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Title チェリントンの広告研究 - 慶應義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA)

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Title チェリントンの広告研究 - 慶應義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA)
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チェリントンの広告研究 - その展開基盤と後の広告研究に対する貢献 戸田, 裕美子(Toda, Yumiko)
慶應義塾大学出版会
三田商学研究 (Mita business review). Vol.48, No.6 (2006. 2) ,p.89- 115
本稿では,初期の広告研究に重要な貢献をしたチェリントン(P. T. Cherington)の所説を当時の
時代状況に照らして解釈し,その広告思想の展開基盤を明らかにすると共に,彼の主張が後の広
告研究に及ぼした影響を議論する。19世紀末,不当表示や欺瞞的広告が横行する事態に対して消
費者運動の中で広告批判が盛り上がりを見せた。これに対して,自主規制として1911年にプリン
ターズ・インク誌は虚偽広告を禁止する州法のモデル案を発表し,世界広告クラブ連合は1912年
のボストン会議で「広告に真実を」というスローガンの下で広告浄化運動を展開した。こうした
運動は1914年の連邦取引委員会法の中で欺瞞的広告を禁止する条項が織り込まれるという形で結
実した。このような広告浄化運動を背景に,チェリントンは広告思想を発展させた。彼は当時の
一般的な広告批判,(1)広告は消費者に偽りを伝え,消費者を騙すものであるから社会悪である
,(2)広告は経済的浪費であるという2点に対する応答として議論を展開した。彼は第1の点に
関して,真実の広告を守るためにも虚偽広告が社会から排斥されるべきだと考え,そのための規
制や立法の制定,倫理規定の策定等,実際の制度設計に尽力した。第2点目については,広告が
無駄ではない根拠として,広告費は販売費の削減に寄与すること,また広告費は大規模生産シス
テムによってもたらされた生産費の縮減を源泉としており,それを広告に再投資することによる
需要刺激が更なる生産量の増加をもたらし生産効率の向上を実現すること,さらに,広告の教育
的側面に着目し,広告によって啓発された消費者はより良い購買者になってきたことなどを主張
した。広告批判が高まり広告活動の否定的な部分が強調された時代の中で,広告の肯定的な側面
を分析したチェリントンの広告思想は,後の広告研究に重要な貢献をなすものであったことを議
論する。
Journal Article
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00234698-20060200
-0089
89
2005年12月6日掲載承認
三田商学研究
第48巻第6号
2006年 2 月
チェリントンの広告研究
――その展開基盤と後の広告研究に対する貢献―― *
戸 田
要
裕美子
約
本稿では,初期の広告研究に重要な貢献をしたチェリントン(P. T. Cherington)の所説を当時
の時代状況に照らして解釈し,その広告思想の展開基盤を明らかにすると共に,彼の主張が後の広
告研究に及ぼした影響を議論する。
19世紀末,不当表示や欺瞞的広告が横行する事態に対して消費者運動の中で広告批判が盛り上が
りを見せた。これに対して,自主規制として1911年にプリンターズ・インク誌は虚偽広告を禁止す
る州法のモデル案を発表し,世界広告クラブ連合は1912年のボストン会議で「広告に真実を」とい
うスローガンの下で広告浄化運動を展開した。こうした運動は1914年の連邦取引委員会法の中で欺
瞞的広告を禁止する条項が織り込まれるという形で結実した。
このような広告浄化運動を背景に,チェリントンは広告思想を発展させた。彼は当時の一般的な
広告批判,(1)広告は消費者に偽りを伝え,消費者を騙すものであるから社会悪である,(2)広告
は経済的浪費であるという2点に対する応答として議論を展開した。彼は第1の点に関して,真実
の広告を守るためにも虚偽広告が社会から排斥されるべきだと
え,そのための規制や立法の制定,
倫理規定の策定等,実際の制度設計に尽力した。第2点目については,広告が無駄ではない根拠と
して,広告費は販売費の削減に寄与すること,また広告費は大規模生産システムによってもたらさ
れた生産費の縮減を源泉としており,それを広告に再投資することによる需要刺激が更なる生産量
の増加をもたらし生産効率の向上を実現すること,さらに,広告の教育的側面に着目し,広告に
よって啓発された消費者はより良い購買者になってきたことなどを主張した。
広告批判が高まり広告活動の否定的な部分が強調された時代の中で,広告の肯定的な側面を分析
したチェリントンの広告思想は,後の広告研究に重要な貢献をなすものであったことを議論する。
キーワード
P. T. チェリントン,虚偽広告,広告浄化運動,プリンターズ・インク誌,広告の経済的浪費,
広告費,販売費,グッドウィル,使用価値・交換価値,モダン・コンシューマー,広告の教育的効
果,競争的・ 造的広告,ミクロ的・マクロ的広告研究,実証的・規範的・歴史的研究
*
本稿の執筆にあたり,指導教授の堀越比呂志教授には懇切この上ないご指導を頂いた。また堀田一
善教授からは幾度となく貴重なご意見を頂戴した。ここに著者の心よりの謝意を表したい。
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三
田
商 学 研
究
1.問題の所在
マーケティング学説史家のバーテルス(Bartels, R.)によれば,マーケティング思想の初期的な
発展のいくつかは広告に関する著作の中で展開された。その背景にある出来事として工業製品の販
売の際に広告が広く用いられ始めたことが挙げられるが,これは新聞や雑誌における広告収入の増
1)
加という形で現れた。そして販売活動の中で広告の重要性が広く認識された事実に加え,人間行動
の動機付けに関する心理学が発展したという知的状況を背景として,1900年代初頭から主に心理学
者らが広告に関する文献を著し始めた。1910年代に入ると心理学者以外の著者による広告研究が展
開されるようになり,広告の技法に関する議論を超えて,広告の機能とは何か,広告の経済的効用
がいかなるものであるかといった広告の本質的な役割に関わる議論が展開されるようになった。そ
の先駆的者としてバーテルスによって紹介されているのが, 広告は経済的浪費であるか 」とい
2)
う問題提起を行ったチェリントン(Cherington, P. T.)である。
1900年代初頭,不正かつ欺瞞的な企業広告が横行し,それに対する消費者の不信感や反発は高ま
りを見せた。広告批判が強まる中,企業の広告活動を肯定的に捉える者たちは,いかに消費者の心
理に作用する効果的な広告表現を作り出すかという問題を超えて,広告が社会,経済,そして何よ
りも消費者にとって有益な活動であることを論証する必要性を強く認識していた。このような問題
意識の下で,虚偽広告の排除に向けて社会的な活動をし,積極的に広告の重要性と有益性を説いた
のがチェリントンである。彼は後の広告研究に対して重大な貢献をした研究者として評価されてお
り,バーテルスはチェリントンの成果を紹介する中で「多くの点において,二つの著作(『経営力
としての広告(Advertising as a Business Force)』(1913),
『消費者は広告を見ている(The Consumer
looks at Advertising)』(1928)――書名は筆者挿入)に表現された哲学は,今日においてさえ
慮に
値するものである」(Bartels 1988, p. 39,邦訳 p. 59)と評している。
これまでマーケティング研究者の間では広告と物流の関係を論じるチェリントンの議論は取り上
3)
げられることはあったが,当時の消費者運動と広告批判の高揚という時代状況の下,後年の著作と
の関係で消費者・広告費・広告規制に対する彼の広告思想が注目されることはなかった。本稿では
チェリントンの業績に注目し,その周辺的な諸状況の再構成を通じて彼の主張の展開基盤を明らか
にすると共に,その主張内容を分析する。本稿の構成は以下の通りである。先ず次節において20世
1) 新聞,雑誌の広告収入額,総額,人口一人当たりの支出額,そして対国民所得比率に関する統計
データは,Borden(1976)の48ページを参照されたい。
2) チェリントンは,1908年にハーバード・ビジネス・スクールで教鞭を執る前には二つの商業誌の編
集者を務めており,その後はハーバードで非常勤講師をする傍ら,J. ウォルター・トンプソン社(J.
Walter Thompson Company)の調査担当重役になった(Bartels 1988, p. 38,同訳 p. 58)。
3) 大野(1967),荒川(1979),光澤(1990),堀田(1991)(2003)を参照されたい。
チェリントンの広告研究
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紀初頭の広告研究がどのようなものであったか,チェリントンの広告研究が出現する以前の広告研
究の特徴を明らかにする。そして3節では,チェリントンの問題状況を生成させた時代背景を描写
する。そこでは20世紀初頭に展開された消費者運動の中から企業広告に対する批判が高まりを見せ
て行った過程を示し,それに対する防衛策として広告業者や出版社などによって展開された広告浄
化運動と虚偽広告に対する広告規制について述べる。4節においては,広告の存在を擁護すべく提
示されたチェリントンの広告思想の特徴を浮き彫りにする。そして最後に,後の広告研究に対して,
チェリントンがいかなる貢献をしたかを明らかにする。
2.20世紀初頭の広告研究――チェリントンの広告研究前史――
1895年頃より以前には,広告の問題やその原理を真剣に取り上げた研究努力は殆どなされていな
かった(Coolsen 1947, p. 80)。広告研究の先駆けは一般的な実務者向けの書籍や商業雑誌の中に見
4)
出される。1888年 刊のプリンターズ・インク誌(Printers Ink)は多くのビジネスマンの間で読ま
れ,そこでは経営やマーケティングに関する種々の議論がなされていた。1900年代以前には広告に
関する書籍は数冊にすぎないが,それ以降は増加を示し,さらに1925年以降は年々広告文献が急増
5)
した。
バーテルスは,1920年代以前の広告研究の進展を「広告思想形成期」と名づけ,その特徴を「広
告業と社会科学としての心理学の間の密接な関係」(Bartels 1988, p. 37, 同訳 p. 55)と表現した。
そしてノースウェスタン大学の心理学研究所長であったスコット(Scott, W. D.),コロンビア大学
の心理学講師であったホリングウォース(Hollingworth, H. L.),ミシガン大学の心理学教授のアダ
ムス(Adams, H. F.)の3人を最初の広告研究者と同定している。彼ら3人に共通して見られる特
徴は,①広告に関連する心理学的諸原理の提示,②広告が影響を与える消費者の心的諸過程の解説,
そして③その理解を実際の広告 造に応用することであった(Ibid., p. 36,同訳 p. 55)。消費者が広
告を受容する心理的過程に関する知識をいかに効果的に販売活動に役立てるかということが彼らの
共通の関心であった。この背景には,市場が相対的に狭隘化するという状況の下で製造業者にとっ
4) 広 告 媒 体 の 選 択 や 広 告 の 技 術 に 関 す る 問 題 を 議 論 し た 先 駆 的 な 雑 誌 と し て は,ローウェル
(Rowel,G.P.)による Advertisers Gazette や American News Paper Reporter,Printers Ink,サ
ンプソン(Sampson,Henry)による A History of Advertising,ブルックス(Brooks,H.M.)によ
る Luaint and Curious Advertisements,ファウラー(Fowlar,N.C.Jr)による About Advertising
and Printing などが挙げられる。
5) 1925年以降広告の文献が急増した理由の一つに,アメリカ経済学会第37回大会の場で広告をテーマ
としたセッションが開催されたことが挙げられる。統一論題を「広告の経済学」とし,クラーク
(Clark,F.E.),ホチキス(Hotchkiss,G.B.),モリアティ(Moriarty,W.D.)の3者が論文を発表
し,チェリントン(Cherington,P.T.),コープランド(Copeland,M.A.)がそれにコメントを寄せ
た。こうした一連の議論は以下に掲載されている。The American Economic Review, Vol.XV,No.
1, Supplement, M arch, 1925, pp. 5∼41.
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ては市場開拓,販売問題が重大な経営問題として認識されていたことや,その処方箋として消費者
の欲望の直接的な操作を可能にする広告技術に大きな関心が寄せられたという事情があった。消費
者の購買動機を明らかにし,その心理的諸段階を有効に刺激することは販売にとって重要な課題で
あった。
このような消費者の心理過程に関する分析と並行して,それを企業経営に適用する際の技術論的
な展開も為されていた。広告代理店業やコピーライターとして仕事をしていた実務家たちが自らの
実践的な経験を記述し,効果的な広告活動のための How to,すなわち処方箋を提供することを目
的とした著作を発表した。経営学関連の講座を担当する教育経験者なども,実務家の経験を素材と
して実用的な広告表現技法について詳細な説明を行った。バーテルスは,こうした一連の潮流を支
えた論者として,テキサス社(Texas Company)のティパー(Tipper, Harry),ニューヨーク大学
の商業英語担当の教授ホチキス(Hotchikiss, George),ニューヨーク美術・応用科学大学のパーソ
ンズ(Parsons, Frank)などを挙げている。ヘス(Hess, H. W.),ホール(Hall, S. R.),カスター
(Kastor,E.H.)なども自らの経験を基に,販売,商品計画に関連して広告の作成方法や手順などに
ついて具体的な記述を行った(Ibid., pp. 37∼38,同訳 pp. 56∼58)。こうした一連の著作は消費者の
心的過程や欲望の議論から独立して展開され,自らの経験のみならず広告にかかわる諸制度を記述
することで経営管理の観点からある種の原理や規則性のようなものを見つけようとする初歩的な試
みであった。
いわゆる広告思想形成期においては,市場開拓問題と関連して広告がその問題解決の処方箋とし
て期待されていたことを背景として,広告に対してほとんど全ての論者たちが非常に楽観的にその
威力を信じ,その効果について記述した(Ibid., p. 37, 同訳 p. 57)。上記の論者たちは広告に関連し
て問われるべき問題を探索し,その準備段階として広告に関わる諸々の事態を帰納的かつ経験主義
的に記述した。広告研究の問題発見の時代とでも言うべきこの時期に広く共有されていた広告に対
する楽観主義的な見方は,いわば広告の良い側面を強調し,それを前提とした議論であった。
しかしながら他方で,製造業者にとって販売活動の万能薬と信じられた広告は,消費者を騙すこ
とも厭わない欺瞞的情報操作となりえ,これにより翻って消費者の立場からすれば広告は消費者に
害悪を与える悪弊に過ぎないものとなる。次節では,こうした広告のもう一つの側面である負の部
分を浮き彫りにした虚偽広告の横行とその排除運動の展開について概観することにしよう。
3.20世紀初頭の広告浄化運動の展開
南北戦争以後,アメリカでは消費者が身を置く環境と経済状況は大きく変容した。工業生産高の
増加と共に工場労働者の数は増大し,とりわけ都市人口の上昇は著しいものであった。このような
急速な都市化と工業化の発展が都市部の貧困,移民ゲットー,市政の汚職,大企業の独占に伴う社
チェリントンの広告研究
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会的弊害,劣悪な労働条件,児童労働など様々な新しい社会・経済問題を惹起した。そして1890年
頃から種々の地域改革団体は地域の社会問題や政治改革に関心を抱き,労働環境改善運動,消費者
運動,独占企業の活動を制限するための立法活動,政治改革,禁酒運動など様々な形で活動を展開
し,こうした一連の社会改良運動は20世紀初頭には革新主義運動(Progressivism Movement)とし
て全国的な広がりを見せた。とりわけ19世紀末から20世紀初頭にかけて,アメリカ社会においては
反独占,権威への抵抗といった思想が貫かれ,それが一連の反トラスト法という形で結実したこと
は周知の事実である。
広告批判に連なる企業に対する抗議活動は,主に消費者保護の問題をめぐる消費者運動の中にそ
6)
の間接的な起源を有している。1891年,ニューヨーク市においてアメリカで最初の消費者連盟が結
成された。それ以来,消費者問題に関心をもつ運動組織が各地で活動を始め,1899年には全国消費
者連盟(National Consumer League)が設立された。当初同連盟は,労働者にその労働に見合った
最低公正賃金を支払い,合法的な労働時間と十分な衛生条件を守る小売店の「ホワイト・リスト」
を作成,公表し,消費者にこのような小売店で買物するよう推奨したり,労働条件が良好で健全な
状態で製造が行われている工場に「消費者ラベル」を付与し,一般消費者にその存在を知らしめ,
購買の指針を提供するなどの啓発活動を行っていた。当時の商業者や製造企業はこうした行為が人
権や財産権を侵害するものであると主張し,リストの公表を拒否するように新聞社に圧力をかけた
ため,必ずしも全国消費者連盟の活動が適正な労働条件や公正な賃金の実現に対して実効力を持つ
ものであったとはいえなかった。しかしながら,労働者個々人が生活用品市場を構成する消費者で
あるという意識の下,労働問題と消費者問題が表裏一体の生活問題であるという認識から,労働者
に消費者としての自覚を覚醒させることを通じて労働条件の改善に関心を向けさせたという点が消
6) 安部(1984)は,コトラー(Kotler, P.)とブロッフマン(Broffman, M. H.)の論 に従い,消
費者運動の時代区分として①消費者運動黎明期(1900年代以前),②第一次活動期(1900年代∼1930
年),③第二次活動期(1930年代∼1960年),④第三次活動期(1960年代∼)の4区分を採用している。
ここでは消費者運動の時代区分について厳密な議論を行うわけでは無いが,チェリントンを取り巻く
時代状況としては,主に②期の消費者運動の展開を念頭に入れている。しかしながら,②期に先行す
る形で,とりわけ食品や医薬品の安全性に対する消費者の認識は部分的に高まりをみせていた。
アメリカにおける最初の消費者保護法は,1848年にバージニア州議会で制定された法律である。こ
れは「買い手に真実を告げることなく,食用または飲用に供される病菌に犯された食品,または腐敗
した非衛生な食品を故意に販売すること,あるいはまた販売用の薬剤または人体に害を及ぼすような
不正な混ぜ物をするような業者を懲役あるいは罰金で処罰することができる法律」(多田 1983a,p.
29 )であった。その後,諸州で特定の商品や輸入食料品の混入物を規制する法律が制定されたが,こ
れらは販売されている食品のごくわずかな商品に限定されたもので,結局のところ表面的な規制に限
られた。その一例としては,健康に有害な紅茶の輸入の禁止(1883年),混ぜ物をした食料品や飲料
の輸入を防止する法律が議会を通過し(1890年),模造チーズの製造を制限するフィールド・チーズ法
が制定され(1896年),また不純物を含み非衛生的な紅茶の輸入を制限する連邦茶法が議会を通過し,
輸入される紅茶は食品医薬局の検査が義務付けられた(1897年)などの事柄が挙げられる(同書,p.
30)。19世紀末には諸州間で取引される食料品や医薬品の製品や販売を規制する目的の法案が100以上
も議会に提出されたという事実からは,食品の安全性や衛生状態に関する問題意識の高まりを窺い知
ることができる。(同書,pp. 32∼34)
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三
田
商 学 研
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費者連盟による取り組みの特徴であった(多田 1983a,pp. 32∼34)。当初,労働問題と不可分で
あった消費者連盟の活動は,次第に純粋に消費者保護の名の下で安全かつ衛生的な食品を求めると
いった消費者の利益に特化する形で展開されるようになると,労働運動と消費者運動は分離し,消
費者団体による消費者運動が自立的に展開されるようになった。
消費者運動を更に高める契機となったのは,食肉加工工場における劣悪な労働条件と,不衛生な
工場管理の実態を暴露したベストセラー小説『ジャングル』(1906)であった。その著者であるシ
ンクレア(Sinclair, Upton Beall)が明らかにしたことによれば,食肉加工工場では,病気に侵され
た食肉を食用に加工したり,食品の品質をごまかすために染料や薬品,防腐剤などが不当に使用さ
れているという事態が横行していた。シンクレアの当初の意図は移民労働者たちがいかに劣悪で不
衛生な労働を強いられていたかを世間に知らしめることであったが,この小説が広く読まれるにつ
れて労働条件の問題よりも食肉の安全性に対する一般消費者の不安や,虚偽の食品表示に対する不
信感が刺激され(多田 1983b,pp. 31∼32),これに呼応して各地の消費者運動組織はパレードや食
肉不買運動を展開した(安部 1984,p. 8)。こうした事態を受け,そのモデルとなった工場を連邦政
府の食肉検査官が調査したところ,小説と類似する事態が確認され,連邦政府は食肉検査と染料・
薬品・防腐剤などの薬品の検査を行うことを目的に1906年に「連邦純正食品・医薬品法(The Pure
7)
Food and Drugs Act of 1906)」を制定した(多田 1983b,pp. 31∼38)。
しかしながら,この法律は食品や医薬品の安全性の検査に関する規定を有していたものの,医薬
品販売に際して広く行われていた虚偽広告を禁止する条項が含まれていないという重大な欠陥を有
していた。当時,消費者が医学的知識を持っていないことにつけ込み,イギリス国王から免許を受
けたパテント薬であると偽ってでたらめな広告をするような商人が横行しており(多田 1983d,pp.
18∼19 ),これに危惧を抱いた医者たちは,にせ医者の虚偽を暴露した。1911年にアメリカ医学協
会は, いんちき特効薬とでたらめ療法」(Nostrums and Quackery)というタイトルの付けられた
一連の論文を発表し(Kintner 1971, 同訳 p. 71),こうした医師らの活動により一般の消費者は広告
の欺瞞,すなわち商品の安全性を示すために貼られているラベルや広告自体の不当表示を知らされ,
それと共に広告自体に対する反感を抱くようになった。
欺瞞的な広告の存在によって広告自体が信頼性を喪失させつつあったこのような事態に敏感に反
応し,広告表示の真実性を実現せねばならないという危機感を募らせたのは,販売の有効な手段と
して広告を用いる広告主のみならず,広告を重要な資金源として経営を成り立たせていた出版業界
7) 農務省化学局のウィリー(Willy, Harvey W.)という人物が1883年から講演や著書を通じて,有
害で混ぜ物の入った食品や薬品を公開することにより大衆に議論を巻き起こし,議会にアクションを
取らせようと努力していた。しかしながら彼の試みは議会にかけられても影響力をもった企業勢力に
よる組織的反対によって挫折させられてきた。その永年の努力が『ジャングル』が巻き起こしたセン
セーションによって念願の消費者保護法の「連邦純正食品・医薬品法」という形で結実したのであっ
た。(安部 1984,p. 12)
チェリントンの広告研究
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であった。当時のアメリカでは,州単位,コミュニティ単位の社会であったという事情から全国的
な新聞が発達せず,雑誌が主要なマス媒体であった。その中でも「レディース・ホーム・ジャーナ
ル」という婦人向け雑誌は国内に広く行き渡っており,この雑誌は広く全国的な広告を集めていた。
公衆に販売するための大量広告の技術に依拠する販売体制の普及と共に,メディアを通じたその表
記の虚偽や誤解を生じさせるような表現が消費者に対して有害なものであると認識されるようにな
ると,同誌は1910年に医薬品広告の掲載を中止し,また1911年には同誌の編集者ボーク(Bork,
Edward W.)が医薬品の虚偽広告を暴露する記事を掲載した。この記事の中では,赤ん坊に飲ませ
る鎮静薬のシロップの中にモルヒネが入っていたことをはじめ,様々な衝撃的な事実が明らかにさ
れ人々を驚愕させた(多田 1983d,pp. 18∼21)。同誌のこのような行動は虚偽広告の悪質さを全面
的に露呈し世間に広く知らしめたと同時に,そうした広告の掲載を中止するという行為によって悪
い広告を排除し,自主規制するという姿勢をアピールするものであった。
そしてまた,自主規制よりも更に積極的に虚偽広告を法的に規制することを意図した具体的な取
り組みとしては,プリンターズ・インク誌の法的規制活動が挙げられる。1911年に同誌は,8月3
日,17日,24日,31日号で「不公正競争」に関する特集を組み,不公正競争問題の専門家で弁護士
のニムズ(Nims, H. D.)に依頼して,11月16日号で虚偽広告を禁止する州法のモデル法を作成し発
8)
表した。世界広告クラブ連合(Associated Advertising Club ofWorld)が主催したボストン大会には,
2000人以上の広告関係者が集まり, 広告に真実を(Truth in Advertising)」というスローガンを採
択し,広告を浄化するために虚偽広告を禁止する州法制定運動を開始することを決議した。そして
大会後,各州の広告クラブ委員会を通じて,広告主や広告代理店や広告媒体各社に協力を求めた
(同書,pp.21∼22)。プリンターズ・インク誌の経営者ローマー(Romer,John Irving)は以下のよう
に述べている。 ボストン大会のメッセージは明快である。広告はついにその本領を発揮しなけれ
ばならない。正直で率直で,信頼にたる広告が優先権を持つ。……今後,欺瞞的な広告主は異端に
9)
なるだろう。
」彼は広告に対する倫理規定を作り,これに従って不正な広告や販売方法をめぐる悪
10)
習慣を排除する広告監視委員会の構想を提案した。
ボストン大会では,広告に関わるもの全てが,欺瞞的で,人を惑わせる,誇張的,誘導的な広告
8) このモデル法は以下のような事柄を内容としている。 商品,証券,サービス,またはその他の物
品を販売もしくは処分する意図をもって,あるいは,その消費を増大させ,またはそれに関し公衆に
なんらかの義務を負わせ,またはそれに対する権利,またはそれによる利益を得る意図をもって,本
州において,新聞またはその他の出版物,または書籍,ビラ,ポスター,回覧文,パンフレット,書
簡といった形,またはその他の形において,商品,証券,サービス,その他の物品の広告を作成,出
版,配布,または公衆に提供し,あるいはまた直接間接を問わず,作成,出版,配布,または公共に
提供させる場合,この種の広告に不正や作為によって誤解をおこさせるような事実の主張,偽りの説
明,または記事が含まれているときには,かかる行為をした人,商社,会社,組合は軽犯罪に該当す
る。
」(Printers Ink, November 23, 1911, p. 68)
9) Printers Ink, November 23, 1911, p. 66.
10) Printers Ink, August 10, 1911, pp. 6∼8, November 16, 1911, pp. 3∼23.
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商 学 研
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を排除することを望んでいるという趣旨が確認されたが,そこで唯一指摘された問題点は「欺瞞的
11)
な広告を排除することに関して,明確なプランを提示していない」ということであった。そのため
の具体的な方策としてプリンターズ・インク誌は,上述のモデル法の中で,アメリカ広告クラブ連
合に対して地方の広告クラブの下に「苦情処理委員会」(Grievance Committee)のような機関を設
置する提案をした。これを受けて,同連合は1912年のダラス大会で全国に監視委員会(Vigilance
Committee)と,その管理機関としての全国監視委員会(National Vigilance Committee)の設置を
12)
宣言した。こうして地方監視委員会と各地方の広告クラブを有機的に結びつけて,広告の自主規制
の実効力を上げようとする活動が積極的に展開され,いわゆる広告浄化運動が活発に行われるよう
になった。業界内部からの自主規制という形で欺瞞的な広告を刑事犯として処罰する州法のモデル
案が発表されたということは興味深い事実である。
プリンターズ・インク誌のモデル法は,変更されることなく1913年にオハイオ州で立法化され,
その他14州がこれに続き,1928年までには23の州で採用された。幾分の修正を加えたものも含めれ
ば合計44州で虚偽広告禁止の法律が制定され,虚偽広告を排除するための有効な武器になることが
期待された(Presbrey 1968,pp.537∼538,多田 1983d,p.23,Kintner 1971,同訳 pp.70∼73)。しかし,
これら諸法が民事法ではなく刑事法であったという理由から地方の司法機関の中には欺瞞広告の送
り手に刑事罰を科すことに抵抗を示すものもあり,また民事法の場合に比べて厳格な犯罪の証明が
要求されるなど手続き上の負担によってその有効性には常に疑問が呈された(高桑 1994,p. 243)。
結局州ごとの取り締まりでは効果が上がらず,連邦レベルの法規制の制定が要請された。
不公正および欺瞞的な事業慣行の是正を求める連邦政府の包括的な努力は,1914年の連邦取引委
員会法(Federal Trade Commission Law:以下 FTC 法)の制定を契機に開始された。シャーマン法,
クレイトン法の実質的な運用を強化するために「不法な制限および独占から取引および商業を保護
する」目的で制定された FTC 法の第5条条文には「商業における不公正な競争方法を違法とす
る」(OECD 編 1970,p. 75)旨が明記されている。しかしながら,定義の必然的な硬直化によって
新しい状況や不測の事態への対処が困難になるという経験に鑑みて,議会は何をもって不公正な競
11) Printers Ink, November 16, 1911, p. 3.
12) 広告に関わる機関の組織構成に関しては Agnew(1938)の12章に詳しい。1904年に 設された世
界広告クラブ連合は後にアメリカ広告連合(Advertising Federation of America)と改名され,地
方の広告クラブが全国連合の代表者の下にひとつの組織に統合された。その他の組織としては,広告
主である製造業者が広告手法の改善などについて情報交換を行う場としての全国広告連合(The
Association of National Advertising: ANA),広告代理店のサービスや技術,規範の向上を目指す
アメリカ広告代理店連合(The American Association ofAdvertising Agencies:AAAA),戸外広告
を行う際の公共のモラルや審美眼に害を及ぼすことのないように行動規則を敷くアメリカ戸外広告連
合(The Outdoor Advertising Association of America: ANA)と AAAA が共同出資して,ハー
バード大学の交通商業研究所(The Traffic and Trade Researchers)の中に設立し,戸外広告の監
視や評価を行う交通監視局を設置した)など,1900年代初頭には広告主,広告代理店,メディア・プ
ロデューサーの代表からなる広告の全国組織が続々と組織されるようになった。
チェリントンの広告研究
97
争方法とするかという定義を与えず,その具体的な内容の確定は連邦取引委員会の裁量に委ねられ
たが,ここに広告規制活動が委員会活動に入り込む余地があったのである(内田 1982,pp. 7∼8)。
不公正な競争方法のもとで欺瞞的慣行を規制することに関しては,いくつかの点で各委員の見解
に不一致が見られ,その結果1916年に初めて審判が開かれることになったが,そこで処理された5
件のうち3件が欺瞞的広告に関するものであり,このような状況の下で委員会の広告規制活動が開
始されることになった(同書,p. 7)。そして1919年には,欺瞞的広告事件の最初の司法審査で,巡
回控訴裁判所が不公正な競争方法という要件の下,初めて欺瞞的広告を規制する権限を連邦取引委
員会に認め,その後も欺瞞的広告の規制権限は裁判所による比較的高い支持を享受したと共に,委
員会自身の関心も高まりを見せた(同書,p. 8)。1922年には最高裁判所が連邦取引委員会に虚偽広
告の差止命令を支持する判決を下し,そして1925年には連邦取引委員会の差止命令のうち,70%近
くが虚偽的および欺瞞的広告に関するものであったと推計されている。しかし,これらの差止事件
は,正直な競争者が不正な広告によって損害を受けたという事実を立証できる場合に限られた(多
田 1983d,p. 23)。こうした事態を受けて,連邦取引員会はその適用範囲を拡大するために,正直
な競争者を保護するだけではなく,一般公衆をも保護することができるように権限を拡大しようと
試み,1938年3月にウィーラー・リー法(Wheeler-Lea Act)による FTC 法の改正が実現した。1911
年のモデル法の提案から20年以上もの時を経て,ようやく連邦法によって,明示的に「不公正なあ
るいは欺瞞的な行為ならびに慣行」が原則禁止され,虚偽広告が法的に規制されるようになったの
13)
である。
こうした経緯から窺えるように,広告の真偽性をめぐる法的な規制が明文化されるまでには非常
に長い時間がかかり,初期の広告研究者たちを取り巻く1910年代の状況は,一連の虚偽広告禁止運
動の黎明期であったと言えよう。消費者が広告に対して批判的な目を向け,広告の存在の是非が社
会的に問われるようになるという状況にあって,広告研究者たちは新しい課題に直面した。販売促
進の手段としての広告を当たり前の行為として肯定するという意識から一転して,広告の存在意義
自体を問う広告の根本に迫る問題へ目を向けなければならなくなったのである。このような問題状
況を俊敏に察知し,先駆的な議論を行った広告研究者が正しくチェリントンであった。彼は初期的
な広告研究の中で基本的な広告の機能や効用について,広告の存在を肯定的に捉える視点で議論し
たわけであるが,その主張に関しては次節で議論するとしよう。
13) この修正の内容は,第1条,第4条,第5条の改正と,第12条から第18条の全文の追加である。第
5条は「不公正な競争方法」のほかに「不公正または欺瞞的な行為または慣行」をも違憲とするよう
に修正され,FTC 法では虚偽広告その他,欺瞞的取引慣行を取り締まる上で何より広範な根拠が付
与された。第12条以下の条文は「食品・医薬品・化粧品法」が同年に制定されたことに対応し,食品・
医薬品・化粧品のラベル表示に関する権限が食品・医薬品局に付与され,ラベル表示以外の広告に関
する権限が連邦取引委員会に付与された(高桑 1994,p. 246 脚注12)。
98
三
田
商 学 研
究
4.チェリントンの広告研究
上述のような欺瞞的広告の実態と,それを受けて展開された広告に携わる各種業界関係者による
自主規制・法的規制活動の進展を背景に,チェリントンは広告の機能や経済的効果に関して議論を
行った。その主張は『経営力としての広告(Advertising as a Business Force)』(1913)(以下『経営
力』
)と,
『消費者は広告を見ている(The Consumer looks at Advertising)』(1928)(以下『消費者』)
の中に収められている。
彼の問題意識の出発点は, 今日なぜ広告は世間の責めを受けるのか」という素朴な疑問であっ
た。広告収入を重要な財源とする商業誌の編集者を務めた経歴が影響して,チェリントンは直感的
に広告に対して肯定的な捉え方をしていたのだろう。それゆえ,虚偽広告の存在により広告の否定
的な部分に注目が集まるという事態の中で,彼は広告の良い部分を論理的かつ説得的に世間に知ら
しめる努力をせねばならないと えていたと思われる。
14)
『経営力』は,流通システムを構成する製造業者,卸売業者,小売業者,広告代理店,消費者な
ど様々な主体や諸制度と広告がいかなる関連を有しているかについて議論しており,その内容は多
岐に渡っている。しかし当時の広告浄化運動という時代状況に照らして『経営力』を後年の『消費
者』と共に再解釈してみると,チェリントンが主張したかったものと思われる論点が明らかになる。
彼は,その当時,広告に対して向けられていた二つの批判,1)消費者に偽りを伝え,消費者を騙
15)
す可能性のある広告は社会悪である,2)一方的に消費者に与えられる広告は無駄であり,広告は
16)
経済的な浪費以外のなにものでも無いという見解に回答することで広告の存在根拠を示そうとした。
当時チェリントンの手元にはこの問いに十分答えてくれるような既存の知識が存在しなかった。
第2節で明らかにしたように,1900年代初頭の広告に関する先行知識といえば商業雑誌や新聞など
に掲載された技術論的な広告技法に関わるものであり,そこで用いられた専門知識は消費者の欲望
を操作するための心理学的知識や,具体的な広告表現技法だけで,これらはチェリントンの問題に
回答するには十分ではなかった。それゆえチェリントンは,広告活動それ自身の存在を肯定する論
拠を定式化するために,自らの力で広告研究を開拓しようと試みた。上記の二点の問題設定に沿っ
て彼の主張を再構成しよう。
14) 『経営力』の章構成は以下である。販売問題と広告主(第1章),流通システム(第2章),流通シ
ステムと広告の関係(第3章),メディア選択の問題(第4章),広告と消費者(第5章), 一般」小
売店の広告問題(第6章),新しい小売業態の広告問題(第7章),広告と卸売業者(第8章),製造
業者とその広告問題(第9章),広告と販売共同体(第10章),商標問題(第11章),価格維持(第12
章),広告費の処理(第13章),広告マネジャー(第14章),広告代理店(第15章),結語(第16章)。
15) Cherington(1913), p. 94,(1928), p. 4.
16) Cherington(1913), p. 429, pp. 455∼456,(1928), p. 1.
チェリントンの広告研究
99
4-1. 広告は社会悪であるか」という問いに対するチェリントンの見解
チェリントンにとって,広告批判者が主張するのと同様に虚偽広告は社会悪であり,これは社会
にとっても,また何よりも広告それ自体にとっても排除されなければならない事柄であった。チェ
リントンは『経営力』の中で,広告と流通システムを構成する諸機関との関わりや当時の広告方法
ならびに広告に関わる諸問題を取り上げ,広告を主軸にして幅広い論題について議論しているが,
この著作の執筆を促した当初の目的はアメリカ広告クラブ連合の教育委員(The Educational Committee of The Associated Advertising Club of America)の指導教育用のテキストを提供するという
ことであった(Cherington 1913, p. vii, viii)。世界広告クラブ連合ボストン会議の後,チェリントン
は優良な広告業者の資格認定基準を制定することを目的に組織された委員会の委員長に任命され,
その規準を設定するための基礎を得る目的で広告の機能や効用とは何かという主題について分析を
始めた(Ibid., p. 555)。虚偽広告の存在が広告批判の根源であるのならば,それによって全ての広
告が同様に社会的弊害であると非難されることは非合理な議論であって,欺瞞的な広告を社会から
排除するための仕組みを作ることが,真実の広告を守るために為されなければならない第一の課題
であるとチェリントンは えた。この点についてチェリントンは以下のように自らの見解を表明し
ている。
広告は何を為し得るのかということに関する認識に加えて,もしも正直なビジネスにおいて広
告が不正直に用いられたり,または不正直なビジネスで巧みに不正直な広告が用いられるよう
なことがあれば,正直なビジネスにおける正直な広告はダメージを受けることになろう。 正
直さは尊敬に値しないほど当たり前のこと」であるので,我々は一歩進めて,広告主や広告の
専門家の間でより高度な倫理基準が必要と認識されるようになってきていると言ってよい。不
誠実な,不正直な広告の使用を制限するために迅速に法的措置が試みられたということはこう
した想いの表れであろう。(Ibid., p. 551)
法的規制や各種広告クラブの活動を通じて虚偽広告を禁止,廃絶することができるか,という問
題に関して,彼はプリンターズ・インク誌が提唱したモデル法や各州の既存の法律の適用によって
欺瞞的広告に有罪判決が下ることを信じ,企業の不正な広告から消費者を守るにあたっては,全国
各地の広告クラブに設置された監視委員会が重要な役割を担うであろうと期待した。そしてまた,
資格認定の基準を策定するためには何よりもまずマーティン(M artin, Mac)が提唱した広告州委
員会(The State Boards of Advertising)の設立が先決であると え,弁護士と共に委員会設立のモ
デル法を作成した。これはミネアポリス広告会議(M inneapolis Advertising Forum)で取り上げら
17)
れた後に,ミネソタ州の州法として採択された(Ibid., p. 555)。この委員会は広告が適正に行われ
ているかを検査するためのものであり,医療専門家の間で行われている医療検査州委員会(the
100
三
田
商 学 研
究
state broads of medical examiners)と類似する役割が期待されるものであった。また,公認会計士
に与えられる資格証明書に匹敵するような証明書が広告に携わるものたちの間でも認められ,誠実
な広告主とそうではないものを区別するための指標として公認広告士(Registered Advertisers)な
る認証が与えられる可能性などについても積極的に議論している(Ibid., p. 554)。さらには当時14
の大学が広告の講義を開設しているという事実を引き合いに出しながら,多くの大学において広告
それ自体の教育がなされることの必要性も示唆している(Ibid., p. 553)。そしてより重要なことと
して,広告に携わるものたちの間で誠実なビジネスを行うことはもちろんのこと,より高い倫理規
準のようなものが設定されることが必要であることを強調した(Ibid., p. 562)。
チェリントンは人為的な制度設計によって,虚偽広告や不当表示などの広告の負の側面が除去し
うるという えの下で,その目的に適うさまざまな選択肢を提唱している。消費者と広告主との間
にある情報の非対称性ゆえに,虚偽広告の不正は露呈しにくい,または立証しにくいという事情が
欺瞞的広告を告発する際の最大の難問であったので,こうした制度に対するチェリントンの見解や
期待からは幾分楽観的過ぎる印象を受ける。しかし1914年の FTC 法が制定される以前の状況に
あって,虚偽広告を社会から排除するための様々な方策を見出そうという彼の試みの中には,真実
の広告を救い出そうとする懸命な努力の跡が窺える。従って,広告に携わる多くの人々と同様に,
18)
虚偽広告に対してチェリントンが一貫して異議を唱え続けていたことは明らかであろう。
4-2. 広告は浪費であるか」という問いに対するチェリントンの見解
虚偽広告は広告の負の側面であり,これを排除しようという試みは倫理的に言っても至極当然の
ことであって,欺瞞的広告に対するチェリントンの理念や理想は,広告を消極的に擁護するという
形のものであったといえよう。しかしながら,他方で,彼は広告の有用性について積極的に擁護す
る議論も行っており,これは「広告は経済的浪費か 」(Cherington 1913, p. 429, 1928, p. 1)という
問題提起に対する回答として示されている。チェリントンが広告は無駄ではないと主張する論点と
しては①広告によって実現される経済性,②広告によって消費者にもたらされる便益の二点に定式
化することができる。以下,各主張についてそれぞれ見てゆくことにしよう。
4-2-1.広告によって実現される経済性
前項で整理したように,チェリントンの楽観的な観測通りに,消費者に嘘を伝えるような悪い広
告が人為的な制度設計で排除することができ,真実を伝える良い広告だけが世の中に存在したとし
17) マーティンによって提唱された法規の詳細については,Cherington(1913)pp.555∼559 に詳しい。
18) さらに1928年の著作の中では,欺瞞的な行為に関与したような企業は信用を失いもはや倒産したり,
またはその事業主がとうの昔に他界しているなど,欺瞞的広告行為は過去のものであると述べ,いま
や広告は消費者保護を当然のこととして受け入れていると述べている(Cherington 1928,pp.4∼5)。
チェリントンの広告研究
101
ても,もう一つの可能性によって消費者は広告から損害を被ることがあるかもしれない。企業がで
きるだけ多くの商品を販売しようと広告を行い,それに伴って発生する費用が消費者に転嫁される
のであれば,消費者は高価格を強いられ負担を負うことになり,これは明らかに消費者の立場から
すれば無駄な出費,浪費になる。ここで問われるべきは「広告費は誰が支払っているのか 」とい
う問題であり,これに回答するためにチェリントンは広告費の源泉を明らかにするという形で議論
を展開した。
19)
彼は広告費の源泉について言及する前に,販売活動において無駄を生じさせているのは販売費で
あるとし,フレデリック(Frederick, J. George)の所説を引き合いに出しながら販売費と広告費の
関係について議論した。当時,市場の拡大と競争の激化という理由から,セールスマンと販売事業
部にかかる費用は多くの製品について益々重要な問題になっていた(Cherington 1913, p. 437)。こ
れに対してチェリントンは衣料品製造業者の事例を挙げ,広告費に反比例して販売費は減少し,販
20)
売量は比例して増大すると述べている (Ibid., p. 439)。こうした企業の販売費は純利益のおよそ6
∼9%であるのに対して広告費はたった0.83%であることや,アメリカ人が毎年,労働,給料,原
材料などに支払う210億ドルの2倍にあたる400億ドルもの金額を販売費に支払っているという国勢
調査の結果を用いながら,企業は費用の配分を販売費から広告費へ移行させ,不当に高い販売費の
支出による資源の浪費を避けるべきだと説いた(Ibid.,pp.440∼441)。十分に熟慮され綿密に作られ
た広告は,将来こうした販売費を大幅に削減し,より効果的な販売を実現することになるという信
念の下,広告の経済性を理解する大規模製造企業が直面している問題は,将来に渡って販売費を削
減し,事業規模を拡大するような広告の方法を学ぶことであると彼は主張した(Ibid., p. 441)。つ
まり広告費の経済性の一つは,販売費の無駄を削減することにあると説き,広告費と販売費の割合
を変えるよう勧告したのであった。
しかし,例え販売費の無駄を広告費が補うことができたとしても,その費用が消費者に転嫁され
ている,言い換えれば,価格に上乗せされて消費者が広告費を負担させられているならば,広告の
存在は人々から支持されないであろう。広告の経済性についてのチェリントンの二つ目の議論は広
告費の源泉に関するものである。広告を行うことにより消費者のニーズが刺激されると需要は増大
19) チェリントンは販売費と広告費を区別して議論しているが,自身も認識しているように,両者を明
確に区分するのは難しい(Cherington 1913,p.440)。通常,販売費の定義は以下のようになされる。
販売費は商品の販売に関して発生する費用で,広義では運送費,保管費などの配送費を含むが,狭義
では製品の需要に影響を与えるために支出される広告費や販売促進費,販売員の給料などを意味して
いる(占部 1980,p. 520,久保村他 2002,p. 269 )。つまり,販売費の一要素として広告費が えら
れているわけであるが,チェリントンは広告費と販売費の支出割合の対比が明確な衣料品産業の事例
を挙げながら,販売費はセールスマンの営業活動に必要な費用,広告費は新聞や雑誌などの広告支出
として概念化している。
20) Hart, Schaffner & Marx は年商15,000,000ドルの評判の高い衣料品店であった。同社は販売員を
削減し,広告によって必要な情報を伝達した。雑誌広告には春と冬のシーズンに85,000ドル出費し,
これは競合企業の二倍に相当した。
102
三
田
商 学 研
究
し,それに応じて大規模生産システムにより生産数量が増加すると,製品一単位当たりの生産費が
逓減し,従来の生産費と新たな生産費の差額分は利潤になるわけであるが,広告を行う企業はこれ
を広告費に充てているという(Ibid., pp. 432∼437, 455∼457)。チェリントンは「誰が広告費を支
払っているか」という問いに対して, 消費者が支払っている」または「流通業者に転嫁されてい
る」のではなく, 大規模生産の規模の経済性によってもたらされる生産費の縮減分が広告費の源
泉」であると述べ,誰かの負担の上に広告が行われているのではなく,むしろこれは利潤の再投資
であるという主張を展開した。しかしながら,生産費が低下したのであれば,その分,価格を下げ
て消費者に製品を提供すれば良いではないかという反論が当然予想される。これに対してチェリン
トンは,価格を下げてしまうと十分に広告支出を捻出することができず,それによって需要が減少
し,今度は規模の経済性が発揮されなくなるため,再び価格を上昇させねばならないだろうと述べ
た(Ibid., p. 457)。
チェリントンはさらに えを進めて,広告に刺激された生産量の増大が更なる生産費の削減をも
たらし,現代的な大量生産システムによる莫大な量の供給に見合うだけの需要の増加,すなわち大
量消費(Cherington 1928,p.13,pp.30∼40)が実現されるのであれば,従来の価格水準を維持しなく
とも,製品の価格が引き下げられる可能性も容認している。彼は「広告をすることにより安価に提
供されるような商品が存在する」(Ibid.,p.456,pp.459∼460)という観察を指摘し,広告は消費者の
負担や無駄な出費になるどころか,それを通じた需要増加と,それに応じた生産規模の増大による
規模の経済性から低価格も実現する可能性があり,結果的には消費者の利益に供することになると
議論した。
チェリントンは「誰が広告費を支払っているか
」という問いに対して上述のような回答を与え
ると,さらに進んで「どのくらい多く広告に支払うべきか 」という新たな問いかけをした。先の
チェリントンの論理に沿って えてみると,広告費支出の源泉,すなわち生産量の増大による製品
一単位あたりの生産費の縮減が実現するためには,需要増加という前提が成り立たなければならな
い。つまり広告費の支出は,それがどのくらいの需要を生み出すかということに依存しているので
ある。 どのくらい多く広告に支払うべきなのか 」という問いの答えは,広告がどれだけ需要を
獲得できるかということに依存していると述べている(Ibid., p. 443)。チェリントンは広告を語る
上で,消費者の需要が重要な概念になると思い至り,広告費支出の問題は実際にどれだけ支出され
ているかということだけではなく,その支出によってもたらされた需要の変化との関連において
察されなければならないと えた(Ibid., pp. 433∼434)。
21)
チェリントンは,議論の中で需要を「グッドウィル(Good-Will)」と置き換え, 広告がどれだ
けグッドウィルを獲得できるか」ということが広告支出を決定すると述べている。このグッドウィ
21) goodwill」という用語は,通常「暖簾」や「営業権」と訳されるが,本稿ではチェリントンの用
語法に沿って,当該商品や企業に対する消費者の愛顧や好意的な反応を意味するものと使用している。
チェリントンの広告研究
103
ルとは,たった一回の取引ではなく, 長きに渡って最良のもの」を定期的に繰り返し購買すると
いうような事柄をチェリントンは指している。いわば広告は短期的な売上増加のための手段ではな
く,長期的な愛顧の獲得を目的とした「投資」であって単なる一時的な支出ではないとチェリント
ンは
えた(Ibid.,pp.442∼450)。製品の幅広い,永続的な市場の 造に寄与しないようなものであ
れば,広告は支持されないだろうと述べている(Ibid., p. 441)。このグッドウィルという
え方は
今日のブランド・ロイヤルティ概念に近似的である。この点を認めることができるとすれば,それ
は単に個別需要曲線の外延的なシフトだけでなく,その傾きを強めるという観念にも通じるもので
あり,後の広告研究にとって重要な示唆を含んでいたと評価することもできよう。
以上のように,広告費は莫大な販売費に代替して費用の削減を実現すること,広告支出は流通業
者や消費者の負担によるものではなく,大規模生産システムにより実現した生産費の縮減分から捻
出されていること,さらに広告は単なる支出ではなく当該製品に対する長期にわたる消費者のグッ
ドウィルを獲得するための投資であるという点から,チェリントンは広告の経済性について説明し
たのであった。
4-2-2.広告によって消費者にもたらされる便益
広告の一番重要な機能は,目の前に実際に商品がなくとも消費者が商品の知識や情報を獲得する
ことができるという点である。しかし,逆に言えば,商品の知識について企業と比べて圧倒的に少
ない情報しか持たない消費者は,限られた情報を企業から一方的に提供されているに過ぎない。こ
うした広告の情報によって消費者は自らの支出や需要がコントロールされるということを えると,
広告は消費者を操作するための手段でもあり,消費者にとっては時には余計な,有害な影響,また
は無駄な情報以外の何ものでもないと解釈することもできる。消費者の需要を操作する広告の機能
を正当化するためには,操作される消費者にとってもこれが良い帰結をもたらすことを説明する必
要があるとチェリントンは えたのであろう。虚偽広告,すなわち悪い広告が社会から排除され,
真実の広告,すなわち良い広告が実現していれば,需要の操作や需要喚起を行う広告は消費者に
とって余計な影響どころか,翻って良い影響,賢明な影響を与えることになるとチェリントンは主
張した(Cherington 1928, p. 33)。
消費者に対する正当で賢明な影響とは,どのようなものを意味するのだろうか。これを明らかに
するために,まずチェリントンは広告の影響の受け手である「消費者」の実像について,プリン
ターズ・インク誌の記事を引用しながら以下のように「モダン・コンシューマー」と概念化してい
る。
1911年の今日にあって,消費者が購買する際,彼は選択をしているのである。彼は独自の
個性を主張している。彼は非常に微細な違いに至るまで,好みや嫌悪を表明する。類似する製
104
三
田
商 学 研
究
品ブランド間で様々な価値を見出す。そしてその微妙な差異を識別し,彼が欲するものを需要
22)
し手に入れる。
」
このように表現された1910年代初頭の消費者は,もはや石鹼はただの石鹼ではないことを知って
いた。製造業者が提供する広告によって,その石鹼が「顔に艶を与えてくれる石鹼」であることや
「99.4%ピュア」な Ivory石鹼であることを熟知していた。モダン・コンシューマーは,製品の良し
悪しや自分の好き嫌いについて明確な意思を有しており,単に企業から伝えられた情報を鵜呑みに
するような消費者ではなかった。この時代には既に消費者は数多くの広告を目にしており,それに
刺激されて商品を購入し,商品に関する様々な知識を身につけていた。広告は消費者が選択するこ
とのできる石鹼の数を増大させ,消費者が自分の個人的な好みを表明することを可能にし,そして
また,消費者を「目利き,知っている人」に変容させるという教育的な効果を有している(Cherington 1913, pp. 89 ∼90)。チェリントンは広告を「無料の通信教育学校」と表現し,かつて嗜好を有
していなかったような人々に種々の商品に関する嗜好を教育してきたと述べている(Ibid., pp. 90
∼91)。今や広告によってある程度の教育を受けた消費者は,単に「ニーズ」 意図」 感受性」の
結合からなるのではなく,企業の製品情報を受容するだけの受動的な存在でもない。チェリントン
が想定する「モダン・コンシューマー」は,広告によって一方的に影響を与えられ商品を買わされ
ているのではなく,自分の趣味や嗜好を有し,絶えずそれを変化させながら,自らの判断によって
主体的に購買の選択を行う能動的な存在であった(Ibid., p. 92)。チェリントンによれば,1910年代
初頭の消費者は企業の意向に従わせることが容易な無知な大衆ではなく,主体的な意志を持つ「モ
ダン・コンシューマー」であった。このような消費者の変化をもたらしたものが正に広告であり,
広告が有す消費者教育という側面を強調することによって,広告から消費者が受ける影響は余分な
もの,または悪影響という類のものではなく,正当で賢明な影響になるとチェリントンは主張した。
また,チェリントンは使用価値(value in use)と交換価値(value in exchange)という概念を用い,
消費者にとって最も重要な価値は使用価値であるとした。消費者は製品に本来備わった性質だけを
みて購買するのではなく,好き嫌いといった製品に対する選好としての使用価値をも規準にして購
買する。消費者にとって重要な価値である使用価値は財に対する使用者の態度から構成されており,
何かを所有したいという思いは基本的なニーズだけではなく主観的な願望や嗜好から構成されてい
る(Cherington 1928, p. 6, pp. 8∼11)。
チェリントンは「よりよい生活を送りたいという欲求」を消費者の主観的な願望の中で重要なも
のとして挙げた。
『経営力』の中で示された「モダン・コンシューマー」は『消費者』が著された頃
にはその経済的状況を向上させ,購買力の増大に伴ってその生活水準を上昇させてきた。それ以前
22) Printers Ink, January, 26, 1911, p. 59.
チェリントンの広告研究
105
に不必要であったものは必要なものに変化し,消費者は購買力の増大と共に嗜好を豊かにさせてき
た(Ibid., pp. 39∼41)。安全カミソリの広告は,安全で気楽に,そして経済的に髭剃りをするプロ
セスを教育し,床屋に行く煩わしさや金銭的・時間的費用から人々を解放した(Cherington 1913,p.
459 )。広告は潜在的な願望を呼び覚ますだけでなく,かつては贅沢であったものを共通の必要品に
させるプロセスを非常に安価なものにした。生活水準の上昇や生活の豊かさは,賃金の上昇,電化
製品の普及,自動車の普及率,種々の雑誌の発刊,映画館の建設など,様々な現象の中に現れてい
23)
た。
チェリントンによれば,こうした製品の新たな使用価値を大衆に知らせてくれる役割,すなわち
消費者を啓発する役割を担ってきたのが広告なのである(Cherington 1928, p. 188)。このような社
会的全体の向上にとって良いものを大衆に伝える広告を,チェリントンは「
造的広告」(Crea-
tive advertising)と呼んだ。他方,ある需要が形成された後に大衆に対して単に「これは良いもの
だ」とだけ繰り返し伝え,その利点の内容を十分に伝達しきれないような広告を「競争的広告」
(Competitive advertising)と名づけ,このタイプの広告は何の益も生み出さないものであると主張
した(Cherington 1913, p. 459)。そしてこの競争的広告は,その内容が虚偽であったり消費者の信
用を喪失させるようなものであった場合, 造的広告の教育効果を破壊するものであるがゆえに,
社会にとって危険なものであり,この種の広告は経済的浪費になるものであると述べた(loc.cit.)。
チェリントンは,広告,その中でも 造的広告が消費者の豊かさの実現にとって有益な役割を果た
してきたと述べ,大量生産の時代にあって,より豊かな生活環境の実現を手助けする手段として広
告の存在は正当化されるべきであると主張した。
『経営力』と『消費者』を見てみると,チェリントンの議論は一貫して広告を擁護するものであ
ることが明らかである。広告の社会に対する悪影響や浪費という点から広告を批判するものたちは,
虚偽広告の存在ばかりに目を向けて広告の良い部分を評価しようとせず,少なくとも1913年から28
年までの15年間に改善されてきたこと,これから改善されるだろうことに眼を向けようとしていな
いとチェリントンは指摘した。使用価値の増大や消費者の生活水準の向上に大いなる貢献をしてき
たという意味で,広告は重要な役割を果たしてきたというのがチェリントンの
えであった。
『消
費者』を「広告は啓発である」という言葉で締めくくっていることからも窺えるように,チェリン
トンは広告の消費者教育という側面を重要視し,それによって消費者は新たな使用価値を発見し,
自らの生活の豊かさを増大させてきたことを強調した。広告は消費者教育という機能を通じて人々
23) 公務員の賃金の上昇については1913年を100とした場合,1928年には176へ上昇していると指摘して
いる。電化製品の使用については,電気配線済の家庭が1920年からの5年間で年間およそ100万戸の
割合で増加しており,アメリカの家庭の半数以上に電気が供給されていた。そして電気洗濯機は年間
でおよそ60万台の割合で販売されており,価額にすると7500万ドルであった。電気掃除機は年間で
100万台,価額にして5000万ドルであり,電気アイロン,トースター,レンジ,扇風機,暖房もまた
一般的に使用されるようになってきていた。(Cherington 1925, pp. 36∼38, 1928, pp. 42∼53)
106
三
田
商 学 研
究
の生活水準の向上に重要な役割を果たし,これこそが広告が消費者にもたらした最大の便益である
というのがチェリントンの主張であった。
企業が当該商品の販売を目的として極めてミクロ的な関心から行う広告活動は,その商品に対す
る消費者の需要を喚起する。そして広告によって増大した需要に見合った生産の拡大は規模の経済
性を通じて更なる生産費の減少をもたらす一方で,以前と同じ価格で販売することができれば超過
利潤が生み出され,これは広告費として再投資される。このようにして大量生産と大量消費の循環
が実現すれば価格を下げても十分な利益を生み出すことができ,消費者にとって好ましい低価格が
実現する。さらに広告は,商品に関する知識や情報,つまりは新たな使用価値の提案という形で消
費者を教育・啓発するという役割も果たし,このことにより消費者は単なる購買者ではなく「モダ
ン・コンシューマー」になることができる。個々の消費者が商品のよりよい購買を通じてより良い
生活を享受することができるようになれば,総体としてマクロ的な社会全体の豊かさに結びつくと
いう主張をチェリントンは展開した。広告は企業による単なる販売のための手段に留まらず社会の
豊かさの源になるという主張をもって,チェリントンは広告の存在を擁護したのだった。
5.広告研究に対するチェリントンの貢献
ここまでチェリントンの主張内容を整理してきたが,本節では広告思想におけるチェリントンの
位置づけと,後の広告研究に与えた影響を明らかにしたい。
チェリントンの研究の位置づけをするためには,まず広告研究の領域を明確にしなければならな
い。ハント(Hunt, S. D.)はマーケティングの領域を分類化するために3つの2項分類を提示した
が,これを応用して広告研究の領域を設定したいと思う。
ハントの図式では,全てのマーケティング現象,主題,問題が(1)営利セクター・非営利セク
ター,(2)ミクロ・マクロ,(3)実証的・規範的という基準から分類される。(1)の営利セクター
は利益の実現を目的としているような組織やその実体の研究を,非営利セクターは利益の実現を目
的としない組織や実体の研究および視点を含んでいる。そして(2)のミクロ・マクロの2分法は集
計レベルに基づく分類であり,ミクロは個別単位(企業および消費者)のマーケティング活動を,
マクロはこれよりも高い集計レベルのマーケティング・システムあるいは消費者の集団などを指す。
さらに(3)の実証的・規範的の分類は,分析の焦点を記述か処方のいずれを第一義にするかによる
ものである。実証的マーケティング論は,既存のマーケティング活動および現象を記述・説明・予
24)
測し,理解することを目指し, あるがまま」を検討するものであると定義され る。一方規範的
24) この実証的研究を,普遍法則や仮説に関心を向ける「理論的研究」と呼ぶことも可能であるかと思
われる。しかし当時の広告研究の文献を見てみると,理論的と名付けるにはあまりに未熟であり,一
般化の準備段階として現状の記述や実務家の経験の記録などが多く見られるため,ここではハントの
用語法に従って「実証的」という用語を用いた。
107
チェリントンの広告研究
マーケティング論は,マーケティング組織および個人が「何をすべきか」
,社会はどのようなマー
ケティング・システムを持つべきかなどを処方することを目指す視点を有すものと定義される
25)
(Hunt 1976,邦訳 pp. 14∼19 )。
これを本稿が対象とする19世紀末から20世紀初頭の広告研究に応用するにあたり,いくつかの修
正を加える必要がある。まず当時の広告研究は基本的に営利セクターを対象としたものであるので
(1)の基準については除外する。そして(2)と(3)は有益な示唆を与えてくれる基準であるので
26)
これらを採用することにするが,(3)については,実証的・規範的に加え,歴史的という基準を追
加する。これらをまとめると広告研究は〔1〕企業経営的観点から
察されるミクロ的な広告研究
と,〔2〕社会経済的観点からのマクロ的な広告研究の2つに区分され,それらがさらに実証的,規
27)
範的,歴史的研究という3つに細分化されて合計で6タイプの研究分野に分けられる。これを20世
紀初頭の広告文献にあてはめてみると図1のようになる。
本稿2節で明らかにしたように,チェリントン以前の広告研究においては,消費者の心理過程を
明らかにする心理学の諸法則が取り入れられ,広告に関する理論的関心は消費者行動の解明から始
まった。こうした研究群では Scott(1903)が代表的なものであるが,これらは〔1〕ミクロ研究の
①実証的研究に分類され,さらにその中でも心理学的研究として特徴づけられる。そして,消費者
の心理的側面よりも主に企業の経営管理論的な関心から,広告活動に関連する諸活動や諸機関の記
述や,広告マネジャーがすべき意思決定事項の説明などを目的とした分析もあり,先駆的なものと
しては Calkins & Holden(1905)が挙げられる。こうした著作は心理学的研究と区別して,ミク
ロ研究の①実証的研究の中の経営管理論的な研究として分類することができよう。また,先述のよ
うに広告コピーの書き方やデザインの作成方法,レタリングの仕方など,より具体的な技法につい
て記述したものも多く存在した。これは Hall(1915)などが代表的であるが,上記の分類図では②
規範的研究として分類される。そして③歴史的研究は数の上では少ないが,アメリカで成功した広
告主の経歴や,当時の新聞広告の料金の一覧,各州の新聞社の発刊日,価格,編集者名など詳細な
事 実 を 記 録 し た Rowell(1870)や,長 年 広 告 業 界 に 携 わった 経 験 を 歴 史 的 に 綴った Rowell
(1906)を挙げることができよう。
他方,マクロ的な研究の進展もみられ,チェリントンの研究はこの研究群の中に位置づけられる。
本稿の4節1項で議論したように,チェリントンの虚偽広告に関する議論は,欺瞞的広告を社会か
25) この基準に対する批判やその後のハントの修正に伴う問題については,堀越(1999)で議論されて
いるので参照されたい。
26) 歴史的研究は特殊なあるいは特定の出来事に対して,時間的過程を通じた変化や発展の因果的説明
に関心を向ける研究のタイプを示す。歴史科学,理論科学,応用科学の特徴づけについては Popper
(1950)の第25章を参照されたい。
27) この分類の構想は,堀越比呂志教授からの示唆によって案出されたものである。もちろん表記の誤
りや説明の不十分さなどについては,その責任は筆者自身が負うものである。この広告研究の分類の
図式については堀越(2005)も参照されたい。
108
三
田
商 学 研
究
28)
図1 19世紀末から1920年代の広告研究の分類
︹
1
︺
ミ
ク
ロ
的
研
究
広
告
研
究
①実証的研究 【心理学的研究】Gale(1900), Scott(1903)(1908), Schryer(1912), Hollingworth(1913), Adams(1916), Poffenberger(1925)
【経営管理論的研究】Calkins & Holden(1905), Calkins(1915), Hess
(1915), Tipper et al.(1915),(1921),DeBower(1917),Opdycke(1918),
Sloan et al.(1920), Burdick(1923), Starch(1923)(1927), Brewster et
al.(1924), Kleppner(1925), Sheldon(1925), Hall(1926), Borden
(1927),Parrish(1927),Picken(1927),White(1927),Lockwood(1929)
②規範的研究 【広 告 表 現 技 法:広 告 の レ イ ア ウ ト や コ ピー作 成 な ど】Bates(1896),
Powell(1905), Edgar(1907), DeWeese(1908), Parsons(1912), M acDonald(1913), Hawkins(1914), Lewis(1914), Hall(1915)(1921)
(1924), Kastor(1918), Durstine(1920), Herrold(1923), Hotchkiss
(1924), Keeler et al.(1927), Namm(1927), Dwiggins(1928), Naether
(1928)
③歴史的研究 【企業広告史】Rowell(1870), (1906)
︹
2
︺
マ
ク
ロ
的
研
究
④実証的研究 【広 告 の 経 済・社 会 に 対 す る 諸 影 響 に 関 す る 分 析】Cherington(1913)
(1925)(1928), French(1915), M arshall(1923), M oriarty(1923)
(1925),Copeland(1925),Hotchkiss(1925),Clark(1925),Crum(1927),
Vaile(1927), Braithwaite(1928), Vaughan(1928)
⑤規範的研究 【広告倫理・規制等の分析】Cherington(1913), Printers
Agnew(1926)
Ink(1888∼),
⑥歴史的研究 【広告発展史】Presbery(1929)
ら排除するための具体的な方策をめぐる主張であり,これは〔2〕マクロ的関心の下で行われた⑤
規範的な研究として分類できよう。この種の議論は,3節で述べたようにプリンターズ・インク誌
のような商業専門雑誌の誌上で展開されることが多かったが,協同広告のあり方について具体的な
提言を行った Agnew(1926)などもこの分類に含まれよう。そして4節2項で議論したような,
広告の経済性や広告が経済・社会に与える諸影響に関するチェリントンの主張はマクロ的研究の中
の④実証的研究にあたる。このような集計レベルの高い次元で展開された議論については,1920年
代にはヴォーン(Vaughan,Floyd L.),ヴェイル(Vaile,Roland S.)らに,そして1940年代にはボー
デン(Borden, Neil H.)による広告の経済的・社会的効果に関する広告研究に受け継がれた。⑥歴
史的研究については,ミクロ研究と同様に数の上では少ないが,詳細に広告の発展史を分析した
Presbery(1929)が代表的なものであり,これは現在でも広告史の研究成果として高く評価されて
いる。
28) 図中の諸研究は,Bartels(1988),Coolsen(1947),Laric & Tucker(1977),Lancaster &
Yaguchi(1983)を参照して抽出されたものである。基本的には単行本に限定したが,重要なものに
ついては論文や雑誌を加えている。出版年が古く入手不可能な資料については,二次文献や書評を参
にして分類した。ここで取り挙げた広告文献は当時出版されたものの一部にすぎず,また,この他
にマーケティングや販売管理,経済学の文献の中で広告を論じたものもあるが,枚挙に遑が無いので,
ここではタイトルに「広告」と表記しているものに限定した。各々の研究の概説については紙幅の制
約から割愛した。分類の妥当性を明らかにするためにも,機会を改めて発表することとする。
チェリントンの広告研究
109
つまりチェリントンの議論はこの分類の中でマクロ研究の中で④と⑤に関する領域に位置づけら
れ,その分類に含まれる後の諸研究に対する先駆的な貢献として確認できる。その中でもとりわけ
重要なものは,チェリントンによる広告の経済・社会的側面に関する議論から後の重要な経済学的
な広告研究が生み出されたという点である。今日,経済学者による先駆的な広告研究の成果として
マーシャル(M arshall, A.)があげられることがある(Lancaster & Yaguchi 1983,阿部他 1995,p.
185)。マーシャルは, 建設的(constructive)広告」(M arshall 1923,p.304,同訳 p.161)と「闘争的
(combative)広告」(Ibid., p. 306,同訳 p. 163)の二つを広告の特徴として挙げた。前者は広範に存
在する潜在的な需要を満たすことができる新しい商品の長所,有用性について十分な知識を消費者
に過度の疲労と時間の浪費なくして伝えることを可能にするという意味で建設的である。そして後
者は,闘争的な競争の結果,広告が浪費なまでに繰り返されることによることや,誇張された広告
から生まれる社会的浪費の存在ゆえに好ましくないものと述べられている。非常に短い記述のなか
で,マーシャルは広告の特性について語っているだけであるが,この二分類はその後の広告研究の
中でも用いられてきた。マーシャルはその著書の中で明示的にチェリントンの『経営力』を引用し,
広告に関する議論にその成果が重要な影響を与えていることを示している(Ibid., p. 306,同訳,p.
165)。マーシャルの建設的広告と闘争的広告という二分法は,それぞれチェリントンが議論した
「 造的広告」と「競争的広告」という二分法に極めて類似しているとは明らかであり,マーシャ
ルがチェリントンから広告研究の重要な着想を得たことが窺える。このマーシャルの言及を受け,
1920年代にはピグー(Pigou,A.C.)が『厚生経済学』の中で「情報的な広告」と「競争的な広告」
という二分法の下,経済的な営みの一環として展開される広告活動について議論した(堀田 2003,
p. 222)。この視点はカルドア(Kaldor, N.)にも受け継がれ,広告分析の視角がチェリントンを原
29)
点として引き継がれてきた。
研究の出発点を広告規制をめぐる規範的問題に置き,必ずしも学究的な関心に導かれていたわけ
ではなく,一貫性や緻密さという点でも不十分であったとはいえ,チェリントンの議論は広告技法
を超えて,広告のマクロ的側面に関する後の諸研究に分析視角を与えたという点で重要な貢献をし
たものと評価することができよう。
6.結語
本稿では,バーテルスによって初期的な広告研究にその貢献が認められたチェリントンに焦点を
29) そしてまた1950年代に入ってからは,産業組織論の発展とともに広告と参入障壁の関連や,広告と
市場集中ならびに企業規模との関連が価格理論の応用によって実証的に研究されるようになり(亀井
1973,p. 69 ),規範的研究に関していえば,広告規制の問題が消費者運動と不可分であるという特性
を反映して,1960年代に高揚したコンシューマーリズムの展開とともにこの議論が再び活気付き,虚
偽広告を排除するための政策的含意を意図した研究が盛んになされるようになった。
110
三
田
商 学 研
究
当て,彼の主張の展開基盤としての消費者運動と虚偽広告排斥運動について鳥瞰し,さらに彼の主
張内容を広告批判者の論点に沿って再構成してきた。その論点は(1)広告は消費者を欺くもので
あるから社会悪である,(2)広告は浪費であるという2点に集約され,これに対するチェリントン
の反論を明らかにした。
(1)については,彼も広告批判者と同様に虚偽広告が社会から排斥されるべきだと えていた。
しかしながら批判者と彼を分かつものは,広告批判者が虚偽広告の存在をもって広告全てを排除し
ようとするのに対して,チェリントンは真実なる広告を守るために,欺瞞的広告を規制し,広告に
携わるものたちのより高い倫理の実現に向けて,様々な具体的な制度的方策を模索していたという
点であったことを明らかにした。そして(2)については,広告が浪費ではない根拠として①広告
費は莫大な販売費に代替し,販売にかかわる費用を削減する効果がある,②広告費は消費者に転嫁
されているのではなく,それは大規模生産システムによってもたらされた生産費の縮減の所産であ
り,広告による需要刺激が更なる生産効率に寄与し,延いては価格下落という形で消費者に利益を
もたらすということ,③広告費は長期的な顧客のグッドウィルを得るための投資であるということ
を明らかにした。さらに④広告が消費者に与える便益としては,広告は消費者を教育し,能動的に
購買活動に関与する消費者, モダン・コンシューマー」に進歩させ,国民の生活水準を向上させる
ことに寄与するものであること,つまり消費者の啓発を行う
造的広告は,消費者にとっても社会
的に有益なものであるとチェリントンが議論していた点を明らかにした。
『経営力』と『消費者』を通じて,チェリントンが示した広告の機能や効用に関する評価は幾分
楽観的過ぎるという印象を与える。チェリントンの広告擁護の論理は,その論証の点でいささか不
完全なものであり独善的に広告を擁護しているという感が否めない。広告が必ず需要を刺激し,販
売量を増大させるということがアプリオリに前提とされ,また,どれだけの需要量を獲得すればど
の程度の広告支出が可能となるのか,広告費と生産量・需要量の増減との関係などについても,そ
れが実現する諸条件は言及されていない。しかし彼の広告思想の出発点は,前節で述べたように,
広告に携わるものたちの倫理規準をいかにして設定するかという問題であった。一般的な広告批判
の誤解を払拭し,広告の肯定的な側面を広く訴えようとしたチェリントンにとっては,論証の厳密
さは一義的な目的ではなかったのかもしれない。消費者運動の高揚や広告批判の高まりといった中
で,チェリントンは学術的な分析よりも広告の利点を「啓発」することが先決だと えたのであろ
う。
チェリントンは1900年代初頭の消費者が能動的かつ主体的に意思決定することのできるモダン・
コンシューマーであるという基本的な認識を有し,法律によって広告の影の部分である虚偽広告さ
え取り除かれれば,広告の光の部分である教育的機能が存分に活用され,消費者の判断能力が向上
することによって消費者が単に広告の奴隷になるようなことはないと えていた。広告批判者のよ
うに広告の影響下にさらされる消費者を弱者とみなし,さらには虚偽広告のような負の部分を非難
111
チェリントンの広告研究
することで広告の効用全てを無に帰してしまうのではなく,法制度によって欺瞞的広告は排除され
うるし,主体的な消費者が広告に対して能動的な判断ができるようになった土壌が整備された今と
なっては,広告活動の存在を肯定的に捉え「広告は何をなすものか,広告がどのように為されるこ
とが理に適っているのか」(Cherington 1913, p. 537)を分析してゆくことが,より良い広告,より
良い商業活動,延いてはより良い社会にとって重要であろうとチェリントンは えていた。
広告は,まさしく認識され始めたばかりなのである。……その新しい形態のみならず,広告の
新しい使用法もまた,常に発見されなければならない」(loc. cit)と表現されたように,まさしく
広告研究の黎明期にあって広告の肯定的な側面を積極的に取り上げたチェリントンの広告思想は,
今日から見ると多分に楽観主義的・理想主義的過ぎるとはいえ,広告に対する社会的批判が高まり
を見せていた時代にあっては,こうした非難に対して合理的に回答しようとした懸命な努力の現わ
れとして評価することができよう。そして萌芽的であるとはいえ,チェリントンの主張は後の研究
に重要な示唆を与える諸概念を含んでいた。彼の広告の二分法はマーシャルに影響を与え,その後
の経済学的な広告研究に基礎を提供し,また1920年代以降,バーテルスによって「統合と完成の時
期」と称された時期に輩出されたヴォーンやヴェイルによる経験データを用いた広告の経済・社会
的効果に関する分析にも先鞭をつけた。研究としては不十分な点を有しながらも,チェリントンが
主張した事柄は後の広告研究で示される仮説の一部を構成していたり,研究課題を提示していたり,
または哲学的・思想的基盤を提供するものであったという点で,重要な貢献をしたものと判断して
も過大評価にはならないであろう。従来,マーケティング研究者によって取り上げられることの無
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より積極的に評価してよいものと思われる。
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