人影があった。
﹁これが⋮⋮﹂
本殿に備え付けられた、大きな古びた木製の賽銭箱を手で触って
確かめながら沙良太が呟く。
目の前にあるのは、どう考えてもただの骨董品クラスの賽銭箱だ。
一々余計なことを言う度に引っ張っていた、あの柔らかくて温かい
賽銭箱女神の頬っぺたとは正反対に、今指先に触れるのは古い木の
冷たさと硬さだけ。
﹁ああ、そいつが賽銭箱女の本体だ。見た感じ異常は無いから、ま
だあいつは無事なんだろうけどよ﹂
もっともあっちの世界とは時間軸が違うから保証はできねぇけど
な、と寝間着の上にファーの付いた黒いコートを羽織った金剛杵女
神が答えた。
さら
賽銭箱女神が攫われた⋮⋮フィリカの語ったところによると今日
の昼過ぎ頃、賽銭箱女神は沙良太や琶知の代わりに彼女を連れて、
あの異世界に出向いていた。だが本来なら修練が終わると同時に異
世界への通路は閉鎖され、自由に行き来ができなくなるはずなのに
よ、とはコンの言葉。もちろん理由はフィリカも聞かされてはいな
い。
178
そしてまた何を考えたのか、異世界に到着した彼女たちはその足
あ
てい
で魔族の領域、その中心部にある魔王の居城へと乗り込む。のだが、
当然の如く返り討ちに遭い、ほうほうの体で逃げ出したところを、
道端に落ちていた小銭に気を取られた賽銭箱女神だけが魔物に捕ま
ってしまったのだという。
沙良太は話を聞き終った時部屋中漂っていたあの何とも言えない
空気を思い出し、再び微妙な気持ちになった。
﹁あのタコ箱女神、相変わらず行動原理は明らかなのに、行動が読
めないというか何というか。一体どういう脳味噌してたら、こんな
に迷惑ばっかりまき散らせるんだ?﹂
﹁同感。でもそれはとっ捕まえ⋮⋮じゃなくて助け出してから直接
本人に聞くしかないんじゃない? にしても遅いわね、フィリカさ
ん﹂
相棒のコンとよく似た白いオーバーコート姿の真新が、自分の手
にほうっ、と息を吐きかけて温める。その拍子に彼女の眼鏡が真っ
白に曇った。
﹁コン様、持って参りました!!﹂
神社の脇に立てられた小さな小屋⋮⋮御守りなどを販売する朱印
せわ
所と参拝客の休憩所が一緒になった瓦葺の建物にぽっと電気が灯る。
そしてがらがらと忙しなく引き戸が開けられると、桃色の髪を振り
乱した巫女服のフィリカが姿を現した。その手には一世代前の旧式
のスマートフォンと、何やらスプーンらしきものが握りしめられて
いる。
179
﹁すいません、奥の金庫を開けるのに手間取ってしまいまして⋮⋮
あの、持ってくるのはこれで良かったでしょうか?﹂
フィリカはおずおずと手に持ったものをコンの目の前に差し出し
た。それを見たコンが絶句する。
それはスプーンでは無い。
ましてやフォークでも無い。
それは食器界の鬼子とも呼べる存在⋮⋮コンビニでカレーを買っ
た時やカップラーメンの自販機に置いてあるアレ⋮⋮通称﹃先割れ
スプーン﹄だった。
180
スプーンもどきの使い方と少年
﹁何だってフォーク持って来いってったら、んなもんが出てくるん
だ!! つか、何で神社にこんなもんが置いてあんだよ!!﹂
興奮した金剛杵女神が、人気のない境内に響く声で叫ぶ。
﹁その⋮⋮サイ様のお話では、時々氏子さん方の集まりでハヤシラ・
イスなるものを振舞われる際に使うそうでして⋮⋮﹂
﹁何でハヤシライスなんだよ!! そこはカレーに使ってやれよ!
! 可哀そうじゃねぇか先割れスプーン!!﹂
﹁ひゃいっ!! すっすいませんっ!!﹂
﹁⋮⋮っと悪ぃ、あんたに言っても仕方なかったな﹂
一瞬語気を荒らげたコンは、相手が賽銭箱女神でなくフィリカで
あることを思い出し頭をかかえながら謝ると、受け取ったその先割
れスプーンを沙良太の手に押し付けた。
﹁で、これを俺が持ってどうするんだ?﹂
﹁何言ってんだよ。行くのはお前らなんだから、お前が持ってなき
ゃ意味がねぇだろ﹂
﹁???﹂
181
わけがわからない沙良太は、何となく先割れスプーンを星空に向
かって突き出してみる。
﹃さらたはすぷーん?をてんにかかげた﹄
﹃しかしなにもおきなかった⋮⋮﹄
寒気をふんだんに含んだ風がぴゅう、と虚しく吹き過ぎていった。
﹁⋮⋮何やってるのよ﹂
﹁いや、俺もこれで何をすればいいのやら﹂
変身ポーズのように先割れスプーンを空に掲げる沙良太は、真新
の呆れた声に同じくらい気の抜けた声を返す。
﹁一度しか言わねぇぞ。これはな、あてとあんたらを繋ぐ依代。正
しゃく
ぜいたく
確にはあての本体である金剛杵の代用品ってところだ。こんなスプ
ーンもどきが、ってのは癪だが贅沢は言ってらんねぇしな﹂
スマートフォンの状態を確認し終えたコンが二人の方に向き直る。
﹁いいか、あっちの世界に行ったら普通の通信機器は使えねぇ。あ
てらと連絡を取るためには、あてと繋がった何かが必要になる。そ
れがこいつってことだ﹂
スマートフォンをフィリカに返すと、コンは沙良太の持つ先割れ
スプーンに唇を近づけ、ふぅ、と息を吹きかけた。するとメッキで
銀色に輝くスプーンの肌に、真新やコンの神気と同じ金色の輝きが
宿る。
182
﹁これで良し、と。じゃあ沙良太とフィリカは賽銭箱の前に立って
くれ﹂
﹁いやだから説明を⋮⋮﹂
うるせ
﹁男の癖にぐちゃぐちゃ五月蠅ぇな!! あのクソ賽銭箱を助けて
ぇんだったら、黙ってあての言うこと聞け!!﹂
183
そこに気付いてはいけない事実と少年
﹁ごめんなさいね。コンも心配で気が立ってるみたいだから﹂
相棒の金剛杵女神の代わりに、くすくす笑いながら真新が弁明す
る。
﹁違ぇってんだろ真新!! あてはなぁ⋮⋮﹂
﹁はいはい分かってるって。早く助けてあげたいんじゃなくて、あ
の箱女を自分の手で顔面変形するまで直接ボコらないと気がすまな
いから、なんでしょ?﹂
あお
﹁え、いやボコすとかまでは⋮⋮ってか真新、お前時々怖ぇこと言
うな﹂
ちりばこ
﹁そう、かな? 別にあの塵箱女に散々煽られたこととか、延々嫌
味を言われ続けたこととか、別に恨んだり根に持ったりしてないわ
よ⋮⋮ふ、ふふふふ⋮⋮﹂
満面の笑顔ではあるが、眼鏡の奥に光る真新の両眼は笑っていな
とっさ
い。このままだとややこしいことになりそうだと空気を読んだ沙良
太は、咄嗟に話題の転換を図る。
﹁あ∼と、つまり俺とフィリカでもう一度あの世界に行って、でも
って賽銭箱を助けて来い、と﹂
﹁お、おぅ!! つまりは、そういうことだ。あてらはもう修練を
184
終えたことになってっから介入はできねぇし、沙良太も箱女との契
えにし
たど
約も前回で円満終了済。となると、元々あの世界から来たっていう
そっちの巫女さんに残った﹃縁﹄を辿ってしか、もう一度あの世界
に行く方法はねぇ﹂
一応諏訪家の飼い犬となったベロもあの世界からやって来たとい
う意味では同じようなものだが、ベロの場合世界間の移動はできて
も賽銭箱女神との接続が無いため時間軸と座標がずれてしまうから
な、と補足するコン。
﹁なるほど⋮⋮でも言っとくけど、俺が行ったって何の戦力にもな
らないぞ? 大体俺があっちの世界で好き勝手やれてたのは、賽銭
箱が買って来た道具や能力があったからからこそ、なんだからな﹂
けんぞく
﹁そいつも織り込み済みだぜ。そこの巫女さんが箱女の代わりを務
めるから大丈夫だ。あいつの眷属扱いになるから、あいつの予備端
末も使えるのは確認済み、ってな﹂
﹁はいっ、頑張ります!!﹂
先ほど持って来たスマートフォンをぶんぶん振り回して気合を入
れるフィリカ。
これなら賽銭箱女神がいなくても問題無いかもしれない⋮⋮とい
うか、むしろ良識を持っている分フィリカの方が安心できるような
⋮⋮と思いかけたところで沙良太は考えるのをやめた。
185
三度異世界へ向かう少年少女
﹁分かった。じゃあさっさと行って、あいつの首根っこ引っ掴んで
帰ってくる﹂
﹁おうさ、見つけたらすぐあてらに連絡しな!! アレが余計なこ
とする前に速攻で引き上げてやんぜ!!﹂
腕まくりしてアピールする金剛杵女神。
スプーン
﹁私とコンはあなたたちが帰ってくるまで、そこの集会所で待機し
ちくいち
ているわ。一応、何も無くてもその依代を通して、そっちの状況を
逐一知らせてね﹂
﹁ああ、悪ぃ﹂
きづか
気遣う真新に頷いて了解する沙良太だが、ふと何か思い出したよ
うに自分のコートのポケットを探る。そして一台の使い古したガラ
ケーを取り出すと、それを真新にぽんと手渡した。
﹁これは?﹂
わち
﹁俺の携帯。あっちの世界に行ったら通じないし、俺が向こうにい
る間に琶知から電話があったら困るからな﹂
夜も遅いこともあり、琶知はベロと一緒に家で留守番をしている。
琶知も一緒に行きたいと言っていたのだが、今回は危険かもしれな
いということで無理やり沙良太が納得させた。それに万が一両親が
186
部屋に入ってきた場合、ベロしかいなければ不審に思われる。
﹁わかったわ。琶知ちゃんのことは私に任せて﹂
強く頷いた真新は、受け取ったガラケーを自分のポケットに仕舞
う。
﹁じゃあ行くぜ、二人とも準備しな!!﹂
うなが
それを確認したコンが沙良太とフィリカを促すと、二人は賽銭箱
の前に参拝でもするかのように並んで立った。
﹁巫女さん⋮⋮フィリカ、あの箱女の事を強く心の中に思い描け!
! 沙良太もだ!!﹂
ろく
﹁と言われても碌な思い出が無いんだが⋮⋮﹂
﹁それでもかまわねぇ。どんな小さな繋がりだっても、ちぃたぁ﹃
縁﹄を辿る足しになる!!﹂
沙良太は目を閉じ、あの賽銭箱女神のことを思い出してみる。
甘言で釣られ彼女の修練に誘い込まれ、必ず一言多く、突っ込ま
れるのを分かっていながらも茶々を入れるウザったい性格のあの賽
銭箱女神。小柄でおかっぱ頭、その上貧相な身体付で巫女服姿にノ
ーパンノーブラ。いつもタブレットをいじりながらバカみたいに笑
っているか、もしくは養豚場の豚みたいに悲鳴をあげている、そん
なイメージしか無い。
思わず沙良太の唇が苦笑に歪む。
187
でも⋮⋮どう見てもろくな奴では無いのは分かっているが、何故
か気になって関わってしまう。
はっこう
それを人は腐れ縁、とでも呼ぶのかもしれない。もっとも出会っ
てからまだ一週間そこらしか経っていない超高速発酵ものだが。そ
して腐れ縁どころか被害者のようなコンも真新も、何だかんだ言い
ながら賽銭箱女神の救助を手伝ってくれている。
そこまで考えて、ふと沙良太の頭を単純な疑問がよぎった。
︵そういえばあいつは、あいつ自身は俺たちのこと、どう思ってい
るんだろ?︶
﹁沙良太さんっ!!﹂
フィリカが沙良太の左手をぎゅっと握りしめる。その弾みに沙良
太の疑問はどこかに吹っ飛ぶ。そして次の瞬間、沙良太の身体は無
重力空間にでも放り出されたかのような感覚に襲われた。
﹁︱︱︱︱沙良太さん、起きて下さい!! 無事に着きましたよ、
ねぇ沙良太さん!!﹂
少女の声に沙良太は目を開けた。飛び込んできたのはフィリカの
心配そうな顔と桃色の髪。そして彼女の後ろには、血の色に染まっ
た⋮⋮
あか
﹁紅い、空?﹂
188
けが
赤褐色の石が転がる荒涼とした大地に手を突き、ゆっくりと身体
を起こす。
す
﹁そうです⋮⋮瘴気を含んだ風が太陽の光さえ赤く穢す場所⋮⋮異
形の魔物たちの棲む領域、通称﹃魔界﹄です﹂
189
スプーンカウンターと少年
目に入るもの全てが、ただひたすらに赤かった。
大小の岩が転がる、その陰には風に飛ばされた赤い砂が吹き溜ま
きつ
り。そんな僅かな地面を求めて枯れ柴のような根を伸ばす名前も知
らない植物の低い茂みが、土壌の貧しさを物語る。
りつ
さらに遠くには高層ビルのように巨大な長方形の岩山の群れが屹
く
立している。その表面には小さな穴が無数に開いており、中を時折
ぬ
揺れるような人影が横切っていることから、その正体が硬い岩を刳
り貫いて作られた洞窟住居の窓であることが分かった。魔族、と呼
さらた
ばれる者たちの集合住宅といったところなのだろう。
沙良太は口を閉じることさえ忘れ、どこまでも広がる眼前の異世
界をしばらく呆然と眺めていた。
﹃お∼い、聞こえてっか沙良太!? 聞こえないなら聞こえないっ
て言え!! でねぇと分かんねぇだろ!!﹄
突然沙良太が手に握ったままだった金色に輝く先割れスプーンが
震え、そこから威勢の良い金剛杵女神の声が響いてきた。
﹃ちょっとコン、何無茶言ってんのよ﹄
﹃だってよ、もうあいつらが消えてから3分も経ってんだぜ﹄
﹃⋮⋮ってか前から思ってたけど、コンって結構こらえ性無いわよ
ね。ラーメンも針金大好きだし﹄
続いて呆れた様な相棒の真新の声。
﹃おうよ!! 大体男で普通や軟らかめ頼む奴なんざ、てめぇタマ
キ︱︱﹄
﹁しっかり聞こえてるぞ。ついでに聞かなかったことにしといてや
る﹂
﹃お、おう⋮⋮ってか、無事に着けたんならさっさと応答しろ!!﹄
一瞬気まずい沈黙が漂いかけたのを、金剛杵女神は強引に責任転
190
嫁で吹き飛ばした。
あめみことひらかすわけのおおかみ
じどけい
﹃まあいい、今からこっちとそっちの世界の時間軸を同期するぞ!
! 真新、あてらが借りて使ってた天命開別大神様の時導計を!!﹄
﹃はい!! 現在時刻21時27分45秒、同期開始!!﹄
カチッ、という何かのスイッチの音と共に、先割れスプーンの銀
色の表面に﹃21:27:45﹄というデジタル時計の数字が表示
された。しかしコンマ部分が点滅するも表示される秒数は変わって
いかない。
﹃よし、これであてらも時間軸のブレを気にせずそっちを追跡でき
るようになった。ついでに時間の進み方が大体5倍程度になるよう
に設定したぜ。だからそっちの時間で、遅くとも48時間以内には
けげん
あの箱女を見つけてくるようにしてくれ﹄
沙良太が数字を怪訝に思っていると、金剛杵女神が補足してくれ
た。
﹁ああ、サンキュー。ところで何で48時間以内なんだ?﹂
﹃だって明日は始業式じゃない!! あなたの学校は違うの?﹄
何を当たり前のことを、と驚く真新に沙良太は思わず苦笑した。
﹁そうだった。うちの学校、遅刻すると生徒指導のハゲ山がうっと
おしいんだったっけ﹂
﹃忘れてたの? 冬休みボケ?﹄
正確には休みボケではなく異世界ボケなのだが。
﹃沙良太、今からやるのは敵地への殴り込み、要するに奇襲だ。基
本的にこっちからは連絡しねぇ代わりに、何かあったらすぐにお前
から連絡しろ。場合によっちゃあてらも、帝釈天様に助力を頼まな
きゃならなくなるからな﹄
﹃しっかりしなさいよ、もう。それじゃあね、良い知らせを待って
るわ﹄
心配そうな真新の溜息を最後に通信は切れた。先割れスプーンを
見ると、時間表示のカウンターが﹃21:27:54﹄に進んでい
る。
191
うなづ
﹁⋮⋮了解。睡眠時間も確保したいし、ちゃちゃっと片づけるか﹂ 独りごちながらスプーンを懐に仕舞うと沙良太はフィリカと頷き
合い、道とも呼べない乾いた川底のような砂利道を伝って、賽銭箱
女神が捕まったという魔界の中心部へと向かっていった。
192
物件紹介と少年
グレーター
インペリアル
レッサー
﹁⋮⋮魔族と呼ばれる存在は、知能が低く醜悪な下級種と、知性を
レッサー
グレーター
持つ上級種、さらに数が少なく強力な貴皇種に分類されています。
といっても下級種は上級種らにとっても害獣なような存在なので、
彼らの住居であるここ、魔界の中枢部で姿を見かけることはありま
せん﹂
ちらちらと周囲を警戒しながらフィリカが先を行く。
﹁つまりこうして歩いてても、道端でいきなり怪物に襲われる可能
性は低い、ってことか﹂
﹁はい。そもそも人間が目にするいわゆる魔物というものは、上級
種によって魔界の境界に追いやられた下級種なんです。魔王の軍勢
は、この下級種を上級種が力と恐怖で従えることによって編成され
ます﹂
といっても少し押してやるだけで下級種は、逃げ場を求めて人間世
界に押し寄せてくるんですけどね、とフィリカは足を止め、悔しそ
うに吐き出した。
﹁弱い魔族が生きるために、さらに弱い人間を襲うってことか⋮⋮﹂
﹁私がまだ幼い頃は、まだ魔族の動きは穏やかな方でした。けれど
も最近は内部で大きな変化があったらしく、国境線近くの村は皆、
魔族の襲撃に怯えています。けれども魔族に対して人間は、逃げる
ことしかできません。そして逃げても逃げても境界線が追いかけて
くるので、これまで幾つもの村や町が魔界に呑み込まれてきました﹂
まさら
沙良太の脳裏に、あの獣人の村の光景が浮かんだ。あの村には国
から派遣された兵士が駐留していたが、それも﹃勇者・真新﹄とい
う規格外の戦力があったからこそ、駐屯地としての意味があったの
だろう。でなければ、あのガラの悪い兵士たちでは到底魔族に抗し
きれず、早晩あの村もそこに住む獣人ごと魔界に呑み込まれていた
193
はずだ。
ここでは力こそが絶対の正義。弱い者は踏みつぶされても、悲鳴す
ら上げることを許されない。
知らぬうちに沙良太は自分の唇を噛み締めていた。
﹁にしても、さっきから人っ子一人見当たらないのはどういうこと
なんだ?﹂
下級魔族がいないにしても、なら上級魔族に出会ってもおかしく
そび
ないはず。沙良太が素朴な疑問を口にすると、フィリカはあれを見
て下さい、と手近な石の柱⋮⋮高層ビルのように聳える巨大な岩の
塊を指差した。
す
﹁私も書物でしか読んだことが無いのですが、あれらの岩山は一つ
一つが上級魔族たちの棲む家であり、同時に街にもなっているので
す。住宅以外に水場や畑、工房や市場なども備えられているため、
彼らは基本的にあそこから出てくることはありません。この赤い世
界は⋮⋮﹂
はぐく
こほん、とフィリカが可愛らしく咳払いをする。
﹁⋮⋮この何も育まない荒野、目と肌を刺す真紅の光は、どうやら
魔族にとっても過ごしやすいものでは無いらしいのです﹂
﹁ならアリ塚ってより、シェルターみたいな感じなんだな﹂
﹁同じかどうかは分かりませんが、私たちが目指しているのもそん
インペリアル
な岩山で作られた城塞の一つ⋮⋮魔族の中で最も強い力を持ち、上
級種より上の存在である貴皇種⋮⋮魔王の棲家、通称﹃魔城﹄﹂
そう言い終わると同時に、一際大きな岩山が目の前に姿を現した。
うち
周囲にある岩山の倍ほどもある石の塊が三つ繋がり、一つの高層ビ
ルのように聳え立っている。
﹁でかい⋮⋮これならどんな馬鹿にも説明無用だな。魔王様のお家
ですって、これでもかってくらい全力全身でアピールしてら﹂
﹁気を付けて下さい。魔界の気候のため外に門番は置かれていませ
んが、一歩でも中に入った瞬間、屈強な兵士が一斉に襲い掛かって
きます。女神様と来た時は手も足も出せずに⋮⋮﹂
194
その光景を思い出したのか、フィリカが言葉を詰まらせる。
が、そんな彼女を見ながら沙良太の中には、ある疑問が湧きあが
ってきた。
195
冷静で的確な状況判断と少年
﹁気になってたんだけどさ、賽銭箱は魔族についてある程度フィリ
カから聞いてたはずだろ? なのにアホみたいに魔王の城に突撃し
てって、あっさり捕まった﹂
﹁はい。私がついていながらこんなことに⋮⋮﹂
また自省モードに入りかけるフィリカを、いやいやいや、と押し
留めた沙良太は彼女の手を引いて近くの岩陰に身を隠すと、その目
を真っ直ぐに見つめて問いかける。
﹁そ∼ゆ∼ことじゃなくてだな⋮⋮そもそもこのでっかい城に二人
で挑もうとする感覚が分からん。しかもフィリカの話からすると、
作戦も何も無しに正面から堂々と入っていったんだろ。何考えてん
だ、ってより、一体どこに勝算があったんだ?﹂
﹁それは⋮⋮﹂
﹁ついでに言うなら、何でわざわざこの世界に戻って来た? フィ
とっさ
リカにとってもここはもう捨てた場所のはずだろ? なのに︱︱︱﹂
不意に沙良太は背筋の毛が逆立つような嫌な感じを覚えた。咄嗟
にフィリカの肩を掴み、倒れ込むようにして乾いた大地に伏せる。
﹁きゃあっ!?﹂
﹁顔を上げるなっ!!﹂
驚いて身体を起こそうとするフィリカを胸元に引き寄せる。
その瞬間、彼女の頭のあったところを黒い物体が通過した。重い
風切音と共に飛来したそれは、石の欠片を跳ね飛ばしながら乾いた
大地に突き刺さる。
﹁や、槍!? どこから!?﹂
毒々しく曲がった棘の生えた巨大な漆黒の投槍を見てフィリカが
悲鳴を上げた。
﹁決まってんだろ!! あの魔王様ハウスからだ!!﹂
196
﹁で、でもまだ中に入ってもないのに⋮⋮﹂
﹁警備強化月間なんだろ!! あの賽銭箱のせいで!!﹂
まだ動揺を抑えきれないフィリカの手を掴むと、沙良太は魔王城
から距離を取るべく駆けだした。
ドスドスドスッッ!!
後ろから何かが突き刺さる音が追いかけてくる。振り返るまでも
なく、さっきの投槍だ。
﹁フィリカ、何か姿を隠せる道具を出してくれ!! 向こうはもう
俺たちを捕捉してる!!﹂
﹁はい!! あのっ、でもっ、女神様が買っていた道具しか使えな
たもと
いんですっ!!﹂
巫女服の袂から取り出した小型タブレットを起動させながら、焦
った声でフィリカが答える。
﹁十分だ!!﹂
﹁でしたら、この﹃天狗の隠れ︱︱﹂
こしょう
タブレットに指が触れると、いつもの謎の光と共にフィリカの手
の中に、天狗面のマークがでかでかと印刷された太い胡椒ボトルが
現れた。
﹁ていっ!!﹂
フィリカの台詞が終わる前にボトルを奪った沙良太は、蓋を外し
て中身の灰を相撲取りの塩撒きのように盛大に自分たちの前方にば
ら撒いた。そのまま二人で灰の雲の中に突っ込む。
﹁ぷわぅっ!? さ、沙良太さんいきなり何をっ!?﹂
﹁それよりフィリカ、消えたか?﹂
﹁ええっ!? あ、はい、大丈夫みたいです⋮⋮私からも、沙良太
さんの姿は見えなくなりましたし⋮⋮﹂
透明になった自分の腕と、沙良太のいたあたりの空間を眺めなが
らフィリカが答える。
﹁よし、なら反転して全力疾走!! このまま城の中に突っ込むぞ
!!﹂
197
﹁え、あの、沙良太さん、さっき正面からの突入はダメみたいなこ
とを⋮⋮﹂
チャンス
﹁状況が変わった!! あいつらが外も警戒してるってんなら、こ
の後確認に出てくるはずだ!! 逆に内部に潜入するなら今が好機
−︱︱ってことで、行くぞフィリカ!!﹂
すそ
﹁そ、そんなわわわわぁぁぁぁっっっ!!!﹂
沙良太は見えないフィリカの巫女服の裾を何とか掴むと、言葉通
り元来た方へと走り出した。姿が消えていることから狙われる、と
いうことは無いが、魔王城から放たれる黒槍が雨霰と降り注ぐ中を
突っ切っていくのは命がけだ。
﹁きゃああぁぁっっ!!﹂
すぐ脇を黒槍が掠め、フィリカが怯えたような悲鳴を上げる。
﹁声を出すと居場所がばれる!! 叫ぶなら黙って叫べ!!﹂
﹁は、はいっ、分かり︱︱︱って沙良太さん、どうすればいいんで
すかぁっ!?﹂
﹁知らん!!﹂
﹁ひにゃぁぁぁっっ!!﹂
ドップラー効果で響くフィリカの絶叫を引きずりながら、沙良太
は槍の雨を駆け抜ける。
そして二人が去った後、赤茶けた魔界の大地にはまるでサトウキ
ビのように黒い棘を広げた、槍の畑が広がっていた。
198
お正月の伝統遊戯と少年
しょうこ
﹃性懲りも無く人間の賊が現れたぞ!! 警報を鳴らせ!!﹄
﹃警備隊は二個小隊で出撃し、王城の外苑部を徹底的に捜索せよ!
! スライム一匹逃すな!!﹄
﹃近衛兵団は魔王様の警護を固めろ!! 混乱に紛れて賊が潜入し
てくるかもしれん!!﹄
岩山が組み合わさってできた魔王城は、いまや文字通り蜂の巣を
まと
つついたような大騒ぎになっていた。中央に開いた正門からは、魔
物の皮や鱗を貼り合わせて作った軽装鎧を纏った何人もの魔族の兵
士たちが、忙しなく出たり入ったりを繰り返している。
︵ギリギリ潜り込めたな⋮⋮もう少し遅かったらヤバかった⋮⋮︶
︵はい。ですが、ここからどうしましょう⋮⋮︶
姿を消しているため姿が見えないので、なんとなくお互いの耳の
位置に話しかける。
槍の雨を越えて魔王城に飛び込んだ沙良太とフィリカだったが、
あまりに魔族の反応が迅速だったため先に進むことができず、門を
入ってすぐの壁に二人そろって忍者のように貼り付いている状態だ。
その鼻先を首の長いのや羽の生えたの、毛むくじゃらやら骨が丸見
えのやら、と多種多様な姿をした魔族が通り過ぎてゆく。彼らは異
グレーター
形ではあるが、その規律正しい組織だった動きは、ほとんど人間の
それと変わらない。魔族も知性のある上級種ともなれば、独自の文
化や文明を持っていてもおかしくない。
ささや
︵もう少し落ち着いてから移動を始める。それまで見つからないよ
うに⋮⋮︶
そこまで囁いたところで沙良太は思わず息を呑んだ。
︵フィリカやばいっ!! 早く壁の方を向けっ!!︶
︵どうしてですか? 中の様子を覗うためには、このまま⋮⋮︶
199
︵そんなこと言ってる場合じゃ無い!! さっき走ったせいで汗を
かいてしまったんだ!! 灰が落ちちゃってんだよ!!!︶
目の前、壁から少し離れたところにフィリカの小さな形の良い鼻
だけが、ぷかぷかと中空に浮かんでいる。言われて気付いた彼女は、
急いで壁に向かい合うようにした。
﹁⋮⋮おいお前﹂
頭からつま先まで全身が硬い石で覆われた魔族が低い声でフィリ
カに話しかける。見えないが、フィリカの身体が反射的にびくん、
と動くのが分かった。
﹁お前、また鼻が逃げ出したんじゃないのか?﹂
﹁何言ってんだよ。俺の鼻はここにあるぞ﹂
石魔族の後ろからやってきた、東南アジアのお面みたいなひょう
きんな顔をした魔族が答えた。彼の目鼻口はまるで福笑いのパーツ
のように自由に動くらしく、顔から少し浮かんだところで好き勝手
にくるくる回っている。
﹁それより早く賊の探索に行くぞ﹂
﹁ああ。それにしても魔王様の城に直接殴り込みをかけてくるなん
て、最近の人間の行動はよく分からん﹂
﹁この前の奴も突然現れたかと思ったら、箱だけ置いてさっさと逃
げていったからな﹂
福笑い魔族の発した﹃箱﹄という言葉を聞いた瞬間、沙良太の眉
が小さく動く。
﹁あれなんか、意外と人間の国で流行っている罰ゲームだったりす
るかもしれないぞ﹂
﹁罠でも贈り物でもない、ただのぼろっちい木箱を置いていくのが
か? 冗談きついぜ﹂
だよな、と二人の魔族は顔を見合わせて笑う。表情の無い石魔族
と、顔のパーツがフリーダムに動く福笑い魔族の談笑というシュー
ルな光景。沙良太は噴き出すのをこらえるのに必死だ。
﹁ほら、さっさと行くぞ。隊長に遅れると後が面倒だ﹂
200
﹁ちがいねぇ﹂
そう言うと二人は踵を返し他の魔族の一団と合流すると、そのま
ま城の外へと姿を消していった。
︵も、もう大丈夫ですか!?︶
声が聞こえなくなったのを見計らって、恐る恐る沙良太の方に顔
を向けるフィリカ。宙に浮く彼女の小鼻がひくひくと怯える様に動
く。
︵今の話をふまえて、情報を整理したい。それと、水場を探して灰
を落とそう︶
もう沙良太は爆笑寸前だった。
灰が落ちていたのは、フィリカの鼻だけでは無い。今度は額から汗
が噴き出て来しまったせいか、その汗の珠が流れ落ちた跡だけ、空
中に肌色で川の字を書いたような状態になってしまっている。
︵それでしたら、魔族の住居は中心に井戸が掘られているはずです。
まずはそこを目指すことにしましょう︶
︵了解。じゃあ、そろそろ奥に向かって移動を始めるぞ。服の裾で
顔を隠しながら付いてきてくれ︶
なるたけフィリカの方を見ないようにしながら彼女の手を取り、
沙良太は魔族たちがやってきた魔王城の中枢部へと進んで行った。
201
モンスターハウスと少年
顔と髪に付いた姿を消す灰を、濡らしたハンカチで丁寧に拭い取
る。すると代わりにハンカチの姿が消え始めたので、沙良太は慌て
てハンカチを水で洗った。
﹁にしても、うまく水場が見つかって良かったな﹂
再び水の中で姿を現したハンカチを手に取り、水気を切ってフィ
リカに渡す。
﹁そうですね。でも⋮⋮﹂
﹃ぐるるるるる⋮⋮﹄
ちくしゃ
フィリカの言葉に答える様にして、暗がりの方から低い唸り声が
響いて来た。
﹁何で魔獣を飼ってる畜舎なんですかっ!?﹂
﹃ぐわぅっ!!﹄ ﹁ひゃぁんっ!!﹂
驚いてハンカチを取り落としそうになるフィリカの横、檻で隔て
られたすぐそばを、小型の象ほどの大きさをしたキマイラ︱︱︱ラ
イオンの体、鷲の頭とコウモリの翼に尻尾が蛇の怪物︱︱が不機嫌
そうにのっしのしと歩いていった。
﹁動物の世話をするなら水は必要だからな。幸い人気は無いし、た
またま入った脇道を適当に進んでた割にはラッキーだった﹂
﹁動物じゃなくて、魔物です!! それもドラゴンとかヒュドラと
どうもう
かマンティコアとか、上級魔族の中でも騎士と呼ばれる者たちが乗
る、獰猛な怪物が勢ぞろいじゃないですか!!﹂
﹁そんな連中いるんだ。でもこの前戦った時には、影も形もなかっ
たぞ?﹂
﹁昔はそうでもなかったのですが、最近魔族の騎士は魔族同士の戦
いにしか姿を現しません。人間は⋮⋮適当な魔物をけしかけるだけ
202
でも簡単に総崩れになりますから﹂
要するに人類はまともに相手にもされていない、ということだ。
魔族がその気になりさえすれば、人間世界を滅ぼすことなど造作も
無いのだろう。
ではなぜそうしない⋮⋮疑問もそのままに服に付いた灰をぱんぱ
んと払って完全に姿を現した沙良太は、ポケットの中から金剛杵女
神に渡された先割れスプーンを取り出す。
銀色の肌に表示されている時間は﹃21:43:22﹄と、まだ
どれほども経っていない。
﹁おいフォーク女、聞こえてるか?﹂
﹃⋮⋮だから⋮⋮ってんだろ!!﹄
﹃なら⋮⋮じゃないっ!!﹄
スプーンに向かって話しかけると、何やら言い争う少女たちの声
が聞こえてきた。
﹁お∼い、時間かかりそうならスプーン曲げる超能力の練習して待
つけど?﹂
﹃︱︱︱ちょっと待て!! それはあての分身みたいなもんだから
丁寧に扱えっ!! ってか沙良太、お前知ってて言ってるだろ﹄
﹁待ち時間も五分の一になってんだから、すぐ答えろよな﹂
﹃真新にコーンスープってったら甘酒買ってきやがったから、仕方
なくお汁粉と交換してもらおうと⋮⋮﹄
どうやら金剛杵女神は粒入りの部分が譲れないらしい。
ケ
﹁好きにしてろ。で、こっちは無事魔王城に潜入できたところなん
だが⋮⋮少し相談がある﹂
ルピー
な
あんまり無事でもないのでひぃっ!? と、尻尾が魚になった魔
水馬に長い舌で顔についた水滴を舐められたフィリカが、思わず甲
高い悲鳴を上げた。
203
美味しいカレーの秘密と少年
﹁まず、魔族は前回賽銭箱とフィリカが突然奴らの領域に現れたこ
とから、思った以上に侵入者を警戒してる。俺たちも城に入る前の
段階で発見、攻撃された﹂
もっともおかげで混乱に乗じて侵入できたのだから、結果オーラ
イではあるのだが。
﹃なるほど。となれば、見つからないよう気を使ってると逆に身動
きがとれなくなるかもしれねぇな⋮⋮ところであの箱女について、
何か手がかりになりそうなもんは見つかったか?﹄
﹁それなんだが、妙な話を耳にした。あいつら、フィリカが木箱を
置いて逃げてったと思っているらしい。どういうことか分かるか?﹂
すす
考えているのか、先割れスプーンが沈黙する。
しばらくしてずずっ、と何かを啜る音。どうやら金剛杵女神は甘
酒缶で妥協したらしい。
﹃多分あいつ、人の姿で捕まるより賽銭箱の方が安全だと思ったん
じゃねぇか?﹄
一息ついたところで金剛杵女神が話を再開する。
そろばん
つくも
﹁まぁ確かに、箱なら牢屋に入れられたり拷問されたりしないだろ
うからな﹂
がみ
さら
﹃とっさに頭の中で算盤弾いたんだろうよ。っても本来あてら付喪
神にとって、人前で正体を晒すのは死ぬほど恥ずかしいことなんだ
ぜ。例えるなら素っ裸で交差点に立って股おっぴろげでっ!! て、
いってぇな真新っ!!﹄
﹃コンお下品っ!! 今度そんな言葉使ったら、またパパのカレー
鍋ん中で鉄卵の刑って言ったでしょ﹄
デリカシーの無い表現に横からツッコミが入った。なお﹃鉄卵の
刑﹄とは、金剛杵の姿で具材と一緒に鍋で煮られることで、お客さ
204
キーママタル
んに鉄分豊富なカレーを提供するという真新の考えたお仕置き法で
ある。なお金剛杵女神が24時間浸かった特製羊肉緑豆カレーはミ
ネラルたっぷりで味にコクがあり、食べた人の反応も上々だったと
のこと。
﹃げっ、そいつは勘弁!! あれやられると、次の日全身がヒリヒ
リ痛痒くてたまんねぇんだ!!﹄
﹃だったらふざけないの!!﹄
自分と賽銭箱女神のやりとりも、はた目から見ればこんな感じだ
けんそう
やっかい
ったのだろうか、と少し脱力しながら沙良太は先割れスプーンから
聞こえる喧噪に耳を傾けていた。
﹁あ∼と、続きいいか?﹂
﹃お、おう!! しかし箱の姿で持ってかれたとすると、少し厄介
だな。どこに持って行かれるか見当もつかねぇ。こっちの世界にあ
る本体が無事だから、まさかゴミ捨て場とかじゃあねぇはずだが⋮
⋮﹄
﹁魔族がフィリカの再襲撃を警戒してたのなら、その時に使うかも
しれないってことで、どこかに証拠品として保管されてる可能性が
高いと思う。ちなみにさっき小耳に挟んだ会話からすると、連中の
賽銭箱に対する認識は﹃罠でも贈り物でもない古びた箱﹄程度らし
い﹂
﹃なら決まりだな。価値が無いと思われたんなら、どっかの適当な
倉庫に⋮⋮いや待てよ、あいつなら⋮⋮﹄
何やら思うところがあったらしく、金剛杵女神の言葉が止まる。
沙良太は先割れスプーンのカウンターを見つめながら次の台詞を
待つ、が、
﹁沙良太さんっ!!﹂
表情を硬くしたフィリカが低く短く沙良太の名を呼んだ。
どうした、と言いかけた沙良太の耳にコツーン、コツーンと石の
螺旋階段をゆっくりと降りて来るブーツのような足音が響いて来た。
﹁誰か来た!! 一旦通信終了だ!!﹂
205
﹃マジか!? 気を付けろよ沙良太!!﹄
きゅうしゃ
すみ
慌ててスプーンをコートのポケットにしまい込み、隠れる場所は
うずたか
かいば
無いかと岩造りの厩舎の中を見渡す。すると部屋の隅の暗がりに、
堆く積まれた飼葉らしい茶色の草の山が目に入った。
どんどん足音は大きくなって来る。
沙良太はフィリカの裾を引き、一緒にこそこそと飼葉の陰に隠れ、
何者かが現れるのを息を殺して待った。
しばらくすると厩舎の入り口に足音の主が現れた。
顔などはハッキリ見えないが薄暗がりに浮かび上がるシルエット
は、その人影が成人女性であることを雄弁に物語っている。どれく
らい雄弁かといえば賽銭箱女神や金剛杵女神、さらには真新や琶知
など沙良太の周りの女性陣など比べ物にならないくらい出るところ
が出ていて、さらに引っ込むところは引っ込んでいる。
なおフィリカは評価未定。
人影は沙良太たちに見せつけてでもいるのだろうか、不自然なま
うなづ
なま
でにくねくねと身体をくねらせながら怪物たちを閉じ込めた鉄の檻
に近付く。そして中を覗き込むと満足そうに頷き、艶めかしい声で
誰に言うとでもなく呟いた。
﹁フフッ、待たせたな魔獣ども⋮⋮今日もしっかり汗をかいてきて
やったぞ!!﹂
206
鉄棒ぬらぬらと少年
︵汗? 今汗って言ったか、あいつ?︶
困惑した表情でフィリカと顔を見合わせる沙良太。
きゅうしゃ
︵はい、私にもハッキリ﹃汗をかいてきた﹄って聞こえました。で
もお風呂ならともかく、魔獣の厩舎で一体何を⋮⋮︶
︵これから訓練するにしても、汗をかいてくるってのは変だしな︶
フィリカも?マークを浮かべている。そうしている間にも薄明か
りの中の人影は着ていた鎧を脱ぎ捨て、茶色い布でできたスポーツ
下着みたいな形のパンツとブラジャー姿になり、檻の前に立った。
厩舎の湿気が彼女の体に纏わりつき、その肌からはまるで湯気が上
がっているかのうように見えた。
何が始まるのかと、二人は見つからないようにして飼葉の陰から
頭を少し上げる。
すると人影⋮⋮下着一枚の魔族の女は両手を広げ、自分の身体を
檻の中の魔獣たちに見せつける様にして立った。そこに魔獣たちが
餌でも求めるかのように、一頭、また一頭と集まってくる。
これから何が起こるのか、沙良太たちが固唾を呑んで見守っている
と、
な
﹁さあ汚らわしい魔獣ども!! 高貴なる我が珠の肌に浮いた真珠
のような汗を、その汚らしい舌で余すところなく舐め取るがいい!
!﹂
︵はぁっ!?︶
それを合図に怪物たちの舌が檻の中から一斉に伸び、魔族の女性
くぼ
の身体を思い思いに舐めはじめた。ある者は牛のような太い舌で首
ふたまた
ふともも
筋を、またある者はカメレオンのような舌で脇の窪みを、蛇のよう
な二叉の舌は太腿から足の付け根にかけて⋮⋮。
﹁ハハッ、浅ましくがっつくでないぞ下等生物!! 優しく、時に
207
すご
激しく!! はぁっ⋮⋮いいぞ、その調子だ!! あぁん凄いぃぃ
っ!!﹂
けいれん
女性の影が一瞬背筋をぴん、と伸ばしたかと思うと全身をびくん
びくん、と痙攣させた。そしてそのまま力が抜けたかのようにくた
しつよう
ぁっ、となり、だらしなく檻の鉄棒にしなだれかかる。魔獣たちは
ねぶ
おもむ
そんな彼女を気遣うことなく、いくつもの長い舌で執拗に彼女の身
体を舐り続けている。
けだもの
﹁ふぁ⋮⋮この我ともあろうものが、皆が戦いに赴いている間、隠
れて獣どもにいいようにされているなんて、誰かに知られたらっ!
! なんて屈辱っ!! 弱味を握られた我は抵抗できず、普段は見
ほこ
下している男たちに⋮⋮やめろっ!! 例え体は貴様らに穢されて
も、騎士の誇りだけは決して⋮⋮はぁうんっ!!﹂
︵よく分からんヒートアップの仕方してるけど、結局あいつは自分
を舐めさせて何がしたいんだ?︶
︵さ、さぁ? 私にも、その、さっぱり分かりませんっ!! 魔族
のやることなんて、全然ちっとも理解できませんっ!!︶
眼前で繰り広げられる異世界版﹃蛸と海女﹄オンステージ。意味
おお
不明、といった感じでしきりに首をかしげる沙良太。それとは対照
的に顔を真っ赤にしたフィリカは、両手で自分の目を覆う。そして
も
時折指の隙間からちらちらと向こうを覗きながら、はぁ、とため息
なようなものを漏らしている。
︵ちょうどいい。あの魔族、騎士だってんなら、かなり位の高い奴
なんだろ? ならひっ捕まえて賽銭箱の居所を聞き出すとするか︶
208
少し、頭冷やそうかと少年
︵危険です沙良太さんっ!! 相手はただでさえ強力な上級種の中
でも、さらに戦闘に特化した騎士個体なんですよ!! 油断してい
るとはいえ生け捕りになんて、できるわけがありません!!︶
沙良太のコートの裾を掴んで必死に引き止めようとするフィリカ。
すると意外にも沙良太は、思い直したように立膝をついたところ
で動きを止め、厩舎の床に胡坐をかいた。
︵⋮⋮言われてみれば確かに危険かもな︶
︵考え直していただけましたか!! 他にも女神様の手がかりを探
す方法はあるはずで⋮⋮︶
︵じゃあフィリカ、武器を出してくれ︶
︵はいっ!?︶
︵だから、危険なら素手じゃなきゃ安心だろ?︶
呆気にとられ、しばらく何か言いたそうに口をぱくぱくさせてい
たフィリカだが、やがて仕方ない、という表情になると、小型タブ
レットを慣れない指先で操作し始めた。その間も檻の方からはぺち
きょうせい
ょぺちょという湿った魔獣の舌音に混じって、時折ひぎぃ、とか、
あひぃといった嬌声が止むことは無かった。
︵⋮⋮すいません沙良太さん、調べて見ましたが、武器になりそう
ごうまれいえんきょ
なものは残っていないみたいです。購入した﹃量産ゲイ・ボルグ﹄
﹃降魔冷艶鋸﹄は壊れていますし、炎の魔法は使い物になりません
でしたし⋮⋮︶
フィリカの言葉に違和感を受けながら、横からタブレットの画面
を覗き見る。
︵これは武器じゃないのか?︶
沙良太が指差したのは片口の尖った巨大な先切金槌だった。
︵それは正気ハンマー・デラックス職人仕様、らしいです。実物を
209
見たことはありませんが、何でも記憶を2,3時間ほど吹き飛ばし
て精神状態の異常を修復する特殊アイテムで、全力で叩いても直接
の殺傷力は無いんだとか⋮⋮︶
︵生け捕りにするにはおあつらえ向きだな。じゃあそいつで頼む︶
︵⋮⋮分かりました︶
タブレットに表示された﹃倉庫出し﹄ボタンにフィリカの細い指
ウォーハンマー
がぽちり、と触れる。途端に沙良太の右手が光を発し、次の瞬間そ
の手の中には凶悪な形状の戦槌が握られていた。
︵危険そうなら、いつでも逃げられるよう心の準備はしておいて下
さいね︶
︵大丈夫、心配するなって︶
かいば
﹃正気ハンマー・デラックス職人仕様﹄を二三度振って手に馴染ま
せると、沙良太はいきなり立ち上がり、飼葉の山陰から相手にも見
える形で姿を現した。
﹁沙良太さんっ!?﹂
﹁なっ、貴様曲者かっ!! どこに潜んで︱︱﹂
気付いた魔族が驚きの声を上げる。が、気にせず沙良太は立ち上
がった脚のバネの勢いを生かし、そのまま全力で﹃正気ハンマー・
デラックス職人仕様﹄を魔族に向かって振り抜けた。
﹁︱︱︱でぃやらっ!!﹂
競技のハンマー投げの要領で飛び出した状態異常回復アイテムは、
たぐい
魔族の女性の顔面へと一直線に吸い込まれていった。
ぎゅぷっ!!
たの
およそ女性が出していい類の音ではない、トラックに踏みつぶされ
る蛙の断末魔のような悲鳴を上げる魔族。直前までお愉しみ中だっ
た彼女は顔からハンマーを生やしながら、その場に音も無く崩れ落
ちた。
﹁よっと。非殺傷設定って便利だな。全力でやっても無傷だから、
手加減とかややこしいこと考えなくて済む﹂
檻に近付き、床に落ちたハンマーを拾い上げながら沙良太が呟く。
210
﹁⋮⋮そうですね、はい⋮⋮﹂
そんな沙良太の姿を見てフィリカは、微妙な表情を浮かべたまま生
返事を返した。
211
色々と凄い魔族と少年
きゅうしゃ
﹁⋮⋮人間風情が騎士にこんなことをして、只で済むと思うなよ!
!﹂
気絶している間に厩舎の壁や柱にかかっている適当なロープでが
いかく
んじがらめに縛られ、石畳の床に転がされた女魔族が飛びかからん
ばかりの剣幕で威嚇する。
﹁だ∼か∼ら、さっきから言ってんだろ﹂
沙良太は、はぁぁ、とこれみよがしに大きなため息をついてみせた。
﹁只で済むかどうかどうかはあんたじゃなくて、あんたの利用価値
が決めることだって﹂
カンカンっ、と巨大金槌で沙良太が床を叩いて見せると、ぐくっ、
と女魔族は悔しそうに人間ではありえない黒い唇を噛み締めた。
この﹃騎士﹄と呼ばれる上級種の魔族、その外見はほとんど人間
と変わらなかった。顔は中東か東欧あたりにいそうな、すっと鼻筋
の通った彫りの深い美人で、メリハリのついた体。人間換算なら2
0歳前後の女子大生だろうか。灰色のストレートロングの髪を先の
よだれ
方で簡単に紐で結え、色気の無い簡素な下着の上下のみのあられの
たた
無い恰好。ただし全身は、汗だか魔獣の涎だか知らない謎の液体で、
もうきんるい
でろでろにぬめっている。
猛禽類のような鋭い眼光を湛える真紅の瞳。そして一番人間と違
うのは、その肌の色。真新や金剛杵女神のような褐色肌を通り越し
たそれは、もはやこげ茶色と言ってもいいくらいだった。
﹁大体貴様ら、どうやって私をここに連れてきた!? ついさきほ
どまで、私は練兵所で部下どもと特訓していたはずだぞ!!﹂
先ほどぶち当てた﹃正気ハンマー・デラックス職人仕様﹄の影響
で記憶が混乱しているらしい女魔族は、何故自分がこのような状況
に置かれているか呑み込めず、しきりに首をかしげている。
212
きゅうしゃ
﹁いや、パンツ一丁で檻ん中の連中と遊んでたみたいだったけど﹂
﹁では見ていたのかっ!! 私が隠れて魔獣の厩舎に通い、﹃不足
ゆえつ
ふけ
しがちな塩分を補給してやる﹄と自らを偽り噴き出た汗をくまなく
舐め取らせ、﹃下等生物に全身を蹂躙される﹄愉悦に一人耽ってい
意味は分からんけど、まぁそうなるのかな﹂
たことを⋮⋮﹂
﹁あ?
﹁さらにお前らまさか⋮⋮﹃高貴なる騎士様がそのような下衆な趣
味をお持ちとは、これを部下たちが知ればどうなるでしょうねぇ⋮
もてあそ
ごみくず
⋮﹄などと弱みに付け込んで、私が抵抗できないのをいいことにこ
の身体を弄び、飽きたら塵屑のように投げ捨て⋮⋮そして落ちると
メス
ころまで落ちた私を見つけた昔の部下たちが﹃お高く気取っていた
騎士様もこうなっちゃ形無しだな﹄﹃所詮は女、いや牝の本能には
ぼろき
逆らえなかったってわけか﹄﹃へへっ、じゃあ今度は俺たちの相手
こば
すべ
おじょく
をしてもらうぜ﹄と迫って来るのを、精根尽き果て襤褸切れのよう
になった私は拒む術も無く⋮⋮ああっ、身体は汚辱にまみれようと
も、この魂だけは誰にも⋮⋮﹃ならどこまでやれば心が折れるか試
してやろう﹄﹃今の手前ぇの立場ってもんを骨の髄まで教え込んで
やるぜオラァッ﹄⋮⋮くっ、や、やめろ!! こんな、こんなこと
をされたら⋮⋮﹂
何やらわけのわからない独り言と共に、女魔族はまるで沙良太と
フィリカのことは存在を忘れ去ったかのように、再び床の上で身悶
え始めた。
213
やっとの本題と少年
﹁フィリカ、こいつがどういう魔族か分かるか?﹂
いちべつ
﹁はい。確か女神様が﹃魔族図鑑﹄を買われているはずですので⋮
⋮﹂
いやんばかんそこは⋮⋮とトリップし続ける女魔族を一瞥したフ
ィリカは、小型タブレットを操作しインストールされたアプリを起
動する。そして撮影照会モードに切り替えると、汚物でも見るよう
な冷たい目をしたまま画面の中の女魔族をファインダーに捉えると、
ぱしゃりとシャッターを切った。
保存された画像とデータベースとの間で自動的に照合が行われ、
やがて女魔族の詳細がディスプレイに表示される。
シャドウサーバント
影這
︻ぶんるい︼こんとん まぞく
︻タイプ︼ゴースト あく
︻じゃくてん︼ノーマル
︻せいべつ︼めすぶた
︻けだかさ︼ふじさん
︻おもくるしさ︼じらい
︻とくせい︼いんらんボディ テクニシャン ちょうきょうずみ
︻のうりょく︼破壊力D スピードB 射程距離B 持続力A 精
密動作C 成長性B
やみにかくれて いきる はんぶんかげの がいねんせいめいたい
そのなりたちから げんじつと もうそうのくべつを ひつようと
しない
あわ
﹁人間が太刀打ちできない魔族の騎士の正体は、想像以上に憐れな
214
生き物だったのですね⋮⋮﹂
自分の中で妄想が現実になる。つまり現実を必要としない、妄想
だけで生きることのできる究極の自己完結生物。
﹁説明文読む限りあんまり強そうには見えないけど、それでも一応
上級種なのか?﹂
﹁多分、特殊能力に優れたタイプなのでしょう。確かに影の中に隠
れられてしまえば、私たちになすすべはありませんし﹂
油断しているところで不意を突けたのは幸運だったらしい。
ふぅん、と軽く相槌を打つと、沙良太は魔獣の檻の前に立ち、い
きなり﹃正気ハンマー・デラックス職人仕様﹄を檻の鉄棒へと思い
っきり叩きつけた。
きゅうしゃ
︱︱︱︱がっしゃああぁぁぁんっっ!!
石の厩舎に響く派手な金属打撃音に、恐慌を起こした檻の魔獣た
ちが中で走り回りながら悲鳴のような雄叫びを上げる。流石に女魔
族も動きを止め、這いつくばった姿勢のまま怯えた様な表情で沙良
太の方を見上げた。
﹁さて宣言通りあんたの価値を決めるとしようか、影の魔族。ああ、
ところで名前は何て言うんだ、あんた﹂
﹁無礼なっ!! 人間風情が騎士たる私の︱︱︱﹂
﹁なぁ︱︱︱あんたに対する俺の認識が、﹃名前も答えられない程
度の奴﹄ということなるけど、それでいいか?﹂
もったいぶって抗議しようとした女魔族だが、静かに語りかける
沙良太の目が全く笑っていないことに気付き、ごくり、と唾と一緒
に文句を飲み込む。
﹁わ、私は⋮⋮影這族の騎士クッカコロム⋮⋮魔王様直属・魔獣空
挺団・三番隊隊長。仲間たちからはクッコロと呼ばれている﹂
﹁ありがとうクッコロ。それでは本題に入ろうか﹂
金槌の柄でとんとん、と自分の肩を叩いて見せる沙良太。
﹁以前この城に潜入した人間が残して行った、箱のありかはどこだ
?﹂
215
﹁箱、だと?﹂
﹁ああ。古い木でできた、子供が一人隠れることができる程度の大
きさの箱だ﹂
216
どこかにあったらしい有言の女の詩と少年
しばらく首をひねって考えるような素振りをしていた女魔族のクッ
コロだが、ふとフィリカと目が合った途端、あっ、と声を出した。
﹁お前⋮⋮どこかで見たことがあると思ったら、この前正面から魔
王城に殴り込んできた馬鹿女かっ!!﹂
﹁ば、馬鹿女っ!? 確かに女神様と一緒にここに来たのは事実で
すけど、そこまで言わなくても⋮⋮﹂
ショックを受けたフィリカの後ろに﹃ガビーン﹄の文字が浮かぶ。
﹁なるほど、段々とあの時の事を思い出してきた。お前たち、突然
現れて﹃とるにたらぬ魔族ども、支配してやるぞッ!! 我が﹁金﹂
の﹁力﹂のもとにひれ伏すがいいッ!!﹄とやたら威勢よく宣戦布
告したものの、駆け付けた警備隊に手も足も出ず尻尾を巻いて逃げ
出したのだったな!!﹂
﹁⋮⋮ま∼た人の知らない所で妙なことやってんな、あの賽銭箱﹂
﹁信じないで下さい沙良太さん!! 魔族が大げさに言ってるだけ
です⋮⋮ということにして下さい。お願いします!!﹂
﹁おう、分かった。無理﹂
恥ずかしそうに手で顔を覆い座り込むフィリカに、沙良太は指で
×を作って返す。賽銭箱女神が調子に乗っていらんことをする時の、
あの根拠のないドヤ顔が目に浮かぶ。
魔王城にやって来た時も、いつも通りの賽銭箱女神だったのだろ
う。自信満々で乗り込み、けれども彼女の思惑は外れ、なんとかフ
ィリカを逃すことはできたものの自身は魔族の手に落ちてしまった
ということなのだろう。
﹁くふはははっ、無様だな人間!! 今さらになって我々に挑んだ
己の愚かさに気付いたか!! その悲鳴も心地よいぞ!!﹂
﹁無様なのはそちらです変態影女!!﹂
217
にら
珍しくキッ、と鋭い視線でフィリカが睨み返す。
いけい
﹁魔族の騎士と言えばそこらの低級魔族とは別格。畏敬をもって語
いんこう
ふけ
られる、人間にとっても伝説の存在⋮⋮なのに実際は仲間が働いて
クズ
いる間に隠れて飼い犬との淫行に耽る妄想狂だなんて⋮⋮絶望しま
したっ!! あなた、本当に最低の屑ですっ!!﹂
女同士で譲れないものがあるのか、クッコロとフィリカはぐぬぬ、
と視線を戦わせている。
ちゅうさい
﹁まぁ賽銭箱のせいなんだから、フィリカもこいつ相手にムキにな
る必要は⋮⋮﹂
見かねた沙良太は仲裁に入ろうとする。が、
﹁何を貴様、無礼な!! もっと言え!! いや言って下さい!!﹂
﹁ええ何度でも言って差し上げます!! クズクズクズクズクズク
ズッッッ!!﹂
﹁はぁぁんいいぃぃっっ!! 一人でスルよりずっとゾクゾクすり
ゅぅぅっっ!!﹂
こうこつ
何故か少し嬉しそうに罵倒するフィリカと、床に転がされたまま
恍惚の笑みを浮かべ身をくねらせるクッコロ。
いいかげん突っ込むのが面倒くさくなった沙良太は、二人の気が
済むまで放置することにした。
さげす ののし
﹁クズクズクズクズッ!!﹂
﹁その調子だ!! 蔑め罵れ、絶望させろっ!!﹂
﹁ゴミゴミゴミゴミッ!!﹂
﹁ふぁああんっ!!﹂
﹁⋮⋮お前らのご主人様、大変だな﹂
檻の中の魔獣たちを撫でながら話しかけると、彼らもどこか疲れ
たよな表情できゅううん、と鼻を鳴らす。
そしてたっぷり20分ほど経過。
﹁二人とも、そろそろ満足したか?﹂
キメラやマンティコア、その他もろもろの魔獣を一通り撫で終わ
った沙良太が顔を上げると、そこには息を弾ませて座り込んだフィ
218
リカと床の上で身動きしなくなったクッコロがいた。
﹁はぁ、はぁ、はぁぁ⋮⋮疲れましたけど、ちょっとだけスッキリ
しました⋮⋮気持ち良かったです⋮⋮﹂
﹁お前、人間にしてはなかなかやるな⋮⋮ここまで満ち足りたのは
久しぶりだぞ⋮⋮﹂
﹁あなたこそ⋮⋮﹂
互いに紅潮した顔でにっ、と笑顔を向けあう二人。
そこには奇妙な友情が芽生え始めていた。
﹁気が済んだならさっさと箱のありかを教えてくれ。いいかげん待
ちくたびれた﹂
よだれ
﹁はっ、そうだったな。すっかり忘れていたぞ﹂
身体を起こし、口の端からこぼれた涎を自分の二の腕で拭いなが
らクッコロが答える。
﹁お前らが残していった箱はどう見てもただの箱だったので、検分
が済み次第廃棄する予定だったのだがな⋮⋮魔王様が興味を持たれ
たので、第七倉庫に放り込んである﹂
219
酷い再会シーンと少年
﹁騎士クッカコロム、どちらへ? まだ侵入者が見つかっておりま
せんので、持ち場に戻られた方が⋮⋮。鎧も着ておられませんし、
他の者たちに示しも⋮⋮﹂
岩山を削って造られた魔王城、その最下層にある第七倉庫。金属
製の分厚い扉の前に立つ、鎧を着て槍を持った人体模型のような半
分ハゲ、半分筋肉丸出しの魔族は、見た目の不気味さに似合わない
事務的な台詞で突然現れた上司に忠告する。
﹁いや、構わん。どうやら侵入者は以前現れた人間の残党らしいの
でな、奴らの遺留物がぁああんっ!!﹂
しばた
余計な事を言いそうになった途端、チョーカーに擬装して首に巻
きつけられた荒縄がぐぐいっ、と引っ張られた。
﹁どうなされました!? 騎士クッカコロム!!﹂
まぶた
﹁んぁ⋮⋮ん、何でもない。気にするな﹂
﹁はぁ⋮⋮﹂
人体模型魔族は不審そうに、瞼のある片方の目をぱちぱちと瞬か
せる。
﹁それより至急倉庫の中を確認する必要があってな。今すぐ扉の鍵
を開けてもらいたい﹂
﹁しかし騎士、倉庫の開放については宝物係を通していただくこと
になっておりますが﹂
﹁だから至急だと言っているのだ。宝物係には事後に報告する。そ
めっそう
こくぎゃく
れとも貴様、このクッカコロムの命令が聞けぬというのか?﹂
﹁め、滅相も無い!! ﹃黒虐の騎士﹄の名は聞き及んでおります
れば!! 少々お待ちを⋮⋮﹂
急に怯えた表情になった人体模型魔族は腰に付けた鍵束をがちゃ
がちゃと取り外すと、鉄の扉の中央に開いた鍵穴に差し込み、がち
220
ゃり、と鍵を開ける。
重い観音開きの鉄扉が軋みながら開き、真っ暗な倉庫内にぼっ、
と自動的に火が灯った。中には一見明らかに宝物と呼べるものは無
く、様々な大きさや色の木箱がいくつも重ねられて並んでいる。
もったい
﹁任務ご苦労。お前の忠誠、覚えておこう﹂
﹁はっ、勿体ないお言葉!! 卑しきこの身、少しでも騎士のお役
に立てれば!!﹂
﹁そうか、すまぬな。ではしばらく休んでくれていいぞ﹂
﹁お気遣いありがとうございます。ですが、探し物でしたら私もお
手伝いを⋮⋮ん?﹂
ちょいちょい、と後ろから肩を叩かれて人体模型魔族が振り返る
と、そこには﹃正気ハンマー・デラックス職人仕様﹄を振りかぶっ
た沙良太が立っていた。
﹁お前は︱︱︱!?﹂
﹁上司の許可が出たぞ!! お休みの時間だおらぁっ!!﹂
へこ
無慈悲な巨大ハンマーの一撃が脳天に振り下ろされると、人体模
型魔族は声も無くその場に崩れ落ちた。
﹁本当に大丈夫なのか? 当たった瞬間、頭が思いっきり凹んだよ
うにも見えたが⋮⋮﹂
みりょう
石床に倒れた部下を心配そうに指先で突っつきながらクッコロが
尋ねる。
﹁大丈夫だと思うぞ、多分﹂
﹁こんな見た目ですが、元々精神の状態時間を巻き戻して魅了や混
乱などの異常を回復するための浄化アイテムですので。そもそも危
害が加えられるようにはできていないんですよ﹂
クッコロの足元から伸びる彼女の影の中から沙良太に続いて姿を
現したフィリカが、よいしょ、とよじ登りながら補足して答える。
手に握られているのは、クッコロの首に巻かれた荒縄の反対側の端
うめ
も
だ。それが引っ張られる度にあぅん、とかひぁん、とクッコロの口
から呻きが漏れた。
221
シャドウサーバントシャドウハイド
影這の﹃影隠﹄。限定的に異界化した影の中に物や人を隠すこと
ができ、逆に他人の影に潜むこともできる便利な特殊能力。しかし
クッコロを完全に信用していない沙良太たちは、保険として彼女の
首に縄を巻きつけていた。
もっとも、それを沙良太たちに提案したのはクッコロ自身なのだ
が。
﹁全く⋮⋮人間の考えることはよく分からん﹂
どう考えても凶器にしか見えない正気ハンマーの尖った先端を見た
クッコロの呟きに、お前も人の事言えないだろ、と沙良太が突っ込
む。
﹁だがこれでしばらく邪魔は入らないはずだ。お前たちの探してい
る古い木箱は、この倉庫の一番奥に⋮⋮﹂
だだだだだっ!!
不意に誰かが全速力で駆ける足音が聞こえてきた。それは速度を
だま
緩めることなく扉に近付き、直前でだっ、と地面を蹴る音に変わる。
﹁沙良太ぁっっ!! よっくも騙してくれましたねっ、こぉんの大
嘘つきぃぃぃっ!!﹂
﹁おごふっ!!﹂
突然倉庫の中から叫びながら現れた賽銭箱女神のドロップキック
が、クッコロの柔らかい脇腹に深々と突き刺さった。
222
なんやかんや元気な女神と少年
﹁あれ、声が聞こえたから沙良太と思ったのに、誰ですかこの人?﹂
思いっきり奇襲をかけた割にターゲットを確認していなかった賽
銭女神は、クッコロを指差して尋ねる。
﹁しいて言うなら被害者? しかも一方的な勘違いの﹂
ちなみに錐もみして飛んで行ったクッコロは頭から石壁に突き刺さ
り、壁から身体が生えたような、いわゆる﹃横スケキヨ﹄状態で手
足を力無くぶらぶら垂らしている。
﹁ああっ女神様!! 良くご無事で⋮⋮﹂
﹁フィリカちゃん!! 助けに来てくれたんですね。流石は私の筆
頭巫女!! 後で花丸シールをあげましょう﹂
﹁いえ、それは別に⋮⋮﹂
再会を喜ぶフィリカと賽銭箱女神だったが、その背後に﹃正気ハ
だま
ンマー・デラックス職人仕様﹄を構えた沙良太がゆらり、と音も無
く立つ。
﹁ところで人のこと大嘘つきだの騙しただのとほざいてたのは、一
体どういう了見だ?﹂
﹁はっ、そうでした!! やい沙良太ッ、このおごごごごぁざらだ
ざまやべでぇぇ⋮⋮﹂
﹁ど・う・い・う・了見だって聞いてんだ俺は。別にお前の文句が
聞きたいわけじゃない﹂
﹁ふごっ、ふぎょごごご⋮⋮﹂
﹁沙良太さん締め上げるのは勘弁してあげて下さい!! 女神様の
えりくび
顔、赤とか青を通り越して土気色に変わってます!!﹂
襟首を掴みあげていた沙良太が手を離すと、賽銭箱女神は必死で
酸素を吸い込みながら身を低くしてカサカサとフィリカの陰に隠れ
た。
223
﹁げほぐほっ⋮⋮し、白々しいですよ沙良太!! とっくにネタは
上がってるんです!!﹂
﹁はぁ? そもそも前回で修練は終わったはずなのに、何でお前が
この世界にいるんだよ﹂
いかく
﹁それはそれ、これはこれです!! 私が捕まったのも、元はと言
えば沙良太が原因なんですからね﹂
フィリカの背中で発情期の雄猫みたいにシャー、と威嚇する賽銭
箱女神。
﹁一番最初にこの世界に着た時、炎の魔法を使ったのを覚えていま
すか?﹂
言われて沙良太は少し思い出してみる。
最初に来た時は暗殺者に襲われたフィリカを魔法の槍で助け、ロ
ケットブースター付の馬車で神殿まで送り届け、最後は炎の魔法で
王城ごとフィリカの両親の仇を焼き尽くした。もっともそれが理由
で﹃破壊ポイント﹄なる妙なポイントが貯まり、勇者をやっていた
カレー少女の真新と遭遇する結果になったのだが。
﹁覚えているけど、それがどうした?﹂
﹁使えなかったんですよ!!﹂
何がだ、と言いかけた沙良太を遮って喋り続ける賽銭箱女神。
﹁あれをフィリカちゃんに使ってもらって、魔族相手に無双してポ
イントに替えようと思っていたのに⋮⋮﹂
224
雉も鳴かずばと少年
﹁使えなかった? 俺はちゃんと使えてたぞ﹂
正直、即席で必殺技の名前を叫びながら暴れ回った過去は消した
いくらいだがな、と沙良太は付け加える。
﹁フィリカは元々この世界から来ただろ。もしお前が買って来た魔
法を使えなかったとすれば、それが原因なんじゃないのか?﹂
﹁そんなハズはありませんよ!! フィリカちゃんは私たちの世界
に連れて帰った時点で存在が確定して、普通の人間になっています
!! 戸籍も住民票もあるんですよ!!﹂
ぷりぷり怒る賽銭箱女神。
現実世界に来たことで、フィリカは存在が確定された。しかも戸籍
があるということは、あのピンク髪ファンタジー容姿でれっきとし
ふぃりか
た日本国籍があるということだ。いつか免許証やパスポートを作る
時が来たら、担当する人は驚くだろう。
大体どんな漢字で登録されているのか。ヤンキー字で﹃風威璃華﹄
とかだったら笑えるな、と沙良太はくすっとした。
ぶつだんろうそく
﹁なのにいざ魔王城で暴れてもらおうと思ったら、変なんです!!
お仏壇蝋燭くらいの火力しか出ないんです!! 何ですかあれ!
! あんなのじゃキャンプのマッチ代わりにしかなりませんよ!!
話が違います!!﹂
﹁俺に言われても分かるわけないだろ。お前が買って来たもんなん
だから、どうせ欠陥品か燃料切れか、もしくは体験版だっただけだ
ろ﹂
﹁それが⋮⋮違ったみたいなんです﹂
フィリカが賽銭箱女神に助け船を出す。
﹁後で私も説明書を確認してみたんですけど、そもそも女神様の買
った魔法は最低限の炎しか出せないものだったらしいんです﹂
225
﹁は? いやいやいや、じゃあなんであんなことができたんだ?﹂
﹁だからおかしいって言ってるじゃないですか!! 初期呪文だけ
でラスボスをラストダンジョンごと焼き払ったようなものです!!
一体どんなインチキ使ったのか、そこのところしっかりがっつり
説明してもらいますよ!!﹂
と、ここで沙良太が重大な問題に気付いた。
﹁ちょっと待て。ってことはお前、そんな貧弱な魔法だけ渡して俺
をけしかけてたのか?﹂
﹁ああっ!?﹂
鼻息荒く沙良太を責め立てていた賽銭箱女神が息を呑んだ。ずっ
と自分が被害者だと思っていた分、そこまで考えが回らなかったら
しい。
﹁おい﹂
﹁あ、あの、え∼とですね、そこは高度な政治判断とか関係庁舎の
王様が旅立つ勇者に小銭と棍棒しか渡さないという伝統の⋮
調整がですね⋮⋮あったり、その、無かったり⋮⋮ほら、あれです
!!
⋮﹂
﹁アウト﹂
﹁みぎゃ∼す!!﹂
そして約4日ぶりに晴れて賽銭箱女神の両頬は、沙良太によって
その耐久性と展張性を限界まで試されることとなった。
226
大体は女神のせいと少年
5分後、そこには真っ赤に腫れ上がった頬っぺたを押さえて床に
うずくまる賽銭箱女神がいた。
﹁うぎゅぎゅぎゅ⋮⋮おのれざらだ⋮⋮おぼへでふぎっ!!﹂
﹁さ∼て賽銭箱も無事だったし、さっさと帰るか﹂
ほおづえ
即席人間椅子となった女神の背中にどかっと腰を降ろした沙良太は、
自分の膝に頬杖をつきながらフィリカに声をかける。
あいまい
﹁ところで俺、帰り方知らないんだけど、どうやるんだっけ?﹂
ゲート
一回目二回目とも、沙良太の帰還時の記憶は曖昧だ。当のフィリ
カは﹃ちょっと待って下さい。すぐに転移門を⋮⋮﹄と、ミニタブ
レットを操作する。
﹁それと賽銭箱、お前、いつも持ち歩いてた自分のタブレットはど
こやったんだ?﹂
﹁−︱︱忘れてましたっ!!﹂
途端に沙良太を跳ね除けて賽銭箱女神が跳ね起きた。その勢いに
驚いたフィリカの指が一瞬止まる。
﹁そうですよ!! 私の端末を取り返さないと帰れませんでした!
! フィリカちゃん、帰還ストップ!! スト∼ップ!!﹂
﹁でも女神様、こんな場所からは一刻も早く⋮⋮﹂
シーケンス
﹁いいですから、ちょっと端末渡して下さい!! 緊急ゲートって
使い捨ての癖に値段高いんですよ!!﹂
フィリカからミニタブレットを奪い取った女神は、発動処理中だ
った緊急帰還ゲート設置の術式にキャンセルをかけた。
﹁何やってんだ!!﹂
﹁うるさいです沙良太!! あれが無いともう一度あのバカ高い端
末を買い直さなきゃとか、アプリの再ダウンロードとかアカウント
変更とかクレジットカード停止とか、色々と面倒なんですよ!!﹂
227
﹁面倒ってお前、そんなことより逃げるのが先だろ!?﹂
﹁そんなことって何ですか!! 私にとっては大事なんです!!﹂
珍しく強気で沙良太に喰ってかかる賽銭箱女神は、そのままミニ
タブレットの操作を続ける。
﹁いいから沙良太は少し黙ってて下さい。あれもこの世界の連中に
とってはただの板、どうせ私と一緒で倉庫の中にでも放り込まれて
いるはずです。サブ端末の連携アプリで場所さえ分かれば︱︱︱﹂
好きにしてろ、と腕組み倉庫の壁にもたれかかる沙良太。
好きにしますよ、とそっぽを向く賽銭箱女神。
そんな二人の様子におろおろするばかりのフィリカ。
﹁えいやっ、遠隔再起動︵リモート&リブート︶!!﹂
しばらく端末とにらめっこしていた女神がぽちっ、とミニタブレ
ットに表示されたボタンを押した。
﹁さてさて、どこにあるんでしょう⋮⋮って、意外と近くにあるみ
たいですね。どれどれ⋮⋮あれ、端末の方からこっちに近づいて来
てますね?﹂
﹁どういうことだ?﹂
﹁むむ⋮⋮魔獣に食べられてお腹の中にある、とかですかね﹂
﹁それではまた、魔族のいるところに行かなければならないのでし
ぶぜん
ょうか⋮⋮﹂
憮然とする沙良太に向かって、不安そうな表情でフィリカが尋ね
る。
﹃貴様らが探している板とはこいつのことかの、人間よ?﹄
不意に倉庫の外から聞きなれない少女の声が響いた。
228
強襲と少年少女
すぐさま沙良太は無言で近くにあった棚を引き倒す。
﹁ああっ出口がっ!! 何するんです沙良太っ!!﹂
賽銭箱女神が抗議するが、それも無視して女神と唖然としているフ
ィリカの手を掴むと、一目散に倉庫の奥へと逃げ出した。
くわ
後方でがらがらと騒がしい音を立て棚が崩れ落ちる音。その上に山
あふ
積みになっていた古い武具や宝箱、鮭を咥えた木彫り魔族や何に使
うか分からない文字が書かれた三角形の布切れなどが溢れ出し、み
るみるうちに倉庫の入り口が埋まっていった。
これではしばらく誰も入ってこれないだろう。
﹁沙良太さん、何であんなことを⋮⋮﹂
﹁俺たちには帰還魔法があるんだ。わざわざ出口から逃げてやる必
こざか
要は無い。時間稼ぎしてる間に門を開けば⋮⋮﹂
﹃ほう、さような小賢しいことを考えておったか﹄
ささや
沙良太たちの後ろからさっと風が駆け抜ける。その風に乗って先
ほどの少女の声が三人の耳元間近で囁いた。
﹁ひいぃっ!? 追いついてきましたよ!! て、敵はっ、敵はど
っどどどどっどどどっどどっどこですかっ!?﹂
﹁女神様あそこにっ!!﹂
フィリカが指差した方には、剥き出しになった赤褐色の岩壁。そ
の手前に白い霧のようなものが渦巻いている。霧はまるで意思を持
っているかのように動き、やがて鋭い爪を持った大きな手に形を変
えた。
霧の手が一番後ろの賽銭箱女神に迫る。
﹁いいからさっさとゲートを起動しろ!!﹂
﹁くっ、仕方がありません!! 緊急ゲート起動ですっ!!﹂
泡を食って小型端末を操作する女神。
229
﹁今から3秒後、前方8mに門が開きますっ!! このまま走って
飛び込みましょう!!﹂
﹁分かった!!﹂
ディスプレイに表示された﹃起動﹄ボタンに指先が触れ︱︱︱
﹃そうはさせん﹄
﹁ああっ端末っ!?﹂ ひゅおぅ︱︱︱っと突風が吹きつけ、賽銭箱女神の手から小型タブ
レットが弾け飛んだ。
タブレットはそのまま不自然に宙でくるくると舞う。
﹁返して下さいっ!! ケチって保険付けなかったから、紛失でも
お金取られちゃうんですよっ!! ﹂
悲鳴を上げる女神の目の前で小さなタブレットはくしゃり、と潰
れて一瞬で鉄屑に姿を変えた。
230
強者と少年
やられたっ!!
あざけ
初めて沙良太の顔に動揺が走る。端末を破壊されては元の世界に戻
ることができない。
﹃さて人間、次はどうするかの﹄
余裕綽々︵よゆうしゃくしゃく︶、といった嘲りを含んだ少女の
声が倉庫中に響く。
﹁もちろん謝罪と賠償を要求します!! あと使えない間の代替機
も!!﹂
﹁んなこと言ってる場合かっ!!﹂
﹁あぎゃんっ!!﹂
鉄拳が賽銭箱女神の脳天に振り下ろされた。
﹁沙良太さん行き止まりです!! もう逃げられないです!!﹂
﹁分かってる。おい、そこの霧野郎!!﹂
足を止めた沙良太はゆっくりと後ろを向き、周囲に漂う霧の一番
濃い所に向かって怒鳴りつけた。
﹁いい加減とっとと姿を現せ!! まぁ鼻の穴が耳まで裂けたよう
なドブスだってんなら勘弁してやるけどな!!﹂
﹁ちょ、挑発してどうするんですか!!﹂
慌てるフィリカだが、沙良太はきっ、と霧の方を睨んだまま動か
ない。その足元の瓦礫の上では﹃うごごご⋮⋮脳が⋮⋮脳が割れま
した⋮⋮﹄と呻きながら女神が転がりまわっている。
﹃くふふふ⋮⋮なかなか活きの良い奴じゃの﹄
霧が渦を巻き、それが一か所に集まって徐々に人の形を作り出し
ていく。
ウィスプ
灼熱の業火のような、赤いウェーブがかったロングヘア。沼地に
燃える鬼火のような青白い肌。漆黒のドレスを身に纏い、虎目石の
231
ような黄茶色のグラデーションがかった瞳は肉食獣めいて輝いてい
る。
現れたのは沙良太より背の低い少女︱︱︱だが、誰もそれを姿通
りの存在と捉えてはいない。
ゆる
﹁そのような無礼な物言い、本来万死に値するが⋮⋮そうじゃの、
泣いて赦しを乞うなら腕の一本で勘弁し⋮⋮﹂
︱︱︱シュッ!!
言い終わらない前に沙良太が、無言で隠し持っていた古びたレイ
ピアで刺突を繰り出した。先ほど棚を倒す際にガメていたそれは、
一直線に少女の左目目がけて突き進む。
が、
﹁おう、怖い怖い。人間は弱いから怖い、というのを忘れかけてお
ったわ﹂
﹁くっ⋮⋮﹂
レイピアの切っ先は、少女の頬の部分で止まっていた。見ると少
女の肌は、刃の触れた場所が金属製の鱗のようなもので覆われてい
る。
くびもと
必死で刃先を動かし貫こうとするが、硬い鱗には到底ダメージは
与えられそうにない。
ならば、と沙良太はレイピアを引くと、少女の頚元を狙って横一
文字に斬りつけた。
ぎぃん、と音がして、折れたレイピアの切っ先が宙に舞う。
今度は青白い肌の首の部分だけ、先ほどと同じような鋼鉄の鱗に
覆われている。
﹁悪いが仕事柄、寝首をかかれるのには慣れておっての﹂
にぃ、と薔薇色の唇を歪めた少女は、おもむろに倉庫の石壁に触
れた。するとその部分が盛り上がり、先ほどの霧の手と似たような
形の岩の腕が沙良太とフィリカに向かって伸びる。
慌ててフィリカの身体を抱き、飛びずさろうとする沙良太。
﹁遅いわ﹂
232
岩の腕の方が一瞬速かった。
233
哄笑と少年
﹁くっそ!!﹂
真正面から迫るのは、軽トラックほどもある茶色い岩の拳。逃げ
場は無い。
﹁フィリカっ!!﹂
反射的に沙良太はフィリカの身体を突き飛ばし、攻撃から守ろう
と動いた。
﹁きゃあっ!?﹂
﹁ぎょぶぼばっ!!﹂
床に倒れ込むフィリカ。その下に転がっていた賽銭箱女神が、雨
上がりの道に落ちていたアンパンを踏みつぶした時の様な湿った断
末魔の声で叫んだ。
おかげでフィリカには傷一つ無い。
﹁ぬ︱︱︱フィリカじゃと?﹂
かわ
謎の少女の表情がぴくり、と動き、反対に岩の拳のスピードが遅
くなった。その隙に沙良太も身を躱すと、手近な砕けた棚の破片を
手に取り、正眼に構え次の攻撃に備える。
れき
だが少女は急に沙良太から興味を失ったかのように岩壁から手を
離す。壁から生えていた腕はぼろぼろと崩れ、礫のようになって倉
庫の床に散らばった。
﹁あだだだだっ!! あだっ!! いだだっ!!﹂
小石は床に寝そべったままの女神に容赦なく降り注ぎ、断続的に
悲鳴が上がる。その横を謎の少女はドレスの裾を引きずりながらゆ
っくりと、腰を抜かしたのか立てないでいるフィリカの元に歩み寄
った。
黒曜石のように真っ黒に塗られた爪がフィリカの首元に突き付け
られる。
234
﹁お主、名は?﹂
﹁え⋮⋮﹂
突然のことで混乱したフィリカは、少女の顔を見る。まだ幼さを
残してはいるが、鋭い虎目石の瞳が真っ直ぐに見据えていた。
﹁名は何という? 答えよ、お主の名は!?﹂
最後の方は怒号と言っても良いくらい激情の籠った声で、少女は
尋ねる。
﹁フィリカ⋮⋮です。フィリカ・ラーディフ⋮⋮﹂
﹁く、くくくく⋮⋮はははははぁ⋮⋮っ!!﹂
突然少女の口から笑い声が漏れた。声はどんどんと大きくなり、
やがて倉庫を一杯に満たす。
えりもと
﹁なんという事だ⋮⋮数百年ぶりの魔王城侵入者がよりにもよって
⋮⋮!!﹂
しなやかな指先が見た目以上の力でぐい、とフィリカの襟元を掴
み、そのまま少女の顔が近付く。
当のフィリカは完全に雰囲気に呑まれてしまい、声を出すことさ
え忘れて硬直している。
まみ
﹁偽物か⋮⋮それとも我の知らぬ魔術か⋮⋮まさかこのようなとこ
ろで再び会い見えることができるとはっ!!﹂ ﹁再び? どういうことだ、ってか、さっさとフィリカから離れろ
!!﹂
﹁⋮⋮ふん﹂
少女は答えずさっ、と手を上げた。すると沙良太の持った木片か
ら枝が伸び、まるで太い縄のように手に腕に、胴に絡みつく。
﹁うおっ!?﹂
やがて枝が足を締め上げ、バランスを崩した沙良太はどう、と床
に倒れ込んだ。
235
えらい言いがかりと少女
﹁何ですかこの個体は!? 神界道具が使えないからといっても、
反応があまりに早すぎます!! そもそも登場のタイミングが都合
がれき
良すぎじゃないですかね!?﹂
瓦礫の山からはい出した賽銭箱女神が魔族の少女に食って掛かる
が、当の少女は﹃何言ってんだこいつ﹄と冷めた視線で埃だらけの
女神を見る。
﹁⋮⋮最近の箱はよくまぁ喋るのぅ﹂
﹁むっきぃ!! あなたまで私のこと箱呼ばわりするんですか、未
熟世界のモブキャラ風情が⋮⋮って、何で私の正体を?﹂
﹁フィリカが残していった箱とお主、それとあの板から同じ匂いが
したのでな﹂
シュールストレミング
﹁匂いですかっ!! 犬ですかっ!! でしたら今度来るときは、
全身に世界一臭いニシン缶塗ったくってきてあげますよ!!﹂
テンパり過ぎてよく分からないことを言い始める女神だが、当然
意味を知らない少女はきょとんとしている。その隙に沙良太は倒れ
たまま、つま先を動かしてじりじりとフィリカたちの足元ににじり
寄った。
﹁俺も聞いておきたい。他の魔族が来る誰よりも先にお前が現れた
のはどういうことだ? どうやって俺たちに気付けた?﹂
自分たちに対して何かしらの特殊な探知方法があるのなら、相手
が慢心しているであろう今のうちにその理由を探っておきたい。拘
束されながらも次の一手を見据えての行動。
そんな沙良太をちら、と見下ろした少女は事も無げに言い放った。
﹁どうやって、とは妙なことを。我らの﹃魔力﹄でも、人間どもの
﹃理力﹄でもない、かように不可思議で強大な力を二度も城内で使
っておきながら、見逃せというのは虫が良すぎではないかの﹂
236
﹁二度?﹂
一瞬彼女が何のことを言っているのか分からなかったが、やがて
沙良太はそれが、自分たちがここに来てから﹃正気ハンマー・デラ
ックス職人仕様﹄を使った回数だと思い至る。
あれを感知されていた⋮⋮となると、賽銭箱女神の出す道具は基
本的に使えばその居場所が目の前の魔族少女にはばれてしまうとい
うことだ。この世界から撤退する時ならいざしらず、そのまま留ま
るのであれば致命的な隙になる。
ろうばい
さてこれからどうしたもんだろう、と考え込む沙良太だったが、
﹁な、なな、なんですって!?﹂
突然賽銭箱女神が、今までにないくらい狼狽した声を上げた。
﹁未熟な世界の生き物が私たちの﹃神力﹄を認識できたなんて⋮⋮
デタラメ言わないで下さい!!﹂
﹁デタラメ? そのようなことをして、一体我に何の得があるとい
うのかの?﹂
﹁知りませんよ!! どこかの企業とタイアップしてるんじゃない
んですかね!?﹂
いつもならここで沙良太のツッコミが入るが、その沙良太が身動
き取れないためある意味女神の独壇場。
﹁さぁキリキリ白状しなさい!! 場合によっては公正取引委員会
に介入してもらいますよっ!!﹂
﹁⋮⋮先ほどからお前が何を言うておるか分からぬが、その﹃神力﹄
とやら、今も僅かながらお主ら全員から感じられておるぞ﹂
237
言われてみればと少年
﹁な⋮⋮未熟世界の原生生物が、自然と神力に覚醒したとでもいう
のですか⋮⋮んなバカな⋮⋮﹂
瓦礫の山の上に賽銭箱女神がへなへなと崩れ落ちる。その姿はま
るで雨の重みに枝を垂らす柳の木のようだった。
﹃こっちだぞ、急げっ!!﹄
﹃おおっ、クッコロ様がまた死んでおられるぞ!!﹄
﹃くっ瓦礫が邪魔でっ!!﹄
﹃毎回色んなプレイ考えるよなぁこの人﹄
倉庫の外からレスキューものドラマのようなざわめきが近づいて
来た。
騒ぎを聞きつけて集まって来た他の魔族たちだろう。たった一人
相手にも圧倒されたというのに、こうなってはもはや勝機は無い。
やがてボンッ、という激しい爆発音と共に入り口に積み重なった
ガラクタが吹き飛ばされ、いくつもの足音がどかどかと倉庫に踏み
込んでくるのが聞こえた。
﹁魔王様ご無事ですかっ!!﹂
先陣をきったスイカのお化けみたいな頭をした魔族が声を張り上
げる。続いて意味不明な造形をした魔族が、わらわらと押し寄せて
インペリアル
きた。そしてブーツの底でガラクタを踏みつけながら、沙良太たち
を取り囲むようにして円陣を組む。
せんりょ
いかく
﹁あなたが魔王?! 魔族の頂点に立つ唯一単独の貴皇種⋮⋮こん
な女の子が?!﹂
﹁くふ、いかにも人間らしい浅慮よのフィリカ。見た目で威嚇せね
ばならんのは弱き証。そのようなものと一緒にするでない﹂
魔王と呼ばれた魔族の少女は兵士たちに控えておくよう命じると、
その真紅の唇をぺろり、と舐め、フィリカの襟元から彼女の細い首
238
は
筋に指を這わせる。
フィリカの身体がびくん、と動いた。
﹁うっ⋮⋮﹂
﹁それにの⋮⋮お主は忘れたやもしれぬが、我とお主は同い年じゃ
ぞ﹂
﹁何の⋮⋮ことですか⋮⋮﹂
怯えながらも魔王少女の手に自分の手を重ね、抵抗しようとする
フィリカ。だがそんな行為に意味など無いことは、彼女もよく理解
している。
﹁フィリカと同じ16歳にしちゃ大分ちんちくりんだな、魔王様。
それとも魔界には牛乳無いのか?﹂
地面に伏せ、手をコートに突っ込んだまま沙良太が挑発をかけた。
意味が分かったのかどうか⋮⋮魔王少女はその手を止め、ぴくり、
よわい
と眉を動かすと沙良太の方を見下ろす。
﹁16歳? 我とフィリカは、今年で齢100となる﹂
﹁100歳? だってフィリカは⋮⋮﹂
言われて沙良太は思い出した。今いるこの時代は最初この異世界
に来た時代、フィリカの生まれ育った時代から100年近くが経っ
ていることを。
﹁何故ここにとうの昔に死んだはずのフィリカがおるのか、しかも
若い姿のままとはの。一体何をしたのか知らぬが、それはこれから
じっくり聞き出すこととしよう﹂
しぎゃくてき
そして魔王少女は沙良太と、まだ立ち直れない賽銭箱女神に向か
って嗜虐的な笑みを浮かべる。
﹁さて、お前たちの処遇じゃが⋮⋮﹂
239
小学校低学年でお世話になる方々と少年
のみ
牢屋は倉庫と同じく岩山を削り出したもので、鑿の跡も生々しい
がんじょう
分厚い真っ赤な石の壁と床はダイナマイトでも吹き飛ばせないくら
つ
い頑丈な造りになっている。強力な魔族基準なのだろうが、それを
目の当たりにした時、沙良太と賽銭箱女神は一瞬顔が引き攣った。
逃げられない。逃げようが無い。
﹁おぅら入りやがれっ!!﹂
連行役の下級兵士らしい、三角フラスコ型の体に朝顔の花の様な
顔が一輪挿しになった妙な造形の悪魔は、檻の扉を開けると二人の
尻を蹴っ飛ばして牢屋の中に追い込んだ。
﹁ここがこれからお前たちの部屋、そして墓穴になる場所だ。妙な
わら
力を使おうとも所詮は人間。長くは無いだろうが、せいぜい楽しん
で行ってくれ﹂
そう言って朝顔フェイス悪魔はぎゅふぎゅふといやらしそうに嗤った
﹁待って下さい!! 断固再審を要求しますよ!! そもそも私の
様な一人前のレディと沙良太みたいな野獣を同じ牢屋に突っ込むっ
て、著しい人権侵害ですよ。助けてアムネスティ!! それともあ
れですか、実は牢屋周りがマジックミラーな企画物なんですか!!﹂
ひざもと
先ほどより幾分持ち直したのか、いつもの調子で賽銭箱女神ががな
り立てる。
﹁静かにしていろ!! 本来なら人間が魔王様のお膝元に紛れ込ん
だってだけで即処刑者だというのに、温情で生かしておいてやるん
だ。有難く思え!!﹂
﹁ありがたいわけないじゃないですか!! さっさと私たち、とい
うか私だけでも開放して︱︱︱﹂
ガシャンッ!!
朝顔フェイス魔族は思いっきり牢屋の檻を蹴り飛ばした。
240
﹁ひぃっ!?﹂
﹁それと一つ、ここで暮らすためのルールを教えておいてやろう。
俺様の機嫌を損ねるな。でないければ⋮⋮﹂
くいっ、と割り箸みたいな細長い指先で斜め向かい側の牢屋を指差
す。
そこには魔族の反逆者の物だろうか、指が20本くらいある白骨化
した手が檻の隙間からだらりと垂れさがっていた。
﹁ひぃっ!?﹂
﹁こうなりたくなかったら⋮⋮後は分かっているな﹂
こくこくこく、と早送りした米つきバッタみたいに頭を上下に振
る賽銭箱女神。
それを見て満足したのか、朝顔フェイス魔族は満足そうにふんっ、
ゆうぜん
と花粉を撒き散らしながら鼻を鳴らすと、腰の鍵束をじゃらじゃら
鳴らしながら悠然と身体を揺らして去って行った。
﹁とりあえず、殺されなかっただけましか﹂
﹁マシなもんですかっ!! 牢屋にぶち込まれるわ、端末は奪われ
たままだわ⋮⋮その上フィリカちゃんだけ連れていかれるわで、踏
んだりり蹴ったりにも程がありますよ!!﹂
241
公衆浴場もなさそうと少年
﹁そういえばあの魔王とかいう奴、昔からフィリカを知ってたみた
いだったな⋮⋮何があったんだあいつら?﹂
﹁知りませんよ、未熟世界の原住生物の都合なんて!! どうせス
ピリチュアルなオーラがパワーポイントだったとかでしょうよ!!﹂
ったく何ですかこのバケツはっ!! と、腹立ちまぎれに床に置
いてあった木の桶を蹴り飛ばす女神。桶は乾いた音を立てて飛んで
ゆき、盛大に壁にぶち当たった。
﹁あんまり乱暴すにするなよ。ひびが入って中身が漏れたら使えな
くなるぞ﹂
そう言って桶をわざわざ拾い直し、元の位置に戻す沙良太。
﹁⋮⋮ただのバケツに随分優しいんですね、沙良太は﹂
﹁当たり前だろ。見た感じ、これがこの部屋唯一のトイレなんだか
らな﹂
﹁︱︱︱︱ッ!?﹂
絶句した女神の顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
﹁ちょ、ちょっと沙良太っ!! 何変態みたいなこと言ってるんで
すかっ!!﹂
﹁牢屋の便所がおまるだってのは、別におかしくないだろ。ってか
水道完備できるほど文明レベルが高いわけでもないみたいだし、他
に牢屋の中にそれらしいものは無いし⋮⋮﹂
確かに狭いワンルームマンション程度の広さの牢屋の中には、枯
くだん
れ柴を敷き詰めた上に古布を敷いただけのベッド的なものが一つと、
他には件のバケツが転がっているだけだ。
もちろんトイレットペーパーなんて高尚なものは無い。
﹁お、これで尻を拭けってことか。無駄にワイルドだな﹂
沙良太が暗がりから細長いロープを引きずり出す。ずるずると引
242
きずられて姿を現したロープには、一定の間隔で小さな結び目がい
くつも付けられていた。
ふと視線を上にあげると、部屋の両端に鉄製の輪っかが打ち付け
られている。
古代では用便後、こういった縄に汚れをこすり付けて使っていた
またが
のだが、必要分をナイフで切って使い捨てる方法と、洗濯紐のよう
に木々の間に縄を貼り、そこに跨ってこすりつける方法と二種類が
ある。
どうやらここに置かれたロープは後者のためのものらしい。
﹁まったくこの世界、いらないところだけ妙に細かく設定してどう
するんですか!! 古代ローマでも水洗便所を使っていたというの
うつぶ
にっ!! しかもこれから毎日沙良太の目の前でやれ、だなんて、
羞恥プレイ強要にも限度がありますよ!!﹂
そう言い放ったかと思うと、賽銭箱女神は疎な綱ベッドの上に俯
せになって寝そべった。小さな身体の下で枯れ柴がぽきぽきと音を
立てて折れた。
243
理解不能な理屈と少年
﹁もう無茶苦茶です!! せっかく他の人の修練枠を買い取って、
最後に荒稼ぎしようとしたのが全部ぱぁになってしまいました!!﹂
﹁俺たちに黙って出かけたと思ったら、んなことやろうとしてたの
か⋮⋮﹂ 沙良太が心底呆れた顔で賽銭箱女神の方を見る。 要するに二酸化炭素の排出枠買い取りのようにして、稼ぎの一部
を相手に渡す代わりに自分が修練枠を使わせてもらう契約をしてい
たのだという。
どこまで貪欲な、というかこいつに頼む時点でどれだけ追い詰め
られていたんだ、と沙良太の中で枠を譲った相手に微妙な感情が生
まれた。
﹁上手くいくはずだったんですよ。私の言う事を聞いてくれるフィ
リカちゃんに敵地のど真ん中で暴れて貰えば、支払った分に加えて
さらに大量のお釣りが出るはずでしたのに。沼解放モードで今頃ウ
ハウハになっているはずが、どうして⋮⋮﹂
﹁フィリカが能力を上手く使いこなせなかったというか、元々大し
た能力でもなかったということに気付かず全額突っ込む時点でどう
かと思うぞ﹂ 女神の足元辺りの床にどかっと腰を降ろし、体育座りをする沙良
太。幸い服は奪われなかったため、冬物コートを着たままの格好だ
が、厚いコートの布地を通しても床の冷たさが伝わって来た。
﹁沙良太がおかしいんですよ!! いえ、正確には妹の琶智ちゃん
もです!! 攻撃力の無いイージスの盾で大人を吹っ飛ばしたり、
浅い切り傷くらいしか治せない治癒魔法で森ごと再生させてみたり。
しかも武術の心得が無いにも関わらず、初めて持った青竜刀で闘え
たり⋮⋮もうわけ分かりませんよ!!﹂
244
﹁と言われてもな。適当にやったらああなっただけだし、琶智にし
たって同じだと思うぞ﹂
沙良太としては、とりわけ特別なことをしたつもりは無い。
﹃炎の魔法﹄と言われたから炎を出しただけだし、青竜刀にした
って身体強化アイテムと一緒に装備して振り回していただけ。
その理由を説明しろと言われても、﹃何となくやったらそうなっ
た﹄としか言いようが無い。そもそも使っていた時の記憶だって、
﹃正気ハンマー・デラックス職人仕様﹄の一撃を受けたおかげであ
やふやにしか覚えていない。
︵ただ⋮⋮︶
わ
おど
闘っている間、力を振るっている間は、不自然なくらい妙な高揚
感が自分の中で湧き躍っていたことだけが、何となく記憶に残って
いた。
ぐっぱっ、と手を開いたり閉じたりして見るが、そこにあるのは
やはりいつも通りの手でしかない。
245
そこそこ衝撃的だった話と少年
﹁で、お前は一体いつまでそうして不貞腐れてるつもりなんだ?﹂ うつ伏せになっている女神の顔は見えないため、巫女服の背中に
向かって話しかける。
がら
す
﹁ほっといてください。こうなってしまった以上、どうせ私には何
もできないんですから﹂
ことあまつたえのみたま
﹁ったく面倒臭い。今さら柄にも無く拗ねるなよ⋮⋮そうだ!! 確か前、修練を受ける新米神は皆、上司から﹃別天伝御玉﹄とかい
ごう
うアイテムをもらっているんだって言ってたな。それを使えば⋮⋮
おい、聞いてるのか?﹂
ぴくりとも身動きしない女神に業を煮やして、沙良太の口調が強
くなった。
﹁⋮⋮使えませんよ﹂
ベッドに顔を伏せたまま女神は首を横に振る。その態度に沙良太
は苛立ちを感じた。
﹁あのなぁ!! こんな時に意地張ってどうす⋮⋮﹂
勢いよく賽銭箱女神の肩を掴んだ沙良太の手が止まる。
﹁⋮⋮お前、泣いてるのか﹂
ことあまつたえのみたま
白い巫女服を通して触れる少女の体は、小さく震えていた。
﹁使えるわけないじゃないですか⋮⋮アレは、﹃別天伝御玉﹄は最
終手段。使った瞬間に全ての修練は中止になってしまうんです﹂
﹁そりゃ確かにギブアップすれば、稼いだ分はチャラになるかもし
れない。だけど元々今回はロスタイムみたいなもんだろ? だった
ら、まだ諦めが⋮⋮﹂
﹁諦められませんっ!!﹂
手を跳ね除け、がばっと起き上がった女神の目は赤く腫れ、頬に
は涙の痕がくっきりと残っていた。
246
はくだつ
﹁中止になるんですよ!! 今まで貯めた実績から何から全部白紙
!! そして神権を剥奪された私は、ただの賽銭箱に戻されます。
そうなったら次の機会は50年先か100年先か⋮⋮少なくとも沙
良太たちが生きている間には、二度と会う事は無いでしょうね﹂
﹁ばっ⋮⋮﹂
一瞬沙良太は言葉に詰まる。けれども思い直して女神の両肩をが
しっ、と掴み、真正面から自分のほうに引き寄せた。
﹁こんバカ野郎っ!! 何でそんな大事なこと、最初に言わないん
だっ!! っていうか、あのフォーク女にそれを渡せとか言ってた
のかよ!! どっちにしても、無神経にもほどがあるぞ!!﹂
﹁あの時は権利を一時譲渡です!! 制約を付けたらちゃんと返す
つもりだったんですよ!!﹂
同じ器物神なんですから、それ以上のことなんてできるはず無い
ぼろ
じゃないですか!! と叫んだ賽銭箱女神はベッドシーツ代わりの
襤褸切れでち∼ん、と鼻をかんだ。
﹁じゃあ、俺たちに何も説明しなかったのはどういう了見だ?﹂
247
といってもヒロイン力が上がるわけでもない事実と少年
﹁あの、えと、それは⋮⋮﹂
シーツの端を掴んだまま視線を横に逸らす。しかし沙良太は両手
を女神の肩に置いたまま逃さず、彼女の瞳を追いかける。
しばらく無言のにらみ合いが続き、やがて根負けした女神は深い
ため息を吐いた。
さら
﹁笑わないで下さい⋮⋮怖かったんです。本当の事を話して、本当
の自分を晒したうえで嫌われるのが⋮⋮﹂
﹁はぁ?﹂
返ってきたのは想像もしていなかった答えに、面喰った沙良太の
口から間抜けな声が漏れる。今まで散々好き勝手放題やり、周囲を
としへ
かき回して来た張本人がそんなことを言うなんて、すぐには信じら
れないことだ。
﹁私の本体は単なる年経た賽銭箱。なのに器物神の中には、伝説の
武器や国宝級の芸術品、なんてのも珍しくないんです。あのフォー
ク女でさえ神具なんですから、普通にやっていれば最初から私に勝
ち目なんてありませんでした﹂
ぼんびゃく
賽銭箱女神は自分の胸に手を置き、息を整える。
﹁当然そのままでは凡百に埋もれるしかない⋮⋮でも沙良太と出会
ったことで、私にも人並みの欲が出てしまったんです。届かない場
所に手が届くのかもしれない、と﹂
﹁だから俺たちを利用したのか。琶知まで巻き込んで﹂
﹁自分勝手なのは分かっています。滅茶苦茶なのも分かっています。
でも、嫌われるのが嘘で作り上げた私であれば、まだ自分の中で言
い訳できてたんです。誤魔化して煙に巻いて、何をされても笑って
済ませていれば⋮⋮﹂
ぽん。
248
無言で沙良太は賽銭箱女神の頭に手を置く。
﹁はへっ!? な、沙良太!?﹂
な
てっきり殴られると思った女神は首をすくめるが、そのまま沙良
太はわしゃわしゃ、と女神の黒髪を撫ぜる。
﹁いらんことに気を回し過ぎなんだよ、お前は。誰かに勝ちたいと
か、認められたいとか、別に恥ずかしがるほどのことでもない。誰
だって普通のことだろ﹂
249
誰にでも間違いはあるよねてへぺろ、と少年
﹁でっ、でも⋮⋮私の場合、これまで手段を選ばなかったせいで色
々やり過ぎてしまったところが⋮⋮あの、コンにも悪いことしてし
まいましたし⋮⋮だだだだっ、痛いっ、痛いです沙良太!!﹂
撫でていた沙良太の手が途中からアイアンクローに変わり、女神
の脳天に喰い込んだ。
﹁だ∼か∼ら∼っ!! それより悪いことしたと思ったら謝れ!!
手を貸して欲しけりゃ素直に頼め!! 黙って裏でごちゃちゃや
られる方が、よっぽどうっとうしいってんだよ!!﹂
﹁う、うぐ⋮⋮沙良太の癖に正論吐いてくれますね⋮⋮﹂
﹁大体なぁ!!﹂
﹁ぎゃうんっ!!﹂
いきなり女神から手を離す。その反動で女神は自分の顔から出た
液体でしみだらけになったベッドシーツに頭から突っ込んだ。
﹁お前が捕まったって聞いて、フォーク女もカレー眼鏡も、ちゃん
と助けに行くのに手を貸してくれたんだぞ!! ちゃんと向き合え
ばお前が思っているよりも、皆お前のことを嫌いじゃないんだよ!
!﹂
﹁本当、でしょうか⋮⋮﹂
﹁多分な。まぁ聞いた瞬間は微妙な顔になってたし、割合的には腐
れ縁ってのが大きいとは思うけ⋮⋮﹂
た
﹁やっぱりダメじゃ無いですか!! もういいです!! どうせ私
なんて斧で割られて五右衛門風呂の焚きつけにでもされてた方が⋮
⋮﹂
﹃だあ∼っ、気にしてねぇってんだろこのクソ箱女!!﹄
突然沙良太のポケットから金剛杵女神の叫び声が飛んできた。
﹃ったく、さっきから聞いてりゃネチネチネチネチメソメソメソメ
250
ソ⋮⋮梅雨でもないのに箱ん中にカビでも生えたってか!?﹄
﹁なっ、失敬な!! 湿気の多い季節はちゃんと乾燥剤を中に⋮⋮
ってぇっ、何でフォーク女の声が聞こえるんですかっ!?﹂
﹁おっと、そういえば⋮⋮﹂
ごそごそとポケットをまさぐる。そして通信用に渡されていた先
つな
割れスプーンを引っ張り出した。
﹁状況報告しようと思って繋げてたの忘れてた。いやぁうっかりう
っかり﹂
﹁はぁぁ!? うっかりなんて嘘ですよね?! 未必の故意ですよ
ね?! といいますか、ちょっとフォーク女!! さっきからって、
いったいいつから私たちの会話、聞いてたんですかっ!?﹂
﹃ん、ああ。トイレのバケツがどうとか、ってとこあたりだな﹄
﹁うっぎゃぁぁぁぁあああっっっ!! 超・最初からじゃないです
か!! で、でも傷はまだ浅いです!! フォーク一人なら口止め
すればまだ⋮⋮﹂
﹃ちなみに真新も一緒に聞いてたぜ﹄
﹃うん、しっかり。 賽銭箱にそんな可愛らしいところがあったな
んて、正直私もかなり驚いたわ﹄
251
ねぶたと混浴が有名な県と少年
﹁ひぃぃぃぃっっ、死亡・確・認!! もうお終いですぅぅぅ⋮⋮
あとは任せましたよ沙良太、私はこれから青森に行ってリンゴ箱に
転職してきますぅぅぅぅ⋮⋮﹂
ベッドの上で悶えて転がり、壁をかりかりと爪で掻く賽銭箱女神
を尻目に、ベッドに腰掛けた沙良太は先割れスプーンをぷらぷらと
揺らす。カウンター表示はPM10:20を過ぎたところ。
えにし
﹁それで、だ。この状況からどう動けばいいのか相談したい。具体
的には牢屋を出てフィリカを助けてから、の話だけどな﹂
﹃ならまず帰り道の確保が最優先だぜ。行きはフィリカの﹃縁﹄を
さいしん
とよいわまとのかみ くしいわまどのかみ
使って無理矢理そっちの世界に介入させたんだが⋮⋮﹄
﹃あの神社の祀神は、門と境界を司る豊石窓神・櫛石窓神の二柱と
同一なの。だから﹃里帰り﹄感覚で戻れば良かったのだけど、そっ
ちからだと同じ方法は使えないわ﹄
なるほど、それでわざわざ場所を神社に移してたのか、と納得す
る沙良太。
﹁となると、例の魔王女から端末を取り戻して緊急帰還、ってのが
現実的か﹂
﹃まぁそうなるな﹄
﹁うぐぉごごごぉぉ⋮⋮リンゴ⋮⋮津軽海峡⋮⋮恐山⋮⋮浅虫温泉
⋮⋮大間のマグロ⋮⋮イカメシ弁当⋮⋮﹂
﹁くら待て、途中から観光計画に変わってんぞ﹂
さっきまで恥ずかしさで呻いていたはずの賽銭箱女神が青森の名
物を列挙し始めたところで沙良太が突っ込みを入れる。
先割れスプーンからステレオ音声でため息が聞こえた。
﹃でも、言うほど状況は生易しくないわよ。端末が壊されちゃった
から、道具も能力も使えない﹄
252
﹃それにあの魔王⋮⋮自力で﹃神化﹄への道を掴んだというのなら、
いずれこの世界の管理神へと成長する可能性があるな。となりゃこ
の世界は未熟卒業。晴れて一つの世界として認められちまったら自
動的に境界防衛機構が働いて、出るのも入るのも基本は管理神の許
可が必要になっちまう﹄
つまり、国として認められていない地域や集団なら出入りは簡単
だが、一旦国家として成立してしまえば正式な外交ルートを通して
しか交渉ができなくなるようなものだ。
そうなると沙良太たちは不法入国、そして賽銭箱女神は不正出国
もばれてしまう。
いや、それどころではない。最悪この世界にいる三人は人質とな
り、さらにややこしい事態を招いてしまうらしい。
253
そして狸は沈むと少年
めんつ
﹃神様、ってのは面子が大事だからな。ことと次第によっちゃ、お
前らごとこの世界を消滅させよう、って動いてもおかしくないぜ。
特に今回は言い訳できねぇくらいの自己責任案件だからな﹄
まとめて処理されても文句言えないぞ、と金剛杵女神が笑いなが
ら脅す。
だが当の沙良太たちにとっては笑い話では済まない。
﹁⋮⋮それに関しては反省してますよぅ。でもそうなるとやっぱり、
ここから出ることについては普通の脱獄方法を考えなければならな
いんですかね﹂
賽銭箱女神が牢屋の入り口に填め込まれた、太い鉄製の檻を見つ
めて意気消沈する。さらに牢屋事自体もは岩製で、どう考えても沙
良太と二人で破壊できそうな代物ではない。
脱獄と言えば定番は抜け穴を掘る、看守を騙す、外部協力者に頼
む⋮⋮
﹁そういや鉄格子に尿をかけ続けて腐食させる、なんて方法もあっ
たっけ﹂
﹁断固絶対拒否します!! 乙女の純情可憐なポリシーにかけて!
! 大体、その方法では時間がかかり過ぎてしまいますよ!! 連
れ去られたフィリカちゃんのことも気になりますし⋮⋮﹂
ど
﹁正攻法じゃ無理、か。じゃあ俺たちのいつも通り、邪道な方法で
やらせてもらうとしよう﹂
ぼろくず
沙良太は賽銭箱女神をベッドから除けると、古ぼけた布をびりび
りに引き裂いた。布は布切れになり、さらに襤褸屑になって床に落
ちる。
たお
次に沙良太はその下の枯れ柴に取り掛かった。枝を一本一本、ぽ
きぽきぱきぱき手折ってゆく。布切れからできた繊維の山の隣に、
254
バラバラになった短い枝の山ができる。
﹁あの、沙良太? 邪道って、さっきからそれは一体⋮⋮﹂
﹃お∼い何の音だぁ? パキパキ山のパキパキ鳥でも鳴いてんのか
?﹄
﹃じゃあ次はボウボウ山のボウボウ鳥よね、流れ的に﹄
音声しか聞こえない先割れスプーンの向こう側にいる二人から茶
々が入る。
﹁はぅぁっ!! まさか牢屋の中で火をつけて騒ぎを起こそうとか
考えてるんじゃないでしょうね!?﹂
255
ここでゲームっぽくなる流れと少年
﹁んなわけないだろ。そもそも火種が無いし、ついでにあんだけ色
々変な魔族がいれば、どうせ消火能力のある奴の一匹や二匹もいる
だろうからな﹂
肩にすがる女神を払い除けた沙良太は、枯れ柴を砕き終わると、
次はトイレ代わりに置かれた木の桶を手元に引き寄せた。小ですか、
大ですか、あっち向いときましょうか、と茶化されながらも桶の腹
に手を当てる。
︱︱︱ボンッ!!
﹁ひゃああっ!?﹂
桶は弾けてバラバラになり、破片が牢屋の床に散乱した。
﹁よし、実験成功﹂
﹁爆発した⋮⋮どういうことですか沙良太? 触っただけみたいで
したけど、何かの手品ですか?﹂
﹁いや、これも神力のちょっとした応用﹂
こともなげに言い放った沙良太は、次に鉄格子に触れる。
再び炸裂音が牢屋に響いた。
しかし鉄格子は多少歪んだものの、吹き飛んだりせずにその場に
残っている。
﹁流石に布と小枝に便所桶程度じゃ、金属の破壊は無理か。他に使
えそうなのは、と⋮⋮﹂
﹁あの∼、ですから一人で納得していないで説明をですね﹂
不満そうに女神がぶ∼たれた。
﹁⋮⋮﹃破壊ポイント﹄は、何かを破壊した時に貯まる。その理屈
を考えたことはあるか?﹂
﹁私にとっては一緒に貯まる仮想通貨の方が本命だったので、破壊
ポイントに関してはおまけ程度の認識でしたけど⋮⋮﹂
256
﹁俺は、破壊ポイントは﹃相手の価値﹄を奪う事であり、また同時
ドラゴンスレイヤー
に称号みたいなものなのかな、と思ってる﹂
﹁はぁ⋮⋮﹂
つまり、例えば龍を殺せば人や武器は﹃龍殺し﹄となるが、それ
は倒した相手の価値の分、己の価値が上がったのと同じようなもの。
ゲーム的に言えばモンスターを倒して手に入る﹃経験値﹄。その
分だけキャラクターはレベルアップして強くなるし、武器であれば
熟練度が上がる。
ギガントキラー
さらに倒した相手の名は、見えないレベルの代わりに自分の強さ
デモンベイン
を証明する称号となる。
ゴッドバスター
悪魔を殺せば﹃悪魔殺し﹄、巨人を殺せば﹃巨人殺し﹄、神を殺
せば﹃神殺し﹄と。
﹁つまりベッドや桶を壊した分、俺は﹃破壊ポイント﹄を獲得して
強くなった、ということになる。といっても今のところ﹃ベッドブ
レイカー﹄や﹃便所クラッシャー﹄程度じゃ、それを神力に変換し
ても大した威力にはならないけどな﹂
﹁⋮⋮壊せば壊すほど強くなる、ということですか。それも壊した
ものの価値が高い方が破壊ポイントも大量に獲得できる、と⋮⋮﹂
257
犠牲になったのだと少年
﹁ああ。今回はお前と契約してここにいるわけじゃないから、獲得
したポイントは直接俺のものになる。一度﹃偽神化﹄してるから、
ポイント変換や神力の扱いも慣れてるしな。にしても⋮⋮﹂
沙良太はぐるり、と周囲を見渡す。
﹁この牢屋、本当に何も無いな。あとは食器が運ばれてくるたびに
壊すとか、少しずつでも壁を壊すとかすればじりじりポイントは貯
まるんだろうけど、やっぱり効率が悪いか⋮⋮﹂
﹁例えば、さっきのムカつく花頭看守を引きこんでボコボコにする
のはどうですか?﹂
﹁それで檻を破壊できるだけのポイントが貯まればいいけどな。失
敗したら二度とチャンスは無くなる﹂
﹃あ∼まどろっこしいぜ!! こう、小さくても価値とか希少性が
あるやつで、何がしかの力を持ってるアイテムと無ぇのかよ!!﹄
無言で二人の視線が、沙良太の手の中にある先割れスプーンに集
まった。金属製。元の世界の品物。新米だが帝釈天の持つ神具が神
化した女神の依代、つまり分身。
今いる未熟な世界の物など比べ物にならないくらい希少で価値が
あり、なおかつ強力な力を秘めたアイテム。
﹃おい、どうした!! 何かいい方法でも思いついたか!?﹄
﹁そうですね、思いついてしまいました。アイデア提供ありがとう
しゅしょう
ございます﹂
﹃殊勝じゃねぇか箱女。で、どうするんだ?﹄
﹁先に謝っとこう。すまん﹂
沙良太は先割れスプーンを牢屋の岩壁に押し付けると、首の部分
にぐぐぃっと体重をかけた。
﹃ぐわっ!! いだだだだだっ︱︱︱こら沙良太、手前ぇ何すんだ
258
よりしろ
ボケ!! それはあての依代だから丁寧に扱えって︱︱︱﹄
﹁だから言っただろ。すまんって﹂
﹃だったら早く止めろって!! あだっ!?﹄
﹃まさか︱︱︱︱依代を破壊して、込められた神力を自分の物にし
ようとしているの!? そんなことしたらこっちの世界と通信が︱
︱︱﹄
何をしようとしているのか、その意図に気付いた真新が焦った声
で警告する。
﹃こっちの世界との接続が切れるのよ。時間軸の同期もズレるから、
元の時間に戻れるかどうかも分からない⋮⋮あなたはお家で待って
る妹の、琶知ちゃんのことが心配じゃないの?﹄
﹁分かってる。でもどのみち帰るためには、あの魔王女が持ってた
賽銭箱のタブレットを取り返さなきゃいけない。あいつと戦うため、
上質の燃料弾薬が必要なんだよ﹂
みしみしと音を立てて先割れスプーンの首が曲がっていく。破壊
が進むにつれて、流れ出した金剛杵女神の神力が沙良太の中に流れ
込んでいく。
﹁悪い、琶知にはそっちで説明頼む。ちゃんと全部解決して帰るか
ら、心配するなって伝えておい︱︱︱﹂
バキンッ!!
まだ言葉の途中で先割れスプーンの首が折れてちぎれ、ぽとり、
と牢屋の床に落ちた。
既に表面の輝きは失われ、時刻のカウンター表示も消えている。賽
たもと
銭箱女神はもう使えなくなったスプーンの断片を拾うと、そっと自
分の巫女服の袂に仕舞った。
259
プリズンをブレイク︵物理︶と少年
とも
吸収した神力を右の掌に集める。部分的な﹃神化﹄−︱︱以前と
同じ山吹色の温かい光がぽぅ、と沙良太の手の中に灯った。
自分のものに変換されているが、元の金剛杵女神の性質を色濃く残
しているそれは熱く、猛々しく、そして愚かしいまでに真っ直ぐで
︱︱︱。
﹁嫌いじゃないぞ、こういうの!!﹂
﹁行けますか沙良太!?﹂
﹁十二分!!﹂
ふが
拳を強く握った沙良太は、それを思いっきり鉄の檻へと叩きつけ
た。
し
先ほどはびくともしなかった太い鉄の柱は、まるで駄菓子屋の麩菓
子であるかのようにぽっきりと折れて吹き飛ぶ。
﹁あれっ!?﹂
あまりにもあっさり檻をクリアーできてしまっため、沙良太の拳
は勢い余って向かい側の石壁に突き刺さる。
︱︱︱ずみしぃっ!!
鈍い音と共にすり鉢状に壁が凹み、その場に巨大なクレーターが
出現した。
﹁やっぱりやり過ぎですよぉっ!!﹂
一瞬遅れて発生した衝撃波に吹き飛ばされないように、姿勢を低
くしながら賽銭箱女神が悲鳴を上げる。
風に揺られて斜め向かいの魔族の白骨死体がカラカラと乾いた音
をたてた。
﹁どうした!? 何が来たっ!!﹂
ロングソードたずさ
先ほど沙良太たちを牢に叩き込んだ朝顔フェイスのフラスコ悪魔
が、手に長剣を携えて駆け寄ってくる。
260
さいご
﹁お前に最期が、かな﹂
クレーターから拳を引き抜いた沙良太は、そのまま居合の抜刀術
は
のように手刀で空を斬る。裂かれた空間に一文字が走り、生み出さ
れた真空波のギロチンが朝顔フェイス魔族の首をすぱんっ、と刎ね
飛ばした。鎧を着たフラスコ型の身体が力無く崩れ落ちる。
﹁相変わらず容赦がありませんねぇ、沙良太﹂
ほこり
もろ
魔族の死体をうわぁ、と眺めなら牢屋から出てきた賽銭箱女神は、
巫女服に付いた埃をぱんぱん払う。
﹁加減がきかないんだよ。こんなに牢屋が脆いなんて考えてなかっ
たからな。でも、確かに殺すまではなかったかも⋮⋮﹂
﹁心配無用だ。そいつらは首が無くなっても気絶するだけで、じき
に新しい頭が生えてきて目を覚ます﹂
不意に聞き覚えのある女性の声が隣の壁の中から聞こえてきた。
﹁お前たち、これから魔王様のところに行くつもりなのだろう? ならば私にも一枚噛ませろ﹂
261
ブレないお方と少年
﹁え∼と、どなたさんでしたっけ?﹂
しっくい
どうやら壁の向こう側に牢屋があるらしいのだが、その入り口は
わずかに開いた空気穴を除いて漆喰のようなもので塗り潰されてお
り、中までは見えない。
はくだつ
﹁貴様ら、私を巻き込んでおきながら勝手なことを!! おかげで
反逆者の汚名をきせられ騎士の位も剥奪⋮⋮暗い牢獄に繋がれた私
けが
を待つのは終わりなき凌辱の日々⋮⋮くっ、しかしどれだけ身体が
穢されようとも私は屈しな⋮⋮﹂
﹁あ∼はいはい、さっきの妖怪影女か。お前もここにいたんだな﹂
長くなりそうだったので沙良太は流れをぶった切る。
ちなみに妖怪﹃影女﹄とは、文字通り若い女性の影の妖怪だ。
月の出ている夜などに古びた一軒家に現れ、その影姿を障子に映す
シルキー
⋮⋮だけの出落ち妖怪。とはいえ目撃者に男性が多いことから、最
近では萌え化されて若い独身男性の所に現れるメイド妖精的存在と
して描かれることもある。
け
﹁何者です? お知り合いですか?﹂
﹁お前が俺と間違えて、思いっきり蹴っ飛ばしたやつ﹂
﹁⋮⋮それはすべて秘書のやったことデス。全く記憶にございまセ
ン﹂
いきなり片言になる賽銭箱女神。
﹁で、お前を助けることで俺たちに何の利益がある?﹂
﹁ここから出してもらえるのなら、お前にはこの色々持て余し気味
の私の身体を好きに⋮⋮おい人間、無視して立ち去ろうとするな!
!﹂
﹁次、つまらんこと言ったら壁ごと潰す﹂
牢屋の中からびくっと怯えた様な気配が伝わって来た。
262
﹁お前たち、魔王様からあの謎の石版を取り返そうとしているのだ
ろう? こっそり忍び寄るのに私の能力は便利だぞ!!﹂
沙良太と女神は顔を見合わせる。
と、先ほどの破壊音を聞きつけて増援が来たのか、上階がにわか
に騒がしくなった。
﹁仕方ない、ですね﹂
﹁だな。影女、ちょっと壁から離れてろ﹂
沙良太が輝く拳を振るうと、塗り込められていた鉄檻と一緒に入
り口の土が弾け飛び、ぽっかりと空間が開けた。中からぼろ布を体
に巻きつけただけの黒褐色肌で長身の女性がよろよろと出て来た。
かと思うと、二人の姿を認めた彼女は光の速さでその足元に土下座
する。
めすいぬ
﹁ありがとうございますご主人様!! わたくしめのことは遠慮な
く﹃犬﹄とお呼び下さい。さらにできれば﹃牝犬﹄と呼んでいただ
けますと光悦至極、歓喜の極みでございます!!﹂
うつむ
﹁何だか面倒臭いのが出てきましたねぇ。本当に助けて良かったん
ですか沙良太? 今更ですけど﹂
﹁面倒くさい奴には慣れてるからな。おかげさまで﹂
にっ、と歯を見せて笑うと、賽銭箱女神は顔を赤らめて俯いた。
﹁さて、それじゃあ︱︱︱︱楽しい楽しい逆襲タイムといきますか
!!﹂
263
人間的な悩みと少女
﹁くそっ、切れやがった!!﹂
しばらくリンクを探っていたがどうにもならず、腹立ちまぎれに
金剛杵女神が投げ飛ばした甘酒缶は、カラカラと音を立てて上手い
具合に空き缶入れに飛び込んだ。
﹁コン⋮⋮﹂
﹁こうなったらあてらにできることは何もねぇ。せいぜい無事を祈
ってやるくらいだ﹂
あお
真新の手から飲みかけのお汁粉缶をひったくると、中身を一気に
呷る。生ぬるくなった国産大粒入り汁粉が金剛杵女神の喉を潤して
いく。
﹁ぷはぁっ甘ぇっ!! 真新、こうなったら持久戦だ。時間軸同期
が外れちまったから、あいつらいつ帰ってくんのか分からねぇぞ﹂
﹁でも、帰ってくるまで待つつもりなのよねコン﹂
﹁⋮⋮あんな話聞かされちまったらな﹂
スチール缶の開け口を睨みながら女神は独りごちる。分かってい
たつもりだったが、あの腐れ縁の賽銭箱の気持ちに気付けなかった
自分にイラついていた。
器物神はその本体の価値によって生まれ持った才能が大きく開く。
さいな
歴史、使用者、伝説、価格、希少性、技術、芸術性⋮⋮そんな中、
賽銭箱女神はあのバカ顔の後ろで他者への劣等感に苛まれていた。
真正面から受け止めることができず、道化になることを選んだ。
﹁あ∼もう、人間の形になるってな面倒くせぇな!! 色々余計な
事考えちまうし、よく人間は平気だよな、真新!!﹂
器物は生まれた時から自分の価値も存在意義も決まっている。
器物のままでいる分には、思い悩むことは無い。
人間は違う
264
がみ
つくも
﹁別に平気じゃないわよ。だからそんな人間を理解するため、付喪
神は人の形を取るんでしょう﹂
﹁そうだ。面倒臭ぇけど仕方ねえ、か。あても逃げずに、そこらへ
ん賽銭箱と一度しっかり話さねぇとな﹂
さてっ、と金剛杵所女神はベンチから勢いよく立ち上がった。
﹁真新、こうなりゃあてらも持久戦だ!! 下のコンビニ行ってカ
ップめんとかポテトとか、追加物資買って来ようぜ!! 賽銭箱は
あてにならねぇけど、沙良太がいりゃ何とかなるだろ﹂
﹁どうせ色々と酷い事になってね⋮⋮いいわ、修練の打ち上げもか
いたずら
ねて、ぱぁっとやっちゃいましょう﹂
始業式前夜だけどね、と悪戯っ子ぽく笑いながら真新が付け足す。
﹁そうだ。その前に琶知ちゃんに連絡入れておかないと⋮⋮﹂
けげん
自分のコートのポケットから沙良太に渡されたガラケーを取り出
す。が、カバーを開けた真新の顔が怪訝そうなものに変わった。
気付かなかったが、着信履歴には﹃琶知﹄の名前がいくつもならん
でいる。それも沙良太が先割れスプーンを破壊したのと同じタイミ
ングで。
﹁琶知ちゃん、どうして⋮⋮﹂
真新がそう呟いた瞬間、集会所のガラスの向こう側、神社の境内
に黒い大きな影がどさっ、と舞い降りた。
こうま
ぱたぱたと忙しない足音が近付き、がらり、と引き戸が無遠慮に
開けられる。
﹁お兄ちゃん、どうなってるの!?﹂
寝間着の上にピンク色のダッフルコートを着て、後ろに仔馬ほど
のサイズになった双頭犬ベロを引き連れた琶知が、集会所の中に息
せき切って駈け込んで来た。
265
次の一手と少女
﹁琶知ちゃん、どうしてここに︱︱︱﹂
いぶか
あまりにもタイミング良く現れた沙良太の妹に、真新は驚きと、
若干の訝しさを含んだ声を上げる。
すご
﹁分からない。さっき突然、お兄ちゃんがいない、っていうことが
凄く不安に感じて⋮⋮だけど電話したけど誰も出なかったから⋮⋮﹂
﹁で、こいつに乗って町ん中すっ飛んで来たってか。誰かに見られ
にら
たら大騒ぎになるってんのに、相変わらず無茶苦茶だな、お前たち﹂
集会所の外で待つべろを金剛杵女神が睨むと、べろはわふぅっ、
と自慢げに小さく吠えた。
﹁それよりお兄ちゃんは? まだあっちから帰って来れないの?﹂
﹁まだよ。それと⋮⋮落ち着いて聞いて、琶知ちゃん。今の沙良太
の状況、あまり良くないわ﹂
﹁え⋮⋮﹂
多少言い淀みながらも、さっきまで起きていたことをかいつまん
で説明する真新。それを聞きながら琶知の表情は、どんどん険しく
なっていく。
﹁−︱︱というワケだ。向こうから連絡を絶っちまった以上、あて
らにはどうすることもできねえ﹂
﹁そんな⋮⋮お兄ちゃん⋮⋮﹂
ベンチの上であぐらをかいた金剛杵女神は、お手上げのジェスチ
ャーで首を振った。
それを聞いた琶知はへなへなとその場に座り込む。
冷たいコンクリ︱トの床の上、両膝に顔をうずめて黙り込んだ年下
の少女の姿を見て、真新は何とも言えない気持ちになった。
﹁ねぇコン。私たちの方から沙良太を迎えに行く、っていうのは、
やっぱり無理なのかな?﹂
266
琶知がはっ、と顔を上げた。切れかけて点滅する蛍光灯の下、そ
の瞳にはうっすらと涙の珠が光っている。
えにし
﹁無理に決まってんだろ真新。行きはフィリカっていう、元あっち
の世界の人間を縁の媒体に使ったから上手くいったんだ。あいつら
が使った賽銭箱用のルートは閉じちまってるし、同じ﹃縁﹄が無い
以上再現できるわけがねぇよ﹂
﹁私たちの使ってた異世界窓は?﹂
﹁修練終わって、とっくの昔に使用期限切れだぞ﹂
﹁じゃあ外にいる犬は? あの子もあっちの世界の生き物よね?﹂
﹁動物は時空軸の認識ができねぇから、場所も時代もあさってんと
こに放り出される﹂
﹁⋮⋮八方塞がりなのね﹂
はぁ、と真新の口からため息が漏れ出た。琶知の血の気の失せた
唇がへの字に歪む。
か
さすがにハッキリ言いすぎたか、と反省した金剛杵女神は短い髪
の自分の頭をかりかりと掻いた。
﹁ああと、そうだな。んなワケであてらが行くってのは難しいんだ
そろ
が⋮⋮もしあいつらがスプーンの他に何か繋がるモノ持ってたら、
安否くらいなら分かるかもしれねぇ﹂
﹁何かって言われても、沙良太の携帯はここにあるし⋮⋮﹂
﹁同じものであれば何でもいい。例えば一緒に買った土産とか、揃
いの服だとか、そんな感じのもんは思いつかねぇか?﹂
水を向けてみるが、琶知は黙って首を横に振るばかり。
﹁まー普通そうだよな。その年で兄貴と同じもん持ち歩いてるわけ
⋮⋮ん? ん∼﹂
﹁な、何?﹂ べにとびいろ
難しい表情になった女神が琶知の顔を覗き込む。
意志の強そうな紅鳶色の瞳。長い漆黒の髪。すっと一本通った鼻
筋から食いしばったような唇。
少女の持つ、少女の兄と近い顔の造り。そして外見だけでなく内
267
で燃え上がる生来の激しい気性も、沙良太と琶知は驚くほどよく似
ていた。
﹁しかも異世界から虫の知らせを受け取れるほどの強い繋がり⋮⋮
こいつぁ使えるかもしれねぇ!!﹂
268
妹パワーと変身と少女
﹁お兄ちゃんと連絡が取れるの!?﹂
琶知の表情がぱっと明るくなる。
きずな
つな
﹁でも、媒体になるものは何も持って無いんでしょう? なのにど
うやって⋮⋮﹂
﹁いやな、兄妹の絆と血の繋がりってのは太古の昔から最も強い力
いも
があるとされてんだ。媒体としちゃ百点満点だぜ﹂
﹃妹の力﹄−︱︱それは妹に限らず母、妻、娘など一族に連なる
ことだま
ヤマトヒメ
オトタチバナ
女性が持つとされる、歴史が歴史と呼ばれるより前からこの国に伝
ヤマトタケル
わる﹃言霊﹄と同じ最古最強の原始の呪力。
しゅっせい
有名なものでは大和建を守り助けた叔母の倭姫、妻の弟橘媛が知
ぬ
られている。また現代でも第二次大戦中、出征する夫や息子、兄弟
のため家族の女性が﹃千人針﹄の護符を縫うなど、その呪術信仰は
今も連綿と続いていた。
﹁それなら世界の壁を越えて、沙良太たちと繋がれるのね?﹂
さんこしょ
﹁ああ。もっとも受信じゃなくて発信となると、ちょっとした工夫
が必要になるけどな︱︱︱真新っ!!﹂
突然金剛杵女神は三つの刃を持つ古代インドの槍、三鈷杵に姿を
変えると、ぴょん、と真新の手の中に飛び込んだ。
﹃よし偽神化するぞ!!﹄
まゆ
﹁はぃ? ちょっとコン、急すぎるって!!﹂
真新の全身が光の繭に包まれ、変身が始まる。中学校指定の芋ジ
ャージにジャンパーを羽織っていた真新の姿は、新しい﹃神﹄とし
てふさわしいものへと変容していった。
﹁きれい⋮⋮﹂
境内の集会所は黄金色の暖かい輝きに満たされる。備え付けのベ
ンチやダルマストーブが吹き荒れる神風にがたがたと揺れた。
269
やがてぶんっ、という風切り音と共に光の繭が切り裂かれ、中か
サードアイ
きらめ
ら再び﹃偽神化﹄した真新が姿を現した。
宝冠と額の第三の眼を煌かせ、小袖の上から玉虫色のサリーを羽
衣のように羽織った彼女の目は、威厳と自信に満ちている。
﹁ふぅ、びっくりした。何も言わないでいきなり、なんてひどいじ
ゃない﹂
はんちゅう
﹃ちゃんと断ったはずだぞ?﹄
﹁直前三秒は事前の範疇に入りません!! ってわぁっ、琶知ちゃ
ん?!﹂
いつの間にか間近にいた琶知が、さっきとはうって変ってキラキ
しゃくぜん
ラした目で真新の方を見ていた。完全にヒーローショーを見る子供
の目。
﹁真新さん、変身、恰好良かったです!!﹂
﹁そ、そう? ありがとう⋮⋮でいいのかな。何か釈然としないけ
ど﹂
270
吸引力の衰えない妹と少女
﹃それじゃ妹、どこでもいいからあてに触れてみな﹄
微妙な表情になった真新を尻目に、金剛杵女神は琶知に声をかけ
る。
一体何処から声を出しているんだろう、と思いながら、琶知は真
新の手の近くで金剛杵の柄を握った。
﹁これでいいの?﹂
﹃おう!! 次は真新、少しずつ妹に神力を流し込め!!﹄
むくろ
まみ
﹁本気なの? 琶知ちゃんに神力を渡すってことは、その⋮⋮﹂
真新の脳裏を、躯の丘で返り血に塗れていた琶知の姿がフラッシ
やわ
や
ュバックする。兄の沙良太と同じく偽神化した彼女は、あの地獄の
ような光景の中﹃柔くて殺りがいが無かった﹄と満面の笑顔でのた
まっていた。
普段の琶知は年齢相応の普通の少女だ。けれどもまた﹃偽神化﹄
したらどうなるかは、真新にも分からない。
﹃だからあてらがコントロールするんだよ。渡す神力は最低限で。
妹、﹃偽神化﹄のやり方は分かってんな?﹄
﹁うん、この前やったから大体は﹂
﹃なら話は早ぇ。今からあてと真新がお前に神力を流し込む。お前
は自分の中にある沙良太の存在を強く意識しろ。ラインが繋がった
ら後はあてらが何とかする!!﹄
﹁琶知ちゃん、くれぐれも暴走しないように気を付けてね。あくま
で沙良太たちと連絡を取るためなんだから﹂
﹁分かりました!!﹂
﹃よっしゃ、じゃあ始めてくれ真新!!﹄
こくり、と真新が頷いた。
少女の身体を包む黄金色のオーラが再び輝きを強める。光の波が
271
さざなみ
漣のように琶知の方へ押し寄せる。
﹁ぅんっ︱︱︱﹂
あふ
一瞬苦しそうな顔になった琶知だが、すぐさま表情は元に戻る。
そして彼女の体から真新のものとは違う光が溢れ始める。
赤みを帯びた金色の光︱︱︱沙良太の神力と同じ山吹色の、まる
で太陽のような光。
﹃いいぜ、その調子だ!! あとはとにかく、兄貴のことだけ考え
てろ!!﹄
つむ
﹁お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん︱︱︱﹂
目を強く瞑って祈るように兄を想う琶知。その身体を覆う光はま
すます強くなっていく。
﹃よ∼しよし、あっちの世界と接続がだんだん強くなってきてるぜ。
もうすぐ安定するな﹄
﹁お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん︱︱︱﹂
﹁ねぇコン、まだなの? 何だかちょっと苦しくなってきたんだけ
ど﹂
偽神化したことで肉体の制限から解き放たれたはずの真新の額に
は、大粒の汗の珠がいくつも浮かんでいる。心なしか呼吸も荒い。
﹃あと少しだ。っていうか真新、神力の放出が速すぎるぜ。もっと
抑え気味にしねぇと速攻でバテんぞ!!﹄
﹁何言ってるのよ!? コンがどんどん流し込むから抑えが利かな
いんでしょ!?﹂
﹃いや真新の方が⋮⋮まさかっ!?﹄
金剛杵女神の声色が変わる。
﹁お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん︱︱︱﹂
﹃真新、緊急事態だ!! すぐに神力の流れを止めろ!!﹄
﹁ぐぅ⋮⋮どういう⋮⋮﹂
﹃どうもこうも無ぇ!! このままだとあてらの神力、こいつに完
全に吸い尽くされちまうぞ!!﹄
真新の体から急速に輝きが失われていく。羽織っていたサリーが
272
光の粒子に分解され消える。
﹁お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん
︱︱︱!!﹂
﹁あぁダメっ、止まらない!!﹂
﹃がぁぁぁぁっ!!!﹄
絶望的な悲鳴が上がる。
ひたすら兄を呼び続ける少女の触れたところから金剛杵が、そして
真新の身体が空間の歪みと共にブラックホールに吸い込まれるよう
にして琶知の手の中に消えて行った。
わたし
やがて光は消え、集会所の中に再び静寂が訪れる。
﹁やっと見つけた︱︱︱お兄ちゃん︱︱−﹂
少女の形をした何かは誰もいなくなったその場所で一人、不敵な
笑みを浮かべた。
273
さらに危険な妹と少女
もうろう
﹃だ∼クッソやられた!! うがぁぁっ!!﹄
まさら
金剛杵女神の悔しそうな声で朦朧としていた真新の意識は現実に
引き戻される。が、
﹃ってぇっ!? どうなっちゃってるの私!?﹄
﹃おう、目ぇ覚ましたか﹄
﹃コン!! なになに、なんなのよこれ!?﹄
真新が困惑するのも無理はない。
意識はあるもののそれ以外の手足身体は、在るのか無いのかあや
とうろう
ふやだ。さらに何故か前後左右上下、全ての方向が同時に見えてい
る。そして視点は真新の意志とは別に、灯篭の淡い明かりに照らさ
れた神社の境内を進んでいた。
足を止めようとしても止まらず、石灯籠に触れようとも触れられ
ず。真新はまるで自分が幽霊か何かになってしまったような錯覚に
陥っていた。
そろ
の
﹃落ち着いて聞け、真新。あてらは二人とも根こそぎ神力吸い取ら
れて、揃って沙良太の妹に呑み込まれちまったんだ﹄
﹃じゃあ私たち、琶知ちゃんの中にいるの? でも何でこんなこと
が⋮⋮﹄
﹃すまねぇ、あてとしたことが盛大な勘違いしてた。呑まれて初め
て分かったことだが、沙良太の妹は妹じゃないし、逆に沙良太も兄
じゃない﹄
﹃どういうこと? まさか実の兄妹じゃなかったとか、それともど
ちらかが偽者だったとか?﹄
﹃だったら良かったんだがな⋮⋮﹄
姿は見えないが金剛杵女神が肩をすくめるのと同時に頭を抱えて
いる感覚が伝わって来た。
274
﹃あいつら、あの兄妹の中身は同一人物だ。いや、正確には人じゃ
ねぇな。とんでもなく強くて古い神﹄
﹃どうしてそんな存在が⋮⋮賽銭箱はそのことを知っていたのかし
ら?﹄
﹃さあな。そこまでは分からねぇけど、あてと真新を呑み込んでお
たど
きながら全然喰い足りねぇって感じだ。ふざけやがって﹄
二人がこそこそ話をしている間に神社の本殿に辿り着いた琶知は、
無言のまま賽銭箱の置かれた場所の前に立つ。 次の瞬間、彼女は
着ていたピンク色のダッフルコートをばさっ、と脱ぎ捨てた。
せんい
よ
寝間着姿になった少女がコートを掲げると、それは光を帯びた無
つむ
数の繊維へと分解された。バラバラになった糸たちは互いに縒り合
さや
い紡ぎ合って、新しい一つの形を創り上げる。
じょうこ
とつかのつるぎ
黄金に輝く鞘に納まった、一本の細長い両刃の剣。
日本刀が成立するずっと以前の上古の武器、﹃十拳剣﹄。
剣を手に取った琶知はすらり、とそれを抜き放つ。曇り一つ無い
きら
イシコリドメ
鏡のような刀身に冬の星空が映り込み、宝剣はまるで切り取られた
天の川の一部のように煌めいた。
﹁聞いているのでしょう。いや、見ているのでしょう伊斯許理度売
!!﹂
寒空に凛と鈴のように琶知の声が響く。
おにいちゃん
ゆ
だがそれに答える者はいない。境内を冷たく乾いた風が駆け抜ける。
﹁私は私の元へ往く。さあ、窓を開いて受け入れなさい!! でな
ければ︱︱︱﹂
お
ちき、と宝剣の切っ先が本殿に向かって突き付けられる。
﹁−︱︱我が神域ごと圧し通る!!﹂
275
あの兄にしてこの妹と少女
しめなわ
和智の宣言と共に宝剣の切っ先で景色が歪んだ。
きし
途端に境内を暴風が吹き荒れ、本殿の太い注連縄がばたばたとは
ためく。それどころか屋根を支える太い柱がきしきし嫌な軋みを上
げ始めた。
﹃マジかよっ!? 正三位とはいえ一之宮の神域が触れただけでっ
!?﹄
﹃なんて強大な神力なの!!﹄
﹁二人とも、うるさいから黙ってて!!﹂
﹃聞こえたのかよ妹!! だったら少しは被害者のあてらに気ぃ使
え!!﹄
それには答えず、和智は剣を握る手に力を込める。
しで
暴風がさらに激しさを増した。
今にもちぎれそうに揺れる紙垂が一本、また一本と炎を上げて焼
き切れていく。神域を囲む結界が圧力に耐え切れず、弱い部分から
崩壊を始めている。そのうち耐え切れなくなったところに穴が開き、
さいしん
いつとものおのかみ
流れ込んだ力と共に一気に結界が吹き飛ぶのは時間の問題だ。
祀神本人が出張っていなくても、五伴緒神の強固な結界が破壊さ
れたとなれば、その被害は地上構造物だけでなく周辺一帯の地脈、
霊的バランスの崩壊に繋がる。
ね
﹃だからっや∼めろこの暴力妹っ、やり過ぎだぁっ!! つ∼か無
やおよろず
理矢理空間捻じ曲げて道開こうとすんな!! このまま神社ぶっ壊
したら日本全国八百万の神々、全部まとめて敵に回すことになんぞ
ぉっ!!﹄
﹁構わないっ!!﹂
必死で止めるコンの抗議を琶知は一喝して振り払う。
﹁お兄ちゃんを助けてくれないのならっ!! 私を助けてくれない
276
のならっ!! そんな神様なんていらない!! 必要ないっ!!﹂
あいつら
﹃こん馬鹿野郎っ!! お前、それがどういう意味か分かってんの
か!! この国で天津神連中敵に回したら、水を飲んでも潤わず、
お
飯を食っても満たされず、太陽が出ても光は届かず︱︱︱生きなが
ら地獄に堕ちたのと同じ状態になるんだぞ!! この世界からお前
せいさん
の居場所は、一分たりとも無くなるんだ!! それでも︱︱︱﹄
おにいちゃん
おにいちゃん
ふっ、と琶知の表情が緩む。笑顔のはずなのに、その凄惨さにコ
ンは息を呑んだ。
﹁最初から私の領地は私だけ、最後まで私の領地は私だけ︱︱︱な
のにそれさえも諦めろというの?!﹂
突然周囲に満ちていた圧力が消えた。ぱったりと暴風が止み、琶
知の目の前にはいつの間にか黒い壁紙の様なものが浮かんでいる。
いつとものおのかみ
琶知が壁紙に剣を突き刺すと、その切っ先は沼を突いたようにず
るり、と飲み込まれた。
﹃ありえねえ⋮⋮こいつ、五伴緒神に無理矢理言う事聞かせやがっ
た﹄
は
さや
窓の開通を確認した琶知は剣を引くと、さっと振り払ってから腰
に佩く金色の鞘に納める。
﹁−−−今助けに行ってあげるからね、お兄ちゃん!!﹂
そして迷うことなく﹃窓﹄に飛び込んだ。彼女の顔は先ほどまで
と打って変わって、兄を心配する年相応の少女のものに戻っていた。
−︱︱くぅん
境内に取り残されたベロは寂しそうな声で鳴くと、しばらくその
場をうろうろとしていた。が、やがて意を決したのか、ご主人様が
消えた後を追って窓の中に飛び込んで行った。
277
魔王の部屋と少女
岩山で作られた王城の中、突如目の前に巨大な鉄の扉が現れた。
インペリアル
﹁ここまでで良い。控えておれ﹂
魔王を名乗った貴皇種の少女が振り返って告げると、彼女に付き従
きし
いフィリカを護送していた有象無象の魔族たちは、潮が引くように
ささっと姿を消す。
それを確認すると少女は扉に手をかける。
一枚で何百キロもありそうな厚い鉄の扉が、ぎぎぃ、と軋むよう
な音を立て観音開きに開いていくのを、フィリカは呆気にとられて
見ていた。
持って生まれた能力を振るうだけと思われていた魔族にこれほど
インペリアル
の金属加工を行う技術があったこと。小さな身体で大の大人が束に
ならなければ動かせないような重量を片手であしらう貴皇種の持つ
力の強大さ。
さわ
しかし扉の中からそれ以上の驚きが彼女を出迎える。
さぁっ︱︱︱︱
﹁え⋮⋮﹂
隙間から噴き出してきた爽やかな風がフィリカの頬を撫でた。
あいさつ
目の前に広がるのは一面の草原、いや花畑だった。赤青黄白の色
とりどりに咲き乱れる花弁が、首を揺らして二人の少女に挨拶する。
うなが
﹁さ、進むが良い﹂
促されてフィリカが中に入ると、後ろで扉の閉まる音がした。
足元の青い芝生を踏みながら花畑の中を歩いてゆく。しばらくす
ると草の丈が高くなり、やがてそれはフィリカの腰ほどの高さにな
った。
まるで野山を散策するかのように、自然と足が動く。
気が付くとフィリカは部屋の中心にそびえる大きな樹の陰に立って
278
いた。
﹁魔界にこんな場所が⋮⋮﹂
ことなか
緑の葉を茂らせる太い木の幹に触れながら呟く。と、指先がその
堅い肌に刻まれた傷を探り当てた。
いや、それは傷痕ではない。
−−−︱︱﹃我が友、フィリカの名を忘るる事勿れ﹄
木がまだ若い時分に刻まれたであろう、ごつごつした木の幹に半
分埋もれるようにして書き込まれた文字。
﹁私の⋮⋮名前⋮⋮﹂
﹁その木は墓標じゃ、フィリカ。80年以上前に死んだはずのお主
の、な﹂
いつの間にか隣に立っていた魔王少女が、その場にへたり込んだ
フィリカの背中に声をかける。
よこれんぼ
﹁昔、まだ年若い王と王妃を殺し、幼い姫を修道院に幽閉して王位
を奪った男がおった。そやつも、横恋慕していた王妃に似た姫を殺
まみ
すことはできなかったのであろう。姫は出自を隠されたまま育ち、
そのまま静かに余生を送るはずであった⋮⋮﹂
﹁私の⋮⋮ことなんですか⋮⋮﹂
しっと
少女は答えずに言葉を続ける。
﹁だが状況が変わった。嫉妬と憎悪、劣等感に塗れていた男。5年
おび
経ち、10年が経ち⋮⋮国民に重税と賦役を課し周辺諸国と争い続
や
け、王座の上に吊るされた剣に怯える地獄のような日々に、いつし
か男は疲れきっていたのじゃ﹂
フィリカの脳裏に、王座に腰かけていた痩せた男の姿が浮かぶ。
しょうそう
沙良太たちと共に王宮に押し入った時、初めて見た父の仇。
いのちご
あわ
いじ
焦燥しきった顔。不格好な王冠を頭に乗せ、金を払うから助けて
くれ、と無様に命乞いした憐れな男。
シャドウサーヴァント
﹁そこで﹃代わり﹄が必要になった。前王の遺児である成長した姫
まがひめ
を王都に招き、紛れ込ませた邪教徒の手で殺害。その影に影這を潜
り込ませて操り、人界に不和と騒乱を呼ぶ禍姫に仕立て上げよう、
279
ひど
とな﹂
﹁酷い⋮⋮何で⋮⋮何でそんなことをする必要があるんですか?!﹂
立ち上がってフィリカは魔王少女に詰め寄る。
そ
涙ぐんだ彼女に真っ向から見つめられると、強大な力を持つはず
こうきゅう
の魔族の少女はすまなそうに顔を逸らした。
﹁人間の結束を乱すため、恒久の魔族の平和を守るため、だそうじ
ゃ﹂
﹁一体誰が!?﹂
魔王少女はつぃ、と視線を草原の隅に向ける。
こけ
そこにあったのは黒い石の塊。庭石のようだが、長い年月放置さ
も
れていたためか田舎の地蔵みたいに苔むし、ひび割れた隙間からは
小さな草が顔を覗かせていた。
﹁ひっ⋮⋮﹂
みが
なめ
ふんぬ
ゆが
その正体に気付いたフィリカの口から短い悲鳴が漏れる。
磨かれたように滑らかな石、その中央には憤怒の形相に歪んだ男
の形相が浮かび上がっていた。
あや
﹁紹介しようかの。我の父であり先代の魔王⋮⋮そしてフィリカの
両親を殺めさせ、あげくフィリカさえ殺そうとした男、そのなれの
果てじゃ﹂
280
先代魔王と少女
﹁死んで、いるんですか⋮⋮?﹂
とっさ
石像となった先代魔王をまじまじと見つめながらフィリカが疑問
を口にする。
じらい
かたわ
﹁いや。我に負けそうになった時、父上は咄嗟にその身を岩に変じ
ての。爾来、見張るつもりで傍らに置いておったのじゃが⋮⋮あれ
じちょう
からもう70余年。はてさて、もはや意識さえ残っておるかどうか﹂
さび
物言わぬ置物と化した父の姿を眺める魔王少女の瞳は、自嘲の中
にどこか寂しそうなものが混じっていた。
しっと
さいぎ
ごうよく
あお
﹁父上は歴代魔王の中でも穏健派での。力で正面から攻めるより敵
の嫉妬、猜疑、強欲を煽り、つけ込むことで相手の崩壊誘うことを
是としておった。こちらに損害を出さぬよう、細心の注意を払って
の﹂
﹁仲間の犠牲をよしとされなかった、そのような魔王もいたのです
ね﹂
複雑な表情になるフィリカ。陰謀を巡らすことはともかく、凶悪
つづ
な魔族の王が力のぶつかり合いによる闘争を積極的に避けていたこ
とに驚きがあった。子供の頃読んだ、修道院にあった書物に綴られ
ていた魔族と人間の終わりの無い戦い。岩だらけの荒野、赤い光に
ひんぱん
おか
染まった魔界ではまともな作物が育たないため、魔族はその勢力範
えいゆうたん
囲を広げるべく下等な魔獣を引き連れ頻繁に人間の領域を侵してい
た。そこには幾つもの悲劇と共に、幾つもの英雄譚があった。
﹁人も魔族も、直接血が流されるのに比べれば⋮⋮﹂
﹁フィリカ、まだ父上の呪が残っておるか﹂
魔王少女はマントを跳ね上げ、さっと右手を突き出した。その手
が天窓から注ぐ光の中でみるみるうちに透き通っていく。
ずんっ︱︱︱
281
けいれん
透明になった少女の手がフィリカの頭蓋を突き抜けた。
﹁はぐっ!?﹂
フィリカの身体が硬直し、ガタガタと痙攣する。
うごめ
突き抜けた先の手には、黒いトカゲのようなものが握られていた。
のど
力が込められると、びちびちと蠢いたトカゲは煙のように消える。
﹁あ︱︱︱あ︱︱︱﹂
おえつ
も
少女の手が引き抜かれ、がくり、と膝をついたフィリカの喉から、
声とも嗚咽とも判別できない音が漏れる。
﹁−︱︱ああああああぁぁぁぁぁっっっ!!!!﹂
次の瞬間、草原にフィリカの絶叫が響いた。
282
真実と少女
ひも
目の前に二つのボールが紐でぶら下がっていた。
けいしょう
見てはいけない、思い出してはいけないとフィリカの理性が必死
で警鐘を鳴らす。
﹃ほぅら、フィリカ姫⋮⋮﹄
したた
ねっとりした男の声。王座に座っていた、あの痩せた男の声。
﹃お父さんとお母さんだよ⋮⋮﹄
くるり、とボールが回転した。
ボールだと思っていたのは、どす黒い血をぼたぼたと滴らせる二
せいかん
つの生首。
そ
精悍で頼りがいのある父王。
その父に寄り添い、いつも優しく微笑んでいた母。
だが父の顔は憎悪と絶望に醜く歪み、母の顔も恐怖一色に彩られ
老婆のように変わっている。
そして紐だと思っていたのは髪の毛だった。
太陽の光に例えられた父の金髪はみすぼらしく刈り上げられ、母
のフィリカと同じ桃色の髪は土と血で真っ黒に固まっている。
振り子のようにぶらぶらと揺れる二つの首が近づいて来る。
白目をむいた血走った両目が、半開きになって舌をでろんと垂ら
した口が。
﹃さあ姫⋮⋮お父さんとお母さんに、お別れのキスをしてあげよう
ね⋮⋮﹄
﹁嫌っ!! 嫌、嫌、嫌、いやぁぁぁっっっ!! お父様っ!! お母様ぁぁぁっっっ!!﹂
まるで両親の死を目の当たりにした瞬間を再現するかのように、
フィリカは口からは絶叫を、目からは涙を止めどなく流し続ける。
地面を転がりながら身悶えるその背中を、小さな手がぽん、と叩
283
いた。
﹁すまぬ、フィリカ。辛いことを思い出させてしまったようじゃの
⋮⋮だが父上の呪縛はいいずれ消える。ならば我の手で解いてやり
たかった⋮⋮﹂
そのままフィリカが落ち着くまでしばらくの間、魔王の少女はフ
ィリカに膝枕してやりながら、まるで母親のように優しくその背中
を撫でていた。
どこからか吹く風が木立を抜け、緑の葉を鳴らしながら通り過ぎ
てゆく。
二人は黙って揺れる草花の様子を眺めている。
﹁⋮⋮思い出しました。ずっと昔、こんなお花畑で出会った不思議
な女の子のことを⋮⋮﹂
ふと、フィリカが口を開いた。
﹁その子は私と同じくらいの年で、王宮で一人だった私の最初の友
なぐ
達になってくれた。遊びに行くときは私の手を引いてくれて⋮⋮転
んで泣いてしまった時には、私が泣きやむまでずっと慰めてくれて
⋮⋮﹂
﹁フィリカ⋮⋮﹂
﹁でもいつの間にかその子はいなくなっていて⋮⋮私、忘れたこと
さえ忘れていたんですね﹂
ふふっ、と泣き腫らして赤くなったフィリカの目が細くなる。
﹁お久しぶりです、ヴェリタッテム﹂
ほんろう
かいこう
﹁ヴェリタで良い。昔と同じように、な﹂
数奇な運命に翻弄され数十年ぶりに邂逅を果たした人間と魔族の
少女は、木陰の下で互いに再開を喜び合った。
︱−−−︱︱ズンッ!!
しかし二人の時間は、階下から響いて来た鈍い爆発音によって終
わりを告げる。
284
下からと横からと少女
ぎ
﹃魔王様!! 至急報告したき儀ございます!!﹄
てのひら
連続した爆発音、そして城全体を揺るがす振動が続く中、忙しな
く扉が叩かれた。
魔王少女︱︱︱ヴェリタが地面に掌をつけると、扉の横から岩で
できた腕が伸び、分厚い鉄の扉をぐぃ、と開く。
飛び込んできたのは二人の魔族。
一人は全身と顔一面に無数の目玉が浮き出した﹃妖怪・百目﹄の
ような、花粉症になったら大変そうな個体だ。そしてもう一体は百
目の元になった﹃妖怪・悪女野風﹄のような全身に口が浮き出した
ゆ
個体。毎回の歯磨きが面倒そうである。
﹁どうした⋮⋮と言うても、下で暴れておる例の者どもの話であろ
う?﹂
﹁もしかして沙良太さんたちが!?﹂
少女の膝枕からフィリカはがばり、と起き上がった。
﹁そうか、あの奴の名は沙良太と申すか。フィリカ、奴らは大方お
主を助けに来ようと、牢を破ってこちらに向かっておるのだろう﹂
先ほどから人でも魔でもない力を感じておるからの、と魔王少女
は、どこか楽しそうにほくそ笑む。
﹁奴らは既に地上第二階層に到達し、迷うことなくこの王座の間へ
いき
と向かってきております。どうやら協力者がいる模様⋮⋮﹂
口だらけ魔族は、全身の口ではぁはぁと呼吸荒く報告する。
﹁奴らの方からここに来るのであれば、大分手間が省けるの。討ち
かな
取れるなら討ち取れ、でなければ捨て置くがよい。我と同じ力を持
つとするなら、例え貴族騎士が束になっても敵わぬじゃろう﹂
﹁ははっ!!﹂
頭を下げた口だらけ魔族は、すぐさま伝令すべく走り去る。
285
﹁で、そちらは何じゃ?﹂
次に進み出た目玉だらけ魔族は、血走った眼球をぐるぐる回しな
がらがばり、と平伏した。
﹁魔王様、人界と魔界の国境線が破られました。こちらに侵入して
きた敵の一集団は我々の防衛部隊を撃退。軍路に設置された拠点と
防壁を次々と破壊し、一直線にこの魔王城へと向かっております﹂
﹁む、どういうことじゃ? ここ数年人間側に大規模な進出の動き
は無かったはずじゃが⋮⋮﹂
驚いた魔王少女が立ち上がる。
﹁人間ではございません。敵は約500人足らずの獣人の集団⋮⋮
しかし進軍速度が異常なのです。国境線を越え交戦を開始したのが
昨日で、その日のうちに防衛部隊が壊滅。しかも奴らは休むことな
く走り続け、疲れるどころか進軍速度は加速。本日中にはここに到
達してもおかしくない勢いです﹂
﹁ほぅ⋮⋮しかしまた、ずいぶんと報告が遅れたものよの﹂
﹁申し訳ありません。通常であれば防衛部隊が処理を終えてから報
ゆる
告しているところが、今回は裏目に出てしまいました﹂
お赦しを⋮⋮、と地面に頭を擦り付ける目玉だらけ魔族。
その姿を見下ろした魔王少女は、ふっ、と鼻を鳴らす。
﹁まあよい。そやつらの姿、この目で見てみたくなった﹂
すると目玉だらけ魔族の目玉が妖しい光を放つ。
光は部屋の壁と天井に当たり結像し、土煙を上げて走り続ける一団
を映し出した。
淡い緑色の輝きに包まれたその集団は、立ち塞がるオークやゴブ
リン、ゾンビやギガントなど無数の魔族を、まるでボーリングのピ
ンでも倒すかのように次々と弾き飛ばしてゆく。
さらに映像が拡大されると、先頭を進む巨大な魔獣の姿が明らか
になる。
二つの頭を持つ毛深い犬の魔獣。その二つの首には細い針金のよ
うな首輪︱︱︱神界百貨店で買った伸縮自在、どんな猛獣邪仙も取
286
かんのんぼさつ
きんこじ
り押さえる観音菩薩印の﹃緊箍児﹄が巻かれていた。
にら
そしてその背中には、金色の宝剣を携えたパジャマ姿の少女が仁
王立ちになって前方を睨んでいる。
﹁あれは⋮⋮もしかして琶知さんっ!? でもどうやってこの世界
に⋮⋮﹂
見知った沙良太の妹の姿を認めたフィリカが思わず声を出す。
﹁ほう、あれもフィリカの迎えか。そのためだけに国境を侵し攻め
上がって来るとは、これまたなんとも盛大な話じゃの﹂
なが
くふふふ、とヴェリタは静かに笑う。笑い続ける。
その姿を眺めていたフィリカは、自分の目をこすった。
からだ
外見に変化があるわけではない。
あふ
しかし小さな体躯に収まらぬほどの強大かつ禍々︵まがまが︶し
インペリアル
い力が満ち溢れてゆくうちに、古い友人の優しい少女ヴェリタは、
人類の敵魔族の頂点に立つ貴皇種、魔王ヴェリタへと変容していっ
た。
おう
﹁⋮⋮戦うのですか?﹂
﹁応さ﹂
ヴェリタは固まったままの姿勢のフィリカに、そうじゃ忘れぬう
ちにの、とマントの下から賽銭箱女神のタブレット端末を取り出し
て渡す。
﹁これがあればお主は家に帰れるのじゃろう? 我の姿が見えなく
なれば、すぐさまこの場を離れるが良い。そしてせいぜい長生きす
るのじゃ、人間の子よ﹂ ﹁でも⋮⋮あなたは、ヴェリタはどうするんですか!? 戦いが終
わったその後は⋮⋮﹂
魔王の顔が、素の少女のものに戻る。が、それも一瞬のこと。
﹁魔族の敵は人間、人間の敵は魔族。お主が去れば我もまたその輪
に戻り、魔王としての生を全うするだけのことじゃ﹂
﹁本当に道は無いんでしょうか? 人と魔族がお互いに傷つかずに、
傷つけあわずに済む道は⋮⋮﹂
287
﹁そんなものが無いことは記憶を取り戻した今、お主も良ぅく理解
しておるじゃろうに﹂
うなづ
あが
﹁はい。でも私はあの人たちに助けられて、別の世界を知ることが
できたんです!!﹂
つか
﹁別の世界⋮⋮じゃと?﹂
ヴェリタの手を摑まえたフィリカは頷く。
﹁その世界にも私たちのような人間と、そして超常の力を持ち崇め
られる神々、魔族のような妖怪と呼ばれる者たちがいました﹂
﹁お主が旅立ったその先も、人と魔族が戦いの歴史を紡ぐ世界だっ
たのじゃな⋮⋮﹂
﹁違います!! 確かにそういった国もあると聞きますが、私が行
わきま
ったのはそんなところではありませんでした!! 人と、神と、妖
す
魔と器物と精霊と⋮⋮諸々︵もろもろ︶の存在が己の領域を弁え、
全面衝突せずにお互い上手く棲み分けている場所だったんです!﹂
﹁そうか⋮⋮﹂
﹁適切な距離の取り方さえ学ぶことができれば、この世界も私たち
みたいに⋮⋮﹂
こうとうむけい
友を行かせまいとするフィリカだが、その言葉はどんどん弱くな
っていった。
自分の言ってることがどれほど荒唐無稽なことか、途中からよう
やく理解できたからだ。
たお
そんなフィリカの手を、ヴェリタは優しく振りほどく。
﹁どうして⋮⋮﹂
さだめ
﹁もう分かっておるのじゃろう? この手で父を斃し、魔王となっ
た我に、魔族を率いて戦う以外の選択肢は無い。宿命からは逃れら
れぬし、我はそれを自分から迎え入れた。お主がそのような世界に
じゅうりん
行けたのであれば、もはや我に心残りは無い。なれば我は魔王とし
て世界を蹂躙し、やがて人間を攻め滅ぼしてみせるまで﹂
﹁そんな!!﹂
﹁古きわが友よ、人間の子よ⋮⋮最早、別れを告げねばならぬ。酔
288
わねばならぬ時が近づいたからのう﹂
下からの爆発音が近づいてくる。
﹁ヴェリタっ!!﹂
もう一度手を取ろうとフィリカが腕を伸ばした瞬間、部屋の隅に
まと
置かれていた先代魔王の石像が光り、ぱかっと割れた。
﹁ぬっ!?﹂
むち
像を貫き、部屋を横切るようにしてて紫電を纏った閃光が駆け抜
ける。
それは鞭のようにしなると魔王の部屋を真っ二つに切り裂いた。
289
進撃の妹と少女
けなげ
﹃しっかし健気なもんだよな、こいつら﹄
琶知に吸収されて憑依霊状態になった金剛杵女神は、巨大化した
ベロに付き従う獣人の若者たちを見下ろしてしみじみ呟く。
この未熟世界に強制介入しようとして窓に飛び込んだ琶知︵+コ
ン+真新︶だったが、そこにベロまで飛び込んできたおかげで出現
先の時空間軸がぶれてしまった。気が付くと琶知たちが立っていた
さつりく
たいゆ
のは、沙良太たちが魔王城に侵入する二日前の、あの真新が守って
いた最前線の獣人の村。
ワイドフォースヒーリング
だが、ベロを連れた琶知は﹃殺戮と大癒の女神ヴァティ﹄とその
乗騎たる魔犬の再来として大歓迎される。
ついでに琶知が金剛杵女神たちから奪った神力で﹃広域強制治癒﹄
を再現し怪我した村人たちを治してあげたところ、彼らの興奮は絶
頂を迎えた。
﹃我と共に進め、戦士たち!!﹄
ベロに乗り魔界に向けて駆けだした琶知の後ろには、女神と崇め
る少女の言葉に呼応して集まってきた、農具を携えた若い獣人たち
が付き従う。道すがら小さな集落からも次々と獣人は集まり、最終
的に500人を越える大所帯となった。
そのまま魔界になだれ込んだ琶知軍団は向かうところ敵なし。通
った後に魔族の屍を積み上げながら、ミサイルのように魔王城目指
して突き進む。
﹁また敵さが現れたべ!!﹂
﹁若ぇ衆準備は良いだか?﹂
﹁おぅ!! こん草切り鎌で、そった首さっくと刈り落としてやる
べ!!﹂
﹁野郎ども!! 皆殺しじゃぁぁぁっ!!﹂
290
だいかんせい
﹃ndaaaaaaaaaaa!!!﹄
大喚声と共に筋骨隆々の獣人たちが血塗れになって乾く間もない
各々の武器を振り上げ、防衛に出た哀れな魔族部隊に襲い掛かる。
すぐさま血煙が巻き起こり、斬り飛ばされた魔族兵の手足首が次
々宙を舞った。
﹁馬鹿な!! 人でも魔族でもない下等な獣人風情に、我々魔王直
属の騎士団が手も足も出ないだと!?﹂
あぎと
めんぼう
魔界騎士チャヤム︱︱︱防衛隊長であり両手に鋭い牙の並んだ狼
のような咢を持つ彼は、自分の頭を狙って振り下ろされた麺棒をシ
ョルダーガードで弾き飛ばしながら叫ぶ。
﹁お前ぇさも他の連中みてぇに、死んで地面の養分になるだ!!﹂
﹁ほざけ下郎っ!!﹂
かじ
カウンターで繰り出される必殺の﹃狼牙拳﹄が、二撃目を放とう
とした猫頭獣人の右腕をその根元から齧り取る。肉の潰れる音と骨
が砕ける音がして、失われた腕の付け根から噴水のように鮮血が撒
き散らされる。
ほころ
その重症ではもはや戦えまい!! 勝った!!
歓喜に口元を綻ばせかけた騎士チャヤム。
次の瞬間彼の顔は恐怖に一色に彩られた。
291
妹、強襲と少女
ほうが
﹁さ⋮⋮再生⋮⋮だと!?﹂
まるで草木の萌芽を早送りにした映像のように、真っ赤な切断面
から肉の塊がにょきにょきと生え出している。
時間にして一秒足らず。
たくま
猫頭獣人の右肩には失くした腕の代わりに、新しい腕があった。
元のそれより三倍ほど太く逞しい腕が。
﹁なんだそれはっ!! なんなんだ貴様らぁばぎゃっ!!﹂
﹁ndaaaaaaaaaaa!!!﹂
再び繰り出される﹃狼牙拳﹄。だがその拳を迎撃するように猫獣
人が新しい腕を打ちつけた。
騎士チャヤムの自慢の拳は一瞬でぐちゃぐちゃの肉骨粉に姿を変
える。腕はそれだけで止まらず、獣人の一撃は振り抜いた通り道に
あるチャヤムの腕を、肩、首、そして頭部をついでとばかりに粉砕
した。
生命活動を停止した肉体はその場に崩れ落ちる。後に続く獣人の
す
群れが、大地に横たわる彼の体を次々と踏みつけてゆく。
たいひ
擂り潰され押し潰された元・騎士チャヤムだった肉塊は、猫獣人の
宣言通り人型の染みのような堆肥となって自然に還っていった。
﹃うっわぁえげつねぇ⋮⋮﹄
琶知を通してその光景を見ていた金剛杵女神がうんざりしたよう
な声をあげる。
﹃ねぇコン、さっきからキシキシ言ってはやられてく変な魔族がい
るけど、何なのかな?﹄
﹃目立って一旗あげようとした一発屋芸人がとかだろ、どうせ﹄
﹃もう20匹くらいかしら? 魔族のお笑い業界もずいぶん人材豊
富なのね﹄
292
﹃それよりあの妹、よくこんな戦法考え着くよな⋮⋮﹄
当の琶知は双頭犬ベロの背に立ったまま、ぴくりとも動こうとし
ない。
しかし彼女を中心に広がる薄緑色の光が常に獣人軍団を包み込み、
ワイドフォースヒーリング
範囲内にいる獣人たちの身体も、うっすらと輝きを放っている。
広域強制治癒−−︱︱範囲内にいる仲間の傷を癒す、賽銭箱女神
が神界百貨店で買って琶知に貸し与えた能力。しかし今、琶知が使
っているのはコピーであり、その効果は冗談のように増幅されてい
た。
砕けた四肢どころか吹き飛んだ頭部さえ一瞬で再生修復する超治
癒能力。
身体機能の異常上昇、疲労解消、苦痛の消失。
そのためどれほど走っても獣人たちは疲れることが無く、走れば
走るほどに足の筋肉は肥大し持久力を増し、進軍速度は加速してゆ
く。
岩のようなゴーレムの肌を殴りつけ拳が砕ければ、治癒した拳は
ダイヤモンドの硬度となり、腕の筋肉は岩を砕くのに十分な大きさ
りょうが
きょうじん
よみがえ
にまで膨れ上がる。刃を受ければ刃を弾き返し、炎を、氷を、雷を
受ければ、必ずそれを凌駕する強靭な肉体となって獣人たちは甦る。
琶知の神力によって生み出された、進化し続ける半不死の軍団。
いくた
せんめつせん
元は犬、猿、雉、猫、熊など様々な種類の獣人がいたはずだが、既
おお
に幾多の殲滅戦を越えたその姿は、まるで猛牛のように全身を異様
バーサーカー
に巨大化した筋肉で覆われており、元の面影は残っていない。
さえぎ
うぞうむぞう
じゅうりん
そして狂戦士となった彼らはベロを先頭に半日以上走り続け、道を
遮るもの全てを有象無象の区別なく蹂躙していた。
﹁誰かに見られてる︱︱︱﹂
琶知がぴくり、と細い眉を動かした。
﹃みたいだな。どっちかてぇと鏡みたいに光を曲げて届けてる感じ
だけどよ﹄
﹃害が無いなら放っておいたらどう?﹄
293
わたし
小さく首を振る。
﹁あの向こうにお兄ちゃんを感じる﹂
﹃じゃあどうすんだよ?﹄
あふ
金剛杵女神の問いかけはそのままに、琶知はしゃがんでベロの毛
皮に触れた。少女の体から溢れていた薄緑色の光がベロの体に移動
する。
﹁ベロ、あなたはこのまま皆と一緒に真っ直ぐ走りなさい﹂
にら
わんっ、と二つの頭がステレオで応えた。
アタナトイ
琶知は赤く染まった魔界の空を睨むと、ひょうっ、とベロの背中
から放たれた矢のように跳躍する。
遠い空がどんどん近くなり、足元のベロや獣人不死軍団はどんどん
小さくなる。
﹁見つけた!!﹂
ほとばし
雲の高さにまで到達したところで自由落下を始めた琶知は、腰の
宝剣をすらりと抜き放つ。すぐさま山吹色の神気が刀身から迸り、
ぐんぐん伸びる光の刃となって異界の空を貫いた。
重力に身を任せて落下しながら限界まで息を吐き、そこから思い
ほ
っきり空気を吸い込んだ琶知は、小6の少女の体から出たとは思え
ほし
イカツチ
ないほど大きな声で天空に吠える。
まじなひことば
﹁凶星よ、威香津霊となれ!!﹂
きっさき
きせき
咒詞と共に宝剣がふつ、と振り下ろされた。
剣の鋩は雷蛇のようなギザギザの軌跡を描き、長大な光の刀身をく
じぶん
ねらせて魔界の大気を切り裂きながら光の速さで進む。
兄のいる魔王城へと。
294
神力と少年
か
岩城の廊下を階段へと突き進む沙良太たちの前に、金の角を持っ
たミノタウロスのような魔族が立ち塞がった。
﹁我が名は騎士バルデアラン!! この黄金の双角に賭けて先には
行かせん!!﹂
﹃なんかでっかい牛さん来ましたぁっ!! でも意外と勝てそうな
気がします。何故でしょう?﹄
﹃気を付けろ!! 奴はああ見えて動きが早く、自慢の戦槌﹃ビッ
グホーン﹄の一撃は岩をもパンのように打ち砕くぞ!!﹄
賽銭箱女神と一緒に沙良太の影に潜んだクッコロが忠告する。
﹁そっか、じゃあさっさと倒して先に行かせてもらおう!!﹂
﹁話を聞かん侵入者め、行かせんと言っている!!﹂
そう言うと騎士バルデアランは巨大な戦槌を沙良太の頭上に振りか
ざす。
﹁つぅぶれろぅっ!!﹂
旋風と共に振り下ろされる巨大な質量。
だが、
﹁ほいさっさぁっ!!﹂
山吹色の光を纏った沙良太の拳は戦槌の一撃を受け止め、さらに
鉄の塊をクッキーでも割るかのように易々と打ち砕いた。
﹁ぐぬぅっ!?﹂
﹁ついでに角もだっ!!﹂
振り下ろした状態で体勢を崩したミノタウロス魔族の頭を鋭い手
刀が襲う。
−︱︱ぱきぃっ!!
バルデアラン自慢の黄金の角は宙を舞う。彼の頭蓋骨の一部と一
緒に。
295
巨体がどう、と音を立てて崩れ落ちた。
﹁おっと、角ごと骨が取れた﹂
どくろはい
﹃脳味噌見えちゃってますよコレ。えんがちょです沙良太、えんが
ちょ﹄
織田信長の髑髏杯状態になったミノタウロス魔族は、まだびくん
びくんと痙攣している。
その身体の周囲に突然黒い霧のようなものが湧き上がると、三つ
のフードを被った人影を形作った。
﹁バルデアランがやられたようだな⋮⋮﹂
﹁フフフ⋮⋮奴は四天王の中でも最弱⋮⋮﹂
﹁人間ごときに負けるとは魔族の面汚しよ⋮⋮﹂
﹃しまった逃げろ!! くっ、こんなに早く魔王騎士四天王三大天
が現れるとはっ!!﹄
クッコロの声が焦りを帯びる。
﹃またややこしい⋮⋮﹄
﹁強いのか?﹂
﹃当たり前だ!! 奴らは皆、金牛騎士バルデアランの100倍以
上は強いと言われている者たちだぞ!!﹄
﹃その100倍ってどういう基準なんでしょう? カレーの100
倍と同じくらいですかねぇ?﹄
﹁つ∼か四天王間で100倍も差があるのはいいんだ﹂
﹃奴らは趣味が一緒で仲は良かったからな﹄
どうでもいい情報をどうも、と沙良太は右腕に神力を纏わせた。
そしておもむろに三つの人影向かって走り出す。
﹁ふふっ、自ら絶望に向かうかぐぶッ!!﹂
﹁愚かな⋮⋮判断力を失うとげはッ!!﹂
﹁せめて苦しまずに死なせてでぼッ!!﹂
横一文字の残光が通り過ぎた後、そこには胴が真っ二つに切断さ
れた三体の魔族が転がっていた。
﹃ふふん、やっぱりゼロは100倍にしてもゼロなんですねぇ﹄
296
﹃こいつに逆らわなくて本気で助かった⋮⋮﹄
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
沙良太は魔族を倒した自分の腕をぶんぶん、と回して調子を確か
める。
﹁やっぱりな⋮⋮﹂
﹃何がやっぱりなんですか?﹄
﹁こいつら魔族は⋮⋮いや、魔族に限らずこの世界の存在は、生き
もろ
物もそれ以外も﹃神力﹄に対する抵抗力が全く無いんだ。まるでプ
リンでできた世界に迷い込んだみたいに、全てが脆い⋮⋮﹂
297
戦場へ続く道と少年
ゆえん
﹃それが未熟な世界と呼ばれる所以なんですよ。沙良太の感じた通
り、この世界を構成する全ては、プリンに名前や属性を付けたよう
ぜいじゃく
なものと言えますね。神力を認識することは世界の本質に触れるこ
と。脆弱、という感想は妥当ですよ﹄
﹃我々がプリン? プリンとは何だ?﹄
﹃知らないんですか? 甘くて黄色くて憎い奴、平安貴族も大好き
なあれです﹄
﹃よく分からぬが、貴族の好むものに例えられるのであれば、悪い
気はしないな﹄
がいしゅういっしょく
沙良太は階段を上る前にざっと周囲を警戒するが、魔界騎士であ
っても鎧袖一触となれば、もはや手を出す雑魚魔族はいない。
もう少しで魔王の玉座だが、階上からは断続的に爆発音のような
ものが聞こえて来る。
オレ
そして感じる懐かしい気配。
﹁⋮⋮来ているんだな、琶知が﹂
自然と沙良太の口元に笑いが浮かんだ。
﹃あれ、何か言いましたか沙良太?﹄
﹁いんや。それよりあの魔王とかいうのが神力に目覚めた、っての
は確かなんだろうな?﹂
﹃はい。あの個体だけは、これまでの騎士カッコワライとは文字通
り次元が違うと考えて下さい。どちらかと言えばカレー水着女との
戦いみたいな感じになりますので、正直私の端末が無いと厳しいと
思います。フォーク女から奪った分の神力では物足りないですし、
隙を突ければいいんですけれども﹄
﹃それほど魔王様は強いのか⋮⋮﹄
﹃強いどころか、貴方たちとは文字通り次元の違う存在に進化しつ
298
つありますね﹄
フフッ流石は魔王様だな、と牢屋に放り込まれたにも関わらず得
意げなクッコロ。
﹁ところでクッコロ、お前は何で魔王がフィリカを連れて行ったか
分かるか?﹂
﹃私も魔王様があの人間にこだわる理由は分からん。だが⋮⋮﹄
あだな
﹃もったいつけないで下さいマゾ影﹄
﹃妙な仇名を付けるな!! コホン⋮⋮私が聞いた話では魔王様に
は幼い頃人間の友人がいたのだが、その名がフィリカというらしい﹄
沙良太は軽い衝撃を受けたような気分になった。
﹃そして魔王様が父である前魔王を倒して即位した理由こそ、父の
謀略により人間の友人が殺されたためだという。だからこそ魔王様
はあらゆる謀略を憎み、人間ともあくまで正々堂々正面対決で決着
をつけることを望んでおられるのだ﹄
﹃沙良太、気にしてはいけません。どのみち私たちがいなければ、
フィリカちゃんは暗殺者の手にかかっていたのですから﹄
﹁ああ⋮⋮﹂
賽銭箱女神の言わんとすることは沙良太にも分かった。
気まぐれではあったが、あの時の選択は間違っていないと思う。
けれども前魔王の謀略をフィリカの国ごと焼き払ったのが自分た
あふ
ちであり、全てを失くした彼女を連れて帰ることを願ったのも自分。
その責任を今果たせと、運命は要求している。
と、一際大きな爆発音が上がり、上の階から強い光が溢れた。
﹁行くぞ!!﹂
迷いを叫びと共に吐き捨てると、沙良太は一気に階段を駆け上が
った。
299
邂逅と少年少女
﹁わぷっ!!﹂
最上階に出た瞬間、まともに吹き付けてきた赤い大気の風に沙良
太の息が詰まる。
そこには壁も天井も無い、岩の舞台が広がっていた。所々に見え
るのは土の層の断面と、そこに根を下ろすまばらな緑の草木。
魔王の玉座という名の空中庭園は、無惨に破壊されていた。
﹁そろそろ仕舞いにするかのぅ﹂
散った花びらを踏みつけて立つ青白い肌と真っ赤なウェーブヘア
が印象的な、漆黒のマントを羽織った魔王少女。彼女のすぐそばに
たいじ
女神のタブレットを持った巫女服姿のフィリカ。
そして魔王と対峙するのは⋮⋮
﹁琶知っ!!﹂
﹁お兄ちゃんっ!!﹂
家を出た時の寝間着のまま、抜き払った宝剣と鞘を携えた、口う
るさい沙良太の妹。
﹁ほぅ、主ら兄妹であったか。ならば︱︱︱﹂
あぎと
魔王少女が両手を前に突き出すと、その手は見る間に巨大な龍の
顔に変じた。その二つの咢から強く危険な輝きが放たれる。
ドラゴニック・ヒートロア
﹁仲良く順番に消し飛ばしてやろうぞ!!﹂
︱−︱︱﹃火龍焦咆哮﹄
コァッ!!
純白の超高熱線が掌中の龍から放たれ、直線状の全てを焼き尽く
さんと殺到する。
さっ、と琶知は跳躍して空中に逃れるが、止まることの無い帯状
の熱線がそれを追いかける。
避けられない!!
300
とっさ
さや
そう判断した琶知は、咄嗟に左手の金色の鞘を熱線に向かって突
き出した。鞘に纏った山吹色の琶知の神力が熱線とぶつかり、激し
いスパークと烈風を巻き起こす。
さやばしり
そ
﹁くぅっ︱︱︱︱やぁっ!!﹂
﹃災厄奔離﹄
無理矢理ベクトルを逸らされた光の帯は明後日の方向に飛んでい
き、雲を貫いて空に消えて行った。
﹁これも利かぬか﹂
そう言いながらも驚いた様子も無い魔王少女。
﹁だが神妙の力を持つ幼き人間よ、お主もそろそろ限界が近いよう
じゃの﹂
確かに琶知の持つ鞘は先ほどのダメージが大きかったのか、まる
で古切れがほつれるようにして形が崩れ始めている。
粉々になった壁の上に降り立った琶知は、その拍子に片足をついて
よろめいた。
﹃どうしやがった妹、押されるなんてお前ららしくねぇぞ!! 根
性見せろ!!﹄
﹃ちょっとコン、他人事だからってそんな⋮⋮﹄
うな
﹁−︱︱外野、五月蠅い﹂
にら
低い声で琶知が唸る。そしてきっ、と自分より少し背の高いだけ
の小柄な魔王少女を睨みつけた。
彼女にとって誤算だったのは、魔王が神力に覚醒したことを知らな
かったことだった。例え最も強い魔王であっても、神力の前には﹃
魔王﹄と名前の書かれたプリン。スプーン一つで捻り潰せる⋮⋮そ
のはずだったのに、ここに来て琶知の神力、正確には金剛杵女神と
オレ
真新から奪った分の力が、魔王相手に枯渇しかけていた。
﹁分かっただろう、琶知!!﹂
琶知が煮詰まりかけた時、沙良太が声をかけた。
瞬間、沙良太と琶知の距離は零になる。
思考が、感情が、情報が全く同時に共有される。
301
わたし
﹁分かった、お兄ちゃん!!﹂
302
キャット︵猛獣︶ファイトと少年
﹁ふむ、まだ何かする気かの﹂
魔王少女の疑問に答えず、琶知はボロボロになった鞘をポン、と
投げた。
鞘は一旦それを構成していた繊維に戻り、空中で新しい形を編み
どっこしょ
上げる。
﹃独鈷杵!?﹄
現れたのは金剛杵女神の本体である金剛杵と同じ、古代インドの
武器を元にした仏教の法具だった。
それが三つ、琶知を守るように宙を漂っている。
﹃凄い⋮⋮琶知ちゃん、コンの力を使いこなして⋮⋮﹄
﹃違ぇぜ真新、あれは苦肉の策だ。奪った力を変換するのも惜しい
ってだけで、妹の奴、相当追い込まれてっぞ!!﹄
自分の中で騒ぐ二人を尻目に、琶知は宝剣をちきり、と両手で正
眼に構えた。
鞘と同じく宝剣も形を保つのが難しくなっているのか、光の粒子
を放ちながら、少しずつ溶ける様にして刀身が短くなっていく。
﹁それで、どうする人間の娘?﹂
剣に対抗してか、魔王少女の10本の爪が黒曜石のサーベルのよ
うに伸びた。しゃきしゃきと爪のすれ合う音が挑発するように不気
味に響く。
﹁⋮⋮あなたを、殺します﹂
相対する二人の少女の唇が、同時ににぃっと歪んだ。
琶知が踏み込む。弾丸となって飛び出した小さな身体は、一瞬で
魔王少女の懐に潜り込む。
そのまま宝剣の切っ先が、心臓の位置に音も無く突き立てられる。
﹁勝った、と思うたか?﹂
303
背後からの声と共に、魔王の体は液体になってどろりと崩れ落ち
た。琶知の頭に鋭い爪が振り下ろされる。
﹁ぬっ!?﹂
爪が動かない。掌とマントに刺さった独鈷杵が腕を縫い留めてい
はつ
る。
﹁發ッ!!﹂
短い号令で独鈷杵が爆発した。散弾となった破片が電光と一緒に
撒き散らされる。
一本目と二本目が爪を打ち砕いたところで、眼球を狙って三本目
こしゃく
が襲う。
そ
﹁小癪なっ!!﹂
ひじう
顔を逸らした、その一瞬の隙。
﹁そこっ、肝臓!!﹂
振り向きざまに琶知の肘打ちが右脇腹に叩き込まれた。たまらず
魔王がバックステップで距離を取ると、背中に悪魔のような羽を生
やして飛び立とうとする。
すぐには追わず、琶知は短くなりつつある宝剣を地面に突き立て
る。
﹁やぁああっ!!﹂
されき
逆風に剣を振り抜き、まるでスコップで掘った土を放り投げるよ
うにして土砂と砂礫を巻き込みながら、思いっきり剣風を叩きつけ
た。
ほ
小石で魔王の翼には無数の穴が開き、飛行を続けられず体勢を崩
す。
﹁カァッ!!﹂
れきだん
壁に激突しそうになったところで魔王が吠えた。高圧で吐き出さ
れた大量の空気が、暴風となって残りの轢弾を全て吹き飛ばす。
その中、激しい風をものともせず突き進む物体が一つ。
琶知の手から放たれた最後の独鈷杵が再び魔王を狙い飛来する。
すると魔王は真紅の長髪を伸ばし、独鈷杵を絡め取る。触手のよう
304
に自在に動く髪に掴まれた独鈷杵はバラバラに砕ける。
﹁今だ影女!!﹂
﹁心得たぞっ!!﹂
沙良太の影がするりと不自然に動き、床を伝ってするするフィリ
カの足元まで伸びると落とし穴のように広がった。
﹁きゃっ!?﹂
穴の中に姿を消すフィリカ。
﹁何をする貴様らぐっ!!﹂
無理矢理引き離されたことを察した魔王が、フィリカの元に戻ろ
うとする。だが間髪入れずに琶知が半分以下の長さになった宝剣の
ほど
残りを投げつけた。
がれき
ぬ
宝剣は途中から解けて繊維となり刺し網のように魔王に絡みつい
て、その体を巨大な瓦礫に縫い付ける。
﹁−−−がぁぁっっ!!﹂
網から激しいスパークが走り、魔王少女の全身を電熱で灼いた。
あたりに肉の焦げる匂いとオゾン臭が立ち込める。
それを見届けると琶知は沙良太の隣にすたっと降り立つ。
オレ
ぐらり、と少女の体が傾いた。
﹁おっと⋮⋮でも上出来だ、琶知﹂
わたし
肩を受け止めた沙良太は、琶知をゆっくりと地面に座らせた。
﹁うん、頑張った。でももう限界⋮⋮後はよろしく⋮⋮お兄ちゃん
⋮⋮﹂
305
少女の決意と少年
シャドウハイド
﹁フィリカちゃん無事でしたかっ!!﹂
﹃影隠﹄の闇の亜空間から飛び出した巫女服姿の二人は抱き合っ
て再会を喜び合う。
﹁あの、ちょっと痛いです女神さま⋮⋮﹂
﹁痛いくらいでいいんですよ!! 痛いのは生きてる証です!!﹂
自分より小柄な賽銭箱女神の頭を、少し苦笑いで見下ろすフィリ
カ。
﹁いいけど後にしろ!! と、早速で悪いけどフィリカ。さっき魔
王娘ちゃんに取られたタブレットを持ってたみたいだけど?﹂
﹁は、はい、こちらに﹂
たもと
んぎぎっ、と抵抗する女神を沙良太が無理矢理引き離すと、フィ
リカは袂からタブレット型端末を取り出して女神に渡す。
電源を入れると端末は問題無く動き、福沢諭吉の肖像画を並べた
悪趣味なトップ画面が表示された。
﹁壊れていません!! 電池も残っていますし、大丈夫みたいです
!!﹂
動作を確認した賽銭箱女神は嬉しそうに振り返る。
﹁帰還ゲートを開けば、こんな面倒くさい世界とは永遠におさらば
ですよ!! ぷっぷくぷ∼のぱ∼です!! 後は世紀末伝説でもマ
ッドなマックスでも、皆さんお好きにやってて下さい!!﹂
ぴこっとな!! と、帰還術式を選択して起動。
すぐさま女神を中心に半径5m程度の光の円陣が広がった。
さら
﹁そういや影女はどうするんだ? このままだと俺たちと一緒に戻
ることになるけど﹂
﹁大丈夫だ、問題無い!!﹂
影の中から姿を現した黒褐色の肌をあられもなく晒した女性は、
306
腰に手を当てその豊満な胸を突き出すようにして沙良太の目の前に
立った。
﹁我々の種族は影さえあれば、その中に隠れて生きてゆけるからな。
風呂場の排水溝でも便所の汚物入れでも、どこか適当な闇を提供し
てくれれば構わん﹂
﹁⋮⋮風呂とトイレだけは絶対に許さん﹂
﹁ふふっ、照れているな。意外とお前も可愛い奴だぼぎょっ!!﹂
脳天に容赦ない空手チョップが叩きこまれると、奇声を発したク
ッコロは倒れ込むようにして今度は琶知の影に沈んでいった。
﹁あ、ベロは⋮⋮﹂
か細い琶知の声が、獣人たちと一緒に残してきた飼い犬のことを
案じる。
﹁あの犬も来てるんですか!! 仕方ありません。少し値は張りま
すが、そちらにも遠隔帰還ゲートを飛ばしておきましょう﹂
首輪が付いてるから追跡も簡単ですしね、ほぃやっ!!と、帰還術
式を待機させながらタブレットを操作する。
﹁これで本当にお終いです。とりあえず帰ったら布団にばたんきゅ
∼確定ですねって、あれれ? フィリカちゃん、大団円なのに何か
浮かない顔してますね?﹂
ほらほら、これが劇場版ならカメラがズームアウトして空に﹃沙
良太の魔界大冒険 おわり﹄みたいなキャプションが出てくるとこ
ろですよ⋮⋮と茶化しながら賽銭箱女神はフィリカの顔を覗き込ん
だ。
だが先ほどとは打って変わって深刻そうな彼女の顔に、女神の声
のトーンはだんだん小さくなる。
﹁女神さま、自分勝手で申し訳ありません﹂
﹁え⋮⋮どうして今謝るんですか?﹂
しかし問いかけには答えず、頭を下げたフィリカは輝く帰還術式
の円の外に出た。
そしてこれまでにない、優しげな視線を呆気にとられている女神
307
に向ける。
﹁私は皆さんと一緒には帰れません﹂
﹁フィリカ⋮⋮ちゃん?﹂
﹁私は、この世界に残ります﹂
308
マクロとミクロな理由と少女
ろうばい
そで
﹁ななな、な、な、な、ななな何を言ってるんですかっ?!﹂
狼狽した賽銭箱女神がフィリカの巫女服の袖を掴んだ。
﹁時給が安かったですか? 寝床が寒かったですか? 服が中古だ
ったからですか?﹂
﹁いいえ、そうではありません﹂
﹁じゃあ何で今になって、こんな戦いと陰謀しかない不毛な世界に
残る、なんて言うんですか? 自分が生まれた場所だからですか?
それとも⋮⋮それともやっぱり、私のことが嫌いになったんです
か?﹂
段々光が強くなっていく帰還魔方陣の上で、泣きそうになりなが
ら必死でフィリカを止めようとする。
しかし桃色の髪をした少女は首を横に振ると、ゆっくりと女神の
手を引き剥がした。
﹁違うんです。私は⋮⋮﹂
すっと壁に拘束されたまま身動きしない魔王少女の方を見る。
﹁私は、私の友達のため、彼女のためここに残ろうと思います﹂
﹁⋮⋮このままだとこの世界は、新たな管理神となった魔王女に支
配されることになる。そうなったら俺たちも行き来できなくなる。
フィリカともここで永遠にお別れだ﹂
﹁沙良太さんも、助けていただいたのにこんなことになってしまっ
て、本当に申し訳ありません﹂
か
かたき
面と向かって礼を言われた沙良太は、少し照れたのか頭をかりか
りと掻いた。
みれん
﹁皆さんが私の仇を討ってくれたあの日、私には何も残っていませ
んでした﹂
だから自分の世界を捨てて、別の世界に行くことに未練は無かっ
309
たのだろう。
﹁でも、こんな私のことをずっと覚えてくれていた人が、友達がい
たんです。その子を残して私だけが、安全な場所に逃げ出すわけに
はまいりません﹂
﹁相手が人間と敵対する魔族の王でもか﹂
﹁はい﹂
﹁⋮⋮地獄だぞ﹂
﹁でも、一人じゃありませんから﹂
フィリカが過去の記憶を取り戻したことを沙良太たちは知らない。
それでも彼女の決意が固いことは伝わって来た。
﹁何とかして下さい沙良太!! 皆で一緒に帰れなければ、全然ハ
ッピーじゃ無いですよ!!﹂
﹁むむむ⋮⋮﹂
﹁難しい顔して何がむむむですか!! 私たちの世界から加護が無
かっぽ
くなったらフィリカちゃん、この世界の一般人に戻ってしまいます
!! こんなリアル魔族の闊歩する中世暗黒時代に放り出したら、
いつ死んでしまってもおかしくありませんよ!!﹂
帰還術式を止めた賽銭箱女神が沙良太にすがりつく。実際に最初
出会った時フィリカは人間に殺されかけていた。
ちらっとフィリカの方を見る。いつもは柔和な彼女の表情は、今
は未来を信じる強い意志に満ち溢れていた。
ちょっとやそっとでは折れそうにない。
しかもそれを折ることは、彼女を折ることと同義だ。
フィリカとの付き合いは、期間にすればそれほど長いわけでは無い。
けれどもフィリカを連れ出したのは自分だし、それによって彼女の
運命を狂わせてしまったことに沙良太は責任を感じてもいた。
行って欲しくないという気持ちは、賽銭箱女神と同じ。
だから聞かずにはいられなかった。
﹁最後に一つだけ教えて欲しい。フィリカは人間と魔族の和解とか
共存とか、そういったもののために残るつもりなのか?﹂
310
静かにフィリカの反応を待つ。
じゅんきょうしゃ
ここで﹃そうだ﹄と言われたらどうしようもない。いくら地獄が
待っていると注意しても、破滅に向かう殉教者の歩みを止めること
は出来ないのだから。
⋮⋮どうだ?
沙良太と賽銭箱女神が緊張した面持ちで見守る中、フィリカは問
いかけについてしばらく考えるような素振りをしていた。
が、
﹁和解? 共存? あの⋮⋮それは一体何のことでしょうか?﹂
意味が分からないらしく、きょとんとした顔で答えるフィリカ。
よっし、と沙良太は心の中でガッツポーズを取った。
﹁だったら︱︱︱﹂
まだ薄紫色のスパークを発する拘束繊維を引き千切りながら、脱
出へと動き始めた魔王少女の方を見る。
はなしあい
﹁意外と話し合いで何とかなるかもな﹂
結局﹃話死合﹄になるだろうけど、と付け足しながら。
311
ボス戦前セーブポイントと少年少女
沙良太は動きにくい冬用コートを脱ぎ、帰還魔方陣の上に横たわ
る琶知の上に被せかける。長袖シャツの腕をまくり、屈伸、伸展、
背筋、腕回しと準備運動をしていく。
﹁ところでフィリカはあの魔王女に何を願う?﹂
﹁お願い? 私がヴェリタにですか?﹂
﹁ああ、ヴェリタって名前なんだ。そうそう、そのヴェリタがどう
なることをフィリカは願っているのか、知っておきたい﹂
﹁どうなるか⋮⋮﹂
﹁例えば健康でいて欲しい、無事でいて欲しい、仕事や学業が上手
くいってほしい⋮⋮あとは幸せになってほしい、とか﹂
﹁幸せになってほしいです!! 不幸には、なってほしくありませ
ん⋮⋮﹂
﹁じゃあ逆に、だ。ヴェリタはフィリカにどうなってほしいと思う
? 自分がこれから修羅道に叩き込もうとしている世界に、大事な
友達に残っていてほしいと思うか? 不幸になることが分かってい
るのに﹂
﹁でも、だからといって私だけが逃げるわけにはいけません!!﹂
それを聞いた沙良太は我が意を得たり、といった顔で運動を終え
ると、賽銭箱女神の方に向き直った。
﹁というわけで、いつもみたいにサポート頼む﹂
﹁毎度唐突ですねぇ﹂
﹁毎度お互い様だ。頼む、サイ﹂
にかっ、と笑った沙良太と目を赤くした賽銭箱女神は、しばらく
見つめ合う。
根負けした女神は思いっきり深いため息を吐き出した。
﹁ここで名前で呼びますか⋮⋮卑怯ですよ、それ﹂
312
ほころ
いっぴん
ああもう仕方ありません!! と、どこか嬉しそうに口元を綻ばせ
ながら、サイは手早く端末を操作し始める。
﹁性能は良くても、高かったのでブックマークだけしていた逸品た
けたちが
ち。フィリカちゃんのためにも、ここは大盤振る舞いです。ていや
っ!!﹂
ぽちり、と購入ボタンがタッチされると、これまでとは桁違いに
輝く虹色の光が沙良太に降り注ぐ。
中から現れたのは、一振りの抜き身の大太刀。肉厚の鋭い刃と鈍色
の素朴な板目肌が﹃武器﹄であることを、これでもかと強調してい
る。
そして八つの色違いの勾玉を連ねたブレスレット。
﹁幽界で伝説の刀工藤原清国が打ち上げた無銘太刀﹃真・同田貫﹄。
ごちゃごちゃした付加価値より切れ味と耐久性を限界まで追求した、
沙良太好みの超剛剣です!! そして源氏に伝わる鎧の加護を込め
た﹃八領玉﹄。身に付ければ自動的に八つの物理耐性、八つの属性
耐性、八つの異常耐性を発揮します!! 今なら八犬士直筆、仁義
八行のサイン入り!!﹂
盛り上がっている二人をよそに、展開についていけないフィリカ
はおどおどと困惑するばかり。
﹁あの⋮⋮沙良太さん、女神様も何を?﹂
﹁あれあれあれれ、分かりにくかったですかフィリカちゃん? こ
の世界ですとフィリカちゃんたちは、一緒に居られても一緒に幸せ
になるのは難しいんです。何しろ顔を合わせれば殺し合い上等の人
間と魔族ですから﹂
﹁だからさっき﹃人間と魔族の和解を目指す﹄とか言われたら、ど
うしようもなかったんだ。でも二人がお互いの幸せだけを願うので
あれば、解決方法はある意味簡単だ﹂
いまし
バンッ︱︱︱!!
魔王ヴェリタの戒めが弾け飛んだ。焼けた体は驚異的な治癒力で
再生しており、見た感じ琶知の与えたダメージは全く残っていない。
313
きっさき
沙良太は高めの位置、平青眼に構えた武骨な大太刀をちきり、と
鳴らし、その鋩に少女の姿を捉える。
﹁あいつにもフィリカと同じ気持ちがあるのなら、こちらの言葉も
気持ちもいつか届くはず。ただそれを届けるためには⋮⋮﹂
﹁事ここに至っては実力行使あるのみ、です!! あいつが話を聞
はんすう
く気になるまで、ぎったんぎったんにのして差し上げましょう!!﹂
﹁はい!!﹂
元気よく答えたフィリカだったが、女神の言葉の意味を反芻して
その言わんとするところに気付く。
﹁−−−︱︱えええええええっっっ!!!﹂
314
あとは野獣先輩とかと少年
のう
﹁⋮⋮人間が!! よくもやってくれた喃!!﹂
ズシンッ!!
拘束から脱出し、異様に質量を増大させた魔王少女の両足が石の
床に触れると、王城全体が地震でも起きたかのようにぐらぐらと揺
れ動く。
﹁砕け散るがよいっ!!﹂
たわ
無造作に振り上げられた右腕が、ぶぅんと音を立てて足元を叩く。
衝撃を吸収した床は一瞬撓む。そして水面に浮かんだ泡のように
がれき
膨れ上がったかと思うと、次の瞬間破裂し、先ほどの琶知のものと
は比べ物にならないくらい巨大な瓦礫を暴風と共に沙良太らの方へ
叩きつけた。
おう
﹁きっ来ましたよ沙良太っ!!﹂
まく
﹁応!! 早速使わせてもらうぞ!!﹂
捲り上げた沙良太のシャツの袖がするすると解けて繊維に変わる
と、自在に動くそれは結び重なり合い、瞬く間に全員を覆う巨大な
天幕を織り上げる。勾玉のブレスレットを握りしめると、注ぎ込ま
れた神力に反応して連ねられた八色の霊玉が輝きを増した。沙良太
はちもんとうこん
の手から繋がる糸を伝って、霊玉の力が天幕に投射された。
きんこう
はっけ
描き出されたのは八角形の東洋式魔方陣︱︱︱八門遁甲陣。
霊玉のシステムに組み込まれた世界の均衡を表す八卦の印が、天
すご
幕に触れた瞬間、瓦礫も暴風も何もかもを無力化していく。
﹁沙良太さん、凄い︱︱﹂
八色に輝く布に覆われた自分たち以外の全てが吹き飛ぶさまを眺
めながら、フィリカが声を漏らす。
﹁高いだけあって国産品は信頼性が違いますね!! 流石はメイド
インジャパン!! にしても沙良太、いつの間にどこでそんな妙な
315
力の使い方を覚えたんですか?﹂
﹁さあ? できて当たり前だからできる、みたいな感覚だぞ﹂
﹁まぁ妹ちゃんも使っていましたし、今さら細かいことは気にしま
せん!! それに私の神界アイテムにこの能力が加われば無敵です
よ!!﹂
﹁いや、こいつには致命的な欠陥が⋮⋮﹂
やがて岩を巻き込んだ嵐が収まってきた。
それに合わせて光を失った天幕はバラバラに解け、ただの糸くずと
なって地面に落ちる。
﹁調子に乗って使いすぎると、服が無くなってすぐ裸になる﹂
そう言って自分の腕を見せつけると、さっきまで長袖だったシャ
ツが半袖になっていた。
とうてき
﹁んな誰得代償、公衆便所のウホッないい男くらいしか喜びません
よほぉぉっっ!!﹂
今度は隙を狙って投擲された一際大きな岩が、土煙の煙幕の中か
フッ
どうたぬき
ら沙良太たちの眼前に迫る。
﹁祓!!﹂
すぐさま抜き身の﹃真・同田貫﹄を上段に構え直した沙良太は、
一歩踏み込んで力いっぱい剛剣を振り下ろした。
音も無く刃は空を走り、岩は鏡面のような切断面を晒して真っ二
つになる。
それが地面に落ちるのを待たして、沙良太は岩が飛んできた方向
に一直線に飛び出した。
︱︱︱ギィンッ!!
金属同士がぶつかり合い、派手に火花が散った。
316
魔王少女と少年
﹁よくぞ我が刃を受けた、人間!!﹂
﹁そっちこそな!!﹂
どうたぬき
真正面から激突した沙良太と魔王少女。﹃真・同田貫﹄の肉厚の
刃先は、少女の持った黒い槍のようなものに喰い込むようにして止
まっていた。
二人の顔が近付く。
む
ヴェリタの燃えるような真紅の瞳と、沙良太の漆黒の瞳が互いの
深淵を覗き込む。
つばぜ
﹁⋮⋮まさか自分から牙を剥いて来るとは思わなんだわ﹂
ギリギリと鍔迫り合いをしながら沙良太はふと、こちらに向けられ
た少女の瞳が万華鏡のように、色と形をくるくる変えていることに
気が付いた。
それだけではない。
声には妙に誘うような響きが交じり、呼吸は微かに甘ったるい香り
を漂わせている。そして少女と近い手の表面には、ぴりぴりした違
テラーオーラ
和感。
チャームヴォイス
﹃恐慌闘気﹄
パラライズタッチ
﹃魅了声﹄
ポイズンブレス
﹃麻痺触﹄
ペトロサイト
﹃呪毒吐息﹄
イーヴルアイ
﹃石化眼﹄
﹃死眼﹄
力比べだけではない。既に見えないところで沙良太には、魔王の
持つ様々な異能が襲い掛かっていた。
しかしそれらの全ては、沙良太の持つ神界アイテム﹃八領玉﹄に
よって片っ端から無効化されていく。
317
つきかず
ひかず
げんたうぶぎ
はちりょう
さわだか
うす
源氏八領−−−それは鎌倉幕府を作った源氏一門に伝わる霊力を
がね
たてなし
ひざまる
ほとん
秘めた鎧で、﹃月数﹄﹃日数﹄﹃源太産衣﹄﹃八龍﹄﹃沢瀉﹄﹃薄
金﹄﹃楯無﹄﹃膝丸﹄の八つ。歴史の中でその殆どが失われ、現存
こめ
する鎧は﹃盾無﹄のみとされている。
一つ一つに異なった加護が籠められているのだが、その真髄が発
よろ
揮されるのは八つが揃った時だ。﹃八﹄は無限であり、﹃八つの鎧﹄
は﹃全てから身を鎧う﹄。どれほど手を品を変えてみても、状態異
常耐性など通用しない。
﹁⋮⋮やはり小細工は効かぬか﹂
しゅうげき
﹁そりゃどうも!! 色々コソコソやってるみたいだけど、残念だ
ったな!!﹂
刃の向きを変えて無理矢理太刀を引き抜き、離れざまに蹴撃を繰
り出す。
﹁ああ、それでも一応礼だけは言っておくぞ。さっきは相談中ずっ
と待っててくれてありがとな!! あの程度でくたばるタマじゃな
いだろーに!!﹂
﹁気付いておったか。抜け目の無い奴じゃ!!﹂
沙良太を蹴り返し、空中で二人の足が激突。その反動を使ってお
互い距離を取る。
とっ、と瓦礫の上に軽やかに沙良太が舞い降りるのと対照的に、
魔王少女はクレーン車が解体用鉄球でも落っことした時のように地
響きを立てて床に立った。
﹁つ∼か、お前フィリカの幼馴染なんだろ。何で攻撃にフィリカを
かな
巻き込もうとしたっ!?﹂
おど
﹁危機が及ぶと、敵わぬと肌身で感じればおとなしく尻尾を巻いて
逃げ帰るかと思ったんじゃがの!!﹂
こわ
﹁気が合うな!! んじゃあ次は俺の方から脅してやるから、しっ
かり怖がれっ!!﹂
大声で宣言すると沙良太は太刀を右手だけに持ち替え、突きを狙
うような構えに入った。
318
柄を握る手に力を込めると、そこから流し込まれた神力の山吹色
ほし
カガツチ
の光が刀身に宿り、どんどん危険な輝きを増してゆく。
﹁︱︱︱凶星よ、炫津霊となれ!!﹂
319
どうたぬき
この程度で終わるはずがない話と少年
あふ
きっさき
突き出された沙良太の持つ﹃同田貫﹄の鋩から、膨大な光が一直
線に魔王少女に向かって溢れ出した。
ほんりゅう
空を、そして魔界の赤茶けた大地をも余裕で貫く超高熱の極太レー
ザービーム。
しの
光速で撃ちつけられたその輝きの奔流を、避けられる生物など存在
するはずが無い。
たまらず腕を交差して少女は身を守った。表皮を硬化して凌ごう
と試みるが、その青白い肌が炎を上げて燃え始める。
硬化だけでは耐えられないと判断。少女はさらに、身体を石へと変
じた。
﹁ぐぬっ!?﹂
しかし既に光線の撒き散らす余熱だけで大地が溶け始めているの
あぶ
ろうざいく
とろ
ざんし
に、その程度で防げるわけがない。光の中で少女の形をした石は、
まるで火に炙られる蝋細工のようにとろとろと蕩け出す。その残滓
ちかく
も圧倒的な光子の圧力によって押し流され、地面に叩きつけられる。
︱︱ボンッ!!
光線が突き刺さり、沸騰した地殻の鉱物がガス化。逃げ場を求め
て水蒸気爆発が始まった。大地が割れ、周囲に絶っていた魔族の石
城が傾いてゆく。
﹁ふぅ⋮⋮﹂
にびいろ
城から逃げ出してゆく住民たちの姿を認めた沙良太は構えを解い
た。武骨な太刀から放たれていた光は急速に薄れ、刀身は元の鈍色
を取り戻す。
衝撃波によって生まれた熱の籠った風が吹き抜ける。
﹁やりましたか、沙良太?!﹂
﹁言いやがったな、こんのバカ﹂
320
はしゃぐあまりにフラグ臭がビンビンな台詞を口にしてしまい、
それに気付いて慌てて自分の口を押える賽銭箱女神。
しかし少し遅かったようだ。
一際大きな爆発が地中で起きたかと思うと、これまでにない大量
の瓦礫が土砂と共に天空に舞い上がり、真紅の魔界の太陽は土煙の
中に姿を隠す。
それと同時に大地の割れ目から漆黒のオーラのようなものが勢い
よく吹き出した。
﹁おおおおお落ち着いて下さい皆さん!! まままままだ慌てる時
間でわわわわわっ!!﹂
﹁めめめめめ女神様こそ落ち着いて下さいいいいいっ!!﹂
慌てる巫女服姿の二人を尻目に、沙良太は砕けた魔王上の屋上か
や
ら揺れる地面を見下ろしていた。目の前の光景はまるで、噴火直前
ホント
の火山で地下をマグマが暴れまわっているかのようだった。
﹁早く出て来い、ウォーミングアップは終わりだ。本気の本当で闘
り合わなきゃ、本気なんて通じないからな﹂
ぼそり、と呟く。
その声に応えたわけではないだろうが、一瞬大地の揺れが止まっ
た。しかしその下で、これまでにない規模の神力が膨れ上がるのを
沙良太は肌で感じ取っていた。
﹁あれれ、随分あっさり収まりましたね。予定ではここから﹃爆発
まであと5分!!﹄とか言いながら9週間くらい引っ張る流れじゃ
なかったんですか?﹂
女神が軽口を叩いたその瞬間、地面から直径数百mはあろうと思
われる漆黒の光の柱が立ち上がり、天空を貫いた。
321
舞い降りた邪神と少年
プレッシャー
﹁がぁっ︱︱︱!? 何だこの存在感は︱︱︱立っていられん︱︱
︱﹂
こうべ
突如魔界の中心に出現した漆黒の柱を目の当たりにしたクッコロ
は、がくり、と膝をつき頭を垂れる。
くも
いや、彼女だけでは無い。
うずくま
ひざま
それまで蜘蛛の子を散らすようにしてバラバラに逃げ惑っていた
魔族たちも皆一様に動きを止め、その場に蹲っている。まるで跪き
闇の柱に向かって礼拝を捧げているかのように。
﹁ヴェリタは、あの子はどうなったんですかっ?!﹂
﹁薄々想像はしていましたが⋮⋮この禍々︵まがまが︶しくも神々
︵こうごう︶しい輝き、ぶっちゃけ想像以上ですよ﹂
﹁女神様っ?!﹂
﹁﹃偽神化﹄だ。いや、これはもう本格的な﹃神化﹄レベル⋮⋮﹂
賽銭箱女神の代わりに、沙良太が静かに答えた。
﹁この世界に渦巻く様々な感情、流された血と涙、奪われたもの、
こどく
失われたもの、全てを自らの器に注ぎ込んでの、な﹂
えんさ
﹁⋮⋮おそらく人間と魔族の戦いの歴史と犠牲を﹃蠱毒﹄の術式に
見立て、その怨嗟の頂点に立つことで神霊に至ったのでしょう⋮⋮
にしたって未熟世界で生れた新人の癖に、神力の質と量が半端じゃ
こどく
ふこ
ないですよ沙良太!!﹂
﹃蠱毒﹄、﹃巫蠱﹄とも呼ばれるそれは、無数の毒虫を密閉空間
で互いに喰い合わせ、最後に残った者に神性が宿ることを利用した
古い呪術だ。人も魔族も、この世界の知的生物は苦痛と、あるいは
恐怖と共に﹃魔王﹄の名を呼ぶ。怨念収集装置としての機能した﹃
魔王﹄の称号は、それを持った少女を神の座にまで押し上げ、現在
進行形で活動エネルギーたる神力が注がれ続けている。
322
﹁蠱毒⋮⋮本当にそれだけなのか?﹂
﹁分かりませんよ!! 元々の素質はあったんでしょうけど、正直
あれは異常です!!﹂
闇の柱が開いた。
かっちゅう
よろ
縦に真っ直ぐの亀裂が入ったかと思うと、それは観音開きの扉のよ
うに口を開けた。
中に一人の少女の姿が浮かび上がる。
がいこつ
蒼白の肌に雪のように白いドレスを纏った少女。
かせ
だがその両の手足は、骸骨を思わせる不気味な黒い甲冑で鎧われ
ていた。細い身体に対して異様に大きなそれは、まるで枷か拷問具
にも見える。
管理する者のいなかった未熟世界。
欲望を丸出しにした人と魔族は憎しみ合い、殺し合う⋮⋮そんな
戦乱渦巻く世界で初めて生まれた神は、やはりその世界を体現した
ものだった。
﹁新米さんのお出ましですか﹂
もろ
自身に向けられる数多の視線を感じながら﹃魔王﹄︲︲︲﹃邪神﹄
ヴェリタは、踏みにじられるのを待つ新雪のような脆い世界を前に、
すなわ
神としての産声を発する。
乃ち
﹁︱︱︱︱︱滅びよ﹂
と。
323
世界の終わりと少年
闇の柱が崩れ落ちる。
モノリス
疑似的な質量を持ったそれは、まるで根元から折れた巨大な石版
のように、勢いよく逃げ惑う魔族たちの上に倒れ込む。
踏み潰される蟻の行列のように、無数の小さな人影が何の感慨も
せんりつ
無く機械的にぷちぷちと潰れていくさまを、賽銭箱女神たちは砕け
た魔王城の最上階から戦慄と共に眺めていた。
﹃ぐぎゃぁぁああああっっ!!﹄
﹃ひぶぇっ!!﹄
﹃ま、魔王様っ!?﹄
﹃どうして我らを︱︱︱﹄
阿鼻叫喚の渦が巻き起こり、眼下にはさながら地獄絵図が繰り広
げられている。誰も彼もが何故自分が死ななければならないのか、
その理由を考える暇も無く次々と降り注ぐ闇の柱の残骸に呑み込ま
れていった。
ろうばい
クッコロ
﹁何をしたっ!? お前、魔王様に一体何をしたのだっ!?﹂
さえぎ
みね
狼狽した影女が詰め寄るが、それを沙良太はつとと掌を突き出し
て遮る。
皆が戸惑う中、しかし彼だけは﹃真・同田貫﹄の分厚い鋼の峰で
ヴェリタ
とんとん、と自分の肩を叩きながら、どこか寂しげな眼差しで魔界
の空に浮かぶ邪神となった魔王少女を眺めていた。
﹁落ち着け。単に身を守ろうと反射的に神化したせいで、今まで隠
してたあいつの本音が出てきただけだ﹂
﹁本音だと?! 同胞たちを虫けらのように殺し、今まさに魔界を
滅ぼさんとするあれが、あんなものが魔王様の本心だとでも言うの
かっ!!﹂
324
﹁まぁ神化して種族・魔神になっちゃってますから、正確にはもう
同胞じゃないんですけどね﹂
にしても、誕生したての新人さんの割にえらいはっちゃけぶりで
あご
す、一体どれだけ溜め込んでたんでしょうね、と困ったふうに賽銭
箱女神は自分の顎を触る。
﹁沙良太さん⋮⋮ヴェリタの、あの子の本音って⋮⋮﹂
﹁﹃神化﹄は自分の内面が強制的に引っぱり出される。隠した情念、
忘れた記憶、綺麗なものも汚いものも、自分の中にある自分も知ら
ない自分まで全部、な﹂
しん
私たち器物神は元が単純なので、神化する時大して問題は起きな
いんですけど、と賽銭箱女神が付け加えた。
︲︲︲神化は危険を伴う。
えん
そう、沙良太や真新の行った﹃偽神化﹄は、ともすれば自分の深
淵から怪物を呼び覚ましてしまう可能性もある儀式だった。けれど、
例えどんな自分が現れたとしても、それも自分なのだと受け入れる
ことができるのなら、隠された自分を知ることは新たな力となるこ
ともある。
しかし、皆がそう強いわけではない。だからこそ本来の神化は、
修練で心身を鍛えた後に安定した状態で行う必要があった。
﹁あれが隠していた本心⋮⋮ヴェリタ⋮⋮﹂
﹁ったく。何があったか知らないけど、あいつどんだけこの世界が
嫌いなんだか﹂
325
阿鼻叫喚と少女
︵世界が嫌い?︶
はんすう
びょう
言葉の意味を図りかねたフィリカは、自分の中で沙良太の言葉を
反芻する。
クッコロ
﹁見ろ、崩れが止まった!!﹂
不意に影女が空を指差して叫んだ。
確かに邪神化した魔王少女を八角形に囲っていた廟のような黒い柱
は、背後の二本を残して崩壊を止めていた。這い出してきた瓦礫に
押し潰されることを免れた魔族たちも、次に何が起きるのかと不安
きょうい
そうに空を見上げている。
しかし脅威は空でなく、彼らの周囲からやって来た。
﹃ひぃぃぃっ!! 体が、体が呑まれる!?﹄
﹃だ、だずげっ︱︱︱﹄
地に落ちた闇の柱の残骸がどろりと水銀のような球状の液体にな
ると、そこからまるで意思でも持っているかのように無数の触手を
伸ばして、生き残った魔族たちを次々と襲い始めた。角が、尻尾が、
翼が生えた人影が黒い粘液に取り込まれると同時に形を失っていく。
生き残った魔族たちは必死で逃れようと、倒壊を免れた手近な巨
岩住居の中に飛び込むが、それをずるずると追いかけて粘液も住居
に入っていった。幾つも開いた岩山の窓からは一瞬ぱっと火の手が
上がったかと思うと、すぐさまでろりと大量の液体が漏れ出す。
﹁今度はスライムパニックですか!! これだけのネバネバ、さす
がの水戸市民もドン引きレベルですよ!!﹂
と、粘液の動きが止まった。哀れな犠牲者たちを十分にその身に
溶かしこんだ黒光りする表面に網目状の亀裂が走ったかと思うと、
粘液はガラスのように粉々に砕け散る。撒き散らされた黒い破片は
粒子となって空に上り、残った日本の闇の柱に吸い込まれていく。
326
お
﹁どうやらあれ、分離された捕食器官だったらしいですねぇ。どん
どん本体の神力が強くなってきています﹂
﹁変身したり分かれたり無駄に多芸な新米さんだな﹂
んみ
﹁⋮⋮魔王様は生まれながらにして全ての魔族の﹃要素﹄をその御
インペリアル
ゆえん
身に内包しておられる。姿も能力も変幻自在。それこそが最強の魔
ワンマンアーミー
族、貴皇種と呼ばれる所以なのだ﹂
﹁なんともはた迷惑な一人軍隊さんですね。魔軍とか魔界騎士とか
いなくても、もう全部彼女一人で十分じゃないでしょうか﹂
うと
﹁ああ、そうかもしれん。この光景が魔王様の内面というのであれ
ば、あの方にとって我々は必要でなかった。それどころか心底疎ま
れていた⋮⋮﹂
クッコロは力無くその場にくずおれる。
﹁何が騎士の誇りだっ!! これではまるで道化ではないか!! くそっ、くそっ︱︱︱くぅぅっっ!!﹂
涙の雫と共にこぼれ落ちた呪詛が虚しく木霊する。
そうしている間にも魔界のそこここから立ち昇る火災の黒煙は、一
つずつ黒い粒子の煙柱に入れ替わっていった。根元ではいったいど
れほどの命が現在進行形で失われているか、まるで見当もつかない。
﹁魔族だけではありません。あの子はそれ以上に人間も憎んでいま
す。だって私を殺そうとしたのは人間だったのですから﹂
﹁どういうことだ?﹂
慰めるようにフィリカはクッコロの肩に手を置くと、空に浮かぶ
白いドレスの少女を見上げた。
﹁私のせい⋮⋮いえ、私のためにヴェリタは、今日この世界を滅ぼ
そうとしているんですね﹂
327
流星と少女
﹁でしょうねぇ。ここら一帯の命を喰らい終わったら、次は人間の
領域も滅ぼしに行くでしょう。生きた人間と魔族がこの世界からき
れいさっぱり消えてしまうまで、走り出したからにはもう止まらな
いかと﹂
﹁なっ!?﹂
息を呑んだクッコロの背がわなわなと震えだす。
﹁そして戦争も対立も無くなって、最後には世界に永遠の平和が訪
れるわけです。むかーしとーびんびったりさんすけ﹂
﹁貴様、他人事のようにっ!!﹂
﹁失敬な。対岸どころか異世界の火事なんて、超がつくほど他人事
です。そもそも別に沙良太が突っつかなくても、あの様子じゃどう
せ近いうちに爆発してたでしょうからね、もっと大きな、もっと絶
望的な規模で﹂
そうそう元が魔王なので邪神と呼びましたが、考えてみると審判
神のような立ち位置ですねあれ、と賽銭箱女神が訂正する。
審判神︱︱︱それはキリスト教の﹃最後の審判﹄で降臨するヤハ
ウェや、アステカ神話で四つの世界を滅ぼした者たち、ヒンドゥー
教の審判者カルキなど、世界の終わりに現れ世界と文明を裁く存在。
おぞ
闘争と陰謀に明け暮れる魔族として生まれ、友人を失い人間の弱
さと悍ましさを目の当たりにした少女が裁権を握った瞬間、﹃人間
も魔族も滅べ﹄と判断するのは、当然の帰結だったのかもしれない。
﹁⋮⋮で、さっきまでとは少し状況が変わったわけだが、もう一度
確認しておくぞ﹂
刀を動かす手を止めた沙良太の視線が、真正面からフィリカの両
目を射抜いた。
﹁あれを見ても︱︱︱それでもまだ、あいつに救われて欲しいと思
328
うか?﹂
﹁はい﹂
即答。
ひょう、と二人の間を無言の風が吹き抜ける。
﹁あのぅ、いいんですかフィリカちゃん? 魔王っ娘ちゃんを止め
ることは、この世界を救うことと同じです。私が言うのもなんです
けど、世界滅亡を招いたのもあなたたち二人を引き裂いたのも、ぶ
っちゃけこの世界の構造自身なんですよ?﹂
おずおずと問いかける賽銭箱女神に、桃色髪をした少女は迷うこ
となく強く頷いた。
﹁この世界が問題だらけだと言うことは分かっています。それでも
⋮⋮それでも私があの子に出会えたのは⋮⋮女神さまと沙良太さん
に出会えたのは、この世界があったからなんです!!﹂
﹁フィリカ⋮⋮﹂
﹁私の気持ちは変わりません。独りでずっと苦しんできたあの子を
救えるのであれば、私は⋮⋮﹂
﹁あ∼もう、はいはいストップ!!﹂
突然賽銭箱女神が短い手をばたばた振って遮る。
﹁あの、女神様?﹂
﹂
﹁聞きましたか沙良太、これ以上の言葉が必要ですかっ!?﹂
﹁いんや十二分!!
ほど
たたん、と沙良太がその場で足踏みすると、履いていた学校指定
の白いスニーカーが靴下と一緒にするりと解けた。そして繊維に山
はなしあ
吹色の神力が絡み、金色に輝くサンダルのようなものを編み上げる。
﹁そんじゃ魔王様改め邪神様と、お話死合い再開だぁっ!!﹂
言い放つと同時に地面を蹴った沙良太の体は、光の矢となって邪
神ヴェリタの元へと向かう。後には暗い魔界の空に一本の輝く航跡
が描かれていた。
329
シンボルタワー破壊と少年
つるぎ
そび
接近する脅威に先に反応したのは、邪神少女の背後に聳え立つ闇
の柱だった。
マッハ
二本の柱は二本の巨大な漆黒の剣に姿を変えると、倒れ掛かるよ
うにして真正面から沙良太に振り下ろされる。切っ先の速度は音速
を超えるはずなのに、質量何万トンともしれないそれは沙良太の目
には妙にゆっくりと動いて見えた。
まるで東京タワーとエッフェル塔が頭を並べて仲良く突っ込んで
くるかのようだ。
﹁分かり易いお出迎え、痛み入るぜ!!﹂
すぐさま骨太の日本刀﹃真・同田貫﹄の柄を両手でぎゅうと握り
きんり
しめ、体の左で脇構え。その刃を迫りくる漆黒の剣へと逆さに向け
る。
足の金履が勢いよく光を吐き出した。
しょくじん
さらに加速。ぐぐんと視界を締める刃の割合が増えた。
触刃は一瞬。
迎撃に飛び出した沙良太の刀が漆黒の剣に深々と突き立てられる。
布団の山をバットで叩いたような鈍い衝撃が手首に伝わって来た。
が、
﹁ぜぇいやぁっ!!﹂
ものともせず一気に同田貫を振り抜く。斬撃が巨剣の刀身を横一
むしょう
けさぎ
文字に走る。すっぱりと刈られた切っ先は、地面に落ちる前に魔界
の大気に混じって霧消した。
間髪入れずに次の剣が沙良太の眼前に迫る。しかし返す刀が袈裟斬
りに振り下ろされると、先の一本と同じく首を失った巨剣の一撃は
虚しく空を切った。
﹁わざわざ花道ありがとなっ!!﹂
330
残り2/3程度の長さになった巨剣の上に、沙良太はすとんと軽や
かに降り立つ。そのまま一気に平らな刀身の上を根元の方へと駆け
上がり、上空の邪神と距離を詰めようとする。
しかし相手も甘くない。
ゆごう
共に切っ先を失った二本の黒い巨剣がお互いの断面を接触させる。
すが
するとそこから刀身が癒合して鋏の交差部分のようになり、走る沙
良太の後ろから追い縋ってきた。上と下から床と天井が、ちょうど
プラスチックの下敷二枚で挟み込むかのように沙良太を押しつぶそ
うとする。
﹁でも遅いっ!!﹂
このまま駆け抜ける。そう思って速度を上げようとした矢先、沙
良太は自分の行く前方、刃の上に人影があることに気が付いた。
人影︱︱︱白いドレスに両手足だけ禍々しい漆黒の武具を纏った
邪神ヴェリタは、沙良太が自分を認識したと知ると、無表情のまま
両腕を前に突き出す。
少女の体には似つかわしくない鉄の塊のような重々しい両の小手
が、にゅるりと動いて形を変える。現れたのは、まるでティラノサ
あぎと
ウルスの頭蓋骨のような形をした竜の頭部。
腕から生えた二匹の骨の竜が、がぱりと咢を開くと口の中に漆黒の
輝きが溢れ出す。
ここに至って沙良太は、自分が誘い込まれたことに気が付いた。
上下から迫る吊り天井のような漆黒の剣の腹。
そして前方から狙いを付ける、左右から挟み込むつもりであろう邪
神の砲撃。
ちぎ
だからどうした!!
きんり
﹁罠ごと食い千切るっ!!﹂
コウ
足元を金履で思い切り蹴ると、邪神少女へと一気に距離を詰める。
︱︱︱︱煌ッ!!
ほうこう
沙良太の意図を悟ったらしい邪神は、チャージの途中から攻撃に
切り替えた。両腕の骨竜が咆哮し、放たれた黒曜石のように輝く極
331
太レーザーが標的を打ち据える。
ゆが
真正面から砲撃に飛び込んだ沙良太の影が歪んだ。
しかし次の瞬間黒色の破壊光線を断ち割るかのようにして、神宝
となった日本刀﹃真・同田貫﹄の切っ先が、続いてそれを持つ少年
の姿が現れる。
のどもと
よろい
ゆだ
じょうだんかすみ
左半身を前に剣を持つ手を頭上で交差させ、その先端は常に敵の
喉元を狙う。
能動防御を捨て、自分の命を鎧に委ねた上段霞の構え。
その左手首に輝くのは、賽銭箱女神に渡された源氏の鎧の力を秘め
ほんりゅう
えんこ
こんしん
た勾玉﹃八領玉﹄。八つの霊玉から放たれる白い光は、暗黒の力の
奔流から沙良太の身を完全に護りきる。
きれい
﹁雄々々々々々っっっ!!﹂
空に綺麗な円弧を描いて振り下ろされた刀による渾身の一撃が、
防御のため突き出された二匹の骨竜の顔面を粉々に打ち砕いた。
332
刃乱舞と少年
﹁まだまだっ!!﹂
振り切った体勢からすぐさま刀を引き抜き戻し、崩し中段から繰
り出された右の平手突きが邪神少女の無防備な顔面を襲う。
と
しかし沙良太の一撃は、不意に足元から生えた黒い刃に弾かれた。
そ
﹁なっ!?﹂
寸時気が逸れたその隙に、少女は大きく後ろに跳ぶ。
追いかけようとする沙良太の上から下から、闇の柱が姿を変えた
はが
巨剣の腹からにょきりと生えた剣山のような無数の刃が襲い掛かっ
てきた。
はさみ
手の込んだ真似を、と歯噛みする間も無く、後ろから二本の剣の
うっとう
交差点が鋏の刃のように真ん中に立つ沙良太を挟み潰そうと迫る。
﹁ええい、鬱陶しい!!﹂
手に持つ真・同田貫をくるりと逆手に持ち替えると、その切っ先
ほころ
を深々と足元の黒い巨剣に突き立てた。
﹁綻べっ!!﹂
言葉と共に刀を通して強制力を流し込む。
ほど
元が世界の蠱毒機構から生まれた疑似物質で出来た漆黒の巨剣は
命じられたところからするりしゅるりと解けだし、すぐさま大量の
黒い包帯のような線の塊となって垂れ下がったかと思うと、その端
から形を失って魔界の大気に散らばっていった。
﹁でかいのはこれで終わり⋮⋮だが、ってか﹂
最初に現れた闇の柱は消えた。
けれどもそこから生まれた邪神の捕食器官たる粘液生物たちは、
今も大地に広がり無力な魔族を食い散らしている。命を吸い、暗黒
の神力へと昇華された黒い粒子の柱は、今も邪神少女へと力の供給
を続けている。
333
から
いとくず
﹁やっぱり元を絶たなきゃダメだな﹂
まなじり
刀身に絡みついた糸屑を払うと、沙良太はその切っ先を少し離れ
た中空で眦を決している邪神少女にちきり、と向けた。すると少女
なにゆえほろ
の小さな唇が初めて動いた。
﹁⋮⋮力持つ人の子よ、何故滅びに逆らうのじゃ?﹂
﹁ここで正義の味方なら﹃人間にも魔族にも、いい奴はいっぱいい
かっこい
る!!﹄﹃俺はお前と違って、この世界に絶望なんかしちゃいない
!!﹄とか格好良いこと言うんだろうけどな﹂
はか
めんくら
意外と常識的な質問、それ以上に邪神となった少女の声がか細く
儚かったことに少し面喰いながらも、沙良太は手に持つ日本刀の刃
以上に鋭い視線を投げかけつつ答える。
﹁俺の場合はフィリカが願ったからだ。お前をこの戦いと憎しみに
満ちた世界から救って欲しい、ってな﹂
﹁あの娘、我に構わずそのまま逃げておれば良かったものを⋮⋮﹂
ふそん
﹁俺たちもそう言った。けどフィリカは、お前が助かるまで逃げる
つもりはないんだと﹂
お
﹁は、命を無駄に使いおる。にしても救うだの助けるだの不遜な話
じちょう
じゃ。既に我はそのような言葉など無意味な至高の神の座に居るか
らのぅ﹂
邪神少女は自嘲気味に吐き捨てる。
﹁ああ、そいつに関しては心配無用。今から俺が手の届く高さまで
叩き落してやるからな﹂
334
看破と少年
おう
﹁やってみるが良い人間!!﹂
﹁応さ!!﹂
魔界のそこかしこから立ち昇る黒い粒子が急速に邪神少女の元に
収束し、先ほど刀で破壊された具足を補修。さらに両手には手甲と
わし
一体化した騎兵槍と長剣が合体したような黒い刃がいつの間にか握
られていた。両脚を鎧うパーツからも鷲のような鋭い爪が伸びる。
そして白いドレスの背が割れ、ばさりと竜のような巨大な翼が広
げられた。
ガンッ!!
突然叩かれたような衝撃が沙良太の後頭部を襲い、一瞬目の前に
火花が散る。
﹁ぐぅっ!?﹂
てっきり邪神少女が攻撃してくると思った沙良太は、不意を突か
れた形になり空中でよろめいた。
すぐさま首を巡らせる。
そこにはスイカほどの大きさの黒い目玉が浮かんでいる。
﹁何だこいつは!?﹂
目玉は沙良太に見つかったことに気付いたのか、再び猛烈な勢いで
タックルをかましてきた。
反射的に手に持った刀で切り払う。
斬撃が決まり、真っ二つになった目玉は黒い霧になって消える。
だがその下から今度は100や200ではきかない数の目玉たちが、
砲弾の雨となって襲い掛かってきた。
す
たまらず﹃八領玉﹄の障壁を展開して身を守る沙良太。その身体
を幾つもの目玉砲弾が打ち据えた。
霊玉の効果でダメージは無いが、衝撃はある。そして、
335
ぬ
﹁我を忘れるとは、失礼な奴じゃ﹂
きんり
砲弾の隙を縫って邪神少女の二本の剣が沙良太に向かって突き出
された。
なんとか剣の腹に刀を当て弾き、もう一本は金履の足で蹴り飛ば
す。そこに再び砲弾の群れ。
﹁くっそ、いきなりセコい手使いやがって!!﹂
﹁効果的と言って欲しいの﹂
﹁うっさいタコ!!﹂
横薙ぎを少女の脇腹に叩きつけながらバックステップ。防ぐ剣と
刀がぶつかってガギン、と激しい金属音が飛び散った。
ほし
シナツチ
しかし逃げた先にも四方から目玉砲弾が沙良太めがけて殺到する。
まと
﹁だぁぁっ!! 凶星よ、級長津霊となれぇっ!!﹂
ぶん、と振り回した山吹色の光を纏う刀から旋風が巻き起こり、
ぼろぞうきん
さらに暴風となって沙良太を守るように吹き荒れる。近寄って来た
しょうそう
目玉砲弾たちは風圧で絞られ、襤褸雑巾となって空の向こうへ散り
散りに吹き飛ばされていった。
やがて神風が収まると、現れたのはこれまでにないくらい焦燥した
顔をした沙良太の姿だった。
﹁はぁっ、はぁっ⋮⋮妙なオプション出しやがって、闘うなら自分
で闘いやがれ⋮⋮﹂
﹁あれも我の一部なのじゃが、ふぅむ⋮⋮理由を教えて欲しいかの﹂
﹁そう言われると聞きたくなくなってくるな﹂
憎まれ口を叩く程度の余裕はあるが、いきなり邪神少女の戦い方
が変わったことに沙良太は戸惑っていた。
その様子を見た魔王少女は満足そうにぺろり、と自分の唇を舐める。
﹁お主、いやお主と先ほど襲ってきた童女は戦い方が良く似ておる。
二人とも同じ特徴ゆえに、慣れてしまえば対策も立て易い﹂
﹁は!! 無くて七癖、んなもんあって当然だろ﹂
﹁︱︱︱どちらも極端に﹃力を出し惜しみする﹄﹂
びくん、と沙良太の身体が震えた。
336
﹁図星、かの﹂
337
空腹と少年
﹁何を根拠に︱︱﹂
﹁お主らの戦い方は不意討ちから接近し、隙を突き必殺の一撃を叩
き込む⋮⋮じゃったか﹂
のど
﹁良く見てんな。で、そのどこが出し惜しみだってんだ?﹂
﹁先ほどの光、何故使わぬ﹂
﹁︱︱︱ッ!?﹂
唾を飲み込もうとするが、沙良太の口はカラカラになり咽喉だけ
が音を鳴らす。
﹁強者には強者、弱者には弱者、そして王者には王者の戦い方とい
さら
もだ
ほろ
うものがある。かような﹃力﹄を持ちながら、あえて近付き身を危
険に曝す意味は無い。圧倒的な﹃力﹄に敵が悶え苦しみ、滅ぶ様を
上段から見下ろしておれば良いのだからのぅ﹂
﹁それは⋮⋮﹂
﹁四度切り結び、我は感じたのじゃ。お主ら我と同じ﹃力﹄持つ人
間どもには、どうしても短期決戦を狙わねばならぬ理由があるので
はないか、と﹂
﹁⋮⋮﹂
こっけん
しゅ
﹁そういえばお主ら、我の攻撃は全て受け流すか無効化しておった。
ろう
先の二本の哭剣も咒で術を解除したわけだしの。だがおかしな話じ
ね
ゃ。あの光や雷があれば、本来はどのような攻撃も、小細工を弄さ
ずとも﹃力﹄で捻じ伏せ押し切ることができたであろうに﹂
ゆが
あせ
それが王者の戦い方というものじゃ、と自分に言い聞かせるよう
に邪神少女は頷く。
﹁お主らには、分不相応な力の歪みと焦りがある⋮⋮だがその気持
ち、分からんでも無い。一方の我は世界と繋がることで、世界が終
わるまでその力は尽きることが無いからのぅ﹂
338
﹁いきなり話が飛んだなおい。で、それがどういう⋮⋮﹂
ちきり、と刀を正眼に構え直した沙良太に向かって、少女は小手と
一体化した漆黒の剣を鼻先に突き付けた。
おり
ていさい
つくろ
﹁無限に近い器を持ちながら、その杯を満たすには遠く及ばず。底
に残った澱のような力の欠片で、何とか体裁を取り繕っておるのじ
ゃろ?﹂
でごて
ギィンッ!!
き
出小手のように小さく早く動いた﹃真・同田貫﹄の一撃が漆黒の
んり
しょくじん
こうじん
剣を真ん中から断ち切った。その音が鳴り止むのを待たずして、金
履で虚空を蹴った沙良太の身体が触刃から交刃の間合いに飛び込む。
かわ
頭を狙ってぬぅと伸びた肉厚の刀は、しかし邪神少女のクロスし
う
た二本の剣の根元で食い止められる。
﹂
へしき
﹁ははっ、やはりの!! お主ら餓えておるな!! 渇いておるな
!!﹂
﹁だからどうしたっ!!
きし
叫びながら同田貫の刃を立て、力を込めてそのまま圧切ろうとす
る。少女の剣から嫌な軋みがあがった。
﹁例え三千年くらい断食しててもな!! お前一匹程度、叩きのめ
すにゃ十分なんだよ!!﹂
とっさ
﹁かもしれんの、名も知らぬ異境の神の力を持つ者よ!!﹂
不意に自分の下方から気配を感じた沙良太は咄嗟に刃を戻した。
引斬りにされた黒剣は二本とも斬り飛ばされ、切っ先が宙を舞う。
だが、れを追い越して邪神少女の長い赤髪が蛇のように伸び、沙良
太の右腕に巻き付いた。
動きが止まり、一瞬回避が遅れる。
そこに先ほどとは別の、新たな目玉砲弾の群れが殺到した。
﹁がぁっ!!﹂
ぎじしんがい
一撃、一撃が高層建築に打ち下ろされる鉄球のようにずしりと響
き、沙良太の背骨を揺らす。﹃八領玉﹄による疑似神鎧はダメージ
を無効化できても、実際の鎧がそうであるように物理的な衝撃まで
339
完全に無効化できるわけでは無い。
ほし
目玉砲弾たちが通り過ぎるのを、体を丸めて必死に耐える。
﹁いいかげん調子に乗ってんな!! 凶星よ︱︱︱﹂
340
かじり
フラグを回収する少女と少年
﹁させぬっ!!﹂
さえぎ
砲撃が途切れた隙を狙って神咒を唱えようとした沙良太を邪神少女
が遮った。
いまし
その言葉に反応して、頭上に群れなしていた目玉砲弾たちが一斉に
自爆する。
﹁何っ!?﹂
黒い砲弾の残骸は黒い雨となって沙良太とその手を縛めたままの
少女に容赦なく降り注ぐ。反射的に刀を持った左手で顔を守るが、
重油のような粘り気のある大量の液体が沙良太の全身に絡みついた。
﹁こいつ、さっきの黒スライムか!?﹂
は
振り払おうとするが、ネバネバはまるで意思を持っているみたい
に動き、こびりついたまま剥がれようとしない。
粘液の触れたところからじくじくとした痛みが広がっていく。
スライムが﹃八領玉﹄の神性障壁を浸食し、さらに中身の沙良太
を消化しようといているのだ。
いくえ
そこに再び伸ばされた邪神少女の赤い髪が、今度は何条も沙良太
きょうじん
し
の手と言わず足、胴、首元を幾重にも縛り上げた。ワイヤーロープ
のように強靭な邪神の長い髪はもがけばもがくほど締めつけてくる。
﹁離せこのっ!!﹂
﹁ならば離してやるかの!!﹂
ぶつり、と鋼の髪の毛が途切れたかと思うと、次の瞬間沙良太の
く
やす
体は空中に放り出される。
﹁潰し砕いて喰い易うしてやろうぞ!!﹂
邪神少女は両手を組み天に掲げた。漂う黒の粒子が収束し、みる
みるうちに全長100m以上ある巨大な円柱が姿を現わす。
少女が腕を振り下ろす。
341
漆黒の円柱がぶぅん、と低い風切り音を立てながら亜音速で叩き
込まれた。
ばんゆう
けんしょう
ぼひょう
ぶつかった衝撃で柱はぽきりと中ほどで折れ、そのまま沙良太と
一緒に魔界の大地に激突する。
まるで邪神に逆らった愚か者の蛮勇を顕彰する墓標のように立っ
た一本の柱。その根元に邪神の捕食器官たるスライムたちが、死肉
を漁るべく周囲から集まって来た。
いちべつ
きびす
すぐさま黒山が形作られ、墓標はさながら棒倒しの棒の有り様にな
っている。
うごめ
憐れむように一瞥した邪神少女は、すぐさま踵を返す。
と、さっきまで活発に蠢いていたスライムたちが捕食を終えたの
しま
いろど
か、取り込んだものを神力昇華し邪神に捧げるため動きを止める。
よきょう
オキツチ
ふく
﹁仕舞い、かの。少々あっけないものじゃが、世界の終りを彩るに
ほし
は良い余興で⋮⋮﹂
とっぷつ
︱︱︱︱凶星よ、澳津霊となれ!!
ボコボコボコッ!!
あふ
不意にスライムたちの表面が突沸したかのように膨らんだかと思
うと、弾けた泡の中から真っ赤な光が溢れ出した。溶岩にも似たそ
れは火花を撒き散らしながらスライムを逆に飲み込み、支えを失っ
たぎ
た漆黒の円柱がゆっくりとその身を大地にどう、と横たえる。
それを合図にして煮え滾るスライムの中心をから、火の弾が空に
向かって一直線に飛び出した。
﹁あ∼ヌルネバ気色悪い!!﹂
342
悦楽と少年
かま
おき
はば
まと
全身に竈の残火のような真紅に輝く炎を纏った沙良太は、立ち去
ろうとした邪神少女の行く手を阻むように立つと、思いきりしかめ
っ面を見せつける。
﹁でもな、あんなもんでくたばると思ったら大間違いだぞ!!﹂
﹁ほぅ、やはりお主は我が直々に滅さねばならぬ、ということかの。
弱った者をいたぶる趣味は無いのじゃが⋮⋮﹂
いく
残った漆黒の柱の欠片を再び剣の形に変えながら、少女は深くた
め息をついた。後ろでは粒子が結合し、幾つもの新たな目玉砲弾が
生み出されていく。
その数は10,100,1000,10000と増え魔界の空を埋
う
め尽くし、もはや数えられるレベルではない。
﹁餓えたその身がどこまで耐えられるか、測ってみるかの﹂
﹁いいのか? 世界を滅ぼそうって時に無駄遣いして﹂
むさぼ
﹁構わん。それに力なぞ、また命を喰らえばいくらでも⋮⋮﹂
だっさい
︻術の完成に敵味方構わず貪りますか︼
ほほ
︻無様ですねぇ星主︼
邪神少女の頬に沙良太の拳骨が突き刺さった。小さな身体は宙を
舞って吹き飛び、目玉砲弾の群れにぶつかって止まる。
﹁言いやがったな、手前ぇ!!﹂
握りしめた拳がわなわなと震える。
﹁気が変わった!! フィリカに頼まれたからってのもあったけど、
俺がお前を叩きのめしたくなった!!﹂
ほじく
﹁は!! 今までは本気でなかったと申すか。吠えるな人間!!﹂
﹁うっせぇ大根!! 人の黒歴史穿りやがって!!﹂
台詞の途中で手に持った日本刀を抜き払い、横一文字に走らせた。
斬撃に沙良太の身体を覆っていた炎が乗り、触れたところから目玉
343
砲弾を焼き払っていく。
強力だが再利用とも言える攻撃に、沙良太の限界を感じ取った邪
神少女の唇が歪む。
最初は光、その後は風と火。力の格は確実に落ちてきている。
さらに神の座に昇った際、少女にはこれまでおぼろげにしか知覚
おそ
できていなかった﹃神力﹄というものがはっきりと見えるようにな
っていた。
魔界全土から畏れと共に自分の中に流れ込んでくる力。同時に目の
前の少年がこの世界にとって異物であり、自分が持っている﹃力の
ばんじゃく
線﹄がどこにも繋がっていないことも。
時間がかかろうとも勝利は盤石。
げっこう
けれど一つだけ、邪神少女の中にひっかかるものがあった。
︵何を激昂する必要がある。我が喰らっておるのは魔族の命じゃと
しさく
いうに⋮⋮︶
少女の思索は迫る刃によって断ち切られる。
︵速い!?︶
炎が消えるのを待たずに飛び込んできた沙良太は邪魔する目玉砲
弾をタックルで弾きながら肉薄し、先の太刀筋が消えるその前に二
の太刀、三の太刀と電光石火で打ち込んでいく。時々刻々︵じじこ
あわ
きどう
くこく︶と変わる相手の回避動作、障害物、反動その他諸々の要素
に併せて寸時に判断。常に微妙に軌道をずらし、最適の攻撃を最速
で繰り出すそれは、変則的ながら﹃星王剣﹄と呼ばれる一刀流剣術
の奥義に近い。
しかし相手は人間では無い。
︲︲︲ギィンッ!!
刃の結界が止まる。
はば
少女の背から生えた剣を持つ八つの腕、その一本が斬られながらも
沙良太の斬撃を阻んでいた。
﹁簡単に死ぬでないぞ!! 楽しませてくれよ、人間!!﹂
﹁お前のせいで俺は楽しくなくなったぞバカ!!﹂
344
世界を滅ぼす邪神と古き神の力を持つ少年。その最終ラウンドの
幕が切って落とされた。
345
古き神と少女
けんそう
︱︱︱この喧噪の中でも、一旦寝入った琶知は不自然なくらい目
を覚まさない。
寝間着のまま残った芝生の上に横たわった少女の胸が、掛けられた
兄のコートと一緒に小さく動く。
﹁沙良太さん、大丈夫でしょうか⋮⋮﹂
彼女の隣で激しく光がぶつかり合う空の戦いを見上げながら心配そ
うにフィリカが呟いた。
﹁私の買えるうち最強の武器と防具を持たせました。こうなっては
沙良太を信じるしかありませんね﹂
でも空で闘ってばかりですと首が痛いですね、と賽銭箱女神は筋
をこきこき鳴らす。そこに幾らか気力を取り戻したクッコロが近付
いて話しかけた。
﹁女、結局あいつは何者なのだ? 我ら魔王騎士を手玉に取り、邪
神となった魔王様相手に互角に戦う。そのような人間など居てたま
るものか﹂
﹁残念ながら人間ですよ。ただ沙良太と琶知さんの中には、私たち
の世界の古い神が眠っていたらしいんです。偽神化は人の中身を暴
き出す、ということで、眠っていたそれが目覚めてしまったわけで
して⋮⋮﹂
﹁古き異界の神だと!?﹂
﹁私も初耳です!!﹂
驚いた顔のフィリカとクッコロが一緒に詰め寄った。
﹁わわっ、びっくりしないでくださいよぅ。私だって、確信を持っ
たのはつい先ほどなんですから﹂
﹁なるほど、強力な神をその身に宿しているからあいつは規格外な
のだな﹂
346
ふ
﹁多少腑に落ちない部分もあるんですけど、そう理解していただい
ろく
て構いません﹂
えりもと
なにしろ碌すっぽ記録が残っていないもので、と賽銭箱女神は乱
れた巫女服の襟元を正し、再び光が舞い散る空を見上げる。
すさ
沙良太たち兄妹の中に潜んでいた一柱の﹃星神﹄。
まつろ
その力は凄まじく、偽神化前の兄妹が手に取った安売り神界アイテ
ムが伝説級神器に強化されてしまうほどだった。
たかまがはら
しかし、
てこず
すいじゃく
︵かつて高天原最強の武神二柱さえ退けた最悪最凶の﹃順わぬ神﹄。
こころもとな
それが未熟世界の新米に手古摺るなんて、一体どれだけ衰弱してる
んでしょうか。それにこちらの神力も心許無いことですし⋮⋮︶
沙良太が邪神少女と打ち合う度、賽銭箱女神の中で破壊ポイント
まが
と仮想通貨の残高カウンターが猛烈な勢いで減っていく。そもそも
これらを変換して得られる神力自体、純粋でない紛い物なのだ。効
率が悪い分、必然的に消費も異常に激しくなる。
例えるならサラダ油で無理やりジェット機を飛ばしているような
有様。
︵これならジンバブエドルで住宅ローン組む方がまだ安定してます
よ、まったく︶
ひ
心の中で賽銭箱女神がぼやく。けれどもフィリカを置いて逃げな
いと決めた時点で、何があっても退くわけにはいかなかった。
おけら
﹁気張って下さい沙良太。苦しいでしょうけど、踏み出したからに
は私も無一文覚悟です!!﹂
小さな拳をぎゅっと握りしめる。
﹁何だ貴様らっ!!﹂
不意にあがった険しいクッコロの声に女神が振り向くと、そこに
は数えきれないほどの魔族たちが壊れた鉄の扉をくぐり続々と魔王
の屋上庭園に集まってきていた。
347
豆腐の方が好みと少女
﹁皆を率いて突然現れた黒いスライムから逃れて来てみれば⋮⋮こ
ドラゴニュート
れは一体どういうことだ、騎士クッカコロム!!﹂
先頭に立つがっしりとした鎧姿の竜人が口火を切る。
﹁騎士クロダイコン、これは⋮⋮﹂
﹁貴殿、何故人間なぞとここに?! いや、それよりも魔王様はい
ずこにおられるのだ!?﹂
﹁う⋮⋮⋮⋮﹂
ばや
きつもん
﹁まさか貴様、危機に乗じて魔王様を暗殺せんと人間を引き込んだ
やつ
のではあるまいな!?﹂
矢継ぎ早に繰り出される詰問に、クッコロはぐぅの音も出ない。
売れ残りおでんみたいな名前の割に、彼の指摘は的を得たものだっ
たため、完全にやり込められてしまっている。
﹁貴方たちの大事な魔王ちゃんなら、うちの沙良太とお空でドンパ
チの真っ最中ですよ﹂
﹁何っ!?﹂
見かねて助け船を出した賽銭箱女神の指差す方へ、視線が一斉に
集まる。
﹃おおっ魔王様!!﹄
﹃闘っている相手は何者だ?﹄
﹃しかし魔王様のあのお姿は⋮⋮﹄
はちゅうるい
魔族たちから次々と疑問と感嘆の声が上がった。主君の無事を確認
した竜人の騎士は、爬虫類特有のガラス玉のような瞳をぎろりとク
ッコロに戻す。
﹁ならば騎士クッカコロム、貴殿への査問は後回しで良い。皆の者、
そこの人間どもを捕えよ!!﹂
﹁あわわっ、今度はこっちにヘイトが向いちゃいました!!﹂
348
﹁︱︱︱待って下さい!!﹂
群がって来た有象無象の魔族が女神に手を伸ばそうとした瞬間、
フィリカの声が響いた。思わず魔族たちの動きが止まる。
いさか
﹁ヴェリタは、あの子は同族であるあなたたちも滅ぼそうとしてい
ます。諍い合っている場合ではありません。生き残った方たちを避
難させるのが先です!!﹂
﹁魔王様が我々を? バカなことを。しかし何故人間が魔王様の御
名を知って⋮⋮﹂
﹁黒いスライムから立ち昇る柱の行先、あれを見てもそう言えるの
ですか?﹂
﹁むぅ?﹂
竜人が再び空に目を向ける。魔族を喰らい、神力に変換し黒い粒
子として放出する邪神の捕食器官たるスライム。粒子は邪神ヴェリ
タの体に吸収されると、そこから新しい目玉砲弾が生まれる。
事態を悟った鱗だらけの彼の顔は、どんどん青ざめていく。
﹃嘘をつくな人間!!﹄
﹃何かの間違いだ!!﹄
﹃こいつらが何かしたに決まっている!!﹄
﹁うろたえるな!!﹂
口々に騒ぎ立てる魔族たちを黙っていたクッコロが一喝した。
﹁魔王様の無事が分かったのなら、次はスライムから身を守ること
を第一に考えよ!! 騎士クロダイコン、避難状況は?﹂
﹁あ、ああ、城内の者には上階に逃げるよう指示を出している。し
かしこのままでは、いずれ我々もあのスライムに呑み込まれてしま
うだろう。奴らは剣も槍も通じんし、炎も氷も全て吸い込まれてし
まうのだ﹂
﹁そんな⋮⋮﹂
諦めたように力無く首を振る竜人騎士。
は
魔王城の最上階から見下ろす魔界の大地では、未だ大量のスライ
ムが憐れな犠牲者を求めて這いずりまわっていた。
349
抵抗する手段を持たなければ、時間差はあってもじきに魔界とそこ
に暮らす魔族の命はスライムの海に沈む。
場を絶望的な空気が支配する。
﹃なら、ここはあてらの出番だな!!﹄
眠る琶知にかけられたコートの下から威勢の良い声が飛び出した。
350
フォーク再びと少年
﹁存外、粘るものだの﹂
さっ、と邪神少女が手を振ると目玉砲弾が合体。生み出された目
玉だらけの漆黒の槍が編隊を組んで襲い掛かる。
﹁納豆程度にはなっ!!﹂
飛び交うそれを右へ左へ、刃の欠けた刀で切り払いながら沙良太
は毒づいた。真っ二つになった槍は次々と自爆し、衝撃波が全身を
揺さぶる。既に限界を越えて蓄積したダメージで手首に巻いた﹃八
領玉﹄の輝きは失われ、防御障壁も消えて久しい。
生身で歯を食いしばり必死で耐える沙良太の元に、もはや第何陣
ほど
かも分からない目玉砲弾たちがトドメを刺さんと殺到した。
﹁解けろっ!! 織り成せっ!!﹂
ばんっ、と右膝を叩くとズボンの右足部分が繊維にばらける。無
数の糸は縦横に重なり投網を編み上げ、目玉砲弾らに覆い被さった。
網目に引っかかった砲弾が、まるでトコロテンのように四角く切断
され爆発、その断片が霧散する。
﹁⋮⋮もういい加減、諦めぬか? そろそろ我も飽いてきたぞ﹂
﹁そうだな、お前が諦めたらな﹂
すね
軽口を叩きつつ残った網を回収してズボンに戻しているが、爆破
で糸が失われた分短くなり毛の薄い脛が丸見えだ。
しつよう
確かに沙良太の粘りは異常だった。とうの昔に力尽きて落下して
もいいはずなのに、どこまでも執拗に食い下がってくる。
そしてまだ幼さを残す顔に絶望の色は全く無い。
ゆかり
﹁少年、駄々をこねても未来は変わらぬ。運命は変わらぬ。喰らい
続ける限り我は無敵なのじゃからの。この世界に所縁無きお主は、
今ある力を使い果たせばおそらく指一本動かすこともできまい﹂
これまでに何度か﹃真・同田貫﹄は刃先に邪神少女を捕え、その
351
体躯に痛烈な一撃を加えることに成功している。しかしその都度傷
は瞬時に再生し、結果消耗戦を挑まれた沙良太は劣勢を余儀なくさ
れていた。
状況は完全に﹃詰み﹄。なのに沙良太は不敵に笑う。
ざれごと
﹁だったら俺の勝ちだな﹂
﹁また芸の無い戯言を⋮⋮﹂
﹁いんや。気付いてなかったのなら、お前も大したこと無い芸人だ
な﹂
るぅん−−− これ見よがしに突き出したボロボロの刀。その刃を包む山吹色の
たど
光は失われるどころか、先ほどより一層輝きを増している。
きょうがく
まさか−−−即座に邪神少女は沙良太に繋がる力の線を辿る。そ
して驚愕した。
﹁馬鹿な!! 新たな力が流れ込んでおるじゃと?! どこから!
? いつの間に!?﹂
﹁﹃流れ﹄が見えるなら分かるだろ。信じたくないかもしれないけ
どな﹂
ついでにお前のエネルギー源にも絶賛嫌がらせ開催中だぞ、と沙
良太は眼下に広がる魔界の大地を疾走する小さな人影を指差す。
それを見た途端、邪神少女の瞳がすぅ、と細くなった。
﹃おらおらおらっ、手前ぇらコン様のお通りだぁっ!! 生きてる
奴は道を開けやがれ!! でなきゃネバネバごと道連れにすんぞ!
!﹄
﹁ちょっとコン、まだ慣れてないんだから!!﹂
﹃だからリハビリ代わりの運動だってんだろ真新!!﹄
﹁もうっ!!﹂
冬物のコートを羽織った少女が人知を越えた高速で赤茶けた地表
352
だいばくふ
さんこしょ
を走り抜けながら、手に持った紫電を放つ槍型の三鈷杵を振りかぶ
りょうかさんらい
る。
あふ
﹁燎華散雷・大瀑布!!﹂
﹃いっけぇ!!﹄
三鈷杵の先端から溢れ出した膨大な量のスパークは、まるで津波
のように波打ちながら触れたものを片っ端から呑み込んでいく。魔
族を襲っていたスライムたちは弾け飛び、大地は白く輝く雷光で満
たされた。
﹁それにしても不思議よね。こんなに調子がいいなんて初めて!!﹂
少しずれた眼鏡の縁を直しながら真新が漏らす。
かみよ
﹃当ったり前だろ!! なんせあてらが貰ったのは、妹の中にあっ
たまぎれも無い神代の力の欠片なんだからな﹂
嬉しそうな金剛杵女神の声が真新の頭の中に響く。
﹁その代わりといっちゃなんだが、あいつが術の維持で動けねぇ分
あてらが護ってやんねぇと!!﹄
﹁私たちが頑張ったら分、上手くいく可能性が高くなる。世界の未
来に希望が持てる。それに闘ってる沙良太を助ける意味でも⋮⋮﹂
じんらいこう
﹃おう!! ボーナスステージと思ってブーストかけていくぜ!!﹄
しゅくち
﹁うんっ!!﹂
︲︲︲縮地・迅雷行!!
三鈷杵を握りしめる少女の姿が一条の雷となった。
そのまま放水するかのようにスパークを撒き散らしながら、秒速
200kmであちらこちらで魔族を襲うスライムを焼いて回る。
黒い粘液に覆われていた魔界はまるで水で汚れを洗い流されるよ
うにして、みるみるうちに本来の風景を取り戻していった。
353
最終形態と少年
﹁魔族どもから力の供給を受けているじゃと!? 人間のお主が!
?﹂
にわかに信じがたい、といった風な邪神少女の顔に焦りの色が浮
かぶ。しかし力の流れは確かにあり、その根源は彼女が無用と切り
捨てた魔族の生き残りから沙良太へと繋がっていた。
﹁あいつらが生きている限り、俺には力が流れ込んでくる。一方下
では俺の仲間がお前のスライムを駆除してくれている。おかげでこ
れ以上命どころか、湧き上がる恐怖や不安を喰われる心配も無くな
った﹂
﹁馬鹿な︱︱︱﹂
ニワトリ
﹁もはや収支の対称性は崩れた。一瞬腹は満ちたろうけど、金の卵
を産む鶏を食べた時点でお前の負けは決まってたんだよ!!﹂
いつの間にか起きていた逆転劇。
ここから先、時間経過は沙良太の力となり、逆に邪神少女は衰弱し
ていくことになる。
けれども、ここからが一番危険な時間。
国家で例えるなら成長を見込めない斜陽の大国と、新進気鋭の小国
のような関係だ。まだ相手の方が持っているものが大きい分、油断
はできない。
﹁何故こんなことが⋮⋮魔族が人を助けるなどありえぬ。人は魔族
を憎み、魔族は人を虫けらのように殺す⋮⋮それがこの世界のあり
ようではなかったのか!?﹂
﹁お前が強すぎたお陰で世界が変わった。世界を滅ぼす理由は無く
なった。だからもう一度言う﹂
すっ、と沙良太は刀を降ろして構えを解く。
﹁世界を滅ぼすのは止めろ。俺たちの世界だって、一歩踏み越えれ
354
ば戦争も殺し合いも山ほどある。憎しみ悲しみも尽きることは無い。
でも誰にだって﹃変わる可能性﹄があるから、皆なんとか世界に絶
望せずやっていけてるんだ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁脅威を前に魔族は、変化の可能性を示した。人間の可能性は、お
前を救って欲しいと願ったフィリカが示した。だから⋮⋮﹂
﹁だから諦めろというのか⋮⋮﹂
邪神少女の発した声は、深い谷底から響いてくるような低いもの
だった。小さな身体が激情に震える。怒気が大気に満ち、意思の無
いはずの魔界の天地が恐怖の叫び声を上げる。
﹁誰も!! 彼も!! 我より先に諦めた癖に!!﹂
人間と魔族で殺し殺され合う世界で魔王の娘として生まれた彼女に
は、最初から選択の余地は無かった。
より多く、より残酷に殺せ、それが魔族の本懐と教えられて育った
彼女は、しかしフィリカと出会ってしまう。そして初めて出来た人
間の友達に、別の可能性を見てしまった。
けれども幼い彼女が抱いた希望は、魔族と人間によって粉々に打
ふざけ
ち砕かれてしまった。だから苦痛を隠しながらも、必死で魔族の王
たらんと演じて来たというのに。
﹁なのにその者達が、今度は我に諦めろと言うのか!! 巫山戯る
な!!﹂
﹁皆が皆、お前みたいに頭が良いわけじゃないんだよ!! そんく
うるさ
らい分かれ!!﹂
﹁五月蠅い人間!!﹂
ぶわっ!!
宙に浮いた目玉砲弾と漂う黒粒子が一斉に動き、邪神少女の元に
集うとタオルに降りた雪の結晶のようにすぅと体に浸みこんでいく。
地面に残った黒スライムたちも吸い込み始めたところで、不穏な
空気を感じ取った沙良太は再び刀を構える。
﹁おい、何する気だ!!﹂
355
し
少女の体から滲み出した闇が漆黒の鱗となって白いドレスと青白
い肌を覆う。
その姿はまるで、継ぎ目も覗き穴も無い西洋鎧。 暗黒の彫像の
ようになった邪神少女。その塞がれたはずの視線に射られ、沙良太
の背筋に冷たいものが走る。
︱︱︱もう知らぬ︱︱︱もう聞かぬ︱︱︱もう要らぬ︱︱︱ゆえに
︱︱︱
人の形をした深淵から響く声が、この世界の生きとし生けるもの
きぼう
全ての脳に直接叩きつけられた。
︱︱︱ただただお前を打ち砕き、この茶番を終わらせようぞ!!
356
直接滅殺する姿と少年
みぞおち
言い終わると同時にガントレットを着けた拳が沙良太の鳩尾に突
き刺さった。
﹁ぐがっ!?﹂
防御が間に合わず、思わず体をくの字に折る。そこに畳みかける
ような連撃。
地味ながら一撃一撃がボーリングの玉で殴られているように重く、
そして痛い。既に防御霊玉﹃八領玉﹄の障壁は消え、沙良太の身体
を申し訳程度に覆うのはクロワッサン生地のように薄く広げられた
神力の層一枚のみ。
それでも大型ダンプが5,6台玉突き事故でぶつかってきても耐
えられる程度の防御力は有していた。だがエネルギーの塊となった
邪神少女の拳骨は薄皮一枚などものともせず、一方的に沙良太を打
ち据える。
﹁くぅっ!!﹂
たまらず﹃真・同田貫﹄で振り払う、剣先は虚しく空を切った。
そこに神速の回し蹴り。
咄嗟に刀の腹で防御。
バキンッ!!
肉厚の刃と耐久力で知られる剛刀﹃同田貫﹄は、蹴りの当たった
部分で真っ二つに折れてしまった。砕けた破片がキラキラ輝いて宙
を舞う。
さらにもう一方の足による回し蹴り。今度はなんとか柄の部分で
喰い止めたが、沙良太は衝撃で危うく刀を取り押しそうになった。
︱︱︱何故今、この世界に来たのじゃ!!
﹁ああっ!?﹂
ぎしぎしと押し合いながら、鎧の中から聞こえる邪神少女の声に
357
叫んで返す。
むぼう
︱︱︱何故、もっと早く来てくれなんだ!!こうなってしまう前
に︱︱︱
目鼻の無い仮面で顔を覆った少女は、その無貌の下で泣いていた。
つばぜ
﹁だったらもう少し素直になれ、よっ!!﹂
鍔迫り合いから仮面に向かってヘッドバット。ガイン、と分厚い
鉄板を叩いたような音がして沙良太の視界に火花が散る。
﹁こんの石頭っ!!﹂ ︱︱︱今さらどうしようもないではないか!!
︱︱︱我は殺し過ぎた︱︱︱人間も、同胞たる魔族も︱︱この身に
溜め込んだ因果は、さらなる血と死と憎悪と恐怖を求める︱︱︱
ガインッ!!
二度目のヘッドバットが再び仮面を打ち据えた。つぅ、と沙良太
せんそう
にちじょう
の額から一筋赤い血が流れる。
﹁どうせそれだって、前線と銃後を分けるためだったんだろ? 常
に敵が正面から押し寄せれば、相手も準備して正面からぶつかる。
ちゅうとんへい
そうすれば戦う力を持たない奴は巻き込まれない﹂
獣人村の駐屯兵と、襲ってきた魔軍がそうだった。
うかい
無力な獣人たちには逃げる時間が十分に残されていたし、魔族たち
は城壁などが無いにも関わらず決して迂回して攻撃を仕掛けようと
はしなかった。しかも強敵・真新がいるのを知っていながら、常に
正々堂々と駐屯基地を攻めていた。
さらに魔軍の構成も魔獣や再利用可能なゾンビにすることで、結
果的に魔族の犠牲も少なくしている。
奪う事でしか生きることができない魔族と、抵抗する人間。
せんめつせん
それでもこの魔王少女の代になってからの戦いは、一般人を巻き
込む殲滅戦に近い﹃全体戦争﹄ではなく、可能な限り被害を少なく
する陣取りゲーム的な﹃限定戦争﹄に留めようとする意志が感じら
れた。
もう二度と、フィリカと自分のような悲しい子供たちが生まれな
358
いように、と。
359
絶望回路と少年
﹁苦しんだのだって!! 悲しんだのだって!! 泣いたのだって
!! 自分じゃない誰かのためだったんだろ!!﹂
そう、最初からこの世界には﹃滅ぶべき理由﹄なんて無かった。
人と魔族の希望も可能性も、とっくの昔にフィリカとヴェリタが証
明していた。
﹁だから!! お前みたいな奴は絶対、幸せにならなきゃいけない
んだ!!﹂
むぼう
装甲に覆われた邪神少女の両肩を掴み、思いっきり頭を振りかぶ
る。
こんしん
﹁フィリカと一緒にっ!!﹂
ガツンッ!!
三度目、振り下ろされた渾身のヘッドバットが無貌の仮面を打ち
砕く。額から血飛沫の珠を見ながら、別に頭で攻撃しなくても良か
ったな、と沙良太は反省した。神力で強化されているとはいえ、滅
茶苦茶に頭が痛い。
しょうてい
砕けた仮面の隙間から驚いたような邪神少女の顔が一瞬覗く。が、
すぐにその顔は再び黒の仮面に覆われた。
﹁なっ、ぐがっ!?﹂
てつざんこう
カウンターで繰り出されたガントレットの掌底が沙良太の顎を打
ち抜き、さらにくるりと体を回して拘束を外すと鉄山靠の要領で背
中をぶつけ、少年の身体を吹き飛ばす。
︱︱︱我を殺せ、人間!!
﹁はぁっ!? 人の話聞いてなかったのかお前!! いいからさっ
さとその悪趣味なの脱げって!!﹂
何とか空中で踏みとどまり、顎の位置を直しながら叫ぶ。しかし
邪神少女は首を振った。
360
よりしろ
にえ
︱︱︱この力は我のものでは無い。何百年も前からこの世界に殺さ
れた者たちの呪いが依代を求めて集い、我を贄としてその意を為さ
んとしおるのじゃ。
︱︱︱世界が滅びぬと知れば、また次の依代と共に世界に牙を剥く
︱︱︱だが抑えられておる今なら、我と共に砕くことができよう
きんこう
﹁何だよそれ⋮⋮なら俺が力ずくで引っぺがして︱︱﹂
︱︱︱無駄じゃ。均衡が崩れたといえど、まだ我の方が力は上。そ
きんり
れに一度泥の混ざった水を、元の水と泥に分けることはできぬ
﹁くっそ、どうする?﹂
と、不意に沙良太の膝ががくり、と沈んだ。見ると足元の金履の
放つ光が小さくなっている。慌てて原因を探ると、自分の中に流れ
込む魔族たちからの祈りの力が弱くなってきていた。目に見える恐
怖が薄れたせいで、彼らの生への欲求も薄れてしまったのだ。
しまった、こんな時に!! 急いで防御分の神力も揚力に回し、何
もだ
とか沙良太はその場に留まる。
︱︱︱ああぁぁぁっ!! いきなり邪神少女が苦しみ悶えはじめる。その身体からさらに大
量の黒い光が吹き出し、少女の影を呑み込んでいく。
やがて光は身長3mほどに大きくなった鎧姿を取ると、ふらふら
飛ぶ沙良太の前にすくと立つ。
﹁おい、大丈夫か?﹂
いぶか
声をかけても反応は無い。
訝しがって観察している沙良太の目の前で、鎧の形が変わった。
全身から突き出す無数の鋭い針。一本一本が西洋剣ほどの長さを持
つそれが、生えたのと同じように唐突に全方位へ射出される。
まるで激しい機銃掃射。しかも弾幕は尽きることが無い。
こどく
瞬く間に魔界の大地は針で埋め尽くされ、針山地獄の様相を呈し
ていく。
邪神少女を核に発動した蠱毒システムが力の均衡が崩れたことを
感じ取り、再び世界を絶望で覆うため、自分と同じ蠱毒の餌をする
361
ために動き出したのだ。
そんな中を右へ左へ、上へ下へと必死で針を避け、折れた刀で弾
く。
﹁こんなので終わるしかないのかよ!! くそったれっ!!﹂
沙良太の悲痛な叫びが天空に木霊した。
362
邯鄲と少女
さんこしょ
﹁まったく、ただの賽銭箱が分不相応な夢を見たものです﹂
い
スコールのように激しく降り注ぐ針の雨と三鈷杵から放たれる白
雷がぶつかり、小太鼓の上で煎り豆が踊るようなバチバチという音
を立てている。
﹃え、何だって?﹄
スライムの消滅に不穏を感じ取り、戻ってきた真新が広げた巨大
な雷の傘が、間一髪避難者たちを守っている。しかしその真新とコ
ンの耳には、ぽつりと呟いた賽銭箱女神の言葉は届かなかった。
﹁え? 何? 聞こえないわ﹂
﹁いえ、こちらの話ですよ﹂
﹃だったら頭抱えて静かにしとけって!! あてらも防御で手一杯
なんだからな!!﹄
﹁分かってますよ。迷惑かけますね、コン﹂
﹃うおっ、箱女が素直に謝ったぞ!!﹄
﹁だからこんな針の雨が降ってるのね、納得﹂
うぅ、酷い言われようです⋮⋮とべそかいてみせる賽銭箱女神。
﹁だがこのままではじり貧だぞ。雷の防壁もいつまで持つか⋮⋮﹂
﹁沙良太さんはご無事なんでしょうか?﹂
心配そうにフィリカと竜人騎士クロダイコンが空を見上げる。だ
が雷の傘と針の雨に遮られ、沙良太の姿は見えない。
長く鋭い針は岩でできた魔族の住居など簡単に破壊貫通するため、
おび
結局真新の近くにいるのが一番安全なのだが、逆に真新含めそこか
ら誰も動けないでいた。集まった魔族たちもすっかり怯えてしまっ
ており、もはや祈るどころではなくなっている。
そうしている間も針は絶え間なく降り注ぎ、一向に止む気配は無い。
﹁しかしこの人間の少女、こんな状況でよく寝ていられるな。我々
363
もどうなるか分からんと言うのに﹂
寝返りを打ちすぅすぅと寝息を立てる琶知を見て、クッコロが愚
痴をこぼす。
﹁まぁそこは沙良太の妹さんですから﹂
﹁なるほど﹂
おか
﹁あ、それで納得しちゃうんですね﹂
こんな時だが、賽銭箱女神は可笑しくなってつい、くすり、と声
を漏らしてしまった。それを見つけたフィリカが不思議そうな顔を
する。
﹁女神様、これからどうすれば良いのでしょうか。沙良太さんと、
それにヴェリタのことも⋮⋮﹂
﹁心配性ですねぇ、フィリカちゃんは。どうせ沙良太が何とかして
くれると思いますよ﹂
﹁ですが⋮⋮﹂
﹁ほらほら、悲しそうな顔してたら幸せが逃げちゃって、宝くじの
300円も当たりませんよ。そうそう、忘れないうちにこれを渡そ
たもと
うと思っていたんです﹂
ごそごそと袂を探ると、いつも使っているタブレットを取り出し
てフィリカに差し出した。
﹁女神様これは?﹂
﹁帰還術は購入済みなので、アプリ一つで発動できます。使い方は
以前教えた通りなので、問題ありませんよね。パスワードは解除し
てますし﹂
﹁はい。でも、あの、どうして今⋮⋮﹂
戸惑うフィリカの手にタブレットを押し付けると、女神はうぅん、
と大きく伸びをする。
出自が格を決める器物神の中で自分のような何の付加価値も無い
いこじ
賽銭箱が、並み居る国宝重文を掻き分け一時的にでもトップに立て
た。
無駄に意固地だった頃の自分では、決してここまで来れなかっただ
364
ろう。
けんか
仲間と一緒に笑って、泣いて、怒って、喧嘩して⋮⋮。
ことあまつたえのみたま
賽銭箱女神はそっと懐から、細い鎖に繋がれた小さな鏡を取り出
した。
きわ
きたなきたまりなけ
それは修練開始の際に渡された﹃別天伝御玉﹄。
︻極めて汚も滞無れば︼
形は様々だが、そこには自身の仕える力ある神々の加護が封じ込
まれており、失うことは神としての資格を放棄することと同義。と
いっても、神力も仮想通貨も破壊ポイントもとっくの昔に底をつい
きたなき
ている。戻ったところで結果は同じ、不合格。
︻穢とはあらじ︼
⋮⋮例え泡のように儚いものだったとしても、目覚めれば消えてし
まうものだとしても、
うちと
たまがきせいじょう
もう
﹁それでも、結構いい夢でしたよ﹂
のりと
︻内外の玉垣清淨と申す︼
あふ
目を閉じて祝詞を唱え終わる同時にぴん、と何かが弾ける音。する
と鏡から白い輝きが溢れ出し、賽銭箱女神の身体を包み込んだ。
﹁何、この異常な神力の高まりは!?﹂
﹁女神様っ!?﹂
皆の声を聞きながら、賽銭箱女神は幸せな気持ちに包まれていた。
﹁ああ言い忘れてましたけど、私はここで脱落します。後はよろし
くお願いしますね﹂
﹁そんなっ!!﹂
ばくち
﹃おい、何やってんだ箱女!! 勝ち逃げする気かよ、サイ!!﹄
悔しそうに金剛杵女神が叫ぶ。
たた
﹁嫌ですね、怖いお兄さんが来る前に撤収は博打の基本じゃないで
すか︱︱︱私にここまでさせたんです。負けたら末代まで祟ってや
りますからね、沙良太!!﹂
らしいセリフを最後に、巫女服を着た少女の姿は光の中に消える。
後には古ぼけて汚れた賽銭箱が一つ、ぽつんと残されていた。
365
366
最後の一撃と少年
︱︱︱︱ギキンッ!!
飛んできた針と正面からぶつかった﹃真・同田貫﹄の残片が断末
ナックル
魔の悲鳴を上げ、針と共に粉々に砕ける。
﹁こんのっ!﹂
すぐさま手の中の柄を握り直し、拳鍔代わりにして次の針の横っ
まと
腹に叩き込む。
薄い神力を纏った指先に外車のボディを殴ったような鈍い衝撃が走
さば
る。苦痛を顔に出さず殴り抜けた沙良太は、しかしさらにその次の
きんり
針を捌ききれず、彼の体は軽々と弾き飛ばされた。
こころもとな
何とか空中で踏みとどまるが、その足の金履から噴き出す光もか
細く心許無い。
既に魔界の赤茶けた大地は、人の立つ隙間も見当たらないほど、
突き立つ剣針によって埋め尽くされていた。そこに生き物の姿は無
い。
こどくそうち
にも関わらず、邪神少女が姿を変えた黒い人型︱︱︱世界を滅ぼ
おお
むじひ
す蠱毒装置は、魔界の空で新しい剣針を無限に生み出し射出して、
止む気配も無い。針の雨は世界を覆わんばかりに、無慈悲な雨とな
って降り続ける。
邪神少女を核とし、自らを生み出した死と憎悪と悲嘆が渦巻く世
界に引導を渡さんと暴走する蠱毒装置。
⋮⋮そこに蓄積された怨念も、いずれは尽きることになるだろう。
しかしそれは、この世界が終わった後の話。
今、この絶望を止められる者は誰もいない。
﹁でもな!!﹂
にら
ほ
高度が落ちた分敵を見上げる形になった沙良太は、闘志の消えな
い瞳で天空を睨みながら吼える。
367
ストック
力の供給を失い太古の蓄えも尽きた沙良太に、もはや勝ち色は無い。
︱︱︱それでも!!
残った神力を注ぎ込み、沙良太は一気に高度を上げる。蠱毒装置よ
りも高く。
孤を描いた山の頂点で、一瞬沙良太の身体が重力から解き放たれる。
同時に金履の光が掻き消えた。
うらみ
真下に蠱毒装置を臨みながら、柄だけになった刀を突き出す。
はばき
﹁怨憎を諦めろって言ったんだ!! だから、言った俺が諦めるわ
けにはいかないんだよっ!!﹂
刃を失った日本刀﹃真・同田貫﹄の柄元、残った鎺部分にぽぅ、
ろうそく
と山吹色の光が宿った。
蝋燭のような小さなそれは、どんな風にも吹き消されないような強
い輝きを放つ。
防御も機動力も捨て、最後の力によって灯された命の輝き。
推力を失った沙良太が眼下の蠱毒装置に向け自由落下を始める。
その身体にまるで対空砲火のような黒い剣針の嵐が襲い掛かった。
368
諦観と少年
﹁ッ!!﹂
柄に灯った光に触れると、剣針は溶けるようにして消える。
けれども消えるのは直接触れたものだけ。それ以外の針剣は容赦な
く沙良太の肌を傷付けていく。
落下速度が速くなれば剣針との相対速度も増す。被弾面積を限り
なく小さくし一本の矢となって、沙良太は針に覆われた巨大な人型
の蠱毒装置へと突き進んだ。
あと100m。
50⋮⋮30⋮⋮10⋮⋮0!!
﹁着いたぞ意地っ張り!!﹂
言い放つと同時に柄の光を、その漆黒の背中へと叩きつけた。
蠱毒装置の全身に一瞬山吹色の閃光が走り、その動きが止まる。
︱︱︱たすけて
︱︱︱ころして
︱︱︱ころして
︱︱︱たすけて
︱︱︱ころして
︱︱︱ころして
霊的に強制接続された部分から沙良太に流れ込んできたのは、邪神
少女の相反する二つの願い。
助けて欲しい。叶わなければ蠱毒装置ごと破壊して欲しい。
これ以上の犠牲を出す前に、世界を滅ぼす前に⋮⋮。
﹁馬鹿野郎!! 諦めが悪いっていうなら、最後まで諦めるな!!﹂
︱︱︱たすけて
︱︱︱ころして
︱︱︱ころして
369
ゆ
﹁フィリカを置いて独り逝く気か!! 同じ寂しさを死ぬまで味わ
せるつもりかよ!!﹂
︱︱︱たすけて
︱︱︱たすけて
︱︱︱ころして
きずな
﹁世界と天秤に賭けた想いなら、最期まで貫け!! 時間も空間も
越えて俺たちをここに導いた、お前とフィリカの絆を信じろ!!﹂
︱︱︱たすけて
︱︱︱たすけて
﹃助けて!!﹄
最後の心の声は悲痛な叫びとなって沙良太に突き刺さる。反射的
に空手の左で蠱毒装置の肌を叩く。甲虫のような表面が歪み、沙良
太の腕が漆黒の沼に沈んだ。
汚泥の中を探る指先が何かに触れる。
手!!
沙良太が少女の細い手をぎゅっと握りしめると、向こうも握り返
す。
﹁よしっ、これで︱︱︱﹂
ごぅんっ!!
こぶ
しかしその手を引こうとする前に、拘束を破った蠱毒装置の一部
が瘤のように盛り上がったかと思うと、そのまま少年の後頭部を殴
りつけた。
一瞬意識が遠くなり、沙良太何が起こったのか理解できなかった。
すが
しかし繋いだ手は振り解かれ、体は宙を舞っている。
や
縋るものを失った邪神少女の手がゆっくりと蠱毒装置に呑み込まれ
ていく光景が沙良太の網膜に灼き付けられた。
⋮⋮弱いものは強いものに勝てない。
沙良太たちの世界でも、何度も何度も繰り返された当たり前の光景。
そして今、彼の目の前で小さな想いがごく普通の帰結として、大き
な悪意に踏み潰されようとしている。
370
なのに、沙良太には何もできない。
こうべ
力が無ければ、強くなければ、ただ頭を垂れ理不尽な運命を受け入
れなければならないというのか⋮⋮。
﹁やっと︱︱︱やっとあいつの本音を引き出せたのに!!﹂
にら
動かなくなった身体は重力に引かれて落ちてゆく。
悔しさで唇の端を噛み締め、けれど空を睨むことを止めない沙良
太の視界がぼやけていく。
︵そんなことありませんよ!!︶
371
二つの力と少年
りぃん、と鈴の音のような少女の声。
それと共に、まるで誰かが支えているかのように沙良太の身体が落
下を止めた。
あらが
か
︵運命、世界に従うだけなれば、生きてる意味なんてありません!
うさんくさ
! ルールに抗って咬みついて、やれること全部やりませんと!!︶
﹁つ∼か手段を選ばないお前が言うと何でも胡散臭く聞こえるな、
サイ!!﹂
元気を取り戻したのか、いつものようにツッコミを入れる沙良太。
︵ええ、私は手段なんて選びませんよ!! 外道上等!! 邪道万
歳!! ですから沙良太、とことんやっちゃって下さい!!︶
私の代わりに︱︱︱
ことあまつたえのみたま
声が途切れると同時に、沙良太の中に新たな神力が流れ込んでき
いつとものおのかみ
やた
イ
た。賽銭箱女神が上司から渡された﹃別天伝御玉﹄、込められてい
シコリドメ
ひとしずく
つくもがみ
かす
たのは天孫降臨の﹃五伴緒神﹄が一柱、﹃八咫の鏡﹄を作った﹃石
凝姥命﹄の力の一滴。
ほころ
そこに混ざった、あの口うるさい自分勝手な付喪神の少女の微か
な気配を感じ取り、沙良太の顔が綻んだ。
いたずら
﹁ったく、自己犠牲とかガラでもない。ああ、分かってるよ!!﹂
しんきしょくかい
悪友に向けるような悪戯っぽい笑顔のまま、少年は叫ぶ。
﹁神機織開!!﹂
呼びかけに応え、沙良太の左手の中に輝く純白の糸束が現れた。
さんきし
いつとものおのかみ
再び生み出された金履が勢いよく山吹色の光を吹き出し、主の身
体を空高くへと運ぶ。
かけら
じょうこ
かつえ
︱︱︱天照・月読・素戔嗚の三貴子に次ぐ権威を持つ﹃五伴緒神﹄
いっとき
うるお
の力。けれど欠片では、上古の飢餓を満たすに程遠い。
それでも一時、乾いた杯を潤すには十分。
372
けいい
ちてん
ほう
﹁経緯、地天を縫ず!!﹂
ばんっ!!
たていとよこいと
沙良太の手から弾けた糸束は一瞬で、文字通り縦横無尽に駆け未熟
てんもうかいかい
世界を覆い尽くす。
天網恢恢−︱︱張り巡らされた経と緯が、森羅万象を縫い留める。
蠱毒装置、射出された無限の剣針のみならず、魔王城で抵抗を続け
るフィリカたちや真新の放つ白雷までが静止したそこは、まるで美
術館の彫刻展示室のよう。
沙良太だけが自身の生み出した神糸を気にすることなく、ゆっくり
ふたり
と漆黒の蠱毒装置へと歩みを進める。
ひとり
兄妹の中に眠っていたのは﹃二柱﹄の古き神だった。
ひとり
一柱は天空に在り、天に牙向いた反逆の星神。
そしてもう一柱は、凶星を封じた織物の女神。
どちらの職能も、粗悪な燃料で無理矢理偽神化した状態では中途半
端にしか発揮できなかった。今発動している神機も、本来の性能に
は遠く及ばない。
みじろ
わず
蠱毒装置の前に立った沙良太は、しみじみとその巨体を眺める。
何とか逃れようと身動ぎしているのだろうが、その僅かな動きさえ
神糸に絡め取られ、はた目には自分から休んでいるようにしか見え
ない。
﹁泥と混ざった水は分けられないと言ったな﹂
しんぺん
ぴっ、と人差し指で蠱毒装置の表面に触れる。
けいい
せいじゃ
くま
それができるから﹃神変﹄。すなはち神の技。
﹁経緯、正邪を分る!!﹂
ちむ︱︱︱
は
てんし
沙良太の手から伸びた糸が一本、蠱毒装置の肌に突き刺さり、ぺ
ぬ
む
りりと薄皮一枚を剥いだかと思うと、昆虫標本の展翅のように剥い
だそれを空に縫い付ける。
ちむちむっ
繰り出される糸が無数に群がり、次から次へと蠱毒装置の皮を剥
373
いては留めてゆく。
ちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむ
ちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむ
ちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむ
ちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむ
ちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむ
ちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむ
ちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむちむ
ちむちむちむちむちむちむ⋮⋮
みるみるうちに黒い装甲が魚の鱗を摘み取るように剥ぎ取られて
いった。
その間、蠱毒装置はぴくりとも動かずなすがままになっている。
例え世界が生み出した怨念の集合体であっても、絶対的な力の前で
は抵抗さえ試みることを許されない。
やがて蓮の花弁が開くようにぽっかりと空いた蠱毒装置の腹から、
白いドレス一枚を身に着けた少女が姿を現わす。
邪神ヴェリタ。偽神化も解けいびつな﹃力﹄から強制分離され、
今はただのヴェリタとなった彼女の唇は、うわ言のように﹁たすけ
しゅんじゅん
て︱︱︱たすけて︱︱﹂と繰り返している。近付く沙良太にも気付
いた様子は無い。
ね
左手に糸、右手に折れた刀の柄を持ったまましばし逡巡した沙良
そば
太は、柄の方を半ズボンになった長ズボンのポケットに捻じ込むと、
少女の傍に寄る。
﹁お∼い、助けに来たぞ∼﹂
しばたた
ぺちぺち、と頬を軽く叩かれたヴェリタは、突然のことにアーモ
ンド形の両目をぱちぱち瞬かせた。
374
救済と少年
﹁我は⋮⋮取り込まれたのではなかったのか?﹂
ゆるゆると首だけを動かして、ヴェリタは周囲を見回した。そし
て自分がまだ蠱毒装置の中に居ることに気付く。
なのに無事だということも。
﹁どうしてお主がここにおる⋮⋮﹂
﹁あのなぁ、お前が助けてくれって言ったんだぞ?﹂
きょう
そのままヴェリタの手を掴み身体を引き起こそうとするが、少女
しょ
は力が入らず嬌として崩れ落ちる。仕方が無いので向きを変え、よ
いしょ、と無理矢理背負い上げた。
ゆ
軽く小さな身体が沙良太の背中にしなだれかかる。
﹁じゃ、帰るか﹂
きんり
﹁⋮⋮どこへ連れて往くつもりじゃ﹂
﹁皆のところへ﹂
返事は聞かず、金履から噴き出した山吹色の光が二人をゆっくり
と仲間たちの待つ魔王城へ運び始める。
﹁そうそう忘れるところだった﹂
けいい
ばんま
だん
はりつけ
50mほど進んだところで、沙良太は振り返らずに呟く。
﹁経緯、萬魔を断ず﹂
さい
言い終わると同時に、糸によって磔にされていた蠱毒装置と射出
された剣針が賽の目に刻まれ、後ろで一斉に崩れ落ちた。災厄は元
の黒い粒子に戻り、魔界の大気に混じって消える。その光景をヴェ
リタはぽかん、と口を開け眺めていた。
あまりにも呆気なさすぎる。
しんきしょくけつ
つい先ほどまで世界は滅ぼうとしていたのに。
﹁神機織結、と﹂
世界に張り巡らされた縦横の糸が糸束ごと手の中に巻き取られる。
375
お
そうして沙良太はフリーになった両手で、少女の身体を負ぶい直し
た。
金履が高度を下げ始める。
天井の失われた魔王城、その最上階に集まる人影が遠目にも判別
できるようになってきた。
鎧を着た竜人型魔族の傍に立つ桃色の髪をした巫女服少女が、降り
うつむ
て来る二人の姿を認めて激しく手を振っている。
それを見た途端、ヴェリタは俯いて顔を隠し、沙良太の首にぎゅ
ぅと抱き着いた。
﹁どうした?﹂
﹁いやなに⋮⋮今さらどの顔をしてフィリカに会えば良いか、との﹂
憎悪に駆られ、蠱毒装置と一緒に世界に破滅をばら撒いた。さら
にそれすら自分では止められなかった。
﹁気にするなって。どうせフィリカも気にしてないさ﹂
﹁じゃがのぅ⋮⋮﹂
なぐさ
﹁だったら反省した分、フィリカに優しくしてやればいい。困って
いれば力を貸して、悲しんでたら慰めて⋮⋮普通の友達として接し
てやればいいさ﹂
﹁うむぅ⋮⋮﹂
しかし邪神だった少女は煮え切らない。沙良太の背中で、でもと
だってをブツブツ繰り返して顔を上げようとしない。
﹁だったら荒療治だ!!﹂
きんり
﹁ぬぉっ!? ぉおおおおっ!!﹂
金履から噴き出す光がばっ、と強くなると、少女を背負ったまま
沙良太はぴょんと跳躍。一足で距離を詰め魔王城の最上階にとんっ、
と軽やかに降り立つ。
それを見計らったように横からフィリカが飛びついて来た。
﹁ヴェリタ!! 無事で良かった!!﹂
﹁うわっ!?﹂
勢い余って倒れ込んだ三人は、まばらに柴の残る床の上を団子に
376
なって転がった。
377
本当の再会と少年
まみ
生きて再び会い見えることができた旧友、80年近く想い続けてい
た大切な人を前にしてヴェリタの動きが止まった。
巫女服の少女を映すアーモンド形の瞳が、驚いた猫の目のように大
きく開かれている。
﹁フィリ⋮⋮カ⋮⋮﹂
おり
名前を呼んだ瞬間、堤防が決壊した。大粒の涙がヴェリタから零
れ落ちる。
うわーん、あーん︱︱︱
誰にはばかることなく子供のように泣きじゃくる。
ずっと押し殺していた感情が爆発し、心に溜まった澱を全て吐き
出すような無邪気な号泣。そんな彼女をそっと抱きしめるフィリカ
ど
の瞳からも、つぅと涙の一筋が頬を伝う。
﹁二人とも、そろそろ退いてくれるとありがたいんだけどな⋮⋮﹂
少女二人の尻に敷かれて身動き取れなくなった沙良太がぶぅたれ
た。
は
しかし完全に自分たちの世界に入ってしまっているためか、再会を
喜び合うのに夢中な少女たちの耳には何も届かない。
﹁重い⋮⋮﹂
﹁おぃ沙良太、ちったぁあてらの気持ちが分かったか?﹂
ほとぼりが冷めるまで待とうとした沙良太の前にスニーカーを履
いた、すらっとした二本の足が現れた。
﹁色々言い訳はあるが⋮⋮ゴメンナサイ﹂
﹁まぁいいさ。ほらよ﹂
差しのべられた褐色肌の金剛杵女神の手を掴み立ち上がる沙良太。
その背中から転げ落ちた少女たちは、今度は柴の上で抱き合い、泣
き合っている。
378
﹁しばらくそのままにしておくか。ところでコン⋮⋮﹂
﹁分かってるぜ。あっちだ﹂
くいくいっ、と親指でジェスチャー。その先にあったのは賽銭箱
ほこり
女神の本体である、古ぼけた木の賽銭箱だった。
ボロボロになった服の埃を払った沙良太は、近づいて賽銭箱にそ
っと触れる。
しゅせんど
﹁お前のおかげで勝てたし、あいつらも助けることができたんだ⋮
⋮ありがとうな﹂
﹁そうだぜ。まさか守銭奴のサイが他人のために全財産投げ出すな
んてな。ちったぁ見直したぜ!!﹂
おおむ
肩でも叩くように金剛杵女神は賽銭箱をぱぁんとはたく。
﹁つっても概ね原因はサイのせいだけどな!!﹂
﹁あてと真新も巻き込みやがってな!!﹂
そう言って顔を見合わせた沙良太とコンはぷっ、と吹き出した。
軽やかな笑い声が周囲に満ちる。
﹁で、どうすれば元に戻るんだ?﹂
﹁そうだな⋮⋮意識があれば他人のでも、神力を注ぎ込めば再神化
するんだけどよ。こいつ、全部出しきっちまったからな﹂
うなづ
その分の神力も沙良太ん中に混じっちまってんだろ?と尋ねられ、
沙良太は頷く。
イシコリドメ
﹁ああ。サイの上司の分と一緒にな﹂
﹁だったら一度神社に戻って、伊斯許理度売様に分離してもらって
からの方が安全だぜ。変な神力が混ざると人格変わっちまうかもし
れねぇ﹂
﹁絶対山ほど文句言われるだろうな。でなきゃ死ぬほど恩にきせら
れるか﹂
﹁違いねぇ﹂
379
大団円?と少年少女
﹁︱︱︱お兄ちゃんっ!!﹂
わち
突然、沙良太の腰のあたりに何かがぶつかる感触。
な
見ると寝間着姿の妹の琶知が、片方だけ半ズボンになった綿パンに
ひしとしがみついていた。
その頭を沙良太の手がわしゃわしゃ撫でる。
﹁琶知、術の維持お疲れさん。慣れないから大変だったろ?﹂
﹁うぅん。そこは大丈夫だったんだけど、それよりお腹が空いて辛
かったから、無理矢理寝てたんだけど⋮⋮﹂
﹁だよな。俺もどっちかって∼とそっちのがキツかった﹂
﹁あ、二人とも話し方⋮⋮﹂
たた
琶知の後を追うように、真新が琶知にかけてあった沙良太のコー
トを畳みながら現れた。
確かに互いを自分と呼んでいた兄妹は、今は相手をそう呼んでは
いない。だが二人ともそれを気にしている様子も無い。
﹁真新も付き合ってくれてありがとう。助かった﹂
﹁いいわよ別に。元々コンの腐れ縁から生まれた超腐れ縁みたいな
ものだし、私はコンほど酷い目に合わなかったし。それより沙良太、
琶知ちゃんも、お互い別の人間って認識できるようになったのね﹂
﹁ん? ああ⋮⋮さっき貰った神力で、タコみたいに自分の手足喰
きがかん
わなくても済む程度には持ち直したからな﹂
もちろん今も飢餓感が無いワケじゃないけど、と補足する。
﹁それってつまり、危うく自分同士で共食いするレベルの空腹だっ
たのね﹂
﹁つ∼ことは、この前のも融合じゃなくて互いを喰い合おうとして
たのかよ。相変わらず怖ぇ兄妹だな、おい﹂
﹁余計なお世話だ。それはともかく、後はフィリカが落ち着けば、
380
元の世界に帰って寝てお終いか﹂
たわむ
﹁といっても、あっちはもうしばらくかかりそうね﹂
たむろ
クッコロ
苦笑する真新の視線の先では、少女たちがまだ戯れている。
ひざまず
と、賽銭箱の傍で屯していた沙良太たちの所に、影女が後ろに鎧
を着た竜人を連れてやってきた。
かえり
しず
そして二人は沙良太の前に立つと、ざっと同時に跪く。後ろから
魔族たちがどよめく声がした。
﹁人の子らよ⋮⋮自らの危険を顧みず、よくぞ魔王様を鎮めてくれ
た。改めて礼を言わせてくれ﹂
﹁さらに敵であるはずの我ら魔族を助けてくれたことにも、だ。我
々は多くの同胞を失ってしまったが、それでも貴殿らの手により多
くの命が救われたことも事実。我ら魔界騎士の誇りにかけて、貴殿
グレーター
らに感謝の意を表する。どうか受け取って欲しい﹂
深々と二人の上級種魔族は頭を下げる。けれど特に竜人は身長が
3m以上あるので、頭を下げても頭の位置は沙良太たちの頭のはる
か上だ。
以前であれば彼らのような自尊心の強い騎士たちが、常日頃軽ん
きせいがいねん
たやす
じている人間に例を言うなど考えられなかったであろう。けれど魔
王が邪神となり暴走したことによって、そんな既成概念は容易く打
ち砕かれてしまった。
けれど全てを失ったその上で礼節を失わなかった彼らは、人間と
姿形は違ってもまぎれもなく文明文化を持つ知的存在であった。
﹁え∼と、頭を上げてくれるか? その⋮⋮何か変な気分だ﹂
ごまか
な
それまで不敵な態度を崩していなかった沙良太は、意外にも礼を
ほほえ
言われて照れていた。戦闘で乱れた髪を誤魔化す様に撫でつける彼
を、真新と金剛杵女神が微笑みながら眺めている。
﹁で、お前たちはこれからどうする?﹂
すみか
す
﹁生存している者を救出し、その後は皆でここ以外に居場所を求め
るつもりだ。先祖伝来の住処を棄てるのは忍びないが⋮⋮﹂
すくと立ち上がった竜人騎士が沈痛な面持ちで答える。それが金
381
剛杵女神の導火線に火をつけた。
いさか
ま
﹁おいおいおい、バカ言ってんじゃねぇぞ!! お前ら、行った先
々でまた諍いの種を撒くのが目に見えてるぜ!! それが積もり積
もればどうなるか、身を持って体験したところじゃねぇか!!﹂
﹁ならどうすれば良いのだ!! 元々魔界は作物の育たぬ枯れた地。
いかく
我らも頭数が減ったとはいえ、このままでは冬を越せん!!﹂
おぅおぅ、とガンつけて威嚇するコンに、彼女より2mほど身長
の高い竜人がタジタジになりながらも反論する。
そこに真新が割って入り、両者を引き離した。
﹁コン、意地悪しないで教えてあげたら?﹂
﹁だってよ真新⋮⋮こいつらの強奪気質をどうにかしなけりゃ、ま
た同じことの繰り返しだぜ?﹂
かわい
ほ
ふく
﹁﹃衣食足りて礼節を知る﹄。ただでさえ追い詰められてるのに、
これ以上は可哀そうよ﹂
よそ
﹁あ∼分かった!! 分かったからそんな顔するなって!!﹂
めくば
少女たちのやり取りに困惑する二人の騎士を余所に頬っぺたを膨
らますのを止めた真新は、沙良太に目配せで了解を取ると、すっと
右手の人差し指で水平線を示した。
﹁皆さん、あちらを見て下さい!! 遠く地の果て、その先にある
ものを!!﹂
クッコロ
クロダイコン
そこにいた全員の視線が、彼女の指先にある空と大地の境界に集
フィリカ
ヴェリタ
まる。影女、竜人騎士とその後ろで騒いでいた魔族の生き残りたち。
再会を喜び合っていた人間の姫と魔王少女も、声を潜めてじっと水
平線を見つめる。
やがて⋮⋮
﹃何か近づいて来るぞ!!﹄
﹃光? 緑色の光がどんどん広がって⋮⋮﹄
﹃あれは何だ!? 今まで見たことも無いぞ!!﹄
﹃分からん⋮⋮しかし、何故か不快ではない。むしろどこか優しい
気持ちになる⋮⋮﹄
382
目の前で起きている現象が理解できず、皆が口々に疑問をぶつけ
合う。しかし答えを知る者はいない。
そうしている間にも水平線を満たした緑の輝きは、みるみるうち
に大きな緑の塊となって魔王城のすぐそばまで押し寄せてきた。
︱︱︱︱アオーン!! オーン!!
ほ
﹃ndaaaaaaaaaaa!!!﹄
さら
双頭の巨大な犬がステレオ音声で吠える。
付き従う屈強な身体を惜しげも無く晒す、筋骨隆々︵きんこつりゅ
うりゅう︶の獣人たちが一斉に歓声を上げた。
ど
琶知と共に魔界へと攻め込んだ魔獣ベロと、彼女に導かれた獣人
村の若者たちだ。
ぎも
しかし魔族たちはそれよりも、彼らが連れてきたものを知って度
肝を抜かれた。
﹃草木が︱︱花が︱︱﹄
﹃魔界の大地はとうの昔に枯れ果てているのに!!﹄
﹃まるで森の道だ⋮⋮﹄
ベロを中心に広がった強制治癒術の方陣。それは獣人たちを癒し
強化するだけでなく、彼らの通り道に木々を生やし草を芽吹かせな
がら、広大な森林を魔界まで引き連れて来た。広葉樹に針葉樹、落
りんご
ぶどう
おの
葉樹に常緑樹、北国南国様々な木が四季も無視したてんでバラバラ
つた
な密林を形作り、枝には鈴なりの林檎や葡萄などの果実が自ずから
しだ
じゅうたん
光を発するかのように照り輝く。その木陰では低木に混じって蔦や
羊歯類が葉を広げ、緑の絨毯の中に赤青黄色とりどりの花々が咲き
乱れる。
しかも魔族たちが見ている目の前で森は瞬く間に広がり、その密
度と勢いを増してゆくばかり。
﹁沙良太さん、これは一体!?﹂
駆け寄ってきたフィリカが沙良太の肩を掴んで揺さぶりながら尋
ねる。
﹁見ての通り分かりやすい解決方法だ。奪わず奪われず、殺さず殺
383
されず、人と魔族が栄えていくための、な﹂
まてんろう
どこかを無理矢理豊かにするためには、別の場所から富や資源を
移送しなければならない。砂漠に摩天楼を築くためには、それを維
ろうかく
持するため常にエネルギーを供給し続ける必要がある。でなければ
せつり
ね
砂上の楼閣は、シルクロードの古代都市群のようにまた砂へと還っ
イヤシロチ
て行く。
﹃弥盛霊﹄
古き星神の力は、自然の摂理さえ簡単に捻じ曲げる。それは水も
はぐく
栄養も無しに、全てを失った魔族たちの前で枯れた魔界の大地に無
限の生命を育んでいた。
﹁我と戦いながら、その後のことまで考えておったというのか。は
は、我が勝てぬわけじゃ⋮⋮﹂
眼下を埋め尽くしてゆく緑の森を見たヴェリタは、フィリカの手
を取ったままへなへなと崩れ落ちた。
言い換えれば魔族全員で金脈か油田でも掘り当てたようなもの。
しかも癒しと成長の奇跡は、何の代償も無しに世界の終りまでそ
もちろん
こにあり続けるだろう。
チャンス
﹁勿論これは次の争いの種になるかもしれない。だが、俺たちがで
きるのは可能性の提示までだ。奇貨を活かすか殺すか⋮⋮それは皆
で考えて決めてくれ﹂
そこで沙良太は言葉を切る。つい先ほどまでの絶望と突然飛び込
んできた幸運の落差に耐え切れないのか、答える者はいない。
人間から奪わなくても自活できるようになれば、当面魔族と人間
に争う理由は無くなる。その時間を利用して新たな関係を築くこと
ができれば、この世界は二度と憎しみと悲しみに満ちた﹃蠱毒装置﹄
とならずに済むかもしれない。
﹁いや∼、あてらも妹に聞くまで信じられなかったぜ。まさか破壊
大好き兄妹が、裏でこんなこと考えてたなんてよ﹂
﹁うん、二人の事ちょっとだけ見直したわ﹂
でもまだマイナスの方が多い、と言わんばかりの金剛杵女神と真
384
新。二人が沙良太と琶知に飲まされた煮え湯の量からすれば、完全
おや
和解にはもうしばらく時間がかかるかもしれない。
﹁だから悪かったって。そのうち両親連れてカレー食べに行くから
さ﹂
﹁そうね。しばらく毎週金曜日に通ってもらうくらいでないと割が
⋮⋮﹂
︱︱︱ピシッ
不意に何かが割れるような音がした。けれど誰も気づいた様子は
無く、広がり形を変えていく豊かな森に目を奪われている。
ただ一人、黙ってずっと空を見上げていた琶知以外は。
﹁お兄ちゃん、釣れたよ︱︱︱﹂
385
星を観た者たちと兄妹
︻世界︼は混乱していた。
こどくそうち
じょうせい
人と魔族、︻世界︼の中で生まれた二つの存在は互いに喰らい殺
し合い、流された血と涙、そして命は蠱毒装置により醸成されるこ
すべ
とで未熟な︻世界︼の核とも背骨ともなる存在︱︱すなはち︻管理
神︼を生み出す。それにより︻世界︼は別の世界から身を守る術を
得て、晴れて一人前の︻世界︼となる。
︻管理神︼は︻世界︼に生きる者たちが、︻管理神︼を生み出し
維持することができるレベルの知性、精神、文明を持ち得たことを
証明する一種の成熟度のトロフィー。
︻管理神︼の強さは︻世界︼の強さ。
えんぼう
ゆえに︻世界︼にとって、︻管理神︼は強力であれば善神でも邪神
でも構わない。
そして死と恐怖と怨望は、最も簡単に目的を達成するためのツー
ルだ。
死を避けるため、恐怖を退けるため、怨望を逃れるため、生命は
必死で進化する。進化した彼らはやがて自らの限界を知り、絶望し
て未来を見失い渇望の中で︻神︼を求める。
そして最初の︻神︼が生まれる⋮⋮はずであった。
けれども、どことも知れない異世界からやってきた︻異物︼たち
ふらんき
がシステムを壊した。
ゆうわそうち
︻管理神︼の孵卵器たる蠱毒装置を打ち砕き、︻神化︼した魔族
の少女を解放し、さらに人と魔族が和解できるよう︻融和装置︼と
いつ
も呼べる異常な力場を︻世界︼の中に設置。
あんねい
はぐく
ぜいじゃく
これでは︻管理神︼が生まれるのが何時になるのか。
例え生まれたとしても、平和と安寧の中で育まれた脆弱な︻管理神︼
はどれほどのものか。
386
ゆえに︱︱︱
ヒトガタ
﹁気に喰わないから全部ぶっ壊して仕切り直し、ってか? 分かり
こくう
易い﹂
虚空に手を伸ばす透明な人型を見上げながら沙良太が呟く。
むぼう
︻世界︼の異変は既に誰でも察知できるレベルにまで拡大してい
る。
現れたのは﹃無貌の巨人﹄。
ヴェリタ
太陽も月も星も無い偽りの天蓋から切り出されたのっぺりした顔
のそれは、どこか魔王少女を取り込んだ蠱毒装置にも似ていた。
﹁ちょっ、あんなのが出て来るなんて聞いてねぇぞ!!﹂
﹁大きい⋮⋮それにこの、まるで世界の全てが怒りに震えているよ
うな威圧感は一体⋮⋮﹂
うろた
﹁真新さん正解。あれ、この世界そのものだよ﹂
システム
まさに動き出さんとする巨人を前にして狼狽えるフォーク組に、琶
知があっさりネタばらしする。
しび
﹁ま、正確には︻人と魔族を戦わせる︼世界機構、って奴だな。存
在意義を失くすよう世界改変してやったら、痺れを切らして向こう
から出てきやがった﹂
システム
﹁なるほど、ってお前らこうなるって分かってたのかよ!!﹂
むぼう
﹁それは置いといて、沙良太。まさか機構を倒したら、この世界も
壊れたりはしないわよね?﹂
救いを求めるような真新の目。
一体全長何十kmになるのかも分からない﹃無貌の巨人﹄は、ゆ
っくりと地上に近づいて来た。その輪郭はどんどん大きくなり、生
まれたばかりの緑の道と希望を目にした者たち全てを押しつぶそう
としている。
﹁壊れるよ?﹂
387
けんげん
よゆうしゃくしゃく
﹁それ以前に単なるシステムの顕現だから、倒すとかいう概念は通
じないぞ﹂
﹁ああっ、やっぱりっ!!﹂
うめ
﹁つ∼かどうしてお前ら兄妹は、この期に及んでそんな余裕綽々な
んだよっ!!﹂
ボリウッドダンス
ひろう
あ∼もう分からんっ!! と頭を抱えて呻く金剛杵女神の横で、
真新はインド映画舞踏式えらいこっちゃ音頭を披露中。
すべ
二者二様に取り乱すその脇を、すっと人影が通り過ぎた。
﹁⋮⋮勝つための術があるのですね?﹂
おんしゅう
かなた
いつの間にか隣に立っていたフィリカの言葉に、沙良太と琶知は
強く頷く。
ひも
﹁なら見せて下さい!! 恩讐の彼方にあるはずの、運命を越えた
おう
先にある未来を!!﹂
﹁応!!﹂
か
ちぎ
威勢よく答えた沙良太は、手首に巻きつけた霊玉﹃八領玉﹄の紐
を噛み千切ると、バラバラになったそれを琶知に放り投げる。
ま
赤、橙、黄、緑、水、青、紫の虹の七色に、白を加えた八つの勾
玉が宙を舞った。
れんてい
ぶんきょく
ぶきょく
はぐん
ろくそん
すけぼし
﹁私が名前を与えてあげる︱︱︱もっと沢山死をばら撒くための、
こもん
ね﹂
巨門、廉貞、文曲、武曲、破軍、禄存、そして輔星。
琶知が名を呼ぶたびに光を失った八領玉は一つ一つが輝く北斗七星、
にぎ
その八つ星に姿を変え、少女の周りをぴかぴかとクリスマスの電飾
のように賑やかす。
もてあそ
ささや
沙良太はポケットに捻じ込んでいた﹃真・同田貫﹄の柄を手に取る
ほど
お
な
なんじ
ほんてん
つるぎ
なり
と、これまたぺいっ、と弄ぶように投げると、言霊を囁く。
﹁解けよ、織り成せ︱︱︱汝、叛天の剣也!!﹂
折れて柄だけとなった日本刀は、ぱぁっと金色の糸に分解する。
一瞬で編み上げられたのは、金色に輝く稲穂型の槍の穂先。
ごく自然に二人の手が握られると、星と槍が一つになり新たな神具
388
を生み出す。
きっさき
まと
ほしのぬぼこ
むぼう
死と滅びを司る八つの輝星を纏った槍、﹃星瓊戈﹄
システム
その金色の槍の鋭い鋩が、目には見えない﹃無貌の巨人﹄の核と
セイ
てんじょう
なる世界機構に狙いを定めた。
ふたり
とな
かじり
︻星は天壌を巡り︱︱︱︼
シ
むきゅう
つな
兄妹の唱える神咒が異世界の空に響く。
︻糸は無窮を繋ぐ︼
スイ
じょうこう
ミカボシ
うが
そら
永劫の時と無限の可能性、気の遠くなるほどの反復と試行錯誤を越
やてん
えて、
︻夜天の錘たる凶星︼
ふつぎょう
そして星河の織女は︱︱︱
︻果ての払暁に︼
すい
おの
ただ一つの結末を導き出す。
︻穂たる上高を穿つ︼
法理も道理も打ち砕き、己が自由を取り戻すため。
﹁これが︱︱︱︱﹂
﹃太陽を殺す刃だ!!﹄
まばゆ
つぶ
こうぼう
瞬間、世界は真昼のような金色の明るさに包まれた。
誰もがその眩さに目を瞑る中、飛び立った一つの光芒が天と地を貫
く。
﹁ど、どうなったんだよ!?﹂
﹁ゴメン、私もまだ視力が⋮⋮あぁっ!!﹂
光が収まって、目を開けた真新は絶句した。
スイカ
カボチャ
放たれた兄妹の一撃で巨人は真っ二つに切り裂かれ、既に背景に
溶け込むようにして消えていく途中だ。
しかしそれ以上に衝撃的だったのは⋮⋮
どんてん
﹁後ろ空割れてる!! 何か宇宙見えてる!!﹂
魔界の曇天に刻まれた線、そこからまるで西瓜か南瓜のお化けの
たお
ように、ぱっくり割れた空が口を開けていた。
世界秩序を討ち斃した星の刃は、この未熟世界を覆う偽りの天蓋
389
いく
さえ粉々に砕いてしまっていた。その欠片がキラキラ輝いたかと思
きらめ
うと、割れ目の向こう側にある真っ黒な本当の空に、幾つもの新し
い星となって煌く。
﹁さ、沙良太さん? あの⋮⋮﹂
﹁よっ、フィリカ。俺たち勝ったぞ﹂
﹁これで未来は変わるはずだよ!!﹂
﹁はい、お二人ともありがとうございます⋮⋮ではなくて、え∼と、
そのですね⋮⋮﹂
ヴェリタ
クッコロ
世界は救われたはずなのに、フィリカの言葉は煮え切らない。そ
こに我を取り戻した魔王少女と、影女たち魔族が続々と集まって来
た。皆一様に押し黙ったままで。
うなづ
沙良太も琶知も、何が起きているのか分からない。そんな二人を
こだま
尻目にフィリカはヴェリタと目配せし互いに頷き合うと、おずおず
と再び口を開く。
﹁や︱︱︱﹂
﹁ん?﹂
﹃やり過ぎだぁぁぁっっ!!﹄
生き残った全員の声と心が一つになって木霊する。
人間と魔族、憎しみ合うことを世界秩序に定められていた二つの
種族。
その最初の共同事業は、異世界から来た凶悪兄妹にツッコミを入
れる事だった。
390
遠くて近しい未来と過去へ
めちゃくちゃ
﹁︱︱︱にゃははははっ!! もう滅茶苦茶じゃないですか!! たんもの
おっ、お腹超痛い︱︱︱あの子たち、私を笑い殺すつもりですかっ
!!﹂
やませ
ひたちの
小高い丘の上に立ち、手に持った反物を取り落としそうになりな
くに
がら笑う妙齢の女性の声は、冷たく湿った山背に乗って広大な常陸
あわ
国の平野を駆け抜ける。その中で日本人形のような長い黒髪が、女
うちかけ
性の爆笑に併せてキューティクルをキラキラと輝かせた。
じゅうにひとえ いしょうか
﹁にしても、あの必殺技は少々厄介ですねぇ﹂
おみごろも
はお
紅白の巫女服の上から十二単を意匠化した鮮やかな打掛のような
儀礼服︱︱︱小忌衣を羽織った彼女は、ふぃと真顔に戻って呟く。
いざなぎ
いざなみ
北斗星君の死絶咒に運命操作と、極限まで﹃死﹄に特化した未知の
神具。
あまてらす
つくよみ
すさのお
さんきし
兄妹が発動することで伊邪那岐・伊邪那美の兄妹神を模し、一瞬だ
あめのぬぼこ
けでも天照・月読・素戔嗚の三貴子を越える神格を実現している。
神具の形が﹃国産み﹄に使われた創世神具﹃天瓊戈﹄に近いことも
偶然ではない。
﹁発動されたら最高神さえ一発アウト、となると、そもそも接触し
わぼく
しさく
ないよう調整しておく必要がありますか。ああ、また面倒なことを
⋮⋮﹂
﹁貴様、和睦の使者ではなかったのか?﹂
﹁おっと、そうでした﹂
ふところ
しま
不意に聞こえた精気に満ちた若い男性の声に、思索を中断された
せきばら
女性は慌てて反物を懐に仕舞い込んだ。
すい
あまてらすおおみかみ
そしてコホン、と咳払いを一つ。
﹁天上の帥たる太陽神・天照大神、及び高天原諸神の総意をお伝え
します﹂
391
あめのかがせお
あまつみかぼし
ふつぬし
たけみかづち
先ほどとは打って変わって、すらすらと言葉を紡ぐ。
しとりがみ
たけはづちのみこと
しりぞ
うべな
﹁星神・天香香背男こと天津甕星。経津主・武甕槌の両武神を退け
なり
たる儀、見事なり。故に倭文神・建葉槌命を遣わし、重ねて服わん
ことを欲する也﹂
ゆる
口上を述べ終わると巫女服の女性︱︱︱建葉槌は、ふぅ、と息を
つくと表情筋を緩ませた。元々垂れた目尻がさらにだらしなく垂れ
下がる。
﹁ということで、ちゃっちゃと降伏して下さい。悪いようにはしま
せんよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁ついでに私がダメなら、次は別の方が派遣されてきます。貴方が
諦めるまで何度も何度も、です。なんせ八百万って言うくらいです
から、人材だけは無駄に豊富ですし﹂
てうちわ
といいますか高天原の連中、さっきの勧告文書も絶対使いまわして
きますよ。私以上にずぼらな方々の集まりですからねぇ、と手団扇
でパタパタ自分の顔をあおぐ。
友好的な姿勢をアピールしているつもりか。
しかし交渉相手の青年︱︱︱星神は警戒を解かない。どこか沙良
太・琶知の兄妹にも似た鋭い眼光は建葉槌の一挙手一投足を捕えて
いな
逃そうとしない。
まと
は
﹁否、太陽が何するものぞ。何者が来ようとも、先の二神のように
退けてくれる﹂
﹁あらら、女の子相手につれないんですね﹂
いくさしょうぞく
力と意志、強大な嫌悪と共に吐き出された回答。
つば
それを示す様に戦装束の短甲を纏った星神は、腰に佩いた黄金の太
刀の鍔をちきん、と鳴らす。
太陽が天の主ならば、夜空に輝く明星もまた天の主。
あくしんちゅうばつ
自身の強大な神力と従える無数の星々は、決して高天原に劣るもの
では無い。現に高天原最強の武神二柱は、このまつろわぬ悪神誅伐
を断念している。
392
つか
なのに何故、前の二柱より武力で劣る織物の女神が遣わされたのか。
星神の青年にはそれが理解できなかった。
しゅ
いや、相手が誰であっても問題無い。いずれ手出しはできなくな
る。何故なら⋮⋮
さかほこ
﹁そうそう、貴方が高天原侵攻の為に作った﹃石峰の咒﹄ですが、
先ほど来たついでに封じときましたよ﹂
﹁なッ!?﹂
星神は視線を術の方向へと向ける。
命を吸い、無限に成長を続けることで天を刺す逆鉾となる巨大な
呪力の岩山。もうすぐ雲に届くかと思えたそれは、しかし女神の言
おれ
きんとう
ぞうり
う通り動きを止め、ただの岩となり果てている。
てっぺん
﹁己の術に何をしたっ?!﹂
﹁天辺に貴方の金沓と同じ、金糸で編んだ草履を置いてきました。
それと同じ草履で地面の小石を踏みつけることで、術の岩山もただ
の石ころにできるんですよ。先の二神に受けた傷のせいでしょうか
むさぼ
だっさい
ね。焦って慣れない術に手を出すなんて、戦略を見誤りましたね﹂
﹁己の切り札を、よくも⋮⋮﹂
﹁にしても、術の完成に敵味方構わず貪りますか。無様ですねぇ星
主﹂
かな
おどけた様子だった女神の声が急に冷たくなった。
てんそん
ニニギノミコト
あしはらのなかつくに
﹁言っときますけど、貴方の目的は決して叶いませんよ。何故なら
この後、天孫・瓊瓊杵尊が葦原中国に降り立ち支配するところまで、
もう決まってますから﹂
すさのお
﹁馬鹿な!! あの高慢な神々が、わざわざ地上に降りるなど⋮⋮﹂
﹁私も不思議に思ったんですけどねぇ。何でも素戔嗚様の子孫が領
地経営に成功したのを見て、天照様がスケベ心を出したみたいなん
ですよ﹂
これだから世間知らずのニートは空気読まないって言われるんで
す、と悪態をつく女神。
だが、彼女は知っている。天孫を軸に新たな国家を築くことでし
393
か、この地を海の向こうから押し寄せる悪意から守ることはできな
い未来。それでも避けられない犠牲の大きさを。
﹁もう一度言います。貴方の目的は決して叶わない。ですから降伏
して欲しいのです﹂
﹁⋮⋮お前は己の目的を知っているのか?﹂
﹁ええ、知っていますよ。まぁこの時代には、それを意味する言葉
さえ存在しないのですけれども﹂
﹁何を言っている?﹂
﹁っと、こちらの話です。気にしないで下さい﹂
質問はバッサリ切り捨てる。
フリーダム
リバティ
﹁貴方が求めているもの。それは﹃自由﹄と言います﹂
﹁じゆう⋮⋮聞かぬ語だ﹂
にじ
もろ
﹁思うがままに空を駆ける自由。何者にも縛られない自由。けれど
も自由は大きな力の前には簡単に踏み躙られてしまう、とても脆い
ものなんです。ですから、それを守るため人は武器を手に立ち上が
る⋮⋮今の貴方のように﹂
すす
力の論理が支配する大陸で何千年もかけて何億人もの血と汗と涙
ゆ
を啜り、そして近代に入りやっと存在を認められた概念。
おびや
夜空を自在に往く強力な星神であったからこそ、彼は自らの﹃自
由﹄の価値に気付き、脅かされた時それを守ろうとした。たとえ自
身が弱者の自由を踏み潰すことになっても。
︵それさえも、誰かを必ず踏みつけなければならないという条件付
たけみかづち
ふたり
きの自由⋮⋮何とも不自由な自由ですねぇ。彼も、我々も⋮⋮︶
ふつぬし
女神は内心で毒を吐く。
な
ちゅうさつ
既に地上に降りた経津主・武甕槌の二柱は、力の弱い怪異や神々
ひとえ
撫で斬りに誅殺し、多くの者が声も上げられず倒れ伏していった。
この星神と女神が出会えたのは、偏に彼が強かったから。だから
せんめつせん
こそ、偽善でも目の前にいる星神に降伏して欲しいと女神は思う。
交渉が決裂し殲滅戦になれば、彼は必ず誰かに殺される。その名は
歴史から消し去られ、神からも人からも完全に忘れ去られるだろう。
394
たけは
たけはづち
の
武神二柱の次に同じく武神﹃武刃﹄の名を持つ建葉槌が送り込まれ
たことからも、高天原の方針は明らかだ。
同時にそれは建葉槌にとっても重いメッセージとして圧し掛かって
いた。
しどり
荒ぶる星神を降伏させられなければ誅殺を、誅殺も不可能ならせめ
て深手を与えて死んで来い、と。でなければ彼女に連なる倭文の一
族もどうなることか。
﹁そこで個人的な提案なのですが、降伏では無く封じられてはいた
だけませんか? 私と一緒に⋮⋮﹂
﹁降伏と何が違う!!﹂
﹁違いますよ!! 一度刃向ってからの降伏であれば、全ての力と
権能を奪われ砂利のように捨て置かれます。けれど封印であれば、
高天原の怒りを避けられる。表立って動くことはできませんが、大
地と溶け合い人と混じり合うことで、その心を伝えていくことがで
きます!!﹂
﹁むぅ︱︱︱﹂
星神の青年は返答に詰まった。
そして、まるで真偽を確かめるかのように女神の黒い瞳を見つめる。
あまつかみ
奥の手の﹃石峰の咒﹄を無力化された今、闇雲に戦い続けてもい
つかは負ける時が来る。元々が建葉槌と同じ天津神の彼は、それが
分からないほど愚かではない。
﹁今すぐ信じてくれ、とは言いません。けれども私は⋮⋮﹂
﹁分かった﹂
﹁はへ?﹂
まだ粘るかと思ったが、意外にも星神はあっさり女神の提案を受
け入れる。
﹁どうした。己を封印するのではなかったのか?﹂
﹁いえまぁそうなんですけど⋮⋮いやにあっさり承諾しましたね﹂
﹁なに、お前の見たものが己にも見えただけだ﹂
星は光を受け照り輝く。
395
ギリシャ
星神である彼は建葉槌の力を受けることで、彼女の職能の一部を
己の中に密かに写し取っていた。
モイラ
織神・建葉槌︱︱︱織物の神と呼ばれる彼女の真の職能は、希臘神
話の運命の三女神と同じ﹃運命の糸を操る﹄こと。
繋がる可能性の先にある未来を見通し、絡まる運命の糸を織り成す
ことこそ彼女の本分。 ﹁どうやら随分と面白いことになりそうだな﹂
ほころ
何千年か先に生まれることになる、自分たちの力と心を受け継ぐ
兄妹のことを知った星神は、にぃ、と口元を綻ばせる。
ここに至って建葉槌は、何故未来を見ることができる自分が彼の
元に遣わされたのかを理解した。
︵本当の意味でメッセンジャーにされるなんて、ねぇ︶
苦笑しながらも女神は、すっと手を差し出す。
はたおり
﹁この手を取れば貴方は封印されます。覚悟ができたなら⋮⋮って
即断即決ですね﹂
間髪入れずに女神の手を握り返す星神。
﹁悩んでどうなるものでも無かろう? では往こうか、機織の乙女
よ﹂
ほど
呆気にとられている彼女の目の前で、不敵に笑う青年の姿は握った
手からするする解けて金色の糸になっていく。
そして女神の手も。
あずまえびす
二つの糸は絡み合い混じり合い、空に大地に溶けてゆく。
あ
﹁まったく、東夷はデリカシーの無いことです。私もとことん男運
がありませんねぇ﹂
ふたり
﹁なぁに、お互い着慣れる時間なら飽くほどあるさ⋮⋮﹂
﹁ふふっ⋮⋮﹂
やがて完全に解けた二柱の姿は風に野山に混じり消えていった。
ま
ひせき
少し遅れて、遠くで臨界に達した﹃石峰の咒﹄が轟音と共に爆散
し、その瓦礫を周囲一帯にばら撒く。
頭を失い残った岩山は、まるで主の存在を大地に刻む碑石のように、
396
主の去った国を彼の代わりに見守り続けていた。
ちゅう
みなすで
一伝 二神遂誅邪神及草木石類 皆已平了 其所不服者 唯星神香
つい
香背男耳 故加遣倭文神建葉槌命者則服
おわ
そ
うべな
ただ ほしのかがせお
ゆえに
しとりがみ たけはづちのみこと
︵一に伝う。二神、遂に邪神及び草木・石の類を誅し、皆已に平げ
すなは うべな
了る。其の服わぬ者は、唯星神香香背男のみ。故、倭文神建葉槌命
を加え遣わせば、則ち服いぬ︶
︻日本書紀 巻第二 第九段︼
397
昼下がり、冬晴れの少年少女︵上︶
三学期初日。
やますそ
温暖な地中海式気候の瀬戸内とはいえ、一月の空気は陽が昇っても
あさしも
ぬ
肌寒いし、内陸部には雪も降る。町はずれの住宅地を抜けて山裾に
したぐつ
は
向かう道路の上には、朝霜の降りた部分のアスファルトが濡れたま
ま残っている。
その黒い跡を避けるようにして、白い下靴を履いた小さな足が、ち
ょこちょことなだらかな坂を進んでゆく。野暮ったい紺のイートン
ジャケット制服を着た背中で揺れるのは、宿題を提出して空になっ
す
た赤色のランドセル。、唯一残ったプラスチック製の筆箱が我が物
顔で踊るせいで、一歩踏み出す度にかちゃかちゃと騒がしい音が澄
み切った冬空に抜けていった。
﹁わ∼わっち!! こんなところでどうしたのっ!!﹂
﹁ひにゃぁんっ!!﹂
えりくび
突然後ろから抱き着かれた琶知は、驚いて思わず変な悲鳴を上げ
た。
のと同時に、振り向くより先に不審者の襟首に手を回してギリギ
リと締め上げる。
﹁ぐぎ⋮⋮ぎぶぎぶ⋮⋮﹂
﹁あれ、誰かと思ったらすもちゃん!! もう、びっくりさせない
で。痴漢と間違えて危うく股間蹴り潰すところだったよ?﹂
あだな
すもりすもも
既に攻撃態勢に移行していた右足を降ろしながら手を離すと、不
動産サイトみたいな仇名のクラスメイトの少女︱︱須森李はぜーは
ーと荒い息を整えた。左右で結った触覚のようなツインテールが、
少女の胸の動きに合わせてぴょこぴょこ動く。
なま
さすが
﹁始業式の間もぼんやりしてたから気になっていたんだけど、どう
やら腕は鈍って無いみたいだね。流石わわっち!!﹂
398
確かに昨日帰って来たのが午前3時半頃だったため、寝不足でず
っと半眠り状態だったのは事実。けれどそれを確かめるために襲っ
て来るなんて⋮⋮。
ハエ
カ
すもも
どこの流浪の武道家だその発想は、と微妙に不機嫌になった琶知
おどろ
が、蠅や蚊ぐらいなら失神させられそうな鋭い視線を李に向ける。
﹁そんなことのために驚かせたの?﹂
﹁違う違う。学校が午前中で終ったから遊ぼうと思ったのに、わわ
っち先に帰っちゃうし。仕方ないから自分も帰ろうとしたら、途中
でわわっち見つけて嬉しくなってつい⋮⋮でも、確か通学路こっち
じゃないよね?﹂
﹁うん。ちょっと今日はお昼ご飯にお呼ばれしてて、ね﹂
すもも
﹁ご飯っていってもこの先、うちの家ぐらいしか無いけど?﹂
たにあい
きょとんとした顔で山の方を見る李の様子に、琶知は親友の家の
場所を思い出した。
町を出て山を二つ越えたところにある谷間の一軒家。琶知が彼女と
出会ってから4年ほどになるが、道が危険なため彼女の家には一度
たけひ
も行ったことが無い。昔、クラス替え直後の自己紹介で、家に水道
が無いから山奥の沢から竹樋で水を引いているため雨が降るとお風
呂が濁って困る!! とか自慢してクラスの大半、主につるむのが
好きな女子グループをドン引きさせたこともあった。
そんな風変りな彼女は彼女でマイペースな琶知のことが気に入った
のか、学校では二人でよく一緒に行動している。
﹁手前の神社に用事があるの﹂
すもも
﹁ああ、最近外国人の巫女さんが来たっていう噂の⋮⋮あそこでご
飯? どうして?﹂
はつもうで
答えずに歩き出した琶知の後ろを、待ってよ∼、と李がぽてぽて
追いかける。
﹁そうそう神社と言えば今年の初詣、うちは家族皆で東京に行って
きたんだよ。それで明治神宮とか神田明神とか浅草寺とか、有名ど
ころを色々全部廻って来たの。これで今年は大吉間違いなし!!﹂
399
﹁廻り過ぎで神様がケンカしないといいね﹂
﹁大丈夫でしょ、そこは。神様だし﹂
琶知の知っている神様はケンカばっかりしていたような気がする
が、それを伝えて友人の喜びに水を差すほど彼女は野暮天では無い。
﹁でも、どこの神社だったかな。本殿の裏側で変なコスプレイベン
トやってたのが初詣より一番記憶に残った気がする﹂
の
﹁コスプレイベント? お正月から? 神社で?﹂
のきした
﹁うん。図画工作の教科書に載ってる天使みたいに背中から羽を生
やした外国の人が、お侍さんと一緒に軒下でワイン飲んでた﹂
﹁⋮⋮そんな漫画やアニメってあったかな?﹂
﹁さあ? で、いいのかな∼って見てたら小さい巫女さんがやって
むし
きて⋮⋮あ、やっぱり注意するのかな? って思ったらいきなり天
使さんの羽を毟り始めて⋮⋮確かネットオークションで売るとか何
とか言ってたような⋮⋮﹂
ぶふっ、と琶知は人目もはばからずに吹き出していた。
すもも
ちょうど一人、そんなことをやりそうな人物というか神様に心当
たりがあったからだが、李は琶知の変化には気付かず話を続ける。
は
﹁結局お侍さんと、中から出てきた古いパイロット服の男の人たち
が、天使さんから巫女さんを引き剥がしてどこかに連れて行ったん
だけど⋮⋮何だったんだろう、あれ?﹂
もちろん
すもも
﹁な⋮⋮何だったんだろうね、本当に不思議⋮⋮﹂
勿論、李は自分の出会った侍やパイロット達が新年会を楽しんで
いた本物の神様だったことを知らないし、天使もキリスト教の総本
すもも
山であるバチカン市国から招待されてやって来た本物だったことも
知らない。それは本来、人間が知らなくていいことなのだから。
けれども知ってしまった琶知としては、しきりに首をかしげる李
に苦笑いを返すことしかできなかった。
﹁ところでわわっちはお正月どうしてたの?﹂
﹁うちは初詣で伊勢神宮に行って、おかげ横丁で伊勢うどん食べて
帰ってきて、それで⋮⋮﹂
400
むし
言葉に詰まる。天使の羽毟り犯の賽銭箱女神に振り回され、兄と
一緒に剣と魔法のファンタジー世界で暴れてきました、なんて言え
るはずが無い。
﹁それで?﹂
﹁それで⋮⋮そう!! 冬休み中、お兄ちゃんに何故か女友達が沢
山出来て、色々大変だったんだよ!!﹂
ゆいがどくそん
なので妹は、自分の兄を犠牲にすることにした。
﹁ええっ!! わわっちに輪をかけて唯我独尊・問答無用を地で行
くあのお兄さんにモテ期が!?﹂
思った以上にツインテール少女はぱっくりと喰いついた。
そして知りたくも無かった親友の兄妹評に心の中で琶知は舌を巻く。
﹁ねぇねぇ、女友達ってどんな人たちなの? わわっちも知ってる
んだよね? 教えて教えて!!﹂
﹁それはその、知ってるけど⋮⋮すもちゃん、笑わない?﹂
すもも
﹁うんうん、笑わない!! 笑っても顔に出さない!!﹂
とことん隠し事のできない李に、琶知は抵抗を諦めた。
﹁え∼と、女神様とお姫様に、魔王と痴女とインド人﹂
﹁わわっちもしかして、脳細胞が風邪ひいてるの?﹂
親友は笑わなかったが、真顔になって心配そうに琶知の額に手を
当てる。
﹁ううん、本当のこと。残念ながら、ね﹂
その手を軽く払いながら、琶知はため息とともに吐き出した。
﹁おかげで冬休みは色々と大変だったんだから﹂
﹁そっかぁ。お兄さん変わってるとは思ってたけど、近寄ってくる
女の人も変わってるんだね﹂
﹁意外とすもちゃん驚かないんだね。女神とか魔王とかって言われ
ても﹂
﹁⋮⋮私的には女神や魔王より、そのラインナップにしれっと混ざ
ってるインド人の方が怖いよ﹂
﹁そうかも、ね﹂
401
﹁インド怖い⋮⋮﹂
ゆる
﹁そこまでいくと濡れ衣だよ?﹂
ごうまん
﹁でもカレーは赦そうかな﹂
﹁すもちゃん自身も大分傲慢だと思う﹂
坂道を歩きながらよく分からない会話を続けていた少女たちの前
に、やがて目的の神社へと続く白い石段が姿を現した。
402
昼下がり、冬晴れの少年少女︵中︶
ち
﹁巫女服というのは⋮⋮いや、この国の伝統服飾文化は素晴らしい
ぞ!! まさか下着を着けずとも人前に出て良いとは!!﹂
じょ
ほ
さら
女子小学生二人が段を登りきった先、境内の石畳の上で一匹の痴
女が吠えていた。
ろうじゃくなんにょ
﹁この身は衆目に晒されながらも、その中は裸!! 生まれたまま
な
!! 老若男女の無慈悲な視線が突き刺さり、布地を貫き私の素肌
を余すとこなく舐め回すのだ!! これぞ至高の絶頂!! 究極の
愉悦ぅぅぁああああぁぁうふっふわぁぁっっっ!!﹂
こうぜんわいせつぶつ
すもも
﹁わわっち、お兄さんの友達は選んだ方がいいよ?﹂
﹁うん。あの公然猥褻物黙らせてくるね﹂
いんらく
ちょっと持ってて、と降ろしたランドセルを李に預けた琶知は、
クッコロ
ジャケットの長袖を腕まくりして真昼間から淫楽妄想に耽る巫女服
姿の影女に向かって小走りに駆け寄る。
気付いたクッコロは振り返ると、目の前に迫る琶知に向かって両
手を広げた。
﹁おお、これは妹殿ではないか!! 兄殿は既に集会所の中で⋮⋮﹂
彼女の言葉はそこまでだった。
琶知は左足で半歩踏み込むのと同時に、右手首を発射台に左手を
しんかぶ
射出。打撃音さえ破壊エネルギーに変えた少女の拳が深々とクッコ
クンフー
ロの体幹中心、心窩部の左側にずどむっ、と喰い込む。
たた
もくぎょう
ほうけん
ごぞうろっぷ
ひぞう
練り上げられた功夫と共に繰り出されるのは、﹁あまねく天下を打
けいいごぎょうけん
崩拳
﹄
つ﹂と讃えられた必殺の一撃。
﹃形意五行拳・木行
いふ
したた
す
衝撃は皮膚を貫通し、その下にある五臓六腑のうち土行﹃脾臓﹄
ごぎょうそうこく
もっこくど
と﹃胃腑﹄を強かに打ち据えた。
﹃五行相克・木克土﹄
403
いひけいらく
む
か
ま
一瞬で臓器が機能停止。全身の胃脾経絡がぐちゃぐちゃに掻き混
ぜられる。声を出せずぐるん、と眼球を回転させ白目を剥いたクッ
けいれん
コロは、意識を飛ばしたまま受け身も取れずにどう、と石畳の上に
体を横たえた。ぴくぴく陸に上がった魚のように痙攣しながら、そ
のだらしなく開いた口と鼻と耳の穴から白い泡がぶくぶくと吹き出
す。
﹁もう大丈夫だよ!!﹂
﹁結構いいのが入ったと思うけど、いいの?﹂
﹁生半可なダメージだと逆に喜ばすだけだから、やる時は徹底的に
しゃむしょ
ってお兄ちゃんが、ね﹂
と、社務所に併設された集会所の引き戸が無造作にがらりと開か
れた。
くわ
真っ先に中から飛び出してきたのは、再び子犬サイズになった双
頭犬のベロ。二つの口にナンを咥えたまま、尻尾を振りながら琶知
の周りをぐるぐると走り回る。
﹁何を騒いでおるかの﹂
ものう
続いて現れたのは、黒のタイトスカートに紺ブラウスの上からカ
すもも
ーディガンを羽織った少女。物憂げにウェーブがかった長い髪をか
あいさつ
き上げた元魔王かつ元邪神という異例の経歴の持ち主は、琶知と李
かっこう
の姿を認めると、片手を上げて軽く挨拶した。その後ろからああっ、
と短い悲鳴と共に、ヴェリタと似たような恰好の桃色髪の少女が倒
れたクッコロの元に駆け寄ると、その脱力した身体を助け起こす。
﹁どっ、どうしてこんな姿に⋮⋮目を開けて下さいクッコロさぁん
!!﹂
たしな
﹁目は開いておるではないか。白目じゃがの﹂
取り乱すフィリカをヴェリタは淡々と窘める。
﹁誰がこんなことを⋮⋮﹂
すもも
﹁お姉さん、この子がやりましたぁ!!﹂
ランドセルを前後にぶら下げた李が親友の手を掴んで高々と掲げた。
﹁裏切ったの、すもちゃん!?﹂
404
ばいしんいん
﹁違うよ!! 早く自首して自白した方が反省したことになって、
陪審員の心証も良くなるんだよ!! そこに適当な人権派弁護士が
付けば、少年法のおかげで私たちは無敵なんだから!! って、こ
の前テレビの悪役が言ってた!!﹂
﹁悪役の言葉を信じちゃダメだよ!!﹂
﹁ごめんねわわっち。私も自分の身が可愛いし⋮⋮報道番組の友人
インタビューで、変な声になってお茶の間デビューしたいし⋮⋮﹂
かしま
﹁そっちが本音?!﹂
きゃいきゃいと姦しい女の子二人を、クッコロを抱いたフィリカ
がじぃ、と見つめる。そして⋮⋮
﹁琶知さんでしたか。なら仕方ありませんね﹂
﹁あっれぇ?﹂
意外にもフィリカはこれを完全スルー。
その虚ろな両の瞳には、﹃またですか﹄の文字が諦めの色と共に浮
かんでいるのが、誰の目にも見て取れた。
﹁もう皆さんお待ちですよ。琶知さんと、あとお友達の方もどうぞ﹂
すもも
そう言ってずるずるとクッコロの身体を引きずりながら、ヴェリ
タと一緒に集会所の中に消える。
後には手を掴んだまま呆気にとられる李と、何やら誇らしげに薄
い胸を張る琶知が残された。
﹁これが人徳、ってことだよ!!﹂
﹁﹃徳﹄って漢字に﹃恐怖支配﹄とか﹃抵抗無用﹄って意味、あっ
たかな⋮⋮﹂
すもも
﹁で、いつまで捕まえてるつもり?﹂
﹁あっ!!﹂
慌てて手を離す李。
﹁ご、ごめんよわわっち!! ほら、ちょっとした冗談だから!!﹂
﹁うん、分かってる。すもちゃんが本気じゃ無かったって﹂
﹁だよね∼。あはははは⋮⋮﹂
﹁うふふふふふ⋮⋮ゆ゛る゛さ゛ん゛!!﹂
405
﹁ギャーやっぱり怒ってる!! 助けて神様仏様!!﹂
逃げようとした李の手首が今度は逆に掴まれた。笑顔のまま圧倒
的な鬼気を放出する琶知の左手が、アイアンクローの形に変わる。
その頭に空手チョップがぽすっ、軽く振り下ろされた。
つめえり
﹁こら、皆待ってんだから早く入れって﹂
﹁お兄ちゃん?!﹂
待ちくたびれて集会所から出てきた詰襟制服の沙良太のツッコミ
に、女子小学生たちの動きが止まる。
﹁琶知、この子確かスモーだかモースみたいな名前の⋮⋮﹂
すもりすもも
﹁助けて頂いてありがとうございます!! わわっちの親友、中国
すもも
山地の妖精こと須森李ですお兄さま!! 帰り道が一緒だったので、
失礼と思いながらも付いてきてしまいました!! ちなみに李は日
本の国技でも月面ロボットでも、ましてや硬度計でも大森貝塚でも
ありません!!﹂
﹁あ、ああ、いらっしゃい﹂
ぴこぴこツインテールを動かして感謝と一緒に妙なアピールする
友人と、珍しく押されている兄の姿に怒る気も失せた琶知は、深い
ため息をついた。
406
昼下がり、冬晴れの少年少女︵下︶
﹁新年始まって1週間しないうちに2回もインドカレーって、考え
なくてもヘヴィーですよ。あうぅ﹂
集会所の奥にある座敷で、茶卓の上に所狭しと並べられたプラス
チックのカレー容器をを前にした賽銭箱女神は、口に咥えた先割れ
スプーンをぷらぷら揺らしながらぼやく。チキン、ポーク、マトン、
ラム、ベジタブル⋮⋮それだけにとどまらず大皿にはチーズナンと
プレーンナンが幾重にも積み上げられ、サイドメニューのタンドリ
ーチキン、揚げ餃子のようなサモサやインド風てんぷらパコラの小
あぶら
皿が容器の隙間を埋めている。
濃厚な肉と脂とスパイスの香りを放つ赤白黄色のエスニック料
理の数々は、娘の友人のため、と真新の父が腕を振るった愛情のこ
せっしょくちゅうすう
もった逸品たち。どの皿を見ても美味しそうなそれらは、視覚嗅覚
をフル動員して摂食中枢をダイレクトに刺激する。現にぶーたれな
しずく
がらも賽銭箱の半開きになった唇は、無意識に湧き出したヨダレの
滴でてかっていた。
わ
いしこりどめ
﹁なら食べなくてもいいわよ!! 大体、あなたが好き勝手やった
お詫びにって伊斯許理度売様がデリバリー頼んでくれたんだから!
!﹂
﹁いいえ絶対食べますよ!! 例え上司の財布が出資元だとしても、
タダ飯となればお腹が裂けるまで詰め込む所存です!!﹂
なんせ元は賽銭箱ですからね、容量にはちょっと自信があるんで
す!! と真新に向かってぽんぽんお腹を叩いて見せつける。いつ
もの巫女服でなく紫色の芋ジャージ姿のため、今の彼女は何か勘違
いした態度のでかい女子中学生にしか見えない。
﹁にしても復活早いな、サイ。てっきりこの手のお約束で、小型化
したり幼児化したりするかと思ってたんだが⋮⋮﹂
407
﹁あれあれ期待していましたか? 残念!! 本体が無事なら神力
さえ戻れば、いくらでも復活できるんですよ!!﹂
ことあまつたえのみたま
沙良太に力を与えるために上司から授かった修練参加証である﹃
しぼ
別天伝御玉﹄を使い、自身が神化する分も吐き出して賽銭箱に戻っ
てしまった女神サイ。 帰ってきてからこってりと油を絞られたらしいものの、事情を知っ
さた
た上司はそれほど怒っておらず、むしろ彼女の無事を喜んでいたと
いう。
けれど罰は必要なので、追って沙汰があるまで自宅謹慎&神社掃除
を命じられている状態だ。
﹁心配させといて、ふえるワカメか⋮⋮﹂
取り分けたサフランライスにキーマカレーをかけながら沙良太が
ぼやく。黄色く染まったインディカ米が、さらなる黄金色に染め上
げられた。
﹁まぁ実際は、沙良太が私を使わずに取っておいてくれたからなん
ですけど⋮⋮﹂
﹁ん? 何か言ったか?﹂
﹁いえ、こちらの話です﹂
慌てて手を振り誤魔化した賽銭箱女神は、さっと先割れスプーン
を構える。
﹁さてさて復活したといっても万全ではありませんから、たっぷり
エネルギー補給しますよ!! いっただっきま∼す!!﹂
﹁こらっ、スプーン直接突っ込むな!!﹂
﹁だが断ります!! ひゃっふぅ!!﹂
全員分のラッシーを運んできた金剛杵女神が止めるが、聞くよう
もんぜつ
な賽銭箱女神ではない。それを皮切りに、皆が思い思いに料理に手
を伸ばし始めた。まだ悶絶しているクッコロを御守り売り場の脇に
寝かしつけたフィリカたちも輪に加わる。
﹁そういえば今日は俺たちが学校に行ってる間、二人とも日本語学
校見てきたんだろ? どうだった?﹂
408
二杯目のカレーを平らげ、口休めにチャパティを揚げたプーリー
をぱりぱりかじりながら、沙良太が異世界組に話を向ける。
ちょうふく
⋮⋮結局あの後、サイやコンたち新米神が修練に使っていた未熟
世界は閉鎖されてしまった。
といっても壊れたわけでは無く、調伏された邪神ヴェリタに代わ
る新しい管理神が生まれたので、外界からの干渉を遮断して内部で
熟成していくためだ。
沙良太と琶知が引いた人界と魔界を繋ぐ緑の道は、人と魔族の間
に物資と文化による交流をもたらした。超回復により武器を振るっ
ても決して相手は傷つかないことから、道の上では自然と絶対中立
地帯になり、さらに代償なしの超育成は、穀物でも果樹でも汗を流
さつりく
たいゆ
せば流した分だけ手に入る共同農場として腹と心を満たした。
そんな二つの種族を見守るのは、管理神﹃殺戮と大癒の女神・ヴ
ァーティ﹄。元は一部の獣人が信仰していたこの地方のマイナー犬
耳女神は、魔界が滅亡の危機に瀕した際に降臨、配下の獣人を引き
連れて魔界に侵攻。世界を滅ぼさんと現れた邪神をその光の剣で引
き裂いた。この時裂かれた邪神の断片が空にばら撒かれ、星々が生
まれたという。そして彼女の乗騎である巨大な双頭犬が通った後に
は、緑豊かな一本の道が引かれていた。
まつ
この奇跡は一部始終を目撃した生存者によって瞬く間に人界魔界
を駆け抜け、女神ヴァーティを祀る神殿や神像が各地に建設され、
一定以上の信仰を集めた彼女は晴れて未熟世界の最高神、管理神と
なった。元ネタの琶知の知らない所で。
いずれまた時が来れば、未熟世界から一歩進んだあの世界が再び
扉を開く日も来るかもしれない。
一方で元魔王の少女は蠱毒装置に取り込まれた経緯もあって、新
クッコロ
しい世界に自分の居場所を失ってしまった。そこにフィリカが一緒
に日本に来ることを勧めたのだ。
彼女の世話をするとの名目で着いて来た影女と共に、元魔王と元
王女の二人は夜明け前の神社の境内に降り立つ。
409
日常会話や単語暗記は賽銭箱女神の道具で何とかなるが、使い方
となると練習が必要になる。そこで日本文化の勉強もできることか
ら、フィリカとヴェリタは集会所で軽く仮眠を取った後、駅前の語
学学校に下見に行っていた。
﹁はい。先生も優しそうな方で、とても良くして下さいました。今
後の生活のことが決まれば、近日中にまた伺おうと思っています﹂
﹁我は⋮⋮興味深かった、というべきかの﹂
にこやかに答えたフィリカの隣で、ヴェリタはスプーンに付いた
ところ
白橙色のバターチキンカレーの欠片をぺろりと舐め取ってみせる。
﹁顔も髪も肌の色も、言葉さえ違う者たちが同じ処で共に学び合う
など、の﹂
﹁見た目の違いなら魔族の方がバリエーション豊かだったような気
もするけどな﹂
﹁確かにそうなのじゃが⋮⋮何かこう、言葉では説明できぬ不思議
な感覚があってのぅ﹂
﹃机を並べて学ぶ﹄﹃同じ釜の飯を食う﹄という言葉がある。
彼女が見た光景、この世界で初めて接したそれは﹃対等﹄という
概念。
力の論理が支配する魔族の中で、全ての関係は強弱上下に集約さ
れていた。けれども学校では皆が自分の目的のために学んでいるた
め、他者と比べてどうだということは本来ならば問題にならない。
テストや内申書の点数が問題になる義務教育の小中学校よりも、
自ら望んで生徒になる語学学校だったからこそ、異世界の元魔王に
も分かりやすくそれが観て取れたのだろう。
﹁この感覚が何なのを知るためにも通い学ぶ価値はある。そう思え
たのが今日の収穫じゃな﹂
﹁そっか。良かったな﹂
ほころ
﹁うむ。フィリカと一緒にまた行くのが楽しみじゃ﹂
その言葉を聞いた沙良太の顔も自然と綻んだ。
元魔王の少女は世界に居場所を失った。けれど重荷から解放された
410
彼女は、新しい場所で次の生き方を見つけようとしている。
むさぼ
すもも
﹁ところでさっきから気になっていたんですけど、沙良太の隣で無
のどおく
心にカレーを貪っている子は何者なんですか?﹂
黙々と自分の皿にカレーを取っては喉奥に流し込む制服姿の李を
指差し賽銭箱女神が尋ねた。
﹁琶知が連れてきた友達。確かスモークサーモンちゃん、だったっ
けか﹂
﹁はぁ、最近話題のノルウェー産ですかね﹂
﹁神社に来る途中で会ったから誘ったんだけど、断った方が良かっ
た?﹂
﹁いえいえ大丈夫ですよ。帰る時に都合の悪い記憶を消しておきま
すから、せっかくですので好きなだけ食べてもらいましょう﹂
心配そうな琶知に女神は笑顔を返す。
﹁カレー、それは人類の至宝!! カレー、それは文明の極致!!
すもも
カレー、そしてそれは、勇気の証!! ということで!!﹂
いきなり食べるのを止めて叫んだ李が、卓の向かい側にいた真新
の手をがっしと掴んだ。
﹁わぇっ!? いきなり何なのよこの子!!﹂
ひとごと
うそぶく
﹁ま∼た変なの拾って来たな妹﹂
他人事のように嘯く金剛杵女神に、もうっと真新が怒ったような
視線を向ける。
﹁インドっぽいお姉さんたち、カレー屋さんの人ですよねっ!? お店の場所教えて下さいっ!! 今度食べに行きます絶対っ!!﹂
﹁うちのお店のファンが増えるのは嬉しいけど、そんな近づかれる
と暑苦しいから、も少し顔離して⋮⋮﹂
﹁そして是非ともお姉様と呼ばせて下さい!!﹂
﹁やっぱり変人じゃない!! 沙良太、琶知ちゃんでもいいから、
すもも
連れてきたからには責任もって回収しなさい!! ちょっと!!﹂
褐色肌の真新の手に頬ずりしようとする李と、引っぺがそうとす
る真新の攻防。
411
その脇で面白そうに眺めるヴェリタと、手を出せずにおたおたする
フィリカ。
﹁ちょっとくらいいいじゃねぇか﹂
﹁良くないっ!! ほら、こっちのお姉さんの方が触りごこちいい
わよ!! だから離して!!﹂
﹁あっ真新手前ぇ、あてを売る気かっ!?﹂
﹁お返しよコン!!﹂
﹁それじゃ、ありがたく両方いただきま∼す!!﹂
﹃ふぎゃ∼!!﹄
けんそう
集会所から上がった少女たちの悲鳴が周囲の山々に木霊した。
ふたり
﹁ねぇ、お兄ちゃん⋮⋮﹂
﹁ん?﹂
星神と織神、二柱の古き神の心を受け継ぐ兄妹は、卓上の喧噪を
よそに、ふと顔を見合わせる。
季節は冬
日は正中を過ぎ
やしろ
短針が示す13時
ひばり
社に続く坂道のアスファルトもようやく乾き
かたつむり
鎮守の森から気の早い雲雀の声
そら
蝸牛は土中に春を夢見
人も神も魔も諳に知る
︱︱︱︱すべて世は事も無し、と
412
﹁記憶と一緒にお腹一杯カレー食べたことも忘れたら、すもちゃん
家に帰ってまたお昼ご飯お腹一杯食べるのかな?﹂
﹁試してみるか?﹂
﹁やめて差し上げなさい!!﹂
413
異界の空を往く少年と少女
はがね
巨大な鉄の拳が振り下ろされ轟音と共に分厚い鋼の城門が砕け散
った時、城壁に並んで据えられた砲台は既に沈黙していた。
あびきょうかん
押し寄せる敵歩兵部隊の歓声と共に聞こえるのは散発的な小口径
うな
銃の発砲、蹂躙される無力な市民たちの阿鼻叫喚。そして黒い煙を
吐きながら唸りを上げて迫りくる巨大外燃機関の重厚な駆動音。
ここに約400年続いた栄光あるディガン帝国、最期の一日が始
まった。
﹁︱︱︱等兵!! ミニュエラ・ミミメット二等兵!!﹂
バンッ!!
手袋をはめた平手で頬を叩かれ、小柄なミニュエラは自分の身長
と同じ長さの古いボルトアクション式単発猟銃を取り落としそうに
なった。
﹁あ⋮⋮少尉⋮⋮? あの、革命軍が城門を⋮⋮﹂
﹁呆けている場合か!! 義勇兵の小娘だからとて甘えるな!!﹂
帝国軍から指導軍人としてミニュエラたち市民義勇兵を指揮して
しわ
しょ
いた気難しいラキセル陸軍少尉は、まだ20代の割に老けて見える
うえん
えり
原因になっている眉間の皺を寄せたまま、ふんっ、と鼻息も荒く硝
煙で汚れた軍服の襟を直す。
こも
﹁作戦司令部より撤収命令が出た。これより我々は迅速に撤収し、
旧王府に立て籠もって最後の抵抗を行う。既に司令部も、皇族の御
方々と共に移動済みとのことだ﹂
それを聞いたミニュエラは愕然となった。
帝都クァガンの外れにある旧王府は、名前の通りディガン帝国が
まだディガン王国だった頃の王城跡だ。確かに旧王府なら低いなが
414
いこ
らも周囲を囲う王国時代の城壁と、帝都の中心を流れる川から引い
ろうじょう
た浅い堀が巡らされている。市民の憩いの場となっていた敷地内公
園には皇族の別邸があり、籠城も可能だろう。
けれど、
か
﹁あんな狭いところ、街の皆が一斉に逃げ込んだら身動きが取れな
くなります!!﹂
﹁その心配は無い。戦闘要員の撤収が完了次第、堀に架けられた跳
ね橋が上げられる﹂
﹁じゃあ逃げ遅れた人はどうなるんです!?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁少尉ッ!!﹂
自分より頭二つほど背の高いラキセルにミニュエラが詰め寄る。
その剣幕にラキセルは、ばつが悪そうに視線を軍帽のつばに隠す。
﹁⋮⋮城門が突破された以上、いずれ死ぬのが早いか遅いかの違い
でしかない。ならば逃げる市民を盾に撤退しろ、と司令部のお偉方
は仰せだ﹂
﹁帝城は? あそこなら市民を収容して、私たちも戦えます!!﹂
ごうかけんらん
じょうかく
ミニュエラの言うのは、普段皇帝と評議員、貴族たちが政務を行
っている、豪華絢爛な西洋城郭風の建物のことだ。帝都の中心にあ
る帝城は旧王府とは比べ物にならないくらい立派な堀と城壁を備え
ており、さらには全体が煉瓦を漆喰で固めた強固な造りになってい
る。
﹁帝城は開放している。今も避難民が続々と入城しているはずだ﹂
﹁良かった⋮⋮﹂
﹁それを追いかけてきた敵軍が帝城に充満したところで、地下室に
仕掛けた爆薬で諸共に爆破する﹂
﹁ばっ︱︱︱﹂
言葉を失ったミニュエラは、猟銃のストックで足元を突きよろめ
きそうになる身体を何とか支える。そんな彼女の視界の隅で、街の
あちらこちらから激しい火の手が上がるのが見えた。
415
物資を与えないため、市民と敵を帝城に追い込むため帝国兵が放っ
たのだろう。火は帝都を囲む城壁の内部四方から、じわじわと輪を
縮める様に迫っている。
じゅうりん
﹁革命軍の奴らを中に入れてしまえば、他の都市でそうだったよう
に全てが蹂躙される。帝国も、誰も彼も皆終わりなのだ。ならばせ
めて一矢なりとも奴らに報いてやらなければ、死んでいった者たち
は−−−永遠に報われないのだ!!﹂
ミニュエラには帽子の陰でラキセル少尉の目がきらり、と涙で光
ったように見えた。
帝国に牙剥いた﹃革命軍﹄︱︱︱と言えば聞こえはいいが、実際
の彼らは単なるならず者たちの集まりだった。しかしそれでも圧政
に不満を持つものは多く、辺境に端を発した暴動はあっという間に
帝国全体に広がり、その人数を30万人規模まで膨れ上がらせる。
マギノ
アーマー
それでも、烏合の衆相手に帝国の優位は揺るぎ無かった。
まと
主力である帝国陸軍機甲師団を構成する﹃魔導式機攻鎧﹄。
霊鉱床で取れる機晶石を動力源とした強化スーツを纏った特殊歩兵
群とそれを輸送する機動装甲車の部隊は、帝国各地の革命軍を次々
アーマー
と鎮圧していった。
けん
﹃機攻鎧﹄は全長2−3mの外骨格構造で、関節部にあるアクチ
ュエーターに精製・励起した機晶石を入れることで霊獣の腱から取
った魔導筋肉が収縮・硬化し、超人的な身体能力と防御力を発揮す
る帝国魔導技術の結晶。開発されたのは200年ほど昔だが、アッ
アーマー
プデートと徹底した情報統制により、帝国戦力の中核を為していた。
だが、それが破られた。
アーマー
理由は分からないが、在る時点から革命軍も﹃機攻鎧﹄を大量に
アーマー
アーマー
マギノ
ア
運用し始めたのだ。最初は帝国軍と同じ﹃機攻鎧﹄。途中からは帝
ハイブリッド
国の技術者が見たことの無い次世代の﹃機攻鎧﹄を。
﹃魔巧複合機攻鎧﹄
ーマー
メガロマスタースレイブ
パワードギア
燃える水を使って動く巨大な鋼の脊椎系を持ち、従来の﹃魔導式機
攻鎧﹄を着て乗り込む超主従型強化装甲機。
416
マギノ
アーマー
出力と外骨格構造の問題で人間を一回り大きくしたサイズに留ま
スプ
っていた﹃魔導式機動鎧﹄。それが鋼鉄の背骨に支えられることで
ロケット
けん
さらなる巨大化を可能とし、外燃機関と連動した油圧ポンプとチェ
ーン歯車の働きで、生体材料でしかない霊獣の腱では及びもしない
大出力を可能とした。
そして戦いの天秤は一気に革命軍側に傾く。
こびと
けち
全長15m以上の鋼鉄の巨人は砲弾をものともせず易々と城壁を
ひよりみ
ぼうかん
破壊し、群がる帝国軍の﹃魔導式機動鎧﹄を蹴散らした。今度は帝
国の版図が次々と塗り替えられ、日和見な属国たちは傍観を決め込
み帝国を見捨てた。
しれつ
勢いに乗った革命軍は帝都に迫る。
そして最も熾烈な戦いが繰り広げられたのが、帝都に繋がる軍路に
置かれた直近の大城塞都市カヤンカ。
ここを抜かれれば血に飢えた革命軍が大挙して首都に押し寄せてく
マギノ
アー
るのを止める手立てはない。それが分かっていたからこそ帝国陸軍
マー
省は旧式から最新式の実験機まで、ありったけの数の﹃魔導式機攻
鎧﹄を正規兵20万と共にカヤンカに投入した。
ちくじ
ハイブリッド
アーマー
一進一退の防衛戦は3ヶ月に渡って続き、その間も帝国は後方から
うた
兵と物資を逐次送り込む。
しかし難攻不落を謳われたカヤンカは、大型﹃魔巧複合機攻鎧﹄5
かんらく
うっぷん
0機が三日三晩硬固な石造りの城壁を殴打し続けるという滅茶苦茶
せき
な戦法で殴り壊され、ついに陥落。
堰を切ったように革命軍がなだれ込み、持久戦の鬱憤を晴らすよう
に暴れた彼らの手によって、帝都へ続く路上の街や村は血の赤一色
アーマー
に染まった。
正規軍も機攻鎧もほとんど失った帝国軍は、帝都決戦に備えてそ
の穴を埋めるため、市民から義勇軍を募集。同時にカヤンカ防衛戦
か
に全てを注ぎ込んだため不足した武器弾薬を廃棄倉庫から軍事博物
館まで、ありとあらゆる場所を漁って使えるものならなんでも掻き
集めてきた。
417
今年13歳になったばかりのミニュエラに、両親はいない。旧王府
近くで雑貨屋を営む祖母と二人でつつましく暮らしていたのだが、
いざ戦争となった時足の悪い祖母は逃げられないことから祖母と友
人、街の人たちを守るため義勇兵に応募した。
義勇兵に年齢制限は無い。子供であっても銃を撃ち続けることぐ
らいならできる。それぐらい帝国は追い詰められていた。
入営の際、ミニュエラが渡されたのは古い改造猟銃一丁。付属の
弾入れと練習用含め弾薬が120発分。
射撃の邪魔にならないよう、死んだ母親譲りの長い金髪を三つ編
みで一本にまとめ上げた少女は、他の義勇兵志願者と共に陸軍の調
練所へ。そこで簡単な銃の扱い方講義と木銃での戦闘訓練を一通り
行ったところで革命軍の先遣隊が現れたため、配給の軍装さえ渡さ
れなかった彼女は着古した白のエプロンドレスを短く切り、たすき
をかけて初陣に臨むこととなった。
ラキセル少尉の指揮の下、6人の志願女性で構成された義勇兵小
隊は、城壁の上から眼下の門に攻め寄せる革命軍を狙撃する任務に
アーマー
つく。本当なら絶え間ない砲火で制圧射撃を行いたいところだが、
﹃機攻鎧﹄の脅威になる機関銃は帝国でも開発が禁止されており、
さらに連続射撃できる潤沢な弾数も無い。
なので弾薬を節約し効率的に恐怖を与えるために、狙うのは相手
むせ
の腹、そして脚だと教わった。
傷ついた兵士は苦痛に咽び泣き、周囲の仲間を恐慌に陥れる。ま
た即死なら捨て置かれるが、負傷兵は回収して後方の治療可能な場
所まで連れて行かなければならない。輸送には人手が必要だし、救
助中は動きが遅くなる。そこをさらに撃ち、負傷者を増やしてやれ
ば相手は身動きが取れなくなる。
つまび
ミニュエラが敵の銃弾の届かないはるか上方からゆっくりと照準
さいそうてん
を合わせ、そっと引き金を爪弾くと、彼女の手で大人の男たちが冗
談のようにぱたぱたと倒れていった。落ち着いて再装填し、倒れた
兵士に集まってきた別の兵士を撃つ。またぱたりと倒れる。まるで
418
ありじごく
蟻地獄。
本人には不本意ながら、ミニュエラには狙撃の才能があったらし
い。
無感情に機械的に狙っては撃つことを繰り返しているうちに攻め
ほ
きれなかった先遣隊は撤退し、隊は緒戦の勝利に沸いた。皆が最も
狙撃を成功させた最年少のミニュエラを褒め称えた。
まぶ
けれども翌日、運命の日。
ハイブリッド
アーマー
眩しい朝の光の下、まともな火力を持たない帝国軍は大した抵抗
もできないうちに大型﹃魔巧複合機攻鎧﹄10機の襲撃を受ける。
戦法とも呼べない殴打攻撃により、鉄壁を誇った帝都の城門は無
惨にも突破されてしまった。
その衝撃で彼女は一瞬放心状態に︱︱︱
︵違う。私が見たのはもっと⋮⋮︶
ショック
猟銃を握りしめながらゆっくりと後ろを振り向いたミニュエラの
心は、再び意識が飛ぶくらいの衝撃に揺さぶられた。
城壁の上に見覚えのある5人の女性たちが寝転がっていた。
ある者は支給された猟銃を口に突っ込み、ある二人は互いの胸に
銃口を突き付け合い⋮⋮絶命していた。
ここに至ってミニュエラは、ようやく自分たちに何が起きたのか
を思い出す。
−−−ラキセル少尉が伝令を迎えるため場を外した瞬間、城門が
砕け散った。
﹃門が⋮⋮敵が⋮⋮﹄
﹃駄目っ、そこは私の家なの!! 赤ちゃんがいるのにっ!!﹄
﹃あははははっ!! 終わりよ私たち!!﹄
﹃嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌ぁあああっ!!﹄
﹃もう十分。早く楽になりましょう﹄
誰かがそう言ったのをきっかけに、義勇兵の女性たちは恐慌状態
のまま自分に、仲間に、次々と銃口を向ける。
響く乾いた発砲音。
419
その壮絶な光景を前に何もできず、立ちすくんでいたミニュエラ
のスカートの裾をぐぃ、と誰かが掴んだ。
﹃殺して⋮⋮ミニュエラちゃん⋮⋮お願い⋮⋮﹄
彼女の足元に這って来たのは口と胸から血を流し、息も絶え絶え
になった義勇兵の女性。雑貨屋の三軒隣にある食器屋の看板娘で、
ミニュエラにも特に優しく接してくれていた姉のような人。軍人の
恋人がカヤンカの戦いで消息を絶つと、涙も見せずに町の皆を守る
ため義勇軍に志願した⋮⋮なのに今、その瞳は絶望の色に染まり、
血の涙を流している。
﹃痛いの⋮⋮苦しいの⋮⋮死ねないの⋮⋮﹄
短く切ったエプロンドレスのスカート、そして猟銃の先端を見る。
赤い手形になってべっとりとこびり着いているのは、さっきまで
生きていた人間の血。ミニュエラが殺した、守るべき人の⋮⋮。
︱︱︱ごぷっ
心がそれを認識する前に、彼女の体は勝手に反応する。
何の前触れも無く不快感も無く、棒のように突っ立ったままの状
態で、ミニュエラは胃の中の物を全て吐き出していた。半分消化さ
れた早い朝食の黒パンと水のようなスープ、祖母の雑貨屋から持っ
て来た溶けかけのグミキャンディーの欠片が、大量の胃液と共にだ
おうと
らだらと重力に従って流れ落ち、血塗れのエプロンドレスを汚して
いく。
ぬぐ
自分が嘔吐している事実にミニュエラが気付いたのは、ラキセル
しわ
きれい
少尉が軍服から取り出した絹のハンカチで顔を拭っている時だった。
﹁しょう⋮⋮﹂
いくぶん
﹁黙っていろ﹂
幾分眉間の皺が取れた少尉は、ミニュエラの口元と顔を綺麗にし
終わると、胸とスカートは自分で拭け、と少女の手にハンカチを押
し付けた。
そしてふと、手袋をはめた手でミニュエラの汚れてくすんだ金髪
にそっと触れる。
420
﹁帝国が終わったのなら、お前が私の義務に従う必要は無かったな
⋮⋮すまない﹂
﹁ラキセル少尉⋮⋮﹂
生真面目で口数が少ないこの軍人が初めて見せた本来の優しさに、
ミニュエラは戸惑っていた。
そうとう
﹁だが今すぐここから撤退する必要はある。革命軍は市街地の略奪
ふさ
に気を取られているが、いずれ城壁に残った帝国兵の掃討に戻って
くるはずだ。時がたてば退路も塞がれる。お前は祖母と旧王府近く
に住んでいたのだろう?﹂
﹁はい﹂
﹁ならば一旦、祖母と共に旧王府に入れ。私も行こう。近隣の市民
であれば、帝城より旧王府を目指す者も多いだろう。お前一人で老
人を連れて逃げるのは難しい。彼らと合流して次の手段を考えろ﹂
﹁はいっ!!﹂
良し、いくぞ!! そう言ってラキセルはミニュエラの小さな手
を取った。
︵おばあちゃん待ってて⋮⋮今助けに行くから。少尉と一緒に!!︶
決意を新たにした少女も青年の大きな手をぎゅっと握り返す。
と、その手が妙に軽くなった。
﹁あ、手袋が⋮⋮﹂
最初、ミニュエラは単に手袋がすっぽ抜けたのかと思い、青年に
伝えようと視線を上げる。
だがそこに少尉の姿は無く、代わりに少尉だったものがあった。
腰から上を失った軍服姿の下半身が、噴水のように血を撒き散ら
しながらどう、とミニュエラの前に倒れる。温かい雨が少女と少女
のエプロンドレスを真紅に染め上げていった。
﹁少尉⋮⋮なにが⋮⋮﹂
空になった手袋をくしゃりと握り潰し、答えを求める様に目の前
の真新しい死体に手を伸ばす。
﹁おおっと勢い余って殺しちまった﹂
421
﹁馬鹿野郎、女じゃねぇだろうな?﹂
わら
城壁の陰からげはははっ、と下品な嗤い声がしたかと思うと、次
の瞬間ミニュエラの目の前に身長8mほどの機械仕掛けの巨人が二
体立っていた。
アーマー
﹁男だ男。手間が省けたもんだ。さて、昨日散々撃ちまくってくれ
たクソ女どもは、と﹂
﹁ひひっ、女に追い返されたからってムキになって﹃機攻鎧﹄持ち
出して、だからお前はもてねぇんだよ﹂
ミドル アーマー
﹁うるせえ黙ってろ!!﹂
ちのり
﹃中型機攻鎧﹄を着込んだ革命軍の男たちは、外燃脊椎の重低音
を響かせながら城壁の上を見渡す。背が低いせいか少尉の血糊が保
護色になったせいか、男たちはミニュエラに気付かない。
﹁⋮⋮おい話が違うじゃねぇか。女ども全員死んでやがるぞ?!﹂
﹁こいつら負けが決まったからって自殺しやがったのか? クソッ
じだんだ
ミドル アーマー
クソッ!! 死んでも俺のことコケにしやがって!!﹂
最初の男が悔しそうに地団太を踏む。﹃中型機攻鎧﹄の巨大な鉄
の足が振り下ろされる度、踏みつけられたラキセル少尉の死体がぐ
ちゃぐちゃと潰れ血飛沫が飛び散った。
やがて少尉が原型を留めない赤い肉塊となった頃、やっと足踏み
が収まる。
﹁仕方がねぇ。今からでも街の方に行くか?﹂
﹁誰かさんのせいで、美人や若いのは残ってねぇだろうけどな﹂
﹁だったら他の奴らとは別の場所を探すぞ。そういえば入った時、
真ん中のでっかい城の他にもう一つ城みたいなのがあったぞ。あそ
こならまだ⋮⋮﹂
男たちの会話が耳に入った瞬間、ミニュエラの手が勝手に動いて
いた。
ミドル アーマー
ボルトアクションで6.5mm小銃弾をバレルに送り込み、狙い
を付けず近い方の﹃中型機攻鎧﹄に発砲。
︱︱︱ダッターン!!
422
はいきょう
すぐさまボルトを引いてエジェクションポートから排莢。
血の池の中に座りながら次弾装填。
ミドル アーマー
﹁敵だと?! どこだ?!﹂
じゅうりん
かす
小回りの利かない﹃中型機攻鎧﹄がゆっくりとミニュエラの方に
む
向き直る。少尉をぐちゃぐちゃに蹂躙した機械の足が間近を掠める
ミドル アーマー
が、彼女は動じない。
かぶと
﹃中型機攻鎧﹄の弱点は搭乗者。特に視界を確保するため剥き出
しになったその顔。普通なら防御のためにフルフェイスの兜を被っ
しっしゃ
ているものだが、素早くことに及ぶためか、彼らの頭を守るものは
何も無い。
ミドル アーマー
そろ
余裕を持って装填を終えたミニュエラは、立膝に肘を着ける膝射
ミドル アーマー
の体勢で﹃中型機攻鎧﹄の胸元の高さに銃口を揃え待つ。
﹃中型機攻鎧﹄の陰から革命軍兵士の顔が見えた。
ミドル アーマー
その言葉と行動の通り、醜く脂ぎった下品な中年の男の顔。無敵
あわ
の﹃中型機攻鎧﹄に乗っていても、弱者をいたぶることにしか使え
ない。自分だけでは誰にも勝てない憐れな生き物。
かす
相手が自分に気付く直前、自分が相手を認識した直後、ミニュエ
ひげづら
ラの手の中で引き金がことり、と落ちた。
﹁危ねぇ罠だっ!!﹂
︱︱ダッターン!!
ミドル アーマー
ほんのコンマ数秒の差。
仲間に押された﹃中型機攻鎧﹄の男の髭面を銃弾が掠める。
ミドル アーマー
﹁ぐおっ!? やりやがったなクソチビ!!﹂
けんせい
﹃中型機攻鎧﹄の腕が振り回されるが、小さなミニュエラは嵐の
アーマー
ような攻撃を掻い潜り牽制の二発目、三発目を続けざまに放つ。再
び顔の近くに着弾。
恐れた革命軍兵士は攻撃を止め、﹃機攻鎧﹄で自分の顔を覆って
ミドル アーマー
防御する。けれどもそれは誘導だ。
スライディングで﹃中型機攻鎧﹄の股下に滑り込んだミニュエラ
は仰向けになって銃口を真上に向け、二体の死角から再び搭乗者を
423
狙い隙ができるのを待つ。
﹁ガキにいいようにされてんじゃねぇよ﹂
﹁ぎゃんっ!?﹂
その軟らかい腹部に成人男性の靴底が容赦なくめり込み、ミニュ
アーマー
エラは蹴られた子犬のような悲鳴を上げて苦痛にのた打ち回った。
ミドル アーマー
なんとか目を開ける。
そこには﹃中型機攻鎧﹄から降り、﹃機攻鎧﹄だけを装着した姿
の、顔に古い傷痕のある革命軍兵士の姿があった。
﹁おい、お前も降りて来い﹂
ミドル アーマー
乱暴に相棒に声をかける。
﹁⋮⋮大丈夫なのか?﹂
﹁ちっこい人間相手に﹃中型機攻鎧﹄に乗ったままで戦えるかよ。
ミドル アーマー
だから遊ばれるんだ、ド素人が﹂
アーマー
動きを止めた﹃中型機攻鎧﹄の胸部が開き、パワードスーツであ
る基本の﹃機攻鎧﹄を来た男が飛び降りる。その姿を先に降りてい
た兵士はあざ笑うように眺めていた。彼の下品で軽薄だが頬に大き
な切り傷の入った粗野な顔立ちは、少なくとも戦闘経験は豊富であ
ろうことが見てとれる。
さび
最初の髭面男は城壁の上に降り立つと、すぐさま忌々︵いまいま︶
バレル
ストック
しそうにミニュエラの横に転がっていた猟銃を踏み折った。錆の浮
いた砲身が外れ、銃身がぱきっ、と乾いた木のような音を立てて真
っ二つになる。
満足した髭面男はミニュエラに近付くと、悶絶する少女の腹に二
発目の蹴りを叩き込んだ。
﹁あぐがっ?! ぐ、ぅ︱︱うぅ︱︱﹂
銃と一体になって動いていた先ほどまでとは違い、痛みで自分が
どういう状況に置かれているかを理解した少女は、それでも傷付い
たお腹を押さえて呻き声を上げることしかできなかった。
﹁こいつがさっきのガキか。実際見ると予想以上に小せぇ奴だな﹂
﹁へへっ、だがお前より骨はあるぞ﹂
424
ぶべつ
ちまみ
現に俺が助けなけりゃお前は死んでたんだからな、と傷男は仲間
に侮蔑の視線を送る。
﹁それでどうする? こんなガキだが使うか?﹂
えり
﹁おいおい、だったらもう少し優しくしてやれよ。ただでさえ血塗
れで小汚ねぇんだからよ﹂
ぼろき
﹁あぅっ!?﹂
襤褸切れのようになったエプロンドレスの襟を掴み、少女の首を
締めながら持ち上げる傷男。そして顔を近付け、品定めするように
ミニュエラの目を覗き込むl
﹁造りは悪くないんだが、ガキはガキだ。まぁ俺の趣味じゃねぇが、
持って帰ったら喜んで使う奴はいくらでもいるだろう。なんせ男所
帯の革命軍にゃ突っ込む穴に飢えてるクズばっかりだから、なぁ嬢
ちゃん!!﹂
な
傷男の鼻先が少女の眼前に突き付けられる。
﹁昨日今日と、俺たちに舐めた真似してくれた礼だ。簡単に壊れて
わ
くれるなよクソジャリ⋮⋮これからお前には変態ども相手にたっぷ
ふく
りお詫びのご奉仕をしてもらうぞ。その貧相な身体でなぁっ!!﹂
﹁ぎぃいっ︱︱!!﹂
ひね
武骨な手が血塗れのエプロンドレスの下、まだ膨らみ始めてもい
ちじょく
ない薄い皮下脂肪だけの乳房を力いっぱい捻り上げた。
初めてぶつけられた生の殺意と雄の獣欲、恥辱と苦痛にミニュエ
な
ラは下着がじんわりと暖かくなるのを感じた。不快な感触の液体が
も
足を伝って雫になり落ちる。
﹁がはははっ!! 漏らしやがったぞこのガキ!!﹂
﹁おお、汚ねぇ汚ねぇ。だがこんだけ汚ねぇと流石に萎えちまうな
⋮⋮﹂
襟首を掴んだたまま、傷男は城壁の端に歩いて行く。そしておも
むろに少女の身体を市街地の真上にぶら下げた。
帝都を守る城壁は高さにして20m以上。即死であればまだいい。
重傷で生き残っても治療設備は無く、無駄に苦しむ時間が続くだけ
425
だ。
必死で足をばたつかせるミニュエラを、男たちはニヤニヤと薄ら笑
ほうび
いを貼り付かせて眺めている。下から吹き上げてきた熱気を含む風
が湿った少女の内太腿を撫でた。
﹁こっから落としてもまだ息があったら、ご褒美に使ってやるとす
るか﹂
つばき
あばよ、ゴミ女。
唾と共に吐き捨てると、傷男は何のためらいも無く少女の身体を
街の上空に放り出した。
ふわりと一瞬の浮遊の後、落下が始まる。
︵そっか⋮⋮こうなるのが分かっていたから皆⋮⋮︶
革命軍の手にかかる前に自死を選んだ女性義勇兵たちのことを思
い出しながら、毎日見上げていたのと同じ帝都の青空がどんどん遠
くなっていくのをミニュエラは眺めていた。
このまま下にある住宅の屋根瓦に当たるのか、それとも路地の石
畳に当たるのか⋮⋮数秒後には結果が分かる。彼女の生命を代償に。
せいしゅく
︵どっちも痛いんだろうなぁ⋮⋮嫌だなぁ⋮⋮︶
⋮⋮ぎゅっと目を閉じ、静粛にその時を待つ。
とさっ︱︱︱
だがミニュエラの体に伝わって来たのは、意に反して柔らかい感触
だった。
﹁お∼いサイ、なんか空から女の子が落ちて来たんだが?﹂
そうぐう
﹁うわぁは、凄いですよ沙良太!! 全国の男子憧れのシチュエー
ションベスト5﹃親方!! 空から女の子が!!﹄に遭遇できるな
んて!! せっかくなので記念写真撮っときましょう。はい笑って
∼﹂
﹁いや、お前とか真新とかヴェリタとか普通に飛びまくってるから
全く新鮮さが無いっつ∼か﹂
帝都陥落の騒乱の中で驚くほど能天気な声に戸惑いながらも、ミ
ニュエラはゆっくりと目を開ける。
426
そこには同じ年頃の少年が、困惑した表情でミニュエラの顔を覗
き込んでいた。彼のような黒髪に茶色の瞳の組み合わせは、周辺諸
国の民のものではない。少なくとも彼女は見たことがない。
そして自分が少年の両手に、いわゆるお姫様抱っこされているこ
とに気付いた少女は、恥ずかしさにぽっと頬を染める。
﹁つ∼か最近、世界転移の扱いが雑になってきたな。まぁ壁の中と
かじゃなきゃ別にいいけど、な﹂
﹁日本神話の神様って基本いいかげんですからねぇ。それに以前の
未熟世界と違って、管理神がいる世界は介入に色々と制約が付きま
すから﹂
﹁あのっ!! あの、私さっき城壁から落とされてたのに、何で⋮
⋮﹂ 放っておくと自分を無視して話が進んでいきそうなので、思い切
ってミニュエラは声を張り上げた。不思議な少年と少女はやっと彼
女の方を見る。そして、
﹁ええっ、空賊に捕まりそうになって飛行船から飛び降りたんじゃ
ないんですか? だとすればパンツが飛ぶ戦略天使さんの方でしょ
うか?﹂
﹁⋮⋮こいつの寝言はさておいて、ちょうど近くにいたから落ちる
途中で受け止めただけだぞ﹂
﹁途中⋮⋮?﹂
下を見たミニュエラはあっ、と驚く。見たことの無い靴を履いた
彼の足元には金色の光が宿っており、二人を家々の屋根より高い中
空に浮かせていた。
それとは別に彼の隣でふわふわ飛んでいる、紅白の変な服を着た少
女の存在はさらに謎だったが。
﹁空を飛んでる!? 嘘⋮⋮航空魔導技術なんて、帝国にも革命軍
にも無いのにっ?!﹂
﹁悪いが説明は省いとく。ところで、さっき城壁から落とされたっ
て言ったな︱︱︱﹂
427
そうぼう
少年の双眸が陽光を反射し妖しく輝く。
﹁誰に︱︱︱︱だ?﹂
おずおずとミニュエラは自分のいた場所を指さす。その先には彼
女が死ぬところを見物しようと待ち構えていた、革命軍兵士二人の
ささや
驚いた顔があった。兵士たちの姿を認めた少年は、しっかり掴まっ
てろ、と彼女に囁く。
﹁でも私汚れてて⋮⋮﹂
﹁いいから!!﹂
血が付くのも構わず少年の手に力が込められるのを感じたミニュ
ちょうやく
エラは、安心して自分も少年の首に両腕でぎゅっと抱き着いた。
ミドル アー
少年は足元の光を勢いよく蹴って、大きく跳躍。城壁より高く飛
マー
んだ二人の眼下では、接近に気付いた兵士たちが慌てて﹃中型機攻
鎧﹄に乗り込んでいる。
﹁何者だお前らっ!?﹂
先に搭乗し終えたミニュエラを投げ落とした傷男が、頭上に浮か
ぶ少年に怒声を浴びせた。その声は震えている。
﹁どう答えましょうか、沙良太? まさか正直に、﹃薬師如来様が
新しい金丹作ってみたいって言うから、材料になる適当な霊力情報
結晶体を探しにきました﹄なんて言っても通じないでしょうし﹂
﹁サイ、武器を﹂
﹁問答無用って奴ですね。はいはい、っと﹂
そぼく
れんが
ぱおぺえ
サイと呼ばれた少女が板状の機械を操作すると、光と共に少年の
れんか
左手の中に黄金色の四角い素朴な煉瓦現れる。
太子も、最近はこっちを使っ
なたたいし
﹁枠に粘土を入れて固めれば完成と、簡易で廉価なのが評判の宝貝
きんせん
﹃金磚﹄です!! なんせ本家の
てるみたいですよ。安いし、壊してもへっちゃらだって﹂
﹁で、使い方は?﹂
﹁投げます!! 当たります!! ムーチョ痛いです!! 以上っ
!!﹂
言い終わる前に沙良太という名の少年は、黄金色の煉瓦を傷男目
428
くら
がけて投げつけた。
は
アーマー
ミドル アーマー
煉瓦は目も眩むような光を放ちながら、﹃機攻鎧﹄の中心からの
ぞく傷男の禿げ頭に命中する。
クリーンヒット!!
思わず苦痛に顔を歪めてよろめく禿げ頭と彼の﹃中型機攻鎧﹄。
アーマー
一方で髭男の方は、上空の沙良太たちを攻撃しようと必死でパワ
ーショベルのような﹃機攻鎧﹄の腕を伸ばす。
しかし届かず空振り。
﹁くそっ、降りてきやがれ卑怯者!!﹂
﹁うわ、あ∼んなこと言ってますよ? 女の子相手に二人がかりで
暴力振るうオッサンの方がよっぽど卑怯でしょうに﹂
賽銭箱女神は男の挑発にべろべろべ∼、と舌を出して返す。
アーマー
﹁せっかくだ。あの機械の性能を知るため、あいつの望み通り接近
戦でやるぞ﹂
アーマー
﹁やめて下さい!! ﹃機攻鎧﹄を相手に近接戦闘を挑むつもりで
ミドル アーマー
すか!? 無理です、勝てません!! 帝国正規軍の﹃機攻鎧﹄部
隊でも、あの﹃中型機攻鎧﹄には手も足も出なかったのですから!
!﹂
叫ぶように忠告するミニュエラだが、ちゃんと掴まってろ、と再
度注意され押し黙る。
きんり
﹁沙良太がいいなら別にいいですけど、偽神化は封印されてますか
じゅうたん
てこ
ら注意はして下さいよ。そもそも沙良太が使ってる﹃金履の術﹄も
違反スレスレなんですから﹂
きんとうん
﹁だってお前が出す飛行道具ダサいし。絨毯とか車輪とか手漕ぎボ
ートとか﹂
﹁あれあれあれれ? もしかして兄妹そろって觔斗雲に乗れなかっ
たこと、ま∼だ根に持っているんですか? いや∼あれは本当に嫌
な事件でしたね。まさか製作者の趣味とかで、心の清らかな人でな
いと足がすり抜けるギミックが仕掛けられていたなんて⋮⋮﹂
﹁うっさい!! 次の早く出せって!!﹂
429
ぶぜん
さいそく
ミニュエラを抱えたまま軽やかに城壁の上に舞い降りた沙良太は
憮然として左手を振り、早くしろと催促する。
くすくす笑いながらタブレット端末を操作する賽銭箱女神は、目
当てのアイテムを見つけてぽちっ、と画面のボタンを押した。
﹁へへっ、手が届けばこっちのもんだ。どういう理屈で空飛んでる
ちょうしょう
か知らねえが、メスガキと一緒に叩き潰してや⋮⋮る⋮⋮?﹂
髭男の嘲笑がみるみるうちに絶望に変わる。
ねねきりまる
やまがねづくりはもんひるまきのおおだち
沙良太の手に現れたのは、一本の日本刀だった。
﹃祢々切丸﹄、正式名称は﹃山金造波文蛭巻大太刀﹄という。全長
3.4m、刃長2.2m、そして総重量は22.5kgと、おおよ
ミドル アーマー
そ人間が手に持って使うことを考えて作られていない無銘の﹃超大﹄
神刀。
8mの﹃中型機攻鎧﹄であっても、斬られればひとたまりもない。
ミドル アーマー
﹁手前ぇも俺を馬鹿にするってのか、ガキ!! そんなクソでかい
だけの剣で何ができる!!﹂
﹁よっ、よせっ!! そいつは︱︱﹂
﹁死んねぇぇっっ!!﹂
ようやく復活した傷男が止めるのも利かず、髭男は﹃中型機攻鎧﹄
ねねきりまる
の拳で殴り付けようと、地響きを立てて城壁の上を走って二人に襲
い掛かる。
・・
ちきり、と沙良太は手首を返し、祢々切丸の刃を敵に向かって立
ねねきりまる
アーマー
てる。そしてミニュエラを抱いたまま、斜め後ろに飛んだ。
アーマー
遅れて付いて来た祢々切丸の刃が﹃機攻鎧﹄の進路を横切る。そ
こに﹃機攻鎧﹄が真正面から飛び込んできた。まるで徒競走のゴー
ルテープでも切るように⋮⋮。
沙良太はとん、と城壁の一段高くなった横壁の上に降り立つ。
ミドル
﹁とうとう観念しやがったか。こいつで終わりにしてやるぜぇっ!
!﹂
アーマー
相手が逃げる気を失くしたと思ったのか、髭男は足を止め﹃中型
機攻鎧﹄の腕を大きく振りかぶった。
430
﹁悪い、もう終わってる﹂
﹁ほひ? あぷぁ−−ー﹂
の
アーマー
振りかぶった腕と一緒に髭男と﹃機攻鎧﹄の上半身が振り上げら
れ、仰け反ったような体勢のまま下半身に別れを告げる間もなく城
壁の下へ落ちていく。
アーマー
きれい
日本刀は引いて斬る時、その真の切れ味を発揮する。
﹃機攻鎧﹄ごと綺麗に一刀両断された髭男は、結局自分に何が起
きたのかを理解することなく地面に濃厚なキスをして、血みどろの
瓦礫に姿を変えた。
﹁やったな小僧っ!! しかし置くようにして使うとは⋮⋮その剣、
やはり大きすぎて使いこなせんようだな!!﹂
﹁いんや別に﹂
ねねきりまる
目の前で起きた現象が信じられず絶句するミニュエラをよっ、と
抱き直した沙良太は、左手一本で祢々切丸の柄を持つと、まるで小
枝で遊ぶようにぶんぶんと素振りしてみせる。
一振り一振りが、当たれば必殺となる強力な一撃。
すぅっと血の気が失せていく傷男をよそに、超巨大神刀は圧倒的
な剣風をもって周囲の大気を掻き乱す。
﹁うんうん。神界アイテム自体から神力を奪って身体強化に使うな
ふところ
んて、沙良太も随分成長したもんです﹂
よよよ、と懐から取り出した手拭で泣き真似をしてみせる賽銭箱
女神。
﹁ば、バケモノ︱︱︱﹂
﹁普通の人間だっての。もし俺がバケモノに見えたってなら⋮⋮お
前がその機械に乗って、先にバケモノになったからだろう、なっ!
!﹂
ねねきりまる
ずんざっ!!
ミドル アーマー
祢々切丸の切っ先が傷男に突き付けられる。充分距離を取ってい
たはずなのに、剣圧だけで﹃中型機攻鎧﹄の外燃脊椎がギシギシと
悲鳴を上げた。
431
﹁ひィィッ!! くっ、来るなぁああっ!!﹂
ミドル アーマー
さっきまで吹かしていた髭男に対しての先輩風はどこへやら。
セオリー
むずがる子供のようにぶんぶんと﹃中型機攻鎧﹄の両手を振り回
しながら後ずさる傷男。
﹁一応忠告しておきますと、沙良太の強さは戦術に捉われない、む
や
しろ借金みたいに積極的に踏み倒していくところなんですよねぇ。
つ
例えば剣なら、間合いの外に下がれば大丈夫だとか⋮⋮そんな痩せ
た考え方した時点で詰みですよ﹂
﹁へぁ?﹂
ねねきりまる
間抜けな声を上げた瞬間、傷男の体は衝撃と共に後ろに吹っ飛ば
される。
アーマー
せんとう
ぬ
彼の胸には祢々切丸が根元まで深々と刺さり、その切っ先は鋼鉄
とうてき
の脊椎を両断して﹃機攻鎧﹄ごと傷男を城壁の尖塔部分に縫い付け
ていた。
傷男が最期に見たのは、投擲姿勢で立つ沙良太の姿。
﹁踏み倒したらダメだろ、借金は﹂
こと
ねねきりまる
﹁ものの例えですよ。気にしないで下さい﹂
歩いて近付き、事切れた傷男から祢々切丸を引き抜いた少年は、
それをほらっと賽銭箱女神に投げてよこす。
空中で光が差したかと思うと、次の瞬間巨大な神刀は影も形も無
くなっていた。
おじょう
うかが
﹁さてさて一段落ついたところで、そこな沙良太にくっついたまま
じ
の御嬢さん。ちょっとお伺いしたいことがあるのですが⋮⋮﹂
うず
わざとらしく焦らしながら顔を近付ける賽銭箱女神に、ミニュエ
ラは助けを求めるように沙良太の胸へ顔を埋める。
﹁怖がらせてどうする﹂
か
﹁むむぅ、結局さらに密着させて沙良太を喜ばせただけでしたか⋮
⋮あ、もっと怖がらせますか?﹂
﹁要らん止めい﹂
﹁せっかくのラッキースケベタイムですのに。ちぃっ、沙良太の枯
432
ぶし
れ節めはあぶしっ!!﹂
顔面チョップが炸裂し、賽銭箱女神は沈黙した。
﹁キミ、知ってたら教えて欲しいんだけど﹂
﹁⋮⋮はぃなんでしょうぅ﹂
沙良太の襟元でもぞもぞと答えるミニュエラ。
﹁この世界に神力とか霊力とか魔力とか、そういったものの結晶化
した物質はあるか? 俺たち、それを採取しに来たんだ﹂
アーマー
﹁結晶⋮⋮分かりませんけど、多分﹃機晶石﹄のことかと思います。
﹃機攻鎧﹄の動力にも使われている、大地の力が宿った石⋮⋮﹂
﹁それです!! で、どこにあるかはご存じありませんかぐぇぇっ
!?﹂
ふざけて一緒に沙良太の胸元に潜り込もうとした女神の首に、容
赦ないチョークスリーパーが巻きつく。
﹁できれば沢山仕入れたい。その機晶石のあるところまで案内して
もらえると助かるんだけど、頼めるか?﹂
アーマー
﹁その⋮⋮機晶石は政府と軍が管理していて、市場には流通してい
アーマー
ません。でも、﹃機攻鎧﹄に使われているものであれば⋮⋮﹂
﹁﹃機攻鎧﹄?﹂
﹁さっきの革命軍兵士が着ていたものです。確か関節部に、高純度
の機晶石が組み込まれていると聞いたことがあります﹂
ちらっと沙良太は自分が倒した傷男の方を見る。
確かに少女の言う通り、男の着ているマッスルスーツのようなも
のの関節部には黒いバンドのようなものが取り付けられている。そ
の中に目指す石はあるのだろう。
だが⋮⋮
﹁うげげっ!? それが本当でしたら、石をゲットするために﹃オ
ッサンは脱が∼す!!﹄とかやらなきゃダメじゃないですか!!﹂
渋い顔でナイナイ、と手を振り拒絶する賽銭箱女神。
確かに見ていてもやっていても楽しいものではない。
さすがにこれには沙良太も閉口して考え込む。その様子を見てミ
433
アーマー
ニュエラはふと思いつきを口にした。
﹁あの、もしお二人が革命軍の﹃機攻鎧﹄を倒してくれるのでした
ら、石の回収は私たちが行います。旧王府には生き残った軍人さん
たちもいるでしょうから、人手も期待できますし⋮⋮﹂
﹁ぐ∼っど提案ですよ御嬢さん!! ぜひお願いしましょうそうし
ましょう!! ね、沙良太?!﹂
﹁⋮⋮一般人が城壁の上にいるわけがない。だとするとキミは戦闘
員か軍属で、この戦局を打開するために俺たちを利用しよう、って
ことか?﹂
ひる
びくっ、とミニュエラの小さな身体は震える。見透かされていた。
けれど、ここで怯むわけにはいかない。
︵頑張れ私!! お婆ちゃんと街の皆を助けるためには、この人た
ちに動いてもらうしかないんだから!!︶
﹁⋮⋮はい。けれどもこれは、交換条件にはなりませんか?﹂
顔を上げ、少年と視線を交わす。
常識的に考えれば対価として釣り合うはずがない。例えるならゴ
キブリ退治の代わりに40万人の野武士と戦え、というようなもの
けれどさっきの彼らの戦闘風景を見たミニュエラには、確信があ
った。
﹃この二人にはそれができる﹄
そして
﹃この二人に常識は通じない﹄
しばし見つめ合いながら沈黙の後、沙良太ははぁ、と息を吐き出
した。
﹁しょうがない。じゃ、そういうことで行こう﹂
﹁あっ、ありがとうございます!!﹂
﹁うわっ、顔、顔近いって!!﹂
喜びの余り鼻先が触れ合いそうな距離になっていた。赤くなった
ミニュエラは慌てて顔を離す。
﹁しかし、倒すにしても敵の数が多いな。街の中も路地やなんかで
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入り組んでるし﹂
城壁から眼下に広がる帝都の市街地を眺めながら、ぽつりと沙良
太は呟いた。
アーマー
それもそのはず。帝都の人口100万人に対して、革命軍の戦力
アーマー
ヒュージ アーマー
は侵入した第一陣の歩兵機攻鎧混成部隊が2万人。けれども攻城の
ため、機攻鎧﹄の比率が高く、﹃大型機攻鎧﹄だけで30機、中小
型も合わせると1000は下らない。それらが一斉に帝都に入り込
み、てんでばらばらに逃げる市民を相手に一方的な暴力を振るって
いるのだ。
﹁もっと人手があった方がいい。サイ、他の連中も呼べるか?﹂
﹁どうせ皆暇してるでしょうから、呼べば来てくれるでしょうけど
⋮⋮携帯電話の異世界ローミングって通話料金が無駄に高いんです
よね﹂
﹁ぶつくさ言わずにさっさと電話しろ。真新とコン、ヴェリタ、あ
と琶知とベロがいればいいか﹂
は∼いはい、久しぶりに戦闘要員全員集合ですね、と携帯をいじ
り始める賽銭箱女神。それを見届けると沙良太は少女に向き直る。
﹁そういえば名前聞いてなかったな。俺は諏訪沙良太、こっちの銭
ゲバがサイだ﹂
﹁ミニュエラです。ミニュエラ・ミミメット二等義勇兵⋮⋮よろし
くお願いします、沙良太さん﹂
﹁沙良太でいい。あと、悪いがみにゅって言いにくいからみ∼こっ
て呼ばせてもらうぞ﹂
﹁⋮⋮我慢します﹂
何をどうすればミニュエラがミーコになるのか意味が分からなか
ったが、目的の為に不満を呑み込むことができる程度には彼女は大
人だった。
﹁おっけ∼です沙良太。時間軸を揃えたので、すぐこっちに来ると
たもと
思いますよ。後で合流地点の座標を送りましょう﹂
賽銭箱女神が電話を終え、携帯を袂に仕舞う。ちなみにこの一本
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の電話が別の意味で帝都に超大な災難を呼び込むことになるのだが、
この時点ではまだ誰もそのことに気付いていない。
通信終了を見計らって沙良太はミニュエラの身体を、お姫様抱っ
こからおんぶにフォームチェンジする。
﹁じゃあみ∼こ、案内頼む﹂
ちだま
﹁分かりました。あ⋮⋮あと出発する前に、下に落ちている階級章
かが
を拾っていただけますか?﹂
これか? と腰を屈めた沙良太は、血溜りの中から黄色い一本線
に白い星が一つ付いた細長いワッペンを拾い上げ、汚れを払ってミ
ニュエラに渡す。
ラキセル少尉の胸元に付いていた帝国陸軍の階級章。それを少女
はエプロンドレスのポケットにしまい込んだ。少尉が渡してくれた
ハンカチと一緒に。
︵少尉⋮⋮もしかしたら少尉の為そうとしたことを、ちょっとだけ
お手伝いできるかもしれません︶
改めて沙良太の首に腕をまわしたミニュエラは、目的となる旧王
府の邸宅を指差す。
﹁あそこか!! 行くぞっ!!﹂
﹁はい!!﹂
﹁安全運転でお願いしますね!! 相手は危険でもいいですけど!
!﹂
いつの間にか沙良太の腰にしがみついてた賽銭箱女神が叫ぶ。
少年が城壁の上から思いっきり踏み切ると、三人の体は一条の流
星となって騒乱続く帝都の上空を旧王府目がけて一直線に飛んで行
った。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n4082bx/
剣と魔法の壊し方―ドSな兄妹(ふたり)と借金箱―
2016年7月7日11時28分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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