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コジェーヴの政治哲学について - Kyoto University Research

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コジェーヴの政治哲学について - Kyoto University Research
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無神論と国家―コジェーヴの政治哲学について―(
Digest_要約 )
坂井, 礼文
Kyoto University (京都大学)
2015-03-23
URL
https://doi.org/10.14989/doctor.k19077
Right
学位規則第9条第2項により要約公開
Type
Thesis or Dissertation
Textversion
none
Kyoto University
学位論文の要約
本論文では、アレクサンドル・コジェーヴの政治哲学を解明すべく、無神論及び国家
論について考察する。本論文のねらいをより具体的に言えば、コジェーヴの描いた哲学
史とその政治理論とを関連付けることで、政治哲学の復権を試みる。また、本論文の副
主題は、コジェーヴとその同時代人の思想家ら(主にレオ・シュトラウスとカール・シ
ュミット)を比較考量し、また過去の哲学者たち(主にプラトンとヘーゲル)からの影
響を明らかにし、それにより思想史におけるコジェーヴの位置付けを再定義することで
ある。コジェーヴがバタイユやラカン、クノーなどの同時代のフランスの知識人の師で
あることは以前から知られてきたことであるが、本論文では、彼がドイツ系の学者とい
かなる繋がりを持っていたかに焦点を絞りたい。日本では未だコジェーヴに関する詳し
い研究は進んでいないこともあり、本論文はささやかな試みではあるが、コジェーヴに
ついての本邦初の本格的な研究書となるように努めた。
では、その思想をいかなる切り口から迫っていくべきであろうか。1930 年代にすで
にヘーゲル講義の中で、歴史の終焉論を唱え、ヘーゲルの国家論に言及していたコジェ
ーヴは、その時代からすでに政治哲学に強い関心を抱いていたと推測されよう。彼はマ
ルクス主義者であると思われがちだが、その著作の中でマルクスへの言及はさほど多く
ない。クーズネットゾフがインタビューで筆者に語ったように、ある意味では当時のほ
とんどの知識人がマルクス主義者であったとすら言うことも可能であり、コジェーヴの
思想はマルクス主義との関連性だけではとても捉え切ることは出来ない。
彼は時事的な政治的・社会的事柄について時折論述することもあり、哲学と政治ある
いは社会とは切断できない関係にあると考えていたことは、本論文で後に論じるように、
レオ・シュトラウスとの意見交換の中からも伺うことができる。シュトラウスがプラト
ンやソクラテスのように哲学教師として政治哲学について語ったのと異なり、コジェー
ヴは哲学を修めつつ、同時に官僚として政治に直接関わったのであった。その意味で、
コジェーヴは哲人政治を実行した哲学者であると評価することもできるであろう。
シュトラウスの教え子であるアラン・ブルームから指導を受けたフランシス・フクヤ
マが 1993 年に書いた『歴史の終わり』で、幸か不幸か、コジェーヴの歴史の終焉論が
再び注目を浴びることになった。しかし、コジェーヴがフクヤマの言うように、リベラ
ル・デモクラシーの擁護者であったと素朴に述べることは出来ない。コジェーヴ自身は
クーズネットゾフに対し、自分は「右派マルクス主義者」であると冗談交じりに語って
いた。ロシア系でフランスに帰化したコジェーヴは、典型的なナショナリストであった
とはとうてい言えないものの、普遍同質国家――これについては第四章で考察する――
を構想したからといって、左派の言論人であったともまた言い切れない。彼がヘーゲル
に倣って強力な国家を作り上げようとしたことや、五月革命を全く評価しなかったこと、
国際会議の場ではフランスの利害に重きを置いていたことなどから、右派であったと結
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論付けるのも単純すぎる。いずれにせよ、コジェーヴが右派もしくは左派陣営のイデオ
ローグであったなどと考えようとすることに深い意味はないが、それでもやはり、彼が
政治哲学に何らかの形で寄与したのではないかと考えることは妥当である。そこで、本
論文では、彼の政治哲学者としての側面を浮き彫りにすべく、コジェーヴとシュトラウ
ス、さらにはシュミットとの対比を行うことにする。
しかし、コジェーヴを単に政治哲学者として描き出すだけでは、未だにその全体像が
見えてこない。というのも、彼はヘーゲルのみならず、パルメニデスやプラトン、アリ
ストテレス、ピエール・ベールやカント、ハイデガーなどについて、時間論的及び存在
論的観点から論じているからである。彼のこのような哲学史家としての側面も本論文で
取り上げることによって、より多面的ひいては立体的なコジェーヴ像が明るみとなるで
あろう。
コジェーヴは、結局のところ、哲学史家であり、ヨーロッパ共同体の創設に尽力した
官僚でもあり、哲学者として政治について語った政治哲学者でもあった。コジェーヴに
まつわる、このような三位一体的イマージュを意識しながら、本論文を展開していきた
いと思う。
以上の背景から、我々は本論文において、コジェーヴの哲学を紹介するに当たり、第
一部では無神論を、第二部では国家を中心的な主題として取り扱った。第一部は第一章
と第二章に、第二部は第三章と第四章にそれぞれ分かれている。
第一章では、アレクサンドル・コジェーヴとレオ・シュトラウスの論争の内容を理解
するうえで重要な意義を持つと思われる、コジェーヴの『ユリアヌス帝とその著述技法』
を中心に取り扱った。シュトラウスの見出した秘教的著述技法を自家薬籠中の物とした
コジェーヴが、その技法を用いて、通説では異教徒と考えられてきたユリアヌス帝が、
実は無神論者であったことを証明しようとしたことの意義を解明した。シュトラウスに
よれば、従来は口頭による伝承の形で自らの思考を伝えていた古代の著述家たちは、迫
害を逃れるべく、あえて本心を包み隠しながら書こうとする傾向があった。したがって、
現在の読者たちは古代の著作を読み解く際に、行間を読みながら、注意深く著者の真意
を探る必要がある。
コジェーヴは、このような古代の秘教的著述技法をユリアヌスも用いていたと仮定し、
その著作を読み進めるうちに、異教徒とされてきたこのローマ皇帝が実は無神論者であ
ったことを発見する。これまで指摘されてこなかったが、この発見はコジェーヴの目か
らすれば有神論者であるシュトラウスに対する挑戦に他ならなかったと解釈されうる。
実際に、シュトラウスは、哲学者でありながらユダヤ教徒でもあり、彼自身がその生涯
にわたって、アテネを選ぶべきか、エルサレムを選ぶべきか悩み続けていた。というの
も、彼の考えでは、一方で、ユダヤ教に対する信仰を保持しつつ、他方で、古代ギリシ
ャの哲学に回帰しながら、真理を探究することは困難であるからであった。
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さらに、コジェーヴの議論の背景にある、彼とシュトラウスとの間で行われた論争を、
無神論的立場と有神論的見解の対立であると解釈しつつ、その発見の内容を分析した。
その際に、二人の哲学者がそれぞれ無神論者及び有神論者であったという事実が、彼ら
の知を愛する仕方にも相違をもたらしたことを明らかにすることで、彼らの根源的な対
立項を浮かび上がらせた。コジェーヴがユリアヌス論において秘かに目論んだことは、
結局のところ、シュトラウスに対する賛同などではなく、反対に、シュトラウスの有神
論に対する挑戦であった。彼がこのように煩悶し続けることに哲学の価値を見出したの
に対し、コジェーヴは解答を出すことこそ哲学の課題であると考えていた。
彼らは実証主義的及び解釈学的文献学に対抗するような秘教的著述技法を意識した
読解法の有用性に関しては同調したが、それがもたらすのは、古典研究の新しい地平を
切り開く可能性である。そもそも、コジェーヴはシュトラウスと知り合う前から、この
ような読解術を心得ており、その特異なヘーゲル読解においても、それを十全に意識し
ていたように思われる。
続く第二章では、コジェーヴがやはり秘教的著述技法を念頭に置きながら、無神論的
立場から、哲学史を描き直したことの意義を検討した。コジェーヴの哲学史では現象学
と存在論が取り扱われているが、とりわけ問題となるのは、パルメニデス的一元論、プ
ラトン的二元論、ヘーゲル的三元論あるいは三位一体論である。
我々は、ヘーゲルの三位一体論が、コジェーヴの描いた無神論的哲学史において、重
要な論点となることを確認した。コジェーヴの解釈では、ヘーゲル的な三位一体論は存
在・無・(存在と無の間の)差異によって構成される。しかし、そもそも、キリスト教
の正統教義である本来の三位一体論においては、キリストと神と精霊とは同一である。
コジェーヴが強調しているのは、キリストは人間でありながら神であることであること
から、人間自体が神になりうることであった。彼が博士論文で取り扱ったソロヴィヨフ
に由来する、このような神人論が意味するのは、キリスト教の内部に無神論的要素が含
まれているということであり、この点において、キリスト教はアブラハムの宗教の中で
も、ユダヤ教及びイスラム教とは決定的に性質を異にするのであった。
第三章では、コジェーヴとシュミットを対質させていくことにより、ポスト歴史の時
代において、法的なもの及び政治的なものについて、いかに考えることができるか明ら
かにすることで、彼らの思想が現代においていかなる意義を持つか考察した。1930 年
代にコジェーヴが初めて示した見解では、我々は歴史がすでに終了した後の時代を生き
ていたのであるが、実はシュミットも同時期に同様の認識を抱いていた。歴史終了後に、
伝統的な国民国家は解体される方向へと向かうと彼らは考えていたことから、今日的な
視点から言えば、彼らの議論はグローバリゼーションが孕む法的及び政治的な問題系と
通底している。
一般的にコジェーヴは親スターリンの左派、シュミットは親ナチの右派であると考え
られがちであるが、厳密には、彼らの政治的及び法的思想は複雑であり、第三章ではそ
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の内実を丹念に読み解くことを試みた。ヘーゲル主義を標榜した普遍主義者であるコジ
ェーヴにしたがえば、第一項と第二項の間の対立は、中立的な法的第三項(tiers)によ
る介入がない限り、解決されえない。逆に言えば、第三項の介入により、第一項と第二
項とが和解することが可能である。その第三項の存在は、ヘーゲルの法哲学に依拠する
というよりも、アリストテレス解釈に由来していた。加えて、コジェーヴが第三項を強
調することの背景には、三位一体説の発想があったことが推測される。それに対して、
大地に対する愛着という信念から持論を展開するシュミットによれば、あくまでも第一
項と第二項の間での均衡状態によってしか、国際秩序は確立されないのであった。結局
のところ、彼は空のノモス――彼は、法という意味の他に、生産、分配、取得という語
源的意味をノモスという語に込めている――や海のノモスよりも、原初のノモスである
陸(=故郷)へと再び回帰することが、具体的秩序を形成する契機となりうると考えた
と言えるであろう。
最後に、第四章では、コジェーヴが普遍同質国家の名で探究していた、未来の(=来
たるべき)国家はいかなるものであるか検討した。その際に、シュトラウスやシュミッ
ト、モースからの影響に言及しつつ、慎重にコジェーヴの議論を追った。フランスの官
僚として働いていたコジェーヴは 1945 年の終戦時に、フランスとスペイン、イタリア
の三国がラテン帝国となることを政府の高官に提唱した。彼の考えた「帝国主義なき帝
国」とは、ひとまず暴力性及び宗教性に依拠しない形での連邦であると言えるが、それ
でもやはり、連邦の背景において、核兵器を含んだ軍事力と普遍宗教としてのキリスト
教が果たす役割は看過できない。キリスト教と一口に言っても、それは一枚岩ではなく、
コジェーヴの意見では、さらに三つの宗派に分けるべきである。第一に、ドイツやアメ
リカ、イギリスで浸透しているプロテスタント教会、第二に、フランスやスペイン、イ
タリアに基盤を持つカトリック教会、第三にロシアを始めとする、かつてのソ連で広く
受け入れられている東方正教会である。
第四章ではまた、コジェーヴがなぜ資本主義国アメリカと共産主義国ロシアの間に、
大して差がないと考えたか解き明かした。彼の認識では、アメリカでフォーディズムに
よる生産形態が現れて以降、資本主義内部における矛盾は解決の糸口を見出したことか
ら、現代において革命を起こす必要はもはやなくなってしまったのであった。したがっ
て、フォードは自分では意識していなかったものの、実は最善のマルクス主義的変革者
であった。
我々は本論文の多くの箇所で、コジェーヴの哲学自体に的を絞って論じるよりも、他
の知識人たちとの対比を行った。それは、彼の思想史家としての功績及び思想史におけ
る重要性を示したかったからである。このような試みは、ヘーゲルによる哲学の完成す
なわち終焉を提唱し、ヘーゲル以降に新しい哲学は現れていないとするコジェーヴの見
解からしても、正当なものであると考えられよう。
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本論文において、我々はコジェーヴの哲学を紹介するに当たり、第一部では無神論を、
第二部では国家を中心的な主題として取り扱った。第一部は第一章と第二章に、第二部
は第三章と第四章にそれぞれ分かれている。ここで、コジェーヴにおける無神論と国家
論の関連性について考えてみたい。
我々は本論文に『無神論と国家』という挑発的な題目を付しながらも、神の非存在論
的性質や有神論的宗教の問題点を示して糾弾するような無神論ではなく、コジェーヴの
無神論的立場に焦点を当てながら、その政治哲学について論じてきた。コジェーヴは確
かに無神論者であるが、いや無神論者であるがゆえにかえって、キリスト教の教義につ
いて冷静かつ客観的な眼差しを向けていた。つまり、コジェーヴの無神論には、ニーチ
ェの無神論に見られるような、反キリスト教的性格がほとんどなく、キリスト教及び教
会を攻撃することは彼の意図するところではなかったし、実際にも彼はそうしたことは
なかったのである。それどころか、彼の無神論には、三位一体論というキリスト教の正
統教義が内包されていた。そしてまた、彼の無神論は、否定する主体としての神-人に
重きを置く、キリスト教的発想に基づいた人間学にも通ずるところがあった。
このような無神論的思考に基づきながら、コジェーヴはアリストテレス的第三項と三
位一体論を結び付けることによって、今日における普遍同質国家の存在形態を模索した
のであった。彼は、キリスト教の教会が目指した同質国家と、アリストテレスの教え子
であるアレクサンドロス大王が目指した普遍国家を組み合わせながら、そこから宗教的
及び攻撃的性質を排除しつつ、新たな国家の理念を作り上げると共にそれを実現しよう
と試みていた。コジェーヴは、普遍同質国家が、卓越した統治者――その人物は神人で
あることが望ましい――の権威が普遍的に認められる時にのみ形成されると信じてい
たように思われる。この統治者は第三項として、第一項及び第二項である国民を、彼ら
から抵抗を受けることなく統率することができる。
コジェーヴが無神論的存在論を構築する際に念頭に置いていた三位一体論的発想法
は、彼の国家論にも影を落としているように思われる。彼が構想した普遍同質国家は帝
国的性質を持つが、帝国とは国家間の統合が実現した状態に他ならない。むろん、現実
の政治においては、そのように単純に統合が実現されるわけではないことは、コジェー
ヴも熟知していた。彼は、理想の実現のための第一段階として、フランスとイタリアと
スペインをラテン帝国の名の下で一つの連邦を作り上げることを提唱した。また、ドイ
ツで行った講演で彼は、フランスがかつて搾取してきた旧植民地国に対して、今後は富
を分け与えることを提唱したが、このことによって、
「帝国主義なき帝国」
(すなわち軍
事力を伴わない連邦)を作り上げようとしていたと解釈できる。つまり、普遍同質国家
を作り上げるための具体的手法とは、豊かな国から貧しい国へと分け与えるべきである
とコジェーヴは考えたが、彼の目論見は贈与を通じて、国同士を同化することにあった。
彼は明白に語っていないが、この意見は、おそらくモースの贈与論に影響されている。
コジェーヴの脳裏に、ポスト植民地主義的発想があったと指摘することはたやすいが、
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実際には、彼はフランスが旧植民地と連携を深めることが、フランスのためだけではな
く、旧植民地にとっても利益になると信じていたように思われる。
以上の過程を経て、国家の統合を推し進めなければならないとコジェーヴが感じてい
た理由として、国家の制定する法のみが強制力を持つ、すなわち究極的には国家のみが
第三項になりうることが挙げられる。国内の法から訴追を逃れることはその国にいる限
り困難であるが、「国際法」から訴追を免れることは比較的容易である。コジェーヴの
認識では、「国際法」は成立しないか、成立したとしても大して効力を持たない。そう
であるとすれば、歴史終焉以降の時代に訪れるのは、国家の衰退ではなく、逆に国家の
隆盛でなくてはならず、国家そのものが、神に取って代わる必要があると言える。
坂井 礼文
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