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第 2 章 メガ・スポーツイベントと地方政治 ――長野オリンピックの経験と

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第 2 章 メガ・スポーツイベントと地方政治 ――長野オリンピックの経験と
第 2 章 メガ・スポーツイベントと地方政治
――長野オリンピックの経験と長野県政のレジームシフト――
丸山真央
1
問題の所在
国際的な大規模イベントが都市政策や地域政策のツールとして注目される「メガ・イベ
ントの再到来」の時代(町村 2008)にあって,オリンピックやサッカー・ワールドカップ
をはじめとするメガ・スポーツイベントもその例に漏れない.そうしたメガ・スポーツイ
ベントは開催都市や地域社会にさまざまな効果・影響を及ぼすと考えられるが,これまで
それは経済学的な視点から議論されることが多かった.たとえば開催の直接支出や波及効
果,さらにはインフラの蓄積,消費の誘導,地域の連帯性の向上,都市イメージの向上な
どがその効果として指摘されてきた(原田 2002)
.
しかし海外のメガ・スポーツイベントの経済効果研究を検討した大沼義彦によれば,そ
うした効果分析はしばしば「過大な楽観主義」に陥るものであるといい,むしろメガ・ス
ポーツイベントは「政治的な道具」や「都市成長『物語』の乗り物」とみたほうがよいと
して,効果・影響分析における社会学的な視点の重要性を強調している(大沼 2006a).文
化経済学にあっても近年では経済効果よりも「祝祭的な気分」や「地域に対する誇り」な
どの「心理的所得」を重視する議論が登場しているようで(原田 2008: 92)
,メガ・スポー
ツイベントの地域的効果・影響を論じる際,従来の経済学的視点にとどまらない視点が重
要になってきているといってよいだろう.
メガ・スポーツイベントの効果・影響に関する社会学的分析のひとつとして,松村和則
らスポーツ社会学の研究者グループは,生活環境主義の視点からメガ・スポーツイベント
の開催が当該地域の住民生活に及ぼす影響を論じている(松村編 2006)
.そこでは地域の
環境変化,産業構造の変動,交通開発などに伴う住民生活の変化に焦点があてられ,メガ・
スポーツイベントが地域社会に与える中長期的な社会的影響の解明が模索されている.
メガ・スポーツイベントの地域・自治体への影響として,開催自治体に大きな財政負担
を与えることはよく知られている.また中長期的にインフラ整備,国際交流,スポーツ政
策など自治体の個別政策に与える影響は社会学だけでなく公共政策研究や都市計画研究な
どでも論じられてきている(e.g. 大沼 2006b; 佐藤 2006; 韓・木田 2007; 蔡 2007)
.
ではメガ・スポーツイベントの開催は,自治体行財政や政策動向にとどまらず,自治体
の政治にいかなる影響を及ぼすのだろうか.こうした関心は,招致合戦の狂奔や招致の失
敗が当該地域の自治体の議会を混乱させたり,選挙の争点となったりしたとするエピソー
ドとしてジャーナリスティックに語られることはあっても,社会学や政治学から関心を向
けられることは少ないように思われる 1).
地方政治論や都市政治論の文脈からみても,メガ・スポーツイベントの招致や開催をめ
ぐる政治過程の研究はそれなりに蓄積があるものの,「
[都市政治での]レジームや連合形
成におけるスポーツの役割,スポーツ戦略の発展におけるレジームあるいは連合形成の役
割に焦点をあてた研究は不足している」といわれている(Henry and Gratton 2001: 7)
.中長
期的な政治変動への影響要因としてメガ・スポーツイベントに着目したものはいっそう少
21
ないように思われる.
1998 年の長野冬季オリンピックは,メガ・スポーツイベントが地方政治に及ぼす影響を
検討する際,有益なケースを提供している.後述するように,長野オリンピックの開催と
その後始末は,開催前から長野県政の争点となり,開催後も大きな争点としてしばらく存
在し続けた.オリンピック開催の 2 年後に知事の交代が起こったことはその影響の最も大
きな政治的出来事といえるものである.こうした地方政治の変化はオリンピックの開催と
どのような関連があるのか.本稿は長野オリンピックと長野県政を素材として,メガ・ス
ポーツイベントが地方政治の変化とどのような関連をもつのかを明らかにすることをめざ
す.
とくに本稿では,地方政治の権力構造の変化というメゾ/マクロ水準の変化と地域住民
の政治的選択というミクロな要因の関連のメカニズムに着目する.具体的には,オリンピ
ック開催地域の住民にとってのメガ・スポーツイベントの経験が,地方政治・地方選挙を
めぐる行動・態度・意識と関連しているのか,関連しているとすればそれはどのようなメ
カニズムにおいてなのか,といった点が中心的な関心となる.
以下では,まず長野オリンピック前後の長野県政の変化を「ローカルレジーム」概念を
用いて整理する.そのうえで,かかるレジームの変化と地域住民の政治的選択がオリンピ
ックというメガ・スポーツイベントとどのように関連しているのかを考え,いくつかの仮
説を提起する.そこでは,オリンピックに伴う地域の産業構造の変動との関連やオリンピ
ックをめぐる地域住民の経験といった契機に着目し,オリンピック開催市町村で行った世
論調査の分析を通じて仮説を検証していく.最後に,メガ・スポーツイベントが地方政治
に与える影響についてまとめる.
2
長野オリンピックと長野県政のレジームシフト
まずは長野オリンピックと長野県政の経緯を簡単に整理しておこう.ここでは,ローカ
ルレジームのシフトという観点からの整理を試みる.
地方政治・都市政治研究では 1990 年代以降,地域・都市のレジーム分析が方法として世
界的に定着してきた(Mossberger 2009)
.この分析法にはいくつかの変種があるが,標準的
には,ある地域・都市の統治を,そこにかかわるアクターの制度的・非制度的なネットワ
ークや相互依存からなるガバナンスとみて,そうしたガバナンスを支えるルール・規範・
目標も含めてレジームと呼ぶものである.
この分析方法は統治(governing)をガバメント(government,政権・政府)に限定して
捉えず,地方政治家や自治体官僚だけでなく,制度的・非制度的な回路を通じて影響力を
行使する経済セクター(個別企業や地方財界)や市民セクター(たとえば住民組織や非政
府組織)のアクターも含めたガバナンス(governance)として捉えるという点で,従来の
経済決定論的な政治分析を超えた新しい多元主義的分析の視点と方法を確立したものとし
て評価されている.またガバナンスのルール・規範・目標といった短期的に変化しにくい
ものを含めて捉えることで,政権交代にとどまらず地方政治の中長期的・構造的な安定と
変動を描ける点でも方法的強みをもつとされる.ここではローカルレジームを,①政治的
アクターの勢力配置,②行政運営上の諸アクター間の制度的・非制度的関係,③アクター
に共有されているルール・規範・目標という 3 点からなるものとして理解しておこう.
22
レジーム分析を日本の地方政治研究で初めて本格的に用いた中澤秀雄は,戦後日本の地
方政治の展開を「名望家レジーム」から「地域開発レジーム」へのシフトとして整理して
いる(中澤 2005)
.高度経済成長を経て,パトロン・クライアント関係による名望家支配
から,経済成長・地域開発をめぐる中央と地方,国家・自治体と住民の間の利益媒介によ
る統合へのシフトが起こり,地域開発レジームが確立されてきた.
このレジームは多くの地域で主流的なレジームとなったが,開発レジームが含意すると
ころを筆者なりに整理すれば次のような共通点をもつといえる.すなわち,①保革(自民
党と社会党)相乗り(日本版労資和解)という政治的基盤の上で,②自治体運営において
は官民の制度的・非制度的関係を通じて形成された協調体制がとられ,③そうした政治的
基盤と官民関係の形成は経済成長志向の開発をめざすという合意によって可能となった―
―という 3 点である.
このレジームは,資源開発や拠点開発などの大規模地域開発から各種の補助金行政にい
たるまで,大小の利益を国家や資本から地域へと導き入れ,それを分配することによって
政治的正統性を獲得し成立してきた.しかし 1990 年代以降,資本のグローバル化と開発主
義国家のネオリベラリズムによる再編を契機として,そうした資源分配が不可能になるこ
とで,レジームの危機と再編が各地でみられるようになっている(丸山 2008, 2010)
.
そこで,こうした開発レジームとその再編という視点から,長野オリンピック前後の長
野県政を整理してみよう.ここでは,1980 年から 5 期 20 年にわたって知事の座にあって
オリンピックの招致と開催にあたった吉村午良(在任 1980~2000 年)
,オリンピック後の
政治的混乱の中で 2000 年に登場した「無党派知事」の田中康夫(同 2000~2006 年),田中
のあとで 2006 年に知事の座に就いた村井仁(同 2006~2010 年)の 3 人の知事による県政
を検討対象とする.
2.1 吉村県政――オリンピックと開発レジーム
1980 年から 20 年間にわたって長野県政を担い,オリンピックの招致と開催を実現した
吉村午良の県政のレジームは,①保革相乗りの政治的基盤,②官民の強固な協調体制,③
強力な開発志向という 3 点の特徴をもつものと整理できる.
旧自治官僚で長野県副知事だった吉村は当初,自民党と民社党の推薦を受けて当選した
が,2 期目以降は社会党も推薦に加わり,1994 年の国政の政権交代後も,共産党を除く非
自民の主要政党すべてに支えられて保革相乗り体制で県政を運営した(表 1)
.オリンピッ
ク招致は 1983 年ごろから民間で始まったとされるが,県政で目にみえる動きとなったのは
吉村県政 2 期目の 1985 年のことである
(財団法人長野オリンピック冬季競技大会組織委員
会 1999: 31)
.同年 3 月には県議会が招致を決議したが,この決議が満場一致だったのは,
吉村県政が当初から着々と準備してきた保革相乗りの政治的基盤を抜きにしては考えられ
ない.
こうした政治的基盤に加えて,行政運営上の官民の公式・非公式な関係という点でも盤
石な協調体制が築かれ,それが長野オリンピックの招致・組織を支えることにもなった.
吉村自身,初当選時から県内の経済団体の強い支持を背景にもっていた.吉村県政 3 期目
の 1991 年 6 月にオリンピック開催が決まり,同年 11 月に長野オリンピック冬季競技大会
組織委員会(NAOC)が設立されると,ここには県庁,開催市町村,県内スポーツ団体だ
けでなく県内の主要な経済団体,メディア企業などから組織委員・実行委員が送り込まれ,
23
表1 1980年以降の長野県知事選の候補者と開票結果
自民系
民主系
共産系
その他
吉村午良
586,304
水口米雄 367,450
1980年
(自・民社)
61.5%
38.5%
吉村午良
772,850
松村文夫 151,843
1984年
(自・社・民社)
83.6%
(共)
16.4%
吉村午良
799,050
松村文夫 180,890
1988年
(自・社・公・民社)
81.5%
(共)
18.5%
吉村午良
736,038
片岡稚夫 132,749
1992年
(自・社・公・民社)
84.7%
15.3%
吉村午良
905,272
中野友貴 219,842
1996年
(自・進・社・さ・公)
77.5%
(共)
18.8%
池田典隆
473,717
中野早苗 122,615 田中康夫 589,324
2000年
39.5%
(共)
10.2%
49.1%
長谷川敬子
406,559
田中康夫 822,897
2002年
31.8%
64.3%
村井仁
612,725
田中康夫 534,229
2006年
53.4%
46.6%
腰原愛正
357,882
阿部守一
362,903
松本猛
189,793
2010年
65.3%
(民・社・国)
65.7%
20.8%
注:網掛けは当選者。得票数5万票以下の候補は省略。上段は得票数、下段は相対得票率。かっこ内は政党推
薦(自=自民、社=社会・社民、共=共産、公=公明、進=新進、さ=さきがけ、民=民主、国=国民新)。
国政・行政
内閣◎○▲
衆議院▲
参議院▲
スポーツ議連▲
県選出国会議員▲
外務省○▲
文部省◎○▲
法務省▲ 大蔵省▲
厚生省▲ 農水省▲
郵政省▲ 建設省▲
自治省▲ 総務庁▲
防衛庁▲ 経企庁▲
環境庁▲ 国土庁▲
スポーツ界
日本体育協会◎ スポーツ振興資金財団◎○
経済界
JOC◎○ IOC理事◎
全日本スキー連盟◎○
日本アイスホッケー連盟◎○
日本ボブスレー・リュージュ連盟◎○
日本スケート連盟◎○
日本カーリング協会◎○
日本近代五種・バイアスロン連合◎○
経団連◎○
日本商工会議所◎○
マスコミ
文化財保護
振興財団◎
NAOC ( 長野オリンピッ ク冬季競技大会組織委員会)
日本芸術院◎
NHK◎○
民放連◎○
新聞協会◎○
会長 斎藤英四郎(スポーツ振興資金財団会長、元新日鉄社長・経団連会長)
副会長 吉村午良(長野県知事)(実行委員長)
古橋広之進(JOC会長)
堤義明(全日本スキー連盟・日本アイスホッケー連盟会長、西武鉄道会長)
塚田佐(長野市長)
事務総長 津田正(元自治事務次官)→小林實(元自治事務次官)
信州大学教授○
県国際交流
推進協会○
信濃毎日新聞○
県文化振興
事業団○
県政治・行政
県スポーツ界
県庁◎○
県体育協会○
県警察本部○
県スキー連盟○
県アイスホッケー連盟○
県ボブスレー・リュージュ連盟○
県カーリング協会○
県バイアスロン連盟○
県スケート連盟○
県議会◎○
開催市町村議会◎
開催市町村◎○
県経済界
県商工会議所連合会◎○
県経営者協会◎○
JC長野ブロック協議会○
県観光連盟○
◎=組織委員を送っている組織、○=実行委員を送っている組織、▲=顧問を送っている組織
注:財団法人長野オリンピック冬季競技大会組織委員会(1998a: 304-9)から作成。
図1 N AO Cの役員構成と関連団体(1998年2月現在)
オリンピックの運営・組織のための官民連結組織が形成された(図 1)
.
長野県は戦後,県土の広大さと自然地理的環境の厳しさを克服するべく県が中心となっ
24
1.4
兆円
←―
吉村県政
50.0%
―→
1.2
40.0%
1.0
0.8
30.0%
0.6
20.0%
0.4
10.0%
0.2
1957 60
65
70
75
80
85
90
95
五
←輪
0.0
2000
0.0%
05
08
投資的経費(B)
歳出(A)
B/A(右軸)
(参考)全都道府県のB/A(右軸)
年度
注:『地方財政統計年報』各年版から作成。
図2 長野県財政における投資的経費とその割合
て開発を進める県政運営の組織体制が整備されてきた(森 2008)2).こうした歴史的経緯
もあって県財政に占める公共事業支出の割合は小さくなかったが,吉村県政以降,歳出全
体に占める投資的経費の割合はそれまで以上に膨らみ,全国平均を大きく上回るようにな
った(図 2)3).
そこにオリンピック開催が決まり,競技・関連施設の建設,高速道・新幹線・一般道の
アクセス整備などの交通網建設をはじめ,膨大な公共土木開発事業が行われることとなっ
た 4).NAOC は「自然にやさしく」
「新たな開発は最小限に」と標榜したが(財団法人長野
オリンピック冬季競技大会組織委員会 1999: 16)
,実際には土木開発による自然破壊がた
びたび問題となったし,競技施設だけでも概算事業費は約 4,174 億円,うち県の負担分は
約 2,283 億円に上るとする計算もあり,しばしば「ゼネコンのための五輪」とも批判され
た(相川 1998; 江沢ほか 1998)
.
2.2 田中県政――脱開発レジームの模索
長野オリンピックから 2 年後の 2000 年,吉村は知事選を機に引退を表明し,後継として
副知事の池田典隆が擁立された.このとき共産党を除く各政党は,吉村県政の延長で池田
を推し,保革相乗り県政は引き継がれるかにみえた.しかしオリンピック開催後の財政赤
字の増大や招致をめぐるいくつかの問題が発覚したことから,県内の主要経済団体のひと
つである県経営者協会の副会長で県内銀行最大手の八十二銀行頭取の茅野実や,県商工会
議所連合会会長の仁科恵敏が池田不支持を表明し,それまでの保革相乗りの政治的基盤と
官民協調の県政運営体制は崩れることとなった(丸山ほか 2007)
.
茅野や仁科ら一部の財界人は池田から離反して作家の田中康夫に立候補を要請した.田
中は阪神大震災のボランティア経験や神戸空港反対運動などの実績があったものの政治家
経験はなく,茅野や仁科らも当初,大した政治組織をもたなかった(浅田・田中 2001: 12)
.
だがこうした県内経済界の一部離反を受けて,それまでの保革相乗り県政を支えてきた政
治基盤は動揺し(丸山ほか 2007)
,加えてそれまで組織化されてこなかった住民層が勝手
25
連的に支援したことで(川辺書林編 2000)
,
田中は僅差で池田を破って知事の座に就いた.
田中は知事就任の翌月に「脱ダム宣言」を出して県営ダムの建設中止を表明し,それま
での開発志向の県政運営からの脱却を打ち出した.同時に,地域住民との直接対話の場と
して「車座集会」を開催したり,県庁の知事室を 1 階に移しガラス張りにしたりするなど,
「開かれた県政」を標榜して,
参加民主主義による県政民主化をめざした
(丸山ほか 2007)
.
吉村に続いて知事の座に就いた田中康夫の県政は,吉村県政期(とくに長野オリンピッ
ク)を頂点として確立された開発レジームからの脱却を志向するものとして,①保革相乗
りに対抗する一部革新勢力と無党派層を政治的基盤として,②従来の官民協調体制の非民
主的性格を批判して参加民主主義による県政運営を行おうと試み,③それまでの開発志向
に代えて環境・脱開発志向を標榜した,ポスト開発レジームを模索するものだったと整理
することができるだろう.
しかしポスト開発レジームは,その構想がおぼろげながらみえたとしても確立は難しか
った.まずその原因として田中県政の権力構造上の限界が挙げられる.一部の革新政党を
除いて,既成政党や主要労資団体の組織的基盤をもたないところで政治的正統性を保持し
続けるには,未組織の無党派層の支持を獲得し続けなければならない.そのため,しばし
ば「劇場型」と評された既成政党や主要団体との対立劇がくり返し演出されることとなっ
た(樺嶋 2003)
.
「既得権益」として田中が標的にした県議会との抗争の末に議会から不信
任を突きつけられて失職したあとの 2002 年出直し知事選では,
「脱政党」
「脱組織」を強調
して無党派層を引き付ける戦略が奏功して再選できたが(白鳥 2004: 第 5 章)
,度重なる
対立は次第に「県政の混乱」と受け止められるようになり,むしろ無党派層の離反を招く
こととなった.2006 年の知事選ではこれが致命傷となり,田中を支持していた一部財界人
も田中から離れることとなった(丸山ほか 2007)
.その結果,自民党が中心になって擁立
した対抗馬の元自民党代議士の村井仁に敗れることとなった.
2.3 村井県政――目標なきポスト開発レジーム?
田中に代わって知事に座に就いた村井仁の県政は,①共産党を除く相乗り体制,②官民
の協調体制の復活という点で,吉村県政にみられた開発レジームの復古を思わせる.しか
し,③県政の目標という点からみると明確な開発志向をもたない(もつことができない)
という点で吉村県政と異なる.かといって田中県政で打ち出された脱開発・環境志向や参
加民主主義による県政民主化という,
「開発」に代わるレジームの構想・目標が明確に掲げ
られたり追求されたりしたともいいがたい.したがって開発レジームとは区別する必要が
あるが,田中県政のような明確なポスト開発レジームの模索とはいいがたく,中長期的に
みると開発レジームからのシフトにおける中休み的な性格をもつものという位置づけが適
当かもしれない.
2006 年知事選では,田中への対抗から従来の保革相乗り体制が整備され,官民の協調的
な一体性も以前のように強固なものとなった(丸山ほか 2007)
.しかし県政の目標という
点での曖昧さは次の一例からうかがえよう.
たとえば村井が 2007 年に策定した県の中期計画(長野県 2007)をみると,計画の副題
は「
“活力と安心” 人・暮らし・自然が輝く信州」とされ,
「活力」
(開発)と「人・暮ら
し・自然」
(脱開発・環境)の間の微妙な均衡の上にあることがうかがえる.また「みんな
で長野県のあらまほしき姿を描く」と謳われ,田中が標榜した参加民主主義を継承するよ
26
うにもみえる.しかし計画策定過程で実際に行われたのは審議会やパブリックコメントで
あり,田中が目玉とした「車座集会」も継続して行われたものの,参加民主主義というほ
どの熱意をもつものではなかった.さらに本文に盛られた重点施策をみると,総花的で特
徴に乏しく,総じて「開発」と「ポスト開発」の均衡をとることに腐心している(あるい
はそのどちらに寄ることも避けている)ようにみえる.
村井はこの計画策定後,1 期で引退を表明し,2010 年の知事選では,民主党が擁立した
元自治官僚で県企業局長に出向した経験をもつ阿部守一が知事の座に就くこととなった.
3
分析の視点とデータ
開発レジームとその破綻・再編という視点からみると,オリンピックというメガ・スポ
ーツイベントが長野県政に与えた影響は次のように整理できる.すなわち,地域開発とい
う県政の目標がオリンピックの招致・開催に合致し,知事の政治的基盤や行政運営での官
民協調体制など,
それまでの県政の運営体制がその実現に向けて有効に機能した.
しかし,
オリンピック後に残された巨額の財政赤字や,次第に明らかになった不透明な招致活動に
象徴される閉鎖的で非民主的な県政運営は,一部財界人や無党派層によるモラルクルセー
ド(道徳回復運動)的性格をもつ改革運動を引き起こすこととなった.そこで生まれた「改
革派」知事の県政では,開発レジームに代わるポストレジームが,
「脱開発・環境」や「参
加・民主化」といった目標を掲げて模索された.しかしそれは容易には行かず,結局「改
革派」県政は数年で挫折し,ポスト開発レジームの模索も頓挫することとなった.
田中から村井への知事交代が起こった 2006 年知事選では,こうしたレジームシフトにお
いて,レジームの民主的統制をめぐる有権者の選択が重要な位置を占めていたことが明ら
かになっている(丸山ほか 2007)
.それは端的にいえば,開発レジームにおける利益媒介
型の地方政治に代わる,テクノクラート型,ポピュリズム型,参加民主主義型など,レジ
ームの民主的統制の多様なあり方が,知事選挙を通じて争われるものとなったということ
である.
換言すれば,これは公選制度を通じた有権者の政治的選択がレジームシフトにおいてカ
ギを握るということを意味する.戦後地方自治の制度的枠組では,レジームの基軸に制度
的に位置する知事は公選制度を通じて選ばれる.その制度的回路によって有権者の政治的
選好がレジームのありように一定の影響を及ぼす 5).
それゆえ有権者の政治的選好とレジームシフトの関連が検討される必要があるだろう.
開発レジームからポスト開発レジームへの変化において,有権者の選択はどのような影響
を及ぼしたのかという問いである.
では,レジームシフトにおける有権者の選択という要因に着目する際,オリンピックと
いうメガ・スポーツイベントとの関連はどのようなものとして仮定すればよいだろうか.
ここでは,長野県政の事例に即して,次の 3 つの視点を考えてみたい.
(1) 産業構造との関連
長野オリンピックの前後で長野県の産業構造の変化をみると,他の産業部門に比べて建
設業の就業人口の増減が顕著である.すなわち建設業就業人口はオリンピックを前にして
大幅に増加し,オリンピック後に減少した(図 3)
.開催 5 市町村に限ってみると,その増
27
減幅は県内全体を上回っている(図 4)
.もちろんこうした産業構造の変動には全国的な公
共事業の動向が影響しているが,オリンピック開催市町村において,オリンピック関連の
各種開発事業が地域の産業構造に大きな影響をまちがいない.
このようにメガ・スポーツイベントに伴う地域開発によって産業構造が変化し,それが
地方政治に影響を与えたとすると,次のような図式が想定できる.すなわち,建設業を中
心に商業を含めてオリンピック関連の諸産業に従事する住民は,開発レジームを主導する
吉村知事を支持した.しかしオリンピックのあと,知事の交代によって地域開発の推進が
止まり,そうしたオリンピック関連産業が衰退を余儀なくされるにあたり,脱開発レジー
ムを主導する田中知事に反発し,田中を批判するかたちで登場した村井知事を支持した.
このように産業構造の変化と地方政治のレジームシフトが密接な関連をもって展開した
とする見方,換言すれば,
人びとの社会的属性と政治的態度の間に関連を想定する見方は,
政治行動論における社会学モデル(社会的属性による政治的行動・態度・意識の説明モデ
ル)にあたる 6).
28
(2) 価値意識との関連
田中県政から村井県政へのレジームシフトがみられた 2006 年知事選をめぐっては,選挙
直後に長野県内の有権者を対象に行った投票行動の調査で,その投票行動の規定要因とし
て,属性や集団参加以上に,政治や社会に関する価値意識があったことが示唆されている
(丸山ほか 2007)
.とくに,それまでの開発レジームをどう改革してゆくか,たとえば開
発志向の行政の継続か環境志向の行政への改革か,あるいは参加民主主義による改革の是
非といった,政治や社会のあり方に関する価値意識が強い効果をもったとされる.
こうした価値意識の規定力が,オリンピック前後の歴代 3 知事の評価についてもいえる
のか.いわば価値意識が政治的行動・態度・意識と関連をもつとする価値意識モデルであ
るが,これを第 2 の仮説としよう.
(3) オリンピックの経験との関連
最後は,メガ・スポーツイベントとしてのオリンピックをめぐる地域住民の「経験」に
着目するものである.ここでは,オリンピックの「経験」として 2 つの位相を想定したい.
ひとつは,オリンピックに伴う各種の参加/動員の効果・影響である.長野オリンピッ
クではボランティア 3 万 2,579 人が開催運営にかかわり,オリンピック後には,県がボラ
ンティア交流センターを設置して,行政運営でのボランティア参加を促進した.地域によ
ってはサークルを結成してオリンピック支援を超えた市民活動を展開した例もある(山口
編 2004)7).
こうしたボランティアは,一般に社会参加を促進する機能をもち,ときに政治的社会化
を促す.
オリンピックでのボランティアが契機となって地域住民の政治的社会化が進めば,
当該地域の地方政治にも影響を及ぼすことは容易に考えられる.上述のように,長野オリ
ンピック後に誕生した田中県政は参加民主主義による県政民主化を標榜した.こうしたレ
ジームシフトは地域住民のオリンピックの参加/動員の経験は関連をもっているのか.こ
れがオリンピックの経験に関する分析上の第一の論点である.
しかし近年のメガ・イベント研究が明らかにしているように,こうしたボランティアの
参加/動員はスポーツイベントに限られるものではない(e.g. 町村・吉見編 2005)
.そこ
で次に,メガ・イベント一般ではなくメガ「スポーツ」イベントとしてのオリンピックと
いう点を考慮しよう.
メガ・イベントとスポーツの親和性は,しばしばスポーツのもつスペクタクル的性格か
ら説明される(高橋 2006; 橋本 2006)
.メディアを介したものを含めてスペクタクルを目
撃し共有する経験は,ナショナリズムを喚起したり集合的熱狂を生み出したりするとされ
るが,換言すれば,これはメガ・スポーツイベントのスペクタクルが政治的機能をもって
いるということである.
メガ・スポーツイベントのスペクタクルの経験は,ナショナリズムの喚起といった文化
政治,あるいは国家政治・国際政治だけでなく,地方政治の政治行動や態度を左右する効
果・影響をもつのか.上述のように,長野オリンピック後に誕生した田中県政は,団体政
治に統合されない有権者を支持基盤とするがゆえに,メディアを駆使した「劇場(=スペ
クタクル)型」の政治手法によるポピュリズムの性格をもっていた(丸山ほか 2007)
.田
中県政へのレジームシフトは,有権者にとってオリンピックのスペクタクルの経験と関連
をもつものだったのか.これが分析上の第二の論点である.
29
政党支持
価値意識
知事の
支持・評価
属性
オリンピックの経験
・スペクタクルの経験
・参加/動員の経験
図5 分析枠組
このようにメガ・スポーツイベントの「経験」が政治的行動・態度・意識に影響を及ぼ
したとする想定は,上述の社会的属性モデル,価値意識モデルに対する政治的行為モデル
といえる.これを第 3 の仮説としよう.
(4 )使用するデータ
以上の 3 つの分析視点を整理したのが図 5 である.以下,この分析モデルに即して分析
を進めていく.
分析に用いるのは,
「長野五輪が地域社会に与えた影響に関する調査」
(2009 年 12 月実
施)のデータのうち,オリンピック開催市町村の長野市,軽井沢町,山ノ内町,白馬村の
住民サンプル分である.調査はこの 4 市町村のほか御代田町も対象として実施されたが,
オリンピックが開催された 4 市町村とそうでない御代田町で,地域住民のオリンピックの
経験に大きな違いがあることを考慮して,ここでは分析対象をオリンピック開催市町村に
限定する 8).
4
分析
調査では,オリンピックの招致・開催にあたった吉村午良,オリンピック後に登場した
田中康夫,村井仁というオリンピック前後の歴代 3 知事について,それぞれ名前を挙げて,
「どう評価しますか」という質問文で,5 件法で尋ねた 9).
高評価(「大いに評価」
「ある程度評価」と答えた合計)の割合は,吉村が 42.0%,田中
が 52.8%,村井が 47.2%である.田中の評価が他の 2 人に比べて高い.しかし低評価(「評
価せず」
「あまり評価せず」と答えた合計)の割合は,吉村 39.4%,田中 39.7%,村井 40.6%
でほとんど変わらない(図 6)
.
以下では,それぞれの知事に対する住民の評価をみる際,この質問の回答にそれぞれ得
点を割り当てて,評価が高いほど数値が高くなるようにした得点(以下,評価得点)を用
いる 10).4 市町村のサンプル全体では,吉村が-0.06 点,田中が 0.09 点,村井が 0.02 点で,
田中の評価が若干高く,吉村の評価が低い.
30
吉村午良 5.9%
田中康夫
村井仁
大いに評価
36.1%
14.3%
7.8%
ある程度評価
17.1%
38.5%
6.0%
39.4%
10.9%
わからない
24.9%
21.4%
18.3%
27.9%
あまり評価せず
14.5%
12.7%
まったく評価せず
平均
-0.06
0.09
0.02
NA/DK
図6 歴代知事の評価
4.1 社会的属性・集団参加と知事の評価の関連
まず社会的属性によって知事の評価がそれぞれどう異なるかを検討しよう.
性別,
年齢,
最終学歴,現職(産業別の従業先),収入階層(世帯収入)ごとに知事の評価得点の平均を
求めた.
統計的に有意な差があったのは,吉村については,学歴(低学歴層>高学歴層)のみで
ある.田中については,性別(女>男)のみ有意な差がみられた.村井については,年齢
(老年層>若年層)
,学歴(低学歴層>高学歴層)
,職業(農林漁業従業層>建設業従業層
>無職・サービス業・商業従業層>その他の産業従業層>鉱工業従業層)で有意な差がみ
られた(表 2)
.
ここでは,建設業や商業といったオリンピック関連産業従業層の吉村支持や田中不支持
の傾向は,それほど明確にみられるわけではない.上述の産業構造変動との関連について
の仮説では,オリンピック関連産業従業層の親吉村-反田中(-親村井)という傾向が想
定されたが,この分析結果が示唆するのは,それほど明瞭な関連はなさそうだということ
である.
これとあわせて,政治的態度の規定要因のうち社会的属性に近いものとして,集団参加
の要因を検討しよう.地域にはさまざまな集団があり,そこへの参加はしばしば政治的行
動・態度・意識と関連をもつとされる.そこで今回の調査では,地縁団体,産業団体,政
治団体など主な集団について,現在と過去の参加状況を尋ねた 11).
代表的な集団について,現在の参加状況(加入/非加入)ごとにそれぞれの知事の評価
得点の平均をみてみた.統計的に有意な関連があったのは,吉村については,農林団体(農
協・漁協など農林水産業関係の団体)で加入層>非加入層,政治団体(政党・政治家の後
援会)でも加入層>非加入層という関連がみられた.田中についても,農林団体で非加入
層>加入層,政治団体でも非加入層>加入層という傾向がみられた.村井については,農
林団体で加入層>非加入層で,ほかの集団参加については統計的に有意な差がみられなか
った(表 3)
.
こうした結果からは,農林団体と政治団体に組織された住民において,親吉村-反田中
-親村井という傾向をうかがうことができる.しかし,社会的属性と同様に,オリンピッ
ク関連産業従業層がかかわる集団,たとえば商工団体については目立った差がみられず,
知事の評価に集団参加が与える効果も総じてそれほど大きいものとは言えないと思われる.
31
表2 知事の評価得点の平均(属性別)
吉村午良 田中康夫
性別
男性
0.01
-0.03
*
女性
-0.14
0.21
年齢
20代
-0.18
0.30
30代
0.04
0.17
40代
-0.18
0.30
50代
-0.22
0.17
60代
-0.07
-0.07
70代以上
0.09
0.05
学歴
中学校
0.31
-0.15
高校
-0.03
0.06
*
短大・高専・専門
-0.22
0.19
大学・大学院
-0.20
0.21
従業先
農林漁業
0.24
-0.07
鉱工業
-0.38
0.26
建設業
0.00
-0.26
商業
-0.06
0.19
サービス業
-0.05
0.01
その他
-0.28
0.42
無職
-0.13
0.14
世帯収入 300万円未満
-0.21
0.22
300~600万円
-0.04
0.08
600~1千万円
-0.04
0.13
1千万円以上
0.01
-0.06
注:** p <0.01 * p <0.05
村井仁
0.00
0.02
-0.25
-0.19
-0.11
*
-0.18
0.13
0.21
0.38
0.09
**
-0.16
-0.21
0.48
-0.47
0.06
-0.04 *
-0.01
-0.16
-0.01
-0.08
0.02
0.06
0.07
表3 知事の評価得点の平均(集団参加別)
吉村午良 田中康夫
村井仁
自治会・町内会
非加入
-0.11
0.04
-0.04
加入
-0.05
0.11
0.03
労働組合
非加入
-0.06
0.10
0.03
加入
-0.03
-0.01
-0.05
商工団体
非加入
-0.05
0.10
0.03
加入
-0.09
0.05
-0.04
農林団体
非加入
-0.13
0.20
-0.06
**
**
**
加入
0.22
-0.35
0.32
政治団体
非加入
-0.10
0.15
-0.02
*
**
加入
0.23
-0.36
0.24
宗教団体
非加入
-0.09
0.12
-0.01
加入
0.24
-0.14
0.29
注:** p <0.01 * p <0.05
4.2 政党支持・価値意識と知事の評価の関連
政治的行動・態度・意識と最も強い関連をもつとされる要因が政党支持である.調査で
は「あなたはふだん,何党を支持していますか」という質問文で,民主・自民・公明・共
産・社民・その他の政党・支持政党なし(無党派)の選択肢からひとつ選んでもらった.
支持政党ごとに知事の評価得点の平均をみると,3 人のいずれについても統計的に有意
な差がみられた(図 7)12).吉村の評価得点は,共産支持層<民主支持層・無党派層<社
民支持層<自民・公明支持層という結果で,左に革新政党,右に保守政党を置くと,おお
むね右肩上がりとなる.こうした傾向は村井の評価についてもあてはまる.村井の評価得
点は,共産支持層<社民支持層<民主支持層・無党派層<自民・公明支持層という順序で
ある.ただし吉村の評価と異なるのは,社民支持層の評価である.社民支持層は,吉村は
32
1.50
1.00
0.70
0.47
0.50
0.09
0.00
-0.50
村井仁
田中康夫
0.77
-0.10
0.07
-0.10
-0.21
-0.20
-0.27
-0.77
0.50
0.64
0.60
0.10
-0.45
-0.70
-1.00
-1.00
吉村午良
-1.50
共産
支持層
社民
支持層
民主
支持層
無党派
層
公明
支持層
自民
支持層
図7 知事の評価得点の平均(支持政党別)
相対的に評価しているものの,村井はそれほど評価していない.
こうした吉村・村井の評価の傾向と対蹠的なのが,田中の評価である.田中の評価得点
を支持政党ごとにみると,共産支持層>民主支持層>公明支持層・無党派層>社民支持層
>自民支持層となっており,おおむね左(革新政党)から右(保守政党)に向かっての右
肩下がりである.ただし,社民支持層の田中評価は無党派層よりも低い.
このように知事の評価は,おおむね政党支持と強固な関連があるといってよいだろう.
保守政党支持層は吉村と村井を,革新政党支持層は田中を評価する傾向にある.無党派層,
民主支持層は両者の中間的な位置にある.ただし,革新政党のうち社民党の支持層は,吉
村を評価しているが,田中を評価していない.これは,吉村県政が自社相乗り体制で,田
中県政がそれと対立するかたちで登場したことに呼応する結果として解釈できると思われ
る.
次に,政治的態度・行動と強い関連があるとされる,政治や社会に関する価値意識につ
いてみてみよう.ここでは,先行研究(丸山ほか 2007)で,2006 年長野県知事選の投票
行動に影響を及ぼしたとされる価値意識として,保革イデオロギー13),テクノクラシー志
向 14),環境主義意識 15)の 3 つに注目したい.
これらの価値意識の得点と 3 人の知事の評価得点の相関をみてみよう(図 8)
.吉村と村
井の評価は保革イデオロギー(保守度),テクノクラシー志向(反底辺民主主義志向)と正
の相関関係にあり,環境主義とは負の相関関係にある.これに対して田中の評価は保革イ
デオロギー(保守度)
,テクノクラシー志向と負の相関(革新・底辺民主主義志向と正相関)
関係があり,環境主義と正の相関関係にある.つまり吉村・村井と田中の評価は,価値意
識のうえで対蹠的な関係にある.
言い換えれば,吉村→田中→村井という知事の交代には,支持基盤の価値意識において,
「保守・テクノクラシー・反環境主義」→「革新・底辺民主主義・環境主義」→「保守・
テクノクラシー・反環境主義」という特徴があったということがここから浮かび上がる.
33
吉村午良の
評価得点
田中康夫の
評価得点
-.16
.23
.03
-.19
.22
村井仁の
評価得点
.23
-.12
.13
-.29
保革イデオロギー
(保守度)
テクノクラシー
.18
環境主義
-.17
.18
実線=正の相関、破線=負の相関、数値は相関係数
図8 政治意識と知事の評価得点の相関関係
4.3 オリンピックの経験Ⅰ――スペクタクルとしてのメガ・スポーツイベント
今度は,地域住民のメガ・スポーツイベントの「経験」という位相に着目する.ここで
は,
「スペクタクルの経験」と「参加/動員の経験」という 2 つに焦点をあてたいが,まず
開催市町村の住民がオリンピックのスペクタクルをいかに経験したのかという観戦経験か
らみていこう.
調査では,長野オリンピックの開閉会式と競技各種目を観戦したかどうかを尋ね,
「テレ
ビで観戦」
「会場で観戦」
「スタッフ等として参加」
「わからない・忘れた」からそれぞれ選
んでもらった.
テレビ観戦を経験した割合が最も高かったのは開会式,競技ではスピードスケートで,
いずれも 8 割近くがテレビで観たと答えた.会場での観戦(スタッフ等としての参加も含
む)を経験した割合が最も高かったのはジャンプだが,その経験率は 1 割強である(図 9)
.
73.3%
ジャンプ
スピードスケート
開会式
フィギュアスケート
78.9%
テレビで観戦
2.9%6.3%
69.0%
64.2%
58.8%
12.7%
9.3%
2.5%
38.8%
2.9%
9.7%
36.6%
20.1%
24.8%
11.7%
16.7%
17.3%
15.8%
14.3%
0.7%
0.7%
17.0%
8.7%
25.2%
2.4% 14.0%
0.9%
39.8%
31.0%
5.9% 10.3%
1.6% 13.0%
8.0%
55.5%
29.9%
13.1%
11.8%
52.2%
17.7%
20.1%
会場で観戦(スタッフ等で参加も含む)
26.5%
37.5%
38.1%
40.0%
43.8%
43.4%
46.8%
わからない・忘れた
図9 観戦の経験
34
9.4%
3.1% 8.3%
7.2%
55.2%
43.4%
3.8% 6.8%
5.3% 5.5% 9.1%
73.9%
閉会式
ノルディック複合
アルペンスキー
ショートトラック
クロスカントリー
フリースタイルスキー
ボブスレー
スノーボード
カーリング
アイスホッケー
リュージュ
バイアスロン
13.4%
78.6%
見ていない
NA/DK
世帯収入
従業先
学歴
年齢
性別
0.0%
50.0%
男性
女性
20代
30代
40代
50代
60代
70代以上
中学校
高校
短大・高専・専門
大学・大学院
農林漁業
鉱工業
建設業
商業
サービス業
その他
無職
300万円未満
300~600万円
600~1千万円
1千万円以上
100.0%
52.2%
43.3%
56.8%
35.8%
45.9%
53.8%
46.6%
44.4%
40.0%
51.3%
54.4%
45.0%
51.7%
90.9%
95.4%
88.6%
98.1%
90.7%
94.7%
94.9%
91.5%
93.1%
95.4%
94.2%
90.1%
91.5%
100.0%
41.2%
58.1%
55.4%
55.0%
39.7%
39.7%
44.1%
49.8%
48.7%
48.3%
テレビ観戦
会場観戦
100.0%
93.8%
91.4%
89.9%
94.2%
91.7%
93.8%
93.0%
96.6%
図10 観戦の経験ありの割合(属性別)
開閉会式あるいは 14 種目の競技のどれかひとつでもテレビで観戦した経験をもつ人は
92.2%に上った.またどれかひとつでも会場で観戦した経験をもつ人(スタッフ等として
の参加も含む)も 46.6%に上った.開催市町村の住民の半数がオリンピックというメガ・
スポーツイベントのスペクタクルを直接的に目撃しており,開催市町村でオリンピックの
観戦経験がかなり広範に共有されていることがここにうかがえる.
では,こうした観戦(開閉会式を含む)の経験は,開催市町村の住民に等しく共有され
たものなのか.観戦の経験の有無を社会的属性ごとにみると,いくつかの特徴が浮かび上
がる(図 10)
.
テレビ観戦は,全体の 9 割以上が経験していることから,属性による目立った差はほと
んどうかがえない.強いていえば,
男性よりも女性のほうがテレビ観戦の経験率が高いが,
それほど大きな差ではない.
しかし会場での観戦経験は,属性によってだいぶ異なる.統計的に有意な差があったの
は性別と職業である.男性のほうが女性よりも会場観戦の経験率が高く,また建設業従業
層は他の従業層に比べて経験率が高く,6 割に近かった.商業従業層,サービス業従業層,
農林漁業従業層もこれに次いで高く,過半数が会場観戦を経験していた.これに対して,
無職層と鉱工業従業層の会場観戦経験率は 4 割に満たず低かった.
こうした観戦(開閉会式を含む)は知事の評価とどう関連しているのだろうか.テレビ
観戦と会場観戦のそれぞれについて,経験の有無ごとにそれぞれの知事の評価得点の平均
を求めたところ,いずれも経験の有無によって知事の評価が異なっていた(図 11,12)
.
テレビ観戦では,経験なし層のほうが経験あり層よりも,吉村と村井の評価得点が高か
35
った.これに対して田中の評価得点は,経験なし層のほうが経験あり層よりも低かった.
つまり,テレビでオリンピックを見た人のほうが,見ていない人よりも,吉村と村井は評
価せず,反対に田中は評価するという関連である.ただ,吉村の評価に比べて村井の評価
は,経験の有無による差は小さい.
これに対して,会場観戦の経験では逆の関連がみられる.すなわち,経験なし層のほう
が経験あり層よりも,
吉村と村井の評価得点が低かった.
これに対して田中の評価得点は,
経験なし層のほうが経験あり層よりも高かった.つまり,会場でオリンピックを見た人の
ほうが,見ていない人よりも,吉村と村井は評価し,反対に田中は評価しないということ
である.
4.4 オリンピックの経験Ⅱ――参加/動員の場としてのメガ・スポーツイベント
次に,地域住民のオリンピックの「経験」のうち,さまざまな活動や運動への参加/動
員の経験という側面に注目する.調査では,オリンピック開催に伴う各種活動・運動への
参加/動員として,代表的な 8 つの活動・運動について経験の有無を尋ねた(図 11)
.
このうち,参加/動員の経験率が最も高かったのが「地域の清掃活動・環境美化運動」
で,全体の 3 割が参加したと回答した.このほか「市や町の繁華街で行われた表彰式」
「競
技や会場運営のボランティア活動」も 2 割前後が参加経験ありと答えた.以下,経験率が
高い順に「観光の推進活動」
「オリンピック関連のシンポジウム」
「一校一国運動」と続く.
全般的に,オリンピック開催を支援する活動のほうが経験率が高いという傾向がみられる.
それに対して,
「オリンピックでの開発に反対する自然保護活動(署名活動も含む)
」や
「オリンピック招致の反対運動」といったオリンピックへの異議申し立て活動は経験率が
低かった.自然保護運動(署名活動も含む)の経験率は 20 人に 1 人程度,招致反対運動の
経験率は 100 人の 1 人程度という結果である.
36
29.1%
地域の清掃活動・環境美化活動
市や町の繁華街で行われた表彰式
競技や会場運営のボランティア活動
観光の推進活動
59.3%
22.4%
63.7%
19.6%
74.2%
15.0%
69.9%
オリンピック関連のシンポジウム
12.7%
69.3%
一校一国運動
10.9%
74.3%
オリンピックでの開発に反対する自然保護運動
オリンピック招致の反対運動
5.2%
参加
5.0%
16.8%
13.6%
15.9%
83.6%
不参加
12.5%
13.6%
77.7%
1.0%
10.2%
14.0%
知らない・わからない
NA/DK
図13 参加/動員の経験
こうした参加/動員の経験の傾向をみるために,参加/動員経験の回答について因子分
析を行った(主因子法,プロマックス回転).その結果,2 つの因子が抽出された 16)(表 4)
.
第 1 因子は,
「地域の清掃活動・環境美化活動」
「観光の推進活動」
「オリンピック関連の
シンポジウム」
「競技や会場運営のボランティア」など,オリンピックの開催を支える各種
の活動の負荷量が高いことから「支援活動系」因子と名づけておこう.これに対して第 2
因子は,
「オリンピック招致の反対運動」
「オリンピックでの開発に反対する自然保護運動」
といった,オリンピックに反対する市民運動・住民運動の負荷量が高いことから,
「反対運
動系」因子と名づけておく.
表4 参加/動員の経験の因子分析
因子1
地域の清掃活動・環境美化活動
0.69
観光の推進活動
0.68
オリンピック関連のシンポジウム
0.56
競技や会場運営のボランティア活動
0.51
市や町の繁華街で行われた表彰式
0.32
オリンピックでの開発に反対する自然保護運動
0.27
(署名活動も含む)
オリンピック招致の反対運動
0.17
分散の % 26.0
回転後の負荷量平方和 1.7
注:主成分法、プロマックス回転による。
因子2
0.12
0.23
0.25
0.09
0.14
0.70
0.77
12.8
1.2
この因子得点を用いて,こうした参加/動員が社会的属性上のいかなる偏りをもつもの
なのか明らかにしよう(表 5)
.
まず,支援運動系得点で統計的に有意な差があったのは,性別(男>女)
,年齢(老年層
>若年層)である.学歴や職業については有意な差がみられなかった.こうした結果から,
オリンピックを支援する活動は,女性よりも男性,若者よりも老年層のほうが参加/動員
の経験をもっているという傾向をうかがうことができる.
それに対して反対運動系得点は,属性による統計的に有意な差はみられなかった.原因
として考えられるのは,反対運動系因子の因子負荷量が高い「オリンピックでの開発に反
対する自然保護活動」と「オリンピック招致の反対運動」が,上述のように,参加したと
答えた割合が少ないということがあるかもしれない.
37
表5 参加/動員の因子得点の平均(属性別)
支援活動系 反対運動系
性別
男性
0.10
-0.01
**
女性
-0.09
-0.01
年齢
20代
-0.20
0.09
30代
-0.30
-0.12
40代
-0.07
-0.01
*
50代
0.05
-0.09
60代
0.01
-0.07
70代以上
0.12
0.11
学歴
中学校
-0.03
0.02
高校
0.12
-0.02
短大・高専・専門
-0.06
-0.01
大学・大学院
-0.07
0.02
従業先
農林漁業
-0.06
0.07
鉱工業
-0.23
0.05
建設業
0.30
0.05
商業
0.11
-0.01
サービス業
0.04
-0.08
その他
-0.12
0.01
無職
-0.06
-0.03
世帯収入 300万円未満
-0.11
0.06
300~600万円
0.00
0.00
600~1千万円
0.12
-0.06
1千万円以上
0.03
0.03
注:** p <0.01 * p <0.05
こうした参加/動員の経験の有無とそれぞれの知事の評価がどう関連しているのかをみ
てみよう.2 つの因子得点と知事の評価得点の単相関を求めた(図 14)
.吉村と村井の評価
得点は,支援運動系得点と正の相関関係,反対運動系得点と負の相関関係にあった.これ
に対して田中の評価得点は,吉村と村井の場合と反対に,
支援運動系得点と負の相関関係,
反対運動系得点と正の相関関係にあった.つまり,オリンピックの支援運動を経験した人
(反対運動を経験しなかった人)ほど吉村と村井を評価し,反対運動を経験した人(支援
運動を経験しなかった人)ほど田中を評価するという関連がここにみられる.
吉村午良の
評価得点
-.05
田中康夫の
評価得点
-.11
.07
.14
村井仁の
評価得点
-.05
.12
支援運動系への
参加/動員経験
反対運動系への
参加/動員経験
実線=正の相関、破線=負の相関、数値は相関係数
図14 五輪の参加/動員経験と知事の評価得点の相関関係
4.5 小括
これまで 3 人の知事の評価に関連しそうな要因をいくつか検討してきた.複数の要因と
38
表6 知事の評価を従属変数とす る重回帰分析の結果
吉村午良
田中康夫
性別
男性
0.00
-0.05
女性
年齢
-0.01
0.03
学歴
-0.04
0.01
従業先
農林漁業
鉱工業
-0.98
-0.70
建設業
1.88
-4.55 *
商業
0.16
2.43 *
サービス業
0.78
0.04
その他
-1.54
2.51
無職
-0.20
0.18
集団参加
農林団体
0.06
-0.09 *
政治団体
0.01
-0.08
支持政党
民主党
-2.31 *
3.54 **
自民党
公明党
9.36 **
-4.39
共産党
-7.02 **
3.89
社民党
2.09
-4.06
無党派
-2.17 *
1.03
価値意識
保革イデオロギー(保守度)
0.16 **
-0.20 **
テクノクラシー
0.15 **
-0.12 **
環境主義
-0.09 *
0.08
観戦経験
テレビ観戦
-0.05
0.11 **
会場観戦
0.10 *
-0.03
参加/動員経験 支援活動系
0.06
-0.08
反対運動系
-0.04
0.09 *
調整済み R2 乗 0.14 **
0.17 **
N
555
555
注:値は標準化偏回帰係数。** p <0.01 * p <0.05
村井仁
-0.03
-0.02
-0.09 *
-2.02
1.47
-0.13
0.45
-0.42
0.75
0.04
0.03
-1.34
9.05
-3.75
-2.72
-1.32
0.17
0.18
-0.04
-0.07
0.11
0.11
-0.07
0.15
555
**
**
**
**
*
**
の関連性が示唆されたが,それぞれが影響を及ぼしあっていることも考えられるので,最
終的な関連性を特定するために,3 人の知事の評価得点を従属変数として,社会的属性・
集団参加,支持政党・価値意識,オリンピックの経験を独立変数とする重回帰分析を行っ
た(表 6,変数の説明は表 7 を参照)
.この結果から明らかになったそれぞれの知事の評価
の規定要因をまとめておこう.
吉村の評価に影響を及ぼしていたのは,ひとつは支持政党と価値意識である.とくに自
民・公明支持は吉村評価に正の効果を及ぼし,反対に,民主・共産支持,無党派は吉村評
価に負の効果を与えていた.価値意識については,保守的な価値意識をもつ人ほど吉村を
評価する傾向がみられた.またテクノクラシー志向が強く底辺民主主義志向が弱い人ほど
吉村を評価する傾向もみられた.環境主義志向は,弱い人ほど吉村を評価するという関連
である.
オリンピックの経験については,会場観戦の経験をもつ層ほど吉村を評価するという傾
向がみられたが,そのほかのテレビ観戦,参加/動員経験については,統計的に有意な結
果は得られなかった.
こうした知事評価の構造とかなり対極的なのが田中の評価である.田中の評価の場合,
まず社会的属性のうち,建設業従事層ほど田中を評価しないという傾向がみられた.反対
に,商業従事層は田中を高評価する傾向にある.集団参加では,農林団体加入層ほど田中
を評価しないという結果である.
39
知事の評価
性別
年齢
学歴
従業先
集団参加
支持政党
保革イデオロギー
テクノクラシー
環境主義
観戦経験
参加/動員経験
表7 重回帰分析に投入す る変数
「大いに評価する」=2、「ある程度評価する」=1、「わからない」=0、「あまり評価しない」=
-1、「まったく評価しない」=-2
男性=1、女=0
調査時満年齢
中卒=9、高卒=12、短大・高専、専門学校卒=14、大卒・院卒=16を割り当てて連続変数
化した
「農林漁業」、「鉱工業」(鉱業、製造業)、「建設業」、「商業」(卸売・小売業、飲食店・宿泊
業)、「サービス業」(商業以外の第三次産業)、「その他」、「無職」の7カテゴリー
「加入して積極的に活動している」=1、「加入はしている」=1、「加入していたことがある」=
0、「加入していない」=0
「民主」「自民」「公明」「共産」「社民」「無党派」の7カテゴリー
「保守」=5、「どちらかといえば保守」=4、「どちらともいえない」=3、「どちらかといえば革
新」=2、「革新」=1
知事を選ぶなら、A「素人だが市民の代表」←→B「市民の代表ではないが行政のプロ」の
うち、「Aに近い」=1、「どちらかといえばA」=2、「どちらかといえばB」=3、「Bに近い」=4
A「経済成長率が低下しても、環境保護が優先されるべき」←→B「環境がある程度悪化し
ても、経済成長と雇用対策が優先されるべき」のうち、「Aに近い」=4、「どちらかといえば
A」=3、「どちらかといえばB」=2、「Bに近い」=1
テレビ観戦、会場観戦のいずれについても、競技、開閉会式のいずれかひとつでも経験あ
り=1、いずれも経験なし=0
「競技や会場運営のボランティア活動」「地域の清掃活動・環境美化運動」「観光の推進活
動」「オリンピックでの開発に反対する自然保護運動(署名活動も含む)」「オリンピック招致
の反対運動」「市や町の繁華街で行われた表彰式」「オリンピック関連のシンポジウム」の8
項目についての因子分析(本文参照)による因子得点
政党支持では,
自民支持層に比べて民主支持層の田中評価が鮮明だった.
価値意識では,
革新的な人ほど田中を評価するという結果である.田中が知事在任中に力を入れた脱開
発・環境志向との関連でいえば,環境主義意識は,田中の評価に統計上有意な効果をもた
らしていなかった.しかし田中が力を注いだもうひとつの点である政治・行政参加という
点についていえば,底辺民主主義志向が強い人ほど田中を評価する傾向にあるという結果
が得られた.
オリンピックの経験という点では,反対運動系への参加/動員経験が田中評価に正の効
果を及ぼしていた.すなわち,オリンピックに批判的な運動に参加した人ほど田中を評価
しているということである.また,テレビ観戦の経験をもつことと田中評価には正の関連
がみられた.これは解釈がむずかしいが,ひとつ考えられるとすると,田中が得意とした
ポピュリズム的な政治手法,すなわちしばしば「劇場型」と評された政治のスペクタクル
化(丸山ほか 2007)とのかかわりである.そうした政治のスペクタクルの関心をもつ層と
メガ・スポーツイベントのスペクタクルを享受する層が重なるということであろうか.こ
の点は,統計的な有意水準が高くないため,今後さらに検討する余地があろう.
最後に,村井の評価の構造をみよう.村井の評価の社会的属性上の特徴として,低学歴
層ほど村井評価が高いという点がまず挙げられる.支持政党では,自民・公明支持層の高
評価が目につく程度であり,吉村の評価構造とはいくらか異なる.
価値意識という点では,
保守的な層ほど,またテクノクラシー志向が強い層ほど,村井を評価する傾向があるとい
う点で,吉村の評価構造に近い.ただし,吉村の評価の場合,環境主義意識と負の関連が
あったが,村井の場合は,環境主義に関しては有意な差がみられなかった.
40
5
結論
本稿では,長野オリンピックというメガ・スポーツイベントを契機として,長野県政の
ローカルレジームが開発レジームからシフトしていくメカニズムを,地域住民の政治的選
好というミクロな要因に着目して検討してきた.とくにここでは開催地域の住民のメガ・
スポーツイベントの経験のうち,政治的機能をもち地方政治の選好に影響を与えると考え
られるイベントへの参加/動員の経験と観戦を通じたスペクタクルの経験に注目した.
吉村県政の開発レジームは,有権者の支持構造からみると,政党支持という要因が大き
いものの,オリンピックのスペクタクルの経験のうち会場での観戦経験と正の相関関係が
みられた.メガ・スポーツイベントのスペクタクルを直接的に享受した層は,開発レジー
ムを支えた層とかなりの程度重なる.その意味で,オリンピックは開催地域の住民にとっ
て,開発レジームの延長上にあるイベントであり,開発レジームを支える人びとによって
享受され支えられたイベントであったといえる.
開発レジームとオリンピックの経験をめぐる地域社会の亀裂は,その後の地方政治の動
向に一定の影響をもたらしたようである.オリンピック後に開発レジームが外部環境の変
化もあってその役割を終えて退場させられたあと,ポスト開発レジームとして田中県政が
登場した.これを支えた層は,オリンピックに批判的な活動や運動を経験した層とカナさ
りあうところが大きい.その意味でも田中県政はオリンピックの反動として登場したもの
であったといえる.
その一方,田中県政の支持層は,メディアイベントとしてのオリンピックのスペクタク
ルを享受した層とも重なっていた.このことは田中県政の権力構造上の性格としてのポピ
ュリズムとの関連を示唆するものである.
すなわち,ポスト開発レジームへのシフトの際,
参加民主主義的な性格とともにポピュリズム的な性格を付与するようになったことに,オ
リンピックというメガ・スポーツイベントがかかわっていたことが示唆される.
こうしたポスト開発レジームの権力構造上の性格は,開発レジームの代替構想を模索す
るうえで桎梏をもたらすものでもあった.すなわちこれは,レジームの基軸に制度上位置
する知事の政治家個人の政治手法や資質に依拠するところが大きく,安定的なレジームが
確立できないという構造的要因となった.
田中県政から村井県政への政権交代は,環境・脱開発,参加民主主義,ポピュリズムの
性格を併せもったポスト開発レジームに代わる,別種のポスト開発レジームの模索と位置
づけることができる.そこで新たに登場した村井県政を支えた層は,かつての開発レジー
ムを支えた層とかなりの程度重なっていた.しかし吉村県政の支持層にみられた開発・反
環境志向が村井県政の支持層にはみられなかったことから示唆されるように,これは単純
な開発レジームの復古とはいえないだろう.
地方政治のレジームシフトは,メガ・スポーツイベントの経験との関連で以上のように
説明できるが,ここにはいくつかの限界もある.ひとつは知事選挙の投票行動ではなく知
事の評価という指標で代替せざるをえなかったという分析方法上の問題である.これは本
稿で示唆された知見を別種のデータで再検証することの必要性を意味する.
もうひとつは,分析視角において,メガ・スポーツイベントの経験を観戦(スペクタク
ル)の経験とイベントへの参加/動員の経験に限ったことに伴う限界である.本稿の分析
視角はメガ・スポーツイベントの政治的社会化という機能的側面のうち行為レベルに着目
41
したものだが,意識変容など他の要因(ミクロ水準とメゾ/マクロ水準とを媒介するメカ
ニズム)を想定することも可能と思われる.この点も今後さらに検討する必要がある.
[注]
1) メガ・スポーツイベントの政治が問われることはあっても,それはしばしば文化政
治,とくにナショナリズムやジェンダーをめぐる表象の政治であったり,国政や国際
政治であったりする
(e.g. 中村 2002; 黄編 2003; 清水編 2003; 岡田 2006; 清水 2006)
.
2) 長野県の地域開発における県の主導的性格は,県「総合開発」政策(1949 年策定)
,
「TVA 信州版」といわれる信州河川総合開発委員会の設置(1949 年設置)
,全国初の
県総合開発局の設置(同前),有料道路・観光施設・保健休養地開発を主導する県企業
局の設置(1958 年に県電気部として設置,1961 年に企業局に改組)などに顕著である
(森 2008: 47-8)
.
3) 投資的経費は普通建設事業費を中心に社会資本整備など固定的な資本形成に振り向
けられるものをいう.1960 年代初頭の急増は 1961 年三六豪雨などでの災害復旧事業
費の増大によるもの,1980 年代初頭の急増も相次ぐ台風による水害・土砂災害,1984
年長野県西部地震などによる災害復旧事業費の増大によるものとみられる.
4) 長野県がオリンピックを契機に大規模土木事業を進めた財政構造的背景として,森
裕之は,社会資本への国家投資が国家的プロジェクトのメガ・イベント開催を契機と
するしかないという政府間財政関係があったと指摘している(森 2008: 50)
.
5) 従来の地域・都市レジーム研究では,団体政治や審議会政治が重視される一方,こ
うした公選制度の役割や有権者の選好といった要因は過小評価される傾向にあった.
開発レジームのように,有権者が地縁団体や労資団体など各種団体を通じて政治参加
することを前提とすれば,これは大きな問題をもつものではない.しかし有権者が脱
組織化し,
「再埋め込みなき脱埋め込み」が進行しているところでは,こうした有権者
の政治的選好というミクロ要因に着目した分析が不可欠である(樋口 2008)
.
6) こうした政治行動・態度・意識の説明モデルについては丸山(2007)を参照.
7) 2002 年サッカーW 杯開催地を対象にした研究でも,W 杯開催に伴ってボランティア
の参加/動員が進められた事例が報告されており(柳沢 2006)
,こうした参加/動員
の経験は,近年のメガ・スポーツイベント開催地域ではかなり一般的なものといって
よいだろう.
8) この 4 市町村の配布数は長野市が 1000,その他 3 町村は各 500 で計 2500 である.
有効回収数は 4 市町村計 678,有効回収率は 28.1%(不達 87 を除く)だった.なおオ
リンピック開催市町村はこの 4 市町村のほかに野沢温泉村があるが,調査対象には含
まれていない.
9) 本来であれば知事の交代が起こった知事選挙の投票行動を尋ねたデータや各知事在
任中からのパネル調査のデータで検討したいところだが,選挙から時間が経っている
ことから回顧的な回答でのバイアスや NA/DK の増加が懸念されること,また我々の
調査が一時点の単発のものであることという制約から,ここでは評価態度尺度で代替
した.
10) 「大いに評価する」=2 点,
「ある程度評価する」=1 点,
「あまり評価しない」=-1
点,
「評価しない」=-2 点,
「わからない」=0 点を割り当てた.
42
11) 集団参加は 4 件法で尋ね,
「加入して積極的に参加している」と「加入はしている」
を「加入」,
「加入していたことがある」と「加入していない」を「非加入」とした.
12) 「その他の政党」はケース数が少ないため分析から除外した.
13) 「
『保守』か『革新』か,と聞かれれば私の立場は『革新』だ」という意見に対して,
「そう思う」「どちらかといえばそう思う」「どちらともいえない」
「どちらかといえ
ばそう思わない」
「そう思わない」の 5 件法で尋ねた.回答にはそれぞれ 1~5 点を割
り当てた(値が大きいほど保守的,小さいほど革新的)
.
14) A「知事を選ぶなら,素人だが市民の代表」と B「知事を選ぶなら,市民の代表では
ないが行政のプロ」という 2 つの見方を挙げて「どちらの意見に近いですか」との質
問文で,
「A に近い」
「どちらかといえば A に近い」
「どちらかといえば B に近い」
「B
に近い」の 4 件法で尋ねた.回答にはそれぞれ 1~4 点を割り当てた(値が大きいほ
どテクノクラシー志向が強く,小さいほど底辺民主主義志向が強い)
.
15) A「経済成長率が低下しても,環境保護が優先されるべきだ」と B「環境がある程度
悪化しても,経済成長と雇用対策が優先されるべきだ」という 2 つの見方を挙げて「ど
ちらの意見に近いですか」との質問文で,「A に近い」
「どちらかといえば A に近い」
「どちらかといえば B に近い」
「B に近い」の 4 件法で尋ねた.回答にはそれぞれ 4
~1 点を割り当てた(値が大きいほど環境主義意識が強い)
.
16) 「参加した」=1,
「参加しなかった」=-1,
「知らない・わからない」=0 を割り当
て,NA/DK は除外して分析した.一校一国運動は学校教育の中で行われ,経験の有無
が年齢によって明確に異なるなど,他の参加/動員経験とは性格が異なるため,分析
では除外した.
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