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寺田元一 - 化学史学会

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寺田元一 - 化学史学会
『百科全書』と化学
化学史学会シンポジウム「事典の世界」
寺田元一(名古屋市立大学) 目次:
—  序論
—  『百科全書』化学の従来の評価
—  『百科全書序論』などでの化学の位置づけの両義性
—  Venelとドルバックの役割の見直し
①化学を同時代の諸科学の中に定位させる
②化学と応用的学問、技芸を連携させる
—  図版の再解釈
—  結論
2.『百科全書』化学の従来の評価
—  ①Extrait d’un mémoire présenté en 1768 à
Monsieur le Chancelier par MM. ***, Libraires
de Paris, pour obtenir la permission de faire une
nouvelle édition de l’Encyclopédie en Franceに
おける、化学関係学問の評価: 「鉱物学と冶金学、
この両分野はまったく欠陥だらけだ……。両者は注
意深く手直しされる必要がある。××氏が他の補助
執筆者と同様に担当したが、仕事ぶりは計画なし
だった。それにわれらが悪しき化学者××のへまを
たえず直すのに忙しかった。本来の場所に見つか
らないものを置き換えることをいつも余儀なくされて
いた。化学はひどい……。医学、医学物質、薬学
は……貧困だ……。」(DPV, V, 81) —  これを典拠にして、ディドロ(1713-1784)は「化学
はひどいできだ」と評価したとされるが、これには
注意が必要。『ディドロ全集』にも採用され、ディド
ロ執筆と解釈されるが、この文書の主体はディドロ
ではなく出版者であり、目的は『百科全書』の新版
の出版許可を得るために、監修者であるディドロの
現行の『百科全書』に対する評価を提示することに
あった。そのために、ディドロが執筆したにせよ、そ
の口頭証言を出版者が再構成したにせよ、この文
書では意図的に現行の『百科全書』の不出来が強
調されている。 ただ全体として見ると、上のようなディドロの評価(?)の
影響もあって、化学はつい最近まで『百科全書』の中であ
まり注目されてこなかった。そうした状況が京大人文研で
の共同研究にも反映している。
②桑原武夫編『フランス百科全書の研究』岩波書店、
1954年
第七章で物理学と技術、第八章で生物学は論じられるが、
化学はほぼ無視。
『百科全書』の化学についての本格的な評価は『百科全
書』刊行200年を記念したRevue d’histoire des sciences
の特集号に掲載された以下の論文:
③Maurice Daumas, « La chimie dans l’Encyclopédie
et dans l’Encyclopédie méthodique », Revue
d’histoire des sciences, 4, 1951, p. 334-343.
「18世紀の中葉の化学の状態の非常に悲観的一覧」
「ひどく曖昧な議論が化学を執筆した著者を分断していた。
自分の採用した哲学体系によって、各自が、自分の見方と
対立すると思われる同僚の物質構成、反応過程、原質の
本性の見方を非難していた。」
「このレベルの研究〔親和力表に関する研究〕は独立に展
開されたが、化学の一般知識は手つかずに残され、知識を
提示するのに全然影響を与えなかった。」
これらに対しては、Lehman et Pépin 2009による批判がある:「モー
リス・ドーマはフロギストンの不在に驚き、そこから『百科全書』は最新化
学(シュタール化学)の中心概念を知らなかったと結論する」
しかし、フロギストンという項目が全然存在しないわけではない。項目は
存在するが、結局それは項目Feu (chimie) par Venelを参照させるだ
けに終わっている:« c'est la même chose que le feu élémentaire.
Voyez l' article Feu. » ただし、フロギストンは新しい化学の説明概念と
しては『百科全書』で非常に重要な役割を果たしており、重要な化学項
目(CALCINATION, CENDRE OU CENDRES, Charbon, Chaux
commune, CHYMIE ou CHIMIE, Essai, EXPANSIBILITÉ, FER,
Feu, Flux, Fourneau, FUSION, Huile, NITRE, NITREUX,
Phosphore, RÉGULE d’antimoine, SEL & SELS, Soufre, Trempe
de l’acier)を中心に、全部で267回登場している。 項目「火」ではそれ
が1.原素(フロギストン)として、2.熱として紹介され、火が実験手段と
して重要であることがとりわけ強調されている。
註
本来『百科全書』の項目表記は、同じ名称の冒頭項目(article)の場合、全グランド・キャ
ピタル、同じ名称の継続項目(entry)の場合、スモール・キャピタルが原則である。ここで
はスモール・キャピタルのところを、便宜上小文字で表記している。
Daumasの評価が以下の研究にも踏襲され、20世紀にはこうした
論調が主流を占めた。
④Roland Mousnier, Progrès scientifique et technique au
XVIIIe siècle, Paris, Plon, 1958.
ジャック・プルースト『百科全書』岩波書店、1979年(原著は
L’Encyclopédie, Armand Colin, 1965)
「事実、(b と署名した)ヴネルと(M と署名した)マルゥアンは、辞典
に、平凡で、矛盾にみちみちた寄稿をしたのであった。けれども、こ
のことは、一八世紀中葉における実験科学の状態にも由来してい
た。」(148ページ)
「化学は、まだほとんど研究されていなかった。他の諸科学が時に
は、目を見張るような発展を示していたのに、化学は停滞していた。
ヴネルは、当然のことながら、項目「化学」のなかで、このことを認め、
嘆いている。」(148-149ページ)
「ヴネルは、たしかにシュタールを引用するけれども、アンシクロペ
ディストたちが原則的に非難したシュタールのフロギストン〔燃素〕理
論をどこにも説明していない。」(150ページ)
「他面、ヴネルは、親和力表を知らなかったようだ。(150ページ)
3.『百科全書序論』などでの化学の
位置づけの両義性
—  ダランベール:
—  『序論』で体系(の精神)の学問にとっての危険性を論じた後
で、「体系」や「臆見」にかかずらうことなく、自然諸科学はそ
れぞれ以下のものだけに関わるべきだと論じる: 「物理学は
ひたすら観察と計算に、医学は人体、病気、療法の詳述、自
然誌は植物、動物、鉱物の精緻な記述、化学は物体の実験
的合成や分解に限られる」(ENC, I, p. xxxi)
—  それは『百科全書』第一巻に示された有名な「人間知識の体
系図解」の説明にも対応している。実際、ここでのPhysique
は「体系図解」の「特殊自然学」であり、そこにはここで問題と
なっている諸学問:医学、動物学、植物学、鉱物学、化学が
含まれている 。
ディドロ:「自然物体の外部の感覚的で表面的な性質などの実験的認
識、感覚によって得られた詳述から、反省はわれわれをそれらの内的
で隠れた特性の人為的探究へと導いた。その学芸が化学と呼ばれた。
化学は自然の模倣者でかつライバルである。その対象は大自然が対
象とするものとほとんど同じ広がりを持つ。[je dirois presque que
cette partie de la Physique est entre les autres, ce que la
Poësie est entre les autres genres de Littérature :]化学は存在を
分解したり再活性化したり変化させたりする。化学は錬金術と自然魔術
を生じさせた。冶金術すなわち金属を大きく扱う技芸は化学の重要な分
野である。この学芸にはさらに染色術を関連させることもできる。」
(ENC, I, p. lb)
今引用した『人間知識の体系詳述』における化学の位置づけ方は、ほ
ぼ『趣意書』における位置づけ方を踏襲([ ]で示した部分だけが『体系
詳述』では省略される)。ディドロが『趣意書』で化学を「人間知識の体系
図解」の中に位置づけたとき、実は『百科全書』とは別の「体系図解」が
使われていた。そこでは化学は存在論、数学、自然学と並ぶ独立した
一領域を構成(『趣意書』「体系図解」参照)。ディドロの上の位置づけは、
『百科全書』「体系図解」ではなく、むしろ『趣意書』に対応。 FIGURÉ
SYSTÈME
DES
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(Voir notice 25, p. 393.)
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ダランベールが体系や臆見を排して「物体の実験的合成や分解にだけ
関わる」ものに化学をしようとするのに対し、ディドロのここ(とりわけ
『趣意書』)での化学は『盲人書簡』などでの自然観とも対応して、自然
(規則的にさまざまな事物を生じさせると同時に、不規則に怪物や奇形
を生じさせもする力動的存在)のライバルという、臆見的とも言える体
系的位置を与えられている。自然が規則的に働きながら、ときに特異
な現象を多産的に生み出しているように、化学もまた「実験的合成や
分解」を超えて、「存在を分解、再活性化、変化」させ、自然を模倣しな
がら、規則的にときに不規則に、多様な存在を産業や技芸を通じて生
み出す、多様でかつ全方位的な能動的探究かつ実践なのである。しか
も、その多産性や全体性は自然のそれと通底する。
ディドロにあっては、化学はそのような特別な地位を、哲学あるいは自
然学の中で与えられている。同じく実験的性格が強調されながらも、慎
ましやかな役割で満足するダランベールの化学とは大違いである。『百
科全書』の化学は、二人の編者の間で、このような認識論上の根本的
対立を最初から内包しながら、執筆編集されていったわけである。
☆Malouin(1701-1778)の位置
—  『百科全書』発刊の頃、化学項目の執筆を担当していたのは
Malouinだった(第1〜3巻のみ執筆)。彼は既にTraité de
chimie, contenant la manière de préparer les remèdes qui
sont les plus en usage dans la pratique de la médecine
(1734)を執筆し、科学アカデミー会員となる(1742)などして、化
学者として名が通っていた。Malouinはディドロとダランベールの
狭間にあって、どちらの側に位置していたのだろうか。最初に答
を言えば、どちらにも位置していなかった。
—  彼の項目「錬金術」などを読むと、化学より錬金術を高く評価して
いる。化学は通常の現象を扱い、錬金術は例外的で高貴な現象
を扱うとされるのだ。そのせいもあって、第一巻のMalouinの多く
の項目で、化学は錬金術と関係付けられている。
—  Malouinとともに初期の化学項目を編集執筆したディドロは、彼
の項目に相当不満があったようで、編者として多くの増補を行っ
ている。 編者の交代:MalouinからVenelへ
最初は鉱物学の内容チェックを担当していたVenelが、第二巻の途
中ぐらいから化学全体の執筆者兼編者へと昇格したようである
(1750年頃)。そのため、第二巻「前書き」で彼には既に以下のよ
うに重要な位置づけが与えられている: 「私たちが『序論』で称えた
Venel氏は、既に多くの有益な新知識を伝えてくれたが、そうした仕
事だけを行ったわけではない。氏は多数の項目を喜んで担当して
くださった。項目の最後に今後氏の名前が見られるだろう。既に項
目のいくつかは本巻に見出される。」
Venelは項目「化学」で化学は物質の内部の独自の探究を行うと
するなど、ディドロほど力動的ではないものの、化学に物理学と異
質な学問性を与える点で、ディドロと共通していた。また、Malouin
のような錬金術に対する幻想は捨てて、化学に物理学に対抗でき
る地位と科学性を与えようとしていた。こうして『百科全書』化学の
編集方針は大転換を遂げることになる。
Venelを中心とする分業体制へ(ディドロやドルバックも参加)
4.Venelとドルバックの役割の
見直し
—  編者としてVenelはいかなる活動をしたか。Lehman 2009
によれば、Venelはドルバックと化学項目の執筆編集責任
を分担していた。ドルバックが冶金学、鉱石分析術、技芸関
係の化学を、Venelが自然誌、医学、薬学に関わる化学を
担当した。『百科全書』第三巻の「前書き」には以下のように
両者が紹介されている: 「Venel氏には既に最初の二巻で
多くを負っているが、氏は化学、薬学、生理学、医学の全項
目を担当した。その項目は(b)で示される。」「ドルバック男
爵は化学について著述した最高のドイツ人著者をフランス
人に知らせることに従事し、(-)という印を持つ項目を提供し
てくれた。」
—  このように分担をした上で、化学の編者の役割はVenelが
担った。
編者Venelの二つの課題:
①化学を同時代の諸科学の中に定位させる:
化学を同時代のオフィシャルな科学として、生成展開する
『百科全書』の知識体系の中に定位させ再評価すること
(Lehman 2008, 2009)
②化学と応用的学問、技芸を連携させる:
化学を手業(技芸)やその他の応用的学問と結合し、そう
した実用との関係の中でその意義を浮き立たせること
(Lehman et Pépin 2009, Pépin 2012)
以上二つの課題にVenelは応えるべく、ドルバック(主とし
て後者を担当)その他の寄稿者と協力して、化学関係項
目の取捨選択、執筆者の取捨選択、項目間の関係づけ、
学問分類などに従事した。 ①化学を同時代の諸科学の中に定
位させる
—  まず、化学の「人間知識の体系図解」(知性→理性→哲学
→自然についての学問→特殊自然学→化学)上の位置を
根本的に変更する必要がある。その課題をVenelは項目
「化学」で果たしていく。そこでは化学は、知性→理性→哲
学→自然についての学問→自然学(物理学)→一般自然
学→大きな物体と小さな物体の特殊自然学→小さな物体
の自然学あるいは化学と、再定位される(ディドロ『趣意書』
に通じる位置づけ)。「大きな物体の特殊自然学」が狭義の
物理学に対応するから、Venelにおいて化学は物理学と並
列される学問に昇格している。ダランベールの『百科全書
序論』では、化学は「物体の実験的合成や分解にだけ関わ
る」単なる特殊自然学だったが、Venelでは物理学と並び、
かつそれとは本質的に異なる対象—物体を構成する内部
の統合部分—を扱う学問になるのである。 オフィシャルな化学の再現の努力。科学アカデミーの『年報
(HARS)と論文(MARS)』を頻繁に参照。第二巻(Venelが初めて
寄稿した巻)から早くもRouelleやその弟子たちの論攷を利用した。
それに留まらず、モンペリエ大学出身者を中心に独自に寄稿者を
募り、計画的に化学関係項目を執筆させた。このように、Venelは
同時代の化学記事や論文の取捨選択、執筆者の取捨選択を行い、
『百科全書』に同時代のオフィシャルな化学を浮かび上がらせた。
リクルートされた執筆者の中には、今まで忘れられてきた百科全書
派もいる。Jean Baptiste Rast de Maupas (モンペリエ医学部出
身のリヨンの医者、1732-1810)である。
Venelは自ら多数の化学項目を執筆しただけでなく、身近にいたモ
ンペリエ大学関係者に依頼して無署名で多数の化学項目を執筆さ
せていた。Rast de Maupasについてはその項目をチェックせず、
直接出版者Le Bretonに送付させていた(Lehman 2009, p. 96)。
他方でVenelは同僚の項目を再読しチェックし送付するという作業
にも携わった。Venelは、身の回りに百科全書派のミニネットワーク
を作り、それを動員して化学項目に同時代的統一性をもたらした。 その統一性の理論的土台にシュタール、ベッヒャー、Rouelleの化
学があった。元素と混合物の説についてはシュタールに依拠して
いる。項目「原質」などを読むと、Venelはシュタールの四元素説を
支持しているが、他方ですべての物質を同質と考える哲学者の説
にも留意している。また、土を含む「不変で代替不能な」四元素・原
質を認める一方で、土については現状では4種のそれぞれ「不変
で代替不能な」土があり、それらがすべて原質だとする。その意味
で土の原質は1種類でなく、4種類あることになる。他方でVenelは
「唯一の共通する土の原質」を見出す可能性も認める。だとすると、
4種の土の原質性を示す不変性や代替不能性も絶対的なもので
はなくなる。そこにはそれらを貫く共通性があるからである。また、
四元素(特に火)についてはその実体的性格よりは、むしろ分析手
段としてのその道具的性格が強調される(FEU (chimie), ENC,
VI, 609 a)。そうした原質観を支える物質観として、原質、混合物、
複合物、複合物の複合物といった、ベッヒャー譲りの物質の階層
的認識もある。
そこにはドグマ的でない実験的性格を強めたシュタール(ベッ
ヒャー)化学が見出される。
②化学と応用的学問、技芸を連携させる
—  当時のモンペリエ大学医学部では化学が薬学、医学、病理
学といった実用的科学との連関で教えられていた。彼自身
がそうした教育を受けると同時に、後には教授としてそうし
た教育を施した。それはモンペリエ科学協会のスタンスでも
あった。そこでは当然医学中心の研究活動が展開されたが、
化学については理論よりも実用が重視された(ラングドック
の農業と連携した化学:chimie de la soie, fermentation
du vin, degré alcoolique des vins et des alcools,
remplacement du bois par le charbon (Lehman
2008, p. 103))。Venelもそうした実用的関心を強く有して
おり、la chimie végétale, le nitre, la couleur verte
des plantes attribuée au fer, l’application de la
chimie à l’agricultureを主として研究した。1753年以降
は何度か中断をはさみながら、王命によってフランス全土
の鉱水調査を担当した。 Venelは『百科全書』でも、そうした実用的学問との強い連携を意識し
て化学を叙述した。基本化学(基本的真理)と細部化学(実験・現象)
の結合こそが、彼の基本的視点だった:
「われわれはここまで化学を小物体の普遍的学問であり、自然知識
の巨大な源泉と見なしてきた。種々の対象への特殊な応用は化学の
さまざまな分野と種々の化学的技芸を生じさせた。そのうち次の化学
の両分野はもっとも科学的に培われ、だからこそ哲学的化学者の実
験の真の基礎、労働の土台となり、同時に二つの最初の化学的技
芸となった。医薬を準備する技芸(「薬学」参照)と鉱山を管理しマク
ロミクロの金属を純化する技芸である(「冶金学」、「鉱物分析術」参
照)。」(CHYMIE OU CHIMIE, ENC, III, 420a)
それ以外にも、Venelは「化学」でガラス製造、陶磁器マニュファク
チャー、塗装業、醸造業、火薬製造、石鹸マニュファクチャー、染色
業、料理術など、さまざまな化学的技芸の名前を挙げ、それらが「普
遍的化学に、ちょうど共通の幹に結ばれるように結ばれている」と考
え、「1.どこまで各技芸が化学によって訂正され改善されうるか、2.
化学は化学で、各技芸の実践から得た個別的知識によってどれほど
進歩できるか」(Ibid., 420b)という二つの問いを立て、両者の発展
にとって、化学と技芸の相互交流が必要だという結論を導いている。
ディドロの化学観と通底するVenelにおける三界(自然
界)の動的連続性(と理論と実践の結合):
「虫の分析は植物を構成する物質と同じ物質を生み出
し、十字花の植物の溶解は動物の煮こごり(ゼリー)と
似た煮こごりを生じ、高温の火の作用後も変化しない石
炭は、発光物質を生じ、それによって今述べた分析と鉱
物界を関連させることもできる。」(Venelの『化学講義』、
Lehman 2008, p. 277より引用)
ここには、ディドロ同様に断片化した自然に反対し、三
界の連関を常に意識するVenelを見ることができる。こ
れはまた、彼の化学項目全体の編集姿勢にも通じてい
た。
③ドルバックの役割の見直し —  鉱物学方面で化学と応用的学問、技芸をつなぐ役割はドルバックが
担った。機械的唯物論者とされることの多いドルバックだが、ディドロ
のように、やはり自然全体を力動的なものととらえており、そうした視
角から化学や鉱物学に接近する。« La nature, dans l’intérieur
de la terre ainsi qu’à sa surface, est perpétuellement en
action » (MINE (Histoire naturelle, Minéralogie), ENC, X,
522a)また、四元素説に立ち、階層的物質観を有するところは、
Venel(シュタールやベッヒャー)と共通している。そのような理論的
地平を保持した上で、ドルバックはそれを実践的考察と連携させる。
—  この連携は実利的観点から要請されていると言うよりは、もっと本質
的体系的な化学観に由来する。ドルバックにとって化学は「自然のう
ちに隠された技巧(技芸)の鍵」(Bourdin 2009, p. 210)なのだ。
言い換えれば、自然そのものが化学という技芸を自らの「実験室」
(MINÉRALOGIE (Histoire naturelle), ENC, X, 542b)や「アトリ
エ」(MINE (Histoire naturelle, Minéralogie), ENC, X, 523a)で
人知れず(内的に)展開し、結晶や鉱脈をたえず作り続けているので
ある。 したがって、彼の鉱物学の対象は、substances
minérales, révolutions du globe, fossiles,
tremblements de terre, éruptions volcaniques,
formation des montagnes et des couches de la
terre, génération des roches, des pierres
précieuses, des métaux (Bourdin 2009, p. 213)
といった広大なものとなる。そうした力動的作業を大地
は行っており、その結果として鉱物があるからである。
だから、化学が地学、鉱山学、冶金学などと結びつく
のは当然である。「地球が行うことを小さくモデル化す
る人工物を作る」のが化学だからである(Bourdin
2009, p. 215)。化学は常にその師匠である大自然
から学ばねばならないし、それと結びつかねばならな
いのである。
その結果、Venelの項目もドルバックの項目も理論と実践、学
問と技芸を常に密接につなげる形で叙述されることになった。化
学は複数の学問・技芸が交錯する複合分野なのである。
« Venel a ainsi pu désigner ses articles comme suit :
(Chimie), (Chimie & Pharmacie), (Chimie, Pharmacie &
Matière médicale), (Médecine. Chimie. Pharmacie),
(Médecine, Diète & Chimie ), (Chimie, Diète & Matière
médicale), (Chimie, Pharmacie, Matière médicale &
Diète), (Chimie, Pharmacie, & Thérapeutique), (Chimie
pharmaceutique), (Chimie & Matière médicale), (Histoire
naturelle, Chimie, Matière médicale), (Histoire naturelle,
Chimie, Pharmacie, & Matière médicale), (Matière
médicale & Chimie pharmaceutique) et (Chimie &
Médecine). Nous pourrions citer de la même manière les
différentes formes de désignants proposés par
d’Holbach en associant par deux, par trois ou par quatre
les branches Chimie, Histoire naturelle, Minéralogie,
Métallurgie, Docimasie, Orfèvrerie, Art, Arts & Métiers...» 5.図版の再解釈
—  従来の評価:「化学は,なお一層失望させられる。第3巻に
おいて化学にあてられた24点の図版〔344-350ページ〕は,
当時,とりわけ,実験室で見られる用品の一覧を示してい
る。けれども,この貧弱な状態さえもが真相を伝えているの
だ。これは, 1763年における化学の真の状態,つまり,奇
妙で,暖昧で,閉鎖的な言語,無秩序な経験主義,研究の
一般的仮説一切の欠如を視覚的に表わしている。程近い
未来に良い成果が約束されている若干の実験が飛び出す
はずの,親和力に関する当時の研究業績には,なんのス
ペースも与えられていない。 」(ジャック・プルースト監修・解
説『フランス百科全書絵引』平凡社、1985年) 図版1:化学実験室と親和関係表
1.化学実験室は器具などが整理整頓されて置かれ清潔であ
る。錬金術師の工房よりは、近代的な実験室を彷彿とさせる。
物理学者と化学者が登場する(この二人の関係をどう見る
か?)
図30の説明では「化学者と分解(dissolution)について会話
する物理学者」となっている。物理学者も化学者も実験台に向
かっているが、その上には「金属の分解が行われるグラス(ガ
ラス器)」(図32)が、物理学者のすぐ横に置かれている。物理
学者に否定的、化学者に肯定的な図版のようには見えない。
しかし、La Chimie et l’Encyclopédieの序論では 両者を「動
く哲学者」と「観念を有する哲学者」と同定し、非常に対立的に
とらえている(Lehman et Pépin 2009, p. 30)。
2.親和関係表:これについては本文にAffinitéという項目が
ないことから、『百科全書』は親和力を語らず、図版でも無視さ
れていると誤解されてきたが、実際にはちゃんと存在する(そ
の意義についてはKim 2009)。次の表のように解読できる。
『百科全書』の親和関係表の方が、ジョフロワのものよりもよ
り複雑になっているが、かなり類似している。ジョフロワのもの
は16列9行だが、『百科全書』のものは19列9行で、基本的物
質が16から19に増えている。『百科全書』の親和関係表には
ディドロの介入を示すアステリスクが付いている。ディドロがこ
れらを増補した際の典拠は、Rouelle(以上、François Pépin
の教示による)。
なお、フォントネル(科学アカデミー終身書記)もジョフロワも
この関係(Rapport)を引力のような遠隔力と解されることを避
けた。それは単に物質間の相対的な親密さ(結合しやすさ)の
程度を操作的実証的に(結果として)示したものにすぎない。た
だし、ジョフロワはニュートンの強い影響下にあり、できれば親
和関係を引力のような自然力によって基礎づけたいと考えた。
いずれにせよ、親和関係表によって数学的物理学以外の自
然学でも、相対的な法則的秩序(力動的自然内部で物質間で
なされる分離結合の規則性)を示すことが可能となった。
『百科全書』の化学も一面でそうした潮流に棹さしていた。
図版1−4に化学記号表が掲載されているが、何の説明もない。
ついで新たな図版1−18で、最初に実験室の道具、窯、器物
など(1−15bis) が紹介されている。それらの道具、窯、器物
などはRouelleの用いている最新のものからLibavius、さらに
はGeberなどの用いた非常に古いものまで雑多である。こうし
た雑多さが『百科全書』の化学や化学図版に対する低評価の
一因ともなっていたと思われる。Lehman et Pépin 2009が
強調するように、確かに図版でのRouelle(の器具)の存在感
は非常に大きく、『百科全書』の化学の同時代性を窺わせるが、
他方でこうした古さや雑多さについて、彼らはあまり語らない。
しかし、確かに『百科全書』の化学には、何か未整理のゴタゴタ
したところがある。
他方で、次に示す秤の図版(15、15bis)のように、当時の化
学にとっての秤量の重要性を明示する図版もある。
次に図版16−17で主要な塩の結晶が示され、図版18で化
金方法(錬金術)の象徴像が示される。
6.結論
—  従来の『百科全書』化学項目解釈の見直しの必要性
—  編者・執筆者としてのVenelの重要性
—  Venelによるディドロ『体系詳述』的方向での『百科全
書』化学の展開
—  物理学に対抗して物質の内部の力動性を解明し、そ
れを実践的に応用する化学の理論的実践的特徴
—  そうした方向から図版を再読する必要と可能性
総じて『百科全書』の化学は、(ドルバックのそれを
含めて)シュタール派(+ベッヒャー)を継承する部分
(化学や冶金学における国際交流)が大きいが、それ
にディドロ、Venel(そして彼らを通じてRouelle)らによ
る独得の味付けがなされ、当時科学アカデミーや化
学講義などで展開されていた同時代の化学(ジョフロ
ワの親和関係表やニュートン派化学を含む)を集大成
しようとしたものであった。他方で技芸など実用とのつ
ながり、職人の実験的役割を重視する化学(ディドロ)
であった。またそこでは、物理学の中に収まらない自
然の内的力動性や階層性も強く意識されていた。そ
の意味で、『百科全書』化学は「前ラヴワジエ化学」
(所詮前近代的化学)などと安易なレッテル貼りを許さ
ない、独自の科学技術史・思想史的意義を有している。 
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