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李白﹁秋浦歌﹂其十五の解釈をめぐって

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李白﹁秋浦歌﹂其十五の解釈をめぐって
千葉大学教育学部研究紀要 第5
5巻 3
4
2∼3
3
4頁(2
0
0
7)
加
藤
敏
千葉大学・教育学部
KATO Satoshi
Faculty of Education, Chiba University, Japan
李白﹁秋浦歌﹂其十五の解釈をめぐって ︱漢文教材としての可能性︱
︵李白︶ s “Qiu Pu Ge
︵秋浦歌︶ ”
A Study of Li Bai
’
︶
Classical Chinese Teaching
﹁秋浦歌﹂十七首は愁いの昇華という構造を持つ連作として読むことが可能であり、﹁秋浦歌﹂其十五は、愁いの存在を想定しない解釈が成立することを明らかにし、漢文教
︶﹁秋浦歌﹂
︵ “Qiu Pu Ge”
︶ 漢文教育︵
Li Bai
材としてはこうした読みがふさわしいことを述べた。
キーワード:李白︵
いても彼の代表作の一として親しまれ、高等学校漢文の頻出の教材となっている。
ことに前半の深い憂愁の表出と後半の軽妙さとの間に、三千丈に相当する深い憂愁
ところが老残の嘆きを詠じたものとして読まれるこの作品を実際に教授すると、
白髪
に沈む者が突如ユーモラスになるのはなぜか、あるいはそれほど深い憂愁であるの
はじめに
白髪三千丈
愁ひに縁りて箇くのごとく長し
になぜその理由がわからないというのか、といった一種の違和感や疑問を学生・生
三千丈
縁愁似箇長
知らず
徒が感ずることがしばしばである。
じない読みは可能なのであろうか。本稿は、﹁秋浦歌﹂について、その連作詩とし
明鏡の裏
不知明鏡裏
何れの処にか秋霜を得たるを
李 白 が、天 宝 十 三 載︵七 五 三︶
、秋 浦 の 地 に あ っ て 詠 じ た﹁秋 浦 歌﹂十 七 首 の う
ての解釈の可能性を探りながら、其十五における愁いの表出について考察したもの
こうした違和感や疑問をどのように考えればよいのであろうか。また違和感を感
何処得秋霜
ちの第十五首である。大上正美氏はこの詩について、﹁鏡の中の他者と対峙してい
である。
︵1︶
﹁秋浦歌﹂其 十 五 は、愁 い を ど の よ う に と ら え る か に よ っ て、大 き く 三 つ の 解 釈
一
る李白が清明なイメージで読者に迫ってくる﹂と指摘しているが、氏の読みは、こ
の詩を解釈する上での根柢の視座を呈示している。鏡中の他者なる我と対峙すると
いう不可避的に獲得された対他的視点とその表出という視座無しに、この詩を読む
﹁秋浦歌﹂其十五はいうまでもなく、殊に冒頭の際だった直截な表現によって、
がなされている。その一は、起句の﹁白髪三千丈﹂という誇張した表現に、それに
ことはできないであろう。
大胆な表出を得意とする李白の特色が遺憾なく発揮された作品とされ、わが国にお
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2
(1
1)
らの中なる深い愁いを見いだした作品であるとも解釈されている。さらには、この
見合うだけの深い愁いを読むものである。また、白髪に気付くことによってみずか
下見江水流
正西望長安
下
正西
長安を望み
寄言向江水
汝が意
言を寄せんとして江水に向かふ
江水の流れを見る
汝意憶儂不
遥かに一掬の涙を伝へ
作品にユーモアを読み取る解釈がある。以下、それぞれ検討してみたい。
遥伝一掬涙
我が為に揚州に達せよ
とあるように、それが都への思いと揚州に残した妻への思い、旅愁に由来するもの
儂を憶ふや不や
︵1︶﹁白髪三千丈﹂こそは、李白自身の驚きの表現であり、実感を率直に表現し
為我達揚州
李白の悲しみを共感する。第二句以下は、第一句の補足に過ぎない。意はこの
であることも明らかである。それを思い当たらぬとする、その表現との間にはやは
深い愁いの存在を読む解釈には例えば次のようなものがある。
たものである。読者はこの奇抜な表現に打ちのめされ、やがて、この裏にある
句に尽きているのである。
り径庭がある。
この解釈によるとすれば、中島氏のごとく、その愁いはこれまでの人生のなかで
︵﹃漢詩の解釈と鑑賞事典﹄前野直彬・石川忠久編︶
︵2︶ そ れ は 李 白 の 長 か っ た 人 生 ︱ ︱ 髪 を 白 く さ せ る に 至 っ た そ の 長 さ が 、 さ ま ざ
ないであろう。
蓄積されてきた、﹁あらゆる感慨をその中に包括﹂し、それと定めることができな
中島敏夫︶
いものと解し、みずからの中の三千丈に見合う愁いを見つめていると読まざるをえ
︵﹃唐詩鑑賞辞典﹄前野直彬編
まなありとあらゆる感慨をその中に包括しながらも、それを手放しの憂愁では
せる。
驚きの表出であるとする解釈が多い。しかしながら、驚きという感情は、当然の予
なお、この解釈をとる場合、﹁白髪三千丈﹂の表現を、自らの老残の姿に対する
︵﹃唐詩鑑賞辞典﹄蕭滌非他編︶
想と異なることが結果として生起する、或いは状況として生じていることに気づく
︵3︶ 愁 生 白 髪 、 人 所 共 暁 、 而 長 達 三 千 丈 、 該 有 多 少 深 思 的 愁 思 ?
これらの解釈は、いずれも﹁白髪三千丈﹂という表現に見合う愁いの深さを読む
ことが前提となるものである。自らの内に愁いの存在が意識されていないか、ある
髪因愁而白、愁既長髪亦長矣。故下句解之曰、縁愁似箇長。言愁如許而髪亦
例えば、唐汝詢は次のように述べる。
愁いを見いだしたのであるとする解釈がある。
次に、長く伸びた白髪を契機として、忘れていた、あるいは気づいていなかった
か、もしくはこの表現がそれに見合う愁いを想起させると読んでいる。しかし、か
秋浦に入れば
いは軽微な愁いの存在を前提にして、はじめて驚きの感情が生起しうる。深き愁い
颯として已に衰ふ
くも深き愁いのうちにある者が、その愁いのよってきたるところに思い当たらぬと
両鬢
の認識を前提とすれば、﹁白髪三千丈﹂はむしろ当然の結果であり、極度の驚きの
一朝
することの理解には若干の困難が伴うであろう。仮に、この作品を﹁秋浦歌﹂十七
両鬢入秋浦
白髪を催し
感情を生起することはないであろう。
一朝颯已衰
猿声
尽く絲を成す
首の中に置いてみれば、其四に、
猿声催白髪
長短
似之也。我想平時初未嘗有是、不知鏡中従何処得此秋霜乎。託興深微、辞実難
長短尽成絲
とあることからすれば、李白が白髪を得たのはこの秋浦の憂愁に満ちた世界による
︵髪は愁ひに因りて白く、愁ひ既に長ければ髪も亦た長し。故に下句之を解
解、読者当求之意象之外。
秋浦
して曰はく、愁ひに縁りて箇くのごとく長し、と。愁ひ許くのごとくにして
ものであることが推測できる。また、其一に、
秋浦長似秋
蕭條として人をして愁へしむ
髪も亦た之に似るを言ふなり。我平時初め未だ嘗て是れ有らずと想へば、知
か
蕭條使人愁
客愁
らず鏡中何れの処より此の秋霜を得たるか。託興深微にして、辞は実に難解
長へに秋に似
客愁不可度
行きて東の大楼に上る
度るべからず
行上東大楼
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3
4
1
なく、それを他人事のように、いったいどこからやってきたのかと問いかけさ
千葉大学教育学部研究紀要 第5
5巻 À:人文科学系
李白「秋浦歌」其十五の解釈をめぐって
なれば、読者は当に之を意象の外に求むべし。
︶
︵唐汝詢﹃唐詩解﹄
︶
のぼせていなかった愁いを見いだしたとする解釈にしたがえば、愁いのよって来る
しく長くなっている。ところが自らにはそのような愁いがあるとは思っていなかっ
合う愁いが対応しているのであり、愁いがこのように深いから白髪もそれにふさわ
張表現、口語表現、とぼけた言い方が、この詩にさらりとした明るさをかもし出し
れているかのような表現である。つまり、愁いの実質をむしろけしてゆくような誇
さて、この作品については、先の大上氏が、﹁老いに驚き、愁いの深さにたわむ
ところに心当たりがないとする後半二句の表出も理解しうる。
たゆえ、これほどの白髪になった理由がわからないというのであると解釈する。李
﹂と 読 む よ う に、一 種 の ユ ー モ ア の 感 覚 を 読 み 取 る こ と が で き る。
て い る の で あ る。
唐氏は、髪は愁いによって長くなるものであるから、この長い白髪にはそれに見
白には愁いの認識がなく、白髪を見ることによって、自らの中の愁いに気付いたと
例えば、中島氏は、
﹁縁愁似箇長﹂
、︵うれいによってこんなに長い︶
、極めてあたり前の言葉であ
︵4︶
するのである。
また、目加田誠氏は、
に当時の詩としては破格といえる口語を使って﹁似箇﹂といったのもゆえなし
なに﹂の﹁こんなに﹂は愉快な﹁こんなに﹂となる。李白がその﹁こんなに﹂
る。だがその前に﹁白髪三千丈﹂の怪物があるかぎり、﹁うれいによってこ ん
いつまでも若いつもりでいた彼が、ある日、鏡に向って白髪三千丈と驚いたの
としないだろう。﹁こんなになっちゃった﹂の感である。その大変さが前に述
人生の短さを愁うる心は人を老いしめる。老いはいよいよ人生を愁えしめる。
も、その心持ちからいえばあながち誇張ではない。すべてその愁いのなすわざ
べた﹁どこからきたの﹂という一種のとぼけた味で結ばれる。かく解釈するの
︵2︶
であった。
と読み、李白が常に人生の短さを愁うる心を持っていたとし、いつまでも若いつも
も一興ではなかろうか⋮⋮。
と解している。ユーモアは、状況に対する心理的距離を前提として成立する表現で
︵5︶
りでいた自分が、自らの白髪によって、その愁いの深さを実感したとするのである。
さらに、太田利隆氏は、其十五を﹁秋浦歌﹂十七首連作の中の一首として読み、
ある。この作品について言えば、おのれの白髪の状況と心中の愁いとを対象化して
はじめて﹁三千丈﹂という表現が成立するのであり、﹁似箇﹂という俗語の使用も、
このように彼の心は平静さをとりもどして、秋浦の人々の生活のうえにあた
たかい観察の目を注ぐまでになった。しかし愁は決して消えたのではなかった。
後半二句の表現も、自らの心中を見つめる視点が前提となっている。﹁秋浦歌﹂其
ユーモアを読むことによって、この作品は自然に理解できる。しかし、こうした
ふとおのが頭におく霜のような白髪が、﹁明鏡﹂に写し出されたのを見て、李
ユーモアの感覚、自らの愁いを対象化し﹁愁いの深さにたわむれているかのようよ
十五には確かにこのような客観的視点が成立している。
ついてでてきた言葉は、白髪三千丈であった。三千丈は白髪の形容でもなけれ
うな表現﹂はいかにして成立したのであろうか。
白は彼の心の奥深く沈潜したはずの愁の姿を発見した。そして次の瞬間、口を
ば、また多くの注釈書の説く如く第二句目の﹁愁のふかさ﹂でもない。驚きの
ところで、すでに指摘されていることだが、唐詩において﹁白髪﹂と﹁愁﹂は、
あまり発した率直なことばである。そこにはすじみちだった論理も志向もなく、
︵3︶
愁 い ぬ い た 李 白 の 自 然 な 感 動 が あ る だ け で ある 。
白髪は愁に因りて改まり
老残の嘆きのモティーフとして、ともによく用いられるものである。例えば、
・白髪因愁改
と言い、﹁白髪三千丈﹂は、驚きの表現であると読み、この表現は驚きの大きさを
言うのであって愁いの深さを言うのではないとし、﹁縁愁似箇長﹂は、心の奥に沈
丹心は夢に托して回る
義に由りて尽き
丹心托夢回
丹誠
愁ひを帯びて新たなり
︶
︵張説、盧巴駅聞張御史張判官欲到不得待留贈之︶
・丹誠由義尽
白髪
潜していた愁いを見いだした表現であるとする。﹁心の奥深く沈潜したはずの愁﹂
とは愁いが日常の中で鈍麻し、あるいは他に心にかなうことがあり、殊に意識され
白髪帯愁新
︵張説、南中贈高六
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4
0
(1
3)
ない状態となっていることをいう。その意識にのぼらなくなっていた愁いが白髪に
よって立ち上がってくるとする解釈である。
このような、白髪に驚くことを契機とした内省によって、心中に沈潜し、意識に
縉
戳
千葉大学教育学部研究紀要 第5
5巻 À:人文科学系
愁来白髪新
・歳去紅顔尽
・愁来試取照
坐歎生白髪
歳去りて紅顔尽き
であり、白髪との関係で用いられる﹁愁﹂は﹁人生老い易く、歓楽のとどめ難きを
てもいいであろうか﹂としている。確かに﹁愁﹂の基底的意味は両氏の指摘の通り
︵7︶
愁ひ来りて白髪新たなり
張説の場合のように白髪をうながすものとしての不遇感による沈鬱な愁いもその中
歎く気持ち﹂
がそのもととなっているとすることができる。しかしながら、一方で、
愁ひ来りて試みに取りて照せば
に確かに含まれていることに留意しなければならない。この﹁秋浦歌﹂其十五につ
︵李崇嗣、覧鏡︶
坐ろに白髪を生ずるを歎く
客涙を飄へし
いても、先に見たように不遇感や望郷の思いが愁いをもたらしているとする解釈は
塞北
郷愁を挂く
の結びつきが緊密であることである。以上の例からも明らかなように、﹁白髪﹂と
︵孟浩然、同張明府清鏡歎︶
・塞北飄客涙
辺柳
明鏡に悲しみ
﹁愁﹂との結びつきは自然であって、いわば自動化された無徴的なものであった可
十分に成り立つであろう。
辺柳挂郷愁
白髪
敝衣に換ふ
むしろここで注目されるのは、そうした﹁愁﹂の意味とともに、﹁白髪﹂と﹁愁﹂
白髪悲明鏡
青春
能性が高く、﹁秋浦歌﹂其十五について言えば必ずしも自らの白髪の認識が契機と
なって内省を促し、その結果として見いだされた己が内なる愁いを想定しない、あ
微禄を羞ぢ
愁ひて白髪を窺ひ
︵岑参、武威春暮聞宇文判官西使還已到晋昌︶
青春換敝衣
・愁窺白髪羞微禄
るいは心中に愁そのものが存在しない、という解釈が成立しうる可能性があるとい
結句は、愁いは白髪をうながすものであるという認識に基づいて己のうちに白髪の
は関わりなく述べたものとしても読めるのである。このように解釈すると、転句・
ば、﹁縁愁似箇長﹂は、﹁愁いが白髪を促した﹂という一般的な判断を自らの愁いと
うことである。すなわち、この結びつきが自動化された無徴的なものであるとすれ
青山に別るるを悔いて旧渓を憶ふ
︵岑参、首春渭西郊行呈藍田張二守簿︶
国歩移るを
壮心死し
愁ひて看る
白髪
悔別青山憶旧渓
・白髪壮心死
愁看国歩移
︵銭起、鑾駕避狄歳寄別韓雲卿︶
愁ひを吹きて来り
しも心中深く根ざした﹃深刻な憂愁﹄とは言えず、音楽や酒によって誘発される、
名畑嘉則氏は、唐詩における﹁愁﹂と﹁白髪﹂の用例を精査し、﹁愁﹂は、﹁必ず
秋浦歌十五篇。︵紹聖三年五月乙未、新たに小軒を開き、幽鳥相語るを聞けば、殊
題跋﹄に﹁紹聖三年五月乙未、新開小軒、聞幽鳥相語、殊楽。戲作草、遂書徹李白
﹁秋浦歌﹂十七首は、秋浦に遊んだ折に制作されたものであるが、例えば、﹃山谷
二
変容するのか、その可能性をさらに探ってみたい。
次にこの作品を﹁秋浦歌﹂十七首の中において連作の一首として読んだ時、いかに
以上のように、﹁秋浦歌﹂其十五は、幾通りかの読みの可能性をもつ作品である。
原因となった愁いの存在を求めたものの、それが見あたらぬとする判断を述べる表
東風
坐ろに相侵す
などを始め、多くの用例をあげることができる。また、李白には﹁秋浦歌﹂其十五
・東風吹愁来
白髪
落ち尽くすを愁ひ
現としても理解できる。しかしはたしてこのような読みは可能なのであろうか。
白髪坐相侵
紅顔
除く能はず
以外にも、次の二例がある。
・紅顔愁落尽
白髪
︵独坐︶
白髪不能除
その場限りにうつろう感興としての﹃愁﹄と考えなくてはならない﹂場合があると
に楽し。戲れに草を作し、遂に李白秋浦歌十五篇を書徹す。
︶
﹂とあることなどから、
︵秋浦寄内︶
指摘してい る。また目加田誠氏は﹁愁はどちらかと言えば、ものに感じておこるそ
これが当初から十七首の連作であったかどうかは不明である。しかしながら、現在
︵6︶
こはかとない心中のかなしみ、浮かぬ気持ち、満たされぬ思いの状態であるといっ
(1
4)
3
3
9
李白「秋浦歌」其十五の解釈をめぐって
は間違いないところであろう。
の十七首を秋浦のあたりで作られ、いずれかの段階でまとめられた作品とみること
其
其
其
九
八
七
六
涙
愁
あるいは制作された時間軸にそって配列されたものか、さらには王維の﹁
川集﹂
この﹁秋浦歌﹂は、単に秋浦に遊んだ時の作品を無作為に集めただけであるのか、
其
十
松浦友久氏は、﹁秋浦歌﹂十七首には原則として全てにわたって秋浦の景物が詠
其十二
其十一
悲 愁 を 表 す 言 葉 は こ の 十 七 首 の 前 半 に 集 中 し て お り、其 十 五 の﹁白 髪﹂
﹁愁﹂は
白髪・愁
碎客心
其
じられるという全体としての共通性を見いだしている。また、名畑氏は、﹁秋浦歌﹂
其十三
のごとき緊密な全体としての構造を持つものであるのだろうか。
に﹁愁﹂
﹁白﹂という語が頻出していることを指摘している。さらに太田氏は、﹁秋
其十四
︵8︶
浦 歌﹂全 体 が 愁 を 述 べ る 作 品 ば か り で は な い こ と を 指 摘 し 、 李 白 が 秋 浦 の 景 物 に
其十五
︵9︶
よって次第に心の平静さを取り戻していることを指摘している。この太田氏の解釈
其十六
して、秋浦の人々の生活のうえにあたたかい観察の目を注ぐまでになった﹂とし、
孤立しているように見える。こうした分布の偏りは何を意味しているのであろうか。
其十七
﹁しかし愁いは決して消えたのではなかった。ふとおのが頭におく霜のような白髪
正西望長安
行上東大楼
客愁不可度
蕭條使人愁
秋浦長似秋
下
正西
行きて東の大楼に上る
客愁
蕭條として人をして愁ひしむ
秋浦
其一
ととする。
いま﹁秋浦歌﹂十七首の配列にしたがって、悲愁の表出という視点から見てゆくこ
︵ ︶
﹂す な わ ち、李 白 の 心 中 の 愁 い は 心 中 に 沈 潜 し て い た の で あ り、消 え
を 発 見 し た。
てはいなかったとするのである。
﹁秋浦歌﹂十七首 の 中 に は 確 か に 太 田 氏 の 指 摘 す る よ う に、悲 哀 感 の 表 出 を 伴 わ
下見江水流
言を寄せんとして江水に向かふ
ない作品が見られる。しかしそれらの作品ははたして、こうした平静さをとりもど
寄言向江水
汝が意
其
其
三
二
一
衰・催白髪
愁・断腸・涙
愁・客愁・涙
悲愁を表出する語を表にしてみると次のようになる。
其
四
秋浦は先ず悲愁にみちた世界として捉えられる。それは宋玉の﹁九弁﹂の世界に
儂を憶ふや不や
江水の流れを見る
長安を望み
度るべからず
﹁秋浦歌﹂十七首には﹁愁﹂字が頻繁に用いられていることが指摘されている。
汝意憶儂不
遥かに一掬の涙を伝へ
して愁いが沈潜してゆくという構造のもとに理解されるのであろうか。
しかし、ただ用いられているだけではなく、用いられる場所に偏りが見られる。今、
遥伝一掬涙
我が為に揚州に達せよ
其
五
長へに秋に似
が、明鏡に写し出されたのを見て、李白は彼の心の奥深く沈潜したはずの愁いの姿
太田氏は、愁いに沈んだ李白の心は、秋浦の情景によって、﹁平静さをとりもど
全体の構造を﹁秋浦歌﹂に読むものである。
は、愁いに沈んでいた李白の心が平静さをとりもどし、愁いが沈潜してゆくという
轉
網
為我達揚州
其
3
3
8
(1
5)
1
0
千葉大学教育学部研究紀要 第5
5巻 À:人文科学系
表された悲秋の世界であり、この地に遊ぶ旅人は、蕭瑟たる秋のごとき秋浦の情景
に愁いに沈むことになるのである。李白は愁いを遣らんとして高きにのぼり、都を
思い、揚州の妻を思うのである。
其四
両鬢入秋浦
両鬢
秋浦に入れば
颯として已に衰ふ
向けられる。そこに見たものは、秋浦の猿声によって生じた愁いのためにすっかり
一朝
猿夜愁ひ
白くなった己の白髪であった。ここには愁いの中に自らを見つめている視線がある。
一朝颯已衰
秋浦
白頭に堪へたり
白猿多し
白髪を催し
黄山
飛雪のごとし
猿声
秋浦猿夜愁
清溪は隴水に非ざるも
超騰
秋浦
猿声催白髪
黄山堪白頭
翻て断腸の流れを作す
秋浦多白猿
尽く絲を成す
清溪非隴水
去らんと欲して去るを得ず
超騰若飛雪
長短
翻作断腸流
薄遊
長短尽成絲
欲去不得去
何れの年か是れ帰日ならん
其二
薄遊成久遊
牽引條上児
條上の児を牽引し
其五
秋浦の美の世界を垣間みた視線は、やはり感傷の中にある自らの老残のすがたに
何年是帰日
涙を雨して孤舟に下る
久遊と成る
雨涙下孤舟
飲みて弄す
水中の月
飲弄水中月
第五首は、第四首の猿のイメージを受けて展開する。しかしここに描かれる猿の
なる言葉には美しい錦駝鳥に対する驚きと感動が率直に表出されている。愁いに満
天上に稀なる﹂美的存在であった。﹁人間天上四字俗﹂と評されているが、この俗
ら れ た 李 白 も、い く ら か は そ の 生 活 に 慣 れ て 来 て、た と え﹃あ な が ち に ︵ 強 ︶
﹄も
を遣ろうとするように変容するのである。この変容は、決して﹁日夜、愁いにせめ
美的 世
あ る よ う に﹁強 看 秋 浦 花︵強 ひ て 秋 浦 の 花 を 看 る︶
﹂と、秋 浦 の う ち に 花 =
界を見ようとする、すなわち秋浦の世界に新たな価値を見いだすことによって愁い
(1
6)
3
3
7
秋浦は夜猿の声が愁いを促し、黄山の夜は白頭になる程の悲しみに満ち、旅愁の
うちに沈まざるを得ない世界である。ここでは秋浦は明らかに否定されるべき世界
形象は、人を愁いに陥れる猿声を発するそれではなく、ここに描かれているのは幻
想的な美しい光景である。秋浦の錦駝鳥を見た李白は、再び秋浦に美の世界を垣間
として描かれている。しかし﹁欲去不得去﹂という表現には愁いの内に浸りきって
いる感傷的な詩人の姿がある。
見るのであった。それは秋浦の世界を﹁秋浦長似秋、蕭條使人愁︵秋浦長へに秋に
似、蕭條として人 を し て 愁 ひ し む︶
﹂悲哀の世界であるとする視点の転換をせまる
ものであった。太田氏は﹁このとき彼みずからを襲うのは家族と離れてひとり旅に
其三
秋浦の錦駝鳥
ちた秋浦の世界に意外にも存在している美しき鳥として錦駝鳥は李白の前に現れた
現 の 層 に お い て は、錦 駝 鳥 や 白 猿 に よ っ て 示 さ れ る 秋 浦 の 別 の 一 面 が そ の 契 機 と
ているのではない。事実として秋浦における生活に慣れることがあったにせよ、表
せ よ 、 秋 浦 の 花 を も な が め る よ う に な っ た。
﹂と い う 生 活 の レ ベ ル に お い て 行 わ れ
て開示されている。
のである。ここには愁いに満ちた秋浦の世界のまた別の一面が瞬間のイメージとし
面を見ているのである。先の錦駝鳥や白猿の情景を契機として、彼の心は、其六に
いをうながす孤独感に苛まれていたのではなく、愁いを促すはずの夜猿の異なる一
秋浦錦駝鳥
水に羞ぢ
あ る 身 の 、 い い よ う の な い 孤 独 感 で あ っ た に ち が い な い。
﹂と 解 す る が、李 白 は 愁
山鶏
人間天上稀なり
水
人間天上稀
山鶏羞
敢て毛衣を照らさざらん
碌
沺
美しい秋浦の錦駝鳥の姿は、愁いに浸り感傷の内にある李白の前に現れた﹁人間
不敢照毛衣
碌
沺
李白「秋浦歌」其十五の解釈をめぐって
県のごとく
愁ひて秋浦の客と作るも
山川は
愁作秋浦客
県
強ひて秋浦の花を看る
山川如
強看秋浦花
其六
なっていると考えることができよう。
に
風日は長沙に似る
県や長沙のようにうるわしいものであった。それは李白にとっては秋浦の新た
見ることで愁を遣ろうとする。強いて秋浦の花を見る者の目に、その景色はたしか
錦駝鳥や白猿によって秋浦の美を垣間見た李白は、それを契機として秋浦の美を
風日似長沙
!
な発見であり、秋浦は愁いの空間ではない美的世界を李白の前に開示し始めている。
水車嶺
秋浦
最も奇なり
千重の嶺
天は堕ちんと欲する石を傾け
水車嶺最奇
天傾欲堕石
水は寄生の枝を払ふ
秋浦千重嶺
水払寄生枝
其八には秋浦の地の具体的な地名﹁水車嶺﹂が出ているが、この連作の中でこれ
まで具体的な地名として登場しているのは、﹁秋浦﹂を除けば第一首﹁大楼﹂
、第二
江祖一片石
青天
江祖
画屏を掃ふ
一片の石
寒くして
戚の牛を歌ふ
現実、不遇感を呼び起こす。﹁
戚 牛﹂と は、
県や長沙のごとき風景ではなく、
首﹁黄山﹂の二か所であり、これらはいずれも悲哀の世界の中にあった。ところが
ここには其六にはみられない視点の転換がある。
秋浦の﹁水車嶺﹂という秋浦固有の美が見いだされ、それが賞翫の対象となってい
るのである。其九の﹁江祖一片石﹂も同様の表出として理解できる。
対象を通して認識されているのであって、秋浦固有の美が見いだされているわけで
青天掃画屏
其九
戚のごとくふるまってみても、その営みは常に現実
詩を題して万古に留めんとすれば
其七
醉上山公馬
戚牛
白石爛らかなりと
詩を書きつけ万古に留めようとする行為は、表現者としての積極的な営みである。
緑字に錦の苔が生じるであろうという表現は、秋浦が李白の作品を称美し、錦の苔
で飾ることを言っていよう。この表現には秋浦とのシンパシーを読むこともできる。
石楠の樹
空しく吟ず
千千
女貞の林
空吟白石爛
千千石楠樹
万万
白鷺満ち
其十
この麗しき世界の中で、李白はあえてあるいは山公のように振るまい、あるいは
万万女貞林
山山
白猿吟ず
黒貂の裘
戚 牛﹂を 歌 え ば、そ れ は す ぐ さ ま 自 ら の 痛 々 し い
山山白鷺満
澗澗
涙は満つ
戚 が 斉 の 桓 公 に 対 し、自 ら の 貧 窮
澗澗白猿吟
君
中の句。
しく吟ずるのみである。しかし、やがて秋浦の世界はそうした不遇感を払拭するか
惚
寡
戚のごとくにふるまうが、﹁
を訴え、願いを述べようと牛の角をたたいてうたった歌であり、﹁白石爛﹂はその
君莫向秋浦
猿声
惚
寡
寡 惚
のように次々に新たな世界を開示する。
其八
ここには旅人の心を断腸の思いにさいなむ猿声が提起される。しかし、﹁君莫⋮⋮﹂
ある。まさしく﹁千万山澗﹂は秋浦のあらゆる山と澗をそのうちに包摂している。
第一句から第四句の表現は、其十五の﹁白髪三千丈﹂にも匹敵する大胆な措辞で
客心を碎かん
秋浦に向かふ莫れ
戚はこの歌によって桓公にとりたてられたが、李白はこの秋浦の地で空
猿声碎客心
涙満黒貂裘
寒歌
醉ひて山公の馬に上り
の不遇感を覚醒させるのである。
はない。従って其七の山公や
題詩留万古
緑字
惚
寡
惚
寡
錦苔生ぜん
緑字錦苔生
ただ そ の 世 界 は﹁如﹂
﹁似﹂という措辞によってとらえられているように、比較の
!
!
惚
寡
惚
寡
3
3
6
(1
7)
!
惚
寡
千葉大学教育学部研究紀要 第5
5巻 À:人文科学系
一道夜歌帰
郎聴採菱女
一道
郎は聴く
菱を採る女の
天地を照らし
夜歌ひて帰るを
颯 と し て 已 に 衰 ふ︶
﹂と
という他者への呼びかけの表現が用いられていることに注意したい。これは其四の
﹁ 両 鬢 入 秋 浦 、 一 朝 颯 已 衰 ︵ 両 鬢 秋 浦 に 入 れ ば、一 朝
いうみずからの状況を述べる表現とは径庭があり、秋浦の世界が促す愁いが既に対
炉火
其十四
炉火照天地
象化されていることを示している。其八、其九において獲得された視座から秋浦の
﹁千万山澗﹂を眺めたのが其十である。石楠の樹、女貞の林、白鷺、白猿の鳴き声、
紫煙を乱す
不知明鏡裏
縁愁似箇長
白髪三千丈
其十五
歌曲
寒川を動かす
きる男女の姿に触れ、李白は喜びのうちにあった。
る。この美しい秋浦の世界にあり、山水の美を賞翫し、舟遊びを楽しみ、そこに生
る。秋浦に生きる男女の姿である。殊に其十三は明るい採蓮曲の世界を彷彿とさせ
其十三は菱を採る女達の歌が、其十四は冶金の男達の歌がモチィーフになってい
歌曲動寒川
明月の夜
紅星
邏人は鳥道に横たはり
郎
紅星乱紫煙
邏人横鳥道
江祖は魚梁に出づ
郎明月夜
それらは旅愁をいざなうよすがとなるものであり、秋浦の別の姿を知らぬ者がこの
地に遊べば、愁いにさいなまれることになる。李白の心は、猿声を聞き愁いに沈む
旅人とはもはや別の次元にあり、愁いを対象化したその心は秋浦の世界を賞翫する
楽しみの中にあった。
江祖出魚梁
水急にして客舟疾く
其十一
水急客舟疾
山花
面を払ひて香し
山花払面香
﹁客舟﹂は、山花 が 面 に 触 れ て 香 る 美 の 世 界 を 行 く の で あ り、悲 愁 の 中 に あ る の
ではない。舟中の旅人はもはや愁いに沈んではいない。
何処得秋霜
此地即平天
水如一匹練
耐ぞ明月に乘ずべけんや
此の地は即ち平天
水は一匹の練のごとし
こで白髪を手に入れたのかといぶかしがるのである。転結句の措辞は李白の驚きを
いは既に自らの中には存在していない。そして、この美しい世界の中でいったいど
くこととなる。白髪は愁いによって増すものであるのに、三千丈の白髪に見合う愁
すでに愁いが昇華されている李白は、ふとみずからの白髪に気づき、かえって驚
耐可乘明月
よくうかがわせる。
素月浄く
秋浦田舍翁
秋浦
白
を結び
妻子
魚を採り
映深竹
水中に宿す
を張らんとし
深竹に映ず
其十六は、其十五における老いのイメージを受け、秋浦の老いた漁師とその家族
結
妻子張白
採魚水中宿
其十六
花を看て酒船に上らん
其十二は、秋浦における舟遊びの楽しみを歌う。其十一は昼、其十二は夜の情景
である。其十一の﹁客舟﹂は、﹁酒船﹂に変容している。心中の愁いはこの 美 し き
爐水
月明らかにして白鷺飛ぶ
鵬
秋浦の中にあって、すでに喜びに昇華されていると読むことができる。
其十三
爐水浄素月
月明白鷺飛
田舍の翁
看花上酒船
其十二
赭
皷
罧
苴
鵬
(1
8)
3
3
5
赭
皷
罧
苴
李白「秋浦歌」其十五の解釈をめぐって
の姿を詠ずる。第十三首、十四首に描かれた男女の姿がエネルギッシュで浪漫的で
あるのに対して、ここに描かれたのは、充足して生きる者の姿である。それは柳宗
﹁秋浦歌﹂其 十 五 は、李 白 の 心 中 の 深 い 愁 い を 前 提 と し て 読 ま れ て き た。し か し
かるのである。
ながら、これまで検討してきたように、必ずしも愁いを想定しない解釈も可能であ
︵注︶
感も解消されることとなろう。
元の﹁漁翁﹂にもつながる自適の世界である。李白はここにいたって、秋浦の地に
桃波
一九八五︶
︵1︶ 大上正美﹃中国古典詩聚花
大上正美著
詩作と詠懐﹄
︵一二六頁︶
︵前野直彬監修
り、また、そのように解釈することによって、学生や生徒がこの作品にいだく違和
桃波一歩地
了了として語声聞こゆ
︵
藤女
一九七〇︶の中島敏夫氏の﹁秋浦歌﹂
一九六九︶
縁愁似箇長︱︱明鏡の中を行く李白﹂
︵﹃中国古典詩
一九六九︶
勁草書房
二〇〇六︶
中国詩人論﹄ 汲古書院
︶ 太田利隆氏前掲論文。
︵9︶ 名畑義則氏前掲論文。
記念論集
本 論 は、平 成 十 八 年 度 科 学 研 究 費 補 助 金・基 盤 研 究 ︵ B ︶
﹁こ れ か ら の 時 代 に 求
一九八六︶
︵8︶ 松浦友久﹁李白﹃秋浦歌﹄の解釈に関する幾つかの問題﹂
︵﹃岡村繁教授退官
︵7︶ 目加田誠氏前掲論文
子大学国語国文学会
︵6︶ 名畑嘉則﹁﹃白髪三千丈﹄について﹂
︵﹃藤女子大学国文 学 雑 誌﹄七 四
其 十 五 の 観 賞 ︵一四五頁︶
︵5︶ 前野直彬編﹃唐詩鑑賞辞典﹄︵東京堂
︵4︶ 大上氏前掲書
叢考﹄近藤光男編
︵3︶ 太田利隆﹁白髪三千丈
大学中国古典研究会
︵2︶ 目加田誠﹁與爾同銷萬古愁︱︱愁と憂︱︱﹂
︵﹃中国古典研究﹄一六、早稲田
四
人生の安息のイメージを垣間みることとなったのである。
了了語声聞
闇に山僧と別れ
其十七
闇與山僧別
頭を低れて白雲に礼す
一歩の地
低頭礼白雲
秋浦への別れの詩である。白雲に礼すとは、山僧の人柄を例えるものであろうが、
同時に自らの悲愁を昇華してくれた秋浦の清浄な世界をもたとえていよう。
以上、﹁秋浦歌﹂十七首について、いささか表層的にではあるが、特に悲愁の情
の表出に着目しつつその表現を検討してきた。この視点からすると、﹁秋浦歌﹂は、
単に秋浦の地で制作されたものを羅列したのみの連作ではなく、また時間軸にそっ
て配列されたものでもなく、自らの内なる愁いの対象化とその昇華の方向性を持っ
た連作詩として読むことができるであろう。
おわりに
﹁秋浦歌﹂其十五を、連作としての﹁秋浦歌﹂十七首の中に位置づける と、深 い
愁いを前提とする解釈、あるいは沈潜していた愁いに気づいたとする解釈ではなく、
憂愁はすでに秋浦にある喜びと充足感とに昇華されている状態で、自らのあまりの
みが成立するのではあるまいか。起句では、自らの白髪に気付いた驚きを表出し、
め ら れ る 教 養 教 育 と し て の 古 典 教 育 に 関 す る 国 語 科 授 業 の 開 発 研 究﹂
︵研 究 代 表 者
︹付記︺
承句ではその白髪は愁いために長くなったのであるという客観的な認識を述べる。
寺井正憲︶による研究成果の一部である。
白髪に気づいたおどろきを、ユーモアの衣をまとわせて詠じた作品であるという読
続いて自らの中に三千丈に見合う深い愁いを見いだそうとするのであるが、もはや
秋浦の美的世界の中で彼の愁いはすでに昇華され、見いだすことはできない。転結
句では、みずからの中に愁いが見いだせないことを、いささかとぼけたようにいぶ
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