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1920年代の浅草における映画館アトラクションの舞踊…杉山千鶴

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1920年代の浅草における映画館アトラクションの舞踊…杉山千鶴
1920年
代 の 浅 草 に お け る 映 画 館 ア トラ ク シ ョ ン の 舞 踊
杉 山千 鶴
(早稲田大学人間科学部)
1. 問題 の所 在 と研 究 目的 及 び方 法
移 を グ ラ フ化 し(図1)、 年 代 順 に一 覧 表 を作 成
した。IIで は、 映 画 館 ア トラ ク シ ョンの 上 演 され
た背 景 を浮 き彫 りにす る ため、1920年 代 当 時 の 映
浅 草 は、 近 代 以 前 か ら見 世 物 を 中心 と した興 行
街 を形 成 して い た。1873年1月 の太 政 官 布 達 に よ
り浅 草公 園 地 に指 定 さ れ、 区画 整 理 さ れ た後 も、
新 旧 取 り混ぜ た、 様 々 な大 衆 文 化 が ひ しめ き合 っ
て い た1)。1920年 代 に は、 こ の 浅 草 で、 浅 草 オペ
ラか ら浅草 レヴ ュ ーへ 到 る軽 演 劇 の変 遷 が 認 め ら
れ る。 浅草 オ ペ ラ は1923年9月1日
の 関東 大 震 災
を機 に 衰退 し2)、1927年 に幕 を閉 じる31。か わ っ て
1929年7月 の カ ジ ノ ・フ ォー リー の旗 揚 げ を以 て
画 及 び映 画 館 ア トラ ク シ ョンの 状 況 を概 観 す る。
映 画 館 ア トラ ク シ ョンの 舞 踊 は、(1)舞踊 とい う名
称 の演 目、 ま た舞 踊 を含 む演 目 と して(2)レヴュ ー
(同義 の 表 現 と して レ ヴ ィユー、レヴ ュ ウ、レ ヴ ュ、
大 レヴ ュ ー、レヴユ ー)、(3)ボー ドビル(同 じ くヴ ォ
ドヴ ィル、 ヴ ォー ド ビル、 ヴ ォ ドビル)、(4)バ ラ
エ テ ィ(同 じ くヴ ァ ラエ テ ィ、バ ラエ テ、 ワ ラエ
テ)、(5)喜歌 劇 ・オペ レ ッ タに分 類 で き る121。そ こ
で 先 の 一 覧 表 よ り(1)∼(5)を
抽 出 し、改 め て 表 を作
成 した(表1)。IIIで
は、 まず 表1に 示 され た 出
演 者 を、(1)出演 の 時 点 或 い はそ の 後 現 代 舞 踊 や バ
レエ な どの 芸 術 舞 踊 へ 進 み 活 動 した 芸 術 舞 踊 家、
浅 草 レヴ ュ ー が始 まる。 こ の 浅草 オペ ラ と浅 草 レ
ヴュ ー を繋 ぐ、軽 演 劇 の変 遷 過 程 に存 在 す る もの
と して、 上 演 演 目 と出演 者 の2点 を根 拠 に、 映 画
館 で 上演 され た ア トラ ク シ ョ ン(以 下、 本 稿 で
は"映 画館 ア トラ ク シ ョ ン"と す る)を 挙 げ る こ
とが で きる5)。
この 映 画館 ア トラ ク シ ョ ンに 関 し、内 山惣 十 郎
は、 自 らス タ ッフ と して 関 わ っ た電 気 館 レヴ ュ ー
(2)外来 の 舞 踊 家 或 い は舞 踊 団、(3)浅草 オペ ラ出 身
者、(4)映画 館 或 い は映 画 会 社 の 専 属 団 体、(5)その
他、 に分 類 した。 次 に分 類 した 出 演 者 を、 先 の(1)
∼(5)ごと に、 都 新 聞 の 上 映 広 告 や 当 時 の 資 料、 文
団 の エ ピ ソー ドを交 え て、 ま た大 笹 吉 雄 と原 健 太
郎 は、 軽 演 劇 の通 史 の一 環 と して、 揃 っ て浅 草 レ
ヴュ ー の 前段 階 と位 置 付 け して い る。 しか し、 い
ず れ も具 体 的 な事 象 に 関す る記 述 に止 ま り、舞 踊
が 上 演 され た こ とや、 そ の 出演 者 に芸 術 舞 踊 家 や
外 来 舞 踊 家 の い た こ とは 記 され て い な い%村 松 道
弥 は、 舞 踊 史 の 一 部 と して、 軽 演 劇 に つ い て触 れ
て い る が、 映 画館 ア トラ クシ ョ ンに 関 して は、 単
な る事 象 の 記 述 に止 まる。 また 出演 者 に 関 して は、
村 松 が 河 上 鈴子 の 出 演 に触 れ た にす ぎず71、
実際 に
映 画 館 ア トラ ク シ ョンに 出演 した芸 術 舞 踊 家 の 自
伝 や 伝 記 の 中 で は、 唯 一 エ リア ナ ・パ ブ ロバ の伝
記 に、 出 演 の事 実 が 記 され て い る8)の み で あ る。
一 方、 当 時 の 舞 踊 に 関 して は、 片 岡康 子 が、 日
本 で は まだ 洋 舞 界 は 成 立 して お らず9)、しか しモ ダ
ン ダ ンス の確 立 す る 以前 の胎 動 が 日本 と欧米 の双
方 にお い て 認 め られ る とい う、 世 界 的 同 時代 性 を
指摘 して い る10)。
そ こで 本研 究 で は、 映 画館 ア トラ ク シ ョ ンの舞
踊 に関 し、全 体 像 を把 握 し、 そ の特 性 と1920年 代
の 軽 演 劇 にお け る 意 義 を、 また、 芸 術 舞 踊 家 の 出
演 に着 目 し、我 が 国 の舞 踊 史 に お け る意 義 も合 わ
せ て、 明 らか にす る。 以 上 を本研 究 の 目的 とす る。
そ こで 映 画館 ア トラ クシ ョ ンの舞 踊 の状 況 を把
握 す るた め に、都 新 聞111を元 に、1920年 代 に お い
て、 浅 草 の 映 画館 で 上演 され た ア トラ ク シ ョ ンの
全 演 目 と出 演 者 を リス トア ップ し、上 演 館 数 の推
-20-
献 の 関連 記 述 と合 わせ て考 察 し、主 に上 映 広 告 の
記 載 事 項 よ り、映 画 館 ア トラ ク シ ョンの 舞 踊 の 全
体 像 を把 握 す る と共 に、 特 性 を明 らか にす る。 そ
して こ の特 性 を元 に、1920年 代 の 軽 演 劇 にお け る、
ま た芸 術 舞 踊 家 の 出演 を元 に、 日本 の 舞 踊 史 にお
け る意 義 を 明 らか にす る。 以 上 が 本 研 究 の 方 法 で
あ る。
本 研 究 で は、 映 画 館 ア トラ ク シ ョン を、 浅 草 オ
ペ ラ か ら浅 草 レヴ ュ ーへ と到 る、1920年 代 の 軽 演
劇 の 変 遷 過 程 に位 置 す る も の と看 倣 す。 そ して
1920年 代 を、1917年1月 よ り1933年3月 まで と設
定 す る。1917年1月
とは高 木 徳 子 一 座 の 浅 草 進 出
に よ り、浅 草 オペ ラが 開幕 した時 期 で あ る。1933
年4月 に は笑 の王 国が 旗 揚 げ したが、 これ は従 来
の 浅草 レヴ ュ ー とは異 な り、喜 劇 色 を前 面 に押 し
出 して い る。 そ こ で、 浅 草 オペ ラか らの 流 れ を引
い た、 歌 あ り踊 りあ りの浅 草 レヴ ュ ー を、 この 笑
の王 国 の旗 揚 げ以 前 の1933年3月 まで とす る。 ま
た映 画 館 ア トラ ク シ ョ ンの舞 踊 に関 して は、 浅 草
オ ペ ラが 衰 退 した と考 え られ る13-1927年10月 以 降
の時 期
に、浅 草 の映 画 館 で 上 演 され た洋 舞 に限
定 す る。
II. 1920年 代 の 映画 及 び 映画 館 ア トラ ク シ ョ ンの
概観
実 性 ・迫 真 性 とス ペ ク タ クル性 は、 映 画 に こ そ可
能 で あ っ た151。ま た尾 上 松 之 助16)に 代 表 され る ス
ター の存 在、 無 声 映 画期 の活 動 弁 士17)の 名 説 明、
洋 画 を通 じて の欧 米 の ラ イフ ・ス タイ ル の実 感 も、
映 画 な らで は の魅 力 で あ っ た。 特 に浅 草 で は、 新
着 洋 画 や 新 作 邦 画 を他 に先 駆 け て上 映 した た め に、
大 勢 の観 客 が 映 画 館 に押 し寄 せ た。 関東 大 震 災 に
よ り、浅 草 の 映 画 館 は壊 滅 状 態 に陥 っ た18)もの の、
陥 っ た た め、 映 画 の み の興 行 で は観 客 動 員 が 困難
に な っ た。 この よ うな背 景 に よ り、上 映 の 間 に ア
トラ ク シ ョ ンが上 演 され る よ うに な っ た。 映 画 館
ア トラ クシ ョ ンは、1928年 まで は器 楽 演 奏 や 歌 唱
が ほ とん どだ っ たが、1929年 以 降 は舞 踊 の 他、 レ
ヴ ュ ー、 ボ ー ドビル、 バ ラエ テ ィ等、 舞 踊 を!場
面 と して含 む演 目 の他 に、 映 画 の1場 面 を上 演 す
る実 演 や、 喜 劇、 新 劇、 奇 術、 漫 才、 浪 花 節、 拳
闘試 合 な ど も上 演 さ れ た。
浅 草 オペ ラ衰 退 後、 ア トラ ク シ ョ ンを上 演 した
映 画 館 数 は、1930年 に ピー ク を迎 え る(図1参 照)(
しか し1932年 の10月 以 降 に は4館 に激 減 して お り、
1932年 の 後 半 に は衰 退 に加 速 度 が つ い た と言 え る,
こ の よ う な映 画 館 ア トラ ク シ ョンの 盛 衰 は、 映 画
の変 遷 に 同期 してい る。 トー キ ーの 到 来 に よ り、
年 内 の12月22日 に は 日本 館、 同25日 に は松 竹 館 と
電 気 館 が バ ラ ック建 て なが ら も上 映 を再 開 してお
り、映 画 に対 す る需 要 の 高 さ と強 さが 窺 われ る。
しか しそ れ ほ どの 隆 盛 ぶ りが、.しば しば取 締 を招
い て い る。1917年8月1日
に は活 動 写 真 取 締 規 則、
1929年5月 に はそ の 改 正 案 と して 興 行 場 及 び興 行
専 属 の オ ー ケ ス トラや ジ ャ ズバ ン ドが 解 雇 され る
と、特 に生 演 奏 を必 要 とす る演 目が 減 少 す る。 そ
して 字 幕 が 普 及 し、本 編 の 映 画 の 間 に短 編 の 喜 劇
映 画 や ニ ュ ー ス映 画 が 上 映 され る よ う にな る と、
全 体 的 に激 減 に向 か う。 無 声 映 画 で は、 出 演 者 の
セ リフ は、 弁 士 の 声 色 を駆 使 した 説 明 に頼 ら ざる
取 締 新 規 則 が 出 され、1931年1月
と8月 に は追 加
規 定 が 設 け られ た。 浅 草 で は、 映 画 館 側 が この よ
うな 取 締 に対 応 して お り、呼 込 み 人 の 解 雇、 大 看
を得 ない の に対 し、映 画 館 ア トラ ク シ ョンで は、
直 接 肉 声 を聴 き、 そ の 姿 を 目の 当 た りにす る こ と
で、臨 場 感 を味 わ うこ とが で きた。しか し トー キ ー
の 登 場 に よ り、 この 魅 力 は 半 減 す る。 さ らに短 編
II-1.1920年
代 の 浅 草 にお け る映 画 の 状 況
映 画(活 動 写 真)は、 舞 台 で上 演 す る エ ン ター
テ イ ンメ ン トに は な い魅 力 に満 ち て い た。 そ の写
板 の撤廃、 看 板 ・幟 の 内 容 の 吟 味 を 自主 的 に決 定
す る な ど、 映 画 興 行 を守 ろ う とす る姿 勢 が 認 め ら
れ る。
1929年5月 に ア メ リ カ映 画 「進 軍」 が、 日本 に
お け る最 初 の 本 格 的 発 声 映 画 と して 電 気 館 で 上 映
映 画 や ニ ュ ー ス 映 画 が、 上 映 時 間 の短 さ、 また舞
台 転換 を必 要 と しな い 簡 便 さに よっ て、 映 画館 ア
トラ ク シ ョ ンに取 っ て代 わ る の で あ る。
され た。 これ を機 に 洋 画 上 映 館 は トー キ ー 再 生 装
置 を設 置 し、浅 草 に も トー キ ー時 代 が 訪 れ た。1931
年2月 に封 切 りの ア メ リカ 映 画 「モ ロ ッ コ」 で は
字 幕 が採 用 され た。一 方 の 邦 画 は、同 年8月 に至 っ
て 日本 最 初 の本 格 的 トー キ ー 映 画 「マ ダ ム と女 房 」
が公 開 され た。 しか し トー キ ー 製作 は 多 額 の資 本
を必 要 とす る た め、 全 面 的 移行 に踏 み切 る こ とが
で きず、 また映 画 館 側 も設 備 面 に お い て トー キ ー
に対 応 す る ま で に は到 らな か っ た。
1920年 代 は、 無 声 映 画 の黄 金時 代 に あ り、 トー
キ ー時 代 へ と向 か っ て歩 み 出 した段 階 に あ っ た。
そ して浅 草 で は、 映 画 は、 数 あ る大 衆 文 化 の 中で
最 も大 衆 を集 め た ので あ る。
□
… 映画蝕数
□
□
… アトラクシ・ン上瀕 撒
… 舞踊上淑餌数
凡
図1
例
ア トラ ク シ ョ ン上 演 の 映画 館 数
費 映画館 で舞踊 の上映 された1928年6月 より、本研究 において1920年代 と
II-2.1920年
の概観
代 に お け る 映 画 館 ア トラ ク シ ョ ン
看倣す1933年3月 までの期間に、都新聞東京版に掲載 された遊覧案内、上
映広告及び演芸欄 の記事より、浅草の映画館 に限定 して数 え出し、作成した。
無 声 映 画 期 に は、 上 映 中 に伴 奏 を務 め る オー ケ
ス トラが、 休 憩 時 間 に ク ラ シ ッ ク音 楽 を演 奏 して
い た19)。この オ ー ケ ス トラの 演 奏 技 術 の 向上 に よ
III. 1920年 代 の浅 草 に お ける 映画 館 ア トラ ク シ ョ
ンの 舞 踊
り、音 楽 を含 む 多 様 な演 目の 上 演 が 可 能 と な った。
ま た、1927年3月 の 金 融 恐 慌 と1930年 の 昭 和 恐 慌
に よ る不 況 が 円 価 暴 落 を招 き、 フ ィル ム 不 足 に
都 新 聞 に よる と、 浅 草 オ ペ ラ衰 退 後、 映 画館 ア
トラ ク シ ョン の 舞 踊 が 最 初 に 上 演 さ れ た の は、
1928年6月15日 か らの 電 気館 の プ ロ ロオ グで あ り、
-21-
藤 田 ・堺 舞 踊研 究 所 所 員 が 出 演 した。 これ 以 後、
映 画館 ア トラ ク シ ョンの 舞 踊 の 上演 され た館 数 は、
図1の 通 りで あ り、 映 画 館 ア トラ クシ ョ ンに 同期
した 隆盛 を 見 せ て い る こ とが 窺 わ れ る。
次 に 出演 者 に つ い て、(1)舞踊、(2)レヴ ュ ー、(3)
ボ ー ドビル、(4)バラ エ テ ィ、(5)喜歌 劇 ・オペ レ ッ
タの、 上 演 演 目 ご とに述 べ る。 な お、 こ こ で は、
上 映 広 告 に宣 伝 文 句 の掲 載 され た者 を 中心 に述 べ
る。 個 人名 ・団体 名 の後 の()内
は、 出演 した
映 画 館 を指 す。'は
上 映 広 告 か らの 引 用 で あ
り、""は
そ の他 の 引 用 で あ る。
III-1.
身者 に よ る東 都 舞 踊 座 が 出 演 した。 春 野 芳子 は エ
リア ナ ・パ ブ ロバ 門下 で、 正 当 な ク ラ シ ッ クバ レ
エ を学 ん だが、 半 裸 姿 で 踊 り、男性 フ ァ ンを集 め
た。 南 栄 子 は大 阪 松 竹 楽 劇 部 出 身 で、 チ ャー ス ル
トンで 売 り出 した。 チ ャー ル ス トンは腰 を振 っ た
り、尻 を突 き出 して 腕 を振 り回 す た め、 エ ロの
女 神'と 称 され た。 河 上鈴 子<写 真2〉 は、 上 海
で バ レエ と民 族 舞 踊 を習得 し、上 海 ・ニ ュ ー ヨー
ク を始 め、 各 国 で 活 躍 した 後 に帰 朝 した、 世 界
的 舞 踊 家'の 逆 輸 入 の 例 で あ り、 脚 に3万 円 の
保 険 を掛 け'る な ど、話 題 性 に富 んで い た。
出 演 者 別 に 見 た映 画 館 ア トラ ク シ ョ ンの
舞踊
III-1-(1)芸 術 舞 踊 家
(4)バラエ テ ィ と(5)喜歌 劇 ・オペ レ ッ タに 関 して
は、 上演 した とい う記 録 を得 られ な か っ た の で、
省 略 す る。
(1)舞踊
藤 田 ・堺 舞 踊 団(電 気 館)を 率 い る藤 田繁 と堺
千 代 子 は、 浅 草 オペ ラ期 に高 田雅 夫 に入 門、 タ カ
タ舞 踊 団 に参 加 した。独 立 後 舞 踊 団 を組織 し、1928
年5月 に朝 日講 堂 で 第1回 発 表 会 を開 い て 以 後、
映 画 館 に は積 極 的 に 出演 して い るの で、 初 期 の 活
動 の 中心 と して い た と言 え る。 ハ リ ウ ッ ド舞踊 団
(同)は、 伊 藤 道 郎 の、 ハ リウ ッ ドで の 門 下生 で
あ るが、 邦 人 ・米 人 混 合 が 珍 しか った もの と思 わ
れ る。 与 世 山 彦士 舞 踊 団(日 本 館)の 与 世 山 は、
エ リ アナ ・パ ブ ロバ 門 下 で あ り、既 に芸 術 舞 踊 家
と して 評価 を得 た 後 の、 活動 の 一環 だ っ た と言 え
る。 大勝 館 で は1930年12月31日 か ら1931年5月 ま
で、 集 中 的 に舞 踊 を上 演 して い る。 高 田雅 夫 亡 き
後 の高 田せ い子 舞 踊 団 〈写 真1〉
写 真1
や岩 村 舞 踊 団 出
写 真2
河 上 鈴 子 「瀕 死 の 白 鳥 」(大 勝 館)
都 新 聞1931年4月17日
(2) レヴ ュ ー
石 井 漠 舞 踊 団(松 竹 座)<写 真3>を
主宰す る
石 井 漠 は、 浅 草 オペ ラ出 身 で あ り、 日本 の現 代 舞
踊 の草 創 で あ る。 石 井 は浅 草 オ ペ ラ で、"浅 草 は
芸 術 を製 作 す る と ころ で は な い"20と 悟 り、 自 ら
の 意 志 に よ り浅 草 か ら飛 び 出 し た。1回 限 りの 出
演 な の は、 本 人 の 体調 不 良 や 当 時 の精 力 的 な活 動
に追 わ れ た こ との他 に、 浅 草 に対 す る考 え は変 わ
らな い もの の、 義 理 が あ り、 ま た浅 草 で の活 動 が
い か に知 名度 を高 め る か を、 身 を以 て知 っ て い た
た め の里 帰 りだ っ た と考 え られ る。 や は り浅 草 オ
ペ ラ 出 身 の、 高 田せ い子 率 い る高 田せ い子 舞 踊 団
高 田 せ い 子 舞 踊 団 「情 怨 」(松 竹 座)
松竹 座 ニ ュー ス1930年6月19日
発行
写 真3
-22-
石井 漠 舞 踊 団 「
歓 楽 を追 ひ て」(松 竹 座)
都 新 聞 1930年2月21日
踊 公 演 と ほ ぼ 同 様 で あ っ た。
(同)は、 高 田 が松 竹 楽 劇 部 の 洋 舞 指 導 を担 当 し
て い た 関 連 に よ る 出 演 と思 わ れ る21)。エ リア ナ ・
パ ブ ロ ワ舞 踊 団(同)は、
「瀕 死 の 白鳥 」 を始 め、
III-1.
一(2)外 来 舞 踊 家
(4)バ ラ エ テ ィ と(5)喜 歌 劇 ・オ ペ レ ッ タ に 関 して
レパ ー トリー の ク ラ シ ッ クバ レエ を上 演 した<図
2参 照>。 河 上 鈴 子(大 勝 館)は、 種 類 豊 富 な 舞
踊 歴 に基 づ い た、 レパ ー トリー の 広 さ を見 せ た。
電 気 館 で は1930年5月22日
よ り10週 にわ た り パ
ラマ ウ ン ト ・シ ョー を上 演、 これ に は藤 田 ・堺
は、 上 演 し た と い う 記 録 を得 ら れ な か っ た の で、
省 略 す る。
(1)舞
踊
ロ シ ア 貴 族 兄 妹 舞 踊 家(日
本 館)の
他 は、 全 て
舞 踊 団、 春 野 芳 子(他 に 浅 草 劇 場、 大 勝 館)、 南
栄 子(他 に 帝 国 館、 河 合 キ ネ マ、 大 勝 館)、 福 井
茂 舞 踊 団、 新 興 舞 踊 座、 ヴ ェ ル デ ィ ・ダ ン ス ・
トップが 出 演 した。 福 井 茂 舞 踊 団 は、 福 井 の 軽 快
で 洒 落 た舞 踊 と エ ロ100%の 脚 ど り'の 女 性 ダ
ンサ ー の溌 渕 た る姿 で 人気 を得 たが、 実 際 は 本
松 竹 座 へ の 出 演 で あ る。 オ リ ム ピ ア ・フ ォ ー リ ー
格 的'な 舞 踊 で あ り、エ ロ は100%に 及 ば な か っ
た。 新 興 舞 踊 座 は岩 村 和 雄 の息 子 ・信 雄 の一 門 で
あ る。 絢 欄'な 空 間 を造 り出 した の は、照 明家 だ っ
た 岩村 和 雄 の影 響 で あ り、 ま た音 楽 の リズ ム を重
視 した の は、 リ トミ ッ クの指 導 を受 け た こ とに よ
る もの と思 わ れ る。 ヴ ェ ル デ ィ ・ダ ンス ・トップ
は、 橘 秋子 を は じめ、 エ リア ナ ・パ ブ ロ バ 門 下 の
グ バ レ ー 空 中 舞 踊 団 は、 ロ シ ア 人 女 性 が 天 女 よ ろ
舞 踊 団 の 出 演 は7週
と 踊 る 様 子 は、
に 及 ぶ。 若 い
鮮 烈'と
美 人'が
溌渕
形 容 さ れ、 い か に 珍 し
く、 刺 激 的 で あ っ た か が 窺 わ れ る。 こ れ に 対 し、
セ ル ヴ ィ ア ン舞 踊 団 は エ ロ を 謳 わ ず、 大 ら か で、
笑 い と エ ス プ リ の 効 い た 内 容 で あ っ た。 フ ラ イ ン
し く 空 中 で 軽 や か に 踊 っ た。 そ の た め 大 掛 か りな
装 置 を 用 い た と 推 測 さ れ る が、 松 竹 座 の よ う な 大
規 模 な 映 画 館 だ か ら こ そ 上 演 可 能 だ っ た と 言 え る。
ニ ー ナ ・ア ン タ レ ス と ペ ー パ ・ポ ピ ー ニ ナ の 軽 快
な'ル
シ ア ン ダ ン ス'、 ブ ラ ッ ク バ ー ド舞 踊 団 の
黒 人 に よ る 陽 気 な'ジ
ャ ズ ダ ン ス'の
他 に、 ハ ワ
イ ア ン 芸 術 も 紹 介 さ れ た。
グ ルー プ で あ り、 正 当 な クラ シ ッ クバ レエ を学 ん
だ 成 果 を発揮 して、 洗 練 され た舞 踊 を 見せ、 洒 落
た 印 象 を与 え た。
(2)
レ ヴ ュー
い ず れ も 松 竹 座 に 出 演 した。 ホ リ ー デ ビ ル 舞 踊
団 は 男 女 混 合 の 舞 踊 団<写
美 人'と
真4>だ
が、
ロシア
女 性 の 出 演 を 強 調 し た。 グ リ ゴ リ エ フ ・
ク リ ュ ー ベ リ と ブ ラ ッ ク ・エ ン ド ・ホ ワ イ ト舞 踊
団 の 金 髪 美 人 は、'エ ロ ダ ン ス'を 踊 っ た。 ハ ル
ビ ン 舞 踊 団 は、 ロ シ ア 美 人 が
ウ ル トラ エ ロ の 世
界'を
図2
上 映 広 告(1)(松 竹 座)
現 出 し た。
都 新 聞1930年5月1日
(3) ボ ー ドビ ル
タカ タ舞 踊 団(松 竹 座)は、
高 田雅 夫 の 新 作 で
松 竹 楽 劇 部 と共 演 した。 そ の 作 品 は、 高 田が 浅 草
オ ペ ラ で発 表 した数 々 の ボ ー ドビ ルの よ う に、 欧
米 で流 行 中 の音 楽 を 用 い た、 ミュ ー ジ カ ル形 式 で
あ っ た。 高 速 度 喜 劇'と 称 し、 む し ろ後 の 浅 草
レ ヴュ ー の ス ピー デ ィな展 開 を思 わせ るが、 浅 草
で は、 高 田 は浅 草 オ ペ ラ の ボ ー ドビル の作 家 と し
て知 られ て い た た め に、 ボ ー ドビル とい う名称 に
した と思 わ れ る。 この他 に藤 田 ・堺 舞 踊 団(電 気
写 真4
ホ リ-デ ビル舞 踊 団(松 竹 座)
ラ ・レヴ ュ ー号 外1929年10月16日
(3) ボ ー ドビル
電 気館 で は ボ ー ドビ リア ンの ケ エ ラル フ ・ハ ー
ピス ツー 行 が、 振 袖 姿 で の カ ッポ レや 元 禄 花 見 踊
館、 帝 国館)が 新舞 踊 を発表 して お り、映 画 館 ア
トラ ク シ ョン とい う場 を活 用 して い る。
を上 演 して お り、 日本 で の 出 演 に対 す る意 識 と観
客 受 けの 意 図 が 感 じられ る。
芸 術 舞踊 家 の ほ とん どは現 代 舞 踊 家 で あ った。
既 に活 動 を行 って お り、そ の 一環 と して 映 画館 へ
出 演 した 者 が 多 く、上 演 内 容 も映 画 館 以外 で の 舞
外 来 舞 踊 家 の う ち、 白 人 女 性 に は'美 人'エ
-23-
ロ'を 謳 い、 上 演 内容 に 関 して は軽 映で 溌 渕 と し
た印 象 を与 え る語 句 が 多 い。 従 って エ ロ ダ ンス と
は、 白人 美 人 の 出 演 を意 味 した と言 え る。 一 方、
エ ロ を謳 わ ない 場 合 は、 外 国 人 とい う珍 しさが魅
力 と な った。
III-1. 一(3)浅草 オペ ラ出 身者
(3)ボー ドビル に 関 して は、 上 演 した とい う記 録
の み で他 の記 述 を、(4)バラ エ テ ィに関 して は、 上
演 した との記 録 を得 られ な か っ たの で、 省 略 す る。
(1)舞 踊
河 合 澄 子 舞 踊 団(日 本 館)<写 真5>を
率 いる
河 合 澄 子 は、 エ ロ の 本 家 本 元'を 自称 し、上 映
広 告 で は エ ロ女 王'の 称 号 を頂 戴 し、 上演 内容
も必 ず エ ロ と形 容 され た。 この よ うな エ ロ'の
乱 用 は、 河 合 が、 浅 草 オペ ラで は発 展 女 優 の"代
表 格"22)で あ っ た こ と を思 い 起 こ させ る231。エ ロ
エ ロ ・レヴ ュ ー 団(同)を
率 い る 白川 澄 子 も、 浅
草 オ ペ ラ で は未 成 年 な が ら発 展 女 優 と して人 気 を
博 しだ
が、 エ ロ'イ
ッ トガ ー ル25)と 形 容 さ
れ た の は、 個 人 で は な く舞 踊 団 で あ った。 河 合 は、
自 身 の名 前 を舞 踊 団 の名 称 に冠 す こ と に よ って、
過 去 の 盛 名 に頼 っ た宣 伝 効 果 を期 待 した と言 え る。
一 方 の 白川 は、 河 合 と同 じ発 展 女 優 だ っ た もの の、
発 展 度 にお い て は 河 合 には 遠 く及 ばず、 従 っ て河
合 澄子 とい う個 人 名 に匹敵 す る、 イ ンパ ク トの あ
る 名称 と して、 ず ば り エ ロ エ ロ'を 用 い た と考
え られ る。
写 真6
藤 村 ・北 村 一 座 「
裸 形 大 行 進 」(東 京館)
都 新 聞1930年6月24日
ム は感 じられ ない。 従 って この場 合 の 「裸 」 と は、
露 出度 の 高 い 衣 裳 の 着 用 を指 す に と ど まる。 さそ
り座(観 音 劇場)は、 既 に 浅草 レヴ ュ ー にお い て
活 動 中で あ り、場 を移 して の公 演 と言 え る。 そ の
上 座 員 は、 既 に他 の 団体 で 映 画 館 ア トラ ク シ ョ ン
に出演 した こ との あ る、 お 馴 染 み ばか りで あ っ た。
(5)喜 歌 劇 ・オペ レ ッタ
次 田勝 ・田谷 力 三 ら と、杉 寛 ・木 村 時子 らが 電
気 館 で、浅 草 オペ ラで は お馴 染 み の作 品26を 上 演
した。 か つ て 浅 草 オペ ラは 映 画 に迫 る 隆盛 を見 せ
たの で、 この よ うな演 目に は、 オ ペ ラ ・フ ァン を
集 め る こ とが 可 能 にな る とい う、浅 草 オペ ラの 威
光 を認 識 した上 で の集 客 の意 図 が 見 え て くる。 但
し作 品 は全 く同一 で は な く、場 所 や 出 演 人 数等 の
状 況、 或 い は観 客 受 け に応 じて、 多 少 改 定 した27
と考 え られ る。
浅 草 レヴ ュ ー開 幕 後 は、 レ ヴュ ー は エ ロ、 イ ッ
ト、裸 を謳 う よ う に なる。 これ は 浅 草 レヴ ュ ーが
エ ロ ・レヴ ュー の 別 称 を もち、 浅草 オ ペ ラ 出 身者
が 多 く活 躍 した こ とに倣 っ た、 戦 略 的 な もの だ っ
た と考 え られ る。
写 真5
(2)
III-1. 一(4)専属 団体
(3)ボー ドビル に 関 して は、 上 演 した とい う記 録
の み で、 他 の記 述 を得 られ なか っ たの で、 省 略 す
河 合 澄 子 舞 踊 団(日 本 館)
音 楽 舞 踊 グ ラ フ1930年8月 号
る。
(1)舞 踊
レヴ ュー
浅 草 劇 場 には、 浅 草 オペ ラ出 身者 が最 も多 く出
演 して い る。 林 一夫 率 い る ハ ヤ シ楽 劇 団(他 に 日
本 館、 開 盛 座 に は 専 属 楽 劇 部 と共 演)、 河 合 澄 子
松 竹 楽 劇 部(松 竹座)は、 全 国規 模 の大 興 行 会
社 ・松 竹 が ス タ ッ フ を揃 え、 充 実 した付 属 養 成 機
関 を設 置 して、 育 成 した 団体 で あ る。 専 門家 の指
導 を受 け た部 員 が 出演 し、衣 装 や 舞 台 装 置 は大 規
模 且 つ 豪 華 絢 欄 だ っ た 〈写 真7参 照 〉の で、"単
な る余 興"28)で はあ りなが ら、 本 編 の 映 画 に匹 敵
舞 踊 団(他 に 日本 館、 遊 楽 館)の 他、 藤 村 梧 朗 は
北 村 猛 夫 との グ ル ー プ(他 に東 京 館)や 松 山 浪 子
との グ ル ー プ(他 に遊 楽 館、 常 盤 座)で 出 演 して
い る。 藤 村 ・北 村 グル ー プの 作 品 「
裸 形 大行 進 」
〈写 真6〉 の 内 容 は、 舞 踊 や小 唄、 流 行 歌 の 「月
す る、 単 独 公 演 と言 え る もの で あ った29)。
(2) レヴ ュー
光 価 千 金」 「モ ガ ・モ ボ ・ソ ング」 で あ り、藤 村 ・
松 山 グル ー プ の作 品 「東 海道 特 急 」 は 裸 形 大 乱
舞'を 謳 っ たが、 東 海 道 本 線 沿 線 の 各 風 景 を描 写
した作 品 にす ぎず、 作 品 の 構 成 か らは エ ロチ シ ズ
-24-
松 竹 楽 劇 部(松 竹座)は、 大 興 行 会社 に支 え ら
れ た 豪 華 絢欄 な舞 台面 と、華 や か な衣 裳 に 身 を 包
ん だ大 勢 の 出演 に よ り、観 客 を圧 倒 した。 電 気 館
レヴ ュ ー 団 は、 浅 草 オペ ラ全 盛 期 の 再 現 を企 図 し、
ンス'の
写 真7
うち の エ ロに相 当す る もの と して、 舞踊
を上演 した。
(5)喜 歌 劇 ・オペ レ ッ タ
松 竹 座 が1931年5月31日
よ りレ ヴュ ー 専 門 劇場
に 移 行 した 後 に、松 竹 楽 劇部(電 気館)が 上演 し
た。 松 竹 ス タ ッ フの 製作 した オ リ ジナ ル 作 品 で あ
る が、 む しろ レ ヴュ ー に近 か った と考 え られ る3㌔
映 画 館 や 映 画 会 社 ・劇場 の 専 属 団 体 は、 養 成 機
関 に よ る充 実 した 教 育指 導 を受 け た、 見 応 え の あ
る 舞 踊 や、 浅 草 オペ ラ出 身者 に よる 手馴 れ た もの、
エ ロ とナ ンセ ンス を謳 う もの な ど、 各 々 が そ れ ぞ
松 竹 楽 劇 部 「世 界 の 東 京 」(松 竹 座)
都 新 聞1930年3月18日
れ特 色 を打 ち出 して、 多様 な もの を上演 した。
当 時 の ス ター を集 め て、1929年2月 に 結 成 され た。
ズ ロ ー ス と、胸 にベ ー ル を巻 くだ け の 姿 で 踊 る ハ
III-1. -(5)そ の 他
(3)ボー ドビ ル と(4)バラエ テ ィ に関 して は、 上 演
した とい う記 録 の み で他 の記 述 を、(5)喜歌 劇 ・オ
ペ レ ッ タ に関 して は、 上 演 した との 記 録 を得 られ
ダカ ダ ンス'で 話 題 を捲 き、 こ れ以 後 は上 映 広 告
に エ ロ を謳 わず と も、期 待 させ る こ と とな っ た。
流 行 の ジ ャズ音 楽 を 多用 した先 取 性 と、 か つ て 浅
草 オペ ラ で ス ター に な っ た、 つ ま り浅 草 で受 容 さ
れ認 め られ た者 の 出演 に よ り、最 も浅 草 的 で 粋'
で あ っ た<図3参
照>。 松 竹 館 レ ヴ ュ ー 団(浅 草
劇場)の 振 付 は、 石 田守 衛 と黒 木 憲 三 が担 当 した。
石 田 は 浅草 レ ヴュ ー の嗜 矢 ・カ ジ ノ ・フ ォー リー
で舞 踊 の、 黒木 は 震 災後 の 浅草 オ ペ ラ で ボ ー ドビ
ル の振 付 を担 当 して い る。 従 っ て石 田 の 作 品 は、
カ ジ ノ に参 加 す る以 前 の 実験 的 な 試 み で あ り、そ
れ を 後 に 活 用 し た と推 察 で き る の で、 浅 草 レ
ヴ ュー の前 段 階 に相 当 す る もの だ っ た と言 え る。
他 に帝 キ ネ花 形 座(常 盤 座)は
珍 芸'を、 帝 キ
ネ舞 踊 楽 園(同)は
喜 劇 を上演 した。 日本 劇 場 専
属 の 日劇 舞 踊 団(大 勝 館、 電 気館)の 付 属 学 校 で
は、 石 井 漠 や 河 上 鈴 子 の 他 に も、 モ ン ター ニ ュ女
史 が トウ ダ ン スの 指 導 の た め に招 聰 され た。 映 画
館 へ の 出 演 を巡 り、学 校 側 と、 浅 草 を蔑 視 す る父
兄 との 問 に確 執 が 生 じた とい うエ ピ ソー ドもあ り、
団 員 の 舞 踊 は、 芸 術 舞 踊 を学 ん で い る とい う 自負
の元 に、 技 術 的 に高 い 水 準 にあ った と思 わ れ る。
な か った の で、 省 略 す る。
(1)舞 踊
OKコ ー ラ ス舞 踊 団(松 竹 座)、 フ ァ ン シー フ ォ
リー ズ懐 美 舞 踊 団(電 気館)等 の、 幼 い 少 女 の 出
演 は、エ ロ とは無 縁 で あ るが、珍 し さが 魅 力 と な っ
た と思 わ れ る。
(2) レ ヴ ュー
川 上 児 童 楽 劇 団(富 士館)は、 川 上 貞 奴 の 経 営
す る、 演 劇 ・音 楽 ・舞 踊 の 養 成 所 で あ っ た。 舞 踊
は高 田雅 夫 が 指 導 した。 高 田 は 多 くの 舞 踊 家 を育
成 したが、 こ こで も、 映 画館 へ 請 わ れ て 出 演'
す る ほ ど、 十 分 な指 導 ・養 成 を行 った の で あ る。
美 人座(千 代 田館)は、 上 映 広 告 にエ ロ を謳 わ ず、
名 称 を戦 略 的 に用 い た 例 と言 え る。 この 他 に挑 発
的 な 宣 伝 文 句 で 観 客 を 誘 う ア イ ラ ブ ユ ー ・レ
ヴ ュ ー団(常 盤 座)、 モ ダ ンエ ロ'を 謳 っ た混 線
ス ピー ド劇 団(同)、 喜 劇 を 主 とす る 青 春 座(日
本 館)が 出 演 した。 月 形 龍 之 介 一 党(松 竹 座)は、
エ ロ 全 盛 の 中 で、 男 児 の 気 魂'に 満 ち た剣 劇 レ
ヴ ュ ー を上 演 した。 岡 田 嘉子 一 座(同)は
日活 レヴ ュ ー団(富 士 館)で は 谷 幹 一 が、 舞 踊 と
称 して トリ ック を用 い た珍 妙 な芸 を見 せ たが、 こ
れ は飽 くまで 珍 芸'の 域 だ った と思 わ れ る。
ゲ キ(裸 劇)"に
図3
(4)バ
上 映 広 告(2)(電 気 館)都
新 聞1929年2月1日
士 館)は、
したエ ピ ソ ー ドで もあ る。 広 島 名物 エ ロ ガ ー ル'
の 称 号 を得、 浅 草 の 人 気 を集 め た。
エ ロや 裸 を謳 った レ ヴュ ー が 多 い 一 方 で、 月 形
一 派 や 岡 田一 座、 川 上 児童 楽 劇 団 が、 レ ヴ ュー の
富士館が邦画上
映 館 で あ り な が ら、 ア メ リ カ を か な り強 く意 識 し
た 内 容 を 上 演 し た。 こ れ は、 ア メ リ カ に 倣 っ た モ
ダ ニ ズ ム の 風 潮 に 乗 っ た た め、 と 考 え ら れ る。 帝
キ ネ 花 形 座(常
盤 座)は、
な る と新 聞 記 事 に紹 介 され る や、
警 視 庁 よ り注 意 を受 け、"ハ ダ ダ ン ス"と 改 名 し
た。 そ れ は露 出 度 の 高 い衣 裳 を着 用 した 半 裸 体 で
の、 ア ク ロバ チ ッ ク な上演 内 容 〈写 真8>を
反映
ラ エ テ ィ30)
フ ジ ワ ラ エ テ ィ(富
当初 は
新 劇 を、 後 に は レ ヴ ュー と称 した 作 品 を上 演 した
が、 実 際 は演 出 の 手 法 を レ ヴ ュー 風 に した新 劇 に
す ぎなか っ た。 羽 田歌 劇 団(同)の
華 や か さ は、
10代 半 ば ∼20代 半 ば の 総 勢50名 が 大 挙 して 軽 快 に
踊 る様 子 と、 照 明 効 果 に よる と思 わ れ る。 当 初 は
"羽 田歌 劇"を 称 したが、 仮 名 表 記 で は"ハ ダ カ
名 称 で、 見 応 えの あ る 内容 を見 せ た。
エ ロ ・グ ロ ・ナ ン セ
-25-
の集 中 を強 い られ る。 そ れ が、 照 明 が つ き、脚 線
写 真8
羽 田歌 劇(松 竹 座)
松 竹 座 ニ ュ-ス1930年9月17日
美 や美 人 の、 大 勢 の 女 性 ダ ンサ ー が現 れ て颯 爽 と
踊 る とい う、一 転 した空 間 に曝 され る。 この、 上
映 中 とは正 反 対 の、 照 明 に照 ら し出 され た 中 で、
脚 線 美 や 美 人の 女 性 ダ ンサ ー が 踊 って い る様 子 が、
明 る く、華 や か なの で あ る。 従 って 明 る さ ・華 や
か さ は、 「美 人」・「脚 線 美 」 を、 要 素 と して 含 ん
で い た と言 え る。 一 方 で この よ うな 空 間 の一 転 に
よ り、館 内 で は前 の 上 映作 品 の 空気 が一 掃 され て、
発行
観 客 も気 分 転 換 や 頭 休 め が 可 能 にな り、五 感 が-一
新 され、 次 の 映 画 作 品 の観 賞 に臨 む体 勢 が整 っ た
の で あ る。
III-2.上
映 広 告 に 見 る 映画 館 ア トラ ク シ ョ ンの
舞踊 の 特性
上 映 広告 には、 映 画館 ア トラ ク シ ョ ンに、 本 編
映 画 に等 しい ス ペ ー ス を割 く例 が散 見 され る 〈図
2・3参 照 〉。この よ うに 映 画館 ア トラ クシ ョ ンは、
単 な る 余興 に と ど ま らな い 内容 と観 客 動 員 力 を有
した の で あ り、 当 時 の 映 画 の 隆盛 の一 因 を担 っ た
と言 え る。 そ の た め上 映広 告 で は、 よ り多 くの観
客 の動 員 を意 図 し、観 客 の 求 め る もの を宣 伝 文 句
と して掲 載 した。
上 映広 告 に は、 「美 人 」 「脚 線 美 」 「裸 」 「エ ロ」
とい う、女 性 出演 者 とそ の エ ロ チ シ ズ ム に 関す る
映 画 館 ア トラ ク シ ョンの舞 踊 は、 女 性 ダ ンサ ー
が 観 客 に対 し、露 出 した 身 体 と、 そ の よ うな姿 で
踊 る とい う行 為 に よ り、エ ロチ シズ ム を感 じさせ、
ま た観 賞 の 効 果 と して、 気 分 転 換 の機 会 を与 え る
とい う特 性 を有 した の で あ る。
III-3. 1920年 代 の軽 演 劇 の変 遷 に お け る映 画 館
ア トラ ク シ ョ ンの舞 踊 の意 義
浅 草 オ ペ ラ の舞 踊 は、"股 上 げ 踊 り"と 称 され
た舞 踊 運動 と、 タ イ ツの着 用 に よ り浮 き出 た脚 部
に よ り、エ ロチ シ ズム を醸 成 した。 ま た、 浅 草 レ
ヴ ュー の舞 踊 は、 集 団 に よる匿 名性 の脚 部 に よ り、
エ ロチ シ ズム を醸 成 す る と共 に、 爽 快 感 ・解 放 感
語 句 が 多 く掲 載 され た。 「美 人 」 は、 特 に外 来 舞
踊 家 に 見 られ た。 映 画 館 は狭 い空 間で あ り、観 客
は 出演 者 を ご く間近 にす る た め に、 容 貌 の美 しさ
も求 め られ た の で あ る。 「脚 線 美 」 に 関 して は、
とい う観 賞 効 果 を生 ん だ33-。1920年代 の 軽 演 劇 の
当 時 の女 性 の洋 装 化32'に よ り、脚 部 が 露 出 し注 目
を浴 び る よ うに な っ た とい う文 化 的 背 景 の他 に、
む き出 しの肌 色 の脚 は全 身 に 占 め る割 合 が 大 き く、
変 遷 にお い て、 舞 踊 は、 浅 草 オペ ラ にお け る、 行
為 と身体 に よる エ ロ チ シ ズ ム の醸 成 か ら、浅 草 レ
ヴ ュー にお け る、 身体 に よる エ ロ チ シ ズ ム醸 成 と
視 覚 的 な ア ピー ル度 が 高 い た め に、 そ の美 しさ を
強 調 した と考 え られ る。 「エ ロ」 と 「裸 」 は、 エ
ロ チ シズ ム を ス トレー トに打 ち 出す 語 で あ る。 し
観 賞 効 果 の付 与 へ と変容 して い る。 映 画 館 ア トラ
ク シ ョンの舞 踊 に お け る、 身体 に よ るエ ロチ シ ズ
ム の 醸 成 は 浅草 オ ペ ラ と浅 草 レヴ ュ ー の双 方 に、
か し 「裸 」 は露 出度 の高 い衣 裳 の着 用、 す な わ ち
露 出 した 身体 も ち ろ ん脚 部 も含 む-を、 「エ ロ」
は 出演 者 の 身体 の露 出 と、 そ の よ う な半 裸 体 で、
踊 る とい う行 為 を指 す と考 え られ る。 従 っ てエ ロ
チ シ ズ ム は、 「裸 」 同 然 に露 出 した 身 体 と、 そ の
踊 る姿 の、 双 方 を見 て感 じ られ た と言 え る。 但 し、
これ らの語 句 を全 く用 い ない 例 もあ り、そ の 場 合
行 為 に よる エ ロ チ シズ ム の醸 成 は浅 草 オペ ラ に、
観 賞 効 果 の付 与 は 浅草 レヴ ュ ー に共 通 して い る。
これ に よ り映 画 館 ア トラ ク シ ョ ンは、 新 た に舞 踊
は、 見 慣 れ な い、 或 い は、 見 た こ との ない とい う
珍 し さ と 目新 しさ を、 大 きな魅 力 と した と言 え る。
一 方、出 演 者 の技 術 や 表現 力 な どに対 す る評 価 ・
形 容、 また上 演 内 容 の 芸 術 性 を問 う語 句 は認 め ら
れ な か っ た。 そ れ は、 観 客 が 映 画 館 ア トラ ク シ ョ
ンの舞 踊 に対 して求 め な か っ たか ら と も言 え る。
しか し芸 術 舞 踊 家 は例 外 で あ り、舞 踊 歴 や 得 意 な
分 野 を ア ピー ル してい る もの の、 これ は 単 に観 客
の好 奇 心 や興 味 を一 部 そ そ っ た に過 ぎ ない。
こ の他 に は、 上 演 作 品 の 明 る さ、 華 や か さ を ア
ピー ル した もの も多 か っ た。 観 客 は、 上 映 中 は、
の 特性 を根 拠 と して、1920年 代 の軽 演 劇 の変 遷、
す なわ ち 浅草 オペ ラ か ら浅 草 レヴ ュ ーへ と到 る変
遷 の、 過 程 に位 置 付 け る こ とが で きる。
映 画館 ア トラ クシ ョ ンは、 上 映 の合 間 の上 演 の
た め、 時 間上 の制 約 を受 け た。 さ らに映 画 館 ア ト
ラ ク シ ョ ンの舞 踊 は、 複 数 の場 面 や 他 の 出 し物 と
共 に構 成 され た た め、 ノ ンス トップで ス ピー デ ィ
な進 行 とス ム ー ズ な展 開 を強 い られ た。 これ は レ
ヴュ ー の特 性31と 共 通 す る。 また上 演 演 目に、単
な る 名称 と して 「レヴ ュ ー」 「ボ ー ドビル 」 「バ ラ
エ テ ィ」 を用 い て い るが、 これ らの 使 い分 け は厳
密 に は な され てお らず、 実 際 は全 てが レヴ ュ ー と
同 じ形 態 で あ っ た。 従 っ て映 画 館 ア トラ ク シ ョ ン
の舞 踊 は、 浅 草 レヴ ュ ー以 前 に、 レヴ ュ ー の形 態
を、初 め て浅 草 の 大 衆 に紹 介 した と言 え る。 同時
に"レ ヴ ュ ー"と い う、 従 来 は な か っ た 名称 も、
閉塞 した暗 転 の 空 間 の 中 で2次 元 の ス ク リー ンへ
-26-
この 時 点 で は、 確 立 に は到 らず と も、 ジ ャ ンル と
新 しもの 好 きの 浅 草 の 大衆 に紹 介 した の で あ る。
映 画 館 ア トラ ク シ ョンの 舞 踊 は、 後 に短 編 映 画 や
ニ ュー ス 映 画 に駆 逐 され、 また、 この 目新 し さに
エ ロ と珍 しさ を伴 って観 客動 員 の 一 因 に な りえ る
とい う、 興行 上 の 理 由 もあ って、 映 画館 の単 な る
して 成立 した段 階 に あ っ た と言 え る。 そ して映 画
館 ア トラ ク シ ョ ンの舞 踊 は、 我 が 国 に お け る舞 踊
史 の、 現 代 舞 踊 の成 立 期 の1つ の公 演 形 態 と して
位 置 付 け る こ とが可 能 とな る の で あ る。
余 興 か ら独 立 し、後 の 浅 草 レ ヴュ ー 全盛 の 一助 と
な るの で あ る。
IV-結 論
III-4. 舞踊 史 に お け る映画 館 ア トラ ク シ ョ ンの
舞踊の意義
1920年 代 の 浅 草 の 映 画 館 に お い て、 ア トラ ク
シ ョ ンで上 演 され た舞 踊 に 関 し、以 下 の事 柄 が 明
らか に され た。
芸 術 舞 踊 家 は、 松 竹座、 電 気館、 松 竹館、 大 勝
館 とい う、 い ず れ も松 竹専 属或 い は チ ェ ー ン館 に
出 演 した。 中 で も松 竹座 は、 開場 時 の 入場 料 は3
円50銭 ・1円50銭 ・80銭、 そ の 後 は1円50銭
・1
円 ・60銭 と ラ ン ク分 け され、 最 低 料 金 で さえ、 日
本館 や 帝 国館 の40銭 よ りも高 額 で あ り、 高級 感 を
印 象付 け た。 また新 着 洋 画 を、 他 に先 駆 け て上 映
す る専 門館 で あ り、浅草 で最 も収 容 人 員 の多 い映
画館 で もあ っ た。 松 竹 とい う大 資 本 会 社 の威 光 を
浴 び、 そ の 資 本 力 に よっ て、 外 来 舞 踊 家 や芸 術 舞
踊 家 の公 演 の ほ とん ど を上演 す る こ とに お い て は
他 の 追 随 を許 さず、 映 画館 の 中 で も上 位 に格 付 け
さ れ た こ とが 推 察 で き る。 この 松 竹 座 は途 中 レ
ヴュ ー専 門 劇場 に 移行 し、 映 画館 ア トラ クシ ョ ン
の 舞 踊 は、 代 わ っ て松 竹 系 列 の大 勝 館 で集 中 的 に
第 一 に、女 性 出 演 者 は、1つ に はエ ロチ シ ズ ムの
醸 成、1つ に は 浅 草 の大 衆 に対 し気 分 転 換 の 機 会
を与 え る とい う役 割 を担 っ て い た。
第二 に、 エ ロ チ シ ズ ム の醸 成 と観 賞 効 果 とい う
2点 を根 拠 と して、映 画 館 ア トラ ク シ ョ ン を、1920
年 代 に お け る軽 演 劇 の変 遷 過 程 に位 置 付 け る こ と
が で きた。
第三 に、 レヴ ュ ー の名 称 とそ の 形 態 を、 初 め て
浅 草 の大 衆 に紹 介 した。
第 四 に、 芸 術 舞 踊 家 の 出演 は、 松 竹 とい う大 資
本 の力 と、浅 草 とい う土 地 柄 と大 い に関 わ って い
た。
第五 に、 芸 術 舞 踊 家 の 活 動 に よ り、現 代 舞 踊 の
成 立 期 に位 置 付 け る こ とが 出 来 た。
映 画 館 の ア トラ ク シ ョ ンは、 同 じ1920年 代 にお
け る軽 演 劇 で あ りな が ら、 浅 草 オ ペ ラ や 浅 草 レ
ヴ ュ ー ほ ど脚 光 を浴 び る こ とは ない。 また 多 数 の
芸 術 舞 踊 家 の 出演 が 認 め られ る に も関 わ らず、 こ
れ ま で に詳 細 を明 らか に され る こ と は なか った。
上 演 され る。 これ に よ り松 竹 とい う興 行 会 社 が、
映 画館 ア トラ ク シ ョンの 中 で も、特 に舞 踊 に力 点
を置 い た こ とが窺 わ れ る。 芸 術 舞 踊 家 に とっ て、
浅 草 の 映 画 館 へ の 出 演 と は、 日劇 舞 踊 団 の エ ピ
ソー ドに もあ る よ うに、 低 級 ・低 俗 な もの に満 ち
た 場 所35)で の、本 編 映 画 の余 興 を意 味 し、価 値 の
な い、 む し ろ 自 身 の 活 動 歴 に 傷 をつ け る行 為 で
本 研 究 は上 映 広 告 の コ ピ ー を主 要 資 料 と して 概 観
した に過 ぎな い。 当時 の芸 術 舞 踊 界 の 動 向 との 比
較 や、 上 演 さ れ た作 品 の内 容 まで 踏 み 込 む こ と に
よっ て、 映 画 館 の ア トラ ク シ ョ ンの 舞 踊 の 特 性 と
そ の意 義 は、 日本 の舞 踊 史 にお い て、 よ り一 層 浮
き彫 りに され る と思 わ れ るが、 そ れ は今 後 の 課 題
とす る。
あ った。 しか し松 竹座 で あ れ ば格 も高 く、そ の資
本 力 に よ って 高 額 な 出演 料 も期 待 で き、 また 映 画
そ の もの が、 浅 草 に渦 巻 く多 種 多様 な大 衆 文 化 の
中 で 最 も隆盛 して お り、多 くの 人 々 が 集 まる た め
に、 知 名 度 を高 め る こ とが可 能 とな る。 この よ う
な魅 力 が動 機 とな って、 芸 術 舞 踊 家 は 映 画館 に 出
演 した と言 え る。 芸術 舞 踊 家 は、 映 画 を提 供 す る
場 を利 用 し、余 興 に甘 ん じな が ら、舞 踊 と氏 名 の
普 及 の 為 に、 芸術 よ りも享 楽 を求 め る大 衆 に お も
ね った の で あ る。
【
謝辞】
本 稿 執 筆 に あ た り、 お忙 しい 中 を御 指 導 下 さ っ
た、 お茶 の水 女 子 大 学 の片 岡康 子 先 生 と本 田郁 子
先 生 に、 深 く感 謝 申 し上 げ ます。
映 画館 ア トラ ク シ ョン に出演 した 芸術 舞 踊 家 の
ほ とん ど は、 現代 舞 踊 家 で あ った。 浅 草 オ ペ ラ出
【
註 及 び 引用 文 献 】
1)1884年1月
浅草 公 園(浅 草 寺 境 内地)は6区
身 で、 日本 の 現代 舞 踊 の 草 創 にあ た る 石 井 漠 と高
田雅 夫 ・せ い 子 は、 い ず れ も浅 草 を離 れ て 芸術 舞
踊 の 活 動 に専 念 し、定 期 的 に公 演 を開 き、 意 欲 的
に新 作 を発 表 して い た 時 期 で あ った。 他 の 芸術 舞
踊 家 も、公 演 活 動 を始 め たば か り、或 い は 既 に始
め てお り、 自身 の 活 動 の 一 部 と して、 映 画 館 ア ト
ラ ク シ ョ ンに出 演 した。 従 って 日本 の 現 代 舞 踊 は、
-27-
画 に分 割 され、 この うち六 区 は、 東 京 府 知 事 名
の御 達 に よ り、興 行 ・遊 覧場 ・飲 食 店 の集 中す
る特 殊 地域 に定 め られ た。 以 後 は この六 区 を 中
心 に興行 街 が形 成 され る(台 東 区 役 所、1966、『
台
東 区 史 』社 会 文 化 編、 台東 区 役所、pp.299-300.)。
1903年10月 に六 区 の 電 気館 が 日本最 初 と して 開
場 した の を皮 切 りに映 画 常 設館 が続 出 し、 浅草
は映 画 を 中心 と した 興 行 街 とな った(竹 村 民 郎、
1996、 『笑 楽 の 系 譜 』、同 文館、p.84.)。 西 条昇 は
1890年 代 ∼1960年 代 前 半 の 浅 草 六 区 を、 そ の劇
場 や 映 画 館 の 集 中 ぶ りか ら、 日本 の ブ ロ ー ド
ウ ェ イ と呼 ぶ にふ さわ しい 劇 場 街'と して い る
(西条、1988、 「喜 劇 王 達 の 楽 天 地 」、『
東 京人』
8月 号、P.54.)。 本 論 文 で は"浅 草"を、 この 浅
草 六 区 を含 め た、 興 行 街 全 体 を指 す もの とす る。
2)浅 草 オペ ラが、 関 東 大 震 災 を直接 的 な 原 因 と
して壊 滅 した とす る先 行研 究 もあ る(内 山 惣 十
郎、1967、『浅 草 オ ペ ラ の生 活 』、
雄 山 閣、p.111.、石
川 弘 義、1981、『
娯 楽 の戦 前 史』、東 書 選 書、p.86.、
村 松 道 弥、1985、 『私 の 舞 踊 史 』 上 巻、 テ ス 出版、
p.6L)。 しか し都 新 聞 を追 う と、震 災 後 も以前 と
同様 に歌 劇 団 の 活 動 が 認 め られ るの で、 関東 大
震 災 は衰 退 の契 機 を与 え た に過 ぎ ない と言 え る。
3)、13)杉 山千 鶴、1990、 「浅 草 オペ ラか ら浅草 レ
ヴ ュ ーへ の 変 遷-1920年 代 の 浅 草 の 軽 演 劇 の流
れ と変 遷 過 程 に存 在 す る もの-」、お 茶 の水 女 子
大 学 人文 科 学 紀 要 第43巻、p. 194.
4)本 稿 で は、1917年 に は活 動 写 真 を映 画 と言 い 始
め た(南 博 ・社 会 心 理研 究 所、1965、 「大 正 文化
年 表 」、『大 正 文 化1905-1927』、勤 草 書 房、p.15.)
もの と し、無 声 映 画 時 代 の 活 動 写 真 を上 映 した
活 動 写 真 館、 トー キ ー上 映 館 を、 一括 して"映
画館"と す る。
5)杉 山、 上 掲3)、p. 200. 尚、 本 稿 で は映 画館 ア
トラ ク シ ョ ンの う ち、 舞 踊 とい う演 目 な らび に
舞 踊 を 含 む と思 わ れ る演 目 を"映 画 館 ア トラ ク
シ ョ ンの舞 踊"と す る。
6)内 山、前 掲2)、pp. 138-145.、大 笹 吉 雄、1986、『日
本 現 代 演 劇 史 』 大 正 ・昭 和 初 期 編、 白 水 社、
pp.198-200.、原 健 太 郎、1994、『東 京 喜 劇-ア チ ャ
ラ カの歴 史-』、NTT出 版、 pp.98-108.
7)村 松、 前 掲2)、p. 175.
8)白 浜 研 一 郎、1986、 『七 里 ヶ浜 パ ヴ ロバ 館 』、
文 園社、p. 123.、p.126.
9)片 岡 康 子、1985、「日本 の現 代 舞 踊 の 成 立 過 程デ ニ シ ョー ン舞 踊 団 の 日本 公 演 を 中心 と して 一
」、
お 茶 の 水 女 子 大 学 人文 科 学 紀 要 第38巻、pp. 9495.
10)片 岡康 子、1986、 「時 代 の 芸 術 家 と して の 石 井
ネマ旬 報 』4月 号、P.55)。 こ の よ う に上 演 演 目
の分 類 に 関 して は、 上 演 内容 の判 別 が 困 難 で あ
る た め、 映 画 館 が 上 映 広 告 ・案 内 に掲 載 した演
目名 を基準 と した。 そ の た め 同一 映 画 館 ・同一
出演 者 で あ っ て も、異 な る演 目 に分 類 さ れ る こ
とが あ る。 ま た 舞 踊 の み の 上 演 で あ っ て も レ
ヴュ ー を称 す る場 合 もあ る。
14)都 新 聞遊 覧案 内欄 に よる と、映 画 館 ア トラ ク
シ ョンの舞 踊 の最 初 は、1917年1月 に富 士館 で、
余 興 と称 して上 演 され た トー ダ ンス で あ る。 但
し出演 者等 の詳 細 は不 明。 これ に続 き1918年3、
4月 には電 気 館 で専 属 歌 劇 団が トー ダ ンスや ス
パ ニ ッ シュ ダ ンス を上 演 した。 団員 は、 帝 劇 歌
劇 部 出 身 の 山根 千 世 子、 歌 川蘭 子 ら4名 で あ っ
た。
15)例 え ば大 群 集 の 出演(平 井 正、1983、 「マ ス ・
メデ ィア の 発 展 」、平 井 他 編 『
都 市大衆 文化 の
成 立 』、有 斐 閣、P.101.)、俳 優 の全 力 疾 走(佐 藤
忠 男、1995、 『日本 映 画 史』 第一 巻、 岩 波 書 店、
p.31.)な どが挙 げ られ る。
16)1875-1926。 旅 回 り一 座 の座 頭 役 者 だ っ たが、
牧 野 省 三 監 督 に見 出 され 映 画 界 入 り し、1000本
余 の 主演 映 画 を残 した。 映 画 は文 化 的 ・技 術 的
に低 い 水準 にあ っ た が、 小 学 校 の男 子 生 徒 を 中
心 に人 気 を集 め た(田 中純 一 郎、1975、 『日本 映
画 発 達 史。 』、中公 文 庫、p.230.)。
17)カ ツベ ン こ と活動 弁 士 は 暗 闇 の芸 術 家'で
あ った(原、 前掲6)、p. 182.)。
18)関 東 大 震 災 に よ り、東 京市 内 で焼 け残 っ た映
画 館 は 新 宿 武 蔵 野館1館 の みで あ っ た(台 東 区役
所、 前 掲1)、p. 393.)。
19)1909年9月
には オペ ラ館 で、 フ ィル ム交 換 の
休 憩 時 間 に管 弦 楽 の 演 奏 が行 わ れ た(芸 能 史研
究 会 編、1990、 『日本 芸 能 史7近 代 ・現 代 』、法
政 大 学 出 版 局、p. 114.)。
20)石 井 漠、1951、 『
私 の 舞 踊 生 活 』、大 日本 雄 弁
会 講 談 社、p.56.
21)全 国 の 松 竹 座 チ ェー ンの 発 行 して い る 『
松竹
座 ニ ュー ス』 に よ る と、 高 田 雅夫 ・せ い子 夫 妻
は舞 踊 団 を率 い て、 浅 草松 竹 座 以前 に、 道 頓堀
松 竹 座 へ 数 回 出 演 して い る。
22)凸 面 郎、1919、 「燗 れ た る彼 の女 の 生活 」、『
花
形 』6月 号、p. 130.
23)河 合 澄 子 の 発 展 ぶ りに関 して は、 以 下 を参 照。
漠 一1920年代 の 西 洋 文 化 流 入 と舞 踊-」、ダ ンス
ワー クNO. 36、 pp.18-19.
11)東 京 新 聞 の前 身 に相 当 す る都 新 聞 は、 東 京 市
内 の主 な劇 場 や映 画 館 の 遊 覧 案 内 を毎 日掲 載 し、
演 芸 欄 に は批 評、 動 向、 楽 屋 話、 公 演 案 内 等 の
情 報 を満 載 して い たδ
12)松 井 翠 声 はバ ラエ テ ィを例 に挙 げ、 映 画館 に
よっ て、 そ の内 容 は独 唱 の み 或 い は舞 踊 の み と
異 な り、バ ラエ テ ィの 本 来 の 意 味 を成 さな い と
して い る(松 井、1929、 「ア トラ ク シ ョン」、『キ
-28-
杉 山、1999、「浅 草 オペ ラの 女 優 達 」、早 稲 田大
学 人 間 総 合研 究 科 ヒュ ー マ ン ・サ イエ ンス 第10
巻 第1号、pp. 50-51.
24)「 歌 劇 ロ マ ンス」9、 都 新 聞1919年2月14日
25)イ ッ トは、 ク ラ ラ ・ボ ウに 象徴 され る、 パ ー
ソナ リテ ィ と して の性 的魅 力、セ ッ クス ・ア ピー
ル を意味 す る(亀 井 俊 介、1992、『サ ー カ スが 来
た!』、 岩 波 書 店、p.296.)
26)田
谷 等 に よ る 「軍 艦 ピ ナ フ ォ ア 」 は サ リ バ ン
作 曲、1918年11月16日
歌 劇 三 派 大 合 同公 演 初 演
(駒 形 劇 場)。 杉 ・木 村 等 に よ る 「嘘 の 世 の 中 」
は 益 田 太 郎 冠 者 作、1922年7月24日
総 出 演 公 演 初 演(金
根 岸歌劇 団
龍 館)。 い ず れ も 再 演 を 繰
り返 して い る。
27)、31)但
し川 口 松 太 郎 は オ ペ レ ッ タ の 垢 抜 け た
も の も レ ヴ ュ ー の 一 種 と 看 倣 し て い る(川
口、
1930、 『先 端 を 行 く レ ヴ ュ ー 』、
誠 文 堂、pp. 7-8.)。
こ れ に よ り、 浅 草 オ ペ ラ 当 時 か ら は 多 少 改 定 し
て 上 演 し た 可 能 性 も考 え ら れ る。
28)松
井、 前 掲12)、p. 55.
29)松
竹 楽 劇 部 が ア トラ ク シ ョ ン で 上 演 し た レ
ヴューは
本 格 的'で
あ り、 レ ヴ ュ ー 劇 団 が 独
立 して興 行 を行 っ て い た浅 草 レヴ ュ ー は
事'と
看 倣 さ れ て い た(高
の レ ヴ ュ ー 」、『演 芸 画 報 』9月
30)1930年8月
ママ
橋 桂 二、1931、 「東 劇
号、p. 58. )。
に は、 帝 国 館 で 超 モ ダ ン バ ラ エ テ
と称 し て モ ン テ カ マ タ 悩 ま さ れ 会 が 出 演 し、 脚
線 美 十 数 名 が エ ロ テ ィ ッ ク ポ ー ズ を 見 せ た。 舞
踊 と は 断 定 出 来 な い の で 今 回 は 対 象 外 と した。
脚 部 を 露 出 し た 女 性 が、 次 々 と ポ ー ズ を 取 っ た
も の と 推 察 さ れ る。
32)震
災 に よ り和 服 の 欠 点 が 明 白 と な っ た と こ ろ
ヘ ア ッ パ ッ パ が 登 場 し、 庶 民 の 女 性 に も 洋 服 が
普 及 し た(鹿
野 政 直、1989、 『
婦 人 ・女 性 ・お ん
な 』、岩 波 書 店、p-118-119.)。
33)杉
山 千 鶴、1991、
「1920年 代 の 軽 演 劇 に お け る
舞 踊 の 特 性 」、
お 茶 の水 女 子 大 学 人文 科 学 紀 要 第
44巻、p. 257.、 p.262.
34)レ
ヴ ュ ー に 必 要 と さ れ る5S、
す な わ ち(1)ス
ピ ー デ ィ な 展 開、(2)ス ペ ク タ ク ル、(3)シ ョ ッ キ
ン グ な 内 容、(4)ス ム ー ズ な 流 れ、(5)ス タ ー の 存
在、 が 相 当 す る(高
木 史 朗、1983、 『レ ヴ ュ ー の
王 様 』、河 出 書 房 新 社、p. 135. )。
35)山
田 忠 正、1921、 「娯 楽 需 要 者 と浅 草 」、'『
改造
世 界 』2月
※
号、p. 5.
本 稿 は、 平 成8年
度文部省科学研究費補助金
(課 題 番 号08780111)及
び1996年
定 課 題 研 究 費 助 成(課
題 番 号96A-535)を
度 早 稲 田大 学 特
受 け
て 行 わ れ た 研 究 の 成 果 で あ る。
-29-
表1一(1)
映 画 館 の ア トラ ク シ ョ ンで 上 演 され た舞 踊**
-30-
**
表1一(2)映
画 館 の ア トラ ク シ ョ ン で 上 演 さ れ た 舞 踊**
1928年6月 ∼1933年3月 の都新聞 東京版の ヒ映広 告、遊覧案内欄、及 び演芸欄の記 事に掲載 された映画館 ア トラクションか ら、浅 草二
の映画館で上演 さ
れた、舞踊 及び舞踊 を含 む演 月(レ ヴュー、ボー ドビル、バ ラエ ティ、オペ レッタ等)を 全て抽い出 して作成 した。
-31-
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