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上)貨物船に掲げられた中国、タイ、ラオス、ミ ャンマーの国旗。中国船

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上)貨物船に掲げられた中国、タイ、ラオス、ミ ャンマーの国旗。中国船
ゴ
ー
ル
デ
ン
・
ト
ラ
イ
ア
ン
グ
ル
メーサイ
ャンマーの国旗。中国船なので中国の旗が大きい
のだが、なにやら力関係を暗示しているように見
えてしまう
下)ソップルアックの展望台からゴールデントラ
イアングルを眺める。手前がタイ、右手メコン対
岸がラオス、左手サイ川対岸がミャンマー
サ
イ
川
ソップルアック
ミャン マ ー
メーサロン
ラオス
ゴールデン・
トライアングル
チャンセーン
ン川
メコ
上)貨物船に掲げられた中国、タイ、ラオス、ミ
チェンコン
タイ
南北経済回廊
チェンライ
*南北経済回廊チェンコン・チェンライ間は他のルートもある
置にある。チェンライは雲南省昆明か
都チェンライの北北東へ約 キロの位
していない。また、現在雇用される約
らラオス経由でバンコクまでをつなぐ
ス領でありながらラオスキープは流通
メコン河畔に並ぶ極彩色に塗られ
た張りぼてのモニュメント、林立する
5000人あまりの職員のうち 割が
ミャンマーの三国が国境を接するエリ
流のテーマパークにでも迷いこんでし
カジノ開設に関してはミャンマーが
まったかのようだ︱︱︱タイ、ラオス、 先発で、1997年にカジノホテルの
安普請のアラビア風ドーム。まるで三
に鎮座する金色屋根を頂いたいかにも
ゴールデン・トライアングル・パラダ
地ではないか。
中国人だという。これではまるで植民
コーンを結ぶメコン渡河橋完成後の地
がラオスのフェーサイとタイのチェン
側一車線でも十分なほどなので、これ
に行われていた。現在の交通量なら片
クへ向かう道の各所で拡張工事が盛大
要都市。チェンライからソップルアッ
域交通量増加を見据えての拡張なのは
の大多数はタイ人とタイ経由の外国人
である。カジノがないのはタイ側だけ
明らかである。
イスリゾートをオープンしている。客
景である。今となっては、ここがかつ
で、社会主義国がカジノをこぞって建
グルのタイ側の街ソップルアックの光
て辺境の寒村だったころの面影を探す
聞いたので調べてみると、2010年
学生が急激に増えているという話を
ことはむずかしい。
によって開発が進められている金三角
末でタイの中国人留学生数は約 万人。
がオープンしているに過ぎないが、金
やホテルなど一部のレジャー関連施設
くない山間の村でもケシ畑を目にす
年代末ぐらいまでは、ここからそう遠
で世界最大のケシ生産地で、1980
する数ではないだろうか。メコン渡河
慮すれば、 万人というのは驚くに値
過ぎないが、大学数などの諸事情を考
デン・トライアングルは、 世紀末ま
木棉集団がラオス政府から租借した土
る こ と が で き た。そ の 後、タ イ で は
橋の開通を待たずして中国の金と人は
経済特区である。今のところはカジノ
地は総面積約3000ヘクタールにも
急速に取締りが進み、ケシ栽培はほぼ
これは日本で学ぶ中国人の 分の に
及び、
開発計画には、
空港、
埠頭、
ショッ
すでにメコン川を渡ってタイへ押し寄
1
というのだからなんとも皮肉な話だ。
金色屋根のドームが立っているラオ
ス側の河畔は、中国資本の金木棉集団
現在のありさまからは想像できな
いが、ここを起点として広がるゴール
チェンライ行きの飛行機で臨席した
設し、資本主義国からの客を奪い合う
チェンライの大学講師から、中国人留
予定の南北経済回廊のタイ側最初の主
土産物屋や食べ物屋、対岸のラオス領
70
ア、いわゆるゴールデン・トライアン
9
ピングセンターなどの建設が含まれる。 根絶、ラオスでも順調に減産が進んで
20
最終的にはラオスの年間国家予算を優
きた。ただし、ミャンマーに関しては、 せていたのだ。
ば、今もアフガニスタンについで世界
に超える金額が投資される予定という
のだから凄まじい。
もそれがしっかりと反映されていたの
ソップルアックはチェンライ県の県
が開通すれば、ゴールデン・トライア
になってしまったのだ。南北経済回廊
ても言い過ぎではないだろう。ミャン
代 位のケシ生産地である。
マー、ラオスの社会主義化、中国国民
だった。
特区内の主要通貨は中国人民元であ
り、タイバーツも使用できるが、ラオ
党軍残党が少数民族を取り込んで築い
ングルでの水運の重要性はさらに失わ
セーン王国の都として築かれ、城壁に
チャンセーンがある。 世紀にチェン
キ
ソップルアックからメコン川を
ロほど南へ下ったところに波止場町
に加え、ダム建設によりメコンに流れ
げられる。気象変化による降雨量減少
ひとつとしてメコン川の水位低下が挙
話題に登らなくなった。不振の理由の
ン水運であったが、いつからかあまり
映えはしない。一時は期待されたメコ
税関の置かれた荷揚埠頭の規模も代り
とってはよいのかもしれない。
■
︵次号に続く︶
地でありつづける方がチェンセーンに
も、今 の ま ま 史 跡 を 売 り に し た 観 光
物船でごったがえす交易港になるより
ている。あるいは、水運が発達して貨
げもあり、どうにか古都の風情を留め
の目的に大規模建設が制限されたおか
ように見えた。また、街の東端にある
で、以前に比べて特に増えてはいない
乱開発された隣村のソップルアック
に比べ、チェンセーンは歴史建築保護
20
こむ水が減り、中大型船の運行が困難
を使ったのもそういう事情からだ。
である。見出しに﹁金三角﹂と中国語
て今起こっている変化もやはり中国発
れることになるだろう。
はすべて中国からもたらされたと言っ
国際連合薬物犯罪事務所の資料によれ
第二次大戦後にゴールデン・トライ
アングルで起こった大きな変化の発端
8
た半独立国で盛行した阿片交易、そし
この時チェンセーンに停泊
しかし、
していたのは小型の貨物船
足らず
2
囲まれた人口 万人ほどの旧市街には
10
大量に積み込んでいた。 年前、積荷
ナルブランドであるシンハービールを
河畔で人足たちが五星紅旗を掲げた
雲南籍の小型貨物船に、タイのナショ
今も多くの古跡が残る。
14
気
になっている。メコンの川船の積荷に
ル、中国4283ドルと、ほぼ横並び
たが、2010年にはタイ4621ド
タイの半分をようやく超えた程度だっ
当時の中国の一人当たり名目GDPは
味に微笑んだ船員の顔が思い出された。
イ は 物 価 が 高 い か ら な ﹂と、自
を不思議に思い理由を尋ねた時、
﹁タ
を降ろした中国船が空荷で出航するの
7
24
25
1
1
チャンセーンで最大のチェディー(仏塔)を誇るワット・チェディー・
ルアン。1332 年にチェンセーン王セーンプーによって建立された
1
中国資本によって開発中のラオス金三角経済特区
ソップルアックは街全体がまるで遊園地の様相
チェンセーンのメコン川河畔に停泊する中国船
雲南へ戻る貨物船にシンハービールを積み込むタイ人苦力
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