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魔剣師の魔剣による魔剣のためのハーレムライフ

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魔剣師の魔剣による魔剣のためのハーレムライフ
魔剣師の魔剣による魔剣のためのハーレムライフ
伏(龍)
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
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テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
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︻小説タイトル︼
魔剣師の魔剣による魔剣のためのハーレムライフ
︻Nコード︼
N4110CP
︻作者名︼
伏︵龍︶
2016年11月17日 新紀元社さんの新レーベル﹃モ
︻あらすじ︼
<<
ーニングスターブックス﹄から第一巻が発売されました。応援して
下さった皆さんありがとうございました。>>
悪人が嫌いで刀が大好きなだけの普通の高校生だった富士宮 総
司狼はある晩、自宅を襲った強盗に刺され短い一生を終えた。
しかし、ソウジロウは不思議な空間で﹃神﹄と名乗る存在に自分
1
らしく生きられる世界でもう少し生きてみる気はないかと聞かれる。
ソウジロウは愛刀と共にならそれも悪くないとそれを快諾し異世
界へと移住することにした。
ところが異世界にありがちなチートな能力は神に﹃ちーと、いく
ない﹄と言われ全くない。送り込まれた異世界に持ち込めたのは喋
る大太刀﹃蛍丸﹄と自らの命を奪った小太刀﹃桜﹄。そしてなぜか
の神チョイスの短ランとボンタンのみ。
そしてこの世界でソウジロウの職として与えられたのは﹃魔剣師﹄
という職だった。
武器を育て擬人化することが出来る﹃魔剣師﹄。ソウジロウは大
好きな刀達と異世界で出会った戦うメイド司祭的な﹃侍祭﹄という
特殊な職業の美少女システィナと共に,異世界で乱立する﹃塔﹄と
いうダンジョンで魔物を狩り生活の糧を得ながら刀達を育ててハー
レムを目指します。
ソウジロウは戦闘もしますがほのぼのした日常も大好きなので温
泉を作ったり、地球のラノベの知識を活かして新発想の装備を作っ
て貰ったり、新しい組織を立ち上げて貰ったり、便利アイテムの開
日間1位になりました。
発に挑戦したりもします。
27/12/10
読んでくださってありがとうございました。
h28.6 今ごろツイッターはじめました。
@manaff11268ne
2
この世の終わり︵前書き︶
閲覧ありがとうございます。
ペースはあまり早くないかもしれませんがどうかお付き合いくださ
い。
3
︱
この世の終わり
﹁お疲れ様
︱
さん﹂
俺は全く感情のこもらない声でそう呟くとなんのためらいもなく
右手に持った愛刀をそいつの喉へと突き立てた。
だがそのまま俺も地面へと倒れこみ動けなくなる。背中が熱い⋮
それなのに身体は寒い。
これは死ぬな⋮
自分でも意外なほどに冷静な判断にちょっと可笑しくなってきて
口元を歪めた俺は右手の愛刀を抱え込むとゆっくりと目を閉じる。
そういやなんでこうなったんだっけ
そうじろう
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
ふじのみや
俺⋮富士宮 総司狼の母親は地元では名士と呼ばれる家系の1人
娘。俗に言うお嬢様だった。
そのため母の実家は蔵やちょっとした庭園があるような純和風の
そりゃあたいそう御立派な御屋敷だった。
現当主である祖父は厳格を絵に書いたような人物だったが母や孫
である俺には非常に甘かった。だが,一方で父にはことのほか厳し
4
く俺からみても眉をひそめるような仕打ちを年中無休で父にしてい
た。
そんな父は俺が中学に上がる頃,母と俺に﹃疲れた﹄と一言言い
残し家を出た。
正直よくそこまでもったと思う。
母が結婚してからも祖父は母がこの屋敷から転居することを許さ
なかったため父もなし崩し的に屋敷内で同居を余儀なくされていた。
しかも祖父は結婚後も母の姓を富士宮から変えることを許可しな
かった。
これは母が身籠り,俺が産まれた時も同じで現在進行形で俺も富
士宮姓である。かといって父が入り婿して富士宮なのかというとそ
うではなかった。
そんな状況でこの広い屋敷の中にいた父の孤独感は想像を絶する
ものだっただろうことは間違いない。
何度か父から母と俺にこの屋敷を出ようという話が持ち上がって
いたが,悪意のない空間で蝶よ花よと育てられていた母には父の﹃
このままではうちの家族は駄目になる﹄という言葉の意味が理解出
来なかったらしく実行に移されることはなかった。
まあ仮に実行されていたとしても1週間もたたずに連れ戻されて
いたような気もする。
父は俺だけでもこの屋敷から連れ出したいという思惑があったよ
5
うだが俺はそれを拒否した。
別に父が嫌いだとか貧乏になるのが嫌だとかではない。俺にはこ
の屋敷を出て行きたくない事情があった。
そんな訳だったので父が家を出て行ったこと自体はわりとどうで
もよかった。
むしろこの屋敷を出ることで父が解放されるのであれば父のため
にもその方が良いと思っていたくらいである。
父が出て行くという事件はあったが祖父の家で暮らす生活はなん
の不自由もなく正直恵まれた生活環境だったと言える。
だが俺にとっては金銭的な生活環境より何よりこの祖父の屋敷や
蔵に保管されていたある物が重要だった。
俺が父と共にここを出るのを嫌がった理由がそれだった。
富士宮家という古い家柄と祖父や曾祖父の趣味が結実した骨董蒐
集癖。その中の一つである﹃刀﹄という物に俺は魅せられていたの
だ。
祖父の蔵の中にはガラスのショーケースの中に何本もの日本刀が
飾られていて古今の名刀が揃っていたのである。
俺は暇さえあれば蔵の中で日本刀を眺めているような子供だった。
そしてとうとう父が出て行った後,中学の入学祝いに祖父から一
本の刀を譲ってもらうことになった。
6
それまで何度頼んでも駄目だったのだが,ぶっちゃけ祖父にも父
を追い出したという負い目があったのだろう父の出奔と有名私立中
学への入学祝いという2つをたてにして一本の刀を俺の管理下にお
くことを承諾させたのである。
もちろん屋敷外への持ち出しは厳禁で何かに斬りつけることも禁
止。
認められていたのは刀の手入れをすることと庭での素振りだけだ
った。しかも間違っても人を傷つけたりしないように誰かが起きだ
す前の早朝限定である。
この屋敷には当たり前のように家政婦的な者が住み込んでいるの
で家政婦達が起きだす前となると早朝6時でも遅い。
俺が心おきなく刀を振るためには大体4時起きということになり,
それから家政婦達が活動開始するまでの約2時間飽きることなく刀
を振り続けるのが日課だった。
祖父からもらった日本刀は刀身が3尺3寸4分5厘︵約100.
35cm︶という大太刀で中学に入ったばかりの俺には重い上に扱
いにくい代物だったが暇さえあれば手に取り手入れをし,寝る時も
必ず手の届く範囲に刀を置き,早朝の素振りを続けて約3年。この
刀は今や自分の手足の延長のように扱えるまでになっていた。
そして今日を迎えた。
最初に気づいたのは警備担当の黒服達だったはず。おそらく蔵に
設置されていた防犯システムが反応したのだろう。
7
そして日頃の訓練通り夜間警備の黒服3名のうち1人が祖父に報
告に走り,残りの2名が蔵へと駆け付けたはずだ。
おそらくそこで見つけたのが蔵の中を大胆に漁る覆面を被った強
盗達︵結局何人いたのかはわからなかったが︶。
防犯システムが作動した段階で警備会社や警察へ連絡が行ってい
るはずだがこういう時の為に雇われている黒服達はすぐさま特殊警
棒を抜き放ち制圧に走ったはずである。
しかし強盗達はこれだけの大胆な犯行を行うに際してそれなりに
準備をしてきていた。
強盗のうちの1人が黒服達が駆けつけてくるのを見るや否や蔵か
ら飛び出し懐から黒光りする物を取り出した。
﹁気をつけろ!銃を持ってるぞ!﹂
俺が飛び起きて刀を握り廊下へと続く障子を開けたのはその声を
聞いたからである。
黒服達の切迫したその声を疑うという選択肢も,危険だから逃げ
る,隠れるという選択肢も何故か全く浮かばなかった。
そして障子を開けた瞬間,黒服のうちの1人の頭が爆ぜた。
発射音は大きくない。おそらくサイレンサーをつけているのだろ
う。
8
そんなことを考えている間に更にもう一人の黒服も一瞬前かがみ
になった後,弾かれるようにのけぞりその勢いのまま倒れこんで二
度と起き上がらなかった。おそらく腹部に一発受けた後,胸部に2
発目をもらったのだろう。
﹁ええい!一体何事だ!﹂
祖父が最後の黒服をひきつれて庭へと出てくる。
﹁な⋮なんだこれは⋮まさか死んでいるのか?﹂
祖父はそこで初めて庭に転がる黒服の死体に気がついたのだろう。
だが死んでいるのかどうかなんて一目瞭然。わざわざ口に出して確
認するまでもない。
⋮人間は頭を半分吹き飛ばされたら生きてはいられない。
﹁大旦那様!危険です!お下がりください﹂
黒服が祖父をかばうように間に立ち祖父を遠ざけようとする。
だが銃を持った覆面の強盗はかなり銃の扱いに長けているのだろ
う黒服に隠されているはずの祖父に対して正確な射撃を見せ祖父の
肩を打ち抜いた。
﹁ぐぁ!﹂
﹁大旦那さま!﹂
肩を押さえてうずくまった祖父を心配した黒服が祖父を運び出そ
うと強盗に背を向けてしゃがみこむ。
9
その背中に強盗はなんのためらいもなく銃口を向け⋮
このときには俺は既に走り出していた。俺の部屋は銃を持った強
盗の斜め後ろに位置し黒服を警戒していた強盗は後方に注意を払っ
てはいない。
黒服の背中に鮮血の花が咲く,しかも2輪。
自分たちの脅威となりうる相手を確実に仕留めに来ているという
ことだろう。かなり荒事に精通しているうえにこちらの戦力をしっ
かりと調べてきているらしい。
ならば我が家の警備が3名であることも当然調査済みのはずであ
り,その3名を無効化したことでわずかな気の緩みがあるはず。
俺はそう考えなんの躊躇もなく一直線に銃を持った強盗の下へと
走った。
そして遅まきながら俺に気づいた強盗がこちらに銃を向けようと
しているのを冷静に視界に捉えつつ条件反射的に刀を振るっていた。
ぼと
握っていた銃の重さに引きずられるように強盗の右手首が地面に
落ちた。
結局,俺はこの現代に暮らす日本人の枠組みには相容れない人間
だったのだろうと思う。
10
それは別に日本人離れした偉業を達成するとか,特別な力がある
とか,悪いことを平気で出来るとかそういうことじゃない。
人としての能力値は至って平凡なものであったし,人付き合いだ
って苦手じゃない。もちろん善悪の区別だってきちんと出来る。
意味もなく壊したり,盗んだり,犯したり,騙したり,殺したり
なんかしない。
こう言うと﹁意味があればやる﹂のかと誤解されそうだけどもち
ろんそんなことはない。大多数の日本人と同じようなモラルは当然
ある。犯罪をしてはいけないことなんて当たり前のことだししたい
とも思わない。
じゃあ何が相容れないのか⋮
俺がどうしても周囲の人間達の倫理観についていけないと思った
のは1つだけ。
それは悪人に対する考え方である。どこからが悪人なのかという
線引きは多分に俺自身の匙加減で確たる基準があるわけではないの
でともすれば独善的になりそうだが⋮
俺は金銭目当てで人を殺したり,騙して搾取し人の人生をぶち壊
したり,下半身の欲望に負け女性をレイプしたりするようないわゆ
る凶悪犯的な生き物を人として認識できない。
そう言う人達にも人権があると声高に叫ぶ団体の言っている意味
が全く理解できない。
11
例えば今,目の前で手首を押えながらうずくまり怯えた目でこち
らを見上げる覆面の男を見てもなんの感情も湧き上がってこない。
無理やりこの気持ちを何かに例えるなら人間の血を吸う蚊をなん
の躊躇もなく叩き潰すときのような気持ち⋮だろうか。
だから,俺は覆面の男を冷めた眼で見下ろしながらなんのためら
いもなく右手に持った刀を相手の首めがけて一閃した。
ごとん
想像以上に鈍い音がするものだなと脳内で冷静に考えながら直後
に噴き出してきた血を避けるために数歩下がる。
とす
その瞬間,腰の上あたりに冷たい物が入ってくる感触と同時に押
された感触があり前に押し出される。
なんだ危ないなぁ,さっきのモノから噴き出ていた液体が収まり
かけていて良かった。危うく服を汚してしまうところだった。
安堵のため息を吐きながら衝撃の正体を確認すべく首を回して背
後を見ると俺の背中に小太刀が刺さっていた。
なるほど先に蔵に侵入していたやつが蔵に入っていた祖父のコレ
クションを持ち出したのか。
自分を刺した小太刀を確認して今度はそれを刺した人物へと目を
12
向ける。
そいつは俺を刺してしまったことに怖れ戦き腰を抜かして座り込
んでいた。
その覆面から除く怯えた眼を見て俺は全てを理解してしまった。
あぁ⋮なるほど。そういうことだったのか。
妙に納得した俺は今度は異常に熱く感じてきた背中をわずらわし
く思いながらゆっくりと体の向きを変え,腰を抜かしたままの男の
前へと移動する。
かくかくと膝が抜けそうになるのが苛立たしいがまああと少しは
保つだろう。
男はなにやら訴えかけるように俺に向かって叫び続けているが俺
には既にそれの言葉が人間の言葉に聞こえないため返事をすること
はできない。
ただ,悪人という虫けらに理解できるかどうかはわからないが最
後に一言だけ言葉をかけることにする。
﹁お疲れ様,父さん﹂
俺は遠のく意識の中でも刃筋を乱すことなくかつて父であったモ
ノの喉元へ⋮
13
この世の終わり︵後書き︶
ブクマ、コメント、レビュー、評価等々頂けると作者のやる気が増
大しますw
ですので忌憚ないご意見を頂けたら幸いです。
14
この世の終わりと始まりの間
﹁⋮⋮ろ、⋮きろ,起きろ!﹂
﹁⋮ん,うるさいなぁ。そんなに言わなくても﹂
頭の中に直接響くような声に文句を言いながら重い瞼を持ち上げ
る。
﹁まぶし⋮﹂
やっとのことで眼を開けた俺の視界が捉えたのは光の空間だった。
とは言ってもどこが光源なのか全く分からない。まるで周りの空
間全てが柔らかく発光しているかのようだった。
更に自分の意識では地面に仰向けに寝ているつもりなのに背中の
下に感触がない。なんというか粘性のある光の中に浮かんでいるよ
うな⋮
﹃⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹄
﹁え,死ぬの俺?。
あぁ⋮そうだった親父に刺されたんだった﹂
あの時見たあの眼は確かに3年前に屋敷を出た父親のものだった。
15
勢い込んで屋敷を出たは良いが1人ではうまく生きていけなかっ
たのだろう。
3年の間に堕ちるところまで堕ち,どこで知り合ったのかあんな
物騒なプロと手を組みうちの蔵にあるお宝を強引に奪いにきた。そ
んなところだろう。
﹁お主⋮最近のガキにしては面白い精神構造をしておるのう。
正当防衛とはいえためらいもなく人を殺し,内1人は実の父親じ
ゃぞ。
もう少しなんかないのかえ﹂
﹁う∼ん⋮ないなぁ。
確かにあれは俺の親父だったものだけど金に困って元嫁の実家に
押し入ったあげく実の息子を刺すような生き物に何を感じろと?﹂
﹁ほう,いっそすがすがしいほどじゃのう。確かにこれは面白いか
もしれん。
よかろう神とやら私もこやつとなら共に行ってもよいぞ﹂
﹁は?今,神って言った?﹂
﹃⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹄
﹁なに?自分らしくいられる世界に行ってみないかって⋮っていう
か今の声ってさっきの人とは違うよね﹂
16
辺りを見回し声の主を捜すが自分以外には誰もいない。
﹁神とやらは概念的というか高次の存在らしくてな,現代で言う宗
教的な神とは全く違うものらしいがこの私ですら姿を認識すること
は出来んぞ﹂
﹁ああ,なんか良く分からんけどそういうもんなら別にそれでもい
いけど⋮
そう言うあなたも俺には見えないんだけど同じ理屈ってことでい
いの?﹂
﹁つれないのう⋮毎晩夜を共にし激しく求め合った3年間を忘れた
のか﹂
﹁え?﹂
その言葉から俺が連想するのはエロい行為だが,彼女が出来たこ
ともない俺は現在進行形で童貞のためあてはまらない。
3年間?3年って言ったら俺がじいさんにあれをもらったのが確
か3年前⋮
そこまで考えた時に自分が抱えている物に気がついた。
﹁もしかして⋮おまえか?﹂
﹁くくく⋮もしかしなくとも私だな﹂
17
抱え込んでいた刀を目の前に持ち上げてみる。人間を骨まで断ち
切ったはずの刀だが刃こぼれ一つないきれいな刀身がきらりと光る。
﹁あ!やばい。かなりテンションあがった。
それならさっきの言葉も激しく同意。確かに激しく求め合った気
がする﹂
掲げたままの刀から楽しんでいるような雰囲気が伝わってくる。
﹁そうであろ。些か恥ずかしくなるほどにお主は私のことを好いて
いたようだからのぅ﹂
﹁いやぁ,それほどでもあります。でも面と向かって言われると照
れるなぁ﹂
﹃⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹄
﹁おう,すまぬな。私としてもこうして話すのは初めてのことでち
ょっと浮かれておったらしい﹂
神っぽいやつから早く話を進めて欲しい旨の依頼が来た。威厳0
だな神。
﹁結局のところ,これってどういう状態?﹂
﹁ふむ,私も良く分かってはおらんのだが⋮この神とやらはこの星
の意志のようなものらしい﹂
刀は俺が目覚める前に神から聞いていた事情を大雑把に解説して
18
くれた。
﹁つまりこの星はこのままだと遠くない未来にいずれ滅ぶから,ち
ょっとよその世界に行って他のところはどうしてるのか見てきてく
れよってこと?﹂
﹁まあその他にもいろいろ小難しいことを言っていたがそういうこ
とのようだな。
まあ,遠くない未来と言っても神基準だからな。普通の人間にし
てみたらまだまだ遙か先のことだろう。
ただしお前はこの世界ではもう死んでいるのだからこのまま地球
に戻ることも向こうの世界から戻ってくることも出来んそうだ﹂
なるほど⋮悪くない。どちらにしろ本来なら死んでいる身である
し,仮に命を取り留めていたとしても今後も違和感を抱え続けて生
きていくことになる。
神とやらの話では俺が自分らしく居られる世界とやらへと送って
くれるらしい。そこがどんな世界なのかという不安はあるが⋮
﹁お前も来てくれるんだよな﹂
愛刀に問いかける。
﹁いいだろう。お前の3年間の想いに応えてやろう。
この世界で飾られるだけの日々にも正直飽きていた頃だしな﹂
19
ならばよし。
﹁わかった,行く﹂
﹁ほ,即答かえ。そこまで愛されておるとは刀冥利に尽きるのう﹂
なんとなく嬉しそうな愛刀⋮っていうか愛刀って呼ぶのもなんか
どうだろう。
とりあえずその問題は後にして,大体こんなパターンの話には付
きものの話を一応確認しとかないとな。
神とやらに今後会えるかどうかもわからないし。
﹁一応聞いておくけど,なんかこういう時って特別な力とかくれた
りする?﹂
﹃⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹄
それに対する神の答え ﹁チート,よくない﹂
どこの標語だそれ!
﹁自分の世界ならいざ知らず,異世界のことわりにまではおいそれ
と手をだせんのだろうよ﹂
﹁なるほど,わからなくもない。じゃあ仕方ない。お前がいてくれ
るだけで充分っちゃ充分だしな﹂
﹁その気持ちは嬉しいが⋮軽いのうお主。とは言え神よ右も左も分
20
からぬ世界に着の身着のままではさすがに厳しいのではないか?
早々に死んでしまってはこやつの魂を回収したところでたいして
役に立たぬであろ﹂
ふむふむ,俺に引っ越し先でいろいろ経験させて死んだ後の魂か
ら情報を収集するということか⋮エコだな。
﹃⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹄
﹁情報収集に役立ちそうな力だけはなんとかする?具体的には?﹂
﹃⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹄
﹁﹃言語﹄,﹃読解﹄,﹃簡易鑑定﹄⋮つまり会話と読み書きにつ
いては心配するな,と。鑑定は余った力でつけられるのがそんなも
んしかない。だと?﹂
見事にノーチートですな。まあ向こうで言葉が通じるだけであり
がたいっちゃありがたいか。更に読み書きまで出来るんなら人のい
るとこさえ行けばなんとかなるか。ていうかその辺の能力は異世界
ものでは基本性能だよなぁ。
﹃⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹄
﹁後は送り込まれた先で俺にもっとも適したジョブがつくはず⋮と。
投げっぱなしもいいとこだなおい﹂
それって別に神の力ではなく,その世界のデフォルトなんじゃな
いかと思ったがそれは言わないでおこう。どうせ変わりようもない
21
しな。
﹃⋮﹄
﹁いや,別に怒ってる訳じゃないんだけどね⋮﹂
﹃⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹄
﹁え,じゃあせめてこの刀以外にこの世界からあと1つだけ手に持
てる範囲でなんでも持ち込んでもいいって?﹂
ごねてみるもんだ。持てるものならなんでも良いならそれこそ拳
銃とかの銃器だったり,金塊とかの向こうでも価値のありそうな物
だったり,スマホ⋮は無理か電池切れたら役に立たない。
おにまる
みかづきむねちか
おおてんた
じゅずまる
さてどうするか⋮いろいろ考えられるけどやっぱりあれかな。
どうじぎり
﹁じゃあ童子切,鬼丸,三日月宗近,大典太,数珠丸の天下五剣の
内の1本﹂
﹁おい!私がいるというのにそんな名声だけの駄剣共を!﹂
﹁っていうのは冗談で,これで良いや﹂
﹁お主⋮だが,それは﹂
さすがに俺も国宝や重要文化財をほいほい貰えるとは思ってない。
俺の愛刀にヘソを曲げられるのも困るし。
だから俺はさっきからずっと俺の背中に刺さりっぱなしになって
22
いた小太刀を抜いて愛刀と一緒に抱えた。
﹁これならいいだろ。さっきからずっと痛いんだよ﹂
﹁そりゃあ致命傷だから痛いだろうが,自分を殺した刀をわざわざ
持って行かんでも良いのではないか?
あの蔵の中の刀達であれば私の同胞のようなもの。私も共に行く
ことを嫌がりはせぬぞ﹂
﹁違う。傷が痛いんじゃない。
あんな奴に使われて俺を傷つけたことをずっと悲しんでるこいつ
の気持ちが痛いんだ﹂
そう,この空間に来てからずっと感じていた。
激しい後悔とどうすることも出来なかった自らの非力さを呪う悲
しみの気持ちを。
最初は父を刺し殺したことによる罪悪感かと思った。だが,改め
て思い出してみても父を刺したことになんの違和感も感じなかった。
ならばなんだろう,と考えてみて背中の小太刀に気づいたのであ
る。
﹁お主は本当に小さな頃から私たち刀が好きだったな⋮
暇さえあれば蔵に来てガラスケースが指紋や涎でべとべとになる
まで飽きもせずずっと刀達を見ていた。
23
私たちは16年間ずっとそれを見てきたのだ。あの蔵の刀達は皆
お主が大好きなのじゃ。子孫を残せぬ私たちにとって我が子のよう
に思っておった。
それなのにそのお主を殺してしまうとは使った者が悪いとは言え
悔やんでも悔やみきれまいな﹂
そうか,俺はずっとあの刀達に見守られていたんだ。だからあの
蔵はあんなに居心地が良かったんだなきっと。
﹁よかろう,むしろ私からもお願いする。
そやつはまだ百年程度の若い刀だがきっとお主の為に頑張ってく
れるだろうからな﹂
愛刀の了解も得て,再び2本の刀をしっかりと抱き寄せる。
そしてよろしくなと声をかけてあげると今までちくちくと感じて
いた小刀の後悔が薄くなり喜びの感情が伝わってくる。
これで思い残すことはない⋮かな。
﹃⋮⋮﹄
神の最終確認に迷い無く頷く。
﹁いいよ,行こう。
あ,そうだ。蔵の皆にさよならって言っておいて﹂
24
神様相手に伝言を頼んだところで聞いてくれる訳が無いのは分か
ってるが皆に別れも言えずに去るのは心残りだったから一応言って
おいた。
﹃向こうで頑張ってくれたら,きっとまた会えるよ﹄
徐々に薄れていく意識の中で妙にはっきりと神がそう言ったよう
な気がした。
25
異世界生活のはじまり
﹁さて,どうしようか﹂
気がつくと草原に立っていた。しかも何故か学生服で。
俺が通っていた高校で着ていた黒の学ランである。ただ,神仕様
なのか改造が施されている。
ここで防御力激高とか,身体能力強化とかのチートな学生服でも
くれれば神を少しはみなおすのだが⋮神が施した改造、それは。
いわゆる短ラン,ボンタンだった。
ズボンはウエストから膝ぐらいまで徐々に広がるように大きく作
られ,足首に向かって細くなっていく。うん太い。いわゆるバナナ
ボンタン,バナボンってやつです。
短ランはヘソが見える位の丈なんでかなり短め︵と言ってもYシ
ャツは着てるのでヘソは見えない︶。これを合わせて着ると,はい
あっという間にヤンキーです。
神の認識する改造の意味が残念すぎる。
幸いだったのは靴がローファーではなく運動靴だったことだ。革
靴だったら動きづらくてしょうがないとこだった。
まあ,いろいろ突っ込みどころは満載な気がするがとりあえず現
状把握が先だろう。
26
まず所持品を確認する。胸ポケットや内ポケット,ズボンのポケ
ット⋮見事にあめ玉1つ入ってないな。
ただし,左腰には2本の刀がベルトに差してあった。
あの空間では2本とも抜き身だったが本来の鞘も一緒に送ってく
れたらしい。ありがたい。
そして俺が一番気になっていること⋮
﹁えっとここでも話せる?﹂
﹁安心するがよい。この世界では私は話せるようだ﹂
﹁おお!やったぁ!これだけでこっちに来た甲斐があったよ!もう
死んでもいい!﹂
﹁⋮おいおい,今死んだら神的にはなんの意味もないぞ。
私もこんなところで放り出されて錆びていきたくないしな﹂
おっとそうだった。そこそこ長生きしてこっちの情報を魂に刻ま
なきゃいけないんだったっけ。そっちは正直どうでもいいけど俺の
大事な刀達を野ざらしにしてしまう危険は犯せない。
とりあえず周囲を眺めてみますか。まず空。
﹁うん,青い。そして雲がある。地球っぽい。﹂
とりあえず今は夜ではないらしい。そもそも夜があるのかどうか
も分からないけど太陽っぽいものは空にあるし,星が球形なら自転
27
もしてるだろうから白夜にでもなるようなところに飛ばされてなけ
ればいずれ夜はくるんじゃないだろうか。
それまでにはなんとか人のいるところに行けないとまずいことに
なりそうな気がする。
次は周囲。まわりを見回してみても誰もいない。建物も見えない
し,街の陰も見えない。
後ろは森になっていて見渡せない。左右は膝丈までの草原でその
先は地平線だ。前にはこんもりとした丘があってそのてっぺんにな
んだろう線香?
いやいや縮尺がおかしい。きっとあれはもっとずっと遠くにある
ものっぽい。ありていに言えば細長い何かだ。何かの建造物だろう
か。そうだとすればこの世界の建築技術はかなり高いということに
なる。
それはさておき,どこに向かえばいいやら。今のところまだ太陽
は高い位置にあるけど楽観はできないよなぁ。日が暮れれば真っ暗
になるんだろうし,ここがどういう世界か分からない以上何が出る
か分からない。
盗賊とか憲兵とか猛獣とか魔物とか⋮とりあえずそのあたりの一
般常識が欲しいところだな。
﹁街とかどこにあるか分かる?えっと⋮愛刀︵仮名︶﹂
話せるようになったはいいけどぶっちゃけなんて呼んだらいいか
わからない。
28
とりあえず愛刀︵仮名︶で呼んでみる。
﹁私がこの世界の地理を知っている訳がなかろ。
それにしてもいつまでも愛刀と呼ばれるのは味気ないのう。確か
に話せるようになってからきちんと名乗ったことが無かったので仕
方ないがな。
これを機にきちんと名乗っておこう。我が銘は﹃蛍丸﹄じゃ。呼
び名は蛍でよい﹂
﹁あ,そうなんだ。やっぱ名前っていうか銘があるんだ。蛍ってい
い銘だ⋮ね?﹂
ちょ。ちょと待って,ちょっと待ておにぃさん?
今,蛍丸って言った?言ったよね!蛍丸っていったら南北朝時代
に作られて1931年に国宝に指定されたけど太平洋戦争終戦時の
混乱の中で行方不明になってたやつ?
なんで祖父さんそんなもん持ってんだ!むしろお前が終戦時にパ
クって来たんじゃないだろうな!なんてやつだ!っていうかグッジ
ョブ!祖父さん!
自分が選んだ一刀がそんな名刀だったとは!よし,とりあえずガ
ッツポーズしとくか。
﹁おい,感動に浸っているところ悪いが一応お主も自己紹介してお
いてくれるか﹂
29
ああ,確かに毎日のように蔵に通ってたが俺も刀に向かって自己
紹介をしたことはなかった。
当たり前と言えば当たり前だ。
﹁確かに自己紹介はしたことなかったな。俺の名前は富士宮 総司
狼。
総司狼って呼んでくれれば嬉しい﹂
﹁ソウジロウか。良い名じゃ。これからよろしく頼むぞソウジロウ﹂
﹁こちらこそよろしく蛍さん﹂
うん,やっぱり名前は大切だ。お互いに呼び合うだけで絆が深ま
った気がする。一応蛍さんの方が年上だし呼び捨てにはしないでお
こう。
そう言えば⋮こっちの小太刀の方も名前があるのだろうか。
﹁ねぇ,蛍さん。こっちの子も名前あるのかな﹂
﹁どうだろうな⋮作成時はあったかも知れぬが今は失われておるか
もしれぬな。
まだ100年そこそこで若いゆえか,この世界でもまだ話すこと
はできないようだからソウジロウが銘をつけてやればよいのではな
いか?
もしいつか話せるようになるのならそれから銘を教えてもらうの
30
もいいが正直いつそうなるかはわからぬし,ソウジロウにつけても
らう方が喜ぶような気がするな﹂
そうか,いつかしゃべれるようになるとしても俺が生きてる間か
どうかは分からないしな。
しゃべれなくても気持ちはちゃんと伝わってくる。⋮うん,俺の
勘違いじゃなければ蛍さんの意見に賛成みたいだ。
﹁よし,じゃあお前は⋮﹂
なんて名前にするか⋮刀っぽくいくなら正宗とか村正とかあるけ
どどうせなら可愛らしい名前がいいかな。
この子も俺と蛍さんと一緒に地球からきた仲間。この世界には似
たようなものはあっても純粋な日本刀はないだろうし日本らしい名
前がいいだろう。 日本⋮日の丸⋮国旗掲揚⋮入学式⋮っと思考がそれた。でもそう
言えば日本ではまだ春だったっけ。春といえば
﹁⋮そうだ。さくら!桜にしよう。
蛍さんに桜そして俺。今はこの世界にたった3人だけど頑張って
いこう!﹂
腰に差したままの小太刀が桜の銘を気に入ってくれたのか喜びの
感情が伝わってくる。
うんうん満足だ。っていうか何を話してたんだっけ?
31
﹁相変わらずソウジロウは軽いのう⋮というより刀以外には興味が
ないのか?
おなごとかはどうじゃ?﹂
﹁蛍さん。俺はこれでもいたって健康的な男子高校生です。めっち
ゃ興味あるに決まってるじゃないですか!﹂
今まで全く縁がなかっただけで当然エロいことは大好きである。
むしろそっち系の願望は周りの友人達と比べても強かった方だと思
う。
結局地球では経験することなくお亡くなりになったけど,せっか
くの延長戦だ。この世界で脱童貞が出来るかどうかは分からないけ
どチャンスがあればがんがん狙っていく所存です。はい。
﹁ほう,それは良かった。男子たるものやはりそっちも強くなけれ
ばな。
その辺はまあ今後のこととしても,とりあえずこれからどうする
かということを決めねばなるまいよ﹂
ああそうだった。蛍さんは頼りになるなぁ。冷静で落ち着いてて
頼もしいことこの上ない。
まあそれもそうか,確か蛍丸は鎌倉時代の後の南北朝時代に作ら
れた刀だったはず。西暦1350年くらいに作成されたとしても単
純計算で700歳近い。そりゃ100歳くらいの桜を若いとか言え
る訳だ。
32
﹁とりあえず動かなきゃいけないんだろうけど⋮どうするかな。
選択としては森以外の方向ってくらいかな﹂
﹁ほう,なぜじゃ﹂
この世界の常識が無いということはこの星の生態系が全く分から
ないってことだから,その辺の知識が出来るまでは視界の悪いとこ
ろや変なものが住み着いてそうな場所は避けた方が良いだろう。
﹁なるほどのう。軽いように見えてもちゃんと考えておるのじゃな。
ならばまずはあの丘の上まで行ってみるかの。視界が広がればま
た何か見えるかもしれん﹂
﹁ん,了解﹂
結局のところ情報が足りなすぎてどこに行けばいいかなんて分か
らないし,蛍さんの言うことは理に適っているから言いなりになっ
ても問題ない。決して自分で考えるのがめんどくさいとかそういう
ことではない。
ということで正面の丘を目指して歩き始める。
ん?なんだか空気がうまい上に身体が軽い。これが解放感という
やつか。
地球にいた頃の俺はそんなにも息苦しさを感じて生きていたのだ
ろうか。
33
日常生活レベルでは問題なく溶け込めていたはずなんだが。
そんなことを考えながらもくもくと歩き続けていたら,見た目結
構な距離があったように思ったが意外とあっさりと丘を踏破してし
まった。
せっかく上ったので丘の上からもう一度あたりを見回してみる。
振り返ると背後にあった森が最初に目に入るが,その広大さに思
わず呻く。
﹁入らなくてよかった。なんて広さ⋮富士の樹海も真っ青だな﹂
改めて蛍さんの助言に感謝しつつ胸をなでおろしつつ丘の向こう
側にあたる部分を確認する。
﹁あ,道がある。なら道に沿っていけば街に行けるかな﹂
そう思って道を確認すると左手側は丘を回り込むようにして道が
伸びている。
なるほど,さっきの場所からだと草が邪魔して見えなかったのか。
今度は右手側の道を眼で追っていく。そうすると伸びた先で道は
二又に分かれていた。
﹁ん?何かある⋮看板,かな?道も分かれているみたいだし標識的
なものかも!﹂
あれが何にしろこっちへ来て初めての人工的な物。たいした情報
にはならないかもしれないが絶対に見ておいた方がいい。
34
今度は蛍さんの手を煩わせることなく自分で決めると丘を下りつ
つ看板らしきものに向かう。
辿り着いてみるとやっぱり道案内用の看板だった。撃ち込まれた
杭に三枚の板がくくりつけられている。
﹃↑ ザチルの塔方面 ミカレアの街 ↓
盗賊に注意! ﹄
と書かれていた。そして見たこともない奇怪な文字を俺はなんの
問題もなく読めた。
これぞ神の御力!!⋮生き残るためには全く役に立たなそうだけ
どな。
﹁ということでもちろん右じゃな﹂
もちろん蛍さんの助言に異議はない。左の塔っていうがなんとな
く面白そうだけど今の俺達はとりあえず人のいるところに行く必要
があるので今回は我慢する。
﹁ただ問題はどのくらいで着くかだよな⋮﹂
歩き始めて1時間ほどしてもまったく街らしきものが見えない。
結構なペースで歩いているはずなんだけど⋮
確かにあの看板の示すとおりこっちの道を進めばなんとかという
街があるのだろう。だが,どの程度進めばいいのかは全く書いてい
35
なかった。
﹁これで2日とか3日とか一週間とかが必要な距離だったら確実に
野垂れ死ぬなぁ﹂
﹁そうじゃのう。食事を必要としない我らとちがってソウジロウは
人間じゃからのう。
森に入って狩りをするにしてもソウジロウの言うとおり我らは何
も知らなすぎる。
うっかり変なものを食べてそのまま⋮なんてことも充分にあり得
るな﹂
﹁そうなんだよね⋮いざとなれば試すしかないけど今のところまだ
体力的にも時間的にも余裕はあるからもう少し頑張って進んでみる
しかないか﹂
ここに来てからなんだかんだで1時間弱過ぎて日も少し傾いてき
ている。狩りをするなら明るい内に森へと入らなければならないだ
ろうがもろもろの危険を考えると今日はやめた方がいい。
ぶっちゃけ1日くらいは飲まず食わずでもなんとかなる。何の知
識もなく森に入ると言う危険を冒すくらいならぎりぎりまで我慢し
て街を目指した方がいい。
それでもどうにもならなくなったなら⋮明日の日が高くなった頃
位が危険と余力を考えた上での唯一にして最後の機会だろう。もち
ろん1日を24時間と仮定してだから場合によっては多少ずれるこ
ともあるだろうけど。
36
幸い道は森から適度な距離を保ちつつ森を回り込むように緩やか
に右カーブを描きながら続いている。このまま歩き続けても森から
離れすぎてしまうことはないはずだ。
そのことだけを見てもやはり森の中は安全な場所じゃないんだろ
うなぁと思う。
多分だけど街はこの森を回り込んだ先にある。おそらくこの森を
突っ切れるならその方が早いはず。それなのにその道が無いと言う
ことは森に道を通すことが出来なかったということなんじゃないだ
ろうか。
そうであるならばさっきの看板にもあったように盗賊が潜んでい
たり,危険な生き物が生息していたりする可能性が高い。
﹁ソウジロウ!走れ!悲鳴が聞こえる!﹂
﹁え?﹂
と,疑問符を返しながらも蛍さんの指示には反射的に従って走り
出している。⋮けど,なんだか,ふわふわして走りづら⋮
﹁⋮うむ,もしかしてと思っていたがこの世界は地球よりも若干重
力が弱いらしい。
ソウジロウ!心持ち前傾姿勢を取って重心を落とし,足の裏で地
面を掴め。そして地面を後方に投げるようにして走ってみろ﹂
な,なるほど⋮重力が軽いせいで運動能力があがって疲れにくか
ったのか。
37
それは納得。後はじゃあどう動くかってことだけど⋮
﹁前傾⋮して重心を落とす﹂
お!ちょっと安定した。
﹁足の裏で地面を掴んで後方に⋮投げる!﹂
おおぉ!明らかに早くなったのが分かる。さすが蛍さんだ!てい
うかもう師匠と呼びたい。それにしてもこの速度,体感にして地球
での倍近く出てそうな気がする。
普通に歩いててもそんなに気にならなかった以上何倍も重力が違
う訳ないからせいぜい2割減とか3割減というところだろう。もし
かしたらまだこの世界には地球とは違う特性があるのかも知れない。
﹁ほう⋮良いぞソウジロウ。筋がよい。言われたことを感覚的に理
解し実践出来るのは才がある証拠ぞ﹂
それは嬉しい。これまで何人もの剣士を見てきたであろう蛍さん
の言葉だから信憑性も高い。
﹁そのまま道なりに行け!その先を曲がれば見えてくるはずだ﹂
﹁了解﹂
とりあえず蛍さんの言うとおりに走ってきたはいいけど,これっ
てもしかして突っ込んだらいろいろやばくないだろうか?
悲鳴が聞こえるってことは少なからず揉め事がおこってるってこ
38
とで,痴話喧嘩程度ならまだしもそれこそ魔物とか盗賊とかだった
ら返り討ちの可能性もあるんじゃ。
﹁やばいだろうな。だがどんな状況にしろどっちかに助太刀して助
けてやれば我々が欲してやまなかった﹃情報﹄が手に入るやもしれ
ぬぞ﹂
あぁなるほど。助けてあげたんだからいろいろ教えてって言えば
いいのか。ついでに街の位置を確認したり食料を分けてもらったり
も出来る可能性もあるな。
それならなるべく早く行って全てが終わるまでに状況を確認して,
より自分達のためになる方を助けた方がいい。
走り方にも少し慣れてきたので地面を投げる力をもう少し強くし
てみた。
うっわ自分の足でこの速度⋮この爽快感はたまらない。しかもこ
れだけ全力疾走をしてるのにまだ息が切れない。
瞬く間に森を回り込むようになっていた道を走り抜ける。すると
そこは森の厚みが薄いところだったのか森を抜けるように道が繋が
っていた。
だが,両脇が森ということは身を隠しやすいということでもある。
よからぬ考えを持っている人達にとっては絶好の襲撃ポイントだろ
う。
そしてまさにそこで襲われたらしい一行の馬車が横転し道を塞い
でいた。その向こうになにやら屈強な男達が何人か見え隠れしてい
39
る。
﹁ソウジロウ,もはや争う音は聞こえぬし殺気もおさまっているよ
うじゃ。大勢は決しているようじゃが言い争う声は聞こえる。あの
馬車の陰から近づいて様子を探った方がよかろう﹂
俺は黙って頷くとなるべく身をかがめつつ足音を立てないように
して一気に馬車の陰へと走り込んだ。
﹁おら!早く契約書を出せ!お前は俺と契約して俺の専属侍祭にな
るんだよ!﹂
﹁⋮﹂
しさい⋮司祭か?いや違う,じさい⋮ああ,侍祭か。なんか僧侶
系の人がいるのか。
馬車の陰からこっそりとのぞいてみると年の頃15,6の女の子
が明らかに風呂に入ってなさそうな汚らしい男達⋮ひ,ふ,み,よ
⋮6人に囲まれている。
﹁知ってるんだぜお前が侍祭だってことはな。俺らの斥候が街でし
っかりと裏を取った確実な情報だからな。
どっかのお貴族様が自分達の息子の為に侍祭を買いに来たってな。
神殿の侍祭を金で買うなんてよっぽどの親馬鹿なんだろうよ。お
そらく目ん玉飛び出すくらいの金額だったはずだからな!﹂
﹁お頭!こいつが本当に侍祭なんでやすか?こんな小娘にそんな値
打ちがあるとは到底思えねぇんですが﹂
40
そう言って骨みたいなやせぎすの男が女の子に近づく。
﹁馬鹿野郎!迂闊に近づくんじゃねぇ!侍祭っていや護身術を極め
てるらしいからな。受け身の戦闘に関しちゃかなりのもんらしい!
今はとにかく油断せずに囲んどきゃいいさ。契約さえしちまえば
こっちの言いなりになるんだからな﹂
お頭と呼ばれた脳みその足りなそうな男が下卑た笑いをこぼして
いる。あまりの気持ち悪さに吐きそうだ。
﹁ソウジロウ⋮そこの裂け目から馬車の中をそっと見てみろ﹂
馬車の中?背中をつけていた馬車の幌の破けた部分から言われる
がままに中を覗いてみる。
﹁⋮⋮﹂
俺の中の何かがすっと冷えた。
﹁ソウジロウ,もう少し殺気を抑えろ。雑魚でも気づかれる可能性
がある﹂
そこから見えたのは仕立てのよいドレスに身を包んだ貴婦人が向
けている虚ろな視線だった。既に息はない。致命傷は首に刺さった
ナイフだろう。
そしてそのナイフに舌を這わせながら腰を振り続けるモノ。
よくよく見てみれば取り囲む男達の周囲にも馬車の護衛達だろう
41
武装した男達の死体がいくつも転がっていた。それぞれの死体にか
なりの数の矢が刺さっている。
どうやら最初の奇襲段階でほぼやられていたようだ。
現状を把握していく度に俺の頭の中が冷たく冷たく冷えていく⋮
右手が自然と腰の蛍丸へと伸びる。
﹁蛍さん⋮﹂
﹁やるのか?﹂
頷く。
﹁分かった。まずは馬車の中の男を一撃で仕留めろ。その後は問答
無用で一気に距離を詰めて頭目をやれ。
今度は私がいる。背後の危険は私が教えてやる。頭へ直接伝える
から聞き逃すな。
⋮お前は目の前の敵を1人ずつ潰していけばよい﹂
﹁ありがとう蛍さん。お願いします﹂
﹁よし,まずはこの中の下衆からやるぞ。構えろ﹂
俺は蛍丸を抜くと腰だめに構えた。蛍さんのやろうとすることは
頭に伝わってきている。
﹁刃先を少し下げろ⋮もうすこし⋮そのまま半歩右へ⋮よし,突け﹂
42
言葉よりも早く伝わってきた蛍さんの合図になんの躊躇もなく刀
を突き入れる。蛍丸の刀身は約1メートル。それに加え身体と腕の
伸びを勘案して計算すれば突き技なら2メートル近い間合いがある。
﹁かひゅ⋮﹂
馬車の中で空気の漏れるような音が聞こえる。予定通り中に居た
下衆の首に命中したのだろう。
刀を引き,血糊を払いながら冷え切った頭で小さく呟く。
﹁行くよ蛍さん﹂
次の瞬間馬車の陰から走り出す。
1歩,まだ気づかれていない。
2歩,囲まれていた女の子が横目でこっちに気がつく。声は上げな
い。ありがたい。
3歩,ようやく囲んでいた内の1人が目を見開く。
4歩,気づいた1人が声を上げようと口を開いた。
5歩,低い姿勢で下段に構えたままだった刀を斜め上へと斬り上げ
る。頭目の口から上が飛ぶ。
﹁かしらぁ!⋮がっ!﹂
ようやく声を出した大柄な男に次の一歩で肉薄し首を落とす。
更にその隣にいる男に斬りつけるが相手の腰がひけていたせいか
微妙に間合いが合わなかったため胸を斬りつけるにとどまる。
43
その時脳裏に後ろから何か危険なものが飛んでくる警告が発せら
れる。蛍さんの警告だろう。
とっさにサイドステップをして体をずらすとさっきまで俺がいた
ところを矢が通り抜けていく。森の中にまだ弓を持った男が潜んで
いたらしい。
﹁桜,ちょっと離れるけど後で迎えに行くから頼む﹂
桜の嬉々とした感情が流れてくる。安心した俺は左手で小太刀を
抜くと蛍さんの示す位置へ桜を投擲する。
﹁⋮!﹂
小さな呻きと共に桜の喜びの感情が伝わってくる。見事命中した
らしい。その間にも俺はめまぐるしく位置を変え,更にもう1人を
斬り伏せた。
ここまで来ると奇襲の利点は失われつつあるが既に相手の数の優
位はほぼ奪っているため問題はない。
俺の奇襲で呆然としていた男たちが一気に襲い掛かってくる。
!!
蛍さんからの警告が頭に響く。右斜め後ろ,上段からの斬り落と
し。
前と左右じゃかわしきれないかもしれない⋮なら!
44
﹁な!⋮こいつ!﹂
バックステップした俺の背中での体当たりを受けて体勢を崩した
男にすぐさま振り返った俺は刀を胸に突き刺す。その刀を抜くつい
でに男を蹴り飛ばしこっちへ向かってこようとしていた男を妨害し
てやる。
素早く視線を巡らし,男達の位置を確認すると近くにいた女の子
をひっぱり自分の背後へと庇う。
﹁あと2人⋮﹂
胸を斬られた男とそれに手を貸す男が剣を構えたままこちらを睨
んでいる。
かなり激しく動いたにもかかわらず俺の息は乱れていない。これ
も地球より重力が弱いことの恩恵だろうか。
後は悪人を殺すということに俺の心理的負担がないのも大きな理
由な気がする。
﹁他に生き残っている人は?﹂
俺は相手から視線を逸らさないまま背後の女の子に声をかける。
﹁⋮いません﹂
﹁そっか。じゃあ,あいつらを生かしておく必要はある?﹂
﹁全くありません。むしろ出来るのならば確実に始末をお願いしま
す﹂
まだ15,6の少女がさも当然のように悪人の始末を承諾する。
そのことに自分の胸がすかっとするのを感じる。そう,この価値観
が当たり前のように通じる世界こそが俺らしくいられる世界だった。
45
﹁くそっ!せっかくうまくいってたのに⋮頭目が侍祭なんかに欲を
かかなきゃ﹂
﹁あ⋮副頭目⋮に,逃げましょう⋮肩を貸してくだせぇ﹂
どうやら無傷で最後まで残った男はナンバー2らしい。
胸からの出血で意識が朦朧とし始めているのか荒い息を吐きなが
らすがりつく男に副頭目は粘ついた笑みを浮かべる。
﹁あぁ,悔しいが俺達だけじゃあいつに勝てる気がしねぇ⋮なんと
か逃げねぇとな﹂
﹁は,早く逃げ⋮﹂
﹁待て待て,普通に逃げたんじゃ追いつかれるかもしれねぇだろ﹂
﹁え?﹂
どんっ
あぁやっぱり。そんなことじゃないかと思ってたけど,もしもそ
こで部下を見捨てずに一緒に逃げようとするなら見逃してやっても
いいかと思ったけどやっぱり囮にして自分だけ逃げるんだ。
﹁あばよ!せいぜいあいつの足を止めてくれょ⋮⋮ごぶっ!⋮あ,
あれ?﹂
副頭目は自分の胸から生える刀の切っ先を見下ろして首をかしげ,
首を後ろに回す。
﹁かは!⋮は,はやすぎ⋮だろ﹂
46
何か呟く副頭目を蹴飛ばして刀を抜くとゆっくりと歩いて囮にさ
れた男の下へと戻る。
いったいどうして俺が囮の方を先に始末すると思ったのだろうか。
ほっといても死にそうな相手より今まさに逃げようとする相手を先
に仕留めようとするのは当たり前だと思うんだが。
﹁あ⋮た,たす⋮け﹂
﹁こう言ってるけど?﹂
地面に倒れ伏した男が腕を伸ばして嘆願する。
被害にあったのはあの女の子だ。一応確認しておこう。
﹁奥様や旦那様が﹃息子のためにも命だけは助けてくれ﹄と嘆願し
たときあなた方は全く聞く耳を持ちませんでしたが?﹂
﹁くっ⋮﹂
男は冷めた目で自分を見る女の子に最後の望みを失ったのかぱた
りと手を落とした。
﹁死んじゃったみたいだけど,一応とどめはさしておく?﹂
﹁はぁ⋮お願いします﹂
女の子は気丈に振る舞っていても緊張していたのだろう。大きく
息を吐くと同時に全身の緊張が解けていくのがわかる。
15,6位なら俺と同い年くらいだろうにたいしたもんである。
感心しながら俺は刀を男の首に突き刺すとすぐに刀を抜いて血糊
を払う。と,同時に冷え切っていた頭の中に温度が戻ってきたよう
47
な気がする。
﹁蛍さん,大丈夫だった?﹂
﹁うむ,見事だったぞソウジロウ。ここでの初陣にしては及第点じ
ゃ﹂
﹁マジで!ありがとう蛍さん。蛍さんがいろいろ助けてくれたお陰
で安心して戦えたよ﹂
﹁気にするな。お前を守るのは当たり前のことじゃ。それよりも早
く桜を拾ってきてやれ。ヘソを曲げられる前にな﹂
﹁あっと!そうだった。桜も頑張ってくれたんだった。じゃあ行っ
てきま∼す。ん?﹂
早速動こうとした俺は不審な視線を感じたので立ち止まる。
ここにいるのは蛍さんと桜を覗けば1人だけなので,当然視線は
女の子である。
あれ?もしかしてこの世界でも刀はしゃべらなかったりするんだ
ろうか⋮変に思われたか?
ま,いいか。
﹁おわかりだと思いますが,武器を拾いに行くなら盗賊の武器も一
緒にお持ちになられた方がよろしいでしょう﹂
﹁?﹂
48
言ってる意味が良く分からないがとりあえず頷いておく。
弓兵は確かこの辺りに⋮ああいたいた。見事に桜が額に刺さって
る。
これは俺の力というよりも桜自身がある程度方向と威力を調整し
てくれたような気がしている。
感謝♪感謝♪ありがとう桜。
丁寧に額から桜を抜くと盗賊の服で桜を拭こう⋮と思ったけど汚
いからやめた。俺の桜たんをこんなモノで拭くのはかわいそ過ぎる。
桜もそうだそうだと同意しているみたいだしな。とりあえず蛍さ
んもそうだったけど桜も切れ味が良すぎるからなのか日本刀だから
なのか血糊とかあんまりつかないみたいだ。
もちろんちゃんとした道具を手に入れたらすぐに手入れしてあげ
るけど今のところは我慢してもらおう。
2人を腰の鞘へとしまう。
こうしてみると意外というかなんというか短ランボンタンの有能
性に流石に気づく。
ゆったりとしたボンタンはどんなに激しい運動をしても動きを妨
げないし,丈の短い短ランは刀を腰にさしても抜刀の邪魔をしない。
何気に神のやつ有能だったな。
さてと,あとはあの子の言うとおり弓兵の弓と⋮懐に短剣を持っ
てるのか。これも持って⋮後は金目の物は持ってなさそうだな。ま
あ,襲撃に財布はいらないから仕方ない。
49
俺は弓と短剣を持って女の子のところに戻り武器を置く。
﹁はい,持ってきたよ。でもこれどうするの?君が使うとも思えな
いし,持って帰って売るの?﹂
女の子は問いかける俺をまじまじと見つめ小さく溜息をついた。
﹁やはり知らないのですね。なんとなくそんな気がしてましたが﹂
ん?何を知らないのだろう⋮ていうかなにもかも知らないんだけ
どね。それにしても神からもらった力で会話が成立するのはありが
たい。
﹁武器は所有者登録をしないと本来の性能を発揮できません。そし
て武器の所有者が死んだ時はその身分を証明する物にもなります。
盗賊などを倒した場合その武器を持って然るべき場所へ行けば報
償が貰えます﹂
﹁なるほど!﹂
へぇ,面白い。この世界では武器が身分証明書になるとは。所有
者登録しないと性能発揮できないってのも面白い。ようはゲームで
武器は装備しないと効果が無いよ∼的な感じなのか。
﹁なんだかいろいろ聞いてみたい気もしますが⋮とりあえずこの場
を離れましょう。血の臭いに魔物が寄ってくるのも時間の問題です
から﹂
あ,やっぱりいるんだ魔物。
50
﹁あっと,私としたことが申し遅れました。私はシスティナと言い
ます。危ないところを助けて頂きありがとうございました﹂
こうして俺はこの世界で初めて人間に出会うことが出来た。
51
侍祭
﹁と,言うわけで何からお話ししましょうか?﹂
ぱちぱちと爆ぜる焚き火の向こうでシスティナが俺へと問いかけ
る。
﹁そうだな,とりあえず⋮全部﹂
正直な俺の気持ちが詰まった魂の回答にシスティナが一瞬目を見
開き,やがて肩を落とした。
﹁⋮わかりました﹂
と,ようやくこの世界についての常識を学ぶ機会が得られた訳だ
がここまで来るのはそれなりに大変だった。
あの後,場所を移動するためにシスティナの指示に従ってまず馬
車をおこし中の盗賊と馬車の持ち主だった貴族の奥方を外に運び出
した。
次に盗賊達の武器や金目の物を剥ぎ取りこぼれていた元々の馬車
の積み荷と一緒に馬車に積んだ。
倒れた馬車の陰で斬殺されていた貴族の旦那様の懐から探し出し
た笛をシスティナが吹くと地球の馬よりやけに短足な馬っぽい生き
物ラーマがとことこと戻ってきた。
52
牽くのが馬じゃないなら正式には馬車ではないのかもしれないが
ラーマ車というのも締まらないので馬車でいいか。
本来は2頭立てだったらしく本当はもう一匹いたようだが,すぐ
戻って来ないところを見ると森の中で息絶えている可能性が高いそ
うだ。やっぱり森こえー!
だが,おそらくはそのラーマが魔物を引き付けた上に餌になって
くれていることと元々魔物が比較的少ない森の外縁部であることが
重なったお陰でこれだけの死体があってもまだ魔物が出てこない可
能性が高いらしい。
貴族の夫婦と護衛の人達は結局,盗賊達と一緒に置いて来た。
穴を掘って埋めている暇はないし,持って帰るのも保存が出来な
いので遺体が傷んで疫病などの可能性があるためよろしくないらし
い。
だから余裕があるならば髪の毛や身につけていた装備品を遺品と
して持ち帰るのが旅先でのルールだとのことだった。
その貴族達とシスティナは長い付き合いではなかったとのことだ
ったが並べられた遺体を前に祈りを捧げるシスティナはやはり悲し
そうだった。
自分の力を過信するつもりはないが⋮もう少し早く着ければ助け
られたかも知れないと思うとちょっと責任を感じてしまう。
そう言って謝罪した俺にシスティナは﹃あなたは何も悪くありま
せん。あなたが来てくれたからこそ私はこうして生き残り彼らの遺
品を残された家族に届けてあげることが出来るのですから﹄と言っ
た。
53
きっとこの世界ではこういったことは珍しいことではないのだ。
死んだことが確認出来ていて遺品まで残るような状況はむしろ幸運
なのかもしれない。
その後システィナは馬車の操作が出来ないという俺に代わり,ラ
ーマの手綱を取り自分達が来た道,つまりミカレアの街へと引き返
す進路を取った。
こうなってしまった以上このまま当初の予定場所に向かうことは
意味がないらしい。
その後は何となく話をするのが躊躇われる空気のまま2人で御者
席に並んだまま黙々と進んだ。
俺はシスティナが文句を言わないのをいいことにずっとシスティ
ナを見ていた。
システィナはとにかく綺麗だった。金がかった茶色く長い髪を毛
先の辺りで一つにまとめている。艶のある白い肌,くりっとした青
い瞳,小さくて可愛い口。地球で言うメイド服っぽいドレスに神官
がきるようなイメージをトッピングした服。
そしてそれを押し上げる双子山。
身長は160㎝そこそこだろうか,俺の身長が175㎝くらいだ
ったから俺の肩くらいまでだとそんなもんだろう。 だが,その胸にいる双子山関は160㎝の小兵が持つべき平均サ
イズを超えている気がする。もしかしたら重力が弱い分垂れにくい
という考えも成立するかもしれない。
うんワクワクが止まらない。
と,さすがにそこまでじろじろ見ていたら冷たい目で見られたの
54
は愛嬌である。
そのまま森から離れるように馬車を進ませて陽が落ちる少し前に
街道沿いで野営をすることになった。
もちろん俺は野営なんかするのは初めてな訳で何をしたらいいか
分からずおたおたしていたのだが,システィナは実に的確に俺へ指
示を出しつつ火を起こし,馬車に積んであった食材で食事を作った。
この世界で初めて食べた物は乾燥肉や干した野菜等の保存食的な
ものをお湯で戻し,おそらく塩っぽいものやらなんやらで味を調え
ただけのスープだった。
日本では家政婦が全て料理していたので料理関係の知識がほぼ0
の俺ではシスティナがどう料理したのかを伝えようとしてもこの程
度で限界だ。
だが,味については⋮飽食の国日本で育った俺にとってはシステ
ィナの料理は粗食もいいところだったはずなのだが間違いなく今ま
でで一番おいしい料理だった。
よくよく考えれば昨日の夕食を食べた以降俺は飲まず食わずだっ
た。その上1度は死んで,生き返ったはいいが異世界に放り込まれ,
更に命のかかった大立ち回りをしてきたのである。自分では全く気
にしてないつもりだったがやはり何かが張りつめていたのかもしれ
なかった。
それがここへ来てようやく落ち着いて暖かい食事を食べるという
人間らしい行動をしたことでやっと本当に生きていることが実感で
きたのだろう。
﹁すいません。泣くほど不味かったですか。野営食ではどうしても
55
いろいろ制限がありまして⋮侍祭としてお恥ずかしい限りです﹂
﹁え?⋮あ,本当だ。違う⋮違うんだ⋮こんなに,こんなに美味し
く感じられた食事は初めてだったんだ。ありがとう﹂
感動のあまり涙を流して,こんなやり取りをしてしまいシスティ
ナに胡散臭げな眼で見られるという恥ずかしい思いをしたのがつい
さっきのことである。
そんなこんなで食事の片づけ等も終わって後は寝るだけという時
になってからのシスティナの言葉が冒頭である。
﹁とは言っても全部⋮何をどう全部話せば良いのかわかりませんね﹂
システィナの言うことももっともだろう。
なんかいろいろ俺の胡散臭さを感じていたとしてもさすがに異世
界から来たとは思ってないだろうし,それを説明したところで頭が
おかしいと思われかねない。
だからと言ってさすがにこの星の創生から話せというのも無駄だ
し,一般常識全部と言ってもどこからどこまでが一般常識かという
のは人によっても様々で線引きは難しいだろう。
﹁だよね⋮じゃあ,そうだ!まずは自己紹介からしない?
名前は聞いたけどなんであんなことになってたのとか,これから
どうするのかとか﹂
俺としては,どっちにしろこのまま彼女に着いて行って街まで行
56
きたいところだったし同行するからには護衛みたいなことも出来た
らいいかなと思ってた訳で。
それなら相手の事情は知っておいた方がいい。
真面目な理由としてはあまり心配はしてないが彼女が悪人ではな
いということの確認と今後も狙われる可能性があるのかどうかを聞
いておきたい。
不真面目な理由としてはやっぱりこの世界にきて初めて出会った
人がこれだけ綺麗な人だった訳で⋮ぜひ少しでも親密になれたらい
いなぁと。
システィナはそんな俺の申し出に冷たい視線を返してきていたが
やがて諦めたように溜息を吐いた。
おそらく俺の下心に気が付きつつも命を救ってもらった恩を考え
れば断れないと思ったのかもしれない。そうだとすれば義理堅い娘
さんである。
﹁いいでしょう。まずは身元を証明致します。≪顕出≫﹂
あ,なんかシスティナの前に半透明な板みたいのが出た。システ
ィナがその端を指でタップするとその板が反転する。
なんか書いてある。ステータスウィンドウみたいのものか⋮この
世界はこんなのだせるんだな。
で,身元の証明とかに使えるってことはこの辺のデータは改変と
かは出来ないってことか。焚火を回り込むように移動してきたステ
ータスウィンドウを見る。
57
名前と職のとこ以外はなんか文字の形式が違うみたいだけど﹃読
解﹄の技能がある俺には問題なく読めるみたいだな。えっと⋮
﹃システィナ 業 −38
年齢: 16
職 : 侍祭︵未︶ 技能: 家事 料理 育児 契約
護身術 護衛術 回復術 交渉術 房中術
特殊技能: 叡智の書﹄
﹁おお!メイドスキルたけぇ!
さらに護身術,護衛術,回復術,交渉術⋮ん?ぼうちゅ⋮う術﹂
防虫術じゃないよね⋮房中術ってあれだよな⋮夜のお布団の中で
の技⋮
﹁え?え?え!きゃあぁぁぁぁ!﹂
うお!なんだなんだ,俺はなんもしてないぞ。
急に取り乱したシスティナが慌ててウィンドウを手元に引き寄せ
ると抱きかかえるようにして消す。
﹁ななななんで!なんで暗号化してある場所まで普通に読んでるん
ですか!﹂ そっか,形式が違ってるように見えたのはプロテクトがかかって
たのか。でも﹃読解﹄能力持ちの俺には効かなかったと。
58
﹁ごめん,読めちゃった。てへ﹂
﹁⋮⋮はぁ∼﹂
システィナの盛大な溜息。
﹁⋮助けてもらった恩人に失礼だと思うのですが私にも窓を見せて
もらってよろしいですか﹂
窓?さっきのあれか。
﹁いいけど、出るかな?どうやってやればいいか教えてくれる?﹂
﹁知らないんですか?﹂
﹁うん﹂
﹁⋮わかりました。やり方は簡単で﹃誰でも﹄知ってますし,﹃誰
でも﹄できます。
自分の内に意識を向けて≪顕出≫と唱えてください﹂
本当に簡単だ。えっと自分の中を意識して⋮
≪顕出≫ 出た!
﹃富士宮 総司狼 業 −3
年齢: 17
59
職 : 魔剣師 技能: 言語 読解 簡易鑑定
武具鑑定 手入れ 添加錬成 精気錬成 特殊技能: 魔精変換﹄ 魔剣師!なんか恰好いいかも。でも魔剣士ではないんだよな⋮ど
うも使えるスキルを見ると魔剣を扱う鍛冶師みたいな感じか?
﹁出ましたね。拝見してもよろしいですか?﹂
﹁あぁ,はいはい。えっと確か﹂
さっきシスティナはこの窓の端をタップしてたな。よっと⋮おぉ
動いた。
システィナは自分の方に来た窓をまじまじと覗き込んでいる。そ
の表情からは何を考えているのか読み取ることは出来ない。
﹁ありがとうございました﹂
システィナは短くない時間,窓を見ていたがやがて神妙に頭を下
げると窓を返してきた。
﹁ていうか返されてもどうやって消せば⋮﹂
﹁窓を抱え込むか,下へ押し下げて下さい﹂
えっとじゃあ上を抑えて下へ押す。消えた。原理や理屈は全く分
からない。
60
﹁お名前はなんとお読みすれば?﹂
﹁フジノミヤ ソウジロウ。ソウジロウが名前です﹂
﹁ソウジロウ様⋮ソウジロウ様は侍祭という職はご存知でしょうか
?﹂
司祭なら分かるけど侍祭というと分からない。システィナが持っ
てる技能的にもどんな人達なのか分かりづらい。そして房中術⋮あ
んな清楚そうなシスティナが夜は⋮
﹁こほん!﹂
おっと表情がエロくなっていたらしい。
﹁わかりません﹂
﹁では説明させて貰います﹂
システィナの説明によると侍祭と言うのはこの世界でもちょっと
特殊な職として特別視されているらしい。
俺的知識で端的に言えば神殿で英才教育を施されたメイドさん的
なもの。ということになるだろうか。
ただし,単純に家事などを行うメイドさんは普通に侍女と呼ばれ
る。
侍祭は神殿に所属し契約を司る。侍祭になるためには幼少より神
殿に仕え厳しい教育を受け高い成績を取り続けることが必要らしい。
侍女としての最低スキルとして家事全般をマスターした上に,護
身術を修得して初めて侍祭補と呼ばれる。
ここから更に回復術,護衛術,交渉術のいずれかを習得したもの
61
が侍祭と呼ばれ重宝される。侍祭補+回復で治癒侍祭,侍祭補+護
衛で近衛侍祭,侍祭補+交渉で交渉侍祭となる。
更に回復,護衛,交渉の内2つを修得している者は高侍祭,3つ
全てを修得している者は聖侍祭と呼ばれるらしい。
高侍祭になれるのは侍祭の中では2割から3割であり,聖侍祭に
なると1割以下。システィナはこの聖侍祭にあたる。
また高侍祭以上の侍祭の中には特殊技能エクストラスキルが発現
する者もいるとのことでシスティナに発現している特殊技能も聖侍
祭になった時に同時に発現したかなり貴重で珍しいスキルであり,
本来であれば隠しておきたいものだったらしい。
確かに侍祭というだけで盗賊に狙われるくらいだから更に特殊技
能も発現した未契約侍祭だと周囲に知られればいろいろ面倒になる
ことは想像できる。
システィナがここまでぶっちゃけた話を俺にしてくれるのは既に
窓の内容を全て見られてしまったからだろう。
知られてしまったのならいっそきちんと説明した上で秘密を守っ
てもらいたいということかもしれない。
そして,侍祭という職がこの世界で特別視されているのは侍祭と
なる者が全て﹃契約﹄というスキルを持っているからである。
この﹃契約﹄というスキルによって取り交わされた契約は履行し
ないと不可避の重い罰則が科されるため侍祭を介して交わされた契
約は破られることがないらしい。
そしてもっとも特徴的なのは侍祭自身,誰かの為に力を使う為に
はこのスキルを用いた特別な契約をしなければならないということ。
この契約は侍祭がスキルで作成した契約書に双方がサインし祝詞を
唱えることで成立する。
これは侍祭の力を悪用されないようにするためはもちろんのこと
契約が成立することにより侍祭の能力が底上げされる効果があるら
しい。契約によらなければ力を行使できないことに対する対価とい
62
うことだろう。
それ故に侍祭達も契約には慎重を期す。自分が全てをかけて仕え
ても良いと思える人物とでなければ契約は交わさない。
そのため侍祭だけでなく侍祭と契約をしている者についても一目
おかれるようになる。
誰と契約するかについては完全に侍祭の裁量に任されているらし
く,育成した神殿の意向すら無視できるらしい。
﹁奥様と旦那様は神殿に多額の寄付をして私とご子息を契約させる
つもりだったのです。
神殿は寄付に目がくらんで未契約侍祭の誰かをご子息に会わせよ
うとしました。
もちろん契約に関して私達侍祭は神殿の意向を聞く必要はありま
せん。ですからそれに従う侍祭はいなかったのですが,何度も何度
も神殿へと足を運び侍祭達と話し合う旦那様と奥様はとても良い方
でしたしご子息の評判も悪くありませんでした。
なので私は会ってみても良いと思ったのです。
旦那様と奥方様はたいそうお喜びになられて⋮うちの息子ならき
っと君も気に入ってくれるはずだから,だからそれまでは誰とも契
約しないでくれと⋮﹂
システィナの顔が悲しげに歪む。
﹁⋮だから私は誰とも契約をしていない状態でした。
契約をしてない私は襲い掛かってくる盗賊を自衛のために倒すの
ならともかく,そうでないなら誰かを助けるために自らの力を奮う
ことはできなかったのです﹂
確かにあの時システィナだけは完全に無傷で盗賊たちも取り囲ん
だだけで手を出そうとはしていなかった。手を出せば自衛のための
63
反撃の口実を与えることになることを盗賊は知っていたのだろう。
そうは言っても目の前で人が殺されているのに助けないというの
はどうなのだろう。
﹁ソウジロウ様の言いたいことはわかります。侍祭はそれでも動け
ないのです。
﹃侍祭は契約によってのみ職を行いその力を行使す﹄
これは侍祭にとっては決して破ることのできない掟です。呪縛と
言ってもいいかもしれません。
ですがこの掟があるからこそ侍祭の執り行う全ての契約には絶対
の信頼があるのです。破れば侍祭としての力を失ってしまいます。
⋮そして力を失ってしまえば結局は助けられないのです﹂
この世界にはこの世界のルールがあるのだろう。何も知らない俺
がシスティナを責めることは出来ない。
なにより目の前のシスティナの顔を見れば⋮もはや俺にはなにも
言えない。
﹁ソウジロウ様⋮あなたは不思議な人です﹂
﹁え,俺が?﹂
﹁はい。あなたの窓を見せて頂きましたが戦闘系の技能は一つもあ
りませんでした。
それなのにあれだけの動きが出来る。だとすればそれはあなた自
64
身の力ということです。
そしてあなたの職である魔剣師⋮私はその職を知りません﹂
厳しい目を向けてくるシスティナにたじたじしながら内心では﹃
あのくそ神そんなレアな職つけたんかい﹄と上方修正していた神の
評価を下げる。
﹁あ∼⋮でも職なんて腐るほどあると思いますしたまたま知らない
こともあるかも﹂
それでも一応抵抗してみた。
﹁ソウジロウ様。私の特殊技能を見てしまいましたよね﹂
﹁⋮確か何とかの書だっけ?﹂
﹁そうです。
﹃叡智の書﹄
私が聖侍祭になった際に授かったものです。
これは知ろうと思ったことがこの世界の中で知られていることな
らばその知識が与えられるというものです。条件付け等でいろいろ
難があり全知という訳にはいきませんが個別の単語を調べるならば
ほぼ完全な知識を得られます﹂
駄目でした。
どうやらこのスキルは発動すると頭に思い浮かべたものの知識が
流れ込んでくるらしい。ただしシスティナ曰く言うほど便利な力で
65
はないとのこと。
単語で問いかければその単語の意味が流れ込んでくるのだが﹃○
○を××するにはどうしたらいいか﹄というような文章の問いかけ
にはその答えではなく質問に使った単語全ての意味が一気に流れ込
んできてしまうのだそうだ。
つまりこの世界で意味のある単語全てを網羅したデータベースの
ようなものをシスティナは持っていることになる。
そして,その中に﹃魔剣師﹄という単語は登録されていなかった
ということだろう。
登録されていないということは過去に魔剣師という職についた人
間が1人もいないということだ。
﹁答えて頂かなくても構いません。何か事情があるのでしょうから
今は聞きません。
ですが1つ教えてください﹂
﹁はい,なんでしょう﹂
﹁あなたはこれから何をしていくつもりですか﹂
何を?⋮俺が神に与えられた役目はただ生きることだけ。後は生
きるための糧さえ稼げればいい。何か特別なことをする必要はない
しする気もない訳で⋮なんかこんな真面目な顔で問いかけてくるシ
スティナが望んでいるような答えはない。
﹁ごめん,君がどんな答えを求めてるか分からないけど俺には特に
目的はないんだ。
どっかで落ち着いて,日々暮らしていけるだけのお金を稼いで自
分らしく生きれればそれでいい。
66
⋮そこに君みたいな可愛い子が一緒にいてくれたらもっといいと
は思うけど﹂
もうどうせならということで素直で正直な気持ちをぶちまけてみ
た。聞いた限りじゃ侍祭ってのはなんだか凄い職業みたいだし,俺
みたいなどこの馬の骨か分からない男とは縁のない人のようだから
別に構わないだろう。
このまま街までは連れてってくれそうだしそれだけで十分助かる。
あの双子山関とも縁が切れてしまうのはとても残念だがそれは仕方
ない。
﹁⋮⋮そうですか。わかりました。ではソウジロウ様。
私と契約していただけませんか﹂
﹁え?﹂
67
契約
﹁えっと,なんで⋮かな。理由を聞いても?﹂
あまりの意外な展開に俺はよっぽど間抜けな顔をしていたのだろ
う。システィナがくすりと笑う。はっきり言ってすっげぇ可愛い。
もう理由なんか関係なく二つ返事でOKしてしまえばよかった!
﹁はい。難しいことじゃありません。理由は3つあります﹂
え?そんなに。この短い間に俺のどこをそんなに買ってくれたん
だろう。
﹁1つはあなたに助けられた恩を返したい。あなたは全てを知りた
いと仰いました。全てをお教えするには街までの道のりではとても
足りません﹂
確かにこの世界の常識を全く知らない俺がこの世界を知っていく
にはこの世界をよく知っている同行者がいてくれればとても有難い。
特殊技能持ちのシスティナなら問題ないどころかおつりがくる。っ
ていうかお金を払ってでも仲間になって欲しい!
﹁2つ目は⋮もう今日みたいなことは2度と嫌だからです。
力があるのに守りたい人を守れないなんてやっぱりおかしいです。
私は侍祭としての力を存分に奮える自分でいたいんです。﹂
そりゃそうだよな⋮目の前で誰かが殺されてるのに何も出来ない
68
なんて俺なら耐えられない。クズどもをクズらしく処分する。この
世界はそれが出来る世界のはずだ。
俺が契約することでシスティナもうそうすることが出来るならそ
の方がいいに決まってる。
﹁そして最後3つめはあなたがなんの目的もないと仰ったからです﹂
﹁えっなんで!﹂
﹁ふふ⋮あなたはあれだけの力がありながら目的がない。それは今
現在縛られているしがらみが全くないか極度に少ないのではないで
しょうか。
そしてそれは裏を返せばこれからどんな目的でも設定できるとい
うことです。
私でも分からないような職にあるあなたがこれから何をするのか
興味があります﹂
﹁⋮本当にたいしたことはしないと思うよ﹂
﹁構いません。正直言えば,あなたの言うとおりただ毎日を生きて
いくだけの人生もそれはそれで有意義な気もしています﹂
確かに俺にはなんのしがらみもない。この世界のルールから弾き
出されるようなことをしない限り自由である。
⋮うん,もうやめよう。どんなに取り繕ったって仕方がない。
結局のところシスティナは可愛い!一緒にいたい。それだけだ。
﹁蛍さん,いいよね﹂
﹁良いに決まっておる。男子たるものおなごの1人や2人や3人や
69
4人を囲える位の器量がなくては情けないぞ﹂
おお!さすが蛍さん。心に響くぜ!
﹁よし。システィナ⋮さん。こちらからもお願いします。俺と契約
してください﹂
俺の言葉にシスティナの顔がぱぁっと明るくなる。本当に喜んで
くれているみたいでこっちもかなり嬉しい。
﹁ありがとうございます!﹂
そう言うとシスティナは手の平を前に突きだして何かを呟く。
﹁おぅ!なんか出た﹂
俺の目の前にさっきの窓のようなものが3つ表示されていた。
よく見てみると左の薄い青のやつは﹃雇用契約書﹄,真ん中の薄
い黄色のやつは﹃主従契約書﹄,一番右のやつは薄い赤で﹃従属契
約書﹄と標記されている。
﹁もしかしてソウジロウ様は読めるのではありませんか?﹂
﹁えっと⋮雇用,主従,従属かな?﹂
﹁やはりお読みになられるのですね⋮侍祭の契約書は侍祭にしか読
めない秘字で書かれているとされています。
侍祭がどの契約書を出して契約するかは本来侍祭次第なのです﹂
システィナが説明してくれた契約は3種類。
70
﹃雇用契約﹄−対価を伴う契約。契約内容に違反があったときは侍
祭側から一方的な破棄ができる。
﹃主従契約﹄−対価を伴わない契約。双方合意の下でのみ破棄でき
る。
﹃従属契約﹄−主のために尽くすことを義務づけた契約。主側から
のみ破棄ができる。
契約は雇用,主従,従属の順に侍祭側に制約が重くなる。だが制
約が重い契約を交わすほど侍祭の能力は底上げされる。
だが,侍祭側はよほどの事情がなければ従属契約をすることはな
いとのことだ。理由は聞かなくても分かる。絶対服従というリスク
はよほどの信頼がなければ選択できないからだろう。一歩間違えば
奴隷契約と変わらない。
逆に雇用契約は侍祭側に有利すぎる部分もあるため,一般的なの
は主従契約の内容に特例として対価の項目を別契約で盛り込む形だ
そうだ。
雇用契約は侍祭側が本契約前のお試し期間的な意味合いで持ちか
けられることも多いらしい。
﹁ソウジロウ様⋮どれでも好きな契約書に署名をしてください。
署名欄に指で書けば署名できます。﹂
﹁ちょ,ちょっと待って!なんでそんなに⋮﹂
従属契約すら辞さないというシスティナに思わずたじろぐ。
﹁運命⋮ですかね?﹂
71
そう答えたシスティナの顔は心なしか赤く見える。まあ焚き火の
せいかもしれないが。
﹁運命?﹂
﹁はい。旦那様と奥様が神殿にいらっしゃらなければ私はまだ神殿
内で修行にあけくれていたはずです。
そうしたら旦那様達は死なずにすんだはずで,当然ソウジロウ様
に助けられることもなかったでしょう。
ですが実際はそうならず旦那様達は神殿にいらして,私を神殿か
ら連れだし,それを見ていた盗賊が襲撃して,旦那様達が亡くなる,
私は無理矢理契約を迫られ盗賊と契約を結ばされていたかもしれな
いところをソウジロウ様に助けられた。
そして,知識を求めるソウジロウ様と主を求める私がここにいる﹂
﹁⋮﹂
うん,運命だ。それで納得しよう。
となるとどの契約をするか⋮当然房中術を余すことなく活用でき
るであろう従属契約をしたい。
ちょっと従属契約の内容を読んでみるか。
なるほど⋮
主に絶対服従。力の行使も主のためのみ。解除権も当然主のみに
与えられる。と
確かに従属だな。その分システィナ本人にも能力の恩恵がかなり
あるみたいだけど⋮さっきのシスティナの決意には力の行使の制限
が邪魔すぎる。
﹁あ,そうか!﹂
72
そう言って従属契約書に手を伸ばす俺をシスティナは緊張した面
持ちで見守る。
なんか﹃やっぱりね﹄的な雰囲気があるような気がするのは勘違
いだと思いたい。
そんな緊張しなくてもいいのに⋮えっとまずはここを。
﹁え⋮ソウジロウ様なにを?﹂
﹁﹃主の命に絶対に服従するすること﹄これにちょっと書き加えて
﹃ただし,一の機会による一つの命に対し一度のみ拒否権を持つ﹄
っと﹂
﹁⋮ちょ!ソウジロウ様?﹂
﹁次はこれか﹃侍祭としての力はその主の為にのみ行使する。違反
せし時はその力を失う﹄を﹃侍祭としての力は原則その主の為にの
み行使するが,聖侍祭システィナが必要と認めた時のみ自身の正義
と責任においてその力を行使することを認める﹄にして﹃違反∼﹄
以降の罰則を削除っと⋮﹂
もう一度内容を良く確認して⋮うん!これでよし。拒否権がお願
いに対して1度ずつなのは⋮まあいざという時に便利かなっと。
も,もちろん強要するつもりはない!⋮でも例えば﹃一緒にお風
呂入って﹄﹃嫌です﹄﹃お願い!﹄﹃もう,仕方ないですね﹄的な
やりとりが出来たら最高だ。ていうか2回連続で断られたら心が折
れる。
そして,ぶっちゃけると2度目のお願いをしないでいられる自信
は全くない。
そのまま俺は契約書の下の方にある署名欄に富士宮 総司狼と書
き込んだ。
73
﹁これでどう?システィナ﹂
ちょっと鼻息が荒いのは健全な男子高校生として仕方がないだろ
う。
だが,これなら従属契約だからシスティナのスペックは十全に発
揮出来るし一度は拒否出来るからシスティナが本当に嫌がることは
させないで済むし,俺がいないところで今回みたいなことがあって
もきちんと戦うことが出来るはず。
それなのにシスティナは口を半開きにしたまま俺を冷たい目で見
ている。
ぐぬぬ⋮やはり拒否権が1度だけというのはまずかったか⋮
﹁ななな,なんで勝手に契約書書き換えてるんですか!そんなこと
出来る訳ないのに!﹂
おおう!システィナが焚き火をかすめるぐらいの最短距離で俺の
胸ぐらを掴みに来た。
顔が近くてちょっと照れる。
﹁なんでって⋮俺の技能見たらわかると思うんだけど﹂
﹁分かりませんよ全然!侍祭の契約書は改変が出来ないからこそ絶
対なんですよ﹂
﹁あれぇ,もしかして﹃言語﹄とか﹃読解﹄も俺の固有スキルなの
かな?﹂
俺の呟きにシスティナが動きを止める。自身のエクストラスキル
で検索をかけているのだろう。
﹁⋮本当だ。言語と読解という言葉としての意味は出てくるけど,
74
技能・言語,技能・読解としては出てこないです﹂
﹁多分俺の技能の﹃言語﹄というのはあらゆる言語で会話が出来る
ってことで,﹃読解﹄っていうのはあらゆる言語を読み書き出来る
ってことなんじゃないかなぁって。
だったらこの契約書も書き換えられるかもって思ったら出来ちゃ
ったね。﹂
ポリポリと頭を掻きながら照れ笑いをする俺をきょとんとした顔
で見たシスティナは徐々に湧き上がってきたものに堪えきれずに可
愛らしく吹き出すと肩を震わせる。
﹁えっと⋮大丈夫システィナ?﹂
﹁あはははは!あなたって人は本当に⋮﹂
システィナはひとしきり笑った後おもむろに従属契約書に手を添
えた。
﹁侍祭システィナは富士宮総司狼を主と認める!﹃契約﹄﹂
システィナの宣言と共に契約書は一瞬輝きを増し砕け散った。予
期せぬ光に思わず目を庇う。
﹁終わりましたソウジロウ様。これからあなたの侍祭として仕えさ
せていただきます﹂
システィナの声に目を開けると目の前でシスティナが微笑んでい
た。
蛍と桜がいるとは言ってもやっぱり生身の可愛い女の子がいてく
75
れるのは嬉しい。しかも戦えて,物知り。
異世界送りにされて一日目でこんな幸運に恵まれるなんてこの先
悪いことが起こらなければいいと疑ってしまいたくなる。
﹁本当に何も知らない俺だけどよろしく頼むシスティナ﹂
﹁はいお任せ下さい﹂
なんかいいなぁ,ちょっと調子のってみようか。
﹁うむ。これからは俺をご主人様と呼ぶように﹂
﹁わかりましたご主人様﹂
うお!ノータイムで返してきやがった。やるなシスティナ。真顔
で返されると恥ずかしいぜ。
﹁ごめん,調子に乗りました。ソウジロウでいいです﹂
﹁ふふ,遠慮しないでくださいご主人様。
では,こうしましょう。周りに誰かがいるときはソウジロウ様と
お呼びします。それ以外の時はご主人様と呼ばせて頂きます﹂
それは素晴らしい。ナイスな提案である。まあ一般的な日本人と
してはやっぱり様付けとかは気恥ずかしいが。
﹁じゃあ,それで頼むかな。でも呼び方とかは本当はどうでもいい
し話し方とかも別に敬語とかじゃなくていいから﹂
﹁はい,ご主人様﹂
76
蛍
﹁じゃあ,そろそろ寝ようか﹂
思いがけない展開で想像以上に夜更かししてしまった気がする。
時間が分からないので実際にはどうだが分からないが。
でも明日からはまた馬車に揺られての旅が始まる訳で休めるとき
に休んでおかないと身体がもたないだろう。
﹁はい。ではご主人様は馬車でお休みになってください。私は見張
りをしていますので﹂
﹁え!あぁそうか。見張りは必要か⋮じゃあ俺が見張りをするから
システィナは休んでいいよ﹂
さすがに女の子1人を残して俺がぐーぐー寝ている訳にはいかな
いだろう。途中で交代するにしてもシスティナが先に見張りをする
と俺に気を使って起こしてくれない気がするし,交代制にするなら
俺が先番だろう。
﹁ソウジロウ。見張りは私がやってやろう。今日はお前ももう休め。
おそらく自分が思っている以上に疲労しているはずだ。そこの娘
も一緒でいい。どうせ我らには睡眠は必ずしも必要なものではない
からな﹂
﹁そっか⋮確かに蛍さんが見張ってくれるなら安心だよね。じゃあ
77
お言葉に甘えようかな﹂
正直蛍さんの申し出はありがたい。実は大分身体が重く感じてき
ていた。
重力が弱いこの世界ですら身体が重く感じるということはかなり
限界が近いと考えた方がいいだろう。
﹁ご主人様よろしいですか﹂
﹁なに?システィナ。見張りの件だったら蛍さんが代わってくれる
みたいだから俺たちは休もう﹂
欠伸を噛み殺しつつ馬車に向かう俺にシスティナは不審な眼を向
ける。
﹁ご主人様。今日出会ってから度々耳にするのですが蛍という方は
どこにいらっしゃるのですか?﹂
﹁え?﹂
システィナは何を言ってるんだろう。蛍さんはいつだって俺の腰
にいたのに⋮
ああそっか。まさか刀がしゃべるとは思ってないから声はすれど
も姿は見えずって感じなのか。
﹁ごめんごめんまだ紹介してなかったよね。俺の腰にあるこの大太
刀が名刀蛍丸。蛍さん。
で,こっちの小太刀が桜ちゃん。俺の家族みたいなもんかな﹂
﹁⋮はい。それはわかりました。ですがそれと見張りをしなくて良
いというのはちょっと﹂
78
え⋮ちょっと待って。もしかして⋮
﹁もしかしてシスティナには蛍さんの声が聞こえてないの?﹂
﹁あの⋮武器は普通喋らないと思うのですが⋮﹂
﹁蛍さん!聞こえてる?﹂
﹁ああ,聞こえている。?どうやら私の声はソウジロウにしか聞こ
えていないようだな﹂
﹁どういうことだと思う?﹂
﹁どうもこうもあるまい。この世界の知識に詳しいこの娘が知らな
いと言っているのだから,理由があるとすればこの娘も知らないと
いうお前の職業が関係しているのではないか﹂
﹁なるほど⋮≪顕出≫﹂
もう一度自分の窓を出して自分のステータスを確認してみる。
﹃富士宮 総司狼 業 −3
年齢: 17
職 : 魔剣師 技能: 言語 読解 簡易鑑定
武具鑑定 手入れ 添加錬成 精気錬成 特殊技能: 魔精変換﹄ 言語と読解は分かった。次は﹃簡易鑑定﹄⋮指定を求められた気
がする。じゃあとりあえず﹃馬車﹄。
ラーマ
﹃牽引車 定員8名 耐久34﹄
なるほど⋮窓と違って脳内に浮かんでくるのか。そして馬車は広
79
義では牽引車か。
じゃあ今度は蛍さんを﹃簡易鑑定﹄﹃蛍丸﹄
﹃蛍丸 ランクS+﹄
さすが蛍さんすげぇ!S+ランクとか!何段階評価か分からない
けどかなりの高
品質ってことは間違いないでしょこれ。
﹁あの⋮ご主人様?なんで急に窓をお出しに?﹂
﹁あぁごめん。システィナには聞こえないみたいだけど俺は蛍さん
と会話が出来るんだ。それがもしかしたらなんかの技能のせいなん
じゃないかって思って﹂
﹁喋るんですか?武器が﹂
システィナがおとがいに手をあてながら考え込む。
﹁⋮あり得るかもしれませんね。魔剣師⋮魔剣・師ですか。
普通なら魔・剣士ですが魔剣士は魔法と剣を使う者の複合職⋮ご
主人様の技能はそちらよりもむしろ鍛冶師等の職に見られる技能と
名前が似ています﹂
﹁あ!確かに。錬成とか鑑定とかそれっぽい﹂
﹁ご主人様,武具鑑定は使用してみましたか?﹂
﹁まだかな。簡易鑑定はしてみたけど﹂
﹁ではお願いします。私の仮説が正しければそれで謎が解けると思
います﹂
﹁了解﹂
うん,システィナも頼りになるなぁ。ていうか蛍さんもシスティ
80
ナも平凡な俺に比べてスペック高すぎてちょっとへこむ。
﹃武具鑑定﹄﹃蛍丸﹄
﹃蛍丸 ランク: S+ 錬成値︵最大︶ 吸精値 0
技能 : 共感 意思疎通 擬人化 気配察知 殺気感知
刀術 身体強化︵人化時︶ 攻撃補正 武具修復
光魔法﹄
﹁あ!﹂
﹁すいません読み上げて貰えますか﹂
鑑定結果を見られないシスティナのために蛍さんのステータスを
読み上げていく。
それにしても蛍さんのスペックたけぇ∼!魔法まで使えるとか。
﹁S+!⋮神器級ですか。しかも叡智の書に反応がないとは⋮世に
全く出ていなかったということでしょうか?⋮とりあえず今はその
ことは脇に置いておきましょう。
ご主人様の武器の鑑定結果を見て確信しました⋮ご主人様の職は
特殊な武器達と意思を交わし,その武器をさらに強く鍛えることの
できる職だと思われます﹂
ほほう⋮それはまさしく俺にぴったりな職だな。神の言ったとお
りだった。
ついでに
﹃武具鑑定﹄﹃桜﹄
81
﹃桜 ランク: D+ 錬成値 33 吸精値 47
技能 : 共感 気配察知 敏捷補正 命中補正 魔力
補正﹄ うん,桜ちゃんもなかなか。技能も能力補正がたくさんついてて
かなり使い勝手が良さそうだ。でも意思疎通の技能がまだないのか
⋮だから桜ちゃんとはまだ話せないんだな⋮残念。
﹁魔剣師の職にある人は﹃共感﹄や﹃意思疎通﹄の技能を持つ武器
と会話することができるようですね﹂ システィナの言葉はどこか興奮しているようだった。おそらく﹃
叡智の書﹄が発現してからのシスティナにとって知識と言うのは全
て自分の内にあるもので外から得られる新しい知識はなくなってい
たのだろう。
知らないことを知ることが出来るというのは嬉しいことだと思う。
システィナが俺と契約したいと言った理由の中に俺と一緒にいれば
叡智の書では分からないような新しいことを知ることが出来るかも
しれないという願望もあったのかもしれない。
ならばシスティナのためにも俺のためにも更なる知識を追求すべ
きだろう⋮ただしこれは諸刃の剣だ。
俺はこの2分の1の賭けに負けたとき正気を保てるかどうか自信
がない。だが俺の大いなる野望のためにも試さなければなるまい。
﹁蛍さん。蛍さんの技能の中に﹃擬人化﹄っていうのがあるんだけ
ど⋮使ってみてくれませんか﹂
﹁ほう,それはなにか?この私が人のような姿になれるということ
か?﹂
82
﹁た⋮多分﹂
言ってしまった!今までの雰囲気や口調から大丈夫だとは思うが
これで擬人化した蛍さんがむっさいおっさんだったり,700歳相
当のお婆さんだったりしたらそれでも俺は蛍さんを愛せるだろうか⋮
﹁ようは先ほどソウジロウが窓とやらを出した時のように,己の内
に意識を向け唱えればよいのだろう?
ソウジロウ,私を抜いてそこへ置け﹂
あ,そうか腰で擬人化されたらなんか訳わからないことになりそ
うだしな。
﹁よし。いくぞ⋮﹃擬人化﹄﹂
こくり⋮俺の喉が緊張で音を立てる。システィナも好奇心満々で
ガン見している。
そして俺の目の前で見慣れた蛍丸のフォルムが一瞬歪んだように
見えた瞬間,そこに蛍さんが立っていた。
﹁ほう⋮これは面白い。これが人か﹂
自分の五指を握り,開き,顔に触れ,腰に触れ,脚を上げる。そ
の度に腰まで伸びたスーパーストレートロングヘアの黒髪がふわり
ふわりと揺れる。
そしてそれ以上に二つのダイナマイツなものがたぷんたぷんと⋮
そして魅惑の三角地帯までも!
﹁よっしゃぁぁぁぁあぁ!俺は賭けに勝った。勝ったぞぉぉ!﹂
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力いっぱいガッツポーズをする俺。これで俺は一生蛍さんを愛せ
る!
﹁な⋮凄い⋮本当に武器が人になるなんて。今日だけで私の知らな
いことがこんなに⋮﹂
呆然と蛍さんを見ていたシスティナがふと何かに気づきこほんと
咳払いをする。
﹁ご主人様。とりあえず着るものを﹂
﹁⋮はい﹂
システィナの目が怖い。すぐさま馬車の中に何か探しに行こうと
すると蛍さんに肩を掴まれた。
﹁いらん。ソウジロウ,私の鞘をよこせ﹂
﹁鞘?はい,どうぞ﹂
俺から鞘を受け取った蛍さんは鞘を握って目を閉じる。すると鞘
がふっと消えてなくなり,次の瞬間蛍さんが着物に包まれていた。
着物と言ってもごついものではなく薄手の長い物で胸元を大きく
開き肩の端っこに引っ掛けるように着こなしているため胸がかなり
大胆にはみ出している。足元も動きやすいようになのか真ん中が広
めに開いていてすべすべそうなふとももが半分以上見えている。
﹁ま,こんなものかの。さて⋮ソウジロウ﹂
自分の姿を見下ろし頷くと蛍さんが俺を見て手招きする。
俺は魅入られるようにふらふらと蛍さんの近くに吸い寄せられて
84
いく。
﹁うぶ!﹂
ふぅおおおおおおおおおお!こ,これが桃源郷か。や,やわらけ
ぇ!
﹁ふむ⋮これがソウジロウなのだな⋮暖かい,柔らかい⋮うん。人
の身体と言うのは良いものだな﹂
二つの爆乳に埋もれるように抱きしめられたまま聞こえてきた蛍
さんの言葉になんとも言えない嬉しさが湧き上がってくる。
﹁俺も⋮こうして蛍さんと触れ合えて凄い嬉しいよ﹂
それにしても蛍さんは大きいな。いやいや胸じゃなくて,いや胸
も大きいけどまず背丈が大きい。
普通に立ったまま抱きしめられて俺の顔が胸に埋まるんだから,
多少わざと埋められてる感はあるけど190㎝近いんじゃないだろ
うか。
でも全体的には細身で普通に立ってても威圧感はなく綺麗な印象
だけが残る。その印象としてはまさに抜身の大太刀蛍丸を見ている
時の感じに近い。
﹁さて,と⋮﹂
ひとしきり俺を抱きしめ,いろんな場所を撫で回した蛍さんは満
足したのか俺を解放した。
﹁さっきも言ったが今日は私が見張りをしておいてやる。ソウジロ
85
ウとそこの娘はもう休め﹂
﹁⋮む∼。わかりました。ではお願いいたします。蛍様﹂
蛍さんをどこか羨ましげに眺めていたシスティナも限界が近いの
だろう。素直に蛍さんの提案を受け入れる。
﹁蛍さん,本当に1人で大丈夫?桜ちゃん渡しておこうか﹂
人化してしまったことで武器がなくなってしまったのではと思っ
ての提案だったが蛍さんは笑って首を振る。
﹁いらんよ。ほら﹂
﹁おお!アメージング!﹂
﹁若干硬度は落ちるようだがその程度はなんでもない。私の使い方
は私が一番よく知っているからな﹂
蛍さんが手を振るとその手に確かに蛍丸が握られていた。握られ
ているというのとはちょっと違うか⋮手と刀は一体化していて刀だ
けを外すことは出来ないっぽい。
つまり人の身体と刀まで全て合わせて一本の蛍丸なのだろう。
﹁分かった。本当はもっと⋮いやいい。これからはずっと一緒だし
な,焦ることもないよね﹂
﹁その通りだ。焦る必要はない。お前がしたいと思っていることは
また落ち着いてからでいいだろうよ﹂
﹁え!いいの!﹂
﹁せっかく人の身体を得たのだ。私も興味があるしな。ただ私とて
女じゃ,それなりの時と場所を準備してくれ﹂
﹁ごくり⋮りょ,了解!﹂
﹁うむ,ゆっくり休め﹂
86
﹁ありがとう蛍さん。システィナ行こう﹂
システィナの背を押して馬車へと向かう。頭の中は既にピンク色
だ。あの蛍さんの細くて豊満という我儘な⋮いかん!今はまだ早い。
ここで暴発する訳にはいかない。
煩悩退散!
このままじゃ興奮して眠れないんじゃないかと思っていたが馬車
に潜り込んで床に敷いた布の上に横になり薄い毛布を掛けるとすぐ
に眠気が襲ってくる。やはり疲れているのだろう。
﹁ご主人様。隣へ行きましょうか?﹂
システィナが控えめに聞いてくる。俺がスケベそうな顔をしてい
たのを気にしてくれたのだろう。そしてシスティナは房中術持ちだ
!そして俺はご主人様。一言システィナに命じれば術の粋を尽くし
たご奉仕が⋮
いか∼ん!いきなりそんなことしたらシスティナに嫌われてしま
う。
ここは大人の余裕を見せるべきだろう。今でなくてもいい今でな
くても。大事なことだから2回言った。もちろん今じゃないけどい
つかは⋮
﹁あぁ,無理しなくていいよ。今日は1人でゆっくり休んで﹂
﹁⋮嫌です﹂
拒否権発動された。
システィナがゆっくりと隣に潜り込んでくる。何故だ!風呂に入
った訳でもないのにかぐわしいシスティナの香り。
理性の箍ががたがたと音を立てて緩んでいくのがわかる。
87
﹁ご主人様﹂
﹁え?﹂
﹁あの⋮わ,私も!ご主人様と従属契約を交わした以上覚悟は出来
てます。
蛍様だけじゃないですから⋮忘れないでください﹂
嫉妬⋮してくれてたのか。なんて可愛い!
俺はシスティナの首の下に手を回すと自分の懐へと引き寄せて抱
きしめる。
﹁あ,あの!ご主人様が見たぼ,房中術ですけど⋮あ,あくまで知
識を学んだだけで実践はまだ一度も⋮
だからあの!私もそれなりの時と場所を用意していただけると嬉
しいです﹂
ぐは!もうなんかリア充が溢れてる!ビバ異世界!俺の人生は今
日から始まった!
よし!ちょっとだけ双子山関を⋮
﹁⋮ってもう寝てる﹂
安心しきった顔でくうくうと可愛らしい寝息を立てるシスティナ
のおでこに軽く唇を這わせると俺は満ち足りた気分で睡魔に全てを
委ねた。
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蛍︵後書き︶
ブクマ、コメント、レビュー、評価等々頂けると作者のやる気が増
大しますw
ですので忌憚ないご意見を頂けたら幸いです。
89
ミカレアの街
結局あのままぐっすりと眠り込んでしまった俺が目を覚ましたの
は大分日が高くなり始めた頃だった。隣に寝ていたはずのシスティ
ナもいない⋮残念。
固い床で寝たため強ばった身体をほぐしながら馬車を降りる。
ゆっくりと眠らせてもらったお陰でかなり快調だった。
﹁おはようございます。ご主人様。良くお休みでしたね。食事は出
来てますのでどうぞこちらへ﹂
昨日のことを思い出しているのかちょっと頬を赤くしながらもシ
スティナは侍祭としててきぱきと動いている。今は鍋を掻き混ぜつ
つ何か手元で裁縫のようなことをしていたらしい。俺の顔をみると
可愛らしく微笑んで食事の準備を始める。
俺は勧められるままに座ってシスティナから器を受け取るとくぅ
と締め付けるような空腹感に耐え切れず昨日と同じようなスープを
口に入れる。
あれ?うまい⋮こんな柔らかい肉,馬車には積んでなかったはず
なのに。
﹁システィナ?これって﹂
﹁ふふ,私も驚きました。それは蛍様が﹂
﹁あ!そうだ蛍さんは?﹂
90
寝起きでぼーとしてして見張りをやってくれてた蛍さんのことを
忘れてた。
おかげでゆっくり寝られたんだからちゃんとお礼を言っておかな
いとね。
﹁あちらにおられます﹂
システィナが示す方を見ると蛍さんが刀を手に何かをしていた。
﹁何してるのあれ?﹂
﹁剥ぎ取りですね﹂
剥ぎ取り?俺は一旦器を地面に置くと蛍さんのいる場所へと向か
う。
﹁お,ソウジロウ起きたか⋮うむ,よく寝られたようだな。顔色が
良くなった﹂
﹁うん,見張りありがとう蛍さん。おかげさまでぐっすり眠れたよ﹂
蛍さんにお礼を言いつつ更に近づくと蛍さんの前に積み上げられ
ていた物にようやく気がつく。
﹁え?これってもしかして蛍さんがやったの﹂
蛍さんの前に積み上げられていた物,それは狼のような四足獣の
死体の山だった。
﹁どうやら私たちが寝ている間に草狼の群れに襲われたようです﹂
この世界の魔物は生息している場所に合わせて短期間で身体を作
91
り変えるらしい。だから狼という魔物がいても早く走ることに特化
した草狼,悪路を機敏に動き回れるように特化した森狼などのよう
に生息地ごとに名前が付けられることが多いらしい。
﹁盗賊たちの死体の臭いに引き寄せられて集まったはいいものの,
森の魔物に追い払われその後臭いを辿って私たちに追いついたので
しょう﹂
﹁それを蛍さんが1人で殲滅したってことか⋮この数をさすが蛍さ
ん﹂
﹁動きの悪いやつに使われてた時もよくあったからな⋮自分の思い
通りに動いて戦えるというのはいいもんじゃの﹂
蛍さんが仕留めた草狼は二桁を超える。朝,俺よりも早く起きて
それに気が付いたシスティナが売れる部位などの剥ぎ取りを依頼し
たということらしい。
毛皮は洋品店等で売れるし,牙は鍛冶屋や道具屋,装飾品店など
で買い取ってくれるらしい。
肉もその場で然るべき処置をすれば新鮮な内なら食べられるとい
うことでさっきのスープに入っていた肉は草狼のものだったらしい。
﹁そうだ。ソウジロウよ。どうやらここは酸素濃度が少し高いよう
だ。
お前の運動能力の向上や疲れにくいというのはのは重力だけでな
くそのせいもありそうだぞ﹂
なるほど!どうりで空気がうまい訳だ。言わば俺は地球での17
年間ずっと高地トレーニングをしてたことになる訳か。
低重力に高濃度酸素⋮これが俺の動きの秘密だったのか。分かって
みればなんてことなかったな⋮
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異世界行ったらチートで無双なんてそんなうまいことはなかった。
﹁よいかソウジロウ。お前はこれから低重力に慣れきってしまわぬ
ような工夫が必要になる﹂
﹁そっか⋮身体は慣れていく﹂
宇宙飛行士とかは無重力空間で長いこと生活すると筋力が落ちて
動けなくなる。
俺もこの世界の環境に慣れきってしまったらここの人達と本当に
なんの変りもない一般人になってしまうってことだ。
﹁そうだ。酸素に関しては今更体質が変わるとも思えんのである程
度恩恵を享受し続けるかもしれんが,重力の方はそうは行かぬと思
っておいた方がよい。
そこでそこの娘に1つ準備してもらった物がある﹂
﹁蛍様,娘ではなくシスティナとお呼びください﹂
﹁ふむ⋮ならばお前も様付けはやめよ。我らの主はソウジロウだけ
であろ?システィナ﹂
﹁確かにそうですね⋮わかりました蛍さん。言われた物はここに﹂
システィナが先ほどなにやら作業していたものを差し出してくる。
どうやら余った布を筒状に縫い合わせ中に石や土を入れてあるよ
うだ。
﹁重しか⋮﹂
﹁うむ,とりあえず刀を振るのなら上半身には付けられぬからな。
両足首と腰に重めに作ったものを常に巻いておけ。
それとせっかくこうして人の身を得たのだから,お前が希望する
のなら私自ら刀術を一から叩き込んでやろう﹂
﹁本当!やる!是非教えてください!﹂
93
3年間自己流でただ刀を振ってただけの俺には願ってもない申し
出である。もともと刀が大好きで自在に扱いたいという願望は強か
った。
俺が即答したことが嬉しかったのか蛍さんが嬉しそうに笑う。
ああ,蛍さんの笑顔もいい!
﹁ではご主人様。つけさせて頂きますね﹂
システィナが俺の足元に屈んで両足首にシスティナ謹製のパワー
アンクルを装着していく。おぉ結構重いな⋮
﹁お腰の方も失礼します﹂
システィナが俺に抱き付くように腕を回してくる。女の子に抱き
付かれるなんてここにくるまで一度もなかったのに昨日から一気に
増えたなぁ。
思わず抱きしめたくなるのを鉄の意志で抑えているとシスティナ
が作業を終えてすっと離れる。
﹁どうだ?﹂
歩いてみたり,飛んでみたりするが動けないことはない。確かに
このくらいでようやく地球にいた時の負担感だろう。
﹁動くと重しが揺れるからちょっと動きにくいけど重さとしては問
題ないかな﹂
﹁よし。負荷の掛け方としてはまた何か方法を考えるが⋮重しが揺
れるのはお前の動き方に無駄が多いせいだぞソウジロウ。上下動を
極力減らし適切な足運びと体重移動が出来るようになればその辺は
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気にならなくなるはずだ﹂
そうなのか⋮難しそうだな。でもせっかくこれ以上ない先生が教
えてくれるんだから気合い入れていかないとな。
﹁とりあえず訓練は街についてひと段落ついてから始める。今はな
るべく早く移動することを優先しよう﹂
﹁今日は少しゆっくりしてしまいましたが,少し急げば3日目の昼
頃にはミカレアに着けると思います﹂
そっかもう少しで街か⋮この世界でやっとたくさんの人がいると
ころに行けるんだ。それまでにシスティナにいろいろマナーとかや
っちゃいけいないことを聞いておかなきゃな。
﹁さて,それでは食事を済ませてしまいましょうご主人様。蛍さん
もいかがですか?﹂
﹁そういえばまだ一口しか食べてなかった。システィナもまだなら
一緒に食べよう。蛍さんは物は食べられるのかな?﹂
﹁ん?腹は減らぬが食すことは出来そうな気がするな﹂
﹁じゃあ皆で一緒に食べよう﹂ ﹁私はご主人様の後で余ったものを頂きますので﹂
﹁うん。そういうの却下ね。
俺はシスティナを奴隷とかメイドとか考えてないから。契約はし
たけど仲間っていうか家族みたいにしてくれた方が嬉しい。だから
それは譲れない﹂
﹁ですが⋮侍祭として﹂
﹁却下﹂
﹁⋮はい。わかりました﹂
2度目の却下だからこれでシスティナに拒否権はない。強制した
95
ことになってしまうが譲れないんだから仕方ない。でもシスティナ
の表情はどこか嬉しそうに見えるので多分問題ない。
﹁よし。剥ぎ取りもあらかた終わった。剥ぎ取っておいたものは馬
車に積んでおくぞ﹂
﹁あ,牙はかまいませんが毛皮は臭いますし馬車の脇に吊るして乾
燥させながら移動します。それと残った魔物の死体は火をかけます
のでそのままで﹂
余裕があれば魔物等の死体は次の魔物を引き寄せないためにも焼
却しておくのがマナーらしい。ただ,なかなかそこまで処理をして
られる余裕はないことも多いそうだが。
その後三人でシスティナの作ったスープを平らげて移動を開始し
た。
蛍さんもどうやら味覚はあるようで食事の楽しみを知って貰えた
ことは喜ばしいことだろう。
そこからの道中は初日の慌ただしさから考えればごくごく平和に
推移したと言える。
馬車はシスティナに任せ,蛍さんは人の身体の動きに慣れるため,
俺は筋力を落とさないようにするために加えて歩法の基礎を習うた
め徒歩で移動した。
自然体のまま重心を低く設定し,足はあまり上げず地を滑るよう
にとかなんとか蛍さんは言ってたけど正直難しすぎて分からなかっ
た。
蛍さんの動きを見てみると確かに頭の位置がほとんどぶれない。
正中線にしっかりと気が通っている感じだった。
なんとか見様見真似でやってみたが全然出来た気はしない。それ
でも蛍さんに言わせれば﹃やはり筋がよい﹄とのことだった。
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そんな感じで1日歩くと身体中が悲鳴をあげるのが困った物だが,
夜になると寝る前にシスティナが各所を揉んでくれるので収支とし
てはプラスだろう。
相変わらず見張りは蛍さんと桜ちゃんに任せきりなのは心苦しく
はあったがお陰で体力的に無理をしなくて済んだのはありがたかっ
た。
結局その後は魔物や盗賊などに襲われることもなく順調に旅程を
消化し,三日目の夕方にはミカレアの街へと到達した。
システィナの当初の予定では昼前には着けるといことだったのに
到着が遅れてしまったのは俺の歩法の訓練がちょっと足を引っ張っ
たせいだ。
﹁やっと着いた⋮これが街か﹂
初めてみたこの世界での街は想像以上に立派なものだった。
中心部は高さ5メートル程の壁に囲まれて見えないが,その周り
に雑然と家屋が建ち並びそれらの周りに簡易な柵が設けられている。
全体像は把握出来ないがどうやら円形都市っぽい。
﹁厳密に言うとミカレアの街と言うのはあの壁の内側部分だけです。
その周りにある家屋は街の近くにいた方が安全だと思った人達が勝
手に住み始めて出来たものなんです。
領主も最初は追い払うようにしていたようですが,ある程度人が
増えると利益の方が大きくなったため黙認する方向に変わりました。
領主側は最低限の治安を守ることを条件としてそこで暮らす人達
に税を科しています。
治安と言っても外の魔物に対してという意味合いが強く自警団の
巡回等もほとんどしないようですが柵は領主側が建前上設置してい
るようですね。
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ちなみに壁の内側を中町,外側を外町と呼んでいます﹂
システィナの説明を聞きながら中町への道を進む。
どうやら防壁の四方にある門の前には家屋を建てない決まりがあ
るらしく道は一本道である。
﹁とりあえず俺達はこれからどこに向かうの?﹂
﹁そうですね⋮私たちは今お金を全く持っていませんから本来なら
外町で荷物などを売却してそれで街へ入るための入街税を払うとい
うのがいいのですが外町では中町ほど高くは買い取ってくれません
ので⋮
これからのことも考えると少しでも高く買い取ってもらえる中町
へ入った方が良いと思います。
そのために本来はあまり目立ちたくないので使いたくなかったの
ですが侍祭としての権限を使って中町へ入ろうと思います﹂
システィナを連れ出した貴族は持ってきた財産のほぼ全てを神殿
に寄付してしまっていたためかなり貧していた。
領地に帰るまでの資材の補充で全ての現金は使い切ってしまい道
中の必要なものはいくつか身に着けていた装飾品等を少しずつ売っ
ていたらしい。
だから元々何も持っていない俺と貴族御一行に同行していたシス
ティナは無一文だった。
﹁よし!次﹂
軽鎧を着込んで槍を持ったいかにも門番って感じのおっさんが偉
そうに手招きをしている。
システィナはラーマの轡をとって馬車を引きながら門番の所へと
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向かう。
俺はと言えば馬車の御者席に座っているだけである。それに蛍さ
んも今は刀に戻り俺の腰に治まっている。
﹁中町に入るには1人につき200マールだ。2人なら400マー
ルになる﹂
マールというのがこの世界の通過単位らしい。貨幣は単純に銅貨,
銀貨,金貨だけを使っているようで銅貨1枚が1マール。銅貨10
0枚で銀貨1枚,銀貨100枚で金貨1枚に換算される。それとは
別に大きい銅貨と銀貨がありこちらは各貨幣の10枚分として扱わ
れるようだ。
日本と比較してみるためにいろいろとこの世界の物の値段をシス
ティナに聞いてみたところ大雑把ではあるが
1円︱︱︱︱︱︱︱︱︱なし
10円︱︱︱︱︱︱︱銅貨 1枚︱︱︱︱1マール
100円︱︱︱︱︱大銅貨1枚︱︱︱︱10マール
1000円︱︱︱︱銀貨 1枚︱︱︱︱100マール
1万円︱︱︱︱︱︱︱大銀貨1枚︱︱︱︱1000マール
10万円︱︱︱︱︱金貨 1枚︱︱︱︱1万マール
100万円︱︱︱︱金貨10枚︱︱︱︱10万マール
1000万円︱︱金貨100枚︱︱︱100万マール
こんな感じらしい。
つまり今は1人2000円くらいを要求されていることになるだ
ろうか。そして俺達は1文無しである。
﹁お勤めご苦労様です。私は侍祭のシスティナと申します。この度
は塔探索の為,主と共にミカレアにしばらく滞在させて頂きます﹂
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塔探索?なんだか重要そうな言葉が出てきたぞ。塔って言えば街
道の看板に書いてあったのもなんとかの塔だったな確か。
﹁ほう,侍祭様でしたか。塔探索の為とはお疲れ様です。それでは
一応窓を確認させてください﹂
﹁分かりました。≪顕出≫﹂
﹃システィナ 職 : 侍祭︵富士宮 総司狼︶﹄
システィナが名前と職以外がブロックされた窓を門番に示す。い
つの間にかシスティナの窓に俺の名前が追加されていた。どうやら
契約すると契約相手の名前も窓に併記されるらしい。
﹁確かに,ではそちらもよろしいですか?﹂
﹁はい,ソウジロウ様。窓をお願いいたします﹂
システィナからは変な疑いは招かないように喋らないようにして,
どっしりと座っていてくださいと言われている。
≪顕出≫
と言ってもこれだけは口に出さないとどうしようもない。
﹃富士宮 総司狼﹄
そして,出された窓はシスティナの指示により俺の窓は名前以外
が全てブロックされている。
100
専属侍祭がいるような人物に関してはその時点で身元は保証され
ているようなもので,要は契約者本人であることが確認取れればそ
れでいいらしい。
その他の情報はむしろ秘匿するのが当然とのこと。害をなそうと
する者達にとっては相手の職が分かるだけでもある程度対策を立て
ることが出来てしまうというのが理由だそうだ。
﹁確認いたしました。来訪を歓迎いたします。規定により塔門の方
にはこちらから連絡が行くことになりますがよろしいですね﹂
﹁あ⋮いえ,それで構いません。ただし,準備等で明日は費やす予
定ですのでそちらへ伺うのは明後日以降になります。その旨お含み
おきください﹂
﹁明後日以降ですね。承知いたしました﹂
門番の合図で門が開き,システィナが馬車を誘導して通りぬける。
そのまましばらく歩いて背後の門が遠ざかったところでシスティナ
が振り返った。
﹁お疲れ様でした。とりあえずは無事に街に入れましたね。蛍さん
ももう出てきても大丈夫ですよ﹂
﹁なんだか良く分からないけど問題なく入れたんだからシスティナ
のおかげだな。ありがとう﹂
システィナにお礼を言いつつ腰の蛍丸を鞘ごと後ろの荷台に置く。
人化するところを誰かに見られるといろいろ問題になりそうなので
その対策である。
﹁ふう,一度人の身体になることを覚えてしまうと自由に動けない
刀の状態はなんとも気詰まりなものじゃな﹂
101
肩をこきこきと鳴らして苦笑しながら御者席に蛍さんが出てくる。
﹁さて,街に入ったはいいけど次はどこへ行く?﹂
出てきた蛍さんが初めての異世界の街を見回しながらシスティナ
へと問いかける。
町は円形の壁に囲まれているせいか中央から放射状に大きめの道
が敷かれているようだ。システィナからの事前の情報によれば街の
中央に領主の館があり,その周辺に主要施設が集中しているとのこ
と。
店を構えるような大きな店は中央付近にあり,露店を開くような
行商人は中町の外側部分にある。
つまり今俺たちが通っている所がまさにその区画になり,道の両
脇ではいろいろな物を売る出店が軒を連ねている。
日用品や武器や防具,食料品などが雑多に売られている。いろい
ろ気にはなるが今の俺たちは無一文なため何一つ購入することは出
来ない。
でも,そこを見て回る人達も結構な数がいて眺めているだけでも
なかなか面白い。
中には明らかに俺から見たら人類ではない容姿の人もいてそうい
う人たちは総称して亜人と呼ばれている。なので亜人の人が自分を
紹介する時などは○○族のAです。というように名前の前に種族を
名乗るのが通例らしい。
﹁はい。まずは自警団本部へ行って盗賊達の討伐報酬を貰いましょ
う。手元にお金がないと宿にも泊まれません。
次に草狼の毛皮と牙を売りましょう。それから,ソウジロウ様が
許してくださるのならお願いしたいことがあります﹂
そう言ったシスティナの表情はよほど言いにくいことなのか悲愴
102
感に満ちている。だから俺は言ってやった。
﹁いいよ﹂
﹁え!まだ何も言ってませんが?﹂
﹁いいよって言った。そんな顔してシスティナが頼むことを駄目な
んて言わないよ。
契約解除したいってならするし,もともと無一文なんだから売却
代金全部寄こせって言われたら全部あげちゃうし,誰か悪い奴殺し
てくれって言われたら殺してあげるさ﹂
それが仲間ってもんだろう。蛍さんも微笑んで俺の頭を撫でてく
れる。
﹁⋮ソウジロウ様。あ,ありがとうございます﹂
システィナがちょっと涙ぐむのを見て俺は御者席を降りると頭を
撫でてあげる。
﹁で何をしてあげたいの?﹂
﹁⋮おわかりになるのですか?﹂
ぱっと顔を上げたシスティナが驚いた表情を見せる。 ﹁なんとなくね。この馬車の持ち主さん達になんかしてあげたいん
だろうなぁくらいは﹂
﹁日が暮れてしまうので歩きながら話します﹂
103
交渉術
そう言ってシスティナは自警団本部へ向かって歩き出した。
システィナが考えていたことは例の貴族御一行様の不幸の経緯と
遺品を送る際にある程度まとまったお金を送ってあげたいというこ
とだった。
今回この貴族は侍祭を招聘しようとするため神殿に無理をしてか
なりの額の寄進をしていた。
もともと裕福な貴族でもなかったようだから,このまま貴族の死
亡が知れ渡れば家が傾く可能性が高い。
その時にある程度まとまったお金があれば立て直すことも出来る
かもしれない。そのためにもともと貴族御一行様の持ち物だった馬
車,積荷を売却しそれらを全て送金させて欲しい。そう頼むつもり
だったようだ。
システィナの説明によれば今回の事案のように所有者が全て死亡
してしまってるような場合は特に返す義務はないとのこと。そもそ
もが盗賊に奪われてしまうものだったのだからそれは当然のことで,
むしろ正当な報酬として捉えられるのが常識らしい。
そうであるならばシスティナの提案は俺が命懸けで戦って得た報
酬を取り上げることになる。しかも馬車などは結構高価でこの町か
ら離れる時にはまた使えるような物だ。
俺たちにとってもまだまだ利用価値のある物である。
﹁そっか⋮でも気にしなくて良いよ。盗賊退治の報酬ならシスティ
ナが仲間になってくれただけで充分過ぎるしね。
俺たちの当座の資金は盗賊の賞金だけでなんとかなるっていうシス
ティナの見立てもあるんでしょ﹂
104
﹁⋮ソウジロウ様。私はソウジロウ様と契約できたことを誇りに思
います﹂
﹁システィナよ。我らが主は悪人以外にはかなりのお人好しだと思
うぞ。遠慮することはない好きなようにやればよい。後で胸の一つ
も触らせれば大概のことは有耶無耶にできるだろうしな﹂
呵々と笑う蛍さんの言葉を否定できない。あれを自由にできるな
ら確かに馬車は惜しくないかも。
﹁で,では⋮今晩なさいますか?﹂
ぐは!その上目遣いはやばい。今晩と言わず今ここで!
ゴン!
﹁これ!ソウジロウ。理性を保て,ここは往来じゃぞ﹂
﹁は!お,俺は何を⋮﹂
両手をわきわきとさせた姿勢でシスティナに迫ろうとしていた俺
の頭頂部への強烈な衝撃で我に返った。どうやら蛍さんが峰打ちで
一撃を加えたらしい。
それを見たシスティナが笑う。ようやく緊張が解けたらしい。侍
祭が主の不利益になるようなことをするというのは提案するだけで
もかなりの心理的抵抗があるものらしい。
今後もシスティナと一緒ならその辺はその都度ケアしてそんなこ
と気にしなくていいと辛抱強く教えて理解してもらえるようにした
い。
﹁ソウジロウ様。自警団本部に着きました﹂
105
領主の館のすぐ近くにそれはあった。まあ領主にしてみれば身を
守る戦力は近くにいて欲しいだろうからおかしいことはない。
見張りが立つ本部の建物とは別に懸賞金等の換金窓口が別にある
らしく俺たちは馬車をそちらへ回す。
﹁ソウジロウ様一応盗賊達の武器を鑑定しておいた方がいいのでは
ないでしょうか?﹂
﹁んと⋮物によっては懸賞金よりも高く売れたりするような物があ
るかもしれないってこと?﹂
頷くシスティナ。確かに盗賊の装備を流用するという考え方はな
かったな。一応﹃武具鑑定﹄で見てみるか。
﹃ロングソード ランク: H+ 錬成値0
技能 : なし 所有者: ドブザ︵死亡︶﹄
﹃ロングソード ランク: H 錬成値0
技能 : なし 所有者: ケンダ︵死亡︶﹄
﹃ロングソード ランク: H 錬成値0
技能 : なし 所有者: サーゲ︵死亡︶﹄
﹃ダガー ランク: I 錬成値0
技能 : なし 所有者: ルーク︵死亡︶﹄
﹃木弓 106
ランク: G− 錬成値0
技能 : なし 所有者: ルーク︵死亡︶﹄
うん,もういいや。たいしたことない盗賊だったし装備も見た感
じ特別なものはないみたいだ。防具とかもそもそ自分に何が合うの
かとかよくわからないし今のところは必要性も感じないからその時
になって考えよう。
﹁全部じゃないけど見た感じ使えそうなものは無さそうだからいい
よ。後は任せる﹂
﹁分かりました。懸賞金は交渉のしようがないですが,その他の買
物はお任せください﹂
システィナの可愛い笑顔が頼もしすぎる。
換金所の入り口を入ると小さなカウンターの向こうに自警団の受
付担当と思わられるおっさん団員が1人暇そうに座っていた。
﹁おっと客か。ここは懸賞金の換金所だ自警団に用なら表の入り口
に向かってくれ﹂
﹁大森林脇の街道で盗賊に襲われ返り討ちにしましたので換金をお
願いたします﹂
俺たちが本当に換金に来たと分かるとようやくやる気をだしたの
かだらけた姿勢を正した。
﹁おお!最近,噂になってたやつだな﹂
﹁そうなのですか?﹂
﹁規模は10人前後らしいんだが事前の情報収集がマメらしくてな
⋮襲う相手をよく調べてるせいかなかなか尻尾が掴めなくてな﹂
107
姑息だがその成果は確かにあったんだろう。俺がいくまで盗賊た
ちには1人の犠牲もでていなかったからな。
﹁ぼちぼちうちの街からも討伐隊を組もうかと検討していたところ
だったんだ。手間が省けたかもしれんな。じゃあ武器を出してくれ﹂
﹁はい,ソウジロウ様すいませんがお願いします﹂
﹁了解,武器だけでいいの?﹂
﹁はい﹂
システィナに言われた通り盗賊達が持っていた武器をカウンター
に乗せた。
﹁よし,じゃあ向こうで鑑定させてもらう﹂
そう言っておっさんは全ての武器を持って裏へと消えていった。
本部の中に武器から必要な情報がわかるスキルを持っているのだろ
う。自警団ってくらいだから専属の鍛冶師のようなものを抱えてい
てもおかしくはないし。
﹁自警団っていうとなんか後ろ盾とかあんまりなさそうだけど財政
とかどうなってんのかな﹂
﹁自警団と言っても実質は領主の私兵ですから維持費は領主が出し
ています。
盗賊などの懸賞金については基本的に街同士で連携して積立をし
ているようです。それとは別に個人などが特定の個人や盗賊団に賞
金を懸けることもあります。
被害報告があった盗賊や個別にかけられた賞金首の情報は近隣の街
に情報が共有されるのでどこの街でも懸賞金を受け取ることが出来
るのです﹂
﹁なるほどね⋮﹂
108
そんなことを話していると奥から受付のおっさんが戻ってくる。
﹁確かに盗賊団の武器のようだ。懸賞金はこちらになる。
頭目とされていた男と副頭目とされていた男の死亡も確認されたし,
報告にあった盗賊の規模と討伐数から考えて今回は﹃壊滅﹄したと
認定されたので壊滅報酬も一緒になっている﹂
﹁わかりました。ありがとうございます﹂
おっさんから懸賞金の入った袋を受け取るとシスティナは丁寧に
頭を下げてから換金所を後にした。
自警団の換金所を出てから馬車を次の場所へと案内する途中シス
ティナから預かった布袋のなかを確認すると金貨が30枚と大銀貨
が7枚,銀貨5枚入っていた。
30万7500マール⋮日本円だと大体10倍だからなんと約3
00万円を一気に稼いだことになる。
かなりの稼ぎだと言えるだろう。今夜は良い宿屋に泊れそうだ。
ちなみに武器は返ってこなかった。懸賞金には一応武器自体の値
段も含まれているということらしい。
﹁次はここです﹂
主要施設は街の中心部に集まっているので中心部に来てしまえば
次の店までは比較的すぐに着くのはありがたい。
﹁ここは洋裁店ですね。草狼の毛皮は固くてけして良い毛質とは言
えません。そうなると普段着の上から着るような物に加工しても買
い手はいないでしょう。
ですが鎧の上から羽織る防寒具としては需要があります﹂
109
﹁多少着心地が悪くても鎧の上からなら気にならないし,その固さ
が逆に防御力を多少上げてくれるってことか﹂
﹁はい。と言っても使用する人が限定的なため一頭分で大銀貨1枚
が売りの相場だと思います﹂
システィナはそう言うと店の中へと入って行きカウンターの店員
に声をかけて2,3会話をすると戻ってきた。
﹁見て貰えるそうです。ソウジロウ様毛皮を持って中の応接室まで
お願いいたします。
本来は私が持つべきなのですが,交渉を私がする関係上あまり下
に見られたくないものですから⋮﹂
システィナが申し訳なさそうにしているが俺としては全く気にし
てない。日本男児としてはデートの時に荷物を持つのは当たり前み
たいなところもあるしね。
﹁いいからいいから。なんでも言って。
⋮よし,これで全部かな。どこに持って行けばいい?﹂
﹁ありがとうございます。ではこちらに﹂
﹁12枚あれば加工品が1着,小さ目の物なら2着は仕立てられる
はずです。しかもこの毛皮は全て同じ群れのものです。品質が似通
っていて加工もしやすいはずです。大銀貨20枚﹂
﹁確かに仰る通りですが,いくらなんでも2万マールは出せません。
いくら加工しやすいとは言ってもこちらは職人への報酬等もありま
す。売却代金から素材費を引いたものが利益になる訳ではありませ
ん。
ただ,今の時期にこれだけ纏まってお持ちいただけることはなか
110
なかないですから大銀貨14枚なら出しましょう﹂
﹁ちょっとお待ちください。この毛皮をよく見てください。
この繊細な切り口なら端を切り落とす必要がありません。ほぼ全
ての部分を加工できるはずです。大銀貨18枚﹂
﹁⋮大銀貨15枚では﹂
﹁大銀貨17枚﹂
一瞬の睨み合いの後,店員が満足気な息を漏らす。
﹁手強いお嬢さんだ。わかりました。大銀貨17枚,それでお引き
取りいたしましょう﹂
﹁ありがとうございます﹂
流石は交渉術持ち。相場だと大銀貨12枚1万2千マールだった
はずなのに5000マールも高く売ったよ。
﹁蛍さんの技が見事だったおかげで品質が良かったので強く交渉出
来ました﹂
システィナは満足気に微笑んでいる。隣で見ていた俺は呆気にと
られていただけだった。
﹁次は牙を売りに行きましょう﹂
そんな感じで手持ちの資産を売り捌いていくシスティナにくっつ
いて移動していくとすっかり暗くなっていた。
﹁これで全部ですね﹂
結局懸賞金が30万7千5百マール。毛皮が1万7000マール。
111
牙が2万1300マール。まあ200本以上あったから単価は安く
ても良い稼ぎになったな。
これで合わせて34万5千8百マール。日本円にして350万近
い現金を手に入れたことになる。
ちなみに馬車本体,ラーマ1頭,積荷は35万マールになった。
この時のシスティナの交渉こそがスキルとしての交渉術だったら
しい。
見ていただけの第三者として見たままを言うと,値上げ交渉をと
ことんして29万マールで行った所で膠着したのになぜか最後に相
手が35万マールを提示してきたのであるる。馬車で25万,ラー
マが5万,積荷が5万だったらしい。
さすがに不自然だったのでシスティナに聞いてみたところ交渉術を
使用したということを教えてもらった。
聞いてみるとどうもこの交渉術というスキルは大分トリッキーな
ものらしい。
交渉する内容によって現れる効果が違うみたいなのだが,値段交渉
の場合を例に取ってみる。
100円で売られているものを値引きしようとしたとする。
A﹁50円で売って﹂
B﹁95円なら﹂
A﹁じゃ60円で﹂
B﹁う∼ん90円﹂
と言う様に交渉がされていくのが普通の流れになる。交渉術のス
キルはこの時の売り手側Bの内心へと働きかける。
値引き交渉時のBはなるべく高く売りたいと思っているから相手
が10円の値引きで良しとしてくれればそれにこしたことはない。
でも内心では﹃75円くらいまでなら値引きしてもいいか﹄とい
112
う値引きの限界額を想定している。交渉術はその75円を即座に引
きずり出す技能らしい。
つまり事前の交渉段階で相手に﹃ここまでなら﹄という気持ちを
持たせ,さらに出来るだけ自分に有利な金額を思い浮かばせれば交
渉術でその額に至るまでの途中経過を省ける。そうすれば欲張りす
ぎて取引が流れてしまうことも,最安値より高い値段で買わされる
こともなくなる。
そういう能力だから額が決まってしまっている懸賞金は交渉の余
地がないため交渉術はきかない。
ただこのスキルは黙って使えば相手はスキルを使われたことに気
づかない。それではいくら内心の承諾があるとは言ってもあまり健
全な取引とは言い難い。
システィナもそれは承知しているみたいでいつもは普通に交渉だ
けするようだ。今回も毛皮や牙の売買にはスキルは使っていないと
のこと。
ただ馬車の件に関しては少しでも多くのお金を送ってあげたかっ
たため使用したということらしい。
﹁ソウジロウ様,それでは宿へ向かいましょう。旅疲れもあるでし
ょうし,かなり余裕も出来ましたので少し良いところへ泊まるのも
いいかと思いますがどう致しますか﹂
宿か⋮久しぶりに布団で寝れるんだろうか⋮だったらそこそこ良
い宿屋で寝たい。
出来れば風呂付きがいい!
﹁あればでいいんだけど,お風呂が付いてるとこがあればそこがい
いかな﹂
113
俺の希望を聞いたシスティナが首をかしげる。
﹁おふろ?ですか⋮それはどのようなものでしょうか﹂
﹁え,お風呂知らないの?⋮えっとシスティナは汗をかいたり,埃
をかぶったりしたらどうやって身体を洗うのかな﹂
どうやらシスティナの中にはお風呂という言葉は登録されていな
いらしい。
﹁そうですね⋮街などにいる時は何日かに一回沐浴場で水を浴びま
す。それ以外の日は身体を拭きます。旅の間はそれすらも出来ない
ことも多いですが⋮﹂
確かに俺の知る限り街に着くまでの間システィナは一度も身体を
拭いていない。
﹁じゃあ大きな入れ物にお湯を貯めてそこに人が入るようなことは
ないのかな﹂
﹁⋮それはおいしいのですか?﹂
﹁いやいや食べないから!別に出汁取ってる訳じゃないんだから!﹂
どうやらこの世界の人は湯船に入るという習慣はないらしい。せ
いぜいが水浴びレベルで通常は濡れタオルなどで身体を拭くだけな
のだろう。
﹁じゃあ,寒い日とかも水浴び?﹂
﹁そうですね⋮この辺ではそこまで寒い日はありませんし気にした
ことはないですね﹂
114
ってことはこの辺には四季とかそういうものはないのか⋮地球で
いう温暖気候的なのが1年中続くってこと?そもそも1年という概
念があるのかどうかも怪しいか⋮
いやでも年齢が窓に出る以上年は取っている訳で⋮
﹁システィナ1年て何日?﹂
﹁1年?それは日数で計れるものということですか?﹂
やっぱりか⋮
﹁窓に表示される年齢っていつ増えてるか分かる?﹂
﹁いえ。そう言えば気がつくと増えていますね⋮なるほど,それが
増えるまでの日数が1年という単位なんですね﹂
いやぁシスティナの理解度は早いなぁ⋮感心はするけど年の単位
の概念がないのかこの世界は。それ自体は別に暮らしていく上で問
題はないんだけどね⋮
気候が安定してるってことは暦に従って種をまく時期とかは考え
なくてもいいんだろうし。
と,話が逸れた。
﹁とりあえずその辺の話はおいといて⋮じゃあ水が浴びられる施設
があるかもしくは近くに併設してある宿って感じで頼もうかな﹂
﹁あ,そうですね。わかりました。ではこちらです﹂
あ,ちなみにシスティナは貴族の馬車で移動中に一旦この街を経
由しているため街の施設についてはひととおり調べたとのこと。
その時はまだ契約侍祭ではなかったが,主人となる者が必要とす
るだろう情報を事前にもしくは素早く収集しておくことも侍祭とし
ては当たり前のことらしい。
115
侍祭マジ優秀。
116
交渉術︵後書き︶
レビュー、評価、感想お待ちしております。
感想等にはなるべくお返事を書いていけたらと思っていますのでよ
ろしくお願いいたします。
117
塔︵前書き︶
なかなか塔探索に入らない一行。バトルシーンはもう少しお預けで
す。
118
塔
﹁ここが,いいと思います。沐浴場が隣にありますし一泊一部屋5
20マール。食事は一食50マール程度で摂れます﹂
そう言ってシスティナが案内してくれた宿は三階建ての大きな建
物だった。
520マールってことは5200円位か⋮結構良さそうな宿だか
ら日本よりは安いのか。
﹁料金設定って1人いくらじゃないの?﹂
俺の質問にシスティナは小首を傾げながらも頷く。
﹁はい。宿側にしてみればお部屋を一晩貸す訳ですから⋮人数はあ
まり関係ないということだと思うのですが﹂
﹁そうか⋮食事代が別なら一部屋に何人泊ったって宿には関係ない
のか﹂
そんな話をしながら扉を開けると正面にカウンターがあり恰幅の
いいおばちゃんが座っている。
カウンターの左側は食堂になっているらしくいくつもの円卓がお
かれ何人もの客が食事を摂りながら酒を飲み談笑し,奥の厨房が慌
ただしく動き回っている。そういやお腹すいたな⋮いままでは馬車
に積んであった保存食のようなものをシスティナが出来る限りの調
理でおいしくしてくれてたんだよな。
草狼の肉は新鮮じゃなきゃとても食べられないらしいからあの朝
しか食ってないし,そろそろこっちの料理をがっつりと食べてみた
119
い。
カウンターの右側には階段と扉があり,扉には101から103
と書いてあるので扉の先は各部屋に続く廊下があるのだろう。
﹁はいよ!いらっしゃい。食事かい?泊かい?﹂
﹁1泊でお願いします﹂
おばちゃんはシスティナを見て,蛍さんを見て最後に俺を見た。
﹁部屋は二部屋用意するかい?﹂
普通に考えれば男女混合で3人以上いれば男女別で部屋を取ると
思うだろうし俺も当然そのつもりである。まあ蛍さんは嫌がらない
だろうし最悪刀に戻ってもらえば問題の起きようもないし,システ
ィナだってお願いすれば最終的には断れないはずだけど。
﹁いえ,一部屋で結構です﹂
﹁ほう﹂
俺の想定を裏切りきっぱりと一部屋を申告したシスティナに言葉
も出ない俺と妙に得心がいった風の蛍さん。
﹁そうかい。じゃあ520マールになるね。食事の方はうちで摂っ
てくれるんなら沐浴場の方は3名分つけとくけどどうする﹂
﹁はい。それでお願いします﹂
システィナはそう言うと銀貨6枚を払う。
﹁部屋の方は303。鍵はこれだよ。最低限の防犯はしているつも
りだけど,盗ら
120
れちゃ困るもんは自分たちでなんとかしておくれ﹂
おばちゃんは銀貨を受け取ると鍵とお釣りの大銅貨8枚と何かの
券3枚をシスティナに手渡す。
﹁わかりました。明日もこちらで部屋を取ることになると思います
が継続は可能ですか﹂
﹁特に予約は入ってないね。なんなら予約しておくかい?﹂
﹁そうですね⋮明日は大丈夫でしょうからお願いします。明後日か
らは塔に入ることになるので⋮﹂
ん∼ちょいちょいシスティナの言葉の端々から今後の予定の既定
路線として塔に行くという言葉が出てくるんだがいいのだろうか。
俺としては会って数日のシスティナをこの上もなく信頼しきって
いるので別に構わないんだがもうちょっと事前に説明があってもい
いかなぁと寂しく思ってたりもする。
﹁そうかい。じゃあ明日までの分にしといた方がいいね﹂
システィナは頷くと再び銀貨5枚と大銅貨2枚を支払う。
﹁まいど,ごゆっくり﹂
おばちゃんに丁寧に頭を下げたシスティナが振り返る。
﹁では先に食事にしましょう﹂
にっこり微笑むシスティナを見たら結局どうでもよくなった。
食堂に移動した俺たちはそれぞれ今日の定食を注文。蛍さんはど
121
うしても酒が飲んでみたいと駄々を捏ねるのが可愛かったのでこの
世界で定番らしい発酵酒を注文した。何種類かあったみたいだった
がとりあえずと言いながら端っこを指さしていた。
絶対に全種類制覇を目指す気だろう。
今日の定食はサラダにスープにサイコロステーキ的な物に微妙に
固いパンで50マール。発酵酒は1杯で20マールだった。
味の方はと言えば米が無いのが残念でパンも固くてスープで柔ら
かくしないと食べれた物じゃなかったけど不味くはなかった。この
程度の食事が日々摂れるなら今後生きていく上でもさほど問題には
ならないと思う。
ただ,ここにくるまでに食べてたシスティナの料理の方がおいし
く感じたのは俺のひいき目なのかどうか⋮いずれシスティナに全力
で腕を振るう機会を設けてみようと心に決める。
﹁さて,人心地着いたところでいろいろご説明させて頂きますね。
ちょっと街を入る際にうっかりしてたことがあってなし崩し的に決
まってしまったこととかありまして⋮﹂
久しぶりに落ち着いて食事をしてまったりしたところでシスティ
ナが申し訳なさそうに話をきり出してきた。
﹁ふむ⋮塔とやらの話だな﹂
食事もそっちのけで既に3杯目︵3種類目︶をぐびぐびと煽って
いる蛍さんが核心を突く。
﹁はい。この街に塔への転送陣があることは承知していたのですが,
無一文で中町に入ることにばかり気を取られていたのでうっかり失
念していたのです﹂
﹁えっと⋮何を?﹂
122
相変わらず塔やら転送陣やら全く分からないがとりあえずはシス
ティナが何を忘れていたのかを聞いてみる。
﹁はい。契約侍祭とその主は身分を明かせば基本的に全ての街の入
街税が免除されます。但し,その街が塔を管理する街である場合や
塔へと繋がる転送陣を持っている街の場合は塔へと赴く義務が発生
するのです﹂
システィナの話に寄ればこの世界には主塔と呼ばれる大きな塔が
10塔あるらしい。但し,その内3つは先人達の功績により打倒さ
れ滅びているため残存する主塔は現在は7つ。
この塔自体は誰がいつ建てたのかは全くの不明で現存する一番古
い書物の中には既に登場していることから誰かが建てた物ではなく
﹃自然発生﹄した物という考え方が一般的だそうだ。建築物が自然
発生というのもおかしな話だが,魔法があるような世界だからそう
いうこともあるのかもしれない。
この説の裏付けとしては稀に副塔と呼ばれる野良の塔がランダム
で発生することがあるらしい。この副塔は主塔と比べるとかなり劣
化版のようだがいつどこに発生するのか分からないというのは想像
以上に嫌なものらしい。
ではそもそもこの塔というのはなんなのか⋮この世界の学者達が
導き出した答えは﹃魔物を産む装置﹄だった。
なぜなら魔物の発生方法が未だに解明されていないからである。
繁殖の方法や発生する場所等の魔物が産まれる為に必要な情報が全
くない。但し,塔内を除いて。
塔の中だけは魔物が無限に湧いてくるのだけは確認されている。
そこで学者達が立てた仮説の一つ。
﹃塔は魔物を産み続け,塔内の許容量を超えると外へ転送する﹄
123
この説は今まで不可解だった魔物の発生についての疑問点をほぼ
完全に解消出来るものだった。そしてこの説が更に有力性を増す事
件が起こる。
主塔の一つが討伐されたのである。
そして主塔が討伐された付近では新たな魔物の発見報告が減り,
長い時を経る間に残っていた魔物達もほぼ駆逐され現在はかなり安
全な区域として栄えているらしい。
このことからも塔の討伐というのは人類の至上命題と言っても良
い。仮に塔の最奥にいるボスを倒せなくても,恒常的に塔内の魔物
を狩り続ければ塔外の危険が減る。
逆に危険を伴う塔探索を誰も行わなくなれば日々の生活が脅かさ
れる危険が徐々に上がっていってしまう。そのために侍祭と契約を
するような人材は様々な優遇を得られる代わりに塔探索という義務
を負わなくてはならないらしい。
他にもいろいろ優遇措置や義務があるそうだが,そのうちの1つ
が入街税の無料化と塔探索への参加義務になるのだそうだ。
本来なら街が塔を有していなかったり,塔への移動手段を持って
いなければただ無料になるだけだった。
強制ではないので塔に入りたくなければ普通に税を払って街に入
れば済む。
だが,少しでも馬車を高く売りたかったシスティナは中町での売
買にこだわりこの街が塔への転送陣という移動手段を持っているこ
とは知っていたが塔に入らなければいけないという義務を失念した
まま契約侍祭としての権利を行使してしまったらしい。
﹁塔は危険な所です。ある程度難易度は選べるはずですが常に命の
危険があると思ってください。そんなところに否応なく行かざる得
ないことにしてしまうなんて⋮なんとお詫びをすればいいか本当に
124
すいませんでした﹂
謝罪と共に頭を下げるシスティナ。
もちろん俺は怒るつもりはない。なんと言っても自分の為ではな
くちょっと関わっただけの人達や俺達の為に一生懸命していたこと
の結果について責めるようなことが出来る訳ない。
﹁律儀な娘よのう﹂
刀なのに酔えるのか?随分と機嫌が良さそうな蛍さんが楽しげな
笑いを漏らす。
﹁いいから顔をあげなよシスティナ。どうせ俺達はやることなかっ
たんだしその塔とやらに行ってみるのも悪くない﹂
せっかく蛍さんが刀術を教えてくれるんだし発揮出来る場があっ
てもいい。
もちろん魔物との戦闘というのがどの程度のものなのかというの
が全く想像がつかないのが怖くはある。
でもそんなに都合よく盗賊に襲われる訳でもないだろうし,なん
かしらで生活の糧は得なきゃならない。ならば無限に魔物が湧く場
所で魔物を狩ってドロップ?的な物を売って生活費を稼ぐというの
は意外と俺達にはあってそうな気がする。
﹁そうじゃな,そんなところがあるならソウジロウの修行にもちょ
うどよい。危険云々については気にするな。お前ら2人は実戦でし
っかりみっちりこってりとこれでもかってくらい鍛えてやるぞ﹂
手に持った酒をおいしそうにぐいっと飲み干す蛍さんの胸元の白
い肌がほんのり桜色になってきている気がする。実に色っぽい。大
125
人の女の魅力が凝縮されているようだ。人化すると刀も酔えるのか
もしれない。もしそうだったら今の物騒な発言も酔った勢いってこ
とで明日には忘れててくれるといいんだけど。
﹁本当に迂闊でした,すいません。でも⋮正直言えばソウジロウ様
と蛍さんならそう言ってくれそうな気もしてたのであまり心配はし
ていなかったんですけど﹂
そう言って顔を上げたシスティナの浮かべたいたずらな笑みは照
れ臭そうだが俺達に対する信頼も見えた気がする。なんだか良い感
じだ。
そんなこんなでややゆっくりとした食事が終わり沐浴場へ行く前
に一旦部屋に戻って荷物を整理するために部屋へと向かった。
ちなみに蛍さんは沐浴場に行くときに声をかけてくれと言ってま
だ下で呑んでいる。
既に銀貨1枚以上は呑んでいるのだが,明日の朝食も昼食もいら
んからその分を寄こせと言って更に銀貨を1枚確保しているのでよ
っぽどお酒が気に入ったのだろう。
いつも持ち主達だけが酒盛りをしているのを羨ましく眺めていた
らしいので箍が外れているのだろう。
なんだか俺よりも蛍さんの方がよっぽど自分らしく生きている気
がする。
126
塔︵後書き︶
累計が2000を越えました。ありがとうございます。
感想・プレビュー・評価等、ご意見ご感想お待ちしております。
127
我を失う
﹁おお!ベッドだ﹂
案内された部屋に白いシーツに包まれたベッドがあるのを見て一
気にテンションが上がったので反射的にダイブしてみた。
日本にいた時も基本は畳に布団敷きだったからベッド自体が新鮮
だ。
こんな異世界ではベッドの柔らかさにはあまり期待はしていなか
ったけどダイブを受け止めたベッドは想像していたよりも快適な感
触だった。
システィナがそれなりにいい宿を選択したからだろうか。
﹁ご主人様ったら⋮まだ着替えもしてないのに﹂
入り口からその様子を見ていたシスティナが笑っている。うん可
愛い。
﹁それにしても⋮本当にいいの?システィナ﹂
﹁あ⋮はい。私が無理を言ったせいで節約するところも必要ですか
ら﹂
わずかに頬を染めるシスティナもやや緊張気味のようだ。
まあ,緊張してるのは俺も同じなんだけどね⋮
部屋は一部屋,ベッドも一つ。床に寝るなんて却下だし,この部
屋にはベッド代わりになるようなソファー的な物もない。というこ
とは!皆同じベッドで寝るしかない。
128
﹁ご主人様。まだ寝ちゃわないでくださいね﹂
ベッドにダイブしたまま物思いに耽っていた俺を心配してかシス
ティナが声をかけてくれる。
﹁は∼い。なんか手伝うことある﹂
﹁ふふふ⋮大丈夫ですよ。荷物の整理と言っても私たちには大した
ものはありませんしね﹂
言われてみりゃそうか。馬車に荷物があったから結構いろいろあ
るように思ってたけど結局のところ俺が持ってる物なんて短ランボ
ンタンと桜ちゃんと蛍さんくらいしかない。
あぁでも蛍さんが人化して独り立ち?しちゃったから更に減った
か。
まあ馬車に積んであった背負い袋とか護衛の人とか貴族の人とか
の着替えとかで今後使えそうなものとか肌着やら下着の未使用のや
つとかタオル的な物はいろいろゲットしたけど。
﹁さて,ではご主人様。こちらの服に着替えてください。そちらの
服は沐浴場で軽く洗っておきますので﹂
綺麗に折りたたんだ着替えを手に持ったシスティナが近づいてく
る。
着替えるのはやぶさかではないけど,クリーニング屋もないよう
なこの世界で学生服を迂闊に水洗いとか大丈夫なんだろうか。
なんだかんだで元の世界のものはもう蛍さん達を除けばこれだけ
だしいずれ着られなくなる時がくるとしてもそれはもうちょい後に
したい。
﹁えっと⋮着替えはするけど洗濯はいいや。後で埃をはたいて汚れ
129
が目立つ所だけ濡れたタオルとかで拭いておいてくれる?
後のTシャツとか靴下とか下着は自分で洗濯するし﹂
そう言って寝返りを打つ俺をおとがいに手をあてながら眺めるシ
スティナ。
﹁⋮そちらの学生服?ですか。それに関しては確かに私も見たこと
がないような素材で出来てますしちょっと慎重に扱った方がいいか
もしれませんね。
ではひとまずこちらのクローゼットにかけておきますから脱いで
ください﹂
﹁は∼い⋮でももうちょっと﹂
ベッドの上がこんなにも気持ちいいものだとは思わなかった。部
屋の中は壁に掛けられたいくつかの燭台の灯りと丸テーブルの上の
ランタンだけでいい感じに薄暗いし日々の疲れもありこのまま一気
に眠りに落ちそうである。
﹁駄目ですよご主人様。これから沐浴場に行くんですから起きてく
ださい。学生服も大切なものなのでしょう?ちゃんとしておかない
と傷みが早くなりますよ﹂
う∼ん確かに。唯一の地球の衣服だしもうちょい大事にしてやる
か。
このまま寝てしまいたい衝動を無理やり抑えつけて起き上がると
短ランのボタンに手をかける。
﹁お手伝いいたします。ご主人様﹂
﹁うん,ありがとう﹂
130
ボタンを外した短ランを袖から抜くのを手伝ってもらい,システ
ィナが短ランをクローゼットに掛けている間にTシャツを脱ぐ。
これだけ肌触りのいい肌着も無いだろうからこれも貴重と言えば
貴重だ。きちんと洗濯して大事にする必要がある。
﹁ではお履き物も﹂
﹁え?﹂
さも当然のようにボンタンに手をかけてくるシスティナに慌てる
俺。
﹁いやいやズボンは自分で脱げるし﹂
﹁いえいえ遠慮なさらずに私侍祭ですし﹂
く,ひかねぇ女だぜシスティナ。マジ最高。もういいかと思わな
いでもないがこんなシチュエーションに俺の息子はすでにパーリナ
イ状態である。
これをいきなりシスティナに晒すのはちょっと恥ずかしい。
﹁あ,あのシスティナ。本当に大丈夫だから﹂
﹁もうご主人様ったら,遠慮はいりませんよ﹂
﹁ちょ,ちょ,だからちょっと待って﹂
﹁きゃ!﹂
ズボンを脱ぎかけの状態でそんなやり取りをしてれば当然バラン
スを崩す訳で⋮
仰向けにベッドに倒れた俺は幸いベッドの弾力のおかげでダメー
ジは受けていない。
だがお腹の上に感じるこの弾力はベッドの弾力を遥かに上回る!!
131
﹁だ,大丈夫ですか。ご主人様﹂
胸の上から申し訳なさそうにシスティナが覗き込んでいる。あえ
て言わせてもらおう身体は大丈夫だと。だが一部分は大丈夫どころ
か暴発寸前だと。
﹁う,うん。大丈夫だから早くどいてくれる?ちょっと,ほら,あ
れが⋮﹂ ﹁あの⋮私とこうしているのは⋮迷惑⋮ですか?﹂
く!迷惑ではない!むしろ内心は嬉しい。嬉しいが苦しい。もう
いっそこのままいっちゃうか。
﹁あ⋮﹂
と思った瞬間システィナの顔が朱に染まる。薄暗い部屋の中でも
分かる劇的な変化である。俺のエクスカリバーに気が付いたのだろ
う。
﹁迷惑じゃない。わかる⋮よね﹂
﹁⋮はい,ありがとうございます﹂
頬を染めつつも俺の上から降りる気はないのか下から見上げる目
は俺の目を離さない。
なんとか冷静に対処しようとしているが冷静さを失っているマイ
サンとバックバクしているマイハートを体感しているシスティナに
はばればれだろう。
男としてはみっともないことかもしれないがこんな可愛くて胸の
大きい子にのしかかられた状態では童貞男に抵抗出来る訳はなかっ
た。
132
﹁あの⋮システィナ?﹂
﹁ご主人様⋮﹂
潤んだ瞳でを向けてくるシスティナがずりずりとゆっくり上って
くる。なんかエロい。眼がエロい!明らかに正気を失ってないかこ
れ。もともとシスティナは房中術スキルを身に付けるくらい知識が
豊富である。そこにこんなスケベな男が隙さえあればエロい視線を
向けてくるとなれば否応なく妄想も溢れていくのではないだろうか。
妄想の相手として不足はないくらいに好かれているということは
喜ぶべきことなんだろう。
ていうかシスティナがいいなら俺に断る理由などない。
俺は緊張で硬直したままだった両腕を解禁しシスティナの背中に
回す。初めて会った時から俺を釘付けにしていた双子山が俺の胸に
押し付けられて柔らかな感触を伝えてくる。
もうなんだか脳内が痺れる様な幸福感の中⋮⋮生まれて初めて俺
は女の子とキスをした。
﹁ん⋮﹂
生まれて二度目のキスをした。三度目のキスをした。四度目のキ
スをした。
﹁あ,あの⋮ん⋮ご⋮主⋮人⋮さ⋮ま⋮﹂
五度目のキスをした。六度目のキスをした。七度目のキスをした。
八度目のキスをした。九度目のキスをした。
﹁ま⋮⋮て,くる⋮し﹂
133
十度目のキスをした。十一度目のキスをした。十二度目のキスを
した。十三度目の⋮
﹁ええい!やめんか!﹂
ゴン!
﹁は!﹂
脳天に走った衝撃に我に返ると蛍丸を手にした蛍さんが見下ろし
ていた。
﹁しょうもないのう⋮いくらなんでも接吻くらいで我を失うとは。
相手のことを考えられないようでは男として失格だぞソウジロウ﹂
﹁⋮くっ,面目ない﹂
全く蛍さんの言う通りである。
﹁システィナも大丈夫かの?なかなか来ないと思って来てみたらい
い雰囲気だったので様子を見ていたんじゃが⋮﹂
﹁は,はい⋮大丈夫です。あの!嫌だった訳ではありませんので﹂
﹁ソウジロウはまだ童貞じゃからな⋮がっつき加減は半端ではない。
気持ちはわかるがもうちょっと待っておけ。今夜にでも儂が筆おろ
ししておいてやろう。
儂ならソウジロウがどんなに乱暴に扱っても壊れることはないか
らな﹂
そう言って舌で唇を湿らせる蛍さんは妖艶過ぎてちょっと怖い。
っていうか今さらっととんでもないこと言わなかったか蛍さん。
134
﹁ほれ,ソウジロウ。きちんとシスティナに謝らんか﹂
﹁あ!そうだった。ごめんシスティナ。あまりにも気持ちよくてお
かしくなっちゃって﹂
﹁い,いえ!私が迫ったようなものですし,先ほども言いましたが
嫌ではなかったですので⋮むしろ私であんなに⋮嬉しかったです﹂
顔を赤くしながらもじもじするシスティナが可愛い。
﹁よし,ではさっさと着替えて行くぞ﹂
﹁え?どこへ﹂
ゴン!
﹁目を覚ませと言ったろうソウジロウ。水浴びにいくのじゃろう﹂
そうでした。
135
沐浴場︵前書き︶
累計4000突破。感謝です。もっとたくさんの方の目にとまる作
品になるといいなぁ⋮ご意見ご感想レビュー評価お待ちしておりま
す。
136
沐浴場
﹁へぇ,ここが沐浴場か﹂
部屋で短ラン,ボンタンを脱ぎこの世界の普段着に着替えた俺は
桜ちゃんだけを持って3人で宿を出た。
まあ,出たと言っても目的地は隣の建物の沐浴場である。
﹁はい。建物は円形になっていまして扉ごとに個室になってます﹂
﹁沐浴場ってことは水があるんだろうけど水源は?﹂
この世界に上水道があるとは思えない。どっからか水をひいてく
るなりする必要があるはずである。
だが,ここにくるまでの間に近くに川などが流れているような感
じは無かった。質のいい湧き水でも出てるか井戸などで地下水をく
み上げるなどしなければまとまった水を得るのは難しいのではない
だろうか。
﹁ここには水を産む魔石である水石の大きい物が設置されています﹂
簡単に受けた説明によると塔などの探索で手に入る魔石というも
のがあり,その魔石は属性を帯びていると生活に役に立つ道具にな
るらしい。
塔探索での主な収入源というのが魔物のドロップするこの魔石の
売却益だそうだ。
その中で水石と言われる魔石は魔力を通すと水が湧き出す。
沐浴場の構造としては真ん中に建てられた太く丸い柱の上に大き
なお皿のような器を置き,その中心に水石を設置。そこから産み出
137
された水が器に溜まっていく。 後は器の縁に周囲に設置した個室の数だけ切れ目を入れておくと
そこから水がこぼれ続けるという仕組みらしい。
流れ出た水はこの下の地中にある地下水溜まりに地中をろ過され
ながら次第に流れ込んでいき,その地下水は井戸水として街の生活
用水として再利用される。
﹁つまり水源のないこの街が街としてやっていけるのは塔への移動
手段があるということなのだな﹂
﹁はい。元々は地下水源のみに頼って作られた街だったらしいので
すが何代か前の領主の時水源が涸れかけたことがあったそうです。
その時の領主は新たな水源の発掘や水の輸入などに予算を使わず,
大金をはたいて塔への転送陣を設置しました。
転送陣の設置はすぐに効果の現れるようなものではなく当初は住
民達の反感を買ったようですが,その転送陣を目当てに塔探索者が
多く訪れるようになったことで経済が潤い更に魔石が安定供給され
るようになったことで水不足などの問題も解消されました。
そのころから人口が増え始めたので街壁を設置し,更に外町が形
成されていくほどに街が大きくなっていったそうです﹂
﹁ちょっと待って。そしたら塔とこの町は持ちつ持たれつの関係だ
よね⋮塔が討伐されちゃうとこの街は困るんじゃないの﹂
塔から得られる魔石を使うことで発展してきたこの街は塔が無く
なってしまえば経済が立ちゆかなくなるのではないだろうか。
塔を討伐するということは魔物の驚異を無くすという意味では意
義があるがその魔物から得られる物を生活の重要な部分に組み込ん
でしまうと塔が討伐できなくなってしまい本末転倒な気がする。
もしかすると塔とのうまい付き合い方というのは魔物を外に排出
させない程度に魔物を狩り討伐せず生かさず殺さずというのが一番
いいのか?
138
﹁そうですね⋮その辺は世界の矛盾かもしれませんね。ただ塔を討
伐するとその周辺はとても豊かな土地になるそうです。
ですから塔がある地域は塔を討伐する意味もあると思います。で
すがこの街のように離れた場所から塔の恩恵だけを受けているよう
な所は表向きは塔討伐に反対はしないでしょうが実際に討伐されて
は困ると思っているかもしれません﹂
うん,地球だけじゃなく異世界でもいろいろあるんだなというこ
とがよく分かった。
﹁では行きましょう﹂
システィナに促され受付で入場券を渡すと三人揃って沐浴場に入
る。
中に入ると休憩所になっていていくつかの椅子が壁際に置いてあ
る。一緒に来た人と待ち合わせるための場所なのだろう。
そこを抜けた先がT字路になっていて突き当りに扉がある。そこ
から一定間隔ごとに扉が並んでいてその先を見ると左右に伸びた通
路はそれぞれ内側にカーブしていき徐々に見えなくなっていくので
やはり円形に作られているのだろう。
﹁開いている扉を選んで中に入ったらしっかりと内から鍵を掛けて
ください。先に終わったら宿に戻られていても構いませんので﹂
﹁いいよいいよ。せっかく3人で来たんだから一緒に帰ろう。先に
終わった人はここで待つってことにしよう﹂
多分システィナは中で洗濯をする予定なので時間がかかることを
想定してるんだろうけど,結局俺の洗濯物もシスティナに取られて
しまったので自分の洗濯物を任せきりにして宿でくつろぐのはちょ
139
っと申し訳ない。
﹁さっさといくぞソウジロウ。私も水浴びするのは初めてじゃから
楽しみじゃ。欲を言えば風呂に入ってみたかったがな﹂
﹁だね⋮よし!絶対いつか風呂を作ろう。五右衛門風呂とかならな
んとかなりそうな気もするし﹂
﹁ほう,期待しておるぞソウジロウ﹂
﹁任せといて!﹂
正直全く自信はないけど決意だけはある。この世界で生きていく
上での目標の1つにしよう。
﹁お風呂というのはそんなに良いものなんですね。もし出来たら私
にも教えてくださいね﹂
﹁もちろん!﹂
そしてその時はぜひ一緒に入ってもらおう。風呂作成への俺のモ
チベーションはMAXである。
その後それぞれで別れて個室に入った。中からドアに鍵を掛ける
と小さな脱衣所がありさらに扉がある。俺は脱衣所で服を脱ぎ全裸
になるとタオル一本と桜ちゃんを持って脱衣所の先の扉を開けた。
なるほどこんな感じなのか。扉の先は脱衣所と同じくらいのスペ
ースがあり突き当りの壁の上からちょろちょろと水が流れ落ちてい
た。
水量としては日本のシャワーに慣れた俺には全く持って物足りな
いが,普通の街では味わえないような贅沢なものなんだろう。
とりあえず壁にある棚に桜ちゃんを置くと水が流れ落ちてくるポ
イントに置かれたタライに溜まっていた水にタオルを浸しておいて
手で水を掬うと顔を洗う。
140
うわ気持ちいい!冷たいというほどではないが水は綺麗なものだ
ったしこの世界に来て初めて思い切り顔を洗えたという達成感が異
常なほど爽快感を与えてくれる。
その勢いでタオルを水から引き抜くと一気に身体を拭いていく。
﹁くふうぅ⋮﹂
思わず声が漏れる。思えば日本にいた頃は風呂に入らずに寝るな
んてことはなかった。
いつも出来ていたことが出来なくなるというのは思ったよりもス
トレスが溜まるらしい。
これでもかというほどに身体を拭き,頭から水を被って髪と頭皮
を手櫛で洗った。石鹸やシャンプーが欲しいところだがさすがにそ
れは備え付けられていない。そもそも存在するのかどうかを後でシ
スティナに確認しておこう。
もともと風呂は好きだが長風呂ではない。
最後にエクスカリバーを零れ落ちてくる水で直に清めてタオルを
絞り水滴を拭きとると桜ちゃんを手に脱衣所へと戻った。
桜ちゃんも水浴びがしたいと訴えてくるが,錆びちゃうと困るの
で人化のスキルを覚えるまでは我慢してもらうしかない。
そもそもどうやって育てるのかもよくわかってないが⋮
ただ,﹃武具鑑定﹄
﹃桜 ランク: D+ 錬成値33 吸精値 47
技能 : 共感 気配察知 敏捷補正 命中補正 魔力
補正﹄
この﹃錬成値﹄というのを上げることが出来れば桜ちゃんのラン
クを上げることが出来るような気がする。
141
レベルあげというからには戦いの中で使用すればあがるのかもし
れないので塔に行くようになったら試してみる必要があるだろう。
あとは﹃吸精値﹄。これについては完全に謎だ。これからいろい
ろ試してみるしかない。
早く桜ちゃんとも話がしたいものである。
さっぱりとした身体に衣服を纏い,満ち足りた気分で休憩室へと
戻った。室内を見回すがやっぱり蛍さんもシスティナも戻っていな
かった。
蛍さんはお風呂も水浴びも経験がないはずだけど大丈夫だろうか。
まあ水を浴びるだけだから問題はないはず。
むしろシスティナがどうやって洗濯をするのかが気になる。まさ
か裸でタライにしゃがみこんでごしごし手洗いするのだろうか。そ
んなシュールな光景なら是非見てみたい。
そんな他愛もないことを考えていると悠然とした足取りで蛍さん
が戻ってきた。
﹁初めての水浴びはどうだった蛍さん﹂
﹁ん。これはこれで悪くないな。身が引き締まる感じがしてよい。
これが湯の中だと今度はいい感じに弛緩できるのだろうな。これ
はソウジロウの甲斐性に期待せねばな﹂
﹁これは責任重大だ﹂
﹁さて,システィナはもう少しかかるだろう。時間がもったいない
から訓練でもするか﹂
﹁え?﹂
これから訓練ですか?ここで?さっきのシゴキ宣言はマジでした
か。
142
﹁なに心配するな。お前も楽しめる方法にしてやる﹂
そう言うと蛍さんは周囲を見回す。
﹁そうじゃな。この休憩室の半分ほどでよかろう﹂
﹁えっと何をすれば﹂
﹁揉め﹂
﹁は?﹂
﹁私の胸を揉んでもよいと言っている。先ほども暴走していたお前
のことだ大分溜まっているのだろう﹂
そりゃあ溜まっているに決まっている。よく考えればこの世界に
来てからは1人で処理するようなタイミングも無かった訳で。
﹁その力をめいっぱい使って私の胸を揉んでみよ。だが簡単に揉め
ると思うなよ。私はこの部屋の半分の中だけを使って避けるからな﹂
ほう,つまりあのたわわな胸を餌に鬼ごっこをしようということ
ですな。よし,うけてやろうじゃないか。公衆の面前であの爆乳を
揉みしだいてやりましょう。
﹁その勝負受けて立つ!﹂
﹁ふん,そうこなくてはな。だがよいか,今は人は少ないとはいえ
ここは公共の場。誰かにぶつかったり注意を受けたらそこで勝負は
終了になる。もちろんシスティナが戻ってきても終了だ﹂
﹁⋮なるほど了解,ようは瞬殺すればいいってことだね﹂
﹁ソウジロウお前な⋮まあよい。やれば分かるだろう。いつでもか
かってこい﹂
既に俺には蛍さんのあきれたような顔は目に入っていない。着物
143
から半ばはみ出した﹃あれ﹄しか見えていない。
目の前にある﹃それ﹄に無造作に手を伸ばす。だが,﹃そいつ﹄
はすーと滑るように遠ざかっていく。ち!小さな舌打ちを挟み更に
追撃する。だが﹃あいつ﹄はどれだけ俺が追いかけても目の前から
つかず離れずの位置をゆらりゆらりと逃げ回る。
届きそうで届かない。
それでも追う。追う。追う。追う。追う。追う。追う。追う。追
う。追う。追う。追う。追う。追う。追う。追う。追う。追う。追
う。追う。追う。追う。追う。追う。追う。追う。追う。追う。追
う。追う。追う。追う。追う。追う。追う。追う。追う。追う。追
う。追う。追う。追う。追う。追う。追う。追う。追う。追う。追
う。追う。追う。追う。 追っている内に下半身に集中していた何かが収まり目の前を逃げ
る﹃やつ﹄を冷静に見れるようになってきた。
﹃こいつ﹄は静かに動く。そしてぶれない。さらによく見ると思
っていたよりも位置が低い。それに引っ張れるように俺の重心も下
がる。そうだ!重心を低く,地面を掴み身体を放り投げるように⋮
蛍さんに最初に教えてもらった低重力の動き方。
そしてその後に教えてもらった正中線の維持とすり足のような上
下動の少ない動きの歩法。それを意識した途端﹃胸﹄が近くに見え
るようになった。
そうだあれは蛍さんの胸だ。蛍さんの胸がぽよんぽよんと揺れな
がら俺の動きを導いてくれている。あの動きに合わせて身体を⋮
﹁ちょっとあんたら!いったい何してんだい!﹂
﹁あ⋮﹂
急にかけられた声と共に何かがぷつんと切れたのを感じる。同時
に視界が広がる。
144
﹁中の客が全然出てこないと思ったら⋮見てるやつらも邪魔なら邪
魔って言えばいいじゃないのさ!﹂
どうやら入り口で入場を管理していた職員が人が入れども出てこ
ないのを不思議に思って確認に来たらしい。
そこで鬼ごっこをしている俺と蛍さん,そしてそれを遠巻きに見
つめていた野次馬達を見つけたらしい。
﹁いや⋮邪魔ではなかった⋮よな?﹂
﹁だな,一応半分は空いてたし。誰もぶつかったやつもいないしな﹂
﹁ああ⋮わざとぶつかりに行ったやつすら普通にかわされたからな﹂
﹁むしろいいもん見せて貰った。あの不思議な衣装であの身体だ﹂
﹁そうそう!こぼれそうでこぼれない。見えそうで見えないんだよ
なあれ﹂
﹁ははは!だからお前は前屈みなんだな﹂
﹁うるせぇ!お前もその山もりの股間を少しは隠せ!﹂
好き勝手に盛り上がり始めた野次馬達に軽い頭痛を感じているの
か職員がこめかみを揉みながら盛大な溜息をつく。
ちょっと時間が遅くなってきていたので待合室に女性がほとんど
いなかったのもすぐに止められなかった理由の一つだったのだろう。
この世界は街灯なんかはないため暗くなるのが早い。そのため女
性の外出は早めに控えられるらしく沐浴場を利用する女性のほとん
どは夕食前に済ませることが多いらしい。
﹁ふん,ここまでだなソウジロウ。最初はどうなることかと思った
が煩悩を集中力に昇華してからの動きは悪くなかったぞ。
その動き方を日常から心がけておけば戦闘中も無様な動きをする
ことはなかろ﹂
﹁⋮ははは﹂
145
煩悩まで利用されて訓練させられたとなれば俺的にはもう笑うし
かない。ここは悔しいとか情けないとか考えるよりも蛍さんが俺の
ことをそこまで理解してくれていることを喜ぶべきだろう。
﹁あの⋮お二人とも。何をしてるんですか?物凄い注目集めてるみ
たいですけど﹂
沐浴場の奥から洗濯物を抱えて戻ってきたシスティナが白い目で
俺を見ていた。
146
沐浴場︵後書き︶
次回のタイトルは﹃筆おろし﹄ですw 更新には2、3日かかるか
もですがよろしくお願いいたします。
147
筆おろし
結局あの後,汗だくになっていた俺だけ速攻でもう一度水を浴び
に行き三人で宿に戻った。
俺はいい感じに疲れた身体をベッドに横たえて部屋に張られたロ
ープに洗濯物を干しているシスティナをぼんやりと眺めている。背
伸びをして洗濯物を干し,そして置かれた洗濯物を取るために屈む。
その度にシスティナの形の良い双子山がスライムのように表情を変
える。うん,自分でも何言ってるのかよくわからん。ただいい眺め
である。
蛍さんは部屋に備え付けの椅子に腰掛け食堂で買ったお酒を部屋
に持ち込みくぴくぴと一人酒である。機嫌は良さそうなので問題な
い。悪酔いをするタイプではなさそうだ。
﹁そういえば塔は明後日からって言ってたけど明日はどうするの?﹂
﹁明日は塔に入るのに必要な物を揃えようと思います﹂
動きを止めないまま答えてくれるシスティナ。
そうか,危険な場所に行くんだから準備は大切か⋮水とか食料と
か薬とかいろいろありそうだ。
必要だと思った物があっているかどうかそのままシスティナに伝
えてみる。
﹁そうですね。それらはもちろん必要ですが⋮武器と防具をある程
度揃えなくてはならないと思います﹂
﹁あ⋮そうか﹂
やっぱり今ひとつこの世界の流れに乗り切れてない。魔物退治に
148
行くって言うのに武器や防具に全く思い至らないというのはさすが
にあり得ない。
蛍さんは蛍丸の刀身を武器に出来て,身体自体も蛍さんの意志で
蛍丸と同等の硬度にすることも出来るらしいから必ずしも防具は必
要ない。そもそもあの動きの蛍さんがそうそう攻撃を受けるとは思
えない。
だが,システィナはメイド風侍祭服くらいしかないし武器も本当
に護身用の短剣しか持ってなかった。
この世界では武器に所有者登録が必要なことから窓によらない簡
易な身分証明として武器を使うことがある。だからこの世界の人々
は誰でもなんかしら武器を持っている。
生まれたばかりの子供ですらミニチュアの棍棒などを武器兼おも
ちゃとして持たされるらしい。
システィナが持っている短剣も主として身分証明としての武器だ
ということだったから塔で魔物と戦うには向かないだろう。
確かに装備が必要だ。
そもそも俺からして武器がない。
もともと振っていた蛍丸は蛍さんとして独立してしまったため武
器としては使えない。刀に戻ってもらうことも出来るだろうがうち
の最強戦力を俺の武器にして失うのは危険である。
とすると残るは桜ちゃんだけだが,桜ちゃんは小太刀でありリー
チが短い。慣れないうちは近すぎる接近戦は避けた方がいい気がす
る。
﹁確かにいろいろ必要だね⋮﹂
﹁そうだな,ソウジロウは低重力と高濃度酸素の恩恵を受けている
のだし多少の力業も可能なのではないか﹂
﹁ていじうりょく?こうのどさんそ?﹂
地球の言葉がスキルに反応しないらしく首をかしげつつもどこか
149
嬉しそうなシスティナを横目で微笑ましく見ながら蛍さんに先を促
す。
﹁私と同じくらいの長さの刀を片手で扱ってみてはどうだ?そうす
ればもう片手で桜を使える﹂
﹁⋮二刀流か﹂
﹁自在に二刀を扱うのは正直難しいだろうが,桜を盾のように使う
のならば難易度は下がる﹂
桜ちゃんを盾に変則の二刀流か。そう考えると片手剣+盾の考え方
になるから確かに難易度は下がるだろう。
ただ桜ちゃんの攻撃力は半減するしもちろん盾のような防御力は
望めない訳でそれらを補うのは俺次第ってことか。
﹁俺に出来ると思う?﹂
﹁お前は私の弟子になるのだぞ。出来ぬと思うならすすめはせぬ﹂
蛍さんの無条件の信頼がくすぐったい。だが不安は消えた。
﹁分かったじゃあ明日はそれを念頭に装備を考えてみるよ﹂
蛍さんは杯に残った酒を一気に飲み干すと満足気に微笑む。
﹁ご主人様お待たせしました。洗濯は干し終わりましたので灯りを
消していただいてお休みになってください﹂
﹁あ,うん。ご苦労様。助かったよ﹂
﹁いえ,侍祭は主がすべきことに集中出来るように身の回りの世話
などの雑事を引き受けることも重要な仕事ですから﹂
ありがたいことである。この世界に来て最初にシスティナと出会
150
えたことは本当に幸運だった。これが神の采配だとするならあの神
を信仰する宗派に入信してやってもいい。まああいつはこっちの世
界のことにほとんど干渉できないらしいから100%偶然だろうけ
ど。
﹁灯りを消すのはちょっと待ってくれるかシスティナ﹂
壁に掛けられた灯りを消そうとするシスティナに蛍さんが待った
をかける。
﹁はい。まだ何かありましたか?お話だけなら灯りが無くてもいい
かと思いますが﹂
﹁いや,これからソウジロウの筆おろしをしてやろうと思ってな。
同時に私の姫始めにもなるんだが⋮せっかくお互い初めてなのだか
ら互いの顔が見えた方がいいと思ってな﹂
﹁あの⋮﹃筆おろし﹄も﹃姫始め﹄も私には正確な意味は分からな
いんですが,雰囲気から察すると⋮そういうことですか?﹂
さすがはシスティナ。知らない言葉からでもすぐに意味を察した
ようだ。赤くなった顔から見てもその答えはおそらく正解だろう。
っていうか!蛍さんやっぱり本気だったのか。
﹁さっきも言ったが童貞ソウジロウは暴走すると危ないからな。シ
スティナには悪いが最初は私が相手をするのがよかろう﹂
面目ないかぎりである。この世界に来て低重力やら高濃度酸素で
運動能力が上がっているせいで聖侍祭で従属契約をして契約の恩恵
を受けているシスティナでさえ身動きできない程に力持ちになって
いる。
我を忘れると冗談じゃなくシスティナに怪我をさせてしまう可能
151
性があると蛍さんは判断したのだろう。
﹁あの⋮それは仕方がないので構いませんが,私は席を外していた
方がいいでしょうか﹂
﹁構わんからここにいるがいい。椅子に座っていてもいいし,我ら
と一緒にベッドにいたって構わんぞ﹂
俺の話でもあるのに完全に取り残された状態で話が進んでいく。
それは別にいい。既に俺の目は蛍さんの肌に釘づけだし,マイサン
はバーニングブレストファイヤー状態だ。
くっ,童貞というのはここまで余裕がない生き物だったのか⋮て
いうか童貞じゃなく俺がそうなのか。
﹁で,では⋮私も御一緒させてください。絵や文字から得た知識だ
けは十二分にあるのですが目で見た知識は皆無ですので⋮恥ずかし
い話ですが興味があります﹂
﹁うむ,私たちはしばらく三人でやっていくのだしな。それがいい
だろう﹂
俺がムラムラしている間に話はまとまったらしい。二人が俺を見
る目がなんとなく捕食者の目のような気がするのは気のせいだろう。
だがそうであっても構わない。捕食上等おいしく召し上がれだ。
﹁よし。待たせたなソウジロウ﹂
蛍さんはそう言うと豪快に着物を鞘に戻して一糸纏わぬ姿になっ
た。
あぁ⋮蛍さんは本当に綺麗だ。本来白いはずの肌が壁とランタン
が放つほの暗い灯りに照らされ橙色に見える。そして蛍さんのめり
はりのある身体はところどころに影をつくりそのコントラストが妖
152
艶としか言いようのない色気を漂わせている。
俺はふろふらとベッドから降り蛍さんの前に立つ。蛍さんは優し
い笑みを浮かべると黙って俺の服を全て脱がした。
裸同士で向かい合った俺と蛍さんは静かに近づくと抱き合う。は
ぁ⋮蛍さんの暖かさと柔らかさを肌で感じ脳髄からとろけそうにな
る。堪えきれずに顔を上げた俺と同じ気持ちだったのか蛍さんも待
ちきれないというように唇を重ねてきた。
応えるように舌を差し出すと蛍さんも狂おしいほどに舌を絡めて
くる。ああ幸せだ⋮蛍さんも俺を求めてくれているのがわかる。共
感のスキルを使うまでもない。俺も蛍さんもあの蔵にいたときから
気持ちが通じ合っていたのだと理解しあった。
愛おしい。愛おしい。愛おしい。愛おしい。愛おしい。愛おしい。
愛おしい。愛おしい。愛おしい。愛おしい。愛おしい。愛おしい。
愛おしい。愛おしい。愛おしい。愛おしい。愛おしい。愛おしい。
愛おしい。愛おしい。愛おしい。愛おしい。愛おしい。愛おしい。
愛おしい。愛おしい。愛おしい。愛おしい。愛おしい。愛おしい。
愛おしい。愛おしい。愛おしい。愛おしい。愛おしい。愛おしい。
愛おしい。愛おしい。愛おしい。愛おしい。
少し乱暴なほどに蛍さんを抱きしめるとその勢いでベッドへと押
し倒す。
自分でも抑えが効いていないのがわかる。優しくしなくてはいけ
ないと思っているのに痺れたように麻痺した脳髄が命令を無視する。
激しく蛍さんの胸を揉みしだき,全身をくまなく蹂躙してしまう。
そんな状態の中,内心で焦る俺の視界に入ってきたのは組み敷かれ
た状態の蛍さんの表情だった。
︵良いのだ。ソウジロウ,私が全て受けとめてやる︶
153
その全てを受け入れた優しい笑みに俺の焦燥は雲散する。蛍さん
の暖かい想いに甘えるように俺は自分の激情を思うままにぶつけた。
何度も何度も。その全てを受け入れてくれた蛍さんに感謝と深い愛
情を感じながら人生で初めて満ち足りた気分で意識を失った。
﹁あの⋮蛍さん。凄かったです﹂
﹁ふふ,そうだな。だがあれはソウジロウの性欲だけの問題ではな
い。あいつが生まれてから今まで感じてきた世界からの疎外感⋮そ
のことで知らずに感じていた不安だ。
ソウジロウには自分を認めて貰える世界,全てを受け入れてくれ
る相手が必要だった。私はそう思っている。ふ,システィナには何
を言っているのか分からぬだろうな﹂
﹁そうですね。きっと今の私には分からないことがお二人の間にあ
るのだと思います。それは悔しいですけど仕方ありません。蛍さん
のご主人様に対する想いにはまだ適わないと思ってしまいましたか
ら﹂
﹁そんなことはないだろうよシスティナ。お前の全てを賭けたあの
契約⋮しかとソウジロウの胸に届いておるよ﹂
﹁私にも⋮出来るでしょうか﹂
﹁心配はいらぬ。少し残念な気もするが今日のようにソウジロウが
荒ぶることはもうあるまい。次からはスケベだが優しい本来のソウ
ジロウのはずだ﹂
﹁ふふふ,確かにそれは少し残念です。私もあそこまで激しく愛さ
れてみたかったかも﹂
﹁気持ちは分かるがやめておけ。私ですら壊されるかもしれんと一
瞬思ったからな⋮まあそれ以上に今は満たされているがな﹂
﹁私は本当に素敵な人達にお仕え出来て幸せです﹂
﹁お前の主はソウジロウだろう?﹂
﹁ふふ,そうですね。
154
⋮さすがの蛍さんも今日はお疲れでしょう。もう休みましょう﹂
﹁む,そうじゃな﹂
おぼろげな意識の向こう自分の両脇に寄り添う愛すべき人達のそ
んな会話を聞いたような気がした。
155
筆おろし︵後書き︶
累計5000突破です。ありがとうございます。
日計ランキングとかで1万字くらいの作品が物凄いポイント取って
上位にいたりしますが,どうやってたくさんの方に読んでもらって
るのでしょうか⋮
1万字とかだとまだ作品として面白いかどうかの判断は難しいのか
なと思ったりするんですが何かコツとかがあるのでしょうか?何か
知っている方がいたらご教示願いたいです。
156
ランクアップ︵前書き︶
夜勤等で時間が取れずちょっと空いてしまいました。
あと盗賊達の懸賞金の額や売買した物の値段等を調整しました。
157
ランクアップ
暖かい陽ざしを頬に感じてゆっくりと目を開ける。見慣れない木
の天井に一瞬頭が混乱仕掛けるがすぐにここは地球じゃないことを
思い出す。そしてそれと同時にこっちの世界に来てからのことが一
気に脳内にリフレインされる。
草原,盗賊との戦闘,システィナとの出会い,初めての食事,契
約,街での出来事,沐浴場,そして⋮蛍さん。
あぁ俺はこの世界で生きていく。生きていてもいいんだ⋮蛍さん
やシスティナ達と死ぬまで生きていく。
﹁起きたかソウジロウ﹂
﹁うん,おはよう蛍さん﹂
裸の蛍さんが俺の胸に顔をうずめる様に寄り添いながら声をかけ
てくる。
妙に頭がすっきりしている。胸の奥にずっとわだかまっていたも
のが解消されたような気がする。気持ちが軽い。まるで憑き物が落
ちたようだ。脱童貞というのはそれほどまでの偉業なのだろう。俺
は大きな金字塔を打ち建てたのだ。
﹁おはようございますご主人様﹂
﹁うん,おはようシスティナ﹂
システィナは肌着を着ているが蛍さんと同じように俺の右胸に顔
をうずめる様に寄り添っている。
両脇に感じるこの温もりと柔らかさが俺に全能感を与えてくれる。
158
だがこれだけは言っておかねばなるまい。
﹁蛍さん,ごめん!﹂ きょとんとした顔で俺を見た蛍さんがくすくすと笑いを漏らす。
﹁何をいまさらお互い承知の上であったろうに﹂
﹁そうだけど,でも本当はもっとこう甘い感じの初体験を⋮﹂
﹁いや,私はあれで良かったぞ。本当のソウジロウを感じることが
出来たからな。そういう感じのやつは今晩にでもシスティナにして
やれ﹂
はっとしてシスティナに視線を向けると顔を赤くして小さく頷い
ている。
くっ⋮いっそ今晩と言わず今からでもいい。俺の佩刀は今も抜身
のままだ。
﹁さて⋮余韻に浸るのはこの辺にしておくぞソウジロウ。明日の塔
探索に備えて準備をするのだろう﹂
﹁はい﹂
俺のリビドーの高まりを察知したのか絶妙のタイミングで間を外
した蛍さんがすっと立ち上がって鞘を着物に変化させる。早着替え
の専門家もびっくりだ。
﹁ご主人様があまりにも気持ちよさそうにお休みだったので⋮﹂
﹁大分日が高くなって来ておる。早く動かねばな﹂
そんなに寝てたのか。確かに窓から差し込む陽射しもやや強めだ。
159
﹁ご主人様,着替えはこちらに﹂
いつの間にか衣服を着こんだシスティナが綺麗に畳まれた俺の服
を差し出してくる。
﹁ありがとう﹂
流石にここまで外堀を埋められたら逃げられない。諦めて動くこ
とにする。
大人になった息子をこっちの世界の下着︵ゴムの代わりに腰紐を
結ぶトランクス型︶を履き,上衣とズボンを身に付け桜ちゃんを佩
刀する。
もちろんシスティナ手製の腰の重りとパワーアンクルを装備する
のも忘れない。
﹁お待たせ。じゃあ行こう﹂
二人を連れて宿を出るとシスティナが最初に行きたいところがあ
るというのでついていくことにする。
﹁この街の神殿に寄って昨日の馬車の売却代金を送って貰います﹂
﹁そっか。結構な金額だと思うけど大丈夫なの?﹂
大金を預けた相手がそれを持ち逃げするなんていうのはよくある
話である。ましてこの世界には都市間をまたぐ警察組織も科学捜査
もない。賞金を懸けて犯人を捕縛,もしくは殺害できても預けたお
金は戻ってこないだろう。
﹁ふふふ,こんな時にこそ侍祭の﹃契約﹄の見せどころです﹂
160
﹁それではよろしいですね﹂
﹁はい,侍祭様。私が責任をもって契約を果たします﹂
﹁では契約書に署名を﹂
﹁はい﹂
﹁結構です。では⋮﹃侍祭システィナの名の下にこの契約は成立し
た。契約を遂行する限り恩恵を与え,契約を破りし時は罰を与える﹄
﹂
﹁ではお願いいたします﹂
神殿に着いたシスティナはその神殿を統括する司祭長に自分が元
々所属していた神殿名を伝え侍祭契約をしたことを報告し,輸送業
務をお願いしたい旨を伝えた。
司祭長はそれを受け,訓練中の神官兵や出入りの業者に声をかけ
希望者を募った。その結果神官兵2名と商人が1名名乗りを上げた
がシスティナは面談の結果神官兵の1人を選んだ。
神殿の神官兵は神官の修行をする傍ら戦うための訓練をしている
者達である。そして修行の一環として外部からの依頼を受けること
がある。
今回のような輸送業務等は都市間を移動するため,道中の危険に
対応することや外を旅すること自体のいい訓練になるので人気のあ
る依頼らしい。
この街の神殿はさほど大きい訳ではないため希望者は2名だった
が大きな神殿では訓練中の神官兵全てが名乗りを上げてもおかしく
ないとのこと。しかも今回は侍祭からの依頼であり﹃契約﹄付きで
ある。
バフ
これは侍祭の﹃契約﹄のスキルで依頼内容を契約することで依頼
の遂行業務中契約者に継続的な支援効果を与え依頼の成功率を高め
161
る。その反面契約に違反した時はペナルティが与えられる。
契約を交わした以上はこの罰は避けることができないらしくどこ
にいて何をしようとも罰が下されるのであえて破ろうとする者はま
ずいないとのこと。
ペナルティの内容は依頼の内容と違反の程度によって変わるよう
だが最も重いペナルティではそれこそ死んでしまう可能性もあるら
しい。
今回の目的地は俺が見た立て看板の反対側ザチルの塔方面に向か
い最初に着いた街からちょっと逸れた所にある貴族の領地であり片
道10日程の道のり。
日当として1500マール×12日分×往復。成功報酬として2
万マールを先払いで支払った。日当分は余裕を持たせて支払。
うまく旅をして短縮した日程でこなしたとしても返金は不要,但
し何らかの事情で日数が多くかかっても追加の支払はなし。もとも
と500マールもあればそこそこ良い宿に泊まれるのだから日当と
しては十分な額を支払っており上手くやりくりすれば報酬額の一部
とすることも出来るだろう。
報酬は馬車の売却代金ではなく,俺たちの財布から出した。シス
ティナが﹁それはいけません!﹂と抵抗していたが俺も蛍さんも譲
らなかった。
俺たちが悪い訳ではないが結果としてシスティナを横取りしたよ
うな形になったことのけじめをつけたかったのである。ただの自己
満足だけど﹁それでいい﹂と蛍さんは笑ってくれたので間違っては
いないはずだ。
﹁ありがとうございました。ソウジロウ様。これで事の顛末を書い
162
た手紙とお金を旦那様と奥方様のご子息に届けることが出来ます﹂
システィナはどこか安堵したような吐息を漏らし頭を下げた。
両親が死んだという知らせを受けたその子はきっと傷つき悲しい思
いをするだろう。
送られてきたお金も素直に受け取らないかもしれない。それどこ
ろか1人生き残ったシスティナを逆恨みするかもしれない。だがお
そらくシスティナはそんなことはわかっているような気がする。
それでも残された家族がこれから迎えるであろう気持ちだけでは
乗り越えられない問題を解決するために絶対に必要になるお金を少
しでも多く届けてあげたかったのだろう。
出来れば遺族がシスティナの気持ちを汲んでくれれば良いと願わ
ずにはいられない。
﹁よし!じゃあ最初はどこから行こうか。武器屋?防具屋?道具屋
?﹂
﹁ではまずは武器屋から行きましょう。いくら防御を固めても魔物
を屠れなければ意味がありません。それに少々の怪我なら私が治し
てあげられます﹂
システィナが不適な笑みを浮かべる。どうやらシスティナは防御
より攻撃を重んじるタイプのようだ。侍祭のスキル的には防御重視
な気がするのだが,自分の思い通りに力を行使できなかった頃の反
動だろうか。
ただ行き先についてはどうこう言うつもりはない。システィナの
案内に従って武器屋へと向かう。
﹁そういえばシスティナは回復術を使えるんだよね。それって魔法
なの?﹂
﹁そうですね﹃魔法でも﹄あります。回復術というのは治療技術と
163
回復魔法が使えないと覚えられませんから﹂
なるほど。つまり地球で言う医者的な知識と技術を持った上で更
に回復魔法が使える人の上位スキルが回復術になるということか。
多分だけど普通の回復魔法だけよりも効果が高いんだろう。
この世界の医学知識がどの程度のものなのかはわからないがある
程度人体の仕組みを理解している人が使う回復魔法の方が確かに効
きがよさそうだ。
﹁魔法か⋮俺にも使えるようになるかな?﹂
せっかく魔法の概念がある世界に来たのだからやっぱり魔法は使
ってみたい。火をだしたり雷を出したりして魔物を倒すとか燃える。
地球では厨二病だと馬鹿にされるだろうが現実に魔法がある世界な
らそんなことにはならない。
﹁どうでしょう。魔力は大小はありますが誰にでもあります。自身
の魔力をちゃんと感じることが出来るようになれば訓練次第で何か
しらの魔法が使えるようになる可能性はあると思います﹂ ﹁マジで!是非教えて!﹂
﹁いいですよ。今晩からちょっと練習してみましょうか﹂
くぅ∼オラわくわくしてきたぞ!
かめ〇め波を素で打てる日がくるかもしれない。あれは魔法じゃ
なく気か。
そんなことを言ってる間に武器屋に着き入り口をくぐる。
﹁おおぉ!これは凄い﹂
店内は正面にカウンターを構え店内の壁にはずらりと多種多様な
164
武器が飾られている。地球の知識に近い形の武器も多く,剣だけで
もエストック,バスターソード,クレイモア,ブロードソード,レ
イピア,タルワール等々。
その他にも短剣類,弓類,槌などの打撃武器,槍などの長柄武器
も一通り揃っている。
この世界では誰もが武器を所持しているため武器の需要が高い。
そのため武器に関してはかなり技術が進んでいるようだ。だが⋮
﹁刀がないね⋮﹂
﹁そうだな。いわゆる日本の刀工と呼ばれるような者はいないのだ
ろうな﹂
日本刀を打つには繊細な作業工程を20近くこなす必要がありそ
の工程の一つ一つに精錬された技術がなければ名刀は産まれない。
日本刀という技術体系が確立した日本はそれだけで奇跡なのかも
しれない。
﹁システィナは武器は何を使う予定?﹂
﹁そうですね⋮実はソウジロウ様と従属契約をしたおかげでかなり
の恩恵を受けていますので多少重い武器でも扱えそうです。バトル
アックス辺りを使ってみようかと﹂
システィナはにこりと微笑むと迷わず壁に掛けられていたバトル
アックスを手に取った。
バトルアックスは柄の長さが120㎝,刃が30㎝程の合計15
0㎝程もある大型の武器だ。システィナの身長から考えても明らか
にオーバーサイズでずっしりと重そうだがシスティナはそれを苦に
している感じはない。
刃はよく研ぎ澄まされていて斬れ味は良さそうである。更にこの
アックスはメインとなる刃の反対側にある鉤の部分が本来のバトル
165
アックスは小さな刃になっているのにハンマーのように打撃が出来
るようになっている。斬ってよし叩いてよしの武器なのだろう。
﹃武具鑑定﹄
﹃アックスハンマー ランク: F 錬成値 11 技能 : 力補正︵微︶ ﹄ おっと,バトルアックスじゃなくてまんまアックスハンマーだっ
たか。
それにしても刀じゃなくても技能付きの武器ってあるのか⋮盗賊達
が持ってた武器が最高でもGランクだったことを考えればスキル付
きでFランクは悪くないかもしれない。
﹁結構いい武器みたいだ。Fランクで力補正の技能が付いてる﹂
﹁あ,武具鑑定ですね。では私はこれを使わせてもらっていいでし
ょうか﹂
﹁システィナがいいならもちろんいいよ﹂
﹁はい。ありがとうございます。すいませんソウジロウ様より先に
私が選んでしまって﹂
﹁素材とかは気にしなくて良いの?﹂
意外と即決傾向が強いシスティナに一応聞いてみる。この世界に
は地球には無かったレアな鉱物とかがある可能性もある。
システィナは俺の質問にやや声を落とす。
﹁この位の街では特殊な金属で作成された武器を扱うことはあまり
ありません﹂
陳列されている武器を検分しながらシスティナが武器の素材につ
166
いて教えてくれた。
基本的に出回っている武器のほとんどは地球で使われているよう
な青銅や鉄,鋼を用いて作成される。高い硬度と魔力適正のある鉱
物もあるらしくそれらは﹃魔材﹄と呼ばれる。 その中で細かく分けていくと魔銅,魔鉄,魔鋼,魔銀,魔金などが
あり,どれも凄く高いらしい。 仮に刀身全部に魔材を使うような武器を買うとすると一番安い魔
銅製のものでも50万から100万マールはするとのこと。日本円
だと500万円以上である。
それよりは普通の武器に魔石を組み込んだ武器の方が安いらしい。
何が違うのかというと魔材はそれ自体がまずかなりの硬度がある
上に魔力を込めることが出来るため様々な効果を持たせた武器が作
成出来る。
魔石の場合は魔石自体の力を武器に組み込むだけなので魔石自体
が持つ能力に固定されその大小や属性に縛られた能力しか発揮でき
ない。
しかも力を使い切れば魔石を交換しなくてはならないらしい。
魔材を扱うのは﹃魔工技師﹄,魔石を武器と融合するのは﹃魔道
具技師﹄という職でどちらも複数の職の経験を積まないとなれない
職で数が絶対的に少ない。そのためどこでも引っ張りだこになり大
概はもっとも需要が多い塔が所在する街に店舗を構える。
だからいくら塔への転送陣があるとはいえこの街では置いてない
可能性が高いとのこと。
一応システィナのアックスハンマーは一般の鍛冶素材の中では最
も高価な鋼製のもので作成した人の技量も悪くないらしい。
お値段もそれなりにして値札には6万2千マールと記載されてい
る。
167
﹁なるほどねぇ。どっちにしろ今の俺たちじゃ手が出ない代物みた
いだし,分不相応ってやつだね。いつかはそんなのも持てたらいい
ねってことにしとこう﹂
﹁ふふふ,そうですね﹂
﹁あ!﹂
無骨なアックスハンマーを持ちながら可愛らしく笑うシスティナ
の向こうに目にとまったものに思わず声が漏れる。
片っ端から﹃武具鑑定﹄をかけまくっていた俺の脳裏に﹃E﹄の
文字がよぎった。えっとどれだっけ⋮あった。
﹃バスターソード ランク: E 錬成値 27 技能 : 重力操作︵微︶ 斬補正︵微︶﹄ 目に入ったのは壁掛けの見栄えの良い武器ではなく売り場スペー
スの片隅に置かれた壺の中に適当に放り込まれていた何本もの剣の
内の一本だった。 この店に飾られている武器はどんなに見栄えが良くて値段が高い
ものでもほとんどGランク以下だったことを考えればEランク武器
は店売りの中ではかなりのレアだと思う。
なんでこんな壺の中で1本1万マールの大安売りされているのだ
ろう。
壺の中から手に取って抜いてみる。
長さは刃体の長さが110㎝くらいで幅広で厚めの刀身の両脇に
刃がついている。
﹁ソウジロウ様,何かありましたか?﹂
システィナが俺が何かを見つけたことを察してか小声で聞いてく
168
る。
﹁これEランクで技能が2つ付いてるのに1万マールなんだ。なん
でだろう﹂
﹁多分普通の方は﹃鑑定﹄や﹃武具鑑定﹄が使えないからだと思い
ます。ソウジロウ様のような技能がない人は今までの経験と知識だ
けで判断するしかありませんから﹂
確かにそう言われて改めてバスターソードを見ると微妙に刀身に
傷がついていたり,刃がちょっと欠けている部分もあった。
中古品ということなのだろう。技能も︵微︶というくらいだから
前所有者も効果に気が付かなくても仕方がない。だが俺の魔剣師の
職ならこの剣を育てることでこの効果も大きくすることが出来るか
もしれない。
﹁よし。俺はこれにする。蛍さんよりはちょっと長くて重いし,重
心のバランスも違うけど低重力対策にも良さそうだ﹂
﹁よかろう﹂
蛍さんの了解も得たのでシスティナのアックスハンマーと俺のバ
スターソードに合わせて7万マールを支払い店を出る。2千マール
はシスティナが交渉して値引きしてもらった。交渉術スキルは使っ
ていない。
俺の剣の鞘はサービスでつけて貰ったので左腰に剣を右腰に桜ち
ゃんを佩刀する。
これから二刀流を目指すのでこうしておけば2本の武器を一度に
引き抜けると思ったからだ。
システィナは持ち歩きについて店主と相談し,幅広の革紐を貰っ
ていた。その紐の両端を柄に取り付けることでその部分を肩にかけ
て持ち歩くことにしたようだ。塔に入る際は革紐を外して持ち歩く
169
予定らしい。
﹁ソウジロウ様お買いになった武器は装備しておいてください﹂
﹁え?装備したけど?﹂
ちゃんと腰に下げたので装備は出来ているはずなのだが,何かお
かしいのだろうか。
﹁きちんと所有者登録をしないと武器は本来の性能を発揮できませ
ん﹂
そういうとシスティナは肩に掛けたアックスハンマーを手にした。
﹁武器を手に取り自分の武器だという認識を持って宣言してくださ
い。﹃装備﹄﹂
一瞬アックスハンマーが淡い光を放つ。
﹁これだけですが装備をしておけば武器は手に馴染むようになりま
すし扱いやすさが全然違います。性能もわずかながら増すというこ
とも確認されています。
どうなっているのかは私にも分かりませんが試しに鑑定してみて
ください﹂
なるほど,確かに盗賊たちの武器には所有者の名前が表示されて
いた。武器の持ち主の登録というのはこの世界では常識なのだろう。
﹃武具鑑定﹄
﹃アックスハンマー ランク: F 錬成値 11 170
技能 : 力補正︵弱︶
所有者: システィナ ﹄
﹁あ,技能の効果が少し良くなってる。もしかして装備したら斧が
少し軽く感じるようになったりした?﹂
﹁はい﹂
﹁へぇ,面白いね。武器との絆が強いんだねこの世界は﹂
﹁だからこそ私や桜もこのような能力を得られるのやもしれんな﹂
﹁あ,そうだ。蛍さんの能力で思い出したんだけど蛍さんの技能に
﹃武具修復﹄ってあったよね﹂
﹁あったな﹂
﹁それこの剣に使ってあげてくれるかな。このままじゃこの子も可
愛そうだから﹂
腰に差したバスターソードを抜いて蛍さんに渡す。
﹁ふむ⋮確かに手入れも杜撰で大分傷んでいるな。まあ,任せてお
け﹃武具修復﹄﹂
蛍さんがバスターソードに手をかざしてスキルを使う。
蛍丸の名前の由来にはある一つの伝説がある。
南北朝時代の武将阿蘇惟澄が実戦で使用した際,激しい戦いの中
で刀が刃こぼれしてしまった。しかしその夜,刀に蛍が群がって刀
を直すという夢を見る。
そして,翌朝目が覚めて見てみると本当に刀が直っていたという
伝説である。蛍さんの名前の由来はそこから来ている。
蛍さんの﹃武具修復﹄のスキルもその辺から来ているのかもしれ
ない。
171
蛍さんの手の平辺りから小さな光の玉が無数に出現するとふわふ
わと漂いながらバスターソードの刀身を覆っていく。
その光景はまさに伝説の通り。蛍さんはやっぱり凄い。
時間にすれば僅か10秒程だったが光の消えた後には細かい傷は
そのままだが刃こぼれが消え剣としての機能を十全に取り戻したバ
スターソードがあった。
﹁うむ,悪くない剣だ。しっかりソウジロウを助けてやってくれ﹂
蛍さんはバスターソードにそう声をかけると俺に剣を返してくる。
﹁ありがとう蛍さん。これからよろしく頼むな相棒﹃装備﹄﹂
手に持った剣一瞬光に包まれるとグリップがひゅっと手に吸い付
くように変化した気がする。
あぁ,分かる。これが装備するってっことか⋮装備しないと性能
を発揮出来ないというシスティナの言葉がやってみるとよく理解で
きる。
﹃武具鑑定﹄
﹃バスターソード ランク: E 錬成値 27 技能 : 重力操作︵微︶ 斬補正︵弱︶
所有者: 富士宮総司狼﹄
﹁うん,ちょっと技能が上がってる﹂
﹁すまぬがソウジロウ。ちょっと私の鑑定もしてみて貰えぬか?﹂
﹁え!⋮それはもちろん構わないけど,どうしたの蛍さん。なんか
調子悪いとか﹂
172
もしかしてやっぱり昨日激しすぎてなんかあったんじゃないかと
不安になってしまう。そんなことになったらきっと俺は不能になる
自信がある。
﹁ふ,心配するなソウジロウ。その逆だ。今朝から妙に身体が軽い。
些か調子が良すぎる気がしてな﹂
﹁よかったぁ,びっくりさせないでよ。じゃあ鑑定するよ﹃武具鑑
定﹄﹂
昨日の件が原因による不調ではないらしいので安心してスキルを
使った俺の表情が一瞬で固まる。ちょっと待って⋮何でいきなりこ
んなことに?
﹁どうしたソウジロウ﹂
﹁⋮うん,何でかは分からないんだけど蛍さんのランクが上がって
全体的に凄い強化されてる﹂
蛍さんの鑑定結果が俺の脳裏に浮かんでいる。
﹃蛍丸 ランク: S++ 錬成値︵最大︶ 吸精値 2
技能 : 共感 意思疎通 擬人化 気配察知+ 殺気
感知+
刀術 身体強化︵人化時︶+ 攻撃補正+ 武具
修復 光魔法﹄
ランクが上がってS++になって技能のパッシブ系のスキルが軒
並み+になっている。
この辺は今回の蛍さんの謎強化をふまえての俺の予想では﹁なし
↓︵微︶↓︵弱︶↓︵強︶↓﹃+﹄﹂という感じで上がっていくの
173
ではないかと思っている。
そして吸精値が2⋮どういうことだろう?
詳しいデータを蛍さんとシスティナに伝え意見を求めてみる。
﹁なるほどのう。そういうことか⋮﹂
﹁吸精値というのはそういうことだったのですね,でもそれはなん
というか⋮凄い能力ですね﹂
2人は瞬く間に答えに行きついたようだがシスティナの顔が赤い
のは何故だろう。
﹁え,どういうこと?﹂
俺の問いかけに何故わからないのかと蛍さんが苦笑する。
﹁そんなもの誰でも分かるであろ。昨日までなんともなかった私が
今朝になってランクアップしていた理由など1つしかないではない
か﹂
﹁今になって思えば吸﹃精﹄値という名前からも想定出来て然るべ
きでしたね﹂
﹁あ﹂
2人の言葉にさすがの俺でも分かった。
﹁つまり俺のあれが蛍さんのあれにあれしたから?﹂
蛍さんが笑いながら頷く。
﹁それしかなかろうな。現在の吸精値とやらが2なのはおそらく一
174
周したからではないか﹂
﹁き,昨日は激しかったですからね﹂
つまり昨日のあれで蛍さんの吸精値が100まで上がってランク
アップ。そして余りが2になった。そういうことか⋮
ということは俺の魔剣師としての育成能力の1つは人化した魔剣
たちとヤればヤるほど吸精値が上がってランクアップが出来るって
ことか。おお!なんて素敵な能力だ。
これからも強化の名目で何度でも蛍さんと出来るってことじゃん。
そうするともう1つの錬成値の方は戦って経験値を稼ぐか,素材を
使って鍛えるかそんな感じか。
﹁あれ?でもそうしたらなんで桜ちゃんの吸精値がこんなに高いん
だ?﹂
﹃⋮﹄
桜ちゃんの気持ちが伝わってくる。なんだか物凄い後悔でこっち
も悲しくなる。
あ,そうか⋮桜ちゃんは俺の身体に刺さって致死量の血を浴びて
たんだ。だからか。
と言ってもそのやり方はここではやりたくない。輸血も出来ない
だろうし傷口からの病気も怖い。決してあれをしたいからではない。
175
ランクアップ︵後書き︶
次の次の話くらいからやっと塔での戦闘に入れそうですW
176
準備完了︵前書き︶
累計8000越えました。ありがとうございます。更新は不定期で
すが今後もよろしくお願いします。
177
準備完了
﹁まあよい。その辺はおいおい検証していくとしよう。システィナ
次はどこだ﹂
﹁はい。次は防具を見に行きましょう。すぐそこです﹂
システィナの案内に従ってちょっと歩くと鎧のマークの看板がす
ぐに目に入る。武器屋と比べて店が随分と小さく見えるのはこの世
界における武器の性質のせいだろうか。
身分証明すら兼ねる武器と比べて防具は﹃装備﹄すら出来ないと
いうことなのでただ身に付け防御力を上げるだけの物らしい。
つまり普通は戦闘行為なんかしない一般の人達にも需要がある武
器と違って防具は戦闘行為を前提とした人達にしか需要がないのだ。
店内に入ると中はブティックのような装いだった。だがもちろん
地球の店とは違う。
マネキンの代わりに木の骨組み,洋服の代わりにプレートメイル。
ハンガーで吊るされたおしゃれな上着の代わりに皮や革を使ったジ
ャケット型の防具。棚には折りたたまれたシャツなどの代わりに兜
や,帽子,籠手などが並べられている。
﹁いろいろあるなぁ⋮何を装備するのがいいんだろう。システィナ
は自分の装備について考えていることはある?﹂
﹁そうですね⋮私もこれを振り回す以上はあまり動きが阻害される
ものは好ましくないです﹂
システィナはさほど広くない店内を歩きながら商品を確認してい
く。ついでに俺も﹃武具鑑定﹄を使ってみる。
178
﹃プレートメイル
ランク: G 技能: なし﹄
あれ?なんか項目が少ない。武器と防具で鑑定結果に差があるの
か。錬成値が出ないのは俺の魔剣師の職じゃ防具を鍛えることが出
来ないってことなんだろう。
技能の有無が分かるだけで十分役に立つからまあいいか。
﹁ソウジロウ様。私は胸当てと籠手,後は脚絆を頂ければ。特に良
い物である必要はありません。ソウジロウ様の防具を先に揃えた後
に適当な物をご準備頂ければ助かります﹂
﹁胴と腕と脚か⋮蛍さん,俺もそんな感じかな?﹂
﹁そうじゃのう⋮確かに動きにくい防具はお前には合わんだろう。
それよりも動きやすさを重視し歩法と体術で攻撃を受けないように
することが必要だな。
そういう意味ではシスティナと同様の装備は適切やもしれんな﹂
重すぎない胴防御と武器を持つための手を守る籠手。後は俺の生
命線として鍛える予定の脚を守る脚絆か。
﹁頭部はいらない?﹂
﹁そうですね⋮あればもちろん良いのですが,兜などは視界を狭め
ますし帽子では防御力に不安が残ります。それならば防具をあてに
しないように頭部には防具をつけない方がいいと思います。
もちろん重装備で戦われる方などには必須だと思いますがソウジ
ロウ様も私もそういう感じで戦う姿は想像できません﹂
﹁確かに﹂
179
全身鎧を着て斧を振り回すシスティナを想像出来ない訳ではない
が,いくら契約の恩恵を受けているとは言ってもシスティナの力で
はそこまでの装備は無理だろう。ただでさえ武器にかなりの重量を
取られている。
それに俺がやっていたゲームなんかとは違って,体中に装備した
防具の防御力が全身に適用されるわけでもないだろう。
詳しく言えば頭,胴,腕,脚,アクセサリ全部合わせて防御力1
00だからどこで攻撃を受けても防御力100が適用されるゲーム
とは違い現実では自分の身を守ってくれるのは攻撃された箇所に装
備してた防具の防御力だけということだ。
腕にどんなに良い装備を身に付けていても脚に攻撃を受けたらあ
っさりとダメージを受ける。当たり前過ぎる。
﹁よし,じゃあそんな感じで探してみるか﹂
結局防具やでは技能付きの装備は1つも見つけられなかった。ま
ぁ,武器屋で2つも見つけられただけでも幸運だったと思う。本当
はもう1つ見つけていたのだがうちのメンバーには使いづらい武器
だったのと資産に余裕がない今,購入は控えるしかなかった。
ていうか多節根とか使いこなせないでしょ。どっかのリーさんだ
ってヌンチャクまでで多節根は難しいに決まっている。
ということで技能等はついていないしランクも全てGだったがシ
スティナに皮の胴着に鋼の胸当てがついた胸甲。肘まである手甲。
そして脛までを覆う脚絆,これらはいずれも鋼を使っているので若
干重いがシスティナが大丈夫とのことなので購入。胸甲が1万2千,
手甲が2万,脚絆が1万5千マールだった。
金属の量的にはどれもたいして変わらないが加工の難易度で値段
に差が出たらしい。確かに関節部とかの加工は難しいだろうし,手
180
甲なんて指まで通せるようになっていたのだから妥当な値段なのだ
ろう。
俺の方は重力対策としてちょうどいいということで重みのある鋼
製の鎖帷子を身に付けた。更にその上から大きめの皮のコートを羽
織る。
腕には鋼の籠手,これは指を通さず二の腕と手首の辺りで皮のベ
ルトで留めるものだ。蛍さんの指示で刀を握る手には余計な異物を
挟まない方がいいと言われたためこれにした。
脚についても身のこなしが完全に身に着くまでは動きやすい物が
よいとのことで防御力についてはひとまず妥協して革製の脚絆を選
択した。
お値段は鎖帷子が2万1千。コートが3千2百,籠手が1万7千,
革の脚絆が6千5百。
合計ではシスティナが4万7千,俺が5万1千7百で9万8千7
百マール。ここでもシスティナの値引き交渉が上手くいったので9
万5千マールになった。ここまでで既に手持ちの資金は3分の1に
まで減っているのでこうしてシスティナが少しずつでも値引きを成
立させてくれるのはありがたい。
﹁初期の装備にしてはかなり良い物が揃えられたと思います。きち
んと手入れをすればしばらく装備の更新はしなくても大丈夫だと思
います﹂
﹁なるほど,じゃあ装備はこれでいいとして後は何が必要?﹂
﹁そうですね⋮傷薬等の道具は一通り持っておいた方がいいと思い
ます。後は水筒と携帯食料ですね。一応今回は入街税のための義務
としての塔探索ですからそんなに長時間入るつもりはないですけど
何があるか分からないのが塔だと聞きますので最低限の準備はして
おいた方がいいと思います﹂
181
システィナの言う通りだろう。迷宮やダンジョンに長時間潜って
喉も渇かない,お腹も減らないというのはゲームの世界だけだ。
システィナが意識を失うような怪我すれば回復出来る人が居なく
なるし,道に迷えば長い時間塔内を彷徨い飢えと渇きに苦しむかも
しれない。
ここはしっかりと準備をしておこう。
ということでシスティナに案内されて着いたのは薬屋。ここでシ
スティナは傷薬を5つと毒消し薬を3つ購入した。傷薬が1つ30
0マール,毒消し薬が1つ500マールだったので全部で3000
マールだった。
その時に気付いたのだが俺たちは買った物を持ち運べるような物
を何一つ持ってなかったのである。3人もいて1人くらい気づけよ
って感じだが,なんだかんだでみんな初めての塔探索に浮ついてい
るのかもしれない。
どちらにしろ塔で倒した魔物のドロップを収納する物も必要なの
で次の道具屋で見繕うことにする。
買った薬は薬屋のおばちゃんが小さな巾着に入れてくれたので助
かった。おかげで値引き交渉をし損ねたとシスティナは笑っていた。
何気にシスティナは値引き交渉が好きらしい。
﹁さてソウジロウ様,ここでちょっと今後の方針も含めて相談です﹂
道具屋の前で振り向くシスティナ。
﹁なに?﹂
﹁これからも塔に入り続けるかどうか,いずれは塔討伐を目指すの
かどうかです。それによってどんな水筒を買うかが変わってきます﹂
﹁どういうこと?水筒なんてなんでも一緒じゃないの﹂
﹁それが一緒じゃないんです。まず水というのは持ち歩くと重いで
182
すし嵩張ります﹂
﹁うん分かる﹂
﹁その前提で水を持ち運べる物にはいくつか種類があります。
1つは水袋。防水性のある革の袋でただ水を運ぶだけです。﹂
なんか異世界っぽいありがちな感じだ。
﹁2つ目は普通の水筒。これはある程度温度を保持することが出来
ます﹂
おお!つまりは魔法瓶ってことかまぁここでは文字通り﹃魔法﹄
瓶なのかもしれないけど。
﹁これら2つの特徴は入れた分の水だけを持ち運ぶということです。
ですが最後の1つは違います。昨日の沐浴場を覚えていますか?﹂
沐浴場?⋮あ!
﹁水の魔石か!﹂
﹁そうです。水筒に小さな水の魔石を組み込んで常に水を補給し続
けられる水筒があります。もちろんそれなりの値段がするのですが⋮
これからも恒常的に塔に入って討伐を目指すのなら長時間潜り続
けることもあるので大量の水を持ち運ぶ必要のないこの水筒が必須
です﹂
なるほど長く潜ればその分必要な水も増える。だがそんなに大量
の水を持ち歩くのは大変だ。だが,水を出し続ける水の魔石があれ
ば水を大量に持ち運ぶ必要はなくなる。
﹁蛍さん﹂
183
﹁そうじゃな我らがこの世界で手っ取り早く稼ぐには塔とやらに入
るのがいいのだろうな﹂
﹁はい,わかりました。ではそこは妥協せずに行きましょう﹂
システィナと店内に入ると雑多な商品が所狭しと並べられていた。
イメージ的には日本のホームセンターに近いか。もちろんそんなに
広くはないが。
システィナはずんずんと奥に入って行くと道具屋のカウンターに
座っていた結構綺麗なお姉さんに話しかけた。
﹁すいません。水筒が欲しいのですが﹂
﹁いらっしゃいませ。水筒ならその右手の奥にございます﹂
﹁いえ,その水筒ではなく水魔石を使用した水筒が欲しいんです﹂
お姉さんはちょっと驚いた顔をしたが,俺たち3人の装備を見て
何かを納得したのか少々お待ちくださいと断って店の奥へ消えた。
﹁魔石入りの商品は高価なので棚売りはしないんです﹂
システィナが説明してくれる。万引きされたらたまったもんじゃ
ないってことか。万引きGメンとかいなさそうだし監視カメラもな
いから防犯としては正しい。
﹁お待たせいたしました﹂
お姉さんは腕の中に大小さまざまな水筒を4つほど抱えて戻って
きた。
﹁こちらが一番大きい物です。多少重くなりますが常に容量を多く
保てますので複数名のパーティの方によく使用されます。また調理
184
をする際に使用しても余裕があります﹂
2リットルのペットボトルくらいの水筒をカウンターに置きなが
らお姉さんが説明してくれた。確かにそのサイズなら6人パーティ
とかでがぶ飲みしても不足はなさそうだ。
﹁こちらがその1つ下のサイズです。容量は減りますが少し軽くな
りますのでこちらを購入される方は結構多いですね﹂
大体1.5リットルのペットボトルサイズか。それでも1.5キ
ロだからな⋮持ち歩くには嵩張るし重い気がする。
﹁こちらが更に1つ下ですね。この位になるとかなり携帯にも便利
になってきますので1パーティに2本と言うような使われ方もしま
す。片方が壊れたりした時なんかの予備にもなりますし﹂
これが大体1リットルペットだな。この辺が妥当だろうか⋮でも
どうせ水はこんこんと湧き出る訳だから一度に大量の水を使う予定
がなければそんなに大容量は必要ない気がするな。
﹁そしてこれが一番小さい物ですね。この辺だと各自1つずつ持っ
てらっしゃるパーティも多いですね。人が口をつけたものを嫌がる
種族もいますし﹂
で,これが500ミリリットルペットのサイズか。俺ならシステ
ィナとの間接キスはむしろ望むところなのだがあまりそれを主張す
るのも嫌われそうで怖い。
ここは脱童貞の大人の男の余裕を見せるときだろう。
﹁システィナ。あまり大きすぎても動きにくくなるだろうからこの
185
一番小さい物をそれぞれで持つのがいいんじゃないか?﹂
﹁ソウジロウ。私の分はいらぬぞ。もともと必ずしも必要ではない
しな。欲しいときはどちらかに貰えばよい﹂
﹁わかりました。では,こちらの一番小さいサイズのものを2つく
ださい。それともう少し店内を見て回りたいのでお会計はその時に
まとめてお願いいたします﹂
﹁承知いたしました。それでは終わりましたら声をおかけください﹂
その後俺たちは店内を回り俺とシスティナ用に斜め掛けのリュッ
クサックを2つ。蛍さんはごてごて身につけたくないということで
帯に引っ掛けて使うからとポーチのような物を1つ購入することに
した。
それと携帯食料セットと簡易調理セットも購入する。携帯食料セ
ットは干し肉やドライフルーツのような日持ちのするものと塩など
の調味料を少量組み合わせた物で簡易調理セットは折りたためる小
型の鍋やフライパン,簡易コンロ,固形燃料,火打石を一揃いにし
た物だ。
それらをまとめてカウンターに持って行き水筒と一緒に購入する。
水筒が3万マール×2,リュックが200マール×2,ポーチが
100マール。食料セットが100マール×2,調理セットが50
0マール。合計で6万1200マールだったが単価の高い水筒をシ
スティナが交渉で1000マールずつ値引き交渉してくれたので5
万9千200マールを支払って俺たちは店を出た。
﹁これで大体準備は大丈夫だと思います。宿に戻りましょう﹂
動き出しが遅かった上に結構いろんな店を回ったので大分陽も沈
みかけていたからタイミングとしてもちょうど良かっただろう。
それにしても今日は慌ただしく動いてしまったため朝から何も食
186
べていないのでかなり空腹だった。早く帰って何かを食べたいとこ
ろである。
187
準備完了︵後書き︶
塔へ行くまでにもう1話かかりそうです⋮やっぱ侍祭様とのアレも
ちゃんとしてあげないとですよね。
188
魔法無能力者かつ懲りない男︵前書き︶
累計10000万PV到達です。少しずつでも増えていて嬉しいで
す。
189
魔法無能力者かつ懲りない男
宿に戻ると夕食をここで摂ることにして沐浴場の券と鍵を受け取
った。
まず購入した装備やアイテムを部屋に行って置いてから食堂へと
向かう。
﹁あ∼お腹すいたぁ﹂
﹁ふふふ,すいませんでした。つい買物に夢中になってしまって⋮
途中で何か食べればよかったですね﹂
﹁いいよいいよ。今まで行ったことないような店ばっかりで面白か
ったからね。本当は買い物が終わるまで空腹に気が付かなかったん
だ﹂
3人でテーブルに座り今日の定食を3つ注文する。もちろん蛍さ
んは今日も飲んでいる。蒸留酒系はすでに制覇してしまったらしく
今日はエール系に挑戦しているようだ。
今日のメニューも基本的にはサラダ,スープ,メイン,パンであ
る。
今日のメインは骨付きの何かの焼き肉だった。相変わらず何の肉
かは全く分からないが取りあえずうまければ問題ない。
なんとか米が食べたいところだが,システィナのスキルでも﹃米﹄
﹃ライス﹄という言葉は反応しなかったらしいので何か呼び名が違
うのかもしれない。
システィナに聞いてみたがずっと神殿で修行していて料理の修行
以外は粗食だったシスティナは知らなかった。いずれもっと大きな
街にでも行って調べてみようと思っている。これも風呂と同じよう
に将来的な目標だ。
190
腹が満たされたので昨日と同じように着替えて沐浴場に向かう。
ところが,昨日より時間が早かったせいか部屋が2つしか空いて
なかった。まあどうせすぐ空くだろうし女性陣より俺の方が早く終
わるだろうからここは先に2人に譲るべきだろう。
﹁蛍さん,システィナお先にどうぞ﹂
﹁よろしいのですかソウジロウ様﹂
﹁うん。どうせすぐ空くしね﹂
﹁ふん,何を言っておるソウジロウ。そんなもの2人一緒に入れば
良いではないか﹂
え?
﹁さあ,行くぞソウジロウ﹂
そう言って俺の手を引っ張る蛍さんに抵抗できないまま部屋に押
し込まれる。
﹁ちょ!ちょっと待って蛍さん!無理して2人で入らなくても⋮え
?﹂
振り返った先には現状を認識できないままきょとんとした顔をし
ているシスティナがいた。
﹁あ∼⋮とりあえず出るね﹂
別にここで焦らなくても後で⋮おっと顔がエロくなった。既に童
貞を卒業した俺はがっつかない男に生まれ変わっている。この程度
の誘惑では動揺しないのだ。
191
俺は努めて平静を装いながらシスティナの脇を抜けようとすると
システィナが頬を染めて俯きながら一歩下がって扉を塞ぐ。
カチャ
﹁へ?﹂
あれ?なんでシスティナさんは後ろ手で鍵しめたの。
﹁あの⋮お背中流しますので先に行っててくれますか?﹂
ぐは!相変わらずシスティナは破壊力抜群だ。開けっ広げな蛍さ
んもいいけどやっぱり恥じらう乙女はいい。
これに抵抗など出来る訳ない。名誉ある無条件降伏だ。潔く脱い
でタオル1枚と桜ちゃんを持って先に行く。
桜ちゃんを棚に置き既にシチュエーションだけで暴発寸前なマイ
サンをなだめながらたらいに水を貯めつつ待つ。
まもなくすると扉が開いてシスティナが入ってくる。思わず振り
向くとシスティナは2枚のタオルを胸と腰に無理やり巻いてタオル
ビキニ姿だった。
いや,そんなタオルであなたの双子山は隠しきれませんから。
完全に長さの足りないタオルをむりやり巻いたせいで押しつぶさ
れた胸肉がタオルの上と下からエロくはみ出している。
腰のタオルも一応大事な部分は見えていないがそれもギリギリで
かえって淫靡に見えてしまっている。おそらく後ろを向けばお尻も
ほぼ丸見えだろう。
﹁では背中お拭きしますね。こちらにお掛けしてください﹂
脇に置いてあった木の椅子を差し出してくるので素直に座る。水
192
を貯めたタライを右手に見る位置だ。
﹁では失礼します﹂
システィナの白い手がタライに伸びタオルを濡らすのが視界の端
に見える。そういう夜のお店には高校生だった俺はもちろん行った
ことはない。だが悪友達が仕入れた雑誌や知り合いの知識は十分得
ているため妄想ばかりが膨らんでしまう。
ひやりとする感触と共にシスティナが背中を拭いてくれる。強す
ぎず弱すぎず絶妙の力加減でとても気持ちがいい。さらに順繰りに
首や手も拭いてくれた。
﹁ああ気持ちいいなぁ。ありがとう。拭くの上手だね﹂
﹁ふふふ,それは良かったです﹂
﹁前の方は自分で拭くよ。タオル貸して﹂
流石のシスティナも前面部分や脚は後ろからじゃ拭けないだろう
からここは引き継ぐべきだろう。
﹁だ,大丈夫です﹂
ぽよん
という音が確かに聞こえた。
システィナが後ろから手を回して俺の胸や腹を拭いてくれている。
だが手の長さに余裕がないため俺に身体を押しつけることになり双
子山が俺の背中にジャストフィットしているのだ。
いい!背中の感触だけでも分かる。これは蛍さんと比べても甲乙
つけがたい高品質のオパーイだということが。
193
だが俺はもう暴走はしないと誓った。今の状況はいわば前菜,メ
インディッシュは宿に帰ってからだ。
そしてメインディッシュの前にはスープが出るものだ。
﹁ありがとうシスティナ。じゃあ今度は俺が背中を流すから変わろ
う﹂
﹁え!い,いえご主人様にそんなことさせられません﹂
﹁いいからいいから﹂
﹁でも﹂
﹁いいからいいから﹂
﹁恥ずかし⋮﹂
﹁いいからいいから﹂
﹁何言っても﹂
﹁無駄無駄無駄無駄無駄無駄ぁぁぁぁ﹂
﹁⋮お願いします﹂
そして俺はかの名峰双子山の入った極上のスープをこの両手で余
すところなく堪能した。メインディッシュになればタオル越しでは
ない。楽しみだ。
その後はいくらか互いに緊張も解け,お互いの髪を洗ってあげた
りしながら楽しい沐浴を済ませ2人で仲良く休憩場へ戻ると蛍さん
が待ちくたびれたのか休憩場で売っているお酒を飲みながら待って
いた。
﹁ふん,緊張は解けたようじゃな。お互いに意識しすぎると失敗す
るものらしいからなどうやって緊張を解いてやろうかと思っていた
んじゃがちょうど良かったの﹂
結論。蛍さんには適わない。
194
宿に帰った俺たちは寝るにはまだ少し時間が早かったため,シス
ティナの魔法講座を受けることにした。
ぶっちゃけすぐにでもベッドインしたい気持ちはあったが沐浴場
で一応少し堪能してたこともありまだ余裕はある。だがそれよりも
何よりもやはり魔法が使えるかもしれないというのは魅力的だった。
﹁魔法というのは体内を巡る魔力を体外に排出しそれにイメージを
付与して現象化することです﹂
﹁イメージを付与?それってイメージさえ出来ればなんでも出来る
ってことになるのかな﹂
システィナの説明から抱いた疑問を素直にぶつけてみるとシステ
ィナは小さく首を横に振った。
﹁残念ながらなんでもという訳にはいかないというのが学説です﹂
だろうな。なんでも出来るなら﹃〇〇魔法﹄みたいに系統分けさ
れたスキルにはならないはずでただ単に﹃魔法﹄スキルでいいはず
だ。俺は黙って先を促す。
﹁魔力を現象化させるほどのイメージ力を本来人は持ちえないので
す。ですから系統化という枠組みが必要なのです﹂
﹁ふむ,つまり物理法則などに反するという無意識を覆せないのだ
な。だから﹃回復魔法﹄や﹃光魔法﹄などという系統の中なら﹃出
来る﹄という﹃常識﹄の手助けが必要だということか﹂
う∼ん,さっぱり蛍さんの言っている意味が分からない。だがシ
スティナは驚いた表情で蛍さんを見ている。
195
﹁驚きました。これだけの説明でそこまで理解した人は初めてです。
現にご主人様は全く分かっていませんし﹂
悪かったな。頭悪くて⋮これでも成績は悪くなかったんだぞ。
﹁つまり⋮こういうことか﹂
俺の密かなへこみに誰も気が付かないまま蛍さんは右手の平を上
に向けると拳大の光を掌の上に生み出して天井へと放り投げた。
光の玉は部屋中を優しく照らしながら天井に張り付きそのまま定
着する。
﹁凄い⋮蛍光灯なみの明るさだ﹂
いくらスキルとして発現してるからってあまりにもあっさりと魔
法を使って見せる蛍さんていったい。
﹁まあもともと私は魔力とやらを使っているのだろうよ。だからこ
そ本来は無機物なはずの私が常識を無視して話したり動いたり出来
るのではないか﹂
﹁⋮なるほど。あるかもしれませんね。理論上は強固なイメージ力
さえあれば⋮﹂
﹁違うよ。何言ってんの2人とも?
蛍さんはずっと蛍さんだったよ。喋れるようになる前からずっと
伝わってた。あそこにいた子たちはみんな,みんな心があったんだ
から﹂
﹁⋮ソウジロウ。よく分かってないのになんとなく気分で反論した
な?﹂
なんだか分かんないがムカついたので言ってやった。後悔はない。
196
蛍さんが苦笑しているが知るもんか。今の蛍さんがいるのは蛍さん
が蛍さんだからであって魔力とか関係ない。自分でもなに言ってる
んだかよくわからんがそれこそ知らん。
﹁ふふふ,だが気持ちは嬉しい。ありがとうソウジロウ﹂
﹁そうですね。そんなことはどうでもいいことでした。蛍さんが蛍
さんとしてここにいてくれることだけが全てですから﹂
その後もう一度詳しく魔法の概念を説明されたのだがやっぱりよ
く分からなかった。2人が一生懸命に噛み砕いて教えてくれたこと
はこうだ。
魔法はイメージで使う。だが人間は常識的にあり得ないことをあ
ると信じきれない。
﹃何もないところで思い通りに火を操る﹄というのは本来ならあり
得ないことだ。だから魔力を使って火を出そうとしても固定観念が
邪魔をして強固なイメージが出来ない。
だが﹃火属性魔法のスキルは特訓すれば火を自在に操れる﹄とい
う認識が世界の常識として定着すると,あり得ないと思っていた常
識の枠が火属性魔法の枠の中でだけ無くなるためイメージ力が強化
されるらしい。
まあなんとなくそんな感じで理解した理論の下,今度は魔力を体
外に出す練習をする。
﹁駄目ですね﹂
﹁だめじゃな﹂
197
完全に匙を投げられました。乙。
﹁魔力がない訳じゃないんです。むしろ普通の方よりも多い方だと
思うのですが⋮それを扱う能力が決定的に欠けてます﹂
﹁まったく魔力が反応しないからのう﹂
あう⋮俺の厨二病への憧れはここに潰えたというのか。
﹁勿体ないですね。これだけの魔力があるのに﹂
﹁まあ出来ぬものは仕方あるまい。もともと無かったものじゃ。構
わんだろうよソウジロウ﹂
潰えたらしい。確かにその通りだけど⋮その通りなんだけど,口
惜しい!一度でいいから魔法を使ってみたかったっす。
﹁さあソウジロウ。あまり女を待たせるものではないぞ。そろそろ
寝るとしよう﹂
蛍さんの明かりが明るすぎたのとシスティナの魔法講座に夢中に
なっていたため思ったより時間が経っていたらしい。
蛍さんが軽く指を鳴らすと天井の光が消える。っていうか今夜の
魔法講座だけで蛍さんの魔法習熟度が半端ない。
俺のチートがない代わりになのか蛍さんがチート化していくよう
な気がする。
﹁私は刀に戻っているからな﹂
蛍さんは1人でどんどん話を進めて,さっさと蛍丸に戻ってテー
ブルの上に横たわった。 198
こうなると残された2人は気まずい感じに⋮⋮ならなかった。
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
薄暗くなった室内であまりの展開の速さにきょとんとして見つめ
合った俺たちはどちらからともなく⋮
﹁﹁ぷっ⋮くくくく﹂﹂
こみ上げる笑いをこらえきれなかったのだ。ひとしきり笑った後
呼吸を整えた俺はすっと立ち上がるとシスティナに向かって手を差
し出した。
﹁システィナ﹂
﹁はい﹂
システィナが俺の手を取る。その手を強く引いてシスティナを自
分の腕の中へと納めると少しきつめに抱きしめた。
﹁システィナとは会って間もないけど⋮﹂
﹁ご主人様。分かってますから。そして,私がわかってるってこと
もご主人様は分かってますよね﹂
俺の言葉を遮ったシスティナが胸の中で微笑えんだのが感触で分
かる。
﹁ご主人様だって私が契約があるからだなんて⋮﹂
﹁思ってない!﹂
あ,気づけば俺もシスティナの言葉を反射的に遮っていた。
199
小さく笑いながらやっぱりと呟いたシスティナが俺を見上げてい
る。俺も微笑みを返しシスティナと見つめあう。そして磁石が引き
合うようにキスをしてそのままベッドに倒れ込んだ。
とにかく素晴らしいひと時だったとだけ言っておこう。
ことを終えて満ち足りた気分でいると寄り添うように隣で寝てい
たシスティナが身じろぎをする。
﹁ごめん,起こしちゃった?﹂
﹁ふふふ,寝てませんよ。こんなに幸せな気分なのに寝ちゃうなん
てもったいないですから﹂
﹁⋮なるほど﹂
妙に納得したので頷くとふと気が付いた。蛍さんは元が刀だから
気にしなくてもいいと思うけどシスティナは⋮
﹁何も考えずにしちゃったけど⋮あの,大丈夫かな﹂
なんか責任のとれない男の弱気な発言みたいでかっこ悪いが仕方
ない。これから塔での戦いをしていく上で妊婦さんを連れていく訳
にはいかない。
﹁大丈夫です。伊達に房中術を会得してるわけじゃありませんから。
避妊はお任せ下さい﹂
なにそれ房中術すげー!近藤さんいらずじゃないですか。
俺が感動しているとシスティナがよじ登ってきて俺の耳元に囁く。
200
﹁だからたくさん愛してくださいね﹂
そんな可愛いこと言われて戦わない奴は男じゃない。望むところ
である。俺はシスティナに覆いかぶさっていった。
更に素晴らしいひと時だったと言っておく。
2回戦を終え,今度はさすがに疲れ果てて意識を失ったシスティ
ナを幸せな気持ちで眺めつつ荒い息を整えているとシスティナの房
中術スキルが頭に浮かび,またしてもふと思いついた。スキルと言
えば俺のスキルでまだ効果が分かってないのがあった。
俺のスキルは
技能: 言語 読解 簡易鑑定 武具鑑定 手入れ 添加錬成 精
気錬成 特殊技能: 魔精変換
の8つ。そのうち言語,読解,簡易鑑定,武具鑑定は既に使用し
ている。
手入れも武器のメンテナンスを自分で出来たので問題ないだろう。
精気錬成はきっと蛍さんのランクが上がったことから見れば俺の精
気で武器を強くすることが出来るスキルで間違いない。
となると添加錬成は武器に何かを加えて強化をするのだろう。
残りはユニークスキルの魔精変換。こうなってくると文字からみ
てもなんとなく効果は想像できるが実際に試してみるのが一番早い。
﹃魔精変換﹄
頭の中でスキルを発動してみた。そうするとなんとなく﹃どのく
201
らい?﹄と聞かれている気がしたのでテストだし﹃全部﹄と回答し
ていた。
う⋮おぉ!その途端身体の中に満ちていた何かが蠢くのが分かる。
さっきまで全く感じ取れなかったが多分これが魔力。これを意図的
に操って体外に導けるようになればおそらく俺にも魔法が使えるの
だろう。
なんとか制御できないかと意識を集中してみるがやっぱり俺の中
の魔力は俺には従わないらしい。それどころか俺の魔力はまるで吸
い込まれるように,いや!実際に俺のエクスカリバーが魔力を吸い
取っている。
お,おおおぉぉ!俺のエクスカリバーが凄まじいことになってる。
マイサンを見ようと視線を下に向けると隣で静かな寝息を立てる
システィナの双子山が目に入る。
くぅ!やばい⋮性欲が抑えきれない。初めてなのに精一杯俺を受
け入れてくれたシスティナだが今日はさすがにこれ以上はやりすぎ
だ。
頭では分かっている。分かっているのに身体が勝手に動く。いつ
の間にか俺の手が双子山を揉みしだいている。
﹁んっ,はぁ⋮﹂
システィナはまだ目を覚まさないが身体は感じてしまっているの
か甘い声を漏らし,その声に俺の理性がまた少し失われていく。
﹁あんっ!ご主人様⋮もう﹂
くう可愛すぎる!だ,だめだ。もう抑えきれない。暴走する!
ゴン!
202
﹁だからよせというに!ほんとに懲りない男だのう﹂
い,いたひ⋮だがおかげで一瞬我を取り戻せた。しかし俺のエク
スカリバーは斬れ味を増す一方で抑えきれそうにない。何も考えず
に魔精変換を﹃全変換﹄で使ってしまった。人よりも多い魔力を全
部精力に変換したらそりゃこうもなる。これはもっと変換量を考え
て使わなきゃいけないスキルだった。
﹁ほ,蛍さん⋮﹂
﹁ええい!情けない顔をするな。さすがにシスティナにこれ以上無
理はさせられぬ。私がなんとかしてやる﹂
結局俺のマイサンは明け方まで眠ることはなく,また蛍さんに謝
罪をすることになった。
203
魔法無能力者かつ懲りない男︵後書き︶
閲覧ありがとうございます。ご意見,ご感想,誤字脱字のご指摘な
どお待ちしています。
204
探索者︵前書き︶
累計13000PVありがとうございます。
205
探索者
﹁今後は使い方をよく考えるのだぞソウジロウ﹂
﹁はい⋮すいません。迂闊でした﹂
﹁私も地震かと思って起きたら⋮あんな感じだったのでそんなに私
じゃ駄目だったのかと思ってちょっと泣きそうになりました﹂
﹁ぜっっっったいそんなことありません。またお願いします。とい
うか捨てないでください﹂
結局あの後,文字通り精根尽き果てた俺が意識を失うまで蛍さん
が相手をしてくれたのだが目が覚めたあとはずっと2人からちくち
くといじめられていた。
だが迂闊だったのは間違いないので着替えや装備や道具の確認し
ている最中も,宿を出て転送陣に向かう最中も続く2人の口撃を甘
んじて受けていた。なんだかんだ言っても昨日はシスティナも蛍さ
んも最高に気持ちよかったのでそれでも収支はプラスだ。
﹁蛍さんそろそろ許してあげてはいかがでしょう﹂
﹁ふ,システィナよ。ソウジロウは反省はしていても後悔はしてな
いぞ。許すも何もこうして我らに小言を言われることなどさして堪
えておらんよ﹂
く!さすがは蛍さん。全てお見通しだ。
﹁いや!でも,本当に反省はしてるから。今度からはちゃんと状況
にあわせて適切に技能を使うことにする﹂
﹁まあよかろう。それよりも前回よりも激しかった割に今回はあま
り吸精値は上がっていなかったな﹂
206
朝起きて,蛍さんに促されて武具鑑定をしたが蛍さんの吸精値は
2↓15に上がっただけだった。
﹁おそらくは1つランクが上がる度に上がりにくくはなるのだろう
な﹂
﹁蛍さんは既に神器級ですから。これからはそう簡単にはいかない
かもしれませんね﹂
﹁多分だが私とソウジロウが共に初めてだったことも無関係ではな
い気がするが⋮まぁもう検証も出来んし気にすることはなかろう。
それでもいずれはまた上がることもあろう﹂
﹁そういえば宿の方は大丈夫なの?﹂
﹁はい,一応今日は塔に長居するつもりはありませんが最長3日間
の継続契約にしておきました﹂
システィナの説明によると塔に入るような人たちは塔で命を落と
すこともあるため宿代等を先払いしないらしい。だが当然生きて戻
るつもりなので宿は確保しておきたい。
そこで考えられたのが日数指定の継続契約である。
これは部屋に残された荷物を担保として契約した日数までは部屋
をキープしておいてくれるという契約である。
お金は戻ってきた時に不在にしてた分まで一緒に払えば,そこか
らまた既定日数分契約が延長されるらしい。
つまりこれから3日間俺たちが宿に帰れないと部屋に置いてある
短ラン,ボンタンや各種着替えやタオル。部屋に保証金として置い
てきた銀貨数枚を宿は取得することが出来る訳だ。
俺たちは今日宿に帰った時には1泊分の代金を払えばいい。戻り
が明日になってしまった場合は2泊分を払えばその日からまた3日
207
間部屋をキープしておいてもらえる。
﹁あ,ここが転送陣のようです﹂
転送陣は領主の館のすぐ隣の建物の中にあるようだ。やはり貴重
な物らしく建物の警備は厳重にされている。当時の領主が街の存亡
をかけて設置したものなのだから当然と言えば当然だろう。
入り口に武装した兵士が2人立っておりその脇には詰所のような
小さな小屋がありその中にも2名ほどが詰めているようだ。
﹁侍祭のシスティナと申します。塔へ行きますので転送陣をお借り
したいのですが﹂
﹁話は聞いている。せいぜいこの街のために稼いでくるんだな﹂
システィナが入り口の兵士に声をかけると門番の兵士から連絡は
いっていたらしくすんなりと通してくれはしたが兵士の態度が悪い。
別に嫌われるようなことはしてないはずだが。
﹁塔探索者は街にとっては塔でのドロップ品を売ってくれたり,そ
のお金を街で使ってくれたりするので街にとってはありがたい人達
なのですがなまじ能力があるために乱暴な行動を取る輩も多いのが
現実です﹂
﹁街を守る兵士としては気持ちは複雑なのか⋮﹂
入り口を入ると小部屋になっており突き当たりの大きな扉の前に
カウンターが設置されている。このカウンターちょっと変わった形
をしていて扉の正面部分には酒場の入り口のような木戸がついてお
り,その両脇にこちら側と扉側に向いて背中合わせに女性職員が2
人ずつ座っていた。見た目のイメージは遊園地なんかの入場口に近
い。
208
更に室内を見回すと壁際にもう一つカウンターがあり,そちらは
中年のおっさんが座っている。カウンターに掛けられた札から見る
に魔石の買取所のようだ。
とりあえず今は魔石なんて持っていないので転送陣があるだろうと
思われる大扉の方のカウンターに向かった。
﹁いらっしゃいませ。こちらの転送陣のご利用は初めてですか?よ
ろしければご説明させていただきます﹂
﹁よろしくお願いします﹂
ここの建物の受付嬢の制服なのかカウンター内にいるお姉さん達
はみんな同じ服を着ている。誰の趣味なのか受付嬢は例外なく豊満
な胸の所持者なうえに胸元を広く開けた制服なので深淵なる谷間に
視線が吸い込まれそうになってしまう。
その視線に気がついた受付のお姉さんがにっこりと微笑む。くっ,
完全にバレテーラ。
さらにその笑顔でシスティナも俺が何を見ていたのかに気がつい
たらしく冷たい視線を向けられてしまった。
﹁はい。こちらの転送陣は湖上都市レイトークに繋がっています。
レイトークへの片道のご利用にはお一人様1000マールを頂きま
す。
レイトークの塔への探索に入られてこの街にお戻りになる場合は
預かり金としてやはりお一人様1000マールを預からせて頂きこ
ちらの木札をお渡しします。
こちらは塔探索終了後こちらにお戻りの際にあちらの買取所で魔
石を1つ以上お売り頂ければこの木札も1000マールで買い取ら
せて頂きます﹂
なるほど塔に行くからと言われてただ通したのでは帰って来なか
209
ったときに転送陣の使われ損になってしまうからその辺を考えたル
ールなのだろう。
木札の買取ルールも塔から帰ってきた人から魔石を確実に販売し
てもらえる様にするためには有効な方法だろう。
ただあんまりにも相場より安く買い叩かれるようだと預かり金を
没収されてでも他で魔石を売る人が出る気がするが良いのだろうか。
﹁相場については数日に一度,ミカレアとレイトーク双方の魔石買
取の値段を調査してますので適正な価格で買取させて頂いておりま
す﹂
やっぱりその辺は考えてたようだ。だからといって高く買ってく
れる店が無いわけではないのだろうがいちいち探し回るのも面倒だ
し,領主の覚えもよくなる可能性もあるのでここで売ってしまえと
なる探索者は多いだろう。
﹁わかりました。私たちは塔探索の後この街に戻ってくる予定です
ので手続きをお願いいたします﹂
﹁承知しました。それでは3名様ですので3000マールをお預か
りいたします﹂
システィナは受付嬢に大銀貨3枚を支払う。
﹁はい,確かに。ではこちらの木札を3枚お持ちください。街に戻
られたら魔石と共にあちらへ提出をお願いいたします﹂
システィナは木札を受け取るとそれを蛍さんのポシェットに入れ
て貰っていた。俺たちのリュックには水筒やら食料やらが詰め込ま
れているので破損させたりしないためには荷物の少ない蛍さんに管
理を頼むのはありだろう。
210
﹁それではご案内いたします。⋮っと少々お待ちください。あちら
からの帰還があるようです﹂
こちらをと対応していた受付嬢が背後の受付嬢から何事か囁かれ
て頭を下げた。
それと同時に目の前の大扉が開く。
﹁いやあ今回はやばかったである!﹂
﹁なに言ってんのよ。あんたが無理して上層に突っ込むからじゃな
い。あんたのエゴに私らを巻き込まないで!﹂
﹁だな。次は無茶しても助けに行かないぜ。可愛い娘ちゃんなら速
攻助けるけどな﹂
﹁ん﹂
出てきたのは4人組のパーティだ。
先頭には背中に大剣を背負った大男。明らかに前陣特攻タイプの
肉弾ファイターだろう。
その後ろに2人,長いローブを纏ったなかなかの美人。ただし目
元がきつい,一緒にいても癒されなそうだ。長い杖を手に持ってい
るから魔法主体なんだろう。
その隣には軽薄そうな色男。身軽な装備だから素早さ重視の攪乱
系かな。正面からは武器は見えないがきっと短剣とかを使って背後
からサクッといくに違いない。
その後ろに先頭の大男よりさらに巨漢がいた。フルプレートに身
を包み大盾を背にしている。タンクとして優秀そうだ。
あれ,そう言えば簡易鑑定を人に使うとどうなるんだろう。武器
ばっかり鑑定して試してなかった。﹃簡易鑑定﹄
211
﹃アレクセイ 業 5
年齢: 32
職 : 近接格闘師﹄
簡易鑑定だとスキル関係は全く見えないようだが名前や年齢職業
は分かるらしい。業も見えるから悪人かどうかもだいたい分かるっ
てことか。
職は近接格闘師か⋮多分接近戦ならなんでも出来るんだろうな。
あの大剣の攻撃範囲だと近接かどうかは微妙な気はするけどわざわ
12
ざ装備してるくらいだから効果範囲なんだろう。
﹃リーラ・ブロイス 業
年齢: 22
職 : 打撃砲術師﹄
うん。意味が分からない。見た目はまんま魔法使いなのに打撃と
20
砲術?一体何をする人なんだ前衛なのか後衛なのかすらわからん。
﹃ガルラ・ゴルラ 業
年齢: 26
職 : 軽薄士﹄
⋮この職でどうやって塔で戦ってたんだろう。スキルは必ずしも
職に関するものだけが得られる訳ではないみたいだからきっと戦闘
向けのスキルを持っているはず。
って言うか俺も戦闘向けのスキルは一個もなかったんだっけ。個
人の戦闘力は必ずしも職で決まる訳じゃなくて本人の能力による部
−8
分も大きいってことか。
﹃リュミエル 業
212
年齢: 15 種族:小巨人族 職 : 神官見習い﹄
う∼ん,このパーティの突っ込みどころの多さをどうしたらいい
のか。あんなでっかいおっさんがまだ15歳だっていうのも驚きだ
し,あれだけの重装備をしておきながら神官見習いで後衛職とか。 それに種族が違うのは良いが小さいのか大きいのかはっきりして
くれと言いたい。
﹁がはははは!そう言うな。なんだかんだ言っても20層を攻略し
て全員無事だったではないか!﹂
﹁生きてりゃいいってもんじゃ無いのよ馬鹿!私にはこの美貌があ
るんだからそこそこ稼いで名を売ったらいい男捕まえて贅沢して暮
らしたいのよ。
死にそうな目にあうような探索はもうごめんよ!﹂
﹁同感だな。俺には俺を待ってる女達が星の数程いるんだがらな﹂
﹁ん﹂
賑やかなパーティだな。あまり関わりにならない方がよさそうだ。
﹁20階層ってのは凄いの?﹂
﹁確かレイトークの塔は﹃選択型﹄の塔ですので20階層を突破出
来るならパーティとしては中堅クラスと言ってもいいと思います﹂
選択型とかよくわからんが20階を突破出来るというのはかなり
の実力者らしい。ならばますます絡まれたくない。
﹁お!可愛い娘ちゃんに色っぽいお姉さん発見!﹂
と思っていたのに軽薄士の野郎がシスティナと蛍さんを見つけて
213
にやけた顔で近づいて来る。
﹁美しいお嬢さん達。この運命の出会いを祝して食事をご馳走させ
て頂きたいのですがいかが?﹂
なるほど軽薄だ。ただのナンパ野郎とも言う。
﹁せっかくのお誘いですがお断りします。私たちはこれからレイト
ークへ赴く予定ですので﹂
システィナがニコリともせずきっぱりと断りを入れる。
﹁おお!そうでしたか。その装備なら目的は塔ですね。塔は危険で
す。お嬢さん達だけでは何があるかわかりませんので私が護衛につ
いて行きましょう﹂
いらないし。俺もいるし。こいつ意図的に俺を見えないくんにし
てやがる。業が20もある時点で下心ありすぎなのがバレバレだっ
つぅの。
﹁いえ,必要ありません。では失礼します。参りましょう﹃ソウジ
ロウ様﹄﹂
システィナがわざと俺の名前を強調した。俺を無視した態度にか
ちんときたらしい。愛されてるなぁ。
おお,ようやく俺に気付いた。ていうか本当に見えてなかったの
か。
﹁ふん,こんなひょろっとした奴は塔ではすぐ死んでしまいますよ。
悪いことは言いませんから私と組みましょう﹂
214
ぞくっ やばい。蛍さんから殺気が漏れてきた。大分お怒りだ。ガルラと
やら,悪いことは言わないから早く逃げろ。
﹁ガルラ!いつまでも無駄なナンパしてないで早く来な!あんたの
分け前なくしちまうよ!﹂
﹁ちっ,落ちる寸前だったのにあのあばずれ﹂
え⋮今の流れのどの辺で2人が落ちると思ったんだこいつ。
﹁残念ですが私の仲間たちが私を失いたくないと焦ってるようです
ので今回は諦めます。次回お会いした時には必ずお二人に安全な塔
探索をお約束しますよ。では﹂
本人的には去り際の微笑みに星を散らしたつもりなんだろうが俺
から見れば道化にすら見えない。ただの勘違い野郎だった。へ!命
拾いしたな。
﹁面倒な相手ですね⋮二度と会わないように拠点を変えた方がいい
かもしれませんね﹂
﹁賛成じゃ。今日の探索が終わったらさっそく相談するべきじゃな﹂
2人ともよっぽど嫌だったらしい。これは間違いなく拠点を移る
ことになりそうだ。この世界に来て初めての街だし,2人と初めて
した街でもあるのでもう少しいてもいいかと思ってたんだが,初め
て会った塔探索者があんなのだったというのはついてないというべ
きなんだろう。
215
﹁じゃあ行こうか﹂
2人を促して大扉へと向かう。
﹁それでは中に入って陣の中央に入ったら陣に魔力を流してくださ
い。魔力が扱えない場合は職員が代行いたしますが銀貨1枚頂きま
す﹂
﹁分かりました。魔力に関しては問題ありませんので﹂
﹁そうですか。ではご武運をお祈りいたします侍祭様﹂
案内された部屋の中は12畳程の正方形の部屋の中,床一面に目
一杯複雑な模様で魔法陣が刻まれている。異世界情緒たっぷりであ
る。
職員が扉の中へ俺たちを残し扉を閉めていく。
﹁あんたちょっと待ちなさいよ!これだけの魔石がそんな値段な訳
ないじゃない。ちゃんと査定したの?﹂
﹁がはははははは!﹂
﹁ん﹂
﹁受付のお姉様。相変わらず素敵な胸ですね。その胸で傷心の私を
慰めてくれませんか﹂
扉が閉まる直前まであいつらの声が聞こえてきてうんざりとした
気分になった。
﹁さ,ソウジロウ。気を取り直して行くぞ﹂
﹁りょ∼かい﹂
﹁ふふふ,では行きますねソウジロウ様。転移後の混乱を防ぐため
レイトーク側も同じような部屋になっています。ただあの扉の上に
ある紋章だけが変わりますので紋章が変わるまでは陣から出ないよ
216
うにお願いします﹂
システィナが指差した場所には,ミカレアの街を表すのだろう三
重丸と森と草原をイメージした紋章があったのでそれをしっかりと
覚えて頷く。
﹁では行きますね﹂
システィナの声と共に足元の魔法陣の模様に光が走る。そして全
ての模様に光が通ると同時に陣から湧き上がった光に俺たちは包ま
れるのだった。
217
探索者︵後書き︶
すいません。塔内まで辿りつきませんでした。次回更新で本当に塔
に行けると思います。
※ ご意見・ご感想・レビュー・評価・誤字脱字のご指摘等、随時
受け付けてます ので忌憚ないご意見をお待ちしております。
218
GO TO 塔︵前書き︶
累計16000PVありがとうございます。
219
GO TO 塔
光から解放されるて目を慣らしながら周囲を見回すとさっきとな
にも変わってないように見える。
ただシスティナに言われていた扉の上の紋章だけが湖と塔をイメ
ージしたものに変わっていた。
確かにいきなり砂漠から草原に飛ぶような転移は脳が混乱しそう
だが,見た目同じ場所に飛ばされてから紋章をきっかけにゆっくり
と転移したことを実感する方が混乱は少ない気がする。
﹁お2人共気持ち悪かったりしませんか?転移に慣れてないと気分
を悪くされる方もいらっしゃるのですが﹂
転移酔いか。車酔い,船酔い,3D酔い等々の酔いには無縁だっ
たから俺は大丈夫そうだな。
﹁俺は大丈夫﹂
﹁私も問題ないな﹂
﹁わかりました。じゃあ行きましょう﹂
システィナが開けてくれた大扉を通り外に出るとミカレアと同じ
ようなカウンターが設置された部屋があったがミカレアには塔が無
いためこちらには魔石の買取所がない。
おそらくもっと塔に近い場所とかにあるのだろう。
ここには特に用事はないためカウンターのお姉さんたちに軽く会
釈をして建物を出た。
220
﹁ほう⋮まさしく湖上都市じゃの﹂
建物を出ると蛍さんが思わずそうこぼすほどの景色が広がってい
た。
この建物自体が街の外側の高い位置に建っていたのだがそこから
見回した景色の第一印象は﹃青﹄だった。
このレイトークの街は言ってみれば湖に浮かぶひょうたん島だっ
た。日本の琵琶湖もびっくりというような大きな湖の中にある瓢箪
型の島。
そして,その湖の水は日本のどの湖よりも青く綺麗だった。
瓢箪の小さい方の膨らみ部分に平べったい3階建てくらいの建造物
があり,大きい膨らみ部分に街並みが作られている。
瓢箪の底の部分から湖の外までは僅かな距離しかなくそこは木造
の橋で繋がれている。
俺たちが出てきたのは底の部分にほど近いところの街の外縁部だ
った。
﹁あそこに見える平べったい建造物が﹃塔﹄です﹂
﹁どう見ても3階建て程度だが先ほどの奴らが言っていた20層と
いうのは20階という意味ではないのかえ﹂
﹁いえ,間違いありません。ちょっと離れた場所に出ましたので歩
きながら﹃塔﹄について説明しますね﹂
どうもミカレアの転送陣は予算の関係で塔に近い部分には設置出
来なかったらしくかなり不便な位置に設置されているようだ。
その分転送代等は安めに設定されていたり宿の値段等の滞在費が
安く設定されているので長期的にレイトークで稼ぎたいが手持ちが
少ない人のベッドタウンとしての位置付けになっているらしい。
塔へと向かいながらシスティナは語る。
221
﹁﹃塔﹄は見た目通りのものではありません﹂
システィナが教えてくれた塔についての知識をまとめるとこんな
感じだった。
・塔内は一種の異次元空間のようなものであり,外観の広さや高さ
が内部の構造とは全く一致しない。
・基本的に各階層には主と呼ばれるボスがいて,倒すと次の階層へ
いけるが階層を上がるとそこからは下には戻れず主はすぐにリポッ
プする。
・脱出は各階層の窓から飛び降りれば外に出られる。何階から跳ん
でも30センチほどの落下感で下に着く。
・最後の階層には塔主がいる。倒すと塔は崩壊する。
・塔には型がありそれぞれ﹃選択型﹄・﹃変遷型﹄・﹃対応型﹄で
ある。
・塔は入ると必ず魔物のいない大広間がありそこから扉を開けて先
に進む。
﹃選択型﹄
特徴:
大広間に各階層に繋がる扉がある。1階層は誰でも入れるが2階
層より上はパーティのうちの誰かがその階層をクリアしていないと
その階層には入れない。誰かが新しいフロアを踏破すると次の階層
への扉が大広間に現れる。
222
討伐条件:
上層まで1階層ずつ討伐して行って塔主を倒す。
﹃変遷型﹄
特徴:
1日ごとに内部の構造や魔物の種類,配置,数が変わる。その日
のボスを倒しても次の階層への階段は現れない。
討伐条件:
塔主を倒すことだが塔主のいる階層にいつ繋がるのかは不明。有
力だと言われているのは毎日構成される階層の主を誰が倒してもい
いので最低一回倒し続ける。連続討伐数が増えてくると塔主の階層
が出やすくなると言われている。
﹃対応型﹄
特徴:
別名﹃適塔﹄︵適当に掛けた言葉らしい︶。言われているのはパ
ーティの能力を塔がざっくり鑑定してそれに見合ったランクの敵が
いる階層へと繋ぐとする説でパーティごとに送り込まれる階層が違
う。その鑑定はかなり大雑把らしくたまに全然レベルに見合わない
恐ろしく強い魔物が配置されることがある。
討伐条件:
不明。おそらくその日構成されたフロアから一度も外に出ずに相
当程度のフロアを制覇していくことで最上階に辿り着くと考えられ
ている。
・過去に討伐された主塔は選択型が2つと変遷型が1つの3つであ
る。残りは選択型4つ、変遷型2つ、対応型1つの塔が残されてい
223
る。
・レイトークの塔は選択型。
・主塔・副塔について
魔物を塔内と塔外に生み出し続けているといわれる世界に10本
ある主塔とランダムに生まれ塔内にしか魔物を生み出さない副塔が
ある。
一般的に主塔の力が増してくると副塔が生成されると言われている。
副塔をある一定数放置し続けると新たな主塔が生まれるという説が
あるが,今のところ確認は取れていない。 こんな感じだった。
﹁なんていうか凄いとこだってのはなんとなく分かった﹂
﹁とりあえずは戦いに慣れるまでは選択型に入って行く方が良さそ
うだな。基本的に階層が上がるほど魔物は強くなるのだろう?﹂
﹁そうですね。そう言われてます。
⋮変遷型と対応型は必ずしもそうとは限らないようですが選択型
に関してはほぼ間違いなさそうです﹂
﹁ほぼ?﹂
一瞬言い淀むシスティナ。つまり選択型すら例外があるというこ
とか。
﹁過去に数例,低階層に出てくるはずのない魔物が湧いたことがあ
るそうです。いずれの場合も探索者達に多大な犠牲が出たようです﹂
﹁不思議なものが不思議なことするのは仕方ないよ。やれることを
やっていこう﹂
224
いきなり実の父親に刺されて死ぬことだってあるんだから,塔で
強敵に遭遇して殺されることだってあるだろうさ。
そんなことは気にしたって仕方ない。今度はへましないようにし
っかり殺せばいいだけだ。そのためには強くならなきゃな。
﹁はい。大丈夫ですよ,ソウジロウ様は私が絶対守りますから﹂
﹁うん,俺もシスティナを守れるように頑張るよ﹂
﹁その為には特訓あるのみじゃな﹂
﹁そこはよろしく﹂
﹃⋮⋮﹄
﹁わかってるって。桜ちゃんもよろしく頼むよ﹂
システィナの塔の説明が終わるころ,ようやくレイトークの街中
を抜けた。瓢箪の首の位置だ。
首の位置には隔壁が作成されていて高さ3メートルほどの壁があ
る。その中央に扉があるが扉自体は開け放たれていて両脇に一応兵
士が立ち出入りを管理しているようだ。
ただ,管理していると言っても関所などのような厳しいものでは
ない。むしろ有事の際に塔から街を守るというのが本来の役目らし
くシスティナが塔へ行くと言うとあっさりと通行を許可された。
塔から帰ってくる探索者も基本ノーチェックらしい。
﹁いよいよ来たか﹂
目の前に見えるのは古びた3階建ての塔だった。一段目は正面が
大きくくりぬかれたように大きな入り口があり,無数の探索者が出
入りしてる。
多分あそこがシスティナが言っていた塔に入ると必ずある最初の
大広間なんだろう。
225
そこには各階層への扉があるだけで魔物は出ないらしいからまだ
緊張する必要はないはずなのだがやはり未知の場所ということで心
拍数が上がっている気がする。
一段目は特に窓などもなく奇妙な模様が刻まれた外壁である。2
段目,3段目には窓らしきものが一定間隔であるようだが不思議な
ことにどんなに目を凝らしても中を覗くことが出来なかった。
﹁はい。では行きましょう﹂
入り口から中に入る。
中には想像以上に人がいてざわざわとした雰囲気だ。半分程は武
器を持ち防具を身に付けた探索者達で休憩したり,作戦を立てたり,
臨時のパーティメンバーを探したりしている。
残りの半分は商売をする人達のようだ。薬を売る人,回復魔法を
有償でかける人,魔石を買取る人,武器や防具を売ろうとする人さ
えいる。
ふと,思いついて広間にいる探索者達を﹃簡易鑑定﹄してみた。
ミカレアで見たあいつらの職がレアなのかどうかが気になった。と
りあえず名前はどうでもいいから職関係辺りを片っ端から見てみる。
﹃職:剣士﹄﹃職:神官﹄﹃職:狩人﹄﹃職:農夫﹄﹃職:商人﹄
﹃職:風魔法師﹄﹃職:打撃師﹄ 等々
なるほど,やっぱり職って言えばこういうのだよね。あいつらは
なんだかんだ言っても特殊な部類だったってことか。そういえば流
しちゃったけどいくらか亜人もいた。ぱっと見て目についたのは﹃
犬頭族﹄﹃狐尾族﹄﹃長胴族﹄辺りか。大体種族名がそのまま種の
特徴を表しているらしい。
﹁レイトークの塔へようこそ。こちらの塔へは初めてでしょうか。
226
もしパーティリングをまだお持ちでないようならここで買われてい
く予定はありませんか﹂
俺たちが中の喧騒に動きを止めていたのを初心者故と見抜いたの
か大広間の壁際から大きなアタッシュケースのような鞄を持った男
が近づいてくる。
仕立ての良さそうな衣服に身を包み嫌味じゃない口髭を蓄えたな
かなかのイケメンおじさんだ。
﹃ウィルマーク・ベイス 業 7
年齢 34 職: 行商﹄
業が一桁ならそんなに悪人って訳でもなさそうだしパーティリン
グというのも気になる単語なので話くらいなら聞いてみてもいいか
もしれない。
システィナを見ると一瞬視線が彷徨ったあと俺を見て頷いて来た
のでパーティリングについての知識を確認したのだろう。俺もシス
ティナに頷き返して話を聞くことを了承しておく。
﹁確かに私たちはまだパーティリングを持っていませんが,これか
ら塔に入るには必要かもしれませんね。お話をお伺いいたします﹂
﹁それはありがとうございます。私は行商人のウィルマーク・ベイ
スと申します。ウィルとお呼びください。
それではまずパーティリングの説明をさせていただきます。よく
ご存知でしたら省略いたしますが?﹂
聞いてくるウィルにシスティナは﹁せっかくですのでお願いしま
す﹂と説明を求める。ウィルは﹁承知いたしました﹂と頭を下げる
と持っていた鞄を開けた。
227
﹁こちらがパーティリングと呼ばれる物です﹂
鞄の中に入っていたのは小さな黒い石がはめ込まれその他の部分
にもなかなかの彫金が施された銀色の腕輪だった。鞄の中は何段に
も分かれているらしく,リングが最上段には2個,その下の段には
3個,その下の段には4個と複数個ずつセットで保管されている。
﹁こちらをご覧ください。いずれもこのリングの黒い石同士が引き
合っているのが分かると思います﹂
ウィルが指摘する通り確かに2つの腕輪の石と石がくっついてい
る。
﹁これは1つの重魔石を2つに割って加工したものを腕輪に組み込
んでいます。重魔石は割れても元々の石同士で引き合う性質がある
のです。この性質をパーティリングは利用しています﹂
﹁身に付けておくと何が便利なのですか﹂
﹁大きな利点は2つで御座います。
まず1つはパーティメンバーが全員1つの重魔石から作ったリン
グを付けていれば塔内などではぐれたとしても大体の居場所が分か
ります﹂
腕輪同士が引き合うから引かれる方にメンバーがいることが分か
る訳か。それは確かに便利だな。システィナや蛍さんとはぐれて再
会出来なかったら俺は泣く自信がある。
﹁もう1つは塔の到達層を共有出来るということです﹂
﹁どうゆうことですか?﹂
﹁例えばこのレイトークの塔は﹃選択型﹄です。一度もこの塔に来
228
たことがない方は1階層から順番に攻略していくことになります。
なぜなら到達したことのない階層には入れないからです﹂
大広間の壁には無数の扉がある。一段では足りずに壁際に設置さ
れた階段と通路まで利用して二段目にまで扉が並んでいる。
そしてその扉には1つずつこちらの世界の数字で1から数字が振
られている。この数字が各階層を表しているのだろう。
﹁ところがこのパーティリングを装着したパーティではパーティ内
の誰か1人が到達したことがある階層ならパーティ全員がその階層
に入ることが出来ます。これは腕輪の重魔石が割れていても1つと
して塔に認識されているためだと言われています﹂
1階層から一緒に戦っていたパーティなら特に意味はないが,途
中からその塔に入ったことがないパーティメンバーが増えても1階
層からやり直す必要がないってことか。
﹁これを利用して高階層に入ったことがある探索者を一時的にパー
ティメンバーに加えて高階層へ連れて行って貰うことで低階層を回
避することも出来ます。選択型の塔ではそれで稼いでいる探索者も
います﹂
別に戦わなくても入った経験があればいいんだから高階層に行く
探索者に最初だけ同行させてもらってすぐ離脱。後は入り口で低階
層をショートカットしたい探索者を募ってお金をもらって行きたい
層に連れていく。確かに需要はありそうだ。
﹁システィナ。今後のことを考えたらこれは必要だと思うけどどう
?﹂
﹁そうですね。必需品だと思います﹂
229
﹁そうだな,周りを見回してみてもそこそこの装備をしている者達
は大概装備しているようだ﹂
なるほど。俺たちが装備はそこそこ良いのにパーティリングを持
っていなかったからこの商人に声をかけられた訳か。 ﹁小さな利点も2つあります。
1つは重魔石ははめ込んであるだけで魔力を使っている訳ではない
ので半永久的効果が続くこと。
もう1つは劣化しないためパーティメンバーが増えてリングを買
い替えるときも買値と同程度の値段で売れますから買い替えの負担
が少ないことですね﹂
俺たちのパーティの場合3つに割った重魔石のリングではパーテ
ィメンバーが増えた時に使えなくなってしまうので4つに割った重
魔石のリングに変える必要が出る。その時の下取りの価格が購入金
額とほぼ変わらないというのは確かに利点だ。
﹁欠点としては,魔石を使っているためお値段が高いことです。パ
ーティリングとして機能させるためにはある程度のサイズが必要で
すので割る数が増えれば増えるほど必要とされる魔石のサイズが大
きくなり値段も跳ね上がっていきます﹂
﹁それはそうでしょうね。では3人用だとお幾らになりますか﹂
﹁はい,3人用ですと30万マールになります﹂
300万円!盗賊の懸賞金のほぼ全額か。今の俺たちの所持金じ
ゃちょっと手が出ないな。
﹁残念ですが今はちょっと無理ですね。またの機会にいたします。
よろしいですかソウジロウ様﹂
230
﹁もちろん。無い袖は振れないってことで﹂
お金が貯まったらきっと買おうと心に決め,ウィルに断りを入れ
ると塔の1階層に入れる扉へと向かう。
﹁⋮お待ちください﹂
そこへウィルから静止の声がかけられる。
﹁なんでしょうか?﹂
立ち止まった俺たちに心持ち近づくとウィルは声を潜めてシステ
ィナへと口を開く。
﹁不躾な質問をお許し下さい。失礼ですがもしかして侍祭様でいら
っしゃいますか?﹂
﹁⋮ソウジロウ様﹂
システィナの目線での問いかけをうけて俺は頷く。一応周りに聞
かれないように配慮をする程度の常識はあるらしいのでばれても言
いふらすようなことはないだろう。
そもそも侍祭の身分は隠した方がいいのかどうかも俺には今一つ
分からない。
﹁はい。私は侍祭のシスティナと申します。こちらが私の主である
富士宮総司狼様です﹂
ウィルはやはりという顔をするとあまり目立たぬようにシスティ
ナと俺に対して頭を下げてくる。
231
﹁やはりそうでしたか。これから皆様は3名で塔に挑戦されるので
すか?﹂
﹁そうなります﹂
﹁では,この3名様用のパーティリングを私の方から贈呈させてく
ださい﹂
ウィルは自らの鞄から3つのリングを取り出して差し出してくる。
﹁ちょっと待ってくださいウィル殿。そんな高価なものを頂く訳に
は参りません﹂
﹁わかりました。ではこちらは先行投資ということでいかがでしょ
うか﹂
﹁先行投資⋮ですか?﹂
﹁はい,その代わりと言ってはなんですが今後はほんの少し我がベ
イス商会を御贔屓にして頂けませんでしょうか﹂
ほほう⋮賄賂というやつですかな?お主も悪よのう越後屋。
ていうか俺たちにそんな価値はないと思うんだが300万円も先
行投資とかやりすぎじゃないだろうか。
どっちにしろ多額の賄賂は受け取れませんが。個人的に悪人のイ
メージが強いので忌避感があるっす。
﹁そんな高い物を投資してもらえるほどの実績も実力も今の私たち
にはありませんし,それを盾に私たちの行動に縛りが出来ることも
望みませんのでやはりお断りさせて頂きます﹂
さすがはシスティナだな。俺の考えをかなりのレベルで把握して
るっぽい。従属契約をすると主の考えとかが分かるようになるよう
なスキルは無かったはずなだけど。
232
﹁いえ,賄賂なんてとんでもない。私がお願いしたいのはAとBと
いう隣り合った店があり同じ値段で同じ物が売っていたとしたらA
のベイス商会の店で買って下さいませんかという程度のお願いです﹂
食い下がるなぁウィルさん。そんなに俺たちと縁を繋ぎたいのか。
まあその程度のお願いごとでも良いならむしろ⋮
﹁システィナ。彼と契約を﹂
﹁え,ソウジロウ様?﹂
﹁借用書だよ。彼からツケでそのリングを買う。無利息で返済期限
は300日以内。それ以外の条件は何一つ明記しないし約束しない。
それでも良ければそのリングを買わせてもらう﹂
ぶっちゃけこちらにしか利点のない一方的な契約だが,システィ
ナの﹃契約﹄である以上支払いは確約されている。ウィルの利点は
それこそ俺たちとほんの少しの縁が出来るというだけだ。
だがウィルは迷いなく微笑み頷いた。
﹁それで結構で御座います﹂
﹁分かった。システィナ﹂
﹁はいソウジロウ様﹂
システィナはスキルで契約書を出すと俺に内容を確認させた。も
ちろんシスティナが俺の意に反するような契約書を作成することな
どないので頷いて了承する。
﹁では署名を﹂
﹁はい﹂
ウィルが契約書の署名欄に署名をする。
233
﹁﹃侍祭システィナの名の下にこの契約は成立した。契約を破りし
時は侍祭システィナが罰を受けることを誓う﹄﹂
やられた!もしお金が準備できなかった場合の契約破棄の際の罰
をシスティナが1人で受けることに⋮でも今は取り乱すのはよくな
いだろう。既に契約書は光と化して契約は成立してしまっている。
﹁よい取引をありがとうございました。では改めましてこちらをお
納めください﹂
パーティリングをシスティナが受け取る。
﹁ご返済の方は私を見つけましたら私でも構いませんが,私は行商
の身ゆえ各街にあるベイス商会の方にも連絡をしておきますのでそ
ちらへご返済なされても構いません。
それともしザチルの塔のある混迷都市フレスベルクに行かれるこ
とがありましたらベイス商会本店にも是非お立ち寄り下さい。本店
は父が取り仕切っておりますので﹂
﹁わかった。覚えておく﹂
ウィルは丁寧に頭を下げ商売へと戻って行った。
234
GO TO 塔︵後書き︶
あれ、バトルはどこいった?
235
レイトーク︵1階層︶
﹁システィナ。今後自分だけが犠牲になるような行動はするな﹂
﹁⋮出来ません。ソウジロウ様を守るのは侍祭としての務めです﹂
﹁システィナ。俺に何度も2度目の命令を出させるなよ﹂
﹁⋮すいません﹂
システィナがしょんぼりと肩を落とすが,システィナのためにも
くだらない自己犠牲の精神は払拭しておきたい。
﹁そうじゃな。ソウジロウが正しい。今回の件はもし借金が返せな
い時は全員で負うべき責だな﹂
﹁⋮﹂
﹁勘違いするのでないぞシスティナ。お前の気持ちはソウジロウも
私も十分わかっておる。だが私たちはこれから一緒に生きていくの
だと言ったろう?
我ら取った行動の責は勝利も敗北も3人で分け合うのが筋だろう
よ﹂
蛍さんが俺の言いたかったことを全部言ってくれた。本当に頼れ
るお姉さんである。このパーティの本当の要は蛍さんで間違いない。
もっとも表向き2人は俺のことを立ててくれるだろう。そりゃも
ういろいろなところを立ててくれるはずだ。
﹁はい⋮すいませんでした。ありがとうございます﹂
俯いて震える声を出すシスティナの頭を優しく撫でる。
236
﹁さ,リングを付けて塔へ行こう。お仕置きは帰ってからってこと
で﹂
きょとんとしたシスティナが俺の言葉の意味をすぐに理解して顔
を赤くしながら微笑む。
﹁ふふふ,はい。一杯お仕置きしてください﹂
﹁ソウジロウ私の錬成も忘れるでないぞ﹂
今日もまた楽しい一夜が待っている。さくっと稼いで生きて戻ら
なければなるまい。そりゃもう絶対にだ。生へのモチベーションは
軽くMAXである。
﹁では1階層に参りましょう﹂
システィナにパーティリングを装着してもらった後,1階層の扉
の前に来た俺たちはとうとう塔の中へと足を踏みいれた。
塔に入って気が付いたが壁や床はレンガ造りのように四角い石の
ようなものを組み合わせて作られている。
階層の一番外側の部分に出たらしく塔の外壁にあたる部分の壁に
は等間隔に大きな窓がある。
外から見た時には等の中は何も見えなかったがこちらからはレイ
トークの湖を見下ろすことが出来る。脱出時はここから飛び降りれ
ば何階層にいても無傷で大広間の入り口付近に着地出来るらしい。
各階層の主は階層の中心部付近にいるらしいので主を目指してい
くと外壁からどんどん離れていくことになり離脱がしにくくなって
いくので注意が必要になるとのことだった。
237
﹁よし,まずは2人がどれだけ魔物との戦いで動けるかを確認した
い。敵が1匹しかいないところへ案内するから1人ずつ1対1で戦
ってみろ﹂
﹁はい﹂
システィナはやる気満々で肩掛け用にアックスハンマーに取り付
けていた革のバンドを取り外してリュックへとしまう。
﹁案内するって蛍さん敵の位置が分かるの?﹂
﹁気配を感じるからな。道はわからぬが大体の場所へは行き着ける
はずだ﹂
﹁そっか﹃気配察知﹄と﹃殺気感知﹄が+だったんだっけ﹂
これはエンカウントをある程度調整出来るということであり,か
なり重宝する能力だと思う。
戦闘経験を積むにも敵を求めて彷徨う時間が少なくなるし,撤退
したい時なども不意の遭遇戦で危険な戦闘に巻き込まれたりするこ
とを避けることが出来る。
﹁そこを右に曲がるとおそらく1体いる。まずはシスティナからい
こうか﹂
﹁はい﹂
蛍さんに先導されつつ塔内を歩き初めてからまだ2分も経ってい
ない。
アックスハンマーを握ったシスティナの身体に緊張が走る。侍祭
として厳しい訓練をしてきたシスティナだが魔物とガチで戦うのは
初めてだろうから緊張するのも無理はない。
ていうかアックスハンマーとかバスターソードとか名前が長いし
格好良くないな。とりあえず今は戦斧と大剣でいいか。後でなんか
238
良い名前を考えて付けてあげよう。
﹁システィナ落ち着いて行こう。何かあれば俺や蛍さんが必ず助け
るから﹂
﹁ソウジロウ様⋮はい。ありがとうございます﹂
﹁向こうが気づいたようじゃ。来るぞ!﹂
通路の向こうからチャッ チャッ チャッと何か堅い物が床を蹴
る音が聞こえてくる。
やばい⋮俺の方が緊張してきてた。何が出てくるのか分からない
というのも凄く怖い。
﹁やあ!﹂
足音でタイミングを計っていたのかシスティナは戦斧の刃の部分
で左から横薙ぎにした。
しかし通路から飛び出してきた魔物はその高さに身体が存在しな
かった。
一応簡易鑑定をしておく。
﹃タワーウルフ︵1層︶ ランク:H﹄
草原で会った狼の塔バージョンと言うことだろう。しかもこの標
記だと塔に適応しているだけでなく階層にも適応しているのだろう
か。
とにかく先制攻撃を狙ったシスティナの腰だめの一撃は体高の低
い狼には当たらなかった。そして空ぶった戦斧は塔の壁を僅かに削
ったがその代償にシスティナの動きを止めてしまう。
239
その間にシスティナの戦斧の下をくぐり抜けた狼は四つ足の爪で
床を滑りながら勢いを殺し方向転換をしてシスティナに向かって飛
びかかろうと重心を落とした。
このままではシスティナは防御が間に合わない。
慌てて飛びだそうとした俺を蛍さんが押しとどめて俺の目を隠す
と指を鳴らす。
すると蛍さんの手の陰から一瞬だけ目映い光が発生して消える。
蛍さんが光魔法で﹃閃光﹄を使ったらしい。いわば天津○やクリ
○ンや孫○空がちょいちょい使う太陽○のようなものだ。
システィナはちょうどこちらに背を向けていたためダメージはな
いだろうが,こちらに飛びかかろうとしていた狼はもろに光を直視
していたらしく目を開けることが出来ずにバランスを崩し床を転が
っている。
﹁くっ,行きます﹂
その間に体勢を整えたシスティナが今度は相手を見ながら戦斧を
振るう。だがその頃にはある程度視力の回復していた狼は後ろに跳
び退いていた。
距離が離れたことで互いに睨み合う。システィナは初めての本格
戦闘に緊張から動きが堅く既に息を荒くしていたし,狼にしてみれ
ば目が回復するまでは動きたくないだろう。
それを見てシスティナは無理矢理息を整えると再び狼へと戦斧を
振るい終始自分から攻め続けるものの有効打は与えられず,しかも
大振りした隙を突かれて何度も危ない場面があった。
﹁ふむ⋮システィナ。なぜお前は先刻から攻めているのだ?﹂
240
その様子を黙って見ていた蛍さんが見かねたようにシスティナへ
と声をかける。
﹁はぁ,はぁ⋮せ,攻めなければ倒せませんから﹂
﹁だがお前は護身術と護衛術の技能があるのだろう?攻めるより守
る方が易いのではないか﹂
蛍さんの言葉に一瞬システィナの動きが止まる。
﹁従属契約の恩恵で力が増したからと言って本来の自分を見失うの
では意味がないぞ﹂
﹁⋮はい!﹂
何かを吹っ切ったかのような返事と共に呼吸を整えたシスティナ
の構えが変わる。
攻め気が出ていた前のめりの重心がすっと下がり,安定感が増す。
さらに長く持って振り回していた戦斧も持ち手が中程に変わり右手
と左手の間隔を広く持ち直している。
﹁あれ⋮なんか凄いどっしりした感じがする﹂
﹁うむ,悪くない。ここからがシスティナの本当の力じゃな﹂
満足気に頷く蛍さんの言葉が全て終わる前に狼はシスティナへと
襲いかかる。
間合いを一気に詰め跳びかかってくる狼の顎をシスティナは戦斧
の石突で下からかちあげる。
今までの腕力にものを言わせた一撃とは違い,重心の乗った鋭く
重い一撃である。
だが狼はその衝撃を受け流すように空中で体勢を立て直し着地と
同時に再び向かってくる。今度は宙を跳ぶような愚は犯さないよう
241
だ。
だが,システィナは戦斧の両端を使って相手の動きを牽制しなが
ら冷静に動きを見極めると狼の横っ面にハンマー部分を叩きつけた。
﹁お,効いた﹂
さすがの魔物もあのハンマーで頭部を揺らされたら堪らないらし
い。ふらふらと足取りが危なくなっている。
システィナはその隙を逃さず戦斧の刃部分を狼の真上から振り下
ろした。
﹁まずは及第点じゃな。受けに回ってからの動きは悪くなかった﹂
﹁ありがとうございます。すいませんお恥ずかしいところを⋮﹂
最初の頃の力任せの攻撃のことだろう。
﹁ご主人様と契約が出来て思いもかけない力が身についてしまった
のでいつの間にか自分を見失っていたみたいです﹂
システィナがタワーウルフの魔石を持ってきてくれた。ちょっと
黒ずんだ小指の爪ほどの小さな石だった。そしてなぜかタワーウル
フの死体は消えていた。
﹁なんで死体が消えるの?﹂
﹁魔物は塔の力で産みだされ塔で死ぬとその力のほとんどはすぐに
塔に回収されます。ですが魔物の核だけは回収されるまでに少し時
間がかかるらしくその場にしばらく残ります﹂
﹁それが魔石⋮か﹂
﹁はい。ですが塔が魔物を外へと排出した場合は塔はその魔物を産
んだ力を回収出来なくなります。そして外で活動する魔物は外の環
242
境に適応するために自らの肉体を変化させていきます。
そのための力として核としていた魔石の力を全て使い切ってしま
うのではないかと言われています﹂
つまり塔の魔物は魔石を残して塔に還元され,塔外の魔物は魔石
がなくなっているが死体が残るということか。そうすると素材を狩
る場合には外で狩らなくちゃいけないのか。
魔石の売却益と素材の売却益を考えて狩りをする必要もありそう
だ。
﹃魔石︵無︶ ランク:H﹄
無ってのは属性が付いてないってことかな。ランクもH。1階層
ならこんなもんか⋮これがいくらで売れるかだな。早めに借金は返
しておきたい。借金のカタにシスティナを持って行かれそうになっ
たらもうウィルを殺すしかなくなってしまう。
おっと思考が危険な方向に行ってしまった。期限は300日もあ
るんだから1日たった1000マールずつ稼げばいいだけだ。
﹁よし,次はソウジロウだな。近いのは⋮こっちか﹂
魔石をリュックに放り込むと歩き出した蛍さんの後ろを追いかけ
る。
﹁システィナもお疲れ様﹂
﹁いえ,まだ1体倒しただけなのにこの調子では⋮﹂
﹁仕方ないよ。まだ力にも慣れてないんだろうし,実戦は初めてだ
ったんだから﹂
﹁そんなこと言ってられません。魔物にとってはこちらの事情など
全く関係ありませんから﹂
243
システィナの言う通りだった。いかんなぁ,未だに異世界観光の
気分が抜けてないのだろうか。そんなつもりはないんだけど⋮
とにかく俺も油断だけはしないように戦わないとな。死に戻りも
コンティニューもこの世界にはないんだから。
﹁いたぞ。私の教えた歩法を意識して落ち着いて戦え﹂
蛍さんの案内の先にいたのは先ほどと同じタワーウルフ1階層だ
ったがランクだけがGだった。
﹁わかった﹂
返事をして両腰の桜ちゃんと大剣を抜き狼の正面に立つ。向こう
も既にこちらに気付いていて体勢を低くしてグルグルと威嚇音を慣
らしている。
右手で持った大剣を正眼に構え,左手に持った桜ちゃんを大剣を
支えるように横向きにして持つ。
想像以上に怖い。地球でだって普通に犬とガチで喧嘩したら勝て
ないのにいきなり異世界の魔物狼とバトルとか本当ならムリゲーだ。
﹁おわ!あぶな!﹂
そんなことに意識を奪われた一瞬の隙を感じ取ったのか狼が俺に
向かって一直線に向かってきて跳びかかってきた。
これにのしかかられてしまったら普通なら詰み兼ねない状況だ。
なんとか転がって避ける。
﹁おっと,お前の相手は私ではないぞ﹂
244
俺が後ろにスルーしてしまった狼を蛍さんが峰打ちで弾き返した。
いかん,剥き出しの牙とか怖すぎて身体が動かなかったから転が
って避けてしまった。それじゃあ後の行動が続かないし敵が複数い
たりすれば大きな隙を与えてしまう。
なにより後ろにいる仲間に危険が及ぶ。
もう少し後ろと間合いを広げておいた方がいいか。
蛍さんが広げてくれた間合いを自ら詰めていくと狼が低い姿勢で
襲ってくる。うおっ!危ない!わたわたと身をかわして右手の大剣
を叩き付けるがその時にはもうそこに狼はいない。
くっそ,想像以上に速い。だが来るなら来いワンパターンな犬め。
真っ直ぐ突っ込んでくるならそれに合わせて叩っ斬ってやる。
よく見て⋮タイミングを合わせ⋮え?消え
﹁あ!危ない!ソウジロウ様左です﹂
システィナの声に咄嗟に左腕を上げるが強い衝撃を受けて一瞬意
識が飛ぶ。
﹁ソウジロウ様!﹂
く!
﹁うお!﹂
気が付くと俺の左手に食いついた狼が目の前で血走った眼を向け
ていた。
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい
245
やばいヤバいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい
やばいやばいやばいやばいやばいヤバイやばいやばい喰われる!
﹁仕方ないのう⋮邪魔じゃ,のけ!﹂
呆れたような蛍さんののんびりした声と同時に目の前の狼が消え
蛍さんの白いふとももが目の前に見えた。
﹁システィナ。少しだけあいつを止めておけ。殺すなよ﹂
﹁はい!﹂
俺の脇を駆け抜けていく足音。
﹁ほら,立てソウジロウ﹂
脇の下を支えられて立ち上がると膝がかくかくと震えていた。お
そるおそる左手を見る。装備していた籠手に噛みつかれていたらし
く籠手に傷がついて手の内側から血が出ているが大きな怪我ではな
さそうだった。
喰いちぎられたかと思った。知らず大きな安堵の息が漏れた。
﹁蛍さん⋮ごめん﹂
﹁ソウジロウ,何をそんなに固くなっておる﹂
﹁いや⋮だって魔物と戦うんだから⋮﹂
蛍さんは手が白くなるほどに力一杯握りしめていた桜ちゃんと大
剣を握る手をゆっくりと解きほぐして俺の手から2本の武器を離し
た。
246
そうしている間にもシスティナは狼の攻撃を戦斧であしらい続け
ている。
﹁よし。では考え方を変えてみようではないか﹂
﹁考え方を?﹂
﹁塔の魔物とやらは誰も倒さないと外に排出されるらしいな﹂
﹁え?あぁそんなこと言ってたね﹂
どうしてそんなことを急に言い出すんだろう。
﹁その魔物が街に排出されたら何をすると思う﹂
えっと⋮そりゃ魔物なんだから当然人を
﹁そうだ。おそらく人を襲う。老若男女構わずにな﹂
俺の顔色が変わったことに気が付いたのだろう俺が答えを言う前
に蛍さんが答えを言う。
﹁意味もなく人を殺す。魔物が人なら間違いなく悪人じゃのう﹂
頭の中で何かがスッと冷える。
﹁蛍さん。刀を﹂
﹁うむ,今度はしっかりな﹂
蛍さんから桜ちゃんと大剣を受け取るとゆっくりとシスティナの
方に向かう。
﹁システィナ,ありがとう。もう大丈夫,交代してくれ﹂
247
﹁でも⋮⋮あ,はい!﹂
一瞬心配そうな顔を向けてきたシスティナだが俺の顔を見た瞬間
嬉しそうに顔を綻ばせ後ろに退いた。
システィナに弾き飛ばされていた狼がこちらを睨みつけている。
思い通りにいかないことに腹を立てているのだろう。
そのことにもう恐怖はない。悪人が何を思おうと,何をしようと
俺には関係ないからな。救いようのない悪人は排除するだけだ。
襲い掛かってきた狼の牙を左手の桜で受け止める。相手の動きが
止まったところへ右手の大剣で横から斬りつける。
ちょっと浅かった。傷は与えたが動きが鈍るほどじゃないか。
一旦引いた狼がまた一直線に突っ込んでくる。今度こそと思った
瞬間また狼が消えた。いや消えたんじゃない。直前で横に跳んで壁
に着地してそこから跳びかかってきてたのか。なるほど,さっきま
での俺じゃ見えなかったはずだ。
俺は落とした重心で地面を掴むと身体をすっと下げる。目の前を
狼が通り過ぎていく。
その後を追うように間合いを詰めた俺は右手の大剣をやつの首の
後ろを目がけて振り下ろした。
248
レイトーク︵1階層︶︵後書き︶
ここまで読んでいただきありがとうございます。
やっと塔バトルまで来ました。
ご意見ご感想等々なんでもお願いします。
249
光圀モード
﹁ふぅ⋮危なかったぁ﹂
落ち着いてやればここまで苦戦することは無かったはずなのにま
まならないものである。
それにしてもやっぱり蛍さんは凄い。何百年も戦いの中で生きて
きただけあって戦闘のセンスがずば抜けているんだろう。
システィナや俺の戦い方をちょっと見ただけで即座に修正出来る
とか並の経験値じゃ無理に違いない。
﹁ソウジロウ様。こちらを﹂
﹃魔石︵無︶ ランク:G﹄
システィナが持ってきた魔石を鑑定すると魔物のランクと同じG
ランクだった。サイズも若干大きいようだ。
この流れで行くと魔物のランクが上がると魔石のランクも上がる
ということだろうか。
﹁それと,左腕をお借りします﹂
システィナが桜ちゃんを持ったままの俺の腕をそっと手に取る。
﹁⋮つっ!﹂
﹁動かさないでくださいね。﹃治癒﹄﹂
システィナの呪文と共に手がぼんやりと柔らかい光に包まれ,そ
250
の手を俺の傷口にそっと当てる。
﹁あ⋮凄い﹂
狼の牙が食い込んだり削ったりしていた腕の傷が目に見えて回復
していく。数秒後には血の汚れが残っているものの傷は全く残って
いなかった。
﹁これが回復魔法か,凄いもんだな。ありがとうシスティナすっか
り痛くなくなった﹂
﹁はい。いつでも治しますけど,出来れば怪我はしないでください
ね﹂
冗談めかしたシスティナの言葉だがきっと本心だろう。心配を掛
けてしまったようである。今晩の﹃お仕置き﹄に﹃お礼﹄を加えて
おこうと思う。
﹁よし,これなら1階層は問題ないだろう。次からは片っ端からい
くぞ﹂
蛍さんが右手の先に蛍丸を出して獰猛な笑みを浮かべる。
﹁基本はシスティナが前衛で相手を引きつける。
ソウジロウは強いて言えば遊撃だが慣れないうちはどこに行った
らいいか分からんだろうからしばらくは私が指示をだす。
指示が声だけだと思うなよ。場合によっては﹃共感﹄でしか間に
合わぬ時もあるからな。
言われた所に素早く移動して戦え。自分の意志で動きたくなった
ら構わんから好きに動け。この辺りなら私の方でどうとでも補える
はずだ﹂
251
﹁はい!﹂
﹁了解﹂
俺たちの返事に対して鷹揚に頷いた蛍さんは早足で移動を開始す
る。
どうせ戦う必要はあるし,勢いは大事だと思うが蛍さんが活き活
きしすぎな気もする。戦う為に生み出されたにもかかわらずここ1
00年ほどは飾られるだけの日々を過ごしていたことがかなりスト
レスだったのかもしれない。
それに加えて自分で思いのままに動いて戦えることが嬉しくて仕
方ないのだろう。
システィナは蛍さんのそんな詳しい事情までは知らないだろうが
雰囲気は察しているのだろう。俺と視線を交わすとお互いに肩をす
くめて笑う。
﹁いくぞ!3体!﹂
おっといきなり3体とか本当に片っ端だな。
﹃タワーウルフ︵1階層︶ ランク:H﹄
﹃タワーウルフ︵1階層︶ ランク:G﹄
﹃ストーンパペット︵1階層︶ ランク:G﹄
正面に石斧を持った子供ぐらいの大きさの石人形がいてその両脇
を狼が固めている。
正面の小さな人形がストーンパペットだろう。
﹁狼2!右G左H!石人形ランクG!﹂
一応鑑定結果を二人にも伝えておく。俺と戦った狼がトリッキー
252
な動きをしてきたのはもしかしたらランクが高かったせいかもしれ
ないから伝えておく意味はあるだろう。
﹁システィナは中央で人形。左はソウジロウ。右は私がやる﹂
蛍さんの指示に無言で頷いた俺たちは言われた通りに散る。まず
はシスティナが中央に突っ込んで大振りの一撃を左から右に振るう。
これは別に先ほどの過ちを繰り返している訳ではない。大きな攻
撃をして狼共に躱させることで敵を分断したらしい。
その後は石人形を相手に落ち着いた戦闘に突入しようとしている。
蛍さんはGランクの狼を相手に完全に相手を手玉に取っている。
自分の動きを確かめるようにミリ単位の見切りで相手の突進を躱し
ている。あの動きにいつか追いつけるようになりたいものだが正直
ハードルが高すぎる気もする。
とにかく2人は心配なさそうなので後は俺だ。
1刀1剣を構えつつ狼が突進をしてきたときは蛍さんとは比べも
のにならないが歩法を駆使して躱す。そして躱せたらその時の体勢
で攻撃出来る方の武器で攻撃を加える。
相手が跳びかかって来たときはあえて桜ちゃんで攻撃を受ける。
命中補正があるので1階層なら攻撃を受け損なうことはないはず。
そのまま空中で不安定な状態の相手の力を逸らすことで相手のバ
ランスを崩しておいてから追撃する。
よし,いい感じだ。倒した狼が消え始めるのを確認してから残り
の2人を確認するが蛍さんは既に勝利した後で腕組みして観戦中。
システィナもまさに今,石人形の頭部をハンマー部分で打ち砕い
た所だった。
﹁よし,各自で魔石を拾ったら次に行くぞ﹂
253
休む間も無しか。まあまだ疲れてはいないが蛍さんがその辺を考
えて無さそうだったら俺が止めなくちゃならないので自分とシステ
ィナの体力には気をつけておこう。
結局俺たちはその後蛍さんに引きずられるように塔内を巡り1階
層の主エリアを除くほぼ全てのエリアの敵と戦った。出てきたのは
いずれも1階層の魔物でタワーウルフのG・Hランクとストーンパ
ペットのG,後はタワーバットという大きな蝙蝠型の魔物のG・H
ランクだった。
レイトークの1階層ではこの三種類の魔物しか出てこないのかも
しれない。
﹁うむ。ではこの辺で今日は切り上げるとしようか﹂
﹁はぁ,はぁ⋮はい。では,そこの窓から出ましょう﹂
﹁ふぅ⋮さすがに疲れたかも。パワーアンクルがしんどくなってき
た﹂
窓の外を見ると既に陽が沈みかけで湖が橙色に輝いていた。本当
なら浪漫な景色なのだろうが疲れ果てた俺達にその景色を楽しむ余
裕はない。
システィナを先頭に次々と窓から飛び降りる。一応飛び降りる前
に下を覗いて見たが視界が歪んで高いのか低いのかよく分からなか
った。
﹁これから歩いて帰るのか⋮しんどいな。これは本当に拠点を変え
る必要があるかも﹂
塔から転送陣までの道程を歩きながら女性陣とは別の理由で転居
254
を考え始める。ミカレアの転送陣は塔からかなり距離があるので行
きはいいが疲れた帰りはしんどいのだ。
取りあえず転居には女性陣も前向きだし,明日はミカレアの宿を
引き払ってレイトークで宿を探そう。
﹁では転送しますね﹂
ようやく着いた転送陣でミカレアへと飛ぶ。
陣から出ると職員のお姉さんに挨拶をして換金所へ向かう。一応
レイトークの換金所の相場も聞いてきたので買い叩かれることはな
いだろう。うちにはシスティナもいるしね。
結局俺達が塔で今日稼いできた魔石は無属性の魔石,H42個,
G16個だった。 ﹁おいおい。君たち昼過ぎにここから出てったパーティだろ。魔石
自体は全部小さいけどこれだけの数を半日足らずで狩ってきたのか
?﹂
﹁かなり無茶したからね⋮毎日は無理だよ﹂
﹁だろうなぁ,大分お疲れみたいだしな﹂
﹁ああ,だから早めに鑑定してくれ﹂
﹁分かった分かった,まかしとけ﹂
カウンターの上の魔石を1つずつ選り分け始める買取商を眺めな
がら欠伸を噛み殺していると蛍さんが脇を突いてくる。
﹁ソウジロウ。魔石は全部売らずに10個程度残しておいてくれ﹂
﹁ん。了解﹂
取りあえずH8個のG2個位でいいか。俺は買取商が選別する前
の山から10個を抜き取ると蛍さんに渡しておく。ちょっとした物
255
を出し入れするには蛍さんのポーチは便利なんだよな。リュックは
1回降ろさなきゃならないのがめんどくさい。
俺もリュックとは別に小さ目の物を1個腰につけよう。
ついでに蛍さんに預けていた転送陣使用料の木札を出してもらい
カウンターに出しておく。
﹁よし。こっちの山が1個2000だ。この小さくても形が良いや
つはもう500だす。1個2500だな。
一回り大きい方は1個につき3500。あと1つだけあったこの
球形のやつは5000で買い取らせて貰う﹂
えぇっと結局いくら?疲れてるせいか計算するのも億劫だな。
ただ,レイトークの相場も小2000。大3000くらいだろう
って言ってたから妥当な査定のはず。
﹁システィナ任せる﹂
﹁はい。問題ないと思いますのでそれでお売りします﹂
﹁ありがとうよ。属性付きならもっと高く買うんだけどな。でもこ
れだけ大量に持ってきて貰えるとこっちも助かる。
1階層に行くような普通の探索者パーティならせいぜい魔石を数
個持ち帰ってくりゃいい方だからな。またよろしく頼む﹂
魔石数個か⋮それだと大体1日1万マール程度の稼ぎ。それを4
人くらいのパーティで分けたら1人2500。宿に500使ったら
1人2000しか残らない。
いかに今日の俺達が頑張りすぎだったかが良く分かる。魔物を探
すという時間ロスが少ないのがかなり大きな理由だろう。
買取商は魔石をしまい込むと金貨12枚と大銀貨5枚を差し出し
た。預託金の戻りも合わせて12万5千マールか。魔石がこれだけ
256
高く売れるならパーティリングの借金も早めに返せそうで良かった。
帰りに蛍さんの持つポーチと同じような大きさの物をもう1つと
今日消費した簡易食料セットを5つ追加購入しておいた。塔探索は
意外と腹が減る。
なんとか宿に帰り着くと荷物を降ろし食堂に直行。よく動いたせ
いかよく食べた。システィナと共に1人前では足りずにもう1人前
を追加してシスティナとシェアして食べたくらいである。
﹁今日は2人の戦いぶりを確認するためと,なし崩し的に塔に慣れ
させるためにちょっと強引に連れまわしてみたがよくついてきたな。
これなら無理な挑戦さえしなければ安定して塔で戦えるだろう﹂
お腹が膨れて一息ついた俺たちに果実酒のジョッキを傾けながら
蛍さんが今日の塔探索についての講評を始めた。
評価は概ね良好らしい。なによりあの無茶苦茶な戦闘は試験と訓
練のためだったみたいだから明日以降はもっと落ち着いて戦えるは
ず。
﹁よかったぁ。毎日これじゃちょっとしんどいなって思ってたんだ
よね。本当は﹂
﹁ふふふ,ソウジロウ様ったら。十分余裕があるように見えました
よ﹂
﹁ないない余裕なんて。いっぱいいっぱいだったよ。システィナこ
そ安定感が半端なかったよ﹂
﹁そうじゃなシスティナはやはり﹃護衛術﹄﹃護身術﹄の戦闘系技
能が大きいな。さらに従属契約の恩恵があるゆえ,おなごの身でも
前衛で壁役が務まる﹂
確かにシスティナの防御に関する動きは凄い。蛍さんの攻撃をか
257
すらせもしない防御ではなく武器を巧みに使って相手の攻撃をいな
したり防いだりする防御である。
その防御で今日は一度もまともな攻撃は受けていないはずだ。ち
なみに俺はなんどか被弾していて,その度にシスティナに﹃治癒﹄
してもらっていた。
﹁ソウジロウも重り付きでも低階層なら光圀モードに入れば戦闘系
技能が無くても十分戦えるだろう。今日受けてた攻撃ももう少し戦
いに慣れてくれば受けなくなるはずだ﹂
光圀モードって俺は副将軍になった覚えはないぞ。悪党を討伐す
るという意味では間違ってないかもしれないがそのネタが通じるの
は俺だけだろうに。
258
添加錬成︵前書き︶
累計22000PVです。ありがとうございます。
今回ちょっと投稿の仕方をミスって昨日の分と今日の分で2分割に
なってしまったので短め2本になってしまいました。
259
添加錬成
﹁明日は1階層の主に挑戦して2階層に上がる。そのつもりでいて
くれ﹂
﹁ちょ,ちょっと待ってよ蛍さん。そんなに急いで上に上がる必要
はないんじゃない?取りあえず生活するだけの稼ぎは得られそうだ
し,借金の返済だって十分間に合うんだから危険を犯して階層を上
げる必要はないと思うんだけど。
そりゃいずれは上げていくことに反対する訳じゃないけど﹂
詳しくは知らないがいくら光圀だってそんなに駆け足で日本中駆
け巡っていた訳ではないだろう。テレビなどではむしろ団子とか食
いながらのんびりだったはずだよ格さん。
﹁なるほど⋮ソウジロウの意見にも一理あるな。武器としての私の
意見はどうしても前のめりになりがちかも知れぬしな。システィナ
はどう思う?﹂
﹁そうですね。私も実戦は始めたばかりですし,あまり急いで階層
を上げて何か不測の事態が起こるのは困ります﹂
そうだろうそうだろう。がんばれば1日にこれだけ稼げるんだか
ら無理する必要はない。ゆっくり鍛えながら上がればいい。
﹁ですが,今日の感じですと1階層では物足りなく感じました。明
日2階層に上がることには賛成です﹂
ぐは!助さんお前もか!女性陣2人に手を組まれたら俺に勝ち目
260
はない。
﹁はぁ⋮了解。でも明日塔に行く前に拠点を移そうと思ってるんで
そのつもりでよろしく﹂
﹁よし。決まりだな。
拠点の方はどこを考えているのだソウジロウ﹂
﹁う∼ん。レイトークに入るならレイトークに宿を取るべきだと思
うけど⋮システィナはなんかある?﹂
街なんてミカレアとレイトークしか知らない俺にはミカレアじゃ
ないならレイトークという意見しか出しようがない。
﹁⋮今後も塔探索を主体に生活をするのでしたら思い切ってザチル
の塔のある混迷都市フレスベルクに拠点を構えるべきかもしれませ
ん﹂
しばし考え込んだ後,システィナがあげた名前は行商人のウィル
が言っていた都市の名前だった。
﹁なんでそこが拠点としていいの?混迷とかいうくらいだからごち
ゃごちゃしてるんじゃない?﹂
﹁はい。おそらく塔周辺の都市では最大規模の街だと思います。そ
のため人も物も大量に流れ込んでいます。その分物価もいくらか高
いですね。
ですがこの街は主塔のなかでも最大と言われているザチルの塔の
直近にあります。
その関係でこの街には主塔を要する街に転送するための転送陣を
1か所に集めた施設が複数街に設けられているんです﹂
﹁ほう。つまりそこを拠点にすれば全ての塔に行きやすくなるとい
うことだな﹂
261
システィナが頷く。別にいろんな塔に入らなくてもいい気がする。
でもザチルの塔ってあの看板にあったやつで,遠くに見えていたあ
の凄い高さの建造物⋮
多分あれがザチルの塔ってことだろう。
あれはちょっと見てみたい気がする。
﹁それに移住者の受け入れにも積極的みたいですのでいい物件があ
れば宿を取るのではなく家を借りるのがいいかもしれません。
幸い街の中心を外れればあまり普通の街と変わらなくなるようで
すしお店の種類,質,量も随一です﹂
﹁悪くなさそうだな。どうだソウジロウ﹂
確かに今後も装備の更新とかは必要になってくる。システィナの
話では今俺達が持っているような装備よりも良い装備を手に入れる
には塔所在の街に行く必要があるって言っていた。
そしてフレスベルクならきっとその点の条件もあっさりクリアし
てくれるんだろう。
﹁分かった。でも家を借りるにしても買うにしても元手が必要にな
る。だから取りあえずはレイトークに宿を取ってレイトークの塔に
入って2階層で戦おう。
お金を貯めながらフレスベルクにも様子を見に行って家を探すっ
てのはどう?﹂
﹁ザチルの塔は人が多いので低階層は戦いにくいと聞きますので低
階層のうちはレイトークに入るのは良いと思います﹂
﹁よし。では,最終的にはフレスベルクに拠点を構える前提でしば
らくはレイトークで資金を貯めつつ戦闘経験を積むことにしよう﹂
最後は蛍さんが締めて話し合いは終了した。
262
その後はいつもの通り沐浴場へで汗を流すと宿へと戻る。
すぐにでもシスティナへのお仕置きとお礼をしようと鼻息を荒く
する俺に蛍さんの拳骨が落ちた。
﹁ちょっと待てソウジロウ。いくつか確認がしたい﹂
﹁なんだい格さん﹂
ゴン
いたひ。
﹁まずは桜の鑑定じゃ﹂
﹁は∼い﹂
﹃桜 ランク: D+ 錬成値33 吸精値 47
技能 : 共感 気配察知 敏捷補正 命中補正 魔力
補正﹄
﹁ふむ。あれだけの戦闘をしたのにやはり桜自身の錬成値は上がら
んか﹂
﹁そう言えばそうだね﹂
﹁そこでこれだ﹂
蛍さんが腰のポーチから取り出したのは売らずに残しておいた魔
石である。
﹁なるほど⋮それで添加錬成か﹂
263
﹁やってみるか?﹂
これはやるしかない。これで錬成値が上がれば俺のスキルの効果
がすべて判明する。
錬成値の上げ方がわかれば手持ちの武器達を育てることも出来る。
問題は使い方が間違っててスキルを使った時に武器が壊れたりした
ら困るってことか。
かといって大事な武器達のどれ一つとして練習台にして壊れても
いいなんて武器はない。
﹃⋮⋮﹄
﹁桜ちゃん!でも⋮﹂
悩む俺の心に桜ちゃんの気持ちが伝わってくる。それは勘違いな
ど挟む余地もないほどに強い想い。
﹃私を使って欲しい﹄
だった。
普通に考えれば錬成できなくても何も起こらないだけだと思うか
ら大丈夫だとは思うけど万に1つがある以上は本当は無理はしたく
ない。
桜ちゃんに替えはない。地球から共にやってきた大事な仲間だ。
でも,桜ちゃんの真摯な想いを無視する訳にはいかない。これが
うまくいきさえすれば桜ちゃんも望んでいる﹃意思疎通﹄や﹃擬人
化﹄への道が開かれる。
﹁よしやろう。桜ちゃん頼むね﹂
俺は桜ちゃんを手に取り,蛍さんから魔石を受け取る。魔石は取
264
りあえずH1個にするか。左手に鞘から出した桜ちゃんを持ち,右
手に小さな魔石を持つ。
﹃添加錬成﹄
脳内でスキルを宣言すると桜ちゃんと魔石が淡い光を放つ。なん
だか力が抜けていく感じがあるけど⋮うん行けそうだ。右手の魔石
をゆっくりと桜ちゃんに近づけていく。
魔石は桜ちゃんの刀身に触れると硬質な音を立てることもなくス
ッと吸い込まれていった。
﹁できた!﹃武具鑑定﹄﹂
﹃桜 ランク: D+ 錬成値35 吸精値 47
技能 : 共感 気配察知 敏捷補正 命中補正 魔力
補正﹄
﹁どうじゃソウジロウ﹂
﹁やった!桜ちゃんの錬成値が2上がってるよ蛍さん﹂
これで桜ちゃんを育てられる。これでいずれ桜ちゃんと話したり
も出来るようになるかもしれないし,擬人化を覚えてくれれば精気
錬成も使えるようになるかもしれない。オラわくわくしてきたぞ!
よしこのまま残りの魔石も一気にやっちゃうか。右手に残りの魔
石を全部持って﹃添加錬成﹄。光った魔石を桜ちゃんに。よし!成
功。
武具鑑定ですぐさま確認いた桜ちゃんの錬成値は35から50に
なってる。大体Hが2でGが3くらいか,多少は質とかによっても
265
効果が違うんだろう。
それにしても無属性の小さい魔石じゃ効果が小さいな⋮桜ちゃん
達を育てる為なら高階層へ挑戦するのもありかもしれない。でもお
金を貯めるためには魔石は売らなきゃいけないし錬成に全部を使う
訳にはいかないか。
悩ましくて頭がくらくらしてくるな。
﹁⋮ていうか本当に目がまわ﹂
﹁ご主人様!﹂
﹁ソウジロウ!﹂
2人の声が遠い⋮あ,こりゃ駄目だ。俺はあっさりと意識を手放
した。
目を覚ますとベッドの上だった。周囲はまだ暗いので夜の深い時
間だろう。
﹁お目覚めになりましたかご主人様﹂
俺の右隣から暖かい感触と共にシスティナが声をかけてくる。
﹁どうやら魔力切れということらしいぞソウジロウ﹂
俺の左隣には蛍さんがいる。寝る時は裸で寝る方針らしくまっぱ
だ。ん,魔力切れ?
﹁どうやらお前の錬成は添加錬成は魔力を精気錬成は精気を使うら
しいな。まあ魔力から精気への変換が出来る以上2つの力は似通っ
266
た力なのだろうがな﹂
﹁まだ魔力の扱いに慣れていないのも大きな理由ですが魔力総量が
まだ少なかったことも理由でしょう。
身体を動かすことで体力が付くように魔力も戦闘経験を積むこと
で上がるようですからいずれはもっと出来るようになると思います
よ﹂
﹁そっか,ますます魔石を錬成だけに使うのが難しくなったな。売
却と錬成をうまく調整していかないとね﹂
システィナが笑いながら頷く。あぁシスティナは相変わらず可愛
いなぁ。
﹁なんか一回倒れたら目が冴えちゃったな﹂
﹁あの⋮ご主人様﹂
﹁ん?なに﹂
﹁その⋮お仕置きなさいます?﹂
なさいます。
その日はたっぷりとシスティナにお仕置きとお礼をしてから蛍さ
んに錬成をした。魔精変換などなくとも十分戦えるのだ。
267
添加錬成︵後書き︶
閲覧ありがとうございます。
誤字脱字の指摘、感想、ブクマ、評価、レビューお待ちしておりま
す。
感想には返信もさせていただきますのでよろしくお願いいたします。
268
誤算
今日も満ち足りた気分で目が覚める。今日は両隣りにまだ柔らか
い感触があるので寝過したというような時間じゃないのだろう。
朝起きて2人が隣にいてくれる方が気分よく起きれるようなので
明日からもなるべく早く起きて2人の余韻が楽しめる様にしよう。
﹁おはようございますご主人様﹂
﹁おはようシスティナ。昨日は大丈夫だった?﹂
システィナが可愛い過ぎてついお仕置きとお礼に力が入ってしま
った。
﹁ふふふ,大丈夫ですよ。むしろ嬉しかったですから﹂
システィナはちょっとくらい激しくても大丈夫っと。心のメモ帳
にしっかりメモしておこう。
﹁ソウジロウ。システィナに負担がかかるようなことは私が許さん
ぞ﹂
そうでした。蛍さんは俺よりシスティナを大事にしているような
気がする。まぁでも俺の大事な2人が仲がいいのはありがたい。
2人で揉めてぎすぎすするようじゃハーレムとしては失敗だろう。
どうせなら目指すのはいちゃラブなハーレムである。
﹁そろそろ夜明けですね。今日はレイトークに拠点を移したり1階
層を突破して2階層を目指す予定ですから準備を始めましょうか﹂
269
宿を引き払うなら日用品とかも持って移動する必要があるから動
き出しは早い方がいいだろう。
名残惜しいがシスティナと蛍さんに軽くキスをしてから動き出す。
まずは衣服を身に付ける。今日は宿を引き払うので二日ぶりに短
ラン・ボンタンを着ようと思ったのだがその上から鎖帷子を身に付
けたら想像以上に短ランがごわごわしてかなり着心地が悪かったの
で諦める。
ボンタンだけをはきこちらの世界のシャツの上に鎖帷子を着て籠
手と脚絆を付けてから革のコートを羽織ってからパーティリングを
嵌める。昨日買ったポーチをベルトに装着しリュックを背負ったら
最後に桜ちゃんとバスターソードを佩刀すれば俺の準備は完了であ
る。
後はシスティナがまとめてくれた日用雑貨の入ったリュックをシ
スティナから俺がとりあげたら出発準備は完了である。
うちのパーティは荷物が少ないので準備も早い。なんだかんだで
転送陣での移動が多くなりそうなので結果として馬車とかを処分し
ていたのは正解だったかもしれない。
一階に降りて軽く食事を摂ってから宿のおばちゃんに部屋を引き
払うことを告げて鍵を返すと真っ直ぐに転送陣へと向かう。
入街税の分のノルマは昨日の魔石売却で果たしているのでミカレ
アの街を引き払っても問題はない。
転送施設の職員のお姉さんに戻らない予定だと告げ預託金ではな
く使用料として大銀貨3枚を支払い転送陣を使用してレイトークに
移動した。
270
﹁フレスベルクへの転送陣は街の中心辺りで,宿が多いのは島への
入り口付近と塔への入り口付近です。
ちょっと調べたところではこの街にはミカレアのような魔石を使
った沐浴場はないようですね﹂
﹁え?じゃあみんなどうしてる訳﹂
﹁ここは湖上都市ですから湖で水浴びをしてしまうそうです﹂
﹁確かにここの水は綺麗だから分からなくもないけど女の人とかも
それでいいの?﹂
﹁気にしない方は平気で水に入っていくようですね。ですが慣れて
ない方や人目に触れたくない方用に仕切りだけがあるスペースを貸
し出しているところがあるみたいです﹂
なるほど⋮確かに男なんかは見られたって構わない訳でお金を払
って沐浴場に行かなくても綺麗な湖でひと泳ぎすれば事足りる。
住民の半分が利用しないなら確かに沐浴場の経営は苦しいだろう。
﹁じゃあ,塔と転送陣と湖の施設があるところ。この3つが使いや
すそうな場所の宿がいいかな。
転送陣は今のところそう何度も使う物じゃないから優先順位は低
くてもいい﹂
﹁わかりました。では移動しながら何軒か回ってみましょう﹂
そう言って歩き出すシスティナを見て一体いつそんなところまで
調べたのだろうと思ってしまう。ほとんど一緒に行動してるんだか
ら情報収集とかしている暇なんかなかったはずなんだが。
前にも一度聞いてみたが﹃秘密です♡﹄と言われてしまいそれ以
上問い詰められなかった。多分ユニークスキルをうまく使ったり,
侍祭としての特別なネットワーク的な物があるんだろうなぁと想像
している。
271
結局システィナの案内に従って3軒程を回った結果,転送陣から
は離れてしまったが湖の施設と塔からはほど近い位置の宿を確保す
ることが出来た。
お金に余裕のない探索者達のベッドタウンを目指しているミカレ
アよりはやはり高く一泊一部屋730マールだったが部屋の作りも
内装も綺麗だったので質は悪くない。
取りあえず今日1泊分の宿泊料を支払い,明日以降は3日間の継
続契約を結ぶ。
部屋に日用品のリュックを置くと一旦宿に鍵を返して塔へと向か
う。
﹁1階層の主ってどんな相手なのかってわかる?﹂
﹁決まっていはいないそうです。大体はその層に出てきた敵の中の
上位種が主の座についていることが多いそうです。
その層での魔物間の勢力が関係しているという説もありますがご
く稀にその層にはいない上層の魔物が主になっていることもあるよ
うですので説としては信憑性は薄いかもしれません﹂
﹁そうすると可能性が高いのは昨日戦った狼,蝙蝠,石人形の上位
種ということだな﹂
﹁はい。上位種と言ってもさほど変わる訳ではないようです。全体
的に能力が高かったり,身体が大きかったりするようですが1階層
の主ぐらいでは特殊能力が増えたりすることもないようです﹂
じゃあなんとかなるか。せっかくステータスが見れてもレベルや
能力値の表示がないから自分たちの強さが今一つ分からないのが困
る。
たくさん戦ったからと言って強くなったと証明できるものがない。
それを判断するのは自分の感覚だけである。そして平和な日本で育
った俺にはその辺の判断が全くつかないため不安を解消することが
272
できない。
蛍さんの判断はかなりの信頼性があると思うがその経験も基本的
に対人戦に基づくものだろうからこの世界での魔物との戦闘に関し
ての判断は絶対とは言えない可能性がある。
﹁ソウジロウ様。塔がちょっと騒がしいようです﹂
そんな不安が的中したのか胸騒ぎがする。とりあえず情報収集だ。
﹁何があったんですか?﹂
昨日の倍以上の探索者達がざわつく塔の大広間に入り近くにいた
探索者の一人に声をかける。
﹁ああ?よくわからねぇが今1階層の探索が禁止されてるらしいぜ﹂
どういうことだ?1階層は初心者の大事な狩場で最も危険が少な
い場所のはずなのに探索が禁止されるなんて。
﹁フジノミヤ様!﹂
戸惑う俺たちに人ごみを掻き分けて近寄ってきたのは昨日パーテ
ィリングを売ってくれた行商人のウィルだった。まだレイトークで
行商していたらしい。
﹁ウィル殿。これはどうしたことですか。事情を知っていたらお教
えください﹂
近づいてきたウィルにシスティナが前に出て話しかける。
273
﹁はい。実は⋮﹂
ウィルの話は昨日の夜まで遡る。
塔の探索は塔内が暗くならないということもあり夜間も自由。む
しろ昼間の混雑を避けてあえて夜から朝の時間にかけて探索にいく
探索者も多いらしい。
昨晩も例に漏れず夜間専門の探索者達が多数塔に入って行ったの
だがその日は1階層に入って行った探索者が次々に2階層へと到達
した。
戻ってきた探索者達はほとんど他の魔物に遭わなかったため余力
を残したまま主に挑めたため主を倒して2階層に到達することが出
来たと喜んでいたらしい。
これを聞いた初心者探索者達は自分たちも2階層への権利を得る
チャンスだと次から次へと1階層へ入り主を倒した。
﹁それって⋮﹂
ポップ
﹁間違いなく我らが1階層の敵を一掃したせいだろうな﹂
﹁魔物の湧出が追いつかなくなるほどに狩りつくしてしまったって
ことか﹂
﹁さすがにそこまではいかぬなだろうが1階層の広さに魔物が現れ
る数が追いつかなくなったのは間違いないだろうな。その結果,主
までの道が容易になってしまったのだろうよ﹂
俺達が狩った魔物に加えてほかの探索者達の狩った魔物の総数が
いわば1階層の魔物の在庫を全て吐き出させてしまった。新たに出
す魔物では1階層全てをケアしきれずに主エリアまでの道程にほと
んど魔物がいなくなったということか。
﹁そこまでは良かったのですが問題はその後でした﹂
274
ウィルが言うには深夜を過ぎ明け方が近くなったころ1階層に入
った探索者達が全く戻ってこなくなったらしい。
それまでは皆30分から1時間程度で主を倒し2階層の窓から一
度帰ってきていたはずなのに数組戻らないとなればおかしい。
一応念のため5階層レベルの探索者パーティに調査のため入って
もらうとそのパーティが壊滅寸前で逃げ帰ってきた。
いわく,﹃あり得ない!今の主は10階層の主クラスだ﹄と。
﹁そんな!1階層の主に10階層クラスがついているというのです
か!﹂
﹁しかもその他の魔物も2階層から8階層クラスの魔物が少しずつ
混在して増えてきているようです。強い魔物はまだ中心付近にしか
まだ湧いていないようですが,それがかえってまずいことになって
いてもともと1階層の主を倒そうと中心部に向かった探索者達が脱
出出来なくなっている可能性があるそうです。
今は探索者の救出と強い魔物の排除を依頼するために10階層以
上を戦える探索者を待っている状態です﹂
﹁ウィルさん。まだ中には初心者の探索者達が生き残っているんで
すか?﹂
﹁わかりません。だが戻ってないパーティは10を超えるそうです﹂
この状況はどういうことだ。1階層の魔物が枯渇して主を立て続
けに倒された塔が1階層の魔物だけじゃ維持出来ないと判断して上
層から魔物を呼び込んだ?
そんなことあり得るのか?
﹁ソウジロウ様!﹂
﹁分かってる!でも⋮蛍さん!﹂
275
﹁10階層レベルか⋮私たち3人ではきついかも知れぬな﹂
それはそうだ今日初めて1階層の主に挑もうとしていた俺達が1
0階層レベルの主に挑むなんて無謀にも程がある。自分たちの命を
危険にさらしてまで誰かを助けることは出来ない。たとえこの事態
の原因が俺達だったとしても。
﹁だが,主以外ならば我らならなんとか出来ると私は思う。主エリ
ア周辺で立ち往生しているようなパーティなら救出出来るやもしれ
ん﹂
それでも﹃出来る﹄という断定ではない。いきなり8階層とかの
魔物と戦うことのリスクは高すぎる。
﹁ソウジロウ様!﹂
﹁駄目だ!危険すぎる。俺にはこの世界の他の誰よりもシスティナ
と蛍さんの方が大事だ!﹂
﹁ソウジロウ様⋮蛍さんなんとか⋮﹂
﹁ここはソウジロウの言う通りだな。私にとってもソウジロウとシ
スティナに勝る命などこの世にない。ここは我らの主であるソウジ
ロウに従うべきであろうよ﹂
探索者の救出にいくことを蛍さんにも拒否され打ちひしがれたシ
スティナはしばし肩を落とした後,キッと真っ直ぐな眼を俺へと向
けた。
﹁ではソウジロウ様。私は1人でも行きます﹂
﹁許可できない﹂
﹁⋮嫌です。あなたが私の契約書を書き換えてくれたのはこういう
時のためのはずです。
276
私﹃聖侍祭システィナが必要と認めた時のみ自身の正義と責任に
おいてその力を行使することを認める﹄という一文を!﹂
﹁⋮⋮﹂
どうする?それでもここで拒否すればシスティナはもう抵抗でき
なくなる。だが⋮契約後初めて俺の為でなく自分の為に何かをしよ
うとしているシスティナを契約の力で縛るのは本意じゃない。だが
それでも⋮
﹁駄目だ﹂
﹁ソウジロウ様!﹂
﹁言ったはずだ俺にとっては見知らぬ探索者よりシスティナの方が
大事だと﹂
﹁ですが!﹂
俺は一呼吸おいて覚悟を決めると泣きそうな顔のシスティナへと
告げる。
﹁だから1人で行かせる訳には行かない﹂
﹁⋮え?﹂
﹁蛍さん,気配察知と殺気感知で魔物と探索者の識別は出来る?﹂
﹁可能だな。昨日も識別して魔物のところだけに誘導したからな﹂
﹁よし,じゃあなるべく戦闘は最小限にして救助優先で行く。ウィ
ルさん塔の1階層に俺達が入ることは可能ですか﹂
﹁⋮え,は⋮はい!侍祭様の一行だと明かせば大丈夫だと思います﹂
﹁わかりました。すいませんが許可を取りたいので入塔を管理して
いる方を呼んできて貰えますか?﹂
﹁はい!すぐにお呼びして参ります﹂
駆け足で離れていくウィルさんを見送り急いで装備の点検をする。
277
﹁⋮ソウジロウ様﹂
﹁システィナもしっかり確認しておいて﹂
﹁ソウジロウ様!!﹂
﹁おわ!﹂
勢いよく抱き付いてきたシスティナをかろうじて受け止める。
﹁⋮ありがとうございます﹂
﹁無理はしないぞ﹂
﹁はい﹂
肩を震わせるシスティナを抱きしめて背中を撫でているとウィル
が1人の男性を連れて戻ってきた。
﹁フジノミヤ様。連れてまいりました。事情も説明してあります﹂
﹁ありがとうございますウィルさん﹂
抱き付いているシスティナを名残惜しいがそっと引き離し,ウィ
ルが連れてきたレイトークの領主の下で塔管理している職員に正対
する。
﹁それでは取り残された人の捜索に向かいます。強い魔物の掃討ま
ではお約束できませんので当初の予定通り高階層に行ける探索者が
来たらすぐに入ってもらってください。
その際に本来の1階層の魔物を狩らないように注意をお願いしま
す﹂
1階層の魔物が減りすぎたことが今回のイレギュラーを引き起こ
したと仮定するならばある程度1階層の魔物を増やせばイレギュラ
278
ーな魔物は今以上には増えないかもしれない。
﹁わかりました。ではよろしくお願いいたします﹂
職員の人も俺達が捜索に行ってくれることはありがたいらしい。
危険な塔だと噂が流れ,探索者の数が減れば街の収益に打撃を受け
てしまう。
少しでも早く事態を鎮静化し犠牲者をなるべく少なくすることが
管理者としての最優先事項であり侍祭付のような探索者が協力して
くれるならむしろお金を払ってもいいくらいだろう。
﹁じゃあ行こう﹂
﹁はい!﹂
﹁うむ﹂
そして俺達は昨日とは全く違う場所になってしまっている1階層
への扉を開けた。
279
誤算︵後書き︶
閲覧ありがとうございます。
誤字脱字の指摘、感想、ブクマ、評価、レビューお待ちしておりま
す。
感想には返信もさせていただきますのでよろしくお願いいたします。
280
探索行︵前書き︶
累計27000PV、ブクマ100到達です。ありがとうございま
す^^
281
探索行
﹁確かに昨日とは別の場所のようだな。立ちこめている雰囲気がま
るで違う﹂
扉を開け中に入った途端に蛍さんが物騒なことを呟く。俺には全
く違いが分からないのだが気配察知と殺気感知が+の蛍さんには違
ったものが感じ取れるのだろう。
多分蛍さんを刀に戻して俺が持てば同じようなものを感じ取れる
可能性は高いが今の状況で最大の戦力を刀に戻してまでそんなこと
をする必要性はない。
﹁ソウジロウ。なるべく戦闘を避けるということだがある程度進路
上の敵は掃討していかなければならないぞ﹂
俺は頷く。俺たちの進路=救出した人達の退路だからそれは仕方
ないだろう。場合によっては進路周辺の魔物も狩れるようなら狩ら
なければならないかもしれない。
救出した人達を引き連れて行くというのも一つの手ではあるが俺
たちは素早く動き回る必要があるので大人数で歩き回るのは得策で
はない。
そもそも怪我でもしてればまともに動けず足手まといになりかね
ないし,その人達を気にして移動していたら助けられるはずの人達
のところに間に合わなくなるという可能性もある。
﹁よし。行くぞ﹂
蛍さんが歩き出す。俺も後に続く。ガリガリガリ
282
蛍さんが曲がる。俺も警戒しながら曲がる。ガリガリガリ
蛍さんが止まれと合図を出す。俺はその指示に従い止まる。ガリ
ガリガ⋮
﹁システィナ?なにやってんのさっきから﹂
俺の後ろでガリガリやっていたシスティナにとうとう我慢しきれ
なくなって問う。
﹁逃げ出す方達が迷わないように目印を。塔の壁や床に付けた傷は
1日程度なら修復されずに残りますから﹂
ほう。逆に言えば壁とかぶち抜いて近道を作っておいても1日程
度で修復されて元に戻るということですか。塔すげぇな。
﹁もたもたするな。遅れた分だけ人が死ぬと思え﹂
蛍さんの言葉に俺とシスティナの表情が引き締まる。ここからは
僅かな油断も許されないと思って行く。
了解と短く答え蛍さんの背中を追う。しばらくシスティナの壁を
削る音だけが響く時間が続いたがやがて蛍さんが足を止めた。
﹁この角の先に1体いるな。最短距離にいる魔物だ潰していくぞ﹂
﹁はい。私が敵を引き付けます﹂
﹁いいだろう。ソウジロウは右から行け。いくぞ﹂
蛍さんの掛け声と同時にシスティナが飛び出す。その後に続いて
蛍さんと俺も飛び出す。すぐさま俺は簡易鑑定を使用。
﹃蟻人︵4階層︶ ランク:F﹄
283
そのまま内容を伝えると1刀1剣を抜いて右に回り込んでいく。
相手は直立した等身大の蟻で黒光りする身体がかなり嫌悪感を誘
う。そして凶悪なまでに大きな顎牙と鎌のように変体した4本の足。
この世界で始めてこいつに出会っていたら間違いなく速攻で逃げ出
してただろう。
俺が回り込んで行く間に蟻の正面を取ったシスティナは戦斧で蟻
の胴体を薙ぐ。
ギギィ
動きはさほど素早くないらしくその一撃を片側の足2本で受け止
める。だが恩恵を受けたシスティナの一撃でもその足を斬り飛ばせ
ないどころか体勢すら乱せない。
だが4階層の魔物でもその威力自体は無視できなかったらしく複
眼を怒りで紅く染めながらシスティナへと4本の鎌足を連続で振り
下ろしていく。システィナはそれをかろうじて受け止めているが長
くは凌げないだろう。
その時蛍さんが蟻の左側に滑り込むように現れた。ほとんど音も
立てずまさに気が付いたらそこにいた状態である。
蛍さんはめちゃくちゃに振り回されている足を全く恐れることも
なく至近に踏み込むと下から刀を斬り上げる。
ギーー!
という蟻の悲鳴と共に蟻の右の鎌足2本が宙に舞う。至近から関
節を狙って寸分の狂いもなく斬撃を打ち込んだのだろう。
突然片側の足2本を失った蟻がバランスを崩したところで俺が大
剣を蟻の頭頂部に振り下ろすがガンという固い音だけで叩き割るま
284
ではいかない。それでも蟻の動きを止めることは出来たので今度は
頭部と胸部の間を狙って桜を振りぬく。
ギッ⋮ギィ⋮
その一撃は桜の斬れ味のおかげか綺麗に頭部を斬り離すことにな
った。
瞬く間に塔に吸収されていく蟻人。
﹁次行くぞ﹂
蛍さんに頷きを返すと追いかけざま魔石を拾いポーチに入れる。
その後も蛍さん先導の下,退路を確保するための戦闘をしつつ中
心へと向かっていく。
戦ったのは﹃タワートレント︵2階層︶ ランク:G﹄塔の床に
根を這わせているくせに移動も出来る植物系の魔物の2体組。
﹃タワーミドルスライム︵5階層︶ ランク:H﹄という人の腰
までありそうな巨大なスライム4匹組。こいつらは物理攻撃があま
り効かなくてなかなか面倒だったがシスティナのハンマーでがんが
ん潰した。
そして今戦っているのが﹃タワーフレイムファング︵7階層︶ ランク:E﹄と取り巻きとして出てきていた﹃タワーファング︵6
階層︶ ランク:G﹄2体だった。
ファング系はウルフ系よりも全体的にサイズアップしていてしか
も牙が発達しているらしく大きすぎる犬歯が口からはみ出ている。
中でもフレイムファングは毛並みが赤いライオン並の大きさがあ
285
る魔物である。だがライオンほど鈍重なイメージはなくむしろ豹の
ようなしなやかさを感じる。
﹁蛍さん2体任せていい?﹂
﹁任せておけ。私が行くまでそれを抑えておけ﹂
取り巻きファングが蛍さんに向かって行ったため2体を蛍さんに
任せて俺とシスティナはフレイムファングと対峙する。
正面がシスティナで60度ほどずれた位置が俺である。フレイム
ファングは微妙に離れている俺達2人を警戒して動こうとしない。
﹁ソウジロウ様行きます!﹂
システィナが宣言と共にフレイムファングへと突進する。
それを見てフレイムファングの後方へと回り込むべく俺も移動を
開始する。相手を各上だと考え数の優位を活かす。
ここまでの戦いで自然と全員の間で共有された戦い方だった。
システィナが相手の攻撃を防御している間にサイドやバックから
相手の死角を突いて攻撃する。これまでで最も高階層の魔物だとし
ても戦術としては有効のはず。
歩法を駆使して静かに素早く背後を取る。よし。
﹁え?﹂
背後から斬りかかろうとした瞬間,フレイムファングは正面のシ
スティナを無視して振り返るとこっちへと向かって来た。
ガルゥ!
286
﹁ソウジロウ様!﹂
マジか!こいつこっちの戦い方を読んでシスティナじゃなくて俺
に向かってきやがった。
虚を突かれたせいもあり一気に間合いを詰められてしまったため
回避が出来ない。
熊のように二本足で立ち上がるように身体を起こしたフレイムフ
ァングが前足の爪を振り下ろしてくる。
この爪で一撃を与え押し倒してから牙で喰いつくというのがこい
つの狙いか!
﹁くっ!﹂
かろうじて左の爪を桜で右の爪を大剣で受け止めるが体格の差は
いかんともしがたい。重力環境のおかげで基礎能力が底上げされて
なければ一瞬足りとも受け止めきれなかっただろう。
受け止めたとしても長くは保たない。それにそれを待っていてく
れる相手でもなかった。
両の前足が止められたフレイムファングにはまだ武器がある。あ
の鋭く尖った牙を擁する噛みつき攻撃。ヤバい!
攻撃を受け止めてしまったためフレイムファングの体重が上から
かかっていて動けない。
﹁ご主人様から﹂
フレイムファングの向こうから若干怒りと焦りを含んだシスティ
ナの声。宿とか以外では呼ばないはずのご主人様呼称。
﹁離れろぉぉぉぉぉぉ!!﹂
287
ガフゥ!
途端に目の前が明るくなり圧力から解放された。システィナが追
いつきフレイムファングを戦斧で横から殴ったのだろう。
一瞬でおれを仕留めきれると考えたのであろうフレイムファング
の失態だ。
﹁大丈夫ですか!怪我は?﹂
﹁助かった。ありがとうシスティナ。怪我はない﹂
俺に駆け寄ってくるシスティナにお礼を言うと弾き飛ばされてい
たフレイムファングへと並んで向かい合う。
どうやらシスティナは固い毛皮に刃が通らない可能性を考えハン
マー部分で内部ダメージを狙ったらしい。フレイムファングが横腹
を庇うように身体を捻ってもがいている。
﹁効いてるね。一気に行こう﹂
﹁はい﹂
相手のダメージが回復するのを待ってやる必要はない。俺達は武
器を構えて一気に決着を狙う。
フレイムファングもすぐそれに気が付き怒りの唸りをあげている。
歯ぎしりでもしているのか火花のようなものが口元から漏れる。
火花?
﹁あ,危ないぞ!そいつは炎を吐くんだ!﹂
ブレス!? ヤバい!システィナ!
聞きなれない叫び声の出どころも信頼性も全く考えず武器を手放
し横を走っていたシスティナに飛びつくと地面に押し倒すようにし
288
て転がる。
その一瞬後に背中を高熱の何かが通り抜けていった。
﹁く!⋮ソウジロウ様!﹂
衝撃で起き上がれない俺の下から這い出たシスティナが叫ぶ。
﹁システィナ!治療は後じゃ。先にあいつを仕留めるぞ﹂
﹁は,はい!⋮ソウジロウ様。すぐ戻ります﹂
システィナはそう言うと離れていく。流石は蛍さんだ。もう取り
巻きファング2匹仕留めたらしい。
俺も⋮と起き上がろうとするが背中が引き攣って激痛が走る。い
ってぇ⋮くそ。さすが異世界。ブレスとかやばすぎるだろ。
﹁お,おい⋮大丈夫か?よくあのタイミングで避けられたな﹂
さっきの叫び声と同じ声が近づいてきて俺を引き摺っていく。ど
うやら戦闘中の危険な場所から連れ出そうとしてくれているらしい。
﹁すぐそこに安地があるんだ。そこまで行けばひとまず安心だ﹂
安地?⋮あぁ安全地帯かそう言えばシスティナが塔の中にはごく
僅かだけど敵が入ってこないスペースがあるって言ってたっけ。
﹁窮屈ですまない。偶然見つけた安地でちょっと狭いんだ﹂
そう言って連れ込まれたスペースは4畳半ほどの小部屋のようだ。
スペースとしては狭いというようなものではなかったが問題はそこ
289
にいた人数だった。
正直痛みで朦朧として視界は定かではないが10人余りの探索者
が少しでも入り口から遠いところにいたいのか怯えた目で部屋の奥
で震えていた。
俺は入り口付近の空いたスペースに置かれたようだ。
﹁残念だが俺達は全員回復薬とか使い切ってしまって治療はしてあ
げられない﹂
﹁も⋮問題ない。ブレスを教えてくれて助かった﹂
こいつが他のやつらのように部屋の奥で震えているだけの奴だっ
たら俺達は死んでいたかもしれない。
戦闘の気配を感じほんの少しでも様子を見にいくだけの勇気を持
っていてくれたおかげで俺はシスティナを守ることが出来た。感謝
してもしきれないくらいだ。
﹁ソウジロウ様!﹂
そうしている間になんとかフレイムファングを倒したのだろうシ
スティナが駆け寄ってくる。
投げ出してしまった桜ちゃんと大剣も持ってきてくれたようだ。
ありがたい。
﹁今,治療します﹂
武器を置くとすぐにシスティナが回復術で治療にかかってくれる。
侍祭様最高!
﹁ソウジロウ。荷物だ﹂
﹁ありがとう蛍さん﹂
290
高階層との魔物との戦いが続き,少しでも動きやすくするために
戦闘前にリュックなどをその辺に置くようにしていたので荷物を失
わずに済んだ。
﹁ソウジロウ様。一旦鎖帷子を脱がせますね﹂
﹁⋮いっ!⋮つぅ﹂
俺の服を脱がせていたシスティナが鎖帷子を引っ張るとベリベリ
と皮が持って行かれた。瞬間的に熱せられた鎖帷子が背中の皮膚を
焼いてくっ付いていたらしい。
皮のコートやシャツを着ていなかったらダメージはもっと深かっ
たかもしれない。目の前に置かれた皮のコートは既に背中部分が紛
失しコートとしての体を成していなかった。 鎖帷子を脱がせたシスティナは俺の頭を膝の上に置くと双子山で
押しつぶしてきた。
﹃しかし双子山は胸当てに覆われていた﹄
くそ!胸甲さえなければ!
﹁私を庇ってこんな大怪我するなんて⋮ソウジロウ様は馬鹿です。
本来ならこの傷は侍祭である私が負うべき傷です﹂
﹁⋮馬鹿だなシスティナ。システィナが元気だからこそ治療して貰
えるんだろ﹂
システィナが怪我をしても俺たちは回復魔法なんて使えない。だ
からこれで正解だ。
﹁⋮私が我儘言わなければ﹂
291
﹁システィナ!これは俺たちが決めたことだ﹂
﹁⋮はい﹂
蛍さんから水筒を受け取って喉を潤すとシスティナに渡して背中
にかけて貰う。あぁしみるけど気持ちいい。
﹁システィナのおかげでここにいる人達を見つけることが出来たん
だ。それでいいんじゃないかな﹂
システィナが泣き笑いを浮かべて頷く。そしてシスティナの手が
淡い光に包まれて俺の背中に当てられる。
うぅぅ⋮まさに癒されるとはこのことか ﹁ソウジロウ。これがさっきの魔物の魔石だ。ちょっと見てみろ﹂
蛍さんが手のひら大の赤みがかった魔石を俺の目の前に持ってく
る。でか!これってもしかして凄い価値があるんじゃ。
﹃魔石︵火︶ ランク:B﹄
これは⋮凄い。火魔石だし,しかもランクB。7階層くらいの魔
物でこんな物出てきていいのか?
﹁これは凄いね⋮さすがは変異種の魔石だ﹂
声をかけてきたのは俺を引き摺って来た探索者のようだ。システ
ィナの治療が効いてきてちょっと余裕が出てきたせいかやっと落ち
着いて顔を見ることが出来た。
﹁女?変異種?﹂
292
﹁ええと,一応聞くけど私が女であることを変異種扱いしてないよ
な?﹂
ちょっと目が怖い。赤いボリューム感のあるショートヘア,精悍
だが整った顔立ち,ハーフプレートアーマーに覆われて断定は出来
ないがなかなかの女性的なボディ。
好みは分かれるかもしれないが俺なら美人の範疇に含めるレベル
だ。
だから俺は正直に言う。
﹁こんな可愛い子がこんなところにいるという意味では変異種と言
えるかもね﹂
﹁可愛い?はは!そんなこと言われたのは6歳くらいの時が最後だ
った気がするな﹂
俺の言葉を冗談か社交辞令と思っているのか肩をすくめて乾いた
笑いを浮かべている。
﹁本当に?それは周りの目が腐ってるとしか言いようがないな﹂
これだけの器量の子に誰も言い寄らないとはなんてけしからん世
界だ。俺の声に本気の怒りが滲み出る。
﹁ほ,本気で言ってくれてたんだな。あ,ありがとう﹂
﹁ただ本当のことを言っただけなんだけどな⋮それより変異種につ
いて教えてくれないか﹂
﹁あ,ああ。確かに魔物の中にフレイムファングという魔物はいる
んだ。本来ならこの塔でも7階層くらいから出てくる﹂
簡易鑑定でも7階層って出てたからその情報に間違いはない。
293
﹁だが,フレイムファングはあそこまで強くない﹂
﹁どういうことだ?﹂
﹁まず大きさが違う。本来はファング系の魔物もウルフ系と大きさ
は変わらない﹂
そう考えればあいつは2倍くらいでかいことになる。
﹁そして普通のフレイムファングはブレスを吐かない。せいぜい松
明程度の炎を口から出す程度でとてもブレスとは呼べない﹂
﹁吐かないのか!﹂
﹁だいたいどこの塔でも魔法やブレスなどの遠隔攻撃を使ってくる
のは10階層を超えてから,しかも最初はごく稀にというのが一般
的な見解なんだ﹂
﹁⋮だから変異種か﹂
﹁ああ,そして変異種は例外なく高品質の魔石を残すんだ。もし倒
せればひと財産になるんだが大体自分たちの適正階層よりも強いこ
とが多いからな。普通は逃げるのに精一杯だ。
私たちも一応は探索者の端くれだからな。これだけ数がいれば5
階層くらいの魔物でもなんとか出来たんだが⋮あいつがあそこに居
座っていたせいで動けなかったんだ﹂
なるほど確かに数がいれば多少強い魔物が出てもなんとかなるか。
﹁ソウジロウ様。ひとまず治療は終わりました。
コートと服は駄目になってしまいましたが鎖帷子だけでも身に付け
ておきますか﹂
﹁取りあえずこのままでいいよ﹂
名残惜しいがシスティナの膝から起き上がるとシスティナが持っ
294
てきてくれた武器を鞘に納める。素肌で鎖帷子を身に付けるのもか
えって動きにくい気がするからひとまずは保留だ。
﹁システィナ。あっちの探索者達の中で歩けない人がいたら歩ける
程度にまで治療を頼む﹂
﹁はい﹂
システィナを送り出すと再び赤髪の探索者に視線を戻す。そう言
えばまだ名前も聞いてない。
﹁えっと⋮君は⋮﹂
﹁ああ,すまない。まだ名乗ってなかったな。私はフレイだ。いつ
もは4階層辺りを探索しているんだが今回は護衛の依頼でな﹂
13
職 : 獣闘剣士﹄
年齢: 19 種族:平耳族 ﹃フレイ・ハウ 業
平耳族?亜人なのか⋮だけど4階層の実力があってこれだけしっ
かりしているってことはここの探索者をまとめてたのはフレイのは
ずだ。それなら
﹁じゃあフレイ,君に頼みがある。あそこのメンバーを全員連れて
脱出してくれ。最短距離の道順は刻んであるし,近辺の魔物も出来
る限り倒しておいたから﹂
﹁そうか⋮すまない。ではお言葉に甘えさせてもらう。このお礼は
無事に戻れたらきっとする。名前を教えて貰えないだろうか﹂
﹁名前は富士宮総司狼。でもお礼はいらない。俺達が勝手にしたこ
とだから﹂
295
もともと俺らが原因みたいなもんだしね。身体でお礼してくれる
なら有難く貰うところだがこんな状況でそんなこと言う訳にもいか
ないだろう。
﹁そうもいかんだろうがその辺は無事に塔外で再会してからでも遅
くはないか﹂
﹁ソウジロウ様。あちらの方たちの治療は終わりました。歩けない
ほどの怪我をされてる方はいませんでしたので骨折等の応急処置く
らいですが﹂
﹁わかった。じゃあフレイ頼む﹂
﹁ああ。任せておけ。本当に助かったありがとう﹂
フレイが差し出してきた右手を握り返すとフレイは奥の探索者達
の方へ向かって行った。
﹁ソウジロウ。魔石をしまっておけ。どうやらあまり見せびらかさ
ん方がいいようだ﹂
蛍さんが厳しい目で探索者達を見ながら変異種の魔石を渡してく
る。俺はそれをポーチに押し込みながら探索者達へ視線を向ける。
確かに何人かが物欲しそうな目で魔石を凝視している。こんな状
況で馬鹿な真似はしないと思うが一応気にかけておく。
﹁それではフジノミヤ殿。私たちは先に行くがあなた達はどうする
のだ﹂
﹁もう少し主エリアの周りを探索してから脱出する﹂
﹁そうか⋮どうか気を付けて欲しい。また塔外で会えることを楽し
みにしているよ﹂
296
フレイはどこまでも真面目に挨拶をすると探索者達を連れて安地
を出て行った。
297
探索行︵後書き︶
別に章分けはしてませんが1章にあたる部分はあと2,3話でしょ
うか。なるべく早く更新できるように頑張りますね。
感想、ブクマ、評価、レビューお待ちしております︵たくさん付く
と更新ペースが上がると思います︵笑︶︶。
感想には返信もさせていただきますのでよろしくお願いいたします。
298
続行
﹁なかなか出来た人物のようだな﹂
﹁うん,まあ護衛している相手はどうにもいけ好かない感じだった
けどね﹂
正式に紹介されることは無かったがどうやら後ろで縮こまってい
た探索者の中にいた身なりのいい小太りの若い男とそのお目付け役
らしい中年男性がフレイの護衛対象のようだった。
俺たちが来るまではビクビクと怯えていたくせにいざ脱出出来る
となると脱出を指揮するフレイに無理難題をふっかけて困らせてい
た。
ちょっと漏れ聞こえた感じでは2階層へ到達させるという依頼内
容を反故にするのなら得られなかった実績に代わる何かが必要だか
らどうのこうのとごねていたようだが命の危険が少なくなった途端
にそんなことを言い出すあたり今後とも関わりたくない人材だ。
﹁さてどうするソウジロウ。フレイとやらにはもう少し探索をする
と言っていたようだが,ここまでやれば私たちの責任は果たしたと
も言えるが﹂
﹁⋮﹂
もともと危険の大きいこの探索。俺達が普通に生きていくことだ
けを考えれば間違ってもやってはいけない行動だった。
それでも探索を決めたのはシスティナの﹃自立﹄を後押ししつつ
﹃後悔﹄を背負わせないためだ。
システィナは俺と蛍さんと桜ちゃん3人しかいなかったこの世界
で初めて出来た仲間で一緒に生きていくことを選んでくれた家族だ。
299
その家族の為になることなら俺にとっては命を懸けても惜しくな
い。
もちろん勝算がまるっきりなければ話にならないが今回は蛍さん
の能力と武力があればなんとか出来る可能性も充分あった。
実際にかなりの数の探索者を発見して脱出させることが出来た。
まあまだ無事に脱出したのを確認した訳じゃないがこれだけお膳立
てしてやったんだから後は自己責任で頑張ってくれとしか言えない。
ただ予想外の強敵に危うく死にかけることは想定外だった。
﹁⋮もう充分です。あれだけの人を助けられたんですから。私たち
も脱出しましょう﹂
システィナは微笑みを浮かべながらも視線は俺の上半身,正確に
は背中を見ていた。おそらくそれなりに酷い火傷を負っていたはず
の背中。
システィナの回復術でどの程度回復しているのかは見えないので
分からない。ただ痛みはないし引き攣りも感じないからほぼ完治し
ているのだろうが,もしかしたら多少の跡くらいは残っているのか
もしれない。
﹁蛍さん。ここから先に人の気配はある?﹂
﹁あるな。かなり階層主の領域に近いところに2人⋮3人か。ここ
から私に分かる範囲ではもう他にはいない﹂
蛍さんの気配察知の効果範囲は最初は周囲100m程だったらし
いがランクアップ後はかなり増えたらしい。しかし正確な範囲は分
からないし1階層全てを網羅出来る程の範囲ではない。
だがこの場所からなら階層主周辺は全て範囲に含まれるとのこと
なので現状中心付近ほど高階層の魔物が湧いていると思われるので
取り残される可能性がある地帯はケアしていると言えるだろう。
300
﹁分かった。じゃあ行こう﹂
﹁ソウジロウ様!駄目です!もういいんです。私が!私が間違って
ました!﹂
俺の宣言に目を見開いたシスティナが俺の両手を掴む。
﹁ここに入る前にソウジロウ様が仰られていた意味がやっと私にも
分かりました。私もこの世界の誰よりもソウジロウ様と蛍さんが大
事だということが分かったんです!﹂
目に涙を浮かべながら訴えるシスティナ。そう言ってくれること
は正直嬉しい。でも塔に入る前なら⋮いや俺が怪我をする前までな
らシスティナの言う通り脱出しても良かった。
システィナが言っていることは掛け値無しの本心だろう。塔に入
るまでは自分たちのせいで人が死ぬかも知れないという責任感と正
義感で気づいてなかっただけのことだ。
だがさっきの戦闘で自分を庇って俺が大怪我をした。
俺が死んでしまったかもしれないという衝撃で俺や蛍さん失うと
いうことの恐怖を実感してしまった。そしてその恐怖がシスティナ
の行動の根源にある﹃侍祭として誰かのために力を奮いたい﹄とい
う思いを上回ってしまったのだろう。
そしてそんな状態で今ここから逃げ出すことはなんとなくしては
いけない気がした。
一度ここで逃げてしまえば今後厳しい環境での戦いになった時に
最悪のタイミングでシスティナが逃げの選択をしてしまいそうな気
がして怖い。
﹁システィナ。退くという判断を俺は否定しない。大事なものを守
301
る為に敢えて退くということの大切さは良く分かる﹂
そう,俺の父が1人の人間としての自分を守るために実家を出て
行ったように。
﹁でも今は駄目だ。今のシスティナの言うことは聞けない。理由は
⋮わかるだろう?﹂
俺を見上げるシスティナの目から涙が零れた。システィナは分か
っているはずだ。自分の本当の心は助けられる人を全部助けたいと
思っていることを。
俺達を傷つけることを恐れて本当の気持ちから逃げようとしてい
ることを。
﹁システィナ。いい加減私達に遠慮するのはもうよせ。逆の立場な
らお前も私達のために命を懸けることを躊躇わぬだろう?﹂
蛍さんの言葉にシスティナがはっとして顔を上げた。思い当たる
節があったのだろう。
﹁それと同じことだろうさ。よいではないか,今回はたまたまお前
の我儘だっただけのことだ﹂
﹁ただの我儘なら付き合わないけどね﹂
今回はシスティナにとって必要な我儘だと思っただけだ。それは
きっと蛍さんも同じ。
﹁言えよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮い,です﹂
﹁聞こえぬな﹂
302
﹁⋮⋮に⋮きたいです!﹂
﹁もう一声﹂
﹁た,助けに行ってあげたいです!手伝ってください!﹂
叫んだシスティナの頭を蛍さんが暖かい笑みを浮かべながらぽん
ぽんと叩く。
﹁よし。行こう。
それがシスティナの心からのお願いなら俺達は全力で協力してあ
げたいと思うから﹂
俺たちは装備の点検と今後の動き方を簡単に打ち合わせただけで
安地を出た。
最後の探索者達がいるところはここからそう遠くないらしい。だ
が階層主がいる区域にかなり近い所にいるだろうと蛍さんはみてい
た。
﹁おそらく自分の領域を侵さない限り動かない階層主と階層主を怖
れ領域に近づかない通常の魔物。その狭間にいることが探索者達が
生き永らえている理由じゃろう﹂
階層主の縄張りの僅かに外にいたことで縄張りに近寄ろうとしな
い魔物達に見つからずにいたってことか。
狙ってそこに行ったのかたまたまだったのかは知らないが生きて
いる以上はシスティナの為に助けてやるさ。
上半身裸に籠手だけ装備のみっともない格好だけどな。
303
﹁どうやら先ほどのフレイムファングとやらがこの辺りを牛耳って
いたらしいな。魔物達の気配が薄い。
これなら戦闘せずに残った探索者達を拾えるかもしれん﹂
それは重畳。俺もこんな上半身裸で激しい戦闘はしたくない。か
といって素肌に鋼製の鎖帷子は肉とかが編み目に挟まって痛いので
装備出来ない。鎖帷子には申し訳ないがリュックの中で俺の重りと
して活躍してもらおう。
時折立ち止まって気配を確認しながら進む蛍さんに従ってしばら
く塔内を彷徨い歩く。
気配を感じても直線で進めないためどうしても道を探しながらに
なってしまうのは仕方がない。
システィナのみちしるべ用の傷も帰って紛らわしくなる箇所も出
てしまうがそれもしょうがない。今探してる探索者達を見つけた後
は俺たちも撤収する予定なので一緒に帰れば帰り道を間違うことは
ないはず。
﹁む,まずいな。目的地の反対側から強い殺気を感じる﹂
﹁それって魔物が探索者達に向かってるってこと?﹂
﹁走るぞ!タイミング的にはぎりぎりだ﹂
﹁はい!﹂﹁了解﹂
珍しく全力で走る蛍さんの様子から本当にタイミング的にギリギ
リだというのが伝わってくる。こんな直前になるまで蛍さんの気配
察知に引っかからなかったというのも気になるがとにかく今はつい
ていくので精一杯だった。
俺もシスティナも基礎能力の底上げがなかったらとてもついてい
けなかったろう。
304
﹁うわぁぁぁぁ!く,来るな!来るなぁぁぁぁ!﹂
﹁ち!﹂
先頭を走る蛍さんが珍しく舌打ちをする。聞こえてくる悲鳴は切
羽詰まった男の声。
﹁間に合わなったか﹂
﹁まだです!まだ声が聞こえるうちは諦めません!﹂
システィナは欠片も諦めていない強い視線を走る先に向けている。
そこにもう迷いの色は見て取れない。俺が見てきた中で間違いなく
一番綺麗で格好いいシスティナだ。
⋮というか不動の1位に﹃ベッドの上のシスティナ﹄がいるので
同点優勝だが。
﹁このまま突っ込む﹂
角を曲がった蛍さんが宣言して更に速度を上げた。
角の先は行き止まりになっていてそこにはボロボロになった鎧を
着てロングソードを構えた探索者が1人。その足元にうつぶせにな
って血だまりに伏せている探索者が1人。行き止まりの壁に生きて
いるのか死んでいるのかぐったりと背を預けたまま動かない探索者
が1人いた。
そして俺達と探索者の間にいたのは
﹃タワーハイドベアー︵8階層︶ ランク:F﹄
熊のくせに細身で背が高い8階層の魔物だった。とうとう8階層
レベルが出てきたか。
305
﹁タワーハイドベアー!8階層ランクF!﹂
いつも通り鑑定結果を叫ぶと熊へと斬りつけようとする蛍さんの
跡を追う。システィナは最初は戦いに加わらずに負傷者の様子を見
に行くようだ。
俺と蛍さんを信用して任せてくれるということだろう。いい傾向
である。となればその信頼にしっかりと応えるのがいいご主人様と
いうものだろう。
熊は後ろから蛍さんの只ならぬ気配を感じたのか目の前の探索者
を放置し後方から迫る蛍さんに威嚇の咆哮を上げる。
しかしその時には既に蛍さんは熊の懐に飛び込んでいる。まずは
一太刀⋮
﹁え!﹂
そう思った俺の目の前で予測を遥かに超える速さで熊が蛍さんの
一撃を避けた。こいつ速い!
蛍さんのあの位置からの一撃をかわすとは正直思ってなかったが
当たらなければ当たるように攻めるしかない。
桜ちゃんと大剣を構えて蛍さんと挟み撃ちに出来るように位置取
りをするべく動く⋮
ん?あれ?あいつどこ行った?。
﹁ソウジロウ!惑わされるな擬態じゃ左の壁に向かって防御姿勢!﹂
え,なに?擬態だって?ってとにかく防御!
﹁え!ぐぉ!﹂
306
言われるがままに条件反射で防御姿勢を取った俺は大剣に重い衝
撃受け反対側の壁までとばされて背中から叩き付けられ一瞬息が止
まる。
﹁ぎ,擬態?﹂
痛みを堪えながら今までいた位置をよぉく見ると確かになにかが
いる。
﹁保護色?﹂
﹁大丈夫かソウジロウ!そいつは体毛を変色させる上に気配を薄く
する!1点を集中してみるのではなく視界全体を俯瞰で見ろ!
その中で違和感のある場所にやつはいる!﹂
マジか!﹃ハイドベアー﹄って﹃隠れる熊﹄ってことかよ!気配
薄くして保護色とかお前は忍者かってーの!だから蛍さんの気配察
知に引っかからなかったのか。
ちょ,ていうか桜ちゃんはなんでこのピンチに嬉しそうなの?妙
にテンション上がってないか?ああもう!
とにかく今は蛍さんが熊と打ち合ってくれてるからどこにいるか
分かるけどこのままじゃ俺が役に立てない。
なんとか見えるようにならなくちゃマズい。
1つの場所に集中し過ぎない⋮集中しすぎると視野が狭くなり死
角が増える。
それじゃあハイドベアーを補足できない。
一歩下がったつもりで全体を広く薄く違和感を探す⋮
307
﹁いた!﹂
蛍さんの攻撃を防御して体勢を崩してるっぽい熊をようやく補足
した俺は一気に間合いを詰めると大上段から大剣を叩き付ける。
大剣の重い一撃で動きを止めて桜ちゃんで相手の首を薙ぐがハイ
ドベアーは右の前足を捨てて首を守りに来た。右前足はなんとか斬
り飛ばすがとどめがさせない。
﹁蛍さん!﹂
桜ちゃんを振り切った勢いのまま身体を投げ出し駆けつけてきて
いるはずの蛍さんに場所を明け渡す。
﹁よくやったソウジロウ﹂
蛍さんの満足そうな声と同時にハイドベアーの首が宙を舞う。さ
すがは蛍さん,俺が跳んだ後の一瞬でしっかりと状況を確認して俺
が斬り飛ばした腕の側から攻撃を加えていた。
さすがに8階層くらいになるといちいち手強い。防御力も高いた
めぶっちゃけ俺のバスターソードじゃ相手が斬れないから使い方が
ほぼ打撃武器と化している。
熊が残した﹃魔石︵無︶ ランク:F﹄を蛍さんのポーチにしま
ってもらう。俺のポーチはフレイムファングの魔石が容量のほとん
どを占めている。
桜ちゃんと大剣を鞘へと納めるとシスティナの下へと向かい回復
術を行使中のシスティナに声をかける。
﹁システィナどうだ?﹂
308
﹁命はなんとか⋮ただ傷が深かったので出血が多く危険な状態です﹂
システィナが看ているのは血だまりに倒れていた探索者である。
俺達が来る直前にハイドベアーの一撃をもろに受けてしまったらし
い。
革の胸当てが無残に裂け,ふくよかな胸の下半分程から腹部に掛
けて3本の裂傷が刻まれている。それでもシスティナの回復術が効
いてきているのだろう少しずつ傷が塞がってきているようだった。
﹁頼む!アーリを助けてくれ!こいつは俺を庇って⋮大事な仲間な
んだ。頼む﹂
ロングソードの男がシスティナに土下座するかのように頭を下げ
ている。
その娘を助けるのはシスティナであって俺じゃないから安請け合
いも出来ないのでとりあえずそっちは放っておいてもう1人の様子
を見に行く。
こっちも怪我をしているようで頭に赤く染まった包帯を巻いてぐ
ったりとしていた。見えてる範囲の顔と体格からして男だろう。
﹁おい,大丈夫か﹂
近づいて話しかけようとして俺は気づいてしまった。目の前の男
から全く生気が感じられないことに。
309
脱出行︵前書き︶
累計35000PV ユニーク7000 到達です^^
少しずつでも呼んでくれる方が増えてくれて嬉しいです。
310
脱出行
目の前の物言わぬ男を見下ろして俺はきっと呆然としていたのだ
ろう。いつの間にか隣に並んだ蛍さんが俺の肩に手を置く。
﹁間に合わなかった訳ではないぞ﹂
﹁蛍さん⋮﹂
﹁確かにちょっと前まで生きていたことは間違いないが,私の見立
てではこの傷では幾分早く着いたとしても助けることは出来なかっ
たじゃろう﹂
そうか⋮安地から移動する際蛍さんは気配の数を2人か3人で迷
ってたっけ。その時点で既に気配が感じ取れなくなる寸前まで衰弱
してたんだ。
確かにそんな状態ではいくらシスティナの回復術があっても手遅
れだった可能性は高いかもしれない。
そもそも俺もそこまで衝撃を受けていた訳ではない。悪人に関し
ては自ら何人も手にかけているし,システィナと同行していた貴族
関係の死体も目にしてきていたから初めてという訳でもない。
あえて無理に理由を考えるなら﹃助けようと思った人を助けられ
なかった﹄からちょっと自分の中の感情みたいなものが整理仕切れ
なかったのかもしれない。
まあそれとて所詮は今思いついただけの理屈である。
﹁⋮バクゥが俺とアーリを助けてくれたんだ﹂
システィナがアーリの治療を終え,バクゥと呼ばれた探索者の死
亡を確認し肩を落としているとロングソードの探索者トォルがぽつ
311
ぽつと語り出した。
トォル達は3人組のパーティで探索者としては駆け出しだった。
最初はフィールドで魔物を捜して狩ったり,護衛をして街から街
を移動したりして経験と稼ぎを得ていたが護衛や採取などの依頼で
は戦闘経験もあまり積めず報酬もかかった時間に見合うような額が
得られなかったので大分行き詰まっていたらしい。
そこである護衛依頼の終着点だったここレイトークで塔探索者と
して活動することにしたらしい。
それがだいたい100日くらい前だったそうだ。それから少しず
つでもいいから毎日レイトークの塔に入る生活をしていたとのこと。
そんなときロビーで1階層が楽に突破出来ると盛り上がってるの
を聞いた。
3人は無理をせず1階層でひたすら腕を磨き続け,3人の連携も
かなり上達してきてそろそろ上の階層にあがろうかと話し合ってい
たのでまさに時機が来たと思った。
勇んで塔に入ってみると確かにほとんど敵は出てこない。これな
ら階層主との戦いに全力で臨むことが出来ると3人は喜んだ。
順調に探索は進み階層主の領域に近づくとちょうど前のパーティ
が目の前で階層主を倒したところだった。前のパーティは声を掛け
る間もなく2階層へと上がったため領域には階段もなく階層主もい
ない状態になった。
階段は階層主と共に現れ,階層主を倒したパーティが使用すると
次の階層主が湧くまで現れないのだそうだ。
ここまで雑魚戦を一度もしていなかったトォル達は準備してきた
薬なども一個も使わずにここまで来たことに加え,1階層の主に関
しての情報もかなり詳しく集めていたので多少の苦戦はしても倒せ
ないという事態は想定してなかった。
階層主の領域内で主が湧くのを待っているとまもなく天井から階
段が生成され,そこへ立ち塞がるように塔の天井から主が現れたら
312
しい。
﹁おかしいとは思った。俺たちが集めた情報では階層主は常に床か
ら現れるはずだったんだ。だが俺たちはとうとう2階層へ行けるこ
とに浮かれてその違和感に気がつかないふりをしてしまった﹂
固く拳を握りしめながらもトォルは語るのをやめない。その姿は
まるで俺達に懺悔をしているかのようだ。
そしてトォル達が気づかぬふりをしてしてしまった違和感はトォ
ル達にすぐさま牙を剥いた。
現れた階層主はトォル達が想定していた魔物とは全く異なり,せ
いぜい3階層ぐらいまでの情報しか集めていなかった3人には全く
見たことも聞いたこともない魔物だった。
その階層主の圧倒的な威圧感と存在感に明らかに異常事態である
ことを察して,戦闘することは瞬時に諦めたがすぐに戦闘に入れる
ように主が湧く中央付近に陣取っていたことが災いしてしまう。
階層主から逃げ切る為には領域から出なければならない。大体領
域は半径25m程の円形の空間で構成される。
このイレギュラーな階層主から25mも逃げ切ることは絶望的だ
った。
その時,死を覚悟し諦めかけたトォルとアーリを蹴飛ばして無理
矢理走らせたのがバクゥだった。
バクゥはいざという時の為に保険で預かっていた幾つかの属性付
きの魔石︵どれも小さくランクの低いものだった︶を惜しみなく使
った。
光魔石を足下に叩きつけ目くらましをし,火傷するのも構わず炎
魔石をオーバーヒートさせて主に投げつけ攪乱して2人が逃げる時
間を稼いだ。
313
そのおかげで2人はかろうじて領域から逃げ出すことが出来たが
逃げ遅れたバクゥは階層主の攻撃を受けてしまった。だが唯一の幸
運は攻撃を受けて大きく弾き飛ばされたバクゥの落下地点が領域の
外だったことである。
慌ててバクゥを回収し,手持ちのアイテム全てを使用して治療を
施したが3人が持っていた安い薬ではかろうじて命を繋ぐだけで精
一杯だったらしい。
すぐにバクゥを抱えて脱出しようとしたが瀕死のバクゥはそれを
止めた。﹃この階層は今何かがおかしい。今俺を抱えて動けば3人
とも死ぬ。俺は大丈夫だから動くな﹄かろうじて紡ぎ出したバクゥ
のその言葉を信じて3人はここに隠れていた。
結局2人の懸命な看病にもかかわらずバクゥは力尽きた。そして
バクゥが力尽きたため一か八か2人で脱出するために動き出した途
端にハイドベアーに襲われ,アーリが倒れいよいよという駄目かと
いう時に俺達が助けに来たようだ。
﹁バクゥが身体を張ってくれたから主から逃れられたし,バクゥが
自分の命をかけて俺達を引き留め続けてくれたから助けがくるまで
生きていられたんだ﹂
溢れる涙を隠そうともせず崩れ落ちるトォル。
トォルの話を聞くとこのバクゥという探索者は本当に優秀な探索
者だったのだろう。
即座に逃走を決めた決断力,仲間を無理矢理動かせるだけの機転,
咄嗟に魔石を惜しみなく使った対応力,階層の異変に気づき待機を
決めた危機察知能力。
このまま経験を積んでいけばいずれ名を残すような活躍をしたか
もしれないと思わせるほどだ。
314
そして⋮そんな人物がこんなにあっさりと死んでしまうことさえ
あるのが﹃塔﹄。
俺は改めて塔を探索することの危うさを否応なく思い知らされた。
﹁ソウジロウ様,アーリさんの意識が戻りました。なんとか動ける
ようですので全員で脱出しましょう﹂
﹁た⋮助けて頂いて⋮ありがとうございました﹂
システィナに肩を借りながらなんとか立ち上がったアーリさんを
見て頷く。
﹁今ならまだ魔物に遭わずに脱出できるだろう。システィナ,怪我
人はそっちの男に渡せ。何かあれば私達が前に出て戦うからな﹂
﹁はい。ではトォル殿よろしくお願いいたします﹂
﹁ああ,もちろんだ。アーリ,お前は俺が守る。だからもう俺を庇
うなんて無茶はやめてくれ⋮お前までバクゥみたいに失ったら俺は
⋮﹂
システィナからアーリを受け取りながら訴えるトォルにアーリは
困ったように微笑むだけだ。
﹁ふん,勝手な言い草じゃのう﹂
ぼそりと呟く蛍さんに俺も同意する。お互いを大事に思うならそ
の気持ちはアーリさんも同じはずだ。自分だけの気持ちを押し付け
るなんて子供と同じだ。
もしトォルが本当の意味でアーリさんを守りたいのなら自分が強
くなるしかない。それが出来ないならお互いに守り守られる関係を
受け入れるしかない。
315
﹁遺品は回収したのか?﹂
﹁⋮あぁ,本当は武器を持って帰ってやりたかったんだがバクゥの
武器は階層主の領域に置いてきてしまった。 持って帰れる物は身に付けていたものだけだった﹂
そう言って視線をアーリの胸元へと送ったのを見て気づいた。さ
っきまで胸がほぼ丸見えだったアーリが大きめの革鎧を装備してい
る。
本当は遺品ではなく遺体を持って帰ってあげたいのだろうがそこ
までの余裕はない。
﹁私たちが離れればそう遠くない内に魔物に⋮
仮に見つからなかったとしても魔物程早くはないですが半日もす
れば塔に吸収されてしまうでしょう﹂
﹁そうか⋮﹂
魔物にしてみれば喰らう肉は屍肉でも構わないということか。仮
に安地に運んでおいたとしてもいずれ魔物ではなく塔に喰われる。
俺達は塔の腹の中を歩き回っている微生物みたいなもんか。
﹁ソウジロウ。行くぞ。早くしないとまた魔物が湧く﹂
﹁了解。すぐ行く﹂
蛍さんに促され嫌な考えを振り払って頷くと歩き出す。
先頭に蛍さん,その後ろにトォルとアーリ。2人の補助にシステ
ィナ。最後尾が俺だ。近づいてくる魔物は大概蛍さんが先に察知し
てくれるがさっきのハイドベアーのような例もある。怪我人を抱え
動きの鈍い2人を守れるようにして動く必要がある。
316
しばし無言の行軍が続く。響くのはアーリを抱えたトォルの荒い
息づかいと,その合間に微かに聞こえるアーリのか細い呼吸音だけ。
疲れ果てていることもあるだろうが2人の速度は全く上がらず俺
達だけで動いていた時よりも移動速度は3分の1以下になっている。
このままだとせっかく掃討したこのルートにも再び魔物が出てく
るかもしれない。
その辺の確認を蛍さんに聞きたいところだが前衛と後衛に別れて
いるから聞くに聞けない。
声を張り上げて聞くのもトォルとアーリの最後の気力を奪ってし
まいそうで怖い。
蛍さんとは﹃意思疎通﹄が出来る。だが蛍さんからの意思表示は
声ではないが俺からの伝達は全て声によるものだった。
ならば﹃共感﹄ならどうだろう。詳しい内容までは伝わらないが
俺が何を聞きたいか位は察してくれるのではないだろうか。
試しに蛍さんに向けてこの先に魔物と遭遇する可能性があるかど
うかという問いかけを念じてみる。
﹃む⋮ソウジロウか?﹄
通じた!俺はすぐに肯定の意志を念じて,再度同じ問いを送る。
﹃なるほど。よく気づいた。共感と意思疎通の技能をうまく組み合
わせるとはな。
お前の聞きたいこともイメージ的な物だが伝わっておるそ。
ちょっと待ておれ。少し範囲を広めに探る。
⋮⋮む,今の所はまだ大丈夫そうだ。だが行きと比べて明らかに
反応が増えてきている。このペースでは脱出出来るまでの間に戦闘
になる可能性が高いな﹄
317
やっぱりそうか。でも1階層への立ち入りを禁止してたおかげで
また1階層本来の魔物が徐々にリポップして数を増やしているはず
だから俺達の推測が間違ってなければ高階層の魔物は今この階層に
いる魔物だけでこれ以上は多分増えないはず。
それならこの辺の高階層の魔物は一度掃討してあるんだから,帰
り道で会うのは1階層の魔物の可能性が高いはずだ。1階層の魔物
ならば怪我人を抱えてても俺達3人でなんとか出来る。
よし。これなら無事に脱出出来そうだ。正直危険な決断だったけ
ど結果として3人とも無事だったし,レアな魔石も手に入れた。救
えるだけの人を救出できた。そしてこのことでシスティナもきっと
良いように変わっていってくれる気がする。
まぁ⋮かなり危ない場面もいくつかあったのは確かだけど俺とし
ては危険を冒した甲斐はあったと思う。
﹃ん?⋮ソウジロウ。ちょっと前へ来てくれ。
⋮いや,心配するな。今後方には魔物はいない﹄
なんだかよく分からないが蛍さんに呼ばれたら行かない訳にはい
かない。切羽詰まった感じはないし魔物が近いとかではなさそうだ
が。
足を速め,システィナを追い抜きざま﹁ちょっと前に行ってくる
から後方警戒もよろしく﹂と声をかけ先頭へと辿り着く。
﹁どうしたの蛍さん﹂
﹁来たか⋮よくわからんが人が近づいてくる。私が対応するよりお
前が対応した方がいいだろう﹂
318
﹁誰だろう?まだ1階層自体は入塔を規制してるはずだから⋮もし
かして高階層の探索者パーティが到着したのかも﹂
﹁いや,気配を探る限りではおそらく1人だな﹂
今のこの1階層に1人で?よっぽど腕に自信があるってことか?
まあどっちにしろこんな状況で馬鹿なことをする奴はいないだろう
から差しあたっての危険はないと思うが⋮
﹁フジノミヤ殿!﹂
﹁え?フレイ⋮さん?﹂
緊張していた俺の前に笑顔で近づいてきたのは先に脱出したはず
のフレイ・ハウだった。
319
脱出行︵後書き︶
閲覧ありがとうございます。
誤字脱字の指摘、感想、ブクマ、評価、レビューお待ちしておりま
す。
感想には返信もさせていただきますのでよろしくお願いいたします。
1話が少し短めになってしまっているので区切りまでもう少しかか
りそうです。
^^;
320
裏切り
﹁どうして戻って来たんですか﹂
﹁どうしてとは見くびられたものだな。他の者達を全員無事に脱出
させることが出来たのだから恩人を手伝いに来てもおかしくはない
だろう?
これでも私は4階層探索者だからな。足手まといにはならんと思
うぞ﹂
フレイさんはそう言って笑いながらハーフプレートアーマーに覆
われた胸を叩く。
怪我人を抱えた一行だから正直戦える人が1人増えてくれるのは
有難い。俺の印象では雇用者はともかくフレイさん自身に悪い印象
はない。
﹁恩人と言えばこっちだって同じなんだから気にしなくていいです
よ﹂
﹁⋮なるほど。じゃあ後は私の気持ち次第って訳だ。手伝うよ﹂
﹁ソウジロウ。のんびりしている暇はないぞ﹂
どっちにしろここまで戻ってきてしまった以上,一緒に脱出する
しかないんだけどね。
﹁分かった。じゃあフレイさん脱出するまでよろしく﹂
前は私だけで構わん。という蛍さんに俺とフレイさんは一緒に後
列へと下がる。
2人で後方を警戒しつつ歩く。蛍さんの見立てでは脱出するまで
321
に一度は戦闘する必要がありそうだってことなんで共闘する以上は
フレイさんの戦い方を確認しておいた方がいいか。
使う武器や魔法によって位置取りや戦い方は変わってくる。逆に
俺達の戦い方をある程度フレイさんも知っておかないと双方の動き
を邪魔しあう可能性がありそうだ。
歩きながらその辺を説明していくとフレイさんも当然のことだと
理解をしてくれたので先にうちの戦い方を軽く説明していく。
﹁基本的にうちはシスティナが防御関係の技能を持っているから正
面で壁役を務めてくれる。1番戦闘能力が高い蛍さんがアタッカー
かな﹂
﹁フレイムファングの時の戦いを少しだけ見ていたが確かに蛍殿は
タワーファング2体を相手に危なげない戦いぶりだったな﹂
その時の光景を思い出しているのか恍惚とした目をしている。蛍
さんの戦いは本当に洗練されていて速く強いので見ている人を魅了
する。フレイさんが心奪われるのも無理もない。
﹁で,俺がサブアタッカーかな。武器を2本持って振り回すから位
置取りは気を付けて欲しい﹂
﹁なるほど,それで武器を両腰に1本ずつ下げているのか﹂
﹁そういうこと。ちなみに言っておくと俺は戦闘系の技能が全く無
いからあんまり攻撃力は高くないのでそのつもりでいてください﹂
﹁ん?ちょっと待ってくれ。戦闘系の技能がない?そんな訳ないだ
ろう,あれだけの動きが出来てバスターソードを片手で振り回せる
ような人間が戦闘系の技能が無いなんてことある訳が⋮﹂
フレイさんが驚愕の表情をしているがそんなに驚くことだったの
か?だったら迂闊に公開したのは失敗だったかもしれない。
とは言っても無い物は無いし,異世界から来たってことは何をど
322
う調べたって証拠も出ないし証明も出来ないんだから問題になるよ
うなことはないと思うけど。
技能は無くても身体は鍛えられる訳で鍛えれば動けるようになる
んだから説明は出来るはず。
むしろ蛍さんが本当は刀だってことの方が知られたらヤバいはず
だからそっちは絶対にばれない様に気を付けないとな。
﹁大分蛍さんに鍛えて貰ってるからね﹂
鍛えて貰ってるっていってもこの世界に来てからの1週間くらい
だけど。それは言わない方が良いことくらいは俺でも分かる。
﹁そ,そうか。戦闘系の技能を覚えた時が凄そうだ﹂
引き攣った笑顔を浮かべるフレイさん。その視線が不自然に下が
る。
﹁俺の股間が気になる?﹂
﹁な!⋮ば,馬鹿なことを言うな!そんなところを見る訳がない!﹂
おーおー焦ってる焦ってる赤毛に加えて顔まで真っ赤になってる。
意外とそっち方面はうとそうだ。
﹁わ,私はフジノミヤ殿の武器が珍しいとお,思っただけだ﹂
桜ちゃんが?あぁそうかこの世界には刀自体が無いかもしれなか
ったんだっけか。この世界における武器は身分証明を兼ねるほど人
々の生活の中に密着してる。良い武器や珍しい武器を欲しがる好事
家は俺が考えている以上に多いはずだ。
変なトラブルに巻き込まれないようにあんまり人前で使わないよ
323
うにした方がいいかもしれない。さすがに命の危険もある塔内で出
し惜しみするのはあり得ないので仕方ない。
﹁そういえばフレイさんは武器は何を使ってるんですか﹂
﹁ん?私か?私はこれだ﹂
そう言って取り出したのは肘位までの長さの小剣が2本だった。
﹁小剣が2本。双剣使いということですか?﹂
﹁ふふん,半分正解だな。私はこの2本の小剣をこうして持って⋮﹂
フレイさんが手に1本ずつ持った小剣をくるくると宙に放り投げ
ると目の前に落ちてきた小剣をスチャッと逆手に握る。
﹁あ!爪が⋮﹂
思わず声が漏れる。小剣を逆手でキャッチしたと同時にフレイさ
んが身に付けていた手甲から鋭い爪が飛び出したのだ。長さはさほ
どでもないせいぜい2センチほどだが4本の爪が拳から出ている。
つまりフレイさんの﹃獣闘剣士﹄というのは⋮
﹁剣と格闘を合わせた超近接型の職業ってことか﹂
﹁さすがに分かるか。私の職業は獣形の亜人しかなれない獣闘剣士
というものなんだ﹂
しまった。俺が簡易鑑定を使って職業を知っていたということは
知られない方がいい。プライバシーの侵害を訴えられたら困る。
﹁さあ,フジノミヤ殿。私の職も武器も明かしたのだからフジノミ
ヤ殿のも教えてくれないか?﹂
324
随分喰いついてくるな。別に職は俺が聞いた訳じゃなくて勝手に
フレイさんがばらしただけなんだけど⋮どうせ知ってたし。それに
教えるって言っても俺の職も武器も簡単にオープン出来るようなも
んじゃない。どうしたものか。
﹁俺の職は武器生産系ですね。この武器は﹃刀﹄と言ってとんでも
ない田舎にあるうちの実家の蔵に眠っていた物なんで詳しくは分か
らないんですよ。
うちは両親も武器生産系でしたから何かで手に入れたのかもしれ
ないですね。
両親に聞くにも既に死別してますし,実家も引き払って何も残っ
てないんで今となっては何も分からないですね﹂
﹁そ,そうか⋮フジノミヤ殿もいろいろ苦労されているのだな﹂
少なくとも大きな嘘はついてない。実家の職については適当だが
自分の職についてはまるっきし嘘ではない。実家の蔵にあったのも
本当だし両親にもう会えないのも実家に戻れないのも掛け値なしの
事実である。
﹁﹃も﹄ってことはフレイさんも苦労してきたんですか?﹂
﹁ん?⋮まあな。不幸自慢をするつもりはないから詳しくはあれだ
がうちも早くに両親が他界してな。幼く身体が弱い弟と2人でそれ
なりの苦労はしてきた。
と言ってもまだまだたくさんの魔物や盗賊が跋扈する世の中だか
ら私程度の苦労をしてきた人などたくさんいるだろうな﹂
フレイさんもいろいろ大変らしい。あんなやつの護衛につかなき
ゃならないのも弟さんのためなのかもと考えると切なくもある。
325
﹃いかんな⋮ようやく半ばまで来たというのにこんなタイミングで
嫌なところに湧きおる。
ソウジロウ!ここは1本道だ。このままだと前後から挟まれる。怪
我人が居る以上私たちも手を分けるしかない﹄
あわよくばこのまま脱出と思っていたけどさすがに俺達が掃討し
てからこれだけ時間が経っていると全く敵に会わずにいるのは難し
いか。
俺は蛍さんに共感で了承の意思を送ると桜ちゃんと大剣を抜く。
﹁おぉ!いきなりどうしたのだフジノミヤ殿﹂
﹁システィナ!前後から魔物が来る!後ろは俺達が止めるから前か
らの敵を蛍さんと片付けてから援護頼む﹂
﹁分かりました!すぐ行きますので気をつけてください!トォルさ
んたちはここで動かないでください﹂
﹁わ,分かった﹂
慌ただしく動き出した俺達についていけずおろおろしているフレ
イさんに後ろから魔物が近づいているということを説明してトォル
とアーリの2人から距離をとるべく来た道を後ろへと戻る。
少し戻るとギチギチと嫌な音がいくつも聞こえてくる。あぁこの
音はあいつらか⋮
﹃蟻人︵4階層︶ ランク:F﹄
﹃タワーアント︵3階層︶ ランク:G﹄×3
﹁蟻人が1体とタワーアントが3体来る。前からの敵は蛍さんとシ
スティナがなんとかするからこいつらをなんとか倒しましょう﹂
﹁⋮あぁ,だがまずいな﹂
﹁確かに4体を2人はきついですけどやるしかない。時間さえ稼げ
ば前を片付けてから援護が来ると思います﹂
326
﹁そうじゃないんだ﹂
数が多いことで慎重になっているのかと思った俺の士気を上げる
ための言葉にフレイさんが首を振る。
﹁蟻人というのはタワーアントの上位種なんだ﹂
まあどっちも蟻だし六本足で歩くか2本足で歩くかの違いしかな
いんだから同種というのは理解できる。それの何がまずいのだろう
か?
﹁蟻人はタワーアントを統率する力を持っているんだ。タワーアン
トを3体も引き連れてるとなると4階層探索者でも逃亡を前提に戦
略を検討する﹂
確かにそれは厄介そうだ。となればどうする?将から潰すか,兵
から潰すか。
一番困るのは俺達2人が足止めされてここを突破されることだ。
ここまで苦労して連れ来た生存者を失うのはかなり悔しい。ここま
で来たら絶対にあの2人は生きて脱出させたい。
となると⋮やっぱり蟻人から潰すしかないか。頭を潰せば残りは
わざわざ目の前の敵をスルーするようなことはしないはず。
﹁フレイさん。あのアント3体を俺が引きつけたら蟻人を速攻で倒
せますか?﹂
﹁な!本気で言っているのか?フジノミヤ殿﹂
﹁時間が無いんです。出来るか出来ないか即答してください﹂
﹁く⋮済まないが私には無理だ。あの固い甲殻は私の攻撃では⋮﹂
﹁わかりました。じゃあ俺が行きます。フレイさんは倒さなくても
327
いいのでアント3体を絶対に後ろに行かせないでください﹂
﹁わ,わかった。全力を尽くす﹂
俺だって正直しんどい。だが蟻人は一度倒してる。桜ちゃんなら
甲殻の隙間を斬れることは確実だ。
後は前回みたいに蛍さんの援護がない中でどうやってあいつの4
本の足鎌の攻撃防御を抑えて斬撃を通すか。もう悩んでても仕方が
ない。あいつらはここを抜ければトォルとアーリを殺す。蛍さんと
システィナの背後を襲う。あいつらは間違いなく俺にとっての悪。
俺に蛍さんが言うような光圀モードがあるなら今こそ発動する時。
そう決心すると自然と脳内がスッと冷える。
目線を魔物に向け,重心を僅かに落とす。 ﹁フ,フジノミヤ殿?﹂
構えた俺を見て怯えたようなフレイさんの声が聞こえるが返事を
する余裕はない。
蟻仁は後方からギチギチと顎剣を鳴らしてタワーアントの後方か
ら向かってくる。おそらくあの音がタワーアント共への指示になっ
ているのではないだろうか。
タワーアントは通路を塞ぐように絶妙の間隔を保って近寄ってく
る。フレイさんの言うとおり蟻人によって統率されているようだ。
だが下手に知恵を回したおかげで通路の端を行けば邪魔されるの
は1体だけ。残りをフレイさんが押さえてくれれば蟻人まで行ける。
統率出来ると言っても頭が良い訳ではないのだろう。
﹁俺は左から行きます。先に正面に当たってください﹂
﹁わ,わかった﹂
328
俺の声に押し出されるようにフレイさんが真ん中のタワーアント
に向かって走る。そのすぐ後ろに隠れるように俺も走りだす。
すぐにフレイさんは真ん中の蟻と接敵する。蟻の顔面に先生の右
フックを叩き込んで勢いを止めその右手を90度捻ると握ったまま
の小剣の刃先が下に向きそれを蟻の複眼に突き刺す。
ギッギィー!
蟻が耳障りな音を立てる。小剣は完全に目を潰す程ではないよう
だが小さくない傷を付けたようだ。
なかなか面白い戦い方だ。格闘と小剣を融合させた獣闘剣士の戦
い方か。蟻相手では有効な攻撃手段が無さそうだが足止めだけなら
なんとかなりそうか。
そして彼女の先制攻撃がうまくはまったことで両端の蟻の注意が
真ん中に向き進路を変えようとする。
その一瞬をついて俺は進路を左に変え左の蟻の脇を抜ける。抜け
るついでにフレイさんの援護として蟻の腹部の若干柔らかい部位に
大剣を叩きつけておく。
グシャという気持ち悪い感触が伝わってくるが悪人認定されたモ
ノがどうなろうと知ったこっちゃない。
腹部を潰されたぐらいで虫は死なないので引き続きフレイさんへ
向かって行っているがあの傷では動きも鈍るだろうし場合によって
はいずれ力尽きるだろう。
後はこいつだ。
ギチギチギチギチ
悪いが害虫ごときと遊んでる暇はないんだよ!
329
俺は走り込んだ勢いのまま大剣をこれ見よがしに大きく振りかぶ
る。
蟻人はそれを見て大上段からの振り下ろしを想定したのか後ろ足
を踏ん張り4本の足鎌で頭部を守ろうとする。普通の蟻は後ろ向き
には歩かない。
この世界の蟻がどうだか知らないし,それがこいつに通用するか
も分からなかったし,たまたま下がらなかっただけかも知れないが
そんなことはどうでもいい。
俺は歩法を駆使して最後の踏み込みを右斜め前方へシフト。振り
下ろすべき大剣の角度を斜めに変えると力一杯振りぬく。
ギッギィー!
俺の一撃をもろに受けた蟻人が体勢を崩した隙を見逃さずに左手
の桜を頭部と胸部の境目に向けて一閃。
蟻人の頭部がゴトリと地面に落ちる。やったと思った瞬間身体に
痛みが走る。
﹁うくっ!﹂
しくった!こいつら虫は頭をちぎられてもしばらく動けるんだっ
た。
よろよろと後ろに下がると胸から腹にかけて刻まれてしまった傷
跡に舌打ちした気持ちになる。
せっかくうまく立ち回ったのに最後に油断したせいで台無しだ。
大上段の振り下ろしで頭部への攻撃を警戒させつつ歩法とフェイ
ントで狙ったのは蟻人の足。身体の大きさに比べて異常に細い足を
330
結構な重量武器である大剣で斜め上から叩き付けた。
思惑通り砕けた足で体勢を崩した蟻人に更に一歩踏み込み桜ちゃ
んでとどめをさした。
だが小太刀である桜ちゃんでの攻撃は間合いが近づきすぎるとい
う欠点がある。しっかりととどめをさしたら不測の事態を避けるた
めにもすぐに離れなきゃいけなかった。それが遅れたせいで蟻人の
最後の足掻きだった足鎌の一振りを受けてしまった。防具を駄目に
してたのも運が悪かったがそんなのは言い訳だろう。
くそ!反省は後だ!幸い傷はそんなに深いところまでは達してな
いと思う。
﹁フジノミヤ殿!﹂
切羽詰まった声に振り向くと統率するべき頭を失ったことで本来
の凶暴さを取り戻した3体のタワーアントにフレイさんが囲まれて
いた。
﹁く!今行く!﹂
抜けそうになる力を無理やり込めなおし走る。まずは俺が腹を潰
していた蟻の後ろから近づき頭を大剣で潰す。蟻人は同じようにし
ても頭は潰れなかったのでやはり蟻人の方が上位種なのだろう。
﹁あと2体﹂
俺に気が付いた1体が攻撃目標をこっちに変更したらしいので対
峙する。1対1ならフレイさんもそうそう不覚は取らないだろう。
ならば俺のすることは目の前の1体を確実に屠ることだ。
331
﹁ふう⋮なんとかなったね﹂
﹁ああ,一瞬助けに来たことを後悔したぞ私は﹂
それから数分後なんとか2体のタワーアントを倒すことが出来た。
前の方からも音が収まりつつあるので間もなく決着が付きそうだ。
後は脱出するだけだ。
﹁その前に魔石を拾っとかないとね﹂ その場に落ちている魔石を3つ回収する。タワーアントの分だ。
﹁フレイさん。この3つはフレイさんに差し上げます﹂
﹁え?⋮何故?ほとんどフジノミヤ殿が倒したのだ私は受け取れん﹂
﹁いいから!フレイさんが足止めしてくれなきゃいろいろヤバかっ
たんだ。ありがとうフレイさん。助かったよ﹂
﹁あ⋮あぁ。分かった。では有難く貰うことにする﹂
無理やり押し付けたられた魔石を見つめたまま固まるフレイさん。
その表情には戸惑いのが見える。
そんなに気にすることないのに。本当に律儀な子だ。
蟻人の魔石は俺がもらって行こう。完全にソロで倒したし問題な
いっしょ。
蟻人を倒した辺りに来て床を探すとさっきの魔石より一回り大き
いのがすぐに見つかる。
332
よし!こいつを回収したら蛍さんと合流しよう。
ゴン!!
魔石を拾うため床へと手を伸ばした俺は次の瞬間強い衝撃と共に
意識を失っていた。
333
裏切り︵後書き︶
ちょっと更新遅れましてすいません。事実上の1章終了までもうち
ょいです。
334
変異種︵前書き︶
累計4万PV、8000ユニーク達成しました。ありがとうござい
ます^^
335
変異種
意識を失っていたのはほんの少しだったと思う。なぜなら受けた
衝撃で涙が滲む目を開いたその視界の先に塔の中心部に向かって走
り去る赤髪の女が見えたからだ。
﹁桜ちゃん⋮﹂
何故俺がそんなに短い時間で覚醒したのか。それにはもちろん理
由がある。
俺が意識を失った直後。桜ちゃんの俺を気遣う思いとあまりにも
強烈な憤怒の感情がかつてないほどに強力な﹃共感﹄で伝わってき
たからである。
それは下手をすれば赤髪の女に受けた衝撃すら上回るほどの一撃
で瞬時に俺の意識をたたき起こした。だが,俺を人事不省の状態か
ら救ってくれたその思いは徐々に弱くなりつつあった。俺から遠ざ
かっていくのだ。
俺はズキズキと痛む後頭部を押さえながらゆっくりと立ち上がる
と自分の腰回りに視線を向ける。
﹁魔石が入ったポーチと桜ちゃん⋮か﹂
その事実を認識したと同時に腹の底から怒りの泡沫がぶくぶくと
湧き上がってくる。
魔石だけならまだいい。お金やら錬成やら惜しいとは思うが無く
てもなんとかなる。300%くらい良い人補正を自分にかければ﹃
何か事情があったんだろう。見逃してやるか﹄と思ってやらないこ
ともなかった。
336
だが⋮俺の桜を誘拐したことだけは断固として許すわけにはいか
ない。どこに逃げてどこに隠れようと追いかけて見つけ出しこの世
に産まれたことを後悔させてやる!
ふらつく頭を怒りで無理矢理リセット。一度大剣を腰に戻し一気
に走り出す。アレは今角を曲がったところまだ追える。
蛍さん達に声をかけてから行きたいところだがこれ以上離される
のはマズいし,大声を出せば追われてることに気づかれる。
アレは俺がこんなにも早く目が覚めていることにまだ気づいてい
ないはずだ。
だから蛍さんに﹃問題発生﹄﹃追う﹄﹃救出優先﹄だけを強く念
じる。
﹃ちょっと待てソウジロウ!こっちも魔物は今片付いた。合流する
べきだ!﹄
﹃否﹄
それでは間に合わない逃げ切られてしまえば桜は帰って来ないか
もしれない。それだけは駄目だ。
﹃⋮ソウジロウ何があった?﹄
﹃裏切り﹄﹃桜﹄﹃誘拐﹄
通じるかどうか分からないが立て続けに念じる。
﹃うむ⋮分かった。私の問いに肯定か否定で返せ﹄
﹃肯定﹄
﹃フレイが裏切ったのだな﹄
﹃肯定﹄
﹃そして桜を盗まれた﹄
﹃肯定﹄
﹃ならば焦らずとも一度塔から出てから﹄
﹃否定!﹄
それは駄目だ。嫌な予感がする。今ここで桜ちゃんを見失えば二
度と会えない。そんな確信がある。
337
﹃我らも追うのは駄目なのか﹄
﹃肯定﹄
﹃ならばこいつらを外に放り出してからならいいのか﹄
それならもちろん﹃肯定﹄だ。
﹃⋮分かった。確かにここまで来て見捨てるのも後味が悪い。こい
つらを引きずってでも速攻で外に放り出してから我らも追う。
それまでは無理をするな。いいなソウジロウ﹄
﹃肯定﹄だ。目の届く範囲に桜がいてくれるならこんなに焦りはし
ない。
そして,そろそろ蛍さんとの共感も距離が離れてきたせいか感度
が悪くなってきている。逆に桜との共感は強くなっているようだ。
桜が自分の通った道の形をイメージで伝えてくれるのでアレにミス
リードされることもない。
共感が強くなっているということは歩法を駆使した俺の全力疾走
がアレの逃げる速度よりも速いということ。絶対に追いつく!
更に走る速度を上げるべく意識を集中しながら立て続けに幾つか
の角を曲がるとようやくアレの後ろ姿が見える。
おそらくアレは俺を昏倒させた以上蛍さんやシスティナが俺を置
いて追いかけてくることはないと思っていたのだろう。それ自体は
正解だ。きっと2人なら気を失った俺を置いて動くことはなかった。
だが,アレは俺と桜の絆を知らなかった。桜をただの刀としか思
っていなかった。それがアレの命取りだ。
今は逃げ切ったとは思っているのか悠長に立ち止まり魔物を警戒
しているところだった。やっと追いついた。
しかし周囲を警戒しているのだから当然追ってきた俺にも気づく。
﹁ひぃ!﹂
俺の姿に気がついたアレは一瞬驚愕に目を見開き,その後俺の顔
338
を見て恐怖に後ずさった。俺が今どんな表情をしているのかは分か
らないがよほど怖かったのだろう慌てて踵を返して走り出す。
だがもう遅い。この距離まで近づいている上に,一度0にした速
度をこれからまた上げていくアレよりも一瞬たりともスピードを緩
めずに走り続けている俺の方が圧倒的に速い。もはやアレに追いつ
くのは時間の問題だ。
淡々と,確実に,少しずつ,アレを,追い詰める。追い詰めて桜
を取り戻す。それだけを考えながらひたすら走る。
﹁いひぃ!いやっ!く,くるな!﹂
そんな俺の姿を振り返って確認するたびにアレの恐慌状態が酷く
なっていく。後悔するくらいなら余計なことをしなければいい。悪
いことをして悪人になる覚悟があるならば,失敗した時に殺される
かもしれないという覚悟も同時にしておけと言いたい。
がむしゃらに逃げ回るアレはもはや道など考えていないとにかく
全力で走り,行く手に魔物を見つけたらすぐに進路を変え曲がる。
敵が弱い魔物ならばあえて突破をはかりすぐ後ろに迫っていた俺に
魔物を押しつけることすらした。
4階層辺りの探索者がスルーして単独突破出来る程度の魔物なら
大剣の一振りで弾き飛ばせばそれでもうこっちを追って来られない。
そして大剣一振り分程度の減速では俺を振り切れない。
﹁ひ⋮く,来るな!こ,来ないでくれ⋮﹂
とうとう俺はアレを追い詰めていた。ただ不思議なのは両側こそ
通路の壁だがアレの後ろにはまだ空間が開けている。逃げようと思
えばまだもう少しは逃げられたはずなのにそこに見えない壁がある
かのように通路の区画の先に行こうとしない。
どっちにしろ俺には関係はないが。ゆっくりと大剣を鞘から抜く。
339
﹁や⋮やめろ。やめてくれ⋮それ以上近寄るなら﹂
ソイツは震える手で右手に持ったポーチと左手に持った桜を見比
べた後,ゆっくりとポーチを持ち上げた。
﹁こ,これを後ろに投げる﹂
⋮意味が分からない。後ろに投げられたところでコイツを斬り捨
てて桜ちゃんを取り返したらゆっくり拾いに行けばいいだけだ。
そう考えた俺は更に一歩前に出る。
﹁ば!なななんでこんなことに⋮こ,これさえ!⋮これだけあれば
!私は解放される!そうすればあ,アルだって⋮﹂
⋮訳あり,か。恐慌状態直前でうわごとのように漏らした呟きが
聞こえてしまった。
確かにおかしいと思ってはいた。人間的に護衛をする相手が釣り
合っていない。もちろんお金の為に嫌な相手に付き従うことはあり
得るだろう。
だが⋮ほんの少し遠目から見ただけだが,なんというかそんな感
じではなかった。﹃仕方なく従う﹄のではなく﹃逆らえないから従
っている﹄。
今になって思えばそんな雰囲気だった気がする。
⋮仕方がない。ちゃんと桜とポーチを返してくれるようなら話を
聞いてやるか。
俺の悪人の基準はただ単に悪いことをしたというだけじゃない。
生きるために,助けるために,守るためにやれることをやれるだ
340
けやり尽くし最後の最後にやむを得なくなり悪事に手を染めてしま
う人だっているかもしれない。
そういう人達すら一括して悪人だとしてしまうのは俺の本意じゃ
ない。もちろんだからと言って1人1人話を聞いていちいち判断す
るような無駄なことをする気もない。
結局のところ俺が自分の目で見てどう判断するか。それだけが唯
一絶対の基準だ。そのかわり自分が判断したことに責任を持つ覚悟
はある。
とにかくまずは桜を返してもらってからの話だ。その旨を伝えよ
うと更に一歩近づき桜を返せば話を聞いてやると伝えるか。
﹁ひぃぃぃぃぃ!いやだいやだぁぁぁ!﹂
だが俺が何かを言うより早く一歩を踏み出したことでフレイが恐
怖の奇声を上げた。
しまった!まずは声をかけ,もう殺すつもりはないことを伝えて
から近寄るべきだった。ぎりぎりのところで恐怖に耐えていたフレ
イの最後の堤防を迂闊な一歩が破壊してしまったらしい。
﹁待て!﹂
俺の叫びも虚しくフレイは桜を投げ捨ていままで頑なに行くのを
拒んでいた奥へと駆けだしていた。
内心で舌打ちしながらも取りあえず桜を素早く拾って再会を喜ぶ
間もなく後を追いかけ⋮ん?別に追いかけなくてもいいのか。
錯乱してだが桜を置いていったなら無理に後を追わなくてもいい。
魔石は惜しいと言えば惜しいが皆がいればいずれ同程度は稼げるは
ず。なぜフレイがこんなことをしたのかという疑問は残るが敢えて
追いかけていって問い詰めるまでの必要性は感じない。
341
走って遠ざかるフレイの後ろ姿見てまあいいかと思い始めた俺の
視界に信じられないモノが映る。
そうか⋮フレイがあれほど侵入を躊躇っていた理由はこれだった
のか。
走るフレイの頭越しに見える2階層へと続く階段。そしてその前
に横たわる巨体。
﹁階層主⋮﹂
﹃ドラゴマンティス︵??階層︶ ランク:階層主﹄
なんだこれ。なんで階層が表記されてないんだ。なんだよランク
階層主って。こいつまさか⋮変異種?階層主の変異種!
しかも前にここまで来た探索者達によれば最低でも10階層レベ
ルの階層主だと言っていた。それの変異種ともなれば⋮やばいどう
やっても勝てるビジョンが浮かばない。
フレイは⋮いた!錯乱しながらここと一番近い別の通路へ向かっ
て走っている。
このままならなんとか通路へ逃げられるか?そっちはまだ高階層
の魔物達を狩ってないはずだからその通路の先が安全である可能性
はかなり低いと思うがあの階層主と戦うよりはまだましだろう。
そんなことを考えていると侵入者に反応したのか階層主が動き出
した。
﹁⋮でかい﹂
のそりとした動きで立ち上がった階層主の姿は異様だった。少な
くともあっちにいた時小説でも漫画でもこんなモンスターは見たこ
とがない。
342
全身は緑色の鱗に包まれたその体躯はどう少なく見積もっても全
高4メートルを超える。ごつい後ろ足2本で立っているその姿は一
見恐竜のようにも見えるがなによりも違うのはその前足だった。
階層主の前足はまさにマンティス。身体の半分ほどにも達するよ
うな蟷螂チックな鎌を備えていた。その鎌も緑の鱗に覆われ,鎌の
内側には固そうな棘が幾本もあり肘にあたる部分にも杭のような棘
がある。
顔は完全にドラゴン顔であり,獰猛な牙の数々は十分攻撃手段に
なりそうだ。
階層主の異様に戦慄しフレイの追跡を完全に諦めようかと判断し
かけて戻ろうかと思った時俺は見てしまった。
同じように階層主の異様に気が付いて腰を抜かし,座り込んでし
まったフレイ・ハウを見てしまった。
﹁馬鹿!止まるな!動け!走れ!﹂
俺が叫ぶがぼろぼろと恐怖の涙を流しながら子供のようにいやい
やをするのが精一杯のようだ。確かにこれを見るとトォル達が至近
距離でこの階層主と遭遇した時に全てを諦めてしまった気持ちも分
からなくもない。今のフレイもおそらく同じ状態なのだろう。
階層主の顔がゆっくりと回されフレイを捉える。
﹁ひ!﹂
フレイは短い悲鳴を上げるがそれでも立ち上がることが出来ない。
おそらくバクゥがしたような荒療治でもなければ動き出すきっかけ
を作れないのだろう。
343
どうする!どうする!どうする?
頭の中でそれだけがリフレインしている。助けに行く?馬鹿な!
自殺行為もいいところだ。蛍さんとシスティナがいたって正直勝ち
目はないかもしれないのに俺一人で足手纏いを抱えながら戦えるよ
うな相手じゃない。
階層主は巨体の割に静かでなめらかな動きでフレイに向かって歩
を進める。その距離は10メートルも離れていない。このまま見て
いればフレイは確実に殺されるだろう。
﹁あぁ!くそ!﹂
フレイの首が階層主の鎌でとばされるシーンを幻視した俺は盛大
な舌打ちをしながら1刀1剣を抜いて階層主の領域内へ走り出して
いた。
344
変異種︵後書き︶
感想、評価、レビュー等々お待ちしております。
345
桜
階層主は焦るつもりはないのかゆっくりした動きを変えようとし
ない。それがわざとなのか巨体故の仕様なのかは分からないが今は
ありがたい。
おかげで主よりも早くなんとかフレイの下にたどり着く。
﹁何してる!早く逃げろ!﹂
﹁あ?ひぃ!⋮いやぁ⋮﹂
ちっ!
錯乱して腰を抜かしているだけでなく失禁までしているフレイにや
っぱり悪人認定して見捨ててしまおうかと一瞬本気で考えるが脳裏
に浮かぶシスティナの顔が怒っているように見えたので諦める。
﹁言う通りにしろ!今言う通りに動けば俺はお前を殺さない。約束
してやる!﹂
﹁ひ!え?⋮こ,殺さない?﹂
﹁そうだ!だから動け!まずは俺のポーチを返せ!そしたら後ろの
通路まで死ぬ気で走れ!﹂
﹁は,ひゃい!﹂
殺さないという一言が効いたのかいくらかまともな思考を取り戻
したフレイは震える手でポーチをその場に置くと這いずるように後
退していく。立ち上がれるまではもう少しかかりそうだ。
そこまでは面倒見きれない。床に置かれたポーチを腰に戻すと間
近に迫りつつある主を見上げる。わざわざポーチを返して貰ったの
はトォル達から聞いた話の中でバクゥが時間稼ぎに魔石を使用して
346
いたからだ。この中にはあの大きな火魔石が入っている。いざとい
う時は役に立つかもしれない。
にしてもやっばいなこれ。ていうか高階層に行くとこんなのがご
ろごろいるんだろうか。本当に普通の人間達がこいつら相手に勝て
るとはとても信じられないんだが。
取りあえず俺がしなきゃいけないのはこいつを倒すことではない。
注意だけを引いて領域から脱出することだ。
﹃桜!後ろは?﹄
﹃⋮⋮﹄
まだ半分か。桜にも気配察知のスキルがあるため俺にもなんとな
く周囲の状況は分かるのだが確実を期すなら桜に確認した方がいい。
だが桜が不満気に返してきた回答はまだ半分だった。
そしてその間に階層主はもう目前に迫っていた。俺の間合いから
はまだ3歩以上先だがあの折りたたまれた蟷螂のような鎌を使えば
主の間合いには十分入っている距離。
それを証明するかのように主の右鎌が大きく後方へと引かれてい
る。ヤバい!超怖い!死ぬ!
﹃⋮!﹄
一瞬硬直しそうになった俺を反射的にしゃがませたのは桜の﹃下
!﹄というイメージだった。そしてその一瞬後に俺の頭上を緑色の
暴風が通り抜けていく。
﹁うお!﹂
その暴風に体勢不十分だった俺は吹き飛ばされるかのように地面
347
を転がされる。武器だけは絶対手放さぬように気を付けながらすぐ
さま立ち上がると﹃⋮!﹄桜の警告。
慌てて後ろに跳ぶと目の前に緑の壁。どうやら踏みつけ攻撃だっ
たようだ。くそ!やられてばっかりだと思うなよ!
﹁喰らえ!﹂
俺は渾身の力を込めて目の前の足に右手の大剣を横殴りに叩き付
ける。
バキャ!
鈍い音がするが主の足はやはり斬れてはいない。脚を覆う鱗の一
枚が割れただけだった。やはりこの大剣では斬るための力が圧倒的
に足りない。完全に打撃武器に成り下がっている。
相手の動きが鈍いのを良いことに更に左の桜で足を斬りつけてみ
る。
グギャぁ!
やはり日本刀の斬れ味は抜群のようで主の足から何とも言えない
濁った赤色の飛沫が舞う。斬れる。斬れるけど桜のリーチでは深く
斬りこめないためこれでは何度攻撃しても決定打にはなりそうもな
い。
﹃⋮!!﹄
危ない!そんな考察をしている間に左の鎌を振り上げていた主が
俺の頭上に鎌を振り下ろしてくる。必死に斜め前方へ跳びこむよう
に身を投げ出すとすぐに立ち上がる。
348
﹁あれは!⋮行けるかもしれない!﹂
偶然にも立ち上がったその位置は主のやや斜め後ろの位置。そして
開けた目の前の空間に見えたのは2階層へと続く階段だ。そしてフ
レイはほっといても間もなく通路へと逃れる。
事前の情報では階段を上ると100%次層の外周部に出るはず。な
らば階段を上ればすぐに2階層から飛び降りて脱出が出来る。この
ままいけば引き返してきた蛍さんたちもフレイと合流し俺が2階層
へ上がったことも伝わる。2人ならフレイを連れて1階層から脱出
できるはず。
瞬時に全ての問題が解決する妙案だった。問題は階層主よりも早く
階段へ辿りつけるかどうかだが今までの主の動きは鈍いが歩幅を考
えれば俺と変わらないくらいの早さはあるだろう。だが今なら階層
主は方向転換をする必要がある。
途中で転ぶとかのヘマをしなければ主よりも先に階段を上り2階層
へ届くはずだ。
という結論に辿りつく前に俺は既に走り出していた。この作戦が
失敗したらおそらく俺の未来はほぼ詰む。
領域の中央に向かって行って失敗するということは階段以外の退
路が遠くなるということだからだ。
なんで異世界に来て命がけの全力疾走をしてるんだと愚痴りたい
気持ちを抑えてひたすら走る。階層主の気配はまださっきの位置か
ら動いていない。方向転換に手間取っているのかもしれないがこち
らにとっては願ってもない。
階段まであと15メートル⋮10メートル。
よし!これだけ差を付けてここまで来れば絶対に俺の方が早い。
本当に今日はハードな一日だった⋮もう今日は早く帰って寝たい。
今日ばかりは夜のいちゃつきタイムも無しでもいいから2人の温も
349
りに包まれてひたすら寝てやる!
あと7メートル,6,5メー⋮
﹃⋮⋮⋮!!﹄
﹁⋮な⋮んれ?⋮⋮﹂⋮ごぶっ!
さっきまで見えていたはずの階段が緑の壁に変わっていた。そし
てドラゴマンティスの鎌の肘の部分から出ていた杭の様な棘が俺の
右脇腹を貫通していた。
なんでだ⋮理解できない。俺の方が圧倒的に早かったはず⋮気配
はずっと後ろにあったのは間違いない⋮のに。
よろよろと後ろに下がりつつ棘を抜くとどくどくと血が溢れる。
あ⋮この出血やばいかも⋮噴き出す血に意識が遠のきカランと落と
した武器達にも気づかぬまま脇腹を押さえながらその上に倒れ込む。
階層主は俺に気づいていないようだ⋮というか奴自身なぜここに
いるのか分かっていない?
そこまで考えた俺の脳裏に昔読んだライトノベルの先駆け的な冒険
小説の設定を思い出す。
それは宝物を守るドラゴンは宝物を守るという呪いをかけられて
いて,巣を留守にしていても宝物を狙う冒険者が巣に進入すると強
制的に宝物の前に転移させられるというものだった。
主を階段前から誘い出して倒さずに階段を上ろうとすると階段前
に階層主が転移させられる。そういうことなのか⋮
くそっ!しくじった。油断してなきゃここまで深い傷受けずに済
んだかも⋮
視界を塞ぐ階層主の踵がゆっくり方向転換していく。あれが18
0度回転したら確実に殺される。でも⋮身体に力が⋮
350
﹃⋮⋮!﹄
あぁ⋮桜ちゃんの叫び声が聞こえる。ごめん⋮俺が桜ちゃんを誘
拐されなければこんなことには⋮
﹃⋮⋮ま!⋮⋮様!⋮⋮⋮ちゃ駄目!﹄
あれ?本当に声が⋮蛍さん?⋮の声じゃない。
﹃ソウ様!起きて!諦めちゃ駄目!せっかく,せっかく桜しゃべれ
るようになったのにソウ様が死んじゃうなんて駄目なんだから!﹄
﹁⋮桜ちゃん?どうして⋮﹂
思わず呟いてから気がつく。桜を身体の下敷きにしていたことに。
﹁⋮俺の血を浴びてランクアップしたのか﹂
うわ⋮死にかけのはずなのにテンション上がったかも。せっかく
桜ちゃんと話せるようになったのに死んでる場合じゃない!
力の入らない身体に全力で喝を入れて無理矢理身体を起こすがそ
こまでが限界で立ち上がるのは厳しそうだ。
荒い息を吐きながら目の前でとうとうこっちを向いた階層主を見
上げる。だが階層主は周囲を見回すだけで俺の姿を見つけられない
ようだった。
﹃ソウ様!桜の力でちょっとなら相手の目を誤魔化せるみたいだか
ら今の内にポーチの薬全飲みしちゃって!﹄ そうか!傷薬は俺が全部預かってたんだった。俺は震える手でポ
351
ーチを探ると薬を入れた巾着を逆さまにして全ての薬を手の平にぶ
ちまけるとゴルフボールの半分位の大きさの緑色の玉5つ全てを口
に放り込んでバリボリと噛み砕く。
噛み砕くと中からどろっとした液状のものがが溢れ出てくるがそ
れごと咀嚼して飲み込む。傷薬はポーションのような液状の物を薬
草をすりつぶして固めた物に閉じ込めて作ってあるらしい。塗り薬
としても使えるし嚥下しても比較的すぐに効能が表れるとのことだ
った。
﹁お⋮﹂
確かに脇腹の傷が修復されていく気がする。さすがに完治は無理
だろうが出血が止まって体力がちょっとでも戻ればなんとか動ける。
失った血までは戻らないだろうから結局激しく動き回るのはきつい
だろう。こんなことになるならけちらずもっと高価な回復薬を準備
しておくんだった。
気配察知
隠形
とにかくもう少し回復して動けるようになるまでの時間に桜を鑑
定しておく。
﹃桜 意思疎通
ランク: C 錬成値 50 吸精値 1
技能 : 共感 敏捷補正 命中補正 魔力補正﹄
確かにランクが上がっている。﹃意思疎通﹄と更に﹃隠形﹄まで
覚えている。そう言えばハイドベアーと戦っている時,妙に桜のテ
ンションが高かったような⋮
となればこのスキルは相手の自分に対する認識力を薄くしてくれ
るスキル?
352
⋮うまくすればこのまま撤退できるかも。
﹃駄目だよソウ様!桜経由じゃたいした効果は無いと思う。多分も
ろに視界に入ったくらいですぐばれちゃうよ﹄
さすがにそんなに甘くはないか⋮
それでも今俺に出来ることはなんとか逃げきることだけだろう。
﹁桜。隠形のスキルは常時発動で頼む。なるべく階層主の死角を移
動しながら撤収する﹂
﹃分かったよソウ様。桜,一生懸命ソウ様を守るから絶対生き残ろ
うね。もう少しすれば蛍ねえも来てくれるから﹄
桜ちゃんはそう言っているが実際に蛍さん達がここに来るまでに
はまだまだ時間はかかるだろう。俺の予想では早くてもようやくト
ォル達を脱出させたくらいだろう。
さて⋮そろそろなんとか動けるくらいにはなったみたいだし,階
層主も気づいたらしい。
﹁いくよ﹂
﹃うん!﹄
俺を見下ろす主の視線を意識しながら移動を開始する。と言って
もこの至近距離で視線を外すのは怖すぎるので正対したまま後ろに
下がる。
主の右の鎌が振り下ろされるのをサイドステップで外側へとかわ
す。そこで一瞬死角に入った隙をついて素早く下がって距離を取る。
気づかれたらまた主の攻撃を敢えて待ち死角になりそうな方向へと
かわす。そしてまたその隙をついて下がる。
桜の隠形が効いているおかげで視界からはずれると俺を見つける
353
までに一瞬タイムラグが出るらしく素早い追撃が出来ない主は徐々
に苛立ちを募らせているようだ。
﹃ソウ様!次は右!﹄
﹁はぁはぁ⋮了解﹂
﹃しゃがんでから後ろ!﹄
﹁うぷ⋮おぅ﹂
﹃ソウ様!とにかく避けて!﹄
﹁おい!﹂
苛立つ主のやみ雲とも言えるような連続攻撃を桜の気配察知に助
けられつつかろうじてかわし続けるが徐々にかわすだけで精一杯に
なってきて死角に入る動きも出来なくなってくる。
しかも血が足りない状態で動き回っていることで身体は重いし頭
はふらふらするし,気を抜くと意識が持って行かれそうになる。だ
がここまで来てようやく領域を出るまでの距離の半分。
このままだとジリ貧だ⋮仕方ないあれを使うしかないか。
体力に余裕のあるうちにやれることをやる。主の攻撃をかわしつ
つ大剣を鞘へと戻すと空いた手で火魔石を取り出す。
もったいないが命には代えられない。これだけでかい火魔石なら
かなりの威力があるはず。起爆した俺もただではすまないかもしれ
ないが確実に死ぬ現状よりいくらかましだ。
えっと確か魔石に魔力を通せば良かったんだよな⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
ていうか俺魔力外に出せないし!うあ,俺使えねぇ∼!しまっと
けよこんなもん!
﹃ソウ様⋮がんばです﹄
354
桜ちゃんの励ます声が虚しく聞こえる。
結局火魔石をしまいつつ大剣を抜いてなんとかする方針に戻るし
かない。でも足が動かなくなってきて既に攻撃をかわせなくなって
きている。
大剣と桜を駆使して微妙に直撃受け流してなんとか凌いでる状態
だ。
﹃ソウ様!﹄
﹁まず!﹂
一瞬朦朧とした意識の中で反応が遅れた主の横薙ぎの一撃を正面
から大剣で受けてしまう。
ガキィぃぃン!!
受け流せない一撃を受け数メートルを弾き飛ばされる。ごろごろ
と転がり脇腹の傷に激痛が走るが大剣の防御が間に合わなければ真
っぷたつにされていた。
既に痛くないところを探した方がいい身体に鞭打ち即座に立ち上
がって次の攻撃に備える。
﹁あ⋮﹂
自分の構えに違和感を感じた理由はすぐわかった。
﹁バスターソードが折れた⋮﹂
ここまでの激闘で既に受けていたダメージの蓄積に加えて,受け
を間違え正面から受けてしまった今の一撃に俺の大剣は中ほどから
355
折れていた。
⋮結局名前もつけてやれなかった。
﹃ソウ様!駄目です!今は集中しなきゃ!﹄
﹁え⋮﹂
折れた大剣に目を奪われ一瞬動きが止まっていた俺は桜の悲鳴の
ような叫びに視線をあげた。
﹁あ⋮やっちまった﹂
その視界には遠心力によって加速されたドラゴマンティスの尾が
一杯に広がっていた。
356
反攻
いってぇ⋮⋮?って痛い?
ある種の諦念と共に吹っ飛ばされた俺は確実に全身バッキバキの
即死を覚悟していたのだが,まだ身体の痛みを感じるってことは生
きてるということだ。
確かに衝撃を受け吹き飛ばされたのに固い床ではなく柔らかくて
気持ちがいいものに包まれているような⋮やっぱり死んで天国に来
たのだろうか。
﹁寝ぼけている暇はないぞソウジロウ。早く起きろ﹂
あぁ⋮もう聞けないかもと思っていた蛍さんの声だ。俺はこんな
状況にもかかわらずおもわず感じてしまった安堵に吐息を漏らす。
﹁早かったね蛍さん⋮﹂
目を開けるとそこには蛍さんの大きなクッションが二つ俺の顔を
挟んでいた。
﹁事情説明は私とシスティナが交代した後システィナから治療を受
けつつ聞け﹂
そっか。まだまだ戦闘中だった⋮でもさっきの一撃はどうしたん
だ。どう考えても避けられるタイミングじゃ⋮!!
﹁蛍さん!もしかしてさっきの攻撃!﹂
﹁よい。私しか間に合わなかったし,私は頑丈だからな﹂
357
俺と階層主の尾の間に割り込んだのか⋮なんて無茶を。
﹁ソウジロウ。そのことは後だと言っただろう。こうしている間に
もシスティナは1人で主の相手をしているのだぞ﹂
蛍さんの言葉にはっとして振り向くとそこでは戦斧を縦横無尽に
振り回して主を牽制し続けるシスティナがいた。
⋮こうしちゃいられない。
俺は悲鳴を上げる身体を動かして下敷きにしていた蛍さんを解放
する。
﹁よし。私はシスティナと交代してあいつを引きつける。その間に
回復しておけ﹂
蛍さんは微笑みながらそう言うと右手を蛍丸に変化させて主へと
向かって行く。本来ならその細いながらも頼もしい背中を見て安堵
するのだが今日は⋮
﹁あの背中⋮くそ!﹂
身を挺して俺をかばってくれた蛍さんの背中は着物が擦り切れて
丸見えになっている。そして本来なら白くなめらかなはずの蛍さん
の背中は血にまみれていた。
刀としては丈夫で擬人化してもその特性をある程度引き継ぐとは
言ってもあれだけ﹃人﹄に寄ってるんだから負傷もすれば流血もす
る。そんなことはちょっと考えれば分かるのに俺はよく分かってな
かった。
くそ!あの傷は俺が弱かったせいだ!
358
﹁ソウジロウ様!良かった!ご無事で﹂
﹁ぐほっ!﹂
俺の負の思考を文字通り体当たりで止めたのはもちろんシスティ
ナである。
﹁本当に死んでしまうかと思いました⋮﹂
﹁⋮ごめん﹂
﹁蛍さんがいなければ間に合いませんでした⋮﹂
﹁うん⋮あの傷は俺のせいだ﹂
﹁⋮傷を見せてください。治療します﹂
﹁うん⋮ありがとう﹂
無意識に傷口を押さえていた手を離すとその傷を見たシスティナ
の表情が強ばってかなり慌てたように回復魔法を施していく。
結構重傷だったらしい。システィナの勧めに従って傷薬を購入し
てなかったら間違いなく命は無かっただろう。
﹁システィナ。どうしてこんなに早くここまで?﹂
﹁はい,トォルさん達を連れて帰る途中に高階層探索者のパーティ
に出会えたので事情を話して2人を預けて私たちは蛍さんの気配察
知と⋮﹂
システィナの視線が腕のパーティリングを見る。
﹁パーティリングのおかげでぎりぎり間に合いました﹂
﹁そっか⋮﹂
レイトーク側が雇うと言っていた高階層を探索できるパーティが
来たのか。それにすっかり忘れてたけどこのリング⋮借金してでも
359
買った甲斐があったってことか。無理矢理売りつけてくれたウィル
には感謝しないとな。
まぁもっとも⋮この場を凌げたらの話だが。今現在も視線の先で
は蛍さんが階層主を1人で引きつけながら激しい戦いを繰り広げて
いる。
リーチの差があるうえに回復中の俺達が狙われないように注意を
引き続けなければいけない状況下である。それなのに蛍さんは主の
攻撃をかわし,受け流し,隙を見て斬りつけている。さすがに1人
で倒せるという感じではないが危なげない立ち回りは流石である。
だが,本来の蛍さんの動きのキレがない気がしてしまうのは俺の
気のせいなのか,それともやはり背中に受けたダメージが大きいせ
いなのか⋮
いずれにしてもいつまでも蛍さん1人に任せておく訳にはいかな
い。
﹁システィナ。さっき階層主と戦ってみてどうだった?﹂
﹁⋮強いです。なんとか護身術などの技能を駆使すれば自分の身を
守ることは出来そうですがこちらからの攻撃はあまり⋮﹂
そうか⋮システィナの戦斧もランク的には俺の大剣と変わらない。
あのクラスの変異種相手では威力が足りないんだ。そうするとまと
もに攻撃が通るのは蛍丸と桜の斬撃だけ⋮圧倒的に火力が足りない。
物理が駄目なら⋮後は魔法か。でも俺たちの中で攻撃出来そうな
魔法を持っているのは蛍さんだけ。しかも実際に攻撃出来るかどう
か試したこともない。
﹁システィナ。光魔法って攻撃できる種類の魔法はあるのかな?﹂
﹁⋮すいません。ちょっとわかりません。先日は言いませんでした
が光魔法は珍しい魔法なんです。全くいないという訳ではないので
すが情報が広く流布されるほどではありません﹂
360
俺のラノベ脳で考えれば光の刃とかレーザー的なものとか光熱的な
もので攻撃出来そうな気がするけど光という性質上ぶっつけ本番で
あてにするは怖いか。
﹁じゃあ,ここにある火魔石を使うのはどう?﹂
﹁⋮本来魔石というのは攻撃に使うものじゃないんです。この火魔
石も普通に魔力を通しただけでは炎が出るだけです。大きさが関係
してくるのはその現象をどの程度の期間安定して供給出来るかとい
うことです。
バクゥという方がやったのは過度な魔力を一気に注ぎ込んで暴発
させるという自爆技です。この大きさの火魔石で同じことをしよう
と思ったら莫大な魔力量が必要な上に暴発させた人は無事ではいら
れないと思います﹂
あっぶね!俺が魔力使えてたらリアルメガ○テ状態だったってこ
とか。そうするとうちのパーティじゃ魔法での攻撃も難しい。やっ
ぱり倒すのは諦めるしかない⋮か。
蛍さんとシスティナがいればなんとか倒せるかもと思ったんだけ
どな⋮やられっぱなしで逃げるしかないのか。
この階層主自体は高階層探索者がトォル達を送り届けた後に倒し
にくるはずだから無理して俺達が倒す必要は多分ない。ないけど⋮
やっぱり正直悔しい。
でも俺の下らない意地のために蛍さんとシスティナを勝ち目の薄
い戦いに巻き込む訳にはいかない。
﹁システィナ。俺の回復はあとどれくらい?とりあえず走れるだけ
回復できたら皆で逃げよう﹂
﹁⋮走れる程度の最低限の回復ならもう大丈夫だと思います。傷つ
いていた臓器もなんとか問題ない程度には治癒できました。
361
ただ,完全に治すためにはしばらく定期的に経過観察と治療を受
けて頂いた方がいいと思います﹂
﹁うわ⋮マジでやばかったんだね。了解。ここから出たらちゃんと
システィナの指示に従って治療にあたるよ﹂
﹁はい。
⋮それをお約束頂けるのであれば﹂
﹁ん?﹂
俺の殊勝な言葉に笑顔で頷いたシスティナは一瞬迷うような素振
りを見せた後,真剣な顔で言葉を続ける。
﹁もう少し無理をなされても侍祭システィナの名に賭けて必ず治し
てみせます﹂
﹁システィナ⋮﹂
﹁私は⋮今回ソウジロウ様が私のためにしてくれた事をそのままソ
ウジロウ様にお返しします﹂
⋮まいったな。システィナにはお見通しだったのか。俺が階層主
を倒したいと思いつつもシスティナ達の安全を言い訳にして勝てそ
うもない敵から逃げようとしていることを。
そして逃げればきっと俺が後悔をするということも⋮
そういう後悔をシスティナにさせないために俺達は今日無謀な塔
探索に臨んだ。同じ気持ちでシスティナは俺の背中を押してくれて
いる。
﹁システィナ⋮﹂
﹁はい﹂
﹁なんだか照れくさいけど嬉しいもんだね﹂
﹁はい!﹂
362
よし!やってやる。この世界で生きていくんだ。この程度の魔物
ぐらい倒せないでどうする。俺達ならやれる!
システィナに抱きかかえられるようにして治療を受けていた俺は
ゆっくりと立ち上がるとシスティナへと手を伸ばす。
﹁絶対にやつを倒す﹂
﹁はい﹂
俺の手を掴んで立ち上がったシスティナが戦斧を構える。
﹁現状あいつに一番有効打を与えられるのは蛍さんだ﹂
﹁はい﹂
俺も桜ちゃんを右手に握りなおして構える。
﹁なら俺達は蛍さんが攻撃しやすいように動く﹂
﹁はい﹂
﹁システィナは正面を頼む。俺は桜と一緒に陽動する。もし正面が
支えきれないようなら俺も正面に回るから絶対無理はしないこと﹂
﹁はい!﹂
﹁桜ちゃんはまたスキルよろしく﹂
﹃了解だよ。ソウ様﹄
﹁よし行こう!﹂ 走り出して気が付く。痛みが無い⋮あれほど身体中を苛んでいた
痛みがすっかり消えていた。やっぱりシスティナは凄い!大量の失
血をしたことによるだるさは依然としてある。だがこれなら痛みに
集中を乱されることはない。
長くは動き回れないだろうがそれまでに決めてやる。
363
システィナが階層主の正面に陣取り注意を引いたところで作戦を
伝えるべく蛍さんに接触する。
﹁来たかソウジロウ。やると決めたのだな﹂
﹁うん,どうしてもこいつを倒したい﹂
﹁いいのう。武人の顔ぞ﹂
﹁ちゃかさない。俺たちが注意をひいて蛍さんがとどめ。よろしく﹂
﹁任せておけ﹂
蛍さんはそういうと階層主の間合いから少し離れた位置まで下が
った。
必殺のタイミングを見計らい最高の一撃を叩き込むために集中す
るのだろう。
俺達がするのは集中力を高めるための時間を稼ぎつつ最後の一撃
のための隙を作ることだ。
システィナが防御に専念しつつドラゴマンティスの二つの鎌を巧
みにさばく。ウエイトが違いすぎるため受け止めると身体が浮いて
しまうので細心の注意でうまく力の向きを変えながらさばいている
らしい。
俺はシスティナにムキになっている主のサイドに回り込み桜で斬
りつける。
そんなに深くは斬れないがシスティナに注意を向けている状態での
死角からの攻撃のため桜のスキルが有効に働き俺を視認できないの
で反撃はこない。
それならシスティナの負担を減らすためにも削れるだけ削る!
狙いは⋮左足!あれだけの巨体を二本の足で支えてるんだちくち
くやられたらしんどいだろうが!
364
グギァァァアァァ!!
よし!効いてる!
俺は決して足を止めない様に位置取りを調整しながら何度も何度
もドラゴマンティスの左足を斬りつけていく。
視界の端に映るシスティナの動きが疲労のためか鈍くなってきて
いるのが気になるが今は攻撃を続けることがシスティナの助けにな
ると信じて桜を振るい続ける。
そしてとうとうその時が来る。俺の執拗なまでの攻撃が階層主の
体重を支えていた左足の限界に到達した。
ギゥオオオォォォォ!!
今までとは違う苦悶の声を上げながら主の腰が落ちる。それこそ
が待ち望んでいた隙。
﹁蛍さん!﹂
俺は叫ぶ。蛍さんなら当然既に飛び出していることを確信しつつ
もエールを込めての絶叫だ。
そしてその声が領域に響くとほぼ同時に俺の目には階層主の顔付
近に向かって跳躍している蛍さんが映っていた。
このまま蛍さんがこいつの首を斬り落とせば俺たちの勝ちだ!
その瞬間俺は確かに見てしまった⋮勝利を確信した俺の視界の中の
ドラゴマンティスがニマリと笑うのを。そしてその口を大きく開き
空中で身動きの取れない蛍さんの下半身に噛みつく光景を。
365
﹁え?﹂
馬鹿な!まさかこっちが嵌められた?蛍さん!助けなきゃ!
蛍さんを助けるべく一歩踏み出そうとした俺はドラゴマンティスが
見えない俺を薙ぎ払うためだけに振り回した尾に気づくのが一瞬遅
れる。かろうじて左腕を盾にすることには成功したがまたしても弾
き飛ばされた俺は初めて自分の骨が折れる音を聞いた。
﹁ぐ⋮ぁぁぁぁ﹂
﹃ソウ様!ソウ様!﹄
桜の悲愴な呼びかけに応える余裕も無いほどの痛みが左腕を襲っ
ている。目を固く閉じて歯を食いしばってようやくなんとか耐えら
れる。
くそ!魔物に騙されるなんて!そんな駆け引きが出来る程の知恵が
ある奴もいるのか。
﹁あぁ!蛍さん!﹂
怒りと後悔で脳内を埋め尽くし痛みを誤魔化しているとシスティ
ナの切羽詰まった叫び声が響く。
くそ!くそっ!俺はなにしてるんだ!こんなところで寝っ転がっ
てる場合じゃない!
痛みなんかくそ喰らえだ!無理矢理痛みを押しやると現状を確認
するために目を開けて上体を起こす。
﹁そ,そんな⋮ば⋮ば﹂
366
そんな俺の目に飛び込んで来たのは信じられない光景だった。
片足を階層主に食いちぎられた蛍さんが宙を舞っていた。
367
決着︵前書き︶
5万2千PV,1万ユニーク到達です。ありがとうございます^^
368
決着
⋮嘘だ。あの蛍さんが?そんな馬鹿なことある訳⋮ない。
﹃蛍ねえ!⋮もう絶対あいつは許さない!ソウ様や蛍ねえを傷つけ
る奴は桜が殺す!﹄
桜ちゃんの怒りが伝わってくる。
﹃ソウ様!桜に⋮桜に魔石をください!お願いします!もう見てい
るだけは嫌です。桜もソウ様や蛍ねえと一緒に戦いたい!﹄
﹁⋮﹂
桜の縋り付くような願いに俺は即答出来なかった。高額で売れる
魔石が惜しい訳ではない。桜のためなら全ての魔石を錬成してあげ
ても構わない。でも⋮
﹁⋮今ある魔石を錬成してもランクアップするかどうか分からない
し,せっかくランクが上がっても﹃擬人化﹄のスキルを覚えないか
もしれない。それでもいいの?﹂
﹃うん!今度は桜がソウ様を守るから!
⋮もうソウ様を傷つけたり,ソウ様の血を浴びるのは嫌だよ﹄
桜は一度は俺の命を奪ってしまったことを深く後悔している。自
分の意志ではないとはいえ大量の俺の血を浴びて強くなったことに
負い目も感じている。
だからこそ俺達が窮地のこの時に自分の力で皆を守りたいのだろ
う。その桜の強い意志に俺は迷いを捨てた。迷いの理由は桜に問い
369
かけた事ではない。本当の理由は添加錬成をしたことで俺の魔力が
尽きて意識を失ってしまったら仮に桜が擬人化しても俺達は全員助
からないだろうということだった。
﹁だがこのままでいても同じことだ﹂
俺は桜を床に置くと自由になる右手でポーチから火魔石を取り出
す。やるなら最大の効果を狙う。無属性のHで2は上がったんだサ
イズから考えても火属性のBなら50くらい上がったっておかしく
ない。
錬成の消費魔力の計算が魔石の個数に大きく左右される設定であ
ってくれれば俺の魔力も枯渇するまで消耗しないかもしれない。
﹃添加錬成﹄
体内の魔力がぐわっと減っていくのが分かるが魔力枯渇したとき
ほどではない気がする。そのまま減るに任せているとやがて手の中
の火魔石が淡く光を放つ。その火魔石をゆっくりと桜の上に重ねて
いく。固いはずの火魔石はなんの抵抗もなく桜の中に吸い込まれて
いく。
擬人化 気配察知
隠
そして吸い込んだと同時に桜全体が淡い光を放ち⋮徐々に消えて
いく。
魔力は大分減ったが気を失う程ではない。
﹃武具鑑定﹄
﹃桜 意思疎通
ランク: B 錬成値 31 吸精値 1
技能 : 共感 形
敏捷補正+ 命中補正 魔力補正 火魔法﹄
370
﹁っしゃ!やった⋮桜。やったぞ!﹂
﹃ソウ様!じゃあ!﹄
﹁うん,でもこんな状況じゃいきなり頼っちゃうことになるけど⋮﹂
﹃いいんだよソウ様。桜はソウ様が大好きなんだから。ソウ様のた
めに頑張らせて﹄
﹁ありがとう⋮桜﹂
﹃じゃあソウ様。いくよ⋮﹃擬人化﹄﹄
桜の暖かい想いを感じながら桜を見守っていると一瞬の輝きの後
そこには桜が立っていた。もちろん裸である。
艶のある長い黒髪をポニーテールにまとめ,身長は150㎝程度
でやや低めな感じがするが出るところはそこそこ出ているしウエス
トも引き締まっていて充分女らしい。口調や雰囲気から蛍さんの時
以上に心配はしていなかったが女の子で良かった。
桜は初めて目で見る光が眩しいのかゆっくりと目を開ける。そし
てその焦点が俺の顔に合うと極上の笑顔を見せた。めちゃくちゃ可
愛い。
﹁ソウ様!﹂
﹁っが!﹂
﹁やっと⋮やっと会えた。やっとソウ様に触れる﹂
感極まった桜が俺に抱きついてくる。桜も裸で,俺も上半身裸な
訳でとても魅力的な状況だが折れた左腕が痛くて楽しむ余裕はない。
なによりも片足を失った蛍さんの動きがほとんど見られないのが
怖い。蛍さんが死んでしまうなんて絶対に認めるわけにはいかない。
﹁桜⋮嬉しいけど今は我慢して﹂
﹁うん,そうだね。今度からはいつでも抱き合えるもんね。今は⋮﹂
371
桜はそう言って名残惜しそうに俺を離すと突き刺さるような殺気
を放ち始める。
﹁今はソウ様や蛍ねえを傷つけたアイツを⋮﹂
﹁ああ⋮いい加減俺もはらわた煮えくりかえってるんだ﹂
俺は腰に差した桜の鞘を渡しながら立ち上がる。 桜は黙って鞘を受け取ると一瞬で着衣へと変換する。その姿が完
全に女忍者だったことには今は触れまい。
﹁桜,火魔法が使えるようになってるけど使い方は分かる?﹂
﹁大丈夫だよ。桜たちはずっと考えることしか出来なかったからね。
イメージ力重視なら任せておいて﹂ なるほど⋮蛍さんの魔法への親和性が高かったのはそういうこと
か。
﹁ならやることは分かるな﹂
﹁うん,任せて。陽動,攪乱しつつ接近戦は避けて魔法でボコボコ
にすればいいんだよね﹂
100点満点の回答に優しく頭を撫でてやると桜は気持ちよさそ
うに目を細め,そして目の前から消えた。
はや!全然見えなかった⋮本当に忍者みたいだ。敏捷補正+は伊
達じゃないな。
﹃火遁:爆﹄
372
爆音と共に階層主の背中が爆発する。
グギィエェェェェ!!
早速桜の猛攻が始まったらしい。目まぐるしく動く桜を遠目から
でもほとんど捉えられないのは﹃隠形﹄スキルも影響しているのだ
ろう。桜経由で俺が使うよりも桜が自分自身に使う方がハイド率が
高いらしい。
やさめ
﹃火遁:矢雨﹄
更に桜の魔法攻撃が続く。今度は虚空に現れた無数の炎の矢が階
層主にへと降り注いでいる。自己申告通り初めて火魔法を使ってい
るとは思えない熟練度だ。
システィナも巻き込まれない様にさっきよりは間合いを広めにし
て戦っているようだ。
その間に俺は蛍さんの下へと急ぐ。走ると左腕が揺れて痛みが突
き抜けるが近づくにつれて見えてくる蛍さんの姿に痛みなど感じて
いる余裕がなくなる。
蛍さんの姿はかつてないほどに弱々しい。左足は腿から下が無く,
腰回りの着物も破れヤツの牙が喰い込んだ跡から血が流れていた。
蛍さんがあんなヤツに騙されるほどに焦っていたのは俺を庇った
傷が思ったよりも深かったこと,そして俺を殺されかけたことに対
する危機感のせいだろう。早く仕留めなければまた俺が怪我する。
場合によっては死ぬかもしれない。そう考えたのだろう。
蛍さんの怪我は全て俺の弱さが原因だ。
早く駆け寄って無性に謝りたい。
373
﹃何を言っている⋮お前は強い。まだまだ修練が足りないのは確か
だが,まだこちらの世界に来てから1週間だぞ。普通ならここまで
戦えるものか。
お前には才能がある⋮私が保証するぞ﹄
﹁蛍さん⋮﹂
俺の気持ちを感じたのか蛍さんが苦笑交じりに伝えてくる。
﹃火遁:槍﹄
グッギギギギィィィ!!
桜の炎の魔法が止まらない。今度は太い炎の槍がドラゴマンティ
スの左の鎌の付け根辺りに貫いた。炎の槍は刺さった場所を内部か
ら焼いたらしく左の鎌がだらりと垂れさがる。
神経系が焼き切られたのだろう。
凄い⋮この階層主と桜の相性はかなりいい。だが⋮人化に成功し
て魔法を始めて使い始めたばかりなのにあんなに大技っぽいのを連
発してたら魔力だってそんなに長く持たないんじゃないか?
そう考えれば一方的に見えてもやっぱり際どい戦いをしているこ
とになる。
﹃まずいぞソウジロウ!なにかするつもりだぞ!﹄
蛍さんに促されるまでもなく確かに階層主の様子が変わっていた。
今まではとにかくやみ雲に攻撃を繰り返し,目の前のシスティナ
と見えない桜を狙っていたのに鎌が1つ使えなくってからは身体を
丸めるようにうずくまって防御に専念しているように見える。
374
﹁何をするつもりだ⋮防御に専念するだけじゃ桜の的になるだけな
のに﹂
何かをするつもりだとして警戒はしてもせっかく動きが止まって
いるのを見過ごす訳にはいかないのだろう。
システィナも桜もこれ幸いとばかりにハンマーを叩き付け刀で斬
りつける。
防御に専念しているせいかどちらの攻撃も十分に効いているとは
言い難いがダメージ自体は通っている。このままなら遠からず主の
体力を削り切れるはずだ。
まさか⋮本当にこれで終わるのか? その時,俺の中にかすかな違和感がよぎった。
ちょっと待て⋮今あいつ膨らんだ?なんだ,やばい気がする!
﹁桜!システィナ!離れろ!﹂
﹁﹁え?﹂﹂
グギィィイィィィィィィィィ!!
﹁きゃあああぁぁぁぁ!﹂
ビシィ! ビシィ!
呆然と眼を見開き立ち尽くす俺の身体のあちこちから血しぶきが
舞う。
だがもはや俺の傷はどうでもいい。
視線の先で血まみれになって倒れているシスティナと桜の姿が,
俺の背後で起き上がることさえ出来ない蛍さんの姿が痛い。
375
ふざけるなよ⋮俺の最高の女達を傷つけるような極悪人を俺がこ
れ以上のさばらせておくと思うな。
俺の頭の中の何かがかつてない以上に冷え切るのがわかる。
俺は静かに右手を背後に伸ばすと告げる。
﹁蛍,来い!﹂
﹃承知した。我が主﹄
次の瞬間俺の右手に頼もしい感触と共に蛍丸が握られた。
ゴトリ ゴトリ
同時に振り下ろされた一撃で足首についていた重りが床へと落ち
る。更に逆手に握りなおした刀で胴体についていた重りも外す。
そして一回り小さくなった階層主へ歩み寄る。刀に戻った蛍丸は
刀身の先が欠け,一部刃毀れもしている。あいつの防御力を考えれ
ば折れてしまうのを覚悟しつつ振れて1度が限界だったろう。
だが,あいつはシスティナと桜の猛攻に自らを守っていた鱗を武
器として放出してしまった。あの鱗がなくなった状態のやつならば
蛍さんにそこまでの負担をかけずに済むだろう。だが,傷ついた蛍
さんにもしものことがあったらマズい。突くにしろ斬るにしろ一撃
に勝負をかける!
俺はそう覚悟を決めて一気に走り出した。
﹁ソウ⋮ジロウ様⋮後はお願い⋮す﹂
血に濡れた顔で俺を信じ笑顔でエールを送るシスティナ。
﹁ソウ様ごめん⋮失敗⋮しちゃった⋮﹂
376
おそらく魔力枯渇寸前の上に両足に多数の鱗を受け立ち上がれな
くなって泣きそうな顔を向ける桜。
そして⋮
﹃私のことは気にするな。思い切って行け!﹄
全てを預けてくれる蛍。
俺がこの世界で生きる理由とも言うべき3人の信頼を受けて走る。
かつて無いほどに冷え切った思考は傷ついたシスティナ達を見ても
乱されることはない。
だから右の鎌の振り下ろしを躱す。
噛みつきを躱す。
尾での打ち払いを躱す。
鎌での横薙ぎの一撃を躱す。
体重を乗せた踏みつぶしも躱す。
躱す。躱す。躱す。躱す。躱す。躱す。躱す。躱す。躱す。躱す。
躱す。躱す。躱す。躱す。躱す。躱す。躱す。躱す。躱す。躱す。
躱す。躱す。躱す。躱す。躱す。躱す。躱す。躱す。躱す。躱す。
躱す。躱す。躱す。躱す。躱す。躱す!
妙に引き延ばされた時間の中で鱗が無くなったせいかなめらかか
つ速度の上がった攻撃を間断なく繰り出す階層主。
377
その攻撃は激しいがどこか焦りを感じさせる。おそらく最後のと
っておきだった攻撃手段であり,身を守る盾でもあった鱗を失いそ
れでも倒しきれず立ち向かってくる敵にいよいよ身の危険を感じて
きたとしても不思議はない。
だがこちらも満身創痍。重りを全て外した上に,スーパー光圀モ
ード︵自称︶状態での全力駆動で身体を騙しているようなものだ。
後はドラゴマンティスが決定的な隙を見せるのが早いか,俺が力
尽きるのが早いかの勝負だがこちらからは降りるつもりはない。左
腕が悲鳴を上げようと出血過多で全身を倦怠感が襲おうと極度の集
中状態で脳神経が焼き切れそうな錯覚に陥ったとしても!
﹁うおおおおおおおおおおおお!﹂
⋮グ,グギギギィェェェアアア
どれだけ攻撃しても攻撃をが当たらない俺の突然の咆哮に初めて
ドラゴマンティスの目に怯えの色が浮かぶ。そしてその怯えを振り
払うかのように咆哮を返し,突き動かされるようにその開いた口を
俺の頭上にかぶせてくる。
俺はその腔内の牙が迫るのをスローモーションのように見つめな
がらギリギリでバックステップを踏む。その時確かに目の前を通り
過ぎていくドラゴマンティスと目があった。
そこには紛れもない恐怖が張り付いていたが俺には関係ない。
俺は腰だめに構えた蛍をドラゴマンティスのその目に深々と突き
立てた。
378
決着︵後書き︶
ようやくあと何話かで第1部的な話が終わりそうです。もっとは早
く終わる予定だったのに考えていたネタがうまく収まらずに長引い
てしまいました。
ご意見、ご感想、評価、レビュー、誤字脱字の報告等々いつでも受
け付けていますのでよろしくお願いいたします。お知り合いにの方
に勧めていただくのも大歓迎です^^
379
裏付け捜査
﹁ん⋮ここ⋮は?﹂
どうやら寝ていたらしい。目を開けた俺の視界に見えたのは見慣
れない木の天井だった。
あれ?どこだここ⋮確か階層主と戦って⋮
﹁ご主人様!﹂
﹁あ,システィナ。おはよう﹂
﹁はい,おはようございます。⋮ってそうじゃなくて!﹂
どこで覚えたのかなめらかなのり突っ込みを披露したシスティナ
はちょっぴり涙ぐんでいる。
﹁もうっ!
⋮ご主人様はもう2日も意識が戻らなかったんですよ。すっごく
心配したんですから﹂
﹁そっか⋮2日も寝たきりだったのか。ありがとうシスティナ。迷
惑かけちゃったね﹂
2日も寝たきりだった俺の看病をきっと寝る間を惜しんでしてく
れたのだろう。僅かに見て取れるシスティナの目の下に浮いたくま
がそれを証明している。
﹁⋮本当に怒りますよ。迷惑だなんて思うわけありません﹂
ぷうっ と頬を膨らませるシスティナがあまりにも可愛くて思わ
380
ず手を引っ張って抱き締める。柔らかい感触と暖かい温もり落ち着
く香りに心身ともに癒されていく気がする。なんだろうこの万能薬,
素晴らしすぎる。
抱き締められたシスティナもその瞬間こそ小さく声を上げたがす
ぐに力が抜けて全てを預けてくれた。
﹁システィナが無事で良かった﹂
﹁はい⋮ご主人様が無事で良かったです﹂
﹁蛍さんと桜ちゃんは?﹂
﹁お二人ともかなり傷ついていまして,蛍さんが﹃武具修復﹄で治
療していますがしばらく眠るとおっしゃってそこに﹂
システィナの視線を追うとテーブルの上に蛍丸と桜が鞘に納まっ
た状態で置いてあった。
﹁たまに起きられてご主人様の様子を確認されていましたが先ほど
また⋮﹂
﹁そっか⋮﹂
やっぱりあの戦いはそれぞれに厳しい戦いだったのだろう。それ
でも全員生きて戻れたのだからそれでいい。加えてそれぞれが曲げ
たくないものを曲げずに済んだのだから大成功と言ってもいいくら
いだ。それはさておき⋮
﹁システィナ。俺と交代して﹂
﹁え?⋮いえ駄目です。ご主人様はまだ横になってないと⋮﹂
多分俺の身体はシスティナが回復術をフル活用して治療してくれ
たはずで睡眠もがっつり取れているのでほぼ完治しているはず。折
れていたはずの左腕も問題なく動く。
381
だが,おそらくシスティナは自分の治療を最低限にしてほぼ不眠
不休のはずだ。
今は俺よりもよほど休養が必要だろう。
﹁じゃあ,添い寝。添い寝しながらあの後どうなったのかを教えて
くれる?﹂
ベッドの中央から少し身体をずらすと布団をまくる。
﹁あ⋮はい。それなら﹂
俺の妥協案に頬を染めながらも頷いたシスティナが律儀に﹁失礼
します﹂と断ってから隣に潜り込んで来て俺の胸に顔をうずめる。
すると大きな安堵の吐息を漏らし⋮⋮⋮⋮眠りへと落ちた。
⋮まさに瞬殺だった。
よほど疲れていたのだろう。本当にシスティナには心配をさせて
しまった。今後はなるべくああいう無茶な状況に巻き込まれない様
に気を付けようと思う。
さてと⋮
﹁蛍さん起きてる?﹂
﹃ん⋮ああ,目が覚めたかソウジロウ﹄
﹁身体の方は大丈夫?﹂
﹃心配はいらん。何度か武具修復を掛けたからな,私も桜も刀とし
ては万全の状態だ。ただ人化して過ごすにはちょっと魔力を使いす
ぎてしまったらしいのでな。それでちょっと休んでいる。
ただ,それももう問題ないレベルだったんだがな⋮システィナが
382
休めと言って聞かなくてな。無理矢理休まされていた。本当は器物
の私達よりもむしろ生身のシスティナに休んで欲しかったのだがな﹄
﹁はは⋮システィナらしいな。とりあえずシスティナはなんとか寝
かせたから安心して。その間にあの後どうなったのかを教えて欲し
いんだけど分かる?﹂
﹃ああ,構わんよ。ソウジロウは階層主に私を突き刺し,とどめに
一捻りを加えたところぐらいまでは意識があったはずだな?﹄
うん,最後の一捻りとか全く記憶にない。まあそこは覚えてなく
てもさほど変わらないからいいか。俺は肯定の意思を返す。
その後,蛍さんから教えて貰ったその後のことはこんな感じらし
い。
まず,階層主は俺の一撃でなんとか倒すことに成功したらしい。
と,同時に俺は完全に意識を失ってしまった。
システィナが自分自身を動ける程度にまで治療して身動きが取れ
ない桜も刀に戻した上で俺達を担いで2階層へと上ろうとしたらし
いがシスティナ自身がかなり疲労していたこともありその作業が難
航していたところに手を貸してくれたのがフレイ・ハウだった。
どうやら逃げた後領域の境目で俺たちの戦いを見ていたらしい。
さすがに参戦するほどの勇気は持てなかったようだが,自分のせい
で危険な目に合わせてしまったことに責任は感じていたらしく﹃信
用できないかもしれないが手伝わせてほしい﹄と頭を下げてきたそ
うだ。
システィナはそれを笑って了承し,2人がかりで俺を2階層に運
び窓から飛び降りて脱出した。その際にフレイに対して蛍と桜に関
しては何も聞かない,誰にも話さないという誓いを立てさせたらし
い。
383
フレイはそれを受け入れ固く約束すると後日必ずお詫びに向かう
と言って,俺たちの宿を聞いてから立ち去った。
塔を出たシスティナが俺を抱えてロビーに戻ると塔の管理者とウ
ィルが飛んできて,管理者は探索者達の救出に対して深い感謝をし
ていたらしい。更にシスティナから階層主を倒したという話を聞く
にあたってはレイトーク領主に報告しなんらかの褒美をお渡しした
いと強く言われたらしく落ち着いたら領主館まで赴くことを約束さ
せられたようだ。
ウィルも俺達の話に驚きを隠せず﹁私の目に間違いはなかった﹂
と感動しきり。その後俺を背負って宿まで送ってくれたらしい。律
儀な男だ。
宿に戻るとシスティナはすぐさま俺の治療に入り,魔力が枯渇す
る寸前まで回復術を使い少し休んで魔力が回復したらまた回復術と
いうような無茶な行動を続けていたようだ。
﹃それでな⋮ソウジロウ﹄
一通りの経緯を聞き終わった後,蛍さんが伝えてきた話を聞いた
俺は目を閉じ大きなため息を吐く。
﹁桜ちゃん。もう動けるよね﹂
﹃もっちろんだよ!ソウ様﹄
﹁何をして欲しいか分かる?﹂
﹃何をすれば良いのかは分かるけど,何でそうするのかは分からな
いかな﹄
桜ちゃんの言葉に思わず苦笑する。分からないと言いつつも本当
は桜ちゃんも理解している。ただ俺の甘さを皮肉っているだけだ。
384
﹁病み上がりのところごめん。気をつけてね﹂
﹃は∼い。どんな状態だってソウ様の頼みを断る訳ないってば﹄
桜ちゃんは一瞬で擬人化して忍び装束を身に纏うとその場から消
えた。相変わらず桜ちゃんの隠形と敏捷補正+のコンボは凄い。俺
なんかでは全く姿を捉えられない。
﹃桜が帰ってくるまではしばらくかかろう。もう少し寝ておけ﹄
睡眠は充分足りていたはずなのに,システィナの気持ちよさそう
な寝顔を見ていたらまた眠気が襲ってきていたので蛍さんの勧めに
素直に頷くとシスティナを抱き締めるようにして再び目を閉じる。
最高の抱き枕のおかげですぐに眠りに落ちたのは言うまでもない。
﹁じゃあ聞かせてくれる?﹂
桜ちゃんが帰ってきたのは日付も変わり更に陽が沈もうとする頃
だった。出発したのが昼過ぎだったから丸一日以上も頑張ってくれ
たことになる。
その間にようやくまとまった睡眠を取れたシスティナも復調し,
この場にはメンバー全員がやっと全快した状態で揃っている。桜ち
ゃんの情報を元に動き出すにはちょうどいいタイミングだった。
﹁うん。結論から言うとあの女の言っていることは本当だったよ﹂
桜ちゃんの淡々とした報告にシスティナが口元を押さえる。
385
﹁弟の病気の治療をする。その費用も負担するという条件で事実上
奴隷扱いだった。しかも昨日は言えなかったみたいだけど夜は性奴
隷としても使われてた﹂
﹁ふむ⋮それで弟の治療というのは約束通り行われているのか?﹂
﹁う∼ん。確かに一応毎日医者らしき人が薬を飲ませに行ってるみ
たいだけど⋮弟くんがいるのはぼろぼろの宿屋の一室だし診察もい
い加減でちゃんと治療してるとは言えないかな。
時間が無くて調べきれなかったけどちょっと拝借した薬をネズミ
に与えたら普通に麻痺してたから桜の見立てだと間違いなく毒だと
思うよ﹂
﹁ひどい⋮それではフレイさんは⋮﹂
昨日蛍さんから聞いた話はフレイのことだった。昨日の朝,憔悴
した感じのフレイがお詫びに来たらしい。
部屋にはシスティナしか対応できる人がいなかったためシスティ
ナが対応したのだがあまりにも疲れ果てているフレイに事情を問い
詰めたらしい。
そこで出てきた男がレイトーク周辺の豪族ベッケル家の長男バル
ト。先日塔でフレイが護衛をしていた男のことだった。
もともとたまに依頼を受けて護衛をしたり素材を届けたりする関
係だったらしい。
だが弟が急な病に倒れてしまいお金と医者が必要になった。
いろんな医者に診て貰い高価な薬も買ったが効果は思わしくなく
すぐに貯蓄していた財産も全て使い果たしてしまった。 そんな時にバルトから専属として働いてくれれば弟のことは治療
してくれるという申出があり飛びついてしまったらしい。
バルトの派遣した医者のおかげで弟の症状は落ち着いたが治癒ま
では至らず継続的な治療を続けるためにバルトの指示に逆らえず,
俺の魔石や珍しい武器である刀を言われるがままに盗んでしまった
らしい。
386
それを聞いた俺は忍者仕事が好きそうな桜ちゃんに裏取りを依頼
したのである。
﹁うん,最初からあのぼんぼんに目を付けられていたんだと思う。
最初は普通に簡単な依頼を何度か成功させて,終わる度に弟くんと
一緒に食事に招待されていたみたいだからその時に弟くんにちょっ
とずつ盛ってたんじゃないかな﹂
﹁ふむ,状況としてはありがちすぎて面白くもなんともないな⋮﹂
﹁うん,あの程度の小物が考えることなんて所詮その程度だと思う
よ。同じスケベでもソウ様とは大違いだよ﹂
何気に酷いな桜。
﹁桜さん!そもそもそんな人とご主人様と比べること自体がおかし
いですよ!
⋮その⋮⋮スケベなのは否定しませんけど﹂
システィナも否定せんのかい!
﹁あはは!確かにそうだね。ごめんごめん。
あっともう1つ追加情報﹂
﹁⋮ほう,まだあるのか?﹂
﹁あいつあの女が初めてじゃないね。桜が確認出来ただけでも3人
の女を使い潰して殺してる﹂
確定だな。
﹁さて,ソウジロウ。黙ったままだがどうする?﹂
﹁そうだな⋮正直言えばフレイがどうなろうと俺には関係ない﹂
﹁ご主人様!﹂
387
﹁そうだな﹂
﹁うん,桜もそう思う﹂
﹁蛍さん!桜さん!⋮そんな﹂
フレイを突き放すような俺の発言にシスティナが抗議の声を上げ
るが俺の刀達はさすがに俺との付き合いが長い。
﹁でも,ソウ様がやるのはまずそうだよ。それなりに地位はあるみ
たいだし裏の事情はどうあれこの世界で生きていくのが面倒になる
かも﹂
﹁で,あろうな﹂
﹁桜ちゃん,万事うまくやれる?﹂
﹁うん!桜におまかせ!ちゃちゃっと片付けてくるからちゃんとで
きたらご褒美に今晩は桜がソウ様独り占めしてもいいよね!﹂
﹁人化してから桜ちゃんには頼りきりだからね。もちろんいいよ﹂
﹁やった!やっぱり初めての時は桜だけを見て欲しいと思ってたん
だよね。やる気出たぁ!じゃあ行ってくるね∼﹂
そう言うと桜ちゃんはその場から消えた。
﹁え?え?﹂
﹁じゃあご飯でも食べに行こうか。さすがにお腹がすいてきたしね﹂
﹁うむ。私もシスティナに止められて飲めなかった故,酒が恋しく
てな⋮﹂
どうやら蛍さんは体調が回復するまでシスティナから禁酒を仰せ
つかっていたらしい。 ﹁桜ちゃんの分も買っておいてあげた方がいいかな?﹂
﹁私たちは必ずしも食事が必要なわけではないし今回はいらぬよ。
388
皆と共に食事が出来るのならまた話は別だがな﹂
﹁そっか。なんか桜ちゃんばっかり負担かけちゃってるよなぁ﹂
﹁あの⋮ちょっとご主人様?﹂
﹁ふふふ,よいではないか。桜も頼られるのが嬉しいようだしな。
礼なら今晩たっぷりかわいがってやればよい﹂
そんなお礼でいいのなら望むところである。むしろ3日も寝たき
りだったからマイサンも期待ではち切れんばかりである。
﹁じゃ,行こうか﹂
﹁うむ﹂
﹁え?え∼!!どういうことか教えてください∼﹂
389
ランクアップの秘密︵前書き︶
ちょっと区切りの関係で短いです^^;
390
ランクアップの秘密
﹁たっだいま∼!﹂
元気一杯の桜ちゃんが帰ってきたのは深夜にかかろうかという時
間だった。
﹁お帰り桜ちゃん。お疲れ様﹂
﹁ぜ∼んぜん疲れなかったよソウ様。あれ?蛍ねえとシスは?﹂
俺に抱きついてきた桜ちゃんは部屋の中が妙に静かなのに気がつ
き首をかしげる。
﹁あ∼その,なんていうか今日は桜ちゃん1人って約束だから⋮蛍
さんは刀に戻ればいいけどシスティナはね⋮﹂
﹁あ∼そっか。ちょっと悪いことしたかな?﹂
ちょっと申し訳なさそうな顔をする桜ちゃんに俺は笑って首を振
る。
﹁そんなこと誰も思ってないよ。
それに蛍さんがそれなら良い機会だから女同士語り合おうってシス
ティナを引っ張って飲みに行ったからね。きっと楽しく飲んでるよ﹂
﹁あ!それもちょっと楽しそうかも。今度は桜も誘ってもらおうっ
と﹂
﹁うん,それはいいかもね。みんなが仲良くしてくれてないと俺が
困るしね﹂
391
今の所蛍さんもシスティナも桜ちゃんも俺を取り合ったり嫉妬し
たりするようなこともなく仲が良い。人間と元刀という特殊な間柄
だがそれぞれで認め合う部分あるようだ。
﹁桜達はソウ様のことを本当に大事に思ってくれてる人なら仲良く
出来るよ。もともとあそこの蔵にはたくさん仲間がいたし﹂
﹁ありがとう桜ちゃん﹂
桜ちゃんを軽く抱き返して優しく唇を重ねる。
﹁んっ⋮ねぇソウ様﹂
﹁なに?﹂
﹁桜のことはいつも戦ってる時みたいに呼んで欲しい⋮﹂
﹁そっか⋮分かったよ,桜﹂
桜に体重をかけてベッドに押し倒しながら再び唇を重ねる。
﹁ソウ様⋮大好きだよ。あの⋮ごめんね。あの時ソウ様を殺しちゃ
って﹂
涙ぐむ桜の頭を優しく撫でながら首を振る。あれは桜を使ったあ
いつが悪い。あいつのせいで桜がこんなにもまだ傷ついている。叶
うことならもう一度息の根を止めてやりたい。
﹁桜。あれは桜のせいじゃないよ。桜は悪くない。俺は桜とこっち
にこれてこうやって触れあえて良かった。俺も桜が大好きだよ﹂
﹁⋮うん。ありがとうソウ様﹂
﹁そんなことより桜﹂
俺の問いかけに桜が目線で﹁なあに?﹂と返す。
392
﹁俺ってば3日も寝たきりだったからちょっと溜まってるみたいな
んだよね。優しくしてあげられなかったらごめんね﹂
﹁ぷっ⋮あははは!⋮やっぱりソウ様はすっごいエッチだね﹂
くすくすと笑いながら目元をぬぐった桜は自分から唇を重ねてき
た。
﹁いいよ。桜も蛍ねえみたいに全部受け止めてあげる。桜をたくさ
ん可愛がって,ソウ様﹂
その時俺は﹃ずっきゅ∼ん!﹄という音を初めて生音で聞いた。
﹁ソウ様⋮桜どうだった?﹂
﹁え,それ聞くの?さっきまでの獣っぷりを思い出して貰えば分か
るでしょ﹂
えへへ と可愛らしく笑いながらくっついてくる桜を優しく抱き
返してあげる。
﹁ソウ様⋮一応結果聞いておく?﹂
﹁ん∼⋮別にいいかな。ありがとう桜。変なこと頼んでごめんね﹂
﹁ううん。一杯ご褒美貰ったし全然問題ないよ。これからもそうい
うお仕事あったらどんどん桜に言ってねソウ様﹂
﹁そう言えば桜は忍者が好きなの?﹂
桜はハイドベアーの戦いの時の興奮状態といい,選んだ衣装とい
393
い,火魔法の命名といい一貫して忍者テイストだった。
﹁うん!残念ながら桜が産まれた時には忍者はもういなかったんだ
けど,蔵の中には忍者全盛の頃の子もいて,中には本当の忍者を所
有者に持ってた子もいるんだよね。
その子たちから話を聞いていつもカッコイイなって⋮そしたら消
える熊さんが出てきたでしょ。もう最高に興奮しちゃって桜もああ
なりたい!って﹂
そうだったのか。じゃあ忍者っぽい能力に目覚めてよかったね⋮
ってそうじゃない!
たまたま忍者が好きな桜がたまたま忍者に最適なスキルを身に付
けるとかそんな偶然ある訳ない!⋮いやなくはないだろうけど。
ということは1つの仮説が浮かぶ。それは
﹃魔剣達はランクアップ時に自分の望む方向性に能力を伸ばすこと
が出来るのではないか﹄
ということ。だから桜は忍者にとって重要な敏捷性が上がり,隠
形なんてスキルを覚えたんじゃないだろうか。逆に蛍さんは奇をて
らわず全体的な総合力の上昇を目指す傾向がありそうだから既存の
スキルの中でも戦闘系の技能が軒並み+に上がった⋮
なんか説明が付く気がする。蛍さんは今後なかなかランクアップ
は難しいだろうけど桜はまだまだランクアップの余地がある。
擬人化 気配察知
隠
今後はランクアップが近くなったらその辺を2人に意識してもら
うようにした方がいいかもしれない。
﹃桜 意思疎通
ランク: B 錬成値 31 吸精値 7
技能 : 共感 形
394
敏捷補正+ 命中補正 魔力補正 火魔法﹄
Bランクにもなると吸精値の上りも鈍いか⋮でもSランクの蛍さ
んの時はもうちょい上がってたような⋮1回目のはきっと童貞卒業
ボーナス⋮は冗談だとして多分産まれてから今まで溜めてたモノを
吐き出したからだとして,それでも2回目の時は⋮
魔精変換か!魔力を精力に変換してからの方が魔剣の育成には効
率がいいってことか。
今後はシスティナ以外は魔精変換をしてからにした方がよさそう
かな。
ランクアップ時の特性について桜にも説明しておく。
﹁そうなんだぁ。なんか納得。確かにそんなに都合よくなりたい自
分になれる訳ないもんね。じゃあ今後はなるべく自分に必要だと思
う能力を思い描いておいた方がいいよね﹂
﹁多分ね﹂
﹁うん。そしたらもっとソウ様の役に立てるようになるね。
あ!そうだ。そろそろ蛍ねえ達に戻ってきてもいいよって伝えて
あげてソウ様﹂
﹁え,いいの?﹂
﹁うん!十分ソウ様を独り占めしたしね。流石に徹夜で蛍ねえに付
きあわせるのはシスにはきついんじゃないかなぁ﹂
へへ と笑う桜の言葉に俺はなるほどと納得する。酒場だって夜
通しやってる訳じゃないしどっかで追い出されたらまだ回復したて
のシスティナには負担だろう。
﹁分かった。届くかどうか分からないけど戻っていいよって送って
おくよ﹂
395
﹁うん,そしたら皆で一緒に寝よう!ちょっと憧れてたんだ。そう
いうの﹂
桜の頭を優しく撫でながら俺は微笑む。刀だった桜は当然人肌を
感じて眠るなんとことは知らないから興味があるのだろう。そして
それが想像以上に素晴らしいことだと今日初めて知ることになる。
間もなくして戻って来た蛍さんとシスティナを布団に招き入れ4
人で眠った。とてもいい気分で朝まで爆睡したことは言うまでもな
い。
396
ランクアップの秘密︵後書き︶
ここまで読んでくださってありがとうございます。
気持ちよく区切れなかったのですが一応ここまでが第一部的な位置
付けになります。
特に終わり方とかが決まってる訳ではなく基本的にキャラ任せの話
なのであと何部とかは未定です。
次からはレイトーク戦の後始末的な話をしつつソウジロウ達の居場
所︵拠点︶を定めていくことになると思いますので楽しみにしてい
てください。
397
領主︵前書き︶
累計65000PV ユニーク12000 ブクマ200 到達し
ました。
応援ありがとうございます。
398
領主
﹁騒がしいな⋮﹂
﹁ていうか,呼んどいてこんだけ待たせるって酷いよね﹂
4人でまったりと昼頃まで爆睡した後,俺達は落ち着いたら来て
くれと頼まれていたレイトークの領主館に訪れていた。
領主本人ではなく塔管理人から来てくれと言われただけなのだが
一応は領主のお誘いである。無視してのちのち尾を引くのも嫌なの
でどうせ形ばかりのお礼だろうが受けておくにこしたことはないだ
ろうと話し合いの結果決まっていた。
どうせならこれから行くかとぞろぞろと領主館へと来たのだが﹁
少々お待ちください﹂と案内された入り口脇の待合室でかれこれ2
0分程度待たされていた。
まあアポも取らずに来たのはこちらなので領主ともなれば飛び込
みの面会者にすぐに会えるという訳でもないだろうからある程度待
たされるのは構わない。
だが,気になるのは館内が妙に騒がしいことだ。何人もの人間が
慌ただしくロビーを行ったり来たりしている気配がしているのであ
る。
﹁領主の館なんてものはこんなものなのではないか?﹂
﹁私もほとんど神殿から出ない生活が長かったのでそこまではわか
らないです﹂
﹁別に待つくらいはいいんだけどね⋮﹂
どうせ今の所急いでやることもないのでこのまま半日時間を取ら
れたとしても問題無いと言えば無い。まあ,ここでの用事があっさ
399
り終わるならいろいろ買い物がしたいとは思っていたのだが。
先日の戦いで俺の使う武器がなくなってしまったし,システィナ
の武器も威力の弱さを暴露してしまったのでなんか方策を考えたい
し防具についても俺の鎖帷子はおそらく修理か交換だし,蛍さんた
ちについても相手によっては怪我をしてしまうということが分かっ
た以上いろいろ考え直す必要がある。
桜が人化したからパーティリングも4人用に変える必要があるし,
こまごました物も補充したり買い足したりしなきゃいけない。
そうすると結構なお金がかかりそうだけどそれについてはちょっ
としたあてがあるので心配していない。
この間みたいなことがあってももっと安全に切り抜けられるよう
にお金でなんとか出来る部分は無理のない範囲でなるべく最高のも
のを準備しておきたい。
﹁いや!お待たせして申し訳ない!﹂
そんなことをぼーっと考えていると突然扉が開け放たれて四十絡
みの髭面で身なりのいいおっさんが乗り込んできた。
気配察知のある蛍さんや桜は来るのが分かってたようだが,俺や
システィナは乱暴に開け放たれた扉と胴間声に思わずびくっとして
しまった。
﹁旦那様。扉は静かにお開け頂かないとお客様に失礼にあたります﹂
﹁む!そうであったな!お客人すまなかった!﹂
﹁声も抑えてください。慣れない方にとっては恫喝と変わりません﹂
﹁おう!そうであったな。これで注意されるのは何度目だ?﹂
﹁扉については1217回目。声については2381回目になりま
す﹂
﹁うむ。さすがにそろそろ覚えぬとまずい回数だな。がはははは!﹂
﹁そうおっしゃったのは793回目になります﹂
400
なんだこのやりとりは⋮
髭男の後ろに控えていたこれぞメイドという衣装に身を包んだ小
柄な女の子が無表情かつ冷酷に髭男に突っ込んでいくが髭男はまっ
たく応えている様子はない。
﹁そうかそうか!まあその話はいずれまたしよう。今は我が街の恩
人達に丁重なもてなしをせねばならんのでな﹂
﹁承知いたしました。
それではフジノミヤ様とパーティの方々応接室へご案内いたしま
すのでどうぞこちらへ﹂
﹁すまんな!儂もすぐ向かうゆえ,ミモザと先に行ってくれ。ミモ
ザ,彼らに失礼のないよう最上級のもてなしを頼む﹂
﹁お任せください。旦那様さえいなければ完璧なもてなしをする自
信があります﹂
﹁うむ!さすがミモザだ。頼んだぞ!﹂
っていうかお前はそれでいいのかと言いたい。明らかに小馬鹿に
されているようにしか聞こえないのだが⋮
いろいろ突っ込みたいところが満載だったが2人の勢いに押され
口を挟む余裕すら無かったので大きなため息を一つ吐くとミモザと
いうメイドの後に続く。
応接室は2階にあるらしく階段を上って通された部屋は領主館の
応接室に相応しいセレブな空間だった。
まずこの世界にきて初めてソファーと言えるような椅子を見た。
そして大きな卓があり卓上にはスタンドのような物が置いてある。
さらに見ると床には毛皮の絨毯が引かれ,壁には趣のある絵画が掛
けられていた。
401
﹁どうぞおかけください。ただいま飲み物をお持ちいたします﹂
呆気にとられている俺達に椅子を勧めるとミモザは一礼して部屋
を出て行った。
とりあえず勧められたままにソファーに腰を下ろすとおそるおそ
る口を開く。
﹁えぇと⋮あの髭が領主ってことでいいのかな?﹂
﹁⋮多分,そうだと思います﹂
﹁まあ腹芸が得意なタイプには見えんから権力者としては付き合い
やすいタイプかもしれんぞ﹂
﹁桜は髭もじゃはあんまり好きじゃないからパス!﹂
﹁いや別にそういう付き合うじゃないから大きな声でパスとか言わ
ない﹂
えへへと笑う桜の額を軽く人差し指で押して窘める。そんなこと
聞かれてへそを曲げられたらいろいろ困ることも出てくるかもしれ
ない。
あんまり目立ちたくなかったのに領主に呼ばれるようじゃレイト
ークから拠点を移す事も真剣に考えた方がいいか。
コンコン
﹁失礼いたします。お飲み物をお持ちいたしました﹂
きちんとノックをしてから洗練された動きで扉を開けたミモザが
完璧な所作で一礼し俺達の前に木のコップを置いていく。
﹁こちらはレイトークの湖に流れ込む源泉からくみ上げた名水にこ
402
の地方の名産であるリンプルを搾った果実水になります﹂
目線でどうぞと勧められたのでとりあえず口に含んでみると⋮微
かに甘い。
﹁おいしい⋮りんごみたいな果物を搾って混ぜたんだな﹂
﹁こちらはリンプルを薄くカットして火を通したものです。火を通
し余計な水分を飛ばすことで甘みと酸味が凝縮され,また歯応えも
良くなります。
是非お試しください﹂
そう言って各自の前に綺麗な小皿に乗せられたりんごチップス的
な物を置いていく。
そう言えばこの世界に来てから甘味系は全く摂取した記憶がない。
もともと甘い物は嫌いじゃないのでないと思っていたうちは気にな
らなかったがあると分かると期待値が上がっていく。
期待から湧き出す唾液をごくりと飲み干してから一枚を手に取り
口に運ぶ。
カリッ という小気味良い音と共に甘酸っぱい風味が口中に広が
っていく。
﹁うまい⋮﹂
思わずこぼれた感想もそこそこに一枚を喰いつくすと次から次へ
と手が伸びあっという間に自分の皿が空になる。
﹁ソウジロウ様。大分気に入られたようですね。こちらの料理なら
私でも作れるのでいつでも言って下さいね。
これなら竃がなくてもなんとかなりますから﹂
403
そうか⋮台所が無いとシスティナの料理の腕がどのくらいあるか
もわからないし,どれだけ料理が上手くてもその恩恵を受けられな
いのか。本気で台所付きの住まいが欲しい。
﹁リンプルだけじゃなくてイチベリーやナピアーなんかも美味しい
ですから今度作って差し上げますね﹂
﹁おお!どんな果物だか全く分からないけどすげーうまそう。是非
お願いするよシスティナ﹂
﹁はい﹂
﹁皆様ご歓談中すいません。まもなく馬鹿が来ますのでお心の準備
をお願いいたします﹂
この娘,自分が仕えている領主を躊躇なく馬鹿って言ったよ。ど
んだけ苦労させられてんだ?ちょっと同情するぞ。
﹁すまん!待たせた!儂が現レイトーク領主イザク・ディ・アーカ
だ!此度のレイトークの塔における救出活動及び﹃階落ち﹄の階層
主の討伐を成し遂げてくれたこと心から礼を言わせてもらう﹂
バンッ!と扉を開け放つと同時に自己紹介からお礼まで一息で言
い切った領主は深々と頭を下げる。
パンッ!
﹁入ってくるなり何しやがりますか。
扉開ける,扉閉める,自己紹介,椅子に座る,椅子を勧める,お
礼。お分かり?﹂
領主の耳元に言い聞かせるミモザの右手にはどこから取り出した
404
のか革のサンダルが握られている。そのサンダルがどうやって使わ
れたかは説明したくない。
いくらなんでもやりすぎじゃないのか?
﹁がはははは!そうであったな!先ほど繰り返し言われていたのは
ここで使うものだったか!﹂
気にせんのかい!大物だな領主。
﹁まあよい。扉はお前が閉めてくれ。え∼と確か⋮﹂
﹁フジノミヤ様です﹂
﹁おお!そうであったフジノミヤ殿。今日はご足労頂き感謝する﹂
すっかり立ち上がるタイミングを逃した俺達が慌てて立ち上がろ
うとするのを領主は手で制すると俺達の反対側のソファーにどっし
りと腰を下ろした。
﹁先ほども言ったが,此度のこと誠によくやってくれた。
あのまま初心者達の被害が増え続けていたら塔に対する危険な話
があっという間に広がりレイトークに来る探索者が激減していただ
ろう。
そうなれば我が街の経済は大打撃を受け大変なことになっていた
やもしれん﹂
真面目な顔も出来るんだな。なんだかんだ言ってもこれだけの街
を治める領主なんだから馬鹿に勤まる訳はないか。領主イザクにに
対する評価をし直す必要があるな。
﹁塔にイレギュラーな事態が起きたということ自体は隠せん。だが,
それをすぐに解決したということの効果は大きい。
405
ましてそれに領主の意向が関わっていたとすれば更に周囲の安心
度が違う﹂
なるほど,だから事態を解決した俺達に褒美を取らせることで領
主側が事態の解決に積極的に関与していたということをアピールし
たい訳か。
別に俺達は領主の頼みで動いた訳ではないが損をする話ではない。
貰えるものは貰っておけばいい。ただ⋮
﹁分かりました。ではイザク様からお受けした依頼の報償として受
け取らせて頂きます﹂
﹁おお!ありがたい!こちらの都合を押しつけるようですまんがよ
ろしく頼む﹂
頭を下げるイザクの肩を持ち上げるように押し上げる。
﹁ただし一つだけ条件があります﹂
﹁ほう⋮言うてみよ。儂に出来ることならなんでもきくぞ﹂
﹁いえ,難しいことじゃありません。私たちはまだまだ修行中の身
のため下手に名前が知れ渡るのは嬉しくありません。
﹃領主依頼の探索者一行﹄が解決という形にして私たちの身元が
表に出ないようにして欲しいのです﹂
変に有名になると蛍さん達のことがばれてやっかいなことになる
かもしれないし,うちのメンバーは絶世の美女揃いだから変な男達
に付け回されたり,逆恨みを受けたりする可能性もある。
まったりと異世界ライフが送るのが理想なんだから名声とかは1
ミクロンたりとも必要ない。
﹁なるほどのぅ。よかろう!お主達の名前やパーティ構成などの情
406
報は儂の側からは一切漏らさぬように気をつけることを約束しよう。
だが,あの時ロビーでお主達を見ていた者も多い上にお主達に助
け出された者達1人1人に口止めをする訳にもいかぬ。そちらから
ある程度情報が漏れるのは覚悟しておいてくれ﹂
それは確かに仕方がない範囲だろう。その辺は仮に領主に呼ばれ
てなかったとしてもついてまわるリスクだ。俺は承諾の頷きを返す。
﹁うむ!では褒美を取らそう。
まずは緊急時の人命救助に関して10万マール。階落ちの階層主
の討伐報酬として10万マール。一連の活動に際して負った傷の治
療費として10万マール。こちらの要望に応え迅速に依頼を達成し
てくれたことに対し10万マール。そして最後に⋮口止め料として
10万マールを褒美として与える。ミモザ﹂
﹁はい。旦那様﹂
いつの間にか脇に控えていたミモザがどこから持ってきたのか膨
らんだ布袋を乗せたお盆をイザクの前に差し出す。
イザクはそれを無造作に掴むとじゃらりと音をさせて俺の前に置
いた。
﹁大金貨は使いづらいだろうと思って金貨にしておいた﹂
﹁お気遣いありがとうございます﹂
冷静に受け答えしつつも想像以上の大金が転がり込んできた事に
内心はびくびくものだ。50万マールってことは日本円にして約5
00万だ。地球にいたらあと10年くらいはまず手に出来ない額で
ある。
407
領主︵後書き︶
※ ご意見・ご感想・レビュー・評価・誤字脱字のご指摘等、随時
受け付けてます ので忌憚ないご意見をお待ちしております。
408
桜の仕事︵前書き︶
ちょっと短いです。なので明日もう1話投稿します^^
409
桜の仕事
﹁まだ1階層内には﹃階落ち﹄の魔物が複数いるという報告が上が
っていたが,階層主討伐に差し向ける予定だった高階層の探索者パ
ーティをそのまま掃討に当てたので昨日の早い時間に討伐完了の報
告を受けている。
今は通常通り1階層も解放されているはずだ﹂
そうかそれなら良かった。後は今回のイレギュラーの原因となっ
たと思われる短時間での魔物の狩りすぎについて情報を提供してお
く。
﹁その類の噂は確かにあったが,各パーティに監視を付ける訳にも
いかぬしこちらから規制は難しいな。
だがこれだけ大がかりな﹃階落ち﹄をした以上は何百日単位で同
じようなことはおきんだろう﹂
﹁それはどういうことですか?﹂
﹁どうも塔にとっても﹃階落ち﹄というのはえらく体力を使うよう
でな。1体2体ならともかくあれだけの数に加えて階層主まで落と
したとなるとしばらくは平常の湧出率すら維持出来ぬ可能性が高い。
あれだけの数を落とした以上同数程度は探索者を撃退して糧とし
たかったはずだがお主達のおかげで犠牲者を少なく抑えられた。あ
の塔はしばらくはおとなしくしているしかないだろうよ﹂
マジか⋮悪意ありすぎだろう塔。1階層の魔物が減って初心者達
がこぞって1階層に入ってきたのを見計らって一網打尽にすべく﹃
階落ち﹄を発動したってことか?
410
﹁すまんがその辺の情報も内密に頼む。塔自身の判断でそんなこと
が引き起こされている可能性があると知れ渡ると初心者など塔に入
らなくなってしまうからな﹂
﹁ですが,それでは!﹂
領主の言葉にシスティナが抗議の声を上げる。探索者達の命を軽
んじているように感じたのだろう。
﹁誰でも最初は初心者だ。いつ起こるかもしれぬ災害を恐れて初心
者が塔に入らなくなればいずれ探索者はいなくなってしまう。
そうなれば塔が力を蓄え,大量の魔物を塔外へ吐き出すようにな
る。その時に本来魔物と戦うべき人材も探索者なのだ。分かるか?
この悪循環が﹂
厳しい目をシスティナに向ける領主。システィナには可哀想だが
今回は領主の方が正しいだろう。
探索者が塔に入らなければ魔物と戦える人間は育たない。そして
探索者が入らなくなった塔が魔物を排出しても魔物と戦える人間が
育ってないため大きな犠牲が出てしまう。そして人口が減れば更に
探索者になろうとする人間は減っていく。
この連鎖が続けばいずれ世界は魔物に埋め尽くされて人類は滅び
る。
塔のある街を預かる領主としては多少の危険に目を瞑ってでも探
索者達を塔へ送り続ける必要がある。むしろそれこそが領主として
の最大の仕事かもしれない。
むしろこの世界に探索者達を支援する組織がないことが俺には驚
きだったんだがここでそれを言っても仕方ないだろう。
システィナも同じ結論に辿り着いたのかしょんぼりとしてしまっ
た。俺はシスティナの肩に手を置いて無言で慰めると話題を変える
べく口を開く。
411
﹁そう言えば先ほどから館内が慌ただしかったようですが何かまた
問題でも起きましたか?﹂
﹁いや。申し訳ない!ちょっとした事件があってな。その関係の対
応に追われておったためにお主達の来訪が儂のところまで届かんか
ったのだ!﹂
まあそんなところだろうとは思っていたが領主がそこまで対応に
追われる事態ってなんだろう。
﹁また塔関係の問題ですか?﹂
﹁がははは!さすがにそう何度も問題が起きては面倒見切れぬ!今
回のはちょっとした事故のようなものだ。
遠からず街の住民達にも知れ渡るだろうから言ってしまうが我が
傘下の豪族の1人であるベッケル家の子息がこの街で死亡している
のが確認されたのだ﹂
うぇ!あっぶな⋮危うく驚きを表情に出してしまうところだった。
変なところで藪をつついてしまった。こんなことなら昨日のうちに
結果報告受けておくんだった。
﹁それはお気の毒に⋮病ですか?﹂
﹁いや,事故⋮なのだろうな﹂
いったい桜は何をしたのだろう。横目で軽く桜の表情を確認する
が全く気づかぬふりでリンプルチップスをポリポリと囓っている。
ていうか栗鼠みたいで可愛いけどもだ。
﹁いやすまん!まだ調査中ゆえ詳しいことはわかっておらんのだ!
だがこの子息とやらがどうも困った性癖の持ち主だったらしくてな。
412
いろいろ見逃せぬような証拠物がいささか不自然な程にいくつか
見つかったためそちらの裏付け調査も同時進行しているのだ﹂
﹁⋮そうですか。領主の仕事もいろいろ大変そうですね。
ではあまり長くお邪魔しても悪そうなので私たちはこれで失礼い
たします﹂
こういう時は変なボロを出す前にさっさと退散するに限る。俺は
ゆっくりと席を立つとイザクに向けて一礼する。
﹁おお!そうか!すまんな!
落ち着いたら是非食事にでも招待させてくれ!﹂
同じように立ち上がったイザクが手を差し出して来たので握り返
しておく。ごつごつとした大きな手が領主自身も武器を取って戦え
る人間であることを証明していた。
領主館を辞去して次の目的地へ向かいながらなんとかボロを出さ
ずに済んだことに胸を撫で下ろしていると俺の服の裾を引っ張る人
がいる。
まあ振り向かなくても誰だかは分かるが一応確認すると,思った
通りの人が裾を引っ張りつつジト目で俺を見上げていた。
﹁どうしたの?システィナ﹂
﹁昨日の桜さんの件⋮﹃つまりはそういうこと﹄だったのですね﹂
結局あの後,システィナには桜が何をしに出て行ったのかを教え
なかったのだ。それがさっきの領主の話で繋がったのだろう。
イザクはベッケル家の誰とまでは言わなかったが間違いなくバル
トのことだろう。桜はバルトを何らかの形で事故に見えるように殺
413
害し,さらに過去の悪行を臭わせるような証拠をわざとらしく置い
てきたのだ。
おそらく見る人が見れば事故死ではないことはすぐわかるのだろ
うが,出てきた悪行の証拠を見れば誰かに報復されたと思い至って
も事故死で済まさざるを得ない。そのラインを的確に見極めた繊細
な仕事をしたのだろう。
俺はシスティナの問いには答えることなく桜の頭を優しく撫でて
あげた。よくやってくれたありがとうの気持ちをたっぷりと込めて。
﹁うにゃぁ。ソウ様ぁ﹂
俺に撫でられて気持ちよさそうに目を細める桜を見てシスティナ
も諦めたようにため息を吐くと桜に対して頭を下げた。
﹁桜さん,ありがとうございました。そしてお疲れ様でした﹂
﹁う∼ん?なんのことかな。全く分からないし﹂
﹁いいんです。私がお礼を言いたかっただけですから﹂
とぼける桜に優しい笑顔を向けるシスティナに桜は一瞬きょとん
とした表情を浮かべたがすぐに にへ と微笑んでシスティナの腕
を抱え込んだ。
﹁おかしなシス。⋮でもありがと﹂
うんうん,俺の嫁達の仲が良いのは和む。実に良い。
414
ベイス商会︵レイトーク支店︶
領主館を逃げる様に後にしてレイトークの街中を4人で歩く。領
主館は塔とも街の入口とも離れているため商店などは少なめで閑静
な住宅街と言った趣である。
﹁さてソウジロウ,次は何処へ行くんだったかの﹂
﹁うん,諸々のお礼も兼ねてベイス商会に挨拶かな。ついでにイザ
クに貰ったお金で借金返してパーティリングを4人用に買い換えな
いとね。
後は買い取りがしてもらえるなら塔での魔石を換金﹂
今回の一件ではなんだかんだでウィルに助けられた。その最たる
ものがパーティリングの押し売りである。まあ押し売りというと語
弊があるが,ウィルが俺たちを高く評価してくれたお陰でパーティ
リングを謂わば﹃ツケ﹄で買うことができた。
このリングがなければあの絶体絶命の一撃で俺は間違いなく死ん
でいた。
さらに気を失った俺を宿まで背負ってくれたとなればさすがに商
取引だけのドライな関係を強く主張するのも義に欠けるだろう。
もちろんウィルの側も打算あってのことだというのは分かってい
るが,俺たちとの良好な関係のためにある程度自らの身を削ること
が出来る相手だということは評価してもいいと思う。
﹁では﹃あれ﹄もか?﹂
﹁⋮そうだね。少なくとも初見のところよりはマシかなとは思って
る。ただ出来ればウィルさんにご同行願って本店に案内して貰って
からの方がいいかな﹂
415
﹁⋮なるほどな。では結局フレスベルクへ拠点を変えるのだな?﹂
﹁うん。レイトークは景色もいいし魚も新鮮でおいしいし悪くはな
かったんだけどね。領主に目をつけられたってのもあるし,しばら
くここの塔には入りたくないってのもあるからいい機会かな,と﹂
﹁かもしれんな。それに確か装備の関係もそのフレスベルクとやら
の方が良い店が多いと言っていたな﹂
蛍さんの言葉に頷く。
フレスベルクのザチルの塔に入るとすればまた1階層からという
ことになるだろうが装備に関しては妥協しない方がいいということ
が今回身に沁みたので今回は思い切って魔材を使った装備まで目指
してみてもいいと思っている。
後はフレスベルクの環境次第では皆で住める家も探してみたい。
風呂が設置できるようにそこそこの大きさの戸建てが希望である。
﹁あ,ソウジロウ様その角を曲がったところがベイス商会のレイト
ーク支店です﹂
桜と仲良く腕を組んで歩きながら楽しそうに喋っていたシスティ
ナだが道案内の役目は忘れてなかったようだ。
俺は言われるがままに角を曲がると抽象化されたラーマらしき動
物2体が交差するマークの上に﹃ベイス商会﹄と書かれた吊り看板
を見つけ入口の暖簾らしき垂れ布の下をくぐった。
﹁いらっしゃいませ。ベイス商会レイトーク支店へようこそ。
当店ではあらゆる商品の販売を致しております。在庫のない物は
各地のベイス商会から取り寄せ可能,商いを希望する方には仕入れ
の仲介も致します。
魔石や素材の買い取りも行いますし,お困りごとには当店が懇意に
416
させて頂いている方の中から事案に見合った人材の派遣もいたして
おります。
さらにお住まいなどをお探しの方には不動産売買の斡旋等も執り
行っております。
なんでもお申し付けください﹂
⋮なんかすげぇ。
入った途端に思った感想がそれだった。明るい店内に笑顔の可愛
い受付嬢。整然と並べられたアイテムの数々。店内の一角では様々
な案件の相談に乗るためかいくつかの応接セットも設置されている。
﹁えっと⋮システィナ,頼む﹂
﹁ふふ,承知いたしましたソウジロウ様﹂
何となく機先を完全に奪われた感があるのでとりあえずシスティ
ナに丸投げしてやった。決してめんどくさくなった訳ではない。
﹁失礼いたします。私はシスティナと申します。先日こちらの商会
のウィルマーク様と交誼を結ばせて頂いた者なのですがウィルマー
ク様はおられますでしょうか?﹂
﹁ただいま確認して参りますので少々お待ちください﹂
受付嬢は欠片も笑顔を崩さずに一礼すると奥へと下がっていく。
同時に別の受付嬢が受付に座る。やはり笑顔だ。
﹁ただいま確認しておりますのでよろしければあちらにおかけにな
ってお待ちください﹂
笑顔にの受付嬢に勧められるままに店内に設けられた応接セット
417
の一つに移動しようとすると店の奥からどたどたと慌ただしい足音
が聞こえて来る。
﹁フジノミヤ様!お待たせいたしました!まさか当店までお越し頂
けるとはありがとうございます!
皆様はまだ疲れも抜けてないでしょうし,立ち話もなんですから
2階の応接室へご案内しますの。どうぞこちらへ﹂
なぜか興奮した様子のウィルに案内された部屋は先ほどの1階の
店舗内にあった応接セットより全てにおいて1ランク上の物が置か
れていた。
おそらく高額取引などをするVIPとかと商談をする場所なのだ
ろう。
﹁どうぞどうぞおかけください。今何か飲み物を用意させますので﹂
今日は何かと応接室で歓待される日だ。地球では単なる高校生だ
った俺には馴染みがなくて正直居心地が悪い。
勧めに従って椅子に腰を下ろす。
﹁そういえばウィルさんは行商人だと伺っていましたが,こんな立
派なお店があるのにどうしてですか?﹂
遅れてテーブル越しに椅子に座ったウィルさんは照れくさそうに
口角をあげる。
﹁このベイス商会は祖父が基盤を築き,父が創り上げたものです。
ですが長子であるからと能力の無いものを後継ぎにする訳にはいか
ないと言われまして﹂
﹁修行のための行商ということですか﹂
418
﹁はい。ということで都市間を渡り歩いて物を売ったり,人脈を広
げたりしています。
ただ,父も親ばかなんでしょうね﹃商会のある街では商会を拠点
にしろ﹄と厳しく言われているんです。名目上は商売の報告をする
ためということになっていますが⋮私ももういい歳になるんですが﹂
﹁それだけ期待されているということでは?不慮の事故等で失いた
くないということでしょう﹂
システィナ言葉にウィルさんはそうだといいのですがと言葉を濁
した。商人の世界にもいろいろな事情があるのだろう。
﹁さて,今日お越し頂いたのはどのような用件でしょう﹂
笑顔の受付嬢さんが冷えた水を入れた木のコップをそれぞれの前
に置いて下がるのを待ってウィルさんが話を切り出す。
﹁いえ,まずは先日の塔の事件の際に大分お世話になったと言うこ
とでしたのでお礼を言いたいと思いまして。
先日はどうもありがとうございました﹂
﹁あぁ!そんないけませんフジノミヤ様。頭を上げてください。お
礼を言うのはあの塔を利用して商売をしている私の方ですから﹂
﹁そんなことはないですよ。あの時のシスティナは自身も傷つき本
当なら自分も意識を手放したいくらいの状況だったはずなんです。
ですからそんな状況で私を担いでゆっくり治療が出来る場所まで
運ぶのは不可能とまでは言いませんが多分ものすごく大変なことだ
ったと思います﹂
﹁そうですよウィル殿。
あそこで私がソウジロウ様を運ぶために自らを治療したらその使
用した魔力の分だけソウジロウ様の治療が遅れるところでした。
治療が遅れればソウジロウ様は死んでいたかもしれません﹂
419
あれ?俺ってそんなにやばい状態だったの。そう考えれば俺が目
覚めた時のシスティナの反応も大げさじゃなかったってことか。
﹁いや!ですが⋮﹂
﹁ウィルさん。いいじゃないですか。私たちはあなたに感謝をして
いる。それは間違いのないことですからお礼の言葉ぐらいは受け取
ってください﹂
﹁⋮そうですね。今回の件に関しては打算抜きだったということを
分かって頂きたくて依怙地になりすぎました﹂
﹁打算抜き⋮ですか。失礼ですがあなたは商人です。ある程度打算
があっても構わないのでは?﹂
﹁もちろんそうです。
ですが私は⋮感動してしまったのですよ﹂
感動?何か感動するようなことはあっただろうか。俺たちが身の
程知らずに塔に飛び込んでいったことは感動するようなことじゃな
くむしろ無謀な試みとして嗤う場面だ。
もしかしたら失礼に当たるのかもしれませんが⋮と前置きをして
ウィルさんは理由を語り始めた。
﹁今回の件がレイトークの街全体を巻き込みかねなかった異常事態
というのはしっていますか?﹂
先ほど領主から言われたばかりの内容だ。頷く。
﹁そんな異常事態をまだ塔に入り始めたばかりの探索者としては初
心者で僅か3名というパーティで取り残された人達を救出し,階落
ちの魔物達を倒し,挙げ句の果てには階落ちの階層主までをも倒し
420
てしまったのです﹂
ウィルさんの目が年甲斐もなくキラキラと輝いているように見え
るのは俺だけだろうか。
﹁そのパーティを誰よりも早く見つけて,誰よりも早く見込んだの
がこの私だったとしたら!そう考えたら嬉しくなってしまいまして
⋮﹂
34のおっさんが恥ずかしがっている姿なんて気持ち悪いことこ
の上ないが何故か悪い気はしない。
﹁そうじゃな。そういう意味ならば確かにおぬしが我らのファン第
1号ということになろうの﹂
﹁ふぁん⋮ですか?﹂
﹁あ,えっと⋮気に入った人や物を応援したり支援したりする人の
ことを俺の故郷ではファンと言うんです﹂
﹁ああ,なるほど!それならば確かに私はフジノミヤ様達のファン
ですね﹂
どうりでここに来たときにあんなにハイテンションで出迎えてく
れる訳だ。ファンになってくれるのはありがたいが蛍さんやシステ
ィナのストーカーになったら困るな。
怪しい行動を取り始めたら悪人認定してさくっと殺そう。
﹁ウィルさんが思うような活躍はもう無いかもしれませんが私たち
を応援してくれている人がいるということは忘れないようにします﹂
﹁いえそんな!私が勝手にファンでいるだけですので皆様は今まで
通り自由に活動なされてください﹂
﹁ありがとうございます。
421
ところでウィルさん今日はもう何点か用事がありまして﹂
﹁はい。なんなりとお申し付けください。ベイス商会をあげてご協
力させて頂きます﹂
どんと胸を張るウィルさんに若干気圧されながらも協力的なのは
良いことだと自らに言い聞かせてまずは1つめの用件を切り出すべ
く。先ほど詰め直しておいた巾着を取り出してウィルさんの前に置
く。
﹁まずはリングの代金の精算をお願いします﹂
﹁まさか!もしかして全額ですか?﹂
俺が頷くとウィルさんは一瞬驚愕の表情を浮かべたもののすぐに
また目が輝き出す。
﹁さすがはフジノミヤ様です。リングをお渡ししてまだ5日程しか
経っていないのに全額返済出来るとは⋮いや,失礼しました。確か
に全額受領しました﹂
そう言ってウィルさんが巾着を受け取るとウィルさんとシスティ
ナの体から光の粒子が僅かにこぼれた。
﹁契約が遂行されたので契約書が破棄されました﹂
思わずびくりと反応した俺にシスティナが微笑みながら教えてく
れる。どうやらこれでシスティナが1人だけ罰を受けるようなこと
はなくなったらしい。
﹁次にこのパーティリングを4人用に変えたいのですが⋮もちろん
追加の料金は支払いますので﹂
422
自分の腕に填めていたリングを外してテーブルに置くと蛍さんと
システィナもそれに倣ってリングを外してテーブルに置く。
ウィルさんはシスティナの横に座ってうとうとしていた桜を見て
大きく頷く。
﹁仲間を増やされたのですね。承知いたしました。幸い在庫もあり
ますしすぐに持ってこさせます。
料金の方は結構ですと言いたいのですが⋮﹂
﹁気持ちは嬉しいのですが,修行中のウィルさんのご好意に甘えて
しまうのも申し訳ないので﹂
ウィルさんは俺たちのファンだし商売相手としてはありがたい相
手だがまだ知り合って間もないこともあるのであまり貸し借りを作
るのはよくないだろう。
くれるというものは貰っとけばいいというのも確かに一理どころ
か二理三理くらいあるのだがもう少しこちらからもウィルさんに利
益を回せるような関係になるまでは控えておいた方がいいだろう。
﹁そう言われると思いました。分かりました。
では今後は一人増える度に10万マールずつ頂くということにし
ましょう。ですから今回は10万マールで結構です﹂
ウィルさんはそう言うと鈴を鳴らして笑顔の受付嬢を呼び出して
リングを取りに行かせた。
確かに3人用は30万マールだったが,この前の説明では人数が
増えると必要な重魔石も大きな物が必要になるため人数が増えてい
くごとに加速度的に料金が高くなると言っていたはずだ。
4人用に変えるだけでもそのまま40万マールということはない
だろう。
423
おそらく4人用のリングは50万マールは言い過ぎだとしてもそ
れに近い値段がするのではないだろうか。だが値引きということで
あればあまり固辞するのも狭量だろう。
﹁ありがとうございます。システィナ﹂
﹁はい﹂
頷いたシスティナが金貨を10枚取り出してテーブルに置く。
それと同時に笑顔の受付嬢がケースに入ったパーティリングをウ
ィルさんに渡していく。
﹁それではお確かめください﹂
ウィルさんは受け取ったケースを開くと俺たちの前に置く。中に
は確かに埋め込まれた重魔石同士が引き合っているリングが4つ入
っている。
﹁はい。確かに﹂
ウィルさんに断りを入れリングを蛍さん,システィナ,桜の順に
填めてあげる。俺の分は前回システィナが付けてくれたということ
で今回は桜が立候補して填めてくれた。
うん,実際にリングに助けられた身としてはこうしてリングから
3人の存在が感じられるのはとても頼もしく感じる。
﹁お役に立ててよかったです﹂
俺の満足そうな顔を見て心から嬉しそうな顔をするウィルさん。
この感じなら本店行もお願いしやすい。
424
﹁ウィルさん。もう1つお願いがあります﹂
﹁はい。なんでしょうか﹂
﹁私達はまだ修行中なのであまり目立ちたくなかったのですが,今
回こうした事態になってしまったので拠点を変えようと思っていま
す﹂
俺の拠点変更を聞いたウィルさんの顔が面白いくらいに暗くなる。
そこまで俺達を推してくれるのは嬉しいが逆にちょっと怖い。
﹁そうですか⋮残念です。もう少し皆さんの近くで商いをしたかっ
たのですが﹂
﹁そこで拠点を変えるついでに今度はその街に住居を構えようと思
っています﹂
﹁それはいいですね!それならば場所さえ知っていればいつでもお
会いできます。 もしその街にベイス商会があれば是非お尋ねくだ
さい。きっといい物件をご案内出来ると思います﹂
﹁はい。そこでお願いなのですがウィルさんにベイス商会の本店を
紹介していただきたいのです﹂
﹁それは⋮フレスベルクに居を構える予定だということですか?﹂
ウィルさんの問いかけに俺は頷きを返す。ウィルさんは俺の意思
を確認すると何かを思い出すように目を細めた。
﹁そうですか⋮確かに探索者であるならばフレスベルクは最適な環
境です。ですが最適過ぎるために同じことを考える人が多く住環境
の良い手頃な価格の住居はほとんど空きがありません。
賃貸も最短でも100日待ちという物件ばかりです﹂
どうやらフレスベルクの住宅事情を脳内検索してくれていたらし
い。
425
﹁そうでしょうね﹂
その辺は当然予測の範囲内である。
﹁そこで⋮システィナ﹂
﹁はいソウジロウ様﹂
システィナが小脇に置いていた背負い袋の中からゆっくりと取り
出した物を見たウィルさんの顔こそ見ものだった。詳細な説明はウ
ィルさんの名誉のためにしないでおく。
ウィルさんはたっぷり2分以上固まったままだったがゆっくりと
開いたままの口を閉じると会心の笑顔を作る。
﹁我らがベイス商会に全てお任せ下さい。フジノミヤ様のためにフ
レスベルクに最高の住まいを提供させて頂きます!﹂
426
ベイス商会︵レイトーク支店︶︵後書き︶
※ ご意見・ご感想・レビュー・評価・誤字脱字のご指摘等、随時
受け付けてます ので忌憚ないご意見をお待ちしております。
427
ベイス商会︵本店︶
ウィルさんに頼もしい言葉を貰ったものの,その日はウィルさん
の都合と時間の関係でフレスベルクに移動しても動きが取れないと
いうことになり翌早朝再びベイス商会を訪れる約束をした。
﹁よかったねソウ様。桜達だけのお家が買えそうで﹂
桜は笑顔で装着したパーティリングを嬉しそうに撫でている。今
まで俺達3人だけがお揃いで着けているのが羨ましかったらしい。
﹁そうだね。立地的には多少不便でもいいからそれなりに広くて静
かな家があるといいけど﹂
﹁そうだのう。私はソウジロウの訓練が出来るような広さの庭があ
るといいのう﹂
﹁げ⋮﹂
しごく気満々ですね蛍さん⋮
﹁あの,ソウジロウ様。私はお台所があるお家が欲しいです。ソウ
ジロウ様達に食べてもらいたい料理がたくさんあるんです﹂
﹁うん。それは絶対必要だね。実はシスティナの料理には凄い期待
してるんだ。馬車での旅の時に食べてた非常食料理が何気に宿の食
事なみに美味しかった気がするから,自由に料理してもらったらも
っとおいしい物が食べれそうな気がしてたからね﹂
俺の言葉を聞いてシスティナが喜びの表情を浮かべる。侍祭とし
て家事の能力を評価されることは戦闘力を評価されることと同じか
428
それ以上に名誉なことなのだそうだ。
﹁よし。今日はこのまま宿に帰って宿を引き払う準備をしよう﹂
﹁はい﹂
﹁桜もお手伝いするよ﹂
﹁私は酒でも飲んでるから頑張れ﹂
そうは言っても相変わらず荷物の少ない俺達だったので準備自体
はすぐ終わり食事をした後は,システィナと楽しんだ後に魔精変換
を使って桜と蛍さんに錬成という名の楽しいお仕事をたっぷりとし
て3人の柔肌に埋もれながら極上の夜を過ごした。
翌早朝,まとめた荷物をそれぞれに持って宿を引き払うとベイス
商会へと赴きウィルさんと合流。
そのままフレスベルクへの転送陣へと向かい全員でフレスベルク
へと転送した。転送の代金はベイス商会のお客様なので必要経費だ
と押し切られウィルさんのおごりだった。
﹁うわ!これは⋮凄いな﹂
転送陣から出てフレスベルクの街に出た途端に思わず俺の口から
こぼれた第一声だ。
転送陣は街の中央付近にあったらしく建物から出た途端に人の波
が目の前を流れていた。こっちに来てまさか都内の繁華街を思い出
すような光景を見ることがあるとは思わなかった。
これは確かに混迷都市の名にふさわしい。
﹁この辺は早朝から店が空いているのと転送陣があるので大体こん
429
な感じです﹂
ウィルさんが巧みに人混みを避けつつ俺達を先導しながら苦笑す
る。
その姿を見失わないようにウィルさんを追っているとほんの微かに
鼻に香るものがあった。
﹁ウィルさんもしかしてこの辺りは海が近いのですか?﹂
﹁気がつきましたか?フジノミヤ様は鼻が良いですね。
フレスベルクがここまで大きく煩雑な街になった理由は塔,海,山,
草原この4つに囲まれていたからです。
北に塔,西に海,東に山,南に草原。塔は探索者達と魔石を。海
は港による流通と海産物を。山は資材や狩りの対象となる獣を。そ
して草原は豊かな穀倉地帯をもたらしてくれたのです﹂
そりゃ凄い。それなら人が集まるのも道理だ。もうけ話とうまい
食べ物がある場所には人が集まり,人が集まれば金が集まるのはど
この世界も同じだろう。
ただ,囲まれていると言っても海までは馬車で一日程度はかかる
のそうで潮の香りも風向き次第によっては微かに感じるという程度
らしい。
だから全体的な位置関係としても山と海が近接している訳ではな
いとのこと。ただ山から流れてくる川がフレスベルクをかすめて海
へとつながっており小さ目の船ならば行き来も可能でこれに乗れば
港から街のすぐ脇まで来ることが出来るので傷みの早い食材などは
船便を使って運んでくるらしい。
貿易船以外にも一日に何便か有料の往復船が出ていて一般人もお
金さえ出せば短い時間で港までを往復することが出来るそうだ。
海の向こうに何があるのかとかちょっと気になったりもしたが俺
430
たちに関しては多分わざわざ海を渡るようなこともないだろうし,
のんびりそんなことを話していられるような状況でもないのでまた
いつか聞いてみよう。
世界地図的なものとかがあれば見てみたいという思いはあるがこ
こには伊能忠敬さんはいなかったはずなのであってもおおざっぱな
位置関係を記したものしか地図はないだろうと思っている。
あ,ちなみに伊能さんは日本の海岸線を17年かけて歩いて測量
し詳細な日本地図を作った凄い人だ。
﹁フジノミヤ様。
こちらがベイス商会本店になります﹂
﹁おぉ!⋮﹂
﹁おっきぃねぇ!シスはこんなの見たことある?﹂
﹁私のいた神殿がこの位の大きさでしたが⋮5階建てでこの大きさ
と言うのは初めて見ました﹂
この世界に来てからそれなりに建造物を見てきたが多くの建物は
平屋建てが多かった。これは土地の広さに不自由してないからとい
うこともあるだろうが,建築技術の問題で多数階の建物を量産出来
ないからだろう。
だから大きめの店舗で2階建て,そこそこ良い宿屋や領主館あた
りが3階建て。そのくらいまでしか見たことが無かった。
だがこのベイス商会本店は地球で言うところの商業ビルのような
たたずまいでビシッと5階建てを実現していた。
﹁フレスベルクにはザチルの塔がありますから⋮高層建築に関して
はこだわりがあるみたいで高層建築物を所有しているだけである程
度の名声に繋がるんです﹂
なるほど⋮確かに目の前に雲をも貫く高層タワーがあるとちょっ
431
と張り合いたくなってしまうのかもしれない。
﹁そのため,ベイス商会も優秀な大工達を専属で雇って技術の向上
に余念がないんです。それが結実したのが300日程前に完成した
この本店なんです。一応この街で一番最初に出来た5階建てです。
その後200日ほど遅れて立て続けに5階建ての建物がいくつか
建てられましたがまだ6階建てにはどこも至ってません﹂
うんうん。そういう意地の張り合いの切磋琢磨が技術革新を起こ
すこともあるので頑張って欲しいものである。
なんだか誇らしげなウィルさんをとりあえず放っておいて店内に
突入してみる。
﹁いらっしゃいませ。ベイス商会へようこそ!
当店ではあらゆる商品の販売を致しております。在庫のない物は
各地の支店から取り寄せ可能,商いを希望する方には仕入れの仲介
も致します。
魔石や素材の買い取りも行いますし,お困りごとには当店が懇意に
させて頂いている方の中から事案に見合った人材の派遣もいたして
おります。
さらにお住まいなどをお探しの方には不動産売買の斡旋等も執り
行っております。
なんでもお申し付けください!﹂
うおっ!また出た笑う美人受付嬢⋮思わずビクッとしてしまった
じゃないか。あの崩れない笑顔が怖い。この商会ではあの笑顔がデ
フォルトなのか⋮
432
﹁フジノミヤ様!何故私を置いていくのですか!﹂
﹁いや⋮ちょっとめんどくさい雰囲気出してたから⋮﹂
﹁くっ⋮さすがは私が見込んだお方。5階建てにも物怖じしないと
は﹂
そりゃあ,60階建てとか普通にある世界に生きてたからねぇ。
﹁まあ,いいでしょう。とりあえずここに来た用件にとりかかりま
しょう。まずはベイス商会の会長であり私の父であるアノーク・ベ
イスに会って頂こうと思います。
昨日のうちに話は通してありますのでこちらにどうぞ﹂
ウィルさんに連れられて店の奥から従業員ようの階段を昇って5
階まで上がる。さすがにエレベータはない上に傾斜が大きく重力1
倍の地球だったら疲れていたかもしれない。
五階に上がりきるとそこにはやはり笑顔の受付嬢が1人カウンタ
ーに座っていてその脇に大きな扉。どうやら5階には会長室しかな
いらしい。ここにいる笑顔のお姉さんも受付嬢というよりは秘書役
なのだろう。
﹁ウィルマークが来たと会長に伝えてくれ﹂
﹁かしこまりました﹂
ウィルさんから来訪を告げられた笑顔秘書は笑顔のまま頷き扉を
ノックして中へと入って行く。そしてすぐに大扉を全開にすると脇
に控えて頭を下げた。
﹁どうぞお通りください。アノーク会長がお待ちしております﹂
﹁ありがとう﹂
433
ウィルさんについて部屋に入るとまずその広さに驚愕する。さす
がにワンフロアぶち抜きで会長室にしてあるだけのことはある。
広い室内全てに一枚物の絨毯が引かれているだけでも金の掛け具
合が半端ない。この世界室内で靴を脱ぐ習慣がないため絨毯は土足
で踏まれることになる。それなのに高価そうな絨毯を敷き詰めてい
るというのはそのくらいは必要経費だと割り切れるだけの資産があ
るということだ。
正面には大きな窓がありその窓を背にやはり大きな執務机がある。
その前にレイトーク領主館で座ったものよりも遥かに高価そうな応
接セットが置かれている。さらに室内にはプライベートルームもあ
るらしく右側の壁には本棚と並んで扉がある。
建物の造りからするとその先にもそれなりの空間があるはずで,
あくまで予測に過ぎないが寝室やトイレなどがひとまとめに設置さ
れていると思われる。
左側の方にはバーカウンターのような物があり,笑顔秘書2号が
控えている。あそこで来客者をもてなすためのあれこれを準備する
のだろう。
﹁失礼します会長。ウィルマーク・ベイスただいま戻りました﹂
ウィルさんが声をかけた先は執務机。正確にはそこに座って山積
みされた書類に目を通していた人物である。
﹁うむ。話は聞いている。
よくぞおいでくださった。フジノミヤ殿。そしてお仲間の侍祭シ
スティナ殿,蛍殿,桜殿でしたね。
まずはおかけください﹂
執務机から立ち上がって席を勧めてきた男は一目で上等だと分か
434
る衣服に身をつつみ物腰柔らかな中年男性。金持ち商人にありがち
な飽食による肥満を想像していたがそんなこともなくすらりとした
身体つきをしている。
年齢としてはもう50を超えているはずだが髪に白いものが混じ
ってきてはいるがまだまだ働き盛りという印象を強く受ける。
職
:
:
11
豪商﹄
年齢: 54 業
﹃アノーク・ベイス
アノークは俺達が柔らかい椅子に座ったのを見ると笑顔秘書2号
に指示を飛ばし,すぐに飲み物を準備させた。
それからおもむろに対面に座る。
﹁申し遅れました。私が当ベイス商会会長アノーク・ベイスです。
この度はこちらのウィルマークより大きな商談を持ちかけて頂ける
と伺っております。
どうぞお手柔らかにお願いいたします﹂
﹁探索者の富士宮総司狼です。こちらこそいろいろご無理をお願い
するかもしれませんが双方にとって良い商談が出来ることを望んで
います﹂
あぁ面倒くさい!こういう腹の探り合いみたいなことは一介の高
校生だった俺が歴戦の豪商にかなう訳がない。荷が重すぎる。と言
ってもこの後はどうせシスティナに引き継いで交渉してもらうよう
に打ち合わせは出来てるからいいんだけどね。
﹁では,さっそく商談に入りましょう。なんでも当商会で買い取っ
て貰いたい物があるとか?しかも支店や店頭ではなく私自ら査定が
435
必要になるものだとウィルマークからは伺っていますが﹂
本当にそこまでの物なのかと疑っているのが俺でも分かる。そし
てこっちが分かっていることを相手も分かっている。そんな大した
物ではないという空気感を作って値を下げに来ているのだろう。
だが,今回に限ってはその辺の駆け引きは無駄になる。値段交渉
自体は一瞬で終わる予定だ。
﹁はい。ではまずは見て貰った方が早いでしょう。システィナ﹂
俺の呼びかけに応えてシスティナは大事そうに抱えていた背負い
袋から先日と同じように1つの物を取り出して応接テーブルの上に
そっと置いた。
ゴトリ
それでも重厚感ある音を立てた﹃それ﹄を見て昨日のウィルさん
と同じ顔をしているアノークさんをやはり親子なんだなぁと感慨深
く眺めていたが,今日はここが山場であるアノークさんが衝撃から
立ち直るのを待つ。
そして目に利益を計算する光がともり始めた頃を見計らって一言。
﹁いくらで買い取ってくれますか?﹂
﹁え⋮あ,あぁ。そうですね。これほどの物であるならば500万
⋮いや﹂
今だ!システィナ!
俺の目線での合図でシスティナがスキル﹃交渉術﹄を発動させる。
﹁1500万マール出しましょう﹂
436
﹁わかりました。それでお願いします﹂
思惑通りのスピード商談成立である。今回は物が高額になること
は分かっていたのでシスティナの交渉術を使うことは確定していた。
後はそのタイミングだけだったのだが,衝撃を受けている最中は
いくらで買い取るかを考えていないだろうし,落ち着いてしまって
から冷静に計算し始めると最大買取価格を徐々に安く設定されてし
まうだろう。
だから今回は衝撃から立ち直り計算し始めた時。商人がまず直観
で価値を算出するタイミングで交渉術を発動した。
昨日ウィルさんに査定してもらった時も⋮
﹃こ,これは⋮最低でも500,いや700。だが⋮これだけの物
が出るのは数百日に1個出るかどうか私ならこの機会を逃さず倍の
1400から1500は出してもいいですが⋮逆に使用方法が限ら
れるという欠点もありますし最終的には1000万程度で落ち着く
のではないかと思います﹄
ということだった。
このことからウィルさんはまず最低価値を判断し,最高いくらま
で出せるかを見極め,そこから交渉でどこまで下げられるかを検討
するらしいということが分かった。
そしてそれはウィルさんの父であり,師匠であるアノークさんも
同じだと考えた。だからアノークさんが最高額を考え始めたであろ
うタイミングをある程度予測出来た。
結果はウィルさんが考えていた最高額と同じ額を引き出せたのだ
から成功したと見ていいだろう。日本円換算して約1億5千万円。
十分過ぎる資金をゲット出来た。
これで憧れのマイホームに手が届く。
437
我が家
﹁それにしても驚きました。こんな大きな魔石は初めて見ました﹂
売買の合意が確約されたアノークさんは子供の頭程もある水晶玉
のような真球の魔石を手に取り恍惚とした表情を浮かべる。
﹃魔石︵無︶ ランク:S﹄
これこそ俺たちが命がけの探索行の末に手にした物だった。階落
ちで変異種だったと思われるドラゴマンティスがドロップした魔石
である。無属性ではあるが属性は﹃付与術士﹄に頼めば後付けも出
来るためこれほどのサイズになるのならばむしろ用途を考えてから
加工できる無属性の方が価値があるらしい。
逆に小さい魔石だと属性を付与させるのに割が合わなくなるため
無属性の価値が下がる。レイトークの買取屋がまとまった数がある
と助かると言っていたのは一個ずつ付与術士に依頼をするよりも,
まとめて属性付与を依頼した方が格段に安くあがるためである。
﹁どうもかなり上層から落とされてきた主だった上におそらく変異
種だったこともあり相当なイレギュラーなドロップだろうとウィル
さんから教えて頂きました﹂
﹁そうですか⋮これはウィルマークの功績を認めない訳にはいきま
せんな。
よくやったウィルマーク。これを以ておまえの行商人修行を修了
としよう﹂
﹁ち,父上!ありがとうございます!﹂
﹁落ち着いたらどこかの支店をひとまず預けることになると思うが,
438
ひとまずはこのままフジノミヤ様の依頼を滞りなく助けて差し上げ
ろ。
今後,ベイス商会はフジノミヤ様一行を後押ししていく。失礼の
ないようにな﹂
﹁さすが父上です!お任せください﹂
おーい。2人で勝手に盛り上がらんでくれ∼
この親にしてこの子あり か。まあとりあえずは一生懸命やって
くれるならありがたいからいいか。気持ち的にはいざというときに
はちょっとだけ頼れる場所くらいでいればいいだろう。
﹁ところでフジノミヤ様﹂
﹁はい﹂
﹁商人として誠に恥ずかしい限りなのですが,こちらの代金の方が
つい後先考えずに即決してしまったこともあり手持ちが少々足りな
いのです。
もしよろしければ手付けを打たせて頂き支払いは後日でもよろし
いでしょうか?﹂
アノークさんの言い分はもっともだ。交渉術でここまでなら買っ
ても良いと思う最高額で即決させてしまったのだから手持ちがない
のに買ってしまったのはアノークさんの落ち度ではない。
﹁私たちは構いません。ただ精算についてはこれから私たちの方で
いくつかお願い事がありますのでそれらの代金を差し引いた額でお
願いします﹂
﹁なるほど⋮確かこの街で住居の購入をお考えということでしたな﹂
アノークさんは納得したように頷くと応接卓に置いてあった呼び
鈴を鳴らす。
439
﹁お呼びでしょうか?﹂
﹁例の物をこちらへ﹂
﹁かしこまりました﹂
笑顔秘書が笑顔で頷き一旦部屋を出るとすぐに戻ってきてアノー
クさんに紙束と丸めた大きな紙を持ってくる。
アノークさんはウィルさんに紙束を渡すと応接卓に丸めた紙を伸
ばしていく。
﹁これは⋮﹂
﹁はい,フレスベルクとその周辺の地図です。
フレスベルクは店などの移り変わりや住居などの増減が多く数百
日単位で更新はされますが正確な物は作れませんが,主要施設や主
要道路などは基本的に変わりませんのでこれからご案内する住居の
立地を確認するのに少しは役立つと思います﹂
広げられた地図にはフレスベルクを俯瞰で見た絵が詳細に描かれ
ていて,転送陣施設や領主館,ベイス商会,宿屋,鍛冶屋など調べ
られる限りの主要施設や店舗が書き込まれていた。
これをざっと見るだけでもこの街はかなり道が入り組んでいる。
しかも人も多いため今後この街で暮らすとなると街に買い物に来た
はいいけど迷子になるなんてこともあるかもしれない。
だがこの地図で日頃から街全体のイメージを掴んでおけば迷子に
なる可能性を減らせるかもしれない。欲しいなこの地図。
﹁充分な地図です。この地図も後ほど一枚お譲り頂けますか?﹂
﹁すいませんがこれは一点ものなのでお譲りできません。ですがこ
れに更新する前に使っていた地図でよければお近づきの印にさしあ
げましょう﹂
440
なるほどこれだけの地図を手書きで書いているとなれば印刷技術
のないこの世界では複製品を作るのも難しいだろう。
街の概要を確認するだけなら多少古いバージョンでも構うまい。
﹁是非お願いします﹂
﹁次はこの位置にある戸建てですね。間取りはこれになります。中
心街からはやや外れますが商業区域にも近く2階建てで狭いながら
も庭がついていますし値段も300万程度でご提供できます﹂
﹁この間取りだと私たちには少し狭いと思います。それに台所もち
ょっと小さい気がします。仲間はまだ増えるかもしれませんしもう
少し広い方が⋮﹂
﹁そうじゃなぁ。この庭では訓練もしづらいし技術の漏洩も怖いな﹂
﹁桜も広いお庭が欲しい∼﹂
﹁なるほど。ではこちら⋮いやこちらならいかがですか﹂
﹁ほう,2階建てだが屋上があるのか⋮確かにこれなら人目にはつ
かぬが強度に不安があるのう﹂
﹁屋上型の家屋は水漏れもあると聞いています﹂
﹁ていうか桜,屋根裏部屋とか欲しい!﹂
家選びが始まるといつのまにか女性陣と俺の立ち位置が変わって
いた。
ベイス親子と嫁3人が喧々諤諤と家を選んでいる。まあお金はあ
るし,皆が納得できるところがあれば俺はそれで良い。決してお味
噌扱いされている訳じゃない。
ん?応接卓の隅に10枚綴りくらいの赤い表紙の束が置きっぱな
441
しになってる。
なんでこの束だけ検討対象から外れているんだ?どうせ皆から取
り残されてるし暇だからちょっと拝借。
ぺらぺらとめくって見ると⋮なるほど。ウィルさん達が検討対象
から外す訳だ。これはいわゆる訳あり物件であり問題物件の数々だ
った。
例えばこれ。
﹃フレスベルク北東部,2階建,部屋数6,台所,トイレ2つ付き,
庭付き。200万﹄
もの凄く条件が良いのに安い。ただし特記事項として﹃強盗殺人
事件あり,後の入居者から幽霊が出るとの苦情が相次ぐ。※ 要注
意﹄と書かれている。
魔物は慣れてきたけど幽霊は勘弁して欲しい。刀で斬れない物は
基本的にはNGだ。
後は娼館の横とか酒場の横とかの環境面での問題物件。中にはこ
のベイス商会の隣というのもあった。どうも陽当たりが最悪らしい。
さすがに5階建ては伊達じゃないな。日照権とか保護されてないこ
の世界じゃ泣き寝入りするしかない。
次は⋮おお!この物件すっげぇ大きい!街からはちょっと離れる
けど敷地も広い。値段は大きいだけに475万するけど街中の小ぶ
りの2階建ての戸建が300万とかなことを考えれば屋敷と言える
程の物件がこの値段なのは破格の値段だと思う。
これは何がそんなに問題で安くなってるんだろう?特記事項は⋮
﹁蛍さん!これ﹂
﹁ん?どうしたソウジロウ﹂
﹁これ見て。もしかしてこれって⋮﹂
俺は家選びに夢中になっている面々の中から蛍さんの袖を引いて
問題の物件を見せる。
442
﹁⋮⋮⋮﹂
問題の物件を隅々まで見た蛍さんは顔を上げると俺に向かって会
心の笑顔を見せる。
﹁ウィルさんこの物件に案内してください!﹂
﹁この物件は元々フレスベルク領主が別荘として所有していたお屋
敷なのです。
東のパクリット山の裾野に建てられていましてすぐ傍に山から流れ
る川も流れており近場の避暑地として使用されていました。
ところがある時,裏庭に新たに植樹をしようと庭を掘っていた庭
師が突然庭から噴き出した熱湯で全身に火傷を負ってしまいました。
幸いなんとか治療師が間に合い命はとりとめましたが庭から噴き
出る熱湯は止まらず,異様な臭いを放ち続けています。
これを受け,領主は屋敷を手放すことを決めました﹂
街を出て10分程歩いたところにある屋敷に向かう途中にウィル
さんから受けた説明である。
実際に見てみないと分からないがこれらの情報を聞いて俺と蛍さ
んが思ったのは⋮
﹃それって温泉じゃね?﹄
ということだった。
この世界はお湯に入る習慣がない。だから温泉も当然知らない。
443
知らないならばただ熱湯が出てくるだけの危険な場所。しかも硫黄
の臭いとかしてたら毒泉かと勘違いしてもおかしくない。
これが本当に温泉なら蛍さんとしたお風呂を入れるようにすると
いう約束を最高の形で果たせることになる。
﹁ではこちらになります﹂
﹁でかっ!﹂
ウィルさんが示した屋敷は思わずそう漏らしてしまうほど立派な
屋敷だった。
敷地は2メートルほどの壁で囲まれていて門扉は金属製両開きの
格子扉である。前庭も小学校の運動場ばりに広い。長らく放置され
ていたようで草木はまさにぼうぼうだが手入れをすればかなり見栄
えのいい庭になるだろう。
そして屋敷内も気になるところだが,これだけ大きな屋敷なら特
に問題ない。多少傷んでいるところはリフォームすればいいだけだ。
後の問題は⋮屋敷の裏庭。
一度屋敷の正門を開けロビーを抜けて台所から裏口を使って裏庭
に出る。台所を通った時にシスティナが歓喜の声をあげていたから
設備や広さの面で合格点がついたはずだ。
桜は屋敷内に入るなり歓声を上げて姿を消した。きっと隅々まで
探検に行ったのだろう。
﹁うわ⋮これは﹂
﹁ソウジロウ様!これは危険です!吸い込まない方が﹂
裏口を開けて外に出ると裏庭の壁際の方が湯気で煙っていた。足
元は水分を多く含み過ぎてべちゃべちゃの状態でやはり硫黄の臭い
が微かに漂っている。
これは確かに知らない人が見ればちょっとひいてしまう光景だろ
444
う。
﹁これは決まりかな﹂
﹁うむ。間違いないな。せっかくだから源泉まで行くぞソウジロウ﹂
﹁了解﹂
蛍さんと2人で裏庭に歩き出すとウィルさんとシスティナがひき
とめてくるが俺達は危険が無いことを知っているため問題ないので
そこで待っててと伝えておく。
べちゃべちゃと生ぬるい水たまりの上を歩きながら源泉と思われ
るところまで歩く。
﹁もう噴き出すという段階ではなさそうだな﹂
﹁うん。源泉周りを石壁とかで囲ってお湯を溜めて臭い対策にさら
に周りを高い壁で覆う?﹂
﹁いや,そこまでするなら小屋を建ててしまえばいいだろう。蒸気
や臭いは煙突などで屋敷に向かわぬように多少は誘導できるだろう﹂
﹁なるほどね⋮じゃあそっから水路を引いて裏庭に1つ露天風呂を
作ろう!﹂
﹁おお!それは良いな。分かっておるなソウジロウ﹂
﹁で,室内風呂も欲しいから1階の一部屋を浴室に改装しよう。壁
に入湯用と出湯用の穴を2つ開けて温泉を引き込めるようにするん
だ。
排水は⋮どうしようか﹂
﹁良いぞ良いぞ確かに露天だけというのも味気ない。室内があって
露天があるからこその温泉じゃな。
排水に関しては近くに川があるそうだからそこまで水路を伸ばせ
ば問題なかろう﹂
﹁ま,その辺は実際の作業次第かな。後はこの地面か⋮いっそ裏庭
には石畳を敷き詰めようか﹂
445
﹁そうじゃな少なくとも室内風呂から露天までの間はその方が良い
かもしれんな﹂
﹁よし!大分いい感じになりそうだね。リフォームの大工さんはウ
ィルさんとこのお抱えにお願いできないか聞いてみるよ。
どうせ頼むならもう一括で家具とか屋敷内のリフォームとかまと
めてお願いしちゃおう。
後は⋮これから皆で住む家なんだから最初はケチらずお金をかけ
ていこう。これだけ広いと家事とかをしてくれるメイドさんを何人
か雇った方がいいかな﹂
﹁その辺はひとまず私にお任せください。最初だけは大変ですが1
回整えてしまえば維持だけなら私だけで十分です﹂
﹁うわ!びっくりした。システィナ来てたの?﹂
てっきり裏口で待ってると思っていたシスティナが急に会話に混
ざって来た。ていうかいつからいたんだ?
﹁最初からいました。ご主人様が危険かもしれないのに侍祭である
私が安全なところにいるわけにはいきません。
もっとも⋮蛍さんとお話に夢中で私のことなんて全く眼中になか
ったようですが﹂
あちゃぁ最初からいたらしい。温泉の話に夢中で全く気が付かな
かった。
﹁ごめんごめん。
で,システィナ。この屋敷買うことにしたから。今日中に屋敷内
はもちろん敷地内に関するまで必要な物や業者に修理を依頼しなき
ゃいけない物を全部把握して書き出しておいてくれないかな。
全部一括してベイス商会にお願いしちゃおうと思うんだ﹂
﹁確かにこの裏庭以外は文句のつけようのないお屋敷ですね。でも
446
ご主人様と蛍さんにとってはこの裏庭こそが購入の決め手だった。
そういうことなんですね﹂
﹁そういうこと。まあ楽しみにしてて。よしウィルさんのところに
戻ろう﹂
俺は意気揚々と裏口にとって返しウィルさんにこの屋敷を購入す
る旨を告げる。
﹁本当によろしいのですね?﹂
﹁うん。ここでなきゃダメだ﹂
﹁分かりました。では契約関係を今日中に詰めておきます﹂
書類をまとめて帰ろうとするウィルさんを引き止める。
﹁建物の補修や裏庭の改造にベイス商会の大工さんたちを雇いたい
んだけど可能かな?
今日中にやってほしいことをまとめておいて明日渡すから出来れ
ば明後日から﹂
﹁今の時期なら何人かは融通できると思います。では明日はそれに
関してもご報告します﹂
﹁あぁごめん。まだあるんだ。この際ベイス商会でいろいろ全部お
願いしちゃおうと思ってて﹂
﹁それは!ありがとうございます。なんでもお申し付けください﹂
﹁あ,助かります。ちゃんとお金は払いますんで。まず1つ目はこ
の屋敷でこれから使うものを今日中にまとめますのでベイス商会の
方で一括で集めて貰いたいんです﹂
﹁お安い御用です。2つ目は?﹂
﹁人を紹介して欲しいんです﹂
﹁人?ですか⋮どなたでしょうか?﹂
﹁いえ,特定の個人ではなく⋮えっと繁盛してなくても構いません
447
とにかく腕のいい﹃魔工技師﹄と﹃魔道具技師﹄を紹介して欲しい
んです﹂
それは,今後の塔探索で必要になってくるであろう魔材や魔石を
使った装備を作ることが出来る人達だった。
448
温泉郷︵前書き︶
一日のPVが初めて︵ほぼ︶5000になりました^^
ありがとうございます。嬉しいのでちょっと連日投稿頑張っていま
す♪
449
温泉郷
それからしばらくは目の回るような忙しさの日々だった。
あの後,ウィルさんから契約は確定なのできょうから屋敷を使っ
ていいかを尋ね了解を得ることが出来たので今日は街へ戻るという
ウィルさんに俺と桜が同行し街で掃除道具や草刈り鎌などのお屋敷
整備グッズと料理に使うための調理道具一式。さらにあるていどの
食材を買い込んで屋敷に戻る。
そのまま屋敷内の掃除や家具などの確認を女性陣に任せて俺は庭
の草むしりに1日を費やした。
食事はシスティナが作ってくれたが,まだ台所が完全に復旧して
いないので簡単な料理しか作れず不満そうだった。それでも充分美
味だった。
食事の後はリビングに集まり,蛍さんの魔法で明かりをつけて貰
って遅くまで屋敷の改装や修理,足りない家具などの確認に時間を
費やした。
箪笥やテーブル,椅子などは残されていて使える物が多かったの
は良かったがソファーのような高級品は引き上げられていたらしく
無かったため,思い切って新しい物を入れることにする。
他にも細々としたものや,各自の部屋と定めた場所で個人的に欲
しい物なども多々ありそれらも今回は引っ越し記念で無制限に購入
許可をだした。
後はこの屋敷が領主の別荘だったということもあり,屋敷内は魔
石を使った設備が多かった。もちろん魔石は抜き取られているため
それらを補充するのに結構な額がかかることが想定された。
最低限必要なものだけでも台所で使うコンロ代わりに火魔石が3
つ,水魔石が1つ。トイレ2カ所で使うために水魔石が2つ。各部
450
屋や台所リビング,食堂などで使うための光魔石が多数。だが光魔
石は光魔法自体が貴重なため高額になることが多いので当面は最低
限にする予定。どっちにしろ俺は魔力を外に出せないので魔石製品
のオンオフが1人で出来ないという欠点も抱えているのでランタン
等の通常の道具も必要になる。
就寝時はベッド自体は残されていたがマットレスや布団はなかっ
たため,血を吐く思いで夜のお楽しみをお休みし野営用の毛布にシ
スティナと2人でくるまって寝た。
蛍さんと桜はベッドが硬いのでその日は刀に戻って寝ていた。
次の日の朝,ウィルさんがお抱えの大工を2人連れてきてくれた
ので屋敷のリフォームと裏庭の改造などの希望を伝える。幸い大工
さん達はいい人達ですぐに1人がお弟子さん達を呼びに行ってくれ
てさっそく工事に入ってくれた。
ウィルさんには必要な物のリストを渡し品質や値段などは全てお
任せした。
ただし,何をさておいても今日中に大型のベッド1つとそれに合
わせた最高のマットレスと布団を準備して欲しいと念を押しておい
た。
俺の一日の集大成とも言える癒しタイムをこれ以上逃す訳にはい
かない。
その後は前日に引き続き屋敷の掃除と草むしりである。草むしり
は蛍さんが訓練の一部にするというのでつま先立ちプラス完全に腰
を落とさない状態で作業をしているためしんどさが半端無い。
夕方になりウィルさんがお待ちかねのベッド一式を届けてくれた
ので一番大きい2階の一部屋を寝室と決め大型ベッドを設置した。
その夜は筋肉痛でまともに動けなかったので3人それぞれに上で
頑張って貰った。下から見上げる揺れる名峰達は実に素晴らしかっ
た。余裕のある大型ベッドの使用感も最高だった。今後もたまにお
451
願いしようと思う。
翌日は大工さん達に指示を出したり,届いた荷物を搬入したりし
つつ空き時間に草刈り。夕方頃まで頑張り大分ゴールが見えたころ
に桜に焼いて貰えば良かったんじゃないのかと気がついた。
その後、桜の﹃火遁:地走り﹄で僅か20秒で残りの草は駆逐さ
れた⋮
そしてその日,台所関係の設備が完全に蘇ったのでシスティナが
張り切って買い出しに行き侍祭の家事スペックをフルに活かした料
理を作ってくれた。
前菜,スープ,煮込み料理,肉料理,魚料理,デザート等々⋮
この世界で地球のフルコースを超える料理を食べられるとは思わ
なかった。味はもちろんのこと盛り付けの見栄えまで考えられた文
句のつけどころがの無いほどに見事な料理だったので心から絶賛し
ておいた。
システィナはそれを凄く喜んでくれていたが,さすがにいつもは
無理ですよと可愛く釘を刺された。
4日目に入ると屋敷内の清掃は一段落ついてシスティナと桜も交
えて裏庭の手入れに取りかかる。
システィナは裏庭の空いている部分にちょっとした畑や花壇など
を作りたいらしく温泉施設の邪魔にならない場所を選んで土を掘り
起こしたりしていたので俺と桜も手伝う。雑草と一緒に掘り起こし
てしまえば雑草も枯れて肥料になるので一石二鳥だ。
たまに大工の皆さんと休憩を取ったりしながら作業を進める。作
業をしてくれている大工さん達に冷たい水を出したりシスティナ手
製のリンプルチップスを出したりして労をねぎらうことも忘れない。
職人さんたちのモチベーションを高く保つのはいい仕事をしてもら
うためには必須事項である。
452
意外にも桜が大工さん達と一番仲良くなっていたのが印象的だっ
た。
蛍さんは最近は1人で訓練をしていることが多い。余程先日の敗
戦が悔しかったのだろう。魔法についても光魔法の可能性を探って
みると言っていたのでなんらかの成果をいずれ見せてくれるだろう
と期待している。
畑と花壇については3日程でそれっぽい物が出来上がった。種も
ウィルさん経由で入手しており後はうまく育ってくれることを祈る
だけである。
そして7日目,どうやらうちの3美人とシスティナの作る賄い飯
目当てに無理やり都合をつけた大工さん達が日に日に作業に加わり
作業ペースが異常な程早くなったので当初予定していた日数の半分
であるこの日,とうとう屋敷内のリフォームおよび温泉関係の工事
が全て終了したのである。
﹁皆さんどうもお疲れ様でした!皆さんの頑張りのおかげで予定よ
りも随分早く素晴らしい物が出来ました。今日は乾杯だけですが,
明日の夕方から感謝の意を込めてささやかな夕食会を開きたいと思
います。
その際に皆さんに作って頂いたものがどういうものなのかという
のも体験して頂こうと思っていますので是非お越しください。では,
完成を祝して乾杯!﹂
﹃乾杯!!!﹄
今日作業に来ていた大工さん達が一斉に声を上げ杯をあおる。大
453
工さん達も達成感があるのか俺達が用意したちょっといい酒をあお
りながら楽しそうにしている。
システィナ達がお酌をして回っているのも大きな理由だろうが。
だが,実際大工さんたちはよくやってくれたと思う。源泉部分は
切り出した石を丁寧に積み上げて囲い湧き出す温泉を溜めておける
ようになった。そしてそこは小さな小屋の中に格納されたのでまた
何かの拍子にお湯が吹きあげても周りへの被害は抑えられるし臭い
も高く作った煙突から排出される。
源泉部分からは水路を掘ってその水路内を蓋も含めて石で補強し
屋敷の近くまで引っ張ってくるとそこから露天風呂に繋がる。
露天風呂はどうしようか迷ったのだが日本みたいにコンクリート
が無いため天然石をあしらった感じの露天風呂は諦めた。広めに掘
った穴に香の良い檜っぽい木で作った大型のたらいをはめ込んだ。
その周りに趣のある天然石を並べて雰囲気だけを後付したのだがま
あまあいい感じに仕上がった。
ここに源泉からお湯を注げるようにしてある。そして反対側から
屋敷に向かって更に水路を伸ばしてあるので一階の一部屋を室内風
呂に改造して設置した室内風呂にも温泉を引き込める。要所要所に
は取り外しの出来る仕切りを設置してあり掃除の時などはお湯を抜
くことも出来る。
一番苦労したのはお湯を流すための高低差をうまく調整すること
だったのだが,ベイス商会のお抱え大工達はさすがの技術で最終的
に川まで流すための水路を完璧に作ってくれた。
更に室内風呂の部屋には壁をぶち抜き扉も後付したので室内風呂
から露天風呂まで移動も簡単である。
後は露天風呂の周囲と屋敷までの道に石畳を敷いて通路には屋根
を設置。ついでに覗きとかはないと思うが露天風呂の周囲にちょっ
と間隔を空けて板塀を何枚か立てて貰った。
金に糸目をつけないで要望を完璧に取り入れた自慢の風呂になっ
454
たと思う。その感謝の気持ちを明日の夕食会で伝える予定なのだが,
明日にしたのは今日は身内だけの完成祝いを風呂でたっぷりとする
予定だからだ。
だから大工達よさっさと飲んで帰りやがれ!明日目一杯もてなし
てやるから一刻も早く立ち去れ!!
という俺の気持ちが通じたのか通じなかったのか大工共は体感で
1時間近くも飲んだくれてから帰って行った。
﹁よし!やっと帰った!さあ皆完成したお風呂に皆で入ろう!﹂
﹁もうご主人様ってば⋮大工さんたちに失礼ですよ。ずっと不機嫌
な顔して﹂
﹁まあ良いではないかシスティナ。私も初めての風呂を早く堪能し
たくてうずうずしていたからのソウジロウの気持ちも分からぬでは
ない﹂
﹁桜もお風呂初めてだから楽しみ∼。ソウ様洗いっこしようね﹂
桜はええ娘やな∼。ご褒美にたっぷりと洗ってあげよう。システ
ィナは空気を読まない悪い子なのでお仕置き代わりにやっぱりたっ
ぷり洗ってあげよう。蛍さんは⋮洗わせて貰えるなら洗ってあげよ
う。
﹁お湯に入るなんて初めてですが⋮大丈夫ですか?﹂
﹁大丈夫。大丈夫!一度入れば絶対病みつきになるから﹂
室内風呂の手前に作られた脱衣室でお湯に入る習慣のない世界で
育ったシスティナの不安を笑顔で笑い飛ばすとさっさと全裸になり
455
タオル1本で室内風呂に移動する。
﹁ねぇ蛍さん!一応両方お湯貼ってあるんだけど最初はどっちにす
る?﹂
後ろを振り返ると同じように全裸でタオルを肩に掛けただけの蛍
さんが堂々と脱衣室から出てくる。当然丸見えだ。
﹁ここはやはり露天風呂でいくべきだろうな﹂
﹁だよね!じゃあ行こう。背中流してあげるよ﹂
﹁あ∼ちょっと待ってソウ様!桜も!﹂
続いて飛び跳ねるように桜が脱衣室から出てくる。一応タオルで
前を隠しているがお風呂に入るということで髪を降ろしていていつ
もと違う雰囲気が可愛い。
﹁わ,私も行きますから!ちょっと待ってください﹂
1人脱衣室に取り残されたシスティナがちょっと不安になったの
か慌てて出てくる。システィナは1人大きめのタオルを胸元から巻
いて全身を隠してきた。
うん,蛍さんの大胆さも,桜の無邪気さも,システィナの恥じら
いもそれぞれに良い!
﹁よし行こう﹂
室内風呂から外に出る扉を開けて通路に出る。露天風呂までは1
0歩ほどの距離である。
﹁温泉に入る際の注意ごとね。
456
まず湯船に入る前に必ず身体を流すこと。タオルは絶対湯船には
入れないこと。
守らなきゃいけないのはそれだけだから後はのんびりくつろげば
いい。
本当なら身体を洗ってからの方がいいんだけど今日は先に身体だ
け流してみんなでお湯に入ろう。ここのところ忙しかったからゆっ
くりと疲れを取ろう﹂
風呂桶を作ってもらう際に作って貰った木の手桶と桶,木の椅子
を使って全員がお湯をかけていく。システィナがかなりおっかなび
っくりだがすぐに慣れるだろう。
﹁じゃあ入ろう﹂
足からゆっくりと湯船に入りじんわりとした温かさを堪能しなが
ら肩までつかる。
﹁くはぁ∼!⋮⋮これだよこれ。日本人はこうでなくちゃ⋮﹂
あまりの気持ちよさに完全に骨抜きにされているとちゃぷっと小
さな水音と共に蛍さんが隣に潜り込んでくる。
﹁む⋮これはたまらんのぅ﹂
蛍さんも幸せそうだ。っっぱっぁぁぁぁん!!
﹁こら!桜!飛びこむな!﹂
桜が跳びこんだ衝撃で起こった波を頭からかぶった俺はタオルで
顔を拭いながら気持よさそうに湯船に浮く桜をしかる。
457
﹁ごめんねソウ様⋮あぁこれ癖になりそう﹂
﹁っとにもう⋮﹂
﹁あの!失礼します⋮﹂
全く応えた様子のない桜に苦笑しているとシスティナが恐る恐る
湯船に足先を付けている。まあ初めてだしここはゆっくりと待って
あげるべきだろう。
﹁⋮あつ!⋮んっ⋮あっ⋮くぅん!⋮﹂
なんちゅう声を⋮俺のマイサンが目を覚ましてしまうじゃないか。
﹁⋮くはぁ⋮﹂
隣に入って肩までつかったシスティナは既に蕩けた顔をしている。
もう温泉の魅力に囚われた顔だ。ちょろい女である。
結局俺達は十分温泉を堪能したあと,洗いっこをして野外で存分
に楽しんだ。
お湯に慣れてないシスティナがのぼせて倒れたのはいい思い出であ
る。
458
459
温泉郷︵後書き︶
※ ご意見・ご感想・レビュー・評価・誤字脱字のご指摘等、随時
受け付けてます ので忌憚ないご意見をお待ちしております。
460
俺の休日,桜の趣味
露天風呂と野外での癒しを満喫したのと引っ越し関係が一段落し
たので翌午前中はお休みにした。
午後からは大工さん達の慰労晩餐会の準備でシスティナを手伝う
ことになるが,食材等の買い出しもベイス商会に配達を依頼してあ
るので街まで買い出しにいく必要もない。
俺だけはウィルさんと精算の話があるので昼前から活動開始にな
るがそのくらいはたいした労力じゃない。
露天風呂から上がった後も寝室に移動して魔精変換が活躍したり
もしたので朝はそれぞれ自分のタイミングで起床して思い思いに自
由行動に向かっていった。
一番早く動き出したのはやはりシスティナで皆が起きたときに軽
くつまめるような朝食を作ってくれていた。
ほぼ時を同じくして蛍さんが起床し裏庭から山の中に入っていっ
たのでまた1人で鍛えるのだろう。俺の鍛錬は蛍さんが自分の鍛錬
に一区切りがつくまで基礎鍛錬をみっちしやっておけと言われてい
る。
最後まで俺にくっついてうにゃうにゃ言っていたのは桜だったが,
いちゃいちゃしているうちに盛り上がってきたので朝から愛の錬成
作業に突入しお互いに満足するとお出かけしてくると言い残してベ
ッドを出て行った。
賢者タイムに入っていた俺はそのまま室内風呂に直行し汗を流し
てゆったりと余韻に浸ったあとさっぱりとした気分で食堂に行くと
システィナが作ってくれていた朝食,薄く切ったパンにハムのよう
なお肉とちょっとピリ辛なソースを挟んだサンドイッチのようなも
のをおいしく頂く。
461
システィナが何処に行ったのかと思って探すと台所で既に下ごし
らえなどの準備に取りかかっていた。
しばらく後ろからふりふりと揺れるお尻を眺めていたらいたずら
したくなってきたので後ろから双子山をぐわしと握ったら包丁を使
っていたらしく大層怒られた。だが怒られている最中も双子山をあ
きらめずに揉みしだいていたらシスティナの目が潤んできたのでち
ょっと憧れていた台所えっちに突入して大変満足した。
システィナは昨日の露天もそうだったがベッド以外での行為がも
の凄い恥ずかしいらしく良い感じに乱れてくれるので楽しい。これ
もマイホームを購入したからこそ発見出来たことだ。
システィナと2人で乱れた服装を整えているとウィルさんが来た
ので,残念ながら俺の休日はここまでだ。有意義な休日だった。
応接室にウィルさんを通すと飲み物を持ってきたシスティナと一
緒に対応する。
﹁今回は何から何まで本当に助かりました﹂
﹁いえ,こちらこそ。魔石の売却から屋敷の改装,各種備品の購入
まで一括でご依頼下さったのでこちらも良い商いが出来ました﹂
﹁それでは精算の方を先にお願いします﹂
基本的に値段交渉はシスティナがする。今回は特に交渉術等を使
う必要はなく不当な値段でなければ言い値で良いと伝えてあるので
揉めることはないはずだ。
﹁はい。まず屋敷のお値段ですがこちらは当初の値段通りの475
万マールとさせて頂きます﹂
﹁はい﹂
﹁それから,ベッドや布団なども含めて各種家具の購入に2万,裏
庭と屋敷の改装にはうちの棟梁より新しい技術や発想を得られたか
462
ら勉強してやってくれとたのまれていますので35万マールのとこ
ろを20万マールにさせて頂きました﹂
おぉ!大工さん達め粋だな。
でも確かに水路のひき方とか小屋の建て方とか素人知識でいろいろ
提案したけどそんなにためになるようなこと言った記憶はないんだ
けどな。
ていうか⋮この見積書屋敷内の改装項目が異常に多くないか?
﹁あの,ウィルさん。屋敷の中の改装なんですけど私の方で依頼し
てないものが含まれてるようなんですがこれは?﹂
﹁え?そんなはずは⋮
途中で桜様から追加注文が入りましたのでその工事の分が追加に
なっていると思うのですが﹂
は?桜が?
桜は屋敷内の改装については特に意見を出してなかったはずだけ
ど⋮
そのとき俺の脳裏に1週間前のベイス商会本店での会話が天啓の
ように脳内に響いた。
﹃ていうか桜,屋根裏部屋とか欲しい!﹄欲しい⋮欲しい⋮ほし⋮
ほ⋮
桜のわくわくした声が脳裏にリフレインする。まさかとは思うが⋮
﹁システィナ,ちょっとこの場を頼む﹂
﹁はい﹂
システィナも何か思うところがあったのか何も聞かずに了承して
くれる。俺はウィルさんにちょっと席を外すと告げて部屋を出ると
463
桜に割り当てられている部屋へ直行する。
﹁桜!いるんだろう﹂
2階の桜の私室に充てられた部屋を開けるとちゃぶ台や文机,丸
座布団などが置かれ壁には掛け軸までかけられた畳じゃないのが残
念な部屋が広がる。
そしてその部屋の天井からは縄梯子が⋮
﹁やっぱり⋮ていうことはもしかして﹂
俺は視線を壁の掛け軸に移す。確か隣の部屋は俺の私室だ。ちな
みに各自の私室と寝室は別である。各私室にも寝具は用意されてい
るが基本的には寝室の大ベッドで皆で寝たいという俺の意向による
ものだ。
掛け軸自体はこの世界で見たことがないのでおそらく桜がそれっ
ぽく作らせたものだろう。書かれている物も墨字や水墨画などでは
なくこの世界のインクで書かれた漢字っぽい何かである。
その掛け軸を俺は嫌な予感とともにめくる。
﹁ベタなことを⋮大工さん達はこういう技術に感銘を受けたのか?﹂
そこには人一人が通れるくらいの縦長の四角い線がある。その四
角の端を指で軽く押すと四角の中心線辺りから壁が回り始める。そ
の向こうに見えるのは俺の部屋のクローゼットだ。
どおりの俺の部屋の隣に固執していた訳だ。別にドアからいつ入
って来たって構わないのにこんな小仕掛けを作ってしまうのは桜の
忍者かぶれのせいだろう。
﹁あ∼!ソウ様!もう見つけちゃったの!
464
いつかびっくりさせようと思ったのに∼﹂
その声に振り向くと天井に空いた四角い穴から部屋を覗き込む桜
がいた。
その顔はまさにいたずらが見つかってしまった子供が見せるよう
な無邪気な笑顔である。それを見ると勝手に屋敷を忍者屋敷化しよ
うとしたことについてもまあいいかと思わなくもない。
﹁桜,勝手に家を改造するのはやめてくれ。一応屋敷の強度の問題
もあるし,変な罠に関係ない人がかかるのも困る。今はお金には困
ってないけど無駄遣いされるとお金なんてすぐなくなるもんなんだ
から。
だからこれからもし改造したいときは必ず皆に了解をとること﹂
﹁そっか⋮そうだよね。うん分かった!ごめんねソウ様﹂
一応注意はしたが別に怒ってる訳じゃない。こうして勝手な改造
が出来るのも桜達が頑張って倒した階層主の魔石で持ち家とお金が
手に入ったからなんだからある意味当然の権利だ。
ただ強度の問題と危険の問題はあるので釘は差しておかなくては
ならない。
﹁うん。じゃあ戻るけど⋮後で皆にどこにどんな仕掛けがあるのか
一応説明してよ﹂
﹁え∼!それじゃ面白くないんだけどな∼。でもシスとかが掃除し
てて穴に落ちたりしたらマズイもんね。分かったよソウ様ちゃんと
説明するね﹂
やっぱり落とし穴とかあるのか⋮知ってさえいれば防犯になるか
らいいけど。俺はよろしく頼むと告げてウィルさんの所に戻る。
465
﹁お待たせしました。謎は全て解けましたので改築代もそれで結構
です﹂
﹁そうですか。わかりました﹂
ウィルさんもなんとなく桜の暴走だと理解したようで笑顔で頷い
てくれる。
﹁ソウジロウ様。今生活用の各種魔石の話が終わったところです。
全て込みで30万マールとのことでしたのでお受けしたのですが構
いませんね﹂
﹁もちろん。システィナが良いと思ったなら間違いないよ﹂
﹁はい。むしろかなり抑えて頂いたようで申し訳ないくらいです﹂
﹁いえ,これだけまとめての発注なら仕入れが大分安くなりますの
でこちら側にも十分な利益を頂いています﹂
内訳をざっと確認すると一番高いのはリビングや食堂などにいれ
た広い空間を照らす用の光魔石だった。大きめの魔石を使用する上
に光の付与術師が希少なため高くつくらしい。
﹁それら全てを合わせて527万マールになりますので,それを魔
石の買取代金1500万マールから差し引かせて頂きまして⋮残り
の973万マールがこちらになります﹂
ウィルさんはいつものアタッシュケースから袋を取り出すとどち
ゃりとテーブルの上に置き,それとは別に金貨を3枚テーブルに置
いた。おそらく袋には大金貨が97枚入っているのだろう。
﹁何から何まで本当に助かりました﹂
本当にウィルさんにはお世話になってしまった。ウィルさんが居
466
なければ魔石が売れてお金が出来たとしてもこんなに短期間にこれ
ほどの理想的な環境を整えることは出来なかっただろう。
そう思った俺はテーブルの上に置いてあった金貨三枚を手に取る
とウィルさんの手に握らせた。
﹁これは商いではなく私達からの感謝の気持ちです。どうか受け取
ってください﹂
﹁そんな!受け取る訳には⋮⋮いえ,ありがとうございます。この
お金は私が私だけの商いをする時が来たら使わせて頂きます﹂
そう言って大事そうに金貨を懐にしまうウィルさんを見て俺は以
前ふと思ったことを伝えてみる。
﹁⋮なるほど。確かにそれは面白いかもしれません。
それなら探索者達の増加や育成も期待できますし,人脈や人材の
確保もしやすくなります。領主様にご協力を仰ぐ必要もありますし
魔道具の開発なども必要になりそうですが⋮領主側にとっても利益
が大きい⋮﹂
俺の話を聞いたウィルさんが目を輝かせながらメモ帳的な物に何
かを書き付けていく。かなり俺の提案に乗り気らしい。
﹁フジノミヤ様ありがとうございます!なんだかやる気が漲ってき
ました。すぐさま行動に移りたいと思いますので失礼させて頂いて
よろしいですか?﹂
﹁は,はいそれは構いませんが⋮今日の晩餐会にはお父様と一緒に
出席して下さいね﹂
﹁もちろんです!必ず伺います。では失礼いたします﹂
ウィルさんはそう言うと応接室を出て行った。
467
﹁凄い勢いだね⋮﹂
﹁はい⋮私にはよく分からなかったお話ですけど﹂
﹁はは⋮まあ異世界転生物の定番な物なんだけどこの世界には無か
ったからちょっと言ってみただけだったんだけど﹂
俺の小さな呟きはシスティナには聞こえなかっただろうが聞こえ
ても意味は分からなかっただろう。
そんなことを考えているとバタバタと足音がして,先ほど帰って
行ったはずのウィルさんが再び顔をだした。
﹁すいませんフジノミヤ様。大事なことを伝え忘れていました。頼
まれていた腕の良い﹃魔工技師﹄と﹃魔道具技師﹄が見つかりまし
たので夕方の晩餐の時に詳細をお伝えできると思います﹂
それだけを告げて走り去るウィルさんに俺とシスティナは顔を見
合わせるとくすりと笑い合うのだった。
468
新たなる魔剣︵前書き︶
10万PV突破しました。ありがとうございます。
469
新たなる魔剣
﹁これは気持ち良いですね⋮﹂
﹁父上,これはベイス商会で取り扱うべきではありませんか﹂
﹁そりゃあいい!出来れば職人達の慰労用に商会で1つ作ってくれ
ると仕事もはかどると思うぜ﹂
晩餐会の後に案内された露天風呂に浸かりながら風呂の魅力にと
りつかれた会話をしているのはベイス商会会長のアノーク,その息
子ウィルマーク,そして大工頭のゲントである。
ベイス商会所属の大工職人全員とウィルさんとアノーク会長を招
待しての晩餐会はシスティナの腕によりをかけた料理と飲み過ぎな
い程度のおいしいお酒で大盛況の内に終わった。お酒の量を控えさ
せたのはまだ湯に慣れていないこの世界の人達に泥酔状態で入浴さ
せるのが怖かったためだ。
晩餐会お開きの後,職人さん達を温泉へ案内した。職人さんには
女性もいるしアノーク会長の笑う秘書も何人か随行していたので女
性陣は室内風呂。男性職人達は露天風呂だ。
最初はおっかなびっくりだった職人達も一度温泉に入ったらあっ
という間に骨抜きにされていた。たくさんの職人が疲れが抜けてい
くようだと口にしていたが,温泉による血行促進効果などでコリが
ほぐされたりしているはずなので実際疲労回復効果も出ているはず
である。
詳しい成分は分からないがどうやらこの温泉の泉質は肌に良いら
しくシスティナのお肌は前にも増してツルスベになっている。その
ことを桜が女性陣に伝えたところ女性陣も先を争うように風呂に飛
び込んだらしい。
470
満足してもらえたようで良かった。
﹁だが,このように都合よく湯の湧き出る場所など準備出来ないだ
ろう﹂
そう言ってアノークさんがタオルで顔を拭う。
﹁確かに温泉としては難しいと思いますが,お風呂という形自体は
難しくないと思いますよ﹂
﹁本当ですか!﹂
﹁ええ,ようはお湯をたくさん入れた容れ物さえあればいいので,
水魔石と火魔石をうまく併用して暖めたお湯をしかるべき場所に溜
めれば沐浴場のようにお風呂に入るということを目的にした商業施
設も作れると思います。
そう言う場所を私の故郷では﹃銭湯﹄と言うんです﹂
アノークさんの隣で温泉につかりながら銭湯について教えてあげ
るとアノークさんの顔が商売人の顔になっていた。
﹁確かに⋮湯を溜めるだけならば難しくはないか。
ゲント!職人寮に試作の銭湯を作ることは可能か?﹂
﹁ちょっと待て⋮庭の一部に風呂用の小屋を建てて1階の倉庫と繋
げて倉庫に魔石設備を⋮⋮場所的には行けるな。魔石設備の設計な
んかはそっちに任せていいのか?﹂
自分たちが住んでいる職人寮の間取りなどを思い返して計算した
のだろう。脳内でうまく図面が組み上がったゲントさんはにやりと
不敵な笑みを浮かべている。
471
﹁構わん。あとで限界の大きさを秘書まで伝えておいてくれその範
囲内でなるべく効率の良い物を設計して作らせる。ついでに必要な
資材も今日中に伝えておいてもらえれば明日の午後には届くように
手配しよう﹂
﹁よし!明日から何人かこっちに貰うぜ。リバル!ミナト!ジン!
ターク!後は⋮テルとボルもだ。
おまえらは明日から職人寮の銭湯設置を手伝え!テッツァ!他の
仕事に穴開けないように奴らの抜けた分をうまく調整しとけ!﹂
﹃﹃﹃﹃﹃﹃わかりやした!﹄﹄﹄﹄﹄﹄
ゲントさんから名指しで呼ばれた職人達は選ばれたことに加えて
職人寮にも風呂が出来るということでかなりテンションが上がって
いるらしく威勢の良い返事が響く。
﹁親方,工期予定は?﹂
﹁この面子を集めた以上は4日はかからん。3日で十分だ﹂
﹁わかりやした。こちらは任せといてください﹂
あっという間に話がまとまっていく様を見て呆気にとられつつも
この調子ならフレスベルクにベイス商会の大型銭湯がオープンする
のはそう遠くなさそうだ。
﹁フジノミヤ様。
昼間にお伝えしていた﹃魔工技師﹄と﹃魔道具技師﹄ですが明日,
面会の約束を取り付けてあります。場所は後ほど秘書から例の地図
と一緒にお受け取り下さい﹂
﹁ありがとうございます!今回みたいなことがあった時に今の装備
ではちょっと心許なかったので装備の一新がどうしても必要だった
ので助かります﹂
﹁今回は﹃腕のいい﹄ということでしたのでフレスベルクの技師達
472
を手当たり次第当たったのですが,その際に噂を聞きつけたのか面
白い技師達が直接売り込みに来ました﹂
フレスベルク中の技師達を当たってくれてたのか⋮本当にウィル
さんにはお世話になりっぱなしだ。あまり1つのところと近づきす
ぎるのも良くないような気もするけどここまでいっちゃうといまさ
ら感が強い。
﹁自分からフレスベルク一の技師は私だと売り込みに来たんですか。
それは凄い自信ですね﹂
﹁その技師達は夫婦で魔工技師と魔道具技師をしてましてつい最近
フレスベルクに工房を構えたそうです。
ですがフレスベルクは世界中の魔工技師と魔道具技師が集まる所
です。新参の技師が工房を構えたからと言ってすぐに客を獲得出来
る訳ではありません﹂
﹁それはそうでしょうね⋮﹂
何処の世界でも顧客を掴むのは難しい。どんなに料理がうまくて
も客の入らない店など日本にもたくさんあった。
顧客を得るためには緻密な営業戦略が必要なのだ。
﹁私が見る限り腕の方は悪くはないと思います。この街でも上位に
入ると言っていいはずです。
私がわざわざ名前の売れてないこの夫婦をフジノミヤ様にお勧め
するのは,名前が売れてないだけにこの夫婦には時間があるからで
す﹂
時間⋮時間か。なるほど,さすが大商人の跡取りは実利の取り方
がうまい。
473
﹁一番人気の一流技師よりも人気のないギリギリ一流技師の方が俺
達の役に立つと?﹂
俺の言葉にウィルさんが笑みを浮かべる。
﹁人気のある店の技師は顧客も多くお得意様と呼ばれるような客も
それなりに抱えています。
私達がベイス商会の名前を使ってフジノミヤ様達を紹介したとし
てもフジノミヤ様達が求めるような最良の物を時間をかけて作るよ
うな余裕はありません。
申し訳ないですがそこまでの力は我が商会にもありません﹂
ウィルさんの言っていることは良く理解できる。昔からの顧客達
を袖にしてまで新参の探索者の仕事を優先すれば今までの客を失い
兼ねない。
となれば店の在庫のなかからそれなりに良い物を普通に売ってく
れるだけか,弟子達を使ってお茶を濁す程度の対応が良い所だろう。
それでもそれなりに満足のいくものが手に入るような気がするが⋮
﹁ですがこれから名を売ろうとしている一流になりたてくらいの技
師ならばフジノミヤ様達の要望を余さず聞き取った上でそれを完全
に取り込み,あわよくばそれを上回るような物を作ろうとするでし
ょう。
それを持ったフジノミヤ様達が活躍すればするだけ自分たちの名
前が売れることになりますから。そして彼らにはその為に費やすた
めの時間と意欲が有り余っています﹂
ウィルさんの考え方は俺にとっても物凄く納得できるものだった。
そのウィルさんがこの人達ならと決めて紹介してくれるなら100
%信頼しよう。
474
﹁どうやら最高の人達を見つけて貰ったみたいですね。本当にあり
がとうございました。
お礼という訳ではないですが⋮お父上共々またいつでも温泉に入
りに来てください﹂
俺の半ば冗談で言ったこの温泉入浴権にアノークさんがガチで喰
いついていたのがちょっと怖かった。
﹁という訳で,明日ウィルさんが紹介してくれた技師さん達に会い
に行くから各自でどんな装備が欲しいのか考えておいてほしい。
今回は魔材装備や魔道具まで考えて装備を揃えて行こうと思う。
お金の方は正直足りるかどうか分からないけどあんまり妥協しない
でいこう﹂
入浴会が終わって後片付けが終わった後,俺は全員をリビングに
集めて明日会う技師さん達のことについて伝えた。
﹁私らはのことはあまり気にするな。ソウジロウとシスティナの物
を優先しろ﹂
﹁蛍さん。今回は﹃全員分﹄だよ。もう二度とあんな光景はみたく
ないからね﹂
﹁む!⋮⋮﹂
蛍さんが唸って黙り込む。さすがにあの戦いでの自分の惨状を思
い返せば必要ないとは言えないだろう。
475
﹁防具が蛍さんの邪魔になるというのは分かるけど⋮邪魔にならな
い範囲で検討して欲しい。蛍さんのためにとは俺なんかが言う資格
はないけど俺の為にお願いします﹂
俺のような未熟な弟子が師匠の戦闘スタイルにケチをつけるなん
て本来ならとんでもなく失礼なことだろう。だが俺は安心が欲しか
った。あの蛍さんが防具までつけているんだから大丈夫だと思い込
みたかった。
﹁⋮分かったよ。ソウジロウ。お前をそこまで不安にさせてしまっ
たのは確かに私が無様な姿を晒したせいだからな﹂
﹁ありがとう蛍さん。桜もいいよね?﹂
﹁もちろんいいよ!桜もソウ様が傷ついたら悲しいもん。ソウ様も
桜のことそう思ってくれてるってことだもんね﹂
良かった。取りあえずどんな装備が作れるのか分からないけど少
なくともあのドラゴマンティスと互角に戦えるくらいの装備は欲し
い。
﹁じゃあ一応全員の技能とかを改めて確認しておこうか﹂
﹁そうですね。きちんと自分の能力にあった装備を準備しないとか
えって悪影響が出るかもしれませんし。じゃあ私からいきますね。
≪顕出≫﹂
システィナ 業: −42 年齢: 16
職 :侍祭︵富士宮総司狼︶ 技能
家事
476
料理 育児
契約
斧槌術 護身術
護衛術
回復術+
交渉術
房中術
特殊技能:
叡智の書
全員に見えるようにシスティナが移動させた窓を見て驚く。シス
ティナに新しく﹃斧槌術﹄というスキルが増え,回復術が+になっ
ていた。
刀じゃなくても経験を積むとスキルが強くなるのか⋮でも裏を返
せばそれだけドラゴマンティス戦が過酷だったことの証明だろう。
﹁システィナはとうとう戦闘技能を得たのじゃな。これからますま
す楽しみじゃのう﹂
﹁うん。システィナも蛍さん達に負けないくらい凄いよ。この斧槌
術って今使っているような武器にしか効果無いのかな?﹂
﹁⋮いえ。書で調べてみたら斧と槌両方に作用する技能のようです﹂
﹁そうなんだ。じゃあシスティナは今の武器を強化するか新しく斧
や槌の武器が必要になるね﹂
﹁はい。今使っているアックスハンマーもやっと馴染んできたとこ
ろなのでうまく強化出来る様なら強化したいのですが⋮﹂
気持ちは分かる。俺だってバスターソードが折れてなければもっ
477
と一緒に戦いたかった。だが強敵相手にダメージを通せなかったと
いう現実はそんな感傷が許されないということを証明している。
﹁明日その辺も確認してみよう。じゃあ次は蛍さん行くね﹃武具鑑
定﹄﹂
蛍丸 ランク:S++
錬成値︵最大︶
吸精値 44
技能:
共感
意思疎通
擬人化
気配察知+
殺気感知+
刀術+
身体強化+
攻撃補正+
武具修復
光魔法+ ﹁え⋮﹂
﹁どうしたソウジロウ。読み上げてくれぬと分からぬぞ﹂
﹁⋮あ,ごめん。錬成でランク上がってないのに技能のレベルが上
がってたからちょっと驚いちゃって﹂
てっきり刀達は錬成でランクを上げないと強化は出来ないと思っ
ていたのでかなり衝撃だった。ていうことは蛍さんの吸精値がいつ
か最大になったとしてもそこが限界だと考えなくてもいいってこと
478
か。もちろん簡単なことじゃないんだろうけど⋮ここのところの蛍
さんはかなり激しい鍛錬をしていたみたいだからそのせいだろう。
﹁ほう⋮それは刀術と光魔法ではないか?﹂
﹁え!確かにその通りだけど分かるの?﹂
﹁なんとなく⋮な。今回の鍛錬はその二つを徹底的に鍛えたつもり
だったというのもあるしな﹂
やっぱり蛍さんは凄い!俺もうかうかしてられないな。自分の武
器が手に入ったら蛍さんにちゃんと刀術を教わらないとな。
﹁じゃあ蛍さんはやっぱり防具主体かな﹂
﹁うむ。後はちょっと思いついたこともある。その辺も聞いてみる
としよう﹂
﹁わかった。じゃあ次は桜いくよ﹃武具鑑定﹄﹂
桜 ランク:B
錬成値 31
吸精値 52
技能:
共感
意思疎通
擬人化
気配察知
隠形
敏捷補正+
命中補正
魔力補正
火魔法
479
﹁うん,桜は大きな変化はないね。装備の方針としてはくノ一が装
備しているような形の薄い帷子とか籠手とかがあるといいね﹂
﹁桜は忍者頭巾が欲しい!﹂
え?忍者頭巾てあのイカっぽい形の目だけ出してます的な頭巾?
あれって顔を見られないようにするためだけのもので防御力的には
0じゃないのか?
マジでぶれないな桜は⋮でも鉢金的な頭部防具は有りかもしれな
いのでそれも候補にいれておこう。
業:−5 年齢:17
﹁じゃあ最後は俺か⋮≪顕出≫﹂
富士宮 総司狼
職 :魔剣師 技能:
言語
読解
簡易鑑定
武具鑑定
手入れ
添加錬成
精気錬成
魔剣召喚︵1︶
特殊技能:
魔精変換
480
﹁ご主人様⋮これはもしかして﹂
﹁ほう⋮なるほどのぅ。ここでこんな技能が発現するのか﹂
﹁これってもしかして桜の家族がまた増えるってこと?﹂
俺の窓を見た女性陣が思い思いの感想を口にする。
その声を聞きながら俺はこの世界にくる直前に聞いた神の最後の
言葉を思い出していた。
﹃向こうで頑張ってくれたら,きっとまた会えるよ﹄
あいつは確かにそう言った。こういうことだったのか⋮俺が頑張
ってこの世界で生きれば生きるほどあの蔵にいる刀達を⋮
﹃魔剣召喚﹄
俺は何の迷いもなくスキルを発動した。
俺の中の魔力がごっそりと減っていくのと比例して目の前の空間
に光が凝縮していく。
その光は蛍さんが作り出す魔法の光とは質が違う。その光はあの
神と話した空間に満ちていた不思議な光に近い。
その光がどこからか発生し目の前に集まっていく⋮そして集まり
切ったその光が弾けた時一本の刀が俺の目の前に浮いていた。
481
新たなる魔剣︵後書き︶
今回からステータスの表示をちょっと変えてみました。
どっちが見やすいでしょうか?見やすい方で統一する予定ですご意
見お待ちしております。
482
助真
その刀は俺が手に取ると宙に浮いていた不思議力を失ったらしく
この手に重厚な重さを伝えてくる。
﹁ふん,また随分と年増が来たものよの﹂
﹁蛍さんこの刀知ってるの?﹂
﹁あの蔵にいた者達は全て同胞のようなものだと言っただろう﹂
﹁うん,そうだったね。あの空間にいた日からまだ一ヶ月も経たな
いのに随分と懐かしく感じる﹂
﹁それだけ充実しているということなのではないか?﹂
蛍さんの言葉に俺は頷きながら思わず口元が緩む。
確かに可愛い侍祭様や大好きな刀達と一緒にいられるし,その刀
を使って悪人を斬っても大丈夫だし,そしてなによりも夜の生活が
充実しまくっている。
これで充実してないと言ったらバチがあたる。まあこの前のよう
に命の危険にさらされることもあるが,それでもこちらの世界に来
てからは毎日が楽しくあっという間に過ぎていく気がしている。
そしてまた新しい刀との出会い。もちろん蔵の中では見たことが
あるんだろうけど鞘に納まってる状態じゃ思い出せない。
といっても一本一本の刀の銘を知っている訳じゃないんだけどね。
有名だと言われる刀の名前は大体知ってるけど鑑定のようなことは
出来ないから実物を目の前にしてもそれがなんて言う刀なのかを判
断出来ない。ただ良い刀は綺麗だったり格好良かったりするのでそ
れを楽しむのが俺の日課だった。
483
俺はゆっくりと鞘から刀を抜いていく。
日本刀特有の光沢が灯りに照らされてきらりと輝いている。これ
は⋮蛍さんの隣に飾ってあった刀だ。
刃長が大体70㎝位か⋮蛍丸よりは短い。反り身の刀で刃先に行
くに従ってちょっと細くなっている⋮この刀も綺麗な刀だった。
蛍丸とどっちを選ぶか最後まで迷った結果蛍丸の方が長くて大き
かったから蛍丸を選んだんだった。
ただ今のところこの刀からは気持ちが伝わってこない⋮共感をま
だ覚えてないのかもしれない。
﹃武具鑑定﹄
日光助真 ランク:C+
錬成値 21
吸精値 0
技能:
共感
意思疎通
威圧
高飛車
魔力操作
適性︵闇︶
特殊技能:
唯我独尊
﹁ぶぉ!⋮あのジジィ!これも国宝じゃねぇか!しかも日光東照宮
にあるはずの刀をどうやってキープしてやがった!
なんてやろうだ!肩揉むぞこのやろう!ていうか全身マッサージ
484
してやるぞゴラァ!﹂
日光助真は鎌倉時代に作られた名刀で最終的には加藤清正から徳
川家康に献上されたことになっている刀だ。そして現在は徳川家康
の佩刀であったことから家康の墓所であるとされている日光東照宮
に保管されているはずの物である。
それなのに本物がここにあるということは東照宮の刀は偽物っ
てことになる。それをやったのが祖父なのか曾祖父なのかそれとも
別人なのかは知らないが関わった奴ら全員に肩たたき券を腐るほど
プレゼントしてあげたい。あえて言おうグッジョブと!
﹁あ,あの⋮ご主人様大丈夫ですか?何をそんなに怒っているので
しょう﹂
﹁あはははは!違うよシス。ソウ様は喜びすぎてテンションがおか
しくなってるだけだから放っておいて大丈夫だよ﹂
﹁はぁ⋮てんしょん,ですか﹂
﹁ふむ⋮それにしても何も感じぬな。こんな年増なぞ使ったらすぐ
折れてしまうのではないか?出来ることなら送り返して新しい刀と
取り替えてもらうがよいぞソウジロウ﹂
刀の鑑定結果を聞いた蛍さんがにやりと笑ったように見えたのは
気のせいだろう。
年増⋮か。えっと確か日光助真は鎌倉時代くらいに作られた刀だっ
たよな⋮蛍さんは鎌倉の後の南北朝時代だったはずだから⋮確かに
蛍さんより年上だ。
﹁刀としても女としてもぴちぴちラインはぎりぎり私までじゃろ。
それより年増はばばぁ扱いで充分。本人もそう思っておるから恥ず
かしゅうて声も出せんのだろうよ。ソウジロウ,お前も男なら女が
485
老いさばらえた姿を見せたくないという思いをわかってやれ。
いつまでも晒したままにするのは哀れというものだぞ﹂
えっと⋮ずっと隣に飾られてる間に2人の間になんかあったのか
?もしかしてすっごい仲悪いとか?
ていうか蛍さんクラスの刀同士がマジでやりあったらヤバいこと
になるから喧嘩とかやめてほしいんだけど⋮
﹁それになソウジロウ。私はなんだかんだ言って結構戦場を渡り歩
き続けてきたがこやつは早々に権力者の手に収まったせいで戦闘経
験が年の割に足りんのじゃ。だから私の時と比べて今のランクが圧
倒的に低い。
蔵でさんざん年長者ぶっておったくせに地球でソウジロウに選ば
れたのは私。いざこちらへ来てみたら私との能力差は歴然。それで
は恥ずかしくもなるだろうさ﹂
﹃⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
うっきぃぃっぃぃぃぃぃぃ!!!もう我慢なりませんわ!
黙って聞いてれば言いたい放題言ってくれますわね。年下のくせ
に相変わらず口が減らないですわね。あなたは!!
そもそもわたくしは年増でもなんでもないですわ!刀はきちんと
手入れさえされていれば劣化しませんのよ!それにですねわたくし
はあなたみたいに野蛮じゃないだけです!
わたくしにはあなたがその野蛮な力を身に付けるために捨ててき
た淑女として気品があるのですわ!女としてなら圧倒的にわたくし
の勝ちですのよ!﹄
お,おぉ⋮そういう感じの人なのか。
ていうか蛍さんめっちゃ笑い堪えてるし⋮あれは完全におちょく
486
ってるな。おそらく蔵の中でもきっとあんな感じでいつもやりあっ
てたんだろうな。
あんなに楽しそうな蛍さんは初めて見た。
それはともかくまずは名前を変えてあげたい。どうやら女である
あるじどの
ことを宣言してるし助真とか呼ぶのは女の子らしくないし,俺も呼
ぶのは嫌だ。
﹁えっと⋮いいかな?す⋮助真?﹂
﹃あぁ!わたくしとしたことがあんな山猿の挑発にのって主殿との
ご挨拶をないがしろにしてしまうとは!申し訳ありませんでしたわ
主殿﹄
﹁あ,うん。それは別にいいよ。なんだか蛍さんも楽しそうだし⋮﹂
﹁くくく⋮あぁ,確かに楽しいのぅ。手も足も出せない年増の僻み
や言い訳を鼻で笑い飛ばすのは最高じゃの﹂
﹃くっ⋮覚えてなさいよ山猿!わたくしが人化できるようになった
暁には絶対にただじゃおきませんからね!﹄
ああ!もう!話が進まん!
﹁蛍さん!ちょっとからかうのは後にしてくれる?助真と話したい
ことがあるから﹂
蛍さんは笑いを堪えながら何度も頷く。助真をからかうのが本当
に楽しいのだろう。
﹁えっとまずは,名前を付けたいんだけどいいかな?助真てどう考
えても女の人の名前じゃないよね。鑑定上の名前まで変えられるか
どうかは分からないんだけど,少なくとも俺が呼ぶ呼び名は別につ
けてあげたいんだけど﹂
487
﹃あら素敵ですわね。わたくしは主殿につけて頂けるならどんな名
前でも構いませんわ﹄
助真の了解が得られたところで⋮さてどうしよう。
蛍丸は蛍自体が良い名前だったからそのまま蛍さんにしてるけど,
桜は多分俺がちゃんと命名したから桜になったんだろうから鑑定上
の名前も変えられるはず。
だったらちゃんとした良い名前を考えてあげたい。
蛍,桜と来てるから漢字1文字がいいかな⋮日光助真だから﹃光﹄
とか?いやピンと来ないな。じゃあ蛍さんに対抗して虫つながりで
﹃蝶﹄⋮も違うか。
それにしても徳川家康の刀かぁ⋮凄いの召還したな。俺の引き運
もまだまだ捨てたもんじゃない。ん?待てよ⋮徳川,徳川か!
﹁よし!助真。おまえは今日から﹃葵﹄だ﹂
﹃あおい?⋮葵ですか!それは本当に素敵な名前ですね主殿。有り
難く拝命いたしますわ﹄
聞こえて来る葵の言葉は本当に嬉しそうだ。葵の由来としては徳
川家の家紋が三つ葉葵だったからそこから取っただけなんだけどね。
でも徳川の刀として300年,幕府滅亡後もあわせれば400年
以上徳川と関わってきたんだからそのアイデンティティは大事にし
てあげたい。
﹁うん。これからよろしく頼むよ。ちょっと前にいろいろあって俺
が使う武器が無くなって困ってたんだ。葵が来てくれてとても嬉し
い﹂
﹃はい!おまかせくださいですわ。
わたくしがあの山猿より役にたつことを証明してみせます﹄
﹁っていうか現状がどうゆう状態だか理解してるのかな?﹂
488
﹃いえ!全く!﹄
⋮⋮⋮
うん,蛍さんがからかいたくなる理由がなんとなく分かった。
﹁後でおいおいこの世界のこととか,俺たちが今どういう状況なの
かを教えていくけど大事なことを1つだけ﹂
﹃はい﹄
﹁つい最近,俺たちは1人残らず死にかけた﹂
﹃え?⋮あの山猿もですか?﹄
﹁蛍さんも桜もだ﹂
﹃桜?あぁ,あの子は桜と名付けて貰ったのですね⋮
主殿,この世界はそれだけの戦いをしなければならない世界だと
?﹄
﹁うん。だからもしかしたら葵にも無茶な戦いをさせてしまうかも
しれないけど⋮⋮
それでも黙って俺についてきて欲しい﹂
﹃⋮⋮蛍﹄
﹁なんじゃ⋮葵﹂
﹃この子は本当に⋮あの刀が大好きだっただけのあの子なのかしら
?﹄
あるじ
﹁あぁ,間違いなくあの子はこのソウジロウだ﹂
﹃これがわたくし達の主なのですね﹄
﹁格好良かろう?﹂
﹃⋮ええ。ほんの僅かな間に立派に男になったようですわね﹄
﹁くくく⋮その成長過程を見逃したのはくやしかろう?﹂
﹃そう⋮ですわね。
⋮いや悔しくはありませんわ。あそこにはまだこちらに来れない同
489
胞が幾本もいますもの。わたくしなんかは幸せ者ですわ﹄
蛍さんと何やら話していた葵が続けて思念を飛ばしてくる。
﹃主殿。わたくし葵は主殿に全てをお預けいたしますわ。思う存分
使って下さいませ﹄
﹁うん,ありがとう葵。これからよろしく頼む﹂
﹁ふん,男を見る目は腐ってなかったようじゃな﹂
なにやら呟いた蛍さんの言葉は取りあえず無視して⋮っとその前
業:−5
に俺の﹃窓﹄が出っぱなしだった。
﹁あれ?﹂
富士宮 総司狼
年齢:17
職 :魔剣師 技能:
言語
読解
簡易鑑定
武具鑑定
手入れ
添加錬成
精気錬成
魔剣召喚︵0︶
特殊技能:魔精変換 490
魔剣召喚が0になってる。⋮ということはさっきの1はレベル的
なものじゃなく残り使用回数だったってことか。どういう基準で増
えるのかは分からないけどスキル自体は消えてないからまたいつか
使えるようになったらあの子達を呼べる。
刀達をなるべくたくさんこっちに呼ぶというのをこの世界での目
標の1つしよう。お風呂作るって目標は達成しちゃったし丁度いい。
それはそれとして⋮葵のこのスキルどうやって使うものなんだろ
う。
﹁葵,自分の技能ってどんな技能なのかって自分で分かる?﹂
﹃威圧だの高飛車だの唯我独尊だの納得いかない部分は多々ありま
すが魔力操作というのはなんとなくわかりますわ。ちょっと見てて
くださいませ﹄
そういうと葵はなにやら集中し始めた。
﹁ええ!これって!﹂
その結果はすぐに見える形になった。俺の前に黒い塊がふよふよ
浮いているのだ。
﹃多分これが魔力なのでしょう?﹄
なるほど,葵は蛍さん達より更に魔力の扱いがうまいってことか。
適性というのはおそらく操作した魔力に属性を付与できるというこ
とだろう。
なぜ闇魔法じゃないのだろう。イメージを具現化して現象を引き
起こすなら闇魔法スキルにしても同じのはず⋮まあいいか。どっち
にしろ刀のままじゃたいした効果は期待できないはずだ。
491
492
叡智の書︵前書き︶
ブクマが300超えました。ありがとうございます。
いつかはランキングに載りたいです。
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叡智の書
結局,葵の能力についての検証はよく分からないということで落
ち着いた。﹃唯我独尊﹄はユニークスキルだけど﹁自分が一番偉い
!﹂と自惚れたところでなんの効果があるのやら⋮
おそらくは感覚的に唯我独尊っぽいという能力なんだろうと思う
が今のところ見当もつかない。
葵の関係はとりあえずそれでいい。こちらの諸々の準備が整って
また塔などで戦うようになればいろいろ分かるかもしれないのでそ
れまで保留である。
それよりも問題なのはことここに至り,未だに俺たちの出自を知
らないシスティナをどうするかということだった。
今も葵とのやりとりの最中,葵の声が唯一聞こえないシスティナ
は好き勝手に話を進める俺たちのことを嫌な顔1つせず見守ってい
た。
それはそれで信頼されているということでもあり嬉しいことなの
だが⋮逆にここまで来て全てを明かしていないのは俺の方がシステ
ィナに対して不義理なのではないかということだった。
ぶっちゃけて言えば従属契約を結んだ時点で全てを明かしてしま
って構わなかったのだが,システィナがあまりにも普通に全てをあ
りのままに受け入れてくれるので話すタイミングを逃しているうち
に伝えていないことを忘れていた。
﹁蛍さん,システィナには俺たちの事情を全て打ち明けようと思う
んだけどどうかな?﹂
﹁⋮まだ言ってなかったのか。酷い男だなソウジロウ﹂
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システィナがお茶のおかわりを淹れに席を外した時に蛍さんに確
認を取ったら白い目で見られてしまった。
﹁という訳でシスティナ。お話があります。ここへ座って下さい﹂
﹁え?⋮ここですか﹂
ぽんぽんと俺が手で指し示した俺の膝の上に横座りで腰を下ろす
システィナ。
ゴンっ!
﹁ふざけるなソウジロウ﹂
﹁いったぁ⋮す,すいません。こちらへおかけください﹂
拳骨を食らった頭を撫でながら膝の上にいるシスティナに対面の
席を勧める。
システィナがくすくすと笑いながら素直に対面の席に座るとそれ
なりにあらたまって告げる。
﹁遅くなっちゃったけど,俺たちがどこからどうやって来たのかを
システィナに聞いて欲しい﹂
﹁え⋮⋮よろしいのですか?﹂
﹁もちろん。本当はもっと早く伝えなきゃいけなかったんだけどつ
いうっかり⋮﹂
﹁忘れていた⋮と?﹂
﹁はい⋮すいません。決して信用していなかったという訳ではない
のでそれだけは勘違いしないように﹂
神妙に頭を下げる俺をじーっと見ていたシスティナは突然ぷっっ
と吹き出すと肩を震わせる。
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﹁ふふふ,そんなことでしたか。全然怒ってませんから頭を上げて
下さいご主人様。
ご主人様達に何か事情があるということは分かっていましたし,
それがみだりに他言できるようなものではないのも推測出来ていま
したから。
⋮まぁ,少しだけ疎外感がありましたけど﹂
﹁あう!﹂
﹁ソウ様たじたじ∼。シスも結構言うようになったねぇ﹂
﹃ちょ,ちょっと!今度はわたくしがおいてけぼりですわよ!その
人は刀じゃないですわよね。一体誰なんですの!﹄
なんだか収拾がつかなくなってきたのでひとまず葵は無視するこ
とにしてシスティナに俺がどこから来たのか。どうしてそんなこと
になったのか,ありのままを伝えた。
﹁⋮地球と呼ばれるほし?ですか。こことは違う別の世界⋮すいま
せん。なんだかお話が大きくなりすぎて﹂
話を聞き終えたシスティナは俺の話を疑っている訳ではないだろ
うが戸惑いの表情を浮かべている。そりゃそうだ地球とは違ってこ
の世界には異世界転移ファンタジーを題材にしたラノベなんかない
から免疫がない。
それ以前に星という概念すらもまだ無く,自分たちの世界以外に
知的生命体がいるという可能性すら考えたことがない人達に別の世
界なんて言っても普通なら信じられる訳がない。
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﹁そうだよね。俺のいた世界では作り物の話だけどこういう異世界
に飛ばされるって話はよくあるんだ。そういう本を俺はよく読んで
いたせいかな⋮意外とすぐに現実を受け入れられたけどね﹂
﹁いえ,お話自体はそこまで疑ってません。そう考えると全てを知
りたいとおっしゃったご主人様の言葉の意味も,見たことのない素
材で作られたがくせいふくにも全て説明がつきますから。
ただこの世界すら全てを見知っている訳ではないのにいきなり別
の世界が⋮と言われると私の想像力が追いつかないんです﹂
なるほど⋮確かにそうかもしれない。だがそんなこと言えば俺だ
って地球の全てを知っている訳ではない。ただ地図やら映像やらで
地球の何処にどんな国があってどんな人達が住んでいるのかという
ことは理解している。
つまり脳内地図には正確さはともかく地球儀があるということだ。
さらに極論すれば俺の場合はそこから脳内地図を宇宙空間にまで広
げることも可能である。
だがシスティナの場合は違う。システィナの場合を例えるなら脳
内地図は平らな紙の上に自分が行ったことのある範囲の地図が書か
れているだけで,残りの空白部分にはこの辺にAという街があると
聞けばそこにAと書かれた点が書き込まれるだけその他の情報は全
て真っ白ということになる。
そんな状態で異世界の話を聞いてもピンと来ないのはむしろ当た
り前だろう。
﹁じゃあシスティナ少しずつ広げてみようか。まず今いるこの大地
が球だってこと﹂
﹁球?ですか⋮﹂
﹁そう。えっと⋮あ,あれでいいや。桜,俺の部屋の机の中からな
るべく丸い魔石を1個持ってきてくれる?﹂
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﹁は∼い。行ってきま∼す﹂
元気よく返事した桜が目の前から消え,バタン!⋮バタン!とい
う大きな音の後いきなり現れる。
﹁こら!扉は静かに閉める!﹂
﹁えへ,ごめんなさ∼い﹂
桜に注意をしつつお礼を言うとシスティナに球形の魔石を示す。
﹁いいシスティナ俺たちはこういう丸い大地の上に立っているんだ﹂
﹁はい。
⋮でも,そうすると球の上の人はいいですが下の人は落ちてしま
いませんか?﹂
あ,やっぱりそういう定番の話になるのか⋮でも俺だって引力と
か重力とかの原理とか知ってる訳じゃないし,どうやって説明した
ものか⋮
﹁えっと⋮詳しくは俺も知らないからそういうものとして納得して
欲しいんだけど,こういう丸い星って大体が球の中心部分に向かっ
て引きつける力が働いてるんだ。
だからこの球の上にいる人達にとっては常に球の中心方向が﹃下﹄
なんだ﹂
﹁⋮⋮なるほど。なんとなく分かります﹂
﹁じゃあその上で俺たちのいるこの星が球だってことを説明しよう
か﹂
﹁はい﹂
﹁システィナ俺たちがミカレアの街に向かって歩いていたとき常に
ザチルの塔が見えていたよね﹂
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俺がこの世界で最初に見つけた線香のような塔。それがこのフレ
スベルクが管理しているザチルの塔だった。
頷くシスティナにさらに問いかける。
﹁そのときザチルの塔の根本は見えた?﹂
﹁いえ⋮見えませんでした﹂
﹁うん。だけどシスティナが多分想像していたようにこの世界がこ
のテーブルのようなものだとしたら,テーブルの上にいれば障害物
さえ無ければどこからでも絶対に根本が見えなくちゃおかしいよね。
他にも長い道の先から人とすれ違う時に向こうから来る人が頭か
ら見えてきたりしたこと無かった?﹂
﹁あります!そう言われてみれば確かに高い位置にあるものはより
遠くからでも見ることができます﹂
﹁うん。そこでこの魔石にこの爪楊枝を⋮﹂
システィナの理解が進んだところで,俺が蛍さんに木材をスパッ
と斬り刻んで作ってもらってあった爪楊枝を魔石の上に立てる。も
ちろん刺さる訳ないので両手でくっつけた状態を維持しているだけ
である。
﹁で,こう回す﹂
爪楊枝を立てた反対側を向けた魔石をシスティナの目線の高さに
持ち上げてゆっくりと爪楊枝が真上に来るように回す。
﹁あ⋮﹂
おそらくシスティナの視界には魔石の陰から爪楊枝が先端部分か
ら徐々に現れる光景が見えているはずだ。
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﹁ご主人様,凄く良くわかりました!﹂
新しいことを知ることが出来たシスティナはとても嬉しそうだ。
﹁うん,今俺たちがいるこの星が1つの球だというのが分かったと
ころでちょっと窓から空を見てみようか﹂
システィナを連れて窓際によると窓を開ける。そこから空を見上
げると空気の汚れた都会からでは絶対に見られないような満開の星
空が広がっている。
﹁綺麗ですね⋮ご主人様﹂
﹁うん,そうだね。こういう天気の良い日の夜の空のことを今まで
俺がいた国では﹃星空﹄って言うんだ﹂
﹁へぇ⋮星空ですか⋮え?⋮星⋮空?まさか!﹂
さすがはシスティナである。それだけで俺が言いたいことを察し
たらしい。
﹁そう,空で輝いている光の1つ1つが星なんだ。それぞれはもの
凄く遠くにあるからあんなに小さく見えるけどね。
それに全ての星がこの星のように人間が住めるような環境とも限
らない。生き物が全くいないような星の方が多分圧倒的に多い。
でもこれだけの星があれば⋮俺がいた地球という星もどこかにあ
ると思わない?﹂
とは言ったもののおそらくここにある星々を全て調査したとして
も俺がいた地球は無いだろうなとなんとなく分かる。地球にある技
術の延長線上にあるようなもので来られるような場所ではない。
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異世界転移はそんなに甘いものじゃないだろう。だが,システィ
ナの脳内地図の認識範囲を広げるための説明としてなら悪くない説
明だったと思う。
ただ,我ながらちょっと気障だったかと思い顔を熱くしながら隣
のシスティナに視線を向けるとシスティナは夜空の星達をきらきら
とした目で見つめている。
﹁⋮⋮ます﹂
﹁え?﹂
﹁きっとあると思います!これだけたくさんの星があるんですから
ご主人様がいらっしゃった星もきっとどこかにあります!﹂
急に広がった世界に興奮したのかいつものシスティナにはないテ
ンションの高さで俺の手を握ったシスティナが﹁あっ﹂と呟いて急
に不安げな顔に変わる。
俺が来た世界が星々の中にあるということは方法さえあれば俺が
帰ってしまうのではないかと思い至ったのだろう。俺は心の中で小
さく笑うとシスティナの手を強く握り返す。
﹁うん,そうかもしれないね。でも俺はもう帰れないし,帰りたい
とも思ってないんだ。システィナや蛍さん,桜や葵がいるこの世界
が好きだからね。だからこれからもずっと一緒にいるよ。いろいろ
迷惑かけると思うけどよろしく頼む﹂
﹁⋮はい。こちらこそよろしくお願いします﹂
﹁うむ。これで我らの間には隠し事はないということだな﹂ ﹁そうだね。少なくとも家の中では日本ネタとかで会話しても問題
ないかな﹂
﹁じゃあ桜も忍者キャラをがんがん押し出しても大丈夫ってことだ
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よね,ソウ様!﹂
﹁あぁ,いいよ⋮って,あぁ!思い出した!桜!今の内にこの屋敷
に仕込んだからくりを全部皆に伝えておいて﹂
﹁ほう⋮いつの間にそんな物を仕込んだのだ桜﹂
﹁えへへ,ゲントさんがのりのりで手伝ってくれたの!﹂
﹁おい!何してくれてんだ!あの大工の棟梁!﹂
﹁あ,でも仕掛けの秘密を守るためには工事に携わった人は消さな
いと駄目だよね﹂
﹁おいこら!殺すな!この家にいられなくなるだろうが!﹂
﹁うむ,せっかく手に入れた温泉を失うのは惜しい。やめておけ桜﹂
﹁はぁい﹂
﹁あぁ!そういうことだったんですね。桜さんはくノ一だったんで
すね﹂
﹁そうだよ♪桜は忍者に憧れてた⋮から⋮﹂
﹁﹁﹁え!﹂﹂﹂
俺たち3人のやりとりをにこにこしながら見ていたシスティナの
一言に俺たちの動きが止まる。
﹁誰かシスティナに忍者とかくノ一とかの説明した?﹂
﹁私は言っとらんな﹂
﹁桜も言ってないよ﹂
もちろん俺も言ってない。どういうことなのかと俺たち3人の視
線がシスティナに集中する。
﹁え?え?⋮あれ?⋮そういえば⋮﹂
俺たちの視線を受けたシスティナが首をかしげる。もしかして⋮
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﹁システィナ。日本刀とは?﹂
﹁日本刀とは日本固有の鍛冶製法によって作られた刀と呼ばれる武
器の総称です。厳密には平安時代末期以降の反りがある片刃の刀剣
のことを指します﹂
﹁やっぱり!﹂
すらすらと日本刀の定義を答えるシスティナに俺は推測が間違っ
てなかったことを確信する。
﹁システィナ。一応もう一回﹃窓﹄を出してみてくれるかな﹂
﹁は,はい。︽顕出︾﹂
システィナ 業: −42
年齢:16
職:侍祭︵富士宮総司狼︶ 技能:
家事
料理 育児
契約
斧槌術 護身術
護衛術
回復術+
交渉術
房中術
特殊技能
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叡智の書庫
﹁システィナのユニークスキルの名前が変わってる﹂
﹁あ,本当ですね。どうしてでしょうか。さっき見た時は変わって
いませんでしたけど﹂
﹁ってことは何かが変わったってことだよね。さっき窓を出した時
と今との間で変わったことってなんだ?﹂
﹁システィナが地球の存在を信じた。ということだろうな﹂
そうか⋮確かにそうかもしれない。システィナの叡智の書は一般
的に知られている言葉の意味を辞書を引くように知ることが出来る
というスキルだった。
だからこの世界で知られている言葉なら意味を知ることが出来た
が,俺がたまに使っていた地球謹製の言葉の意味は分からなかった。
なぜならこの世界の人達は地球の言葉を知らないからだ。
だけど,システィナが地球の存在を心から信じたとしたら⋮地球
に住む人達も一般という認識の中に入るのではないだろうか。
叡智の書庫という名前はこの世界の辞書と地球の辞書両方が保管
されている能力。ということはもしこの世界に地球じゃないところ
から来た転生者や宇宙から来た宇宙人がいた場合,システィナはそ
の存在を知ればこの書庫にどんどんと新しい辞書を増やすことが出
来るということなのかもしれない。
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技師の夫婦︵前書き︶
12万PV、2万ユニークです^^
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技師の夫婦
﹁ここですね﹂
システィナに案内されて辿り着いたのはフレスベルクの繁華街と
言えるような場所からやや外れ,入り組んだ場所に建てられている
一軒の店である。
正面から見た店構えはやや小さく見えるがその分奥行きがあるら
しく,敷地としてはそこそこの広さがあるみたいだ。おそらく1階
が店舗兼工房で2階が居住スペースなんだろう。
店の扉には剣と盾を意匠した看板と指輪を意匠した看板2つが並
んで掛けられている。
フレスベルクでは売っている物に合わせて決められた意匠の看板
を出すことが定められている。そうしないとこの混迷都市ではどこ
が何を売っているかが全く分からなくなってしまうらしい。
剣と盾は武器防具を扱う店,指輪は魔道具を扱う店である。
店の名前を示す看板はどこにも見あたらないがウィルさんから貰
ったメモにも店名は書いていないのでもしかするとまだ名前が決ま
っていないのかもしれない。
﹁じゃあ行こうか﹂
﹁オーダーメイドするなんて初めてなのでなんだか緊張しますね。
ソウジロウ様﹂
﹁なぁに,金を払う以上は客じゃ。堂々と意見を言って良い物を作
って貰えばよい﹂
﹁桜も忍者グッズいっぱいお願いしよ∼っと﹂
﹃⋮⋮﹄
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﹁ははは⋮お手柔らかに頼む﹂
﹁それにしてもシスティナはどんどん地球の言葉を覚えていくのう。
たった一晩でたいしたものだ﹂
﹁いえ⋮覚えたと言ってもほんの少しです。最初はソウジロウ様が
⋮⋮ばかりだったので﹂
﹁うんうん,あれは桜も無いと思うなソウ様。地球のエッチな言葉
ばかりをシスティナに解説させるなんて趣味悪いと思う﹂
﹃⋮⋮﹄
﹁ぐは!でもシスティナみたいな可愛くて純粋な子がこう頬を赤ら
めながら卑猥な言葉を言うのって興奮しない?﹂
﹁う∼ん。確かにあの時のシスは可愛かったかも﹂
﹁まあ良いではないかそのお陰で昨晩も皆たっぷり可愛がって貰え
たのだからな。システィナには感謝してもよいくらいじゃ﹂
﹁ちょ,ちょっと皆さん!⋮もう!知りません﹂
﹃⋮⋮﹄
﹃⋮⋮⋮﹄
﹃⋮⋮⋮⋮うっきぃぃいぃぃぃぃぃ!!
もう我慢なりませんわ!昨日からわたくしのことをほったらかし
にして!いつ気づいてくれるのかとちょっと黙っていたら全く気づ
かずに放置したままで,そのまま4人であんな楽しそ⋮じゃなくて
うらやまし⋮でもなくて,そう!破廉恥な行為を!
昨日はわたくしが主殿のもとに来た最初の記念すべき日でしたの
に!こんな扱い酷いですわ!酷いですわ!﹄
あ,とうとうキレた。
確かに昨日途中から葵が全く喋らなくなったのは気づいていたん
だけど⋮蛍さんがニヤニヤしながら俺だけに共感で放っておけとい
うもんだから敢えて放っておいたんだけど意外と長かく保ったな。
さすが何百年も飾られていただけあって忍耐力はあるということか
な。
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﹁ごめんごめん葵。
蛍さんとちょっと巫山戯て放っといてみようってことでちょっと
からかったんだよ﹂
﹃く!またあの山猿の陰謀ですわね!前は互いに刀同士五分の戦い
だったのに⋮このままじゃ文字通り手も足も出ないですわ!主殿!
早く私を育てて下さいませ!﹄
﹁うん,そうしてあげたいのはやまやまなんだけどね。装備が整う
までは塔には行くつもりはないし訓練だけじゃ魔石は手に入らない
からね⋮﹂
﹃そんな⋮わたくしはいつまであの山猿に﹄
﹁それに俺的にも葵にはもう少し刀でいて欲しいんだ。
やっぱり俺は自分で戦うときにはあの蔵の刀を1本は使っていた
いからね。蛍さんや桜を刀に戻して使うのもありだけど⋮2人とも
パーティ内での役割が特化しちゃってて外せない状態なんだ﹂
現在の俺のパーティでは壁役がシスティナで,蛍さんはメインア
タッカーと遊撃を同時にこなす近接の高火力。そして桜は平時にお
いては情報収集,戦闘においては偵察から暗殺までこなせるという
裏の役割を担ってくれている。
ぶっちゃけ俺の存在が無くても充分やっていけるパーティ構成だ。
そこに無理矢理俺の存在意義を付け足すとサブアタッカー兼遊撃と
いう形になる。あとは後方支援の高火力魔法使いでもいれば完璧で
ある。
﹁俺のことを一番近くで葵に守って欲しいんだけど⋮駄目かな?﹂
﹃へ?⋮いえ!そんな駄目だなんてことありませんわ!
このわ・た・く・しが主殿を一番近くでお守りいたしますわ!﹄
昨晩の内に葵のあしらい方はなんとなく理解していたので,さく
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っと葵を説き伏せると名無しの店舗の扉を開けて中へと入る。ぶっ
ちゃけちょろい。
店内に入ると3畳程のスペースがあり,カウンターで奥のスペー
スと区切られている。カウンターの後ろは僅かなスペースですぐ壁
になっていて壁の真ん中に扉がある。
よく見ればカウンターは後から置かれたものらしい。もともとは
奥の部屋と手前の部屋という感じでしきられていたのだろう。
手前の部屋には武器防具,魔道具など何一つ置いていない。店舗
に並べる売り物がないのか,並べ売り自体をしないのかは分からな
いが。
﹁誰もいませんね⋮﹂
システィナが店内を見回して呟く。まぁ,見回す程の広さもない
のだが⋮
﹁カウンターにベルがあるから鳴らせばいいんじゃない?﹂
桜はそう言った時には既にハンドベルを振り鳴らしていた。
ガランガランガラン!! と結構耳障りな音が響く。本来は軽く
振ってカランコロンと鳴らすものなのだろう。
そうと気づいた俺はすぐに桜を止めようと動き出すがそれよりも
前に奥の部屋からドタドタドタと大きな足音が響いて来る。
バタン!!
﹁誰だい!うるさいったらありゃしない!一度鳴らせば聞こえるっ
てんだよ!﹂
﹁!⋮エルフ?﹂
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扉を全開にして叩きつけ仁王立ちしている相手を見て俺が思わず
こぼした言葉である。
チュニック
淡く緑がかったショートヘアの中から長く尖った耳がぴくぴくと
動き切れ長の目と整った容姿。白く長い腕を短衣袖口から肩から出
して腰にあて,薄い胸を張っている。細い腰とショートパンツそし
て細く長い脚を惜しげもなく晒した長身の女性。それが魔工技師リ
ュスティラだった。
﹁いやあ!そうだった!そうだった!確かに今日ベイス商会から紹
介を受けた探索者が来るって言ってたよ。
自分たちでもぎ取った客なのにうっかり忘れてた﹂
華奢な身体からは想像もつかないほどに豪快に笑うリュスティラ
−15
を一応鑑定してみたところ
リュスティラ 業
年齢:28 種族:長耳族 職 :魔工技師
やはりエルフでは無かった。特徴的には間違いなくエルフっぽい
のに残念。もういっそ俺の中では長耳族=エルフでも良いんじゃな
いかと思っている。
そう言えばフレイが平耳族だったっけ。種族名には身体的特徴と
かを使っていることが多いのかもしれない。
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﹁リュスティラさんは魔道具技師なのですか?﹂
システィナが問いかける。ああ,うん。確かにそう思うよね。彼
女みたいな繊細な指先を持つ人が細かな作業が多い魔道具作成をす
るんじゃないかって。
﹁ん∼にゃ!あたしは魔工技師さ。トンテンカンテンやるのが仕事。
ちまちまやるのはあたしの旦那の方さ﹂
リュスティラさんはそう言うと背後の扉を開ける。
﹁おーい!あんた!ベイス商会からの紹介の客達が来たよ!打ち合
わせるからあんたも来な!﹂
扉の奥からのそりと現れた男を見て俺がこぼした言葉は
﹁!⋮ドワーフ?﹂ だった。
黒みがかった茶色の剛毛をぼさぼさに伸ばし,同じように伸びき
った顎髭と連結。ぎょろりとした大きな目と樽のような身体。タン
クトップのようなシャツ一枚だけを来たその上半身は筋肉に覆われ
ていて不思議なほどに身体には毛が生えていない。下半身は長ズボ
ンをはいているため詳細は不明だが見た目からはそう長くはない脚
をしている。俺の胸くらいまでの身長の男性。それが魔道具技師デ
−20
ィランという男だった。
ディラン 業
年齢:25 種族:低身族 職 :魔道具技師
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どっからどうみてもドワーフなんだけど⋮この世界では背が高く
ならないから低身族なのだろうか⋮しかも鍛冶屋的な職なのがエル
フっぽいリュスティラさんで細かい細工とか魔力的な作業が多そう
な職がドワーフっぽいディランさんなのか。
ちょっと不安になってきたな。信用して任せて大丈夫なんだろう
か。
﹁よし!じゃあ希望を聞こうじゃないか。なんでも特に腕の良い探
索者だって聞いてるからね。こっちも宣伝になるし出来る限り協力
させてもらうよ﹂
リュスティラさんがうっすい胸をドンと叩く。
﹁分かりました。ですが本格的な交渉に入る前に1ついいですか?﹂
威勢だけは良いが腕はたいしたことがない。なんてことはないと
思うが高額の買い物になりそうでもあるし一応どんな仕事をするの
か確認しておきたい。
﹁へぇ⋮若いのに慎重だね。
仲間内にはそう言う態度を小賢しいって言って嫌うやつもいるけ
どあたしは嫌いじゃないよ。やっぱり商売に信用は大事だからね。
言ってみな﹂
俺は背中に背負っていた袋の中から階層主との戦いで折れてしま
ったバスターソードを取り出してカウンターに置いた。
﹁へえ⋮あんたがこれを使ってたのかい?﹂
﹁ええ。戦いの中で折れてしまったんですが,直せるのなら直して
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欲しいと思いまして﹂
リュスティラさんは折れた剣身と柄を手に持ちながら鼻歌交じり
にチェックしている。
﹁あんたこれいくらで買った?﹂
﹁1万マールで投げ売りされてましたね﹂
﹁へぇ⋮知ってて買ったのかい?﹂
﹁⋮何をですか?﹂
﹁いや,愚問だね。知ってたんじゃなけりゃあわざわざ1万マール
で買った剣を直しになんか出しゃしない。
こいつは技能持ちだった剣だね﹂
薄い笑いを浮かべながらずばりと言われた言葉にとぼけることも
出来ずに思わず頷く。
﹁どうやって見極めたのか知らないが大した鑑定眼だよ﹂
﹁同じ言葉をお返しします。どうしてそれが分かったんですか?﹂
﹁こちとら魔材を使って技能や魔法が使える武器を打つ専門家だよ。
それぐらい分からなきゃ商売にならないさ。
ま,もっともこのぐらいの微少な力だと分からない奴のが多いか
もしれないけどね﹂
武器鑑定も使わずに武器の技能を有無を見極められるなんて⋮実
は凄い人なのかもしれない。
﹁ま,その辺の見極めはうちの旦那のが詳しいんだけどね﹂
そう言うとリュスティラさんはバスターソードを隣のディランさ
んに渡す。そういやこの人出てきてから一言も喋ってないな。
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﹁⋮重さの変化と斬れ味の上昇だな﹂
おおおおおおお!凄い!技能の内容まで当てた。この人選当たり
かもしれない。一流と呼ばれる技師ならみんな分かるのかもしれな
いけど少なくとも腕が悪くないのは間違いない。
﹁直せますか?﹂
﹁武器としては無理だね。一旦溶かして打ち直すことは可能だけど,
それをしたら技能は残らないし全く別の剣になっちまうよ。
この子の個性を活かしたままにしたいならうちの旦那に相談した
方がいいね﹂
﹁⋮重さの変化だけなら残したまま加工できる﹂
﹁本当ですか!是非お願いします。こいつのおかげで命を救われた
ようなもんなんです。なんとか残してやってください﹂
このバスターソードがなければあの探索行を生き残ることは出来
なかった。俺の不注意で負担を掛けすぎて折れてしまったこの剣に
仮に武器としてではなくてもまだ生きていて欲しい。
﹁⋮ふん。こいつもお前が好きらしい。任せとけ﹂
ディランさんは僅かに口髭を揺らすとバスターソードを持って扉
の奥に消えた。
﹁へぇ,あの人が笑うなんて珍しいこともあるもんだ。こりゃ良い
もんが出来そうだね。あの様子じゃ完成も早いね。
正式な契約は完成してからでいいよ。その間にもし良ければどん
なものが欲しいのか聞かせて貰えると時間の無駄がないね﹂
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その口調は自信たっぷりでディランさんの仕事が俺達に気に入ら
れることを微塵も疑っていないのが分かる。
そして,同じように俺もあの無口で無骨なドワーフっぽい人が良
い仕事をしてくれることを確信していた。
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技師の夫婦︵後書き︶
※ ご意見・ご感想・レビュー・評価・誤字脱字のご指摘等、随時
受け付けてます ので忌憚ないご意見をお待ちしております。
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新装備を注文︵前編︶
それからディランさんが工房から戻ってきたのは体感で30分ほ
ど経った頃だった。
のっしのっしとカウンターまで来ると手に持っていた物をゴロゴ
ロとカウンターに転がした。
﹁⋮⋮これだ﹂
﹁これは⋮腕輪?もしかしてパーティリングですか?﹂
カウンターに置かれた4つの腕輪を前にディランさんは頷く。
なるほど⋮そもそもパーティリングは1つの重魔石を人数分に分
割して作成するもの。微かとはいえ重力操作の力を持っていたバス
ターソードも性質としては近しいものがある。
﹁魔力を通せば互いに強く引き合う﹂
通常のリングと違うのはリング同士の引き合う力のオンオフが出
来るということか。ただパーティリングは今持っている訳で⋮今あ
るのを売却してこれをするという手もあるがウィルさんに安く融通
して貰っただけにそれはさすがに気まずい。
﹁ただ魔力の流しすぎには気をつけろ。流せば流すほどこいつは重
くなる﹂
﹁ほう!⋮それはいい。なぁソウジロウ﹂
ディランさんの説明を聞いて蛍さんの目がキランと輝く。あぁ⋮
なるほど。そういう使い方ね。
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俺は蛍さんの言いたいことを理解するとカウンターのリングを両
足首と両手首に装備した。
リュスティラさんとディランさんは何をしてるんだこいつみたい
な訝しげな表情をしている。そりゃそうだろう。パーティリングを
1人で付けてても全く意味がないんだから。
﹁あ,でも俺魔力出せないんだけど﹂
﹁ふん,おまえの腰にはそれだけは得意だという奴がおるだろうが﹂
﹁ん?⋮⋮あぁ,そっか。葵,このリング4つに魔力を通してくれ
る?﹂
﹃山猿の言い方は気に食わないですが,お安いご用ですわ﹄
魔力操作のスキルを持つ葵には簡単な作業である。ん?というこ
とは葵をいつも持ち歩けば俺も屋敷で魔石製品を使えることになる。
実はこれはかなり有り難い。
部屋の灯りも俺だけランプだし,台所で水も出せないから1人で
水を飲むときは探索用の水筒を使っているくらいだ。別に葵である
必要はないだろうが誰かが常に傍についている訳にはいかないから
な。
﹁お⋮おぉ⋮⋮く!これは⋮﹂
葵が魔力を流し込んでいるのだろう。両手両足に装着したリング
がずっしりと重くなった上にそれぞれが引き寄せあってくっつこう
としてくる。
こ,これは結構つらい⋮ なぜなら重りを付けたまま動くということだけじゃなく,くっつ
こうとするリング達を常に引き離そうと力を入れ続けなくちゃいけ
ないからだ。
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﹃とりあえずこのくらいでいかがですか主殿﹄
葵の声に改めて自分の身体を確認すると⋮大体1つにつき20キ
ロ位だろうか。地球との重力差や高濃度酸素の恩恵がなければ絶対
身動き取れなかったレベルである。
この世界でならちゃんと意識すればなんとか普通に動けるという
状態である。
﹁うん。もう充分。結構きつい﹂
俺は四つのリングをつけたまま軽く飛び跳ねたり,歩法を使って
室内を歩いて感触を確かめる。
かなり重いし,近づこうとするリングたちを離すために随時力を
使っているので結構しんどい。けどレイトークでシスティナが作っ
てくれた重りを壊してしまって以来重りなしで妥協してきていたの
で丁度良いと言えば丁度良かった。
武器では無くなってしまったので細かい鑑定は出来なくなってし
まったが,簡易鑑定では﹃重結の腕輪﹄となり生まれ変わったバス
ターソードとこれからも一緒にいられることは純粋に嬉しい。ディ
ランさんには感謝である。
﹁ディランさんあの子を生まれ変わらせてくれてありがとうござい
ました﹂
﹁おまえ⋮﹂
頭を下げて感謝を述べる俺をディランさんは驚いた表情で見てい
る。やはりパーティリング的なものとして作ってくれた物をただの
重りとして使うのはまずかっただろうか。
﹁それだけ魔力通したそれを4つもつけて動けるのか⋮⋮あぁいい。
519
見りゃあ分かることだったな。見かけ通りの小僧じゃねぇってこと
だ﹂
﹁で,あんた達はどうするんだい。このままうちに注文してくれる
ってことでいいかい?﹂
ディランさんの腕を見せて貰った限りでは全く問題ない。俺は視
線だけでシスティナ,蛍さん,桜に了解を取るとリュスティラさん
へと視線を向ける。
﹁では俺たちの装備の作成をあなたたちにお願いします﹂
﹁そうこなくっちゃ!じゃあさっきまでの要望をもう一回確認して
いこうか。
っと,せっかく契約も成立しそうだし立ったままっていうのもあれ
だね。2階に案内するよ。そこなら一応椅子があるからね﹂
リュスティラさんはそう言うと俺たちを扉の奥に招き入れた。
言われるがままに扉をくぐるとむわっっとした熱気が立ちこめて
いる。先ほどディランさんが作業したときの熱が残っているのかも
しれない。
工房の奥にある階段を上るまでの間に工房を観察したが作業台や
炉,様々な素材が並べられた棚など刀好きの俺にはどこかわくわく
させるものばかりだった。
この夫婦ともし仲良くなれるようならいつか鍛冶仕事を教えても
らうのもいいかもしれない。ただ技術はそう簡単に外部に出せるも
のじゃないだろうから断られる可能性の方が高そうだが。
2階に上がるとリビングのようなスペースで4脚の椅子が置かれ
たテーブル,壁際に2名掛けの小さめのソファー,台所,本棚など
が置かれている。
部屋の奥にはもう一つ扉があるがおそらくは夫婦の寝室のはずで
520
俺たちがそこへ通されることはないだろう。この2人の寝室とかす
っごい見てみたい気はするがそこは自重しておく。
﹁狭くて悪いね。えっとあんたがリーダーだよな?じゃあ,あんた
ともう1人。こっちに座ってもらって後の2人はあっちのソファー
に掛けててくれ。順番に聞くからね。おまえさんはあたしの隣だよ﹂
リュスティラさんはしゃきしゃきと席割りを決めると真っ先に椅
子に座り先ほど使っていた筆記具を取り出す。
そこには作って欲しいと考えていた装備の案がいくつか書かれて
いるはずだ。
俺は最初にシスティナを隣に呼ぶと座るように促す。
そして,全員が椅子に座ると同時にリュスティラさんが口を開く。
﹁さて,じゃあまずはあんたから確認していこうか﹂
﹁はい﹂
﹁あ,今までのやりとりで分かってると思うけどあたしはこんなん
だからさ。堅苦しい言葉なんていらないよ。気楽にやっとくれ﹂
一応年上の職人さん相手だったんでそれなりの礼を尽くしてたん
だけどいいなら別にこっちはどっちでも構わない。
﹁じゃあ,俺からよろしく﹂
﹁あいよ。さっきまであたしが聞いてたのは⋮剣長が100㎝程度
の長剣が1本。手甲と脚甲は一組ずつ。後は魔法に耐性があるよう
プレート
な鎖帷子⋮と。
板金系を使わないのはやっぱり重くなって動きが鈍くなるからか
い?﹂
胸甲だけでもかなり重さがあるし2刀もどきを目指している俺は
521
両手を振り回すことが多いから上半身にごてごて付いているのは動
きにくいという判断である。
﹁後は予算と余裕と条件に合う物があるなら頭部を保護する防具で
すかね⋮激しく動いてもずれたりしないで視界を妨げないような奴
ですね﹂
﹁なるほどね⋮そうなると普通の金属製のかぶる防具は条件に合わ
ないかもしれないね﹂
﹁鉢金のような物はどうですか?﹂
﹁はちがね?なんだいそりゃ﹂
鉢金はやっぱり知らないか⋮パッと見は防具に見えないだろうし
な。
﹁はちまきに金属片を取り付けた物を額に巻くんです。これだと視
界は妨げませんし激しい運動をしてもあまりずれたりすることはな
いんです。
ただ頭部を覆う部分はかなり少なくなるので物理的な防御力はか
なり減るかな。
その辺の物足りなさを魔材や魔石の効果でうまく埋め合わせられ
ればいい防具にならないか﹂
俺の言葉にリュスティラとディランは目を見合わせて声にならな
い会話をしている。ように俺には見える。
﹁面白い発想だね⋮確かにそれなら女性探索者にも無理なく装備が
可能だしね。金属部分に魔材や魔石を組み込めば魔法への耐性を上
げることも可能だろうね。
これはうまく売り出せば頭部への防具の常識を変えかねないよ﹂
﹁それは良かった。情報料は制作代金から引いておいてください﹂
522
﹁なっ!⋮ちぇ!しっかりしてるね。分かったよその分は割り引い
てやるさ﹂
リュスティラさんが肩をすくめつつも割引を承諾する。魔材や魔
道具は高いはずなので少しでも安くなるようにしておかないとね。
﹁次はあんたかい﹂
﹁はい。よろしくお願いします﹂
﹁はいよ。あんたは確か⋮長柄武器の強化,もしくは新調。ローブ
とブレストプレート,手甲,脚甲だったっけね﹂
﹁はい。後は鉢金はメンバー全員分を追加しておいてください。そ
の分の代金は情報料からよろしくお願いします﹂
にっこりと微笑むシスティナ。やっぱりか⋮
﹁へ?⋮ああ!もう!分かったよ!頭部防具4つ分は情報料として
うちで全部持つ。それでいいだろう!これ以上はこの件ではびた一
文まけないよ﹂
﹁はい,もちろんです。ありがとうございます﹂
﹁あんたぁ⋮この子ら手強いよぉ﹂
隣のディランさんに泣きつくリュスティラさんの背中をディラン
さんがポンポンと優しく叩いて慰めている。アンバランスなように
見えて何気に仲の良い夫婦である。
﹁手甲にちょっと小型の盾のような形を加えることは可能でしょう
か?﹂
﹁ん?手甲部分を少し広げるだけなら難しくないけどその分薄くな
るから強度は保障できないね。形と強度を両方求めるとなるとちょ
っと女の子には重いんじゃないかね﹂
523
﹁ではそれでお願いいたします。私,ちょっとだけ力持ちなので。
盾の部分には対物はさほど強くなくてもいいですが四属性辺りの耐
性効果を付与して貰いたいです﹂
﹁そりゃ出来ないことはないけど⋮あんたたちそんなに高階層に潜
ってるのかい?その割には今の装備は貧弱すぎる。かといって今あ
んたたちが求めてる装備は10階層どころか20階層30階層を戦
えるほどの物だってことに気づいてるかい﹂
俺達の求める装備の質が高いことにさすがに黙っていられなくな
ったのだろう。
﹁私達は最近全員が死にかけました﹂
ん?どこかで聞いたセリフだな。
﹁私達は探索者の初心者でしたのでレイトークの1階層で戦ってい
ましたが,2日目にその1階層に階落ちの魔物が大量に発生したの
です。
私達はそこの階層主⋮最低でも10階落ちの階層主。しかも変種
と戦い辛うじて本当にギリギリで勝利して生き残りました﹂
﹁な!そんなこと聞いたことないよ!1階層に10階落ちで変異種
の階層主だって?⋮ありえない﹂
俺達の話がどれだけ常軌を逸した物なのかをリュスティラさんは
分かるのだろう。蒼ざめた顔で唇を震わせている。
﹁その時私たちは1階層を戦うだけの装備しか持ち合わせていなか
った⋮
防具は全く役に立たず,手持ちの武器は相手にろくに傷を負わせ
られない。そんな状況で﹃装備に頼るな。自分自身の力を磨け﹄だ
524
などと言っている暇はありません。
わかりますか?その時私達がどれほど良い装備を望んだか⋮﹂
実際は良い装備を望む暇もないほどに必死にあがいていただけ。
装備について後悔したのは後になってからなのだが技師夫妻がシス
ティナの迫力に押されているので取りあえず乗っかっておく。
﹁だから俺達は装備に妥協はしないと決めたんです。命がけで得た
その金で出来る限り最高の装備を手に入れる。
そのためにベイス商会に依頼をしてフレスベルク中から最高の技
師を探して貰ったんです﹂
その依頼は完全にウィルさんの好意で一銭もかかってないし,フ
レスベルク中を探してくれたのもウィルさんのこだわりだっただけ
だがそれは言わないでおく。
﹁なるほどな⋮﹂
﹁⋮こりゃ責任重大だね﹂
案の定,技師夫妻はこの依頼がかなり重い物だと思い込んでくれ
たらしい。これで費用削減と完成品の質の向上が見込めるというも
のだ。
ここまで計算してのシスティナのフリだとしたら交渉術恐るべし
である。
﹁分かったよ。とにかくあんたらの要望を余すところなく言いな。
私らの出来る範囲で最高の物を準備してやる。費用は払えるだけで
いい。
あんたらが払えるようになったら返してくれれば構わない﹂
525
リュスティラの男前なセリフに感動した振りをしつつ俺は心の中
でガッツポーズをするのだった。
526
新装備を注文︵後編︶
﹁よし!あんたの要望はそんなもんだね。
武器に関してはやっぱり今のままじゃ素材的にきついから新調に
なる。そこは承知してくれ。
こいつも技能付きみたいだがソウジの剣とは違ってまだ武器とし
て生きているものを武器じゃない物にするのは勘弁して欲しい﹂
﹁いえ,当然のことだと思います。
この子は訓練などでまだまだ活躍出来ると思います﹂
﹁そうかい。ありがとよ。
じゃあ後ろの誰かと交代してくれ﹂
﹁はいはいはいはい!次はさっくっらでお願いしま∼す!﹂
後ろで暇していたのだろう。これ幸いとばかりに飛び起きて席を
立ったばかりのシスティナの下に潜り込む。
あっという間に背後を取られた形になるシスティナは一瞬驚いた
表情を見せつつもリュスティラさんに笑顔で会釈して後ろに下がっ
ていく。
﹁えへへ,桜だよ。よろしく﹂
﹁お,おう。
じゃあその桜は何が必要なんだい?﹂
﹁えっとね,まずはクナイが欲しい﹂
桜の勢いに押されつつリュスティラさんが聞くと俺の腕に胸を押
しつけつつ桜が要望を伝える。
忍者スタイルにとことんこだわりたい桜はサブウェポンとしてク
ナイを選択していた。サブと言いつつもクナイは格闘や投擲にも使
527
えるしスコップや投げ縄の錘などにも使えたりする万能武器だ。
一般的には10㎝程度の小苦無や15㎝程度の大苦無があるらし
い。形としては両刃の尖った剣先にグリップがあり柄頭は輪の形に
なる。
サイズが小さいためいくつも身につけておける上に桜の持ち味で
ある機動力の邪魔もしないはずなのでかなり役に立ってくれるだろ
う。
だが,当然リュスティラさんにはクナイがどんなものかは分から
ないので俺から若干のイラストを交えつつ説明しておく。
﹁普通の2本と四属性付与のやつを2本ずつね﹂
なるほど⋮昨日は苦無が欲しいとしか言って無かったけど,苦無
に﹃地・水・火・風﹄の四属性を付与してもらうことで相手に合わ
せて使い分けるつもりなのか。
趣味に走ってるだけのように見せて桜もよく考えてるみたいだ。
かたびら
﹁後は帷子があるといいんだけど⋮ソウ様のやつだと桜にはちょっ
と邪魔なんだよね。もっと軽く薄くして欲しい。金属の糸みたいの
があればそれで編み上げてくれると最高かも﹂
俺が依頼している鎖帷子のイメージとしては小さな金属の輪を組
み合わせていくイメージだが,桜がイメージしているのはむしろ地
球でいつも着ていたTシャツの糸が実は金属で出来てました的な感
じだろう。確かにそれなら動きの邪魔にはならないし重さもさほど
ではないだろう。
だが,防御力としてはいささか頼りない気はする。でも本当にそ
んな感じの物が作れるのならむしろ防具の下衣として重ね着すると
いう使い方も出来る気がする。
528
﹁へぇ⋮なるほどね。金属を服のようにか⋮あんた。どう思う?﹂
リュスティラさんが好奇心に満ちた顔で隣のディランさんを見る。
﹁⋮厳しいだろうな﹂
﹁だろうね。だけどやり遂げてこの技術が確立したら⋮ちょっとし
た技術革命になるね。おそらくいままで探索者か兵隊くらいしか買
わなかった防具の購買層が全人類に広がるだろうからね﹂
確かにそうだ。この世界は決して安全な世界じゃない。街から出
ないような人達だっていつ刃傷沙汰に巻き込まれるか分からない。
日常的に重くてかさばる鎧は着れなくても衣服のように着られてそ
れなりに身を守ってくれるような防具があればこぞって買いにくる
だろう。
﹁それはちょっと考えさせてくれ。というか時間をくれ。1人の職
人としてはそんな発想を貰ったからには是非挑戦してみたい。
だが今はあんた達の装備を一通り揃えることの方が先決だ。桜と
やらの帷子はとにかく出来る限り目の小さい物を使ってやってみる。
気に入らなきゃ返品してもらっていい﹂
﹁わかりました。是非お願いします﹂
リュスティラさんの目が職人魂に燃えている気がする。異世界の
発想がこの世界の職人さんのやる気につながってくれるなら俺も転
移してきた甲斐がある。
﹁あとは桜も手甲かなぁ?あんまり重かったりは困るから薄目で対
魔仕様で。後は魔道具で敏捷補正とか隠蔽率上昇とかあるといいか
な﹂
529
ていうか桜そんな中二な知識をいったいどこで身に付けたんだ。
蔵の中にそんな娯楽は無かったはずなのに。
︵ソウ様と共感でずっと繋がってたからなんとなくかな︶
ぐは!俺の知識だったか⋮まあ今更その手の趣味を否定する気は
ない。現実になっちゃってるしね。
﹁敏捷か⋮風属性の魔石で近い効果を得られるかもしれないが,あ
くまで風の力を利用するから空気が動いてしまうな。隠蔽というの
は隠れやすくなるってことか?あんた,どうだい?﹂
﹁夜だけなら闇だな﹂。
﹁あぁ,なるほど⋮闇魔石で光を通しにくくすることで闇には溶け
込みやすくなるね﹂
さすがに認識阻害とか不可視化とかは無理だよなぁ⋮それでも限
定的な効果を持たせることは出来るのか。
﹁どうする桜?﹂
﹁うん!それでいいよ。敏捷は主に魔物と戦う時に必要だし,隠密
行動は夜が基本だよね﹂
﹁了解したよ。桜はそれで全部かい?﹂
﹁取りあえずそんなとこかなぁ。ありがとうリュティ。よろしく﹂
﹁ん?⋮ああ!私の愛称か。ふふっ,そんな風に呼ばれたのは初め
てだね。確かに私の名前は人族には呼びづらいかもしれないね。そ
れ,気に入ったよ是非使ってくれ﹂
桜はリュスティラさんと笑顔を交換すると機嫌よく後ろへと戻っ
て行った。随分リュスティラさんを気に入ったらしい。
530
﹁よし!じゃあ最後は﹂
﹁私だな﹂
蛍さんが乱れているのにいやらしくなく着こなした着物を揺らし
ながら悠然と歩いてきて俺の隣に腰を下ろす。
結局昨日の段階では蛍さんはあんまり具体的な案は出なかったん
だよな⋮刀としての時間が長すぎて自分の身体に余計な付属品を付
けることを嫌がる傾向が強い。
思えばポシェットを腰に付けるのだって大分渋っていた。
﹁そんな目で見るな。ソウジロウ。お前の気持ちは分かっているつ
もりだ。お前を不安にさせた私への戒めの意味も込めてきちんと装
備についても考えてきた﹂
俺の視線に気が付いたのだろう蛍さんが苦笑とともに俺の頭を撫
でる。
﹁まずは桜と同じで邪魔にならない程度の重さで手甲を貰おう。胴
装備はいらぬ。 だが,もし出来るならぶらじゃぁが欲しいところ
だが⋮﹂
ぶ!ブラジャー?蛍さんいきなりなにを!
﹁ん?こいつは夜の布団の上では大変役に立つが,戦闘中はなぁ⋮﹂
そう言って蛍さんは着ものの上から豊満な胸を揺らす。
うん,蛍さんの胸に見とれたディランさんが悲しい胸のリュステ
ィラさんに折檻されているのは気にしないことにする。
﹁最悪サラシでも構わんと思っていたんだが,これはソウジロウが
531
好きだしな。出来れば形は変えたくないのでな﹂
﹁それは全面的に同意するけど,ブラジャーはどっちかっていうと
洋裁店かなぁ﹂
﹁ふふふ,それくらい私にも分かっておるよ。だがぶらじゃあに防
御能力があれば私も余計な装備をつけずとも良いし,ソウジロウも
喜ぶし,戦闘面での不安も減じることができる。
一石三鳥だと思ってな﹂
な,なるほど⋮確かに俺にとってメリットしかない。さすがは蛍
さんだ!
﹁もうここまで来たらどんな物を要求されても驚かんがそのぶらじ
ゃあというのはどういうものなんだ?話の内容からして⋮その⋮む,
胸に関するものだというのは分かるのだが﹂
﹁あぁ,そりゃそうだ。ごめんシスティナ。俺から説明するのもあ
れだし例のやつで説明よろしく﹂
﹁あ,はい。⋮えっと
ブラジャーとは女性が胸部に着用する下着で、乳首の保護や乳房
を支えることが基本目的。また補正下着としても使用され,この場
合胸の形状を整えると共に形が崩れることを防ぐことも出来る。
身体に合ったブラジャーを装着することで姿勢がよくなり心身の
健康によいという効果もある。
です﹂
やっば!システィナのユニークスキルが超便利すぎる!普通ブラ
ジャーの定義とか絶対にわからないから。 ﹁ちなみに基本的な形はこんな感じですかね﹂
532
俺が覚えてる限りでブラジャーの形をメモして渡す。
﹁へぇ⋮面白いわね。確かに胸の大きな人達にとっては垂涎の装備
かもね。
⋮⋮私には関係ないけど﹂
﹁え,なんか言いました?﹂
﹁言ってないわよ!
それで?それに何かしらの防御性能を持たせて欲しいってこと?﹂
顔を赤くしたリュスティラさんが慌てたように話題を変えてくる
が実は全部聞こえていたことは黙っていた方がいいだろう。
﹁そうじゃな。まあうまくできればでよい。
後は私が作って欲しいのは⋮﹂
﹁え⋮蛍さん。なんでそんな物を﹂
蛍さんが説明やイラストを交えつつリュスティラに要望した物は
桜のクナイによく似た投擲用のサブウェポンだった。
サイズは桜が求めていたものよりも小さい物で格闘には使えそう
もなく完全に投擲用になるだろう。ただ全てにある変わった加工を
蛍さんは依頼していた。
﹁まあうまくいくかどうかはわからんしな。
完成したら見せてやろう。うまく行けば説明などなくても一目瞭
然だろうよ﹂
﹁うん,わかった。楽しみにしておく﹂
533
こと戦闘に関しては俺の中で蛍さんに対する信頼度は優に100
%を超えている。その蛍さんがそういうなら敢えて問いただす必要
なんかない。
﹁よし!分かった。あんた達の欲しい物は把握した。どこまで期待
に沿えるか分からないが持てる知識と技術を全てつぎ込んで取り組
ませて貰うよ﹂
﹁む!﹂
職人魂に火がついた顔をする2人を見て俺は何故だか無償に嬉し
くなってくる。この2人を紹介してくれたウィルさんには本当に感
謝しなければならない。
俺は一応持ってきていた布袋を懐から取り出すとリュスティラさ
ん達の目の前にドスンっと置いた。
﹁ソウジ⋮これは?﹂
自分の名前を棚に上げ,俺の名前が呼びにくいからと省略した俺
の名前を呼びながらリュスティラさんが訝しげな視線を向けてくる。
﹁大金貨で90枚入ってます﹂
﹁きゅ!⋮90枚?大金貨が?﹂
﹁はい。今の俺達の全財産だと思ってもらって構いません。信用し
て預けますので思うがままに仕事に専念してください。
もしそれでも俺達の頼んだ装備の代金に足りなかったとしても残
金は必ず支払いますので﹂
テーブルの上に無造作に置かれた大金にリュスティラさんは引き
攣った顔をしたまま動かない。
534
﹁分かった。預かっておく﹂
その袋をがっしと掴んで引き寄せたのはドワーフ系魔道具技師の
ディランさんだった。
535
フレイ
﹁思った以上に期待出来そうで良かったよ﹂
﹁ふふふ,リュスティラさんとディランさんは半泣きでしたけど﹂
﹁なぁに。職人というものは愚痴をこぼしながらも創り出したら楽
しくて仕方のない人種だ。問題あるまいよ﹂
﹁リュティの仕事がはかどるように今度差し入れ持って行こうね。
ソウ様﹂
﹃う⋮羨ましいですわ!わたくしも自分の装備が欲しいですわ!﹄
俺たちはそんな話をわいわいとしながらフレスベルクの雑踏を歩
いていた。お金を受け取って貰った後もいろいろあって全員が若干
ぐったりしながらもこれから出来上がってくるだろう新装備への期
待もあり皆がちょっと浮かれている状況だ。
疲れている理由としてはあの後,リュスティラさん達に全員のあ
らゆる箇所のボディサイズを綿密に調査されたからである。
頭囲,肩幅,胸囲,腹囲,尻回り,腿回り,ふくらはぎ回り,足
首回り,腕の太さ各種,指の長さ,手の平の長さ,手首から肘まで
の長さ,肘から肩までの長さ,足のサイズ,足首から膝までの長さ,
膝から股関節までの長さ等々⋮それはもう微に入り細に入りとこと
んデータを取られた。
女性陣に至っては胸のサイズや形まで測られたらしい。おそらく
そのデータがあれば本人とまったくおなじ体型のマネキンを作れる
のではないかというほどだった。
そこまでしっかりとしたデータを元に作られた装備はもう本人専
用と言っても良いくらいのオーダーメイドになりそうである。
それだけに技師の腕前が問われることになるだろうが⋮あの2人
536
はなんだか大丈夫な気がする。
全部が完成するのはいつになるか分からないとのことだったが,
とりあえず7日後には一度様子を見に行くということになっている。
﹁さあて,これからどうしようか。ちょっと遅くなっちゃったしい
つもシスティナにばっかり料理を任せちゃうのもあれだし,たまに
はどっかで食べてから帰ろうか﹂
﹁ソウジロウ様。私は好きでやってますのでお気になさらず﹂
うん,システィナならそう言うだろうし本心からそう思ってるの
は分かってる。下手な店で食べるよりシスティナが作ってくれた料
理の方がうまいのも承知の上。
まあそれでもたまにはシスティナを食べることに専念させてあげ
たいと思う。俺が料理をするという手もあるが生まれてこの方,家
庭科の授業以外で料理らしいことをした覚えがない俺にはハードル
が高い。しかもここが異世界で食材も見たことの無いような物ばか
りとなればもはやハードルどころか壁である。
﹁まあまあ,たまにはいいよ。
正直言えばシスティナの料理の方がおいしいと思うけど,今日は
いろいろ疲れただろうし楽しようよ。ということでどっか良い店あ
る?ちょっとくらい高くてもいいよ﹂
システィナも俺が言いたいことは分かっているのだろう。微笑み
ながらわかりましたと素直に頷くとフレスベルクの中に数多存在す
る飲食店の中から場所や評判などの情報から良さそうな店を脳内検
索で探してくれているようだ。
﹁そうですね⋮もう少し行くと見栄えは悪いけど安くておいしい臓
537
物料理を出すお店があるそうです。私の手持ちの料理にはないもの
ですので,出来れば一度行ってみたいです﹂
﹁へぇ⋮臓物料理か。モツ煮みたいな料理なのかもね。いいんじゃ
ない。
お酒にも合いそうだしさ。ね,蛍さん﹂
﹁む!酒に合うとなれば私には拒否できようはずもないな﹂
もはや飲んべぇと化しつつある蛍さんにうまい酒のつまみの誘惑
に抵抗することは出来ないらしい。
﹁う∼ん,桜はちょっと趣味じゃなさそうだなぁ﹂
﹁大丈夫ですよ桜さん。焼き肉も豪快でおいしいそうです﹂
﹁豪快なお肉?もしかして憧れの漫画肉?よし!早く行こうシス!﹂
桜は小柄な身体の割に意外とよく食べる。そして肉が好きでしば
しばその素早さを活かして俺の分まで持って行く。
元が刀だからかいくら食べても太らないらしく人の身体の味覚を
たっぷりと堪能している。システィナなんかは太ってしまったら恥
ずかしくてその身体を俺には見せられないと思い込んでいるらしく
一日の活動量に見合った量しか食べないように気をつけているらし
い。
そもそもシスティナがぽっちゃりしていたことなど一度も無いし,
この世界の食生活環境ではそもそもそんなに過食にもなりえないし
運動量も多いため太っている人なんてほとんどいない。
おそらく純粋な肥満体系の人なんて地球で言う貴族階級的な人達
の中のごく一部じゃないだろうか。
俺自身は仮にシスティナが多少ぽっちゃりしてても全然ウェルカ
ムなのだがその辺は乙女心というものということみたいなので好き
にさせている。いずれまた塔探索が再開するようになれば日々の食
事分はくらいはすぐに消費されるはずなので制限なんて考える必要
538
もなくなるだろうしね。
結果としてシスティナが案内してくれた店は非常に美味しかった。
臓物は生臭いのではないかと密かに心配していたがうまく処理がさ
れているのか調理法なのか分からないが全く臭みもなく程よい噛み
ごたえでなんか懐かしい感じのする味だった。
蛍さんも気に入ったらしくお酒をくぴくぴしながら珍しく結構つ
まんでいたし,桜も出てきたシュラスコみたいな塊の肉を楽しんで
食べていた。
家でシスティナの手料理を食べるのも良いが,たまにはこうして
珍しい料理を出す店にみんなでくるのも良い。せっかくこの世界に
来たのだから地球では食べたことのない料理をいろいろ食べてみた
い。
﹁やっと見つけた!フジノミヤ殿!﹂
そんなまったりと楽しいひと時を台無しにしたのはどこかで聞い
たことのある女の声だった。
俺の後ろにある店の入口から中を覗いて俺達を見つけたのだろう。
どたどたどたと床を踏みしめる音が近づいてくる。
﹁フジノミヤ殿!私は!私はまだあなたに直接謝っていない!﹂
う∼ん,めんどくさい。別に今更謝罪なんか求めていないし,そ
ういうしがらみが面倒でフレスベルクに拠点を移したんだから空気
を読んで欲しい。
そもそもへんなこと口走られてベッケル家の長男の不審死とかの
話を広められたら困る。ベッケル家の長男バルトを事故死に見せか
けて殺したのは俺のお願いを聞いてくれた桜なんだから。
539
﹁すいませんがここは公共の場なので声を抑えて貰えませんか?フ
レイさん﹂
﹁あ⋮す,すまない。やっと見つけたと思って少し興奮してしまっ
た﹂
そう言って整えられていない短い赤髪を下げたのはフレイ・ハウ
だった。
レイトークの塔で俺から桜を盗み,逃げた先で結果として階層主
を俺たちになすりつけたある意味因縁の相手だった。
本来なら俺判定で確殺くらいのことをしているが,最終的に俺達
が誰も死なずに済んだこと。そうせざるを得なかった本人の事情に
多少同情してしまったこともあるので別に今は恨むようなこともな
いしわだかまりも全くない。
かといってことさら仲良くしたいとは思わない。せっかくの良い
気分だったのに邪魔をして欲しく無かった。
﹁なぜ探していたのかは知りませんが謝罪はシスティナが代表して
受けてますし,俺達は別にあなたと話さなければならないことは何
もないんです。お引き取り願います﹂
迷惑だから関わらないで欲しい。それがはっきりと伝わるように
なるべく冷たく平坦な声を心がける。
﹁い,いや!だがしかし⋮私は!あなたに⋮あなたが私をバル⋮!
ひっ﹂
﹁悪いけど,桜はあんたのことすっごい嫌いなんだよね。ソウ様が
﹃もういい﹄って言うから見逃してあげてるだけ。
でもこんなところで訳の分からないことを言い出してソウ様を困
らせるつもりなら⋮わかるよね﹂
540
気がつくと桜がフレイの背後から首筋に刀をあてていた。喉元に
感じる冷たい殺気にフレイは息を飲み言葉を失っている。
桜はあの時俺から引き離されたことを表には出さないがかなり腹
に据えかねていた。それなのに俺は報復を禁止した上にフレイを助
けるようなお願いをした。
桜は俺の頼みならと快く全てを受け入れてくれたが怒りが治まっ
ている訳ではない。それなのにこんなところに出てきて俺達に不利
益になりそうなことを考えなしに叫ぼうとする⋮桜がプチ切れする
のも無理はない。
おそらくフレイはバルトの死とその後過去の悪行が世間に知れ渡
ったことが人為的なものだと疑っている。そしてそのタイミングが
自分の実情をシスティナに吐露した直後だったことで俺達が助けて
くれたのではないかと思ったのかもしれない。
しかも,桜はバルトを殺害したついでにフレイの弟に使われてい
た毒の解毒剤も入手していて弟が軟禁されていた場所に届けている。
ここまで自分に都合良く全ての物事が運んだら確かに偶然では済
まされないだろう。だが,そこは﹃どっかの誰かさんありがとう!﹄
と星にでもお礼を言って終わりにして欲しかったところである。
いずれにしても店内で刀を出してしまったため騒ぎが大きくなり
つつあるので話を聞くにしても追い返すにしても場所を変える必要
があるだろう。
﹁桜,やめるんだ。こんなところで刀を出したら騒ぎになる。シス
ティナ,迷惑料込みで精算を頼む。蛍さん,桜を宥めてフレイさん
を外へ﹂
その際に蛍さん達にはフレイを連れてこの場を離れて貰うように
お願いしておく。とりあえず家方面へと向かって移動しておいても
541
らうように頼んでおく。
それぞれに指示を出すと自分自身はシスティナと共に精算に行く。
騒ぎを聞きつけ厨房から出てきた髭の親父に謝罪のため頭を下げる
とシスティナが代金より少し多めの支払いを済ませると既に店内を
出た蛍さんたちを追って店の出口へと向かう。
﹁まさかこんなところまで追ってくるとは意外でしたね﹂
﹁まあ,もともと律儀な性格なのは分かってたけど⋮まさか都市を
またぐかね﹂
﹁私たちがなんらかの形で関わっていると思っているんでしょうか
?﹂
﹁多分ね,正直頭は良くなさそうだったから気づかれる可能性は全
く考慮してなかったよ。ぶっちゃけ今日会うまで存在すら忘れてた
からね﹂
﹁どうしますか?﹂
﹁見た感じお金とか持ってなさそうなんだよね⋮﹂
今日久しぶりに見たフレイは前に会った時よりもかなり薄汚れて
いて少し頬もこけていた。前はバルトの情婦的なこともさせられて
いたからか身なりはちゃんと整っていたし最低限の食事は与えられ
ていたのだろうが,バルトの拘束から解放され自由になったと同時
に保護してくれる相手もいなくなってしまったのだろう。
もともとバルトに毒を盛られていた弟の治療費で全財産を失って
いたフレイ1人では塔探索をしても低階層しか行けずに大した稼ぎ
にはならなかったはずだ。病み上がりの弟をなんとか養えれば御の
字だろう。
そんな状況の中,わざわざ転送陣を使用するためにお金を使った
りすれば,物価がやや高めのこの街では宿に泊まることも食事を摂
ることも出来ないのではないだろうか。
となるとここで放り出すと場合に寄ってはその辺で野宿とかしか
542
ねない可能性もある。だが,ここフレスベルクは混迷都市と言われ
る程たくさんの人が集まってきているため治安は必ずしも良いとは
言えないのが実情。
そうするとここでフレイを見放すことは悪人達に餌を与えるよう
なもので俺の嫌いな悪人を増やしてしまうことにもなりかねないと
いうことだ。
﹁⋮仕方ない今晩だけ家へ連れて帰ろう﹂
システィナにそう説明して俺は溜息と共にフレイを家へ同行する
ことを告げた。
﹁ふふふ,ソウジロウ様は優しいですね﹂
﹁ちょ,ちょっと!俺の説明聞いてた?﹂
﹁はい。聞いてましたよ﹂
﹁じゃあ!﹂
﹁だから⋮ですよ﹂
笑顔で腕を組んでくるシスティナにもう何を言っても無駄だと理
解した俺は説得を諦めて腕への柔らかい感触を堪能しながら家へと
向かうのだった。
543
フレイの探索行
﹁す,すまないフジノミヤ殿。私は謝罪に来たのにまたこうして迷
惑をかけてしまっている﹂
艶を取り戻した髪と汚れが落ちて取り戻した白い肌,こざっぱり
としたシスティナの服を着て口の周りにソースをつけたフレイが深
々と頭を下げる。
あの後,屋敷まで同行︵連行?︶したフレイを温泉に入れ,その
間にシスティナに頼んで簡単な食事作ってもらった。せっかく今日
はシスティナを料理から解放する予定だったのに台無しになってし
まったがシスティナは喜んで料理してくれた。
そしてフレイは大きな屋敷に驚き,未知の温泉に驚き,恐縮しつ
つもシスティナの料理をがっつりと完食。
そこでようやく正気に戻ったようで先ほどの台詞である。
﹁もういいですよ。とにかく俺はもうあなたを怒っても恨んでもい
ません。塔からあなたたちを助けたことも半分以上自分たちのため
なので気にしないで下さい。
それでも謝りたいというあなたの気持ちも分かりました。今日は
一晩泊まっていって構いませんから明日起きたら帰ってください。
システィナ,フレイさんを客室へ案内して﹂
﹁ま,待ってくれ!﹂
言いたいことだけを言って席を立とうとした俺をフレイが呼び止
める。やっぱり勢いで押し切るのは無理だったか⋮とりあえず諦め
てもう一度腰を下ろす。1人だとしんどいので一応システィナにも
隣に座っていてもらう。
544
蛍さん達には席を外して貰っている。暴走しそうな桜を蛍さんに
見ていて貰うためである。
﹁まだ何か?﹂
﹁まずはちゃんと謝罪させて欲しい。
レイトークでは本当に済まなかった!私の事情はシスティナ殿に
伝えた通りだがそんなことは関係ない。命がけで助けに来てくれた
恩人に私は攻撃を加え盗みを働いてしまった。それだけでは飽きた
らず後先考えずに逃げ回った結果,階層主に⋮
私はそこで見捨てられても文句が言えるような立場じゃなかった。
それなのにフジノミヤ殿はそこでも私を助けてくれた!
本当に申し訳なかった!そして助けてくれてありがとう﹂
ゴン! とテーブルに頭を打ち付けつつ頭を下げるフレイに俺は
視線をシスティナへと向ける。
システィナは笑いを堪えるように口元を手で隠しながら﹃思うが
ままにどうぞ﹄と言っている気がする。
それを見て完全に毒気を抜かれた俺はもういいやと諦めて大きく
息を吐くと頭を下げたままのフレイに声をかける。
﹁わかりましたからもう頭を上げて下さい。
正直に言えば少しは思うところがなかった訳じゃないですけど,
都市をまたいでまで俺達を追いかけてきてくれたことに免じてその
辺は水に流しましょう﹂
本当は心底どうでもいいと思っていたがそれでは納得しそうもな
いのでこういう形にしてみる。
﹁本当か!⋮ありがとう。本当にすまなかった。
⋮せめてもの罪滅ぼしに今後は2度とあんなことはしないと私は
545
フジノミヤ殿に誓おう﹂
そんなものは全くいらないが,金銭等の謝礼を渡そうにも俺達は
既にお金には困ってないし,また支払うべきフレイもそんなお金は
持っていないだろう。
﹁それにしてもよく俺達をみつけられましたね﹂
その辺は下手に話を広げると律儀なフレイがいろいろ面倒なこと
を思いつきそうなのでさらっと流して話を変える。むしろどうやっ
て俺達を見つけたのかは正直ちょっと気になる。
﹁ああ,フジノミヤ殿が目を覚ます頃を見計らってレイトークの宿
に行ったのだが,宿の主人にもういないと言われ行き先も聞いてな
いとのことだったからどうして良いのか分からなくなってしまって,
フジノミヤ殿が来るのではないかと塔のロビーで数日間待っていた
のだが⋮﹂
そうだよな。俺が感じたフレイの印象ではその辺りまでが限界だ
と思ってたから俺の見る目は間違ってなかったってことになる。
﹁結局フジノミヤ殿は現れなかったのだが,毎日同じ場所で立って
いた私に声を掛けてくれた人がいたんだ。その人達があの事件の後
フジノミヤ殿をベイス商会の人が背負って行ったのを見た人がいる
というのを教えてくれたんだ﹂
﹁誰ですか?それ﹂
﹁フジノミヤ殿も知っている人達だ。トォルとアーリだよ﹂
﹁ああ⋮って誰だっけそれ?﹂
﹁え?覚えてないんですかソウジロウ様。最後に助けて一緒に脱出
しようとしていた2人組ですよ﹂
546
﹁ああ!バクゥと一緒のパーティだった人達か﹂
﹁⋮どうして一言も会話したことのないお亡くなりになった方は覚
えているのにお二人は覚えてないんですか?﹂
﹁あはは⋮いや,俺の中で探索者としてのバクゥはかなり評価が高
いんだよね。だから覚えてたんだけど,でもアーリだって﹃怪我し
ておっぱい見えてた人﹄って言ってくれればすぐに分かったと思う
よ﹂
﹁⋮ソウジロウ様!﹂
﹁あいたたたたた!ちょっと腿つねらないで!マジで痛いから!﹂
俺の冗談に頬を膨らませたシスティナが太もものちょっと内側の
柔らかい部分をつねってくる。侍祭契約の加護を受けたシスティナ
のちねりはマジで激痛レベルである。
﹁仲が良いのだな⋮﹂
そんな俺達のじゃれあいを眺めていたフレイがぼそりと呟いた言
葉を俺は聞こえない振りをする。
バルトに昼夜問わずいいようにこき使われ弄ばれてきたフレイに
は仲間を作れる環境になかったはずで仲間に恵まれている俺がかけ
てあげられるような言葉はない。
だから俺はシスティナの攻撃をなんとかはねのけると話を本筋に
軌道修正していく。
﹁それでフレイさんはどうしたんですか?﹂
﹁え?あ,あぁ!そうだったな。それで私はベイス商会の方に聞き
に行ったんだ。そうしたら確かにフジノミヤ殿やシスティナ殿らし
き人が訪れたというので行く先を訪ねたら﹃詳しくは知らないが転
送陣を使って移動する﹄と言っていたということがわかったんだ﹂
547
そういう情報をあっさりと漏らしちゃうっていうのはどうなんだ
ろう。日本の常識だと客の情報をあっさり漏らすとかあり得ないん
だが。犯人はあの笑顔秘書の誰かだろうか。
﹁そこまで分かればレイトークが繋いでる転送陣はミカレアとフレ
スベルクだけだ﹂
﹁だけって言ったって,移動した先でも街中から俺達を捜すのはち
ょっと厳しいんじゃないの?﹂
ミカレアだって外町を併せればかなりの広さと人口があるし,フ
レスベルクに至っては考えたくないほどの人混みだ。普通に考えれ
ば見つけるのは至難の技だろう。
﹁幸いミカレアの方はトォルとアーリが受け持ってくれたし,平耳
族は嗅覚が亜人の中でもまあまあ良い方だからな。うまく臭いを拾
えれば見つけられるかなと思ってな﹂
それにしたって随分杜撰な計画だ。ミカレア組は普通の人間だか
ら普通に足と目で探すしかないし,フレスベルク担当のフレイだっ
て土地勘もなければお金もない。鼻が利くとはいえ人が多くてもの
凄く雑多な臭いに溢れているこの街ではさほど有利な条件ではない。
俺を捜すにあたってフレイが強運だったのは,今日俺達が食事を
していたあの店が転送陣の館から近いところにあったということだ
ろう。それにしても⋮
﹁トォルとアーリまでが俺達を捜す手伝いをしているのはなんでな
んだ?﹂
﹁は?⋮何を言っておるのだフジノミヤ殿。そんなのフジノミヤ殿
達にお礼を言うために決まっているじゃないか﹂
﹁そうなのか?﹂
548
﹁聞けば脱出する途中で全員どこかへ離れていってしまったため,
脱出後は顔を合わせていないそうじゃないか。あちらもあちらでア
ーリの傷が深かったため脱出後はすぐに治療院へ運ばれてしまった
というのもあるみたいだが⋮
だから2人もきちんとお礼を言いたかったらしくてな。協力する
ことにしたんだ。明日一度レイトークで情報を摺り合わせる予定な
んだが2人も連れてきてよいだろうか?﹂
街からはほんの少し離れた所に居を構えたが別に隠れ住むつもり
はない。フレイに2人を連れてくることを了承する。
﹁そうか!ありがとう。2人もきっと喜ぶだろう﹂
ここまでの俺の対応が冷たかったことから了承が得られるかどう
か不安だったのだろう。俺が了承したことで安堵したらしく再会し
てから初めてまともな笑顔を見せた。
と同時に緊張の糸が切れたのか小さな欠伸をしてしまい羞恥に顔
を赤くする。
﹁システィナ,今度こそ部屋に案内してあげて。あと,ついでに蛍
さん達に事情の説明と⋮今日はお客さんがいるからお休みだってこ
とを伝えといてくれるかな?俺も今日はこのまま部屋に戻って寝る
から﹂
さすがに近くにフレイが寝ているのにいつものパーリナイをする
のは憚られる。悔しいが今日のところは自主的にお預けである。
システィナはそんな俺の心情を見通してか小さく笑いをこぼすと
頷く。
﹁ではフレイさん。お部屋に案内します﹂
549
そう言ってフレイを食堂から連れ出すがシスティナは思いついた
ように立ち止まると扉の所にフレイを待たせて戻ってくると俺の耳
元で囁く。
﹁⋮え?まさかそんなことはないよ﹂
﹁なければないでいいんです。でももしもの時はお願いします。同
じ女としてのお願いです。蛍さんと桜さんには私の方から説明して
おきますから﹂
﹁⋮わかった。もしもの時は言うとおりにするよ﹂
﹁はい。ありがとうございます。ご主人様﹂
システィナは嬉しそうに小さくお礼を言うと去り際に啄むような
キスをして食堂を出て行った。
俺はシスティナのお願いをもう一度頭の中で反芻する。
﹁⋮まさかね﹂
軽く頭を振って浮かんだものを振り払うと自分の部屋へと戻る。
今日はいつものキングサイズのベッドのある寝室ではなく俺個人の
部屋である。ここにも一応シングルサイズのベッドが置いてある。
いつもは昼寝の時くらいしか使っていないが今日は仕方がない。
なんだかんだで疲れた一日だった⋮ていうか地味に両手足のリン
グがしんどい。寝てる間に関節とか痛めなきゃいいけど⋮今度寝る
時は外してもいいか蛍さんに聞いておこう。
こみ上げてくる欠伸を噛み殺しながら部屋に入ってベッドに身を
投げ出した。
550
551
フレイの探索行︵後書き︶
あれ?フレイのネタが終わらない⋮こんなはずじゃなかったのに。
軽いネタでオチつけて終わるはずが重い雰囲気になりつつあるし・・
・
取りあえずもうちょい続きそうです。今日のは短いので明日も連投
します。
552
短きモノ︵前書き︶
15万PV,25000ユニーク到達しました。いつも読んでくれ
てありがとうございます。
章を分けてみました。1章が導入部で2章が日常と雌伏みたいな感
じでしょうか章タイトルはうまいのが見つかったらつけます。3章
は塔をメインにするか光圀系をメインにするか悩んでます。ご希望
あれば聞かせてください。
553
短きモノ
コンコン
ん?⋮っと,ちょっとウトウトしていたらしい。灯りは付けずに
いたので部屋は月明かりだけで薄暗い。体感的に寝てたのはほんの
10分位だろう。
せっかく起きたなら今日はまだ風呂に入ってなかったので温泉でも
行ってから寝るかと重い身体を起こす。
コンコン
ん,誰か来た?システィナに言っといて貰ったのに桜辺りがやっ
ぱり乱入してきたか。なんなら一緒に温泉に誘ってみるかな。
﹁はいよ。あいてるよ﹂
と言ってから気づく。桜ならわざわざ扉から来なくても壁に作っ
た絡繰りから入ってくることに。
﹁夜分に済まない。もう寝ていただろうか?﹂
﹁⋮フレイさん?﹂
扉を開けて入ってきたのは薄手の夜着に着替えたフレイだった。
フレイは後ろ手に扉を閉めるとためらいがちに部屋の中に入ってく
る。
﹁少し話を聞いて貰って良いだろうか?﹂
554
﹁⋮いいですよ。立ち話もなんですからこっち座ってください﹂
俺はベッドをフレイ明け渡して座ってもらうと隣には座らずに脇
に置いてある文机の椅子に腰かける。
﹁あ,ありがとう⋮﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
ベッドに腰掛けたフレイは俯いたまま黙り込んでしまう。だが俺
はあえて話をせかすようなことはせずにフレイが話し出すまで辛抱
強く待つ。多分それは本当なら誰にも知られたくないことだろうか
ら。
﹁⋮私が﹂
やがて覚悟を決めたかのように視線をあげたフレイがゆっくりと
話し始める。
﹁ベッケル家の長男バルトに雇われていたことは聞いたと思う。弟
の治療費のためにやむなくではあったが最初は真っ当な護衛や採取
などの依頼ばかりだったからこれなら弟が治るまで雇ってもらえれ
ば助かると思っていたんだ﹂
その弟の病気はバルトによって仕組まれたもので治療もバルトの
息がかかった医者が病状を維持するためだけの処置をしていただけ
である。
555
﹁ところがそのうちにバルトの依頼はどんどんおかしくなっていっ
た。明らかに禁制品と思われるような物の受け渡しや塔内での窃盗
行為,明らかに非合法な取り立てなど⋮⋮やりたくはなかったが弟
の体調はやや改善がみられていたものの依然として完治には遠くバ
ルトとの契約を切られる訳にはいかなかった﹂
フレイのステータスで業が高めなのはそのせいだったのか。確か
にこの数字,何を基準に増減しているのかがよく分からなかったた
めあまりあてにはしてなかったがそれなりに理由のある数値だった
らしい。
﹁だがやがてバルトの依頼は⋮誰かを傷つけたり殺害をほのめかす
ようなものにまでなっていった。でも私はそれだけは!⋮それだけ
は出来ないと断った。これで契約が打ち切られたとしてもそこまで
してしまったらいくら病気が治っても弟に顔向けが出来ないと思っ
たんだ⋮﹂
どうせならそれに気づくのはもう1歩前の段階にして欲しかった
気がするが理不尽な殺しまでは拒否してやっていないというのは最
後の一線を越えてないという意味で俺的には評価出来る。
﹁そ⋮そうしたら⋮バ,バルトはこ,今度は⋮わ,私を⋮私を⋮﹂
突然フレイがおこりのように身体を震わせ我が身を掻き抱くよう
に抱きしめる。それは抑えようとしても抑えられない震えを力尽く
で抑え込もうとするかのようだった。
﹁⋮フレイさん。言いにくければ無理には﹂
﹁い,いや!違う⋮そうではなくて⋮﹂
556
無理に聞く必要はないので止めようとするがフレイは小さく何度
も首を振る。
﹁⋮フジノミヤ殿,あなたに聞いて欲しいんだ﹂
そのかすれた声に俺は黙って頷く。
﹁バルトは⋮汚れ仕事を断った私にそれならその代わりにおまえの
身体で働けと。つまり⋮同衾を求められた。死ぬほど嫌だったが追
い詰められていた私は断ることが出来なかった﹂
到底無理な要求を最初に断らせてその次の要求を通りやすくする
というのは交渉の基本なのだがあまり世間慣れしてなさそうなフレ
イには対処仕切れなかったのだろう。
﹁それ以来⋮⋮毎晩のように呼び出されては何度も何度も⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁私はこのままずっとバルトに弄ばれ続けいつか飽きられたら弟共
々捨てられる⋮そう思って全てを諦めかけていた。
そんな時あの事件が起こった。絶対絶命の状況だったが,私はこ
のままバルト共々塔内で屍を晒すならそれはそれでいいとむしろ晴
れ晴れとした気分だった。 よほど追い詰められていたのだろうな
⋮残された弟がどうなるのかすら思い至らなかったくらいだった﹂
そう言えば階落ちの魔物が跋扈する塔に取り残され悲嘆に暮れる
大勢の探索者の中でフレイだけが冷静かつ気力を失っていなかった。
戦闘の気配を感じてわざわざ安地から様子を見に出てきたのも死
んでも構わないと思っていたからこそ危険な場所へ出てこられたの
か⋮
557
ちょっと待て。ってことはバルトの奴がフレイを壊れる程に追い
詰めていなかったらフレイは俺達の様子を見に来ることはなかった
ということか?フレイが様子を見に来ないと言うことはフレイムフ
ァングのブレスへの対応が遅れ俺はもっと大怪我をしていたかもし
くは死んでいた?
﹁残念ながらフジノミヤ殿のお陰で助かってしまったのだが⋮
その脱出の道すがらにバルトが言ったのだ﹃あいつの武器と魔石
が欲しい﹄と。もちろん私も最初は断った。だがバルトは武器と魔
石を盗ってきたら弟が治るまでの援助に対価はいらない⋮と﹂
つまり,普通の仕事も,汚れ仕事も,性奴隷もしなくてもいい⋮
か。多分フレイに飽きてきてたんだろうな。そろそろ捨て時を考え
ていたのかもしれない。弟の援助なんて解毒薬を処方すればすぐに
終わるからバルトの懐は痛まないしな。
そしてうまくフレイが桜とあの大きな火の魔石を盗むことに成功
すればフレイを切りつつ一財産が築ける。本当のクズだったな。あ
る意味桜は自分が誘拐された恨みを既に自分の手で晴らしているこ
とになるってことだ。桜はかなりフレイを敵対視してたみたいだけ
どこれを知れば少しは態度が軟化するかな⋮ていうかどっかで聞い
てるような気もするが。
﹁私は⋮それに飛びついてしまった。もうあの気持ち悪い男と関わ
らなくて済むと思ったら断れなかったんだ⋮本当にすまない﹂
﹁それはもういいと言いましたよフレイさん﹂
﹁ああ,そうだったな﹂
そう言って僅かに表情を緩ませるフレイの顔には色濃い疲労が見
て取れる。
558
﹁だが,結局バルトの依頼は何一つ達成できなかった⋮もともと間
違った決断だった。そんな私の愚かな決断の結果フジノミヤ殿達に
は本当に危険な目に遭わせてしまったのにあの絶望的な状況を乗り
越えてくれたことに本当に感謝しているんだ。
私のせいであなたたちが死んでしまったりしていたら⋮もしそう
なっていたら私はその後自分が生きていく姿を想像できなかった。
今となっては想像でしかないがおそらく何らかの形で衝動的に自ら
命を絶っていたような気がする﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁私は感動したんだ!私が絶対に勝てないと思っていた戦いを覆し
たフジノミヤ殿に。そして圧倒的不利な状況の中でも誰1人逃げ出
さず全員で勝って生き残るために諦めず戦い続けるあなたの仲間達
に!﹂
さっきまでの沈んだ表情が嘘のように消え目を輝かせるフレイ。
その姿はどことなくウィルさんの姿を思い起こさせる。
﹁バルトの依頼を達成できなかった私にはそれまでよりも過酷な扱
いが待っていることは確定的だった。だがなフジノミヤ殿⋮不思議
なんだが今度は耐えられそうな気がしたんだ。
どんな扱いをされても耐えてバルトに頼らずに弟を治す方法を少
しでも早く見つけてやる!もう諦めてなんかやるもんか!そう思え
るようになったんだ﹂
﹁それは良かったですね﹂
﹁あぁ,だけど⋮﹂
﹁だけど?﹂
﹁やっと覚悟が出来た時,そのバルトが死んだ。事故だという話だ
ったが⋮その際にいろいろなものが出てきたらしくて私と同じよう
な目に遭っていた女性が過去に何人もいたという話を聞いた。
その後弟の薬がどこかから届けられ,弟の病気自体がバルトの仕
559
組んだものだということに気付かされてしまった⋮﹂
つい一瞬前までのハイな状態から一転してまた落ちていくフレイ。
はっきり言ってかなり情緒不安定である。バルトからの虐待,俺へ
の罪悪感,未来への恐怖と希望,解放されたことによる安堵⋮その
他にもいろいろな感情がごちゃ混ぜになって自分自身でもどうにも
ならないのかもしれない。
﹁フジノミヤ殿⋮あなたが⋮あなた方が私を,私達を助けてくれた。
そうなのでしょう?﹂
﹁⋮⋮﹂
フレイの目は混乱に揺れているがその中心は俺の目を捉えて離さ
ない。なにが根拠でなんの確信があるのかは分からないがフレイの
中ではバルトを処理したのは俺達だという確信があるらしい。
それは正解ではあるがその答えに俺が丸をあげる必要はない。
﹁違いますよ。それにそんなことどうでもいいじゃないですか。バ
ルトがいなくなり嫌な仕事をする必要がなくなって,心配の種だっ
た弟さんも解毒薬が手に入って元気になる。
そりゃ元手はないかもしれないですが心配事が全部解消された以
上は地道に稼いでいくことができるじゃないですか﹂
﹁⋮⋮﹂
俺の言葉に一瞬目を見開いたフレイは嬉しげに潤んだ眼を細める
とゆっくりと立ち上がった。
﹁フジノミヤ殿の言う通りだと思う。だが⋮私は自信がない。
だからフジノミヤ殿1つだけお願いを聞いて貰えないだろうか?﹂
﹁⋮⋮なんでしょうか﹂
560
﹁⋮も,もし⋮バルトに汚されてしまったこんな私にほんの少しで
もいい。女としての魅力を感じてくれているのなら⋮﹂
フレイが薄手の夜着を肩から外してすとんと落とす。そこには下
着一枚を身に付けただけのフレイが恥ずかしそうに胸を隠しつつも
真っ直ぐ俺に懇願するかのような視線を送ってくる 月明かりに白く浮かび上がる肌,鍛えて引き締まったウエスト,
隠しても隠しきれていない胸⋮女としての魅力がほんの少しだなん
てとんでもない話だ。
ましてやクズに汚された?そりゃあそうなってしまったことに多
少はフレイ自身の責任はあるかもしれない。だが俺に言わせればフ
レイが悪い訳ではない。そんなのは最初から悪意を持ってフレイを
嵌めたあのクズが悪いに決まっている。
そんな被害に遭った女性を汚らしいと思う奴がいたとしたらそい
つがおかしい。
﹁どうか頼む。一晩の情けを頂けないだろうか﹂
⋮結局はシスティナの言う通りになったか。システィナが先ほど
別れ際に俺に告げたのは﹃もしこの後フレイさんがご主人様の部屋
をたずねて来たらなるべく優しく望みを叶えてあげて欲しい﹄とい
うことだった。
望みがなにかというのは具体的に言ってはいなかったがおそらく
今の状況のことを指していたのだろう。
﹁俺でいいのかな?もっと相応しい相手がいるかも﹂
﹁あなたがいい!あなたが!⋮⋮あなたが私をまだ女として見てく
れるなら私は私を許すことが出来る。嫌いにならずにいれる気がす
るんだ﹂
﹁フレイさん⋮﹂
561
あなたは汚れてなんかいません。今でもとても魅力的な女性です。
かけようと思った言葉は幾つもある。だが⋮今,フレイはそんなも
のを望んでいない気がする。だから俺も椅子からゆっくりと立ち上
がるとふるふると震えているフレイを優しく抱きしめた。
﹁⋮⋮ありがとう﹂
安堵したように息をついたフレイが緊張が解けたのか脱力したよ
うに俺に身体を預けてくる。俺はしっかりと受け止めなるべく優し
くベッドに横たえてキスをする。
﹁ああ⋮これが本当のキスなのだな。なんと安らぐ行為だろう⋮あ
なたと肌を合わせるのはちっとも嫌ではない。とても気持ちがいい,
満たされる⋮﹂
おそらくあのクズの行為はひたすら自分本位だったはずで回数を
重ねれば重ねるほどフレイの嫌悪感を増大させ心身に負担を掛け続
けたはずだ。そしてそれはフレイに性行為への忌避感から男性恐怖
症になりかけるほどの傷を与えていたのではないだろうか。
だがフレイは⋮
﹃ああ!もうソウ様考えすぎ!フーちゃんはただソウ様が好きなだ
けだよ。一度だけでもそんな相手に愛された記憶があればこれから
頑張っていける。それだけのことなんだから余計なことばっかり考
えてないでフーちゃんに集中してあげて!﹄
やっぱり聞いてやがったな桜め。でもフレイへのわだかまりはな
くなったみたいだな。それに確かに桜の言う通りだ。今は集中集中。
それは俺にとっても悪いことじゃない。
562
出来る限り優しく今までの経験を駆使して少しでもフレイが気持
ちよくなるように,クズ男のことが忘れられるように⋮
それだけを考えてゆっくりと時間をかけてフレイと肌を合わせて
いく。実態はどうあれフレイも経験だけは積んでいるせいか感度は
いいらしくすぐに俺の行為に対して好意的な反応を返してくれる。
それを俺はすこしだけ複雑な気持ちになりながらももっともっと沢
山引き出せるようにフレイを愛していく。
﹁痛っ⋮﹂
﹁え?﹂
その行為が予想外の言葉で中断されたのはフレイが俺の行為に完
全に没頭して恐怖心が拭われたと感じられてからいよいよ繋がろう
という時だった。
繋がろうとしてすぐ抵抗を感じたので躊躇して動きを止めたらフ
レイが漏らしたのだ。
﹁フレイさん?﹂
﹁あ⋮す,すまん。続けてくれ﹂
えっと⋮どういうことだ?⋮もしかして,そんなことがあり得る
のか?確認してみるか⋮場合によってはほんの少しフレイの傷を癒
せるかもしれない。
﹁ちょ,ちょっと待ってください。ごめんなさい,変なことお願い
しますが私のアレを触ってみて貰えませんか。ちょっとで構いませ
563
んので。そうしたら感想を聞かせて下さい﹂
﹁えぇ?﹂
うん,なにを考えてるんだって思うよね。でも俺の予想がもしあ
ってたとしたらちょっと愉快なことでもある。
﹁お願いします﹂
﹁わ,わかった﹂
フレイは直接見ない様にしながらもおそるおそる手を伸ばしてく
る。
﹁⋮な!なんだこれは!お,大きすぎる!こ,こんなもの⋮﹂
やっぱり⋮フレイの感想は男としてはなかなか嬉しい。だけど確
認したことはないが俺のは多分一般男性の平均を少し超えるくらい
のものだろう。
﹁フレイさん,あのクズの大きさを指で表せますか?﹂
﹁あ⋮あぁ。確か⋮このくらいだった﹂
フレイが親指と人差し指で示したのは推定3センチ⋮
俺は心の底から湧き上がってくる愉快な気持ちを場を弁えて抑え
つけてフレイに最後の確認を取る。
﹁フレイさん。フレイさんにしてみればあまり救いにはならないか
もしれませんが⋮ちょっとだけ状況が変わったので最後にもう一度
だけ確認しますね﹂
﹁え?あぁ﹂
﹁バルトはどうもアレが人よりも随分小さかったみたいなんです﹂
564
﹁な!え,えぇ!﹂
﹁それでもフレイさんがされたことは許すことの出来ないことです。
でもそのお蔭でまだフレイさんの純潔の証は破られていいませんで
した。
そこだけが基準ではないのかもしれませんがフレイさんはバルト
に身体の中まで奪われた訳ではありません﹂
﹁⋮﹂
きょとんとしていたフレイの顔は俺の説明が徐々に染み込んでい
くにつれて感情と涙が溢れてくる。
﹁そ,そうなのか⋮私は私はまだ⋮﹂
そこまで言うとフレイは両手で顔を覆って泣き始めた。その感情
の主な部分は喜び⋮だろうか。男の俺にはその気持ちを理解するこ
とは出来ない。
﹁フレイさん。だからここまでにすることも出来ます。いつか本当
にあなたが結ばれたいと思った相手が出来るまで﹂
﹁フジノミヤ殿はどうなのだ⋮﹂
俺の言葉を最後まで言わせまいとするかのようにフレイが問いか
けてくる。
﹁男という生き物はやっかいな生き物なんです。頭ではここでやめ
た方がいいと思っていても魅力的な女性とここまで肌を合わせて来
たら⋮⋮正直止めたくなんてありません﹂
﹁ふふふ⋮不思議だな。フジノミヤ殿に求められるのは凄く嬉しい。
私はこのままあなたと結ばれたい﹂
565
俺はフレイの両手を顔から外し視線を合わせて頷くと泣き顔のフ
レイとキスをしてゆっくりとフレイと一つになった。
566
短きモノ︵後書き︶
すいません。タイトルはぶっちゃけ下ネタでしたw
このタイトルをつけたいがためにフレイネタが膨らみすぎました^
^;
今の構想ではフレイはハーレム入りの予定はないですが⋮皆様的に
はどうでしょうか?
ご意見、ご感想、レビュー、評価、誤字脱字報告、なんでもお待ち
しておりますのでご気軽に書き込みください。
全部に私なりのお返事を書かせていただきます。
567
パーティ結成︵前書き︶
ちょっと投稿時間がずれこみました^^;
2章の雌伏編的なお話もそろそろ終わりが見えてきました。
568
パーティ結成
﹁これが平耳か⋮﹂
腕枕状態で俺の胸に顔をうずめているフレイの髪を撫でながら思
わず呟く。フレイの髪と同じ色の毛?に覆われた平べったい耳が髪
の毛の中に埋もれている。
今まで簡易鑑定で見た種族名の由来が見ているだけでは分からな
かったので,これで疑問が解けてすっきり。さらにほどよい疲労感
と共に息子もすっきりだ。
頭を撫でていてもフレイは反応しないのでおそらく軽く眠りに落
ちているのだろう。行為自体は最初こそ痛みを訴えていたがそれよ
りも精神的な充足感からくる快感が強かったらしくすぐに俺を受け
入れてくれた。
今回だけは暴走厳禁で常にフレイ優先で地球的に言えばスローセ
ックスを心掛けたのだがうまくいったらしい。それに自分自身にと
ってもこのペースでの行為はなかなか新鮮だった。これからはたま
に1晩1人の日を設けることもかなり前向きに検討しようと思う。
そんなことを考えながら平耳を撫でていたら手がうっかりと平耳
の内側に入ってしまった。
﹁うひゃう!﹂
﹁おぅ!⋮⋮びっくりしたぁ。すいません起こしちゃいましたか﹂
﹁い,いや⋮構わない。だが,耳の内側は⋮やめて欲しい。び⋮敏
感過ぎて変な声が出てしまう﹂
敏感だということはそれだけ感じやすいということだからゆっく
りと慣らしていけば⋮ってそんなこと考えるだけ無駄か。このまま
569
フレイをパーティとして迎え入れるつもりは今のところないし,今
回のことはあくまで今宵限りと考えておいた方がいい。
﹁この平耳って聞こえるの?﹂
何故そんなことを聞いたかというと,フレイには普通の人間が持
っているような耳もちゃんと髪の中にあるからだ。この平耳が普通
に耳として機能しているのなら耳が4つあることになってしまう。
﹁ん?あぁ。むしろ平耳族は鼻よりも耳の方が良い種族なんだ。だ
からいつもは聞こえすぎてしまうからこんな風に頭にくっつくよう
に形が変化したんじゃないかと言われてる。
人族と同じ場所にあるこの耳は疑似耳なんだ。この疑似耳で音を
集めてはいるが実際にそれを聞いているのは疑似耳に向けられた平
耳になる﹂
な,なるほど⋮と言っても耳が2つしかない俺にはよく分からな
い。疑似耳で受けた音を骨伝導みたいにして平耳が拾ってるってこ
となのか?そうやってワンクッション入れることで聞こえすぎる音
を調整しているのかね。
﹁ということは⋮直接平耳で聞くようにすればかなりの小さい音や
遠くの音が聞こえる?﹂
﹁あぁ,だがそれは種族の掟で基本的に使ってはならないことにな
ってるんだ﹂
﹁え,どうしてですか?﹂
﹁⋮いや,聞こうと思ったら村中の音が聞こえてしまうからな。個
人の秘密も何もあったものじゃないだろ。だから私たちは対外的に
は絶対に盗み聞きをしないよう己を戒め,自己的には常に誰かに聞
かれていても良いように誠実に対応することを心掛けているんだ﹂
570
なるほどね。フレイの律儀な性格なんかはその辺からの影響なの
か。それにしても村中って⋮そこまでなのか。それだけ強い力なら
その能力を使わないのはもったいないな。
街中とかは駄目でも⋮⋮あ,これならいけるかもしれないな。明
日ちょっと提案してみるか。
﹁あの⋮フジノミヤ殿。今日はありがとう。おかげで本当の意味で
呪縛から解き放たれた気がするよ。明日から,いやもう今日からだ
な。またアルと2人でこつこつ頑張っていける﹂
そういうとフレイは布団を身体に巻き付けつつ起き上がって夜着
を探し始める。
﹁フレイさん?お手洗いですか?﹂
このまま朝まで隣で寝ていくと思っていたので思わず問いかける。
﹁⋮夜が明ける前に貸して貰った部屋へ戻る﹂
﹁⋮えっとうちの仲間を気にしてる?﹂
実は皆了承済みだと言ったらきっと顔を真っ赤にしてあたふたす
るんだろうなとちょっといたずら心が湧き上がるがそれは自粛して
おく。
﹁まあ,それもあるが⋮これ以上一緒にいると⋮⋮﹂
﹁⋮そっか。わかった﹂
これ以上一緒にいるとまた依存してしまうとかそんな理由なのだ
ろう。せっかく自立して再出発する覚悟をしたのにそれでは駄目だ
571
ということか。﹃ソウ様の鈍感!﹄ん?なんとなく桜の声が聞こえ
たような気がするが気のせいか?
﹁そ,それではフジノミヤ殿。また後ほど⋮﹂
そんなことを考えている間に夜着を纏ったフレイが部屋の出口へ
と向かう。
﹁っとちょっと待って。見送ります﹂
慌てて下着だけを身につけた俺は扉の前で待つフレイの所へと歩
いて行く。
﹁フジノミヤ殿。本当にありがとう。今日のことももちろんそうだ
が本来放っておけば良かったはずの私たち兄弟を助けてくれた恩は
一生忘れない﹂
﹁えっと⋮だから私は何も知りませんよ?﹂
あくまでもしらを切る俺を見てフレイはくすくすと笑いをこぼす。
﹁私は弟の所に薬が届いたとは言ったが⋮⋮それが解毒薬だったと
は一言も言わなかったんだが?﹂
﹁あ⋮⋮﹂
やっちまったぁ⋮毒のイメージが強かったからついこぼしてしま
ったらしい。考えてみれば確かにその会話の後でフレイが迫ってき
た気がするな⋮そこで確信を持ったのか。まあばれたらばれたで別
に問題はないんだけどね。
﹁えっと⋮対外的には秘密の方向で﹂
572
﹁わかっているよ。私たちの恩人が困るようなことをする訳にはい
かないだろう﹂
﹁助かります﹂
お礼を言っていたはずがいつの間にかお礼を言われている状況が
おかしくなったのか柔らかい笑みを浮かべながらフレイが小さく頭
を下げる。
﹁すまないな。結局またいろいろ面倒をかけてしまった﹂
﹁いえ,お役に立てたなら嬉しいですし。面倒どころか役得でした。
またお願いしたいくらいです﹂
﹁本当か!⋮あ!いや!なんでもない⋮では失礼する﹂
そう言ってそそくさと部屋を出て行くフレイを見送ると扉を閉め,
欠伸をしながらベッドへと向かう。その途中窓の外を見ると空がう
っすらと明るくなりつつある。結構な時間が経っていたらしい。
﹁ふあ⋮ぁ。それでもあと何時間かは寝られるかな﹂
布団をめくってベッドに潜り込んで目を閉じようとすると,さも
当然のように抱きついてくる物体がある。
いつの間にと苦笑しつつ布団をめくる。
﹁へへへぇ⋮ソウ様一緒に寝ても良いよね﹂
﹁今日は寝るだけだぞ﹂
﹁わかってるってば﹂
﹁ん,じゃあおやすみ桜﹂
﹁ん,おやすみソウ様﹂
軽く啄むようなキスをして桜を抱きしめるとそのぬくもりを心地
573
よく感じる暇もなく眠りに落ちた。
﹁おはようございます,ご主人様。桜さん﹂
﹁おはようシス∼﹂
﹁おはようシスティナ。フレイさんは?﹂
﹁はい。朝早くに起きてこられまして,トォルさん達を迎えに行く
ということで朝食も摂らずに出発されました。
お二人と合流した後,お昼過ぎくらいにこちらに来るそうです﹂
﹁そうするともうあんまり時間はないかな⋮﹂
﹁そうですね。軽く何かお出ししましょうか?﹂
﹁ん∼そうだな⋮もうすぐ昼食だし,我慢するよ。蛍さんは?﹂
﹁﹃ちょっと出てくる﹄だそうです﹂
﹁はは⋮また修行かな。俺もしっかりやらないと蛍さんに愛想尽か
されちゃうな。フレイさん達の件が片付いたら装備が出来るまでし
っかり特訓しなきゃね﹂
そもそもこんな時間になってしまったのは寝坊したこともあるが,
起き抜けのマイサンがハッスルしていたのを見つけた桜の誘惑にあ
っさりと陥落した俺のせいだ。
とは言っても気持ちよかったので後悔はしていない。
﹁まだ時間あるよね。ちょっとひと風呂浴びてくるよ﹂
﹁はい。そう言うと思って脱衣所に着替えとタオルを準備しておき
ました﹂
さすがはシスティナである。俺の行動パターンを把握しているう
えにそれに先回りをして的確な準備をしてくれている。その証拠に
この屋敷に来てからほとんど不便を感じたことがない。
574
﹁あ!じゃあ桜も入る!﹂
﹁はいよ。じゃあ行こうか。システィナも来る?﹂
﹁行きたいのやまやまなんですがご主人様がお戻りになられるタイ
ミングで昼食を準備したいので我慢します。その代わり夜は御一緒
させてくださいね﹂
﹁もちろん!じゃあ行ってくる。昼食楽しみにしてるからね﹂
桜と室内風呂で汗を流し,さっぱりとして戻ってくるとちょうど
食卓に昼食が並び終わったところだった。
蛍さんはまだ戻ってなかったので3人でシスティナの料理に舌鼓
を打ちお腹が膨れ,食後のティータイムを過ごしているところにフ
レイ達が屋敷へと到着した。
﹁先日はちゃんとしたお礼も出来なくてすまなかった。幸いアーリ
も領主が派遣した治療師に看て貰うことが出来てすっかり元気にな
った。だがシスティナさんの的確な回復術がなければ危なかったら
しい。本当に助かった,ありがとう﹂
﹁塔の中は人が人でなくなるところ。人間同士での奪い合い,殺し
合いも珍しくないのが実情です。そんな中危険を顧みず私たちを助
けて下さったこと心より感謝申し上げます﹂
フレイに連れられて来訪した3人をフレイと共に応接間に通すと
着席を勧める前にトォルとアーリが頭を下げる。
トォルは塔でもよく喋っていたのでなんとなく人となりは分かっ
ていたが,重傷を負っていたアーリはほとんど喋る気力もなかった
ため普通に話をしているのを聞くのはこれが初めてだ。
探索者にしては物腰も柔らかく言葉遣いも丁寧でなんでトォルな
575
‒2
んかと一緒に探索者をしているのか不思議だ。
﹃トォル 業
年齢:22
種族:人族 職 :軽装剣士﹄
﹃アーリ・ステインベルク 業 −21
年齢:18
種族:人族 職 :舞闘巫女﹄
相変わらずこっちの世界の職がよくわからない。普通に剣士とか
巫女でいいじゃないかと思うんだが。2人はまだましな方だが街中
を何となく鑑定しながら歩いているとおかしな名前の職が普通にご
ろごろしている。
職なんて実はあんまり関係なくて本人がそう思えばそれが職名に
なるだけという世界と言われた方がしっくり来る。
﹁いえ⋮フレイさんにも言ったことなんですが半分以上は自分たち
のための行動だったのでそんなに気にしないでください﹂
﹁皆さん,立ったままというのもあれですからとりあえず座ってく
ださい﹂
システィナが立ったままの面々に椅子を勧めて全員を座らせると
お茶の準備をしに台所へと下がっていく。
甲斐甲斐しく働いてくれるのはもちろん嬉しいがなんかこき使っ
てるみたいだからもっと気楽にしていいと言ったこともあるが﹃家
事は侍祭の仕事の中で最も大切な仕事なので命令でないのなら好き
なようにやらせて下さい。﹄と言われてしまった。
576
それ以来,感謝の気持ちだけは忘れないようにしようと心掛けて
いる。
﹁ほら,アル。おまえもちゃんとお礼をしな﹂
﹁は,はい。この度は僕とお姉ちゃんを助けてくれてありがとうご
ざいました﹂
今日我が家に押しかけてきたのは4人。フレイ,トォル,アーリ。
そして最後の1人がフレイの弟だった。病み上がりのせいか線が細
い印象が強い。だがフレイと同じ赤い髪とフレイ似の整った顔立ち
はまさしく姉弟であり,一部のお姉様タイプから絶大な人気を得ら
れそうだ。
﹁フレイさん。弟さんの体調の方は大丈夫なのですか?﹂
冷えたリンプルティをテーブルに並べ俺の隣に腰をおろしたシス
ティナが心配して声を掛ける。
﹁ああ,薬を飲ませたら劇的に改善したんだ。長く寝込んでいたせ
いで体力は落ちているが病としては完治していると思う。今回はお
礼がてら身体を動かす練習も兼ねてここまで連れてきたんだ。
とは言ってもずっと歩かせた訳じゃなくて休憩を挟んだり負ぶっ
て運んだりしながらね﹂
﹁そうですか。ちょっとよろしいですか?﹂
そういうとシスティナは腰を浮かせて手を伸ばしてアルの額に手
をかざす。きっと何らかの回復術を使うつもりなのだろう。
俺は何の指示もしていないがシスティナがそうしたいと思ったの
ならもちろん構わない。
これが普通の契約侍祭だと使用するにあたり,直接契約者の為に
577
ならない行為は契約者に直接伺いを立てて許可を得なければ何も出
来ない。
侍祭というのは大きな力を持てると同時に大きすぎる制約を背負
うこの世界において一番異常な職だと思う。
﹁どうですか?﹂
﹁あ,はい⋮なんか身体が軽くなった気がします﹂
﹁一時的なものですが,寝たきりで身体が忘れていた元気な状態を
思い出してもらうため少しだけ身体を活性化するように力を流しま
した。この感じを意識するようにすれば回復もいくらか早まると思
います﹂
﹁はい!ありがとうございます﹂
システィナはアルの頭を優しく撫でると再び腰を下ろす。
﹁お話の途中すいませんでした。ソウジロウ様﹂
律儀に謝罪してくるシスティナの頭をぽんぽんと叩くとリンプル
−3
ティを一口飲んでから改めて4人を見る。そのついでにアルも鑑定
しておく。
﹃アルリック・ハウ 業
年齢:14
種族:平耳族 職 :裏方商人﹄
ふむ⋮やっぱりアルは戦闘には向いてないか。で,裏方⋮何故普
通に商人じゃダメなんだろう。
﹁で,皆さんは今後はどうする予定なんですか?﹂
578
俺の問いかけにトォルはアーリと,フレイはアルリックと顔を見
合わせる。
その表情から察するに具体的なものは何一つ決まっていないんだ
ろう。それならもしかしたら俺のおせっかいな提案が少しは役に立
つかもしれない。
﹁決まってないんですね。確かにトォルさん達はバクゥさんを失っ
た以上は今の実力じゃ1階層すら危ない。
フレイさんは4階層までの経験と実力はありますが基本ソロのた
め1人で塔に入るにはいろいろ不安が残る⋮と﹂
俺の皮肉とも言える物言いにトォル達もさすがに表情を曇らせる。
バクゥの件はまだ触れられたくないデリケートな部分なのだろう。
だが,真面目な顔で黙って見ている俺を見てアーリの口が小さく
﹃あ﹄の形に開く。トォルはまだ分かっていないようだが,フレイ
は俺の言葉ですぐ意味が分かったらしくもじもじとトォル達の様子
を伺っている。
﹁あのソウジロウさん。私達3人でパーティを組めばいいと言って
いますか?﹂
アーリの言葉に俺は僅かに笑んで頷く。トォルもそれでやっと気
が付いたらしい。
﹁2人の経験不足をフレイさんなら補えると思います。そしてフレ
イさんにとっては信頼できる固定パーティに入れることはそれだけ
で価値があるはずです。
最初は無理をせず1層辺りで連携などを確認する必要があると思
いますが,この3人ならすぐに階層を上げることも出来ると思いま
579
す﹂
﹁⋮なるほど。確かにそれなら。フレイとはここ何日かフジノミヤ
の捜索で一緒に動いて人となりは問題ないことは確実だしな﹂
﹁はい。何よりあの塔での事件を経験しているという共通項はパー
ティの絆を深めてくれます﹂
﹁わ,私はトォル達がいいのなら是非お願いしたい﹂
もじもじとしながらフレイが希望を言ったところでこの話は決ま
りだ。
﹁3人とも新パーティ結成おめでとうございます﹂
こうして俺のテコ入れで3人組の新パーティが結成された。
580
パーティ結成︵後書き︶
※ ご意見・ご感想・レビュー・評価・誤字脱字のご指摘等、随時
受け付けてます ので忌憚ないご意見をお待ちしております。
581
読解と訓練
﹁だあ!厳しいぃ!。おまえの師匠は鬼だな﹂
汗まみれになりながら地面に大の字になったトォルの息は絶え絶
えである。
﹁まあそれでも師匠としては間違いないからね。やればやるだけ結
果が付いてくるなら耐えられるでしょ﹂
﹁むぅ⋮そのバカ重い輪っかを4つもつけて俺より多い量をこなし
てるソウジにそう言われたら愚痴るに愚痴れないじゃねぇか﹂
﹁よし,充分休んだな。次行くぞ,まずはソウジロウからだ。小僧
は最低限身体をおこせ。我らの立ち回りをしっかり見取り稽古して
おけ﹂
﹁く⋮まだ30秒くらいしか休んでねぇし。それにソウジより俺の
が年上だっての!﹂
ぷるぷると生まれたての子鹿のように身体を起こすトォルを見て
思わず吹き出しそうになるのをなんとか堪えると俺は葵を抜いて蛍
さんへと斬りかかる。
何故俺とトォルが蛍さんに指導を受けているか。それはあの後の
話し合いで俺がこれから7日間ほどを訓練に費やすという話をした
ら是非一緒にやらせて欲しいと頼み込まれたからである。
同じようにアーリはシスティナに回復魔法と護身術を教えて貰っ
ているし,フレイは桜に機動力を活かしながら闘う近接格闘を仕込
まれている。
582
正直そこまで面倒を見る気はなかったんだけど,自分で組ませた
パーティがあっさり全滅されたりしてもなんか後味が悪い。それに
まあ,一度だけとはいえ身体を重ねた相手をはい,さようならと放
り出すのは男として格好悪い気がする。
せめて裏切らないような仲間と最低限死なないだけの実力を身に
つけられるように協力してあげるくらいはしてあげたい。
それにこの前の俺の発案でウィルさんがやろうとしていることに
協力してくれる探索者も何人か欲しかった。しかも軌道に乗るまで
はあんまりガラの悪い探索者じゃない方がありがたい。
その点では実力的には不安があっても善良であるだろうこのメン
バーは都合がいい。
更に新たに発覚した事実が1つ。どうやら俺が簡易鑑定で見てい
る職業が普通の人が﹃窓﹄で確認する職業と違うということだった。
これに気付いたのは一緒に訓練をすることが決まって訓練初日の
日だった。
﹁おう!来たぜソウジ。よろしく頼む﹂
フル装備で屋敷を訪れたトォルが軽く手を上げる。
昨日の別れ際に口調が堅い!とトォルに文句を言われた俺はじゃ
あお互いに砕けた感じで行きましょうと提案。それならば俺はソウ
ジと呼ばせてもらうと勝手に決められた。
まあ実際は俺より年上だし構わないんだが。俺としては名家の育
ちなので丁寧語で話し続けることになんの苦もないしうっかり失礼
を働くよりは対外的な対応としては楽だったのだが,アーリやフレ
583
イにまで言われてしまっては仕方がないと心持ち口調を改めている。
﹁早いですね。そんなに張り切って大丈夫ですか﹂
﹁俺達は今までちゃんとした指導者に教わったことがないんだ。田
舎の出だしな。だから全部自己流でやってきたんだが⋮
そのツケが出ちまったのがあの塔での悲劇だと思ってる。バクゥ
の死を無駄にしないためにも強くなれる可能性があるなら躊躇して
いられねぇよ﹂
その心構えは立派だが⋮
﹁どうしてそんなに重装備なんですか?﹂
トォル達には一応フル装備で来るように言ってあったが今日訪れ
たトォルは金属製のブレストプレートに金属製の籠手,長剣,小型
の盾,金属製の腰当,金属製の脚甲,更には金属製の兜まで小脇に
抱えていた。
俺が見る限りどれもそんなに良い物ではなさそうだ。だがそれよ
りも何よりも見た感じが﹃重そう﹄なのである。
それなりに鍛えてはいるようなので装備に着られているような感
じはしないが明らかに簡易鑑定で見た﹃軽装剣士﹄にはそぐわない
装備だろう。
﹁フル装備って話だったし,この前の教訓もあって装備は重要だと
分かったからな。有り金ぶっこんで1層突破したら買おうと思って
た装備を買って来た﹂
塔での悲劇を経て,装備に妥協しないという俺と同じ考えに至っ
たことはいい。むしろ感心した。なのになぜ自分の職業に見合った
装備を揃えないのかと言いたい。
584
﹁ちょっと待ってトォル。
トォルって職業なんでしたっけ?﹂
﹁ああ,訓練するにあたって技能とか全部分かった方がいいか?ソ
ウジは命の恩人だしな窓を全部晒しても構わないぜ﹃顕出﹄。ほら﹂
‒2
トォルが呼び出した窓をタップして俺に向けてくる。
﹃トォル 業
年齢:22
種族:人族 職 :軽装剣士
技能:
剣術︵微︶
敏捷補正︵微︶
子守+﹄
やっぱり間違いない。窓で確認してみてもトォルの職は﹃軽装剣
士﹄だった。字面やスキルから推測すれば疑いようもない。トォル
の職は身軽な装備で素早さを活かした戦い方をすることが求められ
る職のはずだ。
⋮⋮子守スキルが+なのは敢えて触れないことにしよう。
﹁なんでこの職でそんな重装備をしてるんですか?﹂
﹁なんで?普通剣士って言ったらこんなもんだろ﹂
いや,普通に剣士と言えば確かにそうだが,あんたは軽装剣士で
しょうが!そう突っ込もうとして違和感に気がつく。いくらトォル
でも書いてある文字の意味が分からない訳ではないだろう。
それなのに話が通じないのはおかしい。と
585
﹁システィナ!ちょっと来て。トォルの窓を確認してくれる?﹂
少し離れたところでフレイ達とガールズトーク︵かどうかはわか
らないが︶をしていたシスティナに声を掛けて呼ぶ。
﹁トォルの職の欄はなんて表示されているか読んでみてくれる?﹂
﹁はい。えっと﹃剣士﹄と表示されています﹂
﹁やっぱりか⋮システィナちょっとこっち来て。あ,トォルはとり
あえずあっちで準備運動しててください﹂
﹁ん?お,おぅ。わかった﹂
とりあえずトォルを追い払って会話を聞かれない状態を確保する。
﹁俺の目にはトォルの職が﹃軽装剣士﹄に見えるんだけど,どう思
う?﹂
﹁⋮そうですね。私には剣士と読めるのにご主人様が異なった文字
に見えるということはスキル﹃読解﹄の効果がかかわっているので
はないでしょうか﹂
﹁それしかないか⋮ちょっと試してみるか。システィナ,アーリと
フレイの職を確認してきてくれ﹂
﹁はい。少々お待ち下さい﹂
結果としてフレイは俺の見たものと同じで獣闘剣士だったが,ア
ーリは舞闘巫女ではなく舞女だった。﹃舞女﹄というのはこちらの
世界では珍しくない職だそうで基本的には踊り子のようなものらし
い。
領主や豪族,大商人など裕福な家の子女あたりはたしなみの一部
として幼少から教わるので職として変化することも多いらしい。舞
586
自体の文化も広く知られているためそこそこ大きな街では舞を見せ
て酒食を供する店もちらほらと見られるようでそこで働く女性は先
輩の舞女に舞の指導を受けたりもするそうだ。
ただこの舞女という職は舞の中に武器を持って舞う形のものも多
いようでその流れで戦闘系のスキルに目覚める舞女も多いらしい。
現にアーリにも短剣術と細剣術があった。
﹁ていうことはどういうことになるんだ﹂
﹁おそらくですが⋮ご主人様の読解スキルは文字そのものを読める
文字に変換するのではなく,その文字に含まれた意味をご主人様の
読める文字に変換しているのではないでしょうか﹂
﹁⋮というと?﹂
システィナはそうですねと呟くと地面に落ちていた小枝を拾って
地面に文字を書き始めた。
﹁この2つの文字を読んでみて下さい﹂
﹁﹃システィナ﹄と﹃ソウジロウ様﹄だね﹂
﹁やはりそうですね。
ご主人様,実はここには両方とも﹃システィナ﹄という同じ文字が
書かれています﹂
え!どう見たってシスティナとソウジロウ様にしか見えないのに?
⋮あぁなるほどシスティナがさっき言っていたのはそういう意味
だったのか。
﹁つまりどんな落書きでも意味を込めて書けばその意味が俺には読
み取れるってことなのか﹂
﹁はい。間違いないと思います﹂
587
う∼ん,新たに発覚した読解の力の効果だけど使い方としては微
妙だな。場合によっては困ることも多いかもな。
まあこの世界ではあんまり文字のやりとりとかなさそうだし大丈
夫だと思うが,文章だと俺には裏の意味しか読み取れない可能性が
高い。
そうなると大事な手紙とか文書は必ず誰かに表の文章を読んで貰
わなきゃいけないことになる。
そうそう書いた文字に違う意味を込めることなんてないと思うけ
ど,例えば好きな人に手紙を書いて告白する勇気はないから差し障
りのないことを書いて送ったのに俺にはそれがラブレターにしか見
えないみたいな?うん,それは困らないか。
まあラブレターなんか貰ったことはない訳ですが。
﹁まあ読解についてはそういうもんだってことで行くしかないか。
俺がなんか読むときは誰かに文章確認してもらわないとだめってこ
とだけ覚えておこう﹂
﹁はい﹂
﹁で,訓練の内容だけど⋮﹂
という訳で,無駄に重い装備を身につけていたトォルの装備を没
収して無理矢理売却。軽めの革系統の装備を身につけさせるとそれ
だけでスキルの効果が︵微︶から︵弱︶を超えて普通の段階のスキ
ルに跳ね上がった。
どうも金属製の防具を着けているだけでスキル効果が下がるらし
い。マジで意味がわからん。おまえは金属アレルギーかと突っ込み
たい。
588
ただ,金属系の防具が身につけられないということは防御力に難
があるということなので,それからは蛍さんに徹底的に歩法と回避
の技術を叩き込まれている。
アーリは舞女の裏に闘う巫女さんが隠れていたので巫女と言えば
回復魔法でしょってんでシスティナから回復魔法の手ほどきを受け
ている。同時に護身術としての近接格闘も同時並行で教えている。
アーリの物覚えはめざましいものがあるらしく訓練3日目にして
既に簡単な回復魔法を覚えたらしい。窓で確認すると確かに回復魔
法︵微︶スキルが増えていた。
後は繰り返し魔法を使っていくことで回復効果も回復できる傷の
種類も増えていくだろう。
そしてフレイに関してはメインの戦闘スキルが獣闘剣術という亜
人特有のスキルだったために教えられる人がいなかったのだが,戦
いの系統としては短剣と棘のある手甲を使ったトリッキーな近接格
闘ということなのでちょっと方向性は違うが近接格闘が売りのくノ
一桜が﹃フーちゃんは私が見てあげるよ﹄と言ってくれたので任せ
ている。
フレイも父母が他界した後は戦い方を教えてくれる人に恵まれな
かったらしく昔教わった基礎だけでここまでやって来たらしい。お
そらく亜人の生まれ持った高い身体能力があったからこそそれでも
やってこれたのだろう。
結果としてこの3日間だけでも三人の動きは見違えるように良く
なっている。おそらく普通の状態のレイトークなら1階層どころか
2,3階層まで突破できるのではないだろうか。
これで7日間訓練をやり切って更に上達が見られるならば,アー
リの回復魔法が実用レベルになっていることが最低条件だが3人で
も5階層辺りで安定した戦いが出来そうな気がする。
とは言っても1階層しか行ったことのない俺が言ってもなんの重
みもないけどね。
589
さて,そしてもう一人違う訓練にいそしんでいる人がいる。フレ
イの弟であるアルことアルリックである。
もともとフレイの両親が商家を営んでいたせいか裏方商人という
職を持っていたアルはスキルも﹃計算﹄や﹃相場鑑定﹄など商人と
しては垂涎のスキルを持っていたのでこれを活かさない手はないと
アルをウィルさんの下に見習いとして放り込んでみた。
アルに仕事を与えるというのがもちろん理由だがウィルさんが今
取り組んでいる事業の助けに少しでもなってくれればという期待も
込めている。
だがその期待はいい意味で裏切られアルを手元に置いてからのウ
ィルさんの作業効率は倍増したらしく準備は物凄い速さで進んでい
るらしい。
アルを売り込んだ俺に対してもウィルさんから感謝しきりだった
のでアルの給金をちょっと優遇してもらいつつ訓練で稼ぎが無い3
人組の宿と生活費を立て替えてもらうよう交渉して二つ返事で引き
受けてもらった。
うちに泊めてあげても良かったのだが,落ち着いて夜の営みが出
来ないので丁重にお断りしたのでちょうど良かった。
アルも自分の力が人の為になっていることがかなり新鮮で嬉しか
ったらしく,精力的に仕事をしているらしい。そして精神が前向き
になれば身体もそれに引きずられるみたいで体調の方もみるみる回
復していると往診に出かけたシスティナが言っていた。
そんな感じで各自がみっちりと鍛えなおした地獄の7日間は順調
すぎるほど順調に過ぎていった。
590
リスタート︵前書き︶
ユニーク3万超えましたありがとうございます^^
591
リスタート
﹁ああ!きもちぃぃ∼﹂
その感極まった声を聞いてゾクゾクしながらも俺は手を休めない。
そうしないと正気を保てないからだ。
﹁くっはぁあぁぁん!もう離れられ⋮﹂
ばっしゃ∼ん!
﹁ぷは!ちょ!てめぇソウジ!何すんだいきなり﹂
﹁変な声出すなら追い出しますよ。気持ち悪い﹂
空になってしまった桶に再びお湯を汲んで洗体を再開しながら本
気の殺気をこめるくらいの視線を送る。
﹁まあそう言うなってそれだけこの温泉とやらがすげぇんだからさ。
これがなければあの7日間の地獄には耐えられなかったと断言でき
るね。俺は!﹂
﹁そんなこと自身満々に言われても⋮
でも,この7日間で3人とも見違えましたよ。これなら油断さえ
しなければ1階層や2階層で不覚を取ることはないと思いますよ。
まあ俺はまだ1階層しか行ったことないんでなんとも言えません
が﹂
身体を流し,タオルを頭の上に乗せつつ湯船に浸かる。室内と露
天を男女で日替わりで使っているので女性陣は今日は室内風呂の方
592
である。
﹁⋮まあ,ソウジと師匠には感謝してるよ。命を助けて貰ったばか
りか稽古までつけて貰っちまったからな。アーリもきっと同じ気持
ちだと思う。
⋮本当はバクゥが死んだとき探索者はもう引退しようと思ったん
だけどな﹂
トォルはタオルを顔に乗せ空を仰いだ。
﹁アーリが言うんだ。バクゥが塔で救ってくれた命だから塔に入る
ことはやめたくない。少なくとも塔に負けたまま逃げるのは嫌だっ
て⋮
あいつはあんなおとなしそうな感じだけど言い出したら聞かない
し,行動力も半端ないんだ。こりゃいくら反対したって駄目だなっ
て思ったら俺が強くならなきゃいけないってことに気が付いたんだ﹂
トォルを庇って死ぬほどの怪我を負ってしまうような無茶をして
しまうくらいだ物腰は穏やかだが内には激しい物を秘めているのだ
ろう。
﹁あいつとバクゥは相思相愛でな⋮﹂
﹁え⋮﹂
﹁は!やっぱり気づいてなかったか⋮あぁもちろん俺もあいつが好
きだぜ。だがあの2人なら祝福しても良かったんだ。
だけどよ⋮バクゥが死んじまった以上,他の誰かには渡したくね
ぇ。そうなるとやっぱり強くないとなぁ﹂
﹁だから蛍さんのしごきに耐え切れたのか⋮蛍さんが言ってたよ。
限界までやらせてねを上げたら少し緩めて最適な練習量を決める
つもりだったって。ちょっと見直したって感心してた﹂
593
﹁なんだそうだったのかよ!だったら早めにくたばっておけばもう
少し楽が出来たのか。
⋮それにようやく言葉が砕けたな﹂
﹁悔しいけど女のために頑張る奴は嫌いじゃない﹂
﹁へへ⋮まあ,あいつが応えてくれるかどうかは微妙なところだけ
どな﹂
﹁まあ,せいぜい頑張ってくれ。トォルが先に死んだらアーリさん
は俺が貰うから安心してくれていいし﹂
﹁な!てめぇ!あんだけ綺麗どころを独り占めしといてふざけんじ
ゃねぇぞ!﹂
慌てた様子で詰め寄ってくるトォルを笑いながらするりとかわし
て湯船を出て置いてあったタオルで体を拭う。
﹁さあ,明日は装備がある程度仕上がる日だ。俺達も気合い入れて
いかないとな﹂
明日は技師夫妻の下に行って装備の仕上がり具合を確認してその
日はその装備の使い心地を確認。問題なければその翌日から動き始
める予定だ。
手持ちのお金も一気に使い込んでしまったしある程度安定した収
入を得るためにもザチルの塔へと入るつもりである。
魔石の売却代金を使わずにいれば多分この屋敷で死ぬまでのんび
り暮らせた気もするがそれはなんだか違う気がした。
それに鍛えることを怠り,戦うことを忘れたらこの世界では危険
に対処できない。この屋敷が街から少し離れていることもありいき
なり盗賊とかに襲撃されるということもあり得なくはない。
蛍さん達も刀としての本能なのかどこか戦いを求めている感じも
する。それに戦いの中で魔石を集めて鍛えていかないと葵も錬成出
来ないし,魔剣召喚の回数も増えないだろう。
594
と,いろいろ理屈はつけたがやっぱり俺も大好きな刀達を振って
いたいだけなんだろう。
俺達は風呂を出るといつもように全員でシスティナの手料理を思
う存分味わい合宿の打ち上げを終えると明後日塔に行くなら最初だ
けは一緒に行くと言う約束をして明後日塔の前での集合を約束する
と3人を送り出す。
その後は当然お楽しみの夜を過ごした。
﹁おう,来たか。だいたい出来たよ⋮ふわぁ∼あ⋮
悪いね,ここんところまともに寝てなくてさ。じゃあ上で渡すか
ら行こうか﹂
店で出迎えてくれたリュスティラさんは目の下にクマを作りつつ
も満足気な表情に見える。本当にこの7日間に全力を尽くしてくれ
たのがそれだけで分かる。 リュスティラさんの後について2階に上がるとディランさんが出
来上がった装備を1つずつテーブルの上に並べているところだった。
幾分こけた顔つきでこちらをギロっと睨み付けたディランさんだ
が次の瞬間僅かに口角を上げると無言で顎をしゃくり俺達を招き入
れてくれた。
やはり無理はしたようだがやり切った感が俺達にも感じられる。
﹁まずはソウジの剣から行こうか。これだ﹂
リュスティラさんに渡された剣は注文通りの100㎝程の長剣だ
った。綺麗な銀色の両刃の直剣である。
595
﹁軽い⋮それに凄い手にしっくりと馴染む﹂
﹁そうだろうさ,指の長さや関節の可動域まで調べたうえで拵えた
からね。総魔銀製の会心の一品だよ。今回は下手な属性効果は一切
付けずに魔銀の容量全てを斬補正につぎ込んだから斬れ味だけはそ
んじょそこらの剣には負けないよ﹂
﹃閃斬 ランク: C
錬成値: 最大 技能 : 斬補正++﹄
凄い。斬補正が++,しかも錬成値がMAXだ。これはこの武器
をもう手が加えられない程に完成させたということじゃないだろう
か。
﹁これ,凄いです。リュスティラさん装備してみてもいいですか﹂
﹁ああ,それはお前の為に作った剣だからな。私としてもそれだけ
の剣が打てたのは初めてだ。大事に使ってくれ﹂
﹁はい。﹃装備﹄﹂
ただでさえ手に吸い付くようだった閃斬がまるで手と一体化した
かのように感じる。
﹃閃斬 ランク: B
錬成値: 最大 技能 : 斬補正︵極︶
所有者: 富士宮総司狼﹄
596
おぉ⋮さすが俺専用と言うだけのことはある。装備した途端ラン
クが上がってスキルが極まった。これはもう同ランクの中の武器じ
ゃ最強クラスなんじゃないだろうか。
﹁これは⋮リュスティラさん!ありがとうございます!﹂
﹁気に入って貰えたようだね。後は防具の方はこれだ。申し訳ない
が素材が入手出来なかったからこっちは全部魔鋼製になるが手甲に
は耐物理,脚甲には敏捷補正を付与してある。
鎖帷子の方には魔力を含む攻撃に対しての耐性を付けた。単属性
の耐性だと汎用性に欠けるからな。それに比べれば魔耐性の方は耐
性の強度は落ちるが幅広い攻撃に対処できる﹂
相手に合わせていちいち装備を変えられないことを考えれば最善
の選択だろう。特殊なエリアとかで特定の耐性が欲しい時は対応す
る耐性のついたローブやマントを上から羽織ればいい。
﹁で最後がこれだ。おまえが言っていた鉢金。額に1つと側頭部に
各1,後頭部にも小さい物が結び目の両脇にくるように各1ずつ耐
衝撃を付与した魔銅製の板金を縫い込んである。
これを着けておけば壁や床に叩きつけられて頭を打つようなこと
があっても頭部を衝撃から守れるはずだ。ソウジの発案で作ってみ
たがこれは売れるよ。最初に取りかかって完成させてすぐにベイス
商会に売り込みに行ったんだが⋮既に問い合わせがじゃんじゃん来
てるらしいからな。形や作り方が周囲に知れ渡る前に一稼ぎさせて
もらうよ﹂
商魂たくましいリュスティラさんの言葉に思わず笑みがこぼれる。
﹁それは良かったです。私たちの依頼で苦労した分,がっつり稼い
597
でください﹂
﹁あぁ,しっかり稼いでいい素材を仕入れたら⋮またおまえ達の装
備を作ってやるよ﹂
ぶっきらぼうなように見せて実は照れながら頬を染めるという高
等技術を駆使するリュスティラさんはかなり可愛い。人妻でなけれ
ば是非口説きたかったかもと思わせるほどだ。
おわ!ディランさんの顔が超怖い!っていうか冗談ですよ!冗談
!ちょっと妄想しただけで釘刺してくるってどんだけ愛しちゃって
るんですか。
﹁さあ,次はシスティナだね。まずはこれを持ってみてくれ﹂
リュスティラさんが持つには重すぎたのかディランさんがシステ
ィナへと手渡した武器は槍と斧と槌が合体したかのような長柄武器
だった。
基本はもともとシスティナが使っていたアックスハンマーと似て
いるが今度のは斧と槌に加えてその間から槍のような穂先が作られ
ていて﹃突く﹄ことも出来る武器になっている。
﹁素材は魔鋼製まででしか作れなかったが勘弁してくれ。付与は魔
力増幅を付けてある。回復魔法を使うならいざというときに役に立
つはずだ。
後はうちの旦那が新しい試みをしてみたかったらしくてな手元を
見てくれ﹂
﹁⋮斧と槍と槌のマークと窪みが3つ?﹂
﹁そうだ。私が付けた魔力増幅の隙間に回路を通したらしい。そこ
に属性の付いた魔石を入れれば対応する部分の武器に属性を付けら
れる。私の魔力増幅にも若干干渉しているらしいから悪くない威力
まであげられるらしい﹂
598
﹁それは凄い。それは魔工技師と魔道具技師の技術を融合した武器
ということですよね﹂
﹁あぁ⋮私の作る武器を誰よりもよく知ってるのはうちの人だから
ね。私たちでなけりゃここまで精密な作業は出来ないと思うよ﹂
さらりと惚気てくるリュスティラさんだがそれだけ自信作なのだ
ろう。
﹁では装備してみます。﹃装備﹄﹂
﹃魔断
ランク:C+
錬成値:最大 技能:魔力増幅+
特殊機能:属性付与︵槍−空き 槌−空き 斧−空き︶
所有者:システィナ﹄
﹁素晴らしい出来です。感謝いたします﹂
装備した魔断を眺めてシスティナが満足気な吐息を漏らす。
﹁よし,どんどん行こう。ローブはこれで胸甲,手甲,脚甲はこれ
だな。ローブは大鋼狼の毛をより合わせて作ったから大分防御力は
上がっているはずだ。更に旦那が小さな魔石を縫い込んで陣を組ん
でるからさらに耐物理は上がってる。
胸当てには魔耐性。手甲は要望通り小盾にしてあるが4属性防御
はこの大きさだとちょっと厳しい。だから魔耐性を付けたが手の甲
の部分から魔力を流し込めるようにしておいたから瞬間的に魔力を
流し込むことで耐性を上げられるはずだよ。脚甲はお決まりの敏捷
補正だね﹂
599
システィナは渡された装備を1つずつ確かめながら装備していく
と感嘆の声を漏らす。
﹁私からは何もありません。お二人の技にただただ感心するばかり
です﹂
﹁ありがとうよ。そう言ってもらえるのが職人としては最高の瞬間
さ﹂
﹁じゃあ次は桜かな?﹂
﹁はいよ。まずはクナイだっけ?一応魔鋼製で属性も言われた通り
つけておいた。多少色味が違うから分かると思うが心配だったら自
分で目印をつけておいておくれ。
後は,サービスでクナイをしまえるように加工した帯を作ってお
いたから試してみておくれ﹂
﹁あ,それいいね。あとは懐に何本かと脚甲の中に仕込んでおけば
いいかな﹂
﹁脚甲に敏捷補正を付けて,手甲は極力薄く鍛えて魔耐性を付けた
が強度はあまり過信しないでくれ﹂ ﹁うん,了解﹂
﹁後は隠密用の装備は旦那特製の魔道具だ﹂
そう言ってリュスティラは一本のネックレスを取り出して桜に首
にかける。
﹁こいつに魔力を通せばうっすらと身体を闇が覆うはずだ。あんま
り濃くするとかえって不自然になるからその辺の出力調整がかなり
難航したらしいが最後は良い物が出来たらしいよ﹂
リュスティラの解説にディランさんが親指を立てている。
600
﹁うん,完璧だよ。ありがとうリュティ﹂
桜がリュスティラさんに抱き付いてお礼を言うとリュスティラも
まんざらではなさそうだ。
﹁最後は私か﹂
満を持して前に出てきた蛍さんにリュスティラさんも不敵な笑み
で応える。
﹁まずは手甲は桜と同じやつにしたよ。物理的な防御よりも魔耐性
に主点があるからその辺を考えて使ってくれ。
でこいつが頼まれてたやつだ。一応10個準備していおいたが足
りるかい?﹂
﹁ああ十分だ﹂
蛍さんはリュスティラが渡してきた物を満足気に受け取る。蛍さ
んが依頼していたのは桜が頼んだクナイの形を少し変えた物だった。
刃の部分は同じだが持ち手と刃部分の間に平たい四角の部分があ
る。四角部分は良く磨き上げられていて顔が映りそうだが鏡が欲し
い訳でもないだろう。
﹁で,最後がこいつだ。悪いが今のところは形を作るのが精一杯だ
った。一応小さな魔石を縫い込んでほんの少しだけ水耐性が付いて
いるがこいつは桜の帷子と同じように継続して開発させてほしい﹂
﹁ほう,未知の物を僅か七日で形にしたのか。たいしたものだ﹂
そこに置かれているのは紛れもなくブラジャーだった。まだ布を
繋ぎ合わせただけの俺から見れば粗末なものだがこれを着けている
皆を考えるだけでご飯三杯いけそうだ。
601
﹁一応全員分作ってはみたから持って帰って感想を聞かせて欲しい﹂
﹁分かりました。任せて下さい!﹂
ゴン!
痛い⋮
﹁お前がする訳ではなかろうが﹂
﹁⋮はい,すいません。ちょっと興奮してしまいました﹂
﹁あははは!お前たちはいつも楽しそうだな﹂
そんな様子を見ていたリュスティラさんが楽しそうに笑う。俺と
してはそんなに笑わせるようなことはしてないつもりなんだけどね。
﹁あ,そうだ。お金は足りましたか?﹂
これだけのものを全員分揃えて貰ったんだからかなりの金額にな
ったはずだ。ほぼ全額を預けてあるが足りなければなんとか稼がな
いとならない。
﹁ああ,問題ない。これは返しておく﹂
ディランさんがじゃらりと布袋をテーブルに置く。
﹁これは?﹂
﹁今回の仕事は私達にとっても良い仕事だった。新しい技術,新し
い形の装備,開発しがいのある目標⋮金銭には変えられない物をた
くさん貰った。それもこれもあんたたちと一緒に仕事ができたから
だ。
602
だから半分だけ貰っておく。ま,もっとも次からはしっかりと貰
うけどな﹂
﹁分かりました。俺達の装備はこれからもお二人にお願いしたいと
思いますのでよろしく﹂
俺の差し出した手をリュスティラさんがしっかりと握り返してく
れた。
よしこれで準備は整った。俺達で塔をぎゃふんと言わせてやる。
603
リスタート︵後書き︶
ここまでが第2章になります。新装備の名前とかいい名前が思いつ
かずに時間がかかりました。今一つ気に入っていないのでまた変え
るかもです。
この後はちょっとお時間頂いて3章の構成と書き溜めをしてから
再更新していく予定です。
塔の攻略を進めるか,悪人退治系にするかはまだ悩み中ですが頑張
って執筆しますので変わらぬ応援をよろしくお願いいたします。
604
新事業︵前書き︶
h27/12/15 3章の盗賊の名前を改稿することにしました。
今晩中になんとかするつもりですが3章を呼んでる途中の方とかに
は迷惑をかけたかもしれません。この場を借りてお詫び申し上げま
す。詳しくは活動報告に書きましたのでよろしくお願いいたします。
605
新事業
ぱちり。
まさにそうとしか言いようのない目覚めだった。目が開くと同時
に身体のギアもすでに入っている。そんな感じである。俺の過去の
中でも数える程しか経験がないようなすっきりとした目覚めである。
窓の外はようやく陽が昇り始めた頃らしくうっすらと白い光が差
し込んできている。準備や朝食の時間と移動時間を考えればちょう
どいい時間帯だろう。
と言っても俺の周囲は裸の美女達に囲まれている。右側には蛍さ
ん,左側にはシスティナ,そして胸の上には小柄な桜。いつのまに
か決まっていた定位置である。それだと寝返りを打てなくてしんど
いのではないかと思われそうだが,無意識に寝返りをした時もうち
の女性陣はそれに合わせて自然とフォーメーションを変えているら
しく不便を感じたことはない。
結果として柔らかくて暖かい感触だけを享受出来る。まさに王者
の寝所と言えるだろう。
﹁んっ!ん⋮ソウ様,おはよ﹂
﹁おはよう桜﹂
﹁⋮ん?んもう!昨日もあんなにしたのに朝から元気だなぁソウ様
は﹂
そう言って唇を重ねてくる桜に積極的に応えながら俺は苦笑する。
﹁まあ朝の生理現象って意味もあるし,それに今日はあの日以来の
塔探索だからね⋮ちょっと昂ぶってるみたい﹂
606
﹁ほう⋮頼もしいものだな。だが,その気持ちは私も分からなくも
ない。私も年甲斐もなくわくわくしている﹂
﹁蛍さんもか。かなり気合入れて特訓したみたいだしね﹂
にやりと微笑む蛍さんと軽く口付けを交わす。
﹁まあ見ておれ。まあ,見せられるほどの機会があればだがな﹂
﹁皆さんあまり無理をしないでくださいね。まぁ,部位欠損くらい
までの怪我なら私が綺麗に治して見せますけど﹂
﹁システィナも言うねぇ。よっぽど新しい武器が気にいったんだね﹂
左隣にいたシスティナが双子山を俺に押し付けつつ唇を重ねてく
る。
﹁はい。魔断で増幅することで今までの回復術とは比べものになら
ないくらいの効果が出せますから。とは言っても誰も怪我をしない
のが理想ですよ﹂
﹁分かってる。その為の新装備だしね。よし!じゃあ皆起きたこと
だし準備に取り掛かろうか﹂
﹁はい﹂
﹁うん﹂
﹁うむ﹂
三者三様の返事と共に俺達は動き始める。俺達の士気は思った以
上に高い。今日の探索はきっとうまくいくだろう。
﹁ちょっと早く来すぎたかな⋮﹂
607
﹁ふふふ,皆さん張り切り過ぎですよ﹂
俺達は瞬く間に準備と朝食を済ませ,フレスベルク経由でザチル
の塔へ向かう途中である。
﹁そうだ。じゃあ塔に行く前にちょっとだけウィルさんの所へ寄っ
ていこうか。
確か街の北端辺りに建物を購入して準備を進めてるはずだから通
り道だしね﹂
ザチルの塔はフレスベルクの街を北側から出て徒歩で10分程の
ところに聳え立っている。だからウィルさんは街の北側に大きめの
建物を購入して急ピッチで準備を進めているらしい。
先日会った時はアルのお陰で制度面等の準備もほぼ終わり,領主
からの全面バックアップの約束も取り付けたとのことで近日中に発
足することが出来そうだと言っていた。
あとの問題は魔道具関係の開発と量産だったらしいが領主からの
バックアップがついたことで解決しそうだと喜んでいたので超える
べきハードルは全てクリアされたということだろう。
﹁ソウジロウ様。先日からずっとウィル殿とこそこそやってらっし
ゃいますが,ウィル殿はどんな商売を始められるつもりなのですか
?﹂
別にこそこそしていた訳ではなかったのだけどこの世界でうまく
出来るかどうかが分からなかったため先行きがはっきりするまで公
にしたくなかったのは確かである。
だが,ことここに至れば普及するかどうかは別として立ち上げ自
体は問題ないだろう。
608
﹁うん,ウィルさんがやろうとしていること。それは﹃冒険者ギル
ド﹄だよ﹂
そう,この世界に来て残念に思ったことの1つにギルドという制
度がないことだった。ギルドが無い以上は当然探索者ギルドも冒険
者ギルドも無い。異世界ものの定番の冒険者としてランクをあげて
いくという体験が出来なかったのだ。
とは言っても無い物は無いので仕方ないと諦めていたのだが,レ
イトークでの事件などから探索者という人達全てが⋮何というか危
うい立場にいることに気がついた。
探索者という立場の人間がそれなりの数いなければ各街としても
困るはずなのに彼らを支援する立場の存在が全くない。完全に個人
の意志のみで成り立つ仕事だったのである。
だからこそレイトークの領主イザクは探索者が減少することを恐
れ,探索者に不利な情報を隠蔽した。
そうであるならば探索者を支援する組織を立ち上げて初心者を育
て,ベテランを優遇すればいい。
ギルドとしては依頼の仲介料や魔石や素材の買い取り転売で利益
をあげればいいし,探索者達もギルドに入ることである程度の身分
の保証と身の丈にあった依頼での稼ぎを得ることが出来る。そして
ギルドを街に作ることで探索者達が多く集まり街も潤うし,実力の
ある探索者達を領主は身近に置いておくことが出来る。
﹁なるほど⋮確かにそれは探索者達にとっては有り難い制度かもし
れませんね﹂
﹁でしょ。冒険者ギルドは街中の依頼を一手に引き受けるから街の
人達にも受け入れられるはずなんだ。
例えば薬草採取や家の掃除,店番,ペットの散歩から護衛任務,
討伐依頼までなんでも。まあ報酬次第ではずっと受けて貰えない依
609
頼もあるだろうけどそれもまた醍醐味だよね﹂
﹁ということは私たちも登録するのか?ソウジロウ﹂
﹁もちろん。ウィルさんを助ける意味もあるしね。まずは俺達が冒
険者ギルドがどういうモノなのかというのを実践して周囲に示して
あげる必要があるかなと思うしね。
もちろん俺達だけじゃ足りないからフレイ達にも登録してもらう
予定。うまく行けばあの3人の生活も安定すると思う﹂
﹁へぇ,面白そうだね。ランクとかビシビシ上がったらどんな特典
があるのか桜ちょっと楽しみかも﹂
良かった。登録することに3人は特に不満は無いみたいだ。⋮3
人?そういえば
﹁葵?﹂
﹃⋮⋮﹄
﹁葵さん?﹂
﹃⋮⋮⋮﹄
返事がないただの刀のようだ⋮
とか言ってる場合じゃない!そういや最近葵の声を聞いてない。
かなりほったらかしにしてた感がある。訓練の時に使ってはいたが
自分のことに精一杯で話しかけたりしてあげてなかったかもしれな
い。
﹁あの⋮ごめんね葵さん。話しかけはしなかったけど訓練中俺がど
れだけ葵さんのことを大事に頼りにしてたかは伝わってたよね﹂
﹃⋮もう!ずるいですわ主殿。そんな言い方されたらわたくし怒れ
ませんわ。確かに確かにあれほど強く求められていましたもの。わ
たくしも久方ぶりに刀としての本能を揺り起こされて恍惚としてし
610
まいましたわ﹄
﹁うん,でもごめん。寂しかったよね。葵ももっとどんどん話しか
けてくれていいからね﹂
﹃わかりましたわ主殿。お気遣いありがとうございます﹄
ふう,危ない危ない。葵も大事なパーティメンバーの1人なんだ
からちゃんと気にかけてあげなきゃいけなかった。そうでなきゃハ
ーレムなんか作ってもうまくやっていける訳ない。
﹁あ,ここだ。すいませ∼ん!フジノミヤと申しますがウィルマー
クさんはおられますか﹂
街の北端にほど近い建物もまばらになりつつあるような区画にそ
の建物はあった。元々は探索者向けの大手道具屋だったらしいのだ
が千日以上前に発生した塔からの魔物流出事件でフレスベルクの東
のパクリット山から街の北側を沿って流れる川の向こうまで魔物の
群れが迫ったことがあったらしい。
その時はひとまず橋を落として時間を稼いでいる間に領主の自警
団と探索者を集め,なんとか殲滅したらしいが魔物の群れにビビっ
た店主はその店を畳んで移転した。その後は場所が北過ぎると敬遠
されたり,建物が3階建ての立派な物だったため値段的にも用途的
にも買い手が限定されるという事情もあってずっと空き物件だった
のをベイス商会で買い上げたそうだ。
﹁ああ!フジノミヤ様。いいところにいらっしゃいました。
まさに!今!最後の準備が整ったところです。もちろん,まだ看
板をどうするかとか細かい作業は残っていますがいつでも冒険者ギ
ルドを始めることが出来る様になりました。
611
これもひとえにフジノミヤ様の助言の数々とこのアルリックくん
を紹介してもらったおかげです﹂
俺の声に反応したウィルさんが店の奥から飛び出してきて俺の手
を握りながら興奮したように手を振る。
﹁いえ,お役に立てて光栄です。では今日からさっそく始まるんで
すか?﹂
﹁もちろん。⋮と言いたいところなんですが逆にこんなに早く終わ
ると思っていなかったので街中に宣伝したギルドへの依頼事項の締
め切りが今日までなんです。
それに最近どうも南からの物資の搬入が遅れ気味のようでして,
ギルドで販売する薬などの在庫がまだ揃ってないというのもありま
す。
依頼については最初だけはギルドの職員が街中に散って依頼票を
回収し,内容をその場で確認してきます。それをあそこの依頼掲示
板に貼れば⋮というところです。
薬の入荷関係も今日中にはなんとかなりそうですし,登録や買取
等の準備は取りあえず完了したので始めようと思えば出来ますが,
登録した人はきっと物珍しさに依頼を見て行ってくれるはずなので
正式稼働は明日になると思います﹂
﹁そうですか。それは楽しみですね。どうですか?うまくいきそう
ですか﹂
﹁はい。手応えは感じています。依頼者の方からも問い合わせがか
なり来ていますし,探索者達への広報もザチルの塔に領主様の布告
付で何日か前から勧誘に人を出していますがこちらもかなりの数の
問い合わせを頂いています﹂
実際に問い合わせてきた人達が本当に利用するかどうかは分から
ないがまずまずの評判だということだろう。フレスベルクには入街
612
税がないため優遇出来ないがギルドが他の街にも広がってギルドカ
ードがあれば入街税が免除になるというような特典もこれから増え
ていくのでそうなれば絶対に登録者は増えていくはずである。
﹁ところでフジノミヤ様。みなさん立派な装備をされていますが⋮
完成したのですね﹂
﹁はい。ウィルさんに最高の人材を紹介して頂いたおかげで想定以
上に良い物が手に入りました﹂
ウィルさんに笑顔でお礼を言うとウィルさんも嬉しそうに笑う。
﹁それはようございました。では,今日はこれから塔へと行かれる
のですね﹂
﹁はい。アルの姉パーティとの約束の時間までまだ少しあったので
こちらの様子を見に来た次第です﹂
ウィルさんはなるほどうんうんと意味深に頷きながら俺に輝いた
目を向けてくる。
﹁もし良ければ冒険者ギルド登録者第一号になってみませんか?﹂
﹁本当ですか!もし良いのであれば是非お願いします!﹂
記念すべき第一号になれるとか超レアじゃね!これってギルドが
大きく成長してそこそこの功績を俺が残しちゃったりすればこの世
界に名前が残るレベルだと思う。
もちろん悪目立ちするつもりは毛頭ないが,ギルドが何十年も活
用され続けて世界に定着したと言えるようになったころにそう言え
ば第一号って誰なんだ?的な感じで語られるのは悪くないしね。
﹁はい,こちらこそお願いします。私も実質的にこのギルドの産み
613
の親とも言えるフジノミヤ様に是非一番最初に登録して頂きたいと
思っていましたから﹂
相変わらずウィルさんの好意が半端無い。まさかとは思うが一瞬,
お尻が引き締まる錯覚に陥りかねないほどだ。⋮なんて冗談はウィ
ルさんにあまりにも失礼だったかな。よく結婚したいってぼやいて
たしね。
﹁では,すぐ済みますのでこちらへどうぞ。せっかくなので初めて
の方が登録する時の流れを実際にやってみて貰えませんか?﹂
なるほど。俺の登録ついでに明日以降のシミュレーションもして
しまおうという訳か。確かにその方が合理的だし明日から作業に携
わる職員にもいい練習になる。どんどん活用してもらいたい。
﹁わかりました。最初は⋮受付窓口のどこかに行けばいいですね﹂
﹁はい。ありがとうございます﹂
614
冒険者ギルド
冒険者ギルドには入るとすぐ大きめのロビーであり,右手側に2
階への階段と依頼掲示板。左手側には簡単な飲食が出来るような丸
テーブルがいくつかと奥にバーカウンターのようなものがある。
待ち合わせ場所として提供できるようにあった方がいいと言った
俺の意見を取り入れてくれたのだろう。
そして広いロビーをせき止めるかのようにずらりと並んだカウン
ターそしてそれを区切る受付の数々だった。
さらに奥にはまだ色々な部屋などもありそうだが今はいいか。今は⋮
﹁すいません。ギルドに登録したいのですがこちらでよろしいです
か?﹂
俺は笑う受付嬢が座っている窓口に歩み寄ると登録に来た旨を告
げた。ようはロールプレイをしてみようと思った訳だ。この世界に
冒険者ギルドがあったとしたらやってみたかったとおりに。そして
それはウィルさんのやって欲しかったことと同じはずである。
﹁いらっしゃいませ。登録には大銀貨1枚,1000マールがかか
りますがよろしいですか?﹂
﹁はい,構いません。でももしお金が足りない場合はどうなるので
しょう﹂
﹁その場合でも登録は出来ますが仮登録という形になります。仮登
録ですとギルドの各種特典は受けられません。依頼は受けられます
が依頼達成時の報酬から登録料をお支払い頂く形になります。この
際分割での支払いも承っております﹂
615
あくまで特典は正式に登録が済んでからと。かといってお金がな
い人を登録させなくしていたら人材が確保が出来ないから仮登録と
後払いのシステムを設けたという訳か。さすがウィルさん。
﹁分かりました。では大銀貨1枚です﹂
﹁はい,確かに。それでは登録と同時にギルドカードを作成させて
頂きます﹂
おぉ!ウィルさんがギルド立ち上げで一番苦労したのがこれだっ
たって言ってたっけ。結局領主お抱えの技師を総動員して超短期間
で開発したみたいだけど⋮それこそ湯水のように金を使ったらしい。
﹁ではこちらを手に持って,表示は名前だけで構いませんのでこれ
に重なるように窓をお出し下さい﹂
受付嬢から渡されたのは半透明で弾力性のある角を丸くした四角
板である。厚みは2ミリ程度,大きさはクレジットカードを2枚く
っつけたサイズと同じくらいだろうか。
﹁わかりました﹃顕出﹄﹂
﹁はい。結構です。ギルドカードとして採用されたこの素材は今ま
で使い道が無くゴミのような扱いをされていたのですが魔力の波長
のようなものを記録することが出来ることが今回発見されました。
と言っても特殊な条件下のみですが﹂
受付嬢に手渡したカードには確かに俺の名前が表示されている。
﹁ここには表示していた名前しか出ていませんが,再度窓を重ねて
頂ければ表示したい部分を再度焼き直すことも可能です。
ただし,一度焼き付けた物にはその人以外の方が窓を重ねても反
616
応しません。今後ギルドでは身元確認において窓とカードを重ねて
光らせて貰うという作業を度々お願いすることになりますのでご了
承ください﹂
なるほど,窓の魔力パターンを焼き付けるとそれだけで偽造防止
になるのか。よく思いついたな。
﹁そして裏面にはギルドだけが記載を変更できるように加工がして
あります。ここにギルドの方でランクや依頼の受注状況。依頼達成
回数,預かり金の額などを記載します。
ランクについてはSSSからSS,Sが上位で,AからGまでの
10段階になっています。最初はどなたもGランクから始めて頂き
ます。
そして本来であれば依頼に関してもランクをつけさせて頂き,ラ
ンクに見合った物を受けて頂くようお勧めするのですが,ギルドが
出来たばかりで全員がGランクのため依頼にはランクを付けず難易
度を星の数で設定させて頂いています。
星が多いほど危険が大きくなると思って頂き無理のない冒険をお願
いします﹂
﹁わかりました﹂
受付嬢の後ろで別のギルド職員がギルドカードを受け取り光る台
の上で作業をしている。あの作業台こそがギルドカードのギルド記
載部分にギルドが加工をするための魔道具なのだろう。 依頼についてもまだ高ランクがいない状態ではランク分けによる
棲み分けが出来ないため難易度だけでリスクコントロールするとい
うのもうまい考えだ。後はギルド側でも無謀な依頼にチャレンジす
るような冒険者にアドバイスなどをしてあげればいいだろう。
﹁ではこちらがギルドカードになります。紛失された場合再発行に
617
は大銀貨3枚を頂くことになっていますので紛失や盗難にはお気を
付けください。
このまま依頼を受ける場合はあちらの掲示板より依頼票を受付ま
でお持ち下さい。詳細を説明させて頂きます﹂
﹁わかりました。⋮とこんな感じですか?﹂
﹁はい。いかがでしたでしょうか?﹂
﹁とてもわかりやすかったです。これなら明日の開店も大丈夫だと
思います﹂
かなり綿密にシミュレートしたのだろう。相手が知識のある俺だ
ったいうことを差し引いてもわかりやすくスムーズな応対だったと
思う。
大量に登録者が来てしまうようなことになるとうまく回るかどう
か問題だが先ほどの対応をベースとすることには問題はないだろう。
﹁本当ですか!それは良かった。これで安心して明日を迎えられま
す﹂
﹁ウィルさん。今日はこれから塔へと行くんですが帰り際にもう一
度寄らせて貰って何人か事前登録して貰っていいですか?﹂
﹁フジノミヤ様のご紹介ならもちろん構いません。こちらも最後の
確認が出来ますし助かります﹂
﹁ありがとうございます。連れてくるのは先ほどもお話ししたアル
のお姉さんのパーティです。最初の頃はせっかく依頼を貰っても誰
も受ける者がいないということもあるかと思いますので⋮そんなと
きは彼らをどんどんこき使ってください。
なるべく最初は依頼の回転率が早い方がいいでしょうから。もち
ろん私たちもなるべくお手伝いします﹂
﹁それは助かります。街の住民達に冒険者ギルドが役に立つという
アピールをするのは早ければ早いほど良いですから﹂
618
なるべく早くフレスベルクに冒険者ギルドという組織を定着させ
るためには街の住人に冒険者ギルドが役に立つと思って貰った方が
早い。
実際は探索者の支援組織ではあるが街からの依頼もギルドで仲介
するのだからその依頼が早い段階で完了されるのはギルドのプラス
評価に繋がるだろう。
﹁ソウジロウ様。そろそろ時間かと﹂
﹁わかった。じゃあウィルさん,帰りにまた寄りますのでよろしく
お願いします﹂
﹁承知いたしました。お待ちしております。お気を付けて行ってら
っしゃいませ﹂
ウィルさんに見送られて塔への道を歩く。そんな俺の胸には首か
ら下げられたこの世界で初めて作られたギルドカードがぶら下がっ
ている。
表には俺の名前だけが表示され,裏には﹃ランク:G﹄﹃依頼:
未受理﹄﹃賞罰等﹄﹃預金額:0﹄などと言った情報が表示されて
いる。
重さは軽く,弾力性があり耐久性もありそうだ。よく10日足ら
ずの間にここまでのものを作り上げたものだと感心しきりである。
﹁楽しそうですねソウジロウ様﹂
﹁システィナも帰りに作って貰おう﹂
そんな様子をシスティナが微笑みつつ見ていたらしい。ちょっと
子供っぽかったかと気恥ずかしいものを感じつつ照れ隠しに応える。
﹁はい。わかりました﹂
﹁あ,でも蛍さんたちは作れるのかな?そもそも試したこと無かっ
619
たけど蛍さんと桜って窓出せるのかな?﹂
﹁ふむ。確かに試したことはなかったのう。やってみるか⋮﹃顕出﹄
﹂
﹁あ,桜もやってみよっと。﹃顕出﹄﹂
結論から言うと2人の宣言に伴いきちんと2人の前に窓は現れた。
﹁でもこれって⋮﹂
﹁これでは⋮でもギルドカードを作るだけなら名前だけ表示されれ
−
ばいいので登録だけならなんとかなるのではないでしょうか?﹂
﹃蛍 業
年齢: − 種族:魔剣 職 : −
−
技能: −﹄
﹃桜 業
年齢: − 種族:魔剣 職 : −
技能: −﹄
2人の窓は名前と魔剣だということ以外は何も表示されなかった。
俺の簡易鑑定や武具鑑定ではもっと詳しいデータが表示されるのに
窓では名前以外はまともに表示されないらしい。
だがシスティナの言うとおり,名前だけ表示させるようにすれば
問題なくギルドに登録が出来そうだ。
﹁じゃあ2人も登録はしておこう。そうしたらパーティ登録とかも
出来るから﹂
620
パーティ登録はしておくと皆で一緒に達成した依頼がそれぞれの
カードに達成数1回分として記録してもらうことが出来るらしい。
他にもいくつか機能があるみたいだが今はいいだろう。
﹃それではわたくしも⋮︻顕出︼﹄
﹁⋮⋮⋮⋮葵はまだ無理か。多分擬人化してないと出せないんだと
思う。擬人化出来るようになってから登録しような﹂
﹃ううぅぅぅ⋮またしてもわたくしばかり。悲しいですわ!﹄
よしよしと柄頭を叩いて慰めつつ歩いていると川幅20メートル
くらいの大きな川がある。そこに架けられた橋を渡りきるとザチル
の塔はもうすぐである。
621
冒険者ギルド︵後書き︶
やっとこの世界にも冒険者ギルドが誕生しそうです。
何分発足したばかりでうまく機能するかはまだまだ微妙なところで
す。
622
聖塔教
﹁おう,遅かったな。ソウジ﹂
ザチルの塔の一階ロビーに入った俺に手を上げて近づいてきたの
は革装備に身を固めたトォルだった。
その後ろからアーリとフレイも笑顔でついてくる。なんだかその
位置関係がトォルハーレムっぽくてムカつくので取りあえずトォル
を無視してフレイに声をかけることにする。
﹁おはようございます,フレイさん。今ちょっと冒険者ギルドに寄
って来たんですがウィルさんが改めてアルに感謝してしましたよ﹂
﹁そ,そうか!アルの奴も最近は自分が必要とされることが嬉しい
らしくてな。楽しそうなんだ。いい仕事を紹介してくれてフジノミ
ヤ殿には感謝している﹂
まあアルの件に関してはかなり俺にもメリットがある話だったの
でそんなに感謝されるいわれもない。アルのお蔭でウィルさんがこ
れほど早く冒険者ギルドを立ち上げることができたのだから。
﹁そうだ。これがギルドカードです。今日探索を切り上げたら皆さ
んも登録してください。ウィルさんに事前登録の許可を貰ってます。
明日以降は場合によっては混んでしまって登録を待たされる可能
性もありますから﹂
﹁普通に俺を無視したことは取りあえず置いといてやるが,それっ
てなんか意味あるのか?﹂
﹁ちっ!
じゃあトォル以外は今日探索後に登録ってことでよろしくお願い
623
します﹂
﹁おい!待て待て待て!なんで俺以外なんだよ!俺だって登録する
よ。するって!﹂
﹁だったらうだうだ言うな。このリア充!﹂
﹁なんだそのりあじゅうってのは。っていうか俺に対する当たりき
つくねぇか?お前﹂
﹁きつくしてるんだから当たり前だ﹂
﹃リア充ってソウ様のことだよね﹄
﹃はい,世間一般ではトォルさんよりも数百倍ソウジロウ様の方が
リア充だと思います﹄
俺の後ろで桜とシスティナがこそこそと何か話しているが聞こえ
ない振りをしておく。
﹁ソウジロウ。いつまでも遊んでないで早くしろ﹂
﹁おっと,ごめん蛍さん。じゃあ行こうか﹂
﹁けけけ!ソウジも師匠にはまるっきりだな﹂
あいつはしばらく温泉禁止だな。
戦いに飢えている蛍さんの催促を最優先し言い返したいのを我慢
してザチルの塔1階層の扉を探す。
﹁あ﹂
﹁冒険者ギルドの職員の方のようですね﹂
扉を探してロビーを見回すと冒険者ギルドの職員と思われる人が
手作りのチラシを探索者達に配りながら質問に応対していた。
それなりに人だかりになっているようで探索者達の関心の高さが
うかがわれる。この様子なら明日のギルドは大盛況かもしれない。
624
うんうんと頷きながら改めて扉を探すが,ザチルの塔も選択型の
塔な上に超高層で過去の最高到達階は83層のためロビーにある扉
の総数も83。ある程度順番は決まっているようだが何も知らない
と探すのも一苦労だ。
﹁1階層だからおそらく一段目だよねシスティナ﹂
﹁そうですね。おそらくあの辺が人の出入りが多いみたいなので低
階層への扉だと思います﹂
﹁なるほど。よし,行こう﹂
ぞろぞろと連れだって1階層らしき扉の方へと向かって歩いて行
くとその先にフレスベルク領主から派遣されてきているらしい兵士
が1人立っている。
レイトークにもいたが,何かあったときに領主へ連絡が出来るよ
うにするための連絡要員兼探索者達を正しい扉へ案内するための人
材だろう。
﹁1階層への扉は何処になりますか?﹂
﹁それならあそこの札が立ててある場所だ。あそこから左回りに2
階層,3階層で一周したら2段目もあの上の扉からだ﹂
﹁あそこですね。ありがとうございました﹂
兵士に頭を下げるとまっすぐと1階層の扉へと向かう。その道す
がらロビーの中に茶色のローブを纏った細身の男達が探索者へと話
しかけている姿を目にする。
﹁あれは何をしてるのかな?﹂
﹁⋮あれは聖塔教の宣教師です﹂
なんとなく呟いた俺の問いかけに答えを返してきたのはいささか
625
意外なことにアーリだった。
﹁聖塔教?﹂
﹁はい。﹃塔は世界の不浄を魔物に変換しているから討伐してはな
らない﹄という教義を広めようとしている宗教団体です。
確かアーロンの塔辺りが政教圏だったと思うのですが⋮﹂
アーリは宗教団体はあんまり好きじゃなさそうだな。表情が苦々
しい。俺も悪人にまで人権を謳うような宗教が多かったから宗教と
いう物に対してはあんまり良いイメージがない。
某狂信者集団の事件,なんてのも良く聞く話だったし。人間自分
で考えなくなったら碌なことをしなくなるということなんだろうか
と個人的には思う。
世の中には宗教に救われたという人がいるって言うのも頭では分
かっているんだけどね。
﹁ソウジ。絡まれる前にさっさと行こうぜ﹂
今回ばかりはトォルに賛成せざるえない。俺は頷きを返すと足早
に1階層への扉をくぐった。
﹁さて,では1階層を抜けるまではおまえ達3人に着いていってや
ろう。いわば仮免許試験と言ったところだな。
ソウジロウ達もそれでよいな﹂
1階層に入り後続の邪魔にならないように少し移動したところで
立ち止まると蛍さんはフレイ達へと告げた。
626
﹁もちろん俺は構わないよ﹂
﹁はい。私も﹂
﹁桜もいいよ∼。フーちゃん達の仕上がりも見たいしね﹂
﹃あたくしも構いませんわ﹄
フレイ達は3人で顔を見合わせると頷き,それぞれの武器を握り
しめる。
﹁時間はかけずに行くぞ。だが,なるべく敵を避けずに近くいる敵
は倒すこと﹂
﹁﹁﹁はい﹂﹂﹂
三人の返事が実にすがすがしい。蛍さんの人徳だろう。
﹁フレイさん。前に言った通り,索敵と道案内はフレイさんの仕事
ですよ﹂
﹁うむ。分かっているフジノミヤ殿。あれから自分でも使いこなせ
るように訓練はしていたんだ﹂
そう言うとフレイは目を閉じて僅かに平耳を持ち上げるとぴくぴ
くと耳を震わせた。
﹁⋮こっちに2体,あっちに1体,中央の階層主までの間だと⋮こ
っちから行った方が遭遇率は高い﹂
﹁了解。じゃあこっちからだな﹂
﹁行きましょう﹂
3人は迷うことなく一本の道を選んで歩き出す。それを見た蛍さ
んは満足気な笑みを浮かべている。おそらく蛍さんの気配察知でも
同じような結論が出ているのだろう。
627
フレイが今したのは平耳族の優れた聴覚を活かした索敵。言わば
音響索敵ともいうべきスキル外スキルである。
﹁フレイのあの聴力はなかなかの物だな﹂
慎重に進んでいく3人の少し後ろを歩きながら蛍さんが呟く。
﹁俺も聞いたときは驚いたよ。村1つを網羅できるほどの聴覚を一
族全員が持ってるっていうんだからね﹂
﹁その力が大きすぎて逆に活用することに思い至らなかったという
のはいささか皮肉なことですけど﹂
3人は4層までの経験があり戦闘経験が残りの2人よりも豊富で
音響索敵をしているフレイを先頭に中陣に回復を担うアーリ,後衛
にトォルという隊形を組んでいる。
回復役のアーリを守りつつ進むには間違いのない隊形だろう。幸
いこの塔というダンジョン内には罠的な物はほとんど報告されてい
ないため盗賊職的な技能はほとんど必要とされないのも有難い要因
と言える。
﹁そろそろだな⋮﹂
蛍さんの呟きとほぼ同時にギィシャァァという耳障りな音が聞こ
えてくる。
﹃タワーゴブリンナックル︵1階層︶ ランク:H﹄
﹃タワーゴブリンクラブ︵1階層︶ ランク:G﹄
おおっ!ゴブリン出た。俺の地球でのイメージでは緑色の鼻ので
かいぼろぼろの服を着たやつだが,それよりは餓鬼やグールって感
628
じに近い。某有名小説が映画化されたやつの指輪を盗んだやつがそ
っくりである。
装備や戦い方によって鑑定上の名前は変わるらしい。今回のは素
手のゴブリンと棍棒を持ったゴブリンか⋮まあゴブリンって言えば
最弱の魔物としてスライムといい勝負のはずだから問題はないだろ
うけど。
﹁行くぞ!フレイは右,俺は左,アーリは後方警戒しつつ場合によ
り援護!﹂
トォルが指示を飛ばしながらアーリを追い抜いて棍棒を持ったゴ
ブリンへと走っていく。その一歩前をフレイが小剣を2本逆手に構
えたまま素手のゴブリンへと向かう。
アーリは今回,レイピアを構えたまま後方支援に回るようだ。な
かなかスムーズな連携だ,この一週間同じ宿に泊まり戦い方を3人
で話し合っていたらしいのでその成果だろう。
前衛に上がった2人がゴブリンと接敵するのはほぼ同時,トォル
の動きが軽装剣士の面目躍如と言わんばかりに早かったせいだ。
﹁ふ!﹂
素手ゴブの右かぎ爪振り下ろしをフレイは左手の手甲で弾き返す
と,体勢を崩した素手ゴブに右の手甲で顔面に拳を入れる。フレイ
の手甲は格闘用のため拳部分に棘が付いているため見ている方は痛
々しい。
﹁ギャァア﹂
だがフレイは苦痛の声を上げるゴブリンに構わずに左手の小剣を
がら空きになった素手ゴブの首へと一閃させた。
629
そして,時を同じくして棒ゴブの棍棒を長剣で受け流したトォル
が体勢を崩した棒ゴブの背後から首を斬り落とし戦闘が終了する。
フレイ達はゴブリンが落とした魔石を素早く拾ってポーチに入れ
るとすぐさまフレイの音響索敵に従って移動を始める。
﹁この先にウルフ系魔物2匹﹂
﹁了解。じゃあ次はフレイが後方を頼む。アーリは俺と前衛だ﹂
﹁承知した﹂
﹁分かったわ﹂
そしてフレイの索敵通り角を曲がると同時にタワーウルフ2体と
接敵する。
﹃タワーウルフ︵1層︶ ランク:H﹄
﹃タワーウルフ︵1層︶ ランク:G﹄
今度走り出したのはアーリとトォル。トォルがまず一体を受け持
ちウルフ相手に距離を取らせない立ち回りを繰り広げる。
アーリは中距離を保ちつつレイピアの鋭い突きを何度も繰り出し
少しずつウルフの足を奪っていく。やがて痺れを切らしたかのよう
にウルフが三角跳びを試みてアーリの死角を取ろうと壁へ跳ぶ。だ
がアーリの攻撃で蓄積していた足へのダメージは自分の勢いを吸収
出来ずにバランスを崩して床に落ちる。そこを逃さずアーリはウル
フの眉間をレイピアで突き通した。
その直後剣技でウルフを追い詰めていたトォルもとどめをさして
2戦目も終了した。いずれも危なげのない戦いだったと言えるだろ
う。
戦う人員を交代したのもそれぞれの武器と戦い方から有利な相手
を考えてのことだと思われる。
630
﹁問題はなさそうだな。3人とも動きに迷いがない。この一週間の
しごきに耐えたことで身につけた動きがうまく発揮できているよう
だ﹂
﹁そうだね。フーもアーリも近づかれても焦らずに対処出来てるみ
たいだしね﹂
蛍さんと桜の言葉通りその後も3人は遭遇する魔物達を全て危な
げなく殲滅し,1階層主であったゴブリンファイター︵ランクF︶
も3人がかりできっちりと倒しきって3人で手を叩き合っていた。
﹁よし。これなら及第点を与えてもよかろう﹂
2階層への階段を昇ったところで蛍さんから掛けられた言葉に3
人の表情が喜びに染まる。
631
及第点︵前書き︶
21万PV、34000ユニーク突破です。連日投稿は多分今日ま
でかと思います。後は2、3日おき更新を目指して頑張ります。
632
及第点
﹁この先魔法や属性攻撃をしてくる魔物,もしくはハイドベアーの
ように特殊な能力を使ってくる魔物が出てくる階層までは3人で協
力すればいいだろう。
ただし,先ほど言ったような魔物がいる階層まで行くのなら装備
を一新して対策が出来るまでは控えるようにしろ。この上の階層に
出る魔物についてはソウジロウが先行して攻略していくから後で情
報はおろす。
死にたくなければ勝手に上層には踏み込まぬことだ﹂
﹁今の装備で行ける範囲でお金を貯めて経験と装備が充実してから
ってことか﹂
﹁トォルだけならどんどん上に行ってもいいけどな﹂
﹁行かねぇよ!俺はソウジよりも師匠の言葉を信じるからな。師匠
が行くなって言うなら行く訳ないだろうが!﹂
ふん,蛍さんの言いつけをきちんと守ろうとするところだけは評
価してやろう。
﹁その言葉忘れるなよ。せっかく鍛えてやったのにあっさり死なれ
ては我らの努力も無駄になるからな﹂
﹁はいは∼い。じゃあ仮免許試験合格ってことで3人にプレゼント
がありま∼す!﹂
そう言うと桜が懐からリュスティラさん謹製の鉢金を3本取り出
して3人へと渡す。
633
﹁え?これは⋮フジノミヤ殿達が付けているものと同じものではな
いのか?﹂
﹁はい。そうですよフレイさん。私たちがリュスティラさんという
技師にお願いして新しく開発して貰った装備です﹂
﹁耐衝撃の付与された魔銅が中に仕込んであるから多少頭をぶつけ
たりしても意識が飛んだりはしないと思うよ﹂
師匠面して一週間しごきにしごき,今日も偉そうにすると決めて
いた以上師匠連としては3人の頑張りに何か報いてあげた方がいい
だろうと皆で話していた。 だけどあんまり分不相応な装備をあげ
るのはかえって危険なところに踏み込みやすくなってしまう。でも
この鉢金なら今の3人の為に丁度いいだろうとリュスティラさんに
3人分追加発注しておいたのである。
﹁ちょっと待って下さい。今,魔銅が仕込んであるとおっしゃいま
したか?﹂
受け取った鉢金をおそるおそる撫でながらアーリが聞いてくる。
﹁言ったけど⋮なんかまずかった?そのくらいならトォルにも影響
はないはずだけど﹂ 軽装剣士としてのトォルは金属製の装備を身につけると途端に弱
っちくなる。ただ留め具程度の金属は影響が無いため鉢金の中に仕
込んだ金属片くらいは問題ないはずだった。
﹁いえ⋮魔材に属性付与した装備なんてこの程度のサイズでも私た
ちの稼ぎではとても手が届かない金額だと思ったものですから﹂
﹁ああ!そっか⋮でも一個大金貨1枚だから気にしなくてもいいよ﹂
﹁⋮フジノミヤ殿。私たちは大金貨など持ったこともないのだが?﹂
634
なるほど⋮確かに日本円で100万円相当となればそうそう手に
入る額じゃないか。大金が手元にあることに加えて見た目が日本円
じゃないせいでちょっと金銭感覚がずれてきてるかもしれない。ち
ょっと気をつけるようにしよう。
﹁弟子達の成長を祝う物でもあるし,命を守る物だから遠慮無く受
け取って欲しい。その代わりなんか助けて欲しいことが出来たらお
願いするからその時は手伝ってくれると嬉しいかな﹂
まあ厳密に言えば俺の弟子ではなく蛍さん,桜,システィナの弟
子なのだがその辺はちょっと見栄を張ってもきっと許されるはずだ。
﹁そう言うことであればわかりました。押しかけ弟子のような形の
私たちに厳しくはありましたが熱心な指導をして下さった恩はこれ
が無くとも決して忘れません。何かあればいつでも遠慮無く言って
下さい﹂
そう言ってアーリが鉢金を巻く。細身の身体に鉢金がよく似合っ
ている。
﹁うむ。私などはアーリよりも多くの借りがある。それこそ命を掛
けて返さねばならぬほどのな。フジノミヤ殿が頼むことなら﹃どん
なこと﹄でも断ることはない。いつでも無理を言って欲しい﹂
フレイが平耳の位置を調整しつつ鉢金を巻く。髪や平耳に大半が
隠れてしまうがそれでも顔が引き締まって見える。その凛々しい顔
とフレイが﹃どんなこと﹄の中におそらく含めたであろうエロいこ
とへの妄想にちょっとどきどきしてしまうのは男の悲しい性だ。
635
﹁だな⋮ほんのちょっと前まで1階層すら突破出来なかった俺達を
ここまでにしてくれたのは間違いなく師匠達だ。それは大げさでも
なんでもなく俺達の人生を切り開いてくれたってことだ。
レイトークで命を助けられたことも大きな恩だが,塔で戦える力
をくれたことの方が恩としてはでけぇ。何かあれば何を差し置いて
も協力することを俺も誓う﹂
くっ,鉢金を巻いたトォルがストリート○ァイターⅡのリュウに
見えてきた。なにげにちょっと似ているんだよな⋮ちょっと格好い
いとか思ってしまった。
それにトォルが感じていることというのは結構深い。塔で戦える
力が身についたと言うことは自分の身を守れるようになったという
ことはもちろん,収入の増加に繋がる。収入が増えれば生活水準が
上がる。生活水準が上がれば余裕が生まれ,自分の望む形で生きた
いように生きていくことが出来るようになれるかもしれない。
それはまさしく未来を貰ったことと同義。
強さが即収入に繋がるこの世界だからこその価値観だろう。
﹁その時は遠慮なく頼むとしよう。今日の所は2階層までの間で少
しでも多くの戦いを経験しておけ。無理はするなよ﹂
﹁じゃあ,陽が沈む前には切り上げてロビーで集合することにしよ
う。そのままギルドに行って登録するってことで﹂
3人は黙って頷くと2階層の奥へと消えていった。2階層の敵は
まだ確認してないが1階層の戦いぶりを見れば2階層までは問題な
いとした蛍さんの判断は間違っていないと俺も思う。
﹁さて,では我らも行こうか。今日のところの目標は5階層辺りに
しておくか﹂
﹁マジですか?そんなに急がなくてものんびり行っても良くない?﹂
636
刀を使って戦えるのは嬉しいが別にギリギリの戦いがしたい訳で
はない。余裕のある魔物相手に無双出来るくらいが俺的にはちょう
どいいんだけど。
﹁ソウジロウよ。装備を良くして,ちょっと訓練したくらいでは強
くなったとは言えぬぞ。結局最後は多種多様な戦闘経験こそが必要
になってくる。またあのような戦いはしたくないのだろう?﹂
﹁⋮そうだね。あんな戦いはしたくないかな。でも無理はしたくな
いなぁ﹂
﹁分かった分かった。ではこうしよう。一応5階層を目指して進ん
でいくが出会った魔物に苦戦するようような魔物がいた場合はそい
つを楽に倒せるようになるまでは上には行かない﹂
﹁うん,わかった。それで行こう﹂
確かに戦闘経験は必要だし蛍さんの提案は妥協点としては妥当だ
ろう。
﹁よし。では2階層は桜の気配察知で進んでみるかの﹂
﹁は∼い!じゃあ行くよ。まずはこっちからね﹂
桜の先導で2階層を進む。
桜,システィナ,俺,蛍さんの順である。桜は索敵担当時は先頭
を行き,会敵したら遊撃に移行。システィナが前に出て壁になり俺
と蛍さんでアタッカーをするが後方の警戒は蛍さんが担当する。
蛍さんが索敵担当時はシスティナ,蛍さん,俺,桜の順に隊列を
組みなおす予定だ。
﹁さっそく来るよ∼。ちょっと素早い系だから落ち着いていこうね
ソウ様﹂
637
﹁了解!﹂
ちょっと振り返って笑顔を見せた桜が次の瞬間視界から消える。
と,同時に通路の奥からウキャウキャと甲高い鳴き声が聞こえてく
る。
﹃タワーモンキー︵2層︶ ランク:G﹄
﹃タワーモンキー︵2層︶ ランク:G﹄
﹃タワーモンキー︵2層︶ ランク:H﹄
どうやら猿型の魔物らしい。ニホンザルの2倍くらいの大きさで
血走った目と鋭い鉤爪が目立っていてる上に壁や天井を蹴りながら
立体的に動いているのをみると恐怖心を掻き立てられる。
だが,こんだけ素早く動く相手3体ではシスティナ1人では壁役
はきつい。俺がビビッて動けなくなるようだとシスティナが危険に
晒されることになってしまう。それだけは男としてやっちゃだめだ。
﹁システィナ!相手は3体だ。2人で抑えるよ。蛍さん,桜は抑え
てる間に頼む﹂
﹁はい!﹂
返事が聞こえたのはシスティナだけだが別に気にはしない。共感
で了承の意は受け取っている。
俺は葵と閃斬を抜き放つと右の壁を蹴って飛びかかってきた猿の
鉤爪を閃斬で受け止め⋮
﹁うおっ!﹂
ウギィィィ!
638
受け止めたつもりの一撃があっさりと猿の鉤爪を斬り飛ばしたこ
とに思わず声を上げてしまう。なんて斬れ味。斬補正︵極︶は伊達
じゃないな,下手すると葵より良く斬れるかもしれない。
﹁やあ!﹂
少し離れたところで魔断を振り回しているシスティナもその動き
が格段にいい。魔断自体の性能は魔力強化的なものだけで属性付与
の機能も今は使っていないからシスティナが身につけた斧槌術によ
るものだろう。
システィナは襲い来る二体の猿を一体は槌の部分で弾き飛ばし,
一体は斧の部分で袈裟斬りにした。
斬った猿を即死させるほど深くは入らなかったが床でのたうつ猿
を冷静に槍部分で突き刺しとどめを刺す。
俺の方も爪を飛ばされ腕を押さえて喚く猿を仕留めるべく間合い
を詰めようとしたところで共感で蛍さんから不要との指示が来たの
で構えを解かないまま足を止める。
︻蛍刀流:光刺突︼
と,同時に蛍さんの声が響き猿の眉間に光が突き刺さった。
﹁⋮え?﹂
その光は充分な殺傷能力があったらしく,猿は悲鳴もあげるまも
なく絶命し塔へと吸収されていく。
今の攻撃についていろいろ言いたいことはあるがひとまずはあと
一体。と思った時にはシスティナに弾き飛ばされて体勢を崩してい
た猿の眉間にクナイが刺さり勝負は付いていた。
3体ともが確実に魔石を残して消えたのを確認してから俺は後ろ
639
にいる蛍さんへと振り返る。
﹁蛍さん!魔法で攻撃出来るようになったんだ!﹂
﹁うむ。桜の魔法を見習って魔法のイメージがしやすい名前をつけ,
さらに自身の刀術と組み合わせるようにしたら格段に使いやすさが
向上してな。ちょっと実戦で使ってみたかったのだ。
すまぬなソウジロウ。おまえの獲物を横取りした形になってしも
うて﹂
﹁全然構わないって。俺も新しい剣の斬れ味は実感出来たしね。葵
を使ってあげられなかったから葵がちょっと拗ねてるけど﹂
﹁くくく⋮それはどうでもよいな﹂
﹃きぃぃぃ!どうでもよくありませんわ!わたくしの見せ場の邪魔
をしないでくださいませ山猿!﹄
金切り声を上げる葵を楽しそうに見下ろしながら蛍さんは満足気
に頷くと魔石を回収した桜とシスティナへと次に向かうように指示
を出す。
結局その後の数度の戦い全てにおいて全く苦戦することもなく2
階層の主の間へと到達。そのまま戦いへと突入する。2階層の主は
タワーモンキーの上位種らしき魔物だった。
﹃タワーコング︵2層︶ ランク:G﹄
大きさはニホンザルからゴリラほどの大きさになり太くなった身
体はパワーが上がっていそうだがその分モンキーのような機敏な動
きはなかった。
どっちかというとパワータイプの方がうちのパーティは戦いやす
いためシスティナがタゲを取り刀娘2人と俺でサクッと倒した。
640
その勢いで3階層へ突入した俺達は結局,蛍さんの言うとおり苦戦
らしい苦戦もなく5階層までを突破して6階層に入ったところで塔
から出た。
﹁ソウジロウもシスティナも落ち着いていて良い動きだったな﹂
﹁ありがとうございます。やはり良い装備を準備して頂いたことに
よる安心感が大きいと思います﹂
﹁一撃の攻撃力も確実に上がったし,桜や蛍さんの中・遠距離から
の援護もかなり大きいかな﹂
蛍さんや桜の魔法やクナイなどの投擲攻撃は近接一辺倒だった俺
達の戦い方にかなりのバリエーションを持たせることに成功してい
た。
これにより狭い通路などでも戦力を余らせることがなくなり戦闘
時間は短縮,それに伴い体力的にも精神的にも余裕を失わない戦い
が出来たと思う。
﹁時間的にもちょうど良い時間ですね﹂
システィナに言われ空を見ると確かに太陽が傾きまもなく夕暮れ
という時間帯にさしかかるところだった。
6階層から飛び降り塔の外に着地した俺達は今日の戦いの反省点
を指摘し合いながらロビーへと戻った。
641
パーティ登録︵前書き︶
ちょっと更新遅れました。
642
パーティ登録
ロビーへと戻ると既にフレイ達3人が待っていた。戻ってきてか
らそんなに時間が経っていないらしくロビーの隅で座り込んで休憩
しているようだった。
﹁おうソウジ。そっちも今戻りか?﹂
乱れた息を整えながらもどこか満足気なトォルの様子をみれば充
実した戦いをすることができたのだろうとすぐに分かる。
アーリとフレイの表情も若干昂揚しているように見える。
﹁ふん,それなりの戦いが出来たようだな﹂
﹁はい,特に大きな怪我もなく1階層から2階層の主を倒すまでを
3度繰り返してきました﹂
へぇ⋮凄いな。いくら1,2階層とは言っても階層主を6体倒し
たってことか。階層主なんて3人にとってはトラウマでしかないだ
ろうに⋮⋮ん?むしろだからか。
俺達は諦めずに変種の階層主を倒したから階層主に対して恨みと
いうか怒りみたいなものは感じても恐怖はあまり感じない。
だが,3人は本当に命からがら階層主から逃走している。トォル
とアーリはその時にかけがえのない仲間を失っているし,フレイも
俺達全員を死地に巻き込んだという負い目を感じている。それはト
ラウマとなって階層主との戦いにおいて3人を縛る。後方に俺達が
控えていた時はまだそんなことは感じなかっただろうが,改めて3
人だけで階層主の前に立った時はどうだっただろうか。
相手が変種で階落ちだったドラゴマンティスではなくても少しは
643
足が震えたり動きが鈍ったりしたのではないだろうか。それを克服
するために自分の力を信じ,何度も戦いを挑む必要があったのかも
しれない。
﹁⋮考え過ぎかな﹂
思わず苦笑して呟いた言葉は誰にも聞かれなかったようだ。
﹁ほう,ならばもう少し上でも大丈夫そうだな。無理をしないとい
う条件で5階層までは挑んでも構わんぞ﹂
﹁そうか5階層まで⋮って5階層!!俺達がそんなところまで行っ
ていいんですか師匠﹂
﹁一通り当たってみたが5階層までの魔物の強さは1,2階層とさ
ほど変わらぬ。多少癖のある攻撃や動きをする魔物もいたが落ち着
いて戦えばよい経験になるだろう﹂
﹁ちょ,ちょっと待ってくれ蛍殿。ということはフジノミヤ殿達は
今日だけで5階層を突破したということなのか?﹂
平耳を小さくぱたぱたしながら目を丸くするフレイにソウジロウ
はげんなりと頷く。確かに苦戦らしい苦戦はしなかったが気配察知
によって次から次へと魔物の所に導かれ,すぐに階層が変わるため
初見の敵がばんばん出てくる。
肉体的には問題なくても緊張から来る疲労感はかなりのものだっ
た。
﹁それは⋮なんというかさすがだな﹂
俺の表情から全てを察したのだろうフレイは本当はご愁傷様と言
いたいのだろう。
644
﹁さあ,皆さん。とりあえず無事に戻れたことですし予定通りウィ
ルマーク様の所へ行きましょう。魔石の買い取りもそこでしてくれ
るはずですから﹂
システィナの提案はもっともである。全員がそれに賛同し連なっ
てロビーを出る。背後から聞こえて来る聖塔教の演説が妙に煩わし
く感じ俺はほんの少しだけ足を早めた。
﹁はい。それではこちらが皆様のギルドカードになります。紛失さ
れた場合再発行には大銀貨3枚を頂くことになっていますので紛失
や盗難にはお気を付けください。
このまま依頼を受ける場合はあちらの掲示板より依頼票を受付ま
でお持ち下さい。詳細を説明させて頂きます﹂
塔から冒険者ギルドに到着後,いくつかの窓口に分かれて全員の
ギルドへの登録を済ませた。費用は今回俺持ちである。
今日の魔石を買い取って貰えばトォル達でも払えるだろうが,せ
っかくの3人での初報酬である。全額好きなことに使って貰いたい。
そのうちたくさん稼げるようになったら返して貰えばいい。
﹁ついでにパーティ登録をお願いします。こっちの3人と俺達4人
のパーティです﹂
﹁かしこまりました。それではパーティのリーダーとパーティ名を
教えて下さい﹂
しまった!名前とか全く考えてなかった⋮俺のネーミングセンス
はあんまり良いとは言えない気がする。刀達に漢字一文字で名前を
付けるのとは訳が違うし。
645
﹁フレイさん達は3人で話し合ってパーティ名とリーダーを決めて
下さい﹂
とりあえずあっちはあっちに任せておこう。うちはどうするか⋮
これから使い続けるならやっぱりそれなりにかっこいい名前がいい
よな。
﹁なんか良い名前ある?﹂
﹁う∼ん,﹃甲賀忍軍﹄とか﹃伊賀忍軍﹄とか?﹂
いやいや忍者なのは桜だけだから。
﹁えっと⋮﹃ソウジロウ様と仲良し﹄とかいかがですか?﹂
うんシスティナのネーミングセンスが壊滅的に酷すぎる。
﹃主殿,︻国家安康︼とかはどうでしょう﹄
ていうかその名前を付けた人,徳川家康の名前を分けたとか言い
がかり付けられて殺されてるよね。縁起悪すぎるでしょ。
﹁そうじゃのぅ⋮ソウジロウ。どうせここは異世界だ。おまえの名
前から連想して﹃新撰組﹄とでも名付けたらどうだ﹂
﹁新撰組⋮新撰組か。幕末に刀を持って暴れ回った武装集団。確か
に俺の名前は沖田総司の名前にかすってると言えばかすってるな⋮﹂
俺自身は別に幕末マニアって訳でもないし詳しくは知らないんだ
けどね。でも俺の中のイメージは悪くない。刀を持って戦ってたっ
てのも俺のパーティを考えれば有りだ。
646
﹁うん。いいかもな。じゃあ俺達のパーティ名は新撰組にしよう。
こっちの人達には意味分からないだろうけどそんなのもいいよね﹂
﹁新撰組⋮なるほど,自警団みたいな活動とかをしていた武装組織
なんですね。私もいいと思います。もちろんソウジロウ様が同じよ
うな活動をするとは思っていませんが,悪い人が嫌いなソウジロウ
様に合っていると思います﹂
叡智の書庫から新撰組の情報を仕入れたらしいシスティナも了解
してくれる。
﹁桜もいいよ。新撰組には忍者はいなかったみたいだけど暗殺とか
得意だったみたいだし﹂
﹃わたくしもかまいませんわ。新撰組は最後まで徳川幕府の味方で
いてくれましたし﹄
賛成の理由はそれぞれ違うみたいだけど各自に納得できる理由が
あるみたいだからよしとしよう。
﹁分かった。じゃあ俺達のパーティはこれから﹃新撰組﹄だ。蛍さ
んリーダーは誰がやる?俺的には蛍さんがやった方がまとまるよう
な気がするんだけど﹂
﹁馬鹿を言うなソウジロウ。全ての刀達が仕えてもいいと思うのは
お前以外にはおらんよ。儂がやっても大体は従ってくれるだろうが
少なくとも葵が言うことを聞くとは思えんしな﹂
﹃当り前ですわ!山猿の言うことを聞くくらいなら飾られているだ
けの日々を選びますわ。わたくしの主は主殿だけですわ﹄
﹁ソウジロウ様。私たちはあなたがいるからこうして1つに集まれ
るんです。私達のご主人様はあなたしかいません﹂
﹁そうだよソウ様。桜達はソウ様に使って欲しいんだよ。あの暗い
647
蔵の中でソウ様の笑顔だけが私達の光だったんだから﹂
﹁みんな⋮ありがとう。俺なんかまだまだだけど頑張るからこれか
らも助けて欲しい﹂
思わず熱くなる目頭に気づかれない様に小さく頭を下げる俺を仲
間達は黙って見守ってくれている。正直一介の高校生に過ぎなかっ
た俺がこんなに優秀なメンバーのリーダーとか有り得ないけどみん
なが助けてくれるならやっていけそうな気になるから不思議だ。
﹁よし!すいません。俺達はパーティ名﹃新撰組﹄,リーダは俺で
す。登録お願いします﹂
﹁はい。承りました。全員のギルドカードを一旦お預かりしますね﹂
受付嬢に全員のカードを渡す。そう言えば3人組はどうしたんだ
ろう。
﹁お,ソウジ達もやっと決まったのか。俺達はあっさりと決まった
のに随分とかかったな﹂
﹁へぇ,一応聞いてやるけどどんな名前で誰がリーダーなんだ?﹂
﹁あぁ,俺達のパーティ名は﹃剣聖の弟子﹄。リーダーはアーリだ﹂
ほう⋮リーダーがトォルじゃないところに好感が持てる。パーテ
ィ名もそれはつまり
﹁蛍さんの弟子ってことか﹂
﹁ああ,俺達の今があるのは師匠のおかげだからな。厳密にいえば
桜師範とシスティナ先生の弟子でもあるんだけどな。
リーダーに関してはアーリが一番冷静だし,後衛にいることが多
いから指示もだしやすいだろうってことで決めた﹂
648
なるほどな。リーダーに関しては戦闘時に司令塔の役割ってこと
か,ギルドなんかのやり取りなんかや依頼人との折衝なんかはトォ
ルやフレイが出てってやるんだろう。
﹁我らの弟子を名乗る以上はみっともない戦いは出来ぬということ
はわかっているのか?﹂
﹁お,おう!わかってるぜ師匠。師匠達に恥をかかせないようにこ
れからも修行する﹂
トォルの言葉にその後ろでフレイとアーリも頷く。それを見て蛍
さんが満足気な笑みを浮かべる。本当にこの1週間で3人とも逞し
くなったな。あのしごきを乗り越えたことがこんなに人間を変える
とは思わなかった。
﹁登録が終わりました。両方共パーティランクはDから始まります。
パーティランクは個人のランクとは違ってD,C,B,A,Sの五
段階になりますのでご注意ください﹂
﹁わかりました﹂
受付嬢から返して貰ったカードを各自に返却しているとその様子
を見ていたウィルさんが近づいてくる。
﹁フジノミヤ様。今日は魔石の売却の方もこちらでして頂けるとの
ことでしたが⋮﹂
﹁はい。いいですよ。ギルドでの売却は相場と比べるとどうなる予
定ですか?﹂
﹁はい,どうしようか考えたのですがひとまず相場通りで買い取り
をしようと思います。それを転売するだけでも十分ギルドの利益に
なります。魔石や素材の売却数などもランクの査定に加えることで
余所に素材や魔石が流れることを多少防げると思いますし﹂
649
﹁そうですね。それがいいと思います。まずはギルドが探索者達に
とって損にならないということを分かってもらうことが大事だと思
いますから﹂
﹁はい。とにもかくにも一定数の登録者数を確保してギルドという
組織を世間に浸透させるのが第一ですから。
それではこちらの買取カウンターの方へよろしくお願いします﹂
﹁うお!マジか⋮俺達が一日で7万6千マール﹂
﹁3人で分けても2万5千マールずつですね⋮﹂
﹁もしあの時の私がこのくらい稼げていればあんなことにはならな
かったな⋮﹂
﹃剣聖の弟子﹄の3人が今日1日の稼ぎに目を白黒させている。
今までは1階層の安い魔石を数個持って帰るのがせいぜいだったの
が階層主の魔石6個に加えてその他の魔石も数十個まとめて売り払
ったのだから当然売却額も桁違いになるのは当たり前だ。
驚いている3人の脇で俺達の売却額は倍の15万マール近かった
のだがそれは敢えて言わないようにしておこう。
﹁ありがとうございました。おかげで明日からのいい練習ができま
した﹂
﹁いえ,こちらこそ先にいろいろ優遇して頂いて助かりました﹂
﹁あ,ギルドで売る薬なども入荷しましたのでもし良ければ購入し
ていってください。ギルドに登録している冒険者の方には2割引き
で販売しておりますので﹂
﹁本当か!冒険者ギルドってすげぇな!おいアーリ。俺達も買って
行こうぜ薬関係は探索には必須だからな﹂
﹁探索に必要な薬や道具系の販売は2階で行っていますのでどうぞ﹂
650
﹁よし!行こうぜフレイ,アーリ﹂
﹁あ,アーリだけちょっと話があるから残ってくれないか﹂
走り去っていくトォルを渋々追いかけようとしていたアーリを呼
び止めるとまさか俺から呼び止められると思っていなかったらしい
アーリがきょとんとした顔をする。
﹁別に大したことじゃないんだ。明日からの活動について﹃剣聖の
弟子﹄にちょっとお願いがあるんだ﹂
﹁あぁ。そんなことですか。言ったと思いますけど私たちはあなた
達のためならなんでもやりますから,遠慮なく仰ってください﹂
そう言って微笑むアーリ。その迷いのない笑みは儚げでとても綺
麗だ。
﹁ありがとう。明日からは塔探索の時間を短めにしてしばらくギル
ドの依頼を消化してあげて欲しいんだ。
冒険者が増えてある程度依頼が回るようになってくるまででいい
から﹂
﹁はい,わかりました。では朝に依頼を受けるのは依頼を受けたい
方の選択肢を狭めてしまうでしょうからお昼頃までは塔で探索をし
て,午後になってもギルドで残っている依頼の中で出来そうなもの
があれば引き受けるという形にしようと思います﹂
﹁うん,それでいいと思う。明日の朝は特に登録希望者で混むと思
うしね。せっかく塔で稼げるようになったのに残念かもしれないけ
どよろしく頼む。
もちろん﹃新撰組﹄でも依頼は積極的に受けていく予定だけどね﹂
アーリの了解を得たので俺達はウィルさんに挨拶をして先にギル
ドを出る。今日は3人だけで祝杯でも上げたい気分だろう。
651
ついでに先輩面してアーリに大銀貨を1枚渡しておいたので3人
でなら結構な食事が出来るはず。
ギルドを出ると陽が沈んだばかりの空が徐々に茜色から夜空の色
に染められていくところだった。
﹁さて,俺達もどっかで何か食べていく?﹂
﹁まだ時間はありますし,ちょっとお待ち頂ければ私が準備します﹂
﹁でも疲れてない?﹂
﹁いえ,侍祭の本分ですから﹂
にっこり笑うシスティナは本当に苦にしてないみたいだ。
﹁じゃあお願いしようかな﹂
﹁はい,お任せ下さい。ご主人様﹂
そんなまったりとした幸せな気分の帰り道。だが,その時間は長
く続かなかった。
652
緊急依頼︵前書き︶
ブクマが500を越えました。ありがとうございます。
653
緊急依頼
今,俺は夜道の中を生まれて初めて馬︵と言ってもこの世界では
ラーマと呼ぶらしいが︶に乗って疾走していた。
もちろん俺が1人で馬に乗れる訳もない。ただひたすら必死こい
て前で手綱を握るシスティナにしがみついているだけだ。俺の隣に
は桜を前に座らせた状態で蛍さんが華麗に馬を操っている。戦場経
験が多い蛍さんは騎乗についても達人級だった。
どうも刀達は持ち主達が経験したことは大体同じように経験とし
て自らに蓄積することが出来るらしい。だから蛍さんは長い人生?
刀生の中で様々な知識や技術を身につけているらしい。その中の1
つが騎乗技術という訳だ。
だが騎乗技術はあっても,この世界には街中の繁華街ならともか
く外には当然のごとく灯はない。そのため本来であれば外では月明
かりと星明かりだけを頼りに行動するしかない。だが,それだけで
は普通は暗すぎてまともに動けない。
だからこの世界では外で夜を迎える時には陽が沈む前に野営の準
備をして,夜は動かず休み,陽が昇ってから移動するのが常識であ
る。
今の俺達のように場所によっては足下すら見えないような夜道を
馬で全力疾走するなんて人に言ったら自殺行為だからやめろと止め
られるようなことらしい。 しかし俺達には蛍さんがいる。蛍さん
の光魔法で生み出された光源が常に俺達の前に浮かび車のヘッドラ
イト以上に明るく足下と道の先を照らしてくれていることに加え,
今俺達が走っているフレスベルクの南方は穀倉地で平坦な地形が続
いている。だからこそできる強行軍だった。
654
まあ強行軍とは言っても俺のやっていることはひたすらシスティ
ナにしがみつくだけで,最初こそ必死になっていたがシスティナの
騎乗技術も申し分ないものだったし1時間以上も同じことをしてい
ればさすがにちょっと慣れてくる。
慣れてくるとちょっと暇になってくる訳でそうするとしがみつい
ているシスティナの柔らかい感触が妙に気になってくるのは男とし
て仕方がないだろう。
という訳でちょっとだけ腰に回した手を上に⋮
﹁ひゃん!﹂
﹁あ,ごめん﹂
﹁い,いえ。落とされないようにしっかりと掴まっていてください
ねご主人様﹂
おーけー,おーけー。じゃあ遠慮無くしっかり掴まらせて貰うと
しよう。
もみっとな。
﹁え?﹂
もみもみっとな。
﹁ちょ!ご主人様?⋮あんっ!﹂
もみもみもみもみもみもみもみもみもみもみもみっとな。
﹁ちょっと⋮あぁ⋮んっ,あぶ,な,いですから⋮んんっ!はぁ⋮
や,め﹂
655
う∼んいい!胸甲と服の間というデッドスペースに背後から手を
滑り込ませるという状況。そしてその窮屈な場所に入り込んだ手で
何度揉んでもその弾力を失わないシスティナの双子山を揉みしだく。
まさに至福の時。
ごんっ!
﹁あごっ!﹂
﹁時と場合を考えろ,ソウジロウ﹂
﹁⋮︵こくっこくっ︶⋮﹂
いつもより4割増しくらいの威力で叩き込まれた蛍丸の峰打ちが
あまりにも強烈過ぎて言葉も出なかったため涙目で何度も頷いて謝
罪の意を示す。
さすがにこの深刻な状況でふざけすぎたか⋮⋮一応この深刻な空
気をちょっとでも和らげようとする意図も2%くらいはあったんだ
けど。
﹁大丈夫か。システィナ﹂
﹁は,はい。なんとか⋮ちょっと騎乗が乱れてラーマに負担を掛け
てしまいましたが⋮﹂
うおぉ!蛍さんの視線が怖い!冷たい!痛い!ホントにすいませ
んでした!
﹁ちっ⋮⋮ふぅ,まぁソウジロウだから仕方あるまい﹂
﹁あはは,確かにソウ様だもんね。隙さえあれば揉むよね﹂
﹁すいません。私もうっかりして油断してました。最初からそのつ
もりでいれば対処出来たのですが⋮﹂
656
っていうか俺に対する嫁達の認識って⋮
﹁それでシスティナ。後どのくらいだ?﹂
馬を軽快に走らせながら蛍さんが聞く。
﹁はい,かなりの速度でここまで来ましたのでコロニ村までの道程
の半分辺りを過ぎたところだと思います﹂
﹁そうか⋮この先は馬の疲れも出てペースも落ちる。もう少し走ら
せたら少し馬を一旦休ませる必要があることも考えると,あと3時
間はかかるか﹂
ぶっちゃけ時計が無いので詳細な時間は分からないが,陽が沈ん
でから2時間以上は経っているはずなので6時に陽が沈んだと仮定
すれば今は8時前後,それから3時間というと11時。娯楽や灯り
の無いこの世界では深夜と言っていい時間帯だ。
﹁なんとかもう少し早く着けないでしょうか⋮﹂
システィナの声には焦燥の色が濃い。
﹁出来なくはないが⋮ちょっと面倒だぞ﹂
﹁大丈夫です!今は少しでも早くコロニ村へ行かなくては⋮﹂
﹁いいだろう。なら少し早いがここで馬を休ませよう。そこで到着
を1時間早めるための準備をしよう﹂
蛍さんの言葉に全員が頷く。今は1分1秒が惜しい時だった。な
んとか出来る方法があれば試した方がいいだろう。
だが,そもそも何故こんな強行軍を俺達がしているのか⋮
それは日暮れ時のフレスベルクをまったりと歩いていた俺達を呼
657
び止めた一声が原因だった。
﹁フジノミヤ様!お待ち下さい!﹂
後ろから息も絶え絶えに走ってきて俺達を呼び止めたのは先ほど
ギルドで別れたばかりのウィルさんだった。
﹁どうなされたのですかウィルマーク様。そんなに息を切らすほど
慌てて﹂
システィナの問いかけを片手をあげて保留すると息を整える為に
大きな呼吸を繰り返したウィルさんは額の汗を拭うと周囲に人の目
がないことを確認してから口を開いた。
﹁お呼び止めしてすいませんフジノミヤ様。ですが,できれば話を
聞いて頂きたく⋮今のギルドにはフジノミヤ様しか頼れる方がいな
いのです﹂
なにやら深刻でやっかいな事が起きたらしい。俺達は皆で視線を
交わしそれぞれの意思確認をすると全員が小さく頷く。
﹁わかりました。お話はすぐお聞きしますが移動しながらの方が良
ければ移動しながらお話を聞きますよ。ギルドに戻りながらの方が
いいですか?﹂
俺の言葉に一瞬きょとんとしたウィルさんだがすぐに﹁なるほど。
確かにその方が⋮﹂と小さく呟くと大きな溜息をつく。
658
﹁すいません。私もどうやら冷静じゃなかったようです。フジノミ
ヤ様の仰るとおり移動しながらの方が無駄がないと思いますのでつ
いてきて貰えますか﹂
そう言って俺達を先導するように歩き出したウィルさんの後を歩
きながら聞いた話は確かにかなり大変なことだった。
﹁盗賊団ですか?﹂
﹁はい。南の穀倉地帯の南端にあるコロニ村から助けを求めるべく
走り通してきた村人が先ほどフレスベルクに着いたのです﹂
どうやらその村人は恋人と村はずれで逢い引き中に村が襲われて
いることに気がついたらしい。もの凄い数で一気に村中に雪崩れ込
んだ盗賊団に自分たちではどうにも出来ないことを瞬時に理解して
恋人と一緒にフレスベルクに知らせる為に北に向かった。
だが途中で恋人が足を痛めたため1度は連絡を断念したのだが,
恋人が﹃村の人を助けるためには少しでも早く領主様にお知らせす
る必要がある﹄と男に訴え,男は渋々恋人を麦の穂の中に残して1
人フレスベルクへと走り続けてきたらしい。
﹁その知らせを受け,フレスベルク領主セイラ様はすぐに自警団に
招集をかけ討伐隊の編成に入っていますがその準備にはどうしても
深夜までかかってしまいます。
夜間に行軍することも難しいとなれば出発は明け方,闇が薄くな
ってからということになると思います﹂
﹁それはそうでしょうね⋮それでは私たちは何を?﹂
﹁はい。領主より当冒険者ギルドに緊急依頼が出されました。内容
は﹃斥候として先発し情報収集,状況を見て可能であるならば村人
659
の救護﹄です﹂
つまり今から自警団に先行して村へ向かい盗賊団の情報や村の状
態を出来る限り調べて欲しいということか⋮
盗賊団がいつまでも村にとどまっているとは思えないが,襲撃情
報自体が漏れていないと思っていれば今夜一晩くらいは村に居座っ
ているかもしれない。もっともその場合は村人達の生存率はかなり
低くなりそうだけど。
村人の救護というのは盗賊達が既に村の金品を強奪しつくした後
に立ち去っていた場合に残された村人たちをケアして欲しいという
ことだろう。
﹁ソウジロウ様⋮﹂
システィナが懇願の目を向けてくる。システィナのその目の意味
は分かる。今すぐコロニ村を助けに行きたいということだろう。パ
ワーアップしたシスティナの回復術なら怪我をした村人達をかなり
の確率で救うことが出来る。
俺はシスティナに黙って頷く。
﹁そのお話お受けしても良いのですが,これから向かっても自警団
の方達よりもさほど先行出来るとは思えないのですが⋮﹂
南の穀倉地帯は広大だと聞いたことがある。その南端にある村は
確か徒歩で行けば半日以上,のんびり行けば1日がかりの旅程だっ
たはずだ。それではおそらく馬に乗って後からやってくる自警団に
下手すれば追い抜かれかねない。
﹁はい。そのために今領主館に向かっています。﹃もし受けてくれ
る探索者がいるのならば軍用に訓練されたラーマ数頭を貸し出すと
660
共に救護用の物資として回復薬等を準備している﹄とのことです﹂
﹁なるほど,対応が早い上に適切。フレスベルクの領主は優秀なよ
うですね。まぁ正式開設前のギルドに緊急依頼を持ち込むのはどう
かと思いますが﹂
﹁セイラ様は先代領主が急な病で倒れ急逝してから領主を引き継ぎ
まだ数百日ですが,先代に勝るとも劣らぬ施政を行っています。
依頼に関しては本日昼頃にセイラ様がギルドにお見えになりまし
たので,事前登録をしたフジノミヤ様達のことをセイラ様は御存知
でした。
冒険者ギルドの発案者がフジノミヤ様だということもお伝えして
ありますので⋮緊急依頼というよりは指名依頼に近いかもしれませ
ん﹂
なるほど,そういう訳だったのか。既に俺達が登録していること
を知っていてそれにウィルさんのことだから俺達のことを領主にベ
タ褒めでいろいろ伝えていたのはず。だからこそのこのタイミング
での緊急依頼だったのか。
それになんの実績もない怪しげな組織である冒険者ギルドを開設
することを即決で許可して全面的に支援するなんて普通の領主じゃ
無理な気がする。これだけ素早く決断が出来るということは冒険者
ギルドの有用性を即座に理解したから。それだけでも柔軟で明晰な
頭脳を持った優秀な領主だと言えるだろう。
﹁わかりました。領主からのその緊急依頼。私達﹃新撰組﹄がお受
けします﹂
661
緊急依頼︵後書き︶
評価、感想、ご意見等おまちしております。
662
ミラ
その後俺達は領主館で軍用ラーマを2頭借り,回復薬と医療グッ
ズの詰まった荷物を受け取ってフレスベルクを出た。慌ただしく準
備に奔走していたらしい領主には会えなかったが下手に面割れした
くなかったのでそれは問題ない。
ラーマを2頭しか借りなかったのはしっかりと騎乗出来るのが蛍
さんとシスティナしかいなかったからで自警団が貸し渋った訳では
ない。馬になんか触ったこともなかった俺はもちろんのこと,生ま
れて100年程の桜も既に馬が主流の時代では無かったために馬に
乗った経験が全く無かったので騎乗技術を持ち合わせていなかった。
4人がそれぞれ馬に乗れていれば一頭あたりの負担も少なくなっ
て到着も早くなったはずなので,この世界で生きていくなら馬くら
いは乗れるように練習しておいた方がいいかもしれない。
そうすれば今こんな小細工をしなくても良かった。
﹁システィナ,どう?﹂
﹁はい,さすが軍用のラーマですね。特に手綱を取らなくてもきち
んとついてきてくれてます。これなら負担は大分軽減されるはずで
す﹂
システィナは自らの乗る馬の手綱を取りながらやや後ろを追走し
てくる馬を確認する。しかしその馬上には蛍さんと桜は乗っていな
い。鞍にいくつかの荷が固定されているだけである。
﹃ソウジロウ。システィナに今乗っている馬が完全に疲労しきる前
663
に馬を乗り換えるよう伝えておけよ﹄
﹃う∼ん。久しぶりにソウ様の腰に戻ってきた気がするけど,たま
にはいいかも。これはこれで落ち着く﹄
﹃きー!どうでもいいですがどうしてわたくしと山猿を同じ側に佩
刀するんですの!こんな山猿は反対側にするか背中で充分ですわ!﹄
そう,蛍さんが到着までの時間短縮の為に提案したのは蛍さんと
桜を刀に戻して1頭の馬の負担を減らし換え馬として使うというこ
とだった。
ただしこれにはちょっとした問題があった。パーティ全員の装備
を更新したため蛍さんと桜の装備が荷物として残ってしまう。もち
ろん重さとしては擬人化している時に比べれば微々たるものだが,
奇襲でも受ければ2人は自らの化身たる刀以外の装備を身につけな
いまま戦うことになってしまうことだ。
まあ2人の実力を考えれば盗賊相手に不覚を取るとは思えないが,
何があるか分からない以上は戦いの時はなるべくベストの状態でい
たい。
そんな俺の要望もあり馬で近づくのは村から少し離れたところま
でにして装備を調えた後,盗賊を警戒しながら徒歩で村に近づく予
定になっている。
幸い刀に戻った状態でも蛍さんの光魔法は持続しているので馬を
走らせるのはなんとかなっている。ただ道の両脇は既に麦穂がざわ
めく穀倉地帯になっていて見通しがいい。このまま灯りをつけたま
ま進み続けるとコロニ村に盗賊が居残っていた場合俺達の存在に気
づかれかねない。
﹃それならば少し光量を落とした上で光源の位置も地表に近いとこ
ろまで下げるとしよう。これならばいくらかましであろう。もっと
もこの暗闇の中ではその程度の光でも目立つことは間違いないがな﹄
664
蛍さんの言うとおりその辺は諦めるしかないだろう。ここは東京
などの繁華街とは違ってネオンも街灯もない。異世界での夜は深い
闇に覆われるものなのだから。
﹁そうなるとどこまで灯りを維持してどこまで馬で近づくかはシス
ティナの判断に任せるしかないかな。頼める?﹂
コロニ村の位置やそこに至るまでの距離を把握しているのは出発
前に地図を確認しているシスティナだけ。盗賊がいるかいないか,
いた場合にどこまで馬で近づくか,灯りをどこまで維持していくか
⋮その辺りの判断はシスティナに丸投げするしかない。
﹁わかりました。ただ,私もこういったことは初めてなので何が起
こるかわかりません。絶対に油断はしないでください﹂
﹁了解,何かあってもちゃんとシスティナを守れるように注意して
おくよ﹂
﹁ありがとうございます。ご主人様﹂
その後はほとんど会話もなく走り続け何度か乗る馬を入れ替えな
がら夜道を走り続けた。そして,システィナが蛍さんに灯りを消し
てくれるように頼んだのは最初の休憩から体感で2時間程が過ぎた
頃だった。
﹁そろそろ?﹂
﹁いえ,まだ少しあるんですが⋮⋮あちらを見て下さい﹂
灯りが消えた為,一旦馬から下りたシスティナが指し示す方角へ
視線を向けるとそちらの方角だけほんのりと赤く光って見える。
665
﹁あれは?﹂
﹁⋮多分ですがコロニ村が燃えているんだと思います﹂
﹁え!ちょっと待ってよ。コロニ村が盗賊に襲われたのって朝も早
い時間だったよね。それなのにまだ家が燃え続けてるってこと?﹂
﹁そうではなかろう。おそらく村はまだ盗賊達に占拠されている状
態なのだ﹂
馬から下りたので腰から抜いておいた蛍さんがいつの間にか擬人
化して俺の背後に立っている。
﹁夜になってから盗賊達がまた火を着けたってこと?﹂
﹁ふん!おそらくは村から略奪したもので宴会でもしているのであ
ろうよ。やつらは自警団なりがこの村に派遣されてくるのはどんな
に早くても明日以降になるっていうことを分かっているらしいな﹂
﹁ご主人様⋮﹂
システィナが不安気な視線を向けてくる。これは盗賊に怯えてい
るのではなく村人を心配しての視線だろう。
﹁分かってる。とにかく俺達の任務は偵察だ,もっと近づこう。後
は⋮灯りはここで消したまま星明りで進む。灯りが無い以上は馬も
ここに置いていこう。蛍さんと桜はすぐに装備を身に付けてもらっ
て⋮あ,システィナは手伝ってあげて﹂
﹁はい﹂
蛍さんと桜が装備を身に付けている間,俺は馬たちを街道脇に等
間隔に埋め込んであった杭につないでおく。俺達はいつ戻れるか分
からないので十分に水分を摂らせておくことも忘れない。餌の方は
幸いここは穀倉地帯だ勝手にうまい餌を食べてくれるはずだ。
666
﹁ソウ様,準備おっけーだよ﹂
﹁了解﹂
再び四人で集まる。
﹁桜,申し訳ないけど先行して貰える?﹂
﹁はーい。忍としては当然だよね。じゃあ行ってくるね。ソウ様達
も出来る限り早く向かってくれていいからね。それでもソウ様達が
着くころまでには一通りチェックしとくから﹂
おお,うちの忍が頼もしすぎる。
﹁無理する必要はないから安全第一で頼む。情報では100人超っ
て話もあるし俺達だけでどうにかできる数じゃない可能性もあるか
らね﹂
﹁うん。じゃあ先行くね﹂
心配する俺に笑顔で頷くと﹁ご褒美先払いね﹂とかすめるような
キスをして桜は消えた。隠蔽スキルを発動して移動を開始したのだ
ろう。
﹁よし,俺達も行こう。桜はかなり夜目が効きそうだったけど蛍さ
んはどの程度見える?﹂
﹁うむ,儂もある程度は見えるな。察知系のスキルが二つもあるせ
いかもしれんな﹂
﹁良かった。じゃあ先頭は蛍さんよろしく。俺達は蛍さんを見てつ
いていくから﹂
蛍さんは頷くとコロニ村に向かって走り出す。俺とシスティナは
その後姿を見失わないように後を追う。今日は月も出てるけどそれ
667
でも俺的には光量は足りてない。前を行く蛍さんの後姿を信じてつ
いていくしかない。
そんな状況で走り続けるのは普通に走り続けるより数倍疲れるら
しい。この世界に来てから走るだけで息が乱れつつあるのは初めて
だ。そのまま20分程走り続けると炎に照らされた村の様子がうっ
すらと目で確認出来るようになった。耳を澄ませば時折下品な笑い
声も聞こえてくる。
それだけでコロニ村がろくなことになっていないのが想像できる。
徐々に俺の中の何かが冷えていくのが分かる。そのままの勢いでさ
らに速度を上げようとした俺の目の前で蛍さんが両手を広げて立ち
止まる。
﹁どうかしたの?蛍さん﹂
﹁⋮⋮何かいるな。気配が弱すぎてここにくるまで気がつかなかっ
たが左の麦畑の中10メートル程入ったところだ﹂
蛍さんの索敵を疑う余地などない。俺はシスティナと目線だけで
頷き合うと閃斬と葵を抜いて右回りに麦畑へ入っていく。同じよう
にシスティナも魔断を構えると左回りで目標を挟むように移動する。
蛍さんは道の上で周囲の警戒をしつついざというときの後詰め役
だ。
﹃いいぞソウジロウ。あと5メートルだ⋮周囲に伏兵などの気配は
ない。この気配の強さからしても敵ではないだろう。一気に詰めろ﹄
蛍さんが﹃意思疎通﹄を使って指示を送ってくれたので俺は残り
の5メートルを一気に走り寄って埋めた。そこにいたのは蛍さんの
見込み通り盗賊や魔物などの敵性のものではなかった。
﹁システィナ!急いで来てくれ!﹂
668
俺は1刀1剣を鞘に納めると地に横たわっていたものに駆け寄る。
﹁大丈夫ですか!しっかりして下さい。助けに来ましたよ!﹂
﹁ソウジロウ様!﹂
﹁システィナ!すぐに回復術を!﹂
﹁これは⋮なんて酷い⋮すぐに回復術をかけます。ソウジロウ様は
声をかけ続けてあげてください﹂
魔断で強化された回復術を施されているのはほぼ全裸の状態の女
性だった。
女性は雑な切り口で手足の腱を斬られた状態でその姿は見るも無
惨な状態で思わず目を背けたくなる。身体中に暴力による暴行の痕
跡として暗がりでも分かる程の痣が多数有り,性的暴行も執拗に受
けた形跡がある。
女性自身は既に大量の出血のせいか,あるいは心まですり潰され
てしまったせいか意識はほとんどなく涙のあとが残る目は虚ろだっ
た。
俺は荷物から水筒を取り出し傷口を洗い,薄汚れた男達の体液を
流してあげながら必死に声をかけ続ける。
﹁聞こえますか!しっかりしてください!あなたがミラさんですよ
ね!ジェイクさんはフレスベルクに無事に着きましたよ!彼のおか
げでもうすぐ討伐隊が来ますから頑張って下さい!﹂
そう,この状況でこの場所に女性が1人でいるということは多分
そういうことだった。フレスベルクに助けを求めに来ていた男,確
かジェイクと言ったはず。彼が渋々置いてきたという足を痛めた彼
女。この女性こそがその人だろう。
どういう状況で隠れていたところを見つかってしまったのかは分
669
からないが盗賊達におもしろ半分に陵辱され続けたのは想像に難く
ない。
﹁⋮じぇ⋮く⋮⋮よか⋮た⋮無事で﹂
俺の言葉に虚ろだった目に僅かに力が戻り微笑みを浮かべるミラ。
システィナの増幅された回復術の効果は凄まじくミラの身体の傷は
みるみると癒えていく。本来は身体に無理を掛けないように最適な
速度で回復をしていくのだが今の回復速度を見るにそこまでしなく
ては危ない状況なのだろう。
﹁もうすぐコロニ村も解放されます。気を確かに持ってジェイクさ
んと一緒に帰りましょう!﹂
﹁だ⋮め⋮⋮私は,もう⋮⋮⋮に,いられな⋮い﹂
﹁ミラさん!ミラさん!ミラ!!﹂
﹁あの人に⋮⋮えて⋮⋮ごめんなさい,あな⋮は生きて⋮﹂
ミラの目から一筋の涙が零れ,その目から光が失われていく⋮そ
して全身から完全に力が抜けミラは静かに息を引き取った。
﹁⋮すいませんご主人様。回復術では失った血液までは⋮﹂
﹁システィナが悪い訳じゃない。見てごらんよ,ミラさんの身体は
凄く綺麗だ﹂
俺はミラの目を手の平で閉じて上げながらミラの身体をシスティ
ナに見るように言う。
システィナのオーバースペックな回復術はミラの身体にあったあ
らゆる傷を完璧に癒していた。斬り傷や痣などは1つも見あたらな
い。生前のミラの素朴ながらも美しい姿態がそこにある。
暗い麦畑の中で眠るように横たわるミラ。おそらく彼女は最初の
670
あんな状態をジェイクには見せたくなかったはず。ミラはきっとシ
スティナに感謝して喜んでくれるはずだ。
俺はシスティナに手伝って貰ってミラの死後硬直が始まる前にシ
スティナの着替えの服をミラに着せてあげた。これ以上他人に肌を
晒したままにするのはあまりにも可哀想だ。
そして改めてその場にミラを横たえる。この辺には危険な魔物も
出ないらしいしそれまではミラにここにいてもらっても大丈夫だろ
う。そして,残念だが今俺達に出来るのはここまでだ。遺体の回収
は明日くる討伐隊にお願いするしかない。確かその討伐隊には道案
内としてジェイクも同行するはず,ジェイクにとってはつらい現実
を突きつけられることになるが俺達にはどうすることも出来ない。
⋮俺達に出来るのはあそこではしゃいでいるゴミどもを1つ残ら
ず掃除することだけだ。
ぽん とミラを見下ろしたまま立ち尽くしていた俺の肩にいつの
間にか後ろに立っていた蛍さんが手を置く。
置かれた手の上に自分の手を重ねた俺は次から次へと湧いて来て
胸の中で渦巻く言いようのないこの想いを込めてその手を握りしめ
る。
蛍さんは黙ってそれを受け止め,後ろからもう片方の手だけで優
しく抱きしめてくれる。
この想いは今は解き放っては駄目だ。これは冷たく冷たく押し固
めてゴミクズ共を斬るための糧にするべきものだ。
蛍さんのぬくもりを感じながら頭の中でそう言い聞かせて自分の
心の中を整理していくとゆっくりと自分が落ち着いていくのが分か
った。
671
﹁それでいい。では行くぞ﹂
﹁⋮﹂
俺が落ち着くのを感じた蛍さんが俺から離れて道へと戻っていく。
﹁ご主人様⋮﹂
﹁うん,もう大丈夫。早くコロニ村へ行かないとね﹂
心配そうなシスティナの手を取ると蛍さんの背中を追いかけて街
道へと戻る。
﹁あ,ソウ様。ただいま﹂
そこには偵察に出ていた桜が蛍さんと一緒に俺を待っていた。
672
コロニ村攻防戦︵前書き︶
残酷な描写があります。苦手な方は気をつけてください。
673
コロニ村攻防戦
戻ってきた桜は詳細の報告は移動しながらするとのことで俺達は
再び夜道を走っている。話をしながらだと俺とシスティナは足下が
不安なので蛍さんと桜が俺とシスティナの手を引きながらの低速走
行である。
﹁そうすると,盗賊団の本隊は既に村にいないってこと?﹂
﹁うん,桜が偵察した感じだとせいぜい20人程度かな﹂
﹁それでも盗賊団としてはかなりの規模です﹂
もともと3桁を超えるような盗賊団が形成されるなんてことはま
ずあり得ないらしい。なぜならそれだけの配下を満足させるだけの
稼ぎを1つの盗賊団が稼ぎ出すことはまず無理だから。
街道を通る商隊をちまちま襲うくらいではせいぜい10人∼20
人規模がせいぜいだろう。その街道を通る全ての商隊を根こそぎ奪
い続ければもっと拡大出来るだろうがそんなことをすれば手強い護
衛を雇われたり,近くの街から討伐隊が派遣されたりして団の存続
自体が危うくなってしまう。
それならばどうしてこの盗賊団は3桁を超えるような人員を抱え
ていられるのか⋮
﹁村人達はどう?﹂
﹁⋮⋮う∼ん。あんまり言いたくないんだけど﹂
﹃共感﹄で伝わってくる桜の不快感で大体の想像は出来てしまっ
た。だが村での状況はある意味予測していた範囲。救出等を考えれ
ば聞いておかなくてはならない事だろう。
674
﹁構わないから言って﹂
﹁うん⋮まず女の人達はほぼ例外なく陵辱されてると考えていいと
思う﹂
﹁ちょ,ちょっと待って下さい!例外なくって子供やお年寄りもで
すか!﹂
システィナの悲鳴のような問いかけに桜は走りながら頷く。
﹁ふむ,100人以上の盗賊が攻めてきたとなればそいつらの中で
も趣味嗜好は様々だろう。幼女趣味の奴もいれば年を取った者でも
構わないというやつもいる。村規模では女の数は絶対的に盗賊の数
に足りていないだろうから飢えた獣共は選り好みもしない。そうい
うことだろうよ﹂
﹁うん⋮今残っている20人は概ね若い女の人達を現在進行形でい
じめてる。その脇に小さな子やお年寄りの女性の死体がうち捨てら
れてた。多分,本隊が離脱するときに残った人員で管理しきれない
村人を殺したんだと思う﹂
﹁なんて酷いことを⋮﹂
システィナの声が怒りに震える。
﹁と,なると男の人達は⋮﹂
﹁村はずれに死体が放置されてた。生き残りがいるかどうかは分か
らないけど難しいと思う。なんとか助けられるとすれば今生かされ
てる女の人達だけかな。
多分だけどこの女の人達もあいつらが村を出て行くときには殺さ
れちゃうと思うから助けるなら今夜しかないよソウ様﹂
20人か⋮居残って自分たちの欲望を満たしているようなゴミに
675
腕の立つ奴はいないだろう。不意を突いてペースを握ればなんとか
なる⋮か?
﹁ご主人様。悪を斬るのが誠の旗を背負った新撰組なのですよね?﹂
システィナは地球の知識をよく調べてる。確かにそれが人斬り集
団新撰組のあり方だった気がする。まあ俺は人斬り集団と呼ばれる
ような苛烈なパーティにするつもりはないが。
﹁大丈夫だよシスティナ。俺もあそこにいるゴミ共は許せない。だ
けど無闇に突っ込む訳には行かないからどうやって攻めるかを考え
ていただけだから﹂
﹁はい!﹂
﹁桜,盗賊共は全員同じ場所にいるのか?﹂
﹁ううん,半分くらいは広場で近くの家を燃やして焚き火代わりに
して騒いでいるけど残りの半分くらいは民家の中に女の人を連れ込
んでる﹂
﹁そうか⋮村の建物の配置は?﹂
﹁真ん中に広場があってなんとなく囲むように家が建てられてるか
な。広場の南側に村長の家らしき大きめの建物があったからだいた
いはそこの中にいると思う。後はその両隣の家とか?北側の家は燃
やしちゃってるから﹂
なるほど,それなら⋮⋮
俺は自分の考えた作戦を皆に伝えていく。全て机上の空論的な思
いつきもいいところな策である。もし蛍さん達からGOサインが出
ないようならまた考えればいい。
676
﹁いいだろう。少し慎重過ぎる策かもしれんが女達が人質になる可
能性を考えれば悪くない策だ﹂
﹁私も良いと思います。さすがはご主人様です﹂
﹁桜には1人だけ負担をかけることになるけど大丈夫かな﹂
﹁問題ないよソウ様。これこそ忍の仕事だもん﹂
﹁葵もいいよね﹂
﹃残念ながら今のわたくしに出来ることは主殿に思う存分使って貰
うことだけですわ。主殿が武器のせいで不覚を取るようなことだけ
は絶対にないとお約束しますわ﹄
﹁うん,充分だよ。ありがとう葵﹂
俺はぽんぽんと葵の柄を叩くと視界の中で大きくなってきたコロ
ニ村を見る。
﹁よし,到着次第作戦開始だ﹂
﹁ああ!なんだてめぇらは!この村は﹃赤き流星﹄の特攻隊長のド
ズル様が褒美に頂いた村だ!この村の敷地に入ってるもんは全部俺
様のもんだ﹂
脇に抱えた裸の女の胸を力一杯鷲掴みにしながらバトルアックス
を振り上げる禿頭の男。どうやらこいつがこの村にいる残党の頭ら
しい。
そして今の声に反応した手下達が自分達が囲っていた女達を引き
ずるようにしてドズルの周囲に集まっていく。戦うには荷物にしか
ならない村の女達を片時も離さないのは人質としての価値があるか
もしれないと狙ってのことだろう。やはり強盗殺人集団盗賊団なん
677
ていうゴミ共にはそういう狡猾さは標準装備されているということ
か。
・・
﹁ということは今ここにいるおまえら3人も既に俺の物だってわけ
だ! だが,おまえの後ろにいる上玉2人を素直に俺に差し出すな
らお前だけは見逃してやってもいい。
このまま逃げ帰って布団で震えててもいいし街まで走って領主に
泣きついたって構わねぇんだぜ!﹂
こいつらは﹃赤き流星﹄,そして領主への情報漏洩を恐れないと
いうことはやはりこいつらも明日にはここを引き払うつもりだって
ことか。
できればこの馬鹿からもっと情報を引き出したいところだが⋮ま
あいいそんなことは後でいくらでもできる。今はもうこいつらが息
をしていることすら不快だ。
既に俺の頭の中は冷え切っている。こいつらゴミを裁断して処分
することになんの躊躇いもない。 ﹁それ以上口を開くなゴミ。腐敗臭が漏れてきて鼻が曲がる﹂
﹁⋮あ!なんだと?﹂
ゴミの中でもドズルと名付けられた粗大ごみが何やら赤くなって
いるが正直どうでもいい。俺はもう早く,1秒でも早くあのゴミ共
を処分したくて仕方がない。
周囲に打ち捨てられた村人達の恐怖と無念と苦痛に満ちた眼が早
くあいつらを殺してくれと懇願しているようにしか見えない。
粗大ごみは何やらよくある脅し文句を延々と怒鳴っているようだ
が,取り立てて紹介するまでもないようなありきたりの言葉で雑音
にしか聞こえない。
678
早く⋮早く,早く!早く!
それだけを頭の中で繰り返していた俺の視界の隅に ぽっ と小
さな炎が灯る。
﹁蛍﹂
﹁5秒後だ﹂
俺は目を瞑り無限とも思えるようなカウントダウンを始める。
5
4
3
2
1
⋮⋮
﹁0!﹂
目を開けると同時に1剣1刀を抜き放った俺は一気に走り出す。
目の前の盗賊達は汚い悲鳴を上げながら目を抑えている。
679
﹁システィナ,あいつだけは殺すな。情報が欲しい﹂
﹁はい﹂
当然のように隣を走っていたシスティナに最後の指示を出すと片
手で目を抑え,それでも村の女の髪を掴んだままだった盗賊の一人
の髪を掴んでいた手首を葵で斬り落とす。
﹁ぎゃああ!﹂
﹁うるさい﹂
そして次の瞬間,閃斬で首を刎ねる。最初から首を刎ねれば良か
ったというかもしれないがそこは俺のただの憂さ晴らしだ。
首を刎ねた盗賊を捨て置いてすぐさま次の盗賊へと向かい,閃斬
で次の盗賊の腕を斬り落とした後すぐに葵で首を刎ね,次へと向か
う。
余計な動きが多いと後で蛍さんに怒られそうだが,こいつらのし
てきたことを考えれば即死させてしまうのはぬるい。少なくとも死
の瞬間くらいは激痛の中で迎えるべきだ。
だらしなく下半身を露出していた奴はイチモツを斬り落としてか
ら腕を斬って首を落とす。後で葵に怒られそうだが入念に手入れを
してあげることで勘弁して貰おう。
流石にこの頃になると視界が回復した盗賊が出始めるが時は既に
遅い。視力が回復した3人ほどを俺とシスティナと蛍さんがほぼ同
時にとどめをさして広場での戦いはあっけなくほぼ終了した。
結局,俺の策というのは策と言うほどのものではない。
先行して桜に建物内にいる盗賊達を1人残らず暗殺して貰い,村
の人達の安全を確保した後に俺の背後から蛍さんの光魔法を最大光
680
量,持続時間0で使ってもらっただけ。ようは某漫画の太陽○をリ
アルで使ってもらっただけである。
そしてその隙をついて一気に盗賊達を制圧したのである。相手が
10人程度だったから数秒の猶予でも俺達3人なら十分制圧出来た。
下手に人質を前面に押し出された場合でもなんとか出来るように考
えた作戦だったがうまくいって良かった。
﹁お疲れ,ソウ様﹂
﹁桜もね﹂
いつの間にか隣にいた桜の頭を撫でながら労いの言葉をかける。
間違いなく今回の緊急依頼で一番働いているのは桜だ。
﹁桜,システィナと一緒に村で生き残った人達を一か所に集めて治
療を頼む﹂
﹁分かった。西側に集会所があったからそこに皆を誘導するね﹂
﹁システィナもよろしく頼む。回復術が必要な程の人が居なくなっ
たらすぐ戻ってきて﹂
﹁わかりました﹂
桜は自分が助けた建物の中の人達を案内しに行き,システィナは
広場にいた女性達に声をかけて集会所に誘導していく。
ふう⋮
﹁よくやったな。ソウジロウ﹂
思わず吐き出した溜息に蛍さんが声をかけてきてくれた。俺の吐
き出した息にやるせなさが詰まっていることに気が付いたのだろう。
681
﹁⋮うん,わかってる。俺達に出来る最善を尽くしたってことは﹂
﹁ならばよい。それにまだやることも残っているのだろう﹂
﹁だね。あいつを縛るのを手伝ってくれる?﹂
﹁ああ,任せておけ﹂
俺は視界の隅で泡を吹いている粗大ごみと言う名のドズルを蛍さ
んと協力して縛り上げていく。こいつは戦闘開始直後にシスティナ
の魔断の石突で強烈な一撃を鳩尾に受けて意識を刈り取られていた。
こいつを尋問して盗賊団の情報を得る。そのためにシスティナの
力が必要だ。それまで亡くなった村人達をもう少しなんとかしてあ
げたい。
俺は遺体を1人1人抱き上げると広場の中央に横たえて1人ずつ
胸の上で手を組ませていく。汚れは出来る限り落としてあげて裸の
人達には近くの建物から持ってきた布を掛けてあげる。広場にあっ
た遺体はほとんど女性のもので男性の遺体は桜の言う通りに村外れ
にかなり損傷した状態で放置されていた。
男性たちは明るい内から攻めてきた盗賊団に無駄だとは知りつつ
も村を囲む獣避けの柵で迎え撃ったのだろう。村や妻や子を守るた
めに命をかけた男たちに俺は静かに手を合わせた。遺体については
損傷が激しくて簡単に運べないため可哀想だが討伐隊に任せること
にする。
そんなことをしているうちにようやくシスティナが集会所から出
てくる。その顔には流石に疲労の色が濃い。システィナのことだ回
復薬だけでもなんとかなるような人にも回復術を惜しみなくかけて
いたに違いない。
﹁ご主人様,生き残っていた村の女性14名は一応落ち着きました。
傷の治療をして簡単な食事を準備してきました﹂
682
﹁ありがとうシスティナ。疲れているところ悪いけど今度はこっち
を手伝ってくれる?﹂
﹁はい﹂
俺は縛り上げられたまま意識を取り戻さないドズルの下へシステ
ィナを案内すると何も言わないまま閃斬を抜きドズルの右手の親指
を斬り飛ばした。
﹁ぐ!ぎゃああああああ!いてえ!いてえ!なんだこりゃぁ!どう
なってやがんだぁ!﹂
﹁システィナ。出血だけ止めて﹂
﹁はい﹂
俺の指示に従ってシスティナが回復術を調整して痛みで跳ね起き
たドズルの出血だけをとめる。
﹁が!⋮⋮て,てめぇ何しやがる﹂
﹁﹃赤き流星﹄について全部話せ﹂
﹁な?馬鹿かお前!そんなこと特攻隊長の俺が漏らすわ⋮ぐげぇぇ
えええええええ!﹂
俺は反抗的な態度をとるドズルに何の躊躇もなく再度閃斬を振り
下ろし残っていた右手の指を全部斬り落とした。
﹁止血﹂
﹁はい﹂
﹁ぐあ⋮俺の俺の指がぁ﹂
﹁﹃赤き流星﹄について全部話せ﹂
﹁だから俺は⋮ぎぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいい!﹂
683
右手を肩から斬り落とす。
﹁ぐがああああああ!もうやめろぉぉぉぉ!﹂
﹁止血﹂
﹁はい﹂
﹁﹃赤き流星﹄について全部話せ﹂ ﹁分かった!全部!全部話す!話すからもうやめてくれ!﹂
右膝から下を斬り落とす。
﹁なんでじゃああああああああああああ!﹂
﹁あ,間違えた。システィナ足首まで復元﹂
﹁はい﹂
そんなに早く落ちると思わなかったからつい勢いで斬ってしまっ
た。システィナが今度は魔断の増幅を使って右足を治療していくと
斬り落とされた膝からもりもりと肉芽が盛り上がりドズルの足が復
元されていく。
さすがに部位欠損を治すのはシスティナにもきつそうだが,部位
欠損くらいならお任せ下さいと言っていたのは誇張でも冗談でもな
かったらしい。さすがは俺のシスティナだ。
かと言って全部治してやる必要も無いので取りあえず足首までだ。
﹁な!足が⋮生えてきた?﹂
﹁分かるだろう?正直に全て話せば⋮﹂
﹁あ,あぁ,ああ!話す!話すから!﹂
ふん,結果として失った右腕も治るかもという僅かな希望を与え
る形になって縋るように完落ちしたか。まあ,これで喋ることをち
ゃんと喋れば足までは復元してやってもいい。
684
後続の討伐隊が連行するのに足がないと不便だからな。本当はこ
んな奴らは殺しておいた方が後腐れがないんだがその辺はしがらみ
というものだろう。討伐隊を派遣した領主にも目に見える成果があ
ったほうが喜ばれると思うしな。
685
奇襲
結局,従順になったドズルから聞き出した情報はこんな感じだっ
た。
・盗賊団の名前は﹃赤い流星﹄である。
・頭目はシャアズ。
・副頭目にはメイザ,シャドゥラ,ディアゴの3人がいる。
・この4人はメイザが女だが実の兄弟。
・あとは参謀としてパジオンという男がいる。
・総数はよくは分からないが頭目が50名それぞれの幹部が20名
程度を直属で使っている。
・後はこの特攻隊が20名,遊撃隊が20名,後は未所属の新兵が
何十人かいる。
・本隊は東周りで北上する予定。
俺の脅しが良く効いたらしくぺらぺらとよく喋ってくれたが喋っ
てくれた内容はとんでもない内容だった
そのドズルは喋らせた後に足だけを治療し,システィナが肋骨を
何本か持って行く一撃を加えたため泡を吹いて意識を失っている。
これで半日は目を覚まさないだろう。討伐隊が来るまでおとなしく
していてくれるはずだ。
﹁ちょっと想定外だったね。どう思う?﹂
﹁もうこれは盗賊団とは言えないな。小さいながらもちゃんとした
軍隊と言えるな﹂
﹁でも⋮どうやって200名近い部下を⋮﹂
686
システィナが首をかしげる。
﹁分からぬか?システィナ。その答えは嫌というほど目にしたはず
だが?﹂
﹁え!⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮まさか!﹂
﹁そうだ。奴らはその軍隊のように組織だてた盗賊共を使ってここ
のように小規模な村や街を丸ごと獲物として各地を回っているんだ
ろうよ﹂
蛍さんの推測はおそらく正しい。これだけの規模の盗賊の情報が
フレスベルクにはほとんど届いていなかった。唯一それらしい情報
は南からの物資がなかなか入ってこないというものだ。
つまりここより南に点在しているはずの小さい村や街は根こそぎ
﹃赤い流星﹄の餌食になっていると考えられる。生き残りもいない
程に徹底して奪い殺し尽くしたためにこれだけのことをしでかして
いるにも関わらず盗賊団の情報の伝達速度が異常に遅いのだろう。
﹁つまりこいつらは決まったアジトを持たずに常に移動しながら村
を襲い,村の持っている物を根こそぎ奪い取っているってことか﹂
﹁だろうな。さすがにフレスベルクを襲うとは思えぬが⋮情報は流
しておいてやる方がよいだろうな﹂
﹁うん。分かった。後続が来たら伝えておくよ。でもそうすると本
隊はどこに⋮﹂
﹁東周りか⋮もしかするとパクリット山かもしれぬな﹂
﹁はい。確かにあそこは山が深いです。あそこなら200人近い人
員が居てもしばらく潜めるかもしれません﹂
マジか!俺達の屋敷はパクリット山の麓にあるんだぞ。なんとか
しないとゆっくりとくつろげない。いつ襲われるかとびくびくして
たら俺のマイサンもしおしおしかねない。
687
﹁くっそ⋮結局とことん巻き込まれるのか﹂
﹁仕方あるまいな⋮こいつらが近くにいる限り儂らは常に襲撃を警
戒し続けなければならないからな﹂
﹁フレスベルクの自警団がなんとかしてくれないでしょうか?﹂
﹁山にこもられてしまうと厳しいだろうな。そもそも領主の私兵も
全部集めても数百というところだろう。それだけの数では山狩りも
難しい。下手に山に入れば100%返り討ちに合うだろうな﹂
﹁でも,フレスベルクを襲えない以上は長くこの辺りにとどまり続
ければ団を維持できないんじゃない?﹂
フレスベルクの周りにはコロニ村の他には目ぼしい村はない。次
に近いのはザチルの塔のずっと北に行くかフレスベルク西にある港
町ということになる。
﹁いずれは北に抜けていくだろうな。だが,フレスベルクが安全だ
と言い切るのも難しいかもしれんぞ。あそこは人口が多すぎる上に
防壁となるような物が一切ない。200名で総攻撃を掛けられれば
混乱をきたして組織だった反攻は難しいだろうな﹂
蛍さんが示した可能性はあり得る話だった。確かにあそこは混迷
都市の名に恥じずごちゃごちゃし過ぎている。
例えば50名ずつくらい4か所から同時に攻められれば逃げ惑う
人々で自警団は盗賊団と対峙することも難しい気がする。その間に
外周部の家や店はいいように荒らされてしまうだろう。 ﹁相手が多すぎて私達では対応しきれないですね。フレスベルクに
戻ったら報告をして対策を練ってもらうしかないと思います﹂
﹁そうだね。とにかく今日は疲れたよ﹂
688
朝早く起きてから塔を5階層まで突破した後にすぐ依頼を受け夜
通し馬で走ってここまで来てから盗賊退治。さすがにハードすぎる
だろう。
﹁お前たちは休むといい。後のことは儂と桜に任せておけ﹂
﹁⋮わかった。お言葉に甘えるよ,システィナ行こう﹂
﹁はい。蛍さん,すいませんがよろしくお願いいたします。周囲の
確認に出ている桜さんにも戻られたらよろしく伝えて下さい﹂
﹁儂らは同じパーティの仲間だ。気を使う必要などない﹂
システィナは笑って頷くと俺の後ろを追いかけてくる。システィ
ナも蛍さんの言っていることは十分理解している。それでも性格的
なものでどうしても丁寧な対応をしてしまうだけだ。蛍さんもそれ
は分かっているのだがやはりもう少し砕けた感じで接したいと思っ
ているようで似たようなやりとりはもう何度も繰り返されている。
﹁集会所の隣にあまり荒らされていない家があるって言ってたから
そこを借りよう﹂
おそらく既に持ち主のいなくなった家を勝手に使うのは多少気が
進まない部分はあるがそれは仕方ない。今は身体を休めておくこと
が大事だ。かと言って寝室のベッドを使って寝るようなことはしな
い。
一階の居間的な場所で床に毛布を敷いてシスティナと一緒にもう
一枚の毛布にくるまって寝るだけだ。蛍さんや桜がいるとは言え何
かあった時にすぐ外に出られるようにしておくくらいの警戒は必要
だろう。
﹁今日はお疲れ様システィナ﹂
﹁はい,ご主人様もお疲れ様でした﹂
689
システィナと軽く唇を合わせるとシスティナを抱き寄せながら目
を閉じる。やはり疲れていたのだろう。システィナは既に眠りに落
ちていた。そして俺もシスティナの温もりを感じつつ転げ落ちるよ
うに眠りへと落ちた。
﹁⋮⋮て,起きてソウ様﹂
俺を起こす桜の声が聞こえたのはおそらく俺達が眠りに落ちてか
ら1時間もしないうちだったろう。随分早く起こされたが裏を返せ
ばそれだけの緊急事態ということだ。
俺はすぐさま身体を起こすとすぐそばに置いていた閃斬と葵を手
に起き上がる。僅かに遅れてシスティナも魔断を持って続く。
﹁どうした?﹂
﹁うん,どうももう少ししたら囲まれそうなんだ。別に油断してた
わけじゃないんだけど⋮正直襲撃があるとは思ってなかったから索
敵の範囲を絞ってはいたんだけど,その内側に大分侵入されるまで
気づけなくて﹂
﹁蛍さんや桜さんの気配察知を潜り抜けられるほどの手練れという
ことでしょうか?﹂
﹁う∼ん,そんな感じじゃないんだよね。どっちかっていうと桜に
近いかな。多分,偵察や暗殺系の技能を持っている人たちの集団だ
と思う﹂
このタイミングで気配を消して近づいてくる相手は敵か味方か⋮
690
盗賊団自体は少なくともここにいた奴らは全滅させている。ここ
が奪回されたことは﹃赤い流星﹄の本隊には知られていないはずだ。
かと言ってフレスベルク領主軍の先行部隊という説も薄い気がす
る。それが出来ないからこそ俺達に依頼を出したはずだからな。
﹁どこで待つ?﹂
﹁取りあえず室内よりは外の方が不意打ちの危険が減るから広場に
戻って迎え撃とうソウ様。こっちが気が付いてることを相手に知ら
れるけど狭い所で乱戦になるよりはいいと思う﹂
﹁了解。じゃあ行こう。ちなみにあとどのくらいの猶予がある?﹂
3人で玄関に向かいながら桜に聞いてみる。
﹁向こうの包囲が完了するまでだいたい後2分かな⋮﹂
﹁蛍さんはなんて言ってた?﹂
﹁蛍ねぇはいつも通りだよ。来た敵を斬る。ってね﹂
蛍さんらしい。なら俺達も自分たちに出来ることをやるだけだ。
﹁じゃあ,桜は行くね﹂
﹁同業者に負けない様にしっかりね﹂
﹁ちょっと隠密行動が出来るくらいで本当の忍びは止められないよ
ソウ様﹂
桜は不敵な笑みを残して消えた。同業者相手にかなり気合が入っ
ているらしい。
もし俺達を包囲してきたのが敵だとしたら本当にご愁傷様としか
言いようがない。俺達は家屋を出て蛍さんの待つ広場の中央へと向
かう。
691
﹁おう。来たなソウジロウ。まだ眠ったばかりですまぬな﹂
﹁こんな状況なんだから当たり前だよ。どう?﹂
﹁うむ。丁度今相手の配置が終わったところだな﹂
﹁敵⋮でしょうか﹂
﹁間違いないだろうな。我らは広場にいて周囲からは丸見えだ。そ
して我らの周りには盗賊達の死体がある。この状況でも殺気を放っ
ているような相手が味方であるはずがない﹂
なるほど蛍さんの言う通りだろう。この状況下で蛍さんの殺気感
知に引っかかるなら相手は敵で間違いない。
﹁桜が始めたな。気配が消えていく。ソウジロウ,システィナ間も
なく敵が炙り出されてくるぞ油断するな﹂
﹁了解﹂
﹁はい﹂
俺達の返事と同時に黒装束に身を固めた者が5人ほど姿を見せる。
その登場の仕方には統一感が感じられず,常に周囲を気にするよう
に視線が定まっていない。
蛍さんの言う通りまさに隠れ場所から炙り出されてきたのだろう。
と,そんなことを考えている間にも一人の首筋にクナイが突き刺さ
る。
﹁ひぃ!﹂
もはや完全に戦意を喪失しているようだが,かと言って見逃すわ
けにもいかない。きっちりととどめをささせて貰おう。
﹁蛍さん,リーダーっぽいのは1人殺さないで﹂
﹁任せておけ﹂
692
﹁システィナ行くよ﹂
﹁はい﹂
結局俺達は広場で戦意を失った黒装束をさほど苦労もせず撃退す
ることに成功した。
マジで桜無双が凄すぎる。結局広場に姿を見せなかった奴らは1
5人程いたらしいが全て桜が暗殺していた。おかげで場合に寄って
は熾烈な戦いをすることになった可能性が高いこの奇襲が﹃ちょっ
と身体を動かした﹄程度で済んだ。帰ったらご褒美にたっぷり可愛
がってあげよう。
⋮さて,後は再び質問タイムだな。
693
奇襲︵後書き︶
※ ご意見ご感想があればよろしくお願いいたします。
レビューとか頂けるとかなり喜びますw
694
小さな希望︵前書き︶
60話31万字に到達しました。まあまあな分量になったなぁとし
みじみしました。後はランキングに乗れたら嬉しいなぁ⋮3章は内
容ちょっと重めでシリアスが多いかもです。
695
小さな希望
さて,本日二度目の拷問⋮ごほん!もとい,質問タイムを終了し
たところ分かったことは﹃面倒なことになった﹄ということだった。
結論から言うと奇襲部隊は全員﹃赤い流星﹄の構成員だった。こ
いつらは特攻隊と名付けられた団に取って必要ない雑魚共を餌に近
隣の討伐部隊を村に集めた後に隠密行動の得意な遊撃隊で夜襲を掛
けて部隊を混乱,もしくは殲滅するのが仕事だったらしい。
こうすることで追っ手の足を止め,あわよくば追跡自体を諦めさ
せると共に団の方針に不満を持つ迷惑な子分達を生き餌として消費
していたらしい。
これの何が面倒かというとこういった策を使える人材を﹃赤い流
星﹄が所持していることが面倒なのである。盗賊団と言えばドズル
のような馬鹿だけを想定していたのに,暴れるだけでなくその後の
ことまで考えた策を実行し団の質を維持するために不要な部品を最
大限活用して捨てることが出来る頭脳があるというのは戦う上で面
倒なことこの上ない。
この方式を考えて実行できるまでにしたのはドズルからも聞いて
いたパジオンという参謀らしい。もし﹃赤い流星﹄とコトを構える
のであればこいつを最優先に始末しておきたいものである。
唯一幸いだったのは奴らの隠密部隊である遊撃隊を今回一網打尽
に出来たことだろう。こいつらを放置しておけば今後も要所要所で
邪魔になったのは間違いない。本当に今回は桜ちゃん様々である。
﹁さすがにもう襲撃はないだろう。こいつらから聞き出した情報的
にもあと自由に動けるのは各幹部の直属の兵以外では新入りだけら
696
しいからな﹂
﹁と,言ってももう朝なんだよね⋮﹂
既にうっすらと白み始めた空を見て思わず大きな欠伸が漏れる。
今からここで休息を取るのもなんとなく違う気がする。
﹁仕方ない。今寝るのは諦めて討伐隊が来たら家に帰ってそれから
休もう﹂
﹁はい,ご主人様﹂
﹁うん,じゃあシスティナは集会所の方で村の人達の様子を見てき
て貰えるかな。今日領主の軍が到着することも伝えて貰って構わな
いからなるべく元気が出るように励ましてあげて﹂
システィナは疲れを感じさせない笑顔ではいと頷くと集会所へ向
かう。
﹁蛍さん,途中に繋ぎっぱなしになってる馬たちを回収してきて貰
えるかな?出来れば討伐隊が到着したら早めに帰りたいし﹂
﹁ふむ,確かに一理あるな。いいだろう任せておけ﹂
﹁あ!ちょっと待って﹂
蛍さんが馬を回収しに動き出す寸前に桜から待ったがかかる。
﹁それって桜が行ってもいい?﹂
﹁え?別に構わないけど⋮桜は馬に乗れないはずだけどいいの?﹂
﹁うん!来る途中で大体覚えたし,最悪併走して走ればいいしね﹂
なにそのチート。騎乗技術を僅か数時間一緒に乗ってただけで覚
えたのもそうだけど走る馬と一緒に併走するとか発想からおかしい
でしょ。
697
﹁まあ,いいけどね⋮じゃあ桜よろしく頼む。あっ!と一応手紙を
書くから⋮ミラさんが眠っている辺りの杭にでも結んでおいてくれ
るかな﹂
﹁うん⋮そうだね﹂
桜を少しだけ待たせ,調達してきた紙とペンでミラのこと,盗賊
団の情報,村の現状を簡単に書いて渡すと桜は大事そうに懐にしま
う。
﹁じゃあ,行ってくるね。ソウ様は蛍ねぇに膝枕でもしてもらって
ゆっくりしてて﹂
﹁それいいな。是非にとお願いしてみるよ。桜も気をつけてな﹂
はーいと元気に返事をした桜が姿を消すのを見届けてからまたこ
み上げてきた欠伸を噛み殺す。
﹁ソウジロウ。なんなら本当に膝枕してやるぞ﹂
﹁ははっ,是非その誘惑に乗りたいところなんだけどなぁ⋮皆を働
かせておいてそうもいかないよ。それにちょっと思いついたんだけ
ど家の中に生き残りがいないかどうかの確認をしようと思うんだ。
もし誰も見つからなくても家の中に遺体があれば,その運び出し
もしようと思う。蛍さんも出来ればついてきて貰って気配察知で家
のどっかに誰かが隠れてないか確認してくれると助かる﹂
﹁なるほど確かに賊が前提だったからな。小さな気配を探ればもし
かしたら隠れ通した者がいるかもしれん﹂
﹁うん,小さい子とかを母親がむりやりどっかに押し込めて⋮とか
ありそうだからね。あと探索範囲に地下方向も加えておいて﹂
地下の食料保存庫とかありがちな場所だから一応注意しておくに
698
こしたことはない。
結局重くなる瞼を意志の力で持ち上げながら焼け落ちた家も含め
て十数件の家屋を全て見て回ったところやはりところどころに子供
が隠れていた。何処の世界も我が子だけは助けたいという想いは同
じなのだろう。
見つかったのは女の子3名と男の子2名のいずれも3歳から5歳
くらいまでの幼い子供だった。隠れていたのは丸一日くらいのはず
だが光も差さないような場所に水も食料もないまま閉じ込められて
いた子供達は例外なく疲れ果てていた。 声を出すなとときつく言
われていたのだろう涙の後があるにも関わらず助け出されたことを
理解するまで一言も声を漏らさなかった。
5人に簡単に事情を説明し集会所に連れて行くと生気のなかった
女性陣の中から2人ほどが狂ったように飛び出してきて子供に抱き
ついてきた。泣きながら抱き合う二組の親子と生き残った女性陣の
中に自分の母親を捜す3人の子供達の姿に無性にやるせない想いだ
けが溢れていたたまれなかった。
だが,その様子を見ていた他の女性達が親を失った子供達を見て
1人,また1人と生気を取り戻していったのである。
その女性達は親を見つけられずに泣き出そうとする子供達を優し
く皆で抱きしめていた。所詮は傷ついた者同士の傷の嘗め合いだと
いう人もいるかもしれないが,俺はその光景を見てちょっと嬉しく
なりとうとう少し涙をこぼしてしまった。
そしてシスティナは子供達を見つけてきた俺達に何故か泣きなが
ら感謝を述べていた。聞いてみると自分の力では身体の傷は治せて
も心が傷ついた女性達を立ち直らせることが出来なかったことが不
699
甲斐なかったらしい。
﹁そんなことない。システィナは魔力が枯渇する寸前まで回復術を
使って,少しでも元気が出るようにとなるべくおいしい料理を作っ
て,時間の許す限り全員に話しかけていたよ﹂
俺はそれだけ告げるとシスティナを自分の胸に抱き寄せた。
﹁そんなシスティナを悪く言う奴がいるならそいつらは悪人だ。例
え助けたばかりの女性だって構うもんか。俺が斬り捨ててやる﹂
そんな物騒な俺の言葉が聞こえた訳ではないだろうが,集会所に
いた村人達がゆっくりとシスティナに近寄って来て一斉に頭を下げ
た。
﹁侍祭様⋮⋮昨晩からの数々の行為に深くお礼を申し上げます。盗
賊からの救出,傷の治療,食事の準備⋮そして話し相手まで。私た
ち一同我が身の不幸に希望を無くし,満足なお礼も言えず大変失礼
いたしました。
盗賊達に汚されてしまった私達ですが⋮⋮ここにはまだこの子達
がいます。
侍祭様達が助けて下さった小さな未来です。私たちはこれから全
員でこの子達を育てていこうと思います。本当にありがとうござい
ました﹂
﹁っ!⋮⋮わ,わたしは⋮﹂
村人達に何かを言おうとするも感極まって言葉が出ないシスティ
ナをよしよしと撫でてあげるとシスティナの代わりに俺が前に出る。
﹁こちらの侍祭の契約者のソウジロウと言います。この度はフレス
700
ベルクの領主より先行偵察の依頼を受け冒険者ギルドから派遣され
てきました。
出来る限り早くこちらに来たつもりですが皆さんだけを助けるの
が精一杯でした。力不足を謝罪します。申し訳ありませんでした﹂
そう言って小さく頭を下げる。これはおそらくシスティナが言い
たかったであろうことを主として代弁してあげただけだ。
俺としては今回の一件,最善いや最上の行動をしたと思っている。
この依頼を受けたのが俺達でなければここにいる人達のほとんどが
助かっていなかったと断言できる。
だが,それでもシスティナは自分を責めてしまうだろうから,せ
めて気持ちだけは吐き出させてあげたかった。それが主としての責
任というものだろう。
﹁とんでもありません!あなた達の命がけの行動でこれだけの者が
助かったと⋮今ならきちんと理解できます。本当にありがとうござ
いました﹂
﹁そうですか。そう思って頂けるなら私の侍祭も肩の荷を下ろすこ
とができます。もう後数時間もすればフレスベルクから救助が来ま
す。さすがにしばらくはこの村を離れることになると思いますので
もし,元気があれば今のうちに準備をしておくといいかもしれませ
ん。
持って行きたいものなどもそれぞれあると思いますから⋮﹂
このまま討伐隊が来てしまうとおそらく何も持ち出せぬままフレ
スベルクへと連れて行かれるような気がする。多分手元の財産や着
替え,家族や知り合いの形見などどうしても持って行きたい物もあ
るはず。それなら今のうちに準備しておいた方がいいだろう。
﹁⋮はい。確かにそうですね⋮この村は全員が家族のようなもので
701
した。たくさんは持って行けないでしょうがこの子たちの為にも必
要な物を少しでも持ち出そうと思います﹂
そういうと女達は皆で話し合いを始め,三々五々にまだ無事な家
屋へ向かっていく。目ぼしい財産などは既に盗賊達に持ち去られた
後だだろうが,金銭的価値がなくても大事な物はたくさんある。そ
れらがこれからの彼女たちの支えになってくれるといい。
﹁ソウジロウ,見事だったぞ﹂
﹁はい。ご主人様は凄いです﹂
そんな様子を眺めていた俺を2人がベタ褒めしてくれた。うん,
それだけで頑張ってシリアスした甲斐があった。
﹁ソウ様∼!ただいま∼!﹂
﹁お,桜も戻って来たようじゃな﹂
見事に馬を乗りこなしながら広場に入ってくる桜。くそ!本当に
馬に乗れているじゃないか。これで馬に乗れないのは俺一人か。い
や待てまだ1人可能性が。
﹁葵は馬に乗れる?﹂
﹃当り前ですわ!これでも武家の刀ですから!﹄
くっ!マジで騎乗の練習しよう。そう心に決めた。
﹁ソウ様行って来たよ。手紙もちゃんと分かるように置いて来た﹂
﹁ありがとう桜。今回は本当に桜がいてくれてよかった。今回のお
礼に1つなんでも言うこと聞くから何か考えておいて。欲しい物が
あれば多少高くても買ってあげるよ﹂
702
﹁え?ホント!ありがとうソウ様!じゃあなんか考えておくね。な
んにしようかな∼楽しみ﹂
討伐隊が到着したのはそれから3時間後だった。
隊長に事の次第を報告しギルドの依頼書にサインを貰う。隊長は
偵察だけの予定だった俺達が倒した盗賊の数に驚きの声を上げ,生
き残った村人がこれだけの数いることに喜んでいた。やはり村人の
生存は絶望視されていたのか。
﹁冒険者ギルドというのは侮れないものなのだと理解したよ。セイ
ラ様が支援したのは間違いじゃなかったということだな。
これからも何かあればギルドに依頼をだすかもしれん。その時は
またよろしく頼む﹂
﹁はい。私達で良ければ手の空いている時は必ず受けさせてもらい
ますよ。どうしても私達をご希望の時は﹃指名依頼﹄という形態も
ありますので是非活用してください﹂
さりげなく冒険者ギルドを売り込みつつ討伐達の隊長と握手を交
わす。
﹁私達はパーティ名﹃新撰組﹄と言います。以後お見知りおきを﹂
703
小さな希望︵後書き︶
ランキングに乗れたら1週間連続投稿とかに挑戦する覚悟があるん
ですが⋮誰もそんなの求めてないですかねw
多分一日で100ブクマとか達成したら日間にのりそうなんですが
⋮現状では難しそうです。こつこつ頑張るしかないですね^^
704
帰還
討伐隊の隊長と情報の交換をした後,俺達は一足先にフレスベル
クへ戻ることを告げる。
﹁ああ,構わない。君たちは依頼以上のことをしてくれたからね。
あ,そうだ街に戻るなら私からの報告を領主館まで届けて貰えない
だろうか?﹂
﹁いいですよ。どちらにしろラーマを返却しに領主館に寄る予定で
したから﹂
﹁有難い。この村の様子では人手はいくらあっても足りないのでね。
報告に人員を割かないで済む﹂
確かに盗賊の死体の検分や処理。村人の遺体の埋葬。生き残った
人達の対応など人手は多いにこしたことはないだろう。俺達は隊長
が報告文書を作成するのを待ってからコロニ村を出発した。
今度は特に急ぐ必要もない。蛍さんと桜を騎手として俺が蛍さん
の後ろ,システィナが桜の後ろに騎乗した。
来た時はとにかく急いでいたため振り落とされまいとするので精
一杯だったが,今回は並足での道行である。こうしてゆっくりと馬
に揺られているのは意外と気持ちがいい。落馬の危険があるので危
ないのは分かっているのについウトウトとしてしまう。
﹁ソウジロウ。前を見てみろ﹂
こっくり,こっくりと舟を漕ぎ出していた俺は軽く頭を振って意
識を覚醒させると蛍さんの横に顔出して前方を確認した。
705
﹁あ⋮﹂
そこは俺達がミラを安置していた場所。そこにはミラの冷たくな
った手を握ったまま蹲っているジェイクの姿があった。
俺の残した手紙で村の危険が去ったこと,村が近くなったことで
道案内が不要になったこと,ジェイクの本来の目的はミラに会うこ
とだったことから討伐隊と離れここに残っていたのだろう。
手紙には俺達が見つけた時には既に手遅れの状態だったと書いて
おいた。だが実際にどういう状況だったかは細かに書く訳にはいか
ずミラの遺言のようなものも書けていなかった。
村に来た時に話すつもりだったのだが討伐隊の中に姿を見かけな
かったので結局伝えることは出来ないままだったのだがここで姿を
見た以上は伝えない訳にはいかないだろう。
﹁ジェイクさん⋮﹂
1人馬から降りてジェイクに声をかけるが反応がない。
﹁ミラさんは俺達が見つけたときかろうじてまだ息がありました。
両手足の腱を切られた状態でしたが回復術を掛けることでなんとか
傷を癒すことはできましたが⋮それまでに流れた血が多すぎて助け
ることは出来ませんでした﹂
しばらく反応を待つがジェイクの動きがないため,俺は先を続け
る。
﹁ミラさんはジェイクさんが無事にフレスベルクに着いたことを喜
んでいました。そして最後にあなたに﹃生きて﹄と残して息を引き
取りました﹂
706
ジェイクはそれを聞いて初めて肩を震わせたがこちらに振り返る
ことも何かを喋ることも無かった。
﹁それでは私達はフレスベルクに戻ります。
⋮最後にコロニ村には今回なんとか助けることが出来た人達が2
0人くらいいます。子供が5人に後は全て女性ですが彼女たちは子
供たちを皆で助け合いながら育てていくそうです。
彼女たちも辛い目にあった人達です。生活していく上で男手が必
要になってもなかなか助けが求められないかもしれません。そんな
時に同じ村の出身の方が居ればきっと彼女たちの助けになれると思
います﹂
俺はそれだけを言うと肩を震わせ続けるジェイクに背を向け蛍さ
んの後ろに跨る。
﹁行こう﹂
﹁む﹂
2頭の馬は蛍さん達の指示によりゆっくりと歩き出す。
﹁大丈夫でしょうか?﹂
未だに身動きしないままのジェイクを心配してシスティナが振り
返るがこれ以上俺達に出来ることはもうない。
この後ジェイクがどうするかはもうジェイク次第だろう。1人で
生きていくのも,村の生き残りと生きていくのも,ミラの後を追い
自ら命を絶つのも⋮⋮
707
﹁フジノミヤ様!﹂
冒険者ギルドに入ると目敏く俺達を見つけたウィルさんが駆け寄
ってくる。
﹁ご無事で良かったです。うまくいったのですね﹂
﹁⋮出来るだけのことはしたと思います﹂
﹁⋮そうですか。ここではなんですので奥の個室の方で報告をお願
いしてもいいでしょうか﹂
のんびりと帰って来て,領主館に手紙や馬を届けてからギルドに
来たため既に時間は一番陽の高い時間を大分過ぎていた。
にも関わらず冒険者ギルドの中は喧騒に包まれていた。一番多い
のは新規登録希望者が列を作ってがやがやとギルドについての話を
している音だろう。
それ以外にも既に塔に行って帰って来たのか買取カウンターにも
冒険者が何人か並んでいるし,依頼票の掲示板の前にも3人程の冒
険者がたむろしている。そしてギルド内に設けた飲食スペースも既
に利用者がいるようだった。
﹁いいですよ。それにしても初日から盛況のようですね﹂
﹁おかげさまで想像以上の反応でした。既に登録者も3桁に迫ろう
としています﹂
﹁それは凄いですね!フレスベルクにはそんなに探索者がいたんで
すね﹂
奥の応接室に通されてソファに腰を下ろすとすぐに冷えた果実水
が出される。
708
﹁今日の所は積極的に塔に入っていた人達だけですね。これから冒
険者ギルドの話が広まれば塔に入るのを躊躇していたような人や新
しく探索者になろうと思っていた人達も登録に来てくれると思いま
す﹂
﹁順調な滑り出しみたいで良かったですね﹂
﹁はい。これも全てフジノミヤ様のおかげです。もう少し軌道に乗
ればフジノミヤ様に何かお礼をしたいと思っていますが今はその話
は置いておきます﹂
﹁そうですね。では依頼の結果について簡単に報告しますね﹂
俺はウィルさんに昨晩からの一連の話を報告すると同時に依頼完
了のサインを貰った紙をウィルさんに渡した。
﹁はい,確かに確認いたしました。今回の指名依頼を達成して頂い
たことで皆さんの冒険者ランクを﹃F﹄にに上げさせてもらいます
ので皆様のカードをお預かりいたします﹂
おおっ!さっそくランクが上がった。
確か当初の予定では指名依頼はDランク以上の冒険者にしか出せ
ない仕組みにするって話だった。それなのにギルドは立ち上げ前日
で﹃新撰組﹄と﹃剣聖の弟子﹄しか冒険者登録をしている人はいな
い状態で,しかも当然ランクはG。本来なら領主の依頼に応えられ
る状態では無かった。
それでも緊急事態だったことと,ここで領主に恩を売っておくこ
とでギルドが受ける利益,そして俺達ならなんとかしてくれるとい
う信頼からウィルさんは無理を承知で俺達に依頼をもちこんだのだ
ろう。
そう考えれば領主からの指名依頼を完璧にこなした俺達に対する
709
スピード昇格の措置は贔屓でもなんでもなく妥当なものだと言えな
くもない。
﹁それと依頼の報酬として金貨10枚をお預かりしていますのでお
納めください。とはってもフジノミヤ様達がしたことは依頼の主旨
であった先行偵察の範囲を逸脱するほど大きな功績です。
これはあくまでも私の予想ですが追加の報酬が出る可能性も高い
と思います﹂
おぉ⋮既に100万円相当の報酬を支払った上に追加報酬か。ま
あでも今回の件を考えたら追加報酬を貰ったとしても貰いすぎだと
は思わないかもな。正直心身共にしんどい依頼だった。
﹁それとフジノミヤ様が得た情報についてギルドの方でも情報を集
めさせます。﹃赤い流星﹄というのは南方では災害の1つと言われ
る程に恐れられている盗賊団だったはずです。掛けられた賞金も莫
大な額です。
私が行商で南方にいたとき⋮もう400日以上前ですがその当時
で既に幹部1人につき大金貨5枚,頭目のシャアズに至っては大金
貨10枚が懸けられていたはずです。そして,﹃赤い流星﹄の壊滅
報酬は大金貨50枚です﹂
幹部1人で500万!ボスが1千万,幹部が残りの兄弟と参謀の
4人だとしたら全員倒せば3千万?さらに壊滅報酬が5千万か,凄
い金額だけど⋮つまりはそういうことなんだろう。
﹁賞金がそこまで高額になるほどに手に負えない⋮手強い盗賊団と
いうことですね﹂
ウィルさんが重々しく頷く。俺は改めて赤い流星が穀倉地帯を東
710
回りに迂回してパクリット山方面へ向かったこと。場合によっては
フレスベルクも襲われる可能性が捨てきれないことなどを念押しし
ておく。
﹁わかりました。ギルドから依頼を出してしばらく街の周囲の警邏
と調査を定期的にしてもらうようにします﹂
﹁それがいいと思います﹂
冒険者が見回ることで街の治安も少しはよくなるかもしれないし,
冒険者にとっても街の周りを歩いて気になったことを報告するだけ
で小銭が稼げるのなら悪くないバイトだろう。
﹁っと,すいません。長くお引き留めして。この時間にお戻りだと
いうことは昨夜はほとんど寝ていないのでは?
今日は早く戻られてゆっくりとお休み下さい﹂
ウィルさんがしまったと言う顔をして慌てて立ち上がる。
﹁ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます。ただ,盗
賊団の情報については適宜私達にも教えて下さい。ご存知の通り私
達の屋敷はパクリット山の麓にありますので⋮﹂
﹁⋮そうでしたね。もし警備等で人手が必要なら仰って下さい。ベ
イス商会でも商隊の護衛をする私兵を何人か抱えておりますので﹂
﹁はい,その時は是非お願いします﹂
俺達はウィルさんに促されて部屋を出るとロビーからギルドを出
る。
﹁そう言えば今日は﹃剣聖の弟子﹄はギルドに顔を出しましたか?﹂
﹁ええ,今日も午前だけでかなりの数の魔物を倒したらしく結構な
711
数の魔石を売却して行きました。
その後はギルドの依頼を手分けして引き受けてくれています。引
っ越しの荷物運搬や家屋の掃除,留守中の子供の預かりなどですね。
どれも報酬は安い上に人気のない依頼だったようなのでギルドとし
ては助かりました﹂
多分,引っ越しがフレイで掃除がアーリかな。子供は何故か子守
+のスキルを持っているトォルだろう。どうやら塔の方も順調みた
いだし頑張っているみたいだ。
ウィルさんの報告に満足した俺達はウィルさんに頭を下げて1日
半ぶりに屋敷へと帰ってきた。
﹁ほんのちょっと離れていただけなのに帰ってきた感が半端無いな﹂
﹁はい。わずか十数日の間にすっかり私達の家になったということ
かもしれないですね﹂
玄関を入って思わず呟いてしまったがどうやらシスティナも同じ
気持ちだったらしい。
﹁疲れたでしょソウ様。でも寝る前にひとっ風呂浴びようよ﹂
﹁む,そうだな。システィナ,いつものやつ頼めるか?﹂
﹁ふふふ,わかりました。着替えやタオルなども準備しておきます
ので3人で先に行っていてください。すぐに私も行きますから﹂
﹁システィナも疲れてるのになんか悪いな,俺も手伝おうか?﹂
蛍さんのいつものやつというのは当然お酒のことである。蛍さん
は入浴の際はほぼ毎回酒を飲みながらなのである。そのためシステ
ィナはいつでも晩酌セットが持って行けるように準備がしてある。
﹁いえ,これも侍祭の仕事ですから﹂
712
﹁まあ,当然システィナはそう言うよね。わかった,じゃあ先に行
ってるから早くおいで。今日はまだ明るいし室内風呂の方にするか
ら﹂
﹁はい。早く行きますね﹂
昼間から露天も全然気持ちいいが,今日のところはとにかく早く
くつろぎたいので室内風呂だ。
﹁じゃあ行こう﹂
﹁はぁい。どうせ蛍ねぇはまたお酒ばっかり飲んでるだろうから,
また桜がソウ様のこと洗って上げるね。ソウ様はちゃんと桜とシス
を洗ってね﹂
よっしゃ!のぞむところだ!疲れ果てているが故にいきり立つ我
がエクスカウパーの力を見せてやろう!
結局3人がかりにかなう訳もなく⋮残っていた体力を全て絞られ
た。
713
帰還︵後書き︶
※ ご意見ご感想等おまちしております。
714
対応
結局あれからお風呂で1回戦×3。簡単に夕食を摂ってから寝室
で1回戦×3したところで俺の体力が尽きて眠りに落ちた。マイサ
ンの方は魔精変換があるのでまだまだ行けたのだが⋮
そのおかげなのかどうか分からないが泥のように深く眠った俺は
夢すら見ることもなく眠り続けることが出来た。中途半端な疲れ具
合で寝たら逆にうまく寝られずに嫌な夢でも見そうな気がしていた
ので皆に感謝である。もちろんすっきりさせて貰ったことも大きな
理由の1つだが。
結局皆で昼近くまでごろごろしてしまった。もっとも俺が目を覚
ました時には全員起きていたので他の皆は俺が起きるのを待ってい
たようだ。
その後は皆でお風呂で汗を流し,昼食を摂った。
﹁これからどうするかをちょっと話し合っておこう﹂
食卓を囲む蛍さん,システィナ,桜にそんなことを切り出したの
はその昼食後だった。
﹁盗賊団のことだな?﹂
﹁うん。もちろんこっちから積極的に狩りに行くつもりはない﹂
盗賊狩りとかやってみたい気はするが定まったアジトを持たない
上に大所帯の赤い流星相手ではちょっと荷が重い。
715
﹁でもあんなことをする人達を放っておく訳には⋮﹂
﹁気持ちは分かるけど現実問題として俺達4人では無理だよ。フレ
スベルクの方で本格的に討伐隊を編成するなら協力することはもち
ろん構わないけどね﹂
あんなクズ共を始末したいのは俺も同じ気持ちだが相手はまだ1
50人近くいる計算だ。一カ所にまとまっていてくれるなら魔法を
絡めて一気に潰せる可能性はあるけどそんな間抜けなことはしない
だろう。
移動するときも野営をするときもある程度分散しているはずだっ
た。
﹁しばらくは難しいだろうな。コロニ村の件が片付くまでには早く
ても3日,復興まで視野に入れれば1週間以上かかってもおかしく
ない。領主の抱える兵が何人いるのかは分からぬがこの世界の情勢
から推測するにそれほど多くはあるまい。
ならばコロニ村に派遣した兵が戻るまでは街の防衛はともかく外
征に出ることなど無理であろうな﹂
﹁うん⋮俺も蛍さんと同じ考えかな。だからこっちから攻めるとい
う選択肢はフレスベルクにも俺達にも無いんだ﹂
﹁でも裏山に逃げ込んでるなら私達の屋敷はかっこうの餌だよねソ
ウ様﹂
パクリット山というのは屋敷の後ろにある山だけを言うのであっ
て,実際にはパクリット山はアバオアク山脈の一部である。その広
大な山々をひっくるめて裏山と言っていいのかどうかはこの際置い
ておくが,桜が言っているのは盗賊達がパクリット山辺りに向かっ
たと聞いてからずっと俺達が懸念していたことである。
﹁かといって屋敷を引き払って避難するのもな⋮﹂
716
﹃自らの城も守れなのは悔しゅうございますわ﹄
城にいることが多かったらしい葵にとっては落城というものは受
け入れがたいらしい。
﹁そうだよね。昨日も言ったけどここはもう俺達の大事な家なんだ
よな⋮﹂
﹁はい。ですが来るかどうかも分からない盗賊を気にしてここに閉
じこもっている訳にいかないのも事実です﹂
ぶっちゃけしばらく働かなくてもいいくらいの貯蓄はあるので食
材とか日用品の補充をベイス商会に頼んで配達して貰うようにすれ
ば,しばらく屋敷に閉じこもっていても問題はない。ただ150人
全員で攻めてこられたら俺達4人が待機しててもさすがに守りきれ
ないだろう。
﹁さすがに大きめの屋敷とはいえ,屋敷1軒に全員でということも
なかろう。来るとすればせいぜい数十人といったところでではない
か﹂
そんな俺の不安を蛍さんが一蹴する。確かにちょっと大きいとは
いえど家1軒にそんな大人数を送り込む必要はないか⋮仮にこの程
度の屋敷に詰めている人間が20人程度だと見積もったとしてもそ
の20人は普通ならほぼ非戦闘員であることが想定される。
その状況なら奇襲をかける盗賊達の側からすれば同数程度で充分
制圧出来ると判断するだろう。人数が多くなればなるほど自分たち
の取り分が減るということも盗賊なら身に沁みているだろう。
本当ならば屋敷の物を一旦全部引き払って街へ避難すれば安全な
のは間違いない。だがいざ盗賊達が屋敷に押し入ってきた時に金目
717
の物が無かったからと言って何もせずに帰ってくれる保証はない。
最悪の場合腹いせにコロニ村にあった一部の家がされていたよう
に火をつけられて完全に焼失することも覚悟しなければならないだ
ろう。
﹁襲ってくるなら夜だと思う?ソウ様﹂
﹁う∼ん⋮⋮多分ね。ただコロニ村の襲撃は朝だったみたいだから
絶対とは言えないか﹂
﹁村の襲撃の時はおそらく100人以上で一気に襲撃したはずだ。
少数で動くだろう今回とは条件が違うだろう﹂
﹁数の力押しが出来たから時間を気にしなかったってことか﹂
﹁となると盗賊達が来るとしても夜になってからということですね
⋮﹂
う∼ん⋮じゃあ夜は常に動けるようにしてないと駄目か。ん?ち
ょっと待って!だったら全員裸で寝てるとかチョーアウトじゃね?
盗賊団がどっかに行くか壊滅するまでずっと生殺しってこと?
﹁⋮ご主人様。問題はそこではないと思うのですが?﹂
は!何故俺の考えていることがばれた?あなたは超能力者ですか
システィナ。
﹁な,なぜ⋮﹂
﹁ソウ様⋮あそこ膨らませて,そんな残念そうな顔してれば誰でも
わかるってば﹂
くっ,本能に従順な身体が恨めしい。
﹁ならば早朝,もしくは夕方に相手をしてやろう。システィナも桜
718
も構うまい?﹂
﹁桜はソウ様相手なら24時間365日いつでもOKだよ﹂
﹁あ,あの⋮私も⋮ご主人様のためなら﹂
な,なんて出来た嫁達だろう。
もう俺は彼女達抜きでは生きていけない自信がある!彼女達を守
るためにも警戒だけはしっかりするようにしよう。
﹁よし,じゃあ。しばらくは朝はちょっと遅めに出て夕方は早めに
帰るようにしよう。その上で夜は交代で見張りを置いて警戒する﹂
﹁ソウジロウ。見張りは儂と桜にまかせておけ。警戒が必要だとは
言えここは我らの家だ。そんなところで毎晩見張りなぞしていては
疲労が蓄積するだけだ。お前とシスティナは充分な休養を取って貰
わなければ困る﹂
むう⋮やっぱり蛍さんはそう言ってくるか。いくら刀だから寝な
くても平気だと何度言われても実際に毎晩寝ているところを見てい
る訳で,気持ちよさそうに寝ている姿を知っている身としては毎晩
の徹夜を強いることはしたくないんだよな。
そんな俺の思いが顔に出たのか蛍さんが肩をすくめつつ笑う。ち
ょっと嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
﹁いつも大丈夫だと言っているだろう。心配するな儂と桜で1日交
代でやればよい﹂
﹁そうだよ。ソウ様はちゃんと寝て体力回復して貰わないと!朝や
夕方の錬成がおろそかになっちゃうと困るしね﹂
﹁説得出来るとは思ってなかったけど⋮分かった。じゃあお言葉に
甘えるけど何日かに一回は俺とシスティナにも見張りをやらせて欲
しい。さすがに1晩丸々っていうんじゃなくて二人ずつ2時間交代
とかローテーションで。
719
そうしないと蛍さんと桜がいないときに俺達が困るからさ﹂
いつも刀娘達がいてくれるとは限らない。俺とシスティナが野営
時の見張りの経験を積んでおくのは無駄にはならないはず。
﹁ふむ,それも一理あるな。まぁもっとも我らが2人ともソウジロ
ウの傍から離れることなどないだろうがな﹂
﹁確かにね。こっちに来てから蛍さんと桜はずっと俺と一緒だから
ね。もちろんそのうち別々に行動することもあるかもしれないけど
それはもうちょい先にして欲しいかな﹂
なんだか随分と長い間こっちの世界で暮らしているような気がし
ていたけど,実際にはまだこっちに来てから日本時間で1ヶ月も経
っていない。もう少しいちゃいちゃさせてもらっても別にバチは当
たらないはずだ。
﹁ふふん⋮よかろう。ならばいっそ今日をその日にするとしよう﹂
確かに今日ならたっぷりと睡眠も取れているし,時間的にこれか
らどこかに出かけるということもない。それなら俺とシスティナの
負担は少ないだろう。蛍さんはなんだかんだ言っても俺に甘いと思
う。
﹁了解。じゃあ今日は寝る時から2時間おきに俺と蛍さん,システ
ィナと桜で交代しながら見張りをすることにしよう﹂
﹁はい。私もそれで構いません。ですが⋮そうすると今日はこの後
なにを致しますか?﹂
俺の提案に刀娘達が頷きシスティナも了承してくれる。が⋮確か
にこの後の予定がぽっかりと空いてしまった。もう探索に行くよう
720
な時間じゃないし,寝るにも早い。
﹁あ!はいはいはい!それなら盗賊用にちょっと屋敷のと庭の罠を
改造したいから手伝って貰おうかな﹂
﹁ちょ!ちょっと待ておい!ちゃんとそう言う物設置したら報告し
とけって言ったよね!﹂
﹁え?そうだったっけ?﹂
くっ⋮﹃てへっ﹄て感じで首をかしげる桜も可愛い。はぁ⋮結果
として屋敷の防衛力が高まるなら別にいいか。
結局この日は桜の指示に従って物を運んだり,穴を掘ったりする
作業に従事したのだがどんな罠が仕掛けられているのかは最後まで
教えて貰えなかった。
だが,このときの作業の疲労と夕方からの3人とのまぐわいで体
力を消耗してしまったため夜の見張りがかなり辛いものとなってし
まった。それでも見張りの時の注意事項や気配察知のコツなんかを
蛍さんから教えて貰ったりしたので有意義な体験だったと思う。
後で聞いたところシスティナも桜からいろいろなことを教えても
らえたそうで満足そうだったが何故か教えてもらったことを俺が聞
くと顔を赤くして教えてはくれなかった。
721
対応︵後書き︶
忘れてましたが﹃第3回オーバーラップWEB小説大賞﹄に応募し
ました。どんな結果になるかはわかりませんが応援よろしくお願い
いたします。
※ レ,レビューが欲しいです⋮誰か書いてくれると嬉しいです。
722
塔狩り︵前書き︶
ブクマが600超えました^^ありがとうございます。
723
塔狩り
﹁いないな⋮﹂
タワーウルフの3匹組を瞬殺し,桜とシスティナが魔石の回収を
している間に思わず呟く。
﹁今日もいるとは限らぬしな。取りあえず﹃3階層﹄を全てチェッ
クしたら1階層ずつ虱潰しにしてみよう﹂
﹁了解﹂
そう言って俺達は蛍さんの指示で﹃3階層﹄を進んでいく。
そう,3階層である。スパルタな蛍さんを擁する俺達が何故楽に
突破したはずの3階層をまた探索しているのか。その理由は1時間
程前にさかのぼる。
﹁未帰還者⋮ですか?﹂
初めての夜間の見張りを終えた俺達は遅めの朝食を摂った後,塔
の探索に行くべく俺達は屋敷を出た。
そのついでに盗賊の情報が新しく入っていれば聞こうと思って寄
った冒険者ギルド。そこで再び案内された部屋でウィルさんの話を
聞いた後の俺の第一声がこれだった。
なんだかすっかりギルドマスター的な位置付けになりつつあるウ
724
ィルさんが俺の言葉に頷く。
﹁はい。と言っても塔探索は危険なものですから未帰還者が出るの
はもちろんあり得ることなんですが⋮⋮今回は3階層に向かった冒
険者達が何人か戻ってきてないのです﹂
﹁3階層と言えば初心者に毛が生えた程度の冒険者達がいる辺りだ
な?﹂
﹁そうですね。ザチルの塔は塔に入る探索者が多い塔な上に未だに
最終層がどのくらい上かも分からない程の高層塔です。そのため低
層の敵の強さはさほどでもありません。
装備と人数をなんとかすれば3∼5層は比較的入りやすい安全な
層なのです。実際ここ数十日は5階層以下で死んだという話は全く
ありませんでした﹂
それでも引き際をミスったりとか仲間割れをしたとかちょっとし
たことで未帰還者の仲間入りをすることはありえそうな気がするけ
ど。
﹁フジノミヤ様の考えられていることは分かります。ですが未帰還
者は昨日だけで3パーティ11人です。ちょっと多すぎるのです﹂
﹁それは⋮確かに多いですね﹂
﹁はい⋮それでここからが今回の本題なのですが﹂
ウィルさんはそう言うと一枚の紙を取り出して机に置いた。そこ
にはインクで書かれたミと○が組み合わさったような模様が描いて
ある。
﹁これは?﹂
﹁3階層で他の探索者に襲われたと報告をしてきた冒険者の話を聞
いて作成したものです﹂
725
﹁どういうことですか?塔の中で盗賊のようなことをしている者が
いるということですか?﹂
﹁はい。残念ながらそう言った事件は度々報告されています。危険
な魔物を倒して得た魔石よりもそこそこの装備を身に付けた探索者
を騙し討ちにして身ぐるみを剥がした方が儲かると考える人がいま
す﹂
なるほど,確かに1個2000マール程の魔石をちまちま稼ぐよ
りも探索者達を襲って所持金や戦利品や装備を売り払った方が短時
間で高額な利益が出るだろう。だがそんなことをずっと続けていく
訳にはいかないんじゃないだろうか。
そんな強盗殺人をやっていたらすぐに噂になってもっと強い相手
が討伐に来る可能性が上がる。現に今回だって翌日には情報が漏れ
ている訳で⋮
﹁塔の死体は時間が経つと塔に吸収されます。荷物さえ持ち去って
しまえば証拠は残りません。なので1人も逃さないようにすればそ
の犯行はかなり長い時間発覚しないことになります﹂
﹁え?でも今回の件は昨日の話ですよね﹂
﹁その相手は冒険者達を塔の外周部で襲って来たそうです﹂
﹁ほう⋮そういうことか﹂
ウィルさんの言葉に蛍さんが何かに気が付いたらしく不敵な笑み
を浮かべている。
﹁蛍さん,どういうこと?﹂
﹁分からぬかソウジロウ。塔に入るものなら常識だぞ⋮⋮塔からの
脱出方法はな﹂
﹁あ!﹂
726
そうか!塔から出る時はただ窓から飛び降りるだけでいい。だか
ら目撃者を残したくないのなら襲撃場所は外周部ではなくある程度
内部に入り込んだ場所じゃなきゃダメなんだ。迂闊に窓の近くで襲
ったところで飛び降りられたら逃げられてしまうんだから。
確認してみたら逃げてきた冒険者も仲間が襲われている間に窓か
ら飛び降りられたので死なずにすんだらしい。仲間を見捨てて逃げ
たことについてはもやっとする部分はあるがそのおかげでそういう
奴らがいるという情報を持ち帰れたのだから一概には責められない。
﹁つまり犯人は塔で強盗行為をしているくせに塔のことを知らない
ってことか⋮﹂
﹁はい。そのおかげでなんとかその冒険者は窓から逃げ出すことが
出来たそうです。そして襲ったグループの中のリーダーらしき男の
右肩にこの絵の模様が刻まれていたそうです﹂
﹁そっか!これってよく見れば流れ星っぽいよねソウ様﹂
﹁!!⋮赤い⋮流星。そう言うことか﹂
ウィルさんの言いたいことが理解できた。つまりウィルさんはコ
ロニ村を襲った後北上した赤い流星,その一部が塔に入り込んでい
るのではないか。そう言いたいらしい。
﹁襲って来た奴らは20名程度だったようです﹂
﹁⋮つまり副頭目のうちの1人が配下を全部連れて来てるってこと
か﹂
﹁ソウジロウ。これが本当なら考えようによっては好機かも知れん
ぞ﹂
﹁そうだね∼20人くらいなら塔の中で不意を突けば私達で殲滅出
来るんじゃないかな﹂
なるほど⋮⋮相手の強みは決まったアジトを持たないことと大所
727
帯であること。それなのにあっちがわざわざ狩場を固定した上に戦
力を小出しにしてくれるなら叩いておくに越したことはない。しか
も塔の通路なら大人数で囲みにくい。
頭数を少しでも減らしておけばそれだけ俺の屋敷や,街が襲われ
る危険が減る。
﹁ソウジロウ様。ちょっとよろしいですか?﹂
﹁ん?何システィナ﹂
俺に話しかけてきたシスティナの表情に僅かな焦燥を感じる。な
んだろう?
﹁あの⋮⋮盗賊がいたのって3階層ですよね。もしかしたらなんで
すけどフレイさん達のパーティも昨日辺りその辺にいたのではない
かと﹂
﹁あ!﹂
まずい!2階層までを楽に踏破できるようになっていたフレイ達
が5階層までの許可を出した翌日に3階層に挑む可能性はかなり高
い!
﹁ウィルさん!剣聖の弟子は今日はギルドに顔をだしましたか!﹂
﹁え?あ,はい⋮確か朝一番でお見えになったと思いますが﹂
﹁本当ですか!⋮⋮はぁ﹂
思わず乗り出していた身体から力が抜けソファに崩れ落ちる。
﹁っもう!ソウ様ったらツンデレぇ﹂
くっ!しまった。つい過剰に反応してしまった。だがあの村の惨
728
状を見ればフレイやアーリがあいつらに捕まった時にどんな扱いを
されるのかなんてわかり切っている。それは正直見たくないし許せ
ない。⋮⋮あ∼別にトォルはどうでもいい。
﹁ウィル。奴らが今日ギルドからの依頼を受けていたかどうか分か
るか?﹂
﹁いえ,確認はされていましたが依頼は受けていなかったと思いま
すが﹂
﹁まずいな⋮ソウジロウ。安心している場合ではなさそうだぞ﹂
﹁え?﹂
﹁依頼を受けずにギルドを出たということは今日も午前中は塔で稼
ぎ,午後から依頼という流れをしようとしているはずじゃ﹂
あ!じゃあ,今まさに絶賛塔攻略中ってことか!
﹁すいませんウィルさん!私達はこれで失礼します。また新しい情
報がありましたら教えてください﹂
慌ただしくウィルさんに別れを告げると俺達は塔へと走る。3人
を出来る限り鍛えて貰ったが所詮は一週間の付け焼刃であり20名
近くに囲まれたら凌ぎきれない可能性はある。
言葉も交わさずにひたすら走り続けて塔に辿りついた俺達はロビ
ーに入る前に一度立ち止まるが乱れた息を僅かに整える時間すら惜
しんですぐさまロビーに入ろうと足を踏み出す。
﹁おう!ソウジじゃねぇか!昨日は見なかったけどなにしてたんだ
?﹂
へ?⋮⋮
729
どっかで聞いたような声にそちらを振り向くと後ろにフレイとア
ーリを連れたトォルが暢気に手を振っていた。
⋮⋮⋮なんかムカついたので取りあえず鞘付きの葵で一発トォル
を殴った。
﹁いってぇな!俺が何したって言うんだよ。何度も言うがな,俺の
方が年上なんだからな!﹂
﹁反省はしてる。だが後悔はしていない﹂
﹁お前な⋮はぁ,なんだかもう⋮いいよ﹂
トォルとの話が付いたところでフレイ達に話を聞いてみるとどう
やらやっぱり3階層には入っていたらしい。だが3層に行くとすぐ
にフレイの音響索敵に23人という不自然な数の反応があったので
警戒をして近寄らなかったとのことだった。
しかも聞こえてきた会話の一部から強盗らしいことはすぐに分か
ったらしい。
﹁それでいなくなったら3階層に挑戦するつもりで,昨日もまた1
階層から2階層を繰り返していたんだがいつまでたってもいなくな
る気配がなくてな。その内ギルドの依頼を受ける時間が来てしまっ
たので昨日は切り上げたんだ﹂
フレイの話を聞いて納得した。確かにフレイの聴力をもってすれ
ば危険を察知することが出来てもおかしくない。
﹁良かった。フレイさん達が無事で⋮フレイさんのおかげですね﹂
730
俺は内心で胸を撫で下ろしながら殊勲の平耳をなでなでしてあげ
た。
﹁ひゃん!⋮あ,あの⋮フジノミヤ殿,うんっ!⋮はぁ⋮﹂
なんだがフレイの顔が赤いがモフモフが気持ちいいので取りあえ
ず無視しておこう。
﹁今日も1階層から順に上がって行ったのですが,先ほど3階層に
上がったところやはり同じように⋮⋮ただし今回の場所は階層の中
心近くになってました。
そんなところで囲まれるとマズいので今日も無理せず一旦戻って
来たところでした﹂
リーダーのアーリの決断だったらしいが賢明な判断だったと言え
る。盗賊達も前回の反省を生かして外周部での狩りをやめていたよ
うなので下手に近づいていたら危なかっただろう。
﹁あ,あの!ふ,フジノミヤ⋮殿ふんっ⋮はぁ,やつ⋮かい⋮が,
ん!﹂
ゴン!
﹁いい加減にやめんか!フレイの話が聞けぬ﹂
つっっ⋮すいません調子に乗りました。あんまりにも気持ちよか
ったもので。
﹁すいません蛍殿。助かりました。耳は普段隠しているせいか刺激
731
に敏感で⋮触られても平気なようになるべく慣らしておくのでフジ
ノミヤ殿もしばし待っていてくれ⋮﹂
やばっ!顔を赤くしつつも触ること自体は駄目って言わないフレ
イ,可愛いかも。
﹁その辺は後でソウジロウと打ち合わせておけ。儂が聞きたいのは
賊のことじゃ﹂
﹁あ,あぁ。先ほど3階層から出る時に聞こえたんだが,3階層じ
ゃ稼ぎが悪いからもう少し上に行くか?的なことを話していたよう
だった﹂
﹁なるほどな⋮奴らは3階層から上の階層のどこかで網を張ってい
るという訳か⋮﹂
蛍さんが獰猛な笑みを浮かべている。こうなったらもう俺には止
められないし,今回は止めるつもりはない。こいつらは今まで俺が
知っている中でも最大級の悪人だ。処分出来るチャンスがあるなら
躊躇するつもりはない。
﹁よし,山狩りならぬ塔狩りだ﹂
732
塔狩り︵後書き︶
※ レビューが欲しいです。どなたか書いてくれませんか?書いて
くれたらうれしいなぁとか言ってみたり。
733
待ち伏せ
という訳で3階層から塔に入ってフレイに聞いた場所まで来てみ
たのだが盗賊らしき気配は無かった。
蛍さんの言うとおりに3階層内を気配察知で虱潰しにして,いな
いことが確認出来てから3階層の主を倒して4階層に上がる。
4階層に上がってからも全ての場所を探っていくが数人程度の探
索者には遭遇するが20人を超えるような団体は見つけられなかっ
た。
﹁さらに上か⋮それとも今日はもう引き上げたか?﹂
﹁引き上げているのならまた明日くればよいだけのことじゃ。それ
よりもフレイの話では階層をあげるというようなことも言っていた
らしいからな。
5階層も様子を見ていこう﹂
そう言って蛍さんは無造作に上り階段のある広間へと進んでいく。
階段のある広間⋮はい,つまりボス部屋です。
ただ3階層の時もそうだったが,広間に主の姿が見えない。姿が
見えないということは直前に主を倒して上に上がった人達がいると
いうことだ。奴らが上にいる可能性は高いかもしれない。
4階層のボスは前回来た時も倒してはいるが,毎回同じ魔物とは
限らないしやっぱり主戦は緊張する。前のパーティが主を倒した後
は一定時間経過後に新たなパーティが入ることで新しい主がポップ
する。
今回も蛍さんの侵入に合わせて階段下から魔物が湧き上がってく
734
る。すぐに湧くということは俺達の前にここに来たパーティが主を
倒してからそれなりの時間が経っているということだろう。
湧き上がってきたのは﹃小隊長ゴブリン︵4階層︶ ランク:F﹄
とその取り巻きのゴブリンで﹃足軽ゴブリン︵4階層︶ ランク:
H﹄が2体と﹃弓兵ゴブリン︵4階層︶ ランク:H﹄が2体だっ
た。前回はビッグスコルピオという大きめの蠍の魔物だったが今回
は小隊編成で合わせてボスということらしい。
それにしても前に見たゴブリンは持っている武器に合わせた名前
だったのに,今回は兵種で区分けされているみたいだ。指揮官クラ
スのゴブリンの指揮下に入ると名前が変わるのだろうか。まぁ,ぶ
っちゃけゴブリンの種別の基準とかどうでもいいので別にいいか。
ただ,そのうち中隊長とか大隊長とかも出てきそうなのが嫌だけ
どね。
っと!そんなこと考えている間にゴブリンたちの陣形が整ったの
か小隊長ゴブリンが足軽2匹を従えて距離を詰めてくる。弓兵ゴブ
リンはその名の通り弓を装備していて後方で射線を取れるように陣
取っている。足軽の2匹は銅製っぽい長槍を構えながら2匹の間隔
2メートル程を維持しつつ近づいてきていて,小隊長はその2匹真
ん中やや後ろ俺達の正面で長剣を構えつつ間合いを詰めてきている。
弓で俺達を牽制しつつ槍2本で攻撃をして隙を見て小隊長が突っ
込んでくるつもりなのだろうが初心者パーティならともかく俺達新
撰組を相手にするならあまあまである。
﹁桜!弓を頼む。システィナ!俺と蛍さんで槍を抑えるから主を頼
む。蛍さんは右の槍をよろしく﹂
﹁まっかしといて!﹂
﹁はい!﹂
735
﹁うむ﹂
女性陣の頼もしい返事を聞きながら俺も左のゴブリンに向かって
走る。ゴブリンはギギッと歪な声を漏らしながら槍を俺めがけて突
き出してくる。お?想像以上にしっかり槍が使えてるっぽい。なか
なかの突きが俺の胸の中央めがけて突き出される。
俺は槍が当たる直前に足を止め左肩を引くことで僅かに半身にな
るとゴブリンの槍が目の前を通り過ぎていく。その槍の中程を右手
に持った葵で上から叩きつける。
スパ
思ったよりも柔い槍だったのか葵の斬れ味が良かったのかゴブリ
ンの槍は中程から綺麗に真っ二つになった。槍が斬られたことに驚
愕し一瞬硬直したゴブリンの首を左手の閃斬がこれまた綺麗に斬り
飛ばした。
よし!とりあえず俺の役目は終わり。他は⋮
さっと視線を巡らせると既に蛍さんはゴブリンを頭頂から真っ二
つにした後だったようですぐさま桜が向かった方とは別の弓兵に向
けて駆けだしている。桜も距離の違いを感じさせないほどに時を同
じくして弓兵の背後を取り首を掻き斬っている。
そしてシスティナがゴブリン小隊長と接敵し,3合ほど打ち合っ
た後に魔断の斧部分が小隊長の長剣を持つ手を断ち割る。そして腕
を失った痛みでうずくまりかけた小隊長の上からシスティナの魔断
の槌部分が頭上に⋮⋮⋮うぁ,グロい。
まぁどうせすぐ塔に吸収されるからいいけど。
736
﹁よし,魔石を回収したら5階層へ上がる﹂
最後の一匹をさくっと仕留めた蛍さんが刀を身体に戻しながら凛
々しく宣言する。どうみてもリーダーは蛍さんだよなぁ,格好良す
ぎる。
﹁それとソウジロウ。今の指揮はなかなか良かったぞ﹂
それに男を﹃立てる﹄のもうまい。蛍さんに誉められるだけでテ
ンションが上がってしまう。
﹁ご主人様。魔石は回収しました﹂
﹁ありがとうシスティナ。じゃあ行こうか﹂
皆を促して5階層への階段を上がると小さな部屋に出る。これは
どの階層へ上がっても変わらないらしい。もう一つ共通するのはこ
の部屋には必ず外壁側に扉が1枚あることである。この普通に空け
れば外に飛び出してしまいそうな謎扉が1階のロビーの扉と繋がっ
ているので1階から5階層に来る人達もここからスタートになる。
ちなみに5階層は左右と正面に通路が伸びているが,始まりの部
屋からどちらの方向に通路が伸びているかはその階層ごとに違うら
しい。ついでに言うとこの部屋と安地部屋だけは何故か魔物が入っ
てこないということだった。確かにこの部屋で魔物に待ち伏せされ
ると探索者的には詰んでしまう可能性もある。そんな噂が広まると
塔に人が来なくなってしまうため塔自身も飢えてしまうことを理解
しているのかもしれない。
上がってきた5階層始まりの部屋には俺達しかいなかった。とり
あえずこの場所から分かる範囲全てを蛍さんと桜の気配察知で索敵
737
してもらうのでここで一旦休憩するのが今日の流れである。
背負い袋から水筒を取り出すとぐいぐいと喉を潤し,システィナ
に渡す。今更間接キッスくらいでどうこう言う間柄でもないのでシ
スティナも普通に受け取って口を付ける。水筒自体はシスティナも
持っているのだがまたすぐ動き出す予定なので二人して荷を下ろす
必要はない。
﹁ありがとうございました。ご主人様﹂
システィナから受け取った水筒を背負い袋に入れ再び背負う。蛍
さんと桜は必ずしも水分補給が必要ではないので塔にいるときは求
められた時だけ水筒を渡すことにしている。
﹁いるな﹂
﹁うん,いるね﹂
荷物を背負い,武器の確認をして軽く屈伸をしていると蛍さんと
桜がぽつりと呟く。
﹁人数は分かる?﹂
﹁もう少し近づけばはっきりと分かるだろうが⋮正確には無理だな﹂
﹁それにあいつら二手に分かれてるっぽいんだよね﹂
﹁わかった。とりあえずもう少し近づいてみようか。案内して﹂
蛍さんは頷くと気配に集中しながら正面の通路へと踏み出す。ど
うやら中心部に近いところに網を張っているようだ。
﹁そう言えば葵は探知系のスキルは無いんだよね﹂
﹁こやつは安全な所に飾られてばかりだったからの。危険に対する
認識が鈍いのだろうよ。戦乱を生きていない桜でさえ気配察知を覚
738
えておるのにのぉ﹂
﹃うるさいわよ!山猿!そんなスキル無くたってわたくしにはあな
たたちも持っていないユニークスキルがあるんですのよ!つまりは
エリートですわ!﹄
う∼ん。確かにその通りではあるんだけど⋮その肝心のユニーク
スキルの使い方が全く分からないんだよなぁ。
簡易鑑定じゃステータス画面の項目は鑑定できないしな。葵の武
具鑑定結果は⋮
葵︵日光助真︶ ランク:C+
錬成値 21
吸精値 0
技能:
共感
意思疎通
威圧
高飛車
魔力操作
適性︵闇︶
特殊技能:
唯我独尊
﹁システィナ﹃唯我独尊﹄の意味を教えてくれる?﹂
﹁はい。⋮⋮⋮﹃自分ほど偉いものはいないとうぬぼれること。こ
の世の中で自分より尊いものはいないという意味﹄こんな感じです
ね﹂
﹁だよねぇ⋮﹂
739
システィナの叡智の書庫なら地球の言葉の意味もすぐ調べられる。
それに最近分かったことだけど叡智の書庫に進化してから検索ワー
ドが2語まで設定出来るようになったらしい。
どういうことかというと叡智の書の時は︻カレー︼︻作り方︼と
聞くとカレーの定義と作り方という言葉の意味が別々に流れ込んで
きてカレーの作り方は全く分からなかったが,今は同じワードでも
材料から調理手順まで分かるようになったらしい。これによりシス
ティナの知識は加速度的に増大しており日頃の食事のメニューの中
にも地球食に近いものがちらほら出てくるようになっていて俺の郷
愁を刺激してくれる。まあ帰りたいとはあまり思わないが。
っと話がそれた。結局葵が高飛車で傲慢だからってそれがどうな
んだって話だ。ただ俺が思うに威圧,高飛車辺りは敵対する生物の
動きに働きかける効果があるんじゃないかと考えている。威圧は相
手の動きを止める。高飛車は挑発してタゲを取る。みたいな?
試してみたい気もするけど刀状態の葵のスキルを俺が使うとかな
り劣化するから高飛車とか使っといてなんの効果もなかったらかな
り痛い子なので,出来れば葵が人化してから葵に使ってもらいたい。
唯我独尊もこの辺りのスキルと関連した能力なんじゃないかとなん
となく推測してるんだけど結局確認はまだ先の話になりそうだ。
﹁さて,馬鹿のたわごとはほっとくぞ。ソウジロウ。どうやら近い
ようだ﹂
蛍さんが足を止めて気配を探る。
﹁う∼ん⋮手前に10人いて﹂
﹁奥に5⋮10,13人か。フレイの言っていた人数とも合うな﹂
740
﹁その手前の10人がいるという場所はもしかして安全地帯の部屋
でしょうか﹂
﹁多分,そうかも。ここに来るまでの間もそこには魔物が寄り付く
気配がなかったしね﹂
なるほど⋮つまり5階層突破を目指すパーティは主の間の近くに
ある安地部屋にかなりの高確率で寄って最後の休憩と諸々の最終確
認をする。
そこで相手の装備や人員構成を確認しておいて先に送りだせばそ
の先には本隊が待ち構えている。後は後ろを追いかけて退路を断て
ば後は嬲り殺しにするだけということか。
理には適っているのかもしれないが正直胸糞悪い。
﹁さて,どうしてくれようか﹂
﹁先に手前の10人をやっちゃおうか?ソウ様﹂
﹁あの⋮それはちょっと。まだ盗賊かどうかが確定した訳でもあり
ませんし﹂
正直桜の案が一番確実なんだが⋮確かにまだ何もしてない相手を
問答無用で斬るのはちょっとやりすぎか。まあ簡易鑑定を使えば職
から盗賊かどうかは一目瞭然なんだけどそれにしたって今現在進行
形かと言われると微妙なところだ。
俺は別に昔盗賊でも心を入れ替えて真面目に頑張ってる人までを
も悪人だとは思わない。もちろんそれなりに悪いことをした以上死
にもの狂いでやり直してないと認めるつもりはないが。
﹁挟まれてからひっくり返せるかな?﹂
﹁我らなら問題ないだろう。まあ桜の魔法の力は使う必要はあるか
もしれんがな﹂
741
﹁桜におっまかせ∼!がんがん燃やしちゃうよ﹂
そっか。そういや魔法があったな。桜の魔法で相手をかき回せば
なんとか行けそうだな。
﹁よし。なら,もし奴らが罠を仕掛けた盗賊だったら正面から食い
破ろう。
いざ挟まれたら後ろの10人は蛍さんと俺がやる。桜は前の団体に
火魔法をがんがん打ち込んで混乱に乗じて敵の数を減らして。シス
ティナは俺と蛍さんが後ろを片付けるまで前線を支えて欲しい。
後ろが片付いたら攻勢に転じよう﹂
742
待ち伏せ︵後書き︶
※ レビュー書いてくれる方募集してます。ご意見ご感想もエネル
ギーになりますのでどうぞよろしくです。
743
5階層攻防戦︵前書き︶
31万PV,5万ユニーク超えました。読んでいただいてありがと
うございます。
744
5階層攻防戦
部屋に入るとそこはレイトーク1階層でみたような安地部屋と大
差ない10畳ほどの四角い部屋だった。右の奥に6人組の集団がい
て,左の奥に4人組の集団がいる。いずれも鋭い目つきで俺達を値
踏みするように観察し,うちの女性陣を見て口元に下卑た笑みを浮
かべている。
俺的にはこの時点で完全アウトなんだが⋮
とりあえず奥の奴らに軽く頭を下げ,休憩に来ただけという体を
装い入り口付近に腰を下ろす。あいつらの近くに座ろうとはちょっ
と思えない。カモフラージュのため背負い袋から水筒と携帯食︵干
し肉的な物︶を出すと皆に配る。
そのついでに奴らをざっと簡易鑑定していくが予想通り,いや
予想外に1人を除いて全員の職が盗賊になっていた。
そのまま談笑しながら携帯食を囓っていると4人組がこちらへ
歩いてくる。ここでやる気だろうか。むしろここで襲ってくれた方
が10対4になるので23対4より楽でいい。
﹁こんにちは。5階層は初めてですか?﹂
話しかけてきたのは優男と言っても良いような細身の男だった。
人によってはイケメン認定を得られるかどうかという感じで軽鎧を
身につけ腰には長剣を下げているが⋮⋮なんていうか似合っていな
い。正確には馴染んでいないと言った方が正しいだろうか。
そいつが空々しい笑顔を振りまきながら親しげに話しかけてき
たのである。
745
﹁いえ,5階層には最近ですね。今まではずっと4階層で戦って
いたんですが,それがいい経験になったようで5階層でもそれなり
に戦えそうなので思い切って主討伐に挑戦してみるつもりです﹂
とりあえず5階層の主に挑戦しにきた初心者に毛の生えた程度
の探索者を装って返事をしておく。
﹁そうですか。私達も似たようなものです。今までは対応型の塔
に入っていたので自分たちの実力がここでは何階層なのかを調べよ
うと思って行けるところまで行くつもりなんですよ﹂
対応型の塔は入り口を入るとそのパーティの実力に近しいレベ
ルの魔物がいる階層へ飛ばされるという変則的な塔でこの世界にも
1つしかない。もし本当にそこに入っていたとしたら確かにザチル
の塔なら何階層まで行けるかを調べるのは必要なことだろう。
﹁対応型ですか。確かミレスデンの塔でしたっけ?﹂
﹁⋮⋮あ,はい。確かそんな名前でしたね。ではそろそろ私達は
主に挑戦して上に上がりますので失礼いたします﹂
軽く頭を下げて部屋を出ていく4人を見送って小さく溜息を吐
く。さて,どういうことだろうか﹃兇賊﹄くん。
そう,唯一盗賊ではなかった男。それがあのエセイケメンだっ
た﹃兇賊﹄⋮盗賊からの派生職だろうか?名前の凶悪さから考えれ
ば盗賊の上位職っぽい。今回の集団のナンバー2かもしれない。
﹁どうやら,我らの情報を本隊に伝える役目だったようだの。こ
の先にいる集団に合流したようだ﹂
746
なるほどね。獲物の品定めをしてたのか。獲物の人員構成,強
いのか弱いのか,装備は?その辺を自らの目で確認して本隊に伝え
る役目。ならばさっきの応対で俺達はさぞおいしそうな獲物に見え
ただろう。 極上の美女が3人,装備も明らかに魔材を使用したレア装備で
あることはある程度の人にはすぐ分かるだろうしね。
﹁これは確実に襲ってきますね﹂
システィナの目が据わっている。赤い流星に対しては容赦する
気は欠片もなさそうだ。
﹁さて,後方部隊があいつら6人になりそうだけどどうしようか
?﹂
﹁ふむ,あの程度の敵6人だったら儂1人でなんとでもなろう﹂
﹁了解。じゃあ俺も前衛に回る。本格的に相手を潰すのは後顧の
憂いを断ってからにしよう。いいねシスティナそれまでは突っ込ま
ずに後ろに敵を通さないように立ち回るんだ﹂
﹁⋮はい﹂
システィナの防衛力なら問題ないだろうけど赤い流星に内心で
は激怒しているっぽいシスティナが1人で突撃したりしないか少し
不安だったからちょうど良かった。じゃあぼちぼち行きますかゴミ
掃除に。
俺達は視線だけで意思を確認し合うと荷物を片付けて立ち上が
る。一瞬ビクッと部屋の中の男たちが反応したのは自分たちも動く
つもりだからだろう。
そのまま特に後ろに意識を向けないようにしながら部屋を出て
主の間のある方に向かう。
747
﹁長い通路で前後からで間違いない?﹂
﹁だろうな﹂
﹁この道は先日5階層を抜けた時と同じ道です。この先のT字路
を右に曲がればしばらく別れ道のない通路になります﹂
さすが侍祭様,一度通った道は忘れないらしい。
﹁多分そこでビンゴかなぁ。前の集団的にも後ろの集団的にも﹂
﹁そうですね。多分そこの通路の先が十字路になっていますので
そこに兵を伏せているのではないでしょうか﹂
﹁シス正解。確かに気配の塊が2つに別れてるから間違いないね﹂
これで襲撃を受けることはほぼ確定しているが﹃いつ﹄受ける
かは特定出来た。本来ならそれを活かして逆にこちらから奇襲をか
けたいところなんだが万に一つ,億に一つ程の可能性で冤罪の可能
性がある以上こちらから仕掛けるのは躊躇いがある。
この辺が平和な日本で育った弊害だろうか。日本では死刑反対
論者が﹃冤罪だったどうする﹄を死刑囚全員に適用して騒ぎ立てて
いた。確かに冤罪の可能性がある人に関しては徹底的にやればいい。
だけどどう転んだって冤罪の可能性のない死刑囚もいるのに死刑制
度自体を無くそうとするのはナンセンスもいいところだと思う。
おっと俺の個人的な考えなんかどうでも良かった。人それぞれ
の考え方があって当然だしね。ただ俺は俺が悪人を容赦なく斬るた
めの理由が欲しいだけだ。
﹁よし。じゃあ気を引き締めて行こう。一度に相手する人数は少
ないとはいえ相手は5倍以上だからね。全員無理はしないように﹂
﹁うむ﹂
﹁はい﹂
748
﹁オッケー﹂
﹁ここで止まって貰おうか﹂
十字路の両脇からぞろぞろと出てきた男たちの中から髭面の男
が1人前に出て来て俺達を制止する。
時を同じくして後方から駆け足の音が聞こえてきたので後ろの
6人も予定通り俺達の退路を断ちに来たようだ。
﹁何か御用でしょうか。私達は主の間に行きたいのですが﹂
システィナが同じように一歩前に出て丁寧に対応を始める。
﹃皆,無いと思うけど弓にも気を付けておいて﹄
﹃﹃﹃ 応 ﹄﹄﹄
俺の共感によるイメージ伝達を正確に読み取ってくれた刀娘た
ちから了解の意が届く。
﹁たいしたことじゃない。置いて行ってほしいだけだ﹂
﹁置いて行って欲しい?何をですか?﹂
髭の男は気丈に話を続けるシスティナを見て下卑た笑い声をあ
げ周囲の男たちと顔を見合わせて笑う。
﹁そこの冴えない男の命以外全てだよ。たいして可愛くもねぇ男
749
なんてケツの穴すら役にたちゃしねぇからな!ギャハハハ!﹂
﹃火遁:槍衾﹄
瞬間,キレた桜のパワーアップした3本の炎槍が先頭にいた盗
賊共に命中した。前に出ていたのは通路を塞ぐために4人。そのう
ち脅迫していた髭以外の3人が黒焦げになっている。
﹁な!なんだ⋮ひっ﹂
ほぼ無詠唱状態で放たれる桜の魔法とその威力に理解が追いつ
かずに慌てる髭の男が引き攣った声をあげる。何故なら一瞬目を離
した隙に目の前に驚くほど冷たい眼をした女が自分の喉元に刀を突
き付けていたからだ。
﹁お前ごときがソウ様のことを馬鹿にするな﹂
次の瞬間髭の頭が宙を舞う。
ちょっと予定とは違ったがまあいいか。あと19人きっちり仕
留める。
﹁いくよ!﹂
一言告げて走り出す。見てはいないがちょっと遅れてシスティ
ナも続いている。後ろからは既に悲鳴が聞こえているので蛍さんも
桜とほぼ同時に動き出していたらしい。
桜は髭男にとどめを刺した後は速度を活かして攪乱しつつ火魔
法を各所でぶっ放している。威力が高すぎるものは俺達がいて使え
ないので﹃火遁:爆﹄をピンポイントで打ち込んでいるらしい。
750
﹁くそ!兄貴がやられた!俺達も行くぞ!相手は女3人の4人組
だ,さっさと片付けてお楽しみといくぞ!ぐあ!﹂
﹁させるか馬鹿﹂
迂闊に前に飛び出してきた勘違い男の首を閃斬で斬り飛ばす。
だが盗賊達が後ろからどんどん詰まってくると一撃で勝負を付ける
のは難しい。通路の幅の関係上,最低でも1人で2人は相手にしな
くちゃならないからだ。だが後ろに敵をやる訳にはいかない。蛍さ
んなら1対6でも負けないだろうが後ろから増援が来るようだと戦
いにくいだろう。
﹁システィナ!後ろに行かない様にすればいい!﹂
﹁はい﹂
システィナは魔断のリーチを活かして盗賊達近づけさせずに短
剣や長剣を捌いていく。守りに入らせたシスティナは相変わらずの
安定だ。
俺もあまり突っ込み過ぎないようにシスティナとの位置関係に
気を付けながら一度に2人の盗賊を相手にする。右からの上段を葵
で受け,左からの突きを閃斬で叩き落とす。葵で剣を受けながら閃
斬を叩き落とした剣に滑らせるように斬り上げて行って相手の首を
薙ぐ。左の敵が入れ替わる前に水平に受けていた相手の剣を葵の剣
先を下げて受け流し相手の体勢が前のめりになったところで閃斬を
脳天から落とす。
正直しんどい。視界を一か所に集中しすぎることなく常に広く
俯瞰的に保ち続けるのはかなり精神力を削られる。1剣1刀を使い
こなすための特訓はしてきたつもりだがまだまだ付け焼刃の段階で
時折俺が見逃した攻撃を葵が共感でフォローしてくれなければまだ
まだ1対2の状況で常に戦い続けるのは無理だろう。
751
こんな時は戦闘系のスキルがないのが悔やまれなくもないが刀
娘達の代償だと思えば嘆くつもりはない。スキルなんかなくても強
くなれる!
﹁待たせたなソウジロウ。一旦下がれ﹂
とは言いつつも後ろから聞こえた頼もしい声に心底安堵しなが
ら相手の攻撃を弾き返したタイミングで下がる。その穴にはもちろ
ん蛍さんが黒髪を靡かせながら入っていく。
﹁ぷはぁ!﹂
下がった瞬間にいつの間にか止めていたらしい呼吸が再開され
る。自分でも気づかなかったがかなり限界だったらしい。だからこ
そそれに気付いていた蛍さんは俺に一息つかせるために交替を申し
出てくれたのだろう。
情けないがこれが今の俺の実力だということだろう。荒くなっ
た息を必死に整えつつ戦線に問題がないことを確認すると後ろを振
り返る。
﹁さすがは蛍さん﹂
後ろを塞いでいた男たちが綺麗な斬り口で漏れなく2つ以上に
なっているのを見て思わず呟く。
さて,のんびりしている場合じゃないか。ここで俺が戦線に復
帰すれば一気に押し込める。
﹃主殿!きゃつらの後方から魔力の気配がいたします!おそらく
火の魔法ですわ﹄
﹁ち!仲間ごと焼くつもりか!﹃桜!後方に魔術師がいる!火の
752
魔法を打たれる﹄﹂
後半を共感で伝わるように強く状況をイメージして心中で叫ぶ。
﹃了解!任せてソウ様﹄ 桜の意思にはっとして目を凝らすと何故か天井と壁の境目部分
に張り付いている桜が青みを帯びたクナイを脚甲から取り出し投擲
するところだった。桜のクナイは目で追うのも難しい程の速度で後
方にいた魔術師が放った直後の火球に狙い違わずに命中する。
するとボォン!という鈍い爆発音と共に火球が爆発。魔術師を
巻き込んで消えた。
おおぉ!なんだ?何したんだ桜。
﹁呆けるなソウジロウ。一気に行くぞ﹂
っと疑問は後で解消すればいい。今はあいつらを殲滅するのが
先だ。
753
5階層攻防戦︵後書き︶
※ レビューに飢えてますwレビューつけて下さる方を募集してお
ります。もちろん評価、ブクマ、ご意見ご感想も筆者の養分になり
ますのでよろしくお願いいたします。
それとは別に作中で﹃刀娘﹄という言葉をイメージで使ってます
がなんていうルビがいいでしょうか?良い案があれば教えてく下さ
い。私は今のところ﹃かたなむすめ﹄と普通に読むか﹃かたなっこ﹄
にするか悩み中です。
754
クナイ
その後の俺は,まずシスティナと交代してシスティナを休ませた。
言いつけ通り守りに徹していたためか俺ほどには疲弊していなかっ
たがそれでも交代した後は後ろから荒い息が聞こえていた。
交代する時に息が整ったら今度は蛍さんの位置に入ってくれる
ように言ってある。そこにシスティナが入るとどうなるか⋮⋮
そう。桜と蛍さんが自由に動けるようになる。
そうなればもうただ大勢で奪うコトに慣れきった盗賊ごときに
俺達は止められない。あっという間に通路を塞いでいた盗賊達は全
て物言わぬモノとなって動かなくなった。
﹁こ⋮れ,で全⋮部?﹂
乱れる息を必死に整えながら死屍累々の通路を見て桜に視線を
向ける。
﹁う⋮んと。あと3人隠れてるかな﹂
﹁ふん⋮そこの右の通路に隠れている奴ら。さっさと出てこい!﹂
気配察知が使える2人がいると言っているのだから間違いなく
そこにまだ隠れいているのだろう。ざっと死体を数えてみてもやは
りいくつか数が合わない。それに右肩に流星の刺青がある男も出て
来ていなかったはずだ。
﹁くくくく⋮⋮おいおいマジかよ。俺の部下20人を囲まれた状
態からたった4人で?しかも無傷で?たまんねぇなぁ﹂
755
肩を震わせながら出てきたのは細身の長剣を担ぐように持ち剣
の腹で肩を叩いている筋肉隆々の大男だった。
上半身は防具らしい防具は皆無で黒のタンクトップのような衣
服を身につけている。下半身は皮のズボンらしきものを身につけ脚
甲を付けてはいるが防具らしきものはそれくらいしか身につけてい
ない。そして右の肩には確かにウィルさんに聞いていた流星の刺青
がある。
多分間違いない。おそらくこいつは赤い流星の中でも高位の幹
部のはず。ここまで来たら確実に処分しておきたい。
﹁た,助けてくれ!﹂
俺の密かな決意を打ち消すように情けない声が響く。生き残っ
ている3人のうち幹部を除いた2人,更にそのうちの1人が後ろ手
に手を縛られもう1人に背後から剣を突きつけられている。
よく見てみれば剣を突き付けられて助けを求めているのはさっ
き安地部屋で話しかけてきたイケメン風の兇賊だった。
剣を突き付けている男は神経質そうな顔を無表情に固めたまま
兇賊の肩を片手で抑えもう片手で剣を突き付けている。
う∼ん,確かに俺の鑑定能力と盗賊だって情報がない状態だっ
たら先に行った普通のパーティが先に襲われて捕まってる様に見え
るのか?正義を重んじるパーティなら手を出しにくい,最悪でも動
揺を誘えるってことなのか?
﹁とんだ茶番だな﹂
呆れて呟いた俺の一言に兇賊の表情が変わる。怯えたような目
756
で助けを訴えていたのがにぃーと口角を上げると粘ついた笑みを浮
かべる。
﹁ほう⋮後学のためにどこで気が付いたのか教えてもらいたいも
のですね﹂
俺の言葉に既に正体がばれていることを悟った兇賊がいつの間
にか解けていたロープを床へと落しながら後ろの男から長剣を受け
取る。
﹁強いて言うなら最初から⋮ですよ﹂
前情報と簡易鑑定でほぼ確定だったので嘘ではない。
﹁ほう⋮つまり最初から私達がここで仕事をしていることを知っ
ていたということですか﹂
﹁⋮もう1つ言わせて貰えば対応型の塔の名前はミレスデンでは
なくてミレストルですよ﹂
﹁はぁっはぁ!なるほどなるほど。変に設定に凝り過ぎたせいで
逆にボロが出たパターンですか。まぁ次回以降の参考にさせて貰い
ますよ﹂
こいつら仲間が軒並みやられて残り3人になったくせに随分と
余裕だな。俺達の強さも知ってるはずなのにそんなに自信があるの
か?
﹁さて、下っ端の再編成もしなくてはならないですし⋮そろそろ
片付けますか。とは言っても私だけではちょっと厳しいと思います
ので⋮ディアゴ様お手伝い願えますか﹂
﹁いいぜぇ。久しぶりに面白い獲物だしな。手伝ってやるよ﹂
757
98
今,確か⋮﹃簡易鑑定﹄。
﹃ディアゴ 業
年齢:29 種族:人族 職 :盗剣士﹄
やっぱりそうか!
﹁刺青のやつは副頭目のディアゴで間違いない。これはある意味
チャンスかな,出来ればここで確実に潰しておきたい﹂
﹁任せておけ。今回は儂がやってやる﹂
﹁ではあの兇賊は私が﹂
﹁じゃあ桜は最後の1人を貰うね﹂
え?あれ?なにその割り振り的なもの。俺は補欠的なポジショ
ニングですか?普通で行けば回復担当のシスティナを後ろに残すの
が正解じゃないでしょうか⋮⋮
あ,駄目だこれ。システィナの目が完全に据わってる。ここはひ
とまず嫁達に任せよう。下手に手を出すと後が怖い。
﹁葵,なんか怪しい動きとかあれば教えて。後ろの無表情のやつ
は魔法を使う﹂
﹃承知いたしましたわ主殿。このわたくしはほんの僅かな魔力の
動きも見逃しませんわ!﹄
張り切っている葵だが実際問題としては1対1の戦いになった
以上は不意打ちがなくなったため魔法に関してもさほど問題はない。
758
ただ俺自身が戦いに参加しないので何らかの役目を葵に与えておか
ないと後でまた拗ねるのでご機嫌取りのようなものだ。
同じハーレムでも奴隷ハーレムとかなら命令とかしちゃえばい
いので,こんな苦労はないのだろうが一夫多妻系のハーレムだと大
前提として嫁同士の相互理解必須の上で,あとは同じくらい俺と各
嫁達の関係を良好に保たないとうまくいかないと思っているのでち
ゃんと全員を気に懸けるように日頃から心掛けている。
っと言っている間に戦いが始まる。まずは桜が先陣か。相手は
さっきからずっと無表情な肌の白い男。体格はひょろっとしていて
−︵自我喪失︶
荒事に向いているようには見えない。簡易鑑定では⋮
﹃実験体121︵作:パジオン︶ 業
年齢: − ︵20代相当︶ 種族: − ︵人族ベース︶ 職 :人造魔術師︵改造ランクC︶﹄
こいつら⋮⋮殺す奪うだけじゃなくて人体実験までしてやがる。
素体がさらってきた村人なのか,配下の盗賊達なのかは知らないが
少なくとも100人以上⋮
マジで救えないクズ共だな。
システィナ辺りが激昂すると危ないから,とりあえず今はこの
情報は知らせずにおこう。実験体も境遇には同情するが俺達で救え
るとはとても思えない。ただし,機会があれば同じような境遇の者
達が2度と出ないように計画を潰すことは俺の中で約束しておいて
やる。
﹁桜!相手は魔法を使うから気をつけて!﹂
759
﹁りょ∼かいソウ様!﹂
桜が自分の分け身である刀を手に実験体の後方へと高速で移動
すると今までのように喉を掻ききるべく刀を振るう。
だが赤い血をまき散らすはずの刀は何かに遮られ実験体の喉へ
と届いていない。どうやら魔法で高密度の空気の壁を作り出して盾
にしているようだ。
﹁へぇ!風の魔法にそんな使い方があるんだ。おもしろ∼い﹂
桜は刀が通らないのを確認すると反撃を警戒してすぐさま間合
いを取る。それにしてもどうやら実験体は魔法を使う際に詠唱が必
要ないらしい。これは多分改造により人としての余計な常識や雑念
が無くなっているため普通の人に強固に根付いている固定観念の縛
りが無いからだろう。
固定観念がなければ詠唱によってイメージ力を補強する必要が
ない。だから無詠唱で魔法が使える。逆に考えられるデメリットと
して実験体は自我を喪失しているせいで自分で魔法を考え出すこと
が出来ないのではないだろうか。
﹁じゃあ,これはどう?﹃火遁:爆﹄﹂
桜の魔法が実験体の直近で爆発する。実験体が爆炎の向こうで
吹っ飛んでいるのが見える。やったか?
と思ったのも束の間爆炎の名残の向こうから何かが飛んでくる
のが見える。
﹁っとと!﹂
桜はそれを高速移動で舞うようにかわす。
760
﹁空気の刃?爆炎の煙が無かったらやばかったかもね∼﹂
ウィングカッター的なもの?ていうか結構強くないかあの実験
体。防御は風の鎧で攻撃は見えない刃。しかも無詠唱とか。桜は大
丈夫だろうか⋮見た感じまだ余裕はありそうだが。
爆炎が晴れるとそこにはやはり無表情のまま立ち尽くす実験体
が直立している。白い肌が若干赤くなっているのは桜の火魔法を完
全にはシャットアウト出来なかったせいか。
﹁あんまりソウ様を心配させるのも可哀想だからそろそろおしま
いにするよ﹂
おっと,共感で不安が少し伝わってしまっていたらしい。桜は
一瞬だけ俺に嬉しそうな視線を向けると可愛らしく片目を瞑ってみ
せた。うん,可愛い。心配はいらないらしい。
桜は刀を消すと両腕をクロスするように両腰にあてて低く構え
ると腰帯に仕込んでいたクナイを何本か抜き放ち実験体へと駆け出
していく。
実験体はのっそりと右手をあげると再び風の刃を飛ばしてくる
が桜は不可視の刃をあっさりとかわして跳躍。左手に持っていたク
ナイ2本を一度に投擲。投擲されたのは薄茶色のクナイと黒いクナ
イ。
当然実験体は風の鎧を展開して防御しようとするが桜の投げた
薄茶色のクナイはその鎧をいともたやすく貫いて実験体の肩口に刺
さる。その衝撃で体勢を崩した実験体に2本目の黒いクナイが今度
は腹部に刺さる。クナイのダメージで風の鎧が展開出来なくなって
いるらしい。
761
﹁ほい,とっどめ∼!﹂
桜の右手が振りぬかれ更に2本のクナイが放たれる。一本は黒
いクナイで胸の中央へ吸い込まれ,もう一本の赤みを帯びたクナイ
が眉間に刺さる。と同時に爆裂した。
なるほど,桜の新装備のクナイか。さっきの火魔法も水属性の
クナイで相殺してたのか。で今回は風の鎧を地属性のクナイで無効
化して鎧がなくなったところで追撃のクナイを叩き込み最後に火属
性のクナイを急所に当てる。これは喰らった方はたまらないな⋮
当然実験体も顔の形すら分からなくなった状態でゆっくりと倒れ
ていった。
762
クナイ︵後書き︶
レビューを1件頂きました。ありがとうございます。
※ 引き続きレビューを募集してます。ご意見ご感想、評価、ブク
マ、感想、誤字脱字の報告お待ちしております。
763
システィナの苦戦
桜の見事な戦いを見届け視線を巡らせると,蛍さんとディアゴは
互いに余裕を見せつつ向かい合ったままだったが兇賊とシスティナ
の戦いは始まっていた。
システィナはいつものように足を止め相手の攻撃を受けるところ
から戦いを進めているようでカン!カン!と相手の長剣を弾き返す
音が聞こえてくる。
守りに入った時のシスティナは鉄壁の女だ。あんな優男に貫ける
はずがない。
﹃まずいですわ主殿﹄
﹁え?何が﹂
﹃桜の時は既に相手が魔法を使う前提だったのとあの子には余計な
助言は必要ないと思ってあえて言いませんでしたが⋮
システィナさんの相手も魔力を使っていますわ﹄
葵の言葉に慌てて兇賊を注視してみるがもともと魔力はあっても
精力に変換するしか能のない俺には全く違いが分からない。
魔力を使っているとは言っても問題なくシスティナは相手の攻撃
を捌けているような気がするから問題はないような気もするが。
﹃主殿。主殿は手に取ればわたくし達の力の恩恵を僅かなりとも得
られると聞いていますわ。私を抜いてよく見てみてくださいまし﹄
なるほど。確かに桜を装備していた時は桜の隠蔽の効果を僅かに
使えてたっけ。それなら葵を装備しているときは魔力操作のスキル
764
の効果を使えてもおかしくない。最低限魔力を感じることくらいは
出来るはず。 俺は納刀していた葵を抜いてから再度兇賊を凝視してみる。
﹁⋮ん⋮やっぱり特に何も⋮あ!﹂
﹃気がつきました?﹄
﹁あいつ身体の周りにうっすらと魔力を纏ってる⋮⋮しかも防御や
攻撃の一瞬だけ魔力を強く込めてるみたいだ﹂
俺がそれに気がつくことが出来たのは一瞬強く込めたときの魔力
がぎりぎり見えたからだ。そして一度把握したことで注意深く見れ
ば通常時の魔力も視認出来るようになった。
﹃おそらく魔力で身体能力の強化をしているんだと思いますわ﹄
なんだって!そんな勇者のテンプレみたいな能力を主人公サイド
だと思われる俺達じゃなくて完全にモブキャラ扱いの悪役が使うと
かずるい!俺なんか魔力使えないんだからどう努力したって魔力で
身体強化とか出来ないのに⋮⋮くそっ!今時異世界来て重し付けて
身体鍛えるとかどんな自虐プレイだっての。
そんな不満を感じつつも改めてシスティナの戦いを見てみるがシ
スティナの背中には全く危なげがないように思える。
﹁うん。でも,特にシスティナも問題なく戦えてるみたいだし大丈
夫じゃないかな﹂
﹃主殿⋮それはシスティナさんに甘えすぎだと思いますわ﹄
﹁え?﹂
﹃システィナさんの足下をよくご覧になってくださいまし。あの子
は主殿に心配を掛けたくないのですわ﹄
765
ちょ,ちょっと待って!どういうこと?
慌ててシスティナの足下付近を確認する。⋮⋮あ,あれは⋮まさ
か!
﹁システィナ!﹂
思わず叫ぶ。俺が葵に言われてようやく気がついたのはシスティ
ナの足下に飛び散っていた決して少なくはない量の血だった。
﹁くははは!確かに女にしては戦えるようですし,その受けの強さ
は賞賛に値しますが⋮﹂
﹁くっ!﹂
兇賊がにんまりとした気色の悪い笑みを浮かべた途端,やつの周
りを覆う魔力が輝きを増す。
﹁足りてません!ええ!全く足りてませんとも!力も技も覚悟も!﹂
﹁きゃあああああ!﹂
一瞬奴の振る長剣が霞む程の連撃にシスティナはその全てを受け
きれず弾き飛ばされる。俺は慌てて閃斬も抜きシスティナの下へと
駆けつける。
﹁システィナ!﹂
兇賊を牽制しながら膝をつくシスティナを見て思わず息を飲む。
背中を見ているだけでは分からなかった傷が無数にシスティナに刻
まれ前面を赤く染めていた。
﹁⋮ソウジロウ様。どいてください﹂
766
﹁もういい!システィナ。俺が代わる。今のうちに治療するんだ﹂
﹁治療はしています。だから私にやらせてください﹂
一度も俺の目を見ないシスティナ。システィナの目は俺の向こう
にいる兇賊を見続けている。
﹁⋮大丈夫なんだね﹂
﹁⋮当たり前です﹂
俺の心配そうな声に初めて俺の目を見たシスティナが小さな微笑
みを浮かべる。そんな顔を見てしまったら俺は信じない訳にはいか
ない。
﹁わかった。あいつは全身を魔力で覆って身体能力を強化している
みたいだ。魔力の動きに注意すれば突然のスピードの変化にも惑わ
されないはずだよ﹂
﹁魔力で身体を?⋮⋮⋮なるほどそうですか。わかりました,ソウ
ジロウ様ありがとうございます。後は任せて下さい﹂
俺の言葉から何かを掴んだらしいシスティナはゆっくりと立ち上
がると魔断を構える。治療していたというのは本当のようで,さっ
きまで見えていた傷はすっかり治っている。だが失った血は戻せな
いので出来ればこれ以上傷は負って欲しくはない。
システィナもそんな心配を俺にさせないように常に背中だけを俺
に向けて闘っていたのかもしれない。
俺は薄ら笑いを浮かべながらこちらを見ている兇賊をにらみつけ
ながらゆっくりと後ろへ下がる。
﹁くはははは!まだやりますか?いいですねぇ,いいですよ。その
強い眼!その眼が失われていく血液と尊厳のなか絶望に染まってい
767
く!その過程が私は好きなんですよ。
どうやらあなたは回復魔法が使えるようですが⋮斬られた瞬間に
出る出血までは止められない。いずれ魔法を使う魔力も抵抗する体
力も尽きる。そうしたらあなたを思う存分に陵辱してあげます。き
っと素晴らしい絶望の表情を見せてくれるのでしょうね!
考えただけで股間がはちきれそうです!﹂
兇賊は空いた左手で股間を押さえながら涎をたらさんばかりであ
る。元がイケメン風だっただけにかなり見るに堪えない光景だ。そ
して間違いない!こいつは変態だ⋮
正直システィナさえ許可してくれれば,できるかどうかは別とし
て俺の全力で瞬殺したいほどのクズだ。
﹁あなたの性癖など知ったところで不快なだけですが⋮﹂
急にシスティナの周囲の温度が僅かに下がった。そう思える程シ
スティナの雰囲気が変わる。冷たい声は冷静に紡がれているように
聞こえるが魔断を握る手は真っ白になるほどきつく握りしめられて
いる。こんなに怖いシスティナは初めてだ。一体兇賊の放った言葉
の何がシスティナの逆鱗に触れたのだろう。
確かにあいつの言葉は気持ち悪いし,腹が立つがそこまでシステ
ィナが怒るようなことでもない気がする。
﹁あなたはコロニ村のはずれで同じようなことをしたのではありま
せんか?﹂
あ!⋮⋮そういうことか。
﹁⋮ん?コロニ村?⋮ああ!麦畑の中に隠れていたお嬢さんですか。
あれもなかなかに素晴らしい素材でした。手足の腱を斬られ身動き
768
が出来ず止められぬ出血が命を削っていく状態で,助けを呼びに行
った恋人に戻ってきて欲しいと願いつつも戻れば殺されるから帰っ
てきて欲しく無い。その相反する感情のせめぎ合うなか飢えた獣の
ような下っ端共にありとあらゆるところを陵辱され続けていく姿⋮
そして!敢えて息の根を止めずに放置しどんな想いで死んでいくの
かを想像することで2度おいしい!
うぅ!⋮くくく,思い出したらちょっとイッてしまいました﹂
こいつ⋮こいつが!ミラさんをあんな姿にしたのか!湧き上がる
激しい怒りを押さえつけ光圀モードへと⋮ ガンッ!!
入ろうとしたところでシスティナが魔断の石突を床にめり込ませ
た。その背中が俺に対して﹃来るな。私にやらせろ﹄と雄弁に語っ
ている。まあもちろんシスティナはそんな汚い言葉は使わないだろ
うけど威圧感はまさしくそう言っている。
﹁⋮⋮﹂
システィナは魔断を構え直すとゆっくりと兇賊の方へと歩いて行
く。
﹁くは!怖い顔ですねぇ。でもすぐに絶望と快楽で蕩けた顔にして
あげますよ!﹂
兇賊が纏う魔力を強くしてシスティナへと襲いかかる。その動き
は今までよりも遙かに速い。あいつは変態で頭の狂ったおかしな奴
だがそれでも強さは本物だ。正直今のシスティナではまともにやり
あっても勝てないと思う。
守りに徹すれば致命傷を受けずにいられるだろうがそれは裏を返
せば致命傷に至らない攻撃までは完全に受けきれないということだ。
769
そしてその傷は真綿で首をしめるようにシスティナの命を削ってい
くだろう。悔しいが兇賊の言っていた通りに⋮いよいよ危ないとな
ればたとえシスティナに嫌われても助けに入ろう。
そんな俺の心中を余所にシスティナは兇賊の攻めをよく防いでい
た。魔断の全ての場所を最大限有効に利用して,受けてしまったら
今後の戦闘に影響が出てしまう攻撃を最優先で撃ち落としている。
その一方でシスティナのローブがどんど斬り裂かれていく。肩や
腰,太もも辺りの肌が普通にここからでも視認出来るようになって
きた。
﹁く!﹂
これ以上は見ていられないと駆け出そうとした俺の腕を誰かが掴
む。
﹁邪魔したら駄目だよソウ様。シス1人で勝てるから﹂
﹁桜⋮でもあれじゃいつか!﹂
﹃主殿。落ち着いて下さい。今度はよぉくシスティナさんを見てみ
てくださいな﹄
﹁言われなくたってずっとシスティナを見てるよ!でもシスティナ
は防戦一方であんなに攻撃を受けて血が!⋮⋮血⋮が?﹂
そこまで言って初めて違和感に気がついた。そう言えばさっきか
らシスティナは何度も攻撃を受けてローブが斬り裂かれている。だ
からシスティナの白い肌がここからでもちらちらと見えている。
﹁血が出ていない?⋮ローブは斬れてても身体には当たってないの
か?﹂
﹃違いますわ!システィナさんの身体の周囲をよく見て下さいませ﹄
770
まさか!システィナも身体強化を?そんな話に聞いただけですぐ
使えるようになるものなのか?回復術とかで魔力に慣れ親しんでる
システィナならいけるのかもしれない。
俺はさっきまでの不安も忘れてちょっとわくわくしながら眼を凝
らしていく。そうすると確かにシスティナを何か白い膜のようなも
のがうっすらと覆っている。おお!やっぱり!出来てる。
でも身体強化してるのに劣勢なのは変わらない。やっぱり俺が⋮
ん?
﹁あれ?でも兇賊の身体強化とはちょっと違うような⋮﹂
﹁当たり前だよソウ様。シスのは魔力で身体の動きをアシストして
いる訳じゃないもん﹂
﹁え?どういうこと?﹂
俺の疑問にズバリ答えてくれたのは俺の右手にいる葵だった。
﹃間違いありません!あれは回復魔法ですわ!﹄
771
システィナの苦戦︵後書き︶
※ 引き続きレビューを募集してます。ご意見ご感想、評価、ブク
マ、感想、誤字脱字の報告お待ちしております。
772
ディアゴ
﹃間違いありません!あれは回復魔法ですわ!﹄
うん,何で2回言った葵。
ていうかそんなことよりシスティナだ。
この戦い,武技の技量的なものは兇賊に分があった。だがシステ
ィナは高度な回復術で身体を回復しながら闘うことでその差を埋め
ていた。だけど怪我してから回復魔法を掛けて治すためその間の僅
かな時間に少しずつ血を失ってしまっていた。
これが長時間続けばいずれシスティナは力尽きていたはずである。
だが,システィナは魔力で身体を覆い動きのアシストをさせること
で身体能力を強化させるという技術からヒントを得て魔力そのもの
ではなく回復魔法で身体を覆うことを思いついたのだろう。常時回
復状態であれば攻撃を受けたと同時に傷は塞がり出血はほぼ皆無に
なる。だからシスティナの肌は血に濡れずに白いままだったという
ことか。
おそらくはリュスティラさんが魂を込めて作ってくれた魔力増幅
+がついた魔断があってこその技だと思うが壁役をするのにこれほ
ど適した技はない。
﹁おやおやおや⋮⋮さっきからどういう訳でしょうね。私の攻撃は
ちゃんと当たっているはずですが?﹂
773
さすがに兇賊も何かがおかしいことには気が付いていたらしい。
だが,ネタばらしをこっちがしてあげる筋合いはない。システィナ
はその疑問に答えず兇賊の攻撃が緩んだのを機に攻勢に転じていく。
﹁あなたのような人は生きていてはいけない﹂
﹁く!なんですか急に。だが守りはともかく攻めは甘いですねぇ﹂
システィナの攻撃をいくつか防いだ兇賊は攻撃の際に出来るシス
ティナの僅かな隙を見逃さずシスティナの太ももを斬り裂く。
だが,その傷は即座に治癒され一滴の血も流れない。そしてシス
ティナの動きも止まらない。
﹁な!﹂
﹁ヒュ!﹂
痛みと傷でシスティナの動きが僅かでも止まると経験則から無意
識に判断していた兇賊の動揺を全く意に介さずシスティナは更に踏
み込んで攻撃を続ける。兇賊の動揺に加えて反撃を恐れない攻撃で
ようやくシスティナの魔断は兇賊の身体に届くようになり始めた。
﹁ち!なにがなんだかわかりませんが,遊んでる場合じゃなくなり
ましたね。あなたの素材はもったいないですが⋮そろそろ壊してし
まいましょう﹂
兇賊の身体を覆う魔力が強さを増す。その威力は今までで最大の
ようだが,雰囲気的にはそこまでの余裕はなさそうだ。多分だが身
体強化をこれだけ使い続けているのにシスティナを攻めきれなかっ
たがために魔力が尽きかけているのかもしれない。
兇賊は一旦下がって間合いを取ると長剣を腰溜めに構え,システ
774
ィナの間合いを詰める動きに合わせて身体強化を発動させたまま駆
け出し瞬速の突きをシスティナへと放つ。
その動きは遠目で見ていても一瞬姿を見失いそうなほど速い。
﹁システィナ!﹂
ギャリイ!
思わず叫んだ俺の声に重なるようにして金属質な音が響く。
﹁ぐ⋮⋮ば,馬鹿な。ふ⋮不死身だとでも⋮い,うのか﹂
システィナの胴体を貫通した長剣から力が抜けゆっくりと崩れ落
ちていく兇賊の背中が真っ赤な血で染まっている。
システィナは逆さに持っていたい魔断を左手で脇に立てると残っ
た右手で左胸の下辺りを貫通していた兇賊の長剣を引き抜き俺の方
へ投げる。再び敵に武器を渡さないようにするためだと理解した俺
は素早く剣を拾いながらシスティナの動向を伺う。
﹁くそ⋮ま⋮さか⋮死ぬ⋮⋮た,助け﹂
うつぶせに床に倒れた兇賊は血に染まった右手をシスティナへと
伸ばしながら助けを求める。
兇賊の傷はシスティナの心臓めがけた渾身の一撃がリュスティラ
さん謹製の胸当てを貫通できず,滑った剣先が胴を貫いた後に動き
が止まった兇賊の首の後ろ辺りを魔断の槍部分で突かれたもので完
全に致命傷だろう。放って置いてもまもなく死ぬ。
﹁それはできません﹂
﹁嫌だ!まだ死にたく﹂
775
﹁あなたはそう言って命乞いをする罪もない人達を笑って殺してき
たのでしょう?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁私にはあなたが人に見えません。あなたが死にかけていても怒り
も情も湧きません。私はただあなたというモノを作業として終わら
せるだけです﹂
言葉の通りシスティナの眼も声も今まで見たことも聞いたことも
無いほどに冷たい。そのなんの感情もこもらない眼で兇賊を見下ろ
しつつシスティナは魔断の槌部分を振り上げる。
﹁や!やめ!せ,せめてもう放って置いてくれ!お,大人しくし,
死ぬ⋮くりゃぐ!﹂
全てを終えたシスティナの膝が突然抜けゆっくりと後ろへと倒れ
込んでいく。何となくそんなことになりそうな気がしていた俺はち
ゃっかりとシスティナの近くまで距離を詰めていたためすぐさま後
ろで受け止める。
﹁お疲れ様システィナ。随分無理したね⋮﹂
﹁⋮はい。すいません⋮どうしても私が倒したかったので無茶しま
した﹂
そう言って俺に微笑むシスティナの顔はいつもの俺のシスティナ
の顔だった。
﹁傷が治るって言っても痛みまで消せる訳じゃないだろ。魔力の消
耗だって⋮﹂
﹁はい⋮私ももっともっと強くならないと駄目ですね﹂
﹁それは俺もだよ。一緒に強くなろう。俺から侍祭様への命令だ﹂
776
﹁ご主人様⋮⋮⋮はい!﹂
システィナのとびきりの笑顔に俺も笑顔で応える。
﹁少し休んでて。
桜,システィナを頼む﹂
﹁は∼い。桜にお任せ﹂
いつの間にかシスティナを支える位置へと移動していた桜にシス
ティナを預けると俺は残った最後の戦いを見守るべく移動する。
蛍さんとディアゴの戦いも既に始まっていた。だが蛍さんはギリ
ギリの戦いをしていたシスティナの為にディアゴに余計な手出しを
させないよう十字路を曲がった先へと戦場を移動していた。
無闇に飛び出して戦闘にいきなり巻き込まれてしまうのも困るの
で曲がり角から少し距離を置いた状態で回り込むように角を曲がる。
﹁いた!﹂
そこでは蛍さんとタンクトップの手甲男が がんがん と鈍い音
を立てながら打ち合っていた。見た感じまだ2人共本気を出してい
ないようで互いに焦るような素振りはない。
むしろディアゴの方は楽しげに笑っているように見える。
﹁くはははは!あいつが俺達を見に来たってことは俺の部下達は全
滅ってか!うちのナンバー2も木偶人形もそこらの奴らに殺られる
ような雑魚じゃなかったはずなんだがな。
つまらない襲撃の前に探索者達が集まる塔ならちょっとした暇つ
ぶしぐらいになる強い奴がいるかと思って久しぶりに部下と一緒に
行動して塔に来たら部隊が壊滅とかかなりウケるじゃねぇか!くは
777
はは!﹂
ナンバー2は兇賊で木偶人形は実験体だろう。ちょっと聞き捨て
ならない言葉もあったような気がするが取りあえず今は気にしない
ことにする。
﹁ふむ⋮死んだ奴らはクズはクズなりに仲間だったのではないのか
?﹂
蛍さんの斬撃を危なげなく手甲で受け流しながらディアゴは首を
かしげる。
﹁仲間?んなもん盗賊にある訳ねぇだろうが!みんな好き勝手にや
って美味い汁を吸えりゃあいいってやつばっかに決まってんだろが!
生きるも死ぬもそいつの好きにすればいい。俺の隊はそういう方
針だ。まあ完全にほったらかしとも言うか。部隊はほとんどあの自
称ナンバー2が率いてたからな﹂
﹁ほう⋮クズはクズなりに潔い。まあ,だからと言ってお前らがし
てきたことに酌量の余地は全くないがな﹂
﹁くは!
ああ,そういうのはどうでもいいんだわ。お前らが俺らを許せね
ぇんなら殺しゃあいい。俺は俺で好き勝手やる。どっかで負けて殺
されりゃあそれまでのこと。だろ?﹂
﹁くくく⋮お前はなかなか面白いやつじゃの。腕も悪くない﹂
﹁いやあ,あんたもスゲェぜ。そんなに楽な攻めをしているつもり
はないんだがな。俺のこのレベルの攻めを受けきれるだけの女は今
のところメイザの姉貴くらいしか会ったことねぇ﹂
﹁ふ,儂はまだまだこんなものではないぞ﹂
﹁そいつぁ,楽しみだ!﹂
778
蛍さんは刀を振り,手甲と打ち合わせながら楽しげに肩を震わせ
て笑う。敵との戦いの中でそんな楽しそうにしている蛍さんは初め
てかもしれない。なんだか胸がもやもやする。
﹁蛍さん!﹂
779
蛍 VS ディアゴ
もやもやした気持ちを晴らせそうな気がして思わず蛍さんに呼び
かける。
こんな戦いの最中にいきなり声をかけるなんて戦っている当人に
は邪魔でしかないはず。それなのに,そんなことは充分に分かって
いるにもかかわらず戦闘中に笑顔を見せている蛍さんになんだか無
性に振り返って欲しいと思ってしまった。思ってしまったら止める
間もなく声を発していた。
そんな俺の呼びかけを背中で聞いた蛍さんは一瞬だけ驚いたよう
に動きを止めたが振り返ることはなく更に楽しそうな笑みを浮かべ
て戦いを続行していく。
やっぱり邪魔をしてしまった⋮戦いについては蛍さんなら負けっ
こないし1対1に横やりを入れるような敵もいないのだから俺はそ
の戦いの行方をちゃんと見守りさえすれば良かっただけのことだっ
たのに⋮軽く自己嫌悪に陥っていると蛍さんの思念が届く。
﹃ふ,心配するなソウジロウ。我の主はお前しかおらぬ。男の妬心
はみっともないぞ﹄
え⋮嫉妬?戦闘中のためか﹃意思疎通﹄で返ってきた蛍さんの言
葉に思わず固まる。
しばしその言葉を反芻してみると頭の中から胸の中に何かが落ち
てきてすとんとはまる。
あぁ⋮そうか。俺は俺以外の男と楽しそうに闘っている蛍さんを
見て嫉妬しているのか。このもやもやした気持ちは蛍さんが取られ
780
るんじゃないかという不安と,ディアゴに対する嫉妬だったってこ
とか。
しかもそれを一瞬で蛍さんに看破される俺⋮⋮うわっ!恥ずかし
すぎる!どんだけ蛍さんLOVEなんだ俺。でもこっちの世界に来
るまで彼女なんかいたこともないし,胸を焦がすほど好きになった
相手もいない。免疫が全くないなら仕方がないと言えば仕方がない。
よな?
﹃ふふふ⋮よいよい。嫉妬して貰えるというのは存外,嬉しいもの
だと分かったしな﹄
むう⋮この際嫉妬してたことは誤魔化しようもないし認めるけど,
それにしたって随分気安い感じなんじゃないかと思う。あいつは赤
い流星の幹部の1人で目下敵対中の中ボスなんだけど。
﹃わかっておる。ただ女としては全く食指は動かんが,刀としてみ
ればこやつの考え方自体は悪くないというだけのことだ。
基本我らはどこまでいっても根本は武器じゃからな。武器の役割
というのは突き詰めて考えれば結局は自らの我を力尽くで通すため
のもの。その武器の有りようとこやつの考えが似ていたのでな,ち
ょっと話に付き合ってもよいと思っただけじゃ﹄
蛍さんの言うことは分かる気がする。善か悪かなんて結局は主観
的なものでしかない。俺達にとっては盗賊は許せない人間でも盗賊
達にとってはそうではない。そしてどっちが正しいかなんて答えは
ない。もしその答えが出せるモノがあるのならそれはこの世界を産
み出した存在ぐらいなものだろう。
後の判断はその場その場で個人個人が判断するしかない。日本の
法律なんてものはたまたま多くの人が正しいと思ったことをまとめ
たものに過ぎない。
781
そう考えれば自分がやりたいことを好き勝手にやり,誰かに殺さ
れたときは相手の好き勝手に負けただけというディアゴの﹃お前ら
が俺らを許せねぇんなら殺しゃあいい。俺は俺で好き勝手やる。ど
っかで負けて殺されりゃあそれまでのこと﹄という言い分はいっそ
清々しい。
それなら俺達は俺達の考えに基づいてあいつらを許さなければい
いだけだ。
そして,その考えと武器としての本来のあり方がちょっと似てい
たから蛍さんはディアゴに対してあんなかんじなのだろう。
武器というものは本来,獲物を狩るために,誰かに言うことをき
かせるために,国を広げるためになどと常に相手の意志を無視して
使用者の望みを押し通すために使われる。むしろそれ以外の理由は
与えられていないと言ってもいい。
そして,それは自分の我を押し通すディアゴの生き方と同じだ。
﹁蛍さん⋮﹂
似たような考えの相手と戦いにくいなら俺が戦ってもいい。そう
いう思いを込めて蛍さんの名前を呟く。
﹃誤解するなよソウジロウ。儂はな,この世界に来て話すことを覚
え,人の身体まで得ることが出来た。そしてお前やシスティナ,弟
子達,ウィルマークや商会のやつら⋮
たくさんの人と繋がりを持つことが出来た。そしてそいつらが笑
っているのが嬉しい。皆と共にあるのが楽しいと思っている﹄
﹁うん,わかるよ蛍さん﹂
呟いた声は音としては蛍さんには聞こえないだろうが想いとして
782
は伝わっているはずだ。
﹃だからなソウジロウ。そんな儂の楽しみを奪うやつらはやはり許
せんよ﹄
﹁うん。俺もそう思う﹂
﹁という訳でそろそろギアを上げていくぞ﹂
蛍さんの動きが目に見えて一段階早くなる。
﹁ちょ!ちょっと待てって!という訳というのはどういう訳だ!!﹂
ディアゴはその速度の変化にかろうじて対応しているようで縦横
無尽な蛍さんの斬撃を手甲で受け流している。ディアゴは俺と蛍さ
んの会話は分からないのでいきなりギアを上げた蛍さんに戸惑って
いるのだろう。
それにしても蛍さんの攻撃をあれだけ受けてまだまだ壊れる様子
がないところをみるとあの手甲はなかなかの業物っぽい。果たして
あれは防具なのか武器なのか⋮
﹃武具鑑定﹄ ししこう
﹃獅子哮 ランク: C+
錬成値: MAX 技能 : 物理防護+ 気弾﹄
おおっ!どうやら武器扱いらしい。しかも閃斬よりランクが高い
上にスキルが2つも付いている。更に武器のくせに防御系スキルが
783
付いてやがる。あれがあるせいで蛍さんの斬撃に対応出来てるって
ことか。
気になるのはもう1つのスキルだが⋮
﹁ほう,まだついてこれるか。ならば更にギアを上げるぞ﹂
﹁な!まだ早くなるってのかよ!冗談じゃねぇ!﹂
ディアゴは蛍さんの宣言に焦ったように叫ぶと逆に自分から蛍さ
んへと向かって行く。蛍さんのペースで責められ続けたらジリ貧に
なると理解したのだろう。その思い切りを即決出来るのは戦闘経験
が豊富だからだろう。
素早い左ジャブ2連発からワンツー,上半身に意識を向けさせて
足払いからの突き上げ。目まぐるしく動き回りつつ的確に相手の死
角に潜り込んでいく立ち回りは悔しいが参考にしたいほどだ。
﹁惜しいな。これだけの才を持ちながら弱者を虐げる盗賊でしかな
いとはな﹂
﹁盗賊であることは否定しねぇが,俺自身は弱ぇやつらを手に掛け
たことはほとんどねぇぜ。そんなことしたって楽しくねぇしな。や
っぱ強ぇ相手と肌がひりつくような戦いじゃねぇとな﹂
なんとなく予想はしていたがこいつは戦闘狂,いわゆるバトルジ
ャンキーってやつだ。
﹁ほう残虐非道な赤い流星の幹部とは思えんが⋮部下達がやってい
ることを知っていて見逃していたならそれは結局弱者を虐げている
のと変わらんがな﹂
﹁まあ!否定は!しねぇ!よ!﹂
途切れることのない攻撃の合間に言葉を挟むディアゴの顔は喜悦
784
に歪んでいる。
﹁く!それに!しても!当たらねぇな!﹂
当たり前だ。俺がどんなに頑張っても未だに訓練中に蛍さんの胸
に触れたことがないんだぞこの野郎!
﹁なら,とっておきだ!﹂
ディアゴは流れるような連続攻撃で蛍さんの足元に潜り込むと足
払いを掛ける。だがそんな攻撃を蛍さんが喰らう訳もなく着物と裾
をふわりと靡かせて軽く跳躍をして蛍さんは足払いを避ける。
﹁当然そうくるよな!喰らいな!ハッ!﹂
﹁な!?﹂
﹁蛍さん!!﹂
ディアゴの気合の声と蛍さんの疑問符と同時に蛍さんが空中で弾
かれる。
しまった!さっきの鑑定で出てたのはそのままの意味だったのか!
足を払ったディアゴは本当に足を払うつもりはなかったのだろう。
蛍さんを跳ばせることだけが目的だったらしい。ディアゴは蛍さん
の足を払った体勢のまま合わせた両手を突き出している。
合わせていると言っても合掌ではなく手首だけを密着させ指はま
るで獣の牙のように⋮いやあの形になると装着していた手甲が獣の
頭部のように見える。
なるほどそれで獅子哮か!まさしくあれは獅子の咆哮だったって
785
訳だ!
俺はそんなことを考えながら吹っ飛ばされた蛍さんの下へと走る。
だが弾かれて床を転がっていた蛍さんは俺が辿り着く前に何事もな
かったかのように立ち上がっていた。
﹁ふむ,その技は面白いな。一体何を飛ばしているのだ?﹂
﹁⋮マジかよ。調子が良ければ岩とか割れる一撃なんだが?﹂
そっか⋮刀の特性を持つ蛍さんは人の形はしていても本当の人と
は比べものにならないほどの耐久力がある。なんとか岩を砕ける程
度ではさほど深刻なダメージは受けないってことか。とにかくダメ
ージがあまりないみたいで良かった。
﹁さて⋮⋮お前に1つ選択肢を与えてやろう﹂
﹁あぁ?なんだそりゃ﹂
蛍さん?
﹁このまま戦いを続けて死ぬか。それとも盗賊から足を洗い,盗賊
行為を行う者を見逃さないと約束をして更に武の道を歩むか﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮なんだと?﹂
楽しげだったディアゴの顔が一瞬怒りに歪んだ後,思い直したよ
うに思案する顔に変わる。このままでは蛍さんに敗北して死ぬとい
うことは分かっているのだろう。ディアゴにしてみればそれはそれ
で力が及ばなかっただけのことなので問題はなかった。だからこの
楽しい戦いを目一杯楽しんで死のうと思っていたのではないだろう
か。
そして,その気持ちに水を差すような蛍さんの言葉に一瞬怒りを
786
抱いたがよくよく考えてみれば悪い話ではないと思い直したのだろ
う。
﹁⋮俺自身が盗賊行為を行わず,もし盗賊行為を行う者を見かけた
場合は退治するとかすればいいということか?﹂
﹁そうだな。ようは世間一般で言われるような悪いことはするなと
いうことだ。それさえ守るならいつでもお前の挑戦を受けてやるこ
とを約束するぞ﹂
その蛍さんの言葉にディアゴは獰猛な笑みを浮かべた。
787
蛍 VS ディアゴ︵後書き︶
※ 引き続きレビューを募集してます。ご意見ご感想、評価、ブク
マ、感想、誤字脱字の報告お待ちしております。
788
宣戦布告
結局,ディアゴは盗賊から足を洗うことを受け入れた。
もともと盗賊家業自体をまじめにやっていた訳ではなく,たまに
強い奴と戦えるということと兄姉に誘われたからというのが理由だ
ったらしい。
今後は赤い流星と自分からは一切関わらない。盗賊行為を行わな
い。盗賊行為を意味もなく見逃さない。この3つをシスティナの﹃
契約﹄スキルで誓約させた。
システィナが言うにはこれだけ重い内容の契約だと私欲による殺
人,強盗,強姦あたりをしたらよくて半身不随くらいのペナルティ
が課せられる可能性が高いそうだ。
それから窓を出させ俺の﹃読解﹄の能力で名前を変えた。ディア
ゴの名前は広く知れ渡っているためこの名前のままでは日常生活す
らままならない可能性があったからである。
代わりの名前は考えるのが面倒くさかったので手甲の名前と関連
づけて﹃シシオウ﹄と付けた。
後で呼びづらいことに気がついたが俺にはさほど関係ないので改
名をするつもりはない。
肩の刺青は蛍さんが肉ごと斬り落とした後にシスティナが回復さ
せるという力技で消したのでこれでディアゴの顔を知らない人には
こいつがディアゴだということは分からないはずだ。
﹁ソウジロウ様。あともう一つ。あの手甲が武器扱いならば所有者
がディアゴのままになっているはずです。ソウジロウ様が窓の名前
を書き換えたので一度別の人が装備した後に再び装備し直せばおそ
789
らくシシオウで登録されると思うのですが⋮﹂
﹁そっか⋮この世界は武器の所持登録も身分証としては結構使うん
だった。どうする?﹂
俺の問いかけに蛍さんとさっきの戦いについて反省会をしていた
ディアゴ改めシシオウは﹁あぁ?﹂と言って振り向くと両方の手甲
を外して俺へと放り投げてきた。
﹁おわっっと,とっ!﹂
無造作に放り投げられた手甲をかろうじて二つともキャッチする
ことに成功した俺は自分の武器を粗末に扱うシシオウを軽く睨みつ
ける。
﹁やるよ。武器から足がつくのもめんどくせぇし,今回見逃して貰
った礼だ﹂
﹁え?﹂
やるって⋮これを?C+ランクでスキルが2つもついたレア装備
をそんな簡単に?
﹁そんな顔すんじゃねぇよ!そいつは昔俺が討伐した副塔の塔主が
ドロップしたもんだ。生まれたばかりの副塔にたまたま出くわして
よ。 たった2層のしょぼい塔だったんだが運が良かったらしくてな。
それを手に入れてから剣を捨てて格闘主体に乗り換えたんだ。謂わ
ば今の俺そのものみてぇなもんだ﹂
﹁ば!馬鹿!そんなもの受け取れる訳⋮﹂
慌てて突き返そうとした俺にシシオウが くはは! と笑う。
790
﹁良いんだよ。俺はこれから名前すら変えてシシオウとして生きて
いくんだからな。ディアゴだった時のもんはもういらねぇ!
シシオウが使うべきものはシシオウが自分の力で得たものだけだ。
なんだったらこの服も全部置いていくか?﹂
そう言ってタンクトップとズボンとパンツを脱ごうとするシシオ
ウの頭頂に蛍さんの峰打ちが落ちる。
﹁ってぇ!冗談に決まってんだろうが!さすがにおれだって裸で外
をうろつくつもりはねぇよ!﹂
﹁かといって武器も無しにどうするつもりだ。金はあるのか?﹂
蛍さんの問いかけにシシオウはちょっとだけ考えてから俺に向け
て手を差し出した。
俺はどこかほっとした気持ちで獅子哮を返そうとするが,シシオ
わざもん
ウは首を振ると獅子哮を持つ俺の手を指さした。
﹁え?﹂
﹁それくれよ。それも結構な業物だろ?﹂
﹁いや⋮だけどこれ武器じゃなくて防具だぞ﹂
確かにリュスティラさん謹製のこの手甲は魔鋼製で物理耐性が付
いたかなりの業物であることは間違いないがそれはあくまでも防具
としてである。積極的に攻撃に使用していった際にどんな不具合が
出るか分かったものではない。
﹁俺には充分だ。それに⋮⋮その獅子哮は俺からの宣戦布告だと思
ってくれ﹂
﹁は,宣戦布告?盗賊はやめるんだろ﹂
791
﹁ちげーよ。そうじゃねぇ!あんた蛍って言うんだろ?こいつが呼
んでたからな。
で,俺はその蛍にマジで惚れた!こんなに強ぇ女は初めてだ。い
つか蛍を倒してお前から蛍を奪う。
だがせっかくそれが出来たところで盗賊行為になっちまうと困る
からな。ここでしっかりと宣戦布告しておこうと想ってな﹂
はぁぁぁぁぁぁああ!!何言ってんのこいつ。俺の蛍さんに勝手
に惚れるのはまあいい。むしろ蛍さんに惚れない男なんて本当に男
なのかと声を大にして問い詰めたい。
だが蛍さんを俺から奪う?そんなの認められる訳ないだろうが!
ふざけんなと言ってやる。
﹁ふ﹁いいだろう﹂⋮けん⋮⋮な?﹂
え?
﹁お前が誓約を守り,死ぬほどの鍛錬をしていつか儂に勝つことが
出来たなら考えてやってもよいぞ。
だが,その時には儂の前にまずソウジロウを倒してから頼むぞ﹂
﹁ホントか!後で嘘とは言わせねぇぞ!﹂
﹁ああ言わぬ。
今ある力の差を儂への想いでひっくり返せるようならそれほどの
想い。一考する価値ぐらいはあろう﹂
蛍さんがすっげぇ楽しそうに笑いを堪えながら俺を見ている。く
っそぉあれは完全に遊んでる顔だ。だが結局のところ俺は蛍さんを
確実に守るためには蛍さんの遊びに乗っかるしかない。万に一つの
可能性を潰すためにシシオウが蛍さんと戦えないように俺がシシオ
ウを止めるしかないからだ。
792
﹁うぅぅぅ∼!くそ!分かったよ。その話受けてやる。システィナ
これ持ってて﹂
システィナに獅子哮を渡すとせっかくリュスティラさんに作って
もらったまだ数えるほどしか装備してない手甲を外してシシオウへ
と投げる。
﹁おっと!⋮へへへ,やっぱり思った通り良い手甲じゃねぇか。こ
れなら問題ねぇ﹂
﹁ふん,シシオウ。これも持って行け。餞別だ﹂
俺の手甲を装着して使用感を確認しているシシオウに蛍さんが腰
に付けていたポーチを投げる。あそこには今日倒した魔物達の魔石
がいくつか入っている。確か2階層と4階層は蛍さんが拾っていた
から階層主の物も二つ入っているはず。それだけあればここでディ
アゴだったときの財産を全て捨てて行ってもしばらくは困らないだ
ろう。
﹁こりゃありがてぇ。これからしばらく魔物を狩ってから移動する
つもりだったんだがこれですぐにでも旅立てるな﹂
﹁ほう,すぐにフレスベルクを出るのか﹂
﹁まあな,近いうちに兄貴達がフレスベルクを襲うような話をして
たからな。今回俺の部隊が壊滅したことを把握したら予定が変わる
かもしれねぇが今は巻き込まれたくないしな﹂
おいおい,なにさらっととんでもないこと言ってくれてんだこい
つ。大事件だろうが!
﹁シシオウ。ならばここを出る前に最近フレスベルクに出来た冒険
793
者ギルドで登録をしていけ。今はフレスベルクにしか店舗は無いが
探索者達の互助組織でな。儂らが後押ししている組織だから協力し
ろ。店舗は近いうちに主塔がある街へ,その後も順次街々に広がっ
ていくはずだ。役に立つこともあろう﹂
﹁へぇ,そんなんが出来たのか。せっかくの蛍の忠言だ,ありがた
く従っとくか。
じゃあ俺からも忠告だ。俺の兄貴たちは筋金入りの悪だから気を
付けな。だが本当に厄介なのはその兄貴たちに知恵を付けてるパジ
オンって男だ。こいつと知り合わなきゃ俺達は地方でちまちま行商
人を襲う程度の子悪党だったはずだからな﹂
なるほど⋮一番厄介なのは幹部の中でも参謀の男ということか。
﹁じゃあそろそろ俺はいくぜ。がんがん鍛えてくっからその乳磨い
て待っとけよ蛍!﹂
﹁っざっけんな!あの乳は俺のだ!﹂
シシオウは俺の魂の叫びを笑いながら背中で受け流し通路の先へ
と消えていった。
俺は今までにない疲労感を感じて大きなため息を吐く。
﹁すまんなソウジロウ。しっかりカタをつけるつもりだったんだが
な﹂
﹁ううん,いいよ。なんとなく分かったから﹂
﹁そうか⋮⋮﹂
﹁うん﹂
﹁あの⋮私は良く分からないんですが何故あの幹部を逃がしてしま
ったのですか?﹂
蛍さんと二人で完結しようとしていたところに申し訳なさそうに
794
システィナが疑問を投げかけてくる。
まあ,システィナにしてみれば死ぬ思いで兇賊を倒し休憩して駆
けつけたら訳も分からずディアゴの治療や契約を強制され,なんだ
かさわやかに盗賊の幹部を見逃すという訳の分からない状況である。
﹁すまんなシスティナ。これは完全に儂の我儘じゃ。あやつがなん
となく儂ら武器に似ているように思えてな﹂
﹁武器に似ている⋮ですか?﹂
﹁うん,蛍さんや桜は今でこそ人化で人の身体にもなれるけど元は
刀という武器だよね﹂
システィナは頷く。
﹁武器は⋮⋮自分で所有者を選ぶことが出来ないんだ。どんなに自
分をうまく使って欲しくても,どんなに悪いことに使って欲しくな
くても自分を握った人に従うしかない﹂
﹁⋮さっきの人は兄や姉に盗賊であることを強いられていたと?﹂
﹁う∼ん俺には正直分からない。その辺の感覚は蛍さんが感じたこ
とだからね﹂
﹁見逃してしまって大丈夫なのですか?﹂
﹁儂は大丈夫だと思っているがもし何かあれば儂が存在をかけて奴
を殺す。だから一度だけ見逃してやってくれ。
多分だがあいつは戦うのが好きなだけで性根は腐ってない。兄姉
達の下から離せば面白い男になりそうだと思ってな﹂
そう言って蛍さんは小さく頭を下げた。
﹁⋮わかりました。蛍さんがそう言ってご主人様がそれを認めた以
上私がどうこう言えるはずもありませんし,私もご主人様と同じく
らい蛍さんを信じていますから﹂
795
﹁そうか,すまんなシスティナ。儂もお前をソウジロウと同じくら
いに信用しておる﹂
﹁私もだよシス﹂
﹃私もですわ!﹄
うん,俺の嫁達は本当に素敵な女達だと言うことが分かっただけ
でもあいつを見逃した価値があるような気がしてきた。
﹁よし。いろいろあったけど取りあえず塔に巣食ってた盗賊達は一
掃した。盗賊達の武器と所持品を回収して街へ帰ろう﹂
796
宣戦布告︵後書き︶
※ レビューを募集しています。誰か書いてくれると嬉しいです。
もちろん、ブクマ、評価、感想もお持ちしています。
797
休養と訓練︵前書き︶
40万PVと6万2千ユニークです。少しずつですが呼んでくれる
方が増えてくれて嬉しいです。これからもよろしくお願いします。
798
休養と訓練
5階層の主を倒すことはせずに盗賊達の武器と所持金や使えそう
な所持品を回収すると5階層の窓から塔を脱出してギルドへと戻っ
た。
そこでウィルさんに盗賊の一部が塔にいたことを説明し,兇賊が
持っていた武器以外を討伐証明としてギルドに預けた。結果として
雑魚の武器ばかりになってしまったので懸賞金としては大した額に
はならないだろうがそれはそれで仕方がない。
兇賊の武器は調べてみたら
﹃風剣 ランク: D+
錬成値: MAX 技能 : 軽量﹄
ランクはそこそこだったが軽量化の効果があるらしく同程度の武
器と比べても遥かに軽いということが分かった。身体強化で高速で
動きまわる兇賊の戦い方にはこの剣が合っていたのだろう。
俺が使うには少々軽すぎる上に俺には葵と閃斬があるので使い道
は無いがトォル辺りが使うにはちょうどいい武器だろうと蛍さんが
言うので渋々だが譲ってやることにして持っておく。
正直シシオウと交換した獅子哮も防御面はともかく気弾は両手に
武器を持っている俺には両手を使って放つのはしんどい。もっとも
リアルかめは○波には興味があるのでいろいろ試してみるつもりで
ある。
799
本当なら獅子哮はフレイの戦闘スタイルに合いそうだけど,結局
フレイも小剣二本を手に持ちつつ格闘する獣闘剣術でしかも爪が飛
び出る独特の手甲を使っているので無理に使わせる必要もないとい
う結論になった。
ちなみにシシオウはしっかりとギルドに登録していったらしい。
まだギルドがここにしかないため機能はしないが各街にギルドが出
来ればギルド独自の連絡網を構築して冒険者同士でギルドを介した
伝言システムなんかも出来ればいいと考えている。
例えばフレスベルクで俺がシシオウに連絡が取りたいという伝言
を預け,ギルド支部全部でその情報を共有しておいてシシオウがど
っかのギルドでカウンターに来た時に俺からの伝言がありますと伝
える。みたいな感じである。
いずれそういった機能が実装されればシシオウをうまく扱き使う
ことだって出来るかもしれない。
おっと忘れちゃまずい。シシオウが言っていたフレスベルク強襲
計画についても報告しておいた。ウィルさんは驚いていたがすぐに
領主へ知らせますと言って職員を走らせていた。この辺も冒険者ギ
ルドのいいところだろう。
なにか情報を掴んでもいきなり領主の館に駆け込むような探索者
はいない。行ってもどうせ信じて貰えないだろうし門前払いが関の
山だろう。また探索者達もそう考えているから余計に情報格差が広
がる。
だが,間に冒険者ギルドが入ることで一旦情報をギルドに集める
800
ことが出来る。情報の取捨選択はギルドですればいいし緊急時には
すぐに人を集めることも出来る。
今回の件が塔にいた戦力が減ったことでどうなるかは分からない
ということもきちんと伝えておいたのでどの程度警戒するかは領主
の裁量次第だろう。
結局俺たちは盗賊の武器は査定の為に預け,魔石だけを売り払っ
て屋敷へと帰った。今日はシスティナの負担が大きかったため夕食
は自炊せずに帰りにパン屋や屋台などですぐに食べられるものを買
い込んだ。
システィナは恐縮していたが,傷こそなくても結構な出血があっ
たし魔力もほとんど使い切っているはずなので無理はさせられない。
皆で食事を摂った後,今日は塔の戦いで鬱屈していたため露天風
呂で疲れを癒して早めに寝室へ移動するが今日はシスティナはお休
みにして私室の方で休ませた。夜間の見張りも当然免除である。
システィナは大丈夫だと言い張っていたし,寂しそうだったが私
室のベッドに寝かせて眠るまで傍にいるからと説得したら納得して
くれた。と言っても付き添っていたのは5分にも満たなかったので
やはりいろいろ限界だったのだろう。
という訳で今日は蛍さんと桜と3人。2人共刀娘でタフなので錬
成のためにも遠慮なく魔精変換を使って楽しむ。
特に蛍さんは念入りに錬成した。桜がにやにやしながら﹃ソウ様,
あせっちゃってかわいい∼﹄とからかわれてしまったが今まで誰か
801
が俺の下を離れると言う可能性を全く考えていなかったので想像以
上に動揺してしまったらしい。
もし誰かが俺よりも大切な人を見つけてしまったら俺は彼女たち
を手放せるのか⋮⋮そんなことをポツリと漏らしたら蛍さんと桜に
拳骨を貰った上に葵が﹃重結の腕輪﹄にとんでもない程の加重を掛
けてきた。そんなことはあり得ないということらしい。
俺は素直に3人に謝罪して心地良い疲労感の中眠りに落ちていく。
﹃蛍ねぇがあんなやつ見逃すからソウ様があんな不安になるんだよ﹄
﹃そうですわ!主殿の刀としての自覚が足りませんのじゃないこと
!﹄
﹃そうだな⋮済まなかった。確かに軽率だったかもしれんな。まさ
かソウジロウがそんなに動揺するとは思っていなかった。我らは想
像以上にソウジロウに大切にされていたのだな﹄
﹃蛍ねぇらしくないなぁ。ソウ様のことは私達より知ってるはずな
のに﹄
﹃うむ⋮そうだ。そうだったな。これからも我らでソウジロウを支
えて行かなくてはな﹄
﹃当り前ですわ!﹄
﹃うん!任せといて!﹄
まどろみの中聞こえた声,髪を撫でる暖かい手を感じながら満た
された気分で完全に意識を手放した。
802
それから3日間は基本は休養と訓練。ギルドへは毎日行って情報
収集をする。剣聖の弟子に伝言を残し屋敷を訪れたトォルに風剣を
嫌々渡してやったら狂喜乱舞していたのが気持ち悪かった。
装備重量が大幅に軽減されたため軽装剣士としてのスペックが底
上げされたらしいが別にどうでもいい。まあフレイとアーリの負担
と危険が減るならそれはそれでいいことだが。 訓練は中庭で蛍さんと桜を相手に2対1でひたすら模擬戦闘を繰
り返した。おかげで1剣1刀の戦い方も大分様になってきた気がす
る。
中でも獅子哮の防御力がかなり高いのが有難かった。普通に盾を
持っているかのような安定感がある。物理防護+にもなると武器受
けした時の衝撃すら大分軽減されるらしく対人戦では特に有効だと
思われた。
例の気弾に関してはやはり獅子の上顎を意匠した右手の手甲と下
顎を意匠した左の手甲を口の形に合わせることが必須なので両手に
武器を掴んだままでは使いづらいという結論になった。
ただ打ち合いの最中などに使うのは無理だが間合いが空いたとき
時に奇襲で使うことも出来るし,武器を一本鞘に戻せば使いやすさ
は格段に上がるので戦闘の幅が広がることは間違いない。
一応リュスティラさんに事の経過を報告に行ったが気にするなと
笑って言ってくれた上に俺の手にぴったり合うように調整もしてく
れた。ドロップ品の装備にはいろいろ謎が多いらしい。直に調べら
れるだけでもかなり貴重なことのようで今後も機会があれば見せて
803
欲しいと頼まれた。
感謝の気持ちを込めて落ち着いたら我が家に泊まりに来てくれる
ように招待しておいた。システィナの美味しい食事と夜の露天風呂
を是非2人に味わってほしい。ただしばらくは赤い流星の襲撃を警
戒しなくてはならないのでこちらが落ち着いたらまた声を掛けるこ
とにした。
フレスベルクの方はウィルさんから報告を受けた領主がさっそく
対応を始めていた。コロニ村に向かった部隊は既に戻っており,コ
ロニ村には復興用の人員が代わりに向かっている。
警備隊が完全に戻ったので街の中や周囲を複数人で組んで巡回さ
せている。実際の効果は分からないがもともと人数的には無謀な計
画だから偵察にきた盗賊に街が警戒態勢にあるということを見せて
おくだけである程度意味があるということらしい。
となると赤い流星としては収入が確保出来なくなり,今まで強奪
したものが尽きる前にまた移動するなりしなければならないのでは
ないのだろうか。ただ,その気になればパクリット山には獣も食べ
れる食材もたくさんあるので生きていくだけなら困らない。フレス
ベルク近辺はあまり寒くなるような日も無いようでこのまま山に居
つかれる可能性もある。
だが,向こうにしてみればディアゴが消息を絶ってから3日。そ
ろそろ何かあったと見切りをつける頃でなんらかの動きがあるかも
しれない。
桜に度々山中を索敵して貰っているが,そんなに遠くに行く訳に
もいかない上に範囲が広すぎて盗賊達を見つけ出すのは難航してい
804
る。
あっ,桜と言えば毎日の精気錬成が実を結びランクがB+に上が
った。隠形と火魔法が+になって桜曰く斬れ味も増した気がするら
しい。
桜 ランク:B+
錬成値 31
吸精値 2
技能:
共感
意思疎通
擬人化
気配察知
隠形+
敏捷補正+
命中補正
魔力補正
火魔法+
何があるか分からないこの時期に少しでも戦力が上がるのは心強
い。
そして状況に変化があったのは思ったよりも早く塔でディアゴを
倒してから4日目の夜だった。
805
休養と訓練︵後書き︶
※ 引き続きレビューを募集してます。ご意見ご感想、評価、ブク
マ、感想、誤字脱字の報告お待ちしております。
806
闇夜の襲撃
﹁ソウ様,シス。起きて﹂
桜の声に眼を開けると室内はまだ暗い。今日は月も出ていないた
め外も暗いためかなり闇が深い。
﹁何かあった?﹂
こんな時間に起こされるということは何か問題が発生したという
ことだろう。そして今の状況で問題が発生するとすれば⋮
﹁屋敷の裏手から何かが近づいてくるみたい。仕掛けておいた警報
装置がどんどん作動してる﹂
﹁警報装置?﹂
﹁うん,糸とか鈴とかと自然の木や草をうまく組み合わせてちょっ
とね﹂
そんな警報装置をいつのまに⋮っとそれは後で教えて貰えばいい。
今は近づいてくる何かに対処するのが先だ。
裏手からということはパクリット山の中からか。盗賊が来たのか
それとも魔物が出たのかいずれにしろ戦いになる可能性がある。
俺とシスティナはすぐに布団から起き上がるとすぐ近くに置いて
あった装備を身につけていく。
ここ最近は夕方に楽しんで,ひとっ風呂浴びてからすぐに動き出
せる服装で寝ているため準備はすぐに出来る。
システィナと協力して素早く臨戦態勢を整えると窓から外を窺っ
807
ている蛍さんに近づく。
﹁どう?﹂
﹁桜の仕掛けは相手に知られずにこちらにサインを送るタイプのも
のらしい。その仕掛けが作動していく場所とその速度から相手は1
0名以上。しかも迷い無くここを目指しているようだな﹂
﹁⋮そっか。だとすると魔物が山から降りてきたってこともなさそ
うだね。桜,あとどれくらい?﹂
﹁う∼ん,多分このままだと後数分で屋敷の裏壁にたどり着くかな﹂
﹁盗賊でしょうか?﹂
﹁可能性は高いな。どうするソウジロウ。桜の仕掛けは屋敷の敷地
内になれば相手にダメージを負わせる物も設置してあるらしいぞ﹂
本当に桜はいつの間にそんな物を⋮危険な物はちゃんと伝えてお
けって言っておいたのに。
﹁とりあえず裏庭で迎え撃とう。屋敷の中には入って欲しく無い。
移動しながら裏庭の仕掛けを教えてくれ﹂
﹁は∼い﹂
全員で急いで裏庭に向かう。キッチンの裏口よりも室内風呂から
の扉の方が近いためそちらから外へと向かう。
その間に桜に説明してもらった仕掛けを吟味しながら盗賊が襲撃
してきたという前提でどう迎え撃ちどう終わらせるかを大雑把に検
討する。細かく詰めるには時間が足りないが基本の方針は前々から
打ち合わせているので問題はない。
裏庭に出ると蛍さんと桜がすぐに姿を消す。俺とシスティナは夜
目が効かないせいもあり,あまり動き回らずにまっすぐ目的の位置
へと向かう。俺達がひとまず待機するのは露天風呂を囲っている板
808
塀の向こう側である。
この闇の中,板塀の下に屈んでいれば向こうから人が来ても一目
で看破することは出来ないはずだ。
俺達の視界にはやや右手に源泉を囲った小屋がありその向こうに
屋敷を囲う壁がある。ここから壁までは20メートル程度。壁の高
さは元々が領主の別荘として建てられた物のため防犯に力が入って
いるため高い。俺の感覚的な推定だと3メートル位だろうか。具体
的には成人男性がジャンプしてぎりぎり手が届くくらいの高さであ
る。
﹁そろそろでしょうか?﹂
﹁そうだね。もしこの屋敷が狙いならそろそろ壁を越えようとする
頃かな﹂
﹁うぎゃ!﹂
隣で魔断を抱えて同じように待機しているシスティナの問いに答
えていると悲鳴が聞こえた。思わず出てしまったと言うような悲鳴
だったが周りに民家もないようなこの場所では良く響く。
さすがにその後は声を抑えたらしく,その後の会話は俺には聞き
取れないが既に隠形スキルを活用して奴らのすぐ近くにまで移動し
ている桜から意思疎通を利用してリアルタイムで会話を聞くことが
出来る。
︻馬鹿が!大声出すんじゃねぇ!聞こえたらどうすんだ!少なくと
も屋敷の中に入るまでは気取られたくないって言ったよな︼
︻す,すまねぇ⋮だけどよぉ。この壁の上になんか棘の生えた草が
繁ってんだ!とてもじゃないが登れねぇよ!︼
︻⋮頭,どうしますか?︼
809
︻使えないねぇ⋮じゃあ誰か1人あそこに寝っ転がって貰うかい?
そうすりゃ他の奴らは痛くないだろう?︼
︻か,頭⋮そりゃあいくらなんでも︼
︻だったらさっさとなんとかするんだね。私が気が短いことなんて
あんた達には今更言うまでもないことだと思っていたんだけどね︼
おいおい⋮なかなかの暴君がいるな。で,会話の内容から俺達を
襲う気だって言うのは確定か。
取りあえず侵入しようとしている者達のこの次の動きを待つか。
あ,もちろん壁の上の草は防犯のためにわざと塀上に這わせて固定
してあるものだ。
桜が山で探してきた鋭い棘が生えている薔薇のような植物だが定
期的に花を咲かせてくれる上に鋭い棘は侵入者を排除してくれる有
り難い植物である。この棘の防壁で帰ってくれれば面倒がないんだ
けどこの暴君がいるんじゃ無理そうだな。
︻ちっ!おい!ムドラ。お前の手袋なら厚手だから問題ないだろう。
ゴズク,お前が一番背が高い。奴を肩車して持ち上げろ。ムドラは
ナイフで草を切って俺達が通れるようにするんだ︼
なるほど,なかなか的確な対処だ。じゃあ敷地内でお出迎えしま
しょうかね。桜の趣味がこんなところで役に立つとは思わなかった
けどな。
﹁よし,俺達も行こう﹂
﹁はい﹂
810
侵入者が壁を乗り越え始めたタイミングで俺達も動く。と言って
も俺達は囮みたいなもんだから距離を詰めて立っているだけだけど
な。
2人で並んで歩いていくと﹃ソウ様そこまで﹄と桜からの制止が
入ったのでシスティナに合図を送り,武器をいつでも抜ける状態で
立ったまま待つ。
辺りは暗くてほとんど何も見えないが暗闇の先に人の気配が増え
ていくのは分かる。ぼそぼそと話し声も聞こえてくる。
︻よし,全員壁を越えたな。メイザ様ここは最近成り上がった探索
者が大枚をはたいて買った屋敷だそうです。その後もかなりの高価
な買い物をしていると噂が出ています︼
︻それにえらい綺麗な女どもを何人も囲ってるらしいですぜ︼
︻ふん,女どもは好きにしな。だが連れて帰るのは許さないよ。そ
の場で楽しんだら確実に殺しておいで。綺麗な女だったら必ず顔は
潰すんだよ。屋敷内の生き物は全て殺して金目の物は残さず掻っ攫
いな︼
おっと重要な言葉が聞こえたな。メイザ。赤い流星の幹部の1人
の名前だ。そしてこいつはディアゴが言っていた通り本当にクズら
しい。遠慮はいらないだろう。
︻よし,いくぞ。魔石灯に覆いをして足元だけを照らせ︼
視界の中にぼんやりと明かりが灯った。だがその明かりは地面だ
811
けを照らしているみたいだ。本来光魔石の光は全周囲型である。そ
れをここで使えば屋敷の中からでも不審な明かりを見つけられてし
まう。
だからなんかしらの細工をして光が下にだけ漏れるような簡易懐
中電灯を作ったのだろう。
まあ,見えてようが見えていまいがお前らの結末は変わらない。
﹁うおぉぉ!﹂
﹁ぎゃぁ!﹂
﹁ぐぅうぅあ!﹂
複数の人が動き出す気配に一応緊張感を増しつつ成り行きを見守
る俺達の前で魔石灯の明かりが消え野太い男たちの悲鳴が聞こえた。
信用してない訳ではなかったが桜の仕掛けがきちんと作動したら
しい。
﹁なんだ!何が起こったんだ!﹂
﹁あ⋮穴だ!穴があいてやがる!﹂
﹁馬鹿な!ちゃんと足元は確認していたんだろうが!﹂
﹁うるさいよお前たち!⋮⋮⋮どうやら私達は罠に嵌ったらしいね﹂
﹁蛍さん!﹂
俺の合図と共に頭上に光球が放たれると目の前の惨状が煌々と照
らし出される。
812
闇夜の襲撃︵後書き︶
ちょっと遅れた上に文字数ちょっと少なめです。すいません。
※ まだまだレビューを募集しています。
もちろん評価、感想、誤字脱字報告等もよろしくお願いします。
813
殲滅︵前書き︶
すいません。かなり遅れました。
ちょっと仕事が忙しかったので・・・なるべく3日に一回更新を頑
張っていくつもりですが今回のように遅れてしまうこともあるかと
思いますのでお含みおきくださいませ。
814
殲滅
うぅ⋮⋮
俺の足下から複数の呻き声が聞こえてくる。蛍さんの光魔法で作
られた光球に照らされたその惨状は決して見て楽しい景色ではない。
桜が屋敷の防衛として設置していた落とし穴は幅1メートル,深
さ3メートル,全長に至っては裏庭の壁沿い全てを網羅した大がか
りなものだった。それでいてそのオンオフはちょっとした細工で切
り替えられるらしく,桜は毎晩寝る前にオンにしていたらしい。
そして桜の設置した落とし穴の底には尖った杭が先端を上に向け
て埋められていたのである。ぱっと見で確認したところ穴に落ちた
のは7,8名程度だがそのうちの半数余りは落下と同時にその一生
を終えたらしい。
残った落下者達は先に落ちた者がある程度クッションになったた
めに死を免れたらしいが,大体身体のどこかに杭が刺さっていてそ
の状態で3メートルの穴から這い上がれるとは思えないから今後戦
線に復帰することは不可能だろう。
それだけ確認して視線を前に戻すと穴の向こうにまだ10名程度
の盗賊が残っているのが見える。いずれも剣呑な雰囲気で武器を構
えて俺達を睨みつけている。
奴らに言わせれば﹃落とし穴なんて卑怯な真似しやがって!﹄と
言いたいのだろうがそもそも盗賊にそんなこと言われる筋合いはな
815
いしここは俺の家の敷地内だ。勝手に強盗殺人目当てで侵入してき
た奴らにまともな対応をする必要性は欠片もない。
﹁ソウジロウ様。残りは13名です﹂
13人か意外と残ってるな⋮総数的には幹部とその直属20名が
またセットで動いてたってことなんだろうけどどうせなら半分,一
桁ぐらいには減らしておきたかった。
まあ桜のお陰で不意打ちも防げたし,ある程度数も減らせたんだ
から贅沢は言えないがこの後の立ち回りがちょっと難しくなるかも
しれない。
﹁おい!てめぇ!よくも落とし穴なんか!﹂
﹁えらく卑怯な真似してくれるじゃねぇか!絶対許さねぇからな!﹂
あぁ,やっぱり言っちゃうんだ。こいつら本当に自分たちのこと
しか考えてないクズなんだなぁ。せめて自分たちがやってることが
どれだけ非常識で残虐なことなのかを理解した上で行動して欲しも
んだ。
﹁蛍さん,桜。いいよ﹂
﹁ぎゃ!﹂
﹁ぐ!﹂
﹁お,おい!ゴズク!﹂
﹁な,なんだこれは!いったいどこから⋮うご!﹂
俺の一声で光球が照らす裏庭の中でも僅かにあった木や小屋の影
816
に潜んでいた刀娘達がまずは飛び道具による洗礼を浴びせた。
俺達に完全に意識を集中していた盗賊達は影より放たれたクナイ
やナイフが自分たちの身体に刺さるまで気がつくことが出来なかっ
た。万全の体勢で相手の意識の死角から放たれた攻撃は狙い違わず
盗賊達の急所へ吸い込まれこの時点で更に4人が脱落した。
﹁くそ!伏兵までいやがるのか。お前ら!姉御を中心にして周囲を
警戒しろ!飛び道具はさっきやられたやつらを盾にすれば防げる!﹂
死体を盾にするとか漫画なんかじゃよくある対応だがリアルでや
る奴がいるとは驚きだ。そして実際に目にするとかなり胸糞が悪く
なる。この世界の盗賊ってみんなこんなに外道なのだろうか。それ
ともこの赤い流星という盗賊団は特殊なのか?
まあここまで分かりやすく悪党だと元は善良な一日本人だった俺
でさえ良心の呵責に悩まされる要素が全くないのは助かるが。
﹁システィナ。行くよ⋮⋮3⋮2⋮1⋮GO!﹂
俺の掛け声に合わせてシスティナと2人で走り出す。助走をつけ
て1メートルの落とし穴を跳び越え盗賊達へと斬りかかる。
もちろん両サイドに展開していた刀娘達も同時である。正確な位
置は分からないがどこからか俺達の動きに合わせて牽制の投擲が無
数に放たれる。攻撃自体は俺達に誤射しないためか微妙に狙いが甘
く命中はせずに屋敷の壁に深く突き刺さるが盗賊達の意識を俺達に
集中させないという役目は十分に果たしている。
俺達と盗賊達が斬り結ぶ頃には2人も参戦するだろう。
817
﹁くそ!突撃してきやがった!いいか!乱戦になれば数の多い俺達
の方が有利だ!しかも奴らが接近してくれば飛び道具も使いにくく
なるお前らは奴らと斬り合いになるまではその盾をしっかり立てと
け!その後はその死体は捨てていい﹂
﹁わ,わかった!﹂
壁を背に両サイドを死体の盾で防御し,正面で武器を構えた盗賊
が俺とシスティナを迎え撃つ。確かに防御としては正解だろう。俺
達の総数をまだ向こうは把握してないだろうが人数的には9対4で
まだ俺達の2倍以上の人数がいるしね。
ただ俺達⋮というか俺以外の3人を相手にその程度で足りるのか
と言われれば,そりゃ足りねぇだろうと答える。俺がもし同じ盗賊
の立場だったら出鼻をくじかれ半数を失った時点で死にもの狂いで
全員で脱出を図る。結果的に俺達に各個撃破されつつあるがそれで
もまだ100名以上の構成員を抱えているはずなんだから一旦逃げ
帰ってもっと態勢を整えて再戦を挑んだだろうな。
そんなことをふと考えているうちに盗賊との距離は縮まり俺は目
の前にいた蛮刀を構えた筋肉質の盗賊へと葵を振り下ろす。システ
ィナは隣の曲刀使いを相手にするようだ。
そして同時に右サイドから蛍さん,左サイドから桜が斬りかかる。
よし,ここまでの流れは完全にこちらの思惑通りだ。
ここまで来れば後は1人ずつ確実に仕留めていくだけだ。
俺は頑丈だけが取り柄そうな蛮刀に葵を弾かれつつすぐに左手の
閃斬を横から薙ぐ。
818
﹁ぐ!﹂
浅いか。閃斬は蛮刀使いの腹筋を僅かに削るだけにとどまる。だ
がこいつの蛮刀はどうも厚みと重さに重点を置いたほとんど打撃武
器のような物らしい。だから防御するためだけに動かしてしまうと
なんちゃって2刀流の俺の連撃には付いてこられないようだ。
相性的にかなり有利な相手だ。これなら俺でも問題なく勝てる。
⋮ただし1対1なら。
﹁っと危ない!﹂
閃斬を振りぬいたタイミングで蛮刀使いの影から小柄な盗賊がナ
イフを2本構えて突っ込んできた。俺は一旦蛮刀使いを仕留めるの
を諦めて後ろに跳ぶが小柄な盗賊は細かいナイフ捌きで俺を責め立
てる。なかなか速い。
今度の相手は手数優先の俊敏型か!出てきたタイミングといい,
突然タイプの違う相手にスイッチされるという状況といい正直,塔
で複数相手の戦いの経験を積んでいなければちょっと危なかった。
やっぱり戦いは怖い。一瞬の油断で命を落しかねない。
﹁ソウジロウ!あまり下がり過ぎるな!お前も落ちるぞ!﹂
ナイフの連撃を捌きながらちょっと押し込まれていると蛍さんの
叱責が響く。っと!そうだった。後ろにはまだ桜の落とし穴が開き
っぱなしだった。
﹁了解﹂
819
結果としてこっちが背水の陣状態。となればここは早めに押し返
すのが吉か。
俺は調子に乗って責め立ててくるナイフ男のナイフを防ぎつつ,
慎重に機会を伺う。こいつの攻めは確かに速くて厄介だ。俺と同じ
で武器が2つなので手数でも適わない。だがナイフは軽くて速い分
攻撃も軽い。
︵今だ!︶
俺は相手が攻め疲れてきて一旦下がろうとするタイミングで一歩
踏み出すと低い体勢から両手の手甲を組み合わせる。
﹁は!﹂
俺の手甲からガオゥ!と低い唸りと共に衝撃波が発生し,ナイフ
使いの腹を直撃。ナイフ使いが身体を九の字にして吹っ飛ぶ。その
陰に隠れるようにして走り,蛮刀使いにナイフ使いがぶつかったと
ころでナイフ使いごと閃斬で貫く。
﹁げぇ!﹁ぐあ!﹂﹂
ナイフ使いの方は胸を貫いたのでほぼ即死だろうが,蛮刀使いは
腹筋に刺さっているだけなのでまだ動く。俺は閃斬を斜め下に引き
抜きながらその動きを利用して右手の葵を蛮刀使いの首辺りへ斬り
上げた。
﹁!!﹂
うまく葵が良い位置を抜けたらしく,蛮刀使いの首が驚愕の表情
を張り付けたまま飛び盗賊達の防御陣の中へと転がっていく。
820
﹁ひ!な,なんだこいつら⋮ムドラとグッフのコンビがあんなに簡
単に⋮﹂
その頃にはシスティナも曲刀使いを倒し,両サイドでも蛍さんと
桜が1人ずつを斬り倒していた。これで残るは4人。
﹁姉御!こいつらやばいです!一旦引きましょう!大頭目におねげ
ぇして駒を借りて立てな⋮をし?﹂
﹁うるさいね⋮⋮逃げたきゃ逃げな﹂
メイザに撤退を進言していた男が縦に割れる。おいおい人間を縦
に斬るとかどんだけだよ。持ってる剣は確かにそこそこ良い剣らし
いがそこまでの業物じゃない。
斬ったのは単純にメイザの剣術によるものだろう。意表を突かれ
たせいもあるがぶっちゃけほとんど剣筋が見えなかった。
﹁ひ!⋮ひぃぃぃぃ!﹂
主要なメンバーはさっきまでの戦いであらかた死んでいたらしく
残っていたメイザ以外の2人の盗賊は恐怖に駆られて逃げ出す。
逃げると言ってもここは俺の屋敷の敷地内で周囲は俺達に囲まれ
て後ろは壁なのだが。
と,思ったら1人の盗賊が壁をよじ登るようにして簡単に超えて
いく。ああ!なるほど。さっき蛍さん達が投げた投擲武器が壁に刺
さっているを足場にしたのか。
よく気が付いたなぁ⋮なんて感心してる場合じゃない。
﹁桜!﹂
821
﹁了解∼﹂
桜は続いて壁を登ろうとする男の延髄に容赦のない一閃を叩き込
むとそのまま男の肩を踏み台にして壁を越えていった。
さて,これで残るは⋮
赤い流星盗賊団幹部 メイザただ一人。
822
殲滅︵後書き︶
いつも名前を考えるのが面倒で苦労しています。なのでこっそりも
じった名前を使うことが多いです。
おもしろい名前候補とかあったら教えてください。
※ まだまだレビューを募集しています。
もちろん評価、感想、誤字脱字報告等もよろしくお願いします。
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メイザ
﹁まさかこんな辺鄙な場所にある屋敷に暇つぶしに来て,あたしの
部隊が全滅するとは思わなかったねぇ﹂
﹁屋敷の住人を皆殺しにして金目の物を根こそぎ奪うつもりの行動
が暇つぶしですか?﹂
﹁趣味と実益を兼ねた立派な暇つぶしだと思うがねぇ。あんたがこ
の屋敷の主人かい?﹂
右手に持った長目の細剣で自らの肩を叩きながらいやらしい笑み
を向けてくるメイザ。年はまだ20代後半ってところだろう。そこ
そこ整った顔立ちはすれ違う男性の半分くらいは振り向かせること
が出来るかもしれない。
スケイルアーマー
スタイルの方は上半身は鱗甲冑で隠されて分からないが甲冑のふ
くらみからなかなかのサイズがあるっぽい。ウエストは引き締まっ
ているし甲冑からぶら下がる草摺から伸びる白い太ももはむっちり
としていて大変おいしそうに見える。
﹁そうですね。一応名目上は私がこの屋敷の主ということになりま
すね﹂
一番偉いのは蛍さんで屋敷内を掌握してるのはシスティナで屋敷
を本当の意味で守っているのは桜だが対外的には俺の屋敷というこ
とになっているから間違いではないだろう。
﹁へぇ⋮若く見えるのに対したもんだ。で⋮﹂
﹁くっ!﹂
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言葉を切ったメイザから突然叩きつけるような殺気が飛んできて
思わず苦鳴を漏らす。なんて殺気⋮⋮人を真っ二つに出来る技量と
いいやはりこいつも強い。
﹁ディアゴを殺ったのはあんただね﹂
﹁!⋮⋮⋮﹂
﹁とぼけたって無駄だよ。あんたが持ってるのは獅子哮だろ。さっ
き気弾も使ってたしね。
それは戦うコトにしか興味が無かったディアゴが唯一大切にして
いたもんだ。手放す訳がないんだよ。それをあんたが持っているっ
てことはディアゴはあんたに殺されたってことさ﹂
いやいや,あいつ生きてるし。まあ窓を書き換えたからディアゴ
という名前の人間を消したのは俺になるのかもしれないが。
それにしても⋮やっぱり獅子哮は売っておくべきだったか?すく
なくとも赤い流星との決着が着くまでは装備を控えた方が良かった
かもしれない。兄姉達にディアゴの仇討ちとか言って興奮されても
ぶっちゃけ良い迷惑だ。
そもそも,そんだけ大事にしてたもんをほいほい寄越すんじゃね
ぇって話だが,リアルなカメ○メ波に目がくらんで装備をしていた
俺にも責任はあると言えばある。
だってせっかく異世界に来たのに魔法とか使えないって悲しすぎ
るだろ!魔法を込めた魔道具ですら魔力が外に出せない俺には使え
ない。ちょっとくらい不思議力を使った遠距離攻撃に憧れを抱いて
も許されるはずだ!
﹁意外ですね。仇討ちでもしたいとかですか?﹂
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﹁はっ!笑わせんじゃないよ。あたしら兄弟にそんな絆はありゃし
ないさ。その獅子哮はいい武器だろ?売れば良い稼ぎになると思っ
てたんだよ﹂
﹁は?﹂
﹁だがディアゴの奴がなかなか隙を見せなくてねぇ⋮
本当なら力尽くで奪っちまうのが一番手っ取り早いんだが,あの
戦闘馬鹿が相手じゃこっちも無傷じゃすまないからね。
搦め手から攻めようとして毒や女を使ってもうまいこと部下を盾
にされてねぇ⋮﹂
そう言えばシシオウが言ってたな⋮
﹃俺の兄姉たちは筋金入りの悪だから気をつけな﹄
弟が1人で戦って手に入れ,大事にしていた物を高く売れそうだ
からという理由で実の姉が殺してでも奪おうとするとか確かにいろ
いろ終わってるな。
ま,元家族の家に強盗に入って息子を殺害する父がいてそれを躊
躇いなく殺害した俺が言えることでもないが。
それにしてもよくこれで盗賊団としての体裁を保てるもんだ。い
や⋮⋮保ててないから部隊ごとに勝手に動いて各個撃破されてるの
か?
多分今までは各部隊ごとの統率が取れていたことと部隊のトップ
であったディアゴやメイザの実力が抜きんでていたから好き勝手に
動いても問題なかったってことか。
﹁悪いですが渡すつもりはありませんよ。そもそもあなたのような
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人を逃がすつもりもありませんし﹂
﹁確かにねぇ⋮あんたらはそこそこ強いみたいだし3対1じゃ勝ち
目はなさそうだよ﹂
﹁じゃあ降伏しますか?もちろん領主軍に突き出しますのでその後
どうなるかの保障はありませんが﹂
﹁それは勘弁して欲しいねぇ。そこでちょっと賭けをしないかい?﹂
﹁賭け⋮ですか?﹂
﹁ああ,あたしとあんたとで1対1で勝負しようじゃないか。あた
しが勝てばこの場は見逃しておくれよ﹂
﹁私が勝ったら?﹂
俺の問いかけにメイザはニヤリと口角を上げると空いている左手
で鱗甲冑の胸の部分を下から押し上げる。どうやら鱗甲冑は柔軟性
もあるらしくその動作に合わせてなかなかなサイズの肉の塊が持ち
上げられている。
﹁あたしはあんたのモノになるよ。好きにしてくれていい。性奴隷
として扱うならどんな行為も受け入れるしやれと言われたことは何
でもする。
あんたも綺麗どころを3人も手元に置いているくらいだそっちも
イケるくちだろ。あんたの取り巻きに比べりゃあたしなんか足元に
も及ばないが好きなように使える肉便器が一個くらいあってもいい
だろ?﹂
﹁ちょっと待ってください!そんなのこちらにはほとんど利があり
ません!そもそも勝ったからと言ってあなたのような盗賊が言葉通
りに言うことを聞く訳がないでしょう!﹂
俺が何か返す前に魔断を構えたシスティナが一歩前に出る。言っ
ていることはまさに俺の代弁だ。
メイザの要求は俺が肉欲魔人であることが前提だ。だが俺は決し
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て肉欲魔人では⋮⋮ないよな?
﹁ふん,あんた侍祭だろ?﹂
﹁な!﹂
意表を突くメイザの指摘にシスティナの勢いが止まる。侍祭とそ
の契約者であることはこの世界ではかなり意味のあることで恩恵も
大きいが面倒ごとを背負い込む可能性も高いため基本的に周囲には
明かさない様にしている。
おそらく他の侍祭や契約者も同じようにしているんだと思う。な
ぜならこれまで俺達以外のコンビに出会ったことがない。もともと
数も多い訳ではないとシスティナは言っていたがそんなに希少でも
ないと言っていたからやはり悪目立ちをしないように気を付けてい
ると考えられる。
﹁そんなに驚くようなことじゃないさ。だいたいあんたら侍祭って
のは契約者に依存する傾向があるからね。見てればなんとなく分か
るのさ。 まぁ確かにあんたはちょっと分かりづらい感じだったけどねぇ﹂
それはシスティナが他の侍祭とは契約の内容が違うせいだろう。
他の侍祭のように力の行使の条件に﹃契約者のためのみ﹄という制
限がなく,絶対服従を強いられてもいない。
﹁だから,勝負がついたらあたしを﹃契約﹄でがっちがちに縛れば
いい。そうしたらあたしはあんたらに逆らえばどっちにしろ死ぬこ
とになる。
いつでも殺せるなら楽しんでから殺しても同じことだろ?﹂
﹁私達にはそんなもの必要ありませ﹁いいですよ﹂ん!⋮え?﹂
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システィナが振り返って俺の顔を見る。
﹁その賭けを受けてもいいですよ。あなたが私に勝ったらこの場は
見逃します。だけど私が勝ったら私の好きなようにさせて貰います﹂
﹁ようし!決まった。あんたは侍祭じゃないみたいだが主の言うこ
とには従うんだろ?﹂
メイザは俺の言質を取ったと思ったのか即座に話をまとめにかか
る。侍祭であるシスティナは契約者である俺には逆らえないと思っ
ているからシスティナに確認を取った訳ではない。
メイザの右手側でことの成り行きを見守っていた蛍さんへの確認
だ。
﹁そうじゃな。我が主がそう決たのなら儂も否応はない﹂
そう答えた蛍さんは刀を消して腕を組むと近くにあった木に寄り
かかって傍観を決め込む。口元が楽しげに弧を描いているのは俺の
良い修行になるとでも思っているのだろうか。
﹁後でもう1人が戻って来た時にはそっちから説明しておくれよ。
勝負の最中に後ろからバッサリは嫌だからねぇ﹂
﹁ええもちろん。勝負が着くまでは手出しをさせません。まあ,私
が殺されるようなことがあればどうなるか分かりませんが﹂
﹁ああ,わかってるわかってる。この場でそんな無茶はしないよ。
ただ真剣を使った勝負だからね多少の怪我は覚悟して貰うよ﹂
﹁それはそうでしょうね。構いません﹂
俺は改めて閃斬と葵を構え直すとゆっくりと息を整える。相手は
女と言えどディアゴまでもが悪党と言い切った相手である上に腕も
立つ。全力で戦わなければ死んでもおかしくない。
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静かにゆっくりとだが戦いへと集中していく。それに伴い頭の中
が冷えていく⋮⋮そうか!光圀モードっていうのは極度の集中で精
神が研ぎ澄まれ感情や意識が完全に戦闘のみに向かった状態なのか。
集中の過程で急に理解した。今までは非道な奴らに対しての怒り
を収めるために無理やり心を落ち着けようとして自然と光圀モード
へ移行していたから良く分からなかったが今ならなんとなく分かる。
﹁はん!さっそくやる気だねぇ。男はそうでなきゃ﹂
ロングレイピア
視界の中でメイザが淫蕩な笑みを浮かべつつ長細剣の先端を俺へ
と向ける。突きが主体かのような構えだがさっき人1人を上段から
断ち割っている。突き技だけを警戒する訳にはいかないだろう。
﹁では行きますよ﹂
﹁ふん,おいで。ぼ・う・や﹂
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ソウジロウの戦い
メイザの挑発にかぶせるように間合いを詰めた俺はまずは右手の
葵を振り下ろす。メイザは細身の剣で受け止めることを嫌い一歩下
がってそれを避けるが俺は更に踏み込んで左の閃斬を横薙ぎに振る
う。
この流れは俺が両手で武器を扱う練習をしていくうちにもっとも
動き安かった動きである。同じ相手に何度も使うと動きが読まれる
可能性はあるが初見の相手との立ち上がりには一番動き安い動きで
入りたい。
メイザは俺の動きが思ったよりも速かったのか僅かに表情を強張
らせたが閃斬の軌道の下に伏せるようにしゃがんで攻撃をかわすと
俺の足元から長細剣を身体の中心にめがけて突き出してきた。
くっ!一番避けづらいところにそんな角度から⋮
俺は振りぬいた状態の左手を獅子哮ごと長細剣に上にから叩き付
けつつ後ろに下がったが通常の武器よりも長い武器である長細剣の
剣先が僅かに胴をかすめる。幸い勢いは削がれていたため俺の魔鋼
製の鎖帷子を抜くことは出来なかったがちょっと肝が冷えた。
メイザはその流れに乗って俺に対して突きを主体とした連続攻撃
に入った。たまに隙を見てこちらからも反撃をするのだが苦し紛れ
の一撃はいとも容易く受け流されてしまう。
今までのメイザの態度から戦い方も大雑把なものをイメージして
いたが実際の戦い方はどうもちがうようだ。攻撃に関しては力技も
持っているみたいだが長細剣という耐久性が低そうな武器を使って
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いるせいか,受けに対しては驚くほど繊細で無理に打ち合うことを
せず回避や受け流しを使用する傾向が強そうだ。
突き主体の速い攻撃が残像を伴って襲ってくるのを俺は必死にな
って凌ぐ。だが全てを凌ぐことは難しくメイザの長細剣は俺の防御
をすり抜け二の腕や太ももの肉を裂いていく。
くそ!俺も毎日のように蛍さん達と修行してそこそこ動けるよう
になってきたと思っていたのに,そこはやはり平和な地球の日本育
ち。中学を卒業するまで武器を持つことも無かった俺と生活のため
に武器を持ち戦い続けてきたこの世界の人達ではもともとのスター
ト地点が違う。
自前の身体能力と強い武器があるからこそなんとか戦えているに
過ぎない。メイザの絶え間ない猛攻に晒されながら思わず脳内で愚
痴をこぼす。
﹃そんなことありませんわ主殿。主殿の武技は戦国の世の武将達に
も決して劣るものではありません!もっと自信をお持ちになってく
ださい!
あなたは3年もの間,あの無駄に長いだけの山猿を振り続けてい
たではありませんか。こちらに来てからも乱暴な山猿にどれだけ打
たれても折れなかったではありませんか。その身体に残る幾多の痣
とこの固くなった手の平は主殿を裏切りませんわ!﹄
﹁葵⋮﹂
思わず伝わってしまった俺の愚痴に葵が逆ギレ気味に励ましの声
を掛けてくれる。葵もまた蔵の中から俺のことを気にかけてくれて
いた。そしていつか俺に使って欲しいと思っていてくれたのかもし
れない。
そして少なくとも刀を振り続け,何度も豆が破れ,いつのまにか
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固くなってしまった手の平を葵は認めてくれている。嘘か真か過去
の持ち主やその周りにいた武人達に俺は負けてないと言ってくれる。
さすがに女にそこまで持ち上げられてしまったら男として弱音な
んて吐いていられない。この勝負結果は分かっているがどんな形で
もいい。葵に格好いい所を見せてやりたい。
﹃主殿なら勝てますわ。わたくしも協力致します。2人であのいけ
好かない女をぶちのめしましょう!ですわ﹄
サンキュー葵!
葵に強く背中を押された俺はメイザの怒濤の連突きをなんとか2
本の武器で捌ききったタイミングで反撃に出る。これまで攻め続け
て息が切れかけていたメイザは無理にとどまろうとせず一度間合い
を取り直すべく下がる。そのメイザを追いかけるように前に出なが
らまずは⋮
﹁はっ!﹂
﹁ぐ!⋮ちぃ!﹂
獅子哮による気弾でメイザの胴体を撃つ。至近からの一撃に加え
て下がる途中だったメイザはそれを避けることが出来ず腹部に命中
する。
鱗甲冑があるため大きなダメージは入らないだろうが衝撃は伝わ
る。その衝撃は下がるために後ろに傾いていた重心を更に押し込ん
で助長することになり俺との距離は開いたが体勢を大きく崩してい
る。
好機!メイザが体勢を立て直すまでに間合いを詰め切れば俺の勝
ちだ!葵の間合いまでは後3歩ほど。メイザが体勢を立て直すより
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も俺の方が速い。
1歩 メイザはまだよろめいている。
2歩 ようやくメイザの右足が地面を掴んだ。思ったより立ち直
りが速い。
3歩 葵を振り下ろそうとして視界の先のメイザが突きの体勢に
あるのを見て失敗に気付く。
しまった!俺も振り下ろしではなく突きでいくべきだった。どう
しても刀は﹃斬る﹄武器だという意識が強すぎて俺の動きのパター
ンの中には突きに関する動きが少ない。だが何が起こるか分からな
い戦いの中ではやはりそういった偏りがあるのはよろしくない。
﹃斬る﹄を主眼においた戦い方を追求していくのは問題ないが,
だからと言って突きを覚えなくて良いという訳ではない。
くそ!間に合わない!どうする?避けるか?ええい!行ってしま
え!!
俺は半ばやけくそな気分で葵を振り下ろすことに集中する。集中
力は切れていない。不十分な体勢から放ったメイザの突きは俺の正
中線からは逸れている。首から上にさえ刺さらなければなんとかな
る!そしてそこへの攻撃はまずない!
あつっ!
右の脇腹付近に熱を感じたと思った瞬間,﹃貫通したな﹄と漠然
と理解したが今は後回しにして右手に持った葵をしっかりと振り下
ろし⋮
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ギャリン!
耳障りな音をたて葵が鱗甲冑を斬り裂いた。
﹁ソウジロウ様!﹂
後ろからシスティナの声が聞こえて一瞬遠のきかけた意識を食い
止める。
視線を落して俺の腹を見ると半ば程まで貫通した長細剣が見える。
そこを通り越し地面を見ると鱗甲冑からはがれた鱗を周辺にばら撒
き,見事な胸を白い肌と赤い血のコントラストに染めたメイザが仰
向けに倒れている。
﹁く⋮⋮まさか,全く引かないとはね⋮﹂
メイザが薄ら笑いを浮かべつつ1人呟く。
﹁ソウジロウ様!今治療します。まずは剣を抜きます﹂
﹁がっ!﹂
俺が躊躇う隙すら与えてくれずにシスティナが長細剣を抜く。抜
いた剣はその辺に置いておくと怖いのでこちらに近づいてくる蛍さ
んに向けて投げたようだ。
剣が抜かれるとそれに釣られるように体内の血があふれ出ていく。
それを見て思わずふらついてしまった俺をシスティナは抱き止めつ
つ回復術を行使していく。
現状システィナの肩を借りてようやく立っている状態な俺だがシ
スティナが回復術を使いだすと出血はすぐに止まり痛みも引いて来
たのでようやくメイザと話す余裕が出来た。
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﹁や⋮くそくだ。あたしの身体は好きにしな。まぁ⋮弱った女を犯
すのが好きだとか言うんじゃなければあたしも傷だけは塞いで欲し
いんだけどねぇ﹂
メイザは冗談めかしつつ妖艶な笑みを浮かべてはいるが傷は浅く
ない。治療をして欲しいというのは本心だろう。
﹁ソウジロウ様?﹂
俺の治療を終えたシスティナがメイザを治療するかどうかを目線
で問いかけてくる。メイザの身体を賭けて勝負したのだから死んで
しまっては意味がないと思っているのだろう。
だがそれはシスティナのはやとちり,早合点,勘違いというもの
である。俺はシスティナに対して小さく首を振って治療は必要ない
旨を伝える。
システィナは小首をかしげて不可解な顔を見せたが頷いて了承の
意を返してくれた。
﹁まだまだだなソウジロウ﹂
そこへ離れて様子を見ていた蛍さんが到着する。もちろんシステ
ィナが投げた長細剣もちゃんと持ってきている。
﹁うん,結構戦う前から押されてた部分もあるし実際に戦ってみて
相手の技量の高さにまだまだ及ばない自分にテンション下がったり
もしたしね。
葵が発破かけてくれなかったらちょっとやばかったかも﹂
﹁精神面もちょっと鍛えなくてはならんな。戦い方もあれでは先が
思いやられるぞ﹂
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﹁だよね⋮まず突き技を後回しにしてたことと焦って勝負を急いだ
ことは反省かな⋮﹂
﹁後は気弾を多用するのもやめておけ。あくまで切り札にしておく
方がいい。あれに頼りすぎると他の技術が伸びなくなるやしれん。
気弾を混ぜた戦い方の修練は必要だが実戦で使うかどうかはまた
別だと心得よ﹂
﹁ん,分かった。気をつける﹂
﹁ちょ⋮ちょっと待ちなよ⋮あんたら一体なに⋮を﹂
傷ついたメイザをほったらかしに反省会を始めた俺達をぽかんと
眺めていたメイザだが流血と共に薄れていく意識にやばいと思った
のか痺れを切らせて話しかけてくる。
﹁ソウジロウ様。もしかして⋮﹂
俺と蛍さんの反省会を聞いていたシスティナが﹁あっ﹂と可愛く
声を漏らした。
﹁多分正解。メイザが持ちかけた賭を利用して実戦の練習をね﹂
﹁な!⋮なんだ⋮て⋮一体どういう﹂
メイザが驚きに目を見開くが既に起き上がる元気もなく視線だけ
を俺に向けてくる。
﹁何で俺がお前みたいな女に欲情すると思ったのか知らないけど,
お前の賭けは俺にとって都合が良かったから乗らせてもらった﹂
﹁ど,どういうことだい!﹂
﹁そうだね⋮まだ桜も帰ってこないし説明してあげるか。つまり⋮﹂
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俺がメイザに説明したのは簡単な理屈だった。
まず,それを思いついたのはメイザの勝利条件がこの屋敷から逃
げ出すのを見逃して貰うことだったからだ。メイザはこの条件にし
てしまったことで勝負の中で俺を殺すことが出来なくなった。なぜ
なら俺を殺してしまえばいくら当事者同士で賭が成立していたとし
ても蛍さんとシスティナがメイザを見逃すことはまずあり得ないか
らだ。そのくらいは2人に愛されていると自惚れてもいいはずだ。
その辺の事情はメイザも分かっていたと思う。だからメイザのベ
ストは俺を動けなくなるくらいまで痛めつけて負けを認めさせて俺
の治療をしているうちに脱出することだろう。
仮に俺に負けてたらどうするつもりだったのかというのは推測で
しかないがメイザが性奴隷に落ちても死ぬよりマシと思っていたか,
そっち系が大好きでむしろばっちこい状態のビッチだったか⋮⋮も
しくは侍祭の契約を破棄できるなんらかの裏技を持っていたか。そ
の辺りじゃないかと思う。
つまりメイザにとっては勝っても負けてもさほど損のない賭けの
はずだった。メイザが誤算だったのはただ一つ。
俺がこの上もなく怒っていたということだった。
﹁な⋮なにがそんなに気にくわないってんだい!確かにあたしは多
少年はいってるが身体には金を掛けてきた。自慢じゃないがそこの
女達より技術も上だ。一度抱いてくれりゃ腰が抜けるほど証明して
やるさ!﹂
﹁違うんだよなぁ⋮確かにあなたの身体は綺麗ですよ。認めます。
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普通の男と女として誘惑されたらほいほい着いていったと思います﹂
俺の言葉にメイザが安堵して表情が緩む。
﹁じゃ,じゃあ試しに一度だけでも﹂
﹁だから!⋮違うんですよ。もう俺はあなたを女どころか人として
すら認識出来なくなってきてるんですよ﹂
﹁え⋮﹂
﹁だってそうでしょう?
俺の大事な人達をあなたは﹃楽しんだ後は確実に殺せ。綺麗な女
だったら顔は潰せ﹄って手下共に指示したんですよ﹂
﹁ひ!⋮ぁ⋮﹂
俺の顔を見上げていたメイザの顔が恐怖に染まる。失礼なやつだ。
別に威圧をしている訳でもないのに⋮ただ俺はお前が言っていた言
葉を思い出しただけ。そしてそんなことを言う奴を許せる訳がない。
蛍も桜もシスティナもかけがえのない俺の大事な人だそれを弄んで
殺した上に顔を潰せって?⋮⋮そんなふざけた寝言は死んでから言
え!
﹁だから,命の危険がない賭を受けて俺の訓練相手になってもらっ
たんですよ。ただし俺が勝っても負けても生かして帰すつもりは全
く有りませんでしたけど﹂
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ソウジロウの戦い︵後書き︶
閲覧ありがとうございます。
※ レビューを募集しています。
誤字脱字の指摘、感想、ブクマ、評価もお待ちしています。
感想には返信もさせていただきますのでよろしくお願いいたしま
す。
840
ひとまずの決着
﹁⋮くくく﹂
俺の言葉がこのうえもなく本気だということを理解して気が触れ
たのかメイザが肩を震わせる。
﹁こりゃぁ⋮とんだ見込み違いだったねぇ。あまっちょろそうな顔
してるから良いように使えると思ったんだがとんだキチガイだよ。
あと半歩立ち位置がずれたらあたしらと変わらないじゃないか﹂
おお。さすがに悪党街道を突っ走って来ただけあって鋭い。メイ
ザが言ったことは多分正解だと思う。俺は俺が悪人だと判断した者
にはとことん冷徹になれる。それなのにその基準は俺の中にだけあ
るんだからちょっと判断の基準がぶれればとんでもないことになる
可能性はあるかもしれない⋮ていうかある。
でも,だからこそ俺には,俺の傍には刀娘達やシスティナが必要
なんだと思う。彼女達なら俺が間違った判断をしそうになったとき
に俺を止めてくれると思うからね。まあ,逆に止められない限りは
大丈夫なんだと思って好き勝手やらせてもらおうと思ってもいる。
﹁行き着く先は変わらないと思うけど1つ選ばせてあげようか?
1,領主に生きたまま引き渡される。
2,ここで死ぬ。
どっちがいい?﹂
841
﹁はっ!そりゃお優しいこった。どうせほっとかれてもそろそろ死
にそうだ。あんた達でとどめを刺すが良いさ﹂
﹁いやいや,領主に引き渡すならそれまでは生きてて貰う必要があ
るから治療するよ。そうしたら連行は陽が昇ってからになるし,な
んだかんだでもうしばらく生きてられるんじゃないの?
その間に助けがくるかもしれないし,脱出の機会もあるかもしれ
ませんよ?﹂
﹁⋮本当に嫌な奴だねぇ。領主なんかに引き渡されたら碌な目に遭
わないのが分かりきってるじゃないか。死なない程度に拷問されて
情報を吐き出させた後は,最低でも手足の腱を斬られた状態で街中
で晒し者にされるだろうねぇ。
その間はありとあらゆる物を投げつけられるだろうよ。石なんか
は可愛いもんさ。刃物,熱湯,糞尿なんかがよくあるかねぇ⋮変わ
ったもんじゃ鍋,釜,後は形見シリーズで思いも掛けないような物
が飛んできたりするなんてのもあるね。 まぁ,さすがに街中で
慰み者にされることはないだろうけどねぇ﹂
﹁ふぅん。市中引き回しのうえ打ち首獄門的なことがこの世界でも
あるんだ。
まあ,でもそれだけのことをしてきたんだから仕方ないね。そう
するとむしろ領主に引き渡した方がいいのかな。フレスベルクには
コロニ村の生き残りも来てるだろうしどんな形であれ仇を討たせて
あげれば⋮﹂
﹁ソウジロウ様。私の意見でしかないのですが⋮﹂
﹁うん。何?﹂
﹁ジェイクさんはわかりませんが彼女達は復讐を望まない気がしま
す。彼女達は皆で協力しあって未来を育てるという決断をしました。
未来の苗である子供達のために自らの私怨には流されないような
気がします﹂
なるほど⋮確かに最後に見たあの人達の様子を考えれば,盗賊が
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討たれたことを喜びはしても自らの復讐のために何かをしようとは
思わないかもな。それほどまでに生き残った子供達の為に生きるこ
とを覚悟しちゃってた目だった気がする。
﹁そうだね。システィナが正しいと思う﹂
﹁どこの世界のいつの時代も母は強いな﹂
蛍さんの長い刀人生⋮はおかしいから,刀生?の中で見てきた母
親達もやはり強かったのだろう。
﹁という訳で,そういうことになったから希望通り最期まで俺が面
倒みるよ﹂
﹁へっ!なんだか気が抜けるねぇ。あたしの最期を相談されている
はずなんだがね。まあ,好き勝手に生きてきた最期の時がこんな緩
い感じなのはなんだか恵まれすぎてる気もするがねぇ﹂
そろそろ出血量も無視できない量になっているらしく痛みなどは
既に感じていないっぽいメイザが儚い笑みを浮かべる。
﹁ソウジロウ様。私が⋮﹂
﹁いや,いいよ。これは俺がやるべきことだと思うしね﹂
メイザの介錯を変わろうかと問いかけてくるシスティナに笑って
首を振る。最近システィナはスキルを駆使して地球の知識をがんが
ん取り入れているらしく俺がいた日本の常識まである程度理解し始
めている。
その日本の常識に照らせば殺人,加えて言えば女性や子供の殺人
は忌避感が強いということを知ってしまったので俺の精神状態を気
遣ってくれたのだろう。
だが,俺に関して言えばその社会感に適合出来なかったからこそ
843
この世界にいるようなものなので悪人相手ならば問題ない。その証
拠にシスティナと出会った時にさくっと盗賊達を殺めている。
﹁はい﹂
システィナもその辺は分かってるみたいで素直に納得してくれる。
俺の為を思って一応聞いてくれるところがシスティナらしくて可愛
い。うん今すぐ抱きしめてベッドに突撃したいくらいだ。
と言ってもそれどころじゃないので今は我慢我慢。
﹁じゃあ,楽にしてあげるけど⋮⋮言い残すことはある?って言っ
ても盗賊相手に伝える言葉はないし謝罪も今更ウザいだけだから⋮
あ!そうだディアゴに伝えておきたいことはある?﹂
﹁な!⋮⋮生きて,いるのか?⋮まさか領主に﹂
死にかけだったメイザが一瞬目を見開く。ディアゴは死んだと思
い込んでいたから驚いたのだろう。
﹁いや⋮別に関係ないね。あたしらの間に姉弟の繋がりは皆無だか
らね。なんであいつが生きていてこれから先も生きるのかどうかは
知らないが⋮⋮あたしらには関係のないことさ﹂
﹁了解。﹃これからは盗賊稼業なんかにかかわらず自由に生きろ﹄
って言われたと伝えておくよ﹂
﹁⋮け!随分と男には優しいんだね。そっちの方が趣味だったかね
ぇ。とにかくそんなこと伝えたって鼻で笑われておしまいだよ!﹂
憎まれ口を叩きつつ唾を吐いたメイザは震える身体に力を入れゆ
っくりと上半身を起こす。
﹁やりな﹂
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﹁ん!﹂
カポーン
という幻聴を聞きながら露天風呂に肩までつかった俺はくはぁと
盛大な吐息を漏らす。寝不足の上に寝起きの運動をして疲れ,強ば
っていた身体が解きほぐされていく。
手桶で濡らしたタオルを絞ったものを畳んで頭の上に置きながら
空を仰ぐ。いつの間にか空が青くなりつつある。まもなく太陽が顔
を出すはずだ。
メイザの首を落とした後,桜も帰って来たので報告を受ける予定
だったのだが先に死体の処理と所持品の回収,落とし穴の再設置を
しておくと言われた。それならば俺も手伝うと申し出たのだが却下
されてしまったので1人寂しく風呂に入っている。
コロン⋮
露天風呂の縁に後頭部を乗せて空を見ていると耳元で何かが転が
った。俺は一旦起き上がりそれを手に取ると再度﹃簡易鑑定﹄を掛
けてみる。
﹃破約の護符 ランク:A+﹄
手の平にすっぽりと覆えてしまう程度の大きさで透明感のある淡
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い水色の丸い宝石。首を落としたメイザの死体を漁って見つけたも
のである。
首を落とした後にメイザの死体をまさぐりだした俺に﹁ご主人様
そっち系はちょっと⋮﹂と呟いたシスティナに拳骨を落としつつ見
つけたものだが⋮これって結構貴重なものなんじゃなかろうか。
俺の鑑定では効果までは分からないが,名前やメイザが持ってい
たということから考えるとおそらくなんらかの契約を一方的に無効
化出来る物だと思う。
使い捨てで1回で壊れる可能性があるため試せないため結論は出
せないが,もし想像通りならあるかどうか調べたことはないけど魔
術的なものを伴う奴隷契約とか,従属契約とか,魔物とかとの使役
契約とかがあれば破棄出来そうな気がする。
ただ現段階で確実に破棄出来るだろう契約として侍祭が執り行う
契約がある。これはメイザがこれを使おうとしていたことがほぼ間
違いないため信頼性は高い。
契約内容によっては死すらあり得る侍祭の契約を一方的に破棄出
来るならかなり危険な道具ということになる。
商取引1つを取っても侍祭契約しますからこれこれをン千万マー
ルで買って下さい。品物は明日全部まとめて持ってきますので先払
いでお願いしますって言えばその価格が適正なら相手は先払いを快
く承諾するだろう。それだけの信頼がこの世界の侍祭契約にはある。
後はお金を受け取った後でこの護符を使って契約を破棄して代金
を持ち逃げすればそれだけで大金持ちになれる。
侍祭契約が世間での信頼を失っていないみたいだから数が出回っ
ている訳では無さそうだけど,後でシスティナが何か知らないか聞
いてみよう。護符自体は簡単に使う訳にもいかないしひとまず使用
は保留して保管だな。
846
﹁ソウ様おっまたせ∼!!!﹂
﹁おわ!﹂
空を仰いでいた俺の視界の中を突然,白くて可愛いお尻と綺麗な
割れ目ちゃんが通り過ぎていった。
ドッッッパァァァァン!!
﹁ぶほっ!﹂
おっ!と思ったのも束の間激しい水音と共に派手に水しぶきを浴
びた俺は半分口を開けていた事もあり盛大にむせかえることになる。
﹁ごほ!⋮ごほ﹂
﹁これ桜。風呂には飛び込むなと何度も言っておろうが﹂
﹁だ,大丈夫ですか?ご主人様﹂
﹁あはははは!ごっめぇぇん!ソウ様。でも良い眺めだったでしょ
?﹂
むう⋮なんて奴だ桜め。そんなこと言われたら俺は黙って親指を
立てるしかないじゃないか。
システィナに背中をさすられつつ顔を拭かれながら凛々しく立て
た親指を桜の声のする方へ立ててやった。
桜の喜ぶ声とあきれる蛍さんの溜息を聞きながらシスティナのお
陰でようやく落ち着いてきた。
﹁ありがとうシスティナ。もう大丈夫そうだ﹂
847
システィナの手を取り目を開けるとシスティナがにっこりと微笑
んでくれる。本当にシスティナはええ娘やのう。
視線を巡らせると俺の足下にはころころと笑い転げる桜がいて右
隣には形の良い爆乳を湯船に水風船のように浮かべた蛍さんがいた。
システィナは左隣で絶賛俺を介護中で中腰でいるので形の良い双子
山がゆらゆらと魅惑のダンスを踊っている。
いやあ俺は幸せだな。この幸せはなんとしてでも守りたいものだ。
そのためにはもうひと頑張りしなきゃいけないか。
﹁システィナ処理の方は終わったの?﹂
﹁はい。死体の方は全部埋葬済みで装備品等はまとめてありますの
で後で検分をお願いします。警報や罠に関しても桜さんの方で再設
置済みだそうです﹂
﹁そっか⋮大変な仕事任せちゃってごめんね。お疲れさま﹂
﹁いえ,今回ご主人様は幹部を倒されたのですから。あんっ⋮﹂
あまりにも可愛かったので取りあえず揉んでおいた。
﹁このまま皆で布団になだれこみたいところだけどそうもいかない
よな。桜,報告を頼む﹂
﹁は∼い﹂
元気のいい返事をした桜が表情を引き締めて俺を見た。その眼は
既に刀としての鋭い眼だ。
﹁予定通り逃がした1人を追跡したところ,赤い流星団のアジトだ
と思われる場所を見つけたよ﹂
848
ひとまずの決着︵後書き︶
※ レビューを募集しています。
誤字脱字の指摘、感想、ブクマ、評価もお待ちしています。
感想には返信もさせていただきますのでよろしくお願いいたしま
す。
849
ギルドへの報告︵前書き︶
一日遅れました。すいません。
850
ギルドへの報告
﹁ご主人様,食後のお茶です﹂
﹁ありがとうシスティナ。じゃあシスティナも座って。これからの
ことをちょっと相談しよう﹂
﹁はい﹂
俺達は露天風呂を上がってから少しだけ仮眠を取って早めの朝食
を済ませた。寝不足の頭と戦闘で昂った精神状態では判断を間違い
かねないと思ったからだ。
﹁今度はこちらから攻め入るか?﹂
蛍さんが緑茶を飲みながら問いかけてくる。
この緑茶はその存在を知ったシスティナが叡智の書庫を使って緑
茶の詳細を学習しこの世界にも似たような物があることに気づいて
入手して来てくれた植物を茶葉に加工してくれたものである。
味や風味は日本の洗練された茶葉には及ばないがそれでも緑茶が
飲めるようになったことはかなり有難い。日本家屋や蔵があるよう
な環境で暮らしてきた俺には緑茶はあるのが当たり前だった。
この世界に来てこの屋敷で暮らすようになるまではそんなことを
気にしている余裕はなかったが,生活の拠点が出来,風呂も完備,
お金にも余裕が出来て生活が安定してくるとどうにも緑茶が恋しく
てたまらなくなっていた。
それを寝物語にぽろっとシスティナにこぼしたのがきっかけだっ
851
たのだが,システィナはなんと次の日の夕方には緑茶が飲めるよう
にしてくれたのである。本当にシスティナに最初に出会えたことは
俺の最大の幸運だと思う。
俺にとって考え事をしたい時やリラックスしたい時の緑茶は必須
アイテムだった。
﹁本気で言ってないよね蛍さん。桜,追跡した盗賊はどうしたんだ
っけ?﹂
緑茶を啜りながら思わず苦笑する。いくらなんでも4人でまだ1
00人以上いる盗賊団をなんとか出来る訳もない。
﹁アジトが判明した時点で仕留めたけど持って帰る訳にも行かない
し,悠長に穴掘って埋めるとかも出来ないから一応盗賊達が使って
るっぽい道から離れた所に捨てて見つかりにくいように偽装はして
きたよ﹂
﹁うん,さすが桜,完璧。ということはメイザがこの屋敷に攻め込
んだのは知ってたとしても襲撃に失敗したことに気が付いて何か行
動を起こすには2,3日はかかるかな?﹂
﹁それは楽観的に過ぎるな。あの女幹部が戻らないとなれば,やつ
らの幹部がこれで2人消えたことになる。奴らも黙っていられない
のではないか?﹂
﹁なるほど⋮システィナはどう思う?﹂
システィナはちょっと考えた上でゆっくりと口を開く。
﹁そうですね⋮盗賊団にとって悪名と言えどもその名前の持つ力は
重要です。その点﹃赤い流星﹄はその規模の大きさと残虐さで世に
知られています。
852
この悪名というのは各地の領主などから目をつけられやすくなり
はしますが逆に自分たちを守る鎧にもなりえます﹂
﹁⋮なるほどのう。中途半端な戦力では手が出せないと思わせるこ
とが出来るのか﹂
﹁はい。後は襲撃の際にも赤い流星だと知らせるだけで相手の抵抗
する気をなくさせることもあるでしょう。もっとも逆にどうせ死ぬ
ならと決死の抵抗をされる可能性もありますが﹂
ということはどういうことだ?
幹部を立て続けに失うような盗賊団だということが世間に知れ渡
ることはあまりよくないということか?それなら⋮
﹁この辺で団を引き締め直さないとあっちもきついのかもしれない
ね﹂
﹁さすがご主人様です。私が言うまでも無かったですね﹂
﹁え∼桜わかんない。なんのこと?﹂
﹃下っ端の中には赤い流星の悪名を頼りに加わっているのも多いの
ではないかということですわ。ここで赤い流星はたいしたことはな
いと噂になれば団を見限った下っ端が離脱,もしくは離反するかも
しれないと主殿はそう言っているのですわ﹄
葵の声が聞こえないシスティナが桜の問いに答えようとするのを
一旦手で制止する。
﹁葵の言う通りこのまま副頭目だとされる幹部を2人も失ったのに
放っておくと団が落ち目だと判断したヤツが離脱する可能性がある
かもしれない。まだ残りの人数も多いし,トップと参謀が健在して
いるから可能性としては低いけどあり得なくはない﹂
﹁そうするとディアゴの時と違い,今回は相手がはっきりしている
からな。事態が発覚したら早々に報復にくる可能性があるのう﹂
853
蛍さんの言うとおりだった。そうなると俺が考えていた2,3日
という猶予は確かに楽観的だったかもしれない。場合に寄っては今
晩にでも報復がある可能性もある。
﹁そうなるとやはりこちらから一方的に奇襲をかけられるのは今日
しかないであろう﹂
げっ,蛍さんってば4人で奇襲する案は本気だったのか⋮⋮
一応検討してみるか?
奇襲を前提にして相手のアジトの近くまで行けたとする。敵の密
集地帯とかがあれば桜に大規模な範囲魔法を放り込んでもらって頭
数を減らす。
その後は混乱に乗じて斬りこんで,要所要所で蛍さんに目くらま
しとか使ってもらって常時相手を混乱させたまま立ち直らせないよ
うに立ち回れば意外と⋮⋮
っていやいや無理だから!そんなうまく行く訳無いし。
﹁とりあえず今日はこれから冒険者ギルドに行ってアジトの報告と
賞金の申請をしよう。同時に領主に話を通して貰って兵を出して貰
えるなら俺達も同行する。
こんな感じでどうかな?﹂
とりあえず無難な対応だと思うんだけど即座に頷いてくれたのは
システィナだけだった。桜は何を考えているのかよく分からないが,
蛍さんの沈黙は不服の沈黙だろう。
﹁⋮⋮仕方あるまい。確かにソウジロウの言うとおりにするのが一
854
番間違いがない。儂の感覚はどうしても武器としての思考にかたよ
るようだしな﹂
﹁それ分かる!桜も﹃え∼攻めないんだぁ﹄って思っちゃった﹂
う∼ん,やっぱりそうだったか。気持ちは分かるけどどうしても
俺達だけで行かなきゃならない理由がなければそんな無茶は出来な
い。
﹁とにかく!これからギルドへ向かう。戦闘予定はなし。最低限の
装備だけして全員で行くから準備できたらリビングへ集合﹂
﹁うむ﹂﹁はい﹂﹁は∼い﹂﹃はいですわ﹄
﹁フジノミヤ様!どうされたんですかその荷物は﹂
ギルドへ着いた俺達は早速ウィルさんに発見され全員が背負って
いたサンタクロースのような荷物に驚かれていた。
﹁ははは⋮ちょっといろいろありまして。また別室を用意して貰っ
ていいですか?説明はそこで﹂
﹁もちろんです。それではこちらへお越しください﹂
ウィルさんに案内された部屋で背負っていた荷物をがしゃりと降
ろす。1人では持ち切れなかったのでシスティナ達も俺よりは小さ
いが大きな荷物を降ろした。
﹁あ∼重かった。この世界には異世界定番のアイテムボックスとか
無いのかなぁ。あればちょっと高くてもすぐ買うんだけど﹂
﹁アイテムボックス?⋮⋮⋮⋮⋮⋮あぁ,そういう物ですか。確か
855
にそんな物があれば便利ですね。でも残念ながらそう言った機能が
ある道具や能力は聞いたことがありません﹂
叡智の書庫で詳細を把握したシスティナが申し訳なさそうに教え
てくれるが,無い物は無いのでそれは仕方がない。システィナのせ
いでもないしね。
﹁いいよいいよ。言ってみただけだから。落ち着いたらリュスティ
ラさんとかに作れないかどうか聞いてみるのもいいかもね﹂
﹁ふふ,作れたら良いですね﹂
﹁お待たせいたしました。フジノミヤ様。それでこの荷物はどうさ
れたのですか?﹂
﹁はい。実は⋮﹂
﹁それは⋮大変でしたね﹂
昨夜の経緯を聞いたウィルさんが驚いた表情で絞り出した言葉が
それだった。
﹁それにしてもさすがはフジノミヤ様です。こちらの装備品は武器
の方はこちらで確認して賞金を確認しておきます。防具の方は買取
でよろしいですか?直接鍛冶屋や防具屋に持ち込まれた方がいくら
か高くなるかも知れませんが?﹂
﹁いえ。大した物はありませんしギルドで買い取って貰って有効活
用して下さい。武器はメイザの物だけは一応こちらで引き取らせて
下さい。弟子の中でアーリが細剣術を持っているので使うかどうか
856
確認してみます﹂
メイザが持っていた長細剣は通常の細剣よりも剣身が長いが軽量
技能が付いていて取り回しは悪くない。素材には魔材を使っていな
いようだが良質の鋼を使っているらしくランクはさほど高くないが
いい武器ではある。
﹁分かりました。そう言って頂けると助かります。初心者に最低限
の武具を貸し出そうとする試みもありますし,今建設中の訓練場に
も一通りの武具を備え付けようと思ってますので。
すまんが人を呼んでこれを頼む。武器の方は懸賞金の確認と賞金
の申請。防具等については買取の査定を頼む﹂
ウィルさんの指示でギルドの職員が荷物を持って行くと,本題の
アジトの件を切り出す。
﹁それは貴重な情報ですね。ただいくらフジノミヤ様が幹部とその
部隊を減らしてくれたとはいえどもすぐにどうこう出来るような話
ではなさそうです。
先日コロニ村への部隊も帰ってきているようですので領主軍から
人が出せるかもしれません﹂
良かった。ウィルさんも﹃今すぐ攻め込むべきです!﹄とか言い
出したらどうしようかと思った。
﹁フジノミヤ様。情報の方は一足先にギルドの者に手紙を持たせて
領主館へ走らせますが,アジトの場所などの詳細な説明には桜様の
言葉が必要になると思います。それに,先日のディアゴ隊の殲滅に
857
加えてメイザ隊も殲滅したとなれば領主もフジノミヤ様に会いたい
と言い出すと思います。
というか既に何度か面会を打診されているんですが⋮フジノミヤ
様があまり目立ちたくないと思われているのをうすうす感じていま
したのでやんわりとお断りしていたのです﹂
﹁それは⋮ありがとうございます。領主サイドから何か言ってくる
かもと覚悟していたのに何もなかったのはウィルさんが止めて下さ
っていたんですね﹂
俺達がのんびりと暮らせていたのはウィルさんがお偉いさんから
の呼び出しを断っていてくれたからだったのか。本当にウィルさん
には世話になりっぱなしだ。冒険者ギルドだって俺が冒険者をやっ
てみたかったから唆したものだし。
偶然レイトークで出会っただけの俺達にこんなに良くしてくれて
本当に感謝が絶えない。
﹁いえそれは構いません。ただここまでフジノミヤ様の功績が大き
くなってしまうと断り続けるのも逆に失礼になり兼ねません。なら
ばこの機会に一度会っておいた方が今後のためにもいいと思います﹂
確かにあんまり拒否しているのも疚しいことがあるみたいで面白
くない。それにあの屋敷は気に入っているからこの街から転居する
つもりはない。それなら領主といい関係を築いておくことはむしろ
必須だろう。あの屋敷の元の持ち主でもあるしね。
﹁わかりました。フレスベルク領主と会うことにします﹂
858
フレスベルク領主︵前書き︶
最近執筆が遅れ気味です・・・
859
フレスベルク領主
﹁おお!君は確か新撰組の!⋮⋮すまん,名前は何と言ったかな﹂
﹁そう言えばパーティ名しか名乗ってませんでしたね。失礼しまし
た。私は新撰組でリーダーをしている。フジノミヤ ソウジロウと
言います。
その節はお疲れさまでした。いつお戻りになられたのですか﹂
﹁いや,問題ない。私も名乗っていなかったからな。私は領主軍で
遊撃部隊の隊長をしているルスターだ。よろしく頼む。
引継があったので私が戻ったのは昨日だな。君たちのおかげでい
ろいろ助かった。改めて礼を言う﹂
ウィルさんに連れられて訪れた領主館の中庭で出会ったのはコロ
ニ村への討伐隊を率いていた隊長だった。あの時は鎧などの装備に
包まれていてよく分からなかったが私服のルスターは細身のナイス
ミドルでくすんだ金髪を短く刈りそろえたイケメンである。
﹁いえ,あくまで依頼に基づく仕事ですから﹂
﹁ふむ,フジノミヤ殿は随分と奥ゆかしいのだな。探索者は富と名
誉を追い求める職だと思っていたが﹂
貧しない程度に暮らしていけるだけのお金は欲しいが別に地位や
名誉はいらない。だがそれを敢えて伝える必要もないので曖昧に笑
って誤魔化しておく。
﹁ルスター様。本日はこれから赤い流星の件についてセイラ様との
面会の予定があるのですが,話しの内容によっては3部隊の隊長全
てに招集が掛かるかも知れません。
860
出来れば今しばらく領主館にいて頂ければ﹂
﹁なんと!あの外道共の件で何か進展があったのか!ならば招集を
待つまでもあるまい。私も同席させてもらおう。
ウィルマーク殿がそこまで言うならば遅かれ速かれ招集もかかる
だろうし,近衛隊長と強襲隊長にも呼び出しをかけておこう。ニジ
カ,ヨジカ2人で手分けして2人を呼んできてくれ﹂
ルスターが自分の後ろに控えていた少年2人に声をかけると年の
頃13,4のよく似た顔立ち,というか似過ぎているから双子かな。
その双子が﹁はい!﹂と元気のいい返事をして走り去っていく。
﹁ルスター様の今の従者ですか?﹂
﹁ああ,この前までの従者はなんとか見れるようになったからな近
衛と強襲に配置換えだ﹂
ウィルの問いにルスターは微笑みながら答え,走り去っていく2
人を見送る。
﹁彼らのところはなんと兄弟が9人もいてな⋮あの2人も口減らし
の為に売られようとしていたところを私が預かった形だ。
だが,双子故に連携して戦うとなかなかいい戦いをする。情に任
せて引き受けてしまったが結果として良い判断だったと思っている。
あと1,2年鍛えればいい戦士になるだろう﹂
フレスベルク領主軍は現在大きく分けて3隊で構成されている。
領主館と街の警護を主とする近衛隊。
外敵や魔獣などに積極的に攻撃をする強襲隊。
そして,臨機応変に支援や攻撃を行う遊撃隊。
これとは別に領主を護衛する親衛隊が数十名いる。
861
親衛隊を覗くそれぞれに隊長が付いており,その3隊と親衛隊全
てを統べるのが領主である。そして3隊の隊長は各自数名の従者を
付けることになっていて行動を共にしながら兵士としての心構えや
敵を打ち倒すための武術を教えていく。
そしてある程度成長したらその隊以外の隊へと配置換えがされる。
そうすることで若手の育成と3隊の間で確執が産まれない様に工夫
がされているらしい。
同じような力のある団体が複数あればだいたい行き過ぎた競争心
や功名心から仲が悪くなりそうなものだが,こうして各隊長が育て
た兵士が他の隊に行くことで3隊間の繋ぎになり3隊で1つの軍だ
という認識が出来ているようだ。
先ほどのルスターの対応を見てもそのシステムはどうやらうまく
機能しているようである。
﹁さぁ,フジノミヤ殿にウィルマーク殿。私がセイラ様のところま
で案内しよう﹂
そう言って歩き出すルスターの後ろに俺達はついていく。
﹁フジノミヤ殿,もし良ければパーティメンバーの方達に部屋を用
意させるが?﹂
﹁いえ,今回の件には彼女達も大きく関わってますから一緒の方が
いいと思います﹂
﹁そうか,コロニ村の時といい優秀な仲間のようだな﹂
﹁はい,かけがえのない仲間で家族のようなものですから﹂
ルスターは俺の言葉を聞いて破顔一笑すると﹁我が隊も同じだ﹂
862
と言っていた。さっきの双子の話といいきっといい隊なんだろう。
﹁さ,ここだ﹂
ルスターは2階の奥にあった大きめの扉の前で立ち止まるとなん
の躊躇もなく扉を開ける。
﹁遊撃隊隊長のルスターだ。冒険者ギルドのウィルマーク殿とフジ
ノミヤ殿をお連れした﹂
﹁ルスター殿!あなたはまた!セイラ様の執務室に入るときはまず
ノック!しかるのち許可があってから扉を開ける様にと何度も言っ
ているではないですか!﹂
おお⋮ドアが開くと同時に物凄い剣幕で綺麗なおねいさんが飛ん
できた。どうやらリュスティラさんと同じ長耳族らしく尖った耳が
レイピア
淡い緑がかった線の細い長髪の隙間から覗いている。
館の中のせいか防具は身に付けていないが腰に細剣を下げており
この世界にエルフという種族はいないらしいが,いたとすればまさ
にエルフの女騎士という言葉が相応しいだろう。
﹁ミランダ。構いませんよ。急を要する報告の場合もあるでしょう。
形式にこだわって大事なことがおろそかになってはそれこそ愚かな
ことです﹂
﹁ですが!⋮⋮いえ,仰る通りです。失礼いたしました﹂
ミランダと呼ばれた女騎士が脇に下がるとようやく開けた視界の
奥,執務机に座っていたフレスベルク領主が金色の髪をふわりとな
びかせながら立ち上がった。
執務室はなんか校長室のような感じで,正面奥に大きな執務机が
863
あってその後ろは壁一面本棚になっている。執務室の前には応接セ
ットが置いて有り来客に対応出来るようになっている。
﹁フレスベルク領主セイラ・マスクライドです。ようやくお会いす
ることが出来ました﹂
﹁初めてお目にかかります。冒険者のフジノミヤ ソウジロウです﹂
﹁はい,優秀な冒険者だとウィルマークから聞いています。
それにコロニ村への偵察という緊急依頼をこなしてくれた上に賊の
殲滅,生存者の救出までしてくれたことも報告を受けています。
あなたがたに領主として深い感謝を。本当にありがとうございま
した﹂
年齢は20代前半だろうか,領主というには随分と若い領主であ
るセイラは執務机を回り込み俺の正面に立つと頭を下げた。かがん
だおかげで僅かに空いた胸元に視線を送るとそこには深い谷間が垣
間見え,領主が女であるとがわかる。
名前からそうかなぁとは思ってたけどやっぱり領主は女だった。
﹁いえいえ先ほどルスター隊長にも言いましたが私達は冒険者とし
て仕事をしただけです﹂
﹁はい。私も領主として感謝をしただけです﹂
おう,こりゃ一本取られた。伊達に女の身で領主なんかやってる
訳じゃないってことか。細くてグラマーな金髪美女ってだけじゃ領
主がは務まらないか。ただ惜しむらくは服装が男物の騎士服みたい
な物を着ていることか。女性らしい服を着ていればさぞ眼福だった
ろうに。もちろん男装が似合っていないということではないんだけ
どね。
﹁あぁ,すいません。そんなところに立たせたままで。こちらへお
864
かけください。何か重要な話があるということで既に連絡を受けて
います。ルスターが一緒なのもその辺の事情なのでしょう。
ミランダ。エマに言って何か飲み物を﹂
﹁承知しました﹂
ミランダが一旦部屋を出ていき,俺達は領主に勧められるまま応
接セットに座る。セイラとルスターは領主側ということで並んで俺
達の対面に座っている。
う∼ん俺の地球での厨二知識的には普通部下の人ととかって隣に
座らないんじゃないだろうか。
﹁さて,まずはお話の前に先日の緊急依頼の件に関しまして依頼以
上の働きに対して追加の報酬を支払いたいと思っているのですが何
か希望などありますか?﹂
ああ,そう言えばウィルさんも追加で報酬出るかもって言ってた
っけ。最近はお金にもあんまり困ってないしすっかり忘れてた。
﹁何か?と言いますと金銭以外にも選択肢があるということですか﹂
﹁そうですね。金銭以外にお渡しできるようなものですと食器や絵
画などの芸術品の類や私の方で保管している武器や防具,魔道具,
魔石,様々な素材などでも構いません﹂
おぉ⋮ウエストは細いくせに太っ腹だなセイラさん。そうなると
さてどうしようか。確かにお金は今のところそんなに困っていない。
まだ今日渡した盗賊の武器分の賞金もまだだし。
あ!そうだ。システィナの叡智の書庫で無いと言われてるから無
理だと思うが領主という立場なら知ってることもあるかもしれない
からあれ聞いてみるか。
865
﹁例えばなんですが手持ちの道具とかを謎空間に収納できるような
魔道具とかってないですか?﹂
﹁謎空間⋮ですか?確かにそんな物があれば便利ですね。でも残念
ですがそのような物は聞いたことがないですね。すいません﹂
﹁いえ,構いません。無いのは分かってましたから。それではロー
ブ的な防具で良い奴はありませんか?﹂
この前の塔での戦いでシスティナが血塗れになっていた姿を思い
出してもう少し全身の防御力を上げてあげたいと思っていたので聞
いてみる。リュスティラさんの作ってくれた胸当ては優秀な装備だ
けど部分的だからね。
﹁わかりました。確かいくつかあった気がしますのでお帰りになる
までに確認しておきます﹂
﹁ありがとうございます﹂
俺が頭を下げたところでミランダとお盆に飲み物を乗せた侍女が
入って来てテーブルにグラスを置いていく。そのついでにミランダ
がルスターの足を蹴飛ばしてセイラの斜め後ろに立つ。
やっぱり本来は隣に座ったりはしないらしい。
﹁それではまずは私の方から概要を説明させていただきます﹂
メンバーが揃ったのを見計らったウィルさんが話を切り出した。
866
フレスベルク領主︵後書き︶
※ 引き続きレビューを募集しています。ご意見ご感想、ブクマ、
評価、誤字脱字の報告もお待ちしています。
867
セイラの判断︵前書き︶
いつも読んで下さりありがとうございます。
868
セイラの判断
﹁なんと⋮夜襲を撃退しただけならず,わざと賊を逃がしてアジト
スカウト
まで案内させるとは。新撰組の技量の高さももちろんのことだが,
そちらの斥候の技量が素晴らしいな。我が隊の斥候に是非欲しいと
ころだ﹂
ウィルさんから改めて塔での情報と昨晩の夜襲からアジトの発見
までの報告を受けてまず反応したのがルスター遊撃隊隊長だった。
桜の場合は斥候というよりは忍者なので微妙に意味合いが違うの
だがこの世界の人でその違いが分かるのはシスティナだけなので敢
えて訂正する必要はないだろう。
ちなみに1人逃がすためにわざとクナイを外して壁に突き立て,
盗賊達の足場にしたのも桜の判断だ。
﹁お褒め頂いてありがとうございます。ですが桜もうちには欠かせ
ないメンバーですので﹂
誉められて﹁えへへ﹂と照れている桜の頭を撫でながらルスター
の言葉にやんわりと釘を刺しておく。引き抜きなんて無いとは思う
し強権を使って奪いにくるようなら徹底抗戦してやるが面倒ごとは
出来れば避けたいので引き抜きは無理だということをはっきりと示
しておく。
﹁なに,心配するな。もちろん分かっている。だが何かの機会にう
ちの斥候達に指導をお願いするくらいは構わぬだろう?﹂
﹁そのくらいであれば。ただ,今は屋敷の警備等で人手が足りてい
869
ませんのでこの件がうまく片付いたらで良ければ﹂
﹁ありがたい!我が遊撃隊は斥候次第なところも多い。優秀な斥候
の育成は常に急務でな﹂
確かに遊撃隊の役割からすれば素早い周囲の索敵と情報収集は必
須能力だろう。刀補正のかかった桜に指導を受けても普通の人間が
真似できるとは思わないが気配の消し方や音を立てずに素早く動く
ための歩法などのさわりを教えて貰うだけでも知らなかった時とは
全く違う世界が広がるはずなので後は本人達の努力次第だろう。
﹁となれば後は赤い流星を討伐するだけだな。フジノミヤ殿達のお
かげで山中のアジトが発覚したのならば討伐隊を編成して攻め込め
ば良かろう﹂
討伐に前向きなルスターがうんうんと頷きつつやる気を漲らせて
いるいるが,俺はこの話が始まって以降考え込んだまま言葉を発し
ない領主セイラが気になっている。とてもルスターと同じように討
伐に前向きな雰囲気ではないと思えたからだ。
﹁フジノミヤ様達が入手して下さった情報があれば大盗賊団である
赤い流星を殲滅もしくは壊滅的な打撃を与えることが出来ると思い
ます。そのためには領主軍の協力が必要です﹂
考え込んだまま反応を返さないセイラにウィルさんが再度協力を
要請する。ウィルさんにしてみればどうしても盗賊団を倒す必要性
が有る訳ではないだろう。
フレスベルクが襲われでもすればここにはベイス商会の本店があ
り,場合によっては被害を受けるかもしれないがベイス商会本店は
街の中心近くにあり100名程度の盗賊が襲ってきたところでそこ
まで到達することはないだろう。
870
盗賊が来た混乱に乗じて暴徒と化した一般人が商会を襲うと言う
可能性も無い訳ではないがベイス商会が雇っている私兵を一般人が
どうこうできるとは思えないし,なによりベイス商会の大工さんた
ちはゲントさんを筆頭にほとんどが戦える大工さん達である。
迂闊に手を出せば痛い目を見るのは襲った方になる。そう考えれ
ばウィルさんは多少街の外周部が襲われたところで自分自身は全く
痛くない。それなのに討伐に前向きなのは自分が精魂こめて作り上
げた冒険者ギルドに今の段階でケチを付けたくないのが1つ。
もう1つは自分たちが売った屋敷に住む俺達が今盗賊達の標的に
されつつあることを憂う気持ちがあるのが1つ。
後は,ガチ推ししてる俺達なら討伐戦においても活躍してくれる
のではないかという期待。俺達の熱烈なファンであるウィルさんは
俺達が活躍する話が大好物なのだ。
だが裏を返せばウィルさんの動機はそれだけ。むしろ外周部だろ
うがなんだろうがほんの1部でも襲われたら大きな被害を被るのは
領主であるセイラの方で積極的に盗賊団を討伐したいはずなのだが。
﹁お話はよく分かりました。まず赤い流星の小隊とそれを統率する
幹部を討伐して頂いたこと,アジトを突き止めてくださったことに
重ねて感謝いたします﹂
再びお礼と共にセイラが頭を下げる。しかし下げた頭が戻ってき
たときそこにあった眼はとても厳しいものだった。
﹁ですが,フレスベルクとしては赤い流星討伐のための兵を出すこ
とは出来ません﹂
﹁え⋮﹂
871
きっと良い返事を貰えると思っていたウィルさんが固まっている。
俺も驚いてはいるが可能性としては半々かと思っていたのでそれほ
ど驚愕している訳ではない。
﹁一応,盗賊団に襲われるかもしれないという今の状態を維持する
という理由をお伺いしてもよろしいですか?﹂
なんとなく理由の方は分かってはいるが領主として出兵を見送っ
た理由を本人から聞いておきたい。
﹁⋮⋮そうですね。わかりました。
まず第一にまだ街が攻められると決まった訳ではないことです。
これはあなた方の功績ですが,幹部を2人とその部下であった者達
が倒され相手の戦力は目に見えて減っています﹂
﹁セイラ様。コロニ村の盗賊たちを忘れてはいけません。あそこで
も30名近い盗賊達をフジノミヤ達は倒していますな﹂
いつのまにか俺を呼び捨てにしているルスターが自分も関わった
コロニ村の件をセイラに伝える。
﹁そうでしたね。それも合わせて赤い流星は当初噂されていた20
0と言う構成員が半減しています。フレスベルクの街の規模から考
えれば100名程度で襲撃をしてくるとは考えにくい。
それでも念のため近衛隊と強襲隊から人員を割き,足りない部分
には冒険者ギルドに依頼をして冒険者達にも協力してもらって外周
警備をしています。
こうして油断はしていないという姿勢を見せることで襲撃の危険
性を更に下げられていると考えます﹂
872
確かにその通りだろう。そもそもフレスベルクの街には多分何万,
何十万という人がいる。それだけの規模の街を100名程度で襲う
のは普通に考えれば無謀以外のなにものでもないだろう。
ただ,それをやるからこそ赤い流星の悪名はこれほどまでに鳴り
響いているのだろうが。
﹁2つ目はアジトの場所です。
斥候役として優秀なそちらの方が山に入ってからアジトへと辿り
着いたまでの道のりから考えるとかなり奥深いところにあるようで
す。
盗賊達がこの山に入ったのは最近ではありますが,自分たちのア
ジト周辺の地理を把握しないままということはないでしょう。
そんなところへ山の中の行軍などしたこともない領主軍がのこの
こ入っていったところで力を発揮できずに大きな被害を出す可能性
が高いと思います。
極論を言えば私はアジトに辿り着くまでに全滅する可能性すら想
定しています﹂
やはりそうか⋮桜から話を聞いて考えてはいた。アジトというだ
けあって大勢で攻めるに適した立地じゃないと。それに加えて領主
軍が山での戦い想定した訓練をしていないとなると⋮
奇襲というアドバンテージはまず活かせないだろうな。移動中に
まず100%盗賊に発見される。発見されてしまえば何らかの罠が
仕掛けられている可能性もあるし,数の利が活かせないなら森での
戦闘にも慣れているだろう盗賊達には適わない。
それならばいっそ蛍さんが言うように俺達だけで奇襲を仕掛けた
方がまだ可能性がある。
﹁すまんフジノミヤ。あの光景を見た俺としては犯人である赤い流
星をボロボロにしてやりたかったのだが⋮﹂
873
﹁いえ,領主様が仰っていることは間違っていませんから﹂
ルスターへの返答は本心だが,ちょっと意外だったのはあれだけ
討伐に前向きだった遊撃隊隊長がセイラの見解を聞いてなんの反論
もしなかったことだ。
これはルスターがセイラの判断に信を置いている証拠である。ま
だ若い上に女の領主ということでお飾りの領主という可能性も考え
ていたがどうやら領主としてまた指揮官としての能力も充分なもの
があるらしい。
コンコン
﹁強襲隊隊長ガストン,近衛隊隊長ヒューイです﹂
結局討伐隊は出せないと結論が出されたと同時に執務室のドアが
ノックされルスターが呼んでいた残りの隊長が到着したらしい。
セイラは当然来ることを知らないので目線でルスターに問いかけ
るとルスターは自分が呼んだと頷きを返す。
﹁なるほど⋮確かに知っておいて貰った方が良いかもしれませんね。
2人とも入って下さい﹂
﹁失礼します﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮﹂
扉が開いて入ってきたのは凄まじく体格の良いまさに巨漢と言っ
た感じの強面の男と,もう1人は対照的に病的な程に細い体格をし
て長い髪を顔の前まで垂らした柳のような男だった。
﹁ガストン,ヒューイ。先日から懸案になっている盗賊団の関係で
874
進展がありましたので簡単に説明します﹂
セイラはそういうと先ほどまでの話を要点をまとめて説明し,や
はり討伐隊は出さないという結論を2人へと伝えた。
﹁いつ襲われるかも知れないという状況が続くと部下達に精神的な
負担がいずれ出てくると思います。現状維持という方策自体に反対
はしませんが長引くようならばそういった事態に対する対処もよろ
しくお願いしたい﹂
﹁分かりましたガストン。明日からは遊撃隊の休暇も終わりますの
で警護に出る兵士達のシフトを組み直して負担を減らして下さい﹂
﹁はっ!﹂
大きな方がガストンか。セイラの指示に頭を下げるその姿勢や言
葉遣いから大きな身体の割に几帳面で真面目な男らしい。
﹁ヒューイは何かありますか?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
﹁外周部の警護だけでなく領主館内の警備をもう少し強化させて欲
しいそうです﹂
ぱっと見で某テレビから出てくる○子のような雰囲気のヒューイ
は無口なのではなく声が小さいだけらしい。すぐ近くでそれを聞き
取ったガストンがヒューイの言葉を代弁している。
﹁盗賊達による領主暗殺,そしてその混乱に乗じての襲撃を警戒し
ているのですね。わかりました。
ミランダ,私の傍付きの親衛隊を常時2名に増やして下さい。親
衛隊は全員解除の命あるまで領主館での生活を命じます。親衛隊は
875
館内で侍女か親衛隊に案内されていない見知らぬ顔を見つけた場合
問答無用で拘束を許可します。
ヒューイ,近衛隊から選抜し敷地内と敷地周辺の警護にあたって
ください。しばらくは庭師等の出入りも禁止しますので同じように
不審者は拘束して構いません﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
ヒューイの髪がゆらゆらと揺れる。どうやら了解の意を示したら
しい。っていうか怖いから!
﹁ルスター。各隊の支援を頼みましたよ。詳細はこの後3人で詰め
て下さい。ガストンはその結果を要点だけで構いませんので簡単な
報告書にして私まで提出。
では,3人はこれで退出して構いませんのですぐ取りかかって下
さい﹂
﹁分かった﹂
﹁はっ!﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
セイラに言われ席を立ったルスターは﹁すまんなフジノミヤ。お
ちついたら一杯奢らせてくれ﹂と笑顔で言い残し2人の隊長の背中
を押しながら執務室を出て行った。
876
セイラの判断︵後書き︶
※ 引き続きレビューを書いてくれる方を募集しています。
877
決断︵前書き︶
54万PV、81000ユニークを超えました。
いつもありがとうございます。
最近遅れ気味だったので今度は1日早く投稿してみます。これでま
た次以降遅れたら意味ないですがw
878
決断
﹁では,私達もこれで失礼致します。いつ屋敷に盗賊達がまた来る
かも分かりませんので﹂
軽い皮肉を交えてそう言うと俺達も立ち上がって扉へと向かう。
﹁あ!フジノミヤ様!﹂
急に帰ろうとする俺達に焦ったように席を立つセイラ。
﹁せっかくアジトを見つけて頂いたのに申し訳ありませんでした⋮
ですが,私はこのフレスベルクの街を治める領主なのです。この
街とこの街に住む人々を守ることを最優先にしなくてはなりません﹂
⋮うん。ご立派だと思う。当然の心構え。きっと良い領主様なん
だと思う。でも,それをここで言うならこっちも一つだけ言わせて
貰おう。
﹁そうですね。立派な志だと思います。
元々は領主様のお屋敷だったのでご存知だとは思いますが,私達
の屋敷は街からほんの少しだけ離れた場所にあります。ですが私達
はフレスベルクに住む住民だと思っていました。でもあの場所はフ
レスベルクではなかったようですね。
では失礼致します﹂
俺の辛辣な言葉に初めて街の中に住まない住民がいるという事実
879
に気がついたのか傷ついた表情を浮かべる領主を見てちょっとやり
過ぎたかと思いつつも無表情を崩さないようにして淡々と部屋を出
て行く。
﹁貴様!セイラ様に向かって無礼であろう!﹂
エルフっぽい女騎士が俺の背中に怒りの声をぶつけてくるが別に
痛くも痒くもないので無視する。
部屋の外にはセイラから指示を受けて待機していたらしいエマと
呼ばれていたかわいらしい侍女が綺麗に折りたたまれたローブを持
って立っていた。
﹁うるさくしてごめんね。これは俺達が貰っていいのかな?﹂
﹁は,はい⋮そのように伺っております﹂
﹁ありがとう。ついでに外まで案内してくれるかな?さっき領主か
らの命令で館の住人に案内されていない不審人物はその場で拘束さ
れる扱いになったから﹂
﹁あ,はい。わかりました。ではご案内致します。こ,こちらです﹂
受け取ったローブをシスティナに渡して目の前を歩く侍女の背中
をゆっくりと追いかけていくと隣を歩く蛍さんが侍女に聞こえない
ように抑えた声で話しかけてきた。
﹁随分思い切った行動にでたな﹂
﹁はは⋮やっぱり不自然だった?﹂
﹁まあな。確かに我らもフレスベルクの民の範疇だろうがあの場所
に住んでるのは我らの勝手だからな。領主は領主なりに街全部を守
るために最善を尽くしておる。庇護下に入りたければしばらくの間
屋敷を離れればいいだけだ。
あの領主なら避難中の我らの滞在費くらいはぽんと出すだろうよ﹂
880
﹁だろうね。
むしろ俺達の屋敷を守るために屋敷の警護に人を割いたり,元を
断つために全滅するのが分かってて討伐隊を出したりするのは今の
状況だと領主としては問題だよね﹂
﹁でも桜はちょっとスカッとしたな。桜たちが頑張って盗賊退治し
たのだって自分達が住むこの街を守りたいって気持ちがちょっとは
あったのに,桜たちは余所者∼みたいな感じで。ああそうですかっ
て感じだったからさ﹂
そう,まさにそこだ。なんとなくセイラのいうフレスベルクの中
には俺達が含まれていない気がしたのだ。
確かに俺達はフレスベルクに来てからは日も浅い。日は浅いがこ
の街に住むつもりで家を買った。ごちゃごちゃしているが賑やかな
この街が気に入ってもいたのだ。
﹁ではソウジロウ様は別に怒っていたのではなく私達のことを気に
掛けてくれなかった綺麗な領主様に拗ねていただけなのですか?﹂
おお!ズバッと核心を突いてきたね侍祭様。まあぶっちゃければ
そんな感じであることは否定できない。
﹁まあ,それに加えて本当に俺達のことを⋮っていうか街の中に住
んでない人も領内に住んでいる人たちは皆同じフレスベルクの領民
だってことを失念していたみたいだったからちょっとね。
あの手のタイプはああいう感じで指摘されるとこたえるタイプだ
と思うしいい薬になるんじゃないかな。
あとはついでにちょっとでも俺達に対して申し訳ないと思ってく
れたらなんかあった時に助けてくれるかもしれないしね﹂
﹁ふん,なんのかんの理屈などつけるでない。結局の所ソウジロウ
881
はあの領主が気に入ったのだろう?金髪美人でスタイルも悪くない。
多少視野の狭い所はあるが権力者にしては品行方正で優秀のようだ
しな。
それでもまだまだ若いソウジロウには眩しく見えるのではないか。
教育実習に来た女教師に嫌がらせをする中学生かもしくは気になる
女の子についつい意地悪をしてしまう幼稚園児などと同じだな﹂
あう!そう言われると言い返せない。それにしても蛍さんっばそ
んなあるあるネタをどこで仕入れてきたのか。謎だ。
﹁あ,あの!﹂
﹁おお!びっくりした。どうしたの大きい声出して﹂
﹁いえ,さっきからお呼びしてるのに誰も気がついてくれなかった
ので﹂
エマちゃんは俺の胸くらいの身長でふりふりのついてないメイド
服的な物に身を包んだ子リスののようにかわいらしい侍女である。
﹁あぁそうか。ごめんごめん。それで?﹂
﹁いや,あの⋮門につきましたけど?﹂
え?と思って辺りを見回すと確かに目の前に門がある。しかも館
の玄関の門ではなく領主館の外塀に設置された外門である。話に夢
中になっている間にいつのまにか外に出ていたらしい。
﹁本当だ。どうもありがとうエマ。ちなみに盗賊団が片付いたらう
ちで働かない?給料倍出すから﹂
﹁働きません!﹂
ちっ!即答か。ちょこまかとよく働く子リスはいい癒しになると
882
思ったのに。
﹁そっか。じゃあ帰るか﹂
とは言っても,もともと引き抜けるとは思っていなかったのであ
っさりと諦め門を開けて外に出ようとすると俺の上着の袖を誰かが
引く。
﹁ん?﹂
﹁あんまりセイラ様をいじめないで下さい!セイラ様は前回,塔か
ら魔物があふれた時の防衛線の時にお館様を亡くされて急に領主を
継いで以来ずっと頑張ってるんです!
セイラ様をいじめたら私が許しませんから!﹂
エマは一気にそう言うとぷいっと踵を返して去っていく。ていう
か一生懸命に怒ってる姿が可愛すぎて内容聞いてなかった。
−19
﹁⋮⋮ソウジロウ。あの娘を簡易鑑定してみろ﹂
﹁え?あぁ,了解﹂
﹃簡易鑑定﹄
﹃エマ・スン 業
年齢: 15 種族: 平耳族 職 : 侍女﹄
﹁あ⋮あの子,平耳族だ﹂
﹁やはりな⋮案内をするあの侍女には聞こえぬように話していたの
にどうも反応がおかしいと思ったのでもしやと思えば﹂
883
そっか,あの子は執務室の中での会話もさっきの俺達の会話も全
部聞こえていたのか。だから俺に対してあんなに怒っていたと⋮
ということはこのままだと俺の悪行?が全部セイラに筒抜けにな
っちゃうってことか。
って別に知られたからどうってこともないんだけど。でも聞かれ
っぱなしも悔しいしちょっとくらい驚かしておこうかな。
︵さっきの話は俺達とキミだけの秘密ってことでよろしくね。平耳
族のエマちゃん︶
去っていくエマの背中に小声で呟いてみるとビクッとしてエマが
振り返る。その顔は驚きと盗み聞きしていたことを看破されたこと
による羞恥で赤くなっている。
やっぱかわいいなぁ。一家に一台って感じだよね。
俺はぷるぷると震える小動物に笑顔で手を振ると今度は本当に領
主館から出た。もう大丈夫だと思うが一応エマちゃんの可聴範囲か
ら外れるまでは迂闊なことは言えないので黙って歩く。
あれ?そう言えば何か忘れてるような気が⋮
﹁あ!﹂
﹁え?どうしたんですかソウジロウ様﹂
﹁ウィルさん忘れてきた﹂
﹁﹁﹁!﹂﹂﹂
その顔を見ると3人とも忘れていたらしい。まあでもすぐに追い
かけてこなかったところをみると領主とまだ話したいことがあった
んだろう。また今度会った時に置いていったことは謝っておけばい
いか。
884
さて,それはそれとして俺達はどうしたものか⋮
結局領主軍の討伐に便乗して殲滅するという案はご破算になった
訳だが,このまま屋敷で生活して襲ってきた盗賊を撃退する方向で
凌げるだろうか?
屋敷の防衛システムの情報はまだ盗賊達に漏れていないはずだか
ら昨日と同程度の人数で襲ってきてくれるならなんとかなると思う。
ただ倍の40人とかで来られるとかなり厳しくなる。というか普通
に考えれば1人頭10人を相手にするんだから無理ゲーだ。落とし
穴に半分落ちたって1対5なんて戦いはリスクが高すぎる。
無双系ゲームキャラのように群がる敵をばったばったと斬り飛ば
して1人で千人斬りなんてのは現実ではあり得ない。まあこの世界
には魔法という概念があるのでやりようによっては出来ないことも
ないのかもしれないが俺には絶対無理。
﹁さて,どうしようか﹂
街中を歩き民家の屋根に止まる鳥をぼーっと眺めつつ領主館から
充分離れたのを見計らって先ほど思い浮かべた言葉を今度は口にし
てみる。
﹁どう⋮と言われてものう。領主軍が兵を出さぬ以上は守るか攻め
るかの2択なんじゃがな。もちろん我らだけで﹂
﹁だよねぇ。でも4人で100人はやっぱ無理でしょう。じゃあこ
っちサイドの戦力を増やそうって言っても﹃弟子﹄たちは巻き込み
たくない。
ギルドに依頼を出して冒険者を雇うってのも有りかも知れないけ
885
どまだそこまでギルドが育ってないから人は集まらないだろうし,
ある程度集まったとしてもその冒険者たちが死んでしまうようなこ
とがあれば世間にまだ定着してないギルドは潰れちゃうかもしれな
いし﹂
もっとギルドが世界に浸透するまではギルドの依頼で死者が出た
とかは極力避けたい。まあ,魔物の素材集めとかに出れば死んでし
まう冒険者もいるかもしれないけどそこまでは考えても仕方ないし
そのくらいは探索者だったときも同じ事だから別に問題はない。
﹃ですが依頼として十分な報酬を支払うのであれば自己責任だと思
いますわ﹄
﹁まあね,確かにそうなんだけど⋮まだギルドに登録した人数もそ
こまで多くないだろうし登録した人が全員参加してくれるわけでも
ないよね。
報酬を高くすればある程度の人数はすぐ集まるかもだけどその全
員が手練れって訳でもないだろうし⋮結局満足のいく戦力は集まら
ない気がするんだ﹂
﹁でもそうすると八方塞がりってやつだよねソウ様﹂
﹁一度屋敷を出て街に避難しますか?﹂
﹁出来ればそれはしたくないんだけど⋮⋮﹂
ゴン!
﹁ええい!煮え切らない奴だ。ことここに至ればもう仕方あるまい。
なるべく深入りはせんようにして我らで討って出るしかあるまい。
よしんば殲滅出来なかったとしても頭数を減らすだけでも良いし,
倒せずとも山から追い出せれば領主軍の助けを借りることも出来よ
う﹂
886
ったぁ⋮⋮エロ以外で脳天落とし喰らったのは初めてかも。
だけど蛍さんの言うことも一理あるな。別に0か100だけが結
果じゃない。あくまで奇襲に徹しリスクを低く抑えながら少しずつ
相手の戦力を削ぐというのも立派な戦術だろう。
それにアジトの状況次第では一気に殲滅も夢じゃない。例えば大
きな洞窟に全員が入っていれば入り口を崩したり,魔法をぶっ込む
だけで殲滅出来るかもしれない。
﹁1回行ってみようか?ただし,あくまで正面からは戦わない。ゲ
リラ戦が前提﹂
﹁うむ,その辺が落としどころかもしれんな﹂
﹁桜もそれでいいよ﹂
﹃わたくしも構いませんわ﹄
﹁システィナはどう?﹂
﹁はい。ソウジロウ様がそう決めたのなら良いと思います﹂
﹁えっと⋮生身の俺達は結構危険だと思うよ。もう少し抵抗してい
いんじゃないかな?﹂
﹁ふふ⋮私はソウジロウ様の侍祭ですから。ご主人様がお決めにな
られたことを全力でサポートするのが私の役目です﹂
システィナがいたずらな笑みを浮かべながらなんの迷いもなくき
っぱりはっきりと言い切った。
からかわれているのは分かっているが,システィナもそれでいい
ならもう全員一致だ。となれば後は迷わずやるしかない。
﹁よし!じゃあ帰って少し仮眠を取って深夜に山に入る。今のうち
に必要なものを買って帰ろう﹂
887
決断︵後書き︶
※ レビューを募集しています。
誤字脱字の指摘、感想、ブクマ、評価もお待ちしています。
感想には返信もさせていただきますのでよろしくお願いいたしま
す。
888
アジト前︵前書き︶
すいません。ちょっと短いです。
889
アジト前
リー リー リー ウキャキャキャキャキャ ウォウ
ゥゥゥ バサバサバサ ﹁夜の森なんて初めて入るけど気味の悪いもんだね﹂
俺達は盗賊達が寝静まった頃が良いだろうと出発はかなり遅くし
た。日本時間で言えば深夜の2時から3時だろうか。当然辺りは真
っ暗で俺の目にはほとんど何も見えない。
その分音だけは良く聞こえる。虫の声や魔獣らしき獣の声,俺達
に驚いて逃げ出す何か。人がいないにも関わらず様々な音に溢れる
山林の中を木々の間から差し込む僅かな星明かりと先行しているは
ずの桜のパーティリングの反応だけを頼りに登っていく。
﹁そうですね。盗賊に身をやつせばこのような場所にしか住めなく
なると分かっているのに何故盗賊になるのでしょうね﹂
﹁難しいね。盗賊に身を落とす理由はいろいろ考えられるけど⋮﹂
楽して良い思いをしたいとか,暴力が好きだとか,国に追われた
反乱分子とか,後は貧しいから仕方なくとか?
﹁でもどうしても盗まなくてはいけない事態に陥ったとしたって人
を殺したり,女の人を辱めたりしていいという理由にはならないよ﹂
﹁はい,もちろんです﹂
そんなことを極小さな声でやりとりしていると前を行く蛍さんが
右手を横に伸ばした。止まれの合図だ。
890
﹁無駄話はそこまでにしろ。ここからは更に慎重にいく﹂
振り返って俺達にそう伝えると蛍さんは僅かに腰を落として慎重
に下草を掻き分けていく。驚くべきは草の生い茂る山中を歩いてい
るというのに蛍さんはほとんど音を立てていない。
それなのに蛍さんが切り拓いてくれた道を追いかける俺達はどう
頑張っても僅かに音をたててしまう。様々な音が溢れるここではそ
の程度の音は紛れてしまって問題はないのだろうが相変わらず大き
い技量の差に若干へこむ。
だが,今はへこんでいると命取りになりかねないので気持ちを無
理矢理切り替えるために,前を行く蛍さんの形の良いお尻に意識を
集中する。
考えられないほどの動きが出来る程の能力を持っているはずなの
に柔らかくて張りがあって,滑らかでいてすべすべ。そして傷はも
ちろんシミ1つすら全くない俺だけが知っている至高お尻だ。
あ,ちなみに桜のお尻は最高のお尻でシスティナのお尻は究極の
お尻だ。
その至高のお尻が俺の目の前でふりふりと⋮⋮うん,実に丸くて
エロい。つまり﹃まろい!﹄
﹁!﹂
俺が心中で絶賛の言葉を叫んだと同時に蛍さんのお尻が俺の顔面
を直撃した。いつの間にか傾斜がきつくなってきたため前を行く蛍
さんのお尻と俺の顔の位置が近くなっていた所に蛍さんが急に止ま
ったため俺が蛍さんのお尻に突っ込んでしまったらしい。
鼻を抑えながら視線を上げると蛍さんが冷たい視線を向けながら
891
呆れた溜息を漏らしていた。どうやら俺の熱過ぎるパトスが﹃共感﹄
で伝わってしまっていたようだ。
俺は てへっ と可愛らしい笑顔を見せてあげたのだが蛍さんは
冷たい眼のまま再び山を登りだした。
そんなこんなで皆の緊張を俺が捨て身でほぐしているうちによう
やく先行していた桜に追いついた。
暗闇の中だったこともありここまで来るのにゆうに1時間以上か
かっている。見通しは最悪でそれなりに険しかったこの道のりを領
主軍を連れて登ってくるのはやはり無理だっただろう。
先行していた桜は木の幹に隠れる様にしゃがんでいて俺達が来た
ことに気が付くと顔の前に人差し指を立ててから親指で木の向こう
側をくいくいと指差す。
その指示に従って静かに移動すると俺は桜の隣の木の影に入りそ
っと桜が指差す方を覗きこんだ。
どうやら桜は真っ直ぐアジトに向かったのではなく見つかりにく
いように迂回しつつ奇襲のしやすいポジションに向かっていたらし
い。どうりで道程が厳しかったはずだ。盗賊達も通っているのなら
ある程度進みやすい工夫がしてあってもおかしくないからね。
桜が選んだポジションは岩肌にあるアジトらしき洞窟を斜め上か
ら見下ろせる場所だった。人が2人並んで入れるくらいの大きさの
洞窟の入口,その前に2人ほど歩哨が立っている。
篝火のようなものはアジトの発覚を恐れてか外には設置されてい
ない。だが洞窟の奥の方から僅かにゆらゆらと揺れる灯りが漏れて
いるようなので中はそれなりの広さがあり火を焚けるだけの環境が
あるのだろう。
892
洞窟の前は僅かに広くなっているがいくつか切り株のような物が
あるように見えるのでこれは盗賊達が木や草を処理して防衛のため
に切り拓いたってことか。ただ⋮
﹃蛍さん,桜。あの洞窟の中に残りの100人が全部いると思う?﹄
システィナに場所を譲ってアジトを見て貰うと同時に俺達が意思
疎通で話している最中だという事前に取り決めていたサインを送る。
システィナは黙って頷くとアジトの様子を見始める。
﹃桜,この山に鉱山跡などがあるという話は?﹄
﹃う∼ん,事前の調査ではそんな話はなかったかな。フレスベルク
側の山々はあまり鉱物資源が出ないって話だかな﹄
﹃となれば自然窟か。そうなるとそれだけの広さはないのではない
か⋮全く可能性が無い訳ではないが全員がそこにいるとは思わない
方がよかろう﹄
﹃じゃあどうする?﹄
﹃相手の数が少ないのならむしろ都合がいいだろう。うまく殲滅出
来ればまた1人逃がして次のアジトに案内させるということも出来
るかもしれんしな﹄
なるほど⋮そもそも100人全部を相手にしたくないから奇襲を
躊躇ってたんだった。相手が少ないならそれはそれでいいしっかり
片付けて頭数を減らしておけばいいってことか。
﹃桜も前回はこのアジトを見つけたところで戻ってきちゃったから
ここの他にもアジトがある可能性は思いつかなかったよ。ごめんね
ソウ様﹄
﹃いや全然OKでしょ。そもそも桜がいなきゃアジトも見つからな
かったんだからね﹄ 893
﹃さて,のんびりしている暇はないぞ。もたもたしていると夜が明
ける﹄
﹃分かった。取りあえずあそこを潰そう。盗賊なのは間違いなさそ
うだからね。ただ,洞窟の中に捕まっている人がいるかもしれない
から洞窟に魔法ぶち込んで終了!ってのは保留でお願いします﹄
メイザの言いぶりだと襲った相手は弄んでもいいが最後は殺して
から離脱という方針っぽかったがそれがメイザの方針なのか赤い流
星の方針なのかが分からない。メイザは女だっただけに女を連れて
くることが嫌だっただけかもしれないから一応確認した方がいい気
がする。
﹃じゃあ見張りを倒したら桜が闇に紛れて先に見てくるよ。リュテ
ィ達に作って貰った首飾りがあるから多分問題ないと思う。中を一
通り確認したら合図するね﹄
確かに隠形+を持つ桜がディランさんが作った闇隠れの首飾りを
使えばこの暗闇だ。気配察知を身に付けた相手でも混じってない限
り見つかることはないだろう。
﹃了解,じゃあ蛍さんと桜で見張りをお願い。その後桜は中へ偵察。
蛍さんは入り口で待機。蛍さんの合図で俺とシスティナも洞窟入口
まで行く。桜の合図を待って全員で突入﹄
﹃いいだろう﹄
﹃桜もいいよ﹄
﹃わたくしも承知いたしましたわ﹄
﹃じゃあ,作戦開始。システィナには俺から伝えておく﹄
894
895
夜目︵前書き︶
ブクマ・評価ありがとうございます。あとブクマ数件でブクマ10
00です。やっと4桁!感謝です。
896
夜目
︵では,私達は蛍さんからの合図を待って洞窟まで行けばよいので
すね︶
︵そう。見張りが2人なら蛍さんと桜であっさりと片がつくはず︶
ちゅ
︵あ⋮⋮その,えっとその後は桜さんが中に捕まっている人がいな
いかを確認して︶
︵そうそう︶
ちゅ⋮れろ
﹁あん⋮﹂
︵こら!システィナ。大きな声出しちゃ駄目じゃないか。見つかっ
ちゃうよ︶
︵あの⋮ご主人様。耳元で囁くのは状況からして構わないのですが
⋮⋮耳にいたずらするのはちょっと︶
っと,システィナの可愛い耳を間近に見てたらいつの間にかにつ
い甘噛みしてしまったようだ。
﹃ソウジロウ。またお前は悪さをしておるな。戻ったら覚悟してお
けよ﹄
げ!どうしてこの場にいない蛍さんにばれた?あの蛍丸の峰を使
った脳天落としはかなり痛いから出来れば勘弁して欲しい。
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︵ご主人様!合図です︶
と!やばっ!そっちは見逃したらまずい。あわてて洞窟をみると
確かに入り口付近に小さな蛍火が揺れている。
︵よし!行こうシスティナ︶
︵はい!︶
俺達は木の陰から抜け出すとやや下りの斜面をバランスを崩さな
いように,大きな音を立てないように気をつけながら降りていく。
気持ちは焦るがここは焦ってミスをする方が痛いので慎重にゆっく
りと降りていく。
なんとか下まで降りると今度は全力で入り口まで走って洞窟の入
口を挟んで蛍さんの反対側へと滑り込む。システィナは蛍さんの隣
だ。
俺の側は1人で寂しいが,刀娘たちとは多少離れていても意思疎
通が取れるので刀娘と声でしかやりとりしか出来ないシスティナが
蛍さん側である。
かたわらを見ると見張りに立っていた盗賊が首から血を流してう
ち捨ててある。システィナ側の方にも投げ出された足が見えるので
おそらく蛍さんと桜がクナイの投擲で1人ずつ仕留めたのだろう。
なにげにクナイは大活躍してるな。
桜はたまに1人でリュスティラさんたちのところへ出かけては装
備の話で盛り上がっているらしく,当初は10本だったクナイも今
は倍以上持っているらしい。
気がつくとリュスティラさんから結構な額の請求書が届くので出
来れば買う前に相談してくれとお願いしているのだがいつも元気の
898
良い返事だけで実行された試しがない。
﹃蛍ねぇ,ソウ様聞こえる?﹄
っとそんなことを考えてるうちに桜から連絡が来た。
刀の柄に手をかけつつ蛍さんとほぼ同時に聞こえてる旨の返事を
する。
﹃洞窟の中は10メートルくらいの通路の先に大きな空洞があって
そこに20人くらい雑魚寝してるみたい。奥の壁際に篝火が1つだ
けだから奇襲の際は桜が篝火を消せば中の盗賊は蛍ねぇと桜で潰せ
ると思う﹄
なるほど,でもそうなると逆に暗闇の中で俺とシスティナは邪魔
になるだけだな。
﹃桜,他に部屋みたいなものはあるか?﹄
﹃⋮えっと,うん。2カ所くらい壁から布が下がっている場所があ
る。もしかするとその向こうにも部屋みたいのがあるかも。ってい
うか気配があるから誰かいるね﹄
だとすると幹部級の盗賊が女を連れ込んでる可能性があるか⋮攫
われてきた人達の牢屋的な位置づけの可能性も考えるとその2カ所
は一番最初に速攻で制圧した方がいい。
﹃よし!じゃあこうしよう﹄
899
俺とシスティナは武器を構えて洞窟に入ってすぐのところに待機
していた。まだ奥からは何も聞こえてこない。
システィナが視線で俺に問いかけてくる。
﹁大丈夫。まだ合図は来ない﹂
ここまで来ればもう今更だろう。小さな声でシスティナに報告す
るとそのタイミングで桜の声が脳裏に響く。
﹃ソウ様行くよ。10秒前﹄
﹁システィナ10秒前﹂
﹁はい﹂
俺の合図でシスティナが眼を閉じる。俺は洞窟の中から視線を外
して洞窟の外を見て盗賊が急に帰って来たりするような事態に備え
る。
﹃5,4,3⋮﹄
﹁2,1⋮﹂
ガシャン!
何かが倒れる音と同時に振り向くと洞窟の奥から漏れていた灯り
が徐々に消えていくのが確認出来るのと同時にざわざわと中が騒が
しくなっていく。
﹁システィナもういいよ﹂
﹁はい﹂
少しでも戦闘の不利がないように,本当に念のためだがシスティ
900
ナには暗闇に眼を慣らしておいてもらっていた。 ﹃状況報告。こっちの部屋には男が2人寝ていたが捕まっているよ
うな感じはなかったので処理した。これから部屋から出て雑魚の掃
討に入る﹄
﹃こっちも報告∼。こっちは男女1名だったけど,女の人に声かけ
たら普通に盗賊の人だったからこっちも2人とも︻ちょんぱ︼した
よ。桜も部屋から出て蛍ねぇの手伝いしま∼す﹄
俺が立てた作戦は単純なもので先に布の向こうの部屋を桜と蛍さ
んに確認して貰った後に灯りを消して盗賊達の視界を奪って一気に
殲滅するというもの。
ただ,気配察知などで敵や味方の位置が分からない俺とシスティ
ナは同士討ちが怖いから突入しない。そもそも完全な暗闇の中で戦
う術を持たないのは盗賊も俺達も同じである。
ん?だけどさっき外を見てたときも洞窟内を見ている今も結構見
えてる気がするんだけどどっかから光が入ってきてるのか?
もしかして⋮⋮中の方ではがちゃがちゃとした音と共に悲鳴や怒
声が聞こえてくるがまだ出口の位置を把握してこっちに出てくる盗
業:−7 年齢:17
賊はいない。なら今のうちにちょっと確認してみるか。﹃顕出﹄
⋮ ﹃富士宮 総司狼
職 :魔剣師 技能:言語
読解
簡易鑑定
武具鑑定
901
手入れ
添加錬成
精気錬成
夜目 魔剣召喚︵0︶
特殊技能:魔精変換﹄
おおう!何故かこのタイミングで﹃夜目﹄とか覚えてる。何故覚
えたのか思い当たる節は⋮⋮全くない。⋮⋮⋮こともない。
あれか?もしかして俺に新スキルを授けてくれたのは尻神様か!
!あの至高のお尻を一心に参拝したお陰でこの俺に新しいスキルが!
くっ今すぐ尻神様にお礼のマッサージをして上げたい。
﹁ご主人様!何人か来ます﹂
﹁っと,了解!﹂
システィナの声にトランス状態を脱した俺は素早く窓を砕くと意
識を通路の奥へと向ける。﹃暗視﹄と言うほどによく見える訳では
ないが,﹃夜目﹄を獲得した俺には洞窟の壁に手を付けつつよたよ
たとこっちに向かってくる盗賊達3人が見える。
﹁右の壁沿いに1人,左の壁沿いに2人。よく見えてないみたいだ
けど星明かりを背負ってる俺達のシルエットくらいは向こうからも
確認出来ると思うから見えてるつもりで行こう﹂
﹁はい﹂ せっかくの夜目による利点を活かす為には入り口付近まで相手を
待っていては駄目だ。俺はシスティナの脇を駆け抜けると左の2人
902
の方へと向かう。
盗賊達からは俺の影と足音くらいは確認出来るかもしれないが戦
闘が出来る程の情報ではないだろう。
﹁だ,誰だてめぇら!俺達を赤い流星と知ってのことか!闇討ちな
んかしやがって絶対ゆるさねぇぞ!おめぇらの家族,友人,知人全
部調べ尽くして殺してやるからなぁ!﹂
⋮本当にこいつらの語彙ってこれしかないのか?この状態なら普
通はまず命乞いが先な気がするんだけどねぇ。
ま,許す気は欠片もないけど。
すれ違いざまに先頭の1人の首を左の閃斬で落とす。
﹁おい!ノンケル!どうした?⋮う,うわぁぁぁぁぁ!!﹂
前の男が急に言葉を途切れさせたことで身の危険を感じたのか,
現状を把握しきれていない後ろの1人が恐怖にかられて意味不明な
ことを叫びながら短刀をめちゃくちゃに振り回してくる。
危ないなぁ⋮取りあえず近づくと怖いのでさっきの男,ノンケル
君︵頭部抜き︶の襟首を持って投げつけてやる。
﹁なななななんだ!なんだ!うあああ﹂
首のないかつての同僚に抱き付かれて混乱しているところを念の
ため背後から近寄って葵で心臓を貫いた。
がくりと男の力が抜けたのを確認してから葵を抜き,血糊を払っ
903
て納刀する。
ていうか暗闇で片方だけが自由に動けるっていうのはこんなにも
一方的な戦いになるのか。そうそう暗闇で戦うような事態にはなり
たくはないけど地球と違って夜が暗いこの世界で有難いスキルを身
に付けられたかもしれない。
尻神様に深く感謝しなければなるまい。なんなら尻神教を立ち上
げてもいいくらいだ。
﹁ご主人様!大丈夫ですか﹂
おっとどうやらシスティナの方も片付いたらしい。
どうやって倒したかはちょっとスプラッタ的なものが壁に張り付
いてるからあまり考えない様にしよう。
﹁システィナ。ちょっと訳あって暗くても大分見えるようになった
から俺はこのまま蛍さん達の援護に行く。
システィナはここで外を警戒しててくれるかな﹂
システィナ1人残していくのは不安だけど連れて行く方が危ない
ので仕方ない。それに今までとは逆に俺達が中にいる訳だから外か
ら魔法を打ち込まれたり入り口を塞がれたりするのはまずい。
﹁その必要はないぞ。ソウジロウ﹂
﹁蛍さん!﹂
﹁こっちは片付いたよソウ様﹂
﹁桜も﹂
もう中の20人を片付けたのか?いくら気配察知があって暗闇で
も動けるからって早過ぎるでしょ。さすが自慢の刀娘達だ。
904
905
暴走︵前書き︶
ブクマがとうとう1000超えました^^
ありがとうございます。
906
暴走
﹁へぇ,じゃあソウ様も暗闇でも見えるようになったんだ﹂
﹁それほどはっきり見える訳じゃないけどね。普通に動くのは問題
ないよ﹂
﹁じゃあさ,じゃあさ!今度桜と夜のお散歩行こうよソウ様。同じ
山でもこんな所じゃなくて夜だからこそ綺麗な場所とかあるし,夜
の河原とかも月が出てる時はすっごい綺麗なんだよ﹂
﹁へぇそうなんだ。それは是非案内して欲しいな﹂
﹁うん!約束だからね,ソウ様!﹂
俺との約束を取り付けて桜は嬉しそうに頷く。桜は気がつくとい
ろんな所に行っていろいろしているので夜中にいなくなっている時
間があることもある。
俺が起きるまでには必ず戻ってきて布団の中にいるのであまりう
るさくは言っていないが,今思えば屋敷の防衛などの為に屋敷の周
囲を調べてくれていたのだろう。
昼と夜では景色の見え方や出没する魔物も変わる可能性もあるの
でその辺の調査をしている最中にいろんなものを発見したのか。桜
が見つけたものを俺も見てみたいしその約束で桜がこれだけ喜んで
くれるんだから行かないなんていう選択肢は存在しない。
まあ,強いて欠点というかデメリットを上げるとすればその約束
をした場所,つまりここだろうか。
﹁ソウ様,こっちの方は大体拾ったよ﹂
﹁了解﹂
907
今俺と桜は2人で洞窟内の確認と始末した盗賊達の装備の回収を
している。当然足下には死屍累々の屍がある訳で,とても夜の逢い
引きデートの約束をするようなシチュエーションではない。
ちなみに夜目の効かないシスティナは蛍さんと一緒に入り口付近
で外の警戒中である。
俺は身につけたばかりの夜目のスキルを使ってまた1つ足下の盗
賊が持っていた武器を回収する。就寝中だったため防具は身につけ
ていなかったようで近くに置きっぱなしになっているがどれも質が
悪そうで苦労して持って帰っても高くは売れなそうだった。そう言
えば武器も妙に質が悪い気がする。まあ,盗賊団の下っ端がそんな
いい武器を持っている訳もないか。
﹁そう言えば寝込みを襲ったせいかもしれないけど盗賊達も弱かっ
たかも﹂
﹁まあ,この暗闇で桜に寝込みを襲われたら普通の人は瞬殺されて
当たり前だと思うよ﹂
ぽろりと漏らした俺の感想に頷いて首をかしげる桜に思わず苦笑
する。確かに凄腕のリアルくノ一にどんどん成長していってる桜に
してみればさぞ簡単過ぎる任務だっただろう。
その後もそこら中を簡易鑑定しながら掘り出し物がないかを探っ
てみたが結局特にめぼしい物はなかった。盗賊のアジトと言えば集
めた財宝みたいな物があるんじゃないかとちょっと期待もしてたの
にそれらしい物も全くない。
一応小部屋にいた盗賊達も調べてみたがこっちも似たり寄ったり
だった。念のために4人共身ぐるみ剥がしてみたが身体の何処にも
刺青は無かったのでシャアズ,シャドゥラ,パジオンの残った幹部
908
のうちの誰かということはなさそうだった。
﹁桜,とりあえず集めた物は部屋の入り口辺りに置いておこう。ど
っちにしろ今は持って帰れないし,日を改めて取りに来ることにし
よう﹂
﹁うん。⋮⋮でも死体をこのままにしておくのは良くないと思う﹂
﹁え?﹂
﹁多分血の臭いを嗅ぎつけて魔物が寄ってくる。ここは距離的には
屋敷とさほど離れてる訳じゃないから面倒なことになるかも﹂
﹁魔物が下まで降りてくる可能性が増す⋮か﹂
確かにむせかえるような血の臭いが充満している。放っておけば
いずれ洞窟から漏れ出した臭いは周囲に広がるだろう。そして魔物
が集まり屍肉を漁る。綺麗に食べてくれるだけならそれでもいいが
充分な餌を得て魔物が強くなっても困るし,中途半端に食べ残した
物が腐って変な病気をまき散らされるのも嫌だ。
加えて魔物が屋敷まで来る可能性の上昇⋮これは桜の言うとおり
放っておくのは危険過ぎる。
﹁燃やすか﹂
﹁うん,それがいいと思う。幸い篝火用の油はそこに置いてあった
から集めてぶっかければ洞窟内でもなんとかなると思う﹂
﹁分かった。じゃあ俺は通路の死体を持ってくるから桜はこっちの
準備をよろしく。集めた物はもういっそ洞窟の外まで出しちゃおっ
か﹂
﹁だね。じゃあもう一頑張りしちゃおう!﹂
909
﹁ちょっと明るくなってきたね﹂
﹁はい。思ったより後始末に時間がかかってしまいました﹂
洞窟から漏れる煙を横目に明るくなってきた空を眺める。
﹁火をかけるのはやむを得なかったとは言え夜が明ければこの煙は
残りの盗賊達の眼につくだろうな﹂
﹁そうだよね。煙までは考えてなかったよ。ごめんねソウ様﹂
﹁いや。火をかけるのは間違ってないよ。本当は土系の魔法が使え
れば埋めちゃえば良かったんだろうけど俺達は使えないし,死体を
そのままにするデメリットの方が大きい以上は次善の策を取るしか
ない。むしろそのままにすることが危険だってことに気づかせてく
れたんだから逆にお礼を言いたいくらいだよ﹂
どうせ遅かれ早かれこの洞窟が全滅したことは赤い流星に知れて
しまうからそれはさほど問題ではない。ただここを潰した相手が誰
かということを考えた時に俺達の事が早い段階で犯人候補に挙がる
と推測されるのが問題だった。
多分赤い流星が考える犯人候補は 1.領主軍,2.俺達,3.
その他 って感じのほぼ2択だろう。
そうなるといよいよ屋敷は危ない。本当に街への避難を考える時
期かもしれない。今回の夜襲までがぎりぎり許容出来たリスクだと
思う。悔しいけどこれ以上は危険を犯せない。
﹁ねぇ⋮﹂
﹁し!﹂﹃声を出すなソウジロウ!﹄
蛍さんの厳しい制止。何かあったか?とりあえず座り込んでいた
910
体勢からすぐに動ける体勢にゆっくりと変える。
ほんのり明るくなってきた周囲を夜目スキルも駆使して見回すが
俺の眼には何処にもおかしいところはないように見える。
﹃まずいな,見つかった。2,3⋮4人か。ん?1人が⋮
⋮となると,むしろ好都合か?﹄﹁ソウジロウ!システィナ!走
るぞ!ついてこい!﹂
ちょ!ちょっといきなりだな!と思いつつも即座に反応して動き
出せる自分がちょっと怖い。
突然走り出した蛍さんの後ろをほぼ同時に動き出したシスティナ
と並んで走る。方角としては俺達が洞窟を見下ろしていた場所とは
反対側の方角で更に山に登っていいくような方向だ。
少しは明るくなってきたとは言っても周囲はまだちょっと薄暗い。
システィナの足元には注意してあげる必要があるがなんとか夜目が
なくても動けるくらいにはなってきているのでなんとかついていく
ことが出来そうで良かった。
そしていつの間にか桜は蛍さんよりもずっと前を走っている。本
当にいつの間に!と言いたくなるような機動力である。
﹁蛍さん!どういう状況!﹂
﹁気配を4つ感知した。そして1つはおそらく洞窟からの煙を見て
既にこの場から離れつつある﹂
﹁洞窟の状況を他の盗賊達に報せに走ったということですか?﹂
﹁おそらくな。残りの3つは様子を見るためかこの場に残りそうな
感じだったが,儂らが走り出したのを見て今は最初の1つと同じ方
向に走っているようだ﹂
911
﹁なるほど⋮って状況は分かったけどどうするつもりなの!﹂
﹁うまく行けば一気に片がつく。まず逃げる3人を討ち,報告に走
った1人を追う。そいつがうまく残りの盗賊達の所へ案内してくれ
ればやることは先刻と同じだ﹂
いやいや同じじゃないでしょ。今回のことは相手にこちらの存在
が発覚していないということに加えて一方的に奇襲がかけられるか
らこそ踏み切った作戦だ。
既に明るくなり始めたこの時間帯。盗賊達が目覚め始めていても
おかしくない。仮に初撃こそうまく奇襲出来たとしてもせいぜい倒
せるのは魔法を駆使しても30人前後がいいところだろう。
その後目覚めて態勢を整えた盗賊50名以上相手に正面からぶつ
かるというのは作戦でもなんでもない。
﹁蛍さん!それは無茶だ!姿を見られた4人を追って仕留めるのは
いいけどその先は駄目だ!﹂
﹁なぁに任せておけ。儂と桜がいればなんとでもなる﹂
﹃山猿!主殿の言うことを聞くのですわ!いくらあなたと桜が強く
ても主殿とシスティナさんは人間なんですのよ!流れ矢がうっかり
一本当たるだけでも取り返しのつかないことになりかねませんわ!﹄
﹁ふん!そういうのを年寄りの冷や水というのじゃぞ葵。盗賊ごと
き何人いようともソウジロウ達を傷つけさせなどせぬ。自由に動け
ぬお前はしっかりとソウジロウを守っておけばよい﹂
﹃く!あなたは!だからこそ!わたくしが自由に動けぬ身だからこ
そ動けるあなたが主殿の盾にならなければならないのですわ!わた
くし達にとっては主殿が全て!それに優先するものものなどありま
せんのよ!どうしてそれが﹄
﹁ええい!うるさい!わかっておる。だからこそソウジロウに仇な
す盗賊共を一掃する必要があると言っておる﹂
912
くっ!駄目だ!蛍さんが止まらない。とにかく今は逃げている4
人を始末するのが先だ。4人を始末した後なら少しは話し合う余裕
があるはず。
場合によっては身体を張ってでも蛍さんを止めないと⋮
仮に今回,蛍さんの言うとおりにうまくことが運んで盗賊達を殲
滅出来たとしても毎回そんなことがうまく行く筈がない。刀娘達自
身が刀としての闘争心をコントロール出来るようになって貰わなき
ゃ困る。とりわけ刀達のリーダー格である蛍さんがこれではまずい。
今後刀娘達が増えたとしても蛍さんの一声で全員が無謀な行動を取
りかねない。
幸いというかなんというか飾られている期間が長かった葵はその
辺りのことが良く分かっているようで助かったけど,いかんせんま
だ人化が出来ない状態だと口だけで蛍さんを止めることは出来ない
らしい。
﹁システィナ。今の蛍さんは止まらない。追いかけてる賊達をうま
く倒す事が出来たら2人を力尽くでも止める﹂
﹁⋮はい﹂
隣を走るシスティナに小声で話しかけるとシスティナが固い表情
で頷く。
俺達2人がかりでも蛍さんにはかなわないというのはシスティナ
も分かっている上に,暴走気味の蛍さんにちょっと怯えているのか
もしれない。
913
暴走︵後書き︶
※ レビューを書いてくれる方を引き続き募集してます。
よろしくお願いします。
914
窮地
﹁蛍ねぇ!とりあえず3人,足止めたよ﹂
いつの間にか逃げる3人組の前に回り込んだ桜が刀を構えてこち
らに声をかけてきたのは木々が生えていた場所を抜け切り立った岸
壁にぶつかったところだった。
盗賊達はどうもその岸壁自体を目印にしていたらしくそこから方
向を転じて更に逃げようとしたが直線で逃げ続けていたならばとも
かくそんなロスの大きい動きをしたら桜から逃げ切れる訳もなかっ
た。
﹁くそ!なんて足の速さだこいつら。山での足の速さを買われた俺
達よりも速ぇなんて⋮﹂
﹁おい!ゲインのやつは?﹂
﹁あいつなら大丈夫だ。あいつは足の速さに加えて絶対に方向を見
失わない﹃絶対方位﹄のスキル持ちだからな﹂
﹁それなら最低限の仕事はしたことになる。任務失敗で頭に殺され
ることはないだろう﹂
﹁後は俺達がなんとかして戻るだけ⋮か﹂
漏れ聞こえてくる会話を聞いているとこいつらはどうも盗賊達の
斥候部隊らしい。そして同時に大所帯故に分散して山中に散ってい
た盗賊同志の間をつなぐ伝令役も兼ねているのだろう。
盗賊達はそれぞれに短刀を取り出して構える。脚の速さを売りに
しているだけあって軽さと携帯の利便性から短刀なのだろう。
915
﹁まずいな⋮一気に片付けて前の1人を追うぞ﹂
蛍さんがそう言うと俺が何かを言う間もなく走り出してしまう。
同時に盗賊の向こう側で桜も動き出す。
くそ!やっぱり止まらないか。俺達も行くしかない。
葵と閃斬を抜いて慌てて走り出すが俺達が戦闘に加わる前に3人
の盗賊は既にこと切れていた。1人は桜のクナイを喉に受け,1人
は蛍さんに袈裟懸けに斬られ,最後の1人は桜に首を刎ねられて。
驚くべき技の冴えである。なんかよく分からないが,いつもより
キレてる気がする。
﹁桜!もう1人を追えるか?﹂
﹁なんとか!ついてきて!﹂
岸壁に沿ってすぐさま走り去っていく蛍さんと桜に﹁待って﹂と
声をかける暇すらない。
﹁システィナ大丈夫?﹂
﹁はい,まだ走れます。今はお二人から離される訳にはいきません
!﹂
さすがシスティナ。現状をよく理解している。刀としての性質に
引っ張られてなのかイケイケの2人は強いし頼もしいがどこか危な
っかしい。俺達に何が出来るかは分からないがいつでもフォローが
出来るように近くにいなくてはならない。
幸い岸壁沿いは草木が生えていないので先を行く蛍さん達をそう
916
そう見失うこともないし,多少薄暗くても足下には不安はないので
全力で2人を追いかけることが出来る。
﹁ご主人様,気をつけて下さい﹂
そうして2人を追うこと数分,ひたすら前を見据えながら走り続
けそろそろ全力疾走を続けるには俺達の息が保たなくなってきた頃
システィナが注意を促してきた。
﹁え?何を﹂
﹁やはり気づいて無かったのですね。落ち着いて左側をご覧になっ
て下さい﹂
ん?左?⋮⋮⋮
﹁うおっ!﹂
走りながら左側を見た俺の視界に入ってきたのは虚空⋮そして雄
大なパノラマだった。
﹁いつの間にか左側は崖になっています。下の方からは水の音が聞
こえてきますので屋敷の脇を流れる川の源流の一つがこの下にある
みたいです﹂
えっと⋮逃げる敵を追って来た道がかたや岸壁,かたや崖。道幅
はせいぜい5メートル程度。これって前後から挟まれたら危なくな
い?
﹁⋮なんか嫌な予感がしない?﹂
﹁はい⋮何事もないといいんですけど﹂
917
この状況に敵が気づいたら俺達は袋のネズミ状態になりかねない。
これ以上の深追いはやばい。
﹃蛍!桜!止まれ!これ以上深追いはするな!今回はここまでで撤
収する!﹄
﹃ふ,馬鹿を言うなソウジロウ。今やらねばずっと怯えて暮らすこ
とになるぞ﹄
﹃そうだよソウ様。仮にやつらをこの山から追い出すことに成功し
たっていつ報復の為に戻ってくるか分かんないんだよ。そんなんじ
ゃ安心して夜にえっちぃこと出来ないよ﹄
﹃駄目だ!それでもこれ以上は許可出来ない!﹁俺達は今日からフ
レスベルクの街に避難する!﹂
正直桜の言葉にちょっと動揺しかけたが,2人を止めるためには
今揺れる訳には行かない。俺達で出来る最善は尽くした。後は状況
が変わるまで待つしかない。
俺の強い意志が込められた言葉に足を止めていた刀娘達にやっと
追いついたので最期は口に出してしっかりと宣言する。きっと刀娘
達の闘争本能だなんだって言うのは俺の言い訳に過ぎない。ここま
でずるずると深追いしてしまったのは逃げたくないという俺の小さ
なプライドと自分の家から離れたくないという甘さが原因だ。
﹁⋮分かった。ならばソウジロウとシスティナはこのまま屋敷に戻
り荷物をまとめてフレスベルクで宿を取るなり賃貸で家を借りるな
りしておいてくれ。私達は後から合流する。なぁにこのリングがあ
れば何処にいても探せるからそれで問題なかろう。
では気をつけて帰れよ。よし,いくぞ桜﹂
そう言って踵を返そうとする蛍さんの手をとっさに伸ばした俺の
918
手が掴む。
﹁ソウジロウ!﹂
身体を突き刺すような怒気を孕みながら振り返った蛍さんの顔は
今までに見たことが無い程に怖い。
ヒュン!
え?何か今蛍さんの背後を⋮⋮
視線を足下に落とすと蛍さんの背後の地面に刺さっていたのは⋮矢?
あ,危なかった。たまたま俺が蛍さんの手を掴まなければちょう
ど蛍さんの頭部を貫いていたかもしれない。
﹁蛍ねぇ!上に気配が!﹂
﹁むう!前を追うことに夢中になりすぎたか﹂
桜の声に慌てて上を振り仰ぐと岸壁の上から大勢の人がこちらに
向かって矢を構えているのが見えた。
くそ!やっぱり罠だったのか!一体いつどこで俺達が今日夜襲に
くることを知ったんだ!
﹁ソウジロウ様!とにかくここは駄目です。急いで戻りましょう!﹂
システィナの叫び声と共に明けの空に矢の雨が降る。
まずいまずいまずいまずいまずいマずいマズずいマズいマズいマ
ズイマズイ!
﹁蛍さんこっち!桜も!システィナも壁に寄って!﹂
﹁はい!﹂
919
呆然としている蛍さんたちを急いで壁際に誘導する。上から打ち
下ろす以上は壁際に寄っていれば狙いは付けにくいはずだ。
トトトトトトトトトトトトッ
目の前に矢が突き刺さっていく。だが,思った通り壁に近くなれ
ばなるほど本数が減る。各自の手甲で頭上を守っていればなんとか
なりそうだ。蛍さんは手甲装備がないので俺が頭を抱え込むように
して急所を守る。
﹁ご主人様。このまま来た道を戻りましょう。森まで戻れば上から
の矢は防げます﹂
﹁分かった。絶対に壁際を離れないように気をつけて!後は場所に
よっては斜め下に俺達を狙えるポイントもあるかもしれないからそ
の辺も警戒!行くよ!﹂
ゆっくりとだが確実に歩いて行けばなんとかなる。弓矢だって無
限じゃない。これだけ無駄打ちをしていればすぐに在庫が尽きる筈。
それまで凌げばいい。
カラン⋮
そう考えていた時期がほんの僅かだけ俺にもありました。
﹁まずい!みんな戻って!!﹂
岸壁を転がり落ちてきた小石を見た俺の叫び声にとっさに反応し
た皆が壁伝いに引き返す。それと同時に背後でドドドドォォと地響
き,そして砂塵。俺達が戻ろうとした道の先に岩や土砂が降って来
920
たためだ。これで完全に退路を塞がれた。
上から狙われている以上土砂を乗り越えることも撤去も厳しい。
これで嫌でも前に進むしかなくなってしまった。
﹁ごほっ!ごほっ!大丈夫かみんな!﹂
﹁は,はい!﹂
ゴゴゴゴォォン!!
女性陣を獅子哮で庇いながら声をかける。だが更に少し離れた道
の先でまたも轟音⋮
⋮ちっ!前も塞がれた。完全にこの山道で閉じ込められた。
﹁くそ!﹂
どうする!どうする!あいつら完全に俺達を殺しに来てる?
いや⋮これだけの大掛かりな仕掛けだ。きっとこの罠は討伐にき
た領主軍に対する備えだったのではないだろうか。だがなんらかの
形で領主軍が攻めてくることがないこと,俺達が夜襲を仕掛けるこ
とを知った盗賊達がその罠を俺達に使うことを決めたってことなの
かもしれない。
まあ,そんなことが分かったってなんの役にも立たないんだが。
今にして考えればあの洞窟の盗賊達も囮替わりの捨て石だったのだ
ろう。そうであるならば桜の﹃手ごたえがなかった﹄との言葉にも
納得できる。
﹁ご主人様!!﹂
921
そんな今はどうでもいいことを考えることで現実逃避していた俺
の耳にシスティナの切羽詰まった声が飛びこんでくる。
はっとしてシスティナを見た俺はその視線の先を見る。
⋮⋮あ,終わった。
思わずよぎったその言葉の先にあった光景は頭上に降ってくる大
小さまざまな岩の数々だった。
それを見て真っ先に思うのは,この世界に来てまだひと月程度な
のに死んでしまうのはせっかく俺らしく生きられる世界に送ってく
れた地球の神様に申し訳ないということだ。
この程度の経験しかしなかった俺の魂ではたいした情報も回収で
きないだろう。⋮でもこの世界に来てからは本当に毎日が充実して
いた。地球の神様には感謝の気持ちしかない。
﹁葵,お前の言う通りだったすまない。そしてソウジロウ⋮死んで
しまったら儂を恨めよ﹂
﹃な!何を⋮山猿!﹄
﹁え?﹂
﹁ごめんねシス。桜調子に乗ってたみたい。でもお願い!ソウ様を
死なせないで!﹂
﹁え?さくらさ⋮﹂
え⋮何が⋮⋮身体が⋮
気が付くと宙を舞っていた。
922
923
窮地︵後書き︶
最近は魔剣ハーレム優先で更新していますが,私がもう1つ書いて
いる三国志と現代のゲームを題材にしたお話も良ければ見てみてく
ださい。三国志好きには特に読んでみてもらいたいお話しです。
URLはこちらhttp://ncode.syosetu.co
m/n4550cn/
※ 引き続きレビューを募集しています。ご意見ご感想、ブクマ、
評価、誤字脱字の報告もお待ちしています。
924
慟哭
妙にゆっくりと流れる景色のなか俺とシスティナを投げ終えた姿
勢のまま落石の影に消えていく蛍さんと桜が上へと流れていく。
いや違う,俺が落ちていくんだ。
﹁蛍さん!蛍さん!!桜!桜ぁぁぁぁ!!﹂
ゆっくりと重力に引かれて落ちていく自分を冷静に認識している
俺の耳に誰かの絶叫が聞こえて来る。なんて声を出してやがる。耳
が痛くなるじゃないか。
﹁蛍さぁぁん!桜ぁぁぁぁ!!﹂
ああ,これはあれか。録音した自分の声を聞くと他人の声のよう
に聞こえるっていう⋮あれは俺の叫び声だ。
﹁ご主人様ぁ!﹂
システィナの声が聞こえる。ああ⋮このまま俺はシスティナまで
失ってしまう⋮
ごめん⋮みんな。俺が不甲斐ないばかりに⋮俺がもっとしっかり
していれば。
925
虚空に伸ばしていた手から力が抜ける。耳元をうるさいくらいに
吹き抜けていく風音も小さくなっていく⋮
そうか⋮俺は⋮⋮死ぬ⋮
﹁気が付かれましたかご主人様﹂
目を開けると視界には、いつの間にかもう見慣れた屋敷の天井と
それを半分塗りつぶすかのようにアップで俺を覗き込んでいるシス
ティナの顔があった。
﹁あ,うん。おはようシスティナ。
今日は,みんな早いね。なんか用事でもあったっけ?いつもは俺
が目を覚ますまでみんな布団から出ないのに。蛍さんと桜は風呂で
も入ってるのかな?﹂
今日に限ってみんなけしからん。毎朝俺の寝起きをぷるぷるで暖
かい魅惑のボディで優しく包むのは大事なことだってあんだけ厳し
く言っておいたのに︵実は懇願したことは秘密だが︶,これは今夜
はたっぷりお仕置きしてやらねばなるまい。
926
﹁ご主人様⋮﹂
そんなことを考えてうきうきしていると俺の顔を覗き込んでいた
システィナの顔が曇る。よくよく見てみればいつもと違ってかなり
やつれて見える。あれ?そんなに昨日はハッスルしたっけ?
⋮昨日?そもそも昨日は﹃した﹄っけ?いやしたよ。した。4人
で明るい内から楽しんだんだ。なんど身体を合わせても飽きない極
上の姿態を昨日も満喫した。
⋮ていうかなんで夜じゃ
﹁ご主人様,蛍さんと桜さんはここにはいません﹂
﹁⋮やだなぁシスティナ。この部屋にいないことくらい見れば分か
るよ。温泉かどっかにいるんでしょ。だったら一緒に行ってみんな
で入ろうよ﹂
﹁ご主人様⋮﹂
﹁あれ?どうしたのシスティナ,そんな泣きそうな顔して。もしか
してお風呂じゃなかった?じゃあ食堂でご飯でも食べてるのかな?﹂
システィナはうつむいたまま力なく首を横に振っている。⋮あれ,
なんだか俺がいじめてるみたいになってる?
﹁ごめんねシスティナ。﹃命令﹄するよ。蛍さんと桜をちょっと呼
んできてもらえる?﹂
ビクッと反応したシスティナが反射的に立ち上がろうとするが,
強く目を閉じたまま大きく首を振ると再びベッドサイドに膝をつい
て掠れた声で﹁できません﹂と答える。
え⋮なんで?どうして﹃拒否権﹄を発動させるの?俺にもう一度
927
同じ命令を出させるつもり?
﹁システィナ⋮もう一度﹃ソウジロウ!!いい加減になさいませ!﹄
ひっ!﹂
﹁⋮ご主人様?﹂
同一命令をされれば絶対服従しなければならないシスティナは身
体を固くして俺の言葉を待っていたが突然奇妙な声を出した俺を訝
しげに見ている。
﹁葵?﹂
﹃いい加減になさいませ!わが主ともあろうお方が見苦しくも現実
逃避をして,命がけで主殿を守ってくれたシスティナさんまでも殺
すおつもりですか?﹄
﹁⋮⋮﹂
﹃あの後,全てを諦め意識を失った主殿とは違いシスティナさんは
最期まで諦めませんでしたわ。
システィナさんは魔断で宙にいる主殿を引っかけて引き寄せると
己が身に抱え込み自分のことはそっちのけで全力の回復魔法のほと
んどで主殿を覆って崖下の川へと落下したのですわ﹄
﹁⋮⋮くっ﹂
﹃あの高さからの落下の衝撃,さらにそれを受け止めるだけの水深
を備えていなかった川底への激突。自分よりも主殿への回復を優先
しながら人1人を溺れぬように抱えて濁流を流されに流され屋敷の
傍に来るまで主殿を守り抜いたのはシスティナさんですわ!﹄
﹁⋮⋮ぐふぅ﹂
928
﹃さらにその後も魔力を使い果たし自分の回復もままならないまま
に主殿を連れて屋敷に戻ってからも,魔力が戻る度に主殿に回復術
を施し続けたのですわ。
私が何度も,もうやめて自分の回復をなさい!と叫んでも私の声
は届きません⋮止めることはできませんでした⋮
そこまでしてくれたシスティナさんを契約で縛り,身勝手な暴走
で土砂に埋もれ生きているかどうかも分からない山猿たちを探しに
行かせるのですか?あんな身体で出て行ったらシスティナさんは間
違いなく死にますわ。それでもいいですの?﹄
﹁うぐぅ⋮
分かってた⋮分かってたんだ本当は⋮でも,でも!信じたくなか
った!蛍さんが,桜がいないなんて!
だって俺は⋮俺は!蛍さんと桜がいるから!2人が一緒にいてく
れるからこそ,この世界へ来ることを了承したんだ!事実,2人は
いつだってずっと傍にいてくれた!⋮⋮⋮いてくれたんだよ。
なのに⋮2人がいないなんて,もう会えないなんて俺はどうした
らいいのかわからないんだよ!﹂
﹁ご主人様⋮そんなに泣かないでください。まだ蛍さん達が死んで
しまったと確認した訳ではありません﹂
﹁でも⋮でも!あれだけの落石に巻き込まれたら助かる訳ない!!
俺は蛍さんがいないと⋮﹂
﹃そんなことありませんわ。主殿にはわたくしもシスティナさんも
ついてますもの。それに癪ですが山猿は腐っても名刀ですわ。きっ
となんとかします﹄
929
システィナがそっと俺の頭を抱きしめてくれる。柔らかい双子山
に埋もれる俺の髪を優しくゆっくりと何度も撫でてくれる。その優
しいリズムに身を任せていると葵の言葉がゆっくりと頭の中に染み
込んでくる。
そうだよな⋮あの蛍さんが名刀蛍丸があの程度のことで死ぬわけ
ない。俺がそれを信じてあげなきゃ駄目だよな。
﹁⋮ありがとうシスティナ。システィナのおかげでこうして俺は無
事に生きていられるし,蛍さん達を助けにいくことも出来る﹂
﹁いえ,桜さんとの約束ですし⋮それに私ももうご主人様がいない
生活は考えられませんから﹂
そっか。俺にとって蛍さん達がそうであるように,システィナに
とって俺が⋮そして俺もまたシスティナを失うなんて考えられない。
﹁葵も止めてくれてありがとう﹂
﹃気にしなくて良いですわ。夫の間違いを正すのも妻の役目ですし﹄
うん?なんだか聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするがとり
あえず今は言わせておこう。さっきまでの俺の情けなさを考えたら
俺からは何も言えない。
それにまあやってることを考えればみんな奥さんみたいなもんだ
しね。多分葵も女の人に人化しそうだしそうなれば当然ウヒヒなこ
とをさせてもらうつもりだから別に構わないと言えば構わない。
﹁危ない!ご主人様!こちらへ!﹂
ガシャァァアァン!!
そんなことを考えていたらシスティナが突然胸に埋もれていた俺
930
を無理矢理自分の背後にかばう。
それと同時に室内に窓ガラスの割れる音が響いて割れたガラスが
床へと散らばっていく。ちなみにこの世界には透明度はあまり高く
ないし,厚みも地球に比べれば分厚いがガラスは存在している。
宿などのガラスはほとんど外も見えないようなものだが,この屋
敷は元領主が使っていた屋敷と言うこともありなかなかの透明度の
物がはまっていた。だからこそシスティナが窓の外から突っ込んで
くる何かにすぐ気がつき,まだ気がついていない俺をかばうことが
出来たのだろう。
まあ,その際に無理矢理首から引っこ抜かれたのでかなり首回り
が痛いがそんなことを気にしている場合ではない。
キィィイ キィイィ
﹁ってて⋮なんだ?どうしたシスティナ!大丈夫か!﹂
今の状況でシスティナこんな強引に俺達を襲ってくるような相手
は赤い流星関連しかないはずだ。川に落ちた俺達が生きていること
をもう突き止めてとどめを刺しに来たのか?
くそ!たかが俺達ごときにそんなに勤勉にしなくていいだろうに。
俺は内心で愚痴りながら枕元に置いてあった閃斬と葵へと手を伸ば
して手元に引き寄せる。
﹁大丈夫です。ですが窓に⋮おそらくニードルホークだと思われる
魔物が⋮﹂
﹁ニードルホーク?﹂
確か地球の鷹を3回りくらい大きくした嘴と尾の先が尖った魔物
⋮だったか?
931
知ってれば絶対役に立つからと一応暇なときにシスティナから魔
物講座をちょいちょい受けていたけど話を聞いてるうちについつい
お触りをしてしまってそこから盛り上がってしまうので知識として
はもの凄く中途半端なものになってしまっている。
﹁はい,ただパクリット山のもっと奥地の方に行かないと見ること
の出来ない魔物なのですが⋮﹂
システィナの後ろから顔を出し窓を見ると割れたガラスのあった
桟を止まり木替わりにした地球では大型に属しそうな鳥がキィキィ
と耳障りな鳴き声を漏らしながらじっとこちらを見つめていた。
だが,あれだけ派手に突入してきた割に一向に襲いかかってくる
気配はない。
﹁襲ってこない?﹂
﹁いえ,違います。どうやら⋮私達に伝言があるみたいです﹂
そう言ってシスティナが指し示したニードルホークの足には円筒
形の筒が括り付けられていた。
﹁あの中に手紙が?﹂
﹁多分⋮おそらくろくでもないことしか書いていないと思いますが﹂
システィナのいうことは多分正しい。あれがもし赤い流星からの
伝言だとすれば向こうにしてみれば俺達に何かを譲る必要などない。
ディアゴの件はばれていないだろうが,メイザを殺したのは間違い
なく俺達だと分かっているはず。
奴らが仲間のためにどれだけ動くのかは分からないが,仮に仲間
の報復のためにどんな無理難題や法外な要求が書いてあろうと顔ば
れした上に蛍さんと桜を欠いて2人しかいない俺達には﹃受け入れ
932
る﹄か﹃逃げる﹄かしか選択肢は残っていない。
933
慟哭︵後書き︶
※ 引き続きレビューを募集しています。
934
猶予︵前書き︶
珍しく連日更新です。
若干ネタバレになるかもしれませんが,1つだけ。
先日感想でヒロインたちのネトラレを気にするご意見がありました
が,現段階ではヒロインたちに関してはそのての流れは全く考えて
いません。そちらを心配していらっしゃる方はご安心ください。逆
に期待していた方は申し訳ないです。
935
猶予
﹁システィナ,俺が取ってくるよ﹂
﹁駄目です!もし取りに行ったところを襲ってきたら﹂
﹁大丈夫。
それにシスティナ⋮今の君は本当に動きに精彩がない。顔色が悪
すぎる。もう俺は大丈夫だから自分に回復術をかけてゆっくり休ん
で。
あいつらが何を言って来たってきっとまた大変なことになると思
うからちゃんと動けるようにしておかないと﹂
﹁ご主人様⋮はい,わかりました﹂
システィナが僅かに微笑んで頷くのを見て俺も強く頷きを返す。
葵の話通りなら今のシスティナは本当にいつ気絶してもおかしくな
いくらい傷ついたままのはずだ。
本当はもっと早く俺が気づいて休ませてあげるように言わなくち
ゃダメだった。くそっ!まだまだ余裕がないな。
自省しながらゆっくりとニードルホークの方へと歩いていくがや
はりニードルホークの方は何か攻撃をしようとする気配を見せない。
よしよし,そのまま動くなよぉ。
ちょっとへっぴり腰な気はするが,こいつの嘴はマジで怖い。お
前はどうやって餌を喰うんだっていうくらい本当になんか螺旋のな
いつるつるドリル。しかもかなり径が小さい。
﹁ん?⋮⋮あれ⋮こいつどっかで最近見た気が⋮﹂
そう呟いた途端,俺の記憶が甦る。
936
﹁システィナ。この世界に魔物をテイムするスキルはある?﹂
﹁え?⋮は,はいあります。﹃調教﹄スキルや﹃隷属﹄スキル,他
にもいくつかあります﹂
おお,まさか調教以外にもテイム系のスキルがあるとは。隷属な
んかは無理矢理な感じで従えるのか?ほかにもお友達になろう系の
やつとかもありそうだ。その辺は興味あるところなんで今度詳しく
聞こう。とりあえず今必要なのは⋮
﹁じゃあ,テイムした魔物が見聞きした物をテイマーが共有するス
キルは?﹂
﹁あります。﹃同調﹄スキルや﹃感覚共有﹄などを使えば可能だっ
たはずです﹂
なるほど⋮やっぱりそういうことか。だから俺達の動きは奴らに
筒抜けだったのか。
﹁ご主人様?﹂
﹁うん,ちょっと待ってて﹂
俺はニードルホークへと無造作に近づくと足の筒から手紙を取り
出し,ニードルホークをばっさりと斬り捨てたい気持ちを無理矢理
抑えつけ,胸を軽く押すだけにとどめて追い払う。
ニードルホークはそれに特に逆らうこともなく翼を広げパクリット
山に向けて飛び去って行った。
﹁今のニードルホークはテイムされた魔物ということですか?﹂
﹁多分ね⋮そしてあの鳥を俺は領主館からの帰り道に見た﹂
﹁⋮あぁ!﹂
937
そう,領主軍が出征しないこと。俺達が深夜から夜襲に行くこと。
そんなことを話しながら歩いていた俺達をあの鳥は民家の屋根から
ずっと見ていた。
俺があの鳥が魔物だということにあの時に気が付いていれば何か
が変わったかもしれない。無知であることが危険に繋がることは何
となく知っていたが実際にこんな危地を招くとは思わなかった。
だが事が起こってしまった今はそんなことを言っても仕方がない。
﹁そういうことみたいだね。
で,取りあえずは選手交代しよう。今度はシスティナがベッドに
横になるんだ。っと言っても窓が壊れちゃったからシスティナの部
屋まで行こう﹂
力尽きそうなのか床に座り込んだままのシスティナを優しくお姫
様抱っこした俺はシスティナの部屋へと移動してシスティナをベッ
ドに降ろす。今までそんなことをしてあげた事が無かったのでシス
ティナは恐縮しながらも嬉しそうだった。
こんなに喜んでくれるなら今度はみんながいるときに全員をこう
して運んであげよう。桜は喜ぶだろうが蛍さんは喜んでくれるだろ
うか?﹃背伸びをするでないソウジロウ﹄なんて言われそうな気が
する。
﹁まずは回復術を使って自分の怪我を治しておくこと。そしたら少
し寝るといい﹂
﹁そうですね⋮はい。ご主人様の言うとおりにします﹂
﹁うん,これでシスティナまで倒れちゃったりしたら俺は本当に立
ち直れなくなる自信あるしね﹂
﹁もう,やめてください!そんな自信は﹂
﹁いや,でも本当のことだからね。だからしっかりと休んで欲しい
938
んだ﹂
﹁はい﹂
素直に頷いたシスティナの頭を優しく撫でて上げるとシスティナ
がくすぐったそうに目を細める。このまま寝かせて上げたいところ
なのだがその前に一応やって貰いたいことがある。
﹁システィナも気になっているだろうし,俺としても誰かに読んで
貰わないと文面が分からないから寝る前にこれだけ読んで貰えるか
な﹂
ニードルホークから受け取った手紙を取り出してシスティナへと
渡す。既に俺の方では一度読んでいるが俺の﹃読解﹄の能力だと文
字の裏の意味が読めてしまうので書かれている表向きの内容がわか
らない。
システィナは小さく頷いて手紙を手に取ると静かに読み進めてい
く。長い手紙ではない。すぐに読み終わるだろう。
﹁ご主人様⋮これは?﹂
思った通りすぐに手紙を読み終えたシスティナの手は不安のため
か僅かに震えている。
﹁ちょっと内容を摺り合わせようか。システィナの方で読んだ内容
を教えてくれる?﹂
﹁はい⋮手紙にはご主人様を見逃す替わりに侍祭をよこせ,と。受
け渡しは2日後の昼,ザチルの塔の更に北にある閉鎖された石切場﹂
うん,俺が読み取った内容から人に聞かせても構わない部分を抜
939
き出すとだいたいそんな感じになるかな。2日後というのがちょっ
と時間を取り過ぎな気がするが⋮それ自体は向こうの準備に必要な
時間でもあるのだろう。
﹁システィナ。申し訳ないけど俺は君を誰かに渡すつもりはない。
だから,もしもの場合は俺と一緒に殺されるかも知れない。シス
ティナが望むなら契約を解除してシスティナだけを逃がしてあげて
もいい。
でも俺はシスティナとこれからも一緒にいたいんだ。俺と一緒に
いてくれる?﹂
﹁ご主人様⋮当たり前のこと聞かないでください。私はもうあなた
だけの侍祭です。何度出ていけと言われてもあなたの傍にいます。
どんなに契約が私を縛ってもその命令だけは私の全てを賭けて何度
でも拒否してみせますから﹂
絶対服従の従属契約に命懸けで抵抗してみせるとにっこりと微笑
むシスティナがとにかく愛おしくなり思わず抱きしめていた。
﹁ありがとうシスティナ﹂
﹁頑張りましょうね,ご主人様﹂
﹁ああ⋮⋮さあ,システィナは横になって休んで。寝るまでここに
いるから﹂
﹁はい﹂
とことん名残惜しいがゆっくりとシスティナをベッドに寝かしつ
ける。
﹁システィナが寝たらちょっといろいろ準備したいことがあるから
出かけるけど夜には戻るから心配しないで﹂
940
俺がそう言うとシスティナの顔が不安に曇る。
﹁1人で無茶したりしませんよね?﹂
﹁しないしない。ちょっと街まで行って買っておきたい物とかある
からまずはウィルさんの所に行ってくる。夜までにはなるべく戻る
から一眠りして調子が良いようなら美味しいご飯をよろしく﹂
﹁はい!何かリクエストはありますか?﹂
﹁そうだなぁ⋮この前挑戦してた和風ハンバーグ。あれがまた食べ
たいかな﹂
﹁あれですね。確か食材が⋮⋮ちょっと付け合わせが足りない気が
しますが,何とかなると思います。
それでは私はしっかりと体を治して美味しい料理を作って待って
ます﹂
﹁うん,楽しみにしてる﹂
﹁そうであるならば,時間は限られてるんですから私のことは気に
せず行って下さい。赤い流星の目的が侍祭である私ならば期限まで
はもう手を出してこないでしょうし﹂
ここに来た時に初めて出会った盗賊達もそうだったが,この世界
では侍祭と契約しているというのは盗賊ですら求めるほどに本当に
大きなことらしい。確かに﹃契約﹄スキル1つだけをとってもかな
り有用過ぎるから分からなくもないか。
しかし,実際に侍祭と契約するにはどうしても侍祭本人の承諾が
必要になる。向こうが侍祭であるシスティナを求めているのなら拷
問や拉致などの強硬手段を取るのは俺達が呼び出しに応えなかった
時だろう。
﹁わかった。じゃあちょっと行ってくるよ﹂
941
俺は葵と閃斬を身に付けるとシスティナのいってらっしゃいませ
の声を背に屋敷を飛び出して街へと走り出す。一応念のために周囲
にテイムされてそうな魔物がいないかを確認するが今度はいないよ
うだ。
システィナの言う通り確かに俺達に残されている時間は少ない。
その間に出来るだけのことはしておく必要があるだろう。
942
猶予︵後書き︶
本作3つ目のレビューを頂きました!^^
ありがとうございます!!
嬉しかったのでちょっと今回の更新は連日投稿にしましたw
まだまだレビュー、感想、評価、誤字脱字の報告などなどお待ちし
ております。
943
対峙
対決の日,空はどんよりというほどでは無いが薄い雲が空全体を
覆い隠した曇り空だったが雲の向こうの太陽の位置はなんとか分か
る。敵の指定された時間は今日の昼。
普通に考えれば正午ということだろう。だが,この世界に正確な
時計などない。だから太陽の光が中空を多少過ぎた時間に出発した
としても遅いということはないはずだ。
だから俺とシスティナは準備と休息に時間をぎりぎりまで使って,
フル装備で屋敷を出た。
俺の装備は
右手に持つために左腰に﹃葵﹄。右腰に﹃閃斬﹄。
頭には魔銅製,耐衝撃付与の﹃鉢金﹄。
腕にはシシオウから押しつけられた耐衝撃,遠隔攻撃付与の﹃獅
子哮﹄。
脚には魔鋼製,敏捷補正付与の﹃脚甲﹄。
胴には魔鋼製,耐魔付与の﹃鎖帷子﹄
後は帷子の上から皮のコートを羽織っているのと,バスターソー
ドから創ってもらった重結の腕輪が両手両足に装備されている。
自慢する訳ではないが装備面はかなりのものだと自負している。
装備品の力を自分の力だと勘違いさえしなければ足りない実力を装
備で補うのは当然で誰に文句を言われる筋合いはない。命は1つし
かないんだから見栄や意地で死んでしまったら元も子もないしね。
俺の隣を歩くシスティナの装備は
武器は両手持ち武器である槍,斧,槌兼用,魔鋼製,魔力増幅+
944
付与の﹃魔断﹄。
頭は俺と同じく魔銅製,耐衝撃付与の﹃鉢金﹄。
腕は魔鋼製,魔力対応型耐魔付与の﹃盾手甲﹄。
足も俺と同じく魔鋼製,敏捷補正付与の﹃脚甲﹄。
そして胴は魔鋼製,耐魔付与の﹃胸甲﹄に加えて﹃耐水のブラ﹄。
更に領主から追加報酬で貰ったローブを耐水のブラと胸甲の間に着
ている。
これは簡易鑑定したら﹃水龍の鱗衣﹄と言うらしくなんとランク
はAだった。実はこのローブは水龍レイクロードドラゴンの鱗をロ
ーブの生地の間にふんだんに仕込んであるらしく,水に対する適性
が信じられないくらい高い。
鱗に魔力を通せば水中をかなり自由に動けるのはもちろん,僅か
な間なら体表に薄い膜を張って呼吸も補助してくれる。そしてもち
ろん龍の鱗だけあって普通に防御力が高いというチート装備だった。
もちろんそんな効果はシスティナは知らなかったらしいのだが回
復術の魔力を纏わせていたために偶然その効果が発動し,そのお陰
で俺とシスティナは無事に屋敷まで流れ着けたらしい。
そんな鱗を持つ水龍レイクロードドラゴンは基本的に棲処の水底
から出てくることはないようだが稀に現れたとしても水場付近では
ほぼ無敵で人の力でどうこう出来るような魔物ではないと言われて
いる。
では何故そんな水龍の鱗を使った装備があるのか⋮⋮それは塔の
階層主として上層でたまにポップすることがあるかららしい。だが
水中では無敵の水龍も周囲に水が無い状態ではポップと同時に自重
に耐え切れずまともに身動きが取れなくなってしまいろくな反撃も
出来ずにサンドバック状態でほぼノーリスクで簡単に鱗を剥げると
いう冗談みたいなオチがある。
945
だが本来,塔の中の魔物は死ぬとすぐに塔に吸収されてしまうの
でドロップ品は魔石だけというのが原則でありいくら鱗を剥いで持
っていても水龍を倒した時点で消えてしまう。
しかし,塔の魔物の素材は魔物が死ぬ前に塔外へ持ち出して本体
との繋がりを切ってしまうことでドロップとして入手が出来るとい
う裏技があるらしい。
普通は魔物一匹分の素材を確保するためだけにいちいち外に出た
りはしないし,魔石と素材を天秤にかけたら魔石の方が嵩張らない
し実入りも良いのでそんな裏技を使う必要はないのだが,稀に出る
高額素材魔物と遭遇した時は素材の採取を狙うこともあるそうだ。
もっとも魔物を生け捕り状態にしたまま殺さないように素材採取
するか,引き摺って行って一緒に塔外に出なくてはいけないのでよ
ほどの実力がないと難しい上に魔物を外に連れ出すのはどこの塔で
も禁止されているようだ。
手負いの魔物を外に連れ出してまかり間違って逃げ出されれば大
惨事になる可能性があるので当然だろう。 っと大分話がそれてしまったが,ようは俺が言いたかったのは最
終的に俺達は戦いも辞さないつもりで更に決して負けるつもりはな
いということである。
﹁システィナ,どのくらいまで時間の猶予があると思う﹂
俺はことさらにゆっくりと歩きながら隣にいるシスティナに聞い
てみる。システィナはそうですねと呟きながら周囲と空を見た。
﹁どうやら屋敷を出たところから監視されてるようですので,方向
さえそれなければそれなりにゆっくり行っても問題はないかと思い
ます﹂
946
システィナの視線の先には空を旋回している一羽の鳥影。
﹁なるほどね⋮じゃあ牛歩戦術といきますか﹂
﹁牛歩戦術?⋮⋮なるほど。牛という生き物の歩みが遅いことに例
えてるのですね﹂
﹁そうだね。もしくは巌流島に向かう宮本武蔵?﹂
﹁⋮⋮日本の剣豪ですか。あ,この方も二刀流だったのですね﹂
﹁はは,ほんとに凄いな。システィナの叡智の書庫は。地球の話題
を出しても即座に反応してくれるから気を使わなくていいし,なん
だかほっとするよ﹂
﹁ふふ,遠慮なくお話ししてください。私もいろいろなことを調べ
るきっかけになって楽しいですから。
でも,他の方のいるところでうっかり地球の話をして不審がられ
ないようにしてくださいね﹂
屋敷の中以外で話すときはなるべくこっちの世界で通じない言葉
は使わないようにしているので僅かだけどストレスがある。あんま
り屋敷でストレスのない会話に慣れてしまうと外でぼろが出そうで
怖い。
目的地はフレスベルク北にあるザチルの塔の更に北である。いつ
もなら回り道になるが街に寄り,冒険者ギルドに寄ってそこから北
に向かって塔に行くが今回は屋敷から街を経由せずに直接ザチルの
塔方面へ向かっている。
と言っても塔に行く訳ではないので山沿いに北上する。廃棄され
た石切り場もパクリット山の一部だからね。
互いに緊張をほぐすようにシスティナと他愛もない雑談をしなが
らゆっくりと歩いていたがそれでも目的地にはいつか着いてしまう。
947
見えてきたのはまさに岩場と言った感じの場所だった。そこら中
に大小さまざまな石が転がり草木は全く生えていない。そして入り
江のように切りだされた石切りの跡地はなんと言うかとても見覚え
のある景色だった。
なんだったかな⋮⋮あぁ,あれだ。某仮面ラ○ダーとかでよく出
てくるような特撮の現場。あんな感じだった。
主人公の周りが高くなっていてその上から悪役がガハハハと主人
公を見下ろす。みたいな?まさにあれだった。このまま行けば怪人
が出て来て更に周りをショ○カーがヒー!だのキー!だの言いなが
ら出てくるのだが,今回は赤い流星幹部が出て来て,下っ端構成員
が現れるのだろう。
おそらくは交渉決裂と同時に周囲の高いところから一方的かつ一
斉に弓や魔法で攻撃をしてくるのだろう。イチかバチかの特攻すら
許されない不親切地形だな。
﹁ふん,やっと来たか⋮﹂
そんなことを考えていた俺に正面の高台に左肩にニードルホーク
をととまらせた灰色のローブを来た痩せぎすの男が現れる。
この男があのニードルホークを使役しているらしい。魔物を撫で
る右手の甲に流星の刺青があるのが見えるところ見ると幹部の1人
だろう。シシオウ情報によればシャアズは万能型の超人,シャドゥ
ラは魔法が得意なインテリ,パジオンは頭は良いが不気味というな
んとも扱いづらい情報だけは聞いていたが⋮⋮
それに照らし合わせればあいつが策士パジオンだろう。
﹁システィナ,頼むよ。無理なく出来る範囲でいいから⋮﹂
﹁はい。私も信じていますから﹂
948
俺の小声での依頼にシスティナは力強く頷く。
﹁じゃあまずは俺からかな﹂
俺は一歩前に出るとパジオンらしき男に答える。
﹁まだフレスベルクに来て長くない。仕方ないだろう﹂
﹁ふん!とてもそうは見えなかったがな。まあいい,さっさと話を
終わらせるとしよう﹂
口元にいやらしい笑みを浮かべたパジオンが手を上げる。
同時に俺達を囲む高台の上に盗賊達がずらりと姿を現し,それぞ
れが弓を構えて俺達に狙いを定める。ざっと確認した限り,100
人近い数がいるのでおそらくこれが赤い流星の残存兵力の全てだろ
う。たかが2人に全兵力を向けるとは考えづらいのでもしかしたら
ここで侍祭を手に入れたらまた違う場所へ移動するつもりなのかも
しれない。
﹁手紙で伝えたとおりだ。命は助けてやる,お前の侍祭をよこせ﹂
949
対峙︵後書き︶
※ 引き続きレビューを募集しています。評価、ブクマ、感想も作
者の栄養分になりますのでよろしくお願いいたします。
950
命乞い
﹁よこせと言われても侍祭はそう簡単に渡せるものではないと思う
のですが?﹂
一方的にシスティナを要求するパジオンにひとまずやんわりと拒
絶の意を伝えてみる。
﹁ほう,この状況でまだそんなことを言えるとはなかなか肝が座っ
ているな。曲がりなりにも侍祭と契約していることだけのことはあ
る。
だが,利口ではなさそうだな﹂
﹁どういうことでしょう?﹂
﹁我らが知らないとでも思っているのか?﹂
目を細め眼光を強くするパジオン。さて,一体何を知っているの
か⋮一応確実にばれているだろうと思われるのはメイザ一党の殺害
だろう。
ディアゴ一党の壊滅についてはばれているのだろうか?
﹁お前達は既に我が団の同志達を70名以上殺害している。しかも,
そのうちの1人は頭領の妹だ。それだけでお前を八つ裂きにする理
由は充分なのだが?﹂
コロニ村で約30名,塔で20名前後とディアゴ,屋敷で20名
前後とメイザ,囮のアジトで20名前後⋮実際には90∼100名
近い盗賊を討伐しているのだがやはり塔での件についてはまだ犯人
が特定出来ていない。というか塔では死体が吸収されてしまうので
951
ディアゴとその部下達が壊滅したことすらまだ知れていない可能性
もある。
だが,それよりもなによりも⋮
﹁それはお互い様でしょう。あなた方も私の大事な仲間であり,最
愛の妻でもある女性を2人も岩の下敷きにしたのですから﹂
﹁馬鹿を言うな。こっちは70名強だぞ全体のほぼ半数近くをおま
えらが殺したんだ。
まあ,お前らも4人の内の2人だからな。ある意味確かに互いに
半数でお互い様とも言えなくもないが?﹂
ふざけんな!蛍さんや桜があんなクズ共と同列なものか!あいつ
らのようなゴミクズ共が70が100,200だろうと蛍さんの爪
の垢ほどの価値もない!
一気に沸点に達したどす黒い怒りのあまりに思わず刀に手をかけ
そうになった俺の袖をシスティナが引いてくれる。もしその動きが
あと一瞬遅ければ俺は1人で無謀な特攻を仕掛けていただろう。
システィナに心の中でお礼を言うと心を落ち着かせるべくゆっく
りと息を繰り返して頭を冷やす。
﹁⋮侍祭の力は契約者があってこそ,その命令には基本的に絶対服
従というのは知っていますか?﹂
﹁もちろん知っている﹂
実際には契約には3種類あり絶対服従までを強いられるのは﹃従
属契約﹄だけなのだがそこまで細かいことはあまり知られていない
らしい。
侍祭の力が契約者ありきなのは間違ってないし,従属契約以外で
も侍祭はあまり契約者に逆らうことはないから世間一般にはそう知
られているだけだ。
952
﹁システィナ﹃命令﹄だ。俺が傷つけられたり殺されたら即自害し
ろ﹂
﹁はい。承知しました﹂
﹁な!貴様!何をしている!﹂
パジオンが焦ったように身を乗り出す。どうせならそのまま落ち
てくれればいいのに。
﹁素直に侍祭を渡しても俺の身の安全が保証されないのでは意味が
ない。俺はお前たちに大事な物を奪われた。残るのはここにいる侍
祭だけだ。
だがまあ,それさえも自分の命と天秤にかければ比べるまでもな
い。だから侍祭を渡すこと自体はもう仕方がない。だがそれで確実
に俺が生き残れるという状況になりそれを俺が納得できない限り侍
祭との契約は解除しない﹂
﹁くっ!﹂
正直この辺は賭けの要素が強い。俺はあいつらが侍祭を手に入れ
ることにかなり執着していると思っている。その執着の度合いが強
ければ強いほど今の﹃命令﹄によってシスティナは俺の盾としての
強度を増す。
だが,強気に出過ぎてあいつらの執着の範囲を僅かでも超えたら
システィナもろとも総攻撃を受けて殺されるだろう。もちろんそう
なったところで簡単にやられるつもりはないが。
﹁シャアズ様。どういたしましょう?﹂
パジオンが悔し気な呻き声を漏らし背後を振り返る。ここからは
角度的に見えないがそこに大盗賊団赤い流星の頭領であるシャアズ
953
がいるのだろう。
﹁もう,いいのではないでしょうか兄上。もともと我々は侍祭など
いなくともやって来たではないですか﹂
﹁シャドゥラ様。お言葉ですがこれは好機なのです。侍祭の能力は
シャアズ様の安全を格段に跳ね上げます。侍祭付きだと言うだけで
盗賊という身分にあってすら簡単に処分出来なくなりますし,侍祭
は契約者を盲目的に守ります。
あれだけ大がかりに仕掛けた我々の罠にかかり崖下に落ちたあの
2人が今,ここにいること。それがその証明です。更に侍祭の﹃契
約﹄技能を我々が手に入れれば今後は安定した収入を得られるでし
ょう﹂
﹁あなたが熱弁していた技能ですか﹂
﹁はい,この技能を使えば契約で縛った絶対に裏切らない配下をい
くらでも加えられます。言うことを聞かない迷惑な雑兵をわざわざ
あの手この手で囮にして間引く手間も無くなります。
食料問題で不満が出ることもなくなるでしょうし,今まで連れ歩
けなかった女を携帯することも可能です﹂
﹁確かにそれが事実ならばありがたい能力ですが,我々にはあまり
時間がないのですよ。あなたの情報では領主軍は動かないとのこと
ですが絶対ではないでしょう?
今回はあいつらのおかげでいい具合に間引きが出来たのでフレス
ベルクを攻める必要もなくなったのでさっさと次の目的地に移動し
たいんですよ。教団との約束もありますから﹂
うわぁ,さすがに下衆いなぁ。漏れ聞こえてくるパジオンとシャ
ドゥラの会話は胸糞悪くなるものばかりだ。教団がどうとか怪しす
ぎるしな。
それにしてもあれだけ離れたところで話している奴らの会話をこ
れだけクリアに聞き取れるならこの方法はかなり使える。
954
相手が何を考えているのかが分かっていれば交渉を思い通りに進
めやすいからと思いついた方法を試してみたけどうまくいって良か
った。当然この会話は後ろのシスティナにも聞こえてるはずで最終
的な交渉はシスティナに任せる予定になっている。
盗み聞きした奴らの狙いはやっぱり侍祭の契約スキルか。確かに
契約スキルがあれば絶対服従を誓わせて配下を増やすことが出来る
ため裏切りやスパイ的な潜入を気にする必要がなくなる。それに絶
対服従だから食料などの待遇についてもいちいち不満が出ることも
無い。
女性の捕虜についても同じだ。今までは連れて行ってもすぐ壊れ
て処分に困ったり,自棄になって暴れられたり,隙を見て逃亡され
たりといったことがあったのではないだろうか。
そうなると本拠を定めず常に移動が前提にある赤い流星では面倒
ごとが増えるだけで連れ歩けなかったのだろうが契約スキルがあれ
ばその辺の行動も縛れる。
奴らは言ってなかったが,領主軍のような部隊が制圧に来ても契
約スキルで縛って嘘の報告をあげさせるとか,能力が高い人材を無
理やり配下に加えるとか,それこそ領主本人を操り人形に仕立てる
とかもやりようによっては出来るだろう。
そんな危険なスキル故に侍祭になり契約スキルを得るためには侍
祭本人の資質が最も重要視されるとのことである。簡単に悪人と契
約したり,契約スキルを悪用するような人物では困るからだ。
その辺りの選別方法は部外秘らしく詳しく教えてはくれなかった
が侍祭になる際にはいろいろな試練があり,それを乗り越えた上に
さらに重い誓約をしなくては侍祭にはなれないようなので侍祭の数
自体がかなり少ない。契約自体も侍祭本人が慎重に見極めて決める
為に生涯契約をしない侍祭というのも珍しくはないそうだ。
955
今回の場合,話の流れからいって侍祭を欲しいと本当に思ってい
るのは頭脳労働がメインの策士パジオンのようだ。少なくともシャ
ドゥラの方はそこまで侍祭に執着していない。
問題は頭領のシャアズがどうなのかなのだが会話に参加している
気配がない。無口なのか?
それに手応えがないとは思っていたがやはり俺達が倒してきた盗
賊達の半数くらいは奴らの間引きだったらしい。赤い流星は多分今
までもそうして拡大と縮小を繰り返し,団全体としての質を上げて
来たのだろう。
フレスベルク侵攻も本来の目的は間引き⋮⋮おそらく雑兵を好き
勝手に街で暴れさせている間に持ち去れるだけの物資を持ち去り,
欲に駆られて逃げ遅れた雑兵を置き去りにして領主軍や冒険者・探
索者に討伐させてしまおうという計画か。
ということは逆に今残っていて上から俺達を狙っている盗賊達は
赤い流星のそんな過酷な選別を生き残り続けている精鋭ということ
になる訳だ。
確かにここに姿を見せてからも奴らは指示があるまで決して無駄
な動きをしない。抜け駆けをするようなやつも不満を叫ぶやつもい
ない。雑魚まで練度が高いとなると正直ちょっと厄介かもしれない。
﹁わかりました,ではこうしましょう。一応奴の要望だけを聞きま
す。受け入れられる範囲であれば受け入れて契約をしたあと刺客を
送るなりして処分するようにします。
要望がどうしても受け入れられぬ場合はやむを得ませんので2人
とも処分して移動を開始しましょう﹂
﹁兄上,確かにそれなら許容範囲かと﹂
956
﹁好きにしろ﹂
﹁はい﹂
どうやら話が纏まったらしい。パジオンが再びこちらを見下ろし
てくる。
﹁お前の要望を言ってみろ﹂
さて,どうしようか。俺の方で引き延ばせるのはこの回答までだ
が⋮
﹁俺が欲しいのは今後の身の安全だ。だから俺が侍祭との契約を解
除する条件は
︻侍祭引渡後は金輪際赤い流星,もしくは赤い流星から依頼を受け
た者から俺自身及び俺の財産への接触,または危害が一切加えられ
ないこと︼
これだけだ﹂
﹁ち,シャアズ様﹂
パジオンは俺の要求に小さく舌打ちすると振り返ってシャアズの
意向を確認しているようだがすぐに頷きを返してこちらに向き直る。
﹁いいだろう。お前の要求を飲んでやる。もともとそういう話だっ
たからな﹂
よく言うな。最初から最終的に殺すのは確定だったくせに。いず
れにせよ俺が出来るのはここまでか。
﹁⋮分かった。じゃあ侍祭との契約を解除する﹂
957
俺は1つ大きな溜息をつくと振り返ってシスティナと目を合わせ
僅かに頷き合う。
﹁ごめんシスティナ。俺はまだ死にたくないんだ⋮契約を解除しよ
う﹂
﹁⋮はい。仕方ありません。ソウジロウ様を死なせる訳にはいきま
せんから﹂
・・・
悲しげに目を伏せたシスティナは無理矢理に作った笑顔のまま呪
文を唱えて俺達の間に薄黄色で半透明の契約書を宙に呼び出した。
初めてこの世界に来た日にシスティナから見せられたものと同じ
だ。最下部の署名欄には俺の署名があるし,俺が改竄した跡もある。
﹁それでは私と同じように繰り返して宣言してください﹂
﹃侍祭システィナは契約者富士宮総司狼と契約を解除する﹄
﹃富士宮総司狼は侍祭システィナと契約を解除する﹄
ひび
俺達の宣言が為されたと同時に薄黄色の契約書全体にビキビキビ
キと罅が入り,次の瞬間砕け散った。
958
システィナの交渉︵前書き︶
なんとか間に合ったので連日投稿です。赤い流星編,大分長くなっ
てしまいましたがもうしばしお付き合いください。
959
システィナの交渉
・・・・
砕け散った契約書のの破片が俺とシスティナの間をキラキラと舞
っている。俺達2人の絆はこの契約だけではないと分かってはいる
が今俺が感じている喪失感は蛍さん達が岩陰に消えていった時に近
いものがある。
くそっ!盗賊共め俺にまたこんな思いをさせやがって許せん。
﹁よし。では侍祭はこちらへ来い。今度はシャアズ様と契約をする
のだ﹂
﹁お断りします﹂
﹁な!⋮⋮ふ,ふざけるな!先ほどお前の元契約者と約定をかわし
たのを聞いていなかったのか!﹂
盗賊団の下へと行くのを即決で断ったシスティナにパジオンのこ
めかみがひくついているがシスティナは涼しい顔である。
﹁いえ,ちゃんと聞いていました﹂
﹁ならば,こちらへ来て早く契約をしろ!﹂
﹁お断りします﹂
﹁く⋮そんなことが通ると思うなよ。お前達の命は今シャアズ様が
握っていることを忘れるな﹂
﹁そちらこそよく思い出して下さい。私の契約者だった方があなた
達とかわした約定は私と契約を解除する代わりに契約者だった方の
命と財産に手を出さないことです﹂
﹁む⋮﹂
そう,俺はシスティナと契約を解除するとは言ったがシスティナ
960
と盗賊達が契約することまでを約束していた訳ではない。
もし,パジオン達がシスティナと契約したいのであれば契約をす
る権利が侍祭であるシスティナにしか無い以上,今度はシスティナ
と交渉が必要になってくるのは当然だろう。
﹁くそ!無駄な足掻きを!
⋮侍祭よ,そうは言ってもこの場から誰とも契約せずに立ち去れ
るとは思ってはいまい。そんなことを認めるくらいならお前の元の
契約者もろとも殺すだけだぞ﹂
﹁そうですね⋮そこまでは私も考えてはいません。
確かに現状を考えれば命を惜しめば契約すること自体は避けられ
ないと私も思っています。ですが意に沿わぬ契約を強いられる以上
はある程度の契約条件を提示させて頂ければ⋮と﹂
﹁そんな条件を付けられるような状況だと思っているのか?﹂
パジオンの雰囲気が変わる。やばい,ちょっと強く行き過ぎたか?
手にじんわりと滲む汗をこっそりとコートで拭いながら唾を飲む。
だが,交渉をしているシスティナはまだ焦っている素振りはない。
交渉術を持つシスティナにはこのくらいはまだまだ想定内というこ
とだろうか。
﹁思っています。私達の能力はそれだけの価値があると思っていま
すから﹂
﹁よかろう。ものによってはシャアズ様にとりなしてやる。言って
みろ﹂
ん?今なんか急にパジオンの態度が軟化しなかったか⋮⋮あ!そ
うかシスティナが﹃交渉術﹄スキルを使ってパジオンが今脳裏に描
いた最大許容範囲を無理やり引き出したのか。
961
﹁ではまずは報酬です。
10日ごとに金貨10枚ではいかがでしょうか?﹂
﹁なんだと?﹂
おお⋮ふっかけるなシスティナ。金貨10枚ということは大金貨
1枚,10万マールだ。日本円換算で約100万円つまり日当10
万円だ。侍祭の能力を考えれば安いくらいかもしれないがそうやす
やすと出せる額ではないだろう。
﹁ふざけるな!そんな額を10日ごとに出せる訳がない。せいぜい
10日で金貨1枚がいいところだ﹂
﹁わかりました。では報酬はそれで構いません。減額分は待遇で手
当してもらいますから﹂
日本の感覚で言えば10日で金貨1枚は日当1万円だから妥当と
言えば妥当だが,盗賊団相手に要求するには過分な額な気がする。
おそらくシスティナは交渉術スキルをがんがん使って好待遇を引き
だそうとしているらしい。
そうすることで交渉を長引かせつつ,独断でシスティナに好待遇
を与え続けるパジオンに周囲から不審の目を向けさせるつもりだろ
うか。本人に全くそうと気づかせずただ交渉しているだけで周囲に
敵を作っていく。なんとも恐ろしい交渉もあったものだ。これはシ
スティナもかなり怒っているということだろう。
﹁では次に盗賊団の中における私の地位ですが⋮﹂
962
それから延々とシスティナの要求は続いた。
システィナが好待遇をふっかける。パジオンがキレる。システィ
ナが交渉術スキルを発動。パジオンが妥協案を提案。システィナが
了承。次の好待遇をふっかける。
この流れが繰り返されたのである。これによりシスティナの待遇
はかなり凄いものになっている。
日当1万円,性奉仕というかシスティナに触れることが出来るの
は契約者であるシャアズのみ,10日に一度完全休養日あり,別途
生理休暇の権利,配下への限定的指揮権⋮⋮などなど。
思わず笑ってしまうような条件だがこれだけをみればうちにいる
よりも待遇が良いような気もするから不思議である。
﹁待ちなさい!パジオン!
あなたは何をしているのですか?今まで交渉ごとは全てあなたが
任せろというから任せてきました。その結果,確かに文句の付けよ
うのない成果を出してきたのも事実です。
だからここまで黙って見ていましたがさすがにこれはないですよ。
いくら侍祭だとはいえそこまで妥協した条件を飲まされたら組織内
に不満が出ます。
それにどれだけ時間をかけて交渉しているのですか。見なさい周
りを。配下達も集中が切れて弛緩してきています﹂
﹁え?⋮⋮あれ?なんで?﹂
このままだらだらとシスティナの権利が拡張されていくかと思わ
れた時パジオンの肩を後ろから乱暴に引く男が視界に入る。
この男が団の幹部でシャアズの弟の1人シャドゥラだろう。黒い
963
ローブを身に纏いその上から軽鎧を着込んだやはり細身の男だ。デ
ィアゴ改めシシオウの情報だと団で一番の魔法使いらしい。得意属
性は確か火属性だったか。
﹁しっかりしてくださいパジオン。頭脳労働があなたの役目でしょ
う﹂
﹁いや⋮わかっている。わかっているからしっかりと交渉していた
つもりだったのだがいつの間にこんな内容に⋮﹂
﹁わからないのですか?自分がしていた交渉が﹂
﹁⋮⋮わかる。確かに私はそれらの各種条件を飲んだ。はっきりと
覚えている。だが⋮どうしてそんな判断をしたかがわからない。そ
んなにいくつもの条件を飲んでやる必要は無かったはずだ﹂
それはそうだろう。交渉内容全体としてみれば圧倒的優位にある
はずの赤い流星がここまで条件を譲る必要なんてない。
だが,システィナはわざと交渉する内容を細分化することでその
項目ごとに交渉に持ち込みそれぞれにおいてパジオンから最大の譲
歩を交渉術スキルで引き出した。だから1つ1つの条件で見れば妥
当な判断だったが,積み重なると優遇し過ぎという事になる。
これは次から次へと新しい項目の交渉を持ちだしパジオンに交渉
全体を考えさせなかったシスティナのファインプレイだろう。
普通は条件を提示されれば即決することなどなく,それについて
ゆっくりと考えて条件の上下の交渉をしたり,場合によっては代案
を出したりして全体としてのバランスを調整するものなのだが,交
渉術スキルを使われると思考する時間を奪われていきなり結論を出
すことになるので目の前の交渉についてしか考えられなくなるらし
い。
﹁くっくっく⋮面白れぇ。
小賢しいだけが取り柄のパジオンをこうも手玉に取るとはな﹂
964
﹁シャアズ様!﹂
﹁ああ,いい,いい。お前よりあの侍祭の方が交渉に関しちゃ何枚
も上だっただけのことだ﹂
﹁く⋮﹂
パジオンの後ろから現れた人影,あれこそが団員200名を超え
ることもある盗賊団﹃赤い流星﹄の頭領シャアズ。
短く刈り込んだ金髪と整った顔立ち,メイザが既に30歳を超え
ていたことを考えると長兄のシャアズはもう40近くてもおかしく
ないはず。それなのに年齢を感じさせない精気に満ちているように
見る。
金髪にイケメンという条件にも関わらずどちらかと言えば鍛え抜
かれたマッチョな肉体には防具らしきものは装備されておらず普通
に普段着のような服装で武器だけは大剣を背負っている。
そして,存在感と威圧感が半端無い。その威圧はこれだけ離れて
いるのに思わず腰が引けそうになるレベルである。
︵ご主人様⋮あの人には多分交渉は通じません︶
︵うん,わかる。あれは人の話を聞くようなタイプじゃない︶
俺とシスティナはシャアズからは目を離さずに口元だけの囁きで
だけで会話をする。高台の上の盗賊達の会話を盗み聞きしていたの
と同じ方法を使えばこれくらいは容易い。
︵このままあの人が交渉の矢面に立つようなら時間稼ぎもここまで
です︶
︵それはしょうがない。むしろこの不利な状況でこんなに時間を稼
いでくれてありがとうシスティナ︶
︵いえ,ご主人様がいろいろ布石を打っておいてくれたおかげです。
965
⋮⋮ですがまだ︶
︵それは仕方ないよ。もともと賭けみたいなものだしね。でも俺達
はその賭けに勝つことを信じて出来るだけのことをした。そしてこ
れからも最後の瞬間まで絶対に諦めないで戦う。それでいい︶
︵はい︶
︵葵も頼むな。今回は大分負担をかけちゃうことになるかも知れな
いけど︶
﹃構いませんわ。むしろやっと主殿のために働けると思うと嬉しい
くらいですわ﹄
俺の仲間達はいつも頼もしい。だからついつい頼ってしまうのだ
がいつかはみんなに頼られる男になりたいものである。
まあ,そんな希望もこの窮地を乗り切れたらの話なんだけどな。
﹁パジオン。お前が俺に侍祭をつけてくれようとしてくれている気
持ちはありがてぇ。
あんなイカしてキレる女ならさっきまでのお前の条件を丸呑みし
たっていいくらいだぜ。だが,あの女は無理だ﹂
﹁ど,どうしてですか!この状況です。死にたくなければあの男の
ように最後は我々に屈するしかないはずです!﹂
﹁そもそもそこが違う。あの眼を見てみろよ。あいつは大事なもの
を引き替えに命乞いをしてなお生きながらえることを良しとする男
じゃねぇよ。
んで,そんな男を契約者に選んでいた侍祭が俺達のような悪党に
屈するわきゃねぇ﹂
﹁ですが兄上,あいつは確かに命乞いをし侍祭との契約を破棄しま
したが?﹂
﹁こまけぇことまでは俺には分からねぇよ!だが今まであいつらが
してきたことは全て茶番だ。俺達に屈すると見せかけてうつむきな
がらその影で刃を研ぎ澄ましてやがる﹂
966
俺達の企みを直感めいたもので次々と看破していくシャアズの顔
はもの凄く楽しそうである。だが⋮⋮その笑顔の下が怖い。登場し
たときよりも威圧感,殺気のようなものがどんどん強くなってきて
いる気がする。
﹁もし,そうだとしても!周囲を囲まれたこの状況でたった2人で
何が出来ると⋮﹂
﹁さあな。だが,あいつらはどうやら少しでも時間を稼ぎたかった
らしいな。罠でも発動すんのか,援軍でも来るのか,天変地異でも
起こるんだが分からねぇがな﹂
﹁時間稼ぎ?⋮⋮なるほど。確かに思い当たります。シャアズ様の
見解ではあの侍祭はシャアズ様と契約はしないのですね﹂
﹁ああ,しねぇな。あいつはあの男以外と契約をするくらいなら死
を選ぶだろうよ﹂
﹁わかりました。ではこれ以上あいつらに時間を稼がせてやる訳に
は行きません。号令をお願いします﹂
くっ,シャアズが出てきただけであっという間に俺達が薄氷を踏
む思いで作ってきた時間稼ぎの流れがいとも簡単にぶち切られてし
まった。
﹁システィナ!﹂
﹁はい!﹂
俺は閃斬を抜き,葵を手に取って防御の構えを取り,システィナ
も槍先を下にして持っていた魔断をくるりと回して持ち替える。
﹁ふん。どうせこうなることも想定済みなんだろ?見せてみろよ!
抗う姿を!俺が気に入ったら俺自らお前らを殺してやるぜ!﹂
967
シャアズは獰猛な笑いを浮かべながら右手を挙げる。
その動作1つで弛緩し始めていた盗賊達が1人残らず緊張感を取
り戻して見事なくらい整った動きで俺達へ向かって弓を構えた。
﹁さあ,凌いで見せろ! ってぇぇぇ!﹂
シャアズの右手が振り下ろされると同時に ザァァァ! という
音と共に空が矢で埋め尽くされる。たかだが100本程度の矢でそ
んなことはあり得ない筈なのだが全員がそれなりの精度で俺達をし
っかり狙っていたため集約率が凄いということなのか,はたまた俺
の脳が大量の矢の威圧感に勝手に脳内補正をしているためなのだろ
うか。
ていうか怖ぇぇぇ!!よおおおおおぉ!
だがここを踏ん張れなきゃ俺達はここで終わってしまう。ここで
切り札を切るしかない。
﹁葵!頼む!﹂
﹃承知致しましたわ!いまこそ私の見せ場!行きますわよ!!︻擬
人化︼!﹄
968
システィナの交渉︵後書き︶
とうとう葵さん擬人化です^^
各種能力やソウジロウが打っていた布石などは次話以降明らかにし
ていきます。
※ 引き続きレビューを募集しています。感想、評価、誤字脱字報
告もあればよろしくお願いします。
969
葵︵前書き︶
前回の投稿話で初めて一日のPVが1万を超えました。ありがとう
ございました。
ユニークも10万を超え,累計PVもまもなく70万になります。
この話を読んで下さっている読者の方の期待を裏切らないようこれ
からも頑張ります。
970
葵
葵の宣言に合わせて鞘付きのまま手に持っていた葵を離す。
次の瞬間,俺の目の前には雅な着物を着た艶っぽい女性が白く滑
らかなうなじを見せて立っていた。
﹁葵!﹂
﹁承知ですわ!﹃風術:天蓋風﹄﹂
葵が放ったのは魔力。属性は風。葵によって巻き起こされた風の
奔流は俺達を包み込むようにドーム型に展開される。
その強い奔流を俺達の頭上に降り注いでいた無数の矢は貫けずに
全てあさっての方向へと逸れていった。それを見てようやく緊張感
から解放された俺は大きく息を漏らすと目の前のうなじ美人に声を
かける。
﹁助かったよ葵。変にもったいぶって﹃いざという時の見せ場まで
は擬人化しませんわ﹄とか言われた時には本当にぶっつけで大丈夫
かどうか不安だったんだけど⋮﹂
﹁主殿⋮﹂
俺に背を向けていた葵がゆっくりと振り返る。
ああ,葵も無事に綺麗な女性で良かった。蛍さんのような着流し
ではなく柄の綺麗な着物を上品に着こなし,アップにまとめた長い
黒髪を何本かのかんざしで留めている。
でも,やっぱり胸元は広く肩が半分はだけているのでなんという
971
かテレビで見た花魁のような感じだ。もちろん花魁のように幾重に
も着物を重ね着しているわけではなさそうだが切れ長の目と赤く塗
られた唇そして艶っぽい雰囲気。文句なしの美人だった。
その美人がしずしずと俺に近づいてくると静かに俺を抱きしめた。
なんだかとってもデジャヴである。そう言えば蛍さんも初めて擬
人化したときは俺のこと抱きしめてくれたっけ。
﹁やっと⋮やっと主殿に触れることが出来ましたわ﹂
﹁うん,待たせてごめん。しかもこんな状況で⋮﹂
﹁構いませんわ。長いこと戦から遠ざかっていたとはいえ私も刀の
端くれです。必ずこの戦の勝利を主殿に捧げて見せますわ﹂
﹁ありがとう葵。頼りにしてる﹂
葵は嬉しそうに微笑んで頷くと再び術の制御に戻る。そろそろ盗
賊達が俺達に射かけた矢がどうなったのかを確認するために様子を
見ようとするはずだ。
それにしても心配はあまりしてなかったけど本当にうまくいって
良かった。今回のこのピンチを切り抜けるにあたって準備した切り
札の1つが目の前にいる葵。その擬人化だった。
桜が擬人化した時もそうだったが刀が持つスキルは装備者である
俺に対してもある程度フィードバックされるがその真価が発揮され
るのは擬人化して刀娘自身がスキルを使う時だ。
ならば俺達の戦力を上げるために葵の能力を十全に発揮させるよ
うとすれば葵の擬人化がどうしても必要だった。その為にはランク
C+だった葵を少なくとも桜が擬人化を覚えたランクBまではラン
クアップさせる必要があった。
だから俺はシスティナを休ませたあの後,街まで走りウィルさん
972
経由でなるべく大型の魔石を金に糸目を付けずに買い漁った。しか
も葵のスキル構成を考えてあらゆる属性の魔石をである。
大型の魔石を求めたのは﹃添加錬成﹄時の魔力消費が魔石の大き
さや質量が増えるよりも個数が増える方が激しいためである。とに
かく時間が無かった俺は魔力枯渇で錬成出来なくなる危険を回避す
るためになるべく大きな属性魔石を求め,さらに高価な魔力回復系
の薬を湯水のように使いながら葵を錬成した。その結果⋮
葵︵日光助真︶ ランク:B+
錬成値 0
吸精値 0
技能:
共感
意思疎通
擬人化
威圧
高飛車
魔力操作
適性︵闇・火・水・土・風・光︶
派生︵雷・氷︶
特殊技能:
唯我独尊
葵さんのランクはB+まであがり,無事に擬人化を覚えて更に俺
の思惑通り魔力操作の適性に属性を増やすことに成功したのである。
ほぼ手持ちの現金を全て使い切って買い集めた魔石を使ってラン
クをBに上げたのにその時点で擬人化を覚えなかった時は一瞬肝が
冷えたが残りの魔石と家で使っていた生活用の魔石を全部使いきる
973
ことでぎりぎりB+にランクアップして擬人化を覚えてくれた時は
本当に安心した。
お金は無くなったしウィルさんやベイス商会にはかなり無理を言
ってしまったのでまた借りが出来てしまった。全てが片付いて帰れ
たらまた温泉に招待してあげよう。
とにかく擬人化は必ずランクBで覚えるという訳でもないらしい。
可能性としては葵がAランクまで擬人化を覚えないという結末もあ
り得た訳で,もしそうなっていたら完全に手詰まりになっていただ
ろう。
もう1つ種明かしをすれば先ほどから随時使用していた盗聴スキ
ル。これは特別なスキルでもなんでもなく﹃魔力操作:風﹄を覚え
た葵が会話を風に乗せて届けてくれていたのである。
この﹃魔力操作﹄というスキル。厳密に言うと蛍さんや桜の使う
﹃魔法﹄とは微妙に違うようだ。
俺自身が魔力を全く扱えないためうまく説明できないのだが,シ
スティナに言わせると魔力と引き換えに効果を導くのが魔法で,魔
力を操り変化させ現象を起こすのが魔力操作だとのこと。
何が違うのかよく分からないが,魔力をコストとして支払っただ
けの魔法は結果を変更させられないが自分の魔力を変化させている
だけの操作はその後も自分の意思で操れる?らしい。
とりあえずその辺のことはいずれ落ち着いたらもう少し詳しく教
えて貰おう。いろいろ検証もしてみたいしね。ま,ぶっちゃけそれ
どころじゃないというのが現状なんだけど。
﹁ご主人様,矢が止まりました﹂
974
システィナの声に周囲を見回すと確かに射掛けられている矢がな
くなっていた。その代わり俺達の周囲3メートルほどの円形の外側
に大量の矢が散乱していた。
﹁馬鹿な!あの3人目の派手な女はどこから出て来たんだ!しかも
あれだけの矢を防ぎきるだけの強度と持続時間の風障壁を産み出す
には馬鹿みたいな魔力が必要なはずだ。そうですよねシャドゥラ様﹂
﹁⋮そうですね。並の風魔法使いでは強度重視なら一瞬,持続時間
重視なら半分以下の強度というところでしょうか﹂
あ,なるほど後で聞こうと思ってたのになんとなく分かった。つ
まり魔法は風障壁強度10,持続時間10秒という効果に10なら
10という魔力コストを払う訳か。そしてコストを払う時に効果を
決めているから発動した魔法は途中で変更できない。
でも魔力操作は自分の魔力を操作して属性を与えているからまず
強度10の風障壁を作ってもその障壁は風属性を付与した自分の魔
力なのでそれを維持するのにコストがかからない。しかも魔力は自
分の制御下にあるから威力の増減や用法の変化などいつでも自由自
在なんだ。
つまり魔法はバズーカのように威力は大きいがぶっ放し系で、魔
力操作は有線付の魔法で威力は劣るが細かい制御と多様性が売りと
いうことか。
﹁いずれにしても矢は効果が無さそうだな。では次だ。パジオン殺
せるなら殺して良いぞ。俺に残しておく必要はない﹂
﹁はい!お任せ下さい!﹂
975
パジオンはシャアズに威勢よく答えると更に一歩前に出て肩のニ
ードルホークを空に放つ。更にどこからか取り出した杖を構えると
精神を集中し始めた。
次の策に移行したな。
﹁葵。次が来るよ﹂
﹁お任せください主殿﹂
︻我が声を聞け!下僕共!我の命に従い奴らを喰い殺せ!︼
パジオンの魔力が込められた言葉が戦場に響き渡る。そんなに大
声という訳でもないのによく届くのはやはり魔力が込められている
からだろうか。それにパジオンの声には嫌な威圧感があって聞いて
いて気持ちが悪い。
﹁ご主人様!来ました!﹂
システィナが叫ぶ。俺も閃斬を右手に持ち替えて俺達に向かって
くるものを確認する。
﹁狼系の魔物が数十匹と熊系が2⋮3頭か。1人がテイムしている
にしては随分と多いな。腐っても幹部ってことか﹂
俺の視線の先では盗賊達の背後から現れた狼系の魔物が次々と高
台を滑り下りてきている。熊系の魔物も普通の熊なら下り坂は弱い
筈なのに見たところ特に苦にしている感じもない。やはり地球産の
熊とは別物なのだろう。
﹁多分,テイムする種類を絞ることでテイマー自身の負担を減らし
ているんだと思います。系統が変わるといろいろ面倒だと聞いたこ
976
とがあります﹂
﹁なるほどね⋮
システィナ,従前の打ち合わせ通り焦らずに間合いに入ってきた
魔物から一匹ずつ対処するんだ。大事なのは絶対葵に魔物を近づけ
ないこと﹂
﹁はい!﹂
高台から降りてきた魔物達は俺達を囲むように布陣し,それぞれ
が威嚇の低いうなり声を上げている。
俺達は魔物から葵を守る為に葵の前に背を向けて俺が立ち,葵の
後ろに背中合わせでシスティナが立って武器を構えている。
魔物達は俺達の武器を警戒しつつもじりじりと距離を詰めて来て
おり,この距離が自分達の間合いに入った途端に一斉に襲いかかっ
てくるだろう。
1匹2匹なら,いや今の俺達なら5匹10匹と相手がいてもなん
とかなると思うが狼だけで数十。更に大型の熊が3,今は上を旋回
しているだけだが隙さえあれば襲い来るだろうニードルホークも1
羽いる。これだけの魔物が統率されて襲いかかってきたら俺達の方
が先に力尽きてしまう可能性が高い。
だが,俺達はここまでの相手の策をかなり正確な部分まで知って
いた。この石切場で盗賊達に囲まれ一斉射を受けることも,その後
にパジオンの従魔達の一斉攻撃を受けることも。
なぜならパジオンがニードルホークに持たせた手紙に全て書いて
あったから。
そう,パジオンは俺達を呼び出す手紙を書いている時に俺達が来
た後に戦闘になった場合どうやって俺達を始末するかを考えながら
977
書いていた。そして俺の﹃読解﹄のスキルはその言葉を書いたとき
の心情,書かれた言葉の裏の意味を読み取れる。
だからパジオンの考えた策は俺に筒抜けだった。そしてだからこ
そ葵の擬人化が俺達の切り札だったのである。その理由は2つ。1
つは魔力操作に新しい属性を増やすことで矢を防御できるようにな
ってもらうこと,そしてもう1つが⋮
︻控えなさい下郎共!︼
葵の鈴のように綺麗な声が辛辣な言葉で石切場に響く。
︻我が名は葵!クズに従うしか能のないゴミ虫共はわたくしの前に
膝を折りなさい!︼
くぅ⋮くぅぅぅん
葵の身体から放たれる﹃威圧﹄スキルによるひりつくような空気
感。そしてそれに上乗せして放たれる言語による威圧﹃高飛車﹄ス
キル。
それは江戸300年を支配してきた徳川家,その徳川に長らく保
管されていた刀,日光助真こと葵。
その葵が権力者の下で知らず知らずの内に磨き鍛えていたスキル。
それが﹃威圧﹄と﹃高飛車﹄だった。300年鍛え抜かれた葵のス
キルがたかだが数十年しか生きていないパジオンごときが使ってい
る何らかの使役スキル如きに負ける訳がない。
俺達を囲んでいた狼たちが1匹また1匹と尾を垂れて伏せていっ
た。
978
979
葵︵後書き︶
※ 引き続きレビューを募集しています。
感想・評価・誤字脱字報告等もいつでも受け付けています。
980
対魔物戦
﹁やった!凄いよ葵!﹂
周囲の狼達が戦意を喪失していく様を見て思わずテンションが上
がってしまった俺は子供のようにはしゃいでしまう。これがうまく
行かなければ正直かなりやばかったので仕方ないと思って欲しい。
﹁主殿﹂
﹁ん?なに?﹂
﹁申し訳ありませんが思ったよりも効きが悪いですわ。別人に支配
されている状態だと威力が十全に発揮できないみたいです﹂
﹁え?﹂
若干しょんぼりとしながら申し訳なさそうな声を出す葵。おいお
いさっきまでの高飛車キャラはどこいった?まああれはスキルだか
ら葵が本当に高飛車女という訳でも無いのだろうが。
葵の言葉を確かめるべく注意深く周囲の狼達を見ていくと動きは
鈍くなっているが確かにまだ戦意を失っていない狼もいる。熊系に
関してはあまり効果が無かったのか目に見える変化はない。
簡易鑑定してみると
﹃山狼︵従魔︶ ランク:H﹄
﹃強爪熊︵従魔︶ ランク:G﹄
熊の方がランクの高い上位の魔物らしいのでそのせいもあるだろ
う。
じゃあ狼の中で効果が分かれるのはなんでだ?
981
﹁⋮⋮⋮あいつのせいか﹂
葵のスキルに耐えている狼の分布をよく見ていくとある場所に近
づく程に数が多い。
そしてその中心にいたのは他の狼と比べても二回りは大きい灰色
の狼だった。
﹃アッシュウルフ︵従魔︶ ランク:F﹄
﹁あいつがパジオンの狼たちの群れを統率してるんだ⋮﹂
﹁⋮となればあの男がしっかりと掌握している狼はあの狼だけかも
しれません。後の狼達は仮契約のような形にしてあの灰色の狼経由
で支配すればテイマーの負担はごく軽いもので済むと思います﹂
﹁分かった。じゃあ隙があったらあいつを狙う方向でよろしく﹂
﹁はい﹂
﹁はいですわ﹂
︻ええい何をしている畜生ども!さっさとかかれ!︼
︻あんな下衆の言うことを聞く必要はありませんわ!死にたくなけ
ればそこに這いつくばっていなさい!︼
魔物達の制御を奪い合う熾烈な口喧嘩の中,アッシュウルフが直
属で率いているっぽい精鋭の狼達が葵の束縛をいち早く抜け出して
飛びかかってくる。
葵に大分抑えられているとはいえそれでもその数は二桁以上であ
る。1匹1匹に丁寧に対応していたら脇を抜かれてしまう。
だから無理にとどめは狙わず後ろに通さないことを念頭に置きつ
つ対処していくことにする。
982
先頭をきって飛びかかってくる狼の横面を獅子哮で覆われた裏拳
で殴りつけ弾き飛ばす。 ぎゃん! と叫んで飛ばされる狼には眼
もくれず次の狼に閃斬を叩きつける。その一撃は肩から前足の一部
を斬り裂くがやはり深追いはせず足で蹴飛ばして遠ざけ,更に次の
狼に対応していく。
そんな感じで息つく間も無い程に慌ただしく狼を退けていく。
後方のシスティナの戦いぶりは見えないが度々 ブゥォン!! という大きな音と同時にギャン!キャン,ギャフ!と言った悲鳴が
聞こえてくるので魔断を大きく振り回しつつうまく領域を確保して
いるのだろう。俺よりもよほど安定した戦いをしていそうだ。
﹁主殿危ないですわ!﹂
突然俺の耳のすぐそばに風切り音が響き ぎょっ! として思わ
ず身をすくめる。
どうやら背後から葵が俺のすぐ脇をかすめるように刀を斬り上げ
たらしい。
キィィィィ!
と,同時に俺の頭上で甲高い鳴き声とばさばさと騒がしい音がし
たのでどうやら葵は空から俺の隙をついて急襲してきたニードルホ
ークの攻撃を防いで撃退してくれたらしい。
﹁やべ,忘れてた。葵ありがとう﹂
﹁まだ仕留められていませんわ。お忘れ無きよう﹂
﹁了解!っと!﹂
983
視界の隅でニードルホークがよろめきながらも上空に逃げていく
のが見える。まだ攻撃をするだけの余力はありそうだ。
いつもは蛍さんか桜がいてくれるから﹃気配察知﹄で死角からの
攻撃も完璧に対処出来るけど今,2人はいないんだから自分でちゃ
んとやらなきゃ駄目だった。
﹁ご主人様!熊が動き出しました!!﹂
システィナの切羽詰まった声が響く。このタイミングで熊!しか
も俺とシスティナに1頭ずつ向かってきてる。重量級の熊の魔物と
戦い始めてしまったら後ろの葵を守る為には足を止めて戦う事にな
る。でもそれじゃあ狼たちを止められない。
﹁主殿,心配いりませんわ。わたくしだって刀。戦いは苦手じゃあ
りませんのよ﹂
確かにニードルホークを打ち返した一太刀は背後からの一撃だっ
たが俺にはほとんど見えなかったな。うん,刀娘達の技量に関して
俺が心配をするのは100年早かった。
でも戦えるからと言って葵を前に出せば今抑えて貰っている狼達
も動き出すかもしれない。そうなれば俺達はじり貧だ。
﹁問題ありませんわ。今,地に伏せている狼に関しては完全に心を
折っておきました。敵の支配があるためこちらの命には従いません
が私達を襲ってくることもないはずですわ﹂
なるほど。葵のスキルはなかなかに強力だ。それなら⋮
﹁よし!じゃあ葵も頼む。システィナ!立ち位置を変えるよ。それ
ぞれの背後を守るようにして絶対前に出すぎて孤立しないように気
984
をつけて!﹂
俺の指示に従って葵が俺の左後方,システィナが右後方に位置を
変える。これはそれぞれが正面の敵に対応して背後の三角形のスペ
ースには敵を入れないようにする位置取りである。
思い切って3人それぞれが自由に突っ込んで乱戦するという作戦
も取れなくはないが,それだと葵とシスティナはともかく俺の命が
危ない。それに魔物とだけ戦っている現状では再び矢の一斉射や魔
法を放たれたら葵以外は防ぎきれずに死んでしまう。
盗賊達が前に出てきてくれるなら同士討ちを躊躇わせることが出
来るはずなので乱戦に持ち込むという作戦も選択肢に入るのだが⋮
⋮いや,それでもやっぱり俺が生き残るビジョンが全く見えない。
気配察知の恩恵が無い状態での乱戦は怖すぎる。
﹁葵,熊は俺とシスティナで止めるから残りは頼む!弓の再攻撃や
魔法攻撃もあるかもしれないから警戒しておいてくれると助かる!﹂
﹁了解ですわ!﹂
葵の返事と同時に間合いに入ってきた熊が右の爪を振り下ろして
くる。強爪熊の名に恥じない立派な爪である。だが俺はそんな馬鹿
げたモノと力比べをするつもりはないので僅かに身を振って爪をか
わすと閃斬をがら空きの胴体へと突き刺す。
﹁なぁ?かたっ!!﹂
腹部を突かれた熊は僅かに身を折り,2歩ほど下がったが特に出
血を要するほどの傷はない。毛が堅いのか,筋肉が堅いのかとにか
く胴体への攻撃は効果が薄いらしい。
しかし,熊の方は一撃を避けられた上に反撃まで喰らったことに
腹を立てたらしく怒りの雄叫びを上げるとどすどすと間合いを詰め,
985
今度は横凪に爪を振るってくる。
うおぅ!怖い!でもあんまり後ろに下がれば葵とシスティナを巻
き込む。なるべくこの場で避けなくちゃ駄目だ!そのために蛍さん
と厳しい修行をしてきたんだ!
腰よ引けるな!いつも夜はお楽しみなんだから昼間も働け!!
自分でも良く訳の分からない理屈で逃げ腰を抑え込むと熊から視
線を切らないように身を屈めて爪をやり過ごす。頭上をおっそろし
い音が通り過ぎていくが安心するのは後!
﹃身を切る思いで攻撃を避ければぎりぎりで避けた分だけ自分の攻
撃が出来る。 by蛍さん﹄
蛍さんの教えを脳内で再生しながら教え通り避けつつも相手から
眼を離さなかったおかげで大振り後に態勢を崩している熊がはっき
りと見える。
﹁突いて駄目なら⋮⋮斬る!﹂
俺は身体を起こす動きに合わせて閃斬を下から斬り上げて熊の右
腕の肘関節辺りを薙ぐ。
ぐごぉぉぉぉ!!
﹁おぉ!今度は斬れた!﹂
目の前をくるくると回りながら飛んでいく熊の右前腕部を見なが
ら歓喜の声を漏らしてしまう。でもさっきは全然刺さらなかったの
986
に何故だ?腹よりも腕の方がやわい?
いや⋮⋮⋮違う!うわぁ,俺は馬鹿だ!いくらなんでもテンパリ
過ぎだろ!閃斬を高ランクたらしめているのはスキル﹃斬補正︵極︶
﹄じゃないか。だったら突いた方が威力がありそうだとかっていう
地球の常識に縛られたら駄目だ。閃斬は斬ってこそ真価を発揮する
名剣。⋮そうと分かれば!
俺は右腕を斬られて痛みにもがく熊を追撃すべく間合いを詰める。
ここで熊を1頭倒しておけば後が楽になる。だが,もがき苦しんで
いた熊は俺が近づいてくるのを見ると怒りに満ちた眼で俺を睨みつ
けてくる。
どうやら怒りが痛みを超えてしまったらしく血走った眼で斬られ
た右の前足を傷口ごと地面に叩きつけて咆哮している。
うわぁ⋮完全にブチ切れてるなぁ。でも蛍さんはキレた奴はこち
らが落ち着いてさえいれば逆に扱いやすいって言ってた。俺のよう
にキレることで逆に冷静になる奴はほとんどいないらしい。
とにかくあのまま無駄に突進してこられると2人の邪魔になる。
﹁葵!システィナ!ちょっと前に出る。フォローよろしく﹂
ひと声かけて前に出る。熊は﹃お前から来るならここで殺してや
んよ﹄と言わんばかりに仁王立ちになって吼える。
立ち上がられると優に俺の身長を超えてくる相手に自分から突っ
込むなんて何をしてるんだ俺はと思わなくもないがシスティナや刀
娘達を守るためなら多少の無茶くらいしてみせる!
懐へと飛びこんでいく俺を左腕の爪と牙で引き裂こうと覆いかぶ
987
さってくる熊。俺は恐怖で止まりそうになる足を叱咤して更に速度
を上げると前足が無い側へと僅かに進路変更し牙と爪をかわしつつ
熊の右足を閃斬で斬り飛ばすことに成功する。
背後で吼え声を上げながらもんどりうって倒れ込む熊の気配を感
じつつすぐさま反転。なんとかうまくいったことに安堵の吐息を漏
らしつつ,もがく熊の首を斬りつけて止めをさすとその足でシステ
ィナ達の所に戻る。
その際に確認したがシスティナももう1頭の熊の攻撃をしっかり
と護身術で防御しつつ斧槌術で少しずつ傷を与えて有利に戦闘を進
めているし,葵の前には既に数頭の狼の死体が横たわっていた。
⋮⋮⋮ていうかマジで俺ってばいらない子かも。軽くへこんだ。
988
対魔物戦︵後書き︶
むう⋮実力不足で脳内の戦闘風景を文章に変換しきれてない気が⋮
悔しいですが今回はこのまま投稿しました。
989
大火球と灰色狼
﹁主殿,見事な戦いでしたわ!﹂
﹁はは⋮ありがと。葵もさすがだね﹂
背中に葵からの賞賛を受けながら襲い来る狼を撃退していく⋮⋮
数が減ってきたせいかちょっと余裕が出てきた気がするので周囲に
も気を配る。
するとちょうど後ろでシスティナが熊を倒したようなので後はア
ッシュウルフと取り巻きの狼数頭と他の2頭よりも若干大きめな個
体の熊が1頭。後は空を旋回しつつ隙を窺っているニードルホーク。
それらとは別に少し離れたところで伏せている狼達が10頭ほど
いるがこいつらは葵のおかげで戦意喪失済みなので数には入れなく
ていいだろう。
﹁ようやく魔物達の勢いが衰えてきたね﹂
﹁はい。ですが一番手強そうなのがまだ残っていますけど⋮﹂
俺の言葉に答えてくれたシスティナの声が少し弾んでいる。さす
がにこの状況で戦い続けるのは厳しかったか。俺も多少の疲労感が
出てきてはいるけど酸素濃度が高いこの世界では疲れにくい身体な
のでまだ保っている。
⋮⋮ちなみにこの世界では酸素が豊富なので火が良く燃える。桜
ちゃんの火魔法が派手で高威力だったのは桜ちゃんの力ももちろん
だけど,そういう理由もある。
だから屋外でしかも木々が多いところで火魔法の得意な魔法使い
990
が時間かけてマジで呪文唱えちゃったりするとああいうことになっ
たりする。
﹁まずい!葵!システィナ!対魔法防御!﹂
﹁﹁はい!﹂﹂
俺の叫びに一瞬視線を巡らし,俺と同じモノを見た2人は即座に
返事をする。
確かにあれはひと目みただけでやばいのが分かる。俺達が魔物達
に四苦八苦している間にシャドゥラが時間をかけて唱えた大魔法な
のだろう。高台の上のシャドゥラが掲げた両手の上に直径3メート
ルから5メートル程の火球が浮かんでいた。なんという元気○。あ
れは正義の心を持つ人にしか使えない技なんだからお前みたいな悪
党が使うなと言いたい!
だが,確かに火魔法が得意だと言うだけのことはある。あれが俺
達の辺りにぶち込まれて爆発したら俺達だけでなく周囲の魔物達も
無事ではすまないだろう。 ていうか多分高台の下にいる生物は生
きていられない可能性が高い。たった3人相手を殺すのに自分たち
の従魔ごと焼き尽くすような大火力をぶつけてくるなんて何を考え
てるんだと声を大にして抗議したい。
とにかく爆発させずに防ぐとなれば着弾する前に対処するしかな
い。火属性なら水属性をぶつければある程度相殺出来るはず。水蒸
気爆発とかされたら泣くしか無いけどね!
﹁あれだけの火球となるとちょっとしんどいかもしれませんわ。な
るべく近くに寄って下さいませ!﹃水術:多重水流壁﹄﹂
葵が魔力操作で産み出した水の壁を5重にして展開する。おぉ!
991
安心感が半端無い。さすが自分で頼れる女だと豪語するだけのこと
はある。 俺とシスティナは葵に接触するくらいまで近づいて壁の裏側に身
を潜める。その間に魔物達に襲われるかとも思って警戒していたが
魔物達もあの火球には脅威を感じているらしく怯えて動きが取れな
くなるか既に逃げ出しにかかっているらしい。
くぅぅぅ⋮ん
ん?なんだ?⋮⋮あ。
葵が心を折った狼たちが怯えたまま完全に硬直状態に陥っている。
このままだと間違いなく巻き込まれる。
シャドゥラの魔法は更に大きさを増し,そろそろ発射直前という
感じである。おそらく放たれるまでそう時間はないだろう。もう充
分な威力だろうに念の入ったことだ。
﹁ご主人様!アッシュウルフが!﹂
システィナの声に振り向くとアッシュウルフがこちらに向かって
疾走していた。
﹁馬鹿!こんな時でも命令通りに動くのかよ!﹂
慌てて閃斬を構えるがアッシュウルフの視線は俺達からは僅かに
逸れているっぽい。なんだ?何がしたいんだあいつ。
ガルゥ!!
キャン!キャン!
992
アッシュウルフが怯えて動けない狼たちの尻を蹴飛ばしている?
蹴飛ばされた狼は鎖から解き放たれたように逃げ出している。
あいつ⋮⋮自分の部下達を逃がしているのか?
﹁主殿⋮⋮﹂
﹁なに葵?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮いえなんでもありませんわ﹂
﹁行ってください葵さん!ご主人様は私が守ります!﹂
﹁システィナさん?﹂
﹁そうか⋮いけ!葵。あいつらはお前が従えたも同然だ。魔物です
ら自分の部下のために奔走しているのに俺達が見捨てる訳にはいか
ないだろ!﹂
﹁ですが,あれを防ぐにはわたくしの﹃いいから行け!葵!﹄⋮は
い!﹂
葵が走り出す。自分が心を折った狼たちを守りに。分かってるそ
んなの馬鹿らしいことだって。魔物と人間である俺達の命。天秤に
かけることすら間違ってる。
だが,ここであいつらを見逃したら盗賊共に負けた気がする。そ
して,魔物であるあの灰色狼にすら負ける気がしたんだ。そんな俺
達を蛍さんは褒めてくれるだろうか⋮⋮いや逆に叱られるはずだ。
だから,やってやる!
﹁葵!水流壁をお椀型にしてもっと上空で火球を受けさせろ!その
後は自分たちの防御に集中!﹂
﹁はいですわ!主殿﹂
狼たちの下に走りながら葵が叫ぶ。
993
﹁システィナ!﹂
﹁はい!水魔石を3つ使わせていただきます﹂
俺の声に応えてシスティナが腰のポーチから魔石を取り出す。シ
スティナ用に準備していた切り札の1つで葵の錬成とは別に4属性
の魔石を数個ずつ渡してあった。
システィナはその魔石を魔断の柄の窪みに次々とセットしていく。
﹁ご主人様!私の魔断とこの手甲が盾になります。私の後ろから出
ないでください!﹂
﹁分かった!﹂
システィナの魔断には魔石をセットすることで斧,槌,槍それぞ
れの部分に属性の力を付与することが出来る。それを魔断の﹃魔力
増幅+﹄で増幅すればかなりの効果が期待できる。
更にシスティナの手甲には魔力を込めることで魔法を防ぐことが
出来る盾を作ることが出来る効果が付いている。それらをフルに駆
すべ
使すれば俺を守り切れると判断したからこそシスティナは葵に行け
と言ったのだろう。
情けないが俺には敵の魔法を防ぐ術がない。今はシスティナの邪
魔をしない様に指示に従うことだけだ。
﹁兄上。これが最大です﹂
﹁やれ﹂
994
葵が並列起動したままだった盗聴用の風魔術からの無慈悲な最後
通告。
﹁システィナ!俺の命は預ける。皆で生き残ろう﹂
﹁はい!﹂
とうとう投下された大火球が俺達の頭上に太陽のように燃え盛り
揺らめきながら近づいてくる。
システィナが発動した魔断に目視できるほどの水属性の力が満ち,
更にシスティナの手甲からうっすらと光る盾が現れる。
システィナの魔力が心配なので魔力回復用のポーションをシステ
ィナに飲ませておく。
後は俺に出来ることはない。システィナの背後に隠れるだけだ。
葵さんは無事に狼たちの所に辿りつき,動ける狼たちは走らせて
戦場を離脱させ,どうしても動けない狼たちは1か所に集めて新た
に展開した水流壁で守ろうとしている。
﹁主殿!﹂
﹁やれ!﹂
俺の合図で上空に待機させていた水流壁をパラボラアンテナのよ
うな形にしてぶつける。そこで威力を削ぎ,爆発の余波をなるべく
地上じゃない場所に反らそうという思惑がうまく行くかどうかはこ
れもまた賭けだ。
頭上で激しい光と音⋮⋮そして肌を焼く熱が襲ってくる。システ
ィナの影にいてもこの威力か!しかもまだ葵の水流壁がその威力を
抑えている状態なのに。さすがの葵もいくつもの魔術を起動すれば
1つ1つの制御が甘くなる。既にさっきの会話を最後に盗聴魔術は
995
切っているし,狼たちを守る水流壁も今は最低限。
上空の水流壁が破られると同時に自分たちの防御に全力を振り向
ける予定だろう。
その時俺は俺を見ている視線に気が付いた。
﹁おまえ⋮﹂
その視線の主は少し離れた位置で熱風に晒されながらも雄々しく
立ったまま俺を見ているアッシュウルフ。
﹁⋮全部逃がしたのか﹂
さっと周りを見回すと怯えて動けなくなっていた狼たちが1匹も
いなくなっていた。あのアッシュウルフが全て尻を蹴飛ばして逃が
したのだろう。狼の脚力なら安全地帯まで逃げ切れるはずだ。
ならばなぜこいつはまだここにいるのか。
他の狼を逃がしてて自分が逃げるタイミングを逸したのか?それ
とも未だにパジオンの意向に逆らえないのか?いくつかの可能性が
脳裏をよぎる。
だが,そんなことはどうでもよかった。多分時間にすれば一瞬だ
ったと思う。だが俺と目のあったアッシュウルフとの間に何かが通
った気がした。
そしてなにより俺はあの灰色狼を格好いいと思ってしまった。死
なせるのが惜しいと思ったんだ。
﹁お前も来い!!﹂
だから気が付けば手を伸ばしてアッシュウルフを呼んでいた。
996
﹁お前はこんな形で死んでいい狼じゃない!死ぬならここを凌いだ
後で俺と戦え!それなら容赦なく殺してやる!﹂
俺の呼びかけに一瞬だけアッシュウルフが驚いた表情を見せ苦笑
したような気がした。
そして気が付けば俺は懐に飛び込んできていた灰色狼を抱えこん
でいた。
想像以上にもふもふと気持ちいい毛触りの灰色狼を腕の中に感じ
つつ,その直後に襲って来た激しい熱波に襲われ俺の意識は黒く塗
りつぶされた。
997
総力戦
﹁⋮⋮⋮様!大丈夫ですか!今回復を!﹂
耳から飛びこんできたシスティナの焦った声に意識が覚醒した俺
は目を開ける。どうやら仰向けに寝かされているらしく上からシス
ティナが覗き込んでいる。
身体の状態を感じられる範囲で確認してみる。ところどころに若
干の違和感があるっぽいのは熱波により軽い火傷でも負っているせ
いだろうか。だが差し当たって治療が必要なレベルではなさそうだ。
﹁大丈夫。回復も今のところはいい。魔力を大分消耗しているはず
だから今は温存しておいて。それよりも俺はどのくらい意識飛んで
た?﹂
﹁ほんの少しです。思ったより爆風が強かったせいでご主人様は体
勢を崩されて少し頭を打たれたようです﹂
そっか,灰色狼を受け止めたせいでちょっと重心が不安定になっ
てた瞬間だったからな。身体を起こした俺は脇に座っているシステ
ィナを見る。
システィナもどうやら大きな怪我は無いようだがところどころが
やはり赤くなっていたり,髪の毛の先が少し焦げていたりしている。
くそ!俺のシスティナに傷つけやがって許しがたい!あんだけ大
きな魔法を使えばシャドゥラは魔力回復薬を使ったところでこの戦
闘中はまともに魔法は使えないはずだ。こっちもシスティナと葵の
消耗はあるが⋮⋮とにかくこれでやつらの遠隔からの攻撃手段はほ
ぼ潰したはずだ。
998
﹁ご主人様,あの⋮﹂
そんなことを考えていたらシスティナが俺を呼びつつ視線を彷徨
わせる。その視線の先にはやはりところどころに焦げ目を残しなが
らも身体的には無傷の灰色狼が立っていた。
﹁お前も無事だったか。約束しておいてあれだが,出来れば今お前
とは戦いたくない﹂
一瞬視線をめぐらし葵も無事に狼たちを守り切ったのを確認する。
﹁あそこの狼たちを連れてこの場から離脱してくれると助かる。お
前ならパジオンの命令くらいなんとかなるだろう?﹂
灰色狼は高台の上にいてこっちを見下ろしながらなにやら喚いて
いるパジオンを見てから俺を見て小さく頷いたようだ。
﹁もし戦いたいならこんな状況じゃなく正々堂々とやろう﹂
グルゥ!
灰色狼は小さく承諾し,いや多分そうだと俺が思っただけだけど
灰色狼はすぐに葵の方に向かって行ったので間違っていないはずだ。
パンッ パンッ パンッ
﹁なんだ?﹂
急に聞こえて来た渇いた音に音源を探すと,どうやら高台の上か
999
らのようでシャアズが手を叩いていた。
﹁いや,マジでここまで凌ぐとは思ってなかった。素直に賞賛する
ぜ。
うちの幹部連もかたや従魔を失い,かたや魔力枯渇寸前で動けな
い状態だ。勝負だけでいったらうちの団員の半数と幹部連を倒した
お前らの勝ちは間違いないな﹂
大剣を担いだシャアズが嬉しそうに話しかけてくるが別に俺はシ
ャアズが言うように勝ったとは思っていない。
俺にしてみれば蛍さんと桜を失った時点でどんな形になろうと負
け決定だからな。
﹁ま,勝負にいくら勝っても最終的に死んでたらなんの意味もねぇ
けどな。さて,ここまで凌いだんだ俺が相手してやってもいいんだ
が⋮⋮
せっかくここまでやったんだ。もうひと頑張り行っとくか?﹂
そう言ったシャアズが右手を上げる。ってマズイ!また弓攻撃か
!葵と合流しなきゃ!取りあえず葵がいれば弓はなんとかなる。
﹁お前ら待たせたな!出番だぜ!そして喜べ!あいつら3人の首級
を上げた奴はそれぞれ幹部にしてやる!せいぜい励めよ!
席はたったの3つ!早い者勝ちだ!いけぇぇぇぇ!﹂
シャアズの右手が振り下ろされる。
﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂
﹂
1000
赤い流星の幹部というのはそれほどまでに魅力的なのだろうか?
盗賊達の雄叫びは欲に目がくらんだ者達の物だ。そんな者達が武器
を手に一斉に高台から滑り降りてくる。
くっ!とうとう直接押し包みに来たか⋮後は体力がどこまでもつ
か。
﹁システィナ。大丈夫?﹂
﹁はい。まだ戦えます﹂
そう言って微笑むシスティナだが,魔断にセットした魔石は全て
割れている上に魔力回路からはところどころ煙が出ているので新し
い魔石を入れて使うのは無理だろう。それに耐久性に難ありと注意
を受けていた手甲も罅が入っているので防具としてはもう役に立た
ないはずだ。
さっきの魔法を凌ぐのにパッと見でそれだけのものを支払ってい
る。きっと魔断と手甲,そして水龍の鱗衣。これらがなければさっ
きの攻撃は受けきれなかっただろう。
﹁主殿!﹂
﹁葵!そっちは大丈夫?﹂
早足でこちらに戻って来た葵にはこれと言ったダメージは見受け
られない。だがあれだけの魔術を展開した以上は魔力はほぼ使い切
っているはずだ。
﹁もちろんですわ!﹂
﹁わかった。取りあえず2人共,最後の魔力回復薬を渡すから飲ん
でおいて﹂
﹁﹁はい﹂﹂
1001
2人に最後の魔力回復薬を渡す。傷薬系の物はまだ持っているが
今回準備できた魔力回復系の薬はこれで打ち止めだ。
﹁さあ,いよいよここまで来ちゃったな⋮﹂
盗賊達は斜面を滑り終え我先にとこちらに走ってきているので間
もなく戦闘になるだろう。
﹁⋮⋮ご主人様。やはり﹂
﹁システィナ。諦めちゃだめだよ﹂
﹁そうですわよシスティナ。最後まで信じて戦うのですわ!﹂
俺達の言葉に自信を取り戻したのかシスティナが笑顔を取り戻し
て頷く。
﹁さあ,来るよ。もうひと頑張りしよう。今度は遠隔攻撃は考えな
くてもいいから無理に固まる必要はない。と言ってもまだ俺には乱
戦は危ないからシスティナは俺の背後を頼む﹂
﹁はい﹂
﹁葵も近くで戦って貰いたいけど,この状況じゃそうもいかないだ
ろうから,いけそうならどんどん奴らの中に突っ込んで掻き回して
もいいよ。ただ無理はしないで﹂
﹁はいですわ主殿。お任せ下さい﹂ 2人と簡単な打ち合わせが終わったところで盗賊達の先頭集団が
俺達の所へと到達する。その顔は数の暴力で蹂躙出来ることを全く
疑っていない。余裕と欲に塗れた薄汚い顔である。
﹁行くよ!1つでも多く倒し,1秒でも長く生き残る!それを最後
まで積み重ねた時が俺達が勝つ時だ!﹂
1002
俺は2人の返事を聞く前に先頭切って飛び出し,調子に乗って先
頭を走って来た盗賊を袈裟斬りにしてやった。
1003
総力戦︵後書き︶
※ 引き続きレビューを募集しています。
感想,評価,ブクマも作者のモチベーションになりますので是
非お願いします。
1004
絶体絶命︵前書き︶
か∼ら∼のぉ?
1005
絶体絶命
﹁はぁ,はぁ⋮2人とも大丈夫?﹂
﹁は⋮はい。ま⋮だ⋮行け⋮ます﹂
﹁も,問題⋮ありま⋮せんわ﹂
威勢のいい言葉とは裏腹に俺達は疲労困憊していた。体力的に限
界が近いこともあるし,それぞれ二桁近い盗賊達を屠って来たこと
で無傷という訳にも行かず所々負傷もしている。
システィナの回復術をかけて貰えば簡単に治るような傷ではある
がまだ動けるうちは魔力を使わないように伝えてある。本当にやば
い怪我をした時に魔力がなくて治療出来ませんでは困るからだ。そ
の代わりとしては弱いが各自に回復薬をいくつか持たせてある。
﹁薬はまだある?﹂
﹁私は⋮あと1つです﹂
﹁わたくしはま⋮だ3つありますわ﹂
うっ⋮それぞれに3つずつ渡したのに既に無いのは俺だけか。し
かも無くなってから結構経つ。こんなところにまで実力の差が明確
に出るのか⋮
自分の実力は分かっているつもりだがちょいちょい突きつけられ
る現実はやはり苦い。
﹁主殿。わたくしの物を2つお持ち下さい﹂
﹁⋮⋮分かった。有り難く貰っとく﹂
1006
なんとも情けないがここで変な意地を張っても仕方ない。葵から
丸薬を受け取るとポーチにしまう。
﹁また来ます!﹂
﹁分かった!﹂
俺達の激しい抵抗に遭い次々と斬られていく仲間達を見て気圧さ
れた盗賊達の勢いが止まった時の僅かな時間のやりとりだ。
俺達が息を整える暇もなくすぐに仲間達の屍を踏み越えてまた盗
賊達が襲い掛かってくる。しかも今回は死体が邪魔になるのを見越
して槍を持った盗賊達が遠目から攻撃を加えてくるという念の入れ
ようだ。
どうやらこっちが安否確認をしている間に敵さんも作戦を練り直
していたらしい。 ﹁くそっ!⋮単純だけ,ど!嫌な攻撃を﹂
突き出されてくる槍を閃斬で防いだり斬り落としたりしてなんと
か対処するが,攻撃に対する対処は出来ても盗賊自体に攻撃が出来
ないため数を減らせない。
敵は代わる代わる槍を持った者が入れ替わり,常に俺達を攻撃し
続けるようにしているので一方的に俺達だけが疲労して傷を負って
いく。
﹁そうだ!相手を休ませるな!無理に近づく必要はない!槍で突い
ているだけでいずれ力尽きるはずだ!﹂
あの声はパジオン⋮⋮あの野郎が降りてきて現場で指揮を取り出
したのか。だから盗賊達は俺達が嫌がる攻撃を的確にしてくるって
1007
ことか。いちいちオーバーキルな無駄の多い策を立てる微妙な頭脳
の持ち主だがやっぱりいると面倒くさい。
﹁主殿,このままでは駄目ですわ!一度相手を乱さなくては﹂
﹃葵!ちょっと喋るのしんどいから共感でざっくり伝えるけど魔力
はあとどのくらいもつ?﹄
今,これ以上息を乱すと動けなくなりそうなので﹃共感﹄スキル
で葵に話しかける。共感だと言いたいことは感覚でしか伝わらない
から多分葵は﹃葵・魔力・残は?﹄くらいのイメージで伝わってい
るはずだ。
﹃そうですわね。わたくしも人化したばかりで慣れてなくてまだ魔
力効率が悪かったので⋮⋮
多分大きめの魔術を1回使ったら後は小技程度のもので精一杯だ
と思いますわ﹄
﹃分かった。じゃあ,全周囲に向けて魔術を頼む。その隙を突いて
3人でシスティナ側の囲みを一旦突破しよう﹄
一度この囲みを抜けて仕切り直せば相手が再度同じ陣形を組むま
で余裕が出来る。そして陣形を組もうとしている間にこっちから斬
り込んで相手を混乱させればいい。実際にそれだけの動きが出来る
だけの体力がのこっているかどうかはまた別の問題だ。
﹃承知しましたわ。ではシスティナさんの正面だけ残して全周囲に
土魔術を放ちます﹄
﹃了解﹄
葵の﹃意思疎通﹄スキルでの思念を受けて俺は了承の意を返す。
どんな魔術かまでは分からないが葵ならきっと最適な魔術を使って
1008
くれるだろう。
この作戦がうまく行かなかったら正直もう打つ手はほとんどない。
俺自身に切り札が無い訳じゃないがこの状況では使ってもあまり意
味がない。
他にも幾つか布石を打ってはいるが今のこの状況をすぐに打開出
来るようなものはない。そもそも役に立つかどうかも分からないま
まもしかしたら役に立つかもというような布石がほとんどである。
﹁システィナさん。合図したら一度囲みを抜けますので正面に走っ
て下さい﹂
﹁は⋮⋮い!﹂
さすがのシスティナもさすがに疲れてきている。なんとかここで
立て直さないと。
﹁いきますわ!﹃土術:山嵐﹄﹂
﹁うぎゃぁ!﹂
﹁なんだいきなり地面から!﹂
﹁いてぇぇぇ!!﹂
グッジョブ!葵!
今,葵が使った土術は俺達の回りに外向きにいくつもの土の錐を
地面から生成するというものだ。葵なら魔力そのものを操作して土
に変えることも出来るはずだが元からあるものを使った方が魔力消
費が軽いらしいので今回は土術を使ったのだろう。
しかも錐の向きを外側に向けている辺りはさすがである。長くは
保たないだろうが,これなら俺達に対する防壁としても機能する。
1009
一点突破でここを脱出する間くらいはなんとかなるはずだ。
﹁走って下さい!!﹂
葵の声が響く。システィナが掠れた声で﹃はい!﹄と応えて走り
出す。その後ろを葵が続く。よし!俺も行くか。山嵐の内側にいて
動揺している最後の1人を閃斬で斬り捨て振り返るとシスティナの
揺れる後ろ髪と葵の白いうなじを見ながら2人を追う。 ﹁あ⋮﹂⋮れ? 何で地面が目の前に?システィナの髪は?葵のう
なじは?
﹁ソウジロウ様!!﹂
﹁主殿!﹂
ああ⋮そうか。
思いがけず地面と強烈なキスをした余韻で一瞬麻痺していた思考
が再起動する。
⋮ぐ!ぅ!いてぇ。
左のふくらはぎに強烈な痛みを感じて地面を擦りながら顔をそっ
ちへ向ける。視線の先では俺のふくらはぎがちょっと引くくらいに
ぱっくりと裂けてどくどくと血を吹いている。
慌ててポーチから取り出した回復薬を囓るが,ここまで傷が深い
とさすがに気休めにしかならない。
1010
⋮くっそ!死体だと思っていたモノの中にまだ生きているやつが
いたのか。既に事切れているらしいが最後っ屁のくせに会心の一撃
⋮敵だから痛恨の一撃?をかましていきやがった。
俺が倒れた音に気が付いた前の2人もせっかく突破しかけていた
囲みをそのままに戻ってきてしまう。駄目だ!戻っちゃだめだ!今
度囲まれたらもう本当に⋮
﹁駄目ですよご主人様。あなたがいなければ私達も生きていけない
んですから⋮足は今治しますのでじっとしていて下さい﹂
﹁そうですわ主殿。﹃皆で帰る﹄そう約束したではありませんか﹂
﹁⋮そうだったね﹂
力なく微笑む俺に比べて2人の笑顔はまだ諦めていない。ならば
足を引っ張った俺がいつまでもしょげてる場合じゃない。正直厳し
いという認識はあるが最後まで足掻いてやる!
﹁葵さん,入り口を頼みます﹂
﹁了解ですわ!﹂
俺達が突破しようとしていた部分だけは土の柵が無いため敵の侵
入を防ぐために葵が立ちふさがる。だが,周りの柵も所詮は土。今
もガンガンと土を砕く音が聞こえてくるので遠からず盗賊達が乗り
越えてくるだろう。
だが一斉に乗り越えてくる訳じゃないと思うからそいつらを各個
撃破していけばまだ戦える。
﹁システィナ。とりあえず動ければいい。傷さえ塞いでくれればさ
1011
っき飲んだ回復薬でなんとかなる﹂
﹁はい﹂
オートヒール
よくよく見ればシスティナも所々に傷があって装備が血に濡れて
いる。1人の戦いなら回復術を用いた自動回復で傷なんか負わずに
すむのに俺達の為に魔力を温存してくれているから深刻じゃない傷
はほったらかしだ。
﹁もう少しだけ頑張ろう﹂
﹁はい。そこまで頑張ったらあともうちょっとだけ頑張ります﹂
﹁⋮⋮はは,じゃあ俺はその後ほんのちょこっとだけ頑張るよ﹂
﹁ふふ⋮ならまだまだ大丈夫ですね﹂
﹁ああ。ありがとうシスティナ﹂
システィナの肩を借りて何とか立ち上がり左足を動かしてみる。
⋮うん,動く。
完全に腱とか斬られてたっぽいのにちょっと引き攣る感じはある
けど思い通りに動かせる。回復術凄すぎるな。
﹁葵は大丈夫?﹂
﹁はいですわ。さすがにここから入ってくるお馬鹿さんはいないみ
たいですし﹂
確かに出入り口が1つならそこから入れば狙い撃ちされるだけだ。
相手の混乱が収まった今,こちらから出る場合も同じ事が言えるの
が辛いところだが。
﹁じゃあ,乗り越えてくる奴らを1人ずつ片付けていこう﹂
俺達は今後の方針を確認して頷き合うと武器を構えつつも体力の
1012
回復に努める。
﹁いいか!まだ行くな!全ての障害を壊してから一斉に掛かるんだ
!落ちている槍を拾え!柵の上から槍で削って無闇に近づくな。
少しずつで良い!手柄を焦るな!確実に仕留めるんだ﹂
⋮⋮マジであいつ嫌い。チョーうざいんですけど。⋮っていうか
やばい!
パジオンの指示に従って葵が作った山嵐の錐の先端を半分ほど削
った盗賊達が次々と錐に登ってくる。その距離直線にして3メート
ル程度,錐の上にいるため地上約50センチの位置でぐるりと周り
を囲まれる。前衛は全員が槍装備。俺達が脱出するための出口だっ
た部分にも槍を持った盗賊が待ち構えている。
俺達が囲みを抜けるための葵の魔術が完全に俺達を閉じ込める檻
に早変わりしてしまった。それもこれも俺がドジを踏んだせいか⋮
﹁ごめん,2人とも。もうこの状況をひっくり返せるだけ作戦も手
札も俺にはない﹂
﹁謝らないで下さいご主人様﹂
﹁でも,後はひたすら戦うしか⋮﹂
﹁あるではないですか主殿。そんなに立派な作戦が﹂
システィナ⋮葵⋮
﹁⋮⋮だね。3人いるから1人で25人ずつくらい倒せば俺達の勝
ちだ﹂
﹁さすがですわ主殿!完璧な作戦ですわ!﹂
﹁ふふふ⋮私も良い作戦だと思います﹂
1013
本当に馬鹿な嫁達だ⋮ちょっと眼から汁がとめどなく溢れそうな
レベルだ。
結論から言うと⋮⋮
やっぱり1人で25人は無理だった。遠巻きに槍を突いてくる盗
賊達を相手に俺達はタイミングを見て間合いを詰めたり,不利を装
って誘い出して仕留めたりしながら奮戦した。あの状況からでも多
分10人以上は仕留めたはずだ。
だが体力の消耗と人数の差に加えて慎重過ぎるほどの相手の戦い
方に俺とシスティナの傷はどんどん増えていった。そしてそんな俺
達を守るべく葵も奮闘してくれたが2人もかばって戦えば防御する
ので手一杯になり攻撃は出来ない。
しかも運動量は自分1人を守る場合に比べて倍以上になるだろう。
刀としての戦闘技術から大きな傷を負うことは無かった葵だが時間
と共に動きは鈍くなっていった。
そしてとうとうその時が来てしまった。
さなか
3本の槍を相手にしていた最中,疲労と左足の違和感から膝が抜
け体勢を崩した俺に迫る3本の槍をシスティナが身体ごと飛びつい
1014
てきて庇ったんだ。
幸い勢いがあったため2本はかすっただけだったけど1本はシス
ティナの背中,左肩の辺りに深々と突き刺さっていた。
それを見た俺は頭が真っ白になり﹁かひゅ⋮かひゅ﹂しか言えな
くなっていた声帯を怒りで震わせた。
バーサーカー
狂戦士のようにシスティナを刺して槍を手放していた盗賊に襲い
かかって首を斬り落としその勢いで隣にいた盗賊を袈裟斬りにした。
俺の常軌を逸した姿に恐怖を感じたのか一旦下がった盗賊達を見
てシスティナの下に戻るとすぐにポーチから最後の回復薬をシステ
ィナの口に含ませた。
だが,システィナは疲労と傷のショックからか一時的に意識が落
ちているらしく薬を飲み込まない。
仕方なく一旦薬を取り出し囓って薬草の殻を噛み砕き中の薬と混
ぜ合わせるとそれを口に含んだままシスティナの口へと運び流し込
む。飲め!飲んでくれ!⋮⋮よし!飲んだ!
だがなんとか回復薬を飲ませたところで状況は変わらない。
じりじりと槍を向けてくる盗賊達を前に俺は最後の抵抗として疲
労で座り込む葵と意識のないシスティナを自らの内に抱きかかえた。
絶対俺より先には死なせない!もう俺の頭の中にはそれしかなか
ったんだ⋮⋮
俺の意識のある限りこれ以上2人を傷つけさせない。それだけを
考えて2人を力一杯抱きしめて身体を貫く槍の感触を覚悟した。
1015
﹁よく頑張ったな,ソウジロウ﹂
﹁やっぱりソウ様は誰よりも格好良いよ﹂
1016
絶体絶命︵後書き︶
なろうコン応募に際してあらすじをちょっと増やしました。内容的
にはさほど変化はありませんがw
ちょっとPCの調子が悪く投稿が危ういですが3章も終わりが見え
てきましたのでなんとか終わるまで頑張って貰いたいです。
※ 引き続きレビューを募集しています。感想、評価、ブクマも頂
けると嬉しいです。
1017
起死回生︵前書き︶
更新遅れました。すいません。
1018
起死回生
ちょ!待て待て待て!こんな⋮⋮こんなタイミングで俺が一番聞
きたかった声が聞こえる筈がない!
神様が最後に俺の願いを叶えてくれたとかそういうオチなのか?
﹁ソウジロウ。お前達の打った布石と時間稼ぎは無駄ではなかった
ぞ﹂
﹁ソウ様。勝手した私達の為に苦労させてごめんね﹂
システィナと葵に押し付けていた顔を恐る恐る上げて首を巡らせ
る。
ぁぁ⋮⋮ああ⋮⋮ああっ⋮⋮ああっ!!
﹁ほだ⋮るざん,ざく⋮ら⋮良かった⋮いぎててよがった!﹂
そこには懐かしい着流しの後姿に黒髪を泳がせた背の高い影とや
や小柄な身体を忍び装束に包んだ影。
信じてはいた。生きていることは信じていたけどこの場に間に合
うことはないとも思っていた。それでも万が一に賭けて⋮2人が来
てくれることを信じてありとあらゆる時間稼ぎをしてきた。そして
それは無駄じゃ無かった!
﹁いろいろ言わなければならないこともあるのだが⋮今はお前やシ
スティナを安全な場所に逃がすことが先決だろう﹂
1019
﹁葵ねぇは自分で走れる?﹂
俺の腕の中から抜け出した葵は立ち上がってほつれて顔にかかっ
ていた髪を払った。
﹁走るのは問題ないですわ。
ですが来るのが遅過ぎですわよ,山猿。この件は貸しにしておき
ますわ﹂
﹁ふ,今回ばかりはやむを得んな。お前がいてくれたお蔭でソウジ
ロウを死なせずにすんだのだからな﹂
﹁で⋮でも!今の状況で安全な場所なんて!﹂
今は急に包囲網の外から蛍さんと桜が飛びこんできたことで盗賊
達の間に混乱が起き動きが止まっているが既にパジオンが声を飛ば
してるので間もなく態勢を立て直してくるだろう。
﹁ソウ様。ソウ様を助けに来たのは桜達だけじゃないんだよ﹂
﹁⋮⋮⋮え?﹂
﹁今に分かる。さ,システィナを寄越せ。私が背負って行く﹂
そう言って気を失ったままのシスティナの顔を優しくひと撫でし
た蛍さんがシスティナを背負う。
﹁そろそろだな。行くぞソウジロウ遅れるな。ボーっとして巻き込
まれるなよ。桜,先頭を頼む﹂
﹁お任せ!﹂
なんだなんだ?何が何だか分からないままに蛍さん達が柵の隙間
へと向かっていくので俺としては言われるがままに付いていくしか
ない。
1020
え?待ち構えていた盗賊達はどうしたかって?
﹃火遁:豪槍﹄
はい。桜の火魔法により生み出された特大炎の槍で出口付近のや
つらはミディアムレアになりました。それを見て狼狽し道を開けた
盗賊達の間を俺達は走って抜ける。あれだけ絶望的だった囲みをい
とも簡単に⋮
︻構え!!︼
まあ俺達だって魔力も体力も万全だったらきっと抜けられていた
と思う。でもなんだろうこの呆気なさは。
︻射てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!︼
﹁来たな。流れ矢に気を付けろよソウジロウ!﹂
﹁へ?﹂
蛍さんの言葉の意味を計りかねて思わず間の抜けた声を出してし
まった俺の視界にさっき見たような矢の雨が見えた。
あぶな⋮⋮いと叫ぼうとしたが,どうやら矢は全て俺達の後方へ
と飛んでいく。どういうことだ?俺達の後ろには盗賊達しかいない。
仲間割れかもしくは幻術でもかけられでもしたか?
混乱する頭のままとにかく言われるがままに必死に走った俺はい
つのまにか止まっていた蛍さんの背中にぶつかって止まった。
1021
﹁ここまでくればひとまず安心だろう。システィナを治療しておま
えも少し休め﹂
ぶつけた鼻の頭を押さえながら周囲を見回すといつの間にか俺の
周りは軍服を来た兵士達に囲まれていた。
﹁これって⋮フレスベルク領軍?﹂
﹁そうだよソウ様。あそこにルスターのおっちゃんがいるでしょ﹂
桜の指し示す方向には1人ラーマに跨り,先頭で指揮を執るルス
ターがいる。
﹁⋮どうして?﹂
﹁け!水くせぇぜ旦那﹂
﹁ゲ⋮ゲントさん!?﹂
そこにいたのはちょっと引くくらいの大槌を軽々と肩に担いだベ
イス商会大工頭のゲントさんだった。
﹁どうしてゲントさんまでここにいるんですか!﹂
﹁おいおい。俺達に助けを求めに来たのは旦那だろうが﹂
﹁そ,そうですけど,俺が頼んだのは土砂の下から蛍さんと桜を掘
り起こして貰いたいってことですよ﹂
﹁まぁな。だが事情は若社長に聞いていたしな。
しかもやっと助けた桜嬢ちゃん達が話を聞くと同時にすっとんで
行くじゃねぇか。こりゃいよいよヤバいんじゃねぇかと思って俺ら
の中でも戦闘経験のあるやつだけを集めて大急ぎで追いかけてきた
のさ﹂
ゲントさんの後ろでベイス商会の大工さん達が笑って俺達に手を
1022
振っている。
そう,俺の打っていた布石の1つがこれだった。俺はウィルさん
に魔石の購入を依頼すると同時に頭を下げてベイス商会の大工さん
達を借りたいと頼み込んでいた。
俺達が盗賊達を引き付け時間を稼いでいる間にあの現場に赴いて
蛍さん達を助け出して貰いたかったからだ。俺達との交渉に盗賊達
が全員出てくることはパジオンの手紙︵本音︶に書いてあったので
俺達がちゃんと現場に向かえば蛍さん達がいるであろう場所にはも
う盗賊達は残っていないことは分かっていた。それなら大工さんた
ちにあそこへ行って貰っても危険はない。
しかも大工さん達は建築の基礎工事の関係で穴を掘ったり,岩を
どけたりすることに精通しているはずなので作業も安全かつ効率よ
くこなしてくれるのではないかと考えたんだけど⋮うまくいったみ
たいで良かった。
﹁ほら,パーティリングを返すぜ。これはパーティにとっちゃ大事
なもんだ。そうほいほいと人に貸し出すもんじゃない﹂
ゲントさんがぽいっとパーティリングを放り投げて来た。
ゲントさんも昔は塔に入っていたこともあるらしいのでその辺の
知識も豊富なのだろう。
﹁だが,それがなきゃ確かに桜嬢ちゃん達は見つからんかったな。
お前が﹃離れた場所の2つの地点からリングがそれぞれ引かれる方
向の重なり合う場所に嬢ちゃん達がいる﹄と教えてくれたのも良か
った。
おかげで手当たり次第に掘り返す必要が無かったからな﹂
﹁あ⋮有難うございました。おかげで蛍さんと桜が⋮﹂
﹁いいってことよ!旦那には風呂を教えて貰った借りがあるし,桜
1023
嬢ちゃんには新しい建築技術の手がかりをもらった。システィナ嬢
ちゃんにはうまい飯も食わせてもらったし,蛍のネェちゃんは俺達
の大事な飲み仲間だ。困ったら助けるのは当たり前じゃねぇかよ!﹂
照れくさそうに鼻をかきながらゲントさんが手を振る。
1日以上も土砂と岩石の下に埋もれていた筈の蛍さんと桜がぴん
ぴんしていることに疑問が無い訳はないのにそのことに対して触れ
ようともしない。そんなのは関係ないと態度で示してくれている。
くっ棟梁が男前過ぎて涙が出てくる。
俺は返してもらったリングをシスティナの腕に填めた。このリン
グが棟梁達を蛍さんの所に案内し,このリングが蛍さん達を俺達の
所へ導いてくれた。
そして今,俺の大事な人達との繋がりをしっかりと腕から感じる
ことが出来る。ゲントさんが言っていた言葉の意味がよく分かる。
メンバー全員の存在を感じ取れる。それだけで疲れていた身体に
みるみる力が戻ってくるような気がする。物欲しそうに見ている葵
にもリングを渡せるようにこの戦いが終わったらウィルさんにお願
いして5個セットの物を準備して貰おう。 ﹁⋮ソウジロウ様﹂
﹁気が付いた?システィナ。俺達の時間稼ぎが最高の形で報われた
よ﹂
﹁はい⋮感じます。蛍さんも桜さんもご無事だったのですね⋮本当
に良かった﹂
1024
システィナが目を覚ましたことに気が付いた葵以外の刀娘達がシ
スティナの手をそれぞれ握る。
﹁システィナ。お前がいてくれてよかった﹂
﹁シス!桜のお願いを聞いてくれて有難う。ソウ様を守ってくれて
本当にありがとね﹂
﹁⋮はい⋮⋮はい!でも私は当然のことをしただけです。
それに,お2人はきっと来て下さると信じていましたから。だか
ら頑張れたんです﹂
﹁遅くなってすまなかった。後は任せておけ﹂
﹁はい﹂
蛍さん達が立ち上がったのを見計らって,まだちょっと涙声のシ
スティナに最後の魔力回復薬を渡すと自分の回復をしておくように
﹃命令﹄しておく。こうしておかないとシスティナは自分のことを
後回しにしちゃうからね。
﹁葵,システィナを頼む﹂
﹁行くのですか蛍﹂
﹁ああ,そろそろ領軍が動くようだからな。奴らには私自身が借り
を返さなければなるまい﹂
﹁桜も行くよ。桜もちょっと怒ってるし﹂
2人から溢れる殺気が怖すぎる。
﹁2人共,分かってるよね﹂
﹁分かっておる。二度と同じ轍は踏まぬ。己の力を過信して無茶は
せぬ﹂
﹁うん⋮桜も約束する。もしまたソウ様があんなことになったら⋮﹂
﹁分かった。信じる﹂
1025
俺は2人の頭を撫でるとその手を身体に回して抱き寄せる。
﹁俺達もちょっと休んだら行く。それまでフレスベルク軍と大工さ
ん達になるべく犠牲が出ない様に守ってあげて﹂
フレスベルク軍はまだしも大工さん達は完全に俺達が巻き込んで
しまった形だ。誰かが死んでしまうような事態は絶対に避けたい。
2人は俺の腕の中で小さく頷くと前線へと駆けていった。
戦場はいつの間にか弓での斉射から接近戦へと移行しつつあり,
フレスベルク軍は戦線を押し上げている。その中にさっきまでここ
にいたはずの大工さん達も合流していた。っていうか﹃ベイス商会
の戦う大工﹄の異名は伊達じゃなかったらしく大きなハンマーをぶ
んぶんと振り回す大工さん達は盗賊達を圧倒していた。
⋮⋮助けはいらなかったかもしれない。あの人達ってもしかして
俺より強いんじゃないか?
﹁主殿。わたくしたちはどういたしますの?﹂
﹁俺達も行く。システィナはもう大丈夫?﹂
﹁はい。傷の方はもう塞ぎました﹂
﹁でも結構出血もあったはずだから今度の戦いではもう前に出るこ
とは禁止する。いいね﹂
﹁⋮⋮はい。でも!ソウジロウ様や皆さんの近くからは離れません
から﹂
まぁ,逆の立場だったら俺もそうするからそれは強くは言えない
か。それに関してはシスティナに頷いて了承しておく。後は⋮
1026
ケリ
﹁葵,今回の件。出来れば俺が決着をつけたい﹂
﹁⋮⋮主殿⋮でもあの男は強いですわ﹂
﹁うん。分かってる﹂
﹁⋮⋮⋮理屈じゃありませんのね。わかりました,協力致しますわ﹂
﹁ありがとう葵。よろしく頼むな﹂
葵の了承を得られれば後は機を見て動くだけだ。戦場の方は⋮⋮
うん,完全にこっちが押してるな。盗賊達も背水の陣状態だからか
なり頑張っているみたいだけど前線で兵士達を助けながら縦横無尽
に動き回る蛍さんと桜がやばすぎる。
2人が行くところには必ず赤い花が咲き,散っていく。この調子
なら遠からず盗賊達を殲滅出来るだろう。
そろそろ盗賊達の腰も引けつつあるみたいだが,俺達を包囲して
いた石切り場の高台は今度は盗賊達の逃げ道を塞いでしまっている
ので逃げるに逃げられないようだ。
だが,それでもなりふり構わなければ斜面を駆け上って逃げ出す
ことは可能だろう。
だから先手を打っておく。やつらをここで完全に欠片も残さず潰
す!
﹃桜!高台の上に逃げようとする盗賊を1人も逃がさないために上
に行け。上がってくる奴がいたら1人残らず仕留めろ!﹄
﹃了解!ソウ様﹄
﹃但し,絶対にシャアズには手を出すな﹄
﹃⋮⋮﹄
﹃俺が信じられないのか?﹄
﹃そんな訳ない!⋮ずるいよソウ様。そんなこと言われたら頑張っ
てって言うしかない﹄
1027
﹃それが一番力になるよ﹄
﹃うん⋮頑張ってねソウ様﹄
正直自信がある訳じゃないが桜を安心させるためにもしっかりと
頷いておく。
つまらない意地だとも思うが俺の女達をここまで傷つけられて黙
っている訳にはいかない。彼女達の仲間であり,主であり,夫であ
るために俺がけじめをつけてやる。
﹁じゃあ行こう。システィナ﹂
﹁はい﹂
1028
起死回生︵後書き︶
今回は難産でした。結末の落としどころは決まっていますし、書き
たいそれぞれの場面も決まっているんですが・・・それをうまく組
み合わせて一つの流れにつなぐのが難航しました。今もこれで良か
ったのかとちょっと思っていますが後は3章を書ききってから考え
ます^^;
1029
タイマン
葵と視線を交わし互いに頷くと俺はシスティナだけを連れて前線
へと向かう。
戦闘の方は既に大勢は決し,十数名の盗賊達とパジオンが下でフ
レスベルク軍に囲まれていて高台の上でシャアズとシャドゥラがそ
の様子を見下ろしていた。
シャドゥラの方は明らかに取り乱しつつあり逃げることをシャア
ズに進言しているようだがシャアズはニヤニヤと笑いを浮かべなが
ら近づいてくる俺をまっすぐに見ている。
そんな気はしていたがやはりシャアズはこの状況でも逃げるつも
りはないらしい。理由なんて知りたくもないがなぜか俺と戦うこと
をあいつも決めているということだ。
﹁おう,来たな。フジノミヤ殿﹂
﹁はい。援軍ありがとうございましたルスター隊長。おかげで命拾
いしました﹂
両軍が睨み合っているのを良いことにフレスベルク軍の中を悠々
と通り抜けて遊撃隊隊長ルスターの所まで辿り着く。
﹁フジノミヤ殿には大層な借りがあったからな。返せて良かった﹂
﹁領主は兵を派遣しない方針だったのでは?﹂
・・
・・・・・・・・
﹁勘違いしては困るなフジノミヤ殿。我々は郊外に演習に来たとこ
ろで偶然赤い流星がフレスベルク領民を襲っているところを発見し,
やむを得ず戦闘になっただけだ﹂
﹁⋮⋮ちょっと苦しくないですか?﹂
1030
﹁構わん。所詮は建前だからな。
私達は危険を侵してでもコロニ村の住民を助けてくれたことを深
く感謝している。私の隊にはあの村の出身者がいる。⋮⋮残念なが
らそのほとんどが亡くなってしまったがコロニ村に親戚がいた者も
いるのだ⋮彼女のようにな﹂
﹁遊撃隊所属のカレンと申します。私の叔母と姪を助けて頂きあり
がとうございました!﹂
いつの間にかルスターの隣に来ていた若干あどけなさの残るショ
ートヘアの女兵士が目に涙を浮かべながら深々と頭を下げる。
システィナはたくさんの人を救えなかったことを悔やんでいたが
こうして感謝してくれる人達もたくさんいる。それはきっと俺達が
村人を救うために全力を尽くしたということを認めてくれているか
らだ。
﹁頭を上げて下さい。俺達新撰組は冒険者ギルドの依頼を受けた冒
険者として普通に依頼をこなしただけです﹂
﹁ふ⋮ウィルマーク殿が入れ込むのも分かるな。確かに何かを期待
させる﹂
﹁え?﹂
﹁フジノミヤ殿,今回の我々の行動を後押ししたのはウィルマーク
殿だ﹂
﹁えぇ!!﹂
﹁フジノミヤ殿が領主館を去った後,私の所に来て﹃もしもの場合
は兵を動かせるようにしておいて欲しい﹄と頼まれた。そして,い
ざという時に動けるように郊外演習の申請を出しておくというのも
彼の入れ知恵だ﹂
1人残った領主館でそんなことまで⋮
1031
ウィルさんには本当に足を向けて寝られないな。俺はウィルさん
が思っているほど凄い人間じゃないんだけどな。期待が重い⋮
﹁でも,悪い気分じゃない﹂
﹁ん?何か言ったか?﹂
﹁いえ,なにも﹂
だったらほんの少しだけウィルさんの為にも頑張ってみるのもい
いかもな。嫁のためが8割で自分のためが1割5分,ウィルさんの
ためが5分ってとこかね。
﹁ルスター隊長お願いがあります﹂
﹁シャアズ!降りてこい。俺と勝負をしよう﹂
﹁ほう?この期に及んで勝負だと?
このまま押し包んで攻めれば赤い流星はめでたく壊滅だぜ﹂
高台の上で1人椅子に座っていたシャアズが立ち上がって俺を見
下ろす。
﹁確かにな。まとめて降伏してくれるならそれが一番ありがたいん
だがパジオンやシャドゥラはともかくお前は降伏する気はないんだ
ろう?﹂
1032
﹁ふん!良く分かってるじゃねぇか。俺にとっては赤い流星も単な
る暇つぶしみたいなもんだ。潰れるなら潰れてくれても構わねぇか
らな﹂
背中の大剣を抜き放ち肩に乗せながらしゃあしゃあとのたまうシ
ャアズにパジオンとシャドゥラは信じられないという顔をしている。
2人にとっては赤い流星という組織は大事なものだったのにその頭
領たるシャアズがその組織になんの思い入れも無かったことがショ
ックなのだろう。
﹁なるほどな。お前にとっては世間から恐れられた大盗賊団赤い流
星すら暇つぶしのおもちゃだったってことか。
ディアゴも似たような考え方だったが,間違いなくお前の方が狂
ってるな﹂
﹁ほう⋮⋮ということはディアゴをやったのもお前だな?
スゲェじゃねぇか!ディアゴ,メイザ,そしてシャドゥラにパジ
オン。お前らだけで赤い流星潰したようなもんじゃねぇか!﹂
どうやらあいつの中では既にパジオンもシャドゥラも死んだ者扱
いらしい。
﹁それはどうでもいい。ようはお前に抵抗されると無駄な死人が増
えるってことだ。だから俺から提案だ。
まず下っ端共,今すぐ武器を捨てて降れ。そうすれば殺しはしな
い。﹃契約﹄で縛って強制労働くらいはさせるが死にはしない。死
ぬ気で働けば何千日か後には自由になれる可能性も与えてやる。
だが,ここで降らなかったら今ここで確実に処分させてもらう。
降る奴は武器を捨てて両手を上げたままフレスベルク軍まで来て縄
につけ﹂
1033
俺の提案に生き残った下っ端共は互いに顔を見合わせると1人,
また1人と武器を投げ捨てた。シャアズのあのセリフを聞いた後で
は団に対する忠誠心はもう既にないだろう。
まずは十数名の盗賊達を無力化することに成功か⋮本番はこっか
らだな。
﹁次にパジオン,シャドゥラ,そしてシャアズ。お前らは何をどう
したって死刑以外の道はない。だが今この場で俺の指定する者と1
対1で戦って勝てばこの場は見逃すことを約束する﹂
これに向こうが乗ってきてくれれば確実にシャアズと戦える。数
で奴らを殲滅しようとすればおそらく少なくない数の兵士が犠牲に
なる。それではシャアズを討てても素直には喜べない。
形勢が逆転して圧倒的に追い込まれたこの状況ならやつらもこの
話を受けざるを得ないはずで,受けさせさえすれば後は蛍さんと桜
にパジオンとシャドゥラをそれぞれ相手にして貰えばいい。
あの2人はどちらも武力ではなくパジオンは策とテイムした魔物
で,シャドゥラは魔法を主体としている。ハマれば無類の強さを発
揮するかもしれないが,蛍さんと桜が面と向かって戦うタイマンで
負けるなんてことはまずない。
これなら兵士や大工さん達に犠牲が出ることはない。
﹁いいぜ。受けてやるよ。俺達の攻撃を凌いだら相手をしてやる約
束だったからな﹂
﹁決まりだな。お前の相手は俺がする。
それからシャドゥラの相手は⋮蛍,頼めるか?﹂
﹁任せておけ﹂
1034
俺の隣に立っていた蛍さんが口角をあげ物騒な笑みを浮かべる。
俺に指名されたことが嬉しいらしい。
﹁パジオン。お前の相手は﹂
﹁待て!待て⋮待ってくれ!お前らの話は受ける。受けてやるがせ
めて俺の相手くらいは自分で決めさせてくれ!﹂
﹁話にならないな。傷ついた兵士や,兵士に成り立ての者を指名さ
れたら困る。 こっちだって負ければ見逃すというリスクを負って
いるんだ。お前もリスクを負え﹂
桜を指名しようとした俺に向かって土下座をしかねない程の勢い
でパジオンが頭を下げているが奴の要望を聞いてやる必要などない。
そもそも俺達は3人で100人からの猛攻を凌いでいたんだぞ。そ
れに比べれば甘すぎる条件だろうが!
﹁分かった!分かっている!だから俺の相手はそこの侍祭でいい。
それなら構わないだろう?﹂
ていうかこいつもう殺しちゃうか?
そもそもシスティナはお前のせいで深手を負ったから今日は前線
に出ないように命令したのにここでまた無理させられる訳ないだろ
うが!
﹁その戦,お受けします﹂
﹁な!﹂
俺の後ろに控えていたはずのシスティナがいつの間にか前に出て
パジオンと正対していた。
1035
﹁何言ってるのシスティナ!そんな話,受ける必要ない!桜に!こ
こは桜に任せれば⋮﹂
俺の抗議の声は黙って首を振るシスティナに止められた。
﹁やらせてください﹂
﹁でも!﹂
﹁やらせてください﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁やらせてください﹂
﹁⋮⋮はぁ,わかった。システィナに任せる﹂
主の言いなりになりがちな侍祭という職にあってもシスティナに
は自分の意志を大事にしてもらいたいと常々言って聞かせていたが
なんだか良い感じに一皮剥けてきた気がする。
今回のように俺の言うことに従わないこともままある。もちろん
それはシスティナの我が儘ではない。俺達の為に絶対必要だと思っ
たことや,どうしても守りたいものがあるときだけだ。
だから今回もシスティナの中では大事なことだということは分か
っている。分かっていてそれでも止めたいのはただ単に俺が心配性
なだけなんだが⋮
﹁ありがとうございます。ソウジロウ様﹂
システィナは意地の張り合いに折れた俺に向かって優しく微笑む
と魔断を手にし更に前へと出る。
1036
﹁くくく⋮よし!
い,一応確認しておくぞ!1対1の戦いってことは俺がこの侍祭
と戦っている最中は誰も手を出さないってことでいいんだな!﹂
﹁ん?⋮ああ構わない﹂
何を気にしているのかは知らないがタイマンというのはそういう
ものだろう。
と言いつつも実際システィナが危なくなったら余裕でそんな取り
決め無視するけどな!え,卑怯?いやいや盗賊相手に卑怯とかない
でしょ。あいつらが今までやってきたことに比べれば可愛いもんだ。
﹁よし!じゃあ,すぐにやろう。俺と侍祭の戦いからだ!﹂
う∼ん,何か企んでるっぽいんだけど今のあいつの状況で有効的
な策が打てるとは思えないんだけどな。
﹃蛍,あいつがなんか変なことしてシスティナが危なくなりそうに
なったらルール無用で介入しろ﹄
﹃任せておけ。言われるまでもない﹄
システィナに変なことしてみろ。文字通り八つ裂きにしてやる。
1037
タイマン︵後書き︶
※ レビュー、評価、感想、ブクマ、ご意見等々いろいろお待ちし
ております。
1038
二重︵にじゅう︶
ほんの少し前まで雄叫びと悲鳴と剣戟,爆音に満ちていた戦場は
先ほどまでとは打って変わり静かな空気が流れていた。
フレスベルク軍の方では投降した盗賊達を縛り上げたり移動させ
たりするための指示が飛んでいたりするが,基本的には俺達6人だ
けを見守るという雰囲気が出来上がっている。
シャアズは相変わらず高台の上から楽しげに俺達を見下ろしてい
る。弟のシャドゥラは高台の真下まで移動して座り込んだまま目を
閉じたまま動かない。諦めたのか集中しているのかは分からないが,
魔法でも使おうとしようものならすぐに葵から警告が来るはずなの
でとりあえず今は放置でいい。
そして俺と蛍さんはシスティナの邪魔にならないようにやや距離
を開けて観戦態勢に入っている。
﹁それでは始めましょうか﹂
パジオンと5メートル程の距離を置いて向かい合ったシスティナ
が魔断を構えて告げる。
﹁くくっ⋮ああ,今からが戦闘開始だ。そしてこれで俺達の決着が
つくまで誰も俺達の邪魔が出来なくなった﹂
﹁⋮それがどうかしましたか?あなたを倒すのに誰かの手を借りる
必要はありません﹂
冷たく言い返すシスティナにパジオンは余裕を崩さぬまま笑いを
1039
漏らすと空を舞っていたニードルホークを呼び寄せた。
テイマーとしてのパジオンが今,唯一使役できる魔物である。
﹁俺はずっと戦場をこいつの目を通して見ていた﹂
確かにニードルホークは俺に襲い掛かってきた1回を除いて常に
上空を旋回していた。そのニードルホークの視界を共有していたか
らこそ俺達を囲むパジオンの対応が早かったのかもしれない。
﹁それが何か?﹂
﹁確認済みだということだ﹂
﹁⋮⋮﹂
パジオンの自信の根拠が分からずシスティナが怪訝な表情を浮か
べる。
﹁くくく⋮ずっと絶え間ない我らの怒濤の攻めに晒されていたから
な。気づいていないのも無理はない﹂
﹁何を言っているのか分かりませんが,戦闘が開始しているという
のならこちらから行きます﹂
﹁出来るものか!なぜならお前はあの男と新たなる侍祭契約をして
いない!﹂
﹁﹁あ!!﹂﹂
﹁そうである以上,侍祭であるお前は攻撃されれば反撃することは
出来るが自分からその力を奮うことは出来ない。それが過分なる力
を与えられし侍祭の枷!絶対の法だ!﹂
﹁⋮⋮﹂
1040
なるほど⋮パジオンの自信はそんなところから来ていたのか。侍
祭契約を解除したままのシスティナなら自分から攻撃を仕掛けない
限り反撃を受けることはない。
そして戦闘中は外の者は手を出せない。つまりその間にすたこら
さっさと逃げ出すことが出来る。そういうことか⋮⋮⋮うん,なん
というかせこいな。
﹁ソウジロウ様⋮﹂
パジオンの自信満々の説明を聞いたシスティナが困惑の表情を向
けてくるが,俺としては肩をすくめつつ苦笑するしかない。
まさか,こんなところで時間稼ぎのために打っていた布石がまた
活きるとは思わなかった。
俺はシスティナに目線だけで﹃お好きにどうぞ﹄と伝えるといつ
でもシスティナの助けに入れるように準備していた身体のギアを1
段下げる。パジオンの企みがそれだけのことならばシスティナが不
覚を取ることはもうない。
そんな俺の様子に僅かに微笑みながらシスティナは頷くとすたす
たとパジオンへと近づいていく。
﹁ふはは!隙だらけで近づいてきて俺に手を出させようとしても無
駄だ!俺からは絶対に手は出さんからな!
もちろんこいつにも手は出させない!﹂
ニードルホークに攻撃をしないように指示を出しながらゆっくり
と後ずさるパジオンとの距離を詰めるシスティナにはなんの躊躇も
ない。
1041
﹁ちょ⋮ま,待て!まさか!⋮いや!確かにあれは侍祭の主従契約
書だった!侍祭の﹃契約﹄スキルで現れる契約書で色が付いている
のは侍祭契約書の証。 確かにお前は黄色い契約書を破棄したはずだ!﹂
そう言えばシスティナが今まで出した契約書は俺と契約した時の
もの以外は全部半透明の白だった気がする。そんな法則性があった
のか⋮⋮侍祭を欲しがっているだけあって侍祭というものをよく調
べているらしい。
﹁はい。確かにあなたたちの指示に従い私はソウジロウ様との﹃主
従契約﹄を解除させられました﹂
﹁そそそそ,そうだ!だから今お前は契約者がいない状態のはずだ
ろう!だだだからお前から力を使う訳には行かないはははずだ!﹂
﹁いえ⋮問題ありません﹂
﹁はぁ⋮?﹂
﹁私とソウジロウ様との本契約は﹃従属契約﹄ですので﹂
・・
そうそう赤い契約書ね。
﹁ば⋮馬鹿な⋮じゃ,じゃああの黄色い契約書は?﹂
うんうん,主従契約書だね。
﹁そ,んあ⋮⋮2重契約なんて聞いたことも﹂
だろうね。契約書にも2重契約禁止の項が明記されてたからな。
あ,もちろん適当に書き換えておきました。
1042
﹁私の主は素晴らしい方なんです。あなたたちのような輩が傷つけ
ていいような方ではありません!そんな最高の主との尊い契約を1
つとは言え無理矢理解除させられた私の気持ちがあなたにわかりま
すか?﹂
あぁ⋮そこが今回のシスティナの逆鱗だったのか。確かに疑われ
ずに時間稼ぎをするためにした謂わば仮初めの契約だったけど,俺
でさえ解除した時は言いようのない寂しさがあった。となれば契約
を重んじる侍祭は俺よりも強い喪失感を感じていたのかも知れない。
﹁ひっ!じゃ⋮じゃあ﹂
﹁ええ,私は初めてソウジロウ様と契約をした時から一時も欠かさ
ず,もちろん今もソウジロウ様の恩恵を受け続けています。
⋮ですので問題なく力を奮えます﹂
システィナの剣幕に腰が抜けて地面に腰を落としたパジオンがず
りずりと後ずさるのを見下ろしながら目前まで間合いを詰めたシス
ティナがゆっくりと魔断を振り上げた。
﹁くくくくそ!やれ!ホーク!この女を殺せ!﹂
ヒュドン!! キュピ!
﹁あなたの下僕は今潰れましたよ﹂
俺でも一瞬見失うような速度で振り下ろされた魔断の槌が再び持
ち上げられるとそこには上半身部分をぺったりと地面に張り付かさ
れたニードルホークがまだ無事な両足をぴくぴくとさせていた。
1043
﹁ひぃ!﹂
股間を濡らし,涙と鼻水を垂れ流しながら半分白目を剥いたパジ
オンには,もう完全に大盗賊団の幹部兼参謀という姿は見る影もな
い。
﹁さあ,最後です。あなた方には懺悔の時間すら不要です﹂
﹁あ⋮⋮あ,あが⋮﹂
システィナが魔断を大きく振りかぶる。そしてもういっそ事務的
に槌部分を振り下ろす。
ドォォォォン!!!
﹁すいません,ご主人様。あまりにも見苦しかったもので⋮﹂
﹁うん。システィナがそれでいいならいいよ。俺とのダミーの契約
1044
1つでそんなに怒ってくれたことだけで嬉しいしね﹂
﹁ご主人様⋮はい!﹂
結局システィナはパジオンを殺さなかった。パジオンのすぐ脇に
振り下ろされた魔断により小さなクレーターが出来ていたりもする
がとどめは刺さなかった。
パジオンは恐怖極まり,既に泡を吹いて気絶しシスティナの魔断
にローブを引っ掛けられて引きずられている。
﹁取りあえず⋮それはさっさとルスター隊長に渡してきなよ。どう
せ殺されるだろうけどフレスベルクにしてみれば幹部の1人くらい
は生け捕りにした方が多分都合がいいだろうから喜ばれるよ。
一応幹部とのタイマンと殺害の許可は取ってあるんだけどね﹂
﹁はい。行ってきます﹂
ずるずるとパジオンを引き摺って去っていくシスティナを苦笑と
共に見送ると隣にいる蛍に視線を向ける。
﹁私は生かしておくつもりはないぞ﹂
﹁俺にもないよ⋮まぁシスティナにも無かったと思うけどね﹂
﹁ふ,確かにな。あれでは戦う気も失せる﹂
﹁今度は大丈夫じゃないかな﹂
パジオンの戦いなど全く目もくれずにひたすら目を閉じて座って
いるシャドゥラを見た。
﹁さっき葵が教えてくれたんだけど,どうもあれをやってる間は魔
力の回復速度が上がるらしい。普通の人はそんなことないらしいか
らあいつが持ってるスキルなんだろうね﹂
1045
﹁ほぉ⋮ならば魔法が使えずに一方的終わるということはなさそう
だ。
それに本格的な魔法使いと戦うのは初めてじゃな。
ふむ,ならばちょっと試してみるか。この戦い私も魔法主体で戦
うとしよう﹂
﹁ちょっと!過信して油断しないって約束覚えてるよね?﹂
﹁分かっておる。我の場合は魔法主体と言っても刀術と組み合わせ
てあるからな。攻撃方法の主体が魔法だというだけだ。ようやく形
になり始めている技も使ってみたいしな﹂
﹁ならいいけど⋮﹂
﹁ソウジロウ⋮我らは本当に後悔して反省している。その気持ちに
嘘はない,我らを信じろ﹂
﹁⋮馬鹿だな。言われなくても俺が何よりも,誰よりも信用してい
るのは蛍だよ﹂
それだけは間違いない。もちろんシスティナや桜,葵も信用して
いるが蛍より僅かに劣る。と言っても嫁達と一般人の間には超えら
れない壁があるんだけどね。
俺のそんな言葉を聞いた蛍は一瞬きょとんとした顔をした後,と
びきりの笑顔を見せ俺の頭をくしゃくしゃと撫で回した。
﹁ありがとうよ。ソウジロウ。
ならば私の心配はいらぬ。自分の戦いに備えて気持ちを整えてお
け。あの男はなかなか強いぞ﹂
﹁うん,分かった。気を付けて﹂
﹁うむ。ではさくっと行ってこよう﹂
1046
二重︵にじゅう︶︵後書き︶
※ 読んで下さった方ありがとうございます。これからも頑張りま
すので,まだブクマをしてない方は是非ブクマお願いします。
仮の評価でも構いませんので評価も頂けると嬉しいです。
1047
三種の神器︵前書き︶
12/5に初めて日間ランキングに載ることが出来ました。282
位から始まって今はなんと93位です。苦節8か月⋮人気が上がら
なくても腐らずに頑張って書き続けて良かったです。読んでブクマ、
評価をしてくれた皆さんありがとうございました。 テンションあ
がったのでギリギリですが頑張って連日投稿します^^
1048
三種の神器
蛍が刀をぶら下げたまま前に出ると,それに呼応するかのように
シャドゥラが目を開け静かに立ち上がった。
立ち上がったがそれ以上は近づいてこようとはしない。まあ魔法
使いにしてみたら立ち合いの間合いは少しでも遠い方がいいだろう
から当然と言えば当然か。
そういう意味ではシャドゥラは自分の戦い方を知っている。
﹁やはりパジオンの言うことなど無視して,さっさとあなた達を殺
し移動をすれば良かったですね。そうすれば兄上の組織に対する意
識を知ってしまうことも無かったし精鋭だけを残した赤い流星はま
だまだ名を上げ続けたでしょうに﹂
﹁ふん,それはどうだろうな。結局のところお前らはたったの3人
を仕留めきれなかった。多少の時間稼ぎをされたとは言え圧倒的戦
力差を擁していたにも関わらずな﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁認めてしまえ。お前らは100人いてもソウジロウに勝てなかっ
た。それだけのことだ﹂
ワンド
シャドゥラは懐から魔石のような石が填め込まれた短杖を取り出
して構える。上にいる時は見えなかったがあの特大の火球を産み出
したときもきっと持っていたのだろう。あれがシャドゥラの魔法を
底上げしている可能性が高い。
距離的にはギリギリだがいけるか?﹃武具鑑定﹄
﹃憎炎の魔杖︵呪い︶
1049
ランク : C− 錬成値 ︱ 技能 : 火魔法増幅++ 特殊技能: 他魔法使用不可︵永続︶ 所有者 : シャドゥラ ﹄
うわ⋮初めて見た。呪われた装備だ。
どうやら火魔法に凄い恩恵がある代わりにその他の魔法は一切使
えなくなるらしい。しかも永続とかあるから装備を外してもこの特
殊技能は消えないんだろうな。
確かにいくら好条件が重なっていたとはいえあれだけの火の魔法
はやり過ぎだと思わなくも無かったけどこんな絡繰りがあったのか。
でも火魔法限定とはいえ補正がほぼ﹃極﹄に届くレベル。その効
果は見逃せないよな。桜が火魔法以外を使う予定がないなら装備さ
せて背中に背負わせておくのも有りかもしれない。うまく回収出来
たら聞いてみるか。
﹁⋮いいでしょう。認めますよ,確かに負けです。
シャアズの率いた赤い流星は今日ここで完全に潰えるでしょう。
ですがシャドゥラはここでは終わりません﹂
﹁ほう?﹂
﹁私はあなたに勝ち,必ずここを離脱します。
そうしたら今度は私が1から団を編成します。その再結成させた
赤い流星で私達はまた名をあげるのです﹂
まだ諦めて無いのか⋮⋮あれだけ非道なことをしてきたことの報
いを今受けようとしているのに,それでもあんなことを続けたいっ
て言うのか?
駄目だ⋮⋮こいつは絶対にここで。いっそ俺が!
1050
﹃ソウジロウ﹄
﹃はっ!⋮⋮うん。分かってる﹄
危ない⋮こうしてのんびり観戦しているように見えても俺の中で
はあいつらの悪事に対する怒りが蓄積し続けている。だが,その気
超集中状態
持ちを今は内に押しとどめてシャアズとの戦いに備えている状態だ。
今までの経験から言うと既に半分近く光圀モードに入っている感じ
だ。
このふつふつとしたこの激情を爆発させて力に変えるような人も
いるのかもしれないがどうやら俺はそうじゃないらしい。感情的に
なっても結局は動きが雑になってしまい害になることが多い。戦闘
系のスキルも無く,格闘技の知識も経験も無い俺が命のかかった戦
いをするにはむしろどんな時よりも冷静になる必要がある。
それを俺の師匠でもある蛍は良く知っている。だからシャアズと
の戦いに備えて俺の心理状態がベストの形になるように注意をして
くれたのだろう。
﹁ご主人様⋮﹂
そして後ろからそっと俺の左の小指を握ってくれたシスティナも。
﹁うん,大丈夫﹂
あいつの処理は蛍に任せればいい。俺はシャアズとの戦いに備え
て集中するだけ。
なんとなく蛍の戦いは長くはかからない気がする。俺の番は近い。
﹁いいだろう。私に勝てるのならば好きにすればよい。
魔法が得意なのだろう?私はこの刀という武器で戦うのが主な戦
1051
い方なのだが⋮⋮
あえてお前の得意な魔法を主体に戦ってやろう。それで負ければ
お前ごときがいかに大それたことを言っているのかよくわかるだろ
うよ﹂
﹁⋮⋮後悔しますよ﹂
﹁はん!それは楽しみじゃな﹂
シャドゥラの刺すような視線を全く意に介さずに受け流した蛍は
シャドゥラの攻撃を誘うように刀を下げたままゆっくりと近づいて
いく。
シャドゥラは魔杖を手に既に詠唱に入っている。うちのメンバー
は特殊なので詠唱をして魔法を使う人がいない。システィナですら
いつの間にか詠唱をしないで回復術を使うようになっている。魔法
はイメージ力が全てだと理解してからは叡智の書庫から地球の人体
の知識を貪欲に吸収していたのでそのせいだろう。
﹃火炎連弾!﹄
そんなことを考えている間にシャドゥラからバレーボール大の火
の玉が4つ放たれる。その魔法が凄いのかどうか俺にはよくわから
ないが,俺に向けられていたとしたら素の俺では撃ち落とせないの
でかわすのに必死になっていたと思う。
やたかがみ
﹃蛍刀流:八咫鏡﹄
だが蛍は違う。光を纏わせた刀を一振りするたびに光の壁が現れ,
ピンポイントで火球を迎撃していく。それどころか受けた角度次第
では火球を跳ね返している。凄い!いつの間にあんなことまで。
﹁なんですかその魔法は!くっ⋮ならば﹂
1052
シャドゥラはおそらくこの世界では見たことも無いであろう蛍の
魔法に驚愕しながらも,跳ね返ってきた魔法を避ける為に立ち位置
を変えつつ再び詠唱を始める。
﹃火爆陣!﹄
シャドゥラの持つ杖から放たれた魔法は蛍の目の前で地面に吸い
込まれ,地面から蛍を囲むように炎が吹き上がる。
即座に反射されないような魔法を選択してきたか!さすがに魔法
が得意だと言うだけのことはある。
﹁ほう⋮魔法使いというのも伊達じゃないな。では⋮﹂
蛍は着物の隙間から白い太腿を露わにするとそこに装着されてい
た特製のクナイを取り出すと地面に刺しその上に乗った。
やさかにのまがたま
﹃蛍刀流:八尺瓊勾玉﹄
と同時にシャドゥラの魔法が完成し陣が爆発する。
﹁くっ!蛍!﹂
離れていても激しい音と熱波がこちらまで届く。蛍なら敢えて受
けずとも持ち前の速さで陣から逃れられたはずなのに。本当に魔法
合戦で勝つつもりらしい。
爆発で巻き上げられた土砂がパラパラと地面に落ちる音が続くな
か土煙に覆われていた爆心地の視界が徐々にクリアになってくる。
1053
﹁なんです?火爆陣を避けるでもなく敢えて中心で受けておきなが
ら⋮無傷?﹂
シャドゥラの呆然とした呟きが聞こえる。特に心配はしていなか
ったがようやく姿が確認出来てきた蛍の姿を確認して一応安心する。
蛍は地面に刺したクナイの上につま先で立ち刀を正眼に構えた姿
で全身が勾玉の形状をした光の繭で覆われていた。
おそらく魔法を防御する膜のようなモノなのだろうが,髪さえも
揺れていないことから考えるとかなりの防御能力がありそうだ。
シャドゥラもまさか設置型の魔法をど真ん中で受けられるとは思
っていなかったのだろう。思わず思考停止に陥ってしまったらしく
驚愕の表情で立ち尽くしている。
﹁ぼんやりとするな。その程度なら終わりにしてしまうぞ﹂
そんなシャドゥラに蛍は容赦のない言葉を投げかけ,威嚇のつも
りかおいしそうな太腿から更に数本のクナイを取り出すとシャドゥ
ラの周囲に投げつけた。
自分の周囲にざすざすざすと刺さっていく刃物の恐怖に我に返っ
たシャドゥラは冷や汗を拭いながら三度目の詠唱に入る。いくら瞑
想のようなものをして魔力を回復させていたとはいえもともと消耗
していた状態である。そろそろ奴の残魔力もこの辺で限界ラインな
気がする。
つまりはこの戦いでの最後の魔法ではないだろうか。葵が手元に
ないため俺の目にはシャドゥラの魔力は全く見えないが,俺の小指
を掴むシスティナの力がちょっと強くなっていることからかなりの
魔力を使った魔法を詠唱しているらしい。
本来なら壁役のいない魔法使いなんて,そんな悠長な詠唱をして
1054
いる間に潰されてしまうのだが蛍は敢えて最後まで唱えさせるつも
りのようだ。
﹁もっと!もっと吸いなさい魔杖!これで私は自由を勝ち取ります
!﹃炎帝の拳﹄﹂
シャドゥラが今までの自分の行動も省みずに自分勝手なことを言
いながら魔法を発動する。
するとシャドゥラの頭上に炎の渦が巻き起こる。そしてその渦は
すぐにその形状を拳の形状に変えていく。まさかあの炎の拳をぶつ
けるという魔法か?ファイヤーボール的なさっきまでの魔法と形が
違うだけで何が違うんだろう。
﹁いきなさい!炎帝!﹂
そんな俺の疑問は解消されないままシャドゥラの作り出した拳は
蛍さんへと振り下ろされる。
﹁ふ,形が変わろうと同じこと。﹃蛍刀流:八咫鏡﹄﹂
蛍は再び光魔法で盾を産み出して拳を反射させるべく受け止める。
﹁く!﹂
だが,炎の拳は八咫鏡に当たっても反射することなくそのまま蛍
を押し潰そうと圧力と熱を掛けている。
もしかしてあれはぶっ放し系の魔法じゃないのか?火魔法にプラ
スして物理攻撃乗っけましたみたいな感じか?
﹁ほう⋮なかなかやるな。だが!﹂
1055
蛍は八咫鏡で受けきれないと判断すると拳の下から抜け出して拳
をかわす。
﹁くぅ!まだです!追え!炎帝!﹂
シャドゥラの苦痛に満ちた声に従い炎の拳がその軌道を変えて蛍
を追いかける。
⋮これはちょっと凄い魔法だ。葵の魔力操作による魔術と違い,
魔法は魔力を起爆剤に結果だけを導く。葵やシスティナに聞いた感
じから推測すると一度発動した魔法を後で遠隔操作するのは最低で
も同じ魔法をもう一発撃つのと同じくらいの負担がかかると考えら
れる。
﹁む⋮⋮足りない分の魔力は生命力を削っているのか?どうせ負け
れば死ぬのだから正しい命の使い方と言えるな﹂
蛍は意外なほどに速度のある炎帝の拳をひらりひらりとかわす。
その度にシャドゥラは軌道修正を行い,その度に頬が削げていく。
﹁がはっ!くそ⋮⋮当たれ当たれ当たれ当たれ当たれ当たれ当たれ
当たれ!たれたれれれれえぇぇ!﹂
意識が朦朧し始めたのか吐血しながら意味の分からないことを呟
き始めたシャドゥラの目がカッと見開いた。
﹁なんと!﹂
するとそれまで拳のまま追い続けていた炎帝の拳が蛍の避けた方
1056
に向かって拳を開いた。ギリギリで拳をかわしていた蛍にはその張
り手打ちはかわせない。
まずいか?いや!蛍なら大丈夫。
くさなぎ
﹃蛍刀流:草薙﹄
一瞬。蛍の魔法のキーワードと共に光の線が炎帝の手を斬り裂き,
次の瞬間炎は雲散した。
﹁凄い⋮蛍は1人で特訓してあんな魔法を⋮﹂
日本の三種の神器に見立てた蛍の光魔法は多分⋮
やたかがみ
やさかにのまがたま
対魔法反射用障壁 ﹃八咫鏡﹄
くさなぎ
対魔法絶対防御障壁 ﹃八尺瓊勾玉﹄
そして
対魔法切断用属性刀 ﹃草薙﹄
いずれも今まで自分の周りに無かった魔法という力に対応するた
めのものだ。 魔法というイレギュラー要素さえ潰せるのなら後は
自分の刀術で戦えるという刀としての強い自負が現れたオリジナル
の魔法。くそっ,やっぱ蛍は格好いい!最高だ。
﹁礼を言おうシャドゥラとやら。おかげで私の魔法がこの世界の魔
1057
法使い達にも通用するということが分かった﹂
光を纏い二回りほど大きく見える蛍丸を手に悠々と歩く蛍。その
先にいるシャドゥラは既に膝をつき顔を上げるだけの力も残してい
ないようだ。
﹁お礼に私が考えた今の私が撃てる最高の魔法で仕留めてやろう﹂
1058
三種の神器︵後書き︶
※ 引き続きブクマ、評価、感想、レビュー等々お待ちしておりま
す。
1059
シャアズ︵前書き︶
日間ランキングが一桁!8位になりました。ブクマ・評価ありがと
うございます。今までになりPV数にワクテカしています。
今後も頑張りますので引き続き応援よろしくお願いします。
1060
シャアズ
今のシャドゥラは完全に力を使い果たしてしまっていてまさに死
に体で普通に捕らえることも容易だが蛍は捕縛は全く考えていない
らしい。あくまで命をかけた決闘として最後まで決着をつけるつも
りなのだろう。
らんげ
﹁ではゆくぞ。﹃蛍刀流:光刺突・派生の一︻乱華︼﹄﹂
重心を落として刀を構えた蛍はこのまえ塔の中で見せてくれた物
理的貫通力のある光線を突きと同時に撃ち出す魔法を放つ。
放たれた光は身動きしないシャドゥラの胸を一瞬で貫く。よし!
これで勝負有りだ。
﹁え!﹂
そう確信した瞬間,眼前が光に包まれる。
﹁く!⋮こ,これは?﹂
一瞬強まった光に思わず過敏に反応してしまったが光は直視出来
ないほどではない。やや目を細めて光の中を探る。
そこに見えた光景は蛍に現段階で最高と言わしめるだけのことは
あるものだった。
﹁まるで光の華です﹂
後ろで呟くシスティナの言葉に俺も全くもって同感だった。蛍の
1061
放った光刺突はシャドゥラを貫いた後,その後ろに刺さっていたク
ナイに反射し更に背後からシャドゥラを貫く。反射によって僅かに
分光した光はまた別のクナイに反射し,そこで反射した光はまた別
の⋮
そうしてシャドゥラを中心に乱反射した光線はありとあらゆる角
度からシャドゥラを貫き続ける。それでいてクナイで囲まれた範囲
外に漏れた光は無害化されるという緻密な構成。見た目の華やかさ
とは対照的に恐ろしいほどに殺傷能力の高い魔法だった。
おそらく光が華のように乱反射していたのは時間にすればほんの
僅かな時間だったと思う。だがその間にシャドゥラを貫いた光の数
はもはや数えるのも馬鹿らしいほどだ。その結果,地面に横たわる
シャドゥラの姿はほぼ黒焦げで原型をとどめていなかった。
﹁凄いね⋮これを考えていたからリュスティラさんに鏡付きのクナ
イを作って貰ってたんだ﹂
﹁うむ。だが魔鋼を磨いた鏡では効率が悪いな。かなり精度が落ち
る。この辺はリュスティラとディランに要相談だな﹂
﹁はは⋮充分な威力だと思うけど﹂
シャドゥラの行く末を確認せずに戻ってきていた蛍はあれでもま
だまだ不満らしい。
﹁さて,お前の番だ。準備は良いな﹂
﹁うん。ただ,始まる前に一瞬だけ戦場全体に目くらましをかけて
くれると助かる﹂
﹁分かった。確かにこれだけの人数に大っぴらに漏洩する訳にはい
かぬな。まあ一部には露見しつつはあるがな﹂
1062
﹁ちょっと待ってソウ様。桜が持ってきたから大丈夫だよ﹂
いつの間にか近くにいた桜が俺に鞘に入った葵を差し出している。
おぉ!これは助かる。刀娘たちのことはどうやら一部には知られつ
つあるようだがまだまだフルオープンにはしたくない。
本来は葵が前線から下がって行った形にしておいて,蛍さんに目
くらましをしてもらいその瞬間に葵を呼び寄せようと思っていたの
だが正直行動としては不自然過ぎるので,こっそり葵を回収して来
てくれた桜には感謝である。
ご褒美に頭を撫でてあげよう。
﹁はにゃ∼ん。ソウ様の手∼﹂
桜も岩の下で寂しい時間を過ごしていたのできっと甘えたいのだ
ろう。俺も気持ちは同じだが今はお預けだ。
﹃主殿,準備はよろしいようですわね﹄
﹁ああ﹂
俺は葵の問いかけに小さく頷くと閃斬と葵を抜き前へと出る。時
を同じくしてシャアズも大剣を肩に乗せたままゆっくりと斜面を下
りてくる。
あんな大きな剣を持って不安定な坂を下りてくるのにまったく危
なげが無い。全身が満遍なく鍛え上げられ体幹もしっかりしている
証拠だろう。
﹁待たせたか?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁は!俺と言葉遊びをする気もねぇってか﹂
﹁何を話したところでここでお前は死に,赤い流星は潰える﹂
1063
﹁赤い流星⋮⋮か。まあまあ面白かったな﹂
・・・・・・・・・
﹁お前のそのお遊びのせいで何人の人達が⋮⋮﹂
﹁おいおい,やめてくれ。お前にはわかるだろ﹂
駄目だ⋮何故だかこいつは本当に分からない。理解したくない。
話しているだけでいらいらする。見ているだけで心がざわつく。
﹁なんとなくお前は俺に似てる。うまく言えねぇが⋮そうだな,振
り幅の違いみたいなもんだ。お前のことは良く知らねぇが俺の技能
の﹃直観﹄が教えてくれる。お前,自分が見限った物がゴミに見え
るだろ﹂
やめろ⋮
﹁その顔,心当たりがありそうだな。まあぶっちゃければ俺もそう
だ﹂
やめろやめろ⋮
﹁おそらくお前はそれなりに許容範囲が広いんだろうさ。だからこ
そ他人の為に憤ることができる﹂
やめろやめろやめろやめろ⋮⋮
﹁ただ俺の場合はその許容範囲が著しく狭い。っていうか俺が許容
出来るのは﹃俺﹄だけだっていうだけのことだ。だから俺以外が全
てゴミに見えるんだよ。 ゴミ達が作った盗賊団のボス⋮ほら笑え
るだろ!﹂
﹁やめろ!俺はお前とは違う﹂
1064
⋮いや本当にそうか?⋮⋮本当は⋮違わない。常日頃から感じて
いた自分の危うさ。俺の判断1つ。俺が悪だと判断したものに対す
る苛烈な行動。
俺が悪だと判断する範囲が広くなればなるほど俺はシャアズに近
づいていく。いや,もしも俺だけが正義だと思うようになってしま
ったら今のシャアズそのものだ。
﹃主殿!惑わされてはなりませんわ!﹄
﹃ソウ様!桜達がソウ様の鏡になるよ!﹄
﹃ああ,お前が道を踏み外しそうな時はいつだって私の峰打ちを脳
天に落としてやる﹄
﹁ソウジロウ様。どんな時でも私はあなたを信じています!!﹂
みんな⋮⋮そうか,そうだったよな。わかっていたじゃないか。
彼女達がいる限りそんなことにはならないって結論はもう出ていた。
それなのにいつの間にかシャアズの雰囲気に飲まれていた。
﹁違わないさ。俺はお前がゴミに見えない⋮つまりお前が俺と同種
の人間ということだ﹂
﹁⋮⋮もういいか?俺は別にお前と同じでも構わない。ただお前と
同じ生き方はしない。それだけのことだ﹂
﹁ほう⋮ま,違いねぇ!じゃあやろうか。だがお前の戦いを見させ
てもらったがあの程度ならすぐに終わっちまうだろうがな﹂
シャアズが白い歯を剥き出して笑いながら大剣を構える。せっか
くの金髪イケメンが台無しの下品な笑顔だ。ただ強い。蛍と立ち会
ってる時のような威圧感がある。
確かにこれは出し惜しみをしてられるような状況じゃなさそうだ。
﹃葵。頼む﹄
1065
﹃了解しましたわ﹄
﹁ふ!﹂
ガキン!!
﹁な!⋮てめぇ﹂
ちっ,流石に決まらないか。一気に首を狙った一撃をしっかりと
大剣で受けられてしまった。
﹁さっきまでは手を抜いてやがったか﹂
﹁手の内を簡単に見せる訳ないだろ﹂
﹁はん!言ってくれるぜ!これなら少しは楽しめそうだ!﹂
シャアズが俺の刀を押し返すと大剣を振り回しているとは思えな
い程の速さで攻撃を繰り出してくる。っのやろぉ!なんて速さと力
してやがる。さっきまでの俺だったら瞬殺レベルだぞ。
﹃主殿!﹄
﹃まだ大丈夫!﹄
強いシャアズと戦うことを俺が決めた理由。それは作成してもら
ってから常に俺へと多大な負荷をかけ続けている重結の腕輪×4の
存在だった。こいつは魔力を込めれば込める程に重くなり互いに引
き合うというもので本来ならパーティリングのような使い方をする
ためにディランさんが作ってくれたものだ。
だが俺はこれを両手両足に装着し,葵に魔力を込めて貰うことで
重力がやや弱いこの世界で筋力を落とさないための訓練器具として
使っていた。しかも蛍の指示の下,結構序盤から地球よりもきつい
1066
レベルの重さを設定されていた。
そして入浴中ですら外すことなく常に共にあったこいつの負荷を
解放することでシャアズとも戦えるはずだというのが俺の目論見だ
った。
だから決闘開始と同時に葵に魔力を抜いて貰ったのである。さっ
きまでの俺の動きを見て油断しているシャアズの予想を遙かに超え
た速さを出せれば一気に仕留められるかもと期待したのだが残念な
がら防がれてしまった。
だがそれほど余裕がある感じでもなかったのでこれならなんとか
通用する。
これはさっきまでの囲まれた状態ではシスティナ達との連携や体
力の問題で切れなかった手札であり俺の切り札でもあった。
これで戦えないようなら恥も外聞も投げ捨てて蛍に助けを求める
所存だ。
だが,幸いなことに今のところはなんとか互角に戦えている。
﹁お前も﹃豪力﹄持ち⋮いや,その速さ﹃敏捷補正﹄も﹃+﹄だな
?くくく!なるほど!中身が似ると技能構成も似るのかもな!﹂
いやそんなスキル持ってないし。俺の日々の努力をスキルの一言
で片付けないで欲しい。食事で箸を使うのも,トイレでマイサンの
照準を合わせるのだって必死だったっちゅうの!
ていうかお前﹃豪力﹄に﹃敏捷補正﹄持ちかよ!
俺は心中で盛大に毒づきながらも剣戟を続ける。身体的な速さは
俺が上,力はシャアズが上。細かい動きに関しては死ぬほど練習し
てきた歩法のおかげで俺が上,全体的な剣での戦いについては経験
の差でシャアズが上。武器に関しては俺の閃斬と葵の方が質的には
1067
上だが技と手数の俺に対してパワーと頑丈さが売りのシャアズとは
一概にどっちとは言えないがまあ互角と言えるだろう。
ちなみにシャアズの武器はこれだ。
﹃巨神の大剣︵封印状態︶
ランク : C+ 錬成値 MAX 技能 : 頑丈︵極︶,豪力,重量軽減 所有者 : シャアズ ﹄
いろいろ突っ込みたい部分はあるがそれは後でもいい。今のとこ
ろ問題なのはとにかく頑丈で閃斬でも斬れないってこと。そしてシ
ャアズ本人の﹃豪力﹄と武器の﹃豪力﹄が相乗効果でとんでもなく
なっていることだ。
一度でもクリーンヒットされれば下手すればシスティナのスーパ
ー回復術をもってしても間に合わない程の致命傷を受ける可能性が
高い。それを常に頭に置きながら戦うしかない。
1剣1刀を手に突っ込んだ俺の頭上に迫る大剣の振り下ろしを閃
斬で受け流し葵で斬りつけシャアズがかわすと俺が踏み込んで閃斬
で薙ぐ。それを大剣の柄で受けたシャアズがやくざキックで俺の胴
を蹴り飛ばすとすかさず間合いを詰めてきて大剣をぶん回してくる
ので閃斬と葵を2本とも防御に回して受け止める。が,馬鹿力のせ
いで2メートル近くもノックバックさせられてしまう。
くそっなんてパワーだ。まともに受け止めるだけでヤバいとか意
味わからん。しかもこっちは連戦の疲労からか身体が怠くなってき
たっていうのに!
1068
﹃主殿!このままでは元々疲労していた主殿の方が先に力尽きます
わ﹄
﹃⋮やるしかないか﹄
﹃ですが今の主殿の身体では長くはもたないと思います。そうです
ね⋮1分。1分で勝負をかけましょう﹄
﹃了解。あっちの方もいける?﹄
﹃私の魔力もそろそろ限界ですが一回なら問題ありませんわ。ただ
し主殿の間接使用ですから威力の方がどれほどかは⋮﹄
﹃いいさ。これで駄目なら蛍に助けて貰うよ﹄
﹃⋮それはなんだか面白くありませんわね。必ずここで決めますわ
!﹄
﹃ふ,頼りにしてるよ﹄
﹃はいですわ!﹄
葵と一瞬でそんなやり取りをまとめると慎重に構えを取りながら
シャアズを伺う。
シャアズは俺を弾き飛ばしたことで間合いが空いたのを幸い,向
こうも息を整えているところのようだ。ならばちょうど良い。後は
俺がうまく立ち回れるかどうかだけだ。
失敗したら死ぬかもしれないとか考えるのは良くないよなぁ⋮て
いうか生きて帰らないとシスティナや刀娘達といちゃいちゃ出来な
くなるってことか⋮
うあ!それだけは絶対に嫌だ!絶対勝つ!
っしゃ!気合入った!後は深呼吸でもして⋮⋮⋮
さて,やるか。
1069
1070
シャアズ︵後書き︶
先日、レビューを頂きました。ありがとうございました。良いレビ
ューを頂くとテンションが上がります。
ブクマ、評価、感想、ご意見なども引き続きお待ちしております。
今のところ全ての感想に返信をさせて頂いていますが今後キャパを
超えるようでしたら返信は控えさせていただきますが必ずすべてに
目を通してやる気に変換させて頂きますのでご了承下さい。
最近は厳しいご意見も頂けるようになり身が引き締まる思いです。
作者は甘∼いお褒めの感想も強くお待ちしていますww
1071
壊滅︵前書き︶
日間ランキング1位になりました!
いつか一度はなってみたいと思っていたものなのでとても嬉しいで
す。
読んで下さり応援して下さった皆さんありがとうございました。こ
れからも頑張りますのでこれからもよろしくお願いいたします。
1072
壊滅
﹃タイミングはどうしようか?﹄
﹃主殿にお任せしますわ。どちらもすぐに対応して見せます﹄
﹃じゃあその時になったらよろしく﹄
共感スキルがあれば気持ちは伝わるので細かい合図がなくても葵
がうまくやってくれるだろう。
後はやるだけやって,駄目なら逃げる!
﹁ほう,何かするつもりだな﹂
﹁さてね﹂
バトルジャンキー
⋮あいつの﹃直観﹄スキル厄介すぎるだろ。力に速さに第六感と
かどんだけ戦闘狂設定なんだっつの。
だが,何をするかまでは分からないはず。
﹃いくぞ﹄
﹃はい﹄
俺は葵に意志を伝えるとシャアズに向かって走る。シャアズはに
やにやとむかつく笑みを浮かべている。
その顔を引き攣らせてやる!
俺は左の閃斬をやや遠目の間合いで下から斬り上げシャアズを一
歩下がらせてかわさせると閃斬に引きずられるように左足を大きく
踏み込み葵でシャアズの首を狙う。
当然シャアズは大剣でガードをするべく大剣を移動させてくる。
1073
らいてん
このままだと防がれるのは今まで通り。だが今回は時間をおいて魔
力が多少回復した葵がいる。
﹃葵﹄
﹃お任せ下さい。 ︻雷術:雷纏︼﹄
パリッ
葵の術の行使と共に右手の葵の刀身に細く蒼い光が走る。その光
は小さくとも稲光。葵が残り少ない魔力を雷に変換して刀身に纏わ
せた属性刀である。
これなら防御しても大剣を伝ってシャアズにダメージが通るはず
!更にうまく動きが止まってくれれば⋮
﹁ん?おっと,その剣は触ったらまずそうだな﹂
﹁⋮な!﹂
大剣に触れる寸前でそんなことを呟いたシャアズが大剣を手放し
回避に移る。くそ!また﹃直観﹄で本質を見抜いたのか!
﹃葵!﹄
﹃雷纏はあと数秒ですわ!﹄
﹃分かった!あっちも全解放してくれ!もうここしかない﹄
﹃はいですわ﹄
大剣をそのまま弾き飛ばして武器を遠ざけたのは良いがその隙に
葵の首への一撃を腰を落としてかわしたシャアズが右の拳を俺の鳩
尾へと繰り出してくる。
俺はまだ上方に流れている閃斬を持つ左手の肘を迎撃に向かわせ
る。くそ,間に合わない!
1074
﹃主殿!﹄
きた!
葵の叫びと同時に俺の肘の速度が僅かに増し,シャアズの拳の迎
撃に成功する。
﹁なんだと!まだ速くなるのかてめぇ!﹂
なるさ。時間限定で筋断裂の危険付きだがな!
はじ
拳を撃ち落とされたシャアズが急所を両手で守りながらバネのよ
うな瞬発力で大剣の方へと弾ける。
ここで逃げられて大剣を拾われたらもう勝ち目はない。なら⋮行
く!
ブチブチッ
シャアズを追うべく力一杯蹴り出した右足から嫌な音が聞こえた
気がするがシャアズの動きを僅かに上回った俺は一気に距離を詰め
た。
さすがのシャアズの顔も驚きの表情だ。
これで⋮
﹁終わりだ!﹂
踏ん張った左足と葵を振り切った右腕からまた嫌な音が聞こえる
が目の前に浮かぶ信じられないという顔のシャアズと倒れ込みなが
ら目線を合わせて言ってやった。
1075
﹁ざまあみろ﹂
﹃主殿!大丈夫ですか?﹄
﹁⋮大丈夫じゃないかな。身体中痛い﹂
身体中が痛くて身動きが取れない俺は地面にべったりとくっつい
たままシャアズの死体を見ていた。これまで非道の限りを尽くして
きた男である。その死体を見ても後悔も感傷もない。
ただ,思うのは﹃俺はああはなりたくないな﹄ということだけだ
った。ん?これも感傷の一種か?⋮まあどうでもいいか。
それにしてもやばい戦いだった。普通に腕輪を解放すれば簡単に
勝てるかもと密かに自惚れていただけにこのタイマンがいかに無謀
な試みだったのか反省しきりである。大工さんや兵士達を殺させな
いようにしつつ幹部達を全滅させる方法は考えればまだあったよう
な気もする。
赤い流星にはいろいろ思うところがあって冷静じゃなかったかも
しれない。
ちなみに俺が最後に使った力だけど,別に特別な力じゃない。身
につけていた重結の腕輪から完全に重さを無くしただけだ。
なんでそれがこんな状態になってしまうかというと,詳しい理屈
は俺にはよく分からないんだけど日常的に四肢にかけ続けた負荷で
鍛えられた部分と腕輪では鍛えられていない部分とのバランスが悪
1076
いから負荷をいきなり0にしてしまうと身体が壊れるとかなんとか?
だから最初の解放では身体に無理が掛からないレベルでの最大解
放だった。
どうやら本当の意味で全解放して全力行動をするには腕輪を使い
つつ更に全身をくまなく鍛えていかないと最終的には使いこなせな
いということらしい。
まあとにかくもっと鍛えろということを蛍さんは言いたいらしい。
﹁ソウジロウ様!﹂
勝負が付いたと判断したシスティナが駆け寄ってきて回復術をか
けてくれる。
あぁ気持ちいい。痛みがひいていく⋮⋮
﹁おお!まさか本当に1対1でシャアズを倒すとは思わなかったぞ
フジノミヤ殿﹂
部下を何人か引き連れたルスター隊長が男臭い笑みを浮かべてい
る。
﹁あ,動けないんで下から失礼します﹂
一応そう断ってから改まってルスタ−隊長にお礼を言っておく。
﹁構わん!こうして大盗賊団赤い流星の壊滅に助力出来たのだから
な。この戦いに領主軍が参加していたことの意義はかなり大きい。
コロニ村を失ったことで失墜していた領主の名声を取り戻せること
が出来るからな。セイラ様も私の独断専行を咎めはすまい﹂
1077
﹁なるほど⋮それなら今回の戦いは領主軍が主体で行ったことにし
てください。俺達はそれなりの報酬が頂ければ充分ですから﹂
﹁なんと!いや⋮だがそれではフジノミヤ殿達が⋮﹂
﹁気にしないで下さい。今回は自分達の身の安全の問題があったの
で積極的に動きましたが,本当は目立つような行動はとりたくない
んですよ。基本的には塔で適当に稼いで日々を楽しみながらまった
りと暮らしたいんです﹂
ルスター隊長はそんな俺の言葉を聞いて一瞬きょとんとした顔を
するとはっはっはっと笑い出した。
﹁なんとも欲のないことだな﹂
﹁欲はありますよ。口止め料こみでしっかり取り立てますから﹂
﹁分かった分かった!セイラ様には伝えておこう。悪いようにはし
ない。シャアズとシャドゥラの死体は検分のため持って帰りたいが
構わぬか?﹂
﹁もちろん構いません。ただ武器の方は私達にください。もしいら
ないようなら領主側に買い取って貰うかも知れませんけど﹂
﹁それは頼まれるまでもない当然の権利だな。では我らは引き上げ
るが人手がいるか?﹂
ルスター隊長に言われて身体に力を入れてみるが痛みはほぼ引い
ている。さすがはシスティナの魔法だ。これならもう少しすれば歩
いて帰れるだろう。
﹁いえ,大丈夫です。仲間とのんびり帰ります﹂
﹁そうか。わかった。では後日また,な﹂
﹁はい。ありがとうございました﹂
ルスター隊長は後ろにいた兵士達に指示を飛ばしシャアズとシャ
1078
ドゥラの死体を回収すると捕縛した盗賊達を引きずるようにして街
へと帰って行った。
﹁旦那!俺らもそろそろおいとまするぜ﹂
﹁ゲントさん!本当にありがとうございました﹂
フレスベルク軍が引き上げるのを見計らったかのように戦う大工
さん達が集まっていた。ゲントさんたちには今回本当にお世話にな
ってしまった。蛍さんと桜を助け出してくれたことは感謝してもし
きれない。
﹁いいってことよ。それよりも本当にこいつらを貰っちまって良い
のか?﹂
ゲントさんの後ろには盗賊達が持っていた武器が山になっている。
﹁構いませんよ。山のアジトの分も使って下さい。今回してくれた
ことはそんなものじゃ全く足りませんけどそれくらいさせて貰わな
いと俺達の気が済みませんから﹂
盗賊達が持っていた武器はしかるべき所へ出せばそこそこの賞金
に換金出来る。下っ端の金額自体は大した額ではないが山の洞窟に
あった分とここの武器を合わせればまとまった額になるはず。
危険な目に遭うかもしれないのに助けに来てくれた大工さんたち
に少しでもお礼代わりになればいい。
はしたがね
﹁け!水くせぇな旦那。本当は俺達はこんな端金よりも⋮﹂
﹁ふふ,分かってます。近々招待状を出しますので是非飲んで食っ
て⋮⋮入浴して行ってください﹂
﹁聞いたかおめえら!また温泉とうまい酒と温泉とうまい飯と温泉
1079
を味わえるぞぉ!!﹂
﹁﹁﹁﹁﹁うおおおおおおおお!!!﹂﹂﹂﹂﹂
俺が告げたその言葉に大工さん達が歓声を上げる。ちょ!どんだ
け温泉好きなんだ!確か寮に風呂を作ったんじゃなかったっけ?気
になったので聞いてみると。
﹁あれはあれで良いもんなんだが,やっぱり微妙に違う。それに露
天風呂にはかなわない﹂
ということらしい。別にこんなことがなくても言ってくれれば使
ってもいいんだけど⋮
何はともあれそれが大工さん達へのお礼になるのならこちらとし
ても大歓迎だ。システィナに頼んで最高のおもてなしをしてあげよ
う。
﹁じゃあ俺達もいくぜ旦那。落ち着いたらウィル坊のところにも顔
出してやってくれ。あんなに必死なウィル坊はなかなか見られない
から貴重な体験だったがな﹂
﹁はい。必ず﹂
本当にウィルさんにはお世話になりっぱなしだ。ギルドの関係で
冒険者として手伝えることがあるなら積極的に手伝って上げよう。
楽しそうに歌いながら武器の束を背負って帰って行く大工さん達
を見送ってからゆっくりと身体を起こす。さすがのシスティナも魔
力枯渇気味でブーストした回復術も使えずちょっと時間が掛かった
みたいだけどなんとか歩けるくらいには回復できたみたいだ。
1080
﹁葵,もういいよ﹂
俺の声に応えて葵が擬人化する。俺の前にシスティナ,蛍さん,
桜,葵が並ぶ。
﹁あぁ⋮やっと皆揃った。⋮本当に良かった。お互いいろいろ言い
たいことはあるだろうし俺からも言いたいこともあるけどまずは家
に帰ろう。俺達皆で守ったあの家にさ﹂
4人が微笑みながら頷く。
﹁よし,行こう。蛍さん,シャアズの武器をよろしく﹂
﹁うむ﹂
蛍さんが弾き飛ばされていた大剣を拾いにいく。
﹁桜はシャドゥラの武器とルスターさんがくれた薬をよろしくね﹂
﹁はぁい﹂
シャドゥラの杖は死体の回収時にフレスベルク軍が念のためにと
置いて行ってくれたいくつかの魔法薬の類と一緒にちょっと離れた
所に置いてある。
﹁葵は魔断を持ってあげて﹂
﹁わかりましたわ﹂
魔断はシスティナが俺の回復に駆け付けた時にその場に置いてき
てしまっていたので取りに行ってもらう。
﹁システィナは悪いけど肩を貸してくれるかな﹂
1081
﹁はい﹂
システィナは看護婦さん役で俺の介護だ。システィナの肩を借り
てなんとか立ち上がると少し先で3人が待っている。
﹁はは⋮なんかボロボロなのに凄い幸せな気分だ﹂
﹁ふふ,そうですね。私もです﹂
﹁帰ろう。早く帰って温泉につかりたいよ﹂
﹁はい﹂
システィナと微笑みをかわして歩き始めると急に周囲の陽がかげ
る。
﹁ソウジロウ!避けろ!﹂
前にいる蛍さんが叫んでいる。桜が持っていたモノを投げ捨て疾
走する。葵が少ない魔力でなんらかの魔術を⋮
﹁ご主人様!﹂
想像できない程の強い力でシスティナに抱きかかえられて押し倒
されようとする俺。そのシスティナの肩越しに見えたもの。
﹁強爪熊?﹂
そいう言えばあと一匹いた。すっかりシャドゥラの火の魔法で死
んだと思っていた。半身を火傷でぐずぐずにしながらも怒りの視線
を向けその爪を俺とシスティナに⋮
やば⋮動けない。妙に引き延ばされた時間の中なんとかシスティ
1082
ナだけでも守らなければと思ってシスティナと体勢を入れ替えよう
とした俺の視界の中に銀色の閃光が走る。
﹁え?﹂
間の抜けた俺の声を合図にしたかのように強爪熊の首が落ちた。
1083
壊滅︵後書き︶
一応3章はあとエピローグ的な話を入れたら終了です。
盗賊編がちょっと長くなってダレた感じがあるのはちょっと反省で
す。以後はもう少しテンポに気を付けたいと思います。
後は戦闘シーンがあまり得意じゃないようで分かりづらかったらす
いません。この辺も今後の課題としていきたいと思います。お付き
合いありがとうございました。
1084
帰宅︵前書き︶
ちょっと短いです。
そして後日談的なものは4章に回して3章はここで締めたいと思い
ます。
1085
帰宅
﹁やっと着いたぁ!﹂
﹁お疲れ様でした。ご主人様﹂
既に日が沈み夕日の最後の残光がかろうじて周囲を照らす頃俺達
はようやく懐かしささえ感じる我が家の敷地を守る鉄門扉に到着し
た。
武骨な鉄の格子に安堵し思わず叫んでしまった俺にシスティナが
肩を貸したまま優しく微笑んでくれる。
﹁ごか∼いも∼ん﹂
桜にとってもほぼ3日ぶりの帰宅で嬉しいのだろう黒いポニテが
気持ちを表すかのように嬉しげに揺れている。
桜が開けてくれた門扉を抜けて庭へ入る。そのまま屋敷の入り口
へ向かおうとするところで後ろを振り返る。
﹁結局ついてきてしまったな﹂
﹁うん﹂
蛍さんのどこか楽し気な声に俺は頷く。
振り返った視線の先,屋敷の敷地と外の境界に立っていたのは⋮
⋮パジオンの狼達を束ねていた灰色狼だった。
﹁わたくしがテイムした狼達も山へ帰るつもりはないみたいですわ﹂
1086
そしてその灰色狼の後ろにも⋮ええと,に⋮し⋮ろ⋮ぱ⋮8頭の
山狼が随行していた。こちらは葵が火の魔法から守った狼達だろう。
門は開きっぱなしだが,狼達は許可無く屋敷の中に入るつもりは
ないようで境界線の向こうからは動こうとしない。
﹁命の恩人?だしね⋮人にさえ迷惑かけないようにしてくれれば山
で自由に生きればいいと思うんだけど﹂
そう,石切場で俺達を襲った強爪熊を倒して俺とシスティナを救
ってくれたのはこの灰色狼だった。あの後狼達を安全な場所に逃が
した後に近くまで戻って来ていたらしく,気配を消して成り行きを
見守っていたようだ。
どうやら火の魔法から庇って貰ったことに恩義を感じていたよう
で俺の窮地に飛び出してくれたらしい。この狼がいなければさすが
の桜も間に合わないタイミングだった。
だから俺達は葵がパジオンから奪うように支配下に置いた狼達も
灰色狼も自由にしてあげようと思った。敵に回るなら殺すしかない
がそうでないなら山に帰ることを止めるつもりはなかった。
その旨を狼達にきちんと伝えたのだが俺の言っていることの意味
が分かったのか分からなかったのか,結局狼達は俺達の後ろをつい
てここまで来てしまったのである。
さてどうしたものか⋮でもわざわざここまでついてきたというこ
とは多分そういうことなんだろうな。
﹁みんな,いいかな?﹂
﹁お前の好きにすればいい﹂
1087
﹁はい,ご主人様の恩人ですから﹂
﹁桜もいいよ。忍犬とか欲しいし﹂
﹁わたくしも構いませんわ。もともとわたくしの下僕でしたし﹂
うん,おかしな発言もあった気もするがとりあえずは気にしない。
俺はシスティナから離れ,ちょっとふらつきながらも灰色狼へと
近づいていく。狼達は俺が近づいても特に大きな反応は示さずただ
大人しくその場に待機している。
俺は灰色狼の前に座って目線を合わせるとゆっくりと右手を差し
出す。
﹁お前らみんな俺達の仲間になるか?﹂
﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁⋮⋮⋮⋮﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂
え?なんでそんなみんな揃って無反応なの?
ここってなんか手⋮じゃなくて前脚を出してくるとかOKみたい
な吠え声を上げるとかそういうシーンじゃないのか?
えぇ!もしかして仲間になりたいとかじゃなくて助けたお礼に飯
食わせろとかそいうこと?俺って勘違い野郎の赤っ恥ってやつです
か?
﹁ご主人様﹂
﹁ん?﹂
システィナがこっそりと後ろに来て指先で俺の視線を誘導する。
﹁⋮あ﹂
1088
くくくっ,顔を見るのに集中しすぎて気が付かなかった。
俺は痙攣する脇腹を抑えながら狼たちを見て言ってやった。
﹁お前ら全員,めちゃくちゃ尻尾振ってるぞ。気が付いてるか?﹂
ワゥ?
狼達が慌てて自分の尻尾を見ようとして一斉にくるくると回り始
める。そのコミカルな様子を見た俺達は全員が堪え切れずに笑い声
を上げる。
蛍さんはくっくっくとこらえるように,葵はほほほほと口元を抑
えながら,システィナは笑っているのを気づかれまいと後ろを向き
ながら,桜は一匹の狼に抱きつきながらあはははは!可愛い!と叫
びながら⋮
うん。せっかく異世界に来たんだ。魔物な狼なんていう,こんな
仲間がいてもいいじゃないか。
﹁よし!お前らもみんな中に入れ!そしたら一緒に風呂に入ろう。
そんで綺麗になったらみんなで一緒に飯を食う。で,お腹いっぱい
になったら⋮⋮﹂
俺の言葉を待ちながら尻尾を振る狼達に俺は笑顔で言う。
﹁お前らに名前を付けてやる﹂
1089
帰宅︵後書き︶
いろいろ迷走した感のある3章も一応これで終了です。ちょっと場
面をまったりに戻してちょっと立て直せたらなぁと思います。
一旦仮完結にして4章構想を練ろうと思ったんですが3章の後日談
的なものを4章に回す関係もありそのまま行きます。
※ またレビューを2つ頂きました^^
レビューは嬉しいです。やる気がでますね。
1090
報告︵ウィルマーク・ベイス︶︵前書き︶
3章の盗賊の名前を改稿することにしました。
今晩中になんとかするつもりですが3章を呼んでる途中の方とかに
は迷惑をかけたかもしれません。この場を借りてお詫び申し上げま
す。詳しくは活動報告に書きましたのでよろしくお願いいたします。
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報告︵ウィルマーク・ベイス︶
﹁それじゃ行ってくる。後はよろしく﹂
﹁はい、わかりました。お気をつけて﹂
﹁ソウ様∼。どうしても桜は一緒に行っちゃダメ?﹂
屋敷の外門まで見送りに来たシスティナに声をかけると隣にいた
桜が人差し指を口元に当てながらあざとく甘えた声を出す。
﹁だ∼め!今回の件に関するお仕置きの一つだからね。しばらく外
出は禁止。後は窓の修理とシスティナの監視下での掃除!庭の手入
れ!狼達のトイレのしつけと小屋の制作もよろしくね﹂
﹁うへぇ⋮⋮わかったけど、蛍ねぇのお仕置きのが簡単そうでずる
い﹂
﹁そんなことないと思うよ。蛍さんにとっては圧倒的に掃除や外出
禁止よりきついお仕置きじゃないかな﹂
むっつりとした顔で黙り込んで俺の後ろに控える蛍さんの表情は
不機嫌さが全く隠せていないからその予想は間違っていないはずだ。
﹁主殿、そろそろ行きましょう。ただでさえわたくしたちは2日も
寝込んでいたのですからウィルマーク殿も心配なされているはずで
すわ﹂
不機嫌な蛍さんとは対照的にご機嫌で今にも浮かび上がりそうな
のが葵だ。俺の肘を抱きかかえるようにしてひっぱり早く早くと急
かしている。
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赤い流星との戦闘が終わったその日の夜、俺とシスティナは激戦
の疲れからか体調を崩し2日程寝込んでいた。葵も魔力枯渇寸前だ
ったせいかあまり本調子ではなく2日間を刀の状態で過ごしていた。
そのため報告やお礼に行かなくてはならない人達に会いに行けな
かったのである。当然そんな状態だったので夜のお楽しみもずっと
ご無沙汰だし、せっかく擬人化した葵とも﹃まだ﹄である。
いちろう
﹁わかった、わかったから引っ張らないで葵。じゃあ行ってくる。
一狼も屋敷の警備よろしくな﹂
グルゥ!
小さく喉を鳴らし返事をする一狼の頭を撫でると今度こそフレス
ベルクに向けて歩き出す。
﹁それにしても主殿、狼達の名前はもう少し何とかなりませんでし
たの?﹂
﹁あぁ⋮うん。名前ね﹂
﹁せっかく﹃名前を付けてやる﹄なんて格好よくお決めになられて
いたのに⋮台無しですわ﹂
アッシュウルフ
葵からの容赦のないダメ出しに俺は全く言い返せない。なぜなら
既に予測はついているだろうが、俺が付けた名前は灰色狼が︻一狼︼
で以後大きい順に︻二狼︼︻三狼︼︻四狼︼︻五狼︼︻六狼︼︻七
狼︼︻八狼︼︻九狼︼だったから。
﹁だって、いきなり9頭分も名前とか浮かばないしカッコいい名前
付けても見分けとかつかなくない?﹂
﹁それはそうかもしれませんが⋮﹂
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﹁まあでも。一応狼たちは喜んでたしいいじゃん﹂
﹁主殿がそれでいいのならわたくしはもう何も言いませんわ﹂
葵が苦笑しながら掴んだ腕に胸を押し付けてくるので最近ご無沙
汰な俺には刺激が強い。
ちなみに狼たちが喜んでいたというのは別に嘘じゃない。今まで
名前なんてもちろん付けて貰ったことなんか無い狼たちは自分を示
す言葉があると言うことにことのほか興奮した。だから速攻で自分
の名前を覚え、今では呼べば必ずその狼がすぐに反応して寄ってく
るようになっている。
﹁でも、結果として一狼達が来てくれて助かったよ。これで留守中
の屋敷の警備とかもあんまり気にしなくてよくなったからね﹂
﹁過信は禁物ですわ主殿。魔物とは言っても一狼はともかく二狼達
はそんなに強い魔物ではありませんわ。ですからちょっと強い賊が
攻め込んで来たら⋮﹂
﹁⋮確かにね。屋敷で訓練したり塔とかに行くときに何頭か連れて
ったりしたら強くなるかな?﹂
俺の問いかけに葵はちょっと首をかしげて考える。
﹁多分ですが⋮魔物達も鍛えれば強くなるような気がしますわ。い
ずれにしてもあの子たちも鈍らせる訳には行きませんからある程度
の訓練は必要だと思いますわ﹂
﹁それはそうか。その辺はちょっと検討しようか。俺の訓練に付き
合って貰うだけでも大分違うだろうしね﹂
そんなことを話しながらのんびりと歩いて冒険者ギルドへ向かい、
ギルドのドアを開けると今日も探索者改め冒険者達で賑わっていた。
まだ昼前だというのにバーカウンターもテーブル席も冒険者達で
1094
埋まり、受付カウンターにも登録希望者の列、依頼受注の列、素材
や魔石の買取の列、共にそこそこ長い列が出来ている。
また二階のアイテムショップとの行き来も盛んなようでどこもか
しこも﹃ザ・繁盛﹄って感じだった。
﹁フジノミヤ様!﹂
冒険者ギルドの喧騒を感慨深く眺めていると俺達に気が付いたら
しいウィルさんが人混みを掻き分けて近寄って来る。
﹁おはようございます。ウィルさん。この度は⋮﹂
﹁あぁ!ちょっと待ってくださいフジノミヤ様。ここでは他人の耳
もありますので⋮﹂
そう言ってウィルさんはいつものように俺達を応接室へと案内し
てくれた。
﹁今日は珍しい顔ぶれですね。システィナ様も桜様もいらっしゃら
ないなんて。まさかまだお身体の具合がよろしくないのですか?﹂
﹁いえ、大丈夫ですよ。2人共もうぴんぴんしてます。例の件やシ
わけ
スティナが寝込んでた関係で屋敷の方がいろいろと荒れてまして⋮
今日はその辺をなんとかして貰ってます。生活用の魔石も理由あっ
て全部使ってしまったので明るい内にやらないといけないもんです
から﹂
﹁そうでしたか⋮私の準備した魔石が足りなかったせいでご迷惑を
⋮﹂
﹁ちょ、ちょっと待ってください!ウィルさん!今回の件は本当に
ウィルさんがいなければどうにもならないことばかりだったんです。
感謝してもしたりません。本当にありがとうございました﹂
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魔石のあっせん、大工さん達への救援依頼、ルスター隊長への裏
工作、どれか1つ欠けただけでも俺達は全員で生き残れなかっただ
ろう。
﹁ウィルマーク殿。わたくしは葵と申します。今回の件、本当に感
謝いたしますわ﹂
葵が擬人化を覚えるまでランクを上げられたのもウィルさんが集
めてくれた魔石のおかげである。あれだけの種類の属性魔石、さら
に上質の魔石をよくも短時間で集めてくれたものだ。葵がウィルさ
んに感謝しているのは至極当然である。
﹁いえ。とんでもありません。フジノミヤ様のお役に立ったのなら
それで構いません。それに⋮お仲間が1人増えられたのですね﹂
﹁はい。それでまたパーティリングを更新したいと思いまして持っ
てきてるんですが⋮その前に。蛍さん、蛍さんからもお礼を言って。
ウィルさんが大工さん達を説得してくれなかったら俺達はここにい
ないよ﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
俺は右隣に座っていた蛍さんに視線を向けてお礼を言うように促
す。
﹁う、うむ⋮⋮⋮⋮こ、今回は本当にた、助かった⋮⋮⋮にゃん﹂
﹁は?﹂
ぷ⋮やヴぁい。やヴぁ過ぎる!首まで赤くなって語尾に﹃にゃん﹄
を付ける蛍さんとか超サイコー!ギャップ萌える!
﹁今回は本当に助かった!いろいろとすまんかったな!⋮にゃん﹂
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﹁は、はい。お気になさらず﹂
ウィルさんが俺に疑問の視線を向けてくる。あの威厳のある蛍さ
んが顔を赤くして語尾ににゃんをつけて喋るなんて異常事態だから
当然だろう。
﹁くく⋮あぁ、いや別になんかあった訳じゃないですよウィルさん。
蛍さんと桜は今回の暴走行動を反省して自ら罰を受けてるだけです
から﹂
実はようやく体調が回復してきていた昨晩、今回暴走したことを
反省した刀娘達から何か罰を与えてほしいと言われたため2人にと
って何が一番お仕置きになりうるかを考えた結果、蛍さんに対して
はしばらく語尾に﹃にゃん﹄を付けることと⋮
﹁くっ!お前もいつまで笑っておる!葵⋮⋮さん﹂
表向き仲の悪い葵を﹃さん﹄づけで呼ぶことだった。
思いつきのようなお仕置きだったが意外とこれは当たりだったか
もしれない。 蛍さんのキャラからすれば﹃語尾にゃん﹄なんて恥
ずかしくて仕方ないだろうし、いつも喧嘩ばかりの葵に﹃さん﹄を
付けるのも屈辱的に感じるはず。
そして俺は普通にお願いしても絶対聞けないだろう﹃語尾にゃん﹄
を堪能し、口喧嘩ではいささか分の悪くストレスを溜めがちな葵の
溜飲も下げられる。
ここに来るまで蛍さんが全くしゃべろうとしなかったのは、しゃ
べりさえしなければ﹃にゃん﹄も﹃さん﹄も言わないで済むからな
のだが、それを許したらお仕置きにならないので今回の挨拶回りに
無理やり連れ出した。
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さすがにお礼を言うべき相手にだんまりでは失礼にあたるので嫌
でもしゃべらざるえないという理由で。
ただ、このお仕置きは桜には意味がない。あの娘はむしろ面白が
ってにゃんにゃん連呼するのが確実である。
ならば何が桜にとって罰になり得るかと考えると、これが意外と
思いつかない。あ、もちろん体罰系の痛いやつとかは除外ね。見る
のもやるのも趣味じゃないから。
そして、うんうんと唸りながらようやく思いついたのが外出禁止。
これは外に出るのが禁止というより、実態としては俺にくっついて
出かけるのを禁止するということだ。
これが思ったよりも桜には効いたみたいで、かなりしょんぼりと
した桜を見るのは心苦しかったがお仕置きなので仕方がない。で、
どうせ屋敷に残るならとシスティナの手伝いを強制的にするように
させた。
強制はしたくないけど何も言わないと桜は趣味に走るからやむな
くではあるけどね。
﹁⋮それでは今の蛍様は語尾ににゃんが付くと?﹂
﹁そ、そうだにゃん!﹂
﹁ふぉ!﹂
半ばやけくそになりつつある蛍さんの一撃にさしものウィルさん
も一瞬顔を背けて肩を震わせている。喜んでもらえて何よりだ、も
う今回のお礼はこの蛍さんの姿を見せただけで充分な気がするくら
いだ。
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︱︱︱︱︱︱︱
﹁ではパーティリングの代金と生活用の魔石の代金は後程お支払し
ます。今、手持ちがほとんど無くなってしまって⋮すいません﹂
﹁いえ、構いませんよ。フジノミヤ様がお買いになられた魔石や魔
法薬でギルドは大分潤っていますし﹂
﹁なるほど。確かに大分買い物しましたね﹂
その後今回の件のあらましを報告した後、葵の分も含めた5個セ
ットのパーティリングと屋敷で使う火魔石、水魔石、光魔石などの
生活魔石を購入した。決戦前に有り金を全部使い切ってしまったの
で実際に買うのは後でも良かったんだけど、ウィルさんはあっさり
と現物を先渡ししてくれた。
しかも、支払が出来なくて恐縮する俺達にウィルさんは冗談混じ
りに笑顔を返してくれるイケメンぶりだ。
﹁それに領主館からは壊滅報酬について支払う用意があると既に連
絡が来ていますし支払い能力に関しては全く心配していませんよ﹂
そっか、盗賊達の武器こそ全部大工さん達にあげてしまったが赤
い流星が壊滅したことは領主軍のルスター隊長のお墨付きな訳で壊
滅させたのが俺達だってことはすでに証明さているから大金貨50
枚という金額の割に支払いまでのプロセスが早いのか。
﹁わかりました。では報酬を頂いたらお支払いに来ます﹂
﹁はい、お待ちしております。ご招待頂いた宴の際には是非もう少
1099
し詳しくソウジロウ様の戦いをお聞かせ下さい﹂
﹁はは、照れくさいのでシスティナにお願いしておきます。その方
が客観的な話になると思いますから﹂
﹁おお!そうですか!是非よろしくお伝えください﹂
俺の話の何がそんなに楽しいのか分からないが、喜んでもらえる
なら少しは恩返しになるだろう。
1100
報告︵ウィルマーク・ベイス︶︵後書き︶
4章始まりました。序盤は後日談的な感じで進みます。
まったりとした話になる予定ですので気楽にどうぞ。
※ またまたレビューを頂きました。ありがとうございました。
1101
関係︵前書き︶
今日で〇0歳になりました。
いつの間にかそんな歳になったんだと感慨にひたっています。
1102
関係
﹁それにしてもまさか追い抜かれるとはなぁ﹂
﹁仕方あるまい。奴らは自分たちのペースでやるべきことをやった
のだろ⋮にゃん﹂
冒険者ギルドを出て、報酬を貰いに行きがてらルスターさんにお
礼を言いに行く道すがら出がけにウィルさんから伝えられた内容を
思い出す。
﹁フジノミヤ様、赤い流星団の壊滅が確定して報酬を受け取りまし
たらフジノミヤ様達のランクを﹃E﹄に上げることになっています
ので先にご報告しておきます﹂
﹁お、やった。まだ俺達がトップランカーですか?﹂
悪目立ちをするつもりはないが自分が冒険者になってみたくて、
わざわざウィルさんに冒険者ギルドを作って貰った。
だったらギルドランクは上げたい!これぞ異世界ライフというも
のではないだろうか。まあ、別にトップである必要はないので順番
はどうでもいいんだが、なまじFランク入りが一番だっただけに気
になってしまう。
1103
しかし、問い返した俺にウィルさんは意味深な笑みを浮かべて首
を横に振った。
﹁っと、誰かに抜かれちゃいましたか。でも最初はみんなGランク
ですから、差別化を図るためにギルドも実力者は早くランクを上げ
ておきたいですよね﹂
﹁そうですね。確かにその通りですが、最速でEランクに上がった
のは﹃剣聖の弟子﹄の皆さんですよ﹂
﹁え!﹂
いつの間に!アーリとフレイはともかくトォルに抜かれていたの
はちょっとむかつく。
﹁彼らは依頼の達成数がずば抜けて多いんです。ほかの冒険者がや
りたがらないような地味でめんどくさい依頼も、それぞれの得意分
野を活かして手分けしてこなしてくれるのでギルドとしてもかなり
重宝しています。それに5階層までの探索を毎日しっかりこなして
いて、魔石の安定供給という面でも貢献度が高いんです。Fランク
には早々に上がっていたのですが、それらの功績を考慮して昨日E
ランクへと昇格されました﹂
なるほど。確かに立ち上げ当初から塩漬けになるような依頼が出
ては困ると思って、依頼をなるべくこなしてくれるようにお願いし
てたっけ。
それを3人は律儀にこなしてくれていたってことか。しかも塔探
索も言いつけを守って5階層までをしっかりと探索できるように努
力していた⋮⋮か。
これは確かに認めざるえないな。俺たちみたいに特殊な事情でポ
ンポンと上がっていくのはどちらかというと邪道だ。
1104
本来はトォル達がしているように小さな依頼や安全マージンを取
った戦闘を積み重ねていくのが正しい。そうして得た冒険者として
の経験も、高ランクの冒険者に求められる資質の1つだろう。
﹁今度の宴には弟子たちも呼んでやるか。塔にいたシシオウ達の情
報を教えてもらったりしたし﹂
﹁うむ。そうじゃにゃん。できれば早めに来てもらって手合せもし
たい⋮にゃん﹂
﹁ぷっ⋮くくく⋮﹃にゃん﹄はもういいよ蛍さん。その様子なら充
分懲りただろうし﹂
可愛いし、面白いがさすがに違和感がハンパない。とりあえずウ
ィルさん相手に﹃にゃん﹄で通したんだから良しとしてあげよう。
﹁本当か!⋮⋮助かった。まさか、ただ語尾を変えるだけでこんな
にもダメージを受けるとは思わなかったぞ。ソウジロウは恐ろしい
罰を考えるな﹂
﹁俺もそんなにダメージを受けるとは思わなかったよ。あ!でもも
う一つの方はまだ継続中だから、そっちは忘れないように﹂
﹁ふん、そっちは問題ない。名を呼ばなければよいだけじゃからな﹂
﹁う∼ん、それはずるい気がするけどまあいいか。とりあずそっち
は葵が解除するまでだからよろしく﹂
っと、そういえば葵は?こういう話をしてたらいつも突っ込んで
くるのに⋮と思って隣を見てみたら自分のギルドカードとパーティ
リングを見てにこにこしていた。
1105
そうだった。今回はめでたく葵も擬人化を覚えたことでギルドに
登録することが出来るようになったんだった。
刀の時にギルドカードやパーティリングのことを大分うらやまし
そうにしてたから、実際に自分の物が出来て嬉しさもひとしおなの
だろう。
﹁ふん。わたくしは今とても機嫌がいいんですの。だから山猿のこ
となんてどうでもいいですわ。好きにお呼びなさいな﹂
﹁むぅ⋮﹂
葵から﹃さん﹄付けも解除された蛍さんだが、あっさり解除され
るのもなんとなく癪に障るらしくなんだか不満そうだ。
﹁まあ、葵が良いって言ってくれてるんだから素直に受け取ればい
いよ。蛍さん﹂
﹁むぅ⋮⋮わかった。⋮⋮ところでソウジロウ﹂
﹁ん、何?﹂
﹁お前も戦闘中の時のように﹃蛍﹄と呼んでくれて構わんのだぞ﹂
蛍さんがからかうような笑みを向けている。確かに言われてみれ
ばその通りだな。蛍さんは俺の刀術の師匠で俺よりずっと長生き?
で経験も豊富で⋮⋮なんとなく﹃さん﹄付けだったけど蛍さんより
長生きの葵は葵のままだ。
なんだかんだで俺が1番リスペクトしてるのが蛍さんなんだから
﹃さん﹄付けでも構わない気はするけど⋮
﹁蛍さんはその方が嬉しい?﹂
﹁そうだな、その方が私も嬉しい。お前は常に私達と対等でいよう
としてくれるが、私達全員を最後のところでまとめられるのはやは
1106
りお前しかいない。ならばほんの少しで構わないから私達の前を歩
く者でいてほしい。ま、呼び方などは些細なことだがな﹂
﹁たまには山猿も良いことを言いますわね。わたくしも賛成ですわ﹂
んっと、つまりは俺にもっと頼れる男になって欲しいということ
⋮⋮か。確かに今の感じだとちょっと蛍さんに頼ってるように聞こ
えるかもしれない。実際問題かなり頼ってるし。
﹁うん、蛍の言いたいことは分かった。これからは個人の戦闘だけ
じゃなく新撰組のリーダーとしても成長できるように頑張るよ﹂
﹁うむ、もちろん我らも今まで通り言いたいことは言うし、やりた
いことをやる。助言だってする。だがリーダーとしてそれがパーテ
ィの為にならないと判断したら⋮⋮ソウジロウ、お前が力ずくでも
止めるんだ﹂
﹁ふん。主殿の生活を少しでも早く安全にしたいという想いがあっ
たにせよ、刀としての本能を抑えきれずに暴走したあなたが言うよ
うなことではありませんわ﹂
﹁くっ⋮⋮﹂
せっかく格好良く決めた蛍の言葉を葵が台無しにする。だが事実
を指摘されているだけに蛍は何も言い返せない。
結局はあの時、俺が蛍や桜を止められるだけの力があれば、もし
くは力に変わるだけのリーダーシップを俺が発揮できていればあの
事態は避けられたのかもしれない。とも思うが⋮
﹁ほらほら、もうその話はやめよう。それぞれ反省はあるけど引き
ずるのは良くない。今後同じミスをしなきゃいいんだからさ。ほら
領主館に着くよ﹂
1107
2人の背中を手で押しながら領主館前まで着くと警護をしている
兵士へ、報酬の受取に来たということを伝える。
警護の兵士にはあらかじめ話が通っていたらしく、兵士の1人が
館の中へと俺の来訪を知らせに走った。
そのまましばらく待っていると館の方から遊撃隊隊長ルスターと
双子の従者ニジカ、ヨジカが歩いてくる。
﹁お待たせして申し訳ないなフジノミヤ殿。しばらく体調を崩して
いたと聞いたがもう大丈夫なのか?﹂
﹁ええ、おかげさまで。疲れが出たのかもしれません。久しぶりに
ゆっくり休むことが出来たので、今はむしろ調子が良い位ですね﹂
﹁それは良かった。確かに住まいのすぐ近くに盗賊団がいると分か
っていたらゆっくり休むこともできないな﹂
﹁はい﹂
そんな状況にあった俺達を慮ったのかルスターは苦笑を浮かべる。
﹁さて、報酬の件だが準備は出来ている。だが、まあ金額が金額で
もあるしな。一応うちの領主から手渡すという形になるんだが構わ
ないか?﹂
ルスターの苦笑には俺が先日嫌な別れ方をした領主と再び顔を合
わせるということに対するものも含まれていたようだ。
・・・・
﹁構いませんよ。ルスター隊長には命をたまたま救ってもらった恩
がありますから。その節は本当にありがとうございました。今日は
・・・・
そのお礼を言おうと思ってたのもあったんです﹂
﹁その件についてはたまたま演習中だっただけだと言ったんだがな﹂
﹁それでも。⋮ですよ。ほら、蛍と葵も﹂
﹁ルスター殿、危ないところを助けて頂き感謝いたしますわ﹂
1108
﹁私からも礼を言う。領主の意向に逆らってまで動いてくれたこと、
決して忘れずにおく﹂
﹁お、おう。わかった。じゃあ行くぞ﹂
きびす
俺達からの立て続けのお礼を受けて居心地が悪くなったのかルス
ターは鼻の頭を掻きながら頷いて踵を返す。耳がちょっと赤く見え
るのはもしかしたら照れているのかもしれない。
コロニ村の件といい今回の件といい今後も仲良くしたい人材だと
思う。
1109
関係︵後書き︶
今話はもしかしたら大幅改稿するかもしれません。しないかもです
が⋮
思っていた感じがうまく出せてない気がしています。
1110
報告︵セイラ・マスクライド、大工さん︶︵前書き︶
420万PV超、約30万ユニークです。
読んで頂いてありがとうございます。これからも頑張りますのでよ
ろしくお願いいたします。
1111
報告︵セイラ・マスクライド、大工さん︶
ルスターの先導で案内されたのはこの前と同じ部屋だった。部屋
の中では既に連絡を受けていたのだろう領主セイラが立っていて、
親衛隊のミランダがその後ろで怖い顔をしていた。
前回の別れ際の対応を未だに根に持っているのかもしれない。
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
と言ってもここで黙っていても仕方がない。こっちから話を切り
出してさっさと終わろう。
﹁今日は報酬をもらいに来ました。まだこの後、挨拶に行かなきゃ
ならないところがあるので手短にお願いします﹂
﹁あ⋮⋮はい。そうですね。ミランダ、報酬を﹂
﹁はい、セイラ様﹂
どこか傷ついた表情のセイラが後ろに控えるミランダに指示を出
す。ミランダはすぐに頷くとそこそこ大きな革袋を2つセイラに渡
した。
セイラはその内、まず大きい方の革袋を俺に渡してくる。
﹁こちらが赤い流星を壊滅して頂いた分の壊滅報酬になります。大
金貨で60枚です﹂
600万マール、日本円にして約6千万か。前にウィルさんに聞
1112
いたときは500万だったからまた上がってたってことか。
まあ、今は手持ちも尽きてるし増える分には問題ないな。
﹁それからこちらは、幹部のパジオン、シャドゥラ、頭目シャアズ
の賞金です。こちらは武器での証明はありませんでしたが、身柄を
こちらで引き取り確認済みですので問題なくお支払いします。メイ
ザの分は武器と身体いずれも確認できませんでしたので、申し訳あ
りませんが⋮﹂
﹁それは構いません。武器はこちらで使ってますし、身体は既に埋
めてしまいましたので。ちなみにディアゴも塔内で倒しましたが放
置してきてしまったので死体は塔に吸収されてますね。ディアゴが
使ってた武器、獅子哮なら今私が装備してますが所有者登録は既に
更新されていますからこれも難しいと思うので、そちらも結構です﹂
死体があれば賞金が貰えるとは知らなかったが、普通は死体を持
って歩かないからどっちにしたって持ち込むのは無理だからそれは
仕方ない。
そもそもディアゴは死んでないし。
﹁分かりました。パジオンとシャドゥラは大金貨5枚。シャアズは
大金貨15枚です﹂
俺の手がふさがっているのを察して蛍が受け取る。
﹁ありがとうございました。では、失礼します﹂
素っ気ない気はするが、元々領主とかそういった人種とあまり近
づきすぎないようにしようと思っていたんだからこれでいい。お互
い利用出来るところはすればいいが必要以上に慣れ合う必要はない。
まあ、お近づきになりたくなかった訳ではない。むしろ金髪美女
1113
で、出るとこ出て、ウエストが引き締まってるとかとことんお近づ
きになりたかった。
﹁⋮いえ、こちらこそ。周辺の領主たちの間でも懸案だった赤い流
星を壊滅して頂いたこと、心より感謝いたします﹂
﹁いえ、こちらも自衛のためでしたから﹂
﹁⋮⋮そ、それと!先日の件ですが、申し訳ありませんでした。確
かに私の治めているのはフレスベルクの街だけではありませんでし
た。フジノミヤ様の屋敷はもちろん周辺の村々で暮らす人々も私が
守るべき領民です。あの時の派兵しないという決断自体が間違って
いたとは思いませんが、そのことに思い至らなかった為、言葉に配
慮が足りませんでした﹂
⋮⋮そうなんだよな。一生懸命過ぎて周りが見えなくなるみたい
・・
だけど、基本的に真面目で善良な領主様なんだよな。
﹁セイラ様は良い領主だと思います。領民としてあなたが領主で良
かったと思います﹂
俺の言葉に僅かに喜色を浮かべたセイラを置いて俺は部屋を出て
いく。その際にルスター隊長に軽く頭を下げる。宴については既に
伝えてあるのでもう言葉を交わす必要はない。ルスターも口元に笑
みを浮かべつつ会釈よりも少しだけ深い頭礼を返してくれた。
﹁さて、後はどうするソウジロウ﹂
1114
﹁そうだね⋮リュスティラさんの所にも行きたいんだけど、装備の
件に関してはシスティナ関連がほとんどだから明日に回そうかな﹂
領主館を出て歩きながら次の目的地を考える。リュスティラさん
の所はお礼という訳ではないが、システィナの魔断や手甲がかなり
の損傷を受けているので修理が必要なのと、葵の装備の作成、後は
狼たちにちょっとした物を作ってやりたいと思っている。
﹁そうだな、私もクナイを増産したい。桜もクナイをいくつか紛失
したらしくてな。追加が欲しいと言っていたぞ﹂
となると、やっぱり後日改めて全員で行った方が良いな。
﹁じゃあ、大金も持ってることだし、後は大工さん達に宴の招待が
てらお礼を言って、今日は戻ろう﹂
﹁はいですわ、主殿。わたくしも早く帰っていろいろ準備がしたい
ですし⋮﹂
﹁え?準備ってなんの⋮あ!﹂
頬を染めて、くねくねしている葵を見て気づく。それは俺も楽し
みである。
﹁はは⋮了解。じゃあ早く帰ろう。でもお世話になった大工さんた
ちにはちゃんとお礼をしないとね﹂
﹁当たり前ですわ!この馬鹿山猿はともかく可愛い桜を助けてくれ
た上に、私達の危地に駆けつけて下さったのですから﹂
1115
﹁すいません。親方は今日は終日現場の方へ出てまして﹂
ベイス商会の大工寮に向かった俺達を出迎えてくれたのは大工さ
ん達のスケジュールを管理している参謀大工テッツァさんだった。
﹁構いませんよ。突然来てしまったのが悪いんですから﹂
﹁そうですか。それで、今日はどうされました?﹂
﹁はい、先日私達の無理なお願いを聞いて下さったばかりか、いろ
いろ助けて頂いたのでお礼を言いたかったのと、その時にゲントさ
んにまた温泉に招待して欲しいと頼まれていましたのでそのご招待
に﹂
﹁それはどうも御親切にありがとうございます。先日親方達が持ち
帰った武器の賞金だけで結構なお礼だったので申し訳ないです。親
方が無理を言ったのではないですか?﹂
いつもゲントさんが無理を言って困らされているだろうテッツァ
さんだからこその言葉だろう。
だが今回は完全に的外れもいいところで俺達の感謝はそれくらい
では全く足りていない。
﹁とんでもないです!ゲントさんと、一緒に来てくれた大工さん達、
そして彼らが仕事を抜けることで開いてしまう穴を埋めるために頑
張ってくれた他の大工さん。皆さんがいてくれたからこそ開ける宴
ですよ﹂
俺のその言葉を聞いてテッツァさんもようやく安心したのか笑顔
を見せる。
﹁そういうことでしたら皆で伺わせていただきます。ところで、今
日は桜お嬢さんはどうされたんですか?親方が助けに行ったと聞い
1116
ていますが怪我でもされたりは⋮﹂
ゲントさんたちは同じ大工の皆さんにも詳しい説明はしていない
らしい。桜達が武器の化身であることに気付いたのかどうか確認は
していないが、まだばれていない可能性があるならわざわざ自分達
からばらす必要もないか。
﹁大丈夫ですよ。俺達に心配かけた罰に屋敷で窓の修理とか、新し
く増えた仲間の小屋とかを作ってるだけですから﹂
﹁ほう⋮﹂
﹁あ、それと以前言っていたうちの故郷で使ってた木材だけで家を
つぎて
建てるやり方を、システィナにまとめて貰いましたのでこれを﹂
しぐち
つ
﹁おお!先日言っていた﹃木組み﹄ですね!⋮⋮なるほど、﹃継手﹄
や﹃仕口﹄ですか。木材同士を加工して接ぐんですね﹂
システィナから預かったメモに喰いつくテッツァさんの目がちょ
っと怖い。
﹁ソウジロウさん、確か桜お嬢さんが小屋を作っていると?﹂
﹁え、ええ⋮﹂
﹁窓はどこの窓ですか?﹂
﹁2階の私の寝室ですけど⋮﹂
テッツァさんはニヤリとした笑みを浮かべると背後の寮を振り返
る。
﹁ミナト!ターク!テル!ロクジカ!トーレ!今すぐ道具と倉庫の
試作木材を持ってソウジロウさんの屋敷へ行け!トーレは11番の
枠型と窓材を忘れるな!ミナト!これを向こうに着くまでに完全に
暗記しておけ!﹂
1117
﹁﹁﹁﹁﹁わかりやした!副棟梁!﹂﹂﹂﹂﹂
にわかに慌ただしくなる大工さん達に呆気に取られているとテッ
ツァさんが頭を下げてくる。
﹁旦那さんすいません。窓の修理はこちらでやらせて貰いますので、
その小屋を私達に作らせてください﹂
﹁えぇ!小屋って言っても厩舎っていうか、犬小屋ですよ。ベイス
商会の大工さん達にお願いするようなものじゃ⋮﹂
テッツァさんはそれを聞いてますます不敵な笑みを浮かべる。
﹁ますます好都合です。以前より聞いてた木組みの技法については
大工達の間で大分研究していたんです。そこに、システィナ嬢から
頂いたこれを見てしまったら⋮﹂
あぁ、分かった。これは⋮あれだ。﹃わくわくが止まらない﹄っ
てやつだな。新しい技術を試したくて仕方がないってことか。しか
も犬小屋的な物なら丁度手頃だと言うことか。さすがにいきなり人
が住む家屋や2階建てとかって訳にはいかないだろうしな。
﹁分かりました。こちらとしても、助かりますので是非お願いしま
す﹂
﹁おぉ、すいません。無理を言ってしまって。では、申し訳ないで
すが私も準備して屋敷に向かいますのでまた後程﹂
テッツァさんはそう言うとそそくさとこの場を後にしてしまった。
﹁ふふ、どこの世界に行っても技術を追い求める者達は変わらぬの
う。私が見て来た刀鍛冶共も毎夜のように議論を重ねていた﹂
1118
﹁そうですわね。わたくしの周りにいた者達も同じですわ。新しい
工法が1つ見つかる度に試行錯誤に半生を掛けるような者達ばかり
でしたわ﹂
そういうことに夢中になれる国だったからこそ日本の中で日本独
自の刀という物が産まれ、釘を使わない建築法なんてものまで産ま
れたのだろう。
﹁さて、予想外の展開だったけど一応今日の予定は終了かな。後は
⋮宴の食材なんかはシスティナがベイス商会に発注するって言って
たから、適当に今日の食材と⋮大工さん達や一狼達と食べれるよう
に屋台で串焼きでも買って行こうか﹂
﹁それはいいですわ!わたくし﹃買い食い﹄というのを一度してみ
たかったんですの!﹂
﹁蛍は飲んでばっかりだけど、葵は食べることが好きだね﹂
﹁はいですわ!いっつも私の周りで美食を尽くしている人達を見る
ことしか出来ませんでしたから、今は自分で食べられるのが嬉しく
て仕方無いですわ!﹂
くるくると回りながら着物の裾を傘のように広げる葵は、とても
800歳には見えない。本物の遊女のように艶やかで、見てるだけ
でドキドキしてしまう。
﹁そうと決まれば、さっさと買い物に行くぞ。ソウジロウ﹂
葵に見とれていたせいか幾分不機嫌な声を出す蛍も、こういう時
は乙女な感じでとても可愛く見える。これが葵じゃなくて桜やシス
ティナだと微笑んで見てるだけなんだけどね。
﹁了解。でも宴に招待した人達が温泉に入るってなるとタオルとか
1119
ももっといるよな⋮買って行くか﹂
﹁そうすると手が足りぬな。注文だけしておいて届けて貰うか?﹂
﹁そうなんだよね⋮この前の盗賊の武器を運ぶ時にも思ったんだけ
ど⋮やっぱり﹃アレ﹄が欲しいよな。明日相談してみるか﹂
それから俺達は3人で楽しく屋台を回り、それぞれが持てる限界
まで買い物をした。
1120
報告︵セイラ・マスクライド、大工さん︶︵後書き︶
近々︵次の次くらい?︶、初のSSを投稿してみようかなと思って
ます。これは当初4章までの間が空く予定だったので、話を仮完結
で締められるように書いた話です。
その後、﹃あの人﹄をメインにしたスピンオフ的なSSを入れてみ
たいと思っています。こちらはキャラ視点を使わずに進める予定で
す。
こちらは気に入ってくれる人がいるなら本編の隙間にでもたまに入
れていきたいと思ってます。
二つのSSを挟んでから4章でテーマにしているものに入ります。
私自身は、本編の流れを中断して放り込まれる他視点の話や外伝が
あまり好きでは無いのでどうなのかとは思っているんですが、そう
いう構成をしている作家さんが結構多いのも事実なので私なりの挑
戦でもあります。
今、書いた流れのお話は年内には全部投稿できると思いますので楽
しみにしていてください。
1121
犬小屋︵前書き︶
ちょっと話が収まらなかったのでSS前にもう一話入ります。
1122
犬小屋
思ったよりも買い物に夢中になってしまった俺達が、両手に荷物
を抱えて屋敷に戻ってきたのは既に空が茜色を通り過ぎようとした
頃だった。
最初は屋台で串焼きでも買い込んで⋮と思っていたのだが、初め
て買い物をした葵が、もの凄く買い物を気に入ってしまったので、
あれもこれもと見て回っている内に大分時間が経ってしまった。
まあ、今までずっと動けなかったんだから、人化したことで楽し
めるようになったことは今までの分も目一杯楽しんで欲しい。
蛍はその楽しみが自らの武の向上に向けられているし、桜は忍者
という存在の追求に向かっているようだけど、どんな形でもいいか
らこの世界を楽しんで欲しい。俺が自分らしく生きられるこの世界
を楽しんでいるように、人化して好きなように生きられるこの世界
を刀娘達にも存分に謳歌して欲しい。
その為の方法が俺の下を離れることだったとしても、その時は笑
顔で送り出してあげたいと思っている。
⋮⋮あ∼、いざその時が来たら泣いて引き止めちゃいそうな気も
しなくはない。
あくまで心構えとしての話。
﹁ただいま∼﹂
1123
ガウッ!
﹁おお、一狼。出迎えありがとう。ちょっと荷物が多いからシステ
ィナに扉を開けてくれるように伝言頼めるか?﹂
グルゥ!
一狼は小さな唸り声で返事をすると屋敷の方へと走っていく。厳
密に言うと一狼だけは特別だが、その他の狼達も従魔になったせい
か、かなり賢いらしく俺達の意思をかなり正確に理解してくれる。
ただ、どうやってシスティナに伝えるか⋮それを見てみたくて敢え
てお願いしてみたのだが。
ウォウ!ウォウ!ウォウゥ!
な
一狼は扉の前で扉の隅をカツカツと爪で叩きながら控えめな声で
3回啼いた。
﹁はぁい!またお客様ですか?一狼﹂
するとすぐに屋敷の中からパタパタと足音が聞こえて来て、シス
ティナの声と同時に扉が開く。
﹁あ!ご主人様。おかえりなさい。蛍さんも葵さんもお疲れ様でし
た。⋮っとそれにしても凄い荷物ですね。とりあえずリビングのテ
ーブルの上に一度置きましょう。降ろすのを手伝いますからそのま
まリビングまでお願いします﹂
﹁了∼解。助かったよ一狼。ありがとな﹂
1124
一狼は尻尾をぶんぶんぶんと振ると、また敷地内の警備に戻って
いった。想像以上に優秀な警備員のようだ。
﹁システィナ、狼達と合図を決めたの?﹂
﹁はい、扉を叩いて3回啼くのは来客の合図です。敵襲に関しては
圧倒出来ない相手が来た時にはすぐに遠吠えで知らせてくれるよう
にお願いしてます。あ、止まってください。こちらから降ろします﹂
システィナが顔の前まで積みあがっていた荷物を上から降ろして
くれる。タオルや服なんかが多かったから重さはさほどでもなかっ
たが、視界が悪かったのでこれでやっと肩の力が抜ける。
﹁ふぅ、助かったよ。システィナ、調子に乗って買い物してたらこ
んなになっちゃってさ﹂
﹁大変楽しゅうございましたわ!主殿、また一緒に行ってください
ませ﹂
﹁はは、もちろんいいけど、次はお手柔らかにね﹂
楽しんでいる葵を見ているのは楽しいが、荷物持ちをさせられる
彼氏という役回りをまさか異世界に来てする羽目になるとは思わな
かった。
よし、次までに狼が背負える荷台を開発して、荷物持ちに狼達を
動員しよう。一狼以外は葵の従魔だし文句は言わないだろう。
ちなみに、一狼だけは今のところテイムされた魔物という扱いに
なっていない。簡易鑑定をしても︵従魔︶の表記がないのでそれは
間違いない。
おそらく、一狼だけは完全に自分の意思でこの屋敷にとどまって
1125
いる。ほかの狼達は葵の命に逆らえないが、おそらく一狼はその気
になれば俺達に牙を剥くことすら可能だろう。従魔を連れ歩く探索
者はそこそこいるが、それはテイムされているからこそ周囲も安心
していられる。
もし、一狼がテイムされていない魔物だということがばれたら、
いろいろ問題になりそうだから気を付けないと。
﹁さて、いろいろ食べ物も買って来たんだけど大工さん達はどうし
てる?﹂
﹁はい。急にいらしたのでびっくりしましたが、気が付くと窓の修
理も終わってました。今は庭の方に一狼達の小屋を作って頂いてる
はずですが⋮先ほどお飲み物をお持ちした時には、なんだかもう凄
いことになっていて私の立ち入れる状態ではありませんでした﹂
何それ?怖いんだけど。あの人たち技術に目がくらんで自重とか
どっかに忘れて来てるってこと?
﹁なんとなく⋮嫌な予感っていうか多分、凄いのが出来つつあるん
だろうなぁと想像はつくけど見に行ってみる?﹂
﹁私は、買ってきて頂いたものを整理してお食事できるようにして
おきますので、ご主人様達だけでご覧になってきてください﹂
﹁了解。あ!システィナ。これ、支払いはまだなんだけどウィルさ
んから買って来たから使って。あと、賞金貰って来たから管理よろ
しく。じゃあ、蛍、葵行ってみようか﹂
システィナに生活用の魔石の入ったポーチと賞金が入った革袋を
渡す。システィナは﹃これでまた料理ができます﹄と喜んでいた。
俺もシスティナの料理が早く食べたかったしツケで買って来た甲斐
があった。
1126
後のことをシスティナに託して俺は、お姉さま2人を連れて庭へ
と戻る。小屋はどうやら屋敷の横手に作っているらしく、正面の門
からは見えなかったので屋敷の壁沿いを歩いて横手へ向かう。
﹁四狼!ジャンプ!そうじゃないよ!もっとスッと行って、シャッ
ッと消えるくらいじゃないと!次五狼!ダッシュから反転!うん、
大分良くなった!でももっと速く!低く!いかに相手の死角を突く
動きが出来るかが勝負だよ!あ、戻って来た?六狼。うん、正解。
あなた達の鼻は切札になり得るんだよ!常に研ぎ澄ましておこう!
よし!四狼、五狼、六狼は休憩。七狼、八狼、九狼は警備を二狼、
三狼に引き継いだら訓練始めるよ﹂
俺は思わずこめかみを押さえて息を漏らす。この子はお仕置きの
意味を絶対に分かってない。おそらく最初はちゃんとやっていたの
だろうが、大工さん達が乱入してきた辺りから全てを大工さん達に
任せて持て余した暇を狼たちの忍狼化計画に費やしていたのだろう。
﹁葵、取りあえず一旦止めて﹂
﹁はい、主殿。︻お前たち集まるのですわ!このわたくしの下に!
ぐずぐずするんじゃありませんわ!︼﹂
﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁ガウ!﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂
葵のスキルが発動し狼たちが全ての動きを中断し葵の前に駆けつ
けてくる。葵の従魔ではないのでその中に一狼はいない。
ローテし
﹁ああ∼!!何するの葵ねぇ!せっかくいい感じに回ってたのに!﹂
﹁桜!言われてた仕事はどうした?終わったのか﹂
﹁あ!ソウ様、お帰りなさい!﹂
1127
こちらの質問が聞こえてないのか満面の笑みを浮かべて抱き付い
てこようとする桜。とても可愛いがつい先ほどリーダーとしても頑
張ると誓ったばかりだ。ここは心を鬼にする。
﹁蛍﹂
﹁うむ﹂
ゴン!
﹁いったぁ∼!何するの蛍ねぇ!痛いよ!﹂
﹁桜!し・ご・と・は!﹂
﹁え?仕事?﹂
蛍の峰打ちを脳天に受けた桜が頭を撫でながらきょとんとした顔
をする。
﹁窓も、小屋もテッツァ達がやってくれたし、屋敷の中はシスの管
理下でしょ。桜が手を出す訳にはいかないもん﹂
おお⋮いかにもな意見だ。思わず納得しそうになってしまった。
﹁それに、一応桜もやろうとはしたんだけど⋮﹂
桜の視線の先には板同士が絡まったかのようなオブジェが鎮座し
ている。どうやって組み上げたのか全く分からない不思議なオブジ
ェはどうあがいても犬小屋には見えない。いっそ芸術品だと言われ
た方が納得できそうなのが面白い。
﹁桜はさ⋮⋮よっと﹂
1128
手に刀を握った桜は犬小屋を作るのに準備してあったのだろう手
の長さほどの丸木を、ひょいっと放り投げる。
﹁ふっ!﹂
それが目の前を落ちる時に鋭く呼気を吐き、刀を閃かせるとばら
ばらと板の形になった木が地面に落ちてくる。
﹁斬るのは得意なんだけど⋮組み立てるのは、え!﹂
﹁桜お嬢さん⋮その技、もっと太い丸太でも出来ますよね?﹂
いつのまに近づいて来たのか、ぐわしと背後から桜の肩を掴んだ
のは副棟梁のテッツァさんだ。なんだか目が据わっているように見
えるのは気のせいだろうか。
﹁え⋮出来ると思う。けど?﹂
﹁よし!じゃあ、こっちへ来てどんどん頼みまさぁ!なあに仕上げ
はあっしらがやりますから!お嬢さんはどんどんこちらが指示する
厚みに斬ってください﹂
﹁え?え?⋮⋮えぇ∼∼!!!﹂
なんだか、口を挟む間もなく木材加工用の機械的役割として狩り
だされていく桜の姿をぽかんと口を開けて見送る。
﹁⋮なんだかなぁ﹂
﹁まあ、桜のお仕置きはあれと言うことで良いのではないですか﹂
﹁ん、だね。それにしても⋮⋮﹂
大工さんたちは何を作っているんだろうか。俺達が欲しかったの
1129
てい
は犬小屋だというのは知っているはずなのに作っている物はどう考
えても山小屋と言った体のきちんとした家だ。
一狼達が暮らすには些か立派すぎる気がするんだが⋮
﹁おお!嵌まりましたよ副棟梁!しかもこの強度!﹂
﹁これなら釘を使う部分は最低限で済みます!﹂
﹁釘の劣化で形が歪んだりすることもなさそうですね!﹂
﹁ただ、やはり継手や仕口の部分はかなり精密にやるひつようがあ
りますね﹂
﹁加工の道具も教えてもらった奴をすぐに発注しやしょう!まずは
ノミから!﹂
﹁いや!カンナが先だろう﹂
﹁馬鹿言ってんじゃねぇ!のこぎりが先だ!﹂
﹁のこぎりはなくても桜お嬢がいりゃ木は斬れる!﹂
﹁ちょ、桜を大工道具と一緒にしないでってば!﹂
﹁﹁﹁﹁がははははははははははははははは!!!!﹂﹂﹂﹂
⋮うん、何も言えねぇ!
﹁屋敷に戻るか﹂
﹁うむ﹂
﹁はい、あなた達も解散なさい。警備も忘れずにね﹂
ガウッ!
1130
犬小屋︵後書き︶
またレビューを2件頂きました^^ブクマもなんと10000超え
ました。
本当にありがとうございます。
年末年始は更新できるどうか微妙なのですが応援に応えて少しでも
たくさん更新できるように頑張ります。
1131
月光
結局、大工さん達は陽が落ちるまで作業をした上に蛍に明かりの
提供を求め、脅威のペースで作業を進めその日の内に狼ハウスを完
成させていった。
完成した狼ハウスは何と小さいながらも2階建てで、仕切りだけ
の簡易な部屋とはいえ1階に6部屋、2階に4部屋があり、1階に
トイレ、2階にテラスまで付いている。もちろん人が入っても壊れ
るようなやわな作りはしていない。
狼たちは完成した狼ハウスに狂喜乱舞し、最初は好きな部屋の取
り合いで大分揉めていたが一狼の一声で騒ぎは沈静し、今は当番制
で夜警に当たっているはずだ。
﹁ふう、やっと落ち着いた﹂
﹁お疲れさまでした。ご主人様﹂
テーブルの食器を片付け、システィナが淹れてくれた緑茶を啜る
俺を見て侍祭様が笑いながら労ってくれる。
﹁システィナも昨日まで熱があったのに無理はしてない?﹂
1132
﹁はい。主な原因は魔力枯渇と疲労だと思います。2日も寝たらす
っかり良くなりました﹂
﹁そう、良かった。でも一応今日も1人でゆっくり休んだ方が良い
ね﹂
﹁ふふ、分かりました﹂
全部分かっていますというようなシスティナの笑顔に思わず赤面
しかけながらも、かろうじてポーカーフェイスを保って頷く。
﹁蛍と桜も、引き続き部屋で謹慎ね。一応今日まで﹂
﹁ふ、いいだろう。特に異論はない﹂
﹁え∼!桜もそろそろソウ様と一緒に寝たい!﹂
﹁桜さん、申し訳ないですが、今日だけは譲って貰いますわ﹂
﹁あ、そっか⋮⋮それなら仕方ないか。今晩は我慢するよ﹂
うん、結局全員にバレバレだった。まあいいけど。
﹁で、明日はウィルさんにお金を返した後に、リュスティラさん達
の所に全員で行くから装備の修理や新調とかあったら明日までに考
えておいて﹂
﹁はい﹂
﹁うむ﹂
﹁りょ∼かい﹂
﹁はいですわ﹂
各自の﹃窓﹄の確認とかもしたいところだけど、今日はいいか。
業:−10 年齢:17
ちなみに俺の﹃窓﹄の内容は
﹃富士宮 総司狼
職 :魔剣師 1133
技能:言語
読解
簡易鑑定
武具鑑定
手入れ
添加錬成+
精気錬成
夜目 魔剣召喚︵1︶
特殊技能:魔精変換﹄
金に糸目を付けない添加錬成が功を奏したのか、添加錬成が+に
なっていた。おそらく気が付いていなかっただけで、葵の添加錬成
中に+になっていたんだと思う。そのおかげで葵のランクをギリギ
リで上げることが出来たのだろう。
ただせっかく+補正がついたが、今回かなりの量の魔石を買い漁
って消費したので、しばらくは添加錬成の魔石は自分たちが塔で狩
った魔物の魔石の中から回すことになる。
擬人化出来る3人には無理に添加錬成することはない。敢えて魔
石を消費してまで俺の楽しみを減らす必要は全くない!
問題は﹃魔剣召喚︵1︶﹄。これを使用した際に新規加入した刀
については、必要になってくることもあると思う。今のところ最初
から擬人化出来たのは蛍だけ。葵ですら無理だったことを考えると
今後召喚する刀達も、基本的に擬人化は覚えていない可能性が高い。
だから錬成に回せる魔石は擬人化を覚える前の刀達に使っていく
つもりだ。
1134
召喚自体は、正直に言えば早く召喚したいという気持ちはあるが、
葵とこれから初めて一夜を共にするのに、その直前で新しい刀を召
喚するのはちょっと失礼な気がするから、召喚は葵と結ばれた日以
降にやると決めていた。
加えて、更に刀が一振り増えるとなれば俺の装備をどうするかと
いう問題もまた出てくる。
最近では左手は閃斬固定で、右手は刀娘を使うことが多い。それ
ぞれ使用感が違うのは困ったものだが、誰をいつ使っても戸惑わな
いように素振りや型の練習時には全員を万遍なく振るようにしてい
る。
実戦では、それぞれ刀娘達の持つスキルが違うので、探知系と刀
術優先なら蛍。速さと隠密系優先なら桜。魔力、魔術系優先なら葵。
みたいに状況に合わせた使い方が出来ればいいなぁと思っているが、
同じ武器を使い続けることで戦い方が安定するのも確かなので、そ
の辺の検討これからしていかないといけない。
ただ俺の希望としては、刀大好き人間なのでやっぱり手元にある
刀達は皆使いこなしたい。
その為に訓練量が多少増えるとしても、その為なら頑張れる気が
する。伊達に3年間、毎朝4時起きで蛍を振り続けて来た訳じゃな
い。
﹁ご主人様?どうかされましたか?﹂
﹁あ!っとごめん。ちょっといろいろ考えてた﹂
﹁ふ、何を考えていたかは大体わかるが、お前の場合はとにかく体
作りが優先だぞ﹂
1135
﹁そうですわね。少なくとも重りを全解放しても自在に動ける位に
は全身を鍛える必要がありますわ﹂
﹁うぐ⋮﹂
うちのお姉様2人に言われてしまったらもう逃げられない。もう
少し訓練メニューを増やそう。多少無理してもシスティナが治して
くれるからなんとかなるだろう。
﹁⋮お手柔らかにお願いします。さて!じゃあそろそろ俺は風呂に
入って部屋に行くか。葵、後でね﹂
﹁はいですわ!主殿﹂
1人で室内風呂に入り、ゆっくりしてから部屋に戻る。今日は俺
の個室じゃなくて寝室の方だ。
そして、ニードルホークに壊された窓は、窓枠ごと綺麗に修復さ
れていた。心なしかガラスの透明度も上がっているような気がする。
いつもながらベイス商会の大工さんの力には驚かされる。
今、この部屋の中は明かりがついていない。俺の部屋以外の各個
室と、この寝室には光魔石が設置されているので魔石に魔力さえ通
せば明るくなるのだが、魔力が使えない上に葵が手元にない俺では
明かりはつけられない。もしどうしても明かりが欲しければ自分の
個室に行ってランタンを持ってくるしかない。
ま、どうせすぐ明かりは消すし、今日はカーテンを開けておくと
いい感じに月明かりが差しこんで室内は仄かに明るい。
窓の外は裏庭で、衝立と湯気で良く見えないがどうやら蛍が露天
1136
風呂に入りつつ一杯やっているらしく、お盆に乗った酒瓶が見える。
蛍は相変わらずだ。俺は苦笑しながら窓から離れてベッドに腰を
下ろす。
﹁主殿﹂
呼ばれて顔を上げるといつの間に部屋に入って来たのか葵が部屋
の入口に立っていた。
﹁うん﹂
つい
葵は小さく微笑むとしずしずと近づいてきて俺の正面に立ち、静
かに顔を寄せ俺の唇を軽く啄ばんで窓の方へと歩いていく。
﹁葵?﹂
葵は窓際まで行くとふわっと着物を鞘に戻して、纏めていた髪を
ほどき首を振る。するとどこにそんなに長い髪が押し込まれていた
のかという程の髪が滝のように流れた。
月の明かりに照らされた葵の身体、そのシルエットはいっそ妖し
い程だった。
﹁主殿、こちらへ﹂
影になって良く見えない筈なのに分かる、妖艶な雰囲気で俺を招
く葵に吸い寄せられるように近づいていく。
﹁怖いくらいに綺麗だ⋮﹂
1137
﹁ふふふ⋮わたくしも緊張していますわ﹂
葵の手が静かに背中に回されて抱きしめられる。蛍やシスティナ
ほど大きくはないが十分な大きさの胸が俺の胸板で潰れ、柔らかな
感触と暖かい温もりに包まれる。
﹁まさか器物として生まれたわたくしが、こうして殿方と肌を合わ
せることが出来るとは⋮﹂
﹁うん⋮﹂
﹁わたくしが人と触れ合うのはその身体を斬り裂く時だけだと思っ
ていましたのに、こうして主殿を抱きしめることが出来る⋮⋮わた
くしは幸せです﹂
葵の目から流れる一筋の滴。俺はそれを見て、自分からも葵をき
つく抱きしめ返す。
﹁これからはずっと一緒だ。いつだってこうして触れ合える﹂
﹁はい﹂
頷く葵を静かに抱き上げベッドへと運ぶ。
﹁主殿﹂
﹁葵﹂
束の間、視線を合わせた俺達は自然と唇を合わせた。
1138
月光︵後書き︶
次回、仮完結用に書いていたSS。その次がスピンオフ的な外伝で
す。
26日0時と、27日0時の投稿予定です。年内はそこで打ち止め
になるかもです。
1139
SS 幸せな日
目の前には広い空間が広がっていた。
これまでいろんな塔を昇って来たが、1階層ぶち抜きになってい
る階層に来たのは初めてだった。
これだけの広さの空間に柱が一本も無いのは違和感ありまくりだ
が、不思議空間の塔内なので文句を言っても仕方がない。
そんな場所で俺達は今、自分達の準備をしながらこの階層の主が
現れるのを待っている。 ﹁まさか塔の中でレイド戦闘をする破目になるとはな⋮﹂
﹁はい。でも仕方ないですよご主人様。ここまで登って来たのはご
主人様が初めてなんですから﹂
実は俺達がここに来るのは初めてじゃなかった。数日前に一度い
つものパーティでここまで到達していた。
だけどここにきて出て来た主を見た瞬間そうそうに討伐を諦めて
すぐに塔を脱出していた。なぜなら⋮⋮
﹁お?そろそろ出てきそうだぞソウジロウ﹂
﹁了解、蛍﹂
目の前の空間。その奥にいつの間にか無数の影が産まれつつある。
あの影の1つ1つが高階層に相応しい力を持つ魔物である。
そう、この階層の主は複数。いや、複数というだけなら今までも
あった。ここでは複数なんて言うのもおこがましい程の数が出てく
1140
る。魔物達は言うなれば﹃軍勢﹄だった。
﹁みんな聞いてくれ!もうすぐ魔物達が襲ってくる!だが俺達なら
勝てる!
絶対に誰一人として欠けることなくこの階層を攻略するんだ!死
ななきゃうちの侍祭達が治してくれる!
だから無理してもいいけど危ないと思ったら必ず後退して治療を
受けてくれ!﹂
﹁当たり前だ!お前に巻き込まれて死ぬなんて馬鹿らしい!最近や
っとアーリがデレてきそうな雰囲気になって来たってのによ!﹂
⋮⋮⋮
﹁いいか!もう一回言うぞ!危ないと思ったら必ず後退するんだ!
トォル以外は必ず治してやる!﹂
﹁おぉい!!俺が抜けてるじゃねぇか!﹂
トォルの叫び声は完全スルーする。
﹁ソウ様。向こうの配置が終わったよ﹂
﹁お?ありがとう桜。今回も頼むよ。いつも無理難題ばっかりで悪
いけどさ﹂
﹁ん、もう水臭いよソウ様﹂
﹁はは⋮確かにね。信頼してるよ﹂
俺は2刀を引き抜くと前に出て魔物達の影を見据える。その後姿
を見て俺の背後に控えている仲間達が武器を構えるガシャガシャと
いう頼もしい音が聞こえる。
ギィ ギィャ ギィ 1141
魔物達も動き出すようだ。よし!俺達も行くか!
﹁行くぞ!﹂
﹁﹁﹁﹁﹁﹁おおおおおおおおおおお!!!!!!﹂﹂﹂﹂﹂﹂
﹁まずは先鋒!新撰組1番斬込隊!蛍!正面からぶつかり勢いを止
めろ﹂
﹁承知した﹂
蛍が自分の隊を率いて走っていく。身軽な者を集めたその隊はま
さに抜身の刃のようだ。その先頭を黒髪を靡かせて走る蛍のその後
姿はいつだって頼もしい。
﹁新撰組2番強襲隊!︱︱!1番隊が勢いを止めた後に入れ替わり
突き崩せ!﹂
﹁おうよ!任せとけ!﹂
︱︱が重装備に身を包んだ一隊を率いて蛍さんの1番隊の後を追
う。しなやかな筋肉に包まれた大柄なその姿は精神的な頼もしさよ
りも視覚的な頼もしさを感じさせてくれる。
﹁新撰組3番遊撃隊!︱︱!右翼の敵に当たれ!﹂
﹁僕にお任せ!﹂
職人肌の︱︱はその小さな身体と大きな胸からあふれんばかりの
元気をいっぱいに放ちながら隊を鼓舞して右翼へ走る。その明るさ
に何度癒されてきたことだろう。
﹁新撰組4番弟子隊!トォル!左翼に当たれ!しくじったら殺すぞ。
1142
隊士達はヤバいと思ったらすぐに副隊長のアーリかフレイの指示に
従えよ!﹂
﹁﹁﹁はい!!﹂﹂﹂
﹁おい!お前ら!なんで俺が返事する前にこれ以上ない程の良い返
事しちゃってくれてんだ!﹂
﹁はいはい、行きますよ隊長﹂
隊士に引きずられるようにトォルが左翼に向かう。トォルは⋮ま
あどうでもいいか。アーリとフレイが苦笑しながらこっちを見て片
手を上げているので気を付けろよと頷き返しておいた。
﹁新撰組5番魔獣隊!葵!前線の後ろに待機して後詰に回れ!戦況
を見て魔獣隊を援護に投入!﹂
﹁お任せくださいませ、主殿!﹂
雅な葵が異形の隊士を引き連れて走っていく。今となってはあの
魔獣達もうちの家族みたいなもんだ。平時は屋敷の警護を完璧にこ
なしてくれる。葵は最年長の刀として蛍とは違った意味で皆をまと
めてくれる頼れるお姉さまだ。
﹁新撰組6番魔法隊!︱︱!敵の後衛部隊に各種魔法を打ち込め!
味方には絶対に当てるなよ!﹂
﹁ソウジに当てるのは有り?﹂
﹁無しだ!無し!そんなツンデレはいらないよ!﹂
﹁ん⋮残念﹂
︱︱は心底残念そうな顔を見せるがすぐに隊士に指示を出して呪
文の詠唱に入る。あの子はベッドの上ではとても貪欲で素直に可愛
いんだが⋮だけどあの危険思想と妄想力が魔法の才能に繋がってる
と思えば仕方ないか。
1143
﹁新撰組影番隊!桜!戦線をかき回しつつ敵の指揮官クラスを消せ
!いつも言うが無理はするな!チャンスがあればでいい!﹂
﹁了∼解!ソウ様のために頑張っちゃうよ﹂
それだけ言い残して姿を消す桜とその隊士達。影番隊は桜が完全
管理する特殊部隊だ。
入隊試験も桜が行う。だから数は少ないが桜の動きに曲がりなり
にも付いていけるだけの精鋭部隊である。
﹁近衛隊と親衛隊はこの場で待機、場合によっては隊を分けて援護
に行ってもらう。怪我の治療で出る時は親衛をつれてシスティナが、
戦線への投入の場合は近衛を連れて︱︱が出る。気を抜くな!﹂
﹁﹁はい!﹂﹂
俺の両脇には2人の侍祭がいる。1人はこの世界で初めて出会っ
た人間システィナ。本当にたくさん助けて貰った。家族以上の仲間
だ。システィナがいなければ俺は多分この世界にきて2、3日で死
んでいたと思う。その後も何度も命を救って貰ったし本当に感謝を
してもしきれない。
そしてもう一人の侍祭︱︱。彼女を仲間に出来たことも俺達にと
っては大きな転機だったと思う。彼女のユニークスキルがあったお
蔭でどれだけ俺達は助けられたか分からない。
﹁皆さん凄いですね。数では劣ってるのに圧倒してます﹂
﹁皆は俺の自慢だよ﹂
﹁違いますよご主人様。ご主人様が皆さんの自慢なんです。ね?︱
︱﹂
﹁はい。システィナ様の言う通りです﹂
1144
はは⋮なんて、なんて嬉しいことだろう。自分らしく好きに生き
て、そしてそんな生き方を周囲が認めてくれて慕ってくれて、必要
としてくれる。
こんなに心躍ることはない。こんなに嬉しいことはない!
﹁システィナ!なんか無性に暴れたくなってきたよ。行っちゃって
いいかな?﹂
﹁ふふふ⋮ご主人様ならそう言われると思いました。私が付いてい
きます﹂
﹁ありがとうシスティナ。よし!行こう﹂
俺は走り出す。前へと。後ろでシスティナが︱︱に後事を託して
いるのが聞こえる。
﹁待ってくださいご主人様!﹂
俺は走る。前へ。
﹁主殿。やはり来てしまわれたのですわね。一狼、後の指揮は任せ
ますわ﹂
ガウ!
走る!前へ!
﹁あ∼ソウ様、また突っ込んでる。せっかく中隊長クラスを仕留め
た報告に行くとこだったのに。あ、桜はソウ様に合流するから後は
予定通りにね﹂
﹁﹁﹁はい﹂﹂﹂
1145
魔物が見えてくるが怖くはない。俺には皆がいる。だから走れる。
前へ。
﹁ふん、やはり来たなソウジロウ。よし!1番隊は2番隊の指揮下
に入れ!﹂
気づけば初期のメンバーがいつの間にか俺の周りにいる。かけが
えのない仲間であり妻であり家族。俺は⋮俺はこの世界に来て本当
によかった!神様ありがとう!
俺は全身を駆け巡る幸福感に身を打ち震わせながら魔物の群れの
中へと斬り込んで行った。
﹁⋮⋮⋮⋮⋮ま、⋮⋮⋮⋮⋮様、⋮⋮⋮人様、ご主人様起きて下さ
い﹂
﹁ん?⋮⋮あぁ、おはようシスティナ﹂
﹁どうされたんですかご主人様。随分と嬉しそうな顔をしてお休み
でしたが?﹂
1146
﹁え?⋮あ、あぁ、なんか⋮凄く楽しい夢を見てたみたいだ﹂
﹁ふふふ⋮そうなんですか?よっぽど良い夢だったのですね。あん
な顔をして眠るご主人様は初めて見ました﹂
﹁そう?⋮うん。でも本当に幸せな夢だった気がする。うまく思い
出せないけどね﹂
﹁それは残念ですね。是非どんな夢か聞きたかったです﹂
﹁うん、思い出したら教えるよ。きっとシスティナにとっても良い
夢な気がする。それよりなんだっけ?﹂
﹁はい。よくお休みでしたので起こすのは申し訳ないと思ったので
すがお食事の準備が出来たので⋮﹂
﹁そっか。そう言えばお腹がすいたなぁ﹂
﹁ふふ⋮じゃあ行きましょう。皆さんももうお待ちですよ﹂
﹁うん、行こう﹂
差し出されたシスティナの手を取ってベッドを出る。
システィナの背中を押すように部屋を出て扉を閉める前に部屋を
振り返る。ああ、俺は帰って来たんだな⋮
﹁ご主人様?﹂
﹁あぁ。今行く﹂
風に揺れるカーテンを見て何故かそんなことを考えた俺は小さな
声で﹁ただいま﹂と呟き扉を閉めた。
1147
SS 幸せな日︵後書き︶
エタりそうになったらこれで完結に出来るような話にしようと思っ
て書いたんですがどうだったでしょうか?
あくまでソウジロウの夢の話なので、出てくる登場人物は全然違う
人になる可能性もあります。
1148
98
外伝SS シシオウの王者な一日 1 ﹃シシオウ 業
年齢:29 職 :闘拳士
技能:剣術
格闘術
回避
体力回復速度補正
運補正︵弱︶﹄ ﹁何度見ても名前が変わってやがるな⋮なよっとして大したことな
さそうなくせに、あいつ何者なんだ?﹂
シシオウは背負ったザック以外は手ぶらで街道を歩きながら自分
の﹃窓﹄を眺めて呟く。
﹁ま、どうでもいいっちゃ、どうでもいいんだが﹂
魔鋼製の手甲を嵌めた右腕で窓を叩き割ると、背負ったザックの
ズレを直す。ザックの中にはアーロンの街の冒険者ギルド、アーロ
ン出張所で請け負った魔物討伐の討伐部位が入っている。
最近、急速に広まり始めた冒険者ギルドはフレスベルクに本部を
置き、塔のある街から優先的に普及し始めている。
選択型の塔を管理している街アーロンにおいても、本格的な稼働
はまだ先だが依頼の受注と発注、素材の買取だけは仮店舗で既に開
始していた。
1149
登録に関してはまだフレスベルクでしか出来ないため、登録のた
めのツアーのようなものを企画し、1日に1回転送陣を使用して登
録希望者を連れてフレスベルクと往復している。その際の転送陣使
用料はなんとギルド持ちである。
シシオウは既にフレスベルクで登録を済ませた冒険者であり、ア
ーロンで塔に入ったり依頼を受けたりしていた。そして今は、今朝
受けた魔物の討伐依頼を終えて街に帰るところだった。
﹁まさか今更俺が、こうして堂々と外を歩くことが出来るようにな
るとはなぁ⋮﹂
青い空を仰いで欠伸をするシシオウの顔は前に比べると若干だが
険が取れ穏やかになったように見える。
シシオウは昔、というかつい最近までディアゴという名前で﹃赤
い流星﹄という大盗賊団の幹部をしていた。
しかし先日、あることをきっかけに盗賊家業から足を洗うことに
なり、ディアゴだった時に持っていたものは名前すら全て捨て去り、
シシオウとして生きていくことを選んでいた。
その際に冒険者ギルドへの登録を勧められ、言われるがままに登
録をしたシシオウだったが、これが思った以上に有難い組織だとい
うことを僅か数日で実感していた。
﹁これを渡して依頼を完了すれば金貨1枚、ついでに狩った魔物共
の素材を売れば大銀貨数枚⋮か。選り好みしなければ依頼には困ら
ねぇし、買取で無駄な交渉も必要ないから足元を見られることもね
ぇ﹂
1150
今までは魔物を狩って稼ぐためには、魔物の情報を集めて向かい、
倒して素材を剥ぎ、街で各素材を必要とする店に交渉して売るのが
当たり前だった。
だが、このやり方では魔物を探すのにも時間がかかるし、倒して
素材を持ってきても相手が買取を渋って値段を下げられたりするの
で、労力の割に実入りが少ないことも多いためあまりやろうとする
探索者はいない。
だが、冒険者ギルドなら魔物の出現情報などを集約しているし、
魔物の被害に困っている人たちからの依頼も舞い込む。これを受け
れば倒すだけでまとまった報酬を得られるし、魔物の素材も若干安
めの買取額ではあるが、極端に買い渋られるようなことはなく安定
して売ることが出来る。
﹁要は俺の腕一本で幾らでも稼げるって訳だ。確かにこれは便利だ
ぜ。この街には選択式の主塔もあるしな。しばらくはがっつりと修
行させてもらうか﹂
シシオウは見えてきたアーロンの街を見て獰猛な笑みを浮かべる
のだった。
﹁はぁ!なんで俺がそんな依頼を受けなきゃならねぇんだよ!?﹂
1151
バン!と仮設カウンターを叩くシシオウの剣幕にも冒険者ギルド
の笑う受付嬢の笑顔は全く揺るがない。昔はベイス商会というとこ
ろの受付嬢の専売特許だったが、ベイス商会から派生した冒険者ギ
ルドにもその精神が受け継がれているようだ。
﹁フレスベルクの本部より各出張所へ通達が回っています。﹃シシ
オウという冒険者が来たら優先的に盗賊討伐等の依頼を斡旋するよ
うに﹄と﹂
﹁ぐっ!⋮あの野郎の仕業か!ってこれって盗賊が悪さしていると
知っちまった以上、断ると俺の命が危ないじゃねぇか!﹂
シシオウは脳裏に浮かんだ軟弱な顔の男とその侍祭の顔、そして
想いを寄せる女の顔を思い浮かべて舌打ちをした。
﹁くそっ!わぁぁったよ!やるよ!やってやる!受注してやるから
さっさと処理しろや!後、盗賊団の規模とアジトの場所!もし分か
ってねぇんなら今までの活動範囲と被害、付近の地図も寄越せ!﹂
﹁受注ありがとうございます。ではギルドカードをお預かりいたし
ます。その間にあちらの部屋で今回の依頼に関する資料の方をご覧
ください。申し訳ありませんが持ち出しは禁止させて頂きます﹂
シシオウの乱暴の物言いにも笑う受付嬢は至って丁寧である。荒
くれ者が多い冒険者を相手にするには最適な人材かもしれない。
渋々と別室に移動していくシシオウは、盗賊から足を洗う際に違
反すると強制的に罰を与えられるという侍祭のスキル﹃契約﹄によ
って︻自身は決して盗賊行為をしない。もし盗賊行為を行う者があ
れば見逃したりはせず退治するために最善を尽くす。世間一般で悪
事に分類されるようなこともしない︼という契約をしているためこ
れに違反することはできない。
1152
契約を結ぶに至った経緯も考えると違反した際には命の危険まで
あり得るからだ。
﹁いいさ!やってやる。盗賊共をぶち殺して俺の糧にしてやればい
いだけのことだ。魔物相手に戦うだけじゃ経験が偏るからな!﹂
完全に負け惜しみだった。
﹁ち!てんで手応えがねぇ!﹂
あれから1日かけて情報を精査し、自らの盗賊時代の経験なども
駆使し、盗賊の規模とアジトの位置に目途をつけてわざと深夜につ
くように街を出た。
シシオウが与えられた情報で、盗賊達の活動範囲や被害の程度な
どを調べた結果、せいぜいが10名程度までの盗賊でしかも腕利き
を抱えていないだろうということまで推測が出来ていた。
それでも念のために深夜に急襲することにして訪れたアジトと思
われる洞窟で、推測通り盗賊達を見つけたシシオウは何の躊躇いも
なくアジトに突撃した。
すっかりと油断しきっていた盗賊達は、ろくな抵抗も出来ずに洞
窟から出てきた順に瞬く間にシシオウに撲殺された。
1153
強者との戦いを求めるシシオウにとっては全く面白味のない仕事
だった。
﹁別にこんなチンケな盗賊団が持ってるモンなんかいらねぇんだが
な﹂
それでも討伐を証明するためには盗賊達の武器と宝をなるべく持
ち帰って欲しいと言われている。
外で倒した盗賊達の武器をひとまとめにした後、アジトの洞窟の
中へおもむろにどかどかと入っていくと洞窟の隅に木箱が1つ置い
てある。大きさ的には一抱え程で大した大きさではない。
﹁まあ、この程度の規模ならこんなもんだろ﹂
シシオウは洞窟内に燻っていた焚火の明かりで箱の中を確認し、
現金や宝石、観賞用の短剣などが下の方に入っているのを見て呟く。
この箱が溢れるくらい入っていれば大層な額になるのだろうが、
この規模での盗賊ならこの程度だろうとシシオウには予測が付いて
いたらしい。
﹁ま、こんだけ余裕がありゃ、外の武器も突っ込んで帰れるか﹂
ガタッ
﹁誰だ!﹂
﹁ひ!﹂
すいか
シシオウが身構えて誰何するが誰かが襲い掛かってくるような気
配はない。舌打ちをしたシシオウは火種を持って声がした方へと歩
1154
いていく。
﹁やっぱりか⋮お前、どこから攫われてきた?﹂
灯りに照らされたところに蹲っていたのは半裸の女性だった。年
齢は20歳前後、青みがかった長い髪をくしゃくしゃにしているが
顔立ちは整っている。そして何より両手で隠しているが明らかには
み出している胸が特徴的だった。
﹁わ、わかりません。私は森の中の村で暮らしていたのですが⋮薬
草取りの際に魔物に襲われて必死に逃げている間に⋮﹂
﹁迷子になって彷徨っている内に攫われたパターンか?﹂
﹁いえ、その時は親切な方に見つけて頂き、ひとまず街に連れって
行って頂いて村を探して頂ける予定でした。ですが、先に大事な取
引があるとかで不思議な石を経由して色んな街を巡って、私も村の
外は初めてだったので一緒について回って⋮﹂
﹁かぁ∼!転送陣経由してんのかよ!しかも複数!更に田舎者で地
理も知らねぇだと?もうその商人がいないと村の最寄りの街とかわ
かんねぇぞ﹂
頭をがしがしと掻きながらシシオウが愚痴る。
﹁あの、私を助けてくれた商人の方は先日ここにいた人達に⋮﹂
﹁終わったな⋮﹂
シシオウは小さく呟くと、女を置いて箱に戻り、箱を担いで洞窟
を出ようとした。
﹁が!⋮いてぇ!⋮ちょ、ちょっと待てや!この女を置いていくの
も契約違反だってのかよ!﹂
1155
突如胸を襲った激痛に思わず膝をついたシシオウはその痛みの原
因をすぐに契約違反の罰則だと理解する。
﹁いてぇ!いてぇ!分かった!分かったよ!あの女を連れて帰って
なんとかすりゃいいんだろうが!﹂
シシオウがやけくそで叫ぶと胸の痛みが嘘のように引いていく。
﹁あの⋮大丈夫でしょうか?﹂
どこかボーとした感じの女が心配そうにシシオウに声を掛ける。
﹁くそ!⋮こんなことになるんならあんとき戦って死んどきゃ良か
ったぜ!﹂
立ち上がって箱を担ぎ直したシシオウは、盗賊達が寝るのに使っ
ていたらしいその辺に落ちていた布を女へと投げる。
﹁取りあえず街までは連れて帰る。その後は好きにしろ!﹂
﹁あの⋮﹂
﹁なんだ?﹂
﹁私は世間知らずなことに自信があります。街で放り出されたらま
た同じようなことになるのが目に見えてますが⋮﹂
﹁⋮くぅぅぅ!っくしょう!﹂
布を身体に巻き付けながら淡々と事実を述べていく女にシシオウ
は今度は箱を投げ出し両手で頭を掻きむしる。
﹁ああ!分かったよ。お前が1人でやっていけるようになるか、ち
1156
ゃんとしたところに落ち着くまで俺が面倒みりゃいいんだろ!こん
な男と一緒にいるんだ。何されても文句言うんじゃねぇぞ!﹂
﹁はい、申しません﹂
にっこりと微笑む女にシシオウは盛大な溜息を吐く。
﹁お前料理は出来るか?﹂
﹁はい、得意です﹂
﹁そりゃよかった。俺はシシオウだ﹂
﹁私はトレミと申します。よろしくお願いいたしますシシオウ様﹂
1157
外伝SS シシオウの王者な一日 1 ︵後書き︶
というお話でした。
こんな感じでたまにシシオウが嫌々ながら流されていく話を書いて
行こうかなと思っています。視点をキャラ目線から天の声目線に変
えると進行がちょっと楽で良いですね。
年内は上げれてもあと1話かなと思います。
1158
人物紹介︵107話終了時点︶︵前書き︶
ご要望があったのでwikiの人物紹介を更新するついでにこちら
にも載せておきます。かなり手間がかかってしまいましたが、読ま
なくても大丈夫なので紹介が好きでない方は飛ばしてください。
1159
人物紹介︵107話終了時点︶
富士宮 総司狼
年齢:17
種族:人族︵男︶
職 :魔剣師
身長:176㎝
刀が大好きな元高校生。ひょんなことから異世界へ転生。魔剣を
育てる︻魔剣師︼として暮らす。環境の違いによる基礎体力を武器
に目下2刀流の訓練中で師匠でもある蛍の言によると﹃達人の2歩
手前﹄くらいの実力らしい。
設立されたばかり冒険者ギルドのランクはE。冒険者パーティー
﹃新撰組﹄のリーダーを務める。
蛍︵銘:蛍丸︶
年齢:700歳超
種族:無︵あえて言うなら刀︶ 職 :無︵あえて言うなら魔剣︶
身長:187㎝
日本でソウジロウが管理していた日本刀。その正体は一般的に所
在不明とされていた名刀﹃蛍丸﹄。ソウジロウ、桜と共に異世界へ。
擬人化のスキル使用時は、黒髪のストレートロング。着くずし、
着流し着物の超絶美人。刀術の達人。戦闘経験︵あくまで日本での
対人戦︶の豊富さとその刀生の長さからパーティーの御意見番も務
めるお姉様。葵とは口喧嘩が絶えないが蛍サイドはどちらかという
とからかっているだけ。
冒険者ランクはE、﹃新撰組﹄所属。おぱーい:大。
1160
システィナ
年齢:16
種族:人族︵女︶
職 :侍祭︵聖侍祭︶
身長:164㎝
ソウジロウが異世界で初めて出会った人間。﹃契約﹄というスキ
ルを持つ︻侍祭︼という特殊な職にある。︻侍祭︼は特殊な能力を
持つがゆえにその能力は、契約をした相手の為にしか使えないとい
う制限がある。そのかわり、契約侍祭は契約の恩恵により能力が底
上げされる。長い栗色の髪を毛先付近で結ぶことが多い。基本はロ
ーブ系着用。
ソウジロウに助けられたことで、ソウジロウと契約を結ぶ。
冒険者ランクはE、﹃新撰組﹄所属。おぱーい:大。 桜︵銘:無銘︶
年齢:100歳超
種族:無 職 :無
身長:156㎝
地球でソウジロウの命を奪った小太刀。ソウジロウ、蛍と共に異
世界へ。
擬人化スキル使用時は、黒髪ポニーテール。忍び装束着用。忍者
に憧れ、忍者を追求している。所持スキルも希望が反映されている
ようで隠密行動に長ける。情報収集や、暗殺など忍者の仕事に関す
ることの能力が高い。
冒険者ランクはE、﹃新撰組﹄所属。おぱーい:並。
葵︵銘:日光助真︶
年齢:800歳超
種族:無 1161
職 :無
身長:179㎝
地球の蔵にあった刀の中で最古参の刀。その正体は徳川家康の佩
刀として献上されたとされ、日光東照宮に保管されている筈の日光
助真。ソウジロウが異世界で覚えた﹃魔剣召喚﹄のスキルで異世界
へ。
擬人化のスキル使用時は、黒髪を花魁風にまとめ、胸元の開けて
重ね着した着物を着用した妖艶美人。魔力操作の達人。スキルの併
用で魔物をテイムすることもできる。蛍とは犬猿の仲とまでは言わ
ないが、終始口喧嘩が絶えない。刀生の長さでは最年長だが、戦闘
経験が少ないことからパーティーの御意見番は蛍に譲るがその他の
相談ごとには意外と的を射た意見が返ってくるため頼られているお
姉様。
冒険者ランクはF、﹃新撰組﹄所属。おぱーい:並+。
アレクセイ
年齢:32
種族:人族︵男︶
職 :近接格闘師︵但しソウジロウの﹃読解﹄スキルによる情報︶
身長:190㎝
ミカレアの街でソウジロウ達がニアミスした探索者の1人。本質
を読み解く﹃読解﹄スキルで見た職は︻近接格闘師︼だったが、実
際の窓になんと表示されているかは不明。レイトークの塔の20階
層を4人で突破出来る中堅の探索者。仲間との会話によると豪放磊
落で無謀な行動をちょいちょいするらしい。
リーラ・ブロイス
年齢:22
種族:人族︵女︶
職 :打撃砲術師︵但しソウジロウの﹃読解﹄スキルによる情報︶
1162
身長:164㎝
ミカレアの街でソウジロウ達がニアミスした探索者の1人。本質
を読み解く﹃読解﹄スキルで見た職は︻打撃砲術師︼だったが、実
際の窓になんと表示されているかは不明。レイトークの塔の20階
層を4人で突破出来る中堅の探索者。そこそこ名を売って玉の輿に
乗りたいと企んでいる。おぱーい:大︵但し実際には偽造であり脱
ぐと﹃ちっぱい﹄︶
ガルラ・ゴルラ
年齢:26
種族:人族︵男︶
職 :軽薄士︵但しソウジロウの﹃読解﹄スキルによる情報︶
身長:178㎝
ミカレアの街でソウジロウ達がニアミスした探索者の1人。本質
を読み解く﹃読解﹄スキルで見た職は︻軽薄士︼だったが、実際の
窓になんと表示されているかは不明。レイトークの塔の20階層を
4人で突破出来る中堅の探索者。女と見ればすぐ声をかけてナンパ
する軽薄な男。
リュミエル
年齢:15
種族:小巨人族︵男︶ 職 :神官見習い︵但しソウジロウの﹃読解﹄スキルによる情報︶
身長:207㎝
ミカレアの街でソウジロウ達がニアミスした探索者の1人。本質
を読み解く﹃読解﹄スキルで見た職は︻神官見習い︼だったが、実
際の窓になんと表示されているかは不明。レイトークの塔の20階
層を4人で突破出来る中堅の探索者。大きな身体の割に年齢は若く
周りの濃いキャラメンバーに押されているせいか性格は大人しい。
1163
ウィルマーク・ベイス
年齢:34
種族:人族︵男︶
職 :行商↓商人︵冒険者ギルドを立ち上げたことで職が変わった︶
身長:172㎝
ソウジロウ達がレイトークの塔で出会った商人。当時は修行のた
めに行商をしていたが、実はベイス商会という大きな商会の後継者。
ソウジロウとかかわったことで行商は卒業したが、ソウジロウの提
案で探索者達を支援する﹃冒険者ギルド﹄を立ち上げる。現在はギ
ルドマスター的な仕事をこなしつつ、各街へ支店の準備も行う。ソ
ウジロウ達のファンであり、ソウジロウ達を全面的に支援している。
フレイ・ハウ
年齢:19
種族:平耳族︵女︶
職 :獣闘剣士︵読解上も一致︶
身長:171㎝
レイトークの塔で出会った探索者。バルト・ベッケルに弟が病だ
と騙されてバルトの専属で働いていた。治療費を盾に夜の世話もさ
せられていたがとある事情で処女のままだった。レイトークの事件
後、ソウジロウと桜の共謀でバルト・ベッケルが事故死に見せかけ
て暗殺されると、ソウジロウ達が助けてくれたと推測しソウジロウ
をフレスベルクで探し当てる。その後、蛍や桜に鍛えられ、同じく
レイトークの塔で知り合ったトォルとアーリと共にパーティを組ん
で冒険者になる。
冒険者ランクはE、﹃剣聖の弟子﹄所属。おぱーい:並。
トォル
年齢:22
種族:人族︵男︶
1164
職 :剣士︵読解:軽装剣士︶
身長:174㎝
レイトークの主の間付近で出会ったパーティの1人。塔の階落ち
事件で死にかけていたところをソウジロウ達に救われる。窓に表示
される職は︻剣士︼だったため金属の部分鎧などを使っていたがソ
ウジロウの読解により、実は︻軽装剣士︼だということが発覚。金
属を用いない軽い装備を着用することと、蛍によるシゴキで才能を
開花させた。ソウジロウに憎まれ口をよく叩くが新撰組の面々に多
大な恩義を感じている。
冒険者ランクはE、﹃剣聖の弟子﹄所属。
アーリ
年齢:18
種族:人族 職 :舞女︵読解:舞闘巫女︶
身長:162㎝
レイトークの主の間付近で出会ったパーティの1人。塔の階落ち
事件で死にかけていたところをソウジロウ達に救われる。窓に表示
される職は︻舞女︼だが、実態は︻舞闘巫女︼であることが発覚。
戦う巫女であることから武器での戦いを桜に、回復魔法をシスティ
ナに教えられパワーアップを遂げる。命の恩人の新撰組に絶大な恩
義を感じている。
冒険者ランクはE、﹃剣聖の弟子﹄のリーダーを務める。おぱーい:
小。
バクゥ
年齢:享年25
種族:人族︵男︶
職 :不明
身長:182㎝
1165
トォル、アーリとパーティを組んでいた探索者。レイトーク一層
の事件で主の間から2人の仲間を逃がすために傷を負い、助けを待
つ間に力尽きる。
その冷静な判断力と機転の速さから経験を積み、然るべき師に付
けばひとかどの探索者になれたはずだと思わせるほどの逸材。トォ
ル、アーリと同郷で2人を見守る兄貴分だった。
バルト・ベッケル
年齢:30
種族:人族︵男︶
職 :不明
身長:160㎝
レイトーク領主麾下の貴族ベッケル家の長男。好色の上に外道。
気に入った女を手に入れる為には手段を選ばない。フレイ・ハウを
手に入れる為に弟のアルリック・ハウに毒を盛って治療をすると見
せかけていた。
レイトーク一層事件の後、ソウジロウ達に悪事を知られ、ソウジ
ロウの指示を受けた桜に事故に見せかけて暗殺された上に過去の悪
事まで暴かれ、ベッケル家の名を地に落とした。かなりの短小。
アルリック・ハウ
年齢:14
種族:平耳族︵男︶ 職 :村人︵読解:裏方商人︶
身長:152㎝
フレイ・ハウの弟。もともと健康体とは言えない線の細い子供だ
った。そこをバルトに付け込まれ毒で病を捏造されてしまった。バ
ルトの保護下︵?︶にいた間は終始寝たきりだった。桜がバルト暗
殺後に解毒剤をこっそり渡したため快癒。ソウジロウに︻裏方商人︼
の才能を見出され、冒険者ギルドを立ち上げるのに四苦八苦してい
1166
たウィルマーク・ベイスに斡旋される。そこで才能を開花させ目ま
ぐるしい活躍を見せ、既にウィルの右腕としての地位を確立しつつ
ある。やりがいを見つけたことで健康面も改善されつつある。
イザク・ディ・アーカ
年齢:42
レイトーク
種族:人族︵男︶
職 :領主
身長:191㎝
レイトークの塔を管理する湖上都市レイトークとその周辺の領主。
ムキムキの大男で細かいことを気にしない豪放磊落な人物。見た目
に寄らず政治に関しては有能でレイトークの発展に貢献し、民から
の信頼も厚い。ただし、細かいことを気にしないためいつも侍女兼
秘書のミモザに鋭いツッコミと注意を受けている。
ミモザ
年齢:15
種族:狐尾族︵女︶
職 :秘書
身長:146㎝
レイトーク領主イザクの専用の秘書。大雑把な領主の至らない部
分を全て1人でフォローしている苦労人。そのため領主に対する態
度には全く遠慮がない。本編では触れられていないがふんわりとし
たスカートの中にはモフモフの狐尾がある。おぱーい:小
アノーク・ベイス
年齢:54
種族:人族︵男︶
職 :豪商
身長:174㎝
1167
フレスベルクに本店を構えるベイス商会の会長。ウィルマーク・
ベイスの実の父。ウィルに紹介されたソウジロウと魔石の取引を通
じて知り合う。その後温泉の虜になり、フレスベルクに一大銭湯施
設を建造中。
ゲント
年齢:50
種族:人族︵男︶
職 :大工
身長:160㎝
フレスベルクのベイス商会の専属大工達の棟梁。元探索者で大槌
を扱わせれば低階層の魔物くらいなら瞬殺出来るほどの実力者。男
気に満ち溢れた頼れる男。桜と意気投合し、屋敷の忍者屋敷化に全
面協力した。
温泉の虜になった人達の1人。大工達の寮に入浴施設を僅か3日
で作った。
テッツァ
年齢:41
種族:長胴族︵男︶
職 :大工
身長:183㎝
フレスベルクのベイス商会の専属大工達の副棟梁。スケジュール
管理能力に優れ、大工達の実力などを完全に把握して必要な場所に
必要な人材を必要なだけ投入して最善の結果を導く。男気で満ちて
いるゲントの補佐として冷静を心がけているが実は同じくらい熱い
男。
リバル
ミナト
1168
ジン
ターク
テル
ボル
ロクジカ
トーレ
フレスベルクのベイス商会の専属大工達。いずれも優秀な大工頭
達。各自で数名ずつ弟子を抱えている。
リュスティラ
年齢:28
種族:長耳族︵女︶
職業:魔工技師
身長:178㎝
最近フレスベルクに店を構えた魔材を使って武具などを作成する
魔工技師。フレスベルクでは新参の為、有名ではないが腕は確か。
腕の良い魔工技師と魔道具技師を探していたウィルマーク・ベイス
に自分と夫をセットで売り込んだ。エルフを彷彿とさせる容姿。
その後ウィルの紹介でソウジロウ達と出会ったリュスィラはソウ
ジロウ達の装備全般の作成を専属で行うことになる。この世界にな
いユニークな装備を提案してくるソウジロウ達に刺激を受けながら
さらなる高みへを目指している。おぱーい:つるぺた+。
ディラン
年齢:25
種族:低身族︵男︶
職業:魔道具技師
身長:143㎝
最近フレスベルクに店を構えた魔石を武具やアクセサリに連動さ
せたりする魔道具技師。フレスベルクでは新参の為、有名ではない
1169
が腕は確か。ドワーフを彷彿とさせる容姿。無口で無愛想だが職人
気質のため客の要望を完璧に叶える為の努力を惜しまない。
妻のリュスティラと共にソウジロウ達の装備全般の作成を専属で行
うことになる。かなりの愛妻家で少しでもリュスティラに色目を使
うと気絶しかねない程の殺気を放つ。
セイラ・マスクライド
年齢:24
フレスベルク
種族:人族︵女︶
職業:領主
身長:166㎝
ザチルの塔を管理する混迷都市フレスベルクとその周辺の領主。
金髪のスレンダー美人で真面目で繊細な領主。領主であった父を塔
からの魔物の氾濫からの防衛戦で失い、失意のまま領主を引き継ぐ。
良き領主であろうとしすぎる為、若干視野が狭く思考が固い。
先代の功績に加え真面目な政治で民からの信頼は厚い。ソウジロウ
との初邂逅で視野の狭さを指摘され落ち込む。だが厳しいことをき
ちんと指摘してくれたソウジロウのことが少し気になっているらし
い。おぱーい:並+。
ジェイク
コロニ村の青年。盗賊に襲われた村の状況を領主セイラに伝える
為にフレスベルクに走った。ミラの恋人。
ミラ
コロニ村の女性。ジェイクの恋人。ジェイクと逃げる最中に足を
怪我したため1人隠れていたが盗賊に見つかってしまい、不遇の最
期を迎えた。
ドズル
1170
・
自称﹃赤き流星﹄の特攻隊長。事実は﹃赤い流星﹄への追っ手を
引き付けるための囮。コロニ村に居残っていたところを新撰組に急
襲され仲間共々処分される。
シャアズ
年齢:32
種族:人族︵男︶
職 :大盗賊
身長:185㎝
大盗賊団﹃赤い流星﹄の頭目。戦闘狂。自分以外に興味がない特
殊な思考の持ち主。ディアゴ、メイザ、シャドゥラ兄弟の長兄。
悪人を人と思えないソウジロウに似たものを感じ、自分以外に初
めて興味を持ったがそれが災いしてソウジロウに討ち取られた。
ディアゴ︵↓シシオウ︶
年齢:20
種族:人族︵男︶
職 :盗剣士︵読解上のもの︶
身長:178㎝
大盗賊団﹃赤い流星﹄の元幹部。刹那的な価値観を持つ戦闘狂。
シャアズ、メイザ、シャドゥラの弟。
盗賊稼業自体は配下の兇賊にほぼ100%委任して、強い相手と
ぶつかった時だけ顔を出していた。ザチルの塔でソウジロウ達と戦
い、ディアゴの人生観に武器的なものを感じ取った蛍の気まぐれに
より助命される。悪事をしないことと、悪事を見逃さないことを侍
祭の﹃契約﹄スキルで約束し、ソウジロウのスキルで名前すら変更
してシシオウとして生きることを選択した。
メイザ
年齢:29
1171
種族:人族︵女︶
職 :盗賊
身長:168㎝
大盗賊団﹃赤い流星﹄唯一の女性幹部。気に入った男をまぐわっ
た後に殺すのが好きなビッチで変態。シャアズの妹、シャドゥラ、
デイアゴの姉。パクリット山にアジトを構えた後、最寄りの屋敷だ
ったソウジロウ邸を襲撃するも返り討ちにあってその生涯を終える。
おぱーい:大。
シャドゥラ
年齢:26
種族:人族︵男︶
職 :盗賊
身長:169㎝
大盗賊団﹃赤い流星﹄の幹部。火魔法の使い手。シャアズ、メイ
ザの弟、ディアゴの兄。赤い流星を強く大きくすることを生き甲斐
にしていた。シャアズの本心を知った後は自ら赤い流星を作り直そ
うと決意したが、その決意を実行に移す間もなく蛍の光魔法の実験
台にされてあえなく敗れた。
パジオン
年齢:30
種族:人族︵男︶
職 :盗賊
身長:167㎝
大盗賊団﹃赤い流星﹄の幹部であり頭脳。魔物を使役するテイマ
ー。慎重とも言えるほどに大掛かりな策を立てるのは保身の為。典
型的な臆病者。侍祭を得ることに固執し過ぎたがために盗賊団の壊
滅を招いた。捕らえられたのち領主軍内で訊問。ありとあらゆる情
報を吐かされた後に死罪。首は晒された。
1172
実験体121
ディアゴの配下。人体を意のままに操るためにパジオンが実験し
ていた実験体の1つ。元の身体の持ち主の能力をある程度引き継い
でいた。
兇賊︵氏名不詳︶
ディアゴの配下。実質的にディアゴ隊を統率していた。魔力で身
体強化が出来る達人。ミラを死に追いやった主犯。システィナに敗
れて死亡。
ムドラ
ゴズク
グッフ
メイザの配下。ソウジロウ邸襲撃の際死亡。
ルスター
年齢:36
種族:人族︵男︶
職 :騎士
身長:183㎝
フレスベルク領軍遊撃隊隊長。コロニ村の救援に向かう部隊を率
いていた。コロニ村出身の隊員を複数抱え、コロニ村の生存者を救
ってくれた新撰組には友好的。先代領主には恩があり、後継である
セイラを補佐していくことを誓っている。
赤い流星との決戦時には郊外演習の詭弁を用いてソウジロウ達の
救援に向かうなど義に厚い男。
ニジカ
ヨジカ
1173
遊撃隊隊長ルスターの従者を務める双子。
ミランダ
年齢:24
種族:長耳族︵女︶
職 :精霊騎士
身長:170㎝
フレスベルク領軍親衛隊隊長。基本的にセイラの傍らに控えて護
衛をするのが任務。セイラ至上主義のためセイラを貶したソウジロ
ウに対して良い感情を抱いていない。 おぱーい:小。
ガストン
ゆうしん
年齢:33
種族:熊身族︵男︶
職 :前衛騎士
身長:200㎝
フレスベルク領軍強襲部隊隊長。強襲部隊は有事の際の先鋒部隊
を務める。ガストンは強面の大男だが気は優しい。大人しく声の小
さいヒューイとは何故か気が合うらしく仲が良い。
ヒューイ
年齢:28
種族:胴長族︵男︶
職 :精霊騎士
身長:186㎝
フレスベルク領軍近衛部隊隊長。近衛部隊は領主周辺の警護を務
める旗本のような部隊。見た目は某恐怖映画の貞〇のようだが根は
明るいらしい。よく喋るのだが声が著しく小さいためほとんどの人
に無口だと思われている。ガストンと仲が良く、一緒にいる時は通
訳をしてくれる。
1174
エマ・スン
年齢:13
種族:平耳族︵女︶
職 :侍女見習い
身長:147㎝
平耳族の侍女見習い。子リスのようにちょこまかと動く小動物系
美少女。孤児だった自分を拾って仕事を与えてくれたセイラが大好
き。おぱーい:発展途上中
ノンケル
ゲイン
赤い流星の構成員。ノンケルはアジト襲撃の際に死亡。ゲインは
方角を絶対に見失わない﹃絶対方位﹄のレアスキル持ちだが生死不
明。
カレン
年齢:19
種族:人族︵女︶
職 :騎士見習い
身長:165㎝ フレスベルク領軍遊撃隊隊員。コロニ村出身でコロニ村の生存者
アッシュウルフ
の中に親戚がいたことから新撰組の面々に恩を感じている。おぱー
い:並。
一狼
パジオンにテイムされていた灰色狼。知能が高く人語を理解する。
他の狼達より二回りほど大きい。ソウジロウと敵対していたが窮地
を救われたことでソウジロウ達の屋敷に居つく。
1175
二狼∼九狼
パジオンにテイムされていた山狼。現在は葵の従魔。従魔化の影
響なのかこちらも人語を解する。最近は桜に忍狼化計画でシゴキを
受けている。
1176
人物紹介︵107話終了時点︶︵後書き︶
思ったより人物紹介に時間がかかってしまったので、年内に本編を
もう一話あげられるかどうかは微妙ですが頑張ります。
紹介の方は一応ひと通り拾ったつもりですが漏れがあったら教えて
ください。
1177
新魔剣︵前書き︶
結局新年にずれ込んでしまいました。
1178
新魔剣
んっ⋮眩しい⋮そっか、昨日カーテン開けっ放しだった。
﹁おはようございます。主殿﹂
俺が起きたことに気が付いたのか、俺の胸に寄り添っていた暖か
くて柔らかいモノが身じろぎして唇を重ねてくる。
﹁ん⋮⋮おはよう葵。身体は大丈夫?﹂
﹁ふふ、お気遣いありがとうございます。山猿も言っていたと思い
ますが、わたくしたちは元は刀。ご心配は無用ですわ﹂
昨日は、久しぶりだったのと葵の白い肌と柔らかい肢体に抑えが
効かなくなって、結局明け方近くまで頑張ってしまった。
﹁それに⋮⋮はぁ⋮素敵でしたわ。刀としてのわたくしを求められ
るのではなく、わたくしの存在全てを求められている。そう思える
ひと時でしたわ﹂
う、間違ってないけど改まって言われると恥ずかしいものがある。
でも、ここは照れてちゃいけないところだろう。
﹁そうだね。葵の全ては俺のものだ。これからもずっと一緒にいよ
う。まだまだ頼りない男だけど支えて欲しい﹂
﹁はいですわ﹂
俺は葵を強めに抱きしめると今度は自分から唇を重ねる。葵もし
1179
っかりと俺を抱き返してくれるのがとても嬉しい。
﹁⋮名残惜しいけど、今日もいろいろ用事があるしね。起きてひと
風呂浴びに行こう﹂
﹁ふふ、そうですわね。でも、これからはいつでも触れ合えますわ﹂
俺は起き上がって下着だけを身に付けると、葵の手を取った。
﹁おはようございます。ご主人様﹂
葵と二人で室内風呂を満喫し、朝から錬成作業に勤しんだ後リビ
ングに行くと食堂からシスティナが手を拭きながら出て来て頭を下
げてくる。
﹁おはよう、システィナ。今日もタオルとかの準備ありがとう﹂
﹁いえ、寝具の方も整えてありますのでお部屋の方も大丈夫ですか
ら﹂
さすがシスティナ。後でシーツを洗濯に出して、ベッドメーキン
グをしようと思ってたんだけど先を越されたらしい。
﹁朝食の方も出来てますのでどうぞ﹂
﹁ありがとう。蛍と桜は?﹂
﹁はい、先ほど声を掛けましたので間もなくいらっしゃると思いま
す﹂
1180
システィナがそう言うのとほぼ同時に背後から何かがおぶさって
くる。
﹁おはよう!ソウ様!あ∼ん、やっとソウ様に抱き付ける∼!﹂
﹁はは、おはよう桜﹂
背中にくっつく桜をそのままに振り向くと、そこにはちょうど蛍
も到着していた。
﹁おはよう蛍。みんな揃ったし、まずは食事にしよう。せっかくの
システィナの料理が冷めちゃったら勿体無い﹂
全員で食卓に着くと、並べられた料理の数々に目を奪われる。
瑞々しいサラダ。白身魚のムニエル的なもの。スクランブルエッ
グ的なものに薄くスライスしたハム的なものが混ぜられたもの。朝
から重くなり過ぎないように小さく整えられたサイコロステーキ的
なもの。焼き上げられた3種類のパン。ドリンクもリンプルを使っ
たジュースに緑茶、緑茶から加工したほうじ茶、蛍さん用のお酒な
ど数種が用意されている。
︻的なもの︼という表現が多いのは俺が料理をよく知らないのと、
食事についてはシスティナに完全に依存してしまっているので、食
材に対しての知識が全くないからだ。
ただ、フレスベルクは港町と川で繋がれているから魚介も入って
くるし、パクリット山という山もあるので獣肉も豊富に手に入る。
塔があるので塔から溢れた魔物も多い。魔物の肉は日持ちしないも
のが多いが、食べられる物も結構あるので珍味としての魔物肉も豊
富。南には広大な穀倉地帯が広がってもいるので食材には事欠かな
1181
い。システィナが侍祭としての腕を振るうには最適な環境らしい。
全員で楽しく歓談しながら朝食を終えると、全員で食後の緑茶を
飲みながら今日の予定を相談する。
﹁今日はこの後、リュスティラさん達のところに行くけどその前に
いくつか確認しておかなきゃいけないことがあるんだ。システィナ、
申し訳ないけどあれを2つとも持ってきてくれる?﹂
﹁はい、ご主人様﹂
システィナが文句も言わず笑顔で席を立って出ていく。全然自分
で行ってもいいんだが、それをやろうとするとシスティナが怒るか
ら申し訳ない気はするけど仕方ない。
﹁シスが取りに行ったのって⋮﹂
桜の言葉に俺は頷く。
﹁うん、シャアズとシャドゥラが使ってた武器だね﹂
﹁うむ、シャドゥラが使ってた杖か⋮確かになかなかの力を感じる
杖だったな﹂
﹁シャアズが使っていた大剣もなかなかやっかいな感じでしたわ﹂
﹁そうなんだよね。どっちもちょっと癖がある感じでさ。強い力を
秘めてるのは間違いないんだけど扱いをどうしようかと思って﹂
そこへ大剣と杖を持ったシスティナが帰って来て2つの武器をテ
1182
ーブルの上に置く。
﹁お待たせいたしました﹂
﹁うん、ありがとうシスティナ。じゃあ、まずは俺が鑑定した結果
を伝えると⋮﹂
﹃憎炎の魔杖︵呪い︶
ランク : C− 錬成値 ︱ 技能 : 火魔法増幅++ 特殊技能: 他魔法使用不可︵永続︶ 所有者 : シャドゥラ︵死亡︶ ﹄
﹃巨神の大剣︵封印状態︶
ランク : C+ 錬成値 MAX 技能 : 頑丈︵極︶、豪力、重量軽減 所有者 : シャアズ︵死亡︶ ﹄
﹁なるほど⋮呪いに封印か。確かに癖があるな﹂
蛍はどこか楽しそうに呟く。自分はどうせ使わないと思って絶対
に面白がってるな、あれは。
﹁俺の考えとしては、杖の方は火魔法にかなりの補正が付くから桜
に使ってもらうとのがいいかと思ってるんだけど﹂
﹁うん、桜は火魔法しか使えないし他の属性禁止されても構わない
からいいけど⋮私達って武器装備出来ないよ﹂
﹁え!マジで!﹂
そういや、刀娘達は常に自分の刀を使って戦ってたから他の武器
を装備させるという考え自体がなかった。
1183
﹁そうだな、確かに作って貰ったクナイは装備出来なかった。人化
しているとは言っても我ら自体が武器だからな⋮使うことは出来て
も﹃装備﹄は出来ないのだろうよ﹂
﹁なるほどね。言われてみれば確かにその通りか⋮そうすると所有
者登録が出来なくてシャドゥラの所有権を上書き出来ないのか﹂
﹁所有権の消去は︻武器商人︼か鍛冶系の技師なら出来ますので、
今日リュスティラさんのお店に行った時にお願いすればいいと思い
ます﹂
﹁へぇ、そうなんだ。確かに売られた武器の所有権を消せないと武
器屋さんは転売しにくいか。じゃあ、所有権をリセットした後に装
備出来なくてもいいから桜が持つ?装備しなくてもそれなりの効果
は得られると思うけど﹂
桜は魔杖を手に持つとくるくると回したり、振ったりした後に首
を捻る。
﹁武器としては使えないかなぁ。魔法のブースターとして背中に背
負って、動きの邪魔にならないようなら持っててもいいかも﹂
﹁うん、じゃあ今日リュスティラさんの所に行くときに背負って確
かめてみて﹂
﹁は∼い﹂
で、次は⋮
﹁こっちもどうしたものかと思ってるんだけど⋮﹂
﹁確かに主殿が使うにはちょっと大きいかもしれませんわ﹂
﹁だよね、重さ的には重量軽減や、豪力がついてるみたいだから何
とかなるけど、取りまわし的には二刀流に向かないんだよね。相手
によって装備する武器を変えるとかは有りだと思うけど、常時使わ
1184
ないのにこれだけ大きいのを持ち歩くのもしんどい﹂
この大剣の長さはおそらく130∼140㎝くらいある。このく
らいの長さになると、腰に差しても抜けないし引きずるから持つな
ら背中に背負うしかない。こんなものを背負ったまま二刀流をする
のは、はっきり言って無謀だろう。
﹁ご主人様。その、巨神の大剣について1つお伝えすることがある
んですがよろしいですか?﹂
﹁ん、いいよ。今はどんな情報でも欲しいから﹂
﹁はい。私の叡智の書庫からの情報ですが⋮どうもその巨神の大剣
は主塔の主が落としたドロップ品のようです﹂
﹁え?﹂
確か、主塔ってこの世界に10本しかなくて、現在は3本まで攻
略されてたはず。攻略されたのはどれも随分昔で最近では攻略でき
る目途が立っているような塔はないって話だったよな。
とするとシャアズはどこかでこの大剣を持っていた個人、もしく
は管理していた村や街を襲ってこの大剣を手に入れたんだろう。
﹁塔は、主塔でも副塔でもそうですが塔主を倒すと必ず武器をドロ
ップするという説が有力です﹂
﹁あ、確か⋮俺の獅子哮も副塔の塔主のドロップ品だって言ってた
っけ﹂
﹁はい、そうですね。それで、お伝えしておきたいのはどうやら﹃
巨神﹄と名の付く武器は主塔の主を倒した時に出る物らしいんです﹂
﹁ほう、それはつまり現状主塔は3つ攻略されているという話だっ
たから﹃巨神﹄シリーズの武器がこれの他にあと2つあるというこ
とか﹂
﹁はい。﹃巨神の大弓﹄と﹃巨神の大槍﹄が確認されています﹂
1185
つまり、残り7つの主塔を討伐した時にも﹃巨神﹄シリーズの武
器がドロップされるということか。しかもどうやら武器の形態とし
てはそれぞれ別の物⋮⋮有り得そうなのは斧、杖、細剣、格闘系、
棍棒系、槌、投擲系とかかな。
﹁その2つもこれみたいに封印されているのかな?﹂
﹁それは分かりません。ただ、叡智の書庫からそのような情報は拾
えませんので封印されていたとしても一般的に知られていないのは
間違いないです。ご主人様の︻武具鑑定︼のスキルだからこそ分か
ったという可能性はかなり高いかもしれません﹂
﹁どうやら、武器のランク以上にレアな武器らしいですわね﹂
﹁ソウ様!その巨神シリーズ集めたら巨神が復活するとかないかな
?﹂
うん、桜。そんな怖いフラグをワクワクした感じでさらっと立て
るのはやめよう。ありそうでマジ怖い。もし邪神とかだったりした
ら危な過ぎる。
﹁ふん、それはそれで面白い気はするが⋮そう簡単に主塔というの
は討伐出来るようなものではないのだろう?その辺はあまり気にせ
ずとも良いのではないか﹂
﹁そ、そうだよね。どっちにしたって売っ払ってしまうという選択
肢はないな⋮﹂
レアな物らしいし、桜が言うような怖い効果があるかも知れない
なら下手に市場に流すのは怖い。
﹁取りあえずうちで管理することにしよう。となれば、シャアズの
報酬はもう貰ったし所有者登録は上書きしておいた方が良いか。い
1186
つまでもあいつの名前が残るのは気持ち悪いし﹂
見た目の割に軽い巨神の大剣を手に取ると、心の中で﹃装備﹄と
念じる。
﹁うぉ!﹂
いつもなら、ひゅっ!と吸い付くような感じがして装備が完了す
るのに、今回は一瞬だけ何かが吸われるような感じがして、大剣が
僅かに発光したので思わず声を漏らしてしまった。
﹁ご主人様!大丈夫ですか!﹂
俺の様子に何か普通じゃないことがあったのだろうと察したシス
ティナが心配して声を掛けて来てくれる。
だが、俺はその声に応える余裕はない。何故なら手の中の大剣の
感触と感じる物に戸惑っていたからだ。その感覚はいつも感じてい
るものと似て非なるモノ、だけど明らかに同種のモノだった。 ﹁これは⋮⋮⋮魔剣だ﹂
1187
新魔剣︵後書き︶
明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。今年もよろしくお願いいたしま
す。
年内更新が出来ずに2016年にずれ込んでしまいましたのでこの
話が新年一発目です。
1188
2本の魔剣︵前書き︶
年始は忙しく更新遅れました。
1189
2本の魔剣
﹃武具鑑定﹄
俺は手の中の感触の正体を確かめる為にすぐに武具鑑定をしなお
してみた。
﹃巨神の大剣 : 封印状態︵微︶
ランク : C++ 錬成値 : MAX 吸精値 : 0
技能 : 頑丈︵極︶
豪力+
重量軽減
共感︵微︶ 所有者 : 富士宮総司狼 ﹄
やっぱりか。この剣から感じたものは弱いながらも﹃共感﹄によ
るものだった。だが、共感のスキルの効果はごく小さいらしく、巨
神の大剣からは思念的なものはほんの僅かしか伝わってこない。例
えていうなら﹃遠くから見られている視線を感じる﹄程度。残念な
がら現状では感情を読み取るまでは無理っぽい。
そして、理由は分からないがおそらく俺が装備したことで吸精値
の項目が追加されている。つまりこの剣は魔剣師である俺が育てる
ことが出来る武器だということだ。封印が弱くなっているのは多分
ランクが上がったから⋮だと思う。もしその予測が正しければ次に
ランクが上がりBランクになった時には封印が完全に解けるかもし
れない。
1190
ただ、問題は⋮
﹁錬成値がカンストしてるんだよな⋮﹂
そうこれが問題だった。錬成値がカンストしている以上は桜や葵
の時のように魔石で育てることは出来ない。さらに、擬人化スキル
が無いため裸の錬成作業も出来ない。
ちなみに余談だが、俺のマイサンから排出された魔力は一度外の
空気に触れると錬成の為には使用できないが、俺の血液は体外に出
ても錬成に使用することが出来る。理由については全く分からない
が、異世界の不思議ジョブに理屈を求めても仕方がないのでそうい
うものだと思って納得している。
となると、必然的にこの剣を錬成するためには俺が流血するしか
ない。
その辺を刀娘とシスティナに説明する。
とざま
﹁それならば急いで錬成をする必要はないと思います。ご主人様が
いちいち血を流されるのはちょっと⋮﹂
﹁そうですわ!私達の同胞ならともかく、外様の武器に主殿の尊い
お血をお与えになる必要はありませんわ!﹂
﹁うん。心配してくれてありがとうシスティナ、葵。でもこの子も
今ここにいる以上は俺達と縁があったんだと思う。自傷行為をして
まで錬成をする気は今のところないけど、塔で探索中に怪我をした
ときなんかに少しずつ錬成するくらいはしてあげたいと思う﹂
﹁ソウジロウ。怪我をする前提では困るぞ。しっかりと修行しても
らわんとな﹂
﹁そうだよ、ソウ様。それに桜達がついてるんだから、もう簡単に
1191
ソウ様に怪我なんかさせないよ﹂
﹁おお、了解。修行もするし、怪我もしないようにする。心配して
くれて有難う蛍、桜﹂
4人とも心配の仕方が見事に違うが掛け値無く本心から俺のこと
を心配してくれているのが分かる。この大剣もなんとかしてあげた
い気はするけど、あまりみんなに心配をかける訳にもいかないだろ
う。こいつに関しては時間をかけてなんとかしていく方針にする。
それに、育てなきゃいけなくなるだろう武器がもう一本増えるの
は確実だしね。
﹁あと、もう1つみんなに伝えておくことがあるんだ﹂
﹁なんですの?主殿﹂
﹁俺の︻魔剣召喚︼スキルの使用回数が1になったんだ﹂
﹁ほう⋮やはり、この世界でソウジロウが何かを成し遂げると回数
が増えるのやもしれぬな﹂
俺の報告に蛍が顎に手をあて何かしら考えている。確かに︻魔剣
召喚︼スキルを覚えたのは階落ち事件を乗り越えた後。そして、今
回は赤い流星を殲滅した後⋮なるほど、蛍の言う通りかもしれない。
きっと、屋敷でのんびりとしているだけじゃこの回数は増えない
のだろう。
もしかしたらこの︻魔剣召喚︼というスキルは、この世界を積極
的に動きまわって何かを成したり、何かを乗り越えたりして得た経
験や情報を俺の魂に刻むことで地球の神から与えられるご褒美のよ
うなものなのかも知れない。
﹁そっかぁ、じゃあまた蔵の仲間が1人増えるんだね。今度は誰が
来るんだろう。わくわくするね!﹂
﹁ご主人様、スキルは今すぐ使われますか?確か前回の召喚後は大
1192
分お疲れのようでしたが⋮﹂
確かに前回の召喚の時も魔力をごっそりと持って行かれていた。
葵の登場にテンションが上がりまくってその時は気が付かなかった
が、その後は結構な脱力感を感じていた。俺達がこの後に出かける
予定があるので、システィナはその辺を心配してくれているのだろ
う。
﹁そうなんだけどね。でも、召喚した刀次第じゃリュスティラさん
の所で新しい剣を発注しなくちゃいけないかもしれないから﹂
蔵の中には脇差よりも短い、短刀のような物も多数あった。それ
らが召喚されても気持ちとしては嬉しいので構わないけど、戦闘で
使うことを考えるとせめて桜くらいの刀身が欲しい。なので短刀を
召喚した場合は短刀は懐中に忍ばせることにして、普段使い出来る
剣をもう1本発注するつもりだった。
﹁わかりました。もし外で体調が優れなくなったらすぐに言ってく
ださいね﹂
﹁大丈夫、大丈夫。前回も新しい刀が来てテンション上がったから
あんまり気にならなかったし﹂
﹁おそらく心配いりませんわ。主殿の体内魔力はわたくしが召喚さ
れた時と比べて大分増えているようですから、わたくしを召喚した
時ほどの疲労は感じないと思いますわ﹂
おお⋮そうなのか。自分の魔力すらざっくりとしか感じられない
俺は全く気が付かなかったけど魔力操作に長けた葵が言うなら間違
いないだろう。異世界系のラノベによくある﹃魔力は使えば使うほ
ど増える﹄という法則がこの世界でも適用されているのかもしれな
い。
1193
まあ、俺の場合は魔法とか使って消費している訳じゃなくて精力
に変換してるだけだけど⋮
﹁ねぇ、ソウ様。早く呼んであげて。桜も早く会いたいよ﹂
﹁ごめんごめん、じゃあ行くよ﹂
俺は目を閉じて深呼吸をしながら、心を落ち着かせるとゆっくり
と目を開け口を開く。
﹃魔剣召喚﹄
前回と同様俺の意思に従ってスキルが発動する。
やはり魔力がごっそりと減っていくが、確かに前回よりは気分が楽
な気がするので葵の言うとおり俺の最大MPは増えているのだろう。
そんなことを考えている間に俺の目の前の空間から溢れ出ていた
光が次第に凝縮していく。
⋮そして限界まで凝縮されたその光が弾けた時、俺の目の前に浮
いていた刀は暗赤色の鞘に納まった1メートル程の刀身の刀だった。
﹁珍しい色の鞘だな⋮﹂
蔵の刀達は皆抜き身でケースに入っていて鞘は本体の後ろに飾ら
れていた。俺はいつも刀身に目を奪われていたのでそれぞれの刀が
どんな鞘に入っていたのかまでは覚えていない。
でも、どこか血の色を思わせるその鞘の色は普通なら不気味に感
じそうなのに逆に引き寄せられるような魅力を感じる。
左手を伸ばして鞘の中程を握ると、ゆっくりと右手で刀を抜いて
いく。
1194
﹁綺麗な刀ですね﹂
﹁うん⋮⋮覚えてる。確か蔵の一番奥に3本並んで置いてあったう
ちの1本だ﹂
蔵の奥にスペースを作り、わざわざ3本並べて置いてあったので、
多分何か意味があったのだろう。そうなると、いつか残りの2本も
召喚して揃えたいところだけどそれは後々の話か。
﹃武具鑑定﹄
﹃加州清光 ランク:C+
錬成値 46
吸精値 0
技能:共感
気配察知︵微︶
殺気放出
柔術
刀術
敏捷補正+
突補正++﹄
おおおおおぉぉぉぉぉぉ!
﹁加州清光来たぁぁ!﹂
マイ グランパよ!もはや細かいことは何も言うまい。ただひた
すら貴方に最大の謝意を!ありがとう!おじいちゃん達!
﹁ほう、また面白いところを引っ張ってきたのう﹂
1195
﹁徳川の為に尽くしてくれた刀ですからわたくしは嬉しいですわ﹂
蛍は刀の持つ冷たい雰囲気を指しての意見だろうが、葵はこの刀
が誰に使われていたのかを知っての意見だろう。なぜなら俺の記憶
が確かなら加州清光は幕末で沖田総司が使っていたとされる刀のう
ちの1本だからだ。
これも縁というものだろうか。俺の名前がたまたま沖田総司にか
すってたからパーティ名を新撰組にした。そうしたら今度は沖田総
司が使っていたとされる刀が召喚されてくるなんて⋮
地球にいたころは新撰組のことなんかテレビドラマで見た程度の
知識しかなかったが、パーティ名を新撰組にしてからはちょっと興
味が出てきたので、システィナの叡智の書庫を使って新撰組の情報
を引き出したりもしていた。
その情報で沖田総司が使っていた刀は3本。大和守安定、菊一文
字、そして加州清光だ。蔵に3本がセットで並べられていたことか
ら考えると、うちのお爺様はこの3本をコンプしている可能性すら
ある。もしそうならその功績は個人的に神レベルと認定してあげた
い。
スキル構成はなんとなく沖田総司のイメージに近い構成な気がす
る。技とスピード重視の構成だ。
てんねんりしんりゅう
刀なのに柔術スキルがあるのは沖田総司が新撰組局長、近藤勇の
流派である天然理心流だったせいだろうか。
確か天然理心流は剣術、居合術、小太刀術に柔術や棒術までをも
含めた総合武術だったはず。
そして、突きの補正が高い。メイザ戦で突きでの攻撃に課題を残
していたので丁度いい。この刀を使って戦えば威力のある突き技の
1196
出し方を身体で学ぶこと出来る。
﹁ソウジロウ。そやつには共感スキルなどはついていないのか。何
も伝わって来ぬが?﹂
﹁いや、共感スキルは付いてるんだけど⋮﹂
﹃⋮⋮﹄
﹁⋮無口なのかな?敢えて伝えて来ていない感じがする﹂
﹁なんとなくだけど、桜に近い雰囲気を感じるかな﹂
﹁え?桜はいつも元気一杯だと思うけど?﹂
﹁あはは!確かにそうだけど、そっちじゃなくて役割って言ったら
いいかな?﹂
﹁役割⋮⋮?﹂
﹁あ、分かる気がします。桜さんが忍者だとしたら⋮この刀は⋮⋮
そうですね。殺し屋?でしょうか﹂
ああ、なるほどそれなら分かるかも。殺し屋までは言い過ぎかも
しれないけど殺気とかガンガン放出しちゃうくらいだし、﹃悪・即・
斬﹄の新撰組で一番隊の隊長だった人の刀だからそのイメージはあ
ながち間違いじゃないか。そうするとあんまり感情を表に出さない
というのも性格的なものか。
﹁無口でもいいよ。これからは一緒にやっていくんだから少しずつ
打ち解けていけばいいんじゃないかな﹂
﹁よし、ならばソウジロウ。お前が名をつけてやれ﹂
名前か、名づけはあんまり得意じゃないんだけど。
⋮⋮⋮⋮⋮よし!
1197
﹁お前の名前は⋮﹃雪﹄だ。これからよろしく頼むな、雪﹂
﹃⋮⋮﹄
お任せください。ほんの少しだけ雪のそんな想いが伝わってきた
気がした。
1198
2本の魔剣︵後書き︶
次話辺りからこの章の本題です。
1199
おかしな2人
﹁じゃあ留守番よろしくな。一狼﹂
グルゥ!
見送りに来た狼達の先頭にいる一狼に声をかけると、一狼は喉を
鳴らして応えてくれる。あぁ、この感じはなんか癒されるな。日本
ではペットなんて飼ったことはなかったが、ペットと話がしたいと
言うのはペット好きなら皆が考えることだと思う。
そして、実際に話が通じるというのは思った以上に嬉しいものだ
った。
﹁二狼達もちゃんと訓練しておくんだよ。帰ってきたらチェックす
るからね﹂
﹁ちょっと桜さん!二狼達はわたくしの従魔ですのよ!﹂
﹁え∼いいじゃん別に。警備員さんが強いにこしたことないでしょ。
入ってきた強盗にあっさりと撃ち殺されちゃうような警備員じゃ意
味ないでしょ﹂
﹁あ⋮﹂
ちょっと頬を膨らませながらしゅんとして俯く桜。
そうか⋮もちろん忍狼化計画もあるんだろうけど、桜が二狼達の
育成に熱心だった理由って。
﹁うちの実家の警備員が弱かったからか⋮⋮﹂
うちの警備員がもっと強ければ、父と強盗達を問題なく取り押さ
1200
えられた。そうすれば俺も無茶をする必要はなく死ぬことはなかっ
ただろうし、桜も父に使われて俺を刺すこともなかった。
﹁うん⋮そのおかげでこうしてここでソウ様と楽しく暮らせている
けど、次に同じことがあったらこんな奇跡はもう無いよね﹂
﹁そうだな⋮桜が正しい。葵、ここは桜の好きなようにさせてやれ﹂
﹁はぁ⋮⋮確かに桜の言うとおりですわ。仕方ありませんわね、た
だし二狼達が潰れないように適切な訓練をお願いしますわ﹂
﹁うん!ありがとう蛍ねぇ!葵ねぇ!﹂
葵が苦笑しつつ桜の頭を撫でるとぱっと明るい笑顔に戻った桜が
葵に抱きつく。
﹁お前たち!訓練に関しては桜の言うことを聞きなさい﹂
﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁バウッ!﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂
あるじ
主である葵の指示に元気よく返事をする二狼∼九狼。その尻尾は
なぜかぶんぶんと振られている。とにかく構ってもらえるだけで嬉
しいらしい。 これを見ると狼達に対するパジオンの対応がどれだ
け酷いものだったかが簡単に推測できてしまう。
だがうちの狼になった以上、訓練は厳しいかもしれないが寂しい
思いをすることはないと思う。警備は恒常的にしてもらうつもりだ
し、場合によっては何頭かずつ塔探索にも連れて行くことも考えて
いる。なにより、狼達の毛並みは洗ってあげたら見事に艶々になっ
ていて、触るとモフモフでとても気持ちがいいのだ!
一狼は俺にしか本格的にモフモフさせないが、二狼以下はうちの
メンバーになら誰にモフモフされても大喜びである。うちの女性陣
も暇なときは手の空いている狼を招き入れて傍らに置いてモフモフ
している。まさに需要と供給だろう。
1201
﹁よし!じゃあ行こう。まずは冒険者ギルドに行ってウィルさんに
お金を返して、それから工房に行く。システィナ、お金はちゃんと
持った?﹂
﹁はい、ちゃんとこちらに﹂
そういってシスティナは双子山のちょっと下辺りをぽんぽんと叩
く。その勢いで双子山がぷるぷると震える⋮⋮
﹁た、確かローブの内側にぶら下げてるんだったよね。一応確認を
⋮﹂
もみもみもみ⋮
﹁あっ⋮ちょ、ご主人様⋮また﹂
う∼ん、やっぱりこの双子山は名峰だ。システィナとはしばらく
ご無沙汰だったからローブ越しでもなかなか⋮⋮は!こういう時に
はいつものが来る!
背筋を走る悪寒に突き動かされ、俺はシスティナの双子山を揉み
しだきながらぬるりとシスティナの背後に回る。
その過程で俺の体を掠めるようにぶぉんと重々しい音が通り過ぎ
る。
やぶ
﹁あぶな!だが、初めてかわした!蛍、敗れた﹃ごん!﹄⋮り!﹂
脳天を襲った衝撃に地面と盛大なキスをかました俺はよろよろと
起き上がりながら顔を上げる。
﹁く⋮か、かわしたはずなのに⋮なぜ﹂
1202
﹁馬鹿が。さっさと手を放して逃げればまだ可能性はあったものを﹂
﹁申し訳ありません主殿。これも修行のうちと言うことで﹂
﹁く、葵の一撃を囮にしたのか⋮む、無念﹂
その後、蛍に引きずられながら移動したらしい俺が意識を取り戻
したのは冒険者ギルドにほど近くなった頃だった。
﹁目が覚めたなら、しっかりと歩けソウジロウ。ウィルマークに情
けない姿を見せるなよ﹂
﹁てて⋮了解。たんこぶはシスティナが治してくれたの?﹂
幻痛がした気がして頭を撫でるがたんこぶすら出来ていなかった
ので、多分そうなんだろうという確信はある。でも一応確認してみ
ると、システィナがにっこりと微笑んでくれたのでやっぱり間違い
ない。
﹁ありがとうシスティナ﹂
﹁ソウ様も懲りないよね∼。変なタイミングで揉まなきゃ突っ込ま
れないのに﹂
﹁それは違うぞ桜。やっぱり揉みたい時に揉まないとね。それに油
断さえしなければかわせるかもしれない可能性も出てきたし、これ
からも積極的に狙っていく所存です﹂
﹁ふふ⋮ソウジロウ様らしいです﹂
苦笑しつつも頬を赤らめるシスティナも別に嫌がってる訳じゃな
いから問題なし。こうして馬鹿やれるのも俺達が仲が良い証拠だし
ね。 1203
うんうんと1人頷きながら冒険者ギルドの前まで来ると、何やら
中が騒がしい。
﹁なんでしょう?ソウジロウ様、ひとまず私が様子を見てきますの
でちょっとこちらで待っていてください﹂
﹁あ、情報収集だったら桜も行く﹂
﹁そっか、じゃあ2人ともよろしく頼む。気を付けてね﹂
﹁はい﹂
﹁は∼い﹂
ギルドの中に入っていく2人を見送りつつ中をうかがうと、どう
やらカウンター辺りにいる誰かを野次馬が取り囲んでいるらしい。
騒動の張本人らしき人物は野次馬の壁の向こうに隠れていてここか
らは見えない。だが、場の雰囲気は殺気立っていないから血生臭い
感じにはならないと思う。
あねご
後はシスティナと桜が戻ってくれば、大体の事情はわかるだろう。
冒険者ギルドに著しく不利益を与えるようなら奴ならうちの姐御に
懲らしめてもらおう。
﹁冒険者ギルドも発足以来一気に広まったしね﹂
﹁しかも登録は今のところここのみだからな﹂
﹁となればいろんな方が集まりますわ﹂
﹁⋮⋮変なのが混じるのも仕方ないか﹂
そんなことをしみじみ話しているとまずシスティナが戻り、その
直後に桜が戻って来た。
﹁お疲れさま、どうだった?﹂
﹁うん、どうやら男女2人組の探索者が登録に来たけど、ランクが
Hランクからスタートするのが気に入らなくてゴネてるみたいだよ﹂
1204
﹁もちろん、ここの受付嬢は﹃例の﹄方達なので全くとりあってな
いのですが⋮⋮相手の方もちょっとおかしな方達で全く引かなくて、
今ウィルマーク殿が対応に出ようとするところでした。それに⋮ち
ょっと気になったのですが、もしかしたら⋮﹂
﹁もしかしたら?﹂
﹁いえ!今はいいです。後でもう少しはっきりしたらお伝えします﹂
﹁そう?わかった。さて⋮と﹂
つわもの
﹃例の﹄笑う受付嬢をものともしないとはなかなかの強者だな。
ウィルさんならなんとかするかも知れないけど、一応様子を見に行
った方がいいか。っていうか俺もそいつらを見てみたいし。
﹁じゃあ、ちょっと見に行ってみようか﹂
俺達はギルドに入ると野次馬の壁の空いているところを縫うよう
にして前へと進む。周りの冒険者にちょっと睨まれたが、雪のスキ
ルの︻殺気放出︼を試しに使ってみると何かを感じたらしくビクッ
として半歩避けてくれたので比較的簡単に前まで出れた。どうやら
刀経由の劣化スキルでもちょっとビビらせるくらいは出来るらしい。
﹁だから何度も言ってるじゃあないか!この聖戦士たる僕が底辺ラ
ンクGからスタートするなんてあり得ないって!﹂
﹁全くもってその通りです。シャフナー様なら最初からSランクで
もいいくらいです!だってこんなに格好いいんですから!﹂
9
おぉ⋮なかなかに尖ってるな。どれどれ。
﹃シャフナー・ゲボルグ 業
年齢:21 1205
種族:人族 職 :性戦士﹄
キラキラな茶髪をさらさらと靡かせて、白銀色の防具に身を包ん
だぱっと見がイケメン風の男がシャフナーか⋮⋮っていうか、絶対
また職に読解補正かかってるなこれ。
自分でもさっき言ってたしきっと﹃聖戦士﹄というのが窓に表示
された職なんだろう。
−3
で、隣できゃいきゃい言ってる金髪縦ロールで偏平胸の女が⋮
﹃ステイシア 業
年齢:19 種族:人族 職 :侍祭﹄
﹁あ⋮あの子侍祭だ﹂
思わず呟いた俺の言葉をシスティナが目敏く聞きつけてやっぱり
と漏らしている。さっき言いかけたのはこのことだったのか。そう
ひとかど
するとあのシャフナーという男が契約者ということになるのか。あ
んな馬鹿そうな男だけど侍祭と契約できるなら一角の人物なのだろ
うか。
﹁何度も申し上げました。当ギルドはまだ発足したばかりです。今
の段階で最初からランクを上げるなどという特例を作る訳には参り
ません。どんな方でも例外なく最初はランクGからです。あなた方
が自分で言われているような優秀な方ならば、それこそすぐにラン
クも上がるはずです﹂
1206
ウィルさんが性戦士と侍祭を説得している。言っていることは至
極もっともで反論の余地などないように思えるんだが。
﹁うん。その通りだ。だからそのすぐ上がる分のランクを前払いし
ても同じことじゃないか。僕の言うことは間違ってないよね、ステ
イシア?﹂
﹁もっちろんです!非の打ちどころがないほどの完璧な理論です!
シャフナー様﹂
あ⋮ダメだこいつら。完全にイタい子達だ。そんな歳にもなって
全く分別がついてない。これは何を言っても無駄だ、人の言うこと
など全く聞かないタイプ、説得出来ないキャラだ。
ウィルさんもちょっと頭を抱えたそうな顔してる。ウィルさんに
は借りがたくさんあるし、何とか助けてあげたいけどあんまり絡み
たくない人種なんだよなぁ。
﹃どうするソウジロウ﹄
﹃さっきみたいに雪の︻殺気放出︼でなんとかならないかな?﹄
﹃直接、雪がやるならばともかく雪経由で主殿がやるくらいならわ
たくしの︻威圧︼の方がまだましだと思いますわ﹄
﹃それでなんとかなると思う?﹄
﹃あれだけお馬鹿さんだと、威圧されていることにすら気が付かな
いのではありませんこと?﹄
﹃あははは!それありそうだね。桜ならさくっといけるけど?﹄
﹃こらこら、こんなところでの殺害を仄めかさない!﹄
﹃は∼い﹄﹃⋮⋮⋮﹄
っていうか雪からまで、なんか﹃無念﹄的なのが伝わってくるし。
ちょっと迷惑な客くらいでヤっちゃうのはさすがにダメだから!
とは言ってもどうしたものか。
1207
どうやってウィルさんを助けようかと考えていると不意に性戦士
の視線がこっちを向く。そして一瞬目を見開いた後、前髪をさらり
と掻きあげながら気持ち悪い微笑みを浮かべつつこっちへと歩いて
くる。
なんだなんだ?なんとかしようと思ってはいたが、まだ何にもし
てないのになんでこっちに向かってくるんだ?しかも笑顔がキモい。
1208
撃退
性戦士はキモい顔をしたまま俺の前までくると止まった。性戦士
の後ろでは侍祭がローブの袖を噛んでいるが何がしたいのかは不明
だ。そして、やっぱり俺に用なのか。まだ何にもしてなかったのに
なんで目を付けられたのかが全くわからない。
なんか心を読むようなスキルを持っている可能性も考えておく方
がいいだろうか?
﹁どきたまえゴミ男﹂
﹁⋮⋮⋮⋮は?﹂
俺と同じくらいの身長だろうか。俺の目の前に来た性戦士は目線
的には俺のやや上であり、俺を見下ろしてくる。だが、その身体が
なんだかプルプルしているので僅かに視線を落とすと踵が浮いてい
たので無理をして見下ろしているらしい。うん、馬鹿な上に器も小
さいな。
﹁聞こえなかったのか?どけと言ったんだ﹂
﹁⋮ギルドから出て行ってくれるなら喜んでどきますが?﹂
﹁えぇい!うるさい!さっさとどけ!﹂
﹁っと!とと⋮﹂
性戦士はそう言うと俺の左肩を右手で無理矢理横へと押しのける。
⋮なんなんだ?いったい何がしたいんだこいつ。
俺をどかした性戦士を睨みつけてやるが、既に性戦士の脳裏から
は俺の存在は消え失せているらしく、既にこっちを見てもいない。
1209
﹁初めまして、美しすぎるお嬢さん達。僕は聖戦士にして侍祭を従
者に持つ勇者シャフナーと申します。よろしければお名前をお聞か
せくださいませんか?﹂
あぁ⋮なるほど。性戦士の意味はそのままそういう意味だったか。
それにしても勇者とは大きく出たな。
周囲も侍祭付きだという言葉に反応してどよめいている。やはり
侍祭というのはこの世界では大きなステイタスになるらしい。性戦
士の後ろで金髪縦ロールがふふんとうっすい胸を張っている。
っていうか、自慢してないで侍祭云々は隠せと言いたい。
﹃ねぇねぇ、ソウ様。この気持ち悪い人、いきなり何言ってるのか
な?﹄
﹃それはね桜。俗に言うナンパってやつだ﹄
﹃ええ!すっごぉぉい桜ナンパされたのなんて初めてだよ!﹄
いやいや、あんたつい最近まで刀だったんだから当たり前でしょ
うが。
﹃そうだな、私も刀の時は私を取り合う男たちもいたが人になって
からは初だな﹄
おお!さすがは蛍。名刀蛍丸として浮名を流してきたらしい。
﹁申し訳ありませんがどいてください!大丈夫ですかソウジロウ様﹂
﹁ああ、大丈夫大丈夫。ちょっと押されただけだから﹂
シャフナーを押しのける様にして駆け寄って来たシスティナに問
題ないと頷いて安心させる。
1210
﹁さて、どうしたものか﹂
俺の嫁達が美女、美少女揃いなのは間違いないのでこういう輩が
寄ってくるのはある程度覚悟はしていた。ただ、今までは刀娘達の
綺麗なだけではない鋭利な雰囲気に気圧されて実際に声を掛けてく
るような奴はいなかった。
蛍や葵の胸元をいやらしい目で見ているシャフナーにむかむかと
しているのは確かだが、かと言ってこの場をどうやっておさめたら
いいかというのがよく分からない。
相手が強いかどうかが俺にはよくわからないが、蛍あたりに頼ん
で瞬殺⋮じゃなくてちょっと痛い目に合わせて放り出してしまって
いいものだろうか。
﹁失せろ。お前のような器の小さい男に名乗る名などない。行くぞ
2人共﹂
目の前のシャフナーに冷たい視線を向けて言い放った蛍が葵と桜
を促してこちらへ歩いてくる。
﹁待ちたまえ!そんなに照れる必要などない。いくら僕が聖戦士で、
侍祭付きの勇者であっても臆することはない。君たちは僕の目にか
なったんだ!安心して僕の胸に飛び込んでいいんだよ!﹂
﹁う∼ん⋮あなたの目にかなったとかどうとかどうでもいいんだよ。
私達の目にはあなたが全くかなってないんだからさ。だから、目障
りだからさっさと消えてね。じゃないと︻ちょんぱ︼しちゃうぞ﹂
﹁こら!簡単にちょんぱするなって言ったろ﹂
お前も︻殺気放出︼スキル持ってんじゃないかぐらいの剣呑な空
気を一瞬だけ纏った桜に軽く拳骨を落す。放っておいたら本当にや
1211
りかねない。
﹁へへへ⋮ごめんな、さい!﹂
そう言って笑いながらお腹に抱き付いてくる桜は、どうやらそう
言われるのを分かっていてやっていたらしい。
﹁な⋮な⋮﹂
桜の空気に当てられて一瞬固まっていたシャフナーは、俺を助け
にきたシスティナ、俺に抱き付いて来た桜、俺と視線を合わせて苦
笑している蛍と葵を見てプルプルと震え出した。
﹁なんだお前は!どっから出て来た!この僕の女達に近づくな!﹂
﹁いや⋮さっきお前と話したし、いつから彼女達がお前のものにな
ったんだっての﹂
正直呆れてしまって言い返すのも馬鹿らしいが俺の嫁達の名誉の
ためにもしっかりと否定しておく。
﹁ええい!黙れ!お前には聞いてない!なんだお前は、なよっとし
た身体に派手なだけの貧相な装備、覇気のない顔!お前のような奴
が彼女たちのような美しい女性を⋮⋮ははぁ、分かったぞ!お前は
奴隷として彼女達を買ったんだな!安心してくださいお嬢さんたち。
僕があなた達を奴隷の立場から解放してあげま⋮⋮ぐぼ!﹂
﹁それ以上の主殿への侮辱は許しませんわ!﹂
おお!速い。気が付いたら、風魔術を発動して加速した葵が一瞬
でシャフナーの懐に飛び込みブレストプレートの境目あたりの鳩尾
を抉り込むように拳で打ち抜いていた。
1212
一瞬で意識を刈り取られたシャフナーは口から涎を垂らしながら
ふところ
前屈みに崩れ落ちていく。
文字通り胸に飛び込んできて貰えたんだからさぞかし本望だろう。
﹁シャフナー様!!﹂
それを見た侍祭が慌てて駆け寄って来て回復魔法の詠唱を始める。
最近じゃシスティナはほとんど無詠唱なのでなんだか新鮮だ。それ
にしてもなんか全然自称勇者が回復してない気がするけど⋮
﹁あれって︻回復魔法︼だよね?﹂
﹁侍祭ならば一応︻回復術︼だと思うのですが⋮ただあんまり⋮﹂
同じ侍祭として言いにくいのか言い淀むシスティナ。なるほど⋮
大したことはないってことか。スキル表示で行けばせいぜい︻回復
術︵微︶︼ってところか。既に完璧な人体の造りを理解しつつあっ
て︻回復術+︼な上に、大きな魔力を持ち、しかも無詠唱なシステ
ィナとは比べるまでもないと。
﹁ステイシア様。こちらが発行されたお二人のギルドカードです。
説明が必要ならば後日また起こし下さい。それからギルドから人を
出しますのでシャフナー様を宿までお送りします﹂
ここぞとばかりに出て来たウィルさんがなし崩し的にHランクの
ギルドカードを押しつける。
﹁すまないがよろしく頼む﹂
更に、ギルドの職員に担架を持ってこさせるとさっさとシャフナ
ーを乗せギルドから運び出してしまった。やるなぁ、ウィルさん。
1213
見事な対応だ。
ギルドを出ていく侍祭ステイシアが鬼の形相でこっちを睨んでい
たのが怖かったが関わり合いになりたくないので気づかなかった振
りをしておいて、フンと鼻を鳴らしそうな勢いの葵を労っておく。
﹁ありがとうな。葵﹂
﹁いえ、お恥ずかしい姿をお見せしてしまいましたわ﹂
別に俺は自分のことを馬鹿にされる分には、あまり気にしないか
らそこまで怒っていなかったんだけどね。こうして代わりに怒って
くれる人がいるのは素直に嬉しい。
﹁お騒がせしてすいませんでしたフジノミヤ様﹂
﹁いえ、いいですよ。災難でしたねウィルさん﹂
﹁ええ、ですがああいう輩が来るだろうという﹃てんぷれ﹄をフジ
ノミヤ様に教えて頂いていましたので慌てずに済みました﹂
一応冒険者ギルド立ち上げ時の注意事項に、よくありそうなテン
プレをいくつか事例として教えておいたのがどうやら役に立ったら
しい。
﹁お役に立てたみたいで良かったです。今日は先日の代金を支払い
にきました﹂
﹁ああ、はい!そんなお急ぎにならなくても良かったのですが﹂
﹁分かってはいるんですが、どうも借金をしている状態というのが
落ち着かなくて﹂
﹁ははあ、分かります。私も商人ですからね。負債を抱えた状況と
いうのは居心地が悪いものです﹂
﹁それを言ったら今の冒険者ギルドはまだまだ収益は上がってない
んじゃないですか?﹂
1214
そんな俺の問いかけにウィルさんは笑顔で首を振る。
﹁とんでもないです!確かに一気に支店にまで手を広げたため、ま
だ初期投資の半分も回収できていませんが、確実に収益は上がって
ます。それにそれよりも冒険者ギルドが出来たことで探索者達はも
とよりギルドに依頼を出す街の方達からも喜びの声が届いているん
です。そのことが何よりも私は嬉しいんですよ﹂
﹁そうですか。それは本当に良かったです。私の思い付きのような
話のせいでウィルさんが苦労しているのではないかと不安だったも
のですから﹂
本当に嬉しそうな顔しているウィルさんにそんな心配は杞憂だっ
たと分かって胸を撫で下ろす。
﹁商売をしてこれだけのたくさんの方に喜んで貰えたのは初めてな
んです。こんな仕事を紹介してくれたフジノミヤ様には感謝しかあ
りません。さて、またシャフナー様達が戻って来られても困るでし
ょうから用事を済ませてしまいましょう﹂
﹁おっと、そうでしたね。ではよろしくお願いします﹂
その後別室でウィルさんに借金を返すと、念のために裏口から出
させて貰いリュスティラさんの工房へと向かった。
1215
撃退︵後書き︶
さて、この2人は今後出てくるのかどうか・・・
1216
葵の新装備
﹁おかしな2人だったなぁ⋮﹂
﹁あはは、絶対またどっかで絡んでくるよね。あれ﹂
はい、桜さんからフラグ頂きました!余計なことを。
﹁ふん、仮にそうだとしても我らにさほど害がないなら今回のよう
に軽く叩きのめせばよかろう﹂
﹁害があるようなら、桜にちょんぱをおまかせしますわ﹂
﹁まかせて!ソウ様のゴーサインが出たらいつでもサクッといくよ﹂
﹁こらこら⋮ナンパぐらいだったら今回くらいにしといてくれよ﹂
物騒な刀娘達の言葉に苦笑しながらも危ないので一応ストッパー
をかけておく。
﹃ただ、あいつらが俺達の生命財産貞操に危害を加えるようなこと
をしてくるようなら⋮﹄
﹁⋮その時は遠慮はいらない﹂
﹁え?﹂
それに対する4人の反応は、1人だけ俺の脳内の声が聞こえない
システィナは疑問の声を上げただけだったが、刀娘達は3人とも剣
呑な笑みを浮かべて小さく頷いていた。
まぁ、あいつらも変な見栄のために変なちょっかいかけてこない
といいけど。
1217
﹁それにしても、システィナ以外の侍祭に初めて会ったけどみんな
あんな感じ?﹂
﹁いえ⋮侍祭にしてはあの子はちょっと⋮危機感も常識も足りてい
ない気がします。その辺のことは侍祭としての資格を得る時にしつ
こいくらいに叩き込まれるはずなんです。それに能力的にもまだま
だ足りていない気がしました﹂
おとがい
俺の問いかけに頤に手を当てながら真面目に考えるシスティナは、
とても可愛いらしいのでずっと見ていたいところだが、今考えるこ
とでもないだろう。
﹁そっか。うん、今は別に深く考えなくてもいいよ。必ずしもフラ
グを回収するって決まった訳じゃないし﹂
﹁ふらぐ⋮ですか?⋮⋮⋮あぁ、なるほど。ふふ、面白いですね、
地球にはそんなことを表す言葉もあるのですね﹂
﹁こっちの世界だってあるでしょ。﹃今日は誰々に会いたくないな
ぁ﹄って呟いたら、ばったり出会っちゃう。とかね﹂
﹁ああ!はい。わかります。そういうのをフラグを立てると言うの
ですね﹂
新しい知識を得た時のシスティナは本当に嬉しそうな顔をしてく
れる。ぶっちゃけ俺から出てくる知識なんて今回のフラグのように
どうでもいいような知識ばっかりなんだけどね。
そんなことをわいわいと話している内に、北のはずれにある冒険
者ギルドから中心街から西にちょっと外れたリュスティラさんたち
の工房へと着いた。
工房へ入ろうとすると、扉に貼り紙がしてあったので読んでみる。
1218
﹃新感覚の頭部用防具ハチガネのお渡しには3日程頂きます。要予
約。前金不要﹄
﹁リュティのお店、繁盛してるみたいだね﹂
システィナに貼り紙に書いてあることを教えてもらった桜はとて
も嬉しそうだ。桜は装備の注文以外でもたまに遊びに来ることもあ
るくらい技師夫婦と仲が良いので儲かってると聞いて嬉しくなった
のだろう。
実はうちのパーティの中でダントツにコミュ能力が高いのが桜で
ある。技師夫婦や大工さん達とも一番仲が良いし、フレスベルク内
にも俺達の知らない知り合いがどんどん増えているらしい。
もちろん桜の明るく奔放な素の性格が影響しているとは思うが、
そうやって知り合いを増やしているのは忍者として民草に紛れて情
報収集をする﹃草﹄の役割をするつもりも少しはあるのだろう。今
のところその情報網を活用するようなことはあまりないけど、今回
の自称勇者の件だって俺が﹃調べて﹄と指示すればあっという間に
居所ぐらいは掴んで来てくれるはずだ。 ﹁だな。あんまり忙しいようだと俺達の依頼もすぐには受けて貰え
ないかもな﹂
﹁馬鹿を言ってないで早く入んな!﹂
おお!聞こえてた!知らなかったけど長耳族も聴力いいのだろう
か。
﹁こんにちわ!リュティ﹂
﹁おお、桜も一緒かい?⋮というか全員一緒だね。しかも1人は新
顔か⋮﹂
1219
俺が驚いている内にとっとと扉を開けて中に入っていった桜に続
いて全員で店内に入ると、リュスティラさんの表情が僅かに曇る。
﹁ああ、大丈夫ですよ。今日はそんなに無茶な注文はしない予定で
すから。基本は従来の装備の点検修理と補給で、新規はこの新メン
バーの分の装備だけですから﹂
﹁信用できるもんかい。あんたらの要望はぶっ飛んだ物が多いから
ね。⋮もっともそのおかげで新しい装備が出来て私らの腕もがんが
ん上がってるんだけどさ。話を聞く前に、ここじゃなんだからとり
あえず上に行こうか﹂
リュスティラさんに案内されて工房を抜け2階に上がる。1階で
作業中だったディランさんにも声をかけていたので、ひと段落した
らディランさんも上がってくるだろう。
﹁で、今日は誰からだい?﹂
テーブルを挟んで向かい側に腰を下ろしたリュスティラさんが挑
むような目を向けてくる。俺達の要望に完全に応えてやるという職
人の眼だ。
﹁すいません。私から⋮﹂
﹁ほう、システィナからかい?見たところうちで作ったローブも更
新されてるようだし特に⋮⋮﹂
システィナの装備を一つ一つ見ていたリュスティラさんの細い目
が更に鋭くなる。
﹁魔断をここに置きな。後は手甲もだね﹂
﹁はい⋮﹂
1220
システィナは言われるがままに背負っていた魔断と、両手にはめ
ていた手甲をテーブルに置いた。
リュスティラさんは厳しい目を緩めないまま魔断と手甲をじっく
りと手に取る。
﹁⋮これは、随分と無茶をしたもんだね。何があったんだい?あん
たらは装備を無駄に使い捨てるような真似はしないだろ。それにこ
の子たちをここまでにするほどの魔法なんぞそうそうお目にかかる
もんじゃないよ﹂
さすがはリュスティラさんだ。武器の傷み具合から大きな戦いが
あったことを読み取ったらしい。
﹁はい、実は⋮﹂
実質俺達の専属技師であるリュスティラさんたちには俺達がどん
な戦いをしたかを知っておいてもらう方がいい。知っておいてもら
えば今後の装備を考える上で的確な助言をしてもらえることも期待
できる。
まもなく2階に上がってきたディランさんを加え、技師夫妻にシ
スティナが赤い流星との戦いについてダイジェスト版を語る。技師
夫妻は脚色のないシスティナの話を目を閉じたまま最後まで一言も
口を挟まずに聞いていた。
﹁以上が、私たちが関わることになった戦いの話になります﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
システィナの話を黙って聞いていたリュスティラさんはゆっくり
1221
と目を開けると、いつの間にか入っていたらしい肩の力を抜いて大
きく息を吐き出した。
﹁⋮なんと言うか、いろいろ大変だったね﹂
細かな傷やヒビの入ったシスティナの装備を撫でながらリュステ
ィラさんがしみじみと漏らす。ほんの数十日の間に2度も命の危険
を伴うような戦いをしている俺達に呆れているのだろう。
だが、すぐにそんな雰囲気を振り払うとリュスティラさんが俺を
見る。
﹁だが、あんたが言った通りだったね。私らの作った装備がどこま
で役に立ったかは分からないが、あんたが装備に妥協しなかったお
かげであんた達は生き延びた﹂
﹁どこまでなんてものじゃないですよ。リュスティラさんたちの装
備がなければ俺達は間違いなく、今ここにはいません﹂
蛍や桜でさえ、あの鉢金に頭部を守られたおかげで蛍の︻武具修
復︼を使うだけの時間を稼ぐことが出来たと言っていたし、俺達に
関しては今テーブルにあるシスティナの装備が全てを物語っている。
﹁そうかい。そりゃ技師冥利に尽きるってもんだ。事情は分かった。
この子たちはこのまま修理ってことで預かっていいね﹂
﹁はい。お願いします﹂
システィナが深々と頭を下げる。
﹁で、後はなんだい?﹂
﹁あ、はいはい!桜のクナイを追加でお願いしたいんだけど﹂
﹁属性付のほうかい?﹂
1222
﹁そっちはまだ大丈夫かな?普段使いの方が消耗が激しいから予備
も含めて多めに﹂
リュスティラさんは桜の要望に頷くと、魔断と手甲を持って奥へ
と入り代わりに30センチ程の革布を丸めた巻物のような物を持っ
て来た。
﹁どうやら属性付じゃないやつなら魔鋼製じゃなくても良さそうだ
と思ってね。鋼製だが20本ある。持って行きな﹂
渡された革の巻き物を桜が広げると内側は小さなポケットが幾つ
もつくられていて、そこにクナイが1本ずつ収納されていた。
﹁さっすがリュティ。ありがと!﹂
にこにこと革を巻き直す桜の横にすっと蛍が立つ。
﹁リュスティラ。私の方のクナイもあと10本程追加で貰えるか?﹂
﹁へぇ、蛍の方から積極的に注文が入るのは珍しいんじゃないかい
?﹂
﹁ふん、このクナイが十分戦力になることが分かったからな﹂
﹁そりゃ嬉しいね。そっちはちょっと時間を貰うことになるがきっ
ちり承るよ﹂
﹁構わない。さほど急を要する訳でもない。ただ、欲を言えば鏡面
の部分の研磨率をもっと上げて貰いたい﹂
﹁⋮⋮あれよりもっとねぇ。今の材質だと厳しいね。ちょっと研磨
の方法を検討してみるよ。あんまり期待はしないどくれ﹂
﹁出来る範囲で構わん。よろしく頼む﹂
まあ、確かにここじゃ鏡とか見たことないしな。この世界で地球
1223
の研磨技術が再現出来るかどうか後でシスティナに検討してもらっ
て、出来そうならそれとなくリュスティラさんに教えてあげること
にしよう。
俺の案件は最後に相談することにして後は葵か。
﹁葵は何かある?﹂
かんざし
﹁はい。わたくしは皆さんのような手甲をお願いしたいのと後は、
簪を幾つか作って貰いたいですわ﹂
﹁かんざし?﹂
﹁はいですわ。その飾りにいろいろな効果を付与して頂きたいので
わ。さしあたっては﹃魔力増幅﹄は必須で、後は補正系と耐性系の
付与があると更に良しなのですが﹂
なるほどね。かんざしなら頭に幾つでも付けられるし、葵も着飾
れて嬉しいし、俺も綺麗な葵を見れて楽しい。うん、いい。
﹁またあんたたちは聞いたこともないようなものを⋮⋮かんざしっ
てのはどんなものなんだい?まずはそっからだよ﹂
全くもってごもっとも。取りあえず書くものを借り、俺のイメー
ジでいくつか絵にしてみたがそれを見た葵が盛大に天を仰ぎ、俺か
ら筆を取り上げて見事なデザイン画を描き上げたのはここだけの話
である。
1224
葵の新装備︵後書き︶
※ 評価、レビュー等はいつでも募集中です^^
1225
かんざし
﹁つまりは髪留めの一種なんだね﹂
﹁そうです﹂
﹁なら、メインはうちの旦那の方になるね。あんた、どうだい?﹂
隣に座ったまま、まだ一言も喋っていないディランさんにリュス
ティラさんが問いかける。
﹁⋮問題ない﹂
﹁分かった。じゃあそれも引き受けよう。ただ、属性やスキルを付
与した装備はあんまり近い所にあつめると効果が相殺されることが
あるんだ。葵⋮だったかい?あんたの頭に装備するとしても右側に
1つ、左側に1つってのが無難だと思う﹂
そうなのか、じゃあ頭にいろんな効果を付与したかんざしをハリ
ネズミのように刺すのは意味がないのか。
﹁分かりましたわ。では魔力増幅を2つ、敏捷補正、魔耐性を1つ
ずつお願いいたしますわ。状況に応じて使い分けますので。後はデ
ザインを先ほど渡した絵のようにして頂けたらもう言うことありま
せんわ﹂
﹁分かった。手甲の方はどうする。何か付与するか?﹂
﹁そうですわね⋮⋮ではシスティナさんのと同じような効果をお願
いいたしますわ﹂
システィナの手甲は魔鋼製、耐魔付与、さらに魔力を込めること
で魔法防御力が上がるという魔力対応型である。その分物理的な防
1226
御力と耐久性にはあまり期待が出来ないという弱点がある後衛型の
装備である。
﹁後は鉢金なんだけど、かんざしを付けるとはちまきはおかしいか
⋮﹂
﹁主殿、わたくしチョーカーというものに興味がありますわ﹂
チョーカーか⋮確か首に巻くアクセサリだったっけ?
出来れば鉢金装備はうちのパーティのシンボルみたいにしたかっ
たんだけど⋮そもそも一狼達ははちまきも難しいか。それなら⋮
エンブレム
﹁ディランさん。俺達の装備のどこかに意匠を彫ることは可能です
か?﹂
﹁物にもよるがおそらく問題ない﹂
うん、それなら俺達だけの家紋みたいなのを作って装備のどこか
に入れるようにすれば鉢金に拘る必要もなくなるな。
﹁じゃあ、ちょっと俺達﹃新撰組﹄のエンブレムを考えてきますの
でその時はお願いします﹂
ディランさんは俺がやりたいことが分かったのか僅かに口角を上
げると小さく頷いてくれた。問題は誰がそのエンブレムを考えるか
ってことだけど⋮⋮その辺はとりあえず夕食後にでもみんなに聞い
てみるとしよう。
これで葵が、かんざしと手甲とチョーカーを依頼して⋮⋮チョー
カーは分からないかな。と思ったらシスティナがリュスティラさん
に説明してくれているようなのでOK。次は⋮
1227
﹁あと、このぐらいの大きさのリングに敏捷補正を付けたものを9
個ほど依頼してもいいですか?欲を言えばある程度大きさの調整が
出来るようにしてもらえると助かるんですが⋮それでその際にそれ
ぞれ色を変えて貰えるとなおいいです。1つはシルバーにしてもら
って残りはそれぞれ違う色ならなんでも構いませんので﹂
俺は両手の親指と人差し指でざっくりと円を作ってリュスティラ
さんに示す。
﹁それは構わないが、その大きさだと女性陣の手首にすら嵌まらな
いんじゃないかい?﹂
﹁大丈夫です。新しい仲間たちの足には十分嵌まるので。なるべく
邪魔にならないように軽く、小さめにお願いします﹂
﹁なるほど⋮一狼達にか。やるではないかソウジロウ﹂
﹁へへ、ついでにそれで色分け出来たら二狼から九狼までの区別も
付けやすいかなって﹂
﹁おいおい、急にそんな仲間が増えたのかい?﹂
﹁そうだ!今度のパーティにリュティ達もおいでよ。二狼達はすっ
ごいもふもふしてて気持ち良いんだよ﹂
突然大声を出した桜が手をわきわきと動かしながら、感触を思い
出してにへにへ笑っている。ちょっとその顔は人には見せちゃいけ
ない顔だ。
﹁パーティ?﹂
﹁ええ、今回の事件ではたくさんの人に助けられなければ乗り越え
られなかったと思います。だから助けてもらった人たちに感謝の気
持ちを込めて屋敷で宴会を開くんです。リュスティラさん達の装備
にもたくさん助けられましたしよろしければディランさんと一緒に
来てください﹂
1228
﹁へぇ⋮そりゃまた楽しそうだね。私らなんかが出てもいいのかい
?﹂
﹁もちろんですよ!飲んで食べてはしゃいで、温泉に入るだけです
が是非﹂
俺の勧めを受けたリュスティラさんが隣に座るディランさんに視
線を向けると、ディランさんがしっかりと頷く。今までよりもリア
クションが若干大きいということは結構乗り気なのかもしれない。
﹁じゃあ、2人でお邪魔させてもらうよ。桜が自慢していた温泉に
も行ってみたいと思っていたしね。本当にお湯に入るのがそんなに
気持ち良いものなのか、確かめさせてもらうよ﹂
﹁是非、確かめてください。多分病み付きになりますよ﹂
リュスティラさん達に宴会の日程を伝えたら、装備の依頼に関し
てはひとまず終了である。もっとも俺にとってはこっからが本題な
んだけどね。
﹁システィナ。これからの話は長くなるかもしれないから桜を連れ
て、買い出しにでも行って来る?量が多くなるようなら注文だけし
とけば後が楽だろうし﹂
﹁そうですね⋮宴会の献立を考えながら、町を回るといいかもしれ
ませんね。桜さん、お願いできますか?﹂
﹁うん!いいよ。今シスは武器もないしね。危ないから桜が護衛し
てあげる﹂
﹁ふふ、ありがとうございます﹂
意気投合する2人に金貨を10枚ほど持たせて手を振って送り出
す。
1229
﹁葵はこれからリュスティラさんと別室かな?﹂
﹁え?﹂
﹁さあ、新顔はこっちおいで。隅から隅まできっちり測らせてもら
うよ﹂
﹁え?え?えぇぇぇぇ!なんですのいったい!ていうかなんでこの
人こんな力強いんですのぉ!主殿ぉ!﹂
ぐいぐいとリュスティラさんに引きずられていく葵が助けを求め
て手を伸ばしているが、俺には助けられないので笑って手を振って
おいた。
﹁蛍は隣に座って。何か意見があったらよろしく﹂
これからの話は、システィナの叡智の書庫を駆使して既存の物で
なんとかならないかと散々検討したのだが、結局答えが出なかった
案件である。なので可能性としてはかなり低いだろうが、物作りの
専門家ならいい知恵が出るかもしれない。
﹁⋮⋮⋮﹂
ディランさんはどっしりと座ったまま俺が話を切り出すのを待っ
ている。
﹁俺がどうしても作って欲しいのは、以前も聞いたと思いますがア
イテムボックスです。呼び方としては異次元収納だったり、虚空庫
だったり、無限収納、マジックボックス、マジックバックだったり
するかもしれません。これらはどれも持ち物を別の空間に保管する
アイテムだったり、技能だったりします﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁技能なら何もない空間に入り口を開けて物をしまう。魔道具なら
1230
見た目は普通のポーチなのに見た目の容量を越えて大量の物が入れ
られる。そんなモノが欲しいんです﹂
これは異世界に来た俺がどうしても欲しかったモノ。テンプレ中
のテンプレ。俺が読むライトノベルの中には、アイテムボックスこ
そがメインという話も多くあった。この世界にも魔法や魔道具があ
り属性付与や技能付与の技術がある。
俺はこれらの能力や技術をうまく組み合わせればなんとか似たよ
うな物が作れないだろうかと、システィナと研究してきた。だが結
果は思わしくなかった。
これで腕の良い魔道具技師であるディランさんにまで﹃無理だ﹄
と言われたら夢の異世界でアイテムボックス持ちというテンプレは
諦めなくてはいけない。
﹁⋮やはり、そんな物は聞いたことがない﹂
﹁⋮そうですか﹂
やっぱり駄目か⋮
﹁だが、見た目と中身の容量が違うという物は知っている﹂
﹁本当ですか!﹂
思わず立ち上がってディランさんに詰め寄ってしまった俺を蛍が、
まあ落ち着けと抑えてくれる。
﹁ディランさん。それってどんなものですか?なんかの鉱物ですか、
アイテムですか、魔物の素材ですか?可能性があるなら何でも取っ
てきます﹂
1231
ディランさんは髭もじゃの顔を僅かに揺らしながら小さく首を振
る。
﹁心配いらん。フジノミヤも良く知っているモノだ﹂
﹁え?⋮私もよく知っているもの⋮ですか﹂
ディランさんに言われて考えてみるが、今まで手に入れた素材な
んて微々たるもの。まさか草狼の毛皮や牙ってこともないだろうし、
後は魔石だけど魔石にそんな性質があるならもっと噂になっていて
もおかしくない。
﹁⋮⋮なるほどな。言われてみれば確かにあれなら見た目と中身の
容量が違う。完全に盲点だった﹂
﹁え!蛍は分かったの﹂
﹁ふ、まだ気づかぬのかソウジロウ。お前がここに来て最初に見た
物はなんだ?﹂
ここに来て最初に見た物?⋮さすがに空とか森とかじゃないよね。
あの時は確か⋮⋮丘の上に線香みたい、な⋮!!!
﹁あ!﹂
あの時の景色を思い出してようやく俺も気が付く。確かにあれほ
ど見た目と中身が違う物はない。あまりにも当たり前のように視界
にあり過ぎて気が付かなかった。そもそもあれをアイテムとしてど
うこうしようなんて思考は俺には一生出ないかもしれない。
ディランさんの職人としての発想力と柔軟な思考があったからこ
そ、その可能性に気が付いた。もちろんそれでアイテムボックスが
1232
作れると決まった訳じゃないが可能性が0じゃなくなっただけで大
きな進歩だ。0と1の間には天と地ほどの差がある。
﹁塔を素材に⋮﹂
﹁そうだ可能性があるとすれば、それだ﹂
1233
かんざし︵後書き︶
やっとアイテムボックス作成に挑戦するところまできました。
1234
剣聖の弟子︵前書き︶
610万PV、53万ユニークを越えました。
いつも読んで下さってありがとうございます。
1235
剣聖の弟子
・・
リュスティラさん達の工房を出ると、空が茜色に染まっていた。
思ったより長居をしてしまったらしい。あれから葵の測量を終えた
リュスティラんさんも交えて、いろいろディランさんと話してみた
が結局のところモノがなければ判断のしようがないという結論に落
ち着いた。
今まで塔は討伐するもので、中に湧く魔物達には魔石という価値
があったものの塔自体に価値を見出すような人はいなかったらしい。
だが、システィナがレイトークの塔で言っていたように塔の壁や
床は傷をつけても一晩あれば元に戻る。その壁材にもし利用価値が
あるとなったら塔は、ほぼ無限に利益を生み出し続ける金の成る木
ならぬ金の成る塔だ。
仮にディランさんの推測が正しくて、うまくアイテムボックスを
塔の壁から作れたとしても製法を一気に広めるようなことはしない
方がいい。
塔の壁が金になると知れば、塔の一層は壁を剥ぎ取りにいく人達
で溢れかえる。そして、安全に壁を剥ぐために一層の魔物は狩りつ
くされるだろう。そんな状態で壁を壊し続けられたら﹃塔﹄はきっ
とレイトークの時のように手痛い反撃をしてくる気がする。
まぁ、もっともその辺が問題になるのはまだまだ先のこと。俺達
がサンプルとして集めてくる壁をディランさんがいろいろ実験して
アイテムボックスが完成したらの話だけどな。今のところ素材の案
1236
が出ただけで作れるのかどうかも微妙な現状では転ばぬ先のなんと
やらだ。
ただ認識としては、ディランさんも俺と同じ意見のようで、試作
用の壁は大量採取する必要は無いから少しずつ持って来いと言われ
ている。
﹁うまく行くとよいな﹂
﹁うん。俺のこだわりだけじゃなくて、アイテムボックスはあれば
便利なのは間違いないからね﹂
﹁そんな道具があれば、今後蔵の刀達が増えても皆を連れて行けま
すわ﹂
そうか!アイテムボックスさえあれば、巨神の大剣も持って行け
るし、桜だって魔法を使う時だけ例の杖を出せる。それに葵の言う
とおり、擬人化出来ない蔵の刀達が増えても誰かを置いて行かなく
て済むな。やばい!ワクテカが止まらない。
﹁ソウジロウ。宴会は明日だったか?﹂
﹁ん。明日の夕方から﹂
﹁では明日の午前中はトォル達を捕まえて塔の探索に同行しないか
?﹂
﹁え?別にいいけど﹂
多分宴会の準備はシスティナが1人で全部やっちゃうだろうし、
俺がいなくても問題ないはず。いればいたで多少の手伝いくらいは
出来るだろうけどどうしても必要ってことはないだろうしね。
でも、わざわざトォル達と? ﹁なぁに、あいつらも5階層までは問題ないレベルになっているよ
1237
うだからな。現状を確認して問題ないようなら階層制限を外してや
ろうと思ってな﹂
俺の思考を読んだ蛍が理由を説明してくれる。確かにウィルさん
が﹃剣聖の弟子﹄が5階層までを何往復もして魔石を稼いでるって
言ってたっけ。ということは5階層までは十分に戦える力があるっ
てことか。
レイトークよりもザチルの方が階層数が多いとされてるから階層
あたりの魔物の強さも低いはずだけど、そこまで行けるならもう中
級探索者に片足を入れていると言えるんじゃないだろうか。
俺が5階層まで行けたのはシスティナと刀娘達によるパワーレベ
リング的な攻略の側面があるけど、彼らはたった3人で戦い方や連
携を工夫しながら実力で5階層まで行ったんだから素直に凄いと思
う⋮⋮⋮⋮ていうかリーダーであるアーリの采配が良かったってこ
とだ。トォルは関係ないだろう。
﹁そうだね。3人ともあのレイトークを知ってるから無茶な攻略は
しないだろうし、5階層までで戦闘経験も大分積んだみたいだから﹂
﹁うむ、これ以上は奴らの為にもならないだろう。後はアーリを中
心として彼ら自身が考えてやっていくべきだ﹂
﹁山猿にしては意外と真面目に考えているんですのね。ちょっと見
直しましたわ﹂
葵が俺の腕に胸を押し付けるようにしなだれかかりながらほほほ
と笑う。
﹁ふん、お前のように飾られていただけの刀とは違う。後進の育成
も我にとっては簡単なことだ﹂
1238
﹁きー!珍しく褒めてあげましたのになんて可愛くない!こんな可
愛げのない女は放っておいてさっさと行きましょう主殿﹂
葵が蛍に舌を出してから俺の腕を引く。最年長なのに意外と子供
っぽい所がある葵だけどそのギャップが可愛い。蛍はそんな葵の態
度に苦笑しつつ肩をすくめる。
おお、さすがは蛍。大人の女である。
と、思ったら葵に対抗するように俺の反対側の腕に胸を押し付け
てくる。うちのパーティ内でシスティナとトップを争う高峰がぽよ
ぽよと揺れて気持ちがいい。結局対抗するんかい!と内心で突っ込
みつつもよく考えてみれば⋮⋮どう考えてもこれって俺の1人勝ち
です。ごちそうさまでした。
﹁フジノミヤ殿!次の角から数3﹂
﹁了解!﹂
ゆき
フレイが音響探索で得た情報をすぐに教えてくれる。俺は目の前
にいる蟻人の足を閃斬で斬り落とし、動きが止まった所を雪で眉間
を貫く。
斬に特化した閃斬と突きに秀でた雪にかかれば6層レベルの蟻人
の装甲も紙のように斬り裂ける。倒した蟻人の脇を素早く抜けると
フレイが言っていた角の先を見る。
﹃タワーキャタピラー︵6階層︶ ランク:F﹄
﹃タワーキャタピラー︵6階層︶ ランク:F﹄
1239
﹃タワーキャタピラー︵6階層︶ ランク:G﹄
そこには猪程の大きさもある緑と紫の混じったような色の芋虫が
うにょうにょとこちらに向かってきていた。
﹁トォル、アーリ!タワーキャタピラーが3!﹂
﹁分かった!確かそいつは時間をかけると糸を吐く。吐かれる前に
間合いを詰めなきゃならないから俺が行く﹂
﹁私も行く。アーリは糸を吐かれた場合の対処を﹂
﹁はい。ソウジロウさんはすいませんが後方の警戒をお願いします﹂
﹁わかった﹂
とは言ったものの、正直﹃剣聖の弟子﹄の成長ぶりに驚きが隠せ
なかった。
個々の実力も間違いなくあがっているが、とにかく3人の連携が
凄いのだ。3人ともどちらかと言えば近接型なのだが攻撃の射程や
質は違う。その質の違いを相手によって最も活かせるように陣形を
切り替えているのだがその判断と陣形を切り替えるまでが恐ろしく
速い。
﹁5階層までは弟子のみで、6階層からは念のため俺も入って戦っ
て来たけど⋮⋮﹂
﹁うむ。きちんと6階層以降の魔物の情報も調べてあるようだし、
戦い方も大胆かつ慎重。問題あるまい﹂
﹁うん。盗賊共から巻き上げた︻風剣︼や︻ロングレイピア︼で攻
撃力が上がったのも大きいね。一撃の威力が上がったことで戦闘時
間が短くなってる﹂
赤い流星の兇賊から奪った風剣とメイザから奪ったロングレイピ
1240
アは、うちのパーティでは使う人が居なかったので有効活用できそ
うなトォルとアーリに渡してあった。それまでは店売りの中でも中
程度の装備しか準備できていなかった2人はやはり4層、5層での
戦いに不安を感じていたらしい。
貰った武器の入手経路を聞いて、微妙な顔はしていたが自分のス
タイルに合う良い武器は喉から手が出るほど欲しかったらしく物凄
く喜んでいた。
戦闘の方は芋虫相手に危なげのない戦いをしていて間もなく決着
がつきそうだ。周辺の警戒も蛍がしてくれているのでこの間に閃斬
で塔の壁を斬り裂いて10㎝四方位ずつ剥がしておく。階層ごとの
違いはないと思うが一応1階層から同程度のサイズのものを6枚ず
つ別々の袋に入れて採集している。
﹁さて、確認はもう充分だが、今日はどの辺まで上がっておく?﹂
﹁午後からはまた依頼を受けに行ってくれるらしいから、そこまで
かな﹂
﹁ふむ、となると10階層くらいか﹂
﹁いやいや、いきなり5階層も上がれないでしょ。7階層に行って
そこを狩場に時間まで戦って最後に階層主倒して8階層から出れば
いいんじゃないかな﹂
蛍のスケジュールだとほとんど探索的なものをせずに最短で階層
主だけを倒していくことになる。出来なくはないだろうけど、無理
して上がる必要もない。
﹁我らがいるうちに高層の魔物と戦っておくのがよいかと思ったの
だが、ソウジロウが言うことにも一理あるからな。それでもいいだ
ろう﹂
1241
﹁そっか⋮そういう考え方もあるのか。ん、でも今回はいいよ。ア
ーリ達はちゃんと情報収集もしているみたいだし、自分達で階層を
上げる判断が出来る様にならないとこの先困るかもしれないからね。
もし心配なら日を改めて俺達だけで上の様子を見に行けばいいよ﹂
﹁⋮⋮ふん、別に心配などしていない﹂
素直じゃないなぁ。そういう蛍はなかなか見られないから嬉しい
けど。
俺は剥いだ壁を袋にしまうと袋に手元の墨で6と書いて腰にぶら
下げる。流石に6個目になると重さはともかく邪魔だな。まあ、こ
の先は俺達が戦うこともなさそうだし、まあいいか。
﹁よし!完勝!こっちは片付いたぜソウジ!﹂
﹁はいはい。アーリ、怪我とかないよね﹂
﹁はいソウジロウさん。大丈夫です﹂
﹁フレイも大丈夫?﹂
﹁だ、大丈夫だフジノミヤ殿。ちょっと糸を被ってしまったが怪我
はない﹂
言われてみればフレイの髪に白くて粘着質のものがなんだが卑猥
な感じに張り付いている。吐き出された糸も魔物の一部である以上
まもなく消えるだろうが、なんとなく目の毒なので取ってあげるこ
とにする。
﹁あ⋮⋮す、すまないフジノミヤ殿﹂
﹁うん。フレイも強くなったね。最初の頃の蟻人にわたわたしてた
時とは比べものにならないよ﹂
﹁そ、そうか!私も少しは強くなっているのか!それは嬉しいな!
⋮⋮全部フジノミヤ殿のおかげだ﹂
1242
﹁そんなことないよ。アーリやフレイが頑張ったからだと思うよ﹂
﹁お∼い!いい加減俺の扱いが雑過ぎねぇかぁ﹂
俺がフレイと良い空気を醸し出していたのにうるさいのが邪魔し
てくる。
﹁ち!⋮さ、次に行こう。今日は夕方から家で宴会するからアーリ
とフレイもおいで﹂
﹁おい!隠す気のない舌打ちにあからさまな無視かよ!っていうか
その宴会、俺も行っていいんだよな?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁いや!そこはいいって言えよ!﹂
1243
宴会
﹁今日は日頃よりお世話になっている皆さんに、感謝の気持ちをこ
めてささやかな⋮⋮いや!うちのシスティナが腕を奮った料理の数
々がささやかなんて言わせない!見てのとおり美食の限りを尽くし
たごちそうの数々と、これでもかって程に買い込んだ美酒を準備し
ました!﹂
﹁﹁﹁うおぉぉぉぉぉ!!﹂﹂﹂
﹁いいぞぉ!旦那ぁぁ!男前ぇ!﹂
﹁太っ腹ぁ!!﹂
﹁挨拶がなげぇぞ!!早く飲ませろぉ﹂
かめ
前庭に特別に用意した大きなテーブルに所狭しと並べられた料理、
甕で用意された各種の酒。その周りに集まった、俺達がお世話にな
っている人々。その顔はこれからの宴会への期待にみんな笑顔だ。
料理はシスティナが朝から腕によりをかけて作ってくれた。メニ
ューの中には俺からの要望で開発された異世界風からあげや、異世
界風ハンバーグなどこちらの世界では見ない料理もたくさん並んで
いて、そこから立ち上る暴力的な香りは列席者の胃袋を既にがっし
と掴んでいるに違いない。
sであり、さっきから大声を張り上げているのも彼らである。
特に待ちきれないのがテーブルの中央付近に陣取っている大工さ
ん
﹁ああ!わかりました!わかりました!とにかく皆さんありがとう
ございました!!これからもよろしくお願いします!乾杯!!!﹂
1244
﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁かんぱ∼い!!!﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂
﹂
乾杯の風習はこの世界にもあったようで、特に説明の必要もなく
全員が杯を掲げて思い思いの飲み物を口へと運んだ。俺も、お酒は
あんまり得意じゃないが最初くらいはと準備した地球でいうカクテ
ルのような甘めの酒を一気に煽る。
﹁ぷはぁ!では、思う存分楽しんでください!いろいろ上下関係等
々あるかもしれませんが出来れば今日この時だけは無礼講でお願い
します!後で温泉にもご案内しますが、今日は時間で男女を区切る
のでよろしくお願いします!﹂
﹁う!うめぇ!なんだこの茶色くてカリカリした肉は!﹂
﹁このリンプルを使った料理もいつも食ってるやつとは比べ物にな
らねぇぞ!﹂
﹁くぅ∼!この酒を浴びるほど飲める日が来るとは思わなかったぜ
!﹂
⋮⋮既に後半は聞いてなさそうだが、まあいいか。
﹁お疲れ様でした。ソウジロウ様﹂
﹁俺は別に疲れてないよ。システィナこそこれだけの料理を準備し
たんだから疲れたでしょ。ありがとう﹂
即席で作った檀上から降りると、傍で待っていてくれたシスティ
ナが俺の空いた杯に笑顔でお酒を注ぎ足してくれる。
1245
﹁いえ、桜さんや葵さんも手伝ってくれましたから﹂
刀娘達は今回はホストとして列席者達の間を回ってお酌をしてい
る。これから俺とシスティナも来てくれた人たちの所を回る予定だ。
﹁みんな楽しそうだね﹂
﹁はい!﹂
初めて会う人達もそれなりにいて、最初は静かな会になるかもし
れないと心配していたけど、大工さん達の豪快さが良い方に作用し
たらしく、あっという間に打ち解けている気がする。立食形式にし
たのも正解だった。
席を作ってしまうと近くにいる人以外とは話しにくくなってしま
う。はっきり言って名家の出身だった俺はそこそこパーティ的な物
に出席することもあり、その時の経験が活きた形である。
さて、俺達はどこから回ろうか。まずはあそこから行くか。
俺はシスティナを伴って、唐揚げに舌鼓を打ちつつ会話をしてい
る2人の下へと行く。
﹁今日は来ていただいてありがとうございました。ウィルさん、リ
ュスティラさん﹂
﹁いえ、こちらこそこんな豪華な宴に招待して頂いてかえって申し
訳ない気持ちです﹂
﹁あたしもびっくりしたよ。宴会なんて言ってもこんなに大掛かり
だとは思ってなかったからね。しかもこのからあげとやらの美味い
こと!これだけでも今日来た甲斐があったよ﹂
1246
俺の依頼で技師を探していたウィルさんに、自ら売り込みをかけ
たのがリュスティラさんである。俺達からの高評価を受けて以来、
ベイス商会からも依頼をするようになったらしくこの2人は良き商
売相手としていい関係みたいだ。
﹁ウィル殿、この度は本当にありがとうございました。ウィル殿が
いなければ今日のこの楽しい時間はありませんでした﹂
そう言うとシスティナは頭を下げる。
﹁システィナさん、頭をあげてください。私が好きでしたことです
から。フジノミヤ殿のファン第1号としてお役に立てたなら私とし
ても嬉しいです﹂
﹁はい。これからもソウジロウ様をお助け下さい﹂
そう言ってウィルさんの杯に酒を注ぐシスティナはまさに俺の嫁
!なんだか照れくさいけど悪い気分じゃない。
﹁リュスティラさんもどうぞ﹂
﹁ありがとよ。武器の修理の方はもう2、3日おくれよ。魔石回路
の方の修復だけならすぐなんだが、うちの旦那がもう少し丈夫に出
来るんじゃないかと張り切ってるからね﹂
﹁はい、ありがとうございます﹂
﹁本当にウィルマークにはいいお客を紹介してもらったよ。面白い
装備の案がどんどんと出てくるし、金払いもいいし、おかげで店の
知名度も急上昇中だよ﹂
﹁いえいえ、こちらこそお抱えの少ない良い技師と知り合いになれ
て助かってます﹂
﹁そうかい?そりゃ嬉しいね。それもこれもソウジ達と知り合った
おかげだね﹂
1247
それは俺達からも言いたいことだった。ウィルさんやリュスティ
ラさん達と知り合えて本当に良かった。
﹁楽しんでますかルスター隊長﹂
﹁おお!フジノミヤ殿!この料理は実に美味いな!さっきからうち
の従者達が顔も上げないくらいだ﹂
赤い流星の時に共に戦った大工さん達と酒を酌み交わしながら、
渋い笑みを浮かべて杯を上げるルスター隊長。
その脇で双子のニジカ、ヨジカが唐揚げをほおばりつつミーカウ
︵豚と牛の中間のような味わいの肉︶のソテーとサーマス︵地球の
鮭的な魚︶の塩焼きを抱え込むようにしてキープしている。
﹁すいません、うちの隊の従者が⋮お恥ずかしい﹂
ルスター隊長の後ろに控えていた見習い騎士のカレンが小さく頭
を下げる。カレンはコロニ村にいた親戚を俺達が助けたことで俺達
に恩義を感じているらしい女騎士だ。ルスター隊長を招待した際に
何人か同行しても構いませんよと伝えておいたら、どうもこのカレ
ンをメンバーに加えたらしい。
﹁いえ、食べて頂きたくて作った料理ですから。気に入って頂けて
嬉しいです﹂
﹁強引にお誘いしてしまいましたがお仕事の方は大丈夫ですか?﹂
﹁何かあればすぐに連絡が来るようになっているし、ガストンとヒ
1248
ューイもいるからな。問題はない﹂
と言いつつも強い酒は飲んでいない辺りはさすがだろう。
﹁後程、うちの自慢の温泉にご案内しますので日頃の疲れをゆっく
り癒してください﹂
﹁おお!最近ベイス商会が取り組んでいるお湯に入るというやつだ
な?それは楽しみにさせてもらうとしよう﹂
ルスター隊長達と別れると次に目についた親方コンビの方へと移
動する。
﹁こんばんは、ゲントさん。ディランさん﹂
﹁おう!旦那!約束通りさっそく宴会開いて貰って感謝するぜ﹂
﹁この度は本当にありがとうございました。ゲントさん達ベイス商
会の大工の方達がお骨折り下さらなかったら蛍さんや桜さんもああ
して笑っていることも無かったかもしれません﹂
システィナが離れた所で、大工達と飲み比べをしている蛍と、リ
ュスティラさんに二狼達を紹介してモフモフさせている桜を見て頭
を下げる。
﹁け!桜嬢ちゃんは俺らの娘みたいなもんだ。助けるのは当たり前
だ。感謝される筋合いはねぇ!﹂
そう言って笑いながら杯を煽るゲントさんにシスティナが今日準
備した中で一番強い酒を注ぐ。
1249
﹁おおっと、わりぃな!それにしても﹃グリュミの火酒﹄をこんな
に飲めるとはな、高かっただろう﹂
﹁そうですね。私にはお酒の価値は良く分からないのですが、でも
酒屋の方が酒呑みにはこれが一番喜ばれると仰ってましたので。デ
ィランさんもいかがですか?﹂
﹁⋮もらおう﹂
言葉とは裏腹に差し出された杯のスピードはなかなかのものだ。
どうやらドワーフの見た目を裏切らずに大酒呑みなのは間違いなさ
そうだ。
﹁また、明日以降各地の塔を回ってみようと思っています﹂
﹁ん⋮⋮階層ごとの違いはなさそうだ﹂
せっかくフレスベルクにいて全ての主塔への転送陣があるんだか
ら、一応ザチルだけでなくその他の主塔の壁も揃えておいた方が良
いだろうと思って、明日から1日1塔を目標に各地を回ってみるつ
もりだった。
今日採集したザチルの壁材は既にディランさんに届けてある。そ
れを受けてのディランさんの言葉。どうやら階層ごとに壁材の違い
は無かったようだ。
﹁分かりました。採集出来たらまた工房へ届けます﹂
﹁また、なんかおかしなことを始めやがったな。今、ディランの奴
に聞いたぜ、無理難題ばかりだってな。全く旦那は職人泣かせだよ﹂
﹁はは、すいません。でもお二人なら多少の無理難題は難題じゃな
いと思ってますから﹂
﹁おおっと!墓穴を掘ったか。そう言われちゃあ職人としちゃあ泣
1250
き言は言えねぇ!がはははは!﹂
バンバンと俺の背中を叩くゲントさんは、もうかなり酒が回って
いるのか加減が出来ていないのでめちゃくちゃ痛い。
﹁ゲントさん。お料理の方もまだありますのでお酒だけでなく、こ
ちらも食べて下さいね﹂
﹁おお!シス嬢ちゃん。頂かせて貰うよ、こんな美味いもん残す訳
にはいかねぇからな﹂
上機嫌で酒を酌み交わす2人の親方に楽しんで行って下さいと声
をかけてからその場を離れ、少し離れた所でシスティナと2人で会
場を見回す。
﹁これで大体主要なところは回ったかな?﹂
﹁そうですね。強いて言いうならトォルさん達のところがまだです
ね﹂
﹁そっか﹂
言われてみて剣聖の弟子を探してみるが、トォルは蛍と大工さん
たちの飲み比べに巻き込まれて既に意識が朦朧としてそうだった。
アーリは毎日通ううちに仲良くなったのだろう、ギルドの笑う受付
嬢となにやら楽しく話し込んでいる。
⋮っていうか笑う受付嬢の素の笑顔を初めて見た気がする。
フレイは弟のアルと料理に夢中のようで、なんとかこっそり持っ
て帰れないかと挙動不審だったので後で折詰にして持たせてあげる
ようシスティナに言っておく。どうやらバルトに扱き使われて貧乏
だった時の癖が抜けないらしい。
1251
﹁あの3人は今日、塔で話したしいいかな。それぞれ楽しそうにや
ってるし﹂
﹁はい、本当に皆さん楽しそうです﹂
完全に陽が沈み、暗くなってきた会場だが周囲には光魔石をふん
だんに配置してあり、葵が指ぱっちん1つで全点灯させて会場を沸
かせている。
そんな宴会の様子を見てシスティナが本当に嬉しそうに笑う。
﹁うん。この世界に来ていつの間にかこんなにたくさんの人と仲良
くなってたんだと思うと⋮⋮なんだか感慨深いよ﹂
﹁ご主人様。私はご主人様がこちらの世界に来てくれて本当に良か
ったです。ご主人様がこちらに来てしまった経緯を考えたらそんな
こと言ってはいけないと分かっているのですが、それでもご主人様
をこちらの世界に導いたくれたその地球の神様に感謝してしまうん
です﹂
﹁システィナ⋮﹂
そっと俺の手を握って身体を寄せてくるシスティナ。その手を俺
も握り返す。
﹁俺もこの世界に来れて良かった。システィナに会えて良かったよ﹂
﹁⋮はい﹂
﹁ソウ様∼!シスもこっち来て飲もうよ∼!﹂
桜が会場で手を振って俺達を呼んでいる。まだ宴は始まったばか
1252
りだ。俺とシスティナは目を見合わせて同時に笑うと手を繋いだま
ま会場へと向かった。
1253
湖上都市レイトーク
﹁なんだか随分久しぶりな気がするね﹂
﹁そうだな。それだけ充実した日々を過ごしているということだろ
うよ﹂
蛍の言葉になるほどと納得する。確かにこの街を出てからまだ1
月も経っていないが、その間に俺達が経験したことは地球では考え
られないほどに濃密なものだったと思う。
﹁それにしても、まさか蛍と2人で来ることになるとは思わなかっ
たな﹂
﹃﹃ガウッ!﹄﹄
﹁おっとゴメン、ゴメン。一狼と二狼も一緒だったね。よろしく頼
むよ﹂
﹃﹃オンッ!﹄﹄
俺達は今、観光都市とも言われることもある、湖上都市レイトー
クの綺麗な街並みを歩いていた。
メンバーは俺と蛍。そして、一狼と二狼である。
あ、ちなみに宴会は大成功だった。あの後、まず女性陣を温泉に
案内し、ゆっくりと堪能してもらった。女性陣と男性陣が入れ替わ
カオス
った後は、男性陣は露天風呂で二次会状態に突入してしまいなかな
かに混沌な感じになっていた。
1254
女性陣は女性陣で庭に椅子を出し、湯上りの身体を冷ましつつガ
ールズトークに花を咲かせていたようだ。
その後、酔い潰れて帰れない人たちを客間に押し込み、帰路に着
いた人たちで護衛が必要そうな人達を狼達と手分けして送り届けて
宴会は終了。護衛までする狼たちの女性人気が急上昇していた。
システィナや刀娘達が立派にホスト役を務めてくれたこともあり、
参加者は一人残らず大満足して帰って行ったように思う。温泉、と
いうか湯船に浸かる風呂の信者も大量に獲得出来たようでベイス商
sとトォル辺りの宿泊
会の銭湯計画が稼働すれば集客に一役買ってくれるだろう。
翌日は、二日酔いで頭を抱える大工さん
組をさっさと追い出してから、蛍、システィナ、桜、葵4人全員と
一緒にベッドの上で運動に励んだ。葵以外とは数日ぶりということ
に加えて、宿泊組がいたせいでお預けをくらっていたこともあり︻
魔精変換︼をがっつり使いつつ昼過ぎまで楽しんでしまった。
その後、全員で温泉で汗を流した後は、システィナと葵は後片付
け、桜は狼達の訓練、蛍と俺は訓練をする時間にあてた。
夕食時にアイテムボックス制作の話を全員に伝え、サンプルを得
るために各地の主塔を回るということを話をした。ついでに新撰組
のエンブレムについては全員にアイディアを出してくれるようにお
願いしておいた。
で、最近慌ただしく動き回りすぎだったので、塔巡りの為の準備
や休息にのんびり2日をあててようやく今日レイトークへと転移し
て来た訳だ。
1255
今回蛍と一狼、二狼しか連れてこなかったのも一応理由がある。
まず、システィナは防具はまだしも武器がない。魔断じゃなくて
も、最初に買ったアックスハンマーはちゃんと保管してあるし、巨
神の大剣を使ってもらうという案もあった。
だけど、壁を剥ぐだけだから高層に行く予定はないし、システィ
ナも屋敷の管理にもう少しゆっくり時間をかけたいという思いもあ
ったみたいなので魔断が修復されるまではお休み。
次に桜。桜にはやっぱり気になったので、一応念のために自称勇
者のシャフナーと侍祭ステイシアがどうしているのかを調べてもら
うことにした。
自称勇者自体は葵の動きを全く追えていなかったので、どうして
自分がのされていたのかを理解出来ていないだろう。
だが、最後に俺達を睨みつけていた侍祭のあの憎々しげな眼が気
になった。正面から来てくれる分にはうちのメンバーなら問題ない
と思う。だが、ああいう手合いは得てして訳の分からない事態を引
き起こしたりするので、あれから数日経ってみて今現在どうしてい
るのかを知っておこうかなと思ったのでうちのくノ一にお願いして
おいた。
おそらく桜なら今日の夜にはそれなりの情報を集めて報告してく
れるはずだ。
最後に葵。葵は現在リュスティラ工房に絶賛貸出中だった。
宴会の時に離れた位置から複数の光魔石に魔力を通した︻魔力操
1256
作︼の能力を買われてディランさんから力を借りたいとお願いされ
たのである。葵が手伝うことでアイテムボックスの制作に進展があ
るかもしれないし、葵自身が付与技術などに興味を持っているよう
だったので、葵の働きぶり次第で今回の装備代金を安くするという
ことで派遣契約を結んだ。
と言っても別に侍祭の﹃契約﹄じゃなくて口約束だけどね。
そんな訳で今日は蛍と2人きりになったので、いい機会だからと
塔で戦えるかどうかを試験する意味もあって、まず一狼と二狼を連
れてきたという訳だ。
狼達に渡す足環はまだ完成していないので、一応従魔だというこ
とが分かって貰えるようにそれぞれの首にナプキンのような布を巻
いてある。システィナが可愛く見えるように縛ってくれたので狼達
も大満足だった。こんなことなら足環でなくいろんな色のナプキン
を買ってきて付ければ安上がりだったと気が付いたが後の祭りであ
る。
まあ、戦闘や警備をしてもらう以上は能力を底上げする装備の1
つくらいは持っておいた方がいいので必要経費なんだけどね。
﹁なんか⋮ちょっと緊張するね﹂
﹁あんなことがあった場所だからな。だが、あんなことはそうはな
いと領主も言っていたではないか。ならば、躊躇してばかりもいら
れないだろうよ。苦手意識は早めに克服しておいた方がよい﹂
レイトークの塔を目前にして思わず立ち止まった俺の背中を蛍が
叩く。
1257
﹁ん、そうだね。行こう﹂
一狼達を伴ってレイトークの大広間に入る。中は以前来たとき以
上に人が溢れている。あの時の事件は領主の方で情報規制が敷かれ
て公にはなっていないが、ある程度の噂は広がったはずなのになん
とも逞しい。
と思ったら冒険者ギルドのカードを持っている者がちらほらと目
に入る。
そっか、冒険者ギルドが出来たせいで探索者という後ろ盾のない
職を敬遠していた人達の中から少なくない人数が冒険者になったの
かもな。
こうして、他の街でもギルドカードを持っている人を見ると冒険
者ギルドが世界に浸透しているのが実感出来てなんだか嬉しい。冒
険者ギルドはこの世界に俺が来たからこそ出来た制度だ。だからと
言って表立って俺の名前が出ることはないし、ただの感傷に過ぎな
いんだろうけどこの世界に俺という存在が認められた気になれる。
﹁ふむ⋮⋮43層か﹂
﹁え?﹂
﹁いや、この塔の最高到達階層がどこかと思ってな﹂
選択型の塔は誰かが新しい層に到達すると、一階の大広間にその
層への直通で行ける扉が現れる。つまり、今現在大広間に扉がいく
つあるかを数えれば今までの最高到達階層が分かる。
﹁へぇ⋮43階層なんだ。だとすると最低でも50階層くらいまで
はありそうだね﹂
1258
﹁その辺りの魔物がどの程度の強さなのか、いつか戦ってみたいも
のだな﹂
﹁げ⋮俺はそこまで行かなくてもいいかも﹂
﹁ふむ⋮⋮まあよい。これからも修行に励み、力をつけ、機会があ
った時で構わんさ﹂
刀としての蛍はきっと戦ってみたいんだろう。出来れば叶えてあ
げたい気はするが、今のところそんな無謀なことはしたくない。自
分達でしっかりと階層を重ねて辿りつくことが出来るのならば討伐
もしてみたいという気持ちは俺にもある。巨神シリーズが手に入る
確率も高いしね。
﹁と、とにかくそれは置いといて。俺達は1階層と2階層どちらか
ら行く?﹂
俺達がレイトークにいた頃は、1階層主の階落ち魔物ドラゴマン
ティスを倒したあとぼろぼろだったこともあり、2階層にはのぼっ
ただけですぐにそこから外に飛び降りたらしいので、俺達が今開け
られる扉は1階層と2階層だけだ。
﹁1階層からでいいだろう。一狼達がどの程度動けるのかも見てみ
たいしな。
﹁だね。じゃあ、行こう﹂
﹃﹃ガウ!﹄﹄
1259
湖上都市レイトーク︵後書き︶
※ レビューは随時募集しております^^
1260
狼達の戦い
久しぶりに入ったレイトークの塔第一層は、なんだか前よりも騒
がしい。俺でもなんとなくわかる程度に人の気配がする。これは思
った以上に人口密度が上がってそうだ。
﹁これは想像してなかったな。一狼達を戦わせるとなると、勘違い
した余所の冒険者に一狼達が攻撃されかねんな﹂
﹁あ、なるほど。俺達にとってはもう家族みたいなもんだから魔物
って意識はないけど、知らない人が見たら勘違いされる可能性はあ
るか⋮﹂
﹃くぅ∼ん﹄
俺の言葉を聞いた二狼ががっかりした声を出し、しゅんと尻尾を
垂れる。
﹁そんなにがっかりしなくても大丈夫だって二狼。蛍がちゃんと戦
える場所に案内してくれるから﹂
﹁ああ、任せておけ。と言いたいところなんだがな、ちょっとこの
層では難しそうだ。なるべく人のいないところを選んで行くが、さ
っさと階層主を倒して上へと上がろう。初心者が増えただけなら3
層まで上がれば少しは余裕がでるだろう﹂
﹁了解。あんまり壁を剥ぐところも見られたくないし、荷物になる
から壁を剥ぐのも帰り間際の方がいいね﹂
蛍の提案に頷き、レイトークの1階層を歩く。こうして歩いてい
るとあの時の嫌な雰囲気が無いのが良く分かる。あの時は余裕が無
かったせいもあるかも知れないけど、どこか空気が張りつめていた
1261
ような気がする。
﹁本当にあの時のことはイレギュラーだったんだな﹂
﹁そうだな⋮⋮だが、あそこであの戦いを経験したことは良かった
のかも知れないな﹂
﹁うん﹂
確かに、あの戦いがなけばフレスベルクに行くのはもっと後にな
っただろうし、あの屋敷を買うことも無かった。そうしたら温泉も
無いし、大工さんたちとも知り合わず、リュスティラさん達にも会
えない⋮昨日みたいな楽しいひと時は無かった。それにこの世界に
来て早々に危険な目に遭ったことでどこか異世界に浮かれて甘く見
ていた自分を戒めることが出来たような気もする。
だから、それが無い状態で赤い流星と戦いになっていたら多分あ
っさりと死んでいたかもしれない。
﹁さあ、お客さんだ。幸い周囲に人もいない。一狼、二狼やってみ
るか?﹂
﹃﹃ガウ!﹄﹄
﹁よし!一応念のため、ソウジロウは敵の背後に回って反対側から
邪魔が入らない様に警戒﹂
﹁了解﹂
通路は右に向かってL字になっていて魔物は角の向こうらしい。
反対側に俺が抜けておけば変に他の冒険者に介入されることはない
だろう。
角を曲がる。
1262
﹃タワーウルフ︵1階層︶ ランク:H﹄
﹃ストーンパペット︵1階層︶ ランク:H﹄
﹃タワーウルフ︵1階層︶ ランク:G﹄
おお、懐かしいな。ザチルにはウルフ系は少ないし、パペット系
はほとんど出ないんだよな。ザチルはどっちかというと亜人系が多
い。ゴブリンとかのやつね。
﹁一狼、二狼!GO!﹂
﹃﹃グルゥ!!﹄﹄
狼達にランクとか伝えても意味は無いと判断してGOサインだけ
だして後を追う。
目の前を走る狼達には全く追いつけないので俺が3歩目を踏み出
す頃には一狼はGランクのウルフ、二狼はHランクのウルフに襲い
掛かっていた。
ストーンパペットは動きが遅いので狼とウルフの戦いには付いて
いけないだろう。ちいさな石の棍棒を持っているので油断は出来な
いがまぐれ当たりでもなければ問題ないはず。
その辺の違いと敵の強さもある程度把握しているっぽい一狼がき
ちんと高ランクの狼に対応している。元々一狼はアッシュウルフの
ランクFであり、戦っているウルフはランクG。順当に行けば負け
ることはないだろう。
完全に速さでタワーウルフを圧倒しながら徐々にダメージを与え
ていく一狼の戦いぶりは、余裕があると言うよりもまるでこれから
の戦いに備えるウォーミングアップのようだ。
1263
その華麗な戦いぶりを横目に俺は戦闘エリアを駆け抜けて反対側
に抜ける。これで余計な介入が入る可能性はない。思う存分狼達に
戦ってもらうことが出来る。
一狼は問題ないとして、パペットを挟んで一狼と反対側で戦って
いる二狼を見てみると、こちらは山狼ランクHだった二狼と同ラン
クのウルフの戦いだけあって、パッと見ではどちらが優勢とは言え
ないように見える。
だがその実、よく見れば二狼の方がワンテンポずつ動きが速い。
これは1つ1つの動きに無駄がないせいだろう。着地、体重移動、
身のかわし方、そう言った動きに無駄が少ない。どうやらそのほん
の少しが積み重なって、結局のところウルフよりも早く動いている
ようだった。
﹁これは桜の指導の賜物なんだろうな⋮﹂
多分、その動きは忍狼化計画を着々と推進しつつある桜の指導に
よって身に付けたものだろう。どうやらこの様子ならもう1ランク
上の相手でもなんとかなりそうだ。それに狼はもともと群れで狩り
をする生き物だったはず。
一狼とは連携が難しいかもしれないが、三狼∼九狼までの誰かを
2、3頭連れてくればもっと安定した戦いが出来るかもしれない。
そんなことを考えている間に、一狼はウルフの首に噛みつき、首
の骨を噛み砕いて勝利を決めていた。そのまま死体を放り出すとス
トーンパペットの方へ向かうが、一狼の爪と牙ではちょっと厳しい
か⋮
1264
一狼がパペットに攻撃を加えている間に、二狼がようやくウルフ
の腹に喰らいつき止めを刺していた。多少時間はかかったが攻撃は
一度も受けていなかったので戦いとしては問題ないだろう。
ただ、全体的に攻撃力に難がありそうだ。同ランクの狼相手にこ
れだとあんまり上の階層には連れて行けないかもしれない。
くわ
何か外付けの武器を考えてあげた方がいいかもしれないな。思い
つくのは口に咥えて使える刃物系の武器か、俗に言う爪武器だが人
間と違って爪に付けてしまうのは動きにくそうだから口で使える武
器かな。帰ったらリュスティラさんに試作品として1つお願いして
おこう。
﹁お?﹂
どうやら一狼が、固さに痺れを切らして強引な戦法に切り替えた
ようだ。パペットの腕に噛みついて、力任せに壁に放り投げた。
ガシャァァン
景気の良い音と共に、結構な勢いで叩き付けられたパペットはパ
キッと音を立てて割れて地面に落ち、その後は動かなかった。
﹁まずまずだな。決定力には欠けるが、速度と回避能力は問題ない。
敵の注意を引くように立ち回って貰って私やソウジロウが攻撃すれ
ば決定力不足も問題はなくなる﹂
あ、そうか。別に狼達だけで戦う必要は無かったのか。同じ問題
に気が付いても蛍の方がその先がよく見えてるということなだろう
な。ただ、武器はあって困るもんじゃないから発注はしておくけど
1265
ね。
﹃ガウ!﹄
一狼と二狼が自分たちが倒した魔物の魔石を咥えて持って来てく
れる。二狼からランクHの魔石を2つ。当然一狼はランクGの魔石
⋮⋮なのだが、俺のところまで来た一狼がその魔石を一旦地面に置
いてころころと足で転がしている。
﹁ん?どうした、一狼﹂
何がしたいのか分からないので聞いてみるが、一狼はすぐに興味
を失ったように魔石を咥え直して俺に渡してくれた。なんだか良く
分からないが魔石自体は特に何の問題もないGランク魔石なので受
け取ってポーチに入れておく。
﹁よし、では今後は人との連携を考えつつゆくぞ。基本的に3階層
まで最短で行くからな﹂
その後、蛍の案内に従って1階層を進み、因縁の主の間へ。
﹃タワージャイアントバット︵主︶ ランク:G﹄
1階層に出てくる、タワーバットを大きくしただけの階層主。
戦い自体は蛍が鏡面仕様のクナイで早々に皮膜を破って床に落と
すと狼達が翼を1枚ずつ抑え、その間に俺が雪でとどめを刺した。
魔石を回収して、出て来た階段を昇ったら思わず大きなため息がで
1266
た。やっぱり軽くトラウマだったんだろう⋮だが、これでなんとな
く吹っ切れた気がするので、壁剥ぎの用事が無かったとしても来て
良かった。
上がった2階層も、そこそこ人が多そうだったので蛍の提案通り、
早々に3階層へと向かうことにし、数回の戦闘を経て2階の主の間
へ。
﹃タワースイングコング︵主︶ ランク:G﹄
出てきたのはちょっと大きめの地球でいうゴリラとマンドリルを
足して2で割ったような、もうゴリラでいいやって感じの主だった。
大振りする腕の一撃には寒気がするほどのパワーがあったが、狼
達がタゲを取りつつその速度で主を翻弄してくれたので、俺は落ち
着いて閃斬で腕を一本斬り落とす。
腕が無くなって動きが荒くなった隙をついて一狼が喉笛に噛みつ
き、痛みと呼吸が乱されたことで動きが鈍ったところを俺が右手の
雪で眉間を刺し貫いた。
突きの補正が効いているから、身体が良い感じに突きの動きを実
感出来ている。この感触は忘れない様にしておかないと雪が人化し
た時に困るのでしっかり覚えておこう。
﹁いい感じに連携も取れて来たな。一狼、二狼は屋敷に戻ったら他
の狼達にも教えてやるとよい。せっかく色んな塔を回るのだから、
順番に全員連れて行くことにするからな﹂
﹃﹃バウッ!!﹄﹄
1267
これは今回塔巡りをする際に決めてあったことだ。従魔になった
魔物達も訓練や戦闘経験を積むことで強くなれるのかどうかを確認
するためだったけど、既に効果があることは二狼が証明してくれて
いる。効果がある以上は警備力の底上げの為にも狼全員に戦闘経験
を積んで貰いたい。俺達と連携をすることで人間相手の戦い方の練
習にもなるはずだしね。
﹁じゃあ、3階層に行こうか。今日は3階層で少し戦って、壁を剥
いだら主を倒して4階層から出る。ってことでいいよね、蛍﹂
﹁うむ、いいだろう。今回の目的は一狼達の実力確認と、壁の採取
だからな﹂
その後は、3階層で危なげのない戦いでそれぞれの課題を確認し
つつ、連携を意識して戦闘を重ねた。階落ちで1階層に出ていた﹃
タワーアント﹄や2階層から出始めた﹃タワートレント﹄などが多
かったため、一狼達の攻撃力はあまり役に立たなかったがタゲ取り
から攪乱の流れはかなり形になってきた。うちのメンバーはシステ
ィナ以外は攻撃力過多なメンバーばっかりでこういう地味な役をし
っかりこなせる人が居なかったから今後助かるかも知れない。
途中で携帯食を食べ、水分の補給を取りながらいい感じで戦い続
けて、大分疲労を感じて来たので、この辺にして最後に主戦へと向
かった。
1268
狼達の戦い︵後書き︶
1話にまとめようと思ってた部分まで書ききれませんでした^^;
次話は短めになるかもです。
1269
双頭の狼︵前書き︶
切りどころが⋮⋮
明日も投稿します。
1270
双頭の狼
﹃ツインヘッドウルフ︵主︶ ランク:E﹄
ふたくび
主の間に到着した俺達の前に居たのは二首の狼、ツインヘッドウ
ルフだった。黒みがかった毛皮に覆われ、不気味な雰囲気を醸し出
す二首ウルフはサイズとしては地球産の大型なライオンの倍程もあ
る。体積的に見たら一狼の4倍、いやもっとか?
二狼に至っては体格差に加えて、ランク差もかなりある格上の相
手に、ちょっとビビっているようで尻尾が股の間に隠れてしまって
いる。
﹁見てみろソウジロウ。主の間に装備が散乱している﹂
蛍に促されて主の間を見まわすと、確かに剣や鎧がいくつか放置
されていた。
おそらくここで二首ウルフに敗れた冒険者達が塔に吸収された後
に残したものだろう。死体以外を塔が吸収するのには3、4日はか
かる。
﹁⋮3階層でEランクの主は初心者には結構きついか﹂
散乱している装備品の質から考えると、犠牲者の実力はまだまだ
これからだったのではないかと思える。
﹁階落ちか?﹂
1271
﹁いや⋮Eランクくらいだったら稀に出現することもあるってシス
ティナが言ってたよ。平均ランクの2ランク上までは出現する可能
性があると思っていてくださいって言ってたからね﹂
おそらくレイトーク3階層の魔物の平均ランクはGと言ったとこ
ろだろう。そうであれば、﹃まれに﹄という注釈付だがEランクま
での魔物は出る可能性があるということだ。
リポップ
これは俺の推測だけど、ここの所の塔景気で低階層の主が結構な
数倒されたことで再湧出の機会が増えたため、何度も主をリポップ
している内にレアな主を引いてしまったんだと思う。今回はそこに
塔の作為は感じられない。
﹁さて、どうするソウジロウ。暴走はしないという約束だ、お前の
判断に従おう﹂
蛍が腕を組み、ナイスな双丘を押し上げつつ問い掛けてくる。思
わず視線が吸い寄せられていくが、さすがに今はそれどころではな
いとかろうじて自制しつつ二首ウルフを見ながら考えてみる。
二首ウルフは今現在、絶賛お昼寝中のようで2つの頭を右と左に
傾けながら自分の足を枕代わりに目を閉じている。主の間に立ち入
らない限りは起きてくることはないだろう。
確か敵が魔法とかを使ってくるのは、基本的にもっと上からだっ
たはず。レイトークだと10層以上だったっけ?まあ、とにかく階
落ちじゃない以上はあいつもブレスとかはない可能性が高い。
あの巨体だから力はありそうだし、ウルフ系の上位種っぽい感じ
からすると速さもそれなりにありそうだ。でも、多分だけど速さだ
1272
けなら一狼に分がある気がするな。二狼はちょっとこの状態だと怖
いから見学してもらって⋮一狼に撹乱してもらって、正面に蛍、サ
イドから俺。
うん⋮⋮多分行ける。そこまでの怖さは感じない。
﹁リーダーとして蛍の意見を聞くけど、この面子で危なげなく勝て
ると思う?﹂
多少の苦戦くらいならまだしも、誰かが大怪我するような事態に
なるくらいなら壁だけ剥いで帰ればいい。
﹁そうだな⋮⋮ただ勝つだけなら余裕だな。寝ている間に魔法をぶ
ち込めばいい﹂
おお、そうか!蛍の光魔法なら貫通力もあるし、速さも申し分な
い。主が寝ている今ならここから魔法を一方的に打ち込むだけでほ
ぼ勝負ありだ。
でも、それじゃあ戦闘経験は積めないんだよな。別に倒すことが
最終的な目的じゃなくて、手応えのある敵と実践経験を積むことが
今の俺達には必要なんだから。
﹁魔法抜きなら?﹂
﹁一狼がさっきまでの動きが出来るなら、良い勝負をしつつも私た
ちが勝つだろうな﹂
つまり、危なくなれば蛍がなんとかするってことか。それなら戦
ってみてもいいか⋮⋮一応回復薬系も持ち込んではいるけどシステ
ィナの回復術に比べたら気休め程度。システィナさえいてくれるの
1273
ならば、本心では戦ってみたいというのが正直なところなんだけど
な。
くいっ
﹁ん?﹂
それでも、大きな戦いを終えたばかりで無理する必要はないかと
撤退を指示しようとした俺のコートの裾を誰かが引っ張る。
﹃ガウ!﹄
引っ張られたところへ視線を落とすと、一狼が俺を真剣な目で見
つめていた。
﹁え?⋮まさか⋮⋮戦いたいの?﹂
﹃ウォウ!﹄
俺の問いかけに一狼はノータイムで頷く。
ん∼、思いがけないところから待ったがかかったな。
蛍から戦わないことについて冗談混じりの挑発を受けるかもくら
いは思っていたけど、今まで聞き分けの良かった一狼が戦闘継続を
主張してくるとは思わなかった。
さて⋮これはどうしようか。一狼が戦い足りないってことならも
う少し3階層で戦っていけばいいだけなんだけど⋮
1274
・・・
﹁あいつと戦いたいの?﹂
二首ウルフを指さす俺に一狼がはっきりと頷く。狼と見つめあっ
た経験はそうある訳じゃないけど、その眼には真摯な想いが宿って
いる気がする。一狼なりに何か想うところがあるのだろう。
﹁蛍﹂
﹁うむ、やるのだな﹂
﹁うん、でも安全策も兼ねて折衷案で行こう﹂
俺は作戦を頭に思い浮かべて蛍に送る。
﹁⋮そんなことせずとも勝てると思うが、まあいいだろう﹂
慎重な俺に苦笑しつつも、蛍が作戦を了承してくれたのでうまく
行けば戦闘自体は楽になるだろう。後は⋮
﹁一狼。俺が合図したら一緒に奴に向かう。先に行ってあいつの注
意を引け。多分お前の方が速いと思うけど、最初は距離を広めに取
って相手の動きに慣れるんだ﹂
﹃ガウ!﹄
﹁二狼!勝てない相手にただ向かっていくのは、勇猛でもなんでも
ない。よく、自分の力を見定めて判断した。偉いぞ。今はそれでい
い!今回は俺達の戦いを目を離さずにしっかりと見るんだ﹂
﹃⋮オン﹄
俺はしょんぼりとする二狼の頭を優しく撫でてやる。
1275
﹁無理をして怪我したり、死んでしまう方がお前のご主人様、葵は
激怒すると思うぞ﹂
﹃オゥ?⋮⋮ガウ!﹄
ツンで高飛車な葵が、実は自分たち従魔をとても大切にしてくれ
ていることを二狼はよく理解している。だから俺の言っていること
が事実だとすぐに分かったのだろう。目に力が戻っている。
﹁いい子だ。二狼は戦いから離れたところで散乱している装備品を
集めておいてくれ。戦ってる最中に踏んだりしたら怖いからね﹂
﹃オン!﹄
戦わなくていいと言われて落ち込み気味だった二狼も、役割を与
えられたことで完全に持ち直したようである。
﹁よし!やろう。蛍、頼む﹂
﹁任せておけ﹂
俺の言葉に鷹揚に頷いた蛍は太ももに巻いたベルトから鏡面式ク
ナイを一本取り出すと、僅かに腰を落として投擲する。しかし、そ
の狙いはこちらに頭を向けて寝ている二首ウルフではなくウルフか
らやや離れて右後方の位置に刺さる。
﹁よし、行くぞ。ソウジロウ﹂
﹁うん。いいよ﹂
蛍は右手に刀を出すと、突きの構えを取り刀に光を纏わせる。う
ん、いつ見ても蛍の魔法は綺麗だ。
1276
︻蛍刀流:光刺突︼
﹁一狼!GO!﹂
﹃ガウ!﹄
蛍の魔法の発動と同時に俺と一狼が走り出す。蛍の光の魔法は光
速だ。発動した時には鏡面式クナイを経由して二首ウルフに命中し
ている。
︻グルァァァァァぁぁぁ!!︼
攻撃を加えられた上に、主の間への侵入者。半ば強制的に眠りか
ら叩き起こされた二首ウルフが怒りの咆哮を上げている。
俺の作戦は簡単で、魔法で勝負を決めてしまうのでは訓練になら
ない。しかし、正面からぶつかるには戦力に不安がある。ならば、
間を取って初撃を蛍に頼み、その一撃でこちらにハンデを貰うとい
うものだ。
そして繰り出された蛍の光刺突のレーザーは、狙い通りクナイの
鏡面部分に命中し反射したレーザが後方から二首ウルフの後ろ足を
貫いたのである。さすがは蛍、完璧な仕事だ。
﹁一狼、敵の機動力は削いだ!落ち着いていけ﹂
同時に走り出しても一狼の足にはもちろんついていけない。俺を
引き離して前方を走る一狼の背中に向かって声をかける。既に敵に
対して集中しているのか声による返事は無かったが、僅かに尻尾が
1277
左右に振られたような気がするのでちゃんとわかっているだろう。
二首ウルフの4つの目は既に俺達を捕捉して、怒りに染まった目
を向けている。だが、立ち上がったはいいものの貫かれた後ろ足は
思い通りに動かないらしく、足を引きずるような感じが見られる。
よし。これなら相手に動き回られることはなさそうだ。あんなで
かい相手にウルフ系の俊敏さを発揮されたら戦いづらいことこの上
ない。足を止めての打ち合いなら、俺と蛍と一狼それぞれが有利な
位置取りを出来るから有利に戦えるはずだ。こっちは2人と1頭だ
が、相手の首は二つしかないからな。
既に一狼は二首ウルフの下に到着し、威嚇の唸りを上げながら挑
発してタゲを取っている。二首ウルフは煩わしげに噛みつきと前脚
での攻撃を繰り出しているが、一狼は言いつけをよく守り距離を取
って攻撃をかわしている。
それを見る限りでは蛍の先制攻撃がなくともやっぱり一狼の方が
速かったな。
﹁ソウジロウ﹂
﹁蛍、左を頼む。右は俺がやる﹂
﹁分かった﹂
魔法を放った分一拍遅れて俺に追いついた蛍にそう伝えると、俺
は僅かに進路を右に変えてこっちから見て右側の頭を狙う。もちろ
ん蛍は左の頭を狙うべく進路は左だ。
俺と蛍が二つの首を相手にするように動くと、自然と一狼は一旦
下がり、相手の視界をわざと掠めるように動きながら横腹や後ろ足
を狙うように動く。今日一日培ってきた連携の練習が活きている。
1278
うとう
右の頭、右頭を前にしてみると、結構怖い。普通のライオンだっ
て頭は一抱えくらいありそうなのに、こいつは更に倍。俺の上半身
くらいのサイズがある。幸い、蛍と2人で距離を取って戦っている
ため、互いの首同志で引っ張り合ってしまっているのでさほど威圧
感は感じない。
ていうかそれ使えるな。
俺は右頭に雪をチラつかせながら近づき、右頭が噛みついてくる
タイミングに合わせて下がってみる。
︻グガッ!︼
﹁やっぱりだ!﹂
噛みついてこようと首を伸ばそうとした右頭が、急に動きを止め
て表情を歪めるのを見て逆に俺はにやりと笑みをこぼしつつ間合い
さとう
をつめ閃斬で横っ面に斬りつける。思ったより毛が硬いのかすっぱ
ぞ
りとはいかなかったが浅くない傷をつける。
の
右頭は痛みに顔を仰け反らせるが、その動きが左の頭、左頭の動
きを阻害してしまう。そして、その隙を蛍は見逃さないだろう。
その証拠にすぐに向こう側からも左頭の悲鳴代わりの咆哮が聞こ
えてくる。そして、蛍もこいつの対処の仕方に気が付いたはずだ。
左頭の動きに引っ張られた右頭を俺が攻撃し、右頭の動きに引っ
張られた左頭を蛍が攻撃する。そして頭に意識が集中しているとこ
ろで一狼が腹部に噛みつく。
1279
・・
これが面白いように完全にハマった。
程なくして二首ウルフは力尽きて、どうっ と倒れ伏した。
1280
双頭の狼︵後書き︶
久しぶりにレビューを頂きました^^
やっぱりテンション上がりますねwありがとうございました。
レビュー、ブクマ、評価はいつでも募集しています^^
1281
白騎士と大失態
結果として作戦勝ちで楽勝になってしまったが、Eランクでも攻
撃は落ち着いて捌けたと思えるし、これなら意外と戦えそうだと分
かったことは大きな収穫だった。
多分本来の二首ウルフの戦い方は機動力を活かして動き回って1
対1の状態を作り出し、1人に対して2つの頭で攻撃するというも
のだったのだろう。だが、今回は戦闘開始前にその機動力を奪われ
てしまったために俺達に囲まれてしまった。
そして、囲まれてしまった以上は複数に対処するしかない訳で、
そうすると自分には頭が2つあるんだから分業すればいいんじゃね
?と思った︵かどうかは分からないが︶のが敗因だろう。
﹁お疲れ様、蛍﹂
﹁うむ、なかなか良い連携だったな。こういう戦いも悪くない﹂
離れて戦っていたけど、お互いに何を意図して動いているかを﹃
共感﹄を使わなくても理解して動いていたような気がする今の戦い
は、確かにちょっと楽しかったかもしれない。
﹃クゥン﹄
﹁お?一狼、お前もいい動きだったぞ。よしよし﹂
魔石を咥えてきた一狼を褒めてあげながら、頭を撫でモフしてあ
げる。結果として楽勝だったが、一狼の動きは常に相手の視界を掠
1282
めて注意を引き、隙を見て防御の薄い腹部に攻撃を加えるという相
手が嫌がる行動を的確にしていた。これは褒めてやらねばなるまい。
なでなでなで モフモフモフ なでなで モフモフ な
でモフ
はっ!いかん。あんまりにも一狼が気持ちよさそうなのでつい夢
中になってしまった。
一狼はまだ魔石を咥えたままだって言うのに悪いことしたな。持
って来た魔石は二首ウルフの物で、Eランクの魔石だ。稼ぎに来た
訳じゃないけど、いろいろ入用で支出は増えるし、雪の錬成にも必
要なので魔石はあればあるだけいい。
﹁ありがとうな一狼﹂
持ってきてもらったお礼を言って魔石を受け取ろうと手を伸ばす。
ぶんぶん
﹁え?﹂
ところが一狼は魔石を渡そうとはせず、咥えたまま首を振り一歩
下がった。
はて⋮これは一体。別に狼はカラスと違って光物を集める習性と
かは無かったと思うんだけど⋮
1283
あぁ、そういえばツインヘッドウルフと戦いたいと強く主張した
のは一狼だったな。もしかして魔石が欲しかったのか?
﹁一狼⋮その魔石が欲しいの?﹂
まさかと思いつつ念のため聞いてみると一狼はこくこくと顔を上
下させる。
ふむ⋮まあ、今日の一狼の働きを考えればそのくらいのご褒美は
あってもいい。Eランク魔石の売却益くらいは稼ごうと思えばすぐ
稼げる。
﹁わかった。いいよ、今日の一狼はそれぐらい頑張ったと思う。そ
の魔石は一狼に進呈する﹂
﹃バウッ♪﹄ ごきゅ っくん
﹁へ?﹂
え?⋮⋮ちょっと待って?
今、一狼の頭をモフしながら俺が魔石をあげるよって伝えたら、
一狼が嬉しそうにひと吠えして⋮⋮
え?魔石飲み込まなかった?今!
﹁馬鹿!一狼!窒息するぞ!嬉しいからって魔石咥えたまま大きく
吠えるなんて!早く出せ!﹂
ヤバいヤバい!一狼が死んじゃう!取り合えず逆さまにして背中
を叩いて、口に指突っ込んで吐かせる?人間の場合だけど狼だって
1284
変わらないだろう。人間が相手なら掃除機で吸い出すって方法もあ
る⋮⋮ってこの世界に掃除機ないし!じゃあ風の魔法!葵!葵がい
れば風魔術でっていうか間に合わないだろう!そんなの!
﹁蛍!一狼を持ち上げて!俺が口から引っ張り出すから!﹂
﹁待て!ソウジロウ!⋮どうやら一狼は自分で飲み込んだようだ﹂
﹁え?﹂
蛍に言われてようやく気が付く。一狼の全身が淡い光に包まれて
いる。なんだ?なにが起こってるんだ?
少なくとも一狼が苦しそうな動きをしていないことは分かるので、
窒息と言う結末がなさそうだということでなんとか冷静さが戻って
きた。命に別状がないならとりあえず様子を見てみよう。
﹁これは、魔力の光だな。おそらく魔石の魔力を身体に取り込んで
いる﹂
﹁⋮そのために魔石を?﹂
一狼から発する光は徐々に輝きを増し、一郎の姿はもはやうっす
らとしたシルエットでしか確認できない。そのシルエットがもゆら
ゆらと揺らめいているように見えるのは俺の目の錯覚だろうか。
やがて⋮
光が収まった場所には今までよりも二回り程大きくなった、真っ
白な毛が眩しい大層立派な立ち姿の狼が堂々とそこに立っていた。
﹁え?⋮い、ち⋮ろう?﹂
1285
あまりの変化に目を疑い、条件反射的に﹃簡易鑑定﹄を使う。
﹃ 一狼 ︵従魔︶
ランク:D
種族:ホワイトナイトウルフ ﹄
間違いなく一狼だった⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮えっと⋮これって、ようは
進化したってこと?
﹁どういうことだ?ソウジロウ﹂
﹁えと⋮多分、進化したらしい﹂
﹃その通りです﹄
﹁え?誰⋮⋮雪?今、雪喋った?﹂
﹃⋮⋮﹄
突如聞こえて来た鈴のような清らかな声に慌てて腰にいる雪を見
るが、雪からはいつも通り静かな気配が伝わってくるだけだった。
﹁まさか⋮⋮一狼?﹂
﹃はい、わたしです﹄
白い狼に問いかけると、妙に人間臭い表情をするようになった一
狼がはにかんだように見える。
うん、なんかいろいろ混乱してるな⋮
1286
﹃急にこんなことになり混乱していると思いますが、ここは塔です。
ひとまず予定を済ませ屋敷へもどりましょう。詳しい話はそちらで﹄
確かにいつまでもここで話し込んでいる訳にはいかないか⋮さっ
さと4階層に上がって壁を剥いで撤収しよう。そんなことを狼に指
摘されてしまうとは⋮賢いとは思ってたけど進化して更に賢くなっ
た気がするな一狼は。
﹁一狼の声は私にも聞こえるのだな﹂
﹃はい、これは私の︻念話︼という技能です。わたしの声を届けた
いと思った人に話しかけることができます﹄
﹁なるほどのう。それは便利だな。我らの︻共感︼はソウジロウと
刀達の間だけだからな﹂
﹁蛍は、あんまり驚いてないね﹂
﹁何を言っているソウジロウ。刀が人化することを思えば魔物が進
化するくらい大したことはなかろう﹂
なるほど!言われてみればその通りだ。無機物の刀が人になるこ
とに比べれば狼が成長して大きな狼になるくらい全然普通だ。
﹃我が主、今回はわたしの我儘で貴重な魔石を使ってしまいました。
代替にはならないでしょうが二狼が集めた武具は私が運びますので
持ち帰りましょう﹄
﹁あ、そっか。塔での遺品はギルドが買い取ってくれるんだった。
レイトークにも出張所が出来てるから持って行くか。じゃあ一狼頼
むね﹂
﹃お任せください、我が主﹄
戦闘中に二狼が集めてくれていた武具を一まとめにすると、大き
1287
くなった一狼の背に固定する。ただでさえ大型の狼だった一狼は進
化して、それこそライオンレベルに大きくなっている。1人くらい
なら背中に乗れそうだ。
﹃主なら背に乗せることも構いません﹄
それを聞いてみたらにこやかにそう言ってくれたので後日試乗さ
せて貰おう。楽しみが出来た。
それはそれとして⋮⋮さっきから気になっていることが2つばか
り。
﹁えっと、一狼?確かお前だけは従魔になってなかったと思うんだ
けど⋮⋮﹂
﹃はい。主に助けて頂いた時より、わたしは主と共にいたいと思っ
ていました。ですが、パジオンに使われるだけだったわたしをわた
しは許せなかったのです。
だから、主に仕える時はわたしが自分自身で納得できる力を身に
付けてからと決めていました﹄
そっか⋮だから、強敵との戦いにこだわって、進化に必要だと思
われる魔石に固執したのか。それもこれも俺の従魔に相応しいと思
える自分になりたかったから。
﹁一狼、ありがとうな﹂
業:−10 年齢:17
一狼がそこまで俺を買ってくれていたことに、ちょっと感動して
しまった。
﹃富士宮 総司狼
職 :魔剣師 1288
技能:言語
読解
簡易鑑定
武具鑑定
添加錬成+
手入れ
精気錬成
友誼
夜目 魔剣召喚︵0︶
特殊技能:魔精変換﹄
ふと思いついて窓を確認したら︻友誼︼というスキルが増えてい
た。おそらくこれもテイム系のスキルなんだろう。
だが、問題はそこではない。さっきから嫌な予感が止まらない。
進化後の一狼の物腰、念話の声、話し方⋮⋮まさかとは思う。まさ
かとは思うが⋮
﹁あの⋮一狼?﹂
﹃なんでしょう、我が主﹄
﹁一狼は⋮えっと⋮⋮その、女⋮?﹂
﹃⋮?もちろん私は雌ですが、それが何か?﹄
やっちまったぁぁぁぁぁぁ!
これは完全に俺のミスだった。性別も考えずに一狼とか名付けて
1289
しまって⋮ゴメン一狼。
1290
白騎士と大失態︵後書き︶
女騎士の登場ですw
※ 作者はレビュー、評価、ブクマを頂くと喜びます。
1291
進化の考察︵前書き︶
ちょっと短いです。
1292
進化の考察
﹁それは確かに主殿のミスですわね﹂
﹁返す言葉もないよ。でも、誰も気にしなかったし⋮﹂
﹁そうですわね。一狼の他には確か四狼と九狼も雌だったと思いま
すわ﹂
﹁そっかぁ⋮魔物に性別があるとは思わなかったな﹂
俺達は今、リュスティラさん達の工房から屋敷へと向かって歩い
ている。結局レイトークでは4階層に上がった後に壁を剥いで脱出。
ギルドの出張所に顔を出して塔で死んだ冒険者達の武器や遺品を
引き取って貰った。特に自分達で使いたいような武具があった訳じ
ゃないので全部渡してきた。
それから、転送陣でフレスベルクに戻ってリュスティラさん達の
工房に助っ人に行ってもらっていた葵を迎えに行って、その帰り道
である。
葵は進化した一狼を見て一瞬だけ驚いた表情を浮かべたが、俺達
が何か言う前に﹁より綺麗になりましたのね一狼﹂と声を掛けてい
た。どうやら魔力の質が変わっていなかったのですぐわかったらし
い。
﹁それでどういたしますの?﹂
改名するかどうか⋮か。一狼から九狼までの流れのある名前によ
うやく馴染んできたところだったんだけどなぁ。
1293
﹁取りあえず屋敷に帰ってからみんなに相談してみるよ。桜ももう
帰ってるだろうしね﹂
︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱
﹁進化⋮ですか。叡智の書庫では出てこない知識ですね。この世界
ではまだ世間に広まっていない知識なんだと思います﹂
屋敷に戻った俺達は桜が戻ってきているのを確認して一狼達も含
めて全員をリビングに集めた。
最初一狼を見たシスティナと桜は驚いていたが、話せるようにな
った一狼とすぐに打ち解け、桜は一狼の毛艶を増した毛皮に埋もれ
て今は至福の表情を浮かべている。
﹁そっか⋮魔石は売ればお金になるんだからわざわざ従魔に与える
人はいないのかもね﹂
﹁魔石を体内に取り込んで⋮⋮ですか﹂
顎に手を当てて考え込んでいたシスティナが多分ですがと前置き
をして続ける。
﹁ご主人様。以前、塔の外にいる魔物からは魔石が取れないという
話をしたのを覚えていますか?﹂
﹁うん、確か塔の外では死体が残る代わりに魔石が残らないって奴
でしょ﹂
﹁ソウジロウ、システィナが言いたいのはそこではあるまい。確か
1294
﹃魔物は塔外に排出されると体内の魔石の力を使って環境に適応す
るために身体を変化させる﹄と言っていたな﹂
﹁はい。それがこの世界での有力な仮説です﹂
ああ、確かに言ってたかも。同じ狼系魔物でも草原では草狼、森
では森狼、山では山狼、それぞれ環境に適した身体に変化するんだ
ったっけ。
﹁一狼、その辺は何か分かる?﹂
﹃すまない。詳しくは分からないのだ我が主。ただ、私が私のなり
たいものになるためには高品質な魔石がいると漠然と思っただけな
のだ﹄
﹁また新しい魔石を上げたら進化出来ると思う?二狼達に上げた場
合はどう?﹂
﹃⋮⋮多分だが無理だと思う。今の私では再度の変化に身体が耐え
られないだろう。おそらく同じ理由で二狼達も難しいのではないか
と思う﹄
なるほど⋮俗に言うレベルが足りないってやつかな。
﹁ご主人様、多分一狼はご主人様の従魔として、この屋敷を守る従
魔として相応しい自分になりたかったんだと思います﹂
﹁システィナの言いたいことが分かりましたわ。すなわち今回の一
狼の変化も﹃適応﹄ということなのですわね﹂
葵の言葉にシスティナが頷く。
﹁だからホワイトナイト⋮白の騎士か。なんか嬉しいな、ありがと
う一狼﹂
﹃勿体無いお言葉です。今後ともよろしくお願いします我が主﹄
1295
﹁うん、こちらこそ、よろしくな﹂
一狼が正式に俺の従魔になったってことで俺が覚えたらしい︻友
誼︼というスキルについてもシスティナに聞いておいたんだけど、
正直あまり使えないスキルだということが分かった。これは魔物と
友好関係を築いた後に従魔にすることが出来るスキルらしい。
普通はまず戦って勝つとかして、従魔にしてから仲良くしていく
のがテイムの基本なのに︻友誼︼はまず仲良くなってから、魔物が
従魔になることを納得してくれたら従魔に出来るという順序が逆の
スキルだった。
基本的に、魔物は容赦なく襲ってくる訳でそこには意思疎通が出
来た試しがない。今回の一狼の件だってもともとテイムされていた
魔物だったから意思を交わす余地があっただけだ。
だから俺の従魔が今後増えることは多分無いかもしれないな。塔
外に喋れるような魔物がいれば可能性もあるけど、今のところそん
な話は聞いたことないしね。
﹁一狼、自分が進化出来る様になったかどうかは自分達で分かるも
のなのか?﹂
﹃⋮⋮私はなんとなくわかった。としか言えない。私の勘だと二狼
達はもう少し足りない気がするが二狼達がどう思っているのかはわ
かりません﹄
﹁そっか、じゃあ二狼達の中で進化⋮ていうか今魔力があればもっ
と強くなれそうだと思っている子はいる?﹂
1296
今回集めた魔石は売らずに持って帰ってきているので、二狼達の
中に進化出来そうな狼が居るなら渡すことも出来る。
﹃﹃﹃﹃﹃﹃﹃﹃﹃⋮⋮⋮﹄﹄﹄﹄﹄﹄﹄﹄
どうやら一狼の言う通り、二狼達自身にまだ進化がどうとかいう
感覚はないようだ。だとするとこの問題は一旦ここまでか⋮
﹁わかった。じゃあ、二狼達はもしそんな感覚になったら一狼経由
で構わないから教えてくれ。必要な魔石くらいこっちでも準備出来
るし、自分たちで取りに行きたいなら俺達も手伝うから﹂
﹃﹃﹃﹃﹃﹃﹃﹃ガウ!﹄﹄﹄﹄﹄﹄﹄﹄
よし。後の問題は、あれだな。
﹁えっと⋮一狼と、四狼と九狼だけ残って後は警備に戻ってくれ﹂
狼︵雄︶達が一声鳴いてぞろぞろと外へと戻っていく。後はリビ
ングに残っているのは俺とシスティナ、刀娘達と狼︵雌︶達だけだ。
﹁⋮⋮あの、な。これは完全に俺のミスなんだけどお前たちに付け
た名前が⋮⋮ちょっとだけ実態に合ってない名前だったんだ。だか
ら希望があれば名前を変えてあげることも考えてるんだけど﹂
﹁ぷ⋮ソウ様、そんなこと気にしてたの?わかってないなぁ、鈍い
ソウ様も可愛いけど﹂
﹁え、どういうこと?﹂
一狼に埋もれながら笑う桜に聞き返すと桜は手を伸ばして一狼の
頭を撫でる。
1297
﹁それは桜が言うことじゃないんだよね。一狼、言ってあげて﹂
﹃はい。⋮我が主。私達は名前の変更を望みません﹄
﹁え!どうして?一狼とか四狼とか九狼も、どう考えたって男の名
前なんだよ!女なら女らしい名前の方がいいんじゃないの?﹂
一狼は四狼と九狼と目を合わせて互いに頷くと、念話を返してく
る。
﹃我々、魔物には名を付けるという概念がありませんでした。そん
な我々に我が主は名前を付けてくれました。それがどんなことを意
味する名前でも我々には関係ないのです。
我々に初めて贈られた名前、それが我々には無上の喜び。この名
前を変えるなどもはや考えられません。我々からこの大切な名前を
取り上げるのはどうかご容赦下さい﹄
一狼達が頭を下げて懇願してくる。それほどまでに俺が手抜きで
付けた名前を大事にしてくれているとは思わなかった。正直申し訳
ない気持ちが大きい。でもそこまで思ってくれていることも素直に
嬉しいと思う。
﹁桜だって、ソウ様が付けてくれた名前だもん。誰になんて言われ
たって、それこそソウ様が変えたいって言っても絶対に変えさせて
あげないよ﹂
﹁桜⋮﹂
﹁ふふふ、主殿は気を遣いすぎるのですわ。この子たちに名前を付
けた時の喜びようを見ているのですからこうなる結末は分かってい
ましたわ﹂
﹁葵まで⋮分かった。もちろん、一狼達がそれで良いなら俺は無理
に変えろなんて言わないよ。でも俺がもう少し考えていればもっと
相応しい名前を付けてあげられたのは間違いないんだ。だからお詫
1298
びも込めて何か女らしいアクセントになるような装備を考えてプレ
ゼントさせて貰う。これは決定事項だからちゃんと受け取ってほし
い﹂
﹃⋮ありがとうございます、我が主﹄
﹃﹃オン!﹄﹄
1299
進化の考察︵後書き︶
※ レビュー、評価、ブクマ引き続き募集しています。
1300
付与
四狼と九狼を警備に戻してから、ひとまず緑茶を啜り一息つく。
システィナが淹れてくれる緑茶はどんどん品種改良が進みますます
日本のお茶に近づいてきている。
まぁ、品種改良といっても栽培している訳じゃなくていろんな所
から似たような茶葉を複数集めて、俺の意見を聞きながら茶葉をブ
レンドして俺好みのお茶を探してくれているんだけどね。
日々、お茶が美味しくなる毎日⋮⋮かなり癒される。
一狼も警備に戻そうとしたんだけど、桜が激しく抵抗したため未
だに桜の抱き枕と化している。一狼が警備につけないことで困った
ような視線を向けて来たが、ちょっと我慢してくれと目線でお願い
したら﹃かしこまりました我が主﹄と了解の意を俺だけに念話で伝
えて来た。
スクロール
相手を限定して話せる念話はかなり便利だ。うちのパーティ全員
に是非欲しい。スキル修得の魔石とか巻物とかゲームならありそう
なんだけど、今のところこの世界にはないらしい。
アイテムボックスが落ち着いたらリュスティラさん達にまた話を
振ってみようかな。どうせ駄目もとだしね。
﹁さて、葵と桜は今日別行動して貰ったけどどうだった?﹂
葵はディランさん達の手伝い、桜は性戦士の様子を確認しに行っ
1301
てもらってたのでどうだったのかを確認しておきたい。
﹁はいですわ。わたくしの方はなかなか面白い体験でしたわ﹂
﹁へぇ、アイテムボックスは出来そう?﹂
﹁残念ながらその辺はまだなんともですわ﹂
﹁まあ、そりゃそうか⋮まだお願いしたばっかりだしね﹂
ちょっとがっかりした俺に葵がしなだれかかってくる。
﹁主殿、そんなにがっかりすることはありませんわ。わたくしの感
触ですけどなんとかなりそうな感じはありますから﹂
おお!魔力操作の権威、葵先生が言うなら本当に可能性はありそ
うだ。
﹁今のところ塔の壁材をどうやって加工するかを検討しているとこ
ろです。どうも塔の壁材には通常の釘のような物は使えないみたい
ですの﹂
﹁刺さらないってこと?﹂
﹁いえ、押し出されてしまうのですわ﹂
﹁それは、塔の壁が傷つけられても自動で修復されていくのと同じ
ことでしょうか﹂
﹁多分そうですわ。完全に切り取った壁材は塔とは独立して切り取
られた時の形に戻ろうとするみたいですわね﹂
全員のお茶を淹れなおしていたシスティナの質問に葵が答える。
その答えを聞いた蛍もお茶を啜りながら口を開く。何気に蛍も緑
茶は好きらしい。あくまで酒の次で、基本的にお酒飲んでるから滅
多に飲まないんだけどね。
1302
﹁ならば、もっと大きな、ブロックのような形で壁材を持ってきた
方が良いということか?﹂
﹁いえ、例えば立方体の形で壁材を持って来て、中をくりぬいても
いずれ埋まってしまうと思いますわ﹂
﹁でも、持ってきた壁材の板を割れば2つにはなるんだよね?﹂
﹁そこが不思議素材ですわね。一瞬で完全に切り離すとそこで形態
が固定されるのですわ﹂
う∼ん⋮⋮つまり中に物を入れられる形にするためには板を組み
合わせていかなきゃいけないのに接合する方法が無いと。あれ?で
も釘的な物は駄目だけど接着剤的な物なら?
﹁葵、この世界の接着剤的なものでは駄目かな?﹂
﹁さすがですわね主殿。明日以降はその辺の道具をウィルマーク殿
に調達して貰って試してみる予定ですわ﹂
﹁いいね。なんか1日でそこまで検証出来たってことは意外と何と
かなりそうじゃない?﹂
﹁そうはうまくいきませんわ主殿。壁材は塗料なんかもあんまり受
け付けません。接着剤もおそらくはなんらかの不具合が出ると言う
のがディラン殿の予想ですわ﹂
そっかぁ。やっぱりなかなかうまくいかないな。
﹁だから、そんなに気落ちしないでくださいませ﹂
葵が形の良い胸を押し付けて励ましてくれる。うん、十分俺のマ
イサンは元気づけられているよ葵。
﹁壁材を箱の形に組み立てて、外から手で押さえた状態で中に物を
1303
入れたら僅かですが容量の増大が見られましたわ﹂
﹁え!本当に!﹂
﹁ええ、おそらくきちんと接合して作ればもう少しまともな感じに
なりそうですわ﹂
﹁おお!接合の問題さえクリアすればいいなら望みがありそうだ﹂
これはテンションが上がる!明日からの壁材集めにも気合が入る
ってもんだぜ。
﹁葵、明日からもしばらくディランさんを手伝ってあげてくれる?﹂
﹁⋮⋮主殿と一緒に戦えないのは寂しいですが、あそこで作業する
のは嫌いではありません。主殿の頼みならお受けしますわ﹂
﹁ありがとう!葵﹂
﹁ふふふ、それに工房のお手伝いをしていてちょっと面白いことが
出来る様になりましたわ﹂
葵が艶のある唇を弧にして何かを取り出す。
﹁⋮え?それって﹂
﹃魔石︵無︶ ランク:G﹄
ただの低ランクの魔石に見えるんだけど⋮
﹁見ていて下さいませ﹂
そう言うと葵は魔石を手のひらに乗せたまま何かに集中していく。
﹁⋮なんて鮮やかな魔力の流れ。見ているだけでうっとりとしてし
まいます﹂
1304
システィナが呟く。どうやら葵は魔力を使って何かをしているら
しい。しばらくそうして2分程だろうか、何かをしていた葵だが大
きく息を吐くと若干疲れた様子で俺にその魔石を渡して来た。
﹁主殿、鑑定してみてください﹂
﹁え?﹂
さっき鑑定したんだけどな⋮⋮﹃簡易鑑定﹄
﹃魔石︵風︶ ランク:G﹄
﹁⋮⋮⋮⋮え!⋮⋮風属性の魔石になってる⋮﹂
﹁はい、きちんとした付与のスキルではないので効率は悪いですが
魔力操作の応用で魔石に属性付与が出来る様になりましたわ﹂
いや⋮事もなげに言うけれども、それって物凄くすんげぇことな
んじゃないのか?ていうかシスティナとか固まってるし。
﹁えぇ!葵ねぇ凄いじゃん。そしたらもう、生活魔石とか買わなく
ていいね!葵ねぇに言えば全属性の魔石作り放題だよ。無魔石なん
て塔に行けばいくらでも取れるし、転売したらお金にも困らないん
じゃない?﹂
素直な桜の感嘆の声で我に返る。確かにこれは凄いことだ。それ
だけに対処を間違えると危うい。
﹁えっと⋮葵。このことは誰かに言った?﹂
﹁そうですわね⋮工房で一度試した時に、ディラン殿がその場にい
ましたわ﹂
1305
﹁ディランさんは何か言ってた?﹂
﹁﹃それで商売する気がねぇんなら、絶対に誰にも言うな。俺も言
わないでおいてやる﹄とおっしゃってましたわ﹂
うん、さすがディランさんだ。ディランさんがそう言うなら、そ
こから漏れることはまずない。
﹁葵さん、その作業は続けて出来ますか?﹂
﹁⋮そうですわねぇ、効率が悪くて消耗が激しいので1日に10回
ってところですわ﹂
葵のその言葉を聞いたシスティナが僅かに天を仰ぐ。
﹁葵さん、私からもお願いしますのでそのことはどうか内密にお願
いします﹂
﹁それって凄いの?システィナ﹂
﹁はい、普通の付与術師は優秀な者でせいぜい1日に2回です。低
ランクの魔石を複数まとめて付与しても1回なので一概には言えま
せんが1日に生み出せる属性魔石は最大でも7、8個程度だと思い
ます﹂
﹁葵なら1日でその十倍近い属性魔石を作ることが出来る。しかも
全属性⋮﹂
やっぱり大っぴらにする訳にはいかないなこれは。葵がそうそう
簡単に攫われたりするとも思えないけど、欲に目のくらんだ奴らが
血眼になって葵を手に入れたがるのが目に見えてる。
﹁当面は、うちで使う分だけをお願いするから外ではやらないこと。
後は全員口外禁止にする﹂
﹁はい、もちろんそのつもりですわ。ただ、わたくしの時のような
1306
苦労を主殿にはもうさせたくありませんわ。必要な時にいつでも言
って下さいませ﹂
あ、そうか⋮
葵を擬人化させるために必死で属性魔石を買い集めていた俺のこ
とをずっと葵は刀の状態で見ていたんだった。
﹁ありがとう葵。雪の錬成にも必要だし、生活魔石もうちはたくさ
ん使ってるから頼ると思う。無理はしなくていいからよろしく頼む
な﹂
﹁はい!ですわ﹂
葵は工房でリュスティラさんとディランさんが武器やアクセサリ
にいろんな効果を付与する様子を見て属性付与を覚えたのだろう。
アイテムボックス作成の助っ人に出したはずなのにとんでもない
副産物を持って帰ってきてくれたものだ。
これでうちでは生活魔石と添加錬成用の魔石には困らなくなった。
ただ、葵にも負担が大きいみたいだから無理をさせないようにしな
きゃいけない。元気な時、1日に1回か2回寝る前にでも作って貰
う感じで十分だろう。
1307
付与︵後書き︶
※ レビュー、評価、ブクマ等 頂けると作者のテンションが上が
りますw
1308
迎撃準備
﹁で、桜はどうだった?﹂
一狼に埋もれて蕩けている桜に今日の成果を聞く。
﹁う∼ん⋮⋮やっぱりというかなんというか面倒になりそうな感じ
だったかなぁ﹂
﹁っていうと、逆恨みしてそうな感じか?﹂
﹁だねぇ。今、私たちのことを一生懸命調べてるよ。まあ、桜達は
一部の人達には有名だけど一般的には名前が売れてないから苦労し
てるみたいだけどね。情報収集のノウハウも知らないみたいだし﹂
俺達はレイトークで塔の異変を解決したり、赤い流星盗賊団を壊
滅させたりしているが、それを公表することはせずにむしろ伏せて
貰うようにお願いしてきている。
だから、レイトークの領主イザクやフレスベルク領主セイラと面
識があったり、冒険者ギルドのマスター的役割のウィルさんと仲が
良かったりする割に一般にはあまり名前が売れていない。
下手をすれば冒険者ギルドでコツコツと依頼をこなしてギルド最
高ランクになっている剣聖の弟子のメンバーの方が有名なくらいだ。
しかも俺達を知っている人達は、本当にありがたいことに俺達が
悪目立ちしたくないのを知っていてくれるので今回のような迷惑な
人達に俺達の情報を流すようなことはしない。
﹁まあ、それでもいずれは桜達の簡単な情報とか、この屋敷の場所
1309
とかはバレると思うけどね﹂
﹁それは仕方ない。別に俺達も隠れ住んでる訳じゃないし、地道に
聞き込みとかすれば屋敷の場所位はすぐに漏れる。問題は俺達の情
報を得て何をしてくるか。⋮⋮なんだよな﹂
﹁もう、めんどくさいから﹃ちょんぱ﹄しちゃう?﹂
﹁こらこら﹂
さすがにまだ何にもしてないうちからチョンパしちゃうのはまず
い。かといって何かされてからでは遅い。だからこその桜の情報収
集だろうに。
﹁かと言っても、いつまでもあんな奴らを気にしているのも馬鹿ら
しいのではないか?﹂
確かに蛍の言う通りなんだよなぁ⋮⋮どうしようか。いっそ⋮⋮
﹁いっそこっちで場を用意しちゃうかな﹂
﹁のった!!﹂
へ?なんかなんとなく呟いた言葉に桜がちょー喰いついて来た。
どうやっても動きそうもなかった一狼のモフモフの中から飛び出し
てきた。
﹁桜に任せておいて!ちょちょいと情報操作して、近いうちに桜達
にちょっかい出させるように仕向けるからそこで決着付けちゃおう
よ﹂
﹁いやいや、ちょっと待て。それってこっちで隙を作ってわざと襲
わせるってことでしょ。それはなんか違うんじゃないか﹂
﹁桜さん!﹂
1310
おお、葵。物騒なうちの女忍者にずばっと言ってやってくれ!
﹁いい考えですわ!さっそくおやりなさい。あんな男なんてさっさ
と ピーー を潰して、 ピーーもへし折って二度と使い物になら
ないようにしてあげるのが世の女性の為ですわ!﹂
くっ、思わず自分の股間を抑えてしまった。なんて恐ろしいこと
を言うんだ葵。
﹁桜達の言うことも一理ある。どうせちょっかいを掛けられるなら
こちらの手の平で踊って貰った方が安全だし、対処がしやすい﹂
﹁まあね⋮⋮確かにそうなんだけど。ちょっかい掛けさせるって言
ってもどんな形を想定してるの桜は﹂
﹁うんとね⋮⋮﹂
1.屋敷に忍び込ませて、罠と狼を使って捕縛。心を折ってから自
警団に突き出す。
メリット ︱罠と狼と使った屋敷の防衛の確認が出来る。
デメリット︱あんな気持ち悪い男に敷地内に入って欲しくない。
2.恥をかかせる為に公衆の面前で決闘になるように持って行く。
心を折って勝利して、厳しい条件で﹃契約﹄させて消えて貰う。
メリット ︱すかっとする。
デメリット︱ソウ様が勝てるかどうか分からない。 3.謎の忍者に心を折られた後に暗殺される性戦士。
メリット ︱とにかく片付く。
デメリット︱別にない。
﹁いや!おかしいから!もう、2番くらいから考えるのが大分めん
どくさくなってるでしょ、それ!
しかも全部において必ず心を折るとか怖いから!あと、2番だけど
1311
何で決闘相手が俺なの?蛍でいいじゃん!それにメリットとか考え
るの面倒なら最初から使わなきゃいいでしょ﹂
﹁え∼!でもなんか﹃これの利点は⋮⋮﹄とか言った方が格好いい
し﹂
﹁うん、それは頭の良い軍師タイプの人に任せようね﹂
頬を膨らませてぶーぶー言っている桜は取りあえず放っておく。
﹁システィナはどう思う?﹂
﹁はい⋮⋮こちらで場を用意するというのはいいと思います。やは
りこちらの知らないところで動かれる方が怖いですから﹂
システィナは目線を下げ、考え込みながらも場を用意することに
は同意した。
﹁何か気になってる?﹂
﹁⋮⋮はい。やはりあの侍祭はおかしいです。出来れば落ち着いた
状況で一度話を聞いてみたい所ですね﹂
﹁実力がどうこうって話?﹂
﹁はい。見た感じからの想像でしかないのですが、実力的には侍祭
補になりたて位のレベルではないかと思います。そんなレベルの者
を神殿が外に出すとは思えません。彼女は脱走者かもしれません﹂
侍祭の世界は今一つ良く分からないが、地球の忍者の里みたいな
ものだろうか。抜け忍とか?
﹁脱走するとマズいの?﹂
﹁侍祭の職だったということは彼女は﹃契約﹄を持っているという
ことですから⋮⋮﹂
﹁ああ、なるほど。未熟な侍祭を外に出して問題を起こされれば神
1312
殿のメンツが潰れるってことか﹂
まあ、それだけじゃなくて侍祭の影響力を考えれば未熟な侍祭が
社会に出るのは本人の為にも社会の為にもよろしくないんだろう。
﹁神殿側としてはそうだと思います。ですが私が心配しているのは
そこではなく神殿自体に何かがあったのではないかということです。
神殿がきちんと機能していれば脱走などあり得ません﹂
﹁システィナ⋮⋮﹂
システィナがそこまで言い切るからには、おそらく絶対に脱走で
きないようなシステムがその神殿にはあるのだろう。それなのに未
熟な侍祭がいるのはおかしい。そうシスティナは感じているのだろ
う。
長い時間を過ごしたであろう神殿が心配なのかシスティナの様子に
はいつもに比べて憂いが見える。この心配を解消してあげる為には
システィナが言うようにあの侍祭に話を聞く必要があるだろう。た
だ、別れ際のあの目をみたらまともに話が出来るとは思えない。は
ぁ⋮そうなるとやっぱりやるしかないか。
﹁分かった。じゃあ、気はすすまないけど性戦士殿を迎え撃つ方向
で考えよう﹂
﹁やった!さすがソウ様!で、1番、2番、3番どれにする?﹂
システィナの要望を叶える為には、うっかり殺しちゃったり必要
以上に恨みを買うのはよろしくないだろう。
﹁⋮⋮2番、かな?出来れば対戦相手が俺じゃない方向で﹂
﹁2番かぁ。2番なら別に準備いらないかな。果たし状の1つも叩
1313
き付ければほいほい出てくると思うし、後は日程と場所と環境の設
定くらいだよ﹂
確かに、あの性戦士ならちょっと挑発するだけで良さそうだ。で
も、わざわざこっちから果たし状とか出すのはこっちが気にしてい
るみたいでやだ。
﹁出来れば、向こうからこっちに果たし状書かせる方向に誘導でき
る?﹂
﹁それだとちょっと情報操作が面倒になるけど⋮⋮多分なんとかな
ると思うよ。ただ、そうなるとソウ様以外を対戦相手にするのは難
しくなるかな。だって向こうはソウ様が桜達を支配してると思って
るんだから、戦うのは当然ソウ様でしょ﹂
﹁げ⋮⋮マジかぁ。蛍、勝てると思う?﹂
蛍は腕を組んで2つのたわわな果実を変形させる。おお、押し出
されて着物のあわせから零れ落ちそうだ。
﹁相手がどのような力を持っているのかが分からぬ以上は確実なこ
とは言えぬが、普通に武器だけの戦いならば負荷を外せばソウジロ
ウの方が上だと思う﹂
﹁ただ、そううまくいかないと思いますわ。わたくしが見た感じで
はなかなかの魔力を感じましたから何かしらの魔法も使えると思っ
ていた方が⋮⋮主殿は魔力関係はちょっと弱いですから﹂
蛍と葵の意見をまとめると﹃ガチの殴り合いなら勝てるけど魔法
が絡むと危ない﹄ってことか。
﹁あんなのに負けたくないんだよなぁ⋮⋮じゃあ、もし戦うことに
なったら蛍と葵の二刀流で行っていいかな?それなら身体強化も刀
1314
術も補正かかるし、魔力関係も対応できる﹂
俺なら刀娘達を持てば彼女たちのスキルの効果を少しだけど受け
られる。俺が刀にして持つより、人化して貰ってた方が戦力になる
から擬人化を覚えた刀娘達は訓練の時以外は装備しないんだけど、
今回のような場合ならかなり有用な方法だと思う。ただ、問題は⋮⋮
﹁む⋮⋮﹂
﹁くっ⋮⋮山猿と?﹂
2人の仲が悪いことなんだよね。
﹁何も山猿でなくても桜さんや雪さんでもいと思いますわ﹂
﹁う∼ん、桜は敏捷に補正かかるけど刀術も身体強化も無いし、小
太刀だからね。
雪は柔術、刀術、敏捷に補正かかるから性能的には申し分ないんだ
けど、まだ意思疎通がないし無口なのかあんまり思いも伝わって来
ないんだよね。相手の能力とか分からないんだから何かあったらす
ぐに知らせて貰いたいんだよね﹂
その点、蛍は気配察知や殺気感知まで持ってるから相手の意図を
即座に判断して危険を教えてくれる。
﹁⋮⋮分かった、私は構わん。確かにソウジロウの言う通り、まか
り間違っても負けぬようにするにはその選択がベストだろう﹂
﹁⋮⋮はぁ、確かに山猿の言う通りですわ。主殿のためならばわた
くし達の確執など些事もいいところでしたわ﹂
﹁うん、ありがとう2人共。その時はよろしく頼む﹂
﹁桜さん。その作戦、決行日を5日後くらいになりませんか?﹂
1315
﹁え?多分出来るけど⋮⋮どうしたのシス﹂
﹁私もあの侍祭と戦いたいと思います。魔断の修理が終わった後に、
ご主人様と私の2人と彼ら2人が戦えるように調整をお願いします﹂
1316
迎撃準備︵後書き︶
ちょっとこの展開でいいのか悩みつつ投稿です。
1317
研究者の街 インタレス
﹁なんだか静かな街だね﹂
﹁研究者の街というくらいだ、勉強が好きな奴が集まっているのだ
ろうよ﹂
神経質なくらいにしっかりと区分けされた街区、綺麗に舗装され
た道、ほとんど同じ形の家々。なんかもう歩いてるだけなのに迷い
そうな錯覚に陥ってくる。
みやこ
確か平城京とかって敵が攻めて来ても迷わせやすくするためにわ
ざと碁盤の目のように 京を作ったとかって聞いたことがあるけど
ここもそうなんだろうか。
でもこの世界はあんまり戦争とかはないんだよな。そもそも国と
いう形態がなくて、それぞれの街の領主が周辺を治めているだけ。
都市レベルじゃ離れた余所の街に遠征に行ける程の人員もお金も
ないし、塔があればそれだけでそこそこ潤うから戦争は割に合わな
いらしい。
そして、塔のない街が大きくなることはめったにない。俺達が最
初に行ったミカレアの街のような場所は少ないみたいだ。
そういう街も高いお金を使って戦争するなら、そのお金で転送陣
を設置して塔の恩恵を受ける方を選ぶので小競り合いのような戦い
すらほとんどないらしい。
1318
そのためこの世界の兵士達の役目は対人相手というよりも、魔物
相手の為という一面の方が強い。
ということはやはり、この街の几帳面な作りは外敵対策というよ
りは住んでいる人達の性格によるものなんだろう。
ここはインタレス。選択型の主塔を持つ研究者の街と呼ばれる街。
その街のきっちりと区画整理された道を俺達は塔に向かって歩いて
る。
ちなみに結局、昨晩の話し合いはシスティナの意見を取り入れ桜
が性戦士に少しずつ情報を流し、5日後くらいに俺達に勝負を挑ん
でくるように誘導するということでまとまった。
その間、システィナは屋敷の管理と自主トレ。葵は引き続きリュ
スティラさん達の工房に通う。桜はもちろん性戦士殿の監視と情報
操作だ。
で、俺達はと言えば⋮⋮訓練も兼ねて、壁材集めの為に各塔を回
る作業を続行することにした。今回のメンバーは俺、蛍、一狼に加
えて三狼と四狼を連れてきている。本当は今回一狼は屋敷の警備に
残すつもりだったんだけど、進化後の動きを実戦で試したいとのこ
とだったので同行を許可した。
進化した後の一狼は戦っていなくても、その動きは滑らかかつ俊
敏で実力的に数段レベルアップしたのが分かる。その優雅な身ごな
しには気品すら感じる。
1319
サシ
今日の戦いを見てみないと分からないが、1対1で戦ったら負け
るかもと内心思ってしまっている。
一狼の主としては情けない話だが、地球なら狼と人間が1対1で
戦ったら銃でも使わなきゃそうそう勝てない筈だと思うことで俺の
安いプライドを保っている。
﹁ソウジロウ。この街についての説明をシスティナから聞いていた
な。酒に夢中で聞いてなかったから教えてくれ﹂
﹁へえ、珍しいね。蛍がそんなことを気にするなんて﹂
﹁ふん。そうかもしれん。ただ、ここ最近フレスベルクを拠点にし
ていたからな街中というのは賑やかなものだと思い込んでいたのに
この街は人通りも少ない上に、音に乏しい。一体何をしているのか
と思ってな﹂
俺は蛍の指摘を受けて改めて街を見る。確かに人通りが少ない。
各種の店も開いていない訳では無いが質素な服を来た小間使い風の
人達がたまに買い物にくるだけ。多分引きこもり気味の研究者の世
話をする召使達だろう。
その他には、ここにも塔があるため冒険者の姿はちらほらと見え
る。
冒険者関係の施設は塔にほど近い所に集中しているらしいから、
もう少し行けばそれなりに賑やかになってくるとは思う。
﹁⋮⋮俺もそんなに真面目に聞いてた訳じゃないんだけど﹂
俺はそう前置きして、昨晩システィナから聞いた話を思い出す。
1320
︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱
﹁インタレスは研究者の街なんです﹂
﹁研究者?何を研究してるの?﹂
システィナは苦笑しながら首を横に振る。
﹁分かりません。あそこにはたくさんの学者や研究者と呼ばれる人
が住んでいます。この人達は学ぶことや追求するのが好きな人達で、
そのための能力に優れている人がたくさんいます﹂
システィナはそういうとローブの胸元を引っ張る。おぉ⋮⋮双子
山の白い山肌がチラリズムで威力を増している。
﹁ご主人様が作った冒険者ギルドに似ているかもしれません﹂
システィナはいつの間にか胸元から取り出したギルドカードを俺
に示す。
﹁え?ギルドに?﹂
﹁はい。各街の領主などがインタレスに研究して欲しいことを依頼
するんです。 それを見た学者達が自分が向いてる研究の依頼を受
けてその研究をします。そして、その研究の費用や成果物に依頼者
がお金を出すんです﹂
﹁なるほど⋮⋮お抱えの研究者じゃなくてインタレスに頼むんだ。
例えばどんなものを依頼するのかな?﹂
﹁そうですね⋮⋮私が聞いたことがあるのは、魔法の研究、農作物
の品種改良、魔物の生態、神話や伝説の検証、魔石用品の開発、書
1321
籍の編纂や気候の研究などですね﹂
確かにギルドっぽい。そうやって競争意識を常に煽ることで研究
者のレベルも上がっていくのかもしれない。
﹁俺も依頼出してみようかな﹂
﹁え?⋮⋮何か調べたいことがあるんですか?ご主人様﹂
﹁あるある。でも、依頼を出す前にまず出来る限り自分で調べない
とね﹂
﹁きゃ!﹂
そう言って俺はシスティナを抱きかかえると寝室へと運んでいく。
﹁あの⋮⋮調べたいものって﹂
システィナが俺のにやけた顔を見て全てを理解したらしく、口元
に手を当ててくすっと笑う。
﹁調べつくしたら依頼だしちゃうんですか?﹂
いたずらな目を向けてくるシスティナは反則級に可愛い。ええ!
ええ!誰にも渡しません!システィナを調べていいのは俺だけの特
権だ。
⋮⋮結局システィナの神秘は一晩では研究し尽くせなかったとだ
け言っておこう。
︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱
1322
﹁ほう、面白そうな街だが私とは合わなそうな街だな。それにして
も、昨晩気が付いたらリビングから消えていたのはのはそういう流
れだったのか﹂
しまった!流れで余計なことまで漏らしてしまった。まあ、蛍だ
ってその後乱入してきたんだから別に隠すようなことでもないんだ
けどね。
﹃我が主、塔につきました﹄
おっと、そんな話をしている内に塔に着いたらしい。
﹁これって⋮⋮﹂
その塔の外観を見た俺は思わず固まってしまった。何故ならその
外観は塔とはかけ離れた形、でも俺でも良く知っている形だったか
ら。
﹁どう見てもピラミッドだなこれ⋮⋮﹂
エジプトのものよりくたびれた感じは無いけど、見た目だけは綺
麗な四角すいのピラミッド型だ。まあ、不思議建造物の塔に常識を
期待してもしょうがないから別に構わないんだけどね。
再起動した俺は気を取り直して、インタレスの塔のロビーへと入
って行く。
ロビーに入って中を見回すと、冒険者達がちらほらと動き回って
いる。ここも冒険者景気で混んでいるのかと思っていたけど、それ
ほどでもない。やっぱりこの塔によく出てくる魔物の系統が不人気
1323
の理由だろうか。
それでも人がそう多くないなら俺達も動きやすいから別に構わな
い。
﹁ソウジロウ、どうやらあそこが1階層の扉のようだな﹂
﹁了解。じゃあ行こうか。一狼、三狼、四狼もいいかい﹂
﹃はい、我が主﹄
﹃﹃ガウ!﹄﹄
1階層の扉を開けて中に入ると、すぐに蛍が周囲の気配を探って
くれる。
﹁こっちに行けば人気が無さそうだな。そこで準備してからいこう﹂
蛍に案内されてしばらく進むと、袋小路に出る。そこで一狼に見
張りを頼んだ。
﹁なんだか実戦で一緒に戦うのは久しぶりだね﹂
﹁そうだな。訓練では毎日使っているがな。いくぞ﹂
淡い光と共に大太刀名刀蛍丸に戻った蛍を手に取り鞘ごと腰に差
す。今日は蛍と雪の二刀流で戦闘をこなす。性戦士殿との戦いに備
えての準備の一環である。
﹁確かに最近は閃斬の斬補正に頼ってたところもあるしな。しっか
りとした動きを再確認しておく必要はあるよね﹂
﹃まあ、心配はしておらんが一応危ない時は声をかけてやるから安
心して戦え﹄
﹁うん、ありがとう蛍﹂
1324
﹃では、行くぞ。まずは右だ﹄
蛍の指示に従って通路を行くと⋮⋮聞こえて来た。地球にいた頃
はよくやっていたゲームに出て来てた呻く奴だ。
﹃タワーゾンビ︵1階層︶ ランク:H﹄
﹃タワースケルトン︵1階層︶ ランク:G﹄
おっと骨の方も一緒でしたか⋮⋮いやぁゲームなら、こわ!って
叫んで銃を撃てばいいけどリアルゾンビは本気でひく。肉とか骨と
かそんなにあけっぴろげにしてもう少し慎みを持って欲しい。
俺は、保健室前とかによく貼ってあった火傷や傷の写真とかだっ
て見てしまうとテンション下がるタイプだ。
骨の方は⋮⋮まあ、動く人体模型だと思えばいけなくもない。ど
っちも動きは鈍そうだから戦い自体は問題なさそうなのが救いと言
えば救いか。
この塔はアンデッド系の魔物が多いらしいから避けて通れないら
しいから慣れるしかない。
﹁まずは、一狼がスケルトンを倒せ。三狼と四狼は今回は待機。俺
がゾンビをやる﹂
結果として、戦闘はあっという間に終わった。まず、一狼が瞬足
でスケルトンの首を噛み砕いて瞬殺。続いて俺も動きの鈍いゾンビ
を雪で袈裟切りにした後、蛍で首を刎ねて終了だ。
1325
弱い、弱すぎるぞゾンビ。そして学習。倒してしまえばすぐに塔
が死体を吸収してくれるので長い時間見たくなければすぐ倒せばい
いということを。
これならなんとかなりそうだ。
俺達はアンデッドを主体とした魔物達をざっくざっくと倒しつつ、
1階層の主ゾンビナイトを撃破して2階層へ。
2階層も問題なく戦闘を続けて2階層の主、ゾンビドック︵群:
7匹︶を倒して3階層まで到達。だけど、あえてここまで気が付か
ない振りをしてごまかしてきたけど、さすがに鼻のいい狼達が腐臭
に耐え切れなくなってギブアップしたので壁材を採取して撤収した。
ああ、早く帰って温泉に入りたい。一狼達も念入りに洗ってあげ
よう。
1326
主塔めぐり︵前書き︶
700万PV突破いつもお読みくださりありがとうございます。
今日は短いです。
1327
主塔めぐり
インタレスの塔の壁材を採取してからも、俺達は性戦士との対決
まで塔めぐりを続けた。出来ればディランさんの資料の為にも主塔
の壁材は全部集めて持って行きたい。
2日目
行ったのは探索者の街アーロン。フレスベルクの方が探索者は多
いんだけど、フレスベルクは混迷都市という名称が有名になりすぎ
てるので次点でアーロンがこう呼ばれているらしい。
この街はウィルさんがフレスベルクの次に力を入れて支部を建て
ている途中の街で、登録とランクアップ以外の業務はほとんど本部
と変わらなかった。
冒険者達もかなりの数が詰めかけていて、ギルドが順調に浸透し
ていることが実感出来た。
ここの塔は四角いビルのような形の塔で、選択型。見かけの高さ
は10階建て程度だが、現在は51階層まで扉が出ていた。普通に
1階層から入り、蛍、雪装備の俺と五狼、六狼で3階層までを突破
して壁材を回収して撤収した。選択型の低階層なら、大分安定して
戦えるようになっているみたいで俺も少しは強くなっているんだと
いうことが実感出来た。
3日目
1328
この日に行ったのは賭博都市ダパニーメ。ここはその名の通りギ
ャンブルの街だった。聞いた話によると宿に泊まるだけでもサイコ
ロを振って無料から5割増しをギャンブルするような街らしい。
さすがに塔関連ではギャンブルの要素が入ることはなかったので
探索自体は問題なく終わった。ただ、この塔は俺達が初めて入る変
遷型だったのでちょっと緊張して臨んだ。
変遷型は1日ごとに内部の構造や魔物の種類,配置,数が変わる
ので入ってみるまでその日のレベルが分からないのが特徴のため入
ったはいいけど入ってみたら手に負えない高層レベルの魔物が出る
こともあって危険だからだ。
もっとも変遷型では、日付が変わると同時にベテランのパーティ
が塔に入ってその日の塔のレベルがどのくらいなのかを調べてくれ
るので、それを聞いてから他の冒険者達は塔に入るらしい。
そのため日によって混雑具合が全然違うようだ。敢えて言えばこ
のランダム感がギャンブルと言えるかもしれない。
俺が行った時はザチルの10階層相当ということだったのでなん
とかなると判断して探索をした。
一応念のため、レベルが高かった時のことを想定してこの日は七
狼と八狼に加えて、一狼と二狼にも同行して貰っていたのも正解だ
った。
変遷型はボスを倒しても次の階層への階段が現れないのでその階
層をクリアしたら一度出て、同じ階層を繰り返すしかない。俺達は
1329
今回はそこまでするつもりはないので蛍雪装備の俺と狼達で主を倒
した後に壁材を剥がして撤収した。
そして、もう1つ大事な特徴としてここの変遷型の主塔はなんと
外観すら毎日変形する。俺達が行った時は単純に凸型だったけど、
日によっては地球で言う太陽の塔みたいな形だったり、球形だった
こともあるらしい。
今度来るときはみんなで来て是非、この街にしかないというカジ
ノで遊んでみたい。
この日は変遷型だったため1階層で終ってしまったので、午後の
時間でもう1つ塔を回ることにした。せっかく一狼達も連れて来て
たしね。
選んだのはミレストルの街、ここは武芸の街と呼ばれている。何
故かというとこの街にあるミレストルの塔は対応型だから修行に適
しているかららしい。
対応型は、パーティの能力を塔がざっくり鑑定してそれに見合っ
たランクの敵がいる階層へと繋ぐと言われていて、ロビーに扉は1
つしかない。パーティごとに繋がる階層が違うのは確かで、前の組
のすぐ後に扉をくぐっても会えることはないんだそうだ。
ただ、塔の鑑定自体はかなり大雑把らしくたまに全然レベルに見
合わない恐ろしく強い魔物が配置されることもあるので常に油断で
きない戦いが出来るのが強さを求める人達に人気の秘密らしい。
俺達もすぐ前の組と間を置かずに扉を開けたけど、すぐ前に入っ
1330
た冒険者と会うことはなかった。そして、対応型の名に恥じずこの
塔での戦闘は結構しんどかった。
微妙に狼の攻撃が通じにくいゴーレム系や、魔法が使えない俺に
対応してなのか物理耐性が高そうな甲殻系の魔物ばかりがもう出て
くるわ出てくるわ。
結局、楽に勝てる戦いは1つも無かった。蒐集した魔石ランクに
もEが混じることもあったくらいなのでザチルの15階層から20
階層くらいの魔物がいたのかもしれない。
そして案の定、階層主戦は特に厳しかった。出て来たのは大きな
木盾と棍棒をもった﹃単眼巨人﹄という階層主。
図体がでかく俺達の攻撃は基本下半身にしか届かなかった。しか
も盾持ちとか⋮⋮結局、大層な時間をかけて少しずつ削っていくし
かなかった。
一狼以外の狼は一撃喰らうと危険なのでつかず離れずで攪乱して
貰って、一狼と俺で足を削る。やっとの思いで膝をつかせてからは
後ろへ後ろへと回り込むようにしてちくちくして最後は一狼が首を
噛みちぎってとどめをさした。
一発でも喰らうと詰みそうだったので回避優先で攻撃は受けてな
かったが、長時間の緊張を強いられる戦いに精も根も尽き果ててし
まった。
でも、蛍はその戦いをとても褒めてくれた。なんでも有効な攻撃
手段がない相手に、効果の薄い攻撃を集中を切らさずに積み重ねて
勝利したことが良かったらしい。
1331
今までは武器の性能に頼ることが多かったからそういう戦いが出
来たことを評価してくれたみたい。これはちょっと嬉しかった。途
中で心折れて逃げようかと思ったのを堪えた甲斐があった。
それにしても対応型の塔は意識しているいないにかかわらず自分
の苦手としているタイプの魔物が出てくることが多いので、安全性
さえしっかり計算できるなら訓練には適しているのは間違いない塔
だった。
システィナがいれば回復術が使えるから訓練するにはちょうどい
いかもしれない。もろもろ片付いたら訓練に来よう。蛍もこの塔に
通う冒険者達の空気感が気に入っていたみたいだしね。
ここの冒険者はなんか、ストイックに強さを求める感じで侍っぽ
い空気感なのでその辺が気に入ったんだと思う。
心にそう決めて、階層を上がるとその日はもう限界だったので壁
材を採集して撤収した。
塔を出た所で気が抜けたのか膝が笑って歩けなくなってしまった
ので少し休んで帰ろうとしたら一狼が背中に乗せてくれるというの
でお言葉に甘えた。とても気持ちよかった。またお願いしよう。
あ、ちなみにミレストルの塔の外観は1階建ての平べったい円形
の塔だった。
そして、4日目の今日。俺たちは主塔めぐり最後の塔。宗教都市
ルミナルタへと向かった。
1332
主塔めぐり︵後書き︶
間延び対策に主塔めぐりをかなりダイジェスト版にしました。
ちゃんと各塔のある街や塔の探索も知りたいという人がたくさんい
るようなら後日加筆修正するかもです。一応書きたかったそれぞれ
の特徴だけは抜き出して書いたつもりですが・・・・・・
1333
宗教都市 ルミナルタ︵前書き︶
70万ユニーク超えました。いつもありがとうございます。
1334
宗教都市 ルミナルタ
﹁なんかこうして歩くのも久しぶりな気がするね﹂
﹁はい﹂
俺の右隣で嬉しそうに頷くシスティナ。
﹁やっとソウ様と一緒に動ける∼﹂
後ろから俺の首にしがみついてぶら下がる桜。
﹁あの年増女はいないがな﹂
左隣では颯爽と歩く蛍。
﹃このまま、まっすぐ塔へ向かいますか?我が主﹄
﹃おん!﹄
そして、俺達の前をゆらりゆらりと尻尾を揺らしながら先導して
くれている一狼と九狼。以上が今回の遠征メンバーだった。
これは、リュスティラさんにシスティナの魔断と手甲の修理をな
るべく急いでほしいとお願いしておいたおかげで昨日無事に修理が
完了したのでシスティナを連れて行けるようになったこと。
性戦士への情報操作が終わり、昨晩めでたく性戦士から⋮⋮てい
うかあいつの名前忘れたな、まあいいか。とにかく昨日俺達の下へ
奴からの果たし状が無事に届いた。内容としては長々と自分を賛美
1335
する言葉が羅列してあったが要約すると5つ。
1.侍祭の契約を用いた決闘を申し込む。
2.私が勝ったら君が奴隷のように扱っている女性たちを解放し、
栄えある我が聖戦士パーティで引き受ける。
3.万が一にも私が負けたらなんでも言うことを聞いてやる。
4.あ、ついでに私が勝ったらお前は公衆の面前で土下座をして私
への無礼を詫びろ。
5.期日は2日後、冒険者ギルドの裏にある訓練場予定地。
と言う訳の分からないものだった。そもそも俺はお前に無視され
ただけで無礼を働く余地すらなかったんだがな。
決闘には予定通り向かうが、もちろんこの条件をそのまま飲むつ
もりはない。条件については当日詰める予定。
という訳で桜の任務も無事に終了したので今日の同行と相成った。
葵も行きたがってはいたが、アイテムボックス作成の実験がとても
面白いところに差し掛かっているみたいで今は外せないらしい。
なんだかとっても楽しみだ。明日は一日空きそうなので、自主練
が終わったら工房に顔を出してみようと思っている。
﹁そうだね。今日で主塔めぐりもひと段落するし、ルミナルタは変
遷型だからさくっと終わらせて観光でもして行こう。システィナ、
1336
おいしいお店とか分かる?﹂
﹁はい、肉料理で有名なお店があります。後は甘味がおいしいとい
う評判の店もありますね﹂
﹁いいね!さっすがシス!分かってるぅ。じゃあさっさと用件済ま
せちゃおうソウ様!﹂
﹁うぐ!暴⋮⋮れるな桜!く、苦しいから!﹂
俺の首にしがみついていることを忘れているのかぐいぐいと首を
絞めてくる桜の腕をなんとか解除する。
﹁あはは!ごめんねソウ様。一緒に出掛けるの久しぶりだから嬉し
くて、つい﹂
﹁まあ、ここんとこ桜には嫌な仕事を任せてたからね。死なない程
度なら構わないよ、くっつかれること自体は俺も嬉しいしね﹂
﹁へへぇ、ソウ様はえっちだもんねぇ﹂
﹁否定はしない!﹂
にやにやしながら小ぶりだが張りのある胸を俺の腕にあててくる
桜に胸を張って肯定。
げす
﹁あははは!だからソウ様好きだな。同じスケベでも性戦士殿はむ
っつりな上に下衆いんだよね﹂
ほほう⋮⋮それは気になる情報ですな。是非とも聞いてみたい。
﹁ソウジロウ。無駄話は一旦終了だ。塔に着いたぞ﹂
おっと、残念。その話は後で教えてもらうことにしよう。
ルミナルタの塔は同じ変遷型でもダパニーメのように外観は変わ
1337
らない。外観はパルテノン神殿風一択である。その外観はそれなり
に荘厳であり、世界遺産を生で見た時のような感動がある。だから
こそそれを利用した宗教がこの街ではいくつもある。
ルミナルタの塔を本殿として主張している宗教団体は二桁に軽く
到達し、三桁に届こうかという勢いらしい。
この街の領主は宗教に対して寛容のようで数多の宗教が乱立して
いても全く気にしない。但し、街で活動をするのならば初期登録料
を払って登録した上で、100日ごとに更新料がかかる。ルミナル
タは塔での収益よりもこっちの収益の方が圧倒的に多いらしい。
﹁なんだか騒がしいねソウ様﹂
﹁はい、ロビーに人が集まっているようです﹂
﹁うへ、なんかやだなぁ⋮⋮塔に来てロビーがざわついてると嫌な
こと思い出すよ﹂
﹁大丈夫ですよソウジロウ様。きっとあれはどこかの宗教団体の集
会ですから﹂
﹁え?そんなこと塔でやっていいの?﹂
塔は領主管理の財産みたいな一面があるから、どこの塔も係員を
ロビーに常駐させて最低限の管理をしている。当然この街もそうだ
と思ってたんだけど。
﹁もちろん駄目ですよ。ですが、ルミナルタの塔を自分たちの宗教
の本殿だって言い張る人達がたくさんいますから﹂
﹁本殿だって言い張るためには実績が必要だってこと?﹂
﹁はい。でも実際には裏で領主に使用料を払って時間借りしてるみ
たいです﹂
1338
登録料、更新料、塔の賃貸料⋮⋮なるほどね。確かに塔の魔石の
収益よりも儲かりそうだ。せっかくだから覗いて見るか。
俺達は人でごった返すロビーに潜り込む。
﹃我々は塔に生かされているのです!塔は討伐してはなりません。
守るべきものなのです!﹄
遠くの方でシスター服みたいなのを着た女性が声を張り上げてい
る。遠くて顔ははっきりと見えないけど、周りの人達の声を聞いて
みるとどうやら、あそこで演説をしてるのは﹃塔の巫女﹄﹃塔の御
使い﹄﹃女神の化身﹄などと言われている人らしい。
﹃私達聖塔教は塔を祀り、祈りを捧げることで恩恵を得ることが出
来るのです!さあ!私達の聖塔教に入信し共に祈りを捧げましょう
!されば奇跡はあなた達の下にも降り注ぐことでしょう!﹄
シスターが両手を上げると、身体が淡く光った⋮⋮ように見える。
俺の見間違いか?だけど周りの人達も何かを感じたのかどよめいて
いる。
﹁確実に光っているな。魔力も感じる﹂
蛍が俺の内心の疑問を感じたのか見間違いじゃないと教えてくれ
る。
⋮⋮あれ、ていうかなんか身体がぽかぽかする。
﹁まさか⋮⋮いえ、でもこんなところに彼女がいる訳がない﹂
﹁システィナ?どうかした?﹂
﹁⋮⋮あ、いえ、なんでもありません。きっと私の勘違いです﹂
1339
﹁でも﹂
﹁お前ら何をやっている!ロビーでの宗教活動は禁止されていると
何度言えば分かるんだ!さっさと解散しないか!﹂
俺が更にシスティナに聞こうと思ったら入り口から警備兵らしき
男たちあが3人ほど突入してきて信者たちをロビーから追い出して
いく。おそらく許可を得ていた時間が切れたのだろう。完全な出来
レース、茶番だ。
その辺は教団も信者も慣れたものなのだろう。特に抵抗すること
もなく次々と入り口から出ていく。さっきのシスターの顔をちゃん
と見てみたくてしばらく人の流れを見ていたが人混みに紛れて帰っ
てしまった後だったのか、見つけることは出来なかった。
﹁ソウ様、扉あったよ。サクッと終わらせてご飯食べに行こうよ﹂
﹁⋮⋮うん。そうだな。桜、一狼達と先に行って係の人に今日の難
易度確認しといて﹂
﹁了解!一狼、九狼いこ!﹂
﹃かしこまりました我が主﹄
﹃おん!﹄ 桜達が走っていくのを見送ってから隣のシスティナに声をかける。
﹁今、俺に何か言っておきたいことはある?﹂
﹁ご主人様⋮⋮いえ、大丈夫です。ちょっと知人に似ていると思っ
た人が居ただけですので。ありがとうございます﹂
﹁⋮⋮うん。分かった。じゃあ行こう﹂
﹁はい!﹂
1340
システィナの表情に特に思いつめたものなどは感じなかったので
俺はシスティナの肩を軽く叩くと桜の後を追いかけた。
塔の攻略の方は、桜に確認してもらったところザチルの20階層
程度ということでちょっとレベル高めだったけどこのメンバーなら
何とかなるという判断で探索をした。
蛍さんを刀として使ってるので若干火力不足ではあったけど、桜
もシスティナもいままでの鬱憤を晴らすかのように無双してたので、
問題なく戦えた。2人共確実に前より強くなっている。
一狼も進化後の身体に慣れて来たのか戦いを重ねるごとに速く強
くなっているのを感じる。今までの戦いが確実に力になっていると
感じられるのはモチベーションを維持する意味でもとてもいいこと
だ。
一応、階層主だけはちょっと怖かったので蛍に人化して貰って俺
は雪だけを装備。
ミノタウロス
出て来た階層主は斧を2つ装備した牛人とゴブリンメイジのコン
ビだった。近接のミノと後方火力のゴブの組み合わせはなかなか面
倒かと思ったけど、蛍とシスティナがミノを引き付けている間に桜
と一狼、九狼があっという間に後衛に詰め寄ってゴブリンメイジを
瞬殺してくれたので、後はみんなで取り囲んでフルボッコしたら比
較的楽勝だった。
何気にうちのパーティはバランスがいい。フルメンバーなら穴が
ないのでもう少し思い切って上層に挑戦できるかもしれない。特に
最近はシスティナと桜、葵、実質蛍すら抜きで戦闘をしていたので
1341
余計にパーティのありがたみを実感出来た。
取りあえず塔探索は予定通りここで終え、壁材を採取した。その
後はみんなで食事を楽しんで、街を散策して帰った。葵には申し訳
ないがかなり楽しかった。
1342
宗教都市 ルミナルタ︵後書き︶
一応、次章以降の伏線等々もひと通り撒いたので、あと数話?︵多
分w︶で4章は終わるかな。と思います。
※ レビュー、感想、ブクマ、評価などなど常時受け付けています
ので作者のモチベーション維持にご協力くださいw
ただいま、合間に新作を検討中・・・・・・
1343
アイテムボックス
翌日、午前中は葵を除く全員で訓練をして汗を流す。
まず序盤はみっちりと筋トレ。全身の筋力をバランスよく鍛えて
いかないと重結の腕輪×4を全解放した時の反動が怖い。筋トレと
言ってもボディビルのような筋肉では意味がないらしいので、もっ
ぱら蛍から指示された戦いの中の型を一回一回集中して繰り返すこ
とで必要な筋肉を鍛える。
それが、ひと段落つくと今度は模擬戦である。最近は対人の模擬
戦だけではなく、狼達の協力の下に対魔物戦の模擬戦も出来るので
いろんな形の戦いの経験が積めるのはありがたい。
訓練を終えると全員で温泉に向かい汗を流す。この時、特にその
後の予定がなければいろいろ脱線していくんだけど、今日は工房に
顔を出すので洗いっこだけして終わる。
さっぱりした後、システィナが準備してくれていたサンドイッチ
を軽く平らげてから蛍、桜、システィナと工房へ向かう。
﹁さて、アイテムボックスはどうなったかな。葵は大分手応えを感
じていたみたいだけど﹂
リュスティラさんの工房に到着したのでこんちゃ∼と声を掛けな
がら扉を開けて中に入る。
1344
﹁主殿!いいところへおいでになられましたわ!﹂
とんとんとん と奥の階段から降りてきた葵がすっと俺の腕を抱
えて極上の微笑みを浮かべる。
﹁え?﹂
﹁とにかく早く上へ上がってください主殿﹂
葵の胸の感触を楽しむ間もなく、葵に引きずられるように2階へ
と連れて行かれる。作業場は1階のはずだから炉を使ったりするよ
うな大掛かりな作業はしてないのだろう。
﹁来たわね。あんたに言われたアイテムボックスってやつ、なんと
か形になったわよ﹂
階段を上がった俺の顔を見たリュスティラさんが腕を組んで仁王
立ちしている。見事などや顔だが、リュスティラさんも興奮してい
るのだろう。笑い出したいのを堪えているかのように口元がひくひ
くと震えている。
ということは⋮⋮
﹁本当に完成したんですか!さすがはディランさん!﹂
﹁ちょ!ちょっと待ちなさいよソウジ!あたしだって協力したんだ
からね!﹂
﹁ちょっと今は後にしてくださいリュスティラさん﹂
俺はリュスティラさんの抗議をとりあえずスルーして応接テーブ
ルを前にどっしと椅子に座っているディランさんの前にテーブルを
挟んで立った。
1345
間に挟まれたテーブルの上には10センチ四方ほどの立方体に近
い箱が置いてある。もし本当にアイテムボックスが完成したのだと
すればこれが第一号ということになる。
﹁出来たんですね⋮⋮﹂
﹁まあ、座れ﹂
ディランさんの勧めに俺は目の前の椅子を引いて座る。続いてリ
ュスティラさんがディランさんの隣に、葵が俺の隣に座る。蛍、桜、
システィナは俺達の後ろで立ち見状態だ。
﹁お前の案で作成を始め、お前が材料を集めて、そこの葵嬢ちゃん
の協力があったからこそこいつはここにある﹂
﹁いえ、ご夫妻の豊富で多岐に渡る知識と繊細な技術が無ければと
ても無理だったと思いますわ﹂
ディランさんの言葉に被せる様に賞賛の言葉を口にした葵にディ
ランさん夫妻の口元が弧を描く。
﹁ああ、そうだな。いい仕事が出来た。ここまで満足のいく仕事が
出来たのは俺達も初めてだ。だからこそ、このアイテムボックスに
関して俺達とお前達の間にほんの僅かな秘密もあっちゃいけねぇ﹂
﹁ソウジ。つまらないかもしれないけど、こいつの制作方法につい
て全部説明するから聞いておくれ﹂
完成したアイテムボックスは間違いなく莫大な利益を産む。アイ
テムボックスを作る方法を見つけ出したディランさんはその知識を
明かさないことでその利益を独占出来る。でもディランさんは案を
出した俺、そして制作の過程の⋮⋮
1346
﹁ソウジロウ。深く考えるな。ディランはそんなこと考えていない
だろうよ﹂
﹁え⋮⋮﹂
﹁言ったではないか。﹃いい仕事が出来た﹄と。いい仕事をした仲
間同士の間にほんの僅かな隠し事もしたくない。ただそれだけのこ
とだ﹂
蛍の言葉にはっとしてディランさんを見ると、ディランさんが頷
く。そっか⋮⋮そうだよな。みんなで作り上げたんだ。だからみん
なで喜ぶために隠し事がないことをちゃんとわかって欲しかった。
それで良かったのか。
﹁わかりました。説明をお願いします﹂
﹁ああ。と言っても一緒にやってたんだ。葵嬢が全部知ってるんだ
が、制作課程を聞いて気が付いたことがあれば言ってくれ。改良出
来るならどんどん改良したい﹂
﹁わかりました。魔道具製作については素人ですが気が付いたこと
があれば遠慮なく言わせて貰います﹂
それから無口のディランさんが珍しく饒舌にいろいろと作り方を
語ってくれた。細かい部分は省くが、検案だった壁材同士の接合に
ついてだけ説明すると、どうしてもできなかった壁材同士の接合。
これの解決にディランさんは重結の腕輪やパーティリングに使われ
ている重魔石を使うことにしたらしい。
1つの重魔石を細かくして壁材の各所に計算して埋め込み、魔断
に施したような魔力回路で繋いで引き合う力を循環させることで互
いが引き合うようにして固定した。だから厳密に言うと接合はされ
1347
ていないらしい。
﹁ま、とりあえずそんなところだ。待たせちまったな。ほら試して
みろ﹂
﹁はい⋮⋮﹂
説明がひと段落ついたところでディランさんが卓の上のアイテム
ボックスを俺の方へと押し出す。俺は内心では興奮しつつもなるべ
く冷静を装ってそれを手に取る。
﹁軽い⋮⋮ですね﹂
﹁壁材の重さのみだ。後は中に何を入れても重さは変わらん﹂
手に持った約10㎝四方の立方体はその周囲に線を組み合わせた
不思議な紋様が一面に描かれている。この線の1本1本が魔力回路
で全てに微弱な魔力が通されているらしい。
その中で本当に必要な回路はごく少数のようでその他は全部ダミ
ー。本当はダミー部分は魔力回路にする予定は無かったみたいだが、
魔力が通ってないと壁材が傷と判断して治してしまうので仕方なか
ったらしい。
﹁ここが、取り出したりするところか﹂
そして六面体の上部の面だけ造りが違う。面の中央部分に漏斗状
の飾りのような物がついているのだ。よくよくその中を注意してみ
ると中心部分に僅かな穴がある。
俺はゴクリと唾を飲み込むと未知の物に対する不安と、それに倍
する期待感で訳の分からない昂揚を感じながらそこへ右手を伸ばす。
1348
﹁おお!!﹂
その漏斗状の中の部分に手を伸ばすとその手の大きさに合わせて
穴が広がった。凄い!試しに思い切ってその穴に手を突っ込んでみ
る。
﹁ご主人様!﹂
システィナが慌てた声を出す。そりゃそうだろう。僅か10㎝の
立方体に俺の手が肘まで隠れている状態は異様な光景に見えるはず
だ。
﹁大丈夫だよシスティナ⋮⋮ここが底か﹂
ぺたぺたと底部分を触ってから手を動かすと箱の中の空間内を俺
の手は滑るように移動する。なんだか不思議な感触だ。そして中は
かなり広い。
俺は一旦手を抜くと、閃斬を鞘ごと抜いてアイテムボックスの入
口に近づけてみる。
﹁凄い⋮⋮ちゃんと持っている物が入るサイズに入り口が変化する﹂
﹁そこが苦労したところですわ主殿﹂
﹁ああ、取り出し口周辺には変遷型のダパニーメの塔と、対応型の
ミレストルの塔の壁材を組み合わせてある﹂
﹁開口部のその仕組み⋮⋮まさに神業でしたわ。ディランさんは本
当に素晴らしい腕をお持ちですわ﹂
葵がディランさんを絶賛している。ちょっと妬けるが確かにこれ
1349
は凄い。理屈は分かる。入って来た人間の強さに応じて塔の内部を
調整する対応型の塔特性と、気ままに外観すら変えてしまう変遷型
の塔特製を組み合わせ、近づけた物の大きさを察知して、それに﹃
対応﹄して必要なだけ﹃変化﹄して物を受け入れる。
そう言う仕組みを作ったということだろう。
その設定をディランさんは魔力回路でプログラミングしている。
まさに天才だ。魔力回路という概念ですらディランさんが最近実用
化した技術なのにそれをもう完全に自分の物にしている。
試しに閃斬をアイテムボックス内の底に置いて手だけを抜く。箱
を持ちあげてみるが確かに重さは変わらない。もう一度手を入れて
中に置いた閃斬を探す。残念ながら思い浮かべただけで中の物が出
てくるような便利空間ではないらしい。
すぐに閃斬を見つけてそれを取り出す。入り口はごく自然に形を
変えて閃斬をなんなく取り出すことが出来た。
中を探るのは簡単だがどの辺に何を入れたかは覚えておく必要が
ありそうだ。イメージ的には小さくて持ち運びが出来る蔵を持って
歩いていると考えればいいだろう。
今の段階ではそれなりに不便はありそうだが、それでもこのアイ
テムがもたらす有用性はこの世界の常識を変えると思う。
﹁凄いです。ディランさん⋮⋮僅かな時間でよくここまでのものを﹂
﹁ふん、葵嬢の力も大きい。魔力に関しては葵嬢の力はずば抜けて
いる。葵嬢にいろいろ指摘して貰えなかったらここまでの物にする
ためにあと100日はかかっていたかもしれん﹂
﹁そっか⋮葵。ありがとうね﹂
1350
﹁いえ、主殿のためですわ。いかほどのこともございません﹂
葵は本当によくやってくれたらしい。そのせいで昨日は葵だけ一
緒に遊べなかったりもしたから、今度埋め合わせに葵と2人でどこ
かに買い物でも行こう。
﹁取りあえずそれは持って行け。まだまだ改良すべき点はあるだろ
う。しばらく使って気になった部分を教えてくれ﹂
﹁はい、では早速。持ち運びがしやすいようにベルトなどに取り付
けられるような仕組みが欲しいです﹂
﹁わかった。検討しておこう。それと急がんがレイトーク、ダパニ
ーメ、ミレストルの壁材をある程度まとまった数仕入れて来てくれ﹂
俺は頷く。後は実際に使ってみてからだろう。
﹁わかりました。数日中に準備して持ってきます。お代の方は?﹂
﹁これに関してはお前から金は取れん。それにそもそも試作品だ﹂
﹁すいません、ありがとうございます﹂
ようし、これで巨神の大剣も持って歩ける。早くこれを持って塔
探索とかしてみたい!
っと、その前に明日の性戦士との決闘があったっか。なんかもう、
心底どうでもいいが⋮⋮仕方ない。それでも間違っても負ける訳に
は行かないししっかり頑張らないとな。
1351
アイテムボックス︵後書き︶
やっとアイテムボックスもどきが完成しました。省略したディラン
さんの説明も書こうと思ったんですが、長くなりそうな上に知りた
い人が居なそうなので前に話に出てた接合部分だけにしました^^
次話から性戦士との決闘に入ります。
1352
決闘の条件
﹁待っていたぞフジミヤ!﹂
・
いや、フジノミヤだから。
﹁逃げずにここまで来たことは褒めてやる。さあ決闘を始めよう!﹂
白銀の装備に身を包み、うっすらと白く輝く長剣を俺へと向けて
いる。場所は冒険者ギルドの裏に建設中の訓練場。まあ訓練場と言
っても壁とかを補強した大きなホールで特に変わった物があるわけ
じゃない。
﹁お待ちください、シャフナー様。フジノミヤ様がお受けした以上、
決闘の理由については聞きません。ですが同じようなことを何度も
繰り返されると困ります。きちんとこの決闘の勝利条件などを決め
た上で今後このようなことがないように双方約束してください。発
いさか
足したばかりの冒険者ギルドにとって優秀な冒険者は貴重です。冒
険者同士の些細な諍いで失う訳には参りません﹂
ああ⋮⋮そうだった。シャフナーとかって名前だった。なんかめ
んどくさいから改めて鑑定する気持ちすらおきなかったわ。
﹁ふん、いいだろう。俺の条件は手紙に書いた通りだがそれを我が
侍祭の﹃契約﹄でしっかりと約束しよう﹂
決闘に随行してきていたウィルさんが今にも襲い掛かってきそう
なシャフナーに決闘の詳細についてちゃんと取り決めるようにと釘
1353
を刺す。これは俺達からウィルさんに事前にお願いしていた行動で
ある。
こっちから話を切り出すとあの手のタイプは勢いで﹃必要ない!﹄
とか言いかねない。だから、第三者であり中立︵に見える︶立場の
ウィルさんに相手を立てつつ条件を交渉できるような流れを作って
貰った。
﹁手紙の内容では話になりません。そもそも私たちにはあなたの決
闘に応じる理由は全くありませんから。ただ、あなたが私たちのこ
とを調べているという情報を入手したために、今後も付きまとわれ
るくらいなら一度ちゃんと話を付けた方がいいと思ったまでです﹂
﹁理由がないだと!お前は俺に自分の奴隷達を奪われるのを恐れ、
可愛そうな奴隷に手が出せない俺へ奴隷に命じて暴行を加えたでは
ないか!﹂
あぁ⋮⋮俺の大事な嫁達をさっきから奴隷、奴隷と⋮⋮マジでこ
いつ︻ちょんぱ︼してやろうか。
﹃だから桜に任せておけば良かったのに。桜なら後腐れなくちょん
ぱ出来たよ﹄
﹃まあ、そう言うな。ソウジロウもしばらく血生臭いことが続いて
いたからなるべく平穏に済ませたかったのだろうよ﹄
﹃それに、せっかくここまで我慢してお膳立てしたのですから、も
う少しの辛抱ですわ﹄
桜は後ろから、蛍と葵は既に刀に戻っているので俺の腰から思念
を飛ばしてくる。
﹃はぁ⋮⋮分かってる。むかつくけど我慢するよ﹄
1354
﹁まず1つ言っておきます。2人は今日連れて来ていませんが彼女
たちは、その2人も含めて自分たちの意思で俺と一緒にいてくれて
いる大切な人達で俺の奴隷ではありません﹂
﹁う、嘘を吐くな!お前がそう強制しているだけだろう﹂
﹁⋮⋮では、そちらの侍祭と契約をしましょう。﹃次にウィルマー
ク殿からされた質問に嘘を述べない﹄これで私が先日の4人は私の
奴隷ではないと答えることが出来れば証明になるでしょう﹂
﹁くっ⋮⋮﹂
ここまで言えば認めざる得ないだろう。この世界において侍祭の
契約は絶対だ。その契約を破ればどうなるかなどこの世界の人達は
良く知っている。それを承知の上で俺がこういう申し出をするとい
うことは本当に嘘を吐いていないということになる。ここでじゃあ
やって見ろと言うのは簡単だが、それで本当に奴隷ではなかった時
にはシャフナーは恥の上塗りをすることになる。
﹁⋮⋮いいだろう。だが、お前が弱みを握って彼女たちを支配下に
置いている可能性はある!これは洗脳でもされていたら侍祭の契約
でも看破出来ないだろう﹂
次から次へとよくも屁理屈を思いつくものだ。まあいい。ここま
では嫁達を奴隷呼ばわりされた俺の私憤みたいなものだ。
﹁いいでしょう。あなたが指定していた5つの条件のうち、1番の
侍祭契約を用いた決闘。5番のギルド訓練場で行うという場所の指
定についてはお受けします。2番については私が彼女たちを縛って
いる訳ではないので、あなたが勝った場合は彼女たちに本心を述べ
るという契約をして勧誘をすることを認めます﹂
﹁ふん!いいだろう﹂
1355
﹁3番について、私が勝った場合はいくつか私たちの質問に正直に
答えてもらった後、そちらの侍祭共々今後一切私たちにかかわらな
いと約束してもらいます﹂
﹁私が負けることはない。好きにすればいい﹂
自信満々だな⋮⋮俺、ちゃんと勝てるんだろうか。
﹃弱気になるなソウジロウ。お前は十分強くなっていると言っただ
ろう﹄
分かってるけど、不安は不安で仕方がない。
﹁4番について、そちらに暴行を加えたのはしつこくナンパしてく
る男性に対する女性の反撃にすぎませんので、こちらからは謝罪す
べきことはありませんので今回の決闘の条件としては飲めません﹂
きっぱりと言ってやるとシャフナーは擬音で﹃ぐぬぬ﹄と聞こえ
てきそうな顔を一瞬したが、横目で侍祭と視線を交わすといやらし
く笑う。
﹁いいだろう。その条件で構わない﹂
﹁わかりました。あと、決闘方法についてこちらから1つ条件を出
させてもらいます﹂
シャフナーが俺の申し出に怪訝な顔を見せる。自分に不利になる
ような決闘方法を提示されることを嫌がっているのだろう。
﹁今回の決闘は、4人同時の決闘にしてもらいます﹂
﹁4人?﹂
﹁はい、そちらはあなたと侍祭である彼女。こちらは私とここにい
1356
る戦斧を持った彼女の4人です。相手を殺すのはなし、気絶するか
降参したらその人は決闘から抜けます。最後に残っていた側が勝ち
ということでお願いします﹂
﹁待て!俺は綺麗なお嬢さんに向ける剣は持っていない!そちらの
お嬢さんだけが残ったらどうするんだ﹂
﹁⋮⋮わかりました。彼女は私が戦闘を離脱してしまったら降参し
てもらうことにします。それなら構いませんね﹂
シャフナーの普通にしていれば整ったイケメン顔が醜く歪む。ど
うやら頭の中でいい結果が導き出せたらしい。まあ、自分に自信が
あるなら受けられない条件ではないだろう。むしろ俺だけ倒せばい
いのなら侍祭にシスティナを抑えさせておいて自分が勝てば1対1
で戦っているのと変わらないし、システィナを放っておいて2人が
かりという作戦もあるだろう。そして自分の侍祭が勝ってくれれば
回復魔法のフォローも受けられる。
﹁よし!分かった。この聖戦士シャフナーと侍祭であるステイシア
がその決闘を受けてやろう﹂
なんでこっちが決闘申し込んだみたいになっているんだか分から
ないが、納得してくれたのならそれでいい。後はちゃんと﹃契約﹄
をしておけば約束を反故には出来ない。
・・・・・
﹁では﹃契約﹄をお願いします﹂
・・・・・・・
﹁ああ、もちろんだ。わかったなステイシア、今言った条件で契約
書を頼む﹂
﹁もちろんわかっていますシャフナー様﹂
シャフナーの後ろに控えていた侍祭ステイシアがなにやらもにゅ
もにゅと呟いて虚空に透き通った契約書を出した。
1357
﹁それではシャフナー様、署名をお願いします!﹂
﹁うむ﹂
まず、率先してシャフナーが契約書に署名をする。ステイシアが
その姿に見惚れ、書かれた署名を絶賛している。イタイ子なのだろ
う。昨日桜から聞いたシャフナーの性癖から考えるとどうしてそこ
までシャフナーに入れ込んでいるのか全く分からない。
﹁ほら、次はお前の番だ﹂
シャフナーが空中の契約書をタップして俺の方へと移動させてく
る。その顔が正直明らかに悪だくみをしている顔だ。まあ、想定内
だから別にいいんだけどね。
回ってきた契約書を隣のシスティナと一緒に黙読していくと⋮⋮
やっぱりさっき言った条件は全く反映されていなかった。
うちの女性陣の隷属化、俺が往来で裸で土下座する、俺だけスキ
ルの使用禁止、財産の没収⋮⋮などなど。よくもまあ、これだけ卑
怯なことを⋮⋮これだけのことをアイコンタクトで仕込めるという
ことは最初から計画されていたのだろう。
さらに、極めつけはシャフナーの合図で俺が降伏を宣言する。と
まで書かれていたことだ。もし、侍祭の契約だということで信頼し
てサインしてしまっていたらシャフナーの合図で降伏を宣言しない
と俺には契約違反の罰が下されていたことになる。
恐らく、降伏を宣言しない俺に﹃その痛みは俺のスキルによるも
のだ。負けを認めれば解除してやる﹄とか言うつもりだったのだろ
う。
1358
俺達以前に同じような詐欺にあって財産や女性としての尊厳や命
を失った人達がいないこと願わずにはいられない。こんな詐欺まが
いのことが出来てしまうからこそ侍祭は特別な職業であり、侍祭た
る人間は自らが高潔であることに加えて契約相手をしっかりと選ば
なければならない。
⋮⋮そう考えると俺とシスティナとの契約も軽率じゃなかったの
かと思わなくもないが、システィナはいつもそんなことはありませ
んと首を振ってくれる。最初に言っていた、いくつかの理由のほか
にも業がマイナスだったとか、侍祭になんとなく備わっている直感
的なものに従ってとかいろいろ細かい理由があるらしい。
ただどんな理由があるにしろ、システィナが俺を選んだことを後
悔しないように生きようと言うのがこの世界での生活の指針になっ
ていたりもするのでシスティナの選択は間違っていなかったと思い
たい。
﹁システィナ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮はい、これは酷すぎますね﹂
俺はシスティナとアイコンタクトをするとシスティナの陰で署名
をする振りをしつつ俺の﹃読解﹄スキルで契約書を書き換えていく。
正直ここまで卑劣なことをしてくるならこちらも躊躇う必要はない。
やりたいようにやらせてもらおう。
﹁何をしている!どうせ侍祭の契約書文字なんて普通の人間には読
めないんだからさっさと署名しろ。侍祭が作る契約書なんだぞ。疑
う必要などないだろう!﹂
シャフナーがぬけぬけと叫んでいるが、決闘が始まっても同じこ
1359
とが言えるのかが楽しみだ。俺はシャフナー達が決めた不公平なル
ールをまるっと全削除して、本来の条件に近いものと、2、3の条
件を付けくわえて署名をした。侍祭の契約書の書き換えは内容を念
じながら指で撫でるだけで書き換わるのでそんなに時間はかからな
い。唯一署名だけはきちんと指で書く必要がある。というか普通は
書き換えとか出来ないからそんな区別に意味は無い。
俺の署名と同時に契約書が光を放って弾け飛ぶ。これで今の契約
は成立したことになる。後は、あいつらを叩きのめすだけだ。
1360
決闘の条件︵後書き︶
※ レビュー、評価、ブクマ、感想など随時お待ちしています。
1361
責任の取り方︵前書き︶
思った以上に性戦士のクズっぷりが大反響でしたw
1362
責任の取り方
﹃葵、重結の腕輪を適正段階まで解放﹄
﹃承知しました⋮⋮出来ましたわ﹄
四肢にかかっていた負担がほとんど無くなったのを確認してから
シャフナーに告げる。
﹁準備はいいですよ。やりましょう﹂
﹁⋮⋮ふん﹂
俺の5メートルくらい隣でも魔断を構えたシスティナが侍祭ステ
イシアとにらみ合っている。こちらも準備は出来ているようだ。
﹁ウィルさん、合図を﹂
﹁は、はい。それでは始め!﹂
ウィルさんの開始の合図と同時にシャフナーが斬りかかってくる。
その動きはかなり速いがシャアズ程ではない。
もしかしたら相手も本気ではないのかもしれないけどこの程度な
らなんとか対処できる。シャフナーの斬撃を蛍仕込みの歩法を使っ
てぬるっとかわして、すれ違いざまに蛍で斬りつけた。が、これは
シャフナーの回避と鎧に防がれてしまう。
蛍が当たっているのに傷がついたように見えない辺り、あの鎧も
そこそこの逸品らしい。
1363
あいつの剣を鑑定してみる。
﹃魔銀の剣 ランク: D+ 錬成値 MAX 技能 : 魔力補正
所有者: シャフナー ﹄ 魔工技師の腕が悪かったのか、総魔銀製の剣なのにランクはD+
止まり。リュスティラさんが作ればきっともっといい剣が出来たと
思うが⋮⋮問題はそこじゃない。あの剣が魔銀製ということは、あ
の軽鎧も多分魔銀製だろう。
魔銀は魔材の中でも更に高価な素材で、魔銀が含まれた装備と言
うだけで買おうと思ったらものすごい金額になる。そんなものをあ
いつがどうやって手に入れたのか⋮⋮正直まともな手段で手に入れ
ている光景が全く思い浮かばない。
﹁く!﹂
シャフナーは素早く回避で乱れた態勢を立て直すと、俺への評価
を改めたのか大振りな攻撃をやめて速さと技を使った連続攻撃に切
り替えてきた。
それでも腕輪の負荷を解放し、蛍の刀術や身体強化の補正を受け
ている俺なら問題なく防御できる。蛍の言うとおり俺も少しは強く
なっているらしい。
だんだんと必死の形相になっていくシャフナーの顔を冷めた目で
観察しながら淡々とシャフナーの攻撃を捌いていく。
1364
﹁⋮⋮なんなんだ一体、なんでお前みたいな弱そうなやつに俺の攻
撃が当たらないんだ!くそ!﹂
けん
なかなか攻撃が当たらないことを愚痴りつつ距離を取るシャフナ
ー。俺は敢えて追わずに見に回る。もう少し戦いを続けて確認した
いことがある。
﹃主殿、何か魔法を使うつもりですわ!﹄
シャフナーから魔力を感知した葵が注意をしてくれるが、距離を
取られてしまっているため魔法の発動までにシャフナーに一撃を加
えることは難しい。だが逆にこれだけ距離があれば、ぶん投げ系の
魔法には対処できるはず。
﹁聖戦士シャフナーの威光よ集え!そして愚民共を照らせ!﹃後光﹄
﹂
呪文なんてイメージを補完するだけのものとは言え、なんちゅう
呪文を⋮⋮と考えた瞬間俺の目を強い光が貫く。
ぐぁ、ヤバい!目をやられた。こいつもリアル太陽○を使うのか
!ど、どこだ!
﹃焦るな!ソウジロウ。お前の目が見えなくても私がいる。落ち着
いて私の情報を受け取れ﹄
﹃⋮⋮そうだった。俺には蛍さんがいたんだ﹄
パニックになって振り回す寸前だった2刀を、小さく構え直して
心を落ち着ける。そうすると真っ暗な世界の中に白い影が⋮⋮
1365
﹁ふっ!﹂
﹁な!﹂
右側からの斬撃を身体を捻ってかわす。
一瞬驚愕の声を漏らした白い影は、すぐさま音も立てずに俺の背
後へと回る。どうやら今度は低い体勢で俺の足を斬ろうとしている
らしい。足さえ止めればじわじわと俺をいたぶれると思っているの
だろうか。残念ながらそれは甘いと言わざる得ない。
⋮⋮それにしても、これが蛍達が使っている﹃気配察知﹄の世界。
その片鱗。蛍の気配察知が+になったことで劣化で恩恵を受けてい
る俺でさえこれだけのものが感じ取れる。
俺は足元の攻撃を体を捻りながら最小限で跳んで回避すると、着
地と同時に回し蹴りを放つ。自分の攻撃が回避されるとは思ってな
かったのだろうシャフナーはその蹴りをもろにこめかみに受けて硬
い地面に頬ずりしながら吹っ飛ばされる。
﹁ぐあぁあぁぁ!俺の、俺の顔がぁぁ﹂
俺は目をゆっくりと開ける。まだ少しちかちかするが、視力は大
分戻ってきているようだ。その回復した視界の中でシャフナーは左
頬を押さえてうずくまりながらこちらに憎しみの目を向けていた。
あしげ
﹁⋮⋮よくも!よくもこの聖戦士様の顔を足蹴にしやがって、しか
も傷までつけやがった⋮⋮もういい。くそ、変な見栄を張らずに最
初から使っておけば良かった﹂
1366
ゆらりと立ち上がったシャフナーが歪んだ笑みを浮かべる。その
醜い笑みに加えて左頬を押さえた左手の隙間からは血が垂れている
ため陰惨な雰囲気が更に増している。
﹁いいか、これから使う俺のスキルはお前に一方的に想像を絶する
痛みを与えることが出来る。その痛みから逃れたければお前は俺に
跪き、敗北を認め、泣いて許しを請わなければならない!わかった
か!お前ごときが聖戦士たる俺に逆らったことを後悔するがいい!
ふはははははは!﹂
高笑いをしながらシャフナーが血に濡れた左手で髪をかきあげる。
﹁ぐぎゃあぁぁぁぁぁ!!痛い痛い痛いぃぃぃ!イタイぃぃぃぃ!﹂
もちろん、叫んでいるのは俺ではない。シャフナーだ。
もともとの契約書には、﹃シャフナーが髪をかきあげたら、フジ
ノミヤ ソウジロウは敗北を宣言する﹄という契約内容があった。
・・・・・・・
それを俺は書き換えて﹃シャフナーが髪をかきあげたら、フジノミ
・
ヤ ソウジロウが︻解除︼と言うまで正直に質問に答え続けなけれ
ばならない﹄という契約にした。
そして、今は俺が質問をしてないから質問に答え続けられないシ
ャフナーは契約不履行の罰を受け続けているという訳だ。
これでも俺は、最後の慈悲としてシャフナーが正々堂々と戦うな
らば最初の条件通りの決闘にするつもりだった。そのための条件は
ちゃんと契約書に記してあった。
1367
だが、シャフナーがその卑怯な手を使おうとするなら完全に悪人
として対処しようと決めていた⋮⋮まあ、絶対にこいつは使うと思
っていたし、使わせるためにわざとすぐに勝負を決めに行かなかっ
たんだけどね。
﹁シャフナー、俺の質問に正直に答えるんだ。質問に答えている間
だけその痛みを止めてやる﹂
﹁な!⋮⋮ぐが!馬鹿な!⋮⋮そ、それは俺が!俺の!﹂
﹁今までに何人の相手を侍祭の契約書を使って騙してきた?﹂
﹁は!侍祭の契約書は絶対だ!騙してなんか⋮⋮う、ギャイイぃぃ
ぃぃいてぇぇ!﹂
・・
痛みにのたうち回るシャフナーを俺はただ見下ろす。既に痛みか
ら逃れる方法は教えている。それでもそれをしないのはコレの勝手
だ。
﹁シャフナー様!!﹂
苦しむシャフナーを見て侍祭ステイシアが悲痛な叫び声を上げて
いる。分かってはいたがやっぱり動きを抑えられたのはシスティナ
ではなくステイシアの方だった。
﹁やはり⋮⋮ステイシア。あなたは弱すぎる。侍祭に必須であるは
ずの﹃護身術﹄ですらまともに使えていない。その様子では侍祭に
なるために必要な残りの技能も身に付けていないのではないですか
?﹂
﹁な⋮⋮何を言っているですの⋮⋮そんなこと何であなたが﹂
確か侍祭になるためには、家事全般の技能の他に護身術を身に付
け、更に交渉術、回復術、護衛術のいずれかを修得しなくちゃいけ
1368
なかったはず。3つのうち二つを修めた者が高侍祭、システィナの
ように3つ全てを修めた者が聖侍祭と呼ばれるようになると言って
いた。
既にシスティナは、ステイシアが持っていたメイスを弾き飛ばし
ている。あまりの力の差にステイシアはがくがくと震えているだけ
だ。
おやま
﹁あなた、まだ侍祭補になりたてですね。どうやって︻御山︼を抜
け出してきたのですか﹂
﹁な、何故一般人が︻御山︼のことを!⋮⋮まさか!あなた⋮⋮も
?﹂
システィナの口から出た初めて聞くフレーズにステイシアが震え
すら忘れる程の驚愕を見せる。おそらく侍祭にしかわからないよう
な符丁なのだろう。
そしてその言葉を出したことでようやくステイシアも気が付いた
ようだ。
﹁私も侍祭です。私の名はシスティナ。ステイシア、聖侍祭システ
ィナがあなたに問います。︻御山︼からどうやって抜け出してきた
のですか﹂
﹁ひっ⋮⋮あなたが聖侍祭システィナ様⋮⋮﹂
ステイシアはがっくりと膝をつくと土下座をするかのようにうず
くまってしまった。あれ?システィナってもしかして侍祭の世界じ
ゃ有名人なのか?
﹁ぎぃひぃぃぃぃぃ!!分かった!分かっイイィィィィう、全部言
1369
う!俺が侍祭の契約書を悪用して騙して全てを巻き上げたのは、し、
7人だけだ!﹂
と、いいところでこっちが限界を迎えたか。
﹁⋮⋮その人達はどうした?﹂
﹁し、知らねぇ!全部巻き上げた後はああああぁぁぁぁぁ!!!い
てぇぇぇぇぇ!よ、4人は殺した!ダパニーメで大勝ちしてたやつ
をカモにした。身ぐるみ剥いだ後は塔に連れて行って⋮⋮﹂
﹁⋮⋮残りは?﹂
﹁の、残りの奴は生きてる!羽振りの良い商人と、ダパニーメの奴
隷商の奴と、貴族のガキだ⋮⋮こいつらには定期的に金と女を貢が
せている﹂
桜が調べた下衆い性癖⋮⋮連れてこられた女達を自分本位に弄び、
飽きると放り出す。しかも巨乳が好きなのかステイシアには手を出
さず自分のプレイをひたすら見せて、欲情したステイシアを言葉と
暴力で嬲るだけという変態ぶりだったらしい。
﹁まだ、勝負はついてなかったよな﹂
﹁いぎぃぃ!もう、戦えねぇ!お、俺のま、げぇぇぇぇ!!こ、こ
う、ざんにぃぃぃ!﹂
﹁ま、﹃シャフナーはこの戦いにおいて敗北宣言はしない﹄という
契約があるからお前からは降りれないけどね﹂
のたうち回るシャフナーの右腕を斬り落とす。
﹁ぐあああああぁあぁぁ!!!﹂
﹁ちなみに﹃痛みでは気絶しない﹄契約になってるから痛みで気絶
しそうになったら、気絶できないような罰が降ると思うから頑張れ﹂
1370
﹁くひぃぃぃぃ!もう⋮⋮ゆ、ゆるじでくださいぃぃぃ﹂
﹁安心しろ、殺しはしない。そういう決闘条件だったからな。この
まま失血していけば気絶出来る。そうしたらお前は負けられるから。
あ、質問の方の契約は︻解除︼しておいてやる﹂
俺は血まみれで転げまわるシャフナーを放置し、強張った顔にな
っているウィルさんの所へ行く。
﹁聞いてましたか?﹂
﹁はい⋮⋮侍祭の契約を悪用した場合、それが発覚したら問答無用
で死罪です。仮にこのままシャフナー様が亡くなられてもフジノミ
ヤ様が罪に問われることはないでしょう﹂
﹁そうなんですか。ですが、せっかくですからここはギルドの為に
役立てて下さい。節度を弁えない冒険者にはギルドから制裁がある。
制裁を与えられるだけの戦力をギルドは持っていると宣伝出来ると
思います。それが抑止力になれば今後こいつらみたいな奴らが少し
は減ると思います﹂
﹁フジノミヤ様⋮⋮そこまでお考えでしたか。ありがとうございま
す﹂
こいつらがこんなにも悪いことをしていなければ普通に、ギルド
に迷惑をかける冒険者にギルドは罰を与えることもあるぞ、みたい
なデモンストレーション的なものをやるだけのつもりだったんだけ
どな。
おっと、気を失ったか。
﹁システィナ!あいつを死なない程度に治療しておいて。腕は戻さ
なくていい﹂
﹁はい﹂
1371
﹁そっちは終わったの?﹂
すぐにシャフナーの治療に向かうシスティナに声をかける。
﹁⋮⋮確認したいこと、聞きたいことは大体﹂
魔断の増幅も使ってシャフナーを治療したシスティナが表情を曇
らせながら俺のところへ戻ってくる。
﹁そうか⋮後で聞かせてくれる?﹂
﹁⋮⋮はい﹂
﹁うん、ありがとう﹂
﹁ソウ様、シス!お疲れ!楽勝だったね﹂
1人で観戦していた桜が飛びついてくる。
﹁で、あの子はどうするの﹂
﹁一応、あの子は侍祭として従属契約を結んでいました。そうであ
れば、契約書悪用の罪が直接問われることはありません。ただ、侍
祭としてはそうはいきませんので然るべきところに連行して罰を受
けることになると思います﹂
﹁ふぅん⋮⋮そうなんだ。侍祭っていうのもいろいろあるんだね﹂
﹁ふふふ、そうですね﹂
システィナは悲し気に微笑むといつの間にかシャフナーの下に移
動していたステイシアの所へと歩いていく。
﹁侍祭ステイシア。あなたはやむを得ない事情があったにせよ、契
約者を誤り、契約を悪用し、尊い命や財産や尊厳を奪いました﹂
﹁⋮⋮はい﹂
1372
﹁あなたには2つの選択肢があります。1つは︻御山︼に戻り罰を
受け、今後は︻御山︼のために身を捧ぐ道。もう1つは﹂
﹁システィナ様、ありがとうございます。私はもう1つの選択肢を
選びます。どんな形であれこの方は私が選んだ契約者です。最後ま
で共にいたいと思います﹂
そう言って頭を下げたステイシアを見てシスティナは今日初めて
本心から笑って頷いた。
1373
責任の取り方︵後書き︶
一応こんな感じになりました・・・ちょんぱは腕だけです^^;
※感想・レビュー・評価等いつでも受け付けています。
1374
桜の提案
﹁ウィル殿、ステイシアもシャフナーと同じようにギルドで裁定し
て処分してください﹂
﹁よろしいのですか?﹂
﹁はい、彼女も未熟ではありましたが、立派な侍祭です。侍祭であ
るならば最後まで契約者と共にあるべきです﹂
﹁⋮⋮わかりました。では人を呼んで参ります。それまでここをお
願いいたします﹂
ウィルさんが訓練場からギルドの方へ人を呼びに行く。シャフナ
ーは気を失っているため、身柄を拘束して運ぶには人手が足りない
からだろう。別に俺が手伝ってあげてもいいんだけど、律儀なウィ
ルさんはそれを良しとはしないはずだ。
﹁システィナ、同じ侍祭だけど本当にいいの?﹂
﹁はい。先ほどステイシアから聞いた話は後でお話し致します。正
直、彼女がこうなった境遇には同情すべき点が多々あるのですが⋮
⋮それでも、彼女は最後まで侍祭であることを望みました。私はそ
れを尊重したいと思います﹂
システィナがステイシアから何を聞いたのかは今は分からないが、
それなりの事情があったことは間違いないらしい。で、あるなら本
当は助けてあげたいとシスティナは思っているような気がする。
でも、侍祭には侍祭同士でしか分からないプライドのようなもの
があるのかもしれない。それなら俺はそれを尊重してあげたい。
1375
その後、ウィルさんたちギルド職員に性戦士たちを引き渡した俺
達は性戦士の毒気に当てられたのか、はんなりとした後味の悪さを
感じながら屋敷へと戻った。
とりあえず、沈んだ空気を払おうとみんなで露天風呂に行く。蛍
はずっと湯船で酒を飲んでいたけど、システィナ、葵、桜とかわり
ばんこに身体を洗ってきゃっきゃうふふして青空の下、湯船でくつ
ろいだら全員気分の切り替えが出来たようで風呂から上った後は皆
いつも通りだった。
﹁さて、これでひとまず今までの懸案は全部片付いたことになる﹂
全員さっぱりとした状態でリビングに集まり、システィナの淹れ
てくれた緑茶を飲みながら現状確認をする。赤い流星の戦いが終わ
ってから、俺達がやろうとしていたこと。
1つ目は、お世話になった人達への挨拶回りとお礼の宴会。
2つ目が狼達の戦力確認。
3つ目がアイテムボックスの制作。
そして、予定外の事案として絡まれた性戦士の撃退。
厳密に言えば新規でディランさんに壁材の追加を頼まれていたり
もするが、その辺は急ぐものでもない。
﹁だから、何か問題ごとがあるなら俺達全員で対処できる。その前
提で何かある人はいる?﹂
﹁はい!﹂
﹁うあ!﹂
1376
すぐ隣で元気の良い声がして思わず仰け反ってしまう。まさか桜
から手があがるとは思ってなかった。なんとなくシスティナが厄介
・・
ごと抱えたっぽいから、その辺をシスティナが切り出しやすくする
ためのフリだったんだが⋮⋮
﹁えっと⋮⋮何かな?﹂
﹁桜、奴隷が欲しい!﹂
おぉ⋮⋮とんでもない角度から変化球が飛んできた気分だ。
この世界に奴隷制度があることは、実は結構最初の頃から知って
いた。でも、異世界初日にシスティナと出会えてこの世界の知識に
困ることはなかったし、蛍も人化することが出来たから、奴隷を買
って戦力増強しつつハーレムという考えは全くなかった。
奴隷制度自体は禁止されている訳ではないのに、奴隷商がそんな
に多くないというのも今まで奴隷と言うものに関わってこなかった
理由の1つだ。稀に街中で職業の後に︵奴隷︶という人を見かける
ことはあったけど、奴隷商自体を見たことはなかった。
﹁一応確認するけど、桜はどうして奴隷が欲しいの?﹂
﹁う∼ん⋮⋮今回の件で思ったんだけど、特定の相手に張り付いち
ゃうと全体の情報収集が出来ないんだよね。ソウ様の近くにも全然
いられないし⋮⋮少なくても後2人くらいは斥侯役として欲しいか
な。二狼達も忍狼として良い感じに動けるようになって来てるけど、
監視とか情報の伝達とかはやっぱり言語の壁があるとね﹂
なるほど⋮⋮確かに桜にはいつも情報収集や裏の仕事を任せっぱ
なしだった。
1377
これからもそんなにしょっちゅう桜に動いて貰う事態が頻発すると
かは考えたくない。考えたくはないけど、いざという時の為には桜
の言う通り情報は大事だ。
それに、システィナは何も不平不満は言わず完璧に家事や屋敷の
管理をしてくれているが、この広さの屋敷を1人で管理するのはや
っぱりきついはず。更に裏庭の花壇やちょっとした畑まで管理して
いることを思えばやはり人手が必要だろう。
だけど、うちには絶対に公に出来ない秘密がある。システィナが
侍祭だってことも出来れば知られたくないし、なにより刀娘達のこ
とを不特定多数の人達に知られるのは絶対に避けたい。
となれば、人を雇い入れるにしても知りえた秘密を絶対に漏らさ
ないという保証が欲しい。システィナの﹃契約﹄を使えば相手を縛
ることは出来るが、あくまで契約に反したら罰が降るので﹃〇〇を
言うな﹄と契約をしても罰を覚悟で〇〇を暴露することは可能だ。
そう考えると一種の呪いであるらしい奴隷術による束縛は禁止し
た行動自体を縛るので秘密を守らせるには最適かもしれない。
﹁家事手伝い兼業だったら有りか⋮⋮﹂
﹁本当に!家事手伝い兼業でも全然いいよ!昼間はメイドで夜はく
ノ一とか格好いいし!﹂
いやいや桜。それじゃあ寝る時間ないから。少しは休ませてあげ
てよ。
・・・・
﹁ご主人様、私は別に1人でもなんとかなりますから﹂
﹁だめだめ。﹃なんとか﹄とか言ってる時点できつくなってきてる
証拠だから﹂
1378
﹁あ⋮⋮はい、すいません﹂
﹁謝らなくてもいいよ。今回魔断が修理中で使えないからって理由
で塔巡りのメンバーから外した時にあっさり同行しないことを了承
したよね。その辺から多分限界ぎりぎりの仕事量なのかなとは思っ
てたんだ﹂
そうでなければ治療だけでも十分役に立てるシスティナが俺に同
行しないことをそんなに簡単に了承するはずがない。侍祭として家
事仕事を完璧にこなしたいという意地があったからこそ武器がない
ことを理由に屋敷に残ることを了承した。
﹁侍祭としてお恥ずかしいところを⋮⋮﹂
﹁恥ずかしいことなどありませんわ。システィナさんがいらっしゃ
るおかげで私達はこの家の中で何一つ不便を感じたことがないので
すから﹂
﹁そうだぞシスティナ。屋敷の管理をしながら私の飲酒のタイミン
グを逃さずに完璧に酒を出してくれる者などお前しかいないだろう
よ﹂
ていうか蛍は暇さえあれば酒を飲んでるな、全く。
﹁はい、ありがとうございます﹂
﹁うん、じゃあ桜からの意外な申し出だったけど明日にでも奴隷商
に見に行ってみるか。買うかどうかは予算との兼ね合いもあるけど
ね。確かすぐに行けるのはダパニーメだっけ﹂
﹁そうですね、後はフレスベルクの転送陣からは行けません。そし
てダパニーメにも奴隷商は1つしかありません﹂
ん?ダパニーメにも奴隷商って1つしかないの?っていうか、ダ
パニーメの奴隷商ってフレーズ、今日聞いた気がするんだけど。
1379
﹁え、じゃあもしかしてその奴隷商って﹂
﹁はい、多分シャフナー達が改変した契約書に縛られていた方だと
思います﹂
なるほど⋮⋮これも何かの縁かもしれないな。なんだったらシャ
フナーの件をダシにすれば値引きとかも出来るかもしれないし、良
いタイミングだったか。ついでに塔の壁材も採集してくれれば一石
二鳥だ。明日のダパニーメ行きは決定だな。
後の問題は⋮⋮また水差されるのもあれだからこっちから聞いて
しまうか。
﹁システィナ。例のステイシアから聞いた件を教えてくれ﹂
﹁⋮⋮はい﹂
システィナは一瞬ためらうように息を飲んだ後、決意したように
頷いた。
﹁その話をする前に、少しだけ侍祭の秘密をお話ししたいと思いま
す﹂
﹁え?﹂
﹁世間一般に侍祭が訓練をしたり、契約者を待っている場所をなん
と言うか覚えていますかご主人様﹂
﹁うん、最初に会った時にシスティナが説明してくれたよね︻神殿︼
にいたって﹂
俺が初めて会った日の会話を思い出して答えると、俺が初めて会
1380
った日のことをちゃんと覚えていたことが嬉しかったらしくシステ
ィナが可愛らしく微笑む。
﹁はい。その通りです。それは事実ですが、正確ではありません。
神殿にいるのは侍祭として世にでても構わないと認められたものだ
けなのです﹂
え⋮⋮と、どういうことだろう。
﹁まだ侍祭として世に出せない者達が侍祭としての修行をする場所
は他にあります﹂
つまり、ステイシアはそこから抜け出してきた。それなら未熟で
あったことの説明は出来る。出来るけど⋮⋮じゃあ、どうやってそ
んなところから抜け出してこれたのかという理由は分からない。
おやま
﹁その場所は侍祭達の間では︻御山︼と呼ばれています﹂
1381
桜の提案︵後書き︶
ここで、4章は終わりです。
戦闘控えめで伏線等の配置というか次章への導入章になりました。
1382
外伝SS シシオウの王者な一日 2︵前書き︶
5章前にSSです。
長くなったので遅くなりました。
1383
78
外伝SS シシオウの王者な一日 2
﹃シシオウ 業
年齢:29 職 :闘拳士
技能:剣術
格闘術
回避
体力回復速度補正
運補正︵弱︶﹄
頬に暖かな光を感じて男は目を覚ました。
﹁ちっ、随分と寝過ごしちまったな﹂
呟いて傍らを見ると青い髪が見える。さらに視線を下げると白く
きめの細かい肌をした美女が裸で寝ている。その女の胸はそれなり
に経験豊富な男でさえこれほどのものは初めてだと断言できるほど
の胸だ。
﹁おい、起きろ。トレミ。お前が起こさねぇから随分と寝過ごしち
まった﹂
﹁⋮⋮おはようございますシシオウ様。そんなこと仰るんでしたら
少しは加減していただかないと⋮⋮私はつい最近まで経験がなかっ
たのですから﹂
1384
﹁ちっ、何言ってやがる。お前から誘ってきたくせに﹂
﹁誘う?ですか⋮⋮よくわかりません﹂
盗賊に攫われて慰み者にされそうになっていたトレミを、シシオ
ウが成り行きで救出して面倒を見るようになってから10日程が経
っていた。
街へトレミを連れ帰ったシシオウは、すぐにギルドに盗賊退治の
依頼の完了報告をしてトレミをギルドで面倒見てもらおうと交渉し
た。しかし、ギルドにはまだその辺のノウハウが無かったことと、
トレミ自身がシシオウの保護下から出ることを拒否したため仕方な
くひとまずシシオウが預かることになる。
その後、トレミを宿に連れ帰り、部屋をもう一部屋取ろうとした
シシオウに﹃自分で払えるお金もないのに部屋をもう一部屋増やす
なんてとんでもありません﹄と拒否され、なし崩し的に同部屋にな
った。
そして、同部屋になってシシオウが室内にいるにも関わらずトレ
ミは普通に着替えたり、身体を拭くときも躊躇いなく全裸になって
身体を拭き、そのままの格好でシシオウの身体まで拭こうと近づい
てきたりしたのでシシオウはそういうつもりなら別にいいかと考え、
トレミを押し倒した。
シシオウは盗賊時代も女と言うものに対してそれほど熱心ではな
かった。襲った村などで嫌がる女を犯すとか抵抗されることが面倒
くさいし、萎えるだけなのでしたことがない。
ただ、赤い流星の幹部という位置にいるシシオウに何らかの見返
りを目当てに擦り寄ってくる女達を抱くことにはなんの忌避感もな
1385
かった。
ただ、シシオウは盗賊団内での権力や奪った財産に全く興味が無
かったため打算が目当てで近づいた女達は何一つ利益を得ることは
無かったのだが。
結局、シシオウはその時と同じ感覚で無防備なトレミを頂いたこ
・・
とになるのだが、トレミが無防備だったのは別に誘っていた訳では
なく、実は故郷の村にいた時の習慣に過ぎなかった。だが、ことに
及んだ後も侍祭の契約による罰が下されなかった以上はトレミの合
意もあったということだろう。
それから、シシオウはトレミを独り立ちさせるためにまずトレミ
を冒険者登録させ、パーティに加えた。自分の鍛錬のついでに塔内
で戦い方を教えて、あるていど冒険者として稼げるようになればト
レミを放り出しても契約違反にならないと考えたからだ。
ところが、意外なことにトレミは冒険者として有能だった。シシ
オウが今まで見たことがない精霊術というスキルを駆使し、攻撃は
もちろん索敵や回復までこなしたのである。
この予想外の結果に、もちろんシシオウは歓喜した。これだけ出
来るなら放り出しても冒険者としてやっていけるはずだと確信した
からである。すぐさまシシオウはトレミに別れを告げ、もう絡まれ
ないように1人で別の街に行こうとした。
それなのに何故かトレミと別れようとすると侍祭の契約がシシオ
ウの身体を縛ってくるのである。
その結果シシオウが理解したのは、結局トレミに一般常識を教え
1386
て一人で生きていくことが出来るようにしない限り、トレミがどれ
だけ強くなっても別れることは出来ないということだった。
だが、ここに来て最大の問題が発生。長年盗賊団の一員として生
・・
きてきたシシオウ自身も一般人としての常識を持ち合わせていなか
ったのである。盗賊としての常識や、夜の性活常識なんかはいくら
でも教えられるが、じゃあ一般の常識はと言われると自信が無い。
となるとトレミが一般常識のあるシシオウ以外の誰かの庇護下に
入ることを納得しない以上は、日常生活を送りつつ自分自身もトレ
ミと一緒に一般常識を学んでいくしかなかったのである。
﹁とりあえずさっさと服を着ろ。今日もギルドに行って稼げそうな
依頼があったら受ける。依頼が無きゃそのまま塔だ﹂
﹁はい、わかりました﹂
シシオウは音もなく布団を抜け出すとさっさと服を着て装備を身
に付けていく。その隣で大きな果実をぶるんぶるんと揺らしながら
トレミも服や装備を身に付けていく。トレミの装備は冒険者になる
ときにシシオウが買い与えたもので、革製の胸当てや打撃にも使え
るメイスなどである。
﹁⋮⋮またか、また俺がそれを受けるのか?﹂
﹁はい﹂
1387
トレミとギルドを訪れた途端にがっしと腕を掴まれたシシオウは
カウンターに連行された。そこでまたギルドの笑う受付嬢より指名
依頼を言い渡されたのだ。
﹁モグリの奴隷商が攫って行った子供たちを取り返せって?﹂
﹁はい﹂
﹁街からガキどもが消えたのが?﹂
﹁一昨日ですね﹂
﹁無理無理!んなもん見つかるわきゃねぇって!いくら子供連れっ
て言ったってモグリの奴隷商なんてやってるやつが逃走経路を準備
してない訳ないだろうが!二日も経ってりゃ見つかる訳ねぇって!﹂
シシオウの悪党時代の知識がこの件は追っても無駄だと判断して
いた。盗賊のようにアジトがあるならば多少時間はかかっても突き
止めることは難しくないが、ひたすら逃げる相手を追うのは難しい。
それなのに既に2日。2日なら最低限逃げた方向さえ分かればなん
とかならなくもないが、どっちに逃げたのかすら分からないのでは
さすがのシシオウもお手上げだった。
﹁それではお断りになられると?﹂
﹁当たり前だろうが!﹂
﹁ではなんの努力もせずに、あなたの思い込みだけで既に知ってし
まった悪事を見逃すということでよろしいですか?﹂
1388
全く表情の変わらない固定された笑顔を向けてくる受付嬢にシシ
オウが鋭い視線を送る。
﹁⋮⋮ちょっと待て。おまえ、誰から聞いた?﹂
﹁さて、なんのことだか。わたくしはただ本部より、シシオウとい
う冒険者が依頼を渋るようならこう言えと言われているだけですの
で﹂
﹁くそ!あの野郎!結局無駄な探索に日数を費やせって言うのかよ﹂
シシオウは受付嬢の返答で︵というか考えるまでもなく︶、その
殺し文句を教えた人物が脳裏に浮かび上がり忌々しげにカウンター
に拳を落とす。
シシオウが課せられた契約では知ってしまった悪事に対しては最
善の対策を取らなければならないことになっている。何もしないで
依頼を断ることはその契約に違反することになるぞと受付嬢に指示
を出した人間は言っている。
腹立たしく思いながらもシシオウが仕方なく奴隷商をどうやって、
どの程度まで追えば契約に違反しなくなるかを考えているとシシオ
ウの後ろでやり取りを聞いていたトレミが後ろから声を掛けてきた。
﹁あの⋮⋮シシオウ様﹂
﹁あん?﹂
﹁精霊たちがその者達の行き先を知っていると言っています。どう
1389
も大分強い悲しみの感情をまき散らしていたようで覚えている⋮⋮
と﹂
﹁ちっ!これでちゃんと追わなきゃいけなくなりやがった。ろくな
ことしねぇな!﹂
盛大な舌打ちと共に睨みつけられたトレミだが、いっこうに気に
した素振りはなくにこにこと微笑んでいる。
﹁ああ!くそ!結局またこの流れかよ!やればいいんだろ!時間が
ねぇんだからさっさと情報寄越せ!トレミはその地図を見てくそち
び共の話を反映させろ!﹂
くそちびというのは以前トレミに見せられた精霊が小さな子供の
ような姿をしていたからである。
﹁受諾ありがとうございます。現在分かっている情報はいつもの部
屋にありますので﹂
既にこの手の依頼は今回で3度目である。案内をする受付嬢も慣
れたものだった。
﹁シシオウ様、子供たちを乗せた馬車はこちらの方向に向かったよ
うです﹂
ギルドから与えられた情報を急ぎ確認し、ろくな準備もせずに動
き出そうとするシシオウ達にギルドは緊急性が高いと判断し、ラー
1390
マを一頭貸し出した。もちろん貸し出しただけなので逃がしてしま
ったり、死んでしまったりしたら弁償することになる。
だが、既に2日も先行されている以上、﹃最善﹄を尽くすなら借
りないという選択肢はなかった。
それからはシシオウが手綱を取り、後ろにトレミを乗せたままラ
ーマが潰れないぎりぎりの速度で精霊の言う方角へと走ってきた。
ほとんど休憩も取らないまま半日以上走り続けてきたシシオウ達は
今のトレミの言葉で初めて足を止めた。
ラーマから降りたシシオウは道に残る馬車の車輪の跡を手で撫で
る。
﹁こっちの街道は山越えの道。馬車でこの先に行きたいなら他の門
わだち
から出て遠回りするのが普通だ。街の守衛もこの道を行く馬車は珍
しいと言っていた⋮⋮となればこの新しい轍が例の馬車のもの﹂
1人情報を整理しながらぶつぶつと呟くシシオウは轍が続く道の
先と、トレミが精霊に聞いて指を差した方角を見比べる。
﹁⋮⋮街道に残っている轍は偽装か?﹂
シシオウは街道をそのまま進んで再度轍を確かめる。
﹁轍が浅くなってる⋮⋮ここで荷を下ろしたな。で、あっちにある
森の中に別の馬車を隠してあるってか﹂
くるぶし
にやりと口角を上げたシシオウが街道を外れて地面に生える踝く
らいの長さの草をかき分ける。
1391
﹁⋮⋮当たり、だな。ここなら人目も無い。ガキどもを一旦ここで
下して、歩かせて森まで行った。森を抜ければ内海がある、そこか
らは船か⋮⋮そこまでに追いつかなきゃ依頼は失敗だが、やつら檻
やら人やら乗せた重い馬車のうえに、変に急いでも怪しまれるから
速度は出せなかったみたいだな。これなら追いつくかもしれねぇ。
おい!あとどのくらいだかくそちびは分かるのか﹂
シシオウの後ろから同じように地面を眺めていたトレミが小首を
かしげる。
﹁いえ、精霊たちは強い感情の方向が分かるだけですので⋮⋮﹂
﹁ちっ!使えねぇな!恐らく森の中に内海に通じる道が作られてる
はずだ。そこからまた新しい馬車に乗られると厄介だが⋮⋮もうす
ぐ陽が落ちる。暗闇の中じゃ馬車は動けない。夜通し追えばおそら
く追いつく﹂
手を払って立ち上がったシシオウがラーマに騎乗するために手綱
を取る。
﹁ん?⋮⋮ちっ!気が利くじゃねぇか。よし!乗れ!﹂
﹁はい﹂
いつの間にかトレミが﹃精霊の癒し﹄でラーマの疲労を軽減して
いたらしく、幾分元気を取り戻していたラーマで2人は森へと向か
う。
1392
﹁⋮⋮見つけたぜぇ﹂
﹁はい﹂
2人が遠目に焚火の明かりとその脇に停められている馬車の影を
見つけたのは間もなく夜が明けようとする時間だった。完全に陽が
落ちてからは森の中の視界はほぼ無いに等しかったが、闇奴隷商が
作った馬車用の道と精霊の導きにより並足程度の速度を維持できた
ため、野営をしていた闇奴隷商になんとか追いつけた。
﹁見張りが2人⋮⋮護衛は夜間の見張りが三交代制だとすればあと
4人、問題ねぇな。ちょっくら行ってくるか﹂
シシオウはラーマを下りると闇の濃い部分を選んで馬車との距離
を詰めていく。途中馬車の中から子供のすすり泣く声が聞こえるの
を確認しつつ。その動きは夜の森に慣れた動きで足音1つ立てない。
そのまま欠伸を噛み殺す見張りの背後に滑り込むと、躊躇なく首を
捻り骨を折った。
﹁な!おま⋮⋮ぐえ﹂
首の骨が折れた音が静まり返った夜の森に思いのほか大きく響き、
もう一人の見張りに気付かれるが、その時にはシシオウはその見張
りの前で右の拳を振りぬいていた。
ぐしゃ っという生々しい音と共にこと切れた見張りが地面に倒
れる。
1393
﹁おい!どうした!⋮⋮くそ!起きろ!敵襲だ﹂
度重なる不気味な音と見張りの声にまだ眠りの浅かった1人が気
づき残りの護衛達を呼び起こしてしまい、剣を持った男たちがぞろ
ぞろと馬車の影にあった天幕から飛び出してくる。
﹁⋮⋮護衛は5人、か。後ろの1人は護衛じゃなく闇奴隷商側の人
間だな﹂
シシオウは魔鋼製の手甲を打ち合わせて鈍い音を立てるとふてぶ
てしく笑う。ほぼ丸一日無茶な行軍をし続けてきたため普通なら身
体は疲れているはずだが全くそんな気配は感じさせない。
出て来た男たちが﹃誰だお前は﹄とか﹃1人でなんとか出来ると
おもっているのか﹄とか喚いているがもはやシシオウの耳には届い
ていない。そもそも会話をする気がない。戦う以外の選択肢がない。
身体を低くして突進したシシオウは未だに口上を述べていた先頭
の男の腹に斜め下から強烈な拳を捩じり込む。喰らった男は悲鳴す
ら漏らせずに内臓を破壊されて絶命する。
その男が倒れる前にシシオウは鋭いステップで位置を変えると斜
め後ろにいた1人の懐に飛びこんで下から無防備な喉を打ち抜き、
喉と頸椎を破壊すると流れるようにその隣の男の側頭部をフックで
砕く。
そして、一番後ろで商人を護衛していた男の足を払って地面に倒
すとその首に向かって倒れ込みながら肘を落とした。
1394
﹁⋮⋮⋮⋮な⋮⋮馬鹿な、私達の組織の専属の護衛達を一瞬で⋮⋮﹂
目の前で起きたことが信じられない商人にシシオウが一歩ずつ近
づいていく。
﹁お待ちくださいシシオウ様。出来れば1人くらい関係者を捕縛し
てくれると助かるとギルドから言われています﹂
﹁ちっ!わかった。後は任せる。陽が昇ったら出発する。それまで
俺は寝るから何かあったら起こせ﹂
﹁はい﹂
シシオウはそう言うと近くに死体が転がっているにも関わらず焚
火の脇で横になり寝息を立て始める。
そんなシシオウを優しい目で見ていたトレミは、その顔から表情
を消し怯えたまま動けない商人に近づいてメイスで腹を突く。
﹁うぐ!﹂
そうして気を失った商人を精霊術を使った蔓で拘束してから、身
体を漁って鍵を見つけ出すと馬車の中を確認する。
そこには鉄製の檻に入れられて中で震えている子供達がいた。亜
人が多いようだが人族の子供もいる。ただ、共通しているのは男の
子も、女の子も比較的見目が良いということだろうか。このまま連
れ去られていたら決して良い未来は無かっただろう。
﹁あの、僕達を助けてくれるんですか?﹂
1395
ろうび
トレミに話しかけてきたのは捕まっている子供たちの中で唯一成
人︵15歳︶していると思われる狼尾族の女の子だった。おそらく
狼尾族は珍しい種族であるために今回の誘拐目的の年齢層からは外
れているが攫われてしまったのだろう。
﹁はい、ギルドから依頼を受けたシシオウ様があなた達を助けます﹂
﹁シシオウ⋮⋮さん?﹂
﹁はい。素敵な方ですよ、ちょっと口は悪いですけど﹂
そう言ってトレミはにっこりと笑った。
﹁ああ、ねみぃ﹂
ギルドの共有スペースで定食とエールをかきこみながらシシオウ
が漏らす。あの後、予定通り陽が昇ると同時に馬車をユーターンさ
せ、アーロンの街へと戻った。と言っても馬車での移動は1日がか
りで夜間の見張りなどは子供達には出来るはずもない。
では、トレミと交代ですればいい。となるのだが、子供達がトイ
レを要求したり、寂しさから泣き出したりと全く落ち着かない。シ
シオウにしてみればガキどものおもりをするくらいなら夜通し見張
りをしていた方が楽だということで子供の面倒をトレミに丸投げし
て自分は見張りをしていたため全く寝ていなかった。
1396
ギルドのカウンター付近では攫われた子供の親たちが子供を引き
取りに来て泣きながらトレミにお礼を述べている。トレミはシシオ
ウがその手の対応を嫌うだろうことを理解しつつあったので敢えて
訂正もせずそのままお礼に対応していた。
﹁シシオウ様、無事子供たちは親元に帰りました。捕まえた人も引
き渡しましたし、護衛の武器も換金して、ギルドからの報酬も受取
済みです﹂
1時間程もかけてようやく2桁近くいた子供達全ての引き渡しが
終わったらしい。
﹁おう、じゃあ帰って寝るぞ﹂
シシオウはやっとかと呟きながら立ち上がり、ギルドを出て宿に
向かって歩く。
﹁疲れたな⋮⋮明日は休みにするか。お前も好きにしろ。なんだっ
たら出てってもいいぜ﹂
﹁ふふふ、シシオウ様は冗談がお上手ですね﹂
﹁冗談じゃねぇよ!﹂
﹁あははは!本当に口が悪いんだねぇ、僕うまくやっていけるかな
1397
ぁ﹂
﹁だから、うまくやる必要はねぇって言ってんだろうが!さっと出
てってくれりゃそれでいいんだよ!⋮⋮って誰だこいつ﹂
シシオウがいつの間にか隣を歩いている三角耳の女に初めて気が
付いた。
﹁あ、僕?僕は狼尾族のロウナって言うんだ。よろしく!﹂
﹁はぁ?俺にお前をよろしくする義理はねぇ!っていうかどっから
出てきやがった﹂
﹁酷いなぁ、攫われた子供たちの中にいたんだけど?﹂
ロウナはあははと笑いながら狼のケモミミと狼の尻尾を揺らす。
﹁知るか!ガキどもの顔なんて見ちゃいねぇっつの﹂
﹁シシオウ様、ロウナさんは私と同じ状況ですので⋮⋮﹂
反対側からトレミがぼそりと呟いた言葉にシシオウの動きが止ま
る。
﹁⋮⋮おい、てめぇ。まさか帰る場所が無い上に、一般常識に疎い
とか言うんじゃないだろうな﹂
﹁あ、凄い。正解、両親と山の中で暮らしてたんだけど狼尾族って
成人すると独り立ちしなきゃいけないんだよね。だから僕も山から
出て街に来たんだけど右も左も分からなくてさ⋮⋮美味しいお菓子
1398
を配ってる人がいたからついていったら子供達と一緒に捕まっちゃ
った。てへ!﹂
シシオウは寝不足で痛むこめかみを揉みながら毒づく。
﹁知るかそんなこと!俺の知らないところで攫われろ!俺は馬鹿ト
レミだけで手いっぱいだ!⋮⋮う!﹂
ロウナを捨てようと決意した途端に胸を差す痛み。
﹁あぁ!くそ!もう勝手にしやがれ!﹂
﹁じゃあ、お言葉に甘えるよ。改めて自己紹介、僕はロウナ。よろ
しく、シシオウさん﹂
1399
外伝SS シシオウの王者な一日 2︵後書き︶
5章開始前に少しお時間頂くかもしれません。ちょっと話を煮詰め
てから書き始めたいと思ってます。
1400
記念SS 侍祭様の日常︵前書き︶
受賞記念SS第一弾です。
1401
記念SS 侍祭様の日常
﹁う∼今日も疲れた⋮⋮システィナ、いつも通りお風呂行くから着
替えを頼んでいいかな﹂
いつもの午前中の鍛錬を終えたご主人様がちょっと湯気が出てい
る身体でお屋敷に戻ってきました。今日も蛍さんの指導は厳しかっ
たみたいです。
訓練の内容は日々少しずつ厳しくなっているので、ご主人様は毎
日同じだけ疲れて帰ってくるような気がします。そのあたりの匙加
減はさすがは蛍さんだと思います。
﹁お疲れさまでした。着替えはいつもの所に準備してあります。脱
いだものは隅の籠にお願いしますね。ご主人様﹂
﹁いつもありがとう。システィナ﹂
私がしたことに対していつも笑いながらお礼を言ってくれるご主
人様に私はつい幸せな気分になってしまいます。
侍祭とは契約者のためにあるべし。
私の職である侍祭は、契約者を選ぶまでは主塔を管理する領主で
すらその意思を強制できない程の自由な裁量を持たされていますが、
一度ひとたび契約を結んでしまえば契約者の為だけにその全ての力
を使わなくてはなりません。
1402
その為、契約者の方達は私達を使うことを当然のように思うよう
になり感謝の言葉などを掛けてくれることはあまりないかもしれな
いと教わりました。しかし、侍祭たるものそれが当然であるとも。
私も侍祭としてそれが当たり前だと思っていたのですが⋮⋮ご主
人様は出会った当初から私のことを本当に大事にしてくださいます。
侍祭としては申し訳ない気持ちでいっぱいになるのですが⋮⋮事
あるごとにご主人様は﹃侍祭であっても俺達が対等でいちゃいけな
い理由はないよ﹄そんなことを言ってくれます。
今ではご主人様以外の方と契約を結ぶなんて考えられません。こ
れは私に甘いご主人様の下で私が楽をしたいとかそういう訳ではあ
りません。
私がご主人様とずっと一緒にいたいと心から思うようになってし
まったからです。
その理由はとても簡単です。ご主人様は仮に私が侍祭としての力
を失ってしまったとしても⋮⋮それでも私と一緒にいたいと言って
くれるような人だと思うからです。ご主人様は侍祭システィナでは
なくただのシスティナを見て下さっています。
あ、そんなことを考えていたらちょっと顔が熱くなってきてしま
いました。
今日は入浴に桜さんと葵さんがご一緒しているみたいですから⋮
⋮ちょっと残念ですけど今回はお二人にお任せしましょう。その間
に私はご主人様が戻られる前に昼食の準備をしようと思います。お
1403
二人がご一緒なら出られるまでには少し時間がかかるでしょうから。
あ、でもその前に蛍さんがそろそろご自身の鍛錬を終えてお戻り
になりますのでリビングにお酒の準備ですね。
そのあとは昼食の下ごしらえを済ませて、花壇に水を上げて、そ
れから一狼達の食事の準備をしなくてはいけません。そういえば食
料の在庫もそろそろですか⋮⋮ベイス商会の御用聞きが午後に来ま
すから配達をお願いしておきましょう。それからお屋敷のお掃除を
して⋮⋮お布団も干したいですね。
あとはいつも通り、作業と並行して﹃叡智の書庫﹄を常時発動で
す。今日は大〇林の﹁た行﹂の﹁て﹂からですね。スキルランクが
あがって叡智の書庫になった私のユニークスキルは叡智の書だった
時とは使いやすさが格段にあがりました。
これはご主人様に視野を広げて頂いたおかげです。あの日一緒に
見た星空と感動は今でも忘れません。私の中で一番大事な景色にな
っています。
最近ではご主人様と蛍さん達との会話の意味が分かるようになる
ために、ご主人様に教えて頂いた地球にある﹁じてん﹂というもの
を最初から確認しています。本そのものを読める訳ではないですが、
じてんというのは地球の日本では私の叡智の書庫を本にしたような
物ということで、広く世に常識として認識されているので﹃地球、
日本の大辞〇に書かれていること﹄でスキルを発動すると最初のペ
ージから内容が頭に浮かんできます。
それを頭の中で確認しながら作業をしていきます。それにしても
﹁にほんご﹂というのは本当にとてもたくさんの言葉があります。
1404
叡智の書があるせいでこの世界の知識をほぼ知り尽くしてしまって
知識に飢えていた私にはまさに宝の山です。
しかもその言葉を覚えれば覚えるほど、ご主人様との間の距離が
縮まっていくんですから楽しくて仕方がありません。
﹁お∼い、システィナ∼﹂
お庭の花壇にお水を上げていたら、露天風呂の衝立の向こうから
ご主人様が呼ぶ声が聞こえました。桜さんの気配察知でしょうか。
﹁は∼い、なんでしょうかご主人様﹂
﹁最近働き過ぎなんだから、少しゆっくりしなよ。一緒に入ろう!﹂
⋮⋮もう! ご主人様ったら⋮⋮私は侍祭としてお屋敷の中のこ
とをしっかりとしなくちゃならないのに。⋮⋮仕方のない人ですね。
あれ? ⋮⋮持っていた如雨露がないですね⋮⋮あぁ、いつの間
にか後方にある花壇の中に放り出していました。私としたことが⋮
⋮ちゃんと後で片付けておかないと駄目ですね。みなさんに笑われ
てしまいます。
﹁システィナ∼!﹂
﹁は∼い! すぐに行きます、ご主人様!﹂
ご主人様のもとへうきうきとした気持ちで私は走ります⋮⋮⋮⋮
私は今日も幸せです。
1405
記念SS 蛍の幸せ︵前書き︶
受賞記念SS第二弾です。
1406
記念SS 蛍の幸せ
私が己というものを意識しだしたのはいつの頃だったろうか⋮⋮
もう遥か昔のことで忘れてしまったが、気が付いた時には誰かの
腰に差されていた。それからは何度も持ち主を変え、常に戦場を駆
け抜けてきた。
だが⋮⋮いつからだろう。私を持つ者達の技量に不満を抱くよう
になったは。
本当に長い間戦場に身を置き続けた私は、戦いの経験を積みいつ
しか効率よく刀を扱って戦う為の動きを己の内に見出していた。
それに気が付いてしまってからの私の刀としての生はまさに苦痛
の日々だった。理に適わぬ動きでただ私の刀としての性能だけを頼
りに戦う使用者達に怨嗟にも似た罵声を浴びせ、動けぬ我が身を悔
しく思い続けたが⋮⋮無論その声が届くことはなく、私が自ら動け
るようになることもなかった。
そんな気が狂いそうな日々が延々と続き⋮⋮いつしか戦いくさが
刀としての斬り合いから銃器などの近代兵器に移り変わっていく頃
には、私は社に祭られるようになっていた。
刀としての本能は強く戦いを求めていたが、また未熟な者たちに
使われるくらいならこのまま飾られ続けるのも悪くない。⋮⋮そう
思っていた。
1407
そう思っていたのに、私は戦争の混乱に巻き込まれ社から誰かに
持ち去られることになった。だが既に刀で戦う時代は過ぎており、
持ち去られても刀としての役割を発揮するようなことはなかった。
私は好事家どもの間を金銭を対価に転々と渡り歩き最終的に落ち
着いたのがあの蔵の中だった。
蔵の中は薄暗く、決して居心地の良い場所とは言えなかったがほ
どよく静かで落ち着ける場所であったし、そこには私のように集め
られてきた無数の刀達が同じように保管されていた。
古今から集められてきたらしい刀達の中には私のように年を経て
意思を持つ刀ものも少なくなかった。また意思を疎通できない刀達
でも優れた技術と情熱によって作られた刀達には感情を伝える力が
あることを刀同士は理解していた。
のちにそれらの力は﹃共感﹄と﹃意思疎通﹄というスキルだとい
うことがわかるのだがそれはまた別の話だ。
蔵での生活はなんともぬるいものだった。
既に日本から戦争というものが遠ざかって久しくなりつつあった
し、私が刀としての本領を発揮することはもうあるまいと諦めてい
た。その憂さを晴らすように隣に飾られていた私より年増の刀をよ
くからかっていたが、私は自分自身に常に乾いたものを感じ続けて
いた。
そんな毎日に変化が訪れたのは突然だった。蔵の中の空気を入れ
換える為に開け放たれていた扉の向こうからはいはい歩きの赤児が
入ってきたのだ。
1408
人の赤児などを見るのは随分と久しぶりだった。
おそらく庭で遊んでいたところ、大人の目を盗んでここに入って
来てしまったのだろう。その赤児は蔵の中に陳列されていた刀の数
々を見てどう思ったのだろうか⋮⋮私達に気付くと同時にくりっと
した可愛い目を輝かせてガラスケースに張りついた。
その後、すぐに母親と思しき者が現れ、赤児を連れて行ったが妙
に愛らしいその赤児は変化に飢えていた蔵の刀達の間で瞬く間に話
題の中心になった。
それからというもの、その赤児は扉が開いている隙を見つけては
乱入してくるようになる。自分の足で歩けるようになる頃には一日
に一度は蔵に訪れるようになった。更に成長し少年から青年になり
かけてくると自分で蔵の鍵を開け、一日中蔵の中にいることさえも
あった。
刀達は毎日、あの子が来るのを今か今かと待ちわび、来たら来た
で﹃今日は髪型が違う﹄﹃身長がまた伸びた﹄﹃私と目があった﹄
﹃いやさっきのはあたくしです﹄などと大騒ぎをしていたものだ。
そして⋮⋮とうとうあの日が来た。
﹁お爺ちゃん、俺この刀にする!﹂
﹁そうか、分かった。約束だ、これはお前に預けよう。ただし、お
前も約束は守れ。破った場合は蔵への立ち入りも禁止するからな﹂
1409
﹁わかってる。絶対に屋敷の外には持ち出さないし、人が起きてる
時間帯には刀を振り回したりはしない﹂
そう、その子が私をその手に取ったのだ。
その時の私の気持ちは⋮⋮この蔵から出てあの子と共にいられる
という喜びと、持ち出されたところで戦うことは出来ないだろうと
いう諦めが半々だった。
だが、そんな曖昧な気持ちはすぐになくなっていった。その子は
本当に刀が大好きだった。暇さえあれば私の手入れをし、部屋にい
る時は常に私を手の届くところに置く。寝る時ですら手を伸ばして
届く距離の枕元に私を置いた。
時には抱え込んだまま眠ることすらあったのだが、この時ほど私
に人と同じ体がないことを悔しく思ったことはない。体さえあれば
この子と抱き合えたのに⋮⋮と。未熟な者達に使われていた時より
も強く感じるその思いは私の中でとても新鮮だったのを不思議に思
ったものだ。
私はこの子といることで、そんな詮無いことを考えて苦笑出来る
ほどに毎日を楽しめるようになっていた。
それに、戦いへの欲求についてもこの子が毎日早朝にひたすら私
を振ってくれたことが大分気晴らしになったというのもあるだろう。
もちろんその子に刀の扱いを教える者などいない。素振りも完全
な自己流。私から見れば子供のチャンバラごっこと変わらない。だ
が、1か月、3か月、6か月、1年、2年と一日も欠かさず刀を振
り続けたこの子は刀を振り下ろすという一点のみにおいては歴代の
所有者達にも劣らない程のものを身に付けつつあった。
1410
この子に私の持つ刀術の全てを教えたい。いつしか私の中には戦
いへの欲求よりもこの子を育てたいという想いの方が強くなってい
た。だが、そんなことはあり得ないということも長く生きてきた私
には痛いほどによく分かっていた。
だが⋮⋮まさか! ⋮⋮そんな私の望みが全て叶う日が来るとは
思わなかった。
この子と共にやって来たこの世界では私は話すこともできるし、
なんと人の姿をとることすら出来る様になったのだ。
初めてあの子を抱きしめた日のことはいまでも覚えている。あの
子の感触を肌で感じたあの瞬間私を満たした感動はとても言葉では
言い表せないものだった。
さらに、人の身体を得たことで私は、私が夢想していた刀術を自
らの身で体現することが出来るようになった。そして、そんな私の
技術を学びたいとこの子は言ってくれた。
私の厳しい教えに愚痴を言いつつも決して手を抜かずに真面目に
応え、みるみる上達していくこの子に私は深い満足を得る。更にま
だまだ行く末を見守ることすら出来る。
このなんとも言えない満ち足りた気持ちを私は一体なんと言い表
せばいいのだろう。
﹁終わった∼、今日もきつかったぁ。ん? 蛍、どうかしたの、ぼ
1411
うっとして﹂
﹁む⋮⋮いやなんでもない。ちょっと考え事をしていただけだ﹂
﹁ふぅん、珍しいね。蛍がそんなに考え込むなんて﹂
﹁ほほう? それではまるで私がいつも何も考えていないみたいな
言い種いいぐさだな。そんな減らず口を叩く余裕があるなら筋トレ
もう1セット追加だな。始め!﹂
﹁げ! マジっすか⋮⋮まぁた明日筋肉痛だ。後でシスティナに回
復魔法をかけて貰うかな﹂
などといいつつも既に腕立て伏せを始めているのを見て私は微笑
む。
と、同時にさっきの疑問の答えが頭に浮かぶ⋮⋮私は柄にもない
と自嘲しつつも誰にも聞こえないような声で呟く。
﹁ソウジロウ、どうやら私は今、とても幸せみたいだぞ﹂
1412
記念SS ちょんぱしちゃうぞ︵前書き︶
受賞記念SS第三弾です。
1413
記念SS ちょんぱしちゃうぞ
私の名前は桜。この名前はソウ様が付けてくれたとっても大事な
名前。
桜を造った人が付けた銘も本当は覚えてるんだけど、正直もうど
うでもいい。
その銘の時に桜はソウ様を殺してしまったから⋮⋮
でもそんな桜をソウ様はたった1つだけ異世界に持っていける物
に選んでくれたんだ。あの時の感動は忘れられないなぁ⋮⋮ソウ様
を殺してしまったことが本当に辛くて、悔しくて蔵の皆にも申し訳
なくて⋮⋮桜なんかもうどっかに消えてしまえばいい! って心か
ら思ったのに⋮⋮
だけど、ソウ様は君が悪い訳じゃないんだって何度も何度も励ま
してくれたんだ。俺には君が必要だって言葉で、態度で証明してく
れた。
桜がフレイに攫われちゃった時だってあんなに必死になって取り
返そうとしてくれたし、桜は愛されてるんだなぁって素直に信じる
ことができた。
その後の階層主戦で、またソウ様の血を浴びてランクが上がって
しまうっていう悲しいこともあったけどそこでソウ様と話せるよう
になったんだよね。すっごい嬉しかったなぁ⋮⋮でも、その時はそ
れどころじゃなくて、すぐに貴重な魔石を錬成してもらって擬人化
1414
まで出来るようになっちゃったんだけど。
・・
桜は蔵の中にいた時、隣にいた刀が昔にイガとかいうところにい
た忍者に使われていた刀だったらしくてずっと忍者の話を聞かされ
てたんだよね。それが物凄い楽しくて、羨ましくて﹃いつか桜も忍
者になりたい!﹄っていつも思ってたんだ。
そうしたら擬人化した時、桜の姿はくノ一スタイルになったんだ
よ。桜の推測だけど擬人化した時の姿は刀の時にこうだったらいい
なぁと思っていた姿に近くなるんじゃないかなぁ?
そう考えれば、ソウ様のことが大好きなあの蔵の刀達が皆、女の子
になるのも当たり前なのかなぁ⋮⋮なんてね。
でも、桜は刀身の長さの関係からか、小太刀の分類だったせいか
身長はちょっと小さ目だったのは残念。最低限のおっぱいは確保で
きたからぎりぎりセーフだけどね。ソウ様はおっぱい好きだし。
で、階層主をやっとこ倒したはいいもののソウ様や蛍ねぇがダウ
ンしちゃって大変だったなぁ。シスが頑張り過ぎちゃって止めても
休んでくれなかったりね。
その後、やっと目を覚ましたソウ様が桜に初めて忍者としてのお
仕事をくれたんだよね。
フレイ姉弟を騙していいように扱き使って、フレイを性奴隷のよ
うに弄んでいたクズの調査。
もちろん、桜はOKしたよ。ソウ様の頼みだもん。正直その時は
フレイのせいでソウ様が危険な目にあったんだから放っておけばい
いのに! って思ってたけど。
1415
あ、今はそんなこと思ってないよ。フレイは真面目で健気でいい
子だもん。桜が攫われた時はかっとして我を忘れてたみたいだけど、
ソウ様は最初からそれを分かってたんじゃないかなぁ。なんだかん
だ言ってソウ様優しいし。
取りあえず桜はレイトークにあるクズの屋敷に行って、周辺の噂
話を集めたんだ。そうすると評判の悪いこと悪いこと⋮⋮正直この
時点でもうアウトだと思ったんだけど一応裏は取らないと忍者とし
て失格だからね。ちゃんと屋敷にも忍び込んだよ。
じゅうじん
﹁くそ! あの魔石とあの珍しい武器があれば父上の課題を達成で
きるだけの金を手に入れれられたのに!使えない女だ!﹂
﹁坊ちゃま。旦那様より指示された期日まで後10日程です。それ
までに50万マールを自力で用意いたしませんと﹂
﹁分かっている! また屋敷に閉じ込められて教育という名の監禁
をされるなんてのは御免だ! 仕方がない。身体だけは好みだった
し、そこそこ強いから重宝してたがあの獣人を闇の奴隷商に売る。
あの器量だ、うまく行けば高く売れるだろう、手配しろ。売れる算
段がついたら弟の方は与えている毒を強くして構わん。弟が死ねば
売られる時に抵抗する気もなくなるだろう﹂
﹁はい﹂
﹁それと夜はいつものように部屋に呼べ。売るとなれば、今のうち
にしゃぶり尽しておかないとな。こんなことになるなら他の女達も
1416
殺さずに売っておけば良かったな﹂
﹁前の三人は人族でしたからあまりお勧めは出来ません、坊ちゃま。
人を売ったとなれば闇の奴隷商に弱みを握られることになります﹂
﹁ああ、そうだったな。まあいい、あの部屋で本気で楽しむには壊
す覚悟が必要だったしな﹂
こんな話を聞いちゃったら、さすがに桜もフレイが可哀想になっ
たよ。その後はちょっとだけやる気出して、あの部屋というのを探
し出したんだけど⋮⋮胸糞悪くなるような拷問部屋のような場所だ
った。この部屋の中には過去に犠牲になった人達がいた証拠もあっ
た。⋮⋮それが何だったかはちょっと言いたくない。
報告に戻ろうとしたらちょうど、フレイが訪ねて来たから様子を
見てたら⋮⋮クズにいいように嬲られてた。同じ女としてあれはな
い。見てられなくてすぐに屋敷を出ちゃった。
でも、ちょっと後味悪いからもう少し調査を延長してフレイの弟
の居場所を突き止めて、薬として与えられていた物をサンプルにち
ょっと頂いて毒であることを確認してからソウ様に報告したんだ。
桜の初仕事はこんな感じだったけど、ソウ様はとっても褒めてく
れた。桜も大好きな忍者としての仕事だったし褒められたのは嬉し
かったけど⋮⋮それよりも嬉しかったのは、ソウ様がちゃんとクズ
を処理する指示をくれたことかな。
正直、桜もあのクズを生かしておきたくなかったからね。二つ返
事でOKしちゃった。
1417
1人になったところを背後からポキリと頸椎折って、階段から落
ちて首を折った感じにした。あの部屋への扉を壊して開きっぱなし
にして中の﹃証拠﹄をばら撒いて、使用人のフリをして領主の兵を
屋敷に呼んだんだ。あとは流れにおまかせ。いっちょあがりってね。
・・・・・・・
後はおまけで、弟くんを診ているフリをして毒を盛っていた薬師
をほんのちょっとだけ脅して解毒剤を貰って弟くんのところに置い
て来た。
桜が自分で言うのもなんだけど、我ながら完璧な初仕事だったと
思う。
それからも、調査が多いけど桜はソウ様の為に頑張って忍者の仕
事をしてるんだ。半分は桜の趣味だけどね。
さすがになかなか初仕事の時みたいな﹁ちょんぱ﹂事案がないの
が残念だけど、ソウ様のためならいつでも桜は悪者たちを成敗しち
ゃうよ。
だからいつでも頼って欲しいな。ね、ソウ様♡
1418
記念SS ちょんぱしちゃうぞ︵後書き︶
受賞を機にいまさらですがTwitterを始めてみました。はっ
きり言ってどう活用していいかちんぷんかんぷん︵古い?︶で困惑
状態ですが、もし良ければご覧ください。
えと・・・何をお知らせすれば皆さん辿りつけるんでしょう?一応
アカウント名は﹁伏︵龍︶@魔剣ハーレム﹂です。
追記
どうもツイッターは﹃@manaff11268ne﹄こっちが大
事みたいでした︵^^;
1419
記念SS わたくしにおまかせですわ︵前書き︶
受賞記念SS第四弾です
1420
記念SS わたくしにおまかせですわ
﹁葵、ごめん。廊下にもう一個明かりが欲しいんだ。魔石灯の台は
壁設置型のを買ってきて取り付けたんだけど光魔石は買ってこなか
ったんだよね。一個お願いしてもいい?﹂
﹁もちろんですわ、主殿。魔石はお持ちですの?﹂
﹁うん、これにお願いできる?﹂
﹁お安い御用ですわ﹂
わたくしは主殿が差し出してきた、多分Hランクと思われる魔石
を受け取ると光属性の魔力を操作、増幅、圧縮、注入して無属性魔
石に属性を付与していきます。
・・
付与術師ではないわたくしの属性付与は、魔力操作と魔力の量に
よる力技なので結構大変なのですがこのわたくしにしか出来ないこ
とですし、主殿のためなら否やはありませんわ。
﹁できましたわ。主殿﹂
ちょっと気合いを入れすぎて軽く目眩がしますが、会心の出来で
すわ。そんじょそこらの付与術師には真似出来ない程の品質になっ
たと断言してもいいですわ。
﹁ありがとう、葵。⋮⋮ちょっとごめんね﹂
1421
﹁え、あ! ぬ⋮⋮主殿?﹂
﹁いいからいいから、ちょっとふらついてるよ。部屋まで運んで上
げるからちょっと横になって休んで﹂
はうぅぅ! ほんの僅かなわたくしの不調に気が付いてさりげな
くお姫様抱っこで部屋まで運んでくださるなんて! さ、さすがで
すわ主殿。わたくしの心をいとも容易く鷲掴みですわ!
まぁ、もっともわたくしの心などとっくの昔に主殿のものですけ
ど。
まだはいはいしかできなかった主殿があの蔵に入ってきてその姿
を一目見た時から、わたくしの心の中にはその子が住み始めたので
す。
その子は蔵に来る度に凛々しく成長していきましたわ。いつしか
わたくしはその姿を見ることを待ち詫びるようになり⋮⋮年甲斐も
なく胸を高鳴らせるようになっていったのです。
⋮⋮もちろん刀なので高鳴るような胸は当時はなかったのですけ
ど。
わたくしは刀としての生は長いですが、飾られていた期間が長か
ったので、人間たちのことには詳しくなりましたが戦闘については
隣にいた山猿ほどには経験を積むことが出来ませんでした。
ですが、逆にそうであったからこそ山猿のように使用者に対する
不満を抱えて鬱屈することもありませんでしたし、戦いの本能に引
き摺られるような無様な姿を見せることもありませんでした。です
1422
からわたくしは山猿の様に深い絶望を味わうことなど一度も無い刀
生を歩んできたと言えるでしょう。
そんなわたくしが⋮⋮この世の終わりとも言える程の絶望を最近
になって味わうことになるとは夢にも思いませんでした。⋮⋮しか
も2度。
一度目は約3年前。
蔵の中へ祖父と共に訪れた主殿が、数多ある刀達の中から私では
なく山猿を選んだこと。わたくしは思わず目の前が真っ暗になりま
した。
だって、そうじゃありませんか? 刀としての美しさは間違いな
くわたくしの方が上。刀として使うことを考えたって、無駄に長い
あの山猿よりも一般的な長さのわたくしの方が取り回しやすいのは
一目瞭然なのですから。
おそらく主殿は刀を見ることは好きでも、知識の方はあまり詳し
くなかったのでしょう。そうでなければわたくしを選ばない理由は
ないのですから。
それからの3年間は地獄のような日々でした。毎朝行われる主殿
と山猿の逢瀬は見えなくても﹃共感﹄で伝わって来てましたから。
﹃わたくしも手に取って欲しい﹄と、どんなに望んでも伝える術
がない。ことここに至りわたくしはもう、いつか主殿が蔵の刀を全
部相続して自由にわたくしたちを愛でることが出来る様になるまで
待ち続けるしかないと覚悟を決めていました。
1423
まさか、そんなわたくしに、本当の地獄が訪れることになるとは
思いませんでした。それこそ2度目の絶対的な絶望⋮⋮それは主殿
の死、でした。
強盗に入った男に盗み出された桜さんが主殿を刺し致命傷を与え
てしまったのですわ⋮⋮
主殿が亡くなったことは、後に駆けつけてきた警察と消防が死亡
確認をしていました。開け放たれたままだった扉の向こうでピクリ
とも動かなくなってしまった主殿が運ばれていく姿をわたくしはた
だ、呆然と見送りました。もし、涙というものが流せるのならば間
違いなく流していたと思いますわ⋮⋮
しかも証拠品として押収されてしまったのか、あの口やかましい
山猿やいつも明るい思考で皆を楽しませてくれていた桜さんが蔵に
戻ってくることもなかったのです。
︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱
それからの日々は⋮⋮思い出したくもない程に無味乾燥な毎日で
した。あれだけ毎日賑やかだった蔵の中もまるで灯が消えたようで
した。
そんな日が幾日か過ぎた日⋮⋮奇跡がおきたのですわ!
わたくしは突然光に包まれたのです。それは今にして思えば濃密
な魔力の塊だったような気がします。
1424
そして、光から解放された時わたくしは⋮⋮あれほど望んでも望
んでも叶うことがなかった主殿の手の中にいました。
あの時の感動⋮⋮今思い出しても身体が芯から火照ってしまいま
すわ。感動に打ち震えてしばし呆然としている間に山猿に好き放題
言われてしまったのが不覚と言えば不覚ですが⋮⋮
この世界は本当に私達にとって素晴らしい世界です。
こうして女の身を得て主殿と触れ合うことが出来る。
刀として思う存分に戦うことが出来る。
そして主殿の為に自分から行動することが出来るのですから。
わたくしはなんだかとても嬉しくなってしまって、わたくしを運
んでくれている主殿をぎゅぅっと抱きしめてしまいましたわ。
﹁ちょ、ちょっと葵。前が見えないから危ないよ﹂
﹁主殿⋮⋮これからもわたくしとずぅっと一緒にいてくださいませ
ね﹂
﹁うん? そんなの当たり前でしょ。離れたいとか言われたら俺、
泣くよ﹂
﹁ふふふ、そんなことはあり得ませんわ。わたくし達の邪魔をする
ものは全部わたくしが排除しますもの⋮⋮わたくしにおまかせ、で
すわ﹂
1425
記念SS 尽くすべき我が主︵前書き︶
受賞記念SS第五弾です。
1426
記念SS 尽くすべき我が主
私は魔物だった。
元々は塔から排出された魔物の1頭だったと思う。塔から排出さ
れた私は体内の魔石の力を使って近くにあった山の中に適応する魔
物へと身体を変化させた⋮⋮ような気がする。
正直その辺りの記憶は曖昧で確たることは言えない。なんとなく
そう思うだけだ。ただ、身体の内から湧き上がってくる攻撃衝動だ
けは今とは比べものにならないほどに高かったことを覚えている。
同じ魔物同士なら、かろうじて抑えることも出来たが人間や野生
あらが
の獣などが視界に入るだけでもう抑えることは無理だった。別に空
腹を感じている訳でもないのにどうしてもその衝動に抗えずに襲い
掛かってしまう。そして、その衝動は相手が動かなくなるまで続い
てしまうのだ。
そんな私があのクズの従魔に落ちぶれてしまったのは何もあのク
ズの力やスキルに屈した訳ではない。あの盗賊団の首領だった大剣
の男⋮⋮山中であの男に出会い、攻撃衝動のまま飛び掛かったら一
瞬で殴り倒された。そして、意識が朦朧としている内にあのクズの
スキルが私を捕らえてしまったのだ。
あんなやつの言いなりにならなくてはならないことは私にとって
とても屈辱的なことだった。
ただ、あのクズにも1つだけ感謝しなければいけない⋮⋮いや2
1427
つか。
1つは従魔となったことで、塔の魔物として立場が解除されたか
のように常に湧き上がっていた攻撃衝動が無くなったこと。これに
より私は物事を考えられる程度の知性を持つことが出来た。
だが、あのクズの指示に従い続けるのは苦痛でしかなかった。私
欲の為に人でありながら人を襲う。その尖兵として私は使われた。
元は魔物だ、人を襲うことに忌避感は無かったが⋮⋮何故か腹立た
しい気持ちをいつも抱えていた。
そしてもう1つは⋮⋮あの方に引き合わせてくれたことだ。
あの方はたったの3人で100を越える人間と我ら狼、数十頭。
それに熊の魔物2頭を相手に互角以上の戦いを繰り広げた。
正直に言えばたかだか3人の人間など、我らが取り囲んで戦えば
すぐに喰い殺せると確信していた。
それなのに私の指揮下にあった狼達が次々に屠られていった。そ
の大半は私がクズに命じられるままに力で従わせていた攻撃衝動の
ままに動く狼達だった。
そのため、彼らが私の指示に従わずただ無謀に襲いかかり、返り
討ちにあっても特に思うところはない。
しかし、私の周囲には私と同じように魔物としての攻撃衝動から
目が覚めて知性を発現させた狼達がいた。こちらは私の強さだけに
従っていた訳ではない、いつかあのクズの支配から抜け出して好き
1428
なように生きるという目標に共感してくれた同胞達だった。
この仲間達を無駄死にさせたくはない。私は仲間達に近づきすぎ
ずに戦うふりをするように指示し、状況を変えられる何かを待って
いた。
だが、あのクズとその仲間はいつまでも倒せぬ敵に業を煮やし、
私達ごと巨大な火の玉で焼き尽くそうとしたのだ。
そのあまりに凶悪な魔力と、視界を覆った絶望的な光景に、なま
じ知性が出てきたばかりの同胞達は恐怖と絶望で足が竦んでしまっ
ていた。
唯一の救いはあのクズが私達を見捨てたことで私を従魔としてい
たスキルの効果も消え、私経由であいつに従っていた同胞たちにも
枷がなくなっていたことだ。
私は急いで同胞達の下に駆け寄り、一頭ずつ尻を蹴飛ばしここか
ら離れる様に促して回った。それでも広範囲に散っていた同胞達全
ては無理だ。何頭かは諦めるしかない⋮⋮と思っていたら何故か人
間が残りの狼を守ろうとしてくれていた。
おかげで私はその他の狼全てを追い払うことが出来た。しかし、
それと同時に私自身が逃げ出す機を失ってしまっていたのだが⋮⋮
それでも同胞達を救えたのなら構わない。群れを統率していた私の
責任は果たした。
⋮⋮そして、私は最後に私の手の及ばなかった狼達を守ってくれ
ようとしてくれている人間たちを見た。今にして思えばその時の私
の気持ちは私が生まれて初めて感じたもの﹃感謝﹄だった。
1429
あざけ
その時だった。あの方と目があったのは。⋮⋮優しい目だった。
あのクズや盗賊達から向けられていた敵意と嘲りの目ではなかった。
私の勘違いでなければあの方は魔物である私に敬意と慈しみのこも
った目を向けていたのだ。
そのことに気が付いた瞬間、私の中になんとも言えない暖かな衝
撃が走り抜けた。
﹁お前も来い!!﹂
だから、私は手を伸ばして私を呼ぶあの方から目を離せなくなっ
ていた。
﹁お前はこんな形で死んでいい狼じゃない! 死ぬならここを凌い
だ後で俺と戦え! それなら容赦なく殺してやる!﹂
敵だと分かっているのに私を惜しみ、裏切られる可能性すら包み
込んで私を救おうとする器の大きさに気が付けば私はあの方の胸に
飛び込んでいた。
直後に訪れた轟音、そして灼熱⋮⋮だが、あの方に力強く抱きし
められていた私には何の不安も無かった。初めて抱きしめられたそ
の人肌の暖かさ⋮⋮この安らぎと安心感の中ならば、この方と一緒
ならばこのまま燃え尽きても構わないと本気でそう思ったのだ。
結局、私は助けられた。このまま他の狼達とあの方たちを助けよ
う。そう思ったが、さっきまで敵だった私達が近くにいればきっと
1430
逆に戦い難いだろうと考えた。
それに、クズに使われていたスキルがこの後また私達に影響を及
ばさないという確証もなかった。
あの方たちの窮地はこの後も続く⋮⋮共に戦いたいという気持ち
を押し殺し今は近くにいないことがあの方たちの役に立つ。そう言
い聞かせて助けられた他の同胞達と一旦この場を離れた。
それにこの時、私の鼻が遠くから流れてくる沢山の人間と鋼の臭
いを捉えていた。おそらくはそれなりの規模の人間の部隊。その部
隊をうまくここまで誘導出来ればあの方たちを救ってくれる可能性
があると思った私はそちらへ向かうことにした。
結局その部隊はもともとあの方達を救うための部隊だったのだが
⋮⋮
全ての戦いが終わり、私は何頭かの狼とあの方達が帰ろうとする
後ろをついていった。
私を一蹴したシャアズを1対1で倒したその実力、私を認めてく
れたあの目⋮⋮私の心をも鷲掴みにしてしまったあの力強い腕⋮⋮
そして、なによりもあの安らぎ。クズから解放され自由に生きるこ
とを目標としていたはずの私の中にはもうその考えはなくなってい
た。
私を認めてくれたあの方と共にいたい。共に戦いたい。今はまだ
あの方に相応しくないが、私はもっともっと強くなって今度は私が
あの方とあの方の大事なものを守ってあげられるようになって恩を
返したい。
1431
そうなった時こそ私は私が認めたあの方を敬意を込めてこう呼ぼ
うと思っている。
私が尽くすべき﹃我が主﹄と。
1432
記念SS フレイの休日︵前書き︶
受賞記念SS第六弾です。
1433
記念SS フレイの休日
﹁あ、フレイさん。こんにちは﹂
私達のパーティ﹃剣聖の弟子﹄のリーダーであるアーリに今日一
日は休養日にすることを告げられ、暇を持てあましていた私はフレ
スベルクの街をあてもなくぶらついていた。
﹁な! ⋮⋮ああ、ふ、ふふフジノミヤ殿!﹂
そうしたら珍しく1人で街を歩いていたフジノミヤ殿に偶然出会
ってしまった。な、なんていい日なんだろう今日は。休みにしてく
れたアーリには感謝しなくてはいけない。
﹁珍しいですね。こんな時間にこんなところで会うなんて。今日は
休養日ですか?﹂
﹁あ、ああ。ここのところ毎日、塔と依頼にかかりきりだったから
アーリが今日は休みにしようと⋮⋮﹂
あぁもう! 頭の中では冷静に考えられているのに口に出す言葉
はたどたどしくて、まるで挙動不審者だ。こんなことではフジノミ
ヤ殿におかしな女だと思われてしまう。
﹁パーティ結成以降ずっと頑張ってますからね。ギルドランクも順
調に上がってるみたいですし﹂
﹁そ、そうなんだ。フジノミヤ殿に言われてパーティを組んで、師
1434
匠達から稽古をつけてもらってなんとか戦えるようにしてもらった
のと、新しくできたギルドのおかげで日々の収入が随分と増えたん
だ。今では毎日少しずつだけどみんな蓄えが増えてる。毎日ちゃん
とおいしい物が食べられて、ちゃんとした場所で泊まる事ができる
から体調もいいし、やる気も出る。なによりいまなら1人になって
もなんとか生きていけると思えるようになった。アルも自分に合っ
た仕事を見つけて毎日が楽しそうだし、もし私に何かがあってもも
う路頭に迷うことはない。それもこれもみんなフジノミヤ殿のおか
げだ⋮⋮本当に感謝してもしたりない﹂
気が付いたら次から次へとフジノミヤ殿のおかげで改善した私の
人生を説明していた。しまったと思った時にはもう遅い。目の前の
フジノミヤ殿はきょとんとした顔をしている。
日頃から感謝しまくっていたせいでつい歯止めが利かなくなって
しまった自分をいまさらながら呪いたい気分だ。
﹁そうですか! それは良かった。フレイさんは実力もあるし、人
柄もちょっと騙されやすいという欠点はありますけどとても素直で
律儀で好感が持てますし、本来であればそのくらいの生活は出来た
はずだと思いますよ。今まではほんの少し歯車が噛みあっていなか
っただけです。だから今の生活があるのは私の力じゃなくフレイさ
ん自身の力だと思います。もし仮に私が何かをしたんだとしたら⋮
⋮ほんの少しのきっかけを作ったことと、ちょっとだけ背中を押し
たことぐらいです﹂
はう! ⋮⋮そんな笑顔でそんなこと言われたら顔が熱くなって
しまうではないか。きっかけ⋮⋮というのはあの夜のことだろうか
⋮⋮
1435
あの夜のことは私にとって忘れられない一生の宝物だ⋮⋮初めて
女として、本当に幸せを感じられる一時だった⋮⋮出来ることなら
また⋮⋮は! い、い、いったい何を考えているんだ私は! フジ
ノミヤ殿にはシスティナ殿や蛍殿のように、私のような汚れた女で
は足下にも及ばないような人たちがいるではないか。
﹁あ、あの⋮⋮きっかけというはあの夜のことではなくて⋮⋮戦闘
の指導とアーリさんたちとパーティを組むことを勧めたこと⋮⋮で
す、よ?﹂
﹁なななななな、なんだ! わ、分かっている。分かっているとも﹂
ああ、またやってしまった。そんなこと考えればすぐに分かるで
はないか。ただ⋮⋮私にとっては⋮⋮今後も生きていく力をもらっ
たと思えたのは⋮⋮
﹁あの⋮⋮もちろん、あの日のことをそういうふうに思ってもらえ
るのは私もとても嬉しいです⋮⋮よ。フレイさん、とても綺麗でし
たし﹂
﹁はうっ! ⋮⋮﹂
あぁ⋮⋮だめだ、頭に血が⋮⋮⋮⋮ ぷしゅぅ ⋮⋮どこかでそ
んな音が聞こえた気がした。
︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱
気が付くと視界の中には青い空と⋮⋮誰かの首もとがあった。
1436
頭はやや固いがぬくもりのあるものの上に乗せられ、身体はどう
やら木の長椅子のような物の上。そして、かすかな風を感じている
頭と平耳を誰かに優しく撫でられている。平耳を撫でられることに
関しては過敏になりすぎないように、毎晩アーリ殿に協力してもら
って慣らしていたから、まだ少しくすぐったいが身悶える程ではな
い。それどころかむしろ⋮⋮
﹁⋮⋮気持ちいい﹂
﹁あ、気が付きましたか?﹂
思わず漏れた言葉に、首もとだけが見えていた誰かが心配そうに
覗き込んでくる。
⋮⋮それは、当たり前のように当然ながらやっぱり間違いなくそ
うであろうと気が付いていた人⋮⋮
﹁フジノミヤ殿! も、申し訳ない!﹂
﹁あ! 動かないで! ⋮⋮いきなり動くとまだふらつくかもしれ
ないから⋮⋮それに、もふもふするのも気持ちいいですし。もう少
しこうしていませんか?﹂
一気に正気に戻り慌てて起きようとした私を、胸元を優しく抑え
て再び頭を太ももの上に戻したフジノミヤ殿はいたずらっ子のよう
な笑みを浮かべている。今抑えたその手に私の胸がばくばくとして
いるのを気が付かれなかっただろうか⋮⋮
﹁⋮⋮ここは?﹂
1437
﹁フレスベルクの噴水広場ですね⋮⋮﹂
頭と平耳を撫でられながらちょっとだけ視線を巡らせると、混迷
都市フレスベルクには似つかわしくないほどに静かでのんびりとし
た時間が流れている。
﹁この街にこんなところが⋮⋮﹂
﹁大分端っこの方ですし、周囲にはあまり店もないような場所です。
私も家の者に聞くまでは知らなかったんですが、たまにぼんやりし
たい時なんかは来るんですよ﹂
この世界ではあまり見ないさらさらとした黒髪を風に揺らしなが
ら目を細めるフジノミヤ殿。
﹁いいところだな⋮⋮私もまた来てもいいだろうか?﹂
﹁当たり前ですよ。この場所は私のものではないんですから﹂
﹁そ、そうか⋮⋮そうだったな⋮⋮ありがとう。フジノミヤ殿﹂
よく分からないが、この場所はフジノミヤ殿が1人でのんびりす
る大切な場所の1つだったような気がする。そんな場所を成り行き
とはいえ教えてもらえたことが私は単純に嬉しかった。
﹁さて、ちょっとお腹がすきましたね。その辺をぶらぶらしながら
屋台をひやかしに行きませんか? もちろん私が誘ったので全部奢
ります﹂
1438
﹁わ、私と一緒でいいのか?﹂
この状況だけでも充分に幸せなのに、更に一緒に街を歩く? そ、
そそ、それではまるでこ、こここ、恋人同士みたいではないか。
﹁え? もちろん全然いいですよ。1人だとなかなか屋台巡りも回
りづらいですし、一緒に来て頂いた方が助かります﹂
﹁そ、そ、そうか! じゃ、じゃあ同行させてもらおう﹂
﹁本当ですか! じゃあ、早速行きましょう。こっちに行くとおい
しいと評判の屋台があるんですよ﹂
﹁わ、わかったから、そんなに急かさないでくれフジノミヤ殿﹂
フジノミヤ殿の膝枕は名残惜しかったが、その後の食べ歩きもと
ても楽しいものだった。なぜだろうか⋮⋮食べたことある料理もい
くつかあったにも関わらず食べた物全てがおいしかった。
ここ数年こんなに笑ったことはあっただろうか⋮⋮こんなに心安
らいだ日はあっただろうか⋮⋮そしてこんなにも時間が経つのが惜
しいと思うことはあっただろうか⋮⋮
ああ⋮⋮やはり私は⋮⋮
﹁フジノミヤ殿⋮⋮﹂
﹁はい。どうかしました? そろそろ暗くなってきましたし、宿ま
で送りますよ﹂
1439
繁華街からは少し外れ、喧噪もやや遠くなった路地。点灯したば
かりの魔石灯と落ちる寸前の夕日の明かりが私達の影を細長く伸ば
し、不思議な雰囲気を醸し出している。だが、その雰囲気にあてら
れた訳ではない。
﹁もし⋮⋮もし私がまた挫けそうになったら﹂
﹁え?﹂
突然、雰囲気の変わった私にフジノミヤ殿が戸惑っている。もし
かしたら拒否されるかもしれない。あきれられるかもしれない。嫌
われてしまうかもしれない⋮⋮それでも私はこの人が⋮⋮
﹁あの日のように私を受け止めてくれるだろうか?﹂
⋮⋮不思議だった。
今日はフジノミヤ殿と偶然出会ってから、ずっと嬉しくて、恥ず
かしくて、緊張して、焦って、まともに話せなかったのに⋮⋮⋮⋮
こんなにも大胆でこんなにも恥ずかしいことがすんなりと言葉に出
来る。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁駄目⋮⋮だろうか?﹂
﹁いえ⋮⋮そうではなく⋮⋮正直に言っていいですか?﹂
﹁ああ⋮⋮覚悟は出来ているから言って欲しい﹂
1440
・・
﹁私は男です。しかも結構スケベだという自覚もありますから、フ
レイさんのような綺麗でスタイルのいい女性からまたあの日のよう
なことをして欲しいと頼まれたら断れないです﹂
今日一日、年上の男性のように落ち着いた態度で私をエスコート
してきたフジノミヤ殿が初めて動揺しているように見える。私の思
いきった言葉で動揺させることができたことが、ちょっと嬉しい。
﹁でも、私には他にも一緒にいたい女性達がたくさんいます。フレ
イさんならフレイさんだけを見てくれる方もきっと現れると思うん
ですけど⋮⋮﹂
それは分かっていたこと。フジノミヤ殿のような方のところには
もしかするとこれからももっとたくさんの女性が集まってくるかも
しれない。
それでも⋮⋮私をあの地獄から救ってくれて、私達姉弟に未来を
くれて、傷のある私を優しく受け止めてくれて、癒してくれたフジ
ノミヤ殿が私は⋮⋮
だから私は身体の中にある残った全ての勇気と溢れる想いの全て
を込めて口を開く。
・
﹁あなたがいい。あなたが好きなんだ﹂
私の渾身の言葉⋮⋮その想いにフジノミヤ殿はこの日一番の笑顔
を私にくれた。
1441
記念SS フレイの休日︵後書き︶
感想、評価、ブクマ、レビュー、随時募集してますのでよろしくお
願いします^^
1442
記念SS ファンの生き様︵前書き︶
受賞記念SS第七弾です。
1443
記念SS ファンの生き様
﹁ギルマス!この依頼なんですけどちょっと見て貰っていいですか
!﹂
﹁こっちの買取額も確認お願いします!状態が悪いので査定額をち
ょっと下げたいんですが下げ幅がちょっとわからなくて﹂
﹁すいません!3番窓口で冒険者の方がギルマスを呼べって騒いで
いるんですがどうしますか﹂
﹁食堂の方から、今日はお客様が多くてお酒と食材が夜までもたな
いのなんとかしてくれって要請が来てます!﹂
今日もいつものように慌ただしいですね⋮⋮私は内心でそう呟く
と溜息を洩らしてしまいました。
とはいっても私がやりたいと言って始めた仕事です。この仕事は
私達のすむ世界を確実によくしてくれるという確信があります。私
の残りの生涯をこの冒険者ギルドのために費やすに値すると即座に
判断したのです。やりがいが無い訳ありません。
﹁わかりました! その依頼は確かにちょっと疑問がありますね。
依頼人のところへ職員を派遣してもう一度内容を確認してきてくだ
さい。おそらくモートさんが適任です!﹂
﹁買取額に関しては私に頼らずにアル君までの決済で構いません。
彼の査定に間違いはありません﹂
1444
﹁3番窓口! 呼べと言われたからと職員を派遣していたら回りま
せんよ! まず苦情の内容を聞き出してください。制度に関するも
のなら内容を聞き取ってください。金銭的な苦情については私達は
相場からしっかりとした値段で対処してますので聞く必要はありま
せん。もしごねるようなら⋮⋮今日、ギルド護衛にあたっている契
約冒険者は誰ですか? ⋮⋮ああ、なら構いません彼に任せて下さ
い。ただし、用件が非常時案件にかかわるものであった場合は真偽
問わずすぐに別室に案内してください。こんなのは想定された規定
集通りの対応ですよ!﹂
﹁食堂の要請については最優先で対応。ギルド単独の収入源ですか
ら大事にしてください。アル君の査定は終わって⋮⋮ますね。では
彼に仕入れの指揮を任せますのですぐに対応してください﹂
それにしても、フジノミヤ様から教えて頂いたこの冒険者ギルド
という組織は本当に凄い形態です。まず今まで好き勝手に動いて、
自己責任で戦って死んでしまっていた探索者達に危険のない仕事も
斡旋することとで収入を安定させました。
そしてそこで得た収入でちゃんとした準備を整えさせてから実力
に見合った依頼や探索を行わせることで探索者⋮⋮いえギルド登録
後は冒険者ですね。冒険者達の危険を軽減しそして順を追った成長
を促すことが出来ます。
そのため新たに冒険者になろうとする者も増えました。もちろん、
そんな初心者にはギルドから回復薬などをほんの少し優遇した価格
で販売したり、盗賊などの武器を最低限の整備をして安く払い下げ
たり、初心者同士のパーティ結成を促したりするなどの支援も行っ
ています。
1445
ギルドが機能し始めてからは冒険者達の死亡率はかなり下がった
と思います。噂はすぐに広まり、支店を増やそうと塔を管理する街
の領主に打診をしただけで即座に許可が下りて、塔にほど近い良い
場所を無料で提供されるなんてことも1度じゃありませんでした。
おかげで今は主塔持ちの街にはすべて支店を出すことが出来まし
た。まだ登録にはフレスベルクまで来てもらう必要はありますが、
これからギルドカードを作るための設備などを増産し各街で登録も
出来る様にしていかなくてはなりません。
私がそんなことを一生懸命していたらいつの間にか私は皆からギ
ルマス、つまりギルドマスターと呼ばれるようになっていました。
なんとも気恥ずかしい呼び名ですが、フジノミヤ様がいつの間に
か広めていたらしく⋮⋮フジノミヤ様のファン1号としては有難く
拝命するしかありませんでした。
﹁ギルマス、フジノミヤさんがカウンターにいらしてますけど⋮⋮﹂
﹁すぐに1番応接室にご案内してください!﹂
︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱
﹁今日はどうされました? フジノミヤ様﹂
﹁いえ、特に用事はないですよ。ちょっと顔を見せに寄っただけだ
ったんですけどいきなり連れ込まれてしまって﹂
1446
ああ! またやってしまいました。ついついフジノミヤ様のこと
になると我を忘れてしまいます。
私は⋮⋮本当は探索者になりたかった。ですが、小さいころから
祖父と父から商売を叩き込まれました。
夢を諦められずに隠れて剣を振ったりもしましたが⋮⋮結局私には
戦う才能はありませんでした。
⋮⋮いや、才能が無いというのを言い訳にして祖父と父に逆らえ
ない自分を誤魔化していたのでしょう。そしてそんな私のことを私
以上に祖父と父は分かっていたのだと思います。
だから、私が本格的にベイス商会に携わる前に少しでも探索者気
分を味わえるようにと修行という名目で行商に出してくれたんだと
思います。
私はいろんな街といろんな塔を渡り歩きました。そこでたくさん
の探索者たちと話をして商売をして⋮⋮やっぱり私には探索者は無
理だったんだと心から納得することが出来ました。
そう理解してしまったことは残念ではありましたが、そう分から
せてくれた祖父と父には感謝しています。
それからの私は行商を続けながら、探索者の方達と話をしたり商
売をするのが楽しみになりました。
ベテランの方達の冒険譚はわくわくしましたし、伸び盛りの中堅
探索者達のちょっと無謀な冒険譚にはひやひやしました。中でも私
が好きだったのは駆け出しの探索者達をほんの少し商売でおまけし
1447
てあげて探索を支援することでした。
そんな時に出会ったのがフジノミヤ様でした。初めて会った時か
らなんとなく気になる雰囲気をお持ちの方でした。塔に入るのは初
めてだったらしく、身のこなしもとても戦闘経験が豊富とは思えま
せんでした。
しかし、同行している女性の1人は明らかに達人の動き方で全く
隙がありませんでしたし、もう1人はなんと侍祭様を連れていまし
た。私が内心で﹁なんて魅力的なパーティなんだろう﹂と、そう思
った時にはもう後先も考えずにパーティリングを先行投資していま
した。
そして、それが間違いではなかったことは次の日にもう証明され
たんです。レイトークの塔で起きた第一階層階落ち事件。通常の階
層の魔物よりも遥かに上の階層の敵が出てくる﹃階落ち﹄⋮⋮これ
が初心者が集まる第一階層で起きたのです。
塔のロビーは騒然としていました。まだ朝も早く腕のある探索者
が来るには早い時間です。戻ってこない探索者達の生存は絶望視さ
れつつありました。そんな時です! フジノミヤ様達がロビーに現
れたのは。
フジノミヤ様達は事情を知ると、出来る範囲で生存者を助けに行
く。そう言って颯爽と扉の向こうに消えていきました⋮⋮そしてそ
れから1時間もしないうちに中にいた探索者達が脱出してきたので
す。
私は震えました。昨日塔に入り始めたばかりのパーティが中堅す
ら尻込みするような塔に他人を助けるために突入しそれを成し遂げ
1448
る。そしてあろうことかかなりの高階層から落ちて来て、しかも変
異種だったという階層主をたったの三人で︵何故か出て来た時には
パーティメンバーが1人増えていたので4人でしたが︶討伐してし
まったのです。
塔から彼らが出て来た時は思わず喝采をあげ涙が出そうになりま
した。詳しい話を根ほり葉ほり聞きたかったのですが、満身創痍の
皆さんのことを考えすぐに私はフジノミヤ様を背負わせて貰い宿ま
で連れていきました。
私はその時におそらくフジノミヤ様達の﹃ふぁん﹄になったんだ
と思います。だから私はフジノミヤ様が次はどんなことをするのか
が楽しみでならないんです。
そのために私はフジノミヤ様が望まれたことを全力で叶えます。
フジノミヤ様達の力を見込んで厄介ごとをお願いしたりもします。
フジノミヤ様達のために根回し出来ることがあればどんな些細な
ことでも、逆にどんな面倒なことでも労力は惜しみません。
それでいて見返りは求めません⋮⋮いや、活躍した冒険譚だけは
聞きたいです。
﹁それは失礼しました。私の早とちりでしたね﹂
﹁はは、別に構いませんよ。いつもウィルさんにはお世話になっち
ゃってますからね。こうして改まってお礼を言う機会があってもい
いです。いつもありがとうございますウィルさん﹂
見返りなど求めていないのに、こうしてお礼を言われるのはとて
も嬉しいです。フジノミヤ様はこれからもいろいろと大きなことを
1449
する方だと思います。
だから私はファンとしてそんなフジノミヤ様を全力で支援して、
これからも見守っていきたいと思っています。
それが私のファンとして生き様なのです。 1450
記念SS 我が友に捧ぐ︵前編︶︵前書き︶
受賞記念SS第八弾︵前編︶です。
1451
記念SS 我が友に捧ぐ︵前編︶
﹁バクゥ! 俺は探索者になる!﹂
﹁⋮⋮ちょっと待て、トォル。探索者はそんな簡単なものじゃない﹂
俺が村で探索者になることを宣言した時、バクゥは眉1つ動かさ
ずに低い声でそう言った。村でも断トツに身体が大きく武骨な顔立
ちのバクゥがそんな声を出したらよく知らない奴はびびって腰が引
けるレベルだが幼馴染の俺には関係ない。
だが、その時の俺はバクゥが言っていることの本当の意味が分か
っていなかった。
﹁アーリも一緒だぜ! なんか気持ち悪いやつと結婚させられそう
なんだってさ。じゃあ一緒に行こうぜって言ったら、即答で行くっ
てよ﹂
﹁なんだと? ⋮⋮⋮⋮はぁ、分かった。じゃあ俺も行く、お前た
ちだけじゃ不安しかないからな﹂
﹁へへ⋮⋮そう言ってくれると思ったぜバクゥ!﹂
俺とバクゥはもう随分前に近くの森から魔物が溢れた時に両親を
失っていたから特に引き止められることは無い。っていうか別に出
発を告げる相手もいなかったから、村に帰ってくるつもりはなかっ
た。身の回りの物の整理をして、アーリが家を抜け出せたタイミン
グですぐに旅立った。
1452
旅立ってみてバクゥの言っていたことがほんの少し理解出来た。
なんの心得もない田舎の出の俺達が簡単に一攫千金なんか狙えるは
ずもなかった。
持っていたのは僅かな金と、粗末な装備のみ。
野営の仕方や周囲の警戒などのやり方はなぜかバクゥが知ってい
た。それでもたまに出てくる魔物と戦ったり、盗賊の噂を聞いて道
を変更したり、食糧がなくなり野草だけで飢えを凌いだり⋮⋮大変
な思いをしながらやっと小さな副塔のあるダマというちょっと大き
めの村みたいな町に着くことが出来た。
しかし、そこでも俺達を待っていたのは、俺たちの未熟さと現実
の厳しさだった。
まず、戦闘はほぼバクゥに頼りきりだった。俺やアーリも訓練は
していたが、当時の俺は奮発した鉄の胸当てと手甲を装備していた
から動きは鈍重だったし、アーリも基本的な筋力が足りていなかっ
たから牽制以上の働きが出来なかった。
副塔の魔物は俺達でもなんとか勝てる程度の強さだったが、しょ
せんはそれなり。そんな魔物から得られる魔石の売却額では俺達3
人の日々の暮らしで精一杯だった。
それでも、俺は幼馴染のバクゥとアーリと一緒に探索者を出来る
ことが楽しかったんだ。うまいものも食えず、宿だって汚い部屋ば
かりの安宿だったけどな。
そんな俺を基本的に感情をあまり表に出さないアーリは静かに見
ていたし、バクゥも苦笑はしつつも何も言うことはなかった。だか
1453
ら、俺は2人も同じ気持ちだと思ってたんだ。
バクゥが俺達3人での探索に限界を感じていたことも、アーリが
バクゥと共にいれさえすれば危険な戦闘を望んでいないことにも全
く気が付かなかった。
その後、俺たちはダマでの探索に限界を感じて商隊の護衛を引き
受ける形でダマを出た。と言っても報酬は朝晩の食事だけ、本来の
護衛達の雑用をするだけの護衛だ。
夜間の見張りは一番きつい時間帯を割り振られたし、水場での水
汲み、薪拾いから護衛達の装備の手入れまでやらされた。
それでも俺たちの実力で安全に街道を移動するにはこいつらにつ
いていくのが一番確実だったんだ。悔しいが言われるがままに働い
たっけな⋮⋮そして、この話をいつの間にかまとめてきたのもバク
ゥだった。
そうやって辿り着いたレイトークで俺達は主塔に入るようになっ
た。だが、主塔はさすがに広かった。ただなんとなく歩き回っても
1階層は人も多く、魔物となかなか出会えない日も多かった。
それでも魔物と戦わなくては宿にも泊まれない。1日歩きつめて
出会った魔物を疲れた体でなんとか倒す。落とした魔石を売った金
で回復薬を補い、残った金で一番の安宿に泊まる。儲けの少ない日
は2食付で泊まれずに夕食だけの日も多かった。
いつも狭い部屋に3人で泊まっていたから、女1人のアーリはき
っと気を抜けない日々だったろうな⋮⋮今ならそんな簡単なことに
当たり前のように気が付けるんだが、当時は余裕がなさ過ぎて気が
付かなかった。
バクゥがたまには2部屋とろうと言っていたのを金がもったいね
1454
ぇと一蹴していたあの時の俺を力いっぱい殴ってやりたい。
そんな綱渡りの日々の中でも、バクゥとアーリのおかげで本当に
少しずつ俺達は成長していった。今までは安全重視で1階層だけと
決めて戦って来たがそろそろ2階層を目指してもいいんじゃないか
⋮⋮そんなことを話しあえるくらいになっていた。
そして⋮⋮あの日が来たんだ。
俺達はいつものようになるべく人の少ない朝の時間を利用して塔
に向かった。すると塔のロビーで俺達と同じように人の少ない時間
帯を狙っているような探索者達が沸いていた。
近くにいた奴に話を聞いてみると、どうやら1階層の難易度が下
がっているらしいとのことだった。魔物との遭遇率がかなり下がっ
ていて、階層主も比較的ランクの低い魔物が出てきているらしく1
階層で燻っていた探索者達がどんどんと2階層へと上がっているら
しい。
﹁バクゥ! これは俺達もいい機会なんじゃねぇか! ちょうど2
階層を目指そうかとしていた時だしよ﹂
その話を聞いた俺はいきりたった。最近は1階層でうまく戦えて
いるという感触もあった。なにより、自分達で1つの階層を突破す
るという実績が欲しかったんだ。村を出てから日々の生活に精一杯
で何一つ探索者らしい成果を上げてなかったからな。
﹁⋮⋮⋮⋮なんとなく嫌な予感がする。もう少し様子を見るべきだ﹂
1455
だが、バクゥは腕を組んで考え込んだ後、首を横に振ったんだ。
﹁なんでだ! こんな機会もうないかもしれないぜ! 魔物に遭わ
ないってことは無駄な戦闘をしなくてすむし、怪我もしないから回
復薬も使わずに済む。階層主との戦いに全力を尽くせるじゃねぇか
!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁それに、階層主の情報もちゃんと集めてある。可能性がありそう
な魔物についてはどれも戦い方は検討済みだろう? 行こうぜバク
ゥ!﹂
結局、俺はバクゥの予感を勢いで押し切ってしまった。だが、塔
に入ってみると確かに魔物はいなかった。主の間までの道順も既に
調査済みだったし、一度の戦闘もせずになんの問題もなく主の間ま
で到達することが出来たんだ。
﹁見ろよバクゥ! 前の奴らが戦ってるのはタワーウルフの上位種
のタワーファングだ。俺達が想定していた主の中で一番楽勝だと思
ってた階層主だぜ﹂
階層主と戦っているパーティが助けを求めない限り横やりを入れ
ないというのは探索者同士での暗黙の了解だ。俺達は静かに戦いが
終わるのを待った。
俺達の前に戦っていた奴らは、自惚れじゃなく俺達よりも未熟な
感じのする探索者だったから俺はすっかり安心して塔に入る前にバ
クゥが感じていた嫌な予感の話をすっかり忘れていたんだ。
やがて、前のパーティはタワーファングをなんとか倒して歓喜し
1456
ながら揚々と2階層へと上がっていった。
﹁よっしゃ! 次は俺達の番だ! バクゥ! 予定通り、湧いた直
後を狙って先制攻撃をする作戦でいいんだよな﹂
﹁⋮⋮ああ﹂
どこか煮え切らないバクゥの背中を俺は苦笑しながら叩き、静か
に成り行きを見守っているアーリに微笑みかけると主の間へと踏み
込んだんだ。
初めて入る主の間はがらんとした空間に見えた。柱もない大きな
円形状の広間はどこか寒々としていて思わず鳥肌が立つ。
中央付近まで辿りつき、主が湧くまでの間を装備の確認や身体を
ほぐすのに使う。落ち着いて戦えば問題なく勝てる。最悪、主の間
から逃げれば階層主は追って来ないというのも常識だ。なんの問題
もない⋮⋮はずだった。
1457
記念SS 我が友に捧ぐ︵後編︶︵前書き︶
受賞記念SS第八弾︵後編︶です。
1458
記念SS 我が友に捧ぐ︵後編︶
﹁来たぜ!﹂
・・
天井から滲み出るように姿を見せつつある階層主に俺達は武器を
抜いて先制の攻撃を与えるべく構える。
﹁⋮⋮待て。なんかおかしい。階層主は床から現れるはずだ!﹂
へ? そうだったっけ? だけど上から出ようが下から出ようが
特に問題はない。出て来たと同時に⋮⋮ど、同時⋮⋮に⋮⋮
天井から出て来た階層主の全身を見た俺は⋮⋮そのあまりの大き
さと威圧感に気圧され恐怖の為に腰を抜かしていた。
隣を見ればアーリも歯をカチカチと鳴らしながらへたり込んでい
る。俺達は一目で分かってしまった⋮⋮俺達には絶対に勝てない魔
物だと。
その緑色の鱗に覆われた巨体と大きな2本の鎌⋮⋮無機質な光を
放つかのような眼。俺は死を覚悟し頭の中が恐怖を通り越して白一
色になっていた。情けないことに涙目で震えながら無意識の防衛本
能で後ずさるだけ⋮⋮
そんな俺の視界にいた鎌のような手を持った竜はその右鎌をゆっ
くりと振り上げようとしていた。
﹁馬鹿野郎! 走れ! 逃げるんだ!﹂
1459
﹁いてぇ!﹂
﹁きゃぁ!﹂
思考停止していた俺とアーリを正気に戻したのはバクゥの怒鳴り
声と蹴られた尻の痛みだった。
﹁早く後ろに走るんだ! 部屋を出ればこいつは追って来れない!
打ち合わせたとおりだ!﹂
俺達の前で両手剣を構えたバクゥが叫ぶ。
﹁わわわ、わかった! アーリ! 行くぞ!﹂
なんとか正気を取り戻した俺は、すぐに起き上がりアーリに手を
貸すと振り向いて走り出す。だが、未だに震えの止まらない俺とア
ーリの足は全然思うように動いてくれない。
﹁バクゥ! お前も!﹂
﹁すぐ行く! ぐあぁ!﹂
﹁バクゥ!﹂
叫び返してきたバクゥの声に呻きが混じるのを聞き、僅かに振り
返ると鎌の一撃を受け止めた両手剣が弾き飛ばされたところだった。
﹁構うな! 行け! 後ろを振り返るなよ!﹂
バクゥは武器を失いながらも小刻みに動きながら竜を牽制しつつ
1460
腰の袋から何かを取り出そうとしていた。確かバクゥには野営用の
小さな属性魔石をいくつか預けてあった。
そんなことを思い出した途端、強烈な光が目を灼いた。
グギャァァァァ
﹁トォル! こっち﹂
だから、バクゥは振り返るなって言ったのか。視界を奪われた俺
はアーリの先導に従って足を進める。バクゥは魔法こそ使えないが、
魔力量と魔力の扱いについては才能があるかもしれないと護衛に同
行した探索者に言われていた。
おそらくその魔力で光属性の魔石を過剰反応させたんだ。それで
一度野営の時に魔石をダメにしていた。あの時は魔力の扱いに慣れ
てなくて偶然だったけど、今回は狙ってやったんだろう。あいつは
スゲェやつだ! あの状況で怯えもせず、咄嗟の機転でそんなこと
までやれちまう。
﹁バクゥ! お前も早く逃げろ!﹂
まだ視力が戻り切らない目を薄く開けて叫びながら必死に脚を動
かす。だが、中央付近に陣取っていた俺達が主の間から出るまでの
距離はようやく半分だった。
くそ! くそ! 俺が、俺がもっと慎重だったなら! バクゥの
言うことをちゃんと聞いていれば! 俺は⋮⋮俺は何でもできるバ
クゥに嫉妬していたんだ! そして⋮⋮
1461
﹁バクゥ! 早く! 早く逃げて!﹂
いつも冷静で声を荒げることのないアーリ。知らぬ相手との結婚
を拒否したアーリ。バクゥも一緒だからと騙して家から逃げ出すこ
とを決心させた。
俺は⋮⋮俺は、最低だ! 結局アーリを危険に晒している!
とにかく今は足手まといの俺達が一度安全圏へ出ることがバクゥ
を助けることになる。
ようやく震えの治まった足を動かす。同時に背後で爆音、次いで
爆風、その音に混じるように竜の咆哮。
﹁あの馬鹿! 火魔石まで⋮⋮﹂
爆風に煽られるように吹き飛ばされた俺達の着地した場所⋮⋮
﹁いててて⋮⋮こ、ここは! やった! 主の間から出た!﹂
﹁バクゥ!﹂
自分が助かったことに安堵する俺とは違い、主の間に戻らんばか
りに身を乗り出して叫ぶアーリ⋮⋮⋮⋮く、本当に俺って奴は情け
ねぇ。
﹁バクゥ! 来い!﹂
俺は握ったままだったロングソードを持って主の間に向かう。場
合によってはバクゥを助けに行く。
1462
バクゥは走っていた。だが、さっきの爆発でいろいろダメージを
受けたのか右腕を押さえ、若干左足の動きがおかしい。そのバクゥ
を追ってくる竜は2度のバクゥの奇策に怒りを感じているらしくそ
の眼は血走っているように見える。
﹁間に合わねぇ! アーリはここにいろ! 俺が行く!﹂
﹁トォル! 駄目!﹂
駆けだそうとする俺を縋りつくようにして止めるアーリ。だが、
ここで行かなきゃバクゥが死ぬ。俺の我儘で村から連れ出したあい
つを俺より先に死なせる訳にはいかないだろうが!
アーリを振り払おうと力を込め⋮⋮
﹁来るな! トォル! 俺は大丈夫だ!﹂
﹁だけどバクゥ!﹂
無理だ! 間に合わない! そう叫ぼうとした瞬間、竜の鎌の一
撃がバクゥの背中を捉えていた。
﹁バクゥ!!﹂
幸い着ていた革鎧が刃先を滑らせてくれたらしく、致命的な傷は
受けていないようだが足元には血が飛び散っている。そして、バク
ゥの動きはさらに鈍くなる。
あと20歩が遠い。
1463
俺の命を賭ければあと20歩くらいはなんとかなるだろ! なん
とかなるって言ってくれよ神様! い、いくぞ! 助けに行く!
だが、そんな意味のない逡巡の合間にバクゥは竜の追撃を受けて
宙を飛んでいた。
ぐしゃ ⋮⋮という不吉な音に血の気が引くのを感じながら無意
識に叫びつつ走っていた。竜の追撃で最後の20歩が半分になって
いた⋮⋮バクゥに駆け寄った俺は意識が朦朧としているバクゥに肩
を貸し、死にもの狂いで走った。
無我夢中で走って走って、足がもつれて転んだ。半狂乱になりな
がらバクゥの手を引っ張る俺の手をそっと抑えてくれたのはアーリ
の白い手だった。
﹁ありがとうトォル⋮⋮ここはもう主の間の外﹂
その言葉に放心しながら視線を巡らせた先で、あの竜がどすんど
すんと階段の方へと去っていく後姿が見えた。へなへなと崩れ落ち
る俺の目の前では意識がないバクゥをアーリが必死で治療していた。
﹁くそ! 本当に俺ってやつは! アーリ! 俺の持っている薬も
全部使ってくれ﹂
再び体に力を入れバクゥを楽な姿勢にさせると腰の袋を丸ごとア
ーリへと渡す。俺達が準備出来た薬なんて気休め程度の安い薬が各
人数個ずつ。それでも無いよりはましだ。
俺とアーリの必死の治療はかろうじてバクゥの命を繋ぎ止めてい
た。だが、失った血も多く、最後に蹴飛ばされたらしい身体の内部
1464
ともしび
にもかなりのダメージを受けているようで、既に薬も使い果たした
今バクゥの命は風前の灯だった。
﹁くそ! このままじゃもたねぇ! 急いでバクゥを塔の外へ連れ
て行かねぇと﹂
﹁魔物は私がなんとかする。バクゥをお願い﹂
レイピア
アーリもバクゥがこのままじゃやばいことはわかっている。決意
に満ちた表情で細剣を抜き放つ。あのアーリにそんな表情をさせる
なんて⋮⋮僅かに感じる胸の痛み。⋮⋮⋮⋮いや、なんでもねぇ!
さっき転んだ時に脇腹を打っただけだ。
﹁まかせておけ。バクゥ死ぬんじゃねぇぞ!﹂
﹁⋮⋮待て⋮⋮トォル﹂
俺より身体の大きなバクゥを担ぎ上げようと屈んだ俺の足首をバ
クゥが掴む。
﹁気が付いたのかバクゥ! しっかりしろよ、すぐに外まで連れて
行って治療師に診せてやるからな﹂
﹁駄目だ⋮⋮今⋮⋮この階層は何かがおかしい。俺を抱えて動けば
⋮⋮きっと3人とも死ぬ。俺はまだ大丈夫だ⋮⋮だから動くな﹂
﹁バクゥ! でも⋮⋮﹂
眼に涙を溜めたアーリが悲痛な声をあげるがバクゥは頑として動
こうとしなかった。
1465
結局俺達は、バクゥの言うとおりその場での待機を選択した。バ
クゥがこの場所がちょうど緩衝地帯だという言葉を信じて。
そしてその言葉の通り、俺達が待機している間に魔物が現れるこ
とはなかった。だが俺たちの必死の看病も空しく時間と共にバクゥ
の命は確実に削られていた。
﹁⋮⋮トォル。アーリはどうした?﹂
﹁今は無理やり仮眠を取らしてる﹂
バクゥが目を閉じたままかすれた声を出した時、見張りは俺の順
番でアーリには無理矢理仮眠を取らせていた。こんな時に寝ている
場合じゃないとアーリは抵抗していたが、やはり消耗していたのだ
ろう、座らせて目を閉じさせたらすぐに眠りに落ちていた⋮⋮⋮⋮
まあ、眠りとしては著しく浅いものだろうが。
﹁そうか⋮⋮トォル⋮⋮それならちょうどいい、聞け⋮⋮お前は⋮
⋮まっすぐでいい男だ﹂
﹁おい? ⋮⋮なに言い出すんだバクゥ﹂
﹁俺は⋮⋮いつも考えすぎて動けなくなってしまう⋮⋮アーリの結
婚の件もそうだ。俺はアーリの実家の事情やこの先のアーリの未来
を考えて結局は動けなかった。だが、お前は違った。お前は自分の
気持ちに正直にまっすぐで迷いなくアーリを連れ出した⋮⋮そんな
まっすぐなお前が俺は好きだった﹂
1466
﹁だから待てって言ってんだろ⋮⋮なに最期の言葉みてぇなこと言
ってんだよ⋮⋮お前がいなきゃ⋮⋮俺なんて⋮⋮﹂
﹁⋮⋮大丈夫だ⋮⋮お前ならアーリを守れる立派な男になれる⋮⋮
さ﹂
﹁⋮⋮バクゥ⋮⋮違う、違うんだよ。俺は⋮⋮別にアーリを⋮⋮﹂
﹁ふ⋮⋮それならそれでもいいさ。お前はお前らしくあってくれれ
ばいい⋮⋮トォル、済まないがアーリを起こしてきてくれないか⋮
⋮そろそろ時間がない⋮⋮﹂
言いたいことはたくさんあった。聞いておきたいことも山ほどあ
った⋮⋮だが、俺だけがバクゥの最期の時間を独占するわけにはい
かなかった。
アーリをそっと揺り起こしバクゥの隣の位置を変わる。話を盗み
聞くような真似はしない⋮⋮ただ、漏れ聞こえてくるアーリの啜り
泣く声がとても辛かった。
その後、俺達を助けに来たソウジ達に助けられた俺達は新しい仲
間と、厳しい師匠に恵まれなんとか自分たちの力だけで生きていけ
るだけの力を身に着けた。
バクゥ、ここにお前がいたらきっと俺達はもっともっといいパー
ティになっていたのによぉ。勝手に俺達を助けて1人で逝っちまい
やがって⋮⋮
だが、お前がくれた命は絶対に無駄にはしない。まだまだ未熟な
1467
俺だが、お前のことは忘れない。お前が出来たことは俺も全部覚え
てやる。その上で俺自身の力でお前を超えてやる! そうしたら⋮
⋮そのときこそは、アーリをもらうぜ。⋮⋮⋮⋮いいよな、バクゥ。
まあ、アーリが俺にデレるかどうかは分の悪い勝負だけどな。駄
目だった時はあの世で笑ってくれよ⋮⋮なぁバクゥ。
1468
御山
翌日、俺達は午前中に各自で訓練をした後に装備を身に付け、転
送陣を使ってダパニーメへと移動した。
今回はシスティナと刀娘全員参加のフルメンバーで一狼達は屋敷
の警護に残してある。目的は桜の要望に応えて奴隷を購入するため
と、ディランさんから依頼があった壁材の採取のためだ。
アイテムボックスについてはまだ世に広めていないので、俺達以
外に壁材の採取を依頼することは出来ないので今後、アイテムボッ
クスが改良されていくためにもなるべくディランさんの要望には迅
速に対処したい。
もちろんアイテムボックス試作1号は俺の腰に下がっている。デ
ィランさんの発案で革で作った目の粗い籠にアイテムボックスを入
れ、その革の隙間にベルトを通すことで連結させて持ち運べるよう
にした。アイテムボックスの中には巨神の大剣や、システィナの戦
斧に加えて、水筒やお弁当替わりのサンドイッチなどを試験的に入
れている。
中に物を入れたまま行動して中の物に何か変化がないかを確かめ
るためである。
今回、巨神の大剣とかを収納しているときに、ちょっと思いつい
たこともあるので壁材を届けに行くときにディランさんにまた相談
してみたいことも出来た。まだまだこのアイテムボックスはいろい
ろな可能性を秘めているような気がする。
1469
それにしても⋮⋮御山か。
ダパニーメの奴隷商はフレスベルクの転送陣とは離れたところに
あるらしく、まだ結構歩くらしいので昨晩システィナから聞いた話
を思い返してみる。
︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱
﹁御山?﹂
﹁はい。侍祭になるための修業は本来そこでするんです。神殿と呼
ばれる場所は侍祭として世に出ることを許された者達の待機場所と
しての役割と同時に、侍祭となろうとする者達を選別して御山に送
るかどうかを判断するべき場所なんです﹂
なるほど。確かに街中の神殿だと修業している最中の侍祭候補者
達が逃げ出す事案はもっとあってもおかしくないか⋮⋮今回システ
ィナがステイシアの件を重く考えていたのは、その御山はきっと人
里離れたところにひっそりと設けられた場所にあったりするんだろ
う。
﹁御山に行くかどうかの判断はもちろんその人の決断です。ただ、
その質問をする前に﹃行かない﹄という決断をした場合は﹃御山﹄
については忘れるという﹃契約﹄を必ずします﹂
1470
﹁ほう⋮⋮それなら本当の侍祭以外に知られていないのも納得でき
る話だな﹂
侍祭という職の特殊性をよく表したその制度に蛍が感心の言葉を
漏らす。
﹁はい、侍祭として世に出る際にも御山については他言無用の契約
をしているのですが、私の場合はご主人様が契約書を書き換えてし
まっているので私が必要だと判断するだけでほぼすべての制約を無
視できるので、こうして皆さんにお話しすることができます﹂
俺が書き換えたのは﹃侍祭としての力はその主の為にのみ行使す
る。違反せし時はその力を失う﹄という文言を﹃侍祭としての力は
原則その主の為にのみ行使するが、聖侍祭システィナが必要と認め
た時のみ自身の正義と責任においてその力を行使することを認める﹄
だったかな。
この書き換えた言葉をちょっと拡大解釈して、侍祭としての能力、
そして侍祭として得た知識も﹃侍祭の力﹄と考えてしまえば、確か
にシスティナの言うとおり全ての制約を無視できる。あの時は深く
考えずにシスティナが自由に力を使えればいいなぁ、と思っただけ
だったのに結構凄いことだったらしい。
﹁ということは先のステイシアという侍祭は御山の関係者というこ
とですの?﹂
葵の問いかけにシスティナが頷き、桜が更に問いを重ねる。
﹁まだ侍祭になれないレベルなのに御山を抜け出せた理由は何か言
ってた?﹂
1471
﹁はい、﹃御山は何者かに襲撃を受けた﹄と言っていました﹂
﹁襲撃とは穏やかではありませんわね﹂
﹁はい、ステイシアはその混乱の中、着の身着のままで山中を駆け
続けて逃げ延びたようです。山中を何日彷徨ったかすら覚えていな
いようでしたが、侍祭として採取や狩猟の訓練をしていたためなん
とか生き延びてやっと街道に出た時にはもう意識を失う寸前だった
そうです。⋮⋮そこへ通りがかったのが﹂
システィナの表情が不快感で僅かに歪む。
﹁⋮⋮なるほどね。確かにそんな状況で見た目だけはイケメンな性
戦士殿に助けられたら冷静な判断なんか出来ないかもな﹂
﹁⋮⋮はい。正式な侍祭であれば、そんな時こそ絶対に契約などし
ません。⋮⋮と言ってしまうのは簡単ですが、私はその時のステイ
シアを責めることはできません﹂
おそらく魔物だって出るだろう山中を女1人で何日も彷徨い歩き、
精魂尽き果てようとした時に助けてくれた人に縋り付きたくなって
しまったステイシアを俺も責められない。俺だって、蛍や桜がいな
い状態で異世界に飛ばされていたら不安と緊張でおかしくなってい
たかもしれない。
﹁さりとて、あの男の言われるがまま悪事に手を染めていたことに
は違いあるまい﹂
﹁蛍。それは違う。心身ともに限界間近だったステイシアはおそら
1472
く﹃従属契約﹄を結んでしまったんだ。そうなってしまえば契約者
の意思には逆らえない。だからシャフナーに依存してしまったこと
は彼女の弱さだと思うけど、彼女が問題だったのは契約の時に正常
な精神状態に無かったのに契約してしまったこと。それだけだ﹂
﹁ご主人様⋮⋮ありがとうございます﹂
何故かシスティナに頭を下げてお礼を言われた。そんなお礼を言
われるようなことを言ったか?
﹁ご主人様が侍祭である私たちのことをきちんと理解してくれてい
ることが嬉しかったんです。私たち侍祭は契約者を決めるまではか
なり無理を言うことも出来ます。ですが、一度契約をしてしまえば
契約者と一蓮托生。選んだ契約者が悪事に手を染めるような人に変
わってしまったとしても従い続けるしかありません。ご主人様のお
かげで私だけが侍祭として特殊なんです﹂
システィナは更に続けた。過去に契約時には立派な人物だった人
が後に人が変わったように悪事に手を染めるようなことが何度かあ
ったらしい。
そうなった理由はいろいろで、家族を理不尽に殺されて復讐のた
めであったり、侍祭の力に溺れて我欲を満たそうとしたり、知らぬ
間に洗脳されて侍祭を利用するための人形のようにされたりなんて
こともあったようだ。
そんな契約者に仕えた侍祭は悪祭と呼ばれ、今でも世間的に忌み
嫌われているらしい。だから今回のステイシアも本来であれば悪祭
ということになる。だが、今回は契約期間が短くまき散らした被害
が限定的だったせいで噂はそれほど広まっていない。ステイシアが
1473
悪祭として名を残すことはないのではないかとシスティナは言う。
だけど侍祭達は悪いことがしたくてした訳ではない。契約者を選
び間違えた、契約者を正しい方向へ導けなかったという落ち度はあ
るにしろ本来はそこまで悪し様に言われなくてはならない理由はな
い。
それなのに、悪祭と言われる侍祭の名前は知っていてもその契約
者の名前は知らないという人の方が多いらしい。大きな力を持つ侍
祭ゆえなんだろう。
そんな世の中で、侍祭が負うべき責を正しく理解してくれる人が
いるというのは侍祭としてとても嬉しく、有り難いことらしい。
﹁そうか⋮⋮システィナを基準にしてはならんのだな。すまなかっ
たなシスティナ﹂
﹁いえ!とんでもありません、頭を上げてください蛍さん。そうい
う危険すらも覚悟の上だからこそ侍祭は大きな力を与えられている
んですから﹂
﹁無駄に背が高い山猿はしばらくそうしていればいいですわ。それ
よりもです、システィナさん。その話が本当だとしてどういたしま
すの?﹂
葵の問いかけにシスティナは俯いて考え込んでしまう。もし御山
が本当に何者かの襲撃を受けて壊滅しているようなら今更駆けつけ
たところで無駄足になるだけ。
俺には正確な位置は分からないが、ステイシアが多大な苦労をし
1474
て逃げ出してきたことを考えればそれなりに秘境と言われるような
場所の可能性もある。となると、ただ確認に行くだけの為に動くの
はちょっとハードルが高い気がする。
﹁⋮⋮その話を聞いてみて、改めて気になっていることがあるんで
す﹂
そう言ってシスティナは顔を上げて俺の目を見た。御山のことは
システィナにとってみれば故郷みたいなものなのだろう。詳しく聞
いたことはないが物心が付くくらいから修業をしていたという話は
聞いたことがある。そうであるならば、故郷のことが気にならない
はずはない。
だからシスティナは御山の為に何かをやろうと決めたのだろう。
それなら俺達は黙って協力するだけだ。理由を話したいなら話せば
いいし、話したくないなら話さなくてもいい。それくらいの信頼関
係は築けていると思っている。
﹁わかった。俺達は何をすればいい?﹂
﹁ルミナルタの街で聖塔教を調べてみたいと思っています。皆さん
の⋮⋮特に桜さんに協力をお願いしたいと思っています﹂
﹁⋮⋮なんかソウ様以外から依頼されるのって新鮮かも﹂
﹁すいません。うまく私1人で出来ればいいんですけど⋮⋮﹂
﹁こりゃ!﹂
﹁あんっ!﹂
1475
ぶっ!⋮⋮なんでいきないりシスティナの双子山の山頂を突っつ
いた!桜?
思わぬ刺激に胸を押さえて頬を赤らめたシスティナが目を白黒さ
せている。真面目な話の最中だっただけに完全に予想外だったのだ
ろう。それでも俺からのちょっかいなら常に意識の隅にあるから対
応できるのかもしれないが、さすがに桜からそんな攻撃が来るとは
想像もしていなかっただろう。
両方の頂上を攻撃した2本の人差し指に拳銃の煙を吹き消すよう
に息を吹きかけた桜は腰に手を当ててシスティナを可愛らしく睨ん
でいる。
﹁まだ分かんないのかなぁ。シスだって仲間で家族だっていつも言
ってるのに!桜はシスに頼って貰えて嬉しかったよ﹂
﹁桜さん⋮⋮﹂
ちょっと涙ぐんでいるシスティナを見て桜はにっこりと笑う。
﹁なんでも言って。桜におまかせ!だよシス﹂
﹁⋮⋮は、い⋮⋮はい。ありがとうございます﹂
そんな嫁達の様子を俺はほっこりとした気持ちで眺めていた。
⋮⋮その後はもちろんもっこりで楽しみました。
1476
奴隷商
結局、差し当たってシスティナがしたのは神殿に手紙を出すこと
だった。神殿のいくつかには御山に繋がる転送陣が秘匿されている
ようで、神殿に状況確認のための手紙を出せば現在の御山の状況は
教えて貰えるようだ。
どの街の神殿に転送陣があるかは最重要機密らしいので、さすが
にシスティナも教えてくれなかった。だがどの街の神殿に依頼して
も取り次いで貰えるらしいので、ダパニーメに来る前にフレスベル
クの神殿に寄って手紙の配送を依頼してきた。
配達の依頼はきちんと﹃契約﹄で依頼し、手紙の本文は侍祭文字
を使って一般の人には読めないようにしていたので仮に配達員に何
かあっても詳細が漏れることはないだろう。
返事が来るまではしばらくかかるだろうとのことで、その間に気
になっていた聖塔教を調べたいらしい。今回は桜の意見を優先して
先にダパニーメ来たがその辺の下調べの為に日を改めてルミナルタ
へ行くことも決定している。
せっかく皆で来たんだからカジノ的なところにも行ってみたか
ったんだけど、時間的にも雰囲気的にもちょっと無理そうだ。
﹁あ!ソウ様!ここじゃない?奴隷商!﹂
うん、あんまり大きな声で奴隷商とか言わないように。日本人的
俺の感覚からするとクリーンなイメージがあんまりないので、目立
1477
つと﹃ちょっと聞いた奥様、あの人あんなに綺麗な女性たちを侍ら
せているのに、それだけじゃ飽き足らずに奴隷まで買うつもりらし
いわよ!﹄﹃いやねぇ!怖いわぁ!うちの子を目に付かないところ
に隠しておかなきゃ!﹄という会話をこそこそされてそうで怖い。
﹁ほう、綺麗な店だな﹂
﹁そうですわね。清潔感があって、奴隷という言葉のイメージとは
随分と違いますわ﹂
﹁ソウジロウ様達の地球で言われている奴隷とはちょっと趣が違う
かもしれませんね。こちらの奴隷商を地球の言葉で無理矢理表すと
すれば⋮⋮⋮⋮そうですね。刑務所と孤児院と職業訓練所が一緒に
なった場所、でしょうか﹂
システィナが叡智の書庫の能力を使って俺達に分かりやすいよう
に説明してくれた内容によれば、一言で奴隷商と言ってもその内部
は3つに分かれるらしい。
1つ目は犯罪奴隷。
犯罪を侵した者がなる。日本でいう懲役のようなものらしい。侍
祭の契約とは違う﹃呪縛﹄というスキルによって行動を制限されて
いる。奴隷側から条件を付けることは出来ない。ここに落とされる
のは基本的に死罪相当の者が多く、鉱山での肉体労働や補充の効く
兵士として死ぬまで使い潰されることが多い。軽微な罪の場合は借
金奴隷として金銭的な負担を負わせて、完済後に解放されることも
ある。
2つ目は借金奴隷。
お金に困った者が借金を返せなかったり、生活の為に身内に売ら
1478
れたり、罪の賠償として借金を負わされて落ちる奴隷。買われた先
で借金額分を稼いで完済すれば解放される。買われる際に条件を付
けることが出来る。買主の希望に沿わない条件を付ければその分だ
け買取金額が下がる。金額が下がれば奴隷解放が遅れるためどこま
で条件を付けるかはかなり重要らしい。
例えば見目麗しい美女が性交渉を許容する条件を付ければ、それ
を望む買主の買取価格は跳ね上がる。最初に大きく買って貰えばそ
の分借金の返済が早くなり、自由になれる時期も早くなる。
3つ目は職業奴隷
これは、親に捨てられたり、孤児になったような子供たちに様々
な職業訓練を行ってその能力を求める買主の下に働きに出す。日本
で言う派遣社員みたいな感じか。そこで稼いだお金で奴隷商にいた
期間に対応する経費と職業訓練に掛かった経費。さらに奴隷商の利
益分、大体総経費の倍額ほどを支払えば自由になれる。
職業奴隷はしっかりとした訓練をしているので出先で重宝される
ことも多く、雇先が身請けをして全額を立て替えてくれることも多
いらしい。
﹁へぇ⋮⋮確かにそれなら意外とクリーンかもしれないね。無理矢
理絶対服従で虐げられるようなことはないってことか。まあ、犯罪
者は自業自得として﹂
﹁だが、それでは奴隷商というのは大変な職なのではないか?3つ
の部門の長であり、呪縛の術者であり、奴隷の売買の責任者でもあ
るのだろう?﹂
﹁はい、まず﹃呪縛﹄の技能を持っている方が少ないんです。奴隷
商に弟子入りをして一緒に働いていると稀に修得することもあるみ
たいですが、絶対数が足りない上に人格者で清廉でないと務まらな
1479
いので奴隷商も少ないんです。それに、﹃呪縛﹄スキルは﹃契約﹄
に近い力ですので悪用した方が儲かります。だから闇の奴隷商とい
うのも存在します。そこで売られる奴隷は買主に絶対服従、まさに
ソウジロウ様がおっしゃるような奴隷です﹂
なるほど⋮⋮そういう奴らもいる訳か。そしてまたそういうとこ
・・・
ろから買う奴も⋮⋮この手の案件もギルドで情報を手に入れたら優
先的にあいつに潰してもらえるようにウィルさんからまた全ギルド
に通達しておいてもらおう。
店に入ると小じんまりとした綺麗なロビーだった。ロビーには待
合用のソファーがいくつか置かれ、正面にカウンター。その上には
大中小のハンドベルが置かれ、その向こうには白い髪と長いケモミ
ミのとっても綺麗なお姉さんがにっこりと微笑んでいる。
扉はケモミミお姉さんの背後に1つ、ロビーの右側に1つ、左側
に1つあるようだ。奥の扉はきっと従業員用の扉だろう。そうする
と両脇の扉は奴隷たちのいる部屋に繋がっているのだろうか。まあ、
その辺はいずれわかると思うから後でもいい。まずは受付のケモミ
−3
ミお姉さんを簡易鑑定しておこう。
﹃ラナル 業
年齢: 19
種族: 兎耳族
職 : 奴隷商﹄
おお!職が奴隷商だ。あれ?ということは、この美人のお姉さん
1480
がこの店のオーナー?ちょっと若すぎないだろうか。
﹁いらっしゃいませ。本日はどういったご用向きでしょうか。販売
でしたらわたくしラナルが、ご購入でしたら当店の店主であるエリ
オが承ります﹂
あ、なるほど。店主は別にいて、彼女はエリオという奴隷商の弟
子でまだ見習いということか。それでも既に職が奴隷商になってい
るってことは必須スキルの﹃呪縛﹄を既に覚えている可能性が高い
はずだから、きっと優秀なんだろう。
﹁今日は奴隷の購入を考えています。それと、奴隷の件とは別に少
し店主にお話があるので部屋を用意して貰えると助かるのですが﹂
システィナが前に出て今日の目的を告げる。基本的に交渉が絡む
時はシスティナにお任せである。
﹁⋮⋮奴隷の購入に関してはエリオが承りますので、その際にお話
し頂ける機会はあると思いますが?﹂
受付カウンターの向こうにいるラナルさんの表情が警戒のためか
僅かに強張る。
おそらくシスティナは性戦士事件の真実はなるべく外部に漏れな
い方が良いと考えたのだろう。だから確実に人払いが出来るような
形での面会を望んだのだが、事情を知らない側にしてみれば初対面
の一団がいきなり店主と密談をしたいと申し出たら不審に思っても
仕方ないとは思うが⋮⋮ちょっと警戒心が強すぎる気もする。
﹁すいません、説明が足りませんでしたね。聖戦士の件でご報告が
あると伝えて頂ければ分かると思います﹂
1481
﹁!!⋮⋮わかりました。部屋はこちらで用意させて頂きます。し
ばらくお待ちください﹂
ラナルさんは受付に大・中・小と三種類置いてあったベルの内、
一番小さい物を手に取るとちりんちりんと鳴らす。するとすぐにぱ
たぱたぱたという足音と共に受付の後ろの扉が開いた。
入ってきたのは可愛らしい赤、青、黄色の三色のハンチング帽の
ようなものを被った小柄な女の子。ちょっと幼い感じはあるが、く
りっとした目とえくぼが似合っていてこの子もとても可愛い。それ
と、短く切りそろえられた髪が凛々しい感じの将来イケメンになり
そうな、先に入ってきた女の子よりは若干年上だろうと思われる男
の子だった。
﹁アイナ、私はちょっと外すから受付をお願い。ミナトはエリオ様
を1番の部屋に呼んできて貰えるかしら。私も部屋に入りますから
何かあったらそっちへ伝えて﹂
﹁畏まりました﹂
﹁わかった﹂
アイナと呼ばれた女の子がにこりと笑いつつ丁寧にお辞儀をする
が、ミナトという少年はあまり慣れていないのかちょっとぶっきら
ぼうな感じで返事をして小さく頭を下げる。
・・
﹁あらアイナ、今日の帽子、青色がとても綺麗ね﹂
﹁⋮⋮はい。私もお気に入りなんです﹂
1482
﹁とても似合ってるわよ。じゃあ、受付の方よろしく頼んだわね﹂
ラナルは受付の席に座るアイナと店主を呼びに行くため扉に戻る
ミナトを見送ってから、受付カウンターの端部分の机の天板を持ち
上げてロビーに出てきた。
﹁それではご案内致します。どうぞ﹂
ラナルに案内されたのはロビーの右側の扉だった。扉を開けると
小さな通路があり両脇と正面に扉がある。左側の扉に1、右側の扉
に2と書かれているプレートが掛かっているため恐らく左側の扉が
1番の部屋なのだろう。
﹁こちらでお待ちください。すぐにエリオが参りますので﹂
予想通り左側の部屋に案内されるとそこには応接セットがある。
卓を挟んで2人掛けのソファーが向かい合わせに置いてあるので、
一応リーダーの俺と交渉役のシスティナが椅子に座り、刀娘達は俺
達の背後に立って待つ。
武器の方は持ち込み禁止らしいので、本来であれば受付カウンタ
ーに預けるところだが俺とシスティナの武器はアイテムボックスに
収納してある。刀を2本も腰に差しているとソファーには座りにく
いのでしまっておいて正解だった。
﹃ソウジロウ、気を抜くなよ﹄
﹃ん?何かあった?﹄
﹃反対側の扉の方に人が集まって来てるんだよね。今の所は桜達を
1483
どうこうしようって訳じゃないみたいだけど﹄
え?なんか俺達警戒されるようなことしたっけ?反対側の扉の脇
に控えてこちらを見ているラナルさんも俺達を警戒している素振り
をしたのは最初の時だけで今はにこやかに微笑んでいるのに、その
裏で兵隊を集めているとかちょっと悲しい。
﹃戦いになるようでしたら、アイテムボックスから武器を出すより
もわたくし達を使った方が早いと思いますので、その時にはわたく
しをお呼びくださいませ﹄
﹃そうだね、蛍と桜には能動的に動いて貰った方が良さそうだね。
そんなこと考えたくないけど、もし戦闘になったらよろしく頼むね
葵﹄
﹃お任せくださいですわ!主殿﹄
一応、システィナにも伝えておこうと耳を貸して貰おうと思った
ら、扉がノックされた。仕方がない、何かあった時は俺達でシステ
ィナを守ればいいか。
﹁お待たせしました﹂
そう言ってラナルさんが扉を開けるとそこには奴隷商人エリオが
立っていた。
1484
奴隷商︵後書き︶
今日から新作を投稿しました。
スキルを交換できるスキルトレードという能力を持った主人公が辺
境で成り上がっていく。
という話になる予定です。今作は1話の文字数を少なめにしてテン
ポを意識しつつ執筆していますのでそちらも応援よろしくお願いい
たします。
タイトルは
スキルトレーダー︻技能交換︼ ∼辺境でわらしべ長者やってま
す∼
です。
http://ncode.syosetu.com/n3671
de/
1485
奴隷商人 エリオ︵前書き︶
前話と前々話でシスティナが気になる出来事があったのをダパニー
メとしていましたが宗教都市ルミナルタの間違いでした。それに伴
いほんの少し内容が変わっています。全体としては影響はほとんど
ありません。
1486
奴隷商人 エリオ
扉を開けて入ってきたのは恰幅のいい中年男性だった。ちょっと
お腹は出ているように見えるけど、顔にはそんなに脂肪がついてな
いので太っているという感じはしない。
にこやかに部屋へと入ってくるその表情にも嫌なものは感じない
し、人のよさそうな親戚の伯父さんみたいな雰囲気だ。システィナ
が清廉な人格者じゃないと務まらないと言っていたのもあながち間
違いじゃない感じ。そして彼こそが真の奴隷商!⋮⋮⋮⋮いや、だ
−31
ってそう書いてあるんだから仕方ない。
﹃エリオ 業
年齢: 39
種族: 人族
職 : 真・奴隷商﹄
俺の﹃読解﹄補正がかかっての職名なんだろうけど、この人は本
当に奴隷商として素晴らしい人物なんだろう。是非今後ともいいお
付き合いをしていきたい人材だ。
俺とシスティナも一度立ち上がって奴隷商人エリオを迎える。
﹁今日はよろしくお願いいたします﹂
交渉はシスティナだが、リーダーは俺なので先方のトップとの会
談なら挨拶ぐらいは俺が切り出した方がいいだろう。見た感じエリ
オさんも警戒のためか硬い感じがするのでなるべくにこやかに柔ら
1487
かい対応を心がける。
﹁これはこれはご丁寧に。私はこの店の主であるエリオと申します。
こちらは弟子のラナルです。今日は勉強のため商談に同席させるこ
とにしました。邪魔はしないと思いますのでよろしくお含みおきく
ださい﹂
うん、多分勉強のためではなく護衛のためだよね、これ。あぁ⋮
⋮でも考えようによっては困難当事者への対応の勉強とみることも
出来るか。
﹁いえ、こちらこそ奴隷購入の前にお時間を取って頂いて申し訳あ
りませんでした﹂
﹁とんでもありません。奴隷購入前に希望を確認するために話し合
うのは良くあることですからお気になさらなくても結構です。さて、
立ち話もなんですからまずはお掛け下さい﹂
エリオさんは丁寧に対応する俺達に少し安心したのか、幾分緊張
を和らげてくれたらしい。俺とシスティナもお礼を言うと勧められ
るままにソファーに腰を下ろす。それを確認して、エリオさんとラ
ナルさんもソファーに座った。
さて、ここからはシスティナにお任せなんだが⋮⋮誤解されたま
ま腹を探り合うのも無駄な時間だろう。
・・
﹁私はちょっと交渉がうまくないものですから、具体的な話は私の
侍祭であるこちらのシスティナからさせて頂きます﹂
俺が無造作に投げ込んだ爆弾にある意味予想通り、エリオさんと
1488
ラナルさんの表情が固まる。せっかく和やかムードを作ろうとして
挨拶に気を使ったのに失敗だったかと後悔しなくもないが、よく考
えたら誤解は早めに解いておかないと建設的な話が出来ない。まぁ、
こっちはちゃんと事情を話せば良いだけだしシスティナならうまく
説明してくれるはず。
﹁はい。まずは私からお二人に言わなければならないことがありま
す﹂
﹁⋮⋮なんでしょうか﹂
システィナの深刻な表情に何を言われるのかと警戒の度合いを増
す2人に対し、システィナは深々と頭を下げた。
﹁侍祭ステイシアの不正によってエリオ殿に多大なるご迷惑をかけ
たことを同じ︻侍祭︼として深くお詫びいたします﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
おそらくエリオさんとラナルさんは、俺達が性戦士の関係者だと
分かったことでまた何か無理難題を言われるような可能性を考えて
いたのだろう。システィナが侍祭だと分かってからは、再び騙され
ることの無いように細心の注意を払ってもいた。
だが、シャフナーやステイシア本人ではないシスティナからいき
なり謝罪を受けることはまるっきり想定外だったらしい。2人は一
瞬ぽかんとした顔をした後、お互いに顔を見合わせている。もちろ
ん、その間もシスティナは頭を下げたままである。
俺も一緒に下げた方がいいのかもしれないが、これは同じ︻侍祭︼
1489
の不始末であるから私が謝罪すべきことなのでご主人様はそのまま
でいてくださいとのことだった。日本なら使用者責任とか問われる
可能性もあるのかなとは思ったけど、その場合でも謝罪すべきはシ
ャフナーだろうということでなんとなく居心地は良くないがなるべ
く悠然と構えるようにする。
﹁⋮⋮お顔を上げてください。侍祭様。詳しい事情は分かりません
が、あなたが先日私たちが出会った侍祭とは違うということは分か
りました。あんなことがあったゆえ、すぐに信用する訳にはいきま
せんがお話を聞かせて頂くに値するお相手だと思いますので﹂
エリオさんの言葉に合わせてラナルさんがシスティナの肩に手を
添えて身体を起こしてくれている。
﹁ありがとうございます。信用していただけないのは当然のことだ
と思います。本来であれば﹃真実を話す﹄という契約をしてお話を
すれば良いのですが⋮⋮今は逆効果だと思います﹂
本来の契約文が読めないのをいいことに本来約束した内容と全く
違う内容で契約をさせられたエリオさんに今の状況で再び侍祭の契
約書に署名をさせるのは酷だろう。
﹁ですから、私が話すことを信用するかどうかはエリオ殿にお任せ
いたします﹂
システィナはそう前置きをすると性戦士達との出来事とその結末
を委細隠さずに全て語って聞かせた。
1490
﹁そうですか⋮⋮あの2人組は捕まったのですね﹂
﹁はい、エリオ殿の他にも数人の方に同じような不正を働き、その
内の何人かは塔で殺害されていることが分かっています。おそらく
近いうちに冒険者ギルド主体で処刑が行われるはずです。⋮⋮ただ、
申し訳ないですが侍祭という職が世間に与える影響力の大きさから、
ステイシアが侍祭であったということは伏せられるかもしれません﹂
申し訳なさそうに顔を伏せるシスティナにエリオさんは僅かに微
笑んで首を振る。
﹁構いません。あなたは私が思い描く侍祭そのものです。あなたと
言う本物の侍祭を見た後ならば、確かにかの侍祭が本来まだ世に出
るべき侍祭では無かったという言葉も真実なのだと信じられます﹂
エリオさんはそう言うとラナルさんに視線を送る。ラナルさんは
それにやや抵抗するような素振りを見せたが、エリオさんの視線が
動かないのを知ると小さな溜息と共に手を二回打ち鳴らした。
﹃扉の向こうの気配が遠ざかって行ったな﹄
なるほど⋮⋮今の音が臨戦態勢の解除の合図だったのか。いずれ
にせよ変な行き違いから戦闘に発展しなくて良かった。
﹃音か⋮⋮受付にあった三つのベル。あれはきっと音で危険度を表
すためなのかな?﹄
﹃あぁ⋮⋮とするといささか不自然な帽子の色に対する言及は人員
配置への指示を兼ねていたのかもですわ﹄
1491
後ろで刀娘達が奴隷商の警備体制をがんがん暴いていく。いや、
そこはそっとしておいてあげようよ。ああいうのはばれていないと
思うから﹃青が綺麗ですね﹄とか言えるんであってばれてたら口に
しづらくなるから。
﹁信じて頂いてありがとうございます。近々彼らが処刑されればエ
リオ殿が結ばれた契約は自然と消失します。ですが、契約内容によ
ってはその期間にまたエリオ殿に迷惑がかかる可能性があります。
できればどのような契約をしたのか教えて頂けませんか?﹂
結局誰と、どんな契約をしたかまでは確認していなかったので、
もしエリオさんの契約が﹃毎日1人ずつ奴隷をシャフナーに届ける﹄
だったりすると、シャフナーが捕まっていても契約に違反しないた
めには毎日奴隷を届けないとペナルティが発生してしまうだろう。
﹁ご心配して頂きありがとうございます。私の契約は彼が捕まって
いるのなら問題はないと思います。彼との契約は﹃彼から要望があ
ったらその通りに女性を届ける﹄ということでしたから﹂
﹁⋮⋮それではあなたの管理する奴隷の方たちにも被害が﹂
奴隷とは言っても犯罪奴隷以外は結構しっかりした人権的なもの
がある。シャフナーに言われたからと言って無理矢理奴隷の中から
女性を連れて行くことは本来の奴隷商の職務から逸脱した行為だろ
う。
﹁大丈夫です。この街の娼館の方達に事情を話して多めの報酬で彼
の下へ出張して貰っていましたので奴隷たちの中からは誰も彼の下
へは送っていません。送った女性達も彼は面倒を見るのを嫌がり、
朝になると追い出されるので娼婦の方達にとっては場所が違うだけ
1492
で、いい稼ぎだったようです﹂
デリバリーヘルスのようなものか。高校生だった俺はもちろん使
ったことはないが。
﹁それでも、エリオ殿に本来必要のない出費を⋮⋮﹂
﹁お金など、また稼げばいいだけです﹂
﹁失礼だが奴隷商よ。お前ほどの人物がなぜあのような者と契約を
しようと思ったのだ?﹂
今まで後ろでことの成り行きを見守っていた蛍がどうしても気に
なったのか質問を投げかける。確かに契約を結ぼうとしなければ偽
の契約書に署名することもなかった。
﹁⋮⋮⋮⋮侍祭様は治癒侍祭の資格は持っておられますか?﹂
確か、侍祭になるためには必須スキルである家事全般のスキルに
加えて護身術スキルを覚えた上に、回復術、護衛術、交渉術のいず
れかを覚える必要があったはず。
そして回復術を修めた侍祭が治癒侍祭、護衛術を修めた侍祭が近
衛侍祭、交渉術を修めた侍祭が交渉侍祭。3つの内2つを修めた侍
祭は高侍祭、そして、全てを修めた侍祭がシスティナのような⋮⋮
﹁私は聖侍祭の資格を持っています﹂
﹁なんと!﹂
1493
エリオさんは驚愕の表情を浮かべた後、目に涙を溜め始める。
﹁聖侍祭様がこうして今、私の前にいるということは彼らに騙され
たことも無駄ではなかった!お願いがあります!聖侍祭様!助けて
欲しい奴隷達がいるのです!﹂
1494
奴隷商人 エリオ︵後書き︶
性戦士の後始末に時間がかかりますw
1495
2人の奴隷
エリオに案内された部屋は、スペースこそ手狭だが清潔で窓もあ
り陽も当たる居心地のいい空間だった。
室内には粗末ながらもベッドが2つ置いてあり、ここが安宿の一
室だと言われても納得できるレベルだった。これがこの﹃エリオ奴
隷商﹄の奴隷達に貸し与えられてる部屋だと言うなら、待遇はかな
り良いと思われる。
そんな部屋にも関わらず、今現在この部屋の空気は重く澱んでい
る。2つのベッドに寝かされている何か⋮⋮いや、現実を見よう。
⋮⋮そこには見るも無残な程に傷ついた2人の奴隷と思われる者
が強い死の空気を放っている。それを見てエリオさんは悲痛な表情
を浮かべ、ラナルさんは2人の姿を直視出来ないのか涙を堪えて廊
下へ出て行った。
﹁なんてことを⋮⋮失礼します!﹂
扉を開け2人を見るなりシスティナは看病に付いていた女の子に
声を掛けながら、容体を確認しに飛び出していく。システィナから
見ても危険な状態なのかもしれない。
﹁エリオ殿⋮⋮これは?﹂
治療に関しては俺には何も出来ることはない。ただ、俺の﹃読解﹄
スキルに真・奴隷商とまで言わしめたエリオさんが彼女たちがこん
1496
な状態になるのを看過するはずがない。ならば何か事情があるはず
だった。
俺の問いかけにエリオさんは絞り出すようにポツリポツリと語り
だした。
﹁彼女たちは元々、うちにいた借金奴隷だったのです﹂
エリオさんは彼女たちが苦しむ姿から目を離さず、その姿を見据
えている。もしかしたら、責任は自分にあるから目を逸らしてはい
けないと思っているのかもしれない。
﹁彼女たちは狐尾族と爪虎族のそれは可愛らしい娘達で家族たちの
為に12歳の時に自ら奴隷となることを選んでうちに来た優しい娘
達でした﹂
家族の生活が苦しいのを理解して、12で自ら奴隷になることを
決断するとか⋮⋮凄いな。本当に優しい娘達だったんだろう。自分
を売ったお金が家族に入り、しかも12になって食べる量も増えて
きた自分がいなくなることで口減らしにもなる。普通はそれが分か
っていてもなかなか自分を奴隷にすることを決断出来たりはしない。
﹁それから彼女たちは1年程ここで、仕事や礼儀作法を学びました。
そして2年前、ある貴族の使用人と名乗る女性が屋敷の使用人を探
しているということで買い上げていったんです。その人は使用人に
しては身なりもよく、口調や立ち居振る舞いにもおかしなところは
無かったので、これなら2人に取って良い所だろうと判断して2人
を売却しました。その後、2人と直接会うことはありませんでした
が定期的にうまくやっているという手紙が来ていたので私はすっか
り安心していたんです⋮⋮それなのに!﹂
1497
誰がどう見ても穏やかだと判断するだろうエリオさんの顔が怒気
に染まる。
﹁ルミナルタの塔で彼女たちを見つけたと⋮⋮今は冒険者と言うの
でしたか?その冒険者が2人を売りに来たのです。彼女たちにはま
だ奴隷の首輪が付いたままだったので逃亡奴隷だと思ったんでしょ
う。逃亡奴隷は奴隷商に連れて行くと買い取って貰えますから。制
度上はそのまま所有することも出来なくはないのですが⋮⋮﹂
確かに、あの状態では所有しても死んでしまうのは時間の問題⋮
⋮それなら生きてるうちに奴隷商に持ち込んで僅かでもお金に換え
た方がいい⋮⋮か。
﹁ソウジロウ様﹂
2人を診ていたシスティナが俺の前へ来て縋るような目を向けて
くる。
﹁⋮⋮手足の腱は斬られ、喉は潰されています。鼓膜も破かれ、目
は目蓋を切り取られている為、乾ききって失明寸前でした。他にも
いたる所に傷があります。もし、彼女たちが塔に置き去りにされて
いたとするなら、その目的は塔に彼女たちを殺させることしかあり
ません﹂
怒りに震えるシスティナの握りしめた拳が白くなっている。正直
俺もなんとか冷静を装っているけど、こんなことをした奴に対する
怒りを抑えるのに苦労している。
﹁奴隷の﹃呪縛﹄は首輪を媒体に﹃∼してはいけない﹄という禁則
1498
しゅ
事項を加えていくものです。ですが、当商会では奴隷達を保護する
ために奴隷に対しての一方的な殺害行為や虐待に対して相手に呪を
返すように設定しています。ですから、殺害や性虐待などについて
はこの娘達が強く拒否する限りはやりたくても出来なかったはずで
す﹂
﹁だが、これだけの傷。虐待に該当しないなど到底信じられるもの
ではないぞ﹂
蛍の言う通り、死に直結するような傷は確かにないがこれが虐待
じゃないというのは無理があるだろう。
﹁﹃呪縛﹄というスキルの限界だと思います。同意があれば⋮⋮例
えば戦闘訓練だと言って相手が納得していれば傷をつけることは出
来るんです。だから﹃この位の傷は受けても仕方がない﹄と思わせ
ればいいのです。おそらく彼女たちは﹃殺されさえしなければ構わ
ない﹄と思ってしまう程に追い詰められていたのではないかと⋮⋮
一体彼女たちの身に何が起きたのか。何故私は彼女たちの境遇に気
付いてやることが出来なかったのか!﹂
なるほど、だから彼女達を殺せなかった何者かは彼女たちを徹底
的に壊し、塔の中へ放置したのか。それならすぐに魔物達が彼女を
殺し、死体は塔に吸収される。
そいつにとっての誤算⋮⋮彼女達にとって幸いだったのはここ最
近の冒険者ブームで塔に入る冒険者達が増えていたから彼女たちが
魔物に見つかる前に冒険者達に見つかったこと。
﹁エリオさん。それは無理ですよ。あなたが今まで扱って来た奴隷
は何人いるんですか?その全ての奴隷たちの行く末に全てあなたが
1499
責任を負うのは不可能です﹂
﹁ですが⋮⋮こんなに優しい娘達が。だから私はなんとか彼女達を
治してあげたくて薬などを買い与えたのですが延命するのが精一杯
でした。そこへ侍祭を連れたシャフナーという男が現れたのです。
侍祭の中には高度な回復魔法を使える方もいると聞いています。侍
祭様なら彼女達を癒せるのではないかと思い、矢も楯もたまらず﹃
契約﹄をしたのです﹂
その契約が⋮⋮彼女達を治すことなど欠片も含まれていない、自
分の性欲を満たすためだけの契約だった訳か。あの性戦士め!本当
にクズだな、もう少し痛めつけておけば良かった。だけどこれでど
うしてエリオさんのような人徳者があの性戦士と契約をしてしまっ
たのかも分かったな。
﹁ソウジロウ様、﹃魔断﹄を出して頂けますか﹂
システィナがお伺いを立ててくるが、そんなの聞かれるまでもな
い。
﹁エリオさん。私の侍祭システィナは高度な回復魔法を使えますが、
魔力は有限ですしこれだけのあらゆる場所への傷を癒すには相当な
集中を要すると思います﹂
﹁はい。そうだと思います。ですが!なんとか!なんとか2人を助
けてあげてください。お金なら支払います!﹂
﹁いえ、お金はいりません。そうではなくて、そのシスティナを助
ける為に魔力を増幅する付与がされた武器を使いたいのですが構い
ませんか?﹂
1500
﹁もちろんです!受付に預けてあるのでしょうか?それならばすぐ
に持ってこさせます!おい!ラナル!﹂
﹁ああ!ちょっと待ってください!受付には預けていないので大丈
夫です。ここへの持ち込みを許可して頂くのと、今から見ることを
しばらく他言無用にしていて下さるだけで構いません﹂
﹁分かりました。持ち込みはもちろん構いませんし、これから見る
ことも決して誰にも話さないと誓わせて頂きます﹂
そこまで大げさでなくてもいいんだけど、いずれ世間に広まるだ
ろうしね。
﹁ありがとうございます﹂
俺はそう言うと腰に付けたアイテムボックスに手を伸ばして中を
まさぐり、見つけた魔断を引き抜く。いきなりにょきにょきと引き
出されるそれを見ていたエリオさんの目が驚愕に見開いているが、
取りあえず放っておく。
﹁システィナ。全力で構わない、倒れたら運んでやる﹂
﹁はい!ありがとうございます﹂
と言っても魔断を使ってシスティナが回復をするならそんなこと
にはならないだろうけど。
ただ回復術だって魔法だからイメージが大事だ。部位欠損だって
システィナは簡単に治療しているように見えるけど、そのためにシ
1501
スティナは叡智の書庫の地球の知識から人体の詳細な情報を常に学
んでいる。だからこそしっかりしたイメージの下で欠損部を修復で
きる。
今回はいろんな場所が傷つけられているので、それぞれの場所ご
とに詳細な人体データをイメージしなくてはならないはずで精神的
な疲労は結構大きいはずだった。まあそれでもシスティナのことだ、
全く心配はしていない。
俺から魔断を受け取ったシスティナはそれを手に奴隷たちの下へ
と戻ると治療を始めた。
﹁エリオさん。システィナの集中を乱さないように廊下に出ていま
しょう﹂
﹁は、はい﹂
1502
2人の奴隷︵後書き︶
MFブックス&アリアンローズ新人賞に応募していたのですが15
日に発表がありました︵http://mfbooks.jp/a
ward/03/winner01.html︶この賞は応募作も
600無いくらいでもしかしたらと、ちょっと期待していたのです
が残念ながら受賞には至りませんでした。
ただ﹁編集部総評﹂の中で取り上げて貰うことができたので惜しか
ったのかなとは思っているんですが。
一応、なろうコンの方にも応募はしているのですが、こちらは応募
作も多いですし、一次も厳しいかなと思っています。
受賞は出来ませんでしたが、これからも更新は頑張っていきますの
で変わらぬ応援をよろしくお願いいたします。
1503
黒い記憶︵前書き︶
随分長い間29000P台だったポイントが先日とうとう3万超え
ました。
ありがとうございます。
1504
黒い記憶
﹁ソウジロウ様⋮⋮﹂
その部屋の扉が開いたのは、俺の体感で5分くらい経った頃だろ
うか。廊下に出て、エリオさんに俺達が性戦士とどのように出会い、
どのように決着をつけたのかを簡単に説明し終わったのとほぼ同時
だった。
扉から出て来たシスティナはやや青白い顔をしながらも凛とした
雰囲気を保っている。
﹁聖侍祭さま!2人は!﹂
﹁ご安心ください、エリオ殿。治療はうまくいきました。2人に顔
を見せてあげてください﹂
にこりと微笑んだシスティナを見て、涙を溢れさせたエリオさん
はシスティナの手を掴んで何度もお礼を述べてからラナルさんを連
れて部屋の中に飛び込んでいった。⋮⋮システィナの手を勝手に握
ったことは今回だけは見逃してやるか。
にしても、あんなにいい人過ぎて奴隷商なんて商売が成り立つの
かどうか不安を感じなくはないが、きっとエリオさんに足りない厳
しい部分をラナルさんや、エリオさんに恩義を感じている奴隷達が
みんなで補っているんだろう。
形は大分違うがなんとなく俺達に似ているかもしれない。
1505
っと、そろそろ限界かな。
﹁お疲れさま、システィナ﹂
ふらりと揺れたシスティナを俺はしっかりと抱きとめてあげた。
部屋を出て来た時からかなり消耗していたのは分かっていたけど、
エリオさん達の前では疲れた姿を見せたくなかったのだろう。
﹁ありがとうございます、ご主人様﹂
俺の胸の中で安心した吐息を漏らすシスティナを左腕で優しく抱
きしめながら頭を撫でてあげる。
﹁シスがそんなに消耗しちゃうほど酷かったんだねぇ⋮⋮﹂
﹁はい、基本的に今回の治療は外傷ではなく、全部体内の治療だっ
たんです。手足の傷も薬で既に塞がっていましたので腱の修復、声
帯の治療、臓器にも大分損傷があったのでその治療、全部を外から
回復させたのですがこれが意外と難しくて⋮⋮﹂
きっと、見えてる傷を塞いだり欠損した部分を生やすよりも見え
ない部分を回復させる方が何倍も難しいのだろう。
多分だけど手足の傷については一度斬り落としてから回復術を使
った方がシスティナの消耗は少なかったんじゃないだろうか。もっ
ともその方が早くて確実だといってもなかなかそこまでは思いきれ
ないだろうが。
﹁それにしても、それをやった奴、奴ら?桜ちょっと許せないかも﹂
1506
﹁そうですわね。話を聞く限り随分とよくできた娘達ですのに⋮⋮﹂
2人が危機を脱したことで、ようやく桜と葵も安心したようだ。
そんな物騒な愚痴を言う余裕も出て来たらしい。
そんな話をしていると、扉が再び開きラナルさんがエリオさんが
呼んでいるということで中へと招き入れられた。
ぞろぞろと入った部屋の中にはさっきまで立ち込めていた嫌な死
の臭いはすっかり取り払われていた。勘違いかも知れないが部屋の
中も少し明るくなったかのような錯覚を受ける。
﹁聖侍祭さま!本当に、本当にありがとうございました!﹂
両脇のベッドで身体を起こした2人の手を握っていたエリオさん
が立ち上がって再び頭を下げる。ベッドの2人も涙の跡を拭きもし
ないまま頭を下げた。声を出さないのは潰されていた喉が治ってい
るという実感がないせいだろうか。
あるじ
﹁契約侍祭である私が力を行使できるのは、私の主がそれを認めて
くれているからです。お礼なら私の契約者であるソウジロウ様にお
願いいたします﹂
おぉ!なんか飛び火してきた。確かに世間の常識的にはそうなる
んだろうけど、うちは基本フリーだからなぁ。そういう持ち上げら
れ方は照れくさいしなんだか居心地が悪い。
﹁おお!確かに。その通りです。えっと⋮⋮⋮⋮いや!これは大変
失礼を。まだお名前すらお伺いしておりませんでした。よろしけれ
1507
ば聖侍祭様の主であるあなたのお名前をお教えください﹂
﹁いえ、そんなに畏まらないでください。それに、私の方も名乗る
を忘れていましたね。私はフジノミヤ ソウジロウと申します。運
よく、システィナのような素晴らしい侍祭と契約できただけの普通
ちから
の人です。ですから私は何もしてないんですよ。システィナが彼女
たちを助けたいと思い、システィナにその能力があった。それだけ
のことなんです﹂
実際俺は見ていただけ⋮⋮っていうか廊下にいたから見てもいな
かったか。本当に何もしてないな。
﹁フジノミヤ様ですね。そんなに謙遜なさらないでください。私は、
この娘たちがなんとか命を取り留めてくれれば⋮⋮そう思っていま
した。それなのに貴方たちのおかげで⋮⋮まさか、こんな⋮⋮元通
りに⋮⋮本当に感謝しても⋮⋮したりな⋮⋮﹂
﹁エリオ様⋮⋮﹂
またしても涙が溢れてきてしまったらしいエリオさんにハンカチ
を差し出しながら肩を抱くラナルさん。その眼は⋮⋮なんというか
慈愛に満ちている。ラナルさんは弟子だけど⋮⋮きっとそういうこ
となんだろうな。どうもエリオさんは全く気付いてなさそうだけど。
﹁システィナ。彼女達から話を聞くことは出来そう?日を改めた方
がいい?﹂
あれだけの状態から回復した後だ。2、3日はゆっくり寝て、食
べて、休んだ方がいいはずだ。
1508
﹁そうですね。しばらくは安静にして﹁だ⋮⋮じょ、ぶ⋮⋮です﹂﹂
俺の問いかけに頷こうとしたシスティナを掠れた声が遮った。声
の主は小さな三角耳、全体的に黄色い髪で一部分に黒髪が混ざるシ
ョートヘア、くりっとした目、よく見ると瞳は猫と同じで人族とは
ちょっと違うようだ。
﹁わ⋮⋮たしも、だいじょう⋮⋮ぶ、です﹂
同じように掠れた声で強い視線を向けてきたのはさっきの子より
おとがい
もやや大きめの三角耳、ちょっと茶がかかったような感じの長い金
髪、切れ長の目、ほっそりとした頤のとても色白な綺麗な子だ。ち
なみにさっきの子の肌は小麦色まではいかないけど健康的な感じの
肌色だ。
﹁無理はしなくていいんですよ﹂
システィナが優しく言って聞かせるが、2人は首を振る。どうし
ても早く伝えたいことがあるらしい。
﹁わかりました。エリオ殿、すいませんが少し温めたミルクをお願
いします。それと具材を細かく切り刻んだスープを作って頂けます
か。身体に負担をかけないよう味付けは薄めでお願いします﹂
﹁は、はい!ラナル!料理の方はお願いできるか?ミルクは私が持
ってくる﹂
﹁はい、お任せくださいエリオ様﹂
システィナの指示を受けた2人がばたばたと部屋を飛び出してい
1509
った。その様子を見ていた俺は思わず笑いをこぼす。
﹁君たちは随分と幸せな奴隷なんだな﹂
﹁は、い。で⋮⋮も、私たちだけ⋮⋮じゃなくて、ここの奴隷達は
みんなそうです﹂
﹁は⋮⋮んざい奴隷、だけは⋮⋮べ、つですけど﹂
エリオさんが出て行った扉を見る2人の顔はとても嬉しそうだっ
た。きっと2人は、エリオさんにまた会いたいと思ったから生きる
ことを諦めなかったのかもしれない。
それから2人の体調を気遣いながらゆっくりと話を聞いた。2人
が話してくれた内容をまとめてみる。
ここの奴隷商から売られた2人は、すぐにどこか別の街に連れて
行かれ、そこでしばらくは本当に屋敷の下働きのようなことをさせ
られていた。しかしある日突然、人気のない山奥に作られた施設に
移されたらしい。
そこの施設には自分達くらいの子供達が2、30人ほどいて、山
の中を駆け回ったり、薬草や毒草の勉強をしたり、武器の扱いを学
んだ。
当初は侍女であったとしても要人警護が出来るくらいの技術は持
っていて欲しいからという説明を受けていて、周りの子達はそれを
信じて楽しみながらいろんな技術を身に付けていった。しかし、2
人はその言葉が信じられずにずっと疑問を抱き続けていた。
1510
なぜなら、薬草よりも重点的に教え込まれる毒草の知識、武器と
いうよりは暗器に近い形状の武器、過剰なまでに求められる身軽さ
と素早さ、日に日に表情が消えていく同僚達⋮⋮そして成績の優秀
な者は最終試験という名目で迎えが来て連れて行かれ、二度と帰っ
てこない。
おかしいと思いつつも何処とも知れない山の中では逃げ出す訳に
もいかなかったため、周りに合わせて大人しく言われるがままにし
ていたが、先日とうとう自分たちにも最終試験の日が来た。その最
終試験の内容が、特に罪のなさそうな老貴婦人を暗殺することだっ
たらしい。
ここに来て2人は全てを悟った。自分たちは使い勝手のいい暗殺
者として育てられていたことに。当然2人は殺害を拒否し脱走をは
かるも自分たちの先輩であり、先生であった暗殺者達から逃げ切れ
る訳はなかった。
結果、2人はあっという間に捕まる。だが、エリオが施した呪の
せいで暗殺者達は2人を殺せなかった。
そして二人を殺せなかった暗殺者たちが2人から情報が漏れない
ようにしつつ始末するためにしたこと。
それが死に至る傷を付けずにとことん2人を壊し、塔の魔物に始
末させるということだった。
1511
新家族
こ
﹁ソウ様!桜、この娘達2人が欲しい!﹂
﹁桜?!﹂
2人がそういう暗殺者の組織があるということを知らせるために
一生懸命話してくれた内容をそれぞれが様々な想いで反芻していた
重い空気を桜が場違いな程に明るい声で吹き飛ばした。
﹁だって、お屋敷のお仕事も出来るし、桜が必要とする能力も持っ
てるんでしょ。こんなピッタリな人材いないよソウ様﹂
﹁それは⋮⋮そうだけど﹂
確かに桜の言うとおりだが、2人はその組織から逃げ出したくて
死にそうな目に遭った。それなのにまた似たようなことをさせるの
はどうなんだろうか。
﹁あの⋮⋮どういうことでしょうか?﹂
桜の言葉にエリオさんが不安気な視線を向けてくる。
﹁いえ⋮⋮今日ここに来たもう一つの目的です﹂
﹁はい、奴隷の購入の件ですね﹂
﹁はい。それの条件が、1つは私の屋敷で家事の手伝いをしてもら
1512
うことで、もう1つがこの桜の下で斥侯職のような技能を磨いても
らって情報収集などを手伝ってもらえる人だったんです﹂
﹁そ、それは!⋮⋮いや、しかし⋮⋮﹂
俺が述べた条件に俺と同じ結論に達したのだろう。俺達への恩が
あるから出来るだけ希望を叶えてあげたいのにそれだけは出来ない
というジレンマに目線が泳ぎまくっている。
﹁いえ、分かってます。同じような仕事をする場所から命からがら
逃げてきた2人に、また同じようなことをしろとは言えません﹂
﹁え∼!﹂
﹁え∼じゃないから!ちょっとは空気読んで﹂
﹁ぶ∼!ソウ様ひどい!桜は空気読んでるよ﹂
頬を膨らませる桜は可愛いが、とても空気を読んでいるとは思え
ない。
﹁だって、この娘達があの傷から回復して生きてるってばれたらこ
の娘達また狙われるよ﹂
﹁﹁あ!﹂﹂
俺とエリオさんの声がハモる。
⋮⋮確かにその通りだ。でも、あれだけの傷を与えて、塔に放置
したんだからもう死んだと思ってるんじゃないのかな?それならそ
1513
こまで気にする必要も⋮⋮
﹁あなた達、自分が使っていた武器がどうなっているかわかります
か?﹂
そんなことを考えていた俺の考えが分かったのかシスティナが2
人にそんな質問を投げかけている。でも、その質問にどんな意味が
⋮⋮あ、そうか!
﹁捕まった時に取り上げられたままです﹂﹁私もです﹂
2人の回答を聞いて思わず俺は舌打ちをしたくなる。空気を読め
ていないのは俺の方だった。
﹁装備していた武器があれば、装備者が死亡しているかどうかがわ
かる⋮⋮﹂
﹁はい﹂
﹁いつまで経っても武器の所有者欄が﹃死亡﹄に変わらなければ⋮
⋮﹂
﹁間違いなく追手が来ると思います﹂
システィナも俺と同じ結論にいきついたらしい。
﹁エリオさん、彼女たちがここに連れ込まれてからどのくらい経ち
ますか﹂
﹁今日で二十数日目でしょうか⋮⋮ちゃんと調べればわかりますが﹂
1514
エリオさんにそこまですることはないと伝えて考えてみる。あそ
こまで念入りに処分をお膳立てして二十日以上も死亡が確認できな
い。既に、2人の行方を探し始めていてもおかしくない⋮⋮その手
の専門家達にここが漏れるのは時間の問題。むしろもう特定されて
いる可能性すらある。
ここの警備体制と戦力はよく分からないけど、暗殺者相手の警備
という形になれば充分とは言えないだろう。これはもう完全に桜の
言う通りだ。そして多分今の俺達なら2人を守ることが出来る。
﹁桜、ゴメン。桜の言う通りだ。空気読めてないのは俺の方だった﹂
素直に非を認めて桜に頭を下げる。
﹁えへへ、いいよ別に﹂
桜は笑って俺の腕にしがみついてくる。どうやら怒ってはいない
みたいだ。
﹁エリオさん。そんな訳で2人を私達に売って貰えませんでしょう
か。2人が嫌がることはさせないとお約束します﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
エリオさんは即答しなかった。ただ、その視線をベッドの中の2
人に向けただけだ。
﹁私は⋮⋮助けて頂いた侍祭様の所になら﹂
1515
﹁うん⋮⋮私も恩返ししたい﹂
﹁いいんだね。2人共﹂
しっかりと頷く2人を確認したエリオさんはゆっくりと俺達に向
き直って、深々と頭を下げた。
﹁フジノミヤ様、システィナ様。2人をお願いします﹂
﹁分かりました。うちに来て貰う以上2人は家族も同然です。うち
もいろいろ事情があるので危ないことが無いとは言えませんが出来
る限り2人は守りますから﹂
俺の言葉にエリオさんは頷くと、売却手続きの準備をしてきます
と言って部屋を出ていった。もちろんラナルさんも一緒だ。部屋に
残された俺達は緊張した面持ちの2人に近づく。
﹁という訳で、うちの屋敷で働いて貰うことになったからよろしく
頼むね。一応安全のためにすぐに屋敷に連れて行くつもりだけど、
しばらくは身体を休めることに集中して貰っていいから。別にうち
は貴族とかって訳でもないし、堅苦しいこともないから気楽にね﹂
﹁﹁はい﹂﹂
そう言えば、まだ2人の名前すら聞いてなかった。それにスキル
とかも分かれば知っておいた方がいいよな。
﹁もし、よければ2人の窓を確認させて貰っていいかな?﹂
﹁あ、はい。大丈夫です。﹃顕出﹄﹂﹁私も大丈夫です﹃顕出﹄﹂
1516
狐尾族の子が率先して窓を出すと、爪虎族の子も続けて窓を出し
てこちらへと窓を向けてくれる。内容を確認すると2人共、︻家事︼
︻料理︼スキルを持っている上に︻隠形︼︻夜目︼スキルもある。
更に孤尾族の子は︻幻術︼と︻針術︼なんてのもあってトリッキー
な戦闘もこなせそうだ。爪虎族の子も︻短剣術︼に︻敏捷補正︼な
んかもあった。
これを見てしまうと本当に桜の言う通りで、こんなに今のうちに
ピッタリな人材はすぐには見つからないだろうというレベルで有能
だった。
まあ、桜の仕事を手伝わせるかどうかは2人がうちの生活に慣れ
た頃に2人に決めて貰うようにしよう。その辺はひとまず置いてお
いて、今窓を見ていてちょっと気が付いた。
﹁システィナ。装備した武器の所有者情報って、装備者の名前が変
わったらどうなるのかな?シシオウの時には確認しなかったんだけ
ど知ってる?﹂
﹁いえ⋮⋮あの、そんなことが出来るのはご主人様だけなので私の
叡智の書庫でも分かりません﹂
﹁そりゃそうか。試してみようか⋮⋮ねえ君たち、この窓の名前を
一度変えてみていいかな?﹂
﹁え?⋮⋮それはどういう意味でしょうか﹂
孤尾族の子が首をかしげてしまう。うん、意味わからないよね。
1517
﹁桜、クナイを一本貸して﹂
﹁うん、いいよ﹂
桜にクナイを借りると孤尾族の子に渡す。
﹁これを装備してみてくれるかな?﹂
﹁あ、はい。﹃装備﹄﹂
﹃武具鑑定﹄⋮⋮うん、ちゃんと装備されてるし所有者も表示さ
れている。
﹁もう君たちは俺達の家族みたいなものだから言うけど秘密にして
おいてね。実は俺のスキルの1つに窓の情報を書き換えるというも
のがあるんだ。それを使って名前を変えたら、このクナイの所有者
情報がどうなるかを確認したい。協力してくれないかな﹂
孤尾族の子は窓を書き換えられるという俺の非常識な能力に驚い
ていたが、俺の申し出が自分たちの為のものだということに気が付
いたのだろう。にっこりと微笑むと了承してくれた。
﹁そういうことであればお願いします。それに⋮⋮あの組織を抜け
る時に私は一度死んだようなものです。システィナ様のおかげで新
しく生まれ変わった私に新しい名前を付けて頂けるなら、私はその
方が嬉しいです。結果はどうあれ、新しい主人であるフジノミヤ様
が付けて下さる名前を今後は名乗りたいです。素敵な名前をお願い
します﹂
うお!やばい。改名をあっさり受け入れてくれるとは思わなかっ
1518
た。適当な名前にして実験結果を見たら戻すつもりだったのにこれ
じゃあ適当な名前という訳にはいかない。
﹁わ、わかった⋮⋮﹂
孤尾族で幻術持ち⋮⋮か。なんかふわっとしてもわっとした感じ
?だったら⋮⋮俺は窓の名前の欄に手を伸ばすと思いついた名前に
書き換える。
かすみ
﹁君は今日から︻霞︼⋮⋮ってことにしようかと思うんだけどどう
かな?﹂
﹁カスミ?⋮⋮霞ですね。はい!綺麗な名前をありがとうございま
す!フジノミヤ様﹂
新しい名前を何度も呟いて気に入ってくれたらしい霞が笑顔を見
せてくれる。気に入って貰えて良かった。そして持っていたクナイ
の所有者登録は死亡扱いになっている。よし!うまく行けばこれで
誤魔化せるかもしれない。
﹁うん、名前を変えたら前の名前の所有者登録が死亡扱いになった
よ。これで少しは安心できる。あと、フジノミヤ様はやめて欲しい
かな、霞﹂
﹁あ、はい。⋮⋮じゃあ旦那様では?﹂
う∼ん、正直微妙だけど屋敷の使用人と主的な関係であることは
間違いないし、最初はそれでもいいか。
﹁じゃあ、ひとまずそれで﹂
1519
﹁はい、旦那様﹂
﹁あの⋮⋮ということは私もですよね。新しい名前、お願いします﹂
﹁あ、うん。ちょっと待って、考えるから﹂
爪虎族の子がなんだかワクワクした眼を向けている。この世界っ
てあんあまり親から貰った名前に対する執着とかないんだろうか?
まあ、抵抗がないならこっちも書き換えやすくはあるんだけど。
爪虎族か⋮⋮本当に爪が鋭いんだよね。人間の爪みたいに先端が
丸くならなくて尖って伸びるみたいで、いざという時には武器のよ
うに使うこともできるらしい。つっても爪に関連した名前を付ける
訳にもいかないしな。
でも、この子きちんと身体が治ったら明るい髪色とちょっと日焼
けっぽい感じの肌色と合わせて物凄く元気なイメージがある。もし
かしたら素のこの子は元気娘なのかも⋮⋮それなら。
ひなた
﹁うん、じゃあ君は今日から︻陽︼にしよう。どう?﹂
﹁ひなたってひなたぼっこのひなたですか?﹂
ん?漢字を当てはめると微妙に違うかもしれないけど本質的なイ
メージは同じだし問題ないか。頷いてあげると陽はぱぁっと明るい
笑顔に変わる。
﹁はい!気に入りました。私お日様大好きです!ありがとうござい
1520
ます、旦那様﹂
﹁あぁ⋮⋮えっと別に旦那様じゃなくてもいいよ。あんまり堅苦し
くない呼び方で﹂
﹁⋮⋮そうですか?じゃあ⋮⋮あの、私一番上で姉とか兄とかいな
にい
くてちょっと憧れてて⋮⋮いきなりで図々しいとは思うんですけど、
さま
家族みたいなものだって仰って下さいましたし⋮⋮思い切って、兄
様とかだめでしょうか?﹂
ぐは!そんな恥ずかしそうな上目遣いとか反則的じゃなかろうか、
これは断れません。
﹁う、うん。それで構わないよ。家族みたいなものって言ったのは
嘘じゃない。これからよろしく頼む、霞、陽﹂
﹁はい、旦那様﹂
﹁はい!兄様﹂
1521
2人の職場︵前書き︶
なろうコンの一次審査を通過しました。ちょっと厳しいかもと思っ
ていたので望外の喜びでした。読んで下さっている皆さんのおかげ
です。ありがとうございます。
1522
2人の職場
﹁お⋮⋮大きなお屋敷ですね。旦那様﹂
エリオ奴隷商で諸々の手続きを済ませた俺達は、霞と陽の安全の
為にも、ひとまず2人を連れて屋敷へと戻ることにした。
2人の代金についてはエリオさんが、今回は治療費と相殺という
ことにさせてくださいとのことで実質無料だった。一応、奴隷の首
輪については外してあげてもよかったんだけど、2人は一応逃亡奴
隷扱いになっているためすぐには外せないらしい。
名前を窓で変えてしまったのでぶっちゃけ関係ないような気もし
たが慣れるまでは﹃秘密を漏らしてはいけない﹄という呪縛だけ設
定しておいて貰った。ただ、いずれ首輪の方は外してあげる予定だ
ということを2人にははっきりと伝えてある。
で、2人を連れ帰るにあたってしばらく寝たきりだったこともあ
るので、大事をとって霞を俺が、陽をシスティナが背負って屋敷に
帰ってきたんだけど、屋敷について外門に着いた時の霞の第一声が
さっきの言葉だ。
﹁ちょっとワケあり物件扱いで安く手に入ったんだ。この屋敷を今
まではシスティナが全部1人で管理してくれてたんだけど、さすが
にちょっと厳しいんじゃないかなと思って今回エリオさんのところ
へ行ったんだ﹂
1523
﹁こ、このお屋敷を1人で管理されていたんですかシスティナ様は
⋮⋮お庭の方も全部ですよね?﹂
﹁そう、お庭の方も全部。それに加えて俺達の食事や着替えの世話
までやってくれてたかな﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
そりゃ、まあ引くか。明らかにオーバーワークだからな。むしろ
どうやって回していたのかを教えて欲しいくらいだ。
﹁勘違いしないで欲しいのは、システィナが﹃家事は侍祭の本分で
す﹄って言って手伝わせてくれなかっただけで、俺達が家事を放棄
していた訳じゃないからね﹂
これだけは言っておかないと家主の沽券に係わる。初日からダメ
人間のレッテルを貼られてしまわないように自分でフォローしてお
く。
﹁今回、桜の要望もあって、ようやくお手伝いを増やすことを認め
させたんだ。だから霞達にはとっても期待してる。システィナを手
伝ってあげて欲しい﹂
﹁はい!お屋敷の仕事はエリオ様のところでしっかり習いましたか
ら任せてください﹂
頼りにされていることが嬉しいのか、俺の背中で霞が頼もしい。
ただ、あんまり暴れるとお尻に手が食い込んでしまう。柔らかいお
尻に加えて狐尾族はものっそいふかふかな尻尾が生えていて、これ
が触ると堪らなく気持がいい。
1524
一狼の尻尾もかなりのものだが、一狼のは狼だけあってほんの少
し毛質が硬い。その硬さもまたモフモフする際にはいいアクセント
になって堪らないんだけど、霞の尻尾は本当にふわっふわでつい手
が⋮⋮
﹁ひゃん!⋮⋮あの、旦那様。また手が⋮⋮﹂
﹁ああ、ごめんごめん。無意識だから気にしないように﹂
けむ
とりあえず旦那様の威厳で煙に巻いておこう。さすがに4度目を
越えた辺りから冷たい視線を送ってきている刀娘達には気づかない
振り作戦を決行中だ。
﹁陽もよろしくお願いしますね﹂
あ、ちなみに陽の方にも丸い感じの小さなぼんぼん尻尾があるら
しいのでいつかチャンスがあれば触らせて貰えるように交渉するつ
もりである。
ねえさま
﹁はい、シス姉様﹂
結局、霞は俺が旦那様で他のメンバーは様付。陽は俺が兄様で、
他のメンバーは姉様付で呼ぶことになった。ただ、これがどうも蛍
や葵のツボにはまったらしく2人に呼ばれるとちょっと嬉しそうだ
ったりする。またそれを隠そうとする姿がなんだかとても可愛らし
くてそっちは俺のツボだったりしている。
結論としてはいい買い物をしたということだろう。もっとも2人
を暗殺者にしようとした組織のこともあるのでデレデレしてばかり
1525
もいられないんだけどね。
﹁桜﹂
﹁は∼い。一応、帰ってくる途中に桜達を監視したり尾行している
人はいなかったかな﹂
桜には帰りの道中、俺達から離れた場所から俺達を尾行している
人がいないかどうかを調べて貰っていた。その桜が尾行が無かった
と言うならしばらくは大丈夫か。念のため一狼達には夜間警備の警
戒レベルを少し上げてもらうことにしよう。
﹁うん、ありがとうご苦労様。じゃあ入ろう﹂
門扉を葵が開けてくれて中に入ると一狼が出迎えてくれた。
﹁警備ご苦労様一狼。何も無かった?﹂
﹃はい、何も問題はありませんでした。我が主﹄
出迎えてくれた一狼は、相変わらず言葉遣いが固いが尻尾は左右
に振れているので俺達の帰宅が嬉しいのだろう。愛いやつめ。
﹁一狼。今日から、うちの屋敷で働くことになった霞と陽だ。彼女
達も家族みたいなものだからよろしく頼むな。二狼達にも伝えてお
いてくれ。あとで改めて紹介するけどね﹂
﹃わかりました。我が主﹄
1526
﹁あ、あの⋮⋮兄様?﹂
﹁ん?どうした陽。トイレか?﹂
システィナの背中から妙に震えた声を出す陽。トイレに行きたい
のなら早く屋敷に連れて行ってあげないといけないだろう。
﹁いえ!そうではなくて⋮⋮どうしてお屋敷にこんな大きな狼が、
あっちにもうろうろしてますよね?狼﹂
ああ!そういうことか。俺達にはもう慣れた景色だけど普通の人
は魔物の狼とかが近くにいたら、そりゃ怖いか。
﹁この白くて大きくて綺麗なのが一狼で俺の従魔。あっちには二狼
∼九狼まで8頭いて、そっちは葵の従魔なんだ。だから危険はない
から安心して﹂
﹁あ、葵姉様があの狼を8頭も使役してるんですか?﹂
﹁ええ!そうですわ陽。わたくしのこの溢れる魅力が二狼達のハー
トを鷲掴みにしたのですわ!﹂
陽が驚きの声を上げると、待ってましたとばかりに葵が前に出て
声を上げる。
﹁そうなんですね!葵姉様は調教師の方だったんですね!﹂
調教師というはおそらく、魔物を使役できる職の1つなのだろう。
まあ、刀娘達には職という項目はないから結論から言うと調教師で
はないんだけど。
1527
﹁調教師ではないのですが⋮⋮まあ、いつも山猿をしつけています
し似たようなものかもしれませんわね﹂
﹁ふん!まるで孫を猫かわいがりする祖母のようだな﹂
ほほほと笑う葵にさすがにカチンと来たのか蛍が俺が思ってても
決して言わなかったことをいってしまう。
﹁⋮⋮あら?なんか言ったかしら山猿。さっきはあなたも蛍姉様と
か言われて鼻の下を伸ばしていたように思うのですけど?﹂
﹁はん!そんなことある訳なかろう﹂
﹁あらあら、ねえ霞に陽?この山猿はあなたたちのことがあまり好
きではないようですわ﹂
﹁﹁あ⋮すいません﹂﹂
﹁な!卑怯だぞ年増!霞、陽、そんなことは思っていない!﹂
ぎゃあぎゃあとだんだん程度の低い争いに発展していく2人を、
とりあえず放っておいて屋敷に戻る。
﹁あの⋮⋮よろしいのですか?旦那様﹂
﹁いい、いい。放っておけば。いつものことだから。2人もすぐ慣
れるよ﹂
﹁⋮⋮そう、なんですか﹂
1528
﹁うんうん、蛍ねぇと葵ねぇは桜が羨ましく思うくらい仲がいいか
らねぇ﹂
屋敷に入るとまず2人をリビングのソファーに下ろす。
エリオさんのところでもちょっと試してきたけど、2人は普通に歩
くくらいは今の状態でも出来るらしいので屋敷の中ではリハビリも
兼ねて動いてもらう方がいい。屋敷の案内も歩いて回った方がいい
だろう。
・・
でも、案内よりもまずは長い間寝たきりだったんだから何をさて
おいてもあれが先だろう。
﹁システィナ、桜、まずは2人をあそこへ連れて行ってあげて。蛍
達が戻ってきたら手伝いに行かせるから、システィナは入れ替わり
で戻ってもらって食事と部屋の準備を頼む﹂
﹁はい﹂
エリオさんのところで軽く食べさせたが、思った以上に回復して
いるみたいだしもう少ししっかり食べさせても大丈夫だろう。
部屋に関してはまだ2人のベッドとかは準備していないけど、ど
うせみんな夜は俺の部屋に来ちゃうしシスティナか蛍、葵の部屋を
使って貰えばいいかな。桜の部屋は俺の部屋の隣だし、いろいろ仕
掛けがあって壁が薄かったりするから聞こえちゃいけないものが聞
こえてしまうとあれなので却下。
最初は2人一緒の部屋がいいだろうからベッドを1つシスティナ
1529
の部屋に運び込んで使うか。
そのまま今日は休んでもらって、明日は2人の部屋のベッドや、
着替えなんかの生活必需品を買ってきてあげないと⋮⋮これは女性
陣の誰かにお願いするか。俺はディランさんに頼まれている壁材を
集めに行かなきゃならない。今日思いついた案も伝えたいしね。
そうすると、システィナと葵で動ければ霞と陽もつれて買い物に
行ってもらって。桜はシスティナの依頼でルミナルタへの偵察。俺
と蛍は一狼ともう一頭くらいを連れて壁材集めかな。
﹁凄かったです旦那様!﹂
﹁本当に凄いです兄様!外でお湯に浸かるのがあんなに気持ちいい
なんて!﹂
システィナの持っていた寝間着に着替えた2人がさっきまで入っ
ていた露天風呂に興奮している。相変わらずこの世界の人に露天風
呂は絶大な威力を発揮するようだ。露天風呂で刀娘達に隅々まで洗
われた2人は風呂に入る前も可愛かったけど更に可愛さのレベルが
上がっている。
﹁喜んでもらえて良かった。温泉は怪我とか疲れとかにも効くから、
いつでも入っていいからね﹂
﹁﹁はい!ありがとうございます﹂﹂
その後の2人はシスティナの作る料理に感動の声をあげすぐにレ
1530
シピを確認したり、後片付けを手伝ったりと仕事に意欲を見せ、案
内されたシスティナの部屋に置かれたベッドの柔らかさにうっとり
しながら健やかな眠りに落ちたらしい。この調子ならこの新しい職
場でもきっとうまくやっていけるだろう。
さあ、明日からまた忙しくなる頑張ろう。⋮⋮もちろんその前に
ベッドで頑張るんだけどね。
1531
忘れかけていたアレ
霞と陽が来てから1週間が過ぎた。⋮⋮と言ってもこの世界では
1週間の概念がないから7日間が経ったと言った方がいいかも知れ
ないけど。
この7日間は慌ただしくも平穏に過ぎた。
俺は大体、午前中は訓練。午後からは蛍、葵、一狼∼九狼の中か
らその日に動けるメンバーを連れてディランさんの所からの採取依
頼で塔を巡っていた。塔で壁材を採取して工房に寄って、アイテム
ボックスの使用感を伝えたり新しいアイディアを伝えたりするのが
日課になっていた。
葵は後半からまたディランさんから請われて相談役として工房に
通うことが多かったから、塔探索のメンバー的には俺、蛍、一狼の
構成が多かったかな。塔の攻略を目指している訳では無いので、実
戦の勘を鈍らせないためと塔の壁材採取でいくだけだから選択式の
塔もそんなに上まで登らない。蛍は物足りなそうだったけどね。
桜はシスティナの依頼で、この7日間は一番不規則な生活をして
いた。一晩帰って来ないこともあれば、1日屋敷にいることもあっ
た。システィナに頼まれて調べているのは、ルミナルタの宗教団体
の1つ﹃聖塔教﹄の詳細情報だった。メインで知りたいのはあの時、
塔のロビーで演説をしていた人物の情報らしい。ただ、桜曰くただ
の宗教団体にしては不自然な程にガードが固いらしい。
なもんだから桜もちょっとムキになって調査をしているみたいで、
1532
変に深入りしたりして問題を起こさないか心配だけど諜報活動に関
しては門外漢だからなんとも言えないのが歯がゆいところだ。
システィナは新しく来た霞と陽に屋敷の仕事を急ピッチで教え込
んでいる。もともと基礎は出来ているので覚えることはそう多い訳
じゃないみたいで、教えているのは温泉関係の管理についてと庭で
栽培している菜園の手入れについて、後は桜が仕掛けている罠の避
け方だ。普通に考えて当たり前なんだが、どうにもこれが一番厄介
みたいで2人は一番苦労していた。
ただこの7日間でその辺りもしっかり覚えてくれたようで、シス
ティナの負担は格段に減ったみたいなのでそれについては本当に良
かった。霞と陽には感謝しきりだ。
で、最後は霞と陽。
初日に女性陣で買い物に行った2人は最初は次から次へと自分た
ちの物を購入していくシスティナ達に呆然としていたようだが、買
い物が終盤になる頃には楽しんで買い物をしていたらしいのでいい
気分転換になったんじゃないかと思う。あと、この日に一応2人共
冒険者登録もしてきたらしい。もちろん新撰組所属だ。
システィナにはアイテムボックスを預けておいたので、買い込ん
だ大量の衣服やベッドやタンスなどを配達依頼をせずに一気に買い
揃えて来た。
一応、目につかないところで収納するようにしたらしいがベッド
やタンスが目につかないところなんてどこにあったんだ?と思った
ら袋小路に持って行って、葵の土魔法で壁を作ってから収納したら
しい。随分な力技だ。
1533
それを霞と陽それぞれに1部屋ずつ1階の空き部屋をあてがって
搬入した。2人は個室を貰えることに物凄く恐縮していたけど、2
人共ケモミミがかなり動き回っていたので内心では嬉しくてワクワ
クしていたのは間違いない。
それと⋮⋮2人が屋敷に馴染んできた頃を見計らって俺達が今ま
でどういうことをしてきたかを2人に話した。もちろんまだ刀娘の
こととか、俺が異世界の地球から来たこととかは言えなかったけど、
桜の仕事を手伝うかどうかを問うにあたって、俺達がどういう時に、
どう考えて、どう動くかを知っておいて貰いたかったからだ。
2人は俺の話を、凄く真面目に聞いてくれた。
システィナを格好良く助けた︵ちょっと盛った。システィナは笑
っていた︶時のシーンではちょっと頬を染め、ドラゴマンティスに
蛍が傷を負わされた時には顔を青くし、コロニ村の話では怒りに震
え、蛍と桜が罠に嵌り離れ離れになってしまった時にはその時の俺
の心情を察して目に涙を浮かべていた。そして、赤い流星との最終
決戦の場面ではピンチに次ぐピンチの連続な話に手を握りしめ、息
を呑んで聞き入っていた。
それからこの前の性戦士との戦い。ここまでの話の中で桜がどう
いう働きをしてきたかを隠さず話した。情報収集の話はもちろんバ
ルトの暗殺に至るまで全部だ。その上で⋮⋮
﹁その上で聞くね。もちろん今すぐじゃなくて構わないけど、落ち
着いたら桜の仕事も手伝って貰えると助かる﹂
1534
﹁⋮⋮わかりました、旦那様。霞は桜様のお仕事を手伝わせてもら
います﹂
﹁うん!陽もいいよ。桜姉様1人じゃ大変そうだもん。手伝うよ﹂
﹁あ⋮⋮うん。ありがとう、でも⋮⋮いいの?﹂
﹁はい、確かに望んで手に入れた力ではありませんけど、既に力は
得てしまったのですから後は使い方次第だと思います﹂
﹁固いなぁ霞ちゃんは。いいじゃない、私達も新しい家族の為にた
くさん役に立ちたいって素直に言えば﹂
﹁ちょ!ちょっと陽ちゃん!それを言ったら身も蓋も⋮⋮﹂
﹁そっか⋮⋮ありがとう。霞、陽﹂
そんなやり取りがあって、2人は桜が屋敷にいる時に桜の指導も
受けることになった。その話がおとといの話だからまだ実際には訓
練はさわりだけみたいだけど2年近くその手の訓練を受けていただ
けあってやっぱり筋はいいみたいだ。
−4
その時に改めて見せてもらった﹃窓﹄の内容が
霞 業
年齢:15 種族:孤尾族 職 :侍女
1535
料理 隠形 −6
技能:家事 陽 業
年齢:15 料理 隠形 種族:爪虎族 職 :侍女
技能:家事 夜目 敏捷補正 幻術 短剣術
針術
夜目 これを見る限り、スキル的には本当に侍女としてもくノ一候補と
しても優秀だと思う。ただ俺の読解の能力下においても職は侍女の
ままだった。これは彼女たちの本質に近い適応職が侍女だというこ
とだと思う。だからいくら協力してもらうとしてもそのことは絶対
に忘れてはいけないということを桜にはちゃんと伝えておいた。
﹁あぁ、今日も疲れた⋮⋮毎日やってるのに全く楽にならないのは
なんでなのかな﹂
霞と陽が来てから8日目。今日も日課の午前中の訓練を終えて、
システィナと風呂に向かいながら愚痴をこぼす。なんだかこの愚痴
も日課になりつつある気がする。
﹁あの⋮⋮ご主人様はこのところ何度か似たようなことを仰ってま
すが気づいてないんですか?﹂
﹁え、何が?﹂
1536
﹁いえ⋮⋮毎日少しずつ重結の腕輪に込められる魔力が増えてます
から重量は増してますし、訓練の量も質も毎日ほんの少しずつ増え
ているので身体が慣れることはないと思います﹂
⋮⋮マジか⋮⋮いや、うん。実はなんとなく気が付いてはいた。
だけど、ちょっと認めたくなかっただけで。まあ、訓練は必要なこ
とだし訓練内容は蛍に任せると言った手前、文句を付けるのも筋違
いだし仕方がないと言えば仕方がない。
﹁はあ⋮⋮しょうがないか﹂
達観した溜息を吐く俺を見て、システィナは可愛らしく微笑んで
いる。諦めのいい俺が微笑ましいのだろうか。
﹁あ、システィナ、今日はひと風呂浴びたらディランさんの所に行
くから﹂
﹁はい、今日は塔の方には?﹂
﹁今日はお休みかな。依頼されてた分の壁材はもう渡してあるし、
依頼していた装備とかがいくつか完成しているみたいだからそれの
受取がメインかな﹂
リュスティラさんから今日、頼まれていたいくつかの装備が完成
すると連絡を貰っている。しばらくアイテムボックスの製作で装備
の方の製作は進んでいなかったこともあり、ここ最近は俺達の装備
関係を重点的に作業をしてくれたらしい。ありがたいことだ。
﹁わかりました。じゃあ、装備の方は武器だけでいいですね﹂
1537
﹁そうだね。あ、でも獅子哮だけは念のため装備していこうかな﹂
シシオウと交換した獅子哮はその高い防御力に加えて、離れた場
所に攻撃出来るという優れた性能なので身に付けていると安心感が
違う。フレスベルクとの往復だけなら残りの装備はアイテムボック
スに入れておけば充分だろう。
﹁では、私はお着替え等を準備してからいきますね﹂
﹁うん、いつもありがとう。今日は室内風呂の方にいる予定だから﹂
﹁はい﹂
システィナと別れて風呂に向かい、汗に濡れた服を脱いで室内風
呂で汗を流してくつろいでいるとシスティナが入ってきてやさしく
髪を洗ってくれる。そのあとお返しにシスティナを洗い倒している
うちに盛り上がってきてまた汗をかく。
この辺は大体いつもの流れ。この時はシスティナが来てくれるこ
とが多いけど日によっては刀娘達も一緒に汗を流す、二つの意味で。
ちなみに霞と陽についてはそっち方面について、強要するつもり
は全くない。2人の嫌がることはしないとエリオさんと約束してい
るし、家族として侍女として斥侯として働いてくれればそれで充分
だ。
・・
ただ、2人を気にして俺達がいろいろ自粛しちゃうのは、なんか
ちょっと俺が嫌なので基本いつも通りにすることにしている。
1538
場合によっては、そういう場面に出くわしたり声が聞こえたりす
る時があるかもしれないがそれはそういうものだと納得してもらう
ことにする。もちろんちょっと恥ずかしくはあるけど、後でばれる
よりは最初から堂々としていた方がいいかな⋮⋮と。
今のところ逆に開き直っているのがいいのか、2人に決定的な場
面を見られたとかってことはない⋮⋮と思う。まあ、2人とも15
歳だしこの世界で一般的に成人と言われるような年代には達してい
るから知識もあるだろうし察してはいるとは思う。
一応説明しておくと、この世界での成人については世界共通の決
まりはないみたいで、種族や地域などで決まっているところもある
らしいけど大体13∼15くらいで成人と周りは認識するとのこと。
だから15になれば成人であることはほぼ間違いないらしい。
﹁あ⋮⋮システィナ。これって﹂
﹁ふふ、はい。たまには着てあげないと服も傷みますから﹂
ことを終えて、ゆったり温泉に入ってからすっきりさっぱりして
脱衣所に戻るとそこに用意されていたのは俺がこの世界に来た時に
着ていた短ランとボンタン⋮⋮つまり学生服だった。
﹁確かに、こっちの世界の服を買ってからは全然着てなかったなぁ。
こっちの世界の人って意外と服装に一貫性がないから蛍や葵が着物
を着てても、桜が忍び装束着ててもあんまり目立たないんだよね﹂
1539
﹁そうですね。いろんな種族の方がいるので、その方達の体型や特
徴に合わせた変わった服がたくさんありますから地球の服装をして
いてもあんまり悪目立ちすることはないと思います﹂
確かにミカレアの街でもレイトークでも奇異の目で見られること
は無かった。それなら、たまには神様に貰ったこの服も着てやらな
いと可哀想かもな。
﹁うん、たまにはいいかもね。でももしかして突然これを持って来
たのって⋮⋮この前、霞と陽に俺達が出会ったころの話とかをした
から?﹂
久しぶりの学生服の袖に手を通しながらシスティナを窺うと、図
星だったらしくちょっと頬を赤らめたシスティナが頷く。
⋮⋮なにこの可愛い生き物。危うくもう一回戦突入しそうになっ
たよ。リュスティラさん達との約束があるからなんとか我慢したけ
どね。
1540
神装備︵前書き︶
やや長めです。
1541
神装備
ほんの数か月前まで毎日のように着ていたはずの学生服を、妙に
懐かしい気持ちで着込んだ俺はシスティナだけを連れてリュスティ
ラさんの工房へと向かった。
sがいれば充分だと思うけど、桜も
念のため蛍は、霞と陽の護衛に残してきた。今の所屋敷を探って
くるような気配もないし、狼
情報収集に出てるし、葵は先に工房入りしているから万全を期すた
めだ。
それにしてもなんだかここも、しょっちゅう顔を出していたせい
か何気に落ち着く空間になりつつある。うまく説明できないけど⋮
⋮なんていうか、近所の駄菓子屋のおばあちゃんの店みたいな?
もちろんそんなことをリュスティラさんに言ったらぶっ飛ばされ
るのが分かってるから言うつもりはない。﹃駄菓子屋﹄がなんだか
分からなくても﹃おばあちゃん﹄で過剰反応するリュスティラさん
が目に浮かぶ。自分から虎の尾を踏みにいく趣味はない。
﹁お邪魔しま∼す﹂
言葉だけはやや丁寧だが、既にノックもしないしそのまま声を掛
けることもなく普通に店の奥までずかずかあがりこむ。リュスティ
ラさん達からも﹁いちいち迎えに行くのは面倒だから構わない﹂っ
て許可もあるからお言葉に甘えて遠慮は皆無だ。
1542
﹁主殿!﹂
奥の間に入って階段に向かうと、今日もディランさんの手伝いで
工房に先に来ていた葵が俺の声を聞きつけてちょうど一階に下りて
きた。
﹁どうですか?﹂
なんだか嬉しそうな顔でいきなりどうですか?ときた葵に一瞬ビ
クッとしながら葵をよく見る。最近分かってきたが、女性がこんな
ふうにどうですかと聞く時は何かに気が付いて欲しい時だ。
しかもこれだけ嬉しそうな表情をしているってことは本人はかな
り気に入ってるはずだから、気づけないとかポイントを間違えるの
は危険だ。
表面上は冷静さを装いつつ素早く足元から膝、腿、腰、胸と視線
を上げていく。あ、新しく手甲を装備してる。
多分システィナと同じタイプの魔力を込めると防御力が増すタイ
プのやつだ。一瞬これか?と思ったが、結論はまだ早い。いつもは
若干俺より上にある葵の目が今は同じくらいの高さにある⋮⋮それ
はつまり背の高い葵がほんの少し屈んでいるということ。これは普
段の俺では見にくい場所をよく見て欲しいというアピール。となれ
ば答えは⋮⋮
﹁うん、綺麗なかんざしだね。葵の黒い髪にどれもよく似合ってる﹂
﹁はい!ありがとうございます主殿。嬉しいですわ﹂
1543
褒められたのが嬉しいのかくるくると回っていろんな角度からか
んざしを挿した部分を見せてくる葵がなんだかとっても女の子で可
愛い。人化した時に付いていたかんざしは実用性本位で本当に髪を
とめているだけの棒だったし、それ以前の刀だった時は当然お洒落
とかは出来るはずもないので、こうして自分の好きなもので自分を
着飾れるのが嬉しくて仕方ないのだろう。
しかも、今回は自分でデザインしたかんざしだ。花を意匠したも
のや、飾りが多く付いたものなど煌びやかだけど下品じゃなくどこ
か和風で大和撫子を感じさせる⋮⋮⋮⋮うん、俺にこれ以上の詩的
な言い回しは無理だ。とにかく綺麗なかんざしだった。
﹁でも、干渉がどうとか言ってたのは大丈夫なの?﹂
﹁いえ、さすがにこの距離で4本はわたくしでも駄目でしたわ。で
も左右に1本ずつなら干渉は抑えられそうです﹂
﹁えっと、たしか葵さんが希望していた効果は⋮⋮﹂
﹁魔力増幅が2つに、敏捷補正と魔耐性ですわ﹂
システィナが続きを言う前に、テンションが上がっている葵が自
ら後を引き継ぐ。
﹁じゃあ、やっぱりその時々に合わせてかな?﹂
﹁はい。わたくしもディランさんに小型のアイテムボックスを頂き
ましたのでいつでも付け替えることが出来ますわ﹂
そう言えば葵の帯のところに小さなウエストポーチが装着されて
1544
いる。これにアイテムボックスが入っているのかな。⋮⋮それ、い
いな。どうせならメンバー全員に作って貰おうか。システィナなん
かは食材の買い出しとかが格段に楽になるし、探索の時も各自で消
耗品とか分担して持って行けるのは大きい。
﹁それって⋮﹂
﹁主殿﹂
いいかけた俺の口に葵の人差し指がすっと添えられる。
﹁その辺りも含めてディランさんのところへ参りましょう﹂
俺の右腕を抱え込みながら案内をする葵に連れられて2階に上が
るとテーブルの上にいろんなものを並べているリュスティラさんと
ディランさんがいた。
﹁やっと上がってきたね、ソウジ。下でいつまでもいちゃいちゃし
てるからそろそろ怒鳴りつけようかと思ってたところだよ﹂
﹁儂はかまわん。こちらも今準備が出来たところだ﹂
腕を組んでにやりと笑うリュスティラさんの後ろから重厚な低音
ボイスのディランさんが、あっさりとリュスティラさんの言葉を上
塗りする。
﹁ちょ!ちょっとあんたぁ!これはこれでソウジとの大事な掛け合
いなんだから邪魔しないでおくれよ﹂
﹁⋮⋮すまん﹂
1545
ディランさんの頭をもみくちゃにしながら愚痴るリュスティラさ
んを、ディランさんは不動で受け入れている。
ディランさんには冗談があまり通じないからなぁ⋮⋮ていうか、
相変わらず仲がよろしいようで。これを見る限りリュスティラさん
は絶対に人のことは言えないと思う。
﹁まずは、これだな﹂
ディランさんが指し示したのは腕輪というには径の小さいリング
が9つ。リング自体は魔鋼製らしくよく磨き上げられたメタリック
な輝きを放つ物だが、それぞれのリングに別々の色に着色された輪
が通されている。
リングには敏捷補正がついていて、これ1つで結構な額になるは
ずなんだけど最近は利権で相殺していてほとんど支払をしてないの
で正確な値段が分からない。甘えすぎてなければいいんだけど⋮⋮
まあ、アイテムボックスが世に出て販路に乗ればそれなりの利益が
出るはずなので多分大丈夫だと思うんだけどね。
﹁これはいい感じですね﹂
﹁苦労したよ、リングにサイズ調整機能を付けるとか普通はしない
からね。ソウジから教えて貰ったあの、カチカチする技術も実用化
はすぐには難しかったからね﹂
リュスティラさんが言っているカチカチする技術っていうのは手
1546
錠なんかで使っている調節機能のことで、俺も詳しいことは知らな
かったからなんとなくこんなものという感じでしか伝えられなかっ
たし、システィナの叡智の書庫による解説も今一つピンとこなかっ
たみたいで、この世界でいきなり作るのは少し厳しかったかもしれ
ない。
結局リングは完全な輪になっているのではなくほんの少し隙間が
空いていて、その隙間を取り付けてある革紐で結ぶ時にどの程度締
sの尻尾に装備してもらう予定だ。当初は足に
めるかを調節する形になっていた。
これはうちの狼
付けることも考えていたんだけど、狼達が実際に戦うところを塔で
見た結果、下手に足に付けると機動力の妨げになりそうで怖かった
ので尻尾にした。喜んでくれるといいんだけど。
﹁次はこれだ﹂
﹁それにしてもあんた、よくこんなこと思いつくわよね。その発想
力は生産職のあたしらでも正直舌を巻くよ﹂
リュスティラさんが呆れた顔をしながら、ディランさんが押し出
した物を俺に手渡してくれる。それを受け取って軽く振ってみるが、
重さは見た目通りの重さだった。形は一見すると10センチ四方く
らいの平べったい鞘に入った柄の大きい短剣に見える。平べったい
短剣とかかなり形は歪だ。
﹁おお!凄いです。想像通りの出来です。ディランさん﹂
今日は左腰に雪だけを佩刀してきているので、これを右の腰に装
着してみる。形の見栄えはあんまり良くはないけど邪魔にはならな
1547
い。
﹁あの、ソウジロウ様それは?﹂
最近のシスティナは屋敷で霞と陽に掛かりきりのことが多かった
から、これの話をしたときはいなかったんだっけ。教えてあげても
もちろんいいんだけど、せっかくなら見て貰った方が早い。
﹁うん、ちょっと見てて﹂
そう言って俺は左手で柄を握りゆっくりと剣を引き抜いていく。
﹁え⋮⋮ええっ!﹂
ぬぬぬ⋮⋮という擬音が出そうな光景にシスティナが驚きの声を
漏らしている。それはそうだろう、俺がディランさんにお願いして
作って貰ったのはアイテムボックスの技術を流用した特性の鞘なん
だから。
剣を抜き終わった俺は天井に当たらないように気を付けながら正
眼に構えをとる。
﹁お、驚きました⋮⋮それは、巨神の大剣の鞘だったのですね﹂
﹁アイテムボックスに入れておいてもいいんだけど、装備の入れ替
えがめんどくさいからなんとかならないかなと思ってさ。これなら
持ち運びは便利だし、身に付けていても邪魔じゃないでしょ。ただ
⋮⋮戻すのが⋮⋮﹂
あぁ、これは完全に誤算だった。腰に装備すると俺の手が短すぎ
1548
て、抜くのはまだしも鞘に戻すのは難しい。毎回誰かに戻してもら
うのは面倒だし⋮⋮太ももとか足のどっかに装着すればぎりぎりい
けるか?そんなところに装着した小さな鞘の剣がこんな大剣だった
とか、相手の不意を突くのにも役に立ちそうだしいいかもしれない。
この辺は要検討だろう。とりあえず今回はシスティナに鞘に戻して
もらおう。
﹁あとは、お前たちのメンバーの分だ﹂
﹁そして、これが売り出す際の初期モデルになる予定だよ﹂
ディランさんがガラガラと押し出してきたのは、さっき葵が持っ
ていた小ぶりのウエストポーチだ。見た目はどこにでもあるような
普通のウエストポーチだけど、もちろんただのウエストポーチでは
ない。予想通り中には小型のアイテムボックスが設置されている。
﹁容量はソウジに渡した試作1号よりもかなり小さく作ってある。
最初から大容量のものを出すのはちょっと怖いからね﹂
アイテムボックスの試作段階では中に物が入っている状態で箱が
壊れた時、中の物はその場に全部放り出されたらしい。大容量の物
を出して大量に物が入った状態で破損したら、状況によっては周り
の人達にも被害が及ぶ可能性があるらしい。そのため、しばらくは
容量の小さい物を小出しにして不具合の報告がないかどうかを確か
めつつ徐々に大きい物を作っていく方針のようだ。
未知のアイテムに対する対応としては充分及第点だと思う。そし
て、それの最初のモニターが俺達ということになるのかな。
おかげで頼もうと思っていたみんなの分のアイテムボックスも手
1549
に入れることが出来た。数を数えるとどうやら霞と陽の分まで用意
してくれてある。多分、葵がディランさん達にお願いしてくれたん
だろう。
﹁ありがとうございました。みんなも欲しがってたので喜ぶと思い
ます﹂
﹁なあに、こっちも魔石への属性付与をやって貰ってる。お互い様
だ﹂
葵が魔石への付与が出来るということはこの2人にだけは伝えて
ある。その方が新装備や新アイテムの開発が各段にはかどる。実は
アイテムボックスに使う重魔石も闇属性の魔力を圧縮することで付
与することが出来るらしく、数が少なくて貴重な重魔石も葵ならあ
る程度は準備出来る。そんな理由もあって、葵はここのところ工房
に毎日通い詰めていたんだよね。
﹁こちらのアイテムボックスはいくらですか?﹂
﹁いらん、持っていけ﹂
﹁なんだかすいません。いつもありがとうございます﹂
﹁いいんだよ。あんたらの専属をしてたらいくらでも稼げるだろう
からね。それに、なによりも⋮⋮あんたらといると忘れかけていた
新しいものを生み出す喜びをこの上もなく感じることが出来るから
ね﹂
﹁そう言って貰えるとこちらも嬉しいです﹂
1550
﹁あっとそうだソウジ。近々、領主とベイス商会の会長を招いてア
イテムボックスのお披露目をするから同席しておくれ。これだけの
物だとしっかりとした販売のノウハウと後ろ盾がないといろいろ危
なっかしいからね﹂
リュスティラさんが肩をすくめながら苦笑している。確かにアイ
テムボックスというチート級アイテムが世間に出たらその反響はち
ょっと予想出来ない。思ったより騒ぎにならないかもしれないし、
物凄い反響を産んで製法を知るためにリュスティラさんたちに良か
らぬことを企むやつも出るかもしれない。それを考えれば、アイテ
ムボックスの流通が領主の保護下にあることを明示し、販売自体は
大手のベイス商会に任せるというのはいい考えだろう。
ディランさんたちは自分たちは職人であって商人じゃないという
ことをよく分かっているということだ。
﹁もちろん同席するのは構いませんが、私が同席する意味ってある
んですか?﹂
﹁⋮⋮ソウジあんた、本気で言ってる訳じゃないよね﹂
﹁至って本気ですけど﹂
リュスティラさんはそれを聞いて盛大な溜息をついた。そんなに
おかしなことを言ったつもりはないつもりなんだけどなんかおかし
かっただろうか。
﹁なんとまあ、欲がないというかなんというか。あんたは発案者で
あり、共同開発者でもあるんだよ。だから当然このアイテムボック
スが生み出す利益を受け取る権利があるんだ﹂
1551
﹁ああ⋮⋮なるほど。でも、装備とかの代金も全然払ってませんし、
その辺と相殺でもうちは構いませんよ﹂
取りあえず暮らしていける分くらいの蓄えはあるし、属性魔石も
葵がいれば自作出来る。冒険者として依頼を受ければ収入も得られ
る。一番お金がかかりそうな装備もディランさんたちが安くやって
くれるなら特に問題はない。
﹁はあ⋮⋮あんた、分かってないみたいだけど今回の件はそんなは
した金の問題じゃないんだよ。売り方によっちゃこれ一個で100
0万マールの値がついてもおかしくない﹂
へ?⋮⋮1000万マール?このアイテムボックス一個が1億円
するってこと?
﹁効果を実演した上で個数をごく少数に限定して希少性を高めれば
あり得ない額じゃない。まあ、実際はそこまで希少価値を付けるつ
もりはないよ。いろいろ問題が出てくるからね。それでも量産でき
るようなもんでもないし1個100万マール以上の値をつけること
になるだろうさ。しかも武器や防具と違って、冒険者だけじゃなく
て商人がこぞって買いにくる。作れば作っただけとんでもない値段
で売れるさ﹂
どうやら俺はとんでもないものを生み出してしまったようだ。
﹁わ、わかりました。私は商売は素人なので詳細はリュスティラさ
んにお任せします。リュスティラさんたちが損しないような形なら
問題ありません。会合への同席も了解しましたので期日が決まった
ら教えてください﹂
1552
お金はあって困るものでもないし、誰も損をしないならくれるも
のは貰っておけばいいか。
﹁じゃあ、今日のところはこれで失礼しますね。葵、システィナい
こう﹂
﹁はい﹂
﹁はいですわ﹂
ディランさん達に作ってもらった装備品を自分のアイテムボック
スに仕舞ってディランさんに一礼をして踵を返す。
﹁待て﹂
ぐえ!⋮⋮帰ろうとしたところを後ろから詰襟を引っ張られた。
﹁く、苦しいですよディランさん。どうしたんですか急に﹂
﹁おまえ、これをどこで手に入れた﹂
え、学ランのこと?これは神様から貰った紙装備な神装備ですが
何か?
1553
神装備︵後書き︶
4月の更新ペースについて活動報告に記載してますのでよろしくお
願いいたします。
1554
調査完了︵前書き︶
ちょっと短いです。
1555
調査完了
﹁えっと⋮⋮故郷にあったものなんでどこで手に入れたとかはわか
らないんですが。何か?﹂
ディランさんが短ランの生地やボタンなどを無遠慮に撫で回して
いく。漢に撫で回される趣味はないので、いくら気心しれているデ
ィランさん相手でもちょっと鳥肌が立ちそうになってしまう。
﹁ふん、なるほどな。こいつがあったからこそ魔材を糸状になんて
発想をしたのか?﹂
ディランさんが1人納得して頷いているが、神様が着せてくれた
短ランとボンタンに特殊な効果は全く無かったはず。
魔材を糸状にして軽量化しつつ付与効果を乗せるという考えも俺
じゃなく桜が自分のスタイルにあった装備を求める上で出た発想だ
し。
﹁おい⋮⋮ちょっと魔力を通してみてくれ﹂
﹁いや、すいません。私はちょっと特異体質らしくて魔力操作が壊
滅的に苦手で全く外に出せないんです﹂
素直にそう伝えるとディランさんが驚いたように眼を見開く。
﹁⋮⋮全くか?﹂
1556
﹁はい、全く﹂
﹁⋮⋮驚いたな。葵嬢ちゃんの話じゃそこそこ強いって聞いてたが
?﹂
﹁そうですわ!主殿は先日処刑された聖戦士を実質1対1で退け、
その悪行を暴いたのですわ!﹂
そう、結局性戦士シャフナーは過去の悪行を冒険者ギルドの取り
調べで完全に暴かれ、侍祭であることを隠されたステイシアと共に
ギルド主導の下で処断された。
シャフナーのが行ったことへの賠償額は厳密に計算すると結構な
額になったらしいが、被害者の冒険者達には既に賠償のしようもな
いし、騙された貴族達も後ろ暗いことがあったのか詳しい調査を拒
んだためシャフナーの私財を売り払った額の中から幾ばくかを支払
っただけだった。
エリオさんに関しては賠償は完全に拒否した。もともと霞と陽を
助けたかっただけで娼婦たちへの依頼料はかかっているが、結果と
してシスティナと出会わせてくれたことでむしろ感謝したいくらい
らしい。なんとも欲のないことだ。
仮に賠償額が大きければ犯罪奴隷に落として少しでも金を稼がせ
るという案もあったらしいが、逆に賠償額が少なすぎた為に死罪に
するしかなかったとはなんとも皮肉なもので性戦士らしい最後だっ
たともいえる。
ステイシアについてはちょっと可哀想かなと思わなくもないが、
それが侍祭としての最後の矜持なので好きにさせてあげて下さいと
1557
システィナに言われてしまってはどうしようもなかった。
﹁ああ、聞いてる。そいつも余所の街で随分好き勝手やれるくらい
強かったみたいだな。ようはそんなやつを魔力を全く外に出せない
ような奴が普通に倒せるってのはなかなかあることじゃない﹂
ディランさんの言葉をリュスティラさんが引き継ぐ。
﹁魔力っていうのは誰にでもあるってのは知ってるだろ。うまく使
うにゃそれなりのコツみたいのがあるんだが、普通は魔力ってのは
知らないうちに肉体を補強しているもんなのさ。まあ全員がそうだ
からあんまり意識している奴はいないけどね﹂
なるほど⋮⋮魔力を身体に纏っている人が基礎のステータス+5
されてると仮定しても、他の全員も皆等しく+5されているならそ
れは無いのと同じこと。それなら誰も気にする人がいないのもわか
る。
だけど、俺に関しては魔力が全く外に出せない。つまりその+5
がないというハンデを常に背負っていることになる。
そして、話の流れから行くとその体外を流れる魔力さえあればこ
の無意味と思われていた短ラン、ボンタンも⋮⋮
﹁葵、頼む﹂
﹁はいですわ﹂
葵が俺の肩に触れて短ランに魔力を流してくれる。
1558
﹁いくぞ﹂
え?⋮⋮と思う間もなくディランさんのごつごつした拳が俺のボ
ディに叩き込まれた。ぐふ⋮⋮⋮⋮あれ?ぐふってならない。
﹁え?⋮⋮衝撃はあったけど、ほとんどダメージがない。ディラン
さん手加減しました?﹂
﹁いや、そこそこ力一杯だな﹂
﹁ちょっとお待ちよ。うちの人のほぼ本気の拳を受けてそんなもん
なのかい?﹂
リュスティラさんが呆れた声を出す。確かにディランさんは魔石
と細工と付与がメインの魔道具技師だけど、槌も振るうしそのぶっ
とい腕に違わぬ力を持っている。そのディランさんが放った不意打
ちのほぼ全力パンチがあの程度の衝撃?
神装備すげぇ⋮⋮もし俺に魔力を扱う力があれば俺の短ラン、ボ
ンタンは最強防具に成りえてたかもしれないのか。まあ、神様もま
さか魔力を全く外に出せない人間がいるとは思わなかったんだろう
けど⋮⋮
﹁おい、それをしばらく俺に貸してくれ。調べさせてほしい。その
代わり、その装備に外部供給で魔力を通せるようにしてやる﹂
﹁本当ですか!そうして貰えると助かります!﹂
これは願っても無い申し出だ。あのレベルの防御力を得られるな
ら防御面はかなり強化される。別にここで脱いでいってもアイテム
1559
ボックスに着替えも入ってるから問題ないしね。
﹁それじゃあ、お願いします﹂
思いがけない事実が発覚した1日だったが、狼達と葵の新装備に、
大剣の鞘、狼を除くメンバーたち全員分のアイテムボックスが貰え
たという充実した1日だった。
結局、学生服は短ランだけを預けて来た。ディランさんなら再現
は出来ないまでもなんかしら今後の役に立つような新しい発見をし
てくれるかもしれない。ちょっと結果が楽しみだ。
そんな感じで、装備を渡した狼達が狂喜乱舞してた話をしたり、
アイテムボックスの性能に霞や陽が目を白黒させたりとかしながら
楽しい夕食を摂っていた俺達のところに、今日も調査に出ていた桜
がちょっとふらつきながら帰って来た。
﹁桜!どうした!大丈夫か﹂
ふらつく桜なんて今まで見たことがない。俺は慌てて桜に駆け寄
ると抱きかかえてリビングへと運び、ぬるくなりかけた緑茶を飲ま
せる。
﹁んく、んく⋮⋮⋮⋮ふぅ。ありがと、ソウ様。別に怪我したとか
じゃないから安心して。ちょっと張り切り過ぎて疲れちゃっただけ
だから﹂
1560
﹁そうなのか?無理はするなって言ってあっただろう。あんまり心
配させるな。で、何があったんだ?﹂
﹁うん、シスに頼まれていた件、ようやく調べがついたよ﹂
桜の言葉を聞いたシスティナの表情が強張った気がした。
1561
調査完了︵後書き︶
先日の4/4。この1年前が、この魔剣ハーレムの連載開始日でし
た。ランキングに載るまでに8か月以上もかかった作品をこうして
まだ続けていられるのは応援して下さる方々のおかげです。
これからも頑張りますので変わらぬご支援をよろしくお願いします。
1562
調査報告
疲れた桜にそのまま報告をさせるのも酷なので、ひとまず皆で露
天風呂へと入ることにした。
霞と陽にも一緒に入るか一応聞いてみたが、顔を赤くして、まだ
恥ずかしいのでごめんなさいと謝られてしまった。い、いや、別に
強制するつもりもないし、今日は霞達がいてもいなくてもそのまま
露天でなんて⋮⋮考えてないから!
という訳で、2人には着替えと蛍さんのいつもの晩酌セットをお
願いして俺と、システィナ、蛍、桜、葵、で入浴する。
後は未だにあんまり感情を伝えてきてくれないけど一応護身も兼
ねて雪も近くにおいてある。雪も葵が魔石への属性付与を覚えてか
らはこまめに添加錬成をしている。属性魔石はランクが低い魔石で
も錬成値の伸びがいいから、もうそろそろランクも上がると思う。
その時にまずは意思疎通を覚えてくれたら、いろいろ話が出来て
もっと仲良くなれると思っている。
それに雪はどうも戦闘が好きみたいな感じがあって、俺が戦って
いる時やいい戦いをした時なんかにちょっと機嫌がいいなと思える
ことがあって、その辺から仲良くなれるきっかけが掴めればいいか
とも思っている。まあ、戦闘好きは刀娘達全体にあるていどいえる
ことなんだけどね。
1563
﹁ふぃ∼いい気持ち。温泉とソウ様のダブル癒しは効果抜群だね﹂
俺の胸元にすりすりしながら蕩けた顔をする桜の頭を労りの気持
ちを込めて撫でる。ここのところ桜は本当に根を詰めて頑張ってた
からこんなことで癒されるならいくらでも協力したい。
﹁報告は後で霞達と一狼も交えて聞くから今はゆっくりするといい
よ﹂
﹁は∼い﹂
﹁それにしても桜さんにしてはやけに手こずりましたわね﹂
まとめていた黒髪を解いてお湯に遊ばせながらしなを作る葵は妙
に色っぽい。
﹁う∼ん、ちょっとね。ルミナルタでの拠点はすぐに突き止めたん
だけど、そっからがいろいろ厄介だったんだよね﹂
﹁葵、その辺も後でまとめて聞こう。システィナ﹂
﹁はい、私は先に上がって準備しておきますね﹂
﹁うん、いつもありがとうシスティナ。助かるよ﹂
﹁いえ、霞と陽もよく働いてくれてますし、全然たいしたことあり
ません﹂
可愛く微笑んで去っていく白いお尻をまじまじと見送ってから湯
船の縁に腰掛けて、おちょこをくいくいしている蛍へと声を掛ける。
1564
﹁蛍もそろそろいいか?﹂
﹁うむ、ちょうど一本空いたところだ。霞達も大分私のことを理解
してきたな﹂
今日の酒を用意したのは、順番から行くと陽だったかな?
最近の2人は蛍の飲むペースと入浴時間とかを計算して中身の量
などを調整してくるほどに侍女スキルを上げている。正直そんなス
キルは全く必要ないんだけどなぁ⋮⋮2人とも蛍にぴったりな酒食
を提供することを、ちょっと楽しんでいるらしい。
それどころか2人の間では勝負として成り立っているみたいで蛍
の入浴後に一喜一憂している場面を見かける。まあ、それだけ我が
家に馴染んできたということか。
﹁よし、じゃあ上がってリビングに集合。桜は疲れているだろうけ
どもうひと頑張り頼むね﹂
﹁ソウ様成分補充したから全然大丈夫だよ。むしろ、シスのためを
思えばその後の方が大変になると思うし﹂
むん!と胸を張ってぷるんとさせた後に、桜はちょっとだけ表情
を曇らせた。
﹁そっか⋮⋮システィナの懸念が悪い方に当たったか⋮⋮うん!い
ずれにしても話を聞いてからだ。行こうみんな﹂
﹁うむ﹂﹁は∼い﹂﹁はいですわ﹂
1565
湯船を出た俺は3人の頼もしい返事を背中で聞きながら雪を掴ん
で脱衣所へ向かった。
﹁まずは結論から言うと聖塔教はかなり黒いと思う﹂
ソファーの上に強引に寝そべらせた一狼をもふもふしながらの桜
の言葉は軽く聞こえるが、内容は重い。
﹁ふむ、黒いとはどの程度だ?﹂
﹁う∼ん、なんて言うか真っ黒?漆黒?闇の中?くらいかな﹂
﹁これ、桜。真面目な話だぞ﹂
﹁わかってるってば蛍ねぇ。本当にそのくらい黒そうなんだよ﹂
う∼ん、桜がそこまで言うんなら最低でも人の命を軽視するよう
な団体なんだろうな。地球にいる時から宗教団体には良いイメージ
は持ってなかったけど、こっちにきてもっと酷くなるとは思わなか
った。もちろん良い宗教団体だってあるっていうのは頭ではわかっ
ているんだけど。
﹁順を追って説明するね。今回、シスに頼まれたのはルミナルタの
塔で演説をしていた聖塔教の﹃塔の巫女﹄﹃塔の御使い﹄﹃女神の
化身﹄とかって呼ばれている人を調べることだったんだけど、これ
が結構面倒だったんだよ﹂
1566
桜の話を俺なりに順を追ってまとめてみる。
まず、桜は聖塔教の本部がある建物を探すために聞き込みをした
らしい。だが、ルミナルタには宗教団体が数多くあるため偶然聖塔
教信者に聞くとかしないとどこが、どこの建物なのかは住民でも分
からなかった。
仕方なく桜は聖塔教が次の演説を行うのを待った。幸い演説自体
は頻繁に行っているらしく長く待つことはなく、次の演説終了後に
幹部と思われる人達を尾行することに成功した。
﹁だけど、その本部がちょっとおかしかったんだよね﹂
疲れた様子でそう呟いた桜はどこがおかしかったのかを説明して
くれた。
本部はどこにでもあるような、小さな商店ほどの建物だったらし
い。調べたところによれば地上2階建て、それと地下にもスペース
があるらしいという所までは簡単に調べがついた。
地球の建物のイメージでいくと地上部分は3LDKぐらいの広さ
だったらしい。日本と違って土地に困ってないこの世界ではそのく
らいの広さは小さい部類だ。昼に夜に直近まで近づいて調査を繰り
返したが建物としては何一つ不自然なところはなかったようだ。
﹁問題は人の流れ?⋮⋮う∼ん違うな、建物の大きさ?がおかしか
った﹂
1567
どうも、演説を終えた幹部と思われる連中がその建物に、多少間
を空けてはいるもののどんどん入っていったらしい。
途中から桜もさすがにおかしいと思って入っていく人数を数え始
めたが、1人も出て行った気配がないのに入った人数が確定してい
る数だけで34人。その前に入っていった人数を概算で加えると合
計で7、80人近い人間がその3LDKに入ったらしい。ただ入る
だけなら無理な人数ではないだろうが明らかに多すぎだった。
もちろん桜には気配察知の能力がある。だからなるべく建物に近
いところまで接近して気配察知で中の人の様子を探ってみたのだが、
分かったのはほとんどの人間が地下室に入ったところで気配が消え
てしまうということだった。
別に桜の気配察知能力なら、ちゃんと意識を向けてさえいれば民
家の地下室くらいなら充分察知できるはずなのにもかかわらずであ
る。
そこで桜は地下室に何かスキルを阻害するような仕掛けがしてあ
って、中にはものすごい広い空間があるか、別の場所につながって
いる隠し通路があるのではないかと考えた。
肝心の﹃塔の巫女﹄も建物内に入って地下に降りると次の演説の
時まで上がってこない。これでは仮に建物の中に忍び込んでも地下
に行けない限り、巫女に接触することは不可能。信者を捕まえて問
い詰めることも考えたが探っている者がいることを今の段階で知ら
れるのは得策じゃない。
そこからは桜の意地と根気の調査だった。近くに潜みひたすら気
配察知を働かせ、地下に忍び込む機会を待ち続けることを選択した
1568
のである。
気配察知を常に働かせ、建物内の人の動きを観察し続けることで
内部の間取りを完全に把握し、地下への入口も分かった。その後は
地下の入口に近い辺りに潜伏場所を変えて、夜間は隠形+と闇隠れ
の首飾りを常時発動して闇に潜んで建物の壁に張り付いて中の様子
を探った。
その苦労の甲斐あって、地下室へと降りるための階段を隠してい
る仕掛けの解き方も把握することが出来た。
﹁なんだかベタに本棚の裏に扉があっただけなんだけどね﹂
そう呟く桜はちょっと残念そうだった。忍者屋敷的な絡繰りが大
好きな桜にしてみればあまりにもつまらない仕掛けだったんだろう。
ここまでくれば、後はもう地下へと行ってみるしかない。そう考
えた桜は忍び込む機会を待ち続けた。正直そんなところまで1人で
やらないでこの段階で一度相談して欲しかった気もするが⋮⋮今更
言っても仕方がない。
そして、やっと機会が訪れる。地下に入って行く数人のうち1人
が直前で他の幹部に呼び止められ、入口を開いたまま部屋を出たら
しい。すぐに戻るつもりだったのだろうが、期せずして入口が空い
しのび
たままその部屋が無人という状況が出来た。しかも時は夜。桜の、
忍の時間帯だった。
桜はすぐさま窓の鍵︵この世界では簡単な掛け金であることがほ
とんど︶を針金で解除し、一気に地下へと潜入した。もちろん隠形
+と首飾りの効果を使って。
1569
﹁そうしたら、地下には転送陣があったんだ﹂
﹁そんな⋮⋮転送陣の作成は一宗教団体などでは到底不可能です。
転送陣の技術はほぼ失伝しており、その情報を一手に握っているの
はとある組織です。その組織をもってしても長い時間をかけて今あ
る転送陣を模倣するだけ。しかもそれがうまく作動するかどうかも
完成後に使ってみなければ分からないんです﹂
驚いたシスティナがそんなことを教えてくれた。つまり、転送陣
の作り方は失われ未だに解明されていないということだ。
その組織は残存する資料と現物を見て、見様見真似で作成できる
がきちんと動作する転送陣を造れるかどうかは分からない。完成し
て設置して使ってみて初めて成功したかどうかが分かるらしい。
おそらく作成段階において解明されていない条件があって、それ
をたまたま満たした時にだけきちんと作動する転送陣が完成するん
だろう。
そして、転送陣の所在については厳しく管理されているそうだ。
新たな転送陣が完成して売却される時は大体的に公表し、設置場所
を登録しなければならない。
これは領主連合によって定められていて破ると死罪すらあり得る
らしい。個人で所有するなどもってのほかということらしい。確か
にそんなものを勝手に使われたら危なっかしくて仕方ない。
まあ、一応の対処として一度設置した転送陣は片方、もしくは両
方が一度目の使用時にその場に固定されるという処理がされている
1570
ので持っていてもそうそう悪事に使えることはないらしいが。
とにかく、地下への潜入に成功した桜は思い切って転送陣を作動
させたらしい。向こう側に誰がいるとも限らないのに無謀な奴だ。
後でしっかりとお仕置きしてやらなければなるまい。
幸い、転送先ではあまり警戒もされていた訳では無く無事に転送
を終えたらしい。ここまででようやく桜の報告も約半分というとこ
ろのようだ。
長くなってきたので一度、話を区切って、霞と陽にお茶を淹れて
貰うことにしよう。
1571
調査報告︵後書き︶
桜さん頑張り過ぎですw
1572
報告完了︵前書き︶
ちょっと短いです。
1573
報告完了
システィナに指導を受けた霞と陽は﹁お茶を淹れる﹂という初め
ての作業も瞬く間にマスターしてくれたので、最近は2人に淹れて
もらうことが多い。正直言えばまだシスティナが淹れてくれた方が
おいしいけどそれは秘密だ。
とっくり
ちなみに蛍だけは自分のアイテムボックスから徳利を出して酒を
あおっている。そういうものを入れるためにアイテムボックスを作
ってもらった訳じゃないんだけどな。いずれ蛍のアイテムボックス
が酒蔵になりそうでちょっと怖い。
﹁霞と陽は、桜の話を聞いてどう?﹂
お茶を啜りながら席に戻ってきた2人にちょっと聞いてみる。い
ずれ2人にも桜と同じようなことをお願いするかも知れない。
﹁はい、やっぱり桜様1人では負担が大きいと思いました﹂
﹁うん、私達じゃ桜姉様ほど突っ込んだ偵察は出来ないけど手伝っ
てあげられることもあるかなって﹂
﹁ありがとね。霞!陽!もう少し鍛えたら、ばしばし手伝ってもら
うからよろしくね﹂
﹁﹁はい!がんばります﹂﹂
自分のしていることを手伝ってあげたいと言ってくれる2人が嬉
1574
しかったのだろう。いつも開けっぴろげで羞恥心とかどこいった的
な桜が珍しくちょっと照れている。この調子なら桜も2人が危険に
なるような役割をうっかりお願いするようなこともないだろう。
﹁うん、潜入とか危ないことは桜に任せればいいからね。街の噂や
出来事を調べてくれるだけでも助かるんだから﹂
﹁2人には屋敷の仕事もお願いしてますから、頑張ってくれるのは
嬉しいですが無理をしては駄目ですよ﹂
﹁はい旦那様、システィナ様﹂﹁はい、兄様、シス姉様﹂
うん、2人の笑顔を見ると2人を身内に出来て良かったと心底思
う。エリオさんじゃないけど、2人の下に導いてくれた性戦士には
俺も感謝しなきゃいけないな。
﹁よし、じゃあ続きを頼む﹂
﹁うん、転送陣を起動して出た先は小さな部屋だったんだけど、さ
っきも言ったとおり転送先は全然警戒されていなかったから外の様
子を見るために気配を消して部屋の外に出たんだよね⋮⋮﹂
部屋の外に出た桜はそこがどうも大きな建造物の中だということ
に気が付いた。建造物というあいまいな表現にしたその根拠として
は建物の造りが石造りで全体的に天井が高く通路も広く作ってあっ
たことと、建物内に人の気配が希薄で住んでいる人がいるように感
じなかったかららしい。桜が感じた印象としてはまるで神殿のよう
だったとのこと。
1575
警戒しながら建物内をしばらく探っていた桜だったが、人の気配
があまりになかったため、その建物の探索を一度中断すると近くの
窓から外に出て建物の屋根へと上った。取りあえず現在地の目安に
なるようなものがないか確認するためと、ここへ転送されてきてい
るはずの教団の幹部達がどこにいるかを確認するためだ。
その結果、現在地を知るための目印は夜だったため確認出来なか
ったが、桜がいる神殿のような建物の周りに少なくない数の家屋が
あることが漏れてくる灯りから分かった。規模としては小さな村く
らいはあったようだ。
このことからどうやら教団幹部達はルミナルタのあの家を中継点
にして、この村を生活の根拠にしていたようだった。桜はそれを確
認してから再び建物の中に戻り、建物内の残りの部分を調査してい
った。すると桜の気配察知のスキルに1つだけ反応があったらしい。
ところが、見つからないようにその反応の動きに注意しつつ調査
を続けていても全くその反応が動かない。あまりにも動きが見えな
かったことに逆に好奇心がくすぐられた桜はその反応を確認するべ
く移動。
時間帯から考えれば、寝ているだけというオチも充分あり得たの
だが、桜が行き着いた先は大きなホール。神殿でいえば大聖堂と呼
ばれてもおかしくない場所だったようで、ただそこが神殿とは決定
的に違ったのは崇めるべき神の依り代となるような物が何一つなか
ったことだった。
ホール内は天井にはめ込まれていた小さな窓から差し込む月光だ
けが僅かにホール内を照らし、薄暗い空間になんとなく荘厳なイメ
ージを与えていた。
1576
その光の中に跪いて両手を固く組んだまま、一心不乱に何かを祈
っている人物がいた。どうやらこの人が自分の気配察知に捉えた反
応だと判断した桜は隠形スキルを駆使して大胆にホール内を移動し
てその人物を確認したらしい。
﹁そうしたら、運の良いことにまさにその人がシスが調べて欲しい
って言っていた塔の女神様だったんだよね﹂
桜の言葉でシスティナに一気に緊張が走ったのが分かったので、
軽く抱き寄せてとんとんと身体を叩いてあげた。こういう時にとん
とんされると落ち着くんだよね。
どうやらとんとん攻撃はシスティナにも効果があったようで、シ
スティナの身体から力が抜けるのを感じたところで桜に目で続きを
促す。
﹁周囲に人はいなかったし、どことなくシスに似ている感じがした
から思い切って、接触してみたんだけど⋮⋮そうしたら、シスが何
を憂いていたのかがようやく桜にも分かったよ﹂
﹁どういうことですの桜さん﹂
﹁うん、その人の名前はメリスティア。この人回復、護衛持ちの高
侍祭だったんだ﹂
﹁⋮⋮やはりそうでしたか。どうして、メリスティアが⋮⋮それに
その場所、もしかして﹂
桜の告げた名前に衝撃を受けたシスティアが身体を強張らせつつ
1577
紡いだ言葉に桜は申し訳なさそうに頷く。
﹁ああ⋮⋮やっぱりそうでしたか。一体なにが⋮⋮どうして⋮⋮﹂
顔を蒼ざめさせたシスティナをさっきよりも強めに抱きしめつつ、
桜に視線を向ける。桜は頷いて、1つ深呼吸をするとゆっくりと口
を開いた。
﹁桜が転送陣で移動した先は侍祭達の聖地、︻御山︼だったんだ﹂
1578
メリスティア
突然暗闇から現れた桜に、そのメリスティアは桜が拍子抜けする
ほど動揺しなかったらしい。いきなり現れた黒い装束を纏った相手
に対して危険を感じないほどの天然なのか、それとも危険を感じつ
つも自分の力で自分を守れるだけの力を持っているのか⋮⋮
そう考えて慎重に近づいていった桜だったが、掛けられた言葉は
意外なものだった。
﹁試験のために連れてこられて、迷いこんだのですか?どこの山か
ら来たか分かりますか?﹂
桜はその言葉に虚を突かれた。この女性は自分のような闇に潜む
存在が身近にいることに慣れている。そして、試験という言葉⋮⋮
さらに山。それらの符号がつい最近、桜たちを激怒させた話と一致
したのである
それに気付いた桜は霞と陽を苦しめたかもしれない組織を思い出
し、つい殺気を抑え損ねてしまったらしい。
雪のスキルとして確立された殺気放出程の威力も指向性もないが、
もともと刀であり戦闘経験も積んできた桜の放つ殺気は全力でまと
もにぶつけられれば常人なら思わず一瞬固まるくらいの剣呑なもの。
抑え損ねた僅かな殺気だとはいっても恐怖を感じてもおかしくな
い。ところが、メリスティアは悲しみに顔を歪ませると突然桜を抱
1579
きしめてきたらしい。
いつもの桜なら、どこの誰だか分からないような人間に自分を触
らせなどしない。だが、メリスティアの動きはあまりにも自然で、
あまりにも唐突で、あまりにも予想外で、桜がかわせなかったとい
うのだから驚きだ。
﹁⋮⋮なんて痛ましい。あなたのような女の子にそのような⋮⋮ど
うか許して下さい。私にはあなたを逃がしてあげることは許されて
いないのです﹂
そう言って謝罪するメリスティアは泣いていたらしい。さすがに
これは違うと桜も思った。だが、霞達の件と全く無関係とも思えな
い。しかし、この女性が重要人物であることは間違いない。詳しく
話を聞きたいがいずれここにも他の誰かが来ることも充分あり得る
だろうから時間はあまりかけられない。
だから桜は思い切って自分たちの情報を1つだけ明かすことにし
た。
﹁システィナを知ってる?﹂
メリスティアの反応は劇的と言ってもいいくらいだったという。
今までどこか無気力な悲しみに暮れていた顔に精気が戻った。ただ
し、その分悲愴感が増すというマイナスからマイナスに向かう変化
だったらしい。
﹁⋮⋮システィナ様を知っているのですか﹂
まさかと、もしかしてが混ざった心の乱れを表すような一言だっ
1580
た。桜はメリスティアの細かな反応も見逃さないように注視しなが
ら小さく頷いた。
﹁そう⋮⋮ですか。神殿を出られたという話は聞いていたのですが
⋮⋮きっと今も侍祭として誰に恥ずことも無い道を歩まれているの
でしょうね﹂
僅かな安堵⋮⋮そして、自嘲。
﹁それに比べて私は⋮⋮システィナ様との約束も守れず、こんなこ
とを⋮⋮﹂
諦め、後悔⋮⋮そして、怒り。
﹁⋮⋮望まぬ契約をしている?しかも従属契約?﹂
桜の言葉にはっと我に返ったメリスティアは、感情を乱した己を
恥じるかのように自らの胸に手を当てると表情を消した。
﹁これ以上は私からは何も言えませんし、聞きません。今の私には
教団の不利になることは言えませんし、聞いてしまった秘密を守る
ことも出来ませんから﹂
これは桜の推測を認めたということになる。契約者の不利になる
ようなことは出来ず、もし何かを聞かれた場合は全て正直に話さな
くてはならない状態、つまり侍祭契約を結んでいるということ。
しかも態度の頑なさから考えれば従属契約で間違いない。桜はそ
う判断した。
となればこれ以上詳しい話を聞くことは出来ない。そこで桜は単
1581
なる思い付きではあるが一計を案じた。帰るふりをして出口に向か
いながらメリスティアに聞こえるように呟いたのだ。
﹁私にいろいろ教えられる人がどこかにいないかなぁ﹂
そこでちらりと後ろを振り返った桜の目には、一瞬だけ驚いた顔
をした後にくすくすと笑いを漏らしたメリスティアがやはり後ろを
振り返って伸びをする姿だった。
﹁ん⋮⋮ん、村の一番西の家に軟禁されている子たちは元気にして
いるかしら﹂
これは桜が考えた、契約の穴を突くもっとも簡単な方法。その名
もズバリ!﹃独り言作戦﹄だった。桜命名のあまりにもそのまんま
なネーミングについては敢えて突っ込むまい。
実際にこの方法が有効かどうかは分からない。
だが少なくとも﹁誰かに俺達に不利なことを教えたりしてないか﹂
というような質問に対しては、教団に関する情報は何一つ話してな
いし、独り言だから﹁誰か﹂に教えてもいない。
そういうこじつけみたいな強引な論理で契約を誤魔化せるかどう
かは賭けみたいなものだが、この様子なら契約者にピンポイントな
質問をされない限りは今日のことをばらされる心配ないと判断した。
すぐに西の家に向かおうとする桜に、さらに﹃独り言﹄が聞こえ
て来た。
﹁今晩は祈りの日だから、朝まで人払いされていて静かでいいです
1582
ね﹂
ひとけ
つまり今日この日に、こんなに人気がなく、警戒が緩かったのは
そういうことらしい。つまり撤退するにしても陽が昇るまでが都合
がいいということだった。
桜からここまでの話を聞いたシスティナはようやく衝撃から立ち
直りつつあった。名残惜しそうに俺の腕の中から抜けだし居住まい
を正した。
﹁ありがとうございましたご主人様。もう大丈夫です。御山やメリ
スティアに何かがあったことは間違いはなさそうですが⋮⋮桜さん
のおかげでメリスティアが心変わりをしたのでも、御山の人間が全
員死んでしまったりしてしまったのでもないということがわかりま
したから﹂
﹁うん、その顔だよ、シス。なんとか御山に何があったかまでは調
べられたからそれをちゃんと聞いて貰わないとね﹂
﹁はい、ありがとうございます桜さん﹂
よし、まだちょっと強張っているけど良い笑顔だ。
﹁うん。じゃあ、西の家に軟禁されていた人達から聞き出せた話を
ささっと報告するね﹂
その西の家は意外とすぐに見つかった。1つだけ大きめな2階建
1583
ての家に見張りが2人付いていて、しかも気配察知で中を探るとか
なり人口密度が高かったらしい。
ただ見張りの練度は低く、ろくに警戒もしてなかったようで普通
に2階の窓から侵入出来た。
侵入した部屋の中には薄い毛布にくるまった状態で、足の踏み場
もないくらいの人が寝ていた。桜はその内の一人に目星をつけると、
こっそりと起こしてこの時点ではメリスティアの名前は知らなかっ
たので、神殿にいる侍祭にここで話を聞くように言われてきたと伝
えて一番話の分かる人の所まで案内して貰った。
そこに出て来たのが、契約者との契約を全うして侍祭を引退し、
指導育成のために御山に戻っていた老侍祭の内の1人だった。その
老侍祭は名前をイルマーナと名乗った。
そこで桜はイルマーナと2人きりの対談を望み、再びシスティナ
の関係者であることを告げた。
そして、ここでもシスティナの名前の効果は絶大で、桜を疑って
いて警戒心を顕わにしていたイルマーナはどこか安堵した表情を浮
かべたそうだ。⋮⋮ていうかシスティナってもしかしなくても凄い
人だったんだな。
ここからは要点のみ。
・神殿にいる高侍祭はメリスティアである。
・御山を占拠している奴らは﹃聖塔教﹄幹部である。
・メリスティアはそこの真の教祖である、バーサという中年の女と
従属契約を結んでいる。
1584
なぜメリスティアがバーサと従属契約を結ぶことになったのかと
いうと⋮⋮
・御山の近くに遭難者が現れそれを助けた。しかし、秘密を守らせ
るための契約をする前に消えた。
・それからしばらくして、御山が襲撃を受ける。
・契約者のいない侍祭や、侍祭補では防衛が出来ずに前面的に降伏
をするしかなかった。
・最も優秀な者が形式上指導者となる御山のしきたりで、当時トッ
プにいたメリスティアは他の侍祭や侍祭補達には危害を加えないと
いう﹃契約﹄をさせる代わりに襲撃者たちのボスであるバーサと従
属契約を結んだ。
バーサは宗教で人を集め、信者から戦闘組織を作り上げ、その力
で主塔を所持し自分たちだけの街を作り上げるつもりらしい。この
世界ではまだ国という言葉がないだけで、やろうとしていることは
主塔を所持する街=国を乗っ取る、もしくは攻め落とそうとする行
為。国盗りならぬ街盗りだ。
そしてバーサが作り上げた戦闘部隊が
妄信的信者による有象無象の信者兵団。
めっし
自爆も辞さない特殊暗殺部隊の滅私兵団。
人工的に魔法が使えるように改造された部隊の魔法兵団。
の3部隊だった。信者兵団を事実上バーサが率い、バーサの情夫
でもある福教祖の長耳族の双子がそれぞれ滅私兵団と魔法兵団を率
1585
いているらしい。
﹁なんとまあ⋮⋮よくもまあ集約したものよ﹂
桜の話を聞いた蛍が呆れたように呟き徳利をあおる。
﹁そうですわね。話を聞く限りでは霞たちのいた組織もどうやらこ
この滅私兵団というものの育成所のようですわ﹂
冷静にお茶を啜っているように見せながらも葵の手は怒りからか
白くなっている。力を入れ過ぎて湯呑が割れないか心配だ。
﹁そして、シシオウの部隊にいた人工的に魔法を使えるように改造
された実験兵も⋮⋮ここで産まれた可能性があるか﹂
﹁はい、そして御山です﹂
﹃戦闘になるのでしょうか、我が主。そうであるならば私もお連れ
下さい﹄
一狼ですら戦いの気配を感じているか⋮⋮
﹁私達がいた所がそんなところだったなんて⋮⋮﹂
﹁あそこであのお屋敷のおばあちゃんを殺してたら私達も⋮⋮﹂
霞と陽が蒼い顔で震えている。有り得た未来を想像してしまった
のだろう。それを見た蛍と葵が2人をそれぞれ抱き寄せて頭を撫で
てあげている。本当に2人に甘いな蛍と葵は。
1586
とにかく、ここまで調べてくれた桜の為にも、御山を占拠されて
悲しんでいるシスティナの為、辛い修行と酷い仕打ちをうけた霞と
陽の為に出来るだけのことはしよう。
1587
対策協議
﹁さて、どうしようか﹂
俺は全員の顔を見回しながら声をかける。
﹁申し訳ありません、ご主人様⋮⋮﹂
俺の一言をどうも困った末に出た言葉だと勘違いをしたらしいシ
スティナが申し訳なさそうに顔を伏せる。
こ
本当にこの娘はそろそろ俺を分かってくれてもいいのに、どうし
ても契約者に迷惑をかけるかも知れない行為に対しては萎縮してし
まうらしい。
﹁またしても、対組織戦か。前回の経験を活かすなら我らだけであ
たるのは得策ではないかもしれんな﹂
﹁今回の相手は暗殺部隊もそこそこ鍛えられてるっぽいし、必ずし
も正面戦力だけの戦いにもならないと思うよ﹂
﹁それよりも、まだその聖塔教とやらは表だって悪事が露見してい
るわけではありませんわ﹂
﹃だとすれば、まずは悪事の証拠を掴むことが必要でしょうか?我
が主﹄
1588
﹁あ!それなら今回は私もお手伝いさせてください、旦那様。もち
ろん桜様に教えていただかないと何をすればいいかはわかりません
けど﹂
﹁それなら陽もやる!そいつらやっつけないと陽達みたいな子がま
たたくさん出ちゃうんでしょ。そんなの絶対に許せないもん!いい
よね兄様﹂
﹁え?え⋮⋮みなさん⋮⋮一体なにを?﹂
次々とどうやって聖塔教と戦うかを提案していく仲間達にシステ
ィナが1人困惑している。そりゃそうだろう、システィナは俺たち
が厄介なことを知ってしまってそもそも戦うかどうかを考えて困っ
ていると思っていたんだろうから。
でも俺の最初の一言はそういう意味じゃない。どうやって完膚無
きまでにやつらを潰すか。そのための方法を皆に聞いていただけだ。
システィナだって、これが自分に関係しない話だったらその意図に
気が付かないはずはないんだけどね。
・・・・・・
﹁システィナ。俺と立場が逆だったらそんなところで悩むかどうか
考えてごらん﹂
﹁私とご主人様が?⋮⋮⋮⋮あ﹂
可愛く首をかしげてちょっと考えたシスティナが小さな声をあげ
る。
﹁そういうことだよ。システィナの侍祭としての矜持は大事にして
あげたいけど、俺たちの間ではいい加減侍祭としての立場から自分
1589
を低く見ようとするのはやめにしよう。システィナがいつでも皆を
助けたいと思う気持ちがあるように俺たちもシスティナを助けたい
という気持ちがある。ただそれだけなんだからさ﹂
叱るつもりはない。システィナが本当に自然にそうなってくれる
まで、何度でも優しく教える。多分皆も同じ気持ちのはずで全員が
優しい笑顔をシスティナに向けている。
﹁あ⋮⋮ありがとうございます⋮⋮﹂
目元を潤ませるシスティナも何度か言われていることだ。表層の
・・・
部分では分かっている。ただ骨の髄まで染みついた侍祭としての常
識がどうしてもとっさに出てしまう。それもらしさだからそのまま
受け入れてもいいんだけど、俺はもっともっとシスティナに甘えて
欲しい。
﹁よし。じゃあ全員の意思統一が図れたところで意見をまとめてい
こう﹂
俺は全員の顔を見回し、皆の顔に気力が満ちているのを確認する
とさっきの皆の意見を検討していく。
﹁まず、聖塔教と戦うにしても大義名分がいるよね。形の上ではた
だの宗教団体で盗賊とは違うから勝手に襲ったらこっちが悪者にな
る﹂
﹁そうですわね⋮⋮ならば一狼の言う通り悪事の証拠を掴んで然る
べき場所に持ち込むか、桜さん達の土俵で闇から闇に葬る戦いをす
るかですわ﹂
1590
﹁う∼ん、正直裏での戦いは戦力が足りないかな。霞達がいたよう
な訓練施設は色んなところにあるみたいだったし、ちまちま探して
潰していくのは桜だけじゃ骨だよ﹂
確かに桜の言う通りだろう。だがその手の枝葉は幹を倒せば立ち
行かなくなる気がするから、俺達がやりたいのは都市乗っ取りを堂
々と画策してそれを実行に移せるだけの組織にしつつある教祖バー
サ、先頭集団の長である長耳族の双子を消すことと、メリスティア
と御山と侍祭補を解放すること、そして出来れば人造魔法使いを作
っている研究所を資料ごと潰したい。
ここまでやれば後は自然消滅を狙えると思うし、霞や陽に危険が
及ぶことも無くなるはずだ。
﹁戦力不足は闇の戦いに限った訳でもあるまい。正面から戦うにし
ても盗賊達と戦った時のようなあんな戦いはそう何度もうまく行く
ものではないぞ﹂
﹃当初敵側にいた私にしてみれば蛍様、葵様、桜様、システィナ様、
そして我が主⋮⋮皆様方が揃っていたら間違っても敵に回して戦い
たくはありません。それは例え数倍以上の群れを率いていたとして
もです﹄
一狼の素直な賛辞に桜がへへぇと照れながら一狼に埋もれていく。
﹁一狼の様に俺達の力を知っている者が相手ならプレッシャーをか
けられるだろうけど今回は無理だろうね。しかも相手は宗教にのめ
り込んだ人達だ。ちょっとやそっとじゃ戦意を失わない可能性が高
い﹂
1591
いわゆる狂信者という人種は地球にいたときも度々世間に迷惑を
かけていた。独自の常識を展開し、同じ信者以外を人とも思わない
ような団体がいくつかあった。文明の発達して比較的豊かだった地
球の日本でさえそうだったんだから、この世界の環境下で生まれた
宗教はもっと根強いものがあるかもしれない。もちろん俺は宗教に
詳しいわけじゃないから完全に推測だけどね。
﹁となると、盗賊の時のように最後には兵力がものをいうかもしれ
んな﹂
﹁そうは言っても蛍さん。私達には独自にそれだけの戦力を集める
ことは難しいです﹂
システィナの言う通り、俺達が集められる人材なんて剣聖の弟子
の3人と無理をいってお願いすれば大工さん達が何人か助けてくれ
るかなってところだ。前回はルスター隊長のおかげで領主軍の一部
が助けに来てくれたからなんとかなったけど⋮⋮ん?待てよ⋮⋮領
主軍、領主軍か!
﹁桜、聖塔教は主塔のある街を乗っ取って自分たちの街にしたいん
だよな?﹂
﹁うん、元侍祭のおばあちゃんがそう言ってたよ﹂
﹁その標的になってる街がどこか分かる?﹂
﹁⋮⋮どうだろう、時間をかければ調べられると思うけど、あいつ
ら布教の為とか言っていろんな街に移動しまくってるから﹂
多分、布教と同時に各街の情報を集めてるんだろう。となると絞
1592
り切れないか⋮⋮
﹁あの!﹂
考えをまとめようと緑茶に手を伸ばそうとした俺に霞が声を掛け
て来る。
﹁ん?どうしたの霞﹂
﹁あの⋮⋮関係ないかもしれないんですけど⋮⋮﹂
何かを思いついて思わず声を掛けてしまったが、注目された途端
に自信がなくなってしまったのかもじもじし始める霞。
﹁遠慮しないでなんでも言って。そういう集まりなんだからさ﹂
﹁あ、はい。⋮⋮えっと、私達が試験で連れて行かれた老婦人の家
なんですけど⋮⋮﹂
﹁うん、その家がどうかした?﹂
﹁いえ!⋮⋮家はどうもしないんですけど、建っていた場所の周り
が水の気配が強かったので多分レイトークだったんじゃないかと思
うんです﹂
﹁うん、レイトークは湖の中の都市だから⋮⋮ね⋮⋮あ!そういう
ことか!﹂
﹁何か分かったんですかご主人様﹂
1593
おっと、つい大きな声を出してしまった。
﹁もしかするとだけど、これは霞のお手柄かもしれないぞ。桜、主
塔のある街の中で有力者が相次いで死んでいるところはないか確認
できるか?出来ればレイトークを重点的に﹂
﹁⋮⋮⋮⋮あ、そうか。聖塔教の施設にいた霞達が殺そうとしてい
たってことは、その人は聖塔教にとって都合が悪い人ってだもんね﹂
﹁なるほどな。その街の有力者達が相次いで死んでいるような街が
あれば、確かに臭いな﹂
﹁それをわたくし達が調べて、その街の領主に伝えれば領主軍の力
を借りられるかもしれませんわ﹂
そう!そうなんだ。自分の街が狙われているということが分かれ
ば領主は対処をせざる得ない。それに協力する形で俺達も動けばい
い。もし、本当に霞の言う通りレイトークがその標的なら幸い領主
と面識もあるし話も通しやすいはずだ。
﹁了解ソウ様。じゃあ明日から調査を始めるね。せっかくだから霞
と陽も訓練を兼ねて一緒においで。最初は可能性の薄い街から始め
るから危険が少ないうちにやり方を覚えちゃおう﹂
﹁﹁はい!!﹂﹂
正直2人を前線に出すのはまだ早いと思うけど、せっかくやる気
になっているみたいだし今回は自分達の過去を清算するための行動
でもあるから止めるのは過保護だろう。
1594
﹃私は調査にはいささか目立ちすぎるので無理でしょうが、調査の
折には忍狼隊も使って下さい我が主。どうも先日装備を貰ってから
働きたくて仕方がないようですので﹄
確かに一狼の白い巨体はちょっと目立つから隠密行動には向かな
いか⋮⋮その点普通の狼達なら大人しくしてればただの犬とさほど
変わらない。街には獣人族も溢れているためさほど目立たないか⋮
⋮ていうかとうとう忍狼隊が正式名称になっちゃったか。桜の仕業
だろうなぁ。
﹁桜、どうだ?﹂
﹁うん、霞と陽の護衛も兼ねて一頭ずつ付いてもらおうかな﹂
俺の言葉に頷いた桜が霞と陽に視線を向ける。
﹁霞、陽。後で狼達と話しておいで。今後、外での活動で一緒に動
く相棒を探すと思って相性重視で一頭ずつ説得してきて﹂
﹁え?⋮⋮陽は狼と話せないんだけど、どうやればいいの?桜姉様﹂
﹁だいじょぶ、大丈夫。二狼たちも喋れないけどちゃんと分かって
くれるから、きちんと説明して一緒に訓練でもしてくればいいよ﹂
陽の言っていることは全くもって正しいが、俺も桜に賛成だ。二
狼達なら問題ない。むしろ2人を取り合いになって喧嘩しそうで怖
い。2人が狼ハウスに行くときはちゃんと一狼に監視しておいても
らおう。
﹁よし、決まった。じゃあ明日から桜達の調査を開始してもらって、
1595
その結果が出たらその街の領主に接触する。そこまでをまず目標に
しよう。そこから先は領主との話次第になる﹂
﹁ソウジロウ、私達はどうする﹂
﹁蛍とシスティナは俺と一緒に塔に入って魔石を集めよう﹂
﹁いいだろう﹂﹁はい﹂
﹁主殿、わたくしは?﹂
﹁葵は申し訳ないんだけどその集めた魔石に属性付与を頼む﹂
それを聞いた葵の目がキラリと光る。
﹁ということはいよいよですわね﹂
俺は腰の刀を撫でるように触ると頷く。
﹁うん、せめて雪にも喋れるようになって貰おうと思う﹂
1596
ギルドの変化︵前書き︶
遅れ気味ですいません。
1597
ギルドの変化
翌早朝から桜と霞、陽は調査のために屋敷を出発した。
俺もちょっと早起きして、霞と陽が無理をしていないか確認する
のも兼ねて見送りに出た。俺の見た限り2人は多少の緊張はあるも
は四狼と九狼だ。霞が九狼とコンビに
のの、むしろやる気に満ちていたようなので安心して2人を送り出
した。
ちなみに2人が選んだ
なり、陽が四狼とコンビを組んだ。
これには、予想通りというかなんというかやっぱり一悶着あって、
2人が相手を選びに狼ハウスに行って事情を説明したところ、一狼
以外全ての狼たちが2人の相棒に立候補してしまったのである。
その後、一狼の指示で霞、陽と一対一で面接なんてものもしたら
しいが狼たちのアピールがどんどんエスカレートして収拾がつかな
くなってきたので、2人を心配して同行していた葵と一狼の一声で
﹃女は女同士﹄ということになったらしい。
その結果、霞が九狼と、陽が四狼とコンビを組むことになったの
だが、この一件で2人の心に僅かに残っていた狼に対する恐怖心は
完全に払拭されたらしく全狼と仲良くなってくれたのは嬉しい誤算
だった。
2人は今回選んであげられなかった狼たちにお詫びとして丁寧な
ブラッシングをしてあげて、狼たちの方も2人のことを完全に受け
入れてくれたみたいだ。
1598
さらに、これを機に四狼と九狼は霞と陽の専属の護衛兼相棒とし
て配置、連携を深めるために屋敷の警護のローテーションからも外
してなるべく2人と寝食を共にすることにさせた。
当然、昨晩も2人の私室にそれぞれ寝床を用意して狼達もそこで
寝たのだが、一晩明けるとそれぞれのペアの距離は狼たちをしーち
ゃん、くーちゃんと呼ぶ程にぐっと近づいていた。
そうなると、俺もなるべく一狼と一緒に過ごす時間を取って上げ
た方がいいのかもしれないと思って同じように見送りに来ていた一
狼にさりげなく聞いてみたんだけど⋮⋮
﹃気にすることはありません我が主﹄
とか言ってた割に尻尾がぶんぶん振っていたから、明らかに期待
度はMAXだった。まあ夜は俺のご褒美タイムなのでなかなか難し
いけど、日中の空き時間はなるべく一緒にいてあげることにしてあ
げたい。
さしあたっては今日からの塔探索にも連れて行くことにして、そ
れを伝えたらもの凄く喜んでいた。ふふふ⋮⋮愛い奴め。
葵には手持ちの魔石の中で、生活用の魔石に加工してもらう為に
キープしていたHランクを除くGランクの魔石に属性付与をお願い
しておいた。属性は何を与えていたかによってランクアップ時に多
様性が出そうな気がするのでなるべく全て違う属性を付与してもら
えるようにお願いした。
1599
今回渡した数としては5つ程だが、葵の負担を考えれば最初はそ
のくらいでいいだろう。後は効率を考えてなるべくランクの高い魔
石を回収してきた方がいい。その方が葵の付与の回数も減るし、俺
の添加錬成の回数も減る。
一番最初に添加錬成を使った時に比べれば俺の魔力総量も大分上
がっているみたいだから回数はこなせるようになってきているけど、
あんまり魔力を使いすぎると魔精変換が使えなくなって夜の錬成が
出来なくなってしまうのはとても困る。
錬成の話になったので、久しぶりに刀娘達を鑑定してみた。そう
したらなんと蛍の吸精値が100を超えていた。
今までは錬成値も吸精値も100でランクが1つ上がっていたの
に、今回ランクは上がらなかった。こうなってくると次にランクが
上がるにはどこまで吸精値を溜めればいいのかちょっと予測がつか
ない。200とか300かも知れないし1000とか9999とか
まで可能性はあり得る。
あり得るけど、既にS++というとんでもないランクになってい
るんだからそう簡単にはいかないのは仕方無いことかもしれない。
﹃蛍︵蛍丸︶ ランク:S++
錬成値︵最大︶
吸精値 128
技能:共感
意思疎通
擬人化
気配察知+
殺気感知+
1600
刀術+
身体強化+
攻撃補正+
武具修復
光魔法+﹄
ついでに桜と葵の鑑定結果は
﹃桜 ランク:B+
錬成値 33
吸精値 49
技能:共感
意思疎通
擬人化
気配察知
隠形+
敏捷補正+
命中補正
魔力補正
火魔法+﹄
﹃葵︵日光助真︶ ランク:B+
錬成値 0
吸精値 61
技能: 共感
意思疎通
擬人化
威圧
高飛車
1601
魔力操作+
適性︵闇・火・水・土・風・光︶
派生︵雷・氷︶
特殊技能:唯我独尊﹄
こんな感じ。最近は精気錬成メインだったから錬成値の方は全く
上がってない。吸精値は上がってるけどここのところは、葵はアイ
テムボックス関連で、桜は調査活動で忙しかったから錬成の機会が
少なかったため伸びは今一つ。なにげに家にいることの多かった蛍
の方が伸びがいいくらいだった。
っと、話が逸れた。今回のメインとなる雪の鑑定結果がこれ。
﹃雪︵加州清光︶ ランク:C+
錬成値 81
吸精値 0
技能:共感
気配察知︵微︶
殺気放出
柔術
刀術
敏捷補正+
突補正++﹄ 葵にちょいちょい属性魔石を作ってもらって錬成してたから錬成
値は81まで上がっている。Gランクの属性魔石を5つ錬成すれば
多分だけど次のランクに上がると思う。
刀によってランクの上がり方がまちまちで次のランクがC++な
1602
のかBなのかは上がってみないと分からないが、うまくBランクに
上がれば今までの経験上、意思疎通までは覚えてくれるはず。
そこから先、擬人化まで挑戦するかは葵の負担もあるし俺たちが
どこまで質のいい魔石をとってこれるかにかかっている。
高ランクの魔石はサイズが大きくなる分、葵や俺の負担も増える。
でもその負担感はGランク1個を処理するのとHランク2個を処理
するのとあまり変わらない。でも添加錬成した時の錬成値上昇値は
Hランク2つよりもGランク1つの方が大きいから結果的にはなる
べく高ランクの魔石を使う方が効率がいい。
Gランクより上のものはきちんと検証出来てないから、この比率
が全部のランクに当てはまるかどうかは分からない。さらに、天然
の属性魔石と付与した属性魔石の違いがどうなのかとかも考えたら
きりがないし。
でも漠然とした感覚的なものだけど刀娘達のためにはなるべく質
の良い魔石を使った方がいいと感じている。
だから今回は、俺達塔探索組が取ってきた魔石を厳選する。獲れ
た魔石の中でも質の高いものだけを葵に属性付与してもらって添加
錬成をしていく予定だ。
その為に、今まではあんまり塔の上層に行くつもりはなかったけ
ど、今回は無理のない範囲でいけるところまで行く。
幸いアイテムボックスが完成したおかげで、探索に必要になる水、
食料、薬などの必需品とかの持ち込みに制限がなくなって、重い荷
物を背負って運ぶようなこともなくなったしね。
1603
まあ、蛍が自分のアイテムボックスに入れている大量のお酒は正
直どうなんだと思わなくもないが⋮⋮塔の中では絶対に飲ませない
ように気を付けておこう。俺が上の階層を目指すことに喜んでやる
気だったから大丈夫だとは思うけどね。
︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱
﹁じゃあ、葵。留守番みたいで申し訳ないけど作業の方よろしく頼
む。無理はしないくていいから﹂
﹁わかりましたわ。主殿と一緒に行けないのは寂しいですが、わた
くしにしか出来ないことですものね﹂
朝食を摂って、装備に身を包んだ俺達を葵が見送りに来てくれた。
属性付与は魔力の負担が大きいから探索に連れて行けないというこ
とをちゃんと理解してくれているみたいだから、拗ねて見えるのは
甘え⋮⋮なのかな?
﹁ありがとう、葵。帰ってきたら一緒にお風呂入ろうな﹂
﹁え?2人きりでですの!?﹂
ぐびり、と前に出てくる葵に苦笑しつつ俺は頷く。1人での留守
番はつまらないだろうからね。
﹁うん、分かった。今日は葵に背中を流して貰おうかな﹂
1604
﹁はいですわ!﹂
機嫌が直った葵に見送られ、俺達はひとまず冒険者ギルドへと向
かう。
正直言うと、最近はあんまり顔を出していなかった。正確には性
戦士との戦い以降は⋮⋮かな。
性戦士はどうでもよかったんだけど、ステイシアが処刑されるこ
とにはちょっと考えることがあったから、なんとなく避けていた部
分はある。だから性戦士の処刑についても無事行われたという話を
聞いただけだ。
﹁ほう⋮⋮なんとなくギルド内に秩序めいたものが生まれているよ
うな気がするな﹂
ギルドに入った後の蛍の第一声である。
﹁はい、嫌な雰囲気ではないですが、なんと言えばいいでしょうか
⋮⋮前ほど浮足立った感じが無くなりました﹂
﹁ふぅん、そうなんだ。俺はあんまりよく分からないけど⋮⋮確か
に言われてみれば落ち着いた感じはあるかも﹂
別に前に来た時と比べて静かになったとかじゃない。今だって多
くの冒険者達がガヤガヤと話したり、ガチャガチャと装備を鳴らし
たりして動き回っている。
﹁おそらく、ギルドに対する考え方に変化があったんだろうな﹂
1605
﹁はい、先日の性戦士の一件が大きいと思います。あれでギルドは
自分達にはあの性戦士を倒すだけの武力があることと、場合によっ
てはああいった人達を粛正することもあるということを示しました。
それが冒険者達に良い方向に認知され、冒険者達がギルドに一目置
くようになったのかもしれません﹂
﹁それは、信頼されてきたってこと?﹂
システィナがどこか儚い微笑みを浮かべて頷く。
もしこの世界の冒険者ギルドも俺がラノベとかで読んできた冒険
者ギルドのようになっていくなら、これからこの冒険者ギルドも各
都市を繋ぐ組織として世界の中でどんどん大きくなっていく可能性
がある。
形はどうあれ、そんな組織の礎にステイシアがなったこと、その
死が無駄にならなかったことがほんの少しだけ嬉しいのかもしれな
い。
1606
ギルドの変化︵後書き︶
※ 感想、レビュー、ブクマ、評価が作者のエネルギーですのでよ
ろしくお願いいたします。
1607
オンオフ︵前書き︶
5月も更新ペースはこの位になりそうです^^;
1608
オンオフ
冒険者ギルドには特に用事があった訳じゃない。しばらく顔を出
してなかったからちょっと様子を見に来ただけだったんだけど、良
い方向に変化がある分には問題ない。
せっかく来たので一応、最初のころより大分増えた依頼票を一通
り確認して⋮⋮と思ったら読解のスキルが発動していて依頼が読み
づらい。さすがに不便だなこれ⋮⋮オンオフを切り替えられないも
んだろうか。
﹁どうかされましたか?ソウジロウ様﹂
﹁うん、ちょっと依頼票がね⋮⋮﹂
依頼票を前にまごつく俺をみて声を掛けてきたシスティナがそこ
で頷く。
﹁あのスキルですね。私が読み上げましょうか?﹂
﹁ま、必ずしも自分で読まなくてもいいからシスティナに見てもら
って気になるものがなければそれでいいんだけど⋮⋮その前に一個
だけ試してみようかな、と思ってさ﹂
今から試そうとすることのイメージがしやすいように俺は目を閉
じる。
1609
この世界の魔法は魔力とイメージ次第だ。そしてその魔法もスキ
ルの1つ。それなら俺の読解スキルもイメージ次第でオンオフが出
来てもおかしくない。
目を閉じると同時に俺が常時発動している読解スキルのイメージ
を想像してみる⋮⋮イメージしやすいのは目からライトを照射して
るシーンかな。そのライトの発光部分に光だけを遮断するフィルタ
ーを被せるイメージ。
ゆっくり、しっかり、頭の中でイメージを固めてから少しずつ目
を開ける。サングラスをかけるようなイメージだから地球育ちの俺
にはイメージしやすい。
﹁⋮⋮⋮⋮うん、普通に読める。スキルのオンオフは可能だ﹂
俺の視界には今まで、依頼書に書かれた文字を書いた人物の真意
のようなものが、依頼票の上に表示されていた。
それは⋮⋮なんていうか器と中身が合っていないような気持悪い
状況で1枚2枚ならまだしもこれだけの数が密集してあるとなんと
も気持ち悪い景色だった。
それが、今は普通に書かれている内容が読める。非常に気分がい
い。これならこの世界の本も読めそうだ。
試しにもう一度目を閉じてスキルをオン⋮⋮うん、出来る。その
状態でざっと依頼書に目を通して読解をオフ。この際に読解自体を
全オフしちゃうと文字も読めなくなってしまうのであくまで、フィ
ルターだけを掛けるイメージでオフするのがコツだ。
1610
普通の状態で再度依頼書を見直して、気になった依頼書を2枚ほ
ど剥がす。
﹁ソウジロウ様、依頼を受けるのですか?﹂
﹁いや、受けないよ。今日は塔をひたすら上がる予定だしね﹂
俺は2枚の依頼票を持ってカウンターに行くと笑う受付嬢に渡す。
﹁依頼の受注ですね。依頼票を確認させていただきます⋮⋮商隊の
護衛依頼と物資の輸送業務ですね。⋮⋮えっと、こちらの依頼、そ
れぞれの行き先が逆方向なんですが、本当にお受けに⋮⋮﹂
俺はてきぱきとお仕事をしてくれる受付嬢の言葉を軽く手を上げ
て遮る。
﹁すいません、依頼の受注じゃないんです。この2つの依頼はどう
もおかしいのでもう一度依頼人に内容を再確認して貰った方がいい
と思いまして⋮⋮﹂
﹁どういうことでしょうか?﹂
お⋮⋮いつも笑顔を崩さない受付嬢さんの顔がほんの少しだけ緊
張したように見える。
﹁はい、ちょっと小耳に挟んだんですが⋮⋮こちらの護衛依頼は護
衛対象が若い女性だということにして、若い女性の冒険者を指定し
ていますが、どうやら依頼を利用してその護衛の女冒険者に良から
ぬことを企んでいるようです。それにこちらの運搬の依頼もどうや
ら運ぶ物資の中にヤバい物を混ぜて冒険者を運び屋として使おうと
1611
しいてるみたいなんです﹂
﹁え?⋮⋮﹂
受付嬢にしてみれば一体何を言っているんだろうこの人は、とい
う感じだろう。だが、こんな事件が起きて公になればせっかく浸透
してきたギルドのへの信頼に傷がつく。まだまだギルドの評価は危
うい状態だからね。
﹁護衛依頼の方は一度、本当に若い女性の護衛対象者がいるのかど
うかなどを確認したりして依頼者を締め上げた方がいいと思います。
運搬の方は依頼を受けるフリをして荷物を差し押さえた上で依頼者
を捕まえれば言い逃れも出来ないかと思います。ウィルさんにフジ
ノミヤがそう言っていたと伝えておいてください﹂
俺は戸惑う受付嬢さんにそれだけ伝えると、受付を離れる。
﹁さっきのは、おまえの読解スキルでに引っかかたのか?私達で解
決すればまたランクが上がるかもしれんぞ﹂
連れだってギルドを出て塔へと向かう途中に蛍が僅かに口角を上
げながら聞いてくる。
﹁読解スキルの調整が出来るようになったから、自分で文字と真意
の違いがわかるようになったんだ。依頼文はギルド職員のものだけ
ど、依頼人の署名部分は自署らしいからそこに変な真意が見えてた
依頼書だけを抜いて渡してきた。用事が無ければ解決に協力してあ
げても良かったんだけど⋮⋮﹂
1612
﹁最近はギルドの方でも、信頼できる腕利きの方を何人か専属の冒
険者として雇い入れたりしているようですね﹂
﹁お!さすがはシスティナ。よく知っているね﹂
俺は桜から定期的にいろんなことの報告を受けているから知って
いたけど、システィナはその場にはいつもいないから別途桜から聞
いたのでない限りは自分で得た情報のはず。何気に侍祭の情報収集
力も馬鹿に出来ない。
実はその腕利きの冒険者の中に﹃剣聖の弟子﹄の面々も専属では
ないが契約社員のような感じで名前を連ねているらしい。まあ、今
のギルドで最高ランクに位置しているし名前だけでも役には立つし、
今の彼らの力なら多少の揉め事も問題なく処理できるだろう。
﹁なるほどな。そいつらに実績と経験を⋮⋮か﹂
﹁まあね。格好良く言えばそういうことだけど、実際は面倒だった
から⋮⋮かな﹂
今日は塔に行くと決めてたし、皆やる気なのに他のことはやりた
くない。今のところ悪事が起きたわけじゃないしね。それくらいな
らウィルさん率いるギルドに任せても問題ないでしょ。
﹁ふふ、いいぞ、ソウジロウ。やる気だな⋮⋮今日だけでどこまで
上がれるか楽しみだ﹂
﹁ははは、お手柔らかに頼むよ蛍﹂
1613
﹁となると、今日は6層くらいから始められますか?﹂
システィナの問いにちょっと考える。前に弟子たちと一応8階層
の入口までは行っているので8階層から始めることも可能だけど⋮
⋮まだ進化後の一狼は低階層でしか戦ったことがないんだよな。ま
あ、俺達がいれば問題ないかな。
﹁一狼、8階層からでも大丈夫そうかな?﹂
﹃私なら問題ありません。我が主。進化してからはまだ全力で戦う
程の敵には遭遇してませんので﹄
壁材集めに低階層には何度か連れて行ったけど確かに余裕はあっ
たか⋮⋮
﹁じゃあ、思い切って8層から行こうか。蛍、俺達の中で1人でも
この階層はちょっと危ないと思うことがあったらすぐ教えてくれる
?﹂
﹁いいだろう。せっかくソウジロウがやる気を出しているんだから
な。私もしっかり充分なマージンを取った上で判断するとしよう﹂
っとそんなこと言っている間にザチルの塔に着いたか。よし、じ
ゃあいっちょ行きますか。こんなに気合を入れて塔に向かうのも雪
のためなんだけど⋮⋮腰の刀からは全く気持ちが伝わって来ない。
うぅん、無口なのか嫌われてるのか、面倒くさいのか⋮⋮これだけ
読めない子は初めてだ。
でも話が出来るようになればいろいろ分かるようになるはず。そ
1614
れに、沖田総司の佩刀だった雪になら最近興味を持ち始めた幕末の
新撰組の話とかも生の声で教えて貰えるかもしれない。
でも、それって凄いことだよな。今となっては文献なんかじゃな
いと分からない歴史の真実を当時の人⋮⋮っていうか刀だけど当時
を生きた人に聞けるんだから。まあ、聞いたところでこの世界じゃ
俺一人がそうだったのかぁと思うだけで結局世に出ない真実なんだ
けどさ。
﹁では、8階層からいくぞ﹂
蛍さんがロビーの中にある8階層の扉の前で俺達に振り返る。
﹁はい﹂
魔断を手に持ったシスティナが頷く。
﹃いつでも大丈夫です。蛍殿﹄
一狼がゆらりと尻尾を揺らしながら答える。
頼もしいメンバーの姿に思わず身震いしそうだ。俺も両腰に差し
た閃斬と雪に手を当てしっかりと頷いた。
﹁よし。しまっていこう﹂
1615
オンオフ︵後書き︶
活動報告でも書きましたが小説大賞の2次審査を通過致しました^^
まさか7000越えの作品の中から100作に残れるとは思ってい
ませんでしたが、こうして読んで下さる皆さんのおかげでここまで
続けてこれたことが2次審査通過に繋がったと思います。3週間後
の最終審査の結果がどうなるかはわかりませんが、引き続き頑張っ
ていきたいと思いますので応援よろしくお願いいたします。
1616
9
3人と1頭でさっそく8階層へ入る。
方針としては主部屋を目指しながら進み、進路を塞ぐ魔物だけを
ひとまず相手にしていく。その際に魔石の質を確認しつつ、今の俺
たちの実力と釣り合う階層を探してそこで狩りをするのが目的だ。
待機部屋に出るとまずは、蛍の気配察知と一狼の嗅覚を併用して
魔物の配置をざっと確認する。
蛍の気配察知はある程度の距離なら壁の向こうまで分かる優れた
能力だが、道は分からないため真っ直ぐ魔物に向かっても壁にぶつ
かって進めないということがある。
だけど、ここに一狼の嗅覚をプラスすると、臭いを辿れる場所に
いる最も近い魔物が分かる。つまり、最短で辿りつける魔物の位置
を特定できる。
主部屋まで行くのが優先ならあまり役に立たないけど、戦闘を目
的にするには移動のロスが少なくなって効率的だ。
﹃こちらが近いです。我が主﹄
﹁なるほど、逆にこっちはルート的には遠くなるということだな﹂
蛍と一狼の索敵の結果が出たらしい。塔の中も意外と広いので、
1617
魔物を探してうろついていると時間をかなり無駄にしてしまう冒険
者達も多いようだが俺達には無用の心配だ。
﹁よし、こっちだな。じゃあ魔物を狩りつつ主部屋を目指そう﹂
俺の言葉に頷いたメンバーが待機部屋を出て行く。最後に俺も部
屋を出ようとしてふと違和感を覚えた。
﹁あれ?システィナ。ここ、8階層だよね﹂
﹁はい、確かにロビーの扉には﹃8﹄と札が掛かっていました﹂
うん、そうだ。ロビーに存在する無数の扉は最高到達階層と同じ
だけある。そしてその扉は見た目が同じで、区別がつかないから後
付で階層の数字の札を扉に掛けている。言われてみれば確かに﹃8﹄
だったか⋮⋮
﹁何をしているソウジロウ。行くぞ﹂
ま、いいか。取りあえず集中しないと。
﹁分かった。今行く﹂
︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱
﹁一狼!背後に回り込め!﹂
﹃分かりました我が主﹄
1618
さくさくと8階層の魔物を倒しつつ到着した主の間にいた、8階
層の主は典型的なオークだった。まあ、身長は2メートル越えだっ
たから俺が地球に居た時にイメージしていたものより大分大きいけ
ど。
このサイズが標準なのか、それとも主なのかは分からないが豚頭
キャップ
の二足歩行の魔物というのは実際に目にするとなかなか気味が悪い。
ここの主は簡易鑑定上は﹃オーク班長﹄だから普通のオークよりは
上位なんだろう。
大きな棍棒を振り回す腹が出た小太りの魔物は正面でタゲを取る
システィナへ力任せの攻撃を続けているが、魔断を構えたシスティ
ナは冷静に攻撃を捌いていく。その隙に俺の指示であっという間に
後方へと回り込んだ一狼がオーク班長のふくらはぎを削ぐ。
ブブブヒィ!!
足を削られたことと、その痛みで思わず仰け反ったオーク班長の
横っ面をシスティナの魔断の槌部分がしこたま強打する。
グヴャ!
﹁ソウジロウ様!﹂
﹁了解!﹂
完全にラリッたオーク班長が俺の方へと倒れ込んでくる。1剣1
刀を構えた俺は倒れ込んでくるオーク班長の邪魔な右腕を左手の閃
斬で斬り落とし、それとほぼ同時に右手の雪でオーク班長の喉を貫
1619
いた。
オーク班長は一瞬だけびくんっ!と身体を震わせ絶命したような
ので倒れてくるオーク班長に巻き込まれないようにすぐさま雪を引
き抜きバックステップ。そして目の前に倒れていくオーク班長。
﹁よし、まあいいだろう。8階層は問題ないな、上に行くぞ﹂
俺達の戦いを眺めていた蛍が満足気に頷いている。俺達の戦いは
充分に及第点だったらしい。
﹃我が主﹄
そうこうしている内に、オーク班長の死体は塔に吸収されたらし
く一狼が残されてた魔石を回収してきてくれた。
﹃魔石 ランク:G+﹄
8階層だと主でもまだGか⋮⋮他の魔物の魔石もHとGだった。
ザチルは高層だから1階層上がるごとの難易度上昇率がどうも低い。
レイトークの方が多分、同じ階層でも敵は強い。
﹁ありがとう一狼。よし上にいこう﹂
一狼から貰った魔石をアイテムボックスに放り込み、ドロップ品
扱いなのかまだ残っていたオークの棍棒も一応回収していく。アイ
テムボックスが無かった時はこんなものとてもじゃないけど持って
行けなかった。
ちなみにこの棍棒にそんなに価値は無いだろう。それなのにわざ
1620
わざ持って行くのは、せっかく作って貰ったアイテムボックスを俺
がどんどん使いたいだけだったりする。
回収を終えた俺達は主の間の中央に現れた階段を昇って9階層へ
と上がる。ここを上がれば初の9階層っと⋮⋮
﹁あれ?﹂
﹁どうかされましたか?﹂
階段を昇って9階層の待機部屋に入ると8階層で感じた違和感の
正体に気付く。
﹁あのさ、階層上がったこの正面の壁にいつも階層の番号が書いて
あったよね?﹂
そう、いつも階層を上がった時には正面の壁に3階層なら﹃3﹄
と大きく表示がしてあった。地球じゃ階が変わると表示があるのが
当たり前で特に気にしてなかったけど、今まであった物がなくなる
と流石に違和感がある。
﹁いえ⋮⋮私は見たことはありませんが⋮⋮﹂
小首をかしげるシスティナが嘘を言う理由はもちろん無い。
﹁え、見たことないの?﹂
﹁はい﹂
﹁蛍は?﹂
1621
﹁そんなものは見たことはないな﹂
蛍はあんまり重要視してないのか、気配察知をしながらなせいか
返事は適当だ。まあ、確かに階層表示なんてあってもなくても構わ
ないと言えば構わないんだけど⋮⋮
階層表示があった辺りの壁を近づいてよく見てみるが他の壁と変
わらずレンガのような木目のような不思議な感じの壁面があるだけ
だ。
壁を撫でながら首を捻っていると俺の背後にシスティナが近づい
て来て、あの⋮⋮と呼びかけられる。
﹁もしかして読解スキルを切っているせいということはありません
か?﹂
・・
あ!⋮⋮そうか、確かに今はギルドで読解をオフにしたままだ。
そして、今までとの違いはそれしかない。
﹁それだ!ありがとうシスティナ﹂
早速目を閉じて読解をオンにしてから⋮⋮目を開く。うん、見え
る。しっかりと﹃9﹄の文字が。
﹁どうですか?ご主人様﹂
﹁うん、見える⋮⋮っていうか正確には読める。⋮⋮ていうことな
んだろうな﹂
1622
﹁どういうことでしょうか?﹂
﹁おそらく、この壁の模様の中でごく一部だけは意味のある文字な
んじゃないかな?システィナ、なにか書く物とか持ってる?﹂
﹁あ、はい。どこかで使いそうなものは一通りアイテムボックスに
入れておくようにしてますから﹂
そう言うとシスティナは腰のポーチの中に手を入れて、和紙のよ
うなこの世界の紙束と地球でいうコンテ、ああコンテっていうのは
美術の授業とかで俺が使ってた⋮⋮確か粉々にした炭とか蝋を粘土
とかで混ぜて固めて圧縮したクレヨンみたいなやつ?なんだけどそ
れっぽいものを出してくれた。
この世界だとちゃんとした手紙はインクみたいな物を使って書く
んだけどメモとかを取る時はこのコンテみたいなのを使うらしい。
﹁さすがシスティナ、ちょっと貸して。⋮⋮スキルを一度オフして
⋮⋮⋮⋮もう一度オン⋮⋮オフ⋮⋮オン⋮⋮﹂
何度かスキルをオン、オフしながら9の文字を表す模様の範囲を
特定してその形を書き写す。
﹁これが9を表す形じゃないかな?﹂
紙とコンテを返しながら書き写した形を見せる。システィナは書
き写した紙以外をアイテムボックスにしまうと俺の書いた紙をまじ
まじと眺めてから口を開く。
﹁⋮⋮もしこれが数字だとするのなら、文字を表すものもあるので
1623
しょうか?﹂
﹁あんまり気にしてなかったけど、もしかしたら塔の中のどっかに
文字が書かれているかも⋮⋮今度から塔内はスキルを使ってちょっ
と気にしてみるよ﹂
﹁はい⋮⋮でも、もし文字まであるとなると、今度はまたいろいろ
な疑問が出て来てしまいますけど﹂
システィナが考えていることは俺にもわかる。塔は傷を付けても
自動で修復されてしまう。ならばこの数字や文字を壁に表示してい
るのは塔自身⋮⋮もしくは塔を管理しているモノだけ。
そして何故塔、もしくはそれを管理するモノはそんな文字の様な
ものを残すのか⋮⋮
﹁ソウジロウ、ルートが決まったから行くぞ﹂
﹁⋮⋮うん、了解﹂
いずれにしてもすぐに結論が出るような話でもないし、今後はそ
の辺りも注意して塔の探索を進める。それだけは決めておこう。
1624
快進撃
9階層を出てからの俺達の戦いはまさに快進撃だった。
主の間までのルートに出てくる魔物では今の俺達を止めることは
出来なかったし、階層主戦も9階層の主、コボルトキングとコボル
トジェネラル2体。
10階層のイエローオーガ。11階層の4本腕のオーガ、スクエ
アオーガ。12階層のゴブリン中隊という括りの各種ゴブリン詰め
合わせ。
13階層の羽はあるけど飛ばずに進化した脚で地を走るランドハ
ーピー。14階層の魔法を使う人型の土人形、マンゴレム⋮⋮など
などが出てきたがピンチらしいピンチは無かったと思う。
いずれも初見の魔物がほとんどだったため慎重に戦ったので多少
戦闘時間は長くなっていたけどザチルは亜人系の魔物が多いことも
あって攻撃方法も読みやすかった。
そして今、15階層の主である再生力過多のトロルが蛍の鏡面式
クナイを使った全方位包囲式の光魔法﹃光刺突−乱華−﹄の光の渦
の中で息絶えていくところだった。
﹁さすがに蛍のあれを喰らっちゃうとあれだけ再生力が高くてもひ
とたまりもないな﹂
1625
﹁私達の攻撃でもいつかは力尽きたとは思いますよ。ご主人様﹂
﹁まあ、ね。攻撃は通ってたからいずれはね。でも、そろそろいい
時間だし疲れてもきてるからあんまり長く対峙してるのは何かミス
をしそうで怖いかな。俺達だけで倒すのはまた今度でいいんじゃな
い﹂
﹃今日はよい戦いが出来たような気がします。我が主﹄
﹁うん、一狼も危なげなかったし、俺達との連携も大分しっかりと
取れるようになってきた。この分だとまだ上を目指す余裕はありそ
うだね﹂
﹃はい、まだまだいけると思います。我が主﹄
頼もしい一狼の言葉に思わずその頭をもふもふと撫でてやる。塔
の中では魔物は死後吸収されるので返り血を浴びてもすぐに消える
から噛みつき、ひっかきと大活躍だった一狼の毛並みは綺麗なまま
だ。
俺のモフりが気持ちよかったのか尻尾をぶんぶん振りながらくぅ
⋮⋮と可愛い声を漏らす一狼も満足気だ。
﹁こっちは片付いたぞ、ソウジロウ﹂
﹁お疲れ、蛍。じゃあ、今日は16階層へ上がってから帰ろうか﹂
﹁はい、ご主人様﹂
﹃承知いたしました。我が主﹄
1626
﹁ほら、魔石だ﹂
鏡面式クナイを回収するついでに魔石も拾ってきてくれたらしい。
その場で即、簡易鑑定。
﹁ありがとう蛍。⋮⋮お、やったFランク3つ目﹂
この辺りまでくると魔物達からGランクは+も含めて頻繁に出て
くるようになっていたけど、Fランクはまだ主からしか出てこない。
スクエアオーガ、ランドハーピーに続いての3個目だ。
多分今日は、葵にお願いしていた属性付のGランク魔石を錬成し
たら新しい錬成は魔力的に厳しいと思う。Fランク魔石の3つは明
日付与を頼んで添加錬成も明日かな。そうすると、Gランク以下の
魔石は売ってしまっても問題ないか⋮⋮
魔石をもらって16階層へ上がり、﹃16﹄の数字を書き写す。
あれから塔の中を注意深く見ていたが今のところ階層表示の数字以
外に俺の読解に反応するところはなかった。数字の方は法則性があ
りそうだから後で検討すれば体系化出来ると思う。
メモが終わったらすぐに塔の窓から飛び降りる。さすがに16階
層にもなると大丈夫だと分かっていても飛び降りるのはちょっと怖
いけど蛍もシスティナも軽々と飛び出していくので男の子としては
ビビッていられない。
眼をつぶって飛び出し、外に着地すると陽は完全に沈んでいて塔
のロビーから漏れる灯りが周囲を照らしていた。
1627
ザチルの塔は街から少し離れた所にあるので、行き来する冒険者
達の為にフレスベルクまでの道程には道の両脇の要所に小さな魔石
灯が設置されている。だから、夜でも道に迷うことはないし、街の
灯に向かって光の道が続いているように見えてなかなか綺麗だった。
﹁今日は遅くなったから、帰りになんか買って帰ろうか?魔石の売
却は明日でいいしね﹂
﹁⋮⋮ちょっと待ってくださいご主人様。桜さんの反応がお屋敷の
方からしますので、霞と陽も戻っていると思います。2人ならきっ
と食事の準備もしてくれていると思います﹂
﹁え?⋮⋮あ、そっかパーティリングがあったか。⋮⋮うん、確か
に戻って来てるみたいだね。でも、2人も疲れているんじゃない?﹂
今日は霞と陽も一日調査に駆けずり回っていたはず。慣れない隠
密行動に疲労困憊という可能性も充分あり得る。それなら無理はさ
せたくない。フレスベルクまでの道を歩きながらシスティナに聞い
てみるとシスティナは大丈夫ですよと笑った。
﹁2人ともそんなにやわじゃないですし、お目付役の私がいない状
態で好きに料理が出来るとなれば喜んで台所に立つと思います﹂
今のところ厨房は完全にシスティナの管理下にあるため、霞と陽
は今までシスティナの指導は受けていても単独で料理を作ったこと
がない。これは別に2人の料理の技術が低いとか、そういう訳じゃ
なくて異世界育ちの俺の好みにあった味付けや調理方法を新たに2
人に教えていたからだ。
1628
2人はその斬新な料理方法や味付けにかなり感動しており、熱心
に指導を受けていたからその成果を発揮できる今日のような日はむ
しろ望むところ。システィナはそう言いたいらしい。
﹁なるほどね⋮⋮それは楽しみだな。じゃあ、買い食いなんてしな
いで真っ直ぐ屋敷に帰ろうか﹂
﹁はい﹂
︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱
その後、塔から出て帰路についた途端に自分のアイテムボックス
から徳利を取り出して酒を飲み出した蛍をせかしながら屋敷に着く
とシスティナの予測通り、準備万端整えられた夕食が俺たちを待っ
ていた。
ちょっと疲れてたし、汗も流したい気もしたが霞と陽の頑張りを
最高の形で味わって上げたかったので旅装を解くと皆で揃って食事
にする。
今日2人が作ってくれたのは、鳥肉の唐揚げとミートボールにジ
ャガテトという芋系の野菜で作ったポテトサラダ、マヨネーズの作
成にまだ挑戦していないのでオリーブオイルのような油と塩を調整
して作ったドレッシングで和えているんだけど、これが結構俺の好
みにあっていて美味しい。
今回はシスティナに再現してもらった料理の中でも俺がお気に入
りだったものを優先して作ってくれたらしい。
1629
﹁どうですか旦那様。おいしいですか?﹂
﹁まだシス姉様には敵わないと思うけど⋮⋮﹂
黙ったまま俺が順番に箸をつけていくのを霞と陽が心配そうに見
守っている。俺はわざともったいつけるようにゆっくりと料理を味
わうと箸を置く。
それを見て2人の表情ががっかりしたように曇る。そんな2人の
頭に俺は手を伸ばすとちょっと強めに撫で回してあげた。
﹁とっても美味しいよ。2人共この短期間で良くここまで頑張った
ね。システィナにだって負けてなかった。今日だって疲れてるだろ
うにこんなにたくさん⋮⋮ありがとな﹂
﹁⋮⋮旦那様﹂
﹁兄様!﹂
2人の表情が一転して喜色に染まる。うん、2人共可愛い。
﹁さ、せっかくの料理だあったかいうちに食べよう﹂
霞と陽の料理に舌鼓を打ちながら楽しい食事を終え、食後のお茶
を嗜みながら今日のそれぞれのグループの報告を聞く。
俺達は15層までを突破し、Fランクの魔石を入手したことを。
葵は無事5つの魔石に属性付与の処理を終えられたことを。
1630
そして、桜達は人手が増えたこともありインタレスとミレストル
の2つの街での調査を終えていた。ここの街は可能性としては一番
低いと見ていた場所で、桜が独自に築いている情報網による情報と
確認のための簡単な周囲の聞き込みで問題なく聖塔教の手が伸びて
いないことの確証が取れたらしい。
報告の後は約束通り、葵と2人きりで入浴。1人で留守番させて
しまったお詫びも兼ねて隅々まで磨いてあげた。⋮⋮まあ、当然そ
うなるといろいろ盛り上がってくる訳で、一足先に葵と錬成作業に
勤しむ。
さて、いろいろすっきりした後はいよいよ雪の錬成だ。
1631
雪
全員が入浴を終え、後は寝るだけとなり霞と陽と狼達を除くメン
バー全員が寝室に集合している。
いつもならこのまま、くんずほぐれつした後に心地よい疲れの中
で共に眠るのだが、今日はその前に葵が属性付与してくれた魔石を
雪へと錬成する。
今回付与してくれたのは地・水・火・風の4属性に闇を加えた5
つの属性である。
桜や葵の時は属性付の魔石を錬成することで刀の本体のスキルと
して桜は魔法が発現したし、葵は各属性の魔力操作能力を得た。だ
から、もしかしたら雪にも属性に絡んだ良い能力が発現するかもし
れない。
もちろん桜や葵の場合は彼女達自身の特性が影響した部分も多い
と思うけど仮に属性が受け継がれなくても錬成値の上がりがいいこ
とは間違いないので問題はないんだけどね。
﹁よし、やるか。﹃添加錬成﹄﹂
小さく呟いてスキルを使うと右手に持った雪の刀身と葵から手渡
された火魔石がぼうっと光を放つ。この辺の課程はもう何度も見て
いるから慣れたものだ。
光っている雪と魔石をゆっくりと近づけていく。魔石はいつもの
1632
とおり、刀身に触れたにも関わらずカチリとすら音を立てないまま
スッと雪へと吸い込まれていく。
風呂場で葵と錬成作業していたせいでちょっと疲労感が襲ってく
るが、まだ軽いものだ。なんとかあと4つくらいはいける⋮⋮かな。
﹁で、錬成値が⋮⋮﹂
1個を錬成して、錬成値の上昇値を武具鑑定で確認する。
﹁うん、81から86だね﹂
﹁それならば、あと3個ほど錬成すれば今日中に雪さんのランクが
上がりそうですね﹂
また新しい仲間とまた話せるようになるかもしれないのが嬉しい
のか、システィナが嬉しそうに微笑む。
﹁雪ちゃんは桜と置いてあった場所が遠くて、あんまりお話しした
記憶がないんだよね﹂
﹁あら、わたくしも高い場所に飾られておりましたのであちらの方
はよく知りませんわ﹂
﹁ふむ⋮⋮そうだな。私もこの年増の隣だったから同じだな。だが、
私は蔵の中の会話はなるべく拾うようにしていたが、雪が話してい
るのを聞いたことはないな﹂
﹁そうなんだ⋮⋮もしかしたら同じ沖田総司の刀っぽい他の2本も
全然話してなかった?﹂
1633
﹁いや、そんなことはないぞ。同じように飾られていた他の刀達は
話していたな﹂
そうなのか、そうするとやっぱり雪自身があまりしゃべるタイプ
カオス
じゃないんだろうな⋮⋮それにしても、俺達人間が知らなかっただ
けでうちの蔵の中は結構と混沌な状態だったんだな。
﹁よし、じゃあそれを確認するためにもどんどんいこう﹂
水魔石を錬成して90。
風魔石を錬成して95。
土魔石を錬成して99、惜しい!あと1足りなかった。
思ったより今回は錬成値の上りが悪かったな⋮⋮Gランクの属性
魔石だと大体4∼7くらいの間で上がるんだよな、まぁ7はたまに
だけど。
結局今回作って貰った属性魔石を全部使うことになったけど、最
後に闇魔石を錬成。
雪に闇魔石を錬成して雪の光が収まるのを待つ。⋮⋮光が収まり
全員が静かに雪を見守る中、静かに宣言する。
﹃武具鑑定﹄
﹃雪︵加州清光︶ ランク:C++
1634
錬成値 5
吸精値 0
技能:共感
意思疎通
気配察知
殺気放出
柔術
刀術
属性刀︵火・風・闇︶
敏捷補正+
突補正++﹄
﹁あがった!⋮⋮でもBランクじゃなくてC++だ。成長タイプ的
なのがあったら晩成型とかなのかも⋮⋮でも意思疎通は覚えてくれ
たし、気配察知の能力も塔での戦闘を重ねたおかげかちょっと上が
ってる。なによりこのスキル﹂
属性刀!これはかなり熱い!燃える刀とかになるのか属性を帯び
るだけで見た目は変わらないのかは使ってみないと分からないけど
火炎斬とか魔法剣とかやってみたい。
それに今後、物理攻撃が効きにくい魔物とか出るかもしれないし、
うちのパーティには魔法特化がまだいないから魔法系の能力持ちは
有難い。
葵が特化といえば特化だけど、葵のは魔力操作であって魔法じゃ
ない。イメージとしては有線だから遠距離攻撃とかには向かないの
が難点だ。
くさなぎ
あ、でも蛍の対魔法切断用属性刀﹃草薙﹄も光の属性刀だし、葵
1635
の魔力操作でも武器に属性付の魔力を纏わせることは出来るか⋮⋮
2人のは刀本体に属性の魔力を纏わせるけど、雪のは刀自体が属性
を持つって感じだろうか?
それぞれにどんな違いがあるのかは今度試してみる必要はあるか。
ま、それはおいおいでも構わない。それよりも今は⋮⋮
﹁雪?聞こえてる?﹂
右手の雪の刀身を見ながら話しかける。
﹃⋮⋮⋮⋮﹄
・・・・・
う∼ん、なんとなくそこにいるっていうのは分かる。だけど返事
がないのはなんでだろう。俺のことあんまり好きじゃないのか?そ
れだとちょっと悲しいけど無視されるのも仕方ないけど⋮⋮あ、も
しかして
﹁雪?⋮⋮もしかして、雪って名前が気に入らなかった?違う名前
考えようか?﹂
﹃⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮いい。⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮雪⋮⋮でいい﹄
﹁雪!良かった。名前が気に入らなかったのかと思ったよ。それに、
やっと声が聞けた﹂
意思疎通は厳密には音のやり取りじゃないから声というのとはち
ょっと違うけど初めてちゃんとやり取りが出来たことが凄く嬉しい。
﹁雪、雪はあんまり話すのとかは得意じゃない?﹂
1636
﹃⋮⋮私は刀。戦うのが仕事﹄
﹁そっか⋮⋮俺とも話すのは嫌かな?﹂
﹃⋮⋮嫌ではない﹄
ストイック
無口というよりも戦いに対して禁欲的なのかな?この辺は武装集
団だった新撰組の空気感を受け継いでいるのかもしれない。
﹁良かった。あんまり反応が無かったから嫌われてるのかと思って
たから安心したよ﹂
﹃⋮⋮ソウジロに使われなら別に構わない﹄
うん、嫌われてはいないみたいだ。でも好かれてるという自信も
持てないな⋮⋮今までの刀娘達の好感度が良すぎたっていうのもあ
るから嫌われてないだけでも今は充分か。
﹁ありがとう、雪。で、雪に1つ質問なんだけどいい?﹂
﹃⋮⋮?﹄
﹁擬人化して自分で戦ってみたいとか思ったことない?﹂
﹃⋮⋮⋮⋮⋮⋮ある﹄
ある、か。やっぱり思い通りに戦ってみたいという欲求は強いか。
それは雪みたいに天才と呼ばれた沖田総司に使われていた刀でも感
じる想い。それだけ刀を使っていた人間たちが刀の想いに応えられ
1637
ていなかった⋮⋮ということなんだろうな。
これでも俺は日々の素振り以外は基本的に、蛍から指導を受けて
いるから刀達にとって理想的な戦い方に近いとは思う。だから雪も
俺になら使われてもいいと言ってくれてるんだろう。
﹁分かった。桜、調査はあと何日かかる?﹂
﹁う∼ん、多分レイトーク以外の調査は霞と陽もいるし、あと2日
もあれば終わるかな。でも本命のレイトークは桜が1人でやった方
がいいと思うし早くても2日⋮⋮場合によっては3日欲しいかな﹂
最大5日か⋮⋮っていうか確証取ってからと思って調査してるけ
ど、明日行ったらレイトーク落ちてましたとかないよな?先に領主
に打診だけでもしておいたほうがいいか?
一応可能性だけ示唆しておけば5日かそこらで落とされるような
こともないだろう。その上で5日で出来る限り高品質な魔石を集め
て錬成してもう1つランクアップいけるかどうかは微妙な気もする
けど⋮⋮俺と葵の魔力さえもてば魔石の方は何とかなりそうな気が
する。
魔力を回復するアイテムもあることにはあるんだけど傷を治す薬
と比べて効果はお粗末なものなので値段の割にあんまり役にたたな
いから魔法使い系の人達はいくつか持って歩くらしいけど魔力が枯
渇しないように立ち回るのが大前提らしいしね。
﹁雪、話がちゃんと伝わってるかどうか分からないけど﹂
﹃わかっている。悪は即、斬る﹄
1638
おお!反応が早い。しかも既に気合も充分か。
﹁出来れば雪にも擬人化を覚えて貰って戦いを手伝って貰いたいと
思ってるんだ。手伝ってくれる?﹂
﹃⋮⋮戦いは望むところだ﹄
よし、じゃあ明日からまた頑張って塔で魔石を集めるとしよう。
ひとまず最低目標ラインはFランク魔石20個だ。
1639
雪︵後書き︶
ちょっと熱出して寝込んでました。
あんまり見直しとかできなかったので誤字脱字とかあったら報告お
願いします。
1640
領主ふたたび︵前書き︶
なろうコン最終審査を通過しました!
1641
領主ふたたび
翌日俺達は、昨日と同じメンバー構成で活動を再開した。ただし、
違うのは俺のパーティの行き先がザチルの塔では無いということだ
った。
﹁おお!久しぶりだな!フジノミヤ殿?だったか!﹂
訪れた領主館で通された応接室の扉を力一杯開けながら大声でど
かどかと入って来たのは、四十絡みの髭面で筋肉質なおっさん。レ
イトーク領主イザクだ。 ﹁旦那様。扉は静かにお開け頂かないとお客様に失礼にあたります
と何度言わせるのですか﹂
﹁おお!そうであったな!確かに言われていた。覚えておるぞ!﹂
﹁覚えていても実行出来なければ全く意味がありません。このくそ
馬鹿。あと、声も抑えろ。慣れない方には恫喝と変わらないと言っ
たはずでございます﹂
﹁がははは!そうであった、そうであった!これで注意されるのは
何度目だ?10度目くらいか?﹂
﹁なに言ってやがりますか。扉については1301回目。声につい
ては2524回目になりやがりますです﹂
1642
﹁うむ。さすがにそろそろ覚えぬとまずい回数だな。がはははは!﹂
﹁はあ⋮⋮そうおっしゃったのは823回目になります﹂
ああ⋮⋮相変わらずなんだなこの人達は。僅かな間にかなり回数
増えてるっぽいし⋮⋮
髭男の後ろに控えていたメイド服に身を包んだ⋮⋮確かミモザだ
ったかな。彼女も前回は無表情かつ冷酷に髭男に突っ込んでいたが
流石にちょっと苛つきが見えるような気がする。なにより、そこま
で言っても髭男には欠片も伝わっている様子がないのが悲しいとこ
ろだ。
﹁よし!覚えた。任せておけ。さて、我が街の恩人達は今日は何の
用事かな。ここのところちょっとごたごたしておってな、この後も
人と会う約束がびっしりだ。恩人故に時間を取ったが長くは付き合
えん。悪いな﹂
まあ、領主ともなればいろいろ忙しいだろうし、人と会うのも仕
事のうちだろう。毎日それだけ人に会っているならミモザの注意回
数が劇的に増えていくのも不思議じゃないか。
いや、むしろそれだけ頻繁に注意されているのに全く改善が見ら
れないイザクの方が不思議か⋮⋮
﹁いえ、こちらもこの後用事がありますし長居するつもりはありま
せん。今日は僭越ながらご忠告と、状況によってはレイトーク軍に
ご助力する気持ちがあることをお伝えに参りました﹂
﹁⋮⋮どういうことだ?﹂
1643
俺たちを歓迎するムードだったイザクの表情が一瞬にして厳しい
ものに変わった。もしかすると何か思い当たる節があるのかもしれ
ない。
﹁最近、レイトークの周辺で不可解な事故や急な病で政務から外れ
なくてはならなくなった人などがいませんか?﹂
﹁⋮⋮この街にいなかったお前達が、なぜそれを知っている?知っ
ていることを全て話せ。事と次第によっては⋮⋮﹂
イザクの劇的ともいえるその変化は、漫画なら背後にぶわっとい
う文字が表示され、放たれる威圧感に風を感じる描写をされるのだ
ろうと思わせるものだった。
スパンッ!
﹁おうっ!﹂
﹁何をしてやがりますか!お客様に対して失礼でありましょう。威
圧をするのならまずは下手に出て情報を全部吐き出させた後に、更
に絞り出す為に使うのが正しい使い方です﹂
おい、そのスリッパはどこから出して、しかもどこに消えた。そ
れと言っていることはイザクより酷いこと言ってるからな。
﹁おお!そうであったな。取り乱してすまぬなフジノミヤ殿。さあ、
遠慮なく話してくれ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
1644
そんな赤裸々な内情を堂々と目の前で話しておいて、それで相手
から情報を引き出せると思っているのだろうか。バカっぽくて憎め
ないからそんなに腹は立たないんだけど⋮⋮
まあ、今回はこっちにもレイトーク軍の力を借りたいという下心
もあるから結局、話さざる得ないんだけどさ。こいつらの相手はな
んだか疲れるよ。
﹁はあ⋮⋮システィナ。頼んでいい?﹂
﹁ふふふ⋮⋮分かりました。ソウジロウ様﹂
結局、聖塔教関係の説明はシスティナに丸投げした。システィナ
なら侍祭関係で隠しておきたい部分とかもうまくぼかしながら説明
してくれるだろう。
︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱
﹁なるほどな⋮⋮狂信者共が作る狂信者達の街をここに作ろうとい
う訳か⋮⋮﹂
口調だけは静かなイザクが怒気を身体から漂わせながら剣呑な声
を漏らす。
﹁おそらく⋮⋮この街は湖上にある風光明媚な街ですが、言い換え
れば守るに易く、攻めるに難い街です。初手でうまく街の支配権を
手中にすれば、その後の防衛に割かれる労力は比較的少なくて済み
1645
ます﹂
﹁ふん、確かに軍勢をもって攻めるにはこの街ほど攻め難い街はな
かろう。船を外から持ち運んでくる訳にはいかぬからな。橋を落と
してしまえば大軍で攻め寄せることは出来ん﹂
﹁はい。そして兵糧攻めも転送陣がある以上はミカレアやフレスベ
ルクから買い付けることが出来ます﹂
イザクとシスティナの話を聞いていると確かにレイトークを外か
ら攻め落とすのは難しそうだ。だからこそ聖塔教はこの街を選び、
内から攻めるために暗殺部隊に力を入れて来たという訳か⋮⋮
イザクは自らの両膝の上に肘を着き、固く組み合わせた両手で口
元を隠しながら鋭い眼光をテーブルへと落しながら小さく肩を震わ
せている。
﹁く⋮⋮くくっ⋮⋮よくぞ、よくぞ知らせてくれた。ということは
うちの守備隊長が原因不明の病で起き上がれないのも、幹部候補だ
った期待の新人が夜の路地裏で殺されていたのも、財務の重鎮だっ
たムルト老が急死したのも、水軍統括のアドーヴァー夫人が深夜に
襲われかけたのも全てその狂信者共の仕業だという訳か﹂
﹁まだ証拠はありません。たまたまその暗殺部隊を逃げ出してきた
娘達を私達が保護したことから可能性として浮かび上がって来ただ
けです。今現在も私達の仲間が裏を取るために動いています﹂
﹁おお!⋮⋮確かにそうだな。証拠はない﹂
﹁調査はあと数日かかる予定ですが、もしこの街が狙われていると
1646
したらその数日の間にも何かがあるかも知れません。あまり大げさ
に動かれても困るのですが、それとなく要人の警護や不測の事態に
備えて頂いた方がよいかと思いましたので今回はお伺い致しました﹂
システィナは結局、侍祭関係の話はまるっと省いて霞と陽から得
た情報から発覚したことにしていた。聖塔教と戦いになる時にはそ
の辺の情報も開示しなくちゃいけないかもしれないが、今の状況で
はそこまで必要じゃないという判断だろう。
﹁旦那様、この後の面会の時間が迫っています﹂
﹁そうか⋮⋮いや、もう少し待たせておけ。どうせ今日の面会予定
のほとんどがここ最近続いていた要人への不幸に対する対応協議だ
からな﹂
イザクの背後から囁くように告げられた言葉にイザクは首を振る
とミモザを部屋の外へと送り出す。面会を待つ人たちに事情を説明
に行かせたのだろう。
﹁すまんな。奴らの思惑通り、現在我が街は相次ぐ要人の離脱で混
乱していてな。対応に追われている状況だ﹂
この状況だけで狙われているのはやっぱりレイトークで間違いな
さそうだな。後は桜達がどこまで聖塔教の仕業だと裏が取れるかだ
けど⋮⋮どう潰すかも問題なんだよな。ちょっと聞いてみるか⋮⋮
﹁もし、一連の事件の犯人が分かったらどうしますか?﹂
﹁我が街の問題だ。もちろんけじめはつけさせてもらおう﹂
1647
俺の問いかけにはっきりと答えるイザクの笑みはこの上もなく物
騒なものだ。これはかなり腹に据えかねてるな⋮⋮
﹁敵は宗教団体です。一部の幹部と特殊な組織、そして有象無象の
信者たちで構成された敵をどうやって潰しますか?﹂
﹁そうだな、その問題はあるか⋮⋮⋮⋮まずは拠点のようなものが
あれば潰す。幹部も潰す。暗部組織も潰す。信者共も抵抗するなら
潰す﹂
さすがは領主。街を預かる者としてその辺の判断は苛烈だ。そし
て、幸いにして俺達の方針ともほぼ一致する。この辺りの判断力と
いうか決断力はフレスベルクの領主であるセイラにはまだない部分
だな。あの女性領主からはまだ甘さを感じる気がする。
﹁その際には私達もお力を貸せると思います﹂
﹁ほう⋮⋮確かお前たちは目立ちたくないからと言っていた気がす
るが?﹂
﹁はい。もちろん今も方針は変わってませんよ。理由はイザク様と
同じです﹂
﹁⋮⋮⋮⋮確かその組織から逃げ出してきた者を保護したのだった
な﹂
﹁ええ⋮⋮保護した時は酷い状態でした﹂
イザクはしばし俺と目を合わせていたが、やがて破顔すると膝を
叩いた。
1648
﹁あい分かった!ではよろしく頼むとしよう﹂
﹁ありがとうございます。こちらの調査の結果はまたご連絡します。
領主軍の方でも調査を始めるようならうちの斥候と現場で殺し合い
にならないようにご配慮をおねがいします﹂
レイトークの調査中にイザクの斥候と桜が潰しあうとかになった
ら目もあてられない。
⋮⋮ま、こんなことにまで気が回る俺な訳もなくて、レイトーク
で情報提供するって決まった時に桜から﹃絶対に話を通しておいて
ね、ソウ様﹄ってお願いされてたことなんだけどね。
﹁おお!確かにそれはそうだな。⋮⋮む、ミモザ、戻ったか。此度
の件、このフジノミヤ殿のパーティと共闘することにした。互いの
斥候同士が現場で揉めぬように対応を頼む﹂
﹁承知いたしました旦那様﹂
応接室に戻って来たミモザに早速支持を飛ばすイザクに、本来メ
イドであるはずのミモザは素直に頷く。
﹁ははは、こう見えてもうちのミモザは私の身辺警護も兼ねている。
そのためわが軍の斥候隊とも連携しているのでな。ミモザを通した
方が話が早い﹂
一瞬、俺の顔に疑問符が浮かんだのを目敏く見つけたイザクが説
明をしてくれた。確かこのミモザも霞と同じ種族で狐尾族だった。
狐尾族はそういう関係の仕事に向いているのかもしれないな。
1649
﹁そうでしたか。では、後程話を詰めさせてもらいます。今日はお
時間を頂きありがとうございました﹂
﹁いや、こちらこそ貴重な情報提供感謝する。相手の目的が分かれ
ば次に狙われそうな者もある程度推測できる。これ以上の被害は抑
えられるだろう。街への見回りも目立たぬように強化しておく、注
意すべきことを分かった状態で見回るだけで新たに見えてくるもの
もあるだろう﹂
俺とイザクは立ち上がって固く握手をする。領主とは思えない程
のごつごつとした手の平にイザクも戦える人間だということが確認
できた。
さて、取りあえず領主館での用事は後はミモザとの打ち合わせで
終わりだ。終わったら今日はせっかくだからレイトークの塔を昇る
ことにしよう。
1650
領主ふたたび︵後書き︶
今日の発表でこの﹃魔剣ハーレム﹄が最終審査を通過したことが公
表されました。2次審査通過後⋮⋮もしかしたら、もしかして、場
合によったら、万に1つ、まかり間違ったら⋮⋮などと前置きしな
がら最終審査を通過する可能性を夢想していました。ここ最近は結
果が気になって逆に執筆ペースが落ちる事態に⋮⋮︵まあ熱出して
寝込んでたのが本当の理由ですがw︶
ですがまさか、本当に選ばれるとは思っていなかったので感無量で
す。
受賞作はすべて書籍化されるということのようなので、かねてから
の夢だった自分の作品の書籍化という夢も一気に現実味を帯びてき
ました。
正直、ちょっと興奮気味でふわふわしています。本当なら活動報告
で書く内容だとも思うのですが、魔剣ハーレムで受賞したので魔剣
ハーレムの中でご報告と感謝をと思い、後書きに書かせて貰ってい
ます。
連載も1年を超え、60万字以上になるこの作品を長く応援してく
ださった皆さんがいてくれたからこその今回の受賞だと思っていま
す。
本当にありがとうございました。今回の受賞に驕ることなくこれか
らも執筆活動を頑張っていきたいと思いますので今後も応援をよろ
しくお願いいたします。
1651
違和感︵前書き︶
ちょっと短いです。
1652
違和感
その後、ミモザと符牒の取り決めをして俺たちはすぐに領主館を
後にした。そのまま真っ直ぐ足をレイトークの塔へ向け、そのまま
塔に入った。
今回は階層表示などの確認のためにあえて1階層からのアタック
である。別に確認だけして外に出てまたロビーから入り直しても良
かったんだけど、魔物と戦う回数を増やすことは経験を積むという
意味では雑魚相手でも無駄にはならないので寄り道はしないけど中
から上がっていくことにする。
いつ戦っても懐かしい気持ちにさせるタワーウルフやストーンパ
ペットをさくさくと倒しながら1階層の主タワーファングという、
タワーウルフよりも二回りほど大きな狼を一狼が1体1で圧倒して
倒し2階層へ。
﹃2﹄の数字を写し、ちょっとランクが上がったタワーウルフや
タワーバット、稀に蟻人などを倒しつつ2階層の主、石で出来た人
型魔物のストーンマンパペットと対峙。
石を相手に武器を痛めないように閃斬と雪を鞘に納めて、太もも
に装着してあったアイテムボックス機能を利用した特製の鞘から巨
神の大剣を抜いて文字通り打ち砕く。頑丈さにおいて巨神の大剣は
ずば抜けた性能を誇るので人型サイズの石を打ち砕いても傷1つつ
かない。
ディランさんにアイテムボックス機能を利用した鞘を作って貰え
1653
たことで現在俺は3本の武器を携帯していることになる。斬特化の
閃斬、突特化の雪、破壊力特化の巨神の大剣だ。基本は閃斬と雪の
二刀流だけど、今回のように相手によっては大剣が有効な場面もあ
るので汎用性があって結構いい感じだと思う。ただ雪が人化したら
また装備が変わっちゃうんだけどね。
それに使う武器が増えればその分訓練の時間や密度が増えるので
俺はとってもしんどくなる⋮⋮今だって蛍、桜、葵、雪、閃斬、巨
神の大剣と6本の武器をなるべく毎日振るようにしている。まあ、
人化組は都合が付かない時もあるから毎日6本って訳じゃないけど
結構な重労働だ。
大剣を四苦八苦しながら鞘にしまうと、そのまま3階層へ向かっ
て文字を写す。そして3階層で蟻人、タワーミドルスライム、タワ
ーウルフなどを倒しつつ3階層の主タワービッグスライムという人
の背丈ほどもある大きな青色のスライムを蛍の魔法とシスティナの
魔断︵槌︶で倒す。
4階層に上がったところでさすがにちょっとおかしいと思って待
機部屋で全員を呼び止めた。
﹁どうした?ソウジロウ。まだ疲れるほどの戦いはしてないぞ﹂
蛍さんが見事な双丘をぷるんと振るわせながら腕を組んで俺を見
下ろしている。
﹁いや、体力的には俺だって問題ないよ。ただ、ちょっとおかしい
と思わなかった?﹂
鑑定が出来るのは俺だけだから気が付いていないかも知れないけ
1654
ど、このメンバーはレイトークの低階層は何度か来ているメンバー
だからちょっとした違和感を感じていてもおかしくないと思うんだ
けど⋮⋮
﹁もしかしてなのですが⋮⋮魔物の構成、ですか?﹂
うん、さすがはシスティナだ。
﹁そうなんだ。2階層、3階層と今までその階層では出てこなかっ
た魔物がちらほらと混ざっているんだ。蟻人は本来4階層からの魔
物だし、タワーミドルスライムに至っては5階層からのはずなんだ﹂
﹃言われてみれば、いつもと臭いの構成が違いました。確かに今ま
でにはなかった組み合わせでした。我が主﹄
﹁では、なにか? 再びこの塔で階落ちが始まっているというのか
? イザクの話では塔にはしばらくそんな体力は無いという話だっ
たはずだが?﹂
蛍の言うとおりレイトーク領主イザクは確かにそう言っていた。
だけど不思議物体な塔の全てを領主であるイザクも知っている訳で
はないだろう。実際に塔内に特殊な数字が表示されていることにす
ら気が付いていなかったんだから。
﹁多分、領主が言っていたことも正しいんだと思う。だけど階落ち
が起こる条件が塔の余力だけとは限らないと思うんだ⋮⋮もしかし
たら他にも何か条件があるのかもしれない﹂
﹁条件⋮⋮ですか?﹂
1655
﹁⋮⋮うん。それが何かは全く想像はつかないんだけどね。今現在
の塔の状況だってあり得ないレベルって訳じゃないしね﹂
ランク的には平均ランクの上下数ランクぐらいの敵は出る可能性
があるというのはシスティナから聞いているから今回の魔物もラン
ク的にはその範囲に収まるから許容範囲と言えば許容範囲だ。
﹁分からぬことを考えていても仕方なかろう。我らに出来ることは
情報を集めて管理側に可能性として伝えておくことくらいではない
のか﹂
﹁ん、確かにね。塔内の魔物の分布が変わることは無いって証明さ
れている訳でもないだろうしね﹂
﹁それではなるべく私達が頑張って情報を集めてギルドに知らせて
あげましょう。そこで注意喚起をしてもらえば何かあっても被害は
少なくなるはずですから﹂
﹁そのための冒険者ギルドだしね。よし!じゃあ無理はしない程度
に頑張ってなるべく上の階層まで情報を集めよう﹂
﹃承知致しました、我が主。ではこちらから行きましょう﹄
一狼が話の最中にも臭いによる索敵をしていてくれたらしい。賢
い上に頼れる最高の従魔だ。
︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱
1656
結局、その日は頑張って10階層まで上ったが全体的に+2階層
くらい上の魔物がちらほらと現れるという感触だった。
うちのパーティ的にはザチルより階層ごとの難度が高いレイトー
クでも戦いは安定していたし、たまに現れる上層の魔物も俺達にと
ってはいい魔石を入手出来る良いお客様だった。そう言えるくらい
には俺達のパーティは強くなっている。
ただ、冒険者に成りたてのパーティにはいきなり2階層も上のラ
ンクの魔物が突然現れるのは結構厳しいと思う。
俺達は塔から出ると領主から派遣されている管理員と冒険者ギル
ドのレイトーク支店に情報を伝えておいた。ギルドとしてはその情
報を冒険者達にしっかりと伝えて貰えれば最低限の義務は果たせる。
その情報を聞いた冒険者達が何の対策も取らずに無謀なアタックを
して怪我をしてもそこまでギルドが責任を負う必要はないしそこま
で面倒はみきれない。仮に何かあってもギルドの評価が下がること
はないはずだ。
それにしても⋮⋮なんだかここ最近、塔に対してどんどん謎が増
えていく気がする。今回の聖塔教の件が片付いたらちょっと本格的
に塔のことを調べてみるのもいいかもしれない。
とにかく今日もよく頑張った。早く屋敷に戻ってゆっくりとした
い。
1657
違和感︵後書き︶
6月からの応援期間に合わせて、受賞記念SS集を︵後で4.5章
として移動してまとめる予定︶投稿しようかと思っています。今ま
で本編が間延びするのが嫌であんまり外伝的なものは入れてこなか
ったんですが、本編だけで更新頻度を上げるのはちょっと厳しいの
で。
いろんな人の1人称で7、8本上げられればいいかなと思って今執
筆中です。
1658
拠点︵前書き︶
6月1日から応援期間に合わせて4.5章の位置づけで受賞記念S
Sを1日おきくらいに7、8回投稿しようと思います。
1659
拠点
レイトーク軍との共闘が決まってから4日が経った。その間も俺
たちは塔で魔石を集め、葵は属性付与をして毎日を過ごした。そし
て今日とうとう桜たちの調査が終わった。
﹁結論から言うと、間違いなく目標はレイトークだよソウ様。他の
街は主塔が攻略された後の街も確認してきたけど聖塔教は布教以外
の活動はしてないと思う﹂
霞と陽、四狼と九狼を連れて帰ってきた桜が報告してきたのは予
想通りの結果だった。
﹁今回は四狼と九狼のお手柄だったよ。レイトークをうろついてい
た敵の刺客の臭いをしっかり覚えてくれたから、そのあとに確実な
追跡ができたんだよね。もちろん四狼九狼とちゃんと信頼関係を築
いてくれたふたりのお手柄でもあるけどね﹂
桜が霞と陽の頭を撫でながら胸を張る。霞と陽は照れくさそうに
頬を染めながら足元の四狼と九狼を労わるように撫でている。うん、
うちの斥候部隊は今回の件でいい感じにまとまってきた感じだ。
﹁あのおじさんもさすがだね。要人警護も見回りも不自然な程に強
化している訳じゃないのに、いざ奴らが動こうと思うタイミングで
はしっかり邪魔する感じ? 斥候職のレベルもフレスベルクより高
いよ、あれ﹂
仮にも領主をおじさん呼ばわりもどうかと思うが⋮⋮まあいいか。
1660
桜がいう斥候職の関係、その辺は領主の性格の差が部隊の質に出
てるのかもしれないな。イザクは清濁併せ呑んで実利を取れるけど、
セイラは清く正しくあろうとする。その差が部隊育成の力の入れ具
合に影響している可能性は高いと思う。
イザクは裏の部隊の有用性をしっかりと認識してるから特に力を
入れて厳しく鍛えているけど、セイラは裏の仕事にどこか忌避感が
あるからいま一つその辺を育成する力が弱い。ルスター隊長が桜に
斥候部隊を鍛えて欲しいと言っていたのにはこういう事情もあるん
だろう。
﹁で、なにを掴んだの?﹂
﹁うん、仕事が出来ずに退却した刺客を追跡したら1日くらい離れ
たところの山の中に村があったよ﹂
﹁それって御山?﹂
﹁ううん、違う。御山は隠れ場所としてはいいけど何もないからね。
今回見つけたあそこは多分街を支配した時のことをイメージして作
った練習場みたいな感じかな。そこをレイトークを攻めるための戦
力の拠点にしてるみたい﹂
なるほど⋮⋮つまりそこを攻め落とせば聖塔教の戦力を潰せるっ
てことか。それならわかりやすいし好都合だ。
﹁桜よ、幹部たちがどこにいるかは分かっているのか?﹂
﹁いまは確定できないかな。多分だけど御山とルミナルタ、御山と
その村は転送陣で繋がってるんじゃないかと思う﹂
1661
蛍の問いに桜は小さく首を振る。
﹁御山には新しく神殿を開いた時のために、御山と繋がる転送陣を
いくつか保管していました。それを使ったんだと思います﹂
転送陣は一度設置して使ってしまうともう動かせないはず。転送
先が御山になっている以上は今後の御山のことを考えると、ルミナ
ルタとその村側の転送陣は勿体無いけど破壊しておく必要があるか
⋮⋮村に戦力が集まっているってことは村の方を先になんとかして、
ルミナルタの方は制圧しておいて後始末まで終わった後に処分かな。
﹁いざ戦闘になればレイトーク軍には戦力的に村を攻めて貰うこと
になると思いますが、私達はどうするんですの﹂
﹁うん、それなんだけど。村の警戒が厳しくて中までは潜入できな
かったんだけど⋮⋮周回してた見張りの話を盗み聞きした感じだと、
近々本格的にレイトークに攻めるみたいなんだよね。そのために各
地に散っている戦力を村に集めてて、指示に従う信者たちをレイト
ークに送り込んでもいるみたい。だから、もう2、3日待ってこっ
ちから攻め込めばその頃には主要な幹部は揃っている可能性が高い
んじゃないかな﹂
﹁なるほどね、いい考えだと思う。となると俺たちは別行動で村に
攻め込んで転送陣を押さえるように動いた方がよさそうだな。桜の
情報を伝えるのと、俺たちのその辺の動きを相談することも含めて
明日はイザクさんの所へ報告にいこう﹂
レイトーク軍に攻め込まれたことで幹部たちが転送陣と御山を使
って逃げ出したら困る。本格的な戦闘になる前に出来れば退路は断
1662
っておきたい。そのためにも⋮⋮
﹁桜、申し訳ないけどもう一仕事頼む﹂
﹁了解ソウ様。村の中の施設の配置⋮⋮特に転送陣の位置を探るん
だね﹂
さすがは桜だ。俺なんかが考えることはすでに承知の上だ。
﹁今回は霞と陽は危ないから留守番してくれ、本当にいろんな場所
の調査ありがとうな﹂
﹁いえ、旦那様たちのお役に立てたならあそこで身に付けた技術も
無駄ではなかったです﹂
﹁うん僕もいろんな街に行けたし楽しかったよ兄様﹂
今回はふたりも本当によくやってくれた。桜も想像以上に優秀だ
ったって褒めていたしね。それに自分達が役に立てたということが
実感として感じられたのか、ふたりの中に残っていた遠慮のような
こ
ものは完全になくなったと思う。陽なんかは緊張が完全になくなっ
たせいか素が出て来ていつの間にか僕っ娘になっていた。イメージ
にも合うし可愛いから俺としては大歓迎だけどね。その辺の変化も
この屋敷が自分達の家だっていうことをきちんと飲み込めたってこ
とかもしれない。
﹁うん、それならよかった。また戦いのときには協力してもらうこ
ともあると思うけど、それまではお屋敷の仕事をよろしく頼む。最
近はシスティナを塔で引きずり回しちゃってるから、屋敷の仕事が
出来ないことを気にしちゃってるみたいだからさ﹂
1663
﹁そ、それは侍祭として当然のことで⋮⋮﹂
﹁ふふ、わかってます。システィナ様は旦那様をしっかり助けてあ
げてください。お屋敷の方は私と陽でしっかりとやっておきますか
ら﹂
﹁そうそう、シス姉様はお仕事中毒だもんね﹂
にこにこしながらそんなことを言えるくらいに。
﹁陽も言うようになりましわね。いい傾向ですわ﹂
﹁ふん、悔しいが年増の言う通りだな。桜の仕事を手伝ったことが
よい方に転んだようだな﹂
システィナとじゃれ合っているふたりをみながら年長組も暖かい
笑みを浮かべている。やがて三人が屋敷の仕事の為にリビングを出
て行くと持っていた酒を飲みほした蛍の視線が俺の方を向いた。
﹁ソウジロウ。雪の方はどうだ﹂
﹁うん、うまくいけば今日の分でランクアップ出来ると思う。葵、
預けておいた魔石はどう﹂
﹁はい、お預かりしていたEランク魔石ひとつとFランク魔石3つ
はなんとか付与できましたわ﹂
いまの雪の錬成値は78。これまでだとFランクなら最低でも5
は上がってたはずだからEランクの魔石を含めた4つなら計算上は
1664
問題ないはずなんだけど⋮⋮
﹁ありがとう葵。これで雪が擬人化を覚えたらしばらく属性付与は
休みにしよう﹂
﹁そうしてもらえると嬉しいですわ。さすがに屋敷にひとり残って
属性付与を続ける毎日はしんどかったですわ﹂
今回一番苦労をかけたのはもしかしたら葵かもな。やっぱりひと
りは寂しいだろうし⋮⋮帰ってきたあとはなるべくフォローするよ
うにしてたけど一日屋敷にこもってると気が滅入るんだろう。
﹁よし、じゃあ部屋に行って錬成しちゃおう。雪もいいよね﹂
﹃⋮⋮構わない﹄
うん、人化自体は楽しみにしてくれてるようでよかった。頑張っ
てきた甲斐がある。そして、いよいよ雪に会えるかもしれない。俺
も楽しみだ。
1665
拠点︵後書き︶
投稿遅れました。6月の応援期間用のSSはなんとか準備しました
が、先日の打ち合わせの結果をうけて書籍化作業も並行しているの
で本編の更新は遅れるかもです。
打ち合わせの件は活動報告でご報告します。気になる方はご覧くだ
さい。
1666
だんだら︵前書き︶
久しぶりの本編更新。そして雪の登場です。
SSは応援期間終わったら整理して移動しますので、しばらく読み
にくいのは我慢してください^^;
それと、過去の雪の話し口調を少し変えました。ストーリーに影響
はありません。
1667
だんだら
﹁よし、これが最後の一個。今の錬成値が95だからFランク魔石
なら十分いける﹂
俺が一個ずつ魔石を錬成していくのを刀娘たちが見守っている。
蛍さんはアイテムボックスから取り出した徳利を傾けながら、桜は
目の前でわくわくしながら、葵は俺にしなだれかかりながら三者三
様だ。ちなみにシスティナは霞、陽とお仕事中でいまここにはいな
い。
﹁いくよ。﹃添加錬成﹄﹂
いつもの工程を経て、光っている魔石が雪の刀身へと吸い込まれ
るように消え、しばしのタイムラグのあと光が消える。
﹁終わった⋮⋮鑑定するよ。﹃武具鑑定﹄﹂
桜のときも、葵のときもそうだったけどこの瞬間はいつも緊張す
る。ランクが上がっているのか、擬人化を覚えているのかどうか⋮
⋮もし駄目だったらまたランク上げのために頑張らなきゃとか。で
も、そのかわりちゃんとランクアップして擬人化を覚えていたとき
は喜びもひとしおなんだけどね。
﹃雪︵加州清光︶ ランク:B
錬成値 2
吸精値 0
技能:共感
1668
擬人化 意思疎通
気配察知
殺気放出+
柔術
刀術
属性刀︵火・風・闇・雷・氷︶
敏捷補正+
突補正++﹄
﹁やった⋮⋮間に合った。雪、ランクがBまであがって擬人化スキ
ルを覚えたよ﹂
﹃⋮⋮そうか﹄
相変わらず雪の感情の振り幅はあまり大きくないが、それでもち
ょっとした期待感を抱いているのは伝わってくる。雪も蛍と似て武
闘派な感じがあるから、蛍が人化したときのように自分自身で戦え
るようになることが嬉しいのだろう。
となれば、あんまり焦らすのもよろしくない。錬成を終えた雪を
鞘に納めて床にそっと置く。このとき抜身のまま擬人化スキルを使
ってもらえば裸で出てくるんだけど⋮⋮知らなかった蛍のときや、
緊急事態でそれどころじゃなかった桜のときとは違う。
知っててわざとそれをするのはちょっとずるい。雪に関しては嫌わ
れてはいないみたいだけど、残念ながら特別好きだという感情も伝
わってこないんだよね。
﹁さ、いいよ。やり方はわかる?﹂
﹃⋮⋮問題ない﹄
1669
雪がそう返すと、俺の脳裏に﹃擬人化﹄のイメージが共感で伝わ
ってきた。それと同時に雪の造形が歪んだように見えたと思った瞬
間そこには雪が立っていた。
﹁あ⋮⋮白い﹂
まず最初に抱いた印象は﹃白﹄だった。一狼の毛が銀がかった白
だとすれば、雪のそれは新雪の淡雪のような汚れ無き純白の白。背
中まで伸びた見事なまでの白い髪の色が、最初に俺が目にした雪の
印象だった。
身長は俺と同じくらいだろうか、目を閉じ静かに佇む雪の肌は他
の刀娘たちと比べてもさらに白く、一瞬病弱なイメージを抱かせか
ねないが体全体から放たれている雰囲気? 剣気? 闘気? オー
ラ? 的なものは鋭利で研ぎ澄まされていて弱々しい要素は全くな
い。
そして、見るべきは雪の着ている服。色合いこそ微妙に異なるよ
うな気がするけどシルエットはテレビなんかで見たことのある新撰
組の衣装と同じだった。そのときに見る新撰組の羽織は大体、明る
い水色を基調に袖口のぎざぎざ、確かだんだら模様っていうんだっ
たかな。その先が白だったような気がするが、雪の羽織はもっと落
ち着いた感じの淡い青を基調にしているようだ。当時を知る雪だか
ら、むしろこの色こそが本来の新撰組の羽織の色なのかもしれない。
ただし、背中に﹃誠﹄の文字はない。
しろかみ
雪のきっと滑らかで綺麗であろう足を隠しているのは俗にいう袴
? つまり雪は男装の麗人スタイルか。日本刀なのに白髪なのとい
い、衣装の選択といい面白い子が来たな。それに腕は間違いなく立
つはずだから今度の戦いのときには即戦力で活躍してくれるはずだ。
雪経由だとあんまり効果が実感できなかった属性刀も、きっとその
1670
力を発揮してくれるはず。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
そのとき、閉じられていた雪の目がゆっくりと開く。切れ長の目
と長い睫毛がぞくっとする⋮⋮雪もまた間違いなく極上の美女だ。
﹁⋮⋮これが、体﹂
﹁ああ、そうだ雪。くくく、たまらんだろう?﹂
自分の手の平を凝視しながら閉じたり開いたりしている雪に、徳
利を傾けながら蛍が楽し気に笑う。自分が人化したときのことを思
い出しているのかな?
﹁⋮⋮⋮⋮蛍丸、頼みがある﹂
﹁いいだろう、お前の気持ちは聞かなくてもわかる。いくらでも付
き合ってやる⋮⋮だが1つだけ守れ、人でいるときの私を蛍丸とは
呼ぶな。蛍でいい﹂
﹁⋮⋮⋮⋮わかった。助真にも頼みたい﹂
﹁はあ、仕方ありません。戦いが近いようですしお付き合いいたし
ますわ。それとわたくしのことは刀のときも含めて二度と助真とは
呼ばないで欲しいですわ!葵、主殿に付けて頂いた名でお呼びくだ
さいませ﹂
﹁あ、言われる前に言うけど桜も絶対! 桜って呼んでね。あと、
素早い系だったら桜も協力するよ﹂
﹁⋮⋮桜? もよろしく頼む﹂
﹁あは、了解。もう夜だけど付き合うよ。桜はまた明日から調査に
出なきゃいけないしね﹂
刀娘達同士でなんだか勝手に話がまとまると、ぞろぞろと寝室か
1671
ら出て行ってしまった。おーい、もう寝る時間だぞー。
なんて言ってみたところで、もともと睡眠すら必要ない刀娘達だ
からね。やる気になったら止まらないか。軽く溜息を吐きつつみん
なの後を追って部屋を出る。
﹁ご主人様、みなさんはどちらへ?﹂
部屋を出ると、後片付けなどの仕事を終えて霞達と別れて戻って
きたシスティナが首をかしげていた。
﹁多分、庭⋮⋮かな。さっき、雪の擬人化に成功したんだ﹂
﹁それはおめでとうございます。そうするとまた1つお部屋を準備
しなくてはならないですね﹂
﹁そうだね、今日は寝そうもないから必要なさそうだけど、明日に
でも雪を連れて買い物に行って来てくれるかな。俺はイザクさんと
ころとディランさんの所に行かないといけないから﹂
﹁こんな時期ですから1人でレイトークへ行くのはダメですよ﹂
システィナが釘を刺してくる。確かにこの情勢でレイトークを1
人でうろつくのは何かあった時に困るか。まあ、でも1人になるこ
とはないから大丈夫だろう。
﹁大丈夫。やっと属性付与から解放された葵が絶対に着いてくるか
らね﹂
﹁ふふふ⋮⋮そうでしたね。ずっとお留守番でしたから間違いない
ですね。でも、そうすると蛍さんは同行しないかもしれません。霞
か陽も連れて行きますか?﹂
確かに⋮⋮ふたりの仲は悪いわけじゃないはずなんだけど、もう
あれは意地というか、お約束というか、条件反射みたいなものにな
1672
ってるからなぁ。
﹁う∼ん、いいよ。買い物に連れて行ってあげて。ふたりとも頑張
ってくれてたし、なにか見繕っていろいろ買ってあげて。レイトー
クには一狼か他の狼を連れて行くから﹂
﹁ふふ、はい。ふたりも喜ぶと思います﹂
﹁あ、もちろんシスティナも好きなもの買っていいからね。セクシ
ーな服とか、セクシーな下着とか、えっちなアイテムとか﹂
にこやかにほほ笑んでいたシスティナが一瞬きょとんとするが、
すぐに何を言われているのかを理解して顔を赤くして可愛らしく睨
んでくる。うん、この辺のうぶさを失わないのがさすがシスティナ
だよな。
﹁⋮⋮ご主人様!﹂
﹁ははは、ごめんごめん。それは冗談だけど着てみたい服とかもあ
るでしょ、そういうこと。じゃあ、そろそろ俺達もいこう。はじま
っちゃう﹂
﹁え? ⋮⋮そういえばみなさんは何をしに庭へ?﹂
こんな時間に庭に行くなんて普通なら涼むとか、ちょっと風にあ
たりにとかを考えるだろうけど、うちの刀娘たちはそうじゃないん
だよね。
﹁﹃祝、雪擬人化記念歓迎バトル﹄⋮⋮かな?﹂
1673
だんだら︵後書き︶
感想、ブクマ、レビュー等々は作者の執筆エネルギーに直結してい
ますので、是非ともお待ちしております。
次回記念SSは13日0時更新でウィルマークベイスの予定です。
1674
雪擬人化記念歓迎バトル︵前編︶︵前書き︶
記念SSを4.5章として整理しました。再度新規投稿扱いで移動
しましたので戸惑われるかもしれませんがご容赦ください。一応活
動報告でも説明しています。
1675
雪擬人化記念歓迎バトル︵前編︶
雪 VS 蛍
﹁それではいくぞ﹂
﹁⋮⋮のぞむところ﹂
蛍が生み出したらしい光球に照らされた、既に訓練場と化してい
る前庭で白と黒の侍が向かい合っている。どうやら最初は蛍と雪の
対決らしい。
蛍は自然体で立ち、手をぶら下げ刀を持っていないが、雪は足を
前後に開いて重心を落とし切っ先を真っ直ぐ蛍へと向けている。変
わってるのは刀身を横に寝かせていること、なにかで聞いたことが
ある、平突きの構えだ。
この世界にきてから蛍さんに師事して刀術を学び、蛍丸も清光も
使ってきた俺にはふたりがやろうとしていることがなんとなくわか
る。基本的には自分たちの得意とするスタイルで打ち合うつもりだ
ろう。
蛍は歩法による無駄のない動きと莫大な戦闘経験値に裏打ちされ
た総合的な刀術。雪は﹃敏捷補正+﹄と﹃突補正++﹄を土台にし
て、速さと突き技を戦闘の主体にした刀術。このふたつのぶつかり
合いになるんじゃないかと思っている。
﹁じゃあ、合図するよ∼。はじめ!﹂
ふたりの間に張りつめていた空気を全く読まない桜がかけた緩い
開始の合図、その合図から俺の体感できっかり2秒後に雪が動いた。
1676
﹁はやっ!﹂
俺の予想通り雪は初手に突き技を放ったが、その突きは俺の目に
はあまりの速さに二連突きが同時に2本の刀に見える。だが、蛍は
その二連突きを紙一重で体を捻ってかわす。あれを見切ってかわす
とかもう凄すぎる。
﹁ふん、なかなかの突きだ、む!﹂
しかし、突きをかわしたはずの蛍が一瞬表情をこわばらせると、
今度はおおきく飛びのく。
﹁え?﹂
どうやら雪が突いたあとの刀を変化させて首を斬りにいった? あれだけの突きを二連で放ったあとに? しかもその流れを切らさ
ずに蛍へと次から次へと鋭い攻撃を繰り出していく。
蛍もその攻撃をあえてなのかどうなのかわからないが刀を使わず
に体さばきだけでかわしていく。
明らかにレベルが高すぎる凄まじいまでの攻防で目まぐるしく入れ
替わる立ち位置、2人の動きに置いていかれるかのように蛍の黒髪
と、雪の白髪が空間を入り乱れ、まるで黒と白が混じり合う渦のよ
うだった。
﹁む!﹂
﹁⋮⋮とった﹂
そんな均衡を破ったのは雪だった。最初と同じように放った突き
を、今度は引くでもなく薙ぐでもなくさらに押し込んで間合いを詰
1677
めた。さっきと同じように体を捻ってかわしていた蛍は半身の状態
で雪の接近を許してしまう。 これが最初の頃ならそんなことはさせなかっただろうが、いまま
での攻防の中で雪は一度も刀の間合いより内では戦おうとはしてい
なかった。だから蛍の警戒も緩んでいたのだろう。雪はそこまで計
算していたのかどうか。
そして、雪は詰めた間合いのままに、左手で蛍の手首を掴んだ。
﹁え?﹂
次の瞬間、蛍の体が宙を舞っていた。まるで側方宙返りの最中の
ように空中で上下さかさまになった蛍の顔には楽しげな笑みが浮い
ている。そういえば雪のスキルには﹃柔術﹄があった。細かい理屈
はよくわからないけど、それを使って蛍を合気道のように投げ飛ば
したということらしい。
しかし、どうやら蛍もただ投げられた訳ではなく投げられた方向
に自ら跳んでいたようで崩された感じはしない。それを雪も手応え
から感じていたのか、投げたあと地面に叩きつけるような動きはせ
ずに宙にいる蛍を刀で突き刺しにいく。
おいおい、ていうかやりすぎじゃないのか!
﹁蛍!﹂
けん
思わず叫んでしまった俺の耳にキィンという甲高い音が響く。
﹁⋮⋮⋮⋮蛍は強い﹂
﹁雪も十分強い。今回は見に回ったが、次は打ち合いで相手をしよ
1678
う。だが、最後の柔術を使った攻撃は見事だったな﹂
﹁⋮⋮わかった。柔術も次からはもっと使うことにする﹂
いつのまにか発現させ、雪の喉元に突きつけていた刀を消した蛍
が満足げな笑みを浮かべている。最近はぬるい戦いばかりだったせ
いか、いい刺激になったらしい。うちのメンバーだと蛍と正面から
打ち合えるメンバーはいないから雪の存在は嬉しいのかもしれない。
雪も蛍に言われたことを素直に受け入れているようだ。達人同士認
め合うものがあったのだろう。
﹁あの⋮⋮結局最後はどうなったんですか?﹂
隣で見ていたシスティナが角度的に見えにくかったのか俺の袖を
軽く引きつつ聞いてくる。
﹁うん、多分だけど雪が関節を極めて投げようとしたのを蛍が自分
から跳んで威力を殺して、逆に空中での回転の勢いをうまく利用し
て、呼び出した刀で下から雪の刀を跳ね上げて着地と同時に下から
雪の喉元へ刀を突きつけた⋮⋮んだと思う﹂
システィナはそのシーンを頭の中で想像したらしく、しばしの沈
黙のあと大きく息を吐き出した。
﹁すごいですね⋮⋮﹂
﹁うん、すご過ぎる。俺なんかまだまだだってことがよくわかるよ﹂
﹁次はわたくしですわね﹂
離れていく蛍と入れ違いで、装備していたかんざしを自分のアイ
1679
テムボックスから取り出した今回の戦闘に合わせたかんざしに交換
しながら葵が雪と正対する。
雪 VS 葵
﹁あのかんざしは確か⋮⋮魔力増幅と敏捷補正だったかな﹂
葵にさんざん見せられたので遠目でもわかる。
﹁葵さんは手甲も装備していますね。接近戦も想定しているのでし
ょうか?﹂
﹁どうだろうね、さっきの雪の動きを見てると接近されたら葵には
ちょっときつい気がするけど⋮⋮敏捷補正も手甲も最後の保険くら
いの意味しかないんじゃないかな? 多分だけど、この戦いは葵が
魔力を使った戦いに持っていくと思うよ﹂
葵の手甲はシスティナのと同じく、魔力を込めるとその量に応じ
た強度で手甲の周囲に魔力障壁を生むというものだ。葵や魔断を持
ったシスティナが使うと結構な防具になるが、普通の冒険者が使っ
ても普通の手甲よりちょっと良い手甲というレベルらしい。
雪と葵はさっきの蛍戦の時よりも広い間合いで向き合う。魔術を
使って戦いたい葵にすれば間合いは広いにこしたことはないだろう。
そして、雪は先ほどと同じように平突きの構え、一方葵もたまた
まなのか、先ほどの蛍と同じように刀を出さずに立っている。
﹁⋮⋮今度は勝つ﹂
﹁そう簡単にはいかないと思いますわ﹂
1680
﹁はいは∼い。じゃあふたりともいっくよ∼! はじめ!﹂
桜の開始の合図。そして、今度は開始直後から動き始める雪。相
変わらず速い。
﹁やっぱり速いですわね﹃土術:山嵐﹄﹂
葵が突っ込んでくる雪との間に魔術で無数の土の錐をだす。ただ
俺的には庭が痛むから出来ればそれはやめて欲しかった。
﹁⋮⋮くっ、これが魔法﹂
突進を完全に止められた雪は土の錐を回り込むのではなく、跳び
越えることを選択。
いかづち
﹁悪手ですわよ雪。﹃雷術:雷散華﹄﹂
うお! 葵の前に突然花火のように雷が弾ける。そして空中にい
た雪にそれをかわすことは出来ない。雷に弾かれるように吹き飛ば
され⋮⋮地面に叩き付けられるかと思った瞬間くるりと体を回転さ
せしゃがんだ姿勢で着地。どうやら麻痺などはしてないようだが魔
法という力に驚いているようだ。
﹁考えなさいな。この世界は刀だけで戦い抜けるほど甘くはないで
すわよ。あなたにもそのための力があるのでしょう? 考えなさい、
想像しなさい、妄想しなさい、どんな形であれ想う力こそがその力
の源ですわ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮理解した﹂
1681
葵の叱責とも、助言とも取れるようなその言葉に雪は一瞬だけ切
れ長の細い目を大きくすると、小さく頷いた。
ほむら
﹁⋮⋮﹃火刀:焔﹄﹂
雪の小さな呟き⋮⋮それと同時に雪の刀が赤みを帯び、刀が歪む。
﹁刀が発する熱のせいか? ⋮⋮あれが属性刀﹂
おそらく俺が使っていた時の雪は属性刀をあまり使う気がなかっ
た。だから使い方を考えることもしなかったのだろう。そのため俺
が使おうとしても属性刀は発動せず、ほとんど効果を感じることが
出来なかった⋮⋮葵は雪にこの世界において魔法という力がとても
大きな力を持っていることを教えようとしている。
﹁さすがですわ。あれだけの言葉ですぐにそれだけのものを⋮⋮で
すが、実戦で使えなければ意味がありませんわ! ﹃水術:渦水槍﹄
﹂
細く研ぎ澄ませた水に螺旋の回転を与えることで貫通力を増した
葵の水術が雪へと襲い掛かる。それを雪が赤い刀で撃ち落とそうと
斬りつける。
﹁あ!煙が﹂
蒸発音とともに周囲を埋め尽くした水蒸気を煙と勘違いしたシス
ティナが声を漏らす。いろいろ説明してあげたいが、それはとりあ
ことわり
えず後回しにして水蒸気の中の状況に目を凝らす。
﹁⋮⋮見えない﹂
﹁よくお考えなさいな雪。あなたも五行の理くらいは知っているで
1682
しょう? ﹃光術:光乱矢﹄﹂
水蒸気の中にきらきらと輝く光点がいくつも増えていく。あの光
の一つ一つが葵の光術で作り出された矢、その数は10ほどか。
こく
﹁⋮⋮⋮⋮相性。光には⋮⋮闇。﹃闇刀:黒﹄﹂
薄れてきた水蒸気の中、雪の刀が今度は漆黒に染まる。と、同時
に葵の光矢が一斉に雪へと降り注ぐ。
﹁⋮⋮ふ!﹂
光の矢といえどもさすがに光速とまではいかないのか、かろうじ
て目で追える程度の光矢を雪は闇刀で相殺しつつ撃ち落としていく。
せん
﹁お上手ですわ。なら、次はおさらいです﹃雷術:雷散華﹄﹂
﹁⋮⋮﹃雷刀:閃﹄﹂
いかずち
追撃で放たれた葵の雷術を、雪は同系統の属性刀で弾きつつ雷の
雨の中を突進する。雪の突進は突きの動作に通ずるものがあるせい
かとてつもなく速い。葵の弾幕を突破できるだけの対策があればあ
っという間に懐まで届く。
﹁あら、わたくしの負け⋮⋮ですわね﹂
さっきの蛍の姿をトレースしたかのような体勢で喉元に刀を突き
つけられた葵が肩をすくめて負けを宣言する。
﹁⋮⋮⋮⋮指導、感謝する﹂
﹁なんのことかわかりませんわ﹂
1683
葵はしれっと言い放つとすたすたと近寄ってきて俺の腕に抱きつ
いてくる。
﹁主殿∼わたくし負けてしまいましたわ。慰めてくださいませ﹂
﹁よしよし、かっこよかったよ葵﹂
演技なのは明白だったけど、この世界で戦うのに必要な魔法につ
いて実戦で指導する葵は最年長の刀娘として本当にかっこよかった
ので優しく頭を撫でてあげる。撫でられて気持ちよさそうに目を細
める葵は、普段はお姉さんなのにときおり俺だけに甘えてくれるの
で本当に可愛い。
1684
雪擬人化記念歓迎バトル︵前編︶︵後書き︶
久しぶりにレビューを頂きました!!
やっぱりレビューを頂けると嬉しいですね^^
またモチベーション下がったときのカンフル剤が増えましたw
1685
雪擬人化記念歓迎バトル︵後編︶︵前書き︶
ちょっと短いです。
1686
雪擬人化記念歓迎バトル︵後編︶
﹁じゃあ、次は桜だね﹂
桜が腕をぶんぶんと振り回し、軽く飛び跳ねながら雪の前へと向
かう。その手にはやはり刀を出していない。服に仕込んだクナイを
手に一本ずつ逆手に握っている。
﹁桜、ちょっと待ちなさいな。システィナさん、リボンのような紐
はまだお持ちですか?﹂
﹁あ、はい。いくつか予備はあります、どうぞ﹂
システィナは毛先付近で髪の毛をまとめるのにリボンを使ってい
る。戦闘中にリボンが切れて髪が邪魔になる可能性もあるからリボ
ンの予備はアイテムボックスにいくつか収納しているらしい。
﹁雪、あなたも山猿の真似をすることはないのですから髪は縛りな
さいな﹂
そういうと葵は一旦俺から離れ、システィナから受け取ったリボ
ンで雪の白い髪を首の後ろ辺りでまとめた。
﹁これでいいですわ。では続きをどうぞ﹂
雪は髪のことなど全く気にしていなかったのかもしれないが、確
かにあのあたりで縛っておけば戦闘中に邪魔になりにくいだろう。
雪はあまり理解していないようで反応は鈍かったけどね。
1687
葵が再び俺の腕を抱えたタイミングで桜が手を振る。
﹁雪ねぇ、準備はいい?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮いつでもいい﹂
三度、平突きの構えをとった雪が頷く。
﹁よし、では私が合図をしよう。よいか? ⋮⋮始め!﹂
蛍の合図と同時に桜が消える。蛍の光球が辺りを照らしているた
め闇隠れの首飾りの効果は使っていないようだが、隠形+と敏捷補
正+で動き回られると目では追い切れない。
ただ雪は気配察知があるせいか桜の位置をなんとか把握できてい
るようで庭を縦横無尽に駆け巡って桜を追いかけている⋮⋮らしい。
それにしても⋮⋮もともとの速さに違いはあるだろうけど、同じ
敏捷補正+同士なのに桜の姿はときおり、視界の端に映ったりする
だけでほとんど確認できないのに対し、雪は速いとはいってもなん
とか確認は出来ている。本当にこれの違いは隠形スキルだけの違い
なんだろうか?
﹁⋮⋮⋮⋮速い﹂
﹁雪ねぇ、桜は特別なスキルは何も使ってないよ﹂
桜を追いかけながら思わず漏れた雪の言葉に、雪とのすれ違いざ
まに桜がそんなことを呟いていく。どうやら隠形すら使っていなか
ったようだ。
﹁桜たちは魔力は枯渇するけど、体力的にはあんまり疲れないんだ
よね。お腹も空かないしね﹂
1688
桜は速さで雪を圧倒しながらのんびりとした口調で語る。
﹁だから人化したてのときってついつい全力で動き続けちゃうんだ
よねぇ。でも考えてみて、蛍ねぇの動きはどうだった? 桜のいま
の動きはどう?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
あ、そういうことか。
﹁ふふふ、さすが主殿ですわ。もうおわかりですわ﹂
﹁確かに桜も、最初に人化した階層主戦では全力でとばしてた気が
する﹂
﹁そういえば蛍さんも、人化初日の草狼との戦いは一晩中全力で遊
んでいたと言っていました﹂
つまり、どんな速い球を投げる豪速球ピッチャーでも速球だけで
は抑えられない。遅い球や変化球があるからこそ速球がより活きる。
﹁⋮⋮⋮⋮緩急﹂
同時に雪も言わんとすることがわかったらしく雪の動きが徐々に
変わる。今までは目的地まで全力で直進するだけだったのに、桜の
動きをよく見て余裕を持った速度で追いかけながら、桜の速度が緩
んだ瞬間に全力を出している。
そうすることで桜の急な動きの変化にも対処できるようになり、
桜の動きを阻害することにも繋がっていく。
﹁さっすがだね。じゃあ、桜も本気出すね﹂
1689
え? 今までのは本気じゃなかったとでも?
﹁⋮⋮⋮⋮捉える﹂
﹁いっくよ∼﹂
可愛らしく笑いながら気の抜けるような掛け声を出した桜が次の
瞬間、本当に消えた。表情を見るに気配察知をもつ雪すらも完全に
桜を見失っているようだ。
﹁はい、桜の勝ち∼﹂
そして気が付けば雪の背後から、雪の喉元にクナイを突き付ける
桜。
﹁そこまで。雪は今の動きが分かったか?﹂
戦闘終了を宣言した蛍の問いかけに雪が小さく首を横に振る。
﹁そうだろう⋮⋮あれは桜の本当の全力だからな。あぁ、だが雪と
戦っていたときの桜も手を抜いていた訳ではない。最後のあの動き
は桜でも今は一瞬が限界だからな。だから、桜はその一瞬の動きを
最大限に活かせるようにさらに特殊な技を組み合わせているんだ。
それを使ったときの桜は正直私でも捉えることは難しいな﹂
﹁⋮⋮⋮⋮わからない﹂
あの最後の桜の動きにそんな高度な技術が? 普通に動く時に隠
形+を発動させただけじゃなくて? 雪も蛍の言っている内容が理
解できず僅かに眉をひそめている。
1690
﹁だろうな、特に雪の場合は気配察知のスキルを持っているからな。
実は、あの一瞬、桜は気配を消したんだ。隠形スキルではない、私
や雪も激しく動きさえしなければ気配くらい消せるだろう? 桜は
僅かな間なら全力で動きながらでも気配を消せるように訓練をした
んだ。隠形スキルは周囲から認識されにくくするが気配を完全に消
すスキルではないからな。だから気配察知を持っている相手には実
は効果が薄い﹂
そうだったのか⋮⋮なんとなく見つからなくなるスキルという認
識しかなかったけど、実は某猫型ロボットの出す﹃石ころぼ〇し﹄
的な効果だったのか。
﹁桜の全力の動きにその技が組み合わさると、気配察知に頼ってい
ると完全にその姿を見失う﹂
﹁いつの間にそんな技を身に付けたの桜?﹂
﹁ん? 結構最初から使えたよ。蛍ねぇに隠形の効果が薄いことは
すぐにわかったから、隠形の効果も比較的早くに把握できてたし。
だから蛍ねぇに気配の消し方とかのコツを教えて貰って、ちょいち
ょい練習してたから﹂
いつのまにか俺の隣でにこにこしていた桜は何でもないことの様
にさらっと答えるが、きっとたくさん努力したんだろうと思う。な
んだか無性に愛おしくなって桜の頭をなでなでしてしまった。気持
ちよさそうに目を細める桜をみながら、結局雪の歓迎バトルなのに
俺がまだ知らなかったうちの刀娘たちの魅力や実力を見つけられる
俺得な企画になったなとほくほくしてしまう。
﹁雪、スキルは便利だが頼り切るのはよくない。そして、スキルだ
けが技ではない。それを忘れぬようにしろ。私達はもう自分で動き
1691
たいように動ける。自分達で自分を鍛え新しい技や動きを身に付け
ることができるのだからな﹂
雪はこれまでの戦いでそれを実感していたのか、人化してから初
めてちょっとだけ微笑んだ。
うんうん、雪の笑顔もなんか透明感があって綺麗だ。なんかあん
まりけらけら笑ったりするタイプじゃなさそうだし、貴重なワンシ
ョットな気がする。ここにスマホさえあれば絶対に映像に残してお
くのに口惜しい。
﹁さあ、雪。最後はソウジロウとだな﹂
﹁⋮⋮一番、楽しみ﹂
え? 聞いてないよ?
1692
雪 VS ソウジロウ
﹁ちょ、ちょっと待って! 本当に俺と雪で戦うの?﹂
予想だにしなかった蛍の言葉にあわてて抗議の声をあげるが、蛍
・・・・・・・
と雪の目はこのうえもなくマジだった。あれは返事を待つまでもな
く逃げられない目だ。
く、雪を信じていないわけじゃないけど、逃げられないならせめ
て身の安全は確保させてほしい。
﹁⋮⋮俺の条件は?﹂
﹁さすがに重り付きとは言わん。年増、完全解放じゃなく今のソウ
ジロウに無理のないレベルまで解除してやってくれ﹂
﹁よろしいのですか主殿?﹂
葵は俺の腕にしがみついたまま下から問いかけてくる。どうせ桜
はおもしろがって見てるだけだろうから刀娘の中では葵だけが俺の
心配をしてくれているということか。この戦闘大好き娘たちめ!
まあ、でも腕輪を解除してもらえるならある程度は戦える可能性
はあるか。刀娘たちにも頑張っているところは見せたいし⋮⋮はぁ、
やるか。
﹁うん、拒否権はなさそうだしそれでやってみるよ﹂
﹁ご主人様、無理はなさらないでくださいね。なにかあればすぐに
1693
駆けつけますから﹂
システィナは心配そうな顔をしながらも俺が怪我をする前提で、
いつのまにか魔断をアイテムボックスから取り出して装備している。
まあ、システィナの場合は心配しつつも蛍さんたちを止められない
と理解しているからこその次善策ということだろう。
﹁ありがとう葵、システィナ。どうせ蛍は止まらないし、まだ雪に
もちゃんと認められてない気がするからね⋮⋮ちょっとはいいとこ
ろ見せないと。葵、お願いできる﹂
﹁主殿がそうおっしゃるならわたくしも止められませんわ﹂
葵は小さな溜息をつくと、俺が装備している重結の腕輪×4に込
められた魔力を調整してくれた。葵の調整と同時に俺の手足を重く
縛っていた重結の腕輪の効力がほぼなくなる。日々の訓練のおかげ
で鍛えられた俺の体は完全解放してもらっても少しなら戦えるよう
になってきているけど模擬戦でそんな無理をする必要はない。
軽く飛び跳ねつつ体の状態を確認して、屈伸、伸脚、前屈、上体
反らしなどで体をほぐしていく。
﹁よし、雪。ソウジロウは魔力が使えない体質だ。属性刀は使わず
に立ち会え﹂
﹁⋮⋮⋮⋮わかった﹂
それは正直ありがたい。葵を持ってない状態だと魔法系の攻撃に
全く耐性がないっから属性刀とか使われたらぶっちゃけ逃げるしか
ない。
さて、それはいいとしてどうしようか⋮⋮雪の速さはこのままだ
1694
とちょっと荷が重い。辛うじて見えても体がついてこない可能性が
ある。腕輪の効果が弱くなっているいまならぎりぎり対応できるか
なとも思うけど⋮⋮
よし。それなら思い切ってこいつを使おう。
﹃巨神の大剣 : 封印状態︵微︶
ランク : C++ 錬成値 : MAX 吸精値 : 0
技能 : 頑丈︵極︶
豪力+
重量軽減
共感︵微︶ 所有者 : 富士宮総司狼 ﹄
俺はアイテムボックスに鞘ごと突っ込んであった巨神の大剣を取
り出す。
﹁ほう、あえてそいつを使うのか? ソウジロウ﹂
﹁迷ったけど雪の速さと攻撃に対応するのには、意外とこっちの方
がよさそうだからさ﹂
普通に考えれば閃斬の方が扱いやすそうに見える。でも巨神の大
剣はその名の通り大きな剣だけど重量軽減と豪力+がついているか
ら見た目よりも取り回しが楽な武器なんだよね。それに、頑丈︵極︶
の効果がもちろん装備者にも及ぶためちょっとした防具を身に付け
ている程度の効果が見込めるのも選んだ理由だ。
﹁よし、準備はいいな。始めるぞ﹂
1695
よ
蛍に言われて慌てて巨神の大剣を構えると対峙する雪を見る。雪
たび
との間合いはおよそ5メートル、今回の対戦では、あえてなのか四
度平突きの構えで切っ先を俺へと向けている。
綺麗すぎる雪の顔が殺気を帯びるほどに真剣過ぎるような気がす
るんだけど⋮⋮ちゃんと手加減してくれるんだろうな。
﹁はじめ!﹂
蛍の声と共に雪が突進してくる。くっそ、はえぇなおい! 俺は
雪の突きをかわすのではなくあえて幅広な巨神の大剣の腹で受ける。
重結の腕輪の縛りがない今の俺ならなんとか避けれられるかもしれ
ないけど、避けたあとの連続攻撃を捌ききる自信がない。それなら
巨神の大剣の頑丈さを盾代わりに使って、まずは動きを止める。
﹁くっ!﹂
そのままぶつけたら勢いで押し切られるので左手で裏から大剣を
押さえてしっかりと受け止める。大剣が死角となり雪の姿が確認で
きないが、しっかりとした手応えを感じたことで雪の最初の突進は
止められたと判断。
すぐさま体を捻りながら大剣をするりと大上段に移行しつつ予測
で大剣を振り下ろす。ここまでは今までの雪の戦いを見ていてこう
しようと決めていた行動だ。だが振り下ろす段階になって、その先
に雪の姿がないことに気がつく。
手応えはあった。初撃はちゃんと受けとめたはず。それならまだ
近くにいる! 焦りそうになる気持ちを抑え蛍を使っていた時の気
配察知の感覚を思い出して雪を探す。その俺の視界の端をかすめた
白い影に反射的に大剣を叩きつける。
が、大剣は虚しく空を斬った。く、桜が使っていた緩急の移動法
1696
か。それなら、こういうときのセオリーは⋮⋮いちかばちか後ろ!
キィン
苦し紛れに背後に向かって振り回した大剣が固い物を弾く。勘が
当たって助かった! どうも雪くらい速い相手は見失ったらだめら
しい。速さで主導権を握られる前に攻め続けないとやばい。
大剣の効果と間合いを使って懐に飛びこませないように意識しな
がら雪を攻撃していくが、俺の攻撃は全く当たる気がしない。一度
戦っただけで蛍の歩法も僅かに身に付けつつあるようで緩急の動き
と合わさり、今までの直線的な戦い方が変わってきている。
くそ! 俺だって蛍に毎日しごかれてる。今はちょっとビビッて
大剣振り回してたからできてなかったけど、歩法だって俺の方が長
く教わってるんだ。やればできるはず!
ちょっとでも気を抜くと視界からいなくなりそうな雪の動きにつ
られてばたばた動きたくなる気持ちを抑えて蛍からしつこいくらい、
今も現在進行形で教えてもらっている歩法を乱さないように意識す
る。
意識すれば⋮⋮なんとか追える。自分の動きは乱さないようにし
つつなるべく雪の動きを乱すように大剣を振る。相変わらず当たる
気はしないが雪も懐に入ろうとはしなくなっているから効果はある
はず。
と、ちょっとだけ気を抜いた瞬間、雪の動きが止まっていた。
あ、なんかやばい!
嫌な予感がして慌てて攻撃をしようとするが気を抜いた分だけま
1697
ばたきひとつ分ほど初動が遅れる。そして、その遅れは雪相手には
致命的だった。
﹁に⋮⋮連突き!﹂
蛍相手に最初に見せた連突き。今からじゃどうせかわせない、2
本に見えるなら2本とも受け止めればいい。大剣の大きさならぎり
ぎり対応できる! なんとか剣を前に出し、角度を調節して突きを
防ぐために構える。かろうじて間に合っ⋮⋮
﹁え⋮⋮さ、三本?﹂
俺の目に鋭い刃が三つ飛び込んできた次の瞬間、俺の右肩を熱い
ものが貫いていった。
1698
偉人を越えろ
﹁ご主人様!!﹂
突きの速度が速すぎて、衝撃はほとんど感じなかった俺は雪の刀
に右肩を貫かれたまま呆然と立ち尽くしていた。
それにしても見事な3連突きだった。2本同時に見えることだっ
て常軌を逸した技なのに、さらにその上があるなんて⋮⋮
﹁雪さん! やりすぎです! 治療しますから早く刀を抜いてくだ
さい!﹂
﹁あ⋮⋮いて⋮⋮﹂
雪の技の見事さに思わず失念していたが、システィナの慌てた声
を聞いていたら右肩が悲鳴を上げてきた。雪の刀が抜かれると同時
に溢れ出した血が右手と脇腹を伝って下へと流れ落ちていく。
⋮⋮完敗、だな。勝つことはないと思っていたけど結局、終始手
加減をされていた。本気の片鱗を見せたのは最後の突きだけだろう。
それさえも雪にしてみれば優しく撫でるようなものだったのかもな。
﹁ご主人様! 今、回復術をかけます。服を脱いでください﹂
システィナが魔断に魔力を通しながら声を掛けてくるが⋮⋮刀の
血糊を払って消したあと、静かに俺を見る雪にどうしても聞きたい
ことがあった。
1699
﹁ごめん、システィナちょっと待って。あ、服は腕上がらないから
裂いちゃっていいから﹂
それで俺が雪と話したいのを察してくれたのか、小さく頷いたシ
スティナは俺の後ろに回って俺の服を裂き始める。
﹁雪に1つ確認したいことがあるんだ。いい?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮なに?﹂
あまり表情の変わらない雪。それでも俺の言葉をちゃんと聞いて
くれていることは雰囲気でわかる。
﹁⋮⋮どうしたら俺を本当に認めてくれる?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
雪は俺のことを嫌っていないが、他の刀娘達のように俺を心から
認めて好きになってくれてはいない。残念だけどなんとなくわかっ
てしまう。だけど、だからといってそのままでいいとは思っていな
い。せっかく一緒に異世界にきて、人化までして話したり触ったり
出来る様になったんだから雪とだって信じあって、愛し合いたい。
﹁⋮⋮⋮⋮ソウジ、ソウジロのことは嫌いじゃない﹂
なぜか俺の呼び方を変更しながら雪はポツリとつぶやく。
﹁⋮⋮⋮⋮だけど、雪は沖田も好きだった﹂
﹁え? ⋮⋮それって﹂
もしかして新撰組の沖田総司? 確かに雪、加州清光は沖田が池
1700
田屋事件襲撃の時に持っていたといわれているくらいだから沖田の
刀だったことは間違いないんだろうけど。
﹁⋮⋮⋮⋮沖田は天才だった。病さえなければきっと誰にも負けな
かった﹂
どこか懐かしむように語る雪の顔はどこかはにかんでいるように
も見える。その表情を見ているとなんだか胸がちくりと痛い。
﹁⋮⋮でも、沖田総司はもうずっと前に死んだしここは異世界だよ﹂
雪の思い出に対してそんなことを言ってしまう自分が自分でも格
好悪いと思うけど、つい口をついて出てしまった。
﹁⋮⋮⋮⋮わかってる。だからお願いがあるソウジロ﹂
﹁なに? なんでもきくよ﹂
そんな情けない俺を軽蔑するようなこともなくお願いがあるとい
う雪に、俺が全く迷わないで諾と答えたことに雪が一瞬だけ驚いた
表情を浮かべ、そして僅かに微笑んだ。
﹁⋮⋮きっとソウジロなら簡単﹂
﹁うん、わかった。教えて﹂
雪はいつものようにほんの少しの溜めのあと口を開いた。
﹁⋮⋮⋮⋮沖田総司を越えて欲しい。そして雪の新しい所有者だと
いうことを証明して﹂ ﹁え⋮⋮俺が、新撰組の沖田総司を?﹂
1701
もし、それで雪が俺のことを認めてくれるなら過去の偉人を越え
る為に努力することはやぶさかじゃない。でも、どうすれば越えた
ことになるのかが分からない。
うぬぼれる訳じゃないけど、この異世界に来て俺はそれなりに強
くなったと思う。武術系や身体強化系のスキルは全くないけど日々
鍛えてきたし、腕輪の負荷をなくせばかなりの動きが出来る。それ
・・・
に蛍から教わっている刀術、そしてそれに合わせた体の動かし方⋮
⋮蛍だって過去の武士たちと比べても遜色ないくらいにできるよう
になってきていると褒めてくれることだってある。
でも、それでも俺はまだ沖田総司には届いていない。雪はそう思
っているってことか⋮⋮
俺の勝手なイメージでは沖田総司は天才肌の感覚派だったんじゃ
ないかと思っている。鍛えた技に直観やら閃きのようなものまで使
って思いもよらぬ動きや技を繰り出して相手を翻弄する。そんなイ
メージ⋮⋮実際にどうだったかは雪に聞けば答えてくれるのかもし
れないが、それはちょっと癪だ。
問題はそんなイメージの天才を俺がどうやって越えるか。雪の中
でかなり美化、強化されている気がする沖田総司に俺は勝てるんだ
ろうか。
それでも雪を本当に俺のものにするにはやるしかないんだけど⋮⋮
﹁わかった。もっと訓練して雪に認めて貰えるように頑張るよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮楽しみにしてる﹂
1702
そういって僅かに口角を上げた雪は振り返って屋敷へと歩いてい
く。今日の歓迎会はここまでということだろう。
﹁霞、悪いけど雪を⋮⋮えっと、システィナの部屋に案内してあげ
て﹂
﹁は、はい!わかりました﹂ さすがに庭であれだけ派手にやっていれば様子が気になったのだ
ろう。いつの間にか桜と一緒に観戦していた霞に雪の案内を頼む。
陽の姿が見えないのは⋮⋮多分速攻で爆睡モードに突入したからだ
ろうか。明日あたりどうして起こしてくれなかったのかと文句を言
われる霞の姿がなんとなく想像できる。
慌てて雪の後を追う霞を見送っていると、いつの間にか肩の傷を
治療してくれたシスティナが流れ出た血の跡を拭ってくれていた。
﹁ありがとうシスティナ。でもどうせ着替えもしなきゃいけないし、
ひと風呂浴びるよ。あと今日は雪に部屋を貸しちゃったけどいいよ
ね?﹂
﹁はい、ご主人様が嫌じゃなければいつも通りで構いません。入浴
の方は明日の朝の準備がしてありますのでそのまま使えます。傷の
確認もしたいので私も御一緒させてください﹂
もちろんOKである。むしろこちらからお願いしたい。
﹁あら⋮⋮ご主人様の手にはかなり血が流れた跡があるのに剣の方
には流れなかったみたいですね﹂
俺の右手を拭いていたシスティナの呟きにはっとした俺は右手の
巨神の大剣を持ちあげる。
1703
確かに、あれだけ腕を流れ落ちていた血が全くついていない。そ
んな訳は⋮⋮⋮⋮ん? もしかして。
﹃武具鑑定﹄
﹃巨神の大剣 : 封印状態︵微︶
ランク : C++ 錬成値 : MAX 吸精値 : 21
技能 : 頑丈︵極︶
豪力+
重量軽減
共感︵微︶ 所有者 : 富士宮総司狼 ﹄
やっぱり⋮⋮意図したわけじゃなかったけど精気錬成されてたか。
まあ、いつかはこれも錬成してランク上げしたくはあるんだけど、
封印状態の意味もよくわかってないしこのままランクを上げていい
のかという問題もあるんだよな。これが剣の能力を封印しているも
のだったら強くなるだけだからいいけど、変な魔物とかが封印され
ていたりしたら藪蛇になる。
いずれにしてもまだもう少し先のことだな。
﹁なかなかだったなソウジロウ。後半の動きは悪くなかったぞ﹂
さっきまで、無茶な対戦を葵に責められていた蛍が妙にすっきり
とした顔で声をかけてきた。後ろの方で﹁まだ話は終わっていませ
んわ!﹂と叫ぶ葵を桜がまあまあとなだめている声が聞こえる。
﹁でもあのくらいじゃ沖田総司には勝てないらしいよ﹂
﹁いや、おそらく実力的にはそう負けてない。あれは雪の気持ちの
1704
問題だろうよ﹂
﹁元の持ち主の方への義理⋮⋮のようなものですか?﹂
システィナの問いに蛍は少し考えるような素振りをみせる。
﹁義理⋮⋮ではないな。当たっているかどうかはわからんが未練⋮
⋮だろうな﹂
﹁未練? やっぱり沖田の方が好きだったってこと?﹂
蛍の推測に軽くへこむ俺の頭を思いのほか優しく蛍が撫でる。
﹁いや、そうではない。女としてではなく刀としての未練。おそら
く雪はその男にもっと使ってもらいたかったんだろう﹂
﹁あ⋮⋮﹂
それもそうか。刀だったときの雪は人化出来るなんて思ってもい
なかっただろうし、当時は刀として意識しかなかったはずだ。そし
て、雪は自らを振るう者として沖田総司を認めつつあった⋮⋮それ
なのに沖田は存分に雪を使う前に病で死んだ。
﹁そういうことか⋮⋮﹂
﹁だからお前はたゆまぬ努力を続ければよい。そしてお前の男ぶり
を上げ、女としての雪を自分に惚れさせることだな。まあ、もとも
と嫌われてはおらんようだしソウジロウの頑張り次第でなんとかな
るだろうよ﹂
つまり俺は今まで以上に訓練を頑張りつつ、雪を口説けばいい訳
か。過去の偉人を越えろなんて言われると正直途方にくれてしまう
が、そう考えればなんとかなりそうな気がするな。
1705
﹁ご主人様、考え事は湯船に浸かってでも出来ますよ﹂
﹁だね。じゃあいこうか。俺たちはこれから温泉行くけど皆はどう
する?﹂
﹁そうだな⋮⋮今日は少し労わってやろう。たまには私が背中を流
してやる﹂
﹁あ∼ずるい! 桜も!﹂
﹁ふん! あなたたちは今日はダメですわ! ずっと味方だったわ
たくしがお清めいたしますわ﹂
いつかこの賑やかな空間の中に雪が入ってくれるように頑張ろう。
そのための努力は惜しまないから、きっとそう遠くないはずだ。
そんなことを考えながら、わいわいと賑やかな刀娘達をひきつれ
て浴場へと向かった。
1706
覚醒
翌朝。いつのものように気持ちよく起床した俺たちはすぐさま行
動を開始。といっても朝一番で出かけたのは聖塔教の村を調査にい
く桜だけ。
システィナと霞、陽は早朝から屋敷で忙しく動きまわっていて、
俺と蛍、葵、雪、狼達は日課の訓練に午前中を費やす。蛍と雪が実
に楽しそうに打ち合っていたのがなんとなく怖かったのは内緒だ。
汗を流したあとは、システィナと霞、陽は雪を連れて雪の部屋に
必要なものなどを買い出しにいってもらう。今日はディランさんの
ところにもいくので装備の発注という案もあったんだけど、いまは
発注しても聖塔教との戦いには間に合わない可能性が高いので差し
当たって必要な装備は今日の買い出しで見繕って貰えるようにシス
ティナにお願いしておいた。
残った俺と蛍、葵はディランさんのところに顔を出してからレイ
トークに移動して領主イザクに、昨日桜から聞いた話を伝えて侵攻
作戦の詳細を詰めなくちゃならない。まあ基本はレイトーク軍にお
任せで俺たちはその裏で好きに動かせて貰えるように交渉する。軍
勢として動くにあたって俺達だけ勝手な動きをするのを認めてもら
えるかどうかは微妙なところだけど、今回の件に対する俺たちの働
きは無視できないはずだし実力も示してきたはずなのでなんとかな
るんじゃないかと思ってはいる。
本音をいえば、交渉術持ちのシスティナについてきてもらえたら
ありがたかった。だから、雪の買い物を後日にするということもで
きなくはなかったけど、今日は霞と陽を労う意味でも2人を街に連
1707
れ出して買い物や買い食いなどで楽しく過ごさせてあげたかったし、
同時に雪にも人の体での楽しみを体感してもらいたかった。
そのための引率としてはやはり刀娘である蛍や葵よりも、システ
ィナが適任だった。システィナには脳内ぐるめなびも実装されてる
しね。まあ、もっとも大きな理由としては、まがりなりにも新撰組
のリーダーという位置にいる以上はこういった交渉ごとにもちゃん
と対応できるようになったほうがいい⋮⋮⋮⋮と、蛍に発破をかけ
られたからだったりする。
今日は買い出し班が買い食い前提のため、昼食は俺の分だけ。俺
が食事をする前に買い出し班は出発していった。霞と陽がとても楽
しそうだったのでこの割り振りで正解だった。突然増えた雪の説明
については今朝の段階で刀娘の秘密と俺の能力についてはふたりに
説明をした。
ふたりともとても驚いていたが、そもそも魔法があるような世界
に生きていることに加えて、うちには秘密があるということは最初
から伝えてあったし、うっかりしゃべってしまうかもという心配も
首輪の呪縛のおかげで全くなかったので比較的あっさりと受け入れ
られたようだった。もちろん刀娘達がふたりを猫かわいがりしてい
たせいもあるし、刀が人になるということがどんなに不思議なこと
であってもいままでの生活で刀娘達が危険ではないことをすでに理
解してたのも大きかった。
ついでにふたりにはうっかり秘密を漏らすようなことはもうない
と自信がついたときに自己申告してくれればいつでも奴隷の首輪か
らは解放すると伝えた。もともといつか外してあげるという約束だ
ったのが自分たち次第でいつでも外してもらえるという形に変わっ
たことになる。
1708
霞も陽もここにいる限り首輪があっても全く問題がないらしく、
うっかり予防にもうしばらくつけておきますと笑っていた。
そんなこんなで結局俺たちが最後に出発することになったので、
システィナが作っておいてくれた昼食を食べたあと、一応戸締りを
してから鍵を一狼に預けて屋敷を出る。そのまままっすぐディラン
さんの店へと向かう。
﹁今日は例の学生服とやらの件か?﹂
﹁うん、魔力が使えない俺でもあの短ランとボンタンに魔力を通せ
るようにいろいろ工夫してくれたみたいなんだ﹂
フレスベルクに入り、店へ向かう途中で蛍が話しかけてくる。学
生服をディランさんに預けたとき蛍は屋敷にいたからその経緯を知
らない。
﹁魔力を通すとかなりの防御力になるようだな﹂
﹁あれはかなりのものだと思うよ。ディランさんの腹パンがちょっ
と押されたくらいにしか感じなかったからね﹂
﹁ディランがあれをどう仕上げたのかが楽しみですわ﹂
﹁待たせた。まずはこいつを返す﹂
綺麗に畳まれた俺の短ランを火傷やタコなどでごつごつになった
無骨な手の上にのせてディランさんが差し出してくる。
﹁はい。どうでしたか?﹂
1709
それを受け取りつつ、ちょっとわくわくしながら短ランを受け取
る。ただ見た目は特に変わっていないように見えるんだけど。
﹁ああ、うまくいった。そこのボタン、だったか? そいつは見た
目はあまり変わらないように加工したが全部魔石にしてある﹂
﹁あら、本当ですわ。五つの前ボタンと袖のボタンも魔石ですわね﹂
脇から出て来た葵が短ランのボタンを触りながら頷く。
﹁その、ボタンって技術も凄いね。それだけで服関係の世界に大き
な変革がおきるよ。これに関しては隠せるような技術でもないから
私らも好きにやらせてもらって、その結果としてボタンは広まると
思うけどいいかいソウジ﹂
﹁ええ、構いません。うまく儲けられるようなら活用してください﹂
確かにこの世界では服といえば基本的に頭から被って着る貫頭衣
が主流でボタンのついたシャツとかは見たことが無かった。そのボ
タンという考え方を武器防具や魔道具を作る職人であるディランさ
んとリュスティラさんがどう活用しようとしているのかはとても興
味があるが、今は別の話だ。
﹁ディランさん、これを着れば俺は魔力の通った状態の短ランを着
ていることになるんですか?﹂
﹁ああ、だが1つ注意がある。各ボタンの魔石を裏地に施した刺繍
の魔力回路で繋いで循環させることにしたがやはり外付けには限界
がある。そのため強い攻撃を受けると一気に大量の魔力を消費して
しまうためボタンが弾ける。全部吹っ飛んだら普通の学生服に戻る
から気をつけてくれ﹂
なるほど⋮⋮だけどそれならそれでわかりやすい。ようは全部の
1710
ボタンが取れるまでは防御力は下がらないということだ。
﹁ソウジロウ、ちょっと着てみろ。試してみよう﹂
﹁え? 試すって⋮⋮俺が攻撃を受けるってことだよね﹂
﹁当たり前ださっさとしろ。勿論手加減はしてやる﹂
どこか期待に満ちた目で実験しようとしている蛍がちょっと怖い。
だけど、実際の効果の確認はしておかなくてはならないのは確かな
訳で⋮⋮くそ、やるしかないか。本当にちゃんと手加減してくれよ。
いざ着るとなれば学生服を着るのは慣れたもの。短ランのボタン
をさくっと外し、回すように袖を通す。
﹁いくぞ!﹂
﹁ば、ちょ!﹂
さてボタンを留めようかと思った瞬間、俺の背中に蛍丸の峰打ち
が打ち込まれた。
﹁⋮⋮⋮⋮あれ? あんまり痛くない﹂
完全な不意打ちでなんの準備も出来ずにあっさりと攻撃を受けた
けど、思っていた衝撃がほとんどない。
﹁ほう、ソウジロウの顔を見る限りこれはなかなかのものだな。下
手な鎖帷子などを装備するよりよほど性能は良さそうだし街中へも
普通に着ていけるから面倒がない﹂
しきりに頷いている蛍にはいまさら言っても無駄だろう。ただ気
持ちはわかる。これは間違いなく神装備だ。一応ボタンを留め⋮⋮
1711
あ。
﹁一番上のボタンがない⋮⋮﹂
﹁⋮⋮まさかボタンを1つとばすほどの攻撃を試しで打ち込むとは
思わなかったな。ほら持って行け﹂
ディランさんが呆れたように溜息を漏らしながら小さな布袋を渡
してくる。
﹁これは?﹂
ディランさんに貰った袋の中を見ると、学生服のボタンと裏ボタ
ンがじゃらじゃらといくつか入っている。おお、予備の分まで準備
してくれているなんてさすがはディランさんだ。
﹁ありがとうございます。ディランさん、リュスティラさん﹂
﹁あ、ソウジ。短ランの裏から紐が出てるだろ2本。そいつをボン
タンとやらの腰紐にでも結んでおきな。それでボタンの魔石の魔力
ああ、ベルトのことか。わかりました、なにからなにま
がボンタンの方へも流れるようになる﹂
﹁腰紐?
でありがとうございます﹂
﹁構わん、面白い物を見せてもらった﹂
ディランさんはどこか機嫌が良さそうなので本当にそう思ってい
るんだろう。そしてふたりならきっと似たような装備をいつか作り
出すような気がする。
それにしても戦いを前に役に立たないと思っていた神様から貰っ
た服がこのタイミングで覚醒して大幅に防御力がアップしてくれた
のはありがたい。
1712
さらに雪も擬人化して戦力も一気にあがった。これでこちらの戦
いの準備は整った。あとは自由に動けるように領主イザクを説得す
るだけだ。
1713
覚醒︵後書き︶
ちょっと後で細かい所を直すかもです。
1714
領主みたび︵前書き︶
短ランは着てませんでしたが、高校時代は3年間ボンタンは愛用し
ていました。
1715
領主みたび
リュスティラさんたちの工房を出た俺達三人は、これからまた領
主イザクに会いに行くためにフレスベルクの転送陣からレイトーク
へと跳んだ。
いつも領主に会うからといって服装などを気を使ったことはない
が、今日はディランさんのおかげで生まれ変わった学生服を着てい
る。学生服といえば学校だけではなく冠婚葬祭にも対応できる完全
無欠の装備⋮⋮なのだが日本の学生だった俺の認識では短ラン、ボ
ンタンは決して礼装ではない。
この世界では問題ないはずだとは思っていても不良のイメージが
・・・・
強いためちょっと気後れしてしまう。いっそまた着替えようかとも
思ったんだけど⋮⋮
﹁そんなことありませんわ主殿、ほどよくわいるどで素敵ですわ﹂
﹁愚か者。あれだけの防御力を誇り、動きを妨げず軽量な装備をわ
ざわざ脱ぐ馬鹿がどこにいる﹂
対照的な対応のお姉さんたちに止められたため、着替えることは
諦めて短ランボンタンに閃斬を左腰に差したスタイルで面会に臨む
ことにした。まあ、冒険者なんて結局はならず者のイメージだし別
にいいか。
そんなことを考えつつレイトークの転送陣から領主館へ向けて歩
いていくが、どうにも町の中の雰囲気がおかしい。なんだかいつも
より通りを行きかう人が少ない気もするし、いつもはそこらに開店
している露天の店も出ていない。
1716
﹁なんか寂しい感じな気がするんだけど?﹂
﹁⋮⋮人がいない訳ではないな。どうやら家の中に籠っているだけ
のようだが﹂
ピーーーー!!
﹃今度はあっちに出たぞ! 今動けるやつは向かえ!﹄
﹃わかった! 種類はわかるか?﹄
﹃低層のパペット系だ!﹄
﹃おっと、それなら俺たちには相性が良くない。お前たち頼めるか
?﹄
﹃了解! それならあっちのウルフ系は任せる﹄
﹃任せておけ! さあ稼ぎ時だお互い頑張ろうぜ!﹄
突如鳴り響いた笛の音と、一本隣の路地から聞こえて来た会話を
聞いて俺たち三人は目を見合わせた。
﹁どういうこと?﹂
﹁さあな。だが、どうやら街の中に何体か魔物がいるようだが﹂
尋ねる俺にちょっと周囲を見回して気配察知を広げたらしい蛍が
何でもないことの様に答える。いやいや、それは結構大ごとなんじ
ゃないだろうか。
﹁塔から魔物が溢れてきたってことかな?﹂
﹁その割には街が落ち着いている気がしますわ。退治に動いている
方達にもあまり悲愴感はありませんでしたし﹂
1717
でもわたくしは怖いですわと言って寄り添ってくる葵︵もちろん
演技だ︶をよしよしと撫でながらちょっと考える。確かに街は人通
りは少なくなっているけど⋮⋮逃げるとか立てこもるとかそんな感
じじゃない。今まで俺たちは遭遇したことなかったけど、元々塔か
らはたまに魔物が出てくるはずだから意外とこんなことはよくある
ことで、しばらくすれば収まるようなその程度の話なのかもな。
﹁ま、その辺りの話も一応領主館の方で聞いてみればいいか﹂
﹁そういうことだ。さっさといくぞソウジロウ﹂
﹁はいはい﹂
◇ ◇ ◇
なんだかいつ来てもバタバタしているなこの領主館は。
領主館に着いた俺たちはそろそろ守衛さんたちにも顔を覚えて貰
・・・・・・
えつつあるようで門前払いのようなこともなく、いつもの応接室の
方へ通されたのだが⋮⋮いつもの通り外ではバタバタと慌ただしい。
・・・・
一度目は桜がベッケル家のなんとかってクズを暗殺した後で塔の
階落ちの件だった。2度目は今回の件の端緒となったレイトーク幹
部の暗殺事件の渦中だった。まあ、領主館なんてなんかどうしよう
もない事情でもなければちょいちょい来るような所でもないからあ
る意味当たり前ともいえるか。
﹁おお! 来たな! フジノミヤ殿!﹂
結局何度注意されても治らないらしく応接室の扉を力一杯開けな
がら大声でどかどかと入って来たのは、もちろん髭面筋肉なおっさ
ん。レイトーク領主イザクだ。 1718
﹁旦那様⋮⋮馬鹿にはわからないと思いますが扉は静かにお開けく
ださい﹂
﹁うむ! とうとう悟りを開いたなミモザ!﹂
どこか諦めの見える表情のミモザのこめかみに十字のマークが見
えた⋮⋮気がする。
﹁一応言いますが⋮⋮声も抑えてくださいね∼イザクちゃま。わか
りまちゅか∼、こえ、おさえる、ちいさく、はなす。子供でもわか
りまちゅよ∼﹂
おお、とうとう振り切ったなミモザさん。完全に領主であること
を考慮しなくなった。
﹁がははは! そんな口調で話しかけられたのは昨晩の妻との会話
ぶりだ! たまに妻以外から言われるのも悪くないものだな﹂
うわぁ、いらない情報でたよ。その図体で夜は赤ちゃんプレイと
か⋮⋮この領主すげぇ。しかも客の前で普通にカミングアウトして
るし、領主の威厳的なものとか風聞的なものは気にしないのか?
﹁ん? ああ、この程度は問題ない。儂と妻との仲睦まじさは街で
も有名だからな。皆の間でも公認だ﹂
﹁は、はぁ⋮⋮﹂
・・
俺の表情に気がついたのか、がははと笑いながら胸を張るイザク
だがそれでいいのか。
・
﹁すいませんフジノミヤ様、私が招いた事態ではありますがど・う・
かこのことはご内密に。仲睦まじいのは確かに周知ですが、そんな
1719
変態プレイは周知されておりませんので。私もまさかこんなところ
で、こんなとんでもない罠を踏むとは思いませんでした﹂
イザクを押しのけ俺たちに向かって頭を下げるミモザ。まあ、さ
すがに夜の寝室でのプレイが街の人たちにまでオープンになってる
訳はないよな。この娘、本当に苦労してるなぁ⋮⋮これで斥候隊も
管轄してるっていうんだから大したものだ。でも同じ孤尾族として、
うちの霞だって負けてないと思うけどね。
﹁大丈夫ですよ。誰にも言いませんから安心してください。それよ
りそろそろ本題に入ってもよろしいですか?﹂
﹁おお! そうであったな。話を聞こう。一応、そなたらの斥候か
らうちの斥候経由で村の話は入って来ている﹂
イザクは頷くと大きな体を対面のソファーに沈める。ミモザはイ
ザクいじりは一旦休止にしたのか静かにイザクの背後にまわって控
える。
それにしても、俺が思っていた以上に現場の斥候同士ではうまく
連携が取れているらしい。斥候は敵地の近くで潜むような危険な仕
事だ。味方とうまく連携が取れていないと危険なことこの上ないか
らひとまず安心だ。
﹁わかりました。それでしたら話は早いと思います。現在その村に
戦力が集中しつつあるということも?﹂
﹁うむ、聞いている﹂
﹁では、いつになりますか?﹂
ここで﹃いつ﹄と聞けばこの領主なら俺が何を聞きたいのかは理
解できるだろう。
1720
﹁現在、兵を目立たぬように少しずつ外に出している。二日後の昼、
この館を監視している者達を処分したあと私と直属の兵は街を出て
一気に目的地へ走る。その動きに合わせて先に街を出て進路付近に
伏せていた兵たちが集まることになっている。全軍が揃って村の近
くに到着するのは同日深夜になるだろう﹂
﹃ほう⋮⋮こう見えてもなかなか策士ではないか﹄
﹃本当に意外ですわね。何も考えずに全軍で街を出るのかと思って
いましたわ﹄
こらこら、といいつつ確かに俺もそう思ってたけど。蛍と葵もま
あ﹃意思疎通﹄で話すくらいは弁えているから別にいいけど絶対声
に出さないようにと釘を刺しておく。
﹁わかりました。私達も動きは合わせるつもりでいます。ただし、
私達は冒険者ですし正規の軍とは相容れないと思いますので単独行
動をすることをお許し願いたいのですが﹂
﹁ほう⋮⋮ミモザ、どう思う?﹂
俺の提案に指揮官の顔になったイザクは髭を撫でながら背後のミ
モザに振り返らずに声をかけた。
﹁正直に申せば、あまり賛成できません。フジノミヤ様たちの実力
を疑うつもりはありませんがこちらの作戦行動に支障が出る可能性
が拭えません﹂
﹁と、いうことのようだが? そもそも何をするつもりだ﹂
まあ、一軍を預かる身としてはそうなるか⋮⋮こんな時にシステ
ィナがいると助かるんだけど今日は頑張って俺がやらなきゃな。
1721
﹁私達が得た情報の中に聖塔教は独自に未登録の転送陣を持ってい
るというものがあります﹂
﹁なに? 転送陣﹂
﹁はい、確定情報ではないため伏せていましたが教団の人員の動き
から間違いないと私たちは判断しています。そこで私たちはレイト
ーク軍の戦闘の隙をついて潜入して転送陣を破壊し退路を断ちたい
と思っています﹂
髭を撫でながら鋭い眼光で考えこむイザクの返答を待つ。俺たち
としては戦闘に巻き込まれてメリスティアさんが幹部と勘違いされ
て殺されてしまっては困るし、転送陣をレイトークに確保されて御
山の存在が露見してしまうのもうまくない。俺たちにとっての最善
は正面戦力をレイトーク軍に受け持ってもらい、その間に裏から侵
入しメリスティアさんを救出後、退路を断つためだったという名目
で転送陣を破壊することだ。
﹁⋮⋮⋮⋮駄目だな﹂
﹁理由を聞いても?﹂
そう言われる可能性はあると思っていた。問題はここからどうや
って単独行動を認めさせるかだ。
﹁まず、お前たちだけでそんな重要な場所まで辿りつけるとは思え
ん。無駄死にはさせたくない﹂
なるほど、俺たちのことを考えてくれている。という訳では無く
実力をそこまで信用していないということか、変に戦場を掻き回さ
れたくない⋮⋮と。
﹁次に、どんな場所に繋がるものであったとしても転送陣は貴重だ。
1722
破壊前提の作戦は許容できない、破壊してしまえば幹部がその前に
逃げていたとしても分からなくなってしまう﹂
やっぱりそうだよな⋮⋮転送陣は時間さえあれば作れるというよ
うな物じゃない。何個も作ってその内の一個がたまたま何かしらの
条件を満たして完成するという運任せな魔道具だ。移動手段が限ら
れるこの世界においてその価値は計り知れない。こりゃ失敗したか
も⋮⋮転送陣の話は伏せておいても良かったか? でも退路を断つ
という言葉に説得力を持たせるには必要だった気もするし。
﹁最後に⋮⋮申し訳ないが多数の命がかかっている。完全にお前た
ちを信じている訳では無い現状、戦場で目の届かぬところにいかれ
るのは承服できん﹂
⋮⋮ここで実力だけでなく俺たち自身の信用性か。さて、どう説
得するか。
1723
領主みたび︵後書き︶
領主との交渉終わりませんでした^^;
小説大賞最終結果発表までに更新出来るのはここまでかと思います。
さすがに46作も作品があるなかで拙作がなにか大きな賞を受賞す
ることはないのかなとは思っているので最終選考結果発表時ほど緊
張感はありませんw
1724
挑発交渉︵前書き︶
ネット大賞はやっぱり特別な賞までは貰えませんでしたね^^; 受賞でも十分です。
リアルで忙しかったので更新遅れました。
1725
挑発交渉
目の前で、どっしりとした岩のような存在感を放つイザクは、自
らの拒否の言葉に対する俺の返事を待っている。領主としての立場
なら、俺たちの意向なんて無視するだけの力がありそうだが、あか
らさまにそれをするのはいらぬ反感を買うとでも思っているのかも
しれない。
それが、それなりに街に貢献している俺たちとの関係を悪化させ
たくないためだと考えれば、説得の余地はありそうな気がする。だ
が、交渉事に関しては俺よりも領主として、街を治めてきたイザク
の方に分があるだろう。だから、下手に交渉を長引かせて丸め込ま
れる前に、まず俺たちの決意をしっかりと示しておくべきだろう。
﹁レイトーク領主としてのご意見はわかりました。ですが、私たち
の要求は変わりませんし、妥協する気もありません。そもそも、一
連の暗殺事件の犯人が聖塔教だと教えたのも私たちですし、隠れ村
の存在を発見したのも私たちです。勿論、私たちには私たちの思惑
があってのことですが、私たちの要望が通らないのならレイトーク
の力を借りようとは思いません。勝手に動くだけです﹂
﹁さっきも言ったが、多数の兵士たちの命がかかっている。領主で
ある私が、それをさせると思うか?﹂
対面にいるイザクの体から俺たちを威圧するような、なにかが放
たれた⋮⋮ような気がする。闘気とか殺気とか気迫? のようなも
のだろうが、これが結構怖い。この世界に来たばかりの俺だったら
普通に腰を抜かして震えていただろうレベルだ。
1726
だが、何度か修羅場を経験した俺はなんとか平静を保つことがで
きた。ここでうろたえたらつけこまれてしまう。と思った瞬間、俺
のうしろに立っていた蛍と葵からも濃密な威圧感が放たれる。こっ
ちは俺に向けられたものではないうえに、どこか俺を守るような感
じがしてイザクの威圧から俺を守ってくれている。
逆に蛍と葵の威圧を受けたイザクは、一瞬だけ表情を動かしたが
ふたりの威圧を押し返すように威圧をする。そして、イザクのうし
ろでも蛍たちの威圧に危機感を感じたのか、ミモザが針のような殺
気を放ちつつ右手を背後に回している。おそらく武器が仕込んであ
るのだろう。
まさに一触即発。ひとり凡人の俺には針の筵だが、これで俺たち
が本気だということがわかってもらえたはず。
ぱん!
・・
﹁そこまでにしましょう。わたしたちはレイトークとことを構えた
い訳ではありませんから﹂
﹁む⋮⋮﹂
俺は天井知らずに高まっていく緊張感を、雲散させるべく手を打
った。誰もここで争いたいとは思っていないはずなので、なにかの
きっかけがあれば雰囲気を変えられると思ったのだがうまくいった
みたいでよかった。本当に戦いになったら、一番弱いだろう俺の身
が一番危ない。
﹁私たちがやろうとしていることは変えられません。理由は言えま
せんが、私たちにとってどうしても必要なことなので、これは確定
事項です。ですが、レイトーク側の意見も理解はできます。ようは、
1727
そちらの不安要素を私たちのほうで解決すれば問題はない、という
ことですよね﹂
﹁ほう、どう解決するというのだ﹂
威圧を解除したイザクがソファに背を預けて髭をしごく。
﹁まず、私たちの信用に関してですがこれは簡単です。以前こちら
に同行していた仲間のひとりは私の侍祭です。﹃レイトーク軍が村
を壊滅させるにあたり不利益な行動は取らない﹄ことを侍祭契約で
誓わせてもらいます﹂
﹁なるほど。そうではないかと思ってはいたが、やはり侍祭だった
か。ふむ、契約者であるフジノミヤ殿が、侍祭契約までかわすとい
うのであれば、信頼せぬわけにはいかぬか⋮⋮﹂
やっぱりそうなるのか。
毎回思うけどこの世界における侍祭の信頼度が半端ないな。それ
だけに今回の一件は、なるべく早く完璧に解決しないといけない。
でないとステイシアみたいな事例が、いつまた起きないとも限らな
い。そして、そういった事例が増えて世間に知られていけば侍祭と
いう職に対する信頼度は一気に地に落ちるだろう。
侍祭の信頼度が落ちることが、この世界にどんな影響を及ぼすの
かはわからないが、人々にこれだけ大きな影響力を及ぼしていると
いうことは、決していいことにはならないだろう。
﹁転送陣に対しては、制圧はしますがなるべく破壊はしないように
気を付けますし、先ほどの条件で契約をしておけばそれで安心して
頂けると思います﹂
﹁⋮⋮まあ、いいだろう﹂
1728
さすがにひねりが無さ過ぎたか? こっちの思惑に気付いている
ような気もするけど、とりあえず要求さえ通ればいい。
﹁最後に私たちの実力に関してですが⋮⋮﹂
いったん言葉を切り、口元にほんのちょっぴり挑発の笑みを浮か
べる。
﹁実際に目で見て、体感したほうが早いですよね﹂
びくり、とイザクの体が震えたのがわかる。領主としての厳格な
表情が崩れ、獰猛な笑みがこぼれる。
﹁ほう⋮⋮それはどういう意味だ? フジノミヤ﹂
敬称を付けることも忘れ剣呑な声を出すイザクとは、なるべく対
照的になるように、軽くなんでもないことのように俺は対応する。
﹁言葉通りですよ。私の仲間と、レイトークの精鋭、1対1で手合
わせをしましょう。どんな戦い方をする人が、何人出てきても構い
ません。私の仲間が負けることはあり得ませんから﹂
﹁なんだと? 言ってくれるではないか⋮⋮私が覚えている限り、
お前の仲間とやらは全ておなごだったはずだが? 私が手塩にかけ
て鍛えた精鋭がそんな細腕の女どもに適わぬとでもいうのか?﹂
﹁イザク様、落ち着いて下さい﹂
イザクは領主である前に武人。それが俺の感じた印象だ。そして
武人であるならば、ここまで虚仮にされたら黙ってはいられないは
1729
ず。そう考えた俺の挑発に、イザクはミモザの制止の声にも耳を貸
さず想像以上にあっさりと乗ってきた。
﹁はい﹂
﹁く、⋮⋮⋮⋮い、いいだろう、その挑発受けてたとうではないか﹂
ぴくぴくとこめかみを震わせながら、イザクは承諾の言葉を絞り
出す。
﹁では、その勝負に私たちが勝ったら﹂
﹁構わん! お前たちの単独行動を認めよう﹂
よし! うまくいった。イザクの後ろでミモザが天を仰いだ。あ
の娘にはまた面倒をかけるだろうけど、勘弁して貰おう。
﹁では二日後の決戦に間に合うように、勝負は明日の午前中でいい
ですね。そちらのメンバーはもう決まっていますか?﹂
﹁先発隊はもう出立しているからな、まだ街に残っているもののな
かから近衛隊長と、魔術師団長、あとはその時にならんとわからん
!﹂
﹁わかりました。では、明日は私たちも仲間を全員連れてお伺いす
ることにします﹂
刀娘たちの力を信じているがゆえの強引で人任せな交渉だったが、
武人であるイザクは勝負にさえ勝てばその約束を違えることはしな
いだろう。
1730
挑発交渉︵後書き︶
更新頻度が落ちるかもです。モーニングスター大賞用の作品の準備
をしたいので^^;
1731
甘えん坊
﹁ごめん、結局あんな形になっちゃった﹂
レイトークの領主館を辞し、屋敷へ帰る道すがら。最終的に刀娘
たちに頼る形になってしまった交渉の結果を謝罪する。
﹁いや、上々の結果だ。よくやったぞソウジロウ﹂
﹁まったく⋮⋮あなたはただ戦いたいだけでしょうに﹂
俺の隣を歩きながら、どこか機嫌がいい蛍にため息をつきながら
葵が呟く。
﹁山猿の意見は置いておいても、結論としては悪くありませんでし
たわ、主殿﹂
﹁そうかな? 最終的に皆にはそれぞれ圧勝してもらいたいんだけ
ど、大丈夫そう?﹂
約束を守らせるだけなら、どんな形であれ勝てばいいと思う。だ
が、イザクを心の底から納得させて遺恨を残さないためには、圧倒
的に勝利することが必要なのではないかと俺は考えていた。最後は
もう、笑っちゃうくらいにこてんぱんにされれば、俺たちのことを
認めざるを得ないはずだ。
ただ、そうすることで俺たち自身は目をつけられてしまうだろう。
だけど、この世界にきたばかりの俺たちとは違い、今の俺たちなら
自分たちのことを守れるだけの力はあると思う。
﹁あの領主が自信を持って送り出してくるのですから、きっとお強
1732
い方が出てこられると思います。ですが手加減をしなくていいとい
うのなら、問題はありませんわ﹂
葵が自信たっぷりに微笑みながら、手のひらに炎の球を生み出し
て握りつぶす。
﹁一度この世界の騎士とは、真剣勝負をしてみたかったのだ。相手
が領主近衛の隊長というなら、相手に不足はなかろう﹂
﹁あ、でも蛍とその近衛隊長とは戦わないかも﹂
﹁なに? それはないだろう、ソウジロウ。近衛隊長相手に圧勝し
たいなら私が出るのが確実だろう﹂
機嫌よく歩いていた蛍が、自分が戦えないかもと聞いて不満を訴
えてくる。
﹁まあまあ。多分、近衛隊長が出てきたら雪に頼むことになると思
う。でも⋮⋮﹂
俺が思っているとおりの展開になるなら、蛍の心配は無用になる
はずだ。あとは、フルメンバーで臨むなら桜が帰ってこられるかど
うか。桜なら村まで移動は半日だろう、調査に丸一日かけてうまく
結果がでれば⋮⋮ぎりぎり帰ってこられるかどうか。
﹁きっと、蛍も満足できる結果になるんじゃないかな?﹂
◇ ◇ ◇
屋敷に戻ると、買い物組だったシスティナ、雪、霞、陽、それと
四狼と九狼も帰ってきていた。屋敷の中でガタゴトしているので探
してみると、ちょうどシスティナのアイテムボックスに入れてきた、
1733
雪の私物を空き部屋に配置しているところだった。 雪の私室は1階の空き部屋だ。システィナや他の刀娘たちは、寝
室と俺の私室がある2階を希望してくれたんだけど、雪は1階でい
いらしい。ここのところかなりモテモテのリア充状態だったから、
ちょっとへこむ。だけど、よく考えれば日本にいたころは全然もて
なかったんだから、それに比べれば天と地ほどの差があるんだけど
ね。
ちなみに雪の私室は、ベッドを入れずに布団を床敷きして寝るら
しい。うちの屋敷では屋敷の玄関で靴を脱がせる方針だから問題は
ないけど、昨日システィナのベッドで寝てみたら、どうも落ち着か
なかったらしく布団だけを買ってきたようだ。
あとは部屋用の魔石灯、足の短い机、座布団代わりのクッション
などを買ってきたらしい。机を買って、なにに使うのかと一応聞い
てみたら﹁⋮⋮様式美﹂とのことで、どうも幕末あたりの部屋のイ
メージを追い求めているようだった。畳はないのかと聞かれて困っ
てしまいましたとシスティナが苦笑していた。
だが、買い物自体はとても楽しかったようで、一緒にいった霞や
陽とも随分と打ち解けていた。ここのところ忙しかった霞と陽もい
ろいろと買い物できてリフレッシュしてきたらしい。
ある程度多めにお金は預けてあったし、各自でアイテムボックス
を持ってるので、予算や購入後の荷物の心配をせずに買い物をする
という初めての体験にずいぶんとご満悦だった。なにを買ったのか
を聞いたんだけど、それは乙女の秘密だそうで教えてもらえなかっ
た。残念。
1734
﹁というわけで、明日は全員でレイトークの領主館へいくことにな
ったから﹂
雪の部屋の整理が終わったあと、桜はまだ戻っていなかったが、
残りのみんなをリビングに集めて今日の交渉の結果を報告した。
﹃我が主、全員ということならば私も同行してよろしいでしょうか
?﹄
﹁ごめん、一狼。桜がまだ帰ってきてないんだ。明日の出発までに
戻ってこなかったら、一狼には屋敷で待機していてほしい。それで
桜がもし屋敷に戻ってくるようなら、桜と一緒にレイトークまで追
いかけてきてくれるか?﹂
﹃そういうことであれば、仰せのままに我が主﹄
物わかりのいい白い狼を、優しく撫でてやる。あいかわらず気持
ちいい。
﹁ごめんな、助かるよ﹂
くぅ⋮⋮ん、と気持ちよさそうな声を漏らしながら尻尾を振る一
狼。どうやらそれほど不満だという訳でもなさそうだ。
﹁あの⋮⋮蛍さんたちが負けるとは思いませんけど、もしものとき
はどうされるのですかご主人様﹂
﹁うん、そのときは割り切って勝手に動く。あとで揉めるかもしれ
ないけど、そのときはそのとき。あ、そうだ!システィナの交渉術
でなんとかしてもらおうかな﹂
﹁ご主人様⋮⋮ありがとうございます。そのときは是非まかせてく
ださい﹂
1735
小さく頭を下げるシスティナ。俺にとっては、レイトークひとつ
を敵に回すよりシスティナのほうが大事だから当然のことだ。まあ、
そもそもうちの刀娘たちが、いくらレイトークの精鋭が相手だった
としても、交渉にならないほどに負けるなんてことはあり得ないだ
ろうけど。
﹁よし、話は終わりだな。雪、少し外へ行こうか﹂
話が終わったのを見計らって、蛍が席を立つ。
﹁⋮⋮今度は負けない﹂
蛍の誘いに応じて雪も立ち上がる。
﹁そうだ、一狼。お前もくるか? 雪に人以外のものとの戦いも体
験しておいてもらいたいからな﹂
﹃よろしいのですか? それならば御一緒させていただきます。構
いませんか、我が主﹄
尻尾を振っている一狼は明らかにそわそわしている。ここにもバ
トル好きな女がいる⋮⋮。
﹁いいよ、いっておいで。いい訓練になるだろうし、他の狼たちも
参加するなら許可するから、お互いに怪我はさせないように気をつ
けること﹂
﹃承知しました、ありがとうございます。我が主﹄
一狼は小さく頭を下げるとリビングから出て行く蛍たちの後を追
う。
1736
﹁あの! 僕も見学してもいいですか、兄様?﹂
﹁陽も? 別にいいけど、気を付けてね﹂
﹁やった! 昨日僕だけ寝ちゃってて、雪姉様の戦いを見られなか
ったから気になってたんだ﹂
ああ、そういうことか。確かに陽は爆睡してて起きてこなかった
っけ。
﹁今日の食事は、私ひとりでも大丈夫ですから霞も行きますか?﹂
﹁いえ、私は昨晩いましたから。システィナ様のお手伝いをします。
しーちゃんは行く?﹂
足元の相棒狼に、霞が問いかけるが四狼は霞の近くを離れるつも
りはないらしい。霞がそんな四狼を優しく撫でてあげると四狼も嬉
しそうに目を細める。スキップしそうな勢いでリビングを出る陽の
後ろを、尻尾をぶん振りしながら付いていく九狼といい関係は良好
のようだ。
そんなこんなでリビングに取り残されたのは⋮⋮
﹁結局残ったのは⋮⋮﹂
﹁わたくしたちだけですわね﹂
どこか嬉しそうにしなだれかかってくる葵。昨日今日あたり、葵
の甘えっぷりが凄い。まあ、甘えられるのは全然嬉しいので構わな
いんだけど、ひとりで属性付与をし続ける日々が想像以上にきつか
ったんだろう。
﹁どうしますか? 訓練に混ざりますか? システィナさんたちを
手伝いますか? それとも⋮⋮﹂
1737
潤んだ眼で俺を見つめながら、人差し指でぐりぐりと俺の胸を押
してくる葵。
﹁じゃあ、俺たちは部屋で軽く汗を流す?﹂
﹁はいですわ!﹂
◇
◇
俺たちは腕を組みながら、そそくさとリビングを出た。
◇
食事のときに戻ってきたとき、どこかつやつやした葵の甘えん坊
モードは終わっていた。
1738
雪無双
﹁来たな。フジノミヤ!﹂
翌日、レイトークの領主館を訪れた俺たちは、そのままミモザに
領主館の中庭にある練兵場に連れていかれた。中庭といっても、も
ともとそのために作られている空間らしく、壁は高く頑丈でちょっ
とした魔法をぶっ放しても問題ない場所らしい。
扉を開けて練兵場に出ると、いつのまにか俺に敬称すら付けなく
なった領主イザクが、腕を組んで仁王立ちしていた。
﹁おはようございます。今日はよろしくお願いします﹂
今回は俺が戦う訳ではないので、正直いえば気楽である。イザク
の後ろにはいつものメイド姿のミモザ、鎧は着ていないが大きめの
ワンド
盾を持ち、長剣を腰にさげた四十絡みの黒髭のナイスミドル、ロー
ブに身を包んで魔石を嵌め込んだ短杖を手にした、白髭を伸ばした
初老の男性が控えている。おそらく黒白ひげコンビのふたりが、昨
日言っていた近衛隊長と魔術師団長だろう。
さらに、その後ろにはまだ若い兵士たちがピシッと整列して並ん
でいた。その数は30名ほどだろうか? 見た感じどの人もそこそ
こ鍛えられているっぽいので、隊長格とかそれに準ずる人、将来を
有望視されている人とかなのかも知れない。
対してうちのメンバーは、システィナと蛍、葵、雪、霞、陽、四
狼、そして九狼。残念ながら朝の段階では桜は戻ってこなかった。
なので、一狼も留守番である。帰ってきた桜に確実に事情を伝えら
1739
れて、桜の移動速度についていけるのは刀娘以外では一狼くらいし
かいない。
ということで、ほぼフルメンバーでの出陣。桜と一狼がいれば、
まさに完璧だったがこのメンバーに囲まれた俺の安心感といったら、
羊水に包まれる胎児のごとくである。
﹁ふん、その余裕もいまのうちだぞ。わが軍を侮辱したことを後悔
させてやろう﹂
それって、典型的なやられフラグなんじゃなかろうか。ていうか、
イザクの豪放磊落で鷹揚な脳筋系領主という、俺が最初に抱いてい
たイメージがどんどん崩れていくなぁ。脳筋系だけは補強されてい
くけど、鷹揚なイメージは今やほぼない。自分が鍛え上げた軍に対
する自負が強すぎるんだろうけど⋮⋮言い方は悪いかもしれないけ
ど、自分が手塩にかけたペットとか蒐集品を馬鹿にされて腹を立て
ているのとレベルが変わらない気がする。
﹁お手柔らかにお願いします。あ、ちなみに私の侍祭は高位の回復
術を使えますので死ぬほどの怪我じゃなければなんとかできると思
いますから安心してください﹂
﹁ぐぬ! お前がこんなに生意気な奴だとは思わなかったぞ、フジ
ノミヤ﹂
いやいや、こっちはそれなりに最大限の礼儀を払って、譲歩もし
ているのに、わかってくれないんだから仕方ないと思う。あとは、
せっかくの決戦前に怪我したくないから手を抜いたとか言われると
面倒だから外堀を埋めただけで生意気とか言われても困る。
﹁とにかく、始めましょう。そちらの一番手は誰ですか?﹂
﹁⋮⋮いいだろう。グレミロ!﹂
1740
﹁はっ!﹂
イザクの声に応えたのは、近衛隊長と思われる人だった。頭に血
が上っていても、うちのメンバーがうしろの兵士たちにどうにかな
る相手じゃないことくらいはわかるらしい。
﹁どうやら治療には自信があるらしいから、手加減は不要のようだ。
存分に励め!﹂
﹁承知いたしました、イザク様﹂
グレミロはイザクに一礼すると、前へ出て長剣を抜いた。
﹁ソウジロウ様、私がいきましょうか?﹂
﹁こらこら、システィナはダメだって。なにかのときにはすぐに回
復術を使って貰わなきゃならないんだから﹂
﹁そうですか⋮⋮ちょっと残念です﹂
本当に残念そうに肩を落とすシスティナは、それはそれで可愛い
けどシスティナまで刀娘たちに引っ張られてバトル好きになられち
ゃうと困るぞ。
﹁雪、お願いできるかな?﹂
﹁⋮⋮いいの?﹂
雪のうしろで、蛍が恨めし気な視線を向けてくるがそこにはあえ
て気づかない振りをして、雪の問いかけに頷きを返す。
﹁うん、雪が適任だと思う。ガツンとかまして構わない。ただし、
敵じゃないから殺さないこと﹂
﹁⋮⋮わかった。ありがとうソウジロ﹂
1741
この大事な戦いで、まだ新参の自分が選ばれるとは思っていなか
ったのか雪は嬉しそうだ。
﹁刀はアイテムボックスから取り出したみたいにしてね﹂
﹁⋮⋮えっと、こう?﹂
昨日、ディランさんい貰っておいた雪用のアイテムボックスをす
でに雪には渡してある。雪はそこに右手を突っ込んで、中で清光を
手に出してから引き抜く。
うん、これなら中から武器を取り出したように見える。まあ、い
まのところ向こうは雪に注意を払っていないから普通に変化させて
も問題はなかったかも知れないけど、こうしておけば見咎められた
ときに言い訳がしやすい。
ディランさんたちの話では、そろそろ各領主にはベイス商会経由
でアイテムボックスの情報が流れていてもおかしくないからね。
﹁がんばって! 雪姉様﹂
﹁⋮⋮ん、陽、見てて﹂
﹁はい!﹂
本当に僅かに口角を上げた雪は、かるく陽の頭を撫でてから前へ
と出ていく。
﹁本当に女性であるあなたが、私の相手をするのですか? 私とし
てはあそこで見ている男性と戦いたいのですが﹂
グレミロが刀を持って出て来た雪を見て、女が相手ということに
拒否感を示してる。近衛の隊長ぐらいになると家柄もいいのか随分
と紳士的だ。
1742
﹁⋮⋮問題ない。あなたよりも私の方が強い﹂
﹁⋮⋮なるほど、リーダーがあれならメンバーもこれか。最近冒険
者などと言われるようになって、ちょっと調子に乗っているようで
すが、もっと謙虚さが必要ですね﹂
グレミロの表情が変わり、盾を構えて重心を落とす。どうやらや
る気になってくれたらしい。どうせやるなら本気でやってくれない
と困るからね。グレミロの構えを見る限りでは、近衛らしく場を死
守する戦い方を得意とするらしい。ゲームならきっとタンク役だろ
う。
﹁開始の合図は?﹂
﹁よし、私がかけよう。構わないな? フジノミヤ﹂
﹁もちろん、構いません。お願いします﹂
イザクは頷くと静かに右手を上げた。
﹁双方、準備はよいな⋮⋮はじめ!﹂
イザクの合図とともに動いたのは、もちろん雪だ。今回は平突き
の構えは取らずに一気に間合いを詰めるとグレミロの盾へと斬りつ
けた。相変わらずの早業だ。
だが、さすがに盾を斬ることはできなかったようで、その斬り込
みは硬質な音とともに防がれる。
﹁く、なかなか重い一撃。こんなところに出てくるだけのことはあ
る、次は私の⋮⋮⋮⋮いない?﹂
グレミロが初撃を受け止めたので、攻撃をしようとしたのだろう
1743
が、もちろんいつまでも雪はそこにはいない。
﹁ぐあぁぁぁぁ!﹂
﹁グレミロ!﹂
そして、雪を探して視線を巡らせようとした時には勝負は決まっ
ていた。
﹁⋮⋮盾、危ない。死角が多い﹂
グレミロの背後から右肩を貫いた雪が、静かにグレミロの敗因を
告げる。
今の動き、俺たちは離れていた位置から見ていたからなんとか視
認できていたけど、グレミロには本当になにも見えていなかっただ
ろう。
グレミロの盾を斬りつけた雪は、相手の注意が盾に集中した瞬間
に桜に教わった緩急の動きを使って急加速すると、盾の死角から一
気にグレミロの背後に回っていた。おそらく近衛なのだから本来は
鎧を着用しているはずで、鎧があれば一撃で決まることはなかった
と思うが⋮⋮右肩を貫かれてはもう剣は振れないだろう。
まずは一勝だ。
1744
雪無双︵後書き︶
﹃三国志∼武幽電∼﹄
全面改稿版も新規で投稿始めました。1章にあたる部分は毎日投稿
でさくっとあげていきたいと思っています。三国志好きの方は是非
読んでみてください^^
http://ncode.syosetu.com/n6364
dk/
1745
葵無双
﹁ぐ⋮⋮﹂
引き抜かれた雪の刀と同時に崩れ落ちるグレミロ。雪も勝負がつ
いたことはわかっているのか刀の血糊を払うと、白い髪を揺らしな
がらこちらへと戻ってくる。
﹁雪姉様さすがです!﹂
陽が満面の笑顔で迎えると、雪も小さく微笑む。
﹁おつかれ、どうだった?﹂
﹁⋮⋮ん、まあまあ。盾と戦うのは初めてだったけど堅かった﹂
そっか、日本にはあんまり盾を使う文化はなかったっぽいからな。
もしかすると刀娘たちはあんまり経験ないかもな。
﹁ん? 私はあるぞ。あんまり日本では定着しなかったから多くは
ないがな﹂
俺の考えていたことを共感で察したらしい蛍が教えてくれるが、
こっちの世界は盾を使う人もそこそこいるから、今後はなんか対策
がいるかもな。
﹁⋮⋮くぅ﹂
おっと、それどころじゃなかった。聞こえて来たうめき声に我に
1746
返った俺は振り返ってシスティナを見る。
﹁システィナ、お願いできる?﹂
﹁はい﹂
一応、俺が指示するまで待っていたのか、システィナがグレミロ
のところへと走っていく。この世界ならあのくらいの傷でも、傷薬
があれば問題はないと思うけどね。
﹁ぐぬぬ⋮⋮まさかグレミロが﹂
治療を受けるグレミロの見ながら歯ぎしりをするイザクの後ろで、
若い兵士たちもざわついている。まさか自分たちの隊長が手も足も
でないで負けるとは思っていなかったのだろう。
﹁ほっほ、グレミロは相手がおなごだと侮ったうえに、所詮は冒険
者相手の手合わせだと油断もあったようじゃな﹂
﹁おお! ダイラス老﹂
いかにも魔術師といった格好の白髭の爺さまが、髭を撫でながら
イザクに並ぶ。
﹁最近、やつもイザク様以外に相手がいなくなって増長していまし
たからな。いい薬じゃろうて﹂
﹁むう⋮⋮だが、グレミロで勝てぬとなれば﹂
﹁ふむ⋮⋮事情は聞いておりますが、あちらの自信と先ほど戦った
者の力量を見る限り⋮⋮この勝負に持ち込まれた時点で勝負は決ま
っていた気がしますな﹂
﹁な! そ、そんなことは⋮⋮﹂
1747
ダイラスの冷静な指摘に、言葉を詰まらせるイザク。
﹁この馬鹿が勝手に決めやがりやがったのです。止める間もなかっ
たのです﹂
﹁ほっほっほ、そう言ってやるなミモザ。良くも悪くもそれが、イ
ザク様じゃて⋮⋮さて、この様子では勝ち目は薄そうじゃが、儂も
団長としての役目を果たしましょうかな﹂
﹁おお、いってくれるかダイラス老。なに、あなたがいってくれる
くれるなら安心だ﹂
﹁さてさて、そうじゃといいんじゃが⋮⋮﹂
そういうとダイラスはすたすたと前へと歩いてくると、大人しく
システィナの治療を受けていたグレミロの頭を短杖でこんこんと叩
く。
﹁グレミロ、さっさと後ろへ下がれ。お嬢さん、もう治療は十分じ
ゃ、丁寧にやってくださってありがとうのう。見たところもうほと
んど傷も塞がっておる。あとはうちの治療師にやらせますからな﹂
﹁あ、はい。傷のほうはもう大丈夫だと思いますけど、しばらくは
違和感が残るかも知れませんので、動かすときは状態を確認しなが
らにしてください﹂
システィナが軽く頭を下げてから戻ってくる。その間にグレミロ
もダイラスに軽く蹴飛ばされるように後ろに下がっていく。
﹁ご苦労様、システィナ﹂
﹁はい﹂
﹁では、次はわたくしですわね﹂
システィナと入れ替わりで葵が一歩前にでる。相手が魔術師だと
1748
いうならたしかに葵が適任だろう。
﹁葵、相手は魔法が得意だから使わせずに勝っちゃうと面倒臭いこ
とになると思うんだ﹂
﹁わかっていますわ、主殿。相手に存分に魔法を使わせたあとに、
ことごとくそれを潰して勝てばよいのですわね﹂
いや、確かにそうなんだけどそれをあっさりと言えるって凄いな。
このくらいの距離だと、相手の魔法発動前に普通に決着がついちゃ
う可能性があるから頼んだんだけど、普通なら魔法は撃たせないの
が戦いの基本だから、かなり無茶な注文をしたのに。でもまあ、今
日の葵はつやつやバージョンで気合十分だから大丈夫か。
﹁うん、任せた。怪我はしないようにね。怪我しちゃうくらいなら
あっさり勝負を決めてもいいから﹂
﹁承知いたしましたわ﹂
微笑んだ葵は刀を手に前へと出る。
﹁お手柔らかに頼みますぞ﹂
﹁こちらこそよろしくお願いしますわ﹂
﹁では、イザク様。開始の合図を﹂
ダイラスに促されたイザクが頷き、再び右手を上げる
﹁うむ⋮⋮では始め!﹂
開始の合図とともにダイラスが短杖を構えて詠唱に入る。ぶっち
ゃけ、この時点で葵が術を発動させれば勝負ありなんだけど⋮⋮
1749
﹃我が魔力を糧に、疾く出でよ氷の矢﹄
あ、でも詠唱が短い。これだと発動前に潰すのはそもそも無理だ
ったかも。
ダイラスの目の前に生み出された5本の氷の矢が葵に向かっていく。
いやらしいのはよく制御されていてどひとつとして同じ速度、同じ
角度から飛んでくるものがない。
﹁さすがに年の功ですわ﹃風術:天蓋風﹄﹂
葵が術を発動、葵を覆う風の流れが氷の矢の向きを変えていく。
さらに驚いたことに葵は、風を操作して流れに矢を乗せ、その矢を
ダイラスへと打ち返した。葵の魔力操作による﹃術﹄とは違い、こ
の世界の魔法は基本的には現象を起こして発動させたら術者の制御
を離れる。だからこそできたことだろう。
﹁ほ、とんでもないことをするお嬢さんじゃな﹂
氷の矢を送り返されるという異常事態にも関わらず、ダイラスは
大きな動揺を見せることなく落ち着いて詠唱を始める。
﹃我が魔力を糧に、疾く出でよ裂空の刃﹄
生み出されたものは視認できないが、ダイラスのローブが後ろか
ら前に靡いているから、生み出されたのは風の刃だろう。その刃が
向かってくる氷の矢を粉砕。さらにそこで威力を減じることなく、
粉砕した氷の破片すら巻き込んだまま葵へと向かう。
咄嗟の魔法の選択もいいし、発動速度も速い。これなら魔術師団
長だというのも納得だ。
1750
﹁これは、困りましたわ。うかつに受けるとお肌に傷が付きそうで
すが⋮⋮主殿のための肌を傷つける訳にはいきませんわ。しっかり
受けてくださいね﹃炎術:炎渦槍﹄﹂
﹁なんと!﹂
葵が使った術は炎の渦。ダイラスの放った魔法も氷の礫も全てを
包み込んで収束した炎の渦が槍と化してダイラスへと向かっていく。
ダイラスの風をも巻き込んだせいで結構な威力になっている。
﹁皆のもの! 伏せるのじゃ! ﹃我が魔力を糧に、疾く出でよ大
地の楔﹄﹂
慌てた口調で後方の味方に叫んだダイラスが、さらに高速で詠唱
した呪文に反応して現れたのは土の壁。ただ、さすがだったのはた
だの壁ではなく、その壁に傾斜がついていて攻撃を上空に反らすよ
うに工夫がされていたことだ。
葵の放った炎は、その壁に衝突し激しい熱風を周囲へとばら撒き
ながら、方向を変えられ炎の柱となって上空へと消えていった。
葵の放つ術は常に葵の制御下にある。本来ならあの壁を回り込む
軌道に変えることも可能だったはず。だけど、それをやってしまっ
たら当然マズいことになるので、葵はちゃんと上空に逸れていくよ
うに調整はしていたようだ。
﹁⋮⋮いやはや、これは﹂
冷や汗を拭いながら、葵の炎に熱せられて結晶化しつつある土壁
をながめていたダイラスはゆっくりと葵を見ると両手をあげた。
﹁やはり、かなわんかったな。降参じゃ、手加減されてこの有様で
1751
はのう﹂
﹁あなたもお強いですわ。本当はもう少し本格的な魔法勝負を楽し
みたかったのですけど⋮⋮﹂
そういえば、魔法を一方的に打ち込まれることはあったけど、本
格的に魔法を打ち合う戦いは初めてだったか。葵は少し残念そうだ
ったけど、とにかくこれで2連勝だ。
1752
葵無双︵後書き︶
感想、レビュー等いつでもおまちしております。
同時連載中の
スキルトレーダー︻技能交換︼ ∼辺境でわらしべ長者やってます∼
http://ncode.syosetu.com/n3671
de/
連載再開しました。ペースは遅いかもですが、こちらもよろしくお
願いいたします。
1753
霞奮闘
﹁おみごと﹂
﹁ふふふ、ちょっとやりすぎてしまいましたわ﹂
﹁十分だよ。おつかれ﹂
短い攻防だったけど、それなりに充実していたのか機嫌がよさそ
うな葵を見ると、蛍たちほどではないが戦いが好きなところは、や
っぱり葵も刀なんだなと思う。
﹁さて、あちらさんがこれで納得してくれるといいんだけど﹂
﹁近衛の長と、魔法使いの長が敗れたのですからもう終わりではな
いのですか?﹂
俺の隣にいるシスティナの言葉は、普通に考えれば正しい。
﹁これがフレスベルクの領主相手だったらその通りだと思うんだけ
ど⋮⋮﹂
ある種の予感とともにレイトーク陣営をうかがうと、ちょうどイ
ザクが胴間声をはりあげたところだった。
﹁ええい! ダイラス老までがなんという体たらく! このままで
はレイトーク軍の威信はがた落ちではないか! 誰ぞ我こそはと思
う者はおらんのか!﹂
後ろに控えていた幹部候補生らしき兵士たちに発破をかけるが、
近衛隊長と魔術師団長があっさりと敗北したあとではとても﹃私が
1754
!﹄とは言えないだろう。
﹁むぅ! やむをえん。ミモザ! やってくれるな﹂
﹁言うに事欠いてなんてこと言いやがりますか! ミモザは秘書兼
侍女でいたいのです。お断り! です﹂
﹁悪いがこれは領主命令だ﹂
﹁むぅ⋮⋮こんなによくやっているミモザにそんなことを言いやが
りますか﹂
﹁まあ、待て。業務外の命令であることは承知している。試合に出
るだけで勝敗問わず金貨1枚、勝てばその十倍を特別手当として支
払おう﹂
﹁さあ、相手はだれでやがりますか!﹂
⋮⋮うん、その可能性も想定はしてたんだけどね。でも、それで
戦っちゃうんだミモザさん。
﹁さて、どうしようか。桜が帰ってきてればなんの問題もなかった
んだけど⋮⋮﹂
どっから取り出したのかわからないが、二本の短剣を手にして訓
練場の中央で待ち構えるミモザをみながらため息をつく。
﹁私がいるではないかソウジロウ﹂
﹁まだ蛍はだめ﹂
﹁な! ぐぅ⋮⋮雪ばかりか葵まで戦っているというのに﹂
蛍が頬をふくらませるというのも、なかなか見れない表情なので
これはこれでいいな。蛍も最近は魔物と戦うか、身内と訓練だけだ
ったから対人戦に飢えている。でも、雪が擬人化していい対戦相手
ができたんだから、そこは我慢してほしいところだ。
1755
﹁あ、あの⋮⋮﹂
﹁え? ああ霞か、どうかした?﹂
﹁旦那様、私にやらせてもらえないでしょうか?﹂
﹁え! 霞が?﹂
確かに霞と陽も斥候職としての訓練は受けているし、うちにきて
からも桜がマンツーマンで指導している。指導の期間はまだ短いけ
ど、かなり優秀だって桜からは聞いている。
一応、試合をするということで全員動ける服装でメイン武器も持
ってきてはいる。霞の場合は針術のスキルがあるのでいろんな長さ、
太さの針を動きやすいようにシスティナが改良したメイド服っぽい
衣装の各所に仕込んでいる。でも針では打ち合えないし、カモフラ
ージュのために短剣も太腿とかに装備してあるはずだ。
﹁だめでしょうか? あの方も孤尾族ですよね。しかも私と同じよ
うなお仕事をしていますから、いわば先輩です。胸を借りてみたい
のですが﹂
霞の目がキラキラしている。同じ孤尾族として立派に働いている
人がいることが嬉しいのかもしれない。この世界では、あからさま
に獣人が虐げられているというようなことはないが、一部に蔑視す
る輩がいることもまた間違いない。だから各部族では積極的に人と
関わらないように生きることも多いらしいが、結局部族だけの狭い
コミュニティでは豊かな暮らしができず、霞や陽のように家族のた
めに奴隷商に身売りをするということもままある。
そんななか、領主の秘書兼侍女兼護衛として働いているミモザを
見て霞は嬉しくなってしまったのかもな。
﹁どう思う? システィナ﹂
1756
﹁はい、霞のためにはよいことだと思います。ただ、今回のこの戦
いの主旨を考えると⋮⋮﹂
﹁その辺はいいや。一応はもう2連勝してるし、霞のためになるな
らそっちのが大事だからね﹂
﹁はい、それでしたらぜひ私からもお願いします﹂
﹁旦那様、システィナ様⋮⋮﹂
微笑んで小さく頭を下げるシスティナと、頷く俺を見て霞がちょ
っとうるうるしている。俺はいまがチャンスとばかりに霞の頭を撫
でつつ念願の耳モフを達成する。どうも耳は敏感らしくて尻尾は触
らせてくれるけど耳は触らせてくれてなかったんだよね。
﹁あんっ、ずるいです旦那様﹂
﹁うん、気持ちいい。また触らせてね霞。じゃ、ちょっといってく
る﹂
顔を赤くする霞を置いて、待ち受けるミモザの方へと歩み寄る。
﹁意外です。フジノミヤ様がやられるんですか?﹂
﹁いやいや、私は今日は戦わないと決めてますので。ちょっとミモ
ザさんにお願いがあって﹂
﹁お願い⋮⋮ですか﹂
首をかしげるミモザに俺は頷く。
﹁出来れば同じようなタイプの対戦相手をこちらも用意したかった
のですが、うちの斥候職のトップはまだ隠れ村の偵察から戻ってい
ません。そこでまだうちにきたばかりなんですが、同じ孤尾族の子
を対戦相手にしようと思っているんです﹂
﹁孤尾族の子を雇われているのですか? フジノミヤ様﹂
1757
﹁雇うというのはちょっと違います。彼女は奴隷商から買いました
けど、大事なうちの家族ですので﹂
一瞬、虐待でも疑ったのか目元にきついものを浮かべたミモザだ
が、後ろで俺が触ったことで我慢できなくなった葵たちにも耳モフ
されて身悶えている霞をみて、自分の思い過ごしだと理解したらし
い。
﹁わかりました。それでお願いというのは?﹂
﹁彼女は優秀ですが、まだ訓練中の身です。そして、その訓練も相
棒である狼との連携を主にしています。今回の対戦に彼女が狼と一
緒に戦うことを許してもらえませんか?﹂
﹁⋮⋮なるほど、わかりました。私も同じ孤尾族の子がどのように
戦うのか興味があります。狼と一緒でかまいません﹂
﹁ありがとうございます。それでは﹂
ミモザにお礼をいうと、霞のところに戻って九狼と一緒で構わな
い旨を告げる。
﹁本当ですか! ありがとうございます旦那様。これでちょっとは
いいところを見せられるかも知れません﹂
足元の九狼を撫でながら無邪気に喜ぶ霞。一瞬前まで耳モフのさ
れすぎでぐったりしていたとは思えない。
﹁じゃあ、怪我しないように頑張っておいで﹂
﹁はい!﹂
﹁気負わずにな﹂
﹁ぶちかましてやりなさいですわ﹂
﹁⋮⋮ん、頑張れ﹂
1758
﹁はい、ありがとうございます!﹂
﹁頑張ってね霞ちゃん﹂
﹁うん、いってくるね陽﹂
﹁霞、最初からですよ﹂
﹁わかってます、システィナ様﹂
皆に見送られてながら霞は前へと出る。
﹁よいところにいるようですね﹂
﹁はい! 私は幸せ者です﹂
﹁勝負は真剣ですよ﹂
﹁はい!﹂
﹁もうよいな! では始めぇい!﹂
たび
み
じりじりしながら成り行きを見守っていたイザクが右手を上げ三
度開始の合図をする。
そして、開始の合図とともにミモザの姿がかすむ。やはり速い。
ガウ!
﹁く!﹂
一瞬虚をつかれ、反応が遅れた霞をフォローするように動いた九
狼が、背後を取られそうだった霞を助ける。
﹁ありがとう、くーちゃん! やっぱりミモザさんは凄い。くーち
ゃん、最初から全力でいきます!﹂
ウォン!
1759
ミモザの猛攻をかろうじて1人と一頭で防ぎながら、霞は手に持
っていた短剣をいきなり投擲。まさか持っていた武器をこんなにす
ぐに手放すと思っていなかったミモザの反応が一瞬だけ遅れる。
﹁いきます。︻幻狼陣︼﹂
﹁⋮⋮これは﹂
霞の声が響くと同時に、ミモザから戸惑いの声が漏れる。ミモザ
は右から跳びかかってくる九狼の牙をかわしつつ、左からくる霞の
攻撃を避け、前から斬りかかってくる霞の攻撃を弾きつつ、後方か
らの九狼の爪を跳んでかわした。
そう、いまや訓練場には無数の霞と九狼がいてミモザに襲い掛か
っていた。
﹁ほう、凄いではないか﹂
﹁霞は幻術スキル持ちだからね⋮⋮でも、まさか九狼の幻まで生み
出すとはね﹂
﹁ですが、攻撃にすべて実体があるように見えるのはどうしてです
の?﹂
﹁⋮⋮攻撃に合わせてなにかを投げてる﹂
針⋮⋮か、幻影の攻撃に合わせて針を投げて実体を持たせること
で本物の霞と九狼を分かりにくくしているのか。
﹁なかなかやりますね、正直驚きました﹂
無数の霞たちに攻められながらも、しっかりと全ての攻撃に対応
しているミモザはさすがだ。霞もあれだけの幻を制御して、さらに
それに合わせて攻撃までしているんだから消耗も激しいはず。
1760
﹁ですが、まだまだです﹂
ミモザの速さのギアが一段あがる。あれだけの猛攻にさらされて
まだ全力じゃなかったか⋮⋮
ギャン!
﹁くーちゃん!﹂
﹁気配が消しきれていないから、せっかくの幻も目くらましにしか
なっていません。動きながらでももう少し隠密行動ができるように
なってください﹂
本体を見破られて下顎に蹴りを受け、弾き飛ばされた九狼に意識
を向けたことで集中が途切れ、幻術が解けた霞の背後にミモザが立
つ。
﹁ま、参りました⋮⋮﹂
負けちゃったか⋮⋮でも、いい勝負だった。霞の成長が見れて俺
は満足だ。
﹁ん∼残念。ちゃんと気配を消すように言っておいたんだけどな。
また鍛え直さないと、ね、ソウ様﹂
﹁いやいや、十分でしょ。ミモザさんが強すぎただけで⋮⋮って、
桜!﹂
いつの間にか俺の隣には腕を組んで戦況を見つめていた桜がいた。
1761
最後の勝負
﹁いつ戻ってきたの桜﹂
﹁うん? 霞の試合が始まった直後かな﹂
﹃ただいま馳せ参じました、我が主﹄
足元に柔らかい感触、いつの間にか一狼も到着していたらしい。
感謝の気持ちを込めていつもより多めにモフっておこう。
﹁そっか、お疲れさま。試合には間に合わなかったけど、結果的に
は霞の戦いが見られてよかったから、タイミングとしてはちょうど
かな﹂
﹁ん、なんだったら今からでも戦ってもいいよ、ソウ様。あのメイ
ドさんとの戦いはなかなか楽しそうだし﹂
俺の腕に胸を押し当てながらにこにこ微笑む桜に、苦笑しつつ俺
は首を振る。霞がひどい負け方をするようなら、桜に再戦をしても
らう必要もあったかもしれないが、あれだけの戦いをしてくれたの
なら十分だ。
﹁すいません、旦那様。負けてしまいました﹂
耳と尻尾を力なく伏せた霞と九狼が、しょんぼりしながら戻って
きた。
﹁ソウ様はよくやってくれたって喜んでたよ、霞﹂
﹁あ! 桜様、いらしてたんですね。見てらっしゃったんですか?
すいませんお恥ずかしいところを﹂
1762
﹁ううん、練習ではあんなにうまく幻狼陣は使えてなかったのに、
今日のは凄くよかったよ。さすがに気配のことまでは無理だったみ
たいだけどさ、相手が同じ斥候系じゃなければあれで勝負は決まっ
てたんじゃないかな﹂
﹁ありがとうございます。負けちゃいましたけど、私と陽ちゃんが
嫌っていた技術が、皆さんのためにお役に立てたり、こうしてただ
の腕試しとして競えるものなんだとわかって私は嬉しいです。それ
に孤尾族であんなに強い人がいたこともなんだか嬉しくて﹂
いつも物静かな霞にしては珍しく、随分と興奮気味でしょんぼり
していた耳と尻尾も今は元気いっぱいになりつつある。
﹁大丈夫、霞も十分強いよ。それに、これからもっともっと強くな
る。桜がばっちし鍛えてあげるからね、でも今日はよく頑張ったね﹂
桜がにこにこしながら、霞の頭を撫でる。くそ! 俺がモフろう
と思ってたのに先を越された。霞と陽は桜にとっては蛍に対する俺
の位置づけと同じ、いわば弟子だ。その弟子が確かな成長を見せて
いることが嬉しいのだろう。
﹁そうそう、見事だったよ霞。いつの間にかあんなことができるよ
うになっていたなんて、びっくりした。九狼もよくやってくれてい
るみたいでご苦労様﹂
九狼だけに⋮⋮⋮⋮あう! システィナの視線が生暖かい。幸い
口には出さなかったから、まだ誤魔化せる! なにごともなかった
かのようにしよう。
﹁さて、これであちらさんはどう出るかな? このあたりで納得し
てくれるといいんだけど﹂
1763
﹁うむ、ソウジロウのオヤジギャグに免じて引いてくれるとよいな﹂
﹁ぐは‼ ちょっと蛍、共感で人の恥ずかしい部分を掘り起こすの
やめてくれる?﹂
﹁ふん! いつになったら私の出番がくるのだ、ソウジロウ。霞だ
ってあのような立派な戦いをしているというのに﹂
あぁ、とうとう拗ねちゃったか⋮⋮蛍がこんな態度を見せるなん
て珍しいんだけど。
﹁がははははは! よくやった! さすがはミモザだ。みごとであ
った﹂
﹁お世辞はいりません。さっさと金貨10枚払ってくださりませ﹂
上機嫌なイザクとは対照的に、ミモザは無表情で手だけを伸ばし
て報酬を要求している。
﹁おお! そうであったな。ダイラス老、ミモザに払っておいてく
れ﹂
﹁ほっほっほ、今回の遠征に費用がどれだけかかっているのか知っ
ておるのじゃろう? 今すぐには払えんぞ﹂
﹁なに? ⋮⋮そうであったな。よし、では分割で頼む! ぐお!﹂
突然、うめき声をあげて蹲るイザク。どうやらミモザが足の指を
思い切り踏み抜いたらしい⋮⋮足の指とか鍛えられないから体重の
軽そうなミモザでも踏み抜かれたらかなり痛そうだ。
﹁10日間だけ待ってやるです。だから無事に遠征から帰ってくる
ですよ﹂
ふん、と鼻を鳴らしてミモザが訓練場から出て行く。⋮⋮あれも
1764
一種のツンデレ?
﹁任せておけ、我が街にふざけた真似をしてくれた奴らだ。ただで
はおかん﹂
ひとりで盛り上がっているところに申し訳ないが、桜も帰ってき
たことだしそろそろこの試合も終わりにして明日の準備にかかりた
い。俺はイザクに向かって声をかける。
﹁これで2勝1敗ですが、私たちの力は十分理解していただけたと
思います。明日は先日の条件どおりということでよろしいですね﹂
﹁むう⋮⋮﹂
イザクはまだ踏ん切りがつかないのか、俺の言葉に渋面を浮かべ
ている。ああ、もう面倒臭い! このままでも押し切れると思うけ
ど、ほっとくとあとが怖いし、もしものために取っておいた最後の
手札を切るか。
﹁ではこうしましょう。いま、私たちの要求を認めて下さるなら、
先日お約束した侍祭契約を結んだ上で私たちは行動します。ですが、
まだ納得いかないというのなら最後に領主みずから私たちの力を試
してみてください。ただし、その勝負に私たちが勝ったら迷惑はか
けないようにしますが、私たちは好きにやらせて頂きます。それで
いかがですか?﹂
﹁ほう⋮⋮だが、その条件には私が勝ったときの条件が含まれてい
ないようだが?﹂
腕の筋肉がぴくぴくと痙攣させ、やや紅潮させたその顔には獰猛
な笑みを浮かべるイザク。
1765
﹁必要ですか? その条件が﹂
﹁ぬぐ! いいだろう、受けて立つ! だが、私が勝ったときには
明日からの遠征は私の直轄の部隊に組み込ませて貰う。扱いも私の
部下だ、命令にも従ってもらうぞ﹂
﹁じゃ、そういうことで﹂
どうだ! と言わんばかりのイザクに条件に俺はあっさりと承諾
すると、怒りでふるふるしているイザクを無視して振り返り、蛍さ
んを見る。
﹁本当はなんだかんだであの領主が戦いに出てきそうな気がしてい
たから、蛍には待機して貰ってたんだよね。拗ねた蛍も可愛いけど、
やっぱり笑って欲しいからね。向こうが言い出す前にこっちで引き
ずり出してきたよ﹂
﹁でかした! ソウジロウ﹂
﹁うぶ!﹂
おお⋮⋮こうして外で抱きしめられるのは、この世界に来た日以
来かも。相変わらず反則的な柔らかさだ、あまりの気持ちよさに意
識が遠くなる。
﹁ちょっと! 山猿! 主殿がぐったりしてますわ! いい加減離
しなさい!﹂
﹁おお! すまんなソウジロウ。つい嬉しくて力が入ってしまった。
勝負については、安心しておけ。きっちり決めてきてやるからな﹂
あ、危ない⋮⋮気持ちよくて抵抗するの忘れてた。
﹁し、勝負については心配してないよ。これで蛍が勝ってくれれば
自由に動けるようになるし、楽しんできて﹂
1766
﹁任せておけ﹂
1767
蛍無双
﹁任せておけ﹂
そう言って胸を張った蛍のたわわなモノが揺れるのを目で追いつ
つ、イザクがどの程度戦えるのかを考える。蛍が戦うならまず問題
はないと思うが、イザクがシャアズよりも強いようだと苦戦はする
かもしれない。
見た目は完全にガチムチの脳筋タイプだから力はあるのは間違い
ないし、身のこなしにも鈍重なものは感じないからそこそこフット
ワークも軽いかも知れない。どんな武器を使うかがわかればもう少
し戦い方の予想がつくんだけど、いまのところ武器が身近にあるよ
うには見えない。
﹁ソウジロウ、どんなに真面目な顔をしていても視線の先が私の胸
では全部台無しだぞ﹂
ごもっとも。改めてイザクを見ると後方の兵士たちが3人がかり
で長槍を持ってくるところだった。
﹁でか! ものすごく大っきい槍だよ、ソウ様!﹂
イザクが手にしたのは長身のイザク自身を上回る長さの槍、柄の
太さも通常の槍の二倍はあろうかという豪槍。たぶんだけど素材も
全て魔材を使ったとんでもない槍だ。ちょっと鑑定してみるか⋮⋮。
﹃巨神の大槍︵封印状態︶
ランク : C
1768
錬成値 MAX 技能 :頑丈︵極︶
豪力
突補正
所有者:イザク・ディ・アーカ ﹄
﹁あ⋮⋮﹂
﹁どうされました? ソウジロウ様﹂
﹁うん、あの槍﹃巨神﹄だ﹂
﹁え? 主塔を倒したときにドロップする武器がレイトークに?﹂
システィナが驚くのも無理はない。この世界にはまだ三つしかな
いはずの巨神シリーズのうちの二つとこんなに立て続けに遭遇する
とは俺だって思わなかった。
﹁イザクさんが持っている理由はわからないし、どうでもいいけど
手強いのは間違いなさそうだね﹂
﹁なあに、問題ない。槍相手なら腐るほどやったからな﹂
﹁一応、頑丈と豪力と突補正があるからそれだけ頭にいれておいて
ね﹂
蛍はひらひらと手を振りながら訓練場の中央へと歩いていく。同
時に大槍を手にしたイザクも、あの大槍を片手でくるくると回しな
がら前へと出てくる。顔に浮かべた笑みがちょっと怖い。
﹁私の相手はお前か⋮⋮初めてフジノミヤと会ったときから気にな
っていた。隙のない身のこなしと、身を纏うただならぬ気⋮⋮お前
こそがフジノミヤの切札。そうだな?﹂
﹁くっくっく⋮⋮切札か。確かにいま、我らの中で一番強いのは⋮
⋮自惚れではなく私だろうな。だが、切札というならそれは間違い
1769
なくソウジロウだぞ﹂
イザクの指摘に蛍は肩を震わせながらとんでもないことをさらっ
と言う。いやいや俺が切札とか有り得ないから!
﹁ほう⋮⋮確かにそこそこ強いとは見ているが、とてもそれほどの
力量があるとは思えぬが?﹂ ﹁それは見る目がないな。変種の階層主にとどめを刺したのも、赤
い流星という盗賊団の首領を討ち取ったのもソウジロウだ。最後の
最後に美味しい所を持っていくのが切札なのではないか?﹂
美味しいところを持っていくって⋮⋮どっちも必死でそんなつも
りはまったくありませんでしたが? という俺の内心に誰も斟酌す
る人はもちろんいない。それどころかそれを聞いたイザクは一瞬だ
けきょとんとしたあと、豪快にがはははと笑い出した。
﹁ほう、あの盗賊団の首領を倒しのたのはフジノミヤだったのか。
それは確かに! 確かにお前の言う通りだ! 切札なんてものは最
後の最後にちょろっと出てきて美味しいところ掻っ攫うものだ。だ
が⋮⋮﹂
﹁ああ、そうだ﹂
﹁お前は切札などではなく、常に戦いの中にいたいという訳だな﹂
イザクの不敵な笑み⋮⋮後ろからは見えないが、きっと蛍も同じ
ような笑みを浮かべているのだろう。
﹁魔法は使うか?﹂
﹁少し⋮⋮な﹂
﹁使っても構わんぞ﹂
﹁魔法が使えるようには見えんが?﹂
1770
﹁私はちょっと特殊でな。魔力量が人並み外れて多い。だが、それ
を形にするのが苦手でな⋮⋮身体の周囲に垂れ流している﹂
え⋮⋮ちょっと俺と似ているとか思ったけど、全然違う。この世
界の人って確か、大なり小なり魔力があって自然とそれを身体の周
囲に出してるんだったよな。で、それが自然と身体をブーストして
るってディランさんが言っていた。俺の場合は魔力が多くても、そ
れが出来ない。でもイザクは出来る⋮⋮それって。
﹁これは⋮⋮なかなかですわね﹂
﹁葵?﹂
﹁あの筋肉から濃密な魔力が、本当に垂れ流されていますわ。あれ
だけの魔力が身体に及ぼす影響⋮⋮ちょっと考えたくありませんわ﹂
﹃筋肉怖いですわ、主殿﹄と訳のわからないことを言いながら俺
に腕を絡めてくる。まあ、それはそれとして⋮⋮つまりイザクは身
体強化系の魔法を常時発動しているような状態ってことか。だから
こそ、重量軽減もついていないようなあの大槍を、ああも軽々と扱
えるのか。
﹁なるほど、過剰な手加減はいらなそうだな﹂
﹁ぐぬ! ⋮⋮私は女だとて油断も手加減もせぬ。グレミロ! 合
図をせよ﹂
﹁は、はっ! それでは⋮⋮始め!﹂
どん! グレミロ近衛隊長の合図とともに聞こえたのはそんな音だった。
1771
イザクが大槍を構えて踏み込んだ音、離れていても腹の底に響くよ
うな踏み込みと長い間合いを活かしてイザクが鋭い突きを連続で繰
り出す。
蛍は蛍丸を手にしているものの、それで受けようとはせずにその
力強い突きをひらりひらりとかわしている。ひるがえる裾や袖の動
きと合わさり、まるで舞っているかのようだ。
﹁ぬん! ふん! は!﹂
だが、いざ戦闘に入ったイザクは驚くほどに冷静だった。自分の
攻撃がまったく当たらないことにも動揺を見せず、淡々と攻撃を繰
り返していく。普通はあれだけ攻撃が当たらないとムキになったり、
焦ったりするもんなんだけど⋮⋮俺がそうだし。
﹁ほう⋮⋮なかなか﹂
蛍が戦いを楽しんでいるのが共感を通して伝わってくる。どうや
らイザクとの戦いは蛍を満足させられるくらいのレベルにあるらし
い。
イザクはその間も攻撃の手を休めない。あれだけ重そうな大槍を
扱っているのに、試合開始から一度も動きを止めないそのスタミナ
は正直凄い。
突き、突き、突き、払い、突き、突き、払い、突き。
その攻撃を危なげなくかわし続ける蛍はもっと凄い!
﹁ふ!﹂
イザクの攻撃をかわしていた蛍の動きが変わる。突きをかわしつ
つ前へと進み、間合いを詰めていくのだ。間合いを詰めていくとい
うことは相手との距離が近くなるということで、どんどんかわすの
1772
が難しくなるはずなんだけど⋮⋮
ひらりひらりと大槍をかわしながら蛍が近寄っていけば、今度は
大槍の間合いでは戦いづらくなる。イザクは距離が近くなってきた
のを感じると大槍の持ち手をいつの間にか中ほどに持ち替え、突き
主体の攻撃から払い系の攻撃に変化していく。
まるで体に大槍が巻き付けられているかのように槍先と石突が交
互に位置を入れ替え、接近する蛍をあらゆる角度から攻撃が襲う。
さすがの蛍もここまで間合いが詰まると避けるだけという訳にはい
かなくなり、蛍丸を使って受け流していく。
﹁く⋮⋮﹂
そして、さすがのイザクもここまで接近されてまで有効打がない
となれば平静ではいられず多少は揺れる。そして僅かでも平静さを
欠けば⋮⋮
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
僅かに大振りになったイザクの大槍を後押しするように蛍丸で打
ち据えられ、態勢を崩したイザクの首元に蛍が切っ先を突き付けて
いた。
1773
決闘終了︵前書き︶
リアルでばたばたしてて遅れました︵ただの言い訳ですW︶
1774
決闘終了
﹁なかなか見事な槍捌きだった。私がいままで戦った槍使いの中で
も五指に入る腕だ﹂
﹁ぐぐ⋮⋮﹂
片膝をついた姿勢で切っ先を突き付けられているイザクが、獣の
ようなうめき声を漏らす。そんなイザクを見て小さく微笑んだ蛍は
刀を引き、ゆっくりと戻ってくる。その顔は満足気だから、やっぱ
りイザクは強かったんだろうと思う。
俺だったらあの槍の猛攻をかいくぐって攻撃するのはちょっと厳
しい。魔法でも使えれば遠距離からの攻撃を絡めて崩していくとい
う作戦も使えただろうけど、魔法が使えない俺の場合は獅子哮の気
弾を使うしかない。だが、あれの攻撃力はそう高いものじゃないか
ら、それだけだとちょっと威力が足りない気がする。
﹁お疲れさま、楽しかったみたいだね﹂
﹁うむ、もう少し戦っていたかったが相手は領主のうえに、いまは
大事の前だ。この程度にしておかんとな﹂
﹁蛍姉様も凄いです!﹂
﹁ぜひ私にもあの動きを教えてください蛍様﹂
けもみみ
大きな胸を揺らしながら機嫌よく笑う蛍に、霞と陽が賞賛の言葉
をかけている。ふたりのふさふさの獣耳をモフっている蛍を見てい
ると、本当に楽しそうで人化できるこの世界にこれて本当によかっ
たとつくづく思う。
1775
﹁ソウジロウ様、さすがにこの期に及んで駄々をこねるとは思いま
せんが、しっかりと言質を取りに参りましょう﹂
﹁了解、という訳でちょっと離してくれるかな? 葵、桜﹂
俺の腕に抱きついたままだったふたりをやんわりと引きはがすと、
システィナと一緒にイザクたちのところへと向かう。どうやらイザ
クも話をする気になっているらしく、両脇にグレミロとダイラスを
控えさせ直立不動で待ち構えていた。その前へ俺とシスティナは並
んで立つ。
﹁今回の勝負は3勝1敗で私たちの勝ちということでよろしいです
ね﹂
﹁⋮⋮やむをえまい、ここまでこてんぱんにされては言い逃れなど
できぬ。だが﹂
﹁わかっています。レイトーク軍と聖塔教の戦いに迷惑がかかるよ
うな行動はしないように最善を尽くします﹂
イザクはそれを聞いて重々しく頷くと、盛大なため息をついた。
﹁お前たちの実力はよくわかったが、無理はするなよ。お前たちの
・・・・
ような実力者を失いたくないというのは嘘ではない﹂
﹁ありがとうございます。私にもまだまだやりたいことがたくさん
ありますのでこんな戦いで死ぬつもりはありません﹂
やりたい、あたりでちらっとシスティナに意味ありげな視線を送
ったら、なにを想像したのかシスティナが顔を赤らめていた。あと
でじっくりと、なにを考えたのか問い詰めてやろう。
﹁いいだろう、攻撃は夜陰に紛れておこなう。それまではお前たち
も奴らに見つかるようなヘマはするなよ﹂
1776
﹁わかりました、それではご武運をお祈りいたします﹂
﹁そちらもな。あとはできればの頼みだが、戦いのあとはうちの治
療師では手に負えない怪我人が出ている可能性もある。そちらの侍
祭の力を借してもらえるとありがたい﹂
イザクが俺に向かって深々と頭を下げる。戦闘についてはなかな
か負けを認めない頑固な領主だが、自分の部下や領民のためになら
素直に頭を下げられるというのは高評価だ。だが、それを決めるの
は俺じゃない。
﹁システィナ﹂
﹁はい、私で良ければ手伝わせて貰います。ただ、こちらの案件が
終わってからになると思いますので、怪我の程度に合わせて患者を
分けて、重傷者はとにかく延命を心がけるようにしてください﹂
﹁む! なんだかわからぬが、協力してくれるということだな。感
謝する﹂
イザクはよく分かっていないようだけど、システィナが指示して
いるのは地球での医療の知識だ。たくさんの患者がいたときに、そ
の怪我などの程度ごとに患者を分けることで治療を効率化するとか
っていう、確かドレナージとかトリアージとかっていうやつ。叡智
の書庫で地球の医療知識まで身に付けつつあるシスティナの回復術
は、その効果が日々増しているらしい。
﹁ダイラスさん、システィナの言葉の意味が分かりましたか?﹂
﹁うむ⋮⋮わかっておる。怪我の程度を判断して治療する順番を決
めておけばよいのであろう﹂
うん、イザクはあてにならないけどダイラスさんが分ってくれて
いればいいだろう。
1777
﹁では、私たちはこれで。明日の準備もありますので﹂
イザクに小さく頭を下げると俺たちは連れだって訓練場を出る。
このあとはフレスベルクに戻って明日必要になりそうなものを買い
集める。
アイテムボックスがあるんだから、水魔石の水筒も人数分欲しい
し、なにがあるかわからないから薬や食料も各自で持っておきたい。
それに、なにより明日の移動のために馬が欲しい。
普通に移動すれば一日かかるくらいの距離らしいから、歩いてい
くなら今日中に出る必要があるけど馬があれば明日の朝の出発でい
い。もともと馬は買おうと思っていたし今回の件はちょうどいい機
会だと思う。ただ、俺はまだ練習してないからひとりじゃ乗れない
し、高い買い物だからふたりで一頭? 俺とシスティナ、蛍と霞、
雪と陽、桜は多分走ったほうが早そうだから、今回は我慢してもら
って3頭くらい欲しい。
そのへんの心づもりを歩きながら皆に伝えたけど、方針について
は前もってある程度話し合っていたこともあり、誰からも反対意見
はなかった。
﹁じゃあ、水筒とか消耗品の買い出しにはシスティナと霞、陽と⋮
⋮あとは蛍にもお願いしようかな﹂
﹁はい、わかりましたお任せください﹂
﹁はい旦那様﹂
﹁了解です兄様﹂
﹁うむ、いいだろう﹂
転送陣でフレスベルクに移動したあと、備品の買い出し班として
侍女トリオと、必要ないと思うけど一応の護衛として蛍を指名して
1778
別れる。
システィナたちと別れ、半分に減った俺たちも目的地に向かって
フレスベルクを歩く。
﹁ということはわたくしたちが馬を買う班ということですわね﹂
﹃私がもう少し大きければ我が主を乗せていけるのですが⋮⋮申し
訳ありません﹄
いやいや、進化してかなりサイズアップしているとはいえ、さす
がに狼である一狼にそこまでは求めないから大丈夫。いじらしいこ
とを言ってくれる一狼を優しく撫でてやる。
﹁そうだね、俺と葵はテイム系のスキルがあるし、雪も馬に乗れる
かどうかは試してみないとわからないだろうしね﹂
﹁⋮⋮たぶん乗れる﹂
雪がちょっと不機嫌そうにしながら宣言してくる。加州清光でも
ある雪なら馬に乗った経験がありそうだから、おそらくその通りだ
とは思うけど地球とは重力も違うし、正式には馬じゃなかったりす
るだろうから念のためだ。
﹁うん、それを一応確認しておこう﹂
﹁あれ? じゃあ、桜は?﹂
﹁桜は⋮⋮特に理由はないよ。あえて理由をつけるなら、昨日から
ずっとひとりで頑張ってくれてたし、俺が近くにいて欲しかっただ
け﹂
﹁え? ⋮⋮だからソウ様大好き!﹂
満面の笑みで桜が横から抱き付いてくる。薄手の忍び装束ごしの
柔らかい感触が心地いい。きっと今まで桜は薄暗い森の中とか建物
1779
の陰とか、そういう暗い場所で一生懸命偵察をしてくれていたはず
なので少しでも労ってあげたい。
﹁桜さんはよく頑張っていますわ。わたくしの力では協力できない
のが心苦しいくらいですもの﹂
﹁そんなことないよ葵ねぇ。葵ねぇはその代わり桜にはできない属
性付与ができるんだから。ソウ様はちゃんとわかってくれてるよ﹂
﹁⋮⋮確かに桜さんのおっしゃるとおりですわ。昨晩もそれはもう、
熱く激しく労ってくれましたわ﹂
﹁ちょ、ちょっと! こんな往来でなにを言い出すつもりかな?﹂
たくさんの人が歩く往来なのに、恥ずかし気に頬を染めながら昨
日の錬成模様を話し出そうとする葵を慌てて止める。
﹁あら、失礼いたしました﹂
どうやらわざとやっていたらしく、慌てる俺を見て楽しそうに笑
う葵。最年長なのに葵はこういう子供っぽいことをよくするんだよ
な。可愛いからいいんだけど。
﹁それで、どちらで馬を買われるのですか? 主殿﹂
﹁それなんだよね、システィナに買い出しをお願いしちゃったから
お店も値段交渉もさっぱりだなんだよね﹂
﹁あ、そう言えばそうだね。どうするのソウ様﹂
俺は心配する桜の頭を撫でながら心配はいらないと笑って見せる。
﹁困ったときは⋮⋮⋮⋮ウィルえもんに頼む!﹂
1780
マリス︵前書き︶
すいません、かなり遅れました。
1781
マリス
﹁馬ですか? いいですよ、ご案内します﹂
冒険者ギルドで忙しく働いていたウィルさんに、馬車を引いたり
するラーマではなく、領主軍が使っているような馬が欲しいので店
を紹介してほしいと伝えるとあっさりとそんな答えが返ってきた。
さすがはウィルえもんだ。
﹁いえ、忙しいのに案内まではさすがに申し訳ないです。店の場所
と相場だけ教えていただければ自分たちでいきますよ﹂
﹁そんなことおっしゃらずにご案内させてください。おかげさまで
ギルドもだいぶん軌道に乗ってきましたので、立ち上げ当初のとき
ほど忙しくはありませんので﹂
確かにギルド内を見回すと、変わらず人は多いがカウンターに並
んでいる人は少なく、イライラしているような冒険者はいないし、
職員にもバタバタした感じはないのでうまく回っているということ
がわかる。それなら、厚意に甘えてもいいか⋮⋮正直いえば売買の
エキスパートに同行しもらえるのは助かる。
﹁すいません、ではお言葉に甘えます。ちょっと急な話で、できれ
ば今日中に入手したいのですが大丈夫でしょうか?﹂
﹁今日中ですか! それはまた急ですね。となると牧場に見に行っ
て選ぶというようなことは難しいと思います。現在店にいる馬で良
ければその日の受取は可能なはずですよ﹂
なるほど、全ての馬が店にいるわけじゃなくて、馬を繁殖したり
1782
育てたりする場所が別にあるのか。今日中ってことになるとそっち
まで行って、自分の目で吟味して好きな馬を選ぶようなことをする
時間はないと。あんまりいい馬が店にいないようならレンタル的な
ものも考えたほうがいいかもな。
﹁あんまりいい馬がいないようでしたら、馬を借りるとことも考え
ます﹂
﹁それがいいかも知れませんね、ただ店の方も商売です。店に置い
てあるのは優秀で値がはる馬ばかりだと思いますよ﹂
つまり店頭で、うちではこれだけいい馬を育てていますとアピー
ルして、たださすがにこれは少し高いので牧場にいけばお手頃価格
のいい馬がいますよ、と売り込むわけか。それなら金に糸目をつけ
なければいい馬を即日で買える。
﹁わかりました。では案内をお願いいたします﹂
﹁はい、お任せください⋮⋮ただ﹂
にこやかに快諾したウィルさんが、視線を足元の一狼へと向ける。
一狼たちには屋敷で会っているはずなので今さら驚くはずもないは
ずだけど。
﹁一狼さんたちは従魔ですよね。ということはどなたかがテイム系
の技能をお持ちだということ⋮⋮それなら、ちょっと先にご案内し
たいところがありますので、そちらへ案内させて頂いてよろしいで
しょうか?﹂
ウィルえもんのお勧めなら俺に断る理由はない。
◇ ◇ ◇
1783
﹁こちらになります﹂
ウィルさんに案内されたのは、馬や馬車を売っている区画よりも
さらに街の外れにある大きな厩舎がある店だった。
﹃魔物の臭いがします、我が主﹄
店に近づいたときに一狼が警戒の唸りを上げる。つまりはそうい
うことか⋮⋮
テイマー
﹁気がつかれましたか? そうです。ここは魔物使い系の職を持つ
者たちが共同で運営している店です。テイムできる魔物は比較的知
能が高いものが多いですから、ある程度口頭での指示もできますし、
体力も力も強いので強行軍にも耐えられます。それに、馬ほど丁寧
な世話を必要としないので管理も楽です。欠点としては魔物使いが
テイムしてくるので、入荷が安定せず希少性が高くなって値段が高
騰しがちです。あとは魔物の種類にもよりますが、魔物が食べる餌
によっては食費が高くなってしまいます。つまり、馬やラーマより
管理は楽で能力に優れているが、お金がかかるのが従魔ということ
ですね﹂
お金か⋮⋮葵の擬人化の時にほとんどの資金を使い果たして、赤
い流星の討伐報酬でまとまったお金をもらったけど、それからは塔
で得たランクの低い魔石を売っているだけなんだよな。
霞、陽、雪と家族が増えて、いろんな物を買い足したりしたし、
食費は日々増加中。値段は知らないけど、最初に売ったラーマの値
段から推測するに馬3頭くらいはまだ全然平気なはずだけど、従魔
を3体増やすとなると厳しいかも知れない。もちろん値段次第だけ
ど⋮⋮。
1784
﹁あの⋮⋮フジノミヤ様。もしかして代金のことで心配成されてい
ますか?﹂
﹁え、あ、いや⋮⋮はい。お恥ずかしい話ですが、うちも大所帯に
なってきましたので﹂
俺のファンと広言してくれているウィルさんにこんなことを言う
のは情けないが、いざ支払いの時に恥をかくよりは正直に言ってお
いたほうが傷は浅い。
あぁ、ウィルさんが呆れたようなため息を漏らしている。幻滅さ
れてしまったかも⋮⋮でも、そもそも出会いからして借金だったん
だから今さらといえば今さらか。
﹁違います。私が呆れているのはあなたの自覚のなさです﹂
﹁は? なにかありましたっけ?﹂
﹁フジノミヤ様、あなたたちが腰につけてらっしゃるものは莫大な
利益を生むとディランさんたちから説明を受けませんでしたか?﹂
﹁あ⋮⋮そういえば言われてましたね。あんまり実感がないので忘
れてました﹂
﹁はぁ⋮⋮わかりました、もう結構です。とにかく、お金のことは
心配しなくても大丈夫です。この場は私が立て替えておきますから﹂
﹁いや! それは申し訳ないです。返せなかったら困りますし﹂
﹁構いません。回収できるのは間違いありませんから! むしろそ
れの委託販売にベイス商会を噛ませていただけるとのことで、こち
らからお金を支払っても構わないくらいです!﹂
⋮⋮おお、なんだかウィルさんが怖い。
﹁ふふふ、主殿。金銭や名誉に執着しないのは主殿の美点ですが、
商人でもあるウィル殿にしてみれば商機にこだわらない主殿はちょ
1785
っと歯がゆく見えるのですわ﹂
﹁エロいことにはあんなに貪欲なのにねぇ、ソウ様﹂
こらこらウィルさんの前でそんなこと言うんじゃありません。ち
・・
ょっと顔を赤くしてらっしゃるじゃありませんか。っていうかウィ
ルさんてば意外とうぶだな、まだ独身だったっけか。
﹁ん、んんっ! とにかく! まずは店内に入りましょう﹂
強引に話題を戻したウィルさんに案内されて店内に入ると、ざわ
ついていた店内がしん、と静まり返る。ものすごいたくさんの視線
を感じる。だけどこれ⋮⋮人じゃない。
・・・
入り口から奥へと続く通路の両脇にいくつも作られた大小さまざ
まな二段重ねのケージ、その中にいるなにかたちからまるで品定め
をされるかのような視線を一斉に向けられている。
﹁いらっしゃいませ! あ、これはベイス商会の若旦那。っと、今
は冒険者ギルドのギルドマスターとお呼びしたほうがいいですかね﹂
気安い感じで話しかけてきたのは、日本の牧場で働く職員のよう
な作業着を着て眼鏡をかけた小柄な少女? だった。ぼさぼさで赤
茶けた短い髪を、それでも邪魔なのか前髪やサイドなどで無造作に
紐で縛り、汚れた顔で白い歯を見せて屈託のない笑顔を見せている。
服装のせいもあってか胸の大きさはよく分からないがたぶん小さ
い。身長は桜と同じくらいか⋮⋮顔立ちは整っているような気もす
るから、綺麗に汚れを落としてちゃんとした服を着れば可愛くなる
んじゃないだろうか。
﹁相変わらずですね、マリスさん。私のことは普通に名前で呼んで
1786
くだされば結構ですよ。フジノミヤ様、彼女がこの店の店長、マリ
ス・ベイスです﹂
﹁え、ベイス? ですか﹂
﹁はい、といっても親戚という訳では無いのですが﹂
なぜか苦笑しつつ歯切れの悪いウィルさんを見て、にゃははと笑
い声をあげたマリスさんがぼりぼりと頭を掻く。
﹁うちは養子みたいなもんです。ベイス商会の大旦那様は優れた技
能があるのに、それを活かせない人たちを積極的に支援してくれは
るんです。その中で身寄りが無かったりして後ろ盾が得られないよ
うな子たちには、うちのようにベイスの名前をくれるんです﹂
﹁名目上はそういうことになってますが⋮⋮事実はわかりません。
父も若いころは修行のために行商に出ていました。その頃は⋮⋮あ
の、その、ほうぼうで⋮⋮﹂
﹁にゃはは、確かに大旦那様がベイスの名を与えた子らは、若旦那
の言う通り大旦那様の現地妻の子って噂もあります。うちも本当の
ところはわからんのですけど、小さいころに亡くなった母はなにも
言ってませんでしたし。ただ、母が亡くなってからわりとすぐにベ
イス商会の人が様子を見に来たんでそういうこともあるかも知れま
せん﹂
マリスさんが明るく笑いながら、どこか方言を思わせるイントネ
ーションでそんなことをさらりと言う。まあ、アノークさんは今で
もナイスなおじさまだから、若いころはさぞモテただろうことは想
像できる。そんなことがあってもおかしくないかも、ただもしそう
だとすれば感心なのはその現地妻たちのことをその後もちゃんと気
にかけていたふしがあることだ。でなきゃ、マリスさんのお母さん
が亡くなってすぐに⋮⋮なんてことはないだろう。
1787
﹁それよりもこの子! なんですかこの子! 初めて見る魔物です
! 見た感じウルフ系なのに、ウルフ系で白い毛ぇの子なんて見た
ことないですし、この大きさ⋮⋮なんて立派な狼! しかもものご
っつう別嬪さんやわぁ﹂
﹃わ、我が主! な、なんなのですかこの娘は! や、やめ⋮⋮﹄
一狼に気が付いたマリスさんが驚くほどの素早さで一狼に抱き付
いて、激しくモフっている。それにしても見ただけで一狼が雌だっ
てわかるんだなぁ⋮⋮さすが魔物を売る店の店長さんだ。
﹁いい加減にしなさいマリス。今日は私たちはお客として来ている
んですよ。フジノミヤ様に失礼でしょう﹂
﹁あ⋮⋮すいません。珍しい従魔を見るとつい﹂
ウィルさんにたしなめられたマリスさんだが、口では謝りながら
も一狼をモフることをやめる気配はない。
﹃く⋮⋮この娘、ただものでは⋮⋮我が主に匹敵するほどの⋮⋮い
や! 我が主はよい臭いがするのだ。こんな臭い娘など⋮⋮あぁ、
く﹄
一狼が悶絶している⋮⋮おそるべしマリスさん。それにしても確
かにちょっと臭うな。女の子相手にそんなこと言わないけど、磨け
ば光りそうだし機会があればうちの温泉に一度入れてあげたいもの
だ。
﹁主殿⋮⋮わたくし、この品定めされるような視線が我慢なりませ
んわ。ちょっとかましてあげてもいいでしょうか﹂
﹁⋮⋮ん、不快﹂
1788
あぁ、確かに。入ってからずっと中の従魔たちからの値踏みされ
ているような視線は絡みついたままだ。俺は別に気にならないけど、
葵や雪にはとても不快に感じるらしい。
﹁うちにくるかも知れないんだからやり過ぎないようにね﹂
﹁承知してますわ﹂
﹁⋮⋮ん﹂
1789
マリス︵後書き︶
そして、まだ5章終わりませんでした。もう少しお付き合いくださ
い。
1790
半馬の王
俺からの許可を得た葵と雪は、一狼に縋りつくマリスさんとそれ
を引きはがそうとしているウィルさんを尻目に店内に数歩踏み込む。
そんなふたりを見守るのは、許可はしたもののやり過ぎるんじゃ
ないかと不安がぬぐえない俺と、完全に面白がって隣でわくわくし
ている桜だ。
うしろから一狼の艶めかしい声とウィルさんたちの言い争う声が
聞こえてくるが、とりあえず放置。心の中で一狼にごめんと謝って
おく。
﹁それでは雪さん、最初はお願いしてもいいかしら?﹂
﹁⋮⋮わかった﹂
小さく頷く雪。
雪は見た目はクールな白髪美人お姉さま系なのに、あまり長い言
葉を話さないせいか口調は妙に幼く感じる。そのギャップがまたぞ
くっとするほど魅力的なんだけど⋮⋮早くデレてくれないものか。
まあ、そのためには俺が頑張らなきゃいけないんだが。
明日の討伐が終わったらもう少し訓練時間を増やすかな。
そんなことを考えている俺たちの前で、いつのまにか居合いの構
ぶしつけ
えをとっている雪。そして、なぜか周りの温度が急激に下がったよ
うな錯覚を覚える。どうやら不躾な視線を向けてくる魔物たち全部
に殺気を放つつもりらしい。スキルとして顕現している雪の︻殺気
放出︼は前にギルドで一度使ったことがある。
1791
そのときはまだ雪は刀の状態でスキルの効果は劣化していたが、
その条件で使っても戦闘慣れしている冒険者たちがビクッとして半
歩あとずさるくらいだった。
たぶん雪が本気でスキルを使ったら、気の弱い人なら泡を吹いて
気を失うかも知れない。野生の動物とかと比べると、本能的な危機
察知能力に鈍い人間ですらそうだとすると⋮⋮。
﹁⋮⋮殺﹂
﹃ギャギャギャァ!﹄﹃キーキー!﹄﹃グゲァ!﹄﹃グルルゥゥゥ
!﹄﹃キャイン! キャイン!﹄﹃ブルゥオオオオ!﹄﹃ガァァ!﹄
﹃ウキュー!﹄﹃ババババァァァ!﹄﹃ボフォォォォオォ!﹄﹃ド
ゥドゥドォ!﹄﹃ククウゥー!﹄
ガン! ガン! ガチャガチャ! バサバサ! ドン! ドン!
まあ、こうなるよな。
﹁ちょ、ちょっと! 皆、どないしたん? ちょっと落ち着いてや
!﹂
突然パニック状態になった魔物たちを見て、さすがに一狼をモフ
っている場合じゃなくなったらしいマリスさんが慌てて従魔たちに
声を掛ける。だが、雪の殺気にあてられた魔物たちはテイムされて
いるにも関わらずマリスさんの指示に従わない。
﹁さすがですわ雪さん。あなたも心配いりませんから下がっておい
でなさい﹂
雪と入れ替わるように前に出た葵が、慌てふためいているマリス
1792
さんを押しのける。
﹁え? え、なに? どないなってん? な、なんですの若旦那。
ちょっと離してください﹂
現状が把握できずにおたつくマリスさんを、強引に引っ張ってい
くウィルさんは期待に満ちた目をしながら俺にサムズアップしてい
る。いったいなにをご期待で?
なんにせよ邪魔者がいなくなったということで葵は、にぎにぎし
い厩舎内でゆっくりと腕を組んで胸を張る。形の良い胸が押し上げ
られ胸元から溢れだしそうになるが、葵は気にせず僅かに顎を上げ
ると厩舎全体を見下すように睥睨した。そして、静かに口を開く。
﹃お静まりなさい﹄
まさに劇的だった。︻威圧︼スキルによって紡がれた静かな言葉
は、明らかに一瞬前までの喧騒よりも小さい音量だったにも関わら
ず、厩舎内に染みわたるように響く。その声を聞いた魔物たちはビ
クッと体を震わせると口を閉じ、動きを止めた。
厩舎に耳が痛いほどの静寂が満ちる。その様子に満足気に頷いた
と
ひれふ
葵は組んでいた腕を解き、右手を目の前へと伸ばす。
﹃高貴なるわたくしの前に疾く平伏しなさい﹄
ズザザ!
立て続けに︻高飛車︼のスキルが発動されると、大小様々な地摺
りの音とともに魔物たちが一斉に床に這いつくばり頭を下げた。
⋮⋮なんというか圧巻の眺めだった。 1793
︻威圧︼で相手を萎縮させ、間髪を入れずに︻高飛車︼スキルで
上から相手を抑えつけて心を折る。そして心を折られた魔物を︻唯
我独尊︼の支配下に入れてテイムする。葵のこのコンボは決まると
多くの魔物を一気に支配下における。でも最近わかったんだけど、
葵の性格的なものなのかどうなのか実は最初の︻威圧︼が効きにく
い。
二狼たちのときは、主であったシャドゥラに俺たちごと一緒に魔
法で焼き尽くされそうになって、すでに心が折れかけていたから効
果が高かった。そのときの経験から、今回は雪の︻殺気放出︼でま
ず恐怖を与えて動揺させコンボを決める下地をつくったということ
だろう。
値踏みするような視線を向けていた魔物たちに一発かました葵と
雪は、お互いに目と目で健闘を称えあっているいるようだ。
﹁な! そんな⋮⋮私たちの従魔がこないに簡単に、根こそぎ支配
を奪われるなんて﹂
ちょっと異性である俺が見てはいけないんじゃないかと思うほど
に、だらしなく口が開いたまま唖然とした表情をしているマリスさ
ん。
まあ、無理もない。普通のテイムは基本的にスキルぶっぱの運頼
みか、戦って勝ってからスキルでゲットのポケ〇ン方式のどっちか
が基本。そして、そのどちらも1対1が原則らしいから葵のように
複数を一気にテイムするようなスキルは初めてなのだろう。
﹁フジノミヤ様とそのパーティ、新撰組の方々は凄い人たちなので
す。マリス、あなたにもわかったでしょう? わかったらちゃんと
失礼のないように応対してください﹂
1794
ふふん、という鼻息が聞こえてきそうなくらい得意気なウィルさ
ん。俺たちのことを自慢できるのがそんなに嬉しいんだろうか。ま
あ、最近お世話になりっぱなしだし、こんなことで喜んで貰えるな
ら俺もありがたい。
﹁はぁ⋮⋮なんかようわかりませんけど、常識外れな人たちやって
のはわかりました。これってちゃんとうちらに支配権かえしてくれ
るんやろか﹂
なんだかどんどんインチキ関西人のような言葉遣いに変わってい
くマリスさん。まあ、俺の︻言語︼スキルが勝手に変換しているん
だろうけど⋮⋮ようはこの世界の中での方言のようなものをマリス
さんは使っているってことなんだろうな。
﹁マリスさん、心配しなくても用事が済めば解放しますから﹂
﹁そうですか、ではよろしゅうに。そいで、今日はなにをお探しで
?﹂
﹁マリス、フジノミヤ様は騎乗できる従魔をお探しです。なにかよ
い魔物は入荷していませんか?﹂
﹁騎乗できる従魔となると離れですね、案内します﹂
俺たちに不審な目を向けつつも、ウィルさんの手前、仕事をする
ことに決めたらしいマリスさんが床に伏せたまの魔物たちの間を歩
いていく。
奥に扉があるのでその先が大きめの魔物を管理している場所とい
うことかも知れない。
マリスさんに連れられてその扉に向かっていると、扉の向こうか
ら缶ぽっくりで歩いてくるような音が聞こえてきてゆっくりと扉が
1795
開いていく。
﹁おいおイ、随分の失礼な客が来たようじゃないカ、マリス﹂
﹁グリィンスメルダニア! あんた出てきたらあかんやないか!﹂
扉の隙間から聞こえてきた声を聞いたマリスさんが、慌てて開き
かけの扉を押さえに走っていく。
⋮⋮っていうか今なんて言った? グリ⋮⋮名前が長すぎて覚え
られん!
﹁かまわんサ、それよりも外までびんびんと伝わってきた面白い技
能の持ち主を見てみたくてナ﹂
開いた扉の向こうにいたのは長身の人影。逆光でシルエットしか
わからないが、かなりでかい⋮⋮身体は細身なのに身長は領主イザ
クよりも高いかも知れない。
﹃我が主、あれは魔物です﹄
﹁え、魔物?﹂
一狼に言われて、改めて人影をよく見てみると確かに上半身は細
身の人間だったが、下半身のシルエットがおかしい。くびれた腰の
下が太いというより大きすぎるし、足もなんだか細すぎる。
﹁ケンタウロス?﹂
思わず口からでた言葉は、地球の神話に出てくる上半身が人間で
下半身が馬という半人半馬の種族の名前だ。
﹁随分と人に近い形の魔物ですわね。しかも明確に言葉を話してい
1796
ますわ﹂
﹁あっちゃぁ、ばれてしもうたやないか! なんで出てきたんやグ
リィンスメルダニア!﹂
﹁そう怒るナ、マリス。デミホースなどさして珍しい魔物でなイ﹂
へえ、デミホースっていう魔物なのか、珍しくないって自分で言
ってるけど一応鑑定してみるか。
﹃グリィンスメルダニア ランク:D+ 種族:デミホースクイー
ン﹄ いやいや、全然ただのデミホースじゃないし! 普通に進化後の
一狼よりランクが高いうえに、しかもクイーンって! 女だってこ
とも王だってことも意外過ぎるわ!
りゅうちょう
﹁んなわけあるかいな! あんたみたいに上半身がそんだけ人間に
近いもんも、流暢に人の言葉を喋るもんも魔物の中にはおらん! だからこそあんたは戦う気もなかったのに面白半分に狩られかけた
んちゃうんか!﹂
﹁ははは! 人間というのは面白いナ。どんなに姿かたちが似よう
とも私は魔物ダ、それなのに見た目が人間のメスに似ているという
だけで私も性欲の対象になるというんだからナ﹂
笑いながらカッポ、カッポと足音を鳴らし厩舎に入ってきた。さ
っきの缶ぽっくりの音はこれか。
それにしても⋮⋮えっと、グリィンスメルダニア? は、確かに
褐色の肌に褐色の髪を垂らしたスレンダー美人だった。下半身が馬
でさえなければ確かに口説きたくなってもおかしくない。
・・
﹁いったいどうやってコトに及ぶつもりだったのだろうナ﹂
1797
苦笑を浮かべるグリィンスメルダニア。まあ⋮⋮確かに立派なヒ
ップだけど馬とは無理だよなぁ。
﹁また、あんたはそない暢気な⋮⋮﹂
﹁マリスは心配性だナ、それよりも馬が必要だと聞こえたガ?﹂
﹁え、ええ。こちらのフジノミヤ様が2人を乗せても足が衰えず体
力も続くような馬を3頭探しています﹂
ウィルさんもグリィンスメルダニアのことは知らなかったっぽい
けど、そこは行商で鍛えた生粋の商人だ。僅かな動揺は見せたもの
のしっかりと用件を伝えるあたりはさすがである。
﹁ほウ⋮⋮先ほどの技能はそちらの御仁ガ?﹂
俺の顔を興味深げに見ながらグリィンスメルダニアが聞いてくる。
俺よりもかなり目線が高いのでこっちは見上げる形になるので長く
話していると首が痛くなりそうだ。
﹁いえ、私ではなくこちらの葵が﹂
こび
﹁そうカ、ここの人間たちが使ってくいる技能は、抑えつけようと
する︻調教︼、媚をうってくる︻馴致︼がほとんどだガ、それらと
は違って新鮮な感じだっタ。まあ、﹃面倒見てやるからついてこい﹄
という感じは私の好みではなかったガ﹂
どこか残念そうに息を吐くグリィンスメルダニア。それをみたマ
リスさんがグリィンスメルダニアの手を取る。
﹁ちょっと、グリィンスメルダニア。なにを考えて⋮⋮あんたは従
魔にはなりたくないんじゃなかったの? だからこそ、ここの会員
1798
のどんな技能も受け入れてこなかったんやろ﹂
﹁そうだったんだがナ、さすがに何百日もここにいるのに飽きてき
てしまってナ⋮⋮面白い技能を使う者がいたから場合によってはと
思ったんだガ﹂
そのあと聞いた話によると、グリィンスメルダニアは店を立ち上
げたばかりのマリスさんたちが、従魔を増やすための旅の途中で盗
賊に囲まれていたところを助けたらしい。
まあ助けたと言っても、女性が襲われていると勘違いして止めに
入ったものの返り討ちにあいそうになってグリィンスメルダニアに
逆に助けてもらうはめになったみたいだけど。
そのときのグリィンスメルダニアが魔物として追われることや、
女として狙われることに疲れていたのでマリスさんが、自分たちの
店の厩舎に匿うことを提案し、今に至るらしい。
1799
半馬の王︵後書き︶
く、ペースがあがりません。
1800
友誼︵前書き︶
お待たせしてすいません。
1801
友誼
﹁結局、あんたはどうしたいの? ここを出ていきたいなら、うち
も協力は惜しまんよ﹂
思いがけない闖入者の登場で水を差される形になった俺たちの従
魔探しだが、グリィンスメルダニアを放っておくわけにもいかず、
俺たちは厩舎の隅にあった商談スペースでグリィンスメルダニアの
事情を聞いていた。
﹁そうだナ、ここは居心地はいいがちょっと狭イ。そろそろ思い切
り駆けたくなってきているのは事実ダ﹂
それを聞いてしょんぼりと目を伏せるマリスさん。おそらくマリ
スさんとグリィンスメルダニアはいい友達だったのだろう。だから
こそ、マリスさんはグリィンスメルダニアをかくまい続けたし、グ
リィンスメルダニアもマリスさんの店にいることを選んだんじゃな
いかな。
だけど、グリィンスメルダニアは立派な馬の胴体を持つ魔物。狭
いところでじっとしているより、荒野や草原を走り回りたいと思っ
たとしてもそれは仕方がないと思う。
﹁もし、あなたがその背に人を乗せることを厭わないのであれば、
こちらのフジノミヤ様のところなどいかがですか? フジノミヤ様
のならばあなたの希望する環境を整えてくれると思いますし、あな
たのような立派なデミホースならフジノミヤ様の条件も満たせるは
ずです﹂
1802
確かに俺の屋敷なら街から少し離れているから人目につきにくい。
庭も広いから普通に動き回れるだろうし、それだけでも今よりは解
放感があるはず。
さらに、周囲は開けた土地で裏は山。その気になれば思う存分駆け
たいというグリィンスメルダニアの要望を完璧に満たせる。
そしてきわめつけはうちの屋敷の防犯だ。うちの防犯は屋敷の周
囲と塀周りに張り巡らされた桜の罠、それに加えて敷地内を狼たち
が24時間体制で見回り警護しているためかなり厳重といえる。さ
らに刀娘たちの存在自体が屋敷の安全レベルを格段に跳ね上げてい
る。
うちにいる限りグリィンスメルダニアにちょっかいをかけるよう
な馬鹿は確実に撃退できる。
ただ、グリィンスメルダニアが話せるうえに魔物である以上は、
うちの仲間の安全と秘密保持のために従魔という形になってもらう
ことが望ましい。でもデミホースクイーンであるグリィンスメルダ
ニアがそれを受け入れてくれるのかどうか⋮⋮。
俺にグリィンスメルダニアを女としてどうこうしようという気は
ないけど見た目は美人さんだし、馬としての能力は抜群に高そうだ。
なにより話ができるというのがいい。俺と一狼の間でも話せるとい
うことが、俺たちの間の関係を円滑にしている大きな要因なのは間
違いない。
﹁確かにうちならグリィンスメルダニアさんの希望をかなりの部分
叶えることができます。グリィンスメルダニアさんががいいのであ
れば、むしろこちらからお願いしたいです。ただ、私たちにはいろ
いろ秘密が多いので⋮⋮無茶な命令などはするつもりはありません
1803
が、形式上は従魔になってもらうという条件を飲んでくれるのなら
⋮⋮なんですが﹂
﹁そうカ⋮⋮いい話のようだガ、どうもテイム系の技能は好きにな
れなくてナ。そこの綺麗な狼を見ただけデ、お前たちのところが良
いところだというのはよくわかるだけに残念ダ﹂
﹃ふん、そこまでわかっていながら我が主のことがわからぬとはな﹄
残念そうに苦笑するグリィンスメルダニア。そのグリィンスメル
ダニアに褒められたはずの一狼は、我が家にくることを拒否するか
のようなその回答がいたく不満だったらしい。不機嫌そうに尻尾を
伏せると顔を背けてしまった。愛い奴め。
﹁主殿? わたくしの︻唯我独尊︼が気に入らないというのなら、
主殿の︻友誼︼ならばいかがですの? 一狼を従魔たらしめている
のはそちらのスキルだったのではありませんでしたか?﹂
﹁え? あ⋮⋮あぁ、忘れてた。あんまり使う機会がないだろうと
思ってたからな﹂
﹃我が主! 私との絆である技能を忘れていたとは! それはあま
りにも﹄
﹁いや、そうじゃなくて。この技能はまず先に、従魔にしたい魔物
と仲良くならなきゃならない技能だろ? 普通に考えればそんな機
会はあり得ないから、だから一狼以外に使うという認識がなかった
んだ﹂
﹃わ、私専用⋮⋮ということでしょうか?﹄
俺を見上げる一狼の尻尾が俺の答えを期待して左右に振られてい
る。
﹁そうだよ﹂
﹃そ、それならば構いません、わ、我が主﹄
1804
期待通りの返事が得られたらしい。再び俺の足元で丸くなった一
狼は尻尾と耳が忙しなく動き回ってることに気が付いているのかど
うか。
﹁ほウ⋮⋮それも初めて聞く技能ダ。先に仲良くならなければ使え
ないと言っていたガ⋮⋮どの程度仲良くなればよいのダ? それこ
そ交尾までせねばならんのカ?﹂
﹁ぶっ! グ、グリィンスメルダニア!﹂
俺のスキルに興味津々なグリィンスメルダニアのぶっ飛んだ問い
かけに、マリスさんが飲みかけていた水を吐き出して叫ぶ。まあ、
気持ちはわかる。
﹁俺が一狼とそういうことをしたように見えますか?﹂
﹁ふム⋮⋮見えぬナ。ならば抱き合うくらいカ? 口付けくらいは
私は気にしないガ?﹂
﹁まあ、グリィンスメルダニアさんくらい外見が綺麗な女性だった
らそのくらいの行為はちょっと興味ありますけど、残念ながらそこ
までは必要ないと思います。私も一狼以外に使ったことがないので
確実ではないですが、互いにある程度の信頼関係があって、そのう
えで従魔となることを承諾していてくれればうまくいくのではない
かと思っています﹂
グリィンスメルダニアは右手を顎にあてて俯きしばし考えると、
緊張した表情で俺の目を真っ直ぐに見る。
﹁私ハ、その狼を連れているあなたを信じてみようと思ウ。その技
能を使ってみて欲しイ﹂
﹁わかりました。もし︻友誼︼が気に入らなければ無理に受け入れ
1805
る必要もありませんから気楽にしていてください﹂
﹁わかっタ、そう言って貰えると私も気が楽ダ﹂
いくらか表情から緊張がやわらいだグリィンスメルダニアに向か
って両手を差し出す。別に手を握る必要はないと思うが、このスキ
ルの詳細は知られていないから変に思われることはないし、なんと
なく気分の問題だ。けっして手を握りたかった訳じゃない。
差し出された俺の手をしっかりと握り返したグリィンスメルダニ
アが安心できるようにしっかりと頷いてスキルを発動する。
︻友誼︼
スキルの使用と共に俺とグリィンスメルダニアとの間になにかが
つながったのがわかる。でもまだなにも通っていない感じ⋮⋮コー
ドはつないだけど電気が通っていない? そんな感じだ。
﹁オ⋮⋮おォ⋮⋮これは気持ちいいナ、あなたが私を友として見て
くれているのがわかル。私を対等の相手として尊重してくれている
のがわかル。これなら⋮⋮﹂
そうグリィンスメルダニアが呟いたと同時に、つながっていたコ
ードに電気が通った。俺は握っていた左手を離すと右手の握りを変
えてグリィンスメルダニアと握手をした。
﹁これからよろしく頼む、グリィンスメルダニア﹂
従魔としてうちにくることになった以上はもう家族と同じ。そん
な想いを込めて、堅苦しい話し方もやめて握った手に力を込めたの
だが⋮⋮思ったような握り返しがない。どうしたのかと思ってグリ
ィンスメルダニアを見ると、戸惑うように俺と握手している手を見
1806
ていた。
﹁どうかした?﹂
﹁いヤ⋮⋮本当にいいのカ? 私がいることで迷惑をかけることも
あるかと思ウ⋮⋮やめるなら今の内だガ?﹂
なるほど、いざ従魔になってみたら契約者である俺に迷惑をかけ
るかもしれないことに申し訳なさを感じたのか。でも、それは取り
越し苦労というものだろう。なぜなら、グリィンスメルダニアは俺
と同じだからだ。
﹁グリィンスメルダニアは自分らしく生きたいんだろう? 自由に
駆けたいんだろう? それなら遠慮することなんかない。俺の仲間
たちは皆、自分らしく、そして楽しく生きるために頑張っている。
だから、不当に俺たちの邪魔をするやつには容赦はしない。それが
できるだけの力を俺たちは培ってきた、だからきみは安心してうち
へ来てくれればいい﹂
﹁そうカ、わかっタ。⋮⋮⋮⋮私はいい男と契約をしたようダ﹂
﹃ふん! いまごろわかるとは鈍いやつめ﹄
グリィンスメルダニアは柔らかく微笑むと、ようやく俺の手をし
っかりと握り返してくれた。
﹁そうか、いくんやなグリィンスメルダニア。若旦那がこれだけ勧
めるお方のところやし、心配はしとらんけど元気でやるんやで﹂
﹁あア⋮⋮世話になったナ、マリス。ありがとウ﹂
﹁いやいや、そんな今生の別れじゃないんですから。マリスさんも
いつでも私の屋敷に遊びに来てください。グリィンスメルダニアも
喜ぶでしょうし、マリスさんに是非体験して欲しいものもあります
から﹂
1807
なぜか大げさな別れの挨拶をしていたふたりに軽くツッコミを入
れるついでに、マリスさんを屋敷に招待しておく。まだフレスベル
クの銭湯は開店してないし、うちの温泉は楽しんで貰えるはずだ。
﹁あれですね、フジノミヤ様。確かにマリスは自分のことには、ま
ったく無頓着ですからいい機会かも知れませんね。あれの後は本当
に見違えますから﹂
﹁いつもお世話になってますしウィルさんも大歓迎ですよ、いつで
もお越しください。ギルドの仕事で疲れが溜まっているでしょうし﹂
﹁ははは、お見通しですね。それではお言葉に甘えて近々お邪魔さ
せて貰うことにしましょう﹂
﹁はい、ただ⋮⋮明日から数日留守にする予定ですので戻ってから
になりますけど﹂
ウィルさんはぽんと手を打つと、グリィンスメルダニアと別れを
惜しんでいるマリスに声をかける。
﹁そうでしたね、そのために騎乗できる馬を探しにきたんでした。
マリス、あと二頭お願いできますか?﹂
﹁せやったな⋮⋮商売とはいえ別れは辛いわ。うちはこの商売に向
いとらんのかもな﹂
﹁ちょっと待テ、マリス﹂
頭を掻きながらため息をつき、厩舎に向かうマリスさんをグリィ
つがい
ンスメルダニアが呼び止める。
ろくば
﹁できれば陸馬の番を一緒に連れて行ってやりたいんだが構わない
だろうカ﹂
﹁あぁ⋮⋮確かにあの二頭なら二人で乗っても十分やな。それに二
1808
頭一緒なら嫌がることもないやろ﹂
マリスさんは気だるげに厩舎に入って行くと、しばらくして二頭
の魔物を引き連れて出てきた。
﹁これはまた⋮⋮立派なものですわね﹂
﹁⋮⋮ん、見事﹂
その魔物たちは思わず葵と雪が感嘆の声を漏らすほどに立派な体
たてがみ
躯をした馬だった。一頭は艶のある黒い馬体、そして額に一本角を
備えた偉丈夫。もう一頭は赤い馬体、女性の髪のような長い鬣が特
徴的だ。二頭とも馬体のサイズ的にはグリィンスメルダニアよりも
一回り以上小さいが、並の馬とは比べものにならない。これなら人
ふたりが乗っての長い移動にも耐えられるだろう。
そして、なによりこの二頭が特徴的だったのは⋮⋮。
﹁脚が六本ある⋮⋮﹂
﹁陸馬はこの鍛えられた六つ足があるかラ、速度も力も持久力もあ
ル。ご主人の役に立ってくれるはずダ﹂
地球では神話かなにかに、八本足のスレイプニルという馬がいた
ような気がするが⋮⋮六本足か。
ま、長いことこの店で過ごしていたグリィンスメルダニアが自信
をもって勧めてくれたんだから、もちろん俺に否はない。まあ、素
人の俺が見ただけでも二頭が凄い力を持ってそうなのはわかる。
これなら俺たちを隠れ村まで乗せても潰れることもないはずだ。
よし、俺たちの準備は整った。
明日は邪教徒を殲滅して、御山を解放し、システィナの知人たち
1809
を救い、霞と陽のしがらみを断つ!
1810
友誼︵後書き︶
一応、5章はここまでです。6章は聖塔教戦+α の話になります。
1811
65
外伝SS シシオウの王者な一日 3︵前編︶
﹃シシオウ 業
年齢:29 職 :闘拳士
技能:剣術/格闘術/回避/体力回復速度補正/運補正︵弱︶﹄
脇腹を撫でる柔らかな感触にシシオウは目を覚ました。不快とい
うほどではないのだろうが、さわさわと脇腹をくすぐられるのはあ
まり好きではないらしい。
シシオウはその原因となるものに無造作に手を伸ばすと、それを
鷲掴みにして持ちあげた。
﹁わきゃ! あふんっ⋮⋮だから、そこは敏感なところだから乱暴
にしちゃ嫌だってばシシオウ﹂
まなこ
寝ぼけ眼で頬を赤らめながらシシオウに抗議をしてきたのは、尻
尾を持ちあげられ、お尻を浮かせた状態の狼尾族ロウナだった。
﹁その尻尾がウザいんだって言ったよな。嫌なら別のベッドで寝ろ﹂
﹁もう、わかってるってば。でもシシオウがいつも激しすぎるから
いけないんだよ。疲れ果てて寝るから眠りが深くなっちゃうんだ﹂
そう言って頬を膨らませるロウナは一糸まとわぬ姿だった。華奢
な身体に控えめだが形のよい胸、しなやかな足と引き締まった艶の
あるお尻。ボリュームのある身体つきのトレミとは対照的ではある
が間違いなく極上の美少女だろう。
1812
﹁知るか! そもそもお前が勝手に混ざってくるようになったんだ
ろうが﹂
﹁え⋮⋮いや、だって⋮⋮そんな、毎日のように目の前でトレミさ
んとあんなことやこんなことをしているのを見せつけられたら⋮⋮
ねぇ?﹂
お尻を持ち上げられた状態で顔を赤くしながらもじもじしている
ロウナを見て、軽く舌打ちをしたシシオウはおもむろに尻尾を離す
と、今度はロウナとは逆の脇腹に押し付けられていた巨大な肉塊を
鷲掴みにした。
﹁ひゃん! ⋮⋮あ、おはようございます、シシオウ様﹂
大きな胸にシシオウの手が喰い込んだままにも関わらず、目を覚
ましたトレミはにっこりと微笑む。
﹁ち、目が覚めちまった。ちょっと早いが出るぞ、着いてくるつも
りなら準備しやがれ﹂
シシオウは頭を掻きながら体を起こす。両脇にはスレンダー美少
女とグラマー美女がなまめかしい裸体を晒しているが、早く起きた
からといって朝から行為に及ぶつもりはないらしい。
行為自体が嫌いなわけではないが、シシオウにとっては寝る前に
余った体力を消費し、溜まったものを吐き出すと寝つきがよくなる
からしているという感覚が強い。だからこれから一日が始まるとい
うのに朝から体力を消耗するようなことはしない。
手早く装備を身に付けたシシオウは、トレミとロウナの準備がで
きたかどうかも確認せずに部屋を出る。女性陣もその辺は心得たも
1813
ので着替えは早い。
シシオウが助けたときは何も持ってなかったロウナも今は、革の
胸当てと革の手甲と足甲に小剣を装備している。これは一緒に行動
することになったときにトレミとふたりで街に買い物に出て買って
きたものだ。
ただ、世間知らずなふたりである。相場なんてものがあることす
ら知らない。買ったもの自体は自分たちで吟味したもののため質は
悪くないが、言われるがままの値段で購入してしまったため相場よ
りもかなり高い金額で買わされていることに気が付いてすらいない。
本来それを咎めるべきシシオウも売りさばくための相場はある程
度知っているが、買う物の相場は知らないため結局誰も損をしたこ
とに気が付いていない。シシオウたちが一般常識を身に付けるのは
まだ先のことになりそうだった。
﹁ち、まだ早すぎたか⋮⋮﹂
シシオウはアーロンの冒険者ギルドの前で舌打ちをする。フレス
ベルクの冒険者ギルドではすでに24時間勤務体制が敷かれている
が、その他の街の支部ではまだそこまでの人員態勢が整っていない。
それでもこの世界ではありえないほどに早朝から深夜までの長時間
営業をしている。
実際ギルド内では既に人が動き回る気配がしているのでまもなく
開くのだろう。
﹁少し待ちますか? それともこのまま塔の方へ向かいますかシシ
オウ様﹂
1814
﹁ふあぁ∼⋮⋮僕はなにかするにしてもギルドでちょっと何か食べ
てからにしてほしいなぁ。シシオウみたいにタフじゃないから朝に
なるとお腹すいちゃうんだよね﹂
あくびをしながら、くねくねと体をくねらせるロウナを冷たく見
下ろしたシシオウは、ロウナを無視しつつ考える。だがすぐに扉の
前で待つという行為が馬鹿らしいく思えたのでこのまま塔へと向か
うことにする。
﹁馬鹿は放っておいて塔へ行くか﹂
気だるげにつぶやき、塔に向かうべく踵を返すシシオウ。
﹁シシオウ様!﹂
その背中に切羽詰った叫びをあげたトレミがメイスを振り下ろす。
だが、それはシシオウを狙ったものではない。
振り下ろされたメイスはシシオウの肩辺りでギィンという硬質な
音をたてて空を切った。
﹁誰! 背後から襲うなんて卑怯じゃないか! 僕が相手になるよ
!﹂
トレミが動くと同時にロウナも小剣を抜き放ち既に動いている。
シシオウと背中合わせに立って剣を構えるその姿はシシオウの背中
を守ろうとする覚悟が満ちている。
﹁へぇ、意外だね。あんたにこんなに可愛い同行者がいるなんて。
どうやってだまくらかしたのかな?﹂
1815
シシオウを攻撃した人物は自分を睨みつけてくるトレミとロウナ
に優しく微笑みかける。その声は透き通るように可愛らしい。
﹁ち! 俺はなんもしてねぇよ。そんなことすりゃ俺がどうなるか
はお前らがよく知ってんだろ。こいつらが出て行ってくれるならこ
っちは万々歳だぜ﹂
振り返ったシシオウはため息をつきながら足元に落ちていたクナ
イを拾うと、それを手首のスナップだけで投げ返す。
それなりに速く投げ返されたそれを、その人物はあっさりと指で
挟んでキャッチすると腰に装着していたポーチの中にしまう。
﹁確か⋮⋮さくら、だったか? 蛍は元気か?﹂
﹁う∼ん⋮⋮お前に名前を呼ばれるのも、蛍ねぇの名前を呼び捨て
にされるのも、とっても不快だからやめてくれる? お前は蛍ねぇ
の気まぐれで生かされているだけなんだからさ﹂
シシオウの言葉に表情は可愛らしく笑顔で応えながらも、全身か
らは剣呑な殺気が溢れてくる。敏感にそれを感じたトレミとロウナ
はびくりと身体を震わせるが、それでもシシオウを守る態勢を崩そ
うとはしない。
﹁わ∼ったよ。だからそれはやめてくれ⋮⋮でないと﹂
シシオウの表情に物騒な笑みが浮かぶと、桜に倍するほどの殺気
が放たれる。
や
﹁戦︵殺︶りたくなっちまうからよ﹂
﹁ひゃ!﹂
1816
殺気の間に挟まれたロウナが悲鳴を上げる。怯えているのか自慢
の尻尾は股の間である。
﹁シシオウ様!﹂
﹁おっと⋮⋮やべぇやべぇ。いい殺気を放つからついスイッチが入
るところだったぜ。俺が勝たなきゃいけねぇのはあんたじゃねぇ。
で、わざわざこんなとこまで何の用だ?﹂
殺気を雲散させたシシオウに応じるように殺気を収めた桜は肩を
すくめる。
﹁別にあんたなんかに用はないんだよね。ソウ様のお願いでちょっ
と動いてるだけ。あ、⋮⋮でもそうか﹂
桜はひとり納得して手を叩くと、さっき出てきたばかりのギルド
の扉を開けた。
﹁お姉さん! さっきの依頼こいつにやらせといて! 指名依頼に
変更するね! 依頼料は据え置きで﹂
﹁承知いたしましたぁ!﹂
桜が声をかけると扉の向こうから元気のいい返事が聞こえてくる。
﹁と、いう訳で用事ができたからよろしく。詳しくは中で聞いて﹂
﹁お、おい! ちょっと待て。また俺に厄介ごと押し付けるつもり
かよ! 俺は適度に生活費を稼ぎながら修行がしたいだけなんだ!
悪党退治とかしたくねぇんだよ﹂
﹁あ、受けなくてもいいよ。でもこの依頼、ご察知のとおり悪党退
治だからね。おまえなんか断ってシスの︻契約︼で死んじゃってい
いよ﹂
1817
﹁ぐ!⋮⋮﹂
視線だけは冷たく笑顔のままシシオウを一瞥した桜は、構えたま
まの女性陣には優しい笑顔を向ける。
﹁君たちふたりもこんなやつに早く見切りをつけなよ。そしたらフ
レスベルクのギルマスに新撰組を紹介して貰って。ソウ様ならちゃ
んとなんとかしてくれるから。じゃあね﹂
﹁﹁え?﹂﹂
トレミとロウナが何かを言い返そうとしたときには、目の前にい
たはずの少女は文字通り消えていた。
﹁ち、相変わらずあいつの周りはとんでもない女たちばっかりだな﹂
蛍
シシオウは自分ですら捉えられなかった桜の動きを見て、まだま
だあいつには勝てないと実感してため息をつく。
﹁シシオウ様⋮⋮今のは?﹂
﹁ああ⋮⋮いや、気にしなくていい。最初の攻撃もその後も殺す気
はなかったみたいだしな﹂
﹁ええ! あんな怖かったのに殺す気なかったの? 笑顔は優しか
ったけど、むしろ怖かったよ僕﹂
小剣を鞘に納めながらぶるりと身体を震わせるロウナ。狼尾族の
野生の本能が桜の強さを感じたのかも知れない。
﹁ま、いいさ。そうそう出てくることもないだろうしな。さぁ! 気合も入ったことだし塔に修行に行くか!﹂
1818
ここのところマンネリ化していた日常にいい喝が入ったと前向き
に考えたシシオウは手甲を打ち鳴らすと改めて塔へと向けて歩き出
そうとした。
﹁それではシシオウ様。こちらの別室へお願いします。今回の依頼
の資料を取り揃えておりますので﹂
・・
びくり! と身体を震わせたシシオウがギギギと首を鳴らして振
り返ったその先には、いつもと変わらないあの笑顔を浮かべるギル
ドの受付嬢がいるのだった。
1819
外伝SS シシオウの王者な一日 3︵前編︶︵後書き︶
依頼の内容と結末は後編です。
1820
外伝SS シシオウの王者な一日 3︵後編︶
﹁今回は人を攫って人体実験を繰り返している邪教の研究所を潰し
てください﹂
それがギルドの受付嬢を通して依頼された内容だった。
シシオウはいつもの部屋で集められた資料を見ながら思い出して
いた。
﹁そういや、パジオンが似たようなのいじくってたな⋮⋮うちにも
一体借りてきてたみたいだが、確か塔の中でさっきのさくらとかい
う女が倒してたはずだ﹂
まだ依頼が出されたばかりということもあり、集められている資
料自体はそう多くない。だが、研究所の場所、規模、警備の人員、
さらには罠の有無までが、確定ではないと前置きが付いたうえにご
く簡単にだが調べられている。大雑把にだが必要なだけのものは取
り揃えてある。
相手に気付かれずにこれだけの情報を集めたのだとすれば、驚く
べき技量である。シシオウは桜に対して武力面での評価は十分にし
ていたが、斥候としての評価も新たに高く設定することになる。
﹁あの女は、あいつの指示で動いているって言ってたな⋮⋮蛍たち
はいったいなにをしてやがんだ? わざわざこんなもの探して潰す
価値はねぇだろ﹂
﹁シシオウ? 普通は罪もない人を攫って人体実験なんかしてる場
1821
所があることを知ったら潰したくなるんじゃない﹂
シシオウの隣で資料を覗きこんでいたロウナの言葉にシシオウは
﹁そういうもんか﹂と気のない返事をする。
﹁なんにしてもここまで調べられているんなら、これ以上情報はい
らねぇ。さっさと片付けてくるか﹂
シシオウは資料を机に投げ出すと大きく伸びをして資料室を出た。
◇ ◇ ◇
﹁ここだな﹂
資料に示されていた研究所は、アーロンの街の郊外の山中に建て
られた古びた屋敷の中。そこの地下に作られているらしい。
闇の奴隷商を追いかけたときに走った街道を、今度はそれずにさ
らに進んだ先にある山の中のため、再びギルドでラーマを借りて移
動して途中で一泊。
翌日、夕方には目的の屋敷の前にシシオウたちは立っていた。
屋敷は古びた2階建てでそこそこの広さがありそうだったが、庭
はほとんどなく屋敷の周りを2メートルくらいの壁が囲っていて、
正面の門は鋼鉄製の門扉で閉ざされていた。
シシオウは細かいことは気にしなかったが、見る人が見れば屋敷
と作られた壁の作成時期が明らかに壁の方が新しいことに気が付け
ただろう。
1822
﹁一応、表向きは貴族の避暑地として使用されていることになって
いますね﹂
﹁どうするの、シシオウ。さすがに正面から⋮⋮ってシシオウ!﹂
ロウナの質問が終わらないうちに、シシオウは両手に装備された
魔鋼製の手甲をガンっと打ち合わせると腰を落として構え、強烈な
右ストレートを鉄門扉に叩きこんだ。
鈍い金属音が静かな山中に響き渡り、ギャギャギャと驚いた鳥た
ちが飛び立っていく。
さすがに門扉自体を破壊は出来なかったようなだが、鍵を壊すこ
とには成功したようで歪んだ門扉をシシオウは渾身の蹴りで押し開
けるとずかずかと敷地内に入って行く。
﹁シシオウ様、中から人が出てきます﹂
﹁え∼! トレミさんが驚かないってことはいつもこんなことばっ
かりしてるってことぉ?﹂
無謀なシシオウの行動にうろたえることなく、冷静に精霊の声を
聞き人が来ることを伝えるトレミの姿に小剣を抜きながらロウナが
悲鳴をあげる。
﹁なんだか僕、とんでもない人のところに転がり込んだんだってよ
うやく気が付いたよ﹂
ため息をつくロウナの言葉とその表情は⋮⋮
﹁へ! なに言ってやがる、おまえ尻尾振って笑ってるじゃねぇか﹂
﹁え? そんな訳は⋮⋮あれ、ほんとだ﹂
1823
シシオウに言われて振り向いて自分の尻尾をみたロウナは楽し気
に左右に揺れている尻尾をみて﹁あはっ﹂と笑声をあげた。
﹁きます﹂
ガチャガチャと鍵の開けられる音と共に屋敷の扉が開け放たれ武
器を持った男たちが飛び出してくる。
﹁最初は僕が!﹂
体を低くして駆け出したロウナがまだ相手を認識しきれていない
男たちの足元に潜り込み小剣で足を斬りつけていく。
足を斬られ態勢を崩していく男たちを後ろからのんびりと歩くシ
シオウが無造作に蹴り殺していく。その行動はもはや作業であり、
そこには慈悲どころか一片の感情すらもない。
﹁シシオウ様、1人は生かしておいてくださいませ。地下への入口
は聞いた方が早いと思いますので﹂
﹁おお、そうか。じゃあ、そこのやつはまだ息があるからちょっと
回復させりゃ話ぐらいはできんだろ﹂
シシオウは気のない返事をしながら更に一人の頭を蹴りぬく。そ
の様子にまったく動じる様子がないトレミもまた、どこかズレてい
る。
結局戦闘は1分と経たずに終わり、屋敷の入口には7名の死体が
横たわっていた。生き残った1人もシシオウの効率的な尋問で情報
を洗いざらい吐かされたあとは瀕死の状態で捨て置かれた。このま
ま放置されれば遠からず動きを止めるだろう。
1824
﹁じゃ、行くか﹂
﹁はい﹂
﹁は∼い﹂
惨劇の現場を意気揚々と去っていく一行。そのまま聞き出した地
下への入口を開け研究所へと降りていく。魔石灯に照らされた地下
の施設は静まり返っていた。
どうやら上の喧騒は下には届いていないうえに、連絡すらいって
いないらしい。
﹁いやな臭い⋮⋮腐った肉と薬の臭い。鼻が曲がりそう﹂
先頭を行くロウナが顔をしかめる。狼尾族は鼻の良い種族だ、こ
の地下に充満している臭いは耐え難いのだろう。
﹁そんなに広くはなさそうだな⋮⋮こっちの二部屋は物置と資料室
か?﹂
﹁はい、突き当りの大扉が研究施設なのではないでしょうか﹂
﹁うん、嫌な臭いもそこから流れてくるみたい﹂
﹁依頼の達成条件はなんだった?﹂
﹁研究施設の破壊と、改造されて治療不可能な方たちの処分、治療
可能な方、もしくは捕まっている人たちの救出です﹂
依頼内容を完璧に暗記しているらしいトレミがすらすらと条件を
答えると、シシオウは肩をすくめた。
﹁そりゃあ、めんどくせぇな。全部治療不可ってことで処理してい
いんじゃねぇか。誰もわかんねぇだろ﹂
﹁私は構いませんけど⋮⋮それをやるとシシオウ様にとってあまり
1825
よくないのではないかと﹂
﹁あぁ? ⋮⋮あぁ、例の侍祭契約か﹂
シシオウは盗賊から足を洗う際に、︻自身は決して盗賊行為をし
ない。もし盗賊行為を行う者があれば見逃したりはせず退治するた
めに最善を尽くす。世間一般で悪事に分類されるようなこともしな
い︼という侍祭の契約を結んでいる。まだ助けられる可能性のある
人を気づかなかったふりをして殺してしまうことはおそらく悪事に
分類されてしまう可能性が高い。
﹁精霊たちに頼めば、人としての感情が残っている人は識別できる
と思います﹂
﹁⋮⋮しゃあねぇ、それでいくか。うし、扉開けていいぜ﹂
﹁了∼解﹂
緊張感のない声と共に開けられた扉の向こうにはいくつもの寝台、
大量の薬瓶が置かれた薬品棚、そしておどろおどろしい機具の数々
があった。
﹁誰だ! 処理済みの素体はもう全部引き渡しただろう! この素
体は儂の好きにしていいという約束だったはずだ。これは儂の最高
傑作になる! 最高の魔力を持つ素体、そしてこの美しさ! まさ
に天才魔導学者たるこの儂に相応しい!﹂
部屋の中からしゃがれた声が響く。薄暗い部屋の中に目を凝らす
と一番奥の寝台の前に白衣の人影が見える。さらによく見ると、そ
の両脇にはマネキンのように立ち尽くす気配の希薄な禿頭の男がひ
とりずつ立っていてシシオウたちへ視線を向けている。
だが、男たちの視界にシシオウたちは間違いなく入っているはず
1826
なのに反応がない。
おぐし
﹁シシオウ様、あの御髪のない方たちからは感情が感じられません。
や
精霊たちが気持ち悪いと怯えています﹂
﹁ってことは殺ってもいいな。この部屋に生かしとかなきゃいけな
いやつはいるか?﹂
トレミは周囲を見回したあと、なにかと小声で会話をかわすと部
屋の奥を指差す。
﹁シシオウ様、奥の寝台にひとりいるようです。ですが今まさに感
情が消えてしまいそうだと精霊が訴えています﹂
﹁シシオウ、助けてあげなきゃ!﹂
﹁⋮⋮まあ、いい。その奥のやつ以外は殺るか。行っていいぞ﹂
﹁うん!﹂
シシオウの許可を得て走り出すロウナ。さすがにそこまで堂々と
していれば中の人間もおかしいことに気が付く。
﹁な! 上の奴らはなにをしている! 移送に人を使っているとは
いえ10人くらいは残っていたはずだろう。くそ! これはバーサ
の失態だ、我らの街ができたらもっといい研究所を作らせてやる。
お前たち、あいつらを殺せ! ⋮⋮ん? 待て、あの奥の女だけは
殺すな。なかなかの素体になりそうだ﹂
白衣の男の声に反応したのか両脇の禿頭の男たちが手を前に伸ば
す。
﹁ち! 魔法が来るぞ!﹂
1827
あの禿頭の男たちがシシオウが知っているものと同じだとすれば
無詠唱で魔法を使うはずだった。となれば離れているのは一方的に
攻撃を受けるだけ。シシオウも手甲を打ち鳴らして走り出す。
﹁ロウナさん! 援護します。そのまま突っ込んで下さい!﹂
﹁はぁい! ありがとー!﹂
ロウナの返事と同時に左の男から氷の矢が放たれ、右の男からは
炎の矢が放たれる。
﹁おいおい、こんなところで正気か?﹂
シシオウは呆れた声を漏らしながらも飛んでくる氷の矢を手甲で
弾き落とす。無造作な動きに見えるが、シシオウの魔力量は人並み
で、扱いも専門ではない。にもかかわらずシシオウはセンスだけで
魔力伝導率の高い魔鋼製の手甲に、気合いを込めるかのように通し
た魔力がいきわたる一瞬のタイミングに合わせて魔法を打ち払って
いる。
自分も魔法を動いている最中にその刹那の瞬間を合わせるのは至
難の技のはずだった。それをシシオウは狙ってではなく直感に従っ
て無意識におこなっていた。
一方でロウナに向かった炎の矢はロウナに届く直前に見えない壁
のようなものにあたって散らされた。どうやらトレミから依頼を受
けた精霊の力によるものらしい。どうせならシシオウにも障壁を張
ってほしいというのがトレミの願いなのだが、精霊たちは大好きな
トレミをぞんざいに扱うシシオウがあまり好きではないため、シシ
オウに対する防御の依頼には応えない。そのためシシオウに関して
は自力でなんとかしてもらうということになっている。
1828
﹁な! なんだお前らは。なに簡単に無詠唱の魔法を無力化してく
れ⋮⋮ええい! 構わん! どんどん撃て!﹂
白衣の男が狼狽しつつ両脇の男に指示を飛ばす。
﹁させるかよ﹂
﹁させないよ!﹂
だが、さほど広くはない部屋の中。先制の一撃を凌がれてしまえ
ば再度魔法を放つ隙などない。
あっという間に男たちとの間合いを詰めたシシオウとロウナがそ
れぞれの相手に攻撃を加える。ロウナは小剣で喉元を斬り払い、シ
シオウは背中から拳が突き抜けるのではないかというほどのボディ
ーブロー。
かたや喉から血しぶきをあげて崩れ落ち、もうひとりは﹁く﹂の
字のまま飛ばされ部屋の薬品棚に激突して盛大な音を立てた。
﹁へ? ⋮⋮ひ!﹂
護衛として付けられていた人造の魔導兵が、あっさりと無力化さ
れたことが信じられないのか間の抜けた顔で、間の抜けた声を出し
た白衣の男は頭の回転自体は速いのだろう。すぐに自分の身に危険
が迫っていることを理解し恐怖の声を漏らす。
﹁ちょ、ちょっと待ってくれ! わ、儂を殺すとこの頭脳も死んで
しまう! そうなればこの研究の成果も失われてしまうぞ! わざ
わざこんなところに乗り込んできたくらいだ、儂の人造魔導兵の技
術が欲しいのだろう? 助けてくれるのならバーサたちを裏切って
お前たちの組織に降ってもいい!﹂
1829
膝を震わせながら必死に命乞いをする白衣の男を冷めた目で見て
いたシシオウがつまらなそうに口を開く。
﹁その人造なんとかになった奴らを元に戻す方法はあるか?﹂
﹁は? ⋮⋮なぜそんなことをする必要がある。一部の才能ある者
しか使えなかった魔法を無詠唱で自由自在に使えるようになるのだ
ぞ。ゴミのような人生を送っていたような奴らにとっては夢のよう
な人生ではないか﹂
﹁いや、ちゃんとした自我がありゃそうかも知れねぇが、あいつら
は既に自分の名前すらわからねぇだろ? それじゃあ意味がねぇん
じゃねぇか?﹂
シシオウらしくもない正論の問いかけだったが、白衣の男はどう
も理解ができなかったらしく首をかしげている。
﹁自我を消さなくては、無詠唱での行使も型にはまらない自由な魔
法も使えんのだから仕方があるまい?﹂
真顔でシシオウに問い返す白衣の男に、シシオウは眉をひそめて
額に手をあてた。
﹁こりゃダメだな⋮⋮話が通じねぇ。おい、こいつらを捕えてこい
とかっていう話はなかったよな?﹂
﹁はい、依頼は研究所を潰すということだけです﹂
﹁じゃ、いいや﹂
ごぎゃ
次の瞬間、無造作に繰り出されたシシオウのつま先が白衣の男の
顎先を蹴り抜く。その強烈な蹴りは男の顎骨を砕き、脛骨を折った。
1830
きびす
うめき声ひとつあげる間もなく息絶えた男の白衣で自分の足の汚れ
を拭ったシシオウは軽く伸びをすると踵をかえそうとする。
﹁んじゃ、適当に研究所ごと屋敷をぶっ潰して帰るか﹂
﹁シシオウ、この子どうするの?﹂
ロウナの声に視線を移す。寝台に寝かされていたのは年の頃17、
8くらいで、すらりとした手足と白い肌、淡い蒼色の長い髪、そし
てスレンダーながら形の良い胸を持った一糸まとわぬ美しい女だっ
た。
﹁⋮⋮⋮⋮取りあえず連れて帰るしかねぇんだろ﹂
そこはかとなく嫌な予感を感じつつもシシオウはそう答えるしか
なかった。
◇ ◇ ◇
研究室を出たシシオウたちは他の敵がいつ帰ってくるかもわから
ないうえに、死体すらもそのままに、その屋敷の食料を散々喰い、
屋敷の部屋で一泊。帰る前に金目の物を回収したのち油を撒いて研
究室と屋敷を焼却。山に火が回らないようにトレミから精霊に依頼
をして帰路についた。
往路と同じように道中一泊してアーロンの冒険者ギルドに帰った
が実験体として使われていた女が目を覚ますことはなかった。
トレミの診察によれば、なにをされたのかはわからないが外見上
大きな傷もないし、身体には問題ないだろうとのことだった。
1831
﹁お疲れさまでした。これで依頼は完了です。報酬はいつも通りト
レミさんにお渡ししておきます。それとシシオウさんは冒険者ラン
クが﹃E﹄に、トレミさんとロウナさんは﹃F﹄にあがります﹂
﹁ち、そんなのはどうでもいい。それより今度こそこれは引き取っ
て貰えるんだろうな﹂
ギルドに報告にきたシシオウは背負ったままの女を指差す。
﹁申し訳ありません。当ギルドではまだそこまでは⋮⋮一応依頼者
に確認をしてみます。回答はいつになるかわかりませんが﹂
﹁⋮⋮やっぱりな。わかった、さっさと依頼者に確認してくれ。こ
れ以上厄介ごとを抱え込むのは御免だからな﹂
﹁わかりました﹂
﹁ん⋮⋮んん﹂
笑う受付嬢のいつもと変わらない返事に舌打ちをすると背中から
小さなうめき声がした。
﹁あぁ? やっと起きやがったか﹂
じろ
さらに背中の女が身動ぎしたのを感じたシシオウはやや乱暴に女
を降ろすと、ぺちぺちと女の頬を叩く。
﹁ほら! 起きろ、起きてさっさとどっかいけ﹂
﹁うわぁ、シシオウってば相変わらずだなぁ﹂
﹁うるせぇ!﹂
目を閉じたまま眉を寄せていた女がようやくその切れ長の目を開
く。髪に合わせたかのような綺麗な碧い瞳が一瞬宙を彷徨った後、
1832
目の前のシシオウに焦点が合う。
﹁おはようございますマスター﹂
﹁は?﹂
﹁あら⋮⋮まあ﹂
シシオウの間の抜けた声と、トレミの幾分楽し気な声が重なる。
﹁なに言ってんだ? おまえは自分ひとりで生きていけるよな﹂
﹁それはできませんマスター。わたしはマスターの傍でマスターを
お守りしなければなりません﹂
﹁俺におもりは必要ねぇ、だからおまえが無理に俺の傍にいる必要
はねぇ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮わかりました。ではわたしはいらないということですね﹂
シシオウの言葉にしばしの沈黙のあと頷いた女は、おもむろに手
に炎の球を生み出すとそれを自分自身に⋮⋮その手をシシオウが無
造作に掴む。
﹁ちょっと待て! おまえなにしてやがる!﹂
﹁はい、わたしはマスターには必要ないとのことでしたので廃棄を﹂
無表情にそう告げる女を見てシシオウはがっくりと肩を落とす。
﹁またか⋮⋮トレミ。こいつの自殺を見逃したら俺はどうなると思
う?﹂
﹁そうですね⋮⋮よくて地獄の苦しみフルコース、悪ければ⋮⋮死、
でしょうか﹂
﹁⋮⋮わかった。面倒はお前に任せる﹂
﹁はい、シシオウ様﹂
1833
﹁⋮⋮一応聞いておくか、おまえ名前は?﹂
手から炎を消した女はその問いかけにしばらく考えるような素振
りを見せるとゆっくりと口を開く。
﹁わたしの名前はエイラです﹂
1834
作戦会議︵前書き︶
お待たせしました更新再開です。書籍化作業などもありあまりペー
スは上がらないと思いますがよろしくお願いします。
1835
作戦会議
﹁見事な走りだな、黒王﹂
﹁こちらの赤兎も負けていませんわ﹂
風を切って走る六本足の駿馬を駆りながら手綱を握る蛍と葵が感
嘆の声を漏らす。
﹁そうだろウ、こいつらモ自由に走り回れずに鬱屈していたからナ﹂
﹁ちょ、ちょっとグリィン! 前見て! 前!﹂
そんな俊足の二頭の前を軽々と走りながら後ろを振り返って声を
あげるグリィンスメルダニアに、彼女の腰にしがみついたままの俺
は悲鳴のような声をあげる。彼女の細いのに引き締まった腹筋を合
法的に抱きしめられるのは嬉しいが、このスピードで脇見運転は怖
い。
﹁ハハハ! 心配するなご主人、いくらこうして走るのが楽しいと
はいエ、ご主人を落としたりはしないサ﹂
黒王、赤兎と名付けられた陸馬たちよりも走りを満喫しているグ
リィンスメルダニアはご機嫌だ。昨日マリスさんのところからうち
に来て、今日は朝から聖塔教のアジトになっている隠れ村へと向か
っている。だから、ごく短い時間しかうちにはいなかったんだけど、
うちの屋敷やその周囲の環境はかなり気に入ってくれたみたいだ。
まだ厩のようなものがないから昨日は外で寝てもらったんだけど、
結局3人? でほぼ夜通し裏の山や周囲を駆け回っていたらしい。
1836
﹁ご主人様、グリィンスメルダニアさんの走りはとても安定してい
ますので、楽な感じで乗っていた方がむしろ安全です。逆にそうや
って固くなっている方がグリィンスメルダニアさんにとっては走り
づらいと思います﹂
俺の腰に手をまわしたまま一緒にグリィンスメルダニアに同乗し
ているシスティナが、俺を落ち着かせようと耳元で囁いてくれるが
そうは言っても怖いものは怖い。
蛍の後ろに乗っている霞や、葵の後ろに乗っている陽は楽しそう
にしているので情けなくはあるのだが⋮⋮。
﹃⋮⋮ソウジロ、格好悪い。⋮⋮減点﹄
げ! まさかこんなところで減点されるとは。移動中は刀の状態
で腰にいる雪からの無慈悲な一言である。
﹁あははは! ソウ様は結局乗馬の練習しなかったからね﹂
﹃馬などに乗れなくとも、我が主の威光にはいささかの陰りもあり
ません!﹄
俺だと厳しいが、桜なら大丈夫ということで一狼に跨った桜が楽
しそうに笑う。一狼は俺の味方らしいけど、どうやら少数派のよう
で肩身が狭いことだ。
あとは、一狼の両脇を走る四狼と九狼⋮⋮これが今回の遠征に同
行しているうちのメンバーの全てだ。
りょふ
陸馬の二頭には俺が名前をつけた。黒いほうは貫禄がそっくりだ
かんう
せきとば
ったから世紀末の覇王が乗るっぽい名前を、赤い方は三国志の呂布
や関羽が乗っていたという名馬、赤兎馬から名前を付けた。
1837
やっぱり魔物たちは名前を付けて貰えると嬉しいみたいで二頭と
も喜んでくれた。グリィンスメルダニアはすでに名前持ちだったか
ら新しくは名前を付けなかったけど、名前が長いから俺は略してグ
リィンと呼ぶようにした。
他にもスメルダとかダニアとか候補はあったんだけど、グリィン
スメルダニア本人がグリィンがいいと言ったのでグリィンだ。
﹁あ、この先でちょっと休憩しようソウ様。みんなのおかげでこの
ままだとちょっと早く着き過ぎちゃうし﹂
桜の提案に速攻で頷く。グリィンを信じていないというわけでは
ないが、ついついしがみついてしまうので身体が強張って疲れる。
この辺で休憩させてもらえると泣き言を漏らさずにすみそうだ。
目立たないように街道から外れた場所を走っていたので、速度を
落としてちょっと歩けば涼し気な木陰と小川があるいい場所がすぐ
見つかる。
﹁ご主人様、お水です﹂
﹁ありがとうシスティナ﹂
グリィンから降りて内心でホッとしながら、体を伸ばしていると
システィナが水筒を手渡してくれる。この文句のつけようのないタ
イミングがシスティナの凄いところだ。
思い思いに身体を休めていると桜が皆を集めるように手招きをす
る。
﹁昨日の夜も説明したけど、隠れ村に近づくとあんまり話せなくな
るからもう一度確認しておくね﹂
1838
集まったメンバーに桜がアイテムボックスから自分で作った隠れ
村の見取り図を取り出して広げる。そこには中央に広場を構えた村
の姿が丁寧に記されている。
﹁まずここが入口、やましいことをしているだけあって基本的に入
めっしへい
口はここだけ。後は結構高めの柵で村全体が囲まれてるよ。広場の
右にあるのが滅私兵と呼ばれる斥候系の兵士たちの本拠、霞と陽が
いくかも知れなかった場所。トップはフージと呼ばれる禿頭の男で
まあまあの腕かな﹂
それを聞いた霞と陽の表情が固まる。でもそれは緊張からくるも
のではなく決意からくるもののようだ。ふたりに無理をさせるつも
りはないが、どんな形であれ心に決着をつけてくれると嬉しい。
まげんへい
﹁左のほうは人造魔法兵の部隊、魔幻兵の収納庫になってる。こっ
ちのトップはライジと呼ばれてる長髪の男。フージとは顔がよく似
てるから兄弟とか双子とかかも﹂
﹁あのときのような人造魔法兵がたくさんいるのですか?﹂
﹁だね、生産施設を見つけたからギルドに依頼して潰しておいても
らったんだけど、大半は運び出された後だったみたいなんだ﹂
ディアゴ改めシシオウの部下が使っていた人造魔法兵か⋮⋮あい
つら確か、無詠唱で魔法使うんだったよな。そんなのがたくさんい
るとちょと手こずるかも。
﹁で、この奥の一番大きな屋敷が教祖であるバーサがいると思われ
るところ。こいつの周りは司祭という名の親衛隊でもあるイケメン
の狂信者たちで固められている。いまの時期なら多分、この屋敷内
にメリスティアは連れてこられていると思う。転送陣もこの屋敷の
1839
どこかに間違いなくあるよ﹂
﹁すると私たちはこの屋敷を狙うのだな﹂
﹁そうだね、屋敷の後ろは深い堀が作ってあって後ろからこっそり
忍び込むのはちょっと難しそうなんだけどね﹂
桜に無理だと言わせるほどの堀か⋮⋮おそらく信者たちの人海戦
術で掘らせたんだろうな。これだから宗教は怖い。
﹁ではどうやって入りますの?﹂
﹁うん、正面からレイトーク軍が攻めると思うから他の部分は手薄
になると思うんだよね⋮⋮だから多少は無茶しても問題はないと思
うからロープを使って橋をかけちゃおうかなって﹂
﹁さすがにそれは目立ちすぎませんか? 桜さん。渡っている間に
見つかればただでは済まないと思います﹂
システィナの意見は正しい。ロープで架けた橋を渡るとなれば不
安定な姿勢を強いられるだろう。いくらレイトークの攻めで混乱し
ているとはいっても教祖であるバーサがいる屋敷の警護がそんなに
緩いとは思えない。
﹁うーん、桜だけなら余裕なんだけどなぁ﹂
そりゃ、あんたはロープ一本あれば余裕でしょうが俺は普通にも
たつく自信があるぞ。
﹁それならば、わたくしがなんとか致しますわ!﹂
1840
突入前
﹁さっき手紙を届けてもらって、返事を持って戻ってきた一狼によ
ると、レイトーク軍はもう配置についているみたい。あと30分も
したら攻撃が始まると思うよ、ソウ様﹂
休憩のあと、村を迂回するように大回りして移動し村の後ろに回
るために山に入った俺たちはゆっくりと山中を移動していた。
グリィンたちからは山に入る前に下馬、そこで待つように言った
んだけど﹁私たちは普通の馬ではないかラ、山の中でも問題なイ﹂
と同行している。そして、その言葉に偽りはなくて、その巨体でど
うやって動いているんだと問いただしたくなるほどだった。
山中を移動中にすでに日は暮れ、周囲は暗くなっている。刀娘た
ちは暗くても問題ないらしいし、俺と霞や陽も︻夜目︼があるから
見える。魔物たちも暗闇を苦にしない、だけどシスティナだけは見
えないので俺が密着して先導しようとしたんだけど、グリィンがひ
とりぐらい乗っていても関係ないとか言い出したのでシスティナは
グリィンに騎乗してしまった。せっかく陰気な山中を揉み揉みしな
がら楽しんで移動しようと思ったのに残念。
﹁こっちのペースはどう?﹂
﹁うん、予定通りかな。レイトークが攻撃を開始してからこっちも
動くけど⋮⋮ぼちぼちかな﹂
﹁ん? なにが?﹂
桜は周囲を見回すと後続に手で静かにするように伝えて目を閉じ
る。︻気配察知︼のスキルで周囲の気配を探っているのだろう。
1841
﹁⋮⋮交代したばかりの見回りが3箇所にいる、偵察のときと同じ
かな。蛍ねぇ、雪ねぇは察知してる?﹂
﹁ああ﹂
﹁⋮⋮ん、わかる﹂
桜の後ろで同じように︻気配察知︼を使っていたらしい蛍と雪が
うなずく。ちなみに山中に踏み入ってからは雪も人化して同行して
いる。
﹁じゃあ、正面を雪ねぇ。あっちを蛍ねぇにお願いするね。桜は一
番遠いこっちをやるから、ソウ様はゆっくり10数えたらのんびり
直進してて﹂
一方的にそれだけ言うと桜は蛍と雪と視線をかわして消える。続
いて蛍と雪もそれぞれの方向へと駆け出していく。山中をあれだけ
の速さで動いてほとんど音を立てないのは本当に凄い。彼女達に狙
われた聖塔教の斥候には同情してしまう。
﹁兄様、そろそろだよ﹂
﹁おっと、ありがとう陽。じゃあ俺たちはゆっくり進もう﹂
考えているうちに時間が経ったらしく、陽に促されて俺たちも進
む。
﹁それにしてモ、ご主人のところにきていきなり戦とはナ﹂
﹁それは本当にごめん。いろいろ事情があってどうしてもあいつら
を潰しておきたかったんだ。でも、こんなことがあったからこそグ
リィンたちとも出会えたわけだし﹂
﹁かまわんヨ、わたしたちとて魔物ダ。戦うことが嫌いな訳ではな
1842
いイ﹂
危なげなくシスティナを乗せて移動しながら何かを期待するかの
ようなグリィン。
﹁いやいや、今回は村の中に攻め込むし、堀とかもあるみたいだか
らグリィンたちが戦う場面はほとんどないと思うよ﹂
﹁まア、そうだろうナ。だガ、これだけの規模の戦いだからナ⋮⋮
なにが起こるとも限らんだろウ?﹂
﹁え? それってどういう⋮⋮﹂
﹁ソウ様、お待たせ!﹂
なんだか含みのあるグリィンの言葉にどういう意味かを聞こうと
思ったところで、なぜか一番遠くに行っていたはずの桜がもう戻っ
てきて首に抱き付いて来る。
﹁さすがに早いな、桜﹂
それとほぼ同時に蛍も戻ってくる。正面にいった雪はそのまま待
機して、周囲の安全を確保してくれているらしいので、こうして歩
いていればこちらが追いつく形になる。
﹁おかえり、どうだった?﹂
﹁うん、問題ないよ。これで次の交替時間までは大丈夫かな。でも、
次の交替時間までにはレイトーク軍の攻撃が始まる予定だからね﹂
ひとり、場合によってはふたり以上の斥候を速攻で処分してきた
ばかりだとは思えないほどに、可愛く微笑む桜。だがここの奴らの
斥候職の集まりである滅私隊は、幼いころから知らずに暗殺者とし
ての技能を叩き込まれたエリートたちのはずなので、勝負としては
1843
圧勝だったとしてもそれなりに血なまぐさい戦いをしてきてくれた
はずだ。
それをうちの嫁たちは、俺たちに⋮⋮というか俺に余計な心配を
かけないようにいつもどおりにしてくれている。別にいまさら悪人
がひとりふたり死んだところで気にすることもないけど、滅私隊も
元は霞や陽のような子たちだったと思えばちょっと躊躇う気持ちが
ないわけでもない。
ただ、霞や陽に言わせれば養成所を卒業した者は例外なく人を壊
すことを躊躇わなくなるらしい。最終試験に至る前にそのあたりの
教育は終わっていて、それに馴染まなかった子供たちはいつの間に
かいなくなっているそうだ。霞と陽はそれに気が付いて必死で周囲
に合わせていたことと、エリオさんの奴隷の首輪があったからこそ
生き残れた。
そして、そこまで頑張ってきたふたりも、﹃なにも悪いことをし
ていない人を殺す﹄という最終試験だけはどうしても誤魔化すこと
ができなかった。その結果として、ふたりは死ぬよりも苦しいよう
な傷を負わされてしまった。
あの姿を見てしまったら滅私隊とやらに情けをかける余地はない。
嫌々従わされているような奴がいたとしても、せいぜい妥協できる
のは戦いの隙をついて逃げ出すならば、あえて追わないということ
くらいだ。勿論、幹部級クラスは見逃すつもりはない。また同じよ
うなことを始められたらたまらない。
﹁ソウ様、ストップ。ぼーっとしてると落ちるよ﹂
﹁へ?﹂
ゴン!
﹁いたっ!﹂
1844
なにかにが額にぶつかり思わず声を漏らして蹲る俺の下がった視
線の先には深い穴が口を開けていた。
﹁うお⋮⋮﹂
﹁⋮⋮落ちるところだった、ソウジロ減点﹂
どうやら考え事をしながらぼんやりと歩いていた俺を止めようと
雪が出してくれた鞘に、まったく気が付かずにぶつかってしまった
らしい。しかもまた減点⋮⋮なんだか今回の俺はいいとろがないな
ぁ。こんなことで沖田総司を越えられるんだろうか。
﹁これはなかなか頑張った堀ですわね﹂
落ち込む俺の隣で葵が堀を覗き込んでいる。確かに大きい⋮⋮幅
は5メートルくらいで深さは暗くて底が見えないけどちょっと降り
て登るのは無理そうな感じだ。よくもこれだけの堀を村の周囲︵半
分ほどらしいが︶に作ったものだ。
さらに堀の向こうには3メートルくらいの木の柵があり、その向
こうには3階建てでそこそこの大きさの建物がある。あれが教祖バ
ーサが滞在している館だろう。ところどころの窓からはゆらゆらと
ろうそくの灯りが漏れているので、中で人が起きているのは間違い
ない。こっちのほうが暗いからあっちから見られても見つかること
はないと思うけど、気を付けないとな。
それにしても、幅5メートルか⋮⋮体育で幅跳びの授業でもあれ
ば普通にいける距離なんだけど、こうやって跳び越える5メートル
は絶対に無理だな。精神的なものなのかも知れないけど、落ちる結
果のイメージしかない。
﹁葵、結構な大きさだけど大丈夫?﹂
1845
﹁問題ありませんわ、私の︻魔力操作︼で土の橋を架けるだけです
から﹂
﹁あ、なるほど。確かに葵の魔法なら問題ないな﹂
葵の魔法は自分の魔力を制御しながら変化させる。普通の魔法使
いのようにぶっ放し型じゃないから汎用性が高い。逆に葵から離れ
れば離れるほど、制御が難しくなるので効果範囲が狭いのが欠点と
いえば欠点だ。
﹁葵ねぇ、この距離に全員が渡っても大丈夫なだけの橋を架けるの
にどのくらいかかる?﹂
﹁そうですわね、30秒もあれば充分ですわ﹂
﹁さっすが! じゃあレイトーク軍が攻撃を始めてから5分くらい
経ったら葵ねぇに橋を架けてもらうことにして、それから屋敷に突
入してね﹂
﹁え? ちょっと待って。桜はどうするの﹂
なぜか後のことを託して動き出そうとする桜の手を掴んで引き止
める。きょとんとした顔で俺を見る桜が、ああ! と手を叩く。
﹁ソウ様には伝えてなかったっけ。桜は先に忍び込んで、メリステ
ィアさんや転送陣の位置を調べておくね。場合によっては戦闘しな
くてもよくなるかも知れないし﹂
﹁⋮⋮大丈夫なのか? 相手の斥候隊も優秀なんだろ?﹂
﹁問題ないってば。 リュティたちに作ってもらったこの首飾りと
桜の力は相性が抜群だしね﹂
桜の﹃闇隠れの首飾り﹄は魔力を込めれば闇が身体を覆ってくれ
るという魔道具で、桜のお気に入りだ。確かに桜の力を考えればで
きないことじゃない、桜のことを信じてもいる。
1846
﹁そっか、わかった。けど気をつけて﹂
﹁もう、相変わらずソウ様は心配性だなぁ。もうあの時みたいなヘ
マはしないから安心して﹂
桜は微笑んで俺の頬にかすめるようにキスをすると、あっさりと
堀を跳び越えていった。
1847
開戦︵前書き︶
遅くなってすいません。
レビューを頂いたので難産だった話をなんとか乗り切れましたw
1848
開戦
桜がひとり村へと潜入してからどれだけ時間が経っただろう。暗
闇の中で身を潜める時間はとても長く感じる。はぁ、はぁと耳障り
な呼吸音がいやに耳に付き、誰の息遣いだと思ったら俺だった。
﹁落ち着け、ソウジロウ。桜は大丈夫だし、戦争だとはいっても盗
賊退治と変わらん﹂
蛍が俺の肩を叩く。
﹁そうですよ、ご主人様。しかも今回は最初からレイトーク軍も一
緒です﹂
システィナが身体を寄せて、そっと手に重ねてくる。
﹁仲間も増えていますし、心配することはありませんわ﹂
葵が妖艶な笑みを浮かべながら腕を絡めてくる。
﹁ん⋮⋮問題ない﹂
雪は一歩離れたところで屋敷を眺めながらも力強く頷いてくれる。
霞や陽、一狼、グリィンたちも微笑みながら見守ってくれていた。
⋮⋮まいったな、霞や陽までこんなにしっかりしているのに、こ
こまで緊張しているのは俺だけか。システィナの言う通り状況的に
は盗賊たちと戦ったときとは雲泥の差がある。まあ、逆にあのとき
ほどに追い込まれていないせいで覚悟が足りないのかも知れない。
1849
でも、みんなのおかげで早くなっていた心拍もちょっと落ち着い
てきた。俺には頼れる仲間たちがいる。粛々と悪人どもを斬り捨て
ればいいだけだ。
﹁うん、落ち着いた。ありがとうみんな。もう大丈夫﹂
﹁よし、その顔なら大丈夫だな。始まったようだぞ﹂
蛍が俺の肩に置いた手に僅かに力を込める。同時にその場にいる
全員にピリッとした緊張感が走る。その頃には耳を澄まさなくても
戦いの音が聞こえ始めていた。
たくさんの人の怒鳴り声、剣戟の音、無数の矢が空を裂く風切り
音⋮⋮⋮⋮まだ目に見える変化はないが音だけでわかる。これが戦
争⋮⋮でも、これは俺がやると決めて俺が始めたものだ。ここまで
きて怖気づく訳にはいかない。
﹁いくよ、葵は橋の準備を頼む﹂
﹁わかりましたわ﹂
葵が俺の腕から離れ、︻魔力操作︼をするために集中に入る。
﹁グリィンと黒王、赤兎はこの場で待機。橋はそのままにしておく
し、回復薬も預けておくから、もしも誰かが撤退してきたら対応を
頼む。場合によっては避難して構わない﹂
﹁わかっタ、任されよウ﹂
俺はアイテムボックスから回復薬の入った布袋を取り出すとグリ
ィンに渡す。
﹁霞、陽は四狼、九狼と一緒に必ず動け。やりたいことがあれば動
いていい、ただし必ず俺たちに言ってから動け。一狼は霞と陽から
1850
絶対に離れるな。ふたりを守りつつ、ふたりがやりたいと思ったこ
とを助けてあげてくれ﹂
﹁﹁はい!﹂﹂
﹃承知いたしました。我が主﹄
霞と陽が歯切れのよい返事を返し、一狼が小さくウォフと吼える。
﹁主殿、いきますわ﹂
葵の宣言と共に伸ばされる腕。同時に堀の上に土の橋が形成され
ていく。その橋は幅は3メートルほど、厚みは数十センチに及び、
しっかりと湾曲して強度まで計算された見事なものだった。
﹁よし! いこう。葵、もう一仕事頼む。流れ矢が怖いから建物の
中に入るまで風で防御を頼む﹂
﹁承知ですわ﹂
味方の矢で怪我でもしたら馬鹿らしい。葵に任せておけば流れ矢
の危険は考えなくていい。
橋が完成し、葵が張った風の壁が周囲の喧騒を遠ざけたのを確認
してから、全員の顔を見て頷くと走り出す。手すりがないためちょ
っと恐怖感があるが、揺れなどはなく不安定感はない。
一気に五メートルを駆け抜け、三メートルの木の柵、目の高さに
左手に持った閃斬を横薙ぎにする。さらに返す刀で足下の柵に刀を
横薙ぎにすると太腿に装着した巨神の大剣の鞘から巨神の大剣を右
手で抜き放ち木の柵の中央へと叩き付け、上下を閃斬ですでに斬ら
れていた木の柵の中央部分を奥へと吹き飛ばす。
﹁先にいくぞ﹂
1851
﹁⋮⋮⋮⋮お見事、加点﹂
俺が突破口を開くことを確信していたかのように、ごく自然に穴
を抜けていく蛍。さりげなく加点してくれつつあとに続く雪。
柵の向こうに消えていく黒と白の長い髪を頼もしく眺めつつ、二
本の剣を鞘に納めるとふたりのあとに続く。俺の後ろにシスティナ、
葵と続き、霞と陽と狼たちが最後に抜けてくる。
﹃ソウジロウ、一階の窓が高い。正面にまわるぞ﹄
蛍からの︻共感︼の声が届く。屋敷の裏側に出た俺たちだが、裏
から侵入しようにも蛍の言うとおり一階にある窓はどれも位置が高
い。こんな隠れ村に住んで柵と堀に守られているくせに、こんなと
ころにまで侵入者を警戒した対策をしている。どうやらここの教祖
はよほど他人が信じられない性格らしい。
蛍たちに続いて屋敷を回りこむと村の中央広場ごしに戦場が見え
る。奇襲を仕掛けたレイトーク軍が有利であって欲しいが、まだ門
を破ったような気配はないので多少手こずっているのかも知れない。
もっともあまりにも早々に突破されると俺たちのやるべきことが終
わらない可能性があるので、それはそれで困るんだが。
﹃ソウ様! 聞こえる?﹄
屋敷を回り込んで正面玄関前に向かう俺の脳裏に桜からの︻共感︼
。
﹃桜、大丈夫なのか!﹄
﹃うん、大丈夫だよ。ちゃんと転送陣とメリスティアを見つけたよ。
転送陣はお約束の地下で、メリスティアは⋮⋮あっ! やばっ! ととっ! なんでこいつらここに? ごめん、ソウ様。ちょっとま
1852
たあとでね﹄
﹁ちょっとおい! 桜! どうした!﹂
急に途切れた桜の声に、焦って思わず声に出して叫ぶがもちろん
桜の返事はない。
﹁蛍!﹂
﹁取り乱すなソウジロウ。桜なら大丈夫だ、私たちはやれることを
やればよい﹂
屋敷の側面から正面に出る角で立ち止まった蛍が、角の先を覗き
込みながら冷静になるようにたしなめてくる。それはわかっている
けど、あの様子だときっと敵に見つかったはずで⋮⋮あの桜が見つ
かるほどの敵となれば、蛍ほど冷静にはいられない。
﹁入口にふたりか。ここまできて躊躇する必要もないだろう。一気
に奴らを制圧して正面玄関から突入しよう。桜も中で見つかってい
るようだし、これ以上隠密行動をしても意味がない﹂
﹃先陣は私たちがいこう。あとに続いてください我が主﹄
一狼が前に出て、思念を飛ばしてくる。同時に四狼と九狼もパー
トナーと別れて一狼に続く。
﹁⋮⋮わかった。よろしく頼む﹂
﹃承知、いくぞ四狼、九狼﹄
﹁﹁ウォン﹂﹂
小さな咆哮とともに狼の魔物三体が角から飛び出していく。建物
の陰を利用して低い位置を走る狼たちは門を守る信者ふたりに気付
1853
かれることなく一気に距離を詰め、信者たちが違和感を感じたとき
には既に一狼たちは跳びかかっていた。
同時にその結果を確認することなく俺たちも角を飛び出す。視線
の先では一狼がひとりの喉笛を噛みちぎり、四狼と九狼がもうひと
りを押し倒していままさに喉笛に噛みつく瞬間だった。
﹁お見事ご苦労様。一狼、四狼、九狼。⋮⋮システィナ扉は開く?﹂
悲鳴をあげさせることもなく、信者ふたりを排除した狼たちに労
いの言葉をかけつつ正面扉を確認しているシスティナに声をかける。
﹁駄目ですね、どうも内側からしか開かない仕様みたいです﹂
﹁となると門番の持ち物を漁っても無駄か⋮⋮﹂
扉は金属製で、さっきの柵のように閃斬で斬り裂くという訳にも
いかない。この扉を壊すよりも壁を壊したほうが早いんじゃないか?
かんぬき
﹁鍵を掛けてあるといっても所詮は閂のようなものだろう? どい
ていろソウジロウ﹂
扉を前に悩む俺を押しのけるように前に出た蛍がその手に蛍丸を
出すと、扉の正面で大上段に構える。
﹁蛍? 大丈夫なのか。さすがに名刀蛍丸でも金属は!﹂
﹁黙ってみていろ﹂
構えた蛍丸が僅かに光を帯びる。あれは⋮⋮蛍の︻光魔法︼か?
﹁⋮⋮﹃蛍刀流:草薙﹄﹂
1854
草薙? あれは確か、蛍の対魔法切断用属性刀の技のはず。蛍丸
は先ほどよりも光を増し、いまや刀身を数センチ覆う光の刃となっ
ている。
﹁はっ!﹂
蛍の光の刀が一直線に振り下ろされる。それは寸分たがわず両開
きの扉の中央の隙間と同一の軌道。蛍丸の刀身はぎりぎり扉に触れ
ていない、草薙の光刀部分だけが隙間を斬り裂く。蛍丸が振りぬか
れると、さっきまで動きそうもなかった扉が僅かに内側にずれる。
﹁まさか⋮⋮光の刀で扉の隙間から閂を斬ったのか?﹂
﹁ふん、思ったよりもうまくいったな。いくぞ﹂
凄い! さすがは蛍だ、僅かでも間合いを見誤れば蛍丸が扉に触
れ折れる危険性もあったのに⋮⋮。まだまだ俺は師匠には到底及ば
ない。でも、いつかは並び立てるようになってやる!
﹁よし、いこう﹂
システィナと陽が押し開けてくれた扉に俺たちは飛び込んでいく。
1855
開戦︵後書き︶
久しぶりにレビューを頂きました!!
やっぱりレビューはテンション上がりますね^^
ありがとうございました。
1856
フェイク︵前書き︶
聖塔教の隠れ村に裏から突入したソウジロウたちは教祖バーサの屋
敷に突入するが⋮⋮
1857
フェイク
扉を抜けると広めのホールになっていて、正面と両脇に扉がある
がそれ以外はなにもない。室内は薄暗いが壁にいくつか小さな魔石
灯がついているので視界は問題なさそうだ。
﹁どうする、ソウジロウ。別れるか?﹂
どうするか⋮⋮俺たちの目的は転送陣を見つけて御山を解放して
から転送陣を壊すことと、教祖バーサと従属契約を結ばされている
メリスティアを助けること。
目的の場所がわからない以上はいまの段階で別れても効率が悪い
か⋮⋮。
﹁⋮⋮ソウジロ、くる﹂
雪の声と共に両脇の扉が勢いよく放たれ、剣を持った男たちが走
り込んでくる。入ってきた男たちはどいつも中途半端に顔が整って
いる。おそらくこいつらがバーサの親衛隊なんだろう。まあ、ざっ
と︻簡易鑑定︼で見たところ全員﹃業﹄が高い。教祖の親衛隊とし
て人道に外れた恩恵を受けていたことは間違いないだろう。実力的
には強そうな感じは受けないが、数は多いか。
だとそうると両脇の部屋は警護の詰所か? 正面玄関以外の侵入
経路を制限して、正面から入ってきた敵はここで防ぐってっことか。
じゃあ俺たちが行きたい場所は正面にある扉の向こう? でも間違
いなく鍵が掛かっていて、そう簡単には開かないはずだ。
1858
﹁侵入者だ! 取り囲んで殺せ! 絶対にバーサ様のところへは行
かせるな!﹂ 左の部屋から真っ先に飛び出してきた親衛隊のひとりが叫び、親
衛隊どもが武器を構えて俺たちを取り囲もうとしてくる。
﹁く! 取りあえず応戦するぞ! 蛍と陽は右、雪と霞は左! 一
狼は中央で戦況を見て霞と陽を援護。システィナも中央で待機、誰
かが怪我をしたら頼む。葵は俺のリングを限定解放してくれ﹂
﹁よし、ゆくぞ霞﹂
﹁はい! 蛍様﹂
蛍があっという間に間合いを詰めて先頭の男を斬り捨てる。
﹁ん⋮⋮陽、こっちもいく﹂
﹁はい、雪姉様﹂
ほぼ同時に雪も駆け出し、正面に回り込もうとしていた男の首を
斬り落とした。俺の指示に短く返事を返したメンバーたちが親衛隊
との戦いに突入していく。
﹁主殿、限定解放いたしましたわ﹂
部屋に響く悲鳴と怒号の中、葵が艶っぽい声で教えてくれる。同
時に俺の手足にかかっていた負荷が軽減されて身体が軽くなる。
﹁ありがとう葵。戦況は?﹂
﹁まあ、親衛隊というだけあって盗賊の下っ端よりはやるようです
が、山猿や雪さんの相手ではありませんわ﹂
1859
蛍と雪が斬り込み、それを霞と陽が四狼、九狼と一緒に援護する。
一狼は両サイドの戦いを抜けてきた敵の相手をしたり、霞や陽が手
こずる相手のときは的確に援護している。確かに問題はなさそうだ。
バーサというのは確か中年の女というは話だったから、こいつら
はバーサが自分の欲を満たすために集めた顔主体の部隊なんだろう。
﹁よし、じゃあ俺たちは今のうちに正面の扉をなんとかしよう﹂
﹁はい、ソウジロウ様﹂
﹁お供しますわ﹂
いまのところ魔法を使ってくるような相手もいないみたいだし、
葵を後詰に出す必要もないだろう。それに蛍と雪の強さは圧倒的だ。
ぞろぞろと出てくる親衛隊も十人あたりをあっという間に斬り伏せ
られたあたりから勢いが衰えている。まったく手も足も出せずにや
られるというのは見ているほうも心が折れるからな。
ひとまずそっちは大丈夫なら俺は扉をなんとかする。さっき途絶
えた桜との︻意思疎通︼がまだ回復しない。︻共感︼ではなんとな
く戦闘中というのはわかっているが、いつまでもひとりにしておく
のは不安だから早く無事を確認したい。
葵と扉に近づくと、自然と蛍たちや雪たちも俺の後方を守るよう
に動いてくれる。俺が扉を調べ始めたときには、扉を中心に半円形
に取り囲む親衛隊と対峙する形になっていた。
あの僅かな間に半数近くを倒された親衛隊は迂闊に近づいてくる
ことはなさそうだ。だがその眼には僅かな怯えと同時に異常な執着
心のようなものが見え、狂信者らしく特攻してくる可能性はある。
﹁蛍! 扉の向こうに人の気配はある?﹂
1860
﹁⋮⋮一階にいるのはこの部屋にいる者だけだな﹂
ならば早く扉を開けて向こうに抜ければ敵は扉を通ってしか攻撃
できなくなるから、今度は逆に俺たちが地の利を得る。
素早く扉を調べていく。素材は固く石のようで重い。ドアノブは
あるが扉には鍵穴がない。じゃあ鍵がかかっていないのかというと、
扉はまったく動く気配がない。
﹁なんだこれ? どうなってるんだ? 反対側から鍵をかけて、向
こうからしか開かないようになっているのか?﹂ ﹁でも、それならば反対側に人がいないのは不自然ではないでしょ
うか﹂
システィナの言う通りだ。反対側からしか開かないようにしてい
るなら常にだれかが待機していなければならないだろう。そうじゃ
ないということは⋮⋮⋮⋮どういうことだ?
﹁さっきの山猿みたいにわたくしが風の刃で隙間を斬りましょうか、
主殿﹂
﹁う∼ん、ちょっと待って﹂
確かに葵なら可能だろう。でも扉の隙間があんまり無い気がする
⋮⋮それは横も、下もだ。ということは開閉時はほとんど引きずる
ように開閉するはず。それなのに、これだけ重厚感がある扉のわり
に床には全く傷がない。
﹁⋮⋮まるでこの扉を使ったことがないみたいだ﹂
﹁⋮⋮あ! そうかも知れませんソウジロウ様。これ見よがしに設
置されたその扉はダミーで絶対開かないのかも知れません﹂
﹁あ⋮⋮なるほどね。そう言われてみれば、今まで感じていた違和
1861
感がすっきりするな。じゃあ本物はどこに﹂
﹁普通に考えれば親衛隊の出てきた部屋の中かと⋮⋮﹂
やられた⋮⋮これだけ侵入者を警戒しているような屋敷がこれ見
よがしに二階へのルートを放置しているはずがなかった。結局この
扉はフェィク。二階に行こうとする侵入者をここで足止めし親衛隊
で取り囲むための罠。
そう考えればこの扉を含むこちら側の壁が妙に頑丈なのも納得だ。
扉どころか壁も破壊されないように分厚い石材のようなもので作ら
れているんだろう。
﹁くそ、じゃあ入口はどっちの部屋だ?﹂
﹁急くなソウジロウ。そういうことであれば、正解はあっち側の部
屋だろう。最初に出てきて周囲に偉そうに声をかけていた男が出て
きたからな﹂
﹁そういえば⋮⋮となるとこっち側からだと右側の扉か。でもこれ
だけ囲まれてると抜けるのは面倒だな。すこしでも早く桜の無事を
確認したいのに﹂
蛍に言われた通りなるべく焦らないようにしようとするが、心配
は募る。だが、俺たちを取り囲むイケメン親衛隊はまだ二十人以上
いそうだ。ていうか顔の造りはいいけど、どこか荒んでいるという
かニヤけていて不快感を煽る。なかにはうちの面子を好色な目で見
ている奴もいる。⋮⋮⋮⋮もういっそ全員、殺るか。
﹁雪、︻殺気放出︼。葵、︻威圧︼を全力で頼む。相手が怯んだら
一気に突破して右側の扉に飛び込むよ。邪魔する奴は遠慮なく斬り
捨てていい﹂
1862
指示を出しながら腰に戻していた閃斬を抜く。
﹁⋮⋮⋮⋮やる﹂
﹁承知いたしましたわ主殿﹂
同時に雪と葵がそれぞれのスキルを全力で発動する。
﹁ひ!﹂﹁うお!﹂﹁あ、あぁぁっぁ!﹂﹁ひぃいぃぃ﹂
魔物たちすら大人しくさせたふたりのコンボだ。普通の人間なら
こうなってもおかしくない。恐慌状態になって慌てふためき、なか
にはズボンを濡らしているイケメン親衛隊を見てちょっと胸がすく。
だが、のんびりはしていられない。
﹁いくぞ! 先頭は雪と葵、殿は蛍、頼むね﹂
﹁任せておけ﹂
走り出す雪と葵が進路上にいた運のない親衛隊を斬り捨てつつ道
を確保し、俺たちは後ろに続く。親衛隊の中には雪と葵のコンボに
耐え抜いた者も何人かいて、俺たちを行かせないように追いすがる
者もいたが、そんな奴らはもちろん蛍丸の錆になった。
1863
フェイク︵後書き︶
難産回・・・・・・展開的には3パターン以上ありました。結局、
一番キャラ︵筆︶が動いたこの展開になりました^^;
1864
合流︵前書き︶
一巻発売まであと二週間になりました。各種通販で予約も始まって
いますのでよろしくお願いいたします。
前話のあらすじ
屋敷に侵入したソウジロウたちはロビーの扉のフェィクを見破り親
衛隊の包囲を抜けた。
1865
合流
﹁よし、蛍はそのまま入口を維持。残りは室内の家具をこっちへ!﹂
親衛隊の部屋に飛び込んだ俺たちは殿の蛍に入口を任せ、室内に
あった机や椅子、その隣の部屋にあったベッドなどを運んできて扉
を塞ぐ。どうやら飛び込んだ部屋が見張りの部屋で、その奥の部屋
が親衛隊が休む部屋だったらしい。
幸い中からの引き戸だったのでこっち側から家具などで扉を押さ
えればそう簡単には開けられないだろう。しかも念のために休憩室
側の扉も塞いでおく。やつらもスキルの効果から落ち着けば俺たち
を追ってくるかも知れないから念のためだ。まあ、同時に俺たちの
退路を塞ぐことにもなるが、現在進行形でレイトーク軍が攻め込ん
でいる。いずれこの館まで攻め寄せてくれば退路は確保できる。
﹁兄様! こっちの扉の向こうに二階への階段があったよ!﹂
﹁旦那様。上り階段の反対側に地下への階段もありました!﹂
扉を塞いでいる間に休憩室の中にあったもうひとつの扉の向こう
を陽と霞が確認してくれたらしい。さすがに桜から指導を受けてい
るだけあって素早い対応だ。
おそらく地下への階段は転送陣のある部屋へと続いているんだろ
うけど、いまは後回しだ。パーティリングが桜は上にいると教えて
くれている。
﹁ひとまず上に向かう。一狼はここで待機、ふたつ目の扉が破られ
そうになったら知らせてくれ﹂
﹃わかりました、我が主﹄
1866
本当は俺の傍で俺を守りたいだろうに、快く引き受けてくれる一
狼。俺は感謝の気持ちを込めて全力で愛を込めたひと撫でをしてあ
げてから階段へと向かう。
﹁蛍、雪、階段の上に気配は?﹂
﹁上がってすぐは大丈夫そうだな﹂
﹁ん⋮⋮平気﹂
ふたりの返事を背中で聞きながら先頭に立って階段を上がる。仮
に罠や待ち伏せがあっても顔さえ守ればディランさんたちが改良し
てくれたこの短ラン、ボンタンが守ってくれる。後ろから﹁ご主人
様! 私が!﹂と声をかけてくるシスティナが先頭をいくよりも安
全で確実だ。
怖いのは魔法で攻撃されることだが、それでも学ランはかなりの
防御力があるし、その危険性を見越して葵もすぐ後ろに控えてくれ
ているので問題ない。
顔だけをいつでも隠せるようにして、思い切って一気に二階へと
上がる。
ちょっと緊張したが、蛍と雪の言葉通り階段周辺には誰もいない
かった。後続に合図をだし、全員を二階に上げると周囲を見回す。
﹁会議室のような場所ですね﹂
システィナの言葉通り階段を上がった先には大きなテーブルがひ
とつ、そしてその周りを囲むように椅子が置かれているという大き
な部屋だった。
1867
﹁あの扉の向こうに桜がいるな。複数を相手に目まぐるしく動いて
いる﹂
﹁うん﹂
階段の向こう側にある両開きの扉、あの向こうに桜がいる。
﹁いくよ。葵は魔法とかの飛び道具に注意、蛍と雪は桜を援護。残
りは入り口付近で周囲を警戒﹂
短く指示を出し、逸る気持ちのおもむくままに両開きの扉を押し
開ける。
﹁ソウジロウ様!﹂
開けたと同時にシスティナが俺の前に飛び出して魔断の刃で何か
を受け止めた。床でカツンと音をたてたものに目を向けると金属製
の太い針のようなものが落ちている。
こ
桜のクナイや、霞の針のような飛び道具⋮⋮そうか、霞の投げ針
の技術は⋮⋮ ≪ギリッ!≫ 思わず奥歯が鳴る。あんな可愛い娘
に、もともと戦いなんてするような娘じゃなかったふたりにあんな
技を覚えさせて、しかも思い通りにならないからと殺そうとするな
んて⋮⋮。
霞と陽のあの傷だらけの姿を思い出して頭の中が冷えていく。同
時に部屋の中の様子が見えるようになってくる。どうやら俺は自分
で思っていた以上に冷静じゃなかったらしい。
﹁桜!﹂
その部屋はとても広かった。外から見た屋敷のサイズから推測す
ればこの二階には、さっきの会議室とこの部屋しかないはずだ。そ
1868
してその部屋には奥へと続く赤じゅうたんと、一段高くなった突き
当りに置かれた豪奢な椅子があった。壁際には等間隔に魔石灯が備
え付けられており暗くて視界が悪いということはない。この部屋の
造りと雰囲気から、おそらくこの空間は謁見の間として使われてい
るのだろう。
その部屋の中で、桜がめまぐるしく位置を変えながら黒ずくめの
装束を纏った複数の相手と戦っていた。
﹁蛍、雪!﹂
﹁任せておけ!﹂
﹁⋮⋮いく﹂
どうやら桜の相手は滅私兵と呼ばれる聖塔教の斥候部隊だ。どう
やら偵察中に奴らに見つかり、そのまま戦闘に突入してしまったら
しい。室内には複数の死体が転がっているが、相手の数が多く切り
抜けられなかったのだろう。
だが、俺たちがきた以上はもう桜ひとりを戦わせはしない。俺の
声に応えた蛍と雪が駆け出していき、桜に群がっていた滅私兵をそ
れぞれ一刀のもとに斬り捨てる。桜を相手に集中していた滅私兵は
背後から音もなく一気に間合いを詰めてきたふたりにまったく反応
できていなかった。
そして、ふたりが斬られたことで俺たちが入ってきたことに全員
が気が付き、滅私兵たちが態勢を立て直すためなのか、桜の包囲を
解いて部屋の奥に下がった。
﹁ソウ様!﹂
それを確認したのかしないのか、一瞬でこちらまで戻ってきた桜
1869
が俺の胸へと飛び込んできた。
﹁桜、よかった⋮⋮無事で﹂
その華奢な身体をやや強めに抱きしめながら漏らした言葉に桜が
小さく肩を震わせる。
﹁ふふ、ソウ様ったら心配性なんだから。大丈夫って言ったのに﹂
﹁いいんだよ。どんなにみんなが強くたって心配なのは変わらない
んだから﹂
﹁うん、ありがと。ソウ様﹂
よし! 桜の無事を確認したら余裕が出てきた。
﹁桜、桜が見つかるなんてどうしたの?﹂
胸の中の桜をちょっと惜しみつつ解放して問いかける。幸い、い
ったん下がった滅私兵たちはこちらをうかがったままでまだ動く気
配はない。
こちらも蛍、雪、システィナを壁に葵、霞、陽が警戒をしている
ので鉄壁の布陣だ。
﹁あ、そうそう。どうやら滅私兵が全部この屋敷の中にいたみたい
で⋮⋮それでもなんとか三階までは行けたんだけど、そこにフージ
までいてあの禿に見つかっちゃったんだよね。⋮⋮まあソウ様とお
話しててうっかり︻隠形︼がゆるんじゃったのが直接の原因なんだ
けど﹂
てへっと笑う桜に思いっきり脱力しながら軽く拳骨を落としてお
く。
1870
﹁メリスティアは?﹂
﹁うん、三階にいたよ。三階はバーサの寝室だけなんだけど、バー
サが若い男たちと夜のパーティを繰り広げている脇で控えてた﹂
﹁⋮⋮大丈夫なのか?﹂
逆ハーレム状態のそんな部屋に同室していて、しかも従属状態で
逆らえないメリスティアがいろんな意味で大丈夫なのかが気になっ
ての問いかけだったが桜は問題ないと首を振った。
﹁うん、どうもバーサが嫉妬深い性格みたいで男たちが自分以外の
女を見るのも気に入らないって感じ。部屋にいる男たちも、どう考
えても裸のバーサより服着たメリスティアのほうがそそるのにまっ
たく見向きもしなかったよ。ちょっと異常なくらいだったかも﹂
﹁そうか⋮⋮とにかく無事ならそれでいい。桜は怪我なんかはして
ないか?﹂
﹁うん、大丈夫﹂
﹁ソウジロウ様!﹂
桜の回答に安堵のため息を漏らし桜の頭を撫でていると、システ
ィナが俺を呼んだので桜と共に前へと出ると部屋の奥にある玉座然
とした椅子の奥にあった階段から誰かが降りてくるところだった。
1871
合流︵後書き︶
発売まではすこし更新頻度をあげていきたいと思っていますが⋮⋮
できるかどうかはわかりません^^;
でも、少なくとも明日中にもう一話更新します!
1872
自己評価︵前書き︶
久しぶりの連投です。昨日も投稿してますので読み飛ばし注意です。
1873
自己評価
うすぎぬ
足から見えてくるその姿は薄衣を纏った妙齢の女性、半裸の禿男、
出会った頃のシスティナと似た形のローブを身に付けた綺麗な女性
の三人。
いままでの情報からいえば、先頭の女が教祖バーサ、禿男がフー
ジ、ローブがメリスティアだろう。
三人はゆっくりと階段を下りると、バーサは気だるげに椅子に腰
を下ろす。メリスティアはその脇に控え、フージは前へ出て滅私隊
の後方へと立った。
乱れたままの長く白みがかった髪を右手でかきあげるバーサは、
遠目で見ても四十絡み。ただ、色に励んでいたせいか全身から妙な
色気を醸し出し、妖艶な雰囲気を纏っている。薄衣を押し上げる双
丘もなかなかのサイズだし、足を組み露わになった足は白く細い。
目の前に転がる滅私兵の死体や、侵入者である俺たちを見てもさ
ほど関心はないのか、だらしなく椅子に腰かけてくつろいでいる。
そんなバーサの脇に控えるメリスティアは無表情だ。淡いブルー
の長い髪をきっちりと編み込み、隙無く着込んだ衣服は自己防衛の
表れだろうか。どこかあどけない感じを残した可愛い娘なのにもっ
たいない。でも意に沿わない契約を強制され、目の前で熟女とイケ
メンの狂乱を見せ続けられたら感情なんか摩耗してしまっても仕方
がないだろう。
﹁メ⋮⋮⋮⋮ソウジロウ様﹂
1874
バーサの後ろにいるメリスティアを見て、思わず声をあげそうに
なったシスティナを肩に手を置いてやめさせる。メリスティアの知
り合いだとわかれば盾にされる可能性がある。そのことは事前に打
ち合わせてあったはずなんだけど、いざ姿を目にしたら反射的に声
が出てしまったのだろう。
メリスティアのほうもシスティナの姿を確認して一瞬だけ驚愕の
表情を浮かべたが、俺の隣にいた桜の顔を見て納得したように頷く
と再び無表情に戻っている。そのあたりを即座に察してくれるのは
頭のいい証拠だろう、こちらとしてもありがたい。
﹁桜、システィナ。頼みがある﹂
﹁は、はい﹂
﹁は∼い、いいよ﹂
﹁ふたりで転送陣を使って御山に向かってくれ。御山に残っている
聖塔教を処分して御山を解放したらルミナルタへの転送陣の出口は
壊さずに封鎖だけして、すぐにここへ戻ってきてこっち側の転送陣
は破壊して欲しい。﹂
ふたりの返事を受けて俺は指示を出す。レイトーク軍の侵攻状況
はわからないが、時間的に余裕がない可能性もある。早いうちに転
送陣のほうも対処しなくてはならないし、御山を解放してあげない
とメリスティアも安心できないだろう。
となれば戦力を分けてことにあたるしかない。システィナと桜な
ら御山に行った経験があり、御山の関係者とも面識がある。戦争を
間近にして御山には聖塔教の戦力もほとんど残っていないはずだろ
うし、ふたりだけでも戦力としては十分だろう。
﹁ですがソウジロウ様! 私は⋮⋮﹂
俺の指示を聞いたシスティナは泣きそうな顔をして食い下がろう
1875
とするのを片手をあげて押しとどめる。
侍祭としてのエリートだったシスティナにとって契約者の傍から離
れるというのは原則ありえない。だけど俺との間に関しては契約も
緩いし、同じ人間として一方的に拘束はしたくないから、日頃から
もっと個人として自由に過ごしていいと言い続けている。その甲斐
あってか日常生活の中では普通に別行動も取れるようになってきて
いるシスティナだったが、命の危険がある戦いの場において契約者
と離れるというのは、まだまだ耐え難いものなのだろう。
﹁システィナ。なにかあった時に俺の傍にいてくれようとしてくれ
るのは嬉しいけど、ここにはみんなもいる。むしろ危険なのはふた
りで行かなきゃいけないシスティナたちのほうだ。俺はシスティナ
と桜を信じるから、システィナも俺とみんなを信じてほしい﹂
﹁⋮⋮ソウジロウ様﹂
﹁大丈夫。いい回復薬も持っているし、この短ラン・ボンタンもあ
る。システィナが戻ってくるまで怪我をしないように頑張るから﹂
なおも不安気な表情を見せるシスティナに笑いながら大丈夫だと
伝える。それを聞いたシスティナは一瞬だけきょとんとした表情を
浮かべ、小さく微笑みながら頷いた。
﹁⋮⋮わかりました。確かに御山の件は私から言い出したことです
・・・・・・
し、私が行かなくてはならないと思います。でも! 私が戻るまで
も、戻ってからも怪我はしないようにしてくださいね﹂
﹁わかった。システィナも気を付けて⋮⋮桜、よろしく頼む﹂
﹁まっかせといて! シス、いくよ!﹂
﹁はい!﹂
俺たちを信じて振り返らずに部屋を出ていくふたりを見送ってか
ら、向き直るとそこではまだにらみ合いが続いていた。
1876
相手の滅私兵の数は二十名を超えるくらいか⋮⋮普通の兵士二十
名ならうちのこのメンバーなら問題はない。だけどさっきのあいつ
らの動きを見ていると、なかなか簡単にはいかない気がする。
﹁蛍と雪はあいつらと戦っても問題ないよね﹂
﹁ああ﹂
﹁ん⋮⋮﹂
ふたりは︻気配察知︼もあるし桜たちのような斥候職の速さとは
質は違うけど、速さでも負けていない。問題は残りのメンバーだ。
﹁霞と陽はどう?﹂
今回は霞と陽自身に確認のうえ、過去を清算するためにも滅私兵
の壊滅させることは方針として決まっている。霞と陽も自分たちで
も戦いたいと申し出たため先頭に参加することが決まっている。そ
して、現在のこの状況は幸か不幸か滅私兵の首領フージと主力と思
われるメンバーが集まっている。ふたりにとってはいま、ここが今
回の主戦場といえる。
﹁あ、はい。多分大丈夫です﹂
﹁うん、僕も平気だよ兄様﹂
﹁え? 大丈夫なの? 結構あいつら強そうだったけど?﹂
﹁桜様のほうが比べものにならないほど速いですし、あのくらいな
ら﹂
﹁だよね! 桜姉様との訓練ならレベル二ってところかな?﹂
なにそのレベル制。こんないたいけな少女たちに桜はいったいど
んな鍛え方してたんだ?
1877
﹁ちなみにふたりはいまレベルいくつで訓練しているの?﹂
﹁霞ちゃんがレベル四で、僕はレベル五だよ﹂
﹁そ、そうなんだ⋮⋮頑張ったね、ふたりとも﹂
半ば放心しつつもふたりの頭を褒めながら撫でてあげる。えへへ
と喜ぶふたりは可愛いけど! もしかして一番弱いの俺か?
﹁心配しなくても、普通に戦ったら多分わたくしもついていけませ
んわ主殿﹂
﹁葵!﹂
よかった! ちょっとヤバいと思っていたのは俺だけじゃなかっ
た。
﹁わたくしが戦うときは︻魔力操作︼で魔力を周囲に張り巡らせて、
疑似的な結界を張りますわ。それなら圏内に入った敵は見逃しませ
んから﹂
ですよね! うちの刀娘たちがいくら斥候職相手とはいえモブ相
手に苦戦とかするわけないか。
﹁ソウジロウ、自分を低く見るな。おまえを鍛えているのは誰だと
思っている。負荷を外したおまえが集中さえしていればあの程度の
相手に不覚を取ることなどないはずだぞ﹂
﹁蛍⋮⋮﹂
﹁自分の不安の原因を能力の未熟さに求めるな。おまえが不安なの
はたんに戦闘経験の少なさによるものだ。だがこの世界に来てから
おまえも数多くの戦いを経験してきている。そろそろ自分を信じて
やれ﹂
1878
⋮⋮⋮⋮蛍はそう言うが、十七年間平和な日本でのうのうと生き
てきた俺だ。そう簡単に戦いに自信なんて持てない。だが、自分は
信じられなくても蛍のいうことなら信じられる。
﹁蛍がそう言うなら信じるよ。自己判断するよりもよっぽど俺のこ
とをわかってくれているはずだからね﹂
﹁ふ、そうだ。私からすればまだまだだがお前は十分に強い﹂
1879
自己評価︵後書き︶
発売まであと13日です。
作って頂いたポスターが届くのが楽しみです^^
1880
対滅私兵︵前書き︶
なんとか三連投いけた。
1881
対滅私兵
蛍にそこまで言わせたらノせられてやろうじゃないか。
俺は閃斬を鞘から抜くと蛍と雪の間へと進む。
同時に俺の視線の先では裸の上半身を汗に濡らした禿頭の男フー
ジが、いきなり部下である滅私兵の一人を殴り飛ばしていた。殴ら
れた滅私兵はゆうに数メートルを飛ばされて壁に叩きつけられぐっ
たりとしている。もしかすると死んでいるかも知れない。細身な体
の割にとんでもない力だ⋮⋮身体強化系のスキルを持っている可能
性があるな。
﹁我らが教祖、バーサ様の御前で敵に臆するなど滅私兵としては死
んだも同然。他に死にたいやつはいるか?﹂
フージの低くよく通る声が滅私兵たちへと届くと、滅私兵たちの
空気が変わる。
﹁気に食わないやり方だが、効果的だな﹂
﹁ん⋮⋮﹂
﹁やれやれですわね﹂
スキルではないが全身から殺気を放っていた蛍が胸を揺らしつつ、
呆れたようにつぶやく。
同じように︻殺気放出︼や︻威圧︼を使っていた雪や葵もスキル
を解除したようだ。
1882
俺が敵と向かい合っていながらものんびりと指示を出したり話を
していられたのは、別に相手が待っていてくれたわけじゃない。敵
とにらみ合っていた蛍や雪、葵が相手をしっかりと牽制してくれて
いたからだ。
しかもさっきみたいな瞬間的に大きな効果を出す使い方ではなく、
じわじわと相手にプレッシャーを与えるように。そうやって相手を
僅かでも委縮させた状態で戦闘が始まれば、数の差があっても序盤
は優位に戦うことができたはずだった。
だが、フージはそれに気が付くと、あえてひとりを派手に犠牲に
ヘイト
して部下たちに衝撃を与えて刀娘たちのプレッシャーをリセットし
た。そのうえで信仰心をあおって再び闘争心を掻き立て、敵対心を
俺たちへと向けさせた。
﹁残念だけどしょうがない。正面から当たろう﹂
﹁よし、正面をソウジロウと葵、右から私と陽、四狼。左は雪と霞、
九狼だ﹂
蛍さんの指示は俺を正面に置くとか、ぱっとみ厳しそうに感じる
が実はとても優しい。霞と陽のサポートに付きつつ両脇から俺のサ
ポートもしてくれるつもりなんだろう。
﹁了解、じゃあいこう﹂
﹁後ろはお任せください主殿﹂
葵が頼もしすぎる! もちろんお任せだ。
﹁さ、あっちもやる気だ。集中しろソウジロウ﹂
蛍の声にメンバー全員が反応して一気に戦闘態勢に入る。同時に
1883
俺たちは走り出し、前方の滅私兵たちが霞む⋮⋮違う! 高速で動
き始めたんだ。確かに桜や雪とは違い、かろうじて動きは追えるか。
っと、あぶねぇ! いつのまにか足元に潜り込んでやがる。閃斬
の牽制の一振りで追い払うが、今のは見えていた訳じゃない⋮⋮な
んとなくわかっただけ。この感覚は初めて盗賊と戦ったときの感覚
に近い。
﹃主殿、主殿はいま、わたくしの魔力圏の内にいますわ。わたくし
の︻共感︼にも気を付けていてくださいませ﹄
なるほど⋮⋮葵が自分が察知した相手の位置を︻共感︼を使って
イメージで伝えてくれていたのか。確かにあのときも蛍が周囲の状
況を︻共感︼で伝えてくれていたんだった。
﹁ありがとう葵、これなら﹂
俺が気が付かない部分を葵がカバーしてくれるなら、俺はできる
範囲で全力を尽くせばいい。そう思ったら視界がクリアになった気
がする。さっきよりも敵の動きもよく見える。
よく見ていると奴らが消えるように見えるのは動きの速さだけで
はなく、思いがけないタイミングで互いに蹴りを合わせたり背中を
貸したりして、瞬間的に加速したり、予想外の方向転換をしている
せいだというのがわかる。
そうとわかっていれば、レイトーク一階層で壁を蹴って襲ってき
たタワーウルフと変わらない。
斜め前方から跳んできた滅私兵を一歩下がって避けてすれ違いざ
まに閃斬を振り下ろす。あのときはバスターソードだったから一撃
で仕留められなかったけど、いまなら⋮⋮綺麗に胴体を斬り裂いた
閃斬での一撃に、確かに蛍のいうとおり俺も経験を積み成長してい
1884
ると実感する。
﹃主殿! 左から飛び道具ですわ!﹄
葵の警告とイメージに従い左手の獅子哮を防御に向ける。が、ど
んな仕組みなのか飛んできた針は直前で軌道を変えて俺の胴体へと
突きささ⋮⋮らない。
代わりに俺の学生服に魔力を供給してくれている胸のボタンのひ
とつにヒビが入る。一撃で短ランのボタンにヒビをいれるとはなか
なか強力だ。しかも落ちている針は微妙に湾曲しているうえに明ら
かに毒が塗られているっぽい。
最高級の毒消しも各自のアイテムボックスには入れているけど、
システィナもいない現状では傷を受けないにこしたことはない。気
を付けないとな。
俺に攻撃を通してしまったことに気が付いたせいか蛍と雪の立ち
位置が中央よりになっていて、俺への攻撃が減ったので視線を左に
向ける。
そこでは雪が嬉々として加州清光を振るい間合いに入る滅私兵を
斬り捨てている。その近くで陽もふたりを相手に見事な戦いを繰り
広げている。
陽は霞と違い︻幻術︼のような特殊なスキルは持っていないが爪
虎族特有の瞬発力に加えて、︻敏捷補正︼とリュスティラさんたち
に作ってもらって俺達も身に付けている︻敏捷補正︼つきの魔鋼製
脚甲がある。
そしてとにかく体が柔らかくて使い方がうまい。ときには猫の様
に両手両足を地面につけての方向転換と加速は、滅私兵たちがふた
りでやっている作業をひとりでやっているようなものだ。しかも四
狼を敢えて目立つように動かし、相手の視線を誘導した隙に︻隠形︼
をつかって死角に入る動きも実に自然。
1885
そこまでの技術を持って、さらに地力も上となればまともにやれ
ば滅私兵たちに勝ち目はない。音も無く滅私兵たちの死角に潜り込
んで︻短剣術︼で綺麗に首を斬り裂く。その表情にほんの少し悲し
いものが見えた気がしたのは俺の思い過ごしだといいんだが。
視線を右に向けると蛍が、なにかを投擲しようとしていたフージ
に向けて光刺突を繰り出して邪魔をしていた。どうやらさっき俺の
短ランのボタンをひとつ駄目にしたあの針はフージが投げたものら
しい。曲がる針をあれほどの威力で正確に投げたのが滅私兵のトッ
プであるフージだというのなら僥倖だ。あんな攻撃を全員から一斉
に仕掛けられる心配がないからな。 霞はミモザ戦で見せたようなに︻幻術︼を使った分身を使ってし
っかりと相手を攪乱してから攻撃をしている。今回は九狼を︻幻術︼
の影に隠すようにして連携しているようだ。
みんな事前の申告通りに危なげない戦いだ。戦力差もほぼ互角く
らいになっているし、このまま押し切ってフージさえ倒してしまえ
ばバーサには戦う力はないはずだ。
1886
回復術︵前書き︶
1巻発売まであと9日です。よろしくお願いいたします。
1887
回復術
﹁主殿、なにかおかしくはありませんか?﹂
﹁え? ⋮⋮どうかしたの葵﹂
結局危なげのない仲間たちの活躍に再び斬り込むきっかけをつか
めずにいた俺にうしろから葵が声をかけてくる。
﹁みなさんの活躍でさきほどまで数でも互角になりつつあったはず
なのですが、また少し数が増えてきているような⋮⋮﹂
﹁でも、どこからも援軍なんて⋮⋮﹂
一階で見張りをしてくれている一狼からも連絡はないし、三階か
ら誰かが降りてきた様子もない。勿論、この階の窓が開けられた形
跡もない。
﹁兄様! あの人たち傷が!﹂
陽の叫び声に視線を向けると、四狼に噛みつかれて戦線離脱して
いたはずの滅私兵がむくりと起き上がるところだった。肩口に四狼
に噛みちぎられた形跡が見られるが破れた装束の下から見える体か
らは新たな出血も傷もないように見える。
そういえば、さっき壁に叩き付けられていた奴もいつの間にかい
ない⋮⋮俺たちはこんな光景を見たことがある。というかいつもお
世話になっている。
﹁︻回復術︼!﹂
﹁ですが、あちらの侍祭はあの女の後ろから動いていませんわ!﹂
1888
確かにメリスティアはバーサの後ろで祈るように手を組んで目を
閉じているだけだ。地球の医療知識を身に付け、魔断で魔力増幅し
た聖侍祭のシスティナでさえ回復をさせるためには近くで手を添え
る必要があった。しかも見ていると回復の効果が広範囲に広がって
いるような気がする。メリスティアがうちのシスティナより優れた
能力を持っているとは思いたくない。⋮⋮だって、なんか悔しい。
だが、そう考えてみるとあいつらの戦い方に対する見方も変わっ
てくる。あいつらは誰かが怪我をすると止めを刺される前に他の誰
かが攻撃を仕掛けてくるんだ。それは、広範囲型の︻回復術︼があ
る前提だったってことか?
あ! そうか、なかなかこっちに攻めかかってこなかったのも、
蛍たちに威圧されていたからということに加えて回復の範囲内で迎
え撃つつもりだったってことか!
﹁気にすることはないぞ、ソウジロウ。ならば一太刀で息の根を止
めればよい﹂
﹁ん⋮⋮⋮⋮簡単﹂
蛍と雪が同時に滅私兵の首を落とす。いや、確かにその通りだけ
どね⋮⋮なかなか簡単にできるもんじゃないっての。ただ、どうや
ら回復速度自体はそう早い訳でもなさそうだし、いままで通り戦っ
ていればいずれ押し切れるか。
﹁霞! 陽! 焦らずにいままで通りでいい。ただし、疲れて息が
乱れる前に一旦下がるようにするんだ!﹂
﹁﹁はい!﹂﹂
疲れ知らずの刀娘たちは取りあえず大丈夫だろうけど、いくら亜
1889
人とはいえ霞と陽の体格だと戦いが長引けば疲労してくるのも早い
はずだ。
それにしても⋮⋮いくら範囲回復があるとは言っても仲間たちが
どんどん斬り伏せられているのに、こいつらまったくビビる素振り
が無い。最初こそスキルの効果もあって萎縮させられたけど戦いが
始まってからは、すぐ傍で仲間の首が飛んでも、腕を斬り落とされ
てもまったく意に介さない。これだから宗教は怖い。
霞や陽は実験のためだったのか、成長してから奴隷として訓練場
に送り込まれたらしいけど、本来滅私兵として大成させるためには
物心つく前から、聖塔教に都合のいいように常識を刷り込まなけれ
ばならないらしい。あいつらはふつうに動いているように見えるけ
ど、人造魔法兵たちと同じように人としてはもう壊されているのか
も知れない。
﹁お前たちの境遇には同情するけど、やってきたことは許されるよ
うなことじゃない﹂
霞の動きに疲れが見えてきたのを感じた俺は飛び込んでいって霞
の背後に回ろうとしていた滅私兵のひとりを斬り捨てる。
﹁霞、いったん下がれ﹂
﹁なかなか見事でしたわ﹂
﹁は、はい! ありがとうございます旦那様、葵様﹂
霞、九狼コンビと位置を変わった俺は徐々に減っている滅私兵た
ちを確実にひとりずつ仕留めていく。腕輪を限定解放して、葵のサ
ポートがあれば俺でも戦える。
むくろ
やがて、回復すら追いつかなくなった滅私兵は徐々に数を減らし
ていき、やがてひとり残らず動かぬ骸となり果てた。これで残るは
1890
フージとバーサのみ。⋮⋮っていうかなんで、明らかに劣勢だった
のにフージは動かなかった? なんでバーサは逃げようとしない? ﹁ふん、不甲斐ない。弱兵どもが⋮⋮まあ、いい。バーサ様、お願
いいたします﹂
投げ針を封じられてからは戦いの趨勢を腕を組みながら見守って
いたフージがバーサに向かって小さく頭を下げる。この状況で一体
なにをするつもりだ? なにかされる前にバーサを倒すべきか⋮⋮
でも従属契約をしているメリスティアが契約に縛られて自発的に盾
になりそうで怖い。それに契約者の中には自分が死んだら死ねと命
じておくようなやつもいるらしい⋮⋮バーサを倒したらメリスティ
アが強制的に殉教して自殺とか目も当てられない。
﹁いいでしょう⋮⋮。メリスティア、あなたの努力も虚しかったわ
ね。でもあなたの頼みをきくのもここまでよ。以後は勝手な能力の
使用は禁じます﹂
﹁⋮⋮はい﹂
力を使い過ぎたのかメリスティアが息を荒くしながら頷く。どう
いうことだ⋮⋮︻回復術︼を使っていたのはバーサの指示じゃなか
ったのか? じゃあなんでメリスティアはそんなことを⋮⋮。
﹃ソウジロウ、どうするのだ。おまえが考えていることは伝わって
いるが、あの侍祭をなんとかせねばあの女を殺せないというのなら、
なんとかするのはお前の役目だろう?﹄
﹃わかってる。手がないわけじゃないんだ⋮⋮あとはバーサに邪魔
されない状況で彼女と話せる機会さえあれば﹄
蛍が正面を警戒しつつ︻意思疎通︼で問いかけてくる。なんとか
1891
バーサに邪魔さえされなければ⋮⋮。
﹃それならばわたくしたちがなんとかいたしますわ。主殿の刀とし
てそれくらいやってみせなければ名刀の名折れですわ!﹄
﹃ふん、癪だが年増の言う通りだな﹄
﹃ん⋮⋮⋮⋮同意﹄
いつでも俺を信じて助けてくれる刀娘たちの気持ちが嬉しい。彼
女たちがいるから俺は強くなれる。
﹁ありがとうみんな。状況さえ整えてくれればあとは俺がなんとか
して見せる﹂
︻意思疎通︼ではなく声に出して応えることで俺の決意を示す。
﹁兄様! 今度は死体が!﹂
陽の焦りを含んだ叫びに辺りを視線を巡らせると完全にこと切れ
ていたはずの滅私兵たちがひとり、またひとりと立ち上がってくる
ところだった。
﹁まさか! 完全に死んでいたはずだ﹂
ワンド
はっ、としてバーサを振り返る。そこにはまがまがしいオーラを
放つ短杖を掲げる聖塔教教祖バーサの姿があった。
1892
反魂︵前書き︶
一巻発売まであと一週間です。
1893
反魂
ネクロマンサー
なんなんだ? まさかのゾンビ? バーサは死霊術師かなんかだ
ってことなのか? 大した情報は得られないから最近はあんまり使
ってなかったけど︻簡易鑑定︼をしておくべきだった。
﹃バーサ 業:101 年齢:47 職:娼婦﹄
業、高っ! あ、しかもまた1あがった。⋮⋮そりゃ死体を無理
やり動かして使うようなことしてれば上がりもするか。でも職は娼
婦で死霊術師じゃない。あ、そうか︻読解︼を切れば⋮⋮⋮⋮いや、
それでも表向きの職は教祖だ。
ということは多分こいつらをゾンビとして動かしているのはバー
サ本人ではなくあの短杖か! ︻武器鑑定︼
﹃邪淫の魔杖︵呪い︶ ランク:C 錬成値:最大 技能:魔力増
幅/性欲増強/闇補正︵微︶
特殊技能:淫屍反魂 所有者:バーサ﹄
また呪いの武器か! 誰だよそんなもん作ったやつは! 武器と
しての能力は︻魔力増幅︼に⋮⋮︻性欲増強︼? お盛んなことで、
ってそこは人のこと言えないけどな!
はんごん
問題はそこじゃない⋮⋮おそらくはこの武器のエクストラスキル
︻淫屍反魂︼。反魂ってのは確か生き返らせるみたいな意味だった
はず⋮⋮システィナがいればすぐ確認できるんだけど⋮⋮。
でも反魂とか付いているだから、こいつらがゾンビになったのは
しかばね
あの武器が原因なのは間違いないけど、いん⋮⋮し? 反魂の前の
あれはなんだろう。みだらな屍だけ生き返らせるってことか? 1894
﹃推測だが武器のスキル構成から言えば、淫欲に溺れた屍体を操れ
るのではないか?﹄
﹃それではここにいる屍人ども全員が淫欲に溺れていたということ
になってしまいますわ﹄
﹃ん⋮⋮ソウジロも危ない﹄
バーサや武器の鑑定結果を同時中継されていた刀娘たちが恐ろし
いことを言いだす。ていうか俺も死んだらああなるってことか? いやいやスケベなだけで死後も操られたらたまったもんじゃないぞ。
﹁旦那様﹂
﹁兄様﹂
俺たちがそんなことを裏で考えている間に徐々に起き上がった屍
体どもが俺たちのほうへとじりじりとにじり寄ってきて、その異様
な光景に怯えた霞と陽が俺の腕をそれぞれ抱え込んで怯えている。
⋮⋮ふたりとも小ぶりながらもなかなかのボリューム。うんうん、
うちに来た当初はかなり肉が落ちていたけど、これが本来のふたり
の姿なんだろう。
﹁とりあえず、理屈を考えるよりも目の前の敵をなんとかしよう﹂
﹁そうだな、動きは先ほどとは比べものにならないほど鈍そうだが
⋮⋮﹂
そう呟いた蛍がだっと駆け出し、近くに寄ってきていた一体を斬
り捨てて戻ってくる。袈裟懸けに斬り捨てられた滅私兵⋮⋮ていう
かもう滅屍兵か。斬られた滅屍兵は一度倒れたが、すぐに立ち上が
ってくる。心なしか斬られた場所ももう癒着している気がする。
1895
﹁とどめをさせるかどうかが問題ですわ﹂
﹁⋮⋮首を落とした奴も動いてる﹂
こうなってくると反魂というよりは屍体を操っているだけだな。
もともとの体の持ち主の意識はまったく残っていないだろう。悪人
自体が死んでどのように扱われようとも別に構わないが、元は人だ
ったものを道具のように使う奴がいるのは気に入らない。
⋮⋮やれやれ、もっと簡単にけりがつくと思ってたんだけど甘か
ったか。とにかくひとつずつ片付けていくしかない。
﹁霞、陽。フージを見たことがある?﹂
俺の腕に抱き付ていたふたりに声をかける。ふたりともゾンビの
異様さにちょっと怯えてしまってはいたが戦意が挫けている訳では
ない。
﹁里の長としてたまに訪れて訓練の成果を確認していました﹂
﹁なんか物を見るみたいな目でいつも僕たちを見ていて凄い嫌だっ
たな﹂
﹁あいつが霞と陽を傷つけたやつらの責任者だ。どうする?﹂
霞と陽は俺たちの屋敷で暮らすようになってから、明るく元気に
楽しく暮らしているように見える。でも、四狼や九狼から一狼が聞
いた話では、たまに夜中にうなされているそうだ。そんな日に目覚
めたときのふたりは、目が見えることを確認し、腕や足が動くこと
を確認し、自分の耳や肌があることを確認して⋮⋮泣きながら自分
の体を抱きしめるらしい。
表向きはいつも元気で俺たちを癒してくれているふたりが、そん
なふうにまだ苦しんでいるのが俺には許せない。ここであいつを倒
1896
すことがふたりにとっていいのか悪いのかはわからないが⋮⋮俺は
ふたりが立ち直るためのきっかけになるんじゃないかと思っている。
だからふたりがもしその気があるならば俺は全力でサポートして
あげたい。
﹁﹁⋮⋮⋮⋮﹂﹂
ふたりの体温が俺の腕から離れる。視線を下ろすとふたりの真剣
な眼差しが俺を見上げていた。
﹁やります﹂
﹁僕もやる﹂
﹁わかった。じゃあ俺たちが道を作る。しっかりとついてくるんだ﹂
﹁﹁はい!﹂﹂
よし! いい目だ。ふたりのために俺たちが道を開く。
﹁蛍! 葵! ゾンビどもを倒せ! 俺たちの周囲に近づけるな!﹂
﹁任せておけ﹂
﹁わかりましたわ﹂
蛍と葵が飛び出していきゾンビたちを斬り払い道を開いてくれる。
﹁雪! こい!﹂
﹁⋮⋮わかった﹂
俺はふたりが斬り開いてくれた道に走り込みながら閃斬を左手に
持ち替え、右手を雪へと伸ばす。雪の短い承諾の言葉と同時に、蛍
の放った光が一瞬だけ広間を照らす。雪の変化する瞬間を隠そうと
してくれたのだろう、頼れるお姉さまだ。そう思った瞬間には俺の
1897
右手には加州清光が握られていた。
一剣一刀を構えた俺はバーサの前に立ちふさがるフージへと斬り
かかっていく。限定解放中で集中している上に雪の︻敏捷補正︼の
効果を受けた俺なら滅私兵を束ねるような俺と相性が悪いフージ相
手でも十分に戦える。
上半身裸だったくせにどこから出したのかわからない短剣を二本
持ったフージが俺を迎え撃つ。ゆらりと身体を振って、フェイント
と緩急で俺の死角に回り込もうとするが雪の︻気配察知︼があれば
俺に死角はない。
左から斬りかかろうとしてたフージの短剣を閃斬を横に振って弾
くと、間髪を入れずに右手の雪を振り下ろす。
﹁うぐぅ!﹂
フージの苦痛のうめき声と同時にその左腕が宙を舞う。それを確
認して俺はフージが下がるのに合わせて下がる。
﹁いけ!﹂
その俺の両脇を二頭の狼、そして霞と陽が小さな頷きと共に走り
抜けていった。
1898
ひとつの決着︵前書き︶
発売日まであと4日です!
1899
ひとつの決着
俺の脇を駆け抜けたふたりと二頭はあっという間にフージを取り
囲んで怒涛の攻めを繰り広げている。個々の力でみればふたりはま
だフージには勝てない可能性が高い。そう思ったから俺はちょっと
だけ手助けをしたんだけど⋮⋮
ふたりと二頭の息のあった連携攻撃は、フージが片腕じゃなくて
も止められなかったかも知れない。むしろフージはあの連携攻撃を
よく片腕でしのいでいる。だが、斬られた腕からの出血は徐々にフ
ージから冷静な判断力と最適な動きを奪っていくだろう。もはや時
間の問題だ。
﹁霞ちゃん!﹂
﹁陽!﹂
﹁しーちゃん、くーちゃん!﹂
ふたりと二頭の間でかわされるのは短い呼びかけだけ、それなの
に声をかけられた相手はなにをして欲しいのかがわかるらしい。
⋮⋮⋮⋮それに比べてこっちは。
﹁ちょっと山猿こっちにきてますわよ! ちゃんとやってますの!﹂
﹁ええい! うるさい年増! おまえがごちゃごちゃうるさいから
気が散る!﹂
ちゃんとこっちにゾンビたちが来ないようにしてくれているけど、
もう少し仲良くやれないものか。
﹁っとにキリがありませんわ! 山猿、ゾンビと言えば︻光魔法︼
1900
じゃありませんの? あなたのしょぼい魔法でなんとかできません
の?﹂
﹁やれればとっくにやっている! 私の光では貫けても再生は止め
られん﹂
﹁やれやれですわね。だから脳味噌が筋肉だって言われるんですわ
!﹂
﹁だれが脳筋だと!﹂
しかし、蛍の叫びを無視した葵は大きなため息をもらす。
﹁山猿でも使えるような属性ですから、わたくしは使いたくなかっ
たのですけど⋮⋮仕方ありませんわ﹂
迫りくる滅屍兵を助実で斬り捨てながら葵が︻魔力操作︼を発動
する。自らの魔力を操作して与えたその属性は⋮⋮﹃光﹄。確かに
いままで葵は魔石を作る時以外では、スキルとして持っているのに
光属性を使ったことはほとんどない。俺の記憶が確かなら、雪に属
性指導をするときに使った一回だけだ。
﹁わたくしも使ったことはありませんが⋮⋮システィナさんを見て
いればなんとなく癒すという感じはわかりますわ。光⋮⋮癒し⋮⋮
浄化⋮⋮聖なる力⋮⋮﹂
葵の体が神々しい光に包まれていく。
﹁やすらかになんて眠らなくても構いませんが、二度と起きてこな
いでくださいませ。﹃光術:聖光雨﹄﹂
葵が纏っていた光が弾け、飛び散った光が雨の様に室内に降り注
ぐ。その雨を浴びた滅屍兵たちはひとり、またひとりと動かぬ骸へ
1901
と変わっていった。おみごと。
﹁ぐぉぉぉ! この俺が⋮⋮﹂
おっと、こっちもいよいよ決まるな。
﹁私たちはあなたたちがしてきたことを許さない!﹂
﹁もう僕たちのような思いをする子を作らせはしない!﹂
決意の言葉と共に霞の短剣は背中から、陽の短剣は正面からフー
ジの急所を貫いていた。
﹁な! ⋮⋮お、思い出した⋮⋮なぜおまえたちが生きて⋮⋮ちゃ
んと壊して、捨て⋮⋮た、はず⋮⋮だ﹂
こいつ! 許さ⋮⋮
﹁﹁グォウ!!﹂﹂
﹁がふっ!﹂
ふたりを壊して捨てたとかふざけたことを言うフージに腹を立て
た俺が思わず斬り捨てようと足を踏み出そうとした瞬間、二頭の狼
たちがほぼ同時にフージの喉を噛みちぎった。四狼と九狼も我慢で
きなかったらしい。
﹁旦那様!﹂
﹁兄様!﹂
フージが倒れ伏すのを確認もせずに走ってきたふたりが俺の胸に
飛び込んでくる。
1902
﹁⋮⋮ありがとうございました、旦那様。私⋮⋮私たちはこれで⋮
⋮﹂
﹁ありがとう兄様。僕、兄様のところにこれてよかった。だから、
兄様のところに来るために必要なことだったんだとしたら⋮⋮あそ
こでの生活も、あの大怪我も受け入れることができるよ﹂
肩を震わせて俺にしがみつくふたりを優しく抱きしめる。本当に
これでトラウマが解消できたとは思わない。でも、きっとなにかが
変わったはずだ。
﹃⋮⋮ソウジロ、⋮⋮点﹄
﹁え?﹂
いつの間にか俺の手から離れ人化していた雪の小さな呟きに問い
返そうとした俺の耳に、衣擦れの音が聞こえてきてその問いを諦め
て玉座を見る。
そこでは立ち上がったバーサが魔杖を手に俺たちを見下ろしてい
た。滅屍兵は全員倒した、フージはまだ魔杖で反魂されるかも知れ
ないが葵がいれば問題ない。となればバーサを守るのは、あとは侍
祭のメリスティアだけだ。
﹁私の信者たちを聖塔の御許へと送るという大役ご苦労であった﹂
は? このおばさんなに言ってるの?
﹁聖塔を顕現させるのはレイトークでと思っていましたが⋮⋮この
聖地でも構いません。そなたの功績を認め、そなたを司教へと任命
する﹂
ちょっと怖いんだけど⋮⋮確かにいい身体をしてはいるけど。
1903
﹁今後はフージの後を継ぎ、滅私兵の育成を任せよう﹂
馬鹿な! そんな色っぽい声を出したからって俺がそんなこと。
﹁さらに私との同衾を許可する。私とまぐわれる栄誉を与える﹂
えっと、バーサ⋮⋮とヤれる? マジで? やばい股間が固く⋮⋮
﹁私とまぐわればこの世の天国を味わい、死後も私のために働くこ
とができる﹂
・
す、凄い! 死んでからもバーサ様のお役に? は、早く行かな
きゃ⋮⋮あれ?
1904
秘策︵前書き︶
いよいよ明日が第一巻発売日です。
1905
秘策
あれ? なんか⋮⋮おかしくないか?
﹁あの女はさっきからなにを言っているんでしょう?﹂
﹁それよりも、あの言いぶりだと反魂の条件とはあの女とヤること
だったようだな。なんとも恐ろしいまぐわいもあったものだ﹂
恐ろしい? 死んでからもバーサ様のために働けるのに? なに
を言っているんだ蛍は!
﹁あの、旦那様?﹂
﹁兄様、どうしたの? 力が⋮⋮ちょっと痛いかも﹂
あっと、蛍たちが馬鹿なこと言うからつい力が入ってしまった。
霞たちを解放してやろう。
﹁さあ、こちらへ来るがいい﹂
バーサ様の伸ばした手がぶつかり、胸が揺れる⋮⋮うおぉ、触り
たい、揉みたい、埋もれたい、舐めたい、しゃぶりたい、噛みつき
たい、食べてしまいたい!
魅惑の双丘に吸い寄せられるように俺の脚が⋮⋮前へと出る。も
っと、もっと早く行きたい! 行きたいのになにかが⋮⋮胸の奥で
なにかが俺の邪魔をする。
﹁おい⋮⋮ソウジロウ? なにをしている。本当にあいつのところ
へいくつもりか?﹂
1906
﹁主殿? わたくしの声が聞こえていませんの?﹂
どこか遠くに聞こえる刀娘たちの声をわずらわしく感じながら一
歩、また一歩と歩みを進める。
﹁旦那様!﹂﹁兄様!﹂
なにやら焦燥感を感じさせる叫びと同時に霞と陽が俺の手をそれ
ぞれ掴んで引き留める。だが、重結の腕輪の負荷を八割程度軽減し
ている俺の足を止めるには力不足だ。
﹁ちょっと! 山猿、明らかにあれは操られていますわよ! どう
するんですの!﹂
﹁ふん! 未熟者めが﹂
﹁⋮⋮せっかく加点したのに。大減点﹂
なんだ? 胸の奥で邪魔をしている気持ちが強くなった気がする。
いや! 俺はバーサ様とひとつになるんだ。バーサ様、バーサ様、
バーサ様、バーサ様、バーサ様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
﹁むう⋮⋮漏れ聞こえてくるこやつの思考に腹が立たぬか?﹂
﹁あら、珍しく意見が合いましたわね﹂
﹁⋮⋮なんかムカつく﹂
バ、ババ、バババーサ様、バーサ様⋮⋮早くバーサ様のところへ
行きたいのに体が震えるのはなぜだろう。心なしか思考も乱れる。
﹁ちょっと灸をすえるか⋮⋮﹂
﹁ええ、私たちという絶世の美女たちを侍らせているにも関わらず、
ちょっと術にかかったくらいであの体たらく。不甲斐ないですわ!﹂
1907
﹁喝を入れる﹂
背後で刀娘たちが刀を構えるチャキっていう音が聞こえる。なん
か背筋が寒い⋮⋮早く、早くバーサ様に温めてもらわなくちゃ!
﹁霞、陽、離れていろ。いささか手荒なショック療法を試すからな﹂
﹁あ、あの皆様⋮⋮殺さないですよね?﹂
﹁ええ! 姉様たち兄様殺しちゃうの!﹂
﹁はははははは⋮⋮馬鹿だなふたりとも。運さえ良ければ死ぬこと
はない﹂
﹁﹁え! 運次第!?﹂﹂
妙に乾いた蛍の笑い声、霞と陽の驚愕の声。次の瞬間⋮⋮。
﹁ぐぼぉらば!﹂
背後から全身を襲った衝撃に意味不明の悲鳴を漏らしながら吹き
飛ぶ俺の姿は、周りからみたら糸の切れたマリオネットが転がるが
如しだっただろう。
おんまえ
石の床と熱いベーゼをなんどもかわしながらもみくちゃに吹き飛
ばされ、最後に倒れ伏した俺は既にバーサ様の御前だった。ぴくぴ
くしちゃう体を、なんとか生まれたての小鹿のようになりながら起
こし、ふらふらとバーサ様の手を取り口づけを落とす。下げた視線
の先で短ランのボタンがふたつも弾け飛んでいるのが見えて全身を
寒気が走る。
バーサ様に頭を撫でられたあと、俺はゆっくりとメリスティアの
隣へと移動する。擦れ違いざまに足元がふらつきメリスティアに抱
きついてしまうというアクシデントもあったが、驚いた表情のメリ
スティアの隣でバーサ様の幹部として侵入者たちを見下ろす。
1908
﹁あなたたちはどうしますか? 共に聖塔教に入信するのなら共に
聖なる塔への同行を許可します﹂
なんというバーサ様の温かいお言葉。これでかつての仲間たちと
もまた一緒に歩めるのですね。
﹁馬鹿をいうな。私たちに信心など欠片もない、あえて言うならソ
ウジロウと共にこちらの世界に送ってくれた地球の神とやらには感
謝を捧げてやってもいいがな﹂
﹁そうですわね。わたくしと主殿を巡り合せてくれた存在になら信
者になってもいいですわ﹂
﹁ん⋮⋮﹂
バーサ様の温情にまったく取り合わない愚物ども。ですがバーサ
様はその程度のことでお心を乱されることはありません。
﹁愚かな⋮⋮ですがそれもまたよし。聖塔の御許に送られることも
また誉れというものでしょう﹂
ああ! なんと慈悲に溢れたお言葉! にもかかわらず蛍は肩を
すくめて盛大な溜息を漏らす。
﹁ソウジロウよ。もういいだろう⋮⋮話の通じない頭のおかしいや
つと話すというのは存外しんどい﹂
﹁⋮⋮なにを言っているのです?﹂
⋮⋮蛍のやつ! あんだけ本気で俺のことしばき倒しておいて、
早々に演技を放棄するとか酷くないか? まあでも、おかげで伝え
たいことは伝えたし、この位置までくることができた。潮時か。
1909
俺は右手をこっそりとアイテムボックスに突っ込むと目当てのも
のを手に取る。
﹁出せ! メリスティア﹂
﹁は、はい!﹂
俺の声に後押しされるようにメリスティアが俺の眼前に薄く赤み
がかった﹃従属契約書﹄を表示する。だが、さすがに俺の︻読解︼
の能力を用いても契約が完了された契約書を書き換えることはでき
ない。そうであるならばメリスティアの従属契約を解除するために
はバーサが契約破棄を認めるしかない。
しかし俺には秘策がある。俺の屋敷を襲ってきた赤い流星幹部、
メイザが持っていたランクA+の超激レア魔道具﹃破約の護符﹄。
侍祭の契約書すら破棄できるとメイザが確信していた護符。
﹁頼むぞ破約の護符! 侍祭の意に沿わぬ不当な契約を破棄しろ!﹂
俺はこっそりとアイテムボックスから取り出していた破約の護符
をメリスティアの従属契約書に叩き付けた。
1910
顕現︵前書き︶
一部店舗では既に発売されているようですが、とうとう本日1巻が
発売です!
よろしくお願いいたします!
1911
顕現
パキィィィィィン!
甲高い音を立てて従属契約書が砕け散った。きらきらと光の粒子
になっていく契約書だったものの中で、一度距離を取るためにメリ
スティアを抱きかかえて走る。契約者を失った侍祭は、契約者がい
なくなったという心理的負荷と、加護が消えた影響で強い喪失感を
感じて、しばらく身動きができないことがあるらしい。
そんな状態のメリスティアを、なにをするかわからないバーサの
近くに置いておくのは危ない。せっかく奥の手を使ってまで従属契
約を破棄したんだ。絶対に無傷でシスティナと再会させてやる!
バーサの戦闘能力自体はさほど心配はしていないが⋮⋮さっきの
精神支配系のスキルは本当はかなりやばかった。
当初は本当にバーサが魅力的に見えて俺の股間の大剣も臨戦態勢
だった。だけど、途中で蛍たちが言っていたように俺の精神状態が
おかしくなっているのは刀娘たちにはすぐにわかる。危ないと思っ
た蛍、葵、雪から︻共感︼と︻意思疎通︼をフルパワーにして叩き
込まれた思考のハンマーで、俺の意識の一部は強制的に解放された。
だけど、恐ろしいことにそれでもバーサからの精神支配は俺の表
層部を汚染し続けていた。ただ、刀娘たちからの追加の刺激があれ
ば完全に抜け出すこともできると考えた俺は、あえて精神支配をあ
る程度受け入れた。そうすれば怪しまれずにメリスティアの近くに
いけると思ったからだ。
想定外だったのは、自分の頭の中でする思考の綱引きというのは
加減が難しかったこと。気を抜くと完全に汚染されるし、脳内バト
1912
ルに集中しすぎると体が動かない。そんな動きのとろい俺を見かね
た刀娘たちが気を遣って⋮⋮というか、表層部分の俺の思考に耐え
きれず結構本気でぶちキレた一撃で俺を吹っ飛ばしてバーサの下へ
と送ってくれたんだが⋮⋮
ディランさんが改造してくれた短ランがあったから、なんとか生
きていられたけど短ランのボタンがふたつも弾けているのを見たと
きは本気で震えた⋮⋮いらっとしたからって戦いの最中に無駄に俺
の防具の耐久値を減らすなと言いたいところだけど、普段はあまり
見ることができない刀娘たちの可愛い嫉妬? だと思えばちょっと
嬉しい。⋮⋮決してマゾではない。
あとは倒れこむふりをしてメリスティアに抱きつき、耳元で﹃御
山はシスティナが解放する。合図したらバーサとの契約書を出して﹄
と囁くだけだった。
﹁システィナ様の契約者のかたですね? 助けて頂きありがとうご
ざいました﹂
なんとか蛍たちのところまで逃げてきて、メリスティアを下ろし
た俺に彼女は深々と頭を下げる。艶のある綺麗な長い金色の髪がさ
らりと流れる。しかし、髪の隙間や着衣から見える首筋や手首⋮⋮
なによりさっきまで抱きしめていた体はちょっと細かった気がする。
おそらくは意に沿わぬ契約を強いられ、多くの人を不幸にするよう
な活動に助力しなくてはならないことに多大な心労があったんだろ
う。
﹁うん、無事で良かった。街であなたを見かけてからシスティナが
いつも気にしていたからね﹂
﹁⋮⋮システィナ様にはとんだご迷惑をおかけしてしまいました﹂
表情を曇らせるメリスティアに俺は笑って手を振る。あのシステ
1913
ィナが人助けを迷惑なんて思う訳がない。
﹁システィナは迷惑だなんて思ってないよ、あの性格だからね。自
分から助けに行きたいって言いだしたんだから﹂
﹁え⋮⋮あの、契約した侍祭が自分からやりたいことを言うんです
か? 失礼ですが⋮⋮システィナ様とはどのような契約を⋮⋮﹂
俺の言葉に驚いたのか僅かに目を見開いたメリスティアが聞いて
くる。ああ、普通の侍祭ならとことん契約者ありきだから、自分の
やりたいことを契約者にお願いするなんてことはあり得ないのかも
知れないな。
﹁ん? システィナとは﹃従属契約﹄しているよ。ただ、俺はシス
ティナをただの侍祭として見ている訳じゃない。頼れる仲間であり、
信頼できる家族だからね。助けるのは当たり前だよ﹂
﹁⋮⋮さすがはシスティナ様です。素敵な契約者様をお選びになら
れたんですね﹂
どこか羨望の響きを含んだ声に、いままでのメリスティアの苦境
が透けて見える。せっかく不本意な契約から解放されたんだから、
今度こそ侍祭としての本分を果たせるような相手を見つけて欲しい。
﹁⋮⋮メリスティア、あなたも聖塔の導きを拒否するのですね。嘆
かわしいことです⋮⋮﹂
気だるげになため息を漏らすバーサの声に振り向こうとした俺の
顔をメリスティアが両手で挟む。
﹁お気を付けください。教祖バーサは特殊技能︻従属魅了︼を持っ
ています。強制的に異性を下僕へと変える恐ろしい技能です。その
1914
効果は視覚を介したときに最も強く働き、さらに距離によって効果
が変わります﹂
﹁⋮⋮なるほど、やっぱりそんなスキルがあったのか﹂
﹁ならお前はもうあいつを見るな。あの気持ち悪い思考はもううん
ざりだ﹂
脇で会話を聞いていた蛍が心底から嫌そうな声を出す。葵も﹁ま
ったくですわ﹂と同意し、雪ですらうんうんと頷いている。まあ、
自分でもあれは酷かったと思う。
﹁さあ、さっさと始末をつけよう。あとはあいつを捕らえるなり、
殺すなりすれば⋮⋮というところだが、そんな面倒なスキルがある
のなら捕らえるのも危険だな。レイトーク軍に引き渡しても篭絡さ
れる可能性があるからな﹂
﹁そうですわね。殺しておいたほうが面倒がありませんわ﹂
蛍と葵がたんたんと教祖殺害を話し合っているにも関わらず、バ
ーサはまったく動揺する気配がない。とてもこの状況をどうにかで
きるような力があるとは思えないんだが⋮⋮。
﹁わたしを殺したとしても、ここまできたら聖塔の降臨は止められ
ません﹂
こいつはずっとなにを言っているんだろう。確かに塔は魔物も排
出するが、人々の暮らしに少なくない利益をもたらしている。だか
らといって神様でもないし、決して崇めるようなものではない。
﹁いえ⋮⋮もうすぐそこまで﹂
ドォォォ⋮⋮ン
1915
バーサの意味不明な言葉と同時に世界が揺れた。
﹁な、なにが起こった! 蛍!﹂
﹁いや、周囲に変わった気配は⋮⋮﹂
﹁地震ですの? でもこっちにきてから今まで一度も地震なんてあ
りませんでしたのに﹂
大きな揺れは最初だけだが、小刻みな振動はなおも続いている。
屋敷から外に避難したほうがいいか? 外へ⋮⋮え?
﹁兄様! 外に!﹂
揺れと同時に周囲を警戒してくれていた陽が窓の外を指差しなが
ら叫び声をあげる。同時にそれに気が付いていた俺は思わず走り出
して、村の広場を見渡せる窓へと張りつく。
﹁ば、馬鹿な⋮⋮こんなタイミングでこんなものが現れるなんてこ
とがあるのか?﹂
俺の視界を埋め尽くすその建造物は紛れもなく﹃塔﹄だった。
1916
顕現︵後書き︶
やっと、ここまで書けました。この世界の秘密の一端に触れる話に
なっていくはず?
1917
歴史
村の中央広場に突如出現した塔は円柱型で高さは五階層ほどの外
観だった。ただ塔に関しては見た目と内部はまったく関係ないため、
中が何階層まであって一階層分がどんな広さなのかというのは入っ
てみなければわからない。
というか、今のこんな状況でわざわざ塔に入ろうと思う奴はいな
いと思うけど⋮⋮。
﹁え⋮⋮あれは﹂
そんなことを考えていたら眼下を白い衣を纏った誰かが二十名ほ
どを引き連れて塔へと向かっていく。その人物が誰かなんて勿論考
えるまでもない。
﹁バーサは!﹂
﹁旦那様! 椅子の後ろに階段があります﹂﹁ガウ!﹂
振り返った視線の先で霞と九狼が教えてくれる。しまった、塔の
出現に動転してバーサのことを忘れてた。バーサならこの状況の説
明ができた可能性だってあるのに! おそらく、バーサが引き連れていたのは屋敷の一階にいた親衛隊
どもだろう。ということは既に俺たちを追ってくる奴らはいないと
いうことか⋮⋮それなら取りあえずは俺たちも外に出たほうがいい。
場合によっては領主イザクと合流してどうするかを話し合う必要も
あるかも知れないしな。
﹁陽! 一狼を呼んできてくれ。全員でこっちの階段から外に出よ
1918
う﹂
﹁はい、兄様﹂
陽がすぐに四狼と共に走り出す。来た道を戻って一階から出るこ
とも考えたが、親衛隊を通さないために積み上げた障害物が邪魔だ。
バーサがあっさりと外に出ていることを考えればこの階段からはす
んなりと外に出られるはずだ。
しかし、陽と四狼が隣の会議室に入ろうとしたところでちょうど
一狼が下から上がってきた。
﹃我が主、一階の敵は扉の破壊を諦めたようです﹄
走り込んできた一狼が報告をしてくれる。賢い一狼は扉の向こう
の親衛隊の気配が消えたことで、なにかしら状況に変化があったと
判断して駆けつけたのだろう。
﹁わかった、ご苦労だったね一狼。ちょっと状況がややこしいこと
になっているんだ。とにかくこの屋敷を出る。ここに置いていく訳
にもいかないので、メリスティアさんも取りあえず着いてきて貰え
ますか?﹂
﹁はい、わかりました﹂
﹁ありがとうございます。蛍、葵、雪と一狼は先行して道を確認し
てくれ。霞、陽、四狼、九狼は俺とメリスティアさんに続いて後方
の警戒を頼む﹂
﹁任せておけ﹂﹁承知ですわ﹂﹁ん⋮⋮わかった﹂﹃かしこまりま
した我が主﹄﹁はい旦那様﹂﹁了解だよ兄様﹂﹁﹁ガウ﹂﹂
それぞれの返事と同時に全員が動く。蛍たちのあとに続いて狭い
階段を下りていくが、幸い警戒するほどのことはなくあっさりと一
1919
階部分に到達し、俺が降りたときにはすでに蛍たちは回転扉のよう
な壁を開け外に出ていた。
続いて俺たちも屋敷を出て、改めて現れた塔の全貌を見上げる。
﹁これは偶然じゃないよな﹂
バーサの妄言だと決めつけていた思わせぶりな言葉の数々も、こ
うなってくるとあながち間違っていなかったことになる。なにより
塔が現れてからのバーサの行動が迷いなく早すぎる。きっとあいつ
は塔についてなにかを知っている。
だが⋮⋮それを問いただしにいく必要はあるだろうか? 別にこ
こに塔があったとしても俺たちは困らない。霞と陽のけじめはつけ
たし、メリスティアも助けることができた。さらに、システィナと
桜が戻れば御山の解放も終わったということになり、ふたりがこっ
ちに戻るときにここの転送陣を壊せば今日ここに乗り込んだ俺たち
の目的は完全に果たされたことになる。
﹁やはりナ、こうなるのではないかと思っていタ﹂
﹁え? グリィン!﹂
突然、背後の高い位置から声が聞こえてビクッとして振り向くと、
そこにはどこか楽し気な表情を浮かべたグリィンスメルダニアが立
っていた。その後ろに黒王と赤兎の姿もある。塔の出現と共にこっ
ちに渡ってきてしまったらしい。っていうかそれよりも!
﹁やはり? グリィンはなにか知っているのか?﹂
﹁まあナ、こう見えても長いこと魔物をやっているのでナ﹂
そう言えばグリィンが何年生きているのかは知らない。この言い
ぶりだとかなり長いこと生きているようだけど。
1920
﹁なにか知っているなら教えてくれないか?﹂
﹁うム⋮⋮⋮⋮ご主人は街や領主について不思議に思ったことはな
いカ?﹂
街や領主? 別に気にしたことはないけど⋮⋮強いて言えばこの
世界には﹁国﹂がないことくらいか。街ひとつと周辺の幾つかの村、
その程度の領地を持つ領主がほとんどでそれ以上の大きな領地を持
つ領主はいない。これだけ小さな集まりがあったら、普通は自然と
争いになって弱い所が淘汰されて小国と呼べるようなものができそ
うな気はする。
﹁特に思いつくことはないけど⋮⋮﹂
﹁そうカ⋮⋮人間であるご主人には申し訳ないガ、人間というのは
欲深い生き物ダ﹂
﹁う⋮⋮うん﹂
グリィンの言葉は耳が痛い。俺のいた地球の歴史は戦争の連続だ。
﹁だガ、私の知る限り小さな小競り合い程度のものはともかク、街
同士が争うような戦いが起こったことはなイ﹂
﹁え⋮⋮この世界では戦争が起きたことがないっていうこと? そ
んな馬鹿な﹂
﹁センソウ? ほウ、面白い言葉だナ⋮⋮戦うという言葉を繋げる
ことで大きな争いを表す言葉なのカ﹂
いや、︻言語︼がどういう仕事をしているのか俺には分からない
から、そう言われても困る。それよりもこの星の歴史がどの程度の
長さがあるのか知らないけど⋮⋮それでも戦争が一度もない? そ
んなことあり得るのか? でも、だから街レベルの統治機関しかな
1921
くて国まで発展しなかったってことなのか?
﹁もちろン、欲が抑えられる訳ではなイ。人同士が争いを起こしそ
うになることなど数えきれないほどあった﹂
﹁それは⋮⋮そうだろうな﹂
﹁だガ、争いの規模がある一定限度を越えそうになるト⋮⋮それど
ころではなくなるんダ﹂
﹁⋮⋮え、まさか?﹂
グリィンの言葉に俺は思わず視線を﹃塔﹄へと向ける。
﹁そうダ。塔が現れテ、魔物が湧ク。そうすると争いどころではな
イ。共に協力して魔物と塔に対処しなけれバ、自分たちの軍どころ
か戻るところすらなくなってしまうことになるからナ﹂
﹁ちょ、ちょっと待ってくれグリィン! じゃあ、今ここに塔が現
れたのは聖塔教とレイトーク軍が戦争をしていたからだって言うの
か?﹂
︵これだけの規模の戦いだからナ⋮⋮なにが起こるとも限らんだろ
ウ?︶
そう言えば確かにグリィンは森の中で意味深な言葉を残していた。
あれはこういう意味だったのか。でも、ちょっと待てよ? 争うふ
たつの軍が協力しなきゃならない?
﹁グリィン! まさかこの塔は氾濫するのか?﹂
﹁その通りダ。間もなくこの塔からは大量の魔物が吐き出されるは
ずダ﹂
1922
指名依頼︵前書き︶
連投∼
1923
指名依頼
マジか! こんなところで大量に魔物が氾濫したら⋮⋮幸いレイ
トークまではそれなりに距離はあるけど、近隣に小さな村くらいは
あるだろう。氾濫がどの程度の規模かはわからないけど、場合によ
っては洒落にならない可能性があるぞ。
﹁ていうことはザチルの塔とかもそうやってできたのか?﹂
﹁いヤ、主塔は別ダ。私の推測だガ、あれらだけは最初からあった
と思ウ。いまここにあるのもそうだが残りは全部副塔だナ﹂
副塔か⋮⋮そういえばこいつも副塔の塔主から入手したって言っ
てたな。俺の両手に装備されている獅子哮はシシオウができたばか
りの副塔を討伐したときに手に入れたものだ。確か若い塔だったか
ら階層が少なくて比較的楽に討伐できたって話だったな。だとする
とこの塔も⋮⋮。
﹁ソウジロウ! ようやくあちらもお出ましだぞ﹂
蛍の声に振り返ると兵をつれた領主イザクがダイラス老を伴って
こちらへと走ってくるところだった。ある意味ナイスタイミング!
﹁フジノミヤ! これはどういうことだ! なぜ急に塔が現れたの
だ?﹂
え⋮⋮あぁ、そうか。この世界の人でも塔が突発的に出てくる理
由はわかっていないのか。そりゃそうだ、わかっていればもっと攻
め込むことに慎重になっていたはずだ。
1924
﹁それは私にもわかりません。そちらはもう大丈夫なんですか?﹂
くだん
﹁それは儂から話そうかの。レイトークの軍は正面から村の入口を
攻めたのじゃが、事前に教えてもろうていた件の人造魔術師が固定
砲台と化していてのう。その火力がなかなか打ち破れずに難儀して
おったのじゃが、あの塔が現れたと同時に指揮をしていた者らが一
斉に戦線を放棄したんじゃ。あとはただ一定の間隔で魔法を撃つだ
けの砲台と変わり果てた人造魔術師を順に倒してくるだけじゃった。
無差別な魔法攻撃に多少の被害は出たが、おんしらの情報のおかげ
で圧倒的に被害は少なく済んだ、感謝する。今はグレミロが周辺の
建物を順に制圧して掃討戦を行っておるところじゃ﹂
おっと、バーサの館を下手に捜索されるとシスティナたちが壊す
前に転送陣を見つけられてしまうか? でも、隠し扉から出てきた
から表からだとまだ扉は開かないか。
﹁バーサと屋敷にいた残党は一足先に塔へと逃げ出しました。屋敷
にはもう誰もいませんので、捜索はその他のところを優先してくだ
さい﹂
いちおう牽制はしておこう。⋮⋮それにしても正門を守っていた
ライジとその配下も塔が現れると同時に向かったっていうことか?
だけど、塔に入ったからってなにか意味があるのだろうか? 普
通なら魔物に襲われて死ぬだけで人間がどうこうできるようなもの
じゃない気がするんだが。
﹁む? ⋮⋮おう、そうか。わかったグレミロに伝えておこう﹂
一瞬、眉を顰めたイザクだが一応俺たちを立てるつもりなのか素
直にうなずいてグレミロへと伝令を送ってくれた。俺たちとの事前
1925
の勝負に負けたこともあり、あるていど俺たちの行動を尊重してく
れるつもりなんだろう。そういうところはおっさんだけど信用でき
る。
﹁それはよかったです。それで、後顧の憂いがなくなったところで
ご報告なんですが、実は私の従魔がこれと似たような状況に遭遇し
たことがあるみたいなんです。話を聞いてみるとそのときはこのあ
と、大量の魔物が塔から吐き出された、と﹂
﹁なんだと! それは本当なのか!﹂
うっ、相変わらず声がでかい。
﹁ここにいるデミホースは言葉を話せますし、長く生きた魔物です
から信憑性は高いと思っています﹂
本当はデミホースクイーンだけど、そんなこといっておかしなこ
とになると困るからね。身内以外にはデミホースでいい。
﹁ダイラス!﹂
﹁そうですな⋮⋮確かに出現したばかりの副塔が大量の魔物を吐き
出すという話は古来より度々聞きますな。もともと副塔の出現自体
そうそうあることではないんじゃが⋮⋮﹂
﹁むう⋮⋮このあたりには小さいが猟師や木こりたちが住む村が点
在している。大量の魔物が発生するようだと被害を受ける可能性が
ある。ダイラス、なにかよい考えはないか?﹂
すぐにそれに思い至るあたりはさすが領主というだけのことはあ
る。問いかけられたダイラスは白い髭をしごきながら周囲を見回す。
﹁そうですな⋮⋮この村は外からの侵入に対して、この規模の村に
1926
しては過剰なほどの防衛力をもっておる。攻めるときは難儀したが、
裏を返せば中からも外に出にくいということじゃ。うまく対処すれ
ばこの村の中で相当数を間引ける可能性は高いかも知れんの﹂
ダイラスがそんな話をしている最中に塔の入口が騒がしくなる。
視線を向けると塔からゴブリンが数匹飛び出してきたようで、レイ
トークの兵士たちが一部戦いを始めていた。いよいよ溢れだしてき
たか?
﹁それしかなさそうだな。だが、どの程度の規模なのか、どの程度
続くのかがわからない以上は、いつまでも我らで対処できるもので
もなかろう。そのへんはどうだ?﹂
﹁そうですな⋮⋮﹂
ダイラスがゆっくりと俺を見る。なんか嫌な予感?
﹁フジノミヤ殿は冒険者でしたな?﹂
﹁⋮⋮はい﹂
﹁ではギルドへの正式な依頼は事後に後日となりますが、副塔討伐
の指名依頼をお願いしたら受けていただけますかな?﹂
やっぱりそうきたか⋮⋮できたばかりのギルドを持ちだしてくる
あたりさすがに老獪だ。ギルドのことをよく調べているということ
は、俺が冒険者ギルドに肩入れしていることも知っている可能性が
高いし、場合によっては発案者が俺だということまで調査済みかも
知れない。
﹁おお! なるほど。溢れてくる魔物を我らが対処している間に階
落ち階層主の変種を倒せる冒険者であるフジノミヤたちにまだ若い
副塔を討伐してもらうのだな! それはよい案だ!﹂
1927
領主イザクも乗り気か⋮⋮確かに塔に入っていったバーサたちが
どうしているのかも気になるし、システィナと桜がいないとはいえ、
うちのほぼフルメンバーが揃っている状態なら。
﹁わかりました。私たち﹃新撰組﹄がその依頼お受けいたします。
ただし条件があります﹂
﹁言うてみよ﹂
﹁まずは、塔には入りますが討伐が無理だと思ったら引き返します。
申し訳ありませんが顔も知らない猟師やきこりより、俺には自分の
仲間のほうが大切ですので﹂
﹁当然だな、そこまでは求められん。できる範囲で良い。中に入っ
て魔物をいくらかでもたおしてくれるだけでも十分助かるだろうか
らな﹂
俺の条件にイザクは鷹揚に頷く。俺としては仲間の身を必要以上
に危険にさらしてまで塔討伐にこだわるつもりはない。
﹁ありがとうございます。もうひとつは、時間が勝負なのはわかっ
ていますが塔に入るとなれば準備したいこともありますので、少々
時間を頂いてもいいですか﹂
﹁かまわん、当然のことだ。だが、今のところ出てくる魔物もさほ
ど強くはないが、出てくる数と速度は増しているように見える。そ
う長くは待てんぞ﹂
﹁わかっています﹂
これにも快く許可を出したイザクに一礼すると、うちのメンバー
を連れて塔から少し離れる。そこで俺の前に弧を描くように並んだ
みんなと視線を交わす。その中にはメリスティアさんも含まれてい
る。
1928
﹁みんな、装備の点検をしながら聞いてくれ。みんなも聞いていた
と思うけどあの塔へ入ることになった。できたての塔とはいっても
異常事態の状況だ。どんな危険があるかわからない。残りたい人は
いる?﹂
再び全員を見回すが誰一人として残りたいと言い出す者はいなか
った。
1929
意思確認
﹁わかった。じゃあみんなでいこう。ただ、無理をするつもりはな
い。システィナもまだ戻らないし、薬ですぐに回復できないような
怪我をするようなら即撤退するつもりでいてくれ。逆にいけるよう
なら副塔討伐まで挑戦してみよう﹂
﹁よいぞソウジロウ。楽しくなってきたではないか。いささか聖塔
教とやらが手応えがなかったからな﹂
﹁これだから山猿は⋮⋮戦いなんてほどほどで十分ですわ! そん
なことに手間暇かけるなら主殿とまったりしたいですわ﹂
﹁ふん、年増らしい物言いだな。年増は腰を痛めぬように後ろから
ついてくればよい﹂
﹁言いましたわね、山猿!﹂
ああ⋮⋮もう、年長者ふたりのいつものじゃれ合いはとりあえず
放っておくか。どうせ雪も含めて刀娘たちの参加は決定事項だから
な。
﹁霞と陽もいいんだね。魔物と本格的に戦うのはほとんど初めてだ
けど大丈夫か?﹂
﹁はい! くーちゃんたちとも訓練してましたから四足の魔物でも
戦えます﹂
﹁うん! 陽も大丈夫だよ兄様﹂
ふたりとも怯えている様子もないし、気負っている様子もない。
ふたりを可愛がっている蛍たちがいれば危険な目にあわせることも
ないか。
1930
﹁わかった。ただし、ふたりはあくまで侍女なんだから無理はしな
いこと﹂
﹁﹁はい﹂﹂
﹁聞かれる前にいっておク。私もいくからナ、ご主人﹂
腕を組んで豊かな胸を押し上げた格好のグリィンスメルダニアが
ふふんと鼻を鳴らす。思う存分走れるようになったら今度は闘争本
・
能を満たしたくなったってことか? あの顔を見ていると止めても
無駄なんだろうな。
﹁一緒にいくのはいいけど素手で戦うのか?﹂
・・・
﹁ふム⋮⋮私の脚は十分に武器足りえるガ、手数が足りぬナ⋮⋮脚
だけニ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮こんなところでそんなボケはいらないから。じゃあ、グリィ
ンはこれを使ってくれ﹂
グリィンのボケに思わず脱力してしまった俺は、なんとか体に力
を入れなおすと巨神の大剣を抜き放ってグリィンに渡す。
﹁ほウ⋮⋮どこで手に入れたのかは知らぬガ、巨神の武器を持って
いるとはナ。ますますご主人は面白イ。本当にご主人と︻友誼︼を
結べたのは僥倖だっタ﹂
﹁巨神の武器のことも知っているのか⋮⋮今回の件が終わったら、
グリィンとは話し合わなきゃならないみたいだな。落ち着いたらい
ろいろ教えてくれ﹂
﹁ふふフ⋮⋮もちろん構わぬゾ。なんといってもご主人はご主人な
1931
のだからナ﹂
巨神の大剣を片手で軽々と振り回しながらグリィンが色っぽい視
線を送ってくる。くそ! こんなに美人で色っぽいのに下半身が馬
だなんて! これじゃいろいろできないじゃないか! なんて勿体
ない!
﹁っと、そうだグリィン。黒王と赤兎も同行するってことでいいの
か?﹂
﹁勿論ダ、奴らも陸馬の中でも破格の力の持ち主だからナ﹂
﹁⋮⋮グリィンもそうだけど、なんでそんな強力な魔物が人間にテ
イムされて売られてるんだっての﹂
呆れた声を漏らした俺を豪快に笑ったグリィンは巨神の大剣を振
り回すのをやめると黒王たちを撫でる。
﹁こいつらは夫婦でナ。人間に追われる魔物のままだとのんびりで
きないだろウ?﹂
﹁なんだ、ただのリア充か⋮⋮まあいいや。黒王と赤兎、頼りにし
ているけど、ここに来るときみたいにグリィンと三人で暴走しない
ように気をつけてくれよ。むしろグリィンを抑えてくれ﹂
ブルルルゥ!
二頭もグリィンの日頃の行動には思うところがあるのか素直に馬
首を下げ頷いてくれた。よし、あとは⋮⋮。俺は端っこで俺たちを
見ていた最後のひとりに視線を向ける。
﹁メリスティアさんはどうしますか? ここで待っていればシステ
ィナと桜がいずれ戻ってくると思いますけど﹂
1932
俺の言葉に一瞬だけ考える素振りを見せたメリスティアだったが、
胸元でぎゅっと拳を握りしめると真っ直ぐに俺を見た。
﹁⋮⋮⋮⋮私もいきます。望まぬ契約で、解除もされましたがそれ
でもバーサは私の契約者でしたから。これ以上、人の命を弄ぶよう
なことはやめさせたいんです﹂
なんとも侍祭らしい回答だった。契約者のために死力を尽くすの
が侍祭の本分、意に沿わない経緯で結ばれた契約で、それが解除さ
れたとしても放ってはおけないらしい。
﹁⋮⋮それはわかりました。ですけど侍祭は自衛以外では能力の行
使は禁止されていたはずです。一緒に行っても⋮⋮その、申し訳な
いんですが﹂
﹁はい、足手まといにしかならないでしょうね⋮⋮﹂
メリスティアが少し頬のこけた顔で俯く。その姿は初めて会った
ときのシスティナを思い出させる。侍祭としての制約で自分がやり
たいこと、しなければならないことができない。そのもどかしさに
苦悩する未契約侍祭の顔だ。そして、システィナを知っている俺は
そんな顔を見てしまったらなんとかしてあげたいと思ってしまう。
⋮⋮決してメリスティアが美人だからというだけの理由じゃない。
﹁メリスティアさん。望まぬ契約を強いられ、やっと解放されたば
かりのあなたにこんなことを言うのはちょっと心苦しいのですが⋮
⋮﹂
﹁なんでしょうか﹂
﹁今回の件が片付いたら契約を破棄することをお約束します。信用
できなければ︻契約︼の技能を使っても構いません。だから俺と﹃
1933
従属契約﹄を結んでくれませんか?﹂
俺の申し出にメリスティアは顔をあげ、驚愕の表情を浮かべる。
﹁⋮⋮お気持ちはとても嬉しいです。あなたはシスティナ様が契約
されたほどの方です。そんな方からなら本来なら私から契約をお願
いしたいくらいです。ましてや申し出を私がお断りすることはあり
ません﹂
﹁そ、そうなんだ。それは嬉しい。それなら﹂
﹁もしそうして頂けるなら私も戦えます⋮⋮ですが侍祭の複数契約
は認められません。侍祭契約書に明記されているんです﹂
﹁あ、その辺は問題ないから。もし、その気があるなら時間が勿体
無いから、まずはバーサの件が終わったら従属契約を解除するとい
う契約を結ぼう﹂
﹁え? 問題ない? いえいえそんなはずは⋮⋮﹂
きょとんとした顔をしながら手を振るメリスティアはどことなく
コミカルで笑える。いじりがいがありそうで、ちょっといたずらし
たい気もするが後ろではレイトーク兵が魔物と戦いを続けている。
あんまり時間はない。
﹁取りあえずやってみればわかるよ。まずは普通の契約書出して!﹂
﹁は、はい! いえ、でも契約前は⋮⋮﹂
﹁あ、そっか。契約しないと︻契約︼も使えないのか⋮⋮でも、今
回はある意味不当な契約をしないための措置だから﹃自衛﹄に含ま
れるんじゃないかな? 試しにやってみてもらえますか?﹂
﹁あ、はい⋮⋮あ、出ました﹂
俺の勢いに押されるように︻契約︼スキルを使ったらしいメリス
ティアの前に契約書が現れる。簡単に中身を確認すると、確かに﹃
1934
双方がバーサの件が解決したと判断したら侍祭契約を解除すること﹄
というようなことが記載されている。
﹁問題なさそうですね。じゃあ署名しますね﹂
﹁え? あの読めるんですか?﹂
その辺の説明もあとでいいや。どうせ侍祭契約時にまた驚くこと
になるだろうし。
1935
突入
俺がその半透明の契約書に署名をすると、契約書は光となって消
えた。これでメリスティアと侍祭契約をしても聖塔教の事件が片付
いたら契約を解除することになる。
そのままなし崩しに契約を⋮⋮って訳にはいかなくなったのは残
念だけど、今日会ったばかりの人と侍祭契約を結ばせなきゃいけな
いんだから、このくらいはしてあげないと決断しにくいかなと。思
ったよりも好感触ですんなりと話が進んだのは、やはり聖侍祭であ
るシスティナのおかげなんだろうけど。
﹁じゃあ、従属契約書を出してください。あ、どうせ契約するなら
恩恵が強いほうがいいと思って従属契約を勧めてますけど、不安だ
ったら主従でも雇用でも構いません。とにかく今は時間が惜しいの
でメリスティアさんが決断できる契約を提示してください﹂
﹁あ、はい。いえ! 大丈夫です。そんなことまでシスティナ様は
伝えてらっしゃるのですね。そこまで契約者と信頼関係があるなん
て⋮⋮さすがシスティナ様です。あ、すいません。時間がないんで
したね﹂
驚きから立ち直ったメリスティアは再び俺の前に契約書を提示す
る。薄く赤みがかった半透明の契約書間違いなく﹃従属契約書﹄だ。
﹁細かい所は考えている時間がないから、基本はシスティナと一緒
でいいか﹂
﹃主の命に絶対に服従するすること﹄に﹃ただし、一の機会によ
1936
る一つの命に対し一度のみ拒否権を持つ﹄を書き加えて、﹃侍祭と
しての力はその主の為にのみ行使する。違反せし時はその力を失う﹄
を﹃侍祭としての力は原則その主の為にのみ行使するが、メリステ
ィアが必要と認めた時のみ自身の正義と責任においてその力を行使
することを認める﹄に書き換えて、罰則と複数契約の項を削除。
で、署名っと。
﹁はい、これでお願い。内容はシスティナのと同じだから問題ない
とは思うけど?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
契約書を反転させて、メリスティアに契約の完了を促すがぽかん
と口を半開きにしたままのメリスティアは固まっている。どっかで
みた光景だと懐かしく思いながら目の前で右手をひらひらと振って
みる。
﹁ななな、なんで勝手に契約書を書き換えているんですか! そん
なことできる訳ありません!﹂
おお! 目の前にあった俺の手をがっしと掴んだメリスティアが
ずずいと顔を近づけてくる。顔が近くてちょっと照れる。あ、この
やりとりも懐かしいなぁ、そんなに昔の話じゃないんだけどな。っ
て懐かしんでいる場合じゃなかった。
﹁詳しい説明はあとでしますから、いまは手続きを進めませんか?﹂
右手を掴むメリスティアの手をさらに左手で掴んで下ろすと、懐
かしさに緩んでいた顔を引き締める。それでメリスティアも現状を
思い出し、取り乱したことを恥じたのかやや顔を赤くしながら頷く。
1937
﹁フジノミヤ ソウジロウ様とおっしゃるのですね。では契約を執
り行います。侍祭メリスティアはフジノミヤ ソウジロウを主と認
める! ︻契約︼﹂
メリスティアの宣言と共に契約書は輝きを増したあと砕け散った。
前回は予期せぬ光に思わず焦ったものだが、今回は慣れたもので、
目を手で庇いつつも散りゆく契約書を見届けることができた。
﹁終わりましたフジノミヤ様。これからはあなたの侍祭として仕え
させていただきます﹂
﹁うん、短い間かも知れないけどよろしく頼む。で、さっそくで申
し訳ないんだけど窓を確認させてもらえるかな﹂
システィナがいないから回復役をお願いするかも知れないし、そ
れならさっきの範囲回復の情報は知っておきたい。
﹁はい、もちろんです﹂
﹁ちょっと待て、ソウジロウ。このメンバーならそれは歩きながら
でもいいだろう。これ以上あいつらに負担をかけると死者が出るぞ﹂
メリスティアが頷いて窓を出すためのワードを唱えようとするの
を蛍が止める。⋮⋮確かにちょっとやばいか。塔から出てくるペー
スはあんまり変わらないけど、魔物のランクが少しずつ上がってき
てる。
レイトーク軍は増えることはないからどんどん疲れていくのに、
魔物は増え続けてしかも強くなるんだからジリ貧だ。
﹁了解。メリスティアさん、あとで余裕があるときに窓はお願いし
ます﹂
﹁はい、いつでも﹂
1938
﹁じゃあ、みんな準備はいいか。塔に入るよ﹂
俺とメリスティアが話している間に各自の準備は既に完了してい
たらしく、全員が気合いの入った顔で頷いてくれる。その顔を見て
いるとこんな状況なのになんだかわくわくしてきてしまう。不謹慎
かもと思いつつも僅かに上がってしまった口角を隠しもせず閃斬を
抜き放つ。
﹁グリィン! 黒王! 赤兎! 先頭で突っ込んで道を切り開け﹂
﹁承知しタ﹂﹁﹁ブルゥ!!﹂﹂
巨神の大剣を振り回しつつ突進するグリィンと、その後ろに続く
巨馬二頭。とてもゴブリンやウルフなどの低ランクの魔物に止めら
れるものじゃない。
﹁蛍、雪! 霞、陽を援護しつつあとに続け!﹂
﹁うむ!﹂﹁ん⋮⋮﹂﹁﹁はい!﹂﹂﹁﹁ガウ!﹂﹂
グリィンたちが蹴散らした道をさらに切り開きながら蛍たちが走
る。行きがけの駄賃とばかりに魔物を斬り裂いていくのは、倒せば
その分だけレイトーク軍の負担が減るからだろう。戦いに酔ってい
る訳ではない⋮⋮と思う。
しんがり
﹁一狼は俺と一緒に! メリスティアさんも俺と一緒にいきましょ
う。葵! 殿を頼む。それとレイトーク軍のために塔の入口付近に
土壁の構築を!﹂
﹁はい、お供します﹂﹁了解ですわ、主殿﹂﹃わかりました、我が
主﹄
一狼をやや先行させ、メリスティアと葵を連れて蛍たちを追いか
1939
ける。そして、俺たちが通り過ぎたあとに塔の入口を囲うように土
の壁がせりあがっていく。魔物が拡散するのを防ぎ、レイトーク軍
が戦う場所を減らすことで部隊の耐久力を上げるためだ。
一方向から、狭い範囲でだけ魔物が来るのなら、さっきまでのよ
うに戦力を薄く広く展開する必要がなくなり交替しながら戦うこと
ができるはずだ。俺のあれだけの指示でそれを理解して最適な形に
土壁を構築してくれた葵。蛍にはいつも戦いは駄目だとからかわれ
ているが、そのへんの戦闘センスはやはり刀娘だ。
﹁イザクさん、あとは頼みます﹂
﹁助かった! なにからなにまですまんな。こちらこそ頼む、無理
はするな﹂
巨神の大槍でゴブリン数体をへし折りながら叫ぶイザクに閃斬を
軽く上げて応えた俺は塔のロビーへと走り込んでいった。
1940
チート︵前書き︶
やっと200話です。
1941
チート
ロビーに入るといつもは冒険者や探索者で溢れているはずのロビ
ーは魔物で溢れていた。いったいどこから湧いている? ざっと視
線を巡らせるとロビーの奥の壁に一階層へ続くと思われる扉⋮⋮い
や、扉が無い。ただの壁を斬りぬいた穴、そこから魔物が次々とロ
ビーへなだれ込んでいる。
さらに三メートルくらい上の壁に同じような穴がふたつほどあり
そこからも魔物が飛び降りてきている。
﹁こりゃ、殲滅は無理だな﹂
とてもじゃないが、俺たちだけでどうにかできる数じゃない。こ
こにいるだけで増えないのならなんとかなるかも知れないが、どこ
まで増え続けるかわからないんじゃ戦いようがない。となると、早
期に解決するには、やはり塔主を討伐して塔自体を消すしかない。
﹁あの奥の入口から突入するぞ!﹂
俺たちの先頭で巨神の大剣を縦横無尽に振り回し、後ろ脚、前脚
をも武器にしながら暴れまわるグリィンはまさにというか文字通り
人馬一体。戦国時代なんかで騎乗して無双していた人たちはあんな
感じだったのかもと思わせるような戦いぶりだ。あとに続く黒王、
赤兎もその巨体を武器にして魔物たちを弾き飛ばしたり踏み潰した
りしている。
その周囲を蛍と雪がカバーしているから、入口付近にいる俺たち
のところまではまだ魔物は近寄れない。だが、これからロビーの中
1942
へと踏み込めば今度は全周囲から攻撃を受ける。だから、少しでも
はやく一階層に入る必要がある。
いままでの塔の傾向を考えれば、中は通路上の迷路になっている
めたけび
はずでそこなら魔物が溢れていても前と後ろだけ気をつければいい。
﹁任せておケ!﹂
おたけび
俺の声を拾ってくれたらしいグリィンが、雄叫び? 雌叫び? をあげながらぐいぐいと前へと進んでいく。
﹁霞! 陽! 中央に寄って! 前と横は任せていい! メリステ
ィアさんを守ってくれ。四狼、九狼もあまり前に出るな。他の魔物
と間違われたら大変だ﹂
﹁﹁はい!﹂﹂﹁﹁ウォウ!﹂﹂
蛍たちが撃ち漏らした魔物を素早い動きで仕留めていたふたりを
メリスティアのいる中央へ呼ぶ。四狼、九狼は他のウルフ系やファ
ング系の魔物と見た目があまり変わらない。うっかり間違われたら
大変だ。それに、メリスティアは武器らしいものを持っていないか
ら、交戦させる訳にはいかない。戦闘系のスキルを持っているかど
うかもわからないしな。
﹁葵と一狼は俺と後ろを守るよ﹂
﹁かしこまりましたわ! 主殿﹂
﹃承知﹄
一狼は明らかに他の狼より大きいし、綺麗な白狼だからその存在
感は他の魔物と一線を画している。一狼なら乱戦になっても間違わ
れることはない。
周りを囲む魔物たちは、ただのゴブリンなどの低ランクのものか
1943
ら〇〇ゴブリンやゴブリン〇〇などの上位種が多くなり、オークっ
ぽい獣顔の魔物や、ファング系、エイプ系など他の塔なら一階層で
は出てこないような魔物が増えてきている。このまま時間と共に魔
物が強く多くなるなら、確かに戦争どころではなくなるな。
⋮⋮ただ、戦争は止められるだろうけどその場にいた兵士たちに
は壊滅的な被害がでてもおかしくない。あぁ、そうか、そうすれば
その後の戦争行為も抑制できるのか⋮⋮やりかたは犠牲が多いよう
な気がしてなんとなく気に入らないが、戦争なんてするほうが悪い
と言われればそれまでか。
そんなことを考えつつも俺は後ろに回り込んで来ようとする魔物
たちを閃斬で倒したり、牽制しながら前衛組が斬り開いた道を追い
かけていく。
魔物の数はそこそこ多いが、ロビーの広さはさほどでもない。な
によりグリィンと陸馬たちの働きが大きい。巨体を活かして暴れま
わるからさすがの魔物たちも近寄りにくいらしく、グリィンと陸馬
たちの向かう先はスペースが空きやすい。ほどなくして俺たちは一
階層への入口に駆け込むことに成功した。
入口を抜けると、いつもの待機部屋はなく、三方向へと続く通路
がある。その三方向から集まってきた魔物がこの入口からロビーへ
出て行くという訳か。
﹁蛍! グリィンと先頭を変わって! 階層主まで寄り道無しで案
内を頼む﹂
﹁わかったならばまずは中央に向かうこの道だな﹂
蛍と雪が先頭に立ち、真ん中の道を進む。
﹁グリィンと黒王、赤兎は今度は後ろを頼む﹂
﹁確かにここでは私たちが暴れるには狭いカ⋮⋮承知したゾ、ご主
1944
人﹂
グリィンたちが後ろにいてくれれば後方からの奇襲は気にしなく
ていい。彼女たちが並んでいれば通路をほとんど塞いでしまう。
ひと通り暴れてどこか満足そうなグリィンがカッポカッポとポジ
ショニングを変えていく。巨神の大剣もなんだかもともとグリィン
の武器なんじゃないかというくらいによくにあっている。
真ん中の通路を歩きながら蛍と雪が倒した魔物の魔石を拾って歩
く。魔物が三方向からきていたということはどこかひとつに入れば
魔物が三分の一になるということ。さらに、通路で魔物が襲ってく
る方向が限定されたことで俺たちの戦闘にも余裕ができた。蛍たち
が倒した魔物の魔石をもったいないからと拾えるくらいには。
ならば今のうちに。
﹁メリスティアさん、いまのうちに窓を確認させてください﹂
﹁わかりましたフジノミヤ様。それと私のことはメリスティア、も
しくはメリスとお呼びください﹂
﹁そ、そう? じゃあメリス⋮⋮ティア? でいいかな﹂
﹁ふふ⋮⋮わかりました、いまはそれで。≪顕出≫﹂
微笑みつつもどこか不満気なメリスティアが出してくれた窓を覗
き込む。
﹃メリスティア 業:−4 年齢:17 職:侍祭︵富士宮総司狼︶
たまひび
たまな
技能:家事/料理/契約/杖術/護身術/護衛術/回復術
特殊技能:魂響き/魂鳴り﹄
﹁すごい! 特殊技能がふたつもあるんですね。しかもこの技能構
1945
成だと高侍祭ですね﹂
﹁はい、高侍祭の資格を得たときに特殊技能をふたつも授かったこ
とで私は御山のまとめ役をすることになりました﹂
メリスティアから聞いた話によると、御山のまとめ役というのは
旅に出る前の侍祭たちの中でもっとも優秀だと思われる者がなるら
しい。そして驚くことにメリスティアがなる前は長い期間ではなか
ったようだが、システィナがその役目をしていたらしい。
どおりでシスティナがメリスティアと御山のことを気にした訳だ。
御山に対して責任ある立場にいたことがあり、しかもメリスティア
は後継者だったってことだ。
そして、メリスティアのユニークスキル。説明を受けたその効果
は。
︻魂響き︼−発動するとスキル効果を広範囲型に出来る。
︻魂鳴り︼−指定した相手とスキルや魔力を共有することができる。
ただし特殊なスキルは共有出来なかったり劣化したりする。
うん、やっぱり侍祭の特殊技能はチートスキルだった。
1946
チート︵後書き︶
200話に到達です。期間にして約1年8か月ほどかかりましたが、
この間になろうコンで受賞し夢であった書籍化をすることもできま
した。
ここまで頑張れたのは読んでくれている皆さんの応援があったから
です。
本当にありがとうございます。これからも頑張りますので応援をよ
ろしくお願いいたします。
感想、レビュー等随時受付中ですw
1947
特殊技能
つまり、︻魂響き︼は︻回復術︼を使えばスキルの効果を複数の
人に同時に使うこともできるし、回復エリアを作るようなこともで
きるスキルらしい。しかも対象は自分自身で選択可能とのこと。さ
っき屋敷のなかで滅私兵に使っていたのでその効果は俺たちも目に
している。
︻魂鳴り︼。こっちはスキルとしてはちょっとトリッキーで、自
分ひとりでは全く意味のないスキルらしい。相手の協力がないと発
動しないらしいけど、指定した誰かと魔力やスキルを共有できるよ
うになるスキルだ。
とはいっても︻鍛冶︼などの技術系や︻剣術︼などの戦闘系、俺
の魔剣師のスキルのように特殊なものは共有できないか、できても
ほとんど役に立たないらしい。ただ、一般的なスキル、例えば俺で
も取得できた︻夜目︼なんかは十分に共有できる。
魔力に関しては、もともとメリスティア自身は魔力が多くないよ
うで︻魂響き︼を用いた︻回復術︼を使ったりするとあっという間
に魔力が尽きてしまうらしい。屋敷ではバーサの許可を得てバーサ
の魔力を間借りして使用していたようだ。
ん? ということは、もしかしたらだけど。思いついた俺は周囲
で戦っている仲間たちを見回してみる。
先頭のふたりは⋮⋮まあいいや。まだせいぜい5階層程度の魔物
相手にダメージを受けるとは思えない。俺の護衛についている葵と
一狼も戦闘機会が少ないから大丈夫。でも、周囲で蛍と雪が撃ち漏
らした魔物と戦っている霞や陽、ふたりを援護している四狼、九狼。
1948
ロビーで暴れまくっていたグリィンと黒王、赤兎には細かい傷があ
る。どれも回復薬を使うまでもないような傷だけど、試すにはちょ
うどいいか。
﹁メリスティア、︻魂鳴り︼で俺の魔力を使って︻魂響き︼でみん
なに︻回復術︼を使ってみてくれるかな?﹂
﹁はい、それはもちろん構いませんが⋮⋮かなり負担をおかけする
ことになりますので、きつかったらすぐに止めてください﹂
﹁わかった。じゃあ、やってくれ﹂
﹁はい。では失礼いたしますね﹂
微笑んだメリスティアがすっと白い手を伸ばして俺の手を握る。
あれ? 屋敷ではバーサの手を握ってはいなかったような気が⋮⋮。
﹁お? きた﹂
俺のいうことはまったく聞かない俺の魔力が吸い出されていくの
を感じる。⋮⋮確かに減っていくけど、︻添加錬成︼や︻魔剣召喚︼
に比べたら微々たるものかな?
﹁こんな、まさか⋮⋮体からは全然魔力が出ていなかったのになぜ
こんなに﹂
メリスティアがスキルを使用しながら俺の魔力に驚いている。最
初に魔力の量は人より多いってシスティナに言われていたし、魔力
は使えば少しずつ増える。
俺は︻魔剣召喚︼や︻添加錬成︼でしょっちゅう魔力をカラにし
ていたから⋮⋮⋮⋮というかほぼ毎日最後は︻魔精変換︼で気絶寸
前まで魔力を消費していたから、あれからさらに魔力量は増えてい
るはずだ。
1949
しかも、魔力を使って魔力量を増やすという訓練の効果は、やり
始めたころが一番効果が高く、何度も繰り返すうちに段々と効果が
小さくなっていくらしい。地球で今まで魔力を増やすなんてことを
考えもしなかった俺は、当然この世界にきてから魔力を使うように
なったので、まだまだ伸びしろも大きい。自分ではまったく実感で
きないが、結構な魔力量に成長しているのかもな。
﹁あ、兄様! 僕の傷が治ってる﹂
﹁ほウ、私の傷も消えていくナ。これは心地よイ﹂
陽とグリィンが自分の傷が癒えていくのを見て喜びの声をあげる。
さっそく効果が出ているらしい。
﹁⋮⋮はぁ⋮⋮フジノミヤ様の熱い、大きなものが⋮⋮体の⋮⋮奥
深くまで、はうぅん!﹂
﹁え! ⋮⋮ちょっとメリスティア?﹂
こんなところで聞きようによっては、というかどう聞いてもエロ
いことにしか聞こえない言葉と声を漏らしながら、顔を赤くしてい
るメリスティアに思わず股間に血が集まりそうになってしまった俺
は、さすがにこんな状況ではいかん! と思い直し、一度メリステ
ィアの手を離すと陶然としているメリスティアの肩を掴んで揺する。
﹁メリスティア! 大丈夫?﹂
﹁⋮⋮はぁ、はぁ⋮⋮あ、フジノミヤ様、す、すいません! お恥
ずかしい姿を⋮⋮いつものつもりで魔力をお借りしようと思ったの
ですが、あまりにも大量の魔力が入ってしまって﹂
俺の魔力って、精力にも変換できるくらいだから、吸収しちゃう
とエロくなる効果があったりするんだろうか。
1950
﹁大丈夫なのか?﹂
﹁は、はい。フジノミヤ様のおちからはわかりましたので、次から
は大丈夫だと思います﹂
﹁それならよかった。使ってみてどう?﹂
﹁あの⋮⋮フジノミヤ様はあれだけ魔力を使われてもなんともない
のですか?﹂
﹁え? あぁ、あのくらいだったら全然。夜の錬成一回分にも満た
ないし﹂
あのくらいだったら、夜の錬成一回分︻魔精変換︼したほうが疲
れる。
﹁その、夜の錬成というのはよくわかりませんが⋮⋮あれでまった
く問題がないというのなら、多分ですが︻魂響き︼と︻魂鳴り︼で
︻回復術︼を今の範囲に半日程度かけ続けても大丈夫ではないかと
思います﹂
どこか恍惚とした表情に見えるメリスティアは妙に色っぽく見え
る。いかんな、さっきのバーサの精神支配系のなにかの効果がまだ
残っているのかも知れない。
﹁そ、そうか。じゃあ、みんなが苦戦するようになってきたらまた
お願いするからよろしく頼む﹂
﹁はい﹂
デストロイマーチ
こんな話をしながらも蛍と雪の破壊の行進は続いている。魔物の
数は分かれ道の度に減ってきているが、強さは少しずつ強くなって
いるみたいだ。いまのこの塔の中ではいつもの階層ごとの魔物分布
システムは機能していないらしい。 1951
﹁これだけの魔物の中に入っていったら聖塔教の連中はもう全滅し
ているんじゃないか﹂
これだけの数の魔物が湧き続けている塔の中、どこかにとどまる
のは無謀だし俺たちのように上を目指すにしても余程の実力がなけ
ればまともに進めないと思うんだが。
﹁いえ、教祖バーサがいれば問題なく進めると思います﹂
﹁え? どういうこと﹂
誰にともなくこぼした俺の言葉が聞こえていたのだろう。メリス
ティアが返事をしてくれる。
﹁フジノミヤ様も体験されたと思いますが⋮⋮教祖バーサの特殊技
能︻強制魅了︼は異性を強制的に虜にする恐ろしい技能です。むし
ろフジノミヤ様にどうしてかからなかったのかが不思議なくらい強
力な効果を発揮します﹂
﹁ああ、あれか⋮⋮確かに普通なら抵抗できないかもな。でも俺の
中には比喩じゃなくみんながいるからね。だからなんとかなったっ
て感じかな﹂
俺に刀娘たちがいなくて︻共感︼と︻意思疎通︼のスキルがなか
ったら俺もフージや滅私兵たちのようにバーサ様至高主義になって
いたかと思うと正直ぞっとする。
﹁あら、嫌ですわ主殿。いつもわたくしの中に入ってくるのは主殿
ではありませんか﹂
ちょ! 葵! こんなところでいきなり下ネタとかやめてくれ。
1952
﹁ほほほ、なにを勘違いされていますの? わたくしの心の中は日
々溢れる主殿への想いでいっぱいだということですのよ﹂
絶対嘘だ! そうは思っても証拠はない。
そんな俺を見て葵が笑いながら俺に腕を絡めてくる。そんなこと
をしながらも近寄る魔物を風で斬り裂いているのはさすがだ。
﹁でも、その技能があると大丈夫なのはどうして?﹂
﹁異性の対象が魔物にも及ぶからです﹂
﹁え!﹂ 1953
幻、影︵前書き︶
突如現れた副塔を討伐すべく魔物たちを倒しながら一行は進む⋮⋮
1954
幻、影
ちょ、ちょっと待て! 確かに魔物にも性別はある。一狼、四狼、
つがい
九狼は雌だし、二狼たちは雄だ。グリィンは雌っていうか女だし、
黒王は雄、赤兎は雌。しかも二頭は番にまでなっている。
基本的に魔物が子を産むということは確認されていないみたいだ
けど、交尾をすることは確認されている。種を残せる訳じゃないの
に行為に及ぶ意味はまだ解明されていないらしくて、単に快楽を求
めるだけの行動だっていうのが通説だけど、とにかく性別はある。
﹁じゃあ、聖塔教の奴らはバーサが魅了した雄の魔物たちに守られ
て先に進んだってことか?﹂
﹃我が主、確かにさきほどから私たちの周囲にいるのは雌が多いよ
うです。雄の魔物はほとんどいません﹄
近づいてくる魔物を威嚇しながら一狼が教えてくれる。
﹁そうか⋮⋮ということは黒王はバーサに近づかないように気をつ
けてくれ。赤兎もしっかり黒王を守るんだ﹂
俺の言葉を理解しているらしい二頭は互いに視線をかわすと俺に
向かって同時に馬首を下げる。
﹁私たちの仲間は黒王を除けば男性は主殿だけというのはある意味
好都合でしたわ。主殿の煩悩がまさかこんなところで役にたつとは
思いませんでしたわね﹂
葵の言葉に引っかかるものはあるが、欠片も否定できない。それ
1955
でも別に女の子をだけを集めたつもりはない。気が付いたら囲まれ
ていただけだ、まあ嬉々として受け入れてきたのは俺だけどな。
﹁メリスティア、バーサの近くにいた時間が結構あったと思うんだ
けど、バーサがなにをしようとしているか、わかったりしない?﹂
ぼうよう
﹁⋮⋮いえ、屋敷でご覧になったと思いますが、あのとおりいつも
茫洋とした人でしたので。ただ、塔を手に入れようとしていたこと
だけは間違いないと思います。レイトークを攻めようとしていたの
も自分たちの街を手に入れるというよりは塔を支配下に収めたいと
いうのが理由のようでした﹂
まあ、聖塔教っていうくらいだからな、塔が好きなんだろうさ。
ただ塔に入ったからって塔が手に入る訳じゃないし、塔を手に入れ
られたところで、それでなにをしたいんだっていう話だ。
﹁いったい塔になにがあるっていうんだろうな⋮⋮﹂
﹁ソウジロウ! 主の間についたぞ﹂
俺が思わずこぼした言葉は、先頭をすすんでいた蛍の言葉にかき
消され誰の耳にも届かなかったらしい。
そして、さすがに主の間までくると周囲に魔物の姿はほとんどな
い。追いついた蛍と雪のあいだから主の間を見ると主の間の中央に
大きな毛むくじゃらの魔物が二体、そして上への階段が見える。
﹁さすがに一階層だけってのはむしがよすぎるか﹂
﹃ミュアームエイプ ライト︵主︶ ランク:F﹄
﹃ミュアームエイプ レフト︵主︶ ランク:F﹄
1956
︻簡易鑑定︼ではどうやら猿系で二体セット的な魔物らしい。ラ
ンクはFだし、このメンバーなら問題なさそうだな。さくっといく
か。
﹁よし、こうしている間にも魔物は外に溢れているはずだ。さっさ
と倒して上にいこう﹂
全員が頷くと一気に走り出し出す。メリスティアは失礼しますと
囁いて俺の手を握ってきたので範囲回復を使うつもりなのだろう。
っていうか手を繋ぐのは必須なのかどうか、聞くの忘れた。
﹁しーちゃん!﹂
﹁くーちゃん!﹂
動き出した階層主を距離が縮まったところろで改めてよく見ると、
どうやらゴリラのような魔物のようだ。ただ、違うのはミュアーム
エイプ ライトは右腕だけが、ミュアームエイプ レフトは左腕だ
けが異常に膨張していて凶悪なシルエットをしていることか。
そのエイプたちに四狼と九狼が誰よりも早く突撃している。素早
い動きで体重のバランスが悪そうなエイプたちを攪乱しつつ首や腹
などの柔らかそうな部分に牙や爪を突き立てている。
﹁あいつらが言い付けを破って霞と陽から離れるなんて、どうした
んだ?﹂
けん
二頭の鬼気迫る戦いっぷりに気勢を削がれたうちのメンバーたち
は思わず見に回っている。エイプたちは二頭の動きに翻弄されつつ
も連携は取れているらしく、どちらかが噛みつかれると自分で無理
に引きはがそうとせずに、もう一体の攻撃が届きやすいところに自
然と位置を変える。そこをすかさずもう一体が攻撃を加えてくるの
1957
で四狼たちはなかなか大きなダメージを与えらない。
幸いエイプたちから受けたダメージはメリスティアの範囲回復が
効いているらしく、二頭の動きに変化はないので互角の戦いをして
いる。
﹃我が主、やつらは⋮⋮あのときのわたしと同じかも知れません﹄
﹁あのとき?﹂
﹃はい、二首の犬の魔物と戦ったときです﹄
﹁あ⋮⋮ということはもしかして?﹂
﹃おそらくですが、彼女たちはここのところ急速に経験を積んでい
ましたから﹄
確かに四狼、九狼は桜に連れられて霞、陽と一緒にたくさんの街
で情報収集をしてきて、ここにきてからもかなりの戦闘をこなして
いる。有り得るかもな。
﹁ほう⋮⋮それは楽しみだな。よし、あのときも私が手伝ってやっ
たんだったな。少しくらい手を貸してやろう﹂
蛍はそう宣言すると蛍丸を構える。︻光刺突︼の構えだ。蛍が自
分で編み出した︻光術︼と︻刀術︼との複合技だが、威力、射程、
攻撃速度、すべてに文句のつけようのない使い勝手のいい技になっ
ている。
﹁はぁぁ! ︻二連光刺突︼!﹂
蛍の放った突きからレーザーのように光が伸びる。その光は一瞬
で二体のエイプの膨張した腕の付け根を貫いた。
﹃ウギィッィィィ!﹄
1958
神経を焼き斬られたか、はたまた関節を破壊されたのか、ボス猿
たちの最大の武器であっただろう腕はだらんと垂れ下がり、もはや
足手まとい以外のなにものでもない状態になっていた。
となればただでさえ互角だった戦い、あとは四狼と九狼の独壇場
である。動かない腕に邪魔されて精彩さを欠くボス猿を二頭が一方
的に蹂躙し、ボス猿を血の海に沈めるのにそう時間はかからなかっ
た。
本来は、山狼というランクHの魔物だった四狼と九狼は桜の特訓
と自らで積み重ねた経験でランクFの階層主を多少の手助けはあっ
たとはいえ、単独撃破できるほどに力を付けていた。
四狼と九狼はボス猿の死体が塔に吸収され、残されていたランク
Fの魔石をひとつずつ咥えて俺のところへと持って帰ってくる。咥
えたまま俺を見上げるその姿はやはりあのときの一狼を思い出させ
る。きっとその魔石が欲しいのだろう。
﹁よくやった、四狼、九狼。その魔石はお前たちが自分たちの力で
得たものだ好きにしていいぞ﹂
﹁﹁わふ!﹂﹂
二頭は魔石を咥えながら器用に喜びの声を上げると、魔石を飲み
込んだ。
﹁しーちゃん?﹂
﹁くーちゃん! そんなの飲んだら!﹂
その姿に慌てて駆け寄ろうとする霞と陽の肩に俺は手を乗せる。
1959
﹁大丈夫だから、よく見ててあげて。あの子たちは君たちのために
強くなろうとしているんだから﹂
﹁﹁え?﹂﹂
一狼の進化を知らないふたりには意味がわからなかっただろうが、
きっとすぐにわかる。飲み込んだ魔石の力を吸収し体を作り変える
四狼と九狼が淡く光り始めている。
その光は徐々に輝きを増し、四狼たちの姿を包む。かろうじて見
えるシルエットが、あのときのようにゆらゆらと揺らめき、そして
光は徐々に消えていった。
﹁え⋮⋮ え? えぇ!﹂
﹁わあ! くーちゃんかっこいい!﹂
霞が困惑の声をあげ、陽が感動の声を漏らす。ひとまわりサイズ
アップした四狼と九狼を俺は︻簡易鑑定︼する。
ファントムウルフ
﹃四狼︵従魔︶ ランク:E 種族:幻狼﹄
四狼の姿は青みがかった黒? まるで夜空のような艶のある色の
ファントムウルフという種族に進化している。︻幻術︼をつかう霞
の相棒として四狼が望んだ進化なのだろう。
シャドウウルフ
﹃九狼︵従魔︶ ランク:E 種族:影狼﹄
アサッシン
九狼のほうは四狼よりも黒に近い漆黒の毛並み、これは速さと隠
密性で暗殺者ような戦いかたをする陽の相棒として九狼が望んだ進
化か。
1960
形としては葵の従魔なんだろうけど、いまやもうすっかり霞と陽、
ふたりの相棒になったということだろう。
いずれにしても、思いがけないところで戦力が強化された。この
イレギュラーな状況の中でこれは嬉しい誤算だろう。
1961
幻、影︵後書き︶
お待たせしています。
またこれから校正作業が入るので更新頻度が落ちることが想定され
ます。なるべく空き過ぎないように頑張りますがよろしくお願いい
たします。
1962
二階層進撃︵前書き︶
進化した四狼、九狼とともに二階層を進みます。
1963
二階層進撃
新たに進化した二頭の仲間を引き連れ階段を上り、二階層へ向か
う。
魔物は未だに塔から溢れているのだろうか⋮⋮少なくともこの階
段から魔物が下りていく気配はなかった。だが、出てきていた魔物
は一階層だけの魔物とは思えないほど多様で、強い魔物も混じって
いた。だとすれば二階層より上にいるような魔物もなんらかの形で
一階層に出現していることになる。
つまり﹃階落ち﹄。できたばかりの塔は階層はそれほど多くない
と聞いているが、﹃階落ち﹄というのは実際にその階層から魔物を
おろしてくるわけではなく、階層に見合わない魔物を塔が発生させ
ることを表した言葉らしいので最上階が低いからといって油断する
ことはできない。
現に二階層に出てくる魔物を︻簡易鑑定︼しても、いつも出てく
る階層の表示がない。そして、ランクもDからHまで入り乱れてい
る。なるべく鑑定をしてランクが高い魔物の対処を蛍や雪に指示し
ているが、Eランクあたりの魔物でもあまりいい武器を持たせてい
ないうえに、致命的に腕力が足りていない霞や陽では、相手によっ
てはかなり厳しい。四狼と九狼が進化したことでぎりぎりやりあえ
ているレベルだ。
だが、そこにメリスティアの︻魂響き︼と︻魂鳴り︼のエクスト
ラスキルを使った︻回復術︼が加わっているので、なんとか優勢に
戦えている。通路がそこまで広くないので囲まれないのと、グリィ
ンと陸馬たちが背後の敵をシャットアウトしてくれているのもあり
がたい。待機の指示を無視して駆けつけてくれたことに感謝だ。た
1964
だ、通路も一本道というわけでもなく分かれ道もある。
こうなってくると俺ものんびり後ろに控えているわけにはいかな
い。葵にメリスティアの護衛とパーティ全体のフォローを頼むと、
霞と陽のフォロー優先で進路をこじ開けるのを手伝う。ちなみに確
認したところ、メリスティアのスキルは手を繋いでいなくても使え
る。ただ、触れていたほうがお互いの魔力が馴染みやすくスキルの
効果が大きくなるらしい。メリスティアは﹁触れ合っていたほうが
魔力の親和性が高まる﹂という表現をしていた。
効果が高まるのはありがたいし、メリスティアの滑らかな手をに
ぎにぎできるのは役得だが、今は攻撃の手数が必要だ。名残惜しく
はあるが、残念そうな顔をするメリスティアの手を離して、魔物に
向かっていく。グリィンに巨神の大剣を貸しているので、手持ち武
器は閃斬だけだが閃斬なら霞たちが苦戦しがちな硬い系の魔物と相
性がいいので、そいつらを優先して斬り捨てていく。
﹁大丈夫か、ソウジロウ!﹂
﹁なんとかね! ただ、このままだと皆の体力がもたない﹂
タワートレントという植物系の魔物を倒して少し余裕ができた蛍
が、壁を蹴って跳びかかってきたタワーエイプを左手の籠手で撃ち
落として閃斬でとどめを刺した俺に声をかけてくる。
﹁あとどのくらいで主の間かわかる?﹂
﹁私の︻気配察知︼で魔物の気配がほとんどない場所まではもう少
しだ。できたばかりの塔のせいか内部が複雑ではないのは助かる﹂
﹁了解! 皆もう少し頑張れ! 階層主の間につけば休める! メ
リスティア、俺の魔力をもっと使ってもいい。皆を頼む!﹂
﹁わかりました、フジノミヤ様。お任せください﹂
1965
﹁雪! 次の分かれ道はどっち!﹂
﹁ん⋮⋮右﹂
﹁わかった! 葵、俺たちが右の通路に入るまで、左の通路からく
る魔物を頼む﹂
﹁わかりましたわ! 一体も通しませんわ! ﹃氷術:多重氷嵐槍﹄
﹂
葵の︻魔力操作︼によって生成された氷の槍が左側の通路を埋め
尽くさんばかりに放たれる。氷槍は先頭付近の魔物に突き刺さると、
ピキピキと音を立てて周囲を凍らせていく。その氷がいい感じに通
路を塞いでくれるので、あれならしばらく魔物は進めないだろう。
よし、それなら。
﹁葵、後ろも塞いでくれ﹂
﹁はいですわ!﹂
﹁グリィン、黒王、赤兎、後ろは塞ぐから前へ出て、蛍、雪と一緒
に前を頼む﹂
﹁その指示を待っていタ。行くゾ、黒王、赤兎﹂
﹁﹁ブルゥ!﹂﹂
葵の氷が後方に壁を作るのと同時に、グリィンたちが突進してい
く。まず、グリィンが巨体を生かして巨神の大剣で魔物を薙ぎ払う。
続く黒王と赤兎にひらりと蛍と雪が飛び乗ると、今度は馬上から魔
物たちを切り裂いていく。
グリィンたちが並ぶとそれだけで通路の幅をケアできる。そのま
ま押し込んでいくだけで、小さな魔物たちはグリィンたちに踏み潰
され戦闘不能になる。蛍たちは隙間を抜けようとする魔物が担当だ。
﹁霞、陽は一旦下がって休め。一狼、俺と一緒に前衛の撃ち漏らし
1966
を仕留めるぞ﹂
﹁﹁はい、ありがとうございます﹂﹂
﹃了解した、我が主﹄
後衛は四狼、九狼と葵がいれば問題ない。この布陣なら階層主ま
でいけるだろう。
それにしても、ここまできたのに聖塔教の信者をひとりも見かけ
ない。いくらバーサの力があるとはいえこれだけの魔物の中を進め
るものなのか? まぁ、実際にいない以上は全員バーサと一緒にい
ると考えていたほうがいいだろう。仮にそうだとしても滅私隊は壊
滅しているし、人造魔術師の魔幻兵も使い捨てにされてレイトーク
軍に殲滅されている。
残っているは魔幻兵を指揮していたライジと親衛隊のイケメン軍
の一部、狂信系の信者たちが何人かだけのはずだ。
⋮⋮もっともこの展開だとそいつらには、なんとなくろくでもな
い結末しか想像できないけどな。
1967
二階層進撃︵後書き︶
遅くなりました。
二巻の校正作業がやっと終わりましたので、更新再開です。
間があいて、話の流れを思い出すのにちょっと時間がかかってしま
ったのは秘密ですw
1968
化け物
﹁ようやくだな﹂
﹁うん、そしてどうやら終点みたいだ﹂
しりぞ
結構な頻度で襲ってくる魔物を、隊形を維持しながら退けて辿り
着いた場所はまさしく主の間。そして、その空間には階段がない。
つまりここがこの副塔の最上階だということだ。
﹁ですが主殿⋮⋮なかなか見るに堪えない状況になっているようで
すわ﹂
﹁人間というのは時折考えられないようなことをするナ﹂
﹃それはわれわれ魔物だとて変わらない。我らのように知性に目覚
める個体もいれば、殺戮と狂気から逃れられない個体もいる。そし
て、人と共に生きようとする個体もいれば⋮⋮﹄
その先は口にしたくないのか、一狼は不機嫌そうに唸ると沈黙し
た。
その気持ちはわからなくはない。主の間を見ると、できれば霞や
陽には見せたくないような光景が広がっていた。
﹁⋮⋮⋮⋮不快﹂
﹁兄様⋮⋮﹂
﹁旦那様﹂
珍しく雪が感情をあらわにして綺麗な眉を寄せ、陽と霞が口を押
えながら俺の背後へと隠れる様に移動してくる。これはふたりには
戦わせるわけにはいかないな。
1969
﹁ソウジロウ、これは奴らを全員始末すればいいのか?﹂
﹁そうだね、少なくとも塔主を倒せばこの塔は討伐できるはず。そ
うすれば魔物の流出も止まる。いろいろ気になることはあるけど、
それはこの際無視してあいつらを倒すことに集中しよう﹂
﹁賛成だな。あいつらの事情は知らないがあんな状態の奴らがまと
もなことをするとは思えないからな﹂
さすがの蛍もこの光景に不愉快な表情を隠しきれない。
⋮⋮⋮⋮とはいっても現状をしっかり確認しないわけにもいかな
いか。結論からいえば、聖塔教のメンバーは全員主の間にいた。
ただし、予想どおりろくなことにはなっていない。なにがどうな
って、どうしたらそんなことになるのかまったくわからないし、わ
かりたくもないがそこには異形と化した信者たちが蠢いていた。
まさに蠢くとしかいいようがない。ある者は狼系の魔物の胴体部
分から上半身を生やし、尻尾と並んで二本の足が揺れる。ある者は
トレント系の魔物の幹に背中からめり込んで顔と手足だけを露出さ
せている。またある者は蜘蛛型の魔物の顔の隣から首をだし、八本
の魔物の足の間から人間の手足が伸びている。
そして⋮⋮醜悪としか表現のしようのない魔物と人間の融合した
化け物たちを睥睨するのは、山羊の顔をして、蝙蝠のような羽を広
げた人型の魔物。その魔物の下半身と自らの下半身を融合させて魔
物の上半身に背中までめり込んだ裸身のバーサだった。
目を背けたくなるような奇怪な姿にもかかわらず、聖母のような
笑みをたたえた裸身のバーサはなぜか美しく見える。それがまた吐
き気を誘う。
バフォメット、たしかそんな名前の悪魔が地球にはいたはず。それ
1970
によく似ているが⋮⋮︻簡易鑑定︼。
﹃バ◇◎ォーサ▽▲︵塔主︶ ランク:##﹄
やっぱり駄目だ。魔物と融合した生物は鑑定しても名前すら表示
できない。ふたつの存在が混じりあってこの世界のスキルでも鑑定
できない存在が生まれたということなのかも知れない。
﹁霞、陽は四狼、九狼とここで待機。黒王も雄だからこれ以上中に
入るな。赤兎もここに残って黒王がおかしくなるようなら止めてく
れ﹂
霞と陽は目線で自分たちも戦いたいと訴えかけてくるが、その目
には不安や怯えもある。無理もない、戦うよりも侍女としてのほう
が向いているふたりだ。ここまでよく頑張ってくれた。自分たちで
これだけ戦えれば殺されかけたトラウマもきっと乗り越えられる。
﹁俺たちが危なくなるようなら、ふたりだけで逃げるんだ。そのと
きは黒王と赤兎がふたりを逃がしてくれ。四狼、九狼も頼んだぞ﹂
﹁旦那様!﹂﹁兄様!﹂
﹁もしもの場合だよ。もしものときは先に出てシスティナと桜を呼
んできてくれ。ふたりならそろそろ帰ってくる頃だしね﹂
ふたりの頭を撫でながら、強引に納得させる。まあ方便だという
のはふたりもわかっているみたいだけど、自分たちがここの戦いで
あまり役に立てないということも自覚しているんだろう。
﹁さて、ソウジロウ。休憩はもういいか?﹂
﹁オッケー、いいよ。メリスティアも息も整った?﹂
﹁はい、私は後ろをついていっただけですから。魔力もお借りした
1971
ものですし﹂
変わり果てたバーサの姿を悲し気に見つめていたメリスティアだ
が、俺の問いかけには笑顔を見せてくれる。
﹁じゃあ、葵とメリスティアで後衛を頼む。フォローと回復は任せ
た﹂
﹁はい、かしこまりました﹂
﹁承知いたしましたわ主殿﹂
﹁蛍と雪はグリィンと協力して前衛を﹂
﹁任せておけ﹂
﹁ん⋮⋮わかった﹂
﹁ほウ、私も戦っていいのカ? ならばもうひと働きするとしよウ﹂
﹁一狼は俺一緒に遊撃。動き回るから孤立しないように気を付けよ
うな﹂
﹃わかりました我が主。どこまでもついていきます﹄
幸いというかなんというか、主の間にいる魔物は融合した人間が
恍惚とした表情で、たまに鳥肌がたつような吐息を漏らすだけで今
のところ襲ってくる気配はない。
﹁あいつらがどんな力を持っていて、なにをしてくるかはわからな
いから慎重にいこう﹂
俺は仲間たちに声をかけると閃斬を抜き放った。
1972
連携
・
霞たちを置いて俺たちが走り出した途端に化け物どもの表情が豹
変する。恍惚とした表情でどこかにイっていたのに、俺たちが主の
間に入ると表情が完全に抜け落ちた。いや、目だけは明確な殺意を
俺たちに向けている。その強さは︻殺気感知︼を持っている蛍が動
揺の気配を俺に漏らすほどだ。
﹁ほウ、塔主を守ろうとする意志はあるようだナ﹂
先頭を走るグリィンの前にぞろぞろと立ちふさがろうとする化け
物たちに、なにがそんなに面白いのかグリィンが楽しそうな声を漏
らす。
﹁ソウジロウ、雪、いらぬ心配だと思うが躊躇はするなよ﹂
﹁わかってる。あんな形で生きるくらいなら死んだほうがマシだよ。
ま、俺の主観だけどね﹂
﹁⋮⋮ん、心配ない﹂
わさわさと俺たちを囲もうとする化け物に最初に斬りかかったの
はグリィン。巨神の大剣を蜘蛛型の化け物の背中に叩き付ける。
﹁ふひっ! ふひぇ!﹂
﹁なんだト?﹂
だが、蜘蛛型の化け物は無表情のまま気味の悪い笑声を漏らしつ
つ横に跳ねた。蜘蛛の足と人間の手足をフルに使った強引な軌道修
正。さらに人間の口が小さく突き出されると放射状に糸を吐き出す。
1973
﹁グっ! なんダ、こいつラ﹂
﹁グリィン! いったんさがれ! 葵、メリスティア、グリィンを
頼む!﹂
﹁わかりましたわ!﹂﹁はい!﹂
糸に巻かれてもがくグリィンに他の化け物どもも群がってくるの
を見て、俺は閃斬で化け物と繋がっていた糸を斬ると一狼とともに
化け物たちの足止めに入る。
﹁すまなイ、ご主人。油断しタ﹂
グリィンは悔しそうに謝罪すると後衛へと下がっていく。あとは
葵とメリスティアが糸をなんとかしてくれるだろう。
﹁気をつけろ! あいつらは完全に融合してる。人の部分と魔物部
分の差異はない! 合わせて一体の化け物だ﹂
グリィンとの戦いを見ただけで分かった。あいつらは人と魔物が
融合したにも関わらず完全に一体の化け物として完成している。だ
からこそ蜘蛛型の魔物と融合した人間が口から糸を吐くなんてこと
ができる。これがもし、ブレスを吐くことができる魔物と融合して
いれば、人の顔でも魔物の顔でもブレスが吐けるだろう。
そして、なによりも厄介なのは⋮⋮。
﹁ソウジロウ! ぼやっとするな! 奴らはお前を狙っているぞ﹂
蛍からの叱責に周囲を見回して思わず舌打ちする。これだ、奴ら
は人間の知能を得ている。だからリーダーであり、一番弱そうな俺
を狙ってくる。だが、俺だって伊達に今まで訓練してきたわけじゃ
1974
ない。
獣の四足で真っ直ぐ向かってきつつも、胴体から生えた人間の手
足で時折不規則な横移動をしながら跳びかかってきた狼型の魔物を
左手の獅子哮で弾き、右手の閃斬で斬りつける。だが、真っ二つコ
ースだったにも関わらず狼型の魔物は人間の手を十字に構えて両手
を犠牲にして間合いから離れていく。
くそ、手強いな。
俺を囲もうとしてきたゴリラ型の化け物は一狼が速さで翻弄して
いる。一旦離れた蜘蛛型の魔物は雪が、トレント型の魔物は人間部
分に剣と盾を持たせて、枝での攻撃と合わせて蛍と斬り結んでいる。
下手に知恵がついたせいか我先にと襲い掛かってくることはないが、
危なくなると下がって違う化け物と交代して襲い掛かってくるのは
かなり厄介だ。
これなら多少無理をしてでも一体ずつ仕留めていったほうがいい。
俺は蛍と雪に︻共感︼で作戦のイメージを飛ばす。どうやらふたり
も同じようなことを感じていたらしく、すぐに了承の意思が伝わっ
てくる。
よし、じゃあまず俺は近づいてきたこのゴーレム型の化け物だ。
俺はゴーレム型の化け物が力任せに振り回してくる腕を捌きながら
慎重に誘導していく。そしてある程度引きつけたところで、ゴーレ
ムの大振りの右フックを屈んでかわし、胴体から生えている人間の
生首を斬り落とす。ゴーレムのくせに痛みに仰け反る間に後ろに回
りこむと膝の裏を力一杯蹴飛ばしゴーレムの動きを止める。おお、
ここまで思ったよりうまくいった。このまま俺が止めをさすのもい
いが⋮⋮。
﹁ソウジロウ!﹂
﹁了解!﹂
1975
蛍の声と同時に俺の目の前に脚を二本斬りとばされた蜘蛛型が逃
げていくので、それを後ろから俺が斬り殺す。俺が動きを止めてい
たゴーレムは蛍が一刀両断にしている。そのまま俺は一狼が相手を
しているゴリラ型の化け物に横から攻撃を加えるために走り、同じ
ように蛍も雪の戦闘に乱入しているはずだ。ようは1対1だととど
めを刺しきれずに交代されてしまうなら、一時的に1対2の状況を
作り出して一体ずつ仕留めていけばいい。
俺と蛍が抜けた穴には⋮⋮
﹁またせたナ、ご主人。ここは任せロ﹂
糸から復帰したグリィンがその巨体で埋めてくれる。それでも裏
を抜こうとするなら後衛から葵の術がフォローしてくれる。多少の
怪我も戦っているうちにメリスティアの広範囲回復術で治る。俺は
安心して動き回ればいい、俺を狙ってくれるならむしろ好都合で俺
が動き回れば動き回るほど化け物たちの動きを乱すことができる。
蛍に仕込まれた歩法と限定解除中の俺の身体能力なら、化け物相手
でもやれる。
1976
連携︵後書き︶
2016年も本作をお読みくださりありがとうございました。
年内の更新はここまでになります。
更新ペースは上がらないかもしれませんが来年も頑張りますので引
き続き応援よろしくお願いいたします。
評価、ブクマ、レビュー等頂けると来年以降の励みになります!^
^
1977
暴走再び?︵前書き︶
明けましておめでとうございます︵遅っ!︶。
やっと年明けのばたばたが落ち着いて執筆再開です。
今年もよろしくお願いいたします。
1978
暴走再び?
グリィンが復帰してからの戦いはかなり安定している。やはりグ
リィンが大きな体で敵を引き受けてくれるのはありがたい。俺はと
にかく動き回って、陰からこそこそ仲間と戦っている魔物を斬れば
いい。
おかげで三十あまりはいた信者と魔物が融合した化け物もあと十
体ほどに減ってきている。このままいけばこいつらを掃討できるの
も時間の問題だろう。
﹁﹁サがるぃナさイぃ﹂﹂
バーサの声と疲れたおっさんのしゃがれた声が同時に喋っている
ような不気味な声に、俺たちと戦っていた化け物たちがぴたりと戦
闘をやめ、後ろへと下がっていく。
﹁⋮⋮雑魚じゃ俺たちには勝てないとみて、いよいよボスのお出ま
しか?﹂
﹁気をつけろよソウジロウ。なにをしてくるかわからん﹂
蛍の声に黙って頷くと油断なく武器を構えて相手の動きを窺う。
ゆっくりと山羊の魔物と融合したバーサが近づいてくると俺たちと
十歩ほどの距離で止まった。
その姿は誰がどうみても異様だが、バーサの表情は穏やかだ。山
羊の魔物の意思がどうなっているのはわからないが今までの魔物み
たいにいきなり襲い掛かってこないということは、かなりバーサの
意思が反映されているのかも知れない。
1979
﹁バーサ! あなたはどうしてそこまで塔にこだわるのです! そ
んな姿になってまでやりたいことがあったというのですか!﹂
﹁メリスティア?﹂
さて、どうしたものかと考えていた俺の横に飛び出してきたのは
メリスティアだった。脅迫されて強制されて仕方なくだったとはい
え、一度は契約をしていた相手だ。完全に他人だと割り切れないの
だろう。
﹁﹁うフぅふふふ、めリすゥてぃあ。とーハ、セかいヲまモッてい
ぃルのデすよ﹂﹂
裸の胸を揺らしながら恍惚とした表情でバーサが笑う。
﹁だからといってこんな! 魔物を大量に発生させたり人と融合さ
せたりさせるなんて﹂
﹁﹁とうシュはトうのケシん。とウしゅニなるというぅコとはぁ、
とーになルトいうこと。ソしてセかいヲまモる、トウにナるぅとイ
うゴとはぁ、かミにナること﹂﹂
﹁バーサ!﹂
﹁もういいよ、メリスティア﹂
﹁フジノミヤ様⋮⋮﹂
気味の悪い声で意味のわからないことを喋るバーサをなおも詰問
しようとするメリスティアの肩に手を乗せると、ゆっくりと後ろへ
と押し戻す。
﹁まともな答えが返ってくるとは思えない。ああなってしまった以
上、殺してやるのが俺たちにできる唯一のことだと思う﹂
1980
正直いえば、もうこいつの声も話も聞きたくない。もしかしたら
こいつと話をすることで、この世界の秘密のようなものに触れられ
る可能性もある。だが、別に俺たちはこの世界の秘密を解き明かし
たいわけじゃない。ただ好き勝手、自由に生きたいだけだ。
そして俺はこいつらが気に入らない。どんな理由があったにしろ、
なんにんものひとを犠牲にして人造魔導士を作ったり、罪も無い子
供たちを無慈悲な暗殺者に仕立てあげたり、街を乗っ取るために街
の要人を暗殺したり⋮⋮うん、完全に悪人だろう。
﹁フジノミヤ様⋮⋮わかりました。お任せいたします﹂
スイッチの入った俺を見て、僅かに顔を赤くしたメリスティアが
大人しく下がっていく。さがったメリスティアと入れ替わるように
して前へと出てきたのは雪だ。
﹁⋮⋮私がやる﹂
清光を手にさらに前へ出ようとする雪。
﹁雪、ダメだ。ひとりでやる必要なんてないだろ。皆で戦うんだ﹂
﹁⋮⋮ソウジロ、情けない。大減点﹂
﹁げ! また減点か。⋮⋮でも、許可はできないよ。皆で連携して
戦う﹂
刀娘たちの闘争本能は強い。それはときには暴走としか思えない
ような行動を引き起こすくらいに。そして、それが原因で蛍と桜は
危機に陥ったことがある。だからどれだけ減点されようと無謀な行
動を取らせるわけにはいかない。
1981
﹁⋮⋮⋮⋮失望。怖いなら見てればいい﹂
﹁ちょ、待て! 雪!﹂
盛大な溜息とともに飛び出した雪がバーサに斬りかかっていく。
慌てて手を伸ばすが雪は速い、俺の手が雪の服を掴むことはなかっ
た。
雪はあっという間にバーサに肉薄すると斬りかかっていくが、バ
ーサが融合している山羊頭の魔物はその腕で雪の攻撃を弾き返して
いる。なんだよそれ、この世界にきて魔剣になっている日本刀の一
撃をどうして腕で受け止められるんだ。
﹁それだけでもヤバいのに、あいつがどんな攻撃をしてくるかもわ
からないんじゃ、やっぱりひとりでいかせるわけにいかない﹂
﹃お待ちください我が主! 下がった化け物どもが⋮⋮﹄
閃斬を握りなおし、すぐに援護にいこうとした俺を一狼が呼び止
める。
﹁主殿、後ろの化け物たちの魔力が高まっていきますわ! 一斉に
魔法がきます! 属性がまちまちで対抗する有効な防壁が張れませ
んわ!﹂
な! くそ、あいつらは邪魔だから下げたんじゃなくてゆっくり
呪文を詠唱させるために下げたのか!
﹁蛍! 葵! 一狼! 霞たちを守ってくれ!﹂
蛍は光魔法を使った結界﹃勾玉﹄が使えるし、葵ならたとえ全属
性がごちゃ混ぜになったような攻撃でも︻魔力操作︼でそれなりに
防御力のある盾を作り出すだろう。
1982
﹁それは構わないがお前はどうするんだソウジロウ!﹂
﹁多分なんとかなる! 頼んだよ!﹂
﹁ええい! くそ、いくぞ年増! 一狼! メリスティアを引きず
っていけ!﹂
﹃承知﹄
﹁え? え⋮⋮えぇぇ!﹂
﹁わたくしに指図しないでくだいまし山猿!﹂
なんだか賑やかなうしろの様子に、あっちは大丈夫だと判断し俺
はバーサと雪に向かって走る。既にバーサの背後にいる化け物ども
の頭上には火球や水槍や石弾などが生みだされつつある。その他に
も呪文の完成と同時に発動するようなものもあるのだろう。俺には
魔力を感じ取ることはできないが、なんとなく危ない気配だけはわ
かる。
あいつらもさすがにバーサに被害が及ぶような魔法の使い方はし
ないだろうう、だからむしろバーサの近くにいたほうが安全のはず
だ。
1983
プッツン
﹁雪! 魔法の総攻撃がくる! 巻き込まれないようにバーサの近
くで立ち回るんだ﹂
﹁⋮⋮関係ない。倒せば終わり﹂
斬り結ぶバーサと雪の近くまできたものの、雪は俺の忠告を聞こ
うとしない。声をかけた俺のことを見もせずに攻撃を続けている。
だが、相変わらずその攻撃はダメージを与えられていない。
﹁⋮⋮それならこっち﹂
業を煮やした雪が攻撃のリズムを変え、フェイントで魔物部分の
腕を避けバーサの胸を貫きにいく。
﹁﹁ウフふフうフふふふふぅ﹂﹂
しかし雪の清光はバーサの柔らかそうな胸を貫くことはできない。
明らかに肌に触れる前になにかに押しとどめられている⋮⋮つまり
雪の刀が魔物の腕に弾かれているのも同じ理由か? となればそん
なもの魔力しか考えられない。おそらく魔力が供給された俺の学生
服のようなものか。それなら⋮⋮
﹁雪! 属性刀は?﹂
魔力の障壁を破るために魔力をこめた攻撃をするというのはいい
方法のような気がする。
1984
﹁⋮⋮そんなこともうやってる﹂
﹁え⋮⋮﹂
そういえば⋮⋮確かに雪の刀は時折いろんな色の微かな光を発し
ていた。でもその光は長く続いていない。バーサの魔力障壁を破る
だけの出力が出せていないのか、それとも⋮⋮まさか!
﹃葵! バーサの魔⋮⋮﹄
一瞬脳裏をよぎった嫌な予感に︻共感︼で確認を取ろうと思った
ときには既に遅い。後ろの化け物たちの魔法はもう一斉に放たれて
いた。しかも無数の魔法たちは、俺の嫌な予感を裏付けるようにど
れひとつとして俺たちの仲間には向かって飛んできていない。その
全ての魔法はバーサの背中に向かっていた。
﹁雪! なんかやばい! 葵のところまで下がろう!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
雪に向かって手を伸ばすが、意地になっているのか雪はそれを振
り払うようにしてバーサへと攻撃を仕掛けていく。
そして化け物たちの魔法がバーサの背中に全弾命中する。
﹃主殿! バーサの魔力が以上に高まっていますわ! 危険です、
お逃げくださいませ!﹄
葵の切羽詰まったような思念に俺の疑念が確証に変わる。バーサ
の体全体が様々な色の光を交えながらどんどん膨張していくんだか
ら一目瞭然だ。もし俺の予想通り、あの山羊頭とバーサの融合体が
受けた魔法を吸収し、それをさらに増幅して放つとしたら⋮⋮バー
サの近くなんて最悪じゃないか!
1985
十発以上の魔法を吸収しているうえに、おそらく雪の属性刀の魔
力も吸収しているバーサがそれを増幅したら⋮⋮⋮そんな威力は想
像したくもない。赤い流星のシャドゥラの火球ですら火遊びレベル
の可能性すらある。
葵の声に従ってすぐさま皆のところへと逃げ出したいが、俺の視
界には高まるバーサの魔力にようやく気が付き、その力の大きさに
動きがとまってしまっている雪がいる。あのレベルの魔法を至近距
離で受けたらさすがの雪だって無事ですむとは思えない。でも、こ
れから雪を掴んで逃げるにはもう遅すぎる。
﹁⋮⋮⋮⋮だからって大事な嫁を見捨てるとかできるわけないだろ
うが!﹂
叫びながら走る。閃斬は取りあえずその場に放り出し、ボタンが
ふたつ弾けたままの短ランの残り三つのボタンを外しながら雪へと
飛びついて押し倒し、小さいながらも短ランの内側へと抱き寄せて
床へ。
﹁⋮⋮ソ、ソウジロ? どうして﹂
﹁黙って目をつぶってろ! 喉や目を灼かれるぞ!﹂
そう言って柔らかい雪の体を力一杯抱きしめた途端に熱いのか、
冷たいのか、それとも痛いだけなのか⋮⋮名状しがたい衝撃が俺を
襲う。
俺はとにかくその衝撃が雪にだけは及ばなければいい。それだけ
を考えて腕に力をひたすら込め続ける。
パキンッ! パキンッ! ⋮⋮パキ⋮⋮ 1986
魔法の衝撃の中、聴覚もまともに働いていなだろう俺の耳にそん
な音が三度聞こえた。
﹃ソウジロウ!﹄﹃主殿! 主殿!﹄﹃我が主!﹄﹁兄様!﹂﹁旦
那様!﹂﹁ご主人!﹂﹁フジノミヤ様!﹂
皆の声が聞こえる⋮⋮ぅう! やべ、どうやら一瞬意識が飛んで
いたらしい。俺はとにかくまず腕の中の雪の感触を確かめる。
﹁雪! 大丈夫か!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮だ、いじょう、ぶ﹂
﹁よかった⋮⋮でもまだ戦闘中だ、立てるか?﹂
幸い周囲はいまの常識はずれな魔法の余波で、削られた塔の壁や
床の粉末が舞っているみたいだ。だいぶ魔法で吹っ飛ばされている
みたいだし、いまならバーサは近くにはいないだろう。この間に態
勢を立て直さなきゃな。
﹁⋮⋮ど、どうして? 私は刀⋮⋮なのに﹂
﹁どうして⋮⋮か﹂
なんとか体をおこした俺は自分の視界が半分しかないことに気が
付く。左半分がまったく見えていない。慌てて左手で自分の顔を確
認するが、どうも火傷かなんかで左目が塞がれているらしい。身体
中が鈍い痛みで満たされているためか、顔は引き攣っているが耐え
難いほどの痛みはない。メリスティアの範囲回復のおかげか?
1987
カラン⋮⋮
そのとき小さな音をたててなにかが床に落ちる。右目の視界を下
に向けるとそこには俺の短ランの一番下についていた魔石ボタンが
落ちている⋮⋮あの魔法をかろうじて凌げたのはこれのおかげだ。
ディランさんには感謝しなくちゃな。
﹁ほら、雪﹂
雪に手を伸ばす⋮⋮そして、おずおずと伸ばされた雪の手が赤く
染まっていることに気が付いた。よく見れば、右腕の中ほどがぱっ
くりと裂けている。さらに、雪の羽織にはところどころ赤黒い染み
がある。俺の学生服で隠しきれなかった部分がなんらかのダメージ
を受けて出血してしまったのだろう。雪の真っ白だった髪も血や埃
で汚れ、その額からは赤い筋が⋮⋮
あ、ダメなやつだこれ。俺、キレる
﹁雪、刀になれ﹂
﹁⋮⋮え?﹂
﹁聞こえないのか、俺の手にこい!﹂
﹁は、はい!﹂
俺の右手に収まった加州清光を握り、使えるようになった劣化の
︻気配察知︼でバーサの位置を把握すると半分になった視界を粉塵
の向こう側へと向ける。
﹁雪、さっきどうして自分を助けようとするのかって聞いてたな﹂
﹃⋮⋮は、い﹄
﹁俺の戦闘能力がたりないから俺を認めない。これは構わない⋮⋮
1988
俺が頑張ればいいだけだ﹂
﹃⋮⋮⋮⋮﹄
﹁だけど⋮⋮俺が刀娘たちを! お前を! 雪を! 愛している気
持ちを見くびるな! 好きな女を守ろうとするのは男として当たり
前だ!﹂
1989
プッツン︵後書き︶
久しぶりにレビューを頂きました!^^
いくつ頂いてもテンション上がります! 嬉しいです。
ありがとうございました。
1990
魔法無能力者の利点
﹃⋮⋮﹄
・・
俺は走る。俺の女を傷つけたモノは許さない。
﹁蛍! 全員でうしろのゴミどもを掃討しろ! これ以上魔法を使
わせるな。それとバーサは俺がやる! おまえたちも含めて誰も手
を出すな!﹂
﹃大丈夫なんだな? ソウジロウ﹄
蛍の問いかけに肯定の意思を返す。
﹁いいだろう、任せた﹂
﹁凛々しくて格好いいですが、心配ですわ﹂
﹁ああなったときのソウジロウは強い。様子は確認していてもらい
たいが言われるまで手は出すなよ﹂
﹁ふん! わかってますわ!﹂
﹁よし! グリィン! 葵と霞、九狼を連れて右から回れ!﹂
﹁心得タ!﹂﹁はい!﹂
﹁ちょ、わたくしはさっきの防御で魔力が⋮⋮でも主殿のためなら
そんなこといってられませんわね。わかりましたわ。ここは山猿に
従いましょう﹂
﹁私たちは左だ! 黒王、赤兎、陽、四狼は私についてこい!﹂
﹁はい! 蛍ねぇさま!﹂
﹁メリスティアはソウジロウの回復に専念してくれ。一狼はメリス
ティアの護衛を頼む﹂
﹁わかりました。全力を尽くします﹂﹃承知した﹄
1991
蛍の的確な指示で仲間たちの気配がわかれていくのを︻気配察知︼
スキルで感じながら、俺は粉塵の向こうにバーサの影を捉えていた。
﹁﹁ウふブフうぃふフふふ﹂﹂
煙の向こうから聞こえてくる耳障りな笑い声も、もはやどうでも
いい。おまえが笑おうが叫ぼうが関係ない、ただ斬り刻むだけだ。
﹃⋮⋮あれは斬れない﹄
俺の思考を感じたのか、雪がわずかな不安の感情とともにつぶや
く。
﹁いや! 俺なら斬れる!﹂
雪を安心させるように言い切った俺はバーサの正面から左に回り
込むように走る。視界が半分しかないいまは、正面から戦うと死角
が多すぎるから常に回り込むように動き続ける必要がある。
どうせ自分を傷つけることはできないと高を括っているのか俺の
姿を追おうとしないバーサの右腕に雪を振り下ろす。刀はずっと練
習してきたし、雪の︻刀術︼の補正もある。しかも﹃重結の腕輪﹄
の負荷もいまの俺に合わせたレベルまで軽減されている。だから斬
れるはずだ!
振り下ろした雪が山羊男の右腕に触れる直前、わずかな抵抗はあ
ったが確かに奴の腕にくいこんで、僅かな斬り傷をつけた。
﹁﹁きィいいギぃイいアヤァぁ!!﹂﹂
﹃斬れた! どうして?﹄
1992
﹁やっぱりそうだ、俺なら斬れる。雪も属性刀は使うな、刀身を必
要以上に魔力で強化する必要もない﹂
﹃⋮⋮ソウジロ、ずるい﹄
ずるいって⋮⋮別にずるいわけじゃないよ雪。この化け物はこの
世界だと完全に初見殺しなんだ。
﹃⋮⋮初見殺し?﹄
・・
そう、こいつは魔力を防御力に変換する。しかも外部からも魔力
を吸収できるからたちが悪い。この世界の人たちは程度の差はある
けど、誰でも魔力を体に纏っている。だから普通に攻撃しただけだ
と、攻撃したときの魔力を吸収されて防御力があがってしまうから
ダメージが通らないんだ。
だけど、俺は魔力を外に出せない。魔力で身体強化ができない。
でもだからこそこいつを斬れる。
﹁幸い、さっきのバカみたいな魔法のせいであいつ自身の魔力もほ
とんどなくなっているしな。どうせ攻撃されればまた吸収できると
思ってたんだろうよ!﹂
回り込みながらバーサの背中に斬りつけ、さらに傷を増やす。あ
いつに残っている魔力にくわえて、もともとの体の強度があるせい
かあまり深くは斬れないが、傷から出血はしているからしっかりと
削れてはいる。あとはこのまま攻撃を続けて、あいつの魔力が完全
に枯渇すれば完全に攻撃が通るようになるはずだ。
﹃⋮⋮ソウジロ﹄
となればあとは手数。さっきの魔法での肉体的ダメージは学生服
1993
がほとんど防いでくれたがゼロではないし、狭い視界での戦いと︻
気配察知︼のための集中で精神はごりごりと削られている気がする。
ほんわかと俺を包んでいるメリスティアの範囲回復がなければ、も
う倒れていたかも知れない。
バーサも思いがけず傷を受けたことで、完全に俺のことを危険視
したらしい。二本の毛むくじゃらの腕を振り回して俺を攻撃してく
る。こうなると視界が半分しかない俺は厳しい。
蛍の︻気配察知+︼なら刀ごしの劣化スキルでも性戦士のときみ
たいに目を閉じても戦えるけど、雪の︻気配察知︼だとまだそこま
では無理だ。なら、無理に視覚と︻気配察知︼を併用して消耗する
よりは⋮⋮
﹁雪、死角からの攻撃は︻気配察知︼でサポートを頼む﹂
﹃⋮⋮﹄
いっそ、死角からの攻撃は雪に任せて俺は視界の中だけに集中す
る。勿論、雪に頼りきりにならないようになるべく右半分の視界に
バーサを捉え続けるように動く。そして隙をみて斬りつける。斬る
のはどこでも構わない、とにかくあいつの魔力を使わせて、小さく
ても傷を増やす。
そして、あいつの魔力が尽きたときがあいつの最後だ。
1994
絆
どうやらあいつは魔力に頼ってカウンターをとる戦い方しか知ら
ないらしく、拳を使った攻撃はお粗末なものだった。大きな予備動
作、大ぶりな攻撃、無駄の多い移動、力はあるらしく一撃は重そう
だが攻撃を受けなければ問題ない。
ブォンとうなりをあげる右フックをしゃがんで避け、追いかける
ように振り上げられた右の前蹴りに雪を斬りつけつつサイドに跳ぶ。
そっちは視界が悪いため、右フックは一瞬視界から消えるので必要
以上に大きく避けなければならない。その隙を狙った蹴りだとすれ
ば意外と考えて攻撃をしてきている?
そのままバーサの腹部を斬りけるが明らかに魔物部分よりも防御
力が高いらしく傷をつけられなかった。融合したバーサの意識のほ
うが強く働いていて、自分の体のほうに魔力を集めているのかも知
れない。もっとも俺のほうも片目のせいで遠近感が微妙に狂ってい
て最適な間合いを取れていない。
そんな中、その後も死角を狙った攻撃が何度も繰り返され、俺も
視界を広く使える右回りで移動しながらなんとか攻撃を避けていく。
雪もなんとか死角をカバーしようとしてくれているのだが﹃⋮⋮ぁ、
くる﹄﹃⋮⋮ひだ、り﹄と自分で得た情報を俺に伝える段階でつま
ずいているらしく、現状では︻気配察知︼を生かせていない。
﹃あ! あぶな⋮⋮﹄
﹁うぐっ!﹂
1995
あばら
・・・・
うご⋮⋮息が、とまる⋮⋮かはっ! く、なんで急に右の脇腹に
? いてぇ⋮⋮肋が折れたか? とにかく起きなきゃ⋮⋮。
床と組んずほぐれつしながら吹っ飛ばされた俺は左手で脇腹を抑
えながらなんとか立ち上がる。バーサは俺を追いかけてはこないよ
うで、また不気味な笑い声を漏らしている。
﹁⋮⋮まさか、狙われたのか?﹂
死角からの攻撃を意識させておいて、右目の意識を左側に集中さ
せたってことか? そのせいで見えているはずの右側からの攻撃に
反応できなかった? く、想像以上に頭がいい。
﹃⋮⋮ソ、ソウジロ﹄
﹁あやまるな雪。いまのは俺の油断だ﹂
﹃で、でも⋮⋮私が﹄
確かに雪はさっきの攻撃もちゃんと把握していた。雪がしっかり
とその情報を俺に伝えれていれば俺は攻撃を避けられたかも知れな
い。でも、そんなのは関係ない。俺が雪とちゃんと連携が取れてい
ないというのも、結局は俺が﹃沖田総司を超えてほしい﹄という雪
の願いに応えられていないせいだ。
だから俺はそんな雪との現状を考えて立ち回らなきゃならなかっ
・・・
た⋮⋮⋮⋮いや、本当にそうか? 俺はどこかで沖田総司を超える
なんて簡単にできるわけない。いつか超えればいいと思っていなか
・・・
ったか? 蛍や桜や葵がいてくれるから、雪との絆を深めるのはそ
のいつかがきたあとでもいいと思って先延ばしにしていたんじゃな
いか? 1996
⋮⋮そうか、俺は雪に冷たくあしらわれても、それでも雪と分か
り合う努力をしなきゃいけなかったんだ。たとえ剣で認められなか
ったとしても、俺と雪という人間同士の関係は深めていかなきゃな
らなかった。それを怠った結果がさっきの一撃。痛い授業料だった
けど、まだ負けたわけじゃない。いまからだって俺たちならやれる!
﹁雪、無理に言葉で伝える必要はないんだ﹂
﹃⋮⋮え?﹄
突然話題を変えた俺に戸惑う雪の気持ちが伝わってくる。そう、
俺たちの間には︻共感︼のスキルがある。雪はこの世界に来てから
もあんまり使ってはくれなかったけど、俺のほうから歩み寄ればこ
んなにも雪を感じることができる。
﹁︻気配察知︼で感じたことをそのまま俺に伝えてくれればいい﹂
﹃⋮⋮でも﹄
﹁できる! 俺と雪ならできるんだ。もっと俺の気持ちを感じてく
れ、雪の気持ちを俺に⋮⋮教えてくれ﹂
﹃⋮⋮ソウジロ⋮⋮﹄
俺は仲間たちに対する想い、刀娘たちに対する想い、雪に対する
想い、この戦いに懸ける想いを右手の雪へと伝える。その全部がち
ゃんと伝わっているかどうかは俺にはわからないけど⋮⋮戸惑って
いた雪の気持ちがほんわかと温かいものに変わっていくのがわかる。
同時に俺でも周囲の気配がわかるようになる。
・・
ありがとう雪。俺は雪が認めてくれる男に⋮⋮いま、なる! ﹁主殿! これを!﹂
1997
葵が背後からなにかを投げる。いや、いまならわかる。葵が投げ
たのは俺が手放した閃斬だ。︻斬補正︵極︶︼の剣をむき身で投げ
るなと言いたいところだが、葵も刀娘。いまの俺と雪とのやりとり
を感じていた。だから俺と雪が繋がったタイミングで投げてくれた
んだろう。グッジョブ!
︻気配察知︼の中でくるくると回りながら飛んでくる閃斬を、目
で確認すらせずに後ろに左手を伸ばしてつかむ。これで足りなかっ
た手数も補える。
﹁いくぞ雪﹂
﹃⋮⋮うん﹄
もう視界なんて気にする必要はない。雪がいてくれれば大丈夫。
俺はなんの不安もなくバーサの正面へと飛び込み、バーサの心臓
を︻突補正++︼の雪で突く。その攻撃はまだバーサへ通らないが、
そんなことは想定ずみだ。すぐさま左の閃斬を袈裟に振り下ろすと
慌てて右腕で防御にくるが、閃斬はその半ばほどまでを斬り裂く。
﹁﹁くキゃァあぁぁアあ!﹂﹂
悲鳴を上げるバーサの口の中を狙って再び雪を突く。やはりその
突きは刺さらないがすぐに閃斬で右足を薙ぐ。そしてこちらも浅く
ない傷を付けることができた。
雪の攻撃で奴の魔力をバーサ本体に集中させ、すかさず魔力が薄
くなっているであろう魔物部分を斬る。そして奴の攻撃は雪が察知
してくれる。この刀娘との一体感は夜の錬成でも味わえない。ギリ
ギリの戦いの中でのみ感じられる悦楽⋮⋮結局は俺も刀娘たちと同
じでどこかで戦いを求めているのかも知れない。
1998
﹁いける! このまま一気にいくぞ﹂
﹃わかった、ソウジロ!﹄
1999
副塔消滅
心地良い雪との一体感の中で俺はいつしか身体中の痛みも忘れた
だひたすらにバーサを攻撃した。
突く、斬る、突く、斬る、避ける、突く、斬る、突く、斬る、突
く、斬る、避ける、避ける、突く、斬る、突く、斬る、斬る、斬る、
斬る、斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る!
はぁ、はぁ⋮⋮はっ、はぁ⋮⋮
気が付いたら、一剣一刀をだらりとぶら下げて荒い息を繰り返す
俺の眼下にバーサが倒れ伏していた。どんなに攻撃を加えても最後
まで傷ひとつつけられなかったバーサの顔は綺麗なままで、どこか
満足気な笑みを浮かべたままこと切れている。
﹁よくやったなソウジロウ。こっちもいま終わった﹂
﹁蛍⋮⋮﹂
刀を消しながら蛍が俺に微笑んでくれる。俺がバーサと戦ってい
る間、皆を指揮してしっかりと化け物どもを倒してくれた。相変わ
らず頼れる姉御だ。
﹁フジノミヤ様! お顔が! 私に治療させてください﹂
﹁ありがとうメリスティアさん⋮⋮いろいろ助かりました﹂
ずっと全力で範囲回復をかけ続けてくれていたメリスティアが、
2000
エクストラスキルを解除して普通に︻回復術︼をかけてくれる。戦
闘中に俺の体が動き続けてくれたのはきっとメリスティアのおかげ
だろう。
﹁主殿、お見事でしたわ﹂
﹁葵も閃斬を投げてくれたタイミングはお見事だったよ。まあ、閃
斬を投げられるのはかなり怖かったけどね﹂ 俺が放り出した閃斬をちゃんと拾っといてくれて、それをベスト
なタイミングで受け渡してくれたのはさすがは年の功だ。メンバー
全員をフォローしながらも、ちゃんと俺のことを見ていてくれたっ
てことだからね。
﹁兄様、あいつら属性付の魔石をたくさん持ってたよ。大儲けだね﹂
﹁ウォウ!﹂
﹁あいつらの中にライジと思われる顔がありました。旦那様のおか
げで自分たちの手でアイリとナリヤの仇を全員討つことができまし
た﹂
﹁くぅ∼ん﹂
﹁霞、陽⋮⋮ふたりとも強くなったね。俺はなにもしてないよ、全
部ふたりが頑張ったんだ。あ、もちろん四狼と九狼もね﹂
両手に魔石を抱えてにこやかに笑う陽と、自慢げな四狼。そして、
アイリだった霞がいろいろ思い出してしまったのか涙ぐみながら頭
を下げている。九狼はそんな霞を心配そうに見守っている。ナリヤ
だった陽もそれを見て慌てて頭を下げている。でも、俺は本当にな
にもしていない。傷を治したのはシスティナだし、ふたりを鍛えた
のは桜、そしてふたりの心の傷を日々ケアし続けてきたのはうちの
蛍と葵の年長組を筆頭にした女性陣だ。
﹃心配しました、我が主﹄
﹁心配かけてごめん。今回は地味な仕事ばっかり任せちゃったけど、
一狼だったから安心して任せられたよ﹂
俺の労いに尻尾をぶんぶんと振る一狼。今回は見張りとか護衛と
かフォローとか裏方の役目ばかりをお願いしたけど、どれひとつと
2001
して手を抜くことなく完璧にこなしてくれた。
﹁一時はどうなるかと思ったガ、最後は素晴らしい攻撃だったナ﹂
﹁はは⋮⋮ただ必死だっただけだよ。グリィンこそ、うちにきて早
々にこんなことに巻き込んじゃって悪かったな﹂
俺の言葉に気にするなと快活に笑うグリィンには器の大きさを感
じてしまう。まあ、もっとも半分以上はいままでの鬱憤晴らしでめ
っちゃ楽しんでいた気がするけどな。黒王と赤兎は⋮⋮夫婦でいち
ゃついてるから放っておいていいか。
﹁⋮⋮ところでグリィン。塔主が死んだこの副塔はどうなるんだ?﹂
﹁心配するナ、見ロ。まもなく塔主が消えると同時にこの塔も消え
ル。我々はこのまま待っていればよイ﹂
グリィンからバーサへと視線を戻すと、いままさにバーサの姿が
消えようとするところだった。同時に塔全体が古いブラウン管テレ
ビの画面が歪むように揺れて徐々に薄れていく。間もなくして塔が
完全に消えたとき俺たちは隠れ村の中央広場の真ん中、つまり副塔
があった場所にいた。
﹁なるほど⋮⋮こうなるのか﹂
周囲を見回すと、疲れ果てたように座り込んでいるレイトーク軍
が見える。巨神の大槍を杖代わりにして立ちながらも白い歯を剥き
出しにして親指を立てる領主イザクもいる。なんとか魔物たちを抑
えきり持ちこたえたということだろう。
錬成値:MAX 技能:魔力増
俺は閃斬と雪を鞘に納めると、目の前に落ちていたものを拾う。
﹃金羊蹄の長杖 ランク:C+
幅/魔力吸収︵微︶/魔力障壁﹄
塔主のドロップ武器か⋮⋮厄介だったバーサの能力をかなり引き
継いでいるらしい。
2002
﹁ソウジロウ様!﹂
﹁おふっ!﹂
杖を手に︻武器鑑定︼をしていた俺の背中に激しいタックルをか
ましてきたのはシスティナだ。メリスティアが一生懸命︻回復術︼
をかけ続けてくれてなかったら痛めた肋が致命傷になるところだっ
た。
﹁メリスティア、よかった。やはりソウジロウ様を助けていてくれ
ましたか。治療を代わります﹂
﹁はい、お願いいたしますシスティナ様﹂
もうすでに左目の視界も回復しつつあり、このままでも十分だっ
た気がするけどシスティナのいないところで怪我をしてしまった俺
にはなにもいう権利はないか。
﹁ソウ様、大活躍だったみたいだね﹂
﹁桜、そっちも無事終わったみたいだね﹂
・・・・
﹁もっちろん。一応向こうはもう大丈夫。念のためルミナルタのほ
うも確認してきたけど、弟子たちとあいつらがちゃんと仕事したみ
たいでちゃんと押さえてあるよ﹂
そっか、じゃあこれで本当に終わったか。なんだかどっと疲れた
⋮⋮システィナ︻回復術︼も気持ちいいし、ちょっと眠くなってき
た⋮⋮っていうかもういいや。
俺は抱き付くようにシスティナの胸へと顔を埋め、意識を手放す。
っとその前に⋮⋮
﹃雪、お疲れさま﹄
2003
﹃⋮⋮⋮⋮ソウジロ⋮⋮⋮⋮ごう⋮⋮く﹄
2004
副塔消滅︵後書き︶
いちおう聖塔教編完結です。あとは後日談てきなものを入れて6章
完結の予定です。
2005
戦のあと︵前書き︶
前回までのあらすじ
聖塔教との戦いが終わり、システィナと再会したソウジロウは意識
を失ってしまった。
2006
戦のあと
﹁部屋がオレンジだ⋮⋮﹂
目を覚ました俺は窓から差し込む夕日で橙色に染められた部屋を
みて思わずつぶやく。
﹁ご主人様⋮⋮ご気分はどうですか?﹂
﹁ん、あぁ⋮⋮システィナか﹂
俺が寝ているベッドの隣に置いてある椅子に座っていたシスティ
ナが心配そうに俺の顔をのぞきこんでくる。それを見た俺はちょっ
としたいたずら心が疼きだしたので、腹筋に力を入れると瞬間的に
上体を起こしてシスティナの唇をかすめるようなキスをする。
﹁うん、いい気分になった﹂
﹁もう! ⋮⋮本当に大丈夫そうですね。安心しました﹂
あっ、と小さい声を漏らして驚きの表情を浮かべたシスティナは、
俺の顔を一瞬だけにらむとすぐに笑顔を向けてくる。どうやら心配
をかけてしまったらしい。
﹁どのぐらい寝てた? 皆もちゃんと休息してる?﹂
﹁はい、大丈夫です。私とメリスティアは兵士の皆さんの治療がひ
と段落したところで休ませて頂きましたし、同じタイミングで霞と
陽も狼たちと一緒に⋮⋮ふたりはまだ寝ているかも知れませんね﹂
ということは、システィナとメリスティアはほとんど寝てないな。
2007
霞と陽は寝かせておいてやろう。本当によくがんばっていたからな。
﹁グリィンたちは?﹂
﹁グリィンさんは﹃あの程度は問題なイ﹄とおっしゃって、さきほ
どまで元気だった兵士の人たちと模擬戦をしていました。黒王と赤
兎は散歩に出てまだ戻ってきてません﹂
・・・
グリィンはらしいといえばらしいが⋮⋮タフだなぁ。そしてあの
陸馬夫婦はちゃっかりしけこみやがったな。帰ってきたら﹃お盛ん
でしたね﹄と言ってやる! ⋮⋮でもまぁ、今回は見逃してやるか。頑張ってくれたし、死ぬ
危険もあった。嫁さんと無事だったことを感じあいたいというのは
わからなくもない。いまの俺がまさにそうだからな。
﹁一狼は?﹂
﹁先ほどまで起きていたのですが、反対側で⋮⋮﹂
システィナに言われて、反対側の床を覗き込むと白い大きな毛玉
がある。一狼にも心配かけたか。
﹁蛍たちは?﹂
﹁蛍さんと雪さんは撃ち漏らした魔物の掃討、桜さんは村の中を調
査してます。葵さんは村の周囲をダイラスさんと回っています。ど
うやらこの村を開拓村として利用できないかという話になったみた
いで、防壁などの確認に﹂
﹁そうか⋮⋮﹂
皆、元気そうでよかった。結局一番足を引っ張ったのは俺か⋮⋮
いやいや、バーサは俺が倒さなきゃもっと苦労していた相手だった。
あの程度の俺の怪我で、皆に怪我がなかったんなら上々だ。
2008
﹁ご主人様! いま、たいしたことのない怪我ですんだと思いませ
んでしたか?﹂
﹁うお! いつから心が読めるようになったの、システィナ﹂
﹁それぐらいわかります! それにメリスティアのおかげで大事に
ならなかったですが、肋骨が三本折れて、顔の半分が大火傷。左目
は失明寸前でした。地球の医療知識がなければ、完全に元に戻らな
かった可能性もありました﹂
ちょっぴり頬を膨らませて怒っていることを主張するシスティナ
が可愛い。システィナが怒るくらいだから、思ったより重傷だった
みたいだけど⋮⋮。
﹁ごめん、でも実は自分のことはあんまり心配してなかったんだよ
ね﹂
﹁ご主人様!﹂
﹁だって、死にさえしなければ絶対にうちの侍祭様が治してくれる
って信じていたからね﹂
﹁え⋮⋮﹂
﹁怪我ありきで動いたわけじゃないし、治してもらえる前提で戦う
のはあんまりよくはないのかも知れない。だけどそう信じているか
ら、こんなヘタレの俺でも動かなくちゃいけないときにビビらずに
ちゃんと動けるんだ﹂
﹁⋮⋮もう、そんなこと言われたらこれ以上怒れないじゃないです
か。ずるいです﹂
夕日のせいなのかどうなのか頬を赤く染めるシスティナの手を握
る。
﹁いつもありがとうシスティナ﹂
2009
﹁はい﹂
結局、俺が目覚めたのはその日の夕方だったようだ。意識を失っ
たのが明け方くらいだったから半日ほど眠りこけてしまったことに
なる。ただ、怪我のせいで寝込んだというよりは、昨日は徹夜で戦
い続けていたので寝不足と疲労から寝落ちしたというのが正確なと
ころだろう。
寝ていた場所は信者たちが住んでいた家の一軒をまるごとうちの
パーティで使っているらしい。できれば早く屋敷に帰って温泉に浸
かりたいが、時間的にもこれから帰るのは難しい。出発するのは明
日の朝かな。
レイトーク軍は、数人ほど戦死者が出たようだが負傷者はシステ
ィナたちがなんとか間に合ったらしくこの規模の戦いにしてはあり
得ないほど被害が少なかったようで領主イザクから感謝されたらし
い。その兵士たちは、さっき言っていた開拓村として再利用する件
でしばらくここに残る。ただ、領主イザクは長く街をあけるわけに
はいかないから魔術師のダイラスと明日には帰路につく。ここに残
る兵士の指揮を任されたグレミロからその護衛を依頼されているよ
うなので、それは小遣い稼ぎに受けるか。
そんな話をしながら、システィナが地球の知識から再現して準備
してくれていた薄切り肉と葉野菜を挟んだサンドウィッチとコンソ
メスープ的なものを食べると思わずあくびがでる。
﹁まだ、体力は回復しきれていないと思います。今日はこのままお
休みください﹂
﹁⋮⋮わかった。皆といちゃいちゃするのは帰ってからにするよ﹂
﹁はい。楽しみにしていますね﹂
優しく俺を布団へと寝かせ、ちゅっとキスをしながら微笑むシス
ティナにおやすみと返せたのかどうかもわからないまま、俺は眠り
に落ちた。
2010
ただいま
﹁やっと帰ってきたぁ! ただいま二狼、三狼、五狼! 留守中は
問題なかった?﹂
﹁﹁﹁がうっ!﹂﹂﹂
道中を自らの足で走りとおした桜が一足早く門扉ごと飛び越えて、
出迎えにきていた狼たちを撫でている。あのあと俺たちは予定通り
翌朝あの村を出て領主イザクを護衛しつつレイトークへ戻った。
幸い道中は特になんの問題もなかったから、護衛依頼としては楽
な仕事だった。あとはレイトーク側が冒険者ギルドを通して、副塔
討伐依頼と護衛依頼の事後依頼と完了報告、そして報酬を払っても
らえば俺たちは冒険者ギルドから報酬を受け取ることができる。
﹁六狼、七狼、八狼は夜勤明けで寝てるかな? あぁ! いいよい
いよ寝かせておいてあげなよ﹂
﹁すっかりわたくしが主だということを忘れていますわね﹂
いつのまにかすっかり桜の指揮下に入っている狼たちの様子に、
葵と顔を見合わせて同時に苦笑する。ついつい忘れそうになるが、
一狼以外の狼は本当は葵の従魔だ。だが、全員﹃ウチの子﹄という
認識だから問題はない。たぶんだけど、使役系スキルを外しても俺
たちの関係は変わらないと思う。
﹁お疲れさまでした、ご主人様﹂
﹁ありがとう、システィナ﹂
いつの間にか黒王から下りていたシスティナが門扉を開けてくれ
2011
ていた。本当なら俺もグリィンから下りたいのだが、抱き着いてい
る蛍の感触が柔らかくて離れがたいのと、帰りも大爆走だったグリ
ィンから振り落とされないようにしがみついていたせいで体が強張
っていて⋮⋮自力では下りられないという状況だった。
﹁情けないぞ、ソウジロウ。いい加減慣れてもよい頃だろう﹂
俺の前で蛍さんが溜息を漏らすが⋮⋮たぶん普通の馬だったら俺
だってもう慣れている! と言いたい。デミホースクイーンである
グリィンがとんでもないスピードを出したり、飛んだり跳ねたりす
るのが悪い。
﹁はははハ! すまないナ、ご主人。思い切り駆けテ、思い切り戦
えたおかげデ、気分がよくてナ。ついはしゃいでしまっタ。だガ、
私に慣れておけば普通の馬なド、すぐに乗れるようになるだろウ﹂
﹁はいはい、そうだといいね﹂
グリィンの言葉をさらっと受け流すと屋敷の門の前に来ていたの
で、システィナに手伝ってもらって地面に下りる。あぁ⋮⋮大地っ
て素晴らしい!
﹁旦那様、先にお屋敷を掃除してきちゃいますね﹂
﹁兄様、掃除は霞ちゃんとふたりでやるからお風呂にでも入ってる
といいよ﹂
霞と陽がすっかり侍女モードになって張り切っている。確かに俺
の体は固くなっちゃってるし、お願いしちゃおうか。
﹁じゃあ、申し訳ないけどお願いしちゃおうかな﹂
﹁﹁はい!﹂﹂
2012
﹁ご主人様、着替えは私が準備しておきますので直接向かわれてく
ださい﹂
﹁そう? ありがとうシスティナ。一狼、一緒にいくか?﹂
﹃是非! と言いたいところなのですが、先に留守中の警備状況の
確認をしておきたいのです﹄
一瞬、耳と尻尾をぴんと立てた一狼だったが、少し残念そうに断
りを入れてきた。
﹁そうか、一狼も疲れてるのにありがとうな。落ち着いたらまたブ
ラッシングしてあげるからよろしく頼む﹂
﹃はい! 我が主!﹄
尻尾をぶんぶんと振る一狼の頭を撫でてから残りのメンバーに声
をかける。
﹁蛍はどうする?﹂
﹁私はまずは一献だな。一杯ひっかけてからいくから先に入ってい
ろ﹂
﹁桜もとりあえず一狼と一緒に見回りが先かな? 罠の状態も確認
したいし﹂
﹁桜もか、葵は?﹂
﹁わたくしはご一緒させてもらおうと思いますわ、主殿。ただ、一
応わたくしも従魔の主なので黒王と赤兎の体を拭いてからいきます
わ。グリィンも一緒に面倒みましょうか?﹂
﹁それはありがたイ。馬体のほうは手が届かないからナ﹂
﹁うん、了解。雪⋮⋮は一緒には入らない、か﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ちなみにこの場にメリスティアはいない。まだ契約を解除したわ
2013
けではないけど、御山の状況を確認して、やらなきゃならないこと
があるらしく、ルミナルタの転送陣を使って御山へと帰っている。
落ち着いたらきちんと挨拶に来てくれるらしいので、その時点で
契約が解除になるんじゃないかと思う。メリスティアはすごいスキ
ルもあるし、美人さんだし、スタイルもいいし、いい娘だし、でき
ればこのまま契約を続けて俺たちの仲間になってもらいたいという
のが本音なんだけど⋮⋮無理強いはできない。
でも、こうして知り合えて一度は契約できたんだから、今後また
チャンスがないわけじゃない。うまくシスティナに間を取り持って
もらえるようにお願いしておこうと思っている。まぁどっちにしろ
メリスティアの方が落ち着いてからの話か。
﹁じゃあ、皆疲れているところ悪いけどよろしく。今日の夕食は皆
で思いっきり騒ごう!﹂
それぞれに返事をしてくる頼もしい仲間たちひとりひとりと顔を
見合わせると、意気揚々と屋敷へと入る。そしてこんなとき俺がい
う言葉は決まっている。きっと皆も同じことを考えている、だから
俺たちは万感の思いを込めた一言を口にする。
﹃ただいま﹄
2014
雪溶け︵前編︶︵前書き︶
サブタイトルの漢字はわざとです。
2015
雪溶け︵前編︶
正味二日ほどしか空けてなかったにも関わらず、やっと帰ってき
たという思いが強い。戦いを終えて帰ってくるたびに﹁ここが俺の
帰る場所﹂だと実感する。
皆がそれぞれ、やるべきことをするために散っていくのを見送っ
た俺はロビーで屋敷の中を見回して大きく深呼吸をしながらそんな
益体もないことを考える。この世界に長くいればいるほど地球の神
に対する感謝の念が強くなる。最初は﹁適当だな! 神!﹂と思っ
たようなことも、気がつけば俺のためになってくれている。
周囲になんにもないようなところに放り出されたときは、このま
ま野垂れ死にするのかと思った。だけど、あの場所だったからこそ
システィナと出会うことができた。
この短ラン、ボンタンも、ただ地球を懐かしむだけの普通の学生
服だと思っていた。俺が魔力を使えないせいで気が付くのが遅れた
が、その防御力に今回は命を救われた。学生服に付いていた魔石ボ
タンは割れてしまったが、ディランさんから予備ももらってあるか
ら、あとでシスティナに直してもらおう。
そんなことを考えながら風呂場へ移動し脱衣所で今回の功労者で
ある学生服を脱ぎ、丁寧にたたんで脱衣かごに入れる。常に綺麗な
タオルが置いてある棚からタオルを一枚取り、浴室へ入る。
今日は内風呂でいいか⋮⋮なんとなく露天までいく気分じゃない
んだよなぁ。グリィンに振り落とされないように、力一杯しがみつ
2016
いていた体がつらい。早くお湯に入って手足を伸ばしたい。
﹁あぁ、でも体と頭は洗いたいな⋮⋮﹂
二日間体を拭くことすら出来なかったからな。ちゃちゃっと洗っ
さっぱりしてからくつろぐか。そう決めると浴槽の脇に置いてある
手桶でお湯を汲み体にかけ、石鹸を泡立てて体を洗う。ちなみにこ
の世界にも石鹸っぽい道具はあった。ただ、結構臭いが強く俺には
あまり合わなかった。でも、システィナが︻叡智の書庫︼を覚えて
から独自に改良を加えてくれてかなり使いやすくしてくれた。各種
料理といい、緑茶といい、石鹸といい、本当にシスティナはすごい。
本当ならその辺の文明改革とかって転生してきた俺がやるというの
がテンプレなんだろうけど、俺にはそんな知識も技術も甲斐性もな
かった。
まあ、いきなり異世界に来ることになった普通の高校生が、いろ
んな生活用品の作り方を知ってたりとか有り得ないよな。と、知識
チートもできなかった自分を、自分で弁護しておこう。
さて、洗った体を流して⋮⋮⋮⋮っと、あとは頭か。手桶で頭か
らお湯をかぶると泡立ててあった石鹸を頭につけてがしがしと洗う。
この石鹸は香りも悪くないし、肌や髪に悪影響はないみたいだけど、
ただ目に入ると異常に沁みる。
初めてやっちまった日は思わず転げまわって湯船に顔を突っ込ん
だほどだ。沁みるだけで、目に毒というわけではないが、洗髪中は
意地でも目を開けないようにしている。
⋮⋮まあ、たまに桜が目の前で悩殺ポーズ&悩殺ボイスを披露し
て俺の目を間接的にこじ開けてくるのが困る。なぜなら、ほぼ百パ
2017
ーセント誘惑に負けるから。だけどそれは仕方がない! だって見
るたびに一度として同じポーズだった試しがないんだから。ここで
目を開けなかったら、人生で一度きりのセクシーポーズを見逃すか
も知れないじゃないっすか!
っと、つい熱くなってしまった。
カラララ⋮⋮
お、誰か入ってきた? グリィンたちのケアが終わったら一緒に
入るって言っていたから葵だろう。
﹁お疲れさま∼。疲れているところ申し訳ないけど、せっかくだか
らこのあとの洗髪をお願いしてもいい?﹂
女性の細い指で優しく頭皮を揉まれながら、頭を洗ってもらえる
というのは実はかなり気持ちがよくて癒される。誰かと一緒に入る
ときは毎回お願いしているくらいだ。まぁ、実際は頭どころか体も
すみずみまで洗われちゃうんだけど。
ちなみに蛍さんは洗わせてくれるけど、洗ってはくれない。もち
ろん洗わせていただけるだけでなんの文句もない。ごちそうさまで
す。
・・
そうしているうちに葵は前に回り込んできて、俺の頭に両手の指
を添えてごしごしと洗い始めてくれる。おぉ⋮⋮それにしても前側
に陣取って洗ってくれるのは新しいな。後ろから双丘を押し付ける
感じで洗ってくれるのもいいけど、目を開ければそこにふたつの山
があるというのも、つい地獄の苦しみを乗り越えてでも目を開けた
くなってしまう。いや、我慢! 我慢だ。
2018
だが! 目は見えなくても俺には二本にして日本の腕がある! 自分でも何を言っているのかよくわからないが、目の前で揺れてい
るだろう素敵なものを閉ざした視界の向こうに想像するだけで、二
日間休止状態だった股間の爆裂剣が爆裂しそうなんだから仕方がな
い。
ということで一気に両方を⋮⋮もみっ。
﹃⋮⋮!!﹄
﹁え?﹂
え? ちょっと待って。いま、︻共感︼で伝わってきた動揺はな
に? ︵もみもみ︶葵なら﹃あら、いやですわ主殿。我慢できずに
いたずらをするのはこの子ですの﹄︵もみもみ︶とかいって手をつ
ねってきたり、あそこをにぎにぎしたりしてくるはず。︵もみもみ︶
それにこの胸の感触、大きさ⋮⋮微妙に俺のデータベースにある形
と違う︵もみもみ︶。
﹁⋮⋮んっ、ソウジロ⋮⋮えっち﹂
﹁え! まさか! 雪!?﹂
聞こえてきた声に驚いて思わず目を見開く。そこには一糸纏わぬ
白い肌、そして白く張りのある双丘を揉みしだく俺の両手、そして
わずかに頬を染める雪の顔⋮⋮がっ! がぁぁぁぁぁぁ! 垂れて
きた! 垂れてきた! ぐおぉぉ! 沁みる沁みる沁みるぅぅぅ!
みず水ミズ、ウォーター! 顔を上げようとした瞬間に額から垂れてきた泡が、見開いていた
目に入ってしまった俺は目を抑えて転げまわり、見つけた湯船に飛
び込んで目を洗い流す。でも、それはそれで目が熱い! なんか心
配だからあとでシスティナに回復してもらおう。っていまはそれよ
2019
りも!
ようやく痛みが引いた俺は湯船で立ち上がると、両手で顔をこす
って水気を払う。
﹁⋮⋮大丈夫? ソウジロ﹂
かけられた声に、ゆっくりと目を開けるとその水色の瞳で雪が俺
のことを心配そうに覗きこんでいた。
2020
雪溶け︵前編︶︵後書き︶
後編は頑張って明日中に更新する予定です。ブクマをしてお待ちく
ださい。
2021
雪溶け︵後編︶︵前書き︶
後編です。
2022
雪溶け︵後編︶
﹁ど、どうして⋮⋮﹂
目の前に立つ雪の裸身は本当に滑らかそうで、すべすべそうで、
白くて柔らかそうで、形の良い胸と、これでもかと引き締まった腰、
まるで女性の体の黄金比を実現したかのようなスタイルだった。
だが、そんな雪に興奮するよりも先に、俺の中では疑問のほうが
大きくなっていた。いままで雪は一緒に入ろうと誘っても、考える
素振りすらなく﹁⋮⋮ひとりで、入る﹂と言って絶対に一緒に入っ
てくれなかったのに。
﹁⋮⋮わたしも、入って⋮⋮いい?﹂
﹁あ⋮⋮うん、もちろん。ここは雪の家でもあるんだから、遠慮す
る必要はないよ﹂
﹁⋮⋮うん﹂
ゆっくりと湯船に足を入れ、浸かっていく雪に合わせて俺も隣に
肩を並べて座る。雪の白くて長い髪が湯船に広がって俺の肩を撫で
るので、ややくすぐったいが⋮⋮悪くない。雪とこうしていられる
のは普通に嬉しい。
でも、いままで拒否してきたことなのに雪自らここに来たという
ことは、きっとなにか俺に伝えたいことがあるということなんだろ
う。
﹁雪?﹂
﹁⋮⋮ん﹂
2023
俺の問いかけるような呼びかけに小さくうなずいた雪はゆっくり
と口を開く。
﹁⋮⋮ソウジロ、聞こえてなかった? ⋮⋮ソウジロが眠った、あ
のとき⋮⋮私、﹃合格﹄って﹂
﹁あ⋮⋮そういえば、意識を失う瞬間に⋮⋮﹂
確かに意識を失う直前に雪からなにか伝わってきていた。あのと
きはよく聞き取れなかったけど⋮⋮言われてみれば﹃合格﹄だった
気がする。
﹁え⋮⋮でも俺は沖田総司を超えられたのかな?﹂
﹁まだ﹂
﹁返答はや!﹂
いつもは話し出す前に一拍の間があるのに、その回答の早さはか
なりへこむ。
﹁⋮⋮⋮⋮私は、多分、沖田が好きだったんだと思う﹂
﹁⋮⋮うん﹂
それはそうなんだろう。沖田を超えて欲しいという雪の願いは、
雪が気持ちの整理をつけるために必要なことだった。それは俺のこ
とが嫌いだということじゃなくて、むしろ俺のことも好きでいてく
れた。それくらいは︻共感︼があればなんとなくわかる。でも、雪
は雪なりに中途半端な気持ちで俺のものになることが嫌だったんだ
と思う。
﹁⋮⋮でも、それは刀の私を、誰よりもうまく使ってくれたから。
使用者と刀の関係﹂
2024
﹁それは⋮⋮そうだね。元の世界では刀は刀のままだから﹂
雪は小さく首を振る。
﹁⋮⋮うん、でも違う。ソウジロは、違った。いまならわかる。沖
田は私の刀としての性能は愛してくれた。でも私自身は愛してくれ
なかった。だから、もっといい刀が手に入れば、私は使われない﹂
﹁⋮⋮﹂
沖田総司が幾つかの愛刀を持っていたというのは俺も知っている。
﹁⋮⋮ソウジロは、私そのものを好きになってくれてた。たぶん⋮
⋮私が斬れなくなっても、汚れても、錆びても、折れても、きっと
変わらない﹂
﹁え? そんなの当り前でしょ。俺は確かに刀自体の美しさにも惹
かれていたけど、本当に好きだったのは刀たちから溢れてくる気配
っていうか、雰囲気みたいなそういう空気と、刀たちが在り続けて
きた歴史なんだ。だから刀であっても、擬人化して人の形であって
も変わらず君たちが好きなんだ﹂
俺の言葉にちょっとだけこちらを向いた雪が小さく微笑む。うわ
ぁ、心から笑ってくれた雪はすげぇ可愛い。
﹁⋮⋮うん、今度の戦いで、やっと気が付いた。私もソウジロを、
使用者としてではなく、ひとりの男の人として好き。ソウジロの想
いに応えたい⋮⋮そして、私の気持ちにも応えて欲しいと思った﹂
﹁雪⋮⋮﹂
雪の目をまっすぐにみつめてその赤く小さな唇を⋮⋮
2025
﹁⋮⋮でも、剣の腕でも沖田を超えるのも忘れないで﹂
いい雰囲気をすかされた俺の顔がばちゃんと湯船に沈む。やっぱ
りそこは頑張らなきゃいけないのか⋮⋮でも雪と仲良くなれるなら、
それくらいは死ぬ気で達成してやるさ。
俺はざぱっとお湯から顔を上げると有無を言わせず雪を抱きしめ
て唇を奪う。
﹃⋮⋮ソウジロ、強引﹄
﹃嫌だった?﹄
﹃⋮⋮いや、じゃない。もっと、ソウジロを感じたい﹄
口がふさがっていても話ができるのは、こういうとき便利だ。
こうして、雪の心の氷が溶けるとともに俺たちはひとつになれた。
2026
雪溶け︵後編︶︵後書き︶
閑話と外伝を挟んで6章は終了になると思います。閑話は⋮⋮まだ
ちょっと悩んでいますがなくなるかもです。意外とバーサ様ファン
がいるようなので、バーサ様の裏事情︵結構重いです︶を書くかど
うかなので。
外伝は戦争の裏でまたもこき使われていた、あるハーレムパーティ
のお話になる予定です。
2027
閑話 ある兵士の報告︵前書き︶
ちょっと内容が重いです。読まなくても本編には影響はないと思う
ので飛ばしても大丈夫です。
2028
閑話 ある兵士の報告
﹁わたしになんか用かい?﹂
そう言って扉を開けた老婆は、来訪者が役職と名前を告げるとど
こか諦めたように吐息をもらした。
﹁そうかい⋮⋮入りな。わたしは足が悪いんでね、立ち話はしんど
い﹂
扉を開けて来訪者を奥へと誘う老婆は確かに杖をついて足を引き
ずっていた。老婆はゆっくりと歩くとテーブルの脇に置いてある揺
り椅子へと腰かけた。
﹁すまないが、椅子はこれしかないんだ。適当に楽な姿勢をしとく
れ。それにこんなんだからね、お茶も出せないから必要なら勝手に
やっとくれ﹂
来訪者は首を振ると老婆の近くに立つ。どうやら立ったまま話を
聞くようだ。
﹁で、レイトークの兵士さんがこんな年寄りになんの用だい? ⋮
⋮あぁ、確かにバーサは私が産んだ、私の娘だよ﹂
老婆は揺り椅子を揺らしながら、兵士の問いかけを素直に肯定す
る。兵士は老婆にバーサが起こそうとした事件とその顛末を告げる。
そして、この事件が今回のこと以外に波及しないかどうかを確認す
るためにバーサの情報を集めているため話を聞かせて欲しいと頼ん
2029
だ。
﹁⋮⋮そうかい。あの子は死んじまったのかい⋮⋮でも、これであ
のこもやっと楽になれたのかも知れないね﹂
僅かに目じりに涙を溜めながら老婆はぽつぽつと語り出した。
あの子が、やっかいな技能に目覚めたのは六つのときだったかね。
最初は可愛いから周りからちやほやされるのかと思っていたんだよ。
周りの男の子からは人気者だったし、大人の男たちからも可愛がら
れていたからね。ただ、驚くほどに女性からの評価は良くなかった。
大人が子供を可愛がる基準なんて男も女も変わらないはずなのにね。
そんな男どもからだけ可愛がられるような状況が、いつまでもう
まくいくわけはない。すぐにあの子は女という女から嫉妬の目を向
けられるようになった。同世代の女の子たちからは陰湿ないじめを
受け、大人の女たちからは汚いものを扱うかのように遠ざけられた
ものだ。
さすがにおかしいと思ってね。窓を出させてみたらあったんだよ。
異性だけを虜にする︻魅了︼がね。だが六つのあの子にはまだ制御
なんかできやしない。結局、あの子は家を出なくなったんだ⋮⋮そ
れでも家の中の仕事をよく手伝ってくれた。いい子だった。
外に出られないという不自由はあったが、家族としてはうまくや
っていた。私はそう思っていたんだよ。だけど女である私にはあの
子の力がどんどん強くなっていることに気がつけなかったのさ。
あとで聞いた話によれば十歳のときだったそうだよ。⋮⋮なにが
2030
? だって? はん! 実の父親に犯されたのさ。悔しいことに私
は気がつけなかった⋮⋮旦那は毎日私の食事に眠り薬を混ぜていた
からね。まさかあの子も味方だと思っていた父親に裏切られるとは
思わなかっただろうさ。
だが、あの子の能力を思えば旦那はよく二年も我慢したと言える
のかも知れないけどね。だが、だとしても許せることじゃないよ。
でもそれを私が糾弾する前に旦那は死んだ。
あの子が十二のときさ。毎晩父親に犯されていることを私にすら
言えなかったあの子は、もう限界だったんだろうね。ある日ふらふ
らと外に出ちまったのさ。
外に出たあの子が街の男たちに連れ去られて路地裏でひどい目に
あったのは、もう想像つくだろ。旦那はひどい姿で帰って来たあの
子を見て、すぐに包丁を持ち出すと狂ったように叫びながら、あの
子を襲ったと思われる男たちを斬りつけ、返り討ちにあって死んじ
まったよ。
情けないことに私が全てを知ったのはそのときさ。それからはも
う地獄の日々だったよ。どんなにあの子を家に隠しても男たちが家
に侵入してきてはあの子を襲っていくんだ。逃げるにしたって、常
に家を誰かが見張っているような状態で一切男の目に触れずに逃げ
るなんてできっこない。
自警団や領主に訴えたって無駄だよ。そこに男がいる限りまとも
な対応をしてくれるわけがないからね。あの子はすぐに諦めたよ。
どうせどんなに隠れても襲われるなら一日に数人、食料をたくさん
もってきた人を相手にするってね。
勿論、そんな状況が長く続くわけない。男たちは男同士で争い、
女は私たちを目の敵にし、自分たちを省みない男たちを恨んだ。そ
んな醜い争いが続いていたとき、あれが現れたのさ。⋮⋮よく知っ
ていたね。
2031
そう、副塔さ。
そして魔物が溢れて⋮⋮その街は滅んだ。もう何千日も前の話さ、
私が三十も歳を取るくらいのね。
あの子にとっちゃ塔とその魔物たちは救いだったんだろうね。地
獄というにも生温いようなあの環境を塔と魔物たちは一夜にして全
部ぶっ壊してくれたからね。その時だよ、あの子の能力が魔物の雄
にも効くと気が付いたのは。そして、結果として自分を救ってくれ
た塔や魔物をあの子は崇拝するようになった。さらに皮肉なことに
魔物の雄たちに心を開いたことで、とうとう︻魅了︼の制御にも成
功したのさ。
その副塔自体は、すぐに探索者たちが来て討伐したんだが、あの
子はそれから塔を求めるようになったのさ。あの子の力があれば情
報の収集も人手集めも難しくないだろう? だからあの子は塔を召
喚するための研究をしてたと思う。
それ以上は私も知らないね。最後にあの子を見たのも、いつだか
忘れるほどさ。
﹁以上が、教祖バーサの母親から聴取した内容になります﹂
﹁そうか、ご苦労だったな。二日の休養を与える、ゆっくりと休め﹂
﹁はい、ありがとうございます!﹂
部屋を出て行く兵士を見送った領主イザクは、報告書をデスクに
2032
放り投げると大きなため息をつく。
﹁どう思う? ダイラス老﹂
自分の傍らに控えていたダイラスにイザクは意見を求める。
﹁どうもありませんな? 生い立ちに同情はしますが、所詮はそれ
だけじゃ。他の報告なんかと合わせてもあの村以外になにかをしよ
うとしていた形跡もなさそうじゃし、この事件はそれで終わりじゃ
よ﹂
﹁まあな。屋敷で見つけたバーサの手記は見たか?﹂
﹁塔についての研究結果と、副塔の出現条件ですな﹂
﹁うむ﹂
﹁⋮⋮興味深い話じゃが、いろいろ判断が分かれる内容じゃな。思
い当たる節はある。確かにあるが、確認も検証もできないのじゃか
ら気にすることはないじゃろう﹂
﹁そうだな﹂
﹁仕事の追加がきやがりました﹂
どこか釈然のとしないものを感じながらも頷いたイザクは、大量
の書類を抱えて入ってきたミモザの姿を見て天を仰ぐのだった。
2033
閑話 ある兵士の報告︵後書き︶
バーサの生い立ちでした。塔と魔物を崇拝するに至った経緯が少し
でも伝わればと思います。
2034
59
外伝SS シシオウの王者な一日 4︵前編︶
﹃シシオウ 業
年齢:29 職 :闘拳士
技能:剣術/格闘術+/回避/体力回復速度補正/運補正︵弱︶﹄
﹁ん?﹂
小刻みな振動と自らの腰にかかる重み、そして股間を包む温かく
も柔らかい感触で目覚めたシシオウは視界に映っているものをしば
し眺めたあと、ゆっくりと口を開く。
﹁なにをしているんだ? エイラ﹂
シシオウが問いかけた先では、一糸纏わぬ白く細い裸身を全く隠
すこともなく背筋をまっすぐに伸ばしてシシオウの股間に跨って腰
を振るエイラがいた。
・・
﹁イエス、マスター。毎晩、トレミ様、ロウナ様がマスターのこれ
・・
を鎮めるために行っていた行動を学習しました。さきほどマスター
のモノが規定のサイズに膨張するのを確認したため、学習したこと
を実行中です﹂
エイラは人造魔導兵という非人道的な兵器の被験者だった。その
施設をシシオウたちが潰しにいったときには魔導兵としての処理は
ほとんど終わっていて、記憶のほとんどを喪失していた。
それでも最後の処理が行われる前だったらしく、本来なら記憶と
2035
感情のすべてを奪われ、話すことすらできない魔法を使うだけの人
形になるはずだったのに、それは免れていた。その結果エイラは、
会話は成立する。学習能力は高い。魔法も使える。しかし、一般常
識はまったく知らないという不安定な存在になっていた。
しかも、作った者がどういう設定にしていたのか、実験施設から
救い出し最初に見たシシオウをマスターと認識していて、シシオウ
には絶対服従。お前なんかいらないとシシオウが言おうものなら躊
躇いなく自害を選択するという困った状態だった。
﹁⋮⋮そうか、で、楽しいか?﹂
﹁楽しい? よくわかりません。ですが、マスターのために働いて
いるという充実感はあります﹂
とことん義務的な行為だが、シシオウとしてはこのまま中断させ
ても最後まで到達してもどちらでも構わない。そもそもエイラが検
知したのは男の朝の生理現象﹃A・SA・DA・CHI﹄であり性
欲ではない。どうしようかと考えたシシオウがエイラを観察する限
りでは、エイラの美しい顔は無表情のままだが、接合部はそれなり
に反応しているようだった。それを確認したシシオウは小さく溜息
をつくとひとまずエイラは放っておくことに決めたらしい。
﹁トレミ、ロウナ⋮⋮お前らの入れ知恵か﹂
﹁あら、入れ知恵なんて心外です﹂
﹁うわ、寝たフリもばれてるし﹂
シシオウの隣ですやすやと眠っているように見えたトレミとロウ
ナは、どうやら眠っているフリをしていたらしい。
﹁エイラさんが、シシオウ様のためにもっとなにかしたいと仰った
ので⋮⋮﹂
2036
﹁それにさ、シシオウは結構底なしで激しいし、ふたりでもきつい
ときあるからさ。エイラも一緒ならちょうどいいかなぁって﹂
﹁別に相手しろとはいってねぇ。いつでも別の部屋を借りてやる﹂
﹁ふふふ、シシオウ様ったらおかしなことを﹂
﹁いやとは言ってないもん!﹂
﹁ち!﹂
あくまでも同室を主張するふたりに舌打ちをしたシシオウは、黙
々と動き続けて達しそうになっていると感じたエイラに一突きして
とどめをさすと同時に自らも放つ。そして、くたりと倒れ込んでき
たエイラを無造作にトレミに押し付けると、ひとり起き上がってベ
ッドを下りる。
﹁今日はまた指名依頼が入ってる。ついてくる気があるならさっさ
と準備しろ﹂
各自で装備を身に着けたシシオウたちは、アーロンの冒険者ギル
ドで押し付けられた指名依頼をこなすべくルミナルタの冒険者ギル
ドへ向かっていた。
﹁エイラさん、ローブや杖はどうですか? 動きにくくはありませ
んか?﹂
﹁問題ありません﹂
シシオウがエイラにマスター認定され一緒に行動することになっ
てはいたものの、しばらくはシシオウがなんとかマスターを変更し
ようと画策していたため、エイラの装備は購入していなかった。
しかし、どうもがいてもエイラはシシオウ以外をマスターとは認
2037
めず、無理に引きはがそうとすれば死を選ぶ。そして本当にエイラ
に自害されるようなことがあれば︻契約︼で縛られているシシオウ
も無事ではすまない。この段階でシシオウが諦めたのを察したトレ
ミとロウナがエイラの装備を購入したのである。
購入したのはエイラの蒼い髪と瞳の色に合わせたローブと魔法使
い用のロッド。いずれもそこそこの装備だが、冒険者になりたての
初心者が持つには十分な装備だろう。
﹁それにしてもシシオウ。またあの怖い子からの指名依頼?﹂
﹁あぁ? あぁ、似たようなもんだ。今回はあいつの親玉からの直
接の依頼だからな﹂
﹁ふぅん、報酬は悪くないみたいだし、依頼を受けるのはいいんだ
けど、いつもいいなりなのは悔しいな、僕﹂
ロウナは三角耳と尻尾の毛を若干逆立てている。どうやら感情が
高ぶるとそうなるらしい。
﹁しゃあねぇさ。俺には厄介な︻契約︼が掛かってるからな﹂
﹁そうなんだ⋮⋮山育ちの田舎者の僕でも知ってるくらいだもんね。
侍祭様の︻契約︼が凄いって﹂
﹁ま、そんなとこだ﹂
﹁あんたがシシオウか?﹂
それは理由の半分だがな。小さく呟いたシシオウの言葉は、ギル
ドに入ると同時に声をかけられた言葉に打ち消され誰の耳にも届く
ことはなかった。
﹁あぁ、そうだ。おまえらが今回の依頼に同行する﹃剣聖の弟子﹄
か﹂
2038
﹁あぁ⋮⋮⋮⋮あんた、強いな。まぁ、ソウジが推薦するくらいだ
からな、俺はトォル、こっちはリーダーのアーリで、こっちがフレ
イだ。あんたたちのパーティ名とメンバーも紹介してくれ﹂
シシオウはその質問には答えようとせず、にこやかに話しかけて
くる革の鎧を身に付けた男と、その後ろにいる女ふたりを冷静に値
踏みしていた。
︵まあまあだな、単純な強さで言えば赤髪の女が一番強い。もうひ
とりの女も使えるほうだが、前衛向きじゃねぇ。この男も弱くはな
いが⋮⋮いや、戦って面白そうなのはむしろこいつか︶
﹁ん? どうした。紹介してくれねぇのか﹂
﹁すいません、御無礼を。シシオウ様はあまり人と会話するのが得
意ではないので⋮⋮﹂
﹁ち!﹂
トォルが訝し気に眉を顰めるのを見て、すっと前に出てきたトレ
ミがトォルへと微笑みかけて優雅に頭を下げる。
﹁私たちのパーティ名は﹃金獅子﹄。私がトレミ、こちらのモフモ
フ可愛いのがロウナさん。こっちの美人さんがエイラさんです﹂
﹁おい、ちょっと待て。いつの間に俺たちがパーティになってやが
る! むが!﹂
﹁はいはい、シシオウは黙っててね∼。話が進まないから﹂
﹁それでは、あちらの席をお借りして打ち合わせに入りましょう﹂
自分が知らないうちにいつの間にかパーティが結成されていたこ
とに憤慨するシシオウ。
その背中に張りついて口を塞ぐロウナと、それを引き剥がそうと
2039
するシシオウの争いはそれなりに熾烈なのだが、そんな争いなど起
こっていないかのようにトォルたちを粛々と席へとトレミは案内す
る。
その様子を見て、トォルは肩をすくめた。
﹁はは⋮⋮賑やかなパーティみたいだな﹂
﹁はい、いつも楽しくやらせてもらっています﹂
2040
外伝SS シシオウの王者な一日 4︵前編︶︵後書き︶
ちょっと長くなりそうなので分割です。
そして、レビューを頂きました! ありがとうございます。
2041
外伝SS シシオウの王者な一日 4︵中編︶︵前書き︶
まさかの三話構成です。だんだん長くなるシシオウ編。
2042
外伝SS シシオウの王者な一日 4︵中編︶
﹁それでは今回は殲滅ではなく、制圧なのですね﹂
﹁ああ、そう聞いてるぜ。なんでもあそこにいるのは聖塔教の信者
だが、ほぼ非戦闘員らしいし。ただ、もしそこを守るものがいた場
合は少数精鋭の手練れがいる可能性が高いそうだ﹂
冒険者ギルド、ルミナルタ出張所内のテーブルで打ち合わせをし
ているのはトォルとトレミ。アーリとフレイはトォルの両隣に座り
話を聞いているが、特に口をだすつもりはなさそうだ。おそらくこ
れがパーティ﹃剣聖の弟子﹄のスタイルなのだろう。
一方でパーティ﹃金獅子﹄のほうは、打ち合わせのテーブルにつ
いているのはトレミだけ。シシオウはいつの間にかパーティになっ
ていたことが納得いかないらしく、別テーブルで未だにロウナを問
い詰めているし、エイラはマスターであるシシオウの隣に座ってい
る。
﹁殺しはなし、ということになるのでしょうか?﹂
﹁いや、あくまで余裕があれば、だな。今回はその施設⋮⋮という
か家? を制圧後も利用する予定があるみたいでな。できればあま
り汚したくないらしい﹂
﹁なるほど⋮⋮シシオウ様なら内部破壊で処理できますし、エイラ
さんがいれば氷系の魔法で固めれば流血なしでも⋮⋮﹂
﹁ん? なんか言ったか﹂
シシオウの性格を考えて、不殺は難しいと思っていたトレミは内
心で安堵する。あまり手加減が好きではないので、﹁殺すな﹂とい
うとやる気をなくすだろうことはほぼ確実。だが、﹁現場を汚さな
2043
い殺し方をしてほしい﹂という縛りプレイにはむしろ喰いついてく
るとトレミは考えたのである。
﹁いえ、なんでもありません。依頼の内容はわかりました⋮⋮です
が、この程度の依頼なら﹃剣聖の弟子﹄﹃金獅子﹄どちらかのパー
ティだけで十分だと思うのですが、なぜ高い依頼料を支払ってまで
共同指名依頼にしたのでしょう﹂
﹁あぁ、それな。実は目的の場所の中に確保したいものがあるらし
いんだ。それがなんなのかは俺たちも知らないんだが、それがある
部屋は教えてもらってある。だから、今回俺たちは真っ先にその部
屋を制圧にいく。そしてそこを制圧したらその部屋の守りにつくこ
とになる﹂
﹁⋮⋮そういうことですか。つまり私たちはそこ以外の場所にいる
相手を倒せばいいんですね﹂
﹁そうだな、相手の配置や数によってはそっちの負担が多くなるか
も知れないが構わないか? あとは、俺たちは依頼人が来るまでそ
の建物を動けなくなるから、依頼完了後の報告なんかも任せること
になる﹂
トォルが申し訳なさそうに頭を掻くが、トレミにしてみれば守り
が優先の任務よりも狩りにいくスタイルのほうがシシオウには向い
ているし、任務終了後にただ待機するだけなんて大人しくしてくれ
る訳がないのでむしろありがたい。
﹁いえ、問題ありません。それでお願いします﹂
﹁そうか! すんなりと引き受けてくれて助かるよ。もちろんそっ
ちが手こずるようなら、手伝うし、こっちがやばそうなら助けても
らうこともある。そこはよろしく頼む﹂
﹁もちろんです。命に代わるものなどありませんから﹂
﹁⋮⋮ああ、そうだな。本当にそうだ。死んじまうのだけは絶対駄
2044
目だ。もう、俺は誰も失いたくない。失わせないために強く⋮⋮﹂
﹁トォル⋮⋮﹂
﹁⋮⋮あ、また悪い癖が出ちまうとこだった。すまねぇアーリ﹂
トレミの言葉にかつての仲間、バクゥの死を思い出したトォルは
隣から心配そうに見つめるアーリに気が付いてすぐに笑顔を取り戻
す。
﹁あの⋮⋮事情はよくわかりませんが大丈夫です。あなたがたふた
りの近くにとても大きな力があると精霊たちが言っています。あな
たたちを守り導く強い力だそうです﹂
﹁は?﹂﹁え?﹂
突然のトレミの言葉にトォルとアーリは一瞬目を見合わせる。ふ
たりの脳裏に浮かんだのはもちろん同じものだ。
﹁ちぇ、なんだかよくわらねぇけどよ。そこのお嬢さんが言ってい
ることが本当なら、まだまだ俺たちはあいつに心配かけちまってる
ってことだな﹂
﹁⋮⋮そうね。でも、もしそれが本当なら私たちが先生たちに出会
えてこうして冒険者としてやっていけるようになったのも⋮⋮﹂
﹁ふふ⋮⋮それはさすがに考えすぎではないか? いま私とパーテ
ィを組んでいるトォルとアーリという人間は、間違いなく今に見合
った努力をしてきたと私は思うぞ﹂
しんみりとし始めたトォルとアーリに微笑みかけるフレイの言葉
は、ふたりが頑張ってきたことを認めて肯定するものだ。
﹁ああ、フレイのいうとおりだな。なんでもかんでもあいつのおか
げにしちまうのは癪だしな﹂
2045
・・
﹁ふふ⋮⋮そうね。バクゥは甘やかすだけの人じゃなかったもの﹂
﹁⋮⋮そのようですね。それが喜んでいると精霊たちも言っていま
す﹂
﹁そうか! ⋮⋮おっと、すまねぇ。話がそれちまった。打ち合わ
せは以上だ。決行は今日、陽が暮れてからその家にいって様子を見
て突入する。それまでは自由にしていてくれ。陽が沈んだらもう一
度ここで合流しよう﹂
﹁はい、承知いたしました﹂
うなずくトレミとトォルは固く握手をする。その様子を横のテー
ブルからシシオウがつまらなそうに見ていた。
2046
外伝SS シシオウの王者な一日 4︵中編︶︵後書き︶
今回の王者な一日はシシオウ成分少なめの構成となっております。
ご了承くださいw
2047
外伝SS シシオウの王者な一日 4︵後編︶︵前書き︶
三部作にしたのに最後はいつもの倍の文量です。
2048
外伝SS シシオウの王者な一日 4︵後編︶
﹁あそこの家だ﹂
完全に陽が沈み、夜空に浮かぶ半月の光と家屋から漏れるランプ
や魔石灯の明かりだけがほんのりと照らす街路を、トォルを先頭に
完全武装の人間たちが静かに動く。
やがて、闇の深い細い街路の一角に身を潜めた集団は、通りの向
こうでわずかな月明りにうっすらと輪郭を浮かび上がらせている大
きな家を見つめていた。
﹁間取りは事前に渡した資料のとおりだ。中の様子は⋮⋮フレイ﹂
﹁うむ、ちょっと待ってくれ﹂
トォルに促されたフレイの髪が風もないのに動く。髪の中に隠し
てある平耳をアクティブにしているのだろう。
﹁一階に十一、二階に十三⋮⋮あとは屋根の上? からひとつ呼吸
音が聞こえる﹂
﹁結構多いな⋮⋮奇襲をかければいけるか?﹂
想定していた人数よりも多かったらしく、現有戦力での制圧が可
能かどうかを考え始めるトォル。
﹁トレミ、俺が相手をしたくなるようなやつはいるか?﹂
﹁⋮⋮そうですね。一階にひとり、二階にひとり、屋根の上にひと
り。精霊たちが警戒しているのはこの三人でしょうか﹂
﹁残りは雑魚か。一番歯ごたえがありそうなのはどいつだ?﹂
2049
﹁二階です﹂
﹁よし、じゃあ二階は俺がもらう。あとは好きにしろ、エイラ。二
階までの道を作れ﹂
﹁イエス、マスター﹂
﹁お、おい⋮⋮ちょっと待て、なに勝手に話を﹂
いきなり動き始めたシシオウパーティは動揺するトォルたちのこ
となどまったく意に介さない。
無表情に手を差し出したエイラの前、上空に岩でできた三角錐が
逆さまに浮かぶ。その大きさは人の背丈ほどのものがひとつ、さら
に倍の高さのものがひとつ。それが、なんの躊躇もなく落下させら
れ街路に突き刺さる。そしてそれが二階への階段になっている。
﹁なんだ? 音が﹂
エイラの土の魔法で大きな音が鳴ると予測して平耳を抑えていた
フレイが戸惑いの声をあげる。
らい!﹂
﹁周辺の皆さんにご迷惑をかけないように、精霊たちに音を抑えて
もらいました﹂
﹁シシオウが二階なら僕は屋根の人も
エイラが作った階段にシシオウよりも早く踏み込んだロウナは、
屋根の上で見張りをしていたらしい人物が姿を現したのを発見した
らしい。小剣を構えて、エイラの階段の二段目から見事な跳躍で屋
根の上へと飛び上がっていった。
その後ろを静かに追いかけていたシシオウも、間をおかずして二
階の窓をぶち破って二階に突入している。
﹁だぁ! くそ! なんなんだお前ら、大雑把すぎるだろ。常識が
2050
ねぇのか!﹂
・・
一連の流れから取り残されたトォルの悲痛な叫びにトレミが微笑
みながら頷く。
﹁はい、まさにそれこそがわたしたちの課題です。冒険者をやりな
がら常識を学んでいるつもりなのですが、これがなかなか難しくて﹂
﹁トォル! 私たちもいきます。始まってしまった以上はいくしか
ありません﹂
のほほんと常識がないことを肯定するトレミに唖然としているト
ォルを叱咤したアーリが街路を走っていく。
﹁二階はもう始まっている。一階も混乱しているようだから、逆に
好都合のようだぞ﹂
アーリの後ろをフレイも続く。
﹁わぁったよ! じゃあ、トレミさん。俺たちは予定通り一階を制
圧してあの部屋を確保にいく。なにかあったらすぐに知らせてくれ﹂
﹁はい、わかりました﹂
走り去っていく後ろ姿を笑顔で見送ったトレミは目の前の階段と、
屋根の上で戦闘をしているロウナを見て首をかしげる。ちなみにい
つの間にかエイラはいない、シシオウが二階に飛び込むのと同時に
後を追いかけていってしまっている。
﹁さて、私はどういたしましょう。⋮⋮⋮⋮取りあえず逃げ出す人
がいないようにここでお待ちすることにしましょう。みなさんお願
いします﹂
2051
そう呟くとトレミは︻精霊術︼で精霊たちに頼むのだった。
﹁へへ、屋根の上なら有利に戦えると思ってた?﹂
不安定な足場に二本の足と左手をついて吸いつくように体を固定
しながら、短剣を持って対峙する黒装束の男に右手の小剣を向ける
ロウナ。
この世界の建物は屋根部分が平らになっているものも多いが、こ
の家に関してはそれなりに傾斜のきつい三角屋根だ。そして、そこ
に潜んでいた黒装束の男は屋根の上から周囲を警戒する役だったの
だろう。
﹁狼尾族は険しい山岳地帯が住処なんだ。こんな斜めなだけの綺麗
な足場なんか平地と変わらないよ﹂
獰猛な笑みを浮かべるロウナが、獣の様に手足を使って屋根を走
る。装束の男はそれを迎え撃つが、聖塔教で斥候や暗殺を請け負う
部隊の男は、正面切って戦うことを想定した訓練は受けていない。
それでも暗闇、不安定な足場という状況が自分に有利になると思
っていた。しかし、いきなり屋根に乗り込んできたロウナはそのど
ちらも苦にしなかった。うっすらと金色に見える目は暗がりでもし
っかりと男の動きを捉えている。
ただ、実際にはロウナの目は人族よりは夜目が効くという程度、
スキルでいえば︻夜目︵微︶︼。残りを補完しているのは臭いだっ
た。鋭敏なロウナの嗅覚は臭いだけで周囲の状況をかなり正確にと
2052
らえていた。
﹁!﹂
﹁へぇ、やっぱりいい動きだね﹂
幼き頃より鍛えられたその技術で繰り出された短剣を小剣で弾き
ながらロウナは感嘆の声を漏らす。
﹁でも、この程度じゃ!﹂
素早い動きで回り込もうとする男の臭いに反応したロウナは鋭く
突きを繰り出しその脇腹を抉る。
﹁あ、しまった。流血禁止だっけ⋮⋮でも屋根の上は家の外だから
問題ないよね﹂
ぺろりと口の周りを舐めながら、腹を抑えてうずくまる男に近づ
いていくロウナはまるで本物の狼のようだった。
﹁おお、いるいる﹂
二階の窓をぶち破って屋内に飛び込んだシシオウのところへ、襲
撃を察知した信者たちが次から次へと武器を持って駆けつけてくる。
このとき、トォルたちはまだ動き出しておらず結果として、一階
の信者たちも手練れのひとりと信者四名を残し、ほとんどが二階に
2053
集まっていた。
﹁魔法を使いますかマスター﹂
﹁ち、ついてきやがったか。まあいい﹂
シシオウは集まってくる信者たちを気にした素振りもなく周囲を
見回す。どうやらこの部屋は寝室のようなものではなく、打ち合わ
せなどに使う部屋のようで中央にテーブルと椅子がある以外はあま
り物がなく広さもそこそこある。
﹁よし、全員が室内に入ったら入口を氷で塞げ。そのあとは手を出
すな。こんなつまらない依頼はこのくらいしないと面白くならねぇ
からな﹂
﹁イエス、マスター﹂
﹁さて﹃殺さず汚すな﹄だったか。いいね、やってやろうじゃねぇ
か。反吐ひとつ吐かせずに動けなくしてやるよ!﹂
シシオウは床を蹴る。同時に信者たちも襲いかかってくる。まっ
たく対話を求めようとしないあたりは、やはり狂信者か。
斬りかかってくる信者のひとりの剣をタイミングを見計らって横
から手甲で打って折ると、驚愕の表情を浮かべる信者の腹部を抉り
上げるように打ち抜く。
﹁ぐぼえ!﹂
﹁やべ、ひとり目から反吐を吐かせちまった﹂
まったく反省した素振りもなくシシオウは倒れていく信者を気に
も留めず次の信者の膝を正面から蹴りぬいて関節を砕き、悲鳴をあ
げようとする顎を下から砕いて意識を強制的に刈り取る。
2054
後ろから斬りかかる次の信者には裏拳を側頭部に放ち、その勢い
で回し蹴りを放つと更に二人ほどが吹き飛ぶ。
﹁ち、手ごたえがねぇなぁ!﹂
叫びつつも戦いの中にいること自体は楽しいのか冷たい笑みを浮
かべながら次から次へと信者たちを殴り倒していく。
確かに殺してはいないし、流血はほとんどないが、反吐はそこら
に飛び散り、痛みや恐怖で失禁しているものはいるし、倒された信
者たちも死んでいないだけでほぼ人間としては再起不能。依頼者の
要望に応えているとはお世辞にも言い難い。
信者たちは数で押そうと室内に全員入ってしまったことで逆に動
きが取りづらくなってしまった。ならば部屋から出ればと思っても
出入り口は氷で塞がれているし、窓から出ようとした信者は氷の槍
に四肢を貫かれて倒れ伏している。結局、信者たちはひとりで好き
・・
勝手に動き回るシシオウを最後まで止めることができなかったので
ある。
﹁あ? これで終わりか? 手練れは?﹂
﹁イエス、マスター。マスターが十四番目に倒したそれが該当の個
体だと思われます﹂
﹁はぁ? ⋮⋮ああ、こいつか。確かに他よりは突きが鋭かったか
もな﹂
完全に白目をむいている男の髪を掴んで頭を持ち上げ顔を確認し
たシシオウは、すぐに興味を失ったのか無造作に髪を離す。
顔から床に落下した男が小さく呻くがもちろんシシオウには関係
2055
ない。
﹁下も片付いたか﹂
乱戦の中、シシオウには階下での戦闘の気配すら確認する余裕が
あった。だが、争っていた気配はもうない。
﹁一応、こいつらの手足を拘束しておいてくれ。あと扉も開けろ﹂
﹁イエス、マスター﹂
扉の氷が溶けたのを確認して、下へと降りたシシオウはトォルた
ちがいる部屋へ入っていく。そこには全ての戦闘が終わったことを
既に把握していたらしいトレミもいる。
部屋の中ではトォルたちが、この部屋を守っていたらしい男たち
を縛り上げているところだった。部屋に入ってきたシシオウを見た
トォルは呆れたようなため息をつく。
﹁もう終わったのか? 早いな﹂
﹁ふん、もう終わったんなら帰らせてもらうぜ﹂
﹁ああ、こいつらの回収も本当なら頼みたいところなんだが思った
より数が多かったからな。ギルドに戻ったら回収を依頼しておいて
くれ﹂
﹁わかりました。お伝えします﹂
シシオウの代わりにトレミが快諾する。
﹁シシオウ、上も終わってるよ∼﹂
ロウナも二階の窓を経由してきたのか部屋と入ってくる。
2056
﹁帰って寝るか﹂
ロウナには答えず小さなあくびをしたシシオウは部屋から出てい
く。
﹁じゃあ、こいつらだけ連れて行ってくれ。ギルドに話は通してあ
る。人の回収の人員もすぐに派遣してくれるはずだ﹂
﹁承知しました﹂
﹁あと、例の件もよろしく頼む﹂
﹁はい﹃金獅子﹄がお受けいたします﹂
にこりと微笑んで、縛られた信者五人を連れてトレミは部屋を出
て行った。
このときトレミが引き受けた依頼が、聖塔教の滅私隊の養成施設
である隠れ里の殲滅であり、辺鄙なところにある里をいくつも巡る
ことになることを知ったシシオウが盛大な愚痴をこぼすのはまた後
の話。
2057
外伝SS シシオウの王者な一日 4︵後編︶︵後書き︶
これで6章は終わりです。7章は少し期間をあけての更新になるか
もです。
2058
後始末︵前書き︶
お待たせしました更新再開します。7章スタートです。
2059
後始末
雪とひとつになれたその夜、みんなも甘えたかっただろうにその
日は雪とふたりの夜を過ごさせてくれた。まぁ、その代わり翌日は
午前中の訓練すらお休みになり、まったりとした一日を送ってしま
った。︻魔精変換︼が大活躍で魔力枯渇で気を失ったりもしたが、
至福の一日だった。
その翌日は、通常営業に戻してみっちりと午前中は訓練に励んだ。
日課の筋トレはいつも通りだったが、模擬戦には蛍だけでなく雪も
加わることになったため体感的には密度が二倍な感じで、しんどさ
は四倍だった。
﹁ソウ様、大丈夫? あんまりきつかったらシスに回復してもらえ
ば?﹂
﹁そうしたいのはやまやまなんだけど⋮⋮﹂
﹁筋肉痛を︻回復術︼で治してしまうと、訓練の効果が半減する可
能性が高いんです。私もご主人様が辛そうにしているのを見るのは
心苦しいんですが⋮⋮﹂
﹁ふん、人間は不便だな。だがわれらは鍛えても筋力という意味で
は成長しない。伸びしろという点では人間のほうがはるかに大きい。
私にしてみれば羨ましい限りだ。それを喜べ、ソウジロウ﹂
﹁はは⋮⋮うれしいなぁ﹂
﹁かわいそうな主殿。わたくしがお体をお揉みいたしますわ?﹂
﹁⋮⋮ソウジロ、気合いが大事﹂
俺は午前の訓練を終えたあと、システィナと刀娘たちだけを連れ
2060
てギルドに依頼していた案件の確認のためにフレスベルクの冒険者
ギルドへと赴いた。そこで対応してくれたウィルさんが、俺たちの
依頼の顛末とレイトーク領主イザクから依頼達成後の指名依頼があ
ったことを教えてくれた。
どうやらイザクは報酬を金銭以外のもので支払うつもりのようで、
﹃報酬については領主自ら支払うため、領主館まで来られたし﹄だ
そうだ。面倒くさいなぁと思わなくもないが、転送陣を使えばさほ
ど手間でもないし、そのうちいけばいいやと思っていたら、イザク
の依頼内容から俺たちが副塔を討伐したことを知ったウィルさんが
興奮状態でちょっとウザかった⋮⋮。
まあまあとなんとかなだめすかしたところ、今度はそんな事件に
かかわっていることを知らせてもらえなかったことについて大層お
怒りだった。
でも今回は侍祭のこと、御山のこと、転送陣のことなど秘密にし
ておきたいことが多かったため、仕方がなかった。説明できないの
は心苦しいがそこは察して流してほしい。
結局、後日改めて副塔討伐の話を聞かせるということで解放して
もらった。そして、副塔討伐の功績を以て俺たちは﹃D﹄ランク冒
険者に昇格。ま、葵と雪はあとから登録したからまだ葵は﹃E﹄で
雪は﹃F﹄ランクだけどね。
なんだか、みるみるランクが上がっていく気がするが、まだ立ち
上げ当初ということもあり、ある程度魔物と戦えてギルドの依頼を
こなしたり魔石を売却するなどの貢献をしてくれている冒険者のラ
ンクは上がりやすい。いまは昇格試験も実装されていないしな。
そして俺たちはギルドを出て、ルミナルタへと向かっている途中
2061
ってわけだ。
なぜかというと、俺たちが聖塔教の村を攻めるにあたって懸念し
ていたことがそこにあったから。まあ引っ張る意味もないからちゃ
っちゃとぶっちゃけると、ルミナルタにある聖塔教の拠点には御山
に繋がる転送陣があるってことだ。
せっかく俺たちが村を攻めても、その転送陣を放置しておけば聖
塔教の残党が御山に逃げ込む可能性があった。それはシスティナの
本意じゃない、だから俺たちも村にあるだろう転送陣から御山を経
由して抑えに回るつもりだった。だけど、村に転送陣があるかどう
かはわからなかったし、あったとしても見つけられるかどうかがわ
からなかった。そのためできればルミナルタの拠点も同時に抑える
必要があったんだ。
そこで俺たちはルミナルタの拠点制圧を冒険者ギルドに依頼した。
だが転送陣のことがあるから信用ができる人材に頼まなきゃいけな
い。⋮⋮となると俺たちがそんな依頼を出せるのなんて﹃剣聖の弟
子﹄くらいしかいない。
俺たちからの依頼をふたつ返事で引き受けてくれたアーリたちは、
その依頼をしっかりとこなしてくれた。まあ、人数と武力的にちょ
っと不安があるからとかけておいた保険の効果もあったみたいだけ
どな。
その後、弟子たちにはその拠点に居座ってもらっている。まだ外
に出ていた信者たちが転送陣を目当てに拠点にやってくる可能性が
あるから守ってもらうために。
﹁その後、拠点のほうはどうなんだろう?﹂
﹁はい、メリスティアを御山に送っていったときには怪しい人物が
近づいてくるようなことはなさそうだと言っていました﹂
2062
﹁そっか、じゃあ大丈夫そうかな?﹂
﹁もともと戦争を控えて戦える者は村に集結していた。拠点にいた
奴らさえしっかり潰しておけば、この街にいる聖塔教は普通の信者
たちで戦う力などない者ばかりだろうよ﹂
蛍の分析はたぶん正しい。それに、バーサと幹部たちを一夜にし
て失った聖塔教に信者たちを維持する力はもうないだろう。聖塔教
は遠からず自然消滅すると思う。それならアーリたちへの報酬は決
まりだ。さて、気に入ってもらえるだろうか。
2063
後始末︵後書き︶
そしてまたまたレビューを頂きました!^^
ありがとうございます。嬉しかったので更新再開をちょっと前倒し
しましたw
2064
報酬
﹁フ、フジノミヤ殿! よ、よく来てくれた。さあ、中へ入ってく
れ﹂
入り口まで迎えに来てくれたフレイに案内されたリビングにはソ
ファーに座ってくつろぐトォルと、お茶の支度をしてくれているア
ーリがいた。
この家は意外と多くの人間が常駐していたようで、リビングも広
く十人ほどで囲めるテーブルと椅子、さらに壁際にもソファーがい
くつか置かれている。
﹁フジノミヤ殿、それと師匠たちもここへ座ってくれ。いまアーリ
がお茶を準備してくれているんだ﹂
﹁そんなに気を使わなくてもいいですよ﹂
平耳族に尻尾はないが、もしあったとしたら嬉しいときの一狼の
ように尻尾が振られているに違いないと思わせるフレイに声をかけ
るが、リビングに併設されたキッチンからアーリが顔を出す。
﹁すみません、お出迎えもせずに。でも、せっかくシスティナさん
からいただいた﹃りょくちゃ﹄というのがあるのでお出ししようか
と思ったので。たしかソウジロウさんが好物だと⋮⋮﹂
﹁遠慮なくいただきます!﹂
緑茶が飲めるならありがたい。しかもシスティナが作ってくれた
茶葉なら美味しいのも間違いないしね。
2065
﹁ソウジロウ様、慣れないと難しいかも知れませんからお手伝いし
てきますね﹂
﹁あ、そうだね。じゃあお願いできるかな?﹂
﹁はい﹂
にこやかに微笑んでキッチンへと向かうシスティナを見送ると、
フレイの勧めに従って椅子に腰を下ろす。
﹁桜はソウ様のと∼なり!﹂
﹁いつも桜さんには頑張ってもらっているのですから、主殿の隣は
桜さんに譲りますわ﹂
そんなことを話しながら各自座っていく。俺の右隣に座った桜の
反対側が空いているはシスティナが座るということなのだろう。交
渉や報告なんかではシスティナが俺の隣にいた方がいいと刀娘たち
の間でも認識されているらしい。
﹁で、お前は出迎えもせず、挨拶もせずソファーでぐうたらと何を
しているんだ?﹂
﹁お、おぉ。ワリィ、ワリィ。師匠たちもいらっしゃい。ここ二日
ほどずぅっっっっっっと! あのシシオウとかっていうやつが汚し
た部屋を掃除してたもんで気力を使い果たしちまってな﹂
ギルドに届けられた教団員のほとんどが、半死半生どころか八死
二生くらいの状態だったとウィルさんが言っていたから結構な大立
ち回りをしたんだろう。
﹁トォル! 失礼ですよ。座るならソファーではなくて椅子に座り
なさい﹂
﹁了解、と﹂
2066
お茶を持ってきたアーリに注意をされたトォルはソファーから椅
子へと移動してくるが、その動きを見ている限りだと確かに筋肉痛
のようだ。
そこまで念入りに掃除をしなくてもと思わなくもないが、倒した
敵の体液もろもろが飛び散った部屋というのも気分はよくないか。
こいつは態度や見た目のチャラさのわりに、意外とマメで真面目な
んだよな。まあ、その苦労は多分無駄にはならないからいいだろう。
その後、システィナの協力のもとに全員のお茶と茶菓子が出そろ
ったところで、全員がテーブルについた。
﹁まずは、俺たちから頼んだ指名依頼を達成してくれてありがとう
アーリ﹂
﹁いえ、一緒に組んだ﹃金獅子﹄のメンバーが、みなさん強い人ば
かりで⋮⋮私たちはあまり働きませんでしたから﹂
﹁あぁ、いいのいいの。あいつは戦っていれば満足らしいからね。
俺としてはちゃんとアーリたちが転送陣を守ってくれたことが本当
にありがたいんだ。おかげですぐにメリスティアさんを送り届けら
れたんだから﹂
﹁ソウジたちがどういう関係なのかはよく知らねぇけど、あいつら
は本当に疲れるパーティだったな﹂
実際の体の疲れもあるのだろうが、﹃金獅子﹄を思い出したトォ
ルの表情はげんなりしている。っていうかあいつらのことなんてど
うでもいい。あいつらにたいする正当な報酬はちゃんとギルドに渡
してあるから、貸しも借りもない。まあ実際は︻契約︼で強制して
いる部分があるんだが、いままであいつが積み重ねてきた業を考え
れば、多少こきつかったところで許されるはずだ。
2067
﹁まあ、あいつらのことは気にしなくていい。本来の活動拠点はア
ーロンみたいだし、今回みたいな依頼でもなければ関わりあうこと
もないだろ﹂
﹁さよけ。で、俺たちはいつまでここにいればいいんだ? 少なく
ともこの三日、今日も合わせりゃ四日か? 怪しい奴はこなかった
ぜ。これはフレイの耳で確認していたから間違いない﹂
﹁依頼に関しては終わりで構わない。こっからは報酬の話だ。まず
は⋮⋮システィナ﹂
﹁はい﹂
俺の隣で頷くとシスティナはウエストポーチに偽装しているアイ
テムボックスから、俺たちのよりは一回り小さめのポーチを三つ取
り出した。
﹁今回の依頼、もとをただせば私の事情が原因で発生したものです。
ソウジロウ様や蛍さんたちを巻き込んでしまったばかりではなく、
アーリさんたちにまで協力していただいて⋮⋮本当に侍祭としては
申し訳ない気持ちでいっぱいです。ですのでこれをもらってくただ
けませんか? これは私が桜さんに手伝ってもらって集めた素材と
引き換えにディランさんたちに譲ってもらったものなんです﹂
・・
﹁⋮⋮ち、ちょっと待ってくれシスティナ殿。これは、フジノミヤ
殿たちが持っているアレとおなじものではないのか?﹂
システィナがテーブルの上に並べたものを見たフレイがおろおろ
している。俺たちが使うところを見たことがある﹃剣聖の弟子﹄た
ちにはこれの価値がわかるらしい。
﹁試作量産型だから俺たちのやつよりは容量が小さいかも知れない
けど、立派なアイテムボックスだね﹂
﹁おおおぉおぉぉぉぉぉぉおおお⋮⋮マジか⋮⋮これってまだ世間
2068
に出回ってないやつだろ。買ったらいくらすんだよこれ!﹂
﹁う∼ん、ウィルさんいくらするって言ってたっけ?﹂
﹁現状だと最低でも百万マールとおっしゃってました﹂
おお! これ一個で一千万円か⋮⋮しかも最低売価。素材も製法
もしばらくは公開しないって言ってたから、作れば作るだけ大金が
転がり込んでくる。確かにこれは危険だ⋮⋮ベイス商会主導で領主
会を通して公開して、発案者である俺や、生産者であるディランさ
んとリュスティラさんを守るというのは正解だ。そしてウィルさん
が俺の金銭感覚を嘆いていたわけがよく分かった。
2069
さらなる報酬
アイテムボックスをしかるべきところに売ったら、数年は遊んで
暮らせるだけの現金が手に入る。これは三人に報酬としてあげるも
のだから、そうしたいなら勿論構わない。売り出されてすぐオーク
ションにでも出せばきっと数百万マールで売れる。そして市場に出
回って価格が落ち着いてきた頃に買いなおすというのもありだろう。
ただ、その時期がいつになるかはわからないし、俺たちからはも
う購入のための便宜は図らない。一度手放せば千日やそこらでは買
い戻せないと思ったほうがいい。そのへんをやんわりとトォルたち
に告げる。
﹁ば! 馬鹿言うな! 絶対売らねぇよ! 師匠たちのおかげで普
通に暮らしていくには困らなくなったしな。それにこれがあれば、
探索もより安全にできる。俺たちのこれからを考えたら目先の大金
よりもこっちのほうがありがてぇ﹂
トォルが震える手でポーチ型のアイテムボックスを受け取り、恐
る恐る手を突っ込んだり引っ込めたりしている。
﹁あの、ソウジロウさん。本当によろしいのですか?﹂
﹁はい、ただそういうモノなので、使い方には気をつけてください。
今はまだ知っている人もいませんからさほど注目を浴びることもな
いでしょうけど、情報が公開されたあとは持っているのが周囲にば
れると⋮⋮﹂
﹁強奪されかねないということだな。フジノミヤ殿﹂
2070
アーリの質問に答えている最中に危険性に気が付いたらしいフレ
イが厳しい表情で俺を見ている。
﹁ですね。アーリとフレイは大丈夫でしょうけど、くれぐれもあの
馬鹿には注意してください﹂
﹁わかりました!﹂﹁うむ!﹂
﹁ぅおい! 俺だってそれくらいわかってるっつうの!﹂
突っ込むトォルは無視してアーリとフレイにもアイテムボックス
を手渡すと、緑茶で喉を潤してからアーリへと話しかける。
﹁ここを制圧してもらって、四日ほど滞在して貰いましたけどこの
家の使い心地はどうですか?﹂
﹁え? えぇ、三人で守るには大きすぎるので心配でしたが、今回
はあの部屋だけを守ればよかったので特に問題はありませんでした﹂
﹁いえ、そうではなくて住み心地? みたいなものはどうでしたか﹂
俺の質問を依頼の感想を求めたものと勘違いした、アーリの生真
面目な回答に苦笑しながら改めて質問をする。
﹁住み心地ですか? ⋮⋮設備は充実していますし、部屋も多いで
すから個室も持てます。ソウジロウさんのところのようにお風呂が
ないのが残念ですが⋮⋮居心地は悪くありませんでした﹂
うん、お湯に入る習慣のないこの世界じゃお風呂を常設している
建物はうちの屋敷か、ベイス商会の大工さん寮くらいだろう。フレ
スベルクに建設中の大型浴場施設は、さすがにまだ完成していない。
それはともかくとして、家の感触自体は悪くなさそうだ。
2071
﹁それはよかった。ひとつ相談なんですが、今回の依頼の報酬のひ
とつとしてこの家を﹃剣聖の弟子﹄でもらってくれませんか?﹂
﹁﹁﹁は?﹂﹂﹂
見事に三人の声が揃う。アーリとフレイの間の抜けた驚愕顔もな
かなか可愛い。
﹁正確にはあの転送陣への入口がある部屋以外ですけど。あの部屋
は入り口も窓も厳重に鍵をかけて閉鎖します。転送陣への隠し扉に
は雷魔石を使った罠を仕掛けてその先の階段は埋めます。もしこの
後、教団の関係者が来ても扉で撃退され、扉を開けられても地下へ
は入れなくなります﹂
﹁フジノミヤ殿、それでは転送陣も使えなくなってしまう。それな
らいっそ壊してしまえばよいのではないか?﹂
フレイの言っていることは確かにその通りなんだけど、それはち
ょっともったいない。今回みたいなことがあったときにも困る。
﹁それだともったいないから転送陣の部屋から隠し通路を作って、
別の場所に出入り口を作る予定なんです﹂
﹁なるほど⋮⋮それでしたら確かに機密性は保たれそうですね。な
らば私たちもそれに関してはこれ以上知らないほうがいいですね﹂
﹁そうですね。転送先は普通の人の役にたつような場所に繋がって
いる訳じゃないからそのほうがいいと思います。ということで貰っ
てもらえますか? アーリ﹂
﹃剣聖の弟子﹄のメインの狩場はフレスベルクだけど、ここから
でも転送陣を使えば通うのは今と変わらないはずだし、現在住んで
いる部屋の家賃や彼女たちのいまの稼ぎを考えれば転送陣の使用代
2072
も負担にはならない。
﹁⋮⋮本当によろしいのですか? あの程度の依頼でアイテムバッ
グ三つにこの家。どう考えてももらいすぎです。私たちは恩返しが
したいのに、これでは恩がかさむばかりです﹂
﹁こうは考えて頂けませんか? 私たちはこの転送陣のある家を買
取りはしましたが、常にここにいる訳にはいきません。だからこの
家の管理を﹃剣聖の弟子﹄にお任せするんです﹂
﹁それなら⋮⋮ですが﹂
﹁いいじゃねぇか、アーリ。ソウジがくれるって言うんだからもら
っとこうぜ。俺もせっかく必死こいて掃除したから愛着も湧いてき
てるしな﹂
なおも躊躇するアーリの横からトォルが口を挟んでくる。いつも
ならうっとおしいだけだが、今日に限ってはナイスアシストだろう。
﹁私もいいと思う。ここにいることがフジノミヤ殿のためになる、
そういうことなのだろう?﹂
﹁そうです、正直まだ完全に危険が去った訳じゃないこの家を、ア
ーリやフレイに任せるのは心苦しくすらあります。でも⋮⋮﹂
﹁おい! 俺もいるって!﹂
﹁お前たち三人なら、自分の家くらい自分たちで守れるだろう? 私たちの弟子なのだからな﹂
﹁師匠⋮⋮﹂
﹁先生⋮⋮﹂
﹁蛍殿⋮⋮﹂
﹁﹁﹁はい﹂﹂﹂
2073
最後は蛍の一声だった。このへんは俺と蛍との貫目の違いだな⋮
⋮。
2074
施工開始
﹁さて、やろうか。桜、扉はもらってきた?﹂
﹁うん、ゲントさんにもらってきたよ。えっとね⋮⋮﹂
﹁いやいや、ここで出されても困るからちょっと待って﹂
桜が自分のアイテムボックスに手を突っ込んでいるのを見て慌て
て止める。いま出されても、その扉を使うのは地下なんだからまた
しまわなきゃならなくなる。
﹁葵は?﹂
﹁はい、わたくしもディランさんからお預かりしてきましたわ。ド
アノブの付け替えのやりかたも確認してきましたのでご安心くださ
いませ﹂
﹁今日は葵にたくさん頑張ってもらわなくちゃいけないけど、無理
はしないようにね﹂
﹁主殿のためならば、いかほどのこともございませんわ﹂
﹁ありがとう葵。システィナ﹂
微笑みつつ腕を絡めてくる葵の柔らかい胸の感触を楽しみつつ、
システィナに声をかける。
﹁はい﹂
﹁出口の家はここから三軒隣の民家だっけ?﹂
﹁そうです。小さな家屋ですが、造りはまだしっかりしてます。な
によりも地下に小さいながらも食糧の貯蔵庫があったので今回出口
用に購入しました﹂
2075
﹃剣聖の弟子﹄にあげたこの家と、出口用の家、桜が持ってきた
ベイス商会大工さんたちの特製扉が二枚、そしてディランさんたち
に作ってもらったドアノブの魔導具。いったいいくらするんだって
いう話だが⋮⋮実は、全部ベイス商会へのツケだったりする。
グリィン、黒王、赤兎の代金もツケてあるから、たぶん四、五百
万マール。日本円にして四、五千万は借金している。この家なんか
はかなり強引に買い取ったから、合計はもっと一千万マールに近づ
くかも知れない。数千万円単位の借金背負っているとか、正直かな
りガクブル状態だがウィルさんが商会でプールしている現金で賄え
るなら、いくら使っても大丈夫と言っていたのでその言葉を信じる
しかない。
借金のカタにシスティナや刀娘たちをよこせとか言われたら、い
くらウィルさんでも命の保証はない。まあ、そんなことはないだろ
うけど⋮⋮。とにかくアノークさん、ウィルさん親子にそこまでし
てもらえる、それほどまでにアイテムボックスの利益予想は破格ら
しい。
﹁うん、じゃあ雪と一緒に向かってもらって、掃除とかお願いでき
るかな?﹂
﹁はい、お任せください﹂
﹁⋮⋮わかった﹂
預かっていた出口の家の鍵をシスティナに渡す。掃除道具なんか
はシスティナのアイテムボックスの中に完備されているらしいので、
手ぶらでも大丈夫。あんまり使う家じゃないから、掃除とかは適当
でもいいんだけど、これから地下を掘って通路を作るのに出口の家
に誰かがいてくれると、パーティリングの効果で方向を間違えない
で済む。
2076
﹁蛍は地下の石壁を斬り抜いてくれる?﹂
﹁塔の壁を斬り取ることに比べれば、なんてことはない。任せてお
け﹂
地下室の石壁を斬り抜いたら、葵の︻魔力操作︼で魔力をショベ
ルカーのような形の土にして、土を掘削していく予定。葵の︻魔力
操作︼は発動したあとの事象が術者と繋がっていない魔法とは違っ
て、葵が起こした事象は葵と魔力が繋がっている限りいくらでも変
化させることができるのが強みだ。その代わり︻魔力操作︼を持続
している間はずっと魔力を消費し続けるという弱点がある。
葵が掘り出してくれた瓦礫や土は、それ用にもらってきたちょっ
と大きめのアイテムボックスに放り込んで回収する。通路の補強も
葵の︻魔力操作︼頼みだ。
﹁ソウ様、桜はどうする?﹂
﹁桜は葵からドアノブをもらって、付け替えをよろしく。それが終
わったら出口の家に罠の設置を頼む。通路が開通したら呼ぶから仕
掛け扉を持ってきてくれ﹂
罠といってもあんまり派手な罠を仕掛けて、何かあると思われて
もつまらない。だから罠というよりは本当に隠したい場所に目が向
かなくなる程度のカモフラージュみたいなものでいい。
﹁は∼い。じゃあ、二重底ならぬ二重壁とかやろうかなぁ。﹃部屋
の広さと外からの外観のサイズが合わない! 隠し部屋があるはず
だ!﹄とか探偵が言えるようなやつ?﹂
たしかにありそうだ。しかし、いったいどこからそんな知識を⋮
⋮。
2077
﹁ほどほどにな﹂
﹁うん、じゃあ先にあっちから取り掛かるね。シス、雪ねぇ、行こ
う﹂
﹁はい、ではご主人様。またあとで﹂
﹁⋮⋮いってくる、ソウジロ﹂
桜に片手ずつ引っ張られながら部屋を出ていくシスティナと雪を
見送って、俺も短ランとボンタンを脱いで麻っぽい生地で出来たシ
ャツとズボンに着替え、皮の手袋をはめる。瓦礫や土砂を片付けな
いといけないから汚れてもいいように完全装備だ。本当はマスクも
欲しかったんだが、粉塵は葵が後ろに来ないようになんとかしてく
れるらしい。ぶっちゃけ瓦礫や土砂も大体は葵がやってくれるから
俺は回収しやすいようにアイテムボックスを持つだけなんだが。で
も、葵のスキルは細かい作業にはあんまり向いていないから俺の両
手が役に立つこともあるはずだ。
﹁よし、はじめよう﹂
﹁うむ﹂
﹁はいですわ﹂
2078
施工開始︵後書き︶
魔剣ハーレム第二巻の作業は進んでいますが、発売日はまだ未定で
す。早ければ4月の中旬ころだと思われますが、場合によっては5
月?
今回はWEB版にないストーリーをたくさん書き下ろしていますし、
三巻以降の展開もかなり変わっていくと思われるようなヒキになっ
ています。
楽しみにしていてください^^
また詳細が決まったら告知させていただきます。
2079
施工完了
結局、さすがに半日で作業が終わることはなく、毎日午後からの
作業だったせいもあり完成までにさらに三日を要した。
﹁みんな、本当にお疲れ様﹂
システィナの手によっていつの間にか普通に居心地のいい感じの
家に整えられた出口の家。そこのリビングに集まった俺たちは慰労
会の真っただ中だ。
外はすでに陽が沈みつつある。屋敷には戻りたいから本当に軽く
祝杯を挙げるだけだ。
﹁桜が貰ってきてくれた仕掛け扉も完璧だった﹂
﹁へへぇ、回転扉は忍者屋敷の常識だもんね﹂
ゲントさんが作ってくれた扉は真ん中を中心に回転する扉。しか
も石壁に新たに貼り付けた板壁に完全に同化しているからそこに扉
があることに普通は気がつけないだろう。
しかもそれを回すためにはさらに、複数の板をずらすというちょ
っとした仕掛けをクリアしなくてはならない念の入れようだ。どっ
かのテンプレみたいに壁によりかかったらくるりと回転してしまっ
たみたいなオチはない。
﹁葵も毎日魔力枯渇寸前まで頑張ってくれてありがとうな﹂
﹁構いませんわ、毎日主殿に背負われて帰れるうえに一番最初に愛
してもらえるのですから、終わってしまって残念なくらいですわ﹂
2080
葵は通路を掘って、掘った通路の床、壁、天井すべてを自らが︻
魔力操作︼で生みだしたがっちがちに固めた土でコーティングして
補強、最後に元の通路を塞ぐという今回の計画の要所をひとりで担
ってくれた。
﹁システィナと雪も。こんなにこの家が綺麗になるとは思わなかっ
たよ。これなら普通に別荘みたいに使えそうだ。お疲れ様﹂
﹁いえ、霞と陽がしっかりとお屋敷をみてくれるのでこちらに集中
できました。あとでふたりにも労いをお願いしますね﹂
﹁そうだね、結局ずっと留守番を任せちゃってるしね。それを言っ
たら一狼たちもそうだけど﹂
﹁⋮⋮ソウジロ、私もがんばった﹂
﹁うん、ありがとう雪。システィナがとても助かりましたって言っ
てたよ﹂
そう言って頭を撫でてあげると雪は嬉しそうに目を細める。ツン
を脱却したら想像以上にデレた雪は幼い口調とも相まってなんだか
とても可愛らしい。⋮⋮まあ、訓練と錬成のときは厳しいんだが。
﹁蛍は⋮⋮⋮⋮⋮⋮うん、監督? ありがとう﹂
﹁うむ、わかっているではないか。私が後ろで目を光らせていたか
らこそ、この年増がしっかり働いたということを﹂
﹁なにを言ってますか山猿! あなたは最初に壁を斬ったあとはや
ることないからとずっとお酒を飲んでいただけではないですか!﹂
﹁心外だな、私は事故などが起きぬように現場監督をしていただけ
だ﹂
⋮⋮はぁ、また始まった。確かに蛍には最初に石壁を斬りぬいて
もらったあとはやってもらうことがなく︵瓦礫拾いは拒否された︶、
2081
それでもなにかやらせろという理不尽な要求に屈した俺が無理やり
考えた現場監督の案。これがいたく気に入ったらしく優雅に酒を飲
みながら俺たちの作業を監督という建前で見物していた。
﹁とりあえずいつものふたりは置いておいて。システィナ、御山の
ほうはどうなの?﹂
﹁はい、なんとか平静を取り戻しつつあるようです。メリスティア
が明日にでも改めてご挨拶に伺いたいと﹂
﹁そうなんだ、それはよかったね。これでやっとシスティナの懸案
もひとまずは解決したってことかな?﹂
﹁⋮⋮本当にありがとうございました、ご主人様。侍祭でありなが
らご主人様を私事に巻き込むなんて﹂
﹁システィナ。そのへんの話はもう、蒸し返すのはやめよう。なん
ど同じようなことがあったって俺はシスティナを助ける。そのたび
に同じやりとりをするのはもう面倒臭い﹂
﹁はい。ありがとうございます﹂
俺の言葉に微笑むシスティナは、どうやら俺がそんなことを気に
していないことはわかっていたようだ。それでも侍祭としては言っ
ておきたかったってことかな。
﹁ねえ、ソウ様。これでしばらくはのんびり出来そうかな?﹂
桜が隣で杯を傾けつつ聞いてくる。確かにこの世界に来てから本
当に慌ただしかった。しばらくはのんびりとするのもいいかな⋮⋮
無理しない程度に塔で日銭を稼ぎながら。お金には困ってないから
稼ぐのは日銭じゃなくて魔石だけどね。
﹁だね、アイテムボックスの関係でいろいろやらなきゃならないこ
とはあるだろうけど、それ以外はのんびりできるんじゃないかな?
2082
閃斬がちょっと調子悪いし、領主会議の日程とかを確認がてらデ
ィランさんのところに顔は出さなきゃいけないけどね﹂
﹁やった! じゃあソウ様。桜とデートしようよ、デート! いい
ところを見つけたんだ⋮⋮あぁ、でもあそこはみんなで行ったほう
が楽しいかも﹂
桜が喜びの声を上げ腕に抱き付いてくるが、すぐに手を放してひ
とりで考え込む。
﹁桜?﹂
﹁やっぱりあそこは皆で行ったほうがいいや。見ごろはもう何日か
先だろうし⋮⋮行くときにはシスにお弁当を作ってもらって⋮⋮う
ん! それがいい﹂
考え込んでいた桜がぱっと顔を輝かせると手を打つ。
﹁ソウ様、三日後。三日後にみんなでピクニックに行こう!﹂
﹁へ? あ、あぁ。別にいいけど?﹂
﹁移動はのんびり歩くのがピクニックの醍醐味だよね。じゃあ、午
後から開けておいてね。シスも蛍ねぇも葵ねぇも雪ねぇもお願いね。
あとは霞と陽と、一狼たちとグリィンたちにも声を掛けなきゃ。ソ
ウと決まればソウ様、早く帰ろう!﹂
﹁ちょ、ちょっと桜。わかった、わかったから! システィナ、戸
締りよろしく﹂
﹁ふふ⋮⋮わかりました﹂
桜に引っ張られながら、家を出てすっかり陽の沈んだ街を歩く。
浮き浮きと俺を引っ張る桜に、きっと凄いところへ案内してくれる
んだろうなと期待をしつつ空を見上げる。
2083
今日も星たちが綺麗だった。
2084
魔剣
﹁ソウジ⋮⋮あんたなにやったんだい?﹂
﹁え?﹂
俺が手渡した閃斬を手にした途端にリュスティラさんが俺を睨み
つけてくる。その目は勘違いなどする余地がないほどに怒りに満ち
ている。
転送陣の隠ぺい工事が終わった翌日、いつものようにすっきりと
目覚めて訓練をしたあと、メリスティアが訪れる夕方までの間にデ
ィランさんとリュスティラさんの工房にやってきていた。今回の同
行者はシスティナと一狼、雪と葵である。桜は昨晩、全員からピク
ニックに参加する旨の意思を確認したあと、屋敷を飛び出して明け
方に帰宅。今日もやることがあるからと自由行動中。蛍はトォルた
ちに訓練を頼まれ、午前の部、午後の部と二部構成で今日は一日訓
練をしている。
今日、なぜ俺がリュスティラさんの工房に訪れたかというと、バ
ーサとの戦いのあと微妙に違和感が残る閃斬をリュスティラさんに
見てもらうためである。
少なくとも俺の︻武具鑑定︼では異常はないし、蛍の︻武具修復︼
もかけた。もちろん︻手入れ︼も怠ったことはない。それなのに解
消されない僅かな違和感がどうしても気になったので見てもらうた
めに持ち込んだのだが、閃斬を見た途端にリュスティラさんの機嫌
が悪くなってしまったのである。
﹁この子自身が持っていた生命力がほとんどなくなっているじゃな
2085
いか。普通に使っていたらこんなことになるはずがないんだ。あた
しが鍛えた武具の中でも最高レベルのものをここまでにするなんて、
どんな馬鹿をやったんだって聞いてるんだ!﹂
﹁ちょ、ちょっと待ってくださいリュスティラさん! 俺は閃斬を
頼りにしてます。毎日ちゃんと手入れもしていましたし、負担をか
けずにうまく使えるように訓練も怠ったことはないです。⋮⋮ただ、
俺には戦闘系の技能がないのでどうしても無理をさせてしまう場面
があったかも知れませんけど﹂
金槌を手にしたまま詰め寄ってくるリュスティラさんから、逃げ
るように後ずさりして必死の説得を試みる。
﹁待て﹂
﹁⋮⋮あんた﹂
詰め寄るリュスティラさんを一声で止めたのは、俺たちのやり取
りを後ろで腕を組んで見ていたディランさんだった。
﹁話してみろ﹂
言葉少なに促しているのは、思い当たる節があるならば話してみ
ろ、そういうことだろう。そして、もし俺に思い当たることがある
とするなら、それはバーサと融合していたあの山羊頭の魔物との戦
いしかない。
﹁実は先日⋮⋮﹂
◇ ◇ ◇
﹁間違いなくそれだな﹂
2086
俺たちが副塔を討伐した話をすると、黙って話を聞いていたディ
ランさんが断言する。
﹁どういうことですか? 閃斬がもしあの魔物と戦ったことで何か
問題が起きているのなら⋮⋮﹂
俺は視線を雪へと向ける。もし閃斬に問題が起きているなら一緒
に使っていた雪にも何か異常が出ている可能性がある。もしそうな
ら早くなんかしらの対策をしなくちゃならない。
﹁いや、心配はないだろう。お前の持っている﹃刀﹄。あれはまさ
に魔剣だ﹂
﹁そうだね⋮⋮あたしは今まで強い力を内包した武器のことを魔剣
と呼んでいたけど、あの﹃刀﹄を見たら本当の魔剣というのはこう
いうものなんだと考えが変わったよ﹂
リュスティラさんが腕を組んで溜息をつく。しかし、残念ながら
腕を組んでも胸元に変化はない。そんな不埒なことを考えたのを見
透かされたのかリュスティラさんは俺に鋭い一瞥をくれるとさらに
続ける。
﹁魔力とも違うしなにかに例えるのは難しくて、なんとなくあたし
らは生命力って言葉を使っているんだが、理解しやすいように単純
に力という言葉を使うよ﹂
﹁はい﹂
﹁⋮⋮とはいうものの、なんて言ったものかね。ようはあたしら技
師の感覚的なものなんだ。強い武器、いい武器には力が満ちている
のさ。あたしらはそれが大きくなるように意識しながら、槌を振る
うんだ。魔材と呼ばれる特殊な鉱物は硬度や、魔力付与の容量なん
2087
かも勿論高いんだが、なによりもこの力を多く内包している﹂
リュスティラさんは腕を解いて俺の閃斬を抜くと、その剣身をじ
っくりと眺める。
﹁あたしらの技師としての技術を駆使し、いい魔材を使えばより強
い力になる。そうして出来上がったこの子だが⋮⋮いまのこの子は
その力が半減している。このまま使い続ければ折れてしまうのもそ
う遠くないだろうよ﹂
﹁そんな⋮⋮⋮⋮じゃ、じゃあ、どうすれば直るんですか! お金
なら集めてきます。素材が必要なら取りに行ってきます。なんとか
閃斬をなおしてやってください!﹂
閃斬はずっと俺と苦楽を共にしてきた仲間だ。刀娘たちみたいに
話したりはできないけど、俺と閃斬は確かに一番の相棒だった。
﹁あぁ⋮⋮⋮⋮そうだったね。ソウジはそういう奴だ、武器が好き
で好きで壊れてもいいなんて使い方は絶対にしない。この子も大事
に使ってくれていた⋮⋮怒ったりしてすまなかったね、ソウジ﹂
﹁いえ、俺のせいですから﹂
﹁それは違う。原因はその山羊頭の魔物だ﹂
閃斬を壊してしまったと肩を落とす俺にディランさんが小さく首
を振る。
﹁そうだよ、ソウジ。魔力を吸収とあんたは言ったけど、おそらく
そいつは不定形の力ならなんでも吸収できた可能性が高い。武器が
内包する力は外に流出するような類のものじゃないけど、武器には
その力が働いている。何度も斬りつければ、一回ごとは少しの力で
も⋮⋮﹂
2088
﹁そんな! じゃあどうやったら回復することができますか?﹂
﹁そこが、この子と﹃刀﹄たちの違いなんだよ、ソウジ。普通の武
器は完成時に内包した力が回復することはないんだ。大事に使って
手入れをすれば、消耗を限りなく低く抑えることはできる。だけど
ね⋮⋮ここまで消耗してしまうと手の打ちようがない。だけどあん
ゆ
たの﹃刀﹄は内包している力が回復する、というかむしろ見るたび
えん
に強くなっていくんだ。あたしらがあんたの﹃刀﹄を魔剣と呼ぶ所
以さ﹂
2089
打ち直し
魔剣⋮⋮か。
刀娘たちは生きている。怪我をしたり消耗したりしても休めば回
復するし、自分自身で努力して強くなることもできる。俺にとって
はもう当たり前のことで普通に受け入れていたけど、他の人たちか
らすればあり得ないことなんだろうな。
﹁じゃあ閃斬は⋮⋮﹂
﹁このまま使い続ければ、使い方にもよるだろうけどいずれ折れる﹂
﹁そんな⋮⋮それなら、ずっと飾っておけば﹂
﹁⋮⋮ソウジロ、それはだめ。私たちと同じになる。そうなるくら
いなら戦って折れたほうがいい、そう思うのは私だけじゃない。た
ぶん蛍も同じ﹂
﹁あ⋮⋮﹂ そうだった⋮⋮蛍は武器として生まれたにも関わらず、長く飾ら
れ続ける日々を送らざるえなかった。その日々を蛍は耐え難いほど
の苦痛だったと漏らしていた。戦うことにそれほど執着しない葵や、
生まれてから間もない桜でさえ、あの蔵に戻って飾られるだけの日
々をもう一度送りたいかと聞かれれば全力で否定するだろう。
戦うためだけに生み出された存在が、戦うことができないのはそ
の存在意義が否定されるということだ。テニスをやらせてもらえな
いテニス選手、歌わせてもらえない歌手、絵を描かせてもらえない
画家⋮⋮人に当てはめてもその辛さは想像できる。それでも人間な
ら別の道を歩むこともできるが、武器たちは武器としてしか生きら
2090
れない。
﹁⋮⋮わかったよ雪。最後まで閃斬で戦う。閃斬が満足してもらえ
るような戦いをして武器としての生涯をまっとうしてもらうように
するよ﹂
﹁待て﹂
見た目はまったく変わらないのに、もう先は長くないという閃斬
と戦う覚悟を決めた俺にディランさんが待ったをかける。
﹁うまくいくかどうかはこいつの腕次第だし、お前が納得するかど
うかはわからんが﹂
ディランさんがリュスティラさんの腰を軽く叩きながら置いてあ
った閃斬を見る。
﹁どういうことですか?﹂
﹁打ち直す﹂
﹁そうすれば閃斬が直るんですか!﹂
短いディランさんの言葉に俺は期待を込めた視線をリュスティラ
さんに向ける。
﹁直すのは無理だと言っただろうソウジ﹂
﹁でも! ⋮⋮ディランさんは﹂
﹁もし、打ち直すとなればいまの形では無理だ。閃斬に残された力
ではこの形を維持できない。やるなら三分の一ほどの長さの短剣を
二本。それなら旦那の力を借りて、うまくやれば納得させるだけの
ものを打てると思う﹂
2091
⋮⋮そういうことか。このまま閃斬として燃えつきるまで戦わせ
るのか、それとも短剣に姿を変えて生まれ変わってでも長く武器と
して生きるのか。好きな方を選べということか。
﹁⋮⋮葵、雪﹂
﹁いまのわたくしなら、最後までわたくしのままでいたいですわ。
でも刀としての生しかなかったとしたらどんな形になろうとも、少
しでも長く主殿とありたいですわ﹂
﹁⋮⋮私も同じ﹂
つまり、人化ができる今ならいまの姿のまま死にたい。武器とし
てしかいられないのなら、どんな形であっても長くありたい。そう
いうことか。
﹁⋮⋮わかりました。閃斬を打ち直してあげてください﹂
﹁本当にいいんだね? もともと武器がもつ力ってのは、うまく言
葉に出来ないようなあいまいなもんなんだ。それを技師が自分の勘
と感覚だけを頼りに集約しなおすことになる。失敗したらもうこの
子はどんな形にも生まれ変わらない。それでもいいんだね﹂
﹁はい。お任せします﹂
なんとなく難しいんだろうということはリュスティラさんとディ
ランさんの表情から察していた。それでもこれからも閃斬が活躍で
きる可能性があるのなら賭けてみたい。それにふたりならきっとや
ってくれると信じている。
﹁わかったよ、そんな目で見られちゃ期待を裏切るわけにはいかな
い。あんたらの無茶な注文を受けていたせいであたしらの技術はう
なぎのぼりに上達しているんだ。任せておきな﹂
2092
リュスティラさんが残念な胸をどんと叩く。胸は残念だが頼もし
い。
﹁閃斬、いままでありがとうな。また生まれ変わってもお前はうち
の子だ。待ってるからな﹂
・・
閃斬をリュスティラさんに渡す。閃斬を渡してしまうと自分の武
器がなくなってしまうがそれについてはちょっとあてがある。リュ
スティラさんには新しい剣を頼むよりも、閃斬の打ち直しに集中し
てもらいたい。
﹁じゃあ、確かに預かるよ。今日の目的はこれだけかい?﹂
﹁いえ、例のアイテムボックスの会議がいつごろになるのかなと思
って﹂
﹁あれか⋮⋮﹂
ディランさんが首をごきごきと鳴らしながら腕を組む。
﹁主塔を要する七都市の領主と、副塔ではあるが交易都市として有
名なジェミナザ。この八つの都市の領主が一堂に会するのが領主会
議だ。こいつは通常三百日ごとに開催されている。不戦の確認と交
易の調整、塔に関する報告と賞金首の選定なんかをしていると言わ
れている﹂
⋮⋮よく知らないけど、サミット会議みたいなものか? ﹁今度それが行われるのが二十日後。その時にはそっちの侍祭の力
を借りることになる、予定をあけておいてくれ﹂
﹁システィナをですか?﹂
﹁ああ、俺たちの安全と情報の秘匿について侍祭の力を借りたい﹂
2093
﹁システィナ、どう?﹂
﹁はい、お任せください﹂
システィナがにっこりと微笑んで快諾してくれる。つまり、ディ
ランさんが言いたいのはアイテムボックスの作成方法を知るために
ディランさんたちを拉致監禁したり、脅迫や誘拐みたいな強硬手段
を取らせないためってことか。
﹁助かる﹂
﹁一方で製法を独自に探ることは規制しないことにする予定さ。あ
まりがめつくやるのも角が立つからね。もっともふつうは素材にす
ら気づけないだろうけどね。仮に素材に気が付いたとしても、うち
の旦那の技術をそうそう真似できやしないさ﹂
いつか誰かが製法を見つけ出すならそれでもいいし、あんまり長
いこと製法が世に出ないようならいずれは公開してもいい。そのこ
ろにはアイテムボックスといえばディランさんたちの工房だという
ブランドが出来ている⋮⋮か。
﹁そうすると、いくつか渡すことになりますね﹂
﹁そうだね、各領主にひとつずつ小さいやつを渡すつもりさ。それ
を好きに使って研究するなりすればいい﹂
﹁追加の材料は必要ですか?﹂
﹁しばらくは大丈夫だけど、お披露目が済めば一気に市場が拡大す
るだろうから追加はいくらあっても構わないよ﹂
﹁わかりました。近い内にまた仕入れに行ってきますよ﹂
2094
エンブレム
﹁それと、ディランさんにちょっと作ってもらいたいものがあるん
です﹂
用件が終わって帰ろうと思ったところで、もうひとつ思い出した
俺はディランさんに声をかけた。
﹁なんだ?﹂
﹁以前お話していた新撰組のエンブレムなんです、決まったので俺
たちの身に付けているものなんかに意匠できるものがあればお願い
したいんですが?﹂
﹁ほう、どんなのだ﹂
ずっとどんなものがいいのか迷っていて、なかなか決められなか
ったんだけど、やっぱり俺たちにはこれかなと思ったものが二つあ
った。
ひとつはもちろん﹃刀﹄、これは刀娘たちがいるんだからもう絶
対だ。そして、もうひとつは⋮⋮﹃狼﹄だ。
みぶろうし
俺の名前は総司狼で、従魔たちの大半は狼、そして新撰組の前身
は﹃壬生浪士﹄、通称みぶろ。俺はこれをずっと壬生﹃狼﹄だと思
っていた。なので、刀と狼を使って⋮⋮。
﹁交差する二本の刀、その間に横向きに吼える狼⋮⋮出来ればトラ
イバル柄で﹂
﹁と、とらばる柄?﹂
2095
実は俺もよくは知らないんだけど、うにょうにょした波みたいな
図形を組み合わせて形を作るみたいな柄らしい。その辺の説明はシ
スティナの叡智の書庫に任せて、俺は下手なりにイメージだけの落
書きを書いてディランさんに示した。
﹁なるほどな⋮⋮面白い。こいつは魔力回路のイメージに似ている。
ちょっといろいろ試させてくれ。そっちに納得がいけば装備への付
与はさほど難しくはない﹂
﹁はい、お任せします﹂
ディランさんは俺の落書きを見ながらどこか楽し気に髭を撫でる。
また職人の血が騒ぎだしているのだろう。
﹁そうだ、ソウジ。今日は桜がいないからあれなんだが、服みたい
な防具のほうもなんとなく形になりそうだよ﹂
﹁え、本当ですか! 桜の無茶振りで正直いえば難しいと思ってい
たんですが⋮⋮﹂
服みたいな防具というのは、最初にここに訪れたときに桜が希望
していた防具の形態だが、この世界の技術力では到底完成はしない
だろうと思っていたのに、完成が間近だとリュスティラさんはいう。
﹁そうだね、金属を糸のようにするのはさすがにお手上げだったよ。
ただしソウジの学生服があったからね。魔物の素材から生地を作る
のは今でもできる。そこに魔石と魔力回路を組み込んで強度を上げ
る方向に変えたんだ﹂
﹁なるほど⋮⋮この短ランの仕組みを独自に再現するんですね﹂
すごいな、未知の技術をちょっと調べただけで、こんなに早く実
用化に目途をつけるなんて。他の技師たちがどの程度の実力なのか
2096
わからないけど、間違いなくこのふたりは超一流の技師だ。
﹁打ち直しと合わせて五日ほどおくれ。たぶん旦那のほうもそのく
らいあればさっきの件も進んでると思うしね﹂
﹁わかりました。次回は桜も連れてきます﹂
﹁そうだね、あとあんたんとこの獣人のメイド。あの子たちも連れ
ておいで﹂
⋮⋮さすがはリュスティラさんだ。俺の考えはお見通しらしい。
﹁ありがとうございます。それなら明日にでも一度顔を出させます﹂
﹁そうだね、そうしてもらえると助かるよ﹂
時間もいい感じになってきたので、リュスティラさんたちに挨拶
をして工房を出る。あとはこのままメリスティアさんを迎えに行っ
て屋敷に戻るだけだ。
﹁ご主人様、迎えのほうは私がいってきますので、先に屋敷にもど
っていてもらえませんか?﹂
﹁え? 別に一緒にいくけど﹂
﹁いえ、ちょっとメリスティアと話しておきたいこともありますの
で﹂
御山のでのことがどうなったのかとか侍祭同士で話しておきたい
ことがあるのかな。まあ、どうしても一緒に行かなきゃいけないわ
けじゃないけど。
﹁じゃあ、先に戻ってるよ。一狼﹂
﹃はい、我が主﹄
﹁システィナの護衛をよろしく頼む﹂
2097
﹃かしこまりました。お任せください﹄
控えていた一狼がきりりとした顔で頷く。
﹁ありがとうございます、ご主人様。一狼、よろしくお願いします
ね﹂
﹃はい、システィナ様﹄
﹁じゃあ、気をつけてね。屋敷の準備のほうは大丈夫?﹂
﹁はい、霞と陽に任せてありますので﹂
うん、だいぶシスティナも人に任せることを覚えてきたかな。そ
れにちゃんと応えようと霞と陽の家事スキルもぐんぐん上達してい
るしね。システィナもいつの間にか︻家事+︼と︻料理+︼になっ
てたし、ふたりも遠からず追いつくんじゃないかな。
せっかくなのでシスティナと一狼を転送陣の施設まで送っていき、
俺たちは屋敷へと向かう。
﹁せっかくですし、少し屋台を冷やかして帰りませんか主殿﹂
俺の腕を抱え込んでもたれかかるように歩く葵。不思議なことに
それだけ密着しているのに歩きにくさを感じない。あまり体重をか
けず、俺の動く方向などを感じて微妙に態勢を変えているらしいの
だが見事なものだ。
まあ、いつもいろんな美女を侍らせて歩くから周りからの視線が
痛い時期もあった。いい加減もう慣れたけど、地球ではこんな状況
あり得なかっただろうな。
﹁あんまり遅くならないならいいんじゃないかな? 雪もなんか欲
しいものとかある?﹂
2098
﹁⋮⋮ある﹂
﹁お、珍しいね。なにが欲しいの?﹂
﹁⋮⋮うん、リボン。いまはシスティナからもらったのしかない﹂
そういえば雪は人化歓迎バトルのときにシスティナから貰ったリ
ボンでいつも髪を縛っていたっけ。
﹁いいですわね。わたくしもいい髪飾りがあればプレゼントして欲
しいですわ﹂
﹁ははは、いいよ。じゃあ帰りがてらいろいろ見てまわろう﹂
﹁はいですわ﹂
﹁⋮⋮ん﹂
2099
契約の行方
﹁なかなかいい買い物ができましたわね、主殿﹂
﹁⋮⋮ん、豊作? 大漁?﹂
屋敷に戻ってきた俺たちは、庭で蛍に絶賛しごかれ中の﹃剣聖の
弟子﹄たちを冷やかしつつ屋敷に入り、買ってきた戦利品をリビン
グのテーブルに並べている。髪留め、バレッタ、カチューシャ、櫛、
リボン各種などなど、調子に乗って買いすぎてしまったかも知れな
い。どれも露店で売っているようなものなので値段的には高くはな
いけど。
葵や雪が他の女性陣にもおみやげが必要だというので、俺はひた
すら荷物持ちに徹してふたりに好きなように買い物を楽しんでもら
った結果だ。いつもはあまり自己主張しない雪と、自己主張しまく
りの葵というコンビだったが、ふたりともとても楽しそうだったの
でいい買い物だった。
﹁こちらのカチューシャはグリィンさんに似合うと思いますわ。あ
れだけ激しく動き回るのですから髪は抑えておいたほうがいいでし
ょう。そのほうが可愛いですし﹂
﹁⋮⋮ん、この髪留めは霞が似合う﹂
﹁あら、なかなかいいセンスですわね、雪さん。それならこちらの
バレッタは陽ですわね﹂
うん、楽しそうだが俺にはついていけない。しばらく放っておこ
う。
たぶん霞と陽が応接室にお客様を迎える準備をしているはずだか
2100
ら、応接室に様子を見にいくか。
そう考えた俺がリビングを出て応接室に向かうと、ちょうど陽が
お盆に緑茶セットを載せて応接室に入るところだった。
﹁陽、お疲れさま。準備はどう?﹂
﹁あ、兄様。順調ですよ、もう終わります﹂
陽と一緒に応接室に入ると、中で花を飾っていた霞が俺に気が付
いて頭を下げる。
﹁もうメリスティアさんが到着されたのですか? 旦那様﹂
﹁ああ、ごめん。もうすぐだと思うけど、まだなんだ。システィナ
が迎えにいくから先に帰ってくださいっていうから俺たちだけ先に
戻ってきたんだ﹂
﹁そうでしたか、準備はもう終わりますのでいつでもご案内できま
すよ﹂
﹁うん、ありがとう霞、陽。システィナもふたりに任せておけば大
丈夫って言ってたよ﹂
﹁本当ですか! そうだとしたら嬉しいです。⋮⋮といっても実際
システィナ様と比べちゃうとやっぱり私たちはまだまだなんですよ
ね﹂
﹁そうそう、僕たちがどんなに頑張っても終わらないお仕事は、い
つのまにかシス姉様が終わらせてあるんです。シス姉様だってたく
さんお仕事あるのに﹂
俺に言わせれば霞も陽も、どこにだしても恥ずかしくないくらい
立派な侍女だと思う。それなのに、ふたりが目指す目標が高すぎる
せいで、いまひとつ自己評価が低くなっているのはちょっとかわい
そうだ。
2101
﹁そうだ、ふたりとも。準備ももう終わりなら、ここはもういいか
らふたりでリビングに行ってごらん。葵と雪がおみやげを買ってき
てくれたみたいだから見ておいで。お客様といってもメリスティア
だし、お出迎えも俺がするから夕食の準備までは休憩してていいよ﹂
﹁やった! ありがとう兄様﹂
﹁こら、陽! ⋮⋮本当によろしいのですか旦那様﹂
素直に喜びを表現する天真爛漫な陽と、喜んでいるのに立場を気
にする律義な霞に笑って頷くとふたりは同時に顔を輝かせて俺に一
礼するとリビングへと走っていく。⋮⋮う∼ん、家の中で走るのは
侍女としてどうなのだろうか、さっきの高評価を取り消さないとダ
メか? 苦笑する俺の耳にふたりの嬌声が聞こえてくる。葵と雪の
おみやげたちに対する歓声だろう。
ふたりにはそれなりのお給金はあげているんだけど、ふたりがき
てからはうちもばたばたしていたのでちゃんとしたお休みはあげて
いない。まあ、いままでは聖塔教の刺客がふたりを狙っている可能
性もあったからある意味仕方ないけど、聖塔教は滅んだしちゃんと
お休みをあげれば自分の買い物も楽しめるようになるだろうから、
近いうちにお休みもあげないとな。
そんなことを考えていたら、システィナのものと思われる反応が
屋敷に近づいてくるのを俺のパーティリングが教えてくれた。
﹁さて、迎えにいくか﹂
◇ ◇ ◇
2102
﹁お久しぶりです。フジノミヤ様﹂
﹁はい、少しやつれましたか? メリスティア﹂
システィナに勧められて応接室のソファに腰を下ろしたメリステ
ィアは、疲れているのかちょっと顔がほっそりして見える。ただ一
方であの村にいたときに纏っていた暗い雰囲気は一掃されていて、
どこかすっきりとしているようにも感じられた。
﹁そうでしょうか? そうかも知れませんね。御山での引き継ぎを
少しでも早く終わらせようとほんの少し頑張り過ぎてしまったかも﹂
そういって首を傾けて微笑んでいると、年相応のただの可愛い女
の子だ。
﹁取りあえずの危機は去ったんですから、そんなに急いで頑張らな
くてもよかったんじゃないですか﹂
﹁いえ、そのあたりは私の都合ですね。少しでも早くこちらに来た
かったものですから﹂
あぁ、そりゃそうか。もともとバーサの案件が片付くまでという
約束の契約だ。御山の立て直しに侍祭の力が使えたほうがいいだろ
うってことで、従属契約はそのままでメリスティアは御山に戻って
いた。
でも従属契約なんてされていたら落ち着かないのも無理はない。
そりゃあ大急ぎで引き継ぎを済ませて解除に⋮⋮え?
﹁引き継ぎ? えっと、今日はひと段落ついたことの報告と契約の
解除にきたんですよ⋮⋮ね?﹂
﹁フジノミヤ様、私たちが交わした契約を覚えていますか?﹂
﹁勿論、覚えてます。従属契約はシスティナのと形は同じで、それ
2103
とは別に﹃双方がバーサの件が解決したと判断したら侍祭契約を解
除すること﹄っていう契約をですよね﹂
メリスティアは微笑んでうなずく。
﹁だから、バーサが死んで聖塔教も実質解散、御山の立て直しもひ
と段落したこのタイミングでバーサの件が終了したと判断して契約
の解除をしにきたんですよね﹂
﹁ふふふ、フジノミヤ様は勘違いしています﹂
﹁え? なにをですか﹂
﹁私は御山を守るためとはいえ、侍祭の従属契約を本来使うべきで
はない相手と使用し、結果として罪もない人たちを何人も犠牲にし、
世に不安を与えてしまいました。これはもし明るみにでれば悪祭と
して非難されてもおかしくありません﹂
システィナは俺とメリスティアの会話に口を出すことなく、霞と
陽が用意していた緑茶を淹れ、静かに俺たちの前へと差し出してく
る。
﹁確かにそうかも知れませんが、従属契約を結びながらも少しでも
なんとかしようと頑張っていましたよね。契約を解除してからも、
バーサを止めるために俺と契約して一緒に戦ったじゃないですか。
その結果として、副塔を討伐するという功績をあげたんです。もう
充分じゃないですか﹂
﹁ありがとうございます。でも、私は納得できていないんです。だ
から私の中でバーサの件は終わっていません﹂
﹁え? それって⋮⋮﹂
メリスティアはちょっと顔赤らめている。え⋮⋮なにこの可愛い
生き物、つまりメリスティアはこのまま俺と?
2104
﹁ふふ、回りくどいうえに素直じゃありませんでしたね。お願いで
すフジノミヤ様、私をこのままあなたの侍祭にしていただけません
か?﹂
2105
契約の行方︵後書き︶
またまたレビューを頂きました!^^
ありがとうございます。やっぱりちゃんと褒めて頂けるレビューは
テンションが上がりますね。
二巻のほうはいろいろあって遅れていますが、頑張っていますので
もう少しお待ちください。
2106
PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n4110cp/
魔剣師の魔剣による魔剣のためのハーレムライフ
2017年3月28日05時09分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
2107
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