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rNO.2013・1
イギリス・メジャー政権の公共政策:
「評価」を通したガパナンスの構想
平方裕久
九州大学
2013年 1月
F
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fEconomics
KyushuU
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Hakozaki,
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i・ku,
Fukuoka,
812・8581,
Japan
イギリス・メジャー政権の公共政策: I
評価」を通したガパナンスの構想*
平方裕久
1.はじめに
本稿の目的は、イギリス・メジャー (
J
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) 政権(1990-97年)による公共政策の
検討を通して、市場競争を重視したサッチャー (
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) 政権(1979-90年)の
改革を実施する過程で漸進的に形成されることになった「ガパナンス」の意味について究
明することである。
1
9
8
0年代のサッチャ一政権は、市場原理を公共サービスにも導入してその非効率な運営
の改善を希求した。この過程で、固有企業は民営化され、競争を強化するために金融など
で規制も緩和された。公共サービスにおける改革は、「準市場」による競争原理の導入(医
療・教育)や独立行政法人化による公共部門運営の可視化など多岐にわたった。しかし、
その実施の多くは、道半ばで退陣を余儀なくされたサッチャ一政府を継承したメジャー政
権によって担われることになった。そしてその導入過程において当初の構想にはなかった
ように思われる「ガバナンス」という概念がその基底に据えられていたのである。
1
9
8
0年代には経済学も大きな転換点を迎えた。情報の非対称性にもとづくいわゆる非対
0
0
2
)。そのひとつが
称情報の経済学の成果は、行政学の考え方にも転換を迫った(薮下 2
ニュー・パブリック・マネジメント (NPM) の台頭として現れた。 NPM は、民間企業の
経営手法を公共部門や行政サービスにも導入しようとする理論である。 NPMをはじめとす
る公共政策の新しい理論は、従来型の行政運営 (
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仕 組o
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)から行政経営 (
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Management)へとパラダイムの転換をもたらしたようにも思われる。一連の展開のなかで、
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行政サービスの提供方法を見直す研究もまた生まれている [
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3
=
2
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8
]。
そうであるならば、このような公共政策の理論の展開と関連付けながら、 1
9
9
0年代の政
9
9
0年代初頭のメ
策を検討することには一定の意義があるように思われる。というのも、 1
ジャー政権の公共政策には、サッチャ一政権からの継承のみならず新しい飛躍が看取され
るからである。メジャー政権の果たした歴史的役割については、従来サッチャ一政権の後
継者としてのみ評価されてきたが、市場原理を重視したサッチャリズムを継承するなかで
そこからの離脱のみならず、ブレア労働党政権(1997-2007年)にも政策的影響を与え、
独自の意義があったことが究明されつつある[平方 2
0
1
2
]。本稿は、以下のように構成され
る。第 2節では、イギリスにおけるニュー・パブリック・マネジメントの台頭について概
観する。続く第 3節では、公共政策における改革の展開として医療政策と教育政策の展開
について吟味する。最後に第 4節で議論をまとめ、メジャー政権における「ガパナンス」
の意義について若干の考察を加える。
2
. ニュー・パブリック・マネジメント
ニュー・パブリック・マネジメント (NPM) は公共部門の非効率性が指摘されるように
*本稿は JSPS科学研究費補助金若手研究 B (課題番号:2
2
7
3
0
1
7
2
) の成果の一部である。
1
なった 1
9
8
0年代以降に影響力を高めてきた。その特徴は民間企業の経営理念や経営技術を
公共部門や行政サービスにおいても導入しようとすることにある。経営(マネジメント)
とは、経営者のビジョンや目的を実現するためにとる意思決定と行動であるが、その執行
が妥当で、あったかについて監視されねばならない。
1これがガパナンスである。従来の行政
は、議会によって定められた政策を行政機関が執行する形をとってきた。しかし、民主的
に選ばれた国民の代表で、ある議会の定める政策を遂行する行政は、「与えられた業務の実施」
に陥りがちで、あった。したがって、次第に中長期的の政策の策定のみならず短期的な業務
0
0
2
:2
3
]。
管理もまた必要であると考えられるようになった[大住 2
このような行政運営の非効率性に対する批判の要因は、いわゆる「福祉国家の危機」に
象徴される国家の財政逼迫に加えて、社会の成熟化にともなう福祉や行政サービスに関す
9
8
0年代に先進諸国に
るニーズの多様化が起こったためであった。このような問題意識が 1
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) 政権を生み出したと言うことができる
おいていわゆるネオリベラリズム (
9
6
0年代のチリ・ピノチェト政権、 1
9
7
0
だろう。しかしながら、ネオリベラリズム政権は、 1
年代のニュー・ライトの台頭と 1
9
8
0年代のイギリス・サッチャ一政権、アメリカ・レーガ
ン政権として政治的な帰結を見たが、かれらの政策は体系的な政策パッケージで、あったと
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0
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いうよりは、地域性に沿った形で形成されていると評価されている [
2
0
1
1
]
02
また、このような「ネオリベラリズム化」に影響を与えた経済学は、ケインズ経済学を
批判して台頭してきた主流派の経済学であった。これらの経済学には、マネタリズムをは
じめ、合理的期待、サプライサイド、および公共選択の理論を含んでおり、多岐にわたっ
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h2
0
0
2
]。さらに、完全競争市場を前提としてきた伝統的な経済学を問題視する
ている[Bl
9
9
0年代
スティグリッツらによって、非対称情報下での分析が検討されるようになった。 1
初頭になると、公共政策においても情報の非対称性を念頭におきつつ議論が展開されるよ
うになった [
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.
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9
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4
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9
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8
]。
経済学の成果から影響を受けたように思われる NPMはこれまでの行政運営の何を問題
としたのだろうか。 NPMでは、行政にもガパナンスという視点が必要であり、そのために
は政策の結果を評価する枠組みをもうけることを提唱する。これまで行政の政策評価は、
費用・便益分析などの手法を用いて政策立案段階で実施されてきた。合理的な行政の意思
決定を実現することを目的としていたからである。だが、この分析には定量化の困難性や
事後評価といった観点が希薄であったため、 NPMはこのような行政運営を批判する。その
一方で、民間企業同様の方法での効率性追求は十分ではない。というのも、民間企業とは
異なり、公共部門においては公平性などが重視されるべきだからである。
ところで、マネジメントはトップ・マネジメントと執行マネジメントに大きく分けられ
1 アリソンは、一般的なマネジメントの機能として戦略 (
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)、内部管理 (
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)、および外部マネジメント (
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) を指摘
する。つまり、組織の目標や優先順位づける戦略と執行とその業績を評価する内部管理、
A
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n1
9
8
2
]。
さらに組織外部との対応を処理する外部マネジメントということになる [
2 イギリスにおける「ニュー・ライト」の政策提言には、経済学における転換のみならず、
政府の政策が適切に作動せず、失敗に帰したことからの「学習」の積み重ねが大きな役割
0
0
9
]。
を果たした[平方 2
2
る
。
トップ・マネジメントが明確なビジョンや目標を策定、あるいは政治的な価値を選択
することを意味するのに対して、その意思や目的を効率的に達成し生産性の向上に取り組
むのが執行マネジメントである。 NPMの政策提言では、第一に業績・成果による統制を掲
げる[大住 2010]。というのも、業績や成果に関する評価をすることなしに経営手法は導入
できなし、からであった。業績と成果を確定し、評価することによって、次の計画にフィー
ドバックが可能になると言うことである。しかし、従来型の企画立案と執行が一体となっ
て実施されてきた行政運営ではこのような評価を実施することは不可能である。したがっ
て、企画・立案部門と執行部門とを明確に区分し、後者には運用上の裁量権を付与するこ
とによって、はじめて成果主義が可能になる。統制の基準としては、広義の市場メカニズ
ムの活用や顧客主義への転換、および組織の簡素化が課題となった。
このように、 1980年代から 90年代にかけて展開された公共政策の議論では、公共部門
の非効率性を解消するために民営化や規制緩和を通して市場競争の導入が検討された。こ
れは、政府部門の役割縮小に加えて財政的な制限もまたそれを押し進める力となった。し
かしながら、 NPM理論の台頭という見地から振り返ってみると、むしろその実現のために
は業績・成果を通した運営が欠かせず、市場競争の活用は手段であるということになる。
さらに、市場化の困難な公共部門に残される業務についても、エージェンシー化を通した
業績評価によってその効率性を高める試みが着手されることになった。
3
3. 公共サービスの質的向上と「準市場 (
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)J論
本節では、上述したような課題を遂行するためにとられた 1980年代・ 90年代の政策過
程について検討することにしよう。公共サービスの役割について、自活できない人向けの
最低限度のサービス提供であるべきだと規定したサッチャ一政権で、は、政府部門それ自体
の縮小が図られた。国営で医療サービスを提供してきた国民保健サービス (NHS) は民営
化されることが検討され、公立の学校教育においても私立校の振興によって能力の高い生
徒の教育を実施することが試みられた。これらの政策形成においては、首相をはじめとす
る閣僚の価値観のみならず、学界における議論もまた影響を与えた。例えば、医療経済学
者のエントーベン (
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) によって NHSにもアメリカの保健維持機構 (HMO)
を模した制度の導入が提案され、またフリードマン (
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nFreedman) やハイエク(F.A.
Hayek) によって学校教育においてパウチャー制度の実施が提起された [
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9
8
5
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Hayek2011[
1
9
7
0
]
=1
9
8
7
]。しかし、実際の議論の過程で、サッチャー自身は、国営の医療制
度への国民の支持を考慮すると完全な民営化は政治的に困難であることを強く意識してい
た
。 4他方で、教育における私立校の活用も効果は限定的で、あったし、むしろ学校教育を提
供する学校聞の競争こそが実現可能性が高いと考えられるようになった。以下では、具体
3 サッチャ一政権末期にイギリスでは、「ネクスト・ステップス (
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x
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s
) 計画」が立
案され、例えば行政機関のなかでも IT部門などにおいて市場化テストの後にエージェンシ
ー化や民営化が実施された。これはメジャー政権によっても継続して実施されることにな
9
9
4
]。
った [Wilman1
4 サッチャ一政権の第二期日を実現した 1
9
8
3年の総選挙で、サッチャーは「われわれは[国
営の ]NHSを守る」とマニフェストで言明した [
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0
0
0
:2
7
9
]。これは 1979年総選挙マニ
K
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9
8
5
:4
2
]。
フェストの民間医療化の主張からの転換を余儀なくされた結果で、あった [
3
的に医療サービスと学校教育におけるそれらの変革について概観することにしよう。
(1) NHSにおける「準市場」
イギリス NHSは、その費用を国費によって賄われてきたが、利用時点で国民負担を要し
ないために公平であり、また国際比較という観点からも効率的なサービスを提供している
と理解されてきた[武内・竹之下 2
0
0
9
]。その一方で、高齢化の進展、医療技術の向上、お
よび求められるサービス水準の向上などによって医療費の高騰を招くようになった
[
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0
0
9
]。イギリスの特色である国庫負担で提供される医療サービスには予算制
約があり、したがって、患者に長い待機を強いるようになった。サッチャ一政権はこのよ
うな国営の制度を維持しつつも、効率的に資源を活用できるように民間部門に倣った運営
手法と競争原理の導入を計画した。
民間企業の経営手法については、意思決定の責任の所在を明確にするためゼネラル・マ
ネージャー (GM) が導入された。つまり、病院や保健当局は合議制によって運営されて
きたために、最終的な責任の所在が不明確であるという批判があったからであった。
• • • NHSには・・-経営的な判断力が欠けており、それが重大な影響を及ぼして
いた。スタッフは医療の仕事には熱心だが、費用対効果に関しては無関心だった・
そのうえこの制度下では、重症患者は一流の治療を受けられるというものの、患者の
個人的な好みや便宜は、ほとんど無視されていた [
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9
9
3
:607邦訳下 1
9
3
]。
G M制度の導入が、部局や機関における効率性の追求で、あったのに対し、医療制度それ
自体の効率性の達成手段がいわゆる「内部市場」と呼ばれた「準市場」で、あった。これま
で保健当局によって運営されてきた病院には、当該地域から開業医 (GP) から紹介された
患者に二次医療を提供してきた。このような独占的に二次医療を提供する制度には競争が
存在しないために、サッチャ一政権では病院の規模や実績と関連づける財源配分の導入が
必要であると強く意識していた。 1989年の白書『患者のために働く (Workingf
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[Cmnd.555,1
9
8
9
]において市場競争の導入が明示され、 1
9
9
0年国民保健サービスおよびコ
ミュニティケア法として成立した。
こうして導入された準市場では、二次医療の提供者と購入者とを明確に区分し、提供者
としては病院を、そして購入者としては患者の代理人である保健当局と開業医 (GP) が位
置づけられた。これまで保健当局によって管理・運営されてきた NHSは、トラスト格を与
えられることになり、ある程度自律的な運営が可能になった。他方で、一定規模以上の登
録患者を有する開業医に基金保持 GP となることを認め、かれらには二次医療を購入する
ための予算が与えられるようになった。 5こうして、患者のためにサービスを選択する購入
者の登場は、間接的ではあるが、患者の選択権の拡大と病院聞の競争促進が期待されてい
基金保持制度は、当初 1万人の登録患者を要件として認められた。しかし、段階的にこ
の基準は引き下げられ、さらに権限の異なる基金保持 GPを加え、参加する GPの増大が
図られた[樫原 2
0
0
5
:676
8
]。
5
・
4
た。サッチャーは、保健当局のみならず、基金保持 GPなどの多様なサービス購入者の存
在が重要で、あったことを指摘している。
一般開業医に予算をもたせ・・・生命に危険が及ばない手術等について、病院から
「必要なサービス」を購入させるというものだ。このような病気では患者に(少なく
とも理論上は)時期と場所、それにコンサルタントを選ぶ余裕があり、一般開業医が
公立、民間の競合する医療機関のなかからどれを選べばよいか助言できる・・・一般
開業医にこのような選択権がないと、地域保健当局が唯一の購入者となり、(地域保健
当局から)離脱した病院が差別される可能性が高い [
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9
3
:6
1
5,邦訳下
2
0
2・2
0
3
]。
このような理解に立ちながら、サッチャ一政権下で競争原理の導入が実現した。
一連の改革について、ルグラン(J
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r
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) は基金保持 GPによる病院サービスの
購入が医療費の節約という強いインセンティブを持つために GPの診療と外部の医療との
費用をつなぐ役割を果たすことになったと評価した。なぜならば、基金保持 GPの予算は、
他の医療機関からのサービス購入に使うことができるのみならず、自らの診療所の設備投
資等に使用することも可能になるからであった [
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d2
0
0
3
:9
9,邦訳 1
5
2
]。他方で、基
金保持 GPには、患者のための適切なサービスを購入するインセンティブだけでなく、単
に安価なサービスを購入するインセンティプを持っており、実際には所期の目標である適
切な予算配分や情報開示がなされるかについて制度設計上の問題を苧んでいたという見解
もある [
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1a
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9
9
3
:1
9
9
]。
公共部門におけるサッチャ一政権の改革は、基本的にはその規模の縮小と予算の削減が
目標に据えられていた。そのための手段として、企業を模した統治制度や市場メカニズム
を取り入れることによって効率的な運営を実施することを企図していた。しかし、それだ
けでは十分ではない。 1
9
9
0年に政権を継承し、また改革の実行を担うことになるメジャー
政権においては、監査や評価を通して市場メカニズムとは異なる手法によって競争原理の
適切な作動を確保しようとした。その試みについて以下で検討することにしよう。
これまで、サッチャリズムの継承者として理解されてきたメジャ一政権は、公共サービ
スについてはサッチャリズムとは異なる思想を持っていた。メジャーは、民営化や市場化
によって効率性を高めることができ、その必要性のあることを十分に認めつつも、公共部
門の提供する方が効率的なサービスについては、公的枠組みを維持するべきである、と考
えた。だが、このような場合にも、効率性や質の向上は欠かすことはできない。というの
も、公共部門に残されたサービスについても、権限委譲を推進し、国民の公共サービスに
対する信頼を高めることが、効率的で質の高いサービスを提供することを可能にするのみ
ならず、従事する公務員の士気の向上につながると考えたからであった [
M
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r1
9
9
9
:2
0
3
]。
メジャー政権は、 1
9
9
1年に公共政策の指針となる白書『市民憲章 (
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を公表し、公共サービスの質的向上を宣言した。市民憲章においては、公共サービスの質
的向上をサッチャ一政権の追求したような市場原理に委ねるだけでなく、目標の設定とそ
の憲章を通して達成することが企図されていた。同白書では、公共サービスに関する質、
選択、水準、および価値の向上を主目的に掲げ、これらの達成を通して、メジャーは公共
5
サービスの顧客である国民の満足度を高めるべきである、とする政権の立場を鮮明化した。
NHSにおいては、「患者憲章」が制定され、 1
9
9
5年に改訂された。
イングランドをはじめとする各地域における達成すべき医療サービスの基準が示される
ことになっていた。さらに、地区保健当局においても地域に状況に根ざした「憲章」を個
別に制定することを求め、制定後は病院などにおいて広く周知すべきであると規定された。
1
9
9
5年に改訂されたイングランドにおける憲章である『患者憲章とあなた (
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)Jlをみてみよう。ここでは、サービス消費者である患者の享受しうる「権利」と
I
(達成されることの)期待」とが区分された上で明示された [
D
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l
t
h
,1
9
9
5
]。この
ような憲章を貫徹しているのは、公平な医療サービスの利用を確保し、その上で患者がひ
とりの人間として尊重される体制を構築することによって「顧客」満足度を高めることに
あったと言えよう。サッチャ一政権における競争原理の発揮のために必要な情報の開示は、
患者憲章においては地区ごとのリーグ表形式で公表されることになった。また、医療機関
の設定目標に対する評価は、機関ごとに「格付け」されることになっており、達成度の高
い機関には「チャーター・マーク」を授与してその掲示を認めることになった。
6
このような「患者憲章」についてどのように評価すべきであろうか。例えばウオールは、
憲章が医療における政府の目標を示し、より多くの情報を提供しており、したがって医療
サービスの消費者である国民の意思表示に資するようになったと評価した [
W
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l
l1
9
9
6
]。他
方で、パイノは、その限界を指摘した。市民憲章は十分な準備期間をおかずに開始された
ために、統計上の情報整備などにおける不備がそもそもあったことである [Bynoe 1
9
9
6
]。
このような問題点を苧みながらも、メジャー政権の「市民憲章」は、サッチャ一政権の進
めた民営化や規制緩和の推進という 1980年代の公共政策の流れとは異なる形態であるが、
公共サービスの質的向上が企図されていた。これは、競争原理を導入するとしづ狭義の民
営化には限界があり、必ず残されることになる公共部門においても質的な向上を実現する
ためには目標の設定とその評価とし、う広義の民営化というべき手法が欠かせないという認
識に立っていた。「成果を評価する」という手法は、経済性や効率性の達成のみならず、政
策的効果の向上こそが重視されており、この点では第 2節で言及したような NPMの基本
的な考え方と重なる。
一連の改革は、次代のプレア政権(1997-2007年)にも継承された。プレア政権は、基
金保持 GPによる医療サービスの購入について、従来からの GPと基金保持 GPの患者との
間で医療格差が生じるようになったことを批判した。したがって、競争を緩和するために
購入側に数人の GPから構成されるプライマリ・ケア・トラスト (
P
C
T
) を創設してすべ
ての国民を包摂する制度として再編した。また、患者に対する医療サービスに限られがち
であった基準についても、医療の質そのものを全国的に担保するような制度設計を行った。
つまり、地域ごとの自主的なサービス基準ではなく、医療の内容それ自体も含めて全国的
な基準を策定しようというのである。ブレア政権においても、一方では準市場の制度を修
正しつつも維持し、他方では公平なサービスの享受を実現するために国家・政府による基
準の策定や評価というガパナンス手法もまた内容を変えつつも継承されていた。
チャーター・マークは、市民憲章の報告書である『市民憲章 :5年後Jl [Cm3
3
7
0
]の附録
においてまとめられている。
6
6
では、医療の質的向上はどの程度達成されたのだろうか。確かにイギリス NHSにおいて
最大の課題で、あった患者の待機の問題では、平均待機期間は 1990年代に短縮する傾向が見
られたが、他方で待機者の数は依然として高い水準で推移していた。これは、一連の改革
が一定程度の成果を見たと考えることができるが、依然として患者の迅速な診察・診療が
実現したとは言い難い。そして注目すべきはこれらの待機期間と待機者数の減少に大きく
貢献したと考えられるのは、 1999年に起こったインフルエンザの流行後に公表されたブレ
ア政権による医療予算の拡大の結果ということである。そうではあるものの、国庫に財源
を依拠する NHSでは、財源の大きさによる制限はあるものの、サッチャ一政権の競争原理
の導入が追求されるなかで、 1990年代には適切な評価制度によってガパナンスをし、提供
者に改善を促すことによってその質の向上が図られるようになったということは一定の意
義があると言うことができる。
(2) 学校教育における「準市場」
次に、学校教育における「準市場」改革について吟味することにしよう。医療サービス
同様に、学校教育においてもその資源配分方法が改革の主要な論点となった。結論を先取
りすると、サッチャ一政権の学校教育改革は、 1988年の教育改革法として法的に結実した。
学校教育では、児童や生徒の利益のために動く強いインセンティブを持つ保護者の意見を
より明確に反映させることを目的にしていた。つまり、医療における病院と開業医・当局
との関係が、学校と保護者という関係になったことを意味する。
改革以前の学校教育システムについてサッチャ一政権はどのように捉えていたのだろう
か。それまでの義務教育においては、地方政府がその予算や入学について管轄しており、
財源はそれまでの実績を基礎としながら地方政府の設定した基準によって配分されてきた。
他方で、教育内容と方法については学校・教師の裁量が認められており、専門家への信頼
によって成り立っていた。医療同様に、サッチャ一政権は硬直的な予算配分方法と専門家
の独占的なサービス提供について問題視した。 7このなかで、保護者の意見は事実上ほとん
ど反映されていなかったという。
正確なところどんな条件と質をもってよい学校とするのかについては、大いに議論
が分かれるところだ、った。私としては巨大で特色のないコンプリヘンシブ・スクール
よりも、比較的小規模の学校のよさを常々買っていた。また私は、かつての教師に比
べて能力が劣る教師やイデオロギ一色の強い教師が多すぎると思っていた・・・親た
ちゃ雇用者、生徒たちに直接接して知ったのは、読み書き計算という基本的な知識を
身につけないまま学校を卒業するものがあまりに多いという事実だった [
T
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c
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1
9
9
3
:590,邦訳下 1
7
4
]。
7 教育サービスにおける専門家の独占について、サッチャーは労働組合との関連でも批判
する。というのは、教育科学省と教員組合、とりわけ全国教員組合 (NUM) との聞に見ら
れたような、行政機関と管轄下の組織との親密な関係は、公平無私の望ましい行政という
狭い観点からだけ見ても、極めて有害である J [
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9
9
5
:1
6
6,邦訳 2
2
6
2
2
7
]と断言し
ている。
7
一連の改革の主要な論点は、保護者の学校選択を確立するために、教育内容を規定する
全国共通のカリキュラムを策定し、また「自由入学制度 (OpenE
n
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)Jを実現するた
めに標準入学定員を遵守させることや学校の財政や教職員の任用に関する学校理事会の権
限強化に加えて、保護者の要請に応じて公立校の管轄を地方教育当局 (
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) から離脱(オプト・アウト)し、国庫助成校 (
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dSchool)への移
管を認めることが盛り込まれていた[木村 2
0
0
6
:1
0
]。
保護者に学校選択権を付与する試みは、当初「教育ノ〈ウチャー」と呼ばれた制度の導入
が検討された。教育ノミウチャーは、教育サービスの受給のためのクーポン券であり、学校
に対する資源配分を入学者に応じて割り当てることを意図したもので、あった。実際には、
「個々の生徒宛に教育資金を公的に与え、それを親が自由に使える制度 J[小川 2005:203]
であった。したがって、学校は可能な限り生徒を受け入れることが求められるようになり、
定員以上の応募があった場合にはじめて選別を実施することになった (
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eGrand2
0
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6
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8,
邦訳 1
6
4
)。
一連の改革では、いわゆる「準市場」と呼ばれる競争制度が導入されたといえよう。こ
の過程で、児童や生徒の通うべき学校の選択のみならず、その運営の在り方に至るまで、
かれらの利益のために働くインセンティブを持つ保護者の意見が強く反映されるようにな
った。これらの改革は、一貫して競争の働かない公共サービスである公教育の非効率性を
改善するために、「消費者」の選択権を強化することによって、提供者聞のサービス改善の
インセンティブを高めることを企図していたことは言うまでもない。そして、このような
選択を厳格に実施するために欠かせない情報の非対称性を解消するために、成果の公表を
実施するようになった。ここには、 NHS改革同様に、教師という専門家によるサービスの
独占的提供を問題視するサッチャ一政権の思想があったということができょう。成績は、
学校ごとに一定の学年における試験結果や国家試験の結果が公表されるようになった。
8
サッチャ一政権による教育改革法では、評価の基準を明確にするために全国統一のカリ
キュラム(ナショナノレ・カリキュラム)の制定が謡われた。ナショナノレ・カリキュラムで
は
、 5 歳から 16歳までの義務教育を対象としており、国語や数学などの中核教科 (
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) の履修プログラムに
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) と歴史・地理・外国語などの基礎教科 (
よって構成される。このカリキュラムでは、到達目標や学種プログラム、および評価手順
が定められることになっていた。そして学力評価試験によって到達度を明確に把握し、学
校・地域・全国レベルでの成果もまた確認されることになっていた。
8 成績の公表は、
7歳・ 1
1歳・ 1
4歳段階の試験結果に加えて、 1
6歳の中等学校教育一般
証 書 (GCSE) および 1
8歳の A レベル試験の国家資格で、あった。国家資格である A レベル
試験 (AdvancedLevel)が大学進学資格であるのに対して、 GCSE試験は O レベル試験
(
O
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l)試験に相当するもので、あった。 1980年代に資格改革が実施されたが、 1990
年代になるとフルタイムでの職業教育の制度として導入された一般全国職業資格 (GNVQ)
もまた大学進学のための資格として認められるようになった。こうして高等教育への進学
機会は多様な方法が導入されるようになった[平方 2
0
0
7
]。しかしながら、このような本来
は職業技能を認定する GNVQを A レベル試験と代替可能にしたことは、大学進学の安易
な近道として利用されるようになり、「大学と職業の双方の世界にとって最悪の事態 J [
サ
ンダーソン 2
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1
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4
1
]という評価もなされている。
8
このようなカリキュラム制定は、これまでのイギリス公教育における教育内容について
専門家である学校・教師に比較的裁量権が与えられていたことに端を発していた。つまり、
公立校は地方当局によって運営されるものの、教育課程の編成と指導方法、学習組織に関
わることは各学校の校長と教師に基本的には任されてきたからで、あった。その結果として、
1
9
6
0年まで、一人ひとりの能力と成長に応じた教育が実施されるべきであるという理念に
立脚してさまざまな教育プログラムが開発さてきた。しかしながら、成果を比較可能にす
るためには一定の基準が必要である。こうしてカリキュラムの策定が推進されることにな
ったが、このような直接的な国家の介入については大きな議論を巻き起こすことになった
[木村 2
0
0
6
:1
2
]。
これらのサッチャリズム改革は、実際にはメジャー政権において実現することになった。
メジャー政権の主要政策である『市民憲章』プログラムでは、「保護者のための憲章」にお
いても植われている。ここでは、サッチャ一政権の改革を継承することが強調されている
のみならず、市場競争を通した質的向上のみならず、「定期的な独立した査察」の実施がか
かげられ、「監査委員会は、異なる地方教育当局における運営と支援サービスの効率性に関
する比較表を公表する権限を付与されるであろう J[Cm1
5
9
9,p
.
1
4
]ということである。つ
まり、医療同様に、競争原理によってサービスの提供者に効率的な運営と質的向上の達成
を委ねるのではなく、事後的な公的機関による評価をすることが欠かせないということで
あった。
では、これらの成果についてはどのように理解すべきであろうか。グレナスター (Howard
、 1
9
9
5年以来制度化されたすべての生徒が受験する国家試験の成績を基に
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)は
評価した [
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3
]。中等学校における成果は、依然として大きな地域間格差
を残しているものの初等学校における教育成果は大幅な改善をみた(表 1参照)。加えて、
それのみならず最も低い水準の学校とそれ以外の学校との聞の格差は縮小に向かいつつあ
った。他方で、教育に対する公的支出についてはどうであっただろうか。教育に関する公
的支出は 1
9
7
0年代後半以降、徐々に引き上げられてきた。また対 GDP比でも 1
9
9
0年代初
0年代後半になると引き締められることになった(図 1参
頭には高められた公的支出は、 9
照)。これらの試験の成績と関連付けてみると要求水準を満たす生徒の割合が高まっている
が、必ずしも教育予算の規模に起因しているとは言えないことがわかる。
サッチャ一政権によって着手された教育改革は、どのように継承されたのだろうか。ブ
レア政権では、経済の競争力を高めることと貧困層の自立することという二つの観点から
政策が立案された。経済の競争力を維持するという目標は、知識経済への転換を強く意識
していたブレア政権の他の社会政策においても見られる認識とも関連している[関 2
0
0
4
]。
貧困層の自立と関連した政策では、初等・中等教育の質的向上を企図した「教育アクショ
ン・ゾーン」の設定がある。教育アクション・ゾーンは、教育水準の低い地域において「一
定地域の学校、企業、親、ヴォランタリー・セクター、および地方教育委員会がその地域
の水準を引き上げるために共同するというものであり・・・設定されるとそこに予算配分
がなされ、上記の構成メンバーによってアクション・フォーラムが結成され、彼らの自由
度をもって予算を使うことができる J[小堀 2
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0
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7
1
]という仕組みで、あった。また、メジ
ャー政権の実施した職業資格制度についてはそれを改変しつつも基本的には維持し、職業
9
表1.助成校における実績
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理科
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数学
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出所 G
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r[2002:128,
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]より作成
図1.教育費の推移
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1984/5
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霞認中等教育
轍議綴
1994/5
1999/00
GDP比公的教育支出
出所 G
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r[2002:123T
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]より作成
技能資格の取得が高等教育への進学を可能にするような制度が維持されることになった
[平方 2012]。しかしながら、このような制度は維持されたものの、国家による「規制」
は強化されたということができる。プレア政権においては、貧困層やそれに起因する低い
教育水準の改善が図られたものの、全国民的な教育水準を引き上げるために目標の設定や
その検証によって評価する姿勢もまた継承され強化されているからで、あった。
4. メジャー政権のガパナンスの構想
これまでの議論から、 1980年代に公共サービスにおいて実施された改革は、基本的には
公共部門の縮小とこれらのサービスに民間部門の活用や競争原理を通して経済的効率性を
高め、ひいてはサービスの質それ自体も向上することが想定されていた。これは、いわゆ
る「福祉国家の危機 J[OECD1981]9に直面した先進諸国においてネオリベラリズムの処方
9
福祉国家の危機」は、経済協力開発機構 (OECD) においても 1970年代の経済社会の
10
筆にしたがった改革であったと言うことができょう。しかし、このような福祉国家は、政
策転換され、消滅したわけではない。むしろ一連の公共政策における改革は、「転換」過程
にあったということができる。事実、多くの経済協力開発機構 (OECD)諸国においては、
公的な社会支出が国内総生産 (GDP) のおよそ 4分の lを占めており、相対的な貧困の減
退と社会的排除に立ち向かうことを可能にしている。
このような現状を踏まえてパー (
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) は、すべての分配上の問題が解決され
たとしても依然として福祉国家は必要とされると論じる [
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: 263・264,邦訳
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]。そして、財源の制約が高まるとすれば、どのような規模のサービスをどのようにし
て提供するか、ということが大きな課題となる。ニュー・パブリック・マネジメントはそ
のような問題解決のひとつの方策で、あった。すなわち、成果を高めるという観点に立ち、
最適な方法を採用することによってその実現を目指すというのである。 NPMの考え方に立
っと、サッチャ一政権の追求した民営化や規制緩和、あるいは財源を政府に依存する公共
サービスにおいて競争原理を持ち込む「内部市場」の考え方も選択肢のひとつとして整理
することができる[大住 2
0
1
0
:1
7
]。要は、政府部門の縮小はその結果として生まれてくると
いうことになる。
そうであるならば、メジャー政権によって実施された医療保健と教育の改革は、サッチ
ャリズムに基づいたというよりは違った位置づけにおかれるべきだと言えるだろう。これ
らの改革は、第三次サッチャ一政権(1987-1990年)での成果であり、その実施について
は多くをメジャー政権の下に委ねられた。しかし、メジャー白身が公共サービスの思恵に
あずかったということもあり、公共部門による社会政策の必要性を強く認識していた。
1
0こ
のような価値観を基にして、政権独自の政策である「市民憲章」が制定されることになっ
た。重要なことは、民間部門の役割や競争の必要性は認められていたが、それにとどまら
ず競争の成果を政府や公共部門によって規制するという考え方が大きく据えられていたと
いうことである。例えば、監査委員会 (
A
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tCommission) や教育の査察を実施する教育
基準局 (OFSTED) のような組織の導入がそれであろう。もちろん何らかの形で評価を実
施する動きはメジャー・ブレア政権下で、生まれた新しい動きではない。しかしながら、評
価することによって公共サービスの提供をガパナンスするという新しい動きが 1990年代
により明確に実施されるようになったことは見逃すことができない。
こうしてみると、 1990年代の公共政策においては、サッチャ一政権が市場競争に委ねる
べきだと考えた政策について、メジャー政権においては責任の明確化という意味では企
画・立案と執行部門を分離する方式を継承しつつ、むしろ業績を評価するための枠組みと
して評価や監査という手段を強化した。この強化は、サッチャー的な競争を確保するため
変化のなかで議論されるようになった [OECD1
9
8
1
]が、他方でネオリベラリズムからの批
判を受け、 1980年代に行われた改革を経た福祉国家は、実際のところその「転換・解体」
というよりは「再編」として捉えられている[新)
1
1
2
0
0
2
]。
1
0 メジャーは、保守党が特定のイデオロギーに属すべきではないと主張しながら「思いや
りのある社会」こそが目指すべき社会であると主張した。この背景には、結果的に減税や
公営住宅の払い下げなどのサッチャ一時代の政策が「かなりの割合の少数派を置き去りに
してしまった J[
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9
9
9
:2
0
4
]という危機感を抱いていたからに他ならない。これがメジ
ャーを公共政策改革に駆り立てたひとつの要因として見なすことができる。
1
1
には欠かせない個々の執行部門に運用上の権限を委譲し業績に責任を持たせるために国家
や政府が規制をしなければならないという新しい展開を生み出した。他方で、公共政策の
理論においては、サッチャ一政権やメジャー政権の政策を分析するなかで、業績による評
価を中心に行政経営を行うというガパナンスの理論が生まれてきた。サッチャリズムを強
化するなかで、サッチャ一政権が当初撤退すべきだとした国家や政府の役割に新しい役割
と意義を持たせるようになったというところにメジャー政権の政策の意義があるように思
われる。
参考文献
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三浦
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佐伯
福井
森田
親良
昭吾
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所得分布と不平等度尺度の計量分析
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東アジアの地域経済協力と FTA
ASEAN
域内経済協力の深化と東アジアへの拡大
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ソフトな予算制約とスピルオーバー効果
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松本浩一
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アメリカンオプション価格の上方境界の改善
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瀧本太郎
坂本 直樹
国・都道府県レベルにおける歳入・歳出構造について
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:医療・介護の連携にシナジー効果が存在するケース
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坂本直樹
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経営戦略論における資源アプローチの理論研究
-経営資源・能力論の展開一
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平方裕久
イギリス・メジャー政権の公共政策:
「評価」を通したガパナンスの構想
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