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滋賀の近代のトンネルの歴史と隧道設計者村田鶴が残したもの

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滋賀の近代のトンネルの歴史と隧道設計者村田鶴が残したもの
別紙―2
滋賀の近代のトンネルの歴史と
村田鶴が残した隧道群
田中
雅彦1・上野
1 長浜土木事務所木之本支所
2 長浜土木事務所木之本支所長
邦雄2
管理課
.
滋賀県の近代(江戸時代末期∼戦前)において約36個所のトンネルが整備されており、その
内20個所は日本の近代土木遺産のランクC以上に評価される重要な土木遺産である。36個所の
トンネルについて、時系列に用途、材料、工法、坑口の意匠の変遷を調べることにより今なお
使用されるトンネルの維持管理も含めて理解を深める。山岳工法の道路トンネルでは16個所の
内14個所が湖北地域に位置し、この地域が近代の道路トンネルの宝庫であり、同時に村田鶴が
多くの優れた意匠のトンネルを設計し、従来の冠木門型から新しい意匠を求めて果敢に挑戦し
ていたことが明らかになる。これらから現在のトンネル坑口の意匠について考察する。
キーワード トンネル、隧道、近代土木遺産、頂設導坑先行、底設導坑先進工法、木製支保工、
レンガ、坑口、ポータル、扁額、帯石、ピラスター、冠木門、村田鶴、石の文化
1. トンネルの歴史と滋賀県
(1)トンネルの歴史と滋賀県
日本では中国語と同じ隧道が使われ、明治以降昭和10
年完成の谷坂隧道の扁額において「トンネル」ではなく
「隧道」と表記されており、カナ交じり表記が扁額に馴
染まないこともあったと思うが、戦前までは隧道が正式
名であった。他には、天保11年(1840)着工の西野水道で
は「掘貫」または「掘貫穴」と表記され、滋賀県土木百
年表の明治9年(1876)には、観音坂「胎内堀」見積書の
記述が見られる。
トンネルの定義は、「計画された位置に所定の断面寸
法をもって設けられた地下構造物で、その施工法は問わ
ないが、仕上がり断面積が2m²
以上のもの」とされてい
る。近代における日本のトンネルの歴史は、明治4年
(1871)完成の兵庫県の石屋川の鉄道トンネル(61m)が近
代工法による第1号(開削工法)である。明治13年
(1880)完成の旧逢坂鉄道トンネル(665m)が、日本人のみ
の技術者で造られた山岳工法による初のトンネル(大津
側の坑口が現存)であり、明治17年(1884)完成の柳ヶ瀬
トンネル(1351m)は日本で初めてダイナマイトを使用し
たトンネルで明治前期の最長トンネルかつ現在も使用中
の2番目に古いトンネルである。なお、現在使用中の1番
古いトンネルは柳ヶ瀬トンネルに隣接する福井県敦賀市
の小刀根トンネル(56m)で明治14年(1881)に完成してい
る。
近代以前では、寛文9年(1669)完成の箱根用水路トン
ネル(1,341m)、1750年完成の大分中津市の青の洞門
(220m)が著明であるが、滋賀県では弘化2年(1845)完成
の西野水道(249m)が、明治維新の約23年前に手掘りによ
り施工されている。西野水道に要した費用は1,275両で、
現在の貨幣価値に換算(江戸後期、1両約6万円と仮定)
すると、約78百万円の大事業を長浜市高月町西野の在所
が行った。
また、鉄道トンネル以外では、琵琶湖第一疏水
(2,436m)が明治23年(1890)に、第二疏水(7,349m)が明治
45年(1912)に完成している。このように、滋賀県はトン
ネルの歴史から見ると、近代のトンネルが鉄道網の整備
とともに発達してきたことと琵琶湖疏水の国家的プロジ
ェクトの事業地であったことから、全国的に見ても滋賀
県はトンネル技術の最先端の地であったことが分かる。
(2)トンネルの坑口の名称
トンネルの坑口の名称を図-1に示す。図-1の笠石+帯
石+ピラスターの基本構造は「冠木門(かぶきもん)
型」と呼ばれる。ピラスターが笠石を貫通しないポータ
ルは「鳥居型」とも呼ばれることがある。
図 1 坑口構造の名称 旧道倶楽部・日本の廃道 HP より
2. 滋賀の近代のトンネル一覧
滋賀県の近代(江戸時代末期∼戦前)に整備されたほ
ぼ全数のトンネル36個所を表-1に示す。アーチ型橋梁と
跨線橋は除外している。西野水道(1845)は明治維新
(1868年)前であり厳密的には近世であるが、近代直前に
西野の村人が造ったトンネルであり近代の一覧に含めた。
料の変遷を表-2に示す。山岳工法のトンネルのアーチ部
に用いられた材料は、昭和2年(1927)完成の賤ヶ岳隧道
までがレンガである。観音坂隧道では、コンクリートブ
ロックがアーチおよび側壁部に用いられ、湖北隧道では
アーチ部のみにコンクリートブロックが用いられている。
以後は、場所打ちコンクリートが採用されている。
表-2 隧道における材料の変遷
3. 滋賀の近代のトンネルの特徴と特筆すべき事項
トンネル本体
隧道名
(1) 滋賀の近代のトンネルの特徴
近代のトンネルは鉄道網の整備ともに発達してきたが、
天井河川の多い滋賀県では、鉄道の他、道路においても
開削工法により天井川を潜るトンネルが多く整備されて
きたことが分かる。大砂川隧道、(廃)草津川トンネル、
由良谷川隧道、(廃)針村家棟川隧道、(廃)義王隧道、
(廃)家棟川、百瀬川隧道である。これらはトンネルで
はあるが、切石によるアーチ橋と見ることも出来き、ア
ーチ部、側壁とも切石による総切石造りの構造となって
いる。
また、明治17年に整備された田川コルベルト(109m)も
開削工法で、レンガ積の半円形アーチの上面に石灰コン
クリートを被覆することにより水密性を確保していた。
山岳工法の道路のトンネル16個所の内、(廃)政箕ト
ンネルと(再現)鈴鹿トンネルを除く残り14個所は、広
域の湖北地域に位置し、柳ヶ瀬・関ヶ原断層帯沿いの野
坂山地および伊吹山系の山地地形、遠藤周作が「北欧の
フィヨルド」と例えた奥琵琶湖沿いの山地、横山丘陵や
彦根東部山地(佐和山)が往来の障害であり、易く往来
することが永年の願望であったことが分かる。
(2) トンネルの覆工材料の変遷
日本で建物用レンガの生産が始まったのは安政2年
(1855)長崎の海軍伝習所で、文久元年(1861)年落成の長
崎鎔鉄所の建設に使われている。レンガは近代化ととも
に使われ、明治中期頃にはレンガ職人も増え一般的な技
術の一つになった。レンガ造建築は明治24年(1891)の濃
尾地震で被害を受けたため、鉄骨で補強する構造なども
工夫されたが、大正12年(1923)の関東大震災により大き
な被害を受けたことから以降は減少し、鉄筋コンクリー
トが主流となっていった。一方、鉄筋コンクリートは
1867年に針金とモルタルで壊れない植木鉢の特許をドイ
ツ人のジョセフ・モニエが取得し、1895年に鉄筋とコン
クリートで柱、梁、床を構成する「アンネビック工法」
をフランス人のアンネビックが発明し、このアンネビッ
ク工法が今日の鉄筋コンクリートの原点と言われている。
トンネルの覆工材料(アーチ部)は、初期にはレンガ
が使用された。現場施工のコンクリートは信用性が欠け
るとして、コンクリートブロックをレンガのように積む
工法が続き、昭和になってやっと場所打ちコンクリート
が定着したと言われている。
滋賀の県道におけるトンネル本体およびポータルの材
ポータル
完成
アーチ部
柳ヶ瀬
M17
杉本
T7
佐和山
T12
側壁
ポータル アーチ環
切石
レンガ
レンガ
レンガ
レンガ
レンガ
横山
T12
石
賤ヶ岳
S2
観音坂
S8
コンクリートブ
ロック
湖北
S9
コンク 場所打ち
リートブ コンク
ロック
リート
谷坂
S10
大崎
S11
場所打ちコンク
リート
図-2 柳ヶ瀬隧道
レンガ部は部分的にモルタル補修
図-4 観音坂隧道 アーチ部、側
壁部ともコンクリートブロック
コンク
リート
石
自然石
図-3 横山隧道
アーチ部、側壁部ともレンガ
図-5 大崎隧道 場所打ちコン
クリート覆工 S10.8.2 撮影
(3) 掘削方式の変遷
柳ヶ瀬トンネルは、旧逢坂山トンネルと同じ頂設導坑
先行で施工された。大正7年(1918)着工から昭和8年
(1933)までの約16年を要した世界でも最大の難工事と言
われた静岡県熱海市の丹那トンネルで底設導坑が用いら
れた。大正8年(1919)完成の新逢坂山トンネルはオース
トリア式の底設導坑が用いられたと記録されている。昭
和11年(1936)完成の大崎隧道は、工事写真(図-6)から
底設導坑先進工法を確認できたが、杉本隧道∼谷坂隧道
の各隧道がどちらの工法で施工されたかは不明である。
種別
名称
18
17
16
15
14
13
12
11
10
9
8
7
6
5
4
3
2
1
湖南市 東海
?
道、由
良谷川
(廃)針 湖南市 東海道 ?
村家棟
川トンネ
ル
大沙川ト 湖南市 草津線 ?
ンネル
旧腰越 近江八幡 JR東海 ?
山トンネ 市安土町 道本線
下豊浦∼
ル
(廃)
長浜市 関ヶ原
龍ヶ鼻ト
線
ンネル
(廃) 義
王隧道
清水山ト 日野町 近江鉄道 ?
ンネル 別所
旧狼川ト 草津市 JR東海 ?
ンネル 南笠町 道本線
旧草津 草津市 JR東海 ?
川トンネ 草津2、 道本線
ル
草津川
仏生山
彦根市 JR東海 ?
(むしや
道本線
琵琶湖
第二疏
水(呑
口)
(廃)家 野洲市 中山
棟川隧 辻∼小 道、家
道
堤
棟川
鉄道
鉄道
道路
鉄道
鉄道
鉄道
疏水
道路
鉄道
鉄道
道路
ま)トンネ
ル
由良谷
川隧道
道路
道路
?
?
?
?
大津市 琵琶湖 ?
疏水
川、朝鮮
人街道
野洲町 旧家棟
東近江市
須田
草津市 東海
道、草
津川
※
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
1884 ?
1880 1年
10ヶ月
1886 ?
1890 ?
1884 8ヶ月
T6.10(銘)
M45
M34
M33
M33
M31.7.24
(開通)
M26.3.30
M24
M22
M22
M19.3
1917 ?
1912 ?
1901 ?
1900 ?
1900 ?
1898 ?
1893 ?
1891 ?
1889 ?
1889 ?
1886 ?
M19.3(銘) 1886 ?
※1
M19.3
1885 M23
?
工期
(約)
1845 5年3 ヶ
月
完成
(西暦)
M17.4(銘) 1884 ?
M17
M13.8
1
M16.11.1 1883 M17.6.28
※1
大津市 琵琶湖 M18
疏水
長浜市 田川
落合
完成
1840 弘化2.9.1
着工
(西暦)
旧逢坂 大津市 JR東海 M11.10.5( 1878
山トンネ
道本線 東口)、
ル
(下り
M11.12.5
線、大 (西口)
津方)
柳ヶ瀬ト 長浜市 北陸本 M13.2月
1880
ンネル 余呉町 線→県 計画認可
椿坂∼ 道・柳ヶ
福井県 瀬線
敦賀市
刀根
大砂(沙) 湖南市 東海
?
?
川隧道
道、大
砂川
(廃)田
川コル
ベルト
(カル
バート)
琵琶湖
第一疏
水(呑
口)
(廃)草
津川トン
ネル
疏水
着工
長浜市 余呉川 天保
高月町 (放水 11.7.29
西野
路)
所在地 路線等
水路
道路
鉄道
→道
路
鉄道
水路 西野水
(放水 道
0 路)
番
号
109.0
4.5
4.5
4.5
3
32.8
7,369.0
切
切
石? 石?
切石
レンガ 積石
+石灰
コンク
リート
※2
レン
ガ
ポータル:
レンガ壁
+楯状迫
石
レンガトンネ レン
ル、レンガ ガ
ポータル
レンガ、下 レン
部切石? ガ
開削
(オープ
ン)
開削
(オープ
ン)
開削
(オープ
ン)
?
開削
(オープ
ン)
開削
(オープ
ン)
頂設導
坑先行
?
?
開削
(オープ
ン)
?
開削
(オープ
ン)
?
レンガ ?
切
石?
切
石?
切石
切石
開削
(オープ
ン)
開削
(オープ
ン)
コンク ?
リート
切石
総切石造 切石 切石
アーチ部レ レン
ンガ、下部 ガ
コンクリー
ト
半円アー
チ断面
3.6 両側切石 切石 切石
積
レンガ造 レン
り、下部切 ガ
石
4.63 レンガ、側 長手
壁切石
積レ
ンガ
レンガ、下 レン
部切石?
ガ
?
石積
切石 切石
レン
ガ
--
工法
レンガ 頂設導
坑先行
---
3.6 総切石造 切石 切石
レンガ造
開水路隧
道洞門、
切石
3.6 総切石
造?
4.6 総切石造
り(アーチ
両側切石
積)
1.95 上部アー
チの2連の
暗渠
4.3 レンガトン レン
ネル、石 ガ
ポータル
レンガトン レン
ネル、石 ガ
ポータル
---
側壁
(下
部)
4.2 総高さ 総切石造 切石 切石
3.60、 り
有効
2.95
56.4 ?
68.3
37.8
147.7 4.57
28.0
141.4
14.5 4.67
21.8
16.0
43.6
2,436.0
?
3.5
16.4 4.39
1,351.8
4.7
※1
1.5 1.6∼
--3.0 (覆工な
し)
トン
トンネ
ネル
ル(高 構造概要 天井
(内
さ)
幅)
664.8 4.2
※1
249.0
※1
長さ
表-1 滋賀県の近代 (江戸時代末期∼戦前) のトンネル(隧道)一覧 近代化
遺産、
推奨土
木遺産
一部区間 にダ
イナマイト(日
本初)を使
用。削岩機、
空気圧縮機、
排気用タービ
ン使用。
国史
跡
鉄道記
念物第
1号
県指
定史
跡
手掘り(の
み、つるは
し)
手掘り(の
み、つるは
し)
現存最古の鉄道トンネル、日本人のみの技術
で造られた第1号、初の山岳鉄道トンネル。明
治前期(∼29)最長の鉄道トンネル
充満寺住職恵荘上人の堀抜き計画、彦根藩主
に堀貫手続(1836)※2
評価情報または特筆
?
田辺朔
郎、小
原益知
(洞門)
?
ンネル。4本のピラスターがあり、ポータルは
堂々たる冠木門タイプ。大砂川。由良谷川。針
村家棟川の隧道にはピラスターはない。
B ポータル、坑内とも総切石造り。天井川を潜るト
C 長大水路トンネル
C
状迫石)。楯状迫石を用いており装飾性が高
い。
?
?
?
C ポータルはイギリス積レンガ、アーチ環石造(楯 ?
雪崩を防止するために整備したトンネル。山切 ?
りして整備した線路をトンネル化して防御。帯石
の上下で、切石の大きさを使い分け。帯石より
上が大きい切石を使用。
?
坑門石造・下部切石造・アーチ部レンガ造2連 ?
隧道。
坑門はイギリス積みレンガ造、アーチリングは ?
石造で尖型迫石をもつ。側壁下部はフランス積
みの切石。
東海道筋ならではの立派さ。天井川を潜るトン
ネル
A ポータル、坑内とも総切石造りの初のトンネル。 ?
A
本技
師
M12年、デレーケが実地。 ※2,3:アーチ積レ 藤田
ンガを石灰コンクリートで被覆(伊香郡志より) 組寺
東海道筋ならではの立派さ。天井川を潜るトン
ネル
--
設計
A ポータル、坑内とも総切石造りの初のトンネル。 ?
は2番目)。鉄道から道路に転用されたトンネル
として最長。頂設導坑先行方式であるため、
(後の底設導坑先行方式のように掘削した岩を
トロッコに落とすことが出来ず、)手積みでの積
込み。照明はカンテラ。
A 現存する3番目に古い鉄道トンネル(使用中で
A
掘削(道具 文化 ラン
等)
財等 ク
勢州東
谷村の
長次右
エ門・長
助・分七
※3,4
施工
--
坑口
デザ
イン
--
扁額
--
?
藤田
組
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
杉本
定吉
他
?
?
?
?
藤田
伝三
郎
技手: 藤田
高木 組
秀平
?
長谷
川謹
介
無
無
--
--
?
有:仁以
山悦智為
水歓(井
上馨筆)
※1
無?
無?
無?
無
有:義王
隧道
?
?
無
無
無
無
無
有 無
有
有
有
有
有
有 無
有 無
有:家棟 ?
川 (県令・
中井弘)
※1
冠木 有:家棟 有 無
門タイ 川 (知
プ
事・時和
書)※1
冠木
門タイ
プ
冠木
門タイ
プ
冠木
門タイ
プ
冠木
門タイ
プ
冠木
門タイ
プ
--
有
有
--
有:由良 有 無
谷川
有:?
有:気象
萬千(伊
藤博文
筆)※1
--
有:大沙 有 無
川
冠木 ?
門タイ
プ
--
?
--
--
--
--
--
藤博文)
→(現在)
柳ヶ瀬トン
ネル
条実美)
※1
冠木 有(石
有 無
門タイ 額):萬世
永頼(伊
プ
プ
--
ア
ー
チ
馬
蹄
形
馬
蹄
形
--
--
無
有
無
?
無
馬
蹄
形
有
馬
蹄
形
形
有
有
?
有
有
有
有
馬蹄 有
形
半円 有
アー
チ
アー ?
チ欠
円型
アー 有
チ欠
円型
チ欠
円
型?
有: 有: 円
※2 4本 ア
ー
チ
有
--
--
有
有
有
--
無 アー ?
--
-- 円
形
無
有
有
--
有 半
(2 円
本)
有 有 馬
蹄
形
有 有 半
円
?
有 有 馬蹄
有
有
有
有
?
有
無
--
--
有
有
有
--
--
--
--
--
有
--
--
デン
ピラ アー アー
笠
帯
チ環
ティ
ス チ形 (要 補修
石
石
ル
ター 状 石)
国沢熊 藤田伝 冠木 有:楽成 有
長
三郎
門タイ 頼功(三
(西野
村世
話方)
担当
(監
督)
?
?
?
?
4,729円
(169円
/m)
?
?
?
?
7,368円
※1
(168円
/m)
2,878円
(179円
/m)
3,425円
(157円
/m)
1,250,000
円
3,488円
※1
(212円
/m)
44,800円
※2
(411円
/m)
425,000
233,200
1,275両
費用
(当時)
77百万
(0.31 百
万)
費用
(現在)
大正6年に7月24日に隧道工営所が設置さ
れ、初代土木技手は遠山貞吉。※1:時和は、
当時の知事の池松時和から。※2:帯石に大
正6年10月竣工と記されていた。
※1:西口は、隨山到水源(西郷従道
筆)。
廃線
廃線
上り線はS31年頃撤去。
S54に撤去された。
S42.6月解体撤去
廃線、トンネル内レンガアーチ部はモルタル吹
付補修がなされている。
全額地方税費(寄付等なし)。昭和54年に撤
去 ※1:扁額は平松地先に保存
全額地方税費(寄付等なし)。
※1:内寄付682円(滋賀県土木百年表より)
※1:西口は、廓其有容(山形有朋筆)。
東口は、冠木門型
※1:1860∼1861に、木製の伏樋(1.2×
1.8m、延長126m)を完成するも、数年で腐食し
た。伊香郡志より ※2:内15,198円有志寄付
(滋賀県土木百年表より)
※1:内寄付820円(滋賀県土木百年表
より)
(旧)小刀根トンネル(長さ56m)は、明治
14年完成。現存する2番目に古い鉄道ト
ンネル(使用中では1番目)。
日本人技術者のみで施工。M31(1898)
に複線化。T10(1921)にルート変更 ※
1:歴史公文書探究サイトぶん蔵
※1:滋賀県・近世以前の土木遺産HP ※2:
我がふるさと西野、 ※3:1842.7.8より着手。
※4:能登の幸右ェ門・三助・久蔵は、64m(∼
1842.4月),の掘削で力尽きた。 ※5:1両=6
万円(江戸後期、貨幣博物館HPより)と仮定
出典等
36
31
∼
35
30
29
28
27
26
25
24
23
22
21
20
19
番
号
(廃)政 東近江 川相永 ?
箕(まん 市
源寺線
み)トン
ネル
佐和山
隧道
道路
道路
谷坂隧
道
国道1
号
?
長浜市 県道:郷 S8
小室町 野湖北
∼郷野 線
長浜市 市道:八
西浅井 田部岩
町月出 熊線
?
1924
?
道路
(2代
草津
目)草津
川隧道
同第3号
同第4号
同第5号
東海
道、国
道1号
?
工期
(約)
S9.3.31 1934 1年
S8.8.31 1933 3年5ヶ
月
S7.11 1932
S2.8.31 1927 3年5ヶ
月
T14.7.16 1925 ?
T13.7.20 1924 2年1ヶ
月
1923 2年
1923 ?
1921 ?
1919 ?
1918 2年
完成
(西暦)
?
S11
S11.6.28
1936 ?
1936 1年6ヶ
月
1933 S10.10.31 1935 2年
S8.3.6 1933
県道:間 T13.3,21
田長浜
線
県道:
T12.
T10
T8
1919 T12.
?
?
?
長浜市 県道:飯 T13.3,21
1924
木之本 浦大音 (工区着
町大音 線
手は、
T10.9.20)
長浜市
木之本
町木之
本
長浜市
石田町
∼米原
市朝日
完成
1917 T7.6
着工
(西暦)
T11.6.20 1922
県道:大 T8
野木志
賀谷長
浜線
?
高島市 県道:小 ?
マキノ 荒路牧
町
野沢
線、百
瀬川
長浜市
鳥羽上
町∼米
原市菅
江
甲賀市
土山町
山中∼
亀山市
彦根市 廃道
着工
道路 大崎第1 高島市 当時:海 S10.1.13 1924
号隧道
海津 津・木之
同第2号
本線
道路
湖北隧
道
観音坂
隧道
道路
道路
档鳥坂
隧道
道路
賤ヶ嶽
隧道
百瀬川
隧道
道路
道路
(再現)鈴
鹿トンネ
ル(旧鈴
鹿隧道)
道路
横山隧
道
新逢坂 大津市 JR東海 ?
山トンネ
道本線
ル
鉄道
道路
杉本隧
道
道路
長浜市 県道:杉 T6
木之本 本余呉
町杉本 線
∼丹生
名称
種別
所在地 路線等
56.0
58.2
55.0
80.0
53.1
221.6
300.0
162.3
320.6
64.0
382.0
36.4
245.0
163.6
230.0
72.0
2,326.0
300.0
長さ
5.7
5.7
5.1
5.7
幅4
×2
5.6
4.8
5,7
側壁
(下
部)
工法
5.0
オーストリ
ア方式の
底設導坑
式
ボックスカ
ルバート
型トンネル
--
--
開削
(オープ
ン)?
頂設導
坑先
行?底
設導坑
式?
コンクリー コンク コンク 頂設導
ト
リート リート 坑先
行?底
設導坑
式?
場所打ち 場所 場所 底設導
コンクリー 打ち 打ちコ 坑先進
ト
コンク ンク 工法※
リート リート
レンガ 頂設導
坑先
行?底
設導坑
式?
コンク 頂設導
リート 坑先行
ブロッ
ク?
コンク 頂設導
リート 坑先
ブロッ 行?底
ク
設導坑
式?
レンガ 頂設導
坑先
行?底
設導坑
式?
長手 頂設導
積み 坑先
レンガ 行?底
設導坑
式?
場所 頂設導
打ちコ 坑先
ンク 行?底
リート 設導坑
式?
切
開削
石? (オープ
ン)
レンガ 頂設導
坑先
行?底
設導坑
式?
切石
コンクリー コンク 場所
ト
リート 打ちコ
ブロッ ンク
ク
リート
コンク
リート
ブロッ
ク?
コンク
リート
ブロッ
ク
4.85 レンガ、迫 レン
石
ガ
総切石造 切
り?
石?
5.1 コンクリー コンク
トトンネル リート
ブロッ
ク造
4.2 レンガトン 手積
ネル、レン みレ
ガポータル ンガ
レンガトン レン
ネル、レン ガ
ガポータル
リート壁、石
の迫石に補
強された可
能性あり
3.7 レンガポータ レン
ルがコンク ガ
レンガトン レン
ネル
ガ
3.6 レンガトン レン レンガ 頂設導
ネル、レン ガ長
坑先
ガポータル 手積
行?
み
4 無装飾の
コンクリー
ト壁、石の
迫石
5.7 有効 コンクリー
3.9m トブロック
巻立
4
5.6
5.5
6.4
→
8.5
4.5
4.5
3.5
4.0
3.6
トン
トンネ
ネル
ル(高 構造概要 天井
(内
さ)
幅)
表-1 滋賀県の近代 (江戸時代末期∼戦前) のトンネル(隧道)一覧 --
推奨土
木遺産
半円アーチ、ポータルはレンガ、イギリス積み、
トンネル内部は長手積み。鉱山が労力、資材
一切を寄付。滋賀県下の山岳長大トンネルの
先駆け。土倉の鉱物を中之郷駅から輸送。
評価情報または特筆
扁額
有:杉本
隧道(木
之本側)、
丹生隧道
(余呉側)
冠木 有:「一串
門タイ 無碍」、
「中正以
プ
通」(添田
寿一筆)
有
坑口
デザ
イン
B
C
戦前のボックスカルバーと型トンネルは珍しい。
天井川トンネルの制約から、笠石・帯石・ピラス
ターを模した装飾がなされている。単線並列型
断面は当時の道路用としては稀な構造。
ポータルは自然石張風。風光明媚な岬の観光 村田
道路に統一的に使われる。
鶴?
は細かいデンティルが施されている。観音坂隧
道を本格化したような形。ポータル全面に下見
板張り風模様。
A 東の笹子隧道(山梨)と並び最も本格的な古典 村田
様式のポータル(ピラスターは半円断面、笠石 鶴
が丸くなっておりドイツ表現主義を強く感じさせ
る。トンネルとしては国内で唯一。ポータル全面
に水平の縞模様
松居
六三
郎(彦
根町)
--
重松技 矢野彌 自然石 有:大崎
師他
次郎
張風
隧道
--
有
有:「谷坂 有
隧道 昭
和10年12
月竣工 村
地書」
--
無
有
無
有
有 無
有:風光 有
随一、湖
北隧道
(伊藤書)
海野
照治
他
有:档鳥
坂隧道
(知事)
A 迫石の隅角部に装飾。ポータル壁面がせり出 村田
しており、上に行くほどせり出しが多くかつ、角 鶴?
?
松居 冠木 有:賤ヶ嶽 有 無
六三 門タイ 隧道 大
正13年12
郎(彦 プ
月 鴻嶺
根町)
有 無
有 無
有:「観音 有
坂隧道
昭和8年3
月竣工」、
「造化無
権 武彦
書」
という独創的なデザインである。
坑道は曲線
村田
鶴?
冠木 有:百瀬
門タイ 隧道
プ
冠木門タイプであるが、 ピラスターが笠石上に ?
貫通。4本のピラスター、両脇に下見板張り風
の飾りあり。廃止された家棟川と同様に4本の
ピラスターを有している。竣工当時の写真で
は、ピラスターに縦方向の装飾がなされてい
た。
冠木門タイプであるが、 ピラスターが笠石上に
貫通(横山隧道と同一デザイン)。
冠木 有:鈴鹿
門タイ 隧道
プ
ポータルはゴシック風三鉾ピラスター、下見板
張り風。
有 無
有: 無
石
無 無
有 無
有 無
※1
無
有
馬
蹄
形
馬
蹄
形
円
ア
ー
チ
--
無
無
無
有
無
有
有
有
--
無
有
無
無
有:
4本
有:
4本
有
有
有
有
有
--
馬
蹄
形
馬
蹄
形
馬
蹄
形
馬
蹄
形
馬
蹄
形
--
有
有
有
有
有
半 有
円
ア
ー
チ
標 有
準
馬
蹄
形
※1
馬 有
蹄
形
有 ; 有: 半
石 石、 円
4本 ア
ー
チ
有 有: 馬
4本 蹄
形
無
有
有 無
※1
費用
(当時)
(トンネル
m当り:
1,400円
/m)
117,000
円
(715円
/m)
/m)
180,000
円
(561円
/m)
114,813
円
(240円
/m)
/m)
モルタ 156,000
ル吹 円
付補 (520円
修
大砂川(M17)、由良谷川(M19)、草津川
(M19)、針地先家棟川(M26)、家棟川(T6)
の5ヶ所の天井川を潜る道路の隧道に続く最
後の隧道。隧道の整備前は、幅2.30m、橋長
約11mの橋梁。※1,2 百瀬川の沿革誌。
S59(1984)に拡幅され、旧坑門を再現した設
計がなされた(上り専用車線)。
第1代目の草津川隧道(草津マンポ)は、明治
19年に整備されたが、S39(1964)年3月に
幅、高さを拡げる改築がされ、現在のボックス
カルバート型トンネルになった。
大正9年(1920)9月県会で琵琶湖周遊道路計
画決議(∼15箇年計画で整備)。S11.9月 海
244百万 津木之本線改良工事概要作成 ※当時の工
(0.51百 事写真より推定
万)
334百万 当時の工事費用15万6千円の内、6分の1の
(1.11百 2万3千円が田根、上草野が拠出している。
万)
「旧道倶楽部日本の廃道」HPより、米原側.
扁額には当時の滋賀県知事・伊藤武彦による
「造化無権」が刻まれている.調べてみると"
造化"とは万物を創造した造物神のことで."
権"にははかりごとの意味があるという.創造
神に私心なし,あまねく平等なり───誰もが
隧道の恩恵を受けられる───といったところ
か.なお長浜側の題額も同じ伊藤武彦の書で
隧道名と竣工年月日である.
大正9年(1920)9月県会で琵琶湖周遊道路計
画決議(∼15箇年計画で整備)
273百万 当時の工事費用18万余円の内、3分の1の6
(0.85百 万3千円が地元関係地方有志が拠出してい
る。
万)
489百万 大正9年(1920)9月県会で琵琶湖周遊道路計
(1.28百 画決議(∼15箇年計画で整備)
万)
全面 51,960円 112百万
モルタ (319円
(0.69百
ル吹 /m)
万)
付
大部
分が
モルタ
ル吹
付、 側
壁プラ
スチッ
ク張り
金属 ?
製プ
レート
全面 322,200
モルタ 円
ル吹 (843円
付
南側の坑口は現存、トンネルは水没。
※1:企業者近江水電会社(関西電力の前身)
が負担、一部県費補助。 ※2:昭和8年9月、
トンネル巻立一部改良着手、9年3月竣工、工
費3,000円、施工伊藤組(彦根市)。 旧道倶楽
部・日本の廃道HPより
装飾性はほとんどない。 :※1:モルタル吹付
により目視出来ないが、レンガにより縁取り的
に笠石、帯石の模様が付けられていると思わ
れる。 ※2土倉鉱山が労力、資材一切を提
供。
山科側の扁額:「其益元方」、「夷険泰否」(古
川阪次郎)
出典等
178百万 当時の工事費用11万7千余円の内、約6
(1.09百 分の1の2万1千円が地元東西黒田2村
万)
から寄付である。.
68,000円 93百万
※1
(1.29百
(944 円) 万)
費用
(現在)
モルタ 37,000円 243百万
ル吹 (1,016円 (6.68百
付補 /m) ※2 万)
修
※2
S22 ∼ ※2
26に、
モルタ
ル吹
付。
デン
ピラ アー アー
笠
帯
チ環
ティ
ス チ形 (要 補修
石
石
ル
ター 状 石)
B デンティル付きの笠石に下見板張り風の壁面を 村田
採用。ピラスターを廃しポータル面を突出させる 鶴
C
B
C
同じ)、4本のピラスターを持つ。
冠木 有:
門タイ
プ
尾本
組(彦
根市)
稲葉
弥吉
土倉
鉱山
施工
B ポータルはイギリス積みレンガ。冠木門タイプだ 村田
が、ピラスターが笠石上に貫通(賤ヶ岳隧道と 鶴
海野
照治
他
担当
(監
督)
冠木 有:
門タイ
プ
設計
C 村田鶴が滋賀県で最初に設計した隧道。レン 村田
ガの石を使い分けをしている。
鶴
S.46.7.22、長雨にた崩壊性地すべりが発生し、
トンネル拡幅工事中に崩壊する。S47.9月オー
プンカット工法による改良実施。
ル、パラペットは飾り積、笠石は上部がゴシック
風。
B 大正期最長のレンガポータルをもつ鉄道トンネ
掘削(道具 文化 ラン
等)
財等 ク
底設導坑先進工法は、底設に設置するレール上のトロッ
コに掘削土を自然落下させて積み込みできることや湧水
の対処において頂設導坑先行に比べメリットがある。
図-6 大崎第1号隧道
貫通 S10.5.22 撮影
図-7 大崎第 5 号隧道
貫通式写真 S10.6.20 撮影
(4) 木製支保工の様子
支保工は、昭和30年代までは全て木製支保工が用いら
れており、大崎隧道の貫通式の写真(図-7)から、覆工
するまでのトンネルは言わば木製構造物と描写した方が
正しい表現と思えるほどである。支保工を除去しアーチ
部の覆工を行い、アーチ部形成の後は逆捲作業により側
壁部を縦方向にブロック化して支持していく工法である。
常に崩壊の危険と隣合わせであることが理解できる。現
在のトンネルの工法はナトム工法であり、地山の変形を
許容することにより
地山自身でトンネル
空間を保持する工法
であるが、従来の支
保工の工程を理解す
ることはナトム工法
をより理解すること
に資すると思われる。 図-8 大崎3号隧道 逆捲作業
S11.6.17 撮影
4. 村田鶴が残した隧道群
(1) 村田鶴の設計による隧道群
村田鶴は、明治17年(1886)7月1日茨木県に生まれ、明
治42年に工手学校を卒業、同年12月からの埼玉県土木課
を経て、大正7年(1918)10月より滋賀県の隧道工営所主
任となり、昭和11年の退職までの間に優れた意匠のトン
ネルを設計した滋賀県の技術職員である。土木百年表で
村田鶴が設計者として明記されている隧道は、佐和山隧
道、横山隧道、観音坂隧道、谷坂隧道の4つである。
村田鶴の在職期間中の主な隧道を図9から16に完成年順
に示す。隧道の意匠がどのように変遷・発展したのかと、
村田鶴が設計した隧道群(Mで表記)との関係を考察して
いく。
図-11 百瀬川隧道写真 T14 完成
図-12 賤ヶ岳隧道写真 S2 完成
図-13 観音坂隧道(M) S8 完成
図-14 湖北隧道写真 S9 完成
図-15 谷坂隧道(M) S10 完成
図-16 大崎隧道 S11 完成
(2) ポータルの意匠の推移の仮説
ピラスターに着目して意匠の時系列な変化を考察する
と、図-17のような推移の仮説が可能と思われる。意匠
の推移に方向性があり、在任期間の百瀬川隧道、賤ヶ岳
隧道、湖北隧道、大崎隧道も村田鶴が設計者、もしくは
設計に深く関与していると推察される。参考として、土
木学会2800選における評価のランクを付記した。
冠木 門型
佐和山・C
( T12)
横山 ・B
( T12)
賤 ヶ岳・C
( S2)
ピラ ス
ター に
変化
ピラ ス
ター を
無くす
自然石
の石垣
風
百瀬川・B
(T14)
谷坂 隧道・A
(S10)
ピラ スター に
装飾
ピラ ス ター を
円柱(半円)
観音坂・B
(S8)
湖北 隧道・A
(S9)
下見板張 り
風採用
大崎・C
(S11)
図- 1 7 ポータルの意匠の推移の仮説
図-9 佐和山隧道(M) T12 完成
図-10 横山隧道写真(M) T12 完成
曲面を採用
村田鶴設計
A:近代土木遺産Aランク(国指定重要文化財に相当)
B:近代土木遺産Bランク(県指定文化財に相当)
C:近代土木遺産Cランク(市町指定文化財に相当)
(3) 湖北隧道も村田鶴の設計と推察される
近代土木遺産Aランクである湖北隧道も、村田鶴が設
計者であると推察されるが、設計を示す記録がないため
推論の域を出ることはできない。推論の根拠は以下によ
る。賤ヶ岳隧道、湖北隧道、大崎隧道は、大正9年
(1934)の県会において大正10年以降15ヶ年計画で整備を
進める琵琶湖周遊道路建設事業として可決された極めて
大きな事業の柱となる隧道群であり、県外から隧道工営
所主任として抜擢された村田以外に担えるとは思えない。
重厚、格式ある冠木門式の賤ヶ岳隧道から自然石張り風
の大崎隧道を繋ぐ路線にあって奥琵琶湖の風景に見劣り
しない湖北隧道の意匠を担える人物は、実績と斬新さを
併せもつ村田以外にはやはり考えられない。湖北隧道は、
観音坂隧道の発展系と見ることが出来る。また、後に谷
坂隧道で円柱のピラスターを用いた村田であれば美しい
曲面の採用は意匠の流れとして自然である。
在職期間の隧道群の中で、档鳥坂隧道と政箕隧道が無
装飾なポータルであるのは、2つの隧道は幅員が4mと
狭く生活道路ではあるが地域を代表する幹線ではなく、
装飾は華美と判断できるトンネルであったと思われる。
なお、大正7年(1918)6月完成の杉本隧道は、村田の赴任
前に完成しており、土倉鉱山がほぼ全額の費用負担した
経過からポータルは簡素である。
(4) なぜ、冠木門型から意匠を変えたのか?
冠木門型の特徴はピラスターに注目すると、図-1の
ウィングが狭いとピラスターは2本となり、更に狭くな
るとピラスターは省略される。反対にウィングが広いと
ピラスターは4本設置可能になり、4本のピラスターは
2本に比べると豪華さが増してくる。当時、国道クラス
であった佐和山隧道や賤ヶ岳隧道には冠木門型が良く似
合っているように思われる。なお、ポータル全体の形は
トンネルの入り口の山の地形等に支配される。天井河川
を潜る隧道は、図-1に示すパラペットが山岳工法のトン
ネル比べると狭い傾向がある。
冠木門型は重厚さが感じられるポータルであり、扁額
を飾る上でも都合が良い。では、何故、村田鶴は佐和山
隧道、横山隧道、賤ヶ岳隧道の冠木門型から、意匠を変
えた理由は何か?。
意匠の移行の理由は、表-2に表されたようにレンガが
昭和8年(1933)頃には、建設資材として使われなくな
ったことであると考えられる。近代化とともに使用され、
近代化や西欧のイメージを持っていたレンガからコンク
リート主体に変えざるを得なかったことが考えられる。
観音坂隧道ではレンガの代わりに下見板張り風のコンク
リート化粧面を取り入れ、谷坂隧道では円柱のピラスタ
ーを試み、湖北隧道では観音坂のようにポータルを全面
に突出させるが下見板張り風化粧は用いず、角に大きな
丸みを付けることにより縦方向の曲面のラインを表現し
た。これらは、従来のレンガや切石では施工や表現でき
ないものであり、自由に形を形成できるコンクリートの
特徴を活かしている。湖北隧道は全体としてシンプルで
あるが、アーチ部の石材の加工はまるで建物に入るよう
な豪華さが感じられ、切石の表現をも活かしている。
賤ヶ岳隧道、湖北隧道、大崎隧道と続く当時の海津木
之本線、湖岸道路(湖北道路)は、「太湖(琵琶湖)の
一周の道を初めて拓くもので、湖北の黎明を迎え、交通、
産業、観光上画期的影響」が期待されたことから、特に
賤ヶ岳隧道の西側坑口、湖北隧道の東側坑口、大崎第3
隧道の東側坑口から見る琵琶湖の景色は素晴らしく、ポ
ータルを背に現地に立つと、ポータルの意匠だけでなく、
坑口の位置にも配慮がされているように思われる。
5. まとめ
滋賀の湖北は、近代土木遺産の道路トンネルの宝庫で
あり、かつ、村田鶴は全国的にも極めて優れた多くの隧
道群を残した。これらの隧道が永く現役のトンネルとし
て使用されることと、道路整備によりその役割を終えた
としても、地元の記念碑に刻まれた建設当時の思いや永
年地域の隧道として使用されてきた歳月が失われること
なく、歴史や文化を伝える土木遺産として利活用してい
く必要がある。
近代のトンネルには、西洋の文化、石の文化の趣が感
じられる。現在(戦後)のトンネルの坑口は、それに比
べると趣が無い。我々の先輩である村田鶴が残した作品
群からは、従来の冠木門型から新たな意匠に果敢に挑戦
しつつ、石の文化の原点の形と発展した形のポータルを
求めていたことを強く感じることができる。これらの作
品群から滋賀らしいトンネルのポータルの意匠を求め、
承継したいものである。
参考文献
1) 日本の近代土木遺産 現存する重要な土木構造物2800選
改訂版 H24.7.25 土木学会
2) 滋賀県の近代化遺産 滋賀県近代化遺産(建造物等)総合
調査報告書 H12.3
滋賀県教育委員会事務局
3) 滋賀県土木百年表 S48.1.1 滋賀県
4) 滋賀の道路隧道と村田鶴 戦前の技術系官吏の経歴調査
2009.9.30 富永謙
5) 一般社団法人日本トンネル技術協会http://www.japantunnel.org/Gallery_tunnel トンネルとは
6) トンネルものがたり 技術の歩み 2001.12.15 吉村恒・
横山章・下河内稔・須賀武
7) 我がふるさと西野 S61.5 成田廸夫
8) 旧道倶楽部 日本の廃道 HPより 坑口構造の名称
9) 東浅井郡志巻3(田川コルベルト横断図)東浅井教育会 S2
10) ウキペディアより レンガの歴史
11) 建設技術の歩み 明治から今日までの人と建設のかかわり
H17.12.10 清水建設株式会社 技術研究所
12) 海津木之本線道路改良工事概要 S11.9 滋賀県(県立図
書館デジタル歴史街道より)
13) 府県道海津木之本線大崎隧道写真帳 S11.7 (県立図書
館デジタル歴史街道より)
14) 彦根市市誌編纂室 佐和山隧道の写真
15) 広報たかしま H25.3月号 高島市発行 百瀬川隧道
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