...

4(PDF:739KB)

by user

on
Category: Documents
11

views

Report

Comments

Transcript

4(PDF:739KB)
近江水の宝第2次選定候補調査票001
□
埋蔵文化財
白鬚神社
□
史跡・名勝・天然記念物
高島市鵜川
■
有形文化財(建造物・建造物群)
□
有形文化財(石造物・石橋等)
□
有形文化財(美術工芸・歴史資料)
□
無形文化財
□
文化的景観
□
その他(
ふりがな
しらひげじんじや
名
称
所 在 地
指定等の状況 重 要 文 化 財 :白鬚神社本殿
高島市指定有形文化財:白鬚神社末社若宮神社本殿
ほか4棟
現 況 等
時
代
神社境内
)
本殿:桃山時代(慶長8年(1603)建立)
末社若宮神社本殿ほか4棟:桃山時代(慶長年間)
概 要 と 特 徴
・ 白鬚神社は琵琶湖湖畔に位置し、山腹を背にして社殿があり、国道161号を隔てた湖中に朱塗りの鳥居が
建つ。「近江の厳島」とも称される。
・ 当社は垂仁天皇の時代に創建されたと伝えられる古社で、全国的に分布する白鬚(髭)社の本社とされる。
・ 現在の本殿は、棟札等により慶長8年(1603)の建立であることが明らかで、豊臣秀吉の遺命により、その
子秀頼が片桐且元を奉行として造営したものである。明治の拝殿再建に際し、本殿と接続させたために現在
のような複雑な屋根形式となっている。
・ 延命長寿の神様として知られ、また、子授け・開運招福・交通安全・航海安全など、人の営みごと、業ご
とすべての導きの神とされる。
・ 琵琶湖にとけ込む神社の位置、景観からみても近江水の宝にふさわしいといえる。
写真・図面等
重要文化財白鬚神社本殿
白鬚神社鳥居
関連文献
・ 滋賀県教育委員会『重要文化財白鬚神社本殿修理工事報告書』(1975年)ほか
備
考
最終更新日
作成者名 八木 誠一
近江水の宝第2次選定候補調査票002
□
埋蔵文化財
葛 川明 王 院と三の滝
□
史跡・名勝・天然記念物
大津市葛川坊村町
■
有形文化財(建造物・建造物群)
□
有形文化財(石造物・石橋等)
■
有形文化財(美術工芸・歴史資料)
■
無形文化財
■
文化的景観
□
その他(
ふりがな
かつらがわみようおういん
名
称
所 在 地
さんのたき
指定等の状況 国指定重要文化財(建造物・美術工芸)
現 況 等
時
代
)
特徴(水との関わり・選定理由等)
・葛川明王院は比良山系の西側を流れる安曇川上流の渓谷に立地する天台宗の寺院で、息障明王院ともよばれ
る。背後に比良山がそびえ、安曇川に注ぐ幾筋もの谷川がつくる深山幽谷の地形から、天台修験の道場・別院
として古くから山岳信仰の拠点となった。
・貞観元年(859)に比叡山の相応が葛川三の滝の飛瀑中に生身の不動明王を感得し、自ら刻んだ不動明王
を安置したのが始まりと伝える。毎年7月には比叡山回峰行者の葛川参籠とともに「太鼓まわし」が行われ
る。これは行者たちが大太鼓から次々に飛び降りる勇壮な行事で、三の滝で修行していた相応が滝壺から不動
明王を抱き取った、という開基の由来にちなむ。その信仰の背景において、水が深く関与しているといえる。
・明王院は本堂、護摩堂など四棟の建造物が重要文化財に指定され、他にも本尊の木造千手観音立像・不動明
王立像・毘沙門天立像の三尊や葛川明王院文書、参籠札など多数の重要文化財を伝えている。
・水の宝延暦寺と関わりの深さや、三の滝を舞台とする開基の由来は、近江水の宝にふさわしいといえる。
写真・図面等
葛川明王院本堂
葛川三の滝
関連文献
『企画展 回峰行と聖地葛川』(大津市歴史博物館 平成16年)
備
考
カード作成日 09:6:12
最終更新日
作成者名
古川史隆
近江水の宝第2次選定候補調査票003
□
埋蔵文化財
伊崎寺と竿飛び
□
史跡・名勝・天然記念物
近江八幡市白王町
□
有形文化財(建造物・建造物群)
指定等の状況 国指定重要文化財(美術工芸品)
□
有形文化財(石造物・石橋等)
■
有形文化財(美術工芸・歴史資料)
■
無形文化財
■
文化的景観
□
その他(
ふりがな
い さ き じ
名
称
所 在 地
さ お と び
現 況 等
時
代
)
概要
・伊崎寺は伊崎山北部の琵琶湖岸に立地する天台修験の寺院で、伊崎不動の名で知られている。比叡山の回峰
行の開祖とされる相応(831∼918)の創建と伝える。
・本尊は一木造、等身の不動明王像で、長らく秘仏とされていたが、近年の調査で10世紀にまで遡る古像で
あることが確認され、平成18年に重要文化財に指定された。本像は相応が葛川で修行中に感得したと伝えら
れ、県内でも屈指の由緒ある不動明王像である。
・伊崎寺では、毎年8月1日に竿飛びの行事がおこなわれる。琵琶湖に突き出した長さ約13メートルの角材
(竿)から褌姿の行者が7メートル下の湖面に飛び込む。かつての天台修験の修行の一つであった捨身の名残
りと考えられる。
・近江水の宝延暦寺との深い関わり。琵琶湖に関わりの深い行が遺されている。近江水の宝にふさわしいとい
える。
写真・図面等
伊崎寺境内
竿飛び行事
関連文献
備
考
カード作成日 09:6:12
最終更新日
作成者名
古川史隆
近江水の宝第2次選定候補調査票004
□
埋蔵文化財
信仰の島 長命寺
□
史跡・名勝・天然記念物
近江八幡市長命寺町
■
有形文化財(建造物・建造物群)
重要文化財(建造物、美術工芸品)
□
有形文化財(石造物・石橋等)
■
有形文化財(美術工芸・歴史資料)
□
無形文化財
□
文化的景観
□
その他(
ふりがな
名
ちょうめいじ
称
所 在 地
指定等の状況
現 況 等
時
代
)
概 要 と 特 徴
・ 長命寺は琵琶湖の東岸、標高332mの長命寺山の頂き近く位置する。湖を広く見渡す景勝地に重要文化
財の本堂をはじめ、三重塔(重文)・護摩堂(重文)・三仏堂(県指定)・鐘楼(重文)など中世建築の堂
塔が軒をつらね、壮観な伽藍を今に伝える。
・ 西国三十三カ所観音霊場の第31番札所として篤い信仰を集め、寺伝では武内宿禰が山を開き、聖徳太子
が寺を創建したと伝える。武内宿禰の長寿にちなみ、「長命寺」と名付けられたという。
・ 本尊は本堂厨子内の中央に安置される秘仏の木造千手観音立像(重文)である。厨子内には他に、中尊の
向かって右側に木造十一面観音立像(重文)、左側に木造聖観音立像(重文)を安置。寺では古くから、秘
仏の三尊を一体の存在として信仰している。厨子後室には、薬師如来像も祀られている。
・ 中世以降、長命寺は観音霊場や聖徳太子信仰の霊場として、広い信仰を集めた。永正13年(1516)に兵
火にかかるなど災難にも見舞われたが、庶民信仰に支えられて復興を遂げている。その際、勧進聖らが諸国
へ持ち運んで「絵解き」を行い、寄進や参詣の手引きとしたのが「長命寺参詣曼荼羅」である。そこには船
で上陸し、裸足で聖地を巡拝する人々の姿がある。かつては島であった霊場の姿をしのばせる。
・ 琵琶湖とともにあった信仰の島「長命寺」。近江水の宝にふさわしいといえる。
写真・図面等
←
船で訪れ
る参詣者
たち
秘仏本尊→
木造千手
観音立像
← 長命寺
▲長命寺参詣曼荼羅 (不動滝なども描かれる)
関連文献
備
伽藍雪景
『長命寺古文書等調査報告書』(平成15年、滋賀県教育委員会)・ 『古寺巡礼
長命寺』淡交社、昭和55年
考
長命寺所有の指定文化財(本文記載以外のもの)
重要文化財
木造毘沙門天立像、木造地蔵菩薩立像、仏涅槃図、勢至菩薩像、金銅種字華鬘
県指定文化財 護法権現社および渡廊下、長命寺文書、梵鐘
作成者名
井上 優
近江水の宝第2次選定候補調査票005
□
埋蔵文化財
建部大社船幸祭
□
史跡・名勝・天然記念物
大津市神領一丁目
□
有形文化財(建造物・建造物群)
なし
□
有形文化財(石造物・石橋等)
□
有形文化財(美術工芸・歴史資料)
■
無形文化財
□
文化的景観
□
その他(
ふりがな
たけべたいしやせんこうさい
名
称
所 在 地
指定等の状況
現 況 等
時
代
)
概 要 と 特 徴
・ 建部大社は瀬田唐橋の東方に鎮座する。「延喜式」神名帳に名神大社として記載される。近江国一宮とし
て崇敬を集めたが、交通の要衝である瀬田の地に鎮座するため度々の戦乱に巻き込まれ、荒廃と復興を繰り
返した。祭神は日本武尊、権殿に大己貴命をまつる。
・ 8月17日に行われる船幸祭が「大津三大祭」に数えられ著名となっている。同社では夏季の「納涼祭」前
後に榊立神事、宵宮祭、神楽船幸祭と続く一連の特殊神事があり、その掉尾を飾る祭礼である。
・ 船幸祭は17日午後に行われる神輿の船渡御で注目される。神輿は複数の船を組み合わせた御座船に載せら
れ、他に神官や楽人稚児、神事座(弓座・神楽座・大野座など)関係者らが乗る船、警護船などと船団を組
み、唐橋畔から瀬田川を下る。大津市南郷の供御瀬遙拝所まで至った船団は、神事の後再び瀬田川を遡り、
かがり火や高張提灯などに照らされた宵闇の唐橋畔に帰着する。
・ 祭神である日本武尊の東征神話の中に、尊が相模灘を船で渡った物語があり、その故事にちなむものと言
われている。
・ 琵琶湖・瀬田川を舞台とする船幸祭、近江水の宝にふさわしいといえる。
写真・図面等
かがり火などに照
らされた宵闇の瀬田
港に帰着する、船渡
御の船団
重要文化財
唐橋畔の瀬田港を出港する神輿御座船
木造女神坐像
関連文献
『神道大辞典』(平凡社、昭和12年)・『ひらけゆく瀬田』(瀬田小学校、昭和30年)
備
建部大社所有の重要文化財
考
①木造女神坐像 1躯
附 小女神坐像 2躯
②石燈籠
文永7年庚午五月七日造立之の刻銘あり
1基
作成者名
井上 優
近江水の宝第2次選定候補調査票006
□
埋蔵文化財
□
史跡・名勝・天然記念物
県内一円
□
有形文化財(建造物・建造物群)
なし
□
有形文化財(石造物・石橋等)
琵琶湖およびその水系
□
有形文化財(美術工芸・歴史資料)
■
無形文化財
■
文化的景観
□
その他(
ふりがな
こ
名
称
びわ湖の伝統的漁法
所 在 地
指定等の状況
現 況 等
時
代
でんとうてきぎよほう
古代から現代
)
概 要 と 特 徴
・ 琵琶湖の漁法の特徴は、外洋性の漁法と沿岸性の漁法、デルタ性の漁法、河川漁法等、多様な漁場環境に
適応した漁法が展開していることにある。
・ 漁具素材に改良による、多獲への指向はあるものの、漁法の改良による多獲指向は顕著ではなく、内水面
という限られた漁場で、漁業を持続させるための指向が見られる。
・ また、集魚灯、魚群探知機の禁止、トロール漁の禁止に見られるように、魚群を一気に大量漁獲すること
を自制していることも、この現れである。
・ 従って、魚の習性に合わせて漁獲する「待ち」の漁法が多く見られる。
・ 特にエリを始めとする定置陥穽漁具類は琵琶湖独特の景観を形成している。
・ 河川において、湖西のカットリヤナに代表されるノボリヤナが発達していることも、琵琶湖の漁法の特徴
である。
・ 琵琶湖の環境に順応した伝統的漁法。いずれも近江水の宝にふさわしいといえる。
写真・図面等
ゴリ曳き漁
オイサデ網漁
関連文献
・ 滋賀県教育委員会『琵琶湖総合開発地域民俗文化財特別調査報告書』(1∼5、1978∼1982年)
備
考
・ 現在、外来魚の増加、湖魚消費の減少等により、琵琶湖の漁業は岐路に立たされている。
・ 琵琶湖博物館において、伝統的な漁具のコレクションが保管されている。
作成者名 大沼芳幸
近江水の宝第2次選定候補調査票007
□
埋蔵文化財
針江・霜降のカバタ
□
史跡・名勝・天然記念物
高島市新旭針江
□
有形文化財(建造物・建造物群)
□
有形文化財(石造物・石橋等)
□
有形文化財(美術工芸・歴史資料)
□
無形文化財
■
文化的景観
□
その他(
ふりがな
はりえ
名
称
所 在 地
しもふり
指定等の状況 現在
現 況 等
針江大川を介して、琵琶湖と集落が繋がっている。
時
代
現在
)
概 要 と 特 徴
・ 針江は、安曇川が形成する沖積地の北端付近に位置する。湖岸に近い部分は低湿で、増水時にはしばしば
冠水していた。
・ 集落から針江大川が発するように、豊富かつ、良質の湧水に恵まれた集落で、多くの家に「カバタ」と呼
ばれる井戸が設置されている。カバタには、母屋の外に設けられる「ソトカバタ」と屋内に設けられる「ウ
チカバタ」がある。
・ カバタでは、ツボと呼ばれる湧水部分と、ここからオーバーフローする水を溜める部分、さらには排水部
分に分かれ、個々の水質(使用による汚染状況)により、水利用の様態を区分している。
・ ソトカバタと、ここから流れ出る水路網が、独特の景観を構成している。
・ また、湖岸部分及び水田クリークでは、陥穽漁具を多用するデルタ性の漁法が発達している。
・ 水をめぐる人の暮らし。近江水の宝にふさわしいといえる。
写真・図面等
ソトカバタ
湧水
関連文献
『近江国木津荘現況調査報告書Ⅱ』 近江国木津荘調査団・新旭町教育委員会 2003
備
考
・ 現在、重要文化的景観の選定を受けるための調査事業を実施している。
・ 景観をガイドするボランティア団体(生水の里委員会)が活動している。
・ 湧水を利用した酒造業、豆腐製造等が行われている
作成者名 大沼芳幸
近江水の宝第2次選定候補調査票008
□
埋蔵文化財
水辺の集 落 伊庭
□
史跡・名勝・天然記念物
東近江市伊庭
□
有形文化財(建造物・建造物群)
なし
□
有形文化財(石造物・石橋等)
集落・河川 ・内湖
□
有形文化財(美術工芸・歴史資料)
□
無形文化財
■
文化的景観
□
その他(
ふりがな
みずべ
名
称
所 在 地
指定等の状況
現 況 等
時
代
しゆうらく
い
ば
現在
)
概 要 と 特 徴
・ 伊庭集落は、伊庭内湖に面する湖岸の集落である。戦後、大中の湖と旧伊庭内湖が干拓されるまでは、2
つの内湖を分ける浜堤の付け根に立地し、湖と深く係わりをもつ集落であった。
・ 水路(ホリ)によって、集落内部が縦横に区画されており、水路にはカワトやイケスなどが多く残る水郷
景観をもつ。
・ この地を領した伊庭氏は、戦国時代に六角氏の被官として、琵琶湖の湖上交通を掌握することによって六
角氏に並ぶ勢力を有していた。両氏の戦い(伊庭氏の乱)により伊庭氏は滅んだが、集落内には伊庭氏の居
城跡が残る。
・ 集落内には鎌倉時代の拝殿を残す大浜神社や浄土真宗仏光寺派の拠点であった妙楽寺などがみられる。
・ 伊庭内湖には、能登川水車とカヌーランドが造られ、ボート競技や釣りなどの現代的なレジャーの場とし
ても活用がはかられている。
・ 琵琶湖総合開発などにより湖東地域の湖岸集落の景観が大きく変わってしまったなかで、伊庭内湖ととも
に水郷としての景観を残す集落として、近江水の宝にふさわしいといえる。
写真・図面等
能登川水車とカヌーランド
伊庭内湖の景観
伊庭の町並み
関連文献
・能登川町『能登川町史』(1976年)
備
考
・現在、水路幅を狭めて道路としている箇所も多く認められる。
作成者名 北原 治
近江水の宝第2次選定候補調査票009
□
埋蔵文化財
沖島の生 業と食文化
□
史跡・名勝・天然記念物
近江八幡市沖島町
□
有形文化財(建造物・建造物群)
なし
□
有形文化財(石造物・石橋等)
漁港・集落
□
有形文化財(美術工芸・歴史資料)
□
無形文化財
■
文化的景観
□
その他(
ふりがな
おきしま
名
称
所 在 地
指定等の状況
現 況 等
時
せいぎよう
しよくぶんか
代
)
概 要 と 特 徴
・近江八幡市から琵琶湖の沖合1.5kmに浮かぶ沖島は、琵琶湖最大の島。周囲6.8km、面積1.53平方キロ。
・約400人が居住する有人島で、淡水湖の島に人が住んでいる事例は、沖島のみ。
・明治中頃から昭和30年代まで石材の産地であった。
・島内の民家の大半は妻入りで、二階建て瓦葺きが多い。また、妻入りの家は間口が2∼3間ほどしかないた
め、通り庭ではなく前土間型の間取りを取る。
・全戸数の約7割が漁業関係に従事している。
・古くは「地曳き網」が主流。彦根から近江八幡にわたる湖岸にいくつもの網曳き場を持っていた。代表的な
漁の方法は沖曳き網で、北湖一円に出漁し、ワカサギ、イサザ、モロコ、ニゴロブナ、ゴリ、エビなどを獲っ
ており、ふなずしをはじめとしたエビ豆若煮など食文化に直結している。
・1980年代に人工飼育に適したサイズの小さなコアユをとらえる船曳きの方法が沖島で考案され、島民の大き
な収入源となっているという。
・琵琶湖との関わり抜きに語れない沖島の生業と食文化。在り方そのものが近江水の宝にふさわしいといえ
る。
写真・図面等
沖島の集落
漁港の様子
関連文献
近江八幡市『近江八幡の歴史』第一巻、街道と町並み、二〇〇四年。
備
考
作成者名
松室孝樹
びわ湖と水が織りなす文化的景観 現況把握調査票010
■
埋蔵文化財
□
史跡・名勝・天然記念物
伊香郡西浅井町塩津浜
□
有形文化財(建造物・建造物群)
なし
□
有形文化財(石造物・石橋等)
水田および河川・湖岸
□
有形文化財(美術工芸・歴史資料)
□
無形文化財
□
文化的景観
□
その他(
ふりがな
こ ほくたん
名
称
びわ湖北端の 港
所 在 地
指定等の状況
現 況 等
時
みなと
代
へいあんじだい
しおつこう
みずべ
じんじや
平安時代の塩津港と水辺の神社
古代∼近代
)
概 要 と 特 徴
・ 塩津港は延喜式によって北陸道諸国の物資の集積港として規定され、近代に至るまでの間、琵琶湖の北
端、北陸方面への結節地の港湾として大いに栄えた。
・ 江戸期(近世)には145艘もの丸子船を擁し、琵琶湖岸有数の港湾施設として栄えている。
・ 大川改修事業に伴う発掘調査では、中世期(11・12世紀)の湖岸の中洲に建つ神社遺構が確認され、5
体の神像のほか300点を超える起請文木簡や大量の土器類などが出土した。
・ 起請文木簡の内容では、船運送関係者が自らの信頼性を誓ったの内容のものが多く、中世前期の信仰と
ともに商業・経済の実態を示すものとして注目をあつめている。
・ 琵琶湖の水運を1000年以上に渡って担ってきた代表的港湾施設として、また、発掘調査の成果からも、
中世前期の港湾施設の実態を示す希有な事例として、極めて重要な存在である。
写真・図面等
塩津港遺跡出土神像
塩津港遺跡発掘調査全景
関連文献
・ 滋賀県教育委員会編『近江湖物語1
備
水の浄土 琵琶湖』(2007年)
考
・ 発掘調査は現在も継続中
・ 遺構は広範囲に良好に遺存してる可能性が高い。
作成者名
細川修平
Fly UP