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高松塚古墳壁画発見報道の文化社会学的分析―新聞記事にみる価値と

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高松塚古墳壁画発見報道の文化社会学的分析―新聞記事にみる価値と
Nara Women's University Digital Information Repository
Title
高松塚古墳壁画発見報道の文化社会学的分析―新聞記事にみる価値
とイメージの生成―
Author(s)
小川, 伸彦
Citation
小川信彦:奈良女子大学研究教育年報, 第10号, pp.15-32
Issue Date
2013-12-31
Description
URL
http://hdl.handle.net/10935/3915
Textversion
publisher
This document is downloaded at: 2017-03-30T16:47:31Z
http://nwudir.lib.nara-w.ac.jp/dspace
1
5
奈良女子大学文学部研究教育年報第 1
0号
高松塚古墳壁画発見報道の文化社会学的分析
一一新聞記事にみる価値とイメージの生成一一
小川伸彦
はじめに
2
0
1
2 (平成24)年 3月、多くの新聞が高松塚古墳に
とになる。各紙に多数の記事が登場したため、それら
を網羅的に検討することにはかなりの困難が伴うが、
関する記事を掲載した。この月は、同古墳の壁画が
本稿では、できるだけ多くの記事を収集し分析と解釈
0年目にあたったからで
発見されてから、ちょうど4
を加える。
ある。たとえば、連載記事としては、「飛鳥美人の 4
0
収集対象とソースは、毎日新聞(縮刷版)・日本経
年」(朝日新聞・夕刊 3月1
2日開始、計 4回)や「“不
済新聞(縮刷版)、朝日新聞(縮刷版・データベース
惑”の国宝」(産経新聞 3月3
0日開始、計 3回)が組
「聞蔵」・奈良版マイクロフィルムを併用)、読売新聞
まれた。 3月2
1日には地元の奈良新聞が「きょう壁
(データベース「ヨミダス」)、産業経済(サンケイ)
画発見4
0年飛鳥美人、何を思う」と一面トップで
新聞(奈良版を中心とする原紙による・夕刊なし)、
大々的に報じ、読売新聞も同日、「飛鳥美人輝きもう
大和タイムス(現奈良新聞の前身である地元紙・マイ
1面)というカラーの特別面を設けた。
一度」(朝刊 3
クロフィルム・夕刊なし)の 6紙である。「高松塚」
しかし、たとい高松塚古墳のように有名なもので
に関係のある記事は短信的なものも含めて広く収集し
あっても、古墳というものは人ぴとに恒常的に意識さ
たが、見落としがある可能性は排除できない。特にサ
れるものではなく、こうして記事に取り上げられるこ
ンケイ新聞は、閲覧できた資料の限界から現時点では
とによって想起がなされる存在である。新聞・テレ
遺漏がある 3)。なお上記以外に、新聞原紙スクラップ
ビ・雑誌や一般向けの出版物において、折にふれて言
帳資料(作成者不明、筆者蔵)も活用した 4)口この資
及されることにより社会的な生命が更新されているの
料に収められているのは大阪本社版の記事であり、上
である。そしてそもそも、発掘当時にもし新聞という
記の縮刷版やデータベースは東京本社版であるため、
メディアが存在しなかったら、この古墳や壁画は現在
比較材料としても利用できる。さらにこのスクラップ
これほど大きな価値があるものだと社会的に認知され
帳資料には一部に奈良地域面も収められている。
ていただろうか。
7日に文化
報道や論評が沈静化するのは、同年 4月1
そこで本稿では、存在が知られていなかった過去の
庁による応急保存処置がなされた頃であるが、本稿で
モノ(特にこの場合は壁画)が、報道によっていかに
は発見直後の熱気ある報道の時期に絞って検証を行い
して価値とイメージを付与され現代の社会に流布する
たい。具体的には、最初の記事が出た 3月2
7日(月)
のかという問題について、新聞記事 1)を素材とし、
0日間とし、この間の記事
から 4月 5日(水)までの 1
E
.ゴフマンや B
.アンダーソンの議論も参照しつつ、
のく見出し一覧>を本論文末尾に掲げる。ただし、解
いくつかの切り口を設定して読み解いていきたい。
釈や分析の際には、 4月 6日以降の記事を参照した場
合も若干ある。
1.データと視点
このような新聞記事の分析に際しては、資料を量的
高松塚古墳において壁画が見つかったのは、 1
9
7
2(
昭
に扱い、データマイニング等の内容分析の手法が適用
1日であった 2)。明日香村に依頼されて
和4
7)年 3月2
されることも多い。ただし今回は、<対象への価値付
発掘を進めてきた奈良県橿原考古学研究所(以下、橿
与>という視点からいくつかの解釈枠組みを抽出する
考研と略記)による記者発表がなされたのは 3月2
6日
ことを目的とし、もっぱら質的な読み取りを行うこと
であり、新聞では翌2
7日以降、連日報道が行われるこ
とする。視点の詳細については、次節で説明し、その
1
6
高松塚古墳壁画発見報道の文化社会学的分析
後、命名論( 3節)、ナショナル化論( 4節)、ロゴ化
論( 5節)という 3つの切り口で論を展開する。
選択される価値
この問題をもう少し一般化して考察してみたい。上
の例で起きているのは、存在 Xが多様な価値( A、
2
. モノのアイデンティティ・ベグ
ーく価値ベグ>という視点一
B、 C、 D……)を持ちうる時に、どの価値を付与す
るのかという選択の問題である。ここで Xに相当する
1日に発見された壁画について、
上述の通り、 3月2
のが、今回の事例では高松塚古墳の壁画である。そし
記者発表がなされたのは2
6日である口発表は、橿考研
て、朝日新聞が価値 A (=法隆寺級)に焦点化するこ
の末永雅雄所長によって行われた。テレビニュースは
とを選択したとするなら、毎日新聞は価値 B (=大陸
0
0
7:2
1)、新聞各
その日の夜からこれを報じ(毛利 2
交流の貴重な手がかり)をやや控えめに示すことにし
7日の朝刊で一斉に伝えた。一面で報じたの
紙も翌2
たわけである。
は、朝日新聞・毎日新聞・サンケイ新聞・大和タイム
スである。
このメカニズ、ムを明確化するために参考になるの
が
、 E.ゴフマンのアイデンテイテイ論である。ゴフ
一面とはいえ、毎日新聞の場合は、トップ記事が医
マンはその著『ステイグマ』のなかで、「個人的アイ
療関係であり「小児種痘、任意制に/副作用の被害重
デンティティとは、特定個人が他のすべての人ぴとか
視」などの見出しが目に入る(/は見出し聞の区切り
ら区別され、さらに、この区別の手がかりの周辺に、
を示す)。紙面左上のスペースは、この日がちょうど
社会的事実についての一連の継続的な記録が帰せら
初日に当たる選抜高校野球大会の閉幕予告にあてられ
れ、綿菓子のようにからまって、ついには粘着力のあ
ている。壁画発見の第一報は、この二つの記事に挟ま
るものになり、それに、まだ他の伝記的事実が附着
れる形で、紙面中央の比較的大きなスペースを占めて
G
o
f
f
m
a
n1
9
6
3
=
1
9
7
0:9
6)と論じ
することがある J(
いる。見出しは、「飛鳥から“壁画古墳”/近畿で初
る。そして、ここにいう「区別のてがかり」をめぐっ
めて/極彩で男女や星座/大陸交流貴重な手がかり」
ては、「ある個人のくかけがえのなさ>という概念に
(東京本社版)であり、図像は女性 4人の人物群像写
真(モノクロ)と天井星座の模式図が掲載された。
含まれる一つの表象は、く決定的な標識>とかくアイ
デンティテイ・ペグ> (
i
d
e
n
t
i
t
ypeg
)とかいう表象
朝日新聞の扱いは異なる。一面のトップに発見報道
であり、たとえば他人の心に浮かぶその人間の写真的
を据えたのである。それまで考古学記事が新聞の一面
心像とか、特定の親族組織における彼の固有の位置
トップを飾ることは前例がなかったとされており(毛
に関する知識である」(同: 94-95)とし、アイデン
0
0
7:2
1-2
2)、これは異例のことであった。東京
利 2
テイテイペグの例として指紋や話声、筆跡などもあげ
本社版の場合、最も目立つ見出しは横組み文字の「法
6
。
)
ている(同: 9
隆寺級の壁画発見/飛鳥に装飾古墳Jであり、縦組み
義吉命に関して中 j
可イ申イ変は「ここで、ゴフマンが
この E
見出しには「男女像や白虎青竜/奈良県高松塚/七色
論じているのは、明らかに、アイデンテイテイの同定
で大陸系風俗」とある。
の問題、つまり、『(わたしは、あなたは、あそこにい
毎日新聞の見出しと比較すると興味深い違いに気づ
るのは・・・)いったいだれなのかけという問いの答
く。それは朝日が「法隆寺級の壁画」としている点で
えに当たるものを判別し、認識するやり方の問題なの
あり、毎日新聞は、「法隆寺」という語を使用してい
0
1
0:55-5
6)と整理している。
だ」(中河 2
ない。記者発表をした側が用いたさまざまな語棄の中
この議論の興味深い点は、アイデンティティの問題
で、朝日新聞は「法隆寺」に着目し、それをひときわ
を、それを有するはずのセルフの側からというより
大きく呈示することによって、この高松塚の壁画に価
も、それを外部から同定する側に立って記述している
値付けをおこなったことになる。逆に言えば、「法隆
点であろう。それゆえゴフマンのこの着想は、文化遺
寺に匹敵する」ことをどこまで強調して報道するかは
産(になりうるモノ)の価値同定のプロセスにも転用
各紙の判断にまかされているからこそ、見出しに差異
が可能である。
)
が生じたのである 5。
奈良女子大学文学部研究教育年報第 1
0号
モノのアイデンテイテイ・ペグ
そのような転用を試みるならば、人ならぬ事物の価
1
7
と、それを実質化するものは、それが手に入り次第い
a
nb
ehungo
n
つでも、それに掛けることができる( c
値は、くその事物を他のすべての事物から区別するた
i
t)
」
(G
o
f
f
m
a
n1
9
6
3
=
1
9
7
0:9
7)という表現を用いて
めに、どの決定的な標識を選択するかによって別様に
いる。したがってゴフマンの念頭にあったペグのイ
同定されていく>のだといえよう。上記の中河の言葉
メージは、杭のようなものではなく、留め釘や引っ掛
をパラフレーズするなら、くこれは「いったい何なの
けフックのようなものであった可能性がある。本稿で
か?」という聞いの答えに当たるものを判別し、認識
吾を用いることと
もそのようなイメージで「ペグJのE
するやり方>が新聞報道においても運用されていると
したい。壁画発見の第一報に議論を戻すなら、朝日新
一般にみなしうるのである。
聞はこの壁画をまず、<「法隆寺級」という価値ペグ
9
7
2年の 3月2
7日、まさに新聞各紙は、突如
そして 1
に引っ掛けた>ということになるのである。では、こ
出現した彩色の壁画をもっ古墳をどのように価値づけ
の「法隆寺級」という形容詞的な価値ベグは他のどの
6日の橿考研による記者発表
すべきか模索していた。 2
ような語柔群とともに何を表明するのであろうか。こ
の様子については、「当時の記者たちにとって、今回
れは 4節で取り上げ、まず次節では名詞的な価値ペグ
の発表がどれほどの意味を持つのか、会場で配られた
について見て行きたい。それは、対象そのものをいか
モノクロ写真やはじめて聞く説明では、なかなかその
にく命名>するかという問題である。
評価を下すだけの得心はいかなかった」(森岡 1
9
9
5
94-95)という証言もある。実際の壁画を見て重要性
3
. 対象の命名
を確信したとしても、それがいかなる意味をもつのか
価値ペグへの引掛け(関連づけ)は、主として言語
をめぐる解釈や説明にはさまざまな選択肢がある。つ
を用いて行われる。そしてその最初期の段階に行われ
まり、上に示した模式の< A、 B、 C>などがペグ候
るのは、現象や対象への命名であり、そのような命名
補であるとすれば、どれだけのペグの種類があるのか
のフェーズは、社会心理学における社会的表象論にお
も、どのペグによって古墳と壁画をアイデンティファ
いても重要視されている。
イすべきなのかも未決定の状態が初発にはあったので
八ツ塚(2
0
0
7:104-105)のレヴューによれば、杜
ある。そこから徐々にペグが選ばれ決定されていく過
o
c
i
a
lr
e
p
r
e
s
e
n
t
a
t
i
o
n)とは「社会的に構
会的表象(s
程が、まさにこの高松塚壁画発見報道であった。
成され意味づけられた現実」であるが、そのうちで
も、「新しい社会的現実の生成メカニズムを定式化」
価値ベグ
しているのが社会的表象論の特徴である。この定式化
なお繰り返しになるが、ゴフマンが行ったのは、ア
プロセスで重視されるのが新規な現象の分類・命名の
イデンティテイ・ベグ概念によって人間の個人的アイ
側面であり、それは、 1)係留(a
n
c
h
o
r
i
n
g)の過程
デンテイテイの表象のされ方を説明することだ、った。
b
j
e
c
t
i
f
i
c
a
t
i
o
n)の過程か
と
、 2)物象化・客観化( o
しかし本稿は、事物の価値をめぐる議論である。それ
らなる。両者の例として八ツ塚が挙げるのは、災害時
を明確にするため、以下では、アイデンテイテイ・ペ
に活動するさまざまな人々がメディアによって、 1)
グ概念に代えてく価値ペグ>という概念を創案して用
まずひとくくりに「ボランティア」と命名され、 2)
いたい。ここにいう価値ペグとは、ある事物を他の事
次にこの語が次第に「現実味」を帯び、新しい社会的
物から区別した上で価値づけして表象するために用い
現実として「単独で存立」するに至るプロセスである
られる標識のことである。
が、本稿で特に注目したいのは 1)の係留の段階であ
なおペグという語は、広義には、何かを固定したり
る。新規な現象が分類・命名されることにより、「既
留めたりする機能をもつものを指し、テントなどを張
0
4)され
存の社会的表象の体系へと位置づけ」(同: 1
るときの杭やスポーツの際に地面に刺す目印といった
る過程である「係留」は、高松塚の場合いかになされ
意味が一般的である。いっぽうゴフマンは、ベグとい
たのであろうか。以下では、社会的な認知を先導する
う語を必ずしも明確に定義してはいないが、「アイデ
機能を有するという理由から、各記事の本文ではなく
ンテイテイ・ペグがいつでも使えるように準備される
見出し部分のみに注目して分析を進める。
1
8
高松塚古墳壁画発見報道の文化社会学的分析
今回の事例の場合、命名の対象は古墳と壁画の 2つ
に区分できる。
画」(毎日・読売)、「彩色壁画」(読売)、「極彩色壁
画」(大和タイムス・日経)と、古墳同様、非常に多
まず古墳の名称から見ていこう(表 1。
)
様であった O 2
8日には「飛鳥壁画」(読売)、「彩色壁
報道初日( 3月27日)の朝日新聞と毎日新聞の一面
画」(大和タイムス)、 2
9日には「飛鳥壁画」(朝日)
の見出しを再ぴ比較してみたい。朝日新聞は、「法隆
「装飾壁画」(読売)とならんで新しく「明日香壁
寺級の壁画発見飛鳥に装飾古墳/男女像や白虎青
画」(日経)が登場するが、普通名詞によって発見を
竜/奈良県高松塚/七色で大陸系風俗」であり、毎
アナウンスする周知期間が続いていることが読み取れ
日新聞は「飛鳥から“壁画古墳”/近畿で初めて/
9日であ
る。そして、固有名詞化が果たされるのが2
極彩色で婦人や星座/大陸交流貴重な手掛かり」で
り、朝日新聞が「高松塚古墳壁画」とした。これは同
ある(ともに東京本社版)。ここには、朝日が「装飾
紙が別刷りカラー特報を組んだ際にフォーマルな名称
古墳」、毎日は「“壁画古墳” Jとしているという違い
を用いたものである。この日の毎日新聞は「飛鳥壁画
がある。「装飾古墳Jは九州、!などにすでに存在するも
古墳」としたが、これは飛鳥という既知の固有名詞
f
.浜田・梅
のをさす戦前からの考古学用語である( c
(広い範囲の地名)と普通名詞の折衷型である。そし
原 1
9
1
7)。いっぽうの毎日が、「壁画古墳」をクォー
て最終的には、毎日新聞も「高松塚古墳壁画」に収敬
テーションでくくっている理由は明確で、はないが、九
する。上で見た古墳名称と同様の三段階過程が、壁画
州にあるような図形的装飾ではなく、「画」と呼べる
の命名においてもほぼあてはまるといえるだろう。
だけの視覚性を備えたものであることを強調する狙い
があったのかもしれない。
興味深いのは、多元的な命名状況から一足飛びに正
式な固有名詞に移行せず、両者のあいだに折衷的な
この日すでにサンケイと日経は、考古学上の固有名
フェーズが存在することである。社会的に新規な存在
詞でもある「高松塚古墳」を使用していたが、「明日
とその名称(高松塚古墳壁画)は、誰もが知っている
香の壁画古墳」(28日、読売)、「飛鳥古墳J(
2
9日、朝
はずの固有名詞(明日香や飛鳥)に媒介されること
日)などの名称も使用された。一方、第一報で使用さ
で、社会的に認知されるに至ったといえるのである。
9日以降ほとんど見られなくな
れた「装飾古墳」は 2
り、「壁画古墳」と「高松塚古墳」の併用期をへて、
4
. <法隆寺級>という価値
4月 4日には「高松塚古墳」にほぼ一本化されている
ことが表 lからわかる。
ーローカルなもののナショナル化
記号としての法隆寺
この例は、新規な事物の名称が報道上でどのように
前々節でも触れたように、朝日新聞は 3月2
7日の朝
定着するかの過程を示すものとして興味深い。図式的
刊一面トップに「法隆寺級の壁画発見Jという大きな
に整理すれば、 3つの段階を経たことがみてとれる。
見出しを掲げた。この「法隆寺級」という言葉は、朝
第一段階は、各紙の判断で対象にさまざまな名称が付
日新聞が全く勝手に作り上げたものではない。橿考研
与されるフェーズであり、報道初日の朝刊では 6紙す
所長として記者発表を行った末永雅雄が「文化史的に
べてが異なる名称を用いていた。続報に現れた第二段
も、美術的にも法隆寺の壁画に匹敵するものだ」(同
階は、正式な名称(「高松塚古墳」)と、壁画があると
記事本文 9段目)と述べた部分と呼応しているからで
いう特徴を表現する名称(「壁画古墳」)が併用される
ある。
フェーズである。そして最終段階は、ほぼ全紙が正式
見出しに「法隆寺」と打ったのは朝日だけではな
名称(「高松塚古墳」)に収敬していくフェーズであ
い。同日の大和タイムスも一面で、「古墳から極彩色
る。この段階に至ればすでに名称が広く浸透し、名称
壁画」というメインの見出しに添えて、「法隆寺壁画
に工夫をしなくても内容が通じる記号となったといえ
にも匹敵」とサブの見出しをつけており、日経新聞
るだろう。
では、古墳ではなく壁画の名称はどうであったのだ
)
ろうか(表 2。
7日は、「装飾壁画」(朝日)、「飛鳥壁
報道初日の 2
(同日朝刊 2
3面)も、大見出しは「極彩色の壁画発
見」であるが、末永所長の談話紹介部分では「法隆寺
に匹敵」という小見出しを目立つように配している。
奈良女子大学文学部研究教育年報第 1
0号
1
9
表 1 新聞各紙の見出しにおける「高松塚古墳」名称一覧: 1
9
7
2
年 3月2
7日∼ 4月 5日
凡例:・ A=当該日の A新聞の見出しにその名称が一度は使用された ?=スクラップ帳資料の、出所が不明確な記事
略号:大=大和タイムス、朝=朝日新聞、毎=毎日新聞、読=読売新聞、日=日本経済新聞、サ=サンケイ(産業経済)新
聞(備考:一日一回発行の大和タイムスとサンケイ新聞は「朝刊 Jでカウント)
λ\」h
3月2
7日
朝刊
古墳
・大
装飾古墳
・朝
夕刊
2
8日
朝刊
夕刊
2
9日
朝刊
夕刊
3
0日
朝刊
夕刊
・朝
・朝
.
3
1日
朝刊
夕刊
・大
・読
朝?
壁画古墳
※毎
・毎
・毎
・毎
(※飛鳥の壁画古墳)
・毎
・毎
・毎
・朝
奈良の古墳
.読
明日香の古墳
・日
明日香の壁画古墳
.読
飛鳥古墳
高松塚古墳
・読
・朝
.サ
.日
・日
・読
・毎
・朝
.サ
・毎
・大
.朝
.読
・毎
・朝
.日
.朝
高松塚の壁画古墳
・朝
ナゾの古墳
.サ
高松塚
・大
~
4月 l日
朝刊
夕刊
古墳
3日
2日
朝刊
・毎
夕刊
・大
朝刊
夕刊
4日
朝刊
・日
夕刊
5日
朝刊
・日
・毎
小円墳
・大
装飾古墳
.朝
壁画古墳
・朝
.朝
.毎
・大
・毎
・毎
・サ
.読
・朝
・毎
・朝
・大
・毎
高松塚古墳
.日
・朝
・サ
・読
高松塚
・朝
・サ
・毎
・大
・大
夕刊
2
0
高松塚古墳壁画発見報道の文化社会学的分析
表 2 新聞各紙の見出しにおける高松塚の「壁画」名称一覧: 1972
年 3月27日∼ 4月 5日
凡例と略号は表 lに同じ
kぐ
!
2
8日
3月2
7日
朝刊
夕刊
壁画
朝刊
夕刊
3
0日
2
9日
朝刊
夕刊
朝刊
・大
装飾壁画
3
1日
夕刊
朝刊
・朝
・大
夕刊
.読
.読
彩色壁画
極彩色壁画
・大
.日
.サ
極彩色の壁画
.サ
・日
飛鳥の彩色壁画
.読
飛鳥壁画
・毎
.読
・朝
・朝
.読
.読
・読
飛鳥古墳の壁画
・朝
飛鳥の装飾絵画
・朝
明日香壁画
高松塚の壁画
.日
.日
・朝
高松塚壁画
・朝
高松塚古墳壁画
.朝
・朝
高松塚古墳
.朝
・サ
・大
極彩色壁画
古墳壁画
~
壁画
.日
4月 1日
朝刊
夕刊
朝刊
・大
夕刊
朝刊
夕刊
・大
・読
.読
飛鳥の壁画
飛鳥壁画
高松塚古墳壁画
4日
3日
2日
.読
.読
・毎
朝刊
夕刊
.読
5日
朝刊
夕刊
.朝
奈良女子大学文学部研究教青年報第 1
0号
2
1
なお以上からも分かる通り、「∼∼級」という表現
なのだから国民的価値があって当然ではないか>とい
は朝日新聞のみである。毎日新聞が本文で、「美術史
う反論もありえよう。しかし本稿では、どんなモノで
的には法隆寺金堂壁画に匹敵するもの J(同日朝刊 1
あっても、それが国民的価値をもつかどうかは最初か
面)としていることも勘案すると、末永が口頭で用い
ら一義的に決定されているのではなく、さまざまな言
た表現は「匹敵」であって、「∼∼級 Jとしたのは朝
説上の技法が駆使されることによって、徐々にナショ
日新聞独自の形容であると推測される 6。
)
ナルなものになっていくという立場をとる。
この「法隆寺 Jの見出しについては、美術史家の
なお本節にいう「ナショナル化」は、田中滋の「ナ
山下裕二が次のように述べている 7)。「この見出しに
ショナリゼーション」概念(田中 2
0
0
4、田中・水垣
は、『戦後』が失った日本の『財産』としての文化
2
0
0
5)にヒントを f
尋ている。ただし田中の議論1
土、国
を、この発見でとりかえした、というようなニュアン
商
民国家の形成について、( 1)国民国家が形成され、( 2)
スが込められていると思う J(山下 2
0
0
0:7
9)。ここ
品や資本の流通やヒトの移動の全国規模化が進行し、
で「失った」とあるのは、 1
9
4
9
年の法隆寺金堂壁画焼
(
3)<農山村一都市>あるいはく中小都市一大都市>な
損のことを指している 8)。つまり、この壁画から得ら
どの国内地域分業・分化関係がより明確に生まれてく
れる情報が文化史的にも美術(史)的にも法隆寺金堂
るという全過程を視野に収めたスケールの大きなもの
壁画と同じくらい重要だ、というだけでなく、焼損して
である。いっぽう本稿では、近代化達成以降も継続す
見る影もないほどに傷んだ法隆寺壁画に成り代わって
るナショナルなものの生成と流布の形態を事例にもと
く何か>を担いうる存在が発見された、ということに
づいて跡づけることになる。
では、この壁画の発見報道をめぐっては、何がいか
なる。
ではこのく何か>とは何であろうか。そもそも「法
にしてナショナルになっていったのであろうか。
隆寺」を持ちだした末永はこの記者発表で次のよう
に述べたとされる。「同壁画は法隆寺の壁画に匹敵す
制度的なもの
るものなので、国がなんとか保存対策をとってほし
高松塚古墳のある土地はほとんどが固有地であっ
7日朝刊 2
3面)。つまり、末永は
い」(日経新聞、 3月2
た。しかし、壁画の発見をもたらした発掘自体は、こ
「法隆寺」という語を、単に文化史・美術史的な価値
の古墳を域内にもつ明日香村というローカルな主体に
の規準としてではなく、国家的レベルの価値があると
よって行われた。道路新設による古墳の破壊をくいと
いうことを示す記号として用いていたのである。した
めて飛鳥地域保存に資することや、文武陵であるとい
がって、「法隆寺級」とした朝日新聞は、「法隆寺Jと
う江戸期からの伝承を確認すること、さらには準備が
いう語の記号性を察知しそれを巧みに見出しとすべく
進みつつあった『明日香村史』にこの古墳の情報を盛
「級」を付したのだと言えるだろう。また、「法隆寺
り込む必要のため発掘調査は村費で実施されたのであ
級Jという見出しは、全く知名度のない考古学的遺跡
9
7
2および伊達 1
9
7
4:5
0
2
。
)
る(末永 1
の記事を朝刊の一面トップにすえるという異例の扱い
1日に壁画が発見された
調査は 3月 1日に開始され2
に正統性をあたえる働きもしているといえるだろう。
6
が、その内容を知った末永の素早い判断によって、 2
そしてこれは、まさに「日本の『財産』」(山下、向
上)を表す記号であるともいえるだろう
9)
<日本>
日の記者発表の直後に古墳は一旦閉塞された。この措
置について末永は次のように記している。「永久の閉
を象徴するものとして使用される様々な記号のうち、
塞を意図したものではなくやがて国家の処理に移し、
法隆寺金堂壁画が損なわれて以来いわば空席であった
国家は調査と保存に対する完壁な処置をとるであろう
部分を埋めるものとして、新発見の高松塚古墳壁画に
ことを期待してのことであり、明日香村・奈良県で処
はく法隆寺級>という価値ペグが付与されたのであ
理をしようとすれば大きな意味から私物化の倶れがな
る
。
9
7
2
。
)
いとはいえない」(末永 1
つまりこの壁画古墳は、記者発表の時点ですでに
ナショナル化への視点
ここまでの議論に対して、<高松塚古墳壁画は重要
ローカルな自治体のレベルを超え、「国家」的な価値
をもつものとして扱われるべき対象として呈示されて
2
2
高松塚古墳壁画発見報道の文化社会学的分析
いたので、ある。これに呼応して、国レベルの見解を文
壁画の発見は、日本とほぼ同時に韓国でも大々的に
化庁関係者の談話として掲載した新聞もあった。当時
報道され( c
f
.森岡 1
9
9
5:9
6)、その動向は「『朝鮮民
文化庁にいた田中琢(朝日は文化庁調査官、毎日は文
族の貢献J強調/古墳壁画に韓国の反響」(日経、 3
化庁記念物課技官という肩書を記載)の言葉を、朝日
月3
0日東京版朝刊 2
2面)などと日本の各紙も紹介して
新聞は「戦後最大の発見の一つ」という小見出しのも
いた。韓国側は、日本に存在する古代の朝鮮文化とい
と、次のように伝えている。「これは考古学界の戦後
う価値ペグに高松塚古墳壁画をヲ|っ掛けていたので、あ
最大の発見のひとつだ。文化庁としては、どうしても
る
。
保存しなければならない貴重なものだと思う。特別史
そして日本でも、たとえば、「古代史研究に興味を
跡級のものだ」( 3月2
7日朝刊 1面)。またこの日の夕
もやす作家松本清張」は、「九州の装飾古墳が日本特
刊において各紙は、その日の午前に聞かれた文化庁の
有」であるのに比して、高松塚の場合は、「被葬者が
緊急対策会議にふれ、特別史跡、と国宝の二重指定の可
渡来人なら壁画を描いたのも渡来人だと思う」(朝
能性などを報じている(日経1
1面、朝日 1面、読売 1
0
日
、 3月2
8日東京版朝刊 3面)と「朝鮮からの渡来
面、毎日 1
1面、大和タイムスは翌2
8日朝刊 l面
)
。
人」説を唱えたとされる。毎日新聞も連載記事のなか
しかし、文化庁が動き出しているといった、いわば
で「いつ、だれが描いたか」というテーマを立て、
制度的なお墨付きさえあれば、人々の聞にナショナル
0日東京版朝
「七世紀前半、帰化人か」(毎日、 3月3
な価値が自動的に浸透するわけではない。そしてこの
刊1
4
面)という見出しで、奈良国立文化財研究所の長
古墳の場合、ナショナルな語葉がさまざまに繰り出さ
谷川誠の説を披露しており、読売新聞も「作者は西
れつつも、単純にナショナルな価値を称揚できないと
域画家か」( 4月 1日東京版朝刊 1
5面)という見出し
いう事情もあった。このあたりを次項でみていこう。
で、田中琢の見解を詳しく紹介している。
このように被葬者も描き手も「日本特有」ではない
ナショナル’性をめぐるジレンマ
という説に対し、留保付きながらも被葬者を「埋葬者
この壁画が単なるローカルな一地域の文化財ではな
は草壁皇子?/直木大阪市大教授の見解J(読売、 3
いという認識は、たとえば朝日新聞では、「日本民族
月2
9日東京版夕刊 1
0面)、「天武系の皇子」(毎日、 3
の遺産がまたひとつふえた」( 3月27日、朝刊 3面
)
月3
1日東京版朝刊 2
3面)とする場合もあった。また、
や「日本の考古学に新たな一ページを書き加えること
今回の見出し一覧の時期からは少し外れるが、専門家
になるかもしれない」(問、小林行雄談)といった表
による座談会(毎日 4月 7日東京版朝刊 3面)では、
現に如実に現れている。毎日新聞でも、リード文に
末永雅雄(橿考研)・松下隆章(京都国立博物館長)・
「全国でも初めての“壁画古墳” J(毎日、 3月2
7日夕
上田正昭(京大教授)・吉田光邦(京大助教授)の聞
刊1
1面)という表現が用いられた。なおそこに添えら
につぎのようなやりとりもあった。
れた大見出しは、この記事の大阪版が「明日香村興奮
/ピカーの名物だ」であるのに対し、東京版は「日本
松下私は、壁画は高句麗とは全然違うと思う。大
史“興奮”/「早く見たい」殺到」であるという興味
深い対比を示す。奈良を含む地域に配達される大阪版
和絵ですよ。
末永松下さん、あなたが大和絵と言われた着眼は
では「村民」の視点から「名物Jというローカルな価
大したものだ。高句麗の影響は否定しないが、
値を重視し、遠く離れた東京版では「日本史Jという
私も大和絵と確信する。(中略)あの壁画には
大きな価値との関連付けを主眼にすえているのであ
日本の宮廷婦人のしゅく然とした姿が感じられ
る
。
る。今後の総合調査に期待したい。
なおこのような、壁画の価値をローカルに位置づけ
るかナショナルに位置づけるかという選択肢とは別
(中略)
上田
大和絵というのはありがたい指摘だ。私は専
に、この壁画にはもうひとつの対立する軸が存在し
門家ではないが、伝統的な画法に唐のものが重
た。それは、これがそもそもどこまでナショナルな存
層し白鳳期に日本化するプロセスを考えていい
在なのかをめぐる問題である。
のではないか。
奈良女子大学文学部研究教育年報第 1
0号
というのも、まずひとつの水準においてこの古墳と壁
(中略)
吉田
2
3
(前略)高句麗の安岳古墳の画法に似ている
画は日本的なものではなく、より大きな東アジア的な
点もある(中略)松下さんがいうように大和絵
るものを指し示すものとして価値づけられているから
のにおいがするが、それだけでは片付けられな
である。そして同時にもう一つの水準において、この
い点もあると思う。
古墳と壁画は、「日本が国際社会の紛糾や騒乱をもろ
に体験した最初の時代」(司馬、向上)を体現するも
結局、記事全体としては「唐代の影響濃い Jなどと
のともされた。つまり、たとい被葬者や絵師が渡来人
もに、「人物像は大和絵か」という見出しが目立つも
であっても、東アジア的騒乱の時代を日本が経験した
のとなっている。
ことの証拠としてこの古墳と壁画を日本の歴史上に銘
古墳と壁画をどこまで日本的なものとして捉えるの
記しうるという価値が付与されたのである。ここにあ
か。特別史跡や国宝に指定される可能性があるほどの
るのは、高松塚古墳と壁画が、くモノ>としてナショ
睦目すべき考古学的・美術史的発見が、結局渡来人が
ナルではなくとも、大陸との交渉史なしには日本を記
渡来人を埋葬するために作ったものであってよいの
述できないという<コト>の証人としてナショナルな
か。そのような認知的不協和をなんとか解消しようと
価値を有しているという巧みな止揚だ、ったのである。
する試みが、この座談会や見出しのつけ方に現れてい
るといえるだろう。
5
. 口ゴ化ーカラー報道の帰結−
今、筆者の手元には一つの色刷り資料がある。それ
ジレンマ対処の言説
は新聞原紙の切り抜き( 3月29日朝日新聞の別刷りカ
各紙の記事を検討すると、このねじれた構図をいち
ラー特報)であり、西壁の女子群像がフルカラーの写
早く察知し、不協和をより高次のレベルで解消しよう
真で掲載されている。比較的知られていることではあ
とする試みがいくつかあったことに気づかされる。そ
るが、この特報写真こそが、高松塚古墳壁画の発見を
の一つが、日経新聞の連載記事「飛鳥のいぶき・上」
メディア上の大事件に引き上げた要因の一つなのであ
(4月 4日東京版朝刊 22面)である。その締めくくり
る
。
部分には、「こんどの発見は単に『日本のふるさと J
としての飛鳥に、また一つ新しい宝物がふえたーーと
「カラー特報」が実現するまで
いうような興味だけではない。歌にったわる万葉人の
この朝日新聞のカラー特報は表面のみがカラーで
背景には、広く東アジアの複雑な国際関係に基づいた
9
.
8センチ、ヨコ 3
2
.
8セン
あり、写真のサイズはタテ 4
文化交流の動きがあったことを千三百年の時間を隔て
チ。後に同じ写真をカラーで掲載した毎日新聞の「あ
てはだで感じられる絶好のチャンスである」とあり、
でやか飛鳥の姿」( 4月 3日)は、写真サイズがタテ
日本的なものが単純に集約されている場所として飛鳥
3
1センチ、ヨコ 3
8
.
5センチで、下部 3分の lほどは横
をみる眼差しを変更しようとしている。また、この数
長の広告欄である。これに比しても、完全に紙面の全
日前の朝日新聞に司馬遼太郎が寄稿した文章「幻想さ
面を使用した朝日のインパクトはかなり大きい。女子
そう壁画古墳」(朝日、 4月 1日東京版夕刊 7面)も
群像は 4人が横に並ぶ構図であるため実際には毎日新
注目される。結論部分の段落で司馬は「被葬者がだれ
聞の掲載形式で事足りる。朝日の場合は、結果的に余
であるにせよ、この高松塚という華麗な壁画古墳の出
白を大きく見せることになり、広い平面上をたゆたう
現は、われわれの歴史が決して孤独なものではなく、
ような人物像の独特の雰囲気が伝わることとなった。
東アジアの大きな広がりのなかでいきいきと息づいて
このカラー写真が朝日新聞の特報として掲載され
いたことをあらためて証拠づけてくれた」と述べてい
た経緯については、すでに様々な言及があるが(青
るのである。
山 1
9
7
7、向井 1
9
9
2
、毛利 2
0
0
7
、朝日新聞社 1
9
9
4
、
)
このふたつの記事に共通のキーワードは「東アジ
ア」である 10)。これは上述の認知的不協和に対する、
非常によく練られた切り返しであると言えるだろう。
語られるテーマは大きく三大別することが可能だ。ひ
とつは、人間関係論。もうひとつは技術論である。
3月2
8日午前、朝日新聞の安竹一郎(もと奈良支
2
4
高松塚古墳壁画発見報道の文化社会学的分析
局。壁画発見時は社長付)と藤井秀弥大阪本社学芸部
9
9
2:3
3
8)とする
に日本中を駆けめぐった」(向井 1
長は、大阪・狭山にあった末永の自宅を前夜に引き続
ジャーナリストの言葉もあながち誇張ではあるまい。
き訪れ、西壁女子群像などのカラー原版を借り受け
ではこのカラー報道は結局何をもたらしたのであろ
た凶。人間関係論というのは、なぜ朝日が壁画写真の
うか。さまざまな記録・論考や手記等から判断する
カラーネガを入手できたのか、という問題にかかわ
に、注目すべきポイントが少なくとも 4つあるといえ
る。これについては、末永と安竹との間にあったとさ
ょう。
れる強い「信頼関係」(向井 1
9
9
2:3
4
6)によって説
第 1は、考古学報道のスクープ化である。本来、考
明する説が有力であり、さらにその紳は、以前から朝
古学的な発見にかかわる報道は、発掘主体が行う記者
日新聞が末永の研究をサポートしてきた実績にも裏付
発表に依存するため、特定の新聞社が他を出し抜くよ
9
9
4:5
1
7
。
)
けられたものでもあった(朝日新聞社 1
うな記事(スクープ)を掲載することは困難なはずで
また、韓国の新聞にカラー写真を提供するタイミング
ある。今回の場合、 3月26日に行われた橿考研による
と合致したことも大きい 12
。
)
発表を、どこまで詳しく報じるのかという判断には差
ただしこの同じ28日の午後には、毎日新聞学芸部デ
があった。実際、読売新聞などは、当初は社会面に小
スクであった青山茂も末永の自宅で粘り強く交渉し、
さな扱いをして出遅れ気味であった。このような違い
男子群像と青龍のカラー原版の借り出しに成功してい
はありえても、発表された内容を記事化している限
る(青山 1
9
7
7:1
5
6)。にもかかわらず、毎日新聞紙
り、「特ダネ」にはならない。しかし蓋を開けてみる
上への掲載が朝日より 4日も遅れたのはなぜか。それ
と、報道 3日目に朝日新聞の鮮やかなカラー特報が全
が技術論にかかわる部分だ口
国の読者の眼を奪い、空前のブームに火がついたので
9
5
9
年にカラー印刷による日曜版
朝日新聞社では、 1
ある。
9
6
9
年までには東
を開始して以降技術革新をすすめ、 1
その結果、古墳が閉鎖されているにもかかわらず、
と西(日野市および豊中市)に多色刷りオフセット印
わざわざ明日香村にかけつける人も多数出始めた
刷工場を稼動させていた(朝日新聞社 1
9
9
4:460以
(「明日香へ行楽ラッシュ J[日経 4月 3日朝刊])。ま
8日の午後 l時に大阪本社に届いた
下)。このため、 2
た、当時の様子を目の当たりにした森岡秀人(関西大
原版はカラー分解の工程などを経て、午後1
1時には豊
学学生として発掘調査に従事)も、マスコミのみなら
中で印刷を開始できたのである。この写真の網ネガは
ず「歴史ファンの人たちも殺到しました。朝一番の新
同日夜の航空便で東京にも送られ、翌夕刊には東京本
幹線で東京からとか、夜行列車で九州から来たから古
1
7
社版でもカラー特集が組まれることになった(同: 5
墳の中を見せてほしいとか。タクシーも(中略)細い
-519)
道まで、突っ込んで、きました」と語っている(「飛鳥美
いっぽうの毎日新聞では、入手したネガで「明日の
朝刊に色刷りを」せよとデスクの青山が主張しても、
年③J産経新聞、 2012年 4月1
8日夕刊 5
人に恋して 40
面
)
。
輪転機の確保や洗浄が間に合わず、技術的に不可能だ、っ
報道他社にしてみれば、朝日にしてやられたとの思
た。この方面で毎日新聞は、他社に比して「数年来の
いも強く、また同時に、取材のやり方次第で考古学報
停滞を続けて」(青山 1
9
7
7:1
5
6)いたからである。
道も大きなスクープとなりうる、というメディア側の
認識の醸成にもつながった O 実際、当時毎日新聞社に
カラー報道のもたらしたもの
所属していた青山は、その 5年後の手記で「大スクー
このような格闘を経て掲載された朝日新聞のカラー
プを目前に−一」という無念の表現を使用している(青
別刷りはどのようにうけとめられたのだろうか。た
山 1
9
7
7:1
5
4)口報道が考古学的発見をもてはやすよ
とえば、当時「広島の田舎に住む中学一年生 Jだっ
うな傾向は、まさにこの女子群像写真報道合戦から生
た山下は、「新聞の紙面に大きなカラー写真が載った
じたと言っても過言ではなかろう。
山
のに、かなりび、っくりした記憶が、確かにある J(
そしてそのようなスクープ志向により「発掘結果
下2000:80)としている。よって、「そのあざやかな
の価値がゆがめられるケースは少なくない」(中村
色彩の力は圧倒的で、このニュースはその日のうち
2004:2
9)とさえ言われるほどである。考古学者の新
奈良女子大学文学部研究教育年報第 1
0号
2
5
納泉が整理しているように(新納 1
9
8
6)、考古学と
媒体で目にする対象は、縮小されてそこに存在してい
ジャーナリズムの関係は、プラス面とマイナス面の両
る。逆に言えば、写真を目にした時、我々は自動的に
方が存在する。ただし、その望ましいあり方を模索す
それを元に戻しつつ、つまり拡大して認識すべきもの
ることは本稿の目的ではないため、ひきつづき何が起
として捉える習性が身についている。
こったのか/起こりうるのかをみていきたい。
第 2は、可視的特徴の偏重化である。古墳において
学術的に重要なのは色鮮やかな壁画ばかりではない。
たとえば、古墳本体を建造する技術(版築)も重要で
あるし、どの深さにどの様式の土器が検出されるのか
も時代同定のためには欠かせない情報のひとつである
(
c
f
.森岡 1
9
9
5:103-5)。壁画にしても、人物像だ
カラー特報で一面全体を使用して視覚化された女子
像は印刷上での身長が約2
0∼ 2
1センチである。それを
.
5
倍にすぎない
目にする我々は、まさか実物がその 1
(
約3
0センチ)とは思いもよらず、数倍にも拡大して
想像しがちなのである。
第 4はロゴ化である。これについては項を改めて説
明しよう。
けがあったのではない。毎日新聞などは天井の星座
(星宿)に早くから注目しており、見出しでもしばし
ロゴ化
8日朝刊)。しかし次第に話題
ば言及していた( 3月2
視覚的魅力が最も高い西壁女子群像は、メディア上
の中心は人物群像など色鮮やかなものに移行していっ
に何度も登場するっちに人々の脳裏に強い印象を残
たのである。たとえば、後年キトラ古墳が広く注目を
し、高松塚古墳壁画を象徴する図像に変換され流布し
あつめるのもこの傾向の延長上にあるといえるだろ
はじめる。その最初の事例は、発掘現場周辺で転売
つ
口
されたという新聞写真であろう。それは、「朝日のカ
第 3は、スケールの誤認。女子群像を始めとする壁
ラー特報の写真の部分だけを切取って、厚紙の台紙に
画の実物大模写などを見て、予想外に小さいと感じる
員占ったもので一枚なんと千円」(青山 1
9
7
7:1
5
8)と
人は少なくない。たとえば、上でもヲ|いた山下は「あ
いう商法で、「次ぎ次ぎ売れ」たという。図像の転用
の大量に流布した『高松塚美人』の画像を漠然と脳裏
は正規の形でも相次いだ。「額絵、額皿、ネクタイ、
に刻んでいる人がこの壁画館(ヲ|用者注:高松塚古墳
風日敷、着物や帯の模様からペーパーバッグ」(向
壁画館)で実物大の模写を見たら、さらに拍子抜けす
上)といったものに壁画写真をプリントする利用申し
るに違いない」(山下 2
0
0
0:8
1)と語っている。なぜ
込みが村役場などに寄せられたのである。これはまさ
このようなことが生じるのであろうか。ひとつには
に、考古学的図像の商品化であり、カラーネガという
「古墳」というもののスケールイメージが影響してい
複製可能な形態に移し替えられたことで、加速度的に
るであろう。つまり、古墳といえばつい大きなものを
そのイメージ、が物品や出版物に載って流布するのであ
想像してしまう人にとっては、古墳壁画を想像する際
る
。
も、それに見合った大きなものをイメージしがちであ
また、私事で恐縮であるが、筆者が小学生高学年
るということ。また、「壁画」という語棄もどちから
だ、った 1
9
7
3年頃、親しい友人の家の玄関に額装された
といえば、大きなものを想起させる力を持っている。
大きな西壁女子群像が輝くばかりに掲げられていたの
たとえば、上野駅中央改札の上にある猪熊弦一郎によ
を今も記憶している。奈良女子大学文学部にも、数年
る大きな壁画は 1
9
5
1年の作であり、戦後長年の問、上
前まで、小さな額に入った西壁女子群像がさりげなく
野駅を利用する多くの人々の眼に無意識のうちにと
飾られた共同研究室があった。社会科の教科書や戦後
まってきただろう。高松塚古墳壁画発見の 2年前に開
史を通覧する書籍(三省堂 1
9
9
1のカラー口絵など)
催された大阪万博で、各国のパピリオンの壁画的な装
でこの図像が採用されているのも、一連の流布過程の
飾を眼にした人も多かったであろう。「壁画」を“壁
一部であるといえよう。
面画”の略であると考えるならば、そこに描かれた人
このような、考古学的事物と複製技術の関係につい
物も、かなり大きく想像されて不思議はない。そして
.アンダーソンの議論が参考になる。彼は、
ては、 B
さらにここに写真というメディアの作用を付け加えた
東南アジアを事例として、遺跡のイメージの流布過
い。常日頃から、新聞紙上をはじめとして写真という
程を次の 3つのステップに整理した(アンダーソン
2
6
高松塚古墳壁画発見報道の文化社会学的分析
2007:296-7を簡略化)。
以上のような重層的な動きから読み取れるのはナ
ショナル化とロゴ化の相互的な関係であるといえよ
1)何十枚もの写真が付された考古学的報告書作成
→ 2)一般消費用の挿絵の多い本
→ 3)一般的ロゴ化
う。つまり、この古墳壁画は、まずは、「日本」とい
うものを古代にさかのぼって検証する手がかりとして
の価値があるゆえに、図像がさまざまな主体によって
複製され流布されたという側面が一方にある。そして
今回は、「極彩色壁画」という焦点が明確であった
逆にもう一方で、、視覚的魅力をそなえていたがゆえに
ことや、記者発表というアンダーソンが想定していな
流布対象となりやすく、それが持続的に流通した範囲
い方法が採用されていることもあって、 1)と 2)
である「日本」を結果的に象徴するアイコンとなった
の順序が入れ替わった。そして、「本」ではなく、新
という側面も有している。
聞・テレビ・週刊誌といったものが先行的に複製イ
メージを流布させたのである。
いっぽう、 1)にあたる考古学的報告書としては、
おわりに
過去はどのようにして現代に更生るのであろうか。こ
同年1
0月に『調査中間報告』(前掲)が、翌1
9
7
3年に
の問題に迫るための一環として、本稿では高松塚古墳
は『高松塚古墳壁画調査報告書』(高松塚古墳総合学
壁画への評価が、その発見当時に新聞メディアによっ
術調査会編)が出された己 3)の「一般的ロゴ化」の
。
)
ていかになされてきたのかを見てきた 13
例としてアンダーソンは、絵葉書・学校教科書・ホテ
さまざまなトピックのうち、今回は、対象の命名・
ル名称への採用・土産物食品名での使用(例:ボロブ
ローカルなもののナショナル化・図像イメージの流布
ドウール・フライド・チキン)などを挙げている。高
の 3点に絞って検討を加えたことになる口もちろん他
松塚古墳壁画でいえば、上述の額絵や風日敷の商品化
にも対象を価値付ける方法を抽出することは可能で、あ
などがこの段階に相当するといえるだろう。そしてア
る。さまざまな「謎」が発見され、それについて継続
同
:2
9
7)の発行もこの第
ンダーソンは「郵便切手J(
的に記事化がなされるといったこともこの発見報道の
3段階の例としているが、高松塚においても同様の動
特徴であった。今回論じたことの中にも至らぬ点があ
きが起こった(明日香村史刊行会 1
9
7
4:4
2
7、明日香
ろう。特に、ナショナル化に関しては、 6
0
年代から進
村 2
0
0
6:119-120)。古墳を周辺地域も含めて保存す
められてきた明日香村保存の動きも視野にいれる必要
るための資金を確保するアイデアとして寄附金っき切
f
.森本 2
0
0
1:37-96
。
)
がある( c
手発行の企画が進められ、発表一周年にあたる 1
9
7
3年
なお、過去がいかに現在に更生るかという問題は、す
3月26日に高松塚古墳の壁画切手が発売されたのであ
でにさまざまな形で論じられてきている。たとえば、
る。これは日本初の議員提案による寄附金っき切手で
博物館という空間におけるく歴史のつくられ方>に関
あり、そのための法律を前年 6月に公布・施行(法律
しては浜(1
9
9
8)などがある。また、拙稿(2
0
0
3
)
第一 O七号)したうえでの発行であった D 使用された
は、寺院における案内解説の過去を現前化させる機能
図像は、朝日新聞がカラー特報で使用した西壁女子群
に関して論じたものである。さらに山泰幸の一連の論
像だけではなく、その他の壁画もセットで切手化され
考(2
0
0
9、2
0
1
3)は、「遺跡の時制は、現在である」
た
。
(
山 2
0
1
3:1
2
7)というパースペクテイブのもと、
したがって一つの図像に限定されたわけではない
「遺跡」がいかに存立しうるかについて経験的・理論
が、高松塚の壁画は、国家が認める正統な図像であ
的に探求したものであり、五十嵐彰の論考(2
0
0
7)と
ることが、法律の裏付けとともに示されたことにな
ともに注目される。
るのである。切手は全国津々浦々の郵便局(当時は郵
それらに比して本稿はよりミクロな事例研究であっ
政省が管轄)で発売されるメディアである。壁画の図
たが、過去が構築されつつ現在化する過程において、
像が、マスメディアによってではなく、国家によって
特に報道メディアが有する機能と作用の一端を明らか
公式に日本全土に流布させられることになったのであ
にできたとすれば幸いである。またここからさらに、
る
。
近年日本でも紹介されつつあるパブリック・アーケオ
奈良女子大学文学部研究教育年報第 1
0号
ロジー( c
f
.松田・岡村 2
0
1
2)の問題意識との接点を
探ることも可能であろう。
2
7
6)「美術的」(朝日)と「美術史的」(毎日)のどち
らが末永の言葉であったかは判然としない。
メディアというものは、最新のものだけでなく、最
7)山下の文章(山下 2
0
0
0)は、高松塚発見報道に
古のものにも敏感に反応する。多くのく最古>が存す
関する数少ない論考のひとつである。ややエッセイ
る奈良は、メディア的実践が集中的かっ実験的に投下
的な筆致ではあるが、さまざまな情報源を参照しつ
されるフィールドとして、報道の動きの先端に位置し
つ思索が展開されており貴重で、ある。
てきた可能性があることも、本稿から垣間みえた。奈
良とは、古いがゆえに新しいというパラドキシカルな
空間なのである。
8)この焼損の社会学的な意味に関しては、拙稿
(
2
0
0
5
a)を参照されたい。
9)ただし山下は、「『戦後』が喪失したものを埋めて
くれるもの Jという期待が高松塚の壁画に寄せられ
[
注
]
1)新聞記事のもつ資料としての特性や有効性につい
たことは論じているが、ナショナルな視線そのもの
については特に触れていない。
ては八ツ塚(2
0
0
7:1
0
6-7
)が詳しく論じている。
1
0)日経の記事の結論部分が、 3日前にでた司馬の文
2)江戸期から発掘調査後までの高松塚の状況や調査
章に触発されたものである可能性は排除できない。
の経緯は、『明日香村史』に掲載されたまとめ(伊
1
1)このとき、先に来ていた韓国日報の特派員は、東
達1
9
7
4)がわかりやすい。より専門的なものとして
壁女子群像のカラー原版を借りている(朝日新聞社
9
7
4
)
は、調査の中間報告(橿原考古学研究所編 1
1
9
9
4:5
1
7
。
)
がある。
1
2)このあたりの刻々と事態が進む状況については、
3)新聞紙名は以下、適宜略称を用いる。
当時の朝日新聞社会部記者であった薮内良宣によ
4)奈良市内の古書店で2
0
1
1年に購入した A3判の大
るウェブ上の詳細なルポ(公開年不明)がある。
型スクラップ帳計 2冊である。ともに背に墨書で
「高松塚古墳」とある。当時の貴重なカラーグラビ
9
葉( 1
9
7
2年 3月 ・4月の記
アを含め、 l冊目には 8
URLは[文献]欄を参照のこと。
1
3)壁画の劣化が発覚した際の社会的反応に関する論
考としては、別稿(小川 2
0
0
5
b)を参照のこと。
事が8
0
枚
、 5月以降の同年のものが 9枚)、時期的
にこれに続く 2冊目には 8
3葉( 1
9
7
2年 3月・ 4月の
0
枚
、 5月以降の同年のものが1
3
枚
、 1
9
7
2年
記事が6
0
枚)の切り抜きが収められている。隣接す
以降が1
[文献]
青山
茂
、1
9
7
7、「高松塚から五年一壁画発掘余聞一」
頁
『芸術新潮』 4月号、 153-159
る複数のトピックがまとめて切り抜かれている場合
Anderson, B
e
n
e
d
i
c
t
, 2006 [
F
i
r
s
te
d
i
t
i
o
n1
9
8
3
]
,
には、 l葉とカウントした。週刊誌からの切り抜き
ImaginedC
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s
.
・R
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c
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sont
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i
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nand
も数葉あるが、上のカウントからは除外した。新聞
Sp
陀 a
dofN
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a
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s
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,(
R
e
v
i
s
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dE
d
i
t
i
o
n
) London&
紙名や日付・朝刊夕刊の別・面香が記載されていな
NewY
o
r
k
:Verso (白石隆・白石さや訳『定本想
いものについては、本論文末尾の一覧表においても
像の共同体−ナショナリズムの起源と流行−J書籍
空欄としている。驚くべきことに、このスクラップ
工房早山、 2
0
0
7
)
明日香村史J下巻
帳は 6紙すべての新聞をカバー(網羅的ではない)
明日香村、 2
0
0
6、昨夏
しており、特に毎日新聞と大和タイムスが充実して
9
7
4、『明日香村史』上巻
明日香村史刊行会、 1
いる。作成者はおそらく奈良在住の方であろう。高
伊達宗泰、 1
9
7
4、「付・高松塚古墳調査と展望」明日
松塚古墳壁画への並々ならぬ関心と情報収集への熱
香村史刊行会『明日香村史・上巻』、 500-511頁
意を感じさせるものであり、その労力に敬意を表し
f
こい。
5)今回しらべた 6紙のうち、 4紙(朝日−日経・サ
ンケイ・大和)が第一報の見出しに「法隆寺」とい
う語を用い、朝日が一番大きく掲げた。
G
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,NewYork:P
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c
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H
a
l
l (石黒
毅訳『ステイグマの社会学−熔印を押されたアイデ
ンテイティ』せりか書房、 1
9
7
0
)
浜日出夫、 1
9
9
8、「歴史はいかにして作られるか一博
2
8
高松塚古墳壁画発見報道の文化社会学的分析
物館の文法・博物館のリテラシー J『社会学ジャー
ナル』 2
3号
、 151-162
頁
浜田耕作・梅原末治、 1
9
1
7、「肥後に於ける装飾ある
古墳及横穴」『京都帝園大事文科大皐考古皐研究報
告』第一冊
五十嵐彰、 2
0
0
7、「<遺跡>問題−近現代考古学が浮
かぴ上がらせるもの−」鈴木公雄ゼミナール編『近
9
7
2、「調査経過概要」橿原考古学研究所
末永雅雄、 1
編『壁画古墳高松塚調査中間報告』奈良県教育委員
会・奈良県明日香村、巻末差込
田中
滋
、 2
0
0
4「流域社会への視座−ナショライリ
ゼーション論とリスク論を中心としてー」『龍谷大
学国際社会文化研究所紀要』第 6号
田中
滋−水垣源太郎、 2
0
0
5、「戦後日本のダム開発
世・近現代考古学入門−「新しい時代の考古学」の
とナショナリズムーナショナリゼーション論にもと
方法と実践−』慶応義塾大学出版会
づく分析−」『国際社会文化研究所紀要』第 7号
9
7
4、 『 壁 画 古 墳 高 松 塚 調
橿原考古学研究所編、 1
山下裕二、 2
0
0
0、「〈連載〉古美術の 2
0
世紀一視線の変
査中間報告』奈良県教育委員会・奈良県明日香村
節
(3
) 1
9
7
2
年の高松塚古墳−『発見報道』の雛形」
松田
陽・岡村勝行、 2
0
1
2、『入門パブリック・アー
ケオロジー』同成社
森本和男、 2
0
0
1、『遺跡と発掘の社会史一発掘担造は
なぜ起きたか−j彩流社
9
9
5、「回想・高松塚古墳の発掘」網干善
森岡秀人、 1
教との共著『高松塚古墳−飛鳥人の華麗な世界を
映す壁画』(日本の古代遺跡、を掘る 6)、読売新聞
頁
社
、 17-112
毛利和雄、 2
0
0
7、『高松塚古墳は守れるか一保存科学
の挑戦jNHKブックス
9
9
2、「『高松塚』二十年目の真実」『文嚢
向井進、 1
春秋j7月号、 336-349
頁
中河伸俊、 2
0
1
0「『自己』への相互行為論アプローチ・
経験的探究に有効な再定式化のために J『人文学論
8、45-71頁
集
』 2
新納
『
I
S
』(ポーラ文化研究所) 8
3
号
、 78-83頁
薮内良宣、公開年不明、「『発掘』はやはり『破壊J
だった∼飛鳥の麗人哀歌∼ Jウェブマガジン『週
刊B
e
a
c
o
n
j 収録、 h
t
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:
/
/
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i
x
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0
3
0
.
h
t
m
l (サイト最終確認
2
0
1
3年1
2月 9日
)
山 泰幸、 2
0
0
9、「遺跡化の論理一歴史のリアリテイ
をめぐって」土生田純之編『文化遺産と現代』同成
社
、 77-107
頁
山 泰幸、 2
0
1
3、「『遺跡社会学』の可能性」『遺跡学
研究』第 1
0
号
、 126-133
頁
八ッ塚一郎、 2
0
0
7、「『ボランテイア』と『NPOj の
社会的構成プロセスに関する新聞記事分析研究一
『助調分析』の試み−」『実験社会心理学研究J4
6
(
2
、
) 103-119
頁
泉
、 1
9
8
6、「ジャーナリズムと考古学」近藤義
郎編『岩波講座日本考古学( 7)現代と考古学』岩
波書店
小川伸彦、 2
0
0
2、「ブームとしての古代史」(荻野昌弘
編『文化遺産の社会学一ルーブル美術館から原爆
ドームまで』新曜社、 260-262
頁
0
0
3 「語りと文化遺産−ある寺院における
小川伸彦、 2
案内解説の分析より−」『研究年報』(奈良女子大学
文学部) 4
7、6
1
8
4
頁
小川伸彦、 2
0
0
5
a「事件・シンボル・制度一法隆寺金
堂壁画焼損と『文化財』の文化社会学 J『奈良女子
大学社会学論集』 1
2、115-138頁
小川伸彦、 2
0
0
5
b 「“高松塚問題”と文化財−壁画の
危機が問いかけるもの−J『毎日新聞』 6月2
2日夕
刊 2面
佐々木毅他編著、 1
9
9
1、『戦後史大事典』三省堂
※
記事見出し一覧は次頁以下を参照のこと
奈良女子大学文学部研究教青年報第
【資料】高松塚古墳壁画発見時の新聞記事見出し一覧:
2
9
1
0号
1
9
7
2年 3月 2
7日 ∼ 4月 5日 ( 1
0日間)
・凡例:サンケイ=産業経済新聞、朝日=朝日新聞、毎日=毎日新聞、読売=読売新聞、日経=日本経済新聞、
(東京)=東京本社版、(大阪)=大阪本社版、(奈良)=奈良地域面、<>は記事欄名、日は追記、/く〉は区切り
・備考:計 6紙 に つ い て 広 く 収 集 し た が 、 網 羅 的 な も の で は な い 。 大 和 タ イ ム ス と サ ン ケ イ は 一 日 一 回 刊 行 の た め 朝 夕
刊 の 区 別 な し 。 原 紙 ス ク ラ ッ プ 帳 資 料 ( 注 4参 照 ) に よ る も の は 、 朝 ・ 夕 刊 の 区 別 や 掲 載 面 が 不 明 の 場 合 が あ る 。
月/日
朝夕
男
j
l
紙名
掲載面
3
/
2
7
大和タ
イムス
1面
3
/
2
7
3
/
2
7
朝刊
3
/
2
7
朝刊
サンケ
イ
1面
サンケ
イ
3面
朝日
(東京)
1面
23面
見出し
古墳から極彩色壁画/
明日香村高松塚/畿内
ではじめて/法隆寺壁
画にも匹敵
明日香村の局松塚古墳
/極彩色の壁画発見/
風俗描く貴重資料/七
一八世紀/法隆寺にま
さる/仏教の影響受け
ず文化伝来にヒント
/「日本書紀の世界」再
現/男女 2体の人骨発
掘
【グラフ】未踏の”聖域”
から極彩色壁画/高松
塚古墳発掘
法隆寺級の壁画発見
飛鳥に装飾古墳/男女
像や白鹿青竜奈良県
高松塚/七色で大陸系
風俗/戦後最大の発見
文化庁田中
の一つ
言
百
朝日
(大阪)
1面
朝日
(東京)
1面
3
/
2
7
夕刊
朝日
(東京)
10面
3
/
2
7
夕刊
毎日
(大阪)
社会面
3
/
2
7
夕刊
毎日
(東京)
1
1面
3
/
2
7
夕刊
3
/
2
7
夕刊
U
呈昔g
土
E
0
(東京)
3面
読売
(東京)
10面
I~· 文化財調査官の話/
ぜひ早く見たい原田
淑人・日本考古学会長の
3
/
2
7
朝刊
3
/
2
7
夕刊
飛鳥に装飾古墳/法隆
寺壁画に匹敵/高松塚
/石壁に極彩色/男女
像・竜虎など/戦後最大
の発見/文化庁田中
琢・文化財調査官の話/
原田淑人 日本考古学会
長の話
壁画発見に興奮と驚き
「一目実物を」「保存しつ
かりと」 学者らの反響
/変哲もない小さい山
【グラフ】飛鳥カラーあ
ざやか/高松塚の壁画
発見[写真はモノクロ]
3
/
2
7
夕刊
日経
(東京)
1
1面
3
/
2
7
タ
j
?
干l
日経
(大阪)
1
1面か
E
3
/
2
7
朝刊
3
/
2
7
朝刊
3
/
2
7
朝刊
3
/
2
7
朝刊
3
/
2
7
朝刊
3
/
2
7
朝刊
3
/
2
7
朝刊
朝日
(東京)
3面
朝日
(大阪)
3面
朝日
(東京)
3面
毎日
(東京)
1面
d
'
C
吾百士
(東京)
14面
読売
(東京)
14面
日経
(東京)
変哲もない小さい山/
飛鳥に装飾古墳
飛鳥から”壁画古墳”/
近畿で初めて/極彩色
で婦人や星座/大陸交
流貴重な手がかり
「飛鳥」の彩色壁画/奈
良の古墳で発掘/風俗
など描く/朝鮮との交
流証明(文化庁文化財保
護部記念物課の話)
「飛鳥」の彩色壁画/奈
良の古墳で発掘/風俗
など描く
極彩色の壁画発見/明
日香の古墳から/星座
など、干三百年前/法隆
寺に匹敵
飛鳥の装飾古墳/文化
庁、急ぎ調査団/国宝・
特別指定も/保存策が
立つまで埋め戻し
思わず浮ぶ感動/飛鳥
の装飾絵画
「ピカーの名物だ」/明
日香村興奮/問合わせ
電話、役場に殺到/永久
保存に全力
日本史”興奮”/「早く見
たい」殺到/「保存だ!
立入禁止だ!」/飛鳥壁
画発見/明日香村/「国
宝」指定急ぐ/文化庁き
める
<カメラ闘ニュース>飛
鳥の美みやびな目ざ
め
総合調査団を派遣/飛
鳥壁画/文化庁、国宝指
定も
文化庁「特別史跡」指定
へ/高松塚古墳(明日
香)の極彩色壁画/急を
要する保存対策/”大変
な考古学上の価値”/”
百年に一度の成果”/明
日香村あげて大喜び
明日香・晶松塚古墳/目
を奪う極彩色壁画/男
6人や星座克明に
女1
特別史跡 国宝の二重指
定か/文化庁来週中に
調査団/臨時審聞きス
ピード指定/地元の表情
”何とか現地保存を…”/
壁画発見に期待と驚き
E
3
/
2
8
3
/
2
8
朝刊
3
/
2
8
朝刊
3
/
2
8
朝刊
大和タ
イムス
1面
朝日
1面
朝日
(東京)
3面
朝日
(大阪)
4面
3
/
2
8
朝刊
朝日
(奈良)
20面
3
/
2
8
朝夕
不明
毎日
<天声人語>
3
/
2
8
朝刊
毎日
(東京)
19面
3
/
2
8
朝刊
毎日
(大阪)
掲載面
不明
3
/
2
8
朝刊
毎日
(東京)
21面
3
/
2
8
朝刊
読売
(東京)
4面
3
/
2
8
朝刊
読売
(東京)
4面
3
/
2
8
朝刊
3
/
2
8
夕刊
3
/
2
8
夕刊
3
/
2
8
夕刊
3
/
2
9
3
/
2
9
古墳の“主”は男 3人/
石室から人骨を発見/
貴人?
大陸の渡来
人?/奈良高松塚/
古墳を再び密封
座談会・晶松塚の壁画古
墳。末永、岸、森、有光
。解きほぐされる古代
史/層の厚い飛鳥文化
/宮廷の生活示す?風
俗画
30 日にも打合せ/晶松
塚古墳壁画の破壊防止
策/明日香村と橿原考
古研
3
/
2
9
朝刊
国の費用で保存/壁画
古墳保存で文相
3
/
2
9
朝刊
3
/
2
9
3
/
2
9
3
/
2
9
朝刊
読売
(東京)
14面
毎日
(東京)
8面
吾
S
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:
r
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I
:
宮
(東京)
1
0面
日経
(東京)
社会面
大和タ
イムス
1面
大和タ
イムス
1面
大和タ
イムス
1面
サンケ
イ
15面
朝日
(東京)
3面
朝日
(東京)
1面
毎日
(大阪)
両松塚古墳の星座/古
代のカレンダー/星宿
だった/世界最大の規
槙/野尻氏が折紙
古代の暦「星宿」だっ
た?/天井石の壁画/
現存で最大規模/貴人
の象徴/野尻氏が折紙
【連載】壁画古墳飛鳥の
カプセル(上)主人公は
だれ?/きっと名前わ
かる…/たくましい初
老の大男((大阪)見出
し:葬られた人物/帰化
貴人では)
民族の遺産 飛鳥壁画
/保存・解明に英知集め
て/年代などっきない
学問的価値
【インタピ‘ュー】明日香
の壁画古墳の発掘を指
揮した末永雅雄さん/
未経験の相手・・・極彩色
/「まだまだ死ねんな
ア
」
飛鳥壁画、早くも観光公
害 /村が「防衛力バ
一」づくり
「保存費用は固で負担」
と文相/飛鳥の壁画古
墳
特別史跡指定今週にも
諮問 装飾古墳で文相
/高松塚古墳
保存へ国庫補助/高松
塚古墳「対策委」を設置
文化庁に保存対策委/
高松塚周辺古墳発掘
も検討/ 30∼70歳の男
子
【論壇】「飛鳥はこわい」
春の話題さらう高松塚
ナゾの古墳の主を解剖
高松塚/島田大市大教授
/筋骨たくましい貴人
/皇位継承者か皇太
子?/ 50歳くらい 1
1文
半の大男
人骨は一人?
古墳
高松塚
【予告】カラー特報飛
鳥古墳の壁画/きょう
の夕刊でお届けします
【連載】壁画古墳飛鳥の
カプセル(中)いつ誰が
3
0
高松塚古墳壁画発見報道の文化社会学的分析
描いた/力ギは”四神”
3
/
2
9
朝夕
不明
3
/
2
9
朝夕
不明
毎日
(大阪)
掲載面
不明
毎日
(大阪)
掲載面
不明
3
/
2
9
朝夕
不明
毎日
(大阪)
掲載面
不明
3
/
2
9
朝刊
毎日
(東京&
大阪)
2面
3
/
2
9
朝刊
3
/
2
9
朝刊
3
/
2
9
朝刊
3
/
2
9
朝刊
毎日
(東京&
大阪)
2面
毎日
(東京)
21面
毎日
(東京)
21面
毎 日
(東京)
21面
3
/
2
9
朝刊
読売
(東京)
14面
3
/
2
9
朝刊
日経
(東京&
大阪)
22面
3
/
2
9
朝刊
3
/
2
9
夕刊
3
/
2
9
夕刊
3
/
2
9
夕刊
日経
(東京&
大阪)
22面
朝日
(大阪)
8面
朝日
(東京&
大阪)
1面
朝日
(東京)
1面
3
/
2
9
夕刊
朝日
(東京)
1
1
/
1
2
面
3
/
2
9
夕刊
朝日
(東京)
8面
「高句麗の画師だろう」
/壁画古墳韓国でも
大反響
”晶松塚古墳”新飛鳥ブ
ーム/見学者押すな
押すな/石舞台、板蓋宮
跡も力ブト脱ぐ
興奮固まし/「一目で
も」と八百人/仮覆屋
で”守り”固める/初老
の大男では?/埋葬の
人骨は一体分大市大島
教授
【寄稿】末永正雄O古代
史に新たな息吹き/独
創的な「星座」/人物像
に漂う大陸文化/保存
へ”現代”の知識結集を
目を疑ったその瞬間(網
干助教授談)
韓国で大反響/高句麗
の影響を証明
人骨鑑定の中間所見を
発表/島・大阪市大教授
3
/
2
9
夕刊
3
/
2
9
夕刊
3
/
3
0
読売
(大阪)
社会面
か
読売
(東京)
1
0面
大和タ
イムス
掲載面
不明
3
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0
朝刊
朝日
(東京)
22面
3
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3
0
朝刊
朝日
(東京)
4面
入口にプレハブおおい
装飾壁画のナゾ/埋葬
者は皇族/ 40-50
歳の男性/ 報復の墓
荒らしも
「御陵も掘れば」自民総
務会/明日香壁画/日
本史”聖域”論争に口火
/宮内庁は早くも渋い
彦
買
足ガクガク、目疑う/明
日香壁画第一発見者”驚
き”語る
飛鳥壁画発見に熱狂/
「民族の誇り」と韓国人
<今日の問題>
壁画古墳
【連載】よみがえった壁
画( 1)麗人/大陸風の
貴族女性
【グラフ】くカラー特報〉
飛鳥のいぶき再び/色
あざやか高松塚古墳壁
画[ 1
1 面は西壁女性群
像のカラー刷り縦 4
9
.
8
×横 3
2
.
8センチ]
晶句躍の末えい 飛鳥
壁画にわく/新聞みな
大特集 しみじみ、民族
の誇り/韓国
3
/
3
0
朝刊
3
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3
0
朝刊
3
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朝刊
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0
朝刊
毎日
(東京)
1
1面
毎日
(東京)
21面
毎日
(東京)
21面
毎日
(東京)
23面
3
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0
朝刊
毎日
(東京)
23面
3
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3
0
朝刊
毎日
(大阪)
21面
3
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3
0
朝刊
EEf
t
吾士 宮
(東京)
17面
壁画古墳ナゾの貴人/
草壁皇子か/ご両親帝
(天武持統)と結ぶ”聖
なるライン”/直木大阪
市大教授皇子陵調査
で推定
埋葬者は草壁皇子?/
直木大阪市大教授の見
解/天武天皇陵の近く
【見聞き特集】掘りっき
ぬ”飛鳥の謎”と”魅力”
/高松塚古墳極彩色壁
画/目を奪う飛鳥の力
ラー/豊かなほおに口
紅/”密封”されてきた
大陸文化/保存と解明
へ頭脳集団/飛鳥古墳
の総点検を/高句麗系
の貴人?誰を葬ったか
に二説/槍隈村と画工
(池田瀬太)
保存策発見に全力/晶
松塚古墳壁画/文化庁
が緊急会議
「晶松塚古墳」座談会。
末永・有光・岸・森O光
さす古代文明/大陸直
輸入の画風/宗教的ふ
ん囲気はない/自治体
でも古墳の調査保存に
/
2
8
)
努力を(大阪版は 3
【投書】脚光あびた飛鳥
の壁画(開発、盗掘…徹
底調査急げ」( 56歳雑誌
編集者)、「保存に万全の
方法とるよう」( 62歳博
物館長)、「陵墓の一部が
調査できたら」( 35歳会
社員)、「公開要求より大
切にする心」( 17歳高校
生
)
【連載】壁画古墳飛鳥の
カプセル(中)いつ、だ
れが描いたか/七世紀
前半、帰化人か
【告知】壁画古墳の写真
展/ 3月 31日∼ 4月 5
日/西武百貨店池袋店
うり二つ/切れ長の目
通った鼻スジ/聖徳太
子飛鳥の貴人
”時の人”過労で倒れる
/テレビだ!案内だ!
ニセ電話だ!(網干助教
授
)
【連載】壁画古墳飛鳥
のカプセル(下) 0どう
保存するか/科学の粋”
発掘”へ
【寄稿と談話】よみがえ
った飛鳥文化。高松塚
古墳の装飾壁画発見
末永雅雄(談)・被葬者
はだれだった?文字が
残されなかったのが残
念/米沢嘉圃(談).法
隆寺の壁画と別系統の
画工か/鈴木治:吉祥天
3
/
3
0
朝刊
3
/
3
0
朝刊
3
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朝刊
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夕刊
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朝夕
不明
3
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夕刊
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1
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1
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吾由士
E宮
(東京)
3面
BE
号
百
唾
土0
(東京)
14面
読売
(東京)
14面
読売
(東京)
14面
日経
(東京)
22面
日経
(東京)
22面
朝日
(東京)
10面
朝日
(東京)
1面
毎日
(東京)
8面
d
"
C
S
吾士
(大阪)
1面か
読売
(東京)
8面
日経
(東京)
社会面
大和タ
イムス
1面
大和タ
イムス
1面
大和タ
イムス
7面
女にまさる美人金堂
以上の価値/井上秀
雄:朝鮮との文化交流の
深さみる
<海外短波>“他山の
石”壁画保存
調査の助教授倒れる/
高松塚古墳
飛鳥壁画の星座正確
な太陰暦の一種 「持統
朝前後のもの」能田教授
“輸出元”の韓国大きな
関心示す/高松塚古墳
「朝鮮民族の貢献」強調
/古墳壁画に韓国の反
聾
Eヨ
過労で入院/発見者の
網干助教授
壁画模写近藤氏に/
高松塚古墳/橿原考古
学研が委嘱
【連載】よみがえった壁
画
( 2)「高麗尺」/年代
を知る手掛り
”古墳の壁画”模写/近
藤千尋氏/写真をもと
【カラーグラフ】あざや
か飛鳥壁画[西壁女性群
像のカラーグラビア縦
20×横山センチ]
模写して保存/カラー
映画も/ 飛鳥壁画
近藤画伯に模写を依頼
/明日香壁画
保存へ三者結束/県、明
日香村、考古学研究所/
広範な史跡指定/専従
監視員も
壁画模写して保存/末
永所長談/婦人像など
実物大で
古墳見学は徒歩で/観
光シーズン中は交通規
。
帝
”墓誌銘”今どこに!?
/「古墳の主」解明の力
ギ/高松塚/すでに中
世に盗掘?/「朱雀壁」
こわし犯人侵入
3
/
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1
大和タ
イムス
7面
3
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1
サンケ
イ
(奈良)
16面
網干助教授が過労で入
院/高松塚古墳壁画の
発見者
朝日
(東京)
3面
顔は唐風着物は晶句
麗風/高松塚壁画の女
性一学者の見方/日中
朝で研究を/大シンポ
ジウム提唱[大阪本社版
=似てますよこの壁画
。高松塚古墳中国の古
墳/学術交流で解明し
3
/
3
1
朝刊
奈良女子大学文学部研究教育年報第 1
0号
7面
ょう 考古歴史学者ら
提唱/東ア共通の要素
が融合/お手本元に描
いた可能性]
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不明
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朝日
(大阪)
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(大阪)
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不明
毎日
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朝夕
不明
毎日
(大阪)
掲載面
不明
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朝刊
毎日
(東京)
21面
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朝刊
毎日
(東京)
23面
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朝刊
毎日
(東京)
23面
読売
(東京)
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朝刊
日経
(東京)
23面
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夕刊
毎日
(東京)
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1面
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大和タ
イムス
1面
大和タ
イムス
広域保存を固に要望へ
/奈良県教委が方針
「発掘は静安乱す」/陵
墓調査で宮内庁/衆院
委で長官答弁
飛鳥壁画/郷土愛が破
壊防いだ/迫る開発に”
待った”/学者の熱意も
ささえに
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朝刊
朝日
(東京)
3面
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朝刊
朝日
(東京)
3面
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朝刊
朝日
(東京)
3面
めぼしいものなし/卜
レンチ掘下げ
十六人の男女像は全部
従者?/ぼやけた二人
再現しわかる/長谷川
氏
オッ似てる/ 1万円札
の聖徳太子とそっくり
/高松塚古墳、壁画の貴
人/切れ長の目、髪型/
モデルかと見まがう
松下所長[前日(東京)23
面とほぼ同内容]
【連載】壁画古墳飛鳥
のカプセル(下)保存の
悩み/湿度の変化が一
番の敵「埋め戻したら」
皇室陵墓発掘せぬ/
宇佐美長官[大阪本社版
=”陵墓”発掘許さぬ/
宮内庁長官が見解表明)
晶松塚古墳/推理飛
鳥の貴人/天武系の皇
子/藤原京の悲劇を秘
めて/「百済系」の反論
も [ 大 阪 本 社 版 = 22
面:壁画古墳/飛鳥の貴
人/その正体はだれ?
/有力な高市皇子/続
く大津、草壁、志貴/帰
化人説も捨て難い/高
松塚イコール文武陵説
も/天武天皇にも余地]
【インタビュー】晶松塚
古墳の壁画模写を引き
受けた近藤千尋さん/
古人の心読む”飛鳥の作
家
”
周辺地含め史跡指定へ
/高松塚古墳保存建
築規制、監視員も
壁画古墳農民が最初
に発見/この石おかし
いゾ/ショウガ穴の奥
「きっと文化遺産」[大阪
本社版=発掘に農民も
一役/凝灰岩から端緒
つかんだ]
<記者席>(末永の談話
と網干の消息の短信)
寺院の基壇と同工法で
築造/珍しく堅固な盛
4
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朝刊
毎日
(東京)
18面
4
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朝刊
毎日
(東京)
18面
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朝刊
毎日
(東京)
2面
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朝刊
読売
(東京)
1
5面
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朝刊
読売
(東京)
15面
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朝刊
日経
(東京)
22面
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夕刊
朝日
(東京)
1面
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夕刊
朝日
(大阪)
10面
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夕刊
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2
朝日
(東京)
7面
大和タ
イムス
1面
り土/壁画の晶松塚
板でたたき層重ねて固
める
刑部親王・多治比真人
島・百済王善広/「主」
の有力候補に 3人/文
献で学者らしぼる/高
松塚古墳[大阪本社版=
3 人の候補者浮ぶ/墓
のみ発見から推理]
応急保存調査メンバー
決る[大阪本社版=応急
保存へ調査団/カビの
専門家ら 10人/文化庁
近く史跡指定へ]
墓誌は見つからずー飛
鳥に装飾古墳(高松塚古
墳)[大阪本社版=文字、
発見できず/橿原考古
学研究所発表/困難な
「主」断定]
陵墓の調査しない/文
化庁が公式見解
壁画の 16人 被 葬 者 の
従者か/奈良文化財
研園長谷川氏/復元図か
ら推定/高松塚古墳
とりあえず史跡/晶松
塚古墳/文化庁に保存
調査会(付:メンバ一一
覧
)
飛鳥壁画 作者は西域
画家か/「吉祥天女」と
酷似/文化庁調査官筆
法、顔立ち指摘
3
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大和タ
イムス
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サンケ
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朝夕
不明
朝日
(大阪)
朝日
(大阪)
掲載面
不明
朝日
(大阪)
掲載面
不明
明日香村に姉妹提携申
し出/韓国の古都・扶齢
発掘現場に警備詰所
高松塚古墳
晶松塚の主さがし/正
面の石に最後の期待/
名前、浮かばぬか/近く
特殊方法で撮影
有刺鉄線張る/見学者
締出し本調査待ち
応急対策費は県で面倒
みる/奈良県知事語る
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朝刊
毎日
(東京)
1
8面
無視できぬ「唐」の影響
/壁画古墳/ポッテリ
した顔/樋口京大助教
授が指摘/そっくり像、
西安に(大阪本社版 22
面=ぽってり顔/唐文
化の影響受けた/墓室
像とそっくり/”日朝中
の交流”裏づけ)
4
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2
朝刊
毎日
(大阪)
22面
古墳にも仮覆屋/地元
は”観光公害”に悩む
4
/
2
朝刊
毎日
(東京)
18面
4
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2
朝刊
読売
(東京)
19面
文化庁、まず史跡指定へ
/保存対策急ぐ
とりあえず史跡指定/
高松塚古墳保存へ調査
会/研究のため陵墓開
く考えない 文化庁が
方針
【連載】よみがえった壁
画( 3)「星」死者への
儀礼装飾
興奮さめこんどは悲鳴
/高松塚古墳の明日香
村/かさむ管理の出費
/見物人殺到/農作業
お手上げ
【寄稿】司馬遼太郎/幻
想さそう壁画古墳/被
葬者は高句麗国使?/
古代東アジアのロマン
((大阪).高句麗族への
幻想/閉鎖性取払い息
づく日本史/帰れなく
なった副使が被葬者か)
”壁画古墳”の取り持つ
縁/明日香村韓国扶余
姉妹都市に/全所長の
来村で一挙に具体化/
似合いのカップル/古
代の関係も深い/日朝
関係の解明に意義大
サンケ
イ
1
1面
サンケ
イ
(奈良)
1
2面
<記者席>痛い韓国学
者の批評(被葬者をめぐ
る報道合戦への批判)
画松塚古墳の被葬者/
50歳前後の大食漢/歯
の分析で断定/大臼歯
の摩滅がひどい/大阪
市大島名誉教授
明日香村の古墳群を全
調査/未発掘の 40基
文化庁に援助要請/ 10
年計画
4
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朝刊
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2
朝刊
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3
読売
(東京)
21面
日経
(東京)
22面
大和タ
イムス
7面
サンケ
イ
明日香村と百済の古
都・扶余/姉妹提携へ話
進む[大阪本社版 22面
=古墳がとりもち姉妹
提携へ]
【投書<飛鳥の壁画>】
久しぶり 民族的感動
(
3
7歳女性・主婦)/古
代史解明のため御陵の
調査ぜひ(48歳男性・
会社員)/日本、朝鮮領
民族の正しい理解のた
めに( 56歳男性圃在日
韓国人問題研究所所員)
【グラフ】飛鳥王朝の色
(婦人群像など)/高松
塚の装飾古墳
明日香村に姉妹提携を
申し入れ/韓国の史料
研究所長
壁画がブーム呼び戻す
明日香村/槍隈の春眠
破る/小円墳に人の山
【連載】古代に光りを
(1)ナゾとロマンの里
3
2
高松塚古墳壁画発見報道の文化社会学的分析
11面
4
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夕刊
4
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朝刊
サンケ
イ
(奈良)
1
2面
朝日
(奈良)
20面
朝日
(東京)
23面
朝日
(東京)
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毎日
(奈良)
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6面
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3
朝刊
毎日
(東京&
大阪)
21面
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朝刊
毎日
(東京&
大阪)
2
2
4面
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毎日
(東京)
2面
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朝刊
毎日
(東京)
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朝刊
毎日
(東京)
7面
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毎日
(東京)
22面
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朝刊
E
,
吾
E
量
冗
=
=
フ
主
(東京)
1
5面
/王朝への「一里塚」/
高松塚胸ときめく語
りかけ[主要な古墳を順
に紹介]
「大和路は花見とハイカ
ーの歓声」「 1
2万人がく
り出す」「古代のロマン
求め学者も」
記事内容一部抜書: 0民
族の偉大な遺産“壁画古
墳”の発掘でわく飛鳥路
はこの春最高の人出で
大にぎわい∼∼高松塚
古墳には固・..・約千
人の見学者が殺到
わが村の”宝”じゃ/晶
松塚の壁画古墳/地元
のさまざまな受取り方
を追う/「保存に協力」
「観光化ご免 J0きょう
村民に説明/壁画古墳
への協力で/明日香村
4
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4
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【社説】飛鳥高松塚古墳
の保存と研究
【投書】<古墳を大切に
>(「見学はしばらく我
慢しよう」(54歳会社役
員)、「ゴルフ場拡張の犠
牲に」(38歳農協職員)、
「興味深まる星座の見
方」( 41 歳大学教授)、
「政府が熱意もって万全
図れ」( 56歳会社員)
【寄稿】長谷川誠(奈文
研美術工芸研究室長)仏
ま
教文化への移行まざ
ざ/壁画に帰化人集団
の息づき
壁画の顔料、分析に成功
八種類も使っていた/
保存へ手がかり
大和タ
イムス
1面
大和タ
イムス
l面
大和タ
イムス
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大和タ
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サンケ
イ
掲載面
不明
4
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朝刊
朝日
(東京)
3面
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朝刊
朝日
(東京)
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朝夕
不明
毎日
掲載面
不明
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朝夕
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掲載面
不明
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朝夕
不明
掲載面
不明
新名所に一万五千人(明
日香村)
【寄稿】上田正昭/飛鳥
文化の再発見/朝鮮渡
来の伝統息づく
古墳を包む”静かな熱気
”/高松塚のひのくまの
里見守る三千人/「ふん
いきだけでも」/”自
然の道”にカメラの列
【カラーグラフ】あでや
か飛鳥の姿/高松塚古
墳壁画[西壁女性群像の
カラーグラビア縦 31×
横3
8
.
5センチ]
【写真特集】ここに生残
っていた 古代/開発
破壊から第二、第三の”
高松塚”守れ/力ケラー
つでも貴重……慎重に
進められる調査
【連載】掘出された万
葉・高松塚古墳の時代
(1)吉野の誓い/繰返
された皇位争い
日経
(東京)
社会面
読売
読売
4
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朝刊
日経
(大阪)
掲載面
不明
4
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朝刊
日経
(東京)
22面
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4
朝刊
日経
(東京)
22面
明日香へ行楽ラッシュ
/あぜ道をゾロゾ口/
古墳遠巻き、即席ゼミも
/畑踏み荒らす”公害組
”
晶松塚古墳唯一の文献
発見/奈良市の玉井さ
ん秘蔵/元禄年間の山
陵調査絵図/徳川時代
村民崇敬の地/先祖に
深いつながり/「文武
陵」決定は役人の速断
熱心にスライド見守る
/初の村民説明会へ四
盲人
大人干三百子ども干円
/明日香の民宿値上げ
【連載】郷土の誇り『晶
松塚』(上)現地の情熱
/”国際級”の発掘/作
業に村ぐるみの協力
「きれいみごとな色彩」
「高松塚古墳カラースラ
イドで初公開」「会場に
どよめき」「千五百人酔
いしれる」明日香村聖徳
中学校にて/関連記事
「嫌われた文化財指定」
「県教委近く対策協議」
意外に親しかった?
高句麗/古代日本騎
馬装束が酷似/百済重
視説を洗い直し/騎馬
武人は早期に移住?
【社説】壁画古墳の発見
が示唆するもの
【連載】掘出された万葉
高松塚古墳の時代( 2)
今来の人たち/続々、亡
国の技術者
<レシーパー>陰の功
労クループ/明日香史
跡研究会/発掘陳情や
っと実る
壁画の大敵、黒カビ発
生/高松塚古墳/外気
で増殖の恐れ/急いで
保存対策
正倉院御物(金銀銅荘唐
大万)にそっくり/高松
塚の「耳たぶ状飾り板」
/豪華な副葬品の破片
/被葬者金色大万持つ
権力者?/棺に「水銀
朱」/貴人説さらに裏付
け[東京本社版=正倉院
御物とそっくり/宝相
華文を二個発見/被葬
者は大権力者の一人?]
【連載】飛鳥のいぶき
(上)緊密な文化交流/
大陸 朝鮮の色濃く/渡
来人、貴族が大和へ?
E
被葬者は大権力者の一
人?
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夕刊
朝日
(東京)
1面
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大和タ
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毎日
(東京)
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毎日
(東京)
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朝刊
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夕刊
読売
(東京)
14面
朝日
(東京)
1面
【連載】よみがえった壁
画
( 4)「四神」被葬者の
宇宙再現
【連載】郷土の誇り『両
松塚』(中)飛鳥人ふた
たび/発掘なれの村び
とも驚く/保存は村内
で
木棺に”飾り金具”/晶
松塚古墳/埋葬者解く
カギ
【連載】掘出された万
葉・高松塚古墳の時代
(3)しのびごと/葬礼
を政治に利用?
唐のものに近い/晶松
塚古墳/構造や男女の
配置/
【連載】よみがえった壁
画
(5・完)「密封」完全
保存を願う
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