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学校教育における自治体と芸術団体の協働 そのメリットと課題 ―東京都

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学校教育における自治体と芸術団体の協働 そのメリットと課題 ―東京都
学校教育における自治体と芸術団体の協働 そのメリットと課題
―東京都墨田区と新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽指導事業を例として―
Cooperation of local governments and art organizations in school education
: The challenges and benefits
―Example of Music Education Program between Sumida-ku and New Japan Philharmonic―
政策研究大学院大学 文化政策プログラム
MJC12401 稲川 由佳
指導教官 垣内 恵美子
Advisor: Prof. E. Kakiuchi
Yuka Inagawa
Abstract
The purpose of this study is to reveal whether the franchise partnership between local governments will benefit in
school education. Under the current severe economic situation, the amount of tax revenue distributed to culture
policies is limited. The social roles and significance of art, culture and its organizations are not recognized. By
revealing how beneficial the franchise partnership of local governments and art organization is, the social
contribution of these organizations in school education will become apparent.
[Key wards]Franchise, Local government, Art organization, Cooperation, Music Education Program, Outreach
フランチャイズ提携、自治体、芸術団体、協働、音楽指導事業、アウトリーチ
はじめに
1、研究背景
明治に入り、日本は国策として西洋文化を積極的
に取り入れるようになった。西洋音楽もその一つで
ある。以来、約 150 年、既に西洋音楽は日本の音楽
文化の本流となっている。また西洋音楽を体現する
オーケストラは日本の音楽芸術文化の重要な担い手
である。
現在、
(公社)日本オーケストラ連盟に所属してい
るプロフェッショナル・オーケストラは 32 団体ある。
しかし、それらを取り巻く経済状況は常に厳しい。
自治体等からの助成金の打ち切りなども行われてい
る。自治体では、地域住民の高齢化にともなう医療・
福祉関係への歳出の増加が、その財政を苦しめてい
ることは周知の通りである。芸術は人間が社会生活
を送っていく上で、直接役に立っているわけではな
い。税金は医療や福祉などの財源にあてられ、文化
芸術関連への比重は小さい。
アメリカの文化経済学者ウィリアム・J.ボウモル
とウィリアム・G.ボウエン1が指摘するように、文化
芸術には「正の外部性」
(威信価値、地域における経
済的貢献、教育的貢献、将来世代にもたらす便益等)
があるとされ、それは文化芸術に対する公的支援の
根拠となっている。
公的支援の事例としては、文化庁による文化芸術
振興費補助金による助成事業がある。舞台芸術分野
には、
「トップレベルの舞台芸術創造事業」として助
成される。オーケストラの公演はその対象であり、
音楽部門の助成の大半を占めている。しかし、他方
では、首長等の意向により助成金の削減、打ち切り
が行われ、そのことによりオーケストラ等の芸術団
体の存続も翻弄される現実もみられる。芸術文化、
あるいはそれを担う芸術団体の役割・意義は社会的
に共有されていない。そのような現状のなか、本研
究において事例調査の対象とする東京都墨田区のよ
うに、自治体によっては芸術団体とフランチャイズ
提携をし、その芸術団体がもつ芸術性をまちづくり
の手段として文化政策に取り入れようとする動きも
ある。
果たして芸術団体は社会に何を求められ、どのよ
うな存在であり、あるいは存在であるべきなのであ
ろうか。またその芸術性を文化政策に取り入れるこ
とは地域の福利厚生の向上に資することなのであろ
うか。
本研究では、学校教育現場における芸術団体の役
割を、墨田区と新日本フィルハーモニー交響楽団の
フランチャイズ提携の事例を通し、明らかにする。
2、本研究の目的
本研究の目的は、自治体と芸術団体(本研究の対
象は自主運営のプロフェッショナル・オーケストラ)
とのフランチャイズ提携は学校教育に便益等をもた
らす有用性のあるものかを明らかにすることである。
また、学校教育に注目する理由は、それが公共性
の高いものの一つであるからである。本研究では、
そのケースとして東京都墨田区の「音楽都市構想」
に基づく文化政策と、それに伴う新日本フィルハー
モニー交響楽団とのフランチャイズ提携を検討する。
特に両者が区内公立小中学校において協働で行って
いる音楽指導事業に焦点をあて、教育現場において
この事業がどのように捉えられ評価されているのか、
校長、音楽教諭へのインタビューを通し、定性的に
分析を試み、フランチャイズ提携において行われて
いる音楽指導事業の学校教育における有用性を明ら
かにする。学校教育現場に限定されるものの、そこ
から帰納的にフランチャイズ提携の有用性を明らか
にできると考える。また研究背景で提示したように、
芸術団体の社会的役割は広く社会において共有され
ていないが、自治体とのフランチャイズ提携の学校
教育における有用性が明らかになれば、それは、芸
術団体の教育分野における社会的貢献の可能性を示
すものといえ、そこに芸術団体が果たしうる、一つ
の社会的役割を指摘できるものと考える。
3、本研究の構成
本研究の構成は次の通りである。
はじめに
第 1 章 西洋音楽の導入から現在まで
第 2 章 教育、文化芸術に関する法制度と公的支援
の根拠
第 3 章 ケーススタディ:東京都墨田区と
新日本フィルハーモニー交響楽団
第 4 章 墨田区内公立小中学校 教育現場の声
第 5 章 結論-よりよい協働のために 課題と展望
第1章
西洋音楽の導入から現在まで
まず、西洋音楽の導入背景や、音楽教育の変遷等
を概観し、日本における西洋音楽の位置づけを確認
する。
1、音楽史概観
明治時代から第二次世界大戦までと第二次世界大
戦から現代までの二つの時期に分け考察した。
まず、明治初期に国策としての西洋音楽の導入、
軍楽隊の創設が行われていた。その後、国楽の創設
を鑑み、音楽取調掛が創設され、また、音楽取調掛
創設により健全な国民をつくることを目的とする唱
歌教育が開始された。明治後期には、帝国劇場の開
場、浅草オペラ等の隆盛により民間においても音楽
が発展し、大正期には、ラジオ、レコードの普及に
より西洋音楽が一般化されることとなった。しかし、
第二次世界大戦により音楽活動は停止を余儀なくさ
れた。第二次世界大戦後は、占領下においてアメリ
カ文化とアメリカ音楽が流入することとなった。
オーケストラの設立とそれを取り巻く環境の変化
に関しては、次のように整理できる。
まず、西洋音楽の受容により、それを体現する演
奏者の必要性が高まることとなっていた。明治中期
には、軍楽隊を退役した軍人音楽家が民間で活動を
開始し、各地では少年音楽隊等が発足していた。大
正期には、山田耕筰、近衛秀麿らによって、本格的
な管弦楽団が設立された。第二次世界大戦が終結す
ると、創造と表現の自由を得た音楽家、オーケスト
ラ関係者によりオーケストラ創設の意欲が高まり、
国民の間でも文化的欲求、自由と権利の実現の追求
が高まっていた。演奏家の育成の蓄積による演奏等
のレベル向上、音楽鑑賞組織の誕生や、放送やレコ
ードを通じた音楽愛好家層の広がりもみられた。
1950 年に施行された放送法のもとで、放送局等によ
るオーケストラへの出資やオーケストラ設立も相次
いだ。また、公立公営楽団設立も各地でみられ、全
国的に多数のオーケストラが設立された。しかし、
近年では、自治体の財政悪化によりオーケストラ等
に対する助成は減少しており、オーケストラ変革の
必要性が高まっている。
2、音楽教育の変遷
音楽教育についても、明治時代から第二次世界大
戦までと第二次世界大戦から現代までの二つの時期
に分け、その変遷を整理し、教育の中での音楽の位
置づけは大戦の前後で大きく変容していることを示
した。
まず、
「学制」が頒布され、学校の教科目に音楽が
加わり、文部省に「音楽取調掛」が創設され音楽を
教育的及び研究する機関が備わった。それにより、
単に西洋音楽を受容するのではなく、日本独自の国
楽創設が目指された。
また当時の思想下では、健全な国民、主権である
天皇に奉戴し、実践しうる人材をつくることが教育
の任務とされ、その国家目的を達成するため、
「徳性
の涵養」
「国民的情操の醇化」の手段として唱歌教育
は用いられた。
第二次世界大戦が終結すると、教育基本法が制定
され、音楽教育は国家目的の遂行の手段(「徳性の涵
養」
「国民的情操の醇化」
)から芸術教育として確立
された。1958 年より学習指導要領は大臣告示となり
法的拘束力を持つようになり、必修曲の指定、及び
《君が代》を必修扱いすることに対して議論が盛ん
になったが、直近(2008 年に改訂)の学習指導要領
でも音楽教育は「国民的情操」ではなく、美的情操
を養い、そこから個々の人間の「豊かな情操」を育
てることが目的となっている。
第 2 章 教育、文化芸術に関する法制度と公的支援
の根拠
本章では、整備された教育、文化芸術に関する日
本の法律について、また芸術文化に対する公的支援
の根拠について検討する。
1、教育基本法、学校教育法、学習指導要領
第二次世界大戦後の日本における教育法制度の整
備は、1947 年の「教育基本法」の制定により開始さ
れた。1947 年には「学習指導要領(試案)
」が出さ
れ、音楽編では歌唱、器楽、鑑賞、創作、理解とい
った音楽教育の多様化が示されている。
これら「教育基本法」
「学校教育法」「学習指導要
領」では、教育の目的や理念を示す条文の中に、教
育と文化芸術の関わりや、教育の実施における行政
の役割やさまざまな関係者間の連携協力の規定をみ
ることができる。
2、文化芸術に関わる法律
文化芸術に関わる法律は多々あるが、
「音楽文化の
振興のための学習環境の整備等に関する法律」と「文
化芸術振興基本法」は本論と特に関係するものであ
る。
「音楽文化の振興のための学習環境の整備等に関
する法律」は音楽文化に関する法律として 1994 年に
制定されている。これは音楽文化が、明るく豊かな
国民生活の形成および国際相互理解と国際文化交流
の促進に大きく資するものであることを前提とし、
我が国の音楽文化の振興を図り、世界文化の進歩、
国際平和に寄与することを目的に掲げ、その目的を
達成するために、生涯教育の一環として音楽学習に
係る環境の整備に関する施策の基本等をさだめるも
のである。また「文化芸術振興基本法」は、文化芸
術自体が固有の意義と価値を有し、国民共通のより
どころとして重要な意味を持ち、自己認識の基点と
なるものであるにもかかわらず、文化芸術に関する
基盤整備や環境形成が不十分であることを鑑みて、
国民が文化芸術を身近なものとして大切にするよう
に、包括的な施策を推進するために 2001 年に制定さ
れた法律である。
3、公的支援の根拠
文化芸術振興基本法において、
「芸術活動を行う者」
の創造性の尊重、地位向上、能力の発揮等の確保が
基本的理念として掲げられていることに、特に着目
し、文化事業、芸術団体に公的支援を行う理論的根
拠を考える。この問題については、前述のボウモル
とボウエンによって、オーケストラ等の実演舞台芸
術の諸問題についてさまざまな指摘がなされている。
ボウモルらは、芸術が、費用を負担した消費者(コ
ンサートなどの観客)への直接的便益とともに、地
域の共同体への間接的便益を提供する混合財(準公
共財)であることを指摘している。そして、国や地
域等に与える威信、ビジネスメリット、将来世代が
受けうる恩恵、教育的効果といった間接的便益は芸
術団体が独自に得る利益を遥かに凌ぐものであると
分析している。
これらのことから、芸術を提供する芸術団体は、
国や自治体などに間接的にも利益をもたらすものと
認めることができ、芸術団体に対し、国や自治体が
支援を行う理論的根拠となり得るものと考えられる。
日本の教育、文化芸術に関する法制度以上のよう
に整えられている。また根木2の指摘にあるように教
育と文化芸術は相互に密接不可分の関係にあるとい
うことができ、教育と文化政策はさらに強い関連性
をもって推進される必要がある。文化芸術に関わる
法律においても、文化芸術の必要性と教育の重要性
に触れ、国や自治体の責務について明確化を図ろう
としている。教育に関わる法律、文化芸術に関わる
法律ともに、自治体が積極的な教育政策、文化政策
を図る上では、それを強く後押しをする内容になっ
ている。また芸術は準公共財といえることから公的
支援の対象になりえることを指摘できる。
それらを踏まえた上で、具体事例(東京都墨田区
と新日本フィルハーモニー交響楽団とのフランチャ
イズ提携)について検討する。
第 3 章 ケーススタディ:東京都墨田区と新日本
フィルハーモニー交響楽団
1、墨田区について
墨田区は東京都の東部に位置する。下町情緒にあ
ふれ、両国には国技館、都立大江戸博物館があり
2012 年 2 月には日本で最も高い電波塔「東京スカイ
ツリー」が竣工した。
2013 年 9 月時点で、人口は 254,110 人、世帯数は
135,547 世帯にのぼり、区立小学校は 25 校、在籍児
童数は 9,445 人、区立中学校は 11 校、在籍生徒数
4,055 人である。また 2013 年度の一般会計予算は
1,007 億 8,000 万円である。
2、新日本フィルハーモニー交響楽団について
新日本フィルハーモニー交響楽団(以下新日本フ
ィル)は 1972 年に自主運営のオーケストラとして設
立されている。1956 年に創設された(旧)日本フィ
ルハーモニー交響楽団がスポンサーからの支援打ち
切りのため 1972 年に解散、分裂した後、指揮者の小
澤征爾、故山本直純を中心としたメンバーで新たに
結成された。
3、すみだトリフォニーホール建設と音楽都市構想
墨田区では 1981 年 3 月に墨田区基本計画で、
「大
文化会館建設」が目標として掲げられ、1983 年 9 月
には、国・都・区・国鉄により「錦糸町駅北側用地
活用検討委員会」が発足し、この委員会により 1984
年 9 月に錦糸町駅北側地区整備の基本構想がまとめ
られた。場所は 1968 年に廃止された錦糸町駅北側の
国鉄貨物操車場跡地で、周辺を含め再開発をする計
画である。当時、錦糸町駅北側は治安対策も検討さ
れるべき課題となっており、特色ある文化会館の建
設は人の流れを変える効果をもつものとして、まち
づくりの重要なファクタ-になることが期待されて
いた。
「大文化会館建設」が進むなか、墨田区では 1985
年 2 月に両国国技館において『国技館 5000 人の「第
九」コンサート』という催しが行われた。これは蔵
前から両国に国技館が移され、その記念として墨田
区民によってベートーヴェンの《交響曲第 9 番合唱
付》が国技館で歌われたものである。この演奏会の
大成功を機に、当時の山崎栄次郎区長が「音楽によ
るまちづくり」を提起した。
以前より墨田区には墨田区吹奏楽団や、墨田区交
響楽団などのアマチュア演奏団体が存在し、1985 年
の《第九》演奏後には区内にアマチュア合唱団が多
数誕生している。音楽を積極的に楽しもうとする地
域住民が存在し、このような環境も、墨田区が音楽
によるまちづくりを目指す基盤になったと指摘でき
る。
墨田区では、
「墨田区文化会館基本構想検討委員会」
を設置し、1988 年の 3 月にはこの委員会から、山崎
栄次郎区長の後任である奥山澄雄区長あてに、文化
会館基本構想が提言された。その提言には、
「音響に
優れ、新しい演出が可能な大多目的ホールの建設」
と「オーケストラの誘致」等があげられている。そ
して同月、
「音楽都市構想」が発表され、その理念を
受けて実質的な音楽都市づくりがスタートした。同
年、7 月には、日本で初めてとなる基礎自治体と自
主運営のオーケストラとのフランチャイズ提携が墨
田区と新日本フィルとの間で結ばれた。
新しい文化会館は、1989 年に基本設計及び実施設
計が行われ、1993 年 11 月に起工し、1997 年に竣工
した。施設の名称は 1995 年に「すみだトリフォニー
ホール」と決定されている。大ホール(1801 席)、
小ホール(252 席)、パイプオルガンのほか、楽屋、
練習室等完備した「すみだトリフォニーホール」は
1997 年 10 月に開館した。
4、フランチャイズ提携
墨田区と新日本フィルは 1988 年 7 月 12 日、日本
で初めてとなる基礎自治体と自主運営のオーケスト
ラとのフランチャイズ提携を締結した。
その際に交わされた覚書では墨田区と新日本フィ
ルは「芸術文化の発展に寄与し、音楽都市の実現を
目指して協力し合うことを約束」している。その合
意事項として、墨田区と新日本フィルは、相互に独
立した団体であることを尊重し、フランチャイズ提
携で新日本フィルは、文化会館(現 すみだトリフ
ォニーホール)を本拠地とするものの、経済的には
依存関係にはないことを明記している。また、墨田
区は新日本フィルに対して文化会館の優先的使用を
認めており、そのうえで、定期演奏活動や啓蒙活動、
普及活動など、音楽都市の実現のために、オーケス
トラの具体的な活動が、区民の目に見える形で表現
されるよう明記している。また、墨田区民に、より
良い音楽的機会を提供するために、区内の公式行事
への参加や音楽行事の中核的役割を担うなど、新日
本フィルの「墨田区民とともに歩むオーケストラ」
としての活動が示されている。
覚書にあるように、新日本フィルによる施設の優
先的使用は認められているものの、経済的に相手に
依存しないものとされていることから、事務局オフ
ィス、練習室、楽器庫、リハーサルや本番で使用す
る大ホール・小ホール等も全て有償レンタル契約と
なっている。
ホールの完成は 1997 年であるが、その設計には新
日本フィルの演奏家としての意見も反映され、また
完成までの間も、啓蒙活動、普及活動を含む墨田区
と新日本フィルとの協働事業は進められていった。
本研究では区内全小中学校を対象とした「音楽指導
事業」について検討する。
5、音楽指導事業の実際
音楽指導事業は、すみだトリフォニーホール(墨
田区文化振興財団運営)が主催している事業である。
新日本フィルが事業を委託され、毎年区内全ての小
中学校を訪問している。指導対象学年は小学 3、4 年
生、中学 1 年生であり、会場には各学校の音楽室を
使用している。その内容は、楽曲の演奏、作曲家と
その作曲家が活動していた時代背景の説明、楽器の
説明等であり、プロの音楽家ならではのものとなっ
ている。
音楽指導事業の流れは、①各学校が財団宛に来校
希望日時、来校を依頼する楽器、詳しい内容等の希
望を提出し、②財団がそれを取りまとめ、新日本フ
ィル事業担当へ連絡、③その後、新日本フィル事業
担当が各学校と細かい日時、該当楽器を決定する。
また音楽授業として行うため、事業担当者は各学校
の音楽科教諭と内容について、進行についても十分
すり合わせを行っている。こうした準備を元に、実
際の授業の構成は演奏者により作成されている。合
唱を行う場合は、通常の授業で使用されているピア
ノ伴奏譜を演奏者がアンサンブル用に編曲し伴奏を
行う。各演奏者も教育者という観点で取り組んでい
る。この事業はすでに長年の歴史があるが、内容も
マニュアル化やルーティン化はしておらず、その都
度、新しく考慮を重ね工夫されてきている。
音楽指導事業のほか、墨田区では教育委員会主催
で区内全ての小学 5、6 年生および全ての中学 2 年生
を対象に、すみだトリフォニーホールで、新日本フ
ィルのフル編成オーケストラを鑑賞するプログラム
「墨田区オーケストラ鑑賞教室」をおこなっている。
墨田区では音楽指導事業、音楽鑑賞教室をあわせ、
小学 3 年生から中学 2 年生まで、義務教育の 9 年間
のうち 6 年間は年に1回、必ず新日本フィルの音楽
に触れる機会が提供されている。
第4章
墨田区内公立小中学校
教育現場の声
本章では、実際に音楽指導事業を受け入れている
区内学校長、音楽科教諭にインタビューを行い、学
校は何をどのように評価をしているのか、具体的に
明らかにする。そこから、この事業が学校教育に便
益等をもたらすものであるか、ひいてはフランチャ
イズ提携が学校教育に便益等をもたらす有用なもの
であるかを検討する。
1、インタビューの目的
音楽指導事業は 1993 年から区の正式事業となっ
ているが、現在までその現場である学校等からの評
価は受けていない。事業の実際の効果を把握するた
め、墨田区内小中学校の学校長には、学校経営の責
任者としての立場から、また音楽科教諭には音楽科
授業遂行者の立場から、この音楽指導事業をどのよ
うに評価しているのかインタビュー調査により明ら
かにする。
2、インタビュー対象
墨田区内小中学校 学校長(小学校 2 名、中学校
3 名)、音楽科教諭(小学校 2 名、中学校 2 名)
計9名
3、インタビュー方法と内容
各学校へ筆者が訪問し、校長室にて学校長、音楽
科教諭へインタビューを行った。方法は半構造化イ
ンタビュー形式とし、質問は予め設定したが、自由
な意見感想も聴取した。学校長へは学校教育現場に
おいて、区の取り組みについての評価を中心に、ま
た音楽科教諭へは音楽鑑賞授業・協働・音楽指導事
業の意義の3分野に分け質問を構成した。質問は次
の通り。
(1)音楽科教諭へのインタビュー内容
(音楽鑑賞授業として)
①音楽指導事業は児童生徒にとってどのような効果
があると思われるか。
(表現力、創造性、コミュニケ
ーション力、集中力、共感する心が養われる 等)
②どのような場面でその効果を認識するか
③普段の授業へ結びつけるようなことをしているか
④授業後、児童生徒と内容について話し合いをして
いるか
⑤授業との調整はどのようにしているか
(協働について)
⑥音楽家を迎えるにあたりどのような準備をしてい
るか
⑦負担ではないか
⑧墨田区文化振興財団、新日本フィルとコミュニケ
ーションは取れているか
(音楽指導事業の意義等)
⑨改善すべき点はあるか
⑩音楽指導事業は意義あるものか
⑪今まで以上の協働事業を考えるか(夏休みにサマ
ープログラム等で音楽ワークショップを行う等)
⑫その他 意見等
(2)学校長へのインタビュー内容
音楽指導事業・音楽鑑賞教室を含め、小学 3 年生か
ら中学 2 年生までの9年間、毎年プロフェッショナ
ル・オーケストラとの関わりがあるが、学校長から
みて、
①音楽指導事業等、このような区の取り組みはどの
ような意義があると思うか
②教育現場に外部の人が入ることについてどのよう
に思うか、積極的に受け入れたいと思うか
③芸術教育において学校として他に取り組みたいこ
とはあるか
④その他
意見等
4、インタビュー結果のまとめ
(1)音楽科教諭による評価
音楽科教諭による音楽鑑賞授業としての評価は、
①児童、生徒らの態度(発言、感想)から集中力、
共感が養われていると見受けられ、鑑賞授業として
充実しており、②音楽指導事業の前後の授業を連携
させることで、より深い鑑賞授業にすることが可能
となっている。また、③単発のイベント的なもので
はなく、必ず 1 年に 1 度行われるため、鑑賞授業の
教材として指導計画の中に組み入れることができる。
また、④児童、生徒は、オーケストラで使われてい
る個々の楽器の生の音を目の前で見て、聴く貴重な
体験ができるなどの点が挙げられている。
新日本フィルとの協働の観点では、⑤受け入れる
ことに負担感は全くなく、⑥授業内容も学校側の要
望通りに充実させることができ、十分連携が取れて
いるとの評価であった。事業の意義については、⑦
墨田区に既に定着している事業であり、区内の児童、
生徒にとって、クラシック音楽は特別なものではな
く、身近なものになっていること、また⑧感受性の
豊かな 10 代までにプロフェッショナルの演奏家の
奏でる音楽を身近に聴くことができるのは彼らにと
って豊かの情操を養い、それが将来の糧になると評
価している。但し⑨サマーキャンプなどは、部活動
や他の行事との兼ね合いもあり、学校全体で取り組
むことは難しいとの意見があった。
(2)学校長による評価
学校長からは、まず、①音楽指導事業は、経費を
区が負担し、新日本フィルとのフランチャイズ提携
に基づいて行われているものであるため、区内全て
の小中学校が公平に経験できる事業として成り立っ
ていると評価された。また、②長年の積み重ねがあ
るのでスムーズに運営されていること、③さまざま
な分野のプロフェッショナルの人が学校現場に入る
ことはキャリア教育という観点からも有意義であり、
児童、生徒のみならず教師の視野も拡げる取り組み
となっていることが指摘され、さらに、④児童、生
徒に本物を見せ、聴かせることの重要性や、⑤具体
的な経験を積むことが感性を育てることになり、音
楽指導事業はその一助となっていることも指摘され
た。そのほか、⑥単発のイベントのような取り組み
ではなく、長く継続する事業を展開しているため、
児童、生徒にとってもクラシック音楽を親しみのあ
るものにしている、また、⑦全人的成長を促すため
には本物に触れること、時間をかけて学ぶことが重
要であること、⑧「生きる力」をつけるには腰を据
えて長く続けることが大切であるが、墨田区ではそ
れができているといった評価もみられた。
以上のように音楽指導事業は、音楽鑑賞授業とし
ての評価が高く、全ての学校において、定期的に継
続されているため、音楽の授業として指導計画の中
に組み入れスムーズに授業運営でき、児童、生徒に
とって、本物の楽器を見て聴くことができる貴重な
体験を提供しているとの評価である。
重要視されていることは、
「本物(質の高さ)に触
れること」と「公平性、定期性、継続性」であると
いうことができるが、墨田区では、これはフランチ
ャイズ提携によって、プロフェッショナル・オーケ
ストラが関わっているため、質の高さは担保され、
また区が経費等の負担をしているため、公平性、定
期性、継続性も担保されている事業であると指摘で
きる。
5、インタビュー調査からみるフランチャイズ提携の
有用性
インタビュー調査の結果から、フランチャイズ提
携によって行われる事業がもたらす学校教育現場に
おける有用性は、便益とメリット3として、次の通り
と考える。
(便益)
①鑑賞授業にプロフェッショナル・オーケストラの
演奏家による質の高い教材が提供される。②プロフ
ェッショナル・オーケストラの演奏を身近に聴き、
楽曲の背景などを学ぶことにより子供たちの感性を
磨くことができる。③プロの演奏家を職業人ととら
え、キャリア教育の一助とすることができる。④小
学校の時期は全人的教育の始めの地点であり、中学
校教育は将来にわたっての生涯学習の導入である。
全人的成長を促すには本物にふれること、時間をか
けて学ぶことが必要であるが、音楽指導事業はその
機会を提供している。
(メリット)
①費用を含め学校単独では行うことが困難な事業を、
この提携により区内全小中学校で長期的、定期的に
行うことができ、音楽鑑賞授業として指導計画に組
み入れることができる。
以上により墨田区と新日本フィルとのフランチャ
イズ提携において行われる音楽指導事業は、区内の
学校現場に好影響をもたらしていることが明らかに
なった。少なくとも学校教育においては、墨田区が
おこなっている新日本フィルとのフランチャイズ提
携は有用であるものということができる。
6、新たな問題提起とアウトリーチ活動の課題
このように、音楽指導事業は、墨田区の教育現場
において高い評価を受けている。しかしながら、学
校側から、この評価の高い音楽指導事業をさらに拡
大させようとする働きかけはみられない。その理由
をさぐるため学校長と音楽科教諭に追加インタビュ
ー調査を行った。
その結果、学校長からは、拡大せず現状維持が望
ましいとの意見がしめされた。理由としては、音楽
科として、既に生徒には質の高い経験を積ませるこ
とができており、他教科とのバランスの必要性があ
げられている。他教科でも、音楽科のように質が高
いものを、経験させることが必要であり、また学校
の方針によって音楽や芸術以外のものに力を注ぎた
い場合もあるとの意見であった。
音楽科教諭からも、同様に現状維持が望ましいと
の見解が得られた。現在、音楽指導事業(教室内で
アンサンブルを聴く)と音楽鑑賞教室(フルオーケ
ストラを聴く)のバランスがよく取れており、質も
高い。また「年に1回という貴重な体験である」こ
との必要性があり、回数が増えると緊張感が保てな
いとの意見であった。
追加インタビュー調査によると、学校教育現場で
は次のことが求められる。まず、①学校教育ではあ
らゆる教科を見渡し、バランスよくさまざまな経験
をさせる必要がある。そのため、②同様の芸術体験
は何回も必要とはされず、③回数は少なくても質の
高い芸術体験が求められている。
これらのことは、学校教育現場においては、当然
考慮されるべき事柄と認識されているが、アウトリ
ーチ活動を行う芸術団体には、見落とされる可能性
の高い視点である。芸術団体は、自らの行っている
事業に集中するあまり、学校教育現場が必要として
いる教科のバランスについては十分には配慮してい
ない場合も有り得る。これは、学校教育現場でアウ
トリーチ活動を行おうとする芸術団体等に対する課
題として、提示されるべきものである。
また、学校方針によって芸術に重きを置かない場
合もある。学校方針、事業の捉え方によって児童、
生徒が得られるものに差が出る可能性がある。
(墨田
区でも、音楽指導事業の前後の授業を予習復習にあ
てたり、児童生徒に感想文を書かせたりなど積極的
に取り入れる学校もあるが、それほど熱心ではない
ケースも見受けられた。)このような事業が行われる
場合は、それを最大限に活かす取り組みが、学校側
にも求められる。
7、インタビュー調査からみるフランチャイズ提携の
有用性と学校教育におけるアウトリーチ活動
インタビュー調査結果により、フランチャイズ提
携によって行われる音楽指導事業と音楽鑑賞教室は
墨田区の学校教育現場において有用であることが確
認された。また、学校教育の現場においては、各教
科のバランスをとること、芸術団体によって行われ
るアウトリーチ活動の質の高さの必要性など、芸術
団体等にとって認識されるべき課題が抽出された。
本インタビュー調査は少数の定性的分析であった
ため、今後は区内全小中学校および音楽指導事業を
体験した住民を対象にアンケート等を行い、この事
業の効果等について定量的に分析する必要がある。
また、他の事業(ふれあいコンサート、コミュニ
ティコンサート等)を含めたフランチャイズ提携全
体の妥当性について住民アンケート調査等を行う必
要があろう。
第5章
結論-よりよい協働のために
課題と展望
1、よりよい協働のために―課題と展望
(1)課題
墨田区の学校長へのインタビューにおいて、芸術
教育について次のような指摘があった。それは、①
フランチャイズ提携とそれによって行われる音楽指
導事業のような取り組みは墨田区だけにおわらせず、
日本全体の音楽教育のなかで考えられるべきもので
あること、また、②さまざまな分野と学校との連携
を考える場合はお互いを理解することが大切である
が、コミュニケーション不足により、上手くいかな
いことが多くある、等である。
①であるが、墨田区では、
「音楽都市構想」に基づ
いて、新日本フィルとフランチャイズ提携し、音楽
指導事業を含め、さまざまな事業を展開させている。
しかし、各地で、オーケストラとのフランチャイズ
提携が出来るとは考えにくい。しかし、事業の中身
に関しては、個々に取り組むことが可能なものも多
い。
(新日本フィルは、岐阜県「可児市文化創造セン
ターala」等と地域拠点契約を結び、地域の事情に合
わせた学校訪問などのアウトリーチ活動を行ってい
る。
)ただし、地域拠点契約に基づく学校でのアウト
リーチ活動では、学校教育の中で、求められている
「質の高さ」
「継続性」は満たされているものの、楽
団員のマンパワーに限りがあるため、毎年、すべて
の学校を訪問することはできておらず、
「公平性、定
期性」については満たされていない。そうした不十
分さを補うため、自治体では、地域の人材の活用も
検討するべきであろう。例えば、芸術団体との協働
のもと、自治体が、地域に在住する芸術家を教育プ
ログラムアーティストとして募集等を行い、協働し
ている芸術団体がオーディション等を通して、質の
高い芸術家を登録するといった方法を考えることが
できる。それにより、質の高さの維持と、芸術団体
だけでは行い得ない全ての学校への定期的な訪問が
可能になると考えられる。
また、②については、学校と芸術団体とのコミュ
ニケーション不足によって、学校側が行ってほしい
内容と、アウトリーチを行う側が実施したいことと
の齟齬が生じ、アウトリーチを行う側の一方的な押
し付けのようなことが起きてしまう場合がある。そ
れは、学校教育にとっては好ましいものではない。
墨田区の音楽指導事業を例に考えれば、新日本フィ
ルの事務局事業部がこの連携を担っている。オーケ
ストラの事務局は、芸術家の特徴をよく知り、また
学校のニーズをよく把握することができる立場にあ
る。これは、オーケストラの事務局自体が、学校や
地域社会と芸術家を繋ぐ中間支援組織の役割を担っ
ていることになる。
このことから、芸術団体の事務局は、芸術団体の本
来の活動(演奏会等)のマネジメントに加え、芸術
を通した社会貢献事業のマネジメントを業務として
行っていくことも可能であると考えられる。
また、自治体は、直接、芸術団体等との関わりが
ない場合でも、地域にある芸術関連のさまざまな団
体(NPO 等)との連携などを模索すれば、地域社会
全体の芸術教育に積極的に取り組むことは可能であ
ろう。
(2)展望
墨田区と新日本フィルのフランチャイズ提携のも
とで、学校教育において行われる音楽指導事業その
ものは、学校教育において、便益とメリットをもた
らすものであることが確認された。これは自治体が、
地域の学校教育に関わっているために、行うことが
できる事業である。
学校教育現場では、児童、生徒にさまざまな経験
をさせたいと考えられているが、経済的、人材確保
など課題が多くある。そのような学校単独では行い
にくい芸術教育には、資金面の安定化や公平性等の
維持のために、自治体が積極的に関わっていく必要
がある。その地域の実情を踏まえながら、自治体と、
学校教育にアウトリーチ活動という形で関わりたい
と考えている芸術家や芸術団体、NPO などさまざま
な組織が連携を密にし、協働を推進していくことが、
学校教育におけるより良い芸術教育環境を形作って
いくと考えられる。
本研究で取り上げた墨田区と新日本フィルハーモ
ニー交響楽団のフランチャイズ提携は、自治体と芸
術団体との、そうした協働のひとつのあり方を示す
ものといえよう。
1
ウィリアム・J・ボウモル、ウィリアム・G・ボウエン(池上
惇他訳) 『舞台芸術―芸術と経済のジレンマ』芸団協出版部、
1994 年
2
3
根木昭『文化政策学入門』水曜社、2010 年
便益とは、受益者(児童・生徒を含む学校教育)にとっての直
接的な益とし、メリットとは、この事業の価値、利点、功績と
する。表題のメリットは協働がもたらす功績および有用性をさ
す。
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