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第39号 - 多賀工業会 千葉県支部

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第39号 - 多賀工業会 千葉県支部
多賀工業会千葉県支部会報
1‖
l‖
‖茨城大学工 学部 ‖ ‖‖
‖ 39張
第 3 5 回総 会
平 成 2 0 年 度 前 期 [ 4 月 よ りの 行 事 一 覧表 ]
支 部 長挨 拶 、 平成 2 0 年度 総 会 案 内 ・ ・ ・ ・ 2 頁
5 月2 4 日 ( 上) 1 2 時 よ り 於 松 戸/ 伊勢 丹
総会 資料
議案 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 3頁
報告
追悼
寄
決 算 報 告 ・予 算 案 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 4 頂
新 年 会 の 報 告 、 史跡 ・万 歩 会 の 報 告 ・ ・ ・ 5 頁
故 佐 藤 栄 一 氏 の 逝 去 を障 む ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 6 百
稿
囲碁
伊卜を可
・・・・ 7夏
た だ 、 ひ たす ら歩 こ う 1 ( 3 ) ・
シ ンガ ポ ー ル 見 聞 記 ( 1 ) ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 1 1 頁
支部長
lll
チ 1‖
檜
山 邦良
幹事長
大
和
会 計 令事 穂 坂
副 支 将長 高 橋
副支部長 高 橋
幹 事
三
幣
車
穂坂
囲碁会報告 と今後 の予定 ・・・・・・・・ 15頁 囲碁 会 長
17:00
第 39回 4月 30日 (水)9:00∼
冨1 会長
( 於) 船 橋 市 中央 公 民館
第40回 7月 下旬 (詳 細未 定)
平成 1 9 年後 期 俳 句 コ ン クー ル 発 表 ・ ・ ・ 1 6 頁 俳 句 会 長
1 青梅 ・初観 音」 ・・・・・・・・・・・ 1 7 頁 副 会 長
平 成 1 9 年前 期 俳 句 募 集
兼 題 : 鯉 峨 、 麦 、新 緑
締切 日 :5月 17日
国武 義
邦光
清
清
正人
邦光
佐 藤 隆義
穂 坂 邦光
塚 越 要夫
芝 山 佑芳
史跡 ・万 歩 会 史 跡 ・万 歩 会 長 高 橋 清
平 成 2 0 年 6 月 3 ∼ 6 日 ( いず れ か 1 日 、 4 月 中 旬 に 決 定 )
第 63回
旅 行 会 社 に よ る バ ス 旅 行 で す 。 会 報 3 9 号に 同 封 の は が き の ア ン ケ ー ト
で 、 万 歩 会 バ ス ハ イ ク欄 に○ 印 を付 け られ た方 に は 案 内 を差 し上 げ ま す 。
第 64回
行 程 約 5km
平 成 2 0 年7 月2 6 日 ( 土) J R 内 房 線 佐 貫 町 駅 1 0 時 1 0 分集 合
( 千葉 駅 発 8 時 5 8 分館 山行 に 乗 車 して くだ さ い 。 )
佐 貫 町 駅 → 東 京 湾 観 音 ( 昼食 、拝 観 ) → 佐 員 町 駅
第 65回
行 程 約 6km
平 成 20年 9月 27日 (土) JR山
手 線 目黒 駅 東 口 1 0 時 3 0 分 集 合
→
目黒 駅 国 立 科 学 博 物 館 附 属 自然 教 育 園 → 庭 園 美 術 館 ( イベ ン トあ り)
( 注) 6 5 歳 以 上 入場 無 料 ( 年齢 を証 明で き る運転免 許 証 な どを持 参 下 さい。 )
第66回
行程約6km
1 3 分乗 車)
平成 2 0 年1 1 月3 0 日 ( 日) 」R 内房 線 木 更津駅 1 0 時集 合 ( 千葉 発 9 H 寺
→
木 更 津 駅 上 総 亀 山 駅 ( J R 久留 里 線 ) → 東 大 演 習 林 ( 紅業 見 物 )
上 総 亀 山 駅 ( 1 6 時0 1 分 発 ) → 木 更 津 駅 ( 1 7 時0 5 分 着 )
ゴル フ 会
l ゴ ル フ 同好 会 の 今 後 の 予
4 月 1 4 日 ( 月) 万 木城 C C 9 1 0 0 集合
7 月 1 1 日 ( 金) ( 詳 細 未 定 )
1 0 月1 7 日 ( 金) あ や め 会 合 同 ( 言 羊紳
1 8 頁 l ゴル フ会 長 綿 引 貞 男
会長 高 萩 隆司
1副
ご挨拶
支部長 槽 山邦良
l
I
工殊
田報
くあ りません。出席率 は、せ めて案 内発送数 の一割弱 の 50人 位 は集めたい ところ
です が低迷 か ら脱 しきれず、運営を掌 るもの として失格者 であると痛感 しています。
事業は成功裡 に 。・」 と記 しま したが、 これは小成 と心得て、 これにすん
冒頭、 「
じてはいません。もつ と良い評価 が得 られるよう工夫 しなければな りません。皆様
には多数事業 に参画願 い、発展へ導いていただくことを切望 して止 み ません。
さて、今年度 の当支部総会 と懇親会は、下記 の とお り開催 いた します。ご多忙 と
は存 じますが、何卒 ご臨席賜 ります よ うお願 いいた します。挨拶 かたがた総会 ほか
行事 の ご案内を申 し上げます③
同封 のはが きで、出欠 の返事を 5月 7日 までにお願 い致 します。
第 35回
房
口巧 ″
深 緑 の候 、皆様 には ご健 勝 にて ご活躍 の こ ととお 喜 び 申 し上 げま
す。昨年度 は会報発行 は じめ 、支部事業 は概 ね 成功裡 に終 わ りま し
た。これ は48 に
皆様 か らの ご支援 の 賜物 と、厚 く御 礼 申 し上 げ ます。
支部長 2期 目の総会 を迎 え るに 当た り、いつ も脳 裏 に浮 かぶ の は 、
支部 の 盛衰 を示す総会 出席者 の数 です。これ を支部運 営 の総合評価
と受 け止 めれ ば 、残 念 なが ら総会 出席者 は低減傾 向にあ り成績 は 良
Ⅳ彩
V技
Ⅵ会
Vll専
千葉 県 支 部 総 会 ・懇 親 会 開催 の ご案 内
日時 平 成 20年 5月 24日 (土)
12時 00分 ∼ 16時 00分
場所 伊 勢 丹本館 11階 バ ンケ ッ トル ー ム
(松戸駅西 日か ら徒 歩 5分 、右 図参 照)
会費 8,000円
(懇親 会 出席者 の み)
2弓
3号
ス ケ ジ ュー ル
12:00(20分
11:40∼
(1)受 付
)
12i50(50分
(2)総 会
12:00∼
)
13:40(40分
(3)講 演会 13:00∼
)
講 師 :高 橋 清 氏 (昭 35学 金)
n
戸 定邸 (国指 定重 要 文化 財 )見 学会
日 時
総 会 の 日の総会 開催 前 1 0 : 3 0 ∼ 1 1 : 5 0
集合場所 松 戸駅東 日 1 0 : 3 0 駅 か ら案 内 します。
見 所
水 戸藩最 後 の 藩 主 徳川 昭武 の別邸 と戸定歴 史館
歩 程
松 戸駅東 日か ら約 1 5 分
入館 料 2 4 0 円 ( 団体 2 0 0 円 )
□
会場 :伊 勢丹
至 上 野 同日V
演題 :『
熱間自動高速鍛造について』
(4)記念撮影 13:50∼ 14:00(10分 )
(5)懇親会 14:00∼ 16:00(2時 間)
I
い
V
V
4号
5号
第 35回 総 会資料
良
1 号 議案 平 成 1 9 年 度 ( 平成 1 9 年 3 月 1 日 ∼平成 2 0 年 2 月 2 9 日 ) 事業報告
I 第 3 4 回 総 会 : 平 成 1 9 年 5 月 2 6 日 ( 上) 「サ ンブ ラザ市 原 J で 開1 桂した 。
多賀 工 業会会長 寺 門 先生 の講演 を頂 い たし
工本部理 事会 : 平成 1 9 年 6 月 6 日 ( 水) に開催 され 、檜 山支部 長 出席。
田 幹事 会 ( * 印 は会 報 発送 作業 を兼 ね た)
1 1 日 ) 4 月 8 日 * , 5 月 1 3 1 ヨ, , 9 月 9 日 , 1 0 月 1 4 日 , 1 1 月 1 0 日 * , H
ろ
3月
1月 6日 ,2月 10日 っ
す。
20年
ユ ー トピア笠 森 J の 送迎
ん Ⅳ 新 年会 : 平 成 2 0 年 1 月 6 口 朝 五井駅集合 で 保養所 「
ス利 用 で 保養 所 に行 き、保養所周 辺 の 展望 台 な どを散策 後 、保 養所
様
バ
で 新年会 を開催。 会友 を含 め 2 7 名 参加 。
部 交流 : 東 京( 1 0 月) 埼玉 ( 4 月) 水戸勝 円( 6 月) 静岡( 6 月) 日立( 6 月 )
と V支
か Ⅵ 会報 : 3 7 号 4 月 発行 、3 8 号 1 1 月 発行
Ⅶ 事業報告 t ( 1 ) 俳句 会 : 公報 3 7 号 3 8 号 で投稿頂 い た作辞3 の発表 、表彰 を した 。
( 2 ) 囲碁 の 会 : 第 3 5 回 か ら第 3 8 回 まで開催 した。 他 支部 会員や 会
友 t ) 参加 して賑や か に 開催 で きた。
( 3 ) 史跡 万歩 会 : 5 6 回 か ら 6 1 回 まで 開催 した。 5 8 回 は 日帰 リバ ス
で俳句 吟行 会 を兼ね 、越 後湯 沢 まで脚 を伸 ば した。
( 4 ) ゴル フの 会 i 4 支 部 対抗 も含 めて 4 回 コ ンペ を開催 した。
6 月 開催 の 4 支 部対抗親 善 ゴル フ会 で は 、千葉 県支部
が優 勝 した。
2 号 議 案 平 成 1 9 年 度 決算報 告及 び会 計監査報告 承 認 依頼 の件
3 号 議 案 平 成 2 0 イl i 度
( 平成 2 0 年 3 月 1 日 k り `
成 2 1 年二2 月 2 8 日 )
│二
:
業
申 計画( 案)
I 第 3 5 回 総会 : 平 成 2 0 年 5 月 2 4 1 1 ( 上)
伊 勢 丹松 戸 店 1 1 陣, バンケ ッ トル ー ム にて
H 本 部理事 会 i 支 部長 出席
I I I 幹事会 : 3 月 9 日 、4 月 1 2 日 * 、 5 月 1 1 日 、9 月 1 4 日 、 1 0 月 1 2 日 、
1 1 月 9 日 * 、 平成 2 1 年 1 月 1 0 日 、 2 月 8 口 開催 予定。
( * 印 は会 報発送予 定 日)
Ⅳ 新年会 : 平 成 2 1 年 1 月 1 0 日 ( 土) 開催 予 定
V 支 部 交流 : 関 係 支部 総会や 支部 間各種行事 に積 極 的 に参加
Ⅵ 事 業活動 : ( 1 ) 俳句 会 ( 2 ) 囲碁会 ( 3 ) 史跡 万歩会 ( 4 ) ゴル フ 会
4 号 議 案 平 成 1 9 年 度 予算 策 承 認 依頼 の 件
5 号 議 案 そ の他
資料一 I 平 成 19年 度 決算および会計監査
(円)
支出の部
収人の部
科目
予算
実績
備考
予算
科 目
総会費収入
390,000
( 実績 内訳 )
X 2 7 人 総会費
256)000 8 , 0 0 0 円
新年会費収入
230、000
189,000 7,000円 X2'人
実績
備考
(実績内訳 )
390,000
192,395 継会直接費
230.000
055
率騎費
30“
lS6 880 新年会直接費 153.120
0000円X4人
新年会費
162,340
準備受
会報制作鎖 1307賦
本部助 成金
150、000
1451500
年会費収入
400,000
392,000 2,000X円 196El 通信連絡誤 130,00C
800 会報第37号
53,550
会報第38号
68,250
129,710 喜皆継 暮半
105,440
払込手数料他
20卜000
20,981 20,000弱 (会友
寄付金)
事業費
901000
会議費
1301000
交流費
60 000
事務 ・雑襲
60,000
郵震料
︵︶
雑収入
17(680
6,590
俸句48,660囲 碁 581899
平
20ケ
金
顧膚
(わ
│
した
l 1滑
7
閉会
万歩12,544ゴ ルフ16,000
981円 (利子)
前年度繰越金
570、315
570 315
彰 億 密
計
1,760,315
1573、796
計
繰遂金
内訳
490 315
103.847
56,430 埼玉 11マ
240水戸勝田 16,000
240 東 京10,000
9″
静岡ヽ
30,732
645 849
1,760,315 1,573,796
郵便貯金
645“349
現食
監査 の結 果誤 りな い と認め ます 。
平成20年 3月 2日
監
事路 い
1 差輝│☆
│
■! 1 1 ‐
―
藍
事察嶺点
脅=‐
■‐
資料 一 E 平 成 20年 度予算 案
(円)
収入の部
科目
前年度繰越金
総会費収入
新年会費収入
本部助成金
年会費収入
雑収入
前年実績
予算
645,849
256 000 3201000
189 000 240.000
145,500 141 000
3924000 400,000
20,981 21 000
支出の部
備考
科霞
総会費
新年会費
会議製作鎖
通信連絡寡
事業費
会議費
交流費
事務 ・維寡
手横 書
計
1,573479て 1,767、
349
計
前年葉線
予算
192,395 320、000
156.380 240,000
121.800 130【000
129,710 130 000
136t103 140 000
103,347 1 0 0 , 0 0 0
56ン480
60 000
30、732
30,000
645,349 617【849
lr573,796 1.767,849
備考
錘
園 (タ
途中
散策
錘
の送
初誰
た洗
錘
」R
薬師
翔'ブ
斗
平成 20年 新年会 の報告
副支部長 高 橋 清
平成 2 0 年 の 新年 会 は 1 月 6 日 ( 日) ユ ー トビア 笠森 にて 、参 加者 2 7 名 ( 会員
2 0 名 、会友 7 名 ) で 、 万歩 会 の 後 、 1 3 時 3 0 分 よ り行 い ま した。
金坂 氏 ( 4 7 学電 ) の 司会 に よ り檜 山支部長 お よび主造 会友代 表 の ご挨拶 と原 田
顧 間 の 千葉 県支部 へ の 思 いの 籠 ( ) った 乾杯 の 音頭 で 始 ま りま した。途 中、同好会
( 俳句会 、四碁会 、 ゴル フ会 、 史跡 ・万歩会) の 活動報告や計画 の発 表 が あ りま
した。今 回 は金坂 氏 の お 骨 折 りに よ り多賀 高専校 歌 、茨城 大学校 歌 , 呼L 洋寮寮歌 、
‖
し
子
洋 寮逍 逢歌 の 伴 奏 を収 録 され た C D を 利 用 し全 員声 高 らか に 合 唱 し盛 況裡 に
閉会 とな りま した。
原 田顧 問 の 乾杯 !
新年 会 で の 勢 揃 い
史跡 ・万歩会活動報告
高1支部 長 兼 史跡 万 歩 会 長 高 橋 清
第 60回 平 成 19年 11月 24日 (土)天 候 に恵 まれ 」R本 千葉駅 に 11名 が揃 い亥鼻公
園 (郷土博物館)、県 立青葉 の森 公 園 (県立博物館)、京成千葉寺駅 まで歩 きま したて
,
途 中、千葉大医学部付属病院 を経て青葉 の森公 園 にて昼食、生態園 、花博記念 園な どを
散策、当 日は楓 も色付 き素敵な万歩会 とな りま した。
第 61回 平 成 20年 1月 6日 (日)」 R内 房線 工 井駅 に 27名 が集 ま リユ ー トビア笠 森
の送迎バ スにて笠森観音 まで行 きま したが 人出が多 くバ スの停車できる所 が近 くにな く
し十 九 里方面、東京湾、千葉方面 を展望 し
初話 を断念 し、新年会会場近 くの展望台か らサ
たあ と裏山の 開発中の公園を散策 、栴檀 の実が黄色 く熟れて補麗で した。
第 62回 予定 平 成 20年 3月 29日 (上)JR中 野駅 10時 30分 集合
JR中 野駅 を出て参道 (あい ロー ド)を 新井栗師 まで歩 き参拝 します.休 憩後西武新井
栗師駅 を経て哲学 生公 園 まで行 き昼 食、哲学 の道 、撰 の広場 、 4大 聖人像 な ど散策後 、
―
勲予
)1環勢市用民にサ
需り角卒背々としi長l.
序D
故佐藤栄 一 氏 の逝去 を悼む
高1支部 長 兼 史跡 。万歩 会 会長 高 橋 清
一
多賀 工 業会 千葉 県支部 幹事 佐 藤 栄 氏 が 1 月 6 日 逝 去い た
しま した。
天命 とは言 え新年 会 の 翌 日に突然 の 言卜
報 に接 し、 ただ 呆然 とす
るばか りで したし ご遺族 の 心 中を察す る と余 りあ る もの が あ り
ます 。ここに謹 ん で ご冥福 をお祈 りす るよ り致 し方 あ りませ ん。
氏 は千葉 県支部 の 名簿管理 、 史跡 。万 歩会 の 部1 会長 と して 活
躍 され 「
縁 の 下 の 力持 ち」 の よ うな人で した。 昨年 1 1 月 1 0 日 役 員会 ( 会報 3 8
号 の 発送 作業) で お 会 い したのが 最 後 の 出会 い とな りま した。 名簿管理 で は会 費
納 入状 況 を区分 され 会報 発送 が 円滑 に 出来 る よ うに改善 され ま したっ 史跡 。万歩
会 で は 何 時 も最 後尾 で 歩 き全員 の安否 を気付 か って 下 さい ま した。 この よ うに支
部 の 運 営 、同好 会 の 発展 に意 を尽 くされ ま した。支部 に とって年令 も若 く これ か
らの活 躍 が 期待 で き る逸材 を無 く した こ とは痛恨 の極 み で あ ります 。
氏 との 想 い 出 は昭和 3 4 年 「
と
子
洋 寮 に私 の 対面 の 部屋 に入 寮 され た の が 初 対面 で
氏 の 実直 で 真 面 目な│ と格 を知 る こ ととな りま した。氏が千 葉 県支部 に参加 され た
の は平成 1 4 年 の鹿 島 、香 取 を巡 る バ スハ イ クの 時 か らで 、以 来 史跡 ・万歩会 の
行 事 に参画 され 平成 1 5 年 の 総会 で 史跡 。万歩 会副会 長 にな られ 、皆 で 歩 い た 後
いつ も有 志 で 反 省会 をや る所 を探 し参加 者 の 労 をね ざ ら う心配 りが 嬉 しか った 。
氏 の 突然 び) 死に対 して 何 も してやれ なか っ た こ とが悔や まれ て な りませ ん. せ め
て死 因 の 動 脈 嬉 は治せ な い病 な の か 知 りた い と私 の 友 人 で 2 回 の 大 手術 をや り
少早期 に発 見出来れ ば 治 せ る病 気 で あ る との ことぅ定
回復 した 経験 の 話 を聞 い た に
期健 康 診断 の レン トゲ ン写真 で心臓 付近 に影 が あ り発 見 で きた の だそ うで す。
) 、まだ小 学校 の パ ソコ ン教 室 、 千葉 県支部 で の 活躍 な ど思 い
故 人 の こ とだか に
残 す事 が あ っ た だ ろ うと祭 す る と無念 だ っ た と思 い ます . 故 人 の 千葉 県支部 の 役
告」を残 され た 皆 で分担 し更 に飛 躍す る事 を誓 い 、安 らか に お 休み くだ さる よ う
お 祈 り中 し上 げ ます .
合 掌
ヲ
はE
!
てし
ドエ
犬、
け巧
ど
ハワ
L
ツを
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明二
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報
昭
昭
昭
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20専
28学
28学
37学
原
原
金
電
斉
吉
飯
佐
藤
田
田
藤
勝夫 平
一
栄
平
弘
平
一
栄
平
成
成
成
成
19年
17年
19年
20年
5月 17日 逝去
10月 28日 逝 去
6月 逝去
1月 6日 逝去
謹 ん で 御 冥 福 をお祈 り中 し上 げ ます 。
縛
つ芳
に待
L
イー
日
少 し
土同
ただ、ひたす らに歩こう !
(その 3)
幹 事 ・元 千葉 県支部長
三
幣 正人
た
す
り
ヤ
舌
38
費
歩
支
か
で
た
の
後
め
)り
定
い
つ
布
伎 ,
モ ン ゴ ロ イ ド」 ( 黄色 人) は 、 中国 を横 断 して 一 部
た 「
東南 ア ジア か ら北 上 t ン
は 日本 へ 、 また更 に北上 、 シベ リア を経 由 して 一部 は 日本 に 来 た。
東南 ア ジアか , ) 別のモ ン ゴ r コイ ドは ニ ュ ー カ レ ドエ ア 方面 に カ ヌー で 渡航 し
ていた。 そ の 末 えいが 、約 5 0 0 0 年 前 に製造 した と思 われ る 土器が 、 ニ ュー カ レ
ドエ アび) ラ ビタか ら発掘 さメt た, こ の ラ ビ タ人は 小舟 に 、タ ロ芋 、植 物 の 苗、豚 、
大 、鶏 を積 み込 ん で海 洋 を凶 方八 方、限 な く突 き進 んだ。 お よそ 5 0 0 0 年 近 くか
ホ リネ シア J と 呼ぶ 諸島 に進 出 して定 任 し 「
け現在 「
ポ リネシア J 人 と呼 ばれ る( ナ
ー
ニ
ュ
ジラ ン ド、 ア メ リカン ・サ モ ア 、ト ンガ 、
因 に 、 ホ リネ シア 祥 島 とは 、
ハ ワイ 、 ウエ ス タン ・サモ ア 、 フ ィー ジー 、 タヒチ 、マ ー ケサ ス諸 島 を指 す 。
古代 ハ ワイは、 この ホ リネシア人が 最 後 ( A D 5 0 0 年頃) に 発見定着 した。 ル ー
ツ を探 って い けば 陸地 を進 んだか 海洋 を選 ん だか で の違 い で縄 文 人、ハ ワイ 人 と
呼 ばれ よ うにな るが 、元来 は モ ン ゴ ロイ ド ( 黄色 人種 ) だ .
ハ ワイ誌 島 ( マウイ、 カホオ ラブエ 、 ハ ワィ 、 カ ゥア イ 、 ニ イハ ウ、 オ ア フ 、
モ ロカイ 、 ラナ イ の 8 島 ) で は 、 ポ リネ シアの 古代 の伝 統 を引 き継 ぎ、噴 火 で 溢
れ 出 た扇 状形 の 溶岩 を切 り開 い た水 田で タ ロイ モ を栽培 、 自給 自足 して い た。
そ して 、各 島 はそれ ぞれ 「
部族長J が 統治 していた。 ただ 「
身 分差別 」 の 制度
一
で支配す る社会 だった とい うか ら驚 きだ3 諸 島は唯 つ の 国 工 ( ア リイ 。ヌ イ)
と貴族 階級 ( ア リイ) が 支配階級 で 、市民階級 ( マカア イナナ ・土地 を耕 十 人)
更 にそ の 下に奴隷 階級 ( カウア ) か ら成 り立 っ て い た。 何時 か ら組 織 的イ ジメ,
非 人間的 な制度 が 導入 され た の か.
日本 の徳 川時代 は身 分差別制度 の 社会 で あ った。普通 知 って い る 比農 工 商 はホ
ンの一 部 で 、 上よ り上 の身 分、商 r k り下 の身 分 t ) あるc 本 人は兎に 角 、末代 永劫
まで生 まれ なが らに 自由を拘 束す る 「
掟 J だ . 明 治政府 は廃 止 したが 運営 上の誤
算 かあ り実際 に 開放 され た ブ) は敗 戦後 だ. だ が 現在 で ( ) 制度 の 歪み は残存 し、「
法
の下 の 平等」 が 憲 法 1 4 条 に うた つて あ る。
秋 の喋新 平 民 と墓誌 にあ り
新 平民異 国居酒屋嫡 ざま し
[シ ンガポ ー ル ロ本 人臭地 にて]
観 光 ガイ ドブ ックは 南 夏 の楽 園 と して ハ ワイ を紹 介 して い る.新 婚 の 男 女が 真
っ赤 に燃 えた 青空 が オ レン ジ色 か ら深 い紫色 へ と少 しず つ 変化 し、南 の 澄 んだ空
に鮮や か に輝 く星 を見 つ めてい る.ま た 、黄昏 の ワ イキキ の 浜 j辺か ら夕映 え の ダ
イ モ ン ド ・ヘ ッ ドの 荘厳 さを映 しだ して い る,
日本語 を喋 り 日本 的 な 食事 を し、 「
日本 の メデ ィアに接 し、 日本 で生 活す るの と
少 しも変わ らな い か ら外 国 に来 たん だ と身 構 え る ことは な い。
7
風鈴 や ニ ホ ンそ ば屋 の レジの 上
原 色 の 花 をつづ りし暦 買 う
“
ル
` 冬' だ
南夏 の ハ ワイ とぃ ぇ ど t ) 、1 2 月 は矢 張 り季節 は
とい う。 ホ ノルル
シ
ツで
い
つ
空港 は 、開襟 ャ
充分 、温 か とい うよ り暑 か った。
なん とマ ア華 氏 88° の 十 二 月
冬 の 言孫 の名 呼 べ リエ ア ー ポ ー ト
半袖 の サ ン タが笑 う椅子 の浜
町 にでて ソ ッ ト捨 てた る懐炉 か な
近年 、 日本 人は年 間 1,500万 人以上 が海外 に出 る。 そ の 10%、 150万 人位 が 常
夏 の ハ ワイにや って くる とい う。そ の数 は米 国本 土か らや つ て くるア メ リカ人 に
“
"は
次 い で 、 日本 人は 2位 。 だ が ホ ノルル ・マ ラ ソン
日本 人 が 一 番多 い。
冷奴 つ まみ つ 望む 古戦場
人途絶 え神 の 戻 りし波 しず か
憂 いつ つ 湾 見渡 せ ば仏桑華
プ レー トテ ク トエ ク ス の 理 論 に よれ ば ハ ワイ 諸 島 は 東 太 平洋 海 嶺 か らマ グマ
が 唄 き出 して冷却 した太 平洋 プ レー トの地殻 の 上 にあ る。オア フ 島 の ダイ アモ ン
ド ・ヘ ッ ドは 、規模 は小 さい が大 山 の ク レー ター だ。 そ して 、 3 億 年前 、一 つ の
超 大陸 ( パン ゲア) だ っ た地球 が 移動 を開始 した。 山 は火 を噴 く、地 は動 く状態
で 1 年 間約 1 0 c m 太 平洋海 構 に向か って休 まず にユ ック リ、 ユ ック リと画に面 に
と移動 して い る。
1 0 年 で l m 、 1 万 年 に 1 , 0 0 0 m 、 1 億 年 に 1 , 0 0 0 k m 気の長 い 話 だ 5 - 6 億 年後 に
は 日本列 島 の東側 にブ ツか る こ とにな る。
たこ
ク
クサ
るし
ノ
火ズ
たカ
まヒ
リ
先日
ビ ラ
い α
人妊
生き
実L
妄
ラ
北
バ 思
全 従
寄 橿 賃 メノ
'オ
東 は ダイ アモ ン ド・ヘ ッ ドを望 む カ ビ ラ
ニ公 園 、南 は太 平洋 、北 と画を包む よ うな ア
ラ ワイ 運 河 に 囲 まれ て ワイ キ キの浜 か あ る。
先 住 民 達 が タ ロ芋 を耕 作 して い た 田園 を埋
めた 人 工 の ビー チだ。ア ラ フイ運河 を越 える
とホ ノル ル 州 ア ラモ アナ公 園 だ。このア ラモ
アナ 公 園 が ホ ノルル ・マ ラ ソンの 出発 点 だ。
午 前 3 時 半、未 だ 真 つ暗 闇 だ。 だが 、少 し
も寒 くな いc 海 岸通 りをバ ス が頻繁 に行 き交
っ て何処 か らともな く人 を集 めて くる。
陰影 と雰 囲気 か ら男女 の 区別 は微 か につ くが 、年 寄 りな の か ? 若 い 人 な の か ?
何 処 の 国 の 人 か ? 全 然 見 当つ か な い 。
ス │
ことなげに冬の星座はねむ りをり
ル
ス ター トは 、午前 5 時 3 0 分 。準備 体操 を始 め るグル ー ブ 、軽 く助 走す る人達 、
ピ ド をあげ本 気 で走 る人 、静 か ら動 とな るが、全てが無言 の うちに行 われ る。
ス
` 職' ( ノ
`関
'を
の声
たまに
ボ リ) を ひ らめか して
挙 げ るの もあ る。
突然 ス ター ト地点 が 明 る くな る。市長 、牧 師、競技 の 役員 を乗せ た大型車 両 が
ク ッキ リ写 しだ され る。 3 万 人 を越 え る競技者 が 交錯 す るライ トに ヒヒメイ て い
るのが浮 かぶ 。 緊張 と御 神輿 を担 ぐよ うな一 種 の お祭 り気 分 もあ る。
常 に
マ ン の 態 に
4に
ン
卜?
健 闘 を祈 る牧 師や 冬 の黙
ア ラモ アナ 海 岸 で 突然 花火 が 揚 が っ た。 大 輪 の 花
“
"が
ク ッキ リ浮 き出 され
火 だ。 浜辺 の キ に な る木
たが微 動 だ に しな い 。 冬 の 星座 t ) 一瞬驚 い て 日を党
ま し、寝 ぼけ まな こを捺 っ て い る よ うに瞬 い た。
群 れ て まつ 静 か な闇に揚 げ花火
大輪 の 冬 の花火や海 に散 り
サ ア !出 陣 !
先 陣 をき って疾風 の 如 く飛 び 出 したのは 車椅 子 の 人達 だ。思 い 思 い に改 良 して ビ
ビ ッ トな色 彩 に仕 上 げた 車椅子 が 怒濤 の よ うに突進す るc烏 帽子 (エボ シ)ま が
いの格好 良 いヘ ル メ ッ トを着装 した 一 同 だ。
て
'、
人垣 か ら覗 い た ら肩 の 筋 肉は、 ム キ ・ム キ 筋 肉 マ ン
障害 なんて何 の そ の。
生 き抜 くゾ ォ !イ ジケや ヒガ ミなんて微 塵 もな いc真 の健康 は 、気 力 ・体 力 が 充
実 してい る こ とだ 。 工 体満 足で も気 力 ・体 力 を失 っ て い て は病 人だ。
冬 ぬ く し墨 一 色 の 動画 か な
ききなれ ぬ 言葉 ゆきか う冬 の浜
更に驚 い た の は 、 そ の 中に複 数 の 女性 が 混 じっ て い た。
バ ラモ ンの神 の 化身 か 、 ギ リシャ神話 の 女神 か神 々 しく映 つ た。 参加 者全 員 が
思わず祝福す る惜 しみ な い歓 声 と大 きな拍 手 に送 られ て 闇 の 中に消 えた。
闇 ふ か し肩盛 りあが る伎 芸天
静 寂 に包 まれ た 闇 の な か を マ ラ ソンの 人 達 が 続 く。
全 員 が 走 り終 わ るま で タ ップ リ 1 時 間近 くか か つ た 。そ の 後 を粛 々 と徒 歩 集 団 が
R
赳
ヽ
/
ソ 9
ラ
マ
尖兵 =『 車椅 子 』、本 陣 =
FU
従 う。
後方部隊=『 歩く人』
“
ル
“
ル
ミ トコ ン ドリア が 種 の保 存 の
様 相 は 、例 えれ ば 数 百万 の 酵 素十 D N A 十
任務 を果 たす べ く突進 す る 「
精子 」 の よ うにみ えた。
歩 い て 1 0 分 経 った ,
“
l k m 地″
R " の 保識 が あ っ た。 十代 の 頃 、2 0 k 目の武装 を して夜 間 の 強行 軍 を何
回 か 経験 した の を思 い 浮 か べ て この 調子 で いいの だな ! と 、 ホ ッ トした。
ア ラモ アナ 公園 か ら西 に向か うとア ロハ ・タワー が 、左 に 見えて くる。更 に直
進す れ ば ・ホ ノルル 国際空港 か ら 日本人街 、真 珠 湾 に向か う. 競 技 コー ス は 、 グ
ウン タ ウンの チ ャ イナ ・タ ウンに入 る。
近代 ハ ワイの 権 力 の 象 徴 「
州 政庁 」、 ハ ワイ立憲 王 朝 の 栄華 と悲 哀 を紡 彿 させ
iオ
るイ オ ラニ 宮殿 を右側 、左 に カ メハ メオ王 の銅 像 、直進 して 問 もな くカ ビ ラニ
Nat
つ′
た。
じ
Kra
の犯
し女
た
道路 に入 る。
1 8 3 9 年 、先住 民達 は ハ ワイ憲 法 を設 定 して立 憲 君主回 ・ハ ワイエ 回 を誕 生 させ
た。 そ の 初代 回 工 が カ メハ メハ 大 王で あ った.
経 済的地盤 を固 め るた め 、先ず特た の 白檀 を ヨー ロ ッパ に輸 出 した。 白檀 が 無 く
な る と ヨー ロ ンパ で t ) アメ リカ で t ) 渇望 され た砂 糖 きび を栽 培 、生産 、輸 出 しよ
うと した。
2
ヽヽ′
鳳梨 摘 む 塀 雨 にけむ る冬 の 畠
10
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家カ
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本に
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とて
人勢
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抑圧
人カ
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ヽ
/ イ
ヽ
程牙 〓ノ ヽ
ラ ヽ
ン
だ が砂 精 きび栽 培 に は 多 くの 労働 人 口 を老、
要 とす る。
ハ ワイ の 先住 民 は 3 0 万 人 とい われ ていたが 、 この 計画
時 に は 人 口は僅 か 5 万 人 ( 6 分 の 一 ) ま で に激減 して
しまった とい う.
ョー ロ ッ六 人が持 ち込 ん だ 疫病 ( 赤痢 、 コ レラ 、 ペ ス
ト等 の 細 菌性 の や
) の) の 免疫 力が な く感 染 、病 死 した
とい うブ) であ る。
現代 医学 の進 歩 は 著 しいこ
そ の 1 1 、抗 生物 質 に よる化学療 法 の進歩 で 、 コ レラ、腸 チブ ス、赤痢 、結核 菌 は
根絶 され たか の ( ようにみ え るが ドッコ イ、栗物 に 対抗 した スー 六― 病原 菌 が また
ゾ ロ定、
を吹 き返 して 、現在 問題 にな ってい る。 人間 には 、多様 なM H C が
あ って
病原 菌 か ら防 衛 す る シ カケが あ る ら しい が細 菌 だ って 種 を保 存す る。大袈裟 に い
えば根絶 され て は タマ ラサイ か ら菜物 か ら身 を護 る作戦 を取 る。だか に
) 、どん な
に 医療 が発 達 して も細 菌 の威 力は標 よ じい。
1 6 世 紀 の ヨー ロ ッパ でベ ス トが 呆れ夕
【わ っ て人 々 を恐れ させ た。そ の 後 ハ ワイ と
同 じよ うな ラテ ン ・ア メ リカ ( メキ シ コ、 コ ロ ン ビア 、ペ ル ー 、 ブ ラジル 、ベ ネ
ズエ ラ等) で ( ) 、植 民地 と して搾 取 した 白人が持 ち込 ん だ細 菌 に よる病 気で、先
住 民 の 人 口が 激 減 してい る。
先 住 民 の 減 少 を ア フ リカ黒 人奴隷 で 補 お うと して 黒 人奴 隷 売 買市 場 が設 け ら
れ たのは 、歴 史上 の 悲 しむ べ き事 実であ る
( つづ く)
る。
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アジアの Mini Dragon
シンガポール見聞記 (その 1)
Nat Steol(S illgapoI`
c) Operations Division Adviselヽ
穂 坂 邦 光 (昭 32学 金)
2 0 0 6 年 5 月 、M 重 ■I 業 ( 株) ( より、シ ンガ ボ ー ル で 唯 一 の 電 気 炉 製 鋼 会 社 で あ る
N a t S t o e l 社 の 電 気 炉 ・取 鍋 精錬 ・連 続 鋳 造 等 の 操 業 技 術 指 導 に つ い て 依 頼 が あ
つ た し 現 地 に は 2 ∼ 3 週 問滞 在 し、年 に教 l L J R張
出す る内容 で あ っ た の で 、承 諾 L /
た。
レに は 、 1 9 8 3 年 ( 昭和 5 8 年 ) 1 0 月 に I n d 0 1 1 e s i a 固営 製 鉄 所 で あ る
シンガ本 一 ノ
へ
K r a k a t a u 社 大型 電 気 炉 で の 達 元 鉄溶 解 技 術 の 共 同研 究 会 に 出席 した 帰 路 、3 泊
の観 光で 立 ち有 っ た こ とが あ り、懐 か しさ もあ り、 全 て の 面 で 大 き く成 長 ・変 化
“
"に
本
した ガー デ ン シテイ
行 け る楽 しみ で 杯 だ っ た せ
は じめ に
シ ン ガ ホ ー ル を訪れ る外 i 国人観 光 客 1 / D 第1 位 は 日本 人 で 、年 間 2 0 0 万 人 に の ぼ
る。 大手旅 行 会 社 の 「
行 っ てみ た い 国 ア ン ケ ー トJ で も、 シ ン ガボ ー ル は 大抵 フ
ラ ン ス とア メ リカ に 次 い で 3 位 に ラ ン クされ て い るそ うで あ るJ
1 9 6 5 年の独 立か らわず か 4 2 年 余、面積 は淡路 島 とほぼ 同 じ位 の小 さな都 市国
ー
家 が 、観 光大 国 フ ラン スや ア メ リカ と就 っ て の 3 位 であ る。 シ ンガホ ル の魅 力
は 「
飛行機 でひ とっ飛 び に行 け る手頃 な場所 にあ りなが ら、マ レー 、イ ン ド、 中
味 わ え 、異国情 楠 た っふ りの 回J な の で あ ろ う.
国 の伝統 文化 と料 F 4 H が
勿 論 この よ うなお 予軽 な観 光 だ けが 、 日本 とシ ンガポ ー ル σ) 交流 ではな い。 日
の投 資 t ) 活発 に 行
本 は シンガボ ー ル に とつて重 要 な貿 易相手 国 で あ り、 日本 か , 少
旨は
文た
つて
こい
わな
と ヽ
不 先
イ ベ ヽ
ナら
く)
われ て い る。進 出 して い る 日本企 業 は約 3 , 0 0 0 社、滞在 す る 日本 人 は企業 関係 者
とそ の家族 を中心 に 、2 0 0 0 年 1 0 月 で約 2 3 , 0 0 0 人 ( 大使 館 に在留届 を出 して い る
人数) とい う巨大 な 日本人 コ ミュニテイが 存在 して い る。 日本の 大 手デ パ ー ト( 高島
屋 、伊 勢 丹 ス コ ッツ 等) や書 店 ( 紀伊 国丘 等) も見 られ 、 シンガポ ー ル では ほぼ 日
本 と変 わ らな い 生活 を送 る こ とが 出来 る。
もつ とも独 立前 後 、 シ ン ガポ ー ル 人 の 日本 を見 る眼 には厳 しい もの が あ っ た。
シンガポー ル は 日本 の 東南 ア ジア植 民地 支配 の 中心 と して 、中央軍政局 が 置 かれ 、
抑圧 的な支配 が 行 われ たか らであ る。
シンガポー ル 占領 直 後 の 1 9 4 2 年 2 月 下旬 には 、 多 くの シン ガポ ー ル華 僑 ・華
J 分 千J と して摘 奄 され 、 大虐 殺 が 行 われ た。 「
粛 清 J と 称 され た この
人が 「
抗卜
ー
々
ル
の
の
人 記憶 に生 しい 傷跡 を残 して い る と思 うこ
虐殺 は、今で t ) i 奇
齢 シンガポ
一
建設者 」 ラ ッフル ズ卿
第 話 シ ンガポ ー ル の 「
ラ ッフル ズホテ ル ・ラ ッフル ズ シテ イ ・ラ ッフル ズ学校 等 、 シンガポ ー ル には
ラ ッフル ズ とい う名 を冠 した 場 所や学 校 ・企 業等 が沢 山 あ るt ラ ッフル ズ とは 、
シンガボー ル の歴 史 にお いて 、 「
建設 吉J と して特別 な地位 を与 え られ て い る人
物 、東洋 学 の 史上 に名 を残 して 、S i r の 称 号 を得 た人物 、S i r T h o m a s S t a n f o r d
R a f f l e s ( 1 7 8 1 ∼1 8 2 6 ) で あ るっ
シ ン ガポ ー ル が 最 初 に歴 史に登場 す る の は
1 4 世 紀。 そ の 頃 の 文 献 に 、海 の 町 とい う意 味
の テ マ セ ク或 は テ マセ とい う名 で 紹 介 され て
い る。そ して 「シ ン/ガボー ル 」 とい う国!名σ)由
来 も世紀 の伝 説 に遡 る。当時 スマ トラ島 を中心
に 栄 えた ス リヴ ィ ン ジ ャ 王 国 の 王 子 が この 島
を訪れ 、獅 子 に似 た 動物 を 目撃 した とい う言 い
ー
・
伝 えか ら、 シンガ プ ラ ( 獅子 の 町) と呼 ばれ る よ うにな っ た とい う。 シ ンガポ
ー ル の シ ンボ ル と して 有 名 な マ ー ライ オ ン は、全身 が
像
白 く、顔 は ライ オ ン ・体
高
は魚 とい うの t ) 、それ らの伝 説 に 由来 して い る もの だ。 シンガポ ー ル 川 ヤ
「口に掛
iラ ー
一
ー
エ
ス
ブ ネ ト橋 の 枚 に 、 際販や かな スポ ッ トが マ ライオ ン公 園 で あ るっ
かる
国′
ここの 主役 のマ ー ライオ ン像 は 、約 8 m の 像 と、可愛 ら しい サイ ズの ミニ 。マ ー
は妥
一
――
の
ニ
ン
ュ
ライ オ 像 2 つ が あ る。2 0 0 2 年 には 大 リ
ノl
ウア ル が行 われ た。噴水機 能 も
ー
ヘ
の
「
補強 され 、橋 川 寄 りか ら海 寄 リ と 1 2 0 m ほ ど引越 し、像 を囲む枝 橋 に マ
者J
ライ オ ン公 園」 t ) 出来 てい る。
が瑠
もに
イ ギ リスの植 民地行政官 ラ ンフル ズは、オ ラ ン グ との植 民地争奪 の過 柱 で 、イ
示し
ギ リスの 新 た な植 民地 支配 の拠点 を求 めて 、1 8 1 9 年 シンガポ ー ル 川 の 河 日付 近 に
に木│
ー
ー
上 陸 した。 当時 の シンガ ポ ル は マ レ 漁民数 百人が住 む寂 しい漁村 で あ り、 こ
ク局│
ー
の辺 の海 賊 の 住居 にす ぎな か ったじそ の よ うな シンガポ ル に ラ ッフル ズが 注 目
人々
ー
した の は 、地理 的 な重 要性 で あ る。 面積 は 淡路 島 ほ ど しかないが 、 シンガボ ル
きる
ー
マ
マ
は ラ ッカ海 峡 を望 む レ 半島 の 南端 に有 り、大陸部 東南 ア ジア と島映部 東南
〔
進
ア ジア を結 び 、イ ン ド洋 と太 平洋 をつ な ぐ十字路 に位 置す るc 彼 はイ ギ リス とイ
ン ド、 更に 中国 を結 ぶ ア ジア貿 易 の根 拠 地 とな る と確信 して 、 「
手段 の 如 何 を問
わず J 獲 得 に成功 した 。 つ ま り、イ ギ リス本 国 の承 認 を待 たず に 、 当時 の シ ンガ
ホ ー ル を治 めて い た ジ ョホ ー ル 王 国 の工位 継 承 問題 に介 入 して スル タ ン ( マ レー
諸 王 国 の 君主) を擁 立 して強 引に条約 を結 ん だ の であ る。
ラ ッフル ズ は あ らゆ る面で シ ンガ ポ ー ル を ア ジア 貿 易 の 中 心地 と しよ うと し
た。 まず 、1 8 2 0 年 には 自由港 宣言 を発 して 、あ らゆ る物 資 の持込 を許 可 した。 ヨ
ー ロ ッパ か ら綿や 毛織物
、武器 、弾薬 、鉄 な どが 、イ ン ドか らはアヘ ンが 運 び込
まれ 、それ らを買 い 付 けに集 ま つた近 隣 の 貿 易商人 との 間 で 、香料 、パ ー ム オイ
ル 、 ココナ ッツオ イ ル 等 と交 換 され て 、 シンガポー ル は瞬 く間に賑 わ い を見せ る
りた
ー
よ うにな った 。 1 8 2 4 年 の調査 に よる と、総人 口は 1 0 , 7 0 0 人 で 、 マ レ 人が 6 0 %
椅子
の
を 占 めてい る。 そ 後 、人 日は 1 8 3 6 年 に 3 0 , 0 0 0 人 と急 増 した。 また彼 は 貿 易 と
事カ
の
ム等
商業 が 発展す るた め 実 用的 な都 市作 りを行 っ たっ 港湾 、造船 所 、 倉庫 、政 府 、
し
警 察 署等 を整備 、急速 に増加す る労働 移 民や 商 人 な ど居住 民 の 間 の 紛争 を避 け
した
ー
―
るた めに 、エ ス ニ ック グル ー ブ丹│ │ の
っ
居住 区を作 た。 シ ンガポ ル 川 の 西 にイ ン
等
ド人街 、中国 人街 、 川 の 東 に ヨー ロ ッノく人街 、 ア ラブ人街 等 を割 り振 り、教 会や
ヨー
モ スク セ) 建設 した。
交場
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定府 、
避け
イン
i会や
左 に 1 8 2 2 年 の ラ ッフル ズの都 市計 画 を分 か り易 く し
た図 を示す が 、ヨー ロ ッパ 人地域 の 部分 を除 くと、大
体 この 計画案通 りに建設 が進 み 、現在 まで維持 され て
い る。
さ らに彼 は教 育 の 普及 と現地調 査 も怠 らなか っ た。
教育 の 普及 と現地住 人の 生活 の研 究 こそ が 、商業 を発
展 させ るた め に不 可欠 な 前提 とな る と考 えて い た か
らで あ る。彼 は マ レー 人が 自らの言葉 で 、自 らの文化
や歴 史を学 べ る教育機 関 の設 立 を意 図 し、それ は彼 が
シンガ ポ ー ル を去 っ た後 に ラ ッフル ズ学 院 と して 具
され てい る。
14x化
ラ ッフル ズの最 大 の 目的 が 、 イ ギ リス植 民地 の 建設 。発展 で あ り、 イギ リス本
国へ の本仕 で あ る と考 えて い た と して t ) 、彼 は 当時 の イギ リス植 民地官僚 と して
は異色 の 人材 で あ り、 「
啓 蒙 主義 の 闘志 J と して 高 く評価 され てい る。 シ ンガ ボ
ール を 「
わが子J と 呼び 、発展 の礎 を築 いた ラ ッフル ズ は 「シンガボ ー ル の 建設
者」 と して シンガポ ー ル 人 に規 しまれ 、彼 が最初 に上陸 した場 所 には 大 きな銅 像
が建 っ て い る。 この よ うに彼 は植 民地 支配 の た め の研 究 ・調 査 の重 要性 を示す と
もに、新 しい 制度 のモ デ ル を構 築 して 、包格 的 で体 系的 な植 民地経 営 の在 り方 を
全 て の 貿 易業者 が 自由
示 した。 しか し、 ラ ッフル ズが シンガホ ー ル を実用的 な 「
に利用 で きる大 中継 貿易港」 と して の み発展 させ よ うと した こ と、更 にエ ス ニ ッ
ク別 の 居住 区は、後 に 国家 と して の 経 済 的 自立 と、殆 ど接 触 の 無 か っ た 多様 な
人 々 を統 合 して 「シ ンガポ ー ル 人J を創 出す る とい う国民統 合 の 達成 に極 めて大
きな困難 を投 げか ける こ とにな るの で あ る。
追記〕
〔
か つ て はそ の名 の 通 り本 当に海 沿 い
にあ つ た ビー チ ・ロー ドとブ ラ ス ・バ
ザ ロー ドの 角 に建 て られ た ラ ッ フル ズ
ホテル は 、2 0 0 7 年に 開業 1 2 0 周年 を迎
え る世 界 にそ の名 を知 られ た名 門 ホテ
ル で あ り、 シ ンガポ ー ル の歴 史 を象徴
す る建物 で あ る。優 美 なネ オ ・ル ネ ッ
サ ンス様 式 の建 物 は旅 行 者 の憧 れ で あ
り、存在 そ の もの が シンガポ ー ル の誇
りだ と言 えるで あ ろ う。中庭 を回廊 状 に取 り囲 む ゲ ス トル ー ムのベ ラ ン グ で 籐 の
一
椅子 に t)たれ 、ゆ つた りと紅 茶 を味 わ え るの は 、我 々 般 人 には ち ょつ と無理 な
ー
事 か も しれ な い。J.コ ン ラ ッ ド、 R.チ ップ リング 、そ してサ マ セ ッ ト ・モ
ム等 ア ジア ・ア フ リカに題材 を とった 作品 で 名 高 い 作家達 が 滞在 し、 こよな く愛
した ラ ッフル ズホテ ル .喜 濠‖王チ ャー リー チ ャ ップ リン、女優 エ リザ ベ ス テ ー ラ
ー 等 、数 多 くの 文 人名 士 に規 しまれ て きた ラ ッフル ズホテ ル は 、ア ジア を旅 す る
ヨー ロ ッパ 人旅 行者 だ けで な く、 シンガポ ー ル に居 住 す る ヨー ロ ッパ の 人 々の 社
交場 と して も規 しまれ て い ると
13
〔中級 〕
。ホ テ ル ・ソエ ニ ッ ク ス
・エ リザ ベ ス
ート450∼
S$320-360 ス イ
ート500S$240∼300 スイ
私 が 出張 用
キ先 方が用意 して くれ る ホテ ル は、フエ ニ ック スか エ リザ ベ スであ
ー
るが 、 オ チ ャー ド ・ロー ドに近 く、町 の散歩 には非 常 に便利 で あ る。機 会 が
, ばラ ッフル ズホテ ル に泊 よつ てみ た い と思 う。
あオと
( つづ く)
△式は な
舜 生回
(注)ホ テ ル の レベ ル と一 泊料 金 を参 考 に示す 。 (lS$=約 74`7¥)
〔
高級 〕
・ ラ ッ フル ズ ホ テ ル 全 室 1 0 3 が スイー トルー ム s S 8 0 0 ∼4 5 0 0
・ リ ッ ツ ・カー ル トン ・ミ レニア S s 4 6 5 ∼5 4 5 ス
イート6 9 8 ∼5 2 8 8
・シ エ ラ トン ・タ ワー ズ
ート1200-3500
S$480-560 ス イ
ート550∼650
・ メ リタ ス ・マ ン グ リン
S$400∼4:50 スイ
な,
せ ん だん
一 稲 檀 ―
2.
上 総路 に 山茶 花匂 い そ の上 を
解
臀畜轟
鷲温 学
8 ユ
1
一、 ぐ
14
4.
初 り
この 和歌 は 、今年 の新 年会 の散 策 ブ) 折に詠
まれ た もの で 、箸紙 に さ ら りと した ため渡
〕
“
して くれ ま した。 新 年会 会 場 の ユ ー トビ
"は
ア笠森
長 南町 に あ って 、 千葉 県 の 中央
部 に位 置 す る所 です 。 l兆望 も良 く、 見事 な栴檀 が 実 を付 けて い ま した。
こ こで感 心 しま した の は 、この よ うな 一 瞬 の 光景 を切 り取 つ て 、詠 ノ
レで に
ンま
い
うと うこ とです 。和歌や俳 句 を詠 まれ る人 の感性 とい うのか 、そ の着 眼 力 ・
発想 力 は どの よ うに して磨 か れ る の で しょ うか。
さて、 工 学 の 世界 にお ります と、 コス トダ ウンの 手法 と して VA/VE(価 値 分
“
"で
す。
析 浄)るい は価 値 工 学)を 学 ばね ばな ,少
ず 、そ の 中心 とな るの が 発想 法
“
VA/VEは ステ ップ を踏 ん で ゆけば結論 に達す るの です が 、
成 果 の 良 し悪 しは ア
"次
“
"を
“
ル
イデ ア
第 です 。良 い ア イデ ア
引 き出す 方法 と して 、多 くの 発想 法
“
"を
が 提 案 され て い ます 。し か らば 、 発想 法
学 べ ば 、誰 で もグ ッ ド ・ア ィデ
アが 出せ るか と 言 うとそ うでは あ りませ ん。
町 檀 は双 美 よ り芳 し」 と言 うこ とが あ るの で しょ うか。
(なお 、 この 諺 の杵檀 は 自檀 の 中国名だそ うです。) (文
責 高 萩隆 司)
囲碁会報告
囲碁 同好会会長 佐 藤 隆義
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囲碁 同好 会 の 会員 は現在 3 3 名 で 、年 に 4 回 、懇親 囲碁 大会 を開催 して い ます 。
会員は、千葉 支部 をは じめ 東京 支部 、埼 玉 文部及 び佐原 の会 友 の 方 達 です 。 大 会
は、点数制 で ハ ンデ ィをつ けて行 い 、成績優 秀者 には賞 品 を贈 星 して い ます 。
また 、 大会終 了後 には 、船橋 駅 前 び) 居酒怪 で 会 員相 互 の懇 親 を深 めて い ます り
l 本大 会、2 0 0 7 年 ・年 間成績優 秀 者及 び 今後 の 予定 に つ いて ご報
第 37。 38回 F■
告 します 。
なお 、2 0 0 7 年 は 、会場 ヴ) 船橋 中央 公 民館 で 改修 工事 が行 われ 、一 時期使 用 出来
なか ったた め 、囲碁 大会 の 開催 は 3 回 にな りま した。
大会 ( 2 0 0 7 年 1 0 月 2 4 日 、船 橋 中央 公民館 、 1 2 名 参加 )
第 37回 L41碁
:
照
沼清 四段 、準優勝 : 海 野 由造 ヒ段 、3 位 : L 田 正 雄 二段 、
優勝
4 位 ! 佐 藤 隆義 L 段
2 . 第 3 8 回 囲碁 大 会 ( 2 0 0 8 年 1 月 2 4 日 、船橋 中央公 民館 、1 7 名 参加 )
優勝 : 海 野 由造 と段 、準優勝 : 千r 川英 二 ・二段 、 3 位 : 小 白井和典 三段
4 位 : 小 室 哲夫 四段
3 . 2 0 0 7 年 ・年 間成績優秀者
勝率 1 位 : 佐 藤 隆義 ヒ段 9 勝 3 敗 ( 勝率 0 . 7 5 )
勝辛 2 位 : 海 野 由造 し段 、照 沼清 四段 、 L 田 正 雄 三段 、木 内定計 6 級
。・・・・・各 8 勝 4 敗 ( ( 勝率 0 . 6 7 )
4 。 今後 の予 定
第 3 9 回 囲碁 大会 : 4 月 3 0 日 ( 水) 船 橋
中央公 民館 ( 確定)
第 4 0 回 囲碁大会 t 7 月 下句
ン、県内 の旅館 で
第 4 0 回 を記念 に
の 囲 碁 大会 ( 一泊) を 計 画 して い
ます 。
初 心者歓迎 、多 くの 方の参加 をお待 ち してお
ります 。
船 橋 中央公 民館 で の 対 局風 景
司)
15
平成十九年 後期
俳句コンクー ル成績発表
塚越 としを
l_
お十らを連れて鴨兄物?群れていた鴨が慌てて札■ の中 へほれました︶
︵
2
曖 房や父の間に父偲びをり S 3 金 穂坂 邦光
父Lを来う気持ちが良く出ています︶
︵
子供等と枯葦 の鴨審 えける 〃
枯芦 のざわざわ鴨 のす べり来 る △不 友 平野 昌子
、
。
花比と持きがあります これは 俳句 の大学な要系 です︶
︵
雪 の日の猫長くな る床 暖房 〃
この浦チャン幸せそうですね.うま い俳句です︶
︵
4
鴨鍋や亡き父偲ぶ夜 のありて S 3 原 芝山 佑芳
亡き父にも時鍋が好物だ った のでしょうね︶
︵
〃
腱理挑の白橘発改ざ鋤のを]
、 ︱
︵
民行 の夜 今︱の挺物に岳扱です︶
3
日 り
るゴ ルフ場 S 3 短電 山形俊 一郎
て
鴨
い
溜
や
群
れ
.
良く柑与されていよ十 池ホチ ャで嶋高撃などにならな いようにね︶
︵
│
邦光氏果 じ
堕 房やほ っとく つろぐ刻ありて 穂坂芳子 ︵
ゥ
︵一仕■終えてち上 っと心と体を休ませる 尤気を充電しよしよう︶
6
嵯 烏にカ ツプ酒酌む妻 の留守 S 3 金 小室 哲夫
鴨 の岸今 日も出会 ひて老夫婦 〃
.
作日の撒歩 ヨー ス いつものを大椰に軽く会釈して︶
︵
│
︵
飲み過ざな いようにね︶
4
白橋 ・
暖 房や風音止みて闇 の音 S 3 電 一
孝雄
、
。
二
う
1
よ
だ
だ 然し間 の奥から汁が︶
ん
寒 い夜 今まで吹 いていた爪が1
︵
。
選後評 ︼俳句 は古 い趣味 ではあ りま せん 今 回 の特 選 の句 に
︻
、
。
見られ るよう に 現代感覚 の詩 が十七文字 で完成 す る のです
。
ス KY ︵
若 い人たちが い︼
空気 を読 む︶ の世界 です
16
︱ 兼題 ︰焼鳥 ・瞳 房 ・鴨 ︱
4
特 選 ︼熱 す ぎ る暖 房 人 体 解 剖 図 S 2 機 一
︻
二幣 正 人
。
、
芸術は爆発だ﹂と名言を残していますが 正に
評 素晴らしい 岡本太郎が ﹁
これを地でいつた句です。過暖房の部屋に人体解剖図、何が起きるのか?
0
銃 声 や 手 負 ひ の鴨 は 声 の中 S 3 機 檜 山 邦 良
。
評 し っかりと情景をとらえた力強 い俳句です このように動詞 ・形餐詞を
、
。
省く ことにより 読者 に強く訴えることができると いうお手本です
4
︻
佳作︼ 焼鳥や芋焼酎とおはら節 S 2 機 一
二幣 正人
、
■焼附﹂とび ったり︶
これは 此児島おはら飾 でLkう ︼﹁
︵
0
焼鳥 の容 あふれ いる屋台かな S 3 機 一
檜山 邦良
。
︵
的確な情共肘年です ﹁
あふれ いる﹂がよい︶
2
鴨 の池鴨食ふ人 の鴨を見て S 2 機 関 誠治
i
一︱
、 ︱
︱
︲白 い,
︲でしkう︶
︱
十
エヒルな句ですか 人︲
︲
の其央 の ︲
︲
︵
焼鳥屋入る人出る人足も つれ 〃
これも良く兄える俳句,足 厄お気を付けドさ い︶
︵
9精 一
柔道着暖房車より降 り来たる S 3
最柳か つを
>
ナ
ブはヽ何と︱
末逆汁と暖 ナ
声えh純十一
︵
感がある︶
山 の子 の頬を真 っ赤 に暖 房車 〃
1
︱
︲と
︱合 のr供たち、 これれに,︱
︲
健康な︱
︵
辻和感が無 い︶
lロ
越
と
1
…
…
…
﹁
青梅 ・初観音﹂ 塚越としを
塚
ヽ
つ
わ ′ヽぃ﹂キ︼′
2-437-2■
初観音青梅街道 奥 処
初観音阿弥陀堂より詣でけり
航
□ y酔 区 047-466-2396
E メ ール t u k t t o s 過血s d . b i g l o b e . I l e c i p
3
日溜 りや鴨群 れ て いるゴ ルフ場 S 3 短電 山形俊 一郎
。
う
良く補写されて います 池ポチ ャで鴨直撃などにならな いよ にね︶
︵
17
初観音 の千手六肺におみるかな
初観音縁起だるまを嵩積みに
う
ご
ざょ
ん
た
か
勤 行 のいよよ昂ぶる初観音
僧 正 の奥義説法初観音
遠富士を脊山に拝す初観音
安心 の返り花あり観音寺
卜
フ
っ
か,﹂キ一
懐 に護摩 札寒 り水 あ ふ る
扉の菩薩 一瞥す
寒鳩開一
後期
平成 十九年 !
町
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
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山
飯
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274-0822
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l 平 成 20年 前期 俳 句 コンクール
ゴル フ同好会 よ りの ご案内
ゴル フ 同好会会長 綿 引貞男
現在 ゴル フ 1 司
好会 に登録 され て い る会 員 は約 3 6 名 で 、 コ ンペ 開催 時 に参加 さ
れ る会 員 は 1 4 ∼5 名 位 です c 本 年 は昨年 に t ) まして盛 会 に した い と考 えてお りま
すJ 新 しい 参加者 を いつ で も歓 迎 してお ります の で 、お気軽 に ご連絡 下 さいじ
平成 2 0 年 度 の 活動 予 定 は次 の通 りです 。
* 春 季 定例会
コヽ一ス : 方 木城 カ ン トリー クラブ
日時 : 4 月 1 4 日 ( 月) 9 : 0 0 集 合 9 : 3 1 ∼ ス ター ト
費用 i ¥ 1 4 , 5 0 0 円 ( キャデ イ ・昼食付) 十 Y 2 , 0 0 0 円 ( 賞品他)
* 夏 季定例会 7 月
*秋
1 1 日 ( 金) 場 所未定
季定例会 10ナ ]17日
( 金) 会 友 あや め 会 との 合同 コ ンペ とな ります 。
場 所未 定
ゴル フの 名著 か ら
“
"が
『ゴル フ ァー は、 この ゲー ム では 婚約期 間
長 い こ とを承知 して い る。 い わ
"は
“
ば 、魅惑 的 で 移 り気 な恋 人 に求 安す る よ うな t ) ので あ る。 彼 女
、好 意 ら し
い好き はほ とん ど見せず に相手 を輛 し続 け るが、男 の ほ うは、彼女 の ほん の 少 し
′
の
りの
い
の
ばか
好意 に触れ ただ けで 、征服 夢 を膨 らませ て く であ る。 す る と今 度
は 、彼女 は 男を蔑み 、侮辱 す る ( それ を、彼 の 友 人た す
りの 面 前 で行 な うの だ ) .
時 には 男 は、怒 り狂 うこ とに よ つて失 音 を隠 そ うとす る。 クラブ を全部 ウォー タ
ー ハ ザ ー ドに叩 き込み 、新 品 の ボー ル を情 し気 もな くキ ャデ ィにや っ て しま う。
t ) う沢 山だ 、や る気が 失せ た 、まル フなんか も う止 めた。・・・と言 う訳 であ る。
勿論 、男 は戻 つ て くる。 そ して 突然 、奇跡 が 起 こ る。何 をや って t ) うま くゆか
なか った 失 音 の 男 が 、今度 は 、何 をや って 主) うま く行 くよ うにな る。そ こで彼 は 、
投 げ捨 てた ク ラブ をす くい 上 げ、キ ャデ ィか らボー ル を買 い戻す。』
ベ ン ・ホー ガン者 塩 谷 紘 訳 「 モ ダ ン ・ゴル フJ よ り
ゴル フ に恋 を して い た 頃 は 、手の握 り方、腰 の振 り方 な ど、ひたす ら内体 の ほ
うに の み 興 味 が走 り、絵 や 写真 を追 い 求 めていた。 だが再び 、 ゴル フの 教本 を読
み返 して み る と、文章 の 中に もき ら りと光 る t ) のが ち りばめ られ 、にや りとさせ
られ, るこ とが多 い こ とが判 つ た。特 に 、欧 米 の ゴル フ ァー の 言 い 回 しは 、に くい。
ど う して この よ うな ウィ ッ トに 富 ん だ物 言 い が で きる の か 、感 心す る。 き つ と、
ブ レー ヤ ー とライ ター の 二役 を同時 に こな して い るの ではな い だ ろ うか ?
( 文責 高 萩 隆 司)
18
合計 194名
本年度納八日数
☆ 1 8 年度 分 も追 加 納 者
2名
19
このページには「支部役員・役割・連絡一覧表」が掲載
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