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171 web用 B5 経営学論集第85集【自由論題45
【経営学論集第 85 集】自由論題
(45)
イシューセリングにおける
アイデンティティ志向
山梨学院大学 黒 澤 壮 史
早稲田大学 金 倫 廷
【キーワード】イシューセリング(issue selling),アイデンティティ(identity),アイデンティティ志向
(identity orientation),プロアクティブ行動(proactive behavior)
【要約】本研究は,組織変革へ向けた個人のプロアクティブな行動であるイシューセリングを促進する
要因についてアイデンティティの観点から文献サーベイに基づいて考察したものである。先行研究で
は個人の利害に関連付けられて説明されることが多かったイシューセリングの動機について,本研究
はアイデンティティ志向の観点から考察をしている。アイデンティティ志向の考え方に基づくと,イ
シューセリングの先行研究ではイシューセリングの主体であるイシューセラーが特定のイシューを推
進しようとする動機について限定的にしか捉えていないことが課題として明らかにされた。
1.はじめに
近年の組織論において,個人や集団の視点から組織変革や様々な組織行動を論じることに対する
関心は高まっているといえるだろう。その中で,個人の主体的な変革行動がどのように形成され,
そしてそのような行動を生み出すためにはどのような要因が必要になるのか,という観点に基づく
研究が増えつつある(Crant 2000)。
本研究は,先行研究で議論されていた個人が起点となる変革行動が起きる要因をイシューセリン
グ(issue selling)とアイデンティティ志向(identity orientation)の観点から考察したものである。
主体的な変革行動について,先行研究で提示されてきたイシューセリングの促進要因とともに,個
人のアイデンティティ志向という観点から考察することで,行為者がイシューセリングという行為
に至る論理について議論を深めていく。
2.イシューセリングの促進要因とアイデンティティベースのイシューセリング
イシューセリングとは,ダットン&アシュフォード(Dutton and Ashford 1993)によって提唱さ
れた,
「自身が重要だと考える事案(イシュー)を,ミドル以下の階層にいる組織メンバーが,より
上位の階層にいるメンバーを動かすために売り込む(セリング)」というものである。いい換えれば,
イシューの推進に対して権限の無いメンバーが他者の支援を獲得するプロセスでもあり,組織変革
や戦略形成を説明するコンセプトの1つであると同時に,個人が主体となるプロアクティブな行動
としても位置付けられているのがイシューセリングである(Crant 2000)。クラント(Crant)はイ
(45)-1
(45)イシューセリングにおけるアイデンティティ志向
シューセリングが,とりわけコンテクストの影響を受けやすいプロアクティブ行動であることを指
摘している。
イシューセリングを促進する要因の先行研究としては,ダットン他(1997)が挙げられる。ダッ
トン他は,
「トップが部下の話を聞こうとする意思」と,「支援的な文化」という2つの変数を促進
する要因として示されている一方,
「(イシューセリングによって)ネガティブな結果が予想されるこ
と」
,
「ダウンサイジング下の状況」
,
「不確実性の認知」を阻害する要因として挙げている。またバ
「個人の関心(individual concern)」と,
「親和性のある組織の価値観(favored
ンサル(Bansal 2003)は,
organizational value)
」の2つがイシューを組織内で提案・推進していくための必要条件である,と
している。これらが示しているのは,個人の問題提起や提案が組織の中で評価されやすい環境のも
とではイシューセリング行動が起きやすく,
リスクを感じる場合はイシューセリングが起きにくい,
ということである。
他方,アシュフォード&バートン(Ashford and Barton 2007)によると,イシューセリング行動
は個人のプラグマティックな利害の問題だけでなく,アイデンティティと深く結びついているよう
なイシューの場合にも,イシューセリング行動を生じさせることが示されている。例えばジェンダ
ー・エクイティ・プログラム(gender equity program)や民族的なマイノリティの公正な対応に関
するプログラムといったイシューの推進は,プラグマティックな関心という側面だけでなく,推進
者のアイデンティティとも関連するということである。さらにアシュフォード&バートンは,この
種類のイシューセリングをアイデンティティベースのイシューセリング(identity based issue
selling)と呼び,通常のイシューセリングと区別をしている。これらが明確に区別できるかどうか
については議論の余地を残しているが,少なくともイシューセリングを促進する要因として組織メ
ンバーのアイデンティティ(特に社会的アイデンティティ)が取り上げられるようになったことは重
要である。
これまでのイシューセリング研究が「イシューセラーのイメージリスク」という点を強く考慮し
てきたこととも関連する。イシューセリング研究の中では,イシューセラーの社内でのイメージを
損なうようなリスクがあるようなイシューセリングは行われない,という考え方が強く意識されて
きた(Dutton and Ashford 1993;Dutton et al. 1997, 2001)が,しかし同時にそれは,イシューセラー
にとって直接的なメリットが明確ではない,社会的イシューなどを提起するイシューセラーの動機
を説明するロジックが希薄になることを意味する。
イシューセラーが自身のイメージリスクを常に考慮するのであれば,イシューセラーに対するメ
リットが明確なイシューが優先されることになり,環境問題や人権問題といった社会性の高いイシ
ューのようにイシューセラー個人の明確なメリットが見出しにくいようなイシューを推進するイシ
ューセラーの動機についても説明するロジックが必要となるであろう。そのため,イシューセラー
の行動をアイデンティティの観点から説明しようとすることは,イシューセリングの動機を探るう
えで重要な進歩をもたらす可能性がある。イシューセラーのアイデンティフィケーションによって
は,イシューセラー個人に直接的なメリットがもたらされないようなイシューについても,時には
自身のイメージリスクを抱えながらも積極的にイシューを推進する理由が見出される可能性をもた
らすからである。
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【経営学論集第 85 集】自由論題
3.イシューセリングとアイデンティティ志向
心理学や社会学の分野では,一般にアイデンティティとは,ある主体が自分をどのような存在と
して認識するか,あるいは自分が他者からどのようにみられているかに関する自己概念・自己定義
であり,個々人の思考・態度・行動に影響を及ぼすとされている(Hogg and Abrams 1988;Tajfel
and Turner 1979)
。
しかし,アシュフォード&バートン(2007)において提起された,アイデンティティベースのイ
シューセリングは,イシューセリングと関連付けるべきアイデンティティという概念があまり精緻
化されていないという課題が残されているため(金・黒澤 2014),本研究ではアイデンティティ研
究の中でも特にアイデンティティ志向に関する研究を中心に,イシューセリングとアイデンティテ
ィの関係性をより詳細に検討していく。
アイデンティティ志向は,ブリュワー&ガードナー(Brewer and Gardner 1996)によって提唱さ
れた概念であり,「アイデンティフィケーション過程で現れる個人の態度や傾向」と定義される。
このようなアイデンティティ志向は,一般に「個人志向」,「関係志向」,「集団志向」の3つのタイ
プに分類される。こうした志向性の違いによって,個人行動のモチベーションや自己評価の根拠が
異なるというのが,これまでのアイデンティティ志向研究の主な主張であるといえる。ここでいう
個人志向とは個人行動の動因が自己利益に基づくものとみなしており,関係志向は個人間の関係を
重視しているために自己よりも特定他者の利益が行動のモチベーションになるとする。また集団志
向(もしくは共同体志向)は,個人や他者の利益よりも所属する集団の利益によって個人の行動が
動機づけられるというものである。
上記のようなアイデンティティ志向の観点からイシューセリングを考えると,アシュフォード&
「イシューセラーのイメージ
バートン(2007)以前のほとんどのイシューセリングのモデルでは,
リスク」といった個人の利害・関心の問題,すなわちアイデンティティ志向の中でも個人志向に関
連するもののみに焦点が当てられてきたといえる。だが,このような個人のプラグマティックな利
害の問題はアイデンティティ志向の議論からすれば,その他の志向性(関係志向と集団志向)に分
類される個人の行動が捨象されている,とも考えられる。
他方アシュフォード&バートン(2007)は,通常のイシューセリングとのアイデンティティベー
スのイシューセリングを区別している。アイデンティティベースのイシューセリングの事例として
女性のキャリア向上に関する施策の提案に関する事案が取り上げられているが,こうした事例は個
人の利害だけではなく,女性という社会的カテゴリーに属する集団志向の強いイシュー推進者によ
って取り組まれていると推測される。いい換えれば,女性のキャリア向上というイシューがイシュ
ーセラー自身の昇進,昇級などに貢献するかどうかよりも,女性という社会的カテゴリー全体のた
めに役立つことがイシューセリングのモチベーションとなるのである。
さらに,アイデンティティベースのイシューセリングでは議論されていないが,自己への直接的
利益ではなく,
社内で特定の他者のためのイシューに自発的に取り組むことも考えられる。例えば,
十分な能力をもっているにもかかわらず,繰り返しの単純作業によってモチベーションが低下して
いる同僚や部下のために提案することや,日々の業務に必要なスキルが不足している新入社員のた
めの教育プログラムを提案することなどは,自己利益よりも同じ社内で困っている誰かを手助けし
たいという関係志向が人の行動の特徴とみなすことができよう。こうした関係をベースとしてイシ
(45)-3
(45)イシューセリングにおけるアイデンティティ志向
表1 イシューセリング研究とアイデンティティ志向の関係
個人志向
イシューセリング
のモチベーション
具体例
関係志向
自己利益
特定他者の利益
集団の繁栄
(もしくは集団利益)
イシューセラー自身の
昇進,昇級,評判など
同僚,上司といった社
内の特定他者への利益
自己利益,特定他者の
利益よりも,集団全体
の利益
先行研究が豊富
先行研究が
ほとんどない
先行研究が少数
Ashford and Barton
Dutton and Ashford
(2007)
(1993)
先行研究
集団志向
Dutton 他(1998)
Dutton 他(2002)
Howard-Grenville
(2007)etc.
(出所)筆者作成。
ューセリングは既存研究ではほとんどみられないのが現状である。
表1は,アイデンティティ志向の観点からイシューセリングの先行研究をまとめたものである。
すでに述べたように,これまでのほとんどの研究は個人の自己利益に基づく個人志向の観点でイシ
ューセリングのモチベーションが論じられてきたといえる。また,アイデンティティベースのイシ
ューセリングは,集団志向に分類される。ただし注意が必要なのは,ここでいう集団とはイシュー
セラーが働いている職場や会社ではなく,それ以外の社会集団 例えば,性別,地元,地域コミュ
ニティ,仲間集団,国など であるということである。関係志向については,社内の評判といった
ものが間接的に関係する可能性はあるが,自分のためではなく,誰かのためにイシューを提案する
という点では,これまでの先行研究ではほとんど取り上げられてこなかったといえよう。
さらに,こうした組織における個人のアイデンティフィケーションは,組織メンバー個人の自己
概念志向(self-concept orientation)もしくはアイデンティティ志向によって左右されるといわれて
いる(Brewer and Gardner 1996;Brickson 2000;Cooper and Thatcher 2010)。このアイデンティティ
志向の概念は,個人がアイデンティティを確立していくアイデンティフィケーションの過程であら
われる特性を示すものであり,この特性は組織における個人の行動に影響を及ぼす要因と考えられ
ている(Bartel 2001;Brickson 2000;Cooper and Thatcher 2010;金・大月 2013; 金・黒澤 2014;Mael
and Ashforth 1992)
。そのため,イシューセリング行動とアイデンティティとの関係を明らかにす
るうえでアイデンティティ志向という視点を取り入れる必要があるだろう。
4.おわりに
本研究では,イシューセリングという行為が促進されるロジックについて,アイデンティティの
視点から議論の展開を試みてきたが,今後の議論の精緻化のためにイシュー推進者のアイデンティ
ティ志向を考慮することは有益であると考える。
一方で,アイデンティティ志向には,考慮しておくべき課題も存在する。それは,複数のアイデ
ンティティ志向をどのように解釈・整理すべきか,という問題である。金・黒澤(2014)でも指摘
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【経営学論集第 85 集】自由論題
されているように,アイデンティティ志向は,個人が3つの志向性(個人・関係性・集団)の中で
どれか1つの志向のみを有するのではなく,複数の志向性を同時に有しており,その中でどれかの
傾向や態度が強くあらわれるのである。この点を考慮したうえで,それらアイデンティティ志向が
状況に応じてどのように発露されていくのか,というロジックが現時点で不明瞭である。
さらに,社会的アイデンティティの複雑性の問題についての検討も必要であろう。社会的アイデ
ンティティの拠り所としての社会的カテゴリーあるいは社会的集団の複雑性については,われわれ
が同時に複数の集団に属していることから,考慮すべき問題である。この観点からは,どの集団の
利益を優先した行動をするか,どの社会的集団に強くアイデンティフィケーションするか,が問題
となる。つまり,アシュフォード&バートン(2007)のような女性のキャリア向上に関心をもって
いるとしても,そのための行動が自分の働いている会社の利益を損なうような状況ではイシューセ
リング行動につながらないと予測される。これらのことは,アイデンティティ志向の概念を分析に
組み込むうえで考慮すべき点であり,集団の細分化もしくは分類などを通して議論を精緻化してい
く必要がり,アイデンティティ志向に基づくイシューセリングの説明ロジックを構築するうえで,
これらの問題が今後の課題として残されているといえよう。
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