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5.為替レート説明の VAR モデル
金融政策の波及チャネルとしての為替レート 5.為替レート説明の VAR モデル 本節では、(12)式について、VAR モデルおよび VECM モデルで推計し、その結果を解釈 していく。推計に用いたデータは、為替レート、マネー指標、鉱工業生産指数、利子率、 期待インフレ率の(為替レート以外の)日米差に関してである。初めに、5-1 節で変数 の配列について考察する。次いで 5-2 節で、上の(12)式をその他の変数を加えず、マネー の指標としてマネーサプライを用いた推計が極めて不満足な結果しかもたらさないことを 紹介する。5-3 節ではマネー指標としてベースマネーを用いた VAR モデルを推計し、各 変数間の影響の大きさを考える。推定に対して構造的な解釈を行うにあたっては、その標 準的手法の一つであるインパルス応答関数を用いる。さらに、同時に為替介入の効果につ いても考察した。この介入の効果について考察したのが 5-4 節である。5-5 節では、 ベースマネーを用いたデータで共和分の関係を考慮し、VECM(ベクトル誤差修正モデル) で推計する。最後に 5-6 節で、ベースマネーを用いたモデルから得られた推計に対して、 1 単位のショックを加えた際の各変数の反応の大きさを確認する。 5.1 変数の配列と Granger の因果性 VAR モデルを用いてインパルス応答関数を導出する際に問題となることとして、変数の 配列順が挙げられる。理論的には外生性が高い順序に配列する必要があるが、ここで考察 する 5 変数間の外生性について明確なコンセンサスは特にない。 表5-1. Granger 因果性のテスト 円ドルレー ト 円ドルレート マネタリ ーベース マネーサプライ 鉱工業生産 指数 利子率 期待インフ レ率 1.0415 0.37564 1.1917 0.31448 0.52647 0.66467 2.42436 0.067423 0.25455 0.85801 0.11097 0.9536 6.24215 0.0004765 0.93749 0.42385 2.47573 0.063121 1.00935 0.39001 * マネタリーべース 2.65191 0.050318 マネーサプライ 1.93003 0.12651 1.09381 0.35324 鉱工業生産指数 0.49075 0.68915 0.14328 0.93386 * 0.66741 0.57314 *** 0.16937 0.91695 * 5.80783 0.00083472 1.1917 0.31448 0.63666 0.59236 *** 利子率 2.16401 0.094041 0.39742 0.75502 0.38156 0.76642 1.16457 0.32483 1.25729 0.2907 1.25292 0.29223 1.81307 0.14657 1.01164 0.38897 * 期待インフレ率 1.88731 0.13351 0.37736 0.76944 significance は、*が10%、**が5%、***が1%有意であることを表す。 そこで、変数間の因果関係を確かめたのが、表 5-1 で示されている Granger の因果性 -45- 「経済分析」第172号 テストである。検定は Pair-Wise で行った。表は、各セルの上段が検定値、中段が p 値、 下段が有意性を示している。この結果が示すように、10%有意水準において利子率は多く の変数の原因となっていることが分かる。また、鉱工業生産指数の原因として、マネーサ プライが挙げられる。このテスト結果を参考にし、暫定的な配列として (配列A)利子率 マネー指標 期待インフレ率 鉱工業生産指数 為替レート を用いた解釈を行う。また、同時に正反対の (配列B)為替レート 鉱工業生産指数 期待インフレ率 マネー指標 利子率 についても反応関数を求めることで頑健性の確認を行うことにした。 5.2 マネーサプライを用いた VAR まずは、マネー指標としてマネーサプライを用いた推計の結果を紹介することから始め たい。推計は配列 A・B 両方について行ったが、その結果に定性的な差は生じなかった。従 って、利子率・マネーサプライ等の配列順序は問題とならない。 これら推計の詳細については寺井・飯田・浜田(2003)の 5 節で詳述したため、ここで はその概要を説明するにとどめたい。ここで為替レートは邦貨立て表示であるから、正の 方向への変化が円安、負の方向への変化が円高を表している。ここで得られた結果は、通 常のモデルの予想を裏切るものであった。マネーサプライの符号がさまざまなモデルで共 通して予想される符号と異なっている。一方、利子率・所得について、有意性は低いもの のやはり多くのモデルの予想する符号条件と相反している 6。唯一、モデルの予想する関係 を満たしているのは期待インフレ率である。日本でのみ期待インフレ率の上昇があるケー スでは、為替レートは円安方向へ動かされるといってよい。 このように、マネー指標としてマネーサプライを用いた推計は、現在の為替レート決定、 または金融政策を考える上で大きなインプリケーションを与えてくれないように思われる。 そこで、以下ではベースマネーを用いた推計を中心に行っていくことにする。 5.3 ベースマネーを用いた VAR ベースマネーを用いた VAR モデルの推計結果は、図 5-1 に示すとおりである。VAR のラ グは、Pantula et al. (1996)に従って保守的に AIC+2 基準を用いて決定され、4 である。 図は各変数の 1 標準偏差のショックにたいする各変数の反応、点線はモンテカルロ法によ る 95%有意区間である。各データは一階の階差データであるので、累積インパルス応答関 6 ただし、90 年代推計に関しては日本の利子率がほとんど動かない状態に陥ってしまっているという点に も問題があり、明確な結論は主張できないだろう。 -46- 金融政策の波及チャネルとしての為替レート 図 5-1:累積インパルス応答(1987-2001,配列A) 数はレベルデータの水準への反応を示している。変数配列順は結果に定性的な差をもたら さないため、以下では配列 A を中心に説明していく。 さらに今度は、為替レートに影響を与える外生的な要因として介入の影響を考える。し かし、公表される介入に関してはデータを得られる期間が 91 年 4 月よりと分析対象期間よ りも短く、介入が不胎化・非不胎化いずれにあたるのかに関する情報も得られない。そこ で 87 年からのデータを推計するために、外貨準備高増減とベースマネーの増減から不胎化 介入ダミーを作成した。作成の方法は表 4-1 の通りである。また、米国に関しては公表 される円ドル市場への介入は 98 年 6 月のみであるため、同月に関するダミーを用いている。 まずは、1987 年 1 月~2001 年 12 月までのデータを用いた推計から見ていこう。ここで、 興味の中心は為替レートにあるので、各変数の為替レートに与える影響を中心に整理しよ う。まず、利子率格差は、為替レートはもとより他のいずれの変数にも有意な影響を与え ていない。一方、ベースマネーから為替レートへの影響は、ソロス・チャートでも示唆さ -47- 「経済分析」第172号 図 5-2:累積インパルス応答(1993-2001,配列A) れたとおり、大きく、有意かつ継続的である。また、期待インフレ率に関しては、前節の マネーサプライを用いた検証同様に為替レートに少なからぬ影響を与えることが分かる。 所得の代理変数である鉱工業生産指数の格差についても、有意な結論が得られないことに 変わりはない。なお、このように為替レート説明のキーとなる期待インフレ率は、有意水 準こそ低いものの、自国のベースマネー・鉱工業生産指数の上昇、自国通貨安などにより 上昇するとの関係が示されている。 同様の分析を、期間後半であり、バブル後の短期的調整が終わり、第 12 循環が始まる 93 年 10 月以降に関して行ったインパルス応答関数の結果が図 5-2 である。この期間は公定 歩合が 0%台に向かう時期でもある。図では、推計期間が短いため、信頼区間は省いた。 各変数が為替レートに与える影響について概観しよう。利子率に関しては利子率裁定関 係の想定するとおり、日本の利子率の相対的上昇が為替レートの減価に先行することがわ -48- 金融政策の波及チャネルとしての為替レート かる。ベースマネー格差については、全期間推定同様に 1 期ラグを置いて為替レートに影 響を与えている。期待インフレ率格差も、全期間推計同様の影響を与えている。日本のみ で期待インフレ率が上昇した場合、4ヶ月のラグをおいて継続的に為替レートが円安化する。 鉱工業生産指数の格差に関しては、全期間推計が非常に小さな影響力しか持っていなかっ たのに対し、今回は継続的な影響を与えていることが見て取れる。日本の鉱工業生産指数 の改善は、為替レートを 5 ヶ月ほどのラグを持って円安化させることがわかった。なお、 同時期の期待インフレ率は、ベースマネー・鉱工業生産指数・為替レートから全期間推計 同様の影響を受ける一方で、自国利子率の上昇によっても増大する。利子率よりの影響に 関しては、90 年代後半に日本の利子率の動きが極めて小さくなっている点からの影響があ ると考えられるが、ゼロ金利以降の分析はデータ期間の問題もありチェックできなかった。 5.4 為替介入政策の効果 次に、前節のモデルでの為替介入の効果についての推計結果を見てみよう。 表 5-2 は、87 年以降モデルにおいて、作成した各種の為替介入に関するダミー変数の 係数の推計結果を示したものである。この結果によると、各種のダミー変数の係数は 3 期 ラグまでを考慮しても、符号条件を満たして有意なものはない。この結果は、ルーブル合 意以降不胎化介入の有効性が低下しているという先行研究とも整合的である(松本(1997))。 表 5-2 には同時に、93 年 10 月以降モデルにおいて、外国為替平衡操作の実施状況によ り公表された介入額を当期のベースマネーで割って基準化した値を用い、介入の効果を推 計した結果も示されている7。ここでも、ダミー変数を用いた場合と同様に3期ラグまで考 慮して符号条件を満たして有意なものはない8。これは、先に示した不胎化介入の有効性が 低下している結果を補強するものであり、介入自体が為替レートに対して効果的に行われ ていない可能性を示すものである 9。インパルス応答関数を描いてみても、前のモデルとの 結果に明示的な差をもたらすものとなっていない 10。 介入額の公表は、前述の通り 91 年 4 月以降の介入についてのみ行われているので、ルーブル合意以降の サンプルについての推計はできない。そのために、ここでは93年以降モデルで解釈を行った。介入が公表 された 91 年以降というサンプルについて推計しても、結果に対する解釈は変わらない。この推計結果も、 表 5-2 に示されている。 8 Ito (2002)は、公表された財務省の為替介入データを用い、デイリーデータによる為替介入効果について 分析している。1995 年 7 月 21 日~2001 年 3 月 30 日では介入が効果的である一方、1991 年 4 月 1 日~ 1995 年 7 月 20 日では介入が効果的ではないという結果を得ている。但し、デイリーデータであるので、 為替レートと介入額以外の変数の影響を明示的に考慮しているという推計ではなく、為替レートを中心と した政策反応についての考察である。 9 但し、辻村・溝下(2003)では資金循環分析を用いて、介入効果の有無は金融調節手段に依存している ことを示している。その意味で、ここでの不胎化介入無効の結論はあくまでこれまでの調節手段の下で平 均的にその効果が小さかったことを示すのみであるともいえる。 10 寺井・飯田・浜田(2003) 、図 5-4 参照。 7 -49- 「経済分析」第172号 表5-2:日米為替介入の係数 セルの上段が係数、下段カッコ内が t 値 1987:1-2001:12 不胎化介入にダミーを用いた場合 米国の介入 -0.00367 [-0.09491] ドル買い -0.00506 [-0.71161] ドル売り 0.020228 [ 2.88867] 米国の介入(-1) 0.064086 [ 1.65273] ドル買い(-1) -0.00925 [-1.33272] ドル売り(-1) 0.000601 [ 0.08230] 米国の介入(-2) 0.013482 [ 0.35551] ドル買い(-2) 0.005419 [ 0.78219] ドル売り(-2) 0.003466 [ 0.46903] 米国の介入(-3) -0.02581 [-0.68427] ドル買い(-3) -0.00658 [-0.96004] ドル売り(-3) -0.00782 [-1.04944] 5.5 1993:10-2001:12 介入額をマネーサプライで割った値 介入額 0.243992 [ 0.63303] 介入額(-1) 0.455822 [ 1.21140] 介入額(-2) 0.35487 [ 0.96990] 介入額(-3) -0.01206 [-0.03180] 1991:4-2001:12 介入額をマネーサプライで割った値 介入額 0.334088 [ 1.00210] 介入額(-1) 0.396753 [ 1.22443] 介入額(-2) 0.344918 [ 1.06033] 介入額(-3) -0.009 [-0.02688] ベースマネーと共和分・VECM モデル 2 節のソロス・チャートで説明されたように、為替レートとベースマネー、マネーサプラ イには長期的な安定的関係が考えられる。3 節の分析によって各変数が I(1)であることが分 かっているので、共和分分析によって長期的関係を確かめることができる。 Johansen テストを行った結果、トレーステストでは 5%水準で 2 つ、1%水準で 1 つ、 固有値テストでは 5%水準、1%水準ともに共和分は 1 つであることが分かる11。この共和 分で得られる式は、 lne=5.03 -0.003TREND -1.95i +0.98lnBM +1.53E (6.87) 11 (2.15) (4.37) (1.20) -1.02IIP + (5.41) Johansen テストの結果、寺井・飯田・浜田(2003)の表 5-3 参照。 -50- (13) 金融政策の波及チャネルとしての為替レート である。但し、 は為替レート、i は利子率、BM はベースマネー、E は期待インフレ率、 IIP は鉱工業生産指数のそれぞれ日米差(為替以外)であり、括弧内は t 値である。この式 は、マネタリー・アプローチで予想されるように、日本においてのみベースマネー、期待 インフレ率が上昇したとき為替が減価し、日本においてのみ利子率、IIP が増大したときに 為替が増価する関係となっている。長期的な共和分関係として、(13)式は経済学的に意味の ある式であることがわかる。 図 5-3 は共和分検定を受けて、全期間のサンプルに対して VECM(ベクトル誤差修正 モデル)で推計した結果のインパルス応答関数である。VECM は前述の VAR モデルに誤差 修正項を加えて推計したものであり、変数間に共和分関係があるときに用いられる。VECM の利点は、変数が誤差を修正しながら変動しているかという短期的な動きも考慮に入れら れることにある。ここでは Johansen の固有値テストの結果に従い、共和分が 1 であるとし た。誤差項(ECT)は(13)式にしたがって計算される。従って、推計したのは以下の式であ る。 4 Σ( Δlne =C+ Δ + ΔlnBM + ΔE + Δln )+ ECT + i=1 (14) 為替レートに対する誤差修正項の係数は-0.116[-2.891]である(括弧内 t 値)。この値は、誤 差が生じた場合、誤差が逆の符号方向に縮小的に調整されることを表し、為替レートが長 期的な均衡から外れた場合にも長期的な均衡水準に調整されることを示す。 図 5-3 から、VAR のインパルス応答と同様に、ベースマネー格差が為替レートに継続 的な影響を与えていることが分かる。また、期待インフレ率に関しても円安をもたらすも のとなっている。 同様の分析を、VAR の際と同様に 93 年 10 月以降に関しても行った。このケースでも確 認される共和分は 1 つであり、ベースマネー格差が為替レートに継続的な影響を与えるこ と、期待インフレ率に関しても継続的な影響力を持つことなどの主要な性質に変化はなか った。 -51- 「経済分析」第172号 図5-3:VECMのインパルス応答(1987-2001) 5.6 為替レートの反応の累積値 以上が、ベースマネーを用いた推計の概要である。しかし、図 5-1、5-2 は、とも に標準偏差で基準化されたショック・反応関係を示すものである。この方法は、ショック と反応に関する定性的な影響を考える場合には妥当だろうが、現実の政策へのインプリケ ーションを考える場合には、その絶対的な反応の大きさを知るケースが重要である場合も 多い。そこで、ここでは各変数に 1 単位のショックが加わった際の反応を確認しよう。 表 5-3 に示すのは、各変数の 1 単位の外生的ショックに対する 24 期後(2 年後)の為 替レートの反応の累積値である。各変数は対数値をとっており、1 階の差分データを用い ているため、その値はショックの 24 期後の水準への弾力性を示す12。為替レート自身の自 12 ただし、利子率・期待インフレ率については対数化していないため、グロスの利子率・期待インフレ率 に関する弾力性である。 -52- 金融政策の波及チャネルとしての為替レート 己相関部分以外について説明を加えよう。VAR での全期間モデル・93 年モデルで共通して 得られる結論は、ベースマネーと期待インフレ率の為替レートに与える影響についてであ る。外生的に日米のベースマネー比が 1%上昇した場合、2 年を経て為替レートは 1-2%円安 化、日米の期待インフレ率比が 1%上昇した場合、2 年を経て為替レートは 4-7%円安化する ことがわかる。 表5-3:24 期後の為替レートへの各変数の弾力性 VAR 全期間モデル VAR93 年以降モデル VECM 全期間モデル VECM93 年以降モデル 利子率 ベースマネー 期待インフレ率 IIP -0.36 2.04 3.89 15.34 1.00 6.81 -0.96 10.93 1.12 0.54 2.90 5.58 為替レート 0.02 1.05 2.17 1.50 -0.81 0.90 0.36 0.94 VECM を用いた場合でもベースマネーから為替レートへの影響は確認できる。日本のべ ースマネーが相対的に 1%増加した場合には 2 年後の為替レートは 0.5-1.1%円安化すること がわかる。期待インフレ率の影響に関しては 2.9-5.6%円安化させる効果がある。一方、両 国の鉱工業生産指数・名目利子率比に関しては、期間を変えることでその影響力には大き な差が生じる。これも、93 年以降の日本において、名目利子率がその下限制約に極めて近 い領域を推移したことなどが影響していることが考えられる。 6.ベースマネーとマネーサプライ、ゼロ金利政策 以上のように、単純なマネタリーアプローチのモデルに基づくと、マネーの指標にマネ ーサプライを用いた分析はベースマネーを用いたものよりも為替レートに対する説明力が 低く、推計結果に予想された符号とは違うものが多いという結果が得られた。本来、マネ ーサプライに当てはまるはずのマネタリーアプローチのこのような特徴は、どこから生じ るものであろうか? 第一に、貨幣数量説は各時点のマネーと各時点の物価のリンクではないという点に注意 したい。将来のマネーの動向が現時点での物価水準の決定を大きく左右するので、その予 想値の代理変数が必要である。浜田(2003)にもあるとおり、ベースマネーの動向は各国 の金融政策そのものであるのみならず、その政策態度を表す指標としても重要である。例 えば、金融政策当局の為替への不胎化介入が挙げられる。財務省の介入を金融当局が不胎 化することによって、ベースマネーの値は変更されず、為替レートの変更は許さないとい う金融当局の政策態度を見て取ることが可能である。先に紹介したソロス・チャートは、 将来のマネーサプライ期待値の代理変数としてベースマネーを用いたマネタリー・アプロ ーチになっていると解釈することもできるであろう。 為替への公表介入額と為替レートの変化・ベースマネー額の変化を確認したのが、図 6 -53- 「経済分析」第172号 図6-1:為替介入額とベースマネーの対前月憎 -1 である。特にベースマネー前月増と介入額を見ると、円売り介入の場合通貨を市場へ 売るのだからベースマネーが増えるはずなのにも関わらず、ベースマネー額が介入額ほど には増加していない。また、介入と為替レートの連動を明示的に図示するものとはなって いない。 さらに、日本の公表介入額が不胎化されているかどうかを以下の推計によって確認した。 ここでは、介入額に適合的なベースマネーの増減がないケースを「事実上の不胎化」と考 えよう。また、少なくとも、他の条件がこの関係を打ち消すように働いていたとしても、 両者には正の相関は見て取れるはずである。推計結果は、 ベースマネー対前月増=3158.30+0.138*平衡操作額+ (1.98) (0.88) という関係であり、有意な関係ではない(括弧内 t 値)。決定係数も 0.015 と低く、平衡操 作額はベースマネー対前期増を説明する変数として、説明力を有していない。 また、マネーサプライを用いた VAR モデルが整合的ではなく、ベースマネーを用いた VAR のほうが整合的な結果が出ることは、ベースマネーとマネーサプライの間にある信用乗数 の関係に変化が現れているという点も考えられるだろう。飯田・原田・浜田(2003)は信 用乗数の変化として、家計の現金保有比率が上昇したこと、VAR モデルの分析結果として Bailey-Friedman 仮説(金利の上昇により信用乗数が上昇するという仮説)が当てはまる こと、さらに期待インフレ率の下落が信用乗数の減少をもたらすことを指摘している。ま た最近のデータは、公衆の現金選好の高まりが信用乗数を低めていることを示す。これら の指摘は、金利が下限に達した期間において、信用乗数の動きに変化が現れることを意味 する。 金融政策と金利の下限について、McCallum (2000b)は、ベースマネーと貨幣の流通速度 -54- 金融政策の波及チャネルとしての為替レート から得られる金融政策ルールを提示し、日本の実際のベースマネー成長率は政策ルールか ら得られるベースマネー成長率よりも低いことを示している。Taylor ルールに従った金利 はマイナスとなり、非負制約に直面する。しかし、ベースマネーを用いた政策ルールの場 合、政策ルールに整合的な金融政策を提供できることを示している。このことを示した上 で、日本の金融政策は”excessive tightness for the entire period 1990-1998”であるとして おり、さらなる金融緩和政策の必要性を示している。 このように、信用乗数からのアプローチにせよ政策ルールからのアプローチにせよ、ゼ ロ金利の下ではさらなる金融緩和政策の指標として、ベースマネーに注目した金融政策も 重要と考えられる。また、本稿では、期待インフレ率も為替レートに影響を与えることも 指摘した。飯田・原田・浜田(2003)でも、期待インフレ率が信用乗数というマネーサプ ライとベースマネーのリンクに影響を及ぼすことが述べられており、このチャネルを通じ た金融政策の有効性が指摘できる。ゼロ金利によりしばしば手詰まりと言われる金融政策 であるが、為替レートのチャネルを通じてベースマネーや期待インフレ率を動かす金融政 策の有効性は依然として残っている。 7.結論 本稿では、過去に用いられたことのない期待インフレ率のデータを用いて VAR モデルや VECM モデルを推計し、為替レートのマネタリーアプローチについて分析した。得られた 結果を要約すれば以下の 3 点である。第 1 に、金融政策の指標としてベースマネーを用い る方が、マネーサプライを用いるより、為替レートに対して大きな説明力を有する。第 2 に、為替レートに対して日米ベースマネー比と期待インフレ率の影響が極めて大きいとい うことも確認された。これは 90 年代以降の日本経済において適切に推計された期待インフ レ率の説明力が大きいということであり、本稿の強調する点である。第 3 に、ベースマネ ー増減を伴わない不胎化された為替介入や、公表介入額に基づいた為替介入の指標はモデ ルに追加的な説明力を与えない。これらの結果より、金融政策に関わる変数であるベース マネー、期待インフレ率が為替レートに与える影響が大きく、不胎化介入などベースマネ ーの変更を伴わない金融政策の説明力が弱いことが導かれる。 以上の結論で、今後の金融政策のあり方にどのような示唆が与えられるであろうか。上 述の結論の解釈をすると、ベースマネー供給の意図からは長期国債買い切りや為替への非 不胎化介入、期待インフレ率への働きかけを通じるインフレーション・ターゲットなどが 政策が有効と考えられる13。これらの政策の結果、相応に為替レートが減価することを以上 2003 年度上半期の経済に関し、日本銀行の岩田副総裁は内閣府の国際フォーラムで、 「(量的緩和と円 売り介入が同時期に重なったことは、 )日銀が外国債を購入したのと同じ効果になった」とし、この期間の 『日本経済新聞』5 金融政策の効果は「通常の量的緩和よりも強かった」としている(2003 年 9 月 19 日、 面)。 13 -55- 「経済分析」第172号 の分析は示しているからである。為替レート下落後の経済活動への波及の仕方の詳細な分 析や、ベースマネー供給・期待インフレ率への働きかけの手段・方法は本稿の範囲外であ るが、為替レート変化が有効需要やポートフォリオに働きかけることによって、国内経済 活動が刺激されると予想される。しばしば手詰まりと言われる金融政策であるが、為替レ ートのチャネルを通ずる金融政策の有効性は依然として残っている。ベースマネーの公衆 の期待へのチャネルを用い、信用乗数や貨幣の流通速度に対する影響を変化させるインフ レーション・ターゲット、物価ターゲットと併用されれば、その効果は相乗的に働くはず である。 インフレーション・ターゲットを設けても物価に働きかける手段がないという論者は、 為替レートを動かすことにより介入、そして金融政策は輸入を通じ国内物価に影響を及ぼ すことに注目してほしい。また、ベースマネーや介入のシグナルによってデフレ期待が収 まれば、それはベースマネーがマネーサプライの拡大、貨幣の流通速度を高めて、ひいて は介入や金融緩和の効果を強めるように働くのである。 繰り返すと、インフレーション・ターゲットが信じられるためには、実際にデフレを解 消できる手段がなくてはならないが、為替レートの変更はこの手段を担保する。本稿は、 現在の為替レート変更のためには、将来の為替政策・貨幣政策の先行指標となりうるベー スマネーの役割が重要であることを明らかにした。為替介入はもとより、インフレーショ ン・ターゲット、国債買い上げ、その他の手段によって日本経済がデフレ状態から脱し、 ゼロ金利から脱することができるならば、金利機能が復活して為替レート決定もマネタリ ー・アプローチないしポートフォリオ・アプローチの通常の姿に戻ることも充分に考えら れるであろう。 参考文献 Ito, Takatoshi, (2002), “Is Foreign Exchange Intervention Effective?: The Japanese Experiences in the 1990s,” NBER Working Paper 8941. 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