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P4~P8

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P4~P8
平成22年2月3日開催
景観・まちづくりフォーラム
IN
KUSHIRO
○第二部 基調講演 (14:00~15:30)
「住みたい、訪れたい、魅力あるまち」
講 師 : 渡 辺 篤 史( 俳 優 )
茨城県生まれ。1960年テレビドラマ「にあんちゃん」でデビュー。以後、テレビの歴史をな
ぞる如く、数多くのドラマに出演。最近では2002年日中合作映画「王様の漢方」に主演。現
在ナレーターとしても活躍。NHKスペシャル「東京百年物語」「スセソとデカセギ」
特に、平成元年から続く人気長寿番組「渡辺篤史の建もの探訪」(BS 朝日:土曜日 17:30
~、日曜日 12:30~)では放送開始時からホスト役を務め、建築への深い造詣を活かしたレ
ポートぶりには定評がある。
皆さん、こんにちは、渡辺篤史です。よろ
しくお願いいたします。釧路、今日は寒かっ
たですね。タクシーの運転手さんも「今日は
寒いですよ」って自信を持っておっしゃられ
ていたわけですけれども。でもやっぱり冬は
ね、寒くないとダメだよね、っていう感じが
いたします。あの、大分前なんですけれども、
一回、釧路に来たことがあるんです。自然が
いいですよね、自然。私、少々間違えたこと
を言っても許してくれるという。何故なら、
「釧路しつげん」ってね(笑)。この会場も広
いんですね。俺一人で一時間もつかな?っ
て。心配ですけれども。まさか唄うわけにい
かないな。ちゃんと練習していないし(笑)。
持ち歌いっぱいあるんですけれども。一応、
芸能人ですからね。芸能人って言ったら幅広
いですよね。演劇・映画・テレビでしょ。結
構大変です。夢のある仕事、と言うものの、
現実はなかなか厳しいですね。私、子役から
やっていますからね。北関東・・・栃木、茨
木、群馬というのは、めちゃくちゃ、なまっ
ていますから。私は言葉がなまっている上
に、顔もなまっていますから、親が心配しま
してね。東京に出てきてまともにしゃべれな
い。何を言ってるのか、全然わかりませんで
したから。小学校3年の時に上京して、ちょ
っとハイカラな地域の学校に入っちゃって
ね。それで母親の知り合いが「あっちゃんね
え、そうか、劇団紹介してあげよう」ってこ
とで、オーディションを受けたんです。読ん
でもだめ、歌ってもだめ、なんで私が受かっ
たか。パントマイムですよ。対角線にね、重
い石を運べっていう。で、みんな私と同じく
らいですからね。
「おらのまちではそんなこ
とやんねえぞ」と。それで、私が「よいせ、
こらせ、
」でとやったら審査員の先生が、
「君
4
いいねぇ!」って拍手が起きまして。でも、
その後の訛りの矯正は大変ですよ。もうあの
矯正の先生がいなければ、NHKでナレーシ
ョンなんかやれませんでしたね。厳しいです
よ。ハラハラ。私の声はいいんですよ。聞い
ていて気持ちいいでしょう。そのうち眠くな
りますよ。睡眠薬が入ってるから。倉本聡さ
んと昨年末お仕事した時にね、
「いやよかっ
たよな~、だけども途中でさ、眠くなってき
ちゃった。お前の声って本当にいいね、優し
くて」って言われました(笑)。
私は今、生活のほとんどが、
『建もの探訪』
。
釧路では日曜に BS 朝日でやっているんです
か?これがですね、去年、20周年を迎えま
して、ありがたいじゃないですか。
だけど俳優になるよりも、映画監督の方が
難しいでしょうね。最近つくづく、昔の映画
を観ますと、芸術作品と言いますか、いい作
品っていうのは、映画はもちろんすべてそう
なんですけれども、特に小津安二郎さんが監
督の作品は、若い時に観るのと、ある程度の
年齢を重ねて観るのとでは、大分違いますね
え。最近、久しぶりに観てまいりました。ど
の作品を観ても、小津さんの映画は小津さん
のもの。いわゆるハリウッドとは違うんです
よね。役者はほとんど感情を入れちゃいけな
い。少しでも入るとだめ。50回撮り直しっ
ていうこともあるんですね。徹底しています
からね。小津イズムと言いますかね。小津さ
んの理屈で細かいところまで全部やりきっ
ているものらしいですよ。ところが、そうや
って感情移入してない、でも、ストーリーが
展開している。
従ってある時点から半分以上過ぎるとも
のすごく立体的に個性的にそれぞれの登場
人物がわかるんですね。これはもう、若い時
はいいと思わないんで
すけど。実は観ている
うちに登場人物の肉付
けを、映画を観てる人
たちの頭の中で肉付け
していく、立体的にな
っていく。これは年齢
がいかないとわからな
いんですね。10代・
20代・30代くらい
では、ちょっとわから
ない。40代、50代、
私も50ちょこちょ
<概 要>
●「建築」
「住まい」をテーマに
した講演実績が豊富な渡辺篤
史氏に講演を依頼。
●道宅建協会釧路支部にフォー
ラム企画の連携を提案し、後援
として謝礼の一部を負担して
いただいた。
●三者トークでは蝦名釧路市長
と小林北大教授が渡辺氏に釧
路の食や景観の魅力をおおい
にアピールした。
こ。見かけ若いでしょ。いやいや、元気です
よ~。私、ヒンズースクワット、週3回やっ
ていますからね。しかも1日3セットです
よ。
『建もの探訪』は、人の家を訪ねて、スタ
ミナいるんですよね。よく人に、
「渡辺お前
さあ、毎回、訪ねる家、訪ねる家、いいって
いうけど、本当に気に入ってるのかい?」な
んて聞かれて。
「ばかやろうお前、生活のた
めだよ」
、そんなことは言いませんよ!なん
てことは言いません(笑)。基本的には気に入
っています。
『建もの探訪』っていうのは、一軒一軒、
家族4人か、2人か、若者夫婦か、いろいろ
テーマがあって。設計家っていうのはすごい
ですね。アメリカですと、聞いた話ですけど、
設計料100パーセントっていうのがある
らしい。えっ!5千万円かかったら5千万円
払うの?当たり前じゃない。日本だと、10
から20パーセントくらいですよね。これ
ね、世界中どこでも、ヨーロッパ、アメリカ
に限って言えば、ほとんどそういうことはな
いらしいですよ。だって、設計には時間食い
ますよ~。登場人物それぞれの心の底を図る
んだから。10年・20年・30年後のこと
まで想定して、子供たちが巣立ったら個室を
とっぱらって、趣味やなんか、陶芸かなんか
をやったり、ちょっとおけいこごと、サーク
ルやったり。従って、当然バリアフリーもあ
るんですけれども、本当に将来のことを考え
て、階段の他に、少し高い建物、3階もあれ
ばエレベーターを設置できるスペースがあ
るとか。例えば、どんどん生活が変わってい
きますから、水回りも大事なところで、子供
たちがずっと住む、嫁さんをもらう、2世帯
3世帯に至るかもしれない。そういうときの
景観・まちづくりフォーラム
ために、いろいろ手を打っておく。そしてな
によりも、まあ、東京ですと土地も狭いし、
狭小の住宅にならざるを得ない。人生を送る
舞台であります。つまりは目的じゃないんで
すね、住宅というのは。目的のようになって
いるということ自体がちょっとなんていう
か、狭い広いがありますけれども、考えて使
っていきたい。まあ釧路の方はね、非常にこ
う、敷地が広く、建物も広い環境にあるので
すけれども。ちょっとうらやましいと言いま
すか。で、その登場人物、住まいの舞台に立
つ人たちのために、一生懸命、まず、問診と
いうか、打ち合わせがありますが、結局、来
た人全員が仕事もらえるわけじゃないです
から。そうしますと慎重になりますよね。そ
して設計が始まって、ものすごい時間かかる
んですよ。大変ですよ。建築家も一緒にやる
んですよ。で、いよいよ決まった。それから
1年、毎日半年、毎日1年かかりますからね。
で、施工でしょ、施工は施工で時間がかかる
し。だから設計料っていうのは、総額の19、
20パーセントくらいでしょ。厳しいですよ
~。
欧米では芸術として認められている。なか
なか建築に夢を持つというか意識が高いと
いうか、どうしてもあの建築家にやってもら
いたいっていうのがある。逆に言えば、多少
の経済的覚悟が必要であるっていうことで
すね。建築関係者の人はね、本当に大変だと
つくづく20年間取材させて頂いて思いま
す。そんな個人観を持っていますね。
まあ、今景気が低迷していますけれども、
大いに都市に人が集まってくるようにとい
うことでも、ランドスケープ、個々の建物づ
くり、公共のスペース、まさに大きな交響楽、
これから奏でよう、演奏しよう。皆さん一人
ひとりがいないと成立しない。誰もやってく
れない。人を頼りにしちゃいけない時代だと
思いますよ。自ら進んで舞台で意見を持ち寄
って皆さんで話し合って妥協点を見つけて、
大きな夢に向かう、そんな感じが致します
ね。
私あの、都市計画っていうのは日本人はな
かなかこう、古いタイプと言いますかね。自
分自身でも、つくづく思うんですけれども。
まず都市そのものの考え方と言いますか、ヨ
ーロッパアメリカというのは別のもの。欧米
に憧れてるわけじゃないんですが、つくづく
IN
KUSHIRO
思うのは、ヨーロッパのどんな街でも、アメ
リカはちょっとこの辺になるとあれですけ
れども、旧市街っていうのがあるんですよ
ね。旧市街と新市街。
象徴的なのがフランスのパリですよね。好
きですねえ、向こうは嫌いだろうけど(笑)。
私は好きで行くんですよ。シャンゼリゼ、あ
の感じ思い出して下さい。ニューヨークなん
かは人種のるつぼでございますけれども、パ
リもそうですよ。ヨーロッパで、パリと言え
ば、憧れの街、世界最高の美しい都市、パリ。
これはね、今の美しいパリは、実は、大変な
時期があったんですね。第2次世界大戦直
後、地方の方は爆撃を受けたりして、それと、
産業革命以降の戦後、政府が旧市街のあそこ
をすっかり壊して新しく住宅を建てると。
ル・コルビュジェという方がいましてね。
近代建築の親と言いますか、機能的な集合住
宅などを建築して、随分世界中に親しまれて
影響を与えた建築家というか、大いに、いい
建築を残されたということで。その、海外の
人なんですけどね、この人が、いろんな古い
建物がありますけども、そこにですね、ヴォ
ワザン計画という百万都市をつくるってい
うのがあって、ダーッと何キロかに渡って、
四角い豆腐状の建物が並ぶような都市計画
案を作った。どうなったのか。そこで、アン
ドレ・マルローという人がいまして、この人
は旅行家、小説家、評論家、いろんな考え方
ができますが、東南アジアが特に好きでね。
日本も好きだと聞いていますけれども。それ
で、時の大将、ド・ゴールがなぜかマルロー
を文化大臣にしたんですね。で、そういう計
平成22年2月3日開催
画があって、貧民街とかそういうところでは
もう、
「去れ、マルロー!」って、断固反対
した。
「人のこと考えずになんだ、できるわ
けがないだろう」と。ましてやお金がかかる。
この地域は旧市街なんだから、旧市街に新し
い建物は似合わない、と。そんないろいろな
要望が沢山あったでしょう。そしてそんなヴ
ォワザン計画は見事に中止になりましたよ
ね。
で、私、向こうに行きましたら、有名な建
物を見に行きたい。郊外はちょっと大変なの
で、じゃあパリ市内にしようと。行ってきま
したよ、友達と。
鉄道はね、門があってそこからもうずーっ
と海。あれ!白い光!あれがあっていいんで
すよ。流れがあるんですよね。まわりは全部
古い建物でね。ですから、ああいう四角い建
物は、見せない。徹底していますよ~。
で、あの、コルビュジェの従兄弟、だった
かな、ジャンヌレという建築家の家なんです
けれども。これを見せてもらいましたよ。い
やいや、私はもう感激しましてね。
「いや~
いいとこだね~吹き抜けあるわ、明るいわ。
こういうの好きなんだよ」と。あれは写真じ
ゃわからない。実際触ったり匂いかいだり、
やってみるとわかりますけど。だから『建も
の探訪』
、僕、20年やらせてもらってます
けどね、今50代ですから、こんな家宝とい
うかね、ありがたいことはないです。感謝し
てますよ。コルビュジェ、素晴らしいですよ
建物。だけども、フランス人は頑固だね、一
切見せない。ここまで徹底してりゃ上等だ
よ。日本でもやったろうじゃないかと思うん
ですけれども、日本には旧市街が少ないん
で。悔しいんです僕。悔しいと思いません
か?。
私、先ほどお向かいのホテルの窓から下を
見ましたよ。そしたら、あれは倉庫なんです
かね。煉瓦のね、今、炉端焼き屋さんになっ
てる。いいたたずまいですねえ。あれが、ず
ーっとこうね、中は現代、今の最高の住みや
すい、そういう感じで、外だけはできれば、
側から工場を潰して廃材だとか、アンティー
ク、骨董の煉瓦だとかね、そういうものを新
しく、古いものを見せつけてやりたいってい
うか、ずーっと並べてみたいなという。いい
ですよねえ、そしてすっと抜けていくとまた
煉瓦がある。で、川も流れている。
5
平成22年2月3日開催
景観・まちづくりフォーラム
私はあの、無宗教なんですけどね、でも宗
教的空間、大好きですよ。それはあの、イス
ラムも仏教もキリスト教も好きなんですけ
れども、やっぱりね、何かこう連帯意識が持
てるというか、気持ちがいいというか、歴史
っていうのは品性持ちますよね。教会いいで
すよね。歌って、合唱して、牧師さん・神父
さんからお話伺ってなるほどそうなんだっ
て反省して。おじいちゃんおばあちゃんがそ
こに集ってね。教会の前は広場。ダーッと歴
史的な洋館がずーっと。
いい極楽。キリスト教の中に夢、言ってみ
れば夢の世界、その中に、現実に住むってい
うのがあるらしいんですよね。だからヨーロ
ッパの街っていうのは美しいんですかねえ。
日本もそれをやったらどうですかね。夢を具
体的に美しいものにして、そこをまさに、人
生の舞台にして、能力も関係なく、男女も関
係なくというかね。私はキリスト教とか仏教
とかを言ってるんじゃないんですよ。ちょっ
と違う意味での空白、色遊びというかね。そ
こに皆集って、いいじゃないの。楽しいです
よ。そういうのが心の余裕というか。
日本の建物、東京なんかが恐ろしいのは、
いわゆる間合いがないでしょ。間が持てな
い。都市の中で、いやんなっちゃうんですよ、
疲れちゃう。街をずーっと歩いていますと銀
座もそうですけど、新宿なんてものすごい疲
れる。ひどく疲れるね。あれアジア中、恥ず
かしいね。色もそうですけど、電飾もすごい
ですよ。パリにはなかなか見られない光景。
最後になりますが、銀座とニューヨーク。
坪いくらですか?すごい値段ですよね。それ
をニューヨークは、人気の、一番人が通ると
ころに何を作るかというと、ポケットパー
ク。公園を作る。公園と言っても広い公園じ
ゃないですよ。で、近くにレストランもあれ
ば、テーブルをちょっと出してきて、ケータ
リングのサービスもあれば、どこかから買っ
てきて、そこに座って食べる。そういうのも
なかなかね、面白い世の中になっていく。そ
れがまた満足なんですよね。これが自信です
よね。
他にもいろいろ詰まって、都市が形成され
る。結構、僕ら人間ってね、ものすごく好調
な時とものすごく落ち込んでいるとき、両方
に対応できると言いますからね。それを、こ
うすれああすれじゃなくて、なんかこうね、
錯覚でもいいから、ああ自由にやれているな
っていう感じになったら、是非ともお願いし
たい。すいません、話が長くて、ありがとう
ございました。
(了)
(※講演内容については、要約しています。)
IN
KUSHIRO
<小林英嗣*渡辺篤史*蝦名大也*>
【小林】
さて、みなさん、渡辺さんのお話、いかか
でしたか?パントマイムじゃないですけれ
ども、我々がボソッと喋るのと違って、感情、
心のこもった想いをいろんな形で伝えて頂
いたと思うので、たくさんのことをお感じに
なったと思います。
それで、市長、そのような基調講演を踏ま
えて、いかがでしょうか。世界の国も含めて、
いろんな広い部分も出ていたので、面白いな
あ、と感じて聞かせて頂いたのですが、さあ、
これから釧路がどうなっていくのか、も含め
ながら、感想を頂ければと思います。
【蝦名】
とても素晴らしいお話ありがとうござい
ました。私は釧路生まれ、釧路育ち、釧路を
離れたのは大学の5年間.で、計算が合わない
んですけれども(笑)、そういう意味で違うと
ころを見ていないので、比較するところが、
なかなか少ないんです。
渡辺さんが20年に渡って1050軒の
おうちを見てきた。例えば、自分の好きな家
に住むのには、3回目でできるっていうのが
昔のことわざにありましたが、1050軒も
見てきますとね、これはすごいな、と。
また、日頃からそういう比較することも少
ないですし、そういう見方も含めて建物を見
ていくっていうのは本当に、多様な価値観が
ある中で、特に北海道の場合、歴史が短い地
域でありますから、この辺も厚岸がこの東北
海道で一番古いまちなんですけど、それでも
200年前というので、歴史の中で、ずーっ
と、こう、培ってきた文化というか歴史に基
づいたまちづくりっていうのは、そういった
ものを見ていくっていうのは、これはやっぱ
りいいものは真似しながら、そういうところ
を取り入れながら進めていくっていうのは
素晴らしいことだと思っています。
そういった意味で、渡辺さんの話を聞きな
がら、やっぱりいろんなお知恵を頂いたって
いうのはありがたいと思っており、参考にさ
せていただきながら、また釧路のまちづくり
を進めることは重要だと思います。
【小林】
渡辺さん、何年前ですか。釧路にいらしたの
は。
【渡辺】
5年くらい前ですね。
6
【小林】
それはいつ頃の季節ですか。
【渡辺】
夏の終わりくらいかな。9月くらいだった
と思います。
【小林】
その時の印象と、さっき寒いですね、って
おっしゃいましたけども、真冬に来られて、
そのギャップっていうのはあると思います
が、心を癒すような力を持っている地域じゃ
ないか、ということも、含みながらおっしゃ
っていたように思うんですけども、いかがで
しょうか?釧路の最初の印象、それから今日
そんなに時間は経ってないでしょうけども、
皆さんの話を聞いたりしながら、20 年やっ
てらっしゃる想いを含めて、これからの可能
性。これは東京と比べると全然違うけども、
さっき心を支えるような環境が大事だとお
っしゃって、そういうような東京との違いも
ありますし。さあ、
「面白いな!」というこ
とも含めながら、いかがでしょうかね。
【渡辺】
以前と5年しか時間は経ってないんですけ
ど、お話させて頂いて、今日、またわかった
ことは、お話はキャッチボールですから、お
客さんと一体になるっていうか勝手にそう
いう風に思いこんでいるところもあるかも
しれませんが、ちゃんと見て学んで返ってく
る、その反応が優しい!ありがとうございま
す。
そういう人たちが住んでいるまちですか
ら、横からどうこうって言う必要はないんだ
と思いますよ。ただ、文化や産業をこれから
もっと良くしていきたいということで、及ば
ずながら私が申し上げられることはたくさ
んはないですけどね、全く自信はないことで
すけれども、2、3、挙げさせて頂ければ、
やっぱり、港町だとね、小樽とかそういうよ
うなところがありますけれども、西洋の街並
み、いわゆる中世から現代の少し古い要素が
いっぱいあって、似てるんですよね。
それなら北海道の地図の中、色塗りして北
海道全体にあってもいいんじゃないかと。あ
のレンガ造りの感じがあったかいし、手作
業・手造りでね。やっぱり、なんだか夢もあ
る感じがするでしょうね。それなら、点じゃ
なくて線というか面と言いますかね、そして
要所要所にまた人が集うというか、ホッとす
景観・まちづくりフォーラム
るスペースというか、そんなことをレイアウ
トしていったら実にすばらしいかもしれな
い。
また、大胆な大工事ですけども、運河のま
ちを新たに作るっていうのはどうですかね。
手は掛かりますけど。でも、お互いに見合う
という形で、川を挟んで、何か面白いスペー
スができると思います。そこを、運河を、ポ
ンポン船って昔、走ってましたけれども、そ
こまでじゃなくても、だから、ちょっと木造
船の美しさみたいのがあったり、それこそ後
ろを加えて運河をゆっくり行くとかね。運河
って、親水って言うかね、落ち着きますもん
ねえ。
で、年寄りの方々も囲んで、若者達を何ら
かの形で呼び込みに使わせて頂いて、それは
学校でもいいし何でもいいし、とにかく、交
流すると言いますかね。ですから、例えば、
集合住宅の何パーセント、何十パーセント
を、年齢で分ける。いわゆる多くの年代の方
が住まないと、いないとだめ、みたいな、家
を作るとかね。
なかなか難しいんですけれども、そういう
世代間の交流っていうのがやっぱりね、お年
寄りと若い人たちでね。で、お年寄りも大体、
自分も含めてね、歳が行けば行くほど、頑
固・短気になってくるんで、そのうち、私も
ボケてくるというか。でもちょっとでも刺激
を受ける、ないしは労働的に必要とされると
新たなページがまだまだあるわけでね、そん
な感じがするんです。人的交流ね。あとは、
非常に思いきったムラづくり。運が (運河)
良ければ、できそうです(笑)
。
【小林】
今、優しく渡辺さんから、中身が結構ある
アドバイスをして頂いたんですけれども、そ
れを踏まえて、いかがですかね。渡辺さんの
想いっていうのを、蝦名さん流に解釈する
と。市長になられたばっかりですけれども、
次のステップにつなげていくようなシナリ
オ、その場で少しお考えできます?
【蝦名】
先ほど運河というお話がありましたが、
今、釧路に暮らしていながら、自分の生きる
エリアでいうと、釧路川のリバーサイドでし
ょうか。川というのはある意味快適でござい
まして、それでラッコも姿を見せたんです
が、ここのリバーサイドのような素晴らしい
ロケーションを持って、それを誇りに思って
いるところがあって、そういう、特異な地形
であっても広くいろんな意味で発信してい
くような形がこれから必要なんだなあ、って
IN
KUSHIRO
いう風に思っています。
5 年くらい前の話ですが、私が道議会が終
って、札幌から釧路に帰ってきて、子供に「ま
ちに行こうか」って声をかけましたら子供
に、
「まちってどこさ」って聞かれましてね。
これは本当にショックだったなあ。私達の中
学・高校・大学のときは、まちって言います
と北大通の繁華街。そういったところで、固
有名詞挙げたらまずいのかな、泉屋のスパゲ
ッティを皆で食べて、喫茶店でクリーム食っ
て、途中でお寿司屋さんで、稲荷寿司やそう
いうのを買ってですね、商店に入ってどうの
こうの、っていうのがこのエリアだった。誰
に言っても「まち」って言えばこうだったも
のが、それが30年経って、
「まち」ってい
う言葉が通用しなくなってしまった。実際、
そういう状況になっています。そういう意味
で、お休みの時にどこか行こうかとか、何か
があるときに天気がいいから外に行くかっ
ていう、このまちづくり、釧路の「まち」が
今はない。そこはやはり親水性って言うか
ね、一番きれいな釧路川のどこかで、緑中心
ですとか、また、一部については古い建物が
ありますけど、ロケーションがある、そうい
う中で過ごせるような、変わったものを創っ
ていく。お年寄りの方々も天気がいい時は外
に出る。そしてまた若い人たちがそういった
ものを創っていける。こういう時間、空間、
こういったものが実際に実現するようなま
ちづくりっていうか、そんなイメージを膨ら
ませて、そういったことを思い描きながら、
つくっていきたいと思っています。
【小林】
僕、渡辺さんのお話をメモを取りながら伺
がっていたんですけれども、
「生活」ってい
う言葉をずいぶん使われていて、
「舞台」っ
ていう言葉も多く使われていましたよね。
で、最初は小津安二郎さんの話から入って、
結局、まちは人の顔、人の動き、人の楽しみ、
そういうものが実際に見られて感じられる
ような舞台じゃなきゃいけない。それを支え
る公園だとか自然だとか、ちょっと新しい試
みの廃材の建築だとか、旧市街、そういう言
葉を随分、意識しながらメモを取ったんで
す。
私も建築やって、都市計画やっているんで
すけれども、人の動きや表情だとか、何歳ぐ
らいの方がここで楽しむのか、小さい子供
か、とかそういったように、気軽に楽しむ、
こんな表情ができるよ、っていう風なまちを
つくっていきたい、かなり主体的にここはデ
ートで来るまち、とか、ここは商店街だって
いうのとか、そんな風に作っていきたい。
平成22年2月3日開催
ですから、人の表情だとか、楽しみだとか、
そんなものを感じるような本当のまちづく
りをしたらいいんじゃないですか、っていう
のを、随分、強調しておっしゃっていらした
ような感じがするんです。
これは市長の方が本当はお詳しいんでし
ょうけれども、僕、飛行機に乗って、中国で
映画を見たんです。それは、道東を舞台にし
て、中国人と中年のおじさんが、嫁さんを見
つける、そういう旅なんですよ。それを道東
のいろんなところを舞台にしながらやって
いたんですけれども、それは、監督がまちの
景色や自然が大好きなんですけれども、それ
に加えて今おっしゃられたような、人間を感
じられるような舞台って言うのを、たぶん、
その中国人の監督は、見つけたんだろうと。
それはその、東京では決して成立しないシチ
ュエーションの内容で、それが自然というす
ごい力と、人間の優しさだとか、楽しさだと
か、うまくマッチしていくのとで、その映画
にできたんですよね。だからそんなことを、
渡辺さんは想像しながら、おっしゃっていた
のかな。
それは実は、まだまだ表に出ていってない
けれども、つまり日本、オールジャパンって
いうのは、そういう状態を楽しむことまでに
はいってないけれども、よくよく探していく
と、日本中どこにでもある。点在している。
だからそのおっしゃっているように、一点じ
ゃだめなんです。少しこう、ネットで、だと
か、時間的にも継続して、発信していくって
いうことが大事なんじゃないかなっていう
風に理解しています。
そうすると、渡辺さんも、60過ぎると、
こっちへ住むというか通おうかな、なんて思
ったりされるんじゃないかな。そういうよう
なことを、ぜひあの、ここにいらっしゃる皆
さんで、心してやっていくと、随分違う釧路
に変わるんじゃないかなと思って、そんなこ
とを感じていたんですけれども。
さて、さっき北関東の話がありましたね、
北関東って、首都圏に住んでいる方に、3つ
の県を言いなさい、って聞いてもなかなか言
えなかったりするんですけど、最近、北関東
弁って言うんですか、あれはやっぱり、独特
のものがあるから、それをもっと表に出して
やっていこうっていう、そういうアンチ中央
って言うんですか、そんな動きを感じられる
んです。そうすると、北海道も、東京ばっか
り意識してもしょうがないんじゃないのか、
もっと、世界を見ながらやっていった方がい
いんじゃないか、っていうようなことも、北
関東人の最近の動きの中でちょっと感じる
7
平成22年2月3日開催
景観・まちづくりフォーラム
んですが、
そんなことは北海道のまちに期待
というかありますかね。
【渡辺】
やっぱり、それこそさっきお話したよう
に、没個性ということ、それは自分を殺して
集団に帰属して、
その中でやっていくという
ね。
時代の要請っていうのがあると思うんだ
けれども、実は本当は、まちそれぞれがもの
すごく個性的なんですよね。
ちゃんと自分の
まちの歴史を感じながらやっていくのが幸
せなんじゃないかなと思いますけれども。
【小林】
釧路人、
っていうのがちゃんとあるじゃな
いか、っていうような話ですね。
【渡辺】
そうです。いいじゃないですか。
「我こそ
は釧路~!」っていうね、やりましょうよ。
【小林】
そのへんも含めて、蝦名さん、世界に発信
する、
行動する釧路人っていうのを映画のこ
とも含めながらちょっと宣伝していただけ
れば。
【蝦名】
地元にいますと湿原っていうものはそん
なにプラスのものではなかった。
どんどん開
発していきましょうと。邪魔ものだった。そ
れが実は世界中の価値の中では今や大切な
ものに変わってきた。
中国の方が釧路空港に降りて真先に
「空気
が澄んでいる、空気がきれいだ、信じられな
い」と映画の中で言うわけです。そして例え
ば、釧路湿原に行きましても、私達はずっと
小さい頃から見てるから何にもないですけ
ど、見て感動するんですね。風が強くて木が
こすれる。そういったことに感動するとい
う、こんなことも現実にあるわけですから、
やはり、
そういった意味では自分たちの価値
観だけじゃなくて、
世界の人たちがどう思う
だろう、
外から見たらどうなんだろうってい
うことを意識して進めていくと、
かなりの自
信になるんじゃないかと思っています。
【小林】
渡辺さん、東京に戻られたら、ご家族の方
あるいは事務所の方に、
5年前に来られた夏
の釧路、
それから一番寒い時に来られた冬の
釧路、この魅力はなんなのか、どういうふう
に報告されますか。
【渡辺】
釧路はいわゆるこの地方の中心と言うか
ね、拠り所といいますか、そこから厚岸、納
沙布、釧路湿原でしょ、いくつかあるんです
けど。
先ほど市長がおっしゃっていましたよ
うに、役に立たないといわれてきた河川。例
えば四万十川もそうですけど、
だからまちが
できにくいかなと。でも、よく、西洋の人た
ちが言うのは、
先進国でこれだけ原生林、
林、
樹木が6割以上占めているのは日本しかな
い。特に都市と森が近いんですよね。スギ花
粉、花粉戦争なんて言われてますけれど。で
もこちらはそうじゃないですよね。
多種多様
な樹木がある。これ財産なんですよ。
で、中国の方が「空気が違う!」って、中
8
IN
KUSHIRO
国語で言ったんですかね (笑)。わかります
よ、それは。それこそ本当に財産ですよね。
それを再確認したこと、それから「どうも釧
路でこれから何か起こるらしいぞ」
といった
報告を家族や事務所にしたいですね。
私、西洋が好きでね、いわゆるスペイン
のある地域が、
いろいろ問題がある地域なん
ですけれども、そこに、グッゲンハイム美術
館っていうのがあるんですけれども、
ビルバ
オという地方に入って車で 3 時間くらいの
ところ、ビルバオ・グッゲンハイム美術館。
フランク・O・ゲーリ-っていう偉大な建築
家が設計した美術館ですよ。
で、その当時のビルバオの市長さんが、
自分のまちというか地域には、
なんら売り物
がない、と。近くにはサンセバスチャン、食
べ物が美味しいとか、牛がいますよね。素晴
らしいまち。
ちゃんとそういう目玉が各地方
都市にあるんですよね。
ところが、ビルバオにはなくて、ビルバ
オは鉄鋼のまちで、
廃れちゃってどうしよう
もない。で、市長が考えてこの美術館ができ
た。この美術館の形ってすごいですからね。
自然の光景で絵画を見せるという注文って
なかなか難しいと思うんですよね。
これをフ
ランク・O・ゲーリーっていう人が設計しま
して、僕はフランクが好きなんですけれど
も。壁一面にすごい数の、なんて表現したら
いいんでしょうか。
あれ、
合金なんですかね、
チタンですよね。すごいんだ、なんかね、サ
ボテンの花の開いたような、
アリ地獄のよう
なそういう形の建物です。
最初に行ったとき
に3時間しか時間がなくて、
翌日また行きま
したよ。それくらい魅力的。その美術館は、
川が流れていて、橋を渡して、中州に建築し
ている。
これは旧市街に間合いをとって建て
ることによってお互いが響き合う。
実にコン
トラストがついていて面白い。
【小林】
それとあの、
サンセバスチャンの話があり
ましたけれども、バル街!
【渡辺】
そう、バル!ひと皿料理ですよね。チーズ
つまんで、メインが違って、次から次へ、あ
れは美味しいですね。そしてメインのお皿。
あれ、ラテンのスペインやイタリアの、前提
として「人生は、楽しむためにあるのだ」っ
ていう。そのために工夫してるんですね。
ですから晩飯が9時頃ですからね。
その前
にまちを散策するっていう習慣がある。
そう
するとですね、
「つまんねえなこのまちは。
なんだこのまちは」って皆が見てるんです
よ。これは厳しい評価にさらされるんです
ね。あれは面白いですね。
【小林】
サンセバスチャンは港のまちですよね。
す
ごいお金を出さなくても、
そういうところで
美味しい食べ物を食べて、
若い人が常にチャ
レンジするわけですよ。
バルはそういったチ
ャレンジをする場でもある。
【渡辺】
サンセバスチャンは海ね、海の幸。そして
牧草地帯、そして山があって、山の奥行った
らね、汚いケツが見えるの(笑)
。黒白の。
それがイベリコ豚。放し飼いですよ。どんぐ
り食うと美味くなるらしいですね。
【小林】
そういう財産、資源、食べ物ですね。それ
で、さっきガレットを食べさせて頂いて。
【渡辺】
ガレット,美味しかったあ~。蕎麦だもん
ね!美味しかったあ!卵ね、半熟のやつを
さ、じゅるっと、また美味いんだよ、あれ!
ここ釧路こそ、バル、やってよお。やったら
いいじゃん。サンセバスチャン、市長、公費
で行ったらどう?でもファーストクラスは
だめよ(笑)
。
【蝦名】
そうなんです。今まで北海道は、北海道の
地図で、
逆に言うと北海道スタンダードみた
いなものを持たないといけないと思ってい
たんだけど、
そうじゃなくて世界地図の中で
そういったものを取り入れながら、
真似しな
がら、
そうやって進めていくっていうのも大
事かなと。
【小林】
そうですね。
そろそろ時間もなくなりまし
たが、
蝦名さんはこのあとパネルディスカッ
ションで、
また続きをお聞かせいただくとし
て、渡辺さん、釧路人に対しての最後のメッ
セージをお願いします。
【渡辺】
パリ大改造のときもオースマンという知
事が石を投げられた。
ようするに大改造です
から、2、3年で終わるはずはなくて、十数
年かかった。ですから、多分、何かやろうと
いうときは痛みが伴うんですよ。
それを覚悟
で、しっかり戦う。余計なプライドを全部捨
てて、素朴に建物を建てる。そして、どうで
しょう、海との間合いをとってですね、運河
がある、遠くに湿地がある、海がある、素晴
らしい世界があるまちになることは間違い
ないですよ。多少の我慢は必要ですよね。
【小林】
ある人が言いました。
「みんなで考えて優しいまちづくりをす
るだけが能ではない」と。かなりの断罪を強
いられると思う。世界の英知を集めて、子供
たちやお年寄りに向けての愛を感じさせる、
それを実現させるために、
ちょっとした痛み
が必要なんですよね。知と愛と痛み。ちょっ
としたものですね。
「それでまちは20年経
つと大きく変わる」という風に言われた、僕
の先輩の言葉を今、思い出しました。
渡辺さん、また、近いうちにいらして下さ
い。どうもありがとうございました。
(了)
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