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くるみ割り人形
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲/バスティン編曲
p.2<作曲家について>
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1849-1893)はロシアウラル地方の小さな町
ヴォトキンスクで生まれました。お父さんはエンジニアで鉱山の技師として働いていまし
た。ピョートルには5人の兄弟がいました。彼のスイス人の家庭教師は、『ピョートルはと
ても繊細で勉強熱心な少年』と記していました。ですが、彼には「てんかん」という持病
もありました。7歳の時、お母さんの教えでピアノを始めたのですが、お母さんは上手な
ピアニストではなかったため、十分な指導が出来ませんでした。そこでピョートルは、町
のピアノの先生に通い始めます。
10歳になった彼は、ロシア北方の街サンクト・ペテルブルクの学校へ入学しました。
幼いピョートルにとって、家族、特にお母さん、友達と離れることはとてもつらい経験と
なりました。その4年後には、お母さんが流行していたコレラで亡くなり、彼の心は悲し
みに打ちひしがれます。
ペテルブルクの学校では法律を勉強しますが、同時に自分で音楽の勉強も続けました。
19歳で卒業してから彼は、法務省の役人になりました。就職してからも音楽への情熱を
捨てることは出来ず、ようやくお父さんを説得し、彼は正式にサンクト・ペテルブルク国
立音楽院の音楽学生として勉強し始めます。そこで彼は恩師;ピアニストで作曲家でもあ
るアントン・ルービンシテインと出会い、才能を発揮します。その才能は、後にモスクワ
音楽院の教師に抜擢されるほどのものでした。
ピョートルが37歳の時、アントニーナ・イワノヴナと結婚します。結婚生活はひどく
不幸せで、結局2人が一緒に暮したのはほんのわずかな期間でした。その結婚の失敗から、
彼は神経衰弱にかかり、弟のモデストに看病されていました。
幸運なことに、彼には音楽活動を続けていくために経済的援助を14年の間してくれて
いた人物がいました。それは、裕福な未亡人、フォンメック婦人でした。彼は実は一度も
婦人に会ったことがなかったのですが、2人は手紙のやりとりを頻繁にしていました。と
ころがチャイコフスキーは突然婦人からの援助を切られ、またも精神的に打ちのめされま
す。
1891年、彼は1カ月間アメリカに渡ります。アメリカで客演指揮者として自身の作
品を演奏します。そして再びロシアに戻った時、彼の6番目の交響曲「悲愴」を完成させ
ました。この作品には、ピョートル自身が解決しきれなかった深い悲しみが表わされてい
ます。交響曲第6番の初演から9日後、彼はコレラ菌に汚染された水を飲んでしまい亡く
なります。
繊細で勉強熱心な作曲家チャイコフスキーは、たくさんの素晴らしい作品を残しました。
6つの交響曲を始め、序曲1812年、たくさんの歌曲、有名なピアノ協奏曲第1番や、
ヴァイオリン協奏曲、11曲のオペラ、バレエ音楽の白鳥の湖、眠れる森の美女、そして
このくるみ割り人形です。
くるみ割り人形のお話し pg3
シュタールバウム家(ジルベルハウス)では今まさに恒例のクリスマスイヴのパーティー
が始まるところ。色とりどりの飾りつけがされた立派なクリスマスツリーがお部屋の真ん
中に置かれ、暖炉では火がパチパチと音を立てて、勢いよく燃えています。クララとフリ
ッツはこの屋敷の子供たち。プレゼントを持ったお客さま方が現れるのを今か今かと待ち
わびています。
そこへ、また1人新たなお客さまが到着しました。現れたのはドロッセルマイヤーおじい
さんです。腕いっぱいにたくさんのプレゼントを抱えています。おじいさんはかわいい人
形をクララに、立派で勇敢なおもちゃの兵隊さんをフリッツに手渡しました。そして、世
にもめずらしいプレゼントを取り出しました。とても大きなくるみ割り人形です。それは
まるで生きているかのよう。頭も、腕も、足もまるで本当の人間です。ドロッセルマイヤ
ーさんは、このくるみ割り人形でどんな風にくるみを割るのか子供たちに見せます。人形
の口にくるみをくわえさせて、あごで挟んで割るのです。2人は大喜びで、代わる代わる
くるみを割ってみます。が、そのうちに、順番がごちゃごちゃになってしまい、とうとう
けんかが始まってしまいました。クララがフリッツの手をひっぱると、くるみ割りの兵隊
は床にたたきつけられて壊れてしまいます。子供たちが泣き始めたので、ベッドへ運ばれ、
2人ともそのうちに泣き疲れて眠ってしまいました。
さて、その夜も更けた頃、クララは目を覚まし、そっと忍び足で階段を下に居間へ降り
て行きました。あの大きなくるみ割り人形がどうしても気になって仕方がないのです。居
間にあるくるみ割りの顔を見て、クララはとても驚きます。それは、贈り主であるドロッ
セルマイヤーさんにそっくりだったのです!びっくりして辺りを見回すと、部屋の片隅で
はつかネズミがあたふたと走り回っています。ワッと声をあげ、クララはいすの上によじ
登ると、声に驚いたのか、ネズミはどこかへ消えてしまいました。クララはきっと夢を見
ているのでしょう。これは夢の中なのかしら?と、突然クリスマスツリーが大きくなり始
め、おもちゃ達はまるで命を与えられたかのように動き出しました。
次の瞬間、はつかネズミ達の軍隊が7つの頭を持つネズミの王様に指揮されて現れまし
た。くるみ割りの兵隊は起き上がり、攻撃態勢に入ります。くるみ割りの兵隊がネズミの
王に負けたかに見えた時、クララは勢いで、履いていた部屋ばきをネズミの王に向かって
投げつけました。クララの部屋ばきでネズミの王は完全にノックアウトしてしまいました。
それに気づいた軍隊子分たちは、あわてて木の壁の中に退散してしまいました。
くるみ割りの兵隊は、クララの見ている前で、どんどん大きくなり、なんとハンサムで
美しい王子に変身しました。彼の命を救ったお返しに、くるみ割りの王子は、クララを彼
のお菓子の王国へ招待しました。彼女も喜んで申し出を受け入れました。
冷たい雪が降り始め、みるみるうちに2人が歩く魔法の森へ続く道が白く染まって行き
ます。森の奥にある王国では、雪の王と女王が、客人であるクララを歓迎しようと現れま
した。驚いたことに、クララはこの森と宮殿が全てお菓子で出来ていることに気付きます。
2人が王宮にたどりつくと、こんぺい糖の妖精たちが踊りで出迎えてくれます。そのまま
クララは王宮の大広間に導かれ、玉座に案内されます。大広間ではいろいろな踊りが繰り
広げられます:アラビアの踊り、中国の踊り、ロシアの踊り、さまざまです。
そして最後のワルツが始まります。クララがミニチュアの玉座に腰かけると、まるで
この王宮の王女のようでした。そしてこの王国で王子とともに永遠に幸せに暮らすことを
夢見るのでした。
*これはアレクサンドル・デュマ版 E.T.A ホフマンの童話をもとにマリウス・プティパが
台本を書き、バレエ音楽『くるみ割り人形』チャイコフスキーに依頼され完成した作品で
ある。初演は1892年。サンクト・ペテルブルク
マリーンスキー劇場にて。米国では
1940年に、バレエ団:バレエ・リュス・ド・モンテカルロによってニューヨークで上
演された。
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