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ブックレビュー
会員の本
の親驚聖人絵伝が伝えられることになったが、それらの掛幅絵伝の閃様も、
方式が定着し、今日までに一万数千点におよぶともいわれるおびただしい数
︵東本願寺︶をほとんど忠実に踏襲したものだったのである。覚如の絵伝の
覚如が康、水二年︵一三四三︶七四歳に至って制作した、いわゆる康永本伝絵
基本は日本の絵画史の一端に強い影響力を持ち、かっ、水い生命を保ちつづけ
覚如による親鴛聖人伝絵の制作は、あたかも一三 O O年前後に高僧絵伝が
たものといえるであろう。
一にしている。また、高僧の生涯を通じて主要な事蹟を段ごとに独立して述
新旧仏教の各宗派を問わず、堰を切ったように次々に制作された時代と軌を
べる方法、述べようとする内容の志向、さらにはそれを表現する図様の基本
などにおいても親驚絵伝は同時代の高僧絵伝と共通するものがあり、日本の
親鷲絵伝の研究は主に真宗の研究者によって詳細な研究が積み重ねられて
高僧絵伝、ひいては絵巻物を考える際にも重要なものといえるであろう。
いるが、絵阿史の側からの言及は意外に少ない。本書も各作品の詳細な掘り
下げは不十分であるが、まずは、一浩翰で入手の困難な﹁真宗重宝衆英﹄を
る手軽な文献が提供できたのではないかと考えている。
除けばーこれまで少なかった親驚絵伝の作品群とその歴史的展開を概観でき
著者・平田寛
発行所・九州大学出版会
発行年月日・二 O O一年二月一五日
小林達朗 東京国立博物館︶
発行所・至文堂
発行年月日・二 0 0 0年一一一月一五日
絵巻および掛幅形式で数多く制作された親樹鳥取土人絵伝の主要な作品を、時
親驚聖人の伝記絵巻は、親驚の曾孫・覚如︵一二七 O| 一 三 五 二 に よ っ
代を追いつつそれぞれの制作背景もあわせてその概要を紹介するものである。
て、鎌倉時代後期の永仁三年︵一二九五︶に初めて制作された。この初稿本
は早くに失われるが、覚如は生涯を通じてその初稿本を基本に伝絵を制作し
た。その覚如の伝絵を軸に、彼の存命中からはるか後世まで、数多くの親驚
聖人絵伝が生まれ、絵巻・掛幅という形式において、また内容構成や図様に
おいて、真宗教団の歴史的動向を背景に様々な展開がみられた。一方でしか
し、基本的には振幅の程度の差こそあれ、それらの多くの絵伝は覚如の創造
したものを軸とするものであったことも確かである。ことに室町時代の蓮如
﹁九州美術史年表
︵古代・中世篇︶﹂
執筆・編集・小林達朗
﹁絵巻 H親驚聖人絵伝﹂
日本の美術第四一五号
BOOK
REVIEW
以降、掛幅形式の定型的絵伝が本願寺から全国各地の真宗寺院に下付される
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ため、銘文と記録をあつめた編年史料。一二四六件の事項とその補足史料と
を中心に伝来してきた古渡りの着色仏画を対象としている。
そのなかで、近代以前、とりわけ中世の日本に舶載され今日まで各地の寺院
さまざまなジャンルにおよぶ文物が、集中して伝存している。この書物は、
日本には過去から現在に至るまで、一衣帯水の中国や朝鮮から舶載された
をおさめる。単色口絵八点、序一百三頁、索引三四頁と、本文および後書と参
仏教伝来からキリスト教伝来にいたる九州美術一 0 0 0年の歴史を考える
考文献あわせて八七二百円。著者がいま勤務する長崎純心大学の学術叢書4に
いた山水・人物の水墨画は、その代表的な一群で、室町時代の将軍家コレク
ない。馬遠・夏珪・梁椅などの南宋の宮廷画家や玉澗・牧諮などの画僧が描
古渡りと称される大陸からの舶載一同は、もとより仏両に限られたことでは
目的のひとつは、美術作品の制作年代を確定することにあるが、それにあ
あたるが、かつて勤務した九州大学文学部での調査と研究の集成。
わせて、あたらしい美術史観をたてるため、美術の複合性における社会と文
中国︵唐︶を表象する有力な一部とみなされてきた朝鮮で制作された高麗仏
一括りにされ、唐絵の代名詞とされてきているが、そのなかには、伝統的に
両も含まれている。日本の宋元仏画という言葉は、このような歴史的背景を
ションを形成したものも多い。こうした舶載画は、しばしば、宋元耐として
その複合するものを統一して形となった美術は、しかし本来は無戸のもの。
もっ宋元画、あるいは唐絵のなかの一翼を担ってきた仏画をさしている。
化との関連を考える視野と視点をさだめることにある。或る年代に九州で何
九州美術一 0 0 0年といっても、それは沈黙のなかにある。見るべきものは、
を制作し、何を望んでいたか、どう心と技は複合したかを知りたい。
その無声の形である。したがって、本書も見ることのための第一歩にすぎぬ。
本という身体性の内部で規範とされてきた仏両といってもよい。
長崎純心大学︶
第一輩、﹃君ム円観左右帳記﹄のなかの仏画師たち
はじめに米元仏画とは
のご叱正を仰ぎたい次第である。本主自の構成は、下記のとおりである。
ちにもっと関心を払っていただきたいというのが素直な動機でもある。大方
五O幅、宋一万仏両は五 O O幅に近い。この魅力あふれる異国の過去の証人た
谷の具体相も、自ずと解明されていくと考えている。管見で、高麗仏画は一
両が組わされてきた規範性の検証ゃ、日本の中世仏画における宋一応仏両の受
導かれることになった。彼らの素性が明らかになれば、日本において宋元仏
いう、ごくあたりまえの視点から側々の作品の素性を明らかにする作業へと
のような自己反省にも近い思いから、いっ、どこで、だれが、何のためにと
には、もっと多様でダイナミ yクな歴史が層をなしているのではないか。そ
作品の誕生から今Hまでの生涯は、人々の日常の活動と無縁ではなく、そこ
分けることで、そこに固定的な見方を張り付けてきたのではないか。個々の
これまでの語りは、ややもすれば個々の作例を、中国・朝鮮− H本に振り
再解釈する作業、それがこの書物の目的と内容である。
無声の一証一一首に耳を傾けながら、個キを本米の文化的・社会的な文脈のなかで
朝鮮における過去の証人となっている。色と形によってよりなされる彼らの
古波りの宋一冗仏画は、同様の作例が旬同で失われてしまった現在、中国や
H
もちろんその見る働きのなかに知ることは複合しているのであるけれども。
九州美術一 0 0 0年の何がわかったか、それはもちろん大事であるが、何が
わからないかを自覚し、目ざすものをはっきりさせることが課題。
隅γ
臼なのか捨石なのか。それをきめるのは二一世紀九州における美術史研
究であろう。著者ののぞむところは踏石。いつの日か、より精微な九州美術
平出
編年史料の編まれることを希望している。いまはその希望を以て、調査に同
道した諸賢にたいする謝辞としたい。
日本の美術第四一八号
﹁日本の宋元仏画﹂
執筆・編集・井手誠之輔
発行所・至文堂
発行年月日?一 O O一年三月一五日
兎
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第二章、南宋の杭州仏画
第三章、寧波仏画
第四章、降臨する諸尊と東銭湖の四時水陸道場
第五章、元時代の仏画
コラム1、頂相の機能と像主の表象
おわりに宋元仏画の終駕?
コラム2、来迎図の諸相
コラム3、指定文化財の国籍と作品のアイデンティティ
付論高麗仏画の世界|宮廷周辺における願主と信仰|
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