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ソロモン諸島首都の大水害の影響とその緩和方策

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ソロモン諸島首都の大水害の影響とその緩和方策
神戸大学都市安全研究センター
研究報告,第19号,平成27年 3 月
ソロモン諸島首都の大水害の影響とその緩和方策:食
生活への影響を中心に
The Effects of Severe Flash Flood in the Capital City of Solomon Islands
Mainly on Dietary Habits and Possible Mitigation Strategies
中澤 港 1)
Minato Nakazawa
清水 彩加 2)
Ayaka Shimizu
概要:ソロモン諸島国は,2014 年 4 月に首都ホニアラを中心として起こった大水害により 10,092 人が避難した。
すぐに国内外からの物資や人的な支援が入ったため,避難所で物資に困ることは少なかったが,避難所以外への
物資の配給は十分には行われなかった。多くの農地が洪水被害を受けたためにマーケットでの野菜やイモ類の価
格が高騰し,米やツナ缶への依存が高まった。被災後すぐ下痢や胃腸炎が流行し,夏には麻疹が流行した。ホニ
アラ市では家の再建が遅れたが,農村部では畑を複数もつ世帯が多く,ワントークシステムも強固なために復旧
が早かった。都市部でも教会を中心としたコミュニティの絆は強いので,避難所以外でも教会を中心とした配給
システムや災害教育を平時から行うことによって災害準備性を高めておけば,今後の被害軽減に有効であろう。
キーワード:ソロモン諸島,水害,避難所,感染症,ワントーク,教会
1.はじめに
ソロモン諸島は英連邦に属する南太平洋の島嶼国の一つであり,多くは火山島で,植物相は東南アジア島嶼部
と似てフタバガキ科の高木を含む熱帯多雨林が優占しているが,オーストラリアやニュージーランドやパプア
ニューギニアと同じく,元々有胎盤類はいなかった土地である。
歴史的には 5 万年以上前に東南アジア島嶼部からパプアニューギニアを通ってオーストラリア大陸へ人類が拡
散する途中で東の海に広がった人々が住み着いた後,今から数千年前にラピタ人と呼ばれる人々(特徴的な文様
をもつ土器,カヌーによる遠洋航海術,タロイモの灌漑農耕,家畜としてのブタ,イヌ,ニワトリをもつことで
知られる)がやってきて,これら2つのグループの複雑な相互作用を経て,現在のソロモン諸島に住む人々が形
成された。16 世紀になるとスペインの探検家メンダーニャが来訪して以来,ヨーロッパ人が訪れるようになり,
1893 年に英国の保護領として植民地化されたが,既に周辺諸国にプランテーションが確立していたため,大規模
な外国人の入植はなかった。植民地時代にはキリスト教が広まったこともあり,それまで盛んだった部族間紛争
や首狩りの風習は廃れたが,オーストラリアやフィジーのプランテーションにソロモン諸島の人々が労働者とし
て雇われることはあっても,ソロモン諸島自体の経済発展はほとんどなかった。この状況は第二次世界大戦中に
ガダルカナル島と英国植民地政庁があったツラギが日本軍によって占領され,米軍との激戦を経て終戦後,再び
英国の植民地となってもほとんど変わらなかった。1960 年代から徐々に経済発展が始まったものの,コプラ国際
価格の暴落などから,経済的には森林伐採と漁業に依存する形の開発が行われた。1978 年の独立以降も,診療所
と病院の建設やマラリア対策などによって保健医療分野ではある程度の改善が見られ,急速な人口増加が見られ
たけれども,経済状況は基本的にあまり変わっていない(大塚,2004)。
2009 年 11 月に実施された国勢調査によると総人口 515,870 人で,そのうち 93,613 人が首都ホニアラがあるガ
ダルカナル州に居住している(NSO, 2013a)。ホニアラの人口は 64,609 人であり,ガダルカナル州人口の約 3 分
― 217 ―
図 1: ガダルカナル州地図(PopGIS2.0 Solomon Islands
[http://www.spc.int/popgis2/solomons/#l=en;v=map1] により作成)
の 2 がホニアラに集中している(図 1)。ソロモン諸島全体でみると労働力人口 215,269 人のうち被雇用者は
42,082 人,ガダルカナル州でみても 38,786 人のうち 7,401 人と 2 割弱に過ぎないが,ホニアラ市では 22,962 人
の労働力人口の 6 割弱に当たる 13,487 人が被雇用者であった(NSO, 2013b)。被雇用者以外は焼畑農耕やココナ
ツとカカオの小規模なプランテーションを生業としている農民が多く,副業的に換金作物としての野菜を栽培し
たり小規模な養鶏をして現金収入を得ていることも多い。ホニアラ市内の住居はコンクリートの基礎の上に製材
された木材とトタン屋根を使って業者が建てるが,農村部では森から伐りだしてきた木材を家族や親戚や近隣の
人々の協力を得て自ら組み立て,竹やココヤシなどの葉を使って壁を作ったり屋根を葺いたりした高床式の住居
に住む人が多く,5~10 年しか保たないが簡単に作り直せるという特徴をもつ。このような相互扶助の習慣は,
ソロモン諸島を含むメラネシア諸国(パプアニューギニア,ヴァヌアツ,フィジー)にみられるワントーク・シ
ステムの一つの現れである。ワントークは,元々同じ言葉を話すという意味の英語から来ているピジン語だが,
同じ言語族の中でも,とくに拡大親族の中では,かなり広汎に相互扶助の習慣が根付いている。農村部では,食
糧や物資に困った場合は,親族の誰かから助けて貰えるのが普通であり自然である(大塚,2004)。いっぽう,
ホニアラ市内では,生活にかかる経費が高額であるのに,政府の役人や大きな企業の社員の家に大勢の親族が居
候することが続いたため,居候される側がワントクのつながりを嫌がるケースもみられるようになってきている。
ソロモン諸島での義務教育は 6 年であるが,都市部ではその後試験を受けて 3 年から 6 年のセカンダリースクー
ルに進学する子供は珍しくない。ただし,セカンダリースクールの多くは 3 年制ないし 4 年制であり,6 年制の
― 218 ―
学校は 10%以下である。防災教育はセカンダリースクールの 1 年(フォーム 1 と呼ばれる)で天気図の見方とサ
イクロンの対策を学ぶほかは,セカンダリースクール 6 年(フォーム 6)の選択授業で地理学を選ぶと「自然災
害とともに生きる」という単元があり,防災マップの作成や災害がもたらす負の影響からの回避について学ぶこ
とができるが,住民の間に防災意識は根付いていない。
2.災害の概要
2014 年 4 月 2 日から 5 日まで気圧の谷がソロモン諸島上空に停滞し,後にトロピカルサイクロン ita に発達す
る熱帯低気圧が 4 日間で 715mm という大雨を降らせ,ガダルカナル州に被害をもたらした。715mm という降水量
は,ソロモン諸島の平年の 4 月の月降水量の約 3 倍である(NEOC,2014i)。ホニアラ市内を流れるマタニコ川が
氾濫し,川岸のコミュニティすべてに影響した。商業中心地にあった旧マタニコ橋は水没し,そこにつながる
チャイナタウンも全体が洪水被害を受けた。洪水は停電ももたらした。ソロモン諸島赤十字はオフィスから避難
し,高台にあるホニアラホテルに仮事務所を作った。ホニアラ国際空港(ヘンダーソン空港)には約 1,000 人の
避難民が集まった。ホワイトリバー地区やボコナヴェラ地区の避難所は 4 月 4 日の時点で避難民で満員になって
いた。できたばかりのソロモン諸島国立大学でも,ククムキャンパスが洪水被害を受けた。地滑りが起こって一
軒の家が破壊された。ホニアラ以外では,ガダルカナル州西部のランビとボアの橋が壊れた他,ホニアラに農産
物を供給してきたマルボ,ヴラヴ,ランビの農園が洪水に覆われた。マロヴォヴォ川が逆流し,学校や職員住宅,
寄宿舎が洪水被害を受けた。ガダルカナル州東部のオイルパームプランテーションも洪水に襲われた。ホニアラ
市にある緊急司令センター(HCEOC: Honiara City Emergency Operation Centre)と国家緊急司令センター
(NEOC: National Emergency Operation Centre),警察司令センター(POC: Police Operation Centre)はす
ぐに 24 時間活動モードに入った。すべての学校を一時避難所として使うように指令が出た。家を失った人々に対
する人道支援のため,緊急避難所,食糧援助,保健サービス,被災者保護,心理的サポートの必要性が提示され
た。NEOC は物資輸送等の支援と 11 の指定避難所の運営支援のために 100 万ソロモンドルの緊急支援が必要であ
ると発表した(NEOC,2014a)。その日のうちに関係者の会議が行われ,Oxfam と赤十字が指定避難所の管理運営
を主導することになった。災害の全容は不明だったが,ホニアラ市内の被災者約 12,000 人のほとんどが避難所に
収容された。食糧,水と衣類が緊急に必要であることが認識された。ガダルカナル州北西部ではトバ橋が損傷を
受け,タンボココミュニティを構成するすべての家が洪水被害を受け,600 人以上が家を失ったことがわかった。
中部のテナル川の洪水により多くの村で家が破壊され,100 人以上が避難した。北部でも旧セルウィン地区では
かなりの家族が避難したことがわかった。オーストラリア外務貿易部がホニアラの被災見積もりを開始し,
NZAID,World Vision,ソロモン諸島赤十字,Save the Children などの NGO が資金援助や人的支援を表明した
(NEOC,2014b)。
4 月 5 日には,ホニアラ市内の避難所に対して水と食糧の配給が開始され,多くの避難所で水と食糧に加え,
衣類や調理器具が緊急に必要であることが判明した。ガダルカナル州北西部では多くの橋が破損したことが判明
し,中部では地滑りで 3 つの家が破壊され,7 つの畑が洪水で破壊されたこと,北部のオイルパームプランテー
ションも被害を受けたことがわかった。HCEOC,NEOC に加えて,ガダルカナル州緊急司令センター(GPEOC:
Guadalcanal Province Emergency Operation Centre)がフル稼働を開始した。緊急支援の食糧がホニアラ市内
11 ヶ所の指定避難所すべてに届き始めた(NEOC,2014c)。
4 月 7 日にはトロピカルサイクロン ita は西方のパプアニューギニアに離れ,監視が解除された。ただし HCEOC
と NEOC は依然として 24 時間体制で稼働中である。ガダルカナル州内 25 ヶ所の指定避難所は依然として避難民で
一杯だが,登録は完了した。オーストラリアやニュージーランドや台湾からの資金援助誓約が表明された。台湾
のソロモン諸島大使館やニュージーランドのソロモン大使館では外交官や留学生を中心とした義捐金活動がなさ
れていた(NEOC,2014d)。4 月 8 日までに纏められたガダルカナル州全体の部門別被害状況によれば,教育部門
では 41 の学校が洪水被害を受け,インフラ部門では 3 つの排水溝と 3 つの橋が破壊された。国際 NGO である Save
the Children のスタッフが到着し,米国政府が緊急救援物資を被災者に届ける資金としてフランス赤十字に 10
万米ドルを提供,トルコ政府が 3 万米ドル,台湾が 20 万米ドルの資金援助誓約を表明した(NEOC,2014e)。
4 月 9 日には被災人口がホニアラ市内で 12,000 人,ホニアラ以外のガダルカナル州で 40,000 人であることが判
明した。死者がホニアラ市内で 18 人,ホニアラ以外のガダルカナル州で 1 人,イサベル州で 2 人であり,行方不
明者はホニアラ以外のガダルカナルで 2 人を残すのみとなった。指定避難所は 24 ヶ所になったが,依然としてす
― 219 ―
べて避難民で埋まっていた。60%の家庭への水道供給が再開された。オーストラリア政府が 300 万豪ドル,日本
政府が 1,300 万円を支援した他,台湾からは 20 トンの米とともに医療チームが到着した(NEOC,2014f)。
4 月 11 日には新たな被災者はいなくなった。ホニアラ市とそれ以外を合わせて,ガダルカナル州で避難所に収
容された人は 10,653 人となった。ホニアラ以外のガダルカナル州の死者が 2 名になった。保健省のチームがワク
チンと冷蔵貯蔵設備の評価を開始した。ホニアラ市の健康増進局は昼と夕方の 2 チームが交替しながら作業を進
めることにした。2,158 の長期有効殺虫剤含浸蚊帳が配布された一方,結膜炎,下痢,胃腸炎のアウトブレイク
数が増加した(NEOC,2014g)。4 月 14 日までに保健省からリプロダクティブ・ヘルスのスタッフがホニアラ市
をサポートするように配備された。ホニアラ以外のガダルカナル州では5つの保健活動チームが配備された。善
きサマリア人病院に 2 人の医師が配備された。しかし公衆衛生と母子保健については,まだ報告がなかった
(NEOC,2014h)。4 月 18 日には避難民約 50,000 人,収容している避難所は 24 ヶ所だった(NEOC,2014i)。警
察司令センターが 4 月 21 日に停止したが,国立総合病院の病院緊急司令センターはフル稼働を継続していた。4
月 29 日には,登録の再確認結果により,避難者総数が 10,092 人であることがわかった。27 運営されていた避難
所のうち 14 ヶ所が閉鎖され,運営継続中の避難所は 13 ヶ所,避難継続中の人は 7,356 人となった。農業部門が
重点支援部門となり,畑の再建要請がなされた(NEOC,2014j)。5 月 13 日に発表された報告では,なお稼働中
の避難所は 10 ヶ所,避難者は 4,477 人であった。ホニアラ市内 5 つの区における農業被害は,サツマイモ農地に
被害を受けた 1,019 世帯のうち 694 世帯が 100%の被害と回答し,キャッサバは 1,161 世帯中 844 世帯が 100%被害,
野菜類は 554 世帯中 392 世帯が 100%被害と畑の被害が大きかった一方,養豚は 539 世帯中 100%被害を受けたのは
2 世帯,養鶏は 1,515 世帯中 100%被害は 7 世帯に留まっていた(NEOC,2014k)。
8 月~9 月の調査時点でも避難生活を続けている人はゼロにはならず,とくにホニアラ市内には家を再建する目
処が立たない人がいた。農村部では比較的簡単に家を再建することができるため,避難所生活を続けている人は
少なかった。ホニアラ市内には,12 月になっても洪水で壊れた家がそのまま放置されている場所もあった(図
2)。
図 2: 12 月になっても破損したまま放置されている家屋,ホニアラ市内
― 220 ―
3.食生活への影響
ガダルカナル州全体の畑が洪水により大きなダメージを受け,マーケットにおける野菜やイモ類の供給が激減
したために,価格も高騰した(表1)。
表1.野菜の市場価格(ソロモンドル,1ソロモンドルは約 15 円)
洪水前
10
10
10
5
5
5
10
10~25
10
5~20
5
5
10
5
5~15
種類
スリッパリーキャベツ1束
フェーン1束
チンゲンサイ1株
ピーマン 5 個
トマト小 5 個
トマト大 1 個
ネギ1束
パイナップル 1 個
パパイヤ 1 個
バナナ1房
茄子 3 個
きゅうり 1 本
さつまいも大
レタス 1 個
カボチャ 1 個
洪水後
15*
15*
15
10
10
10
15
25~40
20
10~30
10
10
10**
15
30~
* 束の量が洪水前の半分
** 5 個から 3 個に減少
指定避難所では主に米,ツナ缶,インスタントラーメンなどの食事が提供されたが,それ以外の配給制度は政
府にはなく,民間の援助団体や病院が避難所以外にも配給を実施していた例はあったが,政府はその実態を把握
できていなかった。食糧や水の供給が足りずに困っていたコミュニティは政府に嘆願書を出したが対応されな
かったという事例があった。
4.8月から9月の現地調査結果
2014 年 8 月から 9 月にかけて,ホニアラ市とその近郊集落に居住する成人女性 161 人を対象とした聞き取り調
査を実施した。質問項目は,避難所を利用したかどうか,水害後にかかった病気,必要だった物資,直面した困
難,水害後の収入と食糧価格と供給量の変化である。
避難所を利用したと回答したのは 161 人中 10 人であった。滞在期間は 2~3 日が 2 人,10 日程度が 2 人,20 日
程度が 3 人,30 日程度が 3 人であった。
44 人が災害後に風邪,インフルエンザ,マラリアなどの熱病を経験していた。下痢を経験していたのは 10 人
であった。105 人は災害による健康影響は主観的にはないと回答した。
114 人が安全な水が災害後に最も必要な物資だったと回答した。水の供給についての準備性が不十分だったと
考えられる。
5.都市部と農村部の違いについての考察及びリスク軽減策
農村部では家がなくなってもワントークシステムを活用し,ほぼ無料で再建できることや,農地も各世帯複数
所有していたためリスクが分散でき,すべての農地を失うということは少なかった。換金作物の農地は川沿いに
作ることが多いため被害が大きかったが,サツマイモやキャッサバの農地は比較的被害が少なかった。
ホニアラ市内など都市部でも,ワントークシステムは弱まっているけれども,教会を中心とした人々の絆は強
いので,災害が起こる前から,教会を中心とした配給ネットワークを予め決めておくとか,教会での住民対象の
生涯教育としての防災教育を実践するなどして災害準備性を高めておけば,今後同様の自然災害が起こった場合
の被害を軽減できると考えられる。
― 221 ―
謝辞
現地調査をアレンジしてくださり多大な協力をいただいた Ms. Wendy Danitofia,調査協力いただいた JOCV ソ
ロモン諸島隊員の楠見元太,神戸大学大学院国際協力研究科大学院生の猪飼美帆,神戸大学医学部保健学科学生
の榊原真美の各氏に厚く御礼申し上げる。
文献
大塚柳太郎[編](2004): 島の生活世界と開発① ソロモン諸島 最後の熱帯林. 東京大学出版会,東京.
NEOC (National Emergency Operations Centre) (2014a): SI NEOC SITUATIONAL REPORT NUMBER 01.
NEOC (National Emergency Operations Centre) (2014b): SI NEOC SITUATIONAL REPORT NUMBER 02.
NEOC (National Emergency Operations Centre) (2014c): SI NEOC SITUATIONAL REPORT NUMBER 03.
NEOC (National Emergency Operations Centre) (2014d): SI NEOC SITUATIONAL REPORT NUMBER 04.
NEOC (National Emergency Operations Centre) (2014e): SI NEOC SITUATIONAL REPORT NUMBER 05.
NEOC (National Emergency Operations Centre) (2014f): SI NEOC SITUATIONAL REPORT NUMBER 06.
NEOC (National Emergency Operations Centre) (2014g): SI NEOC SITUATIONAL REPORT NUMBER 07.
NEOC (National Emergency Operations Centre) (2014h): SI NEOC SITUATIONAL REPORT NUMBER 08.
NEOC (National Emergency Operations Centre) (2014i): SI NEOC SITUATIONAL REPORT NUMBER 09.
NEOC (National Emergency Operations Centre) (2014j): SI NEOC SITUATIONAL REPORT NUMBER 10.
NEOC (National Emergency Operations Centre) (2014k): SI NEOC SITUATIONAL REPORT NUMBER 11.
NSO (National Statistics Office) (2013a): Report on 2009 Population and Housing Census: Basic Tables
and Census Description (Volume 1). [Available from http://www.spc.int/prism/solomons/].
NSO (National Statistics Office) (2013b): Report on 2009 Population and Housing Census: Honiara.
[Available from http://www.spc.int/prism/solomons/].
著者
1) 中澤 港,神戸大学大学院保健学研究科(国際協力研究科兼任),教授
2) 清水彩加,神戸大学大学院国際協力研究科,大学院生
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The Effects of Severe Flash Flood in the Capital City of Solomon Islands
Mainly on Dietary Habits and Possible Mitigation Strategies
Minato Nakazawa
Ayaka Shimizu
Abstract
In April 2014, Solomon Islands suffered from a great flash flood mainly in Guadalcanal province, especially Honiara city,
where 10,092 people stayed in evacuation centers. National/International food and financial aids soon started, then food,
water, clothing and needed goods are distributed to evacuation centers enough. However, such goods were not effectively
distributed to the people who had no connection to the evacuation centers.
Most food gardens were affected by the flood or landslides, so that the prices of vegetables and tubers rapidly became
higher, double to triple of those before the flood. People faced difficulty to purchase such expensive food items, then their
dependency on rice and tinned-tuna was increased. Just after the flood, the incidences of diarrhea and gastroenteritis rapidly
raised, and 4 months later, the outbreak of measles occurred, probably because of stop of vaccination after the flood.
In Honiara city, rebuilding houses were very late, comparing with rapid rebuilding houses in rural areas. Rural households
usually have several gardens, which is robust to natural disasters due to risk hedges and they can rebuild houses by
themselves using strong ties of so-called WANTOK system. Even in the Honiara city, people have strong ties of the
community, centered in the churches, so that it may be possible to utilize churches as centers of distributing goods and/or
community education center for the all dwellers, as a kind of disaster preparedness.
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