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日本の特別地域特別編集58 これでいいのか 山梨県(無料立ち読み版)

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日本の特別地域特別編集58 これでいいのか 山梨県(無料立ち読み版)
 山梨県は、複雑な個性を持つ土地である。
まず﹁交通の要所﹂でありつつ﹁山に囲まれた閉鎖空間﹂であるという、とても同居できそうも
ない両面を色濃く持っている。山梨県は旧甲斐国とほぼイコールの県であるが、
﹁甲斐﹂の語源自体
が﹁道の交わる交︵カイ︶﹂と﹁山に囲まれた峡︵カヒ︶
﹂という正反対の説がある。
県 内 で も、 地 域 ご と の 違 い は 大 き い。 山 梨 県 の 時 点 で 南 ア ル プ ス や 関 東 山 地 で 他 県 と 分 断 さ れ て
いるのに、県内だけ見ても笹子峠に代表される数々の峠で甲府を中核とする﹁国中﹂地方と、それ
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以外の﹁郡内﹂地方に分断される。この国中にしても郡内にしても、それぞれさらに細分化される。
山の中の小さな土地で人口も少ない山梨県だが、それでいて日本史においては非常に目立つ地域
である。平安時代から戦国時代まで武家の名門として目立ちまくった武田氏。江戸時代から近年に
梨県内は壮絶な内ゲバ体質であり、武田一門は息をするように一族で殺し合い、甲州財閥の時代に
なっても社長同士が刺客を雇ってライバルの暗殺を狙うような恐ろしい土地だ。そのくせ、山梨県
人には強力な一体感があり、殺し合いをしていたライバルと一致団結して事業に取り組んだりする。
どっちなんだよ!
近年ではその団結力が存分に発揮され、霊峰富士山の﹁世界文化遺産﹂登録を成し遂げた。平成
の大合併では、ほとんどの合併がスムーズで協力的に進められた︵戦闘的だった事例もあるけど︶。
これにて山梨県の未来はバラ色だ!
といいたいところなのだが実際は問題も多い。人口の減少は
止まらず、甲府などの中心地にはシャッター街が広がっている。﹁関東の奥座敷﹂と呼ばれた一大観
光地、石和温泉の隆盛も今は昔である。
一体、山梨県とは、そして山梨県民とはいかなる存在なのか。本書はそれを探っていく。あまり
にも激しい明と暗のコントラスト。一体感があるんだかバラバラなんだか分からない県民性。これ
らを一つ一つひもときながら、本当の山梨県を探していきたい。
これでいいのか
山梨県
特別編集
日本の特別地域
いたっても、日本経済界で異彩を放つ甲州財閥︵甲州商人︶
。それでいて、武田家も甲州財閥も、山
は じ め に
YAMANASHI-KEN
富 士 山
登録まで苦節 年!
その過程で美化も完了
21
21
山が世界遺産になるのは、日本人
自慢のお山ではあるが
なら﹁当然だろ、むしろ遅いよ!﹂
自然環境としては⋮⋮ と言いたくなるはず。
⋮⋮そう、富士山が世界遺産登
録されるには、先述のように 年
2013年6月 日、カンボジ
の歳月が必要で、実際に非常に遅
アの首都プノンペンにて開催され
かった。そもそも当初、富士山周
たユネスコによる﹁第 回世界遺
辺自治体が目指したのは、やはり
産委員会﹂にて、富士山や周辺地
自然遺産としての登録だった。1
域が世界文化遺産﹃富士山︱信仰
992年、ユネスコの世界遺産条
の対象と芸術の源泉﹄として登録
例に日本が批准するや、真っ先に
された。富士山の世界遺産登録を
待望してきた山梨県、そして静岡 ﹁富 士 山 を 世 界 自 然 遺 産 に!﹂と
いう運動が開始されている。
県にとって、登録を目指してから
の苦節 年の努力が実った瞬間で、 しかしレジャーとしての登山が
根付いてきた 年代から 年代あ
両県民どころか日本中から喝さい
たりに富士山を登ったことがある
の声がわき上がったのも記憶に新
人ならばご存じだろうが、登山客
しいだろう。
の増加、それに伴うゴミの投棄や
富士山といえば、言わずと知れ
トイレ処理問題などがあり、富士
た本邦最高峰であり、またその景
登山道は事前のイメージとは大き
観は日本を代表するアイコンとも
く違ってかなり汚かった。山頂ま
なっている。花は桜、鳥なら鶴、
で の 登 山 道 に は 山 小 屋、売 店 が
そして山なら富士山。そんな富士
21
22
37
70
00
10
富士山
甲州財閥
合 併
点々と並ぶなど、ありのままの自
梨・静岡は続いて﹁ならば文化遺
然な姿ではなく観光地として整備
産登録を﹂と狙いを変えた。富士
もされていた。
山は﹁日本を代表する信仰と芸術
の対象﹂であるとして再度、世界
さらに、木も生えず野生動物も
住まない富士山は、五合目以降に
遺産登録へと動き出したのだ。
見るべき自然はないともいわれて、
まず﹁文化としての富士山﹂で
環境の希少度でも劣っていた。
は、最古の和歌集﹃万葉集﹄に富
世界自然遺産には﹁後世に残す
士山を詠んだ和歌が多数収録され
べき貴重な自然環境﹂が登録され
ており、少なくとも西暦600年
る。人の手が入り保全状況も劣悪、 代にはすでに﹁富士﹂の名で呼ば
そして美しくはあるが珍しい自然
れていたこと、鑑賞、芸術、そし
があるわけでもない富士山は、自
て信仰や崇拝の対象となっていた
然遺産にはなれなかったのだ。
ことがうかがえる。単に美しい山
というだけではなく、活火山とし
日本の文学や芸術に
て噴火する姿、雪景色と火山から
立ち上る煙が同居する姿を詠った
影響を与え続けた山
和歌もあり、火山のメカニズムも
分からなかった当時にはさぞ神秘
とはいえ、やっぱり日本国のア
イコン・富士山でもあるので、山
的な存在として映っただろう。
平安時代初期に成立したといわ
れ る﹃竹 取 物 語﹄、い わ ゆ る﹁か
ぐや姫﹂の物語にも富士山は登場
する。物語の終盤、月へと帰った
かぐや姫は帝へ不死の薬を置いて
いくが、帝は﹁姫がいないなら不
死などどうでもいい﹂と、駿河の
国︵静岡県あたり︶にあるという
月にもっとも近く高い山で、その
薬を焼いてしまうよう家臣たちに
命じる。その山は﹁たくさんの武
士﹂が登ったから﹁富士山﹂と呼
ばれ、不死の薬を焼いたために山
歴 史
甲府駅の改札を出たところにある観光土産のシ
ョーケース。当然ながら富士山がらみは多い
インフラ
産 業
災 害
山中湖、
河口湖をはじめとした富士五湖周辺は、
レ
ンタルボートや民宿、
キャンプ場、
ハイキングコー
スに飲食店などレジャー施設だらけ。かつてはも
っと無秩序な営業だった
11
格式ある信仰としての浅間神社に対して、江戸期
の大衆文化の一端として起こったのが富士講。初
夢の縁起物「一富士、二鷹、三茄子」の由来も江戸
期の富士講からだといわれている
頂の雪は万年雪となったとか。山
浅間大社が祀るのは、富士山自
の名前や環境をうまく物語に取り
体が神格化されたとする浅間大神、
込んだうえ、ひとひねり独自解釈
そして古事記に登場する水と火の
を加えた︵単純に不死=富士、で
女神・木花咲耶姫命︵コノハナサ
はない︶文学性を読み取れる。
ク ヤ ヒ メ︶。水 と 火 と い う 正 反 対
日本画、浮世絵などでも富士山
の性質を持つ神が富士山に祀られ
は格好のモチーフとなる。これも
ているのにも、面白い逸話がある。
年代によって描かれる姿が異なっ
高天原から降りてきた天津神が
ており、噴火によって形を変えた
土着の国津神を征服していく、い
富士山がその時代ごとに鮮やかに
わゆる国取り神話では、国津神側
描かれている。葛飾北斎﹃冨嶽三
から天津神・ニニギノミコトへ贈
十 六 景﹄、歌 川 広 重﹃東 海 道 五 十
られた女神として登場するのがサ
三次﹄などの浮世絵で描かれた富
クヤヒメ。ニニギノミコトの子を
士山は、海外へのアピール面では
身ごもるも﹁国津神の子では﹂と
効果バツグン。日本では庶民が親
浮 気 を 疑 わ れ、﹁神︵天 津 神︶の
しむ風俗絵だったが、海外では芸
子なら何があっても無事生まれて
術性を高く評価されたのが浮世絵
くるハズ﹂と出産中の小屋に火を
であり、その浮世絵で頻繁に描か
放たれるという苦難にあうも無事
れていたのが富士のお山なのだ。
出産、それが火の山でもある富士
山と同一視されることに繋がって
霊峰富士への信仰は
いる。また別の説では、火を噴く
山である富士山を鎮める水の神で
周辺地域に留まらず
もあるというし、火中出産の逸話
﹁信
から安産の神ともなっている。
文化遺産としてはもう一方、
仰の対象としての富士山﹂はどう
浅間信仰とは別に、江戸期にな
だろうか?
ると関東地方︵というか江戸の街︶
静岡県富士宮市に本
宮を置き、山頂にも奥宮を持つ富
も 発 展 し、
﹁東 か ら の 富 士 信 仰﹂
士山本宮浅間大社のほか、山梨側
も起こる。それが江戸から富士山
にも富士北麓を中心に浅間神社が
や富士五湖、麓の風穴などを詣で
点在。また周辺地域のみならず、
る﹁富士講﹂で、いわばお伊勢参
全国各地に浅間神社や富士信仰が
りの山岳信仰版だ。この富士講を
確認されている。
広めたのは江戸初期の行者・角行
12
甲州財閥
合 併
インフラ
で、彼が修業したという風穴︵人
いた状況だったのだが、地元NP
穴︶へ赴き碑塔を建立する行為が
Oが実験的に使い始めたバイオト
大流行。そして次第に、角行由来
イレが効果アリと見るや、予算を
の地を巡り、富士山にも登って江
付けてトイレ事情を徹底改善。現
戸へと戻る富士参りを行う参拝者
在ではすべてのトイレがバイオ化
も増えていったという。
されており、山肌への投棄などは
山梨と違い広大な関東平野に位
一掃された。また観光組合などと
置する江戸の街では、基本的に山
話し合い、違法建築の撤去や環境
影を見ることができない。にもか
保全についての取り組みも始める。
かわらず、晴れた日に西を見れば、 ほかにもボランティアらによる地
富士の山頂が江戸のあちこちから
道な清掃活動や美観啓蒙運動、い
見ることができた。はるか遠くに
かに日本の文化にとって富士山が
あるはずなのに、唯一目視できる
重要かのプレゼン活動、また国内
山である富士山の姿、そのスケー
に向けても﹁霊峰・富士﹂の魅力
ルの大きさが信仰心へと繋がり富
や浮世絵に描かれた富士の美しさ
士講も一般化していったのだろう。 をアピールするなどの活動を続け、
その努力が実っての世界文化遺産
山梨・ 静岡両県が
登録となったのだ。
協力したからこそ!
富士山はどっちのものか、なん
て県民レベルでは言い合うが、こ
と世界遺産登録に関しては山梨・
静岡は手を取り合っての活動を展
開した。しかし、静岡側の登録地
で あ る 三 保 の 松 原 は、土 壇 場 で
﹁富 士 山 か ら 離 れ す ぎ て い る︵約
キ ロ︶
﹂と 除 外 さ れ か け る ト ラ
ブルも発生している。最終的に受
理されて結果オーライなのだが、
仮に対象外となっていたら静岡側
の見せ場が減ってしまいアンバラ
ンスなので、まずはよかったと胸
をなでおろす山梨県なのであった。
富士山
﹁文化の象徴としての富士山﹂と
いうアピールには説得力があるも
のの、それはそれとして﹁ゴミが
散らかり放題﹂では、貴重な文化
遺産を管理できていないとの烙印
を押されてしまう。そこで山梨・
静岡両県は、様々な環境整理を進
め始める。まずはトイレ問題。そ
れまではシーズンオフになると溜
めた屎尿を斜面に投棄し、溶け残
ったトイレットペーパーが斜面に
筋を描く﹁白い川﹂を出現させて
歴 史
45
産 業
災 害
中腹である五合目までは富士スバルラインを利用
して車で到達できるし、駐車場も完備(売店もた
くさんある)
。今後は入山者数制限のため、
スバル
ラインの通行規制も厳しくなる予定だとか
写真提供:山梨県観光部
13
合
YAMANASHI-KEN
併
平成の大合併は
山梨型がモデルケース
るなど、小さな自治体を統合して
平成の大合併で大き く 住みやすい環境を作りましょう、
変化した山梨の市町村 という名分で進められていった。
山梨県でも市町村合併が進めら
れ、市町村数 から最終的には
1999年から約 年間に渡り、
と、半減以上となる自治体の再編
政府主導で行われた市町村の合併
成が行われている。山梨県の中心
推進、これがいわゆる﹁平成の大
市である甲府市は周辺の町村を吸
合 併﹂
。1 9 9 9 年 時 点 で の 全 国
収し、また塩山市は1町1村と合
の自治体数は約3200となって
併し甲州市へと名を変えた。上野
いたが、これを1000程度にま
原町は秋山村と合併し上野原市へ
で減らそうという、大規模なプロ
と昇格したし、中巨摩郡では山間
ジェクトだ︵最終的には1700
部の6町村が合併して数少ないカ
程度に︶。
タカナ名を持つ市・南アルプス市
平成の大合併の目的は、小規模
になっている。
で財政基盤も弱い町村を周囲の市
町村と合併させることで、細かい その一方で大月市や都留市、韮
崎市など合併を行わなかった市も
住民サービスの提供を可能とする
あるし、同様にあえて村のままで
こと。例えば国や県から降りてく
いることを選んだ自治体、逆に合
る財政支援があったとして、その
併相手がみつからなかった村もあ
額は村より町、町より市のほうが
る。ここからは、山梨県の合併事
多くなる。総合病院や警察署、消
情を詳しく振り返ってみよう。
防署なども配置、整備しやすくな
10
64
27
18
富士山
甲州財閥
合 併
インフラ
活圏や地理的な条件などを加味し
昭和からの周回遅れで
﹁こ ん な 合 併 な ら い ろ い ろ と 便 利
なのでは?﹂といったモデルケー
県主導の合併推進が
スを 例も提示。実際にこの提示
された形と同じく合併を果たした
山梨県内の合併劇、その先陣を
切ったのは旧・南部町と富沢町。
エリアもあれば、参考にしつつア
南巨摩郡の南端にあるこの両町は、 レンジが施されたケースもあった
日常的に町民が行き来するなど生
が、何にせよ指標として大いに役
活圏がほぼ同じであったというこ
立てられたようだ。
ともあり、大きな問題もなくすん
山梨以外の都道府県では、従来
なりと合併が果たされた。この2
通りに国も県も口を出さずの合併
町の例に倣うように、山梨県内で
協議が進められていたが、この山
は市への昇格を狙っての無理やり
梨型合併ガイドブックが作成され
合併といったケースが少なく、基
るや、参考にすべく多くの担当役
本的に﹁生活圏﹂を基準とした合
人が山梨県庁を訪れたとか。この
併が行われていった。
エピソードからも、山梨県の合併
また、山梨型合併のもっとも特
に対する積極性、斬新性が分かる
徴的な点は、山梨県が主導して合
だろう。
併推進を行っていたことだ。平成
じゃあなぜ、山梨県は平成の大
の大合併自体は国の主導で進めら
合併にこれほど積極的に取り組ん
れはしたが、内閣やら総務省が直
だのか。一説には﹁昭和の大合併
接合併に口を出してくるワケでは
でやり残しが多かったから﹂だと
もちろんなく、各自治体がそれぞ
もいわれている。
れで合併協議会などを作っては合
1953年頃から進められた合
併の可否を判断していった。これ
併促進政策が﹁昭和の大合併﹂で、
自体は山梨県でも同じなのだが、
この当時は戦後復興の推進のため、
県はより合併がスムーズに進むよ
また小学校や中学校を設立するた
うにと﹁合併ハンドブック﹂なる
めの自治体あたりの人口増を目的
資料を作成し、各市町村はそれを
とした合併が推進された。新設中
元に合併協議を進めていったとい
学校を置くのに、人口約8000
うのがポイントだ。
人を有することが指標とされてお
り、この水準を満たすための合併
このハンドブックの中では、生
歴 史
27
産 業
災 害
平成の大合併により新たに誕生した新市も多い。
その中には、一人勝ち状態の甲府市に組み込まれ
ることを良しとしなかった甲斐市や中央市など、
対甲府感情が影響した合併劇もある
19
も多かった。その頃の山梨県でも
く、例えばさすがに甲府市と対等
多少の合併は行われたのだが、ど
合併できるほどの自治体は県内に
うも必要最低限での合併しか起こ
はないのだが、逆にいえば県内で
らなかったらしく、やたらと小人
突出して大きな力を持った自治体
口の町村ばかりが多く残る結果と
は甲府しかなかった。市と村など、
なっていたのだ。
とても対等とはいえない規模の合
併もありはしたのだが、名目上は
平成の大合併以前の山梨県は前
述のように の市町村があり、そ
あくまでも対等であること、吸収
の平均人口は約1万4000人ほ
合併のような形を取らずに合併協
ど。しかしご存じのように人口は
議を進めていったために、多くの
甲府市に集中しており、それを考
ケースではトラブルも少なく合併
えれば平均1万人にも満たない小
成立に至っている。
さな町村が非常に多い県であった。
また、地域性を重視して合併し
そこへきて全国的な不況や少子高
ていったとは前述したが、このほ
齢化問題も発生しており、各自治
かに地形による合併の可否も重要
体とも財政だって豊かとは言い難
な要素となった。ご存じのように
い。この先あなたたちの市町村は、 山梨県は、山、山、山、所どころ
独自にやっていけるんですか?
に盆地や谷という地勢なので、仮
というシビアな問題もあって、
﹁昭
に地図の上では隣り合っていても、
和から周回遅れ﹂とやや自嘲気味
実際には険しい山を挟むようなエ
につぶやきつつの合併推進が行わ
リアが多くある。ココとココは隣
れたのだという。
り合っていて、人口も財政規模も
同じだから、といった理由だけで
対等合併でみな納得
は合併協議を進めることができな
例外は韮崎の読み違い い。例えば大月市と甲州市は大菩
薩嶺、笹子峠で区切られているか
ら往来しにくく、よって合併話も
具体的にどのエリアで、どんな
合併が行われたかというのは、こ
持ち上がらなかった。また、上九
のあとに紙幅を割いてじっくり解
一色村の分割は地形と住民の種類
説するとして、県内の合併で重視 ︵地 元 民 開 拓 民︶と 両 方 の 理 由
されたのは﹁対等合併であること﹂ によって行われている。
だ。全部が全部というワケでもな
こうした地形と地域性の関係か
64
or
山岳地帯の中巨摩郡6町村が合併して誕生した南
アルプス市は、その珍しい市名から全国的に注目
を集めた。住民は南アルプスに愛着があるだけに、
この名も快く受け入れている模様だ
20
歴 史
富士山
甲州財閥
合 併
合併がその後の自治体の運命をくっきりと左右し
たことは間違いない。韮崎市は当初、現・北杜市
地域の自治体との合併を視野に入れていた。がっ
……まとまらず結局、
単独のまま
産 業
災 害
ら、恐らく合併するだろうと目さ
して甲府まで出てしまうのだから、
れていたのに、蓋を開けたら孤立
特に韮崎市にこだわる必要性も薄
してしまったというレアケースが
か っ た の だ。そ の 結 果、﹁韮 崎 以
韮崎市。いわゆる峡北地域の中心
外で集まろうか﹂と北杜市が誕生、
地を自認していた韮崎市だけに、
現在では人口でも韮崎市を上回っ
峡 北 地 域 一 帯 で 合 併 し、
﹁大 韮 崎
てしまい、驚きの下剋上である。
市﹂誕生を当然ながらイメージし
そして、韮崎市の南・西側は南
ていたのだが、なんと韮崎以外の
アルプス市として成立し、東側の
峡北エリア8町村が合併して北杜
敷島町・双葉町は甲府市に対抗す
市が誕生してしまったのだ。
べく甲斐市として合併。もはや合
併に応じてくれる自治体がなくな
韮崎市としては、県北端にあり
境界線も接していない大泉村、小
ってしまった韮崎は、栄光ある孤
淵沢町あたりは無理だとしても、
立︵?︶を貫くことになった。
隣り合う武川村、明野村、須玉町
た だ、こ の 韮 崎 の 例 に し て も
あたりは生活圏も一致しているの ﹁韮 崎 憎 し﹂と い う 喧 嘩 別 れ の 結
で当然合併するものだと考えてい
果ではないし、県全体的にも親和
たし、サントリーの工場がありブ
性の高いエリア同士の合併ばかり
ランドにもなっている白州町もあ
なため、合併後も不協和音が聞こ
わよくば取り込みたかった。が、
えてくるようなこともない。全体
どうも峡北8町村はそうした韮崎
的に山梨県の合併は、各県のモデ
の思惑を読んでいて、何より韮崎
ルケースとなるような成功例が多
市が完全に対等な合併に応じるか
いといえるだろう。
も疑問視していた。具体的には、
合併を推進した特例法・合併新
韮崎市という看板を下ろして新市
法は2010年で期限切れとなり、
名を採用することはないだろうと
合併推進もそこで一区切り。県内
考えていたし、であれば吸収合併
では同年3月に鰍沢町と増穂町が
に見えてしまうから面白くない。
合併して富士川町が誕生し、これ
また生活圏は同じとはいえ、そも
が最後の合併となる。県としては
そも韮崎を峡北の中心市とも考え
今後も合併を行いたいようだが、
ていなかった。韮崎には目立った
すでに新たな財政支援措置は受け
産業も働き口もないうえに、大き
られないため、これ以上の合併は
な買い物に行くのでも韮崎は通過
しばらく起こらなそうだ。
インフラ
21
災
YAMANASHI-KEN
害
地形が被害を増大させた
歴史的大豪雪
の作用をもたらす。雨雲、台風、
山と盆地の特性ゆえに 雪雲、低気圧の塊などが山梨上空
へと入り込んだ場合、高い山々に
発生した大規模雪害
さえぎられてそれらの停滞現象が
発生、つまり﹁盆地部分に雨雲、
山梨県は富士山、北岳、八ヶ岳
雪雲がすっぽりハマる﹂ため、一
などの高い山や身延山地、奥秩父
気に大災害へと発展しやすくなっ
山地などの山岳エリアが多いが、
てしまうのだ。
にもかかわらず降水量は少なく日
照時間が長いという、自然災害が さらに、これまた盆地の特性上、
県外への脱出路は必然的に山間を
起こりにくい自然環境にある。盆
縫う谷間のルートに限られる。水
地の特性として夏暑く冬寒いもの
の、我慢できれば乗り切れるのが、 害、雪害が発生した場合は、この
谷間の部分に被害が集中しやすく、
大部分の山梨の自然環境だ。
結果として国道や鉄道網が遮断さ
が、この山と盆地という山梨特
れ、脱出することも救出のために
有の地形が、時にとんでもない自
入り込むことも難しくなる﹁陸の
然災害を発生させることもある。
孤島﹂と化す。今回の豪雪は関東
それを久々に思い出させられたの
全域で被害を出し、各地で交通網
が、2014年2月 日から数日
はマヒしたが、平野部は混乱こそ
に渡り降り続けた豪雪被害、通称
あれ移動は可能だった。しかし、
﹁平成 年豪雪﹂だ。
山梨県は盆地の内外で完全に遮断
台風や豪雪などの悪天候災害の
されてしまったのだ。
場合、この山と盆地の地形が最悪
26
14
30
歴 史
富士山
甲州財閥
合 併
各地で停電、物資の不足から低体温症やその他体
調不良を訴える人が多かったものの、交通網はマ
ヒ状態。なんとか雪かきを終えると、すぐに救急
車もフル稼働状態となっていた
産 業
県内では、豪雪により車に閉じ
農業に壊滅的被害
込められるなどの原因で、5名が
死亡。家屋倒壊や、窓を突き破っ
交通網も完全に遮断
て雪がなだれ込むなどの建物被害
も多数発生している。
平成 年豪雪で山梨県が受けた
被害を確認してみよう。
中でも甚大な被害を受けたのが
まず、積雪状況は甲府市で最大
農業だ。県のまとめによると、被
114センチ、河口湖で143セ
害額がもっとも多いのはビニール
ンチ。ちなみに、気象台観測値で
ハウスなどの農業施設で122億
は河口湖が全国1位、甲府が同2
9700万円。野菜などの農作物
位の積雪量だから、いかに山梨県
への被害は 億5500万円、果
が局地的な豪雪に見舞われたかが
樹などの樹体被害は6億3800
分かるだろう。山梨は1998年
万円、さらにJAの共同利用施設
にも豪雪による被害を受けており、 も4億5000万円の被害を受け
河口湖で センチ、甲府で セン
るなど、大雪による農業関係の被
チという当時の歴代最高積雪を記
害総額は171億7300万円に
録。平成 年豪雪では各地で歴代
のぼっている︵各3月3日現在︶。
最高値を大幅に上回る積雪量とな
交通インフラへの被害も大きく、
った︵山梨に限らず︶。
県 外 へ 通 じ る 道 路 は ほ ぼ 遮 断。
ピーク時︵2月 日︶では 路線
カ所が通行止めになった。甲府
市古関町では﹁県道で雪崩、車4
台が埋まる﹂という被害も発生。
古関町は精進湖にも近い山間部で
は あ る が、﹁甲 府 市 で 雪 崩﹂の イ
ンパクトは凄まじいものがある。
鉄道への被害も大きく、県内を
走る鉄道路線はすべて数日間の運
休に。交通路の復旧は雪がやんで
から約2日、 日頃からは順次開
通していったが、雪が積もり始め
た 日から約4日間も孤立したこ
インフラ
害
2014 年豪雪当時、駅で貼り出された運行状況。
数日間に渡り、
終日運休となった
災
31
43
14
37
16
18
36
26
89
26
49
雪害装備を持っていない山梨県に代わり、自衛隊
による救助活動、除雪作業が各地で行われた。東
日本大震災でもそうだったが、自衛隊の災害対応
能力の高さには驚かされるばかり
とになる。早川町などは唯一の陸
路である県道が雪に埋もれ、自衛
隊による除雪作業などで通行可能
となったのは 日。一部では通電
もストップしたから、凍死者が出
てもおかしくない状況だった。
これほどの状況となれば行政に
よる迅速な対応も必要になるが、
肝心の行政府である山梨県庁自体
が雪に埋もれて、知事以下の主要
スタッフも庁舎へたどり着けない
有様に。もっとも、誰しもが同じ
く雪に埋もれていたのだから、責
興 費 と な る し、富 士 北 麓 の レ ジ
めるワケにもいかないのだが。
ャー産業施設の復興だって重要だ。
山梨に除雪車は必要? 冬が終われば雪害対策はしばらく
必要なくなるし、基本は雪が少な
災害対策で悩みも
い地域なだけに﹁喉元過ぎれば寒
さを忘れる﹂ということになる。
新潟・長野などの豪雪エリアの
そもそも雪害対策には莫大な費用
自治体とは違い、山梨県は除雪車
がかかるため、雪国の各自治体は
など持っていない。近隣県から除
費用念出に頭を抱えている。山梨
雪車を借り、また自衛隊による除
県がそこまでの費用を出せるのか、
雪作業やヘリによる救助、物資運
出すべきかは難しい問題だ。
搬などで必死の復旧作業を行い、
なんとかしのいだが、では今後の 常に雪害に対して備えておく必
要もないだろうが、豪雪被害も今
ために豪雪対策が必要かといわれ
回がはじめてではないのだから、
れば難しい面もある。災害対策の
陸路用に多少の除雪車両を備えて
宿命である﹁数十年に一度の被害
おくくらいは必要か?
のために莫大な費用を投じるか否
鉄道網の
除雪に関しては、富士急さんに費
か﹂という問題があるのだ。
用を持っていただくのは、どうだ
費用の問題でいえば、当面最優
ろう
先で投入すべきは農業被害への復
19
⁉
甲府駅前の商店街は日中ほとんど人がいない。
が、
雪かきの際はどこからともなく若い人が集まった
32
日本の特別地域
特別編集
これでいいのか
山梨県
はじめに ⋮⋮1
山梨県MAP ⋮⋮2
歴史
武田氏が来た理由は意外とダーク⋮⋮6
富士山
登録まで苦節 年!
その過程で美化も完了⋮⋮
甲州財閥
東京の交通を制する日本初の地方財閥⋮⋮
合併
平成の大合併は山梨型がモデルケース⋮
インフラ
平地が少ないから鉄道は脆弱
あとはリニアに賭けるだけ?⋮⋮
産業
山の恵みをフル活用
水が金になる ⋮⋮
災害 地形が被害を増大させた歴史的大豪雪⋮⋮
14
10
山梨県ってどんなトコ?⋮
山梨県基礎データ⋮⋮
第1章
22
富士山 ・ 世界遺産で国中、郡内の不協和音勃発 ⋮
●
軍事基地から商業都市へ大きく変化した甲斐国⋮⋮
42
39
18
30 26
44
!?
製糸業をもとに、経済界を牛耳った甲州人⋮⋮
46
40
!!
朝廷勢力の東国進出前線基地
武士の盛り上がりで山梨に変化が ⋮⋮
山梨人は信玄公のもと団結する ⋮⋮
!?
21
38
4
陸の孤島が生んだ山梨の特殊社会
CONTENTS
!?
山梨人ってどんなヒト?⋮
コラム① 日本の伝統的サイン﹁花押﹂の本家は山梨!⋮⋮
第2章
⋮⋮
山に囲まれた山梨県を地区別に解析!
結局は国中と郡内⋮⋮
国中と郡内で異なる気質はどうして生まれたか?⋮⋮
山梨の女は﹁気性が荒い﹂は本当だった
無尽の歴史の影響か?
県民所得が意外に多い⋮⋮
海無し県だが魚は大好き!
マグロの看板は今でも客寄せに⋮⋮
教育意識はもともと高い!
さらには華僑なみのネットワークも⋮⋮
甲府周辺は物騒な事件が目白押し
これも古の風習か?⋮⋮
富士山は山梨のもの? 静岡のもの?⋮⋮
49
48
甲府市は問題だらけ?⋮
コラム②
甲府鳥もつ煮は一味違う!⋮⋮
第3章 山梨の大黒柱
大規模無尽でのし上がった甲州商人のしたたかさ⋮⋮
中心街の再開発は本当に進む ⋮⋮
58
●
●
52
56
衰退する商店街に打つ手はあるのか?⋮⋮
甲府の上から目線に周辺地域はもううんざり⋮⋮
コラム③
甲州商人が救ったヴァンフォーレ甲府⋮⋮
68
76
74
70
67
54
50
62
60
!?
64
66
72
!?
山梨県
日本の特別地域 特別編集 これでいいのか
第4章
⋮
国中の大合併は市名で大バトル!⋮
甲州のぶどう誕生は土地が肥沃じゃなかったから?⋮⋮
対等合併と言い張る笛吹市と住民のズレ⋮⋮
⋮⋮
優良財政昭和町は合併無視
中央市はすべてが暫定?⋮⋮
名前にこだわった山梨市と甲府を拒んだ甲斐市の現状⋮⋮
高飛車な韮崎は北杜に見捨てられた
名前で揉めまくった北杜 落としどころは高校名⋮⋮
関東の奥座敷・石和温泉は裏社会問題で大荒れ!⋮⋮
南アルプス市名誕生は巧妙な策略 ⋮⋮
日蓮総本山・身延山は活況 早川町は孤島中の孤島⋮⋮
大月・都留は通過されるだけ
コラム④
山梨の隠れた偉人たち⋮⋮
東京からの玄関口
第5章
⋮⋮
77
97
●
●
大月は都内への通勤限界地点か検証してみた!⋮⋮
ベッドタウンなのに過疎化 上野原市の特殊事情⋮⋮
地形が阻んだ大合併 小菅村&丹波山村は東京のもの
かつては甲斐絹の大生産地
今では衰退しまくる都留⋮⋮
郡内に﹁平成の大合併﹂の影響が少ない裏事情とは ⋮⋮
102
106 104
!?
78
84 82
80
86
92
96
94
⁉
⁉
90 88
98
!? 100
!?
CONTENTS
コラム⑤ 大物政治家が通した リニア実験線⋮⋮
⋮
観光特化の南都留郡は富士山と富士五湖頼り?⋮
郡内の交通・観光を仕切る富士急行の貢献と野望⋮⋮
世界遺産登録を素直に喜べない麓の人々⋮⋮
山梨よりも気持ちは横浜!
道志村の産業と位置関係⋮⋮
河口湖・山中湖畔は別荘需要で大繁盛 ⋮⋮
114
第6章
108
位 元凶はやはり青木ヶ原か?⋮⋮
コラム⑥ 富士の裾野に広がる北富士演習場⋮⋮
山梨県は 年連続自殺者
今は無き上九一色村は移民と地元民とで真っ二つ⋮⋮
116
128
好調な地域はあるがほんの一部 山梨県は危機的状況にあるのか⋮⋮
人口減少は止まらない
新たな再開発が必要だ⋮⋮
山梨県にはチャンスがある 柔軟かつ果断ができるはず!⋮⋮
126
131
124
109
!?
第7章 富士山麓が潤っているうちにがばっとかえなきゃダメじゃん
120
112
110
118
!!
●
●
1
●街の気になるスポット⋮⋮
●参考文献⋮⋮
138
123
122
7
山梨県
日本の特別地域 特別編集 これでいいのか広島県
国中と郡内で異なる気質は
どうして生まれたか?
笹子トンネルは
大丈夫か?
国中と郡内で分断されて
きた山梨県だが、近年その
関係は大きく変化してきて
いる。その象徴とも言える
の が、両 エ リ ア を つ な ぐ
﹁笹子トンネル﹂だ。
一言に笹子トンネルとい
うが、実は笹子トンネルは
3つある。国道 号︵甲州
街 道︶
、J R 中 央 線、中 央
高速それぞれのものだ。
一番古いのは鉄道用のも
ので、現在の中央線が開通
したのと同時にできた﹁笹
子隧道﹂から続いている。
国道が通じたのはかなり後
で1938年。高速用のも
のは1975年である。
国中と郡内、さらに東京
方面との交通を劇的に変化
させた笹子トンネルだが、
この成立には紆余曲折があ
った。最初にできた鉄道用
のトンネルも、当初は明治
長野↓甲府↓御殿場↓東海
めに、長野と東京や神奈川
との接続が重視されたため、
期の﹁生糸運搬路線﹂のた
20
田舎の国中と
都会な郡内?
﹁壁﹂に隔てられた国中と郡内。
では、その気質の違いとは具体的
にどのようなものなのだろうか。
﹁郡 内
一 般 的 に 言 わ れ る の は、
は都会っぽい﹂ということである。
なるほど、大都会である東京︵江
戸︶に行くにしても、峠をふたつ
も越えなければならない国中よりも、
ひとつ越えれば良い郡内のほうが
遥かに楽である。この、交通条件
の違いが都会っぽい郡内を作りあ
げたのだろう。
これに対して、甲府盆地という
完全な隔離地帯である国中は、良
くも悪くも独自性が強い。また、
県都︵国府︶があるわけで、当然
政治的には郡内に対してアドバン
テージがあった。また、江戸時代
山
梨
県
ト
ピ
ッ
ク
ス
52
山梨県の方言
わざと
ゴロ
車輪、車、キャスター
もちにいく
とりにいく
ぶんだす
そろっぱ
出発する
そろそろ
おそっぱめ
遅くに 遅めに
このけん
このくらい
そろす
揃える
雄大な富士川を身延山へのぼるロープウェイから
撮影。このあたりは支流も多い
全長 4.5 キロにも及ぶ巨大トンネルゆえ、崩落
対策はしっかりとおこなって欲しいが……
内部でも交通状況が悪く、方言ひ
に農業技術が進歩し、国中ではそ
ラと付き合うくらいなら東京︵江
とつとってみても細部ではかなり
れなりに米を作れるようになった
戸︶いくわい﹂となり、さらに﹁都
のだが、郡内は基本的に山間地ば
会っぽく﹂なっていったのである。 の違いがあったりもする。
かりのため、どうしても米に関し
また、食料の生産力が弱いことを これに対して国中人は、峠を越
える必要がある東京よりも、富士
ては国中を含む他の地方から回し
カバーするためにその他の産業を
て貰うしかなかった。このため食
発達させ、特に絹生産が盛んだった。 川を下れば近い静岡︵駿河︶との
つながりのほうが強い。実際今で
料という首根っこを伝統的に国中
このため、国中で蚕を育て、郡内
も身延線↓東海道線で甲府から横
が押さえているという構造があり、 で織るというシステムも出来上が
浜に向かうルートは非常に便利で
これもまた、国中・郡内に相克を
った。これも感情的な対立を生ん
あり、移動時間も短い。こうした
呼んでいたのである。
だひとつの要因だったのかもしれ
伝統から、国中=静岡派、郡内=
ない。原 料 生産 者︵国 中︶は﹁お
人口も少なく、食糧の自給も難
東京派といった構造も生まれてお
しかった郡内は、弱い立場のため
らが繭作らねば何にもできないず
り、それぞれの気質にも大きく影
地域単位でのまとまりが良く、し
らう﹂となるし技術を発展させた
響があると言われている。
かも基本的には国中から虐げられ
郡内人は﹁おぼこさん育てるしか
ていたわけで、自然とその目は東
能のない﹂という意識があったの もっとも、JR中央線や中央高
速が整備された現在では、こうし
に向いた。こうして﹁国中のヤツ
かもしれない。また、郡内はその
た気質の違いは薄れてきているが、
数百年続いた意識の違いは、今も
潜在的に残っているのである。
むりと
草履 これだけ(しかないのか)
あたふた あわあわ
急いで
まつめる
まとめる
慌てふためくこと
あばちゃば
はんで
スリッパやサンダルなども
じょーり
こらけ(しかねえだけ)
道線という路線が本命だっ
た。しかしこれが技術的に
難しいということや、山梨
県に利益をもっていきたい
甲府財閥の尽力で、中央線
が松本・甲府・東京を結ぶ
路線になったという経緯が
ある。東京甲府間の鉄道接
続、そして笹子トンネル成
立には、相当の努力が必要
とされたわけである。
が、やはり笹子峠はトン
ネルが通っても難物だった。
ついこの間の大雪もそうだ
が、雪が降れば交通封鎖、
2012年には高速用トン
ネルで大規模な落盤事故も
発生した。今後、リニア計
画に伴って本格的な第4の
トンネルが出来るのだろう
が、その対策ってどうする
んでしょうかね。
53
関東言語として定着
じゃん
同じ「じゃん」でも微妙に
言い回しが違うケースも。
また「○○しない?」など
勧誘の意でも「○○じゃ
ん?」など、やたら「じゃ
ん」が使われる
じゃんねー
じゃんけー
○○でしょう
○○じゃん
備考
標準語
甲州弁
○○の南に
○○の近くに
やたらと方角をいう
今いく時?
今なん時?
「何」を「いく」と読む
おまんとう おれんとう おまんとう おまっち
おめっち など
あなたたち
県内でも地域毎にかなり違
う。同じ発音で「わたした
ち」の意味で使う地域も
つめじくる つめくる
つみたくる つめきる
つめくる りみくる
つまぎる など
つねる
これも県内地域毎に様々な
バリエーションがある
たんぼ うしろ
たんぼ うしろ
アクセントが最初にあるこ
とが多い
てっ! でっ!
うわ! うお!
驚いたとき
○○ろば
○○れば
※『キャン・ユー・スピーク甲州弁?』①、②(五緒川津平太/著)を参照して作成
無尽の歴史の影響か?
県民所得が意外に多い
次の会合に使ったり旅行に使った
全国的には
りなどグループのために使われる。
こうして、資金難の社長は救われ、
ほぼ死滅した無尽
遊ぶこともでき、グループの結束
も強まるのである。
山梨県民には﹁無尽﹂は今もメ
ジャーだろうか。よく﹁無尽に入
無尽は、古くは鎌倉時代以前か
れば立派な山梨の一員に﹂などと
らあったようだが、前述のような
言う人もいるわけだが、これが有
スタイルが広まったのは江戸時代
名なのは、もはや山梨県くらいで
からだ。小口のものでは庶民の間
ある。
で流行した富士講や伊勢講など、
無尽とは、要するに小規模の融
お金を出し合って代表になった人
資を伴う相互互助システムである。 が富士山や伊勢神宮などにお参り
例えば、零細企業の社長が 人集
にいく﹁旅行無尽﹂というべきも
まったとする。この 人が 万円
のがある︵このくじは一度当たっ
ずつ出し合って100万円。これ
た人は次回以降引けなくなるので、
に仕入れ資金に乏しい数人の社長
無尽参加者全員が一度は旅にいけ
が入札し、2∼3割ほどの﹁利子﹂ る シ ス テ ム で あ る︶
。ま た、単 純
を差し引いた ∼ 万円ほどの融
に集まったお金をくじ引きで勝っ
資を受ける。返済時には額面の1
た 人 が 総 取 り す る﹁富 く じ 無 尽﹂、
00万円が返済されるため、残っ
先に紹介した融資システムに近い
たお金はこの無尽グループ内に積
庶民の﹁小口無尽﹂や女性同士で
み立てられる。この積み立て金は
行 わ れ た﹁前 垂 無 尽﹂、大 商 人 や
70
10
80
10 10
56
御成敗式目に「無尽」の記述
∼江戸時代
小口の相互金融、高級武士や大商人の千両無尽、
女性の前垂無尽、富くじ無尽などが普及
1716年∼
江戸幕府が富くじ無尽を他の賭博などと同様に
取り締まるようになる
明治時代
会社組織など組織的な無尽が普及
1915年
無尽業法が制定され、金融機関として確立
1931年
無尽業法改正
1951年
相互銀行法が制定され、無尽会社は相互銀行へ転向
1993年
相互銀行法廃止
定され、悪徳無尽業者の排除がな
飲食店や旅館などの看板によく見
された。世界恐慌が起こると、世
られる﹁無尽会承ります﹂に代表
界金融システムの影響を受けづら
される、飲み会や旅行の積み立て
い無尽会社はさらに発展。巨大化
的なものも多いが、政界や経済界
した無尽会社は﹁銀行﹂の一員と
では今も本来的な﹁千両無尽﹂が
して名実共に日本の金融システム
行われている。
を担う存在となる。
やはり、山梨県は江戸時代から
商業都市傾向が強く、経済システ
戦後はGHQ の勘違い︵富くじ
無尽のようなバクチだと思われた︶ ムへの理解が深かったこと︵事業
により無尽会社の存続が危ぶまれ
のためには仕入れなど手持ちを超
たが﹁相互銀行﹂への転身で対応。 える資金が必要になる場合が頻発
その多くはバブル崩壊後の再編で
するなど︶は、今も無尽が息づい
吸収・合併されてしまったが、個
ていることの大きな理由のひとつ
人間の無尽は細々と続き、主に農
だろう。甲州財閥が一致団結して
村・漁村地域で残っている。
鉄道に投資したり企業買収を行っ
ということで、巨大業者化・バ
たりしたのは、まさしく大規模無
ブルの荒波で極小化してしまった
尽の延長線上だ。
無尽がなぜ、山梨県では広く残っ
山梨県は、現在では養蚕も衰え、
ているのだろうか。現在の無尽は、 経済的には決して豊かな県とはい
えない。しかし、実は山梨県民の
所得︵県民ひとり当り︶は全国ラ
ンキングで上位におり、決して低
く は な い︵20 1 0 年 度 で 位︶
。
これは一部の産業が支えていると
いう面もあるだろうが、無尽とい
う相互互助の伝統が、窮地に陥っ
た会社や家庭を少なからず救った
のだと考えたい。一時的な資金難
で容易に破綻するのが今の経済で
ある。無尽というシステムがセー
フティネットとして機能したので
あれば、これは誇るべきことだ。
57
高級武士が大規模な資金を集める
ために行った﹁千両無尽﹂などが
普及した。
これらの無尽は富くじ無尽が流
行りすぎたおかげで幕府の規制対
象となってしまうが︵要するに少
人数の遊びから大規模組織ギャン
ブ ル に な っ て し ま っ た わ け だ︶、
明治以降はよりビジネス面の強い
無 尽 が 広 ま り、﹁無 尽 業 者﹂が 誕
生する。富くじ無尽も同じだが、
﹁顔 の 見 え る も の 同 士﹂の 信 頼 関
係で成り立っていた無尽も、近代
化とともに出資︵貯蓄︶と金利を
主眼とする﹁銀行化﹂したのであ
る。1915年には無尽業法が制
∼1232年
無尽の主な歴史
※各種資料より作成
無尽はスッカリ過去の物になった……なんてこと
はなく、
今でも集まりの名称に用いられる例も
13
やっとこアピールが始まった
甲州財閥の足跡
山梨県といえば甲州財閥、のはずなのだが、残念なことにそ
の知名度は驚くほど低い。そんな状況を改善すべく、ようやく
各地で動きが出始めている。 現在整備中の「オープン県庁」
は施設の耐震化工事に合わせてコミュニティスペースを県庁内
に設ける計画だが、その中に「山梨近代偉人館」が作られるこ
とになっている。とはいってもこれだけでは一般的な興味は引
きづらい。何かもう一工夫欲しいところである。
富士山は山梨のもの?
静岡のもの?
める必要性が薄いということで、
領土問題は
この問題は曖昧なままとなってい
る。こうした例は、東京都と千葉
解決したのか
県の境界線︵江戸川︶などいくつ
かあるが、とかく県民のプライド
山梨県民なら、基本的に富士山
は﹁我らが富士﹂として、先天的
や観光産業などに影響のある富士
というレベルで自らの一部という
山をはさんだ境界線問題は、様々
認識をもっているだろう︵部分的
な場所で議論されてきた。行政的
には肯定的ではないところもある
に﹁富士山の帰属﹂が問題なのは
が そ れ は 後 述︶。し か し、富 士 山
やはり﹁入山料﹂はどちらの県の
はその全域が山梨県にあるわけで
ものなのか、観光地に発生する税
はない。というか半分は静岡県側
金はどちらが徴収するものなのか
である。
という点である。
この、﹁富士山は山梨か静岡か﹂
この問題には一応の決着がつい
という論争は、甲斐VS駿河の時
た。1974年に﹁8合目より上
代から繰り広げられてきており、
は浅間大社︵富士山本宮浅間大社︶
境界線を厳密に制定するようにな
の私有地﹂という判決がでたので
った明治の廃藩置県から、具体的
ある。根拠としては、浅間大社が
な境界線の策定問題はヒートアッ
徳川家康より富士山頂を含む領域
プした。
の寄進を受けているといった﹁法
的根拠﹂が示されたことなどが挙
結局、いわゆる居住地や農耕地
ではないため、境界線を厳密に定
げられている。
64
で、山梨、静岡両県は、これを
持って手打ちということにしたの
だ。私有地、それも寺社所有地と
いうことで、特殊な場所だから境
界線の策定は行わない。併せて入
山料の徴収なども共同で行い、環
境整備なども共同という取り決め
が2014年成立。これをもって
公式に﹁富士山帰属問題はなかっ
たこと・両県共有地﹂という形が
整った。
県民レベルでは
山梨県の主張
静岡県の主張
千円札に描かれた富士山は
静岡側が「表富士」で
山梨県側のもの
山梨は「裏富士」
世界的に有名
富士五湖は全部山梨側
新幹線から見える富士こそ
湖に写る逆さ富士最強
海と富士山のコラボ最強
登山道は山梨側
浅間大社は静岡にある
難解な問題であっただけに、玉
虫色の解決といってもよいだろう。 な分類に過ぎなかったわけだ。
ただ、公的には﹁事実上決着﹂と
しかし、この概念が薄れた近代
いう形が出来上がったものの、住
では、とたんに﹁表・裏﹂対立が
民の感情という意味の対立はまだ
勃 発 す る。﹁表 日 本・裏 日 本﹂と
まだ収まることはない。
いう言葉が近年ではほとんど使わ
こ こ で 重 要 と な る の は﹁表 富
れ な く な っ た よ う に、
﹁裏 富 士﹂
士・裏富士﹂という言葉の存在だ。 もネガティブな言葉として忌避さ
ご 存 じ の よ う に 静 岡 県 側 が﹁表﹂ れ て い る。逆 に、静 岡 県 側 に は
山梨県側が﹁裏﹂である。この言 ﹁表 富 士﹂を ポ ジ テ ィ ブ な 言 葉 と
葉は、江戸時代にはすでに登場し
して連呼、ないしは﹁正当性の証
ており、有名な葛飾北斎の﹃富嶽
拠﹂扱 い す る 無 教 養 な 輩 も い る
百景﹄などのタイトルにも﹁裏富 ︵も ち ろ ん 大 半 の 静 岡 県 民 は そ こ
士﹂という言葉は採用されており、 まで愚かではない︶
。なので﹁やー
一般的に定着していた。そもそも
い裏富士﹂などと言われたらキッ
の﹁表・裏﹂という言葉は、その
チリとバカにしてあげるように。
ままイコール﹁南側・北側﹂を指
まあ山梨県側としては、千円札
す言葉であり、あまりポジティブ ︵旧5 千 円 札 も︶に 描 か れ た 富 士
/ネガティブな意味はない。要す
山は本栖湖の﹁逆さ富士﹂である
るに陰陽思想などによる、一般的
し、とあるテレビ番組では﹁富士
山は山梨県側から見たほうがキレ
イ﹂という結果となったりしたこ
ともある。山頂の領有者である浅
間大社は静岡にあるから富士山は
静岡のものなどと言われると、な
かなか言い返すのが難しいのだが、
公式には﹁どちらのものでもない﹂
となっているのだからこれも気に
しない。などなどの理由から、山
梨県民としては﹁まあ総合的に見
て富士山は多少山梨要素が大きい
かな﹂くらいな気分でいるのが妥
当なのではないだろうか。
65
依然対立が存在
山梨・静岡県民の富士山に対する主張
※各種資料より作成
山梨のみならず、日本の代名詞でもある富士山。
お菓子のレパートリーは数限りない
ゆるキャラによる振興策は
今のところ苦戦中!
今や町おこしの常套手段となったゆるキャラ。山梨県は富士
山の世界文化遺産登録に合わせて「ふじちゃん」をデビューさ
せた。が、2013 年度ゆるきゃらグランプリでは総合 513 位
と惨敗(熊本のくまモンは 11 年度のチャンプ)
。さらなる強
化策が望まれる。成功しているキャラは結構過激な性格をして
いたりするので、もう開き直って「キレると爆発する」
くらいの
勢いもいいからアピール力を高めて貰いたいものである。
しており、観光プラス果物という、
バランスの良い合併なのである。
とはいっても、いかに衰退して
いるといっても甲府と石和では規
模 が 違 い す ぎ る。実 際、生 活 パ
ターンとしては、確かに笛吹市民
の中心は石和だが、石和は甲府の
ベッドタウン的な性格も強いわけ
で、総合的には笛吹市は﹁甲府エ
リア﹂に完全に含まれている︵笛
吹市の動脈である甲州街道がその
まま甲府へ通じていることも大き
い︶。合 併 シ ミ ュ レ ー ト の パ タ ー
ンでも、春日居を除く町村と甲府
市の合併パターンや、温泉地域の
石和・春日居が甲府と合併するパ
ターンも提示されていた。それで
も、やはり﹁甲府にデカイ顔をさ
れるのはちょっと﹂ということで、
ここでも﹁甲府への対抗意識﹂が
あったと言われ、結局石和を中心
とする7町村により笛吹市の発足
笛吹市の成立は、余所から見れ
ば7町村合併という、不自然な寄
り合い所帯に見えても不思議では
ない。だが、この合併は、他の頁
でも紹介した合併シミュレートで
提示されたパターンのひとつその
まま。非常に合理的なものである。
まず、笛吹市を構成する各旧町村
は、基本的に甲州街道を生活の大
動脈とする地域であり、その中心
は鉄道駅もあり、古くから国中の
中心であった石和だ︵信虎までの
武田氏居館もあった︶。
また、石和・春日居が温泉郷と
して発達していた上、その他の町
村は山梨の必殺技である果実の産
地。甲州市などと違ってそれ以外
の野菜などもそれなりの量を産出
独立精神?
これぞ甲州の
対等合併と言い張る
笛吹市と住民のズレ
笛吹市合併 MAP
80
となったのである︵正確には芦川
村は後からの参加︶
。
数字に表れない
豊かな笛吹市
81
合併の経緯や産業・人口などの
数 字 を 見 る と、﹁弱 い ヤ ツ ラ が 集
まって独立した﹂ように見えるか
もしれない。確かに、市民ひとり
当たりの所得は約238万円と、
山梨県の中でも低い︵県全体だと
約 2 8 0 万 円︶
。が、ブ ド ウ や モ
モの収穫量は県トップだし︵特に
モ モ は ダ ン ト ツ︶
、街 道 沿 い に は
巨大なロードサイド店舗があるし
と生活環境も充実している。
注目したいのは、街並みのキレ
イさである。甲府などの都市部や
工業地帯は、産業構造の変化など
パーセント、三次産業約 パー
による空洞化の影響で、廃墟化し
セントとなっているが、石和・春
ている場所が目立つのだが、元々
日居の人口が笛吹市の パーセン
大半の地域がド田舎であった笛吹
ト程度を占めることを考えると、
市は、そうした﹁余計な﹂ものが
他の地域はほとんどの人間が農家、
少ない。住居にしても、急速な住
ということになる。つまり、農業
民増加の影響をそれほど受けてい
市笛吹は非常に良い状況だが、苦
ないため、しっかりとした一戸建
戦中の温泉観光業が部分的に足を
てが多く、非常に清潔な印象を受
引っ張っているのもまた事実だ。
ける。今風の新築もあるが、立派
ただ、こうした状況も笛吹市で
な︵と は 言 っ て も 中 規 模 だ け ど︶ あれば改善が十分に改善が可能だ
日本家屋が沢山見かけられるのも
ろう。確かに、石和・春日居の温
好印象だ。正直、数字には表れな
泉観光業は、戦後型﹁社員旅行用
い﹁リッチさ﹂が感じられるので
温泉﹂からの脱却を図れておらず、
ある。
これが弱みとなっている。観光の
た だ し、こ の リ ッ チ さ は、石
スタイルはかつてのような大規模
和・春日居の温泉地帯にはあまり
旅行ではなくなってしまったのだ。
ない。笛吹市の就業比率は、一次
しかし、農業は堅調。一宮御坂イ
産業約 パーセント、二次産業約
ンター、甲州街道のおかげでブド
ウ狩り環境客も呼びやすい。なん
と言っても﹁石和温泉﹂は首都圏
からの近さが最大の武器である。
今しばらくは、農業に助けて貰い
ながら、温泉街をニーズに合わせ
て改良し、ブドウ狩り+温泉など
のスタイルを進化・確立できれば
十分戦えるようになるだろう。
規模は大きいが変革の求められ
ている石和と、規模は小さいが堅
調なその他の旧町村。この組み合
わせは、まさにうってつけの﹁対
等合併﹂であったのではないか。
最寄駅は石和温泉駅だが、路線バスが通っていな
いため、
市役所へのアクセスは非常に悪い
20
旧一宮町役場の近くには立派な一宮公民館と図書
館が。かなり贅沢な環境だ
25
50
55
ロケーションは最高だがイマイチ
使いづらい笛吹川サイクリングロード
市川三郷(三郡橋)からスタートして、万力(万力大橋)を
終点とする県道 417 号線。これが笛吹川サイクリングロード
だ。全長は約 28 キロとそれなりの自転車であれば 1 ∼ 2 時
間程度となかなか丁度良い長さだが、道幅は狭く、ロードレー
ス大会などの開催は安全性からみて難しいのが残念なところ。
が、人間が走る(歩く)分には特に問題はない。せっかくだか
らハーフマラソン大会とか考えられないものだろうか?
高飛車な韮崎は
北杜に見捨てられた
甲州市のように、本来であれば甲
誇り 高き韮崎も
府以西の地域は、韮崎市を中心に
回ってきた。だから当然、韮崎と
あるのは誇りだけ?
周辺の町村がくっついて、大韮崎
市が出来るのが自然な形だったの
山梨県の中でも、韮崎は全国的
に有名な地名だ。最近では日本サ
だが、周辺町村はこれを拒否。大
ッカー史に大きな足跡を残した中
同 団 結 が 行 わ れ、﹁韮 崎 以 外 で ま
田英寿の出身校である韮崎高校で、 とまって﹂北杜市が出来てしまっ
その名を知らしめた。
た。こうして韮崎は、国中では昭
和町と並んで合併を行わなかった
歴史的にも重要な土地で、平野
部の多い韮崎は古くから開発が進
自治体となったのである。
んでいたし、交通の要所でもあっ
しかし、韮崎市の現状は、昭和
た。武田勝頼が手狭になった躑躅
町とは事情が180度異なる。工
ヶ崎の館から、新たな拠点として
場などは移転や閉鎖されるものも
新府城を構えた先も韮崎だ。開発
あり、就労環境が悪化。人口も2
が 進 ん で い た と い う こ と は、イ
005年頃から減少に転じ、かつ
コール水田が多くあったというこ
て賑わっていた韮崎駅南口側の商
とだ。水田がある土地ほどエライ
店街などはかなりの寂れっぷりだ。
というのが過去の日本であり、韮
これに対して、北杜市は苦労を
崎は非常に誇り高い土地なのであ
しながらも存在感を増しているの
る。そのプライドが、平成の大合
であるから悩ましいところである。
併ではマイナスに出た。山梨市と
かつての小町村群が、合併によっ
!?
86
てまとまることで、北杜市の米収
穫高はダントツの県トップに躍り
出た。それまで不動の1位だった
韮崎は、ダブルスコア以上の差を
付けられて2位に転落。二次、三
次産業でも、水資源やそれを活用
したサントリーの工場誘致などに
成功した北杜市に差を付けられ、
結局合併前に比べ、就労人口が6
00人程度も減少している。20
05年以降の人口減少数がおおよ
そ2000人程度だから、雇用の
減少がそのまま響いたと言ってし
まっても間違いではないだろう。
低すぎる市民満足度
韮崎市では空き家バンクや休耕田の斡旋などを行
っているが効果はこれから
こうした状況に市民も不満が爆
発。韮崎市の行った市民満足度ア
的な動きは見られなかった。個人
ンケートでは、5段階評価で3に
的には、悪くないアイデアだと思
達しない項目がほとんど。中でも
う。最近の再開発はタワーマンシ
﹁仕 事 の 場 が 確 保 さ れ て い る と 思
ョンを作って人口を密集させ、周
いますか?﹂は2・27ポイント、 辺に商業地を作っていくという戦
﹁市 街 地 は 地 域 性 が あ り、活 気 が
略がひとつの定番となっている。
あると思いますか?﹂に至っては
例えば韮崎駅のように、商店街が
2・05ポイントと非常に厳しい
壊滅していて国道へも近い地域で
評価だ︵これでも2009年頃の
あれば、やり方次第ではひとつの
結果に比べれば多少ポイントがア
突破口になり得る。おそらく費用
ップしている︶。
対効果の面で実現には至っていな
しかし、この改善には行政や企
いのだろうが、一気に状況を変え
業の力だけではなく、市民の意識
るのであれば市民が﹁みんなその
改革も必要だという意見もある。
マンションに引っ越すから作ろう
例えば現市長の横内氏は、就任に
ぜ﹂くらいの動きを見せないと何
あたって工場跡地にタワーマンシ
も動かない。県道 号線の韮崎駅
ョンを、という構想があったとい
北側商店街の廃墟っぷりを見てい
う書き込みを見つけたが、就任後
ると、事態はもうそういうレベル
8年を経た執筆時でも、その具体
に到達しつつあるのではないだろ
うか。
韮崎は、そのプライド故に北部
地域︵北杜市︶を飲み込むことに
失敗した。北杜市は韮崎市に比べ
れば順調に発展しており、先に紹
介したアンケートには﹁このまま
では北杜市に飲み込まれる﹂など
という意見が見られるほどである。
恵まれた土地であったがために生
まれてしまった油断や優越感は今、
大きなマイナス要因となっている。
この改善も、ひとつの課題なので
はないだろうか。
87
突破口はどこにある
写真提供:山梨県観光部
ほぼ滅亡状態の韮崎駅北側の商店街。立て直しは
非常に難しいだろう
27
地方チェーンではあるが
メチャクチャ先進的なオギノ
山梨県の買い物と言えばオギノである。江戸時代の竹の屋
をルーツとするオギノは、昭和 30 年代にスーパー経営へと発
展。チェーン化に成功し、山梨県の支配企業へと成長した。オ
ギノは強力な全国チェーンに対抗するために、顧客データを徹
底的に活用したポイントサービスやリアルタイム売り上げ管理
システムを導入。こうした取り組みは、あのイオンでも実験段
階という先進的なもの。オギノは結構スゴイのだ。
平成の大合併によって誕生した
新 市 の 中 で、一 際 目 を︵耳 を?︶
引くのが南アルプス市。中巨摩に
位置し峡西地方とも呼ばれるこの
地は、名が示すとおりに北岳を始
めとする南アルプス山脈が山塊を
成している。
この新しい市が誕生したのは2
003年4月。櫛形町・若草町・
白根町・甲西町・八田村・芦安村
の4町2村が合併し誕生した。
さて、なんとも目を引くカタカ
ナまじりの新市名。平成の大合併
によって生まれた新地名にはひら
がな市名︵さいたま市とか︶も多
いが、カタカナとなると非常に稀
で、南アルプス市の他には北海道
の ニ セ コ 町︵1 9 6 4 年 に 誕 生︶
違和感のある住民も
公募トップの名だが
南アルプス市名誕生は
巧妙 な 策 略
!?
南アルプス最高峰
国内でも2位の北岳
市名ともなった南アルプ
スは、正式な名称としては
赤石山脈。中部地方に延び
る3つの山脈をスイスのア
ルプス山脈になぞらえ、飛
騨山脈を北アルプス、木曽
山脈を中央アルプス、そし
て赤石山脈を南アルプスと
呼ぶようになった。その南
アルプスのうち、もっとも
高いのが北岳で、全域が南
アルプス市内、もっといえ
ば旧芦安村の村域内にある。
その標高は3193メー
トル、ご存じ日本の最高峰
である富士山に次ぐ、国内
第2位の標高を誇る。ちな
みに2004年には、それ
までの山頂と思われていた
以外の場所のほうがやや高
いことが発覚し、計測した
結果1メートル高くなり現
在の標高に修正された。こ
の調子でちょっとずつ高く
なれば⋮⋮などとも思った
が、3776メートルを誇
る富士山までは全然足りて
ないので、無駄な考えか。
92
山
梨
県
ト
ピ
ッ
ク
ス
まの市﹂﹁巨摩市﹂﹁こま市﹂など、 を買い、ついには名前が原因で住
のみだ。ニセコ町の場合は北海道
地域名ともなっていた巨摩野の名
に多く見られるアイヌ語源からの
民も合併反対に回りご破算となっ
を 推 す 声 も 多 く、﹁巨 摩 野 系﹂件
命名なので、漢字を当てようがな
た。ひらがなの市名ですら拒否反
数をすべて合わせれば南アルプス
くカタカナになったというのは理
応を示す人も多い中、やはりカタ
市 の 件 数 を 凌 駕 す る︵﹁ア ル プ ス
解できる。さて、南アルプス市の
カナ交じりの市名には賛成できな
市﹂も あ っ た が 少 な 目︶。ま た 住
場合だが、全国的にもかなり奇妙
かった住民も多いのだろう。
民票があるだけの他エリア在住者
な新市名に対して、拒否反応はな
が、意外なことにこの新市名を
も 公 募 対 象 と な っ て お り、﹁南 ア
かったのだろうか。
使い始めてみると、南セントレア
ルプス市﹂案自体も住民の総意で
市のように売名目的でもなし、な
合併に際しては各住民から新市
はない、という声も出ていた。
名を一般公募し、さらには集まっ
により市の位置を市名が雄弁に語
た市名候補から多かった3点に対 カタカナ交じりの市名で思い出
ってくれることに気が付いた。公
すのは、愛知県で起きた﹁南セン
し、協議会委員による投票で決定
募で最多件数となったように、南
トレア市﹂騒動だ。美浜町と南知
された。最終的に残った案は﹁南
アルプスを﹁故郷のご自慢の山地﹂
アルプス市﹂
﹁こま野市﹂
﹁峡西市﹂。 多町の合併に際して提案されたこ
と考えている住民だって元から多
の奇妙な市名は、住民の意向など
うち、有効投票 票中、南アルプ
かったし、名乗ってみたことでか
完 全 無 視、さ ら に は 中 部 国 際 空
ス市が 票、こま野市が 票、峡
えって愛郷心を刺激された人も多
港・通称セントレア空港にあやか
西市が0票という結果になった。
かったようだ。今ではさほど不満
ろう︵空港自体は隣の常滑市にあ
も聞かれなくなり、市のアピール
が、公募で集められたその他の
る︶という魂胆が丸見えで大不評
市 名 案 の 中 に は﹁巨 摩 野 市﹂﹁こ
にもなるしで良かったじゃないの、
なんて声も増えているという。確
かに﹁巨摩野市﹂と名乗っても県
内限定︵下手したら国中限定︶の
知 名 度 だ ろ う し、﹁こ ま 野 市﹂な
ら﹁半端にひらがな交じりでダサ
い﹂となっていた可能性もあるか
ら、雨降って地固まる結果になっ
て良かったのではないだろうか。
ただし、先述の﹁南セントレア市﹂
騒動が起こったのは南アルプス市
誕生の翌年、2004年。この騒
動が先に起こっていたら、どう転
んでいたかはわからないが。
39
65
26
中部横断自動車道の一部が中央自動車道まで伸び
ているおかげで、
車によるアクセスは至便
山間部では果樹栽培が、平野部では澄んだ水を活
かした精密機器工業も集積。農工共にイケてます
93
ただしふもと以外は無骨
な山肌を晒している富士山
とは異なり、豊かな自然環
境が保全されていることで
も知られている。富士山と
足して2で割れば、自然遺
産になれたかもしれない。
北岳は南に並ぶ間ノ岳、
農鳥岳と合わせて白根山、
あるいは白峰山とも呼ばれ
ており、名前の由来は字の
ごとく﹁雪をかぶって白い
山﹂
。ひ と き わ 高 い み っ つ
の頂が並ぶ美しい姿は古今
和歌集などにも詠まれるほ
どで、北岳という名前もこ
の白根連山の一番北にある
ことからのものだ。山梨県
は富士山ばかりアピールし
ないで、南アルプスや北岳
ももっと推して欲しいもの
だ。
山としての美しさなら富士山にも負けていない。
もっとアピールして観光客も呼びたい所だ
大月は都内への通勤限界地点か
検証し て み た !
となっている。
都内通勤の西端エリア
国中と郡内の境界は笹子峠と御
坂峠となっており、笹子峠手前の
色々キビシい条件が
郡内の都市らしい都市は大月くら
い。また大月駅は富士急行線の連
北都留エリアにある大月市の地
理的条件はなかなか厳しい。東西
結駅でもあり、北都留∼都留∼富
を小仏峠と笹子峠に挟まれ、北に
士山麓を結ぶ重要な結節点でもあ
は大菩薩嶺でフタをされ、南部も
る。立地面でいえば、大月は間違
御坂山地などがあり山だらけ。周
いなく郡内の重要地点と言える。
囲が山というのは山梨ならばどこ
ただし、そんな重要地点にあり
でも同じなのだが、国中と違って
ながら、やはり地理的不利が厳し
広い平地がないため盆地にもなれ
すぎる。狭隘な谷間に位置し平地
ない、狭隘な谷間に住むしかない
がほとんどないために、まともな
という地勢になっている。
産業がほとんど育っていないのだ。
大月駅前はもちろん、市役所周辺
が、東西移動の難所・小仏峠と
笹子峠をJR中央線と中央自動車
や甲州街道沿いも商業的に賑わっ
道が貫いてくれたおかげで、東京
ているとはとても言えず、見るべ
方面へのアクセスはバツグンで、
き観光エリアもとくにないし、果
都心部からの直線距離的にはさほ
樹栽培を始めとした農業もさほど
ど離れていない︵約 キロ︶とい
盛んではない。大月の価値は、ほ
うこともあり、都心部へ通勤する
ぼ﹁鉄道アクセス至便﹂というポ
サラリーマンたちのベッドタウン
イントに尽きるのだ。
80
98
ところ、いなくはないことも判明︶。 時間もかかるので、会社の場所に
よってはギリギリか遅刻に。新宿
通勤時間的にはセーフ から乗り換えてもう数駅移動する
場合もあるだろうし、なんにせよ
ダイヤ的にアウト
9時台の始業時間であれば時間的
が、通勤には所要時間以外にも
に厳しくなってしまう。
重要な条件がある。始業時間に間
解決方法は特急を使わずに、余
に合うかどうか、という問題だ。
計にかかる分出発時間を早めてカ
仮に﹁朝9時始業﹂と仮定した場
バーすること。しかしこうなると、
合、なんと特急を使うといずれの
特急停車駅という大月のメリット
駅からも、新宿、東京へはたどり
を殺してしまうことになるので、
着けないのだ。これは特急ダイヤ
なんともツラい。大月在住でフレ
の関係で、平日の上り方面・特急
ックスタイムの会社勤務なら勝ち
始発が大月の場合は7時 分、こ
組、そうでないなら早起き必須。
こから移動時間が1時間 分で、
通えるとはいえやはり越県通勤の
新宿着が9時4分。ううん、惜し
ハードルは高いようだ。
いが遅刻である。
勤務地を新宿、東京に限定せず、
逆方面に下って甲府や、高尾はと
仮に勤務地が新宿で始業時間が
9時半だとしても、駅からの移動
もかく八王子、立川、乗り換えが
やや面倒だが町田と、ある程度の
通勤覚悟で大月に住むという選択
肢もあるかもしれないが、それら
の勤務地の場合は通勤時間を犠牲
にして大月に住むメリットがどれ
ほどあるか。前述の勤務地の場合
は大月と土地相場が変わらないエ
リアなどいくらでもあるのだから、
わざわざ大月に住む必要もない。
やはり大月の住民を増やすには、
朝6時台の特急を増便するのがも
っとも効果がありそうだ。JRさ
ん、なんとかなりませんか?
中央線を走る特急はかいじとあずさ。が、都内ま
での距離的に特急必須というほどでもない
大月駅前の市街地は、数件の飲食店がある程度で
非常に寂しげ。市内には働き場がないのだ
99
時間は変わるので、使用 不使用
では、その最大の価値である鉄
も併記した。
道アクセスの良さを検証してみよ
これを見ると、最も多いパター
う。一般的に通勤するのに耐えら
ンではないかと思われる、大月か
れる移動時間の限界は1時間半だ
ら副都心・新宿までが、特急不使
と言われており、これを超えるよ
用で約1時間半。見事に通勤限界
うな距離の場合は引っ越しなり転
時 間 と ぴ っ た り で、丸 の 内 方 面
職なりを考えることになる。が、
これは平均値であって、気合で片 ︵東 京 駅︶ま で 通 う と な る と さ す
道2時間を毎日通う人もいるので、 がにツラいという結果に。これが
上野原からなら、東京駅までで1
あくまで目安と考えて欲しい。
時間半となるから、通勤地別で上
大月から都内へ通う場合の所要
時間を、目的地別に八王子、新宿、 野原と大月は住み分けられている
のではなかろうか。一方で甲府か
東京の各駅まで、そして比較対象
らの場合は、八王子まで通うのが
として上野原、甲府からの時間も
限界か。というか八王子に通うの
併せて調べて見たのが左の表だ。
にわざわざ甲府に住むか、という
また特急を使用するかどうかでも
疑問もあるので、恐らく甲府から
都内へ通う層は相当少ないのでは
ないだろうか︵聞き込みを行った
中央線利用時 都内への通勤(移動)時間
1時間7分
1時間23分
使用
55分
29分
18分
不使用
1時間31分
54分
29分
使用
到着できず
到着できず
到着できず
(1時間56分) (1時間19分) (1時間3分)
不使用
2時間19分
1時間29分
使用
到着できず
(2時間3分)
到着できず
到着できず
(1時間28分) (1時間8分)
不使用
2時間35分
1時間45分
八王子
新宿
東京
上野原から
大月から
甲府から
特急
目的地
※平日ダイヤ、目的駅に午前9時到着予定で調査
※9時までに到着できない場合は所要時間を表記 ※独自調べ
or
19 45
世界遺産登録を
素直に喜べない麓の人々
郡内の中心地としての地位を奪い
実は富士山は
取っている感もある。
やっかいものだった
そんな富士吉田市だから、富士
山の世界遺産登録が果たされ、こ
れまでより多くの観光客が訪れる
市名に﹁富士﹂の名を戴く富士
吉田市、山梨に詳しくない人であ
ようになるし大喜び! ⋮⋮して
れば、世界遺産登録を機に﹁あや
いるのかといえば、基本的にはそ
かって市名を変えたのか﹂などと
の通りではあるのだが、やや割り
思うかもしれないが、そんなこと
切れない思いを抱えている市民も
もなく昭和の大合併︵1951年︶ 多いという。
以来この名を使い続けている。
山梨・静岡両県を挙げての富士
山フィーバーにわいている最中で
地勢的にも富士山麓だけに高地
ではあるのだが、なだらかな平地
はあるが、郡内の富士山麓エリア
に位置するため他の郡内の自治体
の人々にとっての富士山は、富士
のように谷間に無理やり市街地を
五湖と並んで観光業の目玉である
作っているようなこともなく、あ
と同時に、観光業以外を成立させ
る程度の規模の市街地や住宅街が
ないという自然的な障害でもあっ
形成されているのも珍しい。目立
た。これは富士吉田市のみならず、
った産業に乏しい郡内において、
富士河口湖町、鳴沢村などでも同
富士山麓に位置するだけに観光業
様で、愛憎入り混じった視線を向
で賑わう街であり、今では養蚕業
けてしまう悲しい存在となってい
時代の中心地であった都留市から
るのだ。
⁉
112
河口湖町︵旧・上九一色村エリア︶
富士山が世界遺産となれば客も
の場合は、耕すことなど不可能な
増えるが、とはいえ自分たちの経
溶岩地帯も広がっている。これが
営に首を突っ込まれるのは面白く
いわゆる青木ヶ原樹海で、こちら
ない。また世界遺産となれば保全
は自殺の名所としての悪名で郡内
活動も必要で、なんと客が集まり
どころか山梨全体を苦しめている
すぎないように制限をかけるとな
のだが、この話は後程じっくりと
れば、これまた観光業的には面白
お伝えしよう。
くない。そういったあれこれを含
めて、世界遺産化を推進する県の
テキトーな経営はNG
側と地元観光業者たちの折衝はか
なり難航したという。
観光業者との軋轢も
遠くから眺める分には問題ない
とはいえなんだかんだいって、
が、地元で暮らすとなれば多くの
基幹産業である観光業は富士山な
マイナス面も生んでいた富士山。
くして成り立たないのだから、や
愛憎入り混じるとはいえ、やはり
はり富士の麓に位置するというメ
誇りに思う面のほうが強くはある
リットは大きい。が、今度は世界
のだが、国中民のように素直に喜
遺産登録を目指す過程においても
んでばかりもいられないのが郡内
問題が発生、主に富士五湖周辺で
民の複雑な感情なのだ。
観光業を営む業者に対し、違法な
操業体制を改めよとのお達しが出
たのだ。
違法といっても怪しげなハーブ
を栽培して提供とかではもちろん
なくて、例えば河口湖のほとりに
勝手にレジャーボート乗り場や桟
橋をこさえてしまったり、入漁券
として徴収したお金の使途であっ
たり。これまではある意味おおざ
っぱ、ある意味既得権益のような
形で営んでいた観光業者たちが、
経営の健全化を迫られたのである。
道の駅富士吉田では富士の湧水が汲めるほか、富
士山レーダードーム館などレジャー施設も集積
郡内では珍しく開けた地勢なため他の市町村より
も大規模な市街地が形成されている富士吉田市
113
そもそも富士山がなければ普通に
農業に不向きなのは
稲作や麦栽培ができていたワケで
ある。さて、話はもどるとこの麦
主に富士山のせい!
から作られた小麦粉で、県民食・
ほうとうや郷土食・吉田うどんが
県民のご自慢・富士山に対して
作られている。
向けられる、憎しみ交じりの目線
とはどういうことか。まず、基本 また日照時間が長い︵甲府は日
本一!︶のが山梨県の特徴なのだ
的に富士山麓エリアは太古の富士
が、富士山麓に限ってはそうでも
山が吐き出した火山灰などが堆積
ない。高い山々に囲まれているこ
した上に位置しているため、農業
と、何と言っても南に富士山があ
には向かない土地である。富士吉
ることで、どうしても日差しはさ
田市でもなんとか成り立っている
えぎられがちとなる。これも農業
のは麦栽培程度で、これも水掛麦
が営まれにくい理由のひとつとも
と呼ばれる水を張った畑︵田んぼ
の よ う な も の を 想 像 し て 欲 し い︶ な っ て い る ︵ 陽 当 た り が 悪 い と 、
住民の心理面にも悪い影響があり
で栽培するという工夫をした上で
そうだしね︶。
のこと。一応は富士の雪解け水を
使っての栽培なので、恵みも受け ちなみに、富士吉田などの富士
東麓側はまだマシで、西麓の富士
ていると言えなくはないのだが、
郡内地方の新中心地として発展した富士吉田市だ
が、
産業は富士山に頼りっぱなし
参考文献
・山梨県企画県民部統計調査課/編
﹃山梨県統計年鑑 ﹄ 各年刊行版
・甲府市史編さん委員会/編
﹃甲府市史
﹄ 甲府市役所
通史編1∼4 1990年∼1993年
・塩山市史編さん委員会/編
﹃塩山市史
﹄ 塩山市
通史編・上下巻 1998年・1999年
・韮崎市 企画財政課
﹃韮崎市のまちづくりに関するアンケート調査︻結果報告書︼
﹄ 韮崎市
2008年・2012年
・総務省統計局
﹃家計調査年報︵家計収支編︶
﹄ 総務省
各年
・齊藤 実、笠井 易
﹃山梨県の人口および個人所得データの推計と考察﹄
山梨学院大学経営情報学論集
2009年
・堀越芳昭
﹃山 梨 県 産 業 経 済 研 究 の 推 移 と 課 題 ﹄ 山 梨 学 院 大 学﹃経 営 情 報 学 論 集 ﹄第
2007年
号
13
・五緒川津平太
﹃キャン・ユー・スピーク甲州弁?
﹄ 樹上の家出版
がんばれ!みんなの甲州弁 2009年
・五緒川津平太
﹃キャン・ユー・スピーク甲州弁?② ﹄ 樹上の家出版
2013年
・谷口一夫
﹃武田軍団を支えた甲州金ー湯之奥金山 ﹄ 新泉社
2007年
・熊王徳平
﹃狐と狸ー甲州商人行状記 ﹄ 東邦出版社
1970年
・菊池浩之
﹃日本の地方財閥 家 ﹄ 平凡社
2012年
・斎藤芳弘
﹃新編 甲州財閥物語 ﹄ 山梨新報社
2000年
30
・八幡和郎
﹃ 都道府県地名うんちく大全﹄ 平凡社 2006年
・飯田文弥
秋山敬
笹本正治
歴史
齋藤康彦
﹃山梨県の
﹄ 山川出版社
1999年
47
・竹谷靭負
﹃富士山文化││その信仰遺跡を歩く ﹄ 祥伝社
2013年
・有坂蓉子
﹃ご近所富士山の﹁謎﹂富士塚御利益散策ガイド ﹄ 講談社
2008年
・広岡友紀
﹃日本の私鉄
﹄ 毎日新聞社
東武鉄道 2010年
・地図情報センター/編
﹃平成の市町村大合併
﹄ 国際地学協会
総編集データブック 2006年
・磯貝正義/編
﹃図説
﹄ 河出書房新社
山梨県の歴史 1990年
︻サイト︼
・山梨県
http://www.pref.yamanashi.jp/
・甲府市
http://www.city.kofu.yamanashi.jp/
・甲州市
http://www.city.koshu.yamanashi.jp/
・甲斐市
http://www.city.kai.yamanashi.jp/
・韮崎市
http://www.city.nirasaki.lg.jp/
・山梨市
http://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/
・中央市
http://www.city.chuo.yamanashi.jp/
・昭和町
http://www.town.showa.yamanashi.jp/
・北杜市
http://www.city.hokuto.yamanashi.jp/
・南アルプス市
http://www.city.minami-alps.yamanashi.jp/
・早川町
http://www.town.hayakawa.yamanashi.jp/
・身延町
http://www.town.minobu.lg.jp/
138
・JR東海
http://jr-central.co.jp/
・JR東日本
http://www.jreast.co.jp/
・JA山梨中央会
http://www.ja-yamanashi.or.jp/
・山梨県警本部
https://www.pref.yamanashi.jp/police/
・忍野村
http://www.vill.oshino.lg.jp/
・道志村
http://www.vill.doshi.lg.jp/
・山中湖村
http://www.vill.yamanakako.lg.jp/
・鳴沢村
http://www.vill.narusawa.yamanashi.jp/
・富士河口湖町
http://www.town.fujikawaguchiko.lg.jp/
・富士吉田市
http://www.city.fujiyoshida.yamanashi.jp/
・西桂町
http://www.town.nishikatsura.yamanashi.jp/
・丹波山村
http://www.vill.tabayama.yamanashi.jp/web/
・小菅村
http://www.vill.kosuge.yamanashi.jp/
・都留市
http://www.city.tsuru.yamanashi.jp/
・上野原市
http://www.city.uenohara.yamanashi.jp/
・大月市
http://www.city.otsuki.yamanashi.jp/
・全国銀行協会
http://www.zenginkyo.or.jp/
・山梨中央銀行
http://www.yamanashibank.co.jp/
・富士急行
http://www.fujikyu.co.jp/
・日本ミネラルウォーター協会
http://minekyo.net/
・平均王子
http://heiking.com/
・静岡大学防災総合センター
http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/sbosai/
・環境NPO
富士山クラブ
http://www.fujisan.or.jp/
・富士の国やまなし観光ネット
http://www.yamanashi-kankou.jp/
・富士山NET
http://www.fujisan-net.jp/
・畜産産業振興機構
http://www.alic.go.jp/
・農業協同組合新聞
http://www.jacom.or.jp/
・山梨県農業振興公社・山梨県就農センター
http://www.y-nk.jp/
・甲府地方気象台
http://www.jma-net.go.jp/kofu/
・総務省統計局
http://www.stat.go.jp/
・農林水産省
関東農政局
http://www.maff.go.jp/kanto/
・環境省
http://www.env.go.jp/
・内閣府
http://www.cao.go.jp/
139
●編者
鈴木士郎
1975年東京生まれ。出版社などを経てフリーとなる。山梨県との関わりは案外深く、
会社員時代は2年間山梨県のタウン誌編集に携わっていた。先般の大雪こそ難を逃れた
が(2月11日∼13日まで甲府滞在)、1995年の大雪では山梨県内で盛大に足止めを
喰らったのも良い思い出。甲州財閥の事績を調べるにつき、山梨人には麻雀で盛大にむ
しられたことを思い出し、さもありなんと納得しました。
佐藤圭亮
1975年生まれのフリーライター。宮城県出身。東を見れば海、西を見れば山(奥羽山
脈)という環境で育ったため上京時には「山がない!」と衝撃を受けたが、本書執筆の
ため山梨各地を歩き回り「山しかない!」のにも驚愕する。本シリーズでは東北方面&
関東近郊を主に担当、このことからも「山梨は関東圏である」と重ねて主張したい。
●監修
内田 孝
1939年2月、山梨県増穂町(現・富士川町)に生誕。貨幣史・金融史研究家。
元・全国信用協同組合連合会経営相談部長。元・群馬県庶民信用組合理事長。
現・山梨県人会連合会副会長、同山梨県ふるさと納税推進委員長。在京山梨政経懇話会
副会長、山梨大使。(株)ユー・プレステージイン東京、(株)ピーシーサービス各取締
役会長。ほか、多くの団体、会社の顧問、相談役として活躍中。
著書:『信用組合史』、『全国信用協同組合連合会20年史』、『庶民金融論』 ほか
日本の特別地域 特別編集
これでいいのか 山梨県
【電子書籍版】
編 者
鈴木士郎
佐藤圭亮
発行人 武内静夫
発行所 株式会社マイクロマガジン社
〒 104-0041 東京都中央区新富 1-3-7 ヨドコウビル
TEL 03-3206-1641 FAX 03-3551-1208(販売営業部)
TEL 03-3551-9564 FAX 03-3551-9565(編 集 部)
http://micromagazine.net/
編 集 髙田泰治 / 尾上健太郎
装 丁 板東典子
本文デザイン ㈱マイクロハウス 企画・制作
イラスト 田川秀樹
協 力 ㈱ n3o
取材協力
江宮隆之
高橋修
校 閲 株式会社 文字工房燦光 / 野上史朗
※本書の無断転載は、著作権法上の例外を除き、禁じられています
※本書の内容は 2014 年 5 月 1 日現在の状況で制作したものです
©SHIRO SUZUKI & KEISUKE SATO
2014 Printed in Japan
©2014 MICRO MAGAZINE
※本作品全てあるいは一部を無断で複製、転載、配信、送信、放送したり、ホームページ上に転載することを禁止します。
本作品の内容を無断で改変、改ざん等を行うことも禁止します。
また、有償・無償にかかわらず本作品を第三者に譲渡することはできません。
当ファイルは「日本の特別地域 特別編集58 これでいいのか 山梨県(2014年6月6日 第1版 第1刷発行)」に基づいて作成しております。
合併したのに静岡・清水の
大ゲンカはまだまだ続く!?
実は、テキは浜松だった!?
「住んでよし、働いてよし、訪れてよし」
こう自県をアピールする東海地方
の巨大都市・静岡市。人口は 70 万人を抱え、2005 年には政令指定都
市に認定、名実ともに日本の大都市となりました。
しかし、単純に「良かっ
たね!」といかないのが正直なところ。元々仲が悪い旧静岡市と旧清水市
は合併してもやっぱり仲は悪く、しかも県内には同じく政令指定都市の
浜松市が強烈なライバル意識で迫ってくる !? 静岡市の良いところも
悪いところもあけっぴろげに暴露した一冊です。
日本の特別地域
特別編集
静岡市
これでいいのか 静岡県
松立学・佐藤晴彦/編
B 5判/144ページ/本体価格1,300円+税/I S B N 978- 4- 89637- 397- 4
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日本の特別地域 特別編集
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これでいいのか
これでいいのか
これでいいのか
福岡県
福島県
埼玉県
北九州市
たむらやすよ・
宮沢玲奈/編
岡島慎二・
佐藤圭亮/編
松立学・
山中茂紀/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-418-6
日本の特別地域 特別編集
日本の特別地域 特別編集
日本の特別地域 特別編集
これでいいのか
これでいいのか
これでいいのか
兵庫県
東京都
岡島慎二・
松立学/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-422-3
神戸市
世田谷区
松本広章・平賀太一・
小坂空/編
岡島慎二・
鈴木士郎/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-425-4
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-427-8
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-430-8
日本の特別地域 特別編集
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これでいいのか
これでいいのか
これでいいのか
静岡県
長野県
香川県
浜松市
松立学・
鈴木和樹/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-432-2
土屋幸仁・
岡島慎二/編
昼間たかし/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-440-7
日本の特別地域 特別編集
日本の特別地域 特別編集
日本の特別地域 特別編集
これでいいのか
これでいいのか
これでいいのか
山口県
北海道
千葉県
岡島慎二/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-442-1
札幌市
第2弾
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-437-7
鈴木ユータ・
岡島慎二/編
上岡哲次/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-445-2
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-448-3
日本の特別地域 特別編集
日本の特別地域 特別編集
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これでいいのか
これでいいのか
これでいいのか
三重県
東京都
熊本県
昼間たかし/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-451-3
町田市
熊本市
岡島慎二・
土屋幸仁/編
諸友大・
佐藤正彦/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-456-8
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-453-7
日本の特別地域 特別編集
これでいいのか
山梨県
鈴木士郎・
佐藤圭亮/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-457-5
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第2弾
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-415-5
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これでいいのか
これでいいのか
これでいいのか
東京都
神奈川県
神奈川県
横浜市2
杉並区2
小森雅人・川野輪真彦・
藤江孝次/編
佐藤圭亮・
伊藤圭介/編
相模原市
佐藤圭亮・橋本玉泉・
伊藤圭介/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-350-9
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-355-4
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-361-5
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日本の特別地域 特別編集
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これでいいのか
これでいいのか
これでいいのか
福岡県
愛知県
茨城県
名古屋市
福岡市
たむらやすよ・前畑繁美・
宮沢玲奈/編
街の
澤村慎太郎・
記者ネット名古屋/編
岡島慎二・
松立学/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-363-9
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-369-1
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-358-5
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これでいいのか
これでいいのか
これでいいのか
千葉県
北海道
東京都
葛南
札幌市
小森雅人・藤江孝次・
佐藤圭亮/編
みたむらみっち・青木えり・
上岡哲次/編
立川市
岡島慎二・
伊藤圭介/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-372-1
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-375-2
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-379-0
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これでいいのか
これでいいのか
これでいいのか
広島県
東京都
千葉県
八王子市&
広島市
多摩ニュータウン
川口有紀/編
岡島慎二・
鈴木ユータ/編
千葉市
佐藤圭亮・小森雅人・
藤江孝次/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-385-1
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-388-2
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-390-5
日本の特別地域 特別編集
日本の特別地域 特別編集
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これでいいのか
これでいいのか
これでいいのか
群馬県
宮城県
静岡県
仙台市
岡島慎二・
土屋幸仁/編
佐藤圭亮・丸山佑介・
和田虫象/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-394-3
日本の特別地域 特別編集
日本の特別地域 特別編集
これでいいのか
これでいいのか
東京都
新潟県
大田区
第2弾
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-392-9
昼間たかし・
佐藤圭亮/編
岡島慎二・
土屋幸仁/編
静岡市
松立学・
佐藤晴彦/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-397-4
日本の特別地域 特別編集
これでいいのか
東京都
武蔵野市
三鷹市
鈴木士郎/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-399-8
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-401-8
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-404-9
日本の特別地域 特別編集
日本の特別地域 特別編集
日本の特別地域 特別編集
これでいいのか
これでいいのか
これでいいのか
大阪府
栃木県
岡山県
大阪市
三宅敏行・山下敬三・
橋村貴明/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-406-3
岡島慎二・
土屋幸仁/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-409-4
昼間たかし/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-412-4
日本の特別地域
日本の特別地域
日本の特別地域
東京都
東京都
東京都
足立区
葛飾区
板橋区
昼間たかし/編
昼間たかし/編
荒井禎雄・
山木陽介/編
A5判/176ページ/本体価格1,200円+税
ISBN 978-4-89637-253-3
A5判/176ページ/本体価格1,200円+税
ISBN 978-4-89637-280-9
A5判/176ページ/本体価格1,200円+税
ISBN 978-4-89637-287-8
日本の特別地域
日本の特別地域
日本の特別地域
東京都
東京都
東京都
豊島区
新宿区
渋谷区
橋本東堂/編
昼間たかし・
佐藤圭亮/編
佐藤圭亮・
丸茂潤吉/編
A5判/176ページ/本体価格1,200円+税
ISBN 978-4-89637-291-5
A5判/176ページ/本体価格1,200円+税
ISBN 978-4-89637-299-1
A5判/176ページ/本体価格1,200円+税
ISBN 978-4-89637-303-5
日本の特別地域
日本の特別地域
日本の特別地域
これでいいのか
これでいいのか
これでいいのか
東京都
東京都
東京都
中野区
佐藤圭亮・
川口有紀/編
江東区
岡島慎二・
渡月祐哉/編
大田区
昼間たかし・
伊藤圭介/編
A5判/176ページ/本体価格1,200円+税
ISBN 978-4-89637-313-4
A5判/176ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-317-2
A5判/176ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-322-6
日本の特別地域
日本の特別地域
日本の特別地域
これでいいのか
これでいいのか
これでいいのか
東京都
東京都
東京都
台東区
世田谷区
足立区2
小森雅人・川野輪真彦・
藤江孝次/編
岡島慎二・鈴木亮介・
奥岡幹浩/編
A5判/176ページ/定価1,300円+税
ISBN 978-4-89637-323-3
A5判/176ページ/定価1,300円+税
ISBN 978-4-89637-327-1
A5判/176ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-333-2
日本の特別地域
日本の特別地域
日本の特別地域 特別編集
これでいいのか
これでいいのか
東京都
千葉県
東京都
練馬区
岡島慎二・
土屋幸仁/編
東葛エリア
小森雅人・川野輪真彦・
藤江孝次/編
昼間たかし・
伊藤圭介/編
杉並区
伊藤圭介・
昼間たかし/編
A5判/176ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-340-0
A5判/176ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-342-4
日本の特別地域 特別編集
日本の特別地域 特別編集
日本の特別地域 特別編集
これでいいのか
東京都 足立区vs
副都心線
地域批評シリーズ
編集部/編
神奈川県
横浜市
小森雅人・
川野輪真彦/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-290-8
これでいいのか
葛飾区vs
江戸川区
地域批評シリーズ
編集部/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-305-9
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-312-7
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-315-8
日本の特別地域 特別編集
日本の特別地域 特別編集
日本の特別地域 特別編集
これでいいのか
これでいいのか
これでいいのか
埼玉県
神奈川県
神奈川県
さいたま市
小森雅人・川野輪真彦・
藤江孝次/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-329-5
川崎市
岡島慎二・
浅井達幸/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-330-1
湘南エリア
橋本玉泉・
岡島慎二/編
B5判/144ページ/本体価格1,300円+税
ISBN 978-4-89637-347-9
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