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2006年 主の降誕・夜半のミサ説教,2007年 クリスマス・新年のメッセージ

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2006年 主の降誕・夜半のミサ説教,2007年 クリスマス・新年のメッセージ
2006年 主の降誕・夜半のミサ説教
2006年12月24日 22:00、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて
2006年のクリスマスを迎えました。「クリスマス」は一年中で最も多
くの方がミサに参加してくださる日です。信者でない方も多数来て
くださいます。大変うれしく有難いことです。クリスマスとは「キ
リストのミサ」という意味です。ミサはすべてキリストのミサで、
クリスマスだけがミサではありません。ミサは一年中ささげられて
います。そのミサのなかで今日のミサには最も多くの人が来てくだ
さいます。日本ではキリスト教徒は非常に少なく、全人口の1パー
セントに過ぎません。さらにそのなかでわたしたちはカトリック教
会に属しているものです。それなのに、クリスマスにはこのように
多くの方がミサに参加してくださいます。その理由はなんでしょう
か。
クリスマスはキリストの降誕を祝う祝祭、喜びのときです。それは
わたしたち一人ひとりの誕生を祝うことと深い関係があります。わ
たしたちは、キリストの降誕を祝いながらわたしたち一人ひとりの
誕生を喜び祝うのです。お互いにその存在といのちを大切にし、ま
た喜び祝うのがクリスマスです。神はわたしたちにかけがえのない
いのちを与えてくださいました。そのいのちを大切にしようという
ことで、喜びと勇気をいただく、それがクリスマスです。実にクリ
スマスは喜びのときです。クリスマスのミサの雰囲気は喜びです。
それで多くの人が魅かれてクリスマスのミサに来られるのではない
でしょうか。
さて、日本にキリスト教が伝えられたのは1549年、いまから457年
前のことです。キリストの福音を伝えたのは、聖フランシスコ・ザ
ビエルという人です。キリストの福音はまもなく多くの人に受け入
れられ、教会は急速に発展しました。しかし、間もなくキリスト教
は禁止されてしまいます。長い迫害と禁教の時代に入りました。明
治時代になってやっとキリシタン禁制の高札が撤去されました
(1873年)。それから130年以上がたちました。キリスト教は依然
として少数派の宗教にとどまっています。なぜでしょうか。わたし
どもはその理由を考えています。日本に来た宣教者は優れた立派な
方々でした。彼らの働きに問題があったからでしょうか?日本の社
会にはキリスト教を否定し受け入れない強い原因、何かがあるから
なのでしょうか?それはともかく、今年もクリスマスなら聖堂は一
杯です。実は今年はフランシスコ・ザビエル生誕500年の年なのです。
ザビエルは1506年に生まれました。彼がキリスト教を伝えてくれた
ので、いま多くの人がクリスマスを祝っています。そこでこの機会
に、キリスト教のメッセージを少しでも皆さんにわかっていただき
たいと考えます。
神が存在します。その神は愛です。これがキリスト教のメッセージ
の中心です。キリスト教は2000年の間ずっと同じこと、このメッセー
ジを伝えてきました。神はわたしたちを愛してくださいます。旧約
時代を通して神はいろいろな人を通してご自分の心、愛をお伝えに
なりました。でも、どうもよく通じない!そこで人となった神であ
るキリストをお遣わしになりました。キリストは人となられた神で
す。神が人であればこう生きたであろうという生き方を完全に実現
された方です。神は人間となり、人間の心で人を愛し、人間への愛
を伝えました。誰かを愛する者はその相手のそばにいることを望み
ます。喜び、苦しみ、悲しみ、楽しみを共にしたいと望みます。神
は人となって、しかも貧しく無力な幼子となってわたしたちのもと
へ来られました。そしてわたしたちを人間の心で愛し、人間の心で
愛を表し伝えられました。
いま祭壇の前に幼子イエスがいます。もちろんこれは像にすぎませ
んが。この幼子が人となった神であるとは信じがたいことでしょう。
幼子は無力です。この無力な存在が全知全能の神であるとは信じが
たいことです。でもここに神の愛があります。神は愛。神の愛は人
の苦しみを担う愛です。人生は苦しみで一杯です。神は人となられ
てわたしたちの苦しみを背負ってくださいました。その頂点が十字
架です。ここに神の愛があります。神は愛。そしてザビエル生誕500
周年。今日はこの二つのことをお土産として、持ち帰っていただき
たいと思います。
2007年 クリスマス・新年のメッセージ
カトリック東京教区のすべての皆さんに主の降誕と新年のお慶びを
申し上げます。
2007年は東京カテドラル大改修の年であります。カテドラルと
共にわたしたち東京教区の信者も新しく生まれ変わらなければなら
ない、という思いがわたくしの心に強く働いています。わたくしは
ヨハネ・パウロ二世教皇が宣言された2000年の大聖年の心を持っ
てこの年を過ごしささげたいと思います。
一.神との平和
復活された主イエスは弟子たちに現れ「あなたがたに平和があるよ
うに」(ヨハネ20・19)
と言われ、聖霊をお与えになりました。同
じ聖霊をわたしたちは受けて、罪のゆるしを受け、神との和解 をし、
神との平和の恵みをいただくことができます。この年、典礼を特に
大切にし、またよく祈るように務めましょう。あらためてこの機会
にゆるしの秘跡について学びその恵みに与るようお勧めします。ま
た神の愛について黙想してください。そのためにも、ベネディクト
十六世教皇の回勅『神は愛』の学びと分かち合いをしてください。
二.隣人との平和
神への愛は隣人への愛と切り離すことはがきません。「目に見える
兄弟を愛さない者は、見えない神を愛することができません。」
(一ヨハネ4・20)
神との平和は隣人との平和として実を結びます。
近くの隣人、遠くの隣人とともに、兄弟としてゆるし合う喜びを味
わう年となりますよう切に願っています。
三.自然との平和
現在の人類の大きな問題のひとつは自然破壊です。わたしたち人類
は自然とのつながり、自然の恵みのなかで生存していることにもっ
とわたしたちは注意を向けるべきです。神はこの世界を創造し、そ
の中に人間を置きました。自然との共生と調和の中で人は神の創造
のみ業のすばらしさを賛美し、自然とのつながりの中で自分が生か
されていることを知り感謝するのです。
四.自分との平和
誰にとっても自分自身が最も近い隣人です。わたしたちは自分を受
け入れ自分を正しく愛することを学ばなければなりません。
この「 神との平和
平和
地
隣人との平和
自然との平和
自分との
を祈り求めつつ希望をもって「 新しい天と新しい
(黙21・1)へ向かって共に歩んでまいりましょう。2007年が
皆さんにとって本当に、平和と希望の年となりますように!
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