...

ソ連・ ロシアにおける日本文化の研究 - 国際日本文化研究センター学術

by user

on
Category: Documents
24

views

Report

Comments

Transcript

ソ連・ ロシアにおける日本文化の研究 - 国際日本文化研究センター学術
ソ連 ・ロ シ ア に お け る 日本 文 化 の研 究
ユ ー トピ ア 学 か ら現 実 学 へ 一
A・
メ シ ェ リ ャ コ フ(A.MESH:CHERYAKOV)
(ロ シ ア 国 立 人 文 学 大 学)
ユ ー トピ ア は 、 主 と し て 二 種 類 に 分 類 さ れ る:そ
れ は 空 間 的 ユ ー トピ ア と時 間 的
ユ ー トピ ア で あ る。 空 間 的 ユ ー トピ ア の 古 典 的 な 例 は トマ ス ・モ ー ア の ユ ー トピ ア
島 で あ り、 ポ リネ シ ア も18世
紀 の ヨ ー ロ ッパ 人 に は そ の よ うな 世 界 だ と考 え られ
て い た 。 一 方 、 は る か 遠 く過 ぎ 去 っ た 昔 の 「黄 金 時 代 」 に 理 想 を 見 出 す 社 会 も あ る
(例 え ば 、 古 代 中 国 に と っ て 聖 君 唐 堯 ・虞 舜 の 時 代)。
ソ 連 の 公 式 的 な ユ ー ト ピァ
も時 間 的 の 方 に 分 類 され る が 、 理 想 を 未 来 に 見 出 し、 共 産 主 義 の 建 設 を課 題 と して
い た 。 し か し、 共 産 主 義 の 理 想 に 幻 滅 し た ソ 連 社 会 の 一 定 層 は 、 自分 自身 の ユ ー ト
ピア を 、 時 間 的 で は な く空 間 的 範 囲 の 中 に 探 し求 め た 。
筆 者 が モ ス ク ワ 国 立 大 学 を 卒 業 した の は 、1973年
で あ る。 専 門 的 に 日本 研 究 に
従 事 し て い る う ち に 、 こ の 国 へ の 関 心 が 常 に 増 大 し て い く の を感 じず に は い られ な
か っ た 。 こ う した 日本 へ の 関 心 は 、 ブ レ ジ ネ フ の 「停 滞 の 時 代 」 に と りわ け 顕 著 に
な っ た 。 職 業 的 ・創 造 的 資 質 を 発 揮 す る 機 会 に 恵 ま れ な い と い う壁 に ぶ っ か っ た
人 々 は 、 目 を 海 外 に 向 け 始 め た 。 米 国 及 び そ の発 展 した 消 費 社 会 は 、 多 く の人 々 に
と っ て 実 現 され た 理 想 だ と思 わ れ た 。 だ が 日本 の 場 合 は 、 関 心 の 対 象 は 経 済 的 発 展
に と ど ま ら な か っ た 一 日本 の 生 活 水 準 は 米 国 よ り も は る か に 遅 れ て い た か ら で あ
る 。 ソ連 の 知 識 人 に と っ て は 、 何 よ り も 文 化 が 日本 の 魅 力 で あ っ た 。 筆 者 は 、 同 い
年 の 人 々 か ら羨 望 の 目 で 見 られ て い た が 、 そ れ は 高 い 給 料 を 受 け 取 っ て い た り、 出
世 の 見 込 み を有 して い た 為 で は な く 、 日本 文 化 に 接 す る機 会 を 持 っ て い た 為 で あ っ
た 。 当 時 、 「時 事 的 な 」 研 究 に 従 事 し て い な い 人 々 は 、 知 識 人 層 の 問 で 大 変 尊 敬 さ
れ 、 現 在 の 政 治 体 制 の 反 対 派 と して 見 られ て い た 。 古 代 及 び 中世 の 文 化 に 関 す る テ
ー マ は 、 こ う した 「反 対 派 」 の 研 究 の 筆 頭 で あ っ た 。
ソ連 時 代 後 期 、 人 々 の 世 界 観 の構 造 に お い て 日本 は 非 常 に 特 殊 な 地 位 に あ っ た 。
1970年
人)の
代 に 日本 語 を学 ん で み た い と 思 う人(だ
が な か な か 学 ぶ こ とが で き な い
数 が 急 激 に 増 え 、 生 け 花 や 空 手 の サ ー クル が で き 、 日本 文 化 に 関 す る 刊 行 物
や 文 学 作 品 の 翻 訳 は 信 じが た い 程 の 成 功 を 収 め た 。 と りわ け 人 気 を 博 し た の は 、 日
本 の 古 典 詩 歌(『 万 葉 集 』 、 『古 今 集 』 、 芭 蕉 の 俳 句 等)や 散 文(『 徒 然 草 』 、
33
A.MESHCHERYAKOV
『枕 草 子 』 、 『土 佐 日記 』 、 『蜻 蛉 日記 』 、 『伊 勢 物 語 』 、 『大 和 物 語 』 、 『二 条
物 語 』 等)の
翻訳 で あ った。 近 現代 の作家 で は、 芥川 龍 之介 、 安部 公房 、川端 康 成 、
大 江 健 三 郎 等 が 紹 介 され た 。 禅 宗 に 関 す る書 物(例
出 版 され 、 手 か ら手 へ と広 ま っ た 。
え ば 、 鈴 木 大 拙)の
翻 訳 が地 下
「わ び 」 、 「さ び 」 、 「悟 り」 、
「
俳 句 」 とい
う言 葉 は 、 い わ ば 精 神 的 な 騎 士 団 に 所 属 し て い る こ と の 証 に な っ た 。 多 く の 知 識 人
の 頭 の 中 に は 、 日本 の 領 土 は 無 限 に 石 庭 で お お わ れ て い て 、 日本 の 庶 民 は 桜 の 下 で
人 生 の 無 常 に つ い て の 物 思 い に ふ け り、 何 か ち ょ っ と し た 機 会 が あ る と和 歌 を 詠 む 、
と い うイ メ ー ジ が あ っ た 。
詩 歌 は 、 ソ連 の 知 識 人 の 言 説 に お い て 特 別 な 地 位 を 占 め て い た 。 論 理 的 要 素 は 弱
い け れ ど も 、 鋭 敏 な 感 受 性 や 美 的 感 覚 が 高 く評 価 され た 。 ソ連 の 知 識 人 は 、 日本 の
詩 歌 の伝 統 が 発 達 して い る こ とを 知 っ て 、 日本 国 民 に 対 し敬 愛 の 念 を 抱 い た 。
ロ シ ア 国 民 の 文 学 的 才 能 は 、 ア ネ ク ドー トや チ ャ ス ト ゥー シ カ(主
ら成 る ロ シ ア の 民 謡)に
と して4行
か
見 事 に 体 現 され て い る。 公 式 的 な 文 化 と して は 決 し て 認 め
られ て こ な か っ た こ う した 形 式 に は 、 格 言 と し て の 巧 み さ と短 さ が 要 求 され る。 日
本 の 詩 歌 は これ ら の 基 準 に か な っ て お り、 そ の 短 さ は真 面 目 な 寸 法 に 翻 訳 さ れ た 。
す な わ ち 、 尊 敬 され る文 学 的 形 式 と して 簡 潔 性 が 正 当化 さ れ た の で あ る。 原 則 と し
て 客 体 を 詳 細 に 描 写 す る こ と が で き な い これ ら の 詩 は 、 お 馴 染 み の 「行 間 」 を 読 む
機 会 を読 者 に 提 供 した の だ が(ソ
た)、
連 の 新 聞 を 読 む 時 も 、 全 く 同 様 の こ と を行 っ て い
必 要 に 迫 られ て 行 っ て い た 屈 辱 的 な 習 慣 を創 造 的 行 為 に 高 め た の で あ る 。 日
本 詩 歌 の 優 れ た 翻 訳 家 で あ るV・N・
マ ル コ ワ は 、 厂各 々 の 詩 は 、 小 さ な 長 詩 で あ
る 。 そ れ は 熟 考 し、 感 情 を 移 入 し、 心 の 中 の 目 と耳 を 開 く よ うい ざ な っ て い る 。 鋭
敏 な 読 者 は 、 詩 の 共 著 者 で あ る。 想 像 の 余 地 を 与 え る 為 、 多 く の 事 が 言 い 切 らず 、
言 い 尽 く され ぬ ま ま に な っ て い る」1と 述 べ て い た 。
ロ シ ア 語 に翻 訳 され た 日本 の 詩 は 、 実 際 以 上 に 強 い 個 性 が 付 与 され て い る。 こ れ
は 、 ソ 連 の イ デ オ ロ ギ ー が 、 「公 民 と して の 自 覚 」 を 純 粋 な 抒 情 詩 に も要 請 し て い
た こ と に よ る 。 日本 の 詩 歌 の 叙 事 的 、 物 語 的 な 流 れ は 、 翻 訳 者 に も読 者 に も 何 の 興
感 も 呼 び 起 こ さ な か っ た こ と は 注 目 に 値 す る 。 ロ シ ア 語 訳 『万 葉 集 』 は 、 そ の と て
も 良 い 例 で あ る 。 非 常 に 古 い 、 時 に は 半 フ ォ ー ク ロ ア 的 で あ る8世
紀 の言 葉 が 、
20世 紀 の 「普 通 の 」 詩 に 変 化 して し ま っ た の で あ る 。
つ ま り、 ソ連 時 代 後 期 の 知 識 人 は 、 日本 に 対 し非 常 に 好 意 的 な イ メ ー ジ を 持 っ て
い た 。 そ の 間 、 新 聞 雑 誌 及 び ラ ジ オ 、 テ レ ビ は 計 画 通 り に ス トライ キ 、「春 闘 」、軍
国 主 義 の 情 報 を 流 して い た 。 し か し ソ連 の マ ス コ ミ の 公 平 性 に対 す る信 用 は 失 わ れ
て お り、 日本 に 関 す る否 定 的 な 情 報 は(決
13〃
灘
朋nアxa.flnoxcxue叨Pα6辮
ォ1'naaxaxpeAaxuHAsocTOxxoHnHTepaTypbiサ,1985,c.5.
34
〃観 纏
し て 全 て が 嘘 と い う訳 で は な か っ た が)
〃 ηπ加 μo加 〃膨 鯢6nepeao∂ax・8epbaMapxoao禔EM・
・
ソ連 ・ロ シア に お け る 日本 文化 の研 究
聞 き 流 され た 。 人 々 は 、 自分 の 国 に 関 して 正 しい 情 報 が 与 え られ て い な い こ と を 知
っ て い た 為 、 海 外 の ニ ュ ー ス も不 信 の 目で 見 る よ う に な っ て い た の で あ る。
そ の 上 、 日本 に 対 す る 敵 対 的 な ソ連 の プ ロパ ガ ン ダ は 、 米 国 や 西 独 、 英 国 と い っ
た他 国 の 「
貪 欲 な 帝 国 主 義 」 を 糾 弾 す る 時 に 特 徴 的 な 緊 迫 の 度 合 い に は決 して 達 し
な か っ た 。 さ ら に 、 プ ロパ ガ ン ダ の カ の矛 先 は 、 当 時 ソ連 と 険 悪 な 関係 に あ っ た 中
国 に も 向 け られ て い た 。 つ ま り、 日本 に 関 して ソ連 の 検 閲 は さ ほ ど厳 重 で は な か っ
た 。 そ れ に 加 え筆 者 は 、 ソ連 の 指 導 者 は 個 人 的 に 日本 が 気 に 入 っ て い た と強 く確 信
し て い る。 なぜ な ら ㍉ 祖 国 で 実 現 さ れ て い な い 理 想 一 経 済 は発 展 し、 市 民 は 政 府
の 方 針 に 従 い 、 若 者 は 年 配 者 を敬 い 、 離 婚 が 少 な く 、 犯 罪 率 も低 く 、 個 人 的 な こ と
よ り も社 会 的 な こ と が優 先 さ れ 、 ドラ イ バ ー は 交 通 ル ー ル を 遵 守 す る 一 が ま さ に
日本 に 見 出 され た か らで あ る。 日本 に 「民 衆 文 化 」 が な お 生 き て い た こ と も 、 大 き
な 意 味 を 有 し て い た:当 時 の 日本 人 は ま だ 民 謡 を覚 え て い た し 、 自 国 の 料 理 や 着 物
を 誇 りに し て い た 。 ア メ リカ 化 が 進 行 して い た に も か か わ らず 、 彼 らが 自国 の 伝 統
文 化 を 尊 重 して い た こ と は 明 白で あ っ た 。
以 上 の 要 因 に よ り、 ソ 連 共 産 党 に 完 全 に 手 な ず け られ 、 そ の 一 員 と な っ て 日本 に
つ い て の 書 物 を 著 し た 人 々 に も 、 日本 や そ の 文 化 、 国 民 に 対 す る愛 情 を 公 に 表 明 す
る こ と が 許 され る こ と に な っ た 。 そ の よ うな 例 が 『桜 の 枝 』 で あ る 。 同 書 は ま ず
『新 世 界 』 誌(最
も リベ ラ ル な ソ連 の 雑 誌)に
掲 載 され 、1971年
に 単 行 本 化 され
た 。 こ の 本 は 大 変 な 成 功 を 収 め 、 数 回 版 を 重 ね る こ とに な っ た 。 著 者 は 、 『プ ラ ヴ
ダ 』 紙(ソ 連 共 産 党 中 央 委 員 会 の 主 要 な 機 関 紙)東 京 特 派 員 めV・ オ フ チ ン ニ コ フ
で あ る 。 同 紙 で 彼 は 日本 の 労 働 者 階 級 の 窮 状 や 軍 国 主 義 に つ い て 書 い て い た が 、
『桜 の 枝 』 で は全 く別 の 事 一 公 式 路 線 で は イ ン タ ー ナ シ ョナ リズ ム を掲 げ た 国 、
あ ら ゆ る 民 族 的 差 異 の 撲 滅 を ユ ー トピ ア 的 な 課 題 と し て い た 国 に お い て 一 、 日本
人 の 国 民 性 を 取 り上 げ た の で あ る。 同 書 の 成 功 は 、 著 者 の 文 学 的 才 能 の 証 とい うだ
け で な く 、 世 間 の 期 待 の 証 で も あ っ た 。 ソ連 の 灰 色 の 生 活 に 疲 れ て 、 人 々 は せ め て
別 の と こ ろ で は 全 く違 う生 活 が 存 在 し て ほ しい と願 っ て い た の で あ る。
さ ら に 、 日本 人 が ロ シ ア 人 に対 し肉 体 的 な 恐 怖 を 与 え な か っ た こ と も 非 常 に重 要
で あ っ た 。1904-OS年
の 日露 戦 争 や シ ベ リア 出 兵 は 全 く 忘 れ 去 られ 、1945年8月
の ソ連 軍 に よ る 素 早 い 満 州 侵 攻 は た や す い 勝 利 で あ り、 日本 は 弱 い と い う印 象 を残
した 。 ア メ リカ 人 及 び 西 欧 人 の 平 均 身 長 は ロ シ ア 人 よ り高 く 、 ロ シ ア 人 は 肉 体 的 な
面 で 彼 らに 対 し恐 怖 心 か ら コ ン プ レ ッ ク ス を 抱 い て い る。 一 方 日本 人 は 、 身 長 が ロ
シ ア 人 よ りも 低 い(と 思 わ れ た)為 、 肉 体 面 に お い て 劣 等 感 は 持 た れ て い な い 。 ロ
シ ア 人 の頭 の 中 で 日本 人 は 小 さい 人 間 と想 像 され 、 恐 怖 で は な く 同 情 の 念 を 呼 び 起
こ した 。 ソ連 時 代 後 期 に お け る 日本 及 び 日本 人 の イ メ ー ジ は 、 「女 性 的 」 要 素 が 強
か っ た 。 ソ連 で 人 気 を 博 し て い た 平 安 女 流 文 学 が 、 そ の傾 向 を促 した 。 日本 人 は 、
あ ま り攻 撃 的 で は な い 存 在 の よ うに 思 わ れ た 。 第 二 次 世 界 大 戦 中 に 日本 軍 が 行 っ た
非 人 道 的 犯 罪 は 、 日本 人 が 受 身 の 、 被 害 者 の 側 に な っ た 広 島 ・長 崎 に お け る 原 爆 の
35
A.MESHCHERYAKOV
悲 劇 に よ っ て か す ん で しま っ た 。 被 害 者 に 対 し無 条 件 に 同 情 す る こ と は 、 ロ シ ア 人
の 国 民 性 の 特 徴 で あ る。
ロ シ ア 人 と 日本 人 が 個 人 的 な レベ ル で 接 触 で き る機 会 は 極 め て 稀 で あ り、 日本 に
行 っ た 人 は ほ とん どい な か っ た 。 上 に 挙 げ た 全 て の 要 因 に よ り、 日本 は 恐 ろ しい 国
で は な く、 神 秘 的 で 不 思 議 な 国 だ と考 え られ る よ うに な っ た 。 漁 師 の 会 話 を 偶 然 耳
に したV・
オ フ チ ン ニ コ フ は 、 「彼 らの 言 語 一 よ り正 確 に 言 え ば 、 言 葉 や フ レー ズ
を 理 解 す る こ と に意 味 が あ る だ ろ うか?彼
らの 思 考 様 式 は 私 に は 理 解 不 能 で あ り 、
彼 らの 精 神 は ま だ 未 知 の 世 界 で あ る こ とを 、 非 常 に 悲 し く感 じ る 」2と 嘆 い た 。 こ
れ は 同 書 だ け で な く 、 当 時 の 知 識 人 の 世 界 観 に と っ て も鍵 と な る 言 葉 で あ る 。 著 者
に は 分 か らな い 漁 師 の 会 話 に一 異 な る も の へ ρ 希 望 、 全 く違 う世 界 が 存 在 して ほ し
い とい う望 み が 託 され て い る の で あ る。
オ フ チ ン ニ コ フ の 著 書 は 、 日本 人 の 精 神 を 分 析 す る 完 全 に 本 格 的 な 試 み で あ る。
著 者 は 自 らが 直 面 し て い る 課 題 を 、 次 の よ うに 理 解 して い た:「
今 世紀 初頭 以 来 我
が 国 で は 、 こ の お 隣 の 国 民 に 関 し て 良 い 点 よ り も 悪 い 点 の 方 が 多 く知 られ て い た 。
そ れ に は 理 由 が あ っ た … し か し 日本 人 の 気 質 の う ち短 所 は90%知
れ ば 、 長 所 は わ ず か10%し
られ て い る とす
か 知 られ て い な い 。 我 々 は 、 日本 人 が 自 国 の シ ン ボ ル
に 選 ん だ 桜 の 花 に 、 借 りが あ る と認 め な け れ ば な らな い 。 」3同 書 が 刊 行 され た 時
期 に は 、 「帝 国 主 義 」 諸 国 の い ず れ か の 国 民 に 対 して この よ うな 発 言 が な さ れ る と
想 像 す る こ と は 全 く不 可 能 で あ っ た 。
傑 出 した 作 品(余
計 な フ ァ ン タ ジ ー や 不 正 確 な 記 述 は あ る も の の)の
後 では 、そ
れ を模 倣 した 二 流 の 作 品 が 山 ほ ど 出 現 す る も の で あ る。 日本 に 滞 在 す る こ と に な っ
た 人 は 誰 で も 、 日本 に つ い て の 神 話 に 自分 も何 ら か の 貢 献 をす る こ と を 義 務 と 考 え
た 。 「日本 マ ニ ア 」 を 賛 美 す る 書 物 が 、V・A・
著 『日本 』(1983年)で
プ ロ ン ニ コ フ とM・D・
ラ ダ ノブ
あ る 。 同 書 で 著 者 は 、 学 問 的 に 問 題 を解 明 し た と 自負 し
て い る(注 釈 で 「本 邦 初 の 、 日本 人 を社 会 心 理 学 的 に 研 究 した 書 物 で あ る 」 と こ と
わ っ て い る)。
本 論 で 筆 者 は 、 こ う し た 著 者 た ち の 多 数 の 誤 り を気 に か け る つ も りは な い 。 筆 者
の 課 題 は 別 の 問 題 一 な ぜ こ の よ う な 種 類 の 著 作 が(本
は 多 数 の 版 を 重 ね た)読
者
の 心 を つ か ん だ の か を 明 ら か に す る こ と 、 つ ま り ソ連 時 代 後 期 に お け る文 化 的 状 況
の 若 干 の 特 徴 を解 明 す る こ と に あ る 。
最 初 に 読 者 は 、 日本 人 を理 解 す る こ と は 日本 人 に し か で き な い と い う こ とを 叩 き
込 ま れ る。 『日本 』 の 著 者 た ち は 、 「料 理 が 出 され る 間 、 芸 者 は 冗 談 を言 い 、 遊 び 、
歌 い 、 踊 る。 こ う した 全 て の 事 が くつ ろ い だ 雰 囲 気 を 作 り出 し、 気 分 を 高 揚 させ る。
と こ ろ が 、 外 国 人 に は 状 況 の ニ ュ ア ン ス を完 全 に は 感 じ取 る こ とは で き な い 、 な ぜ
2BcesosoAOBqHHHHKoB.BemxaCQKアpa1,M.,《Mo丑o双a且rsapAHx>>,1975,c.6.
3TaM)Ke,c.276.
36
ソ連 ・ロ シア にお け る 日本 文 化 の研 究
な ら 日本 語 の 微 妙 な 表 現 や 、 発 言 の 秘 め られ た 意 味 を 理 解 す る 能 力 が な い か らで あ
る 」4、
「義 理 と い う言 葉 は 、 事 実 上 翻 訳 不 可 能 で あ る 」5と 主 張 す る の で あ る。
理 解 で き な い 事 は(実
際 の と こ ろ 、 「理 解 で き な い 事 」 で な い の で は な く、 本 当
に 「理 解 で き な い 事 」 な の で あ る が)、
当 然 の こ と な が ら 「非 合 理 的 」 と い う地 位
を 与 え られ る。 前 掲 書 の 著 者 た ち は 、 日本 国 民 は 厂無 意 識 の うち に 、 生 活 の 主 要 な
原 則 と し て 」6従 っ て い る の だ と述 べ て 、 前 述 の よ うな 非 合 理 性 を公 然 と 主 張 し て
い る。
「神 秘 的 な 雰 囲 気 が 日本 庭 園 の 特 徴 で あ る が 、 そ れ は 庭 園 芸 術 の 基 礎 を成 す
も の で あ る … 日本 庭 園 を ど こ か 外 国 に 移 そ う と し て も 、 全 く う ま く い か な い だ ろ う。
精 神 や 雰 囲 気 こ そ が 、 日本 庭 園 に は 重 要 な の で あ る 。 」7
し か し彼 らは 、 こ の よ うに 日本 人 の 精 神 が 神 秘 的 だ と言 うだ け で は や は り不 十 分
だ と分 か っ て 、 宗 教 を 引 き 合 い に 出 して い る 。 あ る 国 に 固 有 の 神 秘 的 な 文 物 を 説 明
『
す る 為 に 、 同 じ よ うに 神 秘 的 な 論 拠 を 持 ち 出 せ ば 、 叙 述 に 面 白み が 加 わ る と考 え た
の も 当 然 で あ る。 厂日本 人 の 旺 盛 な 知 識 欲 は 、 思 考 様 式 が 具 体 的 で あ る こ と に よ っ
て 運 命 づ け られ て い る 。 こ こ に は 仏 教 の 影 響 も 見 られ る 。 」8仏 教 の 哲 学 的 体 系 に
通 じて い る 者 な ら誰 で も 、 仏 教 の 思 考 様 式 が 具 体 性 を 指 向 し て い る と い う こ と に は
同 意 で き な い は ず だ と指 摘 して お こ う。 だ が こ こ で の 退 屈 な 生 活 とは 異 な る 「ち ょ
っ と面 白 い こ と」 を 探 す あ ま り、 冷 静 に 評 価 した り因 果 関 係 を解 明 した りす る の で
は な く 、 他 国 に 固 有 な 文 物 を皮 相 的 に 「神 話 化 」 す る に 至 っ て し ま っ た の で あ る。
上 記 に 引 用 した 『日本 』 の 記 述 か ら 、 同 書 の 著 者 が 日本 文 化 の 独 自性 を認 め て い
る こ と は 明 白 で あ る 。 そ れ 故 、 取 り上 げ られ る 叙 述 の 対 象 は 、 何 よ りも ま ず
「
我が
国 に な い も の 」 と い う基 準 で 選 択 され る 。 す な わ ち 、 生 け 花 、 切 腹 、 石 庭 、 茶 道 、
禅 宗 等 で あ る 。 日本 人 が 他 の 国 民 と異 な っ て い る 以 上 、 女 性 も異 な っ て い る は ず で
あ る 。 日本 人 自 身 で す ら、 次 の よ うな 一 般 化 を 驚 か ず に 受 け 入 れ る と 思 わ れ る:
「日本 女 性 は 眠 っ て い る 時 で す ら 品 位 を 失 わ な い 一 慎 ま し く、 お 行 儀 よ く 、 仰 向
け に 寝 て 足 を 組 み 、 体 に 沿 っ て 手 を 伸 ば し 、 美 し い 姿 勢 で 眠 っ て い る 。 」9
1970∼80年
す る(正
代 は 、 日本 人 及 び 日本 文 化 の 独 自性 に 対 して 注 意 を 払 う こ と を 強 調
し い 時 も 、 正 し く な い 時 も あ っ た が)「
日本 人 論 」 の 最 盛 期 で あ っ た こ と
を想 起 す る必 要 が あ る 。 これ に 関 して は ソ連 の 日本 学 者 の 多 くが 、 本 理 論 を説 く 日
本 人 の 熱 心 な 弟 子 と な っ た 。 自 ら が 受 け た ソ ビエ ト ・マ ル ク ス 主 義 の 教 育 に お い て
は 、 文 化 の 独 自性 で は な く歴 史 的 ・文 化 的 発 達 過 程 の 普 遍 的 な 法 則 が 強 調 され て い
4B.A.HpoHHHKoB,PL几Jla八axon.ォ∬noxustサM
.,<<HayKa>〉,1983,c.57.
5TaMxce,c.115.
6TaMxce,c.188
7TaMxce.
8TaMxce,c.44.
9TaMxce,c.97.
37
A.MESHCHERYAKOV
た が 、 彼 らは そ れ を 忘 れ て 「日本 人 論 」 の 信 奉 者 に 飛 び つ い た の で あ る。 ソ連 の 読
者 も 同 様 に 、 こ う し た ソ連 の 日本 学 者 を熱 狂 的 に 歓 迎 した の で あ っ た 。
「我 が 国 に な い も の 」 に は 、 単 に エ キ ゾ チ ッ ク で 神 秘 的 な も の だ け で は な く 、 ソ
連 時 代 に 著 し く崩 れ て し ま っ た 生 活 様 式 の 基 本 原 則 も含 ま れ て い た 。 『日本 』 の 著
者 の 意 見 で は 、 そ の よ うな 基 本 原 則 と して 何 よ り も ま ず 以 下 の 資 質 が 上 げ られ る:
伝 統 の 遵 守 、 勤 勉 、 規 律 正 し さ、 集 団 で 協 調 した 行 動 を と ろ う と す る こ と 、 義 務 感 、
礼 儀 正 し さ、 倹 約 、 責 任 感 、 家 族 が 社 会 の 基 礎 的 単 位 と して の 機 能 を 保 っ て い る こ
と、で あ る。
これ ら全 て の 「純 日本 的 」 特 質 は 、 実 際 に か な りの 程 度 日本 人 に 特 有 な も の で あ
り、 ソ 連 人 と 比 較 す る と 際 立 っ た コ ン トラ ス トを 成 して い る。 も し 「ソ 連 人 」 が 上
記 の 価 値 を 原 則 的 に否 定 し て い た とす れ ば 、 「我 々 とは 異 な っ て い る」 と結 論 づ け
る だ け で 話 は 終 わ っ た で あ ろ う。 しか し問 題 は よ り複 雑 で あ る。 日本 人 に顕 著 に 見
られ る 資 質 は 、 ソ連 時 代 後 期 の 社 会 の 公 的 な 目標 で あ り、 理 想 一 革 命 後 に 失 わ れ
た 理 想 、 そ れ と同 時 に 「明 る い 未 来 」 に 存 在 す る 理 想 一 で あ っ た 。 日本 は 、 こ の
よ うな 理 想 を 持 っ て い る 人 々 の 理 解 で は 、 現 実 に 存 在 す る空 間(と
は 言 え 、 明 らか
に お と ぎ話 の 世 界 の よ うな 、 ユ ー トピ ア 的 な 意 味 合 い で描 か れ て は い た が)に
おい
て 既 に 夢 が 実 現 され た 場 所 で あ っ た 。
日本 は 島 国 で あ る が 、 ロ シ ア 民 話 に お い て 「理 想 郷 」 は 通 常 、 島 で あ る 。 ロ シ ア
民 話 の キ ー テ ッ シ ュ 島 、 ラ フ マ ン ス キ イ 島 が これ に 該 当 す る 。 そ の 上 、18世
紀の
民 間 伝 説 で は 、 宗 教 の 戒 律 が き ち ん と 守 られ て い る 「白水 」 の 国 が 、 「日本 国 」 の
岸 に 面 した 海 に あ る と言 わ れ て い た 。
歴 史 は パ ラ ド ッ ク ス に 満 ち て い る も の で あ る 。 日本 に つ い て の パ ラ ド ッ ク ス は 、
18世 紀(20世
紀 初 頭 で さ え も)「 逃 亡 者 」 が 本 当 に 白水 の 国 へ 逃 避 した い と望 ん
で い た こ と で あ る。 ソ連 の 「停 滞 の 時 代 」 に 関 し て 言 え ば 、 物 理 的 に 日本 へ 到 達 す
る 幸 い に 恵 ま れ る と は誰 も 思 い も 寄 らな か っ た 。 日本 は 、 「心 の 中 に お け る 亡 命 」
の た め の 国 と して 考 え られ て い た 。
状 況 は 、 ソ連 崩 壊 に伴 っ て 急 激 に 変 化 し て い る。 日本 及 び 日本 に 対 す る態 度 は 、
以 前 よ り も現 実 的 に な っ た 。 こ れ は 、 個 人 的 な レ ベ ル で 日本 人 に接 触 す る機 会 が 増
大 した こ と に 加 え 、 ロ シ ア 国 内 に お い て よ り多 く の 可 能 性 が 開 け 、 人 々 が そ れ を 実
現 し よ う と取 り組 み だ した こ と に起 因 して い る 。 そ の 上 、 ソ連 崩 壊 後 の 数 年 間 は 、
物 理 的 に 生 き 残 る こ と が 緊 要 な 課 題 で あ っ た 。 夢 を 見 る た め の 時 間 は 、 ほ とん ど残
っ て い な か っ た 。 全 般 的 な 情 勢 の 変 化 は 、 日本 学 に も 影 響 を及 ぼ し た 。 近 年 の 具 体
的 な研 究 に っ い て は 最 近 出 版 され た 書 物 に 言 及 が あ る為lo、 本 論 で は 近 年 の 日本 学
に 見 られ る最 も 主 要 な傾 向 を述 べ る に と ど め る 。
10法
政 大 学 国 際 日本 学 研 究 セ ン タ ー
る 日本 研 究 』 、2005年
38
。
『ポ ス ト ・ ソ ビ エ ト期(1991-1994)の
ロシア にお け
ソ連 ・ロ シア に お け る 日本 文 化 の研 究
多 く の 研 究 に お い て 、 日本 の歴 史 や 文 化 は も は や 世 界 に ア ナ ロ ジ ー の な い も の と
し て は 見 な され て い な い 。 研 究 者 た ち は 、 日本 の 歴 史 ・文 化 的 発 展 過 程 の 特 殊 性 を
認 め な が ら も 、 日本 を 国 際 的 な 枠 組 み の 中 に 入 れ て 考 察 す る よ うに な り、 比 較 文 化
的 な研 究 が 増 え て い る 。
「日本 古 典 文 学 」 とい う概 念 を 、 も は や 日本 語 で 書 か れ た 文 学 の 枠 内 に は 限 定 し
な く な っ た 。 芭 蕉 は 、 以 前 は た だ 俳 句 の ジ ャ ン ル で しか 紹 介 され て い な か っ た が 、
今 や 漢 文 で 書 か れ た 作 品 も 知 られ る よ う に な っ た 。 平 安 時 代 は か つ て 、 何 よ り も ま
ず 和 文 で 書 か れ た 女 流 文 学 の 時 代 と し て 知 られ て い た が 、 今 や 研 究 者 や 翻 訳 者 は 男
性 の 日記 や 上 申 書(三
善 清 行 『意 見 十 二 箇 条 』)、
説 話 集(『
日本 霊 異 記 』)も
紹
介 す る よ うに な っ た 。
か つ て は 「二 流 」 の 作 品 と 見 られ て い た 古 典 文 学(『
名 草 子 』 、 『御 伽 草 子 』 等)も
と りか へ ば や 物 語 』 、 『無
、 日本 語 か ら翻 訳 され る よ うに な っ た 。
ソ ビエ ト体 制 下 で は タ ブ ー と さ れ た 、 日本 の 宗 教 に 関 す る本 格 的 な 研 究(神
仏 教 、 日本 に お け る 正 教 の 歴 史)が
道、
か な り広 く 紹 介 さ れ る よ う に な っ た 。
ロ シ ア 人 研 究 者 が 取 り組 ん で い る 新 しい テ ー マ と して 、 歴 史 地 理 学 、 視 覚 文 化 、
空 間 的 及 び 時 間 的 方 位(方
忌 や 物 忌)、
近 代 化 の 問題 、 とい っ た 研 究 対 象 が 挙 げ ら
れ る。
欧 米 と は 異 な っ た 、 ロ シ ア に 特 徴 的 な 状 況 で あ る が 、 日本 古 代 の 記 念 碑 的 作 品 に
関 す る 研 究 書 や 出版 物 が 重 要 で あ り続 けて い る。 現 在 の と こ ろ 『律 令 』 、 『古 事 記 』 、
『日本 書 紀 』 、 『続 日本 紀 』 、 『風 土 記 』 、 『古 語 拾 遺 』 、 『藤 原 家 伝 』 、 『新 撰 姓 氏
録 』 、 『万 葉 集 』 、 『懐 風 藻 』 等 の ロ シ ア 語 訳 が あ る。
近 年 、 ロ シ ア に お け る 日本 研 究 の 質 は 確 か に 向 上 し た 。 だ が 同 時 に 、 日本 に つ い
て の 研 究 書 の 発 行 部 数 が 急 激 に減 少 して しま っ た こ と を 指 摘 しな け れ ば な ら な い 。
厂日本 研 究 の ベ ス トセ ラ ー 」 で あ る 『日本 の シ ン ボ ル に 関 す る本 』11は3年
回 版 を 重 ね た が 、 発 行 部 数 の 合 計 は わ ず か1万
間 で4
部 に過 ぎ な い 。 ソ連 時 代 に は 、 日本
文 化 に 関 す る書 籍 は 数 万 部 、 数 十 万 部 も売 れ た も の で あ っ た 。 これ は 恐 ら く 、 目本
学 が ユ ー トピ ア 学 か ら現 実 学 に移 行 した 代 償 で あ ろ う。
(原 文 ロ シ ア 語 、 日本 語 訳 ・土 田 久 美 子)
11A.H.MeujepAxoB.KxuzaRnoxcxuxcuMaonoa.M.,ォHazanxcサ
,2004.
39
Fly UP